colocal コロカル マガジンハウス Local Network Magazine

連載の一覧 記事の検索・都道府県ごとの一覧
記事のカテゴリー

連載

『2年目の3.11 南三陸町からの手紙』

TOHOKU2020
vol.014

posted:2013.3.6  from:宮城県南三陸町  genre:活性化と創生

〈 この連載・企画は… 〉  2011年3月11日の東日本大震災によって見舞われた東北地方の被害からの復興は、まだ時間を要します。
東北の人々の取り組みや、全国で起きている支援の動きを、コロカルでは長期にわたり、お伝えしていきます。

editor's profile

YUKO UENO

上野裕子

うえの・ゆうこ●エディター/ライター。滋賀生まれ、東京育ち。「南三陸町からの手紙」プロジェクトでは編集を担当。

credit

撮影(main photo):山口徹花

それぞれの2年目を綴った、南三陸町発の書籍が刊行。

三陸リアス式海岸の南端に位置する、宮城県本吉郡南三陸町。
空と海が溶け合うかのような美しい景観と、新鮮な海の幸——
人々の暮らしは、美しく豊かな海を中心に営まれてきた。
その南三陸町を、千年に一度といわれる大津波が襲った東日本大震災。
住宅の7割近くが流されるなど壊滅的な被害を受けたまちは、
2年経った今、瓦礫の多くが処理場に運ばれ、建物の基礎だけが残る更地が目立つ。

出版プロジェクト「南三陸町からの手紙」がスタートしたのは、
発起人である南三陸町の漁師である高橋芳喜さん・高橋直哉さんの
「今の気持ちをなんとか、かたちに残さなければ」という震災直後の思いがきっかけだった。
「震災発生直後、幼なじみと再会したときに『嫁さんがいない』と聞きました。
必死に探したのですが、見つからず、泣き崩れている友人が漏らした言葉が
『この感情を忘れるのが辛い』ということだったんです」(芳喜さん)
その言葉を聞き、今の気持ちをかたちに残したいと、出版を思いたったという。

しかし、出版に向けて具体的にどのように取り組めばよいのか——。
途方に暮れるふたりの力となったのが、
「東北復興サポートセンターHamanasu」を主宰する加藤秀視さんだった。
加藤さんは、震災2日後からボランティアとして被災地に入り、
南三陸町を支援の中心地と決め、サポートセンターを立ち上げて活動していた。
人材育成家・社会起業家として著作のある加藤さんに出版への思いを伝えたところ、
加藤さんのブログで版元を募ってくれることになったのだ。

左から発起人の高橋直哉さん、高橋芳喜さん、Hamanasuのスタッフの加藤有美さん。

このブログに対する反響は大きく、多くの出版社が出版を申し出たという。
その中から版元に決まったのは、東京の製本会社・栄久堂だった。
「東日本大震災が起き、我が社としてできることはないかと探していました。
そんなときに加藤さんのブログを読んで、出版の経験はないけれども、
ぜひ携わりたいと思い、メールで連絡したんです」(佐藤さん)
「大手出版社からもオファーをいただきましたが、
栄久堂の佐藤さんのメールがとにかく熱かった。
会社の大小ではなく、被災者の声を真摯に受け止め、届けてくれる人を
求めていたので、栄久堂さんにお願いすることにしました」(加藤さん)

こうして、出版プロジェクトに賛同する写真家・デザイナー・編集者が集まり、
南三陸町に暮らす人々22人が自ら綴った文章は、本というかたちになっていった。
集まった文章は、震災時の極限状態の体験、大切な人を失った悲しみ、
全世界からの支援への感謝など、震災を体験した人の思いが率直に綴られたもの。
こうした生の声をそのまま伝えるために、編集やデザインの過程では、
文章にできる限り手を加えず、本としても作為のないものにすることが心がけられた。
『南三陸町からの手紙』が出版されたのは、震災から1年後の2012年3月。

発起人の高橋芳喜さんは、本が届いた日に幼なじみの奥さんの墓前に本を供えた。
「自分たちの思いを残したいと思ってスタートしたことがかたちになって、
まずはそれを一番報告するべき人のところに行ったんです」(高橋芳喜さん)

『2年目の3.11』の誌面。言葉が丁寧に綴られている。このページの写真はブルース・オズボーンさんが撮影。

2年経った今、浮き彫りになっている困難、悩み、そして感謝。

本が出版されると、予想以上の反響があった。
芳喜さんは、南三陸町を訪れるボランティアの人々から、
「この本がきっかけで南三陸町に来ました」と声をかけられたという。
監修を務めた加藤さんのもとにも、
「頑張って下さい!」「私もできることを続けていきます」
といった応援メッセージや感想が届いた。
特に、被災地の現状を知らなかった人たちからの声が多かったそうだ。

そして、出版から半年が過ぎた頃、版元である栄久堂から、
「このプロジェクトを1年で終わりにしたくない。2冊目も作りましょう」
という申し出があった。
1冊目はメディアなどにも取り上げられ、多くの人が読んでくれた。
けれども、これで終わってしまっていいのか、常に考えていたという。
震災から時が経つにつれて、被災地についての報道は少なくなっている。
南三陸町の人たちは、復興についてどう考えているのだろうか?
そう考えた制作スタッフは、南三陸町のHamanasuを再び訪ねた。
そこで、いまだ復興とはほど遠い光景を見て、改めて2冊目への思いを強くしたという。

高橋芳喜さんは「1冊目はとにかく残したいという一心でしたが、
徐々に変化していく南三陸町を伝えていけるのは嬉しいと思いました」と言い、
さらに「復興に向けての具体的な動きなど、
1冊目には書くことができなかった内容も書けると思いました」と続けた。
また、加藤さんは、継続的に支援を続けていくことが困難になりつつある今だからこそ、
メッセージを発信する意味があると感じたという。

東北復興サポートセンターHamanasuスタッフと支援者の皆さん。前列右から3人目が加藤秀視さん(写真:野寺治孝)。

こうして、2012年秋、2冊目に向けての制作がスタートした。
発起人の高橋芳喜さん・高橋直哉さんは、震災から1年以上が経ち、
再び漁師として海に出られるようになってきていた。
ワカメやホタテの収穫のかたわら、まちの人たちに原稿を依頼する。
2冊目の『南三陸町からの手紙』に原稿を書いてくれたのは、
南三陸町に暮らす人を中心に、南三陸町を離れた人、
そしてボランティアで訪れる人など22人。
住宅の高台への移転について、計画されている防波堤建設について、
そしてボランティアのあり方について――。
震災から2年が経った今、浮き彫りになっている困難、悩み、そして感謝が、
それぞれの率直な言葉によって綴られている。
「1年目とはまた違った、被災地のリアルな声に、
やはりメッセージを伝えていく必要があることを再認識しました」(加藤さん)

復興に向けての歩みを残していくために。

震災当初は南三陸町にあり余る程存在したというボランティア団体も、
2冊目が完成した今は数える程に減り、その活動の頻度も月に数回程度になった。
芳喜さんは、ボランティアに来てくれる人からは
「もっと復興がすすんでいると思いました」と声をかけられることが多いそうだ。
「どうやら、周囲からは復興が進んでいると思われているようなんです。
そういった状況を考えると、やっぱり現状を知ってほしいなと思います。
だからと言って、もっと援助してくださいという意味ではないんですけれど。
とにかく知ってほしいという気持ちですね」

こうした現地の人々の思いを受け、この被災地発の出版プロジェクトは、
今後も毎年1冊ずつ本を出し続けていくことが予定されている。
1冊目と2冊目の監修者である加藤さんは、
「今後、被災地からメッセージを発信したいという想いがある限り、続けていきたい。
その声をひとりでも多くの人に届け、支援の輪を広げていきたい」と話す。

1冊目には震災で失われたものの大きさが、
2冊目にはふるさとの復興に向けてそれぞれが思い描く未来が、
南三陸町の人々の言葉で綴られた。
3冊目、そして4冊目には、どんな内容が綴られるのだろう。
そして、その頃、被災地はどうなっているのだろう。
『2年目の3.11 南三陸町からの手紙』には、こんな一節がある。
「震災前のきれいだったこの町を見せたい」
「震災後、皆さんの支援のおかげで立ち直ったこの町を見せたい」
美しく豊かな海のもと、輝きを取り戻した南三陸町の姿が見られることを、
まちの人も、プロジェクトのメンバーも、そして読者も、みんなが願っている。

発起人のひとり・高橋芳喜さんがホタテの収穫を終えて港に戻って来たところ。今では毎日漁に出られるようになった。

information

『南三陸町からの手紙』
『2年目の3.11 南三陸町からの手紙』(2013年2月19日発売)

加藤秀視監修 東北復興サポートセンターHamanasu編
制作スタッフの思いから動き出した2冊目『2年目の3.11 南三陸町からの手紙』制作は、原稿執筆、写真提供、監修、編集、デザイン、製本のすべてが、ボランティアとして無償で行われており、収益のすべてが東北復興サポートセンターHamanasuに寄付される。
静かに訴えかけてくるデザインは、2冊ともにおおうちおさむさんによるもの。
本書についての問い合わせは、栄久堂(http://www.eikyudo.com/)まで。

Feature  これまでの注目&特集記事

    Tags  この記事のタグ