神様が海を渡る。 真鶴で愛され、受け継がれる 〈貴船まつり〉の美

写真提供:真鶴町

夜の海に鳴り響く笛と、太鼓の音。花飾りを付けた4隻の船が、
剛腕たちの漕ぐ「櫂伝馬(かいでんま)」に曳航(えいこう)され、
大きく左右に揺れながら進んでいく。その中心に位置するのは「神輿船」、
時折「囃子船(はやしぶね)」から暗闇の海に飛び込む若者。
神輿船がちょうど港の真ん中にくる頃、その頭上に花火が打ち上がる……。

まるで何かの映画のワンシーンのような美しいその光景。
神奈川県真鶴町で毎年7月27日、28日に行われる貴船まつりのクライマックスだ。

「日本三船祭り」のひとつといわれる貴船まつりは、
真鶴の町民に古くから愛され、国の重要無形民俗文化財に登録されている。

その美しさはどこから来て、どう受け継がれているのか。
真鶴の人々のアイデンティティとも言える貴船まつりを取材した。

貴船まつりとともに育つ真鶴の人々

夜の海を船が渡る数時間前、まちなかではお神輿の担ぎ手の声が鳴り響いていた。

「そーりゃー!さー!そーりゃー!さー!」

掛け声に合わせ担ぎ手のテンションもどんどん上がる。
その荒々しさに初めて来た人は驚くだろう。
お神輿は2日間をかけてまち中を廻り、さらには海の中にも入る。
「みそぎ」といわれ、お神輿を海の中に沈め清めるのだ。

お神輿は全部で3基。そのうちメインの「本神輿」は、しきたりにより男性しか担ぐことができない。

海の中に入るお神輿。実は足がつかないぐらい深くなるため、立ち泳ぎする必要がある。

お神輿が進む道には、必ずその前に「花山車(はなだし)」と
「鹿島踊り」という出し物が通る。
どちらもお神輿が通る前に道を清めるのだという。
また、同時に「屋台囃子(はやし)」を乗せたトラックがまち中を廻り、
笛と太鼓で祭りを一層盛り上げる。

鹿島踊り。まだ小学生の子どもたちも一緒に踊る。お神輿とは対照的にゆったりとした踊りだ。

お神輿だけを見るとかなり荒々しいお祭りであるが、
祭り全体の参加者の年齢や性別はさまざまだ。
ここに、貴船まつりが江戸時代から町民に大事にされてきた理由があると、
貴船神社の宮司である平井義行さんは語る。

貴船神社の宮司である平井義行さん。平井家は平安時代から貴船神社の宮司を務めていると言われる。(撮影:MOTOKO)

「貴船まつりは町民みんなが参加できるお祭りです。
小学生の頃は鹿島踊り。年齢が上がると囃子太皷。
さらにあがるとお神輿、という風に順繰りにあがって、
だんだんお祭りの本筋のほうに入っていくという体系があるんです。
例えば鹿島をやっている子たちが、
“俺も来年になったら太鼓たたけるんだ”といった話をしたりします。
そうすると、先輩、後輩の関係ができあがる。
そういうつながりが綿々と未だに続いているんです」

こうして子どもの頃から貴船まつりとともに育ってきた人々の、
貴船まつりに対する思い入れは半端ではない。
真鶴の1年は貴船まつりを中心にしてあると言われ、
お祭りが近づくにつれまち中がソワソワしだすのだ。

「お盆や正月に帰ってこないような人も、この日に合わせて真鶴に帰ってきて、
同窓会やクラス会が開かれたりもします」と平井宮司は微笑む。

「こうした、いわゆる観光目的でない町民によるお祭りであることが国にも認められ、
平成8(1996)年には国指定重要無形民俗文化財にも登録されました。
親子でお守りする、貴船神社のように小さな神社が執り行うお祭りが、
国指定の文化財に登録されることは非常に珍しいことで、
これはひとえに多くの真鶴の人々が、祭を愛し育ててくれた賜物と、
深く感謝しています」

真鶴の絶景アトリエで作陶する 陶芸家〈風籟窯〉井上昌久さん

使い手とつくり手の心を自由にする1枚を

「丁寧に精緻(せいち)につくるというよりも、基本的な形をしっかり
つくってやれば、あとは窯が絵を描いてくれるっていう感覚がある。
薪窯のおもしろさっていうのはそこですね」

そう話すのは、神奈川県真鶴町の北側にあたる岩地区を拠点に
制作を続けてきた陶芸家の井上昌久さんだ。

真鶴駅から車で10分ほどの高台にあるアトリエは、
〈松本農園〉のみかん畑と、広大な相模湾を望むまさに絶好のロケーション。
アトリエの裏手には3か月かけて完成させたという自作の穴窯もあり、
ここで初夏と秋の年2回、それぞれ約10日間にわたり300~400点ほどの作品を焼く。
釉薬を使うのはほんの一部のみ。
長時間高温で焼成する「焼締め」が井上さんのスタイルだ。

「最後まで完成させようとするよりも、花を飾ったり、料理を盛ったりすることで
ようやく完成するくらいのユルさがあるほうが、
かえっておもしろいんじゃないかなと思いながらやっています。
そうすることで、自分自身もある程度自由な気分を維持できていますね」

そうしてつくられた作品は、アトリエに隣接する〈ギャラリー風頼窯〉で
常時展示販売されている。

アトリエに隣接する〈ギャラリー風籟窯〉。色、模様、形もさまざまな井上さんの作品が並ぶ。

また2014年からは、民間の組織で立ち上がった
〈湯河原・真鶴アート散歩〉の拠点のひとつとして参加したり、真鶴の芸術祭
〈真鶴まちなーれ〉の「差の湯の会 差を見るお茶会」などにも協力している。

窯の完成から16年。町内外からギャラリーを訪ねてくれる人々も増す一方、
自治会活動にも関わるなど、作家として、ひとりの町民として
すっかりと真鶴に馴染んでいる井上さんだが、
意外にも真鶴で生まれ育ったわけではないという。

作品のほとんどは釉薬を使わず、窯の中で起こる偶然に任せる。井上さんは「窯が絵を描いてくれる」と表現した。

30年に及ぶ教員生活の始まりは真鶴から

井上さんと真鶴との接点は、いまから46年前まで遡る。
もともと画家をめざしていた井上さんは、東京の大学を卒業し、
新米美術教員として真鶴中学校へ赴任してきた。

「真鶴に来たのはたまたまの縁。あの頃は、鎌倉に住んでみたくて
鎌倉地区を志望していたんだけど、その年の採用がなくてね。
『もう終わりだろう』と諦めていたら、小田原の教育委員会から
引っ張ってもらえたんです。それで真鶴中学校に勤めることになりました。
それまで真鶴のことをまったく知らなかったんだけど、
初めて訪れて港の周辺を歩いて回っただけで
『これこそ自分が求めていたものだ!』という気分になったのを覚えています。
自分の郷里が群馬の館林市で、海も山もない平野だったから、
こういう場所にすごく憧れがあったんです」

真鶴で教員として過ごした時間はわずか6年。
その後、湯河原で11年、小田原で7年、
54歳で早期退職するまでの5年間を箱根の仙石原で過ごした井上さんは、
2000年に現在の場所へ越してきた。
現在も、真鶴の教え子たちがアトリエに遊びに来ることもしょっちゅうだとか。

西日が差し込み、「おかあさん」と呼ばれる愛猫もまどろむ心地よさ。窓の外には相模湾が広がる。

「真鶴への赴任が決まったうれしさが、
そのまま学校の生活につながったというのはありますよね。
夢中で野球部と美術部の顧問をして、秋には陸上部と一緒に走ったりして。
自分も若かったし、生徒との距離もそんなになくて、
ほとんど友だちづき合いみたいな感覚でやれたのがよかったんじゃないかと思う。
真鶴を離れてからも、常に自分の周りには教え子が来てくれるような状況がありました。
ここの窯をつくるときもレンガを運ぶのを手伝いに来てくれたりね」

授業をするうえで大切にしていたのは、
「美術=上手・下手」という先入観を取り払い、
「絵を見ること、描くこと、ものをつくることの
楽しさを知ってもらって、生徒を送り出すこと」だった。

「誰もが美術を好きになれるような授業をやりたいという気持ちが一番にありました。
だから卒業してからも、絵描きになるとか彫刻家になるとか、
そういうことにこだわらず、毎日の生活のなかでも、ものを見ること、
つくることの楽しさがわかるような子どもになってもらえたらいいなと」

古材をレスキュー!  リビルディングセンタージャパンの 東野さん夫妻に会いに行く

撮影:MOTOKO

諏訪の古材販売の拠点&カフェを訪れて考えた、ふたつのこと

2017年が始まり、2週間が過ぎました。
私たちは相変わらず、小豆島の農村で畑をしたり、家を直したりして暮らしています。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。

去年は1年365日のうちの350日くらい家にいました(たぶん)。
本当はもう少しいろんなところへ行きたいなと思ったりもしますが、
ま、いまはこれでいいんです。
毎日自分たちが畑に出て作業し、週末は家でカフェ営業をする。
いまの私たちは「土の人」で、1か所にとどまり、
その場所を育て、人が来てくれるのを待っている。
その暮らし方が好きで、そんなにあちこち行かなくても全然つまらなくない。

ただ、年末年始だけは少し長いこと島を出ます。
長いことと言っても、1週間くらいだけれど。
畑も比較的落ち着いていて、娘も冬休み。
ここぞとばかりに、実家に帰ったり、都会で欲しいものを買い出したりします。

そしてこの年末年始は、思ってたよりもいろんなところへ行き、
いろんな人に会いました。
年に1度、実家のある愛知に帰るのですが、なかなかこっちのほうには来られないし、
少し時間もあるからどこか行きたいねと話していて
思いついたのが〈リビルディングセンタージャパン〉(以下、リビセン)。

リビセンは、上諏訪駅から歩いて10分ほどのところにあります。

たくさんの古材が置かれた倉庫。奥には作業場も。

レスキューされた古材たち。レスキューとは引き取って、新たな価値をつけてあげること。

リビセンは、2016年9月末に長野県諏訪市にオープンした
古材や古い家具などを販売するお店です。
ただ古材を売るだけの場所じゃなくて、「ReBuild New Culture」という理念を掲げ、
古いもの、使われなくなったもの、廃棄されてしまうようなものに新たな価値を見出し、
もう一度使う、そういう文化を日本で広げていこう、その拠点となる場所です。

建物2階では、家具や建具などが販売されていました。

KEEPシールがたくさん貼られてました。

「ReBuild New Culture」たくさんの人たちがこの理念に共感して集まってくる。

子どもが朝市に出店? 松浦真さん・智子さんが展開する 教育プログラム 秋田そだち Vol.3

秋田の豊かな自然と風土のなかで育まれてきた人、そして育まれていく子どもたち。
秋田の恵みをたっぷり受けながら暮らす人を全3回のシリーズでお伝えしていきます。

直感で移住を決めた結果は……?

移住の決め手は人それぞれだが、直感というのはとても大事な要素かもしれない。
2016年4月に大阪から一家4人で秋田県五城目町に移住してきた、
松浦真さん・智子さんご夫婦の話を聞いていると、そう思えてしまう。

知り合いだった丑田さんご夫婦が移住していたこともあり、
2015年の7月に初めてここに遊びにきました。
いろいろお話を聞きながら案内してもらったなかで、
周辺の環境や〈BABAME BASE〉の窓から見える景色がすごくすてきだったので、
ふたりで相談して移住することに決めました」(智子さん)

BABAME BASEとは、旧馬場目小学校の校舎を利用した施設で、
起業した人やコミュニティ活動をする人たちが入居するシェアオフィス。
松浦さんたちが運営する合同会社〈G-experience〉もここに入っている。

「そのとき、五城目町に到着してまだ2時間くらいしか
経っていなかったんですけどね(笑)。窓から景色を眺めながら、
『人生一度しかないのだから、ここに住むべきだね』
『うん』と決めてしまった感じです」(真さん)

五城目町地域活性化支援センター、通称〈BABAME BASE〉にはさまざまな人たちが集い、まちの活性化が進む。

松浦さん夫婦の移住の決め手となった、BABAME BASEからの景色。

もちろん、それまで移住を考えたことがなかったわけではない。

「どこか田舎に行きたいね、とは話していました。
7歳の息子と5歳の娘がいるのですが、子どもたちが大きくなるにつれて、
人口の密集した都市部での子育てだったり、
マンモス校の教育環境などに限界を感じるようになって。
かといって具体的にどこへ移住するかは、決めかねていたのですが。
実際移住してみて、ストレスが10分の1に減りましたね」(智子さん)

秋田市から車で約30分ほどのところにある五城目町。八郎潟からもほど近く、豊かな自然が広がる。

松浦さんたちが初めて五城目町を訪れたときに滞在した〈シェアビレッジ町村〉。築130年を超える古民家を改築。「年貢」と呼ばれる年会費を払うと「村民」になれる。「寄合」という名の飲み会も。

子どもたちが商品を企画して朝市に出店

生まれも育ちも大阪で、仕事のパートナーでもあるふたりは、
2007年にNPO法人〈cobon〉を立ち上げ、大阪を拠点に
小学生を中心とした教育プログラムを実施してきた。

cobonの活動で代表的なのが、まちづくり体験型ワークショップ〈こどものまち〉。
子どもたちが自ら考えて、架空のまちづくりを行うワークショップで、
30年以上の歴史があるドイツの「ミニ・ミュンヘン」がモデルとなっている。

「子どもたちが100人から多いときは500人くらい集まって行うのですが、
そのまちのルールや必要と思う仕事を自分たちでつくって、まちを運営していきます。
そのプロセスが働き方や生き方そのものを自分で考える手助けとなるのです」(真さん)

これまで2万人を超える子どもたちにこうしたプログラムを提供してきたが、
直感で移住した五城目町では、さらにそれを進化させたプログラムが
実現可能であることに気づく。
松浦さんが着目したのは、この地で520年もの歴史がある朝市だった。

「こどものまちはあくまでも架空のまちをつくる設定でしたが、
〈キッズクリエイティブマーケット〉は、小学生が実際に
五城目町の朝市に出店するプロジェクトなんです」(真さん)

例えば2016年9月に行われた、第1回キッズクリエイティブマーケットでは、
日々疲れているお母さんのために子どもたちが3、4人でチームを組んで、
商品やサービスを企画・販売。お母さんが毎日どんな行動をして、
その都度どんなことを感じているのかをリサーチして書き出し、
お母さんの気持ちに寄り添って、商品やサービス内容を考えた。

その結果生まれたのが、肩こりに悩むお母さんのためのマッサージ券、
木の枝や松ぼっくりなどをLEDで装飾したクリスマスツリーのような鑑賞用商品、
お母さんや家族の願いが叶うミサンガなど。
これらを〈ごじょうめ朝市plus+〉で販売して、
2時間で合計2250円の売り上げを出したそう。

キッズクリエイティブマーケットでのワンシーン。肩こりに悩むお母さんにマッサージするのも商品のひとつ。(写真提供:G-experience)

ほかにもユニークな商品がいろいろ。世界的なアーティスト、ジェームズ・タレルの作品にインスパイアされて、朝でも夜の空間になる体験型アートも登場。子どもたちの商品開発の力に脱帽。(写真提供:G-experience)

「自分たちがつくりたいものではなく、ニーズを汲み取り、
ユーザーに喜ばれるものを考える。
仕事であれば当然のことですが、学校で受け身になっているだけでは、
なかなか身につかない力といえます。

いい仕事っていうのは、受け取った側だけでなく、
やった側もうれしかったりするじゃないですか。
相手が求めていることを確認して、きちんと届けることの大切さを
子どもの頃から当たり前に感じてほしいし、仕事は選ぶだけじゃなくて、
つくることができるのだと知ってほしいんですよね。
“つくる仕事”ではなく“選ぶ仕事”というのは、どうしても数が限られてしまうし、
就職する時点で何かと比べていいか悪いかを判断する、
相対的なものになってしまいます。

私たちは普段、ふたつの商品のどっちが安いかとか、
1000円の差で機能がどう違っているのかなど、
消費者目線で瞬時にものを選ぶクセがついていますよね。
仕事や会社を消費者目線で選んでしまうと、誰かと比べることでしか、
良し悪しを判断できないような人生になってしまう。

一方で、自分でつくればおのずと愛着が生まれるし、
それを必要としている人に届けるという考え方が根づいていれば、
あとはそこに専門的な学びを付随していけばいいんです」(真さん)

移住して半年足らずで、このようなイベントを実現してしまったことに驚くが、
五城目町だったからできたのだと松浦さんは感じている。

「子どもが朝市にこんなに簡単に出店できる場所なんて、
おそらくほかにはないですよね。520年以上続いているからこそ、
すぐに受け入れてくださる懐の深さがあったのだと思います。
そういう意味でもまちのことを知れば知るほど、
先進的な教育活動ができる場所だという思いが強くなっています」(真さん)

ここでは先進的な教育活動の可能性を感じると話す松浦真さん。

〈みる・とーぶ〉プロジェクトと 美流渡への移住。 春に向けて忙しい年明け!

なかなか改修が進まない古家……、今後の見通しは?

今年はいよいよ岩見沢の市街地を出て、中山間地である美流渡(みると)に移住する年。
昨年、古家の取得手続きも完了し、引っ越し目標は雪が解けたあとの5月!

……と、勢いよく書き出してみたが、実は11、12月は
古家の改修をまったく進めることができず、
目標までに移住できるかは、まだまだ予断を許さない状況だ。

改修は大工である夫が進めており、10月までは古家に足しげく通い、
内壁を壊すところまでは終わったのだが、それ以降は、東京からの来客が多かったり、
岩見沢市内でイベント開催の手伝いをしたりなど、夫の手を借りる場面も多かったため、
いったん止まってしまったのだ(結局、わたしがまいたタネが原因なのだけれど)。
一度、手が止まってしまうと糸が切れたような状態になり、
もともと夫は腰が重いタイプというのも重なって……。

岩見沢は豪雪地帯。古家の中に入るためにまず必要なのは除雪。たっぷり雪がつもると、さらに足は遠のく。

ただ、わが家族には移住を先延ばしにできない理由がある。
今年息子は小学1年生。4月からは美流渡の小学校に通う手続きを進めており、
引っ越しするまでは、現在の自宅から車で30分かけて通うこととなる。
朝8時になっても起きない息子を、登校時間までに学校に送り届けるというのは
頭の痛い問題のひとつ。

どう考えても美流渡に早く引っ越すのがベストなのだが、
わたしが改修に協力できるのは多少のお金を出すことだけで、実際に動くのは夫。
これからの段取りを細かく聞けば煙たがられるので、
内心気をもんではいるものの、見守るしかないのが現状だ。

作業の手を止めてしまう要因は家の状況にも。内壁をはがしてみると、梁が途中で切れていて、変なところに補強のための柱があったり。梁を強化する必要があるか、夫は悩み中なのだ。

同時並行で進めているイベントも、準備が佳境…!

そして、もうひとつ同じ時期に重要なイベントが控えていることも、
引っ越しが遅れそうな予感を感じさせる。
ただこれも、わたしがまいたタネだし、
この地域にきっと新しい何かが起こるきっかけとなると思っているので、
気を引き締めて取り組んでいきたいと思っている。

そのイベントとは、この連載の29回で経緯について書いた
〈みる・とーぶ〉プロジェクトだ。
このプロジェクトは、美流渡を含めた岩見沢の中山間地である
東部丘陵地域をもっとみんなに知ってもらうための取り組みで、
“東部”を“見る”という意味を込めて〈みる・とーぶ〉。

工夫を凝らした東部丘陵地域の地図をつくり、
イベントを開催して配布していこうと考えている。
第1回目のイベントはすでに日程が決まっていて、
4月に札幌市資料館で6日間、開催予定だ。

地図はいままさに制作中で、単なるスポット紹介ではなく「顔の見える地図」がテーマ。
東部丘陵地域の魅力はなんといっても人ということで、
地域の人々にひと言ずつコメントをもらい、
似顔絵を入れてマッピングしていこうというものだ。

岩見沢の地域おこし推進員(協力隊)の吉崎祐季さんと上井雄太さんが中心となって、
いま地域に回覧板を回したりしながら参加者を募っているところ。
集まっているのは、まだ10名ほどなので、そろそろこちらも積極的に動いていかないと
間に合わなさそうな感じがしている。

写真をもとに地域の人たちの似顔絵を制作中。これらを地図に落とし込んで仕上げる予定。

〈コミュニティ真鶴〉で 〈真鶴未来塾〉が まちづくりのためにできること

『美の基準』を体現する〈コミュニティ真鶴〉

神奈川県の南西部に位置する真鶴町。
真鶴駅から海岸方面に延びるメインストリート大道商店街を歩いていると、
独特なオーラを放つ建物が目に飛び込んでくる。
車道から奥の建物の入り口へと続くスロープ、棟を結ぶ渡り廊下、
建物の外壁に至るまで、形の異なる石がふんだんに使われ、
一度見たら忘れられないほどのインパクトだ。

〈コミュニティ真鶴〉の看板。真鶴駅からは徒歩10分ほどの距離にあたる。

石材業はまちの主要産業のひとつ。真鶴特産の小松石などを大量に使っている。「石尽くし」といってもいいほどの存在感。

ここ〈コミュニティ真鶴〉は、平成6年に真鶴町のまちづくり条例である
『美の基準』に基づき建てられた公共施設。
ロビーと第1会議室、第2会議室、和室〈無名庵〉を備える3棟が、
中庭をぐるりと囲むように位置している。

当時『美の基準』の策定に関わった設計事務所に設計を依頼し、
まちの職人らも加わって建てられたというこの建物は、
「美の基準を具現化する存在であるように」という町民の願いから、
粋な工夫が随所に見られる。

例えば、石を使った大胆な装飾は、石材業が盛んなこのまちならではのモチーフ。
地元で採れた小松石を砕いた際に出る端材などを使用しているそうだ。
ほかにも漁師が漁で使用する縄や、鶴や魚をかたどった細工などは
写真に収めたくなるほどの愛らしさがある。

小松石の端材が随所に使われている。

鶴のシルエットをした避雷針。まるで鶴が空を飛んでいるかのように見える。

2階の第1会議室の扉にも鶴のモチーフが。

2016年6月から、この場所を管理している一般社団法人
〈真鶴未来塾〉の代表理事・奥津秀隆さんの話によると、
かつては町役場があった敷地であり、その後は更地から公民館になるなど、
まちの中での役割は短いスパンで変化していたのだという。

コミュニティ真鶴としてオープンしてからは、
文化活動を通してまちづくりをする拠点ならびに
地域活動の交流の場として使用されてきたものの、
財政難が原因で管理がままならなくなり、
2013年度末には一時閉鎖に追い込まれたという寂しい過去も。

その後、2014年12月から、それまで施設を利用していた団体や
地域住民による運営協議会によって自主運営というかたちで新たなスタートをきり、
真鶴未来塾が協議会に参加したのを機に現在の管理体制に落ち着いたのだとか。

「まちづくりは行政の専売特許ではないと思う」と言う真鶴未来塾の奥津秀隆さん。〈コミュニティ真鶴〉を拠点に、まちを活性化させるアクションを仕掛けていく。

〈真鶴みんなの家〉で起きたこと。 アーティストと地元の若者による ものづくりワークショップ

都心からJR東海道線で約1時間半。
真鶴駅から商店が建ち並ぶ通りを歩くこと約10分ほどで、
道路にまで人が溢れる一軒家を見つけた。
中をのぞくと、右手には手づくりされた真鶴の地図、
左手には住民の顔の切り絵が壁を埋め尽くしている。
中央のスクリーンには「真鶴みんなの家」の文字。

お試し暮らしができる一軒家〈くらしかる真鶴〉では、
2016年10月18日~10月29日の間、一般公開・参加型のワークショップ
〈真鶴みんなの家プロジェクト〉が行われた。

このワークショップは、くらしかる真鶴を拠点に、
未来の真鶴を担う若者たちと外部のアーティストたちが集い、
寝食をともにしながらディスカッションをし、ものづくりで交流するというもの。
いままさに、住民を前に各自の成果物を発表する会が始まろうとしていたところだった。

プロジェクトを軌道にのせた切り似顔絵

オープニングを飾ったのは、チャンキー松本さんによる
和紙を使った貼り絵を紹介する映像作品。
真鶴らしい風景を貼り絵で表現し、絵や写真では表現できない素朴さと
リアルさが同居した仕上がりに、会場からも声が上がる。

チャンキーさんは、東京を拠点に絵本作家や
イラストレーターとして活躍しているアーティスト。
期間中は週末を除き、ほとんどの時間を真鶴で過ごした。
真鶴の印象は、「瀬戸内海の風景とよく似ていて懐かしい印象を持ちました。
僕は香川県の生まれで、仕事で尾道にもよく行くのでね」とのこと。

今回は、「人と景色、その両方がないとまちは成立しない」という考えから、
住民100人の切り似顔絵にも挑戦。
目の前に座った相手の顔を、わずか5分ほどで切り抜いていく。
特徴をよく捉えていて、とにかくそっくり。
この切り似顔絵をきっかけに、このプロジェクトを知った人がとても多かったそう。

「珍しい芸やし、初めて訪れたまちでは挨拶代わりにもなる。
待っていても始まらないので、最初はこっちから出かけて行きましたよ。
斜め向かいのお茶屋さんにふら~っと入って、挨拶をさせてもらって
『実は切り絵をするんです』と。
90歳になろうかというおばあさんの切り絵を切らせてもらいました。
幼稚園や敬老会(デイサービス)も訪問して、キャラクターを切ったり、
おめでたい切り絵を切ったりね」

発表会を前にチャンキーさんの切り似顔絵は99人分に到達していた。
「やっと完走できた気分」と清々しい表情だ。

右がチャンキーさん。左は地元チームとしてワークショップに参加した遠藤日向さん。貼り絵の映像作品につけた音楽も遠藤さんが担当した。

憧れのまち真鶴を歩き、写し、言葉をそえる

次に始まったのは神戸の塩屋からやってきた森本アリさんらによる〈ちいきいと〉。
〈ちいきいと〉は、まちの写真を使った大喜利合戦で、
神戸~阪神間を中心に、“ジモトを愛しジモトを極めた「まちの顔」たちが集結”し、
テーマに沿った写真とトークを発表する会のこと。

その名前は、地域を糸で結ぶという意味と、神戸にある元生糸検査所を
リノベーションした〈デザイン・クリエイティブセンター神戸〉(通称KIITO)で
開催されたことに端を発する。今回は、その真鶴版をやってみようというわけだ。

塩屋と真鶴には共通点が多いという森本さん(右下)。真鶴のまちをくまなく歩き回り、このワークショップが終わる頃には地元の人のように歩いていた。

ここで登場したのは「背戸道」「生きている屋外」「ほどよい駐車場」などの
『美の基準』にも登場するキーワードのほか、
真鶴というまちを浮き彫りにする「つる」「路地」「守り神」「ベンチ」「海」などの
言葉をテーマに撮影された写真の数々。

森本さんと真鶴のメンバーがまち歩きをして撮影し、選定されたものに、
住民や外から訪れた人々から公募された写真も加えられ、
撮影者によりその場でコメントが加えられ発表された。

会場からは写真が切り替わるたびに「ここどこ?」
「あ、○○さん家の近くね」など、質問と共感と、
ときに愛のあるツッコミが入り混じる賑やかな雰囲気に。
終了後は「住んでいると見失いがちな、なんでもないことの貴重さ、おもしろさが、
ほかの人のフィルターを通して見直すことで見えてきた」など、
うれしいコメントが寄せられた。

森本さんは、塩屋の洋館〈旧グッゲンハイム邸〉で催しの企画・運営を行っている。
ときに楽団の団長として、ときに塩屋のまちづくりメンバーとして、
幅広く活動している。真鶴は塩屋ととてもよく似ていながらも特別なまちだと話す。

「すり鉢状で、山と海が近くにあって、高低差がある。
塩屋と真鶴はまちの規模と地形がそっくりで見分けがつかないくらいです。
僕が真鶴を知ったのは、塩屋のまちを守るためにまちづくり条例の勉強をするなかで、
『美の基準』が取り上げられたことがきっかけ。すごいところがあるんだなと。
僕みたいなまちづくりを学んでいる人間からすると、真鶴は憧れのまちなんです」

その後、知人のつながりで真鶴からも塩屋に訪れている人がいることを知り、
「あ、向こうからも注目してもらえてるんや」と親近感をもったそう。

「昨日ね、美の基準をつくった三木邦之元町長さんがここに来られて、
お話できたんです。塩屋でもまちづくりガイドラインをつくろうとしているのですが、
つくるうえで、生の声を聞くことができて本当によかったです。
深く響くものがありました」

能登島に島流し? つながりを生む体験ツアー 〈うれし!たのし!島流し!〉

「刑」を通して島の暮らしを体験する

黄金色に輝く稲穂が広がる田んぼで、
都会から来た人たちが地元の人たちと一緒に稲刈り。
それだけならよくある体験ツアーだが、これは「稲刈りカイカイの刑」と呼ばれる刑。
能登半島は七尾湾に浮かぶ能登島で年に4回開催されている、
その名も〈うれし!たのし!島流し!〉というツアーの一環なのだ。

囚人服を着せられたツアー参加者は「流人」、受け入れる島の人が「看守」となって、
「とことん泥まみれの刑」や「素潜りの刑」などの体験プログラムで、
島の暮らしを体感するというユニークなツアー。

豊かな自然があり、穏やかな海には野生のイルカも住む能登島は、
江戸時代には加賀藩の政治犯の流刑地だった。そんな歴史を逆手にとり、
都会を忘れ、強制的に田舎暮らしを楽しんでもらおうというコンセプトなのだ。

「とことん泥まみれの刑」として田植えをする流人たち。

こちらは「火炙りの刑の準備の刑」。火炙りの刑とは……?

毎年夏に行われる「能登島向田の火祭り」の高さ30メートルの巨大松明に投げ込む、小さな手松明をつくっていたのだった。農業などだけでなく、能登の伝統的な祭りも体験できる。

もともとは、東京丸の内で社会人向けにさまざまな講座を開講している
〈丸の内朝大学〉の地域プロデューサークラスの企画からスタート。
〈のと里山空港〉の活用を目的として提案されたプロジェクトのひとつだった。
東京からの受講生たちとミーティングを重ね、ツアー概要を練っていくなかで、
島の受け入れ側として、能登島観光協会青年部を立ち上げることに。

中心メンバーの石坂淳さんは、能登島で生まれ育ち、
東京での大学生活と社会人経験を経てUターン。
現在は能登島の祖母ヶ浦(ばがうら)という地区で家業の民宿を営んでいる。
「いろいろ歴史を調べてみると、僕らの先祖たちが島流しになった罪人たちを
丁寧におもてなししていたことがわかったんです。
そんな先祖に対して誇りを持てました」

能登島観光協会青年部の石坂淳さん。石坂さん一家が営む宿〈石坂荘〉の食事は地の魚がたっぷりでおいしい!

このプロジェクトが立ち上がるまでは、島のよさを伝えたり、
まちおこしをしようという意識はなかったという。

「島流しツアーがきっかけで島のことを考えるようになりました。
それまで能登島をまったく知らなかった人たちが参加してくれて、
食事がおいしいとか、人があたたかいとか、自然が豊かとか、
いろいろなことを感じてくれる。その反応がすごくうれしくて。
僕らが当たり前だと思っていたことがとても価値のあることなんだ、
すごく豊かな島に暮らしているんだということが認識できたんです」

小豆島の大師市、 100年続いてきた冬のまちの風景

年末の空気を感じる、西光寺の行事

いよいよ2016年も年末。
今年中にこれをやってしまいたい、あれも終わらせなきゃ、
きれいな身で年を越したいと妙に焦る時期。
ま、何かが劇的に変わるわけではなく、単に2016年から2017年になるだけなのですが、
やっぱりいろいろすっきりさせてお正月休みを過ごしたいなと思うわけです。

そんな年末のちょっとそわそわした時期に、毎年開かれるのが小豆島の「大師市」。
大正3年(1914年)の春以降、毎年4月21日と12月21日の年2回、
小豆島霊場第58番、西光寺の門前通りで開催されています。
ちなみに21日は弘法大師の月命日にあたり、
大師を偲ぶとともに、まちの活性化をはかろうと始まったそうで、
100年にわたって続けられてきた「市」です。今年は朝一番で行ってきました。

朝一番で大師市へ。9時からスタートです。

お正月用の葉ボタン。

花の苗や球根も販売されてます。

この大師市では、お正月用の花や柑橘の苗木などが売られています。
地元のおじちゃん、おばちゃんたちがこなれた様子で苗木を買っているのを見ると、
あーこうやって大師市で苗木を買って、庭や畑に植えて育てるというのが
この人たちにとってはいつものことなんだろうなと感じます。

スダチ、ダイダイ、金柑などのいろんな種類の柑橘の苗木。

「勉強して~」「しょうがないねぇ~」と平和な会話。

寂しいことに年々出店されるお店の数が減っているそうで、
食べ物系の屋台は特に少なかったように感じました。
毎年来ている刃物屋さんも、もう今年で終わりだから~とお客さんと話していて、
わいわい賑わっていたかつての門前通りの雰囲気を想像すると、
いまはだいぶ静かなんだろうなと思ってしまいます。

西光寺へお参りへ。朱色の三重塔が今日もきれい。

朝の光の中で手を洗う。

こういうひとつひとつの仕草がとても穏やかでいい。

と、いろいろ考えながら、西光寺へお参りへ。
手を洗い、線香を上げ、ロウソクを買って、おまけのくじを引く。
(私はいまだかつて当たったことがなく、いつも小さなお菓子をいただく)
そしてそのあとで、地元のお母さんたちがお接待でご用意してくださった
ぜんざいをいただく。あー、今年も年末だなとしみじみ感じる瞬間。

ロウソクを買うとくじを引けます。みなさんの笑顔がとても印象的でした。

ぷりっぷりのみかんのお接待。

地元のお母さん方によるおぜんざい。あー、おいしかった。

季節を感じさせてくれるいつもの行事。
何十年、何百年にわたって続けられてきた行事。
そういうのってなくなったら寂しいなぁとしみじみ思う。
また来年もここに来て、くじを引いてぜんざいを食べて、年末を感じたい(笑)。

〈北海道アール・ブリュット〉で 造本作家・駒形克己さんが語った “共有”する絵本づくり

岩見沢で障がい者によるアートプロジェクトが開催

わたしの住む岩見沢にずっと来てほしいと思っていた人がいる。
グラフィックデザイナーであり造本作家の駒形克己さんだ。
駒形さんについては連載第28回でも触れたことがあるように、
わたしの本業である本づくりの大、大先輩だ。
造本作家として新しい発見や体験をもたらすような絵本をつくり、
これらを既存の出版流通とは一線を画した独自の販売方法で読者に提供している。
こうした駒形さんの活動に、わたしは日頃から大きな影響を受けている。

北海道に移住して以来、駒形さんといつかこの地で仕事ができたら、
そんな想いを持ち続けていたのだが、いよいよ夢が叶うときがやってきた。
今年の11月12、13日に開催された
〈北海道アール・ブリュット 2016 in 岩見沢〉のプログラムの一環として、
基調講演とワークショップを行う機会をもうけることができたのだ。

このプロジェクトは、道内で芸術活動支援に取り組む
障がい福祉関係者らの手によって運営され、地元の学習センターである
〈いわなび〉の全施設を借り切り2日間にわたって行われた。
タイトルとなった「アール・ブリュット」とは、フランス発祥の言葉で、
専門教育を受けていない作家による「生(き)の芸術」という意味がある。

今回会場には、さまざまな障がいを持つ人たちの作品が展示されたが、
これらを障がいという枠でとらえるのではなく、既存の芸術とは異なる
大きなエネルギーに満ちた作品であるという広い視点に立って紹介したいという
実行委員会の想いが、アール・ブリュットというタイトルから感じることができた。

〈北海道アール・ブリュット 2016 in 岩見沢〉のチラシ。作品展示、講演会、分科会、ライブなどさまざまな催しが行われた。主催しているのは、〈北海道アール・ブリュットネットワーク協議会〉。昨年度より障がい者の作品の調査発掘、発信、相談などの活動を行っている団体だ。

1階、2階の各部屋には多数の作品が展示された。これは好きな車をつくり続けているという河上優矢さんの作品。モーターショーをイメージして並べられたものだという。

田湯加那子さんの作品。色鉛筆があっという間に短くなるほどの筆圧で描かれた力強い作品。田湯さんは各地で展覧会を開催し精力的に活動を続けている。

今回、わたしも縁あって実行委員会のサポートをさせてもらうことになり、
北海道教育大学岩見沢校、三橋純予先生の研究室と連携し、
駒形さんの講演会とワークショップが実現することとなった。
このプロジェクトで、駒形さんにぜひ話していただきたいと思っていたのは、
彼がパリのポンピドゥー・センターとともにつくった、
視覚障がい者と健常者が一緒に楽しめる絵本が生まれた経緯についてだ。

以前から駒形さんの障がい者へ向けた本づくりには、
人と人とのコミュニケーションの本質を見つめ直す重要な問いかけがあるように
感じていたこともあって、このプロジェクトへの参加をお願いしたのだった。

鶏ちゃん、ねずし、etc. 温泉のまち、飛騨・下呂市で 愛され続ける絶品ソウルフードを 堪能してきた!

下呂市の美しい自然を堪能しながら舌鼓

飛騨エリアとは、高山市、飛騨市、下呂市、白川村の4市村のこと。
しかしそれらは広く、全体としての特徴がありながらも、
それぞれには深い文化が醸成され、おもしろいスポットも誕生している。

日本三名泉のひとつに数えられる下呂温泉を有する下呂市。
飛騨のなかでも南に位置し、また異なる文化圏も見られる。
少し車を郊外に走らせれば、伝統の食と現代の食の両方を楽しむことができる。
下呂温泉と合わせて、魅力あるスポットが満載だ。

ノスタルジックな〈ジークフリーダ〉でドイツ菓子を

オープンの10時に合わせて、人が集まってくる。
下呂のまち中からは少し離れていて車がないと不便な場所だが、
それでも地元の人からも観光客からも人気がある〈ジークフリーダ〉。
2002年、北條達也さんが本格洋菓子のショップ兼カフェをオープンした。
北條さんは下呂市小坂町出身。名古屋のホテルに勤めた後、
ドイツとオーストリアでパティシエの修業をした。

「ドイツにいたときに、友だちにハイキングに連れていかれたんです。
山を登っていくと、ポツンとレストランがありました。
それほど人もいないような山の上なんですが、ドアを開けると人がたくさんいて、
すごく活気があって盛り上がっていたんです。
そのお店のイメージで、ちょっと離れた場所にお店をつくりました」

ジークフリーダという名前は、オーストリアでお世話になった
おばあちゃんの名前だという。ドイツ語のネーミングではあるが、
お菓子は地域に馴染むようにアレンジしている。

「この地域で食べてもらうのに、そのままドイツ菓子を出しても
受け入れてもらえないかなと。むしろオリジナルのお菓子のほうが多いです。
結局、おいしいと思ってもらえればいいわけで、
実は“ドコドコのお菓子”ということにはこだわっていません」

窓側の席からは、木々の隙間から飛騨川を見下ろすことができる。
秋冬になると木々の葉が落ちて、景色もひらける。
アンティークの木のイスや什器に囲まれた空間は、
ホッと息をつけるようなゆるやかな空気が流れている。

information

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ジークフリーダ

住所:岐阜県下呂市萩原町跡津1421-5

TEL:0576-53-3020

営業時間:10:00~18:30(日曜日は18:00まで)

定休日:月曜・第4火曜日

http://www.siegfrieda.com/

〈緑の館〉が仕掛けるコーヒー豆焙煎所

下呂には、1975年にオープンした〈緑の館〉という有名な喫茶店がある。
コーヒーを中心としながら、たくさんのアンティークの掛け時計やカメラ、
ライトなどに囲まれ、ジャズに包まれる。
マスター野村辰己さんのこだわりを感じられるお店だ。

その息子さんである2代目の野村祐貴さんは、
一度、一般のコーヒー会社に勤務し、緑の館に戻ってきた。
喫茶店の営業を手伝いながら、同時にコーヒー豆の自家焙煎を始めた。
当初は店で使用する分だけを焙煎していたが、次第に焙煎を突き詰めてみたくなった。

「もっとコーヒー豆を発売するということに特化してみたくなったんです」と祐貴さん。
2013年、緑の館の隣に新たに焙煎所を立ち上げた。
「基本的には物販ですが、コーヒー教室もできるし、コーヒー豆について
詳しくないお客様とコミュニケーションできるスペースにもなりました」

ところでコーヒーは全世界的に流行している。日本も例外ではない。
サードウェーブという言葉が用いられ、華やかでフルーティな味わいが
人気となっている。だが、そのような流行を追いかけるわけではない。

「基本的には、自分が好きで気に入ったものを販売しています。
こだわった豆を置いてはいますが、
それを一方的に押しつけるようなことはしたくありません。
たとえば浅煎りに特化したような売り方もできると思いますが、
この下呂では昔ながらのコーヒーの味が好きな人もたくさんいます。
そのような地元のニーズにはきちんと応えながら、
同時にサードウェーブのような新たなコーヒーの世界も提案していきたい」

コーヒーは多様化しているという。しかしゆるがない共通点もある。

「いいものを新しいうちに。
コーヒーはフルーツなので、生鮮食品だと思ってもらいたい。
新鮮なコーヒーのおいしさを知ってもらいたいです。
ひと昔前は、誰がつくっているかわからない豆がたくさんありましたが、
いまは、誰がつくっているのか、トレーサビリティも可能です。
農薬を使っているかどうかもすぐわかります」

常時、20種類程度のコーヒー豆を販売しているという緑の館。
瓶詰めのコーヒーやドリップ用パックも発売し、下呂でコーヒーの普及に努めている。
いつもよりちょっとこだわりたい、そんなときは緑の館に足を運んで相談してみよう。

information

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緑の館

住所:岐阜県下呂市萩原町花池125-1

TEL:0576-52-3220

営業時間:8:00~17:00

定休日:木曜日

http://www.midorinoyakata.com/

馬瀬の美しい自然が、美しい鮎を育てる

馬瀬川上流鮎は、2007年に開催された「利き鮎会スペシャル in TOKYO」で、
日本一に輝いたことがある。姿、味、香りを総合的に審査された鮎は、
水がきれいな川でないとおいしくないと言われている魚の最たるもの。

馬瀬川はほとんど生活用水が流れておらず、
健全な森が育んだ良質な水が川をつくっている。
鮎は、その美しい水に生えている苔を食べる。
山から管理して、森林保全にも取り組んでいる結果が、鮎に表れているのだ。

そんな良質な鮎だから、塩焼きでシンプルに食べるのが一番。
美食家として知られる北大路魯山人も著書『魯山人の食卓』(昭和7年)のなかで、
「やはり、鮎は、ふつうの塩焼きにして、うっかり食うと火傷するような熱い奴を、
ガブッとやるのが香ばしくて最上である」と記している。

〈さとやまレストラン みず辺〉で提供される鮎の塩焼きは、
店の目の前の簗(やな)でとれた天然鮎。
塩のみの味つけだが、まずサイズが大きい。
魯山人にならって串に刺さったままかぶりつくのがいい。

30分かけてじっくりと焼かれた鮎は、肉厚でありながら
身がふんわりとして、口の中ですぐにほどけていく。
ハラワタもほんのりとした苦味にうまさが凝縮している。
串のままいただいたのに、あとにはきれいに骨しか残らない。

おいしい鮎を育んだ馬瀬川を目前で眺めながら、
馬瀬の美しい自然とそこから生まれた食を感じる贅沢な時間だ。

information

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さとやまレストラン みず辺

住所:岐阜県下呂市馬瀬西村1508-1

TEL:0576-47-2002

https://www.facebook.com/maze.satoyama.mizube/

「巌立」を見上げ、小坂の滝をまるごと楽しむ

「巌立(がんだて)」という荒々しいネーミングを持つ岩壁は
高さ約72メートル、幅約120メートル。
なんと5万4000年前の噴火による溶岩が冷え固まったものである。
無数の柱が集まっているように見える柱状節理という現象が起こり、幾何学的で美しい。

この周辺は「巌立渓」と呼ばれ、自然豊かな景勝地。
小坂町は日本一滝が多い町で、5メートルを超える滝が216もある。
巌立からも、散策路を歩いて三ツ滝まで15分程度。
季節によって移りゆく自然とともに楽しみたい。

小坂の滝を巡りたい場合は、NPO法人〈飛騨小坂200滝〉が
さまざまなコースをガイドしてくれる。
「里山ふれあいゾーン」「奥山挑戦ゾーン」「秘境探検ゾーン」と
ランク分けもされているので、自分と相談して決められる。
日本一の滝のまちだけに、夏の沢登りから冬の氷瀑まで、
滝のすべてを知ることができる。

information

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NPO法人 飛騨小坂200滝

〈まるはち食堂〉の鶏ちゃんは下呂のソウルフード

飛騨の南エリアでは、至るところで目にする「鶏(けい)ちゃん」。
鶏肉とキャベツを炒めて食べるシンプルなもの。
お店によって味つけなど多少アレンジが異なるが、
元祖ともいえるのが〈まるはち食堂〉だ。

現店主の伊藤みどりさんは3代目。鶏ちゃんを始めたのは、みどりさんの祖母である。
「豚ちゃんという豚肉を炒める料理がありましたが、
近くに養鶏場が多かったこともあり、それを鶏肉に変えて
鶏ちゃんを始めたんです。おばあちゃんの名前ではありません(笑)」

注文してみると、ジンギスカン鍋のようなドーム型の鉄板に、
クッキングシートが敷かれ、その上に鶏肉とキャベツがたっぷり。
火をつけたら、焦げないように混ぜ続けなければならない。
クッキングシートを破かないように注意が必要。
慣れていない人は、肉かキャベツを掴んで混ぜればいい。

火が通ったら下部の受け部分に落としていく。
追加注文があれば、全部食べきる前に頂上に乗せていく。

男性なら、ご飯があれば2人前くらいはぺろり。
醤油ベースにニンニクが効いていて、箸が止まらなくなる。

「うちはシンプルに鶏肉とキャベツだけです。
味つけも特別なアレンジをしているわけでもありません。
でももう50年以上やっていますね」

シンプルだからこそ、飽きずに長く食べられる料理。
下呂市民に長く親しまれてきた味を堪能したい。

おみやげに冷凍商品も。通信販売もしている。

information

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まるはち食堂

住所:岐阜県下呂市御厩野139-1

TEL:0576-26-2077

営業時間:11:00~17:00

定休日:火曜日

お正月のごちそう「ねずし」

(写真提供:下呂市)

飛騨の冬の伝統料理のひとつ「ねずし」。
保存食として食べられてきたもので、本来はお正月にいただくものである。
冬場は雪も降るので野菜もとれず、漬け物が盛んな飛騨で、
保存食の文化は多様に広まっている。

つくり方を馬瀬にある〈さんまぜ工房〉の山本さとみさんに教わった。

「ご飯の中に、大根とにんじん、そしてマスを入れます。
麹を入れて2週間ほど寝かせます。そうして発酵したものがねずしです」

(写真提供:下呂市)

(写真提供:下呂市)

各地に発酵系の寿司はある。独特の酸味やにおいが苦手な人も多いかもしれないが、
ねずしはそれらに比べて甘酸っぱくマイルドで食べやすい。
お酒のおつまみとしても最適!

(写真提供:下呂市)

さんまぜ工房では、〈冬やわい〉という商品名で12月1日から発売を始めた。
ほかにも朴葉すしや五平餅など、馬瀬の食材ばかりを使った
手づくり商品を開発して販売。地元密着型の道の駅といえる。
馬瀬のお母さんたちの味を探しているならぜひこちらへ。

たかきび、かぼちゃ、よもぎ、紫いもなどの自家製あられを乾燥させていた。

information

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さんまぜ工房

住所:岐阜県下呂市馬瀬西村1461

TEL:0576-47-2133

営業時間:9:00~16:00(1月、2月は15:00まで)

■日本三名泉と美しい川や滝のある「下呂市」をもっと知るには↓

グッとくる飛騨:下呂市

のどかな五城目町に 子育て世代が集まるワケとは? 丑田香澄さん 秋田そだち Vol.2

秋田の豊かな自然と風土のなかで育まれてきた人、そして育まれていく子どもたち。
秋田の恵みをたっぷり受けながら暮らす人を全3回のシリーズでお伝えしていきます。

故郷秋田をなんとかしたい

魅力的な人が、魅力的な人を磁石のように引き寄せている地域が秋田にある。
八郎潟の東部に位置する五城目町だ。
秋田市と隣接しているこのまちは、市の中心から車で30分ほど。
ビルがなくなり、住宅街がなくなり、田んぼと山の間に集落が点在するような
風景に変わって、さらにしばらく車を走らせて辿り着くようなのどかな場所だ。

以前コロカルで紹介した、秋田県の映像プロジェクト〈True North, Akita〉vol.1の撮影の舞台ともなった五城目町。(画像:augment5 Inc.)

丑田香澄さんが夫と当時3歳の娘とともに、五城目町に移住したのは2014年春。
秋田市出身の丑田さんは、東京の大学に進学して、
就職先の大手IT企業でご主人と出会い結婚。五城目町への移住を切り出したのは、
意外なことに東京出身のご主人のほうだった。

「私としては、秋田は好きだけど、やりたい仕事は都会にあると思い込んでいたので、
東京にそのまま住み続けるんだろうなと漠然と思っていました」

そんな丑田さんの心境が変化するきっかけはいくつかあったが、
最も大きかったのは、子どもが産まれたことだった。

「東京では車通りの多いところに住んでいたので、
『絶対に飛び出しちゃダメだよ』と子どもの手をギュッと握り、
公園に着いてようやく離せるような状況でした。
私が生まれ育った秋田市もいまはだいぶ整備されたのですが、
小さい頃はひとりで勝手に外へ遊びに出かけて、
トンボなんかを捕まえているような感じだったんですよね」

マンションの中でも階下に響かないように、静かに歩くよう注意したり、
家の中でも外でも気を張っていなければいけなかった。
出産を通してライフスタイルや価値観が大きく変わる女性は多いけれども、
丑田さんの場合、それまで考えもしなかった起業をしてしまう。

「最初に就職した会社は3年くらいで飛び出してしまい、
より自分らしく働ける道を模索しながら右往左往していました。
そんななかで出産後の女性を支援する、〈ドゥーラ協会〉という法人を
仲間と一緒に2012年につくったんです」

ベビーシッターが赤ちゃんをお世話する存在だとしたら、
ドゥーラというのは赤ちゃんを育てるママをサポートする存在。
アメリカやイギリスではひとつの職業としても確立されているが、
里帰り出産の文化が根づいてきた日本では、地域の産婆さんや
出産した女性の母親が育児や生活のフォローをするのが一般的だったため、
それほど必要とはされてこなかった。

しかし出産年齢の高齢化により親の世代もまた高齢化し、
育児を手伝ってもらうことが難しくなったり、
近隣とのコミュニケーションが希薄な都市生活で、
困ったときにすぐに頼れる人がいなかったりという理由で、
ここ数年、産後うつの発症率が増えているのだそう。

丑田さん自身は、幸いそういった状況に陥らなかったものの、
ある助産師との出会いがきっかけで、これと思える仕事を見つけることに。

「やりがいのある仕事だったので、夫が秋田で事業をやりたいと言い始めたとき、
最初はやっぱり悩みました。ただ、秋田で子育てをしたい気持ちもあったし、
私にとっての次のテーマとして、おこがましいんですけど、
秋田をなんとかしたいっていう思いもどこかにあったんですよね。
故郷から聞こえてくるニュースは、少子高齢化が進んでいるとか、
自殺率が高いとか、悲しいことばかりだったので……」

故郷を離れている身としては、たくさんあるはずの明るいニュースを
かき消してしまうほど気がかりだったのだろう。
そして自分と同じく、母親として奮闘する女性の
さまざまな価値観に触れたことも大きかったのかもしれない。
ドゥーラ協会の直接的な運営を仲間に託して、
丑田さんは代表から理事という立場になり、家族とともに移住することを決意した。

「働く」を楽しむ! ショウガ収穫祭から ジンジャーシロップができるまで

みんなで働いてごはんを食べて、その時間を楽しむ

春に植えたショウガたち。
夏を乗り越え、秋、ようやく収穫です。

今年は、去年の倍の量のショウガを植えました。
去年までは私たち夫婦ふたりと友人数人に手伝ってもらって、
収穫からジンジャーシロップをつくるための加工までの作業をしていたのですが、
今年はそれでは間に合わなそう……、同じペースでは無事に年を越せない……。
そんなわけで、今年のショウガの収穫&加工はFacebookでショウガ収穫手伝い募集! 
と声をかけて、たくさんの方に手伝ってもらうかたちで行いました。

ショウガを掘る、茎を切る、洗うを分担しながら。

今年は大きなショウガがたくさん採れました。

WWOOF(ウーフ)という言葉を聞いたことがあるでしょうか?
World Wide Opportunities on Organic Farms
=「世界に広がる有機農場での機会」の頭文字で、有機農場を核とするホストと、
そこで手伝いたい・学びたいと思っている人とをつなぐ仕組みです。

ホスト側である農場は「食事・宿泊場所」を提供し、
手伝う側であるウーファーは「力」を提供します。
手伝ってくれることに対してお金を支払うのではなく、
「食事・宿泊場所」と「力」を交換するかたちです。

春に植えたひと塊の親ショウガから子、孫ショウガとどんどん育っていきます。

ご近所さんへのおすそ分け用にわさわさと葉つきのまま収穫。

今回のショウガ収穫はそれに近いかたち。
手伝いに来てもらったら、私たちはそのお礼として、お昼ごはんや休憩時間のお茶、
それから収穫したショウガやジンジャーシロップをおすそ分け。
半日働いて数千円もらって終わりではなくて、半日働いてみんなでお茶して
ごはんを食べて、その時間自体を楽しんでもらえたらいいなという思いから。

あ、もちろん全員がそういうかたちではなく、継続的に働いてくれている仲間もいて、
その場合はお金を支払ったりもしています。

お昼ごはんは採れたての野菜でサラダ。

小豆島・肥土山産のお米でおにぎり。

11月22日から始まったショウガ収穫祭。
多い日には10人くらい手伝いにきてくれました。
今年は想定より多くのショウガが収穫でき、
この作業はいつまで続くんだろうと思ったりもしましたが、人の力はすごい!
畑にあったショウガはあっという間になくなり、
何十箱もあったコンテナいっぱいのショウガはきれいに洗われ、
ジンジャーシロップ製造を待つばかりの状態になりました。

お茶時間。忙しくてもこういう時間を大事にしたい。

ショウガを収穫し終えた畑を目の前にヨガ。これも働くを楽しむ大切な時間。

“支えあう農業”「CSA」って?  長沼〈メノビレッジ〉を営む夫妻が 考える、ローカルの経済循環

写真提供:メノビレッジ

レイモンド夫妻に出会ったことによって気づかされた“幸せ”とは?

とても抽象的な話かもしれないが、最近、“幸せ”についてよく考えるようになった。
以前の自分だったら、ガンガン仕事をしてとにかく毎日充実していれば
(忙しくしていれば?)それでいい、幸せなんて曖昧な定義は
考えたって始まらない、そんな風に思っていた。

けれど、北海道に移住して5年。
エコビレッジをこの地につくりたいと思って、いろいろな人の話を聞いていくなかで、
幸せとは何かについて、もっと見つめる必要があることに気づかされた。
気づきを与えてくれたのは、前回取材をしたドキュメンタリー映画
『幸せの経済学』の監督、ヘレナ・ノーバーグ=ホッジさんと、
この講演会の運営を行ったエップ・レイモンドさん・荒谷明子さん夫妻との
出会いがなにより大きいものだった。

明子さんは札幌出身。レイモンドさんはアメリカ出身。ふたりが出会ったのはカナダ。明子さんは学生時代にカナダに長期滞在したことがあり、地産地消の取り組みを行うパン屋を運営していたレイモンドさんと知り合ったという。

ヘレナさんの講演会が終わって2週間ほど経った11月の初旬。
わたしは、長沼で暮らすレイモンド夫妻のもとを訪ねた。
まだ11月の初めだというのに雪が降り始めており、ふたりは農機具の片づけなど、
冬支度に追われてとても忙しそうな様子。
そんななかではあったがインタビューをさせてもらうと、
質問にひとつひとつ丁寧に答えてくれ、リラックスした空気が生まれていった。

レイモンド夫妻は長沼に移り住み、1995年〈メノビレッジ〉をスタートさせた。広い敷地を生かして、野菜だけでなくお米や小麦などの穀物もつくっている。

レイモンド夫妻は、ここ長沼で、農業を軸とした共同体
〈メノビレッジ〉を20年以上営んでいる。
最初は5ヘクタールから始まった農場は、現在では18ヘクタールと広がり、
穀物や野菜をつくり、鶏を400羽ほど平飼いしている。

こうした農作業を行うだけでなく、ふたりは食料の地産地消や
地域経済が循環するシステムをつくりたいと考え、さまざまな活動も行っている。
そのひとつは、レイモンドさんが共同代表を務める
〈TPPを考える市民の会〉の取り組み。
北海道の農業に関わる市民や団体が集まって5年前に結成され、
TPPとは何かを深く学ぶための講演会をこれまで多数開催、
2013年には『幸せの経済学』の上映会も行われた。

この上映会をきっかけに監督のヘレナさんとの交流が始まり、
今年の10月に韓国で行われた〈幸せの経済学国際会議2016〉では、
ヘレナさんの招待によって、レイモンドさんがゲストスピーカーとなり
会議に参加することとなった。

「わたしがこの会議で話したのは、主にふたつの点です。
ひとつは、グローバル化された食料の生産流通システムを、
地産地消のシステムへと変えるためには何をしなければならないのか。
もうひとつは、平和学という観点から食料の生産流通システムを
見つめ直すというものです」(レイモンドさん)

ヘレナさんの招待によってレイモンドさんが参加した〈幸せの経済学国際会議2016〉のパンフレット。今年の10月13日、14日に韓国の全州市で行われ、世界各国から環境や農業問題に取り組むゲストスピーカーが集まった。

レイモンドさんは5年前に、母国アメリカへ一時帰国し、
キリスト教神学校の大学院で平和学を専攻した。
このとき研究した平和学の視野に立って食料の生産流通システムを見つめていくと、
近代化の過程のなかで多くの問題が浮かび上がってくるという。

たとえば、アメリカでは、ヨーロッパから多くの農民が入り開拓を始めた時代から、
近代農業の経済システムの考えが導入され、
食料を大規模に生産できる農業が奨励された一方で、先住民族の土地が奪われたり、
このシステムに相容れない考えを持つ人々が排除されたりという歴史もあった。

また、レイモンドさんが一時住んでいたカナダのウィニペグ市では、
アメリカと結んだ貿易協定によって小麦の値段が半額に下がり、
規模を拡大していた小麦農家が大打撃を被ったこともあったという。

「経済成長によって人々の暮らしが便利になりましたが、
格差は広がり、勝者と敗者が生まれてしまった。
弱きものが巨大システムにさらされること、
それは目に見えない暴力を受けているようなものです。
このシステムに参加しているわれわれもこの暴力に加担していることになります。
まずわたしたちはそのことに気づき、非暴力によるシステムへと
ひとつひとつ転換していかなければならないと思っています」(レイモンドさん)

経済成長によって生まれた地球温暖化や化石燃料の枯渇といった問題も同時に起こり、
将来への不安を感じる人々も多いなかにあって、レイモンドさんは
もう一度、成長や発展が何のために必要なのかを考え直すときが来ていると、
この会議で訴えたそうだ。

〈すったて鍋〉の美味しさに 大感動。世界遺産だけじゃない! 飛騨・白川村でめぐった 注目スポット6選。

白川びとの営みが感じられる場所

飛騨エリアとは、高山市、飛騨市、下呂市、白川村の4市村のこと。
しかしそれらは広く、全体としての特徴がありながらも、
それぞれには深い文化が醸成され、おもしろいスポットも誕生している。

世界中から観光客が訪れる世界遺産集落にどうしても注目が集まってしまうが、
もちろんほかにも観光スポットはある。
そして白川村で地に足つけて日々の生活を送っている人たちも当然いる。
昔からの、そしていまを生きる生活に根ざした文化はおもしろい。

住むことで守られてきた合掌造り〈和田家〉

白川村といえばやはり世界遺産の合掌造り集落。
村には、保存され見学できる施設がたくさん残されているが、
なかでも大きなものが〈和田家〉。
現館長である和田正人さんは、まさにこの家で生まれ育った。

現在でも1階の半分は公開されているものの、
半分のスペースでは実際の生活を送っている。
「白川郷は、居住地が世界遺産になったのです。住んでいたからこそ、
古い住居が残されていたわけだし、いまでも住むことによって守られています」

茅葺き屋根が特徴的だが、約40年周期で葺き替えなければならない。
かつては「結(ゆい)」という互助制度によって、周囲の住民が協力して
屋根の葺き替えを行っていた。各家屋を順番に葺き替えていくものだ。
「最近では、集落内でも年に4~5棟ずつ葺き替えていますが、
そのうちひとつくらいは結で行いたいと思っています。
結を続けていくことで、技術も伝えていかないといけません」

雪深い、自然が強い土地。だから昔から人と人が力を合わせて生きてきた。
そうでないと住むことができないのだ。
いろいろなことがコミュニティの協力によって成り立っている。
それを象徴してくれるのが合掌造りだとも言えるだろう。

information

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和田家

住所:岐阜県大野郡白川村荻町997

TEL:05769-6-1058

開館時間:9:00~17:00

定休日:不定休

素朴な大豆の甘みを味わう〈すったて鍋〉

白川村で報恩講などの仏事などで出されてきた料理、すったて汁。
昔から伝えられてきた料理ではあったが、特別なときにしか食べないものだったので、
一般的な家庭料理ではなかった。

時が流れ、それをアップデートしたものが〈白川郷平瀬温泉飛騨牛すったて鍋〉である。
平瀬温泉がある白川村南部地区の有志メンバー〈白川郷鍋食い隊〉によって開発された。

「すったて」とは大豆をすりつぶしたもの。かつてはミキサーなどもなかったので、
ゆでた大豆を手作業で摺っていた。意外と手間がかかるものだった。
現在のすったて鍋は、だし汁で大根、にんじん、ごぼうなどの根菜類を煮る。
そこにすったてを投入し、焦がさないように気をつけながら火にかける。
その上に軽く炙った飛騨牛を。

トッピングは季節の青菜、おこげ。そして注目は白川特産のきくらげである。
歯ごたえがよくプリプリだ。すったてのマイルドな食感にいいアクセント。
地元産のきくらげがこんなにもおいしいとは。

大豆がたっぷり使われているので、甘みが際立ってくる。
料理としてはシンプルなものだが、煮立たせてはいけないし、日持ちもしない。
じっくりコトコト料理していくもの。白川村の歴史と愛情がたっぷりだ。
う~ん、ご飯が何杯あっても足りない。

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白川村役場[すったて鍋]

〈トヨタ白川郷自然學校〉が教えてくれる白川村の大自然!

合掌造り集落がある荻町エリアから車で10分程登った場所に、
馬狩(まがり)という地区がある。それほど遠くはないが、
荻町あたりの里から見ると、馬狩は雪深い秘境らしい。
そこにあるのが〈トヨタ白川郷自然學校〉だ。

キャンプ、スノーシュートレッキング、シャワークライミング、
さらにはイワナとり、山菜摘みなど、大自然を活用した
さまざまなアクティビティが揃っている。
宿泊施設も備えているので、丸1日、存分に楽しむことができる。

「白川村というとまず合掌造り集落をイメージされると思いますが、
実は白山の麓に位置し、広大な自然が広がっているのです」と教えてくれたのは、
自然學校でプログラムをつくっている黒坂 真さん。

「白川村には樹齢数百年というブナやミズナラなどの原生林が広がる大白川や、
高山植物や高層湿原、直径5メートル近くもあるカツラの樹木がある
天生県立自然公園など豊かな自然があります。
当初は自然學校の敷地内だけで活動していたのですが、
これだけの雄大な自然があるので、いまでは、白川村全体を
アウトドアフィールドとして、活用させてもらっています」

白川村を、“合掌造り集落”の見学だけではなく、
“アウトドアフィールド”と見て遊びに来る人も少しずつ増えているようだ。
また、白川村特有の取り組みも行われている。

「合掌造り集落の裏山をトレッキングに組み込んでいるコースもあります。
通常とは異なる視点で人々の暮らしと森とのつながりをひも解き、
紹介しながら歩きます。また子どもたちが、ミニ合掌造り家屋を
自分たちでつくり、田舎暮らしを味わう7日間のキャンプもあります。
実際に村の職人に講師として来てもらって伝統の技を教わります。
建てたあとは、もちろんそこに寝泊まりしますよ」

実はネイチャーアクティビティも、白川村は魅力的なのだ。
ぜひ合掌造り見学に組み込みたい。

information

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トヨタ白川郷自然學校

住所:岐阜県大野郡白川村馬狩223

TEL:05769-6-1187

https://toyota.eco-inst.jp/

空き家活用が盛んな平瀬地区にお試しで住んでみては?

白川村の平瀬地区は、空き家をリノベーションして活用した住宅や施設が増えている。
合掌造り集落から離れたこの温泉地に、ゲストハウスやカフェがオープン。
その流れをくむべく、現在「お試し移住=試住」用に
空き家をリノベーションしている物件を訪れた。

ここを担当しているのは白川村地域おこし協力隊のメンバーで、
移住支援を担当している石井直記さん。
「去年、女性専用のシェアハウスをつくりました。
それをやってみて、場所があれば人は来てくれるという手応えを掴めました。
そこで次は空き家を活用した移住の体験住宅をつくろうとしています」

まだ改修中だが、来年4月にはオープン予定。
数週間から1か月程度のお試し移住を見込んでいるという。

「地域のお母さんたちに朝食をつくってもらったりして、滞在する人に
より地域のことをわかってもらえるような仕組みもできないか考えています。
また滞在する人がいないときには、食事を提供したり、
物販もできるスペースにしたいと考えています。
“お試しで住む”だけでなく、“お試しでつくって売る”こともできるようになれば、
地域内でいろいろなことが実験できておもしろいと思っています」

平瀬エリアは、空き家活用と地域へ人の呼び込みがうまく組み合わさって、
合掌造り集落のある荻町エリアとは違う魅力で動き出している。

50年の空白を経てオープンしたそば屋〈妙幸〉

前項で紹介した平瀬地区の空き家活用の取り組み。
その一番新しい例がそば店の〈妙幸〉。
店主の菅原幸一さんは、なんと51年ぶりのUターン!
白川村で10歳まで育ち、その後東京へ。50歳頃には、
定年後には白川村に戻りたいと、ぼんやりではあるが考え始めていた。

「移住するのはいいですが、自分なりの暮らしぶりも
考えないといけないと思っていました。何かしら仕事を持ってこないと
暮らすことはできないのではないかと思っていたんです。
いろいろな準備をしたなかのひとつがそばでした」

2014年から白川村を訪れ始め、役場や地域おこし協力隊、
小学校時代のつてなどをたどって物件を探し始め、現在の物件にたどりついた。

「外観はそれほど変わっていませんが、大正15年に建てられた家なので、
内装はそれなりにリノベーションしました。
玄関のアプローチの敷き石は、向いの旅館のお父さんがやってくれたんです。
私はお店をつくるのが最優先でしたので、外まで気が回らなかったのですが、
図面まで引いてくれて」

合掌造りのある荻町地区は古いまち並みが残っているので
移住者にとってはハードルが高く感じられるが、
平瀬地区はウエルカム態勢で移住者にやさしい。

「周囲のみなさんも、『久しぶりにこの家に明かりが点いた』と
喜んでくれているみたいです。僕よりも、みなさんのほうが
この家自体の歴史には詳しいですからね」

妙幸のメニューは現在4種類。オススメは精進煮かけそば。
7種類ほどの野菜をごま油で炒めて具にしたつけそばだ。
だしは鰹節のみであっさりとした味つけ。そばはつるっと食べやすい二八そば。

なかなか理想のそばはうてないという。それでも、
「天ぷらがほしい」「お酒が飲みたい」「卵焼きが食べたい」
などというリクエストが多いという。
それだけ地域にとって待ち望まれていたそば屋なのだろう。

information

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妙幸

住所:岐阜県大野郡白川村平瀬126-65

TEL:05769-5-2378

営業時間:11:30~17:00

9年制の〈白川郷学園〉がコミュニティをつくる

今年の4月から国の法律の一部改正により、小学校・中学校をひとつの学校として
「義務教育学校」と呼ぶことができるようになったことをご存知だろうか。
全国に小中一貫校があり、それをより進めたかたちとして設置されることになる。
白川村でも、平成23年度から行われていた小中一貫教育〈白川郷学園〉を
進化させるべく、来年度からこの法律により、義務教育学校となる。

小学生から教科担任の先生から学ぶことができ、
中学生はいままで以上にリーダーとして取り組むようになる。
また、学校独自で「特色ある教育」のカリキュラムも組むことができる。
白川村が取り組んでいる特色ある教育としては、英語教育やふるさと教育がある。
白川村教育委員会教育長の倉 嘉宏さんは言う。

「白川村にはたくさんの外国人観光客がいらっしゃるので、それを活用し、
小学生が観光客相手に英語で説明する授業があります。
覚えたフレーズを言うだけですが、リアルな先生がいることはいいことです」

白川郷学園は地域との連携も積極的だ。
お年寄りや地域の人々が学校見学や授業・行事に関わるプログラムもある。

「小学校では囲碁やお花、太鼓など、地域の人が先生となって教えてくれています。
自分たちが教えているという自負があるので、とてもよい効果が生まれています。
また白川村には〈どぶろく祭り〉という行事がありますが、
その練習に子どもたちが参加して、
“大人たちと一緒に練習して話した体験が楽しかった”という声もあります。
こうして地域の人とコミュニケーションをとることが、
白川の個性を育むふるさと教育につながると思います」

白川郷学園は地域コミュニティのハブとして機能している。
こうして村が推し進める「白川びと」が形成されていくのだろう。

information

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白川郷学園

住所:岐阜県大野郡白川村鳩谷字北長614-1

http://school.shirakawa-go.org/

■世界遺産の村「白川村」をもっと知るには↓

グッとくる飛騨:白川村

〈春陽食堂〉相藤春陽さん  マンションの一室の食堂から 熊本の食ブランドへ

食は、すべての人、すべてのことにつながっている

大地、海、太陽、森、風、そして水。
その土地のさまざまな自然の恩恵を受けて食べものは育つ。
そして、土地の人たちはその恵みをいただきながら日々の営みを続ける。
太古の昔から、なんにも変わらない食と人のつながり。
人の活動源であり、健康を育むものであり、命のもとになるもの。
そして、土地の文化や歴史のなかにも必ずといっていいほど関わっているもの。
すべての人、すべてのことにつながっている食を通して
熊本の魅力を発信しているひとりの女性がいる。

栄養指導の一貫として、玉名市にある病院に併設されたキッチンスタジオで料理教室を開いている相藤春陽さん。

管理栄養士である相藤春陽さんが〈春陽食堂(はるひしょくどう)〉を
オープンしたのは、平成28年4月13日。
場所は、熊本市内の住宅街にある小さなマンションの一室。
食堂といっても、店を構えて、いらっしゃいませ、と客を迎えるようなものではなく
事務所として借りている部屋の一角にテーブルを準備し、
1回につき、最大4人まで迎え入れる会員制の食堂。

メニューは、季節のものを使った家庭料理の定食のみ。
旬をとり入れ、土地のものをふんだんに使い、どこかほっとするような
懐かしいような、家庭の味を楽しみながら、大人が食に向き合える時間を提供したい。
それまで栄養指導や料理教室などで、言葉で伝えてきたことを、
誰かといっしょに食べるという時間を設けることで、“実感”として受け取ってほしい、
という春陽さんの願いが込められている。

その活動趣旨に興味をそそられ、春陽食堂オープン2日目、
4月14日のお昼に、春陽食堂を訪れた。

献立は、甲佐うなぎごはん、かぼちゃのひき肉あんかけ、
たけのこ辛子酢みそ、千紫万紅ピクルス、そして旬野菜のお味噌汁。

甲佐は、熊本県中部にあるまち。4月14日お昼の春陽食堂のメニュー。千紫万紅ピクルスを数種類食べた後であわてて写真を撮ったため、ピクルスの種類が実際より少ないが、文字通り“千紫万紅”でした。(撮影:筆者)

献立のレシピのことや、食材のこと、食材が育ったまちのこと、
それをつくっている生産者のこと。
この日初めて会った人がいるのにもかかわらず(春陽食堂は相席制)
「食」という共通の話題で盛り上がった。
同じもの、しかも家庭料理を、同じテーブルを囲んでいただくことで、
まるで家族のような、そんな不思議な距離感を味わえた。

想像するに、春陽さんは、この食べている時間、食べたあとの時間もひっくるめて
「春陽食堂」だと考えていたに違いない。
お昼を食べる。ただそれだけの短い時間で、
季節を感じ、つくる人の気持ちを想像し、土地のことを想い、
昔の記憶を呼び起こし、おいしい、という感動を噛みしめる。
そして、目の前にいる人とさまざまな話題を共有する。

2時間という時間があっという間に感じられた。
「また、メニューが変わったらうかがいます」と、春陽食堂をあとにした。

そしてその日の夜、熊本を未曾有の災害が襲う。
後になって4月14日の地震は「前震」と発表された、平成28年熊本地震だ。

小豆島のお塩屋さん〈波花堂〉で 過ごす自給自足な1日

海水から塩をつくるご夫婦のすてきな暮らし方

お米や野菜を自分で育てる。
薪を割って、羽釜でお米を炊く。
自家製のお味噌でお味噌汁をつくる。
ニワトリを飼って、産んだ卵を食べる。
そして、海のそばで暮らす。

こんな暮らしをしてみたいなーと思っている人が、
少なからずいるんじゃないかなと思います。
むしろ結構たくさんいるのかな。

小豆島でまさにそんな暮らし方をしているご夫妻がいます。
〈御塩(ごえん)〉というお塩をつくっている波花堂(なみはなどう)の
蒲(かば)敏樹さん、和美さんご夫妻。

料理の説明をしてくれる奥さまの和美さん。

薪の割り方を教えてくれる蒲さん。

おふたりがつくられている〈御塩〉です。

その工場&自宅をいつか見てみたいなと思っていたのですが、先日ようやく行けました。
きっかけは、私たち小豆島カメラの企画「生産者と暮らしに出会う旅」です。

「生産者と暮らしに出会う旅」は、小豆島の生産者さんに会いに行き、
その生産の現場を見学したり、小豆島の食や住まいなど
暮らしに触れることができるイベントです。
あ、忘れてはいけないのがカメラですね。
オリンパスのカメラを参加者の皆さんに貸し出し、
イベント中にそれぞれがいいなと思った瞬間を自由に撮ってもらいます。

気持ちのいい秋晴れ。海のすぐそばでカメラの使い方を説明。

参加者皆さんにカメラを貸し出し。

小豆島カメラのメンバーがカメラの使い方をレクチャーしたり。

最初は1泊2日の泊まりつきプランだったのですが、
もっと気軽に島内の方々にも参加してほしいという思いから、
最近は半日~1日の内容に変更しました。
内容は、自分たちが会ってみたい人、行ってみたい場所を中心に選んでいるので、
毎回企画者である自分たち自身とても楽しみな企画。

蒲さんのご自宅前でみんなで調理。

今年収穫した新米と御塩でシンプルだけど贅沢おにぎり。

今年は「米」をテーマにしていて、春は田植え&梅干しづくりをしたので、
秋はできた新米と梅干しでおにぎりをつくるイベントにしようと。
そのおにぎりは、島のお塩〈御塩〉を使ってつくろう!
それなら塩づくりの現場を見てみたいよね、蒲さんのところに行ってみたいよね、と。
そんな流れで決まった今回の企画。
11月中旬、気持ちのいい秋の日に開催されました。

「生産者と暮らしに出会う旅」では定番になりつつある豚汁!

みんなでいただきます。

今回のイベントのメインディッシュ! おにぎりのまわりにあるのは和美さんがつくってくれたお惣菜たち。

映画『幸せの経済学』に込められた 想いとは? ヘレナ・ノーバーグ=ホッジさんが 語るローカリゼーション

グローバリゼーションという考えから、意識の転換を図るために

3年前に観たドキュメンタリー映画『幸せの経済学』は、
ローカルな暮らしの重要性について、さまざまな気づきをもたらしてくれたものだった。
いずれまた観てみたいと思っていたこの映画の監督、
ヘレナ・ノーバーグ=ホッジさんが、わたしの住んでいる岩見沢からも近い
長沼で講演会を行うという、またとない機会があることを知った。

ヘレナさんはスウェーデン生まれの言語学者であり、
〈ISEC〉(エコロジーと文化のための国際協会)の代表を務め、
グローバリゼーションに対する問題提起を行うオピニオンリーダーだ。
世界的に活躍をする彼女に間近で会えるチャンスがあるなんて(しかも長沼で!)と、
講演会が行われる日を指折り数えて待っていた。

上映会と講演会が行われた会場〈長沼町りふれ〉には、地元でとれた野菜が置かれ、来場者ひとりひとりに「その地域の人たちがその地域の人たちのためにつくったその地域の食べもの」というメッセージつきの稲穂が配られた。

ヘレナさんが長沼にやってきたのは、この地で農業を軸とした共同体
〈メノビレッジ〉を運営する、エップ・レイモンドさんと荒谷明子さん夫妻の
力によるところが大きい。

日本の農業のみならず市民の生活にも大きな影響を及ぼすTPPに
危機感を抱いていたレイモンド夫妻は、2012年、来日したヘレナさんに、
北海道の市民に向けたメッセージをビデオに収めたいと頼んだことがあるという。
以来交友が始まり、今回の来日につながった。

メノビレッジを運営するエップ・レイモンドさんと荒谷明子さん。明子さんの「ヘレナさんは、常にグローバリゼーションについての鋭い分析と、その対極としてのローカリゼーションの必要性を説くことを行き来して、誰かを否定するのではなくシステムを変えていくという視点を持っているところがすばらしい」という言葉も忘れられない。

ミニ上映会と講演会が行われたのは10月21日。
会場には約80名の人々が集まった。『幸せの経済学』という映画は、
外国人立ち入り禁止地域にあったヒマラヤの辺境の地・ラダックが、
1970年代に突如として近代化の波にのまれていく様子を追いながら、
わたしたちにとって「本当の豊かさとは何か」を問うものだ。
ヘレナさんが最初にラダックを訪れたのは35年前。
言語の研究のために滞在したことがきっかけで、
以後たびたび訪ねるようになったという。

「ラダックはどこよりも活気にあふれていて、物質的な生活水準も高いものでした。
人々は広大な家を持ち、ゆっくりと余暇を過ごし、失業という心配は皆無でした。
飢餓もありません。彼らは幸福で豊かだったのです」(映画『幸せの経済学』より)

『幸せの経済学』予告編

先進国と途上国という言い方に当てはめるならば、ラダックは途上国の側にある。
途上国というと、物質的に貧しく食糧難を抱える地域というイメージがあるが、
外との接触がなかった時代のラダックは、
こうしたイメージとはまったく違う場所だった。

70年以降ラダックには、“援助”という名のもとに道路が整備され、
安価な食料が外から入り、欧米の広告や情報が押し寄せた。
これにより大気汚染や失業者、貧富の差が生まれており、
グローバリゼーションの拡大が人々にさまざまな問題をもたらしていった事実が
映画のなかで語られていく。

左から、講演会を行ったヘレナ・ノーバーグ=ホッジさん。通訳を担当したメノビレッジの荒谷明子さん。司会を務めたのは『ナウトピア』(サンフランシスコの社会運動について考察した書)の著者・堀田真紀子さん。

ヘレナさんによると、グローバリゼーションという言葉は、
国際協力や相互依存という意味と混同されやすいが、
その実態は多国籍企業が世界で有利に事業を展開するための規制緩和のことであり、
こうした企業が市場を独占する状態がつくり出されているという。

「もっとも残念だったのが、精神的に豊かだったラダックの人たちが、
不和になり思い悩んでいることです。
この変化は人類の強欲さや発展が原因ではありません。すべてが突然すぎたのです。
まともに外部の経済的圧力を受けてしまったことが原因なのです。
その圧力が激しい競争を生み、地域社会を壊し、コミュニティと自然とのつながりが
失われてしまいました」(映画『幸せの経済学』より)

こうしたラダックの実情とともに、この映画ではグローバリゼーションからの転換を
見据える研究者や環境活動家の意見も多く紹介されている。
これらの意見からグローバリゼーションの実態を分析し、
その問題点を明らかにしていくが、決して批判だけでは終わらないところが、
この映画の大きな魅力と言えるだろう。

芸術祭を振り返って、次の旅へ! あいちトリエンナーレ通信 vol.9

撮影:菊山義浩

3年に1度開催され、先日閉幕した国際芸術祭〈あいちトリエンナーレ2016〉。
3度目となる今回は、名古屋市、岡崎市、豊橋市で開催されました。
参加アーティストや広報チームが、その作品や地域の魅力を紹介していくリレー連載です。

芸術祭は、誰のため?

〈あいちトリエンナーレ2016〉短期連載の最終回は、
事務局広報の市川靖子が担当します。

「さあ、出発です!」という港千尋芸術監督のかけ声で始まった
あいちトリエンナーレ2016は、10月23日に74日間の
すべてのプログラムを終了しました。
旅と人間をテーマに、38の国と地域から119組のアーティストが参加し、
最終的に60万人を超える方にご来場いただきました。

これまであまり紹介されてこなかった国や地域、
例えばアラスカやモロッコ、エジプト、キルギス共和国などのアーティストも参加し、
5大陸すべてからアーティストを招聘することができ、
国際色豊かな芸術祭であったと思います。
それらのアーティストたちはわたしたちの旅路の案内人となって、
さまざまな世界に先導してくれました。
実際に旅行をしなくても、愛知にいながら世界中を旅できる、そんな芸術祭でした。

あいちトリエンナーレは美術展だけではなく
パフォーミングアーツのプログラムも充実しています。
パフォーマンス部門では11組のアーティストが愛知に集い、
特にダニ・リマは、スタッフ総勢7名で、日本の反対側ブラジルからの来日。
山田うんは奥三河地方に伝わる〈花祭〉のオマージュとして、
あいちトリエンナーレのためだけに制作された演目を発表しました。

ダニ・リマ Dani LIMA『Little collection of everything』2013(photo:Renato Mangolin Courtesy of the artist)

山田うん『いきのね』(c)羽鳥直志

そしてほとんどの公演が世界初演。これほど充実し、
贅沢なパフォーマンスプログラムは、あいちだからこそ、と言えるでしょう。

デザイントラベルで知られる〈D&DEPARTMENT〉は、
47都道府県を取り上げる書籍シリーズで愛知本を制作。
愛知でリサーチを重ね、トリエンナーレの参加作家として名を連ねました。
そのリサーチの結果は展示作品として発表され、
愛知本は全国の書店にいまも並んでいます。

いまも書店に並ぶD&Departmentの愛知本。愛知の情報がたっぷりです。

愛知ならではの食材が作品になることも。
関口涼子は岡崎独自の八丁味噌をテーマにメニューを考案しました。

関口涼子は八丁味噌を使ったレシピをインスタグラムにアップしてメニューを考案。

いわゆる彫刻や絵画を専攻していたアーティストだけではなく、
文化人類学や、港芸術監督の専門分野でもある映像人類学に
重きを置いた作品が注目されたのも今回の特徴でした。

宇宙に送ったはずのメッセージ。なかなか返事がこないことをつぶやくオウムがなんともシュールなアローラ&カルサディーラの作品。『The Great Silence』2014 Courtesy of the artist

少し専門的な話になってしまいますが、今年は日本各地で
芸術祭やフェスティバルが開催されている「当たり年」と言われているのですが、
それらは誰のための芸術祭なのかという議論も同時に出てきています。
その議論のひとつの回答になるかもしれない事例をふたつ紹介させてください。

2010年、第1回目のあいちトリエンナーレで
繊維問屋街(長者町)が会場の一部になりました。
このエリアの担当だったあるアシスタントキュレーターは、もともと横浜在住でしたが、
これを機に名古屋に移り住み、名古屋から地下鉄で20分ほどの港エリアで、
まちづくりをベースにしたアートプログラムを進めていくために、昨年ビルを改装して
〈Minatomachi POTLUCK BUILDING〉という拠点をつくりました。
これまであいちトリエンナーレに関わった名古屋在住のアーティストや
コーディネーターがここに集っています。

6年前、長者町を自転車で走り回っているアシスタントキュレーターに、
まちの人たちが「ようっ!」と声をかける後ろ姿を何度も目撃しましたが、
今年は港エリアで同じ光景を目にすることができました。

Minatomachi POTLUCK BUILDINGの外観。近くにはメニューのない(!)映画に出てきそうなカフェも。ぜひ足を運んでみてほしい。(Photo:Yasuko Okamura)

また、愛知には芸術大学が多く、最近は制作を目指す学生だけでなく
アートプロデュースに関わる仕事を希望する学生が増えていると聞いています。
1回目のトリエンナーレが開催された6年前に、ボランティアで関わっていたり、
来場者として訪れた中高生たちが、自分の進路を考えるときに
プロデュースを専攻できる芸術系の進学先を選んでいるのかもしれません。

いずれも、愛知での芸術祭が少なからず
まちに影響をもたらしたと言えるのではないでしょうか。

果物王国の独自栽培法とは? 長野のりんごがおいしい理由

おいしさの秘密は標高と寒暖差?

ケーキにたっぷり盛られたおいしそうなフルーツ。これらはすべて長野県産。
長野県はりんごをはじめ、ぶどうや桃など、さまざまなな果実を
多く全国に供給している全国有数の果物王国です。
そんな長野県産の果物の魅力を知り、味わうイベントが、9月下旬、
銀座の一角にある長野県のアンテナショップ〈銀座NAGANO〉で開催されました。

豊かな風土に育まれた信州の食や暮らしを紹介し、首都圏と信州をつなぐ目的で、平成24年10月にオープンした〈銀座NAGANO〉。1階では信州を代表する食材や伝統食を販売、2階はイベントスペースになっていて、より深く信州を体感できるイベントを随時開催しています。

イベントにはまず、長野県出身で、全国第1号の野菜ソムリエでもあるKAORUさんが、
フルーツの楽しみ方や、フルーツをどう暮らしにとり入れたらいいかを提案。

シニア野菜ソムリエとして、後進の育成に力を注ぐほか、TVやラジオ、雑誌などで活躍しているKAORUさん。食全般の魅力や楽しさを幅広く伝えています。

KAORUさんの解説のなかで特に多く語られていたのが、長野県産りんごの魅力。
長野県では野菜なども含めた農地の標高がおよそ300~750メートルと高く、
その約8割は標高500メートル以上。
そのため夏でも昼間暑くても夜には気温が下がり、
その寒暖差が果物をおいしくするというのです。

また、長野県は典型的な内陸性気候で、果物の生育期である夏場は雨が少なく、
日照時間も長いため、より糖度の高いりんごが収穫されるのだそう。
確かに、ここで食べたりんごのおいしさといったら!

また、さまざまな品種を栽培していることも長野のりんごの大きな特徴。
長野県生まれのオリジナル品種だけでも〈秋映(あきばえ)〉、〈シナノスイート〉、
〈シナノゴールド〉、〈シナノドルチェ〉、〈シナノピッコロ〉など多様な品種があり、
8月から2月までの長期にわたって旬のりんごが採れるというわけ。

色が濃く、見た目も美しい〈秋映〉。甘みと酸味のバランスがよく、歯ごたえある食感が特徴。

続いて、〈銀座三笠曾館〉のフレンチシェフによる
フルーツの飾り切りワークショップも。
先ほどのケーキも銀座三笠曾館のパティシエによるもの。
そこまで本格的でなくても、家庭でも簡単にできる「飾り切り」を教えてくれました。

一見難しそうに見えるフルーツの飾り切りですが、薄くスライスしてずらしていくだけで、きれいに見えます。

切り方にちょっとした工夫を加えることで、こんな飾り切りが完成しました!

長野の果物の魅力に触れることができたイベント。
そのおいしさの秘密を探って、次はりんごの産地を訪ねてみることに。

飛騨地方の珍しい郷土食って? 外国人観光客をも惹きつける 高山市の注目スポットと食文化

高山市で行くべきスポットと注目の食文化

飛騨エリアとは、高山市、飛騨市、下呂市、白川村の4市村のこと。
しかしそれらは広く、全体としての特徴がありながらも、
それぞれには深い文化が醸成され、おもしろいスポットも誕生している。

今回は高山市で注目すべき場所を紹介。
すでに観光地としても名高く、特に最近では外国人観光客に人気が高い。
彼らも東京などの都市部とは違う魅力を発見しているようだ。
自然が近く、その恩恵を受けた高山を堪能してほしい。

上から下から、滝を見る〈宇津江四十八滝県立自然公園〉

全国各地に四十八滝と呼ばれる滝の集まりがある。
某アイドルグループと同じく正確に48ではなく、数が多いことを指すが、
約800ヘクタールの県立自然公園に、無数の滝が存在している。
標高1200メートルにある滝上川が源流で、名前をつけられている滝が13ある。
高さ18メートルの急峻な滝や、2メートル程度のゆったりとした角度で流れる滝、
幅の広い滝など、すべてが独特の表情を見せてくれるので飽きない。

すべての滝を巡るように登って行くと、所要約1時間。
道は整備されているので、普段の格好のままでも
充分に歩ける(もちろんスニーカーなど動きやすい格好がベター)。
滝と飛騨の木々、つまり水と緑で目にも心にも栄養を。

information

map

宇津江四十八滝県立自然公園

住所:岐阜県高山市国府町宇津江3235-86

TEL:0577-72-3948(四十八滝総合案内所)

〈やわい屋〉で民藝の意志を感じよう

今年4月にオープンしたばかりの民藝ショップ〈やわい屋〉。
高山市街地からは車で20分ほど。のんびりとした雰囲気の景色を進んでいくと
味のある建物が見えてくる。実は移築した古民家なのだ。
「オリジナルに近いかたちのまま、次に誰かが移築するときも
また使えるようにお願いしました。だから間取りもほぼそのままです」
この古民家を見に行くだけでも充分におもしろい。

店主の朝倉圭一さんは民藝の考え方に影響を受けてこのお店を始めた。
店内には、数々のうつわや小物が並んでいる。
「工房に見学しに行って、暮らしぶりや考え方に共感した作家の作品を
置かせてもらっています。みんなやさしく迎えてくれるんですよね。
それが民藝のあたたかさ。同じことをこのお店でも感じてもらいたい」

取り扱う作家数を増やすよりも、好きになった作家の作品を
なるべく多く取り揃えようとしている。現在は13組の作家の商品がある。
「まちの専門店になりたいんです。かつての魚屋さんや八百屋さんのような。
特殊なものがあるというよりも、“いいのが入ったよ”と教えてくれたり、
あそこなら間違いないものがあるというお店です」
飛騨地方で民藝のことが知りたいなら、まずはやわい屋へ。

information

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やわい屋

住所:岐阜県高山市国府町宇津江1372-2

TEL:0577-77-9574

https://yawaiya.amebaownd.com/

のんびりしたいなら〈檪(いちい)〉へ

高山のまちを一望できる高台に、山小屋のようなカフェを構えて38年。
まち中からプラプラと散歩がてら歩いていくのに
ちょうどいい距離にあるのが〈檪(いちい)〉だ。
地元の人が、友だちや親戚が来たときに連れて来て、
まちのアウトラインを説明していることも多いようだ。

景色がいいので、テラス席は最高だし、屋内席でも窓が大きいので
日差しが心地いい。なんだかのんびりしてしまう。
「長時間大歓迎です。パソコンで仕事してもいいし、お昼寝してもいい。
昼寝できるくらいリラックスしてもらえるのが理想です。
欧米人の方のほうがそういう使い方がうまいですよね。
トランプなんかして、5時間くらいいる人もいますよ」

西向きなので、夕陽が美しく、桜並木なので春には華やかな風景を見せる。
移りゆく自然も堪能できる。ちなみに檪というのは木の名前だが、
岐阜の県木であり、高山の市木でもある。まるでこの地を象徴しているようだ。

お店は道の突き当たりで、この先には北山公園がある。
そこからはまちの反対側を臨むこともできる。ぜひ公園とセットで訪れたい。

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住所:岐阜県高山市三福寺町4340

TEL:0577-34-9016

飛騨でしか食べない!? なつめの甘露煮

飛騨地方、特に高山市の国府町で、以前は盛んに栽培されていた「なつめ」。
かつては子どもたちが、庭先などに生えているなつめを採って食べていたそう。
いまでも庭になつめの木を植えている家庭も多い。
ひと粒2~3センチの大きさで、薬膳料理などに使われるなど珍重されてきた。
熟したものは、そのまま生でいただける。
リンゴと比べられるようにさわやかでシャリシャリとした食感だ。

なつめの甘露煮は、飛騨のみで食べるといわれる郷土料理。
朝市などで生のなつめを購入して甘露煮をつくってみるのもいいが、
まずはお手軽な缶詰めもある。おみやげにも喜ばれそうだ。
ここまでなつめを日常的に食すのは飛騨だけ。
訪れた機会にぜひ、なつめデビューしてみては?

江戸時代へタイムスリップできる〈高山陣屋〉

江戸時代、飛騨の政治が行われていた場所。役所や家などを総称して陣屋という。
全国で唯一、郡代役所の建物が現存していて、現在のものは平成8年に
修復・復元が完成。江戸時代の〈高山陣屋〉の姿がほぼ再現された。
高山観光のハイライトともいえる。
観光客でいつも賑わっているが、一度は訪れておきたい場所だ。

江戸時代、高山は天領地と呼ばれ、幕府の直轄地になった。
それを証明するのが葵紋の幕。水戸黄門のアレと同様である。
館内を見学してみると、細かいデザインなどおもしろい。
ガイドツアーに参加すれば、江戸時代の高山を勉強しながら、
より立体的に思い描くことができそうだ。

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高山陣屋

住所:岐阜県高山市八軒町1-5

TEL:0577-32-0643

古民家〈久田屋〉でゆっくりとジャズライヴを。

「TOKU & 小沼ようすけ Duo Live in 飛騨高山 at 日下部民藝館」

高山で音楽を楽しみたいと思ったら、絶好の場所がある。
ライヴハウスでも、クラブでもない。
築100年を超える古民家で、高山の郷土料理が食べられる〈久田屋〉だ。

主催しているのは久田屋の久田上総さん。
年に数回、久田屋を使ってジャズを中心として音楽ライヴを開催している。
和の空間、しかも古民家でジャズを聴くなんてオツなもの。
お酒は持ち込み自由で、おつまみを提供するという。

「いつも家で飲んでいるお酒を持ってきてもらって、
アットホームな雰囲気で、楽しんでもらいたい。
自分自身がお酒を飲み歩くのが好きなんです。
ホールのようなところでライヴを聴くのもいいけど、
“日常の延長線上にある非日常”みたいなものを目指しています」

久田さんは、高山生まれ。高校まで高山で育ち、その後関西に移住。
自身も音楽活動をスタートして、勉強のためにアメリカに2回ほど留学している。
「古民家で生まれ育ったので、正直、昔は特に憧れのようなものはありませんでした。
自分の家ですからね(笑)。でも外に一度出てみて感じるのは、
100年以上の古民家がたくさんあって、しかもそこでライヴもできてしまう。
そんな土地は珍しいのではないでしょうか」

久田屋以外にも、最近では〈日下部民芸館〉でも開催することもある。
こちらはやや広めなので、ビッグネームを招聘することも。
地元の人にとっては歩いていけるような場所なので、
年配の方は着物で着てくれることもあるという。
旅先で、地元の人にまじってライヴを楽しんでみるというのも
おもしろい体験になりそうだ。

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久田屋

住所:岐阜県高山市上三之町12

TEL:0577-32-0216

営業時間:10:30〜15:00(L.O.)

*音楽イベントは別の時間で開催

http://hisadaya-hida.com/

世界を魅了する飛騨の〈山椒粉〉

江戸時代に徳川将軍にも献上されたという記録も残っている飛騨の山椒。
奥飛騨の山中で、高度800メートル、半径5キロメートルという、
ある限られたエリアの土地で栽培された山椒のみが、高い香りを生み出す。
ちなみにほかの土地に移植してもこの香りは出ないという。

そんな飛騨産山椒を100%使用してつくられているのがこの〈飛騨山椒〉の〈山椒粉〉。
創業以来、天日干しにこだわっている。乾燥機などを使うと香りが飛んでしまうからだ。
その後、種と皮を分け、皮のみ杵と石臼でついて粉にしていく。
その味と香りの良さは全国的にも知れ渡っている。
たかが山椒と侮るなかれ、飛騨の山椒を試してみるべし。

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■日本一広い、飛騨地域の中心市「高山市」をもっと知るには↓

グッとくる飛騨:高山市

秋田〈森の保育園〉として開かれた 佐藤清太郎さんの健康の森 秋田そだち Vol.1

秋田の豊かな自然と風土のなかで育まれてきた人、そして育まれていく子どもたち。
秋田の恵みをたっぷり受けながら暮らす人を全3回のシリーズでお伝えしていきます。

森の中では3歳児にかなわない

「健康ってどういうことだと思いますか?」
「健康の森」という看板の掲げられた森の入り口で、
佐藤清太郎さんがおもむろに尋ねてきた。

元気なこと……でしょうか?

普段からごく当たり前に使っている言葉だけに、
あらためて意味を問われると、これという明快な説明ができない。
「この森を歩いたら、きっとわかるはずですよ」と言って、佐藤さんはニヤリと笑った。

「健康の森」の入り口。

「清太郎さんの森」という呼び名で親しまれている森林は、
秋田市中心部から車で30分ほど走ったところにある。
佐藤さんはこの山間部の小さな集落で代々林業を営んできたのだが、
25年前から所有林の4分の1ほどにあたる約30ヘクタールを、
「健康の森」として会員に開放している。

緩やかな傾斜を上がっていくと、おそろいのピンクの帽子をかぶった
子どもたちの姿が見えた。向こうもこちらの存在に気がついて、
まるで森の中で珍しい生き物を見つけたかのように、好奇心むき出しで駆け寄ってくる。
子どもは元来、人懐っこいものだとわかっていても、
こちらの予想を遥かに凌ぐ人懐っこさと明るさ。
開放的で自由な空気がそうさせるのだろうか。

元気いっぱいに森の中を走り回る子どもたち。

この日、森に来ていたのは秋田市内の保育園に通う3歳児たち。
〈森の保育園〉という活動の場として、現在は秋田県内の保育園、幼稚園から
年間3000人を超える園児たちが、こうして森へ遊びに来ているのだ。

佐藤さんと子どもたちに先導されて辿り着いたのが、
かつて炭焼きをしていた小屋のある、ちょっとした広場。
その横は高さ2メートル以上の急斜面で、土というか泥の壁がむき出しになっている。

「では大人のみなさん、ここを登ってください。
子どもたちは、みんなで応援しましょう!」
無茶ぶりしてくる佐藤さん。
「いや、私はちょっと……」と断るのはそれこそ大人げないので、
助走をして一気に駆け登ろうとしたものの、
斜面がツルツル滑ってうまく登れず、どしんと尻もち。
大人たちの滑稽な姿を見て、子どもたちと佐藤さんは無邪気に笑っている。

「今度はみんなも登ってみようか」
という声とともに、一斉に斜面をよじ登ってくる子どもたち。
服が泥だらけになることも気にせず、這いつくばったりしながら、
大人よりもよっぽど器用にひょいひょいと登ってくる。
森の中では大人も子どもも関係ない。
むしろ身のこなしが軽い子どものほうが、よっぽど森に溶け込んでいる。
森は人間としての力が試される場所なのだ。

木の根を頼りに、滑りやすい斜面を自力で登る。

林業経営から森林経営へ

佐藤さんが現在のような活動を始めたそもそものきっかけは、
1991年に日本列島を縦断した台風19号だった。
青森では収穫前のりんご畑が甚大な被害を受け、
「りんご台風」という通称がつけられたほどだったが、
お隣の秋田で佐藤さんが管理していた杉林も、一夜にして変わり果ててしまう。

「立派な木を育てて、高く売るような林業をこの先続けても限界がある。
これからは森林のあり方をもっと考えていかなければいけないと思ったんです」

「健康の森」の全体図。事務所をスタート地点とすると、往復で4キロほどの道のりを歩くことになる。

「私が子どもに教えることは何もありません」と言う佐藤さん。子どもたちが森から学びとっていく。

人間にも健康があるように、森にも人間の都合とは関係なく
健康な状態があるはずだと考えた佐藤さん。
環境保護という概念が、まだまだ世間に浸透していなかった時代に、
同郷出身の医師に言われて、ずっと気になっていたことがあった。
それは「これから高齢化社会になったときに、
故郷の森や海、川などの自然が必要とされるようになる」という言葉。

同年、佐藤さんは医師などとともに14人で〈秋田森の会・風のハーモニー〉を発足。
当初は医療や高齢者福祉と森林を結びつけることを目的としていたが、
3年後には、保育園や幼稚園児などを対象とした森の保育園をスタート。
自らのことも「森林経営者」と名乗るようになっていた。

佐藤さんの家の敷地内にある炭焼き小屋。仲間たちときりたんぽを食べながら、炭焼きをするのが冬の恒例。

移住と農業。 島暮らし5年目のリアル

商売と暮らしのバランスを探りながら

瀬戸内国際芸術祭2016が終わり、少し落ち着いた小豆島。気づけば11月。
島のあちこちで先月から始まったオリーブの収穫も終わりに近づきつつあり、
少しずつ冬の気配が強まっています。

すっかり忘れていましたが、この10月31日から私たちは島暮らし5年目に突入です。
もうずっとずっと昔に引っ越してきたんじゃないかと思うほどこの4年間は濃密で、
よく積み重ねてきたなぁと自分たちのことながら思います。
ここで暮らし始めたとき、幼稚園児だった娘も小学生。
私たちも歳を重ね、アラフォーど真ん中です。

オリーブの実は10~11月頃に収穫します。収穫体験できるところもあります。

島に引っ越してきた4年前もこうして収穫してました。

そんな5年目の秋、今年もオリーブ農家の友人のところで収穫を手伝ってきました。
その畑でオリーブ収穫をすると、小豆島に引っ越してきたときのことを
よく思い出します。引っ越してきて2週間後くらいに
収穫作業に誘ってもらって、初めてのオリーブ収穫。
当時は何もかもが新鮮で、オリーブの実を少し分けてもらって
自分たちでオリーブオイルを搾油したり。
栽培する、収穫する、製造するということが身近にあることに、
とても興奮していました。

実の選別作業。目で見てゴミや傷がひどい実を取り除きます。

オリーブは熟していくと、黄緑色から赤紫色に変わっていきます。

北海道・中川町の新たな試み ローカルベンチャースクールが開講

熱く語らう2日間。多彩な顔ぶれの講師陣が登場

岡山県西粟倉村で〈村楽エナジー〉という会社を営む井筒耕平さんに出会ったことは、
わたしにとって大きな出来事となった。
井筒さんは、ローカルベンチャー発祥の地とされる西粟倉村で、
バイオマスエネルギー供給やゲストハウスの運営などを行っており、
仕事のかたわら各地で精力的に講演会も開催している。

今年の9月、岩見沢の山間部にある東部丘陵地域の未来を考える
トークイベントにゲストとして井筒さんは訪ねてくれた。
ここで語られた話は、自分がこれからいかに地域と関わっていくのかを考えるうえで、
多くの示唆に富むものだった。

来年わたしは、東部丘陵地域の美流渡(みると)地区に移住を計画中なのだが、
井筒さんの話を聞いたおかげで、まず何から始めたらいいのか、
その道筋が見えたように思っている(いよいよ一歩を
踏み出そうとしているところ、詳しくは連載第27回)。

井筒さんとの出会いから1か月後、彼が再び北海道へやってくることを知った。
場所は道北に位置する中川町だ。人口は約1600人。
面積の87パーセントが森林ということもあり林業が盛んで、
そのほか畑作や酪農などが主な産業となっている。

ここで井筒さんは、中川町産業振興課と連携して、
9月より〈中川町ローカルベンチャースクール〉を開講している。
全5回が予定されており、第1回目に大手シンクタンクの
丸田哲也さんによる「中川町で起業するということ」をテーマにした
講座が行われ、今回は第2回目にあたる。

わたしが住んでいる岩見沢から中川町までは、車で3時間半ほどかかるが、
新たな人々との出会いの場になるのではと考え、参加することにした。
10月22、23日の2日間で行われたスクールの講師となったのは、
井筒さんとともに、彼が代表を務める村楽エナジーから、
スタッフである妻のもめさんと奥祐斉さん。
また中川町で酪農を営む丸藤英介さんも加わり、多彩な顔ぶれとなった。

左から、村楽エナジーの井筒もめさん、奥祐斉さん、井筒耕平さん。中川町で酪農を営む丸藤英介さん。自身がいま何を考え、どんな活動に取り組んでいるのかをそれぞれが語り、トータル7時間30分におよぶ講義となった。