連載
posted:2016.12.1 from:熊本県熊本市 genre:食・グルメ
〈 この連載・企画は… 〉
ローカルにはさまざまな人がいます。地域でユニークな活動をしている人。
地元の人気者。新しい働きかたや暮らしかたを編み出した人。そんな人々に会いにいきます。
writer profile
Yoko Yamauchi
山内陽子
やまうち・ようこ●企画と文章。熊本生まれ、熊本育ち、ちょっと放浪、熊本在住。地元を中心に、広告・広報の企画を手がけています。おいしいものが大好きで、お米、お水、お魚、お野菜、いろんなおいしいものにあふれている熊本から離れられません。
credit
撮影:山口亜希子(Y/STUDIO)
大地、海、太陽、森、風、そして水。
その土地のさまざまな自然の恩恵を受けて食べものは育つ。
そして、土地の人たちはその恵みをいただきながら日々の営みを続ける。
太古の昔から、なんにも変わらない食と人のつながり。
人の活動源であり、健康を育むものであり、命のもとになるもの。
そして、土地の文化や歴史のなかにも必ずといっていいほど関わっているもの。
すべての人、すべてのことにつながっている食を通して
熊本の魅力を発信しているひとりの女性がいる。
管理栄養士である相藤春陽さんが〈春陽食堂(はるひしょくどう)〉を
オープンしたのは、平成28年4月13日。
場所は、熊本市内の住宅街にある小さなマンションの一室。
食堂といっても、店を構えて、いらっしゃいませ、と客を迎えるようなものではなく
事務所として借りている部屋の一角にテーブルを準備し、
1回につき、最大4人まで迎え入れる会員制の食堂。
メニューは、季節のものを使った家庭料理の定食のみ。
旬をとり入れ、土地のものをふんだんに使い、どこかほっとするような
懐かしいような、家庭の味を楽しみながら、大人が食に向き合える時間を提供したい。
それまで栄養指導や料理教室などで、言葉で伝えてきたことを、
誰かといっしょに食べるという時間を設けることで、“実感”として受け取ってほしい、
という春陽さんの願いが込められている。
その活動趣旨に興味をそそられ、春陽食堂オープン2日目、
4月14日のお昼に、春陽食堂を訪れた。
献立は、甲佐うなぎごはん、かぼちゃのひき肉あんかけ、
たけのこ辛子酢みそ、千紫万紅ピクルス、そして旬野菜のお味噌汁。
献立のレシピのことや、食材のこと、食材が育ったまちのこと、
それをつくっている生産者のこと。
この日初めて会った人がいるのにもかかわらず(春陽食堂は相席制)
「食」という共通の話題で盛り上がった。
同じもの、しかも家庭料理を、同じテーブルを囲んでいただくことで、
まるで家族のような、そんな不思議な距離感を味わえた。
想像するに、春陽さんは、この食べている時間、食べたあとの時間もひっくるめて
「春陽食堂」だと考えていたに違いない。
お昼を食べる。ただそれだけの短い時間で、
季節を感じ、つくる人の気持ちを想像し、土地のことを想い、
昔の記憶を呼び起こし、おいしい、という感動を噛みしめる。
そして、目の前にいる人とさまざまな話題を共有する。
2時間という時間があっという間に感じられた。
「また、メニューが変わったらうかがいます」と、春陽食堂をあとにした。
そしてその日の夜、熊本を未曾有の災害が襲う。
後になって4月14日の地震は「前震」と発表された、平成28年熊本地震だ。
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地震直後、熊本のまちは一変した。
広い熊本県のなかでも甚大な被害を受けた地域もあれば
被害が少ない場所もあったが、余震が続くなか、不安と恐怖、
そして焦りにも似た使命感でまち全体が混沌としていた。
「わたしの家は、周りのほとんどが農家さん。
地震があった翌朝、自宅に戻れず、避難所で不安のなか
一夜を過ごしていたにもかかわらず、農家の人たちが向かった先は、
なんと畑でした。いつもと変わらない、日常のように。
その姿を見たときに、とても衝撃を受けたのです」
と、当時のことを記憶をたどりながら春陽さんは続けた。
「農家さんにとって、畑仕事を休むことは死活問題でもあります。
畑の作物は、地震があったからといって、生長を休んでくれるわけでもありません。
自分自身が被災して、大変な状況にあるのに、
食材を市場に出すために、懸命になって働いている生産者がいる。
そのことを、食卓にいる人たちに伝えなくては! と、強く感じました。
そのために、食に携わってきたわたしができることは何か、と考えるようになりました」
おそらく、春陽さんのなかには、熊本地震以前も
そのような想いがどこかにあったと思われる。
その想いを、どうかたちにしていくのか。
その過程にあったのが、春陽食堂のオープンだったのだろう。
オープン後わずか2日で熊本地震という災害に遭い、
食堂はしばらく休まざるを得なくなるが、そこでじっとしている女性ではなかった。
「自分ができることを、できることからしよう」
そう考えた春陽さんが、震災後すぐに取り組んだのが、
離乳食を必要とする人のもとへ届けることだった。
熊本の米粉と、そのときに手に入る野菜を材料に、
毎日内容を替えながら離乳食を手づくりした。
フェイスブックで呼びかけて、必要とする人のところまで届けに行った。
その活動を支援する輪が広がり、物資支援活動にもつながっていった。
離乳食を届けたママたちの声を聞き、生産者や飲食店とのつながりを深めるなかで、
春陽食堂の新たな道が見えてきたという。
「熊本は、すばらしい生産物の宝庫だということを再認識しました。
さらに、それを育てている生産者さんたちの姿を見ることで、
この人たちに喜んでもらえるような活動をしたい、とどんどん具体的になってきました。
春陽食堂で取り組むべきことは、その熊本のすばらしい食を、
生産者のこと、土地のこと、食べ方のこと、いろんなことを伝えながら、
家庭の食卓へ届けることだと。わたしの事務所から始まった春陽食堂ですが、
届ける先にも春陽食堂が広がればいいなぁ、という想いがとても強くなってきました」
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農業産出額から見ても、熊本は全国でも有数の農業県。
また、生産物の種類も豊富で、四季を通じて食卓は、
地元産の多彩な食材で彩られる。とても豊かな地域だ。
熊本地震からちょうど半年になる、10月15日。
管理栄養士、フードコーディネーターという立場で
これまで食生活のアドバイスや栄養カウンセリングを行ってきた経験と、
家庭の食卓を守る母としての経験、そのふたつの視点から出会ってきた
熊本の食を、新たな価値を添えて提案するセレクトブランドとして、
春陽食堂プロジェクトを立ち上げた。
事務所の一角で開いていた食堂から一歩進んで、これまで春陽さんが使ってきた食材や、
おいしいと感動したものを紹介するブランドとして、春陽食堂がスタートしたのだ。
その最初の商品として春陽さんが展開したのは、〈旬米 鼎(かなえ)〉だった。
「新米ではなく、旬米。熊本の各地で収穫されるお米を、
この季節には、この地域のお米。こんな風に旬のものと一緒に
味わってほしい、といった具合に提案したかったのです。
その第1弾が、水俣の久木野地区の棚田で収穫された棚田米です。
久木野地区の棚田の美しい景観はもちろん、昔ながらの石積みの風景や、
棚田を潤す湧水のすばらしさ、そしてその土地で暮らす人の営みなど、
実際に足を運んで、見聞きしたことも含めて伝えていきたいのです。
何よりも、わたし自身が、おいしい、と感動したお米でもあります。
不思議なのですが、炊けば、ほんわりとした香ばしい香りがします。
ぜひ、たくさんの人に味わってほしい」
商品を手に取って、食べてもらって「おいしい」と思ったことがきっかけでいい。
そこから熊本で育ったその商品が、どんな地域で、どんな人たちの手によって、
どういう風に伝えられてきたのか、興味につなげていく。
それが、食のセレクトブランドとしての春陽食堂の大きな役割。
そのことを常に頭に置きながら、おいしい熊本の発信をしていきたいと
春陽さんは考えている。
「わたしから発信する、知ってほしい、食べてほしい、ですが
それをつくっている生産者の方たちのやりがい、生きがいにつながれば、
と考えています。それが一番の目的です。主役は、つくる人たち。
食のプロとして経験を積んできたわたしだからこそ、
この商品の使い方、栄養について、そしてつくられている土地の歴史、
そしてつくっている人たちのことについて、
その商品を魅力的に発信できる方法を知っている、というだけのこと。
春陽食堂は始まったばかりですが、アンテナショップのようなお店を、
来春にはオープンできることになりました。
そこで商品を実際に食べてみるスペースを設けたりと、
これからいろんな展開が頭のなかにあって、
それを少しずつ実現に向けてかたちにしていきたいと思います」
春陽食堂ブランドの商品を増やしていく、ということを、
生産者との出会いを増やしていく、と表現する春陽さんは、
その言葉どおり、いつもどこかに、誰かと出会うために忙しく出かけている。
春陽食堂に今後どんな仲間が加わっていくのか、楽しみだ。
profile
HARUHI AITO
相藤春陽
管理栄養士として病院や、高齢者施設に勤務するかたわら、食育アドバイザーやフードコーディネーターの講師としての活動をスタート。2011年に独立し、wellsole(ウェルソーレ)を設立。医療機関を中心とした栄養コンサルタントや食にまつわる養成講座の講師、フードコーディネーターとしての活動を広げる。2016年10月、熊本の食を発信するセレクトブランド〈春陽食堂〉を展開。
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