旅行で訪ねたら、空き家が見つかった。
70人ほどの集落・万字へ
電撃移住した家族

2泊3日の旅から、すべては始まった

この地域の移住者で、実はまだ連載で紹介できていない家族がいる。
私の住む美流渡(みると)からさらに山あいへ15分ほど車を走らせた、
万字地区に住む笠原さん一家だ。

3歳になる息子さんはうちの次女と同じ保育所に通っていて顔見知り。
親しくなってしまうと、なかなかあらたまって取材というのもやりづらい。
けれど、先日、北海道のテレビ局から、このあたりの移住者を
紹介してほしいという依頼があり、番組制作に協力し、
あらためて笠原さんの移住までの道のりを聞く機会があって、
今回ようやく記事にすることができた。

最近、この付近に個性的な移住者が集まっていることから、北海道文化放送が取材にやってきた。

最近、この付近に個性的な移住者が集まっていることから、北海道文化放送が取材にやってきた。

笠原一家が東京から移住したのは2018年のこと。
その前年、当時、オーディオ販売会社に勤めていた夫の将広さんは
仕事で北海道を訪れ、美流渡にすでに移住していた友人の
新田洵司さんの家に立ち寄ったことがあった。
その暮らしぶりに感銘を受け、その数か月後、美流渡に家族で遊びにやってきたという。

「2泊3日の旅でした。そのとき私たちも田舎暮らしをしてみたいという気になって。
そうしたら、そのときたまたま空き家を見せてもらったんです」(妻の麻実さん)

築50年以上が経過した長屋。裏には畑が広がり山々の景色が美しい場所。

築50年以上が経過した長屋。裏には畑が広がり山々の景色が美しい場所。

2軒空き家を見せてもらったそうで、その1軒は万字地区の元炭鉱住宅。
ここにはかつては炭鉱があり、その当時建てられた長屋がいくつか残っていた。
築50年以上は経過しており、床が沈んでいて直さなければ住めない状態だった。
北海道への移住は、まったくプランになかったというが、ふたりの心は動いた。

「帰りの飛行機に乗ったときには、もう移住しようと決めていました」(将広さん)

そのとき将広さんは、会社勤めはしていたものの、
都会の暮らしに先が見えない、そんな閉塞感を感じていたそうだ。
そして3か月の間に、仕事を整理し引っ越しの段取りをしていったという。

「全部、置いてきました」

そんなふうに将広さんは笑った。まさに電撃移住だった。

自ら家の修繕を行った将広さん。天井を広くとり、自然に風が循環するようにと考えた。

自ら家の修繕を行った将広さん。天井を広くとり、自然に風が循環するようにと考えた。

〈ROKUMOJI〉
酒どころ、新潟で生まれた
サステイナブルなクラフトジン

6種類のボタニカルを使用

新潟の自然をビンの中にぎゅっと閉じ込めた、爽快なクラフトジンが登場した。
名前は〈ROKUMOJI(ろくもじ)〉。
手がけたのは、南魚沼市出身の今成高文さん、駿吾(しかご)さん兄弟。

「キャッチフレーズは“体内森林浴”です」と話すのは、弟の駿吾さん。
体の中からダイナミックな自然を感じられるジンというのが、その所以だ。

今成駿吾さん。この自然豊かな南魚沼で生まれ育った。

今成駿吾さん。この自然豊かな南魚沼で生まれ育った。

酒好きのあいだでは、すっかり市民権を得ているクラフトジン。
そもそもジンとは「ベースとなるニュートラルスピリッツに、
ジェニパーベリーを含むボタニカル(植物成分)を加えて香りづけした蒸留酒」のこと。
ジェニパーベリーを使うことは必須だが、ボタニカルの種類や数に決まりはない。
この自由度を生かし、カモミールやラベンダー、りんごや海藻など、
産地に由来するボタニカルを使ったジンが、世界各地でつくられている。

ROKUMOJIのボタニカルは6種類。
うち新潟産は、佐渡のアテビ(ヒバ)、南魚沼と長岡のクロモジ、
十日町のドライアップル、村上のほうじ茶の4つ。
そこにジェニパーベリーと、これらの香りをとりまとめるハーブ、
アンジェリカルートが加わる。

「口に含むと、まずアテビとクロモジの香りがふわっと広がり、
続いて、森の枯葉や土を連想させるほうじ茶、
最後にりんごの甘い余韻が残るよう設計しています」

佐渡固有のヒバともいわれるアテビ。アテビを守り、育てる活動をしている〈アテビの会〉から取り寄せている。

佐渡固有のヒバともいわれるアテビ。アテビを守り、育てる活動をしている〈アテビの会〉から取り寄せている。

「和製ハーブ」ともいわれるクロモジ。スパイシーな香りが心地いい。

「和製ハーブ」ともいわれるクロモジ。スパイシーな香りが心地いい。

香りの主軸となるのは、アテビとクロモジ。
アテビはヒノキ科の植物で、ヒノキに柑橘をプラスしたような馥郁たる香りを持つ。
クロモジは日本固有の香木として知られ、アロマやお茶などにも利用されている。

リンゴを加えることで、辛口なジンにほんのりやさしいフレーバーが加わる。廃棄される芯を再利用。

リンゴを加えることで、辛口なジンにほんのりやさしいフレーバーが加わる。廃棄される芯を再利用。

ジンに欠かせないジェニパーベリー。爽やかな香りが特徴。

ジンに欠かせないジェニパーベリー。爽やかな香りが特徴。

飲み方はストレートでもロックでも。
駿吾さんのおすすめは、フレッシュライムとソーダで割るジンリッキー。
カクテルにしても森の香りは健在だ。しかもこのジン、飲めば飲むほど
森が美しくなるという、環境にやさしい酒でもある。

小豆島の生姜で、
ジンジャーエールをつくってみよう!

自家製ジンジャーエールの楽しみ方

ジンジャーエールってどうやってつくるか知ってますか? 
それこそ私は小豆島に引っ越してくるちょっと前まで、
ジンジャーエールの「ジンジャー」が生姜ってことにさえ気づきませんでした。
気づかなかったというか、ジンジャーエールが何でできているのか気にもならず、
ただ少し辛めのおいしい炭酸ドリンクとして飲んでました。

普段何気なく飲んでるジンジャーエール。実は生姜の飲みもの。

普段何気なく飲んでるジンジャーエール。実は生姜の飲みもの。

実はジンジャーシロップをつくりたくて生姜の栽培を始めました。

実はジンジャーシロップをつくりたくて生姜の栽培を始めました。

いつの頃からか、自分たちが口にするものがどうやってできているのか、
どんな素材を使っているのか気になるようになり、
できるものは自分でつくってみるように。
いまはなんでもかんでも完成品が売られているので、
あまり気にせずそういうものとして食べている。

でも考えてみたら、はじめからジンジャーエールっていう液体が
世の中に存在してるわけもなく、カレーだって、お味噌だって、
いくつかの食材を加工してつくりあげたもの。

ひとつひとつの素材を知って、自分の手でつくるのっておもしろいんですよね。
手間と時間はかかるけど、そうやってつくることを楽しめるっていいなと思うんです。

さて、話は戻って「ジンジャーエール」はどうやってつくるか。
ジンジャーエールの主役はジンジャー! そう、生姜です。
生姜、砂糖、スパイス、レモンなどの柑橘果汁、水を合わせて煮て、
ジンジャーエールの素とでもいうようなシロップをつくります。
それを炭酸水で割ればジンジャーエールの完成!

ジンジャーシロップの材料。生姜とレモンとカルダモン、ブラックペッパーなどのスパイス。

ジンジャーシロップの材料。生姜とレモンとカルダモン、ブラックペッパーなどのスパイス。

素材さえそろえれば、つくるのはそんなに難しくないんです。
素材の分量や、使う砂糖やスパイスの種類、生姜の切り方などによって
味が変わってくるので、それがまた自家製ジンジャーエールの楽しみだったりします。

うちでは生姜を細かくカット(フードプロセッサー使用)してシロップをつくってます。

うちでは生姜を細かくカット(フードプロセッサー使用)してシロップをつくってます。

生姜と水、各種スパイスを鍋に入れて煮ます。

生姜と水、各種スパイスを鍋に入れて煮ます。

旭川市〈i.c.stella〉
「買物公園」の空き店舗を
スマートフォン修理店へ

野村パターソンかずたか vol.3

北海道旭川市で、リノベーションや不動産事業を営みながら、
アーティストインレジデンスなど地域の文化事業を企画・運営する、
野村パターソンかずたかさんの連載です。
今回は旭川の目抜き通り「買物公園」にある空き店舗を
スマートフォン修理店にリノベーションした事例をお伝えします。

物理的に近くとも、心情的には遠い「隣人」の存在

11月上旬、旭川にしては珍しい量の雪が降った。
早朝に辺り一面の雪景色になったのもつかの間、数日すると大雨になり、
例年通り根雪(冬があけるまで解けないほど雪が地面を覆う様子)を控えた、
緊張感のあるまちが戻ってきた。

今回紹介するスマホ修理店〈i.c.stella〉が入っている物件を購入したのも、
ちょうど3年前のこの時期だった。

前回紹介した〈Tomipase〉を擁する物件を取得してすぐに気がついたのは、
その横の物件も空き店舗であり、Tomipaseの建物と壁を共有していることだ。
個人が所有できるハコである「建物」が、
もうひとりの個人が所有するそれと構造を共有しているという概念は、
自分で建物を購入するようになって初めて学んだことのように思う。

左がアンティークショップ〈Tomipase〉、右がスマホ修理店〈i.c.stella〉。

左がアンティークショップ〈Tomipase〉、右がスマホ修理店〈i.c.stella〉。

地球の表面の一部を、我々の祖先が編み出した貨幣との等価交換で
購入、所有できること自体が未だにしっくりこないのだが、その上に建っているものを、
ケーキのようにペティナイフで等分できるものでもないのに、
複数の関係者が共同で所有する。

字面でみると、なんと平和的で民主的なあり方なのかと思うが、
実際はその逆で、隣人同士で仲がいいことのほうが稀有なのである。
土地でも建物でも、話をまとめさせてくれないのはこの「隣人」という
物理的に近く、心情的に遠い相手なのだ。

隣の土地は借金してでも買え、と言われている。
隣人の土地にそれほど価値があるという意味ではなく、
いつ豹変するかわからない怪物である隣人という存在を手中に収めるには、
借金というリスクすら背負う価値がある、という意味なのだろうか。

大学院生が自分の手でつくった
BMXコース〈ルコチパーク〉。
山間地にできた、子どもたちが集まる場

大学院生でもあり地域おこし推進員でもある瀬尾さん

今年の夏、我が家から車で5分ほどの毛陽地区に、新しい拠点が生まれた。
その名は〈ルコチパーク〉。
BMXと呼ばれる起伏の激しいコースを専用の自転車で走る競技のための場所で、
今年岩見沢の山間のエリアに着任した地域おこし推進員(協力隊)の
瀬尾洋裕さんがつくったものだ。

着任早々に瀬尾さんに会ったとき、10代(!?)かと思うような、
少年のような雰囲気があったのだが、実際の年齢は24歳。
北海道教育大学卒業後に塾講師として働いていたのだが、
今年、再び大学に戻って院生となり
スポーツによる地域活性についての研究も行っている。

瀬尾洋裕さん。大学に通いながらルコチパークの運営も行う。

瀬尾洋裕さん。大学に通いながらルコチパークの運営も行う。

「レースができるような本格的なBMXのコースは
全国でも7、8か所くらいしかありません。
札幌にも1980年代まであったんです。それを復活させたいという思いがあって」

瀬尾さんは茨城県出身。小学校4年生の頃からこの競技を始めた。
大会に出場し一時はトップを目指したが、
中学生になって上位の成績を収めることができず、
この競技から離れていったのだという。

「選手としては全然ダメで。まわりの知っている子たちが
世界選手権の代表に選ばれていくのを見て、心が折れました……」

その後は野球部に所属。
大学でも野球を続けつつ、スポーツの経済学を学ぶようになった。
卒業論文で取り上げたのはBMXについて。
しかし、もっと研究を深めたいという思いが残る内容だったために、
再び大学院に戻ることにしたという。

それが今年の春の出来事。そして巡り合わせのようなタイミングで、
地域おこし推進員の募集を知った。

私が住む美流渡(みると)の隣の地区が毛陽。果樹園や田んぼが広がる農村地帯。

私が住む美流渡(みると)の隣の地区が毛陽。果樹園や田んぼが広がる農村地帯。

「大学生の頃から、この地域でシェアハウスをやっている先輩が企画した
キッズキャンプのお手伝いをさせてもらったり、
地元のみなさんと交流しながら雪かき体験を行う実習があったりして、
よく訪ねていました」

BMXといったサイクルスポーツが、どのように地域の役に立てるのかを研究したい。
そのためには、人が集まる場所をつくって、まずはその声に耳を傾けたい。
大学院での研究を実証する場であり、地域おこし推進員のミッションである
拠点づくりとがぴったりはまり、新しい挑戦がスタートした。

着任した5月、地元の協力により運良く毛陽で広いスペースが借りられることとなった。
瀬尾さんは、まずスコップ1本でのコースづくりを始めたという。
SNSにその様子がアップされていて、私はとても驚いたことを覚えている。

スコップで土を盛り、起伏をつくっていく。(撮影:瀬尾洋裕)

スコップで土を盛り、起伏をつくっていく。(撮影:瀬尾洋裕)

BMXコースの起伏は、1メートル以上になる部分もある。
山をいくつも連ねたり、カーブの部分は片側を壁のようにして
すり鉢状の傾斜をつくったり。
効率を優先するならば、重機を使わなければ到底できないレベル。

「1か月間は手だけでやってみようと思っていました。
ほかの人がBMXコースをつくるときの参考にもしてもらおうと思って。
手でもできることを証明してみたかったんです」

スコップで掘ってつくったコースの長さはおよそ30メートル。
全体のコースの5分の1といったところか。
学生や自転車仲間が手伝いに来てくれたそうだが、
よほどのパワーがないとできない作業だったと思う。
その後は、ご近所さんから中古のパワーショベルを手に入れコースづくりを進め、
ついに8月にオープンすることができた。

工事現場で見かける重機よりもかなり小さいが、コースづくりには頼もしい相棒。

工事現場で見かける重機よりもかなり小さいが、コースづくりには頼もしい相棒。

加賀市〈タビト學舎〉
昭和初期の病院を、
高校生の未来を開く学習塾へ

SWAY DESIGN vol.2

石川県を拠点に、住宅・オフィス・店舗のリノベーション、
不動産の有効活用を提案する不動産事業などを展開する、
〈SWAY DESIGN〉永井菜緒さんの連載です。

今回の舞台は、加賀市大聖寺。
長い間空き物件だった古い医院を改修して生まれた、
高校生のための学習塾〈タビト學舎〉をご紹介します。

〈タビト學舎〉の「タビト」とは、旅(タビ)と人(ヒト)を掛け合わせた造語です。

〈タビト學舎〉の「タビト」とは、旅(タビ)と人(ヒト)を掛け合わせた造語です。

お施主さんとの出会いをくれた足場幕

〈タビト學舎〉を運営する飯貝誠さんと真美子さんご夫婦とは、
工事現場に掲げられた足場幕をきっかけに接点が生まれました。

現在は、新規のご相談はWebのお問い合わせフォームからいただいているのですが、
2016年の当時はまだ〈SWAY DESIGN〉の実績は数件しかなく、
WebやSNSなどで存在をアピールすることも難しい段階。
昼も夜も休みも関係なく、図面を書いては、あちこち声をかけて職人さんを探し、
設計から施工まで一貫して請け負うという日々。

着工までは事務所で図面作成、着工後は現場で手書き図面を起こし、その場で墨出し(現場に実寸の設計図を書くこと)をしながら管理するという態勢でした。

着工までは事務所で図面作成、着工後は現場で手書き図面を起こし、その場で墨出し(現場に実寸の設計図を書くこと)をしながら管理するという態勢でした。

鳥獣戯画のように、メンバーが増えるごとに足場幕がつながっていきます。

鳥獣戯画のように、メンバーが増えるごとに足場幕がつながっていきます。

そんななかでのPR戦略として、当時一緒に活動していた
同世代でフリーランスの大工さんや板金屋さんと、
「チームが増えるにつれて連続していくような、絵巻物のような足場幕をつくろう!」
と、ひとり1枚ずつ900ミリ角の幕をつくり、掲げることに。

すると
「道路を走っていて、足場幕を見かけたんですけど……」
という飯貝さんからお声がけがあり、
「ではとりあえずお会いしましょう!」
と行き当たりばったりのかたちでスタートしたのでした。

「オリーブの島」小豆島で、
秋のオリーブ収穫!

小豆島は日本のオリーブ栽培発祥の地!

小豆島を訪れると必ず目にするオリーブの樹。
島のあちこちにオリーブ畑があり、街路樹としても植えられています。
島で暮らす私たちにとって、オリーブの樹は馴染み深い存在です。

10月頃に赤紫色に色づくオリーブの実。

10月頃に赤紫色に色づくオリーブの実。

そもそもなんで小豆島でオリーブ?
昔からオリーブの樹が自生していたわけじゃなくて、意外な歴史があるんです。

小豆島へオリーブがやってきたのは1908年。なんと明治時代!
ヨーロッパでよく使われるオリーブオイルに着目した政府は
魚をオイル漬けにして保存するためにオリーブオイルをつくろうと、
香川県、三重県、鹿児島県でオリーブの栽培試験を開始。

香川県は小豆島の西村地区にオリーブの試験園を設置し、
3県の中で唯一、香川県だけがオリーブ栽培に成功。
雨の少ない温暖な気候がその理由だったと言われていて、
実は小豆島は日本のオリーブ栽培発祥の地! なんです。

小豆島の温暖な気候だからこそ育つオリーブ。

小豆島の温暖な気候だからこそ育つオリーブ。

小豆島では小さなオリーブ畑が多く、オリーブの実をひと粒ずつ手で摘む農家さんが多い。

小豆島では小さなオリーブ畑が多く、オリーブの実をひと粒ずつ手で摘む農家さんが多い。

その後もたくさんの生産者さんたちの努力でオリーブ栽培の技術が磨かれ、
現在は香川県内各地で栽培されるようになり、
香川県のオリーブ出荷量は日本全体の9割以上を占めているそう。

でもそもそも日本で使われているオリーブオイルのほどんとは
海外から輸入されてきたもので、国産のオリーブオイルは超希少品だったりします。

そんな100年以上の歴史を経て、いま現在の「オリーブの島」小豆島があります。

そしてまさにいま、10月~11月は、オリーブの収穫シーズン!
島のあちこちで、脚立に乗ってオリーブの実を収穫している農家さんたちを見かけます。

秋は島のあちこちでこんな風景に出会います。

秋は島のあちこちでこんな風景に出会います。

収穫した実を選別。傷んでいたり、病気になってしまった実を除いて、おいしいオリーブオイルになるように。

収穫した実を選別。傷んでいたり、病気になってしまった実を除いて、おいしいオリーブオイルになるように。

コロナ禍でもできるイベントを。
人と人とをつなぐ、
移住者による小さなお祭り

アート、音楽、スポーツ。それぞれのできることを生かして

今年の夏から秋にかけては、新型コロナウイルス感染の広がりから、
町内会主催の七夕祭りや盆踊り、秋祭りが中止となった。
子どもたちの通っている学校でも行事は縮小されていて、
みんなで集まって何かをする機会は極端に減った。

そんななかで、近所の子どもたちが集まって
何かできないだろうかと考えた移住者の仲間がいる。

言い出しっぺとなったのは、私たちが暮らす美流渡(みると)に
3年前からスパイスカレーのお店を開いた〈ばぐぅす屋〉の山岸槙(こずえ)さん。
槙さんが、〈マルマド舎〉というゲストハウスを営む上井雄太さんと、
今年の5月から着任した地域おこし推進員(協力隊)の瀬尾洋裕さんに声をかけ、
3人が中心となって小さな子ども祭りが9月21日に企画された。

近所の人たちの手で整備されている芝生の広場が会場になった。

近所の人たちの手で整備されている芝生の広場が会場になった。

会場は毛陽地区の交流センターにある、とにかく広い芝生の広場。
集まったのは、普段から小学校や保育園などで顔を合わせている子どもたち20人ほど。
ここで朝から夕方まで、心も体もめいっぱい使う企画が行われた。

まず、3人が行ったのは体を動かすゲーム。その後にビンゴ大会。
お昼はばぐぅす屋の特製カレーが振る舞われた。

そして午後からは、今年の夏に美流渡地区に移住したばかりの
画家・MAYA MAXXさんのワークショップが行われた。
MAYAさんは、これまで全国各地でワークショップをしており、
そうしたなかから、今回は子どもたちに自画像を描いてもらう試みを行った。

子どもたちに語りかけるMAYAさん。

子どもたちに語りかけるMAYAさん。

「まず目から描いてみてください。鏡で形をじっくり観察します」

声かけに合わせて、目鼻口から順に描いていく。
顔の輪郭から描いてしまうと、その中にパーツを入れ込まなければならなくなって
窮屈になってしまうため、内側から描いていくそうだ。
このワークショップの特徴は、紙ではなく、木枠に麻布を貼ったキャンバスに描くこと。

真剣な表情で鏡をじっと見つめる子どもたち。目の形は意外と複雑など、思いがけない発見が。

真剣な表情で鏡をじっと見つめる子どもたち。目の形は意外と複雑など、思いがけない発見が。

「子どもの絵は、どこかの段階で捨ててしまうこともあるけれど、
キャンバスであれば、なかなか捨てられないですよね。
おうちに帰ったら、子どもの絵をぜひ壁に飾ってほしいと思います」

青空の下で服が汚れるのも気にせずに描く絵は、
普段とは違った開放感があったのではないかと思う。

できあがった作品。青空の下で絵具を乾かす。

できあがった作品。青空の下で絵具を乾かす。

ワークショップのあとは、2年前に万字地区に移住したアフリカ太鼓奏者の
岡林利樹さん、藍さんが率いるバンド〈みるとばぶ〉の演奏が行われた。
コロナ禍以前は、月に2回ほど太鼓のワークショップを開いていたこともあって、
演奏は子どもたちにもお馴染み。
一緒に太鼓を叩くなどノリノリで演奏に参加していた。

〈みるとばぶ〉のメンバー。

〈みるとばぶ〉のメンバー。

お祭りはいったんここで終了。その後、希望する子どもたちが、
地域おこし推進員の瀬尾洋裕さんがこの夏オープンさせた、
起伏の激しいトラックを専用の自転車で走る「BMXコース」を体験することとなった。

夕暮れ近くまで目一杯遊んだ子どもたち。
満足そうな、その笑顔を見ながらあらためて、
この山間の地域がなんと贅沢な場所なのだろうと感じた。

私が住む美流渡地区の人口は400人に満たないし、周辺の地区を合わせても
おそらく600人ほどではないかと思う。そんな小さなエリアに、
子どもたちと真剣に向き合うアーティストやミュージシャンがおり、
道内でも数えるほどしかないという「BMXコース」で自由に遊べ、
おいしいカレーも味わえて……。

ここ数年、徐々に移住者が増えてきており、
その誰もが、その人なりの才能を持っていて、それを惜しみなく
地域で生かしてくれていることを、お祭りを通じて強く実感できた。

瀬尾さんが手と小型の重機とでつくりあげたBMXコース〈ルコチパーク〉。

瀬尾さんが手と小型の重機とでつくりあげたBMXコース〈ルコチパーク〉。

「隅田川」と「北斎」を新発見。
地域のコミュニティが強い
アートプロジェクト「すみゆめ」

©Yasuhiro Suzuki

「北斎」と「隅田川」をテーマにしたアートプロジェクト

このコロナ禍のなかでも、地域の人々が助け合い工夫しながら、
生活圏規模で継続しているアートプロジェクトがある。
「すみゆめ」こと〈隅田川 森羅万象 墨に夢〉。
2016年の〈すみだ北斎美術館〉オープンを機に、
墨田区を中心とした隅田川流域を舞台としてスタートした。

隅田川をファスナーの形をした船が航行する鈴木康広さんの作品
『ファスナーの船』を目にしたことがある人もいると思うが、
これもすみゆめで行われたプロジェクトのひとつなのだ。

世界的に知られる葛飾北斎は、93回も転居しながら
90年の生涯をずっと墨田で過ごした破天荒な絵師。
すみゆめでは、この地域の文化資源ともいえる「北斎」と「隅田川」をテーマに、
毎年数々のアートプロジェクトを開催してきた。

森羅万象を追い求めた北斎にならい、
墨で描いた小さな夢をみんなの手で色づけしていくように、
あらゆる表現を行っている人たちが集い、つながりながら、
この地を賑やかに彩っていくことを目指している。

今年は北斎生誕260年にあたり、
東京オリンピック・パラリンピックに合わせて賑やかに開催する予定だったが、
新型コロナウイルスの感染拡大防止のために、実施方法や会期が変更に。
検討の末に7月から徐々にワークショップやリサーチが始まり、
来年の2月まで、まちなかやオンライン上で多彩な企画が続いていく。

〈隅田川 森羅万象 墨に夢〉統括ディレクターを務める荻原康子さんと、
墨田区文化振興財団で地域文化支援を担当する岡田千絵さんに、
2020年度の不測の事態をどのように乗り越え、
これからどのような新しい企画が待っているのかをお聞きした。

旭川市〈tomipase(トミパセ)〉
「買物公園」の空き店舗を
骨董品店へリノベーション

野村パターソンかずたか vol.2

北海道旭川市で、リノベーションや不動産事業を営みながら、
アーティストインレジデンスなど地域の文化事業を企画・運営する、
野村パターソンかずたかさんの連載です。

元ミュージシャンで世界の都市を巡った背景から、
地元・旭川市にて多様なコンテンツをしかけています。
今回は旭川の目抜き通り「買物公園」にある空き店舗を
骨董品店にリノベーションした事例をお伝えします。

旭川の繁栄の象徴だった「買物公園」

五十嵐広三さんの本を読んでいる。
五十嵐さんは1963年から1974年まで旭川市長を務め、全国に先駆けて
歩行者天国「平和通買物公園(通称、買物公園)」の開設を主導した方だ。

市内の老人との会話の中でまちづくりや賑わいづくりの話題に触れると、
誰もが口を揃えて当時の買物公園の盛り上がりについて熱く語り出す。

「当時の東京・銀座と同じくらい人口密度が高かったんだ」
「住み込みで働く人ばかりで、2階全部どころか、
3階、屋根裏にまで部屋をつくって、そこで寝てたんだ」
「毎晩、人が溢れるほどいて、人混みをかき分けて前に進んだんだ」
「商店にはお客が多すぎて、受け取った現金は段ボールに投げ入れて、
一日の終わりに数えたもんだ」

出会ったばかりのお年寄りの思い出話が、
いまの様子とは真逆のまちの景色を紡いでいく。

旭川の目抜き通り「買物公園」。

旭川の目抜き通り「買物公園」。

前回書いたとおり、直感と思い切りで挑戦した最初の物件では大失敗をした。
買物公園の最盛期をすぐ近くで生き抜いた築60年の木造物件は無残に解体され、
更地になった。当時敷いた砂利も最近ではアスファルト舗装が施され、
駐車場としてどんどんグレードアップしている。

不動産屋から共感を得て、物件情報を集める

「不動産屋は嘘つきだ」という声を聞くことがある。
調子のいいことばかり言って契約を決めさせようとしたり、
本当にこちらが知りたい物件については教えてくれず、
身内にだけいい情報を流しているのだと。
これが事実かはわからないが、「身内」として認識してもらえれば
いい情報を共有してもらえるのは間違いないだろう。

初回の失敗を受けて始めたのは、地域でつながりができそうな不動産屋さんに
挨拶に行くことだった。
まずはこちらが物件を探していることを知ってもらう。
新規起業者の支援をし、旭川の顔であるこの通りから
ひとつでもシャッターが閉まったままの店舗を減らしたいという目的を伝え、
共感してもらう。

同じようなことを考えている方や、それをすでに実践している方とも多く出会った。
いくら熱意があっても実績と信頼がない状態なので、
業者さんにお願いを続けることで、せめて信頼だけでも獲得する必要があった。

関係づくりに躍起になっていたある日、1本の電話が入った。
聞けば買物公園に売り物件があるという。金額は未定だというが、
なんとかなる範囲内らしいので、さっそく内覧を申し込んだ。

いつもベビーカーを押しながら地域調査や物件下調べをしている。

いつもベビーカーを押しながら地域調査や物件下調べをしている。

当時は菓子店として建築され、直近までは居酒屋だった物件。
店内からはほとんどの什器が取り除かれ、
当時敷き直されたらしいクッションフロアは黒ずみ、
カウンターや椅子の跡が残っていた。建物の奥に入るにつれて床の傾きは増す。
入り組んだ給水管のパターンだけがこの混沌とした空間に唯一残った規律だった。

昔この店の前を通りかかった記憶がある。

そのとき開店の準備をしていたのは、ひとりの高齢女性だった。
こちらに気づくと、しゃがれた声で「こんにちは」と言い切る前に、
くるりと店内へと戻っていった。
ピースボートのポスターの隙間から見えた内側の光景は、
どの地方都市にもある「どう成り立っているのかわからない居酒屋」のそれであり、
それを体感できる前に、もぬけの殻となってしまった。

尾道のチョコレート工場
〈USHIO CHOCOLATL〉と
小豆島の農家〈HOMEMAKERS〉が
つくった〈生姜チョコレート〉

尾道の人気チョコレート屋さんと2年がかりで商品化

気づけばすっかり秋。
晴れてる日の日中は畑作業をしていると暑くて
Tシャツで作業がちょうどいいくらいですが、さすがに朝晩は寒い。
急いでフリースとかセーターとかを引っ張り出して着てます。

生い茂った生姜の葉っぱ。この茎の下で生姜が育ってます。

生い茂った生姜の葉っぱ。この茎の下で生姜が育ってます。

霜が降りるほど寒くなると生姜が傷んでしまうので、それまでにすべて収穫します。

霜が降りるほど寒くなると生姜が傷んでしまうので、それまでにすべて収穫します。

そう! そして今年も生姜の季節です。
生姜の栽培は春から始まります。

まずは親生姜を植えます。
親生姜といっても何か特別な生姜なわけではなくて、普通の生姜。
スーパーで売っているような小さな生姜のかけらではなくて、
150グラムくらいの少し大きな塊の生姜を親生姜として土の中に植えると、
そこから芽が出てきます。その芽自体が土の中で大きく育ち生姜になり、
その生姜からも芽が出て、次々と増えていきます。

半年経ってようやく収穫! 10月に入ってから「新生姜」として出荷しています。
11月後半になると畑に霜が降り始めるのですが、それまでにはすべて収穫しないと! 
まだ大半が土の中にあるのでちょっとドキドキしています。

今年の4月、生姜の植えつけ。親生姜を並べていきます。

今年の4月、生姜の植えつけ。親生姜を並べていきます。

ひとつの親生姜からこんなにもたくさん生姜が採れることも!

ひとつの親生姜からこんなにもたくさん生姜が採れることも!

そしてなんと、今年はこの生姜シーズンのタイミングに合わせて
〈生姜チョコレート〉ができあがりました! 
チョコレートをつくってくれたのは、広島県尾道市にあるチョコレート工場
〈USHIO CHOCOLATL(ウシオチョコラトル)〉です。

〈USHIO CHOCOLATL〉と一緒につくった〈生姜チョコレート〉。

〈USHIO CHOCOLATL〉と一緒につくった〈生姜チョコレート〉(1080円・税込)。

尾道にあるチョコレート工場&販売&カフェ。スタッフのみなさんと。

尾道にあるチョコレート工場&販売&カフェ。スタッフのみなさんと。

〈SWAY DESIGN〉
築40年の実家をリノベーション。
事務所兼ショールームと両親のそば屋へ

SWAY DESIGN vol.1

こんにちは。石川県金沢市で〈SWAY DESIGN〉という
設計事務所を運営している永井菜緒と申します。

SWAY DESIGNがこれまで手がけてきた物件は、
住宅、店舗、オフィス、クリニックと多岐にわたり、構造による選別もしていません。
共通する特徴を挙げるならば、8割以上が既存の建物を改修していること。
でも新築をしない、ということでもありません。

この雑食にも見える守備範囲について、全8回となるコラムを通じ、
どこを目指しているのか、何を考え、どんな経緯をたどっているのか、
すべての物件に共通する思想をさまざまな事例と共にお話したいと思います。

初回となる今回は、創業の経緯とその起点となった事務所づくりについてご紹介します。

築40年の実家を改修した店舗併用住宅。2階は〈SWAY DESIGN〉の事務所、1階は両親が運営するそば屋です。そば屋はSWAY DESIGNのフロントデスクを兼ねています。

築40年の実家を改修した店舗併用住宅。2階は〈SWAY DESIGN〉の事務所、1階は両親が運営するそば屋です。そば屋はSWAY DESIGNのフロントデスクを兼ねています。

地元石川へUターン。焦ってばかりの日々

SWAY DESIGNは2014年に永井の個人事業として設立したのが始まりです。
大学卒業後、首都圏の大手チェーン店の設計施工を行う会社、
遊休不動産の利活用を行う会社に勤め、地元石川県へUターン。
4年間の個人事務所期間を経て、2018年に株式会社SWAY DESIGNを設立しました。

独立初年度は、石川県で縦横のつながりもなく
存在すら知られていない状態からのスタート。
日々の仕事は、地元建築会社から請け負った確認申請業務や
家具・建具の施工図を描くことで、月収は会社員時代の半分ほど。

同世代の活躍を見て、焦りと自分への苛立ちが募りながらも、
「見た目も重要だけど、事業性を無視した作品づくりは建築家の自己満足だ」
と斜に構え、コンペには参加せず。

そんな模索期を過ごしながら、2年目に突入。
一日中こもる事務所での図面描きがしんどくなり、
環境を変えたい欲求から、事務所移転に向けて動き出します。

当時は、市のインキュベート施設内の5坪ほどのスペースを事務所として賃貸していました。

当時は、市のインキュベート施設内の5坪ほどのスペースを事務所として賃貸していました。

みなさんにも山を買ってほしい!
そんな思いを込めてつくった本
『続・山を買う』

きっかけは「キノマチ大会議」のトークセッション

急に思いたって、2017年につくった『山を買う』という
小さな本の続編をつくることにした。
実は最近、山を買いたいという全国の方から、
小さな本についての問い合わせをいただくことが増えていて、
刊行後に取材したことを盛り込んだ本をつくる必要性を感じていたからだ。

2017年に制作した24ページの冊子『山を買う』。岩見沢市になぜ山を買ったのか、経緯をまとめたイラストエッセイ。

2017年に制作した24ページの冊子『山を買う』。岩見沢市になぜ山を買ったのか、経緯をまとめたイラストエッセイ。

ただ、日々の仕事に追われていて、なかなか手を出せないでいたなかで、
あるきっかけが訪れた。

〈竹中工務店〉〈Deep Japan Lab〉〈グリーンズ〉による
3社共同プロジェクトとして2019年に始まった〈キノマチプロジェクト〉が行う
「キノマチ大会議」というオンラインカンファレンスに
ゲストとして参加するお誘いがあったのだ。

この会議のテーマは「まちと森がいかしあう社会をつくる」こと。
建築、まちづくり、林業、デザイン、メディアなどさまざまな分野の人が集まり、
5日間にわたってトークセッションをするというイベントだった。

2020年10月5日~10月9日まで行われたオンラインカンファレンス。都市の木造建築の未来について考えたり、新しい林業のあり方を考えたりと、さまざまなテーマでセッションを開催。

2020年10月5日~10月9日まで行われたオンラインカンファレンス。都市の木造建築の未来について考えたり、新しい林業のあり方を考えたりと、さまざまなテーマでセッションを開催。

わたしが参加することになったのは、10月7日、3日目の
「暮らしからはじめるキノマチ」というタイトルの回で、
木のある暮らしを個人がいかに実践するのかを考えるというもの。

自分の家は自分でつくる、そんなDIYという理念を伝えようとする
〈つみき設計施工社〉の河野直さん、
食べものとお金とエネルギーをつくる〈いとしまシェアハウス〉の
志田浩一さん&畠山千春さんご夫婦(コロカルの連載でもお馴染み!)
とのセッションとなった。

事前情報によると全国から100名以上が参加するということで、
普段、北海道の地元感たっぷりのイベントにお世話になっている身としては、
かなり緊張感の高いものだった(しかも、オンラインは苦手)。
山を買った話をしてほしいとのことだったけれど、うまく話せるか。

19時からのセッションだったのだが、朝からちょっとソワソワしていたので、
いっそギリギリまで山のことしか考えないようにしたらどうだろうと思いたち、
ほかの仕事をストップして、突然、『山を買う』の続編づくりを始めた。

以前の連載でも書いたことがあるが、わたしの本づくりは手書き。
仕上がりサイズと同じコピー用紙に、
ぶっつけ本番で文字を書いていくというスタイルだ。

コピー用紙に鉛筆で描き、これをスキャナでパソコンに取り込んで色つけをする。

コピー用紙に鉛筆で描き、これをスキャナでパソコンに取り込んで色つけをする。

今回、わたしが伝えたいと思ったことは

1 山はどこで買えるのか

2 買うときのポイント

3 整備をする必要があるか

4 みなさんにも山を買ってほしい理由

自分が2016年に山を買ったときは、まったくの手探りで
買い方のポイントなどもわからなかったのだが、購入をきっかけに
たくさんの山主さんや森林の専門家に話をうかがう機会に恵まれた。
おかげで自分なりに「こうしたらいいんじゃないか」という考えが芽生えていたのだ。

変わり続ける
〈HOMEMAKERSカフェ〉の
スパイスカレー

移住して8年、積み重ねてきたもの

小豆島に移住してこの10月で丸8年!
随分と時間が経ったものだとびっくりします。
暮らし始めた頃は30代だった私たち夫婦は40代となり、
いろは(娘)はティーンエイジャーに。青春真っ只中です。

秋のはじめに咲く彼岸花。これからどんどん秋が深まっていきます。

秋のはじめに咲く彼岸花。これからどんどん秋が深まっていきます。

テスト勉強中のいろは(娘)。中学生は勉強に部活に大変だな。

テスト勉強中のいろは(娘)。中学生は勉強に部活に大変だな。

毎日毎日少しずついろんなことを積み重ねてきて、
引っ越してきたばかりの頃にはまったく存在しなかったものやことが、
いまここにはあります。

〈HOMEMAKERS〉というチーム自体もそうだし、
私たちが育てた野菜、野菜を育てている畑の風景、
カフェ、日々のここでのやりとり、すべてがこの8年かけてつくりあげてきたもの。
そう考えるとなんだか感慨深い。

積み重ねてるなんて普段は意識してないですが、
ふと振り返ると一日一日の積み重ねでいまがあるんですよね。

共に働く仲間。8年前には誰も知らなかったなぁ。

共に働く仲間。8年前には誰も知らなかったなぁ。

使われなくなった畑を借りて、さつまいもを植えました。

使われなくなった畑を借りて、さつまいもを植えました。

〈紅はるか〉という品種のさつまいも。今年は5種類のさつまいもを収穫。

〈紅はるか〉という品種のさつまいも。今年は5種類のさつまいもを収穫。

2014年2月にオープンした〈HOMEMAKERSカフェ〉も
試行錯誤しながら営業を続けています。
週に1日(土曜日のみ)しか開かないカフェですが(笑)。

時間をかけてカフェという場を育てていくことは、
新たに立ち上げるのと同じくらいパワーがいります。
瞬発力みたいなうぁっと一瞬で出し切るパワーじゃなくて、
途切れさせず出し続けていく力。
その時々のまわりの状況と自分たちの状況に合わせて、
少しずつスタイルを変えながら続けています。

現在カフェは週1日、土曜日のみ営業。

現在カフェは週1日、土曜日のみ営業。

即行動で、地域が変わる。
美流渡に移住した画家、
MAYA MAXXさんから教えられること

移住してまもなく、地域の風景に変化が

前回の連載で、画家のMAYA MAXXさんが今夏、岩見沢市の山間地、
美流渡(みると)へ移住した経緯について書いた。
こちらに越して、暮らしと制作をスタートするための準備に約1か月半を費やし、
それが終わった途端、息もつかずに新しい展開が始まった。

その展開をひと言で表すなら「思ったことを、すぐにやる」ことに尽きるのではないか。
わずか1か月のあいだに地域の風景を変えるような出来事が次々と生まれていった。

そのひとつは、アトリエのペンキ塗りも終わり、住まいに電気やガスの設備も入り、
これでようやく日常がスタートするという矢先。
空が抜けるように青く気持ちのいい朝、ときどき出かける森の小道に
MAYAさんを案内したことがきっかけとなった。

北海道の秋は色がクリアに輝く。

北海道の秋は色がクリアに輝く。

この小道は、美流渡と上美流渡というふたつのエリアをつなぐ旧道で、
近年はほとんど使われていなかったものだ。
今年の冬に上美流渡にある花のアトリエ〈Kangaroo Factory〉の大和田由紀子さんに
「すてきな小道があるのよ」と教えてもらい、私は初めてその存在を知った。

大和田さんによると、笹が繁り倒木もあるため、それらが雪で覆い尽くされ、
雪が硬くなった3月頃だけ通れる道だと聞いていたのだが、
春になって、上美流渡で〈マルマド舎〉というゲストハウスを営む
上井雄太さんが笹を刈ってくれたのだった。

おかげで、春からもこの小道を通ることができるようになり、
散歩道として活用されるようになっていた。

木々がアーチ状になった深い森。苔むした岩もあり空気がひんやりしている。

木々がアーチ状になった深い森。苔むした岩もあり空気がひんやりしている。

MAYAさんは、この道をとても気に入ってくれた。
背丈が2メートルほどにもなるイタドリが茂っていて、
それをかきわけながら進まなければならない場所もあったのだが、
そこを抜けると、まるで“トトロの森”のように
緑のトンネルと可憐な山野草が生える空間へと行き着くのだ。

多様な山野草も見られる。

多様な山野草も見られる。

「ここをもっと整備しようよ!」

MAYAさんは道を歩きながら提案してくれた。
実は、春に上井さんが草を刈って以来、整備は手つかず。
大和田さんや上井さんは、この小道が気になりつつも、夏は何かと忙しく
動けずにいたのだが、MAYAさんの声かけで時間を合わせて集まることとなった。

この小道を愛するメンバー。草を刈る思い思いの道具を持って集合!

この小道を愛するメンバー。草を刈る思い思いの道具を持って集合!

この日の目標は、入り口から“トトロの森”の手前まで、
夏の暑さで勢力を伸ばしていたイタドリや笹を刈っていくこと。
このとき驚いたのは、MAYAさんが、草を刈りながら進む私たちの一番後ろに陣取って、
しゃがんだ姿勢で葉っぱや小枝を手で脇によけながら、ゆっくりと進んでいたことだ。

「やっぱり手が一番だね!」

膝が土で汚れるのもお構いないしに
地面にへばりついて作業をするMAYAさんの姿を見て、
こちらもいい加減にやってはいけないという気持ちがふつふつと湧いてきた。

手で刈った草を脇によけていくMAYAさん。

手で刈った草を脇によけていくMAYAさん。

3時間作業をして道幅が広がった!

3時間作業をして道幅が広がった!

地元の人に愛されている
秋田の郷土料理、だまこ鍋。
気軽にアレンジレシピも!

秋田のおいしいものがひとつの鍋に

コロナ禍で、以前のように自由に旅行しにくい状況が続いている。
大小さまざまな部分で生活スタイルが変わり、
日常を楽しむ工夫をしている人も多いと思うが、
なかなか行けない地方を身近に感じることができるのが、郷土料理。

その土地ならではの食材を使った気候風土に根ざした料理なので、
再現するのが難しそうに思えるが、似たような食材で代用しても
十分にその気分を味わうことはできる。
“おうちごはん”が増えているいま、自宅で再現しやすい郷土料理として、
秋田の「だまこ鍋」を紹介しよう。

秋田の郷土料理として多くの人がまず思い浮かべるのは、
きりたんぽ鍋やしょっつる鍋、いぶりがっこなどだろう。
だまこ鍋はそれらに比べると少々マイナーかもしれないが、
すりつぶしたご飯を丸めて、野菜や肉などさまざまな具材と一緒に煮込んだ鍋のこと。

ご飯をすりつぶすのはきりたんぽも同じだが、
きりたんぽは杉の棒に巻きつけるのに対して、
だまこは団子状に丸めるという形状の違いがある。
よく食べられている地域も異なり、きりたんぽ鍋は大館周辺など秋田県北部、
だまこ鍋はもう少し南の八郎潟周辺の郷土料理といわれている。

だまこ鍋は米どころ秋田ならではの料理ともいえる。

だまこ鍋は米どころ秋田ならではの料理ともいえる。

基本となる具材は、だまこ(お米)、比内地鶏、
せり、まいたけ、ごぼう、長ねぎなど。

なかでも特筆しておきたいのが比内地鶏とせりで、
比内地鶏はご存じ秋田のブランド地鶏。
薩摩地鶏や名古屋コーチンなどと肩を並べる、味のよい地鶏として知られている。
きりたんぽ鍋でも定番の食材で、赤みが強くて適度な歯ごたえもあり、脂も上品。
お肉自体がおいしいだけでなく、比内地鶏のガラでとったスープが絶品で、
これが鍋の味を決めると言ってもいいほど。

だまこ鍋をつくってくれた、五城目町の伊藤信子さん宅で飼っている比内地鶏。昔の農家ではよくある風景だったが、出荷用ではなく自分たちで食べる用に育てている。

だまこ鍋をつくってくれた、五城目町の伊藤信子さん宅で飼っている比内地鶏。昔の農家ではよくある風景だったが、出荷用ではなく自分たちで食べるために育てている。

比内地鶏の産みたての卵。

比内地鶏の産みたての卵。

そしてもうひとつ、鍋の中でいい仕事をしてくれるのがせりなのだが、
その仕事に欠かせないのが根っこの部分。
都市部のスーパーでは根が切られて売っていることもあるけれど、
実はうまみや香りが凝縮していて
「葉や茎は捨ててもいいけど、根っこは食べたい」とまで言う地元の人も。

夏から初秋にかけて出荷の最盛期を迎える〈山内(さんない)せり〉は、
横手市山内地区でのみ栽培されている早生せり。
山内せり農家の高橋藤一さんによると、せりは夏の強い日差しに弱いので
通常は早朝に収穫を行い、真夏だと深夜から行うこともある。

日差しを調整しながらハウス栽培をしている、山内せりの畑。

日差しを調整しながらハウス栽培をしている、山内せりの畑。

「秋田のせりというと、秋から冬に収穫される
根っこの長い〈三関(みつせき)せり〉が有名だけど、
寒くなるほど根が長くなるんです。
山内せりは夏に収穫するので根は短いけれども、うちの畑は周辺の沢から水を引いて、
米ぬかを土に混ぜて栽培しているから、普通のせりより青々としてますよ」

夏場はせり農家、冬場は杜氏となる高橋藤一さんは、秋田の地酒の要といえる山内杜氏のレジェンド。せりを見つめる眼差しはやさしい。

夏場はせり農家、冬場は杜氏となる高橋藤一さんは、秋田の地酒の要といえる山内杜氏のレジェンド。せりを見つめる眼差しはやさしい。

実は、米ぬかを土にたっぷり混ぜられるのは、
高橋さんが秋田の地酒〈雪の茅舎〉の杜氏をしているから。
そのため周辺の農家よりも毎年早めに収穫を終わらせて、せり農家から杜氏に転じる。

夏場に食べられる山内せりは、残念ながら基本的には秋田県内にしか流通していないが、
三関せりは、東京・有楽町の東京交通会館にある秋田県のアンテナショップ
〈秋田ふるさと館〉でもシーズンになれば販売している。

ひと束ずつ丁寧に収穫していくのは、なかなかの重労働だ。

ひと束ずつ丁寧に収穫していくのは、なかなかの重労働だ。

ちなみに山内せりや三関せりの産地である横手や湯沢などの県南エリアは、
いまでこそだまこ鍋を食べる家庭もあるものの、そこまで一般的ではないのだとか。
こちらの地域の人たちにとって、特産のせりを使う料理といえば、
断然、芋の子汁(芋煮)。
芋煮は山形や宮城でおなじみの郷土料理でもあるので、
食文化が地域によってグラデーションのように変わる様もまた興味深い。

〈富士山ゲストハウス掬水〉
富士山の麓、眠った名所を世界へ開く
リノベーション

撮影:甲田和久

勝亦丸山建築計画 vol.7

静岡・東京の2拠点で、建築設計、自治体との取り組み、
都内のシェアハウスの運営などの活動をする
〈勝亦丸山建築計画〉の勝亦優祐さんの連載です。

最終回は、築70年以上の廃業した旅館をゲストハウスとして再生した、
富士宮市の〈富士山ゲストハウス掬水〉をテーマにお届けします。

マイ・ローカル・アドベンチャー

僕は静岡県富士市で育った。
幼少期は近くの山や沢に秘密基地をつくり、友だちとキャンプをした。
自転車に安い釣竿と道具一式をくくりつけて真夜中に海まで走った。
遊びは無限だった。

大人になって設計事務所を始めてから、
仕事と遊び、生活が密接に関わり合うようになった。

家から徒歩30分圏内について、僕はどれほど知っているのか? 
Uターンして数年間は車を持たず、自転車、徒歩、スケボーで移動してみたところ、
そこは未知の可能性にあふれていた。まるで冒険のような毎日。
そのなかで見つけた「場所」と「誰と」「何をするか」を組み合わせると、
さらに未知の世界が広がっていく。それらを実験していくことが、僕の趣味となった。

富士には多くの友人が訪ねて来てくれるので、季節ごとに遊びを考え、
自分が設計として関わった建築にも立ち寄りながら一緒にエリアを巡る。

〈富士山ゲストハウス掬水(きくすい)〉(以降、掬水)は
僕の遊びの主要拠点になっている。2019年3月、富士宮にオープンした宿だ。

撮影:甲田和久

撮影:甲田和久

富士市から車で30分ほど北上した富士宮市に位置する、
僕らが初めて手がけた宿泊施設。
富士市と富士宮市は同じ経済圏で、日常的に行き来がある。
掬水には遠方からの友人とだけでなく、地元の友人と宿泊して
お酒を呑むこともしばしば。
僕の日常圏内にありながら、“非日常”を感じる場所である。

築70年以上、割烹旅館〈掬水〉を継承する

富士宮の富士山本宮浅間大社には、特別天然記念物に指定される
「湧玉池(わくたまいけ)」があり、
富士山の湧き水が滾々(こんこん)と流れ込んでいる。
昔から富士登山者は、この湧玉池で身を清めてから霊峰に挑んだ。

湧玉池に浮かぶように見える建物は、かつて割烹旅館〈掬水〉として営業していた。
1952年時点で旅館であったことは確認できたが、創業時期はわかっていない。
40年ほど前に旅館の営業は終了し、その後、個人宅として使われたあと、
空き家となっていた。

そんな歴史を継承し、ゲストハウスとして再生させたのが、
静岡県三島市に本社を置く〈加和太建設株式会社〉だ。

国指定特別天然記念物の湧玉池を〈掬水〉から望む。水面に触れるくらい、近い。(撮影:甲田和久)

国指定特別天然記念物の湧玉池を〈掬水〉から望む。水面に触れるくらい、近い。(撮影:甲田和久)

大社の境内、湧玉池から掬水を見る。写真中央の池に突き出している部屋が「水の間」だ。(撮影:甲田和久)

大社の境内、湧玉池から掬水を見る。写真中央の池に突き出している部屋が「水の間」だ。(撮影:甲田和久)

さつまいもに栗にかぼちゃ、
食卓で感じる小豆島の秋

季節の食材をしっかり味わう

いつまで続くのこの暑さ! と思っていただけど、気づけば「秋」がやってきていた。
「暑さ寒さも彼岸まで」という言葉どおり、朝晩はすっかり涼しくなったここ最近。
季節はちゃんと変わっていきますね。ほっ。

春に植えた生姜、夏を越えてだいぶ大きくなりました。

春に植えた生姜、夏を越えてだいぶ大きくなりました。

草を抜いて、大きくなった生姜に土をかぶせて、日々手入れ。

草を抜いて、大きくなった生姜に土をかぶせて、日々手入れ。

私たち〈HOMEMAKERS〉の畑では、ようやく秋の葉物野菜の収穫が始まりました。
毎年9月、10月は夏野菜から冬野菜への切り替え時期で、
端境期(はざかいき)とよく言うのですが、収穫できる野菜がほとんどなくなります。

今年は梅雨の長雨、梅雨が明けてからの酷暑で、
人間だけじゃなくて野菜たちもだいぶダメージを受けていて、
ピーマンなんかはいつもなら11月くらいまで収穫できていたりしますが、
8月終わり頃にほとんど枯れてしまいました。

9月から収穫を始めた新生姜。まだ少し小さめですが、フレッシュな香りと真っ白な肌が美しい。

9月から収穫を始めた新生姜。まだ少し小さめですが、フレッシュな香りと真っ白な肌が美しい。

私たちは、収穫した旬の野菜を組み合わせて〈HOMEMAKERSの旬野菜セット〉として
オンラインストアなどで販売しているのですが、
最近は毎日「あー、野菜がない〜。セットがつくれない〜」という状態。

暑さが落ち着いて、なすなど復活した夏野菜たち、
夏の終わりに収穫し保管しておいたかぼちゃやさつまいも、
採れ始めた葉物野菜を組み合わせて、なんとか旬野菜セットをつくってます。

ようやく採れ始めたルッコラ、赤リアスからし菜、かぶ菜。秋の葉物たち。

ようやく採れ始めたルッコラ、赤リアスからし菜、かぶ菜。秋の葉物たち。

涼しくなって再びつやつやの実をつけてくれたなす。

涼しくなって再びつやつやの実をつけてくれたなす。

という感じで、いま収穫できる野菜は少ないのですが、
キャベツやブロッコリー、にんじん、大根など冬野菜たちは着実に育っていて、
これから1か月後くらいの畑がとても楽しみ。
冬野菜フィーバー、早くこないかな。

〈HOMEMAMERSの旬野菜セット〉。ひとつひとつの野菜に名前と特徴や食べ方などの説明80字を書いた名札をつけるようにしました。

〈HOMEMAMERSの旬野菜セット〉。ひとつひとつの野菜に名前と特徴や食べ方などの説明80字を書いた名札をつけるようにしました。

移住ではなく、冒険の旅が始まる。
美流渡を拠点に活動を始めた
画家MAYA MAXX

東京と北海道の行き来が難しくなるなかでの決断

この連載で何度か紹介してきた、20年来の友人である画家のMAYA MAXXさんが、
7月中旬、ついに私の暮らす岩見沢市の美流渡(みると)に引っ越した。
昨年末に東京で会ったときに、大きな作品が思う存分描けるスペースが
あったらいいのではないかという話が持ち上がり、
ちょうど私が仕事場として使っている住居の向かいが空いていたことから、
アトリエをこの地につくるプロジェクトが始まった。

1月に入りMAYAさんは美流渡を訪れて改装を検討。
4戸が1棟に入る築40年の長屋の2戸分をアトリエとし、
1戸は事務所と倉庫、そしてもう1戸は住居とすることに決め、
長沼町に拠点を持つ大工〈yomogiya〉の中村直弘さんに改修を依頼した。

古い長屋のブロック塀をカットして2戸をつないだ。中央で手を振るのが中村さん。

古い長屋のブロック塀をカットして2戸をつないだ。中央で手を振るのが中村さん。

その後、状況は一変。
新型コロナウイルスの感染が広がり緊急事態宣言が出され、
予定していた来道も諦めざるを得なくなった。
そのため、ときどきオンラインでつなぎながら、改修を進めていくことになった。

そして、あれはいつ頃のことだったろうか。
MAYAさんと電話で話していたときだ。

東京での感染拡大が深刻さを増し、
個展やイベントの予定が立て続けに中止や延期となるなかで、
MAYAさんは東京を引き払い、美流渡に引っ越そうと思うと話してくれた。
当初は、2拠点で制作をしようと考えていたが、
東京と北海道を気軽に往復できる状況ではなくなってしまったため、
どちらかひとつを選択することにしたのだ。

緊急事態宣言が出る少し前から、MAYAさんは借りていたアトリエではなく自宅で制作を始めた。制作できるスペースはわずか6畳ほどだった。MAYA MAXX制作日誌より。

やむを得ない決断ではあったが、これによって歯車が回り出したように思えた。
コロナ禍という自分ではどうにもならない状況を
ただ受け入れるしかなかった数か月から、
引っ越しというトピックスが生まれたことで、
いま、やるべきことがクリアになる感覚がMAYAさんの中にあったのではないか。

移動の日は、緊急事態宣言が解除されてから1か月ほどたった頃と決め、
美流渡に来てから2週間は近隣のみなさんとの接触は控えることとした。

壁と床を貼り終えたアトリエ。もとあった柱が残っていて回廊のようなイメージがある。

壁と床を貼り終えたアトリエ。もとあった柱が残っていて回廊のようなイメージがある。

MAYAさんがやってきたとき、改修は終わっていなかった。
yomogiyaの中村さんは、施主にも積極的に
改修に参加をしてもらおうと考える大工さん。
施工費をリーズナブルに抑えるためもあって、
壁塗りなどはMAYAさんと私たち(といっても夫!)が行うこととなった。

壁を塗り終わらなければ、電気ガス水道などの設備も入れられないため、
MAYAさんは私が使っていた仕事場に仮住まいして作業を進めた。

アトリエの奥側は窓がない、電灯を設置するまでは業務用のライトを頼りにペンキを塗っていった。

アトリエの奥側は窓がない、電灯を設置するまでは業務用のライトを頼りにペンキを塗っていった。

地元・旭川にカルチャー事業を。
ミュージシャンからまちづくりへ、
野村パターソンかずたかの挑戦

野村パターソンかずたか vol.1

北海道旭川市で、リノベーションや不動産事業を営みながら、
アーティストインレジデンスなど地域の文化事業を企画・運営する、
野村パターソンかずたかさんの連載です。
元ミュージシャンで世界の都市を巡った背景から、
地元・旭川市にて多様なコンテンツをしかけています。

自社物件で初めて開催したイベントの立て看板。

自社物件で初めて開催したイベントの立て看板。

自分のまちを変えたいという思い

北海道のおおよそ中央あたりにある旭川市。
世界の都市を転々とし、Uターン後に目の当たりにしたのは、
ずいぶんと変わってしまった地元のまちの姿だった。
旭川の土地に生き、地域のみんなと協力してまちを変えていきたい。
次第にそんな思いが芽生えるようになった。

お互いの価値観を認め合って、誰もが“楽しい”という感情を最優先に暮らせる。
そんなまちを思い描き、できることを積み上げる。
その結果、後に3年間で約20の不動産を取得し、
地域の起業の後押しをしていくこととなる。

妻の苗字はパターソン。
野村はたくさんいる。パターソンもアイルランドにたくさんいる。
ただ野村パターソンは誰ひとり存在しない。
まちを変えていく存在のシンボルとして、2020年には夫婦の姓を合わせた
「野村パターソン」という芸名を自分に与えた。

Uターン後、どのようにまちと関わっていったのか。
野村パターソンかずたかの昔話に、どうぞおつき合いください。

2020年9月に立ち上げた〈アーティストインレジデンスあさひかわ〉第1回イベントにて。

2020年9月に立ち上げた〈アーティストインレジデンスあさひかわ〉第1回イベントにて。

コーヒーノキを栽培して
自分だけの一杯を!
新潟発のコーヒープロジェクト

植物とコーヒーのプロによる新しい試み

コーヒーのサードウェーブにより、
日本でもいままで以上に豆に注目が集まるようになった。
スペシャルティコーヒーが定着し、好みに合わせて
テロワールやロースターを選ぶ時代に。
しかし自分で栽培している人は少ないのではないだろうか。

コーヒー豆は見た目こそ似ているが、ワインのぶどうのように土壌や気候によって香りや味わいが異なるという。

コーヒー豆は見た目こそ似ているが、ワインのぶどうのように土壌や気候によって香りや味わいが異なるという。

実は新潟にコーヒー豆の栽培をサポートする活動がある。
〈新潟県立植物園〉と〈新潟バリスタ協会〉が中心となり、
県内約30のコーヒー専門店などが協力して実現した〈にいがたコーヒープロジェクト〉。
コーヒーを味わうだけでなく、自分たちでも育ててみようというのが、
活動の基本コンセプトだ。

リーダーを務めるのは新潟県立植物園の園長である倉重祐二さん。

「活動のキーワードは育てる、味わう、楽しむ。
苗木を育て、豆を収穫し、自分だけのコーヒーが味わえたら
おもしろいと思いませんか」(倉重さん)

倉重祐二さん。専門はツツジ属の分類と近代園芸史。コーヒーと紅茶の愛好家でもある。

倉重祐二さん。専門はツツジ属の分類と近代園芸史。コーヒーと紅茶の愛好家でもある。

活動の拠点は植物園のある新潟市秋葉区。
東西に阿賀野川、信濃川が流れ、南に丘陵地帯が広がる自然豊かなエリアだ。
ここでカフェの営業や講座、体験型セミナーなど、
コーヒーを丸ごと楽しめる活動を展開している。

コーヒーノキを自宅で育てる

コーヒーノキの苗木。これを機に緑に親しんでほしいと倉重さん。(写真提供:にいがたコーヒープロジェクト)

コーヒーノキの苗木。これを機に緑に親しんでほしいと倉重さん。(写真提供:にいがたコーヒープロジェクト)

この活動は、農園を所有してコーヒー豆を栽培するのではなく、
一般の人たちが各自で苗木を育てるというのがミソ。
コーヒーノキが自宅で手軽に育てられるという点に着目した。

「コーヒーノキはアカネ科の常緑低木で、
もともと観葉植物として日本でも人気があります。
室内で育てられ、上手に管理すれば
3年から5年でコーヒー豆を収穫できるんです」(倉重さん)

園内で育てているコーヒーノキ。ジャスミンのような香りの白い花が咲く。

園内で育てているコーヒーノキ。ジャスミンのような香りの白い花が咲く。

同プロジェクトでは、2017年に沖縄からコーヒーノキを取り寄せたのを皮切りに、
倉重さんが中心となってさまざまな種類を集めてきた。これらは園内で観賞できる。
また沖縄のコーヒーノキのタネから育てた苗木は、
園内にある週末限定カフェ〈にいがたコーヒーラボ〉で販売。
すでに200人ほどのコーヒー&植物愛好家たちが育てているという。

品種はブラジルやブルーマウンテンといった
レギュラーコーヒーの原料となるアラビカ種。
初心者でも育てられるよう、植物園では講座やSNSなどを通じて
育て方のサポートを行っている。

「アラビカ種の原産地は通年20度程度のエチオピアやスーダンの山岳地帯。
生育適温は15~25度程度で、日本では春と秋によく育ちます。
直射日光を避け、夏は涼しく、冬は暖かく管理するのがポイント。
5度以上あれば冬を越せます」(倉重さん)

苗木を購入した人のなかには、すでに花を咲かせたという上級者も。

苗木を購入した人のなかには、すでに花を咲かせたという上級者も。

順調に育てば、3~4年で白い花が咲き、翌年に真っ赤な実となる。
果実はほんのり甘みがあり、生で食べることができるのだそう。
この種子を乾燥させて焙煎すれば、自分だけのコーヒー豆の完成だ。

植物園では昨年度、熱帯植物ドームの改修に伴い、14本のコーヒーノキを植えた。

植物園では昨年度、熱帯植物ドームの改修に伴い、14本のコーヒーノキを植えた。

小豆島の海と山で遊ぼう!
〈シマアソビ〉でSUPからキャンプまで

遊び方を知って、自然をもっと楽しむ

「小豆島の魅力って何ですか?」と聞かれることがときどきあります。
うーん、何でしょ。
自然が身近にあること、人が多すぎないこと、
島だけどネットで注文したら翌日に荷物が届くこと、などなど。
いろんな視点から、島の良さを考えることができると思います。

小豆島は人口約26000人の島。本州、四国とはフェリーがつなぐ。

小豆島は人口約26000人の島。本州、四国とはフェリーがつなぐ。

私たちが小豆島に移住することを決めたとき、
その理由のひとつに「離島であること」がありました。
私たちは海が好きで、海に囲まれた島で暮らすって
なんてすてきなんだろうと感じてました。
離島であること、すぐそばに海があることは、
多くの人にとって小豆島の魅力のひとつなんじゃないかと思います。

前回のこの小豆島日記「日常のなかに海がある! 小豆島で海遊び」でも書きましたが、
今年の夏はとにかく海でよく遊びました。

シュノーケルつけて魚を探したり、突堤から飛び込んだり、潜る練習したり。
そうそう、この夏、初めて小豆島の海でサーフィンしました(と言っても、
私はまだ数回しかやったことなくて、波においていかれてばかりですが)。
普段は穏やかで湖のような瀬戸内海ですが、
風が強い日は波がたち、サーフィンできるような時もあるんです。

風がある日は波がたつ。この日は小さな波。でもいつもの瀬戸内海と比べたら波がある!

風がある日は波がたつ。この日は小さな波。でもいつもの瀬戸内海と比べたら波がある!

そんな小豆島の海での遊び方を教えてくれる人たちがいます。
小豆島の北側、「小部(こべ)」という地区の海岸に
SUP(サップ)ベースキャンプ地を構える〈シマアソビ〉のみなさんです。
シマアソビは、小豆島生まれの大川大地くんと藤田智光くんが
2020年春に立ち上げたチーム。

〈シマアソビ〉の拠点は、島の北側の小部というエリアの海岸。もともとは地域の自治会が管理していたキャンプ場。ここの運営をいまはシマアソビがしています。

〈シマアソビ〉の拠点は、島の北側の小部というエリアの海岸。もともとは地域の自治会が管理していたキャンプ場。ここの運営をいまはシマアソビがしています。

SUPは「Stand Up Paddleboard(スタンドアップパドルボード)」の略で、ボードの上に立ってパドルを漕いで海・川・湖などの水面を進んでいくアウトドアアクティビティ。

SUPは「Stand Up Paddleboard(スタンドアップパドルボード)」の略で、ボードの上に立ってパドルを漕いで海・川・湖などの水面を進んでいくアウトドアアクティビティ。

私たちが生まれ育ったこの小豆島の素晴らしい自然を、
SUPを中心とした海遊びの中で魅力を伝えたいと思っています。
そこから少しでも島を好きになってもらえる人が増えると、
こんなにうれしいことはありません。
そして島生まれの子どもたちが将来、この島のことを誇りに思えるように、
アクティビティを通して伝えていきます。

シマアソビWebサイトより)

言葉と向き合うアニメーション作家、
折笠良さんはなぜ、1年をかけて
ひとつの詩を読んだのか?

なぜ文字や言葉を主題とした映像をつくるのか?

〈札幌文化芸術交流センターSCARTS(スカーツ)〉で
『ことばのいばしょ』展が始まった。
「言葉」というものを表現の重要な要素とする作家が集うこの展覧会では、
小森はるかさんと瀬尾夏美さんによる映像作品の展示と人々との対話の場とがつくられ、
折笠良さんによるアニメーション作品と、その関連作品の展示が行われた。

さらに「言葉と版画、本の森」と題したコーナーでは、
札幌にゆかりのある4人の作家の詩歌からインスピレーションを受け、
版画家が作品を制作。詩歌とともに展示するという試みも実施された。

オープニングとなった8月22日には、折笠良さんのアーティストトークが行われた。
私はこの展覧会の図録制作に関わっていたことからトークに参加したのだが、
その仕事を超えて折笠さんの言葉に強く惹きつけられた。

折笠さんは、これまで詩や文学作品を主題として、
言葉に質感や動きを与えるアニメーションを制作してきた。
展覧会では、その中のふたつの映像を上映。

ひとつは石原吉郎の詩『水準原点』の文字が、
一文字一文字、波のようにうねる粘土の中から現れ出すというもの。
もうひとつは、ミュージシャンの環ROYさんの楽曲
『ことの次第』のミュージックビデオであり、歌詞が音楽に合わせて現れ、
反転したり形が変化していくというものだ。

折笠良『水準原点』(2015年)。粘土を少しずつ手で掻いていきながらコマ撮りをし、アニメーションをつくりあげた。

折笠良『水準原点』(2015年)。粘土を少しずつ手で掻いていきながらコマ撮りをし、アニメーションをつくりあげた。

折笠良『ことの次第』(2017年)。環ROYさんのラップミュージックに合わせて、文字がダンスをしているかのように自在に動く。

折笠良『ことの次第』(2017年)。環ROYさんのラップミュージックに合わせて、文字がダンスをしているかのように自在に動く。

トークでは、北海道を拠点に活動する映像作家、大島慶太郎さんと
環さんが聞き手となって、折笠さんにさまざまな質問を投げかけた。
最初に大島さんが質問したのは
「なぜ文字や言葉が映像のモチーフとなっているのか?」だ。

「一番よく聞かれる質問ですが、ただすごく難しくて。
映像作品における言葉はちょっと異物だと思われているという前提があって、
逆に一般的な映像のイメージとはなんだろうと考えます、と
斜めから答えることがあります。

正面から答えると、言葉の物質性を探求するとか、
言葉というものが個人的なものと社会的なものの境目にあって、
書き手にとってはそれがつながるかというカケみたいなものだから、
その呼びかけに自分は応えたいと話すのですが、必ず語り落とすものがある。
答えたあとに、やっぱりうまくいかなかった、何も言うんじゃなかったと思うんです」

トークの様子。左から大島慶太郎さん、折笠良さん、環ROYさん。(撮影:リョウイチ・カワジリ 写真提供:札幌文化芸術交流センター SCARTS)

トークの様子。左から大島慶太郎さん、折笠良さん、環ROYさん。(撮影:リョウイチ・カワジリ 写真提供:札幌文化芸術交流センター SCARTS)

語り落とすものがある。
この言葉に私は大きく頷いた。
このような連載の文章を書くときにも、
すべてを伝え切れないもどかしさをいつも感じていたからだ。

また伝え切れない部分があるために、
私は同じテーマについて何度も書くことがあるのだが、
そのとき「斜めから」や「正面から」捉える感覚があって、
折笠さんが語りの角度を意識している点にも共感を持った。

〈MUJIcom ホテルメトロポリタン
鎌倉〉永尾亮店長が考える、
ブランドが地域に果たすこれからの役割

鎌倉から考えるローカルの未来

長い歴史と独自の文化を持ち、豊かな自然にも恵まれた日本を代表する観光地・鎌倉。

年間2000万人を超える観光客から、鎌倉生まれ鎌倉育ちの地元民、
そして、この土地や人の魅力に惹かれ、移り住んできた人たちが
交差するこのまちにじっくり目を向けてみると、
ほかのどこにもないユニークなコミュニティや暮らしのカタチが見えてくる。

東京と鎌倉を行き来しながら働き、暮らす人、
移動販売からスタートし、自らのお店を構えるに至った飲食店のオーナー、
都市生活から田舎暮らしへの中継地点として、この地に居を移す人etc……。

その暮らし方、働き方は千差万別でも、彼らに共通するのは、
いまある暮らしや仕事をより豊かなものにするために、
あるいは、持続可能なライフスタイルやコミュニティを実現するために、
自分たちなりの模索を続ける、貪欲でありマイペースな姿勢だ。

そんな鎌倉の人たちのしなやかなライフスタイル、ワークスタイルにフォーカスし、
これからの地域との関わり方を考えるためのヒントを探していく。

今年4月、まちの中心を通る若宮大路沿いに開業した〈ホテルメトロポリタン鎌倉〉。その1階に、鎌倉中心部には初の出店となる〈MUJIcom〉、〈Café&Meal MUJI〉がオープンした。

今年4月、まちの中心を通る若宮大路沿いに開業した〈ホテルメトロポリタン鎌倉〉。その1階に、鎌倉中心部には初の出店となる〈MUJIcom〉、〈Café&Meal MUJI〉がオープンした。

鎌倉中心部初出店となる〈無印良品〉

新型コロナウイルスの感染拡大によって、鎌倉のまちは一変した。
緊急事態宣言に基づく外出自粛要請によって、まちなかから観光客の姿は消え、
鎌倉の観光地としての顔は影を潜めた。

こうしたさなか、地域最大規模のホテルとして、
オリンピックイヤーに満を持して開業するはずだった〈ホテルメトロポリタン鎌倉〉は
予想外のスタートを切ることになり、鎌倉中心部への初出店として、
同ホテル1階に入った〈MUJIcom〉、〈Café&Meal MUJI〉もまた、
不安と緊張を抱えたまま、4月24日のオープンを迎えることになった。

開店にあたり、住民たちとのワークショップなどを事前に重ねたMUJIcomでは、
「地域のリビング」をコンセプトに鎌倉の暮らしに必要な日用品を取り揃えるとともに、
地域のプレイヤーたちと連携して開催する期間限定マーケット
「つながる市」を行うオープンスペースや、
住民らが持ち寄った鎌倉関連のガイドブックのレンタルコーナー、
オススメの飲食店などをマッピングした市内の地図など、
ローカルの魅力を発信するスペースが大きくとられている。

併設するCafé&Meal MUJIにおいても、同店初の試みとなる
地域の食材を使ったオリジナルメニューが豊富に揃う。

MUJIcom ホテルメトロポリタン鎌倉の店内。エントランス付近のスペースには移動可能な什器が用いられており、今後は地域の人たちによるイベントやポップアップショップなどの開催も見据えているという。

MUJIcom ホテルメトロポリタン鎌倉の店内。エントランス付近のスペースには移動可能な什器が用いられており、今後は地域の人たちによるイベントやポップアップショップなどの開催も見据えているという。

同店を展開する〈良品計画〉が近年掲げているキーワード
「土着化」を地で行くようなこの鎌倉店において、
現場でのさまざまな取り組みを推進しているのが、
今回の主人公となるMUJIcom ホテルメトロポリタン鎌倉の永尾亮店長だ。
自ら志願してこの店で働くことを選んだ永尾さんは、店長着任を機に鎌倉に移住し、
地域の住民や生産者らとつながりながら、鎌倉ならではの店舗づくりに奔走している。

コロナ禍によって地域におけるさまざまな価値観が大きく変わりつつあるなか、
これからの企業やブランドが地域に果たすべき役割はどうなっていくのか。
地元住民や観光客で賑わいを見せるMUJIcom ホテルメトロポリタン鎌倉に、
永尾店長を訪ねた。