美流渡にひと目惚れして移住した中川さんの話
岩見沢の市街地から30分ほど車を走らせると、
山や森がすぐ近くに迫る美しい風景が広がる。
ここは東部丘陵地域と呼ばれ、その中の美流渡(みると)という地区で、
いまわたしはゲストハウスのような場所をつくろうとしている。
この連載で何度か書いたように、美流渡はかつて炭鉱街として栄えたが、
現在では人口が1000人を切り、過疎化が問題になっている。
人口減少は、この地域を維持していくにあたって深刻な問題ではあるが、
そこに住む人たちに目を向けると、都会の便利さとは異なる価値観をもって、
この地域を愛している姿が見えてくる。
そんな地域を愛する人として紹介したいのが、
18年前、美流渡にひと目惚れをして移住してきた中川文江さんとそのご一家だ。
中川さんは、東京で6年ほど看護師をしていたが、
夫の達也さんの転勤で札幌へと移り住んだ。
やがて中川さん夫婦は、自然の中で子どもを育てたい、
森でパン屋さんをやってみたいという想いを抱き、達也さんが脱サラを決心。
札幌から近すぎず遠すぎない場所をと車で土地を探すなかで、
美流渡に出会い、引きつけられるような魅力を感じた。
北海道には珍しい里山のような、心休まる風景を見たことき、
ここに住んでみたいと強く思ったという。
さっそく町内会にかけあったところ、集会所となっていた
炭鉱長屋を使わせてもらえることになった。
かなり傷みが激しい部分もあったが、中川さんの父と達也さんが修繕をし、
パン工房のスペースもつくっていった。

中川文江さんは北海道生まれ。東京で看護師として働き、その後美流渡に移住。パン屋〈ミルトコッペ〉の女将であり、現在はリンパ・ドレナージュ・セラピストとして、美流渡と東京でサロンを開く。
開いたパン屋の名前は〈ミルトコッペ〉。
まわりにはいっさいお店などなく、丘の中腹にポツンと建っており、
お店の立地条件としては、かなり不利な場所のように思う。
しかし、達也さんがつくるパンのファンは日増しに増え、
北海道内はもちろん、道外からも買いにくる人が後を絶たない。
午前中には売り切れてしまうこともしばしばだ。
ミルトコッペのパンは、口に入れた瞬間に香ばしい小麦の香りが口いっぱいに広がり、
さらに噛めば噛むほどに深い味わいを感じるのが特徴だ。
熟成させた天然酵母と小麦に少量の砂糖と塩を加え、12時間かけてじっくり発酵させ、
それを手ごねで生地に仕上げ、レンガの薪釜で焼き上げる。
薪にもこだわりがあり、ナラ材を主に使っているという。

コッペパン、あんぱん、食パンなど素朴なパンが並ぶ。

パンを並べる店舗スペースはそれほど広くなく、玄関口を利用して販売している。
パン屋を開店した当初、経営が軌道にのるまでのあいだ、
中川さんは札幌にOLとして働きに出ることにした。
看護師時代の給料からすると収入は3分の1以下の月10~15万円。
家族4人暮らしていくには心細い金額だが、
「この暮らしがとにかく楽しかった」と当時を振り返る。
中川さんはこのとき37歳。息子さんは10歳と7歳という食べ盛り。
ときには農家の友人から、精米時に出る割れ米を分けてもらったこともあったというが、
それを文化鍋で炊いたおこげご飯は、感動するほどおいしかったという。
また、不要となった家具をもらったり、
古家にもともとあった石炭ストーブを復活させたりと、
一見すると不便な暮らしのいたるところに、新鮮な発見があった。
「日頃、あまりにも恵まれて、それが当たり前となると、
チョッとでも不足したときに不満が生まれる……そんな暮らしとはここは、別世界です。
最初から不足しているから、多少ものがなくたって、不満などなく、
あるものに対しての価値がよりありがたく感じられます。
こうして、暮らしを通して喜びが感じられることはうれしいものです」
これは中川さんがミルトコッペで配布したお便りに書いた言葉だ。
美流渡の暮らしのすばらしさを中川さんはお便りに残し、
やがて『北海道新聞』でも日々の想いを8年にわたって連載したという。

秋に撮影したミルトコッペ。ミントが一面に生え、さわやかな香りがあたりを包む。
























































































