連載
posted:2016.2.3 from:長野県飯山市、長野市ほか genre:活性化と創生
〈 この連載・企画は… 〉
ひとつのまちの、ささやかな動きかもしれないけれど、創造性や楽しさに富んだ、
注目したい試みがあります。コロカルが見つけた、新しいローカルアクションのかたち。
writer profile
Hiromi Shimada
島田浩美
しまだ・ひろみ●編集者/ライター/書店員。長野県出身、在住。大学時代に読んだ沢木耕太郎著『深夜特急』にわかりやすく影響を受け、卒業後2年間の放浪生活を送る。帰国後、地元出版社の勤務を経て、同僚デザイナーとともに長野市に「旅とアート」がテーマの書店〈ch.books〉をオープン。趣味は山登り、特技はマラソン。体力には自信あり。
世代交代が進む日本酒業界。歴代名杜氏の高齢化が進むなかで
意欲的な若手職人が続々と誕生し、代替わりを果たしている。
なかでも意気軒昂なのが、長野県内で2015年1月に結成した
昭和59(1984)年度生まれの酒蔵跡取り息子5人によるユニット
〈59醸(ごくじょう)〉だ。
長野県には82の酒蔵があり、新潟県に次いで全国2位の多さを誇る。
しかし県内の日本酒の消費量は全盛期だった昭和50(1975)年の3分の1まで減少。
「造れば売れる時代」は終わり、ライフスタイルは多様化が進んだ。
そんななかで生まれ育った彼らは、時代の移り変わりを的確に読み取り、
市場ニーズに即したものだけが選ばれ生き残ることを自ずと感じていたのかもしれない。
それと同時に、それぞれが小さい蔵ながらも独特の持ち味を生かした酒造りをするなかで、
30代に突入したばかりの彼らは、ある程度の経験を備えつつ
新しいことへのチャレンジを恐れない若さもあった。
〈59醸〉は、そうした価値観を共有する仲間の集合体だ。
発起人は、長野県最北端の蔵元で、日本有数の豪雪地帯、
飯山市にある〈角口酒造店〉の専務・村松裕也さん。
”醸造学科”で知られる東京農業大学を卒業後すぐに家業に入り、
25歳にして杜氏に就任すると、さまざまな企画や商品展開で
蔵の酒質を向上させて県内外へと活動の幅を広げてきた。
そんな村松さんが全国の酒蔵を見渡して気づいたのが
「同世代の蔵元後継者が多い」ということだった。
「実は全国的に見ても、同学年の跡取り息子は多いんです。
そこで一堂に会して何かできたらおもしろいのではないかと、
他県の酒蔵にも呼びかけたら、それぞれの個性が強すぎて
まとまらないと気づきました(笑)。
でも、長野県内だけでも十分に人数が揃うので、
長野県でやってしまおうと思ったんです」
こうした村松さんの呼びかけに集まったのが、
長野市〈西飯田酒造店〉9代目の飯田一基さんと
〈東飯田酒造店〉6代目の飯田淳さん、
中野市〈丸世酒造店〉5代目の関晋司さん、
上田市〈沓掛酒造〉18代目の沓掛正敏さんだ。
それは、ちょうど全員が30歳になる2014年の夏のことだった。
そもそも、村松さんが同世代で集まろうと考えた目的のひとつは
「長年にわたり親しまれてきた日本酒を若者に普及させ、
ひとりでも多くの人に好きになってもらいたい」ということ。
同じ時代・境遇を生きる仲間でありライバルであるからこそ同じ思いを共有し、
企業の枠を超えて「この年代だからできるもの」があるのではないか。
そんな願いが込められていた。
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5人が集まって決まったことは
「この冬に長野県産の酒造好適米〈美山錦〉を使い、
精米具合59%のオリジナル純米吟醸酒を各酒蔵でリリースしよう」というもの。
ここまでは順調に運んだそうだが、ここからが大変だったという。
「プロジェクトの進め方がわからないままに、
それぞれが仕込みの時期(冬期)に入ってしまいました。
僕らは全員が小さな酒蔵で、冬場、自分の蔵の製造現場を離れることは難しい。
そのまま次の手が打てず暗礁に乗り上げかけていたときに、
ふたりもの知り合いから同世代のグラフィックデザイナーである
轟理歩さんを紹介していただいたんです。
これで方向性が見えてきました」(村松さん)
昭和59(1984)年生まれの轟さんは、これまで勤めていたデザイン事務所から独立し、
〈Reach〉という屋号でスタートを切ったばかりの新進気鋭の若手デザイナー。
そんな轟さんと連絡を取り合い、いままで手がけた作品や
ブランディングについての話し合いを重ねるうちに、
村松さんは「この人に進行をお願いしよう」と決意した。
そこからはトントン拍子で話が進んだという。
信州59年醸造会、略して〈59醸〉というユニット名も轟さんの発案だ。
「5人でも名称を話し合いましたが、ぴたっとくる名前がなかったんですよね。
そんななかで理歩さんから〈59醸〉という名前が提案されて、
意味も響きも良くて、しっくりとハマった感じがしました」(飯田一基さん)
こうして5人はそれぞれの酒造りに励み、
轟さんはプロジェクトコンセプトやメディア展開、今後のスケジュールを考え、
それとともにロゴマークやチラシ、前掛けなどのグッズと、
各蔵の酒の〈59醸〉ラベルを制作。
春になって酒造りが落ち着くと一気にプロジェクトを進め、
2015年5月には長野市と東京銀座にある長野県アンテナショップ〈銀座NAGANO〉で
オリジナル純米吟醸酒〈59醸酒〉のリリースイベントも主催した。
反響はかなりのものだった。県内外での各種メディアでも取り上げられ、
その結果、これまで日本酒に興味がなかった層にも
〈59醸〉の知名度が浸透した手応えがあったという。
「地元のスーパーマーケットでも知らない方から声をかけられたり、
長年交流がなかった同級生から電話がきたりと、
顔が知られた反響は大きかったですね」(飯田淳さん)
また、自身は会社の経理面を担当し、酒造りは弟が担っている沓掛さんも
「周囲から『お兄さんもいるのね』といわれるようになって、
〈59醸〉のおかげで世間に存在が知られるようになりました(笑)。
それに普段はなかなか外に出る機会がありませんが、〈59醸〉で外に出たことによって
飲み手の希望を直に聞けたのも大きかったです」という。
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もちろん、誰もがイベントなど主催したことがなかったうえに、
酒造りをしながらの企画や準備は苦労も多かった。
しかし、村松さんも「〈59醸〉を立ち上げてよかった」と笑顔を浮かべる。
「ひとつの企業ではこんなに取り上げてもらえることがないので、
とにかく1年目は『無事終えることもでき、やってよかった』という気持ちですね。
たとえ自分の蔵の銘柄は覚えてもらえなくても
『〈59醸〉の人』として覚えてもらえるやり方もあるのだな、と。
それに、あれだけメディアで紹介してもらうと、
会社内部のモチベーション向上にもつながりました」
関さんも続ける。
「うちは家族だけで酒造りをしているから、何か提案をしても返答が予測できて
『違う答えを求めているのに、なかなか議論ができない』と思っていました。
でも〈59醸〉では普通に意見を言い合えるのが新鮮で、とてもいい刺激でした。
酒造りでもいろいろなヒントが得られましたし、
自社のプロモーションで困ったときも『みんなはどうしているかな』と
考えることができて、家族にもいい影響がありましたね」
その反面、関さんは「全員で同じ条件の酒を完成させる」という縛りには
緊張感もあったという。
「いままでは前年と比較しながら、漠然とイメージを思い浮かべて
数量や酒質を決めていましたし、もし失敗してもブレンドという解決策がありました。
でも〈59醸〉の酒はそうはいきません。
だから『ちゃんとした酒を造らないといけない』と、
より深く考えた酒造りができ、いい意味でのプレッシャーもありましたね」
こうした思いは5人共通のものだ。村松さんも
「5人が並ぶことで、来場者からは『お宅の蔵はどんな酒を造っているの』
と聞かれることが多々ありました。だから1年目は、それぞれが
自分の蔵の特徴を明確に再認識した年になったのではないでしょうか」と話す。
その言葉を受けて、関さんも続ける。
「みんなが一緒の条件で酒造りをするから、
お客さんからほかの4蔵との違いを聞かれることが非常に多くて、
確実に比較されました。だから自分の蔵の特徴を深く考えましたし、
その違いを自ら説明できないとダメだとも自覚したんです。
それに、いままでは自社の商品のなかで辛口、甘口と判断していたけど、
〈59醸〉ではお客様に『甘口』と説明しても
『あっちの酒のほうが甘い』と言われてしまうんですよね(笑)。
だから『甘口のなかでも、よりこういう香りや風味がある』
と伝えないといけないこともわかりました」
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こうしてそれぞれが個性豊かな酒を生み出し、反省もありながらも
手応えをつかんだ1年目を経て、彼らは現在、2年目の酒造りに突入している。
今回は〈ひとごこち〉という酒米を使って、前年と同じく
59%の精米具合の純米吟醸酒を醸造することが酒造りの条件だ。
このひとごこち(人心地)には「ほっと、くつろいだ感じ」という意味があり、
品種自体もキレがいい美山錦に比べてふくよかでやわらかい味わいの酒ができるという。
「この酒米で仕込むことで、もっともっと気軽に楽しめる
日本酒ができることをイメージしました」と村松さん。
1年目の経験を得た彼らが次年度ではどんな酒を醸すのだろうかと、
飲み手としては自然と期待がふくらんでしまうが、
今年はさらに若い世代にリラックスした雰囲気で日本酒を楽しんでもらおうと、
野外イベントの開催も予定しているという。
「屋台をたくさん用意して、地域の商店街も絡めながら、
子どもも大人も楽しめるイベントができたらいいですよね」
同世代で同じ経験を積んできたからこそ気負いなく自由に発言ができ、
あれこれと思いを巡らす彼らからは、ワクワクとした熱意と充実感が伝わってくる。
このように2年目もまた飛躍をめざしている彼らだが、
実は活動期間は10年間と決めているそうだ。
それはちょうど全員が40歳になる年にも当たる。
「いまはみんな知名度が低い蔵だけど、この10年間で土台を築いて、
それぞれが〈59醸〉に頼らずに活動ができるようになれたらいいと思っています。
そしたら今度は、楽しそうなことを始める若手にこのポジションを譲らないといけない。
自分たちがいつまでも甘い汁を吸っているばかりではいけませんからね。
その代わり、この10年はいい思いをさせてもらいたい」(村松さん)
その言葉を聞いて、すかさず
「すると俺は10年後に仕事がなくなっちゃうな」とつぶやく轟さん。
一斉に笑いが起こるも
「やっと終わったって言っているかもよ」と村松さんが返すと
「そう言えるくらいに成長しているといいよね」と轟さんも返答する。
和やかで愉快な彼らの会話。それでも、自分たちの取り組みに対し、
信念と自信をもって前に進んでいることがひしひしと感じられる。
若者を中心に日本酒離れが進んでいるといわれて久しい昨今。
しかし、こんな彼らと話していると、
日本酒業界の未来は明るいと思わずにはいられない。
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