台湾の日本通の必読誌 『秋刀魚』の編集長が 日本で最も幸せなまちを行く。

雑誌『秋刀魚』編集長 Eva Chen

2014年台湾に新しい雑誌が生まれた。
コンセプトは「Discover Japan Now」。雑誌の名前は『秋刀魚』。
毎号台湾人目線で、日本人でも知らない日本の姿や魅力を独自の切り口で発掘している。
いまや台湾の日本好きで知らない人はいない雑誌だ。
今回は編集長のEva Chen氏がLIP田中の故郷であり、
台湾でもまだ知名度の高くない「福井」を訪れた。
新幹線も通っていない、空港もないこの場所だが、
幸福度日本一に選ばれた(日本総合研究所発表「幸福度ランキング2016年版」)
その理由は一体どこにあるのだろうか?
(by LIP)

最も幸せなまちで古民家の新しい命を感じる。

散歩する、それはあるまちに近づく最も奥の深い方法である。
雑誌『秋刀魚』創刊以来、確かに日本のたくさんのまちを訪ね、
散策取材の企画も多く行ってきた。
そのなかでも今回訪れた福井は、日本で「最も行きにくいまち」と言われ、
空港も新幹線もまだ未開通の北陸の地。

福井のまち並みはまるで朝ドラに出てくる昭和時代の風景のようだった。
この地の温かくて平穏な日常は、神様がこの地に授けた日本一の水(*1)のように、
華やかな味わいはないが、口の中でほんのりとした甘みが漂う。
この甘みは人々に微笑みながらこう思わせる。
「福井がほかの場所から遠いおかげで、
福井ならではの幸せな味は守られているのかもしれない」

*1 日本一の水:水政策に詳しいジャーナリストの橋本淳司さんによる「水道水がおいしい市町村ベスト5」で、福井県大野市の水道水が1位に選ばれた。

親友の雑誌『LIP』の田中佑典氏のお誘いで彼の故郷を訪れることになった。
日本の友人の地元に行くのは、台湾人の私にはとても新鮮なことである。
まるで卒業アルバムのページをめくるように、
友だちの幼い頃の行きつけのお店に行き、学生時代に乗っていた電車に乗り、
十数年経っても変わらないどこかの道の物語を聞いていていると、
今回の旅は一層感情移入することができた。
あとから気づいたが、福井の方言で、語尾に「の」の音をつけた挨拶は
「ここは私の故郷じゃないか?」と思わせるくらい親近感の湧く響きだった。

故郷とは人々の記憶の中に隠れた古びた家であり、
古くまだらに色づいた外壁は歴史の跡を表している。
福井には古い町家が数多くある。高齢化と過疎化が進んでいるなか、
それらの古民家は一時的にまちから忘れられていた。
しかし、近年福井は「まちおこし」(日本式古民家「町家」のリノベーション)に
力を入れているおかげで、この地で古民家をリノベーションする若者が
どんどん増えている。歴史と新しい創造が融合し、
木造建築の積み重ねてきた月日を吸収し、新たな命を芽生えさせる。

町家のリノベーションの代表作のひとつは坂井市にある民宿〈詰所三國〉である。
明治時代の元〈田中薬局〉を改修し、当時の薬瓶や看板はそのままのかたちで、
庭園や吹き抜け構造を残した民宿へと姿を変えた。
室内デザインは日本を愛する東洋文化研究家のアメリカ人、
アレックス・カー氏(Alex Kerr)が手がけた。
1日限定2組。「行雲」と「流水」の2棟の客室があり、
夜は歴史を感じる空間に囲まれ、庭では星空を楽しめる。
朝は宿から3分くらい歩くと三国港があり、
幕末に北前船が商売をしていた歴史深い場所を歩くことができる。

しかし、私が一番驚いたのは客室に完備しているキッチン。
ご当地の伝統的な漆器や磁器が食器として使える。
一般的なホテルのように食事提供のサービスはないが、
民宿は旅の客にこう誘っているように感じた。
「ここで料理作りを楽しみ、短い滞在のなかでも
この地ならではの日常生活をイメージしよう」と。

オカザえもんが案内する岡崎アート 石原邸から表屋の巻 あいちトリエンナーレ通信 vol.5

3年に1度開催され、現在開催中の国際芸術祭〈あいちトリエンナーレ2016〉。
3度目となる今回は、名古屋市、岡崎市、豊橋市で開催されています。
参加アーティストや広報チームが、その作品や地域の魅力を紹介していくリレー連載です。

文化財〈石原邸〉や商業ビル〈岡崎シビコ〉をまわりまする〜

前回のつづきでござる~。
唐突でござるが! あいちトリエンナーレ岡崎会場では、
10月2日までの毎週金・土・日曜日に乙川を渡る和船の運航をしていまする。
東岡崎駅会場(岡ビル百貨店)と康生会場(岡崎表屋)をご覧いただくのに
便利でござる~。トリエンナーレチケットの提示で乗船できますので、
ぜひ乗ってみてくだされ~(詳細は岡崎市HPでご確認ください)。
拙者も乗ってみましたが、めちゃ気持ちよいでござるよ~、お得でござる~。

あいちトリエンナーレと舟、一見無関係のようでござるが、
実はとても重要なことなので、ぜひこの舟を利用してくだされ~。
なにが重要かというと、見る「視点」でござる~。
舟に乗ってまちを見る視点は、地上よりマイナス数メートルからの視点でござる。
まちを見上げる、道路や人を見上げる視点、
いつもと違う視点でまちを見れるでござる~。
このことを念頭に次の会場に向かうでござる~。

行くルートでござるが、東岡崎→舟乗って→岡崎表屋→シビコ→籠田公園→石原邸と
東岡崎→籠田公園→石原邸→シビコ→岡崎表屋→舟
というルートがございまする。
さらに10月1日~16日にはイギリスの作家〈アーキテクツ・オブ・エアー〉の
展示場所となる岡崎公園多目的広場もありまするので、それもルートに加えてくだされ。
これにガイドブックに載っている周辺の観光、岡崎信用金庫資料館や喫茶店、
同時開催の関連イベントなどをまわるようによく考えてまわってもよし、
行き当たりばったりで見てもよし、でござる~。

拙者は今回(9月2日)は歩いて、東岡崎駅から籠田公園に向かいましたでござる~。
前回紹介したような看板、そしてこの立派な松の木を見よ!

おもしろいな~木の形は! などとひとり言をかましつつ、
こんなかわいい看板があったり

いろいろ石の彫刻やらが歩道にあったり

と書ききれないほど愉快なものの横を通りすぎながら、籠田公園に到着でござる~。
公園にも鳩の石像などすばらしいものがたくさんありまする~。

公園周辺にも美しい看板やら彫刻、フラッグがたくさんありますよ~。

このフラッグの真ん中のダンゴみたいなのが最高でござる!!
籠田公園はジョアン・モデさんのネットプロジェクトをやっておりますよ~~。
そして、またトイレ行きたくなった~、と公園のトイレに入るとそこにまた、名画が!

この男子の、この女子に惚れてるな~さては~、
とかなんとか思いながら見るでござる~。
しかし、トイレ周辺で撮影してると
変質者と間違われるおそれがあるので要注意でござる~。

そして、つぎの石原邸に向かうでござる~。
石原邸に向かうまでもいろいろありますが、割愛! 
それぞれ行って発見してくだされ~。
そして石原邸! 文化財でござるよ!!

江戸後期建築の商家〈旧石原家住宅〉は国登録有形文化財。(撮影:菊山義浩)

拙者、実はここで展示してしている田島秀彦さんの搬入のときに
お邪魔しましたでござる~。

田島秀彦さんの作品は名古屋会場の芸術文化センターにも展示しておりますので、
そちらの作品も見てくださるとさらに深く作家の作家性について
考えることができまする~。
ここで展示されている作品は、以前ギャラリーでも展示された作品を
再構成して展示し直したものでござる。ケンジタキギャラリーのサイトを見ると、
ホワイトキューブに展示されたケーキの作品画像が出てきまする。
そのときの展示を見た人は、展示場所による作品の印象の変化を
実感することでありましょう。

田島秀彦『Birthday』2016(撮影:怡土鉄夫)

この石原邸には佐藤翠さんの絵画作品も展示されておりまする。
佐藤さんの作品は関連企画展示として、JR名古屋駅の高島屋1階メインステージにも
展示されておりました(現在終了いたしました)。
そして名古屋長者町会場の八木兵錦6号館ビル2階にも展示中でござる。
これらを見たあと石原邸で佐藤翠さんの作品を見て、
場と作品の関係性について考えてみてくだされ~。
佐藤翠さんの作品は、クローゼットに入った靴や服が描かれた絵画でござる。

佐藤翠『鏡のロイヤルブルークローゼットⅡ』2016(撮影:怡土鉄夫)

(これ以降は拙者の個人的な勝手な読み解きでござるので、
そう思って読みすすめてみてくだされ)
クローゼット一杯の服や靴の絵画は、
消費の欲望や衝動を誘発するモノの抗い難い美しさを、絵画として
画面に定着させたものと捉えておりまする(あくまでも個人的な解釈でござる)。
その絵画を、実際に絵画に描かれているモノを現実に扱うデパートで展示し、
長者町ではかつてそのようなモノを扱っていたが現在空きビルになっている場所で展示、
そして今回の石原邸での展示でありまする。
このことの意味あいについて考えながら絵画を見てみると
また違った見方ができると思いまする~。
そして、そのような場所の変化にも耐えうる
作品としての強度を持った作品であるということを見てみてくだされ。

関口涼子さんの作品も妙にこの場所にピッタリでござりました。
もしかして美術館で見たなら、コンセプトがすんなりと
入ってこなかったかもしれないと思ったりいたしました。
この石原邸のこの空間が、作品のコンセプトを
じんわりとやわらかく伝える力を持っておりました。

関口涼子『vivier』2016(撮影:怡土鉄夫)

柴田眞理子さんの陶芸作品も場にみごとに溶け込みながら、
なおかつ異空間にしておりました。日本の古い建築物の特性を際立たせると同時に、
人類共通の何かに気づかせ感じさせる空間へと異化作用を起こしておりました。

文化財というのは、現代美術とはまた違う価値体系や文脈を持っておりまする。
その中での現代美術作品の展示、この石原邸自体を存分に味わって鑑賞してくだされ。
天井の高さ、敷居、鴨居などでござる。
拙者は作品以外にも建物の中のこんなものに着目いたしました~。

これは武器でござりましょうか?

蚊取り線香?

ほかにもいろいろござりました。

と、いろいろ見て、次はシビコに向かうでござる~~。

小豆島のお米〈肥土山そだち〉を 遠い人たちにも届ける

家族や身近な人のために育てたお米

ようやく暑さが落ち着いた9月。
青々としていた田んぼはあっという間に黄色くなり、あちこちで稲刈りをしています。

私たちが暮らす小豆島・肥土山(ひとやま)では、多くの人がお米を育てています。
広ーい田園というより、集落の中のあちこちに小さな田んぼがぽつぽつある感じで、
うちのすぐ横も田んぼです。
だから6月頃から夏にかけてはカエルの鳴き声がすごい。
ゲコゲコゲコゲコ。そんな鳴き声も夏が終わりようやく静かになりました。

上空から見た肥土山集落。田んぼと家々がぎゅっと集まってる感じ。(撮影:坪佐利治)

肥土山ではこのお米づくりが暮らしの一部であり、何百年と続く「農村歌舞伎」や
「虫送り」などの伝統文化のベースでもあるように思います。
その昔、水不足で困っていた農民たちのためにつくられたため池(現在の蛙子池)。
その完成を祝って小屋を建てて芝居をしたのが農村歌舞伎の始まりと言われていて、
以後300年以上にわたって奉納歌舞伎を続けています。
虫送りは、稲につく虫を追い払い豊作を願う行事です。
米づくりと暮らし、文化はダイレクトにつながっています。

田んぼの向こうにあるのが、肥土山農村歌舞伎舞台。

虫送りはこの田んぼの中を歩いていきます。

そんな肥土山でお米を育てている方たちと一緒に、
昨年から育てたお米を売るプロジェクトを始めています。
プロジェクトというと大げさですが、お米をパッケージングして、
オンラインショップなどで販売しています。

まずは、お米に名前をつけるところから。
小豆島日記vol.129でも少し触れましたが、
ラベルやロゴのデザインで悩んでいるときに、
グラフィックデザイナーの平野甲賀さんとフォントデザイナーの鳥海修さん、
ヨコカクさんによる展覧会『文字に文字展』を訪れたことがきっかけで、
できあがった名前とロゴ。〈肥土山そだち〉に決まりました。

〈肥土山そだち〉として、オンラインショップやイベントなどで販売。

東京の飲食店にもお届けしてます。

北海道・東川に新たな拠点を。 〈monokraft〉による 古家のリノベーション

東川でようやくめぐり合えた、古家つきの600坪の土地

北海道はお盆が過ぎれば学校も始まり、秋の気配が感じられるようになる。
雪が降る季節まで、あと2か月ほどだ。
この連載で書いてきたように、夫は今春から岩見沢の山間部、
美流渡(みると)地区にある古家を改装中なのだが、
まだまだ先は長いように感じられる。
急かしても口論になるのでじっと見守っているが、今年中にどこまでできるのか、
さすがに最近、わたしも先行きに不安を覚えるようになってきた。
そんなさなかにタイミングよく、友人からある誘いがあった。

わたしたちと同じ時期に、北海道のほぼ中央に位置する東川町に
古家つきの土地を手に入れた清水徹さん、セキユリヲさん夫婦から、
家を見に来てはどうかという連絡をもらったのだ。
東川の古家は、夫が改装している家ととてもよく似ている。
ともに築年数は50年ほどで、2階建ての三角屋根だ。
参考にできることがありそうと、8月中旬に東川を訪ねることにした。

清水さんとセキさんはともにデザイナーで、妻のセキさんとわたしは
15年以上も前から雑誌や書籍づくりの仕事を一緒にしてきた仲だ。
ずっと家族ぐるみで交友があったこともあり、今回の土地購入の件は、
わたしにとってもとてもうれしい出来事だった。
ふたりはこれまでずっと東京に住み、東京に事務所を構えてきたわけだが、
清水さんの仕事の関係で東川にたびたび通っていたことが、土地購入へとつながった。

清水さんは、〈monokraft〉という名で
家具と内装のデザインや設計などを手がけており、デザインした家具の制作を
東川にある工房〈インテリアナス〉に依頼していた。
そして、家具の発注や検品のために東川を訪ねるうちにこの地に惹かれ、
5、6年前から、土地を探し始めたという。
なかなか「これ」という土地にめぐり合うことができなかったのだが、
知人の紹介から、ようやく待望の場所を見つけることができた。

清水徹さんが主宰する〈monokraft〉のコンセプトは、人とともに老いる家具。木は傷がつきやすく、反ったり色が変わったり、常に変化し朽ちていく。この変化を味わいとして楽しめる家具をつくりたいと考えている。

現在、セキユリヲさんは育児休暇中。これまでデザイナーとして活動を続けており、彼女が2001年に立ち上げた〈サルビア〉という活動では、「古きよきをあたらしく」をテーマに、職人の手仕事を生かした生活雑貨などをつくってきた。写真は世界各地をイメージしてデザインした「旅するハンカチーフ」。(撮影:masaco)

今夏『イラストノート』(No.39)誌で「サルビア特集」が組まれた。サルビアの立ち上げ当初からつき合いがあったということで、わたしが全体の構成と主要な記事の執筆を担当させてもらった。

清水さんは、契約を済ませ土地の引き渡しを受けたあとに、
初めて家の中に入ったという。
築年数がかなり経っている家には、家財道具の一部も残っていたそうで、
これからどうリフォームをしていくのか、途方に暮れてしまったという。
季節は3月。春と言っても北海道はまだまだ雪に覆われている時期で、
窓にちらつく雪を見つめ、心細く感じたと清水さんは当時を振り返る。

改装前の物件の写真。

そんななかではあったが、6月、7月に1回ずつ、1週間ほどここを訪れ、
寝袋で家に泊まり込みながら、とにかく具体的な作業を進めていくことにした。
まず、外壁と内壁を壊して片づける作業は業者に依頼。
そして、外壁に板を張る作業も近所の大工さんに頼んだという。
予算は限られていたため、これら最低限の作業はプロに頼み、
それ以外は清水さんが友人たちとともに行うことになった。

外壁と内壁の解体中。屋根裏には机などの荷物も置かれたままになっていた。

7月には外側のモルタルと内側の壁がはがされ躯体だけの状態になった。断熱材を入れる作業などは清水さんが友人らと行った。

8月の作業の様子。床には合板を、壁には石膏ボードを張った。

8月は集中的に作業をしようと、前半に1回、中旬にもう1回
東川に清水さんは滞在した。
わたしたち家族が家を見せてもらった8月中旬には、かなりリフォームが進んでいた。
外側はあとひと息で板が張り終わる状態になっており、内部は1階部分の床に
合板が張られ、壁には石膏ボードが取りつけられた状態になっていた。

「最初は本当に途方に暮れたけれど、だんだんできていくことで
少しずつ楽しくなりつつあるんだよね」と清水さん。

このあとは、屋根部分に断熱材を入れるなどして雪に備える準備をし、
内装のベースを今年中に完了する計画だそうだ。
来年に入ったら、薪ストーブやボイラーの設置、家具の取りつけを行い、
来夏の終わりにはリフォームを終わらせたいと清水さんは考えている。

右奥から、家のリフォームを手伝いに来ていた遠藤覚さん。その隣が清水さん。8月中旬にはセキさんも合流。この日は、わたしたち家族も改装中の家に1泊させてもらった。

断熱材などの建築資材は知り合いから安く購入したり、工具を大工さんから借りたりしているそうだ。

アート広報大臣のオカザえもんが 岡崎会場を案内! 駅ビルの巻 あいちトリエンナーレ通信 vol.4

3年に1度開催され、現在開催中の国際芸術祭〈あいちトリエンナーレ2016〉。
3度目となる今回は、名古屋市、岡崎市、豊橋市で開催されています。
参加アーティストや広報チームが、その作品や地域の魅力を紹介していくリレー連載です。

ガイドブックに載ってないようなことを紹介するでござる!

拙者、岡崎のキャラ「のようなもの」オカザえもんでござる~。
非公式、非公認の、いわゆるご当地キャラでござる。
ほら有名なキャラで「くまモン」さんとか「ふなっしー」さんとかいるでしょ! 
そうゆう感じの存在でござる~~。拙者はあんまり有名ではないでござるが、、、。

しかしながら愛知県岡崎市のPRをするために日々がんばっておりまする。
「え?本当にがんばってるの?」ということをよく言われたりいたしますが、
釈明させてくだされ、以下を参考にしてくだされ。

2014年3月31日、オカザえもんが1年間の間に
岡崎市内に及ぼした経済波及効果は約42億5千万円、
新聞や雑誌への掲載による広告効果は約6億6千万円であったことが発表された。

(中日新聞より)

「金額で説明するなんて、やらしぃわ~~」と言われそうでござるが、、、。
この記事で拙者を初めて知る方も多いと思いますのでこれを機会によろしくでござる〜。

それはさておき、岡崎市ってどんなところかというと、
愛知県(あいちけん)にありまする~、
愛媛県(えひめけん)じゃないでござるよ、愛知県岡崎市でござるよ~。
冗談じゃなくて愛媛と愛知を間違える人が結構いるのでござるよ。
愛知県の県庁所在地は名古屋市でござる。
よく名古屋名物として紹介される八丁味噌でござるが、あれは岡崎の名物でござる~。
岡崎市は家康公生誕の地でござりまする~、
岡崎城にはグレート家康公葵武将隊もおりますよ! 
ほかにも花火やぶどう狩りや文化財など、紹介しきれないほどいろいろござりまする~。
あとなんと今年は市制100周年の記念すべき年で、
イベントもいろいろ盛りだくさんでござる~。

拙者、今年は「アート広報大臣」の委嘱を受けておりますので、
あいちトリエンナーレ2016の岡崎会場のPRもしておりまする~。
今回、原稿を頼まれたのでガチの美術批評をしてやろうと思っていたら
「岡崎会場のまちのことも書いてくださいよ!」とリクエストされたので、
作品と無関係なことも書いていくでござる~。
あと発売されているガイドブックに載ってないようなことを紹介するでござる~。
ちなみに、撮影日は9月2日でござる~。まちは日々変化しているので、
撮影したものがなくなっている可能性もあるので、ご了承くだされ~。

オカザえもんをよろしくでござる〜。

まず東岡崎駅会場でござる。
名鉄東岡崎駅の中にあるビルが会場でござる、
ときどきJR岡崎駅に行ってしまう人がいるようなので注意でござる~、
東岡崎駅でござる。

あいちトリエンナーレ岡崎会場は、美術品の展示を前提としてつくられた建築物や空間、
いわゆるホワイトキューブではない場所の展示になっておりまする
(厳密な意味においてはそうでない場所もありますが)。
そのような場所での展示を見るときの醍醐味として、
美術作品を「美術作品」として成立させているものは「なにか」ということを
意識しながら見るということでござる。
まちはあらゆる人工的なビジュアルで満ちあふれているでござる、
その中に作品を設置することの意味を考えながら見てくだされ。

そのような思考の手がかりとなる簡単で具体的な方法としては、
会場にある絵や彫刻でありながらトリエンナーレの作品でないものとの比較でござる。
まず名鉄東岡崎駅に到着して「おしっこでもするか」と
駅構内のトイレを使用することがあればぜひ、トイレのタイルに着目してくだされ。
男子トイレは、木の絵が描かれたタイルが貼ってありまする。
それは2種類あり1枚は木が2本、もう1枚は4本描いてありまする、
2枚で森を連想させまする(女子トイレは入れないので
女子トイレがどんなタイルかはわかりませぬ、あしからず)。

このタイルを記憶の片隅において、トリエンナーレ岡崎会場のひとつ、
石原邸の田島秀彦さんのインスタレーションに使用されているタイルと比較して見ると
おもしろいでござる~。

田島秀彦『窓から風景へ』2016(撮影:怡土鉄夫)

ただ例えばこのトイレのタイルをホワイトキューブに設置すれば、
レディメイドの作品として見ることができるかもしれませぬし、
いやいや、それ以前に絵としてすばらしいし美しい! 
表現主義的な絵画の延長としてすばらしいと思えるかもしれませぬ、
トイレに入るたびに、この絵を見て感動する、癒されるのでござる。

「おい、コラ!! そんなわけねぇだろ、
だいたいタイルの制作者も芸術だとか思ってないだろ!」と思うかもしれませぬが、
そんなことは制作者に確認してないのでわからないのでござる。
トイレで用をたすたびにこの絵に感動する心を持つ人もいるかもしれませぬ。
そのように考えながら小便を済ませ手を洗ったら、
この駅の「岡崎の物産品」のインスタレーションを見てくだされ~。
いや、必ず見よ!!

そしてその中にある、カラクリ時計の鐘をならす係の人形の
憎らしいほどのかわいらしさ~よ~。
タイミングが合えば鐘をならすところをぜひ見てみてくだされ~。
その際はぜひ「あの鐘を~鳴らすのは~あな~た~♪」と人形に呼びかけてくだされ~。

そして、そして! さまざまな物産の中のひとつ
「飲む酢」のパッケージのお姉さんに着目でござる~。
この人はいまごろどうしているのかな~などと思いながら見てくだされ~。

この物産インスタレーション作品は
トイレのタイルのアンビエントなさりげなさとは違い、
ハッキリと見ることを意識してつくられた作品でござる。
トイレのタイルには記名がないでござるが、この物産インスタレーションには
それぞれキャプションがついており主張しております! これは、もう作品!

そしてそれを見て、ようやく岡ビル百貨店の階段入り口の
トリエンナーレの受付に行ってみてくだされ~。
トリエンナーレの受付のところにあるマッサージののぼり「心も体もリフレッシュ」、
まさに、作品を観賞して心も体もリフレッシュしてくだされ~。

駅ビルの各所に使用されている看板の絵やロゴの書体などにも着目してみてくだされ~。

これらのデザインのおもしろさは、自意識を超越しているというところでござる。
そして最近気がついたことでござるが、時間の経過が、
もともと持っていた制作者の意図や自意識を削ぎ落とす作用もあるということでござる。
いわゆるレトロといわれるものに惹かれるのは、そのような理由もあるかもしれませぬ。

子どもたちも楽しめる芸術祭。 L PACK.の制作ダイアリー 後編 あいちトリエンナーレ通信vol.3

撮影:菊山義浩

3年に1度開催され、現在開催中の国際芸術祭〈あいちトリエンナーレ2016〉。
3度目となる今回は、名古屋市、岡崎市、豊橋市で開催されています。
参加アーティストや広報チームが、その作品や地域の魅力を紹介していくリレー連載です。

子どもたちが楽しんでいる風景に出会うまで

僕たちL PACK.(小田桐奨と中嶋哲矢)は、わかりやすく言うと
「人が集まる場所をつくること」を活動にしています。
例えば廃旅館を改修しカフェと展示空間にコンバージョンしたスペース
竜宮美術旅館〉や、埼玉県の森に佇む一軒家を
若いアーティストたちの活動拠点にした〈きたもとアトリエハウス〉。
そして、前回のあいちトリエンナーレ2013では、
まちの人やアーティスト、来場者が気軽に集える場所
〈VISITORCENTER AND STANDCAFE〉をつくりました。

今年のあいちトリエンナーレでは『“E”についての設計(Scheme for the “E”)』
というタイトルのもと、エデュケーションプログラムのための
3つの部屋と4つの拠点を設計しました。
普段の活動と同じように人が集まりとどまりたくなる場所をつくることを考えながら、
制作を担当するインストーラーチームと
運営を担当するエデュケーションチームと協働し、みんなのアイデアをかたちにして。

ここでは前回に引き続き、設営からの12日間の
僕たちの旅路を振り返ってみたいと思います。

DAY7/8月6日(土)キャラヴァンファクトリー完成

滞在先近くには古くからやっている喫茶店がたくさん残っている。
今日も近くの喫茶店でモーニング。
水族館も近く、休日ということもあり、落ち着いた内装の店内はほぼ満席で、
地元の人と観光客とが混じって不思議な雰囲気だった。
コーヒーについてくるパンの種類が選べる店だったので、今日は小倉トーストを。

車を借りてホームセンターへ買い出しに出かけた。
ついでに近くにリサイクルショップがあったので、そこでも使えそうな素材を探す。
リサイクルショップは各まちに行くごとになるべく行くようにしている。
リサイクルショップに行くと、なんとなくではあるけれど
そのまちの特徴のようなものが見えてくるのである。

例えば、東京の世田谷にあるリサイクルショップのファッションコーナーは、
東京ど真ん中だけあって掘り出さなくてもいいものがゴロゴロしていたりするし、
地方都市の国道沿いなんかにあるところに入ったりすると、
これなんで置いてあるの!? みたいなものが格安で売られていたりする。

この日行ったのはゲームやアニメが主の店だったので、
そんなにナゴヤらしさというものはわからなかったけど、
オープン前から待っている人がいて、
会社が休みで気合い入ってるのかなぁなんて考えたりした。
好きなことに熱中するのはいいことだ。

午後、友人のアーティストが子どもを連れて
制作途中のファクトリーに遊びに来てくれた。
子どもは目の前にあるものに素直に反応してくれるからちょうどうれしい存在になった。

大人から子どもまで、つくることを楽しめるスペース「キャラヴァンファクトリー」のテーブル完成を祝う。

一緒につくりあげたミラクルファクトリーのメンバーや友人たちと記念撮影(一番右が小田桐、後方左から3番目が中嶋)。

DAY8/8月7日(日)看板づくりと仕上げ

「ライブラリー」には展示資料が、キャラヴァンファクトリーには
ワークショップで使うたくさんの素材や工具が運び込まれた。
愛知芸術文化センター12階の通路に設置するバナーが届いたので、看板を制作する。
ひとりではできない作業も複数人でやればどうってことない。
このキャラヴァンファクトリーはそんな当たり前のことが
当たり前に気づける場となってほしい。

外に食べに行く時間がもったいないということで、今日から昼食を弁当にした。
愛知芸術文化センター付近はオフィスが多いので弁当屋さんも多いし安い。
もっと早く気づけばよかった。
うなぎ弁当をひとつだけ買ってみんなであみだくじをやった。
今回のチームはいつでもなんでも楽しめるメンバーなのでとても気持ちがいい。
うなぎはミラクルファクトリーの谷 薫さんがゲットした。

12階の作業後、ライブラリーの仕上げ作業を行う。
港 千尋芸術監督や出展作家の森北 伸さんが覗きに来てくれる。
いよいよもうすぐ、みんなが待ち望んだあいちトリエンナーレが始まるのだ。
そんな実感が少しずつ湧いてきた。

芸術祭の関連本や、キュレーターたちがピックアップした本が閲覧できるライブラリー。西江雅之の世界をよりよく知るための「コラムプロジェクト」の展示。

「ダミコルーム」とキャラヴァンファクトリーの看板づくり。

通称「チーズ」というライブラリーのテーブルに埋まる港 千尋芸術監督と伊藤優子チーフ・エデュケーター。

DAY9/8月8日(月)イメージどおりの空間

名古屋市美術館への搬入からこの日は始まる。
名古屋市美術館のエスタシオンは駅の切符のイメージで、
クエスチョンのアンサーが1枚1枚紙に書いてある。
100枚以上が三角くじのように透明なボックスの中に入っているので、
知りたい答えにはなかなかたどりつかないだろうけど、
すべてスムーズにいかないのも旅の醍醐味だから、それを楽しんでもらいたい。

午後は岡崎の残りの制作、そして豊橋の調整へ向かった。
前回馬鹿にされたので今回は高速道路を使って。
それでも時間がギリギリになってしまい、岡崎へはまた翌日も作業に行くことにした。

美術館に戻り、前日につくった看板を通路に置いてみる。
この日までに何枚も何枚も描いてきたイメージどおりの風景が目の前に現れている。
むしろみんなの力でイメージ以上のものが次々と現実の世界につくり出されていく。
この感覚はそうそう簡単に味わうことができるものではない。

本当に僕たちは人に恵まれている。キャラヴァンファクトリーで使うピンボールも、
ワークショップの素材で仕上げをしてとても楽しくできあがった。

僕たちが生きているこの時代はとても恵まれている。
この場所にだって1回のワークショップでは使い切れないくらいの素材があるし、
世界は一生をかけても知り尽くせないほど
たくさんの未知なる「モノ」で埋め尽くされている。
それらを組み合わせたらおもしろくて楽しくて見たことのない
新しいものがなんだってつくりだせるかもしれない。
そんなことを子どもたちが気づいてくれるかもしれない空間が、
またひとつできあがった。
2か月半後、すべてなくなってしまうのが惜しいくらいのすばらしい空間。
この空間もそうだし、ビルや車や道路や地下街まで、
まちのなかで眼に映るほとんどすべてのものをつくってしまう人間って
本当におもしろい。

人間はこれからどんな旅をして、どんなまちをつくっていくのだろうか。
そしてこの場所で子どもたちはどんな楽しいものをつくり出すのだろうか。
それを想像するだけでお酒が飲める。
オフィスでは終電間際だけどまだ大勢のスタッフの人たちが仕事している。
明後日はいよいよ内覧会。

完成した12階の看板。ダミコルームは、ヴィクトル・ダミコという美術教育者にちなんだ、アートとの出会いを楽しむ部屋。

キャラヴァンファクトリーのピンボール。

名古屋市美術館のエスタシオン。エスタシオンは、参加アーティストたちからのさまざまな質問とその答えが用意された、トリエンナーレを楽しむための拠点。この中にいろいろな答えが。

瀬戸内国際芸術祭の食プロジェクト 〈本からうまれる一皿〉

小説に出てくる料理を、いまの小豆島の食材を使って

今回で3回目の開催となる瀬戸内国際芸術祭(以下、瀬戸芸)。
9月4日で夏会期は終わり、10月8日から秋会期が始まります。

今回の瀬戸芸では「食」が大きなテーマになっています。
島の生活文化を最も表すものは「食」として、
2015年6月より「瀬戸内『食』のフラム塾」を開講。
県産料理や郷土料理、食と地域との関わり方などを学んだ参加者たちが、
瀬戸芸期間中に食プロジェクトとしてさまざまなプログラムを展開しています。

そんな食プロジェクトのひとつが〈本からうまれる一皿 壺井栄と庚申の夜〉です。
名前からしてどんな料理が出てくるんだろうと興味津々でした。

「小豆島といえば『二十四の瞳』」と言われるほど有名な小説があります。
島には映画のロケ地となった〈二十四の瞳映画村〉もあり、人気の観光地です。
その小説の作者が小豆島出身の壺井栄です。

小豆島出身の壺井栄の作品。

〈本からうまれる一皿〉の料理は、壺井栄の小説の中から探し出されています。
小豆島町立図書館〈むとす館〉所属の「読書会」の皆さん12名が
『壺井栄全集』全12巻をひとり1巻ずつすべて読まれて、
「食」にまつわる記述を書き出されたそうです。
その記述をもとに、主催者である岸本等さんが島のお母さんたちや仲間と一緒に
地元の味つけにこだわってつくったお料理。
ただ当時の料理を再現するだけでなく、「今」の小豆島でつくられている
塩、そうめん、醤油、佃煮、オリーブなどを生かしてアレンジ。
そんな風にひとつひとつ本当にこだわってつくられています。

ある月の〈本からうまれる一皿〉。どれもこれもこだわってつくられたお料理。(写真提供:本からうまれる一皿実行委員会)

毎月『ヒトサラ通信』が発行されています。その月の献立が丁寧に説明されています。

多いときには200皿近く用意されるそう。(写真提供:本からうまれる一皿実行委員会)

島のお母さんたちや仲間の皆さんと一緒に料理される岸本さん。(写真提供:本からうまれる一皿実行委員会)

このプログラムはこれがコンセプトなんだな〜と思っていたら、
もうひとつ隠れていました。タイトルにもある「庚申の夜」。
はて? 庚申? こうしん?

芸術祭で人が集まる空間をつくる。 L PACK.の制作ダイアリー 前編 あいちトリエンナーレ通信 vol.2

3年に1度開催され、現在開催中の国際芸術祭〈あいちトリエンナーレ2016〉。
3度目となる今回は、名古屋市、岡崎市、豊橋市で開催されています。
参加アーティストや広報チームが、その作品や地域の魅力を紹介していくリレー連載です。

人が集まりとどまりたくなるような場所をつくる、僕たちの旅路

「虹のキャラヴァンサライ 創造する人間の旅 Homo Faber: A Rainbow Caravan」
がテーマのあいちトリエンナーレ2016の参加作家として、僕たちも毎日
未知の旅路を歩き迷いながら、ようやく開幕の日を迎えることができました。

僕たちL PACK.(小田桐奨と中嶋哲矢)は、わかりやすく言うと
「人が集まる場所をつくること」を活動にしています。
例えば廃旅館を改修しカフェと展示空間にコンバージョンしたスペース
竜宮美術旅館〉や、埼玉県の森に佇む一軒家を
若いアーティストたちの活動拠点にした〈きたもとアトリエハウス〉。
そして、前回のあいちトリエンナーレ2013では、
まちの人やアーティスト、来場者が気軽に集える場所
〈VISITORCENTER AND STANDCAFE〉をつくりました。

今年のあいちトリエンナーレでは『“E”についての設計(Scheme for the “E”)』
というタイトルのもと、エデュケーションプログラムのための
3つの部屋と4つの拠点を設計しました。
普段の活動と同じように人が集まりとどまりたくなる場所をつくることを考えながら、
制作を担当するインストーラーチームと
運営を担当するエデュケーションチームと協働し、みんなのアイデアをかたちにして。

8月11日の初日を迎え、できあがった空間に実際に人が来て
空間が使われているのを見ると、ほっとしたのと同時にこんなにも大勢の人たちが
トリエンナーレが始まるのを待っていてくれたのかという現実が目の前に現れ、
僕にしては珍しく気持ちが込み上げてきて胸が詰まりそうになりました。
今回、このようなかたちで言葉を綴るチャンスをいただいたので、
設営が始まった7月31日からの12日間の僕たちの旅路を振り返ってみたいと思います。

DAY1/7月31日(日)名古屋に到着

昼過ぎ、新幹線で名古屋駅に到着。ホームに降りた途端、
エアコンのない車で首都高のトンネル内で渋滞にはまり熱中症になったときと
同じ暑さがそこにあり、早々に身の危険を感じたのはいまでも脳裏に焼きついている。

3年ぶりの夏の名古屋が今年も始まった。前回のあいちトリエンナーレ2013は
名古屋在住のアーティスト青田真也とともに、「NAKAYOSI」というユニットで
VISITORCENTER AND STANDCAFEというスペースを3か月だけ運営していた。
まちの人、アーティスト、来場者が気軽に集まり
コーヒーやお酒を飲みながら話すことができる伝説的な場所だった。

今年はそのようなスペースの運営ではなく、空間の設計がメインの役割。
暑さとの戦いに覚悟を決め、インストーラーチームの〈ミラクルファクトリー〉の
作業場に向かい、さっそく空間を構成するためのパーツ制作にとりかかる。
間髪入れずに愛知芸術文化センターへの搬入時間がやってきた。
小さな問題にあたりながらもテキパキと搬入をこなしていく。
終電まで作業をし、僕たちはMAT, nagoya(*)が提供してくれた滞在先へ。
エアコンでキンキンに冷やした部屋でぐっすり眠った。

*MAT, nagoya:名古屋の港町をフィールドにしたアートプログラム。9月22日から始まるアッセンブリッジ・ナゴヤ2016『パノラマ庭園ー動的生態系にしるすー』にL PACK.が参加します。

愛知芸術文化センターに開設されるライブラリーに搬入。

DAY2/8月1日(月)「ライブラリー」

9時に愛知芸術文化センターに集合。
事務所で待っているとチーフキュレーターがコーヒーを淹れてくれた。
6月に打ち合せで来たときは手挽きのミルだったけど、
さすがに忙しいらしく店で挽いてもらっているそうだ。
それでも毎朝コーヒーをきちんとドリップするところがすてきだ。

今日から僕たちが手がける設計のひとつ「ライブラリー」の設営を始める。
ライブラリーは、トリエンナーレに関わるアーティストにまつわる本や、
キュレーターたちがピックアップした本を集めた図書館(貸し出しはしていません)。
さまざまなレクチャー、ワークショップの会場も兼ねるが、
西江雅之のコレクションやフォスコ・マライーニの写真、
アーティストの虹、洞窟芸術など、今回のテーマ/コンセプトを支えるとともに、
参加アーティストの作品を補完していく「コラムプロジェクト」も展示し、
今回のトリエンナーレの作品や言葉では紡ぎきれないイメージを
具現化したような部屋である。

今日の作業メンバーは10人ほど。
高所作業や細部に関わる部分はミラクルファクトリーに任せ、
僕たちはチーズという愛称で呼んでいるテーブルの塗装をする。
大量の木工用ボンドを使った特製塗料を塗っていく。
頭の中ではいい感じにできあがっているけれど、実際にはどうなるかわからない。
「つくる本人がまず楽しむ」のが僕たちのモットーなので、
こんなライブ感のある試行錯誤もとても大切な要素なのだ。

お昼は地下の喫茶店でオムカレーとクリームソーダ。
午後からはみんなで塗装をし、最後はメンバーで記念撮影パシャり。

木工用ボンドを使った特製塗料。

チーズという愛称のテーブルを塗装中。

みんなで記念撮影。右から2番目が中嶋、左から2番目が小田桐。

DAY3/8月2日(火)「脳」をイメージした空間

ライブラリー設営2日目。
濃紺に塗り上げられたこのチーズの本当の呼び名はSynapse(シナプス)。
床から天板まで高さ約1メートルあり、ライブラリー利用者は
この天板の下を潜ってところどころに開いたサークルから顔を出し、
本を閲覧することができる。本を読む前に「潜る」というアクションをすることで、
脳内の情報伝達機能であるシナプスによりよい刺激を与える。
そんなこちらの意図は置いといても、ただ潜って顔を出すだけで
なんだか楽しいからぜひ潜ってほしいです。

お昼を済ませ午後からオブジェの天井吊り作業。
丸く成形した半透明の素材を天井から吊り、照明を当てることで
壁や床に楕円の影が浮かぶ。
血液内を流れる赤血球に包まれているようなイメージの空間ができあがった。

実はこのライブラリー空間は「脳」をイメージしているのだ。
西江とマライーニ、ふたりの文化人類学者と、知識の塊である本から、
深い知識と情報量を持った架空の人物の頭の中に入り込んだような
不思議な空間が「ライブラリー」の空間イメージだ。

ミラクルファクトリーの谷 薫くん。

電脳照明。

天井吊り作業も慎重に。

チーズ2層目の塗装を行う。大勢でやれば楽しいし速い。
2層目の色は緑にしていたのだけど、普段ボンドを作品制作に使用している
ボンド先生ことアーティストの鷹野健さんのアドバイスで、少し白を混ぜてみる。
1層目とはうって変わってなんとも言えない色合いに。

この日は作業終わりに設営中のマーク・マンダースさんの設営現場を
訪問させてもらった。
L PACK.とミラクルファクトリーのあいだで「透け感」というキーワードを
ライブラリーのイメージで共有していたのだけれど、マークさん、いやマーク先輩は、
僕たちの透け感の苦労をシンプルかつ力強く表現しているのだった。
彫刻作品も目と耳を疑ってしまう完成度。(彫刻は素材の見た目に騙されるな!)
マークさんの作品を見ながら僕たちは自然とマークさんのことを
「マーク先輩」と呼ぶようになっていた(本人には言ってません)。

チーズ2層目塗装中。みんなでやると速い。

ベンチの土台となる高級土嚢袋。

ミラクルファクトリー青木一将くん。

多様なアートの旅へようこそ! あいちトリエンナーレ通信 vol.1

あいちトリエンナーレ2016展示風景 大巻伸嗣『Echoes Infinityー永遠と一瞬』2016(撮影:怡土鉄夫)

3年に1度開催される国際芸術祭〈あいちトリエンナーレ2016〉。
3度目となる今年は、名古屋市、岡崎市、豊橋市で開催されています。
参加アーティストや広報チームが、その作品や地域の魅力を紹介していくリレー連載です。

旅人のように訪れて。多彩なアーティストの表現が集結!

8月11日(木・祝)に開幕したあいちトリエンナーレ2016。
3年に1度の開催となる国際芸術祭が、ここ愛知で3度目の開催を迎えました。
美術、映像、音楽、パフォーマンス、オペラなど、
現代で行われている芸術活動をできる限り「複合的」に見せるあいちトリエンナーレは、
今回、芸術監督である港千尋(写真家・著述家)のもと、
テーマに「虹のキャラヴァンサライ 創造する人間の旅」を掲げています。

会期中、コロカルであいちトリエンナーレ2016のレポートを
お届けすることになりました。第1回目は広報チームから。

まずは開幕前の話を少し。今回のあいちトリエンナーレですが、
日本で初紹介のアーティストも多く、一点集中型ではなく、
多様性を打ち出す広報が求められました。
ですので、おすすめはどの作家? 目立つのはどんな作品? 
とキュレーターに聞いても、その質問自体がナンセンスな気がして苦戦続き。
知名度のあるアーティストを打ち出していくことができたら
とてもわかりやすかったと思いますが、そこに頼らないためには
どうしたらいいのか考える日々。

それに加え、グリナラ・カスマリエワ&ムラトベック・ジュマリエフに、
リビジウンガ・カルドーゾ、イグナス・クルングレヴィチュスといったような、
とても一度聞いただけではなかなか覚えられないアーティスト名がたくさん! 
アクセント付きの名前も多く、表記に苦心するといった
国際展ならではのエピソードもあります。
ともかく、まだ見ぬアーティストたちを想像しながら、
入手したプロフィール、広報用画像、アーティストの名前を手がかりに、
手探りで進める広報活動はまさに「未知への旅」でした。

アルゼンチン出身のアドリアナ・ミノリーティ(左)と、リトアニア出身のイグナス・クルングレヴィチュス(右)。(撮影:加藤慶)

オープニングレセプションでの集合写真。(撮影:菊山義浩)

今回、あいちトリエンナーレ2016国際展のキュレーターは5名、
そのうちの2名はブラジル拠点のダニエラ・カストロ、
トルコ拠点のゼイネップ・オズを招聘しています。
これまで日本ではあまり紹介される機会がなかった
中南米や中近東のアーティストたちの参加も増えました。

芸術監督とキュレーターたち。

おそらく一生のうちに、日本の反対側に位置するブラジル、アルゼンチン、
あるいはトルコ、キルギス共和国、モロッコ、エジプト……
といった国々を実際に訪ねることができる人はわずか。
いまやインターネットの影響で世界を近くに感じられるようになったとはいえ、
愛知にはいま、38の国と地域から集まった119組のアーティストの作品が一堂に会し、
それぞれの文化や土地の中から生まれた表現を感じられる場が誕生しています。
この奇跡的な場をぜひ訪れてほしいです。

名古屋、豊橋、岡崎と3都市のさまざまな場所に、多彩な表現が集まり、
来場者が旅人のようにその場所を訪れていくそのこと自体がまさに、
今回のテーマである「虹のキャラヴァンサライ」を体現しています。

開幕前後の数日間は、怒濤の日々でしたが、これまではメールやSkypeだけで
やり取りをしていたアーティストが来日し、祝祭感にあふれていました。

その中でも特に胸が熱くなる1枚の写真をご紹介。
今回のポスターやリーフレットのメインビジュアルに起用された
参加アーティストのジェリー・グレッツィンガーと港千尋芸術監督が握手をするシーン。
実は港監督も、今回初めてジェリーとご対面。

米国出身のアーティスト、ジェリー・グレッツィンガーと港千尋芸術監督。(撮影:菊山義浩)

アートは島の素材を ひきたてるスパイス! 瀬戸内国際芸術祭

見えていなかったものに気づかせてくれるアート

小豆島には6つの港があります。
そのなかのひとつが池田港。
島の南側の真ん中あたりにあります。
高松港とを結ぶフェリーが行き来し、そのフェリーのデッキには
キリンかパンダが乗っていて、見るたびに気持ちがほんわかします。
池田港には〈小豆ふれあい産直市場〉や小さな公園があり、
去年から〈小豆島日曜市〉というマルシェが不定期で開催されたりしていて、
島の人たちが普段の暮らしのなかでよく利用する場所です。

キリンのフェリーが停泊していました。こうやって遠くから見ると港のまわりは山だらけなんだなぁとあらためて。

その池田港のすぐ近くにも、今年は瀬戸内国際芸術祭の作品が
つくられてるよーと聞いて、先日立ち寄ってみました。
いったいどこにあるんだろうと思い、案内板をたよりに進んでいきました。

オリーブの木、凪いだ海、その奥にある島々、そんな風景の中にある青い案内板。

オリーブの木は緑の実をつけています。この夏は雨が少なくてしわしわ。

こんなところに何かあったっけ? という場所。
そもそも池田港のすぐ横に浜があったなんて全然知りませんでした。
この砂浜、満潮の時間になると、水位が上がってきて歩けなくなってしまうそう。
たまたま私が行った時間は潮が引いていたので通れましたが、
満潮のときは作品までたどり着けない!
なので確実に行きたい方は、事前に潮の時間を調べておいたほうがいいです(笑)。

池田港すぐ横にある浜。

浜の上まで海水が上がってくるため、満潮前後1時間は通行できないそう。

空き家のオーナーになってみる? 古家再生を探る美流渡の取り組み

空き家が点在する、美流渡のまちを歩いてみる

岩見沢の山間部にある美流渡(みると)地区には、
そこかしこに空き家が点在し放置されたままとなっている。
人口減少による空き家増加は、各地で問題になっており、この地区も例外ではない。
こうしたなかで、7月30日に〈美流渡ビンテージ古家巡り〉というイベントが行われた。
この地域はもともと炭鉱街として活気づき、
全盛期には人口が1万人以上になったというが、現在住むのは450人足らず。
日増しに高齢化も進んでおり、人口流出はいまなお続いている。

ひとつ、またひとつと家の灯りが消えていくことは寂しさを感じさせるが、
「空き家となった建物を地域の資源と捉え活用することはできないか」
そんな思いを抱く人たちが、いま美流渡で活動を始めている。
この地域の空き家対策と地域活性を目指すNPO〈M38〉を設立した
代表の菅原新(連載10回)さんらと、美流渡を中心として
活動する地域おこし推進員(協力隊)の吉崎祐季(連載16回)さんだ。

昨年より本格的に実態調査を始めており、
今回のイベントは、この地区の空き家の現状を
まずはみなさんに見てもらう機会をつくろうと企画されたものだ。
午前中は菅原さんと吉崎さんが案内役となり空き家を実際に巡り、
午後はほかの地域の空き家活用の事例を見ながら、
その可能性について考えることとなった。

〈美流渡ビンテージ古家巡り〉ツアーの始まり。まずは吉崎さんお手製のマップが配られ、約1時間30分ほどで美流渡地区を一周することに。

案内役のひとりとなった吉崎祐季さん。インテリアデザイナーとして活動をしつつ、1年前から岩見沢の地域おこし推進員となった。

最初に訪ねたのは、昭和30年代に建てられた〈旧美流渡洋裁学院〉だ。
炭鉱街の面影を伝える主要な建物のなかで唯一残っているもので、
当時、ここで女学生たちが洋裁を学んでいたという。
木造3階建てで、カフェなどにしたらおしゃれな場所になりそうだが、
窓ガラスが壊れ、床板が抜けている部分も多く、
もし使うとなればかなりの手直しが必要そうだ。
「全体を修繕するとなると相当な費用がかかると思いますが、
まず一部分だけに手を入れて使っていくなど方法を考えたいと思っています」
と菅原さんは語っていた。

旧美流渡洋裁学院の建物。玄関があるのは2階部分。奥側を見ると3階建てになっている。

内部には洋裁学院の名残を感じさせる足踏みミシンが置かれていた。

次に向かったのは、青いトタンの屋根が印象的な個人宅。
その風情あるたたずまいに、吉崎さんがひと目で気に入ったという建物だ。
持ち主は年内に取り壊したいという意向があるようで、
「解体しないで残す道を探りたい」と吉崎さんは考えているという。

マンサード屋根と鮮やかな青いトタンが特徴的。屋根が途中で折れ曲がっているマンサード屋根は、積もった雪を落としやすくし、また天井部分に空間が取れることもあり北海道の納屋などでよく見かける構造。築80年ほどで、その後増築を繰り返したようで、構造的にもおもしろい。

その後、一本道を歩きながら、菅原さんは参加者に語りかけた。
「ここは美流渡の一番の繁華街だった場所です。
料亭や飲み屋が両脇にずらりと並び、パチンコ屋までありました。
炭鉱の仕事は1日3交替制で24時間フル稼働していたため、食堂などはほぼ終日営業。
いまは想像するしかありませんが、眠らないまちだったんです」

そして交差点のところまで来ると、菅原さんは山のほうを指差した。
この山は炭鉱ではおなじみのズリ山だ。
ズリ山とは石炭の採掘のときに出た捨石の集積場のことで、
小さな山のようになっているものだ。
「昭和45年に炭鉱が閉山して、ズリ山はそのまま放置されていました。
それがいまでは森になっているんです。植樹などをしたわけではなく、
何も手を入れていないのにもかかわらず、木が生い茂るようになった。
北海道には有名な原生林がありますが、そうしたところとは
まったく違う自然の有り様がここにあるんです」と菅原さんは語っていた。

炭鉱が稼働していたとき、ここが美流渡のメインストリートだった。

両脇には空き家が点在している。炭鉱の労働者たちが人づてに貸したり借りたりした建物もあり、所有者がわからないものも多いという。美流渡は北海道有数の豪雪地帯。放置された空き家は、雪の重みで屋根が壊れるケースがあとを絶たない。

道の向こうに、こんもりと見えるのがズリ山。炭鉱の閉山から45年以上が経過し、木々で覆われた森となった。

その後、炭住(炭鉱の労働者が住んでいた炭鉱住宅のこと)のひとつを訪ねた。
中に入ってみると、家財道具がそのまま残されている状態だった。
こうした状態を参加者に見せるべきかどうか、菅原さんと吉崎さんは迷ったそうだが、
この地域の空き家の現状を知ってほしいという想いから、公開に踏み切ったという。
「空き家のなかにある家財道具をどうするかは課題のひとつです。
不動産屋が扱っている物件とは違って、
まず荷物を整理しなければ、住める状態にはなりません」

全部で5軒の空き家を巡り、午前中のツアーは終了。
午後は、吉崎さんがこの春訪ねた福岡での
空き家の活用方法についての報告会が開催された。

空き家となった炭住。美流渡には炭住がいくつか残されており、木造の長屋形式のものが多い。

高台にある空き家。このエリアは炭鉱の管理職クラスの人たちが住んでいたそうで、建物のつくりも立派なものが多い。

廃校を改修して
アートと文化交流の拠点に。
瀬戸内国際芸術祭〈福武ハウス〉

閉校になった小学校が、また人が訪れる場所に

小豆島の北東のほうに「福田」という地区があります。
本州の姫路と小豆島を結ぶ福田港があり、その港を中心に集落が広がっています。
まわりは海! 山!
穏やかな時間が流れる、私の大好きな集落です。

福田地区へは、ホテルやスーパーなどが建ち並ぶ
島の繁華街(土庄港周辺)から車で約40分。
数えるほどしか信号がない道をひたすら走って40分くらいかかるので
なかなかの距離があります。
それゆえ頻繁には行けず……(ま、それほどまでに遠いわけではないのですが)。
先日ふと思いたち、久しぶりにその福田地区に行ってきました。

こんな景色を眺めつつ、島の北側の道を走っていきます。

かつて石の産地として栄えた福田地区。その周辺にはいまも現役の採石場が点在しています。

福田地区には、旧福田小学校を改修した〈福武ハウス〉があります。
この福武ハウスと、福田体育館を利用した〈福田アジア食堂〉、
旧福田郵便局を改修した〈家プロジェクト〉の3つの場所を中心に、
アート作品の展示、食を通した文化交流などのプログラムが展開されています。
また建築家の西沢立衛さんが設計した〈葺田パビリオン〉もあります。

旧福田小学校を改修した〈福武ハウス〉。

エントランスを入ると受付には島の友人がいました。

香港や韓国などアジア6か国のアーティストの作品が展示されています。

この夏、秋は瀬戸内国際芸術祭の会場にもなっていて、
アジア6か国のアートセンターと共同で
『福武ハウスパートナー共同展 2016 “In Search of Balance”』が展開されています。
前回の瀬戸芸のときには、まだ小学校としての雰囲気がだいぶ残っていましたが、
今年は各教室を仕切っていた壁が抜かれたりしていて、前回とは違う印象でした。

教室を仕切っていた壁や天井を抜いた広々とした空間。

キャロル・リー(香港)さんによるポストカードプロジェクト。

ヘミン・ソン&ジョン・リアードン(ソウル)さんによる発酵し続ける作品。島の果物が使われていて、期間終了時にはワークショップが開催され、参加者に配布されるそう。

旧福田郵便局を改修した〈家ブロジェクト〉「きょく」。

建物内には橋がかかっていました。人と地域をつなぐ、異なる互いの文化をつなぐ、その象徴としての橋。

瀬戸内国際芸術祭、 夏会期始まってます!

夏会期がスタート、小豆島にも新しい作品が!

小豆島は毎日溶けそうに暑い日が続いています。
ジリジリ太陽のもと、ダラダラ汗をかきながら畑作業の日々。
ザ・夏です。

さて、7月18日から始まった〈瀬戸内国際芸術祭2016〉夏会期。
夏会期は9月4日までの49日間開催されます。
日中は外を出歩きたくないような暑さですが、
それでもたくさんの人たちが島を訪れています。

小豆島は広く、瀬戸芸の作品は各エリアに点在しています。
土庄港・迷路のまち周辺、肥土山・中山周辺、北浦・大部港周辺、
福田港周辺、醤の郷・坂手港周辺、堀越・田浦周辺、草壁港周辺、
三都半島周辺、池田港周辺。ざっと分けると
9エリア(小豆島観光協会の「まるごと小豆島・豊島Web」を参考にしています)。

各エリア間は、車やバスで移動する感じです。
同じエリア内でも広いエリアは歩いてまわりきれません。
そんな距離感です。
なので、小豆島に瀬戸芸アートを見に来られる際は、レンタカーを借りるか、
バスの時間を事前に調べておいたほうがいいですね。

島で暮らしていても、日々の仕事に追われ、
さらには皆さんを迎える立場である私たちはなかなか時間をつくれず、
まだほとんど作品を見に行けてないです(汗)。
前回は違う島にいたってはひとつも訪れることができず。
今年こそは行きたいぞ!

というわけで、まずは島内(笑)。
うち(肥土山)から、車で20分ほどのところにある大部を訪れました。
大部地区には、夏会期からリン・シュンロンさんの
国境を越えて・潮』が展示されています。
また春会期から引き続き竹腰耕平さんの『小豆島の木』も。

竹腰耕平さんの『小豆島の木』。

普段見ることのできない木の根。幹から20メートルにもわたって張り巡らされている。

『小豆島の木』を訪れたのは2回目だったのですが、
あらためてすごい作品だなと思いました。
この木は、この作品が展示されている大部の近くの
屋形崎(やかたざき)という場所に生えていたクヌギ。
土地を開墾するために倒すことになっていた木を掘り出したそうです。
20メートル近く広がっている根を途中で切らないように
掘り起こす作業ってどんだけ大変なんだろう。
それを運んで、実際に生えているかのように倉庫の中に浮かせて展示する。

あー、すごい! じっと見ていると『天空の城ラピュタ』を思い出す。
城を覆い尽くす木の根。
この倉庫を持ち上げていまにも浮かんでいってしまいそう。
それほどのパワーを感じる木でした。

そして『小豆島の木』から5分ほど北へ歩くと海岸に出ます。
そこに『国境を越えて・潮』があります。
海岸いっぱいに子どもの像。
背中に緯度経度、胸にはなにやら数字が書いてありました。
子どもの像は196体あり、それは日本が承認する世界の国の数だそうです。
緯度経度はその国の場所、胸の数字は大部からの距離、
子どもたちが向いている方向はその国の方向。

リン・シュンロンさんの『国境を越えて・潮』。高松港には『国境を越えて・海』という作品が展示されています。

子どもの背中には緯度経度が。

ひとりひとりいろんな方向を向いている。

波などに侵食されて少しずつ消えていく子ども。

実はこの子どもの像、砂と泥でできていて、
波や雨で侵食され、徐々に消えていってしまうそう。
海に消えた子ども。
戦争から逃れるために海を渡る途中で漂流し、命を落とした子ども。
少し悲しさを感じる作品です。

自分たちで買った山に、 小さな東屋をつくってみた!

意外に簡単! 4時間でできた

今春、北海道に8ヘクタールの山を買って、そこで行う活動を「山活!」と称し、
週末になるとささやかな取り組みを行っているのだが、
今回は山につくった小さな東屋についてレポートしてみたい。

この山にいずれは家を建てたりして、
エコビレッジづくりの拠点にしたいと目論んでいるのだが、
インフラ整備や建築コストのことを思うと、具体化へは道半ば。
ただ、住めるレベルというのは脇においておくとしても、
日をさえぎるための小屋のようなものは、
なんとしても必要なんじゃないかと切実に思っていた。
買った山は木がすべて伐採されたあとなので、木陰というものが存在しない。
いくら北海道とはいえ、日中ずっと炎天下のなか、
山の整備をするのはなかなかしんどいもの。
ということで夫と相談し、即席で原始的な東屋をつくってみることにした。

「山活!」をやるときには友人たちが数名集まってくれることがある。
この日は、山の共同購入者である農家の林一家に加え、
DIYに興味のある友人家族も集まった。

まず、小屋づくりの始まりとなったのは笹刈り!
連載21回で紹介したように、山の整備の方法として
あるとき友人が、「笹を刈ると地面に日が当たり眠っていたタネが発芽して、
その土地の生態系が復活する」と教えてくれたことがあった。
その言葉を聞いて、刈り払い機は使わずに、
人海戦術で笹刈りをしようと意気込んではみたものの、この作業はかなり地味……。
せっかくおもしろがって来てくれる友人たちにも、
笹刈りだけでは申し訳ない気持ちもあり、今回はこの笹を屋根の素材として活用する、
一石二鳥、一挙両得(?)の取り組みにしようと考えた。

まずは笹刈りから。笹は茎がかたくて切るのは力が必要。思いのほか大変な作業!

伐採したあと、売り物にならなかった細い木が山積みになっている。この木をどうするかも今後の課題。

1時間ほど笹を刈ったら、いよいよ柱を建てる作業に入る。
この山には木を伐採したあとに残された、細い木が山積みになっているので、
これを柱に利用することにした。
土に30センチほど穴を掘って柱を建てたら、シュロ縄で梁を結びつける。

穴を掘って柱を建てる。子どもたちもお手伝い。

柱が4本建つと、なんとなくそれらしい雰囲気に。

梁をシュロ縄で取りつける。結び方は我流だけど、けっこうしっかり留まった。

次に屋根部分に木を数本渡して留めれば、骨組みはできあがる。
そして、屋根に取りつけた木に笹を挟み込むように載せていくと、
見事に小屋が完成した!!
休憩しながらゆるゆると進めたが、かかったのはたったの4時間。

屋根になる部分に木を数本渡していく。これで骨組みの完成!

骨組みにそって笹を葺いていく。

笹を葺き始めると隙間が気になって、どんどん笹を入れていく。この作業、結構ハマる。

ススキなど別の植物も差してみると、南国のリゾート地にある東屋みたいな雰囲気に。

みんなが移住してくる 小豆島の魅力ってなんだろう?

小さな島にぎゅっとつまった、いろいろな暮らし

「小豆島の魅力って何だと思いますか?」
そんなことを聞かれることがよくあります。

海や山などの自然がすぐそばにあること?
離島であること? 温暖な気候?

聞かれるたびにいろいろ考えて、
その時々によって答えが違ってしまったりするのですが、
最近は「多様性」なんじゃないかなと思っています。

小豆島は瀬戸内海で2番目に広い島で、
島のいろんな場所を巡るには車がないとしんどい広さです。
でも日本地図で見たらとても小っちゃいし、時々島外に遊びに行って、
広大な海、一面に広がる田畑、ずっと奥まで続く山々を見ると、
やっぱり小さい島で暮らしてるんだなと思います。

そんな小さな島ですが、ここにはほんとにいろんな暮らし、
人々、風景がぎゅっとつまっています。驚くくらい。

いわゆる都会(オフィスビルや百貨店が建ち並んでいるような)に比べたら、
小豆島は基本的には田舎です。
30階建てみたいなビルは建ってないし、電車も走ってません。
あと外食チェーン店もほぼありません(ファミレスが一店舗!)。
あるのは、小規模なショッピングセンターや家電量販店、ホームセンターなど。
あとコンビニも何店舗かあります。

島全体的にはそんな感じなのですが、エリアごとに見ていくと
雰囲気や暮らし方はさまざま。
役場やお店が集まっている「マチ」なエリア。
そこから10分も走れば山間の農村があります。
島の北側には小さな港がある漁村があります。
醤油蔵や佃煮工場が建ち並ぶエリアも。

田んぼが広がる、肥土山・中山周辺。

島の北西、四海・沖ノ島周辺。小さな漁船が毎日行き来しています。

草壁港・坂手港周辺には醤油蔵が建ち並んでいます。

そう、いろんな場所があって、それぞれがすぐ近くにあること。
それこそが小豆島の魅力なんじゃないかと思います。

だからこそいろんな暮らし方が可能で、移住してくる人たちもさまざまです。
自給自足的な暮らしをする人もいれば、
会社勤めをして稼いだお金で必要なものを買って暮らしてる人もいる。
アパートで暮らしてる人もいれば、
古い一軒家を借りて自分で直して暮らしてる人もいる。

島にUターンして、放牧養豚をされている鈴木さん。

島では大規模な農業をしている人は少ないですが、小さな畑を営んでいる人がいっぱいいます。

島外から引っ越してきて、島のパン屋さん〈森國ベーカリー〉で働いているかんちゃん。

そのいろんな暮らしが、ひとつの狭い島の中に集まってる。
自分とは似てない人たちと出会う機会も多く、
小豆島に来てからは友人の幅が広がりました(笑)。
ほんとにいろんなことをしてる人たちがいます。だからおもしろい!

富士山のまちに新しい流れを 呼び込むゲストハウス 〈hostel&salon SARUYA〉

47都道府県、各地のビールスポットを訪ねます。
山梨でコロカルが向かったのは、富士山の麓に広がる高原都市、富士吉田。

富士山と歩んできたまち

富士吉田は、江戸の頃から富士山の登山者を迎え入れてきたまち。
今回訪ねたゲストハウス〈hostel&salon SARUYA(ホステルアンドサロンサルヤ)〉は
富士山駅から富士の裾野のなだらかな坂道を下っていったところにある、
下吉田・月江寺地区にあります。

SARUYAのある通り。晴れの日は、道の向こうに富士山がそびえ立つ。

カラフルなシェードに彩られた、レトロなお店が建ち並ぶアーケード。
昭和の華やかなりし頃を思わせますが、シャッターが降りている店も少なくありません。
SARUYAは、そのアーケードのまん中にありました。

オープンは2015年7月。
周辺にはホテルも観光スポットも数えるほどしかありませんが、
SARUYAにはオープン当初からお客さんが出入りし、にぎわい続けているといいます。

今回お話をうかがったのは、
千葉県出身の赤松智志さん(元共同代表)と、静岡県出身の八木毅さん。
ふたりは、まったく別の理由でこのまちにやって来ました。

左がSARUYAの元共同代表の赤松智志さん、右が代表の八木毅さん。真ん中が立ち上げ当初のスタッフのひとり、エレナさん。

赤松さんは、慶應義塾大学総合政策学部在学時に
まちおこしをテーマにしたプロジェクトの一環で富士吉田を訪れ、
「ここにはたくさんの魅力が眠っている」と思い、
3年前に「地域おこし協力隊」として移り住んできました。

一方、フランスの美術大学を卒業後、東京でデザイナーとして働いていた八木さんは
地域活性化事業などに関わる〈富士吉田みんなの貯金箱財団〉の
プロジェクト〈cinolab(シーノラボ)〉の立ち上げ時に声をかけられ、
2年前に移住してきました。

うちの空き家も使ってくれない?

赤松さんは移り住んで間もなく、空き家再生プロジェクトに取り組み始めました。

「まちの人たちに話を聞いたときに、
空き家というものがネガティブな存在でしかなかったんですね。
それで、まずは空き家を直して使っていくことが
まちを変えるきっかけになるということを皆さんに知ってもらうためのモデルとして
1軒の長屋を直していくことから始めたんです」(赤松さん)

そのときに手がけた物件が、SARUYAの裏にある〈ハモニカ横丁〉。
SARUYAの裏口を出て雑草の茂る砂利道を歩いていくと、
すぐそこにかつては飲み屋がひしめき合っていた小さな横丁があります。

SARUYAの路地裏を歩くと、トタン壁やモルタル造りの建物、築100年を超える木造家屋などを見つけ、初めて来た場所なのに懐かしい気持ちに。

ハモニカ横丁は、その道に建つ長屋の一角にありました。
建物のリノベーションは、赤松さんが協力者を集め、
大工さんの手も借りながら、すべて自分たちの手で手がけました。

「地域おこし協力隊の仕事は、
いかに地域をミックスして凝り固まったところを揉みほぐすか、
いかにいろんなところに顔を出して、地元の人や外の人と一緒に何かできるか、
というところにかかっているんですよね。
ハモニカ横丁をつくるときに、市役所から織物の会社に勤める人まで、
とにかくいろんな人たちに手伝ってもらって、
吉田じゅうの人たちとつながることができました。
ハモニカ横丁ができた当初は若い人たちが集まる場としても使っていたので、
あちこちから『あそこができてから人の流れが変わったよね』とか
『うちの空き家も使ってくれない?』
という声が寄せられるようになりました」(赤松さん)

ハモニカ横丁の入り口。現在は移住してきた人が一時的に滞在するスペースとして活用されています。

ローカルフード「あぶり」を求めて 三重の小さな港町、梶賀へ

47都道府県、各地のビールスポットを訪ねます。
美し国・三重でコロカルが向かったのは梶賀。

小魚を均等に燻していく職人技。

伊勢海老やアワビ、牡蠣、フグといった海の幸に恵まれた三重は漁業も盛ん。
なかでも尾鷲や熊野といった東紀州エリアには、小さな港町が連なります。
尾鷲市の最南端に位置する梶賀(かじか)もそんな港町のひとつ。

リアス式海岸の入江のひとつ、梶賀。海は驚くほど澄んでいます。

港町にはそれぞれ独自の漁や漁師文化があって、
「あぶり」は梶賀だけに伝わる郷土の味。
早朝、市場にあがった魚をサクラやカシの木でじっくり、
焼くのではなくて炙って燻製にしながら仕上げます。
冷蔵庫がない時代の保存食としてつくり始められたといわれ、
100年以上前から受け継がれてきたもの。
春はサバゴと呼ばれる小サバ、夏はイサキ、秋は小カツオなど、
市場では流通しない、その時々の小魚が原料となります。

体長10センチほどの小さなサバは、骨ごと食べることができます。

訪ねたのはいまもあぶりを専門に行うふたりのうちのおひとり、濱中倫代さんです。
港のすぐ目の前が濱中さんの作業場。
近づくと食欲をそそられる燻製の香りがあたりに漂います。

サクラの薪を使って燻すため、半分は外のような作業場に。

妹さんや小学校からの友だちにも手伝ってもらいながらつくるあぶり。
現在、濱中さんがつくるのは4~6月頃にとれる小サバが中心とのこと。
なによりも鮮度が大切と、作業は早朝から始まります。

頭とはらわたを丁寧に取り、真水で洗ったら塩をして、
しばらく置いたあと、もう一度洗って特別に仕立てた竹串に刺します。
平たくて薄い30センチほどの竹串は、
いまは亡きご主人が考えてつくったものといいます。

「大きさを揃えてきれいに並べるのが、なかなか難しい。
刺し方にもコツがあってね」と濱中さん。
串先から根元へ、少しずつ大きくなってゆく様子が美しい小サバの串。
専用のコンロにのせたら、サクラの木を使って燻すように焼き上げます。
話しながらも濱中さんは串から目を離すことはなく、串を返しながら、
仕上がり具合を確かめてゆく手が休まることはありません。

豊かな山の水も、あぶりには欠かせません。

串に刺した小サバ。熟練の技が光ります。

薪の加減を見ながら、串を置く場所を変えてゆく濱中さん。

おいしい!をぎゅっと詰め込んだ 大歩危・祖谷の秘境飯 「ひらら焼き」とは?

47都道府県、各地のビールスポットを訪ねます。
徳島でコロカルが向かったのは、秘境と呼ばれる大歩危(おおぼけ)・祖谷(いや)地方。

祖谷峡で石集めからスタート!?

日本三大秘境のひとつに数えられる祖谷地域。
ここに、徳島のおもてなし文化を凝縮した料理があるのだとか。
その名も「ひらら焼き」。食べたらほっぺが落ちてしまう! 
そんなことを聞いたら、いてもたってもいられません。

徳島市から約2時間。
くねくねと続く細い国道を、奥に奥にずんずん車を走らせます。
下を見るとごうごうと流れる吉野川、上を見ると日本百名山・剣山系から
もくもくと雲が生まれているのが見えます。
窓を開けると、高地ならではの冷たい空気が肺を心地よく満たしてくれます。

大歩危駅に到着した私たちを迎えてくれたのは、
大歩危駅活性化協議会と三好市地域おこし協力隊のみなさん。

手づくり感があたたかい〈歩危マート〉。

石臼で挽きたてのお茶でおもてなししてくれました。

到着して早々、「よし、石切りに行くで!」
石を切る? どういうことでしょう。
頭に???を浮かべたまま、みなさんの車に続いて、さらに山奥へずんずん。
車から降りて、藪をかき分け山に入って、到着したのは豊かな水量の清らかな沢。
あれ? ひらら焼きは河原でやると聞いていたのですが……。

ひんやりとした空気が肌に心地よい、美しい沢。大きな石がごろごろしています。

「そうよー、まずは材料集め! ひらら焼きにはこれが必要なんよ」
そういって大歩危駅活性化協議会代表の山口頼明さんが拾い起こしたのは、
重さ40キロにもなろうかという大きな大きな石。
「ひらら焼きは、平たい石を鉄板に見立ててつくる料理。
河原にはぴったりの石があんまりないからね、ここで集めるよ」
そう、ひらら焼きの「ひらら」とは、平たい大きな石のことだったのです。

重い石を、道具を使ってひょいっと拾い上げます。

ひらら石を平らにするために、でこぼこな部分をトンカチとツルハシで割り落とします。

切り出した石は「おい台」で運びます。昔は車もなく、道も舗装されていなかったため、運搬手段といえばこのおい台でした。

ひらら石を景色抜群の河原に運んだら、いよいよひらら焼きの調理にとりかかります。
台をつくったら、その上にどーんとひらら石をセット。
薪をたいて、下からひらら石を熱します。
目安は、水滴を落としたらすぐにじゅっと蒸発するくらい。
今回のひらら石は大きいので、2時間ほど熱します。

「鉄板でもできるけど、ひららで焼くのとでは全然違うよ。
石の間から何か成分が出てくるんじゃあないかって思うくらい、
ひらら石で焼くのはおいしい。ほっぺたが落ちてしまうよう」とのこと。
待っている間のわくわくが、空腹を加速させます。

砂地の上に、台となるブロックと、薪をセット。薪も山から切り出してきたものです。この上にひらら石を置いて火をつけます。

アウトドアショップ店主に 教えてもらった 山形の穴場アウトドアツアー

47都道府県、各地のビールスポットを訪ねます。
山形でコロカルが向かったのは、山形市の〈OUTDOOR SHOP DECEMBER〉。

山形の自然に触れられるアウトドアツアー

山形駅から車で約20分ほどの場所に位置する
菊地大二郎さんと妻の恵里さんによる〈OUTDOOR SHOP DECEMBER〉
(以下、DECEMBER)には、大二郎さんの「好き」「かっこいい」といった
真っ直ぐな気持ちでセレクトされたアウトドアグッズに加え、
DECEMBERオリジナル帆布の商品が並んでいます。
それらは、すべて恵理さんの手づくり。
自分たちの欲しかった紺やカーキ色をセレクトしたり、
キャンプにあったら便利なアイテムを製作しています。

帆布のオリジナルブランド〈DAIS〉や〈CUCUCHI〉に加え、アンティークのアイテムをセレクト。この日も東京から仲のいいお客さんが訪ねてきました。

CUCUCHIはバッグにエプロン、タープなど、帆布で製作するアイテムを中心にラインアップ。併設するアトリエでパターンの製作から縫製、仕上げまでを行っています。

そしてもうひとつ、DECEMBERを語るうえで欠かせないのが、
「小学生の頃から子どもだけでキャンプをしていた」という
生粋のアウトドア好きである大二郎さんのアテンドのもと、
山形の自然に触れられるアウトドアツアー。

実は、山形にはアウトドアを満喫できる穴場がたくさんあるのだそう。
春から夏にかけて、カヌーに始まり、キャンプにハイキング、沢遊び、
冬はスノートレッキングにジップフィー(アメリカ発のソリ)など、
道具を持っていない初心者も安心して楽しむことができます。

DECEMBER店主の菊地大二郎さんと恵里さん。扉の奥は、恵理さんのアトリエ。

今回は、山形市から車で20~30分のところで、
気持ちよく晴れ渡った日にぴったりのカヌーとキャンプ体験をさせてもらうことに!

カヌーで味わう、水との不思議な一体感

この日、カヌー体験ツアーにやって来たのは、
山で囲まれ、水辺には柳や薄荷が自生している場所です。

カヌー体験は春から夏にかけての暖かいシーズンのみ。ここは冬になると氷になり、渡り鳥たちが群れをなしてやってくるそう。

ライフジャケットを身につければ、準備完了。
「ポイントは、利き手でパドルを漕いだあとに手首をキュッと返し、
反対側のオールが風の抵抗を受けないようにすること。
右に進むには左のパドルを、左に進むには右のパドルを漕いでください」
と教えてもらったものの、頭ではわかっていても体が思うように動かず
歯がゆい思いをすることに。

それでも、きれいなフォームでスムーズに進んでゆく
大二郎さんと恵里さんの真似をしているうちに、
ちょっとずつ上達していくのがわかります。

「あそこに行きたい!」と思ったところを目指して、水をリズミカルに漕ぎ、
風を受けながら進んでいく、その気持ちいいこと!
パドルの先を水辺に浮かべて、ひと休みしていると、
魚がはねる「チャポンッ」という音が聞こえてきます。

「皆さん、カヌーに乗るきっかけがなかなかないと言いますが、
機会があれば絶対に乗ってみたほうがいいですよ」

ハマる、ハマらないは人それぞれ。船にまつわる遊びがたくさんあるなかで
「これだけ体ひとつに近いものってカヌーだけ」だと言い切ります。

「カヌーの魅力は、やっぱり水との一体感。
今日は2人乗りのタイプですけど、1人乗りタイプだと
水の上に座っているような、なんとも言えない感覚を味わえるんですよ。
僕は初めてカヌーに乗ったのが30歳のときなんですけど、
その独特な感覚にゲラゲラ笑っちゃいましたもん(笑)。
『あぁ、なんでもっと早くに始めなかったんだ』って」

しいたけ観が変わる! 林業ブラザーズ特製の宮崎料理、 ナバ南蛮って?

47都道府県、各地のビールスポットを訪ねます。
宮崎でコロカルが向かったのは、自然があふれる美郷町。

宮崎の山奥で林業に励む、ドガワの山師ブラザーズ。

南国・宮崎! なイメージとはほど遠い、
ここはかなり山深い美郷町渡川(どがわ)地区。
宮崎、大分、熊本、どのまちからも
それなりに時間がかかる秘境感たっぷりのエリアです。

ここにある兄弟がいました。兄の今西 正さん、弟の猛さんの今西ブラザーズ。
ふたりは渡川生まれで、山師としては〈今西林業〉、
そして自分たちで育てたしいたけや地域の食材などを販売する
〈渡川山村商店〉を営んでいます。

お揃いの今西林業ヤッケでキメ。

渡川では中学を卒業すると近くに高校がないので、
必然的に宮崎市などに出ることになります。
その後、ふたりとも福岡で働き、弟の猛さんは10年前に、
兄の正さんは昨年、渡川に戻ってきました。

「都会の福岡で働いていると、自分が生まれ育った渡川が
とてもいい場所だったんだなという感情が湧いてきたんです。
親父がずっと林業をしていて、誰も継がないで終わってしまうのも寂しいし、
もったいないと思ったので、林業を継ごうと思って渡川に戻ってきました」
という猛さん。

一方、兄の正さんは、名刺に「Uターン山師」と書いてあります。
20年近く福岡にいて、昨年Uターンしました。

「僕はずっと洋服関係で働いていました。年を追うごとに、
同郷の仲間が渡川に戻っていろいろな活動をし始めたりしていて。
そういった動きをみていると、自分も何かやりたいという気持ちになってきましたね。
弟は10年前に戻ってきて、林業だけで手一杯。
どちらにしろ、僕が戻ってきても山師としてすぐ役に立つわけではないので、
都会に長くいたからこその視点を生かしていきたいと思っています」

山師歴10年以上の猛さん。枝打ちなど余裕綽々。

キンメもほろほろに。 土佐備長炭を復活させた 〈炭玄〉の熱い炭焼きストーリー

47都道府県、各地のビールスポットを訪ねます。
高知でコロカルが向かったのは、土佐備長炭の郷、室戸。

四国の先端で、土佐備長炭の窯を立ち上げたアツい男

四国の最東端。台風銀座としても知られる室戸市。
実は、本州、四国、九州の中で一番人口の少ない市でもあります。
そんな室戸市で、伝統産業である備長炭の生産を担っている
若手集団がいると聞いてやってきました。

高知市から2時間。ひたすら海岸線を走ります。
まるで海と陸の境界線を走っているかのよう。
車を止めれば聞こえてくる波の音に、心穏やかになります。

吉良川のまち並み。室戸市は珍しい地質や文化、住民の活動が評価されて、ユネスコ世界ジオパークに認定されています。

やってきたのは室戸市の吉良川町。
京都を思わせる歴史的なまち並みを背にして、川沿いに山奥へと車を走らせます。
見えてきたのは、緑の中にぽつんと立つ小屋。
そこから白い煙があがっているのが見えます。
車を降りると小屋のまわりには、切り倒した直後の大量の生木。
小屋に入ると、隙間から入り込むふんわりとした光が積もった灰を照らしています。
絵本の中に迷い込んだような幻想的な空気に、思わずはっと息を呑みます。

山の奥にぽつんとある炭焼き小屋。周りには民家もなく、鳥の鳴き声と川の音が聞こえます。

小屋の周りに積み上げられた原木。

小屋の中の様子。

迎えてくれたのは黒岩辰徳(たつのり)さん。
10年前、地元である吉良川町で土佐備長炭の窯元〈炭玄〉を立ち上げました。

「高校を卒業するまで、何もない地元が嫌で早く出たかった。
卒業して市外に出たんだけど、道を歩いているおばあちゃんも、
声をかけてくれる周りの人も、全部当たり前じゃなかったんだなあと気づいた。
外に出て初めて地元のよさに気づいて、それで室戸に戻って来たんだよ」

しかし、Uターンして黒岩さんが見たのは、なかなか厳しい室戸の現実でした。
「室戸を好きな人はいっぱいいる。室戸で働きたいと思っている人もいっぱいる。
でも室戸にいたくても仕事がないから、みんな市外に出て行く。
地元に雇用を生み出さないといけないと思ったよ」

〈炭玄〉代表の黒岩辰徳さん。

室戸に雇用を生む産業は何か。
悶々と悩む黒岩さんが、ある日出会ったのが、とある新聞記事でした。
当時の備長炭シェアの8割が安価な中国産。
しかし、森林保護のために、中国が備長炭の輸出を制限するというのです。
吉良川はもともと備長炭で繁栄を成した地域でした。
必ず国産の備長炭に需要が戻ってくる、吉良川で雇用が生み出せる。
そう確信した黒岩さんは、生まれて初めて、炭焼きの世界に足を踏み入れました。

小さな島からのおすそわけ。 食の宝庫、小値賀島をめぐる旅

47都道府県、各地のビールスポットを訪ねます。
長崎でコロカルが向かったのは、五島列島の北部にある離島、小値賀島。

全国的に注目を浴びる小値賀島で食材探しの旅

ここ日本には6852もの島があると言われています。
本土が5島、そのほかの離島が6847島。
では、日本で一番、島の数が多い都道府県はどこか。
答えは九州の西に位置する長崎県です。
同県には壱岐や対馬、五島列島など、大小合わせて実に 971もの島があります。

朝の港の風景。のどかでスローな時間が流れています。

そんな長崎の島で注目を集めているのが、長崎県の佐世保港、
もしくは福岡県の博多港からアクセスできる〈小値賀島(おぢかじま)〉です。
佐世保から海上を西に約60キロいった東シナ海に浮かぶこの島は、
五島列島の北端にある大小17の島々からなる小値賀町の島のひとつ。
海や山といった雄大な自然が手つかずの状態で残っていて、
まさにこの場所が「日本の原風景だ」と称されています。

この島を一躍有名にしたのが、民泊、そして古民家での宿泊です。
暮らすように過ごすスタイルが多くの人に支持され、リピーターが年々増えています。
今回の取材でも料理がおいしいことで知られる〈民宿 千代〉に滞在し、
地魚をとことん堪能しました。

思わず足を止め、カメラのシャッターを切りたくなる風景が島にはたくさん存在します。

四方を海に囲まれた小値賀島では豊富な海の幸はもちろん、
なだらかな地形を利用して稲作が営まれてきたほか、
さまざまな作物が栽培されてきました。
古くから、島民たちは代々受け継がれてきた漁業や農業を守りつつ、
自給自足中心の生活を送ってきたそうです。

水揚げされた鮮魚が港に運び込まれていました。

一番おいしいものこそ「おすそわけ」する

小値賀島には独自の文化が根づいています。
都会暮らしの人にとっては想像もできないかもしれませんが、
この島には「おすそわけ」という文化があるんです。
一般的な「おすそわけ」は余った食べ物を分けますが、
この島では一番おいしい状態のものを分かち合うのです。
例えば、漁師がその時期に一番おいしい魚をとってきたなら、
それをご近所の農家に「おすそわけ」します。
逆に、農家が漁師に旬のおいしい野菜や果物を同じように「おすそわけ」する
という具合に、自然の恵みにともに感謝し、一緒に楽しむのです。

〈小値賀町担い手公社〉の松山洋久さん。島内の移動はもっぱらバイク。島の魅力に惹かれ、福岡から移住して1年が経ちました。

そんなすてきな「おすそわけ」を特産品として島外へPRしているのが
〈小値賀町担い手公社〉です。
その根底には、島の外の人々にもおすそわけを体験してもらい、
小値賀のファンを増やしていきたいという思いがあります。

「漁業も農業も島の人口減少によって
産業自体を支えていくのが困難な状況になっています。
小さな島からのおすそわけとして、
島の名産品・特産品が島外でも売れるようになれば、
生活の基盤となる産業の担い手を呼び込み、呼び戻すことができると考えました。
その橋渡し役が僕たちの仕事です」と言うのが同社の松山洋久さんです。

松山さんは、選りすぐりの島の産物をインターネット通販で販売し、
その販路を広げるために奔走しています。そんな松山さんに特別に案内してもらい、
島の逸品がつくられている現場を巡ってみました。

松永光則さん・静江さんご夫妻。几帳面なご主人とざっくばらんな奥さんのふたりでかまぼこづくりに励んでいます。

まず訪れたのが民泊も営む松永静江さんのお宅。
現在、小値賀に数軒しか残っていないかまぼこ屋のひとつで、
元漁師のご主人・光則さんとともに2009年からかまぼこを製造・販売しています。
「小値賀では昔からアジを使ってかまぼこをつくっていたんよ。
だからうちもアジしか使わんの」

生のアジしか使わないのが〈しいちゃんかまぼこ〉のルール。

そう言っている間も静江さんの手は止まることなく、アジを手でさばいていきます。
頭や内臓を取り除くのも、3枚におろすのも、すべて手ひとつ。
静江さんによれば包丁を使うよりも断然こちらのほうが早いそう。

驚くほどのスピードでアジがさばかれていきます。

3枚におろしたアジはすぐに氷で冷やします。
光則さんは「手の熱が伝わって身が緩むやろうが。
それを防ぐために間髪入れずに冷やすようにしとるのよ」と教えてくれました。

手際のよさに熟練の技を感じました。

3枚におろしたアジの身はスプーンでこそぎ、それをミンチに。
塩や砂糖、かたくり粉などによって味つけし、しっかり練ったあと、
藁すぼの代わりにストローでぐるりと巻いて蒸しあげます。
こうして完成するのが〈しいちゃんかまぼこ〉です。

昔ながらのかまどでかまぼこを茹でていきます。

完成したかまぼこは驚くほど、食感がプリプリ。
味つけはやさしく、生臭さもなく、アジそのものの風味がしっかり生きています。
こんなに“魚感”が伝わってくるかまぼこは初めて食べました。

「丸かじりが一番おいしかね。バターで炒めたり、
ゴマしょうゆにつけたりしてもいいし、混ぜご飯に入れてもダシがしっかり出るんよ」
とオススメの味わい方を教えてくれた静江さん。
夏場はアジがとれない場合があり、その際は製造もお休み。
まさにアジありきのかまぼこです。
「できたての熱々はふんわりした食感で、
これもまた本当においしいよ。食べに来て」と静江さんは見送ってくれました。

しいちゃんかまぼこはネットショップで1本540円で販売。つややかな光沢が食欲をそそります。

小値賀島には生アワビ、生サザエの直売所もあります。
〈アワビ・サザエ直売所 あわび館〉は港のすぐ近くにありました。
ここは一般の人も利用できる施設で、生アワビや生サザエのほか、
その時々の鮮魚も全国発送しています。

とてもフレンドリーな岳田政詞さん。わからないことは気軽に尋ねてみましょう。

「ここのアワビやサザエは漁師がとってくるんですよ」と言うのは、
生粋の小値賀育ちの岳田政詞さん。
直売所だけあり、サザエは1キロあたり950円という安さ。

サザエはどれも大粒でした。

アワビやサザエが特にとれる時期は夏ですが、
小値賀島ではその昔は30センチクラスのアワビがとれていたそう。
思いがけぬ大物に出合えるかもしれません。

アワビやサザエはシーズンによってはない場合もあるので、出かける前に問い合わせを。

植樹された桜は4千本! 野外ミュージアムの 250年計画とは?

47都道府県、各地のビールスポットを訪ねます。
福島でコロカルが向かったのは、いわき市の〈いわき万本桜プロジェクト〉。

それは、途方もなく壮大な計画

10年先、30年先。それとも100年先、200年先のことになるでしょうか。
ここいわき市で、世界一の桜の風景を眺められるようになるのは。
見渡すかぎりの山々すべてが桃色に染められるのは。
その景色を見るために世界中から人々が押し寄せ、
その美しさに立ちすくみ、感嘆の溜息をもらすのは。
「ここに来てよかった」「いつかまた訪れたい」「ここが好き」と、
人々がそう思わずにはいられない場所になるのは。

やがて来るその日のために、いわきの里山に9万9千本の桜の苗木を
丁寧に丁寧に1本1本植樹していくという、途方もなく壮大な計画が進められています。
〈いわき万本桜プロジェクト〉。
僕らはその中心人物である志賀忠重さんに会いに来ました。
このプロジェクトに込めた志賀さんの想いやお話をお聞きし、
ほんのわずかでも僕らにもお手伝いをさせてもらえないかと思って。

いわき万本桜プロジェクト事務所の前に掲げられたこの絵は、30年先の未来のいわき市の姿を描いたもの。小鳥がさえずり、燃えるような桜が咲く、美しい春の到来を予言しています。

はじまりは、怒りと悔しさ

まずは、2013年に制作されたパンフレットに
『プロジェクトのはじまり』というタイトルで掲載されている
志賀さんの文章をここにそのまま引用させていただきます。

負の遺産

私たち日本人全員の意思で原発を利用し事故を起こしたために、
未来の子どもたちへ、負の遺産を残してしまうことになってしまいました。
これは永年にわたる放射能の身体への影響、
永く使えない土地、そばに行きたくない地域を残してしまうことなのです。
さらに経済的には天文学的な負債を抱えなければなりません。
このような負の遺産を残してしまうことにすごい悲しさ、
悔しさをいまさらながら感じています。
なんとかならないものなのでしょうか!
春、桜の花が満開に咲いているのを見て、20年後、30年後の子どもたちに
山一面の桜を見てもらおうと思い立ちました。
万が一、いわきに住めなくなった時でさえ、
いわきを愛していた人たちの気持ちが伝わるぐらい、
たくさんの桜を植えたいと思っています。
飛行機から見ても分かるくらい、たくさんの思いを込めた木を植えたいです。
まず近くの山から。
1人ひとりの記念樹として、1本1本に参加してくれた人の名前をつけます。
最終目標は9万9千本です。

2011年3月に発生した福島第一原子力発電所事故以降、
いわき市は「第一原発からわずか50キロの土地」と位置づけられることになります。
事故発生直後の日々、多くの市民が身を寄せた避難所には十分な物資が届けられず、
その理由はトラックの運転手が「福島原発の近くには行きたくない」からだった
という話を志賀さんは伝え聞いたそうです。
愛するふるさとが、ほんの一瞬にして「だれも近寄りたくない場所」にされてしまった、
その悔しさや悲しみや怒りは、地元の人々にとってどれほど深かったでしょう。

だからこそ、志賀さんやプロジェクトの賛同者の方たちの怒りと願いの行き着く先は
「この土地を、みんなが行きたいと願う場所にすること」なのです。

植樹の目標数が「9万9千」なのは、中国では「99」という数字が「永遠」を表すものだから。このプロジェクトの支援者である、中国出身の国際的アーティスト蔡國強さんと強い絆で結ばれ、かつては中国に学校をつくったこともあるという経歴をもつ志賀さんは、中国との縁を大切にされています。

豪快でエネルギーにあふれた笑顔と丸太のような太い腕をもつ、いわき万本桜プロジェクトの中心人物、志賀忠重さん。そのパワーと魅力に吸い寄せられるように、いわきのまちにたくさんの人が集まってきます。

東京・谷中から香川に移転した 人気店〈旅ベーグル〉の ふわふわベーグルを追う

47都道府県、各地のビールスポットを訪ねます。
香川でコロカルが向かったのは、丸亀市にある〈旅ベーグル〉。

朝と昼に少しずつ焼き上げる、主婦仕込みのベーグル

2016年2月9日、東京の下町・谷中で人気を集めていたベーグル店
〈旅ベーグル〉が、四国の香川県丸亀市に移転。
開店から4か月、すでに即日完売の人気店になったこのお店を探して、
JR丸亀駅から車を走らせることおよそ10分。
田園を眺める住宅街に、コンテナを改装してつくった小さな店舗がありました。

入り組んだ住宅街を入ると、コンテナに板を張ったキューブ形のお店が見えてきます。

訪れたのは昼の営業が始まる30分前。
小さな看板が置かれたお店の前にはオープンを待つお客さんが次々と訪れていました。

店内に並ぶ焼きたてのベーグル。全部で30種類くらいあるうち、常時8~10種類をお店に出しています。

お店の中では、焼き上がったばかりのベーグルを
店主の松村純也さんが手際よく並べています。
湯気とともに立ちこめる香ばしいにおい。

丁寧に成形したベーグルをオーブンに入れる松村さん。

「季節やその日の食材に応じて、いろいろなベーグルをつくっています。
ミキサーや道具類は家庭用なので、一度にたくさんつくれないんです」

なぜ、行列ができるほど人気なのに、
わざわざ家庭用の道具で少量ずつつくるのでしょうか。
それには、松村さんのベーグルづくりのルーツに理由がありました。

もともとベーグルが好きで、専門店をオープンするのが夢だった松村さん。
よりおいしいベーグルをつくりたい、と毎日のようにインターネットでレシピを探し、
独学で試作する過程を自身のブログで公開。
いつしか、料理上手の主婦たちがブログにベーグルづくりのコツを
書き込んでくれるようになったそうです。

粗熱がとれたベーグルを素早く袋詰めしていきます。「ベーグルは冷凍すれば2週間、そのままの場合は翌日までに食べてほしい」とのこと。

「ブログを通じて知り合ったので顔も本名も知りませんが、
とてもためになるアドバイスをくれる主婦友だちが50人近くいました。
みなさん、本当に研究熱心で料理上手。
8年前の2月9日に東京で初めてベーグル店をオープンしたときは、
ブログ友だちの主婦のみなさんが全国各地から買いにきてくれたんです。
主婦のみなさんからは、家庭用の道具を使ったベーグルのつくり方を教わったので、
うちでは当たり前のように家庭用のミキサーで捏ねて、
手作業で成形し、そして小さなオーブンで焼いています」

「僕のベーグルは、主婦仕込みなんです」と話す松村さん。

一度にたくさんは焼けないけれど、お客さんはたくさんやってきます。
だから、営業時間を朝と昼に分けて、できるだけ多くのお客さんに
おいしいベーグルを届けられるようにしているそうです。

昼の営業が始まるやいなや、小さなお店にお客さんが続々とやってきて大忙し!

すっかり丸亀の人気店になった旅ベーグル。
でもなぜ、東京からこの地に拠点を移そうと思ったのでしょうか……?
その理由は、香川の“おせっかい文化”にありました。