身も心も、ほぐれるおいしさ! 江戸の風情を感じるまちで味わう 絶品の〈ねこまんま焼きおにぎり〉

47都道府県、各地のビールスポットを訪ねます。
埼玉でコロカルが向かったのは、ノスタルジックな蔵づくりのまち並みが残る
〈小江戸 川越〉。

海の幸を6代にわたり川越へ届け続ける〈中市本店〉

30数棟の蔵づくりが軒を連ねる川越一番街。
江戸の景観を受け継ぐそのまち並みは、
国の「重要伝統的建造物群保存地区」にも選定されています。
そんな趣き豊かな一番街でコロカルが訪れたのは、江戸末期の1867年の創業以来、
6代にわたって一番街に店舗を構えている〈中市本店〉。
かつおぶしを中心に、昆布や煮干などの海産物や乾物を取り扱うお店です。

文化財指定もされている〈中市本店〉の外観。立派な蔵づくりです。

創業当時は鮮魚屋として、生の魚を取り扱っていた中市本店。
「海のない埼玉で鮮魚?」と不思議に思う人もいるかもしれませんが、
当時は新河岸川の水運を利用して、海からの品物を仕入れていたのだそう。

「でも太平洋戦争をはさんで、乾物を取り扱うようになったんですよ」
と話してくれたのは、6代目の落合康信さん。
「この辺りも戦時はだいぶ混乱していたようで、
川の水運で魚を運ぶことができなくなってしまったらしくて。
そんななか、海のものを取り扱うことは変えずに、手に入るもので商売を続けようとした
3代目と4代目の知恵によるものだったと思います」

〈中市本店〉6代目の落合康信さん。川越一番街商店街組合の理事長も務めています。

落合さんが子どもの頃は、卸売りを専門にしていた時代もあったという中市本店。
しかし落合さんの代となる少し前、大河ドラマ『春日局』が
放送されたことをきっかけに変化が訪れます。
「このドラマで川越が注目されて、地元以外のお客さんも来るようになって。
そこで『卸だけじゃもったいないから、小売りも再開しようか?』となったんです」

取り扱われているかつおぶしは、鹿児島県枕崎産のものが中心。

そんな中市本店の店頭に並ぶ商品のなかには、かつおをスモークした燻製鰹や、
いわしの削りぶしなど、量販店では見かけない珍しいものも。
「商品を取り扱うかどうかを決めるときに基準にするのは、
やっぱり味がおいしいことと価格。
初代からの教えである『いいものを、お求めやすいお値段で』を守っています」

鹿児島県枕崎産のかつおを燻製した〈新さつま節〉。かつおぶしとは違う、しっとりとした食感を楽しめる人気の逸品。ピーラーやナイフで簡単に削れて、だしに使うのはもちろん、ジャーキー感覚でビールのおつまみにするのもおすすめ。

「3つ目に重要視しているのが、うちに来ないと手に入らない商品を置くことです。
うちは小さいお店なので、量や種類でいったら
ホームセンターやスーパーといった量販店には絶対に勝てない。
そこで、こだわりのあるおいしくていいもの、
珍しいものを探して仕入れるようにしているんですよ。
製造元とのつきあいも長いことあり、いろいろと融通を利かせてくださっていて。
いいものがあると、すぐ教えてもらえるので本当に助かっています」

林業のまち日田市のユニークな弁当 〈きこりめし〉と〈かっぱめし〉に 込められた思いとは?

47都道府県、各地のビールスポットを訪ねます。
大分でコロカルが向かったのは、林業のまち日田市。

切っても切れない日田とスギのつながり

かつて幕府の直轄地・天領だった大分県日田市。
大分県の西に位置し、山々に囲まれた自然豊かな土地です。
そんな山々からの清らかな水が川へもたらされているため、水も豊か。
日田天領水といった名水でも知られる水郷なのです。
日田市の中央を悠々と流れる三隈川は
このまちのシンボルとして市民から親しまれています。

北の山中には小鹿田焼(おんたやき)で知られる小鹿田地区があります。
自然の力を活用した古来から変わらない作陶のスタイル、
そしてその作品は「世界一流の民窯」と称えられ、
昭和29年には世界的陶窯の権威であるバーナード・リーチさんが
およそ1か月にもわたって小鹿田に滞在し、作陶に打ち込みました。

そんな日田では古くからスギの栽培が盛んで、
質にも優れていたため、幕府にも献上されていました。
この日田では、木といえばスギなのです。良質なスギが天に向かって
まっすぐと伸びている姿は「日本三大美林」とも称されています。

日田市街地から少し離れるだけで、豊かなスギ林が広がります。

そんな日田のスギは、古くから〈日田杉〉という名前で親しまれてきました。
日田杉の栽培は戦中にピークを迎え、
政府によってどんどんその植林は促進されていきます。
ただ、終戦となり、木材に代わってプラスチック製品などの素材が
安価で手に入るようになると状況は一転。日田杉の需要は激減します。
それでも一度植えたスギはそんな事情もお構いなしに、
その後も勢い盛んに育っていき、増える一方という状況になってしまいました。

乾燥を待つスギの丸太。その加工場は日田市内に点在しています。

日田杉の有効活用は、日田市にとって昔からの懸案事項です。
そのためのアクションもありました。
例えば、日田杉の大半を占めるヤブクグリ種は、
質の高いものは梁や柱といった建材として流通させ、
中心部が黒く建材に向かないものや根元の曲がった部分は
日田の伝統工芸〈杉下駄〉に加工されています。

数え切れないスギが加工されていますが、それでも手つかずの間伐材はなかなか減らないのだそう。

ただ、それでも抜本的な解決策にはなりません。
そんななか、この日田のスギを、ひいては日田の森を
どうにかしなければいけないという気運が高まります。

高台から見た日田市街地の眺め。こうして見ると、山々に囲まれた盆地であることがよくわかります。

陸・海・空の境界線で癒される。 絶景・佐田岬をまるごと満喫

47都道府県、各地のビールスポットを訪ねます。
愛媛でコロカルが向かったのは、絶景で海のアクティビティが楽しめる佐田岬。

海の上を自転車で走る。夢のようなアクティビティ!

愛媛県松山市から車で2時間。
右手には山の上まで連なる段々畑で青々と茂るみかんの木々、
左手にはきらきらと太陽の光を反射する穏やかな瀬戸内海。
山あり海あり青い空あり。
こんな贅沢な景色を楽しめるのが、日本一細長い半島・佐田岬です。

まず目指すは、ムーンビーチ井野浦。
ここに日本初の水上アクティビティがあるとのこと。
ビーチに着くと、何やら海の上にバナナのような、
黄色い浮きがぷかぷかしているのが見えます。
さらに近づくと、浮きに乗っているのは、なんと自転車!
井野浦では、その穏やかな海を利用して海上サイクリングができるのです。

運営する加藤智明さんから手ほどきを受け、おそるおそる自転車に乗り込みます。
浮きが沈んで海に落ちやしないだろうかと思っていましたが、そんな不安は一切不要。
浮きは思ったよりずっと安定感があって、軽くジャンプをしてもびくともしません。
聞くと120キロまでの体重なら十分に安定を保てるそうです。
落ちる心配もほぼありません。

ペダルを漕ぐのと連動して、水中でプロペラが回ります。この力でゆっくりと沖へ進んでいきます。

海の上にいるはずなのに、水の跳ね返りなどで濡れることもありません。
波に合わせて浮きがふわふわ上下して、まるで雲の上にいるかのよう。
でも目線を下にやれば、ここは確かに海。
透明度の高いムーンビーチゆえ、海底でゆらめく海藻や、
光を反射しながら海を泳ぎ回る小魚の群れがはっきり見えます。
あまりの非日常感に、思わず夢見心地。

上空から見ると、波のない穏やかな海面に3台の自転車。

小豆島で続くふたつの虫送り

雰囲気の違う、ふたつの地区の伝統行事

7月。私たちが暮らす小豆島・肥土山(ひとやま)では、
毎年この時期に行われる行事があります。
田んぼのあぜ道を火手(ほて)と呼ばれる松明をもって歩く「虫送り」です。
稲につく害虫を退治して、豊作を願う行事です。

火手と呼ばれる松明に火を灯します。

田んぼに沿って並んで歩きます。

江戸時代から続くと言われている小豆島の虫送りは、
いまは肥土山地区とお隣の中山地区で行われています。
中山地区の虫送りはしばらくの間途絶えていたそうですが、
2010年に映画『八日目の蝉』で虫送りが再現されたことをきっかけに、
2011年から再開されたそうです。
ちなみに昔は、中山、肥土山、黒岩と各集落を流れる
伝法川の下流に向かって村境から村境へと火がリレーされ、
最後は瀬戸内海に火手を流していたそう。

毎年、肥土山の虫送りは「半夏生(はんげしょう)」の日(7月2日頃)、
中山の虫送りは7月の第1土曜日に行われます。
今年は半夏生の日が7月1日、第1土曜日が7月2日で、2日連続して虫送りでした。

肥土山と中山の虫送りは、同じ虫送りでもだいぶ雰囲気が違います。
肥土山の虫送りは、比較的平坦な田んぼを歩きます。
火手を持つのは主に地元の子どもたちで、火手づくりも子ども会で行われたり、
各家庭でじいちゃんにつくってもらったりします。

一方、中山の虫送りは、急斜面にある棚田に沿った坂道を歩きます。
火手は役場や自治会の方々などが用意し、数があれば誰でも持って歩けます。
地元の人たちが続けてきた肥土山の虫送り、観光客の人でも参加しやすい中山の虫送り。
私はなんだかんだとほぼ毎年両方参加しています。

肥土山の虫送り。
火手を持って歩くのは今年で4回目です。
小学3年生までの子どもは保護者がついて一緒に歩くのですが、
いろは(娘)は今年3年生。
もう来年からはひとりで持つんだなあと思うとちょっとしみじみ。

この肥土山の虫送りでいつも感じるのは子どもたちの成長ぶり。
1年に一度、同じ道を並んで歩く。
小さい子から歳の順に並ぶのですが、自分の子だけでなく、
地元の子どもたちみんなの成長をひしひしと感じる日です。
毎年同じことを続けていくというのは、暮らしのなかにおいて
とても貴重なことだなと思います。
同じようであって、自分たちは歳を重ね、少しずつ環境が変化していく。
それを感じながら生きていける。

子ども会でつくった火手を持って家から歩いていきます。

田んぼのあぜの草刈り。こうやって美しい田んぼが維持されています。

火手を持って集まった子どもたち。行事についての説明を聞きます。

小豆島で一番広い田園地帯を歩いていきます。後ろに見える茅葺きの建物は肥土山農村歌舞伎舞台。

自分でつくって、自分で売ろう! 岩切エミさんの地域を巻き込む 手仕事プロジェクト

手づくりを通じて人々とのつながりをつくり出す

アクセサリーデザイナーの岩切エミさんが、わが家にやってきた!
毎年、必ず来てくれて、子どもたちと思いっきり遊んでくれるエミさんは、
笑顔を運んでくれる大切な友人だ。

エミさんとの出会いは10年ほど前、
私が東京で『みづゑ』誌の編集長をしていた頃に取材をしたのがきっかけ。
以来、家族ぐるみでおつきあいをさせてもらっている。
彼女は、デザインしたアクセサリーを全国のショップやギャラリーなどで
販売する活動をしていて、私が岩見沢に移住してからも
北海道のイベントに参加する折りに会う機会をつくってくれるのだ。

岩切エミさん。1996年からアクセサリーやファッションのブランド〈car*g*mom〉を展開するかたわら、NHKの番組『すてきにハンドメイド』などにも出演。かぎ針編みのアイデアがつまった書籍なども刊行。手仕事の大切さ、手づくりの楽しさを伝える活動を続けている。

今夏も、エミさんがわが家を訪ねてくれることになったので、
ぜひどこかでイベントを開催したいと考えていた。
2年前にエミさんのアクセサリーづくりワークショップを
岩見沢の市街地で開催したことがあるが、
今回は、いま私が空き家を改装してゲストハウスのような場所づくりを計画中の
岩見沢の山間部・美流渡(みると)地区で開催したいと考えていた。

ちょうどタイミングよく、先月、美流渡で
〈東部丘陵地域(美流渡を含む岩見沢の山間部の地域のこと)未来会議〉として、
イギリスのエコビレッジとトランジッション・タウンを視察してきた、
岩見沢在住の林睦子さんの報告会(前回連載参照)を開催したこともあり、
美流渡の友人たちと相談して、この会議の第2弾として、
エミさんのイベントを企画してみようということになった。
イベントは2部構成にし、午前中は手づくりの楽しさを伝える親子ワークショップ。
午後は、エミさんのこれまでの活動を振り返るトークと
参加者による意見交換を行うことにした。

7月3日、イベント当日。
午前中に行ったのは、子どもにエコバッグに絵を描いてもらい、
そこに親が刺繡を加え完成させるというワークショップだ。
2〜8歳くらいまでの子どもたちが集まり、サインペンで思い思いの絵を描いていった。
「子どもの絵を消さないように、ポイントポイントに
刺繡やスパンコールをつけていくといいですよ」
そんなエミさんのアドバイスを聞きながら、お母さんやお父さんたちは、
机いっぱいに並んでいる材料から好きなものを選んで、チクチク針仕事をしていった。

エミさんが作例としてつくってくれたバッグ。わが家の2歳の娘と5歳の息子が絵を描き、そこに刺繡をしてくれた。

まだ形が描けない2歳児の線に合わせて刺繡をするだけでも、見違えるようにかわいいバッグに!

黒1色のサインペンで描かれた絵も、刺繡を入れていくと、
なんとも愛らしいデザインに変身!
玉止めした糸をあえて外に出すなどラフさがちょうどいいバッグができあがった。
「私は自分で何かをつくることも好きだけれど、ものづくりのきっかけをつくって、
みんなでその楽しさを共有したいと思っているの」
できあがったバッグを見て、エミさんもうれしそうな表情でそう話してくれた。

子どもたちも真剣。黒いサインペンだけでなく、色つきのペンで思い思いの絵を描く。

最近エミさんは、自身の肩書きを「クラフトコミュニケーター」という、
自身で考えた造語に変えようかと思っているという。
作家としてものづくりをするだけでなく、手仕事を通じて人と人とをつないでいく、
そんな役割を担っていきたいのだそうだ。

子どもたちののびのびした線。「これを消さないように刺繡やスパンコールをつけてみては?」とエミさん。

完成! それぞれの個性が光るバッグができあがった。

秩父の森の恵みに出会える 〈MAPLE BASE〉営業中! ちちぶメープルプロジェクト最終回

理想のパンケーキを追い求めて

4月27日、無事に秩父に〈MAPLE BASE(メープルベース)〉がオープンしました。
オープン直後に、そのままゴールデンウィークに突入したため、
目まぐるしい日々を過ごしていました。オープンから2か月くらい経ちますが、
はるか昔のような気がしてしまうほど、オープン前後は密度の濃い時間でした。
結局、前日まで大工さんをはじめ、外溝工事、ボランティアによる掃除など、
たくさんの人たちの力が結集し、作業が続けられました。

オープン2週間前の様子。まだウッドデッキだけでなく、窓やドアもついていませんでした……。

いまになってさまざまな人から、
「絶対間に合わないだろうと思っていた」という言葉を聞くと、
工事の進捗状況がどれだけ崖っぷちに立たされていたかがよくわかります。
MAPLE BASEをプランしている立場として、
精神的にも肉体的にも追い込まれている状況で、
頭の中にずっと残っていたキーワードがあります。

「クラフトサムラ(Kraftsamla)」

これは、私が社会人時代に働いていた会社で知ったスウェーデン語で
「力を集中させること」という意味。
ひとりの力でできなくても、みんなの力が合わさることによって、
どんな大きい目標も達成できるということ。
Uターンしてから、比較的1対1で仕事をすることが多くて、
つい忘れがちになっていたこの言葉を思い出したのでした。

実はプランのなかで最後まで決まらずにいたのが、
カフェで提供される看板メニュー「パンケーキ」のレシピでした。
私の中のベストパンケーキは、やはりカナダのシュガーハウスで食べた
メープルシロップがたっぷり染み込んだシンプルなパンケーキ。

カナダで食べた理想のパンケーキ、どシンプルな見た目ですが、生地とメープルシロップがベストマッチ!!!

あの味がずっと忘れられなくて、シンプルにメープルシロップを楽しめる、
MAPLE BASEオリジナルのパンケーキをつくりたいと考えたのでした。
パンケーキ店の食べ歩きやレシピ研究はずっと行っていたのですが、
最後の最後で問題発生。
工事の遅れにより、なかなか厨房設備もまともに使えないなか、
この窮地を救ってくれたのが、秩父で週1回ドーナツや焼き菓子を販売している
〈ナガタミホノミセ〉の永田美穂さん。

MAPLE BASEの救世主とも言える永田さん。

ぷっくりした見た目がかわいいドーナツが大人気!

永田さんのつくるスイーツのファンは多く、開店まもなく
あっという間に売り切れてしまうことから、幻のお店と言われることも多いそう。
たまたま、家具づくりのワークショップでお手伝いをしてくれた
中学生のお母さんからの紹介で知り合った永田さん。
その時点で、オープンは2週間後に迫っていました。
出会った当日に状況を話したところ、なんと全面協力を引き受けてくださったのです。
そこから、本当に何回もの試作と原料の選定の見直しをし、
理想とするパンケーキにたどり着きました。

スタッフのみんなとともに試作中。

パンケーキは材料がシンプルな分、それぞれの原料のちょっとした差が
味や焼き上がりに大きく影響します。なかでも一番違いを感じたのは、卵!
永田さんからの紹介で出会った、秩父の地卵を知ってしまったら、
もうほかの卵は使えません。
生地に、さまざまな工夫をこらしたMAPLE BASEのパンケーキ。

MAPLE BASEオリジナルパンケーキ(700円)は、シンプルながらメープルシロップのおいしさを存分に味わえます!

ぜひ、MAPLE BASEにお越しの際はご賞味ください!

まるで一夜の夢のよう。 プレミアムなお寺のレストラン 〈DINING OUT ONOMICHI with LEXUS〉

地元のよさは、じつは外の人のほうがよく見えるもの。
そんな地元のよさを、最大限に引き出してくれるイベント、
〈DINING OUT(ダイニングアウト)〉。
レクサスのスポンサードのもと、毎回異なる地域を舞台として行われる、
食を通じた地域振興プロジェクトだ。

プロデューサーやスタッフたちが現地に足繁く通っては綿密な現地リサーチを行い、
その土地ならではのテーマを設定。
土地のものを使った二晩限りのプレミアム・レストランを、スペシャルな会場で開く。
これまでに佐渡や有田で行われ、その模様はコロカルでもお伝えしてきた。

今回は、2016年3月26日(土)と27日(日)の2日間にわたり、
広島県尾道市を舞台に行われた第8弾、
〈DINING OUT ONOMICHI with LEXUS〉をレポート!

テーマは「フュージョン」

今回のテーマは「フュージョン」。
尾道市は、中世以来、商人の重要な交通路として重宝された〈尾道水道〉、
3つの山からなる〈尾道三山〉に囲まれたところ。
そこに、尾道水道によって集積した人やもの、文化を外部から柔軟に受け入れ、
異質なものを見事に融合させながら発展してきたまち。

ダイニングアウトの使命は、地元の人が知らないことを把握すること。
ホスト役をつとめたアレックス・カーさんは、
もともと尾道には思い入れがあった、尾道のツウだ。

「尾道の人は、尾道のことを全部知っています。
でも知っているだけに、そのすばらしさを新しい目で見ていないんです。
地方創生のネックは、地域の人が“プライドを持たない”こと。
もし尾道の人も、“尾道は宝物”と誇りを持ってくれたら……。
私は尾道を知る人として、この地を初めて訪れる人に、
このまちが持つたくさんの歴史や文化、文明、大自然を
重苦しくないよう、圧倒させないように伝えたいと思っています」

長い歴史と、たくさんの遺産を持つ尾道の魅力を、
どうやったら最大限に伝えられるのか?
そのバランスが、今回のチャレンジだった。

尾道を会場に選んでから、3か月かけてテーマを設定。
新しいものと古いものが交差する、「フュージョン」がテーマに選ばれた。
そして練り上げられたのが、「社会科見学をエンターテインメントに」というプラン。

レストランの会場は尾道で最も古い歴史を誇る、国宝の〈浄土寺〉。
料理を手がけるのは、世界最速でミシュランを獲得したレストラン
〈TIRPSE〉の仕掛け人であり、若きレストランプロデューサーの
大橋直誉さんがキュレーションしたシェフたち。
それを実際に見て味わえるのは、各日30人のゲストだけというプレミアムなイベントだ。
尾道に2日間だけ出現したレストランは、まるで夢の中の景色のよう。

スタートは展望台

ダイニングアウトのスタートは、尾道の展望台から。
最初のおもてなしは、尾道のてっぺんから眺める景色。

展望台で振る舞われるお料理も見事。イカをいったん冷凍させてから調理したもの。
コリコリした歯ごたえがおいしい。

展望台ではお料理とともに、瀬戸内の柑橘のカクテル、ミモザが振る舞われる。
すばらしい眺めとともに飲むお酒はたまらなくおいしい。

この展望台、観光客はほとんどいないが、
地元の方にとっては、遠足で訪れるようなお馴染みの場所。
まさに“社会科見学がエンターテインメントになった”演出だった。

国宝のお寺につくられたレストラン

尾道の絶景を堪能したあとは、この日だけレストランになる浄土寺へ。
ここは、聖徳太子の創建と伝えられ、足利尊氏が戦勝祈願をしたほか、
位の高い人をもてなすための建物として使われてきた。
お殿様が来なくなって以来、宴が開かれたのは、実に数百年ぶりのこと。

日本建築らしく、障子を取り払えばそこはまるで野外レストランのよう。
奥庭には伏見城から移築したといわれる茶室〈露滴庵(重要文化財)〉が覗く。
ここはかつて、殿様や勅使のみが入ることができた客殿。
こんな場所で、今日のためにつくられたフルコースを味わえるなんて!

給仕を務めるのは、地元の飲食店で働くスタッフたち。
地元の人たちを巻き込むユニークな試みだ。

スタッフのユニフォームは、尾道の対岸にある
帆布工場で織られる帆布でバッグなどを制作している、
〈立花テキスタイル研究所〉が手がけたオリジナルのエプロン。

全員が席に着くと、いよいよ料理の提供へ!

料理の案内人を務めるのは、大橋さん。
異なる個性を持つ、異ジャンルの料理人6人を集め、コースをつくり上げた。

「フュージョンということで、お皿ごとにコンセプトを出し、
そのコンセプトに合うシェフを招聘して、彼らが内容を考えています。
フランス料理、イタリアン、和食、それらがひとつになって、
いろいろ食べてもらうのが目的です」

お客さんと親密にコミュニケーションをとるレストランプロデューサーの大橋直誉さん。

富士山の裾野から各地へ。 文化財の茅葺屋根を支える 御殿場産の茅

富士山の裾野で育つ、良質な茅

世界文化遺産として知られる、飛騨高山の白川郷。
ここに建つ古民家の茅葺屋根に使われている茅が、
静岡県の御殿場産だということを知っている人がどれだけいるだろうか。
富士山の裾野に広がる広大な原野から
茅葺き屋根の材料である茅が、各地に出荷されている。

茅を刈るのは、御殿場市の板妻地区に長く暮らす人々。
その刈り手のひとりである長田友和(おさだともかず)さんが代表を務める
〈富士勇和産業〉がその茅を取りまとめて出荷している。
白川郷のほか、関東近県や京都などにある文化財の茅葺屋根にも使われているそうだ。
また、富士勇和産業では、関東近県にある茅葺屋根の葺き替えもしている。

御殿場産の茅を刈る、若手のふたり。長田友和さん(左)と宮田裕一さん。

御殿場生まれ・御殿場育ちの長田さんは、千葉県にある大学を卒業後、
市内にある半導体関連の会社に就職するため帰郷。
茅刈りを家業とする実家に暮らしながら、会社へ通っていた。
「会社員だった親父が定年になったら親父が継ぐ。
同じように、自分が定年になった頃、まだ茅刈りが
仕事として成り立っていたら継ごうかなと思ってたんです」

社会人になって数年経った頃、ずっと茅刈りを続けていた祖父が80歳を超え、
体力的にしんどそうに見えた。
「だからちょっと手伝ってみようと思って、会社勤めをしながら茅刈りを始めたんです」
週末だけの茅刈りだったが、回を重ねるごとに気持ちが固まって、
家業を継ぐことを決意。26歳のときに会社を辞めて、それから13年経つそうだ。

「会社を辞めたばっかりの頃は、体がもっと細かったんです。
体ができてないから、ほかの人より仕事が遅い。刈り手は近所のおじいさんばかり。
『どけぇ、案山子か!』なんて、結構怒鳴られました(苦笑)。
みんな近所だから、自分がそれこそ赤ん坊だった頃から知ってるわけじゃないですか。
それにうちのじいさんがボスだったから
もっと丁寧に扱ってくれるのかと思っていましたけど、
そんなことはまったくなく(笑)。悪気がないのはわかっていても、
最初は、仕事だからこそ分け隔てなく接してくれているのを理解できなくて、
イライラすることもありました」
それでも辞めなかったのは、自分が跡を継がなかったら
茅刈りを生業とする地元の人が困る、材料がないと茅葺きの職人さんたちが困る、
そんな気持ちが強かったからだ。

富士勇和産業の敷地に一歩入ると真っ先に目に飛び込んでくるのが、巨大な倉庫。この中には、刈り取ったあと乾燥させ、出荷を待つ茅がぎっしりと積まれている。

乾燥させた茅はトラックに乗せて倉庫へ運び込む。

「家は、木でもなんでも、その土地のものを使って建てるのが
気候風土に合っていて一番いい。茅がとれる御殿場にも、
かつて、茅葺の家がたくさんあったんですよ」と長田さんは言う。

ひと束の重さはおよそ5キロ。一軒の屋根を噴くのに必要な茅はおよそ3000束だそう。

「御殿場の茅刈りは、江戸時代から続いていると言われている生業。
1980年代頃、ゴルフ場が買ってくれるからと芝の栽培に転向する農家が多いなか、
僕の祖父が『地元から茅はなくならない』『昔からやってることだから』と
茅刈りを続けていました。でも、茅葺の家は減っていく一方。
これでは衰退していってしまうと考えて、販路を探してあちこち歩いたんです」

御殿場に限らず、茅葺の建物がある場所はもともと茅がとれていた場所だ。
長田さんの祖父が販路を探し始めた頃は、地場産の茅を使うのが当たり前だった時代。
だから、なかなか買ってもらえず苦労したようだ。

「茅が生える場所を“茅場”と呼びます。
茅場には毎年火を入れてメンテナンスしないと雑木が生えてくる。
10年くらい経てば木はそこそこ大きくなって、
気づいたら茅を刈るのが難しい状態になっている。
こうして、茅場がどんどん衰退していったんです」
そういう理由で、徐々に注文が入るようになった。
現在では、東京や神奈川、新潟や群馬など東日本のほか、
京都などにある国の重要文化財にも、御殿場産の茅が使われているそうだ。

2〜3月の風がなく晴れの日の土日を選んで、野焼きを行う。

山を焼いて出る灰は肥料になるし、一緒に蛾の幼虫やダニなどの害虫を焼き払うので、
刈った茅に害虫の卵がついていることがない。
だから、屋根材として、安心して使うことができるのだ。

野焼きの日、風向きによっては、御殿場の民家にも黒い灰が舞い落ちることも。

黒く燃えていないところは、周辺の植林地や道路への延焼を防ぐための防火帯として、
幅20メートルほど、草刈りをしてある。富士山の太郎坊から板妻方面まで、
およそ24〜25キロほどの距離の草刈りを長田さんが秋のうちに実施する。
東富士入会組合原里支部作業班の班長を務める長田さんにとって、
これも大事な仕事のひとつだ。

小豆島・生産者と暮らしに出会う旅 ってどんな旅?

島の人も、島外の人も、初めての田植えに挑戦!

小豆島で暮らす友人たちと活動している〈小豆島カメラ〉。
島の暮らしのなかで出会える風景や人、食べものを
オリンパスカメラで撮影し、発信しています。
2014年春から本格的に活動し始め、気づけば3年目です。

その小豆島カメラの活動のひとつとして定期的に開催しているのが
「生産者と暮らしに出会う旅」。カメラを持って、
いつもの観光スポットとはちょっと違う場所を訪れる&体験するツアーで、
島の生産者さんに会いに行ったり、リアルな暮らしに触れたりしながら撮影します。
私たちが普段使っているオリンパスカメラの貸し出しも行い、
カメラの使い方レクチャーや、こんな風に撮ってみよう~なんてことも
お話したりします。

この6月に、4回目となる「生産者と暮らしに出会う旅」を開催しました。
今回のテーマは、島のお米と暮らし。

6月、田んぼの稲がどんどん大きくなっていきます。

小豆島・肥土山で育てられたお米〈肥土山そだち〉。

私の暮らしている小豆島・肥土山地区ではお米を育てている方がたくさんいます。
売るためのお米をつくる専業の米農家さんは少なく、
ほとんどの方が自分たち家族や親戚など身近な人が食べるためのお米を育てています。
春に田植え、秋に収穫、新米をいただく! というのが暮らしの一部。
毎年、田植えや稲刈りの時期はみんなとても忙しそうです。
あ、私たちもいつかはお米を育ててみたいなと思いますが、
いまはまだ近所の親戚から譲ってもらっています。

そんな暮らしを体験しようということで、今回はずばり、田植え&梅干しづくり!
〈肥土山そだち〉というお米を育てている生産者さんにご協力いただき、
田植えをさせていただきました。

みんな素足で田んぼへ。

大人になって初めての田植え。みんなけっこう興奮。

「あそこ空いとるぞ~」と言われながら(笑)、がんばって植えます。

今回のツアー参加者は、島内の方と島外の方が半々くらいだったのですが、
ほとんどが田植え未経験(だからこそツアーに参加してくださったのかもしれませんが)。
私たち自身、田植えってしたことないよね、してみたいね! 
という思いから始まった企画。
毎日のように食べているお米なのに、身近なようで身近じゃない田んぼ。
今回はどっぷりと泥の中に素足を入れて田んぼを身近に感じました。

スコットランドのエコビレッジ、 フィンドホーンってどんなとこ? イギリスの取り組みから、 地域の未来を考える

エコビレッジの話が聞きたい! そんな想いからイベントを企画

北海道・岩見沢の山間部にある8ヘクタールの土地を、私と一緒に購入した
林宏さん・睦子さん夫妻のことは、この連載で何度か触れてきた。
山の整備を「山活!」と称して仲間を募って活動したり、
睦子さんが企画している子どもの遊び場「プレーパーク」に一緒に参加したり。
いつもフットワーク軽く、そのとき楽しいと思うことをやっているのだが、
そのなかでも特に印象深かったイベントについて今回は書いてみたい。
それは、岩見沢の美流渡(みると)コミュニティーセンターで
6月11日に行われた睦子さんのトークイベントだ。

睦子さんは、子どもの自由な遊び場づくりやコミュニティづくりに興味を持っていて、
日頃からいろんなアンテナを張り巡らせている人だ。
全国のプレーパークの活動を見学したり、
ときには海外の子どもの学びの場を訪ねたりすることもある。
そして、今年のゴールデンウィークに彼女が参加したのは
「よく生きるツアー2016@イギリス」だ。

訪ねた先はイギリス北部スコットランドにあるエコビレッジ〈フィンドホーン〉と、
世界的な市民運動となっている〈トランジション・タウン〉発祥の地、
イギリス南部デボン州にあるトットネスだ。
このツアーでは、フィンドホーンやトットネスを単に訪ねるだけでなく、
ワークショップに参加したり、人々と触れ合ったりする
15日間のプログラムが組まれていた。

フィンドホーンには季節の花が咲き乱れる。このツアーを企画したのは、〈よく生きる研究所〉を主宰し、〈トランジション・ジャパン〉初代代表を務めた榎本英剛氏。2015年にも同様のツアーを開催し、エコビレッジやトランジション・タウンの取り組みを人々に伝えている。

北海道にエコビレッジをつくりたいと思っている私としては
なんともうらやましいこのツアー。
しかし、わが家は子どもが小さいこともあり参加できないので、
睦子さんに報告会をやってもらえないかとお願いしてみた。
彼女も報告会には乗り気で、いま私が空き家を改装して
ゲストハウスのような場所をつくろうとしている、
美流渡地区で開催できたらいいねと話し合った。
美流渡は過疎化が進み、学校の統廃合問題なども持ち上がり、
コミュニティをどう維持していくのかが課題となっている地域だ。

地域の今後について考えるとき、イギリスの事例が役に立つこともあるかもしれない。
また、この地域を活性化しようと活動を続けるNPO代表の菅原新さん(連載第10回)や、
地域おこし推進員(協力隊)の吉崎祐季さん(連載第16回)とのつながりも
生まれたこともあり、ふたりと相談するなかで報告会を具体化していくことにした。

「友人たちを集めて5、6人で話が聞けたらいいね」
最初私たちが考えていたのは、そんな小さな報告会だった。
そこで試しにFacebookにイベントページをつくって知らせてみたところ、
思いがけず反響が大きいことがわかった。
もしかしたら20人くらい集まるんじゃないだろうかということで、
ゆるいおしゃべり会よりは、もう少し報告会らしい企画に変えていくことにした。

「美流渡やその周辺の地区の人たちに参加してもらって、
今後について話し合える場にしてみたい。
さらに別の地域の人たちともつながり、
さまざまな視点でまちづくりについて考えられたら」
そんな想いから、この会を「東部丘陵地域未来会議」と名づけ、
第1部はイギリスの事例の報告、第2部は参加者でグループワークを行うことにした。
ちなみに東部丘陵地域とは、岩見沢の美流渡をはじめ、
朝日、毛陽、万字(まんじ)などの山間部に近い場所のことを指す。
いずれも人口減少の問題を抱える地域だ。

小さな無人島で 腹いっぱいのおもてなし! 〈やつしろ舟出浮き〉って?

47都道府県、各地のビールスポットを訪ねます。
熊本でコロカルが向かったのは、八代市にある小さな無人島。

江戸時代のお殿様も夢中になって遊んだ、舟出浮き

海もある、山もある、おいしいお米を育てる平野もある。
ちょっと大げさかもしれませんが「この土地はどんな食材も揃ってしまう」と
料理人に言わしめるほど、食に恵まれた土地、熊本県。
そんなおいしいものの宝庫、熊本の南西部にある八代市に
無人島でおいしい思いをたっぷり堪能できる海のレジャーがあります。
その名も、〈やつしろ舟出浮き(ふなでうき)〉。

漁船に乗って、八代海の伝統漁法を見学して、
無人島に上陸して海の幸を味わう、という趣向のもの。
その程度の前情報だったので、実際に体験してみると驚きの展開が待ち受けていました。
それは、後からのお楽しみ!
聞けば、好きな飲み物を持参さえすれば、手ぶらで参加できるとのこと。
さっそく、ビールを買い込んで船に乗り込みます。

ふだん漁で使われている船に乗せていただく〈やつしろ舟出浮き〉。海風がとっても心地いい。

海の男、生川啓さんの軽快な操舵(そうだ)さばきで海へ。穏やかな内海の八代海は、豊かな漁場。

今回の案内人は、舟出浮きの組合長である
生川啓(なまかわ さとし)さんと京子さんご夫妻。
やつしろ舟出浮きは、生川さんをはじめとする八代海で漁をしている漁師さんたちが
いまから約30年前に組織化した、いわゆる観光漁業。
漁船に観光客を乗せ、伝統漁を見学してもらうという取り組みで、
すべての船頭さんたちが同じやり方で統一し、商品化されたもの。
八代海で生川さんたちが先輩漁師さんたちから受け継いできたそうです。

そうやって、どんどん時代をさかのぼっていくと、
江戸時代、お殿様が夢中になって遊んでいた〈舟出浮き〉という
遊びにたどりついたといいます。
古い文献などにも舟出浮きの記述が確認され、
八代海に舟を出し、鉾(ほこ)突きや、投網(とあみ)で
お殿様が魚をとって楽しんだことが書かれていました。

江戸時代後期の御用絵師による絵の一部。蛤をとっている女性たちの後方に、小さく舟が。舟出浮きを描いたものと言われています。

まさに、生川さんたちの観光漁業は、お殿様も夢中になった舟出浮きそのもの!
そうやって、現在の〈やつしろ舟出浮き〉というネーミングが誕生したのです。
ちなみに、「出浮き」は、「海のピクニック」という意味があるそうです。

とれるかどうかは、運次第? 八代海の伝統漁法

漁協の港を出て、10分足らずで漁場に到着。
海底に刺し網を設置するカレイ網、
潮流に網を流すエビ流し網、タコツボ、ヒラメ網といった具合に
時期や区域によってとれる魚の種類も、漁法も変わります。
今回見学したのは、6月までが最盛期だったイカ籠漁。
あらかじめ海底にしかけておいた籠を、引きあげていく伝統漁です。

海に浮かぶ赤い旗と、黒い旗のあいだに、イカ籠がしかけられています。

「ここんとこ、不漁だけんねぇ」と言いながら、籠を引きあげていく生川さん。この籠がいくつもしかけられており、籠にはしかけの笹がついています。

この籠には残念ながら何も入っていませんでしたが、生川さんが何やら手に取り見せてくれたのは……。

イカの卵! イカ籠漁は、笹でつくったしかけにイカが卵を産みにやってくる。それを捕獲する、というもの。

こちらは、籠にかかっていたカサゴの赤ちゃん。熊本では「がらかぶ」と呼ばれています(この後、すぐにリリース)。

漁師さんがふだん使っている船で、ふだん通りの漁を見学しながら
漁師さんの話を聞くことができるのが、このやつしろ舟出浮きの魅力。
「イカが入っとらんかったら、ごめんね~。
30年前に始めた頃は、籠をしかけたら大漁。
いろんな魚がとれよったけど、最近はとれる漁が減ったもんな~」
と熊本弁でつぶやきながら、次から次へと籠をあげていく生川さん。

ほかの籠からは立派なイカが次々と!

たまにカニが入っていることも。

イカ籠のしかけのこと、八代海でとれる魚のこと、昔の漁の話など、
いろんなことを教えてくれました。
なかでも、いちばん興味をそそられたのは、
イカ籠の漁は、モテるメスが漁を左右する、ということ。
「よかメスが入っとる籠には、よかオスのイカが入っとる。
イカの好みはわからんけどね」と、生川さん。

「これが、モテモテのメス」! 1匹のメスのイカに、大きな2匹のオスイカ。

1時間ほど、船上で漁を見学。籠があがるたびに、一喜一憂。
見ているだけなのに、あっという間に時間は過ぎます。
この1時間での漁の成果は、イカが10匹超。
不漁といわれた割には、まずまずといったところ。
漁が終わったら、無人島に上陸して海の幸三昧。
もしかして、イカ三昧?

こだわりの強い熊本の人たちとつくった
〈キリン一番搾り 熊本づくり〉

仲間を大事にし、「肥後もっこす」といわれる、頑固でこだわりの強い熊本の人たち。そんな地元の人たちとつくった〈キリン一番搾り 熊本づくり〉とは?

キリン一番搾り 熊本づくりとは? →

農業を始めて4年目、 畑でともに働く仲間をつくる

仲間とともに働くということ

小豆島で農業を初めて4年目。
今年もまた暑さと雑草との戦いの夏の畑作業が始まりつつあります。

4年前、まったくの素人の状態から始めた農業。
いつどの野菜の種をまいたらいいのか、
そもそも畝はどうやってたてるのか、肥料はいつ入れるんだろう。
もう疑問しかない状況(笑)。
悩んで止まっていても始まらないから、まずは手を動かせと言われ、
見よう見まねで取り組み始めました。

そしていま、4年経っても相変わらず疑問だらけ(笑)。
ただ疑問の内容は少し深くなって、この病気はなんだろうとか、
どの養分が足りないんだろうとか。
4年前と比べたらちょっとは農家らしくなりました(自分で書くのもあれですが)。

今年から新しく借りた畑。もともとは田んぼで使われてなかったところ。

ハウスも新たに借りました。トマトを育てています。

そんななかで変わったことのひとつとして、
今年は定期的に島の友人たちに畑作業を手伝いに来てもらっています。
たくちゃん(夫)と私のふたりだけでは作業が追いつかないことが一番の理由ですが、
ふたりだけでやるよりもいろんな人に関わってもらって
ともに働くほうが楽しいだろうと思ったから。
まずは島の友人たちに来てもらっています。

4月上旬、友人たちに手伝いに来てもらって「生姜植え付け祭り」。

畑作業の合間のコーヒータイム。

せっせと生姜を植えていきました。

お昼ごはんはみんな一緒に庭で。

植物の声に寄り添って。 ハーブティーをつくる 〈白銀荘〉翔太さんと山を歩く

荒涼とした笹原をどうやって再生するのか

この春手に入れた山をこれからどのように活用していくのか。
この連載で何度か書いたように、わが山は木がすっかり伐採されており、
そのほとんどが笹原となっている。
ここに植物を植えて、ハーブガーデンのようにつくり変えられたら
ステキなんじゃないだろうか。
そんな思いがあり、北海道の長沼でハーブを育て、
ブレンドしたお茶の販売を行っている友人の柴田翔太さんを山に招き、
意見をうかがうことにした。

翔太さんが来てくれた5月25日は、北海道も気温が高く汗ばむような陽気となった。
わが山は、木がないので日差しがダイレクトに照りつける。
笹原が広がり、とくに伐採した木を運ぶためにつくられた
ブルドーザーの通る道“ブル道”は、土がむき出しになり乾燥が激しい。
しかしそんななかでも、翔太さんは、笹以外に
野バラのような植物があちこちに自生していることを教えてくれた。

柴田翔太さん。ハーブティーのブレンドを行う〈白銀荘〉を主宰。デザイナーや写真家としても活動を行っている。

わが山は木が伐採されているので笹原となっている。

ブル道のまわりは土がカラカラに乾いている。そんななかでも、バラ科の植物が地面を這うように生えていた。

翔太さんが発見してくれたもののひとつに笹の花がある。笹が花をつけることはめったにないようで、一説によるとその周期は50年以上とも言われている。

そして翔太さんは山を歩きながら、石狩の当別町にある
北海道医療大学が所有する山で行われている、ある取り組みについて教えてくれた。
この大学の薬学部では、薬用植物とこの地域の生態系の研究のために、
校舎に隣接する山林を〈北方系生態観察園〉として、
山に自生する植物を守り育てる活動を行っている。

「山野草の生育を助けるために、この大学がやっているのはとてもシンプルな作業です。
刈り払い機を使わずに、手作業で笹を根元から刈るというもの。
土の中にはたくさんの種が眠っています。
笹を刈ると地面に光が当たり、さまざまな植物が芽を出すんですよ」

そう言いながら、翔太さんが笹の根元をかき分けると、
小さな双葉がそこかしこに顔を出している。
いまは日光が遮られているため、芽を出した植物たちは
なかなか大きく成長することが難しいが、笹を刈ることによって
山野草がいっぱい咲く花畑ができるかもしれないと翔太さんは言う。

「一度、医療大学に見学に行きませんか? 
笹を刈ったあとの変化がどんなものか、きっとわかると思いますよ」
山をどうやって再生していけばいいのか、悩んでいた私にとって
願ってもないお誘いだった。
さっそく1週間後に、この大学を訪ねることにした。

翔太さんが笹をかき分けると、さまざまな植物が芽を出しているのを見つけることができた。

ブルドーザーが通った道は、土がえぐれている。荒れた山肌にも花を見つけてくれた翔太さん。

笹の影にならない部分に咲いていたのは黄色い花。荒れ地と思っていたところにも自然の営みがある。

この絶景は、世界三景のひとつ? 大地の循環を知るトレッキングへ

47都道府県、各地のビールスポットを訪ねます。
秋田でコロカルが向かったのは、男鹿半島の観光地、寒風山。

見るものすべて〈なまはげ〉と「絶景」。
息つくヒマもない観光地、男鹿半島。

秋田市から車で日本海に沿うように北上し1時間弱。
男鹿市の入口に辿り着いた僕らをまず出迎えてくれたのは、
全長15メートルという巨大な〈なまはげ〉でした。

男鹿市に入った僕らを歓迎(?)してくれた、国道101号線沿いにある男鹿総合観光案内所のなまはげ立像。ここから先はもうなまはげワンダーランド。

「泣ぐ子はいねが~」と叫びながら家々を回っては
子どもたちに恐怖を与え泣かせてしまうなまはげ行事は、
〈男鹿のなまはげ〉として国の重要無形民俗文化財に指定されています。
山の神の使いとも言われるこの伝説のなまはげに
こののち僕らは何度も何度も「スキあらば」という勢いで遭遇することになります。
道路を走れば〈なまはげライン〉、川を渡れば〈なまはげ大橋〉、
ランチを頼めば〈なまはげラーメン〉、温泉街では〈なまはげ太鼓ライブ〉、
ホテルの朝食には〈なまはげ納豆〉、観光名所は〈なまはげ館〉……。

数多くのなまはげとの出会いを繰返しながら走り回るうち、
東北随一と言っていいほどどーんと日本海に突き出ている
この男鹿半島ならではなのでしょう、海沿いにはすばらしいいくつもの景色が
連続して出現することにも驚かされます。

日本の渚百選にも選ばれているほど見事な〈鵜ノ崎海岸〉。
海に向かって吠えているかのような奇石〈ゴジラ岩〉。
湾や岬はそれぞれにユニークで美しい自然の様相を呈しています。

男鹿の海辺のそんな景色を楽しみながらドライブしていると、
突如「かに」ののぼりが目に入りました。
白い看板には「カニ直売所」の文字。
一瞬で心奪われそうになった僕らは、
「危険すぎる」と、一度は心を鬼にしてスルーしたのですが、
結局すぐにこの場所に引き返し、駆け込むように店のドアを開けました。

出迎えてくれたのは笑顔のすてきなお店の方と
氷の上に美しく並べられた大小さまざまな〈ベニズワイガニ〉。
聞けば、この直売所を開いている〈男鹿水産〉は、
秋田で唯一のベニズワイガニ漁の網元で、
このカニはハタハタや真鯛に並ぶ、男鹿の美味のひとつとなっているそうです。

「出会ってしまったものはしょうがない」と僕らは覚悟を決めて、
お店の方に「これなんか、身の入りがよくておいしいですよ」と勧めていただいた
カニを手に店先の小さなテーブルに腰を下ろしました。
買ったカニをこうしてすぐに食べられるのがなんともうれしい。

思わぬ出会いからベニズワイガニを食することに。辿り着いたばかりの男鹿の道路端で、人目も気にせず夢中になっています。まさに至福。

幸先のいいそんな出会いもありつつ、男鹿の旅はまだまだ始まったばかり。
これからいよいよ、目的の場所へと向かいます。

このまちは〈男鹿半島・大潟ジオパーク〉として認定された、
地球の大地の豊かさを学び楽しむことができる壮大な自然公園でもあります。
民俗的な魅力と、食の魅力と、自然の魅力が豊かに生い茂り尽きることがない。
まるで深い森のようなこのまちの深部へ、
いよいよ僕らは足を踏み入れようとしていました。

日本で唯一の品種でつくる 至福のハム&ソーセージを求めて 鹿屋〈ふくどめ小牧場〉へ

47都道府県、各地のビールスポットを訪ねます。
鹿児島でコロカルが向かったのは、鹿屋の〈ふくどめ小牧場〉。

ドイツで修業したマイスターのつくるハム・ソーセージ

鹿児島県の南東に位置する大隅半島の山奥にある〈ふくどめ小牧場〉。
ここでは、日本ではこの場所でしか飼育されていない
〈純粋サドルバック〉〈幸福豚〉という豚が飼育されており、
その豚を使ったハムとソーセージがつくられています。
つくっているのは、ドイツでその製法を学び、
その地でマイスターという国家資格まで取得した気鋭の職人、福留洋一さん。
その品質の高さは口コミで広がり、いまでは関東、関西からの引き合いも多いそう。

ショーケースに並ぶ多種多彩なハム・ソーセージ。説明書きを読んでいるだけでお腹が鳴ります。

木漏れ日が降り注ぐ山道を進むと〈ふくどめ小牧場〉に到着。このオシャレな看板が目印です。

洋一さんはふくどめ小牧場を立ち上げた福留公明さん夫婦の次男。
幼い頃から両親を手伝い、高校を卒業後、自身も豚の飼育に携わろうと考えていました。

特別に工場見学させてもらいました。機器の説明をしてくれているのが洋一さんです。

「あるとき、父親にそのことを伝えると、
『牧場は兄の俊明に任せるからお前は加工を学べ』と言われました」

ここで言う「加工」とは、この牧場で飼育されている豚たちの肉を使って
商品をつくるということを意味します。
一般的に手塩にかけて育てられた豚たちは、
その後、さばかれ、ロース、ヒレ、バラといったように、
部位ごとに分けられ市場へと流通していくのですが……。

「ほかに比べて需要がほとんどないウデやモモといった部位が余ってしまいます。
二束三文でも取引されればまだいいほうで、場合によっては捨てられてしまいます。
私たち牧場側からすれば愛情を注いだ1頭の豚ですから、
極端に言えば頭のてっぺんから爪先まで、余すところなくきちんと食べてもらいたい」

ハム・ソーセージを製造すれば、そういった部位を
おいしく消費者のもとへ届けられると考えた父・公明さんの言葉を受け、
洋一さんはその製法を学び、加工販売の道へ進むことを心に決めます。

レジの前にはかわいい2匹のマスコット豚が。

洋一さんは高校を卒業後、群馬県にある食肉の学校で加工について学びました。
その後は語学留学のため、単身イギリスへ。
世界を知り、つながりを持ってほしいという両親の考えから、
福留家では洋一さんを含む兄妹全員が海外へ留学しているそうです。

イギリスで過ごすなか、洋一さんは休日を利用して
ハム・ソーセージづくりの修業先を見つけるべく出かけたドイツの地で、
衝撃的な光景に出会います。
それが「オーガニック村」という通り名で呼ばれている〈ヘルマンスドルファ〉でした。

「実は、その村は有機農場を経営する
〈ヘルスマンドルフ〉という会社がつくったんです。
生きていくうえで必要な食べ物を村の中ですべて生産、栽培し、
自給自足が成り立っています。野菜は完全に有機栽培。
この村には肉屋、チーズの店、ビール工房、パン屋といったように、
さまざまなお店が集まっています。
さらに保育園もあれば、村内にはアートも点在していて、暮らしそのものがとても豊か。
私が考える理想のかたちが目の前に広がっていて、とにかく驚きの連続でした。
いまでもはっきりとその様子を覚えています」

この場所でハム・ソーセージづくりを学びたい。
そう考えた洋一さんは、ドイツ語も話せない身ながら、何度も断られ、
それでも諦めずにアプローチし、ようやくこの地で修業を積む許可を得たそうです。

ドイツで学んだ製法をもとに、昔ながらのやり方を、最新の機器も随所にとり入れながら、ハム・ソーセージをつくっています。

燻製の工程は桜のチップに火をつけるというオールドスタイル。

見るからにジューシーそうなソーセージたち。

本場仕込みのハム・ソーセージづくりを習いつつ、
ドイツの国家資格でもあるマイスターの資格を取得するため、
実に7年の月日を過ごしました。

これがマイスターの証。店頭に飾ってありました。

小豆島から徳島へ! ゼロ・ウェイストをめざす上勝町と IT企業が集まる神山町

「ゼロ・ウェイスト」をめざすまちのブルワリー

突然ですが小豆島って何県かご存知ですか。
瀬戸内に浮かぶひとつひとつの島が、岡山県、広島県などの本州側に属するのか、
香川県や愛媛県などの四国側に属するのか、いまだにほとんど知らない気がします。
で、小豆島はといういうと香川県でした。

地図で見ると小豆島は香川県の北東のほうにあります。
県庁所在地の高松市には、小豆島内の4か所の港から船で行くことができ、
高速艇なら30分で行き来できます。
そんな感じなので、小豆島で暮らすようになってからは四国が本当に身近になりました。
香川だけじゃなくて、徳島、高知、愛媛もぐっと近い存在に。
こっちに来る前(名古屋在住時)は、高知なんてどんだけ遠い〜って思ってましたが、
いまでは船と車で2時間もあれば行けます。

先日、ふらっと徳島を訪れることに。
たまたま時間ができたのと、見てみたいなと思っていた建築があったので。
「あさって徳島行こか!」
そんなのりで、徳島行き決定。

目的地は徳島の上勝(かみかつ)町にある
RISE & WIN Brewing Co. BBQ & General Store〉。
上勝町は「ゼロ・ウェイスト宣言」をしていて、
ゴミをゼロに近づける活動を町全体でしています。
RISE & WIN Brewing Co. BBQ & General Storeは、
そのゼロ・ウェイストを楽しく理解してもらうための施設だそうで、
クラフトビールを製造されています。

それまでは廃棄されていた、上勝特産の柑橘である柚香(ゆこう)の
果汁を絞ったあとの皮を、香りづけに使用したり、
クラフトビールをつくる過程でできた麦芽粕をお菓子やグラノーラなどに再利用したり。
建物自体も、使われなくなった建具や棚などが生かされています。

何枚もの建具を組み合わせた大きな窓が印象的。

町内の製材所で出てくる端材をもらい受け、外壁に利用したそうです。

上勝特産の柚香を利用したフルーティーなクラフトビールをいただきました。

ゴミステーションにあった建具、家具などを利用したディスプレイ。

空きビンを丁寧に加工してできたシャンデリア。

まちの活動自体を物理的に体感できる場所っていいなぁと。
それが難しいものじゃなくて、かっこよくて楽しいものであること。
きれいな景色を見たり、おいしいごはんを食べたりするのももちろんいいのですが、
旅を楽しみながら、その土地の活動に触れたり、
その土地の人と話したりできると、自分にとってぐっと身近な場所になる。

セレクトショップから骨董屋まで。 京都で探すすてきなビールグラス

47都道府県、各地のビールスポットを訪ねます。
京都でコロカルが向かったのは、うつわを扱う店々。

うつわの達人と一緒にまち歩き

ビールをおいしく飲むために欠かせない存在がグラス。
個性あるショップが点在する京都は、うつわ探しにぴったりのまちです。
案内役をお願いしたのは『京都うつわさんぽ』の著者・沢田眉香子さん。
京都の若手作家の紹介から、うつわの基礎知識、
作家ものから骨董、民藝までを扱うショップ案内など、
京都案内としても、うつわ入門としても楽しめる一冊は、
沢田さんの熱い思いが詰まった内容。
心強いナビゲーターが一緒で、期待も膨らみます。

〈Kit〉には和歌山・龍神村で作陶する中本純也さんのうつわも充実。

まず訪ねたのは京都御苑のすぐ東にある〈Kit〉。
作家ものから、国内外を問わないヴィンテージ、洋服、焼き菓子まで、
店主の椹木知佳子さんがセレクトする生活雑貨店です。

沢田さんもうつわを手に「ついつい欲しくなります」。

「手頃感がありつつ、ほかにないものが揃います。
家で使っても邪魔しなくて、控えめというか。
浮いてしまったり、失敗したということがないんですよ」と沢田さん。

ヴィンテージとの出合いは一期一会。

愛媛の陶芸家・石田誠さんの白磁カップ。

フランスやハンガリー、日本の古いグラスにも惹かれつつ、
買うことに決めたのは、ぽってりした〈吹き屋〉のグラス。

グラスのほかプレートもすてき。

ぴたっと手に収まる感じが、いかにもビールをおいしくしてくれそう。
京丹波の〈晴耕社ガラス工房〉のスタッフによるブランドのため、
ひとつ千円台と手頃な値段も魅力です。

さまざまな形が揃う〈吹き屋〉のグラス。

ビルの1階には〈昂KYOTO〉がうつわをセレクトした〈ZEN CAFE〉も。

ビールに合うおつまみ野菜 パドロンとは? 生産者〈遠野アサヒ農園〉へ

47都道府県、各地のビールスポットを訪ねます。
岩手でコロカルが向かったのは、さまざまな野菜をつくっている〈遠野アサヒ農園〉。

スペインではビールのおつまみの定番、パドロンを遠野で!

岩手県遠野市はビールの原料であるホップの産地です。
全国に届けられるビールのなかには、遠野でつくられたホップが
原料となっている場合も多いかもしれません。
そんなホップ畑に囲まれた遠野で、
ビールのおつまみにぴったりの野菜を生産している農家があります。

〈遠野アサヒ農園〉の吉田敦史さんが栽培に取り組んでいるのは、パドロンという野菜。
ししとうのような、ピーマンのようなルックス。
あまり馴染みがないかもしれませんが、どうやらスペインでは
ビールのおつまみの定番だそうです。日本でいえば、枝豆的ポジション。

遠野アサヒ農園の吉田敦史さん。昨年から始めたホップ畑にて。

吉田さんは横浜出身。もともと東京の広告代理店で働いていました。
おもにお菓子メーカーなどの営業を担当していたといいます。

「広告代理店の営業職は幅は広いんですが、これといってコピーを書くわけでもなく、
デザインをするわけでもない。制作チームに指示は出しても、自分ではできない。
だから将来的には、何か手に職を持ちたいという思いは持っていました」

そんなときに出会ったのが農業。
遠野出身の奥様・美保子さんの実家に一緒に帰省したとき、
ピーマンの収穫を手伝ったことがきっかけとなり、農業への思いを募らせていきました。
そして10年以上勤めた会社を退社し、2008年に遠野へ移住。
無事、新規就農し、〈遠野アサヒ農園〉を始めることになりました。

「最初は右も左もわからないので、農協が取り扱っている野菜を中心に育てました。
それで数年やっていたのですが、自分の野菜がどこで売られていて、
どういう評価になっているのか、知りたいと思い始めたんです。
東京の大田市場にも卸されています。だから東京の友だちに
“どこで売っているのか?”と聞かれるんですが、私たちにはわからないんです」

そうして自分で直接野菜を販売しようと考えていきました。
しかしその場合、特色がある野菜でないとなかなか売れません。
いろいろな野菜を調べているうちに、
スペインバルを経営している先輩が教えてくれたのがパドロンでした。

「よくよく調べてみると、スペインではビールのおつまみの定番でした。
日本ではすごくニッチな野菜かもしれませんが、
日本でビールのおつまみ野菜といえば枝豆くらいしか思い浮かばないので、
もうひとつくらい選択肢に入る余地があればいいなと。
おそらく売り先を探すのは難しいだろうけど、コツコツやってみようと思いました」

パドロンの素揚げ。

遠野がピーマンの産地であったことも、これ幸い。
パドロンはピーマンと同じナス科。実も似ているし、苗もそっくりだそうです。
だから「まぁ、いけるんじゃないか」と。

もちろん難しかった面もありました。
原産地であるスペインのパドロン地方は、遠野と比べても涼しく、
年間の最高気温が20度台後半。日本の熱帯夜などの暑さは、樹にストレスがかかり、
カプサイシンという成分が働いて、辛味が出てしまうのです。
そもそもパドロンは、10個に1個くらいは辛味のある野菜で、
それが良さでもありますが、その割合が増えてしまうこともありました。

盆地である遠野は、思ったよりも暑い。手前の畑にはこれからパドロンが植えられます。

パドロンの苗。

伊豆近海の恵みを丸ごと! 〈ひもの万宝〉で炉端焼き体験

47都道府県、各地のビールスポットを訪ねます。
静岡でコロカルが向かったのは、下田〈ひもの万宝〉。

お目当ては、最旬期を迎えた下田の金目鯛!

踊り子号の左側の座席を陣取り、やってきたのは伊豆半島の港町、下田。
なぜならば、伊豆大島あたりの海からやってくる金目鯛が最盛期を迎えているから。
金目鯛といえば、関東を代表する高級魚。
それを日本最大の水揚げ地で食べないでなんとする!
それも、全国の干物好きが足を運ぶという下田のひもの屋、〈ひもの万宝〉では
その場で選んだものを焼いて、食べることができるということを耳にし、
さっそく、電話をかけて問い合わせてみました。

「うちは、干物以外はなにもないから、飲み物やおにぎりは持参してくださいね」
買った干物を目の前の炭火で焼いてもらう料金は一律200円。
それ以外は一切チャージがつかないというのです。

下田駅から車で15分。〈ひもの万宝〉は、外浦海岸のすぐそば。まるで海の男たちが仕事終わりに一杯ひっかけに来そうな外観ですが、飲み屋ではなく純粋なひもの屋です。

お店に着き、まず目に飛び込んでくるのは、
木のテーブルの上に置かれた炉端焼きのコンロ。
そして、冷蔵ケースに入った干物たち。

お目当ての地魚、金目鯛の開きのつややかに美しいこと。
サンマ、アジ、真イカ、カマスなどなど心ときめく干物のオンパレード!
「あ~2週間前なら、伊勢海老の干物があったんだけどなあ」
ご主人の平井恭一さんは残念な顔をしましたが
いえいえ、いまが最盛期の金目鯛がありますから、問題はありません。
ぜひ、地金目鯛の開きをお願いします!

もともとは魚屋だったため、万宝は直接、競りに参加できる買参権を持っています。「自分の目で一番おいしそうな魚を選んでくるからね、うちのは刺身で出しても遜色ないきれいな魚ばかりだよ」。この日は高級魚ノドグロの一夜干しも!

恭一さんは、伊豆半島の内陸の出身で、
幼い頃から毎日のように干物を食べていたそうです。
海と魚が大好きで「魚屋になりたい!」と海の近くに引っ越し、
昭和49年7月に魚と干物を販売する万宝商店をオープンしました。

「鮮魚を扱っていて、舟盛りを近くの宿に届けていたんだよ。
でも、干物のほうが売れるようになっちゃってさ」
そんな経緯もあり、平成8年からは干物専門店になりました。
恭一さんのつくる干物は、減塩干物として知られ、
全国各地からお客さんが万宝の干物の味を目指してやってきます。
店先で試食のために焼いていたのが人気となり、
炭火焼きでまるごと食べてもらういまのかたちになりました。

「凝り性だから、いつも味の研究をしていますよ」
と奥様の国子さんが隣から、ひとこと。
ふたりでつくりあげた独特の干物の味は、いかに?

今も昔もド派手でデコラティブ! 大阪の知られざる名建築を巡る

47都道府県、各地のビールスポットを訪ねます。
大阪でコロカルが向かったのは、大阪のまちを代表する名建築です。

まずは、大阪を象徴するあのシンボルへ

食いだおれのまち大阪には、串カツやお好み焼きといった
ローカルグルメがまち中に溢れています。
しかし、今回ビールの相棒となるのはグルメではなく、建築。
実は、大阪には心躍る名建築がたくさんあるのです。

この日、名建築を一緒に回ったのは、大阪のバンド〈neco眠る〉の森雄大さんと
大阪発のカルチャーマガジン『IN/SECTS』の編集者である中村悠介さん。
おふたりとは、通天閣で待ち合わせ。

〈neco眠る〉のギタリスト森雄大さん(左)と『IN/SECTS』の編集者、中村悠介さん。

通天閣があるエリアは通称・新世界と呼ばれる下町。
近年は観光名所として、お店がどんどん増えています。
通天閣へと続くメインストリートの両側には、串カツ屋台やふぐ料理店、
純喫茶が建ち並び、ド派手な看板たちが「ウチが一番やで~」とアピール。
久しぶりに訪れたふたりは、バージョンアップするまち並みに
大阪人の商魂のたくましさを実感したようです。

現在の通天閣は2代目。先代は1943年の火災で解体され、1955年に2代目が完成。

通天閣を設計したのは、東京タワーと同じ建築家の内藤多仲氏。
どこか凱旋門の上にエッフェル塔を足したようなユニークなデザインですよね?

塔の高さは100メートル。
東京スカイツリーなどほかの高層タワーと比べると、通天閣は少し低め。
そのぶん、展望台からの眺めは格別。
大阪のまち並みがグッと近くに感じられます。

「展望台にのぼったことはないけど、近くのライブハウスでバイトしてたときは、
毎日、通天閣の上の天気予報サインを見てました」と森さん。

実は、通天閣の塔頂部には丸いネオンが設置されていて、夜になると発光。
そのネオンの色で明日の天気がわかるようになっているのです。
気象台と通天閣が専用回路で結ばれているとのこと!
昭和風情漂うフォルムのなかに、意外なハイテク技術が隠されていました。

通天閣のふもとにある〈新世界市場〉は、アジア情緒たっぷり。
電通関西支社の若手クリエイターらによる
〈商店街ポスター〉プロジェクトでつくられた、商店街のポスターが飾られています。

さて、大阪のシンボルにご挨拶したところで、
大阪ならではのオンリーワン建築へと向かいましょう。

プロロングボーダー夫婦と 過ごすゆっくり時間。 お弁当もおいしい サーフショップ〈YR〉

47都道府県、各地のビールスポットを訪ねます。
千葉でコロカルが向かったのは、サーフショップが建ち並ぶ太東エリア。

YとR、ふたりの空気感が凝縮されたサーフショップ

かつてよりサーフィン、特にロングボードのメッカである千葉の太東エリア。
数軒のサーフショップが建ち並ぶなか、
オープンして1年あまりの新しいショップ〈YR〉があります。
ともにプロサーファーである瀬筒雄太さんと良子さん夫婦によって開店しました。
サーフグッズの販売、サーフィンスクール、カフェスタンドなどを展開しています。
この場所では、かつて良子さんが〈SUPER PRETTY COZY SHOP R〉という
サーフショップを営んでいましたが、結婚を機に
ふたりのショップ〈YR〉としてリニューアルしました。

このYRフラッグが目印!

おちゃめなふたりです。

良子さんは東京生まれ。両親が太東や東京でサーフショップを経営していました。
その後、移転・閉店などを経て、現在の場所にショップをオープン。
何もわからない状態の良子さんに託されたといいます。

「子どもの頃から毎週末のようにサーフィンをしに太東には来ていました。
そして高校卒業後、こちらに引っ越してきました」(良子さん)

一方、雄太さんは、福岡出身。中学卒業後に単身で太東に移住し、その後、鎌倉へ。
良子さんとの結婚を機に、再び太東に戻ってきました。

「あまり都会に住むのが得意ではないので、僕の地元の福岡か、
当時住んでいた鎌倉か、千葉の太東か、という選択肢がありましたが、
太東が一番のんびりできそうだったし、
ここにはすでにベースがあったというのは大きいですね」と言う雄太さん。

そうしてふたりの思いが詰まった〈YR〉を昨年オープンさせます。

「何を売るにしても、どんなサービスを提供するにしても、根本にあるのは
“楽しんでもらいたい”ということ。それが大きなテーマですね」(良子さん)

ロングボードを取り扱っています。

雄太さんのサーフィンスクールもあります。
プロサーファーとして10代の頃から活躍していた雄太さん。
プロである以上は、メーカーからスポンサードを受け、
営業やプロモーションに協力するなど、広告塔としての役割があります。
そして憧れられる存在であることも求められます。
しかしそういった役割を自分が担うことに対して、少し疑問を感じ始めていました。

「いろいろな場所に行きますけど、実際にサーファーたちと接して、
コミュニケーションをとって一緒にサーフィンを楽しむ、という機会が
すごく少ないと感じていたんです。相手もこちらを“プロ”として一線を引いて見てくる。
でも、もっと実際に会って、話して、伝えていきたい。
僕は何かつまらなかったんですよね。だから実際にお店に立ち、
スクールもやりたいと思ったんです」(雄太さん)

ボードを後ろからスッと押してくれて……

立てたらこのポーズ!

スクールは午前と午後の2回。まったくの初心者も教えていますが、
雄太さんが力を入れているのは、サーフボードもウェットスーツも持っていて、
ビギナーの段階から伸び悩んでいる人です。

「僕はロングボードを教えていますが、その窓口が思ったよりも少なく、
基礎から丁寧に教えているところはあまりないんです。
ギアを揃えたはいいけど、その先どうしていいかわからないで
宙ぶらりんなサーファーが多いと思いました。
あとロングボードは、波に乗りやすいので、ほかのサーファーから
“波に乗り過ぎだよ”と非難されることも多いんです。
でもそれはすごくもったいない話。ちょっとポイントをつかむだけで、共存できます。
そういう人たちを対象に教えたい。技術的なことだけでなく、
もっとサーフィンを楽しめる内容を提案していきたいんです」(雄太さん)

サーフィン中は、波の取り合いがよく発生します。
初心者は余裕がないので、周りへの配慮を欠き、わざとではなくても、
ほかのサーファーの邪魔をしてしまうことがよくあります。
それが怖くてやめてしまう人も多く、サーフィンの楽しさを
失ってしまうのがもったいないというのです。

YRオリジナルのTシャツ。

YRオリジナルのボードショーツ。

〈十和田バラ焼き〉で バラ色の人生を! まちも人も元気にするソウルフード

47都道府県、各地のビールスポットを訪ねます。
青森でコロカルが向かったのは、馬と現代アートとご当地グルメにわく十和田市。

馬と現代アートのまち、十和田市

生産量日本一を誇るニンニク、生でも食べられるほど身がやわらかいごぼう、
そして長いもに長ねぎと、野菜の産地として知られる青森県十和田市。
でも十和田の魅力は野菜だけではないのです。

この地では江戸時代末期から大規模な開拓が行われた後、
明治時代に入ると馬産が盛んに。
軍馬として高値で買い上げられる良馬を輩出する、
全国屈指の馬産地へと発展していきました。
そんな十和田の歴史を感じられるのが市内にある〈官庁街通り〉。
156本ものヨシノザクラが植えられたこの通りは桜の名所としても有名ですが、
別名である〈駒街道〉の名のとおり、まちの発展に貢献した馬がモチーフの
彫刻作品やモニュメントが、あちこちに設置されています。

まっすぐ続く〈官庁街通り〉。かつて陸軍の軍馬補充部があり、その当時の主幹道路の跡で、その面影を残したまま昭和44年に都市計画街路として整備されました。

官庁街通りに設置された馬の彫刻。後ろにあるのは安藤忠雄が設計した市民図書館。

ポストの上にも馬の彫刻が。歩道に蹄鉄が埋められていたり、マンホールにも馬の絵があったりと官庁街通りは馬づくし。

この官庁街通りで馬に負けないくらいに通りのあちこちで存在感を放っているのが、
数々の現代アート作品。実はこれ、2002年にスタートした
まちづくりプロジェクト〈アーツ・トワダ〉の一環。
官庁街通りには「都市とアートの共生」をテーマに、アーティストがオリジナルで
制作した作品が展示されている〈十和田市現代美術館〉があります。
美術館だけで完結させず、官庁街通りそのものをひとつの美術館に見立て、
まちづくりをしようとプロジェクトが展開されているのでした。

いきなり現れる、カラフルな草間彌生の作品『愛はとこしえ十和田でうたう』。

〈アーツ・トワダ〉の中心施設となる〈十和田市現代美術館〉。韓国の作家チェ・ジョンファの馬にちなんだ作品『フラワー・ホース』がお出迎え。

郡上おどりに魅せられ下駄職人に。 〈郡上木履〉が生み出す、 地産地消のイノベーション

47都道府県、各地のビールスポットを訪ねます。
岐阜でコロカルが向かったのは、〈郡上おどり〉で知られる郡上市。

郡上おどりの必需品・踊り下駄を求めて

日本三大盆踊りのひとつに数えられる〈郡上おどり〉。
毎年、夏のシーズン中は、日本全国はたまた世界各国から
この踊りに魅せられた観光客らがどっと押し寄せ、
郡上のまち並みは、祭囃子と人々の熱気で満ち溢れます。

写真提供:郡上木履

この郡上おどりに欠かせないアイテムのひとつに、踊り下駄があります。
踊り下駄は、地面を蹴る動作の際に出る、「カッ!」というキレのいい音が肝心。
踊りの常連客たち=〈踊り助平〉は、
より良い音が鳴る、踊り下駄を求めるのだそうです。

写真提供:郡上木履

もともと商店が建ち並ぶ、商人のまちでもあった郡上の商店街に、
昨年の夏、新たな下駄店がオープンしました。
その名も〈郡上木履(ぐじょうもくり)〉です。

市場で開催されるお寿司バトル!? 関門海峡〈唐戸市場〉は 海の幸のテーマパーク

47都道府県、各地のビールスポットを訪ねます。
山口でコロカルが向かったのは、海の幸のテーマパークのような〈唐戸市場〉。

寿司に揚げ物に汁物まで! ここはまさにエンタメ市場!?

山口県下関市、九州と本土とを隔てる〈関門海峡〉をのぞむベイエリアにある
魚市場/総合食料品センター〈唐戸市場(からといちば)〉。
大小さまざまな船が悠々と往来し、岸から見る港町の風景は実にのどかなところです。

これが唐戸市場の外観。屋上には芝生広場もあります。

実はこの市場、普通の魚市場ではありません。
筆者の地元の福岡で「唐戸市場に行ってきた」と言うと、
みんなから「うわー、いいね!」「うらやましい!」
というリアクションが返ってくるところ。
そう、〈唐戸市場〉は、ちょっと特別な市場なんです。

誰もがうらやむ〈唐戸市場〉の魅力に触れたいなら、
金曜・土曜・日曜、祝日に行われるイベント
〈活きいき馬関街(ばかんがい)〉に訪れるのがオススメ。

〈活きいき馬関街〉は、毎週末・祝日に繰り広げられている“寿司バトル”。
お魚屋さんがそのまま“海鮮屋台”となって、握りたての寿司、できたての海鮮丼、
揚げたてのフライなどを販売しているんです。
右を見ても左を見ても、新鮮な海の幸のグルメ屋台がずらりと並ぶグルメ天国。
それではさっそく市場を探検してみましょう。

のぼりが立ち、メニューが張り出され、とっても賑やかな雰囲気。

ついつい大安売りの文字に目がいってしまいますね。

色とりどりの寿司が並んでいます。

海鮮屋台にはそれぞれに特徴があり、売っているものもさまざま。
初心者は人混みと市場の活気に戸惑ってしまうので、
まずは屋台をぐるりと巡ってお店の特徴を把握しましょう。
「寿司自慢」「海鮮丼専門」「マグロに自信あり」「揚げ物のレパートリーが多彩」
といった具合に、屋台ごとの個性が徐々にわかってきます。

ウニとイクラが贅沢な味わいのハーモニーを舌にもたらします。

炙りめんたいといった変わりネタも。

海鮮丼も800円でこのボリューム感! ほかにも500円台から販売している店もありました。

屋台を見て回ると、値段の安さに驚くはず。多くの屋台で1貫100~300円ほど。
下関の特産・フグ(地元・下関では「ふく」と言います)だって100円。
高級魚として知られるノドグロや、ウニ&イクラの強力コンビネーションの
軍艦巻きだって300円。感涙モノです。

こちらはぜひとも食べておきたい下関名物「ふく」の寿司。ほぼすべての店で1貫100円で提供されていました。

見た目にも美しい手の込んだ寿司。