連載
posted:2016.1.7 from:茨城県水戸市 genre:アート・デザイン・建築
〈 この連載・企画は… 〉
各地で開催される展覧会やアートイベントから、
地域と結びついた作品や作家にスポットを当て、その活動をレポート。
editor profile
Ichico Enomoto
榎本市子
えのもと・いちこ●エディター/ライター。東京都国分寺市出身。テレビ誌編集を経て、映画、美術、カルチャーを中心に編集・執筆。出張や旅行ではその土地のおいしいものを食べるのが何よりも楽しみ。
credit
撮影:ただ(ゆかい)
水戸芸術館現代美術ギャラリーで開催中の展覧会『3.11以後の建築』。
2014年11月から2015年5月にかけて
金沢21世紀美術館で開催された展覧会の巡回展で、
東日本大震災以後、建築家たちはどう建築と向き合ってきたのか、
そしてこれからの時代の建築について考えるような内容だ。
建築家の選定と展覧会の構成を手がけたゲスト・キュレーターは、
建築史家で建築評論家の五十嵐太郎さんとコミュニティデザイナーの山崎亮さん。
そして2015年11月23日、水戸芸術館でこのふたりによるトークショーが行われた。
五十嵐: この展覧会は金沢21世紀美術館の開館10周年記念の
第1弾の企画として、昨年開催されました。
半年という長い期間ではありましたが、入場者が10万人を超えたそうで、
通常の建築展では考えられない数字です。
でもおそらくこの展覧会でなくても観光客が多く訪れる美術館だからでしょう。
もともとはパリのポンピドゥーセンターが企画した、
作家中心主義で形が個性的なデザインに着目した建築展
『ジャパンアーキテクツ』という展覧会を同美術館で開催することになったのですが、
現在の建築はそれだけではないだろうと。
特に東日本大震災後、より建築と社会との関係が強く意識されるようになったときに、
それだけでは不完全ではないだろうかと、
金沢21世紀美術館側で、鷲田めるろさんという学芸員が企画し、
『ジャパンアーキテクツ』と同時開催された展覧会です。
それで僕と山崎さんにゲスト・キュレーターとして声がかかったわけです。
山崎: 五十嵐さんとはいろいろなところでお会いしていましたが、
一緒にプロジェクトをやるのは初めて。金沢21世紀美術館は
美術や建築にそれほど関心のない人も訪れるような美術館ですから、
建築家ってこんなおもしろいことをやってるんだ、
形のことだけ考えているんじゃないんだ、ということを
一般の人たちに知ってもらえるような展覧会にしたいという話を最初にしましたよね。
五十嵐: それで鷲田さんとわれわれ3人で、
こんな建築家を入れたらいいんじゃないかと選んでいきました。
実際に山崎さんが一緒にお仕事をしている建築家もいらっしゃいますね。
青木淳さんや乾久美子さんもそうですが、現在進行形のプロジェクトの場合、
通常は完成予想図というものがあるんですが、
この展覧会のおもしろいところは、それがない。
あくまでどういう風にプロジェクトを進めているかという、
やり方を展示しているんですね。
特に青木さんは、金沢での展示では映像だけでしたが、
今回一番パワーアップした展示になっていると思います。
ちなみにこの水戸芸術館は磯崎新さんによる設計ですが、
青木さんは当時、磯崎事務所のメインのスタッフとして携わっているから、
思い入れが強いんでしょうね。
山崎: そうですね。公共建築ってまず建築物を建ててから、
こういうのができたけどどう使う? というように
使い方が充分に考えられていなかったり、政治家や行政が主導して、
地域の住民はあまり話を聞いていないことが多かったんですが、
最近はそうでもなくなってきました。
この青木さんの十日町のプロジェクトは僕も関わっているんですが、
2年くらい市民が活動をしています。
ふたつある建物を市が買い取ってリノベーションし、
市民が交流したり活動の拠点にしようというプロジェクトですが、
設計者のプロポーザルから市民と一緒にやっているんです。
設計者に見て考えてもらうために『まちなかコンセプトブック』という
資料となる冊子も市民がつくって配布して、
これを見てもらってから設計者にプレゼンしてもらう。
市民のなかにグラフィックデザイナーもいるから、
自分たちでそういうことができるんですね。
それで青木さんが選ばれてプロジェクトが始まったんですが、
通常だったら、東京の設計事務所で設計して、現場に指示する。
青木さんはそれを逆にしたんです。もうコミュニティもできているんだし、
市民に建築家もデザイナーもいるんだからと。
十日町に青木淳事務所十日町分室、通称「ブンシツ」と呼ばれる場所をつくって、
青木さんの事務所の若者ふたりが住み込み、
そこで設計の段階から市民と一緒につくっているんです。
金沢では、東京で設計している青木さんの映像と、
十日町のブンシツにいろいろな人が出入りしている映像を並べて展示していましたが、
今回は、市民の人たちとの交流の痕跡がわかるような、
ブンシツを再現した展示になっています。
Page 2
――金沢とは違う展示になっているということで言えば、
西村浩さんのプロジェクトもそうです。
金沢では西村さんが佐賀県で展開されている〈わいわい!!コンテナプロジェクト〉を
展示していましたが、今回の水戸では〈Re-原っぱ〉という、
空き地をどう有効活用していくかというプロジェクトを紹介しています。
山崎: タイトルが変わったということがまず象徴的ですよね。
つまり、コンテナを利用した〈わいわい!!コンテナプロジェクト〉という建築単体から、
都市計画レベルまで話が広がってきています。
西村さんは佐賀出身で、大学で土木を学んでから建築設計事務所に勤め、
その後、土木と建築の両方を手がける〈ワークヴィジョンズ〉を立ち上げた方です。
あるとき佐賀に戻ってみたら、昔は人がたくさん歩いていたまちに、
ほとんど人がいなくなって、やたら駐車場や空き地になっていたということに
衝撃を受ける。これがもし、原っぱや公園になったら、
すてきなまちになるんじゃないかと、西村さんは夢想するわけです。
それで、まず空き地に芝生を張って、その中にコンテナを改装した
〈わいわい!!コンテナ〉というコンテナを設置し、
雑誌を50種類くらい置いて、人が集まる場をつくった。
すると、まわりにもお店ができて、にぎわってくる。
展示でも紹介していますが、いまこの通りが少しずつ新しくなっていってるんですね。
おおむね西村さんが設計していて、西村通りみたいになってる(笑)。
さらに西村さんはこのあたりの土地を自分で買うことを考えているようです。
どういうことかというと、いま確実にこのあたりの土地の価値は上がっています。
公園が増えて、まちなかに人が戻ってきて、商業が増えていって、
土地の価値が少しずつ上がっていくことに連動して、
自分たちが持っている土地の価値も上がっていく。
そこで得た利益を、単にもうかったと喜ぶのではなくて、
もう一度まちのためになることに再投資していくというような、
お金の流れをつくろうとしているのではないかと思うのです。
そういう循環をつくらないと、いつまでも市役所が税金を投入して
まちづくりをするということになってしまう。
そろそろ、そういうことから脱却したいねということなんだと思います。
ほかにもリノベーションでまちづくりをしている
〈ブルースタジオ〉の活動も展示で紹介していますが、
そんな風に、新しい建物を建てて設計にこだわるだけではなくて、
限られたプロジェクトを通じて、それが地域にどういう波及効果を生み出して、
どんなお金の流れを生み出すのかというところまで考えた建築家が、
いま地方から出始めていますね。
五十嵐: 実はこれは意図していなかったことなんですが、
この展覧会にはほとんど東京のプロジェクトがないんですね。
岡啓輔さんが、東京の三田でひとりでつくり続けているビル
〈蟻鱒鳶ル(アリマストンビル)〉と、日建設計のソニー大崎ビルは東京ですが、
これらもいわゆる建築家がつくった作品ではないし、
あとは基本的に地域のプロジェクト。
ふつうは建築展というと東京が中心になりがちですが、
この展覧会は結果的におもしろいと思って選んでいったら、東京がほとんどなかった。
そんなことからも、いま地方都市や地域で起きていることに、
新しいことや、解くべき問題、建築の可能性があるのではないかと思います。
山崎: 僕は関西を拠点に活動をしていますが、
関西は東京よりも早く景気が悪くなりましたから、新しい建物があまり建たないんです。
だから地方の建築家は新しい建物を建てるという機会に出会うことがあまりない。
すると、だんだん建築以外のことをするようになるんですね。
僕もそのひとりですが、設計が始まるより前の段階、
例えば住民の意見をまとめてどう設計につなげていくかとか、
まちづくりの活動につなげていくかとか、
都市計画みたいなところに住民の意見を反映させていくというような仕事に
シフトしていく人もけっこういるんです。
だから建築の設計図面をつくっているだけではない建築家が、
地方には多いのではないかと思います。
たまたまおもしろいなと思ったプロジェクトをよく見ていくと、
地域のものが多かったですね。
Page 3
――東日本大震災で建築家たちは東北でどのようなリアクションをとっていて、
いま建築界にどんなことが起こっているのでしょうか。
五十嵐: 震災や津波というのは特殊事例ですけど、その結果引き起こされていること、
つまり人口が急激に減っていったり、ある意味で20年後、30年後に
考えなければいけない問題を前倒しで考えなければいけない状況になっている。
必ずしも震災を特殊事例としてだけ見るのではなくて、
各地域で共有可能な問題だということがわかったと思います。
展示では、伊東豊雄さんを中心とした『みんなの家』プロジェクトや、
〈アーキエイド〉(東日本大震災における建築家による復興支援ネットワーク)
の活動を紹介していて、これらは東京から来た建築家や研究者たちが
被災地で活動しているという事例です。
一方、もともと地域にいる建築家も紹介していて、
例えば〈はりゅうウッドスタジオ〉は福島を拠点とする建築事務所で、
会津の山奥に事務所がありますが、製材所も隣にあって、
地元の木を使った建築をつくっています。
彼らは大量の木造仮設住宅をログハウスの形式でつくっていて、
その展開から「縦ログ」という構法を考えました。
今回展示している黒い壁はアートインスタレーションのようにも見えますが、
縦ログで組んだもので、建材として使えるか、
火を1時間くらいあてるという試験をしたものです。
被災した経験を構法のレベルまでもっていき、なおかつ、福島の木を使いながら
地元に産業をつくっていくというところまで展開している事例ですね。
山崎: 展覧会のタイトルは『3.11以後の建築』ですが、
僕は阪神淡路大震災のあった1995年以後という風に捉えています。
95年以降、関西では建築の分野で変化が起こってきたように感じていますが、
東京とはずっとギャップを感じていました。
95年当時まだ学生だった僕は、これから建築をやっていこうというときに、
2種類の道で悩んでいました。ひとつは絶対倒れない建築を建てる。
もうひとつは、震災のあとみんなで寄り添って
協力し合いながら生活している人たちを見て、
こういう人と人とのつながりが震災後にできるのだったら、
ふだんからこの1割でもあれば、何かあったときに助け合えるんじゃないか、
こういうつながりみたいなものをデザインできる建築家になれないだろうか、
ということです。
結局その後、1年留学して、それから2年大学院に行っても答えが出せず、
建築設計事務所に就職しました。
それからも、関西の同世代の建築家たちと集まっては、
これからの建築はどうあるべきか、建築家の役割って何だろうということを、
若気の至りで朝まで語り合ったものです(笑)。そんな気運が関西にはあって、
人と人のつながりをつくるというデザイナーがいてもいいんじゃないかと、
阪神大震災の10年後、2005年に僕は独立して〈studio-L〉を設立しました。
僕のなかで、3.11以後の建築で大きく変わったのは、
関西の僕らが考えていたようなことに共感してくれる
東京の建築家がものすごく増えたということ。
いままでは、コミュニティとか社会の課題とか住民参加型なんて、
と言われていたのが、すんなりと受け入れられるようになったのが驚きでした。
ですからやはり人間というのは、身近で起きたことでなければ、
リアリティを持ってそれについてしっかり考えることができないんだ
ということがわかりました。
それがいいとか悪いとか、どっちが進んでいるということではなくて、
自分の人生の問題としてそれを捉えて、
自分はどう生きるかというところまで捉え直すことになるには、
物理的な距離はやはり大事なんだなと、いま思えばわかりますね。
Page 4
――これからの建築家はどのようなことに取り組んでいくのか、
また取り組んでいくべきだと思われますか。
山崎: 建築家があまり取り組まなさそうなことに取り組んでほしいですね。
そのひとつとして大きいと思っているのが地域包括ケアです。
これはまちづくりと、地域の医療・介護・福祉を合体させようというもので、
厚生労働省のフィールドですが、現状は全然デザイン的な発想がないんです。
厚労省は介護関係者や福祉関係者は集められるけれども、
まちづくりの知見がないのでどうしたらいいかわからない。
でも厚労省の分野だけに国交省の人は興味すら持っていない。
厚労省は「これから増える高齢者の世話を地域ぐるみでできるしくみをつくりなさい」
と市町村に言うけれど、市町村もわからないから
「やり方を教えて」と言われても、厚労省もわからないというのが、
いまの地域包括ケアの実態です。ここで建築家が何かできないだろうかと思いますね。
2025年、あとわずか10年後に、団塊の世代と言われる世代の人たちが
全員75歳以上になります。10年後に、認知症の人も安心して徘徊できるまち、
“認知症フレンドリーシティ”みたいなまちをどうやってつくっていくのか。
僕らは平均的に90歳まで生きることになっていますから、
65歳になったときに、余生であと10年くらい地域で過ごすのかなと思っていたら
大間違いで、それまで働いてきた以上の時間を地域で過ごすことになるわけです。
そのときに、建築家の役割は変わっていたほうがいい。
これからどんなことができるかわからないですが、
建築家って、建物の形を決めていくだけではなくて、
その発想力でいろいろな問題を解決しながらアイデアを生み出していく人たちですから。
この人たちが2025年の問題にどうアタックしていくのか。
とりわけ地域包括ケアという、まだ何のモデルもなくて
建築やデザインの専門家ではない人たちばかりが集まって議論している分野に、
この手があるよと見せてくれるアイデアに期待したいです。
五十嵐: 状況としては、90年代後半からじわじわと日本の社会をとりまく環境、
あるいは建築をとりまく状況が変容し始めていて、その象徴的な出来事として、
可視化されやすくなったのが3.11だったのだと思います。
もちろん日本の経済状況もありますし、戦後ずっと建築をつくり続けてきて、
公共施設もあらかたできているし、これまでの建築家とは同じモデルでは
立ち行かないということは、現実問題としてあると思います。
建築家も半ばサバイバルのような状態ということですね。
そうやってサバイバルしていくなかで、
かつてはあまり建築の仕事と見なされなかったもの、
インテリアやリノベーションといったことも、
いまの建築家はある意味、勝負作という心構えでやっています。
今回、浜松でいくつもリノベーションを手がけている
〈403 architecture [dajiba]〉も紹介していますが、
彼らはまだ建築をつくってないんじゃないの、と言われてもおかしくない。
でも『新建築』の吉岡賞という新人賞をとっていて、
それはとても画期的なことだと思いますが、
これまであまり建築の仕事とは思われていなかったような仕事を、
どうやっていくかというのは重要になると思います。
それと、新国立競技場の問題もありましたが、どうしても社会において、
建築の説明可能性、アカウンタビリティが求められるようになっている。
なぜこれをつくるのかということをお互いに確認して共有し、
説明可能にしていくというプロセスが大事になってくると思います。
そういう意味では、今回、藤村龍至さんが提案しているモデルは
ひとつの回答ではあると思います。
模型をたくさんつくって、そのプロトタイプのなかから、
市民と一緒にパブリックミーティングをして選抜していく。
集合知を集めていきながら案を収斂させていくというやり方です。
あれが唯一の正解とは思わないけれど、説明可能性ということで言えば、
最もクリアに示している例だと思うし、
今後そういうことが求められていくのだろうと思いますね。
現在の社会状況のなかで大きな災害が起きたことによって見えてきた、さまざまな問題。
建築家と建築にはまだまだできること、すべきことがあるのではないか、
そんなことを考えさせられる展覧会。
気鋭のふたりがこめた思いを、会場で感じとってほしい。
information
3.11以後の建築
Feature 特集記事&おすすめ記事