代々続く小さなまちの染物店
奥羽山脈と北上高地に囲まれ、まちの中央を北上川が流れる
自然豊かなまち岩手県紫波町。農業が基幹産業となっており、
りんご、ぶどうなどの果物やもち米などの水稲の産地として知られている。

工房裏を流れる滝名川。
農業のまちで昔から人々の暮らしで重宝されてきた染物。
染物屋は、染色に使う糊を洗い流す工程で、新鮮な水が大量に必要とされたため、
川沿いに工房を構えることがほとんど。
紫波町の西部に流れる滝名川のほとりに店舗を構える〈小田中染工房〉もそのひとつだ。

80年以上続く小田中染物工房。
小田中染工房の3代目を務める型染め作家の小田中耕一さん。
反物や手ぬぐいなど先代から引き継いだ地元の祭りなどに使う染物に加えて、
型染めの技法を生かしたパッケージデザインや本の装丁など仕事は幅広い。

「家業は継ぐものだと思っていたから抵抗はなかった」と話す小田中さん。今年で40年目。
宮沢賢治の著書『注文の多い料理店』を出版し、のちに民芸店となった
盛岡市の〈光原社〉が販売する〈くるみクッキー〉のパッケージや、
セレクトショップ〈BEAMS〉のレーベル〈BEAMS fennica〉の広告物なども、
手がけたことがある。

20年以上愛用されている〈光原社〉のくるみクッキーのパッケージも小田中さんによるもの。裏庭にあったくるみの木のスケッチから生まれたものなんだそう。

左は、BEAMS主宰の工芸の展覧会ポスター用に作成し、右は〈手仕事フォーラム〉主宰の展示会のDMに作成したもの。どちらもビビッドな色合のなかに、工芸のぬくもりが伝わってくる。

東京・佃島にある〈つくだ煮処 つくしん〉のパッケージ。長く愛される商品の良さを伝える、素朴であたたかみあるデザイン。
始まりは、麻の野良着の藍染め
小田中染工房は藍染めを行う紺屋として昭和初期に創業。
当時は農家の作業着を藍染めする仕事が主力だった。
藍には抗菌や保湿、防虫などの効果があるため、
野良着やもんぺなどの農作業着は藍で染められていた。
しかし農業の方法が変化し、服装が変わると需要は次第に減少。
「今となっては良いことだったのか悪いことだったのか。
工房を続けていくためにどうしたらいいかと考えた末、
型染め、印染め(しるしぞめ)を始めることになったそうです」
“印染め”とはのれんや手ぬぐい、半纏など商いの目印となる染物のこと。
型染めは、下絵にそって彫った型紙に、
もち米を主原料とした防染糊(ぼうせんのり)を用いて染める、
日本で古くから伝わる染色技法だ。小田中さんの先々代は、
その技法を取り入れるため、外の紺屋で学び習得し、生業とした。

炊いたもち米と糠・石灰・塩を材料として、つくられる防染糊。
上京、そして師との出会い
小田中さんは高校でグラフィックデザインを学び、卒業すると共に上京。
一般的に分業して行われていた型染めの工程をひとりで一貫して行う、
「型絵染」で重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定された芹沢銈介さんのもとへ。
民芸運動を代表するひとりとして知られる芹沢さんは、「型絵染」を確立した第一人者。
一枚の型紙を使って多彩な模様染めをする沖縄の紅型(びんがた)に精通し、
従来の枠にとらわれない技法で独創的な作品を次々と生み出した。
「お客さまに、芹沢染紙研究所に居らした方が来られて、
型染めに興味があるならと勧めていただいたのがきっかけでした。
その方が持参した芹沢銈介自選作品集を見せていただき、
こんなことができるのかと衝撃を受け、すぐに入所を志願しました」

工房に飾られる芹沢さんの写真。小田中さんは芹沢さんを今でも「先生」と呼び、慕っている。
芹沢染紙研究所は、昭和30年、東京の蒲田に設立。
研究所ではカレンダーやはがき、うちわなどを制作し、
「日用品として購入できる、安価なものであること」、
「需要に応じるため、数多くつくられたものであること」など民芸の考え方を実践した。
型紙を整理するお手伝いなどをしながら研究所に8年間在籍。
小田中さんは、芹沢さんの型紙に目を通す中で学んだことがあると言う。































































































































