東日本大震災後のボランティアをきっかけとして、
岩手県陸前高田市を中心に、人々の記憶や記録を
未来へ受け渡す表現活動を行ってきたアーティスト、小森はるかさんと瀬尾夏美さん。
「小森はるか+瀬尾夏美」名義でユニットとしても活動し、
現在、共同で制作した映画『二重のまち/交代地のうたを編む』が全国公開中。
また、グループ展『聴く-共鳴する世界』(アーツ前橋で2021年3月21日まで)、
『3.11とアーティスト:10年目の想像』(水戸芸術館現代美術ギャラリーで
5月9日まで)にも参加している。
この10年の変化について、水戸芸術館で話を聞いた。

小森はるか+瀬尾夏美『あわいゆくころ再歩』2011-2021年 『3.11とアーティスト:10年目の想像』水戸芸術館現代美術ギャラリーでの展示風景。瀬尾さんが2011年から続けてきたツイートから選んだテキストとドローイング、小森さんが撮影した映像のなかを歩く。背景には水戸芸術館が作成した2011年以降の主な災害などの年譜が。
関係性のなかで生まれるものを希求していた美大生
2011年3月11日、東京藝術大学先端芸術表現科4年生の小森はるかさんは、
東京のアルバイト先に、瀬尾夏美さんは東京の自宅にいた。
卒業制作展を終えた頃だった。

『あわいゆくころ再歩』より。
先端芸術表現科は、油絵科や彫刻科のように
メディアを決めてから何を表現するか考えるのではなく、
コンセプトややりたいことを先に発想し、
そのために必要なメディアを選びながら制作できる場所だった。
この「つくり方からつくる」考え方がいまでも基礎にある。
瀬尾さんは写真を撮っていた。
「ポートレートは、相手との関係性のなかで写真を撮ることだと考えていました。
私が相手の笑顔がいいと思っても、相手にとっては
自分のイメージとズレていることってありますよね。
つまり、共同作業のなかから生まれるものだと思っていて、
それはいまの語りの問題につながっていると思います。
体験は、私とあなたの関係のなかで語られ、聞き手によっても編集される。
また、写真ではなく絵画でなら、記録されていない、
誰かと一緒に見た風景を再び立ち表すこともできるかもしれないと考え、
大学院で絵を学ぼうと思っていたところでした。
この“失われた風景を描く”ということが、
震災を機に広い領域へと開かれていったと思います」

絵画や文章を描く瀬尾夏美さん。
小森さんは、先端芸術表現科で映像を学びながら、
映画美学校で劇映画をつくる方法を学んでいた。
「脚本を書いて、演出をして、16ミリフィルムで撮影するといった、
1年間でフィクション映画をつくるプログラムでした。
けれど、稽古では輝いていた演者が本番では撮りたかったその人から逸れていくとか、
風景も練習で撮っていたときのほうがよかったなということがあって、
自分はドラマをつくり込んでいきたいわけではないんだなと戸惑うこともありました。
その後、脚本から俳優の方と一緒に制作したり、
その人にとってルーツになるような場所で撮影したり、
ドキュメンタリーという意識ではなかったんですけど、
監督、俳優、カメラマンという役割を分け切らないかたちで
一緒に映画をつくる方法を実験していました」

映像作家の小森はるかさん。
震災の直後から、被災地の安否情報や写真などが
SNSで流れてくるなかで、瀬尾さんは
「こんな状況で絵に何ができるのか、これからどうなるんだろう」
と不安になった。
と同時に、「大学と家族と友人くらいの狭い社会にいたのに、
急に震災が自分の問題として接続してしまった感覚で、
現場を見ないと何もわからないと思いました。
当時、被災地に物見遊山で行くなといった批判もあるなかで、
中学生がボランティアをしているニュースを見て、
迷惑ではないかと懸念する前に行ってみようと思ったんです」



































































































