TOmagazine No.01

東京都『TOmagazine』
発行/アラヤジャパン

毎号、東京23区のどこかひとつの区をピックアップし特集していく、全23号完結型のタウンマガジン。創刊号は足立区を特集。区内の隅々までを歩き、日常の目線からまちの新鮮な表情を切り取った巻頭特集、区内で活動する日本屈指の家電蒐集家や日本最古参の女子プロ団体にインタビューした第2特集、足立区にまつわるさまざまなトピックをあらゆる角度から徹底検証した雑学ページなど、これまでにない足立区総特集の1冊となっています。

TOmagazine
http://www.facebook.com/TOmagazine.tokyo

全92ページ

本体1000円+税

発行日/2013.2

“つながるひろがる東北応援の輪プロジェクト” Amo estas Bluaトートバッグ

気仙沼の港町を心の片隅に感じて。

いまだ瓦礫の残る気仙沼の港町から車で10分ほど走ると、
帆布バッグ工房「MAST帆布 KESEN-NUMA」に辿り着いた。
ガラス戸の向こうでは職人さんたちがミシンを操るのが見える。
「遠いところをわざわざ来てくれて。風が強くて寒かったでしょう」
笑顔で出迎えてくれたのは、店主の宍戸正利さん。
陽だまりが暖かな店内には色とりどりの帆布バッグや小物が並び、
時おりひょっこりとお客さまが訪ねてくるなど、和やかなムードが漂う。

トートバッグの試作品第1号を手にその特徴を話す宍戸さん(2012年7月)。

この工房でつくられているのが、『Amo estas Blua トートバッグ』。
上質な帆布の白生地に青のボーダー刺繍が鮮やかに映える、
一泊二日の小旅行にも対応できるお洒落なトートバッグだ。
デザインは作家でアーティストの小林エリカさん、
グラフィックデザイナーの田部井美奈さん、写真家の野川かさねさん、
イラストレーターの前田ひさえさんの4人による
東京のクリエイティブユニット「kvina(クビーナ)」が手がけた。

「Amo estas Blua(アーモ エスタス ブルーア)」は、
宮沢賢治も愛したエスペラント語で「恋は水色」を意味する。
気仙沼では、朝6時になると港町一帯に防災スピーカーから
「恋は水色」のメロディが響き渡る。
それは、気仙沼の人々にとって忘れがたい原風景でもある。

気仙沼港近くの市街地。更地につくられた慰霊のための広場「風の広場 グラウンドゼロ」。

『Amo estas Blua トートバッグ』は、
“つながるひろがる東北応援の輪プロジェクト”から生まれた。
仙台の編集プロダクション「シュープレス」が震災後から続けている活動だ。
当初は、被災地の情報発信や義援金・復興支援金の募金活動などを中心に行っていたが、
数々の活動を通して行き着いたのは、被害の少なかった東北の中心都市から
被災地を経済的に盛り上げていく仕組みの必要性だった。
そこで、世の中にない新たな商品を生み出して東北の魅力を発信することで、
「東北を旅して、東北のものを買ってもらう」仕組みをつくり、
被災地の経済を活性化する一助になればと思い至った。

シュープレスとクビーナが出合ったのは、2011年4月のこと。
“つながるひろがる東北応援の輪プロジェクト”の主旨に共鳴した、
シュープレスのスタッフの友人であった東京の編集者・高橋亜弥子さんが、
シュープレスと、クビーナとを結んだ。 
世の中にない商品を東北から生み出すことは、小さな「希望」を生み出すこと。
大好きな東北を応援し続けたい。
その思いはクビーナの感性によってより洗練され、
エスペラント語で「東北が好き」を意味する、
“Mi amas TOHOKU(ミアーマストーホク)”のグッズ販売へとつながっていった。
活動に賛同した全国の雑貨店にてグッズの販売を始めると好評を博し、
徐々に雑誌などでも取り上げられるように。売上げの一部は、
義援金として日本赤十字社や被災3県などに送る活動を続けた。

仙台から東京へ、支援の輪は着実に広がりをみせ始めていた。

“Mi amas TOHOKU”(ボーダーこけし、ステッカー、エコバッグ)のグッズ。売上げの一部を被災地への義援金・復興支援金として寄付している。

2012年5月、“Mi amas TOHOKU”第2弾となる、
「海辺の町へ」と題された新たなプロジェクトが始動した。
震災で甚大な被害を受け、1年経っても未だ復興の進まぬ東北沿岸部。
取材で幾度となく足を運び多くの人にお世話になったこの地域の人々とつながって、
長く支援していく方法はないか——。

「あの日のことを忘れず、沿岸部のまちとつながって、心に『海辺のまち』を感じていたい」
こうした思いから『Amo estas Blua トートバッグ』のコンセプトが生まれた。
しかし、かたちにするのは容易ではなかった。まず、バッグをつくる店が見つからない。
そんな時、シュープレスの板元義和さんは、ふらりと立ち寄った、
「気仙沼鹿折 復興マルシェ」で「MAST帆布 KESEN-NUMA」の帆布バッグと偶然出会った。
丁寧な仕事ぶりに一条の光を見た思いで後日、企画書とデザイン画を持って工房を訪れた。

自宅を工房に改装して制作している「MAST帆布 KESEN-NUMA」。

海辺のまちへ。いくつもの出会いが復興へとつながっていく。

当時のことを宍戸さんは振り返る。
「こういう依頼は初めてだったので、最初は戸惑いました。
けどね、デザインもカッコよかったし、コンセプトも面白かった。
なにより新しい試みにワクワクしたんです。だから、やってみようと思いました。
相手がかばんのことを知らなくても私は知ってますから。そういう意味で不安はなかった」
おおらかに笑う宍戸さんだが、震災の折に店を流失。
1年かけて自宅隣の倉庫を改造し、2011年3月に新たな工房で再スタートを切ったばかりだった。

震災前「MAST帆布 KESEN-NUMA」があったエースポート周辺(2013年2月)。

宍戸さんは、父が創業した船のカバーなどを扱う「菅原シート店」に長く従事。
小さいころからミシンと生地に囲まれた環境で育ち、ものづくりが好きだった。
ほどなく独立した宍戸さんは、
2009年6月、港に近い場所にミシン1台と生地台ひとつを持ち込み、
「MAST帆布」を開業。ひとりでコツコツと帆布バッグをつくり始めた。
やがて帆布バッグの店は評判を呼び、テレビの取材なども訪れてくるように。
だが、確かな手ごたえを感じ始めていた矢先、津波が店を襲った。

「その日はテレビの取材が入ってました。
タレントさんのオリジナルキーケースをつくっていて、
1時間ほどで取りに来るという話でしたから、
地震が起きた後も待ってないといけないかなと思い、しばらく残っていたんです。
まちは消防車のサイレンと、道路の亀裂から溢れる水の音しかしない。
それ以外はシンと静まり返っていたことを今でもよく覚えています」

気仙沼の鹿折地区は特に被害の大きかった地域。この通りを抜け宍戸さんは店から自宅へ戻った。

30分近く店にいただろうか。しだいに不安になってきた宍戸さんは避難を開始。
まず、両親の店を訪れ、ふたりが避難したことを確認したあと自宅へ戻った。
余震が続くなか、何も情報を持たぬまま店へ片付けに行こうとした宍戸さんが目にしたものは、
鹿折小学校まで流失してきた瓦礫で塞がれた道路と炎で真っ赤に染まる鹿折のまちだった。

ああ、店はもうないんだ。宍戸さんは来た道を引き返した。

被災後、1か月ほどで宍戸さんは倉庫を片づけはじめた。
とにかく、仕事がしたかったのだ。
だが、結局実際に仕事を再開できるまでには準備期間を含め、1年もの歳月を要した。
ようやく仕事を再開した宍戸さんに舞い込んできたのが、
『Amo estas Blua トートバッグ』づくりだった。
それは、ひとりでバッグをつくり続けていた宍戸さんにとって、
誰かと何かを始める、初めての試みだった。

東京の編集者・高橋亜弥子さん、シュープレスの本間さんと念入りにトートバックの打ち合わせをする宍戸さん(2012年7月)。

『Amo estas Blua トートバッグ』は、8月に京都で行われた東北復興応援のイベント、
「Mi amas TOHOKU 東北が好き—kvina×SHOE PRESsの東北案内」
でのお披露目が決まっていた。
「いいものをつくりたい」という目的はひとつだったが、
互いの意見を尊重しこだわるほどに時間は過ぎていく。
生地選びから難航し、本体を製作し始めたのがすでに7月。
8月のイベント開催が近づくなか、クリアしなければならないことがあった。
デザイン画では青のボーダー部分は、当初「染め」ることになっていた。
だが、「Amo estas Blua」の文字部分は青い刺繍を施すことが決定しており、
「染め」では刺繍糸と同じ風合いは出ず、全体のバランスがどうしても悪くなる。

ひとつひとつ手作業で丁寧に制作するのが、MAST帆布の基本。

皆が考えあぐねていたとき、宍戸さんが提案した。
同じ色の刺繍糸でボーダー部分のみを別の布に刺繍し、バッグ本体に取り付ければいい。
果たして、刺繍を入れたバッグとそうでないものの仕上がりは一目瞭然だった。
寸分違わぬ青い横縞は美しい光沢を見せ、「Amo estas Blua」の文字を引き立てている。
誰もが職人の施したプロフェッショナルな仕事ぶりに感服した。
こうして出発日ギリギリに完成した『Amo estas Blua トートバッグ』第一号は、
宍戸さん自身の手で梱包され、シュープレスとクビーナ、MAST帆布、
それに関わるすべての人々の希望を乗せて、
京都行きの最終電車でイベントの会場へと旅立っていった。

Amo estas Blua トートバッグは、シュープレスのホームページで購入可能。

「やっぱりうれしかったですよ。誰かと何かをつくるって楽しいですからね。
そりゃ、大変なこともあるでしょう。
でも、ひとつひとつクリアしていけば、必ずできますから」

“ひとつひとつクリアしていけば、必ずできる”。
宍戸さんの言葉は深く、東北沿岸部の復興への兆しを感じる力強さを感じた。
仙台—東京—気仙沼、そして京都へ——。
“Mi amas TOHOKU=東北が好き”という素直な気持ちをまっすぐに謳った、
“つながるひろがる東北応援の輪プロジェクト”は、
新たな出会いをつなげ、全国へと広がっていく。

「MAST帆布 KESEN-NUMA」のスタッフのみなさん。

information


map

MAST帆布 KESEN-NUMA

住所 宮城県気仙沼市西中才275
電話 0226-29-5566
http://masthanp-kesennuma.com/
※「Amo estas Blua トートバッグ」
2012年夏より販売をスタートシュープレスのHPにて購入可能。
http://www.shoepress.com/archives/2355

profile

kvina
クビーナ

作家、デザイナー、写真家、イラストレーターの女性4人が集まったクリエイティブユニット。
http://librodekvina.com/

梅原 真さん

現場で答えを出していれば、デザインにNGはない。

日本の地域にある物産や観光をテーマにしたデザインワークを手がけ、
数多くのデザイン実績はもちろん、テレビや講演、インタビューなどに登場し、
“その道”の先導者として支持を得ている高知県在住の梅原真さん。

彼はグラフィック&プロダクトデザインによって、
日本の豊かな地域文化や風景を保全するという、
デザインの新しい力を内外に示した人物。
彼がデザインへ向かう姿勢は「風景を残すための仕事」だ。
この“ローカル・デザイン”の第一人者が生まれるきっかけは、“かつお”だった。

かつて一本釣りのかつお漁船は、効率の点で、巻き網漁船に押されていた。
全体の漁獲高も減少しているなかで、巻き網で獲れたかつおの
3倍の値段をつけないと成り立たないような状況だった。
そこでデザインの力でなんとかしよう思った。

「一本釣りの風景がなくなるのはイヤだったんです。
高知の意味がなくなってしまいますよね」と、梅原さんは関わりを持ち始める。

生まれた商品名は「土佐一本釣り・藁焼きたたき」。
キャッチフレーズは“漁師が釣って、漁師が焼いた”。
「“土佐のたたきはおいしいよ”ではデザインではないんです。
だからといって、変に洒落た言葉も漁師のイメージとかけ離れてしまう。
“漁師が釣って、漁師が焼いた”はそのまんま。
デザイン過多だと、さかながおいしくならないんです」

梅原さんの代表作となったパッケージ。派手なルックスが遠くからでも映える。写真提供:梅原デザイン事務所

これが8年間で20億円を売り上げる地場産業に成長した。
こうして梅原さんは「デザインで風景を保つことができる」という体験をした。

梅原さんは仕事を受けるときに、
まずは相手の「根性とやる気と本気度」を見る。
「人間っておもろいもんで、顔見て、話を聞けば、1分でわかる」らしい。
そしていざ仕事を受けたら、まず現地に赴く。
行ってみて、ひとと会わないとわからない。
そこをショートカットすることはできない。

梅原さんの目には、
このあたりを安直に考えてしまうデザイナーが増えてきたように映る。
「“農作物にちゃちゃっとデザインしたらいいでしょ”
みたいなものがたくさんあります。
第一次産業に簡単にデザインつけてね」
たしかにこの“地場デザイン業界”を先導してきたのは梅原さんだろう
(本人がどう思うかは別にして)。
「だからこそ、何でもかんでも真似したらいけない」と
警鐘を鳴らすのも梅原さんの役目。

地酒や地鶏ではなく、地栗。この商品は栗の危機を救い、いまでは栗の木を植える活動まで発展した。

梅原さんのクライアントである漁師や農家から、
デザインに対してダメ出しされることはほとんどないという。
それは何度も現場に行って、コミュニケーションを重ねているから。
「ココをこうしたほうがいいと、現場でディスカッションしているうちに、
デザインができてしまう」のは、梅原さんにとって当たり前。
答えはその現場で出すべきのだ。
その作業を怠り、
東京の事務所のパソコンで「ちゃちゃっとデザインしよう」としても、
いいものは生まれない。

そして、ローカルに住んでいることも重要だと語る。
「ぼくは1日3回、家でごはんを食べる。
川沿いの、景色がいい場所に住んでいて、自分の畑で野菜を育てている。
こういう自分の環境と普段の生活が、マーケットの素。
体内マーケティングと呼んでいます」

だから、お決まりのマーケティングは必要ない。
これは「六本木や渋谷のデザイナーにはできない」芸当だ。
普段の生活が、マーケティングの素であり、それはデザインの素。
もし東京から地元に帰ってきて、
ローカルで仕事をしたいと思っているデザイナーがいたら、
「その感覚を得るのに少し苦労するかもしれない。
でも早く“まっとうな生活”に戻れば大丈夫」ともいう。

トイレットペーパーのようなルックスの「土佐まき和紙」は、長く伸して巻物のような使いかたもできる。

考え方をデザインしていく。

すでに梅原さんの頭の中は次へシフトしている。
問題を解決することがデザイナーの仕事ではないか、
というモチベーションが新たなる地平へと進ませている。

そのひとつとして現在動き始めているのが「東北新聞バッグプロジェクト」。
もともと四万十ドラマという会社が古新聞を利用して制作していた新聞バッグ。
これは仮設住宅に住んでいるひとたちがつくるのに適している。
それを売ってお金にすることで「つくる仕事をつくる」ことができる。
その仕組みづくりも、デザイナーである自分の仕事ではないか。

まずは高知銀行に話をして、貯金をしたひとなどへのノベルティ用として、
大量に買ってもらうことにした。これは東北と銀行をつないでいくコミュニケーション。
この仕組みを利用すれば、高知銀行だけではなく、
その名前が他の大手企業に代わっても構わない。
高知銀行に依頼されて始めた仕事ではなく、システムをつくり、
高知銀行に提案したというプロジェクトなのだ。

震災からちょうど2年後となる、今年の3月11日からスタートするプロジェクト。写真提供:梅原デザイン事務所

パッケージや表面的なところではなく、
「考え方をデザインしていく」というフェーズに役割が移ってきた。
対象物をデザインするのではなく、ゼロからデザインを生み出していく。
矛盾しているようだが、梅原さんのデザインの役割は飛躍していく。

最初に戻る。
梅原さんがやりたいことは、風景を残すことだ。
彼は風景を、「豊かさの度合いを計るメジャー」だという。
「一体どんな暮らしをしていて、お金をどのように考えて、
何がどのくらい大事かということを風景が物語っている」

もちろん豊かな風景を残していきたい。
「僕はよくフランスに行きますけど、
長距離電車に乗っていて、いやな風景はないですね。
でも東京から京都に新幹線で移動する外国のツーリストは、
いかにいやな風景を見せられることか。
美しい富士山の手前には、無機質なパネル住宅や工場。
とても違和感を感じます」
例えばフランスは石の家と煙突、教会にステキな木、そして羊という農村風景。
これらは法律で定められていることだから、変なものは建てられない。
すると農業政策と観光政策が横にリンクしていく。
日本では、観光面では美しい里山の風景を残そうとする一方、
効率化を目指した農業を推進する。
「これでは何の意味もない」と梅原さんがあきれるのも理解できる。

かつてはすべて東京がやっていた。
地方のまちづくりすら東京がやっていた。だから青森と高知が変わらない。
こうなったのも「ローカルが自分たちの考えを持たず東京に委ねてきた」からだ。
地域のものを、個性ではなく、コンプレックスだと思ってしまっていた。
「こちらに考えがないとどうにもならないということを、
やっと気がついてきたと思います」。

例えば砂浜美術館。
梅原さんが25年前に手がけた、砂浜に大量のTシャツを展示し、
美しい砂浜そのものを美術館にしてしまうプロジェクトだ。
当時、大方町(現・黒潮町)の職員は、この砂浜に対して、
「これがある!」ではなく「これしかない」というネガティブシンキングだった。

“リゾート開発したほうがいい”などの意見に押しつぶされそうになったが、
今となっては「砂浜美術館のような考え方を持つまちが誇らしい」という
意見が出始めた。時間はかかった。

梅原さんの肩書きは、正直、もうよくわからない。
デザイナーではあるだろうが、
本人は「問題解決するひと」がデザイナーだという。
ローカルから始めて、ローカルの問題を解決していくべきなのだろう。
そんなデザインが梅原さんの作品には込められている。

長野県小布施町にある小布施堂がはじめた実験カフェ「えんとつ」の「栗ビスコッティ」。

肘折温泉vol.2 肘折の新しい観光ルート探し

山形県中部、大蔵村のなかでも特に雪深い山あいにある肘折温泉。
霊峰・月山の南に位置し、その周辺にも多くの霊山を有している。
肘折の人々は1200年も前から湯を守り、人を迎え、山の恵みとともに生きてきた。
ここは、
ライフスタイルの変化とともに変わっていくもの、
地域の人々に継承され続いているもの、
また、若者たちによって新しいかたちでつながっていくもの、
それらが綾をなして存在している場所でもある。
この山奥のちいさな湯治場、肘折温泉でいま起きていることから、
これからの地域や暮らしのあり方を示唆する、あるなにかが見えてくる。
第2回は、「肘折の新しい観光ルート探し」について。

知らなかった肘折の土地に眠る歴史。

「最初に肘折温泉に来たとき、偶然カモシカに会ったんです。
都会で生活していると、カモシカと目が合うなんて機会ないじゃないですか。
豊かな自然がそのままの姿で残っているんだとすごく感動したのを覚えています」
出羽三山を拠点に山伏の修行を積む坂本大三郎さんは、
肘折温泉を訪ねては、周辺の山を歩いていた。
昨夏、肘折温泉で開かれたイベントに参加(Local Action #007)して以来、
地元の人々との交流が始まった。

「ぼくは、とても古い時代の山伏の文化にひかれています。
人々が自然を慈しみ、崇拝していたなかで、
自然の知識を豊富に持ち、そのはたらきを理解して
自然と人間社会との間の伝道師的な役割を担っていた人々がいた。
彼らが、山伏の祖先と言われています。
ぼくは彼らと同じように山のなかに入り、自分の身体を通して、自然と向き合ってみる。
そうすることで、現代の僕たちが学びとれるものがあるんじゃないかと考えています」

「最初に肘折に来たのは、いい温泉があると聞いたからなんです。ぼくは温泉が好きなので」とはにかむ大三郎さん。

そば処寿屋四代目の早坂隆一さんも、大三郎さん同様、昨夏のイベントで
ゲストパネラー(Local Action #007)として参加したひとり。
東京でIT関係の仕事に就いていたが、家業のそば屋を継ぐため肘折へ戻ってきた。
現在は、肘折青年団団長を務め、地元で暮らす若者たちと新しい活動を展開している。
「山伏って聞いても、正直、伝説みたいな話だと思っていましたね。
『肘折さんげさんげ』のときに白装束の姿を見たりするくらいで、
月山への修験道のことだって、僕たちにとって身近ではなかったな」

「肘折さんげさんげ」の様子。

「さんげさんげ」とは、羽黒山を含む出羽三山に古くから伝わる越年行事で、
肘折温泉では、毎年1月7日に白装束を着た地元の住民らが
法螺貝を吹いて肘折温泉街を練り歩き、無病息災・五穀豊穣を祈願する。
また、開湯1200年と言われる肘折温泉が
宿屋としての許可をもらったのは、室町時代の明徳元年(1390年)のことで、
月山登拝道としての「肘折口」が開かれた翌年と記録がある(『大蔵村史』より)。
かつては月山信仰の修験者も多く集まったという肘折温泉。
いまも登拝口はあるが、地元の人が登ることは少ない。

「ただ、大三郎さんから『ヒジリ』と『ひじおり』の関係(Local Action #007)を
聞くと、なんだか山伏が急に身近なものになってきて、
古い文化が残っていることが面白いなと思い始めました。
『肘折さんげさんげ』のような、地域で受け継いできた行事も、
単なるイベントとしてではなく、
文化として続いてきたことなんだという、意識が生まれてきました」

大三郎さんの話は、自分たちの知らない肘折を教えてくれる。
それが、とても楽しいという。

「大三郎さんの話を聞いて月山に登ると、昔の人もこの山道を通っていたのかと遠い昔に思いをはせてしまいますね」と隆一さん。

その後も、大三郎さんが肘折にくる度に読書会を開いたり、
大三郎さんと一緒に肘折の有志で月山に登ったりしたという。
「肘折の人たちと一緒に山を登ると、
いろんなことを教えてもらえるんで僕もすごく楽しいんです。
この土地で暮らすみなさんから、言い伝えだとかを聞くうちに、
それまでは知識として知っていた山のことが鮮明になっていく。
山の姿が、また違うものに見えてくるんです」(大三郎さん)

肘折温泉を流れる銅山川。中央に見えるオレンジの建物は隆一さんのお店「蕎麦処 寿屋」。手打ちの蕎麦は絶品だ。

ぼくたちの新しい山とのつき合い方。

春になったら、またみんなで登ってみようという話が出ている。
青年団のミーティングを覗いてみた。
みんなそれぞれの仕事を終えて、肘折ホテルのバーカウンターに集まってくる。
ここが青年団のいつものミーティングスペース。
お風呂セット持参のメンバーもいる。
温泉に入ったり、カウンターで一杯やりながらが青年団のミーティングスタイル。
メンバーは、隆一さん(前述)、カネヤマ商店の看板娘・須藤絵梨さん(30歳)、
若松屋村井六助(旅館)の娘・村井里実子さん(33歳)、
隣の集落から肘折の青年部に参加している、早坂 新さん(28歳)、それに大三郎さんが加わり、
つたや肘折ホテル柿崎雄一さん(Local Action #017)がフォローする。

左から大三郎さん、隆一さん、絵梨さん、里実子さん、雄一さん、新さん。ちなみに、肘折温泉では同じ姓の方が多いので、みんな名前で呼び合う。

大三郎

今日、地図持って来たんです。この地図は古いみたいで、
今はもう埋めてしまっていて、無くなっている「しびたり沼」が載っているんです。
肘折の民話に出てくる大蛇がいるっていう沼です。

絵梨

初めて聞いた。そうなんだ、知らないことばっかりですね。

隆一

あ、ここが御池だ。御池には行ってみたいな。
あと、越後さん家の裏あたりに沢があるんだよね。
(地図を指して)ここを登っていったところ。

ああ、ありますね。

里実子

私も、そこらへんすごく気になってた。行ってみたいね。

あと、鉱山の奥のほうに行っても沢ありますよ。小さい頃はよく行ってました。

大三郎

ありますね。道が少し狭くなっていった先に。

そうです、そうです。

大三郎

あと、三角山もぜひ、みんなで登ってみたいんです。

絵梨

三角山、登ってみたい! 頂上まで登ったんですか?

大三郎

こないだは、近くまでいったんですけど、新しい熊の足跡があったから……
急に怖くなって、戻りました。

里実子

大三郎さん、よく、迷いませんよね。

大三郎

勘です(笑)。でも歩いていると、頂上が見えるからそこを目指していきます。
道らしい道はないけれども、わかりづらい場所じゃないですよ。

隆一

三角山は、小学校の窓から見えたもんね。

大三郎

頂上からは肘折温泉もよく見えますよ。

絵梨

えー! すごい。誰かが手ふったらわかるかな。

大三郎

それはぁ……。

隆一

視力次第だね(笑)。

昨年登山デビューしたという絵梨さん。「登山道って登るだけだと思ったら、下りもあるんですね……」というエピソードに一同失笑。終始なごやかな雰囲気。

雄一

今年登るとしたら、雪があるうちに登ったほうがいいな。
4月中旬くらいになって雪が安定すると、
その時期が一番山を歩けるから、どこに行くのも行きやすい。
でも、みんな三角山にはスノートレッキングに行ったよな?

隆一

そうですね。僕らみんなスキー部ですからね。

絵梨

だって、卓球部とスキー部しかなかったから……。

隆一

どっちかに入るしかなかったからね(笑)。
大三郎さんから話を聞くと、自分たちが知っているこのへんの山も
登れるんだなと思いますね。
月山や葉山もいいけど、まずは、そっちが面白そうだなって思いました。

絵梨

そうそう、大三郎さんからこういう話を聞くと、登ってみたくなるよね。

大三郎

日本の登山道って山伏がつくったと言われているんです。
昔は木地師の道とか職業によって道があったといいます。
残っている場所を訪ねるのもいいと思うんですけど、みんなと山に登ることで、
今のぼくたちと山のつき合い方が見つかるんじゃないかと思っています。
聖地と言われる場所は、時代時代でつくられているもの。
みんなと新しい肘折の聖地と言われる場所を探せるんじゃないかなと思っています。

左/肘折温泉から見える秋の三角山。紅葉が美しい。右/ブナの原生林に囲まれている御池。古くはここに龍神がすむと信じられていたという。(撮影:坂本大三郎)。

肘折口から月山登山の途中にある小岳から月山を望む(撮影:坂本大三郎)。

春になったら、みんなはまず最初にどこに登るのだろう。
こんな風に始まっている、肘折の若者たちによる新しい観光ルート探し。
山の話の続きは、いずれまた。
第3回目は、肘折温泉に残る湯治文化と、新しい湯治文化について。

information


map

肘折温泉

住所 山形県最上郡大蔵村南山
http://hijiori.jp/

profile

DAIZABURO SAKAMOTO
坂本大三郎

1975年千葉県生まれ。イラストレーター、山伏。出羽三山(羽黒山・月山・湯殿山)を拠点に、古くから伝わる生活の知恵や芸能の研究実践を通して、自然とひとを結ぶ活動をしている。リトルモアより『山伏と僕』が発売中。

長野 Part3 ツリーハウスが教えてくれたこと。

山崎亮 ローカルデザインスタディ
長野編・目次

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はじまりは、2009年。長野市の善光寺門前町に位置する古い建築物のリノベーション。
建築家、編集者、デザイナーの7人でまちづくりを考える、「ボンクラ」という、
ちょっとふしぎな名前の異業種ユニットを訪ねました。

シャッターを開けるひとたち。

山崎

テナントの仲間に、不動産屋さんも入ってるんですね。

宮本

そうなんです。これが、ずいぶんニッチな不動産屋さん(*1)で。
普通は貸したいひとがいてしごとが発生しそうなものですが、彼の場合は、
まずはまちを自転車でまわって、空き物件をじぶんで見つけてくるんですよ。
そのあとしっかり調べて所有者を見つけたら、まずはお手紙を出し、
東京だとか横浜だとかにいる大家さんのところに出向いて
「貸していただけませんか」と言いに行くんですよね。
もちろん、いちどだけでなく、なんども。

太田

ぼくらも一時期、R不動産のまねごとというか、
ボンクラ不動産みたいなことをやろうとしたことがあるんですけど、
本職の片手間ではとうてい無理だな、と。

宮本

彼が現れてくれたことで、このまちの動き方やスピードが
まるで変わったな、と感じています。

広瀬

ふつうの不動産屋さんが絶対仲介したがらない物件ですからね。
家賃3万ぐらいの賃貸ですからね、
仲介したって、利ざやなんて出ないのに、ですよ。

宮本

それでも、今後こういうことが必要になってくると
彼は確信をもってやっているので、
ぼくらもどうしたらサポートができるかなって考えているところです。

広瀬

そう考えると、改装費ではなく、むしろ不動産屋さんに
行政の補助金なんかが出るといいのに、と思いますよね。

山崎

そうですね。不動産ではありませんが、たとえば林業組合では、
長い年月を経て曖昧になったり分散したりしている山の所有者に
コツコツとハガキを出し、訪ねてはなしをし、
ある程度一括して組合が管理ができるようにという手続きを
公共の資金で行っている地域があります。
いまのはなしも、理論としてはこれと同じ。
閉じてしまったまちのシャッターを、開けさせるための
基礎合意を得ていくという手続きですものね。

*1 株式会社MYROOM:「KANEMATSU」に入居する不動産屋(代表・倉石智典)。門前町のリノベーション物件賃貸仲介を得意とする。http://myroom.naganoblog.jp/

「Book&Cafe ひふみよ」

北国街道から一筋入った静かな住宅街にある、元酒屋をリノベーションした「Book&Cafe ひふみよ」。2階は和室にこたつというほっこりカフェ。開店までの道のりが、お店のブログにていねいに書かれています。おでかけコロカル・長野編『眺めの良い2階での読書がおすすめ!「Book&Cafe ひふみよ 」』

出版社「まちなみカントリープレス」本社

こちらは、信州のタウン情報誌「KURA」で知られる出版社「まちなみカントリープレス」本社。元は倉庫だった廃屋を広瀬さんがリノベーション。「ここを手がけたことも、ボンクラを始めたきっかけのひとつです」(広瀬さん)。

フリーペーパー「日和」と連動した「hiyori CAFE」

「まちなみカントリープレス」の1階は、フリーペーパー「日和」と連動した「hiyori CAFE」。

女性のためのシェアハウス「アン・ハウス」のリーフレット

MYROOMが物件を探し、広瀬さんがリノベートを手がけた最新の物件は、女性のためのシェアハウス「アン・ハウス」。

自由で、みんなが素人になれるツリーハウス。

宮本

わかりやすい歴史価値のある建物の保存だけでなく、なんでもないこの場所に
お金やひとや価値が集まる仕組みをつくりたいなって思うんです。

山崎

そこに、デザインが必要なんです。
行政だって、すぐれた事例には助成金を出したいはずなんですから。

宮本

そういえば、ぼくがデザインのチカラを思い知ったのは、
太田さんと初めて出会ってたずさわったツリーハウスづくりでしたね。

山崎

太田さんがツリーハウスの……デザインを?

宮本

いや、勝手にキャラクターをつくったり、ちらしをつくったり、です(笑)。

広瀬

ボンクラのときと一緒だよね(笑)。

宮本

でも、そのことでみんなのモチベーションがみるみるあがるんです。
実際に向かうべきイメージがはっきり共有できて、
関わるひとたちがどんどん増えていくというか。
デザインのチカラってそうだったんだ! って。

太田

ぼくは写真が好きでイラストレーターがちょっと使えるから、
じぶんができることをやっただけなんですけどね。

宮本

正直言うと、はじめに「ツリーハウス」をつくろうとしたとき、
建築家なのにつくり方がまったくイメージできないじぶんに愕然としたんですよ。
鬼太郎やハックルベリーさえつくれるのに!(笑)

太田

その後、ツリーハウスプロジェクトを名乗って、
ただつくりたくて、たのしみたくて、これまでに4棟つくりました。
ぼくらにとってツリーハウスは、ひととの関わりのためのツールという感覚ですね。

宮本

おもしろいのは、「ツリーハウス」と言ったとたんに、
建築関係者だけでなく、アーティストやデザイナーや、
いままで一緒になにかをやったことがなかったひとたちが集まってくるということ。
なにより、「建築ってそういうもんだ」という思いこみから完全に自由になれるし。
これまで味わったことのない感覚でしたね。
そんなときに出会ったのが、この古い物件。
だから、この広い建物群を異業種多人数でシェアするという考えが
自然に生まれたんです。

(……to be continued!)

飯綱のキャンプ場のなかに宮本さんたちがはじめてつくったツリーハウス

善光寺界隈から車で30分ほどにある、飯綱のキャンプ場のなかに宮本さんたちがはじめてつくったツリーハウス。「つくってるあいだにも、木が成長しますからね。こんなにおもしろいことはない」(宮本さん)。(写真提供:太田伸幸)

ツリーハウスプロジェクトのリーフレット

ボンクラのはじまりに、ツリーハウスプロジェクトあり。「しかも廃材を利用してつくってるんですね!」と山崎さんも興味津々。

information

map

KANEMATSU

長野県善光寺門前に位置する建物。倉庫として使われていた3つの蔵を、鉄骨や木造の平屋でつなぎ、現在は、ここをプロデュースするクリエイティブユニット「ボンクラ」のシェアオフィスのほか、カフェ、古本屋、不動産屋などが入居する。

住所:長野県長野市東町207-1

Web:http://bonnecura.naganoblog.jp/

profile

TAKESHI HIROSE 
広瀬 毅

1961年石川県金沢市生まれ。横浜国立大学工学部建築学科を卒業。長野で設計事務所に勤務の後1998年に広瀬毅|建築設計室を設立。長野県建築士会まちづくり委員長。2009年に「LLP.ボンクラ」を7人の仲間で立ち上げ、事務所を長野市善光寺門前の工場として使われた古い倉庫「KANEMATSU」に移転。ストックを生かす建築のあり方を模索している。また中山間地のコミュニティのこれからを考えるうちコミュニティ・デザインに出会う。東京芸術学舎の山崎亮氏の講座を受講し、さまざまな地域の人々と交流を深めている。代表作に『霊仙寺の家』(長野県建築文化賞最優秀賞/飯綱町)、『仙仁温泉岩の湯』(須坂市)。リノベーションでは『リプロ表参道』(長野市)、『日和カフェ・まちなみカントリープレスオフィス』(長野市)などがある。

Web:http://hirose-aa.com/

profile

NOBUYUKI OTA 
太田伸幸

1981年長野県上田市(旧丸子町)生まれ。美容室、建築関係、デザインプロダクション勤務の後、 2008年マンズデザイン主宰。広告のデザイン・アートディレクションの他、長野市内中学校への 美術授業ボランティア、地元の芸術家とともに地域と関わるアート活動企画・主催。2009年~シェアオフィス「KANEMATSU」協同運営。

Web:http://www.manz.jp/

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KEI MIYAMOTO 
宮本 圭

1970年長野県生まれ。工学院大学工学研究科建築学修了後、宮本忠長建築設計事務所勤務を経て、シーンデザイン一級建築士事務所を設立。建築とその周辺にあるものを面白く結びつけていくためのプロジェクトに多数携わる。ツリーハウスプロジェクト、絵馬プロジェクトなど。2009年に有限責任事業組合ボンクラを立ち上げ、善光寺門前にある素敵な古い建物で、建築家・編集者・デザイナーが集まり、単なる建築の再生だけでなく、地域やコミュニティの再生も視野に入れたプロジェクトカネマツを実践中。

Web:http://scenedesign.jp/

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RYO YAMAZAKI 
山崎 亮

1973年愛知県生まれ。大阪府立大学大学院地域生態工学専攻修了後、SEN環境計画室勤務を経て2005年〈studio-L〉設立。地域の課題を地域の住民が解決するためのコミュニティデザインに携わる。まちづくりワークショップ、住民参加型の総合計画づくり、建築やランドスケープのデザイン、パークマネジメントなど。〈ホヅプロ工房〉でSDレビュー、〈マルヤガーデンズ〉でグッドデザイン賞受賞。著書に『コミュニティデザイン』。

福島を応援する奥田政行シェフが見据えたもの。

「アル・ケッチァーノ」が「フク・ケッチァーノ」?
福島生まれの若き料理人と奥田シェフが始めたこと。

「東北の食を元気にしよう!」
東日本大震災以来、奔走&奮闘し続ける「アル・ケッチァーノ」奥田政行シェフ。
2011年は、三陸沿岸部の被災地へ何度も通い続け、炊き出しの料理でみんなを励まし、
2012年は、スイス・ダボス会議や、
スペイン「マドリード国際グルメ博」に参加して、日本と東北の食をPR。
そして2013年は「福島を応援する年」。
1月19日、郡山市の料理専門学校で、
料理人のタマゴたちと福島産の食材満載の「エッセンシャル・キッチン」を開いた。
福島生まれの“未来のシェフ”たちは、徹底した奥田イズムを学び、
5年後には「故郷にフク・ケッチァーノを開く」ことを夢見て、目下のところ修業中。

披露の場は「エッセンシャル・キッチン」

「学校法人永和学園 日本調理技術専門学校(Nitcho)」。
ここは、福島県郡山市にある福島県唯一の調理専門学校。
校内には、高級レストランさながらのキッチンとスタジオがあり、
時おり市民を招いて、生徒たちが日頃の修練の成果をお披露目するレストランが開かれる。
1月19日、特別講師に山形県鶴岡市「アル・ケッチァーノ」の奥田政行シェフを招き、
恒例の「エッセンシャル・キッチン」が、開催された。

測定器で放射能を徹底的に検査。

この日のゲストは、光産業創成大学院大学の瀧口義浩先生。
放射線を長年研究してきた専門家で、
奥田シェフとは被災地支援活動の中で出会ったそうだ。
先生は、小さなお弁当箱ほどの大きさの、小型「Radiation Tracker」を開発。
これを携帯すると、立ちどころに放射線量がわかるという。
試しに郡山市内を歩くと、室内は0.2μSv前後で安定していたが、
外に出ると線量が3〜4倍に上がる場所が少なくないことも判明。
郡山では、見えない放射線がもはや身近な存在なのだ。
「その被曝線量を算出することが、健康を守ることに繋がる」と瀧口先生。
奥田シェフは、瀧口先生を介して、放射線測定器を店舗に導入し、
「食材を徹底的に検査して、安全が確認できれば、使う」というポリシーを貫いている。

料理人の創作意欲に火をつける郡山の野菜名人。

詳細は末尾ですべてご覧いただけるが、この日提供された料理は全部で9品。
メヒカリの素揚に甘味とシャキシャキの食感を添えた白菜や、
トラフグのリゾットに使われた冬寒菜(キャベツ)、
そしてネギは、郡山市内の野菜農家、鈴木光一さんが育てたもの。
生産者であり、種苗店も営む鈴木さんは、郡山の若手農家のリーダー的存在。
伝統野菜や新品種の開発にも熱心で、
生でも食べられる「佐助ナス」や、糖度の高い「隠田かぼちゃ」など、
稀少でしかも高品質の野菜を栽培し、郡山の農業を復権しようと日々奮闘している。
実はこの鈴木さん、「Nitcho」でフランス料理を担当する鹿野正道先生が、
「何を作っても美味い」と太鼓判を押すカリスマ農家。
冬の寒さを耐え抜いて、甘味を蓄えた野菜たちが、シェフの創作意欲もかき立てるようだ。

いわき市に西洋野菜栽培の名人あり。

「カブのヴルーテ」は、
いわき市にある坂本農園の聖護院カブを裏ごしし、
滑らかなスープに仕立てた前菜。
会場から「これ、牛乳でないの? ポタージュ? いや違う、カブだ!」
などと驚きの声が続出した料理でもある。
さらに一同を驚かせたのは、
いわき市の坂本和徳さんが育てた「西洋ゴボウ(サルシフィ)」。
日本のゴボウとは異なる姿形で、白と黒の2色ある珍しい品種。
奥田シェフも図鑑でしか見たことがなく、築地市場でもめったにお目にかかれぬ貴重品とか。
「こんなに立派なサルシフィが、いわきにあるとは知らなかった」
「牛蒡って、牛の房=尻尾って意味がある。だから牛とよく合うんです」
福島牛のタンと、いわき生まれの西洋牛蒡。「はじっことはじっこ」のステキな共演。
いわきのみなさんがたたえていた笑顔が、印象に残る。

修行中の17人の目標は、5年後の福島での独立。

「料理人には消費者と産地を守る責任がある」。それが奥田シェフのポリシー。
料理を支える生産者の元気を取り戻すことが、東北全体の復興につながる。
そして今、そうしなければ、東北だけでなく、日本全体の農業が失速してしまう。
そんな危機感を背負いながら、奥田シェフはキッチンに立っている。
「福島は、東北で一番豊かな場所。助けたいんです」
そんなシェフの意志を実現させるべく、学校の講師陣、職員、生徒など、
合わせて27人が68人のお客様のために、全力でサポート。
震災以降、除染作業や風評に悩む生産者が決して少なくない福島県だが、
しかし、基準値を超えるセシウムが検出されるケースは、徐々に減っており、
最近は特に野菜からはほとんど検出されていないとも聞く。
※参照『ふくしま新発売。』

故郷に「フク・ケッチァーノ」を!

そんな福島の産物を確実に理解して、ちゃんと料理することで、
食べる人たちみんなをシアワセにする。
そんな奥田イズムを徹底的に学び、福島の食を応援すべく日々奮闘している若者たち、
それがNitchoの卒業生たちだ。
奥田シェフが開いた鶴岡と東京の店で今、17人が働きながら修業中。
彼らの目標は、奥田シェフからがっちりと地産地消の哲学を学び、
故郷に「フク・ケッチァーノ」を創ること。
通常は10年修業を積むところ、なんとか5年で実現させたい。
そんな願いを胸に、日々修業に励んでいます。
「みんなの頑張りしだいでは、3年、いや2年後には実現するかもしれません」
故郷で、地元の素材を使うことで生産者を応援。
そして食べる人をみんなシアワセに……そんなフク・ケッチァーノを夢見て、
東京で、鶴岡で、若者たちの挑戦が続いている。

「ESSENTIAL KITCHIN」で供された皿の数々をずらり。

メヒカリの素揚げと鈴木農園の白菜の一夜漬けのサラダ

塩でもみ乳酸醗酵させた鈴木農園の白菜に、生の野菜を加えたサラダの上に鎮座するのは、素揚げしたメヒカリ。メヒカリはいわき市名産の魚だけれど、現在は操業停止のため宮崎から取り寄せて使用。酸味と甘味が楽しめる。

坂本農園のカブの冷たいヴルーテと、川俣シャモと福島牛コンソメジュレ&フォアグラ

小麦粉とバターで作ったルーをフォン(だし)でのばしたヴルーテに、裏ごしした聖護院カブを加えた一品。福島を代表するブランド鶏「川俣シャモ」と福島牛のうま味を凝縮させたコンソメジュレで味わう。

ブロッコリーとアンチョビとホタテのソテー

ホタテのうま味を帯びた茹でたブロッコリーが美味。アンチョビの塩味も良いアクセントに。白地に紫のドラマチックな「カステロ・フランコ」はレタスの一種で、いわきの坂本農園の産。

鈴木農園の冬寒菜とトラフグのリゾット

寒さの中でその内側に甘味を濃縮した冬寒菜(キャベツ)と、福島県オリジナルの大粒品種米「天のつぶ」が、ふぐのだしを目いっぱいに吸い込んで、リゾットへと出世。

川俣シャモと青大豆のフレーグラ

セモリナ、薄力粉、塩、オリーブオイルを混ぜ、手捏ねで作る「フレーグラ」とは、サルディニア島の古代のパスタで、クスクスの原型とも。福島が誇るブランド鶏「川俣シャモ」のうま味がパスタによく馴染む。

鈴木農園のねぎのマリネ シェリーヴィネガーとクミンで

驚くほどの甘味をたたえる鈴木農園産のネギを丸ごと姿煮に。冷める段階でヴィネガーとノワゼットオイルを吸収させたもの。甘味と酸味を、最後に3粒散らしたクミンが見事に調和させてくれる。

坂本農園のごぼうのフォンデュータをかけた福島牛の牛タン

やわらかな福島牛のタンと、希少な西洋牛蒡(サルシフィー)が、一枚の皿の上で共演。その相性は絶妙で、味わう人たちを唸らせていた。

小沢農園のイチゴで作ったイチゴのシャーベット

郡山市の「小沢農園」のイチゴと、砂糖のみで作られたシャーベット。前日にイチゴの重量の8%の砂糖を加え、中から溢れ出した果汁とともに凍結。「甘い」というより「旨い」!

キャラメルムース、エスプレッソのエスプーマ添え

郡山市にも支店を持つ「アサヒ飲料」の缶コーヒー「ワンダ」を使って仕上げられた〆の甘味。「うちの商品が、こんなに素敵なデザートになるなんて!」と、担当者も感激の様子。

奥田シェフが現在手掛けているお店情報

Al-che-cciano
アル・ケッチァーノ

住所 山形県鶴岡市下山添一里塚83 TEL 0235-78-7230
営業時間 11:30 〜 14:00(L.O.) 18:00 〜 21:00(L.O.) 月曜・火曜(月1回)休
※「イル・ケッチァーノ」も併設

YAMAGATA San-Dan-Delo
ヤマガタ サンダンデロ

住所 東京都中央区銀座1-5-10 TEL 03-5250-1755
営業時間 11:30 〜 14:00(L.O.) 18:00 〜 22:00(L.O.)※最終入店は20:30 月曜・年末年始休

Yudero 191 from Al-che-cciano
ユデーロ191 フロム アル・ケッチァーノ

住所 JR東京駅改札内グランスタ 1F TEL 03-3214-4055 営業時間 7:00 ~ 22:00(L.O.) 無休

LA SORA SEED FOOD RELATION RESTAURANT
ラ・ソラシド フードリレーションレストラン

住所 東京都墨田区押上1-1-2 東京スカイツリータウン・ソラマチ 31F TEL 03-5809-7284
営業時間 11:00 〜 14:00(L.O.) 11:00 ~ 23:00 ※ラストオーダーは20:00 無休

farm il aid FOOD RELATION CAFÉ
ファミレード フードリレーションカフェ

住所 東京都墨田区押上1-1-2 東京スカイツリータウン・ソラマチ 1F TEL 03-5809-7268
営業時間 10:00 ~ 21:30(L.O.) 無休

肘折温泉vol.1 今も残る美しい手仕事

山形県中部、大蔵村のなかでも特に雪深い山あいにある肘折温泉。
霊峰・月山の南に位置し、その周辺にも多くの霊山を有している。
肘折の人々は1200年も前から湯を守り、人を迎え、山の恵みとともに生きてきた。
ここは、
ライフスタイルの変化とともに変わっていくもの、
地域の人々に継承され続いているもの、
また、若者たちによって新しいかたちでつながっていくもの、
それらが綾をなして存在している場所でもある。
この山奥のちいさな湯治場、肘折温泉でいま起きていることから、
これからの地域や暮らしのあり方を示唆する、あるなにかが見えてくる。
第1回は、「今も残る美しい手仕事」について。

雪国で生まれた細やかな手仕事。

東京駅から山形新幹線で、3時間半。
終着の新庄駅からさらに車を走らせること50分。
同じ山形県のなかでも特に雪深い肘折温泉やその周辺地域は、
多いときで4メートル以上も雪が積もる。
雪の季節ともなれば外での仕事は封じられ、
昔のひとびとは家の中で手仕事をしながら過ごした。
藁で、藁沓(わらぐつ)や蓑(みの)などを編み、
また、木地師と呼ばれる職人たちは木で、茶筒や器などをつくった。
それらは、「かつての生活道具」とは言い切れない、細やかな手仕事の美しさを放つ。
柳宗悦は著書『手仕事の日本』のなかで、東北地方について、こう綴っている。
「日本でのみ見られるものが豊かに残っているのであります。
従ってそこを手仕事の国と呼んでもよいでありましょう」
肘折温泉を含む、雪深い最上地方では
そのような雪国の暮らしから生まれた素朴な文化に、今も触れることができる。

大蔵村の南に位置する通称・四ヶ村には、美しい棚田の風景が今も残る。
須藤福寿さんは、この地で生まれ、農業を営む傍ら、村議会議員などを務めた。
引退してからは、依頼されると蓑(みの)や藁(わら)細工をつくっていたという。
「蓑はじいさんの時代からずっと、つくっていたな。昔は雨合羽なんか無かったから。
そうだな、昭和30年代くらいまではどの家でも男がつくっていたもんだよ。
つくり方は親の見よう見まね。その家その家で、ずっと継承されてきたんだ」

大人用につくられた蓑。首回りの綿糸でほどこされた赤や紺の刺繍がとてもきれい。

蓑の材料となるのは、「みご」と呼ばれる、藁の丈夫な茎の部分と、
ウリハダカエデという木の皮を使う。
木の皮は田植えの時期に採り、乾かしておくなど、
つくるには、冬が来る前に準備をしておかなければならない。
「今はもう車の免許を返しちゃったから、材料をとってくるのが難しくってな。
それに、あまり使う人もいなくなったから、つくる機会も減ったかな」
いま、四ヶ村で蓑をつくることができる人も少なくなっているという。
暮らしに必要だから、丈夫になるよう丁寧に編む。
その細やかな美しさは、小さな藁沓にも込められている。

「ひとつの蓑をつくるのに、4〜5日かかるよ」と話す須藤さん。

須藤さんは話ながら、足の指を使い、手早く小さなかんじきに凧糸を通す。

須藤さんがおみやげ用につくったというかわいらしい「かんじき」と「藁沓」。

こけしは、東北の温泉場を中心に
子ども向けのみやげものとしてつくられてきた木の人形だ。
宮城県の鳴子地方や、遠刈田地方が産地としては有名だが、
肘折温泉も、明治の頃より「肘折こけし」と呼ばれる系統のこけしがつくられてきた。
「もともとは、わたしらみたいのを木地師と言って、
器や茶筒なんかをつくっていたっていうね。
その合間に、こけしなんかの玩具をつくり始めたんじゃないかな。
昔、木地師は、いろんな温泉場を渡り歩いた人だったんだ。
もとを辿れば肘折の工人たちも、鳴子や遠刈田へ修行に行ったんだよ」
そう話すのは、今はただひとり残る、肘折こけしの工人・鈴木征一さんだ。
肘折の工人さんのもとで修行して、その後独立。
当時から40年以上も使っているという工房には、伐り出された木材が積まれ、
お客さんを待つ、かわいらしいこけしが並んでいる。

「こけしはやっぱり顔を描く段階が一番むずかしい」と鈴木征一さん。肘折こけしは、昔と同じく、墨のほかは赤、青、黄の三原色で表現。

鈴木さんの工房。木取りをした角材は乾燥したあとに、挽く。材料はおもに「イタヤカエデ」を使う。

産地によって顔・かたちが異なるのがこけしの面白いところ。鈴木さんは青森や山形など他系統のこけしも販売している。

「もとは冬場もできる仕事だからって始めたんだ。
こけしは山から木を伐ってくれば、すぐできるってわけじゃないからね。
乾燥させたり、挽いたり、筆で顔を入れたり。手間がかかります。
最初は、こけしの面白さなんかわからなかったけど、
購入しにわざわざ訪ねてくれるお客さんと話すようになって、
こけしの奥深さを教えてもらった気がするね」
以前は年配の方が多かったというお客さんも、最近は若い人も増えてきたという。
「でもね、こけしは量産はできるものじゃないから。
おれの代で肘折こけしは終わりかなと思ってるよ」

明治時代、肘折こけしを始めたと言われている柿崎伝藏が生まれた柿崎家(現在は「旅館 伝蔵」)には、肘折こけしの工人の系譜があり、奥深い歴史を感じる。

こけしの底には、工人の名前が書かれている。写真は鈴木さんのもの。

山伏の原初の文化に触れたい。

このような肘折の手仕事に対して、若き山伏の坂本大三郎さんは、
「古い時代の山伏の文化と呼応している気がするんです」と別の視点から興味を示す。
普段は関東でイラストレーターや文筆家として活動をする坂本大三郎さんは、
6年前にふらりと体験した山伏修行をきっかけに、
その奥深さにひかれ、以来、出羽三山を拠点に修行を積んでいる。

羽黒山は、月山、湯殿山と合わせて「出羽三山」と呼ばれ、
「西の伊勢参り」に対して、
出羽三山へのお参りを「東の奥参り」と言われるほど、
一帯の山々は古くから山岳信仰、修験の霊場として知られる。

法螺貝を持つ、大三郎さん。法螺貝は材料をとりよせ、手づくりしたのだという。

絵を描くなど表現者として仕事をしてきた大三郎さんは、
特に芸術や芸能を担っていたという山伏の一面にひかれる。
「山伏の祖先と言われる人々は、神や精霊と人々をつなげながら、
山から山へ漂泊する民でした。日本という言葉もない古い時代のことです。
彼らが呪術を行うとき、言葉からは歌が、動きからは舞が生まれ、
芸術や芸能が生まれていきました。山伏のルーツというのは、漂泊をしながら、
手仕事をしたり芸能をしたりする人だったとも言われているんです。
木地師も、木を求めながら漂泊していた人々。
かつては、彼らは同じ人だったんじゃないかと思い始めたんです」

年に1回ある羽黒山での修行の度に、肘折温泉に立ち寄った。
本を読み、山を歩く。
次第に、肘折に残る文化が古い時代の山伏の文化と呼応すると感じる。
肘折への興味が募っていった大三郎さんは、
昨夏、「月山若者ミーティング『山形のうけつぎ方』」というイベントに
ゲストパネラーとして参加(Local Action #007)することになった。
これをきっかけに、地元のひとたちと知り合い、
外からしか見えていなかった肘折のことが、ぐっと近づく。

大三郎さんが普段、修行のときなどに着ているという白装束。

「大三郎くんが勉強してきたことを聞くのは、とても面白い」と、
つたや肘折ホテルの柿崎雄一さんは大三郎さんを快く迎える。
「大三郎くんが肘折に通ってきてくれるのは、とてもうれしいんですよ。
僕たちが知らない自分たちの土地のことを教えてくれる。
肘折青年団の若いみんなもいい影響をうけているみたいだから」と微笑む。
雄一さんは、大三郎さんが肘折に来れば、滞在などをあたたかくサポートする。

大三郎さんは、肘折を訪れて、寂しいと思うことがひとつあった。
それは、この周辺の手仕事が継承されずに、消えていこうとしていること。
しかし、雄一さんや肘折のみんなと話すうちに、
自分が、教えてもらうことはできないかと思い始めたという。
「すごく大事な文化だと思うんです。だから、僕は教えてもらいたい。
無くなってしまう前に、僕にできることはやりたいと思ったんです」
実は、大三郎さんは、雄一さんの協力もあり、
春になったら肘折温泉に住むことを考えているという。
この地にある手仕事を学ぶためだ。
「震災以降って、山とまちの距離が縮まったんじゃないかと感じています。
みんなが地方と都心を行き来するライフスタイルが増えている。
僕自身も千葉に実家、神奈川に暮らしている家があって、肘折に来ている。
こうやって行き来しながら生きていくことができるんじゃないかと思っているんです」

次回は、大三郎さんと肘折青年団の有志が取り組む、
肘折温泉周辺の新しい観光資源を探す活動についてレポートします。

information


map

肘折温泉

住所 山形県最上郡大蔵村南山
http://hijiori.jp/

information


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鈴木肘折こけし工房

住所 山形県最上郡大蔵村南山2126-291
電話 0233-76-2217
営業時間 8:00~18:00 不定休

profile

DAIZABURO SAKAMOTO
坂本大三郎

1975年千葉県生まれ。イラストレーター、山伏。出羽三山(羽黒山・月山・湯殿山)を拠点に、古くから伝わる生活の知恵や芸能の研究実践を通して、自然とひとを結ぶ活動をしている。リトルモアより『山伏と僕』が発売中。

present

肘折温泉のおみやげをプレゼント!

四ヶ村の須藤さんから、おみやげをいただきました。かんじきと藁沓、蓑のミニチュアの1セットです。「せっかく来たんだから」と取材チーム全員に持たせてくれた、須藤さん。ミニチュアながら、しっかり刺繍された蓑もとてもかわいいです。ご応募はコロカルのfacebookからお願いします。
※プレゼント企画は終了いたしました。

長野 Part2 新参者として、謙虚にまちに 貢献すること。

山崎亮 ローカルデザインスタディ
長野編・目次

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はじまりは、2009年。長野市の善光寺門前町に位置する古い建築物のリノベーション。
建築家、編集者、デザイナーの7人でまちづくりを考える、「ボンクラ」という、
ちょっとふしぎな名前の異業種ユニットを訪ねました。

大家さんの想い、ぼくらの想い。

山崎

ここは善光寺のほんとすぐそばですが、
このエリアってもともとどういう場所なんですか。

広瀬

この辺は、いわば問屋街ですね。
ただ、昭和40年代に郊外に問屋団地をつくって
一斉にそっちへ移転してしまったそうです。
残念ながら、ほとんどは駐車場になっていて、当時の面影はないですが。

山崎

でも、ここは残っていたわけですね。

広瀬

そうですね。その後も工場として細々と稼働していらしたんですが、
結局それも撤退せざるを得なくなって。
じぶんたちは出て行ってしまうけれど、それでもなにかのカタチで
まちに貢献できないかという大家さんの想いを受けて、
「KANEMATSU」という会社の名前を残しました。

山崎

2009年当初、メンバーが最初にイメージしたのはもうこのカタチだったんですか。

宮本

550平米もあるから、正直、広瀬さんと一緒で、
はじめはじぶんひとりではできないと思ってましたね。

山崎

そりゃあそうだ(笑)。

太田

でも結局、ぼくと宮本さんが惚れた勢いで暴走気味に
東京のシェアオフィスだとか横浜のBankART1929(*1)だとかに行って、
気になるひとに会って、めちゃくちゃ勉強して、
大家さんに会って口説いて……(笑)。

宮本

大家さんは、じぶんたちがシャッターを下ろしたまま、
まちに対してしっかり貢献できなかった、というのを悔やんでらしたんです。
そんな想いをうかがって、じゃあ、
「金松/KANEMATSU」という屋号を残しながら、
ここを拠点とするぼくらがお祭りに参加する、
地域の掃除に参加するということを約束します! ということを
契約に盛り込んだんです。
だから代わりに、5年間だけ家賃を安くしてもらえませんか、と。

山崎

なるほど。

広瀬

ぼくらのようなあたらしい人間が突然まちに入ってくるだけでも、
まちのひとたちにはいろいろな感情があるわけですから、
よそ者としてそれなりに謙虚でいなければ、と最初からはなし合ってきました。
ひっこしのときはしっかりご近所にあいさつまわりもしましたし。

宮本

いまでも毎年お正月には、全員でキモノを着て、善光寺に初詣したあと、
ごあいさつまわりに行くのが恒例です。

*1 BankART1929:横浜市が推進する歴史的建造物を活用した文化芸術創造の実験プログラム。BankART(バンカート)は元銀行であったふたつの建物を芸術文化に利用するという意味を込めた造語。http://www.bankart1929.com/

広瀬毅さん

「太田さんと宮本さんがどんどん走り出しちゃったんだよね。でも、ブログやフライヤーをつくってくれたことがほんとうにありがたくて、あらためて“伝える”ことの大切さを痛感しました」(広瀬)

宮本圭さん

「本棚も、キッチンも、ぼくたちがつくりたくて先につくってしまってたんです」と、宮本さん。じぶんがたのしみながら、しっかりしごとをつくっていくひと。

場をきっかけに、ゆるやかに、ひろがるつながり。

広瀬

これだけ大きなハコですから、7人が事務所として借りるだけではなく、
まちに賑わいをつくるイベント的なことができればということも
当初から考えていました。
それで、まずは近所の神社のお祭の日に合わせてイベントをやろう、と。

山崎

それに間に合わせなくちゃいけないわけですね?

太田

9月に契約して、お祭が11月。もう、片づけるのが精一杯でしたね(笑)。

広瀬

片づけている最中から、信濃新聞の記者さんが追いかけてくれていて、
そんな効果もあり、約400人の方々に来ていただきました。

山崎

それが、2009年のことですね。

広瀬

片づけただけのがらんどうでもできることってなんだろう、というところから、
はじめの1年は隔月ペースでフリーマーケットをやったりしていました。

山崎

「ボンクラ」のスタートメンバー以外、つまり、このカフェみたいに
テナントで入っているひとたちはどういうふうに集まってきたんですか?

宮本

クチコミやひととの出会いのなかで、
「やりたい」というひとがあらわれてきた、という感じです。
たとえば、この「壁一面の本棚」はぼくがつくりたくてつくったんですけれど、
「こんな店をやりたいなあ」という本屋さんがあらわれて。
「やっぱ、事務所にはカフェが欲しいよねー」って、キッチンをつくったら、
ここでカフェをやりたいというひとがあらわれて(笑)。

山崎

あはは、相変わらず先走るんだなあ(笑)。

広瀬

というようないきさつで、ちょっと変わった不動産屋さん、
壁一面が書棚に囲まれた古本屋さん、それにこのカフェなど、
いまはぼくたち5社を含め、12社14名でこの「KANEMATSU」を共有しています。

(……to be continued!)

太田伸幸さん

「大家さんに会う前に全国の興味深いひとたちにとにかく会いにいって、事例をめちゃくちゃ勉強しました」(太田)

山崎亮さん

「地域の行事に参加することを契約書に盛り込んで、その代わりに5年間家賃を下げてもらう、というのはいいアイデアですね」(山崎)

古本屋「遊歴書房」のロゴ

テナントの1件は、天井まである本棚に囲まれた古本屋「遊歴書房」。http://www.yureki-shobo.com/

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map

KANEMATSU

長野県善光寺門前に位置する建物。倉庫として使われていた3つの蔵を、鉄骨や木造の平屋でつなぎ、現在は、ここをプロデュースするクリエイティブユニット「ボンクラ」のシェアオフィスのほか、カフェ、古本屋、不動産屋などが入居する。

住所:長野県長野市東町207-1

Web:http://bonnecura.naganoblog.jp/

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TAKESHI HIROSE 
広瀬 毅

1961年石川県金沢市生まれ。横浜国立大学工学部建築学科を卒業。長野で設計事務所に勤務の後1998年に広瀬毅|建築設計室を設立。長野県建築士会まちづくり委員長。2009年に「LLP.ボンクラ」を7人の仲間で立ち上げ、事務所を長野市善光寺門前の工場として使われた古い倉庫「KANEMATSU」に移転。ストックを生かす建築のあり方を模索している。また中山間地のコミュニティのこれからを考えるうちコミュニティ・デザインに出会う。東京芸術学舎の山崎亮氏の講座を受講し、さまざまな地域の人々と交流を深めている。代表作に『霊仙寺の家』(長野県建築文化賞最優秀賞/飯綱町)、『仙仁温泉岩の湯』(須坂市)。リノベーションでは『リプロ表参道』(長野市)、『日和カフェ・まちなみカントリープレスオフィス』(長野市)などがある。

Web:http://hirose-aa.com/

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NOBUYUKI OTA 
太田伸幸

1981年長野県上田市(旧丸子町)生まれ。美容室、建築関係、デザインプロダクション勤務の後、 2008年マンズデザイン主宰。広告のデザイン・アートディレクションの他、長野市内中学校への 美術授業ボランティア、地元の芸術家とともに地域と関わるアート活動企画・主催。2009年~シェアオフィス「KANEMATSU」協同運営。

Web:http://www.manz.jp/

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KEI MIYAMOTO 
宮本 圭

1970年長野県生まれ。工学院大学工学研究科建築学修了後、宮本忠長建築設計事務所勤務を経て、シーンデザイン一級建築士事務所を設立。建築とその周辺にあるものを面白く結びつけていくためのプロジェクトに多数携わる。ツリーハウスプロジェクト、絵馬プロジェクトなど。2009年に有限責任事業組合ボンクラを立ち上げ、善光寺門前にある素敵な古い建物で、建築家・編集者・デザイナーが集まり、単なる建築の再生だけでなく、地域やコミュニティの再生も視野に入れたプロジェクトカネマツを実践中。

Web:http://scenedesign.jp/

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RYO YAMAZAKI 
山崎 亮

1973年愛知県生まれ。大阪府立大学大学院地域生態工学専攻修了後、SEN環境計画室勤務を経て2005年〈studio-L〉設立。地域の課題を地域の住民が解決するためのコミュニティデザインに携わる。まちづくりワークショップ、住民参加型の総合計画づくり、建築やランドスケープのデザイン、パークマネジメントなど。〈ホヅプロ工房〉でSDレビュー、〈マルヤガーデンズ〉でグッドデザイン賞受賞。著書に『コミュニティデザイン』。

長野 Part1 そして、ボンクラが生まれた。

山崎亮 ローカルデザインスタディ
長野編・目次

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はじまりは、2009年。長野市の善光寺門前町に位置する古い建築物のリノベーション。
建築家、編集者、デザイナーの7人でまちづくりを考える、「ボンクラ」という、
ちょっとふしぎな名前の異業種ユニットを訪ねました。

城下町の金沢、門前町の長野、ふたつのふるさと。

山崎

こんばんは! 夜遅くにお邪魔します。

広瀬

いえいえ、お待ちしておりました。ここに来ていただくのは、ほぼ1年ぶりですね。

山崎

この連載の第1回目で小布施を訪れて、
その翌日に立ち寄らせてもらったんでしたね。
きょうは、じっくりおはなしをうかがいたいと思っています。
「ボンクラ」メンバーの顔ぶれと、この場所の関係をおさらいしてもいいですか?

太田

はい。「ボンクラ」とは、建築家、編集者、デザイナーの7人で
まちづくりを考える異業種ユニットで、
この2階にシェアオフィスという形態で入居しつつ、この古い建物を
「KANEMATSU」として蘇らせ、プロデュースする役割を担っています。

山崎

きょうの顔ぶれを見ても、30代、40代、50代とそろっていて、職種もバラバラ。
まず、みなさんがどのように集まったのか興味がありますね。
たしか、広瀬さんはこちらのお生まれではなかったと……。
とすると、地元のつながりというわけでもなさそうです。

広瀬

はい。生まれは金沢で、就職してから長野です。横浜の大学を卒業して、
金沢に帰る途中に長野で途中下車をしてしまった、と(笑)。
そのころは信越線が通っていましたからね。
いまは両親もこちらに呼んで一緒に暮らしています。
ただ、金沢もたのしいまちですから、ご縁は残していたいと思っていて、
金沢と長野にふたつのふるさとがあるような気持ちでいます。

山崎

ふたつのふるさと。うーん、すてきだなあ。
金沢と長野って、どこか似ているイメージがあるんですが……。

広瀬

長野市は合併がありましたから、いまは両市とも、人口40万人くらい。
だから、まちの規模的なものは似ていますね。

山崎

ともに、むかしから根づいた文化がありますよね。
中山間地域でありながら、大きな都市で、歴史と文化がある。

広瀬

ただ、城下町と門前町という気質的な違いはありますね。
建築物でたとえても、金沢はやはり洗練されて都会的、
長野はあたたかい木や土を使っていてほっこりとしています。

長野市・善光寺

現在の長野市は、善光寺の門前町を起源として発展した都市で、古くは長野盆地を「善光寺平」とも。善光寺門前の参道は北国街道のルートでも多くのひとが行き交った。善光寺には、現在も年間600万人が参拝に訪れる。

座談会の様子

左の広瀬さんと右の太田さんの歳の差、20歳。「あいだに宮本くんがいてね、考え方がバラバラだから、ちょうどバランスがいい」と広瀬さん。

はじまってないのに、走り始めたヤツがいた。

山崎

太田さんはどちらのご出身ですか?

太田

上田市です。もとは美容師見習いだったんですけど、20歳になる直前で
「グラフィックデザイナー」なる職業があることを初めて知りまして。
「Macで絵を描いて儲かるなんて、いいなぁ」と思ったのがきっかけですね。
広瀬さんたちに出会ったのは、勤めていたデザイン事務所を辞めて、
フリーになって2年目ぐらいのときです。

山崎

独立してすぐだと、しごともなくて大変な時期だったんじゃないですか?

広瀬

それがね、ちょうどよかったんですよ。
ぼくたち「ボンクラ」のメンバーは7名なんですが、5人が一級建築士、
1人はエディター、そして、グラフィックデザイナーの太田くんでしょう。
建物を改装していきながら活動していくには、すごくバランスがよかったんです。

山崎

というと……?

広瀬

彼がまだ暇だったから、ずっとブログを書いてくれていたんです。
写真も撮ってくれて、それが人の目をひくすごくいい写真で。

太田

しごとがなかっただけなんですけどね(笑)。

山崎

つまりおふたりは、この蔵をどうにかしよう、ということで出会うんですか?

広瀬

いや、実は、ぼくは一度ここに入るテナントを探してほしいという
宮本さんからの協力を断ってるんですよね。
もとが工場だったので大きな機械が入ったまま放置されていて、
そのままは使えないし、改修するにしろ、ざっと1000万はかかる状態だったので。
まさかじぶんが入居するなんてまったく視野になかったし、
そのときはまだ太田さんに出会ってもいませんでした。

太田

そういうこと、ぼくは全然わからなくて。
建築家がいればなんとかなるんだろうなんて楽観的に考えて、
この物件に惚れこんだ勢いで、勝手にロゴマークとか作り出していたんです。

山崎

めちゃくちゃ対照的だなあ(笑)。

広瀬

ぼくと初めて会ったとき、もう、パンフレットをつくって、持ってきてたもんね。
契約どころか、大家さんと、まだなんのはなしもしてないのに(笑)。
それで、一緒に入居しませんかって誘われて……
すぐに「入る!」って返事をしてました。

山崎

え? 広瀬さんが誘われたほうだったんですか。
うーん、それは意外だったなあ(笑)。

(……to be continued!)

「KANEMATSU」の廊下

「KANEMATSU」は、もともと独立していた3つの蔵を、鉄骨や木造の平屋でつないだ構造。細部をじっくり見ると、その構造が見えてくるユニークな空間。

「KANEMATSU」1階の「カフェ・ラバーソウル」

深夜の座談会が行われたのは「KANEMATSU」1階の「カフェ・ラバーソウル」。床材やテーブル&ソファなどにリサイクル品がうまく使われた空間。

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KANEMATSU

長野県善光寺門前に位置する建物。倉庫として使われていた3つの蔵を、鉄骨や木造の平屋でつなぎ、現在は、ここをプロデュースするクリエイティブユニット「ボンクラ」のシェアオフィスのほか、カフェ、古本屋、不動産屋などが入居する。

住所:長野県長野市東町207-1

Web:http://bonnecura.naganoblog.jp/

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TAKESHI HIROSE 
広瀬 毅

1961年石川県金沢市生まれ。横浜国立大学工学部建築学科を卒業。長野で設計事務所に勤務の後1998年に広瀬毅|建築設計室を設立。長野県建築士会まちづくり委員長。2009年に「LLP.ボンクラ」を7人の仲間で立ち上げ、事務所を長野市善光寺門前の工場として使われた古い倉庫「KANEMATSU」に移転。ストックを生かす建築のあり方を模索している。また中山間地のコミュニティのこれからを考えるうちコミュニティ・デザインに出会う。東京芸術学舎の山崎亮氏の講座を受講し、さまざまな地域の人々と交流を深めている。代表作に『霊仙寺の家』(長野県建築文化賞最優秀賞/飯綱町)、『仙仁温泉岩の湯』(須坂市)。リノベーションでは『リプロ表参道』(長野市)、『日和カフェ・まちなみカントリープレスオフィス』(長野市)などがある。

Web:http://hirose-aa.com/

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NOBUYUKI OTA 
太田伸幸

1981年長野県上田市(旧丸子町)生まれ。美容室、建築関係、デザインプロダクション勤務の後、 2008年マンズデザイン主宰。広告のデザイン・アートディレクションの他、長野市内中学校への 美術授業ボランティア、地元の芸術家とともに地域と関わるアート活動企画・主催。2009年~シェアオフィス「KANEMATSU」協同運営。

Web:http://www.manz.jp/

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KEI MIYAMOTO 
宮本 圭

1970年長野県生まれ。工学院大学工学研究科建築学修了後、宮本忠長建築設計事務所勤務を経て、シーンデザイン一級建築士事務所を設立。建築とその周辺にあるものを面白く結びつけていくためのプロジェクトに多数携わる。ツリーハウスプロジェクト、絵馬プロジェクトなど。2009年に有限責任事業組合ボンクラを立ち上げ、善光寺門前にある素敵な古い建物で、建築家・編集者・デザイナーが集まり、単なる建築の再生だけでなく、地域やコミュニティの再生も視野に入れたプロジェクトカネマツを実践中。

Web:http://scenedesign.jp/

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RYO YAMAZAKI 
山崎 亮

1973年愛知県生まれ。大阪府立大学大学院地域生態工学専攻修了後、SEN環境計画室勤務を経て2005年〈studio-L〉設立。地域の課題を地域の住民が解決するためのコミュニティデザインに携わる。まちづくりワークショップ、住民参加型の総合計画づくり、建築やランドスケープのデザイン、パークマネジメントなど。〈ホヅプロ工房〉でSDレビュー、〈マルヤガーデンズ〉でグッドデザイン賞受賞。著書に『コミュニティデザイン』。

港区芝 Part4 「東京だけど、ローカル。」

山崎亮 ローカルデザインスタディ
港区芝編・目次

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東京都港区芝。東京タワーのすぐそば、大都市の真ん中に、地域コミュニティの拠点
「芝の家」はあります。山崎さんが訪れたのは、大学の講師でありながら、
このプロジェクトのコーディネイターを務める坂倉杏介さん。
今回は、都市ならではのコミュニティ形成の方法、そして東京というローカルに注目します。

芝の家の、その先にあるものは。

坂倉

港区に芝の家が一軒だけあっても効果には限界があると思っていて、
再来年、区の事業で新橋にも別のかたちでつくることになっています。

山崎

ほぉう。

坂倉

芝の家をはじめてみてわかったことは、空間があるかないかではなく、
それを運営する「ひと」がそういう場をつくれるかどうかなんですよね。

山崎

そりゃあそうですよ。まちがいない(笑)。
空間の政治学があるとはいえ、
ぼく自身がそれを設計していてそこに限界を感じた人間だから、
すごくよくわかります。必要条件だけど十分条件じゃない。
マネージングをだれがするの、ということがすごく大きい。
たとえば、坂倉さんがしゃべったこと、やってきたことを誰かが綿密に記録して、
新橋で、あるいはほかの場所でほかのだれかがそのマニュアルを実行しても、
全然別のものになると思います。

坂倉

そうですね。よかったなと思うのは、一緒にやってきて、
区役所のひとがそのことを理解してくださったということです。

山崎

とても重要なことでしたよね。

坂倉

そこで、準備のひとつとして「ご近所イノベータ養成講座」(*1)
試験的に開講します。地域づくりのための場に加えて、
「やりたいひと」を支える仕組みをつくろうという取り組みです。

山崎

いいですね。地に足がついているのが伝わります。

坂倉

山崎さんが関わっていらっしゃる海士町で、
まちづくりプロジェクトの「ひとチーム」から
「あまマーレ」という場ができた順序と、逆ですね(笑)。

山崎

おもしろいですね。

坂倉

芝って、3万4千人の地区なんです。
このくらいのちいさい活動を続けて行くと、
ほんとうに変わっていく可能性がある規模なんじゃないかなって。

山崎

東京だけど、ローカルなんですよね。

坂倉

たとえば、地方から遊びにきた方に、
「東京のひとって思ったよりいいひとだったよ」とか、
「むしろ地元よりローカルだったよ」なんて言ってもらえたらうれしい(笑)。

*1 ご近所イノベータ養成講座:ご近所イノベータとは、自分の想いを実現しながら、地域生活に豊かさと幸せを生み出す次世代のまちの担い手のこと。講座とワークショップ、プロジェクトの実践や「芝の家」でのコミュニティ体験を通して「自分のやりたいことをまちにつなげる」技法も学ぶ、少人数生の実践講座。2013年2月27日に説明会開催。開校は6月予定。http://gokinjo-i.jp/

「芝の家」事業の紹介冊子

芝の家の取り組みは、港区の委託事業。「ただ見守る、という企画を通すのは大変だったでしょう」と山崎さん。坂倉さんたちは、事例や効果を、できるだけ数字にしたり記録したり、目に見えるようにすることに注力したという。

お知らせが書かれた黒板

ちいさな地区でちいさな活動を続けていくことで、可能性が生まれていく。

それでもよかったんだ、という記憶がよみがえる場所。

山崎

マズローの「欲求階層論」(*2)でいうと、
この大都会で居場所を求めて芝の家に来るひとたちの契機って、
その多くは「欠乏欲求」だと思うんです。
そして、ここに通ううちに「なにかをはじめよう」という気分になり、
「成長欲求」に移行していく場なんだな、と。
一方、ぼくらの活動に関わろうとするひとたちのほとんどは、
そもそも自己実現や承認を求める「成長欲求」から入ってくる。
つまり「やりたいひと」ばかりが集まってくる。
ここが、ぼくらがやってることと、
坂倉さんたちがやっていることの役割の違いかな、と思いました。

坂倉

なにもなかったところに火種をつくって発火させようとすると、
「じつは地域のためになにかやりたかった」というひとが集まってくる。
おそらくほとんどの地域ではそれが正しいと思うんですよね。
でも、都心部では、「なにかやりたい」とひとがやって来ても、
すぐにはできないんです。

山崎

というと?

坂倉

その場所に愛着もないしネットワークもないひとが、
「やりたいこと」だけをやろうとしてもやっぱり難しいんです。
しばらくなにもしないでここにいて、愛着や帰属意識が芽生えてから
はじめて十全に「やりたいこと」をはじめられる。
そのために、まずじっくりじぶんと向き合う、損得なくひとと関われる、
芝の家のような場がある、東京というまちではそれが新鮮なんです。

山崎

坂倉さん、ご出身はどちらですか?

坂倉

名古屋生まれですけれど、ほとんどずっと東京です。
世田谷区なんですが、祖父母も一緒に住んでいたからか、
なにかにつけて親戚や近所のひとの出入りが多い家ではありましたね。

山崎

ぼくが幼いころに通った父の実家も、西荻でしたけれど、そんな感じでしたね。
ついつい「東京=六本木ヒルズ!」みたいなイメージを抱きますけど(笑)、
そうじゃない日常もちゃんとあった。

坂倉

そういうことが、ぼくらがこどものころ、
すなわち70年代くらいまではある程度のこっていました。
しかも、地縁の息苦しさは経験しすぎていない。
だからできるのかもしれませんね(笑)。
ご近所づきあいの記憶がまったくないひとが、
それをやろうと思っても急にはできないんです。
だから、記憶がある世代はそれをよみがえらせ、
記憶がない世代には「そういうつきあいも、アリだったんだ」という
まったく新鮮な発見がある。
そんな、あたらしいコミュニティづくりができたらいいな、と思っています。

*2 アブラハム・マズローの欲求階層論:人間の欲求は、「生理的欲求」「安全への欲求」「社会的欲求」「自我欲求」「自己実現欲求」の低次元から高次元までの5つの階層をなしていて、低次元の欲求が満たされてはじめて、高次元の欲求へと移行するという説。生理的欲求や安全への欲求を「欠乏欲求」と呼び、自己実現を求める欲求は「成長欲求」と呼んだ。

駄菓子コーナー

近所づきあいもあった、70年代の東京が原風景としてある。そこから、あたらしいコミュニティづくりが始まる。

坂倉杏介さんと山崎亮さん。縁側で対談中

「東京もローカルだったよ、なんて言ってもらえたらうれしい」(坂倉) 「ここに通ううちに、なにかをはじめようという気分になっていく場なんでしょうね」(山崎)

information

map

芝の家

住所:東京都港区芝3-26-10

TEL:03-3453-0474

営業時間

コミュニティ喫茶「月火木」:月・火・木曜 11:00~16:00

駄菓子と昔あそびのオープンスペース:水・金・土曜 13:00〜18:00

定休日:日曜・祝日

Web:http://www.shibanoie.net/about/

profile

KYOSUKE SAKAKURA 
坂倉杏介

慶應義塾大学グローバルセキュリティ研究所特任講師、三田の家LLP代表、NPO法人エイブル・アート・ジャパン理事。2003年、慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科修士課程修了。地域コミュニティの形成過程やワークショップの体験デザインを、個人とコミュニティの成長における「場」の働きに注目して研究。キャンパス外の新たな学び場「三田の家」、地域コミュニティの拠点「芝の家」の運営を軸に、「横浜トリエンナーレ2005」、「Ars Electronica 2011」など美術展への参加、大学内外での教育活動を通じて、自己や他者への感受性・関係性をひらく場づくりを実践中。
共著に『黒板とワイン―もう一つの学び場「三田の家」』、『メディア・リテラシー入門―視覚表現のためのレッスン』(慶應義塾大学出版会)、『いきるためのメディア―知覚・環境・社会の改編に向けて』(春秋社)など。

Web:http://kyosuke.inter-c.org/

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RYO YAMAZAKI 
山崎 亮

1973年愛知県生まれ。大阪府立大学大学院地域生態工学専攻修了後、SEN環境計画室勤務を経て2005年〈studio-L〉設立。地域の課題を地域の住民が解決するためのコミュニティデザインに携わる。まちづくりワークショップ、住民参加型の総合計画づくり、建築やランドスケープのデザイン、パークマネジメントなど。〈ホヅプロ工房〉でSDレビュー、〈マルヤガーデンズ〉でグッドデザイン賞受賞。著書に『コミュニティデザイン』。

港区芝 Part3 「あなたがここにいても、 いいんですよ。」

山崎亮 ローカルデザインスタディ
港区芝編・目次

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東京都港区芝。東京タワーのすぐそば、大都市の真ん中に、地域コミュニティの拠点
「芝の家」はあります。山崎さんが訪れたのは、大学の講師でありながら、
このプロジェクトのコーディネイターを務める坂倉杏介さん。
今回は、都市ならではのコミュニティ形成の方法、そして東京というローカルに注目します。

受け入れる、という関わり方。

山崎

この場を設けて、まずはだれが訪れるようになるんですか?

坂倉

はじめの半年は、水・金・土曜だけのオープンで、
こどもたちがたくさん来てくれました。
でも、それではおとながくつろげないなあ、というので、
当初開いてなかった曜日をカフェの日に設定したんです。

山崎

なるほど。

坂倉

だれがなにをしても止めないんですけれど、同時に、
そのひとが「ここにいてもいいですよ」ということを伝える工夫は
やっぱりちゃんとしなくちゃならない。
往々にして空間のデザインというのは、
無意識に「こうしなさい」ということを伝えてしまうでしょう? 
たとえば、喫茶店ではメニューをオーダーしましょう、
教室だったら教壇に立つ先生のはなしを聞きましょう、というように。
まちづくりのプロジェクトだと、まちづくりに関わりたいひとはいてもいいけれど、
お役に立てないひと、関心のないひとには居心地が悪いんじゃないかな、と。
かといって、貼紙に「だれでもどうぞ」と書いてあっても、
それがじぶんごとだと思えるひとなんて、ほとんどいないですよね。

山崎

それをどう乗り越えるか、と。

坂倉

そこでぼくらがやっているのは、ごくあたりまえなことですけれど、
ちゃんとあいさつするとか、そのひとのようすにあわせて、
そのひとが居やすいように案内してあげるとかいうことなんです。
こんな風に大勢でたのしそうにしていると
スッと入っていきやすいだろうというのは実は逆で、
みんなが盛り上がってるからこそ、
そこに入れなかったときの疎外感は何倍も大きい。

山崎

たしかに……。

坂倉

はじめて「あそこへ行ってみよう」と勇気を出して扉を開けてくださった日に、
そんなことがあると、二度と来てもらえないと思うんですよね。
だから、「あなたがここにいても、いいんですよ」という想いが中心にあって、
そこから縁側や玄関のつくりが生まれた、という感じです。

山崎

先ほどから見ていても、縁側がとてもいい役割を果たしていますよね。

坂倉

縁側、ほんと強力です(笑)。

「芝の家」の縁側スペース

外には「ご自由にお持ちください」のコーナーが。通りかかった近所の方が、そこにあった日本人形に興味を示して声をかけていた。

犬の散歩で通りかかった人が縁側からのぞく

犬の散歩で通りかかった人も。縁側が、中と外をつなぐ。

毎日の振り返りが、次第に場にしみこんで。

山崎

ほかに気をつけていることはありますか?

坂倉

スタッフのあり方がいちばんむずかしいですね。
訪れてくださる多様な方々と、どう向き合えばいいのか。
1日5時間オープンしているんですが、朝と終わりに必ずミーティングをします。
とくに朝のミーティングでは気持ちと体調を伝え合うようにしています。

山崎

それは……?

坂倉

スタッフがまず、お互いにそれぞれの弱みをさらけ出す/それを受け入れ認める
という関係性を築いておくと、ひとりめに入ってきた方が、
やっぱりどこか安心するんじゃないかなって思うんです。
人間て、センサーでは計れない気配みたいなものをちゃんと感じ取りますからね。

山崎

たしかに、ドアを開けた途端
「あれ、いまここ、ヤバい?」みたいなことってありますね(笑)。

坂倉

終了後のミーティングは、最大1時間半。
はじめのうちは3時間近くになったこともあるんですが、
あまり長いと、かえってダメージになりますから(笑)。

山崎

長くなるの、わかります。細かいことがいろいろあるんですよね。

坂倉

そうですね。結果なにも起こらなかったけど、
こどもが危なっかしくてハラハラしたとか、
おばあさんが帰り際になんだかさびしそうな顔をしていたとか、
ひとひとつはちいさくても、1日のうちに
ものすごくさまざまな感情に向き合うわけですから。
そういう気持ちを含め、「今日1日どうだったか」を振り返ります。
いまでは、その毎日の振り返りの雰囲気が、この空間に定着している気がします。

山崎

それって、議事録は残したりしない?

坂倉

はい。

山崎

日々、別の組み合わせのスタッフが、時に時差もありながら
いつか同じことを理解したり、解決したりしていく。
それでいいんだと思います。

坂倉

ええ。完全な正解があるというモノではないですからね。

(……to be continued!)

山崎亮さん

「だれでもどうぞ、の壁をどう乗り越えるか、ですね」(山崎)

坂倉杏介さん

「ミーティングをしながら、今日1日がどうだったかを振り返る。その雰囲気がこの空間に定着している気がします」(坂倉)

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芝の家

住所:東京都港区芝3-26-10

TEL:03-3453-0474

営業時間

コミュニティ喫茶「月火木」:月・火・木曜 11:00~16:00

駄菓子と昔あそびのオープンスペース:水・金・土曜 13:00〜18:00

定休日:日曜・祝日

Web:http://www.shibanoie.net/about/

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KYOSUKE SAKAKURA 
坂倉杏介

慶應義塾大学グローバルセキュリティ研究所特任講師、三田の家LLP代表、NPO法人エイブル・アート・ジャパン理事。2003年、慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科修士課程修了。地域コミュニティの形成過程やワークショップの体験デザインを、個人とコミュニティの成長における「場」の働きに注目して研究。キャンパス外の新たな学び場「三田の家」、地域コミュニティの拠点「芝の家」の運営を軸に、「横浜トリエンナーレ2005」、「Ars Electronica 2011」など美術展への参加、大学内外での教育活動を通じて、自己や他者への感受性・関係性をひらく場づくりを実践中。
共著に『黒板とワイン―もう一つの学び場「三田の家」』、『メディア・リテラシー入門―視覚表現のためのレッスン』(慶應義塾大学出版会)、『いきるためのメディア―知覚・環境・社会の改編に向けて』(春秋社)など。

Web:http://kyosuke.inter-c.org/

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RYO YAMAZAKI 
山崎 亮

1973年愛知県生まれ。大阪府立大学大学院地域生態工学専攻修了後、SEN環境計画室勤務を経て2005年〈studio-L〉設立。地域の課題を地域の住民が解決するためのコミュニティデザインに携わる。まちづくりワークショップ、住民参加型の総合計画づくり、建築やランドスケープのデザイン、パークマネジメントなど。〈ホヅプロ工房〉でSDレビュー、〈マルヤガーデンズ〉でグッドデザイン賞受賞。著書に『コミュニティデザイン』。

港区芝 Part2 どうやって稼ぐんだ、 といわれ続けたあのころ。

山崎亮 ローカルデザインスタディ
港区芝編・目次

[ff_get_smallserieslinks post_ids="tpc-thi-yamazaki-048, tpc-thi-yamazaki-049, tpc-thi-yamazaki-050, tpc-thi-yamazaki-051"]

東京都港区芝。東京タワーのすぐそば、大都市の真ん中に、地域コミュニティの拠点
「芝の家」はあります。山崎さんが訪れたのは、大学の講師でありながら、
このプロジェクトのコーディネイターを務める坂倉杏介さん。
今回は、都市ならではのコミュニティ形成の方法、そして東京というローカルに注目します。

将来の見通しゼロで始まった? ぼくらの30代

山崎

では、そもそもなぜ「三田の家」を?

坂倉

大学の近くに「大学ではない別の場所」がつくりたくて。
つまり、こんな感じでだれでも訪れていいような場所。

山崎

そのころは、どういう立場で?

坂倉

大学の修士を出たばかりで、ぶらぶらしていたころに(笑)。
でも、すぐには叶わず、商店街に飛び込んだり、飲みに行ったり、理事会に出たり、
2〜3年はそんなことをしながら次第に地域に入っていったような感じです。

山崎

ああ、やっぱり、そういう手順があったわけですね。

坂倉

それでも、そうは簡単に建物が借りられず、
苦しまぎれに屋台をつくって路上でお茶を飲んだりしていました。

山崎

当時の収入は?

坂倉

30歳になったばかりで、その後すぐに大学の助手の職に就きます。
時折デザインしごとをアルバイト的にひき受けたりもしてましたね。

山崎

デザインをされてたんですか。

坂倉

ええ。20代の会社員時代に、
西村佳哲さんのデザインプランニングの手伝いをしたりしてたんです。
山崎さんとぼくをひき合わせてくださったのも、西村さんですし……。

山崎

あ! そうでしたね。
そうかぁ、おもしろいひとって、そのころからもうつながってるんですね。

坂倉

すっかり、20世紀のはなしですけど(笑)。

山崎

ほんとだね(笑)。

坂倉

墨田区の空き家を2か月だけ借りて、大学院生時代に
ぼくがはじめて場をつくるプロジェクトにトライしたのが2002年。
東京では、アーティストや建築家、デザイナーのあいだで、
リノベーションということばが市民権を得はじめた年ですね。

山崎

黒崎輝男さんや清水義次さんあたりのステキなおとなたちが
「Rの時代だ」といってね。そのころぼくは遠く大阪にいて、
東京おもしろそうだなあ! って眺めていた、と(笑)。

坂倉

ぼくも本流にいたわけではないけれど、
ああ、じぶんもなにかやっていいんだって、確実に背中を押されています。

山崎

ムーブメントと同期している、という感じがしますね。

「お互いさま掲示板」

芝の家の玄関には「お互いさま掲示板」。地域の催しや、ちょっとしたお知らせが目に入る。

掲示板の下の書き込みカード

掲示板の下にはこんなカードも。

つくらないことの、そしてコミュニティの重要性

坂倉

と、見通しのまったく立たないままの30代のスタートでしたね。

山崎

それはぼくも一緒だな(笑)。
ものをつくらないデザインなんていって設計事務所をやめて、
独立したのが31歳だから。

坂倉

どうなんだろうと思いつつ、あがいて企画書をひたすら書いて、
大学のいろんなところに持っていって断られて(笑)。
商店街の方経由で三田の家をやっと借りられたのが2006年です。

山崎

なるほど。

坂倉

でも、いまから振り返れば、家を借りられるまでに時間がかかったからこそ、
その間に地域のみなさんとつながれて、
プロジェクトのはじまりがスムーズにいった、ともいえます。

山崎

studio-Lを設立したのが2005年だから、ちょうどそのころですね。
ぼくらも、立ち上げたはいいけど、2年ぐらいはほとんどしごともなくて。

坂倉

あのころは、つくらないことの重要性や、地域のコミュニティ、
あるいはネットワークの重要性って、まだまだ伝わりませんでした。

山崎

あのころのぼくらは、つまり、あたまでっかちだったのかもしれません。
必ずこれからそれが大事になるということには気づいていたけど、
ビジネスモデルとしてどうすればいいのかわからなくてあがいていたような。

坂倉

そうかもしれません。思い出しますね。
「いいと思うよ。でも、ところでそれでどうやって食ってくの?」って……。

山崎

うん、ふたこと目にはそう言われましたよね(笑)。
コミュニティが、うさんくさいとか暑苦しいとか、
うっとうしいとかしがらみがどうとか、まだそういう時代でした。

坂倉

それが変わったのは、ほんとに、この1年半くらいですね。
あと、山崎さんがマスメディアに出ていらっしゃるのも大きな影響を与えてますね。

山崎

ええッ?

坂倉

最近は「ということは、山崎亮さんのようなしごとですか?」
と言われるようになって、「まあそうですけど、もっと地味にやってますが」
みたいな説明をすると、それでだいたい納得してくれるようになりましたからね。
いやあ、ほんとうに助かっています(笑)。

(……to be continued!)

近所の人がつくって持ってきてくれたオーナメントの人形

取材日はちょうどクリスマス。近所の人がつくって持ってきてくれたというオーナメントの人形が飾ってあった。

対談の様子

山崎さんがstudio-Lを設立したのが2005年。坂倉さんが三田の家を借りたのが2006年。大阪と東京で同時代を歩んできたふたり。

information

map

芝の家

住所:東京都港区芝3-26-10

TEL:03-3453-0474

営業時間

コミュニティ喫茶「月火木」:月・火・木曜 11:00~16:00

駄菓子と昔あそびのオープンスペース:水・金・土曜 13:00〜18:00

定休日:日曜・祝日

Web:http://www.shibanoie.net/about/

profile

KYOSUKE SAKAKURA 
坂倉杏介

慶應義塾大学グローバルセキュリティ研究所特任講師、三田の家LLP代表、NPO法人エイブル・アート・ジャパン理事。2003年、慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科修士課程修了。地域コミュニティの形成過程やワークショップの体験デザインを、個人とコミュニティの成長における「場」の働きに注目して研究。キャンパス外の新たな学び場「三田の家」、地域コミュニティの拠点「芝の家」の運営を軸に、「横浜トリエンナーレ2005」、「Ars Electronica 2011」など美術展への参加、大学内外での教育活動を通じて、自己や他者への感受性・関係性をひらく場づくりを実践中。
共著に『黒板とワイン―もう一つの学び場「三田の家」』、『メディア・リテラシー入門―視覚表現のためのレッスン』(慶應義塾大学出版会)、『いきるためのメディア―知覚・環境・社会の改編に向けて』(春秋社)など。

Web:http://kyosuke.inter-c.org/

profile

RYO YAMAZAKI 
山崎 亮

1973年愛知県生まれ。大阪府立大学大学院地域生態工学専攻修了後、SEN環境計画室勤務を経て2005年〈studio-L〉設立。地域の課題を地域の住民が解決するためのコミュニティデザインに携わる。まちづくりワークショップ、住民参加型の総合計画づくり、建築やランドスケープのデザイン、パークマネジメントなど。〈ホヅプロ工房〉でSDレビュー、〈マルヤガーデンズ〉でグッドデザイン賞受賞。著書に『コミュニティデザイン』。

港区芝 Part1 一生懸命になりすぎない、場づくりの方法。

山崎亮 ローカルデザインスタディ
港区芝編・目次

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東京都港区芝。東京タワーのすぐそば、大都市の真ん中に、地域コミュニティの拠点
「芝の家」はあります。山崎さんが訪れたのは、大学の講師でありながら、
このプロジェクトのコーディネイターを務める坂倉杏介さん。
今回は、都市ならではのコミュニティ形成の方法、そして東京というローカルに注目します。

だれがなにをしてもいい、のびやかな場「芝の家」

山崎

こんにちは! 以前はじめてうかがったときと、
ずいぶん雰囲気が変わった気がしますね。

坂倉

あれは始まってすぐでしたからね。
おそらく約2年の間に場がなじんできたのと、近所の方が棚とかキーボードとか、
自分の作品とかをいろいろと持ってきてくださるので
やっぱりモノが増えてますね(笑)。

山崎

昼間はだいたいこんなふうに賑やかなんですか?

坂倉

はい、だいたいいつもの光景という感じです。
いまはたまたま居合わせたひとがお昼を一緒に食べていますね。
顔ぶれは、ご近所の方とスタッフが半々ぐらい。
今日は火曜なので本来は割とおとながゆっくり話せる日なんですが、
学校が冬休みに入っているのでこどもたちもやってきています。

山崎

お、なるほど。
月・火・木曜が「コミュニティ喫茶」、水・金・土曜が「駄菓子と昔あそび」と
表の看板に書いてあるのは、おとながゆっくり話せる日と、
こどもが存分に遊べる日を「なんとなく」位置づけるためですね。

坂倉

そうですね、なんとなく(笑)。
来ているひとは、年齢も0歳から90歳までと幅広く、
割合は多くないですが大学生も。
試験前逃亡しにやって来る中校生たちも、たまにいます(笑)。

山崎

いいですね。基本的には「だれがなにをしてもいい」、しかも無料。
そんな場所ってほかにないですもんね。
スタッフサイドには、どんな方がいらっしゃるんですか?

坂倉

大学生もいますが、こちらも20代から70代までと多様で、
ご近所の方が多いですが、遠方からわざわざ通ってくださる方もいます。
1日3人の当番制で運営しています。

山崎

大学生は、坂倉さんのゼミ生とか?

坂倉

いや、ぼくはゼミをもっているわけじゃないので、
校内にポスターを貼るような地道な募集で集めています。
いろいろやってみたのですが、ゼミやサークル単位より、
個人でやってくる子のほうが「そのひとらしさ」が出ていいかなあと。

山崎

そうですね。「想いがちゃんとある」というのは大切かもしれない。

「芝の家」の案内看板

芝の家は月・火・木が「コミュニティ喫茶」、水・金・土は「駄菓子と昔あそび」と、なんとなく分かれているが、誰でも気軽に立ち寄ることができる。

「芝の家」の入り口に並んだたくさんの靴

この日も赤ちゃんからお年寄りまで、さまざまな人が。

ただ、見守るだけという関わり方について。

山崎

坂倉さんは、大学の講師をやりながら、
事業としてこの「芝の家」運営されているわけですよね。

坂倉

そうなります。港区から大学への委託研究として2008年にスタートしていますが、
細かくいうと、研究自体は2011年度で終わっていますので、
いまの「芝の家」は、大学を通さず、LLP(*1)で委託事業として受けています。
なので、今年度から運営は実質的に現場のスタッフに任せています。

山崎

どういう事業なんですか? 居場所づくり?

坂倉

港区の場合、少し特殊だと思うんですけれど、区内5つの地域ごとに、
それぞれの特性にあわせた地域事業をやるということになっています。
従来の、単なる高齢者の居場所づくり支援だけじゃない、
ゆるやかさがありますね。

山崎

それを受託するのにLLPが生まれたと?

坂倉

いえ、LLPは、その直前にたまたま立ち上げていたものです。
話がさかのぼりますが、当時は「三田の家」(*2)
というプロジェクトをやっていて、これはひとり1万円のメンバーシップを募って
個人の財布で運営していたんですが、年間200万円程度といえども、
個人の財布で管理するのはなかなか大変だということで、
いちばん簡単な組織を作ろうと。

山崎

プロジェクト特化型ですね。

坂倉

それが先にあったので、「芝の家」もLLPで請け負うというカタチになりました。
賃貸費、常勤の専従スタッフの給料を含めて、年間950万円で受託しています。

山崎

なるほど。

坂倉

先日、講演会でお会いしたときに、山崎さんから
「ただ見てるだけのしごとっていいですね」って言われちゃいましたけども(笑)。

山崎

言った、言った(笑)。いやぁ、ぼくらががんばりすぎてたなあ、って。
ぼくらはふだん、コミュニティをつくるために一生懸命やって、
それを見て一生懸命やってみようというひとたちと「なにかを始める」。
だから、先にぽっかりとこういう「場」があって、
それぞれにいろんな想いでこの場所に集うひとたちから
自然発生的に「なにかが始まる」、
坂倉さんたちは、役割としてただそれを見守っているだけ、
というあり方は、ほんとうに目から鱗なんですよね。

坂倉

なるほど。

山崎

すごいなあって思う一方で、なんといってもこれは行政の事業ですから、
区議会に企画を通すのがまずはなかなか大変だろうなあと、
そんなことまで考えてしまいました(笑)。

坂倉

その通りですね。わかりやすさを求められますから、
そのために、来場者数などを細かく数字化して出していく努力はしました。
ただ、実際に現場を訪れると、ひと目で見てわかる賑わいの実態がありますから、
それを行政の担当者と共有することが信頼につながっていった、
という感じだったように思います。

(……to be continued!)

*1 LLP:Limited Liability Partnershipの略。事業組織の形態のひとつで、個人または法人が共同で出資し、事業を営むために設立する。出資者は出資額の範囲までしか責任を負わず、自ら経営を行うことができる。

*2 三田の家:民家を改装した大学のかたわらにある自主運営の<教室>。教員と学生有志によって、2006年から運営している。http://mita.inter-c.org/

地域のこどもたちが一緒に遊ぶ

小さなお子さん連れのお母さんも。地域のこどもたちが一緒に遊ぶのを、地域のおとなたちが見守る。

「しばこうえんあそび隊!」の張り紙

みんなで芝公園で遊ぼうという「しばこうえんあそび隊!」の張り紙。こどもからおとなまで誰でも参加できる。

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芝の家

住所:東京都港区芝3-26-10

TEL:03-3453-0474

営業時間

コミュニティ喫茶「月火木」:月・火・木曜 11:00~16:00

駄菓子と昔あそびのオープンスペース:水・金・土曜 13:00〜18:00

定休日:日曜・祝日

Web:http://www.shibanoie.net/about/

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KYOSUKE SAKAKURA 
坂倉杏介

慶應義塾大学グローバルセキュリティ研究所特任講師、三田の家LLP代表、NPO法人エイブル・アート・ジャパン理事。2003年、慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科修士課程修了。地域コミュニティの形成過程やワークショップの体験デザインを、個人とコミュニティの成長における「場」の働きに注目して研究。キャンパス外の新たな学び場「三田の家」、地域コミュニティの拠点「芝の家」の運営を軸に、「横浜トリエンナーレ2005」、「Ars Electronica 2011」など美術展への参加、大学内外での教育活動を通じて、自己や他者への感受性・関係性をひらく場づくりを実践中。
共著に『黒板とワイン―もう一つの学び場「三田の家」』、『メディア・リテラシー入門―視覚表現のためのレッスン』(慶應義塾大学出版会)、『いきるためのメディア―知覚・環境・社会の改編に向けて』(春秋社)など。

Web:http://kyosuke.inter-c.org/

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RYO YAMAZAKI 
山崎 亮

1973年愛知県生まれ。大阪府立大学大学院地域生態工学専攻修了後、SEN環境計画室勤務を経て2005年〈studio-L〉設立。地域の課題を地域の住民が解決するためのコミュニティデザインに携わる。まちづくりワークショップ、住民参加型の総合計画づくり、建築やランドスケープのデザイン、パークマネジメントなど。〈ホヅプロ工房〉でSDレビュー、〈マルヤガーデンズ〉でグッドデザイン賞受賞。著書に『コミュニティデザイン』。

大崎上島 Part4 この島に永住するかと聞かれたら。

山崎亮 ローカルデザインスタディ
大崎上島編・目次

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山崎さんがワークショップのために何度か足を運んでいる瀬戸内海の大崎上島。
人口約8,300人のこの島に、築80年の古民家を購入してIターン移住した女性がいます。
カフェ&ショップを営みながら、自分らしく生活をアレンジして
島の暮らしをたのしむ森ルイさんに、そのいきさつや今の暮らしぶりをうかがいます。

島に、ひとや空気の流れをつくりたい。

山崎

「ルイの家」に宿泊するWWOOFER(ウーファー *1)を受け入れているのも、
ユニークだなあって感じます。

そうですね。販売する雑貨類もカフェメニューも、ひとも、
島にないものが入ってきて入れ替わるような、空気の流れをつくりたいんです。

山崎

なるほど。いつも違う顔ぶれがカフェにいるとなると、
島のお客さんにとってもいいはなし相手になりますね。
同じ自慢ばなしが何回もできる(笑)。

島のひとたちとコミュニケーションができることは、
WWOOFERにとってもとてもいいことだし、わたしも外からの刺激がうれしいし。
島にいながら旅をしている気分が味わえます。

山崎

一度に何人ぐらい受け入れるんですか?

泊まれる部屋はいくつもあるのですが、車での移動をケアしないといけないので、
一度に3人までと決めています。
台湾、フランスからの訪問が多いですね。滞在は、だいたいひとり1~2週間。
これまでにすでに80人以上を受け入れてます。

山崎

WWOOFER以外に、島外からの来客は予想通り2割くらい?

帰省シーズンには、少し増えますね。プチ同窓会に使ってもらえたりとか。

山崎

そういうひとたちには、ものすごくうれしい場所なんだろうなあ。
キッズスペースまであるし。

島外に暮らす子どもたちに教えてもらって、
やっと島のおとうさん、おかあさんが来てくださるというケースもあります。

山崎

気になってもじぶんだちだけではなかなか足を運べない、という方も多そうですね。
島の高校生たちは?

思ったほど来ないですね。リクエストに応えて、学割制度をつくったら、
やっと何人か来てくれるようになりましたけど(笑)。

山崎

あ、いいですね。そういうの。

*1 WWOOFER:WWOOF(ウーフ)とは、「食事・宿泊場所」と「力」を交換する仕組みで、World Wide Opportunities on Organic Farms の頭文字。地に足のついた生活を営み、温かな気持ちをもって「食事・宿泊場所」を提供する側をホスト、ホストを助け何らかの「力」を提供する側をウーファーという。

森さんが現在、月1円で借りている旧家

森さんが現在、月1円で借りている旧家。「ルイの家」とは真逆で、すいぶん手入れをしなければ暮らせない状態。「リノベーションスクールができそうだね!」と山崎さん。「ぜひ、やってください!(笑)」

月1円の借家の外観

「物件はたくさんあるんですけど、よく見て、じぶんなりにしっかり選んで決めています」と森さん。月1円の借家の外観はこんな感じ。島には、ゼロ円の家もあるという。

夏祭りのための和舟「櫂伝馬(かいでんま)」

瀬戸内海の文化遺産ともいわれる、夏祭りのための和舟「櫂伝馬(かいでんま)」。神事として今でも漕ぎ手は男性のみと決められているが、今年の夏祭のひとつには女子の櫂伝馬があり、森さんも漕ぎ手として参加したのだそう。

できればずっと「移住者」でいたいと今は思う。

若い世代にこそ、ここで、島の日常生活にないモノに触れてほしいんですけどね。
その子が一度進学や就職で島外に出ても、
将来10年後くらいにUターンしてくれたりしたら、
ちょっとうれしいじゃないですか。
Uターンを呼び込むのは、わたしの役割ではないかもしれませんけれど。

山崎

じゅうぶん、そういうきっかけにはなっていると思いますよ。

島外でブログを読んでる方たちから
「ありがとう」「懐かしい」とコメントもらったりすると、うれしいですけどね。
むしろIターンを呼び込みたい。

山崎

Iターンのほうがいろいろとむずかしいですしね。

「ずっとこの島にいるかどうか」って聞かれて、
「それは、わかんないですね」なんて答えると、なんだか誤解されちゃったりして。

山崎

正直ですね(笑)。

毎日ブログを更新して、自称・大崎上島観光大使と名乗っているくらいですから、
島のことは好きなんです。
でも、愛しているから生涯をこの地に捧げる、とはいまは言えません。
神に誓った結婚だって、3年半だったのに(笑)。正直すぎますか?

山崎

そのくらいの心持ちがちょうどいいのかもしれませんよ。
「島のために生きる」というような強い思いをもつタイプのほうが、
意外とポキッと折れやすいんです。
一方で、周りから「移住してきたからにはずっといるよね」と言われるのは、
実は相当なプレッシャーになるんだということも耳にします。

重いですね。

山崎

Iターン者を受け入れて先進的なまちづくりをしていることで知られる
島根県の海士町では、すでに町長が率先して「それは言うな」とまで言ってます。
2年でも3年でも海士町に暮らしてくれたらそれでいい、
外で「あのとき、たのしかった」と言ってもらえたらそれでいいだろうって。

ほんとうに。「Iターンしばり」をなくしたいですね(笑)。
お役所で「定住」「永住」とか言われると、すごく重く感じるんです。
わたしは、島に暮らしているけれど、
どうしたって「島人」にはなれないんですから。

山崎

たとえば、原宿や渋谷のカフェなんて、
2~3年でつぶれて入れ変わるのがあたり前です。
でも、それに比べたら、移住者による中山間離島地域のカフェは、
ぼくの知る限りおおむねもっと長く続いていますよ。
固定費が少なくて済むとか、島じゅう、あるいは近隣の島まで噂になって、
お客さんが来てくれるとか、さまざまな要因があると思うけれど、
渋谷あたりよりもずっと持続可能性が高いと感じています。

そんなカフェを営みながら、移住者のまま長くいる、
移住者のまま島とつながるということもできると思うんです。

山崎

これからの森さんの生き方も、たのしみですね。

森ルイさん

オープンマインドをもち、正直さを心がけているという森さん。「でも、そのために誤解されることも多いですよ」と本音もちらり。

山崎亮さん

森さんのはなしを聞きながら、終始「たのもしいひとなあ」と感心しきりの山崎さん。

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antenna

住所:広島県豊田郡大崎上島町中野1841-12

TEL:090-2906-0930

営業時間:13:00~19:00

営業日:木曜~日曜と祝日のみ営業

Web:http://www.osaki-kamijima.jp/antenna/

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LOUIS MORI 
森 ルイ

1978年東京生まれ。警視庁警察官として女性白バイ隊員やロシア語通訳などの勤務を経た後、2010年ブライダルコーディネーターへの転職を目指し退職。その後の離婚を機に瀬戸内海の大崎上島に築80年の古民家を購入してIターン移住。カフェ&ショップ『antenna』オーナー、クラシックバレエ教室主宰。WWOOF(ウーフ)ジャパンホストとして世界中の人々と島暮らしをシェア。自称・大崎上島観光親善大使。

Web:http://blog.livedoor.jp/morilouis/

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RYO YAMAZAKI 
山崎 亮

1973年愛知県生まれ。大阪府立大学大学院地域生態工学専攻修了後、SEN環境計画室勤務を経て2005年〈studio-L〉設立。地域の課題を地域の住民が解決するためのコミュニティデザインに携わる。まちづくりワークショップ、住民参加型の総合計画づくり、建築やランドスケープのデザイン、パークマネジメントなど。〈ホヅプロ工房〉でSDレビュー、〈マルヤガーデンズ〉でグッドデザイン賞受賞。著書に『コミュニティデザイン』。

大崎上島 Part3 わたしにしかできないことをやりたい。

山崎亮 ローカルデザインスタディ
大崎上島編・目次

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山崎さんがワークショップのために何度か足を運んでいる瀬戸内海の大崎上島。
人口約8,300人のこの島に、築80年の古民家を購入してIターン移住した女性がいます。
カフェ&ショップを営みながら、自分らしく生活をアレンジして
島の暮らしをたのしむ森ルイさんに、そのいきさつや今の暮らしぶりをうかがいます。

島暮らし=農業じゃなかったわけは。

山崎

島に暮らすようになったいきさつを含め、
森さんの場合、Iターン者の中でもかなり特殊なケースですね。

もともと、島に暮らしたかったわけでも、
カフェをやりたかったわけでもないですからね。
ただ、移住してきたらそこに閉まった店があった、と。
「そこに山があるから山に登る」みたいなことなんです。
島でできること、思いつくことは、まだほかにもあるんです。

山崎

ほぅ。

じぶんにしかできないことをやりたいんです。
東京で生まれ育って、海外も見てきたわたしだからできること。
だからわたしの場合は、島暮らし=農業じゃなかった。
でも、農業に携わるひとをつなぐようなことはやってみたいと考えています。
たとえば、ファーマーズマーケットだとか。

山崎

いいですね。ここなら、いい雰囲気でできそうです。

でもひとりでやると負荷が大きいかなと思って、
いちど役場にかけあってみたこともあるんですけど、
ちょっとどうにもなりそうになくて。
まぁいいや、そのうちじぶんでやろう。って(笑)。

山崎

たのもしいなあ。

島のひとのなかには、前の店のイメージが強くて、
「漬け物は置いてくれないのか」とか「商品が減った」とか
「毎日開いてない」とかいろいろ言うひともいます。
でも、「アンテナショップ」と名乗ってはいますが、
うちは行政の助成や支援を受けている事業じゃないし、
わたしひとりでできることは限られています。
うわさは気にしてもキリがないし、みんなから好かれようとしてもムリ。
慣れるまでは大変だけど、そういうことをじぶんで割り切れるようになると、
少し気持ちが楽になりますね。

山崎

とはいえ、そういうことに直面するとやはり時々、
息がつまるようなこともありますか?

そういうときは、すぐそこにある自然に触れて、スッキリ気分転換です。
これは東京にはない、よさですね(笑)。

森さんがみかん100%ジュースを作ってくださった

大崎上島は、みかんの産地としても有名。ワークショップ終わりで夜遅くに到着した山崎さんのために、森さんがみかん100%ジュースを作ってくださった。

「antenna」の店内

「antenna」の店内。バラバラに配置されたロゴタイプをじっくり見ていると、「造船」「観光農園」「レモン」といった、大崎上島を示すキーワードが浮かび上がってくる。

ほんとうは、メチャクチャよく考えて生きてるんです。

山崎

カフェにはどんなメニューがあるんですか?

午後1時からの開店で、フードは定番のフレンチトーストと
イタリアンサンドとアメリカンワッフル。
イタリアの生ハムやうちの庭で育てたルッコラなど西洋の食材と、
島のパンやジャムなどをミックスして使っています。
外国の要素と島の要素をミックスしたものにしたいんです。

山崎

この店全体のテーマがそんなイメージですね。

まだまだ観光地として特別有名なわけでもないので、
島のおみやげ販売だけではむずかしい。
ビジネスの勉強をしたわけではないですが、はじめのうち、
お客さんの8割は島のひとかなって考えていました。
あとは、経歴も変わってるからメディアがおもしろがって
取り上げてくれるだろうなっていうのも読んでいたり……。

山崎

そこまで? じっくりはなしを聞いていると、
実はすべてがものすごく計画的ですよね。

ええ、スタンドプレイヤーに見られがちですが、実はね(笑)。
小さなことだと、あいさつは必ずするとか、
いちどお会いした方のお顔や名前はなるべく覚えるとか、
会合のお誘いには必ず顔を出すようにするとか、
東京とは違う、この島のコミュニティで暮らすために必要だと思われる心がけも、
わたしなりにちゃんと実行しています。

山崎

うん、とても大事なことですね。

それと、そもそも「森ルイ」っていう名前が本名じゃないんですよ。

山崎

ええっ! 名前も?

そうです。姓も名も、まるごと。
ほら、島に来るようになった時期と離婚(姓が変わる時期)とが
前後していたじゃないですか。
途中で名前が変わるって、いろいろ面倒だなあと思って、はじめから。

山崎

やっぱり、メチャクチャ考えてますね……。

そうなんですよ。勢いで家買って、勢いで島に来て、
勢いでカフェやってるみたいに見えますけど、
実は人生のどのタイミングでもずいぶんしっかり考えてるんです(笑)。

山崎

あ、でも、たしかご自宅の屋根の瓦に「森」って漢字が入ってませんでしたっけ?

あれが先にあって、「そうだ、森にしよう!」って。

山崎

そうだったんだ!

外国人にも説明しやすいし、そのうち戸籍も改名しちゃおうかなというくらい、
気に入ってます。

山崎

印象に残るというか、覚えやすいですもんね。

実際に、多くの雑誌やテレビに取材をしていただいて、とても助かっています。
ま、そんなわたしの戦略などおかまいなしに、
「ママさん、冷コ(アイスコーヒー)!」と言う、
愛すべき常連さんもいますけどね(笑)。

(……to be continued!)

フレンチトースト

HOGALAKAのもちもち食パンを使ったフレンチトーストに、カナダ産のメイプルシロップと大崎上島の柑橘ジャムをトッピング。

生果実を使った贅沢なジャム

メニューにも使われている生果実を使った贅沢なジャムは、大崎上島土産に最適。そのおいしさはもちろんのこと、ちょっとレトロなラベルのかわいさにも注目。

ショップコーナー

ショップコーナーには、ジャムなどの地元特産品と、東京で買い付ける北欧やパリのカラフルな雑貨、輸入食材などが同居する。メニュー同様、大崎上島×外国というコンセプトで。

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住所:広島県豊田郡大崎上島町中野1841-12

TEL:090-2906-0930

営業時間:13:00~19:00

営業日:木曜~日曜と祝日のみ営業

Web:http://www.osaki-kamijima.jp/antenna/

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LOUIS MORI 
森 ルイ

1978年東京生まれ。警視庁警察官として女性白バイ隊員やロシア語通訳などの勤務を経た後、2010年ブライダルコーディネーターへの転職を目指し退職。その後の離婚を機に瀬戸内海の大崎上島に築80年の古民家を購入してIターン移住。カフェ&ショップ『antenna』オーナー、クラシックバレエ教室主宰。WWOOF(ウーフ)ジャパンホストとして世界中の人々と島暮らしをシェア。自称・大崎上島観光親善大使。

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RYO YAMAZAKI 
山崎 亮

1973年愛知県生まれ。大阪府立大学大学院地域生態工学専攻修了後、SEN環境計画室勤務を経て2005年〈studio-L〉設立。地域の課題を地域の住民が解決するためのコミュニティデザインに携わる。まちづくりワークショップ、住民参加型の総合計画づくり、建築やランドスケープのデザイン、パークマネジメントなど。〈ホヅプロ工房〉でSDレビュー、〈マルヤガーデンズ〉でグッドデザイン賞受賞。著書に『コミュニティデザイン』。

大崎上島 Part2 「ダメだったら?」の次の手は 考えておく。

山崎亮 ローカルデザインスタディ
大崎上島編・目次

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山崎さんがワークショップのために何度か足を運んでいる瀬戸内海の大崎上島。
人口約8,300人のこの島に、築80年の古民家を購入してIターン移住した女性がいます。
カフェ&ショップを営みながら、自分らしく生活をアレンジして
島の暮らしをたのしむ森ルイさんに、そのいきさつや今の暮らしぶりをうかがいます。

「島に惚れた」という素敵物語ではないですから。

よく、「島に惚れ込んでやって来た」と語られることがあるんですけど、
実はそうじゃないんですよね。

山崎

すべてが同時に動いた、という感じだったわけですね。

それに、この家に出会わなかったら、
またちがうまちに住んでいた可能性だってあるし。

山崎

それまでに島へは何度くらい来てたんですか?

1年に1回ペースで……5回くらいですかね。

山崎

たったの5回ですか? 
ふつうは、気になっても1か月に1度くらい足を運んで
知り合いづくりやしごと探しをしたりするだろうし、
移住を決意してからもまずは借りて住んでみて、
と「段階」を踏むと思うので、かなり特殊ですよね(笑)。

特殊だと思います。先に友だちが移住してたから、ということも、
縁ではありますが、理由ではないですね。

山崎

じゃあ、即決で家を買ってすぐに島へ?

2010年の3月末に退職、秋には離婚成立という流れだったので、
半年の間は、島と東京の半々生活でした。
それで、せっかくなら東京にいる間にできることをやりたいと思って、
「スクーリング・パッド(*1)」のデザインコミュニケーションコースを
受講しました。

山崎

お、そこで「スクーリング・パッド」なんですね。

元警察官で離島に家を買って……という自己紹介だけで
「なにそれ?」っていう状況ですが(笑)。

山崎

相当のインパクトですよね(笑)。

6月には同期や代表の黒﨑輝男さんも島に遊びに来てくれたりして。
その体験が、島に焦点をあてる「離島経済新聞(*2)」が生まれる
ひとつの大きなきっかけにもなりました。
リトケイ立ち上げ当初のWebトップページが大崎上島だったのは、そのためです。

山崎

そんなつながりがあったんですね。黒﨑さんの存在ってやっぱり大きいですか?

神! みたいな感じではないですけどね(笑)。
ただ、これからの人生にデザインの力や人脈は必要だと感じていたので、
じぶんへの大きな投資という感覚でした。
黒﨑さんには当時もいまもずいぶん気にかけてもらっていて、
とても感謝しています。

山崎

いろんなところでそうやって、じんわりとひとに影響を与えている方ですね。

その間は、夜行バスで島と東京を行き来しつつ、
ついでにバックパッカー的に荷物を少しずつ移動していたという感じです。

山崎

ちいさい引っ越しを繰り返してたわけだ(笑)。

*1 スクーリング・パッド:デザイン、レストラン、映画、農業というテーマを掲げた4つの学部からなる、起業・独立・転職・スキルアップのための専門スクール。廃校を利用した「世田谷ものづくり学校(IID)」を拠点にしている。http://www.schooling-pad.jp/

*2 離島経済新聞:6852島からなる日本にある、約430島の有人離島情報専門のウェブマガジン。タブロイド紙『季刊リトケイ』も発行する。スクーリング・パッドで出会った編集者とデザイナー数名から誕生。略称・リトケイ。http://ritokei.com/ コロカル記事『PEOPLE vol.004 鯨本あつこさん』

ふれあい工房HOGALAKA

森さんが大崎上島に出会うきっかけとなった友人が店長をつとめる「ふれあい工房HOGALAKA」。

広いキッチンに立つ森さん

東京だと、このなかにお店が1軒収まってしまいそうなくらい広いキッチンに立つ森さん。

「antenna」店内

「antenna」店内のリフォームも仲間たちと手がけた。

次のステップのための余力を残したはたらき方。

山崎

この「antenna」はもともと何だったんですか?

「アンテナショップ玉手箱」という、道の駅的なお土産物屋さんでした。
当初は自宅で民宿でも……と思っていたのですが、
通っているうちにここが空いたのを知ってカフェ経営にシフトしました。
いまも町の持ちものなので、町から借りてます。

山崎

どのくらい改装したんですか?

店舗デザインは、スクーリング・パッドの同期にお願いして、
床のビニールクロスをはがしたり壁を塗ったり、できることはひとりでやりました。

山崎

材料なんかもじぶんで手配して?

そうですね。半年通ってる間にごあいさつがてら
いろいろなイベントに顔出したりしながら「余ってるペンキないですか?」
なんて言ってると、快く譲ってくれるひとが現れたりしてね。

山崎

言ってみるもんですね(笑)。

もともと「借金はしない」「ひとを雇わない」と決めて始めたんです。
貯金がなくなったら、ほかのしごとに就いてもいいし、
ご近所の知り合いから野菜いただいて釣り糸を垂れる生活でも
2か月ぐらいいけるかな、とか、欄間でも売ってしのごうか、とか。
ダメだったらこうしようと次の手は考えておきますけど、不安はなかったですね。
周りのほうが心配してくれましたけど。

山崎

そうだろうね。

しかも店は週に4日しか開いてないし、毎日午後からしか開いてないし(笑)。

山崎

そうなの?

「なにやってんの?」ってよく言われます(笑)。

山崎

その間はなにをやってるんですか?

こう見えて、バレエ教室の講師もやってたりするんですよ。

山崎

あ、そんな顔も持ってるんですね(笑)。

余力を残しておかないと、次へのステップの準備ができないなって思いがあって。
島でカフェをやることがわたしの人生の最終目標というわけではないですからね。

(……to be continued!)

「antenna」のテーブルで対談

「antenna」のテーブルは、造船所で使われる電気のケーブルを巻く木製ドラム。前の店でも使われていたものだが、「花柄のビニールクロスを剥がしたら、こんなにすてきなのが出てきたんですよ」と森さん。

別に借りている見晴らしのいいシェアハウス

森さんが自宅の「ルイの家」とは別に借りている見晴らしのいいシェアハウス。賃借契約が次の3月までなので、それぞれに、もう次のステップを考案中なのだとか。

information

map

antenna

住所:広島県豊田郡大崎上島町中野1841-12

TEL:090-2906-0930

営業時間:13:00~19:00

営業日:木曜~日曜と祝日のみ営業

Web:http://www.osaki-kamijima.jp/antenna/

profile

LOUIS MORI 
森 ルイ

1978年東京生まれ。警視庁警察官として女性白バイ隊員やロシア語通訳などの勤務を経た後、2010年ブライダルコーディネーターへの転職を目指し退職。その後の離婚を機に瀬戸内海の大崎上島に築80年の古民家を購入してIターン移住。カフェ&ショップ『antenna』オーナー、クラシックバレエ教室主宰。WWOOF(ウーフ)ジャパンホストとして世界中の人々と島暮らしをシェア。自称・大崎上島観光親善大使。

Web:http://blog.livedoor.jp/morilouis/

profile

RYO YAMAZAKI 
山崎 亮

1973年愛知県生まれ。大阪府立大学大学院地域生態工学専攻修了後、SEN環境計画室勤務を経て2005年〈studio-L〉設立。地域の課題を地域の住民が解決するためのコミュニティデザインに携わる。まちづくりワークショップ、住民参加型の総合計画づくり、建築やランドスケープのデザイン、パークマネジメントなど。〈ホヅプロ工房〉でSDレビュー、〈マルヤガーデンズ〉でグッドデザイン賞受賞。著書に『コミュニティデザイン』。

大崎上島 Part1 東京に暮らしている理由がなくなった。

山崎亮 ローカルデザインスタディ
大崎上島編・目次

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山崎さんがワークショップのために何度か足を運んでいる瀬戸内海の大崎上島。
人口約8,300人のこの島に、築80年の古民家を購入してIターン移住した女性がいます。
カフェ&ショップを営みながら、自分らしく生活をアレンジして
島の暮らしをたのしむ森ルイさんに、そのいきさつや今の暮らしぶりをうかがいます。

32歳。人生の転機が一度に同時にやってきた。

山崎

お待たせしてすみません!

いえ、とんでもない。
山崎さんが講師をされている「カッコいい過ごし方」図鑑のプロジェクト、
順調そうですね。

山崎

島の外の人が憧れるような大崎上島の「カッコいい過ごし方」を
カタログ的な図鑑にまとめています。
3月に発表の予定だから、これからが正念場ですね。
講演会で初めて島に訪れたときに立ち寄ったのがこのカフェだから、
なんだか感慨深いです。

あれはオープン直後だから、1年半前になりますね。

山崎

そもそも、森さんとこの島とはどういうご縁があったんですか。

東京から瀬戸内ってずいぶん遠いし、まったく未知のエリアだったのですが、
たまたま友人のパン職人が6年前ぐらいにこちらに移住していて、
年1回ペースで遊びに来ていたんです。
ストレスの多いしごとだったので、疲れを癒しに(笑)。

山崎

当時はどういうしごとを?

警視庁勤務で、白バイに乗ってました。

山崎

おお!(笑)

短大卒のハタチから働いて、29歳で結婚するのですが、
そのときに結婚式をセルフプランニングしたのがおもしろくて、
ブライダルコーディネイターのしごとに興味をもちはじめていたんです。
こういうしごとも向いてるかもしれないなあ、なんて。ところがですよ……。

山崎

……ところが?

いよいよこの年度末で退職、ということが決まった矢先に、
離婚することになりまして。

山崎

ええっ!

退職して離婚したら、東京にいる理由がなくなっちゃって。

山崎

そうかぁ。

都心で新しいしごともまだ見つかってないのに
高い家賃を払い続けるのも考えものだし、
かといって、実家に出戻りみたいなのも面倒でしょう(笑)。
ちょうどいい機会だから、生き方を変えてみようかなって。

山崎

語学が堪能だったら、海外という選択肢もあった?

そうですね。でも、そのとき32歳になってしまっていたから、
ワーキングホリデー制度も使えなくて。
留学しても、結局は戻って来なければいけないし、
やっぱり日本に拠点は必要だなと決断したんです。

図鑑「探られる島」

山崎さんが現在この島を訪れているのは、「探られる島」の大崎上島版ともいえる、大崎上島の「カッコイイ過ごし方」図鑑制作のため。ワークショップを行ったstudio-Lのメンバーと、参加者たちがワイワイたのしげに打ち上げる中での対談となった。

森さんが暮らす大崎上島の古い家の屋根瓦

森さんが暮らす大崎上島の古い家の屋根瓦。随所にこだわりが見られるこの家を建てた方は、どうやら地元の船長さんだったとか。

自宅「ルイの家」に並べられたボトル

自宅を「ルイの家」と名付け、WWOOF(ウーフ)ジャパンホストとして世界中の人々と島暮らしをシェアしている。これも彼女らしいオリジナルな生活スタイル。

きっかけは、たまたま見つけた一軒家。

山崎

そのとき、貯金がいくらぐらいあったのか、教えてもらえますか?

社会人になってからわりと計画性をもって貯めていた貯金が少しと、
退職金が300万。プラスαで財形貯蓄とか
そういうので100万ちょっと、ぐらいでしょうか。

山崎

32歳でそれだけあったというのは、エライですね。

短大を卒業してから、将来に向けてある程度貯蓄を心がけていましたから、
スグに飢え死にはしない程度には考えてありました。

山崎

でも、無職なうえにそれが毎月家賃で消えていくと想定したら、
やっぱり心もとない金額なのか。

ええ。都心だと家賃だけで7〜8万はかかるでしょう。
1年で100万。300万だと、賃貸マンション3年分。
でも、もしかして大崎上島だと300万円あれば一軒家が買えるんじゃないの?
って思いついたんです。

山崎

なるほど!

それでさっそくネット検索してみたら、
理想的な一軒家がひょっこりと出てきたんですよ。

山崎

この小さな島の物件情報がWebサイトにあがってたんですか?

そうなんですよ。住所は広島県なので、県の空き家バンクに登録されていたんです。
1軒しか出てこなかったんですけどね(笑)。
1枚だけ載ってた玄関の写真だけを見て、「ここだ!」って。

山崎

それはすごい出会いのような気がします。

すぐに友人に内覧してもらって、
大きな改修をしなくてもそのまま住める状態だとわかりました。
しかも価格が350万円。ほぼ即決でしたね。

山崎

ちょうど退職金分にして、東京の家賃約3年分。
そう考えると、かなりかしこい買い物になるわけですね。

(……to be continued!)

自宅「ルイの家」

島というより、まるでこの家に導かれるようにして人生の舵を大きく切ることになった森さん。

窓はなんと回転式

Webに掲載されていたたった一枚の写真でこの家に惹かれた理由のひとつは、サッシでなく、趣のある木製の建具もそのまま残されていたから。この窓はなんと回転式。訪れる建築系の知人たちにとっても、とても興味深いものらしい。

窓から燦々と陽がさしこむ「ルイの家」2階

「ルイの家」2階。窓から燦々と陽がさしこむ、とても気持ちのよい空間。内装や庭の手入れなどこまごまと必要なことは、ウーファー(宿泊者)の中で得意なひとが得意な分野を少しずつ手伝ってくれる。

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antenna

住所:広島県豊田郡大崎上島町中野1841-12

TEL:090-2906-0930

営業時間:13:00~19:00

営業日:木曜~日曜と祝日のみ営業

Web:http://www.osaki-kamijima.jp/antenna/

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LOUIS MORI 
森 ルイ

1978年東京生まれ。警視庁警察官として女性白バイ隊員やロシア語通訳などの勤務を経た後、2010年ブライダルコーディネーターへの転職を目指し退職。その後の離婚を機に瀬戸内海の大崎上島に築80年の古民家を購入してIターン移住。カフェ&ショップ『antenna』オーナー、クラシックバレエ教室主宰。WWOOF(ウーフ)ジャパンホストとして世界中の人々と島暮らしをシェア。自称・大崎上島観光親善大使。

Web:http://blog.livedoor.jp/morilouis/

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RYO YAMAZAKI 
山崎 亮

1973年愛知県生まれ。大阪府立大学大学院地域生態工学専攻修了後、SEN環境計画室勤務を経て2005年〈studio-L〉設立。地域の課題を地域の住民が解決するためのコミュニティデザインに携わる。まちづくりワークショップ、住民参加型の総合計画づくり、建築やランドスケープのデザイン、パークマネジメントなど。〈ホヅプロ工房〉でSDレビュー、〈マルヤガーデンズ〉でグッドデザイン賞受賞。著書に『コミュニティデザイン』。

別府 北高架商店街

高架下の小さな商店街の、新しい動き。

別府駅から徒歩数分のところにある「北高架商店街」。
文字通り、JRの線路の高架下に店が連なる、50メートルほどの小さな商店街だ。
昔は飲み屋街だったそうだが、いまでは新旧さまざまな店舗が並んでいる。

まず、ぱっと目につくのが、商店街入り口に面した「CUE CAFE+(キューカフェ)」。
2011年の4月にオープンしたカフェ&ギャラリーだ。
「店名は、スタートの合図で使われる“キュー出し”のキューから。
人が出会ったり、何かが始まったりする場所になればと思って」と、店主の木部真穂さん。
白を基調とした明るく気持ちのいい店内には、アーティストの作品が展示されている。
特に地元の作家をバックアップしたいという木部さんのもとには、
さまざまなアーティストが集まってくる。

取材時は、昨年埼玉県から別府に移住したというイラストレーター、
hiraさんの作品が展示されていた。
「こっちに来てとてもよかったと思っています。
まちもちょうどいい大きさで、人とのつながりもあります。
もともと別府はよそ者を受け入れてくれる気質があるのだと思います」とhiraさん。
別府で体験したことを描いた絵が注目され、いまでは地元のタウン誌や
駅ビルのフロアガイドなどに彼女の絵が掲載されるまでになった。

文字通り高架の下にある商店街。その入り口に面したところにあるのが「CUE CAFE+」。

店内ではhiraさんの展覧会を開催中だった。別府のまちを描いた絵などが展示されている。

別府の特徴的なものをイラストにあしらった単行本サイズのブックカバーもhiraさんのデザイン。

CUE CAFE+ができてから、商店街に新しい動きが出てきた。
木部さんのご主人の友人である日名子英明さんが経営するブック&レコードショップ
「ReNTReC.(レントレック)」が移転してきたのだ。
それ以前は別府タワーの4階でお店を経営していたが、
フロア全体がカラオケボックスになるというので新たな出店先を探していたところ、
この場所に行き着いた。
「お店というよりも、シェアスペースがほしかったんです。
いろいろな業種の人が集まってものをつくっていく。
とにかく場所が大事だと思いました」と日名子さん。

別府で生まれ育った日名子さんは、別府の盛衰を見てきた。
1ドル365円の時代が終わり、円が強くなってくると、観光客は海外に流れた。
また国内旅行も、別府から湯布院に流れていった。
やがて、賑わっていた商店街のシャッターの多くが下りたままになった。
「20年くらい前ですが、県外から来た友人が商店街を見て、
終わってるわ、とぼそっとつぶやいたのが悔しかった」

やがて2000年にAPU(立命館アジア太平洋大学)という大学ができ、
まちに学生が歩くようになった。
2009年には現代芸術フェスティバル「混浴温泉世界」もスタートし、
まちに少しずつ活気が戻ってきたという。

「ReNTReC.」店内には近頃はあまり見ることのないアナログ盤がたくさん。セレクトのセンスが光る。

レコードのほか、文化・芸術関係の本や、Tシャツなどの雑貨も。日名子さんの好きなものを集めた部屋のよう。

焦らず、ゆっくり続けていく。

今年の4月から、日名子さんと木部さんが中心となり、
北高架商店街で毎週土曜日にフリーマーケットを始めた。
でも、なぜフリーマーケット? という問いに、日名子さんはこう答える。
「僕はこれまでいろいろなイベントを企画してきましたが、
結局イベントって終わってしまうと何も残らないし、
ライブをやってもそのジャンルに興味のある人しか来ない。
セグメント化されたなかでイベントをやることに違和感を感じ始めました。
でもフリーマーケットって、本当にいろいろな人が集まってきて、何でもありなんです」

たしかに、物を売っている人だけでなく、
絵を描いている人もいたり、遊んでいる子どもたちもいる。
通路にはテーブルが置かれ、なんとなくおしゃべりをするだけの人もいる。
そしてこのフリーマーケット、毎週開催というのもポイント。
「イベントにしたくなかったんです。
月に1回だとそのたびにリセットされてしまう。
たとえたくさん集まらなくても、毎週土曜日の10時から、
ここに人がいるという場にしたかったんです」

フリーマーケットの名前は「Slowly Market」。
日名子さんは「ゆっくり、ゆっくり。人が集まらないと焦ったり、
落ち込む必要はまったくない。まずは自分たちの宣伝も含めて、
人に来てもらうための、ひとつのアクションだと思っています」という。

物を売るだけのフリーマーケットではなく、子どもたちが自発的に始めた「つばめ図書館」という子ども図書館も。

CUE CAFE+のすぐ外で絵を描いていたのは、別府のアーティスト二宮敏泰さん。まちに出て描き、CUE CAFE+で展示するそう。

このような活動にとても理解があり、自由にやらせてくれて本当にありがたい、
と商店街の人たちが口を揃えるのが、この場所を管理する
JR九州グループの会社「別府ステーション・センター」の中村 勇社長。
北高架商店街だけでなく、駅のお土産屋なども管轄する会社の代表だ。
中村さんは昨年の6月に福岡から転勤してきた。
福岡では駅ビルをつくるなどの新しい開発の仕事が多く、いまとは全然違う仕事だった。
「来たばかりの頃はCUE CAFE+はあったけれど、
こうなるとは全然思っていませんでした。
この場所を任されたのはいいけれど、さてどうしようという感じでした」と笑う。

みんなに「社長、社長」と呼ばれてはいるが、「社長」然としたようすはなく、
フリーマーケットにもちょくちょく顔を出し、
商店街で起きていることを一緒に楽しんでいるかのようだ。
「面白いことをやってくれと言われて、ここに送り込まれてるんで」と中村社長。

商店街の壁面や柱に絵を描いているのは、アーティストの寺山 香さん。寺山さんの頭の中にある物語を描いている。絵は天井や地面にも描かれ、増殖中。

なんと男子トイレの壁面にも寺山さんの絵が。トイレをきれいにしたかったという中村社長のアイデア。

突然、にぎやかなパレードが現れた。さまざまな楽器を手にした彼らは、大分を中心にイベントやパフォーマンスを行っている「宇宙図書館」の「ゆらゆらチンドン隊」。

7月には「Ontenna」というショップが新たにオープンした。
奥さんが古着や洋服のリメイクを、旦那さんがバイクや自転車のカスタムをするお店で、
東京なら下北沢か高円寺にありそうな雰囲気。
ここで、9月に秋冬のファッションショーが行われた。
モデルは商店街のお店の人たちや近所の人たちで、子どもも参加。
窓の建具を外して、お店の中がまるで立体の紙芝居のようになり、
物語性のあるショーが、バンドの生演奏つきで披露された。

そのときの動画がこちら。

「Ontenna」の三浦 温さんは別府出身。大分市でお店をやっていたが別府に戻ってきた。「ここには古き良き別府が残っています」と三浦さん。

ほかにも、ニット作家の竹下洋子さんのお店が10月にオープン。
竹下さんは、別府のアーティストたちの制作と発表の場であり
住居でもある「清島アパート」にアトリエを構え、
この商店街にニットとテキスタイルのショップを開いた。
こうして人が人をよび、面白い動きが続いている。

ニット作家、竹下洋子さんのショップには鮮やかでかわいいデザインの服が並ぶ。

長崎出身の竹下さんは、東京で自身のニットブランド「Yoko Takeshita」を立ち上げ、15年ほど活動したあと、約10年前に国東半島に移住。服の縫製も染織も大分で行っている。

日名子さんたちの試みは、始まったばかり。
これが継続していって、さらに新しい動きが生まれていくことを夢見ている。
「たとえば人が流れてきて、このフリーマーケットで物を売って生活費を稼いで、
ここで生活していく人が出てきたら面白い。
ほかでも火がついて、そういう場所が別府に増えていったり、
別府だけではなくて大分全体、九州全体にも飛び火して、
点が線になり、人が回遊していくと面白いと思います。
そのためにも、まずここで人を集めたいと思っています」

「変化していかないと面白くない。それが文化だと思います」という日名子さん。

秋田 Part4 「のんびり=ノンびり」がいい。

山崎亮 ローカルデザインスタディ
秋田編・目次

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「Re:S(りす)」代表の編集者・藤本智士さん。
秋田から発行するフリーマガジン『のんびり』が注目を集める藤本さんと
山崎さんの対談を4回にわたりお届けします。

「のんびり」っていうだけでニコッとなれる。

藤本

ぼくはいま、『のんびり』をつくることで秋田を盛り上げながら、同時に、
ここだけでなく、どのまちでも起こせるやり方をここで見つけているんだ、
と思っています。

山崎

東京ではない、どのまちでもできること。

藤本

おしゃれでかっこいいフリーペーパーは地方にあふれているんだけれど、
編集までおもしろいと思えるものがあるかというと、ないんです。
なぜなら、どうしても東京の出版物のまねごとをしてしまうから。
でもそうじゃないよね、というあたらしいカタチは、
ぼくはいま東京でやろうと思わないし、むしろ東京でやるより
秋田でやるほうが「できるし、届く」と思っています。

山崎

少しはなしが遡りますが「秋田が最前線だ」というのはどういうところですか。

藤本

生活的なランキングとか経済指標みたいな、従来の物差しで語ると、
最前線どころか、正直、全国でも秋田は
常にビリのほうを走ってきたと思うんですよね。
でも、世の中が変わってきて、みんな、逆にこういうところに
暮らしたいと思ってるんじゃないかなあって。
少なくともぼくはそう。

山崎

なるほどね……。

藤本

とにかく、のんびりがあふれている、というのが秋田の第一印象。
取り残されているもの、のんびりしすぎた部分がほんとうにたくさんある、
まだまだデザインされてないものがたくさんあるというのは、
ぼくにとっては逆に強みなんです。
少し前のぼくなら、それをデザインしたい! と思ったけれど、
いまでは「そのままで、いい」って思える。
そういうこところがしっくりくるんです。
まさに、のんびりが「ノンびり=ビリじゃない」だということ。
この「のんびりさ」を世の中に押し出したいんです。
だって、「のんびり編集長」って肩書き、
めちゃくちゃのんびりしてそうでいいでしょう?(笑)

山崎

うん、いい(笑)

藤本

ほんまはセカセカしてるんですけどね(笑)。
「のんびり」っていうだけでニコッとなれる。
そんな魅力が秋田にはあると感じているんです。

読者からのお便りに目を通す藤本さん

『のんびり』創刊号を手にした読者から届いたお便りすべてにじっくりと目を通す藤本さん。

『のんびり』の編集会議

藤本編集長を囲み、デザイナー、カメラマン、編集者……地元のクリエイターたちと、地域資源に詳しいNPOの職員さんが集まる編集会議。

いまは人口減少先進地こそが最先端だ。

山崎

ぼくは藤本さん的な感覚は持ち合わせていないので、
データに基づくはなしになるのですが、
「このまちが、日本でいちばんだ」というプレゼンテーションは、よくやるんです。
秋田、山形、和歌山、島根、山口、長崎は、
この5年間に人口がかなり減っている都道府県なんです。
でも、2020年になると東京や神奈川も人口減少が起きると予測されている。
つまり、人口増加してきたこれまでの時代は、当然、人口が多いところ、
つまり東京でなにが起こっているかを学んできた。
でも、これからは人口が減っているとろに向っていくんです。

藤本

うん、そうですね。

山崎

海士町の離島が注目されているのも、
やっぱりみんなそこが気になっているからなんです。
単に人口が減ってショボショボしているのではダメで、
それでもイイネって思えるような暮らし方をしている人口減少先進地こそが
実は最先端だ、とぼくたちも言ってきたんです。
だから、「秋田がノンびり」だというのはまさに言い得て妙だなぁ、と。

藤本

旅をしているとそういうことを実感しますよね。

山崎

ほんとうに。

藤本

東京で生活しているひとだって、個人では
「果たしてこれまでのようにモノが売れていくのだろうか」って
ギモンに思っているんだけれど、会社としてはそれでは困るから
気持ちを押し殺してしまう。
だから、個人の思いのレベルでちゃんと変わっていく勇気みたいなものを、
どうすれば与えられるのか、ということを考えたい。
そういう思いをアウトプットすることが、
いまの編集者としての役割だと思っています。

山崎

『のんびり』は、どのくらいの間隔で作っているんですか。

藤本

1年間に4号発行の約束なので、このあと年内に3号が出て、
年明けに4号の予定です。

山崎

どこで手に入るの?

藤本

基本的には秋田県外に秋田をPRする媒体なので、
県外に1万5000部、県内に5000部くらいです。
県が発送しますが、小さな雑貨店、ギャラリーから大きな美術館まで、
送り先リストは全部ぼくが出しています。

山崎

うーん、そこまでやるんですね。すごいなあ。

藤本

ぼくがいちばんイヤなのは、行政の支援がなくなってハイお終い! になること。
ぼくとしごとすること、東京の写真家と一緒に組むことで、
秋田のクリエイターの経験値を上げてあげたいし、強さを残してあげたいんです。
そうでなければ意味がない。

山崎

「授人以魚 不如授人以漁〜魚を与えるのではなく魚の釣り方を教えよ」
という中国故事があるけれど、つまり、
ぼくたちコミュニティデザイナーがやっていることと同じなんですね。

藤本

そうですね。みんながこのプラットフォームでいろんなチャレンジをして、
どんどん成長していけばいいと。そう思っています。

秋田市大森山動物園を訪れた藤本さん

間もなく発刊される『のんびり』vol.3の取材のため、秋田市大森山動物園を訪れた藤本さん。藤本さんの琴線に触れたのは、あらいぐまの飼育。従来型の観光ガイドブックにはきっと載らない物語がそこに。

対談中の藤本智士さん、山崎亮さん

ここ数年、別々のフィールドで日本全国のありようを現地でじっくりと見てきたふたりが、奇しくも同じ思いを口にする。「藤本さんが秋田が最先端だ、と言ったとき、思わずドキッとしました」(山崎)

profile

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SATOSHI FUJIMOTO 
藤本智士

編集者/有限会社りす代表 1974年、兵庫県西脇市生まれ。

2004年に出版した『すいとう帖』をきっかけに、「マイボトル」という言葉を生み出し、現在のマイボトルブームをつくる。2006年雑誌『Re:S(りす)』を創刊。11号で雑誌休刊するまで、編集長を務める。その後自らの会社名を「Re:S(りす)」と変更。

Re:S=Re:Standard(あたらしい、ふつう)を単なる雑誌名とせず、様々な書籍や展覧会やものづくりをとおして、Re:Sを体現していく編集活動が話題を集める。最近では、デジタル時代にアルバムの大切さを伝えるべく開催した「ALBUM EXPO」(大阪/名古屋にて開催)、3人のデザイナーとの旅の記録を展示化した「日本のデザイン2011 Re:SCOVER NIPPON DESIGN」(六本木ミッドタウン)の企画・プロデュース。国土交通省観光庁をとおして、全国の小、中、高の図書館に寄贈された、ジャニーズ事務所の人気グループ嵐による『ニッポンの嵐』の編集、原稿執筆を手がけるなどで話題に。近著に『ほんとうのニッポンに出会う旅』(リトルモア)。イラストレーターの福田利之氏との共著として『Baby Book』(コクヨS&T)がある。現在、秋田県より全国へ発行されているフリーマガジン『のんびり』の編集長を務める。

Re:S(りす):http://re-s.jp/

『のんびり』:http://non-biri.net/

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RYO YAMAZAKI 
山崎 亮

1973年愛知県生まれ。大阪府立大学大学院地域生態工学専攻修了後、SEN環境計画室勤務を経て2005年〈studio-L〉設立。地域の課題を地域の住民が解決するためのコミュニティデザインに携わる。まちづくりワークショップ、住民参加型の総合計画づくり、建築やランドスケープのデザイン、パークマネジメントなど。〈ホヅプロ工房〉でSDレビュー、〈マルヤガーデンズ〉でグッドデザイン賞受賞。著書に『コミュニティデザイン』。

秋田 Part3 ぼくが秋田に本気でワクワク した理由。

山崎亮 ローカルデザインスタディ
秋田編・目次

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「Re:S(りす)」代表の編集者・藤本智士さん。
秋田から発行するフリーマガジン『のんびり』が注目を集める藤本さんと
山崎さんの対談を4回にわたりお届けします。

梅原真さんとの初対面が秋田県庁だった。

山崎

秋田にはどういうきっかけで?

藤本

いちばん最初は2008年の『Re:S』の取材ですね。
青森帰りに羽後町の花嫁道中という雪のなかのお祭を見て、
すごく感動したんです。それ以来、冬の秋田にハマって、
しごとでもプライベートでも自家用車で通ってました。

山崎

ん? 駅からレンタカーじゃなく、自宅から車で?

藤本

そうなんですよ。ぼくにとって、旅は道中が大事なんで(笑)。
新車買って1年の点検で5万キロ走ってたみたいで、
さすがにディーラーさんにも驚かれました。

山崎

それは驚く(笑)。

藤本

昨年春に、東京ミッドタウン・デザインハブの企画展
「日本のデザイン2011 Re:SCOVER NIPPON DESSIGN」
というイベントの総合プロデュースを任されたんですが、
それまで名だたるデザイナーさんたちが行ってきたこの企画展を
ぼくがやるからには、自分のフィールドに持ってくるしかないな、と。
それで、デザイナーさんと一緒に「旅をする」ことにしたんです。

山崎

お、それは楽しそうだ。

藤本

そのとき主催者側へ出した条件はたったひとつ。
「このために超一流のデザイナーさんを3人選んでください」ということ。
さっきも話したように「3割の遊び」が成功するためには、
一流ではなく「超一流」でないとダメなんです。

山崎

なるほど。

藤本

それでご一緒したのが森本千絵さんと山中俊治さん、それに梅原真さん。
そのときに梅原さんとのスケジュールが全然合わなくて、
最終的に「秋田でなら」ということになり、初対面の梅原さんと
秋田県庁で待ち合せすることになるんです。

山崎

当時すでに、梅原さんは秋田県のイメージアップ戦略アドバイザーに
就任してますもんね。

藤本

はい。それ以降、少しずつ秋田で講演会に招いていただいたり、
県の職員や地元のクリエイターとお話する機会をいただいたり、
一方的に「こんなんあったらええなあ」っていうことをプレゼンしたりしてました。

神社にお詣りする藤本さん

旅先では、まずそのまちの神社にお詣りするという藤本さん。のんびり編集事務所に到着したら、なにはともあれ向かいのお稲荷さんにごあいさつ。

いよいよ県庁との打ち合わせ

和気あいあいなランチから始まったスタッフミーティングを経て、気分をひきしめいよいよ県庁との打ち合わせへ。

「どうにもならないことに対しての潔さ」に惚れた。

藤本

どこのまちでもだいたい共通するのは、行政や企業のおじさんたちって、
ぼくたちクリエイターとなかなかはなしが通じないってこと。

山崎

(笑)

藤本

でも、秋田では違ったんですよ。
みなさんの目の色がどんどん変わっていって、
「本気で変わらなくちゃ」っていう思いがちゃんと届いてる実感があったんです。
そういうことを経て、秋田をPRするメディアの発行という
動きがスタートしたので、ぼくは地元の若いクリエイターと組んで、
この『のんびり』を提案することになりました。

山崎

その子たちとはどうやって出会うんですか?

藤本

プライベートで通ってるころからの積み重ねですね。
じぶんたちの宝物は足もとにあることをはっきりと認識している彼らのことが、
ぼくは大好きなんです。それに、毎冬直面する大雪のような
「どうにもならないことに対しての潔さ」みたいなところもスゴイなぁって。

山崎

……なるほどね。

藤本

秋田県知事と梅原さんと、県民300人の前で鼎談する機会があったんですが、
そのときに知事が「わたしは秋田を誇りに思っている。
なにしろ秋田には、うまいメシとうまい酒がある!」って言い切って、
それを聞いた会場がドカーンと笑うのを見て、またスゴイなぁって。
なんて幸せなことなんやろうって。

山崎

うーん……深いですね。

藤本

「うちがいちばんおいしい」という絶対価値でなく
「そうか、アンタのまちもおいしいか。よかったな」と言える
相対価値みたいなものがこれからのスタンダードなんだって、
そのときに確信したんです。トップにこういう知事がいるなら、
このまちから日本を変えることができるんじゃないかって、
本気でワクワクした瞬間でした。

山崎

PRメディアの発行は県のしごとだから、
プロポーザルで選ばれたということですよね?

藤本

そうです。大手代理店が有名クリエイターと組んで
パワープレイでやってくるようなプロポーザルです。決まったときも
「これまでに見たことのないやり方を提案してきたあなたたちを選んだのは、
県庁としても大きなチャレンジです」とはっきり言われました。

山崎

いわば「賭け」ですよね。

藤本

県も腹をくくってるのがわかるし、ぼくらもそのことをちゃんと理解して
本気でがんばろうと思っている。リスペクトし合えるいい関係で、
お互いに気持ちよくしごとができているという実感があります。

山崎

これもまた、さっき出てきた「潔さ」なのかもしれませんね。
この「どうにもならないことに対しての潔さ」って、
秋田のみならず、中山間離島地域に共通する観念のようにも思います。
都市郊外育ちのぼくはまったく持たない感覚だったので、
はじめのうちは苦労の連続でした。
たとえば今日は嵐でフェリーが運行しないとか、
まちにタクシーが1台しかないという日常のささいなことさえ、
「しょうがない」と思えるまで2年はかかりましたね。

藤本

うんうん、わかります。

山崎

藤本さんの編集の手法もぼくらコミュニティデザイナーのやり方も、
先に正解のアイデアを持って行くのではないというところが同じですね。
どちらも「そこへ行ってみて」なにが起こりうるかを探るという意味では
とても似ています。
そして、こんな風に始まりが不確かであいまいなやり方を飲んでくれるのは、
東京や大阪といった都市部よりも、圧倒的にローカルなんですよね。
ローカルのほうが、しなりとか順応性とか、そういう豊かさを感じます。

(……to be continued!)

「cocolaboratory」

リノベートビルにギャラリーやショップ、カフェが入居する「cocolaboratory」。秋田県内外で活躍する旬のクリエイターと出会えるスポット。http://cocolab.jugem.jp/

フリーマガジン『のんびり』を手に取る山崎さん

「秋田からニッポンのびじょんを考える」フリーマガジン『のんびり』を手に取る山崎さん。現在配布中のvol.2は、「与次郎きつね」をはじめとする秋田の伝説が特集されている。http://non-biri.net/

藤本智士さん

「県の長である知事が、なにしろ秋田には、うまいメシとうまい酒がある!って言って、それを聞いた300人の県民がドカーンと笑う。これって最高だなって思ったんですよ」(藤本)

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SATOSHI FUJIMOTO 
藤本智士

編集者/有限会社りす代表 1974年、兵庫県西脇市生まれ。

2004年に出版した『すいとう帖』をきっかけに、「マイボトル」という言葉を生み出し、現在のマイボトルブームをつくる。2006年雑誌『Re:S(りす)』を創刊。11号で雑誌休刊するまで、編集長を務める。その後自らの会社名を「Re:S(りす)」と変更。

Re:S=Re:Standard(あたらしい、ふつう)を単なる雑誌名とせず、様々な書籍や展覧会やものづくりをとおして、Re:Sを体現していく編集活動が話題を集める。最近では、デジタル時代にアルバムの大切さを伝えるべく開催した「ALBUM EXPO」(大阪/名古屋にて開催)、3人のデザイナーとの旅の記録を展示化した「日本のデザイン2011 Re:SCOVER NIPPON DESIGN」(六本木ミッドタウン)の企画・プロデュース。国土交通省観光庁をとおして、全国の小、中、高の図書館に寄贈された、ジャニーズ事務所の人気グループ嵐による『ニッポンの嵐』の編集、原稿執筆を手がけるなどで話題に。近著に『ほんとうのニッポンに出会う旅』(リトルモア)。イラストレーターの福田利之氏との共著として『Baby Book』(コクヨS&T)がある。現在、秋田県より全国へ発行されているフリーマガジン『のんびり』の編集長を務める。

Re:S(りす):http://re-s.jp/

『のんびり』:http://non-biri.net/

profile

RYO YAMAZAKI 
山崎 亮

1973年愛知県生まれ。大阪府立大学大学院地域生態工学専攻修了後、SEN環境計画室勤務を経て2005年〈studio-L〉設立。地域の課題を地域の住民が解決するためのコミュニティデザインに携わる。まちづくりワークショップ、住民参加型の総合計画づくり、建築やランドスケープのデザイン、パークマネジメントなど。〈ホヅプロ工房〉でSDレビュー、〈マルヤガーデンズ〉でグッドデザイン賞受賞。著書に『コミュニティデザイン』。

秋田 Part2 編集のチカラで 世の中を変えられると知った。

山崎亮 ローカルデザインスタディ
秋田編・目次

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「Re:S(りす)」代表の編集者・藤本智士さん。
秋田から発行するフリーマガジン『のんびり』が注目を集める藤本さんと
山崎さんの対談を4回にわたりお届けします。

ぼくらしい編集スタイルで「嵐」と向き合った。

山崎

雑誌の枠を超えて社名を「Re:S」としたところに、
藤本さんの強い意志を感じますね。

藤本

同時に、アングラの真逆とも言える
「超ド級のエンターテイメント」を知らなくちゃいけないな、と思ったんです。
フリーペーパーを作っていたときも同じことを思って、
関西ウォーカーで連載を持たせてもらったりしてたんです。
判断基準や価値観って、じぶんのなかに物差しがあるべきだから、
どこかでバランスを取りたくなる性分なんです。

山崎

ほぅ。

藤本

それで、2009年の1月に『Re: S』を休刊したときに、
「今年のうちにディズニーランドとジャニーズのコンサートに行く!」って
決めたんですよ。

山崎

なるほど、それは超ド級のメジャーだ(笑)。

藤本

ところが、ディズニーランドは行けても、
ジャニーズのコンサートってチケットが取れないから、
行きたくても行けないんですよね(笑)。
どうしたものかなあと思いあぐねているところに、やってきたしごとが
「嵐」の本だった、という……。

山崎

すごいなあ。そんなことがあるんですね(笑)。

藤本

それで作らせてもらったのが『ニッポンの嵐』なんです。
そうそう、これで海士町に行ってるんですよ。

山崎

あ、ほんとだ。

藤本

もともと『Re:S』を見てくださっての依頼だったので、
この本でもぼくの編集の手法をとりました。
つまり、2〜3割を彼らに委ねたんです。
決めすぎないゆるさって、ともすれば不安にもなるかもしれないのですが、
さすがに彼らはプロフェッショナルにそこをやりきってくれた。
このことは、ぼくにとっての大きな自信にも繋がっていきました。

山崎

転機に、よい経験になったわけですね。

藤本

しかも、念願のコンサートにもちゃんと行けましたしね(笑)。

学校図書『ニッポンの嵐』

『ニッポンの嵐』は、国土交通省観光庁をとおして、全国の小、中、高の図書館に寄贈された非売品の学校図書。のちに、内容はそのまま完全縮小したポケットサイズも発売され、発行元収益のすべては東日本大震災の復興支援のために寄付された。藤本さんは、編集、原稿執筆を担当。

対談の様子

『ニッポンの嵐』で海士町のナビゲートをしてくれたのは、山崎さんもよく知る地元の面々。「クリエイティブに活動する若いひとたちがみんな、『Re:S』が好きだったと言ってくれて、ああ、ここまで届いてたんやなってしみじみとうれしかった」と藤本さん。

このまちで、編集というしごとを続けていたい。

藤本

こういう機会を経て、偶然性を大切にして作っていく
じぶんの編集スタイルを確立していくんですが、
ここで背中を押してくれたのが、まさに鶴瓶さんなんです。

山崎

ほぅ。

藤本

それまでは、一方的に好きだっただけなんですけどね。
ご縁があってお会いできたときに
「そうや、それでええねん。偶然でええねん」って言ってもらえたんです。

山崎

それはうれしい力になりましたね。

藤本

ほんと、ミラクルですよ(笑)。でも、このまちから、
全国に流通するものを作っていきたいと思っていましたから、ずっと。
こういったプロフェッショナルな方々と触れあいながら、
それを叶えられたことがじぶんの自信になってきました。
そんなときに、秋田に出会うわけです。

山崎

このスタイルって、東京でやるのはむずかしいんですか?

藤本

たぶんいちばんむずかしいですね。なんでも広告代理店が関わってきますから。
ひとの思惑が絡めば絡むほど、やりにくくなります。
ぼくのやり方は、いわば独裁者的ですから(笑)。
でも、それが編集の魅力だし、
だからこそ編集で世の中を変えられると思っています。

山崎

なるほど。

藤本

たとえば、フリーペーパーをやってるころに『すいとう帖』というのを作り、
マイボトルということばを使ったんですが、
それで水筒というものが再びスタンダードの座に返り咲きました。
折しも象印もタイガーも「国内で魔法瓶は売れない」と言っていた時代に、
世の中を少し変えたり、ひとを動かしたりできたことに、
純粋にわくわくしたんです。
だから、なにが正解かじゃなくて、じぶんに正直にまっすぐに、
編集の力を使いたいって思うようになりました。

山崎

どうして、東京ではやらないんでしょう。

藤本

お金の仕組みができあがってしまってるからでしょうね。
企業とのやりとりなど面倒なあれこれを代理店さんがやってくれて、
その代わりにクリエイターが守られる、というような。
でも、モノづくりの現場が潤ってほしいって思うんですよね。
間を取り持つひとがいちばん儲けるんじゃなくて。

山崎

うーん、たしかに。

藤本

雑誌の『Re:S』をやったときに、多くの編集者から
「うらやましい」と言われたけれど、
だからといってそれをじぶんでやろうとするひとはいませんでした。
できないんですよね、やっぱり。
みんなは東京が最先端だというけれど、そういう意味でも
ぼくは東京がいちばん遅れていると実感しています。
逆に、いま通っている秋田は「すごく先を行ってる」って感じますよね。

(……to be continued!)

フリーマガジン『のんびり』

今年度、藤本さんが編集長をつとめることになったのは、「秋田からニッポンのびじょんを考える」フリーマガジン『のんびり』。「秋田が最先端」だというその意味は?

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SATOSHI FUJIMOTO 
藤本智士

編集者/有限会社りす代表 1974年、兵庫県西脇市生まれ。

2004年に出版した『すいとう帖』をきっかけに、「マイボトル」という言葉を生み出し、現在のマイボトルブームをつくる。2006年雑誌『Re:S(りす)』を創刊。11号で雑誌休刊するまで、編集長を務める。その後自らの会社名を「Re:S(りす)」と変更。

Re:S=Re:Standard(あたらしい、ふつう)を単なる雑誌名とせず、様々な書籍や展覧会やものづくりをとおして、Re:Sを体現していく編集活動が話題を集める。最近では、デジタル時代にアルバムの大切さを伝えるべく開催した「ALBUM EXPO」(大阪/名古屋にて開催)、3人のデザイナーとの旅の記録を展示化した「日本のデザイン2011 Re:SCOVER NIPPON DESIGN」(六本木ミッドタウン)の企画・プロデュース。国土交通省観光庁をとおして、全国の小、中、高の図書館に寄贈された、ジャニーズ事務所の人気グループ嵐による『ニッポンの嵐』の編集、原稿執筆を手がけるなどで話題に。近著に『ほんとうのニッポンに出会う旅』(リトルモア)。イラストレーターの福田利之氏との共著として『Baby Book』(コクヨS&T)がある。現在、秋田県より全国へ発行されているフリーマガジン『のんびり』の編集長を務める。

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山崎 亮

1973年愛知県生まれ。大阪府立大学大学院地域生態工学専攻修了後、SEN環境計画室勤務を経て2005年〈studio-L〉設立。地域の課題を地域の住民が解決するためのコミュニティデザインに携わる。まちづくりワークショップ、住民参加型の総合計画づくり、建築やランドスケープのデザイン、パークマネジメントなど。〈ホヅプロ工房〉でSDレビュー、〈マルヤガーデンズ〉でグッドデザイン賞受賞。著書に『コミュニティデザイン』。

秋田 Part1 雑誌『Re:S』を捨てて 社名を「Re:S」に。

山崎亮 ローカルデザインスタディ
秋田編・目次

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「Re:S(りす)」代表の編集者・藤本智士さん。
秋田から発行するフリーマガジン『のんびり』が注目を集める藤本さんと
山崎さんの対談を4回にわたりお届けします。

出会い方のお手本は、笑福亭鶴瓶さん。

藤本

ようこそ! お久しぶりですね。

山崎

神戸に引っ越されたばかりなんですよね。
立地もいいし、気持ちのいい事務所です。
お、落語の本がいっぱいありますね。

藤本

好きでね、最近はiPhoneをジップロックに入れて浴室に持ち込んで、
お風呂のなかでよく聞いてます。山崎さんも、お好きですか?

山崎

半年前くらいから興味があるんですよ。
最近、じぶんがいろんなところで同じ話をする立場になってみて、
落語のように「同じ話を今日のおもしろさ」で話せないものかなあと
考えるようになって。勉強したいなあと思っているところです。
お風呂、いいですね(笑)。

藤本

ぼくのお手本は笑福亭鶴瓶さんです。
落語そのものというよりも、日常のエピソードをネタにしていく
「おもろいはなし」の手法。
高校生のころからTV番組の収録に通っていたくらい好きで、
「このひとは、なぜこんな奇跡的な出会いをするんだろう」ということに
純粋に興味を抱いていました。
「出会う能力」のヒミツを知りたかったんです。

山崎

出会う能力! それはぼくも知りたい。

藤本

でしょう?(笑)これは鶴瓶さんじゃないんですけれど、
その後、ダウンタウンのブレーンのひとりで
放送作家・脚本家の倉本美津留さんという方にお会いしたときに、
お笑いの現場の偶然性のおもしろさについて尋ねてみたことがあるんです。
そうしたら、100点満点のコント台本を書いても80点にしかならない。
でも、あえて台本を70点にして、3割の遊びを残しておくと、
芸人さんのポテンシャル次第で100点どころか
2000点が取れることがあるとおっしゃるんです。

山崎

うーん、なるほどね。

藤本

このはなしを聞いて、ああ、それがプロなんだ、と思ったわけです。
それを編集というフィールドでどれだけ発揮できるかということに挑戦したのが
雑誌の『Re:S(りす)』(*1)でした。

山崎

『Re:S』はそういうチャレンジだったんですね。

藤本

はい。いちおう設計図を描いてはおくけれど、
その通りにならなくてもいいっていうスタイルを叶えたくて、
クライアント=広告のない雑誌を作ろうとかね。

*1 『Re:S(りす)』:2006年に創刊された季刊誌。「Re:Standard あたらしい“ふつう”を提案する」をコンセプトに、編集長・藤本智士と編集部自ら日本全国を巡り、偶然の出会いをとりこみながら誌面を制作するという独自の編集スタイルを構築。富士フイルムやタイガー魔法瓶といった企業とのユニークなコラボレーションの試みも。11号で一時休刊を宣言、Webへと移行した。

2004年出版の『すいとう帖』

「マイボトル」ということばを生み出したのは2004年出版の『すいとう帖』。「それを見た象印の社長さんから直接電話がかかてきて、ぼくは自転車を飛ばしてすぐに会いにいったんです」。代理店の介在を必要としない、藤本さんらしい編集方法の始まりともいえる。

これまでも、捨てることから始まっていた。

山崎

あれは何号まで続いたんでしたっけ?

藤本

11号です。3年ぐらいやったので。
脳科学者の茂木健一郎さんが「偶優性」と言ったりするけれど、
決められたページ数をおきまりの企画で埋めていくのではなく、
2〜3割のアドリブをかましながら、
自分自身がわくわくしてクリエイティビティを感じる、ということに
ハマりきっていたんです。

山崎

本来は、それこそが編集者の腕の見せどころですよね。

藤本

ところが、そんなスタイルで始めた『Re:S』に
一定の読者がついて赤字にもならず安定したころに、次は
「でもこれって、アングラなことやってるんだよなぁ」と
矛盾を感じるようになったんです。

山崎

アングラ?

藤本

はい。ぼくがテーマにしている
「Re:Standard(あたらしい、ふつう)を提案する」は、
ベースが「ふつう」なんですよ。
なのに、極めて狭いところに『Re:S』を届けていないだろうかって。
マスに届けなければ意味がないんじゃないかと。
それで、一度『Re:S』を捨ててみようと。

山崎

そんな理由で休刊したとは知りませんでした。

藤本

ええ。『Re:S』の前には「パークエディティング」という社名で
フリーペーパーを発刊していたけれど、ブームによって、
Freeの意味が「自由」でなく「無料」になってしまって、フリーペーパーを捨てた。
その後、アートブックを作ったときは、書籍流通の壁にぶち当たって試行錯誤……。
これまでをふりかえってみても、結局、
じぶんが捨ててきたものの中にしか答えがないと気づいたんです。

山崎

なるほど……。

藤本

それで、雑誌の『Re:S』を捨てて、会社名を「Re:S(りす)」に変えたんです。

(……to be continued!)

「りす」の事務所

この秋「りす」の事務所を神戸に移転。「新卒で就職したのが大阪だったので大阪に事務所を構えていましたが、じぶんの帰る場所、帰る港ということを考えた時、それはやっぱり生まれた兵庫県だったんです」と藤本さん。

デザイン・クリエイティブセンター神戸

りすが入居する「KIITO/きいと」こと、デザイン・クリエイティブセンター神戸。神戸生糸検査所を改修した新館、旧館の2棟からなる地上4階建てのスペース。神戸市中央区小野浜町1-4 http://kiito.jp/

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SATOSHI FUJIMOTO 
藤本智士

編集者/有限会社りす代表 1974年、兵庫県西脇市生まれ。

2004年に出版した『すいとう帖』をきっかけに、「マイボトル」という言葉を生み出し、現在のマイボトルブームをつくる。2006年雑誌『Re:S(りす)』を創刊。11号で雑誌休刊するまで、編集長を務める。その後自らの会社名を「Re:S(りす)」と変更。

Re:S=Re:Standard(あたらしい、ふつう)を単なる雑誌名とせず、様々な書籍や展覧会やものづくりをとおして、Re:Sを体現していく編集活動が話題を集める。最近では、デジタル時代にアルバムの大切さを伝えるべく開催した「ALBUM EXPO」(大阪/名古屋にて開催)、3人のデザイナーとの旅の記録を展示化した「日本のデザイン2011 Re:SCOVER NIPPON DESIGN」(六本木ミッドタウン)の企画・プロデュース。国土交通省観光庁をとおして、全国の小、中、高の図書館に寄贈された、ジャニーズ事務所の人気グループ嵐による『ニッポンの嵐』の編集、原稿執筆を手がけるなどで話題に。近著に『ほんとうのニッポンに出会う旅』(リトルモア)。イラストレーターの福田利之氏との共著として『Baby Book』(コクヨS&T)がある。現在、秋田県より全国へ発行されているフリーマガジン『のんびり』の編集長を務める。

Re:S(りす):http://re-s.jp/

『のんびり』:http://non-biri.net/

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RYO YAMAZAKI 
山崎 亮

1973年愛知県生まれ。大阪府立大学大学院地域生態工学専攻修了後、SEN環境計画室勤務を経て2005年〈studio-L〉設立。地域の課題を地域の住民が解決するためのコミュニティデザインに携わる。まちづくりワークショップ、住民参加型の総合計画づくり、建築やランドスケープのデザイン、パークマネジメントなど。〈ホヅプロ工房〉でSDレビュー、〈マルヤガーデンズ〉でグッドデザイン賞受賞。著書に『コミュニティデザイン』。

番外編 公開講座 「コミュニティデザイナーという仕事」レポート

コミュニティデザイナーというしごとに実際に触れながら、
ひとのつながりが基盤となる新しい社会のあり方について考えたい。
札幌の北海道大学の大学院が主催し、札幌オオドオリ大学の協力で
山崎さんを招いた講座は、「いま、最も受けたい授業」でした。

コミュニティデザイナーって、どんなしごと?

夏のある日の北海道大学大学院環境科学院D201講義室。
階段式の大教室が、みるみる間に満席になります。
2010年度からすでに14組もの講師を迎えて、環境科学と異分野の連携を考えてきた
北海道大学環境科学院GCOEプログラム主催の公開セミナー「環境と、なにか」。

地域でのあたらしい学びの場づくりを目指すNPO「札幌オオドオリ大学」の協力もあり、
学生だけでなく多くの社会人も参加、参加者を巻き込む対話型の講座に、
コミュニティデザイナーの山崎亮さんが登場です。

コーディネーターは、フリーランスのメディア・ジャーナリストで
東海大学国際文化学部デザイン文化学科客員教授でもある渡辺保史さん。
まずは、文字通り「コミュニティデザイナーって、どんなおしごとなんですか?」
というおはなしから。

山崎さん、あるいは彼が代表をつとめる「studio-L」が、現在、実践として行っている
「コミュニティデザイン」のしごとは、おおまかにこの4つに分けられます。

4つに分類される「コミュニティデザイン」の仕事の図

左の項目ほどデザイン力、右の項目ほどマネジメント力が重視される、
もしくは必要とされる分野ですが、その両方の実力を兼ね備えているのが
山崎さんの強みであり、コミュニティデザイナーという肩書きのもつ意味でもあります。

本に書いた後の海士町のはなしをしよう。

島根県の離島、海士町は、人口およそ2300人。
そのなかに、地元継続居住者(ずっと住んでいる人)、
Uターン者(外から戻ってきたひと)、
Iターン者(約250人の移住者)が混在して暮らしている……。
このまちの総合計画を住民参加型で作っていくプロジェクトは、
山崎さんの代表著書『コミュニティデザイン』(学芸出版社刊)にも、
20ページを割いて紹介されています。

「そもそもまちづくりとは、なんて言いたいわけじゃない」と、山崎さんは言います。
Uターン者、Iターン者のみならず、元ヤンキーも、ブランド好きの主婦も、
一緒にやるから楽しいことがおこるんだ、と。
「現在、町民2300人中、約300人がまちづくりに関わっています。
これってたしかにすごいことかもしれないけれど、逆に、残りの2000人は、
なぜ関われないんだろうということを考える必要があります」

それから、海士町に限らず、限界集落のすべてを「活性化」することはむずかしい、
というリアルなはなし。
つまり、活性化一辺倒ではなく、現状を「維持」することや
「美しく」集落を「閉じる」ことも考えていかなくてはならない場合がある。
誰も苦しい思いをしないで済む方法はあるだろうか。

それはたとえば、集落支援員を育てる、派遣すること? 
たとえば、祭りの記録など、そこに集落があったことの記憶を記録すること……?
そういった方法を美しくデザインしながら考えていくなかで、
今や婚活や恋札の制作まで行うようになった山崎さんたちが、
次第にやってみたくなったこと。

それは「これを読めば、きっとそのひとに会いに行きたくなるガイドブック」。
店や観光地でなく、125名のひと(住民)を通してまちを紹介する、
その名も「コミュニティトラベルガイド」。この思いはカタチになり、
『海士人(あまじん)』というタイトルで今年の5月に出版され、書店に並んでいます。

海士町の住民参加型プロジェクトについて話す山崎さん

海士町の住民参加型プロジェクトについて話す山崎さん。「Uターン者、Iターン者、地元継続居住者も、一緒にやるから楽しいことがおこる」

コーディネイター・渡辺保史さんとの対話

渡辺

山崎さんのように「ひととひとを繋ぐこと」を仕事にするひとは、
今後増えるだろうか。
必要とされるなら、どういう力を養っていけばいいのでしょう。

山崎

ぼくたちはこれまで「デザインはひとの生活を豊かにする」と教えられてきました。
でも世の中はここ30年、「豊かさ」=モノではないと気づいてしまっている。
では、いまぼくたちは、なにをデザインすればいいんだろう、というところから、
ファシリテーションを学んだり、まちづくりのひとたちに学んだりして、
いまのしごとのカタチになってきたように思います。

また、専門家の知恵や技術を橋渡しできるスキルをもつひとというのも
必要とされるようになってきているように感じます。
ただ、つなぐだけのひとでは、なにをやってるのかわからない。
横につなげてさらに深さをもたらすことが求められます。

つまり、「T」の字のイメージ。でも、欲をいえば実は「T」でも足りなくて、
専門知を複数もつ「π」の字型を目指すべきではないだろうか、
それがぼくらに必要なスキルだといまは思っています。

渡辺

北海道についてどう思っていますか?

山崎

人口減少先進地の最先端になれそうですね。
大都市圏を持っているのに自然に人口が減るという
すごいことが起ころうとしているのですが、実はこれは世界にも例がありません。
たとえば北海道、大阪、和歌山と、群を抜いて人口が減りつつあるまちから
何が学べるでしょう。「では、何が起こるのか」を知らないひとが
あまりにも多いので不安にもなりますが、考え方を変えれば、
逆にいまのぼくたちが異常な時期に生きているのかもしれない、とも言えます。

そうであれば、幸福度と人口を過度に結びつけて
悲観することでもないのかもしれませんね。
少ない人口で幸せに生きていくことを考えればいい。
世界に向けて、北海道からその方法を発信していければいいですね。
もちろんこれには、相当高度でクリエイティブな発想が
必要とされるはずですけれど。

参加者との対話 —今日、山崎さんに聞いておきたいこと—

参加者A

過疎化が進むと、国を守れなくなるのでは?

山崎

外から攻められることより、中から崩壊していくことのほうが切実だと思いますね。
過疎というより「適疎(てきそ)」ということばで表現したい。
たとえば東京の満員電車なんて、過密すぎると思いませんか? 
適切にまばらなまち=適疎。
たとえば、ひとり1ヘクタールの家にゆったりと住む暮らし、
悪くないと思いませんか。

参加者B

ひとを巻き込むポイントは何ですか?

山崎

ぼくももともとコミュニケーションが得意ではないほうなので、
気をつけていることがあるとすれば、「YES、and」で
相手がほんとうに思っていることをうまくひき出し、つなげていくこと。
これ、否定形で考えるよりもむずかしいんです。
「YES、and」でつなぐ文脈を、あたまのなかで相当考えているんだな、
とじぶんでも最近気づきました。
ポイントは、相手の本質のことば、大事なことばが出てくるまで
粘り強く、粘り強く、よく聞くことですね。

参加者C

コミュニティデザイナーという人材を増やすために、
なにかやっていることはありますか?

山崎

教科書を作ってほしいという要望はとても多いのですが、
ぼくがやっていることって、マニュアル化できる類いのものではないんですよね。
そのひとの風貌、キャラクター、聞いてくれる相手の層によるので、
実地訓練がいちばん大事。
そこで、かつて流行ったゲームブック形式で現場を疑似体験できる
『コミュニティデザインの仕事』というアドベンチャーブックを作りました。
ファシリテーションや対象法を学ぶツールとして手に取ってみてくださいね。

* * *

途中、「どんなに大変な現場でも、十分な睡眠を取るというのが、
もしかするとコミュニティデザイナーという仕事なのかもしれませんね」
と冗談めかして語った山崎さん。早口で次々と展開していく話題、
聞く者を竜巻のように巻き込むスピード感のなかに、
時折笑いを交えることを忘れず、でもその笑いのなかに
本質が含まれているというのも、山崎さんの講演の魅力です。

公演中の山崎亮さん

相手のことばをよく聞き「YES、and」でつなげていく。参加者にとって刺激的な講義になったはず。

中崎町 Part4 自分軸とカフェ、他人軸と「譲り店」。

山崎亮 ローカルデザインスタディ
諸富町編・目次

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公共的な役割を果たすカフェのための流儀を模索する「common cafe」プロデューサーの
山納洋さんと山崎亮さんの対談を、4回にわたってお届けします。

1999。中崎町のカフェはこうして生まれた。

山納

そろそろこの時間なら「common cafe」に入れそうですよ。
ちょっと覗いてもらいましょうか。

山崎

お。ぼくも久しぶりなので、ぜひ行ってみましょう。

山納

このあたりにお店ができはじめたのは、たしか1999年ぐらいです。
小さくて個性的な洋服屋やカフェが
静かな住宅街のなかに点在するようになりました。

山崎

ぼくが隣のまちで事務所勤めをはじめて2年ぐらい経ったころで、
お昼ごとに中崎のいろいろなお店に行くのが楽しみでした。
「アマント」「カヌトン」「太陽ノ塔」……どれも懐かしいなあ。
みんな「common cafe」で紹介してもらいましたね。

山納

初期のメンバーは、不動産屋でも埒があかないような長屋の空家物件を
なんとか使いたいと、地方まで直接、家主さんを訪ねてまで
借りたいと申し出たり、家賃の交渉をしていました。
自分らしさ、自分の生き方を追究するようなひとたちが、
梅田から徒歩10分のエリアにお店を持つことができた、というのは
あの時代のトピックだったと思います。

山崎

でも、長屋だと、梁を伝って音が伝わるって言いますよね。
深夜になると、キーボードを打つ音まで隣に聞こえるとか……。
ましてやお店を考えると。

山納

そうですね。早く閉めるお店が多いのは、そのせいだと思います。
どうしても週末にしか集客できない。
さらには、家主不在の貸借なので、なにもしなくても、
近隣の方々には不安を与えてしまうこともある。

山崎

うーん。いろいろ難しそうですね。

山納

いろんな意味で丁寧なケアが必要でしょうね。
でも、そんな条件の中でもお店が増えているというのは、
それだけ空家が増えているということ。
うまくいけば、まちの再活性のよいモデルにもなり得るはずです。

山崎

そういえば、「カヌトン」のメニューのイラストが気に入ったので、
イラストレーターさんを紹介してもらい、
お仕事させていただいたこともありました。

山納

いい意味でみんな、利他的なんですよね(笑)。
店の看板でよその店を宣伝してみたり、
うちは休みやから隣の店にどうぞ、というような貼り紙を出したり。

山崎

でもそれって、客としては気持ちがいいんですよね。
逆に、よその店を否定されると、地域全体を否定しているようにも聞こえますから。
フランスでは、よその店をお互いにほめることで人気になった
ワイン村の事例もあるんですよ。

「common cafe」の入り口

もともと喫茶室だった約20坪のスペースを、カフェとして日替わりのマスターで運営しつつ、ライブや演劇公演、展覧会を行う「common cafe」。大阪市北区中崎西1-1-6 吉村ビルB1F 06-6371-1800 http://www.talkin-about.com/cafe/

カフェと雑貨の店「カヌトン」

中崎町の賑わい創成期から、変わらぬ人気を誇るカフェと雑貨の店「カヌトン」。当初の場所から移転しているけれど、それでもいまやこのエリアに欠かせない存在。

カフェと譲り店を通して、自分軸と他人軸を考えてみる。

山納

こういったことをいろいろ考えてみると、譲り店である「ニューMASA」は、
とてもバランスのとれた存在だといえます。

山崎

なるほど。

山納

でも、「common cafe」はそうじゃない。
店主は、相手の球を受けるのではなく、じぶんから球を打ち、
「おもしろいやん」と言わせる場所なんです。
そういう意味では、OMSと同じ、実験劇場なんですよね。
なぜなら、若いひとって「自分軸」から始まると思うんですよ。いろんなことが。

山崎

わかります。ぼくだって、若いころは自分軸のひとでしたから。
ただ、設計者はアーティストではないので、
他人軸も常に意識しながら、じぶんのやりたいことを叶えていく感じです。
だけど、いまぼくがやっていることをカフェに置き換えると、
「コミュニティを維持するためのカフェ」になるわけで、
そうなると自分のちいさな夢はとりあえず横へ置いて、
「みんなが喜んでくれることが、すなわち自己実現」というような
スタイルになります。
ということは……譲り店のオーナーと、コミュニティデザイナーは、
同じスキルが必要ということですね。

山納

もうひとつ、譲り店=喫茶店は、カフェと違って、間口が広いので、
疑似恋愛を求めてカウンターにやってくるお客さんを
うまくあしらえるというような能力も求められます。

山崎

おじさんにママって呼ばれもいちいち怒らないとか?(笑)

山納

こうして考えると、譲り店の店主になることは、
自分軸を他人軸にうまく転換させるということですね。
これって、じぶんを成長させるのに、すごく役に立つんじゃないでしょうか。
サラリーマンやOLも、ワークショップとして
カウンターの中に立つといいのかもしれません。

山崎

そうですね。うちも、コミュニティデザイナーの研修の場として、
譲り店を一軒やってみるといいんじゃないか、と思えてきました。

築何十年もの古い民家を改装したカフェや雑貨店が多い

築何十年もの古い民家を改装したカフェや雑貨店が多い。レトロでどこかノスタルジック。のんびりとした時間が流れているかのよう。

電柱に掲げられたお店への案内看板

細い路地の奥にひっそりとある小さな社とお地蔵様。中崎町の守護神、白龍大神。

profile

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HIROSHI YAMANOU 
山納 洋

1993年大阪ガス入社。神戸アートビレッッジセンター、扇町ミュージアムスクエア、メビック扇町、財団法人大阪21世紀協会での企画・プロデュース業務を歴任。2010年より大阪ガス近畿圏部において地域活性化、社会貢献事業に関わる。一方で、カフェ空間のシェア活動「common cafe」、「六甲山カフェ」、トークサロン企画「御堂筋Talkin’Aabout」などをプロデュースしている。著書に『common cafe ー人と人が出会う場のつくりかたー』『カフェという場のつくり方 自分らしい起業のススメ』がある。

Web:http://www.talkin-about.com/cafe/

profile

RYO YAMAZAKI 
山崎 亮

1973年愛知県生まれ。大阪府立大学大学院地域生態工学専攻修了後、SEN環境計画室勤務を経て2005年〈studio-L〉設立。地域の課題を地域の住民が解決するためのコミュニティデザインに携わる。まちづくりワークショップ、住民参加型の総合計画づくり、建築やランドスケープのデザイン、パークマネジメントなど。〈ホヅプロ工房〉でSDレビュー、〈マルヤガーデンズ〉でグッドデザイン賞受賞。著書に『コミュニティデザイン』。