日本酒はもちろん、数々の受賞歴をもつクラフトビールの醸造や
郷土料理レストランの運営など、
「酒」を軸に幅広い事業を手がける岩手県一関市の〈世嬉の一酒造〉。
2017年9月には、平泉町に
直営ビアカフェ〈The Brewers of Hiraizumi〉をオープンし、
来年2018年3月には本社敷地内にビール工場増設を予定している。
さらに今後は、酒蔵としての原点に立ち返るべく
日本酒の新しい蔵づくりにも動きだす。
常に進化&深化し続ける同社の思いを社長にうかがう。
創業は、倒産した老舗酒蔵を引き継いだこと

一関市のまちなかを流れる磐井川沿いに、〈世嬉の一酒造〉はある。
江戸期から受け継がれた古い蔵群を残す2000坪の敷地内には
郷土料理レストラン、ビール工場や博物館などが並び、
一関を訪れる観光客にとってのランドマークともいえる場所だ。
世嬉の一酒造の創業は、1918(大正7)年に遡る。
創業当時は、千厩町で代々続いてきた“横屋酒造”の名で呼ばれていた。
もともと江戸時代からこの地で酒蔵を営んだ〈熊文酒造〉が大正期に入って倒産し、
その経営を横屋酒造の次男・佐藤徳蔵氏(初代社長)が引き継いだのである。
ほどなく、現在の社名“世嬉の一酒造”に変更したが、
そこにはこんなエピソードがある。
「初代の頃に髭の宮様で知られる閑院宮載仁親王殿下が当蔵にお立ち寄りになって。
『世の人々が喜ぶ酒をつくりなさい』という言葉をいただき、
『世喜の一』というブランドのお酒をつくりました。
それを機に、初代が社名変更したんです」
そう教えてくれるのは、現在4代目を継ぐ佐藤 航(わたる)さんだ。

4代目を受け継ぐ代表取締役社長・佐藤航(わたる)さん。
しかし昭和後期、航さんの父・晄僖(こうき)さんが3代目を継ぐことになるも、
酒造業の経営は厳しかった。そんなときに
他企業からは、スーパーやホテルにしたいという話もあがったそうだが、
「貴重なこの蔵を残したい」という祖母の思いを受け、
晄僖さんは、千厩町で順調な経営をしていた
ふたつの自動車学校のうちひとつを売却して資金繰りをし、
世嬉の一酒造の経営を続けた。

蔵のひとつを〈cafe 徳蔵〉として活用中。アンティーク家具に囲まれ、居心地の良い空間。
「資金繰りは常に大変だったようです。もうひとつの自動車学校の利益で補てんし、
現金収入を得るために母がレストランを始め、酒を売るために売店をつくったり
親はいつも忙しく動き回っていました」と振り返る航さん。
中学生から高校生にかけて多忙な両親の姿を見ながらも
自身が酒蔵を継ぐことは想定しておらず、
「順調な自動車学校のほうを継ぐと思っていた」のだとか。

敷地内にある蔵元レストラン。一関の郷土料理が楽しめる。
いち早く、地ビールづくりに取り組むが……
1994年に酒税法が改正されると、ビール醸造免許取得の垣根が低くなり、
全国各地で地ビールづくりに取り組み始めた。
同社を中心にする地元企業もまちおこしの一環として、
1997年に〈いわて蔵ビール〉の販売をスタート。東北2番目の地ビールであり
各地から注目を集めたものの、なかなか軌道に乗らずに3年目で赤字に……。
高校卒業後に首都圏の大学へ進学したのち
船井総合研究所に就職した航さんが実家に戻ってきたのは
ちょうどその頃。30歳だったという。
ビール事業を辞める選択もあったが、辞めるにはお金もかかる。
航さんは大学時代に環境微生物を学んでおり、微生物の基礎知識があった。
そこで自身が工場長となり、たったひとりでビールづくりに再チャレンジし始めた。
「やり始めたらおもしろくて、おかげさまで順調に伸びていきました」と振り返る。






































































































































