連載
posted:2016.2.20 from:東京都足立区 genre:アート・デザイン・建築
〈 この連載・企画は… 〉
各地で開催される展覧会やアートイベントから、
地域と結びついた作品や作家にスポットを当て、その活動をレポート。
editor profile
Ichico Enomoto
榎本市子
えのもと・いちこ●エディター/ライター。東京都国分寺市出身。テレビ誌編集を経て、映画、美術、カルチャーを中心に編集・執筆。出張や旅行ではその土地のおいしいものを食べるのが何よりも楽しみ。
credit
撮影:ただ(ゆかい)
東京都足立区千住。
古くは日光街道の宿場町として江戸四宿のひとつに数えられ、
いまもところどころに史跡が残る下町風情のまちだ。
ここで、音を通じて人と人とのつながりを深めることをめざし
展開されているアートプロジェクトが〈音まち千住の縁〉。
千住に限らないことだが、人情味あふれる下町も、
高層マンションなどが増え、ひとり暮らしの高齢者が増えると、
どうしても地域の人同士の結びつきが弱くなる。
また、新しく地域に入ってきた人は、
どうやって地域とつながっていけばいいのかわからない。
そんな状況を少しでも改善し、地域で新しいつながりをつくるために
約5年前にスタートしたプロジェクトだ。
これまでも音楽家の大友良英が中心となり、
凧を使って「空から音が降り注ぐ演奏会」を試みた〈千住フライングオーケストラ〉や、
美術家の大巻伸嗣が無数のシャボン玉により幻想的な空間をつくり出す
〈Memorial Rebirth 千住〉などのプロジェクトが展開されてきた。
この音まちで大きな求心力となっているのが、東京藝術大学音楽学部。
旧千寿小学校を改築した千住キャンパスには音楽環境創造科の教室や
研究室、スタジオなどの設備があり、ここに通う学生たちが、
音まちの運営にも携わっている。
音まちは東京都や足立区、NPO、東京藝術大学音楽学部らが
ともに主催するアートプロジェクトであり、
藝大のアートマネジメントを学ぶプログラムにおいて、
プロジェクトの運営を実践で学ぶことができるというわけだ。
「音まち」とプロジェクト名で謳ってはいるが、音を広義に捉えて
多種多様なプロジェクトが同時並行で展開されている。
それらのイベントやプロジェクトをサポートする
ボランティアサポーターが〈ヤッチャイ隊〉。
千住には江戸時代から続く足立市場があり、
「やっちゃ場」と呼ばれてにぎわっていたが、それにかけたネーミングだ。
そのヤッチャイ隊の拠点ともなっているのがコミュニティスペース〈たこテラス〉。
店舗兼住宅だった古い民家を借り受け、ヤッチャイ隊のメンバーたちが
改装したたこテラスは、宿場町通り沿いにあり、
大きなタコの遊具が印象的な〈たこ公園〉の向かいにあるため、
子どもたちも多く出入りする。
近所に住む人たちも立ち寄って、なんとなくお茶を飲んだり、
おやつを食べたり、鍋パーティが始まったり、
もはやアートなど関係なく、幅広い年齢層の人が集まる場所になっている。
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2015年から始まった音まちのプログラム〈千住・縁レジデンス〉。
千住に滞在しながら制作するこの〈千住・縁レジデンス〉のアーティストのひとり、
久保ガエタンさんの展覧会『記憶の遠近法』の会場も、たこテラスだ。
フランス人の母親を持つ久保さんは東京生まれ、東京育ち。
東京藝術大学出身だが、千住キャンパスに来たことはあったものの、
あまりこの地域になじみはなかった。
その久保さんが、このあたりを歩きながらリサーチし、着目したのが“お化け煙突”。
お化け煙突とは、かつて千住にあった東京電力千住火力発電所の4本の煙突のことで、
見る角度によって2本にも3本にも見えることから、その名がついたという。
千住のシンボルだった煙突は惜しくも1964年に解体され、
いまや地域の人々にも忘れ去られそうになっている。
もともと“ポルターガイスト現象”にヒントを得た作品など、
超常現象やオカルトに興味を持つ久保さんは、
お化け煙突というネーミングに惹かれて調べるうち、
この千住のシンボルを“輪廻”させようと思いついたという。
「若い人はお化け煙突のことを知らない人も多い。
いまはモニュメントとして残ってはいるけど、
千住の子どもたちも触れてもらえるようなものに輪廻させたいと思いました」
解体された煙突の一部は、千住にある帝京科学大学の敷地に、
モニュメントに姿を変えて残っている。
今回特別に許可を得て、その一部を少しだけ削り取らせてもらい、
それを粉末にして釉薬をつくり、その釉薬をかけた煙突型の陶器作品をつくった。
また、制作中にさまざまな人に会い、背景を探るなかで、
お化け煙突の歴史が偶然にも自分のルーツにもつながるという発見があった。
1926年に千住火力発電所がつくられたのは、
それまで使われていた浅草火力発電所が関東大震災で被災し
使えなくなったためなのだが、その浅草火力発電所の発電機は、
アメリカから購入した戦艦の鉄を溶かしてつくったものだという。
その戦艦がつくられたのはフランスのボルドーで、
ボルドーは久保さんの母や祖父母の故郷だというのだ。
そんな不思議な縁で結ばれた壮大なストーリーも、絵図で表現。
借りてきたお化け煙突の青焼き図面とともに、
新たな図も近くの印刷屋に相談して、青焼きで制作した。
そのほかにも、実際にお化け煙突で働いていた人にインタビューした映像を展示したり、
制作の過程そのものが作品ともいえるような展示だ。
これまでの作品づくりでは、大がかりな装置などを使い、
ひとりでスタジオにこもって制作するようなことが多かった久保さんだが、
今回のプロセスはまるで違ったと話す。
「いままでは物質主義のようなところがあって、
物があれば作品だと思っていたのですが、
今回はいろいろな人に出会い、影響し合うことで作品ができた。
作品は物よりも、関係性なんじゃないかと思うようになりました。
自分のなかで、作品のあり方や作品をつくる意味が変わってきました」
人々の記憶の彼方から、千住の地にお化け煙突がよみがえってきたようだ。
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久保さんとともに〈千住・縁レジデンス〉プログラムで活動する
もうひとりのアーティストが友政麻理子さん。
友政さんはこれまで、知らない男性と1回食事をするあいだだけ、
父と娘になるふりをするという映像作品『お父さんと食事』など、
コミュニケーションに関する作品を発表してきた。
今回は、「知らないまちの知らない路地」をテーマに、
千住の路地を舞台に自主映画を制作するプロジェクト
『知らない路地の映画祭』を展開している。
制作するといっても、友政さんが監督するのではない。
映画をつくるのは、あくまで集まった参加者たち。
友政さんは映画のつくり方を教えるわけでも、
こうしてくださいと指示するわけでもなく、すべては彼らの自主性にまかせているのだ。
友政さんは寄り添うように見守りながら、映画づくりを手伝うという役目に徹する。
そもそも、なぜ自主映画だったのだろう。
「映画ではなく、“自主映画”に興味がありました。
自主映画では誰でも何かしらの役割を見つけることができると思うんです。
みんなふだんは職場や家庭があって、そこでの人間関係があって、役割がある。
こうして新しく集まった人たちが何かをつくるときに、
どういうコミュニケーションが生まれるのかということに興味がありました」
友政さんは制作のようすを映像に記録しているが、
このプログラムで完成させる作品は、あくまで参加者たちによる映画。
千住の近隣から集まってきた参加者たちは、
撮影が趣味で映像作品をつくったりしている人、
結婚してものづくりから遠ざかっていた人、
映画づくりをしてみたいという主婦、
なんとなく楽しそうだから来てみたという親子連れなど、実にさまざま。
彼らの活動は、最初はみんなで鍋をつつきながら話をしたり、
千住のまちを散歩したり。やがて、生まれてきたアイデアをもとに、
いくつかのチームができ、それぞれの映画づくりがスタート。
監督やシナリオ担当、出演する役者などの役割も、
自分たちで話し合いながら徐々に決まってきた。
取材に訪れた日も、友政さんはあるチームと一緒にまちを歩きながら
個人商店をのぞいたりしていた。
このあたりはやっちゃ場があったために、卸問屋や、八百屋、
魚屋などの小売店も多く、店の人に聞いた話が映画のネタになったり、
ときにはまちの人に出演を交渉することもあるという。
まだまだ波乱もありそうだが、そんな過程がおもしろいと目を輝かせる友政さん。
現在3月の上映に向けて数本の映画が制作中で、
参加者同士が自主的に飲みに行って相談し合ったりと、
それぞれのチームでの動きも出てきているそうだ。
「自主的に何かをするってすごいと思うんです。
誰に頼まれたわけでもないし、衣食住に関わることとは別に、
自主的に何かをつくって人に見せるって、どういうことなんだろうと。
私自身、美術作家なので、そういうことを考える
きっかけになるかもしれないと思っています」
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音まちで2011年より継続して行われているプログラムが、
音楽家の野村誠さんによる〈千住だじゃれ音楽祭〉だ。
だじゃれ音楽とは、だじゃれや、だじゃれのような感性から生み出される音楽。
言葉ではなんとも説明しがたいが、例えば「ドミノだおし」だったら、
ド=ドの音を演奏、ミ=ミの音を演奏、ノ=「NO」でドミ以外の音を演奏、
だ=打楽器を演奏、おし=惜しい演奏をする、というように、
ことば遊びや、一見関係ないと思われるものを結びつけて音楽を生み出すというのだ。
しかし、なぜだじゃれ? という問いに、野村さんはこう話す。
「高尚な芸術の世界と最も遠いと思われているのが“駄”なもの。
アートは美しくて洗練されているけど、だじゃれは洗練されていないものです。
アートプロジェクトとかコンテンポラリーアートというと、
みんな自分とは関係ないもののように思えてしまうけど、
だじゃれと言われると、あれ? と思うでしょう。
もうひとつは、だじゃれとか言葉遊びって、和歌の掛詞のように、
古来から日本の文学や芸能のなかに受け継がれてきた、ある種、正統派でもあるんです。
だから、正統派であると同時にアートのアウトサイドであるだじゃれを、
アートプロジェクトでやるのはおもしろいと思いました」
野村さんはもともと千住に縁があったわけではない。
ここでアートプロジェクトをやるときに、自分たちがまちに出て行くというよりは、
せっかく藝大があるのだから、ここでおもしろいことが起きて、
そこに人が来てくれたらいいと野村さんは考えたのだ。
「ここに藝大があることはまちの人も知ってるけど、
何をやっているか外からはわからないでしょう。
藝大生だけじゃなくていろいろな人がここに集まって、
わけのわからないことを楽しんでいるような状況が生まれたら、
おもしろいだろうなと思いました。
僕みたいなアーティストを外から呼んでくることも大事だけれど、
藝大にもきっとおもしろい人がいるはずですから」
だじゃれと音楽。この一見結びつきそうにない、
でも楽しそうなプロジェクトに集まったメンバーが〈だじゃれ音楽研究会〉、
通称“だじゃ研”。イベントのたびに募るため、
固定されたメンバーではないが、コアメンバーは十数人。
楽器演奏の経験もばらばらだが、楽器ができなくても、
譜面が読めなくてもできるのが、だじゃれ音楽。
地域も北千住で生まれ育った人もいれば、現在は姫路から通う人もいる。
藝大の邦楽科で、大学院の博士課程に在籍している小川実加子さんは、鼓の演奏家。
藝大の先生の紹介で参加することになったそうだが
「野村さんと初対面のときに、まずは演奏してみましょうと、
即興で一緒に演奏しました。鼓はひとりで演奏することが多いので、
そういう経験はなかったのですが、それが楽しくて」と話す。
石橋鼓太郎さんも藝大の学部生で、春から大学院に進学する。
「高校生のときに野村さんの活動を知り、
音楽を通じて人を開いていくような活動に興味を持ちました」という彼は、
大学に入った当初からこの企画に参加し、演奏ばかりでなく、
プロジェクトの運営にも携わっている。
小日山拓也さんは、ふだんの仕事は音楽とは関係ないが、
さまざまな楽器を操る、だじゃ研の中心的メンバー。
趣味で楽器づくりもする小日山さんは、幼稚園などで
子どもにもできる手づくり楽器のワークショップなども開催している。
こんなユニークなメンバーが中心となり、
2014年に成功させた音楽祭が〈千住の1010人〉。
文字どおり、千住に1010人の人を集めて演奏するという、
壮大なだじゃれプロジェクトだ。
実際に1000人の人を集めるというのはとても大変なこと。
そこでプレ企画としてさまざまなイベントを開催しながら、
多くの人を巻き込んでいった。
そんななかで生まれたのが小川さんの考案した『すっぽんぽん体操』。
小川さんが大学院で研究する教育普及のテーマとも重なるもので、
初心者でもわかりやすい歌と踊りで、
「すっぽん、すっぽん、すっぽんぽん」と、鼓のリズムを簡単に習得できるというもの。
小日山さんが作曲し、だじゃ研の名曲となった。
イベントやワークショップを経て、音楽祭の当日に集まった1010人の楽器は、
弦楽器や管楽器、打楽器だけでなく、炊飯器やフライパンなどの日用品までさまざま。
小日山さんがつくった70個の紙太鼓も使われた。
野村さんと交流のあるタイの音楽家アナン・ナルコンさん、
インドネシアの音楽家メメット・チャイルル・スラマットさんも参加し、
だじゃれを織り交ぜ、紙飛行機や凧、犬の鳴き声まで加わった音楽が、
足立市場で奏でられた。
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そして今年度のだじゃれ音楽祭は、タイ音楽とのコラボレーションを展開。
昨年末にだじゃ研のメンバーの一部が「熱タイ音楽隊」として
タイに一週間リサーチ旅行を敢行した。
旅行といっても、観光はほとんどしなかったそう。
毎日、博物館や大学、ライブハウスなど違う場所に出かけては、
音楽家や学生などさまざまな人たちと一緒に演奏し、交流してきた。
音楽家が貧しい地域の子どもたちを集めてオペラづくりをしている現場を訪れたり、
タイの人たちと一緒に『すっぽんぽん体操』をしたり。
ライブハウスでは、みんなでの演奏のほか、それぞれのメンバーが
野村さんと即興演奏するという初めてのことにも挑戦。
なかなか体験できることではない。
「彼らはプロの演奏家ではないけれど、もう単なる素人ではないんです。
言ってみれば百戦錬磨の素人(笑)。
多くのプロの人も経験したことのないような音楽体験をしています。
ある限られたレパートリーを表情豊かに演奏するという意味では、
プロの音楽家でも簡単には到達し得ない領域に達していると思います。
本人たちはそれに気づいていないままやってますけどね」と野村さん。
そのタイツアーで得てきたことを発表する場が、
2月21日に藝大千住キャンパスで行われるレクチャー&コンサート
『熱タイ音楽隊の一週間』。
映像やトーク、演奏をまじえながら、タイで出会った最新音楽事情を紹介する。
「僕らが見てきたタイの最新音楽事情は、
音楽ライターがぱっと取材してわかるようなことではない。
単に話を聞くだけでも見学するだけでもない、
もっと深く突っ込んでいって体験したからわかることがあるんです。
ゲリラ突撃調査隊ですよ(笑)。ここで報告されることは
おそらく日本のどこでも報告されていないことだと思います。楽しみにしてください」
もともと東南アジアなどでも多く活動してきた野村さんは、
ここ千住でのプロジェクトでも国際交流をしようと当初から考えていたという。
「今回のツアーを経て、バンコクの高校生が東京に留学しようかという話も出ています。
僕らは外国の人たちに対してまだまだやさしい国になっていない。
藝大を、日本という国の伝統や文化を、
外国の人たちに対してどう開いていくかというのは大きな課題です。
こういうプロジェクトを通して、もっと開いていくことが
できるんじゃないかという予感があります。
今回のツアーでは、だじゃれ音楽で育んだものを、
ほとんど言葉が通じない人たちと一緒にやることができた。
それは音楽の強みだし、これからもっとそういうことが始まっていくと思います」
このプロジェクトは続けていかなければ、と野村さん。
「4年でここまできたから、あと4年したら、
もっととんでもない何かが始まっているような、そんな予感がします。
海外だけではなくて、日本のほかの地域ともどうつながっていくかが、
ひとつの大きなポイントだと思います。
コミュニティは、親密になったり関係が強化されればされるほど、
逆に閉じてしまったり内輪になってしまう危険性がある。
常に開くことを意識して、千住とバンコク、
千住と日本のどこかでだじゃれ音楽をやっているよ、ということになればおもしろい。
タイでできたんだから、今度は国内でツアーをやってもいいかもしれないですね。
バス旅行で(笑)」
スタートから5年目を迎えた音まちでは、
まちの人が主体的に動くなど、変化が見られるようになってきたという。
イベント開催時の場所の交渉や、機材の準備なども、
事務局がすべてお膳立てするのではなく、「次はどうしようか?」と、
まちの人たちが自分たちの活動として取り組むようになってきているのだ。
メンバーの入れ替わりはあるものの、少しずつ新しいつながりが生まれ、
継続してやってきたことの効果が徐々に表れている。
東京藝術大学音楽環境創造科教授で音まちのプロデューサーを務める
熊倉純子さんは、こう話す。
「サポーターチームのヤッチャイ隊など、
千住に在住・在勤でもまちに関わっては来なかった人たちが、
プロジェクトの外でもまちで活躍されているのが、頼もしい限り。
千住は江戸時代から宿場町として栄えた古い地域で、人情の篤い土地柄です。
千住らしいユニークさを掘り出してプロジェクトにつなげていければと思っています」
これからも人と人とをつなぐ、温かくユニークなプロジェクトが、
底知れぬパワーを秘めた千住の地から発信されていく。
information
久保ガエタン
記憶の遠近法
会期:2016年1月23日(土)~3月13日(日)
10:00~19:00(土日月・祝日のみ開催)
会場:たこテラス(東京都足立区千住4-20-6)
information
大巻伸嗣
くろい家
会期:2016年1月30日(土)~3月13日(日)
10:00~17:00(土日月・祝日のみ開催)
会場:くろい家(東京都足立区千住仲町29-4)
information
野村誠
千住だじゃれ音楽祭 国際交流企画第3弾:タイ調査篇
レクチャー&コンサート『熱タイ音楽隊の一週間』
日時:2016年2月21日(日)15:00~17:00(14:30開場)
会場:東京藝術大学千住キャンパススタジオA(東京都足立区千住1-25-1)
information
友政麻理子
知らない路地の映画祭
会期:2016年3月11日(金)~3月13日(日)
昼の部 14:00~(開場13:30)
夜の部 18:00~(開場17:30)
(3月11日は夜の部のみ開催)
会場:千住庁舎 会議室〈旧ミリオン座〉(東京都足立区千住仲町19-3)
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