連載
〈 この連載・企画は… 〉
日本のローカルにはおいしいものがたくさん。
地元で愛されるお店から、お取り寄せできる食材まで、その味わい方はいろいろ。
心をこめてつくる生産者や料理する人、それらを届ける人など全国のローカルフードのストーリーをお届けします。
writer profile
Aya Hemmendinger
ヘメンディンガー綾
へめんでぃんがー・あや●大阪生まれ。出版社勤務等を経て2012年よりフリーランス。核融合からアートまで幅広い分野で執筆。紀伊半島南部の隠れた名所をフィーチャーしたフォトブック『南紀熊野Route42国道42号線をめぐる旅』(青幻舎)を上梓、和歌山愛が溢れて2022年から和歌山に移住。築80年の古民家をセルフリノベしたお宿「バカンスの家」も近々オープン。
photographer profile
Yayoi Arimoto
在本彌生
ありもと・やよい●フォトグラファー。東京生まれ。知らない土地で、その土地特有の文化に触れるのがとても好きです。衣食住、工芸には特に興味津々で、撮影の度に刺激を受けています。近著は写真集『わたしの獣たち』(2015年/青幻舎)。
photographer profile
Itsuko Shimizu
清水いつ子
しみず・いつこ●和歌山県出身。フォトグラファー。細々と撮り続けて20年。雑誌やwebを中心に、旅と日常、食、ライフスタイル、手しごとなどを撮影。2009年にUターン。旅好きのインドア派。金継ぎ歴15年。@itsukophoto
いくつもの緑のトンネルを越え
蛇のようにクネクネと曲がる川のほとりに
すっくと建つ〈美里農産物加工場〉。
JAの農産物集荷場として建設された2階建てのこの小さな建物では、
地域の伝統の味「金山寺味噌」と
お味噌汁に使う味噌や麹の生産と販売が行われている。
「金山寺味噌」とは、今からおよそ700年ほど前。
中国の径山寺(きんざんじ)で修行した法燈国師という僧が
当地から紀州に味噌を持ち帰ったことで製造が始まったと伝わる
甘じょっぱいおかず味噌。
麦と米と豆でつくった麹に刻んだナスやウリの漬物がたっぷり入っているのが特徴だ。
ちなみに味噌の発酵途中で、こうした野菜から出る液体の
「たまり」を利用して生まれたのが醤油ともいわれている。
つまり、和歌山県湯浅地方は醤油の発祥地。
そして金山寺味噌はこの湯浅地方を中心に、家々で仕込まれてきた伝統食。
保存食では梅干しと双璧をなす郷土の味だ。
しかし、多くの伝統食がそうであるように、欧米化が食が進んだ結果、
金山寺味噌が食卓の定番として上がることはうんと少なくなった。
停滞する売り上げを前に、このまま経営を続けていくことは困難と判断したJAは
2018年に加工場をクローズすることにした。
それを惜しみ「なんとかして継続できないか」と考えた人地域の々は、
〈海南社〉の源じろうさんに味噌工場の跡を継がないか、と声をかけた。
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〈海南社〉は、自らデザインとリノベーションを手がけ、
ほとんど使われなくなってしまった場所に
再び息を吹き入れるかのようにして
和歌山県下で合計7店舗の飲食店を経営している。
源じろうさんが加工所を訪れてみると、
工場のすぐ隣に川は流れ、周囲は山に囲まれた日本らしい里山の風景が広がっていた。
そのロケーションが持つ可能性に、何よりも惹かれたと源じろうさんは言う。
味噌工場がある和歌山県海草郡紀美野町毛原地区は、
高速道路のインターからもほど遠く
町内には電車の駅はおろか、スーパーもない。
山の辺に建つ家は、未だに水道をひかずに、湧水が集まった谷の水を貯めて
飲み水にする家もあるほど、山深い集落だ。
「僕らの店づくりは、エリアが大事なんです。毛原という地域には、
小・中・高校までが揃っていて、かつてここが小さな村だった名残がある。
そして味噌工場はその中心的な存在で、きっとここを中心に村の人の暮らしがあった。
そう思わせる何かがあるんです。
実際に水と空気がきれいな場所です。
味噌の加工を継続しつつ、食堂をつくって人が集まるようにすれば
再びエリアの中心的な存在になれるのではないかと思いました」
源じろうさんのこの直感は、
何度も加工場周辺に通い、場所との対話を始めるうちに確信に変わっていった。
手を加える必要がなくそのまま使える加工場。
地域の料理上手なご婦人が考案したレシピ。
それを大切に受け継いで、和気あいあい楽しそうに味噌をつくるスタッフ。
この空気感が何よりの宝だと感じた源じろうさんは
味噌加工場のスタッフも、味噌のレシピもすべてそのまま継承することにした。
2018年のことだった。
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事業を継承した源じろうさんは、
もともとつくられていた「金山寺みそ」と「田舎味噌」の2種類を
〈みさとみそ〉と名づけた。
和歌山県下では当然のことながらいくつもの味噌の競合他社がある。
しかし、みさとみそがほかと違うのは
添加物を一切使わず、麹から加工場でおこしていること。
また一般的に発酵食品はパッケージの膨張を防ぐために加熱処理を行うが、
みさとみそは加熱処理を施していない生の味噌。
つまり酵素や酵母が生きた状態で入っている。
原材料にもこだわりがある。「金山寺みそ」に使うナスとウリは
毎年お正月の頃に地元の農家さんに依頼して
わざわざ育ててもらったものを使用している。
麹の原材料であるお米は、天候や取れ高にも左右されるが
直近で仕込んだ2樽分は町内でとれたものを使うことができた。
大豆は北海道産、砂糖は鹿児島産のザラメ糖を使用。
それ以外は、ほとんどすべての材料を県内産でまかなっている。
非加熱であるために、冷蔵ケースのない販売店では売ることができないし、
デパートやスーパーなどで冷蔵ケースに中に入った商品は
消費者の目につきにくいため販売上のネックにもなる。
加工場を引き継いでからは販路も構築し直す必要があり、
これまでフードショーに参加したり
スーパーに赴いて営業活動を地道に行ってきた。
「昨年有明で行われたスーパーマーケット・トレードショーに参加しましたが
そこに来ているのは、大手スーパーなど。
なかには興味を持っていただける会社もありましたが、毎月、何百という単位での
納品ができるかと問われるとそれは難しく、商談に結びつかないこともありました。
それでも非加熱であることがうちの良さなので、そこは変えたくないんです」と
販売と管理を担当している本川繁樹さんは話す。
大量に製造できないのは、発酵と熟成にじっくりと時間をかけるからだ。
「金山寺みそ」は最低でも3か月程度、「田舎味噌」は4か月程度。
時に天地返しを行いながら、我が子を見守るようにゆっくりと育てるため
在庫がロスにならないように考慮しつつ、熟成期間を見越して仕込むのは非常に難しい。
その絶妙な塩梅を先読みするのが、味噌づくりのリーダーである炭家くに子さんだ。
「夏は金山寺みそがよく売れて、冬場は味噌汁に使う田舎味噌がよく売れます。
でも急にどちらかがすごく売れることもあるんです。
もちろん売れたら仕込みますが、
何か月も発酵させるのですぐに納品することもできない。
なので、先を読むのは今でもすごく難しいですね」
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これまで飲食店を経営してきた源じろうさんは、初めての加工品製造・流通に際して
パッケージについても頭を悩ませていた。
「僕らにとっても加工業は初めての挑戦。
経験もないので、知らないことが多いだろうなと思ったんです。
そんなときに梅原真さんの存在を知って、デザインをお願いすることにしました」
梅原真さんといえば、「一次産業× デザイン=ニッポンの風景」という方程式で、
日本の風景を残しておくというビジョンのもとに、
パッケージなどのデザインを数々手がけている。
梅原さんに会うために、源じろうさんは一家で車を走らせて
和歌山から海を渡り、高知へ向かった。
梅原さんに熱い思いをぶつけたところ、
快くデザインを引き受けてもらえることになった。
「『金山寺味噌を知らない人にしてみると、
金山寺というお寺が和歌山にあると思うんじゃない?』と梅原さんは仰ったんです。
よく考えてみると、加工場がある毛原地区は、
かつて世界遺産である高野山の領地だったので、お寺とのつながりも深い。
高野山との結びつきがあるエリアでつくっていることがわかるほうが、
全国の方にもピンときてもらえるでしょう。
こうした観点からお寺のイラストが大きく入ったシンプルなパッケージになりました」
と源じろうさんは話す。
2020年にパッケージをリニューアルし、売れ行きは上々。
実際に高野山の宿坊で朝食に使ってもらうなど
販路は少しずつ広がりを見せている。
「金山寺味噌を食べなくなった若い人に、
味噌のおいしさを啓蒙することも大事なんですが、
もっと別の販路があるのではないかと最近は考えています。
例えば高野山でも使っていただくとか、
あるいは金山寺味噌をまったく知らない外国の方に向けて販売してもウケるかもしれない」
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加工場を引き継ぐ前後で売り上げ個数はほぼ横ばい。
だからスタッフの雇用を守るのも必死だ。
そこで源じろうさんは町内にあるバンガローの
管理業務を紀美野町から受託することにした。
味噌づくりの仕込みがないときは、スタッフの手が空くため
バンガローの清掃と管理業務を行うことで
人件費を確保しようという考えだ。
それだけではない。
味噌をきっかけに紀美野町に関心を寄せる人が
エリア全体の魅力をもっと楽しめるような仕掛けも考えている。
加工場のすぐそばには、高野山まで空海を導いたと伝えられる
〈狩場明神〉を祀る〈丹生狩場神社〉をはじめ、
70メートルもの長さを誇る木造廊下が自慢の〈毛原小学校旧校舎〉や
日本でも屈指の口径105cmの反射望遠鏡を有する〈みさと天文台〉がある。
山からの水はしごく清らかで、川には鮎が泳ぎ
畑ではクレソンの栽培も盛んだ。
訪れた人が宿泊してゆっくりエリアを楽しめるように
バンガローもより磨きをかけていきたいし、
著名な料理人を招いて、天文台の前の見晴らしのいい広場で
食事会を開くこともやっていきたい。
その足場となる食堂のオープンを今年中には必ず、と考えている。
「加工場を引き継いですぐコロナ禍が始まったので、なかなかできなかったのですが、
今年こそは金山寺みそと田舎味噌を楽しめる食堂を
加工場に併設させたいと考えています。
店をつくるというのは、地域と関わっていくということ。
そこには必ず化学反応が起きるんですよ。
店に来てくれた人がほかの場所も訪れたり、味噌以外の加工品を買えるように
新しい商品も考えていきたいですね」
味噌をまん中にしたエリア再生は
まだまだ始まったばかりだ。
その化学反応は、この山深い土地で
どんな有機的な広がりを見せていくのだろう。
information
海南社
Web:海南社(源じろう計画事務所)
Web:源じろう商店(ECサイト)
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