名古屋在住アーティスト 山城大督が見たトリエンナーレ あいちトリエンナーレ通信 vol.8

3年に1度開催され、先日閉幕した国際芸術祭〈あいちトリエンナーレ2016〉。
3度目となる今回は、名古屋市、岡崎市、豊橋市で開催されました。
参加アーティストや広報チームが、その作品や地域の魅力を紹介していくリレー連載です。

はじめに

コロカル読者の皆様〜、はじめまして! 
やっと連載リレーのバトンが、ぼくに回ってきました。
光栄です! うれしいです!(無駄にハイテンション)
映像メディアを使った美術作品制作、文化芸術関連における映像制作を
稼業として活動しています、アーティストの山城大督です。
アーティスト・コレクティブ〈Nadegata Instant Party〉
(中崎透+山城大督+野田智子、以下NIP)のメンバーでもあります。

大阪生まれの33歳。これまでに住んだことのある土地は
大阪、岐阜、山口、東京。滞在制作での短期滞在(1か月〜3か月)だと、
広島、青森、水戸、袋井、六甲、新潟、小倉、札幌、三宅島、大分、豊島など! 
いまは愛知県名古屋市に妻(野田智子、NIPメンバー)と息子(3歳)と
3人で愉快に住んでいます(今月には第二子の娘も誕生予定〜)。

息子(山城丗界、当時1歳)と。

Nadegata Instant Party(中崎透+山城大督+野田智子)

名古屋在住歴は3年。そう、僕たち家族はNIPが作家として参加した
〈あいちトリエンナーレ 2013〉をキッカケに名古屋に引っ越してきました。
息子が生まれるタイミングと、震災後のテンションが相まって、
「ま、東京じゃなくてよくね?」と、
妻の実家の岐阜にも近い名古屋を選んでみたのでした。
友人である美術家の下道基行くんや、青田真也くん、
アートコーディネーターの吉田有里ちゃんが、名古屋にいたことも後押しになりました。

Nadegata Instant Party(中崎透+山城大督+野田智子)『STUDIO TUBE』(2013年、あいちトリエンナーレ 2013)。電力施設跡地を架空の特撮スタジオに見立て、オープンスタジオ&上映展示を実施するという設定の作品。

家の近所の神社で1と6のつく日に開催されている青空市。名古屋はこういう「市」がたくさんある。

息子が生まれ、あいちトリエンナーレ 2013が閉幕し、
必死のパッチで邁進してると気がつけば3年が経っていました(笑)。
なんとなく自由で、外の空気をトロッと受け入れてくれる
居心地のいい名古屋の雰囲気が気に入り、いまとなっては
「味噌煮込みうどん」にも慣れました。むしろ! 好きです。
定期的に食べないとダメな感じにさえなりました(八丁味噌は中毒性がある)。

前置きが長くなりましたが、そんなぼくの視点で、第3回目を迎え、
10月23日に閉幕した国際芸術祭〈あいちトリエンナーレ 2016〉を
レポートしたいと思います。それでは、どうぞ、よろしくお願いします〜!

あいちトリエンナーレ 2016記者発表。テーマカラーとシンボルの発表(2014年10月29日)。

「キャラヴァンサライ」に出会う旅

あいちトリエンナーレ 2016、ぼくは少し特殊なかたちで関わってきました。
前回のトリエンナーレでは出品作家として「通常」の参加をしましたが、
今回はいくつかの「特殊」な立場として参加しました。
具体的に申しますと、まずは映像ディレクターとして
『あいちトリエンナーレ 2016 コンセプト・ムービー』の制作に関わりました。

これは、港千尋さん(あいちトリエンナーレ 2016芸術監督)と
永原康史さん(あいちトリエンナーレ 2016公式デザイナー)、
拝戸雅彦さん(あいちトリエンナーレ 2016チーフ・キューレーター)からの発案で、
芸術祭のテーマとして掲げられた「虹のキャラヴァンサライ 創造する人間の旅」を
映像化できないかという相談でした。

開幕する2年前(2014年11月)で、まだ参加作家も
キュレーターも決まっていない超初期段階でした。
港さんによる「これからつくりあげる芸術祭」への
イメージ&コンセプトテキストが提示されていたタイミングで、
まだ具体的には存在しない「イメージ」を「映像」に変換して伝えるという要望は、
ぼくにとっても困難なリクエストでした。

港さんと初めての打ち合わせ後に行った大須の居酒屋には、鳥山明のサインが! ドラゴンボール世代としてはたまりません。このプロジェクトは絶対に成功するなと「ピーン」と来ました(笑)。

実は、「キャラヴァンサライ」という言葉も
意味も知らないような状態からのスタートだったこともあり、
港さん、永原さん、拝戸さんとの度重なる対話からスタートしました。
そのなかで現れてきたキーワード、「人間」「創造」「旅」「家」「群衆」「個」
「集合」「視点」「土地」「伝統」「自然」「産業」「テクノロジー」をもとに、
愛知県の隅々、はたまた、トルコ・イスタンブールへとカメラとともに旅し、
リサーチし、映像を撮影し、構成することになったのでした。

トルコ・リサーチでの、ある一夜。(2014年12月28日)。

このプロセスのなかで、「虹のキャラヴァンサライ」のイメージは
強く体に染み込んでいったように思います。

雪の正月、愛知県の奥三河に位置する東栄町の「花祭」リサーチへ(2015年1月2日)。

老若男女が一晩中、次々と舞を踊る。深夜には鬼も登場。

祭りのあと。「てほーへ、てほーへ」の軽快なリズムがしばらく耳に残った。

いま思うとイメージを「映像化」する行為から入っていったことは、
港さんらしい選択だったんだなと感じています。
「虹」のように、誰もが見えるんだけど手にとって掴むことはできない。
人々の営みのなかで生まれ積み重ねた「創造」をめぐる旅。
その途中に立ち寄る、祭でもあり仮設の家でもある「キャラヴァンサライ」。
手前味噌なんだけど、これをうまく「映像化」することに成功しました。
ぜひ、見てください。VTRスタート!

『あいちトリエンナーレ 2016 コンセプト・ムービー』音楽:蓮沼執太

あの映画の聖地から 漬物ステーキまで! 飛騨市の注目スポット

飛騨市で注目の文化やスポット

飛騨エリアとは、高山市、飛騨市、下呂市、白川村の4市村のこと。
しかしそれらは広く、全体としての特徴がありながらも、
それぞれには深い文化が醸成され、おもしろいスポットも誕生している。

そのなかから今回は飛騨市で注目すべき場所を紹介。
最近では映画『君の名は。』の聖地巡りを楽しんでいる人も多いが、
通常の観光エリアから一歩踏み込んだ飛騨を感じてもらえるだろう。

飛騨の森の香り漂う〈calm’s cafe〉

飛騨がある岐阜県は、全国有数の森林県。特に飛騨は木工のまちである。
そんな木工技術やクラフトマンシップを、
手軽に、そして間近に感じられるカフェがある。
古川のまち中から少し離れたところにある〈calm’s cafe〉だ。

オーナーの堅田恒季さんは、木工職人でもある。
それだけに店内はクラフト感にあふれている。
「カフェをやりたいというより、カフェの空間をつくってみたかったんです。
だからトータルコンセプトがあるわけでもなく、
その時々の“こうしたい”が集まっています。
窓も、たまたま持っている窓があって、それに合わせた間仕切りと形だったりします」

カフェでありながら、堅田さんがつくった商品のショールームにもなっているのだ。
カフェの奥は工房になっているので、木の香りも漂ってくる。
クラフト好きにはたまらない空間だ。ワークショップを開催していることもあるので、
飛騨の木工を肌で感じたい人は参加してみては?

そもそも堅田さん自身、ものづくりせずにはいられない人。
お店に遊びに行くたびに、何かが変わっているのだ。それを楽しむのもあり。

information

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calm’s café 

住所:岐阜県飛騨市古川町栄1-1-54

TEL:0577-73-7703

http://www.rakuten.co.jp/calms-hida/

「大人の時間」も魅力的な〈飛騨市図書館〉

いまや映画『君の名は。』の聖地巡礼地として人気の飛騨市図書館。
そのなかで地元で20~30代の利用者が少ないということから始まった
「大人の時間」が話題だ。このイベントをメインですすめているのが司書の堀 夏美さん。
「本にあまり興味がない人にも図書館を使ってほしい。
読むだけでなく、調べものもできるし、
いざというときに図書館があるということを知ってほしい。
一度行ってみたいと思わせるフックをいろいろなジャンルでつくっています」

これまで、大型本を並べてギャラリー風にしたり、大人向け絵本の朗読会をしたり。
ジャズライヴや蓄音機を使った試聴会も行われた。
最近注目を集めたのが、なんと官能小説朗読ライヴだ。堀さんたち自身が朗読した。

これからは、ただ目立つだけでなく、
より地元の人たちと一緒につくりあげていきたいという。
飛騨で薬草を普及しようとしているグループと一緒に、
マイ薬草茶をつくる催しも「魔女の集い」として開催された。

「人が集まったときに生まれる会話を大事にするのも、
情報拠点としてやるべきことのひとつだと思います。
ローカルだと特に、人との会話のなかで知る情報が大事なんです」
飛騨市図書館のイベントをきっかけに、飛騨古川を訪れてみてもいいかもしれない。
飛騨のことをより知ることができる場所で、いっそう飛騨に詳しくなれそうだ。

information

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飛騨市図書館

住所:岐阜県飛騨市古川町本町2-22

TEL:0577-73-5600

営業時間:火曜日~土曜日・祝日 9:00~20:00、日曜日 9:00~17:00

http://hida-lib.jp/

飛騨で独特の発展を遂げた漬け物文化

飛騨エリアは、漬け物が盛ん。冬の保存食として発達してきた。
古川のまちで漬け物名人として知られる加藤敏子さん。
販売などはまったくしていないのに、昨年は330キロの漬け物を漬けたという。
「生まれも育ちも古川です。子どものころから実家でも親から漬け物は習いました。
ここに嫁いで、こちらのお母さんからも習いました。
昔からある定番は、白菜と赤かぶらを使った“切り漬け”。基本的には塩のみで漬けます」

この切り漬けは、いつもはそのまま食べるが、
「漬け物ステーキ」になったり、「煮たくもじ」になったりもする。
「切り漬けも時間が経つと酸っぱくなってしまいます。その直前に冷凍しておきます。
解凍して、2回茹で、水分を絞った後、ごま油で炒めて煮たものが煮たくもじです」

いまでも漬け物を漬ける家庭が多いという古川。
敏子さんの最新版は、きゅうりのきゅーちゃん漬け、
きゅうりのからし漬け、大根の柚子漬けなど。
最近では少なくなってきたというが、それでも漬け物の味は各家庭に伝わっている。
せっかく飛騨に来たならば、漬け物を食べないという手はない。

飛騨の味が堪能できる〈香梅〉で漬け物ステーキを

漬け物は飛騨エリアの名物だが、飲食店でよく提供されているのが漬け物ステーキだ。
漬け物をステーキに? と思うかもしれない。実際にその通りなのである。
鉄板や陶板などで漬け物を焼き、ステーキのように供される。
もともとは古くなってしまった漬け物の再利用として考えられたというが、
定番メニューのひとつとなったいまでは、漬け物ステーキ用に
わざわざ塩を強めに漬けて、保存をしていたりもする。

「味付けは飲食店や家庭によってさまざまです。
うちは卵を落として醤油をかけてもらいます」と言うのは、
古川で50年お店を構える居酒屋〈香梅〉さん。
卵でとじるところが多いなか、こちらは生卵を落とす。
好みの半熟加減にしてトローリおいしい。

飛騨地方では、いろいろなところで食べられる漬け物ステーキ。
食べ比べをしてみても楽しい。

「なすの田舎焼き」も辛めの味噌が絶品。

information

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香梅

住所:岐阜県飛騨市古川町金森町15-38

TEL:0577-73-4035

古川には和服がよく似合う。〈大洞〉で着付けはいかが?

映画『君の名は。』を見た人のなかには、前半のシーンで、
主人公が組み紐をしているシーンを覚えているかもしれない。
あの組み台が実際に店頭に置かれているのが、120年続く呉服屋の
〈大洞(おおぼら)〉だ。現在の店主、大洞壽賀子さんは6代目。
着物の販売と仕立て直しなどのメンテナンスを受けつけている。

3年ほど前には、ゆかたと着物の着付けサービスも始めた。
特に外国人観光客に人気だ。
「4割くらいは外国のお客様です。帯のみで留めている感覚がおもしろいようですね」
和装は、外国人であっても古川のまちと調和して美しく見える。
日本人であるなら、なおさら挑戦してみたい。

「観光客の方とお話して、住んでいてはわからない
地元の魅力に気がつくことが多いです」と言う大洞さん。
だから組み紐きっかけでも、気軽に訪れてみよう。

information

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染めと呉服 大洞(おおぼら)

住所:岐阜県飛騨市古川町本町2-15

TEL:0577-73-2209

まちを一望できる〈気多若宮神社〉

まち外れの石段をのぼっていくと、平安時代に建立されたとされる
〈気多若宮神社(けたわかみやじんじゃ)〉の境内にたどり着く。
そこからは古川のまちを一望できるので、
まずここを訪れてみると全体像をイメージできる。

毎年4月19日、20日に行われる有名なお祭り〈古川祭〉は、この神社の例祭であり、
祭りで大きな太鼓を打ち鳴らす〈起こし太鼓〉が奉納されている。
4月の古川祭に行けなくても、まちを象徴する存在である気多若宮神社で
その息吹を感じたい。

information

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気多若宮神社

住所:岐阜県飛騨市古川町上気多1297

市民の生活も支える〈天王洞〉の豊かな湧き水

古川の住民も日常生活用水として汲みに来るという湧き水。
〈天王洞〉は道路から少し入った場所に水場があるが、その先の階段を登って行くと、
上には不動明王が祀られており、もっと小さな水場がある。

飛騨地方は湧き水が豊富で、生活と密着している。
ひっそりとあるこの水場で、まずは飛騨のおいしい水を感じてみよう。

大塚さんちの〈豆つかげ〉

飛騨地方らしいおみやげといえば〈豆つかげ〉。
大豆を醤油と砂糖で味つけした小麦粉で揚げるだけという、実にシンプルな逸品。
飛騨の方言で「つかげ」とは「揚げたもの」を指す。
農家の大塚智英さん一家がコツコツと揚げているのだ。

少しかためだが、バリバリと食べ進める食感が心地よい。
パッケージも透明の袋に飾り気のない文字。「ベスト・オブ・素朴」とでもいうべき、
しかしやめられない止まらないおつまみである。
宿でビールのおともに、駅やまち中のお店でも売っているので、おみやげにも最適。

■新しいものと古いものが混在するまち「飛騨市」をもっと知るには↓

グッとくる飛騨:飛騨市

〈犬島精錬所美術館〉は まるでダンジョンのよう! 秋の犬島遠足へ

非日常的な光景が広がる小さな島

瀬戸内国際芸術祭2016(以下、瀬戸芸)の舞台のひとつである「犬島」。
地図で見ると小豆島の北西にある小さな島です。

海の上を直線距離で行けば、小豆島から高松に出かけるよりも近いのですが、
小豆島と犬島は普段は船でつながっておらず、実際に行くとなると遠い。
それが瀬戸芸開催期間中だけは、1日数本、
小豆島と犬島を結ぶ高速艇が運航されています。
そんなわけで、その期間中に行ってみようと、島の友人たちと計画して、秋の犬島遠足!

「週末だし船混んでるかもね。30分くらい前に行けば大丈夫だよね」
なんて言いながら船乗り場に着くと、すでに整理券配布終了〜。
あー(涙)。読みが甘かった。
定員75名の高速艇はあっという間に満員に。

瀬戸芸期間中、各島の港でよく見られるのが、この船に乗れない問題!
臨時便が出ることもあるし、やむなく次の便を待つことも。

私たちはというと、次の便を待つか、犬島行きを諦めるか……。
どっちもなぁと迷ったあげく、「海上タクシー使おうか!」
お、その手があったか。

定員オーバーで予定してた高速船に乗れないハプニング。急きょ海上タクシーで。

小さい船は迫力が違う(笑)。海と風を感じながら犬島へ。

途中、ヨットや船とすれ違いながら。

海の上を走っているのは定期運航しているフェリーや高速艇だけじゃなくて、
いわゆるタクシーみたいに電話で呼んで乗せていってもらえる海上タクシーがある。
ダメもとで電話してみるとなんとOK!
同じように船に乗れなかった人を誘って、いざ犬島へ!
割り勘すれば料金もそこまで高くなく、なんとか計画通り行けることに。

犬島が見えてきた! 製錬所の煙突が印象的な風景。

この船に乗って犬島にやってきました。〈犬島精錬所美術館〉のすぐ横を走り抜けて行きます。

犬島には閉鎖されてしまった銅の製錬所があり、
そこを改修してつくられたのが〈犬島精錬所美術館〉。
残された製錬所の煙突がそびえ立つ風景がとても印象的な島です。
全盛期は3000〜5000人もの人たちがこの島で暮らしていたそうですが、
いまは50人にも満たないそうです。

ちょっと曇った空によく合う煙突。

精錬所美術館の建築は三分一(さんぶいち)博志さんによるもの。自然エネルギーを活用し、煙突が空調システムの役割を果たしています。

目指すは100人掲載!?  東部丘陵地域の魅力を伝える 「顔の見える」地図づくり

東部丘陵地域をピーアールするイベントを計画中

岩見沢の市街地に住みながら、山間部・美流渡(みると)の古家をリノベーションし、
来春には移住をしようと考えているいま、
地元の人たちとのつながりが少しずつ深まりつつある。

来年4月、美流渡をはじめとする東部丘陵地域と呼ばれるこの場所を
広く知ってもらうための展示を札幌で計画しており、
そのチームにわたしも参加させてもらっているのだ。
チームのメンバーは、このエリアの地域おこし推進員(協力隊)や
地域活性を目指すNPOに所属する人たちなど。
今夏より計画を練っており、ようやく概要が固まってきた段階だ。

展示をする会場は札幌市資料館。大通公園にある施設で、建物は国の登録有形文化財に選定。大正時代に建てられた趣のある部屋の一部がギャラリーとして使用できる。

概要を企画書にまとめた。プロジェクト名は〈ミル・トーブ〉。東部丘陵地域を見てもらいたいという願いを込めて。

この展示の一番の目的は、岩見沢の東部丘陵地域について知ってもらうこと。
そのためにエリアマップを作成し、会場で配布する計画だ。
この地図は、単なるスポット紹介ではない、とびっきりの工夫を凝らそうと考えている。
コンセプトは「人の顔が見える地図」。

この地域には、誰もが知っているレジャー施設や
地域全体を包括するような物産があるわけではない。
東部丘陵地域とひと口に言っても、そこには、万字、毛陽、
美流渡、朝日、宮村、宝水、上志文、上幌といくつもの地区があり、
元炭鉱街として大きく栄えていた場所や、農村だった場所などさまざまだ。
個々の地区ごとに特色があるのが東部丘陵地域らしさであり、
この多様性が住民の魅力にもつながっているように思う。

レジャー施設などはほとんどないが興味深いスポットもあるので、それも地図に落とし込んでいきたいと思っている。万字線の廃線に伴い廃駅となった朝日駅は、現在、万字線鉄道公園となっている。大正3年に全線開業した万字線は、万字炭鉱や美流渡炭鉱、朝日炭鉱などの石炭輸送で大変な活況を見せた。

万字にある炭鉱森林公園はズリ山の跡地。ズリ山とは、石炭を採掘して出た岩石や廃石(ズリ)を長年堆積させてできた山のこと。当時は真っ黒い山だったが、いまでは木々に覆われ、自然が再生していく力の強さを感じさせてくれる場所。

この地域と関わるようになって1年ほど経つが、
地域の人々の考えや暮らし方に接すると、いつも興味深く刺激的に思えるのだ。
この地域は過疎化が進み、人口も1000人にも満たないが、
美流渡地区に唯一残った食堂のおかみさんや、
あえて住民の多くない土地でひっそりと営業を続ける美容師さんなど、
それぞれが自分なりのこだわりを貫き通す姿を見ていると、
清々しい気持ちになってくる。

また、ここに移住してきた人たちも個性的な面々が多く、
地域おこし推進員のふたりを例にあげれば、
ひとりは元バックパッカーでDIY精神をもつインテリアデザイナー、
もうひとりは昨年まで青年海外協力隊としてフィリピンで活動していた人物と、
ひと癖もふた癖もあっておもしろい。

こうした地域に住む人そのものがおもしろいということを
ダイレクトに伝えるために、人々の似顔絵とひと言コメントを、
地区ごとにマップに落とし込んでいきたいと考えたのだ。
ひと言入れるコメントは、できればここに観光で訪れた人や
移住を検討したいと思っている人に向けたものになったらと思っている。
例えば「ここでは陶芸が体験できるよ」とか、「花火大会の企画をしているよ」とか、
そんな親しみのある言葉が集められたらいいのではないか。

地図づくりの構想を書いた企画書。地域の人々を似顔絵にして、ひと言ずつコメントを入れたイラストマップをつくってみたい。

似顔絵のイメージは、こんな感じ! 地元の有機野菜を販売する〈やおやのVeggy〉との共同企画でつくっている農家の取材記事「泣いて笑って、野菜の話」では、わたしが文章のほかにイラストも描いている。

瀬戸内国際芸術祭、秋会期開催中! 田んぼに登場した 「わらアート」とは?

芸術の秋。小豆島もベストシーズン!

ようやく過ごしやすい季節になりました。
秋! 私の一番好きな季節です。

今年の夏は雨がまったくと言っていいほど降らず、本当に暑い夏でした。
私にとって小豆島暮らし4回目の夏ですが、たぶん最も過酷。
その酷暑の中、瀬戸内国際芸術祭2016(以下、瀬戸芸)夏会期は
開催されていたわけですが、作品めぐりはとてもしんどかったと思います。
それでもやっぱり夏休みだけあってたくさんの方々が訪れていましたが。

その暑さが落ち着き、10月8日からスタートした瀬戸芸秋会期。
個人的にはベストシーズンだと思います。
ほんとに気持ちのいい気候の中を歩きながら、作品や風景を楽しめます。

毎年この時期になると咲くコスモス。秋の風景。

まだ稲刈りが終わっていない田んぼもちらほら。

小豆島をまわるなら、小豆島観光協会がつくっている『まるごと小豆島・豊島本 秋』(無料)があると便利です。バスや船の時間もまとめてあります。

そんな秋会期ですが、小豆島ではこの秋から新しく登場する作品がいくつかあります。
私がその中でも楽しみにしていたのが、稲刈り後の田んぼに現れる「わらアート」です。
今回で瀬戸芸は3回目となりますが、毎回つくられているおなじみの作品でもあります。
武蔵野美術大学のわらアートチームと肥土山自治会のみなさんによる作品です。

わらアートが出現した小豆島・肥土山の田んぼ。

いまにも襲いかかってきそう(汗)。

初回はマンモス、2回目はトリケラトプスとマウンテンゴリラ、
そして3回目となる今回はサル!
今年の干支にちなんでお猿さんになったそうです。
子猿を背負ったやさしい表情の親猿、勇ましい表情の若い(?)猿、
おじいちゃん猿があっちの田んぼ、こっちの田んぼに立っています。

人とわらアートの大きさはこんな感じです。

秋空のもと、田んぼのあぜ道を歩きながら。

真鶴の「お林」が育む 魚と人の豊かな関係

真鶴の人々の暮らしとともにあるお林

箱根火山の南東縁から相模湾に3キロほど突き出している真鶴半島。
その先端は、樹高30メートルを超えるクロマツやクスノキをはじめ、
数百種類の植物と野鳥が生息する原生林となっており、
〈魚(うお)つき保安林〉ならびに〈県立真鶴半島自然公園〉として、
古くから大切に保護されてきた。

真鶴の海は、多様な魚介類が生息していることでも知られているが、
そんな豊かな海を支えているのが、この「お林」と呼ばれる原生林だと信じられている。
お林が人々の暮らしを支え、人々はお林を守る。
その関係性は、人と自然の共生を象徴するものだ。

写真右に見える、こんもりと繁るのが「お林」。

真鶴駅から10分ほど車を走らせたところに遊歩道の入り口がある。

お林のはじまりは、江戸時代にまでさかのぼる。
寛文元年(1661年)に小田原藩が3年の月日をかけて15万本の松苗を植林し、
以降、明治37年には、魚を守り、育てる森林と認められ魚つき保安林に指定。
昭和27年に真鶴町へ移管されるまで、御留山(幕藩領主の管理下にあった森林)から
御料山(皇室所有の森林)へと、長らく国が管理してきた場所だった。

お林一帯が県立真鶴半島自然公園に指定されたのは昭和29年。
今日ではお林をいまの姿のまま次世代へ継承していくために
「採らない」「燃やさない」「捨てない」「踏み込まない」という
ルールが定められている。

お林と真鶴の海の不思議な関係

2014年からは、真鶴町による〈魚つき保安林保全プロジェクト〉が始動。
お林を地域活性化の資源としても活用できるようにと、
プロジェクトに賛同する町民やNGO会員らがボランティアとして参加し、
調査を進めている。そのほかにも、NPOや市民団体による植樹など、
お林を守り、育むための活動が勢いを増している。

そんななか、真鶴の漁師たちも3年前からクロマツの植樹をスタートさせた。
海と森林の関係性においては諸説あるが、
樹木の陰が魚の産卵や生育の場に適していることや、
半島から森林を通って滲み出たミネラル豊富な地下水にプランクトンが集まることから、
それを求めて魚が集まり、豊かな漁場がつくられると考えられているのだ。

真鶴町漁業協同組合の朝倉一志さんは、
「お林と海には、深い関係があると思う」と話す。

朝倉一志さん。真鶴に生まれ育ち、31年前から漁業協同組合で働いている。

「ここのところマツが少なくなってきたので、
このままじゃいけないだろうと植樹を始めました。
残念なことに1年目と2年目に植えた分は枯れてしまって。
やみくもにやっても意味がないので、
いまどこに植えたらいいのかを調査しているところです。
マツは横に生えてから上に伸びるという特徴があるでしょう? 
ほかの樹木に比べて半島からせり出す分、海に陰をつくる。
その陰が魚を守ってくれるんです」

ゲストハウスと出版。 〈真鶴出版〉の 新しい仕事のかたち

縁を感じて真鶴に移住

出版とゲストハウスをやりたい。
それを実現するための場所を探そう。

そんな思いを胸に、2015年の春、神奈川県の西南部、
真鶴にやってきた川口瞬さんと來住(きし)友美さん。
ふたりは〈真鶴出版〉という屋号で、出版活動をしながら、
1日1組限定のゲストハウスも併設する「泊まれる出版社」を運営している。

真鶴への移住を決めるまで、川口さんはIT企業に勤務するかたわら、
「働く」をテーマにしたインディペンデントマガジンを友人とともに制作。
「会社に不満はなかったけれど、身の丈にあった、
自分の目の届く範囲でのビジネスをしたい」という思いがだんだんと膨らんでいき、
仕事としての編集経験はなかったものの、出版活動をすることを決意する。

川口さんが会社員時代から制作しているインディペンデントマガジン『WYP』。

一方、來住さんは青年海外協力隊としてタイで活動した後、
フィリピンの環境NGOに所属し、現地でゲストハウスを運営した。
「見知らぬ土地でたくさんの人に受け入れてもらった分、
今度は自分が海外の人を受け入れたい」
と、地方でゲストハウスを開くことを夢見るように。

左から宿泊担当の來住友美さん、出版担当の川口瞬さん。

川口さんも会社を辞めてフィリピンに英語留学し、
ふたりでフィリピンから帰国した翌日には、移住先を探しに動き始めた。
そんななか、最初に訪れたのが真鶴だった。

「地方で精力的に活動している写真家のMOTOKOさんから
『地方に行くなら、真鶴がいいよ』と言われたんです。
そこで役場の方を紹介してもらい、移住を考えていることをお話ししました。
真鶴を一旦あとにし、ひと月半をかけてほかの地域も見てまわったのですが、
ちょうどその旅が終わる頃に役場の方から
『お試し暮らしのモニタリングを募集している』と連絡をいただいたんです。
お試し暮らしのお試し版として参加することにしました」(來住)

その後、約2週間のお試し暮らしを経て、ふたりは真鶴への移住を決めた。
たくさんの土地を巡った末、その決め手は何だったのだろう?

「空気がきれいなこと、食べ物がおいしいこと、人がやさしいこと。
その3つを移住先の条件として考えていました。
それを満たす地域はほかにもあったのですが、
それなら縁を感じたところに住んでみようと思ったんです」(川口)

MOTOKOさんのひと言、新たな人との出会いとつながり、そして絶妙なタイミング。
さまざまな縁に背中を押され、真鶴での暮らしが始まった。

出版、ゲストハウス、新たに加わった町の仕事

真鶴駅から徒歩5分。人ふたりがようやく通れるほどの細い道に入ると、
その途中に築50年の平屋がある。ここが真鶴出版兼自宅だ。

「私たちはそのまま住んでいるだけで、何もしていないんですよ」と来住さん。

使い込まれた木の表情が優しく、目に入るしつらえの美しいこと。
小高い場所にあるためまちを見下ろせ、風が気持ちよく抜ける。
台所と和室が宿泊客との共有スペース、そのほかに客間と
ふたりのプライベートルームがひと部屋ずつというコンパクトな間取りだ。

玄関を入ると目の前には心和む一角が。

宿泊客用の部屋。希望をすれば、真鶴の成り立ちや見どころを教えてもらいながら一緒にまちを歩くこともできる。

真鶴の暮らしの風景に表れる 『美の基準』とは?

photo:MOTOKO

“生活風景”を残すために

真鶴の港を上から望むと、 港を中心にすり鉢状に家々が広がっているのがわかる。
屋根の色は赤や青、緑とさまざまだが、地形に沿って家が並び、
大きなマンションが空に突き出したりはしていない。
さらにひとつひとつの家と家の間をよく見ると、そこにはなんらかの緑がある。
「絶景」とは言い難いが、どこか安心する、懐かしい風景。

もしもこの風景が、20年後も、30年後も同じまま残っていくとしたら……?
その風景の価値はいまよりもさらに上がっていくだろう。
その可能性が真鶴には大いにある。『美の基準』があるからだ。

1993年に制定された『美の基準』。その内容が評価され、世界デザイン都市サミットにも招聘されたことがある。(photo:MOTOKO)

『美の基準』は景観条例のひとつとして捉えられることが多い。
しかし、実際は景観に限ったものではないし、規制するものでもない。
『美の基準』は“真鶴らしさ”をまとめた規範であり、
より広い意味での景観、「生活風景」を残すことを目的としているのだ。

美の基準は69のキーワードからできている。
例えば、「小さな人だまり」というキーワードのページを開いてみよう。

キーワードはどれも口に出して読みたくなる言葉ばかり。「小さな人だまり」「静かな背戸」「終わりの所」など。(photo:MOTOKO)

そこには、写真やイラストを交えながらこんな説明がある。

人が立ち話を何時間もできるような、
交通に妨げられない小さな人だまりをつくること。
背後が囲まれていたり、真ん中に何か寄り付くものがある様につくること。

これらは真鶴にとって“真鶴らしさ”であるかもしないが、
実はかつて日本のどのまちにもあったはずの、失いかけているものでもある。
『美の基準』ができて約23年。未だにファンは多く、
『美の基準』が好きで真鶴に移住を決めた人が多くいる。
人を惹きつけてやまない魅力が『美の基準』にはあるのだ。

『美の基準』の中でもとくに印象的なキーワード、「実のなる木」。庭にはみかんなどの実のなる木を植えることを推奨している。(photo:MOTOKO)

マンション建設反対のための手段

1980年代後半、日本はバブル景気に沸いていた。
政府が開発を奨励するリゾート法を制定したことにより、
真鶴の近隣である熱海や湯河原にも次々とマンションが建ち始める。
多くは人が住むためではない。
地価がどんどん上がっていくなかで、投資目的の建設が多かったという。

「当時、真鶴町役場にも大量の建設計画が持ち込まれ、
毎日のようにスーツを来た人たちが押しかけてきていました。
僕はまだ別の課にいたのですが、対応に苦慮しているのは見ていました。
自分が担当になったらあの対応をやらなければいけないという、
覚悟のようなものは持っていましたね」
そう語るのは、現在『美の基準』担当のまちづくり課課長を務める岩本幹彦さんだ。

岩本さんは『美の基準』が施行されて12年後、2005年から『美の基準』の担当になる。担当になる前から、『美の基準』自体の策定の過程を手伝ったりもしたという。

真鶴がほかの地域と違ったのは「水」だった。
もともと水源に乏しい真鶴は、隣の湯河原町から一部の水を買っていた。
たびたび断水もあったという。そのため町民は、マンション建設により
人口が増え、さらに水が不足することを懸念していたのだ。
「マンションを建設するかどうか、当時まち中で政治が語られていました。
そんななか、町長選ではっきりとマンション建設に反対を掲げた
三木邦之さんが選ばれたんです」

「三木町長についていけば間違いない」、と言われるほど
カリスマ性を持つ三木町長は、就任3か月の速さで「給水規制条例」を制定する。
「ある一定規模以上の開発に対して新たな水の供給を行わない」というものだ。
開発を進めようとする国の施策と正反対をいくこの条例はニュースになり、
真鶴町は一躍有名になる。

しかし、これだけでは事業者から裁判を起こされてしまえば負ける可能性のある、
危うい条例であった。そこで次の一手としてできたものが、
『美の基準』を含む「まちづくり条例」である。

真鶴のまちを上から見ると、家と家の間に緑が多いことに気づく。建築と建築の間に花や緑を置き、スペー スを豊かにすることも『美の基準』で推奨される。

人が集まる真鶴の酒屋 〈草柳商店〉店主しげさん

photo:MOTOKO

ロックを愛する酒屋の店主

2016年10月。
神奈川県真鶴半島の先端にあるお林展望公園で、
〈グリーンエイド真鶴〉という小さな音楽フェスティバルが30周年を迎えた。

このイベントに第1回から関わっているのが、
真鶴港のそばにある酒屋〈草柳商店〉の4代目、
通称「しげさん」こと草柳重成さんだ。
30年前、当時まだ21歳だったしげさんは今年51歳になった。
いまではグリーンエイド真鶴の司会を、
その頃のしげさんと同じ、21歳の娘の采音(ことね)さんが務める。

宿浜商店街の一角にある酒屋、草柳商店。

昭和を彷彿させる店内には、神奈川の地酒が中心に並ぶ。

しげさんが店主を務める草柳商店は、地元の漁師や近所の人はもちろん、
最近では町外のアーティストや旅行者も集まるまちの酒屋だ。
お店に入るとすぐにしげさんのお母さんが話しかけてくれる。

「どこから来たの?」
「名前は? 私すぐに人の名前が覚えられるの」

川上弘美の小説『真鶴』にも登場するお母さんはマシンガントークで、
躊躇する暇もなく、訪れた人は輪の中に入れられる。
だけどそれが不思議と心地よい。もちろんしげさんもその輪に加わる。
ときにはギターを片手に唄い出し、ゲリラライブが始まることもある。

原宿のライブハウスから、真鶴の酒屋へUターン

真鶴に生まれ、真鶴で育ったしげさんは、
高校卒業後に入学した東京の美術学校を半年で辞めた。
笹塚の友だちのアパートに泊めてもらい、バイトをしながら、
原宿や渋谷で当時有名だったライブハウスでバンド活動を始めたのだ。

「無理に頑張らず、楽しんでやればいい。食っていければそれで幸せと思わないと」と語るしげさんからは、いつもポジティブな空気が流れる。

「真鶴のことを嫌いになったことはないですよ。
でも10代後半や20代前半のときって、やっぱり東京への憧れがあるんですよね。
どうしても東京が気になって仕方なくて……。
ただ、25歳のときに親父が亡くなっちゃって、
真鶴に戻らなきゃいけなくなったんです。
もちろん東京にいたほうがいいんじゃないかって思いもありましたが
弟もまだ高校生で、妹が大学生だったから、お金も稼がなきゃいけなかったので」

地元真鶴に戻ってきたしげさんは、迷いながらも草柳商店のお店に立ち始める。
ただ、客はすぐにはしげさんのことを認めてくれなかった。
「自分の好きな地酒を選んで並べても、まだ酒を飲み始めて5年だろって、
馬鹿にされるんですよ。それが悔しくてね。
年齢をカバーできるよう、日本酒のソムリエと呼ばれる
“唎酒師(ききさけし)”の資格を取得しました。
勉強のため全国の酒蔵を訪ね歩きもしました」

〈真鶴町立中川一政美術館〉に 「生命(いのち)の画家」 中川一政を訪ねて

「生命(いのち)の画家」として

中川一政の作品と対峙してみる。
その大きくて迫力ある画面に目をこらしてみると、
キャンバスに叩きつけたかのような筆跡のひとつひとつに、
彼自身の魂が込められていることに気づく。
それは己の心の中に湧き上がる感動に突き動かされ、自然と筆が動いた結果なのだ。
彼の作品は、芸術とは、画家自身の生き様そのものを
全体重をかけてつくりあげるものだということを物語っている。
こんな画家はほかに例を見ない。

真鶴半島自然公園に隣接する緑豊かな場所にある〈真鶴町立中川一政美術館〉。
日本を代表する洋画家である中川一政の作品を常設展示する美術館だ。

1893年(明治26年)に東京で生まれた一政は、
その後1949年に真鶴にアトリエを構え、
1991年に97歳11か月で亡くなるまで真鶴で絵を描き続けた。
その作品は油絵のみならず、日本画、書、陶芸など多岐にわたり、
美術館ではそれら650点余りを所蔵している。

一政は岸田劉生(1891~1929年)とほぼ同世代。
21歳のときに岸田に認められて本格的に画家を志し、
岸田や数人の仲間たちと〈草土社〉を結成して美術展を行うなど、
日本の洋画壇を牽引してきた存在だ。
随筆も多く執筆するほか歌も詠み、1961年には歌会始の召人に選出されて歌を詠進。
1975年には文化勲章も受章している。

と、そんな略歴を見ると、はるか雲の上の人のように思えるが、
一政と晩年の21年間をともに過ごし、現在は美術館の指導員を務める
佐々木正俊さんの話からは、すばらしい芸術家である一政が、
人としてもあたたかく魅力的な人だったことがうかがえる。

『福浦』1961年(写真提供:中川一政美術館)

修善寺に向かう途中に真鶴の風景に出会い、
この地を気に入った一政は、1949年に真鶴に家を買い、
それからは真鶴半島の付け根にある福浦の港を好んで描き続けた。
その頃はまだ東京の自宅兼アトリエと真鶴を往復する日々だったようだが、
1970年からは真鶴に住みながら箱根の風景を描き始める。
そのときに東京から呼び寄せられたのが佐々木さん。
以来、箱根への車の運転からキャンバス張り、一政が好んで描いたひまわりの栽培など、
日々の創作に関わることから雑用まで、あらゆることを佐々木さんがこなしたそう。

「箱根まで車で40分くらいの道を私が運転しました。
最初は箱根のどこを描こうかと景色を探して走り回っていて、
やがて駒ヶ岳を見つけて、ここがいいと。
それから通い始めて15~16年描き続けました。
天気がよければいつも、朝ごはんを食べたら、よし行こうと。
有料道路の料金所の人にお菓子を持って行ったり、
お正月には一升瓶を持って行ったりしてね。
3年くらいしたら、料金所の人がもうお金はいいから、と顔パスになりましたよ(笑)」

一政の身の回りの世話をしていたという佐々木正俊さん。現在は美術館の指導員を務める。

真鶴と箱根では天気も微妙に異なるため、佐々木さんが料金所に電話をして、
駒ヶ岳が見えるかどうか聞いたこともあったという。
天気が悪くても、気分が乗っているときは出かけたそうだ。

「天気が悪い日に、近くまで行って車の中で雲が切れるのを待っていたら、
窓を開けろと言う。開けたら、駒ヶ岳に向かってふーっ、ふーっと
息を吹きかけているんです。何をしているんですかと聞いたら、
雲が動きやしないかと思って、と言うんですよ(笑)。
ふざけているのかと思ったら、本気なんです。
悔しくてしょうがなかったんでしょうね」と佐々木さん。

チャーミングな人柄が感じられる逸話だが、創作に対してはいつも真剣だったという。
「本当に絵のことばかり考えている人でした。そんな人はなかなかいませんよね。
特に風景を描きたかったんだと思います。いつも自然と対峙して描いていた。
大きいキャンバスで屋外で描くのは気持ちよかったのだろうと思います」

『駒ヶ岳』1980年(写真提供:中川一政美術館)

『薔薇』1983年(写真提供:中川一政美術館)

駒ヶ岳を15年にもわたり描いているが、薔薇も描き続けた題材のひとつ。
そのように同じ題材を何枚も何枚も描くのが、一政の特徴でもある。
「あるとき先生に、なぜ同じ場所で同じ景色を描くんですかと聞いたことがあるんです。
そうしたら、同じじゃない、と怒られました。毎日違うんだと。
先生から見ると、同じではないんですね。満足するまで描き続けるのだと思います」

「山を買う」楽しさを本に! 自分で小さな仕事をつくる

山をテーマにした本をつくろうと思いたち……

この秋から、新しい本づくりの準備を始めている。
今年の春に、北海道・岩見沢にある8ヘクタールの山林を買ったことを
本にしようと考えているのだ。
タイトルは、いまのところシンプルに『山を買う』。
そしてサブタイトルは「必要なのはお金よりも“思い切り”」にしようかと検討中。

購入の経緯については、この連載(第18回)でも触れてきたように、
最初はエコビレッジづくりの拠点になればと考えていたのだが、
手に入れてみると、それだけでない発見が数多くあり、
また東京の友人に山購入の話をすると「私も買ってみたい!」と
興味を示してくれることも多く、ならば本を書こうと思いたったのだ。

もうひとつ、きっかけがある。
この連載でも紹介してきたように、私たちが買った山があるのは、
岩見沢の東部丘陵地域といわれるエリア。
過疎化の問題を抱えるこの地域の未来を考えるトークイベントがあり、
そのゲストとして来てくれたアクセサリーデザイナーの
岩切エミさん(第23回)とした約束もある。
その約束とは、この地域のピーアールをするためのイベントを、
来年4月に札幌市資料館でエミさん協力のもとに開催するというもので、
会場で販売するアイテムのひとつにこの本がなったらと考えているのだ。

内容は東京生まれ東京育ちで、アウトドアや登山経験がほぼゼロという私が、
なぜ山を買ったのか。購入1年目でどんなことができたのかについて、
イラストを交えながら紹介するというもの。

まずは本のラフスケッチを制作中。山林の土地を探すための方法や、購入するときに考えておきたいポイントなどを素人なりの視線で書こうと思っている。

山を購入してからは、山での活動を「山活!」と称して、
月に2〜3回ほど友人たちを募っていろいろな取り組みをしており、
それについても連載で触れてきた(第24回)が、
まだまだ書ききれなかった楽しみもあって、それらも本に収録したいと考えている。

とくにいまハマっているのは土器づくりだ。
土をスコップで掘り返してみたところ、その質は粘土のよう。
「山活!」に遊びに来ていた小学生が
「これ焼いたら、陶器になるんじゃない?」というひと言がきっかけとなった。
土を乾かして炭火に入れてみると、カーンといい音がして、
なんと素焼きすることができたのだった。

土を掘って根気よく練っていると……まさに陶芸用粘土と同じような質感に。

こんな感じで成形。縄文土器風!

炭火に入れること20分くらい。土がピンク色に変化し土器と土偶の完成!

以来、土器や土偶などをたくさんつくっており、
山活メンバー(とくに子どもたち)にも大好評の遊びのひとつとなった。

そのほかの山の楽しみ。夏には野生のベリーが収穫できた。

春には山菜、夏にはベリーと季節ごとに山ではいろいろなものが採れることもわかってきた。

また、山を買った噂が近所に広まっていて、
何やらおもしろそうなことをしているらしいと、
いろいろな人が訪ねてくれるようになったことも、うれしい出来事。

この本では、東京でこれまで会社員として働くだけだった私でも、
新車を買うよりも安い値段で山を手に入れることができ、
しかもなんとか楽しむことができているということを伝えてみたい。

秋の「山活!」に集まってくれたみなさん。友人のつながりから、私たちのことを直接知らない人が訪ねてくれることも。

日々、人間関係や仕事の重圧でたまってくるストレスが、山を前にすると小さいことのように感じられるのもいいところ。

ロイヤルアイシングって? 佐々木愛の壁画作品ができるまで あいちトリエンナーレ通信 vol.7

3年に1度開催され、現在開催中の国際芸術祭〈あいちトリエンナーレ2016〉。
3度目となる今回は、名古屋市、岡崎市、豊橋市で開催されています。
参加アーティストや広報チームが、その作品や地域の魅力を紹介していくリレー連載です。

制作の始まり

豊橋の開発ビルで制作中。

前回は作品に至るまでの旅に触れましたが、今回はいよいよ(?)
ロイヤルアイシングという手法での作品制作について書きたいと思います。

6月28日、制作道具と生活道具を積み込んで、レンタカーで
私が住んでいる大阪から展示会場となる豊橋へ出発しました。
47日間の滞在制作なので、ちょっとした引っ越しです。
今回はマンスリーマンションに住むことになったので、
服と洗面具と調味料セット(1か月ほどなので調味料を小分けにする)だけでしたが、
時には鍋や食器、キッチンがない場合はホットプレートなどを持って
移動したこともあります。

長い滞在では外食を毎日するほどの余裕もないですし、
何かをつくることは気晴らしにもなるので、少しでも毎日何かつくるようにしています。
海外に滞在したときは、知らない野菜や調味料などを見るのが楽しくて、
毎日スーパーや市場に通ってしまい、節約のつもりが、
買いすぎて失敗したこともありました。

豊橋でも、一番にスーパーや食べ物屋さんの位置を確認。
そして近くにいい喫茶店や食堂があればうれしいなぁくらいの気持ちで
近所をブラブラ見て回りました。
こんな風に、到着して1日くらいはゆっくり過ごします。

制作前の準備あれこれ

開発ビル9階。あいちトリエンナーレ2016キュレーターの金井直さんと展示会場で打ち合わせ。天井の照明の多さにびっくり。以前は会社のオフィスだったそうです。

今回私が展示することになった豊橋市の「開発ビル」は
かつて劇場やボウリング場なども併設され、
役所機関や体育館、集会所として使用されている多目的複合ビルです。
いまは数年後の建て替えに伴ってそのほとんどのフロアが空室となっており、
今回このビルに10組の作家の作品が集まっています。

滞在制作が始まる少し前に、作品をどんな風に設置したいかを、
キュレーターと、この開発ビルの会場で話し合いをしました。
あいちトリエンナーレでは建築家と
インストーラー(設営や空間構成をする専門の人)を交えて制作を進めます。
これはとても重要なことで、美術館やギャラリーとは違い、
芸術祭の会場の多くは美術作品のための空間ではなく、
空き店舗、ビル、駅、時には屋外での展示になり、
作品を設置するために最低限の準備が必要になります。
私たち作家が思い描く展示プランを実現させるために、
防災などの面から観客と作品の安全性を検証し、会場への動線など、
空間の設計図や作品設置の計画を、彼らに一緒に考えてもらいます。

つくりたい作品の形や大きさが決まっても、
さまざまな理由でクリアできないこともあります。
反対に作家個人では考えられなかった構造や素材を提案してもらうことで、
さらに大きな広がりのある作品にできることもあります。
こうして、作家、キュレーター、建築家、インストーラーなど、
チームでひとつの作品をつくっていきます。

まずは建築家の方に希望の壁の大きさや形を伝える。手書き。

アシスタントキュレーター加藤慶さんと、建築家の山岸綾さん。小さなサンプルを会場に置いてみて、作品のイメージをみんなで確認。

壁画を描く

下書きの状態。木の幹など骨組みをつくります。

ロイヤルアイシング(粉糖と卵白、レモンを混ぜたもの)で描くときは
フリーハンドで紋様を描いていきますが、
その前に全体の図案のアウトラインを壁に下書きします。

私はグラフィックテープという細い伸縮性のあるカラーテープを使って
直接壁に図を描きます。
なんだかどんくさい方法のように思われるかもしれませんが、
一度、小さな紙に描いた図を壁にプロジェクターで拡大投影してみたのですが、
なんだかうまくいかず止めてしまいました。
いまはちょっと時間がかかっても、自分の体の大きさと壁の大きさ、
空間に入ったときの感覚から、ラインを決めて図を描きます。

そのため、時には事前に描いた下書きとは大きく図案が変わることもあります。
それでも会場に入ってみて実際に壁の前に立ってみたときの気持ちを
信じることにしています。

作品の全体図。忘れないようにモデルとなった植物の名前を書き込む。

作業机。日が経つにつれて物で溢れます。

高知の〈日曜市〉、 400店が建ち並ぶ歴史ある巨大市へ

人が集まり、活気あふれる市の楽しさ

小豆島から高知市内へは、フェリーと車で2時間半くらいで行けます。
ちょっとパワーはいりますが、それでもふらっと行けないこともない距離。
そんなわけで小豆島で暮らすようになり、高知へは何度か遊びに行っていますが、
一度訪れてみたかったのが、高知の〈日曜市〉。
毎週日曜日の朝から夕方まで、高知市内にある高知城の追手門から
約1.3キロにわたっていろんなお店が並びます。

野菜、魚、漬物からその場で食べられるお寿司やお餅、植物の苗もあったり。
その数400店以上!
以前写真で見た大きなシュロの木の下に並ぶお店の様子が、
どこかのアジアの国の市場みたいで、これは行ってみたいとずっと思っていました。

その日ははりきって早朝のフェリーに乗って小豆島から高松港へ。
島を一番早く出る船は、池田港から5時30分に出発します。
10月ともなるとまだ日の出前。
この時間の船に乗る時はいつもちょっとワクワクします。

朝一番のフェリーからの眺め。静かな瀬戸内海を行き交う小さな漁船。

フェリーで高松港まで行き、そこからは車です。
高速道路を走って、高知市内には9時前に到着。
そっさくお店が並んでいる「追手筋」という通りへ。

追手筋に並ぶ露店。シュロの木が立派!

追手筋は高知市内の中心を走る4車線の大通り。
その片側2車線にずらーっと露店。
道路の真ん中に並ぶ大きなシュロの木。
写真で見ていたその風景を見て興奮!
暑さと人の熱気に汗かきながら、いろんなものに目移りしながら、
売り手のおばちゃんとお話しながら、欲しいなと思うものをひとつずつ買っていく。
あー、やっぱり「市」って楽しい。

高知といえば生姜。どこのお店にもたくさん並んでました。

唐辛子。鮮やかな赤色。生き生きしてる!

多肉植物の苗たち。とても元気がよくて、ついつい買って帰りました。

益子なのに〈ビルマ汁〉? 戦後の家庭料理が地元グルメに

47都道府県、各地のビールスポットを訪ねます。
栃木でコロカルが向かったのは、益子焼で全国的にも有名な益子町。

忘れられないビルマの味を再現

益子焼で有名な栃木県の益子町で、ここ数年で一気に人気が出てきた
地元のグルメがあります。
その名を、ビルマ汁! なぜ益子でビルマ?
若い世代はビルマという言葉にすらピンとこないかもしれません、
現在の国名はミャンマーですから。
とはいえ、最近になって無理矢理つくられた料理ではなく、
何十年も前から、“ある家庭”に伝わっていたものなのです。

さかのぼること70年以上、当時のビルマに出征していた飯塚潤一さん。
終戦して帰国後、ビルマで食べた料理が忘れられず、
日本でその味を再現しようとしました。それがビルマ汁です。
かつては飯塚家の家庭料理として食卓の定番でした。
親戚や近所の人には「おいしい」と知られていたものの、基本的には家庭料理。
それが数年前から益子の名物として徐々に広まってきたのです。

「昔は近所の農家から、トマトやナスを食べ切れないほどもらって、
どうやって食べようかと思えば、ビルマ汁にしたのよ。月に何回かはビルマ汁でしたね」
と言うのは、飯塚潤一さんの義娘の飯塚フミさん。

「そのうち、農家の人も『ビルマ汁つくってください』と
野菜を持ってくるようになった」
と言うのは、飯塚潤一さんの長男である飯塚洋さん。

珍しいものはなく、どこにでもある食材。

現在、益子町では17店舗がビルマ汁を提供しています。
各店舗ごとに味つけはアレンジされていますが、やはりオリジナルの味が気になります。
ということで、さっそく、フミさんにつくり方を教えてもらいました。

簡単な家庭料理。だからこそ継続は力なり!

まずは材料を用意。
豚バラのほか、なす、いんげん、じゃがいも、人参、玉ねぎ、鷹の爪が基本。
そしてビルマ汁にとって最重要なのがトマトです。

なすは皮をタテに筋状に剥きます。

トマト以外、すべての食材を入れて火にかけます。

水が入った鍋に、トマト以外の切った具材を入れ、塩を適量とサラダ油をひと回し。
フタをして煮込みます。煮立ったらアクをとり、だしを入れます。
野菜に火が通ったら、トマトを入れます。
フミさんは大胆に手でちぎってイン。だから完熟がベター。

「なんかおいしそうでしょ(笑)」
はい、ワイルドであり家庭っぽく素朴でもあり、
トマトエキスも出て、よりおいしくなりそうです。
味つけにカレー粉を少々。味を見ながら塩で調整しましょう。

アクを丁寧にすくう。

トマトは豪快に! 味の決め手です!

「70年前の日本には、トマトを煮るという感覚はなかったでしょう」(洋さん)

「最近の野菜は甘くておいしいんだけど、逆に私が教わった頃の味じゃないの。
だから塩は昔より少し多めに入れています」(フミさん)

農業が発達して野菜がおいしくなったけど、昔からの料理は味が変わってしまう。
でもフミさんは、毎年必ずビルマ汁をつくっているので、
毎年ちゃんと味つけを覚えています。それが奏効し、塩加減はバッチリ。

いい感じにグツグツしてきました。

こうして完成。さっそく、いただきます! 

〈名前のない料理店〉の 出張フレンチでパーティ! 沖縄食材を使った独創的な料理

47都道府県、各地のビールスポットを訪ねます。
南の島、沖縄でコロカルが体験したのは〈名前のない料理店〉。

その時々にある、島の食材で

南の島・沖縄で出張料理人として活躍しているのが
〈名前のない料理店〉の小島圭史さん。
自宅や宿泊先、イベントなどさまざまな場所に出張しては、
沖縄の旬の食材を、フレンチのコース料理で楽しませてくれるのです。

予約すれば、自宅や宿泊先など調理設備のある場所にはどこでも来てくれます。

ゴーヤやハンダマ、石垣牛にヤギ、少し考えを巡らせただけでも、
沖縄ならではの食材はいくつか浮かんできます。
でも、それらは実は沖縄にある食材の本当にほんの一部。
ほぼ沖縄の食材だけでつくられる小島さんの料理に出会うと、
島の食の豊かさにあらためて気づかされます。

東京で修業したのち、土地や文化に興味のあった沖縄へ。
その後、フランスへと学びの機会を求めた後、ふたたび沖縄へとやってきた小島さん。
東京や沖縄で料理をするなかで、「自分がつくりたい料理」を模索してきました。

そんな彼の料理の根底にあるのは、フランスで出会った「テロワール」という概念。
小島さんはこれを「料理のなかで、その土地の文化や土壌を意識すること」と
理解しているそう。
だから彼の料理には、沖縄という自分を生かしてくれる土地に感謝し、
その魅力をフレンチという料理を通して伝えていきたい、という思いが溢れています。

現在は30軒ほどの生産者とつながりを持ち、
旬の素材を、その都度仕入れて料理しています。
県内どこでも行きやすいように、拠点は本島の真ん中あたり、
うるま市の高速道路入り口のそば。食材を持って、どこへでも出かけます。

まずは〈キリン一番搾り 沖縄づくり〉で乾杯!

さぁ、それではさっそくコース料理を味わっていきましょう。

〈読谷山焼 北窯〉の松田米司さんのシックな器で出てきたのが、
1品目の前菜「宮古島 稲わらで燻した鰹」です。

宮古島産のカツオを卓上でスモーク。

「メニューには“鰹”と記しましたが、カツオに似た“ヤイト”という魚です。
金武町で栽培されているお米の稲わらで皮のほうだけ軽く燻し、マリネしています。
仕上げに卓上で15秒ほど軽くスモークします」

さっそく逆さにのせられたコップを開けると、ポワンとただよう稲わらの香り。

「ソースはさくら大根のかいわれですね、上の緑色は葉っぱのところです。
黄色い部分が沖縄在来の島にんにくのソース。
お米を玄米のまま圧力をかけて焼いたものを添えています」

箸を伸ばせば魚はしっとり濃厚で、奥に、にんにくがピリッと効いて絶品です。

1品目から目と口を楽しませてくれる小島さんの料理。
東京、フランスで修業を積んできたからこその本格フレンチ。
自宅や宿泊先に呼んで楽しめるなんて、なんという贅沢。

おいしい料理に会話もお箸も進みます。

沖縄には、「ビーチパーリー」というものがあって、
夏になるとビーチでのBBQを日常的に楽しんでいます。
それはもはや、文化とさえ言えるもの。
また、定期的に仲間内で集まる「模合(もあい)」をしたり、
沖縄の人は、仲間たちや家族と楽しく過ごす、賑やかな時間が大好き。

だからこそ、小島さんの出張料理というスタイルは、
いつもの集まりに、ちょっと変化をつけることができるとあって、
沖縄の人に喜ばれているのかもしれません。

そして自宅や宿泊先など、料理人を「自分のいる場所に迎える」ので、
リラックスして料理を堪能できる、というのも魅力のひとつ。

参加者の表情も自然と緩みます。

絶品の〈曙バーガー〉を求め、 北陸のマリンブルー 〈若狭和田海水浴場〉へ

47都道府県、各地のビールスポットを訪ねます。
福井でコロカルが向かったのは、高浜町にある若狭和田海水浴場。

世界的な環境認証を取得した美しいビーチ

東海道新幹線から在来線に揺られて、合計4時間半。
福井県嶺南地域にある高浜町は、関東からは本当に遠く感じます。
でもそれ以上に、福井県北部の嶺北地域に住む県民にして

「遠いから行ったことがない」

「あそこは北陸ではなく関西」

とまで言わしめる、遠隔地の模様。いったい、高浜町ってどんな秘境!?

駅に着き、海を目指すと、海岸沿いの駐車場には、
ずらり関西圏ナンバーの車が並んでいました。
海水浴、サーフィンにと、お隣の京都をはじめとする京阪神から
足繁く通ってくる方が多いのだそうです。

海を愛する人たちがここに惹かれる理由は、なんといっても景観の美しさにあります。
私たちも、晴れた日の澄み渡るようなマリンブルーの海に驚き、
勝手に抱いていた日本海特有の荒波イメージが、がらりと変わってしまいました。

今年2016年4月には高浜にある海水浴場のひとつ、〈若狭和田海水浴場〉が
アジアで初めて〈ブルーフラッグ〉を取得。ブルーフラッグとは、
ヨーロッパを中心に50か国、約4000か所で取得されている国際環境認証で、
水質や環境マネジメント、環境教育やバリアフリー、安全・サービスなど
4分野33項目の認証基準を設けています。

高浜町がブルーフラッグ取得に乗り出したのは、
100年後も美しいビーチを子どもたちに残していこうという思いと、
誰もが安全に楽しめる海を目指したかったから。
地元の若狭和田ライフセービングクラブはアクティブな活動で知られており、
バリアフリーな海を目標にしていくために、
毎年更新していくための継続的な取り組みを必要とされる
ブルーフラッグへのチャレンジが必要なのです。

今年は海岸のあちこちにかかるブルーフラッグのおかげで、騒音などマナーの悪いお客さんが減ったという地元の声も。前年比で18%ものお客さんが増えたそうです。

若狭和田海水浴場。ブルーフラッグ取得以前から、住民やビーチ関係者は清掃に力を入れてきました。取得後も、以前と変わりなくゴミひとつ落ちていないきれいな浜辺を保っています。

太陽の光を受けると、透き通るように底が見えます。砕けた貝殻がつくり上げた白い砂浜が青空を反射するため、晴れた日は明るいマリンブルーのビーチに見えます。

〈活きな世界のグルメ横丁〉で 世界中のお国自慢料理を堪能!

47都道府県、各地のビールスポットを訪ねます。
群馬でコロカルが向かったのは、ブラジルをはじめとする
異国文化が根づいている大泉町。

群馬のまちに生まれた、異国情緒

群馬県で一番小さなまちでありながら大手企業の工場が複数あり、
北関東屈指の製造品出荷額を誇る大泉町。
まちを歩いていて、まず驚かされたのが、あちこちで見かけるポルトガル語。
公共施設などの看板にはじまり、お店の看板、さらには個人商店の値札にまで、
ブラジルの公用語であるポルトガル語が表記されていました。

食品、化粧品、雑貨など、さまざまなブラジル商品を扱う〈カンタ・ガーロ〉。年季の入った店構えに、ブラジルタウンとしての大泉町の歴史を感じます。

さらにブラジルの輸入食品を専門に取り扱うスーパーや商店もあれば、
全国チェーンのコンビニの店内にもブラジル商品のコーナーが。
まちを歩けば歩くほど、異国文化が深く根づいていることを実感させられます。

八百屋さんの値札も、ご覧のとおりポルトガル語表記。ちなみに「batata doce」は直訳すると「甘い芋」で、さつまいものこと。

そんな大泉町で、3月から11月の第4日曜日に開催されているのが
〈活きな世界のグルメ横丁〉。ブラジル、ペルー、ヨルダン、イラン、ロシアなど
世界中のお国自慢料理を味わえる食のイベントです。
コロカルが訪れた8月のイベントでは世界10か国25店舗が出店していました。

〈活きな世界のグルメ横丁〉会場の一角。縦長の会場に屋台がずらりと並びます。

会場を歩いていると、ブラジルやペルーのシュラスコ、
ネパールのタンドリーチキンにモモ、トルコやイランのケバブ……
あちこちの屋台から、おいしそうな香りが漂ってきます。
何を買おうかと目移りしていると、ステージで始まったのは
サンバや和太鼓などのパフォーマンス。
食欲と好奇心を刺激する異国情緒あふれる会場のムードは
「今日はずっとここにいたい!」と、思ってしまうほど楽しさいっぱい。

まず訪れたのは、行列ができていたペルーの屋台。
こちらで売られていたのは鶏を丸ごと炭火で焼いたチキン。
いろいろな部位をたっぷりと味わえる1羽サイズに惹かれつつも、
ほかの国の料理も食べられるようにと、ここは2分の1羽サイズのセットでぐっと我慢。

炭火でじっくりと焼きあげられた丸ごとのチキン。お客さんの中にはお土産用にと、丸ごと1羽を買って帰る人も。

香ばしい皮に、ジューシーなお肉がたまらないチキン。会場にはテーブルや椅子も用意されているので、心おきなく両手でかぶりつけます。

「辛いのは大丈夫?」と確認されたうえで、チリソースがかけられた炭火焼きのチキン。
食べやすいようにカットされたお肉にかぶりつくと、
口の中いっぱいに肉のうまみとソースの甘辛い風味が広がります。
そのおいしさにこらえきれず、1店目にしてビールを開けてしまいました。

右手にビール、左手にケバブ。これぞ両手に花!

次にいただいたのは、いくつかの屋台で売られていたケバブ。
具材を薄い生地で巻いたヨルダンのアラビアンロールケバブと迷いつつも、
食べやすい形状のトルコのドネルケバブをセレクト。
こちらの屋台も、好みにあわせてケバブソースをかけてくれるシステムでした。

ピタパンでローストされたお肉と野菜をサンドしたドネルケバブ。
都心などで売られていることもありますが、
開放感とお祭りムードがあふれる会場でいただくとまったく別の味わいが。
ビールをひと口飲むたびに、炭酸が口の中をさっぱりとさせてくれるので、
いつまでもいろいろなものを食べていられそうな気分に。

「毎回、平均して2千人くらいのお客さんが来ますね。
開始は11時なのですが、商品が売り切れてしまって
14時頃にイベントを終わらせてしまうこともあるんですよ」と話すのは、
このイベントを主催する大泉町観光協会の副会長である小野修一さん。

大泉町観光協会の副会長であり、社会保険労務士でもある小野修一さん。

「出店している人の大半は大泉町周辺で料理店をされている人たち。
立ち上げ当初は私たちのほうから出店を呼びかけていたけど、
1年くらい経ってからは出店したいという希望者が増えて、逆に制限を設けたくらい。
お客さんも最初の頃は地元の人が多かったけど、
いまは県外からやってくる人がほとんど。
車があれば東京からでもふらりと来られる距離だし、
ちょっと歩けば駐車場もいくらでもあるからね、ここは」
その様子から、2016年は11月6日に開催される、サンバをキーワードとした
大泉カルナバル〉と並び、〈活きな世界のグルメ横丁〉が
まちを代表するイベントとなっていることがうかがえます。

豪快に炒められているのは〈ロモ・サルタード〉。厚切りの牛肉、タマネギ、トマト、フライドポテト(!)を具材としたペルーの炒め物です。

できたてのアツアツのロモ・サルタード。ニンニクの風味がきいていて、ご飯とビールがすすみます。

「大泉町は人口4万2千人の小さなまちですが、
その10パーセントにあたる4千人がブラジルの方々。
調べたらブラジルや南米をはじめ、53か国以上の方が住んでいるんですよ」と小野さん。大泉町に海外からの移住者が増えた大きなきっかけとなったのは、
1990年の入管法(出入国管理及び難民認定法)改正。

陽気なリズムがお祭りムードを高めてくれる、サンバのステージ。豪華な衣装にも目を奪われます。

「1980年代にブラジルが軍政から民政に変わったとき、
95年くらいまで経済が大混乱していて。
そのときの日本はバブル経済で、業績は右肩上がりの状態。
でも小さいまちで労働力を確保するのには限界があったので、
ブラジルをはじめとする海外からの労働者を受け入れたんです。
それまで3万5~6千人だった人口も急激に増えましたね。
あと当時ブラジルから来た人たちは、
エンジニアや弁護士といった本当に優秀な人たちばかりで。
優秀な人材を手放さざるを得ないほど、当時のブラジルの経済は混乱していたようです」

ビールのつまみにピッタリな、ブラジルのコロッケ〈コシーニャ〉。モチッとした生地の中には鶏肉が。

小麦粉を練った薄い皮で具材を包んで揚げた、ブラジルの軽食〈パステウ〉。日本や韓国からの移民が持ち込んだ春巻きが皮の由来という説もあるのだそう。

〈なんば焼〉と〈ごぼう巻〉。 おいしい魚から生まれた 知られざる和歌山の名品

47都道府県、各地のビールスポットを訪ねます。
和歌山でコロカルが向かったのは、太平洋に面した田辺湾を望む田辺市。

お殿様の命を受けて誕生した和歌山の名品

熊野詣が盛んだった平安時代中頃には交通の要衝として、
江戸時代に入ってからは城下町として栄えた田辺市。
外敵の侵入を遅らせるため、T字路を複雑に組み合わせた町割りが現在も残っています。

そんな城下町の名残りを感じる市内でコロカルが訪れたのは、
江戸末期の1865年の創業以来、代々家業として
かまぼこづくりを受け継いでいる〈たな梅〉。

縁起のいい、末広型の看板が目印の〈たな梅〉。

地域によって原料となる魚の種類やつくり方が異なるというかまぼこ。
「実はかまぼこは、郷土色がすごく強いんですよ」と教えてくれたのは、
たな梅の専務取締役の林智香子さん。現在の5代目のお姉さんにあたる方です。

かまぼこと聞いて、半円型に蒸された
板付けかまぼこをイメージする人も多いと思います。
でも古くから紀州田辺の名産として知られている〈なんば焼〉は、正方形に近い形状。
さらに蒸すのではなく、焼いてつくられているのも特徴のひとつ。

こちらが名品の〈なんば焼〉。ひっくり返して焼く際に自然とできる、なんばきび色の丸形焼付も特徴。

「もともとは、ここの本家筋の人がお殿様からの命令を受けて
つくるようになったものなんですよ。
お土産として江戸まで持って行くにしても生魚だと腐ってしまうので、
干物以外で日持ちするものをつくりなさい、と。
そこで魚の身をくずした(すり身にした)ものを型に入れて、
焼きしめるという製法を考えついたんです」

そんななんば焼の原料は、主に西日本でとれる魚。
「エソやグチという魚を使っています。おいしいんですけど小骨が多くて
食べにくいので、お魚屋さんには絶対に並ばないですね。
30年くらい前まではここでもたくさんとれたのですが、
地元の漁師さんの数も減っていることもあって、
いまでは瀬戸内海からも仕入れています」と林さん。

実際に使われていた昔のなんば焼の型とヘラ。「もともとはすり身を盛って半面を焼いて、焼けたらひっくり返していたんです。すり身を山型に盛るのも、和歌山のかまぼこの特徴ですね」

仕入れた新鮮な魚がなんば焼となるまでの工程を林さんに尋ねると
「まず1匹1匹の鱗をひいて(取って)頭や内臓を除いて3枚におろし、
皮をそいで身と分けます。ミンチ状にしたらすり鉢で卵白を加えて粘りを出し、
塩・酒・砂糖で調味して、すり身ができあがります。
この工程だけでもかなり時間がかかるんですよ」

店舗に併設された工場で焼かれるなんば焼。この日は朝5時半から作業が始まっていたのだそう。

すり身を型に詰めたら、いよいよ焼く工程に。
細長い作業場の端から続く機械に型が置かれていきます。
「ごく弱火で、蒸し焼きみたいな感じで40分ほどかけて焼き上げるんです」

「昔はこの福路町の通りだけでも6軒ほどかまぼこ屋さんがあって。たな梅の商品だとわかるように焼き印を入れるようになったんです」

ふっくらと焼き上がったなんば焼。「焼きあがりは、お餅みたいにパンパンでしょう?」

「とれる魚の量によって変わってくるのですが、1日に焼くのは300枚くらい。
お歳暮などの注文をいただく12月は10倍くらい焼きますね。
なので、その時期になると朝4時くらいから夜7時まで、
ずっと作業しっぱなしになるんですよ」

木端(こっぱ)みそは里山の香り! 奥能登名産の珪藻土コンロで バーベキューを楽しむ

47都道府県、各地のビールスポットを訪ねます。
石川でコロカルが向かったのは、奥能登、輪島市にある三井(みい)町。

里山の携帯食を、現代に復活!

どこまでも続いていくような、透明感に満ちた水色の空と川。
濃い緑色から黄金色に変わりゆく、里山の林と田んぼ。
夏から秋にかけての能登半島は、訪れただけで
すっきりと心身が掃除されてしまいそうな清々しさがあります。

そんな能登半島の「奥能登」といわれる輪島の里山で
ビールのアテにぴったりの伝統食があると聞き、訪れました。

待ち合わせ場所は、輪島市の中心地から、車で15分程度のところにある三井町。内陸部に入った700世帯ほどの規模の集落です。

田んぼの真ん中で、炭をおこしているスタンバイ中の人を発見!

「伝統食を食べるなら、バーベキューが一番ですよ!」と
現地に住む山本亮さんが珪藻土コンロを準備してくれていました。
「さあ、どれにします? どれでもいいですよ」
珪藻土コンロは3種類、たくさんの食材とにらめっこして、すべて使用することに決定。
なぜこんなにコンロが何種類もあるのかというと、
能登半島の先端、珠洲(すず)が天然珪藻土の一大産地だから。
だから、ここではバーベキューといえば、珪藻土コンロが登場するのです。

「実際に住んでみてからわかったのですが、ここでは、何か地域のイベントがあると、
外で珪藻土コンロを並べてバーベキューするのが定番なんですよね」
移住者の山本さんが驚いたローカルの常識。
能登では定番という珪藻土コンロで、さて、何を焼く?

円筒形の七輪はよく知られていますが、珪藻土コンロにはいろいろな種類があります。左のものは土を練り上げて成形したもの。右のものは、珪藻土からそのまま塊ごと切り出してきたもの。

炭火が安定したのを確認した山本さんは、
クーラーボックスからタッパーを取り出しました。
中身は、青なんば(唐辛子)が入ったピリ辛の辛みそ。
スプーンですくって薄い木の板に乗せ、じゅうぶんに熱くなった網の上に置きました。
網の隣に置かれたサザエは、1、2分ほどで
じゅくじゅくと音をたて、もうすぐ食べごろ。
そうしているあいだに、熱で少し反った木の板から芳香が漂ってきました。

「アテの木の板の香りがいいでしょう? 
あ、能登ではヒノキアスナロの木のことをアテって言うんですよ。
石川県の県木で、能登半島にはたくさんあります。ほら、目の前にも」

アテは能登ヒバともいわれる、ヒノキ科アスナロ属の常緑針葉樹。
このあたりの集落の人たちは、その昔、白飯とみそを山仕事の昼食に携帯していました。
昼食時は、伐り倒したアテの端材の上にみそを置き、
それを焚き火で焼いてご飯と一緒に食べていたそうです。
それが木端(こっぱ)みそ。

珪藻土の遠赤外線効果で、中までじんわりあつあつです。

アテは、油分を多く含むため、水に強いとされています。木端みそは、林業で伐採した端材を有効活用。防虫効果のあるアテ、木端みそバーベキューは虫除けも期待できる?

アテの木と里山を眺めるシチュエーションのなかで、優雅にみそに手をつけてみます。
おおお、ピリッと辛く、でも甘い! 
左手に持ったビールのグラスはテーブルの上に置かれることなく傾きっぱなし! 
だ、誰かおかわりを私に~~~。

これが本当の、アテ(の木)でつくったビールのアテ。
と、くだらないダジャレが思い浮かぶくらい楽しくなってきてしまいました。

車で15分ほど向こうの海からやってきた海の幸、目の前の山の幸が集まって
バーベキューができるなんて、ゴキゲンすぎはしませんか!?

山本さんが大好きな場所での木端みそバーベキュー。「仕事で疲れてもこの景色をみればほっと癒されるんです」

もうすぐ稲刈りを迎える稲穂が頭を垂れていました。

十津川村の古民家宿泊施設 〈大森の郷〉で教わる めはり寿司で秘境ピクニック

47都道府県、各地のビールスポットを訪ねます。
奈良でコロカルが向かったのは、「紀伊山地の霊場と参詣道」として
世界遺産に登録されている、熊野参詣道小辺路(こへち)が縦断する十津川村。

東京23区よりも広い、昔ながらの山村風景が残る村

奈良県の最南端に位置し、日本一の面積を持つ村として知られる十津川村。
村には電車が通っておらず、奈良県内にある近鉄大和八木駅からは車で2時間20分、
和歌山県内にあるJR新宮駅からでも1時間30分はかかる、深い山あいにある村です。

十津川(熊野川)。生活用吊り橋として日本一長い〈谷瀬の吊り橋〉がかかる川としても知られています。

村のほぼ中央にある十津川村役場から細い山道を
車で10分ほど登ったところにあるのが〈大森の郷〉。
東洋文化研究家であり、日本の古民家再生事業の第一人者である
アレックス・カー氏が監修した、築100年以上の古民家を再生した宿泊施設です。

木の温もりあふれる〈大森の郷〉。古民家の外観と、近代的な内装とのギャップも魅力のひとつ。

かつては明治7年に開校した旧武蔵小学校の教員住宅だったという、この建物。
1970年に学校統合により廃校となってからは、そのままになっていたのだそう。
「大森の郷として営業を始めたのが2014年で、改修をしたのは2011年頃。
それまでも建物をどうにかしたいという話は何度かあったんですよ」
と案内をしながら教えてくれた平瀬生代さん。
大森の郷を改修するにあたって地域住民で立ち上げられた
〈むさし地域活性化協議会〉のひとりです。

最大4名まで宿泊できる〈焼峰〉。ヒノキやスギが使われており、木の香りが室内に漂います。奥にあるのはデンマークのスキャン社製の薪ストーブ。

「でも『火事でも起きたらどうするんだ』と最初は言われてしまって。
それから何年も経ってからまた話が出て、いまのままでは
建物がだめになってしまうからと改修することになったんです」

焼峰の和室部分。6畳間が2部屋つながった、ゆったりとしたつくり。

冷蔵庫からIHクッキングヒーターまで、調理器具がそろっている焼峰のキッチン。「追掛け継」という技法で古材が生かされた柱が、古民家であったことを思い出させてくれます。

「改修の話が出てから、村役場の担当者に
『徳島の祖谷(いや)に古民家を改装している宿泊所があるから行ってみよう』
と誘われて。その訪問がアレックスさんとつながるきっかけになったんですよ。
そのときもし違う場所へ行っていたら、いまとは違うかたちになっていたでしょうね」
と平瀬さん。

最大2名で宿泊できる洋室の〈行仙〉。ベッドなどにも十津川材が使われています。

アレックス・カー氏による監修のもと十津川材を用いて改修され、
地域活性化の拠点となる大森の郷へと生まれ変わった旧教員住宅。
「この地域はお年寄りが多いから夜に出歩く人もいなくて、
街灯があっても全体的に暗いんですよ。
でも、ここにお客さんが泊まるようになって
『灯りがついてるからいいね』って周囲の反応はありましたね」

宿泊されるのは、どんなお客さんが多いのかと尋ねると
「関東からいらっしゃる方もいるし、近くの奈良県内の人も来られるし、もうさまざま。
あとアレックスさんを尊敬しているという、
海外からいらっしゃった方が泊まったこともありますね。
皆さん『ゆっくりできました』って言ってくださるので、
うちの土地なりの良さがあるのかなって思います」と平瀬さん。

ちなみに「毎年お盆の時期に3日間お泊まりになられる方もいて。
その方は来年の予約をしてから帰られましたね」と、すでにリピーターもいるのだそう。
周囲にはお店などもほとんどなく、緑が広がります。
その環境を求めて「何もしない」ために来るのかもしれません。

この景色を眺めながらビールを片手にのんびりするのもいいかも。

〈かぶす汁〉ってどんな汁? 魚によって毎日味が違う 氷見の漁師飯を食べる

47都道府県、各地のビールスポットを訪ねます。
富山でコロカルが向かったのは、寒ブリなどの魚介類が有名な氷見。

捨てられる運命の魚が最高の贅沢汁に!

特に手の込んだ調理法ではないけれど、すっごくおいしそうに見えるのが漁師飯。
豪快なつくり方&食べ方に憧れてしまうものです。
各地方に伝わる漁師飯がありますが、魚のまち、富山の氷見にももちろんあります。
その名は〈かぶす汁〉。

「かぶす」とは、もともと氷見の漁師の言葉で「分け前」という意味です。
漁師たちが漁の合間や漁のあとに、その「かぶす」でつくったみそ汁を
かぶす汁といいます。

この海の先が全国でも有数の漁場です。

地域おこし協力隊として氷見に赴任した左座進介さんは、
現役の東京海洋大学大学院の学生でもあり、
調査フィールドとして氷見の漁業の研究をしています。
そのなかでかぶす汁に出会いました。
初めて漁師の作業小屋である「番屋」でかぶす汁を食べたとき
「これはうまい!と思った」と言います。

「漁師さんはみんなおにぎりを持参してかぶす汁を食べています。
最近ではあまりつくられなくなったようですが、
僕がよくお世話になっている漁師さんはいつも食べていますね」

本日のかぶす汁となるお魚たち。

さっそく、左座さんにかぶす汁をつくってもらいました。
当日用意されていた魚は、カワハギ、メジナ、ホウボウ、カナド、ユメカサゴ、
マエソ、ミシマオコゼ、ヒイラギ、ハタハタ、キジハタ、シロギス、イシダイ。
シーズンではないので氷見名物の寒ブリやホタルイカ、紅ズワイガニなどはありません。
しかし、シーズンであってもそのような魚は入りません。
かぶす汁に使われるのは小さな魚ばかり。

「ある特定の魚が入ったものを、かぶす汁というわけではありません。
いろいろな魚を使います。しかもサイズの小さい魚や一匹ものなど、
市場に卸さない魚なのです。つまり“お金にならない”魚たちなんです」

本来ならば捨ててしまうような魚を、自分たちで大切にいただくということ。
それが「分け前」である「かぶす」なのです。

つくり方はそう難しくありません。まずはウロコをとり、頭を落とします。
そしてこの頭は使いません。

「アラ汁ではないんです。アラからだしはとりません。
頭を入れるとなると、エラをとらないといけません。
それが手間だったのではないでしょうか。
大きな魚だったら頭を割って入れていたかもしれませんね」

丁寧にウロコを取る。

そして頭を落としていく。

サイズに限らず1匹の魚にかける手間は同じなので、たくさんの魚を使うかぶす汁の仕込みは思ったより大変。

船の上や番屋で、余った魚でパパッと簡単につくるということ。
だからウロコは取りますが、ひと口大などに小さく切ることもしません。
そして内蔵を除いた魚をお湯が沸いた鍋に投入。お酒も入れて臭みをとります。
最初に出たアクだけ取りながら、10分ほど煮て、味噌を溶き入れたら完成。

とにかくさばいた魚を入れていくだけ。

氷見の人は味噌が好きなのだそう。

だしは一切入れないし、野菜も最後にお好みでネギを入れるくらい。
かぶす汁はすごくシンプルなのです。

「重要なのは魚の鮮度。前日とれた魚でつくっても全然おいしくありません。
新鮮だからこそ、ほとんど味つけをしなくてもおいしいのです」

完成しました、かぶす汁。具だくさんによそってもらいました!

さっそくいただきます。アラを入れていないからでしょうか。
これだけたくさん魚が入っているのにさっぱりとしています。
でも魚は朝とれた新鮮なものなので、身はプリップリ。
ただし魚そのままなので、小骨との格闘が始まります。

「かぶす汁を食べていると、みんな無言になるんですよね。
骨をしゃぶっている感じも僕は好きなんです。
漁師のなかには、汁から身だけを取り出して食べる人もいます。
お酒のおつまみですね。逆に汁だけほしいって人もいますよ。
おつまみにも、おかずにもなって、結構、万能選手なんです」

本当の漁師がつくるかぶす汁はもう少し塩辛いそう。汗を流したあとだからでしょう。
でも、ビールにもばっちり合いそうです。

左座進介さんは、2年前に氷見に移住。東京海洋大学院生。

三瀬から各地へ〈旅するクーネル〉 スパイスと愛情たっぷりの 移動販売式カレー

47都道府県、各地のビールスポットを訪ねます。
佐賀でコロカルが向かったのは、佐賀県の北、
福岡県との県境にある山あいの里、佐賀市三瀬村。

高原地・三瀬に、ある日突然現れたカレーの移動販売

海なら糸島、山なら三瀬。
昔から佐賀の三瀬は、福岡県民からも、
週末のドライブルートとして人気を集めていました。
わざわざ他県まで? 
そうなんです、実は三瀬は佐賀市の中心から北へ車で30分ほどの距離にあり、
脊振山地を隔ててすぐお隣の福岡市と接しています。
そのため、佐賀市内のみならず、福岡からもドライブで
訪れる人々が多いエリアとして知られてきました。

この三瀬村は脊振山地の一帯にあり、「みつせ高原」とも呼ばれています。
嘉瀬川が村の中央を通り、その川の先は北山湖へとつながっています。
山があり、川があり、湖がある。緑豊かで、のどかなロケーションです。
特に夏季は近場の避暑地として広く県内外の人々に愛されています。

絶好のロケーションの中で営業中の〈旅するクーネル〉。

そんな三瀬村で、カレーの移動販売車の姿を見かけるようになったのは
2015年のこと。その名も〈旅するクーネル〉。
店主・井上よしおさんはかつて福岡市のど真ん中、大名で
自然派ワインとイタリアンの店〈食堂クーネル〉を営んでいました。

笑顔がすてきな井上よしおさん。

「その当時、漠然とこのままでいいのかと考えるようになって。
店を続けることは、生きていくこと。そう思えば思うほど、
大名というまちでの営業に、窮屈さを感じてきました」

そんな井上さんにとってリフレッシュの源になっていたのが旅。
時折、長期休暇をとり、海へ、山へ、国内はもちろん、
国境を超えて海外にも繰り出したそう。

10年の節目に食堂クーネルの暖簾を下ろし、
奥さんと一緒に世界一周、22か国を周る旅に出発。
およそ1年かけた旅は、井上さんに大きな価値観の変化をもたらしました。

「自分らしくありたい。そう強く思ったんです。
ラクなほうに流れるというと怠惰に聞こえますが、本当にそういう感覚です。
食堂クーネルを営んでいた頃は常に追われる生活をしていた気がします。
そういうスパイラルから離れようと決めました」

井上さんは帰国後、九州一周の旅に出かけます。その目的は住まいを見つけること。
熊本、鹿児島、宮崎と各地を巡り、理想の生活ができる場所を探し求めました。

「世界一周の旅で2か月もの期間を過ごしたパタゴニア。
そこでは長い間、夢見てきた生活のかたちがありました。それが循環型の生活です。
日本でもそんな生き方ができる土地はないか、自分の目で確かめようと思って」

暇なときは楽器を演奏するという井上さん。そんなゆるやかなスタイルも支持されています。

そんな九州一周の旅を経て、いったん地元・福岡へ戻り、
循環型の生活が実践できる農地つきの物件、
海が近い山中の家や土地の情報を調べた井上さん。
最終的に、偶然見つけたというこの三瀬村で暮らすことになりました。

「近くに有機野菜の生産者がいるんです。
同じような考えの方が暮らしているのは心強かったですね。
山あいのこのロケーションは、なんだかネパールに似ているかな」

テレビは映らない、湿気がすごい、虫がたくさん出る、
冬の寒さが厳しいという環境ではありますが、
三瀬村の暮らしは井上さんの肌に合っているようです。

「お金が全然かからないので余計なストレスがありません。
何より、人のあたたかさがあります。
余った野菜をご近所さんにもらうこともありますし、
住人の皆さんに支えてもらっているなと感じています」

こうして暮らしの拠点ができた井上さん。
この場所に移ってきたのを機に始めたのが移動式のカレー販売でした。
農学校に通っていたときに、興味が湧いたそう。

営業開始前にカレーの仕込みとテント張り。あっという間に心地よい場所が完成します。

「カレーを愛してやまない妻の影響で食べるようになり、
すっかりその魅力に夢中になりました。
100日連続でカレーを食べ続けたこともありますし、
おいしいカレーがつくれるようになりたいという思いから
カレーに関する本を読みあさり、おいしいと聞いたお店も積極的に食べ歩きました。
勉強のため、インドにも数回通っています。
大好きなカレーを通じて、食べた人の健康に寄与できると知って、
カレーこそ自分の生きる道だと思いました」

カレーに使うスパイスの数々。

自分自身で有機野菜を育て、それらの野菜を主役にし、
スパイスを駆使してカレーに仕上げる。
その土台に自身が追求する循環型の暮らしを据えようと考えました。

西粟倉村のローカルベンチャー。 〈村楽エナジー〉のゲストハウスと バイオマスエネルギー供給

ローカルベンチャー発祥の地、西粟倉村での取り組み

今年の6月から、北海道岩見沢の美流渡(みると)と朝日地区で、
東部丘陵地域未来会議というトークイベントが行われている。
東部丘陵地域とは、美流渡や朝日、毛陽、万字(まんじ)、宮村など、
岩見沢の山間部に近い地域全体のことを指す。
いずれも過疎化の問題を抱えており、これらの地域を
いかに活性化させるかが課題となっている。

わたしたち家族は、いま美流渡地区の空き家を改装し、
ゲストハウスのような場所をつくろうと考えており、
地域の未来について、住民の皆さんとともに考えていきたいと思っているところだ。
そのため、この会議の企画のサポートをしており、コロカルの連載でも
イベント第1回からレポートを掲載してきている。

その第4回目が9月9日に、岩見沢市の朝日コミュニティ交流センターで開催となった。
トークのゲストは、岡山県西粟倉村で
〈村楽エナジー〉という会社の代表を務める井筒耕平さん。
西粟倉村は人口約1500人の小さな村だが、近年、移住者が増え、
次々と起業家が生まれ、地域活性のモデルとして、全国から注目を集めている場所だ。
この村で井筒さんは、樹木などの有機物を原料にした
バイオマスによるエネルギーの供給やゲストハウスの経営、
コンサルティングと多彩な仕事を行っており、これらの経験を踏まえて、
「ローカルベンチャーでちゃんと稼ぐ」をテーマに今回は話をうかがうことにした。

井筒耕平さんの出身は愛知県。専門は再生可能エネルギーと林業に関する実践および調査研究。岡山に移住したのは11年前。現在、西粟倉村で村楽エナジーという会社を運営する。

西粟倉村に移住する以前、近隣の上山集楽で地域おこし協力隊として活動していた井筒さん。ここで林業を自ら体験。獣害対策として、猟師が仕留めた鹿を自らさばくこともあったという。

トークのはじまりは井筒さんの仕事内容から。
井筒さんは大学で環境学を学んだ後、エネルギー事業のコンサルタントを手がけており、
バイオマスエネルギーが専門だった。
自身の知識や経験を生かして、西粟倉村の日帰り温泉施設に薪ボイラーを設置。
2015年からエネルギー供給をスタートさせた。燃料となる薪は、
住民やこの地域の林業の経営母体となっている役場から買い取っている。

西粟倉村は、村の95%を森林が占め、そのうち86%が人工林。
スギやヒノキが植林されていたことから、〈百年の森林構想〉を掲げ、
林業を軸とした地域再生に乗り出している。
薪は地域に豊富にあり、井筒さんはC材と呼ばれる、
家具や建材では使用できない木材を買い取っている。
「C材はパルプなどの原料になりますが、外に売るととても安くなってしまうので、
地域の中で使うことを考えました。
C材を少し高めの値段で買って、林業を支えることができたらと」

木材の購入によって地域を潤すだけでなく、エネルギーを自分たちでつくり出すことは、
地域外へのお金の流出を抑制することにもつながるという。
井筒さんの調べによると、エネルギーに対して人々が支払う金額は、
1500人の村で数億円であり、村としては巨額になるという。

住民や役場から買い取ったC材をカットして薪にする。

カットした薪をボイラーのある施設に運ぶ。

新型の薪ボイラー。ボイラーには3〜5時間に1回、薪を投入する必要があるという。バイオマスエネルギーによるメリットは多数あるが、人件費がかかり、なかなか利益があがらないという課題もある。

絹の道から塩の道へ。 佐々木愛の豊橋への旅 あいちトリエンナーレ通信 vol.6

『内在の風景-Immanent Landscape』ウェストスペース/メルボルン

3年に1度開催され、現在開催中の国際芸術祭〈あいちトリエンナーレ2016〉。
3度目となる今回は、名古屋市、岡崎市、豊橋市で開催されています。
参加アーティストや広報チームが、その作品や地域の魅力を紹介していくリレー連載です。

はじめに

はじめまして、佐々木愛です。
あいちトリエンナーレでは豊橋会場で壁画作品を展示しています。
これから2回に分けて、作品のこと、滞在制作のこと、
豊橋会場のことなどを書いていこうと思います。
まずは自己紹介を兼ねて、私のこれまでの作品や制作について少し。

私は「物語や神話など人の“記憶”からインスピレーションを得た世界と、
現実の世界の交わる情景」をテーマに、
壁画や絵画、版画など、平面作品を制作しています。
なかでも、トリエンナーレでも発表している砂糖(ロイヤルアイシング)を使った
壁画作品は、ここ10年ほど積極的に発表してきました。

『残された物語』ロイヤルアイシング 2012年/開港都市にいがた水と土の芸術祭(撮影:山本糾)

『four songs』キャンバスに油彩 2014年/ベルナールビュフェ美術館(撮影:山本糾)

壁画作品はその場所ごとに制作するので、
そのほとんどが展示場所に滞在して制作します。
作品サイズは10メートルを超えるものが多く、
1か月から3か月ほどの滞在になることもしばしばあります。
作品を展示する土地をテーマに制作するために、
いつも滞在先を訪ねるところから制作が始まります。
そして、古いお話や伝統文様、固有の植物など、
その土地にまつわるさまざまなものを少しずつ集めて、
自分と土地との距離を徐々に縮めながら、
私なりの新しい物語を見つけていき、新しい風景を描きます。

砂糖を使用した壁画作品は、限定された期間のみ展示し、
会期終了後には取り壊され、鑑賞者の記憶にのみ残されます。
これまでも国内では青森、京都、新潟、静岡、長野、福井など、
海外では、韓国、ニュージーランド、オーストラリアなどで滞在制作を行いました。

『まどろみ』キャンバスに油彩 2013年

『mist』銅版画 2010年

始まり、ひとつ目の旅

2016年3月、豊橋で。打ち合わせのあと、まちを散策。アスファルトの隙間に花!

日頃制作している作品と、芸術祭で展示することに向けて制作する作品とでは、
始まり方が少し違います。依頼を受けて制作する際には、
まず依頼主(キュレーター)と会って、話すところから始まります。
そして、芸術祭全体のテーマや土地の歴史、まちのこと、
私の過去の作品のことなどを話しつつ、作品の方向性を考え、
それに合った展示場所を探します。

通常、展示会場候補となる場所がいくつかリストアップされており、
作家はその中から選ぶのですが、時には展示場所から探すこともあります。
美術館やギャラリーで発表することとは違う、芸術祭ならではのおもしろいところです。

開催地訪問初日は、「どんな作品にしようかな? 
展示場所はどこがいいかな?」とぼんやり考えつつ
まちの名所や歴史的建造物、人の暮らしが見える商店街などを歩きます。
このときはまだ作品の方向性も決まっていないので、
「おや?」と興味を惹く“何か“に出会うことをうっすらと期待しつつ、
特に何も決めずにいろいろな場所を見て回ります。
その後、私個人の作品のテーマを決め、そのためにリサーチし、
作品制作のスケジュールを立て、それに必要な道具、人、予算などを決めていきます。