大崎上島 Part3 わたしにしかできないことをやりたい。

山崎亮 ローカルデザインスタディ
大崎上島編・目次

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山崎さんがワークショップのために何度か足を運んでいる瀬戸内海の大崎上島。
人口約8,300人のこの島に、築80年の古民家を購入してIターン移住した女性がいます。
カフェ&ショップを営みながら、自分らしく生活をアレンジして
島の暮らしをたのしむ森ルイさんに、そのいきさつや今の暮らしぶりをうかがいます。

島暮らし=農業じゃなかったわけは。

山崎

島に暮らすようになったいきさつを含め、
森さんの場合、Iターン者の中でもかなり特殊なケースですね。

もともと、島に暮らしたかったわけでも、
カフェをやりたかったわけでもないですからね。
ただ、移住してきたらそこに閉まった店があった、と。
「そこに山があるから山に登る」みたいなことなんです。
島でできること、思いつくことは、まだほかにもあるんです。

山崎

ほぅ。

じぶんにしかできないことをやりたいんです。
東京で生まれ育って、海外も見てきたわたしだからできること。
だからわたしの場合は、島暮らし=農業じゃなかった。
でも、農業に携わるひとをつなぐようなことはやってみたいと考えています。
たとえば、ファーマーズマーケットだとか。

山崎

いいですね。ここなら、いい雰囲気でできそうです。

でもひとりでやると負荷が大きいかなと思って、
いちど役場にかけあってみたこともあるんですけど、
ちょっとどうにもなりそうになくて。
まぁいいや、そのうちじぶんでやろう。って(笑)。

山崎

たのもしいなあ。

島のひとのなかには、前の店のイメージが強くて、
「漬け物は置いてくれないのか」とか「商品が減った」とか
「毎日開いてない」とかいろいろ言うひともいます。
でも、「アンテナショップ」と名乗ってはいますが、
うちは行政の助成や支援を受けている事業じゃないし、
わたしひとりでできることは限られています。
うわさは気にしてもキリがないし、みんなから好かれようとしてもムリ。
慣れるまでは大変だけど、そういうことをじぶんで割り切れるようになると、
少し気持ちが楽になりますね。

山崎

とはいえ、そういうことに直面するとやはり時々、
息がつまるようなこともありますか?

そういうときは、すぐそこにある自然に触れて、スッキリ気分転換です。
これは東京にはない、よさですね(笑)。

森さんがみかん100%ジュースを作ってくださった

大崎上島は、みかんの産地としても有名。ワークショップ終わりで夜遅くに到着した山崎さんのために、森さんがみかん100%ジュースを作ってくださった。

「antenna」の店内

「antenna」の店内。バラバラに配置されたロゴタイプをじっくり見ていると、「造船」「観光農園」「レモン」といった、大崎上島を示すキーワードが浮かび上がってくる。

ほんとうは、メチャクチャよく考えて生きてるんです。

山崎

カフェにはどんなメニューがあるんですか?

午後1時からの開店で、フードは定番のフレンチトーストと
イタリアンサンドとアメリカンワッフル。
イタリアの生ハムやうちの庭で育てたルッコラなど西洋の食材と、
島のパンやジャムなどをミックスして使っています。
外国の要素と島の要素をミックスしたものにしたいんです。

山崎

この店全体のテーマがそんなイメージですね。

まだまだ観光地として特別有名なわけでもないので、
島のおみやげ販売だけではむずかしい。
ビジネスの勉強をしたわけではないですが、はじめのうち、
お客さんの8割は島のひとかなって考えていました。
あとは、経歴も変わってるからメディアがおもしろがって
取り上げてくれるだろうなっていうのも読んでいたり……。

山崎

そこまで? じっくりはなしを聞いていると、
実はすべてがものすごく計画的ですよね。

ええ、スタンドプレイヤーに見られがちですが、実はね(笑)。
小さなことだと、あいさつは必ずするとか、
いちどお会いした方のお顔や名前はなるべく覚えるとか、
会合のお誘いには必ず顔を出すようにするとか、
東京とは違う、この島のコミュニティで暮らすために必要だと思われる心がけも、
わたしなりにちゃんと実行しています。

山崎

うん、とても大事なことですね。

それと、そもそも「森ルイ」っていう名前が本名じゃないんですよ。

山崎

ええっ! 名前も?

そうです。姓も名も、まるごと。
ほら、島に来るようになった時期と離婚(姓が変わる時期)とが
前後していたじゃないですか。
途中で名前が変わるって、いろいろ面倒だなあと思って、はじめから。

山崎

やっぱり、メチャクチャ考えてますね……。

そうなんですよ。勢いで家買って、勢いで島に来て、
勢いでカフェやってるみたいに見えますけど、
実は人生のどのタイミングでもずいぶんしっかり考えてるんです(笑)。

山崎

あ、でも、たしかご自宅の屋根の瓦に「森」って漢字が入ってませんでしたっけ?

あれが先にあって、「そうだ、森にしよう!」って。

山崎

そうだったんだ!

外国人にも説明しやすいし、そのうち戸籍も改名しちゃおうかなというくらい、
気に入ってます。

山崎

印象に残るというか、覚えやすいですもんね。

実際に、多くの雑誌やテレビに取材をしていただいて、とても助かっています。
ま、そんなわたしの戦略などおかまいなしに、
「ママさん、冷コ(アイスコーヒー)!」と言う、
愛すべき常連さんもいますけどね(笑)。

(……to be continued!)

フレンチトースト

HOGALAKAのもちもち食パンを使ったフレンチトーストに、カナダ産のメイプルシロップと大崎上島の柑橘ジャムをトッピング。

生果実を使った贅沢なジャム

メニューにも使われている生果実を使った贅沢なジャムは、大崎上島土産に最適。そのおいしさはもちろんのこと、ちょっとレトロなラベルのかわいさにも注目。

ショップコーナー

ショップコーナーには、ジャムなどの地元特産品と、東京で買い付ける北欧やパリのカラフルな雑貨、輸入食材などが同居する。メニュー同様、大崎上島×外国というコンセプトで。

information

map

antenna

住所:広島県豊田郡大崎上島町中野1841-12

TEL:090-2906-0930

営業時間:13:00~19:00

営業日:木曜~日曜と祝日のみ営業

Web:http://www.osaki-kamijima.jp/antenna/

profile

LOUIS MORI 
森 ルイ

1978年東京生まれ。警視庁警察官として女性白バイ隊員やロシア語通訳などの勤務を経た後、2010年ブライダルコーディネーターへの転職を目指し退職。その後の離婚を機に瀬戸内海の大崎上島に築80年の古民家を購入してIターン移住。カフェ&ショップ『antenna』オーナー、クラシックバレエ教室主宰。WWOOF(ウーフ)ジャパンホストとして世界中の人々と島暮らしをシェア。自称・大崎上島観光親善大使。

Web:http://blog.livedoor.jp/morilouis/

profile

RYO YAMAZAKI 
山崎 亮

1973年愛知県生まれ。大阪府立大学大学院地域生態工学専攻修了後、SEN環境計画室勤務を経て2005年〈studio-L〉設立。地域の課題を地域の住民が解決するためのコミュニティデザインに携わる。まちづくりワークショップ、住民参加型の総合計画づくり、建築やランドスケープのデザイン、パークマネジメントなど。〈ホヅプロ工房〉でSDレビュー、〈マルヤガーデンズ〉でグッドデザイン賞受賞。著書に『コミュニティデザイン』。

大崎上島 Part2 「ダメだったら?」の次の手は 考えておく。

山崎亮 ローカルデザインスタディ
大崎上島編・目次

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山崎さんがワークショップのために何度か足を運んでいる瀬戸内海の大崎上島。
人口約8,300人のこの島に、築80年の古民家を購入してIターン移住した女性がいます。
カフェ&ショップを営みながら、自分らしく生活をアレンジして
島の暮らしをたのしむ森ルイさんに、そのいきさつや今の暮らしぶりをうかがいます。

「島に惚れた」という素敵物語ではないですから。

よく、「島に惚れ込んでやって来た」と語られることがあるんですけど、
実はそうじゃないんですよね。

山崎

すべてが同時に動いた、という感じだったわけですね。

それに、この家に出会わなかったら、
またちがうまちに住んでいた可能性だってあるし。

山崎

それまでに島へは何度くらい来てたんですか?

1年に1回ペースで……5回くらいですかね。

山崎

たったの5回ですか? 
ふつうは、気になっても1か月に1度くらい足を運んで
知り合いづくりやしごと探しをしたりするだろうし、
移住を決意してからもまずは借りて住んでみて、
と「段階」を踏むと思うので、かなり特殊ですよね(笑)。

特殊だと思います。先に友だちが移住してたから、ということも、
縁ではありますが、理由ではないですね。

山崎

じゃあ、即決で家を買ってすぐに島へ?

2010年の3月末に退職、秋には離婚成立という流れだったので、
半年の間は、島と東京の半々生活でした。
それで、せっかくなら東京にいる間にできることをやりたいと思って、
「スクーリング・パッド(*1)」のデザインコミュニケーションコースを
受講しました。

山崎

お、そこで「スクーリング・パッド」なんですね。

元警察官で離島に家を買って……という自己紹介だけで
「なにそれ?」っていう状況ですが(笑)。

山崎

相当のインパクトですよね(笑)。

6月には同期や代表の黒﨑輝男さんも島に遊びに来てくれたりして。
その体験が、島に焦点をあてる「離島経済新聞(*2)」が生まれる
ひとつの大きなきっかけにもなりました。
リトケイ立ち上げ当初のWebトップページが大崎上島だったのは、そのためです。

山崎

そんなつながりがあったんですね。黒﨑さんの存在ってやっぱり大きいですか?

神! みたいな感じではないですけどね(笑)。
ただ、これからの人生にデザインの力や人脈は必要だと感じていたので、
じぶんへの大きな投資という感覚でした。
黒﨑さんには当時もいまもずいぶん気にかけてもらっていて、
とても感謝しています。

山崎

いろんなところでそうやって、じんわりとひとに影響を与えている方ですね。

その間は、夜行バスで島と東京を行き来しつつ、
ついでにバックパッカー的に荷物を少しずつ移動していたという感じです。

山崎

ちいさい引っ越しを繰り返してたわけだ(笑)。

*1 スクーリング・パッド:デザイン、レストラン、映画、農業というテーマを掲げた4つの学部からなる、起業・独立・転職・スキルアップのための専門スクール。廃校を利用した「世田谷ものづくり学校(IID)」を拠点にしている。http://www.schooling-pad.jp/

*2 離島経済新聞:6852島からなる日本にある、約430島の有人離島情報専門のウェブマガジン。タブロイド紙『季刊リトケイ』も発行する。スクーリング・パッドで出会った編集者とデザイナー数名から誕生。略称・リトケイ。http://ritokei.com/ コロカル記事『PEOPLE vol.004 鯨本あつこさん』

ふれあい工房HOGALAKA

森さんが大崎上島に出会うきっかけとなった友人が店長をつとめる「ふれあい工房HOGALAKA」。

広いキッチンに立つ森さん

東京だと、このなかにお店が1軒収まってしまいそうなくらい広いキッチンに立つ森さん。

「antenna」店内

「antenna」店内のリフォームも仲間たちと手がけた。

次のステップのための余力を残したはたらき方。

山崎

この「antenna」はもともと何だったんですか?

「アンテナショップ玉手箱」という、道の駅的なお土産物屋さんでした。
当初は自宅で民宿でも……と思っていたのですが、
通っているうちにここが空いたのを知ってカフェ経営にシフトしました。
いまも町の持ちものなので、町から借りてます。

山崎

どのくらい改装したんですか?

店舗デザインは、スクーリング・パッドの同期にお願いして、
床のビニールクロスをはがしたり壁を塗ったり、できることはひとりでやりました。

山崎

材料なんかもじぶんで手配して?

そうですね。半年通ってる間にごあいさつがてら
いろいろなイベントに顔出したりしながら「余ってるペンキないですか?」
なんて言ってると、快く譲ってくれるひとが現れたりしてね。

山崎

言ってみるもんですね(笑)。

もともと「借金はしない」「ひとを雇わない」と決めて始めたんです。
貯金がなくなったら、ほかのしごとに就いてもいいし、
ご近所の知り合いから野菜いただいて釣り糸を垂れる生活でも
2か月ぐらいいけるかな、とか、欄間でも売ってしのごうか、とか。
ダメだったらこうしようと次の手は考えておきますけど、不安はなかったですね。
周りのほうが心配してくれましたけど。

山崎

そうだろうね。

しかも店は週に4日しか開いてないし、毎日午後からしか開いてないし(笑)。

山崎

そうなの?

「なにやってんの?」ってよく言われます(笑)。

山崎

その間はなにをやってるんですか?

こう見えて、バレエ教室の講師もやってたりするんですよ。

山崎

あ、そんな顔も持ってるんですね(笑)。

余力を残しておかないと、次へのステップの準備ができないなって思いがあって。
島でカフェをやることがわたしの人生の最終目標というわけではないですからね。

(……to be continued!)

「antenna」のテーブルで対談

「antenna」のテーブルは、造船所で使われる電気のケーブルを巻く木製ドラム。前の店でも使われていたものだが、「花柄のビニールクロスを剥がしたら、こんなにすてきなのが出てきたんですよ」と森さん。

別に借りている見晴らしのいいシェアハウス

森さんが自宅の「ルイの家」とは別に借りている見晴らしのいいシェアハウス。賃借契約が次の3月までなので、それぞれに、もう次のステップを考案中なのだとか。

information

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antenna

住所:広島県豊田郡大崎上島町中野1841-12

TEL:090-2906-0930

営業時間:13:00~19:00

営業日:木曜~日曜と祝日のみ営業

Web:http://www.osaki-kamijima.jp/antenna/

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LOUIS MORI 
森 ルイ

1978年東京生まれ。警視庁警察官として女性白バイ隊員やロシア語通訳などの勤務を経た後、2010年ブライダルコーディネーターへの転職を目指し退職。その後の離婚を機に瀬戸内海の大崎上島に築80年の古民家を購入してIターン移住。カフェ&ショップ『antenna』オーナー、クラシックバレエ教室主宰。WWOOF(ウーフ)ジャパンホストとして世界中の人々と島暮らしをシェア。自称・大崎上島観光親善大使。

Web:http://blog.livedoor.jp/morilouis/

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RYO YAMAZAKI 
山崎 亮

1973年愛知県生まれ。大阪府立大学大学院地域生態工学専攻修了後、SEN環境計画室勤務を経て2005年〈studio-L〉設立。地域の課題を地域の住民が解決するためのコミュニティデザインに携わる。まちづくりワークショップ、住民参加型の総合計画づくり、建築やランドスケープのデザイン、パークマネジメントなど。〈ホヅプロ工房〉でSDレビュー、〈マルヤガーデンズ〉でグッドデザイン賞受賞。著書に『コミュニティデザイン』。

大崎上島 Part1 東京に暮らしている理由がなくなった。

山崎亮 ローカルデザインスタディ
大崎上島編・目次

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山崎さんがワークショップのために何度か足を運んでいる瀬戸内海の大崎上島。
人口約8,300人のこの島に、築80年の古民家を購入してIターン移住した女性がいます。
カフェ&ショップを営みながら、自分らしく生活をアレンジして
島の暮らしをたのしむ森ルイさんに、そのいきさつや今の暮らしぶりをうかがいます。

32歳。人生の転機が一度に同時にやってきた。

山崎

お待たせしてすみません!

いえ、とんでもない。
山崎さんが講師をされている「カッコいい過ごし方」図鑑のプロジェクト、
順調そうですね。

山崎

島の外の人が憧れるような大崎上島の「カッコいい過ごし方」を
カタログ的な図鑑にまとめています。
3月に発表の予定だから、これからが正念場ですね。
講演会で初めて島に訪れたときに立ち寄ったのがこのカフェだから、
なんだか感慨深いです。

あれはオープン直後だから、1年半前になりますね。

山崎

そもそも、森さんとこの島とはどういうご縁があったんですか。

東京から瀬戸内ってずいぶん遠いし、まったく未知のエリアだったのですが、
たまたま友人のパン職人が6年前ぐらいにこちらに移住していて、
年1回ペースで遊びに来ていたんです。
ストレスの多いしごとだったので、疲れを癒しに(笑)。

山崎

当時はどういうしごとを?

警視庁勤務で、白バイに乗ってました。

山崎

おお!(笑)

短大卒のハタチから働いて、29歳で結婚するのですが、
そのときに結婚式をセルフプランニングしたのがおもしろくて、
ブライダルコーディネイターのしごとに興味をもちはじめていたんです。
こういうしごとも向いてるかもしれないなあ、なんて。ところがですよ……。

山崎

……ところが?

いよいよこの年度末で退職、ということが決まった矢先に、
離婚することになりまして。

山崎

ええっ!

退職して離婚したら、東京にいる理由がなくなっちゃって。

山崎

そうかぁ。

都心で新しいしごともまだ見つかってないのに
高い家賃を払い続けるのも考えものだし、
かといって、実家に出戻りみたいなのも面倒でしょう(笑)。
ちょうどいい機会だから、生き方を変えてみようかなって。

山崎

語学が堪能だったら、海外という選択肢もあった?

そうですね。でも、そのとき32歳になってしまっていたから、
ワーキングホリデー制度も使えなくて。
留学しても、結局は戻って来なければいけないし、
やっぱり日本に拠点は必要だなと決断したんです。

図鑑「探られる島」

山崎さんが現在この島を訪れているのは、「探られる島」の大崎上島版ともいえる、大崎上島の「カッコイイ過ごし方」図鑑制作のため。ワークショップを行ったstudio-Lのメンバーと、参加者たちがワイワイたのしげに打ち上げる中での対談となった。

森さんが暮らす大崎上島の古い家の屋根瓦

森さんが暮らす大崎上島の古い家の屋根瓦。随所にこだわりが見られるこの家を建てた方は、どうやら地元の船長さんだったとか。

自宅「ルイの家」に並べられたボトル

自宅を「ルイの家」と名付け、WWOOF(ウーフ)ジャパンホストとして世界中の人々と島暮らしをシェアしている。これも彼女らしいオリジナルな生活スタイル。

きっかけは、たまたま見つけた一軒家。

山崎

そのとき、貯金がいくらぐらいあったのか、教えてもらえますか?

社会人になってからわりと計画性をもって貯めていた貯金が少しと、
退職金が300万。プラスαで財形貯蓄とか
そういうので100万ちょっと、ぐらいでしょうか。

山崎

32歳でそれだけあったというのは、エライですね。

短大を卒業してから、将来に向けてある程度貯蓄を心がけていましたから、
スグに飢え死にはしない程度には考えてありました。

山崎

でも、無職なうえにそれが毎月家賃で消えていくと想定したら、
やっぱり心もとない金額なのか。

ええ。都心だと家賃だけで7〜8万はかかるでしょう。
1年で100万。300万だと、賃貸マンション3年分。
でも、もしかして大崎上島だと300万円あれば一軒家が買えるんじゃないの?
って思いついたんです。

山崎

なるほど!

それでさっそくネット検索してみたら、
理想的な一軒家がひょっこりと出てきたんですよ。

山崎

この小さな島の物件情報がWebサイトにあがってたんですか?

そうなんですよ。住所は広島県なので、県の空き家バンクに登録されていたんです。
1軒しか出てこなかったんですけどね(笑)。
1枚だけ載ってた玄関の写真だけを見て、「ここだ!」って。

山崎

それはすごい出会いのような気がします。

すぐに友人に内覧してもらって、
大きな改修をしなくてもそのまま住める状態だとわかりました。
しかも価格が350万円。ほぼ即決でしたね。

山崎

ちょうど退職金分にして、東京の家賃約3年分。
そう考えると、かなりかしこい買い物になるわけですね。

(……to be continued!)

自宅「ルイの家」

島というより、まるでこの家に導かれるようにして人生の舵を大きく切ることになった森さん。

窓はなんと回転式

Webに掲載されていたたった一枚の写真でこの家に惹かれた理由のひとつは、サッシでなく、趣のある木製の建具もそのまま残されていたから。この窓はなんと回転式。訪れる建築系の知人たちにとっても、とても興味深いものらしい。

窓から燦々と陽がさしこむ「ルイの家」2階

「ルイの家」2階。窓から燦々と陽がさしこむ、とても気持ちのよい空間。内装や庭の手入れなどこまごまと必要なことは、ウーファー(宿泊者)の中で得意なひとが得意な分野を少しずつ手伝ってくれる。

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antenna

住所:広島県豊田郡大崎上島町中野1841-12

TEL:090-2906-0930

営業時間:13:00~19:00

営業日:木曜~日曜と祝日のみ営業

Web:http://www.osaki-kamijima.jp/antenna/

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LOUIS MORI 
森 ルイ

1978年東京生まれ。警視庁警察官として女性白バイ隊員やロシア語通訳などの勤務を経た後、2010年ブライダルコーディネーターへの転職を目指し退職。その後の離婚を機に瀬戸内海の大崎上島に築80年の古民家を購入してIターン移住。カフェ&ショップ『antenna』オーナー、クラシックバレエ教室主宰。WWOOF(ウーフ)ジャパンホストとして世界中の人々と島暮らしをシェア。自称・大崎上島観光親善大使。

Web:http://blog.livedoor.jp/morilouis/

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RYO YAMAZAKI 
山崎 亮

1973年愛知県生まれ。大阪府立大学大学院地域生態工学専攻修了後、SEN環境計画室勤務を経て2005年〈studio-L〉設立。地域の課題を地域の住民が解決するためのコミュニティデザインに携わる。まちづくりワークショップ、住民参加型の総合計画づくり、建築やランドスケープのデザイン、パークマネジメントなど。〈ホヅプロ工房〉でSDレビュー、〈マルヤガーデンズ〉でグッドデザイン賞受賞。著書に『コミュニティデザイン』。

別府 北高架商店街

高架下の小さな商店街の、新しい動き。

別府駅から徒歩数分のところにある「北高架商店街」。
文字通り、JRの線路の高架下に店が連なる、50メートルほどの小さな商店街だ。
昔は飲み屋街だったそうだが、いまでは新旧さまざまな店舗が並んでいる。

まず、ぱっと目につくのが、商店街入り口に面した「CUE CAFE+(キューカフェ)」。
2011年の4月にオープンしたカフェ&ギャラリーだ。
「店名は、スタートの合図で使われる“キュー出し”のキューから。
人が出会ったり、何かが始まったりする場所になればと思って」と、店主の木部真穂さん。
白を基調とした明るく気持ちのいい店内には、アーティストの作品が展示されている。
特に地元の作家をバックアップしたいという木部さんのもとには、
さまざまなアーティストが集まってくる。

取材時は、昨年埼玉県から別府に移住したというイラストレーター、
hiraさんの作品が展示されていた。
「こっちに来てとてもよかったと思っています。
まちもちょうどいい大きさで、人とのつながりもあります。
もともと別府はよそ者を受け入れてくれる気質があるのだと思います」とhiraさん。
別府で体験したことを描いた絵が注目され、いまでは地元のタウン誌や
駅ビルのフロアガイドなどに彼女の絵が掲載されるまでになった。

文字通り高架の下にある商店街。その入り口に面したところにあるのが「CUE CAFE+」。

店内ではhiraさんの展覧会を開催中だった。別府のまちを描いた絵などが展示されている。

別府の特徴的なものをイラストにあしらった単行本サイズのブックカバーもhiraさんのデザイン。

CUE CAFE+ができてから、商店街に新しい動きが出てきた。
木部さんのご主人の友人である日名子英明さんが経営するブック&レコードショップ
「ReNTReC.(レントレック)」が移転してきたのだ。
それ以前は別府タワーの4階でお店を経営していたが、
フロア全体がカラオケボックスになるというので新たな出店先を探していたところ、
この場所に行き着いた。
「お店というよりも、シェアスペースがほしかったんです。
いろいろな業種の人が集まってものをつくっていく。
とにかく場所が大事だと思いました」と日名子さん。

別府で生まれ育った日名子さんは、別府の盛衰を見てきた。
1ドル365円の時代が終わり、円が強くなってくると、観光客は海外に流れた。
また国内旅行も、別府から湯布院に流れていった。
やがて、賑わっていた商店街のシャッターの多くが下りたままになった。
「20年くらい前ですが、県外から来た友人が商店街を見て、
終わってるわ、とぼそっとつぶやいたのが悔しかった」

やがて2000年にAPU(立命館アジア太平洋大学)という大学ができ、
まちに学生が歩くようになった。
2009年には現代芸術フェスティバル「混浴温泉世界」もスタートし、
まちに少しずつ活気が戻ってきたという。

「ReNTReC.」店内には近頃はあまり見ることのないアナログ盤がたくさん。セレクトのセンスが光る。

レコードのほか、文化・芸術関係の本や、Tシャツなどの雑貨も。日名子さんの好きなものを集めた部屋のよう。

焦らず、ゆっくり続けていく。

今年の4月から、日名子さんと木部さんが中心となり、
北高架商店街で毎週土曜日にフリーマーケットを始めた。
でも、なぜフリーマーケット? という問いに、日名子さんはこう答える。
「僕はこれまでいろいろなイベントを企画してきましたが、
結局イベントって終わってしまうと何も残らないし、
ライブをやってもそのジャンルに興味のある人しか来ない。
セグメント化されたなかでイベントをやることに違和感を感じ始めました。
でもフリーマーケットって、本当にいろいろな人が集まってきて、何でもありなんです」

たしかに、物を売っている人だけでなく、
絵を描いている人もいたり、遊んでいる子どもたちもいる。
通路にはテーブルが置かれ、なんとなくおしゃべりをするだけの人もいる。
そしてこのフリーマーケット、毎週開催というのもポイント。
「イベントにしたくなかったんです。
月に1回だとそのたびにリセットされてしまう。
たとえたくさん集まらなくても、毎週土曜日の10時から、
ここに人がいるという場にしたかったんです」

フリーマーケットの名前は「Slowly Market」。
日名子さんは「ゆっくり、ゆっくり。人が集まらないと焦ったり、
落ち込む必要はまったくない。まずは自分たちの宣伝も含めて、
人に来てもらうための、ひとつのアクションだと思っています」という。

物を売るだけのフリーマーケットではなく、子どもたちが自発的に始めた「つばめ図書館」という子ども図書館も。

CUE CAFE+のすぐ外で絵を描いていたのは、別府のアーティスト二宮敏泰さん。まちに出て描き、CUE CAFE+で展示するそう。

このような活動にとても理解があり、自由にやらせてくれて本当にありがたい、
と商店街の人たちが口を揃えるのが、この場所を管理する
JR九州グループの会社「別府ステーション・センター」の中村 勇社長。
北高架商店街だけでなく、駅のお土産屋なども管轄する会社の代表だ。
中村さんは昨年の6月に福岡から転勤してきた。
福岡では駅ビルをつくるなどの新しい開発の仕事が多く、いまとは全然違う仕事だった。
「来たばかりの頃はCUE CAFE+はあったけれど、
こうなるとは全然思っていませんでした。
この場所を任されたのはいいけれど、さてどうしようという感じでした」と笑う。

みんなに「社長、社長」と呼ばれてはいるが、「社長」然としたようすはなく、
フリーマーケットにもちょくちょく顔を出し、
商店街で起きていることを一緒に楽しんでいるかのようだ。
「面白いことをやってくれと言われて、ここに送り込まれてるんで」と中村社長。

商店街の壁面や柱に絵を描いているのは、アーティストの寺山 香さん。寺山さんの頭の中にある物語を描いている。絵は天井や地面にも描かれ、増殖中。

なんと男子トイレの壁面にも寺山さんの絵が。トイレをきれいにしたかったという中村社長のアイデア。

突然、にぎやかなパレードが現れた。さまざまな楽器を手にした彼らは、大分を中心にイベントやパフォーマンスを行っている「宇宙図書館」の「ゆらゆらチンドン隊」。

7月には「Ontenna」というショップが新たにオープンした。
奥さんが古着や洋服のリメイクを、旦那さんがバイクや自転車のカスタムをするお店で、
東京なら下北沢か高円寺にありそうな雰囲気。
ここで、9月に秋冬のファッションショーが行われた。
モデルは商店街のお店の人たちや近所の人たちで、子どもも参加。
窓の建具を外して、お店の中がまるで立体の紙芝居のようになり、
物語性のあるショーが、バンドの生演奏つきで披露された。

そのときの動画がこちら。

「Ontenna」の三浦 温さんは別府出身。大分市でお店をやっていたが別府に戻ってきた。「ここには古き良き別府が残っています」と三浦さん。

ほかにも、ニット作家の竹下洋子さんのお店が10月にオープン。
竹下さんは、別府のアーティストたちの制作と発表の場であり
住居でもある「清島アパート」にアトリエを構え、
この商店街にニットとテキスタイルのショップを開いた。
こうして人が人をよび、面白い動きが続いている。

ニット作家、竹下洋子さんのショップには鮮やかでかわいいデザインの服が並ぶ。

長崎出身の竹下さんは、東京で自身のニットブランド「Yoko Takeshita」を立ち上げ、15年ほど活動したあと、約10年前に国東半島に移住。服の縫製も染織も大分で行っている。

日名子さんたちの試みは、始まったばかり。
これが継続していって、さらに新しい動きが生まれていくことを夢見ている。
「たとえば人が流れてきて、このフリーマーケットで物を売って生活費を稼いで、
ここで生活していく人が出てきたら面白い。
ほかでも火がついて、そういう場所が別府に増えていったり、
別府だけではなくて大分全体、九州全体にも飛び火して、
点が線になり、人が回遊していくと面白いと思います。
そのためにも、まずここで人を集めたいと思っています」

「変化していかないと面白くない。それが文化だと思います」という日名子さん。

「ヌー銅セクシー・コンテスト」 結果発表第4弾

どうしてこんなポーズ? どうして裸?

寒くなってきましたが、寒い寒いと文句ばかり言ってはいけません。
ヌー銅はいつだって裸なのです。
今回もいろいろなシチュエーションのヌー銅が集まりました。
それではみうら所長のコメントです。

ゆみなっつ さんの投稿
数年前のハロウィン時期にこんなことになっておりました。
撮影場所:北海道旭川市 買い物公園

みうら:ハロウィンもヌー銅まで参入ですか!
オッパイ出してる意味は何?

yotecoさんの投稿
なにかを待っているかのような少女。
後ろの店のポイントカードをスキミングしてくれと言わんばかりの絶妙な位置に
割れた部分がきています。
撮影場所:福岡県北九州市門司区

みうら:絶倫を背にしょって立ってるわけですね、このヌー銅。

khao-changさんの投稿
待ち合わせなどでは表現しにくいものです。
撮影場所:御茶ノ水 日販ビルの1Fロビー内

みうら:女3人集まると、かしましいと言いますが、どんな状況なんですかね?

すげまほ さんの投稿
こんなカップルでは、タクシーも止まらないと思います。
撮影場所:群馬県前橋市 前橋駅ロータリー

みうら:待ち合わせの時間にどうやら男のほうが先に来たようですね。
得意気です。

hal_mkさんの投稿
恥じらいながらも大事なところを露わにする青年の複雑な性の衝動を感じます。
撮影場所:東京都世田谷区

みうら:「み…見ないで……」って、目線はそこに集中してますよ。

平次さんの投稿
服さえ着せてもらえないのに踊りを強要させられ……。
撮影場所:熊本県熊本市

みうら:アンガールズですかね、コレ。

khao-changさんの投稿
パンツの位置がとにかくセクシー。
撮影場所:埼玉県立近代美術館の公園

みうら:足がつったとき、オレはよくこのポーズをします。

tekumakiさんの投稿
市民に愛される動物園の、子ども広場の一角にて。
なんでこんなとこではだかでそんなことしてるの、おじさん。
撮影場所:長野県長野市のとある動物園

みうら:出たっ!ヌードサックス!!
外で練習するときは、せめて服を着るべきだと思います。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

みうら所長より
子どもはウンコとチンチンが大好きなものです。
先日、電車の中で見ず知らずの子どもに話しかけてるオバサンがいました。
「ボク、いくつなの?」
「ウンコ!」
「ボク、幼稚園?」
「チンチン!」
何を聞こうが回答はその二単語。気分を悪くしてオバサンは次の駅で降りました。
“ウンコチンチン”
かつて、ドリフターズの加藤茶が流行らせたギャグ。
当時の大人たちは品がないとドリフを批判したものです。
じゃ、公園や駅前に立っているヌー銅を見て、何と言うのが正しいのでしょう?
「キレイなおねえさんだね」
「たくましい男の人だね」
嘘でしょう。
やはり気になる部分は股間。
「自分より大きいな」とか「よく見ると毛が生えてる」くらいが本当です。
でも大人はそんなことを言うと、まわりの目を気にして「いけません!」と叱るでしょ。
本当は自分もそこをいちばん気にしてるくせにです。
大人になるということは、いちばん最初に思ったことを口にしないということです。
少し考えて、二番目に思ったことを言うことにしている、
それが大人と子どもの違いなのです。

編集部より
二番目に思ったことを口にする……それが大人ですね。
みなさんも、ヌー銅やいやげ物、世界遺産の店を見つけたら、ぜひこちらまで。
奥ゆかしい大人のコメントをお寄せください。

募集は終了しました。たくさんのご応募ありがとうございました。

「3.11とアーティスト:進行形の記録」

災害と向き合った作家たちは、何を残したのか。

水戸芸術館現代美術ギャラリーで開催されている「3.11とアーティスト:進行形の記録」。
2011年3月11日の東日本大震災を受け、表現活動をする作家たちのなかで何が起こり、
どんな表現が生まれたのか。その立場や姿勢、思いはさまざまで、
そんなアーティストたちの多様な表現、または活動が紹介されている。

この展覧会を企画した学芸員の竹久 侑さんは
「作家たちはさまざまな葛藤を抱えながらも活動してきましたが、
特に目立ったのは若手作家のコミュニティに入った活動。
震災からまだ1年7か月しか経っていませんが、
現在も一部の作家たちが活動を継続しているなかで、
どういうことが実際に行われているのか紹介したいと思いました。
作家の活動を介して、“あれから”の時間と“これから”を
考えていける企画になれば」と話す。

美術館に展示される作品というのは、通常は作品として発表されることが前提だが、
この展覧会ではその限りではなく、アーティストであるということ抜きにした
アクションも紹介されている。
作品としてつくられたもの、何らかの記録、
そして作品として発表することを前提としていなかった活動。
それらがひとつの会場に、時系列に沿って並べられている。

23組のアーティストたちによる32の作品および活動を、時系列で起こった順に展示。同じ作家でも後半で再登場するなど、時間の経過が感じられる展示になっている。

ひとつひとつの作品に活動概要を記したカードが設置されており、背景と経緯も紹介されている。これらはバインダー形式のカタログに収録できるようになっている。

北澤 潤さんは、福島県相馬郡新地町の仮設住宅で
「マイタウンマーケット」というプロジェクトを展開した。
最初はボランティアとして避難所に通い、絨毯を編むという作業を始めた。
その過程で仲良くなった子どもたちのアイデアで、
でき上がった4畳ほどの絨毯の上で、小さな喫茶店を開く。
それがきっかけとなり、今度は仮設住宅でゴザを編む作業を始めた。
するとどんどん人のつながりができ始め、
子どもから大人まで多くの人が集まるようになった。

そこで北澤さんが提案したのが、自分たちのつくりたいまちを手づくりでつくる
「マイタウンマーケット」。
八百屋、パン屋、カフェ、レストラン、博物館、プラネタリウムなど、
地域の人たちが選んだまちを構成する要素を、仮設住宅のゴザの上につくっていった。
これまでに5回開催され、いまではまちの行事となりつつあり、
仮設住宅の外からも多くの人がやって来るという。

回を重ねるうちに、プロジェクトが成長してきたと北澤さんは感じている。
現在では「マイタウンマーケット」の実行委員会は30人ほどになり、
子どもがやりたいことをプレゼンして、大人たちがそれをどうかたちにするか話し合い、
住民たちの自立したプロジェクトとして動いている。
「マイタウンマーケットが、僕のものから地域のものに変わってきた。
ひとりで絨毯を編むことから始まって、こういう状況に至ってくる
プロセスが面白いと思っています」と北澤さん。

そしてこれは、災害支援活動でも公共的なまちづくりでもなく、
あくまでアートプロジェクトだという。
「手づくりのまちをつくるというのは、一見無意味のように思えるかもしれません。
ですがそれによって、地域の人のなかにある創造性が開花したり、
秘めているものが出てくる。
アートというのは、社会の一般的な価値観に結びついたものではなくて、
そういった人間本来が持っているものを呼び起こしていく作業だと思っています。
日常を捉え直したり、新しいアクションを起こすということは、
日常に問いや疑問を感じないと起こりません。
アーティストがその問いを地域に投げかけることによって、
その人たちの活動や創造性を呼び起こすのだと思っています」

色鮮やかなゴザのほか、かごなども編まれた。つくっていく過程で、人が集まるコミュニティが醸成されていったという。

実際のマイタウンマーケットが仮設住宅で開催された記録が、写真とテキストで紹介され、模型も展示されている。

北澤さんは、地域の人たちが日常的に接している環境を、自分たちの手でつくり直すというプロジェクトを、ほかの地域でも行っている。

サイトスペシフィックなインスタレーションを多く発表するニシコさんは、
会期中「地震を直すプロジェクト」の公開制作を行っている。
2011年の秋に被災地である仙台市、東松島市、亘理町を訪ね、壊れたものを持ち帰り、
それらをもとのかたちに戻すという公開制作を横浜で行った。
今回は、1年後に同じまちを訪れ持ち帰ったものを、展覧会の会場で直している。
最初は被災地の方たちからどんな反応があるか恐る恐る訪ねたが、
意外なことに大歓迎だったという。
「不謹慎だとか言われるのではと心配していたのですが、
遠くから来てくれてありがとうと言われました。
そして、実際の状況をよく見て、伝えてほしいとお願いされました」

ニシコさんは津波の体験談や日常生活の話を聞き、さまざまなものを持ち帰った。
割れたお皿、曲がった金属、アスファルトの塊……。
もはやそれらは誰のものでもない、ゴミだ。
彼女はもともと、アクシデントで割れたものを直すというプロジェクトをやっていたが、
それも今回も、持ち主のために修復しているわけではない。
「いったい何が起こったんだろうということを、
直すという行為を通して考えているんです。
アクシデントをきっかけに、ものの見方を変える、捉え方を変えるという試みです」
1年が経った被災地は、ニシコさんにどう映ったのだろう。
その場所、人を思いながら、彼女は壊れたものを直し続ける。

1981年生まれのニシコさんは、オランダで作家活動をしている。被災地の人たちと出会い、過酷な体験を聞きながら、震災と向き合う。

放射能感知服でチェルノブイリを訪問する「アトムスーツ・プロジェクト」などで知られるヤノベケンジさん。今回展示している「トらやんの方舟計画」は、放射能を懸念して外で遊べない子どもたちのため、2011年に福島県立美術館で行われた展示とワークショップを再現。

山川冬樹さんは、2011年の夏に東京で行われた「アトミックサイト展」に出展した
「原子ギター」を展示している。
ガイガーカウンターを使い、放射線を感知するとエレクトリックギターが鳴るしくみだ。
取材時は、茨城県の土から検出された放射線で音が鳴っていた。
「エレキギターは電気によって稼働します。
その電気は福島から送られてきた東京電力の電気。
僕らも電気がないと生活できません。
原発に反対の姿勢であっても、演奏するにも生活するにも電気が要ります。
その矛盾を、このギターが体現しているんです」

震災後、放射能に対する価値観の違いから、分断が起こっていると山川さんはいう。
どこに住むのか、何を食べるのか。
震災後にあらわになった価値観の相違に、戸惑った人も少なくないだろう。
「放射能の問題が人と人とを分断していることに対して、
強く抗議したい気持ちがあります。
福島とは距離があるけれども、明らかに影響がある。
物理的な影響も、心理的な影響も。
その距離感と、距離を隔てた関係性について考えた作品でもあります」

山川さんは「アトミックサイト展」のあと、
自ら「東京藝術発電所」という展示イベントを企画し、
そこでは自分たちが使う電力を自分たちで発電した。
矛盾から一歩前に進み、自分たちが行動しなければいけないというメッセージでもある。

1973年生まれの山川冬樹さんは、ホーメイなど、自らの声や身体を媒介にした鮮烈なパフォーマンスで知られる。ガイガーカウンターが放射線を検出するときに出す放電ノイズをギターのボディに響かせ、その振動でギターの弦が振れるしくみ。

演出家の高山 明さんが主宰する「Port B」が震災後から行い、現在も継続中の「国民投票プロジェクト」。各地で多くの中学生にインタビューを行い、その映像をアーカイブしたキャラバンカーが巡回。これまでに東京、横浜、福島、岩手、宮城で行われ、茨城でもインタビューが実施された。

インタビューの「声」からは、震災後のさまざまな状況が浮かび上がる。キャラバンカーの中でインタビューの映像を見た人は「投票用紙」と呼ばれるアンケートに記入。その一部が展示されている。

それぞれの視点、それぞれの場所から。

この展覧会が始まる前、プレ企画として、写真家の畠山直哉さんと、
映像作家の小森はるかさん、絵描きの瀬尾なつみさんコンビによるトークが、
東京で開催された。

小森さんと瀬尾さんは、東京藝術大学大学院修士課程に在籍中の若い作家。
彼女たちは震災後まもない2011年3月末に車で東北に向けて出発し、
ボランティアをしながら、実際に自分たちの目で見た状況や確かな情報を、
ブログやツイッターで発信していく。
最初は作品をつくるかどうかということも考えず、
とにかく現地に行くことが大事だと直感し、行動した。
あまりの状況に撮影することを躊躇したが、宮古で出会ったおばあさんに
「私が見られないものを見て、撮影してほしい」と言われ、カメラを取り出せたそうだ。
それ以降も東北に通うようになり、今年の4月から、
陸前高田市や大船渡市にほど近い、岩手県気仙郡住田町に移住した。

瀬尾さんはこう話す。
「最初はできる範囲のボランティアをしようと思っていましたが、
私たちは美術をやっていて、表現するということを信じています。
ここで起きていることをかたちにして、表現にまで高めるということを、
私たちがしなければいけないと思った瞬間がありました。
ここで作品をつくるということを意識したときに、拠点を決めて引っ越そうと思いました」

展示したのは、陸前高田に住むおばさん“Kさん”の話をもとに、
瀬尾さんが構成したテキストとドローイング、小森さんによる映像からなる作品。
小森さんは「いつも自分の映画をつくるときは、漠然とイメージがあって、
そのために必要なものを撮っていくということをしていましたが、
今回はそれとはまったく違いました。
撮りためた映像を見返すと、自分が撮りたかったものというよりは、
誰かが必要としているものが映っている気がします。
そしてそれはすごく切実で、現実的なことでした」という。

瀬尾さんは日々、陸前高田のまちを歩き、写真を撮り、
その写真を見てスケッチする、という行為を繰り返して制作した。
「いまこの光景がすごくきれいだなと思う瞬間があっても、
震災後の風景を見てそう思うことを、地元の人たちに対して言えませんでした。
それは辛いことかもしれないから。だから直接的に言うのではなく、
私の視点ではこう見えているということを描いています。
その絵を地元の人に見せたら喜んでくれました。
この土地と、自分が歩くという行為や描くという行為が、
全部きちんと回り始めた気がしています。
そういうあり方のなかで、たくさん絵を描いていきたいと思っています」

「砂粒をひろう(Kさんの話していたこととさみしさについて)」と題される作品。陸前高田に住む“Kさん”の言葉と、陸前高田の景色が発想のもとになっている。

1988年東京都生まれの瀬尾なつみさん(左)と1989年静岡県生まれの小森はるかさん(右)は、東京藝術大学の学部時代の同級生。ちょうど卒業した3月に震災が起きた。

畠山さんは、震災直後の2011年3月18日に、故郷の陸前高田に入り撮影を開始。
以降もほぼ毎月撮影を続けてきた。
そのシリーズは「陸前高田」「気仙川」として、
昨年、東京都写真美術館で開催された写真展「Natural Stories」で発表された。
今回の展示では、未発表のものも含め、これまで撮りためられたものから紹介されている。
「僕の場合は、自分を奮い立たせて、自分ができることはこうだからこうしよう、
ということではなくて、もう少しパッシヴです。
いてもたってもいられなくなって現地に行って、
自分ができることはこれくらいなんだな、という感じ。
そのなかで最高のパフォーマンスをしようと思っているだけです」

展覧会のカタログのために作家たちに投げられた問いに
「震災後、もしアートにできることがあるとしたらそれはどういうことですか」
という内容のものがあったそうだ。
それに対して畠山さんは、その問い自体が成立しないのではないかという。
「アート」や「アーティスト」という概念は
近代的な歴史観や美術史のうえに成立しているものであり、
未曾有の大災害によってあらゆるものが流されてしまったときに、
近代的な「アート」はそれに対抗しうる語彙を持っていないのではないか、というのだ。

が、一方で、畠山さんの写真のなかには、そしてほかの作品のなかにも、何かがある。
「アートか何かわからないけれど、“何事か”がある。
僕はその“何事か”が気になるし、大事にしたいと思っています。
それはアートではないと簡単に断言できるものではない、とても大切なものです。
それをアートと呼ぶかどうかの議論も必要だろうけど、
“何事か”が持っているリアリティのほうが、アートの概念よりも強いような気がします」
そして、小森さんと瀬尾さんを見て
「彼女たちを見ていると、アートに何ができるかという問い以前に、
回答が出ていると思いますよ」と言った。

さまざまなスタンスで作品を発表する作家たち。
その表現活動は、これからも変容しながら続いていくはずだ。

包装紙などを使い、細かい切り込みで造形する作品で知られる照屋勇賢さんは、前橋市で滞在制作中に震災を体験した。その後、群馬県の地方紙「上毛新聞」に、たくさんの小さな芽を立ち上げる作品「自分にできることをする」を制作した。

秋田 Part4 「のんびり=ノンびり」がいい。

山崎亮 ローカルデザインスタディ
秋田編・目次

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「Re:S(りす)」代表の編集者・藤本智士さん。
秋田から発行するフリーマガジン『のんびり』が注目を集める藤本さんと
山崎さんの対談を4回にわたりお届けします。

「のんびり」っていうだけでニコッとなれる。

藤本

ぼくはいま、『のんびり』をつくることで秋田を盛り上げながら、同時に、
ここだけでなく、どのまちでも起こせるやり方をここで見つけているんだ、
と思っています。

山崎

東京ではない、どのまちでもできること。

藤本

おしゃれでかっこいいフリーペーパーは地方にあふれているんだけれど、
編集までおもしろいと思えるものがあるかというと、ないんです。
なぜなら、どうしても東京の出版物のまねごとをしてしまうから。
でもそうじゃないよね、というあたらしいカタチは、
ぼくはいま東京でやろうと思わないし、むしろ東京でやるより
秋田でやるほうが「できるし、届く」と思っています。

山崎

少しはなしが遡りますが「秋田が最前線だ」というのはどういうところですか。

藤本

生活的なランキングとか経済指標みたいな、従来の物差しで語ると、
最前線どころか、正直、全国でも秋田は
常にビリのほうを走ってきたと思うんですよね。
でも、世の中が変わってきて、みんな、逆にこういうところに
暮らしたいと思ってるんじゃないかなあって。
少なくともぼくはそう。

山崎

なるほどね……。

藤本

とにかく、のんびりがあふれている、というのが秋田の第一印象。
取り残されているもの、のんびりしすぎた部分がほんとうにたくさんある、
まだまだデザインされてないものがたくさんあるというのは、
ぼくにとっては逆に強みなんです。
少し前のぼくなら、それをデザインしたい! と思ったけれど、
いまでは「そのままで、いい」って思える。
そういうこところがしっくりくるんです。
まさに、のんびりが「ノンびり=ビリじゃない」だということ。
この「のんびりさ」を世の中に押し出したいんです。
だって、「のんびり編集長」って肩書き、
めちゃくちゃのんびりしてそうでいいでしょう?(笑)

山崎

うん、いい(笑)

藤本

ほんまはセカセカしてるんですけどね(笑)。
「のんびり」っていうだけでニコッとなれる。
そんな魅力が秋田にはあると感じているんです。

読者からのお便りに目を通す藤本さん

『のんびり』創刊号を手にした読者から届いたお便りすべてにじっくりと目を通す藤本さん。

『のんびり』の編集会議

藤本編集長を囲み、デザイナー、カメラマン、編集者……地元のクリエイターたちと、地域資源に詳しいNPOの職員さんが集まる編集会議。

いまは人口減少先進地こそが最先端だ。

山崎

ぼくは藤本さん的な感覚は持ち合わせていないので、
データに基づくはなしになるのですが、
「このまちが、日本でいちばんだ」というプレゼンテーションは、よくやるんです。
秋田、山形、和歌山、島根、山口、長崎は、
この5年間に人口がかなり減っている都道府県なんです。
でも、2020年になると東京や神奈川も人口減少が起きると予測されている。
つまり、人口増加してきたこれまでの時代は、当然、人口が多いところ、
つまり東京でなにが起こっているかを学んできた。
でも、これからは人口が減っているとろに向っていくんです。

藤本

うん、そうですね。

山崎

海士町の離島が注目されているのも、
やっぱりみんなそこが気になっているからなんです。
単に人口が減ってショボショボしているのではダメで、
それでもイイネって思えるような暮らし方をしている人口減少先進地こそが
実は最先端だ、とぼくたちも言ってきたんです。
だから、「秋田がノンびり」だというのはまさに言い得て妙だなぁ、と。

藤本

旅をしているとそういうことを実感しますよね。

山崎

ほんとうに。

藤本

東京で生活しているひとだって、個人では
「果たしてこれまでのようにモノが売れていくのだろうか」って
ギモンに思っているんだけれど、会社としてはそれでは困るから
気持ちを押し殺してしまう。
だから、個人の思いのレベルでちゃんと変わっていく勇気みたいなものを、
どうすれば与えられるのか、ということを考えたい。
そういう思いをアウトプットすることが、
いまの編集者としての役割だと思っています。

山崎

『のんびり』は、どのくらいの間隔で作っているんですか。

藤本

1年間に4号発行の約束なので、このあと年内に3号が出て、
年明けに4号の予定です。

山崎

どこで手に入るの?

藤本

基本的には秋田県外に秋田をPRする媒体なので、
県外に1万5000部、県内に5000部くらいです。
県が発送しますが、小さな雑貨店、ギャラリーから大きな美術館まで、
送り先リストは全部ぼくが出しています。

山崎

うーん、そこまでやるんですね。すごいなあ。

藤本

ぼくがいちばんイヤなのは、行政の支援がなくなってハイお終い! になること。
ぼくとしごとすること、東京の写真家と一緒に組むことで、
秋田のクリエイターの経験値を上げてあげたいし、強さを残してあげたいんです。
そうでなければ意味がない。

山崎

「授人以魚 不如授人以漁〜魚を与えるのではなく魚の釣り方を教えよ」
という中国故事があるけれど、つまり、
ぼくたちコミュニティデザイナーがやっていることと同じなんですね。

藤本

そうですね。みんながこのプラットフォームでいろんなチャレンジをして、
どんどん成長していけばいいと。そう思っています。

秋田市大森山動物園を訪れた藤本さん

間もなく発刊される『のんびり』vol.3の取材のため、秋田市大森山動物園を訪れた藤本さん。藤本さんの琴線に触れたのは、あらいぐまの飼育。従来型の観光ガイドブックにはきっと載らない物語がそこに。

対談中の藤本智士さん、山崎亮さん

ここ数年、別々のフィールドで日本全国のありようを現地でじっくりと見てきたふたりが、奇しくも同じ思いを口にする。「藤本さんが秋田が最先端だ、と言ったとき、思わずドキッとしました」(山崎)

profile

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SATOSHI FUJIMOTO 
藤本智士

編集者/有限会社りす代表 1974年、兵庫県西脇市生まれ。

2004年に出版した『すいとう帖』をきっかけに、「マイボトル」という言葉を生み出し、現在のマイボトルブームをつくる。2006年雑誌『Re:S(りす)』を創刊。11号で雑誌休刊するまで、編集長を務める。その後自らの会社名を「Re:S(りす)」と変更。

Re:S=Re:Standard(あたらしい、ふつう)を単なる雑誌名とせず、様々な書籍や展覧会やものづくりをとおして、Re:Sを体現していく編集活動が話題を集める。最近では、デジタル時代にアルバムの大切さを伝えるべく開催した「ALBUM EXPO」(大阪/名古屋にて開催)、3人のデザイナーとの旅の記録を展示化した「日本のデザイン2011 Re:SCOVER NIPPON DESIGN」(六本木ミッドタウン)の企画・プロデュース。国土交通省観光庁をとおして、全国の小、中、高の図書館に寄贈された、ジャニーズ事務所の人気グループ嵐による『ニッポンの嵐』の編集、原稿執筆を手がけるなどで話題に。近著に『ほんとうのニッポンに出会う旅』(リトルモア)。イラストレーターの福田利之氏との共著として『Baby Book』(コクヨS&T)がある。現在、秋田県より全国へ発行されているフリーマガジン『のんびり』の編集長を務める。

Re:S(りす):http://re-s.jp/

『のんびり』:http://non-biri.net/

profile

RYO YAMAZAKI 
山崎 亮

1973年愛知県生まれ。大阪府立大学大学院地域生態工学専攻修了後、SEN環境計画室勤務を経て2005年〈studio-L〉設立。地域の課題を地域の住民が解決するためのコミュニティデザインに携わる。まちづくりワークショップ、住民参加型の総合計画づくり、建築やランドスケープのデザイン、パークマネジメントなど。〈ホヅプロ工房〉でSDレビュー、〈マルヤガーデンズ〉でグッドデザイン賞受賞。著書に『コミュニティデザイン』。

秋田 Part3 ぼくが秋田に本気でワクワク した理由。

山崎亮 ローカルデザインスタディ
秋田編・目次

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「Re:S(りす)」代表の編集者・藤本智士さん。
秋田から発行するフリーマガジン『のんびり』が注目を集める藤本さんと
山崎さんの対談を4回にわたりお届けします。

梅原真さんとの初対面が秋田県庁だった。

山崎

秋田にはどういうきっかけで?

藤本

いちばん最初は2008年の『Re:S』の取材ですね。
青森帰りに羽後町の花嫁道中という雪のなかのお祭を見て、
すごく感動したんです。それ以来、冬の秋田にハマって、
しごとでもプライベートでも自家用車で通ってました。

山崎

ん? 駅からレンタカーじゃなく、自宅から車で?

藤本

そうなんですよ。ぼくにとって、旅は道中が大事なんで(笑)。
新車買って1年の点検で5万キロ走ってたみたいで、
さすがにディーラーさんにも驚かれました。

山崎

それは驚く(笑)。

藤本

昨年春に、東京ミッドタウン・デザインハブの企画展
「日本のデザイン2011 Re:SCOVER NIPPON DESSIGN」
というイベントの総合プロデュースを任されたんですが、
それまで名だたるデザイナーさんたちが行ってきたこの企画展を
ぼくがやるからには、自分のフィールドに持ってくるしかないな、と。
それで、デザイナーさんと一緒に「旅をする」ことにしたんです。

山崎

お、それは楽しそうだ。

藤本

そのとき主催者側へ出した条件はたったひとつ。
「このために超一流のデザイナーさんを3人選んでください」ということ。
さっきも話したように「3割の遊び」が成功するためには、
一流ではなく「超一流」でないとダメなんです。

山崎

なるほど。

藤本

それでご一緒したのが森本千絵さんと山中俊治さん、それに梅原真さん。
そのときに梅原さんとのスケジュールが全然合わなくて、
最終的に「秋田でなら」ということになり、初対面の梅原さんと
秋田県庁で待ち合せすることになるんです。

山崎

当時すでに、梅原さんは秋田県のイメージアップ戦略アドバイザーに
就任してますもんね。

藤本

はい。それ以降、少しずつ秋田で講演会に招いていただいたり、
県の職員や地元のクリエイターとお話する機会をいただいたり、
一方的に「こんなんあったらええなあ」っていうことをプレゼンしたりしてました。

神社にお詣りする藤本さん

旅先では、まずそのまちの神社にお詣りするという藤本さん。のんびり編集事務所に到着したら、なにはともあれ向かいのお稲荷さんにごあいさつ。

いよいよ県庁との打ち合わせ

和気あいあいなランチから始まったスタッフミーティングを経て、気分をひきしめいよいよ県庁との打ち合わせへ。

「どうにもならないことに対しての潔さ」に惚れた。

藤本

どこのまちでもだいたい共通するのは、行政や企業のおじさんたちって、
ぼくたちクリエイターとなかなかはなしが通じないってこと。

山崎

(笑)

藤本

でも、秋田では違ったんですよ。
みなさんの目の色がどんどん変わっていって、
「本気で変わらなくちゃ」っていう思いがちゃんと届いてる実感があったんです。
そういうことを経て、秋田をPRするメディアの発行という
動きがスタートしたので、ぼくは地元の若いクリエイターと組んで、
この『のんびり』を提案することになりました。

山崎

その子たちとはどうやって出会うんですか?

藤本

プライベートで通ってるころからの積み重ねですね。
じぶんたちの宝物は足もとにあることをはっきりと認識している彼らのことが、
ぼくは大好きなんです。それに、毎冬直面する大雪のような
「どうにもならないことに対しての潔さ」みたいなところもスゴイなぁって。

山崎

……なるほどね。

藤本

秋田県知事と梅原さんと、県民300人の前で鼎談する機会があったんですが、
そのときに知事が「わたしは秋田を誇りに思っている。
なにしろ秋田には、うまいメシとうまい酒がある!」って言い切って、
それを聞いた会場がドカーンと笑うのを見て、またスゴイなぁって。
なんて幸せなことなんやろうって。

山崎

うーん……深いですね。

藤本

「うちがいちばんおいしい」という絶対価値でなく
「そうか、アンタのまちもおいしいか。よかったな」と言える
相対価値みたいなものがこれからのスタンダードなんだって、
そのときに確信したんです。トップにこういう知事がいるなら、
このまちから日本を変えることができるんじゃないかって、
本気でワクワクした瞬間でした。

山崎

PRメディアの発行は県のしごとだから、
プロポーザルで選ばれたということですよね?

藤本

そうです。大手代理店が有名クリエイターと組んで
パワープレイでやってくるようなプロポーザルです。決まったときも
「これまでに見たことのないやり方を提案してきたあなたたちを選んだのは、
県庁としても大きなチャレンジです」とはっきり言われました。

山崎

いわば「賭け」ですよね。

藤本

県も腹をくくってるのがわかるし、ぼくらもそのことをちゃんと理解して
本気でがんばろうと思っている。リスペクトし合えるいい関係で、
お互いに気持ちよくしごとができているという実感があります。

山崎

これもまた、さっき出てきた「潔さ」なのかもしれませんね。
この「どうにもならないことに対しての潔さ」って、
秋田のみならず、中山間離島地域に共通する観念のようにも思います。
都市郊外育ちのぼくはまったく持たない感覚だったので、
はじめのうちは苦労の連続でした。
たとえば今日は嵐でフェリーが運行しないとか、
まちにタクシーが1台しかないという日常のささいなことさえ、
「しょうがない」と思えるまで2年はかかりましたね。

藤本

うんうん、わかります。

山崎

藤本さんの編集の手法もぼくらコミュニティデザイナーのやり方も、
先に正解のアイデアを持って行くのではないというところが同じですね。
どちらも「そこへ行ってみて」なにが起こりうるかを探るという意味では
とても似ています。
そして、こんな風に始まりが不確かであいまいなやり方を飲んでくれるのは、
東京や大阪といった都市部よりも、圧倒的にローカルなんですよね。
ローカルのほうが、しなりとか順応性とか、そういう豊かさを感じます。

(……to be continued!)

「cocolaboratory」

リノベートビルにギャラリーやショップ、カフェが入居する「cocolaboratory」。秋田県内外で活躍する旬のクリエイターと出会えるスポット。http://cocolab.jugem.jp/

フリーマガジン『のんびり』を手に取る山崎さん

「秋田からニッポンのびじょんを考える」フリーマガジン『のんびり』を手に取る山崎さん。現在配布中のvol.2は、「与次郎きつね」をはじめとする秋田の伝説が特集されている。http://non-biri.net/

藤本智士さん

「県の長である知事が、なにしろ秋田には、うまいメシとうまい酒がある!って言って、それを聞いた300人の県民がドカーンと笑う。これって最高だなって思ったんですよ」(藤本)

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SATOSHI FUJIMOTO 
藤本智士

編集者/有限会社りす代表 1974年、兵庫県西脇市生まれ。

2004年に出版した『すいとう帖』をきっかけに、「マイボトル」という言葉を生み出し、現在のマイボトルブームをつくる。2006年雑誌『Re:S(りす)』を創刊。11号で雑誌休刊するまで、編集長を務める。その後自らの会社名を「Re:S(りす)」と変更。

Re:S=Re:Standard(あたらしい、ふつう)を単なる雑誌名とせず、様々な書籍や展覧会やものづくりをとおして、Re:Sを体現していく編集活動が話題を集める。最近では、デジタル時代にアルバムの大切さを伝えるべく開催した「ALBUM EXPO」(大阪/名古屋にて開催)、3人のデザイナーとの旅の記録を展示化した「日本のデザイン2011 Re:SCOVER NIPPON DESIGN」(六本木ミッドタウン)の企画・プロデュース。国土交通省観光庁をとおして、全国の小、中、高の図書館に寄贈された、ジャニーズ事務所の人気グループ嵐による『ニッポンの嵐』の編集、原稿執筆を手がけるなどで話題に。近著に『ほんとうのニッポンに出会う旅』(リトルモア)。イラストレーターの福田利之氏との共著として『Baby Book』(コクヨS&T)がある。現在、秋田県より全国へ発行されているフリーマガジン『のんびり』の編集長を務める。

Re:S(りす):http://re-s.jp/

『のんびり』:http://non-biri.net/

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RYO YAMAZAKI 
山崎 亮

1973年愛知県生まれ。大阪府立大学大学院地域生態工学専攻修了後、SEN環境計画室勤務を経て2005年〈studio-L〉設立。地域の課題を地域の住民が解決するためのコミュニティデザインに携わる。まちづくりワークショップ、住民参加型の総合計画づくり、建築やランドスケープのデザイン、パークマネジメントなど。〈ホヅプロ工房〉でSDレビュー、〈マルヤガーデンズ〉でグッドデザイン賞受賞。著書に『コミュニティデザイン』。

会津・漆の芸術祭2012 カキコ隊レポート Part3

会津若松市と喜多方市で開催されている「会津・漆の芸術祭」。
会津に古くから伝わる素材である漆を使って、
福島県内外の作家や職人、学生たちがさまざまな作品を展示。
3回目となるこの芸術祭を、ボランティアスタッフ“カキコ隊”のひとりが、
全3回にわたりレポートします。

体験する漆、使う漆。

10月6日から開催されている「会津・漆の芸術祭2012」の会期も、
残すところあとわずか。
漆の芸術祭にボランティアスタッフ「カキコ隊」の一員として参加する中で
私が思ったことは、この芸術祭がみなさんにとって
漆を身近に感じる機会になったらいいなということでした。
このレポートを書くにあたっても思いは同様。
みなさんが、今までより少しでも漆に興味を持ってくださる機会となれば幸いです。

そこで、今回も「触れる・体験する漆」の話題から。

みなさんが普段接する漆というと黒や赤のイメージが強いのではないかと思いますが、
実際には漆液にプラスする顔料によってさまざまな色が表現可能です。
今回私は、そんな色彩豊かな漆を使ったワークショップ、
山中早苗さんによる漆のお手紙プロジェクトに参加してきました。

このワークショップでは、用意されているポストカードに
漆を使って絵やメッセージを描いて乾いた後に投函してもらえるため、
大切な人に送るもよし、自分宛として飾るもよし。
実際に筆をとって漆で絵を描いてみると、
例えば赤と青を混ぜて紫を作ることができたり、
イメージよりずっと漆の色彩表現が幅広いことに驚きます。
ただし、どのような色にでも漆液本来の色である茶褐色が現れてしまうため、
色を混ぜすぎるとどんどん濁った色になってしまったり、
乾いた時にぐっと暗い色になってしまったり。
裏方のような顔をしながら、意外と自己主張が強いのが漆の難しさであり、
面白さであり、私はそこに大きな魅力を感じてしまいます。
今回、私が体験で作成したポストカードも、
乾燥後のできあがりは思っていたよりもずいぶん色が沈んでしまって、
まったく漆を扱うのは一筋縄ではいきません。

そして、この漆のお手紙プロジェクトで使われているポストカードは、
山中早苗さん作成の、それ自体が和紙に漆をしみ込ませて作られたもの。
薄く柔らかな和紙を固くしっかりとしたポストカードに変えるという、
古来より接着や補強の役割も担ってきた、単なる塗料ではない
漆の一面を知ることのできるワークショップでもありました。

漆のお手紙プロジェクトワークショップ。切手代込みで400円。このプロジェクトは、ポストカードを蒔絵で作成する体験を通じ、漆に興味を持ってもらうのが目的であり、1万人に体験してもらうのが目標とのこと。今後、機会がありましたらみなさんもぜひ。

Part1、Part2もあわせてここまでのレポートでは、
実際に「触れる」という体験を多くご紹介してきましたが、
少し変わったかたちでの体験型展示をご紹介。

会津若松エリアのメイン会場でもある末廣酒造嘉永蔵にて展示されている
「くいぞめ椀プロジェクト」(会津塗伝統工芸士会+原忠信)。
なんと、展示されている作品を来場した7歳までの子どもに
プレゼントしてしまおうという企画(応募者多数の場合は選考)。
展示作品がお手元に届くかもしれないというかたちでの参加ができます。
一番のお気に入りを選んで応募用紙に記入いただく企画のため、
どれにしようかと選ぶお子様連れの方はもちろんのこと、
その他の来場者もひとつひとつの椀をじっくりご覧くださっているもよう。

木地:荒井勝祐、塗り:吉田徹の手による25客のくいぞめ椀に、石川喜代治、大沢周一、金川明、小松茂夫、佐藤直樹、志賀房男、曽根英昭、中村浪夫、坂内憲勝、山内泰次が加飾をほどこしました。プレゼントへの応募は、展示会場にて受付。

「漆って、こんな使い方もできるんだ」
「こんなデザインもありなんだ」
という漆の芸術祭ならではの作品ももちろん素晴らしいと思うのですが、
このプロジェクトのように、実際に今作られ使われている会津塗の姿を
じっくり見ていただくというのも、漆の芸術祭だからこその機会であり、
カキコ隊が掃除をした会場であるという思い入れも含めて、おすすめの展示です。

カキコ隊によるくいぞめ椀プロジェクト展示会場掃除のようす。作品が並ぶことで、会場の雰囲気ががらりと変わりました。

これからも、この漆のまちで。

さて、前回は喜多方エリアの大学プロジェクト作品を紹介しましたが、
会津若松エリアにも大学生たちの作品は展示されています。
それが、野口英世青春通りの「BUS CAFE/靑」に展示されている2作品。
ひとつは上越教育大学伊藤研究室の「未来へ託せ!うるしバトン」。
新潟と福島をつなぐ行為として、会津の漆の苗を手に
「新潟の海から歩いて福島の海を目指す」プロジェクトで、
その道筋の記録がカフェに展示されています。まもなくゴールをむかえるとのこと。

カフェの一角が「未来へ託せ!うるしバトン」の展示コーナーになっています。コーヒーを飲みながら、ゆっくりと漆の苗の旅の記録をご覧ください。もちろん、見学のみでも歓迎です。

もうひとつが会津大学短期大学部クラフトゼミによる
会津短大プロジェクト2010「クラシックバスを漆絵で飾ろう」。
こちらはプロジェクト名の通り「会津・漆の芸術祭2010」出品作品で、
クラシックバスの側面を漆絵で飾るコンペを開催し、
優秀作品を会津工芸新生会の協力を得て制作したもの。
それ以来、昨年も今年も「会津・漆の芸術祭」の開催期間には
こうしてBUS CAFE内にあるクラシックバスを飾ってきました。
いわば、漆の芸術祭にとっておなじみの「顔」となりつつある作品です。

2010年コンペにて優秀作品に選ばれた小林眞理子「モダン和柄」。毘沙門亀甲をポップにアレンジした作品。アルミ製パネルを漆で彩色しています。

同様に3年連続の展示で漆の芸術祭の顔となっている作品が、会津若松駅構内にもひとつ。
井波純+吾子可苗によるSLヘッドマーク「金彩朱磨会津桐文」。
2010年10日31日に、実際にSL会津只見号のヘッドマークとして
秋の会津路を走った漆塗りのヘッドマークが、改札口を入ってすぐのケースの中で、
みなさまのお越しをお待ちしております。

会津伝統の技法である朱磨を用いて、オリジナルの桐花丸をデザイン。鉄道以外の交通手段で会津にいらっしゃった方も、ぜひJR会津若松駅にお立ち寄りください。

そして、今回の参加作品ではないのですが、
まち角にもこの漆の芸術祭の歩みを見守ってきた作品があります。
Part1のレポートで紹介した漆のウォールアート「天空の刻」の裏側、
b Prese蔵舗駐車場を飾るウォールアート「桜」。
おととしに初めて漆の芸術祭が開催された際、今回の「天空の刻」と同様に
スタンプを使った蒔絵の来場者参加作品として展示されたもので、
それ以来ずっとこの場所で、漆の芸術祭を、
そして会津で暮らす我々の毎日を見守っています。

b Prese蔵舗駐車場のウォールアート「桜」。漆の芸術祭終了後も、いつでもご覧いただけます。

漆器として普段使いするには丈夫な漆でも紫外線には弱く、
また風雨により金粉も剥がれ落ちて、
当初は美しく咲いていた桜もすっかり退色してしまっています。
塗りたての「天空の刻」と比較することで、またひとつ漆の特色、
今度は弱点を知ることのできる作品でもあるのですが、
その風化に刻まれた時の流れこそが、漆の芸術祭が積み上げてきた
3年の歩みそのものであり、私にはいとおしく感じられるのです。

今年新たにみなさんの手によって輝きを加えられた天空の星たちが、
この桜とともに、末永く漆の芸術祭の月日を刻んでいくことができますよう、
これからもカキコ隊として、一市民としてお手伝いをしていきたいと思っています。

私が光栄にもひとりめの体験者となった「天空の刻」。11月18日(日)、11月23日(金)もウォールアートの体験ができます。みなさんの星をぜひ加えてください。時間は両日とも10:00~17:00。

秋田 Part2 編集のチカラで 世の中を変えられると知った。

山崎亮 ローカルデザインスタディ
秋田編・目次

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「Re:S(りす)」代表の編集者・藤本智士さん。
秋田から発行するフリーマガジン『のんびり』が注目を集める藤本さんと
山崎さんの対談を4回にわたりお届けします。

ぼくらしい編集スタイルで「嵐」と向き合った。

山崎

雑誌の枠を超えて社名を「Re:S」としたところに、
藤本さんの強い意志を感じますね。

藤本

同時に、アングラの真逆とも言える
「超ド級のエンターテイメント」を知らなくちゃいけないな、と思ったんです。
フリーペーパーを作っていたときも同じことを思って、
関西ウォーカーで連載を持たせてもらったりしてたんです。
判断基準や価値観って、じぶんのなかに物差しがあるべきだから、
どこかでバランスを取りたくなる性分なんです。

山崎

ほぅ。

藤本

それで、2009年の1月に『Re: S』を休刊したときに、
「今年のうちにディズニーランドとジャニーズのコンサートに行く!」って
決めたんですよ。

山崎

なるほど、それは超ド級のメジャーだ(笑)。

藤本

ところが、ディズニーランドは行けても、
ジャニーズのコンサートってチケットが取れないから、
行きたくても行けないんですよね(笑)。
どうしたものかなあと思いあぐねているところに、やってきたしごとが
「嵐」の本だった、という……。

山崎

すごいなあ。そんなことがあるんですね(笑)。

藤本

それで作らせてもらったのが『ニッポンの嵐』なんです。
そうそう、これで海士町に行ってるんですよ。

山崎

あ、ほんとだ。

藤本

もともと『Re:S』を見てくださっての依頼だったので、
この本でもぼくの編集の手法をとりました。
つまり、2〜3割を彼らに委ねたんです。
決めすぎないゆるさって、ともすれば不安にもなるかもしれないのですが、
さすがに彼らはプロフェッショナルにそこをやりきってくれた。
このことは、ぼくにとっての大きな自信にも繋がっていきました。

山崎

転機に、よい経験になったわけですね。

藤本

しかも、念願のコンサートにもちゃんと行けましたしね(笑)。

学校図書『ニッポンの嵐』

『ニッポンの嵐』は、国土交通省観光庁をとおして、全国の小、中、高の図書館に寄贈された非売品の学校図書。のちに、内容はそのまま完全縮小したポケットサイズも発売され、発行元収益のすべては東日本大震災の復興支援のために寄付された。藤本さんは、編集、原稿執筆を担当。

対談の様子

『ニッポンの嵐』で海士町のナビゲートをしてくれたのは、山崎さんもよく知る地元の面々。「クリエイティブに活動する若いひとたちがみんな、『Re:S』が好きだったと言ってくれて、ああ、ここまで届いてたんやなってしみじみとうれしかった」と藤本さん。

このまちで、編集というしごとを続けていたい。

藤本

こういう機会を経て、偶然性を大切にして作っていく
じぶんの編集スタイルを確立していくんですが、
ここで背中を押してくれたのが、まさに鶴瓶さんなんです。

山崎

ほぅ。

藤本

それまでは、一方的に好きだっただけなんですけどね。
ご縁があってお会いできたときに
「そうや、それでええねん。偶然でええねん」って言ってもらえたんです。

山崎

それはうれしい力になりましたね。

藤本

ほんと、ミラクルですよ(笑)。でも、このまちから、
全国に流通するものを作っていきたいと思っていましたから、ずっと。
こういったプロフェッショナルな方々と触れあいながら、
それを叶えられたことがじぶんの自信になってきました。
そんなときに、秋田に出会うわけです。

山崎

このスタイルって、東京でやるのはむずかしいんですか?

藤本

たぶんいちばんむずかしいですね。なんでも広告代理店が関わってきますから。
ひとの思惑が絡めば絡むほど、やりにくくなります。
ぼくのやり方は、いわば独裁者的ですから(笑)。
でも、それが編集の魅力だし、
だからこそ編集で世の中を変えられると思っています。

山崎

なるほど。

藤本

たとえば、フリーペーパーをやってるころに『すいとう帖』というのを作り、
マイボトルということばを使ったんですが、
それで水筒というものが再びスタンダードの座に返り咲きました。
折しも象印もタイガーも「国内で魔法瓶は売れない」と言っていた時代に、
世の中を少し変えたり、ひとを動かしたりできたことに、
純粋にわくわくしたんです。
だから、なにが正解かじゃなくて、じぶんに正直にまっすぐに、
編集の力を使いたいって思うようになりました。

山崎

どうして、東京ではやらないんでしょう。

藤本

お金の仕組みができあがってしまってるからでしょうね。
企業とのやりとりなど面倒なあれこれを代理店さんがやってくれて、
その代わりにクリエイターが守られる、というような。
でも、モノづくりの現場が潤ってほしいって思うんですよね。
間を取り持つひとがいちばん儲けるんじゃなくて。

山崎

うーん、たしかに。

藤本

雑誌の『Re:S』をやったときに、多くの編集者から
「うらやましい」と言われたけれど、
だからといってそれをじぶんでやろうとするひとはいませんでした。
できないんですよね、やっぱり。
みんなは東京が最先端だというけれど、そういう意味でも
ぼくは東京がいちばん遅れていると実感しています。
逆に、いま通っている秋田は「すごく先を行ってる」って感じますよね。

(……to be continued!)

フリーマガジン『のんびり』

今年度、藤本さんが編集長をつとめることになったのは、「秋田からニッポンのびじょんを考える」フリーマガジン『のんびり』。「秋田が最先端」だというその意味は?

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SATOSHI FUJIMOTO 
藤本智士

編集者/有限会社りす代表 1974年、兵庫県西脇市生まれ。

2004年に出版した『すいとう帖』をきっかけに、「マイボトル」という言葉を生み出し、現在のマイボトルブームをつくる。2006年雑誌『Re:S(りす)』を創刊。11号で雑誌休刊するまで、編集長を務める。その後自らの会社名を「Re:S(りす)」と変更。

Re:S=Re:Standard(あたらしい、ふつう)を単なる雑誌名とせず、様々な書籍や展覧会やものづくりをとおして、Re:Sを体現していく編集活動が話題を集める。最近では、デジタル時代にアルバムの大切さを伝えるべく開催した「ALBUM EXPO」(大阪/名古屋にて開催)、3人のデザイナーとの旅の記録を展示化した「日本のデザイン2011 Re:SCOVER NIPPON DESIGN」(六本木ミッドタウン)の企画・プロデュース。国土交通省観光庁をとおして、全国の小、中、高の図書館に寄贈された、ジャニーズ事務所の人気グループ嵐による『ニッポンの嵐』の編集、原稿執筆を手がけるなどで話題に。近著に『ほんとうのニッポンに出会う旅』(リトルモア)。イラストレーターの福田利之氏との共著として『Baby Book』(コクヨS&T)がある。現在、秋田県より全国へ発行されているフリーマガジン『のんびり』の編集長を務める。

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RYO YAMAZAKI 
山崎 亮

1973年愛知県生まれ。大阪府立大学大学院地域生態工学専攻修了後、SEN環境計画室勤務を経て2005年〈studio-L〉設立。地域の課題を地域の住民が解決するためのコミュニティデザインに携わる。まちづくりワークショップ、住民参加型の総合計画づくり、建築やランドスケープのデザイン、パークマネジメントなど。〈ホヅプロ工房〉でSDレビュー、〈マルヤガーデンズ〉でグッドデザイン賞受賞。著書に『コミュニティデザイン』。

秋田 Part1 雑誌『Re:S』を捨てて 社名を「Re:S」に。

山崎亮 ローカルデザインスタディ
秋田編・目次

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「Re:S(りす)」代表の編集者・藤本智士さん。
秋田から発行するフリーマガジン『のんびり』が注目を集める藤本さんと
山崎さんの対談を4回にわたりお届けします。

出会い方のお手本は、笑福亭鶴瓶さん。

藤本

ようこそ! お久しぶりですね。

山崎

神戸に引っ越されたばかりなんですよね。
立地もいいし、気持ちのいい事務所です。
お、落語の本がいっぱいありますね。

藤本

好きでね、最近はiPhoneをジップロックに入れて浴室に持ち込んで、
お風呂のなかでよく聞いてます。山崎さんも、お好きですか?

山崎

半年前くらいから興味があるんですよ。
最近、じぶんがいろんなところで同じ話をする立場になってみて、
落語のように「同じ話を今日のおもしろさ」で話せないものかなあと
考えるようになって。勉強したいなあと思っているところです。
お風呂、いいですね(笑)。

藤本

ぼくのお手本は笑福亭鶴瓶さんです。
落語そのものというよりも、日常のエピソードをネタにしていく
「おもろいはなし」の手法。
高校生のころからTV番組の収録に通っていたくらい好きで、
「このひとは、なぜこんな奇跡的な出会いをするんだろう」ということに
純粋に興味を抱いていました。
「出会う能力」のヒミツを知りたかったんです。

山崎

出会う能力! それはぼくも知りたい。

藤本

でしょう?(笑)これは鶴瓶さんじゃないんですけれど、
その後、ダウンタウンのブレーンのひとりで
放送作家・脚本家の倉本美津留さんという方にお会いしたときに、
お笑いの現場の偶然性のおもしろさについて尋ねてみたことがあるんです。
そうしたら、100点満点のコント台本を書いても80点にしかならない。
でも、あえて台本を70点にして、3割の遊びを残しておくと、
芸人さんのポテンシャル次第で100点どころか
2000点が取れることがあるとおっしゃるんです。

山崎

うーん、なるほどね。

藤本

このはなしを聞いて、ああ、それがプロなんだ、と思ったわけです。
それを編集というフィールドでどれだけ発揮できるかということに挑戦したのが
雑誌の『Re:S(りす)』(*1)でした。

山崎

『Re:S』はそういうチャレンジだったんですね。

藤本

はい。いちおう設計図を描いてはおくけれど、
その通りにならなくてもいいっていうスタイルを叶えたくて、
クライアント=広告のない雑誌を作ろうとかね。

*1 『Re:S(りす)』:2006年に創刊された季刊誌。「Re:Standard あたらしい“ふつう”を提案する」をコンセプトに、編集長・藤本智士と編集部自ら日本全国を巡り、偶然の出会いをとりこみながら誌面を制作するという独自の編集スタイルを構築。富士フイルムやタイガー魔法瓶といった企業とのユニークなコラボレーションの試みも。11号で一時休刊を宣言、Webへと移行した。

2004年出版の『すいとう帖』

「マイボトル」ということばを生み出したのは2004年出版の『すいとう帖』。「それを見た象印の社長さんから直接電話がかかてきて、ぼくは自転車を飛ばしてすぐに会いにいったんです」。代理店の介在を必要としない、藤本さんらしい編集方法の始まりともいえる。

これまでも、捨てることから始まっていた。

山崎

あれは何号まで続いたんでしたっけ?

藤本

11号です。3年ぐらいやったので。
脳科学者の茂木健一郎さんが「偶優性」と言ったりするけれど、
決められたページ数をおきまりの企画で埋めていくのではなく、
2〜3割のアドリブをかましながら、
自分自身がわくわくしてクリエイティビティを感じる、ということに
ハマりきっていたんです。

山崎

本来は、それこそが編集者の腕の見せどころですよね。

藤本

ところが、そんなスタイルで始めた『Re:S』に
一定の読者がついて赤字にもならず安定したころに、次は
「でもこれって、アングラなことやってるんだよなぁ」と
矛盾を感じるようになったんです。

山崎

アングラ?

藤本

はい。ぼくがテーマにしている
「Re:Standard(あたらしい、ふつう)を提案する」は、
ベースが「ふつう」なんですよ。
なのに、極めて狭いところに『Re:S』を届けていないだろうかって。
マスに届けなければ意味がないんじゃないかと。
それで、一度『Re:S』を捨ててみようと。

山崎

そんな理由で休刊したとは知りませんでした。

藤本

ええ。『Re:S』の前には「パークエディティング」という社名で
フリーペーパーを発刊していたけれど、ブームによって、
Freeの意味が「自由」でなく「無料」になってしまって、フリーペーパーを捨てた。
その後、アートブックを作ったときは、書籍流通の壁にぶち当たって試行錯誤……。
これまでをふりかえってみても、結局、
じぶんが捨ててきたものの中にしか答えがないと気づいたんです。

山崎

なるほど……。

藤本

それで、雑誌の『Re:S』を捨てて、会社名を「Re:S(りす)」に変えたんです。

(……to be continued!)

「りす」の事務所

この秋「りす」の事務所を神戸に移転。「新卒で就職したのが大阪だったので大阪に事務所を構えていましたが、じぶんの帰る場所、帰る港ということを考えた時、それはやっぱり生まれた兵庫県だったんです」と藤本さん。

デザイン・クリエイティブセンター神戸

りすが入居する「KIITO/きいと」こと、デザイン・クリエイティブセンター神戸。神戸生糸検査所を改修した新館、旧館の2棟からなる地上4階建てのスペース。神戸市中央区小野浜町1-4 http://kiito.jp/

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藤本智士

編集者/有限会社りす代表 1974年、兵庫県西脇市生まれ。

2004年に出版した『すいとう帖』をきっかけに、「マイボトル」という言葉を生み出し、現在のマイボトルブームをつくる。2006年雑誌『Re:S(りす)』を創刊。11号で雑誌休刊するまで、編集長を務める。その後自らの会社名を「Re:S(りす)」と変更。

Re:S=Re:Standard(あたらしい、ふつう)を単なる雑誌名とせず、様々な書籍や展覧会やものづくりをとおして、Re:Sを体現していく編集活動が話題を集める。最近では、デジタル時代にアルバムの大切さを伝えるべく開催した「ALBUM EXPO」(大阪/名古屋にて開催)、3人のデザイナーとの旅の記録を展示化した「日本のデザイン2011 Re:SCOVER NIPPON DESIGN」(六本木ミッドタウン)の企画・プロデュース。国土交通省観光庁をとおして、全国の小、中、高の図書館に寄贈された、ジャニーズ事務所の人気グループ嵐による『ニッポンの嵐』の編集、原稿執筆を手がけるなどで話題に。近著に『ほんとうのニッポンに出会う旅』(リトルモア)。イラストレーターの福田利之氏との共著として『Baby Book』(コクヨS&T)がある。現在、秋田県より全国へ発行されているフリーマガジン『のんびり』の編集長を務める。

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山崎 亮

1973年愛知県生まれ。大阪府立大学大学院地域生態工学専攻修了後、SEN環境計画室勤務を経て2005年〈studio-L〉設立。地域の課題を地域の住民が解決するためのコミュニティデザインに携わる。まちづくりワークショップ、住民参加型の総合計画づくり、建築やランドスケープのデザイン、パークマネジメントなど。〈ホヅプロ工房〉でSDレビュー、〈マルヤガーデンズ〉でグッドデザイン賞受賞。著書に『コミュニティデザイン』。

別府現代芸術フェスティバル2012 混浴温泉世界〈後編〉

劇場化することで、場所をよみがえらせる。

混浴温泉世界では、別府の象徴的な場所を舞台にさまざまな作品が展開されているが、
場所そのものを作品化してしまうプロジェクトもある。
それが「楠銀天街劇場」と「永久別府劇場」だ。
身体表現に関するこのふたつのプロジェクトを企画したキュレーターの佐東範一さんは、
会期中ずっと展示されているアート作品に、
パフォーマンス作品もなんとか対抗したいと思ったという。
「物理的にずっと踊り続けるわけにはいきませんが、
いかに2か月間継続していくか、そして終わってからも継続していけるか。
フェスティバルがひとつのきっかけとなって、
新しいことが別府のまちで続いていくようなしかけをつくりたいと思いました」

楠銀天街は、別府にいくつかある商店街のひとつ。
かつては最も賑やかな商店街だったが、現在ではシャッターが下りている店も多い。
ここにさまざまな廃材を持ち込んで、まるごと劇場空間に変えてしまおうというのが
「楠銀天街劇場」のプロジェクト。
「いま全国でシャッター商店街と呼ばれる商店街が増えており、
かつては人と人との出会いの場所でもあった商店街が、その役割を終えています。
そのような商店街をもう一度、別の役割につくり変えられないかと考えたときに、
劇場が持つ、人が集まる機能とうまく合体させられるのではと思ったのです。
全国のシャッター商店街をよみがえらせるきっかけを、この別府でスタートできたら」
と佐東さん。

このプロジェクトを実現するのに白羽の矢がたったのが、
東野祥子さんとその仲間のアーティストたち。
東野さんはダンサーで振付家だが、映像や美術、音楽なども含めた舞台表現を
チームでつくり上げている。楠銀天街を劇場化するにあたり、
彼女たちは、廃棄物を装飾品として生まれ変わらせることを提案。
別府中の業者を回り、廃棄物を収集、それらを商店街に持ち込んで、
空き店舗や通りにさまざまなオブジェをつくり続けている。
これらのオブジェは会期中も増え続ける予定で、会期末の12月1、2日の両日に、
音楽や映像も使ったダンスパフォーマンスが、楠銀天街全体を舞台に繰り広げられる。

それにしても、若者たちがいきなり商店街に廃材を持ち込んで作業していたら、
近隣の人たちに不審がられないだろうか。
最初はそんな懸念もあったようだが、珍しそうに見ていた近所の人たちは、
やがて彼女たちに話しかけ、そのうち自分の人生を語り出すおばあさんや、
1日3回も差し入れしてくれる人まで現れたそうだ。
これぞアーティストの力というべきか。

楠銀天街劇場では音も重要な要素となる。
アーケードの天井にはかつては賑やかに鳴っていたであろうスピーカーがあったが、
もう長いこと音楽は流れていなかった。
今回、断線していた配線をつなぎ直したところ、ちゃんといい音が出たという。
佐東さんは「切れていた線をつなぐだけで、もう一度すばらしい音が出る。
こういうことがやりたかった」と話す。

かつては別府で最大の賑わいを見せた楠銀天街。ここがまるごと舞台となる。

別府市近郊から廃材を集めて制作。空き店舗の中でもさまざまなオブジェが展示されている。

夜になるとオブジェが怪しく光りだし、異空間を生み出す。

左から、音楽と演出を担当するカジワラトシオさん、振付と演出を担当する東野祥子さん、美術を担当する長田道夫さん(OLEO/R type L)。

「永久別府劇場」は、かつて「A級別府劇場」というストリップ劇場だったが、
建築家グループ「みかんぐみ」のリノベーションにより、新たな劇場に生まれ変わった。
ここでは会期中の毎週末、さまざまなアーティストが登場する
「混浴ゴールデンナイト!」を開催している。
コンテンポラリーダンスからベリーダンス、フラメンコまで
バラエティに富んだアーティストが出演するが、
ちょっと珍しいのが、昔ながらの金粉ショー。
体中に金粉をまといパフォーマンスをする金粉ショーは、
かつては温泉地やキャバレーなどで行われていたが、現在はあまり見られない。

実は佐東さん自身、80年代から90年代にかけ
舞踏グループ「白虎社」のメンバーとして活動していた時代に、
金粉ショーをやっていたそう。
「昔はいまのように助成金もありませんから、
自分たちの公演のためのお金は自分たちで稼いでいました。
アングラ演劇といわれる人たちの収入源、
またダンサーとしての身体性を鍛える場でもあった金粉ショーを、
復活させてみようと思ったのです」
もともとストリップ劇場だった空間で、
さまざまな身体表現が見られるというのも面白い。
金粉ショーは「混浴ゴールデンナイト!」の全日程で見ることができる。

「ファサードには、新しい作業が始まるという意味もこめて単管パイプを使った」と、みかんぐみの曽我部昌史さん。パフォーマンスは金・土・日だけ開催だが、月・火・水も館内は見学できる(木曜休館)。

「The NOBEBO」による昔ながらの金粉ショー。きらびやかで妖艶なパフォーマンス。

多様な文化が、別府のまちをつくる。

今回の混浴温泉世界で、最も目につく場所で行われているのが、
別府のランドマークである別府タワーを使ったプロジェクト。
アーティストの小沢剛さんによるこの作品は、
タワーに灯る「アサヒビール」のネオンの文字が、
さまざまな組み合わせにより言葉を紡ぎだすというもの。
それは単に「アヒル」とか「ビル」といった日本語の言葉遊びではない。
私たちには理解できなくても、そこにはさまざまな言語の単語が潜んでいるのだ。
港町である別府は昔から外国人の流入も多く、
現在は立命館アジア太平洋大学(APU)という、
在籍学生の半数近くが留学生という大学もある。
多くの言語、多くの文化が共存する別府の多様性を、
別府のランドマークを使って表したのだ。
昨年の年末から今年の年始にかけて、家族とともに
別府に「生活するように」滞在し、リサーチをしていた小沢さんは、
ある日の夕暮れ、別府タワーのネオンが灯る瞬間を見たときに、
今回のアイデアがひらめいたそうだ。

タワーのネオンは日没から点灯するが、昼間も小沢さんの作品が楽しめる。
商店街でも何かやりたかったという小沢さんは
「やよい商店街」と「ソルパセオ銀座商店街」というふたつのアーケード街で
タワーの「見立て細工」を制作した。
「見たて細工」とは、日用品を組み合わせるだけで造形物をつくるもので、
別府市の浜脇地区で開催される歴史あるお祭り「べっぷ浜脇薬師祭り」では
「風流見たて細工」が名物となっている。
今回は商店街の18店舗に、お店にあるものを用いてタワーを出現させた。
お店の人たちも協力してくれ、このユニークなタワーを楽しんでくれているようだ。

今回の一連の作品に、小沢さんは《バベルの塔イン別府》というタイトルをつけた。
「思い上がらず、向かい合うのが大切」という小沢さんの言葉が印象的だ。

混浴温泉世界の初日、10月6日に、
小沢さんと作曲家の安野太郎さんのコラボレーション
「世界混浴タワー合唱団」によるパフォーマンスが行われた。
ネオンに現れるさまざまな言葉をつないだ歌詞と、安野さんによる曲で合唱曲がつくられ、
それを多人種からなる世界混浴タワー合唱団が、別府タワーで合唱するというもの。
鑑賞者は、タワーの合唱団員の姿が見えるホテルの屋上から
「ワールドプレミア」となる公演を楽しんだ。
歌声は設置されたスピーカーを通してだったし、
当然、合唱団のメンバーの表情までは見えない。
それでも、こちらとあちらで手を振り合ったときは、何か相通じるものがあった。
見えなくても、みんなが笑顔であることは、はっきりとわかった。

アイスクリームのコーンでつくったタワー。

喫茶店のサンプルケースにも。

八百屋にもこんなタワーが出現。

歌詞に合わせてネオンが灯る。11月10日(土)にも「世界混浴タワー合唱団」のパフォーマンスが行われる。

一過性でなく、継続していくプロジェクトへ。

混浴温泉世界のキュレーターのひとりである住友文彦さんはこう語る。
「僕はアートでまちおこしができるとは思っていません。
いま日本中で幻想のように言われていることに対して、
敢えてそう思っていないところがあります。
ただ、こういうアートプロジェクトが行われることで、
まちが変わるということはあると思います。
でもそれは、アートが変えるのではなくて、
アーティストが持っている特殊な能力、
観察力であったり考え方をかたちにしていく技術、
そういうものに地域の人たちが触発されて、何か創造的なことに関わっていく。
そういったことでまちが変わっていくということがあるかもしれない。
一過性のイベントではなくて、
ずっと地域の人たちが関わっていけるような場所、あるいは組織ができていくと、
このプロジェクトは次のフェーズをつくっていけるのではないかと思います」

2009年の混浴温泉世界の開催後、混浴温泉世界の実行委員が中心となり、
市民参加の芸術祭「ベップ・アート・マンス」を毎年開催してきた。
3年ごとに著名なアーティストを招聘する混浴温泉世界とは別に、
さまざまな展示やワークショップなど多くのイベントがまちのいたるところで行われ、
今年も混浴温泉世界と同じ会期で開催される。まちをあげての文化祭といった趣だ。
また前回の混浴温泉世界の「わくわく混浴アパートメント」という企画がきっかけとなり、
清島アパートという古いアパートが、アーティスト・イン・レジデンス施設として、
現在も機能している。実際にそこで暮らすアーティストもいれば、
アトリエとして部屋を使っているアーティストおり、もちろん展示も行われている。
これまで多くのアーティストたちがここで滞在制作をし、出入りしてきた。
このように、混浴温泉世界というアートフェスティバルが、
まちに何らかの変化をもたらしたことは事実だ。

清島アパートでお米を使った作品を展示している安部寿紗さん。かかしのポーズ。

別府のようなまちが、ほかにもできていくとさらに面白いことになるのではないか。
大分県では次のプロジェクトも始動している。
それが国東半島で行われる「国東半島アートプロジェクト2012」だ。
古来からの豊かな自然や神仏習合の文化が残るこの土地を舞台に、
秋期は11月3日から11月25日まで、ふたつのプロジェクトが展開する。
茂木綾子とヴェルナー・ペンツェルによるアーティストユニット「ノマド村」と
画家の千葉正也による「いえをつくる」プロジェクト。
もうひとつは、美術家で演出家の飴屋法水と、小説家の朝吹真理子、
音響エンジニアのzAk、料理家の長谷川ヒヨコらによる
「アートツアー」のプロジェクト。別府と合わせて訪れるのもよさそうだ。

場所が持つ力、アーティストが持つ力。
それらがかけ合わされたとき、まちは変わるのかもしれない。

国東半島・豊後高田市の「田染荘(たしぶのしょう)」。ここでは中世の荘園時代の景観が守られ、受け継がれてきた。

「三人よれば文殊の知恵」の発祥地といわれる文殊仙寺の十六羅漢像。国東には古刹や遺跡が多く残る。

別府現代芸術フェスティバル2012 混浴温泉世界〈前編〉

別府に、かりそめのユートピアを。

大分県別府市で12月2日まで開催されている
別府現代芸術フェスティバル2012「混浴温泉世界」。
2009年に続き第2回目の開催となる今回は、国内外の著名なアーティストを招聘し、
別府の市街地を中心に8つのプロジェクトが展開中。
商店街やデパート、別府のランドマークともいえるタワーなどが舞台となり、
別府の日常の風景がいつもと少し違う表情を見せている。

「混浴温泉世界」とは少々奇妙なタイトルだが、総合ディレクターの芹沢高志さんは、
これはフェスティバルのタイトルであると同時に、コンセプトでもあるという。
「私自身が別府という土地にとても惹きつけられました。
別府に来て間もない頃、混浴の露天風呂に入ったのですが、温泉に浸っていると、
年齢、性別、民族、国籍、宗教、そういったものがどうでもよくなり、
ひとりの人間として素っ裸になって、他人と時間を共有していることに気づきました。
でも温泉はずっと入っているとのぼせますから、出たり入ったりする。
次に入ったときには、同じ人と時間を共有できるかわかりません。
百数十年前に港ができて以来、別府にはさまざまな人が流入し、
いまも観光客が滞在しては出て行きます。
かりそめではありますが、混浴温泉のように
人々を分かつバリアを取っ払ってしまうような、ユートピア的な世界を
別府に浮かび上がらせることができたらと思っています」

中心市街地からちょっと離れた鉄輪(かんなわ)地区は、
まちのあちこちに湯けむりがたち、日本有数の温泉地である
別府の象徴的な風景が広がる。この地区に、巨大な竹の彫刻が出現。
中国のアーティスト、チウ・ジージェの作品だ。
別府は古くから竹細工が盛んであり、竹はなじみのある素材。
中国でも竹は身近な素材であり、今回は中国の竹細工の職人の手によって
作品が制作された。別府では温泉の冷却装置に竹が使われており、
今回はその装置と並ぶようにして作品が展示されている。

チウ・ジージェ《そうして物事は日夜流れていく》。このほか、ローマ遺跡の柱をモチーフにした作品も。

滝の中に人面が浮かび上がるようなイメージ。中国の竹細工の職人によって編まれた。

温泉の温度が高すぎるので、竹を使ってお湯を冷ましている。

鉄輪地区はまちのいたるところで温泉が湧き、湯けむりがたっている。

まちの人たちが日常的に入る無料の温泉も。

鉄輪を散策。手前の不揃いの石畳は、明治時代のものをそのまま残している。

市街地の地下街でも作品を展示しているシルパ・グプタの作品《どこでわたしはおわりあなたははじまるのか》。夜にはLEDのサインが灯る。

別府の自然と歴史にふれて。

世界的アーティスト、クリスチャン・マークレーは、
別府国際観光港エリアの餅ヶ浜桟橋で作品を展開。
100本ののぼり旗につけられた鈴が風にはためき、音を奏でるインスタレーションだ。
のぼり旗にプリントされたイメージは、水と火。
温泉地である別府の象徴的な自然のイメージが、もうひとつの自然、風によって揺らめく。
「80年代に日本を訪れたとき、のぼり旗が目について、
いつか作品に使いたいと思っていました。
私のアイデアは日常の端的なものから生まれ、見る人の反応を含めて表現となります。
見に来てくれる人の存在が、表現の意味を変えていくのではと思っています」
とマークレー。この桟橋は、バブル期には豪華客船が停泊していた
にぎやかな場所だったそうだが、現在ではそれほど人は多くない。
久しぶりにこの場所を訪れてみる地元の人も少なくなさそうだ。

歩きながら体感するマークレーのインスタレーション《火と水》。その日の風によって体験が異なってくる。

《The Clock》で世界を驚かせたマークレー。同作は2011年のヴェネチアビエンナーレで金獅子賞(最高賞)を受賞。

別府最大級の商業店舗「トキハデパート」。
別府の人々が日常的に買い物に訪れるこのデパートの1フロアを異空間に変えたのは、
イギリス出身で、ベルギーで活動するアーティスト、アン・ヴェロニカ・ヤンセンズ。
売り場としては使われておらず、物置のようになっていた5階を
まるごと展示に使っている。
暗く広々とした空間に、光や霧が放たれる体験型のインスタレーション。ヤンセンズは
「初めて別府を訪れたとき、自然の印象を強く受けました。
そして水や光、蒸気といった流体は、私に合ったテーマでした。
デパートというのは非常に具体性の強い場所なので、
それに対して物質性の薄い霧や光、空気を中心にした作品にしようと考えました」と話す。

インド出身のアーティスト、シルパ・グプタは、地下街を作品の展示場所に選んだ。
地下街といっても、狭い入り口から続く階段を降りると、
うなぎの寝床のように細長いスペースが広がり、こんなところに、と思うような場所だ。
戦後は小さなバーなどの飲食店が軒を連ねていたが、
昭和40年代にはすべての店が撤退し、閉鎖されていた空間。
地下への階段を下りていくと、部屋の奥に不思議なオブジェがあり、
その中から女性の声が聞こえてくる。
それは、ともするとかき消されてしまいそうな、弱き者たちの声かもしれない。
グプタはこう話す。
「別府の歴史についていろいろな話を聞いたなかで、
心に残ったのは、娼婦と子どもたちの話でした。
私が最近子どもを産んだばかりということも関係あるかもしれません。
地下というスペースは、人間の心や欲望を表すのに適していると思いました。
愛、欲望、母性……自由にさまざまなことを感じてもらえればと思います」

デパートを展示空間にしたヤンセンズ。人工的な光を使った作品と、窓のように自然光を切り取った作品が1フロアで展開されている。

商店街の一角、狭く暗い階段を下りていくとグプタの展示が。バーの古い看板がそのまま残っていた。

別府温泉発祥の地といわれる浜脇地区。
その一角にある築100年を超える長屋に作品を展開したのは、
現在はミラノに活動拠点を持つ廣瀬智央さん。
浜脇は再開発が進み、ところどころに大きなマンションが建つが、
その中に残るひっそりとした長屋の空き家を、
地元の建築家とともに作品として再生させた。
まず待合室のような部屋に入ると、カボスのいい香りに包まれる。
ふと見上げると、天井に張られた薄い膜にカボスが置かれている。
カボスは大分の名産品。地元の人にしてみると珍しくない食材が、
ここでは少し違って見えるかもしれない。
隣の建物に入ると、青いビー玉が敷き詰められた部屋があり、
それを上から見下ろすことができる。
空が反転したような《天空の庭》と題されたインスタレーションだ。廣瀬さんは
「浜脇は別府発祥の地であると同時に、色町でもあった。光と闇、聖と俗のように
相反するものが共存するような世界を表現できればと思いました」と言う。
また、廣瀬さんはインスタレーションだけでなく、
近辺のウォーキングのコースも提案する。
「僕の作品を見たあとに、浜脇というまちを実際に見て歩いていただき、
僕の体験を鑑賞者にも追体験してもらえたら」
どの作家も場所に向き合い、地域の人たちの協力を得て制作に臨んだ。
訪れる人が、その土地を知るきっかけになったり、
忘れられた場所にもう一度目を向けるようなプロジェクトが、
別府のあちこちで展開されている。

後編に続く)

《カボスの家》天井。この部屋で、フレッシュなカボスの果汁を搾った水をいただき、ひと休みできる。

長屋の中に置かれたカボスの木。浜脇地区には、戦災を免れた古い長屋や、遊郭だった建物も残る。

会津・漆の芸術祭2012 カキコ隊レポート Part2

会津若松市と喜多方市で開催されている「会津・漆の芸術祭」。
会津に古くから伝わる素材である漆を使って、
福島県内外の作家や職人、学生たちがさまざまな作品を展示。
3回目となるこの芸術祭を、ボランティアスタッフ“カキコ隊”のひとりが、
全3回にわたりレポートします。

会津とほかの地域を、漆がつなぐ。

みなさんは、いわゆる「芸術祭のボランティアスタッフの仕事」というと、
どのようなイメージを持たれるでしょうか?
ポスター・チラシの配布、会場での来場者案内など、
開催直前あるいは会期中の活動を思い浮かべる方が多いのではないかと思います。
私自身も、昨年「会津・漆の芸術祭2011」をお手伝いするまでは
そのようなイメージを持っていました。
もちろん、それらも大切な仕事ではあるのですが、
ボランティアスタッフの最も重要な仕事、それは「掃除」なのです。
そもそも芸術祭というもの自体が、みなさんに作品をご覧いただく開催期間だけで
でき上がっているわけではなく、まずは作品搬入前に掃除、
会期が終われば使用前よりもきれいな状態でお返しできるように掃除、
まさに「掃除に始まり、掃除に終わる」ものであるからなのです。

そこで、今回まずご紹介したい展示会場は、喜多方エリアの三十八間蔵。
荒物を扱う嶋新商店の、店舗蔵から敷地奥へと
その名の通り三十八間にわたって連なっている蔵のうち、
2号、3号、4号と3つの商品蔵をお借りした大きな会場です。
以前は、近隣の農家が農閑期に作った笠や籠などの
燃えやすい商品を保管する蔵だったそうなのですが、現在は使われておらず、
漆の芸術祭が蔵の内部を見学できる貴重な機会となっています。
つまりは、蔵内部の掃除ができるのも漆の芸術祭が貴重な機会。
これは、なかなかやりがいがあります。
まさに久しぶりの蔵開きとなった使用初年度の昨年は、
マスクをしていても鼻のまわりが黒くなるほどの埃の中、丸二日がかりの大掃除でした。
2年目である今年でも、再び積もった埃と格闘すること一日半。
まだ夏の暑さが残るなか真っ黒になって掃除をする作業は、
カキコ隊同士が親交を深める重要な機会でもあるとともに、
こうして汗を流して掃除をした会場には深い思い入れができ、
さらにはそこに展示されている作品にも、自然と愛着がわきます。
これぞカキコ隊として参加したからこそ味わうことのできる、
漆の芸術祭の楽しみ方ではないかと思うのです。

明治時代創業の荒物を扱う嶋新商店の、三十八間の長さに連なる蔵。一間=約1.8メートルなので、約68メートル。

掃除中の三十八間蔵(2号蔵)のようす。9月の上旬、まだ連日30℃を超える暑さのなかでの作業でした。

現在、三十八間蔵(2号蔵)に展示されているのは、金沢美術工芸大学喜多方三十八間蔵プロジェクトチームによる「the realm of mind」。

ここ三十八間蔵だけでも、写真で紹介した金沢美術工芸大学のチーム以外に、
秋田公立美術工芸短期大学熊谷研究室作品が展示されているなど、
喜多方市内の会場には全国の大学からの研究室単位での参加作品が多く展示されていて、
喜多方エリアのひとつの特徴となっています。

三十八間蔵からほど近い大和川酒蔵北方風土館にも、3点の大学プロジェクト作品。

富山大学芸術文化学部うふふ研究室「う・ふ・ふ~うるし ふるさと ふくしま~」。干支と花カルタをモチーフにした作品群。作品を見て何気ない幸福感「うふふ」を感じてもらい、それが未来への活力になることを願っているとのこと。

金沢美術工芸大学大和川酒蔵良志久庵プロジェクトチーム「命あるもの」。樹皮を傷つけられ自らを守ろうと滲み出す漆液に生命を感じ、芽吹く、起き上がる、伸びる、増殖するをキーワードに制作した作品。

こちらの2作品は、同様に大学単位のプロジェクトチームによる参加でありながら、
大型の作品を中心に「命」という重厚なテーマを取り上げた金沢美術工芸大学と、
さまざまなサイズの作品を織り交ぜて、色合いもカラフルに
「うふふ」と軽やかに表現している富山大学と、
対照的な作品群となっているのが興味深く、
漆塗りの持つ重厚さと温かさという両面が表されているのではないかと思うのです。
もうひとつの参加大学チームは福島大学渡邊晃一研究室。
絵画や彫刻を表現手段とする先生と学生たちが、漆に挑戦した作品と
漆の漉し紙をつかったワークショップ作品が展示されています。
そして、前回のレポートで取り上げた会津若松エリアの中学生高校生の参加同様、
このように、全国で漆について学び、漆文化を伝えようとする若者たちがいることに
勇気づけられます。

おいしい芸術祭。

さて、前回の会津若松エリアでは、
「触れて、体験して、身近に感じる芸術祭」をご紹介しましたが、
喜多方エリアでは「触れて、食べて、おいしい芸術祭」をご紹介。

大和川酒蔵北方風土館から歩いてすぐにある「食堂つきとおひさま」では、
協賛事業として「漆の器 おもてなしごはん」を提供中。
会津塗の器にて、無国籍料理をいただくことができます。
この企画で使われている器は、明治時代に会津でつくられ、
会津の古い商家で使われていた四つ椀(入れ子になった4客1組の椀)をモデルに、
現代の漆職人たちが制作したもので4種類あります。
4組の木地師と塗師による、それぞれの個性も楽しいところ。
漆塗りの良さは、実際に手に取り使ってみて伝わるものだと思っています。
肉、魚、野菜とバランスのとれたおいしいご飯とともに、
ぜひ漆器の手触りをお楽しみください。

「食堂つきとおひさま」のおもてなしごはん。この日のメニューは、豚とキャベツの味噌炒め、鯖の南蛮漬け、水菜のサラダ、刺身こんにゃくと野菜のわさび和え、大根おろしののった具だくさん卵焼き、十穀米、味噌汁。1000円。
住所:福島県喜多方市字寺町南5006番地 電話:0241-23-5188 営業時間:12:00~21:00(LO 20:00)*おもてなしごはんは12:00~14:30、17:30~21:00、なくなり次第終了 定休日:木曜日、第1水曜日 http://tukitoohisama.com

もう一つご紹介する「おいしい芸術祭」は、
やはり大和川酒蔵北方風土館から歩いてすぐ「お休み処 蔵見世」にて。
昨年3月12日に長野県栄村を襲った地震によって崩れた土蔵から、
喜多方を含む会津地方で作られた漆器が見つかり、
長野県で活動する「地域資料保全有志の会」によって救出、保全されました。
それらの漆器が漆の芸術祭をきっかけに里帰りをし、
こづゆやそば、鰊の田楽といった会津の郷土料理を盛り付けた
「里帰り喜多方御前」(1000円)として、蔵見世にてお楽しみいただけます。
ただし、こちらは不定期での提供となっているため、
お休みの日に当たっちゃったらごめんなさい。
そんな「里帰り喜多方御前」がお休みの日でも、
里帰りした漆器たちはご覧いただくことができます。
蔵見世2階にて展示されていますので、食事でのご利用がない方もお気軽にぜひ。

栄村で暮らしていた漆器たちの「里帰り」展示作業中。カキコ隊も作業をお手伝いしました。右側は震災後の崩れかけた蔵の中のようす、左側はハレの日の準備のために並べられるようすをイメージ。

このように、漆の芸術祭では、営業中の飲食店や漆器店なども、
数多く会場として利用させていただいています。
「食事しないし」「買い物しないし」と躊躇してしまいがちですが、
作品鑑賞のためだけの入店ももちろん歓迎。各店舗からも
「これを機会にお店のようすを知っていただき、次回のご利用につなげていただければ」
との声をいただいておりますし、来場者から
「気になっていたお店に足を運ぶ機会になって楽しい」との感想もきかれます。
冒頭の三十八間蔵のように普段は公開していない建物の内部など、
作品鑑賞だけではなく、まち並みや展示会場となっている建造物そのものを
ご覧いただくのも「会津・漆の芸術祭2012」の楽しみ方のひとつだと思いますので、
ぜひ会津をまるごと体感してください。

番外編 公開講座 「コミュニティデザイナーという仕事」レポート

コミュニティデザイナーというしごとに実際に触れながら、
ひとのつながりが基盤となる新しい社会のあり方について考えたい。
札幌の北海道大学の大学院が主催し、札幌オオドオリ大学の協力で
山崎さんを招いた講座は、「いま、最も受けたい授業」でした。

コミュニティデザイナーって、どんなしごと?

夏のある日の北海道大学大学院環境科学院D201講義室。
階段式の大教室が、みるみる間に満席になります。
2010年度からすでに14組もの講師を迎えて、環境科学と異分野の連携を考えてきた
北海道大学環境科学院GCOEプログラム主催の公開セミナー「環境と、なにか」。

地域でのあたらしい学びの場づくりを目指すNPO「札幌オオドオリ大学」の協力もあり、
学生だけでなく多くの社会人も参加、参加者を巻き込む対話型の講座に、
コミュニティデザイナーの山崎亮さんが登場です。

コーディネーターは、フリーランスのメディア・ジャーナリストで
東海大学国際文化学部デザイン文化学科客員教授でもある渡辺保史さん。
まずは、文字通り「コミュニティデザイナーって、どんなおしごとなんですか?」
というおはなしから。

山崎さん、あるいは彼が代表をつとめる「studio-L」が、現在、実践として行っている
「コミュニティデザイン」のしごとは、おおまかにこの4つに分けられます。

4つに分類される「コミュニティデザイン」の仕事の図

左の項目ほどデザイン力、右の項目ほどマネジメント力が重視される、
もしくは必要とされる分野ですが、その両方の実力を兼ね備えているのが
山崎さんの強みであり、コミュニティデザイナーという肩書きのもつ意味でもあります。

本に書いた後の海士町のはなしをしよう。

島根県の離島、海士町は、人口およそ2300人。
そのなかに、地元継続居住者(ずっと住んでいる人)、
Uターン者(外から戻ってきたひと)、
Iターン者(約250人の移住者)が混在して暮らしている……。
このまちの総合計画を住民参加型で作っていくプロジェクトは、
山崎さんの代表著書『コミュニティデザイン』(学芸出版社刊)にも、
20ページを割いて紹介されています。

「そもそもまちづくりとは、なんて言いたいわけじゃない」と、山崎さんは言います。
Uターン者、Iターン者のみならず、元ヤンキーも、ブランド好きの主婦も、
一緒にやるから楽しいことがおこるんだ、と。
「現在、町民2300人中、約300人がまちづくりに関わっています。
これってたしかにすごいことかもしれないけれど、逆に、残りの2000人は、
なぜ関われないんだろうということを考える必要があります」

それから、海士町に限らず、限界集落のすべてを「活性化」することはむずかしい、
というリアルなはなし。
つまり、活性化一辺倒ではなく、現状を「維持」することや
「美しく」集落を「閉じる」ことも考えていかなくてはならない場合がある。
誰も苦しい思いをしないで済む方法はあるだろうか。

それはたとえば、集落支援員を育てる、派遣すること? 
たとえば、祭りの記録など、そこに集落があったことの記憶を記録すること……?
そういった方法を美しくデザインしながら考えていくなかで、
今や婚活や恋札の制作まで行うようになった山崎さんたちが、
次第にやってみたくなったこと。

それは「これを読めば、きっとそのひとに会いに行きたくなるガイドブック」。
店や観光地でなく、125名のひと(住民)を通してまちを紹介する、
その名も「コミュニティトラベルガイド」。この思いはカタチになり、
『海士人(あまじん)』というタイトルで今年の5月に出版され、書店に並んでいます。

海士町の住民参加型プロジェクトについて話す山崎さん

海士町の住民参加型プロジェクトについて話す山崎さん。「Uターン者、Iターン者、地元継続居住者も、一緒にやるから楽しいことがおこる」

コーディネイター・渡辺保史さんとの対話

渡辺

山崎さんのように「ひととひとを繋ぐこと」を仕事にするひとは、
今後増えるだろうか。
必要とされるなら、どういう力を養っていけばいいのでしょう。

山崎

ぼくたちはこれまで「デザインはひとの生活を豊かにする」と教えられてきました。
でも世の中はここ30年、「豊かさ」=モノではないと気づいてしまっている。
では、いまぼくたちは、なにをデザインすればいいんだろう、というところから、
ファシリテーションを学んだり、まちづくりのひとたちに学んだりして、
いまのしごとのカタチになってきたように思います。

また、専門家の知恵や技術を橋渡しできるスキルをもつひとというのも
必要とされるようになってきているように感じます。
ただ、つなぐだけのひとでは、なにをやってるのかわからない。
横につなげてさらに深さをもたらすことが求められます。

つまり、「T」の字のイメージ。でも、欲をいえば実は「T」でも足りなくて、
専門知を複数もつ「π」の字型を目指すべきではないだろうか、
それがぼくらに必要なスキルだといまは思っています。

渡辺

北海道についてどう思っていますか?

山崎

人口減少先進地の最先端になれそうですね。
大都市圏を持っているのに自然に人口が減るという
すごいことが起ころうとしているのですが、実はこれは世界にも例がありません。
たとえば北海道、大阪、和歌山と、群を抜いて人口が減りつつあるまちから
何が学べるでしょう。「では、何が起こるのか」を知らないひとが
あまりにも多いので不安にもなりますが、考え方を変えれば、
逆にいまのぼくたちが異常な時期に生きているのかもしれない、とも言えます。

そうであれば、幸福度と人口を過度に結びつけて
悲観することでもないのかもしれませんね。
少ない人口で幸せに生きていくことを考えればいい。
世界に向けて、北海道からその方法を発信していければいいですね。
もちろんこれには、相当高度でクリエイティブな発想が
必要とされるはずですけれど。

参加者との対話 —今日、山崎さんに聞いておきたいこと—

参加者A

過疎化が進むと、国を守れなくなるのでは?

山崎

外から攻められることより、中から崩壊していくことのほうが切実だと思いますね。
過疎というより「適疎(てきそ)」ということばで表現したい。
たとえば東京の満員電車なんて、過密すぎると思いませんか? 
適切にまばらなまち=適疎。
たとえば、ひとり1ヘクタールの家にゆったりと住む暮らし、
悪くないと思いませんか。

参加者B

ひとを巻き込むポイントは何ですか?

山崎

ぼくももともとコミュニケーションが得意ではないほうなので、
気をつけていることがあるとすれば、「YES、and」で
相手がほんとうに思っていることをうまくひき出し、つなげていくこと。
これ、否定形で考えるよりもむずかしいんです。
「YES、and」でつなぐ文脈を、あたまのなかで相当考えているんだな、
とじぶんでも最近気づきました。
ポイントは、相手の本質のことば、大事なことばが出てくるまで
粘り強く、粘り強く、よく聞くことですね。

参加者C

コミュニティデザイナーという人材を増やすために、
なにかやっていることはありますか?

山崎

教科書を作ってほしいという要望はとても多いのですが、
ぼくがやっていることって、マニュアル化できる類いのものではないんですよね。
そのひとの風貌、キャラクター、聞いてくれる相手の層によるので、
実地訓練がいちばん大事。
そこで、かつて流行ったゲームブック形式で現場を疑似体験できる
『コミュニティデザインの仕事』というアドベンチャーブックを作りました。
ファシリテーションや対象法を学ぶツールとして手に取ってみてくださいね。

* * *

途中、「どんなに大変な現場でも、十分な睡眠を取るというのが、
もしかするとコミュニティデザイナーという仕事なのかもしれませんね」
と冗談めかして語った山崎さん。早口で次々と展開していく話題、
聞く者を竜巻のように巻き込むスピード感のなかに、
時折笑いを交えることを忘れず、でもその笑いのなかに
本質が含まれているというのも、山崎さんの講演の魅力です。

公演中の山崎亮さん

相手のことばをよく聞き「YES、and」でつなげていく。参加者にとって刺激的な講義になったはず。

Aloha Amigo! フェデリコ・エレロ×関口和之

美術館で行われるウクレレプロジェクト。

金沢21世紀美術館で開催されている「Aloha Amigo! フェデリコ・エレロ×関口和之」。
2012年5月3日から2013年3月17日にわたり開催されているこのプログラムは、
同美術館が行っている「金沢若者夢チャレンジアートプログラム」の一環。
18歳から39歳までの若者に、ワークショップなどを通じて
芸術活動への参加の機会を提供するプロジェクトで、個性豊かなアーティストを招聘し、
長期にわたり地元の若者たちとの協働によって作品を制作していく。
昨年度はイギリスの若手アーティスト、ピーター・マクドナルドを招聘して
制作と展示をしたが、今回はなんとウクレレがテーマ。
サザンオールスターズのメンバーでウクレレ奏者として有名な関口和之さんと、
コスタリカ出身の美術家フェデリコ・エレロのコラボレーションにより、
音楽と美術の世界が融合したプロジェクトを展開している。

それにしても、美術館のプロジェクトでなぜウクレレ? 
このプログラムを企画したキュレーターの村田大輔さんは
「関口さんという、ウクレレの演奏活動のみならず、
ウクレレを通して人々の和を創出してきたアーティストに注目しながら、
音楽の演奏行為にプロジェクトの軸を据えました。
人が音を奏でるという行為と造形芸術も含めた芸術表現の本質を関連づけ、
その意義を考察することが目的です」という。
関口さんいわく、ウクレレは習得しやすく、かわいらしく、
そしてコミュニケーションのツールとして文化を超えて浸透してきた楽器。
楽器を手にし、音を奏で、聴き、自らの身体や意識を再発見するなかに、
重要なものが秘められているのではないかというのが、このプロジェクトの趣旨だ。

エレロは、金沢21世紀美術館とまちをつなぐ「アートバス」の
ボディのデザインも手がけていて、美術館とは密接な関わりがあった。
彼ならウクレレ音楽の世界をうまく空間に表現してくれるのではないかと相談したところ
「自分の表現は音楽的で、開かれていて、
こうしたプロジェクトをやってみたいと思っていた」と快諾。
そこから関口さんとのやりとりが始まり、本格的にプロジェクトがスタートした。
自分の故郷であるコスタリカ、関口さんが活動しているハワイ、
そして日本に共通する「火山」をモチーフとし、巨大なステージ状のオブジェを創出。
この展示空間は《サイコトロピカル・ランドスケープ》と名づけられ、
現在、アーティストと鑑賞者、そしてプロジェクトのメンバーをつなぐ場所となっている。

展示空間でもありステージともなる《サイコトロピカル・ランドスケープ》。エレロの作品は、金沢21世紀美術館に所蔵もされている。

音楽がつなぐ人と人。

このプロジェクトに参加しているメンバーは46名。
彼ら、彼女らは展示室でウクレレを奏で、鑑賞者にウクレレを教える
「ウクレレフリーステージ! 誰でもウクレリアン」プロジェクトを毎日行っている。
鑑賞者は聴くだけでなく、自ら演奏することもできるのだ。
そこでは日々、自然とコミュニケーションが生まれることになる。
日々の体験プログラムのほか、メンバーは毎月定期的に練習会を開き、
演奏会も行っている。展示室だけでなく、湯涌温泉や近隣の老人保健施設でも
コンサートを開催するなど、美術館の外に出た活動を展開中だ。
メンバーたちは、このプロジェクトのなかで
自信と誇りを得ている、と村田さんは感じている。
「鑑賞者とともにメンバーたちもウクレレを楽しみ、自らも何かを学んでいます。
あるメンバーが、“ここは音楽教室ではない。少々音が外れていても、
リズムがおかしくてもオッケー”と言っていたのがとても印象的でした」

自由にリラックスしてウクレレを体験してもらい、音を奏でる楽しみを知ってもらう。

さる8月26日に、「Aloha Amigo! ウクレレサミット」が開催された。
美術館の広場に特設されたステージに、プロアマ問わず
19組のウクレレバンドやフラチームが登場し、多くの来場者がその音色を楽しんだ。
関東から「U900」「JazzoomCafe」「岡田央」など
日本を代表するようなウクレレバンドが参加したほか、
地元の病院スタッフによるグループや、メンバーがふだん活動しているバンド、
子どもたちによるウクレレオーケストラなどが出演。
終盤には、関口さん率いる「関口和之バンド」が登場して、会場を楽しく盛り上げた。
最後はメンバーによる演奏。「幸せなら手をたたこう」をサンバ風にアレンジした、
Aloha Amigo!オリジナルの「幸せのAloha Amigo!」で幕を閉じた。

メンバーの表情はとても楽しそうで、終了後の
「音楽ってこんなに楽しいんですね! もっと演奏し続けたかった!」
というメンバーの言葉が忘れられない、と村田さん。
今後も、メンバーによるウクレレステージやさまざまなワークショップが開催される。
もちろん「ウクレレフリーステージ! 誰でもウクレリアン」は会期中、閉場日を除き毎日開催。
美術館で楽器を介して行われるプロジェクトに、今後も注目だ。

「手のひらを太陽に」「南の島のハメハメハ大王」など、おなじみのメロディも。

天気にも恵まれ、芝生の上でリラックスしながら楽しむ来場者たち。晩夏の夕暮れは気持ちいい。

関口和之バンドのステージでは口笛奏者の分山貴美子さん(写真右)による口笛の吹き方講座も。

中崎町 Part4 自分軸とカフェ、他人軸と「譲り店」。

山崎亮 ローカルデザインスタディ
諸富町編・目次

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公共的な役割を果たすカフェのための流儀を模索する「common cafe」プロデューサーの
山納洋さんと山崎亮さんの対談を、4回にわたってお届けします。

1999。中崎町のカフェはこうして生まれた。

山納

そろそろこの時間なら「common cafe」に入れそうですよ。
ちょっと覗いてもらいましょうか。

山崎

お。ぼくも久しぶりなので、ぜひ行ってみましょう。

山納

このあたりにお店ができはじめたのは、たしか1999年ぐらいです。
小さくて個性的な洋服屋やカフェが
静かな住宅街のなかに点在するようになりました。

山崎

ぼくが隣のまちで事務所勤めをはじめて2年ぐらい経ったころで、
お昼ごとに中崎のいろいろなお店に行くのが楽しみでした。
「アマント」「カヌトン」「太陽ノ塔」……どれも懐かしいなあ。
みんな「common cafe」で紹介してもらいましたね。

山納

初期のメンバーは、不動産屋でも埒があかないような長屋の空家物件を
なんとか使いたいと、地方まで直接、家主さんを訪ねてまで
借りたいと申し出たり、家賃の交渉をしていました。
自分らしさ、自分の生き方を追究するようなひとたちが、
梅田から徒歩10分のエリアにお店を持つことができた、というのは
あの時代のトピックだったと思います。

山崎

でも、長屋だと、梁を伝って音が伝わるって言いますよね。
深夜になると、キーボードを打つ音まで隣に聞こえるとか……。
ましてやお店を考えると。

山納

そうですね。早く閉めるお店が多いのは、そのせいだと思います。
どうしても週末にしか集客できない。
さらには、家主不在の貸借なので、なにもしなくても、
近隣の方々には不安を与えてしまうこともある。

山崎

うーん。いろいろ難しそうですね。

山納

いろんな意味で丁寧なケアが必要でしょうね。
でも、そんな条件の中でもお店が増えているというのは、
それだけ空家が増えているということ。
うまくいけば、まちの再活性のよいモデルにもなり得るはずです。

山崎

そういえば、「カヌトン」のメニューのイラストが気に入ったので、
イラストレーターさんを紹介してもらい、
お仕事させていただいたこともありました。

山納

いい意味でみんな、利他的なんですよね(笑)。
店の看板でよその店を宣伝してみたり、
うちは休みやから隣の店にどうぞ、というような貼り紙を出したり。

山崎

でもそれって、客としては気持ちがいいんですよね。
逆に、よその店を否定されると、地域全体を否定しているようにも聞こえますから。
フランスでは、よその店をお互いにほめることで人気になった
ワイン村の事例もあるんですよ。

「common cafe」の入り口

もともと喫茶室だった約20坪のスペースを、カフェとして日替わりのマスターで運営しつつ、ライブや演劇公演、展覧会を行う「common cafe」。大阪市北区中崎西1-1-6 吉村ビルB1F 06-6371-1800 http://www.talkin-about.com/cafe/

カフェと雑貨の店「カヌトン」

中崎町の賑わい創成期から、変わらぬ人気を誇るカフェと雑貨の店「カヌトン」。当初の場所から移転しているけれど、それでもいまやこのエリアに欠かせない存在。

カフェと譲り店を通して、自分軸と他人軸を考えてみる。

山納

こういったことをいろいろ考えてみると、譲り店である「ニューMASA」は、
とてもバランスのとれた存在だといえます。

山崎

なるほど。

山納

でも、「common cafe」はそうじゃない。
店主は、相手の球を受けるのではなく、じぶんから球を打ち、
「おもしろいやん」と言わせる場所なんです。
そういう意味では、OMSと同じ、実験劇場なんですよね。
なぜなら、若いひとって「自分軸」から始まると思うんですよ。いろんなことが。

山崎

わかります。ぼくだって、若いころは自分軸のひとでしたから。
ただ、設計者はアーティストではないので、
他人軸も常に意識しながら、じぶんのやりたいことを叶えていく感じです。
だけど、いまぼくがやっていることをカフェに置き換えると、
「コミュニティを維持するためのカフェ」になるわけで、
そうなると自分のちいさな夢はとりあえず横へ置いて、
「みんなが喜んでくれることが、すなわち自己実現」というような
スタイルになります。
ということは……譲り店のオーナーと、コミュニティデザイナーは、
同じスキルが必要ということですね。

山納

もうひとつ、譲り店=喫茶店は、カフェと違って、間口が広いので、
疑似恋愛を求めてカウンターにやってくるお客さんを
うまくあしらえるというような能力も求められます。

山崎

おじさんにママって呼ばれもいちいち怒らないとか?(笑)

山納

こうして考えると、譲り店の店主になることは、
自分軸を他人軸にうまく転換させるということですね。
これって、じぶんを成長させるのに、すごく役に立つんじゃないでしょうか。
サラリーマンやOLも、ワークショップとして
カウンターの中に立つといいのかもしれません。

山崎

そうですね。うちも、コミュニティデザイナーの研修の場として、
譲り店を一軒やってみるといいんじゃないか、と思えてきました。

築何十年もの古い民家を改装したカフェや雑貨店が多い

築何十年もの古い民家を改装したカフェや雑貨店が多い。レトロでどこかノスタルジック。のんびりとした時間が流れているかのよう。

電柱に掲げられたお店への案内看板

細い路地の奥にひっそりとある小さな社とお地蔵様。中崎町の守護神、白龍大神。

profile

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HIROSHI YAMANOU 
山納 洋

1993年大阪ガス入社。神戸アートビレッッジセンター、扇町ミュージアムスクエア、メビック扇町、財団法人大阪21世紀協会での企画・プロデュース業務を歴任。2010年より大阪ガス近畿圏部において地域活性化、社会貢献事業に関わる。一方で、カフェ空間のシェア活動「common cafe」、「六甲山カフェ」、トークサロン企画「御堂筋Talkin’Aabout」などをプロデュースしている。著書に『common cafe ー人と人が出会う場のつくりかたー』『カフェという場のつくり方 自分らしい起業のススメ』がある。

Web:http://www.talkin-about.com/cafe/

profile

RYO YAMAZAKI 
山崎 亮

1973年愛知県生まれ。大阪府立大学大学院地域生態工学専攻修了後、SEN環境計画室勤務を経て2005年〈studio-L〉設立。地域の課題を地域の住民が解決するためのコミュニティデザインに携わる。まちづくりワークショップ、住民参加型の総合計画づくり、建築やランドスケープのデザイン、パークマネジメントなど。〈ホヅプロ工房〉でSDレビュー、〈マルヤガーデンズ〉でグッドデザイン賞受賞。著書に『コミュニティデザイン』。

会津・漆の芸術祭2012 カキコ隊レポート Part1

会津若松市と喜多方市で開催されている「会津・漆の芸術祭」。
会津に古くから伝わる素材である漆を使って、
福島県内外の作家や職人、学生たちがさまざまな作品を展示。
3回目となるこの芸術祭を、ボランティアスタッフ“カキコ隊”のひとりが、
全3回にわたりレポートします。

触れて、体験して、身近に感じる芸術祭。

10月6日から始まり11月23日までの期間で開催されている「会津・漆の芸術祭2012」。
お手伝いする我々ボランティアには、「カキコ隊」という愛称がつけられています。
これは、漆の木から漆液を掻く職人さん「掻き子」にちなんでいて、
日々、会津の、漆の芸術祭の、アートの樹液をせっせと掻き集めております。
さて、そんなカキコ隊の一員である私が、
漆の芸術祭という幹から掻きとってお届けしたいエッセンスは
「触れて、体験して、身近に感じる漆」について、です。

会期中、私たちカキコ隊がおもに活動しているのは、二丸屋山口商店七日町店。
来場者のご案内をしたり、シールラリーの景品をお渡ししたりしています。
この会場に展示されているのは、会津漆器技術後継者訓練校修了生有志のみなさんの作品。
訓練の一環として、通常、会津塗では使わないような手法や、
ちょっとユニークなデザインにチャレンジした作品を数多くご覧いただくことができます。
漆塗りというと、特別な日のためにあつらえられた
ちょっとかしこまった器を思い描く人も多いのではないかと思いますが、
ここに展示されている作品では、「こんな使い方ができるんだ」
「こんな表現があるんだ」と漆の意外な表情、カジュアルな一面を
発見していただけるのではないかと思います。

二丸屋山口商店七日町店展示室。木地に漆を塗った作品だけでなく、ガラス、陶器、卵殻、布、ひょうたんなど、さまざまな材料が使われています。

触って遊べるてんとう虫のおもちゃ箱は、来場した子どもたちに大人気。

会津では、このように訓練校などを通じて後継者育成も行われているのですが、
そこにつながる裾野の広がりとして、今年度はうれしい市民参加作品が2点。
会津工業高校チームによる「いのちのとりたち」(展示会場:中町グランドホテル)と、
会津学鳳中高美術部による「つなぐ+つながる(陶胎漆ボタン)」
(展示会場:あんてぃーくCafé中の蔵)。
どちらも初めての漆体験。これをきっかけに、
会津の若者たちが地域に根づく漆文化に興味を持って、
担い手あるいは語り手となってくれることに期待です。
そして、学鳳中高作品は、来場者の皆さんにさまざまなかたちに切り取られた和紙を、
漆で彩られた木製や陶製のボタンにとめていただく参加型作品でもあります。

会津工業高校チーム「いのちのとりたち」。塗料は代替漆のカシューを使用。

会津学鳳中高美術部「つなぐ+つながる(陶胎漆ボタン)」。土台はコーヒーで染められたキャンバス。陶、木、漆、キャンバス、和紙とそれぞれの手触りも楽しめます。

このような参加型作品は、ほかにもまだまだ。
会津・漆の芸術祭は、カキコ隊のようなボランティアとしての参加、
中学生高校生のような作品展示での参加、そして、来場者の皆様にも参加いただいて、
初めて完成する芸術祭なのです。

そこでご紹介したいのは、会津若松市のメインストリート、中央通りからもすぐ目に入る
b Prese蔵舗前の作品2点。まずは、ウルシオールによる「あしあと」。
漆が何層にも塗り重ねられたパネルを紙やすりで研ぐと、漆の色層が現れるというもの。
ぜひオリジナルなあしあとを、漆の芸術祭に残していってください。

ウルシオール「あしあと」。いつでも体験いただけるよう、パネルも道具も店舗の外に用意されています。お気軽にどうぞ。

そして、会津漆器協同組合青年部によるウォールアート「天空の刻」。
駐車場の板塀に黒い漆を塗り、会津も関わりのある小説・映画『天地明察』を
イメージした蒔絵が施されています。
ここで体験いただけるのはスタンプを使った蒔絵。
通常の漆器づくりの中でも使われている手法で、
漆の芸術祭のオープニングセレモニーでは、テープカットの代わりに
来賓の方々にスタンプを押していただきました。
この作品は、みなさんのスタンプした金の星、銀の星によって、
漆の黒い空に天の川が描き出される予定です。
そして、こちらの体験は、現役の職人として活躍している
青年部のメンバーがお手伝いしますので、漆に関するあれやこれや、
漆器制作に関わる現場の声を直接聞く機会にもなるかと思います。
ぜひぜひ積極的に声をかけてみてくださいね。

会津漆器協同組合青年部 漆のウォールアート「天空の刻」。今回は青年部会長の小沼さんに教えていただきながら体験。毎週日曜日(10月28日を除く)および11月23日(金・祝)の10:00~17:00に体験できます。

さて、最後にカキコ隊の活動をもうひとつご紹介。
3年目の漆の芸術祭、今年はもう一段階深く参加しようと、
会場内に「カキコ隊情報スペース」を作りました。
カキコ隊からのお勧めなどとともに、協賛イベントなどのチラシも設置してありますので、
漆の芸術祭に関する情報がまとめて収集できる場所のひとつでもあります。
会津若松市内、七日町通りの太郎焼総本舗2階にありますので、
作品鑑賞のまち歩きに疲れたら、ちょっとひと休みついでにのぞいてみてください。
そして、漆の芸術祭や会津についての感想など、書き残していただけたら幸いです。

太郎焼総本舗2階。奥がカキコ隊情報スペース。手前の展示作品は千葉奈穂子さんの「2011年、東北の記憶を千年先まで残すために(サイアノタイプ写真)」。

「世界文化遺産の店」 結果発表第3弾

どうしてこうなった……? 謎のセンスが光る店。

昭和の空気を引きずりながら、ひっそりとたたずむ店。
あなたのまちにも、きっと世界遺産が眠っています。
みうら所長のコメントとともにどうぞ。

しのさんの投稿
ショールームって普通、割引なんかしてないのにな。
撮影場所:大阪市天王寺区

みうら:お気軽に入れないのは事情あるお遍路のせいだ。

ピーナツさんの投稿
この辺りのセレブは早起きのようです。
私も今度行ってみたいです。
撮影場所:京都市中京区

みうら:自らセレブと名乗る人にセレブなし。

小作人さんの投稿
店の名前というより、営業時間が凄いです。
撮影場所:京都市東山区

みうら:その自信の根拠は何なんですかね?

masakoさんの投稿
年代を感じさせる紙のボロさ、大人用の次は子ども用と書きなさいと言いたいですが
昔は「小人」と書いていたのですね。
とっさに撮影したのでお店が営業しているのかもう終わってしまった店なのか不明です。
撮影場所:京都市

みうら:小人と大人の間のおしめはないということですね。

yotecoさんの投稿
スパイだらけの外国人パブかもしれません。
撮影場所:山口県下関市

みうら:この店、まだショーン・コネリーの時代でしょ。

葉子さんの投稿
看板メニューが、ない。
神楽坂下にあるこのお店。
ものすごくボリューミーなホイコーロがでてきます。
食べても食べても終わりません。
撮影場所:東京 神楽坂下

みうら:何度も「ホイコーロラーメンひとつ」なんて客に言われ、困ったんでしょ。

ピロロンパロロンさんの投稿
「居酒屋大蔵省」の裏には「スナック通産省」。
岡山県人のアフター5は中央省庁行脚。
撮影場所:岡山市 岡山駅付近

みうら:「オレ今日、大蔵省と通産省のハシゴだから」なんて言うんでしょ酔っ払いは。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

みうら所長より
人って、大きく分けて“真面目な人”と“不真面目な人”がいるでしょ。
真面目な人って、不真面目な人が信じられないからそうなったわけで、
不真面目な人は真面目な人をはなっから相手にしてないでしょ。
真面目な人って、それが正しいと思ってるけど、
不真面目な人はそんなことどうでもいいわけで。
だから不真面目って思われてるんだろうけど、どうなんだろ?
結局、真面目と不真面目って何を基準に分けられてるんだろう。

まちを歩いていて気になることは、“オレならこんな店、出さないなぁ”ってこと。
そもそも店なんか持ちたいなんて一度も思ったことないけど、
もし出すとすればこうはしないだろうって考えるわけだ。
その時点で真面目なんだけど、この店のこの名前ってどんなセンスなんだよ?
って思うものが特に目につく。
こんな名前で一生やってくつもりなのか? と、思うのだけど
当の店の主人からすれば大きなお世話。
一生やってくつもりなんて無いのかも知れないし。
その名前のどこが悪いんスか? と、疑いなんていっさいないのかも知れない。
じゃ、そのセンスって何だ? って話だけど、
自分がとてもセンスいいと思ってるわけだよね。どうなんだろ?
オレにもその根拠がどこにあるのか分からない。

“変な”看板。その“変な”と思うのはセンスであって、
どうしてこんなことになっちゃってんだろ? と、思うのは何故だろう。
実はその“変な”店をやってるほうが大真面目で、
それを見ておかしいと思ってるこっちのほうが不真面目なんじゃないかとも思う。

編集部より
こんな店、ふつう出さないよなぁ、という「世界遺産の店」をお送りください。
いやげ物、ヌー銅もお待ちしています。

募集は終了しました。たくさんのご応募ありがとうございました。

中崎町 Part3 潰すわけにはいかない茶屋なんです。

山崎亮 ローカルデザインスタディ
諸富町編・目次

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公共的な役割を果たすカフェのための流儀を模索する「common cafe」プロデューサーの
山納洋さんと山崎亮さんの対談を、4回にわたってお届けします。

カフェを山に持ち込んだらどうだろう。

山崎

山納さんの取り組みのひとつである「六甲山カフェ」というプロジェクトも
なかなか興味深く、注目しています。

山納

始まりは、アウトドア情報センター所長の下城民夫さんと交わした
飲み屋のたわごとだったんですが、本気で取り組むことになってしまいました(笑)。

山崎

当時はまだ「山ガール」なんて存在しませんもんねえ。

山納

六甲山は、近代登山発祥の地とされる山で、
ぼくが子どものころから親しんだ場所でもあります。
山に登るのは中高年の愛好家かボーイスカウトの子どもたちか、
という時代に「山にカフェを持ち込んでみたらどうだろう」と。
2004年の9月に「六甲山カフェ」について話し合う場を設けました。
そこには、山崎さんもお越しいただいたのですが……。

山崎

そうでしたね。

山納

下城さん、山崎さんをはじめ、山と渓谷社の方々もいらっしゃったりして、
話がトントンと進み、11月には六甲山でイベントを開催することになるんです。
というか、やらざるを得なくなっていた(笑)。

山崎

はじめは単発のイベントだったわけですね。

山納

ええ。でも、六甲山でおいしいコーヒーが飲みたいね、
という思いを共有する仲間とともに、2005年の秋に3か月だけ
日曜カフェを開くようになります。
その後、メンバーのひとりが週末営業を続けていたんですが、
こんどは、軒先を借りていた茶屋の店主から
「おでんも手伝ってくれへんか」という打診があり、こちらからも
「ぼくらのやりたいコーヒーやケーキやワインも出していいですか?」
という提案を出して、2008年より本格的に
茶屋での「六甲山カフェ」がスタートしました。

山崎

なるほど。

山納

日本の近代登山やロッククライミングはここから始まったとも言われる場所で、
この大谷茶屋は昭和9年創業で、
茶屋の機能としてはおそらくそれよりずっと前からあるんです。
高齢化や継承者不足という理由で、簡単に潰すわけにはいかないんです。

「扇町Talkin’About」というイベントの様子

「扇町Talkin’About」というイベントで「六甲山カフェ」について話し合った時の写真。中央奥に、山崎さんの姿も。(写真提供:山納洋)

大谷茶屋の軒先で営業していた時代の「六甲山カフェ」

大谷茶屋の軒先で営業していた時代の「六甲山カフェ」(2006-2007)。当時は4月から11月まで、毎週末に営業していた。この写真が撮られたのは11月末頃で、気温は2℃!(写真提供:山納洋)

洞穴のようなスペースにある六甲山カフェ

大谷茶屋には、茶屋の建物とは別に、洞穴のようなスペースがある。六甲山カフェはここで毎週末に営業している。2008年撮影。(写真提供:山納洋)

真ん中が大谷茶屋の大谷政子さん。六甲山カフェの船津智美さん、古家慶子さんと一緒に。

2008年4月に、大谷茶屋での「六甲山カフェ」がスタートした。真ん中が大谷茶屋の大谷政子さん。六甲山カフェの船津智美さん、古家慶子さんと一緒に。(写真提供:山納洋)

「譲り店」ならではのムズカシさに直面。

山納

ただ、昔ながらの登山客のお客さんと、
カフェを目当てにやってくる新しいお客さんが入り交じる空間になるわけです。

山崎

ええ。

山納

そうすると「自分のやりたいカフェ」を強く主張するひと、
思いが強すぎるひとが店主を務めるのは、とても難しいんです。

山崎

そうですね。店主が「この音楽を聴いてくれ」というタイプのカフェだと困る。
「それよりこっちの山の話を聞いてくれ」と、
お客さんは思っているわけですからね。

山納

「譲り店」でうまくコミュニティを形成するには、
ものすごく高いスキルが求められるんだなあということを
ひしひしと実感しています。基本的に、コミュニティカフェには、
よりどころを求めるひとが集うわけですから、
山崎さんのことばを借りれば「傾聴する」という姿勢をもった店主でないと
成立しにくいんだな、と。

山崎

ぼくらのしごとと一緒ですね。
じぶんが組織づくりやプランニングの専門家だからといって
正解の手法をローカルに持ち込んでも受け入れられない。
そのまちならではのしきたりや流儀をしっかり聞いて知ったうえで、
まちのひとがやりたいことを引き出さなければ成り立ちません。
「譲り店」は、店舗というハードだけではなく、
その場でずっと醸成されてきた、えも言われぬ雰囲気だとか、ひとの関係だとか、
暗黙のルールだとか、そういうものを引き継ぐことですから、難しいと思います。
だからこそ、全国でそういう店を探して、しっかり伝えたいですね。

山納

タイミングとしてはまさに「今」ですね。
先に話題に挙げた「入船食堂」も、80歳近い店主が
どうにかこうにか続けている状況です。でも、まちや店が持っている物語を、
ソーシャルキャピタルとしてきっちり次の時代に遺したい。
もちろん、経営的に成り立たないものもあるので、本職を辞めない、
助成金を得るなどの手段をとれることも大事かもしれません。

山崎

本職を辞めないでこれだけのことをやっている山納さんのはたらき方が、
その最たるモデルですね。生活のための本業を持ちながら、
余暇活動に近いカタチで社会貢献的にじぶんが楽しいと感じることをやっていたら、
こういう状態になっていた。これって、すごくおもしろい生き方だと思います。

(……to be continued!)

「六甲山カフェ」の店内風景

「六甲山カフェ」の店内風景。2012年1月撮影。この日の店主は「どいぱん」土井明子さん。カウンターでは、山についての話で盛り上がることが多い。(写真提供:山納洋)

山納洋さん

「譲り店の店主には、傾聴するという姿勢が求められるということがわかってきました」(山納)。

山崎亮さん

「長年かけて醸成された人間関係や雰囲気ごと受け継ぐ。これは、決して簡単なことではないですよね」(山崎)。

profile

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HIROSHI YAMANOU 
山納 洋

1993年大阪ガス入社。神戸アートビレッッジセンター、扇町ミュージアムスクエア、メビック扇町、財団法人大阪21世紀協会での企画・プロデュース業務を歴任。2010年より大阪ガス近畿圏部において地域活性化、社会貢献事業に関わる。一方で、カフェ空間のシェア活動「common cafe」、「六甲山カフェ」、トークサロン企画「御堂筋Talkin’Aabout」などをプロデュースしている。著書に『common cafe ー人と人が出会う場のつくりかたー』『カフェという場のつくり方 自分らしい起業のススメ』がある。

Web:http://www.talkin-about.com/cafe/

profile

RYO YAMAZAKI 
山崎 亮

1973年愛知県生まれ。大阪府立大学大学院地域生態工学専攻修了後、SEN環境計画室勤務を経て2005年〈studio-L〉設立。地域の課題を地域の住民が解決するためのコミュニティデザインに携わる。まちづくりワークショップ、住民参加型の総合計画づくり、建築やランドスケープのデザイン、パークマネジメントなど。〈ホヅプロ工房〉でSDレビュー、〈マルヤガーデンズ〉でグッドデザイン賞受賞。著書に『コミュニティデザイン』。

土祭だより まとめ

栃木県益子町。古くから窯業と農業を営んできたこのまちで、
9月の新月から月が満ちるまで、15日をかけて開催される土祭/ヒジサイ。
この土と月の祭りで何が行われるのか。
ひとりの編集者が滞在し、日々の様子を書きおこしていきます。

「ヒジ」の音がめくるもの

ずいぶん、だいそれたことをしようとしたものだ。
益子に滞在し、土祭をリアルタイムでレポートしたいというのは
自分から言い出したことだったが、実際はじめてみると、
あらゆる意味でそれは簡単なことではなく、日を追うにつれ、
わたしのなかではそのような申し訳なさとも情けなさとも言える思いがひろがっていった。

気づきと喜びばかりの2週間であった。
それは土祭という、とくべつな出来事からにかぎらず、
益子という共同体、そこに暮らす人やふくよかな自然、
さらには、このまちの重要な「極」をなすスターネットという場からも
降り注ぐように届けられたもので、わたしという器は、その恵みをぜんぶ受けとめ、
それをまた十全に誰かに送り返すためには、カラッポでありすぎたのである。
つまり、自分のなかに留まったままになっているもののほうが
排出できたものよりずいぶんと多くて重くて、レポーターとしては、
失格と言っていいのかもしれない。

おそらくは自分がいまもっとも必要としていたもの、
問いに対する答えのヒントのようなものが、凝縮してそこにあった。
だから、渇いた土に水が滲みいるように深いところまで浸潤し、
わたしはそれにまだ名前をつけることができないでいる。
ぜんぶを書けたわけではないし、こんな抽象的な言い様は
おおげさに思われてもしかたない。
自分でもわかっているのは、その水がとても清らかで、栄養分に富んでいるということで、
わたしの内面はすでに養われはじめている。
水は、細く光りながら流れ、自分のゆく先の道筋をもつくりはじめているのを感じている。

9月30日。
夜空に浮かぶ満月で幕を閉じるはずだった千秋楽は、
台風接近のニュースを受け、急遽時間をくりあげて午後3時からの開始となった。
演出をつとめた馬場さんは、一時は旧濱田邸に舞台を移しての開催も検討されたようだが、
やはり土祭の象徴ともいえる土舞台を使いたいと考え直し、
時間変更という苦渋の決断をされた。
満月は、天気予報によれば、とうに絶望的になっていた。
「こういうことに、なっていたのかな」
残念ですね、と声をかけたとき、馬場さんはじっと前を向いたまま、
ぽつりとそうつぶやき、わたしは返す言葉が見つけられなかった。
「でもまあ、それはそれで。重要なのは、土舞台で朝崎さんが唄うということだから」

益子の各所で採掘した土を地層状に重ねた土舞台の壁は、前回の土祭で、
カリスマ左官の狭土秀平さんの指揮下、みんなでつくりあげたものである。
震災後の春に益子を訪ねたとき、馬場さんはわたしを駅から直接この場所に案内し、
「地震のあと、まずはこれが崩れていないか確かめに来たんですよ」と言っていた。
馬場さんにとって、これがどれだけ大切なものであるかということだ。
「みんな、足もとの地下にこんなふうに何億年かけて
連綿と積みあげられてきた歴史があることを、すっかり忘れて生きている。
これを見ることで、それを思い出してもらえればと考えてつくったのだけど、
そこに今回の地震でしょ。
………大地も、地球も、生きているということですよね。
生きて呼吸をする生命体なんです」
今回、千秋楽を迎えるまで空白の三和土の舞台には、
スターネットの料理長である星恵美子さんの手で野菜や花が美しく飾りつけられていて、
馬場さんはそれを「よりしろ」だと言っていた。
よりしろ? 
その言葉がわからなかったわたしは、部屋に帰ってさっそく調べてみたわけだが、
「よりしろ=依代=神霊が現われるときの媒体となるもの」と辞書にはあり、
そこが風土の神々や精霊とつながる新たな装置であることを了知したのだった。

その聖なる装置で、前回の土祭にひきつづいて閉幕の儀のフィナーレを飾ったのが、
奄美島唄の唄者、朝崎郁恵さんだった。
「ウタシャ」という言い回しは初めて聞いたのだが、
それはまさしく「歌」ではなく「唄」であり、人の声という芸術、
あるいは神ごとであった。
宵の色という演出効果はなくとも、朝崎さんが一声を発したとたんに場が静まり、
ちいさな子どもすら口をぎゅっと閉じて舞台を凝視した。
「楽譜のない島唄を演奏してくれる、わたしのすてきな家族です」
とバンドのメンバーを紹介する朝崎さんは、柔らかな雰囲気の可愛らしい人で、
照葉の髪かざりに浅黄色の羽織、宮沢賢治が詩を書いた
「星めぐりのうた」を唄ってくださったときは、とてもうれしかった。

演奏会がはじまったときの青空に、しだいに予報どおりの鉛色の暗雲がたちこめ、
ぽつ、ぽつ、と雨が落ちはじめたときはライブの終盤にさしかかっていた。
「だいじょうぶ。神様は待ってくれてます。いそぎましょう」
ほんとうに黒々としてきた雲の下で朝崎さんはにこやかにそう言うと、
さいごの一曲を熱唱。唄いおえてお辞儀―合掌―をするやいなや
大粒の雨が落ちはじめ、わたしたちは三々五々に席をたったのだが、
胸の奥では誰もが空にむけて一礼をしていたのではないか。
真上の空で準備万端、鼻息も荒い雷神風神に「待て」をしている神様の図を想像して、
わたしもひとり、くすりと笑ってしまった。

雷神風神は堰をきったようにそれから夜まで暴れまくり、
しかし真夜中すぎには雨もやんで雲がきれ、空には、まんまるの満月が輝いた。
ある人は、窓から差し込む月の光が強すぎて
目がさめてしまうほどだったと言っていたのだが、
わたしは、その光に気づくこともなく眠りこけていた。
つまりは土祭のほんとのフィナーレである満月を見逃したのであった。ああ。
その後、朝崎さんが言っていたそうだが、奄美大島では満月の大雨大嵐は
生まれかわること、次に新しきよきことを迎えられる吉兆と、
古くから語り継がれているのだそうだ。
そのうえ満月である。
これはもう最高の、ハッピーエンドということになるのではないか。

できれば会期中にしっかりと書きとめたかったのだが、
結局はたせなかったことがひとつある。
土祭を裏で支えたボランティアの働きについて、である。

はやくから役場のホームページで応募者をつのり、
町内、町外、首都圏からも集まったというボランティアの数は、のべ600人。
背中に縦書きで「土祭」とある揃いのTシャツを着た彼らの仕事ぶりは、
ほんとうに爽やかで献身的で、わたしはずっと頭が下がる思いで見ていた。
展示会場の受付、案内、ワークショップや講演会のヘルプにお茶出し。
開幕するまでの準備も、そうとう大変だったと思う。
展示会場となる古い建物の掃除から改装、
(簡易な組み立て式ではなく)竹と麻ひもでつくる屋台の設営、アーティストの補助、
一枚一枚心をこめて「書」でしたためた登り旗だけ見ても、はんぱな数ではない。

「しかたねえっぺ。おれらしか、できないしよ。まちのためって思ってな」
町役場で会った「益子・竹チーム」のおじさんに
「(設営)大変だったでしょう」と声をかけた答えが、これである。
「しかたない」は照れ隠しで、若者たちと一緒に何かができること、
技術や腕がまちのためにまた生かせることがうれしくてたまらないといった笑顔に、
土祭という新しい祭りが(馬場さんの言う)鍼灸効果をはたすのは、
場所に対してだけでなく人に対してもなのだと実感した。

ボランティアスタッフのための食事の世話は、
まちの料理上手なお母さんたちが、これまたボランティアでつとめ、
公民館が一時的に姿をかえたこの無料食堂は温かな、ほんとうにいい雰囲気で、
わたしはここに行くことを大きな楽しみのひとつにしていた。
「ひとりぶん、お願いしまーす」と厨房に声をかけて席につけば、
三角巾にエプロンのお母さんが「お疲れさまー」とその日の定食を運んできてくれる。
豚丼、カレーライス、おにぎり、開幕と閉幕の日にはお赤飯のごちそうも出た。
お米や野菜は農家の人たちが好意で提供してくれるもので、
山のように盛られたナスやキュウリのお漬けものは好きなだけ食べてよかった。
「ごはんのおかわりは? ほら、農家の人たち、自分たちが新米食べたいからってさ、
古いの、いっぱいもってきてくれちゃって(笑)」
お母さんたちとの他愛ないおしゃべりも楽しくて、
できることなら永遠にここで昼ごはんを食べつづけたいと、
わたしは本気で思っていた。

土祭が他の、いわゆるアートイベントと大きく一線を画すのは、
こういうところなのではないかと思う。
端的にいえば、お金のためだけでなく、多くの人が(町民も作家も参加者も)
みずからの自然発生的な意志や情熱によって動いているということで、
その無償の愛にも近い人間の思いが祭典を支える厚い層となっているのである。

数年前にフランスの修道院を取材したときのこと、
修道女とは世俗の人間関係に倦み、
神様とふたりきりになるためにその道を選ぶのだと思っていたのに、
「他者ともっと近づきたくて修道院の扉を叩いた」と言われ、おどろいたことがある。
それはどういうことかと訊ねてみると、そのシスターは白い紙に大きな円を描き、
その中心に黒い丸を打って、こう言った。
「この円周に人間がいて、真ん中に神がおられるとします。
神に近づこうとつとめる人間がふえればふえるほど、円はどうなりますか? 
そう、どんどんと小さくなって、人と人のあいだの距離も、
より近づきあうことができるのです」
だから神に近づく道はすべての他者に近づく道となり、
神に祈ることは、すべての他者のために祈ることになる、と彼女は言ったのだった。

少し話は違うのであるが、益子の人たちが土祭の成功という
ひとつの大きな目的に向かい、自分の労力と時間を惜しみなく捧げる姿に、
わたしは、シスターが図解してくれた、その円の収縮の話を思い出したのだった。
人と人の直接のつながりも尊いが、人を超えた何か大きなものが介在者となった絆は、
より堅固なものとなるのかもしれない。
神につながることで、人とつながる。
それが祭りというものの本質だったのではないか。

開幕前、クマ母の作家の澤村木綿子さん(「土祭だより Vol.5」参照)とボランティアスタッフのひとこま。物置と化していた酒店奥座敷の大掃除を敢行、ようやく展示を終えてのひと息か。お弁当は澤村さんがみんなのぶんもつくり、持参した。

長くなってしまったが、もうすぐ終わりである。
閉幕の日の朝、幸運にも「土祭」の命名者である武田好史さんにお話を聞くことができた。
すこぶる面白い内容だったのだが、その中から
「命名」が意味することについて話されたことのみ、書きとめておきたいと思う。

編集者でもあり博雅の士でもあり、森羅万象の綾を
無尽蔵な語彙で柔らかくほぐすように解析してくれる武田さんを、
わたしは「言葉の人」と紹介したいところだが、
ご本人に言わせれば「言葉は敵」なのだそうだ。
「言葉側にたつと、言葉にやられる。
ぼくが言葉に詳しいのは、言葉の僕(しもべ)にならないため。
言葉のマトリックスから逸脱して生きるためです」
お顔に柔らかな微笑みを浮かべながら、
たしか、そんな言い方をされていたと記憶している。

概念を結晶化させるネーミングの名人として、
建物、メディア、それこそ、子どもの名前に到るまで、
数えきれない命名を任せられてきた武田さんは、
馬場さんの古い友人でもあり、スターネットの名づけ親でもある。
星とネットワークをつなげた、その名の誕生秘話も面白いのだが、
また別の吸引力の強い話になってしまうので、ここでは省略する。
ただ、そこが「地上界にありながら天空につながる場所のサンプル」
となることを願ってつけたという話は、わたしには非常に腑に落ちるものだった。
「人間は、ある種の天の高みに精神をもっていかないと、それこそ堕落しますからね(笑)。
でも、天空にいるだけ、夢を見てるだけでは足下が崩れますから、
たえず行き来をしないといけない。とどまったら終わりなんです。
馬場さんは、天空を(地上に)うつし、足下もかためるという、
そのふたつをずっとくり返してやってきた。
稀なる人です。おみごとですよね」

おなじく天空と地上を自在に行き来した稀なる魂の持ちぬしとして、
武田さんは宮沢賢治をひいた。
星を巡る物語を多く書いた彼のなかでは、
鍬で耕す表土の下に眠る鉱物も、また星であり、それは賢治が、
天空と地層がまるまるとつながって互いに音楽的に響きあっている、
そんな世界観を生きていたからではないかと。
その賢治も命名の名手であった。
ふるさと岩手は彼のなかでは理想郷イーハトーヴであり、
北上川の西岸はイギリス海岸であった。
「名前をつけるというのは、ひとつの見立て。
世界をつくりかえるということでもあるんです」
そして、名前は、つけたら終わりというものではない。
そこに向かっていくものなのだと、武田さんはいう。
「あなたも、少なからず自分の名前に影響を受けていませんか?」
にっこりとそう聞かれ、わたしは思いあたるフシの多さに慄然とした。
人は名前をめざす。
「呼び方を変えるだけで、ものごとが変質変容するということが起こります。
そのもの自体がすばらしいとして、ふさわしい名前を与えると、
その美質がさらに増幅する、こだまのように。そんなことも起こります。
まさに命の名と書く、命名とはそういうものだろうとぼくは思います」

ならば「土祭」という名に武田さんがこめた思いとは何だったのだろうか。

土祭――それは視覚的にも端的で美しいが、
土という、身近でなじみ深い言葉を「ヒジ」と読ませることで、
ふっと時間軸がねじれるような、無意識下で何かが震えるような、
言い表しがたい感覚を与える音を兼ね備えている。

2009年、馬場さんから相談を受けた武田さんは、
「新しいお祭りをつくるなら、途方もなく根源的なことをやるべき」
ということを、まず思ったのだそうだ。
土を耕し、土を捏ね、土を感じてきたまち、益子――。
「土」という言葉が出てくるのに時間はほとんどかからなかった。
そして、大陸から漢字が伝わる以前の、古代の日本人が交わしていた「やまとことば」を
「ぼくはとても好きなんです」と武田さんはいう。
言葉が、目のものではなく、耳や口のものだった、その時代。
世界はもっと澄み、柔らかな、仮名の音がもつ宇宙が深く響きあっていたにちがいない。
「海」は「アマ」で「ウミ」とも言い、
「海(ウミ)」と「産み」が同じ音であることや、
天も海と同じ「アマ」であることには、昔の日本人の世界観がよくあらわれている。
土は「ヒジ」であり、「ハジ」、「ハニ」といった呼びかたもあった。
「ハニワ(埴輪)」、「ハニ(彩土)染め」といった言葉にも、その名残がある。
「その時代は言葉自体がもっとずっと少なかったから、言葉の構造、骨格というかね、
そういうものがしっかり見えて、(言葉がかたちづくる)世界のスケルトンも
すごく美しく見えていたんじゃないかと想像するんですね。いまは違います。
いまは言葉を生み出しすぎたために、言葉が言葉を相殺してしまっている状態。
中心で響いているものはあるのに、装飾が多すぎて、
よく聞えなくなっている状態なんじゃないかな」

その言葉の過剰の海に、祈るように、清めの一滴として投げ込まれたのが
古代の音「ヒジ」であった。そう解してよいのだろうか。
「言葉というのは、ひとつの気づきから連鎖して、
次々に面白いように『めくれていくもの』なんです。
土を『ヒジ』と読むと知るだけで、土以外のことごともめくれていく、何かが見えてくる。
そのきっかけになるといいなというのはありましたね」

めくれる、というその一言で、わたしはとてもわかった気になってしまい、
その言葉が具体的にしめす意味を武田さんに聞かなかった。
それは暗示的であると同時に非常にプラグマティックな言葉であるとも思った。
めくれる、めくる、剥ぐ、裏返す、返す。何を、どこへ。
「土、泥は、生命が着床し、育まれる宇宙の循環の元であり、
地球そのものを造形している」
武田さんは初回の土祭ガイドブックの序でそう綴った。
「ヒジ」という宇宙の根の音がめくったその先に、
わたしたちは還るのではなく、向かっていくのである。

(了)

中崎町 Part2 「会社勤め」は「自分ごと」に弱いか。

山崎亮 ローカルデザインスタディ
諸富町編・目次

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公共的な役割を果たすカフェのための流儀を模索する「common cafe」プロデューサーの
山納洋さんと山崎亮さんの対談を、4回にわたってお届けします。

会社勤めをしながら、どこまでできるだろう。

山崎

山納さんにお会いしたころはまだ設計事務所に勤めていて、
その後、ぼくが生活スタジオに力を注ぐようになる経緯は、
山納さんのはたらき方に少なからず影響を受けています。

山納

初対面はちょうど10年前ですね。このすぐ近くのクラブ
「Dawn(現・NOON)」で行われていたプレゼンイベントで、
山崎さんが、堺市の「環濠(かんごう)生活」(*1)のプレゼンをされたんです。
それを聞いて、クラブでまちづくりのはなしをするとは、
なんてユニークなひとなんだ!と(笑)。

山崎

2002年……懐かしいですね(笑)。

山納

ちょうど「メビック扇町」(*2)がスタートする1年前で、
あたらしく始まる場に必要なクリエイターを探していたんです。
「まちづくりの民営化」というセミナーをはじめ、
山崎さんには何度も講座やカンファレンスをお願いしました。

山崎

いま聞くと、ちょっとヤバいタイトルですね(笑)。
そのころは人前ではなす機会なんてまだ4、5回しか経験していなくて、
毎回念入りに準備をしながら、それでも
「誰も来てくれなかったらどうしよう」とめちゃくちゃ不安でした。

山納

いやぁ、全然、そんな風には見えませんでしたけど(笑)。

山崎

そういう機会を与えてもらいつつ、
会社勤めをしながらここまで自分の活動ができるんだ、ということを
山納さんに見せてもらったと思っています。

山納

ぼくとしては、大マジメにしごとをしているだけなんですけどね(笑)。
少し遡って説明すると、企業人として自ら望んだ
扇町ミュージアムスクエア(OMS)(*3)でのミッションは、
おもしろい劇団を発掘してきて売り出し、彼らの活動を応援すること。
でも、閉館することになって、急に気持ちが切り替えられない……
と思っていたところに、メビックがオープンするんです。
アーティストやクリエイターに詳しいということでそちらに移るわけですが、
こちらでのミッションは、クリエイターのインキュベーション(起業支援)。
けれど、起業したことのないぼくが果たして彼らになにを言えるというのでしょう。
だって、野球をやったことのないひとが野球を教えるなんて、
あり得ないですからね。インキュベーションのことをマジメに考えて、
会社から与えられたミッションを拡大解釈したら、
自ら起業せざるを得なかったんですよね。
これは、じぶんも飛んでみなくちゃ、わからないぞと。

*1 環濠生活:「都市のオープンスペースを提案するには、都市生活のスタイルもセットにして考えるべき」というコンセプトに基づき行われた、大阪府堺市「旧環濠地区」のフィールドワークと、オープンスペースに対する提案。

*2 メビック扇町:大阪で活動するクリエイターが互いに知り合い、顔の見える関係を築くためのあたらしいコミュニティづくり、大阪に集積するクリエイティブ関連企業の活性化に取り組む支援施設。http://www.mebic.com/

*3 扇町ミュージックスクエア(OMS):倉庫を改造した小劇場「フォーラム」を中心に、名画を上映するミニシアター、雑貨店、カフェレストラン、ギャラリーを備えた複合施設。若者文化発信基地として愛されたが、2003年3月に18年の歴史を閉じた。

中崎昭和喫茶「ニューMASA」のコーヒー

中崎昭和喫茶「ニューMASA」のコーヒーをいただきながら、懐かしいはなしが次々と飛び出す。

奇妙だけれど中崎町らしい風景

喫茶店を出て、まちを歩く。戦災を免れたむかしながらの長屋と細い路地と新築のマンションとちいさなお店が混在する、奇妙だけれど中崎町らしい風景。

「自分ごと」としてはなしができることの強みとは。

山崎

起業については、会社にも事前に申請したんですか?

山納

いえ。じぶんの思いだけでやっていましたね。
最初に開業したバーは、開店前に大々的に新聞に載ってしまったんですが(笑)、
それでも会社からは「就業規則に反することはしてないよね」と
確認されただけでした。

山崎

給与のあるなしに関わらず、個人が社会貢献にたずさわったり、
NPOなどの別の法人に所属することは、いまやもう、
雇用主である企業が咎めたり制限するべきことではないのかもしれませんね。

山納

そうかもしれません。
正しく言うと、ぼくの場合は、文化支援を目的としたカフェの経営、ですが。

山崎

先ほどの「起業しなければインキュベーションできない」というはなしは、
実は非営利株式会社という形態をとっている
「studio-L」の仕組みにもつながります。代表のぼくを含め、
スタッフは全員、「studio-L」という看板をもつ個人事業主なんですよ。

山納

なるほど。

山崎

これには理由があって、たとえば、コミュニティデザイナーとして集落に入ると、
農家や漁師、商店主の方々から「給料もらってるヤツになにがわかる?」と
詰め寄られることが少なからずあります。
そのときに「いえ、わたしも個人事業主なんです」と
キッパリ言えるようでなければ、やっぱりダメ。
よく行政の方が窮するのはこういうところだったりするわけです。
不安で眠れない夜があることも、確定申告のことも税金のことも、
ぜんぶ「自分ごと」として相手とはなしができてこそ、
はじめて対等に、一緒に、まちづくりを考えていけるんです。

山納

アーティストもよく、会社勤めの人間に対して
「あっち側のひとか、こっち側のひとか」というような表現をします。
だから、起業すると「こいつ、命がけで遊んでるな」ということで、評価が変わる。
「こっち側」への仲間入りというか。
そこから先の信用度合いが、全然違いましたね。

山崎

山納さんが命がけで遊ぶ=起業に至る理由はきっといろいろあったのでしょうが、
インキュベーションのしごとをするためにじぶんも飛んだ、
というのはとてもわかりやすいですね。

山納

メビックにいるときに気づいたのは、コンサルタントという肩書きのひとは、
どうやら往々にして経営を単純な一次方程式で考え、指導するんだな、ということ。
でも、実際の現場は三次方程式、四次方程式に向き合い、
毎日傷ついたり蝕まれたりしているわけですから、悩みの次元が違う。
予算や坪単価のはなしをされても「そのアドバイス、遠いなあ」と(笑)。
「ここでつまずくから気をつけたほうがいい」というのは、
やっぱり起業したひとにしかわからない、もしくは、
起業しているひとに真摯にはなしを聞かなければわからないことなんです。

(……to be continued!)

静かで和やかな気配の路地

大阪駅・梅田駅から歩いて10分とは思えないほど静かで和やかな気配の路地では、生活空間と雑貨や洋服を扱うちいさなお店がまさに隣り合わせに。

カフェバー「巣バコ」

カフェバー「巣バコ」は、古い木造アパートを改装してつくった、月極のレンタルスペース。中崎界隈は、まち全体が複合施設のようでもある。

「Salon de AManTo 天人(アマント)」前にて一服

「Salon de AManTo 天人(アマント)」前にて一服。「懐かしいなあ。設計事務所勤務時代に、よく来たお店です」と顔がほころぶ山崎さん。築130年の古民家をセルフビルドで改装した「公園のようなカフェ」。

profile

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HIROSHI YAMANOU 
山納 洋

1993年大阪ガス入社。神戸アートビレッッジセンター、扇町ミュージアムスクエア、メビック扇町、財団法人大阪21世紀協会での企画・プロデュース業務を歴任。2010年より大阪ガス近畿圏部において地域活性化、社会貢献事業に関わる。一方で、カフェ空間のシェア活動「common cafe」、「六甲山カフェ」、トークサロン企画「御堂筋Talkin’Aabout」などをプロデュースしている。著書に『common cafe ー人と人が出会う場のつくりかたー』『カフェという場のつくり方 自分らしい起業のススメ』がある。

Web:http://www.talkin-about.com/cafe/

profile

RYO YAMAZAKI 
山崎 亮

1973年愛知県生まれ。大阪府立大学大学院地域生態工学専攻修了後、SEN環境計画室勤務を経て2005年〈studio-L〉設立。地域の課題を地域の住民が解決するためのコミュニティデザインに携わる。まちづくりワークショップ、住民参加型の総合計画づくり、建築やランドスケープのデザイン、パークマネジメントなど。〈ホヅプロ工房〉でSDレビュー、〈マルヤガーデンズ〉でグッドデザイン賞受賞。著書に『コミュニティデザイン』。

中崎町 Part1 昭和喫茶と「譲り店」。

山崎亮 ローカルデザインスタディ
諸富町編・目次

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公共的な役割を果たすカフェのための流儀を模索する「common cafe」プロデューサーの
山納洋さんと山崎亮さんの対談を、4回にわたってお届けします。

コミュニティの場としての昭和喫茶。

山崎

こんにちは。今日は「common cafe」じゃないんですね。

山納

ええ。イベントが入っていて使えないので、こちらの店をお借りしました。

山崎

すぐ近くに勤めていた時期があって、「common cafe」ほか
界隈の店にはよく足を運びましたが、ここは知りませんでした。

山納

そうでしょう。入り口の脇にドーンと自動販売機があって、
わかりにくかったんです。
「喫茶・ラウンジ 正」という店名で、29年間営業していたようです。

山崎

(古い写真を見て)そのころと全然変わらないんですね。

山納

変わらないといえば変わらないのですが、「正」時代に2度ほど来たときには、
店内の至るところに雑誌の山やほこりといった、
29年の積層があちこちに見られました。

山崎

このお店のことは、山納さんのあたらしい本にも登場していましたね。

山納

はい。前の店主に「そろそろやめようと思ってるんやけど」
「あんた、ここでなんか(何か)する?」と相談をもちかけられた常連客が、
現店主の片牧尚之さんなんです。

山崎

それで名前も引き継いで「ニューMASA」なんですね。
写真を見ても、いまこうして店内のお客さんのようすを見渡しても、
まちの中で、コミュニティの場としての役割をしっかりと担っていますよね。

山納

向かいのスペインバルも「あじさい」という味のある喫茶店でしたし、
すぐそばにも「静」という12席で1日8回転した人気店もありました。
じつはぼくも狙っていたんですよ。

山崎

昭和喫茶を?

山納

はい。common cafeのプロジェクトとしてうまく引き継げたらいいなあと。
でも、はなしがうまくいかなくて、結局、ガールズバーになってしまいました。
すごくもったいないことをしたなって思っています。

改装前の「正」時代の写真、改装後のイベントの様子などがまとめられたアルバム

改装前の「正」時代の写真、改装後のイベントのようすなどがまとめられたアルバムに見入る山崎さん。「古い常連さんには独り身の方も多いので、クリスマス会なんかもやったんですよ」と店主の片牧さん。

中崎昭和喫茶「ニューMASA」店内

中崎昭和喫茶「ニューMASA」店内。大阪府大阪市北区中崎西1-1-16 06-6373-3445 http://newmasa-nakazaki.com/

『カフェという場のつくり方 自分らしい起業のススメ』書影

今夏に発売されたばかりの山納さんの2冊目の著書『カフェという場のつくり方 自分らしい起業のススメ』(学芸出版社刊)

コミュニティごと引き継ぐ「譲り店」の提案。

山納

1970年代に喫茶店ブームがあったんですよね。
そのときに30代ぐらいでお店をはじめたひとが、
今、60代、70代になってそろそろやめようとしている。
つぶして若い人好みのあたらしいカフェを始めるのも悪くはないけれど、
これまでその店を愛した地域のひと(=常連さん)を含めて、
店を引き継ぐというスタイルもいいんじゃないかと。

山崎

あ、そういう事例を集めて、本を作ってもいいかもしれませんね。
写真入りのフルカラーで。すごく公共性をもっているし、
うまく語ることができるなら、高い価値のある一冊になりそうです。
そういう店を……なんて名づければいいんでしょう。

山納

わたしは著書のなかで「譲り店」と書いています。

山崎

ゆずりみせ……いいですね!

山納

譲り店の事例は、喫茶店だけでもないんですよね。
たとえば、安治川近くにある「入船食堂」は、その名の通り
そのむかし港町だったエリアに何軒もあって賑わった食堂の一軒なのですが、
80歳近くの現店主になる昭和40年より以前から、
100年以上も同じ「入船食堂」という看板で店をやっていたというんです。
全国的にそういう事例を見てみたいと思う気持ちはありますね。

山崎

ぼくもぜひ見てみたいですね。行政がサポートしてもいいくらいの
「取り戻せない公共性」をはらんでいると思います。
そこを「民」のチカラでなんとかしようというのが「譲り店」ですね。
これまでのファンの止まり木的な場でありつつ、
同時に「次の30年」をプロデュースする。
これって、難しいけれど、とても大切なことで、もう、全国の都市部で
実際に方法を模索してやり始めているひとたちがいるんじゃないかと思います。

山納

そういうふるまいができずに、レトロなまま閉店していくお店は
ほんとうに残念ですし。

山崎

まったく。

山納

そこでしっかりと考えなくてはいけないのは、
近年増えている「コミュニティカフェ」(*1)と呼ばれる、
公共性を志向するタイプのカフェですね。
個人的にものすごく違和感があるんです。

山崎

たとえば、行政からの助成金で運営しているような?

山納

そうですね。
助成金が欲しいからコミュニティといっているような気がしてならない。
すぐ近くの商店街にちゃんと愛されている喫茶店があるのに、
わざわざ別に場を作り、だけど賑わってもいない。
そして、助成金が切れたら終わってしまう。
これって、非常にだらしがないですよね。
基本的にカフェというのはビジネスですから、
行政や企業のお金で支えられてビジネスが成り立っていないところは、
どこも脇が甘いと思うんです。

山崎

脇も甘いし、空間づくりもコンセプトも甘い。

山納

それよりも、行政の支援など関係なく、何十年も商売を続けてきた古い喫茶店が、
コミュニティの場になっていることをもっと評価するべきですよね。
ただ、長く続いている店のなかには、味の落ちたコーヒーを出すとか、
掃除が行き届いていないなどの不具合もあり、こうなると若い世代は入りにくい。
「譲り店」は、その辺をクリアする機能になり得るような気がするんですよ。

(……to be continued!)

*1 コミュニティカフェ:「コミュニティカフェとは、地域住民やNPOが高齢者・障害者・子育てへの支援、世代間・国際交流、生涯学習、まちづくりといった公共的なテーマのもとに、カフェを開いたり、定期的に人々が集まれる場を作ったりという動きのことをいいます」(山納洋『カフェという場のつくり方 自分らしい企業のススメ)より)

営業中の看板には「ほっこりやってますねん」の文字

中崎昭和喫茶「ニューMASA」外観

昭和57年から続く喫茶店が、店主を替えて継続。店をわかりにくくしていた自動販売機などがなくなり、外観もスッキリと。一見さんも入りやすくなった。

譲り店について語る、山崎さんと山納さん

譲り店について語る、山崎さんと山納さん。山崎さんも、ホヅプロとして伊賀・島ヶ原の製材所を譲り受けたばかりとあって、はなしが弾む。

profile

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HIROSHI YAMANOU 
山納 洋

1993年大阪ガス入社。神戸アートビレッッジセンター、扇町ミュージアムスクエア、メビック扇町、財団法人大阪21世紀協会での企画・プロデュース業務を歴任。2010年より大阪ガス近畿圏部において地域活性化、社会貢献事業に関わる。一方で、カフェ空間のシェア活動「common cafe」、「六甲山カフェ」、トークサロン企画「御堂筋Talkin’Aabout」などをプロデュースしている。著書に『common cafe ー人と人が出会う場のつくりかたー』『カフェという場のつくり方 自分らしい起業のススメ』がある。

Web:http://www.talkin-about.com/cafe/

profile

RYO YAMAZAKI 
山崎 亮

1973年愛知県生まれ。大阪府立大学大学院地域生態工学専攻修了後、SEN環境計画室勤務を経て2005年〈studio-L〉設立。地域の課題を地域の住民が解決するためのコミュニティデザインに携わる。まちづくりワークショップ、住民参加型の総合計画づくり、建築やランドスケープのデザイン、パークマネジメントなど。〈ホヅプロ工房〉でSDレビュー、〈マルヤガーデンズ〉でグッドデザイン賞受賞。著書に『コミュニティデザイン』。