「わたしが小さいころからね、神楽さんに宿くださいって言われたら、
何もなくても泊まってもらうもんだっておじいさんに言われたもんだよ」
釜石市で、ワカメの養殖や漁業を営んできた佐々木英治さんとコトさん宅は、
10年ほど前から「鵜鳥神楽(うのとりかぐら)」の神楽宿を担ってきた。
コトさんは、神楽の思い出を、そう話す。
神楽宿とは、巡行してくる神楽衆を迎える家のこと。
畳の大広間に神楽のお披露目の舞台がつくられ、
地域の住民が神楽を観にやってくる。
鵜鳥神楽は、岩手県の北部・普代村にある、鵜鳥神社に奉納される神楽。
同時に、三陸沿岸各地を巡行する「廻り神楽」として知られる。
信仰と芸能の両面で、古くから地元の人々に親しまれてきた。
そんな神楽衆に、今年、釜石市から入った青年がいる。
英治さんとコトさんのお孫さん、笹山英幸くん、18歳だ。
英幸くんは、幼い頃から、
母・奈奈子さんの生家である佐々木家にやってくる鵜鳥神楽が大好きだった。
鵜鳥神楽が、門打ち(集落の各家をまわり、祈祷すること)を行えば、
朝から夕方まで、妹の未来さんと一緒に神楽の後をついてまわっていたそう。
「神楽衆が帰ってしまうと、英幸は泣いてたんだよ。寂しいってね(笑)」
と英治さんは目を細める。
実は、英幸くん、今春高校を卒業したら、
4月から、鵜鳥神楽の拠点となっている、普代村の役場へ就職が決まっている。
偶然だが、大好きな神楽の練習に打ち込める環境が整ったのだ。
「それも、神様に導かれたのかもしれないよね」とコトさんは、微笑む。

佐々木英治さん(右)とコトさん(左)。
「英幸の就職が決まったお祝いに、
鵜鳥神楽を呼んでお祝い会ができないかなって考えていたんですよ」
と、話すのは両親の政幸さんと奈奈子さん夫妻。
毎日、扇子を手にとり神楽の練習を重ねている英幸くん。舞台で舞う姿を、
ひいおばちゃんのヨシさんが元気なうちに観てもらいたい。
そんな思いから夫妻はかねてから親交のあった、追手門学院大学の橋本裕之先生に相談。
すると、橋本先生から、花巻市・早池峰神社に奉納される岳神楽にも、
声をかけてみようという提案があった。橋本先生は大学時代から岳神楽と親交をもつ。
ユネスコ無形文化遺産に登録され、日本を代表する郷土芸能でもある岳神楽。
他地域の民家で披露されるとなれば、とても貴重な機会になる。
NHKの番組『復興サポート』の収録があったのは、そんな矢先だった。
この番組では、橋本先生をナビゲーターに、
郷土芸能の復興に向け、奮闘している釜石市の人々が、
郷土芸能の継承と新しいまちづくりについて考えようというもの。
東日本大震災により、衣装や道具や練習場が失われ、
住民が離れ離れになってしまっている今、
郷土芸能の多くが存続の危機にさらされている。
「このまま何もしなければ大切な文化が失われてしまう。何かできることがあれば——」
と橋本先生は語る。

津波で大きな被害を受けた鵜住居地区の現状。瓦礫が撤去されても、住宅の基礎だけが残る更地となってしまっている。
収録中、いつか、実現したいことのひとつとして参加者から語られたのは、
釜石市内の各地域に伝承されてきた多彩な郷土芸能を一堂に集めた、
お祭りができないだろうかということだった。
「だったら、今度うちに神楽のみなさんを呼ぶから、一緒にやろうよ」
収録中に発せられた、そんな奈奈子さんの一言。
これをきっかけに、1か月半後、
岩手県の郷土芸能祭とも言うべき「奈奈子祭」が開催されることになった。
もとは、家族のためにと考えられたお披露目会だったが、
観る人も、踊る人も、みんなが元気になるようなイベントとなるんじゃないか。
そんな笹山夫妻と橋本先生の思いが込められ、急ピッチで準備が進められた。
実行委員長を務めた政幸さんは、自身も、生まれたときから
釜石市に古くからある「南部藩壽松院年行司支配太神楽」を担ってきたひとり。
今回の奈奈子祭開催に向けてこう話す。
「第1回目として、今回は発声者の奈奈子の地元で開催することになりましたが、
このような祭が、近い将来、さまざまな地域で行えるようになりたい。
被災してしまった釜石の郷土芸能は、助成金を申請しながら、
やっと、少しずつ道具や環境が整いはじめてきたところ。
数年後ではなく、すぐに実現したいと思いました」

橋本先生は、震災後、東北の郷土芸能の保存に駆け回り、さまざまな人と人をつなげる。今回の奈奈子祭の立役者だ。

笹山さん家族。左から、娘の未来さん、政幸さん、奈奈子さん。ちなみに、「奈奈子祭」という名前も、発声者の奈奈子さんの名前にちなんでつけられた。
岩手県は、郷土芸能の宝庫とも言われ、その数は1000を超えるという。
釜石市内だけでも、虎舞や鹿踊、神楽、和太鼓など50近い郷土芸能があるが、
それらを一堂に観覧できる機会は、これまで無かった。
今回、奈奈子祭には、縁あって集まった5つの芸能団体が参加。
佐々木家には、朝から地元の人を中心にたくさんのお客さんがかけつけた。
粉雪が舞うなか、最初に登場したのは、「桜舞太鼓」。
佐々木家の庭に10数個の和太鼓が並び、力強い音が華麗に鳴り響く。

唐丹(とうに)半島の本郷に伝わる桜まつりの手踊り太鼓として始まる。地域の伝統に根ざしながらも、常に新たな脱皮をめざす実力派太鼓集団。
続いて、登場したのは、「鵜住居虎舞(うのすまいとらまい)」。
釜石を含め、陸中沿岸部では、多くの虎舞が存在するが、
なかでも鵜住居虎舞は、「雌虎」として優美に舞うのが特長だ。
鵜住居地区は、震災によって大きな被害を受けた。
今は多くの人が仮設住宅に住み、離れ離れに暮らしながらも虎舞の練習を重ねている。
演舞中、ひときわ、歓声があがったのは、ちびっこの虎舞が登場したとき。
6歳になる佐々木日向くんは、小さい体をめいっぱい使い、力強く、舞う。
その姿に、観客全員が大きな拍手をおくった。
鵜住居地区でずっと受け継がれてきた伝統芸能。
ここには、確かに次の世代の担い手がいる。


虎舞が大好きだという日向くん。「歩き始めた1歳くらいの時から、ずっと踊っていますね」とお父さんは話す。将来が頼もしい担い手のひとりだ。
お昼時には、奈奈子さんやコトさんをはじめ、
近所のお母さんたちが前日から用意してくれたお手製の料理が振る舞われた。
踊りを観覧しながらも、ときおり方言まじりの冗談と笑い声が聞こえてきて、
とてもあたたかい雰囲気が会場内には流れる。

箱崎白浜で採れた、早採りのわかめのおひたしと、まぜごはんのおにぎり。そして、郷土料理・細々汁(こまごまじる)で、心も体もあたたまった。
体があたたまったところで、次は、岳神楽。
岳神楽の時間ともなると、大広間は、さらにたくさんの人で埋め尽くされた。
岩手を代表する神楽だけれども、箱崎白浜地区でも、ほとんどの方が初めての観覧。
数ある神楽の演目のなかで、
今回は、「鶏舞」「山の神舞」「五穀の舞」「諷誦の舞」「権現舞」の5つが披露された。
民家ゆえの、舞台と観客との距離。おのずと神楽衆にも熱がはいる。
ほどよい緊張感のなか、笛や太鼓の美しい音が大広間に流れ、
力強くも、しなやかに舞う姿に、観客みなが魅了されていた。
「こんなに間近で見るのは初めて」という地元のおばあちゃんは、
「神々しかったね」と感想を教えてくれた。

演目「山の神舞」のときには、餅が振る舞われた。これは、佐々木家の粋な計らいだ。

佐々木家のご家族が、身固めを受ける。権現様に頭をかんでいただき無病息災を祈る。
岳神楽が終わると、また、縁側の戸が開けられ、
庭には田郷の鹿踊の踊り手たちが待っていた。
箱崎白浜地区にある、白浜神社の例大祭で神輿が下がるときには、
来てもらっていたという田郷の鹿踊。
久しぶりに見る、懐かしい踊りに、地元の人は楽しんでいた様子だった。

陸中沿岸の虎舞と並ぶ芸能の華である鹿踊りは、鎮魂・供養の舞として知られている。
そして、トリをつとめるのが、鵜鳥神楽だ。
隔年で、佐々木家にやってくる馴染み深い神楽衆を観に、たくさんの人が集まり、
「清祓」「山の神」「恵比須舞」「綾遊」の4つが披露された。
恵比須舞のときには、観覧席にいた男の子を舞台に巻き込んで、
鯛を釣り上げるシーンもあり、和やかな空気が会場を包む。
「演者と観客がひとつになって、濃密な場がつくられます。
あるときは切実な祈りと願いが満ち溢れ、またあるときは爆笑がうずまく。
こんな豊かな場はめったにないと思います」
橋本先生は、鵜鳥神楽の魅力をそう話す。

男の子と一緒に、恵比須さまが鯛を釣り上げるのだが、なかなか釣れないユーモラスな場面。
英幸くんが、登場したのは、最後の「綾遊」。
若いふたりの踊り手が、笛や太鼓に合わせてリズミカルに、そして華麗に舞う。
会場に集まった多くの地元の人は、幼いころから英幸くんを知っている。
舞台で踊る英幸くんを、みながあたたかく見守る。
彼らが踊り終えたときの拍手喝采は、この日一番の盛り上がりだった。
「これからは、尊敬できる先輩のもとで、練習を積んで、
来年の巡行までにはもっと上達したいと思っています」と英幸くんが挨拶。
ここにいるみなが、彼の鵜鳥神楽の上達ぶりをこれからも見守っていくだろう。

真ん中で、厳重に毛布にくるまっていたのが、ヨシさんは今年で93歳。「いがった(よかった)ね」と、近所のみなと楽しそうに観覧していた。


「4月からは、神楽が思いっきりできるからうれしい」と英幸くん。巡行ごとに上達していく姿が今から楽しみだ。
一日を終え、「楽しかった!」と奈奈子さんは笑顔で話してくれた。
「地元のおじいちゃん、おばあちゃんがすごく喜んでくれたから、
本当にうれしかったですね。
たくさんの人に支えてもらいながら、無事終えることができました。
今回は一般の家だから、無制限に人が入れるわけではないけれど、
この奈奈子祭は、地元の人はもちろん、外の観光客の方など、
これからもたくさんの人に見てもらいたいと思っています」
「この岩手県沿岸部は、残っている郷土芸能の数から見ても、
踊りや舞がみんなの生活の一部なんだと思うんです。
それくらい、生まれたときからみんな踊りを練習してきましたから。
震災後は若い人を中心に結束して郷土芸能を盛り上げようとしています。
でも、ほとんどのお祭りが開催できていない状況もある。
発表する場があって、いろんな人が見にきてくれれば、
彼らの活力となるんじゃないかと思っています。
次はあたたかい時期の開催に向けて、動き始めたいと思っています」
と政幸さんは次への展望を語ってくれた。
ここ、釜石市で続いてきた伝統が、新しいかたちの郷土芸能祭として再生しつつある。
奈奈子祭を終えて、
“次も参加したい”“次回は呼んでくれ”といった声もあがっているという。
次はどんな郷土芸能が観られるのか、今後が楽しみだ。