「歩きたくなる町、てしかが」
その理由は
〈摩周・屈斜路トレイル〉にアリ

歩くスピードだから見えるものがたくさんある

3日間におよぶスルーハイク、2日目の朝は曇り空。

3日間におよぶスルーハイク、2日目の朝は曇り空。

私が暮らす弟子屈町は、面積の3分の2が阿寒摩周国立公園。

素晴らしい大自然の中を巡りながら歩くことができる
ロングトレイルがある。

2020年秋に開通した〈摩周・屈斜路トレイル〉。
通称〈MKT(エムケーティー)〉。

弟子屈町の自然を愛する人たち
〈てしかがトレイルクラブ〉が、長い年月をかけて整備した50キロの道だ。

新緑が眩しい5月下旬、
〈てしかがトレイルクラブ〉がトレイルの確認を兼ねて歩く3日間のスルーハイク。
その中日、SECTION2に同行させてもらった。

今春完成した〈MKT〉マップは、HPからダウンロードできる。

今春完成した〈MKT〉マップは、ホームページからダウンロードできる。

〈MKT〉のスタート地点は、世界有数の透明度を誇る摩周湖の展望台。
そこから始まるSECTION1は、
噴煙を上げる硫黄山を通り、麓にある川湯温泉までの20.5キロ。

そして私が参加したSECTION2は、川湯温泉から始まる22.5キロ。
山手線がすっぽり入る広さの屈斜路湖に沿って森の中、湖畔の砂浜、ときどき舗装路も歩く
平坦だけどバリエーションに富んだコースだ。

朝8時に集合して、4名のガイドを含む計8名で歩き始めた。

1時間ほどで、仁伏(にぶし)温泉の看板が見えてくる。
湖畔には温泉宿や別荘が並び、その一角に〈仁伏半島自然散策路〉
別名「仁伏の森」がある。

入り口には〈MKT〉のカウンターが設置され、ここからルートは、森の中へと入っていく。

弟子屈町の春の訪れは、本州と比べるとかなり遅い。
5月下旬は木々の新芽がやっと出始めた頃。
広がり始めた葉は見つけやすく、足元には、小さな花がたくさん咲いている。

「この木は?」「あの花は?」
8人の間で、次から次へと質問が飛び交う。

イタヤカエデ、ハルニレ、ミズナラ、ハリギリ、ヤマナラシ、ヤマブドウ、etc.

みんなで答え合わせをしながら歩くことの楽しさといったら!

〈MKT〉は今春、
HP上で『MKT MAGAZINE』を始めた。
コンセプトは「読んで、歩くと、面白い。」

自然も森も、知れば知るほど魅力が増す。
歩くことで、目にして触れれば、ますます好きになる。

林床には、さまざまな白い花が咲いていた。こちらはヒトリシズカ。

林床には、さまざまな白い花が咲いていた。こちらはヒトリシズカ。

野生動物の痕跡もあちらこちらに。

野生動物の痕跡もあちらこちらに。

たくさんの鳥の声も聞こえる。
クマゲラ、ヤマゲラ、シジュウカラ、ゴジュウカラ、シマエナガ、etc.

異なる種類の鳥がひとつの群れになる“混群”でやってくることもあり、
とても賑やかだ。

「あそこにいるよ」「あ、こっちにも」……
森の中は誘惑が多くて、なかなか先へ進めない。

選曲もムードもコテコテ、
ストロング・スタイルの
ソウルバー、盛岡〈JODY〉

音楽好きコロンボとカルロスが
リスニングバーを探す巡礼の旅、次なるディストネーションも
岩手県盛岡市。

ポール・マッカートニーで“産湯につかり”、山下達郎でディスコに目覚める

コロンボ(以下コロ): 盛岡の〈JODY〉っていうソウルバーがすごかったよ。

カルロス(以下カル): 〈JODY〉ってネーミング、
達郎さんの「悲しみのJODY」から来ているの?

コロ: いまとなってはそれでもいんだけど、
一応、マスターの澤田明伸さんが好きな、シャラマーのジョディ・ワトリーからだって。

カル: どっちでもいいのか、ゆるゆるだね(笑)。

コロ: そのゆるさが強み。
マスターの音楽人生はポール・マッカートニーで“産湯につかり”、
達郎さんでディスコに目覚めたそうだよ。

カル: 『ラバー・ソウル』のレコードがサウンドチェック用なんだってね。
それも90年代のリイシュー盤。

コロ: マニア的には60年代のUKモノラルがラウドでガッツがあるらしいんだけど。

カル: サウンドチェック的にはどこがポイントなの?

コロ: ポールのベースがガンガンに出ていればOKだって。
リイシュー盤はそれが顕著なんだよ。

カル: ポールには音源にライブと、お店を潰すほど貢いでいるらしいじゃない?

コロ: 90年から来日公演はすべて行ってるばかりか、
あの伝説の武道館のライブだって2回行ってるって。

カル: なんたって、当時(2015年)ですら、SS席は10万円だった。

コロ: ポールのおかげでお店の選曲も大きく変わったらしい。

カル: それ、どういうこと?

コロ:  「エイトデイズ・ア・ウィーク」がオープニングだった2013年のライブは
ビートルズ、ウィングスを含めてとにかくヒットパレードだったの。
それを観たマスターは目が覚めたらしいよ。
やっぱりメジャーな曲は楽しいなと痛感して、考え方を改めたんだって。
とっても素直。

カル: それまでは「もっと聴く音楽があるでしょ」って感じで、
レアものをかけて自己満足に浸っていた自分がいた。
「セプテンバー」とか「ザッツ・ザ・ウェイ」とか、
ダンクラ(ダンス・クラシック)とは距離を置いていたわけだ。

コロ: そのとおり! おかげでお店は、
デルフォニックス、コン・ファンク・シャン、バーケイズ、クール&ザ・ギャング、
シャラマーにギャップ・バンドと、毎晩がコテコテのパーティナイトなんだってさ。

カル: そりゃー、そんだけブッ込めば自然発生的に踊っちゃうよね。
そもそも岩手にソウルバーなんて、一軒もなかったんでしょう。
いまとなってはDJバーの走りみたいだね。

コロ: ステップで踏み荒らされた床の痛み具合を見ればよくわかる。
踊り倒しているんだなって。
マスターいわく、王さんの一本足打法の素振りの跡みたいだってさ(笑)。

カル: おまけに、なぜか天井も壊れてるんでしょ。

〈わざわざ〉 平田はる香さん
「知る人ぞ知るお店」はもう辞めたい。
年商3億円から30億円を目指す

パンは2種類、交通は不便、だけど大人気の店

長野県の東部、佐久市と東御市(とうみし)、小諸市にまたがる
「御牧原(みまきはら)」という場所がある。
古くは平安時代、朝廷に献上する馬を育てる産地として知られたエリアだ。
現在は田畑や果樹園が広がり、八ヶ岳や浅間連山など四方を囲む山々を遠く一望できる。
特に晴れた日は圧巻の景観だ。

その御牧原に、2009年にオープンしたお店がある。
パンと日用品の店〈わざわざ〉だ。
「不便な場所までわざわざ来てくださった」ことへの感謝が、
そのまま店名になっているという。

代表を務めるのは平田はる香さん。都内でDJを志すも挫折して長野に転居。
趣味で始めたパンづくりが徐々に発展し、移動販売、自宅の玄関先での販売、
そして店舗とたったひとりで立ち上げて、
いまでは売り上げ3億円超の企業にまで成長させた人物だ。

御牧原の1号店、パンと日用品の店〈わざわざ〉。入り組んだ店内に厳選された商品が所狭しと並ぶ。(写真提供:わざわざ)

御牧原の1号店、パンと日用品の店〈わざわざ〉。入り組んだ店内に厳選された商品が所狭しと並ぶ。(写真提供:わざわざ)

店内には全国から仕入れた調味料や石鹸、服、器など生活必需品が中心に並んでいる。
無添加・有機など、体や地球環境に配慮したものがほとんどだが、
その方面の知識や興味がある人でも見たことがないような
「マニアック」なものも少なくない。その数2500種類。
こだわりのネットショップでもここまでの品数と品ぞろえは珍しいだろう。

ほかにも特徴はある。
パンを売ることから始まった店なのに、現在扱っているパンは2種類のみ。
さらに公共交通機関がなくアクセスが不便だという、商用地としては明らかに不利な立地。
にもかかわらず、遠方からの顧客もひっきりなしに店を訪れる。
2017年に株式会社化、2020年度には従業員約20名でECを含め年商3億円を突破。
また2019年から2023年にかけて
〈問 tou〉〈わざマート〉〈よき生活研究所〉と店舗を出店。
話題と注目度は際立っている。

2号店〈問 tou〉。ギャラリー、喫茶、書店を併設。店名は「モノを買うとはどういうことか?」という問いが由来。(写真提供:わざわざ)

2号店〈問 tou〉。ギャラリー、喫茶、書店を併設。店名は「モノを買うとはどういうことか?」という問いが由来。(写真提供:わざわざ)

上出長右衛門窯 六代目・
上出惠悟の旅コラム
「高校3年生、石川から東京へ。
上野駅での不思議な出会い」

さまざまなクリエイターによる旅のリレーコラム連載。
第34回は、九谷焼〈上出長右衛門窯〉の六代目である上出惠悟さん。
上出さんが高校3年生の頃、美術大学を目指し、
初めて東京に夏期講習を受講しにきたときの話。
夏期講習は刺激的であり実りのあるものになったが、
印象に残っているのは、
石川県への帰りに上野駅で出会った不思議なおじさんだった。

東京の美術予備校の夏期講習で過ごした2週間

北陸新幹線開通などまだ遠い日の1999年の夏の終わり、
17歳で高校3年生の私は深夜の上野駅のベンチに座って、
金沢駅行きの急行能登号を待っていた。
能登号はかつて東京と石川を結んでいた夜行列車で、今はもう走っていない。

小さな頃から絵を描くのが好きで、
金沢にある工業高校のデザイン科に通っていた私は、
卒業したら東京の美術系大学でデザインを学び、
将来は広告に関わる仕事に就きたいと考えていた。

毎日放課後に地元の先生にデッサンを教わっていたが、
受験のためにはもっと専門的な勉強が必要だということで、
東京の美術予備校で夏期講習を受講することになった。
都内にある主要な予備校のパンフレットを取り寄せて、
何となくピンときた1校を選んだ。

写真はすべて当時フィルムで撮ったもの。

写真はすべて当時フィルムで撮ったもの。

何せ初めてのことで、一緒に行く友だちもいない。
緊張と不安のなか、
東京へ行く前日に髪の毛をオレンジ色に染めたことを覚えている。
若い。

東京には母方の親戚で、私からすると大叔父が住んでおり、
神楽坂にある自宅に泊めてもらった。
早くに奥さんを亡くした大叔父は毎朝ごはんと味噌汁をつくって送り出してくれた。
予備校がある三鷹までは、東西線が中央線に乗り入れるので難なく通うことができた。
おおよそ2週間、私はこの路線を毎日行き来した。

予備校での私は周りとの実力の差が歴然としていて、
そこにいるだけで恥ずかしいものだった。
ハクチョウの群れのなかにアヒルが1羽混ざっているようなもので、
よくぞ私は何も知らず、こんなところへ来たものだといたたまれない気持ちにもなったが、
後悔はなかった。

先生がひとりのクラスメイトを私とペアにしてくれて、
さまざまな面で慣れない田舎の少年を助けてくれた。
成長したかはわからないが、挑戦ができたことや人の恩に触れたことがうれしかった。
最後の夜に「上出はとにかくここへ来て良かったと思うよ」と先生は声をかけてくれた。

吉祥寺駅改札

ストローベイルハウスを
セルフビルドして始める。
弟子屈町の“ドイツ村”計画とは?

藁と土が主役の家を、セルフビルドで

彼の名前はパスカル。ベルリン出身の36歳。
2年前から弟子屈町に、ストローベイルハウスを建設中。
ストローベイルハウスとは、藁と土を使ってつくる家。
パスカル曰く「生き物」である。

ササのジャングルのようだった荒れ地を
草刈りして、整地して、排水を整えて。
カラマツ材で外枠を組み、屋根や窓枠もつくり……、
果てしない作業をひとりでこなしてきた。

そしてまもなく1棟目が完成する。

パスカルの故郷でよく目にする、白い壁と木材が調和した家は、小さなバルコニーが特徴。

パスカルの故郷でよく目にする、白い壁と木材が調和した家は、小さなバルコニーが特徴。

「いま建てているのは、〈メルヘン〉という名のゲストハウス。
南ドイツでよく見かける、窓枠に小さな花台がある家をイメージしているんだ」

約60平方メートルの家。
家の壁は、まず棚をつくり、そこに藁のブロックを積み上げて、表面に土を塗る。

「土は、敷地内の粘土を使っている。
周りの地面をショベルカーで1メートルくらい掘ると、粘土層が出てきたんだ。
これがストローベイルには最適な土で、気づいたときは、とてもうれしかったね」

粘土の上に麻を載せ、さらにファイバーネットを重ねる。
パスカルは、土の壁に入った小さなひびを指差して、
「こうした隙間に麻やネットの繊維が入り込んで、
壁の強度がより高まるんだ」と教えてくれる。
さらにその上から漆喰を塗って、やっと壁が完成する。

「藁と土を使うことで、
いつもフレッシュな空気が壁を通して入ってくる。
ストローベイルハウスは、“呼吸する家”なんだ」

常に室内温度は15〜20度に保たれ、
夏は涼しく、冬は暖かい。一年中過ごしやすいそう。

「コンクリートで固めた家よりも、
ずっと健康的に暮らすことができると思っているよ」

盛岡〈珈琲と酒 米山〉
主人がつくり上げた
サブカルチャーの聖地

音楽好きコロンボとカルロスが
リスニングバーを探す巡礼の旅、次なるディストネーションは
岩手県盛岡市。

ニューヨーク・タイムズが選んだ、2023年に行くべき場所、盛岡

コロンボ(以下コロ): 盛岡に行ってきました。

名前カルロス(以下カル): 盛岡といえば、
この間、〈ニューヨーク・タイムズ紙〉の
「2023年に行くべき52カ所(52 Places to Go in 2023)」でロンドンに次いで、
2番目に選ばれたじゃない。

コロ: そうなの。
掲載ナンバーは厳密には順位を意図したものではないそうだけど、
#2として、ロンドンの次に紹介されたわけだから、すごいよね。

カル: アメリカ南部のアーティストが遠く離れたニューヨークより、
ノースカロライナ州のアシュビルを選ぶように、
盛岡にも似たようの空気があるだろうね。
宮沢賢治の世界観にも惹かれるし。

コロ: 雄大なランドスケープも圧倒的だけど、
ぶっといコーヒーカルチャーがあったり、
サブカルを牽引する〈BOOKNERD〉みたいな書店があったりと、
クリエイターが生き生きと暮らすようなコミュニティがあるもんね。

カル: 今回の〈珈琲と酒 米山〉は
その〈BOOKNERD〉の店主、早坂大輔さんが
「盛岡で一番のディープカルチャースポット」と紹介している。

コロ: まあサブカルのカオスというか、ポップカルチャーのラビリンスというか、
店内はすごいことになっているんだ。

カル: 盛岡城の内丸にあるんだね。
史跡扱いにもなっている城内、お堀の中なんでしょ。

コロ: にもかかわらず新宿のゴールデン街や渋谷ののんべい横丁に似た
新旧ハイブリットな雰囲気があるんだよね。
レッドカーペットが敷かれた狭い階段を登っていくと、
うっすらとフレディ・ハバードがかかっているわけ。

カル: 昭和にタイムスリップだね。
そこに写っているカセットテープは
ビル・エヴァンスの『ポートレート・イン・ジャズ』? 
カセットテープで見るの初めてだ。

コロ: しかも日本盤。

カル: もちろん鳴らせるんでしょ。

コロ: ソニーのラジカセで聴ける(笑)。
お店はほんとうにカオスでさ。
レコードやらCDやら本やら、お客さんも通れないくらいに、所狭しと置かれている。
しかも系統だった感じがまったく見受けられないんだよ。

カル: 探すのも一苦労だね。でも、マスターはわかるんだろうな。

コロ: いや、わからないんだって。
マスターの米山徹さんいわく、片づけができないそうだよ(笑)

カル: ジャズが中心なの?

コロ: よくかけるのはエリック・ドルフィーの『LAST DATE』だけど、
そうでもないみたい。
好みに偏りがあって、音楽遍歴はブルース、R&Bに始まって、パンク&ニューウェイブ。
リチャード・ヘル、テレビジョンにぞっこんだったとか。

カル: そうはいいつつ、何気にディアンジェロがあったりして偏食で雑食だね。
プリンスとかも?

コロ: 『サイン・オブ・ザ・タイムズ』の頃はかなりハマって
仙台公演はよかったんだけど、東京ドームで観たら、気持ちが離れちゃったんだって。

カル: 遠すぎたのかな?(笑)

アートディレクター・
ジェリー鵜飼の旅コラム
「極寒の地、稚内で
人情にふれた漁師宿とスナック」

さまざまなクリエイターによる旅のリレーコラム連載。
第33回は、アートディレクター、イラストレーターとして
活動しているジェリー鵜飼さん。
北海道の最北端、利尻山に登りに行った旅の話。
登山や釣りなどを存分に楽しんだが、
稚内では、それを越える感動的な体験をしたようだ。

日本最北端の百名山、利尻山に登る

2013年。ボクは友人と利尻島と稚内を結ぶフェリーに乗っていた。
旅のクライマックスとなる日本最北端の百名山である利尻山に無事登頂し、
ボクたちは誇らしげな表情をしている。
しかも勘を頼りに藪を漕いでたどり着いた沢でテンカラ竿を振ってみたら
綺麗なオショロコマが毛鉤に食いついてくれた。
オレンジ色に発光するお腹が美しいオショロコマは、
北海道にだけ生息する魚で渓流の宝石といわれている。
釣れるとは思っていなかった。

利尻山に登れただけでも百点満点なのに、うれしすぎるオマケがついた。
四日間たっぷり歩いたご褒美だ。
ボクたちはフェリーの甲板から徐々に小さくなっていく利尻山をいつまでも眺め続けた。
利尻港の脇にあるかわいらしいペシ岬ともサヨナラだ。

渓流の宝石、オショロコマ。

渓流の宝石、オショロコマ。

変化のない海と空の眺めに飽きた頃にフェリーは稚内港に着いた。
この頃はまだ樺太(サハリン)行きのフェリーが運行していたので、
ターミナルには大勢のロシア人がいた。
最北端の静かな波止場は異国情緒な風情だ。
あのフェリーに乗り込めば樺太へ行けるのかと思うと不思議な気がする。
北方謙三の『林蔵の貌』の主人公・間宮林蔵が暗躍した極寒の地。
いつか樺太のまちも歩いてみたい。

3日間も続いたテント泊のせいで体はカチコチだ。
今夜は温泉にゆっくり浸かって、ふかふかのベッドで沈み込むように寝たい。
大きなバッグパックを背負って港をふらついた。
疲れのせいで宿を探すのも面倒くさい。
今夜はビジネスホテルでいいかな? と駅前に向かって歩いていたら、
タイミング良く稚内の知人から「安くておもしろい宿がある」という情報が入る。
フェリーの到着時間に合わせて連絡をくれたのだろう。
地元民の情報がありがたい。彼がオススメする宿へと向かった。

本家尾張屋&写真家・稲岡亜里子
海外で撮る写真家視点を生かし、
京都の老舗そば屋を受け継ぐ

アイスランドの水と京都の水

1465年(応仁の乱の前年)創業、京都にある老舗そば・菓子店〈本家尾張屋〉の
16代目当主は、稲岡亜里子さんだ。
アイスランドで撮影した『SOL』(2008年)、
『EAGLE AND RAVEN』(2020年)という
写真集を発売している写真家でもある。

歴史を感じさせる本家尾張屋。

歴史を感じさせる本家尾張屋。

稲岡さんは、本家尾張屋の長女として生まれ育った。
かつては金閣寺の近くに住んでいたという。

「子供の頃の自宅は洋風の家で、家の中でも土足で生活していました。
でもお店にくると“ザ・ニッポン”だし、遊びに行くのもお寺とか」

小学校高学年から高校2年生まで過ごした稲岡さんの実家の部屋。今では暗室も設置している。

小学校高学年から高校2年生まで過ごした稲岡さんの実家の部屋。今では暗室も設置している。

当時はまだ家業の意味は認識していなかった。
むしろ子どもの頃から京都、そして日本という狭い世界から
飛び出したいと思っていたという。

「母が60年代にフランスに住んでいたことがあって、
よくフランス人の友だちが遊びにきていました。
その人たちは、日本人よりも表現豊かでハグとかもしてきて、
“私はこの人たちの感覚が好きだ”と思っていましたね。
みんながアイドルを追いかける頃、私はマドンナが好きだったり。
とにかく早く海外に行きたかった」

京都とはいえ、当時はまだ移住者も少なく、観光客も今ほどではない。
小さな社会でどこへ行っても“尾張屋さん”と呼ばれて、
自分のことを知られている環境。
「誰も自分のことを知らない土地に行きたい」という気持ちを抱くのもわかる。

こうして高校からアメリカへ留学し、
ニューヨークの〈パーソンズ美術大学〉で写真を学ぶ。
卒業後も6年間はニューヨークを中心に、日本と行き来しながら写真家として活動。
帰国後もしばらくは、東京で写真家として活動していた。

手にしているのが写真集『SOL』(赤々舎)。

手にしているのが写真集『SOL』(赤々舎)。

日本や京都に徐々に思いを馳せるようになった作品がある。

「2001年にニューヨークに住んでいるときに、
アメリカ同時多発テロ事件がありました。
その翌年、偶然アイスランドに行き、
水の写真を撮って癒やされている自分がいました。
もう夢中になって撮っていましたね。
きれいな水を見ているだけですごく元気になる。
水の強さ、素晴らしさを感じました」

その後、6年間通うことになるアイスランドで撮っていた風景と、
京都との共通点を感じたという。

「京都の御所とか、神社など、子供の頃の記憶とつながりました。
京都は水がきれいだったんだなと。
仕事で世界各国に行きましたが、
鴨川のようにきれいな川がまちの真ん中を流れている場所はあまりなくて。
そのときに、京都の美しさは当たり前ではないんだということに気がついたんです」

同時に、そばにとっても水は重要。
「京都の水とともに500年以上ある家」であることを強く認識した。

「自分はものづくりをしているほうが楽しいし好きです。
でも水を通して、ここを守っていきたいという気持ちになりました」

こうして、2011年に京都に戻り、本家尾張屋を継ぐことを決意する。

昨年行われた国際写真展『KYOTOGRAPHIE』にて展示されたアイスランドの写真。

昨年行われた国際写真展『KYOTOGRAPHIE』にて展示されたアイスランドの写真。

『アカエゾマツの森ガイドマップ』
で知る、
五感を働かせて森を楽しむ10の方法

弟子屈町に移住した理由

森の楽しみ方を教えてくれたのは、
東京農業大学 地域環境科学部 森林総合科学科 造林学研究室の上原巌先生だ。

私は5年前に、大好きな北海道で暮らしてみたいと、東京から移住した。
最初は帯広へ、2年前に道東の弟子屈町へ。

引っ越してきた当初はよく、いまでもときどき
「どうしてここを選んだの?」と聞かれる。
北海道の179もある市町村のなかから、なぜ弟子屈町を選んだのかと。

その理由は、実は自分でもはっきりとはわからなかった。
国立公園の中なので、目障りな人工物が少ないから?
そんな風に漠然と感じていた。

阿寒摩周国立公園の中にある「アカエゾマツの森」は、樹齢約200年の天然林。

阿寒摩周国立公園の中にある「アカエゾマツの森」は、樹齢約200年の天然林。

上原先生と、初めて森を歩いたときのことだった。
2時間ほどの散策を終えて、少し離れて森を眺めたとき先生は
「自然の相似形ですね」と言った。

森の輪郭は、美しい弧を描いていた。
何本もの木々がそれぞれに
少しでも太陽の光を浴びようと枝葉を伸ばした結果、
左右対称のきれいな半円ができていた。

それは庭師によって手入れされた公園の木々とは異なる、自然がつくり出した造形。
私はそこに心地よさを感じて、弟子屈町に惹かれたのではないだろうか。

3月末に完成した『アカエゾマツの森ガイドマップ』は、川湯ビジターセンターで配布している。

3月末に完成した『アカエゾマツの森ガイドマップ』は、川湯ビジターセンターで配布している。

上原先生は、森や木に対してさまざまな手段でアプローチする。
木の名前と特徴を知るだけではない、新しい楽しみ方の数々。

川湯ビジターセンターとアカエゾマツの森を訪ねる人に向けても
それらを紹介できるように、『アカエゾマツの森ガイドマップ』を作成した。

A3サイズを小さく畳んだ、手のひらに収まる地図。
表には、以下の「五感を働かせて森を楽しむ10の方法」が。

A.森全体の香りを味わう
B.樹木の並び方を観察する
C.樹皮に触れる
D.葉に触れて匂いを嗅ぐ
E.森のライフサイクルを知る
F.足の裏で森を感じる
G.樹冠を眺めてわかること
H.風がつくる光の効果
I.森の音を聞く
J.心地いい「空間」を探す

裏には、約0.8キロのゴゼンタチバナコースと約2.2キロのアカゲラコースを、
ここで観察できる動植物の写真と一緒に載せている。

裏面は、森のコース紹介。「五感を働かせて楽しむ方法」を実践できる場所を、A〜Iの記号で記している。

裏面は、森のコース紹介。「五感を働かせて楽しむ方法」を実践できる場所を、A〜Iの記号で記している。

ゲストハウスから空き物件の紹介まで。
歩いて楽しいまちを目指す
〈ワカヤマヤモリ舎〉

古いビルをリノベーションして複合ゲストハウスに

和歌山市の中心部にある〈Guesthouse RICO〉(以下、RICO)は
5階建てのビルに宿泊、賃貸アパート、コワーキングスペース、
バー&ダイニングなど複数の機能を併せ持つゲストハウスだ。

数日間の旅行のために滞在する人もいれば、仕事のために数か月単位で長期滞在する人、
週末だけ過ごす学生や、ふらっとコーヒーを飲みにくる人もいる。
「RICOに行けば、おもしろい人やコトに出会える」と認識している地元の人も少なくない。

2015年のオープン以来、人が途絶えない、まさにコミュニティの渦のような場所。
だから「僕はゲストハウスをするつもりはなかったんです」と、
オーナーの宮原崇さんが語るとちょっとびっくりしてしまう。

宮原さんは、和歌山県和歌山市出身。
地元の大学で建築を学んだあと、神戸と大阪で建築事務所に勤務。
一級建築士の資格を取得し、独立しようかなと思っていたなか、
「リノベーションスクール@和歌山」に参加したのがすべての始まりだ。

RICOを運営するワカヤマヤモリ舎代表の宮原崇さん。ゲストハウス運営とまちづくりの企画・運営の傍らで設計の仕事も手がける。

RICOを運営するワカヤマヤモリ舎代表の宮原崇さん。ゲストハウス運営とまちづくりの企画・運営の傍らで設計の仕事も手がける。

「独立するとしても、設計だけを生業にするよりは
自分で手を動かして、古い建物を改修したり、
そこに新しいコンテンツが入るようなことができればと思っていたんです。
そんなときにリノベーションスクールが和歌山市で開催されると知って
寂れつつある和歌山のために何かできたら、と思って参加しました」

リノベーションスクールは、遊休不動産を活用した事業計画を
チームで作成する短期集中型のワークショップ。
全国規模で展開され、実際に事業展開につながる実例もたくさんある。
宮原さんたちが担当することになった建物、
つまり現在〈RICO〉が入居するビルは、
タクシー会社が所有して、長年アパートとして使われていた。

RICOが入居するユタカビル。1階はゲストハウスのロビー、コワーキングスペース、バー&ダイニング、2階と3階が賃貸アパート、4階から5階がゲストハウス。

RICOが入居するユタカビル。1階はゲストハウスのロビー、コワーキングスペース、バー&ダイニング、2階と3階が賃貸アパート、4階から5階がゲストハウス。

アップデイトされた
ブラジリアンを知りたいなら
小田原〈ももすけ〉を目指せ

音楽好きコロンボとカルロスが
リスニングバーを探す巡礼の旅、次なるディストネーションは
神奈川県小田原市。

〈大洋レコード〉も併設された自然光たっぷりのカフェ空間

コロンボ(以下コロ): ブラジル音楽はどうなの? 守備範囲?

カルロス(以下カル): ボサノバはなんだかくすぐったい(笑)。
ジャヴァンが好きだね。
ベタだけど『LUZ』というアルバムの1曲目、
スティービー・ワンダーが参加した「Samurai」が最高だな。

コロ: スティービー・ワンダーのハーモニカがいいよね。
ハーモニカだけのアルバムとか出してくれないかなと切望。
「Samurai」は今でも気の効いたお店でかかってる。
この間も青山の〈BAROOM〉でかかっていたっけ。

カル: ボク的にはブラジルと聞いて思い浮かぶのはダ・ラータだけど、
よく考えるとブラジリアンをやっているUKユニットだし。
正直言って、ブラジル音楽自体はあまり詳しくないかな。
ほかのジャンルにいち要素として、よく取り入れられているって印象。

コロ: いち要素ねー、たしかに。
ボクの場合はなんたって『ゲッツ/ジルベルト』だからな。

カル: ボサノバのセルジオ・メンデスが
ヒップボップにアプローチしていたりとか、
ブラジルものはそんな関わりのなかで聴いているね。

コロ: ボクはジャズ文脈になっちゃうんだ。
村上春樹さんが書いた「チャーリー・バーカー・プレイズ・ボサノヴァ」、
真っ白いジャケットの彼の架空のアルバム聴いてみたいな。

オープンして早6年。小田原駅前の喧騒から離れると現れる〈ももすけ〉。

オープンして早6年。小田原駅前の喧騒から離れると現れる〈ももすけ〉。

料理家・山戸ユカの旅コラム
「自由を楽しむ車中泊。
毎年恒例の東北スキートリップへ」

さまざまなクリエイターによる旅のリレーコラム連載。
第32回は、八ヶ岳にあるレストラン〈DILL eat,life.〉の山戸ユカさん。
いちばんの趣味はスキーで、
毎年春先には東北へスキートリップに出かける。
車中泊で、自由気ままな旅だという。

スキー、バックパッカー、そしてロングトレイル

大好きな冬が過ぎ去り、
私が暮らす八ヶ岳の麓でも春の気配をひしひしと感じるこの季節。
春の訪れはスキー愛好家の私にとって、
ふわふわの新雪を滑ることができなくなるとても寂しい季節なのだが、
見方を変えればこの季節にならなければ滑ることのできない
ザラメやコーンスノーといった春特有の雪を楽しめる季節がやってきたわけだ。

人よりもずっと大人になってから始めたスキーが、
今では私の最も大切な趣味になり、
スキーのない人生なんて考えられないほどにのめり込んでしまった。

もっと早くに始めていれば……、と悔やむ気持ちもあるけれど、
若い頃にスキーに出合っていたら絶対に今の自分はいないと断言できる。
その時代にその歳を精一杯生きてきたからこそ、
私は今こうしてかけがえのない趣味に没頭できるのではないだろうか。

スキー場にて

スキーを始める前にもうひとつ、
中毒的な魅力にとりつかれてしまったのは「旅」だ。
30歳になる頃に夫とふたりでアジアを中心に約7か月の旅に出た。
いわゆるバックパッカーというやつで、
1泊150円から1000円くらいの安宿を泊まり歩き
バックパックひとつで9か国の旅をした。

旅行ではなくあくまでも「旅」と言いたいのは、
観光名所を巡ることを目的とせず、
滞在した国やまちで地元の人たちと同じように、
暮らすように過ごすことを楽しんでいたから。

小さいバックパック(バッグとしては大きいけれど)ひとつにすべてを詰め込んで、
まだ見ぬ世界を歩き回った経験は確実にそのときの私を大きく変えてしまった。

その後35歳のときには、
アメリカ西海岸にある
全長約340キロのロングトレイル〈ジョンミューア・トレイル〉を
約3週間かけて踏破した。
こちらはまさに人工物のない大自然の中で衣食住を担いで歩いた訳で、
その経験もまた今の人生に大きな影響を与えている。

「本と温泉」を軸に地域創生。
文学と芸術で広がる
〈城崎温泉〉のまちづくりとは?

まち全体が「ひとつの旅館」
1300年の歴史を積み重ねてきた“共存共栄”の精神

志賀直哉の短編『城の崎にて』をはじめ、
多くの文人墨客が足を運んだ兵庫県豊岡市の温泉街、城崎温泉。
羽田空港から伊丹空港経由の飛行機で約2時間。

柳並木が続き、まちの中心をながれる大谿川(おおたにがわ)沿いには、木造3階建の旅館が軒を連ねる。そんな温泉街で下駄をカランコロンとならし、浴衣姿でそぞろ歩きながら7つの外湯を巡るのも城崎温泉を楽しむ醍醐味だ。(写真提供:山本屋)

柳並木が続き、まちの中心をながれる大谿川(おおたにがわ)沿いには、木造3階建の旅館が軒を連ねる。そんな温泉街で下駄をカランコロンとならし、浴衣姿でそぞろ歩きながら7つの外湯を巡るのも城崎温泉を楽しむ醍醐味だ。(写真提供:山本屋)

約80軒の旅館がある城崎温泉では、
“駅が玄関、通りが廊下、旅館が客室、外湯が大浴場、商店が売店。
城崎に住む者は、皆同じ旅館の従業員である”という。
まち全体でひとつの旅館としておもてなしする「共存共栄」の精神が自然と根づき、
開湯1300年の歴史を積み重ね、関西屈指の温泉街を支えてきた。

温泉と文学。伝統を継承しながら変革を

関西に住む人にとっては毎年11月になったら解禁となる松葉蟹の城崎温泉、
というのが広く浸透してきた。2013年の志賀直哉来湯100年を機に、
城崎の文化価値をもう一度見つめ直し、これからの100年を見据えた
本づくりをすすめる〈本と温泉〉プロジェクトが
城崎温泉旅館経営研究会(若旦那)によって立ち上がった。

そのきっかけについて、志賀直哉が泊まっていた宿としても知られる
〈三木屋〉の10代目当主であり、NPO法人〈本と温泉〉副理事長を務める
片岡大介さんは当時をこう振り返る。

片岡さんは大学進学を機に京都へ。ホテル勤務を経て地元である城崎に戻り、2011年から〈三木屋〉の10代目を務めている。

片岡さんは大学進学を機に京都へ。ホテル勤務を経て地元である城崎に戻り、2011年から〈三木屋〉の10代目を務めている。

「志賀直哉が初めて城崎を訪れたのが1913年。そこから100周年を迎えたタイミングで、
旅館経営に関わる若旦那衆(通称2世会)を集めた〈城崎温泉旅館経営研究会〉を中心に、
もう一度“文学のまち、城崎温泉”を復活させようと、
ユニークな本をつくるプロジェクトが動き始めました」

創業300年以上の〈三木屋〉は国の登録有形文化財にも指定され、木造建築の随所に歴史の趣が感じられる。(写真提供:三木屋)

創業300年以上の〈三木屋〉は国の登録有形文化財にも指定され、木造建築の随所に歴史の趣が感じられる。(写真提供:三木屋)

「宿のなかで完結するのではなく、お客さまがまち全体を巡る“ひとつの旅館”
としての考えを、それぞれの旅館が長年貫き、守ってきました。
城崎温泉が“文学のまち”として浸透し、
みんなが一団となり取り組んできたことが今につながっているのだと思います」と片岡さん。

老朽化のため、2013年より段階的に改修を進め、2022年にはかつて皇族を迎えた特別室「22号室」をリニューアル。最も広い面積をもつ特別室は、もともと2部屋の和室を和洋折衷の新しい客室として更新された。(写真提供:三木屋)

老朽化のため、2013年より段階的に改修を進め、2022年にはかつて皇族を迎えた特別室「22号室」をリニューアル。最も広い面積をもつ特別室は、もともと2部屋の和室を和洋折衷の新しい客室として更新された。(写真提供:三木屋)

2015年7月にリニューアルした「つつじの湯」。城崎温泉では、戦後から内湯の大きさを旅館の規模に応じて制限しているそう。各旅館でも、まちの外湯を楽しんでもらえるよう案内している。(写真提供:三木屋)

2015年7月にリニューアルした「つつじの湯」。城崎温泉では、戦後から内湯の大きさを旅館の規模に応じて制限しているそう。各旅館でも、まちの外湯を楽しんでもらえるよう案内している。(写真提供:三木屋)

information

map

三木屋

住所:兵庫県豊岡市城崎町湯島487

TEL:0796-32-2031(8:00〜20:00)

宿泊料金:「22号室」5万5000円~/大人2名1泊(定員:2~5名)

※宿泊料金はシーズン・人数により変動します。

Web:三木屋

徳島市から阿南市、美波町、海陽町へ。
四国の右下、
海沿いを南下するサステナブルな旅

倉庫街のあり方を変えた〈アクア・チッタ〉

徳島県の県庁所在地である徳島市から西方向に目を向ければ、
ごみゼロを目指すゼロ・ウェイストで有名な上勝町や、
多くのサテライトオフィス誘致の事例がある神山町など、
先進的な取り組みをしている自治体が多い。
今回は徳島市から海沿いを南下して、高知県境まで旅をする。
こちらの地域もまたソーシャルな気づきを得られる旅となった。

まずは徳島駅から車で10分弱の万代中央ふ頭へ。
東西500メートルに渡るいわゆる倉庫街だが、近年、倉庫を転用した事務所の開設、
カフェや書店、家具店、古着店などのオープンが続いている。

万代中央ふ頭の倉庫街。

万代中央ふ頭の倉庫街。

その仕掛け人といえるのがNPO法人〈アクア・チッタ〉理事の岡部斗夢さんだ。

「近くに新しい港ができて、1990年代後半から物流機能が移転し、
倉庫としての機能が低下していきました」と教えてくれた。

「しかし港湾施設なので、簡単に転用ができません。
それでも地域の活性化を目指して、とにかく掃除から始めました。
そして2005年に『アクアチッタフェスタ』を開催し、19年までに15回開催。
最終的には1万7千人を集めるイベントになりました」

アクア・チッタの理事、岡部斗夢さん。東京の〈寺田倉庫〉の活用を見て刺激を受けたという。

アクア・チッタの理事、岡部斗夢さん。東京の〈寺田倉庫〉の活用を見て刺激を受けたという。

現在では20棟の倉庫のうちおよそ3分の2が転用され、
30の事業者が利用しているという。
最近では1棟貸しではなく、
小規模事業者に向けて分割して貸す取り組みも始まっている。

「倉庫に興味を持ってくださる方はたくさんいますが、
どれも100〜150坪という大きな倉庫なので、
リノベーションをするとすぐに1千万円くらいかかってしまいます。
そこで私の〈ユニフォーク〉という会社で倉庫を借りて分割し、
シェアショップとしてお貸ししています。
6坪くらいから、そして1日や1週間という単位でも貸し出し可能です。
立ち寄りやすい空間をつくることで、地域の回遊性を高めたいと思っています」

もともとあった倉庫名や壁の質感など、雰囲気を残したリノベも多い。

もともとあった倉庫名や壁の質感など、雰囲気を残したリノベも多い。

新しい箱をつくるのではなく、すでにあるものを再利用していく取り組み。
特にこのふ頭では、建物それぞれではなく地域で統一された、
倉庫街としてブランディングされた活性化を目指す。

「港の倉庫街という風情を残したい」と岡部さんは言う。
どの施設も、倉庫としての佇まいを残しながら、うまくリノベーションされている。
“倉庫街に出かけよう”というお出かけが、
徳島市内では少しずつ人気になっているようだった。

information

map

NPO法人アクア・チッタ

住所:徳島県徳島市万代町5丁目

web:NPO法人アクア・チッタ

〈BEARD〉原川慎一郎
地元食材にこだわった料理で
「種採り野菜」の文化を伝える

雲仙へ移住するきっかけとなった、ある農家

長崎県雲仙市。街中から湯けむりが上がる小浜温泉で、
原川慎一郎さんが約2年前に〈BEARD〉をオープンした。
それには農家の岩崎政利さんの存在が強く影響している。

昼間には明るい日差しが注ぐ店内。

昼間には明るい日差しが注ぐ店内。

原川さんがかつて東京の神田に〈the Blind Donkey〉をオープンしてまもなくのこと。
アリス・ウォータースの『アート オブ シンプルフード』という本を和訳した人がお店に来て、
雲仙に岩崎さんというすごい「種採り農家」がいると教えてくれた。
そして、岩崎さんが最初に種採りを始めたというニンジンを持ってきてくれた。

種採り野菜とは、育った野菜から種を自家採種すること。
そうして育てていくと地域の風土に合った固定種・在来種といわれる野菜ができ上がる。

「種採り野菜や在来種・固定種の野菜ということを本などで読んだ知識はありましたが、
まだそのときは本当の意味では理解していませんでしたね」

その後、料理家仲間である長田佳子さんと一緒に、
雲仙で〈タネト〉という野菜直売所を運営する
奥津爾(ちかし)さんがthe Blind Donkeyにやって来た。
そこで奥津さんは「自分は岩崎さんという農家さんがいるから雲仙に移住した」と言う。

「違う人から何度も“岩崎さん”が登場してすごい、と思いましたね」

そこで2018年秋に、奥津さんの案内で岩崎さんの畑を訪れることになった。

「それなりにいろいろな産地の畑を訪れてきたので、
そう驚くことはないと思っていたのですが、
岩崎さんの畑に行ったらただの野菜じゃない。
アニメみたいに、ニンジンの葉っぱが踊っているように感じました。
家に帰ったら犬が飛びついてくるくらいの人懐っこさもニンジンから感じました」

現BEARDで提供される「黒田五寸人参」。岩崎さんが最初に挑戦し、40年以上種採りをしているニンジンだ。

現BEARDで提供される「黒田五寸人参」。岩崎さんが最初に挑戦し、40年以上種採りをしているニンジンだ。

そこでつながりを持って以来、
岩崎さんから定期的に野菜を購入することになった。
ただし個人経営である岩崎さんの野菜の量では、
当時40席以上のコース料理を提供していた
the Blind Donkeyの使用量を賄うことはできない。

そこで、コース料理を提供するメインレストランの手前にあるカウンターバーで、
原川さんが岩崎さんの野菜を使った料理を提供することにした。
そのとき蒸したブロッコリーを食べて衝撃を受けたという。

「種採りブロッコリーではありませんでしたが、
想像するブロッコリーの味をめちゃくちゃ超えてきたんです。
岩崎さんの野菜のおいしさって、無意識に襲ってきます。懐あたりが反応する感じ。
おふくろの味や地元の味って、思い出を含めて“おいしい”じゃないですか。
僕は岩崎さんに対して何か思い出があるわけではないのに、この感覚はなんだろうと」

その日のコース料理に使用される野菜を最初に紹介してくれる。

その日のコース料理に使用される野菜を最初に紹介してくれる。

非加熱の〈みさとみそ〉。
〈海南社〉が加工場もレシピも
まるごと事業承継する

photo:Itsuko Shimizu

「金山寺みそ」のルーツから、再び。

いくつもの緑のトンネルを越え
蛇のようにクネクネと曲がる川のほとりに
すっくと建つ〈美里農産物加工場〉。

JAの農産物集荷場として建設された2階建てのこの小さな建物では、
地域の伝統の味「金山寺味噌」と
お味噌汁に使う味噌や麹の生産と販売が行われている。

「金山寺味噌」とは、今からおよそ700年ほど前。
中国の径山寺(きんざんじ)で修行した法燈国師という僧が
当地から紀州に味噌を持ち帰ったことで製造が始まったと伝わる
甘じょっぱいおかず味噌。
麦と米と豆でつくった麹に刻んだナスやウリの漬物がたっぷり入っているのが特徴だ。
ちなみに味噌の発酵途中で、こうした野菜から出る液体の
「たまり」を利用して生まれたのが醤油ともいわれている。
つまり、和歌山県湯浅地方は醤油の発祥地。
そして金山寺味噌はこの湯浅地方を中心に、家々で仕込まれてきた伝統食。
保存食では梅干しと双璧をなす郷土の味だ。

金山寺味噌をおともにすれば、ごはんがいくらでも食べられる。

金山寺味噌をおともにすれば、ごはんがいくらでも食べられる。

しかし、多くの伝統食がそうであるように、欧米化が食が進んだ結果、
金山寺味噌が食卓の定番として上がることはうんと少なくなった。
停滞する売り上げを前に、このまま経営を続けていくことは困難と判断したJAは
2018年に加工場をクローズすることにした。

それを惜しみ「なんとかして継続できないか」と考えた人地域の々は、
〈海南社〉の源じろうさんに味噌工場の跡を継がないか、と声をかけた。

弟子屈中学校の授業で
アカエゾマツの森を学ぶ。
動画『森の中へ』も完成!

地元の中学生と歩いた「アカエゾマツの森」

きっかけは、地域おこし協力隊の同期、高橋志学くんからの誘いだった。
「弟子屈中学校の先生から
『協力隊と一緒にできることはないでしょうか?』と相談を受けました」

昨年の初夏のこと。
「アカエゾマツの森」を、できるだけ多くの人(とくに町民)に
知ってもらいたいと考えていた私は、迷わず手を挙げた。

そして実現したのが、2日間におよぶ
弟⼦屈中学校1年生 × 東京農業⼤学教授・上原巌先⽣
「川湯の森の散策と森林講座」
(この模様は、上原先生のブログに楽しく紹介されているので、
ぜひご覧ください)

2020年から毎年、弟子屈町の森を訪れている、東京農業大学教授・上原巌先生。「川湯の森の散策と森林講座」は、弟子屈町の広報誌の表紙も飾った。

2020年から毎年、弟子屈町の森を訪れている、東京農業大学教授・上原巌先生。「川湯の森の散策と森林講座」は、弟子屈町の広報誌の表紙も飾った。

1日目は中学校の講堂でスライドを観ながら、
「森とは何なのか?」「弟子屈町にはどんな森があるのか?」など
アカエゾマツなどの蒸留をしつつ学んだ。

2日目は「アカエゾマツの森」と、近くにある「川湯の森」をみんなで歩いた。
「この森は、どんな風に感じる?」「この葉っぱ、どんな形をしている?」
上原先生は、いつも問いかける。
そして参加者は、眺めるだけでなく、考えるようになる。
すると木や森は、いつもとは違う姿をどんどん見せてくれるのだ。

2日目には「アカエゾマツの森」。中学生はタブレットを持ち、写真を撮りながら歩く。

2日目には「アカエゾマツの森」。中学生はタブレットを持ち、写真を撮りながら歩く。

鎌倉〈Bar Sharuman〉
インスタライブも人気の
裏鎌倉にある上品でクリアなバー

音楽好きコロンボとカルロスが
リスニングバーを探す巡礼の旅、次なるディストネーションは
神奈川県鎌倉市。

〈TANNOY〉+〈McIntosh〉の黄金コンビによる金粉のような音

コロンボ(以下コロ): いざ、鎌倉へ! いい店、見つけちゃった!

カルロス(以下カル): 鎌倉って、茅ヶ崎に比べると、
なぜか音楽のイメージは薄いよね。好きな人はたくさんいるはずなのに。
まあ、茅ヶ崎は加山雄三さんからサザンと大物ミュージシャンが多いから仕方ないか。

コロ: でも、いいお店が多いんだよ。

カル: 鎌倉だけにクラシックな店が多いのかな。
ここ〈Bar Sharuman〉はそもそも小町通りにあったんでしょう。
元々は本格的なクラブ(おねえさんのいるほう)だったのを、
息子の柴田譲治さんが受け継いでから、カラオケセットなんかをとっぱらって、
レコードバーにしたんだってね。

コロ: その通り! で、5年前にここ、由比ヶ浜大通りに移転したんだ。
マスターの柴田さん曰く、由比ヶ浜大通りは原宿でいえば裏原。
元気でフレッシュな店が多い。

カル: 言ってみれば裏鎌倉ってとこ? どうりでモダン。

コロ: 常連が多くて入りにくいって感じがないんだよ。
パブリックっていうか。

カル: しかもレコードバーとしては珍しく、禁煙なんでしょう。
そうしたら、店内はもちろんレコードもスピーカーの幕もタバコ臭くないんだ。
新しいカタチ。
モダンでクリアな環境はこれからのレコードバーには大切だよね。

コロ: 音もお店もマスターも柔らかくてクリアなんだよ。上品だし。
入ったときはharuka nakamura
『Nujabes Pray Reflections』がかかっていたんだけど、
金粉のような音が、降りてくるようだった。

〈モノサス〉副社長・永井智子さん
「どこでも仕事はできる」
周防大島町に
サテライトオフィスをつくる

リモートワークやテレワークという言葉は今や日常的に使われるようになった。
実際に、ネットワーク環境さえ整っていれば働けるという職種も少なくない。

東京・代々木に本社を構える〈株式会社モノサス〉は、
Web制作事業を主にマーケティングやプランニング、
デザイン、コーディング、運用などを行うIT企業である。
2017年、取締役副社長の永井智子さんが東京から山口県の周防大島町に移住し、
徳島県の神山町に続くふたつめのサテライトオフィスを開設した。

永井さんは島ではどのような働き方、暮らし方をしているのだろう。

周防大島町の母の生家をオフィスに

周防大島町は青い海に囲まれ、平均気温15℃ほどという年間を通して温暖な気候だ。
モノサスのサテライトオフィスがある地家室(じかむろ)は
周防大島町の中心部から離れた南の沿岸部に位置する。

山口県のガードレールは夏みかん色。その奥に見える集落が地家室と呼ばれる地区だ。

山口県のガードレールは夏みかん色。その奥に見える集落が地家室と呼ばれる地区だ。

オフィス周辺に到着すると永井さんが出迎えてくれた。

「目印になるものはコカ・コーラの自販機です」

この地区唯一の自販機を曲がった突き当たりの木造の建物が
モノサスのサテライトオフィスだ。

この辺りは海に近く、塩害から家を守るために焼杉を使った民家が多いという。

この辺りは海に近く、塩害から家を守るために焼杉を使った民家が多いという。

オフィスに改装した古民家はもともと永井さんの母親の生家だった。
東京と変わらない快適なネット環境を整えたオフィスで、
現在4名の仲間と日々仕事に励む。

「主にホームページを制作する会社で、
私はWebディレクターとして各スタッフにデザインやコーディングの指示、
プロジェクトの進行状況を管理しています。
クライアントによっては週1で打ち合わせをしたり、
メンテナンスやサポートの仕事を行ったりします」

企業のコーポレートサイトなどの制作に関わる業務内容は
東京にいた頃とさほど変わっていないという。
変わったことといえば、打ち合わせの方法。
以前は月に2、3回ほど打ち合わせのために上京していたが、
コロナ禍で東京に行くことは大幅に減った。

「移住して3年くらいは、
東京に行って打ち合わせしないと仕事になりませんでした。
でも最近ではお客さまからリモート会議でお願いしますといわれることも増えて、
環境のほうが変わりましたね」

地方で仕事をする距離的なデメリットが減り、偶然にも時代の流れにマッチした。

近所を一望できる高台へ。仕事の気分転換のためによく散歩するという。

近所を一望できる高台へ。仕事の気分転換のためによく散歩するという。

永井さんは都会から島へ生活環境を変えて、すんなり地域に溶け込めたのだろうか。

「地域に溶け込むのにハードルは感じませんでした。
閉校した近くの地蔵小学校で祖父母が先生をしていたので、
『先生にお世話になったから』といって近所の方によくしてもらうこともありました。
もう50〜60年も前の話なのにね」

学校の夏休みに遊びに来ていた記憶から、地域での暮らしをある程度は予想できたという。

「インターネット通販で注文すれば、翌々日には届きます。
車の運転は、20年以上ペーパードライバーだったんですけど、
さすがに車を買って練習しました。
最初の1、2年は大変でしたが、Wi-Fi環境はむしろ東京よりもいいし、
不自由を感じることはありませんね」

東京ではほぼ外食だったが、移住してからは自炊が増えたという。
自分たちの畑で育てた野菜や魚屋さんで手に入る新鮮な魚が永井家の食卓を彩る。

オフィスの裏手にある畑で季節に合わせた野菜をつくっている。夫婦ふたりで食べる野菜は8割がた賄えるそう。

オフィスの裏手にある畑で季節に合わせた野菜をつくっている。夫婦ふたりで食べる野菜は8割がた賄えるそう。

「スーパーで食材を買ったり、親戚がお米をつくっているので送ってもらったり。
といっても、ピザもパスタもインスタントラーメンも食べるし、
田舎ならではのメニューばかりでもないですよ」

移住後すぐは新しい拠点整備に大わらわだったそうだが、
今では生活にも慣れ地域に馴染んでいる。

『人生フルーツ』に憧れて。
日記のように子育てしていくログハウス

木に囲まれたログハウスで暮らしたい

「『人生フルーツ』を観て、木の家に住む暮らしに憧れていました」

そう話すのは、
神奈川県秦野市にBESSの「カントリーログ」を建てて住んでいる八島巧実さん一家。

近代建築の巨匠である建築家、アントニン・レーモンドの弟子である
津端修一さんを追ったドキュメンタリー映画『人生フルーツ』。
土地を購入し、その場所に何十年に渡って雑木林を生み出しながら、
自ら建てた平屋で暮らす夫婦の物語である。
周辺環境はもちろん、その暮らしぶりに憧れた。

八島巧実さんと絢さん、そして子どもたち。

八島巧実さんと絢さん、そして子どもたち。

神奈川県藤沢市の鵠沼海岸に住んでいたとき、
なんとなくBESSのLOGWAY(ログウェイ・展示場)に行ってみて、一目惚れ。
そこから購入までの流れは早かったという。
『人生フルーツ』にあやかり「明るい色ではなく、木そのものの雰囲気がよくて」と、
BESSのなかでもログハウス感の強い「カントリーログ」を選んだ。

カタカナの表札がかわいい。

カタカナの表札がかわいい。

当初思い描いていた暮らしも、やはり『人生フルーツ』の影響が大きかったという。
まずは庭に木を植えること。

「家を建てたときにいくつか植えてもらいました。
その後に自分で植えたものもあります」

雑木林にまで育てるのは難しいかもしれないが、
これから時間をかけて育っていくのが楽しみな、若い木がたくさん植えられている。

窓際にダイニングテーブルを設置して、外を眺めながら食事できる。

窓際にダイニングテーブルを設置して、外を眺めながら食事できる。

庭の木々には野鳥用のバードハウスを設置。
ふたりの共通の趣味であるバードウォッチングを、
子どもとダイニングテーブルに座りながら楽しんでいる。
子どもが産まれる前、鵠沼海岸に住んでいるときにふたりで好きになったという。
ちょうどシジュウカラが飛んできた。

「小鳥、好きですね。愛らしさしかない。
それまでスズメとハトとカラスしか知らなかったんですが、
ちゃんと見てみると、ちょっと緑の多い公園なんかに行けばたくさんいるんですよね。
木の先端にいる鳥もいれば、中に入って止まっている鳥もいます」と言う奥様の絢さん。

「最初は図鑑を持っていって照らし合わせたり、写真を撮ってあとで復習したり。
1年くらいやっていると、季節と大きさ、止まっている木の場所で、
だんだんわかるようになってきました」と続ける巧実さん。

土間部分はリビングとして利用しているが、もう少しいい使用方法があればと常に考えている。

土間部分はリビングとして利用しているが、もう少しいい使用方法があればと常に考えている。

写真家・高橋ヨーコ
東京→カリフォルニア・ベイエリア
→横須賀
形もルールも違う「移住」という双六

「東京は引きこもるには最高なんです」

「カメラマンとして独立したころは都会が好きでした。
人がたくさんいて、ひっきりなしに動いているまちの感じが。
誰もいないところでのんびりと、という気持ちはなかったですね。
いまは都会がそこまで好きかはわかりませんけど」

写真家の高橋ヨーコさんが
10年間続いたカリフォルニアのベイエリアでの生活にひと区切りつけ、
神奈川県横須賀市秋谷の家に拠点を移したのは
2020年、パンデミックの最中だった。

渡米までは東京に暮らしていた高橋さん。
旅をベースにさまざまな撮影を続ける高橋さんにとって、
ローカルシフトは必然のことかと思いきや、
東京での生活にさしたる不満はなかったようだ。

「独立した頃は東京で引きこもっているか、
海の向こうで写真を撮っているという2択の生活でした。
幸い外から見ると身軽に見えるのか、いろいろな撮影が舞い込んできました。
景気もよかったですし、いい時代でしたね。

そもそも自分は京都で育って、最初は市内にいました。
のちに田舎に引っ越して、それが嫌だった記憶があります。
引きこもるには東京は最高なんです(笑)。
人が多いので、そんなに寂しくもないですし、仕事もあります。
むしろ地方で引きこもるのは辛いと思いますよ。
とことん孤独になりますから。

当時、住んでいたのは目黒でした。
低層のささやかな集合住宅で、高級という感じではなかったですが、
場所も家も環境も最高でした。
さりげない中庭にふわっと光が灯っていて、
夜に帰ると、なんか気分が上がるんですよ。
『外国みたいで、いいところだな』と帰るたびに思っていました。
ほんとうに満足で、東京にいてこれ以上のところはもうないだろうなと。
仕事も順調でしたし、双六のゴールのように“あがり”かなと」

塗装をし直すなどの手は加えたもののほぼオリジナル。

横須賀の家は、塗装をし直すなどの手は加えたもののほぼオリジナル。

そんな不満のない環境のなか、高橋さんは海外への移住を決意する。
目的地として選んだのはカリフォルニア、サンフランシスコに近いバークレー。
せっかくあがりまで進めたコマをまた振り出しに戻した。

「振り出しといっても、変なところに止まって戻されたのではなくて、
また新しい双六が始まった気分でした。
いつか海外に住んでみたいという小さな夢はあったんです。
大きな夢はある程度、東京で叶えたというか、やりたいことはやってきたので、
今度はちょっとささやかな願望に手をつけたいと」

仕事関連ではある程度の感触を得た高橋さんを駆り立てたのは、
海外移住という、以前から抱いていた夢。
きっかけは海外との仕事で意思の疎通が難しいことがよくあり、
もう少しスムースに進められないかという悩みだった。

「それには海外に住むのが一番かなと思ったんです。
だとするとアメリカかなと。
LAは仕事でよく行っていましたが、広すぎるし、クルマもすぐに必要。
サンフランスコも候補に上がりましたが、最初は嫌でした。
なんかおばさんの観光地みたいな印象があったんです。
そうしたら長尾(智子・料理研究家)さんが
『バークレーはどう?』って薦めてくれたのです。
バークレーってどこですか? から始まって、いろいろと調べていたら、
大学があったり、ヒッピーカルチャーがいまだ息づいていたりと、魅力的でした。
で、『バークレーにします』ってことになったわけです(笑)」

グラフィックデザイナーの黒田益朗さんとつくった庭。春に向けて手入れする。

グラフィックデザイナーの黒田益朗さんとつくった庭。春に向けて手入れする。

茅ヶ崎〈BRANDIN〉
「日本一のレコード大好き男」
宮治淳一のレコードライブラリーカフェ

音楽好きコロンボとカルロスが
リスニングバーを探す巡礼の旅、次なるディスティネーションは
神奈川県茅ヶ崎市。

観て、探す、聴く。レコード・ライブラリー・カフェ

コロンボ(以下コロ): 茅ヶ崎の宮治淳一さんのお店に行って来たよ。

カルロス(以下カル): 宮治さんって、あの“日本一のレコード大好き男”の?

コロ: そう、“めったにないマニアックな音楽番組”
『宮治淳一のラジオ名盤アワー』の宮治さん。
山下達郎さんのラジオ番組『サンデー・ソングブック』の
新春放談でもおなじみ。
〈BRANDIN〉っていう茅ヶ崎のすてきなカフェだったよ。

カル: 藤沢に住んでいた頃、行ったことがある。10年くらい前かな。
レコードライブラリーみたいになっていたので、ディグろうかと思ったんだけど、
あまりに多過ぎてどこから見たらいいのかわからなくなって、やめちゃった。

コロ: お店だけでも1万枚はあるからね。
そもそも、レコードの重みで家が傾いてきたので、ここを始めたらしいよ(笑)。

カル: ボクが行ったときは、帰り間際に宮治さんが散歩から戻って来て、
あまりに気さくでフレンドリーだったので驚いたよ。
“サザンオールスターズの名づけ親”ってことで、
勝手にボクがハードルを上げてしまった。たから余計に。

コロ: 普通にいるから驚くよね。うれしいけど、たしかに緊張する。

阿武町地域おこし協力隊・
藤尾凜太郎さん
全国で山口県に200頭しかいない
「無角和牛」の未来をつくる

「なにもない」を解決する人間になりたい

山口県北部にある人口約3000人のまち、阿武町。

日本海に面しているので冬は降雪もあるが年間を通して温暖な気候だ。
阿武町は萩市と合わせておよそ50か所に小型火山が分布する
阿武火山群と呼ばれる火山性土壌で、
古くから野菜や穀物、果物などの栽培が盛んに行われてきた。

山口市の中心部から車を1時間ほど走らせると、
緑豊かな山間にある〈無角和種繁殖センター〉に到着する。
そこで地域おこし協力隊として「無角和牛」に携わるのは藤尾凜太郎さんである。

無角和種繁殖センターの入口では牛が彫り込まれた巨大な看板が出迎える。

無角和種繁殖センターの入口では牛が彫り込まれた巨大な看板が出迎える。

神奈川県出身の藤尾さんは、
阿武町の地域おこし協力隊に着任する前は横浜の大学に通う大学生だった。

幼少期に祖父母の暮らす田舎への帰省や家族と訪れた旅先での思い出から、
生まれ育ったまち以外の地域に対する興味や憧れが芽生えたという。
大学では海外へ日本のよさを伝えたいと語学やまちづくりを学べる学科を選び、
4年次は地理学を専攻した。

「旅行や在学時のフィールドワークで地方を訪れたとき、
自分の知らない日本がまだまだ沢山あることに気づきました。
同時に、訪問した地域の人たちが『なにもない所によく来たね』と言うんです。
それがすごくもったいない。
『なにかある』と思って訪れているのに
『なにもない』と地元の人が突き返してしまうミスマッチ。
謙遜なんかいらないと感じていました。
もっと自信を持ってもらうには、
その地域をおもしろがる若者が必要なのではないだろうか。
将来、その『なにもない』を解決する人間になりたいと思っていました」

さらに、同級生が学校を休学して地域おこし協力隊の活動を始めたことも、
進路を考えるうえで大きなきっかけになったという。

アカエゾマツからどんどん広がる
北海道針葉樹の輪

ショップコンセプトは、森の研究室

森と湖の温泉郷、北海道弟子屈町。
アカエゾマツの森に隣接する〈川湯ビジターセンター〉で
ショップを始めることになって、考えた。
町民には「暗い」「怖い」という印象もあるこの森に、
少しでも関心を持ってもらうきっかけづくりができる場所。
それが、このショップの意義だと思った。

年末から連日の雪。川湯ビジターセンター裏にあるアカエゾマツの森は、真っ白な雪に包まれている。

年末から連日の雪。川湯ビジターセンター裏にあるアカエゾマツの森は、真っ白な雪に包まれている。

コンセプトは、森の研究室。
眺めた姿の美しさだけでなく、アカエゾマツを解剖して、
隠された魅力を引き出して、紹介する。
それらを来館者が、体験しながら感じることのできる空間。

ズラリと並んだのは、弟子屈町〈Pine Grace〉、陸別町〈種を育てる研究所〉、浜中町〈とどろっぷ〉、芽室町〈いろどりファーム〉、ニセコ町〈HIKOBAYU〉、下川町〈フプの森〉、道外から〈日本鳥類保護連盟〉の精油。いずれも道内のアカエゾマツやトドマツをメインにしてつくられている。

ズラリと並んだのは、弟子屈町〈Pine Grace〉、陸別町〈種を育てる研究所〉、浜中町〈とどろっぷ〉、芽室町〈いろどりファーム〉、ニセコ町〈HIKOBAYU〉、下川町〈フプの森〉、道外から〈日本鳥類保護連盟〉の精油。いずれも道内のアカエゾマツやトドマツをメインにしてつくられている。

主となるのは、精油と蒸留水。
弟子屈町には、アカエゾマツの蒸留所を構える
〈一般社団法人Pine Grace〉があり、精油や蒸留水だけでなく、
それらをベースにしたロウリュ水、芳香スプレー、マスク用シールなど、
ユニークな商品を開発している。

ほかにもアカエゾマツの商品を、と探したら、さらに3社見つかった。
う〜ん、もう少しほしい……。
選択肢を増やして、北海道の針葉樹をテーマにしたら、
トドマツの精油や蒸留水を販売する生産者が3社加わった。
計7社による「北海道針葉樹の香り嗅ぎ比べ」は、
ここならでは楽しみのひとつに。

次に扱いたいと思ったのが、ウッドチップ。
森に興味を持ってから、青森ヒバやヒノキのウッドチップと
その香りに触れる機会があり、
活用してみたいと気になっていた。
ところが探し始めると、アカエゾマツのウッドチップが見つからない。
弟子屈町にはこんなにたくさんアカエゾマツがあるのに……。
釧路管内2市10町1村まで捜索範囲を広げて、
厚岸町に工場がある〈土井木材株式会社〉に分けてもらえることになった。

アカエゾマツのウッドチップ袋詰め販売。インパクトのあるスコップもアカエゾマツ製。町内のカヌーガイド(兼、木工作家)の祖父江健一さん作。

アカエゾマツのウッドチップ袋詰め販売。インパクトのあるスコップもアカエゾマツ製。町内のカヌーガイド(兼、木工作家)の祖父江健一さん作。