全国の商店街には、その土地を物語る魅力がいっぱい!
そこでしかお目にかかれないおいしいものとの出合いも楽しみのひとつです。
酒ライターの岩瀬大二さんが、タカラ「焼酎ハイボール」〈ドライ〉に合う
最高のアテを探すべく、全国の商店街を巡ります。
これぞ! というアテをテイクアウトして、焼酎ハイボールとの相性をレポート。
思わず喉が鳴る至極の組み合わせをご覧あれ!

商店街。
そうだ、こんな身近に、「食の宝庫」「肴の楽園」があるじゃないか。
歩いて、人の情に触れて帰ってくる。
買ってきたアテを並べ、焼酎ハイボール缶を開ければ、飾らないのに極上の時間が始まる。
きっとあなたの近くにも、そんな商店街がある。
戸越銀座。
テレビでもよく登場する関東でも著名な商店街。
実はここ、僕が通った中学校の近所。
生まれ育ったのは、もう少し先の武蔵小山のアーケード街のほう。
こちらは部活の帰りや放課後の遊びのあとに遠回り、
小腹を満たし、たわいもない会話をしたという思い出。

戸越銀座の正式名称は「戸越銀座商店街連合会」。3つの商店街振興組合からなり、全長約1.3キロにわたる関東有数の長さを誇る。大正12年の関東大震災で壊滅的な被害を受けた東京の下町や横浜方面の商業者たちが集まったことから始まった。現在約400軒の店舗が軒を連ねる。最寄り駅は東急池上線「戸越銀座」駅、都営地下鉄浅草線「戸越」駅など。
それはもう30年以上前のことになるけれど、
あのころは、地元の人たちが集い、地元の人のために営む、
ごくごく当たり前の日常があった場所だった。
ここまでメディアに取り上げられるような、
そして休日にはB級グルメの食べ歩きや、
テレビのロケ場所巡り、東京の南側の下町情緒を求めて、
この商店街自体を目当てに、全国からたくさんの人が往来するような時代が来るなんて、
想像できるはずもなかった。
あの頃の懐かしい店を訪ねてみた。
まずは浅草線・戸越駅から徒歩6分の〈後藤蒲鉾店〉。
遠回りして小腹を満たした店だ。
店頭でおでんを買ってつまむ。
もちろん手元にあったのは酒ではなく炭酸飲料だったけれど。
きっとあのころ、全国どこの商店街でもあったありふれた光景。
後藤蒲鉾店は創業50年を超え、戸越銀座とともに歩んできた。

おでんのシーズンにはかまぼこをはじめとするおでんだねが並ぶ。この日は3代目となる息子さんの友人がおでん番をしていた。この光景にもグッとくる。

店頭にずらりと並ぶおでんの材料は定番から変わりだねまで多彩。にぎやかな雰囲気で、すっと入りやすいのもうれしい。
「もともと肉屋と総菜屋が多くて、生活に密着した商店街でした」
と2代目の後藤学(まなぶ)さん。
1990年、バブル崩壊。踊った業界だけではなく、
普通の暮らしも元気をなくしてしまった出来事で、そこからのトンネルも長かった。
戸越銀座も例外ではなかった。でも負けなかった。

2代目の後藤学さん。「食べ歩きの活気も戻ってきてほしいですね」
「相当な落ち込みでした。
そこから生まれたのがコロッケによるまちおこしです。
私たちも『おでんコロッケ』を発案して参加しました」
丸い食べやすいサイズのコロッケの中身は、
なるとや大根といったおでんの材料を細かく刻んだものと、じゃがいも。
「せっかくつくるなら、普通のじゃ、おもしろくない。
あまりものを入れれば、というのは違うと思ったんです」
その日の残ったおでんをコロッケに回すのではなく、
そのための材料。レシピはしっかり決まっている。
「おでんの材料として人気の大根は入れたかったですし、
断面でも、おでんらしい色合いになるような材料を選びました」
他店も個性的なコロッケを次々と発案。
戸越銀座商店街には肉屋、総菜屋が多かったという背景があって、
そしてスペシャリティを生かす専門店のこだわりがあって、
それは芯の通ったキャンペーンになった。
各店のコロッケとともにおでんコロッケも評判を呼び、
これをきっかけに、食べ歩きが楽しい商店街として、
多くのメディア、テレビ番組にも取り上げられた。
「土日で1000個以上売れたときもありましたね」というからすごい。
もちろんその裏にはおでん、かまぼこのプロの創意工夫。
そんな物語のあるつまみを入手。
頭に浮かべた焼酎ハイボールとの相性に思わず笑みがこぼれる。

フライものを入れる袋に描かれているのは戸越銀座のマスコット、銀ちゃんこと戸越銀次郎。名前は硬派でもかわいらしい。「おでんコロッケ」1個108円。