〈 この連載・企画は… 〉
ひとつのまちの、ささやかな動きかもしれないけれど、創造性や楽しさに富んだ、
注目したい試みがあります。コロカルが見つけた、新しいローカルアクションのかたち。
editor's profile
Kanako Tsukahara
塚原加奈子
つかはら・かなこ●エディター/ライター。茨城県鹿嶋市、北浦のほとりでのんびり育つ。幼少のころ嗜んだ「鹿島かるた」はメダル級の強さです。
credit
撮影:ただ(ゆかい)
山形県中部、大蔵村のなかでも特に雪深い山あいにある肘折温泉。
霊峰・月山の南に位置し、その周辺にも多くの霊山を有している。
肘折の人々は1200年も前から湯を守り、人を迎え、山の恵みとともに生きてきた。
ここは、
ライフスタイルの変化とともに変わっていくもの、
地域の人々に継承され続いているもの、
また、若者たちによって新しいかたちでつながっていくもの、
それらが綾をなして存在している場所でもある。
この山奥のちいさな湯治場、肘折温泉でいま起きていることから、
これからの地域や暮らしのあり方を示唆する、あるなにかが見えてくる。
第2回は、「肘折の新しい観光ルート探し」について。
「最初に肘折温泉に来たとき、偶然カモシカに会ったんです。
都会で生活していると、カモシカと目が合うなんて機会ないじゃないですか。
豊かな自然がそのままの姿で残っているんだとすごく感動したのを覚えています」
出羽三山を拠点に山伏の修行を積む坂本大三郎さんは、
肘折温泉を訪ねては、周辺の山を歩いていた。
昨夏、肘折温泉で開かれたイベントに参加(Local Action #007)して以来、
地元の人々との交流が始まった。
「ぼくは、とても古い時代の山伏の文化にひかれています。
人々が自然を慈しみ、崇拝していたなかで、
自然の知識を豊富に持ち、そのはたらきを理解して
自然と人間社会との間の伝道師的な役割を担っていた人々がいた。
彼らが、山伏の祖先と言われています。
ぼくは彼らと同じように山のなかに入り、自分の身体を通して、自然と向き合ってみる。
そうすることで、現代の僕たちが学びとれるものがあるんじゃないかと考えています」
「最初に肘折に来たのは、いい温泉があると聞いたからなんです。ぼくは温泉が好きなので」とはにかむ大三郎さん。
そば処寿屋四代目の早坂隆一さんも、大三郎さん同様、昨夏のイベントで
ゲストパネラー(Local Action #007)として参加したひとり。
東京でIT関係の仕事に就いていたが、家業のそば屋を継ぐため肘折へ戻ってきた。
現在は、肘折青年団団長を務め、地元で暮らす若者たちと新しい活動を展開している。
「山伏って聞いても、正直、伝説みたいな話だと思っていましたね。
『肘折さんげさんげ』のときに白装束の姿を見たりするくらいで、
月山への修験道のことだって、僕たちにとって身近ではなかったな」
「肘折さんげさんげ」の様子。
「さんげさんげ」とは、羽黒山を含む出羽三山に古くから伝わる越年行事で、
肘折温泉では、毎年1月7日に白装束を着た地元の住民らが
法螺貝を吹いて肘折温泉街を練り歩き、無病息災・五穀豊穣を祈願する。
また、開湯1200年と言われる肘折温泉が
宿屋としての許可をもらったのは、室町時代の明徳元年(1390年)のことで、
月山登拝道としての「肘折口」が開かれた翌年と記録がある(『大蔵村史』より)。
かつては月山信仰の修験者も多く集まったという肘折温泉。
いまも登拝口はあるが、地元の人が登ることは少ない。
「ただ、大三郎さんから『ヒジリ』と『ひじおり』の関係(Local Action #007)を
聞くと、なんだか山伏が急に身近なものになってきて、
古い文化が残っていることが面白いなと思い始めました。
『肘折さんげさんげ』のような、地域で受け継いできた行事も、
単なるイベントとしてではなく、
文化として続いてきたことなんだという、意識が生まれてきました」
大三郎さんの話は、自分たちの知らない肘折を教えてくれる。
それが、とても楽しいという。
「大三郎さんの話を聞いて月山に登ると、昔の人もこの山道を通っていたのかと遠い昔に思いをはせてしまいますね」と隆一さん。
その後も、大三郎さんが肘折にくる度に読書会を開いたり、
大三郎さんと一緒に肘折の有志で月山に登ったりしたという。
「肘折の人たちと一緒に山を登ると、
いろんなことを教えてもらえるんで僕もすごく楽しいんです。
この土地で暮らすみなさんから、言い伝えだとかを聞くうちに、
それまでは知識として知っていた山のことが鮮明になっていく。
山の姿が、また違うものに見えてくるんです」(大三郎さん)
肘折温泉を流れる銅山川。中央に見えるオレンジの建物は隆一さんのお店「蕎麦処 寿屋」。手打ちの蕎麦は絶品だ。
春になったら、またみんなで登ってみようという話が出ている。
青年団のミーティングを覗いてみた。
みんなそれぞれの仕事を終えて、肘折ホテルのバーカウンターに集まってくる。
ここが青年団のいつものミーティングスペース。
お風呂セット持参のメンバーもいる。
温泉に入ったり、カウンターで一杯やりながらが青年団のミーティングスタイル。
メンバーは、隆一さん(前述)、カネヤマ商店の看板娘・須藤絵梨さん(30歳)、
若松屋村井六助(旅館)の娘・村井里実子さん(33歳)、
隣の集落から肘折の青年部に参加している、早坂 新さん(28歳)、それに大三郎さんが加わり、
つたや肘折ホテル柿崎雄一さん(Local Action #017)がフォローする。
左から大三郎さん、隆一さん、絵梨さん、里実子さん、雄一さん、新さん。ちなみに、肘折温泉では同じ姓の方が多いので、みんな名前で呼び合う。
大三郎
今日、地図持って来たんです。この地図は古いみたいで、
今はもう埋めてしまっていて、無くなっている「しびたり沼」が載っているんです。
肘折の民話に出てくる大蛇がいるっていう沼です。
絵梨
初めて聞いた。そうなんだ、知らないことばっかりですね。
隆一
あ、ここが御池だ。御池には行ってみたいな。
あと、越後さん家の裏あたりに沢があるんだよね。
(地図を指して)ここを登っていったところ。
新
ああ、ありますね。
里実子
私も、そこらへんすごく気になってた。行ってみたいね。
新
あと、鉱山の奥のほうに行っても沢ありますよ。小さい頃はよく行ってました。
大三郎
ありますね。道が少し狭くなっていった先に。
新
そうです、そうです。
大三郎
あと、三角山もぜひ、みんなで登ってみたいんです。
絵梨
三角山、登ってみたい! 頂上まで登ったんですか?
大三郎
こないだは、近くまでいったんですけど、新しい熊の足跡があったから……
急に怖くなって、戻りました。
里実子
大三郎さん、よく、迷いませんよね。
大三郎
勘です(笑)。でも歩いていると、頂上が見えるからそこを目指していきます。
道らしい道はないけれども、わかりづらい場所じゃないですよ。
隆一
三角山は、小学校の窓から見えたもんね。
大三郎
頂上からは肘折温泉もよく見えますよ。
絵梨
えー! すごい。誰かが手ふったらわかるかな。
大三郎
それはぁ……。
隆一
視力次第だね(笑)。
昨年登山デビューしたという絵梨さん。「登山道って登るだけだと思ったら、下りもあるんですね……」というエピソードに一同失笑。終始なごやかな雰囲気。
雄一
今年登るとしたら、雪があるうちに登ったほうがいいな。
4月中旬くらいになって雪が安定すると、
その時期が一番山を歩けるから、どこに行くのも行きやすい。
でも、みんな三角山にはスノートレッキングに行ったよな?
隆一
そうですね。僕らみんなスキー部ですからね。
絵梨
だって、卓球部とスキー部しかなかったから……。
隆一
どっちかに入るしかなかったからね(笑)。
大三郎さんから話を聞くと、自分たちが知っているこのへんの山も
登れるんだなと思いますね。
月山や葉山もいいけど、まずは、そっちが面白そうだなって思いました。
絵梨
そうそう、大三郎さんからこういう話を聞くと、登ってみたくなるよね。
大三郎
日本の登山道って山伏がつくったと言われているんです。
昔は木地師の道とか職業によって道があったといいます。
残っている場所を訪ねるのもいいと思うんですけど、みんなと山に登ることで、
今のぼくたちと山のつき合い方が見つかるんじゃないかと思っています。
聖地と言われる場所は、時代時代でつくられているもの。
みんなと新しい肘折の聖地と言われる場所を探せるんじゃないかなと思っています。
左/肘折温泉から見える秋の三角山。紅葉が美しい。右/ブナの原生林に囲まれている御池。古くはここに龍神がすむと信じられていたという。(撮影:坂本大三郎)。
肘折口から月山登山の途中にある小岳から月山を望む(撮影:坂本大三郎)。
春になったら、みんなはまず最初にどこに登るのだろう。
こんな風に始まっている、肘折の若者たちによる新しい観光ルート探し。
山の話の続きは、いずれまた。
第3回目は、肘折温泉に残る湯治文化と、新しい湯治文化について。
information
肘折温泉
住所 山形県最上郡大蔵村南山
http://hijiori.jp/
profile
DAIZABURO SAKAMOTO
坂本大三郎
1975年千葉県生まれ。イラストレーター、山伏。出羽三山(羽黒山・月山・湯殿山)を拠点に、古くから伝わる生活の知恵や芸能の研究実践を通して、自然とひとを結ぶ活動をしている。リトルモアより『山伏と僕』が発売中。
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