長野 Part1 そして、ボンクラが生まれた。

山崎亮 ローカルデザインスタディ
長野編・目次

[ff_get_smallserieslinks post_ids="tpc-thi-yamazaki-052, tpc-thi-yamazaki-053, tpc-thi-yamazaki-054, tpc-thi-yamazaki-055"]

はじまりは、2009年。長野市の善光寺門前町に位置する古い建築物のリノベーション。
建築家、編集者、デザイナーの7人でまちづくりを考える、「ボンクラ」という、
ちょっとふしぎな名前の異業種ユニットを訪ねました。

城下町の金沢、門前町の長野、ふたつのふるさと。

山崎

こんばんは! 夜遅くにお邪魔します。

広瀬

いえいえ、お待ちしておりました。ここに来ていただくのは、ほぼ1年ぶりですね。

山崎

この連載の第1回目で小布施を訪れて、
その翌日に立ち寄らせてもらったんでしたね。
きょうは、じっくりおはなしをうかがいたいと思っています。
「ボンクラ」メンバーの顔ぶれと、この場所の関係をおさらいしてもいいですか?

太田

はい。「ボンクラ」とは、建築家、編集者、デザイナーの7人で
まちづくりを考える異業種ユニットで、
この2階にシェアオフィスという形態で入居しつつ、この古い建物を
「KANEMATSU」として蘇らせ、プロデュースする役割を担っています。

山崎

きょうの顔ぶれを見ても、30代、40代、50代とそろっていて、職種もバラバラ。
まず、みなさんがどのように集まったのか興味がありますね。
たしか、広瀬さんはこちらのお生まれではなかったと……。
とすると、地元のつながりというわけでもなさそうです。

広瀬

はい。生まれは金沢で、就職してから長野です。横浜の大学を卒業して、
金沢に帰る途中に長野で途中下車をしてしまった、と(笑)。
そのころは信越線が通っていましたからね。
いまは両親もこちらに呼んで一緒に暮らしています。
ただ、金沢もたのしいまちですから、ご縁は残していたいと思っていて、
金沢と長野にふたつのふるさとがあるような気持ちでいます。

山崎

ふたつのふるさと。うーん、すてきだなあ。
金沢と長野って、どこか似ているイメージがあるんですが……。

広瀬

長野市は合併がありましたから、いまは両市とも、人口40万人くらい。
だから、まちの規模的なものは似ていますね。

山崎

ともに、むかしから根づいた文化がありますよね。
中山間地域でありながら、大きな都市で、歴史と文化がある。

広瀬

ただ、城下町と門前町という気質的な違いはありますね。
建築物でたとえても、金沢はやはり洗練されて都会的、
長野はあたたかい木や土を使っていてほっこりとしています。

長野市・善光寺

現在の長野市は、善光寺の門前町を起源として発展した都市で、古くは長野盆地を「善光寺平」とも。善光寺門前の参道は北国街道のルートでも多くのひとが行き交った。善光寺には、現在も年間600万人が参拝に訪れる。

座談会の様子

左の広瀬さんと右の太田さんの歳の差、20歳。「あいだに宮本くんがいてね、考え方がバラバラだから、ちょうどバランスがいい」と広瀬さん。

はじまってないのに、走り始めたヤツがいた。

山崎

太田さんはどちらのご出身ですか?

太田

上田市です。もとは美容師見習いだったんですけど、20歳になる直前で
「グラフィックデザイナー」なる職業があることを初めて知りまして。
「Macで絵を描いて儲かるなんて、いいなぁ」と思ったのがきっかけですね。
広瀬さんたちに出会ったのは、勤めていたデザイン事務所を辞めて、
フリーになって2年目ぐらいのときです。

山崎

独立してすぐだと、しごともなくて大変な時期だったんじゃないですか?

広瀬

それがね、ちょうどよかったんですよ。
ぼくたち「ボンクラ」のメンバーは7名なんですが、5人が一級建築士、
1人はエディター、そして、グラフィックデザイナーの太田くんでしょう。
建物を改装していきながら活動していくには、すごくバランスがよかったんです。

山崎

というと……?

広瀬

彼がまだ暇だったから、ずっとブログを書いてくれていたんです。
写真も撮ってくれて、それが人の目をひくすごくいい写真で。

太田

しごとがなかっただけなんですけどね(笑)。

山崎

つまりおふたりは、この蔵をどうにかしよう、ということで出会うんですか?

広瀬

いや、実は、ぼくは一度ここに入るテナントを探してほしいという
宮本さんからの協力を断ってるんですよね。
もとが工場だったので大きな機械が入ったまま放置されていて、
そのままは使えないし、改修するにしろ、ざっと1000万はかかる状態だったので。
まさかじぶんが入居するなんてまったく視野になかったし、
そのときはまだ太田さんに出会ってもいませんでした。

太田

そういうこと、ぼくは全然わからなくて。
建築家がいればなんとかなるんだろうなんて楽観的に考えて、
この物件に惚れこんだ勢いで、勝手にロゴマークとか作り出していたんです。

山崎

めちゃくちゃ対照的だなあ(笑)。

広瀬

ぼくと初めて会ったとき、もう、パンフレットをつくって、持ってきてたもんね。
契約どころか、大家さんと、まだなんのはなしもしてないのに(笑)。
それで、一緒に入居しませんかって誘われて……
すぐに「入る!」って返事をしてました。

山崎

え? 広瀬さんが誘われたほうだったんですか。
うーん、それは意外だったなあ(笑)。

(……to be continued!)

「KANEMATSU」の廊下

「KANEMATSU」は、もともと独立していた3つの蔵を、鉄骨や木造の平屋でつないだ構造。細部をじっくり見ると、その構造が見えてくるユニークな空間。

「KANEMATSU」1階の「カフェ・ラバーソウル」

深夜の座談会が行われたのは「KANEMATSU」1階の「カフェ・ラバーソウル」。床材やテーブル&ソファなどにリサイクル品がうまく使われた空間。

information

map

KANEMATSU

長野県善光寺門前に位置する建物。倉庫として使われていた3つの蔵を、鉄骨や木造の平屋でつなぎ、現在は、ここをプロデュースするクリエイティブユニット「ボンクラ」のシェアオフィスのほか、カフェ、古本屋、不動産屋などが入居する。

住所:長野県長野市東町207-1

Web:http://bonnecura.naganoblog.jp/

profile

TAKESHI HIROSE 
広瀬 毅

1961年石川県金沢市生まれ。横浜国立大学工学部建築学科を卒業。長野で設計事務所に勤務の後1998年に広瀬毅|建築設計室を設立。長野県建築士会まちづくり委員長。2009年に「LLP.ボンクラ」を7人の仲間で立ち上げ、事務所を長野市善光寺門前の工場として使われた古い倉庫「KANEMATSU」に移転。ストックを生かす建築のあり方を模索している。また中山間地のコミュニティのこれからを考えるうちコミュニティ・デザインに出会う。東京芸術学舎の山崎亮氏の講座を受講し、さまざまな地域の人々と交流を深めている。代表作に『霊仙寺の家』(長野県建築文化賞最優秀賞/飯綱町)、『仙仁温泉岩の湯』(須坂市)。リノベーションでは『リプロ表参道』(長野市)、『日和カフェ・まちなみカントリープレスオフィス』(長野市)などがある。

Web:http://hirose-aa.com/

profile

NOBUYUKI OTA 
太田伸幸

1981年長野県上田市(旧丸子町)生まれ。美容室、建築関係、デザインプロダクション勤務の後、 2008年マンズデザイン主宰。広告のデザイン・アートディレクションの他、長野市内中学校への 美術授業ボランティア、地元の芸術家とともに地域と関わるアート活動企画・主催。2009年~シェアオフィス「KANEMATSU」協同運営。

Web:http://www.manz.jp/

profile

KEI MIYAMOTO 
宮本 圭

1970年長野県生まれ。工学院大学工学研究科建築学修了後、宮本忠長建築設計事務所勤務を経て、シーンデザイン一級建築士事務所を設立。建築とその周辺にあるものを面白く結びつけていくためのプロジェクトに多数携わる。ツリーハウスプロジェクト、絵馬プロジェクトなど。2009年に有限責任事業組合ボンクラを立ち上げ、善光寺門前にある素敵な古い建物で、建築家・編集者・デザイナーが集まり、単なる建築の再生だけでなく、地域やコミュニティの再生も視野に入れたプロジェクトカネマツを実践中。

Web:http://scenedesign.jp/

profile

RYO YAMAZAKI 
山崎 亮

1973年愛知県生まれ。大阪府立大学大学院地域生態工学専攻修了後、SEN環境計画室勤務を経て2005年〈studio-L〉設立。地域の課題を地域の住民が解決するためのコミュニティデザインに携わる。まちづくりワークショップ、住民参加型の総合計画づくり、建築やランドスケープのデザイン、パークマネジメントなど。〈ホヅプロ工房〉でSDレビュー、〈マルヤガーデンズ〉でグッドデザイン賞受賞。著書に『コミュニティデザイン』。

港区芝 Part4 「東京だけど、ローカル。」

山崎亮 ローカルデザインスタディ
港区芝編・目次

[ff_get_smallserieslinks post_ids="tpc-thi-yamazaki-048, tpc-thi-yamazaki-049, tpc-thi-yamazaki-050, tpc-thi-yamazaki-051"]

東京都港区芝。東京タワーのすぐそば、大都市の真ん中に、地域コミュニティの拠点
「芝の家」はあります。山崎さんが訪れたのは、大学の講師でありながら、
このプロジェクトのコーディネイターを務める坂倉杏介さん。
今回は、都市ならではのコミュニティ形成の方法、そして東京というローカルに注目します。

芝の家の、その先にあるものは。

坂倉

港区に芝の家が一軒だけあっても効果には限界があると思っていて、
再来年、区の事業で新橋にも別のかたちでつくることになっています。

山崎

ほぉう。

坂倉

芝の家をはじめてみてわかったことは、空間があるかないかではなく、
それを運営する「ひと」がそういう場をつくれるかどうかなんですよね。

山崎

そりゃあそうですよ。まちがいない(笑)。
空間の政治学があるとはいえ、
ぼく自身がそれを設計していてそこに限界を感じた人間だから、
すごくよくわかります。必要条件だけど十分条件じゃない。
マネージングをだれがするの、ということがすごく大きい。
たとえば、坂倉さんがしゃべったこと、やってきたことを誰かが綿密に記録して、
新橋で、あるいはほかの場所でほかのだれかがそのマニュアルを実行しても、
全然別のものになると思います。

坂倉

そうですね。よかったなと思うのは、一緒にやってきて、
区役所のひとがそのことを理解してくださったということです。

山崎

とても重要なことでしたよね。

坂倉

そこで、準備のひとつとして「ご近所イノベータ養成講座」(*1)
試験的に開講します。地域づくりのための場に加えて、
「やりたいひと」を支える仕組みをつくろうという取り組みです。

山崎

いいですね。地に足がついているのが伝わります。

坂倉

山崎さんが関わっていらっしゃる海士町で、
まちづくりプロジェクトの「ひとチーム」から
「あまマーレ」という場ができた順序と、逆ですね(笑)。

山崎

おもしろいですね。

坂倉

芝って、3万4千人の地区なんです。
このくらいのちいさい活動を続けて行くと、
ほんとうに変わっていく可能性がある規模なんじゃないかなって。

山崎

東京だけど、ローカルなんですよね。

坂倉

たとえば、地方から遊びにきた方に、
「東京のひとって思ったよりいいひとだったよ」とか、
「むしろ地元よりローカルだったよ」なんて言ってもらえたらうれしい(笑)。

*1 ご近所イノベータ養成講座:ご近所イノベータとは、自分の想いを実現しながら、地域生活に豊かさと幸せを生み出す次世代のまちの担い手のこと。講座とワークショップ、プロジェクトの実践や「芝の家」でのコミュニティ体験を通して「自分のやりたいことをまちにつなげる」技法も学ぶ、少人数生の実践講座。2013年2月27日に説明会開催。開校は6月予定。http://gokinjo-i.jp/

「芝の家」事業の紹介冊子

芝の家の取り組みは、港区の委託事業。「ただ見守る、という企画を通すのは大変だったでしょう」と山崎さん。坂倉さんたちは、事例や効果を、できるだけ数字にしたり記録したり、目に見えるようにすることに注力したという。

お知らせが書かれた黒板

ちいさな地区でちいさな活動を続けていくことで、可能性が生まれていく。

それでもよかったんだ、という記憶がよみがえる場所。

山崎

マズローの「欲求階層論」(*2)でいうと、
この大都会で居場所を求めて芝の家に来るひとたちの契機って、
その多くは「欠乏欲求」だと思うんです。
そして、ここに通ううちに「なにかをはじめよう」という気分になり、
「成長欲求」に移行していく場なんだな、と。
一方、ぼくらの活動に関わろうとするひとたちのほとんどは、
そもそも自己実現や承認を求める「成長欲求」から入ってくる。
つまり「やりたいひと」ばかりが集まってくる。
ここが、ぼくらがやってることと、
坂倉さんたちがやっていることの役割の違いかな、と思いました。

坂倉

なにもなかったところに火種をつくって発火させようとすると、
「じつは地域のためになにかやりたかった」というひとが集まってくる。
おそらくほとんどの地域ではそれが正しいと思うんですよね。
でも、都心部では、「なにかやりたい」とひとがやって来ても、
すぐにはできないんです。

山崎

というと?

坂倉

その場所に愛着もないしネットワークもないひとが、
「やりたいこと」だけをやろうとしてもやっぱり難しいんです。
しばらくなにもしないでここにいて、愛着や帰属意識が芽生えてから
はじめて十全に「やりたいこと」をはじめられる。
そのために、まずじっくりじぶんと向き合う、損得なくひとと関われる、
芝の家のような場がある、東京というまちではそれが新鮮なんです。

山崎

坂倉さん、ご出身はどちらですか?

坂倉

名古屋生まれですけれど、ほとんどずっと東京です。
世田谷区なんですが、祖父母も一緒に住んでいたからか、
なにかにつけて親戚や近所のひとの出入りが多い家ではありましたね。

山崎

ぼくが幼いころに通った父の実家も、西荻でしたけれど、そんな感じでしたね。
ついつい「東京=六本木ヒルズ!」みたいなイメージを抱きますけど(笑)、
そうじゃない日常もちゃんとあった。

坂倉

そういうことが、ぼくらがこどものころ、
すなわち70年代くらいまではある程度のこっていました。
しかも、地縁の息苦しさは経験しすぎていない。
だからできるのかもしれませんね(笑)。
ご近所づきあいの記憶がまったくないひとが、
それをやろうと思っても急にはできないんです。
だから、記憶がある世代はそれをよみがえらせ、
記憶がない世代には「そういうつきあいも、アリだったんだ」という
まったく新鮮な発見がある。
そんな、あたらしいコミュニティづくりができたらいいな、と思っています。

*2 アブラハム・マズローの欲求階層論:人間の欲求は、「生理的欲求」「安全への欲求」「社会的欲求」「自我欲求」「自己実現欲求」の低次元から高次元までの5つの階層をなしていて、低次元の欲求が満たされてはじめて、高次元の欲求へと移行するという説。生理的欲求や安全への欲求を「欠乏欲求」と呼び、自己実現を求める欲求は「成長欲求」と呼んだ。

駄菓子コーナー

近所づきあいもあった、70年代の東京が原風景としてある。そこから、あたらしいコミュニティづくりが始まる。

坂倉杏介さんと山崎亮さん。縁側で対談中

「東京もローカルだったよ、なんて言ってもらえたらうれしい」(坂倉) 「ここに通ううちに、なにかをはじめようという気分になっていく場なんでしょうね」(山崎)

information

map

芝の家

住所:東京都港区芝3-26-10

TEL:03-3453-0474

営業時間

コミュニティ喫茶「月火木」:月・火・木曜 11:00~16:00

駄菓子と昔あそびのオープンスペース:水・金・土曜 13:00〜18:00

定休日:日曜・祝日

Web:http://www.shibanoie.net/about/

profile

KYOSUKE SAKAKURA 
坂倉杏介

慶應義塾大学グローバルセキュリティ研究所特任講師、三田の家LLP代表、NPO法人エイブル・アート・ジャパン理事。2003年、慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科修士課程修了。地域コミュニティの形成過程やワークショップの体験デザインを、個人とコミュニティの成長における「場」の働きに注目して研究。キャンパス外の新たな学び場「三田の家」、地域コミュニティの拠点「芝の家」の運営を軸に、「横浜トリエンナーレ2005」、「Ars Electronica 2011」など美術展への参加、大学内外での教育活動を通じて、自己や他者への感受性・関係性をひらく場づくりを実践中。
共著に『黒板とワイン―もう一つの学び場「三田の家」』、『メディア・リテラシー入門―視覚表現のためのレッスン』(慶應義塾大学出版会)、『いきるためのメディア―知覚・環境・社会の改編に向けて』(春秋社)など。

Web:http://kyosuke.inter-c.org/

profile

RYO YAMAZAKI 
山崎 亮

1973年愛知県生まれ。大阪府立大学大学院地域生態工学専攻修了後、SEN環境計画室勤務を経て2005年〈studio-L〉設立。地域の課題を地域の住民が解決するためのコミュニティデザインに携わる。まちづくりワークショップ、住民参加型の総合計画づくり、建築やランドスケープのデザイン、パークマネジメントなど。〈ホヅプロ工房〉でSDレビュー、〈マルヤガーデンズ〉でグッドデザイン賞受賞。著書に『コミュニティデザイン』。

港区芝 Part3 「あなたがここにいても、 いいんですよ。」

山崎亮 ローカルデザインスタディ
港区芝編・目次

[ff_get_smallserieslinks post_ids="tpc-thi-yamazaki-048, tpc-thi-yamazaki-049, tpc-thi-yamazaki-050, tpc-thi-yamazaki-051"]

東京都港区芝。東京タワーのすぐそば、大都市の真ん中に、地域コミュニティの拠点
「芝の家」はあります。山崎さんが訪れたのは、大学の講師でありながら、
このプロジェクトのコーディネイターを務める坂倉杏介さん。
今回は、都市ならではのコミュニティ形成の方法、そして東京というローカルに注目します。

受け入れる、という関わり方。

山崎

この場を設けて、まずはだれが訪れるようになるんですか?

坂倉

はじめの半年は、水・金・土曜だけのオープンで、
こどもたちがたくさん来てくれました。
でも、それではおとながくつろげないなあ、というので、
当初開いてなかった曜日をカフェの日に設定したんです。

山崎

なるほど。

坂倉

だれがなにをしても止めないんですけれど、同時に、
そのひとが「ここにいてもいいですよ」ということを伝える工夫は
やっぱりちゃんとしなくちゃならない。
往々にして空間のデザインというのは、
無意識に「こうしなさい」ということを伝えてしまうでしょう? 
たとえば、喫茶店ではメニューをオーダーしましょう、
教室だったら教壇に立つ先生のはなしを聞きましょう、というように。
まちづくりのプロジェクトだと、まちづくりに関わりたいひとはいてもいいけれど、
お役に立てないひと、関心のないひとには居心地が悪いんじゃないかな、と。
かといって、貼紙に「だれでもどうぞ」と書いてあっても、
それがじぶんごとだと思えるひとなんて、ほとんどいないですよね。

山崎

それをどう乗り越えるか、と。

坂倉

そこでぼくらがやっているのは、ごくあたりまえなことですけれど、
ちゃんとあいさつするとか、そのひとのようすにあわせて、
そのひとが居やすいように案内してあげるとかいうことなんです。
こんな風に大勢でたのしそうにしていると
スッと入っていきやすいだろうというのは実は逆で、
みんなが盛り上がってるからこそ、
そこに入れなかったときの疎外感は何倍も大きい。

山崎

たしかに……。

坂倉

はじめて「あそこへ行ってみよう」と勇気を出して扉を開けてくださった日に、
そんなことがあると、二度と来てもらえないと思うんですよね。
だから、「あなたがここにいても、いいんですよ」という想いが中心にあって、
そこから縁側や玄関のつくりが生まれた、という感じです。

山崎

先ほどから見ていても、縁側がとてもいい役割を果たしていますよね。

坂倉

縁側、ほんと強力です(笑)。

「芝の家」の縁側スペース

外には「ご自由にお持ちください」のコーナーが。通りかかった近所の方が、そこにあった日本人形に興味を示して声をかけていた。

犬の散歩で通りかかった人が縁側からのぞく

犬の散歩で通りかかった人も。縁側が、中と外をつなぐ。

毎日の振り返りが、次第に場にしみこんで。

山崎

ほかに気をつけていることはありますか?

坂倉

スタッフのあり方がいちばんむずかしいですね。
訪れてくださる多様な方々と、どう向き合えばいいのか。
1日5時間オープンしているんですが、朝と終わりに必ずミーティングをします。
とくに朝のミーティングでは気持ちと体調を伝え合うようにしています。

山崎

それは……?

坂倉

スタッフがまず、お互いにそれぞれの弱みをさらけ出す/それを受け入れ認める
という関係性を築いておくと、ひとりめに入ってきた方が、
やっぱりどこか安心するんじゃないかなって思うんです。
人間て、センサーでは計れない気配みたいなものをちゃんと感じ取りますからね。

山崎

たしかに、ドアを開けた途端
「あれ、いまここ、ヤバい?」みたいなことってありますね(笑)。

坂倉

終了後のミーティングは、最大1時間半。
はじめのうちは3時間近くになったこともあるんですが、
あまり長いと、かえってダメージになりますから(笑)。

山崎

長くなるの、わかります。細かいことがいろいろあるんですよね。

坂倉

そうですね。結果なにも起こらなかったけど、
こどもが危なっかしくてハラハラしたとか、
おばあさんが帰り際になんだかさびしそうな顔をしていたとか、
ひとひとつはちいさくても、1日のうちに
ものすごくさまざまな感情に向き合うわけですから。
そういう気持ちを含め、「今日1日どうだったか」を振り返ります。
いまでは、その毎日の振り返りの雰囲気が、この空間に定着している気がします。

山崎

それって、議事録は残したりしない?

坂倉

はい。

山崎

日々、別の組み合わせのスタッフが、時に時差もありながら
いつか同じことを理解したり、解決したりしていく。
それでいいんだと思います。

坂倉

ええ。完全な正解があるというモノではないですからね。

(……to be continued!)

山崎亮さん

「だれでもどうぞ、の壁をどう乗り越えるか、ですね」(山崎)

坂倉杏介さん

「ミーティングをしながら、今日1日がどうだったかを振り返る。その雰囲気がこの空間に定着している気がします」(坂倉)

information

map

芝の家

住所:東京都港区芝3-26-10

TEL:03-3453-0474

営業時間

コミュニティ喫茶「月火木」:月・火・木曜 11:00~16:00

駄菓子と昔あそびのオープンスペース:水・金・土曜 13:00〜18:00

定休日:日曜・祝日

Web:http://www.shibanoie.net/about/

profile

KYOSUKE SAKAKURA 
坂倉杏介

慶應義塾大学グローバルセキュリティ研究所特任講師、三田の家LLP代表、NPO法人エイブル・アート・ジャパン理事。2003年、慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科修士課程修了。地域コミュニティの形成過程やワークショップの体験デザインを、個人とコミュニティの成長における「場」の働きに注目して研究。キャンパス外の新たな学び場「三田の家」、地域コミュニティの拠点「芝の家」の運営を軸に、「横浜トリエンナーレ2005」、「Ars Electronica 2011」など美術展への参加、大学内外での教育活動を通じて、自己や他者への感受性・関係性をひらく場づくりを実践中。
共著に『黒板とワイン―もう一つの学び場「三田の家」』、『メディア・リテラシー入門―視覚表現のためのレッスン』(慶應義塾大学出版会)、『いきるためのメディア―知覚・環境・社会の改編に向けて』(春秋社)など。

Web:http://kyosuke.inter-c.org/

profile

RYO YAMAZAKI 
山崎 亮

1973年愛知県生まれ。大阪府立大学大学院地域生態工学専攻修了後、SEN環境計画室勤務を経て2005年〈studio-L〉設立。地域の課題を地域の住民が解決するためのコミュニティデザインに携わる。まちづくりワークショップ、住民参加型の総合計画づくり、建築やランドスケープのデザイン、パークマネジメントなど。〈ホヅプロ工房〉でSDレビュー、〈マルヤガーデンズ〉でグッドデザイン賞受賞。著書に『コミュニティデザイン』。

港区芝 Part2 どうやって稼ぐんだ、 といわれ続けたあのころ。

山崎亮 ローカルデザインスタディ
港区芝編・目次

[ff_get_smallserieslinks post_ids="tpc-thi-yamazaki-048, tpc-thi-yamazaki-049, tpc-thi-yamazaki-050, tpc-thi-yamazaki-051"]

東京都港区芝。東京タワーのすぐそば、大都市の真ん中に、地域コミュニティの拠点
「芝の家」はあります。山崎さんが訪れたのは、大学の講師でありながら、
このプロジェクトのコーディネイターを務める坂倉杏介さん。
今回は、都市ならではのコミュニティ形成の方法、そして東京というローカルに注目します。

将来の見通しゼロで始まった? ぼくらの30代

山崎

では、そもそもなぜ「三田の家」を?

坂倉

大学の近くに「大学ではない別の場所」がつくりたくて。
つまり、こんな感じでだれでも訪れていいような場所。

山崎

そのころは、どういう立場で?

坂倉

大学の修士を出たばかりで、ぶらぶらしていたころに(笑)。
でも、すぐには叶わず、商店街に飛び込んだり、飲みに行ったり、理事会に出たり、
2〜3年はそんなことをしながら次第に地域に入っていったような感じです。

山崎

ああ、やっぱり、そういう手順があったわけですね。

坂倉

それでも、そうは簡単に建物が借りられず、
苦しまぎれに屋台をつくって路上でお茶を飲んだりしていました。

山崎

当時の収入は?

坂倉

30歳になったばかりで、その後すぐに大学の助手の職に就きます。
時折デザインしごとをアルバイト的にひき受けたりもしてましたね。

山崎

デザインをされてたんですか。

坂倉

ええ。20代の会社員時代に、
西村佳哲さんのデザインプランニングの手伝いをしたりしてたんです。
山崎さんとぼくをひき合わせてくださったのも、西村さんですし……。

山崎

あ! そうでしたね。
そうかぁ、おもしろいひとって、そのころからもうつながってるんですね。

坂倉

すっかり、20世紀のはなしですけど(笑)。

山崎

ほんとだね(笑)。

坂倉

墨田区の空き家を2か月だけ借りて、大学院生時代に
ぼくがはじめて場をつくるプロジェクトにトライしたのが2002年。
東京では、アーティストや建築家、デザイナーのあいだで、
リノベーションということばが市民権を得はじめた年ですね。

山崎

黒崎輝男さんや清水義次さんあたりのステキなおとなたちが
「Rの時代だ」といってね。そのころぼくは遠く大阪にいて、
東京おもしろそうだなあ! って眺めていた、と(笑)。

坂倉

ぼくも本流にいたわけではないけれど、
ああ、じぶんもなにかやっていいんだって、確実に背中を押されています。

山崎

ムーブメントと同期している、という感じがしますね。

「お互いさま掲示板」

芝の家の玄関には「お互いさま掲示板」。地域の催しや、ちょっとしたお知らせが目に入る。

掲示板の下の書き込みカード

掲示板の下にはこんなカードも。

つくらないことの、そしてコミュニティの重要性

坂倉

と、見通しのまったく立たないままの30代のスタートでしたね。

山崎

それはぼくも一緒だな(笑)。
ものをつくらないデザインなんていって設計事務所をやめて、
独立したのが31歳だから。

坂倉

どうなんだろうと思いつつ、あがいて企画書をひたすら書いて、
大学のいろんなところに持っていって断られて(笑)。
商店街の方経由で三田の家をやっと借りられたのが2006年です。

山崎

なるほど。

坂倉

でも、いまから振り返れば、家を借りられるまでに時間がかかったからこそ、
その間に地域のみなさんとつながれて、
プロジェクトのはじまりがスムーズにいった、ともいえます。

山崎

studio-Lを設立したのが2005年だから、ちょうどそのころですね。
ぼくらも、立ち上げたはいいけど、2年ぐらいはほとんどしごともなくて。

坂倉

あのころは、つくらないことの重要性や、地域のコミュニティ、
あるいはネットワークの重要性って、まだまだ伝わりませんでした。

山崎

あのころのぼくらは、つまり、あたまでっかちだったのかもしれません。
必ずこれからそれが大事になるということには気づいていたけど、
ビジネスモデルとしてどうすればいいのかわからなくてあがいていたような。

坂倉

そうかもしれません。思い出しますね。
「いいと思うよ。でも、ところでそれでどうやって食ってくの?」って……。

山崎

うん、ふたこと目にはそう言われましたよね(笑)。
コミュニティが、うさんくさいとか暑苦しいとか、
うっとうしいとかしがらみがどうとか、まだそういう時代でした。

坂倉

それが変わったのは、ほんとに、この1年半くらいですね。
あと、山崎さんがマスメディアに出ていらっしゃるのも大きな影響を与えてますね。

山崎

ええッ?

坂倉

最近は「ということは、山崎亮さんのようなしごとですか?」
と言われるようになって、「まあそうですけど、もっと地味にやってますが」
みたいな説明をすると、それでだいたい納得してくれるようになりましたからね。
いやあ、ほんとうに助かっています(笑)。

(……to be continued!)

近所の人がつくって持ってきてくれたオーナメントの人形

取材日はちょうどクリスマス。近所の人がつくって持ってきてくれたというオーナメントの人形が飾ってあった。

対談の様子

山崎さんがstudio-Lを設立したのが2005年。坂倉さんが三田の家を借りたのが2006年。大阪と東京で同時代を歩んできたふたり。

information

map

芝の家

住所:東京都港区芝3-26-10

TEL:03-3453-0474

営業時間

コミュニティ喫茶「月火木」:月・火・木曜 11:00~16:00

駄菓子と昔あそびのオープンスペース:水・金・土曜 13:00〜18:00

定休日:日曜・祝日

Web:http://www.shibanoie.net/about/

profile

KYOSUKE SAKAKURA 
坂倉杏介

慶應義塾大学グローバルセキュリティ研究所特任講師、三田の家LLP代表、NPO法人エイブル・アート・ジャパン理事。2003年、慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科修士課程修了。地域コミュニティの形成過程やワークショップの体験デザインを、個人とコミュニティの成長における「場」の働きに注目して研究。キャンパス外の新たな学び場「三田の家」、地域コミュニティの拠点「芝の家」の運営を軸に、「横浜トリエンナーレ2005」、「Ars Electronica 2011」など美術展への参加、大学内外での教育活動を通じて、自己や他者への感受性・関係性をひらく場づくりを実践中。
共著に『黒板とワイン―もう一つの学び場「三田の家」』、『メディア・リテラシー入門―視覚表現のためのレッスン』(慶應義塾大学出版会)、『いきるためのメディア―知覚・環境・社会の改編に向けて』(春秋社)など。

Web:http://kyosuke.inter-c.org/

profile

RYO YAMAZAKI 
山崎 亮

1973年愛知県生まれ。大阪府立大学大学院地域生態工学専攻修了後、SEN環境計画室勤務を経て2005年〈studio-L〉設立。地域の課題を地域の住民が解決するためのコミュニティデザインに携わる。まちづくりワークショップ、住民参加型の総合計画づくり、建築やランドスケープのデザイン、パークマネジメントなど。〈ホヅプロ工房〉でSDレビュー、〈マルヤガーデンズ〉でグッドデザイン賞受賞。著書に『コミュニティデザイン』。

港区芝 Part1 一生懸命になりすぎない、場づくりの方法。

山崎亮 ローカルデザインスタディ
港区芝編・目次

[ff_get_smallserieslinks post_ids="tpc-thi-yamazaki-048, tpc-thi-yamazaki-049, tpc-thi-yamazaki-050, tpc-thi-yamazaki-051"]

東京都港区芝。東京タワーのすぐそば、大都市の真ん中に、地域コミュニティの拠点
「芝の家」はあります。山崎さんが訪れたのは、大学の講師でありながら、
このプロジェクトのコーディネイターを務める坂倉杏介さん。
今回は、都市ならではのコミュニティ形成の方法、そして東京というローカルに注目します。

だれがなにをしてもいい、のびやかな場「芝の家」

山崎

こんにちは! 以前はじめてうかがったときと、
ずいぶん雰囲気が変わった気がしますね。

坂倉

あれは始まってすぐでしたからね。
おそらく約2年の間に場がなじんできたのと、近所の方が棚とかキーボードとか、
自分の作品とかをいろいろと持ってきてくださるので
やっぱりモノが増えてますね(笑)。

山崎

昼間はだいたいこんなふうに賑やかなんですか?

坂倉

はい、だいたいいつもの光景という感じです。
いまはたまたま居合わせたひとがお昼を一緒に食べていますね。
顔ぶれは、ご近所の方とスタッフが半々ぐらい。
今日は火曜なので本来は割とおとながゆっくり話せる日なんですが、
学校が冬休みに入っているのでこどもたちもやってきています。

山崎

お、なるほど。
月・火・木曜が「コミュニティ喫茶」、水・金・土曜が「駄菓子と昔あそび」と
表の看板に書いてあるのは、おとながゆっくり話せる日と、
こどもが存分に遊べる日を「なんとなく」位置づけるためですね。

坂倉

そうですね、なんとなく(笑)。
来ているひとは、年齢も0歳から90歳までと幅広く、
割合は多くないですが大学生も。
試験前逃亡しにやって来る中校生たちも、たまにいます(笑)。

山崎

いいですね。基本的には「だれがなにをしてもいい」、しかも無料。
そんな場所ってほかにないですもんね。
スタッフサイドには、どんな方がいらっしゃるんですか?

坂倉

大学生もいますが、こちらも20代から70代までと多様で、
ご近所の方が多いですが、遠方からわざわざ通ってくださる方もいます。
1日3人の当番制で運営しています。

山崎

大学生は、坂倉さんのゼミ生とか?

坂倉

いや、ぼくはゼミをもっているわけじゃないので、
校内にポスターを貼るような地道な募集で集めています。
いろいろやってみたのですが、ゼミやサークル単位より、
個人でやってくる子のほうが「そのひとらしさ」が出ていいかなあと。

山崎

そうですね。「想いがちゃんとある」というのは大切かもしれない。

「芝の家」の案内看板

芝の家は月・火・木が「コミュニティ喫茶」、水・金・土は「駄菓子と昔あそび」と、なんとなく分かれているが、誰でも気軽に立ち寄ることができる。

「芝の家」の入り口に並んだたくさんの靴

この日も赤ちゃんからお年寄りまで、さまざまな人が。

ただ、見守るだけという関わり方について。

山崎

坂倉さんは、大学の講師をやりながら、
事業としてこの「芝の家」運営されているわけですよね。

坂倉

そうなります。港区から大学への委託研究として2008年にスタートしていますが、
細かくいうと、研究自体は2011年度で終わっていますので、
いまの「芝の家」は、大学を通さず、LLP(*1)で委託事業として受けています。
なので、今年度から運営は実質的に現場のスタッフに任せています。

山崎

どういう事業なんですか? 居場所づくり?

坂倉

港区の場合、少し特殊だと思うんですけれど、区内5つの地域ごとに、
それぞれの特性にあわせた地域事業をやるということになっています。
従来の、単なる高齢者の居場所づくり支援だけじゃない、
ゆるやかさがありますね。

山崎

それを受託するのにLLPが生まれたと?

坂倉

いえ、LLPは、その直前にたまたま立ち上げていたものです。
話がさかのぼりますが、当時は「三田の家」(*2)
というプロジェクトをやっていて、これはひとり1万円のメンバーシップを募って
個人の財布で運営していたんですが、年間200万円程度といえども、
個人の財布で管理するのはなかなか大変だということで、
いちばん簡単な組織を作ろうと。

山崎

プロジェクト特化型ですね。

坂倉

それが先にあったので、「芝の家」もLLPで請け負うというカタチになりました。
賃貸費、常勤の専従スタッフの給料を含めて、年間950万円で受託しています。

山崎

なるほど。

坂倉

先日、講演会でお会いしたときに、山崎さんから
「ただ見てるだけのしごとっていいですね」って言われちゃいましたけども(笑)。

山崎

言った、言った(笑)。いやぁ、ぼくらががんばりすぎてたなあ、って。
ぼくらはふだん、コミュニティをつくるために一生懸命やって、
それを見て一生懸命やってみようというひとたちと「なにかを始める」。
だから、先にぽっかりとこういう「場」があって、
それぞれにいろんな想いでこの場所に集うひとたちから
自然発生的に「なにかが始まる」、
坂倉さんたちは、役割としてただそれを見守っているだけ、
というあり方は、ほんとうに目から鱗なんですよね。

坂倉

なるほど。

山崎

すごいなあって思う一方で、なんといってもこれは行政の事業ですから、
区議会に企画を通すのがまずはなかなか大変だろうなあと、
そんなことまで考えてしまいました(笑)。

坂倉

その通りですね。わかりやすさを求められますから、
そのために、来場者数などを細かく数字化して出していく努力はしました。
ただ、実際に現場を訪れると、ひと目で見てわかる賑わいの実態がありますから、
それを行政の担当者と共有することが信頼につながっていった、
という感じだったように思います。

(……to be continued!)

*1 LLP:Limited Liability Partnershipの略。事業組織の形態のひとつで、個人または法人が共同で出資し、事業を営むために設立する。出資者は出資額の範囲までしか責任を負わず、自ら経営を行うことができる。

*2 三田の家:民家を改装した大学のかたわらにある自主運営の<教室>。教員と学生有志によって、2006年から運営している。http://mita.inter-c.org/

地域のこどもたちが一緒に遊ぶ

小さなお子さん連れのお母さんも。地域のこどもたちが一緒に遊ぶのを、地域のおとなたちが見守る。

「しばこうえんあそび隊!」の張り紙

みんなで芝公園で遊ぼうという「しばこうえんあそび隊!」の張り紙。こどもからおとなまで誰でも参加できる。

information

map

芝の家

住所:東京都港区芝3-26-10

TEL:03-3453-0474

営業時間

コミュニティ喫茶「月火木」:月・火・木曜 11:00~16:00

駄菓子と昔あそびのオープンスペース:水・金・土曜 13:00〜18:00

定休日:日曜・祝日

Web:http://www.shibanoie.net/about/

profile

KYOSUKE SAKAKURA 
坂倉杏介

慶應義塾大学グローバルセキュリティ研究所特任講師、三田の家LLP代表、NPO法人エイブル・アート・ジャパン理事。2003年、慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科修士課程修了。地域コミュニティの形成過程やワークショップの体験デザインを、個人とコミュニティの成長における「場」の働きに注目して研究。キャンパス外の新たな学び場「三田の家」、地域コミュニティの拠点「芝の家」の運営を軸に、「横浜トリエンナーレ2005」、「Ars Electronica 2011」など美術展への参加、大学内外での教育活動を通じて、自己や他者への感受性・関係性をひらく場づくりを実践中。
共著に『黒板とワイン―もう一つの学び場「三田の家」』、『メディア・リテラシー入門―視覚表現のためのレッスン』(慶應義塾大学出版会)、『いきるためのメディア―知覚・環境・社会の改編に向けて』(春秋社)など。

Web:http://kyosuke.inter-c.org/

profile

RYO YAMAZAKI 
山崎 亮

1973年愛知県生まれ。大阪府立大学大学院地域生態工学専攻修了後、SEN環境計画室勤務を経て2005年〈studio-L〉設立。地域の課題を地域の住民が解決するためのコミュニティデザインに携わる。まちづくりワークショップ、住民参加型の総合計画づくり、建築やランドスケープのデザイン、パークマネジメントなど。〈ホヅプロ工房〉でSDレビュー、〈マルヤガーデンズ〉でグッドデザイン賞受賞。著書に『コミュニティデザイン』。

大崎上島 Part4 この島に永住するかと聞かれたら。

山崎亮 ローカルデザインスタディ
大崎上島編・目次

[ff_get_smallserieslinks post_ids="tpc-thi-yamazaki-044, tpc-thi-yamazaki-045, tpc-thi-yamazaki-046, tpc-thi-yamazaki-047"]

山崎さんがワークショップのために何度か足を運んでいる瀬戸内海の大崎上島。
人口約8,300人のこの島に、築80年の古民家を購入してIターン移住した女性がいます。
カフェ&ショップを営みながら、自分らしく生活をアレンジして
島の暮らしをたのしむ森ルイさんに、そのいきさつや今の暮らしぶりをうかがいます。

島に、ひとや空気の流れをつくりたい。

山崎

「ルイの家」に宿泊するWWOOFER(ウーファー *1)を受け入れているのも、
ユニークだなあって感じます。

そうですね。販売する雑貨類もカフェメニューも、ひとも、
島にないものが入ってきて入れ替わるような、空気の流れをつくりたいんです。

山崎

なるほど。いつも違う顔ぶれがカフェにいるとなると、
島のお客さんにとってもいいはなし相手になりますね。
同じ自慢ばなしが何回もできる(笑)。

島のひとたちとコミュニケーションができることは、
WWOOFERにとってもとてもいいことだし、わたしも外からの刺激がうれしいし。
島にいながら旅をしている気分が味わえます。

山崎

一度に何人ぐらい受け入れるんですか?

泊まれる部屋はいくつもあるのですが、車での移動をケアしないといけないので、
一度に3人までと決めています。
台湾、フランスからの訪問が多いですね。滞在は、だいたいひとり1~2週間。
これまでにすでに80人以上を受け入れてます。

山崎

WWOOFER以外に、島外からの来客は予想通り2割くらい?

帰省シーズンには、少し増えますね。プチ同窓会に使ってもらえたりとか。

山崎

そういうひとたちには、ものすごくうれしい場所なんだろうなあ。
キッズスペースまであるし。

島外に暮らす子どもたちに教えてもらって、
やっと島のおとうさん、おかあさんが来てくださるというケースもあります。

山崎

気になってもじぶんだちだけではなかなか足を運べない、という方も多そうですね。
島の高校生たちは?

思ったほど来ないですね。リクエストに応えて、学割制度をつくったら、
やっと何人か来てくれるようになりましたけど(笑)。

山崎

あ、いいですね。そういうの。

*1 WWOOFER:WWOOF(ウーフ)とは、「食事・宿泊場所」と「力」を交換する仕組みで、World Wide Opportunities on Organic Farms の頭文字。地に足のついた生活を営み、温かな気持ちをもって「食事・宿泊場所」を提供する側をホスト、ホストを助け何らかの「力」を提供する側をウーファーという。

森さんが現在、月1円で借りている旧家

森さんが現在、月1円で借りている旧家。「ルイの家」とは真逆で、すいぶん手入れをしなければ暮らせない状態。「リノベーションスクールができそうだね!」と山崎さん。「ぜひ、やってください!(笑)」

月1円の借家の外観

「物件はたくさんあるんですけど、よく見て、じぶんなりにしっかり選んで決めています」と森さん。月1円の借家の外観はこんな感じ。島には、ゼロ円の家もあるという。

夏祭りのための和舟「櫂伝馬(かいでんま)」

瀬戸内海の文化遺産ともいわれる、夏祭りのための和舟「櫂伝馬(かいでんま)」。神事として今でも漕ぎ手は男性のみと決められているが、今年の夏祭のひとつには女子の櫂伝馬があり、森さんも漕ぎ手として参加したのだそう。

できればずっと「移住者」でいたいと今は思う。

若い世代にこそ、ここで、島の日常生活にないモノに触れてほしいんですけどね。
その子が一度進学や就職で島外に出ても、
将来10年後くらいにUターンしてくれたりしたら、
ちょっとうれしいじゃないですか。
Uターンを呼び込むのは、わたしの役割ではないかもしれませんけれど。

山崎

じゅうぶん、そういうきっかけにはなっていると思いますよ。

島外でブログを読んでる方たちから
「ありがとう」「懐かしい」とコメントもらったりすると、うれしいですけどね。
むしろIターンを呼び込みたい。

山崎

Iターンのほうがいろいろとむずかしいですしね。

「ずっとこの島にいるかどうか」って聞かれて、
「それは、わかんないですね」なんて答えると、なんだか誤解されちゃったりして。

山崎

正直ですね(笑)。

毎日ブログを更新して、自称・大崎上島観光大使と名乗っているくらいですから、
島のことは好きなんです。
でも、愛しているから生涯をこの地に捧げる、とはいまは言えません。
神に誓った結婚だって、3年半だったのに(笑)。正直すぎますか?

山崎

そのくらいの心持ちがちょうどいいのかもしれませんよ。
「島のために生きる」というような強い思いをもつタイプのほうが、
意外とポキッと折れやすいんです。
一方で、周りから「移住してきたからにはずっといるよね」と言われるのは、
実は相当なプレッシャーになるんだということも耳にします。

重いですね。

山崎

Iターン者を受け入れて先進的なまちづくりをしていることで知られる
島根県の海士町では、すでに町長が率先して「それは言うな」とまで言ってます。
2年でも3年でも海士町に暮らしてくれたらそれでいい、
外で「あのとき、たのしかった」と言ってもらえたらそれでいいだろうって。

ほんとうに。「Iターンしばり」をなくしたいですね(笑)。
お役所で「定住」「永住」とか言われると、すごく重く感じるんです。
わたしは、島に暮らしているけれど、
どうしたって「島人」にはなれないんですから。

山崎

たとえば、原宿や渋谷のカフェなんて、
2~3年でつぶれて入れ変わるのがあたり前です。
でも、それに比べたら、移住者による中山間離島地域のカフェは、
ぼくの知る限りおおむねもっと長く続いていますよ。
固定費が少なくて済むとか、島じゅう、あるいは近隣の島まで噂になって、
お客さんが来てくれるとか、さまざまな要因があると思うけれど、
渋谷あたりよりもずっと持続可能性が高いと感じています。

そんなカフェを営みながら、移住者のまま長くいる、
移住者のまま島とつながるということもできると思うんです。

山崎

これからの森さんの生き方も、たのしみですね。

森ルイさん

オープンマインドをもち、正直さを心がけているという森さん。「でも、そのために誤解されることも多いですよ」と本音もちらり。

山崎亮さん

森さんのはなしを聞きながら、終始「たのもしいひとなあ」と感心しきりの山崎さん。

information

map

antenna

住所:広島県豊田郡大崎上島町中野1841-12

TEL:090-2906-0930

営業時間:13:00~19:00

営業日:木曜~日曜と祝日のみ営業

Web:http://www.osaki-kamijima.jp/antenna/

profile

LOUIS MORI 
森 ルイ

1978年東京生まれ。警視庁警察官として女性白バイ隊員やロシア語通訳などの勤務を経た後、2010年ブライダルコーディネーターへの転職を目指し退職。その後の離婚を機に瀬戸内海の大崎上島に築80年の古民家を購入してIターン移住。カフェ&ショップ『antenna』オーナー、クラシックバレエ教室主宰。WWOOF(ウーフ)ジャパンホストとして世界中の人々と島暮らしをシェア。自称・大崎上島観光親善大使。

Web:http://blog.livedoor.jp/morilouis/

profile

RYO YAMAZAKI 
山崎 亮

1973年愛知県生まれ。大阪府立大学大学院地域生態工学専攻修了後、SEN環境計画室勤務を経て2005年〈studio-L〉設立。地域の課題を地域の住民が解決するためのコミュニティデザインに携わる。まちづくりワークショップ、住民参加型の総合計画づくり、建築やランドスケープのデザイン、パークマネジメントなど。〈ホヅプロ工房〉でSDレビュー、〈マルヤガーデンズ〉でグッドデザイン賞受賞。著書に『コミュニティデザイン』。

大崎上島 Part3 わたしにしかできないことをやりたい。

山崎亮 ローカルデザインスタディ
大崎上島編・目次

[ff_get_smallserieslinks post_ids="tpc-thi-yamazaki-044, tpc-thi-yamazaki-045, tpc-thi-yamazaki-046, tpc-thi-yamazaki-047"]

山崎さんがワークショップのために何度か足を運んでいる瀬戸内海の大崎上島。
人口約8,300人のこの島に、築80年の古民家を購入してIターン移住した女性がいます。
カフェ&ショップを営みながら、自分らしく生活をアレンジして
島の暮らしをたのしむ森ルイさんに、そのいきさつや今の暮らしぶりをうかがいます。

島暮らし=農業じゃなかったわけは。

山崎

島に暮らすようになったいきさつを含め、
森さんの場合、Iターン者の中でもかなり特殊なケースですね。

もともと、島に暮らしたかったわけでも、
カフェをやりたかったわけでもないですからね。
ただ、移住してきたらそこに閉まった店があった、と。
「そこに山があるから山に登る」みたいなことなんです。
島でできること、思いつくことは、まだほかにもあるんです。

山崎

ほぅ。

じぶんにしかできないことをやりたいんです。
東京で生まれ育って、海外も見てきたわたしだからできること。
だからわたしの場合は、島暮らし=農業じゃなかった。
でも、農業に携わるひとをつなぐようなことはやってみたいと考えています。
たとえば、ファーマーズマーケットだとか。

山崎

いいですね。ここなら、いい雰囲気でできそうです。

でもひとりでやると負荷が大きいかなと思って、
いちど役場にかけあってみたこともあるんですけど、
ちょっとどうにもなりそうになくて。
まぁいいや、そのうちじぶんでやろう。って(笑)。

山崎

たのもしいなあ。

島のひとのなかには、前の店のイメージが強くて、
「漬け物は置いてくれないのか」とか「商品が減った」とか
「毎日開いてない」とかいろいろ言うひともいます。
でも、「アンテナショップ」と名乗ってはいますが、
うちは行政の助成や支援を受けている事業じゃないし、
わたしひとりでできることは限られています。
うわさは気にしてもキリがないし、みんなから好かれようとしてもムリ。
慣れるまでは大変だけど、そういうことをじぶんで割り切れるようになると、
少し気持ちが楽になりますね。

山崎

とはいえ、そういうことに直面するとやはり時々、
息がつまるようなこともありますか?

そういうときは、すぐそこにある自然に触れて、スッキリ気分転換です。
これは東京にはない、よさですね(笑)。

森さんがみかん100%ジュースを作ってくださった

大崎上島は、みかんの産地としても有名。ワークショップ終わりで夜遅くに到着した山崎さんのために、森さんがみかん100%ジュースを作ってくださった。

「antenna」の店内

「antenna」の店内。バラバラに配置されたロゴタイプをじっくり見ていると、「造船」「観光農園」「レモン」といった、大崎上島を示すキーワードが浮かび上がってくる。

ほんとうは、メチャクチャよく考えて生きてるんです。

山崎

カフェにはどんなメニューがあるんですか?

午後1時からの開店で、フードは定番のフレンチトーストと
イタリアンサンドとアメリカンワッフル。
イタリアの生ハムやうちの庭で育てたルッコラなど西洋の食材と、
島のパンやジャムなどをミックスして使っています。
外国の要素と島の要素をミックスしたものにしたいんです。

山崎

この店全体のテーマがそんなイメージですね。

まだまだ観光地として特別有名なわけでもないので、
島のおみやげ販売だけではむずかしい。
ビジネスの勉強をしたわけではないですが、はじめのうち、
お客さんの8割は島のひとかなって考えていました。
あとは、経歴も変わってるからメディアがおもしろがって
取り上げてくれるだろうなっていうのも読んでいたり……。

山崎

そこまで? じっくりはなしを聞いていると、
実はすべてがものすごく計画的ですよね。

ええ、スタンドプレイヤーに見られがちですが、実はね(笑)。
小さなことだと、あいさつは必ずするとか、
いちどお会いした方のお顔や名前はなるべく覚えるとか、
会合のお誘いには必ず顔を出すようにするとか、
東京とは違う、この島のコミュニティで暮らすために必要だと思われる心がけも、
わたしなりにちゃんと実行しています。

山崎

うん、とても大事なことですね。

それと、そもそも「森ルイ」っていう名前が本名じゃないんですよ。

山崎

ええっ! 名前も?

そうです。姓も名も、まるごと。
ほら、島に来るようになった時期と離婚(姓が変わる時期)とが
前後していたじゃないですか。
途中で名前が変わるって、いろいろ面倒だなあと思って、はじめから。

山崎

やっぱり、メチャクチャ考えてますね……。

そうなんですよ。勢いで家買って、勢いで島に来て、
勢いでカフェやってるみたいに見えますけど、
実は人生のどのタイミングでもずいぶんしっかり考えてるんです(笑)。

山崎

あ、でも、たしかご自宅の屋根の瓦に「森」って漢字が入ってませんでしたっけ?

あれが先にあって、「そうだ、森にしよう!」って。

山崎

そうだったんだ!

外国人にも説明しやすいし、そのうち戸籍も改名しちゃおうかなというくらい、
気に入ってます。

山崎

印象に残るというか、覚えやすいですもんね。

実際に、多くの雑誌やテレビに取材をしていただいて、とても助かっています。
ま、そんなわたしの戦略などおかまいなしに、
「ママさん、冷コ(アイスコーヒー)!」と言う、
愛すべき常連さんもいますけどね(笑)。

(……to be continued!)

フレンチトースト

HOGALAKAのもちもち食パンを使ったフレンチトーストに、カナダ産のメイプルシロップと大崎上島の柑橘ジャムをトッピング。

生果実を使った贅沢なジャム

メニューにも使われている生果実を使った贅沢なジャムは、大崎上島土産に最適。そのおいしさはもちろんのこと、ちょっとレトロなラベルのかわいさにも注目。

ショップコーナー

ショップコーナーには、ジャムなどの地元特産品と、東京で買い付ける北欧やパリのカラフルな雑貨、輸入食材などが同居する。メニュー同様、大崎上島×外国というコンセプトで。

information

map

antenna

住所:広島県豊田郡大崎上島町中野1841-12

TEL:090-2906-0930

営業時間:13:00~19:00

営業日:木曜~日曜と祝日のみ営業

Web:http://www.osaki-kamijima.jp/antenna/

profile

LOUIS MORI 
森 ルイ

1978年東京生まれ。警視庁警察官として女性白バイ隊員やロシア語通訳などの勤務を経た後、2010年ブライダルコーディネーターへの転職を目指し退職。その後の離婚を機に瀬戸内海の大崎上島に築80年の古民家を購入してIターン移住。カフェ&ショップ『antenna』オーナー、クラシックバレエ教室主宰。WWOOF(ウーフ)ジャパンホストとして世界中の人々と島暮らしをシェア。自称・大崎上島観光親善大使。

Web:http://blog.livedoor.jp/morilouis/

profile

RYO YAMAZAKI 
山崎 亮

1973年愛知県生まれ。大阪府立大学大学院地域生態工学専攻修了後、SEN環境計画室勤務を経て2005年〈studio-L〉設立。地域の課題を地域の住民が解決するためのコミュニティデザインに携わる。まちづくりワークショップ、住民参加型の総合計画づくり、建築やランドスケープのデザイン、パークマネジメントなど。〈ホヅプロ工房〉でSDレビュー、〈マルヤガーデンズ〉でグッドデザイン賞受賞。著書に『コミュニティデザイン』。

大崎上島 Part2 「ダメだったら?」の次の手は 考えておく。

山崎亮 ローカルデザインスタディ
大崎上島編・目次

[ff_get_smallserieslinks post_ids="tpc-thi-yamazaki-044, tpc-thi-yamazaki-045, tpc-thi-yamazaki-046, tpc-thi-yamazaki-047"]

山崎さんがワークショップのために何度か足を運んでいる瀬戸内海の大崎上島。
人口約8,300人のこの島に、築80年の古民家を購入してIターン移住した女性がいます。
カフェ&ショップを営みながら、自分らしく生活をアレンジして
島の暮らしをたのしむ森ルイさんに、そのいきさつや今の暮らしぶりをうかがいます。

「島に惚れた」という素敵物語ではないですから。

よく、「島に惚れ込んでやって来た」と語られることがあるんですけど、
実はそうじゃないんですよね。

山崎

すべてが同時に動いた、という感じだったわけですね。

それに、この家に出会わなかったら、
またちがうまちに住んでいた可能性だってあるし。

山崎

それまでに島へは何度くらい来てたんですか?

1年に1回ペースで……5回くらいですかね。

山崎

たったの5回ですか? 
ふつうは、気になっても1か月に1度くらい足を運んで
知り合いづくりやしごと探しをしたりするだろうし、
移住を決意してからもまずは借りて住んでみて、
と「段階」を踏むと思うので、かなり特殊ですよね(笑)。

特殊だと思います。先に友だちが移住してたから、ということも、
縁ではありますが、理由ではないですね。

山崎

じゃあ、即決で家を買ってすぐに島へ?

2010年の3月末に退職、秋には離婚成立という流れだったので、
半年の間は、島と東京の半々生活でした。
それで、せっかくなら東京にいる間にできることをやりたいと思って、
「スクーリング・パッド(*1)」のデザインコミュニケーションコースを
受講しました。

山崎

お、そこで「スクーリング・パッド」なんですね。

元警察官で離島に家を買って……という自己紹介だけで
「なにそれ?」っていう状況ですが(笑)。

山崎

相当のインパクトですよね(笑)。

6月には同期や代表の黒﨑輝男さんも島に遊びに来てくれたりして。
その体験が、島に焦点をあてる「離島経済新聞(*2)」が生まれる
ひとつの大きなきっかけにもなりました。
リトケイ立ち上げ当初のWebトップページが大崎上島だったのは、そのためです。

山崎

そんなつながりがあったんですね。黒﨑さんの存在ってやっぱり大きいですか?

神! みたいな感じではないですけどね(笑)。
ただ、これからの人生にデザインの力や人脈は必要だと感じていたので、
じぶんへの大きな投資という感覚でした。
黒﨑さんには当時もいまもずいぶん気にかけてもらっていて、
とても感謝しています。

山崎

いろんなところでそうやって、じんわりとひとに影響を与えている方ですね。

その間は、夜行バスで島と東京を行き来しつつ、
ついでにバックパッカー的に荷物を少しずつ移動していたという感じです。

山崎

ちいさい引っ越しを繰り返してたわけだ(笑)。

*1 スクーリング・パッド:デザイン、レストラン、映画、農業というテーマを掲げた4つの学部からなる、起業・独立・転職・スキルアップのための専門スクール。廃校を利用した「世田谷ものづくり学校(IID)」を拠点にしている。http://www.schooling-pad.jp/

*2 離島経済新聞:6852島からなる日本にある、約430島の有人離島情報専門のウェブマガジン。タブロイド紙『季刊リトケイ』も発行する。スクーリング・パッドで出会った編集者とデザイナー数名から誕生。略称・リトケイ。http://ritokei.com/ コロカル記事『PEOPLE vol.004 鯨本あつこさん』

ふれあい工房HOGALAKA

森さんが大崎上島に出会うきっかけとなった友人が店長をつとめる「ふれあい工房HOGALAKA」。

広いキッチンに立つ森さん

東京だと、このなかにお店が1軒収まってしまいそうなくらい広いキッチンに立つ森さん。

「antenna」店内

「antenna」店内のリフォームも仲間たちと手がけた。

次のステップのための余力を残したはたらき方。

山崎

この「antenna」はもともと何だったんですか?

「アンテナショップ玉手箱」という、道の駅的なお土産物屋さんでした。
当初は自宅で民宿でも……と思っていたのですが、
通っているうちにここが空いたのを知ってカフェ経営にシフトしました。
いまも町の持ちものなので、町から借りてます。

山崎

どのくらい改装したんですか?

店舗デザインは、スクーリング・パッドの同期にお願いして、
床のビニールクロスをはがしたり壁を塗ったり、できることはひとりでやりました。

山崎

材料なんかもじぶんで手配して?

そうですね。半年通ってる間にごあいさつがてら
いろいろなイベントに顔出したりしながら「余ってるペンキないですか?」
なんて言ってると、快く譲ってくれるひとが現れたりしてね。

山崎

言ってみるもんですね(笑)。

もともと「借金はしない」「ひとを雇わない」と決めて始めたんです。
貯金がなくなったら、ほかのしごとに就いてもいいし、
ご近所の知り合いから野菜いただいて釣り糸を垂れる生活でも
2か月ぐらいいけるかな、とか、欄間でも売ってしのごうか、とか。
ダメだったらこうしようと次の手は考えておきますけど、不安はなかったですね。
周りのほうが心配してくれましたけど。

山崎

そうだろうね。

しかも店は週に4日しか開いてないし、毎日午後からしか開いてないし(笑)。

山崎

そうなの?

「なにやってんの?」ってよく言われます(笑)。

山崎

その間はなにをやってるんですか?

こう見えて、バレエ教室の講師もやってたりするんですよ。

山崎

あ、そんな顔も持ってるんですね(笑)。

余力を残しておかないと、次へのステップの準備ができないなって思いがあって。
島でカフェをやることがわたしの人生の最終目標というわけではないですからね。

(……to be continued!)

「antenna」のテーブルで対談

「antenna」のテーブルは、造船所で使われる電気のケーブルを巻く木製ドラム。前の店でも使われていたものだが、「花柄のビニールクロスを剥がしたら、こんなにすてきなのが出てきたんですよ」と森さん。

別に借りている見晴らしのいいシェアハウス

森さんが自宅の「ルイの家」とは別に借りている見晴らしのいいシェアハウス。賃借契約が次の3月までなので、それぞれに、もう次のステップを考案中なのだとか。

information

map

antenna

住所:広島県豊田郡大崎上島町中野1841-12

TEL:090-2906-0930

営業時間:13:00~19:00

営業日:木曜~日曜と祝日のみ営業

Web:http://www.osaki-kamijima.jp/antenna/

profile

LOUIS MORI 
森 ルイ

1978年東京生まれ。警視庁警察官として女性白バイ隊員やロシア語通訳などの勤務を経た後、2010年ブライダルコーディネーターへの転職を目指し退職。その後の離婚を機に瀬戸内海の大崎上島に築80年の古民家を購入してIターン移住。カフェ&ショップ『antenna』オーナー、クラシックバレエ教室主宰。WWOOF(ウーフ)ジャパンホストとして世界中の人々と島暮らしをシェア。自称・大崎上島観光親善大使。

Web:http://blog.livedoor.jp/morilouis/

profile

RYO YAMAZAKI 
山崎 亮

1973年愛知県生まれ。大阪府立大学大学院地域生態工学専攻修了後、SEN環境計画室勤務を経て2005年〈studio-L〉設立。地域の課題を地域の住民が解決するためのコミュニティデザインに携わる。まちづくりワークショップ、住民参加型の総合計画づくり、建築やランドスケープのデザイン、パークマネジメントなど。〈ホヅプロ工房〉でSDレビュー、〈マルヤガーデンズ〉でグッドデザイン賞受賞。著書に『コミュニティデザイン』。

大崎上島 Part1 東京に暮らしている理由がなくなった。

山崎亮 ローカルデザインスタディ
大崎上島編・目次

[ff_get_smallserieslinks post_ids="tpc-thi-yamazaki-044, tpc-thi-yamazaki-045, tpc-thi-yamazaki-046, tpc-thi-yamazaki-047"]

山崎さんがワークショップのために何度か足を運んでいる瀬戸内海の大崎上島。
人口約8,300人のこの島に、築80年の古民家を購入してIターン移住した女性がいます。
カフェ&ショップを営みながら、自分らしく生活をアレンジして
島の暮らしをたのしむ森ルイさんに、そのいきさつや今の暮らしぶりをうかがいます。

32歳。人生の転機が一度に同時にやってきた。

山崎

お待たせしてすみません!

いえ、とんでもない。
山崎さんが講師をされている「カッコいい過ごし方」図鑑のプロジェクト、
順調そうですね。

山崎

島の外の人が憧れるような大崎上島の「カッコいい過ごし方」を
カタログ的な図鑑にまとめています。
3月に発表の予定だから、これからが正念場ですね。
講演会で初めて島に訪れたときに立ち寄ったのがこのカフェだから、
なんだか感慨深いです。

あれはオープン直後だから、1年半前になりますね。

山崎

そもそも、森さんとこの島とはどういうご縁があったんですか。

東京から瀬戸内ってずいぶん遠いし、まったく未知のエリアだったのですが、
たまたま友人のパン職人が6年前ぐらいにこちらに移住していて、
年1回ペースで遊びに来ていたんです。
ストレスの多いしごとだったので、疲れを癒しに(笑)。

山崎

当時はどういうしごとを?

警視庁勤務で、白バイに乗ってました。

山崎

おお!(笑)

短大卒のハタチから働いて、29歳で結婚するのですが、
そのときに結婚式をセルフプランニングしたのがおもしろくて、
ブライダルコーディネイターのしごとに興味をもちはじめていたんです。
こういうしごとも向いてるかもしれないなあ、なんて。ところがですよ……。

山崎

……ところが?

いよいよこの年度末で退職、ということが決まった矢先に、
離婚することになりまして。

山崎

ええっ!

退職して離婚したら、東京にいる理由がなくなっちゃって。

山崎

そうかぁ。

都心で新しいしごともまだ見つかってないのに
高い家賃を払い続けるのも考えものだし、
かといって、実家に出戻りみたいなのも面倒でしょう(笑)。
ちょうどいい機会だから、生き方を変えてみようかなって。

山崎

語学が堪能だったら、海外という選択肢もあった?

そうですね。でも、そのとき32歳になってしまっていたから、
ワーキングホリデー制度も使えなくて。
留学しても、結局は戻って来なければいけないし、
やっぱり日本に拠点は必要だなと決断したんです。

図鑑「探られる島」

山崎さんが現在この島を訪れているのは、「探られる島」の大崎上島版ともいえる、大崎上島の「カッコイイ過ごし方」図鑑制作のため。ワークショップを行ったstudio-Lのメンバーと、参加者たちがワイワイたのしげに打ち上げる中での対談となった。

森さんが暮らす大崎上島の古い家の屋根瓦

森さんが暮らす大崎上島の古い家の屋根瓦。随所にこだわりが見られるこの家を建てた方は、どうやら地元の船長さんだったとか。

自宅「ルイの家」に並べられたボトル

自宅を「ルイの家」と名付け、WWOOF(ウーフ)ジャパンホストとして世界中の人々と島暮らしをシェアしている。これも彼女らしいオリジナルな生活スタイル。

きっかけは、たまたま見つけた一軒家。

山崎

そのとき、貯金がいくらぐらいあったのか、教えてもらえますか?

社会人になってからわりと計画性をもって貯めていた貯金が少しと、
退職金が300万。プラスαで財形貯蓄とか
そういうので100万ちょっと、ぐらいでしょうか。

山崎

32歳でそれだけあったというのは、エライですね。

短大を卒業してから、将来に向けてある程度貯蓄を心がけていましたから、
スグに飢え死にはしない程度には考えてありました。

山崎

でも、無職なうえにそれが毎月家賃で消えていくと想定したら、
やっぱり心もとない金額なのか。

ええ。都心だと家賃だけで7〜8万はかかるでしょう。
1年で100万。300万だと、賃貸マンション3年分。
でも、もしかして大崎上島だと300万円あれば一軒家が買えるんじゃないの?
って思いついたんです。

山崎

なるほど!

それでさっそくネット検索してみたら、
理想的な一軒家がひょっこりと出てきたんですよ。

山崎

この小さな島の物件情報がWebサイトにあがってたんですか?

そうなんですよ。住所は広島県なので、県の空き家バンクに登録されていたんです。
1軒しか出てこなかったんですけどね(笑)。
1枚だけ載ってた玄関の写真だけを見て、「ここだ!」って。

山崎

それはすごい出会いのような気がします。

すぐに友人に内覧してもらって、
大きな改修をしなくてもそのまま住める状態だとわかりました。
しかも価格が350万円。ほぼ即決でしたね。

山崎

ちょうど退職金分にして、東京の家賃約3年分。
そう考えると、かなりかしこい買い物になるわけですね。

(……to be continued!)

自宅「ルイの家」

島というより、まるでこの家に導かれるようにして人生の舵を大きく切ることになった森さん。

窓はなんと回転式

Webに掲載されていたたった一枚の写真でこの家に惹かれた理由のひとつは、サッシでなく、趣のある木製の建具もそのまま残されていたから。この窓はなんと回転式。訪れる建築系の知人たちにとっても、とても興味深いものらしい。

窓から燦々と陽がさしこむ「ルイの家」2階

「ルイの家」2階。窓から燦々と陽がさしこむ、とても気持ちのよい空間。内装や庭の手入れなどこまごまと必要なことは、ウーファー(宿泊者)の中で得意なひとが得意な分野を少しずつ手伝ってくれる。

information

map

antenna

住所:広島県豊田郡大崎上島町中野1841-12

TEL:090-2906-0930

営業時間:13:00~19:00

営業日:木曜~日曜と祝日のみ営業

Web:http://www.osaki-kamijima.jp/antenna/

profile

LOUIS MORI 
森 ルイ

1978年東京生まれ。警視庁警察官として女性白バイ隊員やロシア語通訳などの勤務を経た後、2010年ブライダルコーディネーターへの転職を目指し退職。その後の離婚を機に瀬戸内海の大崎上島に築80年の古民家を購入してIターン移住。カフェ&ショップ『antenna』オーナー、クラシックバレエ教室主宰。WWOOF(ウーフ)ジャパンホストとして世界中の人々と島暮らしをシェア。自称・大崎上島観光親善大使。

Web:http://blog.livedoor.jp/morilouis/

profile

RYO YAMAZAKI 
山崎 亮

1973年愛知県生まれ。大阪府立大学大学院地域生態工学専攻修了後、SEN環境計画室勤務を経て2005年〈studio-L〉設立。地域の課題を地域の住民が解決するためのコミュニティデザインに携わる。まちづくりワークショップ、住民参加型の総合計画づくり、建築やランドスケープのデザイン、パークマネジメントなど。〈ホヅプロ工房〉でSDレビュー、〈マルヤガーデンズ〉でグッドデザイン賞受賞。著書に『コミュニティデザイン』。

別府 北高架商店街

高架下の小さな商店街の、新しい動き。

別府駅から徒歩数分のところにある「北高架商店街」。
文字通り、JRの線路の高架下に店が連なる、50メートルほどの小さな商店街だ。
昔は飲み屋街だったそうだが、いまでは新旧さまざまな店舗が並んでいる。

まず、ぱっと目につくのが、商店街入り口に面した「CUE CAFE+(キューカフェ)」。
2011年の4月にオープンしたカフェ&ギャラリーだ。
「店名は、スタートの合図で使われる“キュー出し”のキューから。
人が出会ったり、何かが始まったりする場所になればと思って」と、店主の木部真穂さん。
白を基調とした明るく気持ちのいい店内には、アーティストの作品が展示されている。
特に地元の作家をバックアップしたいという木部さんのもとには、
さまざまなアーティストが集まってくる。

取材時は、昨年埼玉県から別府に移住したというイラストレーター、
hiraさんの作品が展示されていた。
「こっちに来てとてもよかったと思っています。
まちもちょうどいい大きさで、人とのつながりもあります。
もともと別府はよそ者を受け入れてくれる気質があるのだと思います」とhiraさん。
別府で体験したことを描いた絵が注目され、いまでは地元のタウン誌や
駅ビルのフロアガイドなどに彼女の絵が掲載されるまでになった。

文字通り高架の下にある商店街。その入り口に面したところにあるのが「CUE CAFE+」。

店内ではhiraさんの展覧会を開催中だった。別府のまちを描いた絵などが展示されている。

別府の特徴的なものをイラストにあしらった単行本サイズのブックカバーもhiraさんのデザイン。

CUE CAFE+ができてから、商店街に新しい動きが出てきた。
木部さんのご主人の友人である日名子英明さんが経営するブック&レコードショップ
「ReNTReC.(レントレック)」が移転してきたのだ。
それ以前は別府タワーの4階でお店を経営していたが、
フロア全体がカラオケボックスになるというので新たな出店先を探していたところ、
この場所に行き着いた。
「お店というよりも、シェアスペースがほしかったんです。
いろいろな業種の人が集まってものをつくっていく。
とにかく場所が大事だと思いました」と日名子さん。

別府で生まれ育った日名子さんは、別府の盛衰を見てきた。
1ドル365円の時代が終わり、円が強くなってくると、観光客は海外に流れた。
また国内旅行も、別府から湯布院に流れていった。
やがて、賑わっていた商店街のシャッターの多くが下りたままになった。
「20年くらい前ですが、県外から来た友人が商店街を見て、
終わってるわ、とぼそっとつぶやいたのが悔しかった」

やがて2000年にAPU(立命館アジア太平洋大学)という大学ができ、
まちに学生が歩くようになった。
2009年には現代芸術フェスティバル「混浴温泉世界」もスタートし、
まちに少しずつ活気が戻ってきたという。

「ReNTReC.」店内には近頃はあまり見ることのないアナログ盤がたくさん。セレクトのセンスが光る。

レコードのほか、文化・芸術関係の本や、Tシャツなどの雑貨も。日名子さんの好きなものを集めた部屋のよう。

焦らず、ゆっくり続けていく。

今年の4月から、日名子さんと木部さんが中心となり、
北高架商店街で毎週土曜日にフリーマーケットを始めた。
でも、なぜフリーマーケット? という問いに、日名子さんはこう答える。
「僕はこれまでいろいろなイベントを企画してきましたが、
結局イベントって終わってしまうと何も残らないし、
ライブをやってもそのジャンルに興味のある人しか来ない。
セグメント化されたなかでイベントをやることに違和感を感じ始めました。
でもフリーマーケットって、本当にいろいろな人が集まってきて、何でもありなんです」

たしかに、物を売っている人だけでなく、
絵を描いている人もいたり、遊んでいる子どもたちもいる。
通路にはテーブルが置かれ、なんとなくおしゃべりをするだけの人もいる。
そしてこのフリーマーケット、毎週開催というのもポイント。
「イベントにしたくなかったんです。
月に1回だとそのたびにリセットされてしまう。
たとえたくさん集まらなくても、毎週土曜日の10時から、
ここに人がいるという場にしたかったんです」

フリーマーケットの名前は「Slowly Market」。
日名子さんは「ゆっくり、ゆっくり。人が集まらないと焦ったり、
落ち込む必要はまったくない。まずは自分たちの宣伝も含めて、
人に来てもらうための、ひとつのアクションだと思っています」という。

物を売るだけのフリーマーケットではなく、子どもたちが自発的に始めた「つばめ図書館」という子ども図書館も。

CUE CAFE+のすぐ外で絵を描いていたのは、別府のアーティスト二宮敏泰さん。まちに出て描き、CUE CAFE+で展示するそう。

このような活動にとても理解があり、自由にやらせてくれて本当にありがたい、
と商店街の人たちが口を揃えるのが、この場所を管理する
JR九州グループの会社「別府ステーション・センター」の中村 勇社長。
北高架商店街だけでなく、駅のお土産屋なども管轄する会社の代表だ。
中村さんは昨年の6月に福岡から転勤してきた。
福岡では駅ビルをつくるなどの新しい開発の仕事が多く、いまとは全然違う仕事だった。
「来たばかりの頃はCUE CAFE+はあったけれど、
こうなるとは全然思っていませんでした。
この場所を任されたのはいいけれど、さてどうしようという感じでした」と笑う。

みんなに「社長、社長」と呼ばれてはいるが、「社長」然としたようすはなく、
フリーマーケットにもちょくちょく顔を出し、
商店街で起きていることを一緒に楽しんでいるかのようだ。
「面白いことをやってくれと言われて、ここに送り込まれてるんで」と中村社長。

商店街の壁面や柱に絵を描いているのは、アーティストの寺山 香さん。寺山さんの頭の中にある物語を描いている。絵は天井や地面にも描かれ、増殖中。

なんと男子トイレの壁面にも寺山さんの絵が。トイレをきれいにしたかったという中村社長のアイデア。

突然、にぎやかなパレードが現れた。さまざまな楽器を手にした彼らは、大分を中心にイベントやパフォーマンスを行っている「宇宙図書館」の「ゆらゆらチンドン隊」。

7月には「Ontenna」というショップが新たにオープンした。
奥さんが古着や洋服のリメイクを、旦那さんがバイクや自転車のカスタムをするお店で、
東京なら下北沢か高円寺にありそうな雰囲気。
ここで、9月に秋冬のファッションショーが行われた。
モデルは商店街のお店の人たちや近所の人たちで、子どもも参加。
窓の建具を外して、お店の中がまるで立体の紙芝居のようになり、
物語性のあるショーが、バンドの生演奏つきで披露された。

そのときの動画がこちら。

「Ontenna」の三浦 温さんは別府出身。大分市でお店をやっていたが別府に戻ってきた。「ここには古き良き別府が残っています」と三浦さん。

ほかにも、ニット作家の竹下洋子さんのお店が10月にオープン。
竹下さんは、別府のアーティストたちの制作と発表の場であり
住居でもある「清島アパート」にアトリエを構え、
この商店街にニットとテキスタイルのショップを開いた。
こうして人が人をよび、面白い動きが続いている。

ニット作家、竹下洋子さんのショップには鮮やかでかわいいデザインの服が並ぶ。

長崎出身の竹下さんは、東京で自身のニットブランド「Yoko Takeshita」を立ち上げ、15年ほど活動したあと、約10年前に国東半島に移住。服の縫製も染織も大分で行っている。

日名子さんたちの試みは、始まったばかり。
これが継続していって、さらに新しい動きが生まれていくことを夢見ている。
「たとえば人が流れてきて、このフリーマーケットで物を売って生活費を稼いで、
ここで生活していく人が出てきたら面白い。
ほかでも火がついて、そういう場所が別府に増えていったり、
別府だけではなくて大分全体、九州全体にも飛び火して、
点が線になり、人が回遊していくと面白いと思います。
そのためにも、まずここで人を集めたいと思っています」

「変化していかないと面白くない。それが文化だと思います」という日名子さん。

秋田 Part4 「のんびり=ノンびり」がいい。

山崎亮 ローカルデザインスタディ
秋田編・目次

[ff_get_smallserieslinks post_ids="tpc-thi-yamazaki-040, tpc-thi-yamazaki-041, tpc-thi-yamazaki-042, tpc-thi-yamazaki-043"]

「Re:S(りす)」代表の編集者・藤本智士さん。
秋田から発行するフリーマガジン『のんびり』が注目を集める藤本さんと
山崎さんの対談を4回にわたりお届けします。

「のんびり」っていうだけでニコッとなれる。

藤本

ぼくはいま、『のんびり』をつくることで秋田を盛り上げながら、同時に、
ここだけでなく、どのまちでも起こせるやり方をここで見つけているんだ、
と思っています。

山崎

東京ではない、どのまちでもできること。

藤本

おしゃれでかっこいいフリーペーパーは地方にあふれているんだけれど、
編集までおもしろいと思えるものがあるかというと、ないんです。
なぜなら、どうしても東京の出版物のまねごとをしてしまうから。
でもそうじゃないよね、というあたらしいカタチは、
ぼくはいま東京でやろうと思わないし、むしろ東京でやるより
秋田でやるほうが「できるし、届く」と思っています。

山崎

少しはなしが遡りますが「秋田が最前線だ」というのはどういうところですか。

藤本

生活的なランキングとか経済指標みたいな、従来の物差しで語ると、
最前線どころか、正直、全国でも秋田は
常にビリのほうを走ってきたと思うんですよね。
でも、世の中が変わってきて、みんな、逆にこういうところに
暮らしたいと思ってるんじゃないかなあって。
少なくともぼくはそう。

山崎

なるほどね……。

藤本

とにかく、のんびりがあふれている、というのが秋田の第一印象。
取り残されているもの、のんびりしすぎた部分がほんとうにたくさんある、
まだまだデザインされてないものがたくさんあるというのは、
ぼくにとっては逆に強みなんです。
少し前のぼくなら、それをデザインしたい! と思ったけれど、
いまでは「そのままで、いい」って思える。
そういうこところがしっくりくるんです。
まさに、のんびりが「ノンびり=ビリじゃない」だということ。
この「のんびりさ」を世の中に押し出したいんです。
だって、「のんびり編集長」って肩書き、
めちゃくちゃのんびりしてそうでいいでしょう?(笑)

山崎

うん、いい(笑)

藤本

ほんまはセカセカしてるんですけどね(笑)。
「のんびり」っていうだけでニコッとなれる。
そんな魅力が秋田にはあると感じているんです。

読者からのお便りに目を通す藤本さん

『のんびり』創刊号を手にした読者から届いたお便りすべてにじっくりと目を通す藤本さん。

『のんびり』の編集会議

藤本編集長を囲み、デザイナー、カメラマン、編集者……地元のクリエイターたちと、地域資源に詳しいNPOの職員さんが集まる編集会議。

いまは人口減少先進地こそが最先端だ。

山崎

ぼくは藤本さん的な感覚は持ち合わせていないので、
データに基づくはなしになるのですが、
「このまちが、日本でいちばんだ」というプレゼンテーションは、よくやるんです。
秋田、山形、和歌山、島根、山口、長崎は、
この5年間に人口がかなり減っている都道府県なんです。
でも、2020年になると東京や神奈川も人口減少が起きると予測されている。
つまり、人口増加してきたこれまでの時代は、当然、人口が多いところ、
つまり東京でなにが起こっているかを学んできた。
でも、これからは人口が減っているとろに向っていくんです。

藤本

うん、そうですね。

山崎

海士町の離島が注目されているのも、
やっぱりみんなそこが気になっているからなんです。
単に人口が減ってショボショボしているのではダメで、
それでもイイネって思えるような暮らし方をしている人口減少先進地こそが
実は最先端だ、とぼくたちも言ってきたんです。
だから、「秋田がノンびり」だというのはまさに言い得て妙だなぁ、と。

藤本

旅をしているとそういうことを実感しますよね。

山崎

ほんとうに。

藤本

東京で生活しているひとだって、個人では
「果たしてこれまでのようにモノが売れていくのだろうか」って
ギモンに思っているんだけれど、会社としてはそれでは困るから
気持ちを押し殺してしまう。
だから、個人の思いのレベルでちゃんと変わっていく勇気みたいなものを、
どうすれば与えられるのか、ということを考えたい。
そういう思いをアウトプットすることが、
いまの編集者としての役割だと思っています。

山崎

『のんびり』は、どのくらいの間隔で作っているんですか。

藤本

1年間に4号発行の約束なので、このあと年内に3号が出て、
年明けに4号の予定です。

山崎

どこで手に入るの?

藤本

基本的には秋田県外に秋田をPRする媒体なので、
県外に1万5000部、県内に5000部くらいです。
県が発送しますが、小さな雑貨店、ギャラリーから大きな美術館まで、
送り先リストは全部ぼくが出しています。

山崎

うーん、そこまでやるんですね。すごいなあ。

藤本

ぼくがいちばんイヤなのは、行政の支援がなくなってハイお終い! になること。
ぼくとしごとすること、東京の写真家と一緒に組むことで、
秋田のクリエイターの経験値を上げてあげたいし、強さを残してあげたいんです。
そうでなければ意味がない。

山崎

「授人以魚 不如授人以漁〜魚を与えるのではなく魚の釣り方を教えよ」
という中国故事があるけれど、つまり、
ぼくたちコミュニティデザイナーがやっていることと同じなんですね。

藤本

そうですね。みんながこのプラットフォームでいろんなチャレンジをして、
どんどん成長していけばいいと。そう思っています。

秋田市大森山動物園を訪れた藤本さん

間もなく発刊される『のんびり』vol.3の取材のため、秋田市大森山動物園を訪れた藤本さん。藤本さんの琴線に触れたのは、あらいぐまの飼育。従来型の観光ガイドブックにはきっと載らない物語がそこに。

対談中の藤本智士さん、山崎亮さん

ここ数年、別々のフィールドで日本全国のありようを現地でじっくりと見てきたふたりが、奇しくも同じ思いを口にする。「藤本さんが秋田が最先端だ、と言ったとき、思わずドキッとしました」(山崎)

profile

map

SATOSHI FUJIMOTO 
藤本智士

編集者/有限会社りす代表 1974年、兵庫県西脇市生まれ。

2004年に出版した『すいとう帖』をきっかけに、「マイボトル」という言葉を生み出し、現在のマイボトルブームをつくる。2006年雑誌『Re:S(りす)』を創刊。11号で雑誌休刊するまで、編集長を務める。その後自らの会社名を「Re:S(りす)」と変更。

Re:S=Re:Standard(あたらしい、ふつう)を単なる雑誌名とせず、様々な書籍や展覧会やものづくりをとおして、Re:Sを体現していく編集活動が話題を集める。最近では、デジタル時代にアルバムの大切さを伝えるべく開催した「ALBUM EXPO」(大阪/名古屋にて開催)、3人のデザイナーとの旅の記録を展示化した「日本のデザイン2011 Re:SCOVER NIPPON DESIGN」(六本木ミッドタウン)の企画・プロデュース。国土交通省観光庁をとおして、全国の小、中、高の図書館に寄贈された、ジャニーズ事務所の人気グループ嵐による『ニッポンの嵐』の編集、原稿執筆を手がけるなどで話題に。近著に『ほんとうのニッポンに出会う旅』(リトルモア)。イラストレーターの福田利之氏との共著として『Baby Book』(コクヨS&T)がある。現在、秋田県より全国へ発行されているフリーマガジン『のんびり』の編集長を務める。

Re:S(りす):http://re-s.jp/

『のんびり』:http://non-biri.net/

profile

RYO YAMAZAKI 
山崎 亮

1973年愛知県生まれ。大阪府立大学大学院地域生態工学専攻修了後、SEN環境計画室勤務を経て2005年〈studio-L〉設立。地域の課題を地域の住民が解決するためのコミュニティデザインに携わる。まちづくりワークショップ、住民参加型の総合計画づくり、建築やランドスケープのデザイン、パークマネジメントなど。〈ホヅプロ工房〉でSDレビュー、〈マルヤガーデンズ〉でグッドデザイン賞受賞。著書に『コミュニティデザイン』。

秋田 Part3 ぼくが秋田に本気でワクワク した理由。

山崎亮 ローカルデザインスタディ
秋田編・目次

[ff_get_smallserieslinks post_ids="tpc-thi-yamazaki-040, tpc-thi-yamazaki-041, tpc-thi-yamazaki-042, tpc-thi-yamazaki-043"]

「Re:S(りす)」代表の編集者・藤本智士さん。
秋田から発行するフリーマガジン『のんびり』が注目を集める藤本さんと
山崎さんの対談を4回にわたりお届けします。

梅原真さんとの初対面が秋田県庁だった。

山崎

秋田にはどういうきっかけで?

藤本

いちばん最初は2008年の『Re:S』の取材ですね。
青森帰りに羽後町の花嫁道中という雪のなかのお祭を見て、
すごく感動したんです。それ以来、冬の秋田にハマって、
しごとでもプライベートでも自家用車で通ってました。

山崎

ん? 駅からレンタカーじゃなく、自宅から車で?

藤本

そうなんですよ。ぼくにとって、旅は道中が大事なんで(笑)。
新車買って1年の点検で5万キロ走ってたみたいで、
さすがにディーラーさんにも驚かれました。

山崎

それは驚く(笑)。

藤本

昨年春に、東京ミッドタウン・デザインハブの企画展
「日本のデザイン2011 Re:SCOVER NIPPON DESSIGN」
というイベントの総合プロデュースを任されたんですが、
それまで名だたるデザイナーさんたちが行ってきたこの企画展を
ぼくがやるからには、自分のフィールドに持ってくるしかないな、と。
それで、デザイナーさんと一緒に「旅をする」ことにしたんです。

山崎

お、それは楽しそうだ。

藤本

そのとき主催者側へ出した条件はたったひとつ。
「このために超一流のデザイナーさんを3人選んでください」ということ。
さっきも話したように「3割の遊び」が成功するためには、
一流ではなく「超一流」でないとダメなんです。

山崎

なるほど。

藤本

それでご一緒したのが森本千絵さんと山中俊治さん、それに梅原真さん。
そのときに梅原さんとのスケジュールが全然合わなくて、
最終的に「秋田でなら」ということになり、初対面の梅原さんと
秋田県庁で待ち合せすることになるんです。

山崎

当時すでに、梅原さんは秋田県のイメージアップ戦略アドバイザーに
就任してますもんね。

藤本

はい。それ以降、少しずつ秋田で講演会に招いていただいたり、
県の職員や地元のクリエイターとお話する機会をいただいたり、
一方的に「こんなんあったらええなあ」っていうことをプレゼンしたりしてました。

神社にお詣りする藤本さん

旅先では、まずそのまちの神社にお詣りするという藤本さん。のんびり編集事務所に到着したら、なにはともあれ向かいのお稲荷さんにごあいさつ。

いよいよ県庁との打ち合わせ

和気あいあいなランチから始まったスタッフミーティングを経て、気分をひきしめいよいよ県庁との打ち合わせへ。

「どうにもならないことに対しての潔さ」に惚れた。

藤本

どこのまちでもだいたい共通するのは、行政や企業のおじさんたちって、
ぼくたちクリエイターとなかなかはなしが通じないってこと。

山崎

(笑)

藤本

でも、秋田では違ったんですよ。
みなさんの目の色がどんどん変わっていって、
「本気で変わらなくちゃ」っていう思いがちゃんと届いてる実感があったんです。
そういうことを経て、秋田をPRするメディアの発行という
動きがスタートしたので、ぼくは地元の若いクリエイターと組んで、
この『のんびり』を提案することになりました。

山崎

その子たちとはどうやって出会うんですか?

藤本

プライベートで通ってるころからの積み重ねですね。
じぶんたちの宝物は足もとにあることをはっきりと認識している彼らのことが、
ぼくは大好きなんです。それに、毎冬直面する大雪のような
「どうにもならないことに対しての潔さ」みたいなところもスゴイなぁって。

山崎

……なるほどね。

藤本

秋田県知事と梅原さんと、県民300人の前で鼎談する機会があったんですが、
そのときに知事が「わたしは秋田を誇りに思っている。
なにしろ秋田には、うまいメシとうまい酒がある!」って言い切って、
それを聞いた会場がドカーンと笑うのを見て、またスゴイなぁって。
なんて幸せなことなんやろうって。

山崎

うーん……深いですね。

藤本

「うちがいちばんおいしい」という絶対価値でなく
「そうか、アンタのまちもおいしいか。よかったな」と言える
相対価値みたいなものがこれからのスタンダードなんだって、
そのときに確信したんです。トップにこういう知事がいるなら、
このまちから日本を変えることができるんじゃないかって、
本気でワクワクした瞬間でした。

山崎

PRメディアの発行は県のしごとだから、
プロポーザルで選ばれたということですよね?

藤本

そうです。大手代理店が有名クリエイターと組んで
パワープレイでやってくるようなプロポーザルです。決まったときも
「これまでに見たことのないやり方を提案してきたあなたたちを選んだのは、
県庁としても大きなチャレンジです」とはっきり言われました。

山崎

いわば「賭け」ですよね。

藤本

県も腹をくくってるのがわかるし、ぼくらもそのことをちゃんと理解して
本気でがんばろうと思っている。リスペクトし合えるいい関係で、
お互いに気持ちよくしごとができているという実感があります。

山崎

これもまた、さっき出てきた「潔さ」なのかもしれませんね。
この「どうにもならないことに対しての潔さ」って、
秋田のみならず、中山間離島地域に共通する観念のようにも思います。
都市郊外育ちのぼくはまったく持たない感覚だったので、
はじめのうちは苦労の連続でした。
たとえば今日は嵐でフェリーが運行しないとか、
まちにタクシーが1台しかないという日常のささいなことさえ、
「しょうがない」と思えるまで2年はかかりましたね。

藤本

うんうん、わかります。

山崎

藤本さんの編集の手法もぼくらコミュニティデザイナーのやり方も、
先に正解のアイデアを持って行くのではないというところが同じですね。
どちらも「そこへ行ってみて」なにが起こりうるかを探るという意味では
とても似ています。
そして、こんな風に始まりが不確かであいまいなやり方を飲んでくれるのは、
東京や大阪といった都市部よりも、圧倒的にローカルなんですよね。
ローカルのほうが、しなりとか順応性とか、そういう豊かさを感じます。

(……to be continued!)

「cocolaboratory」

リノベートビルにギャラリーやショップ、カフェが入居する「cocolaboratory」。秋田県内外で活躍する旬のクリエイターと出会えるスポット。http://cocolab.jugem.jp/

フリーマガジン『のんびり』を手に取る山崎さん

「秋田からニッポンのびじょんを考える」フリーマガジン『のんびり』を手に取る山崎さん。現在配布中のvol.2は、「与次郎きつね」をはじめとする秋田の伝説が特集されている。http://non-biri.net/

藤本智士さん

「県の長である知事が、なにしろ秋田には、うまいメシとうまい酒がある!って言って、それを聞いた300人の県民がドカーンと笑う。これって最高だなって思ったんですよ」(藤本)

profile

map

SATOSHI FUJIMOTO 
藤本智士

編集者/有限会社りす代表 1974年、兵庫県西脇市生まれ。

2004年に出版した『すいとう帖』をきっかけに、「マイボトル」という言葉を生み出し、現在のマイボトルブームをつくる。2006年雑誌『Re:S(りす)』を創刊。11号で雑誌休刊するまで、編集長を務める。その後自らの会社名を「Re:S(りす)」と変更。

Re:S=Re:Standard(あたらしい、ふつう)を単なる雑誌名とせず、様々な書籍や展覧会やものづくりをとおして、Re:Sを体現していく編集活動が話題を集める。最近では、デジタル時代にアルバムの大切さを伝えるべく開催した「ALBUM EXPO」(大阪/名古屋にて開催)、3人のデザイナーとの旅の記録を展示化した「日本のデザイン2011 Re:SCOVER NIPPON DESIGN」(六本木ミッドタウン)の企画・プロデュース。国土交通省観光庁をとおして、全国の小、中、高の図書館に寄贈された、ジャニーズ事務所の人気グループ嵐による『ニッポンの嵐』の編集、原稿執筆を手がけるなどで話題に。近著に『ほんとうのニッポンに出会う旅』(リトルモア)。イラストレーターの福田利之氏との共著として『Baby Book』(コクヨS&T)がある。現在、秋田県より全国へ発行されているフリーマガジン『のんびり』の編集長を務める。

Re:S(りす):http://re-s.jp/

『のんびり』:http://non-biri.net/

profile

RYO YAMAZAKI 
山崎 亮

1973年愛知県生まれ。大阪府立大学大学院地域生態工学専攻修了後、SEN環境計画室勤務を経て2005年〈studio-L〉設立。地域の課題を地域の住民が解決するためのコミュニティデザインに携わる。まちづくりワークショップ、住民参加型の総合計画づくり、建築やランドスケープのデザイン、パークマネジメントなど。〈ホヅプロ工房〉でSDレビュー、〈マルヤガーデンズ〉でグッドデザイン賞受賞。著書に『コミュニティデザイン』。

秋田 Part2 編集のチカラで 世の中を変えられると知った。

山崎亮 ローカルデザインスタディ
秋田編・目次

[ff_get_smallserieslinks post_ids="tpc-thi-yamazaki-040, tpc-thi-yamazaki-041, tpc-thi-yamazaki-042, tpc-thi-yamazaki-043"]

「Re:S(りす)」代表の編集者・藤本智士さん。
秋田から発行するフリーマガジン『のんびり』が注目を集める藤本さんと
山崎さんの対談を4回にわたりお届けします。

ぼくらしい編集スタイルで「嵐」と向き合った。

山崎

雑誌の枠を超えて社名を「Re:S」としたところに、
藤本さんの強い意志を感じますね。

藤本

同時に、アングラの真逆とも言える
「超ド級のエンターテイメント」を知らなくちゃいけないな、と思ったんです。
フリーペーパーを作っていたときも同じことを思って、
関西ウォーカーで連載を持たせてもらったりしてたんです。
判断基準や価値観って、じぶんのなかに物差しがあるべきだから、
どこかでバランスを取りたくなる性分なんです。

山崎

ほぅ。

藤本

それで、2009年の1月に『Re: S』を休刊したときに、
「今年のうちにディズニーランドとジャニーズのコンサートに行く!」って
決めたんですよ。

山崎

なるほど、それは超ド級のメジャーだ(笑)。

藤本

ところが、ディズニーランドは行けても、
ジャニーズのコンサートってチケットが取れないから、
行きたくても行けないんですよね(笑)。
どうしたものかなあと思いあぐねているところに、やってきたしごとが
「嵐」の本だった、という……。

山崎

すごいなあ。そんなことがあるんですね(笑)。

藤本

それで作らせてもらったのが『ニッポンの嵐』なんです。
そうそう、これで海士町に行ってるんですよ。

山崎

あ、ほんとだ。

藤本

もともと『Re:S』を見てくださっての依頼だったので、
この本でもぼくの編集の手法をとりました。
つまり、2〜3割を彼らに委ねたんです。
決めすぎないゆるさって、ともすれば不安にもなるかもしれないのですが、
さすがに彼らはプロフェッショナルにそこをやりきってくれた。
このことは、ぼくにとっての大きな自信にも繋がっていきました。

山崎

転機に、よい経験になったわけですね。

藤本

しかも、念願のコンサートにもちゃんと行けましたしね(笑)。

学校図書『ニッポンの嵐』

『ニッポンの嵐』は、国土交通省観光庁をとおして、全国の小、中、高の図書館に寄贈された非売品の学校図書。のちに、内容はそのまま完全縮小したポケットサイズも発売され、発行元収益のすべては東日本大震災の復興支援のために寄付された。藤本さんは、編集、原稿執筆を担当。

対談の様子

『ニッポンの嵐』で海士町のナビゲートをしてくれたのは、山崎さんもよく知る地元の面々。「クリエイティブに活動する若いひとたちがみんな、『Re:S』が好きだったと言ってくれて、ああ、ここまで届いてたんやなってしみじみとうれしかった」と藤本さん。

このまちで、編集というしごとを続けていたい。

藤本

こういう機会を経て、偶然性を大切にして作っていく
じぶんの編集スタイルを確立していくんですが、
ここで背中を押してくれたのが、まさに鶴瓶さんなんです。

山崎

ほぅ。

藤本

それまでは、一方的に好きだっただけなんですけどね。
ご縁があってお会いできたときに
「そうや、それでええねん。偶然でええねん」って言ってもらえたんです。

山崎

それはうれしい力になりましたね。

藤本

ほんと、ミラクルですよ(笑)。でも、このまちから、
全国に流通するものを作っていきたいと思っていましたから、ずっと。
こういったプロフェッショナルな方々と触れあいながら、
それを叶えられたことがじぶんの自信になってきました。
そんなときに、秋田に出会うわけです。

山崎

このスタイルって、東京でやるのはむずかしいんですか?

藤本

たぶんいちばんむずかしいですね。なんでも広告代理店が関わってきますから。
ひとの思惑が絡めば絡むほど、やりにくくなります。
ぼくのやり方は、いわば独裁者的ですから(笑)。
でも、それが編集の魅力だし、
だからこそ編集で世の中を変えられると思っています。

山崎

なるほど。

藤本

たとえば、フリーペーパーをやってるころに『すいとう帖』というのを作り、
マイボトルということばを使ったんですが、
それで水筒というものが再びスタンダードの座に返り咲きました。
折しも象印もタイガーも「国内で魔法瓶は売れない」と言っていた時代に、
世の中を少し変えたり、ひとを動かしたりできたことに、
純粋にわくわくしたんです。
だから、なにが正解かじゃなくて、じぶんに正直にまっすぐに、
編集の力を使いたいって思うようになりました。

山崎

どうして、東京ではやらないんでしょう。

藤本

お金の仕組みができあがってしまってるからでしょうね。
企業とのやりとりなど面倒なあれこれを代理店さんがやってくれて、
その代わりにクリエイターが守られる、というような。
でも、モノづくりの現場が潤ってほしいって思うんですよね。
間を取り持つひとがいちばん儲けるんじゃなくて。

山崎

うーん、たしかに。

藤本

雑誌の『Re:S』をやったときに、多くの編集者から
「うらやましい」と言われたけれど、
だからといってそれをじぶんでやろうとするひとはいませんでした。
できないんですよね、やっぱり。
みんなは東京が最先端だというけれど、そういう意味でも
ぼくは東京がいちばん遅れていると実感しています。
逆に、いま通っている秋田は「すごく先を行ってる」って感じますよね。

(……to be continued!)

フリーマガジン『のんびり』

今年度、藤本さんが編集長をつとめることになったのは、「秋田からニッポンのびじょんを考える」フリーマガジン『のんびり』。「秋田が最先端」だというその意味は?

profile

map

SATOSHI FUJIMOTO 
藤本智士

編集者/有限会社りす代表 1974年、兵庫県西脇市生まれ。

2004年に出版した『すいとう帖』をきっかけに、「マイボトル」という言葉を生み出し、現在のマイボトルブームをつくる。2006年雑誌『Re:S(りす)』を創刊。11号で雑誌休刊するまで、編集長を務める。その後自らの会社名を「Re:S(りす)」と変更。

Re:S=Re:Standard(あたらしい、ふつう)を単なる雑誌名とせず、様々な書籍や展覧会やものづくりをとおして、Re:Sを体現していく編集活動が話題を集める。最近では、デジタル時代にアルバムの大切さを伝えるべく開催した「ALBUM EXPO」(大阪/名古屋にて開催)、3人のデザイナーとの旅の記録を展示化した「日本のデザイン2011 Re:SCOVER NIPPON DESIGN」(六本木ミッドタウン)の企画・プロデュース。国土交通省観光庁をとおして、全国の小、中、高の図書館に寄贈された、ジャニーズ事務所の人気グループ嵐による『ニッポンの嵐』の編集、原稿執筆を手がけるなどで話題に。近著に『ほんとうのニッポンに出会う旅』(リトルモア)。イラストレーターの福田利之氏との共著として『Baby Book』(コクヨS&T)がある。現在、秋田県より全国へ発行されているフリーマガジン『のんびり』の編集長を務める。

Re:S(りす):http://re-s.jp/

『のんびり』:http://non-biri.net/

profile

RYO YAMAZAKI 
山崎 亮

1973年愛知県生まれ。大阪府立大学大学院地域生態工学専攻修了後、SEN環境計画室勤務を経て2005年〈studio-L〉設立。地域の課題を地域の住民が解決するためのコミュニティデザインに携わる。まちづくりワークショップ、住民参加型の総合計画づくり、建築やランドスケープのデザイン、パークマネジメントなど。〈ホヅプロ工房〉でSDレビュー、〈マルヤガーデンズ〉でグッドデザイン賞受賞。著書に『コミュニティデザイン』。

秋田 Part1 雑誌『Re:S』を捨てて 社名を「Re:S」に。

山崎亮 ローカルデザインスタディ
秋田編・目次

[ff_get_smallserieslinks post_ids="tpc-thi-yamazaki-040, tpc-thi-yamazaki-041, tpc-thi-yamazaki-042, tpc-thi-yamazaki-043"]

「Re:S(りす)」代表の編集者・藤本智士さん。
秋田から発行するフリーマガジン『のんびり』が注目を集める藤本さんと
山崎さんの対談を4回にわたりお届けします。

出会い方のお手本は、笑福亭鶴瓶さん。

藤本

ようこそ! お久しぶりですね。

山崎

神戸に引っ越されたばかりなんですよね。
立地もいいし、気持ちのいい事務所です。
お、落語の本がいっぱいありますね。

藤本

好きでね、最近はiPhoneをジップロックに入れて浴室に持ち込んで、
お風呂のなかでよく聞いてます。山崎さんも、お好きですか?

山崎

半年前くらいから興味があるんですよ。
最近、じぶんがいろんなところで同じ話をする立場になってみて、
落語のように「同じ話を今日のおもしろさ」で話せないものかなあと
考えるようになって。勉強したいなあと思っているところです。
お風呂、いいですね(笑)。

藤本

ぼくのお手本は笑福亭鶴瓶さんです。
落語そのものというよりも、日常のエピソードをネタにしていく
「おもろいはなし」の手法。
高校生のころからTV番組の収録に通っていたくらい好きで、
「このひとは、なぜこんな奇跡的な出会いをするんだろう」ということに
純粋に興味を抱いていました。
「出会う能力」のヒミツを知りたかったんです。

山崎

出会う能力! それはぼくも知りたい。

藤本

でしょう?(笑)これは鶴瓶さんじゃないんですけれど、
その後、ダウンタウンのブレーンのひとりで
放送作家・脚本家の倉本美津留さんという方にお会いしたときに、
お笑いの現場の偶然性のおもしろさについて尋ねてみたことがあるんです。
そうしたら、100点満点のコント台本を書いても80点にしかならない。
でも、あえて台本を70点にして、3割の遊びを残しておくと、
芸人さんのポテンシャル次第で100点どころか
2000点が取れることがあるとおっしゃるんです。

山崎

うーん、なるほどね。

藤本

このはなしを聞いて、ああ、それがプロなんだ、と思ったわけです。
それを編集というフィールドでどれだけ発揮できるかということに挑戦したのが
雑誌の『Re:S(りす)』(*1)でした。

山崎

『Re:S』はそういうチャレンジだったんですね。

藤本

はい。いちおう設計図を描いてはおくけれど、
その通りにならなくてもいいっていうスタイルを叶えたくて、
クライアント=広告のない雑誌を作ろうとかね。

*1 『Re:S(りす)』:2006年に創刊された季刊誌。「Re:Standard あたらしい“ふつう”を提案する」をコンセプトに、編集長・藤本智士と編集部自ら日本全国を巡り、偶然の出会いをとりこみながら誌面を制作するという独自の編集スタイルを構築。富士フイルムやタイガー魔法瓶といった企業とのユニークなコラボレーションの試みも。11号で一時休刊を宣言、Webへと移行した。

2004年出版の『すいとう帖』

「マイボトル」ということばを生み出したのは2004年出版の『すいとう帖』。「それを見た象印の社長さんから直接電話がかかてきて、ぼくは自転車を飛ばしてすぐに会いにいったんです」。代理店の介在を必要としない、藤本さんらしい編集方法の始まりともいえる。

これまでも、捨てることから始まっていた。

山崎

あれは何号まで続いたんでしたっけ?

藤本

11号です。3年ぐらいやったので。
脳科学者の茂木健一郎さんが「偶優性」と言ったりするけれど、
決められたページ数をおきまりの企画で埋めていくのではなく、
2〜3割のアドリブをかましながら、
自分自身がわくわくしてクリエイティビティを感じる、ということに
ハマりきっていたんです。

山崎

本来は、それこそが編集者の腕の見せどころですよね。

藤本

ところが、そんなスタイルで始めた『Re:S』に
一定の読者がついて赤字にもならず安定したころに、次は
「でもこれって、アングラなことやってるんだよなぁ」と
矛盾を感じるようになったんです。

山崎

アングラ?

藤本

はい。ぼくがテーマにしている
「Re:Standard(あたらしい、ふつう)を提案する」は、
ベースが「ふつう」なんですよ。
なのに、極めて狭いところに『Re:S』を届けていないだろうかって。
マスに届けなければ意味がないんじゃないかと。
それで、一度『Re:S』を捨ててみようと。

山崎

そんな理由で休刊したとは知りませんでした。

藤本

ええ。『Re:S』の前には「パークエディティング」という社名で
フリーペーパーを発刊していたけれど、ブームによって、
Freeの意味が「自由」でなく「無料」になってしまって、フリーペーパーを捨てた。
その後、アートブックを作ったときは、書籍流通の壁にぶち当たって試行錯誤……。
これまでをふりかえってみても、結局、
じぶんが捨ててきたものの中にしか答えがないと気づいたんです。

山崎

なるほど……。

藤本

それで、雑誌の『Re:S』を捨てて、会社名を「Re:S(りす)」に変えたんです。

(……to be continued!)

「りす」の事務所

この秋「りす」の事務所を神戸に移転。「新卒で就職したのが大阪だったので大阪に事務所を構えていましたが、じぶんの帰る場所、帰る港ということを考えた時、それはやっぱり生まれた兵庫県だったんです」と藤本さん。

デザイン・クリエイティブセンター神戸

りすが入居する「KIITO/きいと」こと、デザイン・クリエイティブセンター神戸。神戸生糸検査所を改修した新館、旧館の2棟からなる地上4階建てのスペース。神戸市中央区小野浜町1-4 http://kiito.jp/

profile

map

SATOSHI FUJIMOTO 
藤本智士

編集者/有限会社りす代表 1974年、兵庫県西脇市生まれ。

2004年に出版した『すいとう帖』をきっかけに、「マイボトル」という言葉を生み出し、現在のマイボトルブームをつくる。2006年雑誌『Re:S(りす)』を創刊。11号で雑誌休刊するまで、編集長を務める。その後自らの会社名を「Re:S(りす)」と変更。

Re:S=Re:Standard(あたらしい、ふつう)を単なる雑誌名とせず、様々な書籍や展覧会やものづくりをとおして、Re:Sを体現していく編集活動が話題を集める。最近では、デジタル時代にアルバムの大切さを伝えるべく開催した「ALBUM EXPO」(大阪/名古屋にて開催)、3人のデザイナーとの旅の記録を展示化した「日本のデザイン2011 Re:SCOVER NIPPON DESIGN」(六本木ミッドタウン)の企画・プロデュース。国土交通省観光庁をとおして、全国の小、中、高の図書館に寄贈された、ジャニーズ事務所の人気グループ嵐による『ニッポンの嵐』の編集、原稿執筆を手がけるなどで話題に。近著に『ほんとうのニッポンに出会う旅』(リトルモア)。イラストレーターの福田利之氏との共著として『Baby Book』(コクヨS&T)がある。現在、秋田県より全国へ発行されているフリーマガジン『のんびり』の編集長を務める。

Re:S(りす):http://re-s.jp/

『のんびり』:http://non-biri.net/

profile

RYO YAMAZAKI 
山崎 亮

1973年愛知県生まれ。大阪府立大学大学院地域生態工学専攻修了後、SEN環境計画室勤務を経て2005年〈studio-L〉設立。地域の課題を地域の住民が解決するためのコミュニティデザインに携わる。まちづくりワークショップ、住民参加型の総合計画づくり、建築やランドスケープのデザイン、パークマネジメントなど。〈ホヅプロ工房〉でSDレビュー、〈マルヤガーデンズ〉でグッドデザイン賞受賞。著書に『コミュニティデザイン』。

番外編 公開講座 「コミュニティデザイナーという仕事」レポート

コミュニティデザイナーというしごとに実際に触れながら、
ひとのつながりが基盤となる新しい社会のあり方について考えたい。
札幌の北海道大学の大学院が主催し、札幌オオドオリ大学の協力で
山崎さんを招いた講座は、「いま、最も受けたい授業」でした。

コミュニティデザイナーって、どんなしごと?

夏のある日の北海道大学大学院環境科学院D201講義室。
階段式の大教室が、みるみる間に満席になります。
2010年度からすでに14組もの講師を迎えて、環境科学と異分野の連携を考えてきた
北海道大学環境科学院GCOEプログラム主催の公開セミナー「環境と、なにか」。

地域でのあたらしい学びの場づくりを目指すNPO「札幌オオドオリ大学」の協力もあり、
学生だけでなく多くの社会人も参加、参加者を巻き込む対話型の講座に、
コミュニティデザイナーの山崎亮さんが登場です。

コーディネーターは、フリーランスのメディア・ジャーナリストで
東海大学国際文化学部デザイン文化学科客員教授でもある渡辺保史さん。
まずは、文字通り「コミュニティデザイナーって、どんなおしごとなんですか?」
というおはなしから。

山崎さん、あるいは彼が代表をつとめる「studio-L」が、現在、実践として行っている
「コミュニティデザイン」のしごとは、おおまかにこの4つに分けられます。

4つに分類される「コミュニティデザイン」の仕事の図

左の項目ほどデザイン力、右の項目ほどマネジメント力が重視される、
もしくは必要とされる分野ですが、その両方の実力を兼ね備えているのが
山崎さんの強みであり、コミュニティデザイナーという肩書きのもつ意味でもあります。

本に書いた後の海士町のはなしをしよう。

島根県の離島、海士町は、人口およそ2300人。
そのなかに、地元継続居住者(ずっと住んでいる人)、
Uターン者(外から戻ってきたひと)、
Iターン者(約250人の移住者)が混在して暮らしている……。
このまちの総合計画を住民参加型で作っていくプロジェクトは、
山崎さんの代表著書『コミュニティデザイン』(学芸出版社刊)にも、
20ページを割いて紹介されています。

「そもそもまちづくりとは、なんて言いたいわけじゃない」と、山崎さんは言います。
Uターン者、Iターン者のみならず、元ヤンキーも、ブランド好きの主婦も、
一緒にやるから楽しいことがおこるんだ、と。
「現在、町民2300人中、約300人がまちづくりに関わっています。
これってたしかにすごいことかもしれないけれど、逆に、残りの2000人は、
なぜ関われないんだろうということを考える必要があります」

それから、海士町に限らず、限界集落のすべてを「活性化」することはむずかしい、
というリアルなはなし。
つまり、活性化一辺倒ではなく、現状を「維持」することや
「美しく」集落を「閉じる」ことも考えていかなくてはならない場合がある。
誰も苦しい思いをしないで済む方法はあるだろうか。

それはたとえば、集落支援員を育てる、派遣すること? 
たとえば、祭りの記録など、そこに集落があったことの記憶を記録すること……?
そういった方法を美しくデザインしながら考えていくなかで、
今や婚活や恋札の制作まで行うようになった山崎さんたちが、
次第にやってみたくなったこと。

それは「これを読めば、きっとそのひとに会いに行きたくなるガイドブック」。
店や観光地でなく、125名のひと(住民)を通してまちを紹介する、
その名も「コミュニティトラベルガイド」。この思いはカタチになり、
『海士人(あまじん)』というタイトルで今年の5月に出版され、書店に並んでいます。

海士町の住民参加型プロジェクトについて話す山崎さん

海士町の住民参加型プロジェクトについて話す山崎さん。「Uターン者、Iターン者、地元継続居住者も、一緒にやるから楽しいことがおこる」

コーディネイター・渡辺保史さんとの対話

渡辺

山崎さんのように「ひととひとを繋ぐこと」を仕事にするひとは、
今後増えるだろうか。
必要とされるなら、どういう力を養っていけばいいのでしょう。

山崎

ぼくたちはこれまで「デザインはひとの生活を豊かにする」と教えられてきました。
でも世の中はここ30年、「豊かさ」=モノではないと気づいてしまっている。
では、いまぼくたちは、なにをデザインすればいいんだろう、というところから、
ファシリテーションを学んだり、まちづくりのひとたちに学んだりして、
いまのしごとのカタチになってきたように思います。

また、専門家の知恵や技術を橋渡しできるスキルをもつひとというのも
必要とされるようになってきているように感じます。
ただ、つなぐだけのひとでは、なにをやってるのかわからない。
横につなげてさらに深さをもたらすことが求められます。

つまり、「T」の字のイメージ。でも、欲をいえば実は「T」でも足りなくて、
専門知を複数もつ「π」の字型を目指すべきではないだろうか、
それがぼくらに必要なスキルだといまは思っています。

渡辺

北海道についてどう思っていますか?

山崎

人口減少先進地の最先端になれそうですね。
大都市圏を持っているのに自然に人口が減るという
すごいことが起ころうとしているのですが、実はこれは世界にも例がありません。
たとえば北海道、大阪、和歌山と、群を抜いて人口が減りつつあるまちから
何が学べるでしょう。「では、何が起こるのか」を知らないひとが
あまりにも多いので不安にもなりますが、考え方を変えれば、
逆にいまのぼくたちが異常な時期に生きているのかもしれない、とも言えます。

そうであれば、幸福度と人口を過度に結びつけて
悲観することでもないのかもしれませんね。
少ない人口で幸せに生きていくことを考えればいい。
世界に向けて、北海道からその方法を発信していければいいですね。
もちろんこれには、相当高度でクリエイティブな発想が
必要とされるはずですけれど。

参加者との対話 —今日、山崎さんに聞いておきたいこと—

参加者A

過疎化が進むと、国を守れなくなるのでは?

山崎

外から攻められることより、中から崩壊していくことのほうが切実だと思いますね。
過疎というより「適疎(てきそ)」ということばで表現したい。
たとえば東京の満員電車なんて、過密すぎると思いませんか? 
適切にまばらなまち=適疎。
たとえば、ひとり1ヘクタールの家にゆったりと住む暮らし、
悪くないと思いませんか。

参加者B

ひとを巻き込むポイントは何ですか?

山崎

ぼくももともとコミュニケーションが得意ではないほうなので、
気をつけていることがあるとすれば、「YES、and」で
相手がほんとうに思っていることをうまくひき出し、つなげていくこと。
これ、否定形で考えるよりもむずかしいんです。
「YES、and」でつなぐ文脈を、あたまのなかで相当考えているんだな、
とじぶんでも最近気づきました。
ポイントは、相手の本質のことば、大事なことばが出てくるまで
粘り強く、粘り強く、よく聞くことですね。

参加者C

コミュニティデザイナーという人材を増やすために、
なにかやっていることはありますか?

山崎

教科書を作ってほしいという要望はとても多いのですが、
ぼくがやっていることって、マニュアル化できる類いのものではないんですよね。
そのひとの風貌、キャラクター、聞いてくれる相手の層によるので、
実地訓練がいちばん大事。
そこで、かつて流行ったゲームブック形式で現場を疑似体験できる
『コミュニティデザインの仕事』というアドベンチャーブックを作りました。
ファシリテーションや対象法を学ぶツールとして手に取ってみてくださいね。

* * *

途中、「どんなに大変な現場でも、十分な睡眠を取るというのが、
もしかするとコミュニティデザイナーという仕事なのかもしれませんね」
と冗談めかして語った山崎さん。早口で次々と展開していく話題、
聞く者を竜巻のように巻き込むスピード感のなかに、
時折笑いを交えることを忘れず、でもその笑いのなかに
本質が含まれているというのも、山崎さんの講演の魅力です。

公演中の山崎亮さん

相手のことばをよく聞き「YES、and」でつなげていく。参加者にとって刺激的な講義になったはず。

中崎町 Part4 自分軸とカフェ、他人軸と「譲り店」。

山崎亮 ローカルデザインスタディ
諸富町編・目次

[ff_get_smallserieslinks post_ids="tpc-thi-yamazaki-035, tpc-thi-yamazaki-036, tpc-thi-yamazaki-037, tpc-thi-yamazaki-038"]

公共的な役割を果たすカフェのための流儀を模索する「common cafe」プロデューサーの
山納洋さんと山崎亮さんの対談を、4回にわたってお届けします。

1999。中崎町のカフェはこうして生まれた。

山納

そろそろこの時間なら「common cafe」に入れそうですよ。
ちょっと覗いてもらいましょうか。

山崎

お。ぼくも久しぶりなので、ぜひ行ってみましょう。

山納

このあたりにお店ができはじめたのは、たしか1999年ぐらいです。
小さくて個性的な洋服屋やカフェが
静かな住宅街のなかに点在するようになりました。

山崎

ぼくが隣のまちで事務所勤めをはじめて2年ぐらい経ったころで、
お昼ごとに中崎のいろいろなお店に行くのが楽しみでした。
「アマント」「カヌトン」「太陽ノ塔」……どれも懐かしいなあ。
みんな「common cafe」で紹介してもらいましたね。

山納

初期のメンバーは、不動産屋でも埒があかないような長屋の空家物件を
なんとか使いたいと、地方まで直接、家主さんを訪ねてまで
借りたいと申し出たり、家賃の交渉をしていました。
自分らしさ、自分の生き方を追究するようなひとたちが、
梅田から徒歩10分のエリアにお店を持つことができた、というのは
あの時代のトピックだったと思います。

山崎

でも、長屋だと、梁を伝って音が伝わるって言いますよね。
深夜になると、キーボードを打つ音まで隣に聞こえるとか……。
ましてやお店を考えると。

山納

そうですね。早く閉めるお店が多いのは、そのせいだと思います。
どうしても週末にしか集客できない。
さらには、家主不在の貸借なので、なにもしなくても、
近隣の方々には不安を与えてしまうこともある。

山崎

うーん。いろいろ難しそうですね。

山納

いろんな意味で丁寧なケアが必要でしょうね。
でも、そんな条件の中でもお店が増えているというのは、
それだけ空家が増えているということ。
うまくいけば、まちの再活性のよいモデルにもなり得るはずです。

山崎

そういえば、「カヌトン」のメニューのイラストが気に入ったので、
イラストレーターさんを紹介してもらい、
お仕事させていただいたこともありました。

山納

いい意味でみんな、利他的なんですよね(笑)。
店の看板でよその店を宣伝してみたり、
うちは休みやから隣の店にどうぞ、というような貼り紙を出したり。

山崎

でもそれって、客としては気持ちがいいんですよね。
逆に、よその店を否定されると、地域全体を否定しているようにも聞こえますから。
フランスでは、よその店をお互いにほめることで人気になった
ワイン村の事例もあるんですよ。

「common cafe」の入り口

もともと喫茶室だった約20坪のスペースを、カフェとして日替わりのマスターで運営しつつ、ライブや演劇公演、展覧会を行う「common cafe」。大阪市北区中崎西1-1-6 吉村ビルB1F 06-6371-1800 http://www.talkin-about.com/cafe/

カフェと雑貨の店「カヌトン」

中崎町の賑わい創成期から、変わらぬ人気を誇るカフェと雑貨の店「カヌトン」。当初の場所から移転しているけれど、それでもいまやこのエリアに欠かせない存在。

カフェと譲り店を通して、自分軸と他人軸を考えてみる。

山納

こういったことをいろいろ考えてみると、譲り店である「ニューMASA」は、
とてもバランスのとれた存在だといえます。

山崎

なるほど。

山納

でも、「common cafe」はそうじゃない。
店主は、相手の球を受けるのではなく、じぶんから球を打ち、
「おもしろいやん」と言わせる場所なんです。
そういう意味では、OMSと同じ、実験劇場なんですよね。
なぜなら、若いひとって「自分軸」から始まると思うんですよ。いろんなことが。

山崎

わかります。ぼくだって、若いころは自分軸のひとでしたから。
ただ、設計者はアーティストではないので、
他人軸も常に意識しながら、じぶんのやりたいことを叶えていく感じです。
だけど、いまぼくがやっていることをカフェに置き換えると、
「コミュニティを維持するためのカフェ」になるわけで、
そうなると自分のちいさな夢はとりあえず横へ置いて、
「みんなが喜んでくれることが、すなわち自己実現」というような
スタイルになります。
ということは……譲り店のオーナーと、コミュニティデザイナーは、
同じスキルが必要ということですね。

山納

もうひとつ、譲り店=喫茶店は、カフェと違って、間口が広いので、
疑似恋愛を求めてカウンターにやってくるお客さんを
うまくあしらえるというような能力も求められます。

山崎

おじさんにママって呼ばれもいちいち怒らないとか?(笑)

山納

こうして考えると、譲り店の店主になることは、
自分軸を他人軸にうまく転換させるということですね。
これって、じぶんを成長させるのに、すごく役に立つんじゃないでしょうか。
サラリーマンやOLも、ワークショップとして
カウンターの中に立つといいのかもしれません。

山崎

そうですね。うちも、コミュニティデザイナーの研修の場として、
譲り店を一軒やってみるといいんじゃないか、と思えてきました。

築何十年もの古い民家を改装したカフェや雑貨店が多い

築何十年もの古い民家を改装したカフェや雑貨店が多い。レトロでどこかノスタルジック。のんびりとした時間が流れているかのよう。

電柱に掲げられたお店への案内看板

細い路地の奥にひっそりとある小さな社とお地蔵様。中崎町の守護神、白龍大神。

profile

map

HIROSHI YAMANOU 
山納 洋

1993年大阪ガス入社。神戸アートビレッッジセンター、扇町ミュージアムスクエア、メビック扇町、財団法人大阪21世紀協会での企画・プロデュース業務を歴任。2010年より大阪ガス近畿圏部において地域活性化、社会貢献事業に関わる。一方で、カフェ空間のシェア活動「common cafe」、「六甲山カフェ」、トークサロン企画「御堂筋Talkin’Aabout」などをプロデュースしている。著書に『common cafe ー人と人が出会う場のつくりかたー』『カフェという場のつくり方 自分らしい起業のススメ』がある。

Web:http://www.talkin-about.com/cafe/

profile

RYO YAMAZAKI 
山崎 亮

1973年愛知県生まれ。大阪府立大学大学院地域生態工学専攻修了後、SEN環境計画室勤務を経て2005年〈studio-L〉設立。地域の課題を地域の住民が解決するためのコミュニティデザインに携わる。まちづくりワークショップ、住民参加型の総合計画づくり、建築やランドスケープのデザイン、パークマネジメントなど。〈ホヅプロ工房〉でSDレビュー、〈マルヤガーデンズ〉でグッドデザイン賞受賞。著書に『コミュニティデザイン』。

最「幸」級の南魚沼産コシヒカリ収穫!

10月10日新米解禁!

とうとうこの季節がやって参りました!
日本人のみなさま、
私たちのDNAに深く刻まれているお米への愛情を思いっきり開放してください!

今年も無事に新米が収穫され、めでたく発売となりました!
毎年のことですが、この感動は何度味わっても格別です!

今年のお米の出来は、
昨年よりも収穫量は減りましたが、(とはいうものの昨年が豊作だったため、例年並みです)
食味は上がりました!
なんと無農薬栽培米は食味値89。
ちなみに昨年は86。
食味値とはアミロース、たんぱく質、水分、脂肪酸化度の成分量のバランスで、評価されます。
ひとつの基準値なので、
高いからといって100人中100人が美味しいと感じるわけではありませんが、
平均60~65という中で89は良い数値なのでテンションが上がりました!
しかし、農家山本は浮かれる僕を横目に
「あくまでも参考的な数値だからあんまり気にならないよ」とクールな様子。流石です。
でも、89は魚沼で見てもいい数値なんですよ!

実際に試食した感想としましては、
減農薬米のレベルが上がってました!
昨年までのものよりも甘みが強くなり、香りも良い。
ツヤツヤのモチモチ感は無農薬栽培米には勝りませんが、
風味は無農薬栽培米に近づいているように感じました。
硬めが好きな自分にはちょうど良いバランスです。
今年は減農薬栽培の水の管理や堆肥の使い方にひと手間掛けたようです。
山本いわく「それが当たったのかな」とのこと。

無農薬栽培米は、相変わらずみずみずしく、ツヤツヤモチモチで甘みと香りが強く、
MAXハイテンション!
ともに試食をした山本の次男坊も白米だけで2膳を完食。
4歳児がおかずなしでモリモリ食べちゃうくらいの美味しさですからね、
間違いないです!

もちろん今年も放射能測定を致しました。
今年は自主的に昨年よりも測定下限値が厳しい検査機関へ。
結果は、下限値未満で検出なし!
安心しました。
詳しくはコチラをご覧ください。
廣新米穀ホームページ「24年産 放射能測定結果報告書」
http://www.wanderingvillage.com/2012/2149.html

何はともあれ、無事に収穫できて何より。
今年も山本がいい仕事をしてくれました。お疲れさま!!!

さぁ、ここからが僕の仕事!

みなさん、一番美味しい新米の時期に、
最「幸」級の南魚沼産コシヒカリをぜひ召し上がってみてください☆

大南信也さん

ちゃんと地域に“イン”するということ。

地方部の人口減少が叫ばれるなか、増加に転じたまちがある。
徳島駅から車で40分ほどの山間部にある人口6300人のまち、徳島県神山町。
ここ神山は2011年度、転出者が139人に対し転入者が150人と、
町の制定以来初めて転出者が転入者を上回った。
こうして注目される神山の陰に、NPO法人グリーンバレーの姿がある。
神山への移住を希望する人を支援し、地域としっかりつなぐことが彼らの仕事。
神山に数多くある古い空き家を、グリーンバレーが移住希望者に紹介し、
安値で住居やオフィス、アトリエとして使ってもらう。
そのグリーンバレーを立ち上げたのが、理事長として神山で日々奔走する大南信也さんだ。

神山が注目される理由は、移住希望者と神山のユニークなマッチング方法にもある。
「特定の物件についてですが、将来まちにとって必要な働き手を呼び込むために、
“逆指名権”をグリーンバレーが持ちます。
例えば、“神山でIT企業を起こしませんか?”“パン屋を開業する人はいませんか?”と、
特定の職種を逆指名するんです」と大南さん。
それが「ワーク・イン・レジデンス」という規格。
仕事を神山で探すのではなく、
既にスキルを持った人が仕事ごと神山にやってくるというイメージだ。
田舎暮らしに憧れて、という理由で移住する人ばかりでは、
持続可能な地域を築くことは難しいと考える大南さんたちグリーンバレーが、
ちゃんと若い人たちに定住してもらうには、と思案した上での「逆指名権」だった。
行政では決してできない「逆指名権」をNPOであるグリーンバレーが有することで、
窯焼きのパン屋、IT企業のサテライトオフィスや研修施設、
特産である梅を使った料理が自慢のカフェなどの誘致に成功し、
2008年以降約70人が移り住んだ。
爆発的に増えることはないが緩やかに右肩上がりに伸びていく移住者数。
順調に政策が進んだ理由について大南さんは、
「1999年から始めた“アーティスト・イン・レジデンス”のノウハウがあったことが、
“ワーク・イン・レジデンス”の導入にうまくつながったんです」と言う。

神山で生まれた大南さんは、高校で徳島市内、大学で東京、
大学院ではアメリカへ渡ったことで、「神山を客観的にみる機会が多かった」と話す。
スタンフォード大学大学院を修了後、故郷神山で家業の土木建設業を引き継ぎ、
その仕事の傍ら神山の国際交流事業に携わる。
「戦前にアメリカから神山の小学校に送られた
青い目の人形の『アリス』を送り主に届ける、いわゆる“里帰り”させたのがきっかけで、
神山は世界に目を向けた地域づくりに舵をきり、
神山町国際交流協会が発足します。これがグリーンバレーの前身です」
神山を真の国際文化村に。大南さんはアートを基軸にした神山イノベーションに乗り出す。
1992年のことだった。なぜアートだったのか?
「補助金などの支援策で人をまちに呼び込もうとすると失敗してしまうでしょう。
なぜなら、移住希望者は各自治体で提示される“条件”で選んでしまうから。
条件に惹かれて移住してきたとしても、
それがまちの力になるかといったらそうではない。
“まちの空気が好き”“まちと相性がいい”と言ってもらえるような
まちの雰囲気づくりが大切。アートはその雰囲気づくりの力を持っていると思いました」
もちろん大南さんも町民もアート作品を評価する専門家ではない。
だから必然的にアートそのものではなく、
遠く海を越えてでも神山で活動をしたいという高い志を持つアーティストたちに期待を込める。
「アート作品の金銭的価値を高めるのではなく、
神山で活動するアーティスト自身の価値を高めることを神山ではやっていきたい」
と大南さんは力強く話す。
やってくるアーティストにも、ちゃんと神山に“イン”することを求める。
地域と真剣に向き合い、神山に新しい価値をもたらしてくれる。
そんなアーティストを神山は求めている。

こうしてアーティスト・イン・レジデンスが始まった1999年以降、
毎年8月から3か月間、日本国内や海外から3名のアーティストが神山町に滞在している。
作品を制作し、11月初旬に展覧会を開催。
もちろんプログラムが終わったあとも希望すれば神山に住み続けられる。
応募者の8割が欧米を中心とした海外からなのだという。
こうしてアーティスト・イン・レジデンスを成功させ、
神山に外から人を受け入れるという気風と体制をつくった功績が町から認められ、
グリーンバレーは移住政策も受託することとなった。

プラスの落差が神山の魅力。

どんなに安く家やオフィスが借りられるとは言え、
それだけでは神山に移住したいという理由には直結しづらい。
それでもIT企業などからの熱視線が集まるのにはわけがある。
「ネットインフラは万全の状態で整えています。
神山では、全世帯高速光通信が使用でき、しかも都会みたいに回線が混雑することもない。
“こんな山のなかで光通信が使えるの!?” というプラスの意外性は感動につながるんです」
実は徳島県は2011年のケーブルテレビの普及率が
全国No.1というネットワーク王国の一面がある。
そのプラスの落差が神山の魅力でもあるのだ。

“落差”というところでもうひとつ話題にあがったのが、
神山の地域情報ウェブサイトの「イン神山」。
「イン神山のウェブサイトは、“デザインしすぎない”というのがコンセプトです。
ウェブデザインを依頼したリビングワールドの西村佳哲さんの
“イン神山のデザインモチーフはグリーンバレーの人たちそのもの”
という考え方がベースとなっています」
それでも神山で暮らす人々の健やかさを前面に出して
ウェブ上でそのままの姿を見せることにした。
その理由は、実際に神山に入ってきた人が、
ウェブで見た神山の様子との落差を感じてしまうからだと言う。
「イン神山は、“小窓”。神山に住んでいる人それぞれの生活が、
“小窓”を通してちらりちらりと見えるような感じです。
神山で生活している人の様子がここで見られるから、
実際に神山を見た感じとの落差がなく、見たままの神山を受け入れることができる。
だから、飾り立てする必要がないんです」

この“デザインしすぎない”という難しいウェブサイトの企画制作を手がけたのが、
西村佳哲さんや、トム・ヴィンセントさんだった。
彼らのアイデアやアドバイスを組み込んでできたサイトは、
グリーンバレーのスタッフによって毎日更新され、随所に人のぬくもりを感じる。
県外向けに特別なチラシもつくらない。海外向けの英語のパンフレットもつくらない。
神山の情報をぎゅっと集約させた「イン神山」が、
一番神山を知るのに最適なツールとなったのだ。

「世界の神山・アクセスログ」では、イン神山のサイトへの世界各地からの最新のアクセス状況を公開。国内からのアクセスだけでなく、海外からのアクセスも多いことが一目瞭然。

これから公募を始めるという古民家を見せてもらった。
ひと家族で住まうには充分すぎる広さ。使われ方はまだ構想中なのだと言う。
「過疎化、少子高齢化、経済の活性化という
地域の課題を解決できるような人に来てもらえれば」と大南さん。
これからこの家で、どんなファミリーがどんな将来設計を描き、
どう神山の人に迎えられるかが楽しみだ。

お遍路さんへのお接待文化の息づく神山町。昔から、よそから来た人でも抵抗なく受け入れる気質がある。

東京に本社がある株式会社ソノリテのサテライトオフィス。大きな窓からは陽がさんさんと降り注ぎ、目の前には畑も。

「神山の歌姫」こと宮城 愛さんは神山育ちでご両親が移住組。普段はこの長屋でセレクトショップを構える。

まちの中心地からもほど近い場所にある、現在空き家の蔵つき古民家。新たな移住者を迎える準備は着々と進んでいる。

三陸映画祭 in 気仙沼

気仙沼で映画祭が行われる“希望”を、園子温が語る。

10月5〜7日にかけて、三陸映画祭が宮城県気仙沼市で行われた。
気仙沼のカフェやバー、コミュニティスペースなど、
津波に堪え、残っている建物12か所が会場だ。
一番大きい市民会館こそ1000人規模の会場だが、
他はすべて30〜40人程度の小さな会場ばかり。
座布団の上でお茶を飲みながら“寅さん”を観たりと、
のんびりとした雰囲気が漂う会場もあった。

東北が舞台となっている『男はつらいよ』を上映。寅さんのイメージキャラクターもサマになっています。

「映画はもちろん楽しく観て欲しいですけど、気仙沼を始め、
とにかく被災地は情報を発信し続けなくてはならない。
そうすることで、何かにつながる。
気仙沼という名前が出ることに意義があります」と話すのは、
実行委員のひとり、伊藤雄一郎さん。
メディアに出る機会が減っていくなかで、私たちを忘れるなという願い。
また、どうしても仮設住宅などに引きこもりがちになってしまうという市民に、
何かの目的を持ってまちへ出てきやすい仕掛けもつくり続けないといけない。
映画祭と銘打ってアピールし、県外などからもたくさんひとが訪れたが、
地元のひとの交流にも一役買うことになるのだ。

市民会館に飾ってあったのは流されてしまった大漁旗を洗ったもの。小さな布にメッセージを書き込んで、思いを縫いつける。

三陸映画祭では何人もの有名な映画監督が訪れ映画を公開したが、
なかでもひとつの話題作がジャパンプレミアとして初公開された。
『希望の国』。園子温監督が気仙沼をロケ地のひとつとした原発を巡る物語だ。

舞台挨拶直前、「だんだん緊張してきた」という園監督。

園監督は、釜山国際映画祭からその足で舞台挨拶のために気仙沼を訪れた。
映画の内容としても、
気仙沼という地で舞台挨拶の直前に受けるインタビューという意味でも、
緊張感のある、神妙な面持ちであった。

「すぐに映画を撮らないといけないと思って、
昨年の夏には取材を始めていました。
風化する前に、急いで公開しないといけない。
日本映画がだまっててはイカンと思って」と語る園監督。

気仙沼など、本当の被災地がロケ地として使われたことで、当然批判もあった。
「今日、ここに来るまでの間も、もうあの頃の風景ではありません。
撮影しているときも、日々、変わっていくまちを目の当たりにしていました。
だからこそ、記録に残そう、歴史に刻もうと自分を奮い立たせて
撮影に臨んでいました」と、撮影時にはかなり葛藤があったようだ。

(C) 2012 The Land of Hope Film Partners

『希望の国』をどのような気持ちで見ればいいのか、
複雑な感情が生まれてくる。
ただわかることは、被災者とそうでないひとを分ける映画ではないということ。
「東京から気仙沼に来ると、自分は被災者ではないような気がする。
でも東京でも放射線が検出されることもある。
だから被災者なのか、そうではないのか、というのは
角度によっていくらでも変わるものなんです。
これは取材をしていたときの僕の素直な気持ち。
両方の気分が行ったり来たりします。日本は小さな国なんだし、
そういうことはもうそろそろ言わなくてもいいんじゃないかな」

気仙沼がロケ地となったカット。(C) 2012 The Land of Hope Film Partners

すべての日本国民にそんな思いを喚起させたい。だから映画を撮る。
「すでにここで取材を受けている時点で映画を制作した意味があります。
何か一歩踏み出せば、それなりに反響が起きる。そして何かを変えていく。
それを信じられなかったら、映画をやっている意味がありません。
この映画を撮ったことで、自分が映画監督であることを誇りに感じています。
でもなんで僕なんでしょうね。
あの監督やこの監督が撮っても良さそうなのに(笑)」

マルト齊藤茶舗は、明治30年創業のお茶屋さん。全壊状態だったが、ボランティアと店主の手で修復された。こんなところも会場に。

このインタビューの直後には、舞台挨拶に立つことになる。
被災地で映画を観終えた観客が待っている。これはかなりの緊張感だろう。
「正直、気分は良くないですよ(苦笑)。
“みなさん、今日は楽しんでもらえましたか?”
なんて言える作品じゃないですからね。でも観てもらわないといけない。
すごく覚悟を決めて舞台に立たなければなりません。
ただ、こんな覚悟を決めなければならない映画を撮れて良かったとも思います。
自分にとっても一歩前進しました」

撮影時にフィルムコミッションのスタッフからもらったという、気仙沼のゆるキャラ「ホヤぼーや」ジャケットを着て登壇。

最後に『希望の国』というタイトルの話。
皮肉のようにも取れるし、ストレートな気持ちのようにも思える。
「最初は皮肉のつもりだったんですけど、
でもだんだんそんなこともないかなと。
今年の初日の出を福島県の南相馬町で見たんです。
かつて凶暴だった海が静かに広がっていて、
徐々に上ってくる初日の出が海を赤く染めていく。
その太陽があまりにも輝いていて、
今までの人生でもっとも美しい初日の出でした。
それを見た瞬間に、何の理屈もなく直感的に、
この国は希望の国であると確信しました」

園監督は、3.11をテーマした映画をこれからも撮り続ける。
「やめられなくなってしまった」という。
今作のラストシーンは、衝撃をもたらすものだったが、
時間とともに変化していく園監督の心情を
これから公開されるであろう映画で追っていきたい。

みなみまちcadoccoは、ドラえもんやポケモンなど、子どもたち向けのコンテンツで賑わっていた。

このように大物監督から子ども向けのアニメ映画まで、
幅広い映画を放映した三陸映画祭。
でもなぜ「気仙沼映画祭」ではないのか? 実行委員の伊藤さんはこう話す。
「三陸全体で盛り上げていきたいんです。
だから来年は可能なら、石巻、南三陸、陸前高田とか、
ほかの場所で三陸映画祭をやりたい」
さて、来年はどちらのまちで映画を観ましょうか。

鹿折地区の復幸マルシェでは、プレゼント争奪じゃんけん大会が開催。ストライダーやゲームソフトが景品だ。

中崎町 Part3 潰すわけにはいかない茶屋なんです。

山崎亮 ローカルデザインスタディ
諸富町編・目次

[ff_get_smallserieslinks post_ids="tpc-thi-yamazaki-035, tpc-thi-yamazaki-036, tpc-thi-yamazaki-037, tpc-thi-yamazaki-038"]

公共的な役割を果たすカフェのための流儀を模索する「common cafe」プロデューサーの
山納洋さんと山崎亮さんの対談を、4回にわたってお届けします。

カフェを山に持ち込んだらどうだろう。

山崎

山納さんの取り組みのひとつである「六甲山カフェ」というプロジェクトも
なかなか興味深く、注目しています。

山納

始まりは、アウトドア情報センター所長の下城民夫さんと交わした
飲み屋のたわごとだったんですが、本気で取り組むことになってしまいました(笑)。

山崎

当時はまだ「山ガール」なんて存在しませんもんねえ。

山納

六甲山は、近代登山発祥の地とされる山で、
ぼくが子どものころから親しんだ場所でもあります。
山に登るのは中高年の愛好家かボーイスカウトの子どもたちか、
という時代に「山にカフェを持ち込んでみたらどうだろう」と。
2004年の9月に「六甲山カフェ」について話し合う場を設けました。
そこには、山崎さんもお越しいただいたのですが……。

山崎

そうでしたね。

山納

下城さん、山崎さんをはじめ、山と渓谷社の方々もいらっしゃったりして、
話がトントンと進み、11月には六甲山でイベントを開催することになるんです。
というか、やらざるを得なくなっていた(笑)。

山崎

はじめは単発のイベントだったわけですね。

山納

ええ。でも、六甲山でおいしいコーヒーが飲みたいね、
という思いを共有する仲間とともに、2005年の秋に3か月だけ
日曜カフェを開くようになります。
その後、メンバーのひとりが週末営業を続けていたんですが、
こんどは、軒先を借りていた茶屋の店主から
「おでんも手伝ってくれへんか」という打診があり、こちらからも
「ぼくらのやりたいコーヒーやケーキやワインも出していいですか?」
という提案を出して、2008年より本格的に
茶屋での「六甲山カフェ」がスタートしました。

山崎

なるほど。

山納

日本の近代登山やロッククライミングはここから始まったとも言われる場所で、
この大谷茶屋は昭和9年創業で、
茶屋の機能としてはおそらくそれよりずっと前からあるんです。
高齢化や継承者不足という理由で、簡単に潰すわけにはいかないんです。

「扇町Talkin’About」というイベントの様子

「扇町Talkin’About」というイベントで「六甲山カフェ」について話し合った時の写真。中央奥に、山崎さんの姿も。(写真提供:山納洋)

大谷茶屋の軒先で営業していた時代の「六甲山カフェ」

大谷茶屋の軒先で営業していた時代の「六甲山カフェ」(2006-2007)。当時は4月から11月まで、毎週末に営業していた。この写真が撮られたのは11月末頃で、気温は2℃!(写真提供:山納洋)

洞穴のようなスペースにある六甲山カフェ

大谷茶屋には、茶屋の建物とは別に、洞穴のようなスペースがある。六甲山カフェはここで毎週末に営業している。2008年撮影。(写真提供:山納洋)

真ん中が大谷茶屋の大谷政子さん。六甲山カフェの船津智美さん、古家慶子さんと一緒に。

2008年4月に、大谷茶屋での「六甲山カフェ」がスタートした。真ん中が大谷茶屋の大谷政子さん。六甲山カフェの船津智美さん、古家慶子さんと一緒に。(写真提供:山納洋)

「譲り店」ならではのムズカシさに直面。

山納

ただ、昔ながらの登山客のお客さんと、
カフェを目当てにやってくる新しいお客さんが入り交じる空間になるわけです。

山崎

ええ。

山納

そうすると「自分のやりたいカフェ」を強く主張するひと、
思いが強すぎるひとが店主を務めるのは、とても難しいんです。

山崎

そうですね。店主が「この音楽を聴いてくれ」というタイプのカフェだと困る。
「それよりこっちの山の話を聞いてくれ」と、
お客さんは思っているわけですからね。

山納

「譲り店」でうまくコミュニティを形成するには、
ものすごく高いスキルが求められるんだなあということを
ひしひしと実感しています。基本的に、コミュニティカフェには、
よりどころを求めるひとが集うわけですから、
山崎さんのことばを借りれば「傾聴する」という姿勢をもった店主でないと
成立しにくいんだな、と。

山崎

ぼくらのしごとと一緒ですね。
じぶんが組織づくりやプランニングの専門家だからといって
正解の手法をローカルに持ち込んでも受け入れられない。
そのまちならではのしきたりや流儀をしっかり聞いて知ったうえで、
まちのひとがやりたいことを引き出さなければ成り立ちません。
「譲り店」は、店舗というハードだけではなく、
その場でずっと醸成されてきた、えも言われぬ雰囲気だとか、ひとの関係だとか、
暗黙のルールだとか、そういうものを引き継ぐことですから、難しいと思います。
だからこそ、全国でそういう店を探して、しっかり伝えたいですね。

山納

タイミングとしてはまさに「今」ですね。
先に話題に挙げた「入船食堂」も、80歳近い店主が
どうにかこうにか続けている状況です。でも、まちや店が持っている物語を、
ソーシャルキャピタルとしてきっちり次の時代に遺したい。
もちろん、経営的に成り立たないものもあるので、本職を辞めない、
助成金を得るなどの手段をとれることも大事かもしれません。

山崎

本職を辞めないでこれだけのことをやっている山納さんのはたらき方が、
その最たるモデルですね。生活のための本業を持ちながら、
余暇活動に近いカタチで社会貢献的にじぶんが楽しいと感じることをやっていたら、
こういう状態になっていた。これって、すごくおもしろい生き方だと思います。

(……to be continued!)

「六甲山カフェ」の店内風景

「六甲山カフェ」の店内風景。2012年1月撮影。この日の店主は「どいぱん」土井明子さん。カウンターでは、山についての話で盛り上がることが多い。(写真提供:山納洋)

山納洋さん

「譲り店の店主には、傾聴するという姿勢が求められるということがわかってきました」(山納)。

山崎亮さん

「長年かけて醸成された人間関係や雰囲気ごと受け継ぐ。これは、決して簡単なことではないですよね」(山崎)。

profile

map

HIROSHI YAMANOU 
山納 洋

1993年大阪ガス入社。神戸アートビレッッジセンター、扇町ミュージアムスクエア、メビック扇町、財団法人大阪21世紀協会での企画・プロデュース業務を歴任。2010年より大阪ガス近畿圏部において地域活性化、社会貢献事業に関わる。一方で、カフェ空間のシェア活動「common cafe」、「六甲山カフェ」、トークサロン企画「御堂筋Talkin’Aabout」などをプロデュースしている。著書に『common cafe ー人と人が出会う場のつくりかたー』『カフェという場のつくり方 自分らしい起業のススメ』がある。

Web:http://www.talkin-about.com/cafe/

profile

RYO YAMAZAKI 
山崎 亮

1973年愛知県生まれ。大阪府立大学大学院地域生態工学専攻修了後、SEN環境計画室勤務を経て2005年〈studio-L〉設立。地域の課題を地域の住民が解決するためのコミュニティデザインに携わる。まちづくりワークショップ、住民参加型の総合計画づくり、建築やランドスケープのデザイン、パークマネジメントなど。〈ホヅプロ工房〉でSDレビュー、〈マルヤガーデンズ〉でグッドデザイン賞受賞。著書に『コミュニティデザイン』。

STUDY グリーン熱証書

自然エネルギーの熱利用の経済的なインセンティブを与える仕組み。

日本国内の自然エネルギーによる発電の普及のための民間レベルの仕組みとして
10年ほど前から発展を遂げてきたグリーン電力証書を以前ご紹介しました。
同様に、自然エネルギーによる熱利用の普及のため、
数年前から新たに始まった制度が「グリーン熱証書」です。
太陽熱やバイオマス、雪氷熱などの自然エネルギー由来の熱の持つ環境価値を
証書化するグリーン熱証書制度は世界的にみても実施例は少なく、
日本でも制度化の検討が開始されたのは5年ほど前です。
グリーン電力証書の認証を行っているグリーンエネルギー認証センターは、
当初からグリーン熱証書の制度化を視野にいれて検討を行ってきていました。
2009年度からは、太陽熱を対象としたグリーン熱の認証基準が整備され、
設備認定が始まりました。
東京都は住宅用の太陽熱利用機器の普及への補助制度として、
グリーン熱証書の活用を前提とした制度をこのときスタートしています。
2010年にはマンションに設置された太陽熱利用システムの設備認定が行われ、
日本初のグリーン熱証書が発行されました。
木質バイオマスや雪氷熱など国内で普及が期待されるほかのグリーン熱については、
2011年に木質バイオマスと雪氷熱が制度化されています。
木質バイオマスについては、木質バイオマスによる温水利用、
そしてコジェネレーション(熱電併給)の場合の木質バイオマスの蒸気利用に対して
グリーン熱の認証が行われました。
雪氷熱に対しては、冬に積雪した雪を貯蔵して、
夏の冷房にその冷熱を冷水として利用する方式の認証が行われています。
技術的な課題として熱量測定があり、計量法に基づく厳密な熱量計測が求められる中、
熱量計測のコスト低減が求められています。
自然エネルギーによる発電については2012年7月からスタートした固定価格買取制度により、
経済的なインセンティブや事業性が確保され、今後の導入の加速が期待されています。
一方、自然エネルギーの熱利用については、化石燃料の高騰に伴い、
太陽熱や木質バイオマスなど少しずつ注目されていますが、
本格的な普及には程遠い状況が続いています。
グリーン熱証書は、そのような状況の中で、
自然エネルギーの熱利用の経済的なインセンティブを与える仕組みとなっており、
民間レベルの自然エネルギー熱利用の普及制度として期待されています。

グリーン熱証書の仕組み(出典:エナジーグリーン株式会社資料)

TOPIC 東総台地風力発電所群

一大風力発電所群の影響と課題。

前回は、標高1,000mの高原にある大規模風力発電所を紹介しました。
今回は、海に近い台地に建設された、風力発電所群を紹介します。

千葉県の北東部、銚子市や旭市などの東総地域には、
東総台地という標高40~50mの台地が広がっています。
関東平野から太平洋へと突き出しているこの地域は、東南北の三方を海に囲まれており、
1年を通して風速6m/s前後の強い風が吹いていることから、
旭市から銚子市にかけての東西約10kmの範囲に、
過去10年以上にわたって累計40基もの風車が建設されました。
車で成田空港方面から国道296号線を東進し、
さらに匝瑳市で国道126号線に入って旭市へと向かうと、
まず左手の台地の上に飯岡風力発電所(850kW×5基)が見えてきます。
そこから更に銚子方面へと走ると、銚子市内に入ってまもなく、
丘の向こうに八木風力発電所(1,500kW×6基)が見え、
海側には銚子小浜風力発電所(1,500kW×1基)と
銚子屏風ヶ浦風力発電所(1,500kW×1基)も見えてきます。
そして126号線を外れて東総広域農道へ入ると、右も左も風車だらけの風景になります。
この広域農道を東進した終点付近に、域内最大の風力発電所である
銚子風力発電所(1,500kW×9基)が道路を囲むように建っています。
さらにこの風力発電所群の北にも、椎柴風力発電所(1,990kW×5基)や
銚子ウィンドファーム(1,500kW×7基)があり、一大風力発電所群となっているのです。
 

前回紹介した郡山布引高原風力発電所は人里離れた山奥にありましたが、
こちらは台地の畑の中とはいえ、国道が走り、
車も人も行き交う農道や生活道路が何本も走る中に建っています。
国道を走っていると突如として現れる風車の群れという景色は、
初めて訪れる人を驚かせるものでしょう。
風車の近くに行ってみると、本当に畑の一部の区画が切り取られてフェンスで囲われ、
風車と付帯設備がこぢんまりと建てられています。
風力発電機はこんなに小さなスペースで建てられるのかという驚きと、
こんな場所に建てることができてしまうのだという二つの驚きが得られます。 
畑の中に風力発電機が立ち並ぶ景色というのは、ヨーロッパを思い起こさせる風景ではあります。
一方で、人口密度の高い日本において
このような建て方はありなのだろうかという疑問も抱かれます。
特に、銚子市内の風車はどれも1,000kW以上の大型風車で、
それが林立する様は景観にも大きな変化をもたらしたことでしょう。
また、さまざまな事業者が建設したため、
全体の配置などに統一感がなく、雑多な印象も受けます。
風力発電所が地域に与えるさまざまな影響を考えるにあたって、
この東総台地風力発電所群は重要な示唆を与える事例といえるでしょう。

田園風景の中に建つ風車。

道路のすぐそばにも風車が。

域内最大の銚子風力発電所。

女川サンマ漁・水産加工業が歩む、復“幸”への道

サンマを中心とした水産加工でまちづくり。

ほとんどの建物を失った女川のまちのなかで、早朝の魚市場は活気が渦巻いている。
サンマのシーズンということもあり、3隻の大型漁船からサンマが水揚げされている。
それぞれ100トン程度、合計300トン以上のサンマが女川から全国に旅立つ。
しかし震災前は最大で1000トンものサンマが女川で水揚げされており、
やっと3分の1程度まで持ち直してきたところだ。

「本当はまだ200トンがくらいが限界なんですけど、
正直、他の東北の港もパンク寸前なんです。
だから女川でももう少し受け入れないと。
今日だけで、北海道から女川までの漁港で約7000トンもの水揚げがありますから」
と話してくれたのは、女川で廻船問屋「青木や」を営む青木久幸さん。
港自体の復興が間に合っていないので、
物理的にもたくさんの漁船を受け入れることはできない。
さらに、港の周囲で壊滅的なダメージを受けた水産加工業者は、
ほとんど手付かず状態。
「今までは水揚げしたさんまを各地に発送する以外にも、
いろいろな方法で処理していました。
冷凍保存、二次加工、他の魚の餌、圧縮して肥料など。
しかし今、地場でのこのような処理は、まだかつての10分の1程度しかできていません」
と青木さんは言う。

漁船は、どの港に水揚げしてもいいので、たとえ水揚げ量が増えたしても、
港周辺の水産業全般が盛り上がらないと
本質的な意味での復興への道とは言い難いのだ。
やはり復興予算などは一次産業に優先的に使われていく。
それは仕方がないのだが、それでは受け入れ側の態勢が整っていかない。

大きな被害を受けた女川魚市場周辺の水産加工業のなかで、
「マルキチ阿部商店」の工場も流されてしまった。
現在は少し離れた場所に仮工場を借りて経営している。
現在の主力商品はオリジナル商品の「リアスの詩(うた)」というさんまの昆布巻き。
このあたりに伝わる郷土料理のようなものだ。
今の仮工場では、これしかつくれないという。

廻船問屋「青木や」の青木久幸さん(左)と「マルキチ阿部商店」の阿部淳さん(右)。

女川魚市場周辺にあった水産加工業者の多くは、辞めてしまったり、
石巻や仙台など他の地域に移転してしまい、女川に残っているひとは数少ない。
「せっかくの技術力がもったいない。
サンマの切り身ひとつにしても、それぞれのノウハウを持っているはず。
こんなときこそ、みなさんの持てる力を結集して、
まちの財産としていきたいんです」と、
阿部さんは水産のまちとして、その技術を用いたまちおこしをイメージしている。

そこで阿部さんや青木さんをはじめ、町内のさまざまな職種の若手たちが、
「復幸まちづくり女川」という合同会社を立ち上げ、
女川水産業のブランディングに乗り出した。
前出の「リアスの詩」のように、
女川の新鮮な魚とすぐれた技術力を駆使してつくられている水産加工品はたくさんある。
そのなかから20品目ほどを取り扱い、月3000円程度の定期購買などを予定している。

「なるべく一般のひとの意見を取り入れて、巻き込んでいきたい。
本当は、土地の造成などが終わったあとに場所をつくって、と、
しっかりやりたいんですけど、それでは何年かかるかわからないので、
とにかく事業を立ち上げようと思いました」
という青木さん。このままの女川ではマズイという危機感から、
スピードと熱のこもったものになった。
食べておいしいと思ってもらうこと、これが最大の宣伝効果だ。
そのためにまずは女川の水産加工品を広める活動をしていく

そんな女川PR業務の一環として、
おながわ秋刀魚収穫祭」のホームページをプロデュースした。
これは慶応義塾大学の学生たちと共同で立ち上げられた。
たんなる収穫祭の情報だけでなく、
メディアとして継続するようなコンテンツが読みごたえアリ。
「女川なう。」や「女川絶景」など、
水産以外にも女川のことを知ることができるサイトだ。

さんまを食べることが、最大の復興のお手伝い。

「女川には高校がなくなってしまったので、
しばらくは必然的に外に出ていってしまうと思うんです。
そういうひとたちが、大人になって戻ってこられるようなまちにしたい」
と話す青木さん。
「ただでさえ人口流出が問題だった土地なのに、震災の被害も甚大だし、
戻って来ないつもりのひとも多いと思います。
自分も、別のまちでも同じ仕事はできるので出ていけばいいと言われるけど、
そこは意地ですよね」と阿部さんも決意を新たにする。
こうした復興には「企業によるスピード感のある復興」の必要性を語る阿部さん。
企業が成長して、雇用を生み、水産加工品がもっと全国へと流通するようになる。
「復幸まちづくり女川」がそれを目指す。
もともと右肩上がりの産業ではないだけに、
元通り以上の復興を目指していかないと、女川の未来は震災前と変わらないのだ。

そして女川が活性化するにはサンマを食べてくれるのが一番だと、
女川魚市場で働くひとは口を揃える。

ということで、ここまで読んできて、
どうしてもおいしいサンマが食べたくなってしまったひとに朗報。
10月20日に、「おながわ秋刀魚収穫祭」が東京の日比谷公園で行われる。
女川では毎年行われている収穫祭の出張バージョンだ。
10トンのサンマを無料配布してくれる。数にすると、なんと約6万匹!

「今回の秋刀魚収穫祭に関しては、女川をアピールするつもりではありません。
全国に先駆けて10万トンのがれきを受け入れてくれた東京都に対して
本当に感謝しています。そのお礼なんです」と話してくれたのは、
主催者である女川魚市場買受人協同組合の高橋孝信理事長。
復興に関しても「ボランティアにもたくさん来てもらったし、
義援金もいただきました。それはとても感謝していますが、
本当の復興を支えてくれるには、サンマをはじめ、
たくさん魚を食べてもらうことです。それが一番うれしい」と、高橋理事長。

日比谷公園では、焼きサンマ、生サンマ、女川汁(すり身汁)などが
無料で配布される。もう、この秋、サンマを食べてしまったというひとも、
「おながわ秋刀魚収穫祭in日比谷公園」でもう一匹、いや二匹! サンマをどうぞ。

Information


map

おながわ秋刀魚収穫祭

日程 2012年10月20日(土)
時間 10:00〜
場所 日比谷公園
http://onagawa-town.com/sanma/

Shop Information


map

マルキチ阿部商店

住所 宮城県牡鹿郡女川町旭ケ丘1-14-8(仮住所)
TEL 0225-53-5432
http://www.kobumaki.jp/

中崎町 Part2 「会社勤め」は「自分ごと」に弱いか。

山崎亮 ローカルデザインスタディ
諸富町編・目次

[ff_get_smallserieslinks post_ids="tpc-thi-yamazaki-035, tpc-thi-yamazaki-036, tpc-thi-yamazaki-037, tpc-thi-yamazaki-038"]

公共的な役割を果たすカフェのための流儀を模索する「common cafe」プロデューサーの
山納洋さんと山崎亮さんの対談を、4回にわたってお届けします。

会社勤めをしながら、どこまでできるだろう。

山崎

山納さんにお会いしたころはまだ設計事務所に勤めていて、
その後、ぼくが生活スタジオに力を注ぐようになる経緯は、
山納さんのはたらき方に少なからず影響を受けています。

山納

初対面はちょうど10年前ですね。このすぐ近くのクラブ
「Dawn(現・NOON)」で行われていたプレゼンイベントで、
山崎さんが、堺市の「環濠(かんごう)生活」(*1)のプレゼンをされたんです。
それを聞いて、クラブでまちづくりのはなしをするとは、
なんてユニークなひとなんだ!と(笑)。

山崎

2002年……懐かしいですね(笑)。

山納

ちょうど「メビック扇町」(*2)がスタートする1年前で、
あたらしく始まる場に必要なクリエイターを探していたんです。
「まちづくりの民営化」というセミナーをはじめ、
山崎さんには何度も講座やカンファレンスをお願いしました。

山崎

いま聞くと、ちょっとヤバいタイトルですね(笑)。
そのころは人前ではなす機会なんてまだ4、5回しか経験していなくて、
毎回念入りに準備をしながら、それでも
「誰も来てくれなかったらどうしよう」とめちゃくちゃ不安でした。

山納

いやぁ、全然、そんな風には見えませんでしたけど(笑)。

山崎

そういう機会を与えてもらいつつ、
会社勤めをしながらここまで自分の活動ができるんだ、ということを
山納さんに見せてもらったと思っています。

山納

ぼくとしては、大マジメにしごとをしているだけなんですけどね(笑)。
少し遡って説明すると、企業人として自ら望んだ
扇町ミュージアムスクエア(OMS)(*3)でのミッションは、
おもしろい劇団を発掘してきて売り出し、彼らの活動を応援すること。
でも、閉館することになって、急に気持ちが切り替えられない……
と思っていたところに、メビックがオープンするんです。
アーティストやクリエイターに詳しいということでそちらに移るわけですが、
こちらでのミッションは、クリエイターのインキュベーション(起業支援)。
けれど、起業したことのないぼくが果たして彼らになにを言えるというのでしょう。
だって、野球をやったことのないひとが野球を教えるなんて、
あり得ないですからね。インキュベーションのことをマジメに考えて、
会社から与えられたミッションを拡大解釈したら、
自ら起業せざるを得なかったんですよね。
これは、じぶんも飛んでみなくちゃ、わからないぞと。

*1 環濠生活:「都市のオープンスペースを提案するには、都市生活のスタイルもセットにして考えるべき」というコンセプトに基づき行われた、大阪府堺市「旧環濠地区」のフィールドワークと、オープンスペースに対する提案。

*2 メビック扇町:大阪で活動するクリエイターが互いに知り合い、顔の見える関係を築くためのあたらしいコミュニティづくり、大阪に集積するクリエイティブ関連企業の活性化に取り組む支援施設。http://www.mebic.com/

*3 扇町ミュージックスクエア(OMS):倉庫を改造した小劇場「フォーラム」を中心に、名画を上映するミニシアター、雑貨店、カフェレストラン、ギャラリーを備えた複合施設。若者文化発信基地として愛されたが、2003年3月に18年の歴史を閉じた。

中崎昭和喫茶「ニューMASA」のコーヒー

中崎昭和喫茶「ニューMASA」のコーヒーをいただきながら、懐かしいはなしが次々と飛び出す。

奇妙だけれど中崎町らしい風景

喫茶店を出て、まちを歩く。戦災を免れたむかしながらの長屋と細い路地と新築のマンションとちいさなお店が混在する、奇妙だけれど中崎町らしい風景。

「自分ごと」としてはなしができることの強みとは。

山崎

起業については、会社にも事前に申請したんですか?

山納

いえ。じぶんの思いだけでやっていましたね。
最初に開業したバーは、開店前に大々的に新聞に載ってしまったんですが(笑)、
それでも会社からは「就業規則に反することはしてないよね」と
確認されただけでした。

山崎

給与のあるなしに関わらず、個人が社会貢献にたずさわったり、
NPOなどの別の法人に所属することは、いまやもう、
雇用主である企業が咎めたり制限するべきことではないのかもしれませんね。

山納

そうかもしれません。
正しく言うと、ぼくの場合は、文化支援を目的としたカフェの経営、ですが。

山崎

先ほどの「起業しなければインキュベーションできない」というはなしは、
実は非営利株式会社という形態をとっている
「studio-L」の仕組みにもつながります。代表のぼくを含め、
スタッフは全員、「studio-L」という看板をもつ個人事業主なんですよ。

山納

なるほど。

山崎

これには理由があって、たとえば、コミュニティデザイナーとして集落に入ると、
農家や漁師、商店主の方々から「給料もらってるヤツになにがわかる?」と
詰め寄られることが少なからずあります。
そのときに「いえ、わたしも個人事業主なんです」と
キッパリ言えるようでなければ、やっぱりダメ。
よく行政の方が窮するのはこういうところだったりするわけです。
不安で眠れない夜があることも、確定申告のことも税金のことも、
ぜんぶ「自分ごと」として相手とはなしができてこそ、
はじめて対等に、一緒に、まちづくりを考えていけるんです。

山納

アーティストもよく、会社勤めの人間に対して
「あっち側のひとか、こっち側のひとか」というような表現をします。
だから、起業すると「こいつ、命がけで遊んでるな」ということで、評価が変わる。
「こっち側」への仲間入りというか。
そこから先の信用度合いが、全然違いましたね。

山崎

山納さんが命がけで遊ぶ=起業に至る理由はきっといろいろあったのでしょうが、
インキュベーションのしごとをするためにじぶんも飛んだ、
というのはとてもわかりやすいですね。

山納

メビックにいるときに気づいたのは、コンサルタントという肩書きのひとは、
どうやら往々にして経営を単純な一次方程式で考え、指導するんだな、ということ。
でも、実際の現場は三次方程式、四次方程式に向き合い、
毎日傷ついたり蝕まれたりしているわけですから、悩みの次元が違う。
予算や坪単価のはなしをされても「そのアドバイス、遠いなあ」と(笑)。
「ここでつまずくから気をつけたほうがいい」というのは、
やっぱり起業したひとにしかわからない、もしくは、
起業しているひとに真摯にはなしを聞かなければわからないことなんです。

(……to be continued!)

静かで和やかな気配の路地

大阪駅・梅田駅から歩いて10分とは思えないほど静かで和やかな気配の路地では、生活空間と雑貨や洋服を扱うちいさなお店がまさに隣り合わせに。

カフェバー「巣バコ」

カフェバー「巣バコ」は、古い木造アパートを改装してつくった、月極のレンタルスペース。中崎界隈は、まち全体が複合施設のようでもある。

「Salon de AManTo 天人(アマント)」前にて一服

「Salon de AManTo 天人(アマント)」前にて一服。「懐かしいなあ。設計事務所勤務時代に、よく来たお店です」と顔がほころぶ山崎さん。築130年の古民家をセルフビルドで改装した「公園のようなカフェ」。

profile

map

HIROSHI YAMANOU 
山納 洋

1993年大阪ガス入社。神戸アートビレッッジセンター、扇町ミュージアムスクエア、メビック扇町、財団法人大阪21世紀協会での企画・プロデュース業務を歴任。2010年より大阪ガス近畿圏部において地域活性化、社会貢献事業に関わる。一方で、カフェ空間のシェア活動「common cafe」、「六甲山カフェ」、トークサロン企画「御堂筋Talkin’Aabout」などをプロデュースしている。著書に『common cafe ー人と人が出会う場のつくりかたー』『カフェという場のつくり方 自分らしい起業のススメ』がある。

Web:http://www.talkin-about.com/cafe/

profile

RYO YAMAZAKI 
山崎 亮

1973年愛知県生まれ。大阪府立大学大学院地域生態工学専攻修了後、SEN環境計画室勤務を経て2005年〈studio-L〉設立。地域の課題を地域の住民が解決するためのコミュニティデザインに携わる。まちづくりワークショップ、住民参加型の総合計画づくり、建築やランドスケープのデザイン、パークマネジメントなど。〈ホヅプロ工房〉でSDレビュー、〈マルヤガーデンズ〉でグッドデザイン賞受賞。著書に『コミュニティデザイン』。