熊本県の阿蘇地方は、カルデラや草千里といった自然豊かな大地が広がる。
2016年の4月14日と16日に発生した熊本地震。
28時間以内に2度も震度7を記録する大地震は観測史上初めてのことだった。
四季折々の美しい姿を見せてくれる阿蘇も、
地震により甚大な被害を受けた地域のひとつだ。
震災から5年。
熊本地震の記憶を伝える場所があるということで、南阿蘇村を訪れた。
熊本市内から車で約1時間、2020年10月に開通した
国道57号を北上すると阿蘇の玄関口に差し掛かる。
ここは、「数鹿流(すがる)崩れ」と呼ばれる
大規模山腹崩壊や、阿蘇大橋の崩落が起きた場所だ。
黒川を挟んだ対岸に残された橋の一部が見える。
その生々しい光景に、思わず足がすくんでしまう。

地震によって崩れ落ちた阿蘇大橋。
未だ災害の爪痕が残るその場に立つと、被害の大きさが肌で伝わってくる。
熊本地震の経験から得られた教訓を後世に伝えるために、
熊本県と関係市町村は、さまざまな地域に点在する
「震災遺構」と情報発信の「拠点」を広域的に巡る、
フィールドミュージアムの取り組みを進めている。
それが、熊本地震 震災ミュージアム〈記憶の廻廊〉だ。
この震災ミュージアムは回廊型である。
県内8市町村(熊本市、宇城市、益城町、南阿蘇村、宇土市、
御船町、西原村、大津町)が連携し、震災遺構や防災拠点センター、
役場庁舎、熊本城などの拠点を広く巡ってもらおうという取り組みである。
この日訪れたのは、その震災ミュージアムの
拠点のひとつである〈旧東海大学阿蘇キャンパス〉だ。
南阿蘇村に位置する旧東海大学阿蘇キャンパスは、
「地表地震断層」と「1号館建物」が震災遺構として
保存されており、県防災センターと並ぶ
震災ミュージアムの中核拠点として機能する。

高台にある白い建物が旧東海大学阿蘇キャンパスの校舎だ。
以前はここで農学部の学生たちが集い学んでいた。
実習フィールドを残してキャンパスはすでに移転してしまったが、
旧校舎は取り壊されることなく、震災遺構として
2020年8月1日から一般公開されている。
「震災遺構」というと重々しく感じてしまうが、
校舎の周りののどかな風景は、開放的で清々しい。
「もし自分がこの場所に通えるなら居心地がいいだろうな」と、
そんなイメージを膨らませてしまうほど、気分がいい。

この日の案内人である鉄村拓郎さん。
笑顔で出迎えてくれたガイドの鉄村さんにさっそく案内をしていただく。
ガイドは30名ほど在籍しているそう。
団体を除いて、多い時に1日で100名前後を案内するという。
時間は30〜40分程度、阿蘇独特の地形から、震災遺構である地表地震断層、
1号館建物や地域のことについて丁寧に解説してもらえる。
阿蘇は隆起の激しい珍しい地形だとあらためて驚く。
地表地震断層と呼ばれる地割れは、校舎裏の広場に当時のままの状態で保存されている。
断層は一直線に校舎へ向かっている。

断層の種類や性質など図解でわかりやすい。右横ずれ断層の特徴である雁行(がんこう)についての説明を聞く。
本来一体である校舎の倒壊を防ぐために、1号館建物は4分割にされていた。
窓ガラスが割れ、階段や壁に大きく亀裂が伸びている。
断ち切られた校舎や波のように割れた地面が痛々しい。
「中央の校舎の被害が左右に比べて大きいのはなぜでしょうか?」
と突然クイズが投げかけられた。
来場者が受け身になりすぎず、一緒になって考えることが必要なのだと気づかされる。
答えは、ぜひ訪れた際に確認してほしい。

壊れた柱や外壁もそのまま保存されている。
外から見る事務室の中には、散乱した家具やバスの時刻表、
カレンダーが当時の日付のまま掲示されていた。
通常、損壊した建物は取り壊されて再建されるのが一般的だ。
さらに震度6強の揺れを受けながら倒壊しなかった
大規模な建物と断層が一体となって保存されている事例は、国内に例を見ないという。
解説パネルや写真、映像では伝えきれない現実。
リアルな環境だからこそ、目で見ること、声を聞くことで実感となり、
「自分にも関わること」として受け止めやすくなる。
現地に来なければわからないことだと感じた。