地方で仲間をつくって 活動するということ

小豆島カメラの2年間

島で暮らしている友人たちと〈小豆島カメラ〉として活動し始めてもうすぐ2年。
「見たい食べたい会いたい」をテーマに、
暮らしているからこそ出会えるシーンを撮影して発信しています。
この小豆島日記でも何度か活動のことを書いているので、
ご存知の方もいるかもしれませんね。

この活動が始まったきっかけは、写真家のMOTOKOさんの
「デザインも地産地消しよう」という考え。
外からプロのカメラマンさんに来てもらって撮影するんじゃなくて、
暮らす人たち自らが写真を撮って島の魅力を伝えることができたらいいよねと。
MOTOKOさんとは、2013年の瀬戸内国際芸術祭の際に
〈小豆島の顔〉プロジェクト(島で暮らす225人の方を撮影し、島の風景の中に展示)を
一緒に行い、その後も何度か小豆島に来てくださり、
写真や地方での活動について教えてもらっています。
いろいろな話をするなかで、自分たちの手で写真を撮って
発信していけないかという思いが少しずつ具体的になっていき、
カメラメーカーのオリンパスさん、写真雑誌PHaT PHOTOさんが加わり、
一緒に活動する島のメンバーも集まり、小豆島カメラは動き出しました。

と、そんな風にして始まった活動も2年。
Webサイトで毎日いまの小豆島を発信したり、写真展や撮影ツアーを行ったり。
年に数回、外から先生に来ていただいて、撮影方法や写真の展示方法に関する
レクチャーを受けさせてもらったりしてきました。

イラストレーターのDanny(ダニー)ちゃんに小豆島カメラのことを描いてもらいました。

みんなが撮った写真を並べてセレクト。贈りもののカードをつくります。

オリンパスさんによる写真講座。この日は田川梨絵先生に来ていただきフラッシュの勉強。

この2年でたくさんのことを得ました。
そのひとつが、撮影や取材仕事の依頼が来るようになったこと。
活動を継続してきたことで、小豆島カメラのことを知ってくれる人が増えました。
島の人から「パンフレットをつくるから商品の撮影をしてほしい」とか
「イベントの様子を撮ってもらえないかな」と頼まれたり、
島の外の人からもガイドブックの撮影仕事の依頼があったり。

人と人の縁を生み出す 東京足立区のアートプロジェクト 〈音まち千住の縁〉

学生とまちの人たちがつくるアートプロジェクト

東京都足立区千住。
古くは日光街道の宿場町として江戸四宿のひとつに数えられ、
いまもところどころに史跡が残る下町風情のまちだ。
ここで、音を通じて人と人とのつながりを深めることをめざし
展開されているアートプロジェクトが〈音まち千住の縁〉。
千住に限らないことだが、人情味あふれる下町も、
高層マンションなどが増え、ひとり暮らしの高齢者が増えると、
どうしても地域の人同士の結びつきが弱くなる。
また、新しく地域に入ってきた人は、
どうやって地域とつながっていけばいいのかわからない。
そんな状況を少しでも改善し、地域で新しいつながりをつくるために
約5年前にスタートしたプロジェクトだ。

これまでも音楽家の大友良英が中心となり、
凧を使って「空から音が降り注ぐ演奏会」を試みた〈千住フライングオーケストラ〉や、
美術家の大巻伸嗣が無数のシャボン玉により幻想的な空間をつくり出す
〈Memorial Rebirth 千住〉などのプロジェクトが展開されてきた。

この音まちで大きな求心力となっているのが、東京藝術大学音楽学部。
旧千寿小学校を改築した千住キャンパスには音楽環境創造科の教室や
研究室、スタジオなどの設備があり、ここに通う学生たちが、
音まちの運営にも携わっている。
音まちは東京都や足立区、NPO、東京藝術大学音楽学部らが
ともに主催するアートプロジェクトであり、
藝大のアートマネジメントを学ぶプログラムにおいて、
プロジェクトの運営を実践で学ぶことができるというわけだ。

これまで〈Memorial Rebirth 千住〉などのプロジェクトを展開してきた大巻伸嗣が、古い民家を使ってインスタレーション展示をする〈くろい家〉。2016年3月13日(日)まで展示中。(撮影:松尾宇人)

「音まち」とプロジェクト名で謳ってはいるが、音を広義に捉えて
多種多様なプロジェクトが同時並行で展開されている。
それらのイベントやプロジェクトをサポートする
ボランティアサポーターが〈ヤッチャイ隊〉。
千住には江戸時代から続く足立市場があり、
「やっちゃ場」と呼ばれてにぎわっていたが、それにかけたネーミングだ。

そのヤッチャイ隊の拠点ともなっているのがコミュニティスペース〈たこテラス〉。
店舗兼住宅だった古い民家を借り受け、ヤッチャイ隊のメンバーたちが
改装したたこテラスは、宿場町通り沿いにあり、
大きなタコの遊具が印象的な〈たこ公園〉の向かいにあるため、
子どもたちも多く出入りする。
近所に住む人たちも立ち寄って、なんとなくお茶を飲んだり、
おやつを食べたり、鍋パーティが始まったり、
もはやアートなど関係なく、幅広い年齢層の人が集まる場所になっている。

コミュニティスペースとしてさまざまな人が集う場となっている〈たこテラス〉。もとは自転車屋さんだったそう。

近所の子どもたちも遊びに来るのでおもちゃがあったり、工作の道具があったり。楽器づくりをして遊ぶことも。(写真提供:音まち)

ちちぶメープルプロジェクト vol.3 2016年、樹液シーズンスタート!

カエデの樹液は春の知らせ

ここ数年は、年が明けるとなんだかワクワクしてきます。
人によっては、スキーやスノボーなどの
ウィンタースポーツのシーズンインかもしれませんが、
私の場合はカエデの樹液シーズンが始まるのです!

「樹液にシーズンなんてあるの?」という疑問とともに、
「樹液」と聞くと、クヌギの木などから出ていて、
カブトムシたちが群がっている様子を思い浮かべる方も多いのではないでしょうか?
今回はカエデの樹液の秘密とともに、
カエデの樹液採取についての様子をお伝えできればと思います。

NPOのメンバーと山の持ち主たちで作業をする様子。冬の山での作業は重労働。

カエデの樹液が採れるのは、まだまだ寒い
1月末から3月中旬にかけてのたった1か月強。
そんな寒い過酷な時期にしかカエデの樹液は採れないのです。
カエデの木は春の芽吹きの準備のために、根から地中の水分を吸い上げます。
その時期に幹に穴を開けると、ポタポタと樹液が流れてきます。

木に穴をあけてもカエデの木は大丈夫? と聞かれますが、私たちが採取する樹液の量は、木にとってはごくわずか。木を枯らすことなく、少しだけ分け前をいただいています。

地中のミネラル成分をたっぷり含んだ樹液は、
無色透明のミネラルウォーターという感じです。
樹液は芽吹くために必要な栄養素がたくさん詰まっていますので、
カリウム、カルシウムなどのミネラルや酵素類、
アントシアニンなどのポリフェノール類が含まれていて、
樹液を飲むことは春の息吹をまるごといただくといっても過言ではありません。

最近はカナダ産のメープルウォーターも見かけるようになってきましたが、貴重な国産メープルウォーターも販売しています! 今年の採れたて樹液の発売をお楽しみに……!

最近は、ココナッツウォーターの次にブレイクすると紹介されており、
美容や健康に興味のある方々には大注目のヘルシードリンクです。

メープルシロップはどうつくる?

カエデの木から直接メープルシロップが流れ出てくると
思っていた方もいるかもしれません。
でもカエデの樹液の糖度はだいたい2度前後ですので、ほんのり甘さを感じる程度です。
メープルシロップをつくるには、この樹液を40分の1に煮詰めなければいけませんので、
たくさんのカエデの樹液が必要になります。
この事実を知ると、メープルシロップが高価なのを納得してもらえるでしょう。

メ―プルシロップをつくるのは本当に大変! 貴重な自然の甘さがより深く体に染み入ります。

震災から教えられたこと。 被災地から移住した のんちゃんが目指す村づくり

震災後に移住したわたしとのんちゃんの共通点と相違点

エコビレッジをつくる拠点として、春になったら空き家をリノベーションし、
また購入を計画中の山での活動を始めようとしているいまこのときに、
ぜひ、ある女性のことを紹介しておきたいと思う。
その女性とは、のんちゃんこと飛澤紀子さんだ。

彼女とは少なからぬ縁がある。
いま、のんちゃんは“村”をつくりたいという構想を持っていて、
さまざまな行動を起こしている。
そして、リノベを考えている空き家がある岩見沢の美流渡(みると)地域に、
村をつくるための場所を探しに来たことがあるといい、
また、なんとわたしが購入しようとしている山の土地についても、
以前に買うことを検討していたそうだ。
さらに、お互い東日本大震災がきっかけになり北海道へ移住をしており、
その時期も5年ほど前とちょうど重なっている。

のんちゃんは現在34歳。北海道に移住してからコミュニティラジオに出演したり、お話会を開催したりと、自身の体験を伝える活動を続けてきた。

こうしたいくつもの接点があるが、大きく違う点もある。
彼女は福島の鏡石町の出身で、震災によって自宅が半壊し、
避難所生活を経て北海道へ自主避難をした。
わたしは東京で震災を体験し、その後、直感的に
都会的な暮らしからシフトする必要性を感じて、この地に移住してきたわけだが、
違う点というのは震災への向き合い方だ。

震災とは自分にとってなんだったのかについて、
わたしはうまく言葉にできていないし、移住したことに後悔はないけれど、
仕事の関係もあって毎月東京に出向き、中途半端な状態であることが
心に引っ掛かっている。
対して、のんちゃんは震災という事実をしっかりと受け止め、
自身の進むべき道を見出しており、そのビジョンが“村”へとつながっているのだ。
今回は、のんちゃんの村づくりへの想いをリポートしつつ、
自分が移住して抱えているモヤモヤとした部分にも切り込んでいけたらと思って、
この原稿を書いている。

のんちゃんの家。〈ひまわりスマイルのんちゃんち〉というコミュニティスペースとして、さまざまなイベントや集いの場としてこの家を使っている。

島のみんなでつくった本 『おいでよ、小豆島。』

等身大の私たちの暮らしを綴る

おいでよ、小豆島。
ずばりそのまんまのタイトルの新しい本ができました。
すごくすてきな本なんです。

この本の著者は、2年前に小豆島に移住してこられた平野公子(きみこ)さん。
そして島で暮らしているみんなです。

メディアに載る美しすぎる小豆島ではない、
私が島で知り合った若者たちと一緒に綴る小豆島の等身大を記しておきたくて……

と公子さんは本の冒頭で書いているのですが、その通り、
キレイな観光スポットの写真やおいしそうな食べ物の写真が載っているんじゃなくて、
島で暮らす20〜40代のメンバーがどんなことを考え、どんなふうに暮らしているか、
それぞれの言葉で直接書かれているのがとてもおもしろいんです。

著者の平野公子さん。メディアプロデューサーであり、東京で小劇場〈シアターイワト〉を運営されていた方です。

できあがった本。ついつい読みたくなる。

出版記念の集まり。島のカフェ〈タコのまくら〉で。

実は私たち家族も登場しています。
「島の職人を訪ねて」というテーマのもと、
イラストレーターのオビカカズミさんが1年以上かけて何度も島に通い、
まとめてくれたイラストルポの中で出てきます。
ちなみにオビカカズミさんは小豆島からフェリーで1時間ほどのところにある
高松市在住ですが、島に住んでるんじゃないかというほど頻繁に島にいます(笑)。
ほぼ島の人ですね。

オビカカズミさん(写真左)と一緒に。現在、オビカカズミ個展〈オト、オト、オト〉を島のギャラリー〈MeiPAM01〉で開催中。2月28日まで。

同じく島のギャラリー〈MeiPAM02〉では〈おいでよ、小豆島。出版記念展〉を開催中。本に掲載されているイラストや写真を見ることができます。2月28日まで。

全員昭和59年度生まれ! 酒蔵跡取り息子によるユニット 〈59醸〉

同じ時代を生きる仲間だからこそできること

世代交代が進む日本酒業界。歴代名杜氏の高齢化が進むなかで
意欲的な若手職人が続々と誕生し、代替わりを果たしている。
なかでも意気軒昂なのが、長野県内で2015年1月に結成した
昭和59(1984)年度生まれの酒蔵跡取り息子5人によるユニット
〈59醸(ごくじょう)〉だ。

長野県には82の酒蔵があり、新潟県に次いで全国2位の多さを誇る。
しかし県内の日本酒の消費量は全盛期だった昭和50(1975)年の3分の1まで減少。
「造れば売れる時代」は終わり、ライフスタイルは多様化が進んだ。
そんななかで生まれ育った彼らは、時代の移り変わりを的確に読み取り、
市場ニーズに即したものだけが選ばれ生き残ることを自ずと感じていたのかもしれない。
それと同時に、それぞれが小さい蔵ながらも独特の持ち味を生かした酒造りをするなかで、
30代に突入したばかりの彼らは、ある程度の経験を備えつつ
新しいことへのチャレンジを恐れない若さもあった。
〈59醸〉は、そうした価値観を共有する仲間の集合体だ。

発起人は、長野県最北端の蔵元で、日本有数の豪雪地帯、
飯山市にある〈角口酒造店〉の専務・村松裕也さん。
”醸造学科”で知られる東京農業大学を卒業後すぐに家業に入り、
25歳にして杜氏に就任すると、さまざまな企画や商品展開で
蔵の酒質を向上させて県内外へと活動の幅を広げてきた。
そんな村松さんが全国の酒蔵を見渡して気づいたのが
「同世代の蔵元後継者が多い」ということだった。

「実は全国的に見ても、同学年の跡取り息子は多いんです。
そこで一堂に会して何かできたらおもしろいのではないかと、
他県の酒蔵にも呼びかけたら、それぞれの個性が強すぎて
まとまらないと気づきました(笑)。
でも、長野県内だけでも十分に人数が揃うので、
長野県でやってしまおうと思ったんです」

〈59醸〉の発起人であり、リーダー的存在でもある村松裕也さん。

こうした村松さんの呼びかけに集まったのが、
長野市〈西飯田酒造店〉9代目の飯田一基さんと
〈東飯田酒造店〉6代目の飯田淳さん、
中野市〈丸世酒造店〉5代目の関晋司さん、
上田市〈沓掛酒造〉18代目の沓掛正敏さんだ。
それは、ちょうど全員が30歳になる2014年の夏のことだった。

左から、〈丸世酒造店〉関晋司さん、〈沓掛酒造〉沓掛正敏さん、〈角口酒造店〉村松裕也さん、〈西飯田酒造店〉飯田一基さん、〈東飯田酒造店〉飯田淳さん。

そもそも、村松さんが同世代で集まろうと考えた目的のひとつは
「長年にわたり親しまれてきた日本酒を若者に普及させ、
ひとりでも多くの人に好きになってもらいたい」ということ。
同じ時代・境遇を生きる仲間でありライバルであるからこそ同じ思いを共有し、
企業の枠を超えて「この年代だからできるもの」があるのではないか。
そんな願いが込められていた。

ちちぶメープルプロジェクト vol.2 メープルで林業の未来をつくる!

なぜ秩父でメープルの取り組みが始まったのか

メープルプロジェクトが行われている秩父、皆さんは聞いたことがありますか?
秩父は、埼玉県の西部に位置し、池袋から西武鉄道で最短80分の距離にあります。
四方を山々に囲まれた盆地で、荒川の源流も流れる、自然豊かな土地です。
また、日本最初の貨幣といわれる〈和同開珎〉や
最近話題のパワースポット〈三峯神社〉、
日本三大曳山祭りのひとつ〈秩父夜祭り〉など、秩父には歴史的な文化資源も豊富です。
最近では、秩父を舞台にしたアニメ作品「あの花」こと、
『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』のおかげで、
たくさんの若い人たちも秩父を訪れてくれるようになりました。

秩父の奥地、大滝にある〈三峯神社〉は遠方から人が訪れるパワースポット!

そんな秩父ですが、ほとんどの地方と同様に少子高齢化という問題を抱えています。
市の87%が森林というなかで、林業の衰退により
生かしきれていない森林資源もたくさんあるのです。

秩父のほとんどは、木、木、木!

なぜ秩父でメープルの取り組みが始まったのか?
そこには、仕掛け人であり、NPO法人〈秩父百年の森〉の理事長(当時)、
島崎武重郎さんの存在が大きいのです。

大学時代に山登りが好きだった、島崎さん。
あるとき立山連峰の山小屋のマタギさんから紅茶をごちそうになりました。
ほんのり甘く、心と体に染み込んだ紅茶の味は、
これまで飲んだ紅茶とは比べものにならないほどおいしかったそうです。
ところが砂糖が入っていると思いきや、まったく入っておらず、
それはカエデの樹液だけで淹れた紅茶だったのです。
その驚きとおいしさに感動し、山に通って樹液の採取方法を教わったそうです。
それからも山遊びや川での釣りが好きだった島崎さんは、
自然と密に関わりながら秩父で暮らしてきました。

島崎さんの山と関わる原点は、意外にも釣りにあるそう。

いまから17年ほど前、秩父の新たな名産品をつくろうという取り組みが始まり、
そのときに島崎さんはカエデの樹液紅茶のことを思い出したそう。
「そういえば、秩父にはたくさんカエデの木があるのだから、
それを生かした商品をつくればいいのではないか」と。
あらためて秩父の森の調査を始めると、たくさんの発見があったそう。

島崎さんは秩父の貴重な資源、カエデのことを積極的に子どもたちに伝えています。

秩父の土地はカエデの生育に適しており、
日本にある28種類のうち21種類のカエデがあったのです。
秩父のカエデがたくさんある大滝というエリアを中心に、
その後数年にわたり、NPOや埼玉大学の協力のもとにカエデの調査が行われ、
ある程度まとまった量のカエデの樹液が採れるようになりました。

いよいよ山の土地購入へ。 山プロジェクトも始動!

山の土地購入計画の結末は……?

エコビレッジをつくりたいと山の土地探しを続けるなかで、
ぜひ買いたいと思ったすてきな場所があった。
そこは、岩見沢の市街地から車で30分ほどのところにあり、360度の展望が広がる、
まるで『アルプスの少女ハイジ』に出てきそうな美しい場所で、
“ハイジの丘”と呼んでいる。
これまでもこの山については少しだけ触れてきたが、
今回はその購入計画の経緯について書いてみたい。

ハイジの丘にひと目惚れした勢いで、
昨年の秋から地主さんへのアプローチを続けたところ、
具体的な金額をこちらで提案するという話にまでこぎ着けることができた。
そこで、この土地を共同購入しようとしている農家の林宏さんとともに、
地元の農業委員会や森林組合へ行って、相場についてリサーチをしていった。

着々と準備を進めていったわけなのだが、そんななかである疑問がわいてきたのだった。
それは、本当にわたしたちがこの土地を買ってもいいのだろうか? という疑問だった。
地主さんは手放す意思があると言っていたが、おつき合いをしていくなかで、
この土地にとても愛着を持っていることがわかってきた。
そして、頻繁に自宅からこの山へ通って
畑の手入れや山の草刈りをしている様子を知るにつれ、
この土地を手放してしまったら山での楽しみがなくなってしまうのではないかと、
わたしたちのほうが心配になってきた。
そうした疑問を抱えつつではあったが、林さんと土地の値段について検討し、
あるとき地主さんに提案をしようとしたときのことだった。

「やっぱりもう少し、山で畑を続けたいんだよね」
地主さんは、わたしたちについにその気持ちを伝えてくれた。
この言葉を聞いたとき、もちろんちょっぴり残念ではあったけれど、
林さんもわたしも不思議に安堵した。
あれほど愛着を持って手入れをしているからこそ、あの山は美しいのだし、
このままであることがいちばん自然、そう思えたのだ。

日中でも氷点下。家の軒先にはつららが!

土はすっかり雪におおわれた。その下で植物たちはじっと春を待っている。

EATBEAT! in 高松 〈ことでん〉に乗って まちの風景と食材と音楽を楽しむ

ローカル線でおいしく楽しいイベント

昨年春から始まった〈EATBEAT! in 高松〉。
地元高松の食材を使った料理をEAT(料理)担当の堀田裕介さんがつくり、
その調理の際に出る音をBEAT(音)担当のヘンリーワークさんが集めて
ひとつの音楽をつくっていくライブパフォーマンス。
私たちはその過程を見て楽しみ、聞いて楽しみ、
完成した料理を味わって楽しむ、そんなイベントです。

春に開催されたプレス・関係者向けのイベントから始まり、
夏は高松からフェリーで20分ほどのところにある女木島(めぎしま)、
秋は高松市中央卸市場を舞台に。
そして最後の回となる冬は、高松を走る電車〈ことでん〉の車内で。
私は小豆島カメラとしてこの1年を通したイベントの撮影のお手伝いをしてきました。

寒い1月の朝、フェリーの上から朝焼けを眺めながら小豆島から高松へ。
スタッフ集合場所の仏生山(ぶっしょうざん)駅までことでんに乗って行きます。
小豆島に鉄道はないので、電車に乗るのはけっこう新鮮だったりします。

小豆島から高松へはフェリーで1時間。デッキで朝焼けを眺めながら。寒い……。

久しぶりに乗ることでん。

今回のメイン会場は、仏生山駅のすぐ隣にある仏生山車両倉庫とことでん車内。
車両倉庫に着くと、料理スタッフの皆さんがすでにお餅用のもち米を蒸したり、
あんこを丸めたり準備をしていました。
なかなか遭遇できないシチュエーション。
電車の整備工場で料理(笑)。
何やらおもしろいことが始まりそうです。

仏生山駅の隣にある仏生山車両倉庫。

イートビート! おもしろそうなことが始まりそうな気配。

丸められるあんこ。何ができるのかな。

そしてもうひとつの会場、EATBEAT! 特別列車へ。
2両編成の列車を貸切り、その日は特別ダイヤで運行します。
吊り広告ももちろん、EATBEAT!
つり革には干し柿がぶら下がっていたりして、もうそれだけでワクワク。
いよいよ電車はお客さんをお迎えに高松築港(たかまつちっこう)駅に向かいます。

EATBEAT! 特別列車。吊り広告ももちろんEATBEAT!

ワクワクする要素がいっぱい。

本日のお品書きをするヘンリーワークさん。

つり革にぶら下がってる干し柿。もちろん食べられます!

天然醸造の木桶仕込で 家庭でも使いやすい醤油をめざす 小豆島・正金醤油

島外の人に向けて造られてきた小豆島の醤油

正金醤油は、瀬戸内海に浮かぶ醤油の代表産地である小豆島で、
大正9年に創業した約100年の歴史を持つ蔵元。

正金醤油の醤油は香りも味もやわらかくて澄んでいる。
このような醤油はだしや野菜の繊細な風味とバランスをとりやすい。
さらに正金醤油では、すべての商品を
“天然醸造”
“木桶仕込”
“国産丸大豆・国産小麦使用”
“化学調味料不使用”という条件で造っている。
醤油業界全体では高値がつく条件だけれど、
同条件の醤油と比べると7割や5割ほどの値段だ。
そこには「家庭で気軽に使ってほしい」という正金醤油の想いがある。
そして実際に長年、各地の主婦に支持されてきた。

登録有形文化財に登録されている正金醤油の〈山吉もろみ蔵〉。小高い場所に立っていて少し温度が低いので、淡口醤油の製造に向く。

登録有形文化財と近代化産業遺産に登録されている正金醤油の〈西もろみ蔵〉。小豆島町の蔵でもっとも歴史がある。

もともと小豆島では塩を盛んにつくっていました。
「最も潔白にして美味なり」と高く評価されましたが、
18世紀後半に塩の生産技術が瀬戸内海沿岸全体に広がると、
塩の生産が増えて余るようになり、塩を原材料とする醤油業へと移っていきます。
さらに、明治後期に小豆島醤油の品質向上を目指して〈発酵食品試験場〉を設立。
東京帝国大学の大学院で醸造学や発酵科学を専攻していた
清水十二郎を技師長に迎えて関東の人が好む醤油を目指しました。
以来、日本有数の産地として発展し、現在の小豆島の醤油のほとんどが
都市部を中心に島外に出荷されています。

正金醤油の醤油も、現在95%ほどを島外に出荷しています。
「うちの醤油は島外のスーパーによく置いていますよ。
1リットルの瓶に入れた醤油が一番売れますね。
醤油業界では小瓶が売れるようになってきているので、
小瓶を提案して置いたこともあるんですが、やっぱり1リットルが売れるんです。
いまでもずっと家庭で料理をよくする人に使ってもらっていて、ありがたいです」
と話すのは、正金醤油4代目藤井泰人さん。裏表がない正直な性格。
いつも冷静に「口にしたときにおいしいと喜ぶ醤油」を考え、
黙々と醤油造りに打ち込みます。

正金醤油4代目藤井泰人さん。裏表がない正直な人で、根っからの職人気質。

自然のままの完全放牧で酪農を営む 熊本〈玉名牧場〉矢野希実さん

食べるもので、からだはつくられる

収容人数約5万人規模の施設が3個ほど、
すっぽりと収まるほどの広大な牧草地に、30頭足らずの乳牛たち。
のんびりと草を食み、おなかいっぱいになったら休んで
時間がたったらまた別の場所に移動して草を食む。
そうやって1日のほとんどを食べるために牧草地で過ごしている。
特別なものは、なんにもない。そんな牛たちの日常のなかに
食べること、生きることの本質を見いだすことができる。
見いだす、というよりも、なんとなく感じるといったほうがしっくりくるかもしれない。
これほどの広大な牧草地なのだから、もう少し乳牛の数を増やさないと
もったいないのでは、とつい思ってしまうのだが、
玉名牧場の牧場主である矢野希実さんは、
「完全な放牧で乳牛を育てるには、これくらいの広さに、
これくらいの頭数がちょうどいいバランスなのです」と語る。

東京ドーム3個分の敷地。乳牛たちはこの広大な牧草地を毎日移動しながら食事をしている。

玉名牧場があるのは、熊本県の北部・玉名市三ツ川。
九州新幹線の新玉名駅から、車で20分ほどで行くことができる。
地図上で見ると、非常に便利な場所にあるように見えるが
玉名牧場は、標高200メートルの山頂にある。
車の離合も困難なみかん畑のあいだにある小さな道を通りながら
手づくりで要所要所に設けられた看板を頼りに車を走らせる。
途中、「本当にたどり着くのか……」と不安な気持ちに何度か襲われるが、
突然目の前がパッと開けて、牧場が現れる。
この視界がパッと開ける感覚が、玉名牧場という場所を
とても印象深いものにしているのかもしれない。

玉名牧場では、放牧して育てている乳牛の乳を搾り、
その牛乳をもとにナチュラルチーズを加工している。
現在は5種類のチーズをはじめ、牛乳や、自然栽培の米や野菜、
卵の販売で牧場を運営している。
牧場のことや、食に関心をもつ一般の見学者をはじめ、
研修や視察目的で訪れる人などの受け入れを行い、
最近では、その数も増えてきたという。

玉名牧場の主力商品、ナチュラルチーズ5種。ホームページでの販売も行っている。

この見学ツアー、牧場内を見てまわるだけではなく
これまでの農業、酪農の経験をもとにした
矢野さんの食に関する“こわい話”がもれなくついてくる。
“こわい話”とは、受けとる側の問題ではあるのだが、
正しい食のあり方を、矢野さん独特の調子で語られる、だけのこと。
それを聞いているだけで、案内の最後のほうには
自分のこれまでの食生活を激しく反省することになる。

「食は、すべての根源になるもの。病気のことも、人間関係にも、
いろんなことに深く関わってくる、生きていくうえで大事なこと。
正しい食のあり方に変えるためには
ひとりひとりの心がけや行動、意識を変えるしかない。
そのことを気づける場でありたいと思っています。
見学者と話をしていると、確実に生活者の意識が変わってきたことを
肌感覚で感じられます」と、矢野さん。
これまで、数回ほど矢野さんの話を聞いているのだが、
毎回バージョンアップされている。

自然農法で育てられた野菜。実はこの野菜、約2年間冷蔵庫で放置していたもの。質のいい野菜は、放置していると腐れるのではなく、枯れていく、という。

ちちぶメープルプロジェクト vol.1 海外志向からまさかの秩父Uターン

秩父の森で生まれたメープルシロップ

皆さんは、日本でメープルシロップがつくられているというのをご存知ですか?
メープルといえばカナダが有名ですが、実は埼玉県秩父で
カエデの樹液からメープルシロップをつくる取り組みが行われているのです。

初春の時期だけ、カエデの木に穴を開けると、そこからぽたぽたと樹液が流れ落ちます。白い管にチューブを差し込んで、タンクに樹液を集めます。

コロカルのニュースでも取り上げられたことがあるので、
聞いたことがある方もいるかもしれません。
今回、この短期連載を通じて、秩父のメープルの活動や、
森での取り組みについて取り上げていきたいと思います。
ひとりでも多くの方に日本の森のこと、秩父のこと、
メープルのことに興味を持ってもらえたらなと思っております。
実は、このメープルプロジェクト、日本の森や林業の問題を背景に始まったのです。

日本の国土の森林面積はなんと約3分の2。にもかかわらず、林業は衰退の一途をたどっています。これは樹齢200年以上の天然のイタヤカエデの木。秩父にはたくさんのカエデの木があります。

外資系企業で仕事に夢中の日々

最初に、ちょっとだけ私のことを話させてください。
何を隠そう、私、秩父でメープルの活動に取り組みたくて、
1年半ほど前に勤めていた会社を辞めて、秩父にUターンしたのです。
人生における一大転機、そのきっかけは、いまからちょうど2年前のことでした。

外資系の家具販売会社に新卒で入ってから、仕事が楽しくて、
気の合う仲間にも囲まれて、本当に恵まれた日々を過ごしていました。
学生時代からイギリスに留学していたり、
卒業論文でマーサ・スチュワート(アメリカのライフスタイルをビジネスにした実業家)
を取り上げたりして、海外の文化やライフスタイル全般に興味があった私。
海外志向が強かったので、いつか海外で働いてみたい、
住んでみたいとも思っていました。
「まさか私がUターンするなんて!」と、
いまでもその決断に我ながらびっくりしています。

空き家を借りてリノベします!

めざすはデザイナーズ・イン・レジデンス

今年は雪が遅かったけれど、とうとうたっぷり積もりました~。
エコビレッジづくりのために、まずその拠点を固めようと
昨年から場所を探してきた結果、いよいよ、空き家を借りる決意をしました!
その場所とは、前回の連載で紹介した、岩見沢の東部丘陵地域、
美流渡(みると)で見つかった赤い屋根の家。

構想としては、この場所をさまざまな人が集う拠点にすること。
この拠点で、まずは自分のできることを始め、
それをエコビレッジへと拡大していこうという考えだ。
第一歩として、東京で暮らす友人たちが遊びに来られる
ゲストハウス的な場所にしたいと思っている。

わたしの本業は、美術やデザイン関連の本の編集だ。
仕事仲間や取材で知り合った人たちなどは、みんな多忙を極めているが、
仕事をしながらであれば、例えば2週間くらいのスパンで
滞在することができるんじゃないだろうか。
デザイナーやライターであれば、場所を選ばずに仕事ができるはず。
デザイナーズ(ライターズ)・イン・レジデンスみたいな動きをすることで、
それがいずれ長期ステイや移住へとつながっていくようにも思っている。
また、クリエイティブな才能を持つ人々に滞在してもらいながら、
ワークショップやトークなどをやってもらえたら、さらに楽しいことが起こりそうだ。

この日、空き家を訪れた仲間たち。中央が、空き家を管理するNPO〈M38〉の代表、菅原新さん。左隣が、空き家の使い道を一緒に考えている農家の友人、林さん夫妻。

もうひとつプランがある。
空き家探しと同時に進めている山の土地の購入計画。
この計画を一緒に進めている友人、林睦子さんがやりたいと思っている
森のようちえんの場所としても使うことだ。
この赤い屋根の家の裏には、山が広がっている。
ここで思いっきり遊びつつ、家の中でときどき休憩するのもいいように思う。

さらに、1階にカフェスペースを設けられたらなあと夢は広がる。
やっぱり人が集う拠点とするには、この場所がいつでも開かれていて、
誰もが立ち寄れるようにしておきたい。
それにある程度は、この場での収入の道も探っておきたいという気持ちもあるし。
ただし、カフェの運営となると、編集の本業との両立は難しいので、
いま友人にやってもらえないだろうかと声をかけているところだ。

前回の連載で紹介したときは下草が見えていた裏山は雪で真っ白。斜面になっているので、子どもたちがソリ滑りを楽しんだりもできそうだ。

日中も氷点下。窓には氷の結晶が! 北海道弁では「しばれる(凍る)」。

この地域には、特にこれといった観光名所はないけれど、そこがいいよね。里山の自然がすぐ近くに感じられる。

七草探して、七草粥をつくろう

探して集めて覚える、春の七草

2016年が始まりました。
この年末年始は1年分休んだんじゃないかというくらいしっかりお休みしました(笑)。
心も体もパワーチャージして、また今年も小豆島でがんばります。
本年もよろしくお願いいたします。

1月も数日が過ぎた頃、島の友人からこんなお誘いが来ました。
「7日、10時から七草採りと七草粥の会をします」

七草採り!
一度自分の手で七草すべてを集めてみたいな〜と思っていたので、
これは行こう! と乗り気で当日を迎えました。
いろは(娘)が通う子ども教室の子たちも参加することになっていて、朝から
「セリ ナズナ ゴギョウ ハコベラ ホトケノザ スズナ スズシロ これぞ七草〜」
と何度もつぶやいていました。

いままで何度か七草粥はつくりましたが、
スーパーで七草を買うのがなんとなく嫌でした。
嫌というか、ストーリーがなくておもしろくないなぁと。
結局どの草がどれなのか曖昧で、記憶に残らず。

やっぱり七草を探して集めるところから始めると全然違う。
普段は“雑草”とひとくくりにして見ている草の中から、
自分たちが必要としている草を探すのはすごくおもしろい。
細かな葉の形や色など、探し求めている草のことをしっかり見て覚える。

稲刈り後の田んぼでゴギョウを探します。

発見! 七草探し楽しい。

こんな田んぼの中を移動しながら探します。

セリ! 食べてみると三つ葉みたいな味! これおいしい。

みんなでハコベラを探し中。ほかの草との見分けが難しい。

こうしてみんなで集めた七草を並べてもう一度確認。
もう七草のことを忘れなさそうだな〜(笑)。

絵と見比べながら七草を探しました。

みんなで集めた七草。うれしいなぁ。

智頭で迎える初めての冬

雪遊びとお正月

「カメムシが多い年は雪が多い」
というのが、この辺の地域の定説らしい。
秋頃から、家の中でカメムシを見かけることが多くなった。
ほぼ毎日、数匹はいて、窓の外に逃がすのだけど、
翌日になるとまた何匹か入り込んでいる。
こんな経験は初めてなので、私たちは「多い」と感じたが、
近所の方いわく、今年は「少ない」そうで、多い年はこんなものではないらしい。
実際、今シーズンはいまのところ、けっこうな暖冬だ。
例年、12月にはある程度雪が積もるそうなのだけど、
まだ半日で溶けてしまうくらいの積雪しかない。
あまりに暖かいので、ご近所の方が、これでは来年の稲作はダメだ、と言っていた。
冬が暖かいと、稲を食べる虫が増えてしまうらしい。

初めて雪が積もった日。うっすら雪化粧した山が美しい。

12月下旬、初めてほんの少しだけ雪が積もった日、
娘を森のようちえんの集合場所まで送っていくと
車から降りた途端、雪の球が2、3個飛んできた。
地面に積もるわずかな雪をかきあつめて、
子どもたちがワイワイと雪合戦をしていたのである。
自分のつくった球のかたさを自慢しにくる子どもたち。
今シーズン初の雪遊びに、ウキウキとうれしそうだった。
今年もしっかり雪が降るといいよね。
寒さは厳しくとも、やはり本来の四季があってこそ、わたしたちは生かされている。
そのことを子どもたちに感じてほしいし、わたし自身も感じたい。
本当は、寒いのは苦手だけれど……。
せっかく智頭に来たのだから、冬の厳しさと美しさを体感してみたい、
と思うのであった。

わずかな雪で球をつくる、森のようちえんの子どもたち。

東京を離れて3年目、今年は初めて帰省せず、家族4人で、静かに新年を迎えた。
智頭で迎える初めてのお正月。
元旦は近所の氏神様に初詣に行き、あたりをのんびりと散歩した。
灰色の雲に覆われていることが多い山陰の冬、
元旦は珍しく1日晴れて、日差しがぽかぽかと暖かかった。

貴重な青空と、透きとおった川の流れ。

近所のお地蔵さん。

地域から新しい建築のあり方を探る 『3.11以後の建築』展 五十嵐太郎 × 山崎亮対談

水戸芸術館現代美術ギャラリーで開催中の展覧会『3.11以後の建築』。
2014年11月から2015年5月にかけて
金沢21世紀美術館で開催された展覧会の巡回展で、
東日本大震災以後、建築家たちはどう建築と向き合ってきたのか、
そしてこれからの時代の建築について考えるような内容だ。
建築家の選定と展覧会の構成を手がけたゲスト・キュレーターは、
建築史家で建築評論家の五十嵐太郎さんとコミュニティデザイナーの山崎亮さん。
そして2015年11月23日、水戸芸術館でこのふたりによるトークショーが行われた。

建築と社会との関係を見つめた展覧会

五十嵐: この展覧会は金沢21世紀美術館の開館10周年記念の
第1弾の企画として、昨年開催されました。
半年という長い期間ではありましたが、入場者が10万人を超えたそうで、
通常の建築展では考えられない数字です。
でもおそらくこの展覧会でなくても観光客が多く訪れる美術館だからでしょう。
もともとはパリのポンピドゥーセンターが企画した、
作家中心主義で形が個性的なデザインに着目した建築展
『ジャパンアーキテクツ』という展覧会を同美術館で開催することになったのですが、
現在の建築はそれだけではないだろうと。
特に東日本大震災後、より建築と社会との関係が強く意識されるようになったときに、
それだけでは不完全ではないだろうかと、
金沢21世紀美術館側で、鷲田めるろさんという学芸員が企画し、
『ジャパンアーキテクツ』と同時開催された展覧会です。
それで僕と山崎さんにゲスト・キュレーターとして声がかかったわけです。

山崎: 五十嵐さんとはいろいろなところでお会いしていましたが、
一緒にプロジェクトをやるのは初めて。金沢21世紀美術館は
美術や建築にそれほど関心のない人も訪れるような美術館ですから、
建築家ってこんなおもしろいことをやってるんだ、
形のことだけ考えているんじゃないんだ、ということを
一般の人たちに知ってもらえるような展覧会にしたいという話を最初にしましたよね。

五十嵐: それで鷲田さんとわれわれ3人で、
こんな建築家を入れたらいいんじゃないかと選んでいきました。
実際に山崎さんが一緒にお仕事をしている建築家もいらっしゃいますね。
青木淳さんや乾久美子さんもそうですが、現在進行形のプロジェクトの場合、
通常は完成予想図というものがあるんですが、
この展覧会のおもしろいところは、それがない。
あくまでどういう風にプロジェクトを進めているかという、
やり方を展示しているんですね。
特に青木さんは、金沢での展示では映像だけでしたが、
今回一番パワーアップした展示になっていると思います。
ちなみにこの水戸芸術館は磯崎新さんによる設計ですが、
青木さんは当時、磯崎事務所のメインのスタッフとして携わっているから、
思い入れが強いんでしょうね。

山崎: そうですね。公共建築ってまず建築物を建ててから、
こういうのができたけどどう使う? というように
使い方が充分に考えられていなかったり、政治家や行政が主導して、
地域の住民はあまり話を聞いていないことが多かったんですが、
最近はそうでもなくなってきました。

この青木さんの十日町のプロジェクトは僕も関わっているんですが、
2年くらい市民が活動をしています。
ふたつある建物を市が買い取ってリノベーションし、
市民が交流したり活動の拠点にしようというプロジェクトですが、
設計者のプロポーザルから市民と一緒にやっているんです。
設計者に見て考えてもらうために『まちなかコンセプトブック』という
資料となる冊子も市民がつくって配布して、
これを見てもらってから設計者にプレゼンしてもらう。
市民のなかにグラフィックデザイナーもいるから、
自分たちでそういうことができるんですね。
それで青木さんが選ばれてプロジェクトが始まったんですが、
通常だったら、東京の設計事務所で設計して、現場に指示する。
青木さんはそれを逆にしたんです。もうコミュニティもできているんだし、
市民に建築家もデザイナーもいるんだからと。
十日町に青木淳事務所十日町分室、通称「ブンシツ」と呼ばれる場所をつくって、
青木さんの事務所の若者ふたりが住み込み、
そこで設計の段階から市民と一緒につくっているんです。
金沢では、東京で設計している青木さんの映像と、
十日町のブンシツにいろいろな人が出入りしている映像を並べて展示していましたが、
今回は、市民の人たちとの交流の痕跡がわかるような、
ブンシツを再現した展示になっています。

十日町の市民の活動拠点となっているブンシツを再現。いろいろな人が出入りし、置いていったものなどがそのまま並べてある。

展覧会では地域のさまざまなプロジェクトを紹介。これは広島を拠点に活動し、犬島精錬所美術館などで知られる建築家、三分一博志の香川の直島ホールの模型。自然エネルギーを利用した建築で、風の通り道がわかるように線香を使った模型になっているのがおもしろい。

仙台〈源氏〉 すてきな女将のいる 品のいい居酒屋

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割烹着姿の女将とコの字カウンター

ほんわり明かりを灯した飲食店が軒を連ねる仙台は文化横丁。
その中にあっても、飛び抜けて控えめな白地に筆文字の
〈文化横丁 源氏〉の看板を見落とさずに見つけたなら、
そこから人がひとり歩けるほどの路地を入り
曲がった正面に縄のれんがみえました。
あたたかい明かりとざわめきが、すりガラスの引き戸と
格子窓の中から感じられて、ほっとします。

一瞬深呼吸をして引き戸をガラガラと開けると、
見渡せるコの字カウンターはお客さんでいっぱいの様子。
奥の厨房のほうから着物に白い割烹着の女将さんが現れたので、
こちらの人数をお伝えすると、カウンター越しに、
ゆっくりと丁寧にお辞儀をされてしまいました……。
ひとまず出直すといたしましょう。
まだ一歩も踏み入れてなかった店の外側から、ゆっくりと引き戸をしめて、
しばらく別のお店で飲むことに。

ここに来るのは3度目。仙台に来るたびに立ち寄る大好きな店。
時間も時代も止まったような空間は、
店いっぱいに使い込まれて角のとれたコの字のカウンター。
それを囲むように長椅子も三方向に並びます。
長椅子も同様に使い込まれているので滑りやすく、
するするとお尻を移動させて自分のポジションを確保。
出直し源氏は、入って右側の席にするすると落ち着きました。

空き家から見えてきた、 地域が抱える課題

裏に山が広がる、赤い三角屋根の空き家

コロカルの連載も今回で10回目となった。
半年間、エコビレッジをつくるために土地を探してきたわけだが、
ここにきて具体的な候補地が見つかった。
その土地とは、前回もチラリとお話しした、
ハイジの丘のように美しい山の土地だ(ただいま地主さんと交渉中)。
当初の構想だと、山の土地を買ってそこにエコビレッジを建てようと思っていたのだが、
インフラ問題など解決しなければならないことが予想以上に多いこともわかってきた。
そこで、山の土地を買ってゆくゆくはそこに家を建てるとしても、
同時にもう少しハードルの低い方法で、
夢への第一歩を踏み出したいと思うようになった。

新しい可能性を考えるきっかけになったのは、
ハイジの丘の近くに空き家が見つかったことだ。
まずはここでゲストハウスなどをスタートさせ、
徐々に規模を大きくしていくことはできないだろうかと、思い始めている。

2階建ての家。築年数はかなり古そうだが、以前の住人が大切に使っていた様子が感じられる。

1階部分。引き戸を開け放つと広々として、子どもたちが駆け回っていた。

この空き家は、岩見沢の東部丘陵地域の活性化に取り組む
NPO〈M38〉が管理する物件だ。
M38は、この地域に移住を希望している人たちに向けて
空き家を紹介する活動を主に行っており、代表の菅原新さんに、
わたしがエコビレッジをつくりたいという構想を話したところ、
物件を紹介してくれたのだった(その経緯は前回の連載に)。
場所は、山々が連なる美流渡(みると)という地区にある。
この空き家は、今年の10月まで使われていたそうで、
移住者がすぐに生活が始められるようにと家具や家電なども残されていた。

ストーブもすぐに使える状態。台にはタイルがあってデザインがかわいい。

棚や机も残されている。モダンなプリントが施された食器棚を発見。

昭和テイストの畳マット。敷物やドアノブ、引き戸のガラスなどの模様はどれも手が込んでいて見ているだけでも楽しい。

日本一甘い鹿児島の醤油の 味を支える蔵元 鹿児島・坪水醸造

鹿児島県の醤油蔵をまとめ上げた1代目

鹿児島の醤油は日本で一番甘い。
醤油に入っている甘味料や糖類の濃度が高いのだ。
鹿児島県大隅半島にある〈マルイ醤油〉で知られる
〈坪水醸造〉の醤油もやっぱり甘い。
けれど、鹿児島の中では甘みが控えめで、
醤油が兼ね備える旨みや塩味、苦みや酸味とバランスがとれている。
その背景には、技術と設備を集約させた醤油の協同工場をつくり、
自社も含む鹿児島県全域の醤油の質を底上げしようという、
坪水醸造1代目兼、組合の初代理事長・坪水徳三さんの働きと、
その想いを引き継ぐ現在の坪水醸造の姿勢がありました。

鹿児島県鹿屋市で昭和16年に創業した坪水醸造。醤油、味噌、黒酢を造っている。

坪水醸造は九州最南端の大隅半島にある蔵元。
醤油、味噌、黒酢を製造しています。
鹿児島空港から東九州自動車道を使って車で約1時間。
延々と続く緑豊かな景色に見とれながら走ると、ふと、まちが開けました。
この日の夜は大隅半島の鹿児島県鹿屋市で営む醤油蔵や食関係者が集い、
地元醸造元の醤油と焼酎を生かす料理屋で地元料理を楽しむ食事会。

キビナゴやさつまあげなど、出てくる郷土料理は全体的に甘い印象。
しかしここ鹿屋市で造った芋焼酎を口に含んで驚き。
すっきりとしたやわらかい余韻を残し、後口はすっきり。
鹿児島県は芋焼酎の代表的な産地。
甘い調味料とキレのある焼酎が生み出すハーモニーを楽しむのが鹿児島流かもしれない。

そして坪水醸造4代目・坪水徳宏さんが持ってきてくれた
醤油と料理のバランスに舌鼓を打つ。
地魚の刺身やさつま揚げに濃口醤油を合わせると、味の輪郭を際立たせて深い味わいに。
そして鳥刺しと坪水醸造で最も人気の淡口醤油が相性抜群。
淡い紅白の鳥刺しに琥珀色の淡口醤油をつけるとつややかになって美しく、
口に含むと品のある甘みと旨みが広がります。
郷土料理のおいしさはその土地の醤油があってこそ! と、実感。

手前に地魚のお刺身、奥左に鳥刺し、奥右にさつま揚げ。地元の甘い醤油で味付けし、さらに芋焼酎を口に含むと、この土地ならではの最高のハーモニーに。

この日は特別に坪水醸造の醤油も持参していただき、お刺身とさつま揚げ、鳥刺しで味比べ。

感動していると、同じく大隅半島で醤油蔵を営む〈児玉醸造〉4代目の児玉拓隆さんが
「おいしいでしょう。坪水醸造の1代目は
鹿児島県醤油醸造協同組合の初代理事長。
みんなで県内醤油の品質向上を目指そう! と旗を上げ、
県内の蔵元をまとめ上げてくれたんですよ」とにっこり。
実は鹿児島の多くの蔵元は、鹿児島県醤油醸造協同組合で造った
“生揚げ(きあげ)醤油”(大豆、小麦、塩でできたもろみを搾ったまま、
加熱もろ過もしていない醤油)を購入し、各蔵で甘く調合しています。
坪水醸造も同様。

「鹿児島の組合の生揚げ醤油はおいしいんですよ。
うちに鹿児島県醤油醸造協同組合が造った生揚げ醤油があるので、
明日味わってみてください」と児玉さん。
そのお言葉に甘え、翌朝訪ねて味わったところ、驚きの風味でした。
香りと味はすっきりとし、一般的な生揚げ醤油より断然甘い! 
こんな生揚げ醤油は初めてです。

小豆島の静かで美しい冬の朝

目の前の景色を見て感じる瞬間

12月17日、今年の小豆島はこの日からぐっと冷え込み始めました。
天気予報でも週の後半から冷え込むでしょうと言っていたので、
これはようやく冬が来るかなと思っていたけど、ほぼ予報通り。
いつもより1か月くらい遅く、畑で育てているレタスなどの畝に
ビニールのトンネルをかけました。
霜で枯れてしまわないように。

冬支度した畑。レタスや葉ものなどの畝にはビニールトンネルを。

そして迎えた冬の朝。
びっしりと霜が降り、昨日までとは違う景色。
あ~、冬だなとうれしくなり、カメラを持って畑へ。

しゃがんでよーく見ると、落ち葉や草についた霜はとても美しい。
粉砂糖をふりかけたお菓子みたい。
拾い集めた落ち葉もそのへんの雑草もみんなきれい。

落ち葉もなんだか作品みたい。

ふだんは憎き雑草も、葉脈が美しくて見とれる。

アップルミント。霜が降り始めたらもう枯れちゃいます。

もうすぐ日の出です。

私たちが暮らす肥土山(ひとやま)地区は山に囲まれているので、
冬は日が昇るのが遅く、暮れるのが早い。
ちょうどいまがいちばんお昼の時間が短いですが、
朝は7時半過ぎにようやく山の後ろから太陽が昇ってきて、集落を照らしてくれる。
そして夕方4時半頃には反対側の山の後ろへ。

霜が降りた草たちに太陽の光があたり始め、キラキラと光り、
あっというまに溶けてしまいました。
冬の冷たくて静かで美しい朝はあっという間に終わりです。

山の後ろからようやく太陽が出てきました。

照らされてキラキラとするビニールトンネル。

一瞬で霜が溶けてしまいます。

おためし住宅から定住の住まいへ

地域の方々に助けられた引っ越し

「明日12月1日より、移住おためし住宅に住んでいた立石さんが
◯◯さん宅に引っ越され、定住されます。
1日も早く慣れていただけるよう、皆さまご協力ください」

空き家への引っ越しの日。
家に設置された集落放送のスピーカーから、こんな案内が流れてきた。
「立石さん」とはわが家のことである。
わお、と驚く夫とわたしと娘。
このスピーカーは各戸にあり、集落のいろんな情報が流れてくる。
いよいよ、移住おためし中の「お客さま」から
集落の一員になるのだなぁ、と実感した瞬間だった。

おためし住宅と、定住先の空き家は同じ集落のなかにあり、ほんの数百メートルの距離。
これまで地域の行事などを通じて知り合った方々も
わたしたちがここに定住することを喜んでくださり、それがとても心強いことだった。
距離が近いので業者には頼まずに荷物を運ぶことにしたが、
引っ越しの前週には、目の前の家の方がワンボックスカーを出して
冷蔵庫と洗濯機を運ぶのを手伝ってくださった。
さらに引っ越し当日には、集落の頼もしい男性陣4人が、
軽トラを2台出して、すばらしい手際のよさで荷物を運んでくださった。
わが家の荷物は結構たくさんあったので、家族だけではとても運びきれなかったと思う。
まさに地域の方々の助けがあって、乗り越えることができた引っ越しだった。

12月中旬には、集落のさらに小さな単位 “班” の
忘年会(兼わが家の歓迎会)が開催された。
会場の公民館で昼過ぎから準備をするので、時間があれば来てね、
とのことで、子どもを連れて準備から参加した。
和やかにおしゃべりをしながら、お鍋の材料を切ったり、器の準備をしたり。
その合間に、お酒やお茶を飲みつつ
ストーブで蟹を焼いて食べたり……のゆるく楽しい雰囲気。
子どもも、近所のお友だちと楽しそうに遊んで過ごしていた。
皆さん本当にいい方ばかりで、いわゆる“よそ者”の私たちにも
分け隔てなく、自然に接してくださる。
移住者に壁をつくらず歓迎してくださる地域にご縁ができたことは
なによりもうれしいことだと思う。

公民館で、忘年会の準備。鳥取といえば、の蟹をさばく。

準備の合間に、ストーブで焼いた蟹をつまむ。

公民館にあった“放送室”。ここから集落放送を流すらしい。

じいちゃんが残してくれた柿の木

島で育てられてきた果樹を残し、活用する

冬になると毎日のように食べる“みかん”。
いまうちには、大きいダンボール3箱分くらいのみかんがあります。
どれもご近所さんからのいただきもので、作る人によって大きさや味が違い、
その違いを楽しみながらありがたくおいしく食べてます。

たくさんいただいたみかんをカフェのお客さんや友人におすそわけ。

畑作業の休憩にみかん。(撮影:太田有紀)

水分の多いみかんはお茶の代わりになります。おやつにも。

小豆島では柑橘の栽培がさかんです。
ずっと昔からいろんな種類の柑橘が育てられてきました。
仕事として作っている人、自分の家で食べるために作っている人、さまざまです。

うちの近所にもあちこちにみかん畑があります。
みかんのほかにも、ゴツゴツとして酸味の強い“ダイダイ”、
ゴツゴツしてるんだけど厚い皮をむくとなんともジューシーで
おいしい実が入っている“スイートスプリング”、それからスダチや柚子も。
最近、ライムを育てている人にも出会い、わけていただきました。
柑橘だけじゃなくて、柿や栗、梅も。
本当に食材豊かだなと思います。

島で育てられたタヒチライム。うちも育ててみたいと思いました。

御殿場のおいしい食を伝える料理人 〈農 minori〉池田洋一さん

御殿場のおいしいものを知ってほしい

富士山と箱根山に囲まれた静岡県御殿場市に、
〈旬彩食 農 minori〉という小さな和食の店が開店したのは、2014年11月のこと。
この店の店主である池田洋一さんは、〈旬の会〉改め
〈Toretaみくりや〉を主宰する和食の料理人。
みくりやとは漢字で“御厨”と書き、御殿場市と裾野市須山、
駿東郡小山町の一帯を指す地名。
この地名は、荘園時代から使われてきた古いものだ。

「御殿場のおいしいものを、みんな、知らなさすぎ」
これは、池田さんの口ぐせ。
そして、おそらくこれは、地場産の野菜を使って料理を作ってきた
御殿場の料理人たちがずっと心の中でつぶやいてきた言葉なのではないだろうか。

御殿場の特産品といえば、わさびが真っ先に思い浮かぶ。
それから、冬に旬を迎える水かけ菜も。
近ごろは、〈ごてんばこしひかり〉も広く知られるようになってきた。
では、芹澤バラ園のロメインレタスやプチトマト〈あっこひめ〉は? 
かつまたファームの〈健太トマト〉や山芋は? 
天野醤油の搾り粕を肥料にして育つ〈御殿場メロン〉は? トウモロコシは?

かつまたファームの山芋で作った、やまかけご飯。

御殿場で生まれ育った私。
祖父母もそのまた両親も御殿場生まれという生粋の御殿場っ子の私も
知らないことがいっぱいで、悔しいけれど、
三島市出身の池田さんのほうが、よほど御殿場のおいしいものを知っている……。
御殿場に生まれ育った人のなかで、農 minoriでの食事をきっかけに
これらを知った、という人も少なくないはずだ。

「わさびも水かけ菜もそもそも仕入れ価格が高いから、
外食で味わおうと思うと高級店に行くしかない。
でも、御殿場で生産されている野菜はそれだけじゃないんですよ。
日常的に食べられる価格で買えるおいしい野菜がたくさんあるのに、
誰に聞いても“知らない”とつれない返事。
僕は、食は最終的に各家庭の食卓につながっているものだと考えています。
最初はそんな野菜があることを知らなくても、
飲食店で食べてもらえれば実際に味わってもらえる。
実際口にしてよさが伝われば、購入につながり、知名度も上がって、
各家庭で食べられるようになる。
お母さんが料理して子どもがそれを食べておいしいと思ってくれれば
次世代へつながっていく。そんな風にして、御殿場のなかで、
御殿場産の野菜の知名度が上がり、伝わっていけばいいなと考えているんです」

それぞれの山ライフ実現に向けて 山を共同購入へ!

心強い仲間がいるから夢がかたちになっていく

エコビレッジをつくりたいと、北海道で始めた土地探しも半年が経とうとしているが、
実は……、とてもすてきな山の土地を見つけた。
小高い丘へのぼると、田園と山々のつらなりが見渡せる。
まるで『アルプスの少女ハイジ』のあの山の風景のようなのだ!
そしていま、地主さんと土地購入に向けての交渉を始めている。
地主さんに土地のお話をうかがっていると、とても愛着があるようで、
不動産屋を通じた売買とは違う、人と人との信頼関係が何より大切だと感じている。
土地購入の交渉の話については、おいおい書きたいと思うが
(いまは大事なときなので、リポートを楽しみに待っていてください!)
今回は、いままであまり語れなかった、
ともに夢を実現しようとしている友人のことを書いてみたい。

エコビレッジがかたちになるかもしれない、そんな実感があるのは、
この連載の第1回で紹介した、農家の林 宏さんの存在がなにより大きい。
山を買いたい仲間・山トモで、ハイジの丘(仮称ですが……)も一緒に見に行き、
お互いとても気に入った。
「一緒に購入できたら、いいですねぇ」
ということで、いま地主さんとの交渉にもふたりで出かけている。
ニコニコ笑顔を浮かべつつ、聞きたいところはズバッと質問してくれるし、
地主さんとの会話の内容も、林さんがいてくれるので全貌がつかめるといった感じだ。
地主さんも農家だったこともあり、林さんと共通の知り合いがいるようだし、
そもそも土地の大きさを、反(たん)とか、町(ちょう)という単位で話す時点で
わたしにはちょっと辛い。
ちなみに、林さんは新規就農者で、以前は北海道新聞の記者だったこともあり、
コロカルの原稿が書けないと悩んでいると、一緒にネタまで探してくれるのだ。

左が林 宏さん。右が妻の睦子さんと息子さん。林さんが北海道新聞の記者を辞めて新規就農したのは2005年。自分の仕事は自分でつくりたい、仕事も自給自足したいと農家を始めた。

林さんが山を買いたい理由は、しいたけを栽培したり、
木の実や山菜を採って自給自足的な暮らしを推し進めたいと思っているからだ。
いま、岩見沢の栗沢町に農地を持っていて、小松菜やほうれん草を主に栽培しているが、
自家用の小麦をつくるなど、少しずつ食糧の自給についても進めている。
また、太陽光発電にも取り組んでいて、オフグリッドという考えに共鳴している。
オフグリッドとは、狭い意味では、電力会社の送電網を使わない
ということになるが、林さんはこれを広く捉え、
自分たちとは別の論理で動いている経済や社会のシステムとの関係を、
できるかぎりオフにしていこうという気持ちを持っている。

そして、林さんの妻・睦子さんも、山でやってみたいことがある。
それは山の自然を満喫し、そこで生きる知恵を学んでいくような“学校”、
あるいは〈森のようちえん〉のような取り組みをしたいと考えているのだ。
睦子さんは、こうした夢を実現させようと、すでに一歩を踏み出していて、
今年は岩見沢市街にある公園でプレーパークを開催してきた。
プレーパークとは、大人ができるだけ介入せずに、
子どもの自主性を尊重し、自らの責任で遊ぶ場だ。
わたしもこの活動のお手伝いをしていて、
泥んこになってはしゃぐ子どもたちの姿を見ていると、
普段の遊びとは違う可能性を感じていた。
しかし、公園での開催だけでなく、岩見沢は車を30分ほど走らせれば、
山の自然が満喫できる場所もあることから、
こうした場を生かさない手はないのではないかと睦子さんは考えるようになった。
彼女のプランは、山に自らが住み、そこに子どもたちがやって来て、
暮らしと遊びとが密接に結びつく場をつくっていきたいというものだ。

ただし、わが家と同じように夫婦の思惑は重なるようでいて違っている。
夫である林さんとしては、
「畑があるからベースを移すのは難しいなぁ、冬だけなら住めるかなぁ」と、
ソフトな感じで困っている様子だった(わが家もしかり、妻が暴走するタイプ?)。

睦子さんが行ってきた岩見沢プレーパークの様子。子どもも大人もみんなで泥んこになって遊ぶ。

「ケガとお弁当は自分持ち」というのがプレーパークの精神。遊び場には子どもたちへのメッセージも掲げておく。