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小豆島 Part2
親に「やめとけ」と言われた
家業を継いだ。

山崎亮 ローカルデザイン・スタディ
vol.061

posted:2013.4.18   from:香川県小豆島町  genre:活性化と創生

〈 この連載・企画は… 〉  コミュニティデザイナー・山崎亮が地方の暮らしを豊かにする「場」と「ひと」を訪ね、
ローカルデザインのリアルを考えます。

writer profile

Maki Takahashi

高橋マキ

たかはし・まき●京都在住。書店に並ぶあらゆる雑誌で京都特集記事の執筆、時にコーディネイトやスタイリングを担当。古い町家でむかしながらの日本および京都の暮らしを実践しつつ、「まちを編集する」という観点から、まちとひとをゆるやかに安心につなぐことをライフワークにしている。NPO法人京都カラスマ大学学長。著書に『ミソジの京都』『読んで歩く「とっておき」京都』。
http://makitakahashi.seesaa.net/

credit

撮影:中島光行

瀬戸内海の島々を舞台に、現在開催中の現代アートの祭典「瀬戸内国際芸術祭2013」。
その出展準備のため小豆島にたびたび通うことになった山崎さんが
「いま、いちばん話を聞いてみたいひと」と名前を挙げたのは、
小豆島に5代続く、お醤油屋さん。醤油づくりとローカルデザインの関係とは?

「売らせてくれ」と言われる側になろうと思った。

山崎

ヤマロクを継がれたのはおいくつのときですか?

山本

うちに帰ってきたのは29歳のときです。

山崎

小さいころから、じぶんが継ぐんだって思いながら育ってこられたんでしょうか。

山本

いいえ。だって、子どものころしばらく、
うちが醤油屋とも気づいていませんでしたから。

山崎

ええ? そんなことってありますか?(笑)

山本

樽の中に落ちたら危ないから、蔵に入れてもらえなかったんだと思います。
小学校の中学年になって
「友だちのお父さんは働きに行くけど、そういえばうちはどうなってるんや?」
とようやくぼんやりと気づいたんです(笑)。
その後、ふつうに進学してもとくに何になりたいというのはなく、
大学卒業のときに「継ぐわ」と言ってみたものの、オヤジに
「儲からんし、継がんでエエわ。給料出せんし、外で働いてこい」と言われて、
地元の佃煮メーカーに就職しました。
阪神・淡路大震災(1995年)の直前のことです。

山崎

そのタイミングで一度、お父さんに「継がなくていい」と言われてるんですね。

山本

その会社では営業職に就くんですが、東京で担当になった大手スーパーでは、
ぼくが持っていく無添加の商品がなかなか認められなくて、
バイヤーはボリューム、価格、パッケージデザインのことしか言わない。
売り場にまともな食べ物がなくて、
バイヤーには値段のことばかり言われるということに辟易して、
「ここへ売りに来るのではなく、『売らせてくれ』と言わせる側になろう」
と決意したわけです。

山崎

で、言わせたんですか?

山本

もちろん数年はかかりましたが、
そのバイヤーから「サンプルちょうだい」とオファーがきて
「イヤです!」ときっぱり断ったときには、どれほど胸がすいたことか……!(笑)

ヤマロクの醤油が醸造される蔵

ヤマロクの醤油はすべて天然醸造。太陽の光の当たり方や、菌が多く住む土壁からの距離……樽にもひとつひとつ個性があり、同じ年月を経たからといって、同じものができるというわけではない。マニュアルはない。

「継いでも食べていけん」は、ほんとうだった。

山本

とはいえ、帰ってすぐに決算書を見て
「あ、しまった! オヤジの言う通りや。これではオレ、食べていけん!」
と青ざめるところからのスタートだったわけですが。

山崎

ははは。さっきの小学生のころの家業のはなしといい、
いろいろなことに気づくのが遅いから
がんばれているのかもしれませんね、山本さんは(笑)。

山本

人間、切羽詰まると、がんばらざるを得ないですからね(笑)。

山崎

それが、11年前。

山本

はい。島のタクシー会社が親戚だったこともあり、
父の代から観光客の見学を受け入れていて、
その際、お土産などを発送するのにいただいていた
約100人分の顧客名簿だけが手元にありました。
これをなんとか広げられないかと。
添加物を使っていた銘柄はキッパリと辞めて
「鶴醤」と「菊醤」の2銘柄に絞り、1リットル瓶も辞めて小瓶に賭ける。
そんなふうに、とにかく直販への仕掛けを考えてきました。

山崎

それが成功しているわけですね。

山本

まともにまわるようになったのはここ5年ですね。
11年で売上げは約6倍に伸びました。

山崎

それはすばらしい。そういった康夫さんの取り組みに対して、
お父さんは何かおっしゃってますか?

山本

帰ってきて3年目にオヤジが病気で倒れてしごとできなくなったので、
喧嘩もせずにスパッと代替わりしたんです。
それからはひとことも口を出しませんね。
ただ、周りから聞くと、「なにを考えとるか、ようわからん」と言うてるようです。
「けど、前を向いて進んでるから、まあエエんちゃうか」と……。

山崎

なるほど。しっかり前を向いていること、
実はちゃんと見ていらっしゃるんですね。

(……to be continued!)

ヤマロク醤油ボトルのフォルムやラベルもどんどんスタイリッシュに革新中

先代にはほかにもたくさんあった銘柄を「菊醤」と「鶴醤」のみに絞って販売ボトルも145mlと500mlのみに。1リットル醤油を必要とする大家族より、単身者や核家族にターゲットをすえた。ボトルのフォルムやラベルもどんどんスタイリッシュに革新中。

山本康夫さんと山崎亮さん 

同世代ということもあり、はなしが弾む山崎さんと山本さん。「醤油って日本人には欠かせない基本の調味料だから、こうやってむかしながらにつくられるのが当たり前なんだと思い込んでいたけど、現代ではほとんどがステンレスのタンクで大量生産されたり、味つけだけして出荷されたりしているのだと知って、驚きました」と山崎さん。

information

map

ヤマロク醤油

住所:香川県小豆郡小豆島町安田甲1607

TEL:0879-082-0666

※見学は随時受付、予約不要

Web:http://yama-roku.net/

profile

YASUO YAMAMOTO 
山本康夫

1972年香川県小豆島生まれ。ヤマロク醤油5代目。大学卒業後、小豆島に戻りたくて、島の佃煮メーカーに就職。営業職で大阪に赴任後、東京に転勤。2002年、小豆島に戻り、家業のヤマロク醤油を継ぐ。

profile

RYO YAMAZAKI 
山崎 亮

1973年愛知県生まれ。大阪府立大学大学院地域生態工学専攻修了後、SEN環境計画室勤務を経て2005年〈studio-L〉設立。地域の課題を地域の住民が解決するためのコミュニティデザインに携わる。まちづくりワークショップ、住民参加型の総合計画づくり、建築やランドスケープのデザイン、パークマネジメントなど。〈ホヅプロ工房〉でSDレビュー、〈マルヤガーデンズ〉でグッドデザイン賞受賞。著書に『コミュニティデザイン』。

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