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上出長右衛門窯 六代目・
上出惠悟の旅コラム
「高校3年生、石川から東京へ。
上野駅での不思議な出会い」

旅からひとつかみ
vol.034

posted:2023.6.8   from:東京都台東区  genre:旅行

〈 この連載・企画は… 〉  さまざまなクリエイターがローカルを旅したときの「ある断片」を綴ってもらうリレー連載。
自由に、縛られることなく旅をしているクリエイターが持っている旅の視点は、どんなものなのでしょうか?
独特の角度で見つめているかもしれないし、ちいさなものにギュッとフォーカスしているかもしれません。
そんなローカル旅のカタチもあるのです。

text

Keigo Kamide

上出惠悟

さまざまなクリエイターによる旅のリレーコラム連載。
第34回は、九谷焼〈上出長右衛門窯〉の六代目である上出惠悟さん。
上出さんが高校3年生の頃、美術大学を目指し、
初めて東京に夏期講習を受講しにきたときの話。
夏期講習は刺激的であり実りのあるものになったが、
印象に残っているのは、
石川県への帰りに上野駅で出会った不思議なおじさんだった。

東京の美術予備校の夏期講習で過ごした2週間

北陸新幹線開通などまだ遠い日の1999年の夏の終わり、
17歳で高校3年生の私は深夜の上野駅のベンチに座って、
金沢駅行きの急行能登号を待っていた。
能登号はかつて東京と石川を結んでいた夜行列車で、今はもう走っていない。

小さな頃から絵を描くのが好きで、
金沢にある工業高校のデザイン科に通っていた私は、
卒業したら東京の美術系大学でデザインを学び、
将来は広告に関わる仕事に就きたいと考えていた。

毎日放課後に地元の先生にデッサンを教わっていたが、
受験のためにはもっと専門的な勉強が必要だということで、
東京の美術予備校で夏期講習を受講することになった。
都内にある主要な予備校のパンフレットを取り寄せて、
何となくピンときた1校を選んだ。

写真はすべて当時フィルムで撮ったもの。

写真はすべて当時フィルムで撮ったもの。

何せ初めてのことで、一緒に行く友だちもいない。
緊張と不安のなか、
東京へ行く前日に髪の毛をオレンジ色に染めたことを覚えている。
若い。

東京には母方の親戚で、私からすると大叔父が住んでおり、
神楽坂にある自宅に泊めてもらった。
早くに奥さんを亡くした大叔父は毎朝ごはんと味噌汁をつくって送り出してくれた。
予備校がある三鷹までは、東西線が中央線に乗り入れるので難なく通うことができた。
おおよそ2週間、私はこの路線を毎日行き来した。

予備校での私は周りとの実力の差が歴然としていて、
そこにいるだけで恥ずかしいものだった。
ハクチョウの群れのなかにアヒルが1羽混ざっているようなもので、
よくぞ私は何も知らず、こんなところへ来たものだといたたまれない気持ちにもなったが、
後悔はなかった。

先生がひとりのクラスメイトを私とペアにしてくれて、
さまざまな面で慣れない田舎の少年を助けてくれた。
成長したかはわからないが、挑戦ができたことや人の恩に触れたことがうれしかった。
最後の夜に「上出はとにかくここへ来て良かったと思うよ」と先生は声をかけてくれた。

吉祥寺駅改札

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知らないおじさんに話かけられた

Page 2

絵を見せ、名前について話す

そして上野駅でひとり、
本当に先生のいう通りだったと能登号を待ちながら旅のことを振り返っていたのだ。
初めてひとりで来た東京で計り知れない程の大きな世界を知り、
それまでの人生にはいない個性的な友だちが何人かできたのも心強く、うれしかった。

火照った身体を冷ますようにベンチに座っていると、予期せぬ出会いが待っていた。
知らないおじさんが私のほうへ歩み寄って来たのだ。
汚れた服に酔いがまわっている。ホームレスの方かもしれないと直感した。
できれば話したくないと思ったが、そのおじさんは私の隣に座ってこう言った。

「お前電車を待ってるのか?」

おじさんは明らかに私に向けて声を発している。

「どこから来たんだ?」

私は躊躇したが無視する勇気もなく、将来美大に行きたいと思っていること、
そのために東京の美術予備校で夏期講習を受けたこと、
そして地元に帰る夜行列車を待っていることを正直に答えた。

おじさんは興味深げに話を聞いていた。
そして私が持っているカルトン(画板)を指して
「お前が描いた絵を見せてくれよ」と言った。
これ以上は関わりたくないと思ったが、列車が来るまでにまだたくさん時間があったし、
どうやら悪い人ではなさそうだと思い、中に挟んだ絵を見せることにした。

描いてきたばかりのデッサンや着彩画を見ながら、
「お前名前はなんていうんだ?」と訊いてきた。

「上出惠悟です。上に出ると書いて上出(かみで)、惠みに悟るで惠悟(けいご)です」

出会ったばかりの知らないおじさんに自分の名前まで打ち明けてしまった。

「上に出るとはなんだお前、お釈迦様みたいな名前だな。
惠みに悟る? 俺は正直に言うけどな、
お前は名前負けしてるぞ。完全に名前負けしてる」と何度も言った。
私はその通りだと思った。

「俺は保○常幸っていうんだよ、いい名前だろう。
常に幸せを保つんだよ」

そう言っておじさんは笑った。どれくらいの時間話していたのかは覚えていない。
「次に東京来たら連絡しろよ。番号は電話帳で調べればわかるから」と言い残し、
駅構内ではぐれてしまったという奥さんを探してどこかへ行ってしまった。

美術予備校にて

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寝られない電車で考えた

Page 3

自分の名前に込められたもの

おじさんが去った後、私はぼんやりとした気持ちになっていた。
なぜ私に話かけてきたのか、一体誰なのだ、そして自分や自分の名前のことを考えていた。
「惠悟」という名前は
人や神様からの恩恵に感謝できる人になるようにと親が名づけてくれたものだ。
「上出」という苗字は石川ではそれほど珍しくはない。

やがて時刻が来て、能登号は私を乗せてゆっくりと走った。
寝台車ではなく座席車両なのであまり眠ることができず頻繁に目を覚ます。
最終列車を逃したサラリーマンが高崎辺りで降りていくのが見えた。
私は高校を卒業して大学に行けなくても
石川を出てきっと東京へ戻って来ようと考えていた。

美術予備校にて

旅の終わりに待っていたこの出会いを何故か今でもはっきりと覚えている。
私はこの頃まだ子供だったように思う。
物事に対する意見もなく、自分の道を開こうとさして努力もしていなかった。

石川に戻り、私は自分の進路を変える決心をした。
高校で教えられたデザインではなく芸術を志したのだ。
自分のために絵を描こうと思った。
芸術の海は広くて私をもっと大きくしてくれるだろうと感じた。

世紀が変わった2001年、夢を叶えて東京に戻って来ることができた。
上野駅公園口の電話ボックスの電話帳でおじさんの名前を見つけたが、
電話をかける勇気はなかった。

profile

Keigo Kamide 
上出惠悟

1981年石川県生まれ、2006年、東京藝術大学美術学部絵画科油画専攻卒業。同年より、1879年創業の九谷焼窯元である〈上出長右衛門窯〉の後継者として、職人とともに多くの企画やさまざまな作品を制作。伝統の枠に囚われない柔軟な発想で九谷焼を現代に伝える。伝統柄をアレンジした「笛吹」や、スペイン人デザイナーを招聘した「JAIME HAYON×KUTANI CHOEMON」シリーズなどを発表。2013年合同会社〈上出瓷藝(かみでしげい)〉設立を機に本格的に窯の経営に従事するとともに、丸八製茶場、結わえる、福光屋、ユニクロなどのブランドや企業の商品企画、パッケージデザイン制作を担当。また個人作家としても活動し、精力的に個展を開催している。

Instagram:KAMIDE KEIGO 

Web:上出長右衛門窯

Web:上出瓷藝

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