藤原慎一郎さん

沼津愛で、デザインを豊かに。

16年前、静岡県沼津市に店舗・住宅のデザイン事務所を立ち上げた藤原慎一郎さん。
当時24歳。大手企業や有名な建築事務所でキャリアを積んだわけではなく、
“いきなり”立ち上げた。
もちろんすぐにうまくいくわけがないと、
デザイン事務所に「ケンブリッジの森」というカフェを併設した。
このカフェに来たお客さんに、
「仕事ください」と名刺を渡すという営業スタイルだった。

このカフェは、言ってみれば藤原ワークス第1号。
この空間が好きで集まるお客さんたちは、内装やインテリアなど、
すでに藤原さんのデザイン感覚と通じるお客さんということになる。
だからこの営業スタイルは、
自分のセンスを認めてくれるひとたちが最初から集まってくるという意味で、
効率的だし、コミュニケーションがすぐに取れて面白い。
当時の沼津にカフェはほとんどなく、それだけにケンブリッジの森には、
デザインを志向するひとが集まるようになった。

打ち合わせスペースには、藤原さんが集めたアンティークの家具やインテリアがたくさん置いてある。

藤原さんが手がけた店舗・住宅プロジェクトは、
いまでは静岡県内で100物件に届こうとしている。
しかもその多くは現在進行形。
「デザインして店舗ができあがったら終わり」という
仕事の進め方ではないからだ。
多くの店舗は、仕事、もしくは関係性が継続している。
「店舗をつくるだけが仕事ではありません。
その店を流行らせることが大切です」と、DMやウェブ、ショップカードなど、
ありとあらゆるデザイン面で協力していく。
そのおかげか、静岡東部の店舗はほぼ黒字だという。

雑誌などから切り抜いたページをまとめた、その名も「スーパーデザインファイル」は何冊もある。店舗デザインの歴史がひも解ける。

藤原さんにとって、店舗デザイン後の日々のつながりが大切なので、
遠く離れた場所の仕事はできない。
インタビュー中も藤原さんのケイタイが鳴った。
この取材が終わり次第、ある店舗の看板を直しに行くという。
このフレキシブルさと、それが可能な距離感。
ほとんどが静岡県内の仕事であるというこだわりは、ここからくる。
ローカルの特性を最大限に生かしたスタイルだろう。

例えばこんな話。
ある店舗が仕上がったが、
さらにここに“いいイス”を入れたらすごく空間がしまりそうだ。
しかし若い経営者には予算が足りないだろうと考慮し、
藤原さんの持ち出しでそこにイスを設置したりする。
それはもちろん買い取ってもらうのがベストだが、“貸す”というケースもある。
最近、5年前に貸したテーブルが返ってきたらしい(!)。

事務所前のスペースは日が当たる気持ちのいい空間。

また、藤原さんがデザインした店舗同士は、彼が媒介となることで、
つながりを持ち、仲良くなる(いまでは野球チームも発足!)。
たとえそれが競合となるライバル店であっても、
小さな店舗の場合は、仕入れ先を共有できたり、アドバイスを得たりと、
利点も多く生まれる。

それらの店舗には、藤原さんが手がけた他店舗のフライヤーが置いてあるので、
それを手に、藤原作品を見て回ることも可能だ。
こんな“自主デザインツアー”のような回遊がたくさん行われれば、
静岡のデザイン性の底上げにもなるし、なにより店舗の売り上げが伸びていく。
つながりを大切にする藤原さんの人柄が生み出した
ビジネスモデルかもしれない。

藤原さんが手がけた店舗のフライヤーたち。

脱・干物を目指した『THIS IS NUMAZU』。

沼津を愛する藤原さんが地元で活動する集大成のひとつとして、
「THIS IS NUMAZU」というイベントを昨年の夏に開催した。
沼津自慢フェスタという公園でのイベントの一角に、
彼が好きな“NUMAZU”を結集させた。
ひとつはバーテンダーを一同に集めた「NUMAZU BAR」。
もうひとつは和食、フレンチ、イタリアンなどの料理人が
腕を振るった「CENTER TABLE」。
流行のB級グルメではなく、あくまでA級沼津。
高級感のあるテーブルやイス、インテリアなどにもこだわり、
“公園のお祭り”という雰囲気とは一線を画したスタイリッシュな空間であった。

開催しようとした背景には、沼津の取り上げられ方が、
何十年も変わっていないことが上げられるという。
「干物、寿司、沼津港……。もちろんそれらは素晴らしいものなのですが、
雑誌もテレビもそればかり。だから“脱干物”みたいなことをしたかった(笑)」

そしてイベント自体は大成功。しかし……、
「イベントありきでがんばるのは好きでありません。
がんばっているひとが集まれば、いいイベントになるはず。
新しいことを目指したわけでもなく、
あるものをあるがまま、自然にやっただけ。
ぼくが好きなお店を集めただけだから、内容は無理していません」
自然にあるおいしい素材を、その味が活きるように料理しただけ。
さすが漁師町の沼津人らしく、素材の活かし方を知っている。

これに付随して、同じく『THIS IS NUMAZU』という冊子も編集・制作した。
沼津の誇れる場所とひとを訪ねて、丁寧に紡いでいる。
画家、野菜のセレクトショップ、家具作家、プロダクトデザイナー、
ビール工房など、藤原さんのフィルターを通した、予定調和にはない沼津だ。

沼津ローカルがたくさん登場する『THIS IS NUMAZU』。

沼津は百貨店なども撤退し、
沼津人自身があまり誇りに思っていない現状があるという。
中途半端に東京に近く、飲食店でもファッションでも、
都会的なものを求めるときは、東京に行けてしまう。
だから、沼津の必然性が薄れていってしまうのかもしれない。
一方で、藤原さんの沼津愛はすさまじい。
「どこに行っても、沼津沼津沼津……って連呼しますよ!」と言葉を強める。
当たり前かもしれないが、自分が生まれ育った土地であり、
これからも住み続ける地域を居心地よくしたい。
そして正当に評価されたいのだ。

ガンコなオヤジたちを粘り強く応援するおつき合い。

藤原さんがやっていることは、すでにコミュニティデザインといってもいい。
しかし「それは結果論」という。
コミュニティ作りや地域起こしなんてことは意識してない。
「なんとか流行るお店にしたいと、一生懸命、店舗をデザインしてきました。
そうした点が結果的に線になっただけ。
最近、結果論っていいなと思うんです」

藤原さんは、すべての話において、謙遜しているように感じる。
「東京に出たいとは思わない」し、「ビッグになりたいとも思わない」。
現在でも社員は自分を含めて2名だし、自分の手の届く範囲で、
人間対人間というヒューマンスケールなスタンスに重きを置いているのだ。

二階の住居へと向かうお利口さんの愛犬エフ。

「まちの先輩たちを盛り上げたいという、個人的な感情もありますね。
オヤジの友だちの店を盛り上げようと思うんですが、やはりその世代はガンコ。
『おまえのいうことなんてきかねえ』と(笑)。
でもいわれるほど燃えてくるので、
粘り強くDMつくったり、チケットをつくったりして。
もちろん材料費くらいしかもらえませんが、
そういうことは大切にしていきたいんです。
会ったらいつもご馳走してくれますしね」

ここに透けて見えるのは、ご近所づき合いの延長みたいなもの。
どんな大きなバジェットの仕事になったとしても、
藤原さんのような、“親兄弟のために、友だちのために、地元のために”という
感情が大切なのではないだろうか。

最後に、月並みだが、夢をきいてみた。
「夢は叶ってしまったので、もうないんですよね。
今度は、みなさんの夢を叶える番かもしれません。
会社を設立する、お店を持つ、家を建てる。そのサポートが一番楽しい」
どこまでも謙虚。そしてどこまでも熱い。

オープンしたばかりの〈キチトナルキッチン静岡〉の店舗。写真提供:ケンブリッジの森

乾杯は日本酒で行うべし! 佐賀県が 「日本酒で乾杯を推進する条例案」

宴会などで、乾杯といえばまずビール、だったりしますが、
近頃では「最初の乾杯を日本酒/焼酎にしてください」という
条例を施行する自治体が続々登場中!

その理由は、年々減少する日本酒の消費量。
少子高齢化などの影響で、ピークだった昭和50年度に
比べると3分の1程度にまで落ち込んでいるのです。

そのため、京都市や兵庫県の三木市と加東市など
全国の8市町がこの条例を施行しており、
都道府県では先日初めて佐賀県が施行したのです。
これにあわせて地元の窯元で酒器を作るコラボも行われたりしています。
地元のお酒を楽しむ習慣がより広まるといいですね。

秋田のローカル線の一日オーナーになってみる?売上は除雪費用に

秋田県の内陸部を縦断するローカル線、秋田内陸縦貫鉄道では、
列車の一日オーナーを募集しています。

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鈴木輝隆さん

地域文化と向き合う人々と出会い、始まったこと。

著名デザイナーや建築家から「みつばち先生」と親しまれる鈴木輝隆さんは、
日本のローカルで、ネットワークをつくりだす達人。
2003年からは「ローカルデザイン研究会」を主宰するなど、
ローカルの人々とクリエイターとをつなげ、
これまで、彼らとともに美しい「ローカルデザイン」を生み出してきた。
現在は、江戸川大学で教鞭をとり、学生たちとフィールドワークを行う一方で、
自らもさまざまな地域プロジェクトのアドバイザーや委員長を務める。
そうして、これまで鈴木さんが携わったプロジェクトのひとつひとつが、
著書『ろーかるでざいんのおと』にも綴られている。
花から花へ、みつばち先生が動けば、日本の地域で実が結ぶ。

鈴木先生の研究室には、さまざまな地域での思い出の品が飾られている。窓辺に飾られた写真はローカルデザイン研究会100回目のときに撮影した原 研哉さんとの写真。撮影は、写真家の砺波周平さん。

今でこそ秘湯の代名詞として名高い秋田県の乳頭温泉「鶴の湯」は、
廃業寸前だった経営をオーナーの佐藤和志さんが資金ゼロから立て直したもの。
佐藤さんの理念に共感した鈴木さんは、
デザイナーの梅原 真さん(innovators#005)を連れて行く。
そして秘湯の趣そのままを語るような素晴らしいポスターが世に送り出された。

まちの景観を修復し、今や全国から訪問者が絶えない、長野県小布施市。
まちのランドマークとも言える小布施堂へ
鈴木さんはデザイナーの原 研哉さんを連れて行った。
そこで、生まれたのは、桝一市村酒造場の「白金」という酒の美しいボトルデザインだ。

新しくつくりだすことで、守ることができる文化がある。
優れた人材を味方につければ、
自分たちだけではなし得なかった大きな発信力となっていく。
鈴木さんは、そのような出会いをいくつも結んできた。
新しい情報が流入することが少ない辺境の土地にとって
ひとつの出会いが、とても重要な意味を持つ。

「僕は、人を通してその土地を見てきました。
“こんな面白い人がいるから、一緒に行かない?”って誘って、会いにいく。
そうすると、“僕も連れていってほしい”って人が増えていって、
自然と、何かが動き出したりします。
僕はみんながやりやすい場をつくるだけで、あとはお任せなんです」
と鈴木さんは、ただ、仲の良い友人と友人を引き合わせたように、楽しそうに話す。
そんな風に、美しいローカルデザインの立役者・鈴木さんは、
かつては地方行政に携わっていたひとり。公務員だった鈴木さんが、
全国に広がるネットワークを、どのように築いてきたのだろう。

10年間続けられたローカルデザイン研究会は、2013年1月の100回目で幕を閉じた。記念すべき最終回のゲストは、門出和紙職人の小林康生さん(写真中央でマイクを持った方)と、荻ノ島自治振興会長春日俊雄氏さん(写真左端着席)。(撮影:砺波周平)

鈴木さんは、大学を卒業後、神戸市役所に勤務するも、
山や自然が大好きだったため、もっと田舎で働きたいと考えた。
そして、縁あって山梨県庁で勤務することに。
しかし、待っていたのは、当時の地方行政が抱えるもどかしい現実だった。
「上が決めたことに対しては、別の意見を言っても、なかなか通らない。
せっかく担当になった仕事も、2〜3年で異動しちゃうでしょ。
そうすると、自分を裏切って仕事をしている気がした。
僕は、ただ、きちっとした仕事をしたかったんです」

そこで、鈴木さんは、月に2回、1年間で20〜30か所、
休みを利用して日本中の地域を見て勉強することに決めた。
今から30年以上前のことだ。
当時は、インターネットなんてものは無く、情報はすべて現地で仕入れた。
喫茶店で地元紙を読み、面白いことをやっている人がいたら、その場で電話。
「そんな風に旅をしている人がいなかったんでしょうね。皆さん快く会ってくれました(笑)」
そして、もちろん旅費は自腹。
「だから、“うちへ泊まって行けばいいよ”なんて親切な方もいました。
そこから、またいろんな人を紹介してもらったりしましたね」

そんな風にさまざまな人と知り合うことができたのも、
「観光地」と整備されてしまった場所を選ばなかったからと鈴木さんは話す。
「大学生の時に読んだ『幻影の時代』という本に、こう書かれていました。
“人はイメージの確認で、旅に出る”と。
確かに旅と言うと、証拠写真のように観光地で記念撮影をして、
満足してしまう人がいますが、それは単にイメージの確認に行っただけ。
しかし、そうやって大衆旅行時代が始まるわけですが、
大量消費の対象として、地方には新しい建物ばかり生み出されてしまった。
何でも新しければいいなんて、全然面白くないですよ。
そこにある文化を理解する。
埃がかぶって手あかがついてきたまちのほうがずっと魅力的です。
そうやって考えて、10年後には、
世界の人が驚くようなまちになると信じている人たちがいました。
そんな方々と出会ううちに、ローカルの面白さにハマってしまったんです」
県庁時代、その後の国の研究機関「総合研究開発機構」へ出向時代と合わせると、
関わってきたプロジェクトは数えきれない。
そのうち、さまざまな大学で講演をしてくれと呼ばれるうち現在の研究職に就いたという。

2012年に松屋銀座7階・デザインギャラリーで開催された「みつばち先生 鈴木輝隆展」の様子。鈴木さんがこれまでに携わった日本の10個のプロジェクトが紹介された。中央にある、シルバーのボトルが原さんデザインの「白金」のボトル。

国土交通省半島振興室のプロジェクト「半島のじかん」。鈴木さんは、コーディネーターとしてこのプロジェクトに参加。若手クリエイターを起用することで、新たな視点で半島への喚起よびかけに(AD・大黒大悟さん、写真家・白井 亮さん)。

地方を歩く一方で、鈴木さんは、さまざまな勉強会にも積極的に参加し、
才能あるデザイナーや建築家と出会い、その縁を大切にしてきた。

デザイナーの原さんと出会ったのも、
資生堂が主催する、日本の職人に関する講座に参加したときだったという。
意気投合して、鈴木さんがこれまで出会った人のもとへ原さんを連れて行く。
そして、小布施堂のように、さまざまなプロジェクトが生まれていった。
知人の紹介で会ったという建築家の隈研吾さんとも、もう15年来の仲だ。
バブル崩壊後の当時、東京に仕事がないという隈さんを連れて、
新潟県・高柳町(現柏崎市)へ。
そして、地元市民の迎賓館として、
門出和紙職人の小林康生さんが手がける、
手すき和紙を駆使した茅葺きの「陽(ひかり)の楽屋」が完成した。

「今思うと、地域を勉強したいと思いながらも
僕は、見たこともないものに出会いたい、生み出したい、
という個人的な知的欲求もあったかもしれません。
それは、そこで生まれる何かもそうだし、そこにあるものもそう。
自然農法でハーブを育てる農家さんだったり、漁師さんだったり、
他にはない、その土地の自然のなかで育まれた彼らの生き方に感動します。
それで、また会いに行ってしまうんです」

鈴木さんが尊敬する偉人のひとりが下河辺淳さん。「彼が“人生は15年以上ひとつのことをやってはいけない。節目が無くなる。人間はだらだら生きちゃいかん”って言うんで、県庁を辞めようと思ったんですよ(笑)」

鈴木さんは、土地で生きる人々を研究するように、
まちからまちへと感動を求めて津々浦々歩いた。
それらの出会いは、もちろん、本拠地・山梨にもあった。
「ギャラリートラックスの木村二郎さんもとても素晴らしい方でした」
家具作家として知られる木村さんは古材を使った家具づくりの先駆者と言われ、
亡くなった今も、木村さんの世界観に魅了される人は多い。
木村さんとのプロジェクトのひとつが、
山梨県北杜市須玉町の津金小学校大正校舎の修繕だ。
木村さんは、慣れない手つきの地元住民と一緒に、壁を塗ったり、
古材でンテリアを制作したり。素晴らしいものに仕上がるも、残念ながら、
建て替えられてしまうことになったというが、
木村さんの理念は、地元住民の心に刻まれている。
古材を活かす柔軟な発想と斬新なデザイン感覚は、地域に生命力を蘇らせ、
土地の歴史、培われてきた技術や暮らしの知恵を継承していけるのだと。
「不思議な魅力を持っている人に対して、行政はなかなか評価しづらい。
だから、僕はその人は、とても面白いよと伝える。
そういう役割も果たしていたかもしれません」

一般社団法人ハウジングコミュニティ財団の事業のひとつ「住まいとコミュニティづくり活動助成」は全国の市民の自発的な住まいづくりやまちづくり地域づくり活動を支援する。選考委員会委員長を務める鈴木さんは毎年選ばれたプロジェクトの報告書を、梅原さんにデザインをお願いし、1冊の小冊子にしている。「こんな風に素敵なかたちで自分たちのプロジェクトをまとめてもらえたら、やっぱりうれしいですよね」

成熟化してしまった社会を見直すヒントが、ローカルにはある。

現在、鈴木さんが足しげく通っている場所のひとつに、
北海道の清里町がある。もう10年以上も、通い続けているという。
イギリスのコッツウォルズにも負けないほど美しい景色が広がる、
人口4500人の小さなまちだ。
ここへ、「庭園のまちづくり構想」を進める町のアドバイザーとして、
鈴木さんは気鋭の若手デザイナー3人を連れていった。
パッケージや制服など、まちのなかのものをすべて見直しながら、
まちをまるごとデザインしていこうというのだ。
何と、面白そうなプロジェクト!
しかし、町の3人への支出は交通費だけで、デザイン料は無料。
採用するかどうかも、町が決めることになっている。
「それでも3人はやってみたいって言うんですよ。
でも、僕も何か面白いものが生まれるって思っているんです。
ここは、流行とか景気とかに左右されない、自然が美しくて、
食べ物もおいしくて。何よりここに住んでいる人がみんな素敵だからね」

第一弾として、始まったのは清里産じゃがいもでつくられる、
焼酎のパッケージデザインのリニューアル。2014年4月に完成予定だ。
地元の人との交流を通して生まれたデザイン案に対しては、
高校生、青年団、おじいちゃん、おばあちゃん、
土地のみんなが意見をかわすのだそう。
そんな何気ない小さな意見を汲み取り、コミュニケーションを重ねることで、
新しい価値が生まれていくのだと鈴木さんは言う。

「今は情報が多いでしょ。都市部は特にそうですね。
イメージを持たないで物事を見るほうが大変なくらい。
みんな知らず知らずに埋め込まれてしまったステレオタイプに従って生きている。
そうすると、いろいろな可能性を選択肢から省いているんですね。
成熟化した日本の社会は、ますますステレオタイプなものをつくっていく。
誰かが歩いた道を歩くほうが楽ですから。でも、田舎ではそうはいかないんです」
日本の地域にはそこで培われてきた歴史と風土があり、
その個性を大切に考える以上は、右へ倣えのやり方は通用しない。

「そして、そういった可能性を受け入れる柔軟な土壌もあります。
みな、可能性があるということは楽しいんですね。
新しい価値が生まれれば、両者は生き生きしてきますから」
そう断言できるのも、鈴木さんがこれまでそんな場面にいくつも立ち会ってきたから。
「だから、今、僕らの世代の役割って、さまざまなハードルを低くして、
若い人たちが参加できる場所をつくってあげることが重要だと思う。
そうすれば、みんなが考えている以上に生まれてくるものがあると思いますよ」

デザイナー3人を連れて清里町を訪れ、地元の漬け物工場も訪問。「地元住民と一緒に流氷を見に行ったりもしましたよ。まち全体に流れる空気や風を感じ取りながら、時間の蓄積や時間の包有を味方につけたら、都心では考えつかないような写真やデザインを生み出せるんじゃないかな」(撮影:清里町)

「TAKAO599 MUSEUM」は、旧東京都高尾自然博物館での展示物をベースに高尾山の新たな魅力と活力を創出する場としてつくられる、体験型のミュージアム。鈴木さんはこのプロジェクトの総括座長を務め、ADの大黒大悟さん(日本デザインセンター)と共に写真の報告提案書をまとめた。平成27年に運営開始予定で、完成が待ち遠しい。

Profile

TERUTAKA SUZUKI
鈴木輝隆

1949年愛知県名古屋市生まれ。神戸市役所、山梨県庁、総合研究開発機構を経て、現在は江戸川大学社会学部現代社会学科教授。地域の自立には歴史や伝統を軸に、美意識のある「ローカルデザイン」が必要と考え、「ローカルデザイン研究会」(現在第100回)を主宰している。2012年8月、約1か月、「みつばち先生鈴木輝隆展」(松屋銀座・日本デザインコミティーの主催)が開催された。著書には、『ろーかるでざいんのおと(田舎意匠帳)』(単著)全国林業改良普及協会、『気づきの現代社会学』(共著)梓出版など多数。2013年、『みつばち先生-ローカルデザインと人のつながり(仮)』原研哉編・羽鳥書店より出版予定、『地域開発』(一般財団法人日本地域開発センター)(11月号)で、特集『ローカルデザインとは何か』を企画編集している。
http://www.edogawa-u.ac.jp/~tsuzuki/
【参考】
※ローカルデザイン研究会 http://www.tsugane.jp/bunka/event/ld.html
※鶴の湯 http://www.tsurunoyu.com
※桝一市村酒造場 http://www.masuichi.com
※半島のじかん http://hanto.jp
※津金学校 http://tsugane.jp/meiji/

前橋 Part3 捨てるって、どういうことだろう?

山崎亮 ローカルデザインスタディ
前橋編・目次

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今回、山崎さんが注目したのは、産業廃棄物にあたらしい命を吹き込む
「モノ:ファクトリー」を展開している株式会社ナカダイ。
1日約50トンも運び込まれる廃棄物を「素材」さらに、「ソーシャルマテリアル」
と言い換えてみれば、リサイクルのあたらしい方法だけでなく、
これからのわたしたちの生き方までもが見えてきそうです。
そんな “リマーケティングビジネス” の仕掛人とも言える、中台澄之さんを訪ねました。

その場所に身をおいてみてはじめてわかること。

山崎

廃棄工場に来るというので、素人考えでなんとなく、
ある「ニオイ」のようなものを覚悟していたのですが……
ここはむしろ、工場全体がいい香りに包まれてますよね。

中台

いい香りでしょ? みなさんがよく知っている高級シャンプーの香りです(笑)。

山崎

シャンプー??

中台

うちで仕分けするのに大きさがちょうどいいから重宝している
四角いコンテナみたいなの、これ自体が廃棄物なんですよ。
シャンプーのタンク。海外のメーカーからこのタンク単位でやってきて、
本来は日本でボトルなどのパッケージに詰められて
商品として世に送り出されるはずだったものが、
しばらく倉庫に眠ったまま開封されることなく
何らかの理由で廃棄されて、うちに来るわけです。

山崎

在庫として抱えて高い倉庫代を支払うよりも、
廃棄したほうが安くつく、そういうパターンですね。
出版社の書籍なんかも、ある程度年数が経つと
そうやって廃棄処分されるって聞いたことがあります。

中台

ここへ来なくちゃわからないことってあるんです。ニオイも音も。
身を置いてみなくちゃわからない、「知らない環境」だから。
北海道の雪山や、沖縄の海と同じ。

山崎

ぼくもいま、それをまさに実感してます。

中台

何かをつくる工場、ものづくりの現場、つまり動脈側は
みなさんどこかで見たことがあると思うんです。
一方で静脈側はというと、一元的、効率的に処理をする
公共の巨大廃棄処理場くらいしか見ない。
だけど、きわめて一元的、合理的だから
「ああ、こうなってるんだ」「すごいね」で終わってしまう。
果たして、それでいいのかなって。

山崎

うーん……。

中台

でも、ここでは、「捨てるって、なんですか?」って問いかけたいんです。
それってどういうことだろう、って。

コンテナ代わりに使っている四角い容器

いい香りの原因は、コンテナ代わりに使っているこの四角い容器にあり。

ゴミは、格好のコミュニケーションツール!

山崎

ゴミ箱に捨てた=「捨てた」ことになるのか? って。
たしかに、ここに来たら「そうじゃない」ってことを改めて考えてみたくなります。

中台

うちで中間処理場としてやってる「分別」や「解体」「処理」って、
そう表現するとなんだか小難しいですが、蛍光灯を割りまくる! とか、
セラミックを壁に叩き付ける! とか、そんな作業なんです。
僕らがやれば一瞬で終わってしまいますが、
これを見学・体験に来た方にやってもらう。

山崎

ほかでやったら絶対怒られる類いのことばっかりだ(笑)。

中台

OLさんなんかは、ストレス発散になるって喜んでたりする(笑)。

山崎

たしかに!

中台

感じることは、なんだっていいんです。
でも、「壊す」行為を通して、廃棄物の山の間に身を置いて、
なにかを感じて、学び取ってほしいと思うんです。
そうすると、僕たちが何も言わなくても
「どうしてこんなにゴミが出たのか」
「これを使ってなにができるか」……
参加者の間から、自然とコミュニケーションが生まれる。

山崎

なるほど!

中台

捨てる側の企業とうちの関係もまた同じ。
ゴミを出すことをネガティブにとらえて、隠して燃やしちゃうより、
「こんなに出ちゃったゴミ」について一緒に考える
コミュニケーションを大事にしたい。

山崎

ゴミが、自然なコミュニケーションを生む環境をつくってくれるんですね。
興味深いなあ。

中台

あらかじめ正解の用意されていないことを考える。
これって、「冷蔵庫の残り物でなにを作るか」に似ていると思うんです。
誰かから見たら一貫性のない「残りもの」でしかないけれど、
ほかの誰かに託してみると、その素材がメチャクチャ旨い料理になる。
たしかに見た目は少々悪いかもしれないけれど、
オリジナリティがあって、ちゃんとおいしい。
そのクオリティの高さと、あらかじめ「何を何グラム」と
きっちり用意して作ることと、どっちがいいなんて、
いちがいに言えない時代なんじゃないかなって。

山崎

ブリコラージュが器用仕事って訳されるけど、
あれって「ありあわせ」ってことなのかもしれない。
そういった、ありあわせ料理的な感性が、
これまで日本の教育では大切にされてこなかったのかもしれませんね。

中台

そう感じています。
規格の素材を与えられて上手に作るということはやってきたけれど、
そこにまず環境がバーンとあってそれに対応するという応用力は
教育されてこなかった。
今回の東日本大震災でも、そのことを痛感せざるを得ません。

山崎

ぼくたちがやっているコミュニティデザインも、完全に「ありあわせ」でしかない。
毎回、現地へ入って、まず冷蔵庫を開けてみないと始まらない。
あらかじめ完成形を描いて一流の専門家をずらりと集めて
やるわけじゃないですからね。

中台

まったくおなじですね。

山崎

島にいる漁師さん、農家のおばあちゃん、廃屋……さてこれで何ができる? 
さらに、素材のよさを最大限に引き出すにはどうしたらいい? 
という順序で考えていくわけですから。
いや、ひとを人参や卵に例えるのは、大変失礼なんですけれどもね(笑)。

(……to be continued!)

基盤の廃棄物

生産や流通の過程で、さまざまな事情があって大量に廃棄されるモノたち。溶かしてリサイクルする以外に、なにか方法はないか?と考える。

工場で働く社員には、若い女性の姿も多い

工場で働く社員には、若い女性の姿も多い。ユンボや重機の操作もお手のもの。

蛍光灯は、専用の機械に差し込むようにして粉砕

蛍光灯は、専用の機械に差し込むようにして粉砕する。この作業も工場ツアーで体験させている。「壊す体験って、滅多にないでしょう。そこからなにかを感じてもらえたら」とナカダイさん。

information

map

株式会社ナカダイ

再生資源、中間処理、廃棄物コンサルティングなどを行う会社。中間処理場である前橋支店での取扱量は1000t/月程度で、リサイクル率は95%を超える。粕川工場では、リユースを目的とした中古家具をオークションする市場、“MRC(マテリアル・リバース・センター)”を運営、その他、工場やオフィスビルの管理や廃棄物削減などのコンサルティングなども行う。2010年より、新しいモノの流れと産業を創る“リマーケティングビジネス”を展開。前橋支店内に、“発想はモノから生まれる”をコンセプトにした、「モノ:ファクトリー」を併設し、様々な“マテリアル”を発見できる「マテリアルライブラリー」、そこから生まれた商品や作品などを販売する「ストア」、ワークショップのできる「工房」を整備。工場見学やリサイクル体験プログラムなども随時受け付けている。

ナカダイ前橋支店

住所:群馬県前橋市駒形町1326

TEL:027-266-5103

Web:http://monofactory.nakadai.co.jp/

profile

SUMIYUKI NAKADAI 
中台澄之

1972年生まれ。ビジネスアーティスト/株式会社ナカダイ前橋支店支店長/モノ:ファクトリー代表。東京理科大学理学部卒業、証券会社勤務を経て、ナカダイに入社。ISO14001の認証取得や中古品オークションを行う市場の立ち上げなど、総合リサイクル業として事業を拡大。“リマーケティングビジネス”を考案し、“発想はモノから生まれる”をコンセプトに、モノ:ファクトリーを創設。使い方を創造し、捨て方をデザインするビジネスアーティストとして、さまざまな研修やイベントなどの企画、運営を行っている。

profile

RYO YAMAZAKI 
山崎 亮

1973年愛知県生まれ。大阪府立大学大学院地域生態工学専攻修了後、SEN環境計画室勤務を経て2005年〈studio-L〉設立。地域の課題を地域の住民が解決するためのコミュニティデザインに携わる。まちづくりワークショップ、住民参加型の総合計画づくり、建築やランドスケープのデザイン、パークマネジメントなど。〈ホヅプロ工房〉でSDレビュー、〈マルヤガーデンズ〉でグッドデザイン賞受賞。著書に『コミュニティデザイン』。

北海道南西沖地震から20年。 奥尻島で「島ビーサン」 デザインコンテスト開催

2013年、奥尻島は北海道南西沖地震から20年の節目の年を迎えました。

そこで奥尻の観光・夏を盛り上げるため、
奥尻島観光協会は奥尻高校の生徒たちによる
「島ビーサン」のデザインコンテストを開催しました。
葉山のビーチサンダル専門店「げんべい」とのコラボ・プロジェクトです。

高校生たちは、町の公式キャラクター「うにまる」をかわいらしく
表現するなど、それぞれに趣向を凝らしたデザインを行いました。

それらのデザイン画を、奥尻港フェリーターミナルと
札幌市内の丸井今井札幌店に掲示し、投票会場でデザイン画を並べて掲示。
来場者が気に入ったデザインの番号を投票し、人気を競ったのです。

そして栄えあるグランプリに選ばれたのは、ナンバー16の「奥尻島」!
続いてナンバー14の「うにまるくんとうにまるくん」、
ナンバー8の「うにまる」が入賞。

これら上位3位のデザインが商品化され、札幌市内や奥尻島で
販売されるそうです。どれも洗練されたデザインでいいですね。
高校生によるデザイン島ビーサン、なかなかユニークな試みです。

奥尻島観光協会

前橋 Part2 ゴミだって、地産地消。

山崎亮 ローカルデザインスタディ
前橋編・目次

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今回、山崎さんが注目したのは、産業廃棄物にあたらしい命を吹き込む
「モノ:ファクトリー」を展開している株式会社ナカダイ。
1日約50トンも運び込まれる廃棄物を「素材」さらに、「ソーシャルマテリアル」
と言い換えてみれば、リサイクルのあたらしい方法だけでなく、
これからのわたしたちの生き方までもが見えてきそうです。
そんな “リマーケティングビジネス” の仕掛人とも言える、中台澄之さんを訪ねました。

「処理する」から「生産する」と言い換えてみた。

山崎

ひとくちにプラスティックといっても実はそれだけたくさんの種類があって、
だからこそ、産業廃棄物をリサイクルするための分別の質の高さが、
ナカダイの強みになっていくわけですね。

中台

それまでは鉄だけだったのに入ってくるゴミの種類は増えるわ、
匂いを嗅げ、こまかく計れと言われて、社員も相当混乱したと思います。
それで同時に、お客さんのところでの分別も徹底してもらう方法を考えました。
たとえば、生産ラインの終着点ではなく、途中に逐一ゴミ箱を置く。
プラスティックも種類がわからないのは当たり前だから、
色で分けてくださいとお願いしてみる……。そんな具合に。

山崎

そうやって、少しずつ方法が構築されていくんですね。

中台

もちろん、それだけでは十分でないとわかってはいながら、
そこそこ会社も順調だったのでなかなか着手できずにいたんです。
ところが、リーマンショックで月1000万の売上げが100万円にダウン。
ほんと瞬時に、ですよ。同じクオリティのしごとをしているのに、
これでは社員が雇えない。さすがに尻に火がついて、
なんとかしなくちゃとトヨタの生産方式を取り入れたんです。

山崎

廃棄物なのに、生産方式?

中台

ええ。当初は全く根拠もないままに(笑)。
とにかくぼくらのしごとを「廃棄物を処理する」のではなく
「解体・分別して素材を生産する」と言い直してみたんです。
で、このコンセプトに基づいたワークアウトを社員全員で行うようになりました。

山崎

社員のみなさん、よくついてこられましたね。

中台

最近では、工場見学なども行っているので、
ぼくらのしごとにたくさんの方が興味を持ってくださっていることが
目に見えてわかる。時には、彼らにとってあたり前のユンボの運転や
機械の操作を「すごーい!」ってほめられたりしますしね(笑)。
みんな、じぶんのしごとに自信をもって、ほんといい顔で働いてくれています。

ナカダイの工場に運び込まれた「ゴミ」

ナカダイの工場に運び込まれた「ゴミ」。素人目には、椅子は椅子に分別されているように思うが……脚の部分(木)、釘などの留め金(金属)、中材(ウレタン)、座面(木綿や麻など)、それに外を包むビニール(!)と、まだまだこれから手間をかけてこまかに分けなければリサイクルできない状態。

ナカダイ前橋支店では、工場見学(予約制)を受け入れている

ナカダイ前橋支店では、工場見学(予約制)を受け入れている。「見られる」ことが刺激になって、社員さんたちの姿も生き生きとしているみたい。

食べ物と同じで、廃棄物だって地産地消。

中台

入社した当初からジレンマに思っていたのは、
「ゴミゼロの社会」だと我々の業界は困るということ。
リーマンショック後、多くの工場が海外移転したことは、ぼくらにとっては
イコール「ゴミが減る」、イコール売上げが減る、なんです。

山崎

なるほど。ナカダイから最終処分場にいくときには減らすんだけど、
入ってくるものが減ると、しごとが成り立たくなる。

中台

そういうことです。うちに入ってくる廃棄物をスクラップとして、
またはリサイクル素材として出している限りは、限界がある。
それで、「廃棄物ってなんだろう?」ってことをつき詰めて、
分別を重ねていくうちに答えのようなものが見つかってきたというか。

山崎

見つかったんですか?

中台

わかったのは、廃棄物も地産地消だってことです。
たとえば、京都で出るゴミには、組ひもがたくさん出る。
うちは群馬で自動車製造業が多いから、エアバッグやシートベルトが出る。
組ひもなんて、絶対に出ない。
実際に見たことはないけど、もしかしたら亀山のゴミには
液晶がたくさん出てるんじゃないかな、と思うわけです。

山崎

なるほど。それはおもしろいなあ。

中台

地元の産業から出た廃棄物で、地元のクリエイターやこどもや市民が
再びなにかをつくるって、なんだか腑に落ちませんか? 
道の駅的というか。

山崎

うーん、道の駅的……。そう考えてみると、発想がひろがりますね。

中台

studio-Lが小豆島の町民のみなさんと取り組んでいらっしゃる
コミュニティアート「醤油の壁」も、その発想ですよね。

山崎

たしかに、発想としては近いのかもしれませんね。
ぼくらがぼんやり考えはじめていたことを、
もうすでに数千倍の規模でやっていらっしゃるということ、非常に興味深いです。

(……to be continued!)

プラスティック成型をする際の端材

プラスティック成型をする際の端材。某有名アクセサリーショップから「商品のディスプレイ台として使用したい」と申し出があり、中台さん自身もいい刺激を得たという。

雑誌『モノマガジン』とのコラボで生まれたトートバッグ

自動車のエアバッグというナカダイ前橋支店ならではの廃材を素材に、雑誌『モノマガジン』とのコラボで生まれたトートバッグ。

トートバッグを真剣に吟味する山崎亮さん

「これ、ほんとカッコイイなあ。欲しくなる」と、トートバッグを真剣に吟味する山崎さん。「でもまたエアバッグのゴミが出てこないとつくれないってことですよね!(笑)」

information

map

株式会社ナカダイ

再生資源、中間処理、廃棄物コンサルティングなどを行う会社。中間処理場である前橋支店での取扱量は1000t/月程度で、リサイクル率は95%を超える。粕川工場では、リユースを目的とした中古家具をオークションする市場、“MRC(マテリアル・リバース・センター)”を運営、その他、工場やオフィスビルの管理や廃棄物削減などのコンサルティングなども行う。2010年より、新しいモノの流れと産業を創る“リマーケティングビジネス”を展開。前橋支店内に、“発想はモノから生まれる”をコンセプトにした、「モノ:ファクトリー」を併設し、様々な“マテリアル”を発見できる「マテリアルライブラリー」、そこから生まれた商品や作品などを販売する「ストア」、ワークショップのできる「工房」を整備。工場見学やリサイクル体験プログラムなども随時受け付けている。

ナカダイ前橋支店

住所:群馬県前橋市駒形町1326

TEL:027-266-5103

Web:http://monofactory.nakadai.co.jp/

profile

SUMIYUKI NAKADAI 
中台澄之

1972年生まれ。ビジネスアーティスト/株式会社ナカダイ前橋支店支店長/モノ:ファクトリー代表。東京理科大学理学部卒業、証券会社勤務を経て、ナカダイに入社。ISO14001の認証取得や中古品オークションを行う市場の立ち上げなど、総合リサイクル業として事業を拡大。“リマーケティングビジネス”を考案し、“発想はモノから生まれる”をコンセプトに、モノ:ファクトリーを創設。使い方を創造し、捨て方をデザインするビジネスアーティストとして、さまざまな研修やイベントなどの企画、運営を行っている。

profile

RYO YAMAZAKI 
山崎 亮

1973年愛知県生まれ。大阪府立大学大学院地域生態工学専攻修了後、SEN環境計画室勤務を経て2005年〈studio-L〉設立。地域の課題を地域の住民が解決するためのコミュニティデザインに携わる。まちづくりワークショップ、住民参加型の総合計画づくり、建築やランドスケープのデザイン、パークマネジメントなど。〈ホヅプロ工房〉でSDレビュー、〈マルヤガーデンズ〉でグッドデザイン賞受賞。著書に『コミュニティデザイン』。

木綿街道プロジェクト

開発を逃れ、残されたのは古きよきまちの姿。

島根県の東部に位置する出雲市平田町に、
「木綿街道」と親しまれる、風情あるまち並みが残っている。
代々受け継がれてきた製法を守ってつくられる「生姜糖」の店や、
醤油の醸造所が3軒、そして造り酒屋など、いまも現役の老舗が軒を連ねる。

明治10年創業「酒持田本店」。熟練の出雲杜氏が銘酒「ヤマサン正宗」を生み出している。

宍道湖と日本海に挟まれているこの地域は、
江戸時代、綿の栽培がさかんになったのと同時に舟運も活発になり、
「雲州平田」と呼ばれる賑やかな市場町として栄え、立派な商家が建ち並んだ。
その後、水上から鉄道や車へと交通手段が代わりゆく昭和以降、
まちに繁栄のかげりが見え始めた。
昭和50年代には、平田のなかでも繁栄の中心だった本町エリアが、
開発区域に組み込まれ、昔の面影を残す多くの商家が消えてしまったという。
しかし、その開発を逃れ、江戸中期の佇まいが今も残っている地域が
現在、「木綿街道」の愛称を持つ、新町・片原町・宮の町エリアだ。

「僕が育ったころ、周辺は取り残され『寂れたまち』という印象でした。
観光客なんて来ることもなく、用事がある人のみが出入りする。
かと言って、当事者のわたしたちも、江戸中期のころの建物と言われても、
それに価値が見いだせていなかったんです」
と話すのは、來間 久さん。
片原町で300年続く、生姜糖を製造する老舗・「來間屋生姜糖本舗」の店主だ。

改修をしながら当時の佇まいを残す來間さんのお店。看板商品の「生姜糖」はさっぱりとしていて美味。

來間さんは、大学を卒業後、東京で10年ほど会社員として勤め、
父親が亡くなったのを機に帰郷し、店の跡を継いだ。
同じ頃、新町・片原町・宮の町のまち並みを保存しようと外部から働きかけがあり、
そのメンバーに参加することになったという。2001年頃のことだ。
誰もが初めての試み。
地元の人からなかなか理解を得られないこともあったというが、
イベント「おちらと木綿街道」や「もち街木綿街道」を企画したり、
木綿街道地域の存在を広く周囲に知ってもらえるよう、
まち並みを活かす活動を年々展開していった。
さらに、観光の拠点として、「木綿街道交流館」が整備され、
徐々にたくさんの人に、訪れてもらえるようになったという。
現在は、街道内の事業者を中心として結成された、
「木綿街道振興会」が主体となり、年1回の「おちらと木綿街道」だけでなく、
大小さまざまなイベントが企画されている。
その拠点となっているのが、「旧石橋酒造」だ。

「おちらと木綿街道」は、街道内の空店舗、空家を利用して地元のものづくり作家を中心に、多ジャンルの出展者が集う毎年恒例のイベント。今年も5月26日に開催され、6000人以上の人が訪れ、賑わいをみせた(撮影:木綿街道振興会)。

学生や若い世代が参加し、新たな活動へ。

江戸期から続く造り酒屋である石橋酒造が廃業したのは、2007年のこと。
木綿街道の認知度が少しずつあがってきた矢先だった。
800坪もの敷地を持つ建物であり、観光の核にもなりうる建物が、
心ない人の手に渡っては、木綿街道の美しい景観が壊れてしまう。
そこで、平田商工会議所などの働きかけにより、
出雲市が買い取り、活用する方向へ走り出した。
木綿街道振興会のメンバーが中心になり、活用に向けて、広大な敷地を大掃除。
「あれは、もう本当に大変でしたね……」と來間さん。
「でも、大変だった分、みんなにも愛着がわいたのも事実です」
どんな活用方法がよいか、この場所にみんなが可能性を感じたきっかけになった。

みんなで大掃除してつくられた旧石橋酒造奥にあるホール。音の反響もよい広々としたスペースゆえ利用できるようになる日が待ち遠しい(撮影:木綿街道振興会)。

左から、來間さん、木綿街道事務局の平井さん、高橋さん、渡部さん。旧石橋酒造の前で。

そんな生まれ変わった旧石橋酒造で活動を展開している団体のひとつが、
「City Switch」だ。
City Switchは、グローバルに都市デザインの知識やアイデアを交換し、
都市の再生を考えていくプロジェクト。
現在は、東京、出雲、オーストラリアに拠点を持つ。
出雲では、建築事務所「江角アトリエ」が主体となり、
毎年、日本中から大学生の参加を募り、ワークショップを開いている。
学生たちは、1週間ほど出雲の各宿泊施設に滞在しながらグループ制作を行う。
そのワークショップのひとつに、「旧石橋酒造の活用」が取り入れられた。
学生たちは思い思いに、地元の人と交流しながら、
2010年にはこの場所の記憶をとどめる「memory2010」という
インスタレーションを発表したり、
さらに、2011年には日常的な活用方法のひとつとして、
ブックマーケットの仕組みを考え、スタートさせた。

インスタレーション「memory2010」の様子(撮影:江角アトリエ)。

ブックマーケットの様子(撮影:木綿街道振興会)。

「そこで何ができるか、何をするかは、学生たちが決める。
それが、このプロジェクトの面白いところなんです」
と、江角アトリエの江角俊則さんも話し、
木綿街道振興会と共に、学生たちの制作をフォローしている。
学生たちの自由な発想で、面白い活用法のアイデアが生まれる。
なかには、海外から参加する学生もいるようで、
出雲で建築に携わる若いスタッフにもよい刺激になっているようだ。

そんなCity Switchがきっかけで今年4月に木綿街道にやってきた女性がいる。
井上季実子さん、24歳だ。
「ワークショップがきっかけで、
大学生のときに初めて木綿街道にきました。島根の豊かな自然や、
深い歴史を物語るまち並み、そこで出会った人々に魅了されてしまって。
そのとき、こうやって地域やここにいる人たちと関わりながら、
いつかはこっちにきたいな……と思っていたんです。
そうしたら、木綿街道振興会の方から“一緒にカフェをやらない?”と誘われて。
もちろん、即OKの返事をしました!」

実は、これまでイベントや外部団体が活動の拠点としてきた旧石橋酒造は、
今後2〜3年をかけて、建物の防災設備を整えるため修繕に取りかかる。
その間、多目的活用スペースとして、
また木綿街道内で製造されている商品の総合ショップとして、
木綿街道の空き店舗を改修し、カフェを開くことになったのだ。
井上さんは、木綿街道振興会事務局の平井敦子さんと一緒に
振興会を盛り上げながら、今年度中のオープンに向けて準備を進めている。

ちなみに、井上さんは、横浜市出身。なれない土地での生活、不安は無かったかと伺うと、
「初めてのひとり暮らしであたふたしていますが(笑)、
まわりの人がみなさん助けてくれるんです。
一緒にお茶をしたり、食事したり……。とても楽しい毎日を送っています!」
と井上さん。そんな充実した生活から、ここでの目標も見えてきたよう。
「私の勝手な目標ですが、若い人を木綿街道に呼んで、
この地に住んでもらえるような、何か新しい生活スタイルを提案したいですね」

長い年月をかけて、少しずつ、少しずつ、かつてあったような、
人々の息吹や活気を取り戻してきている、木綿街道。
それは、訪れた誰もが魅了されてしまう、歴史的財産が残っているから。
「私たちの一番の目的は、
この木綿街道の美しいまち並みを後世へ残していくことなんです。
しかし、古い木造の建物の価値や魅力を残しつつ維持していくには、
個人では到底まかなえないような多額な費用が発生する場合もあります。
だから、行政の保存制度に頼るしかない。
行政による保存に向けての取り組みを活発化させるために、
文化財的価値を持つ建造物として認知してもらいながら、
この木綿街道を好きになってくれる人をもっと増やすような、
そんな活動を行っていけたらいいですね」(平井さん)

今年の「おちらと木綿街道」前夜祭では木綿街道近くにある「宇美神社」でフードや飲み物が振る舞われた。このような神社内での風情ある夕涼みに想像以上の参加者が集まった。

Information


map

木綿街道振興会

住所 島根県出雲市平田町831-1
電話 080-3025-6901
http://momen-kaidou.jp

Information

City Switch

2007年に設立され、これまでに島根県出雲地域やオーストラリア・ニューカッスル、中国・大連において国際デザインワークショップをコアアクティビティとして活動を展開してきた。建築家・大野秀敏の指導のもと、ジョアン・ジャコビッチと山代悟のパートナーシップにより運営され、それぞれの活動地域の地元グループとのコラボレーションによって活動中。
https://www.facebook.com/CitySwitchJP

Information

江角アトリエ

住所 島根県出雲市古志町2571
電話 0853-31-8211
http://www.esumi-atelier.com

東北のために立ち上がれ、呑ん兵衛!岩手の地酒と肴で支援する「DRINK 4 IWATE」

立ち上がれ、呑ん兵衛!

お酒とおいしい食事が三度の飯より大好きなメンバーが
大震災で未曾有の被害を受けた東北を応援する
プロジェクト「drink 4 tohoku」。

来たる6月16日(日)、東京・渋谷のロフトワークラボにて、
岩手をテーマにした「DRINK 4 IWATE」が開催されます。

岩手の食材をふんだんに使ったお弁当と、
松徳硝子社製のうすはりグラス(持ち帰り可!)が渡され、
用意された岩手の地酒10銘柄を3杯味わうことが
できるほか、トークやライブも楽しめるイベントです。
地酒のおかわりはキャッシュオンで200円!

トークにおいては、プロジェクトの総料理長であるエンド浩之さんが、
「食べログ」を料理人の視点で分析、本当に美味しいお店を探すコツを伝授します。
点数ではなく、投稿された外観や料理の写真、立地条件など
独自の料理理論を駆使して選ぶのですが、これがめっぽう当たるんだそうです。
今回は「岩手県の飲食店」をピックアップし、解析します。

畑、始めました

「一緒にビールを飲みたい!」と思ってもらえる関係づくりを!

農業に関わる仕事を始めて早3年。
とうとう、畑を始めました!

素晴らしい生産者さんと出会い、自ら販売したいという想いや、
昨年始めたジェラート屋で自ら加工する喜びを知りました。
そうなるとやはり自ら生産してみたい!

今年こそはと思い、雪があるうちから方々に打診をして、
下見を重ねてようやく良い場所を見つけたのです。
しかもグッドロケーション!

スキー場の斜面に位置するので、段々畑になっており、眺めが抜群!
隣は棚田がずらり。
ぼーっとしているだけでも心地良い場所ですが、
農作業して汗なんかかいたら最高です!
そして作業後のビール!!
採れたての野菜をつまみに、ビール!!!

っと、本題からずれましたが、
このフィールドとこれまでの活動を組み合わせて、試してみたいことがたくさんあります。

その中でも、3年前からずーっと考えていた
CSA(Community Supported Agriculture:生産者、または生産グループと
消費者である町内など地域のコミュニティが提携をし、消費者は一定額を生産者に前払い、
生産者は一定期間に収穫される農作物を消費者に納めるというものです)
という仕組みでの販売、
グリーンツーリズムを重ねてきた
僕らならではのアプローチができるのではないかと考えています。
ただの契約栽培ではなく、交流があり信頼関係の上で
お互いの顔を見ながら責任感を持って生産または消費するかたちを
つくることができるのではないかと。

僕らがこの3年で得た大きなものは生産者と消費者の交流で生まれる喜びの声でした。
それは、生産者さんからの農産物を販売したことに対する感謝や、
消費者さんからの美味しいものを食べた感想の何倍も大きな声でした。

それがヒントだと思っています。

そのためのフィールドを得たことは僕としてはとても大きな一歩で、
ド素人ではありますが、いろんな声に対して
これまで以上にクイックにトライできるのではないかとワクワクしています。
同時に勉強することが山盛りでヒイヒイ言ってますが(笑)。

先日、早速東京から体験のお客様が。
キュウリとオクラと枝豆を植えていただきました。

要は、この野菜が収穫の頃に、
一緒にビールを飲みたいと思ってもらえる関係づくりが
できるかどうかなのではないかと思っています。
(だからビールのつまみになりそうなキュウリや枝豆を植えた
という訳ではありませんよ! (笑))

そして、この体験を機に、
もっともっと日本の農業を身近に感じてくれる人が増えてくれたらなぁとも思うのです。

前橋 Part1 使い方を創造し、 捨て方をデザインする会社。

山崎亮 ローカルデザインスタディ
前橋編・目次

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今回、山崎さんが注目したのは、産業廃棄物にあたらしい命を吹き込む
「モノ:ファクトリー」を展開している株式会社ナカダイ。
1日約50トンも運び込まれる廃棄物を「素材」さらに、「ソーシャルマテリアル」
と言い換えてみれば、リサイクルのあたらしい方法だけでなく、
これからのわたしたちの生き方までもが見えてきそうです。
そんな “リマーケティングビジネス” の仕掛人とも言える、中台澄之さんを訪ねました。

わたしたちは、大量の廃棄物とともに生きている。

山崎

こんにちは! やっとお会いできましたね。

中台

光栄です。ずっとまわりのひとたちから
「山崎亮さんに、絶対、会ったほうがいいよ」って言われ続けてましたから……。

山崎

ぼくも一緒です(笑)。なにがきっかけでしたっけ?

中台

昨年末の、東京ミッドタウン・デザインハブ特別展「もちかえる展覧会」ですね。
展覧会ディレクターの福島治さんからの依頼で、
紹介される18プロジェクト分の展示台をうちで用意させていただいたんです。

山崎

あれがきっかけでしたか。
残念ながらぼくは出展だけで会場にうかがえなかったんですが、
ユニークな展覧会でしたよね。

中台

自転車をプレスしたものや、エアキャップ(プチプチ)をプレスしたもの、
ポリタンクや発泡ブロックなどを使って、展示台を作ったんですよ。
それでその会期中、ずっと福島さんに「山崎さんに会うべきだ」って言われ続けて。

山崎

先日メールいただいて、「すぐに会いましょう!」と。
こんなこと、なかなかないんですけれど。

中台

うれしいです。

山崎

「ソーシャルマテリアル」って、
「リマーケティングビジネス」って、なんだろう、と。
今回は、そんなはなしがうかがえたらと思います。

ナカダイ前橋支店

菜の花畑のなかに、ぽつんと工場があるナカダイ前橋支店。「実は、京都からすぐそこまで直通のバスがあるんです。だから、京都造形大の学生も素材探しによく来てくれるんですよ」と、中台さん。

特別展「もちかえる展覧会」で自転車をプレスして展示台にした

東京ミッドタウン・デザインハブ特別展「もちかえる展覧会」で、「自転車をプレスして展示台にした」のがコレ。迫力!

リサイクル=エコではない、というはなし。

山崎

中台さんはいつからこのような発想を?

中台

まず、会社のはなしをすると、うちはもともと鉄屋なんです。鋼鉄商。
わたしが入社した2000年の段階では、まだほとんど鉄しか扱ってませんでした。
おもにホンダの子会社のスクラップを扱っていたんです。

山崎

なるほど。京都ではたらいていらしたというのは?

中台

大学卒業後は、証券会社の営業マンをしてました。
なにもかも一筋縄ではいかない京都のまちで学んだことは大きかったですね(笑)。

山崎

一種の修業ですね。

中台

まさに。ちょうど京都議定書が採択されて、
サーマルリサイクルなんかが流行り出していたころに、帰ってきまして。

山崎

2000年ですから……13年前ですね。

中台

うちの会社も、そのころには産業廃棄物の
総合リサイクルセンターとしての展開を始めてはいたんでですが、
たとえば分別しないまま固めた廃棄物固形燃料をつくることが
果たしてリサイクルなのか、エコなのか、と考えると何かが違う気がして。
やっぱり、分別したものがあらたなプロダクトとして
生まれ変わるというのがリサイクルだよな、と。
ところが、それがなかなかむずかしい。

山崎

むずかしい?

中台

「プラスチックにも数十種類あって、
ひとくちに同じプラスチックというわけにはいかないんだよ?」
と言われるわけです。どうやって見分けるのかと尋ねたら、
「火をつけて匂いで嗅ぎ分けるしかない」って。

山崎

ええ?

中台

それからは、家中のいらないものをチャッ! と
ライターで燃やしては嗅いでの猛特訓です。
それでも100%見分けられるようになるまで半年はかかりました。

山崎

うーん……、それはすごいなあ。

中台

そうなんですよ。お客さんの前でも「ライターをチャッ!」で嗅ぎ分ける
パフォーマンスが喜ばれて、このときはぐんと顧客が増えました(笑)。

(……to be continued!)

廃棄物固形燃料

廃棄物固形燃料。「そのまま燃やすのはダメで、こうしてぐしゃっとして燃料にしてから燃やしたらオッケーという理屈がよくわからなかった」。ほんのちいさな疑問が、現在のナカダイをかたちづくっていく。

LANケーブルの「中身」

「これ、みなさんに身近なものですよ」と中台さん。実はLANケーブルの「中身」! 色とりどりの8本のこの細い線が撚られてできあがっているらしい。

山崎亮さんと中台澄之さん

右が中台澄之さん。上の写真のLANケーブルも、色ごとに仕分けると「マテリアル」に見えてくるからほんとうにふしぎ!

information

map

株式会社ナカダイ

再生資源、中間処理、廃棄物コンサルティングなどを行う会社。中間処理場である前橋支店での取扱量は1000t/月程度で、リサイクル率は95%を超える。粕川工場では、リユースを目的とした中古家具をオークションする市場、“MRC(マテリアル・リバース・センター)”を運営、その他、工場やオフィスビルの管理や廃棄物削減などのコンサルティングなども行う。2010年より、新しいモノの流れと産業を創る“リマーケティングビジネス”を展開。前橋支店内に、“発想はモノから生まれる”をコンセプトにした、「モノ:ファクトリー」を併設し、様々な“マテリアル”を発見できる「マテリアルライブラリー」、そこから生まれた商品や作品などを販売する「ストア」、ワークショップのできる「工房」を整備。工場見学やリサイクル体験プログラムなども随時受け付けている。

ナカダイ前橋支店

住所:群馬県前橋市駒形町1326

TEL:027-266-5103

Web:http://monofactory.nakadai.co.jp/

profile

SUMIYUKI NAKADAI 
中台澄之

1972年生まれ。ビジネスアーティスト/株式会社ナカダイ前橋支店支店長/モノ:ファクトリー代表。東京理科大学理学部卒業、証券会社勤務を経て、ナカダイに入社。ISO14001の認証取得や中古品オークションを行う市場の立ち上げなど、総合リサイクル業として事業を拡大。“リマーケティングビジネス”を考案し、“発想はモノから生まれる”をコンセプトに、モノ:ファクトリーを創設。使い方を創造し、捨て方をデザインするビジネスアーティストとして、さまざまな研修やイベントなどの企画、運営を行っている。

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RYO YAMAZAKI 
山崎 亮

1973年愛知県生まれ。大阪府立大学大学院地域生態工学専攻修了後、SEN環境計画室勤務を経て2005年〈studio-L〉設立。地域の課題を地域の住民が解決するためのコミュニティデザインに携わる。まちづくりワークショップ、住民参加型の総合計画づくり、建築やランドスケープのデザイン、パークマネジメントなど。〈ホヅプロ工房〉でSDレビュー、〈マルヤガーデンズ〉でグッドデザイン賞受賞。著書に『コミュニティデザイン』。

牡鹿半島の未来をえがこう OPEN LAB.

自然とともに歩む復興を目指す「グリーン復興プロジェクト」。

2013年5月24日。
東日本大震災により被災した三陸地域の復興に貢献するために
「三陸復興国立公園」が指定されました。

環境省はいま、三陸地域の自然環境を活用した復興を目指し
国立公園の創設を核とした「グリーン復興」を進めています。
再編成を検討する地域は、青森県八戸市の蕪島から
宮城県石巻市・女川町の牡鹿半島までと、その周辺の自然公園。
3県にまたがる太平洋沿岸部の南北の延長は約220km、
津波により、多大な被害を被ったエリアです。

コロカルでも幾度かにわたり
その復旧や復興への取り組みのようすをお伝えしている牡鹿半島も、
国立公園化(三陸復興国立公園への編入・2014年を予定)に向けて動き出しました。

三陸特有のリアス式海岸が続く牡鹿半島の産業のなかで最も大きな割合を占めていたのが漁業・水産養殖業。東日本大震災によって多くの漁港、漁船、養殖設備が大きな打撃を受けた。(→TOHOKU2020 石巻カキ漁師新生プロジェクト、スタート!

復興以前に、海岸の復旧と整備。土のうが積まれた堤防の風景が牡鹿半島のそこかしこに。住民のなかには、「高い堤防だらけになってしまって、景観が損なわれるのも……」との複雑な思いも。

そもそも日本の国立公園は、
〈我ガ国天与ノ大風景ヲ保護開発シ、一般ノ利用ニ供スルニ
 国民ノ保険休養上緊急ナル時務ニシテ且外客誘致ニ資スル所アリト認〉
めて、昭和6年に法として制定されたものですが、
環境省がつくればハイそれで終わりではなく、
その国立公園を舞台に、観光や産業、暮らしが花開いてこそ意味がある……。
制度の創設以来80年の長い時を経て、国立公園のあり方、
国や行政の関わり方も、次第に変化しようとしているようです。
守るから使うへ、周遊型・団体旅行から、体験型・滞在型、エコツーリズムへ。
そういった変化をとらえた思いが官民の枠を超えてひろがり、つながり、
南三陸金華山国定公園の国立公園化に向けて立ち上がったのが、
「牡鹿半島の未来をえがこう OPEN LAB.」です。

野生の鹿の繁殖が急増し、半島の生態系を乱し、交通事故などにより住民の生活にも影響を与えるようになった。会場では、プロの観点からも住民からも、一刻も早い鹿害対策が叫ばれた。(→TOHOKU2020「OCICA」と「ぼっぽら食堂」

鹿に食べられないように、茎を短く、地を這うように花をつけるという独特の進化を果たした牡鹿半島のたんぽぽ。ワークショップのなかで指摘されて驚いた。

未来はいつのまにか誰かが決めているものではなく。

さかのぼること約1か月前の4月29日。
春の気配がまだ残る石巻市立大原小学校の休日の体育館に
たくさんのおとなたちが集まりました。その数、180名。
「みんなで話そう。みんなで参加しよう。みんなで語ろう。」
掲げられたコピーを見ても、ただの住民説明会ではなさそうです。

主催者である環境省東北地方環境事務所から
計画の概要と今後の動きについての説明があったのち、
次々とマイクを握るプレゼンターたちが
あたらしい国立公園を、観光や産業、暮らしにどう生かしていくか、
事例やアイデアを提案していきます。その顔ぶれは、
東日本大震災における建築家による復興支援ネットワーク「アーキエイド」から
貝島桃代さん、小嶋一浩さん、志村真紀さん、大西麻貴さん、
「npoTRネット(鶴見川流域ネットワーキング)」の岸由二さん、
「Think the Earth」の上田壮一さん、プロジェクトデザイナーの古田秘馬さん、
「ishinomaki2.0」の西田司さん。
ファシリテイターに、コミュニティデザイナーの山崎亮さん。
いずれおとらぬ、まちづくりのプロフェッショナル。

ここに、東京や横浜から、建築、まちづくりに関わる大学生たちも加わって、
集まった行政区長さんや住民のみなさんとともに、
「線:金華山道」「点:ビジターセンター」「面:環境」「外:観光」の
4つの視点から、牡鹿半島の未来像を考えます。

イベント会場となった石巻市立大原小学校は、在籍児童数27名。界隈の小学校では人口減少による統廃合が進んでいる。

イベントの後半は、4つのチームにわかれてワークショップ形式で。住民のみなさんのために、なるべく「ワークショップ」や「オープンラボ」などの横文字語を使わない工夫も行われた。

観光を考えるのは、プロジェクトデザイナーの古田秘馬さん、「ishinomaki2.0」の西田司さんチーム。「観光地づくりではなく、関係地づくりへ」と提示されたコンセプトに、多くの参加者が共感した。

年長者の住民のみなさんにもわかるように
横文字を使わずに最先端の取り組みを提案する、
津波以前から進行している過疎化もまた
半島を荒らしている大きな問題ではないかという鋭い指摘、
鹿害の危機、観光化への不安と困惑……。
40分という短いワークショップのなかから
たくさんの気づきが生まれ、課題があらわになり、
それらが「自分ごと」として、参加者の意識に刻まれていきます。

未来はいつのまにか誰かが決めているものではなく、みんなでつくりだしていくもの。
復興に向けたオープンガバメント(開かれた政治)のチャレンジは
いまようやく、はじまったばかりです。

牡鹿半島の未来をえがこうOPEN LAB.
http://oshikaopenlab.com/
http://www.facebook.com/oshikaopenlab

牡鹿半島は、三陸海岸の最南端に位置する。東日本大震災で、地震前に比べて半島が東南東に約5.3m移動し、約1.2m沈下したといわれている(国土地理院調べ)。

イベントにいちばん乗りでやってきた萩の浜の区長は、笑顔がたのもしいおかあちゃん。「若いひとらの集まりやと聞いたけど、参加することに意義がある! と思ってやってきました。鹿害対策が最優先と感じました。次回からはどんどん意見も言ってみたいわ」

人の繋がりを大事にするのが土佐っ子気質!高知県がひとつの大家族になる「高知家」

高知県が本気を出した!

昨日、高知県知事の尾崎正直さんと、女優の広末涼子さんが
出演する「高知家 新スローガン発表記者会見」がYouTubeで公開されました。
「高知県は、ひとつの大家族やき」というスローガンのもと、
75万人の人口を持つ高知県を、「高知家」という大家族に
なぞらえたキャンペーンです。
高知家の“娘”が広末涼子さん、そのお兄ちゃんには高知のゆるキャラ
カツオ人間」が任命されています。
カツオ人間は、高知のものをPRする「高知県地産外商公社」で
特命課長を務めるカツオの頭部が切りっぱなしの斬新なキャラクター。
後頭部がとってもキュートなんです。
「暑苦しいほどに、あったかい」、「飲んだら誰でも仲良くなれる」
とWebサイトに説明がありましたが、
高知では、見知らぬ人もまるで知り合いのように話すのだそうで、
このCMも「本当に高知のよう」と広末さんが語っていたそうです。
高知に行ってみたくなっちゃいました。

名古屋から世界を取る! ご当地アイドル、 チームしゃちほこの 「首都移転計画」

ご当地キャラの次は、ご当地アイドル。

というわけで、名古屋在住のかわいこちゃん6人組による
アイドルグループ「チームしゃちほこ」を皆さんご存知ですか?

メジャーデビュー曲は「首都移転計画」という大胆不敵なタイトル。
「つけてみそみそ、かけてみそみそ、首都変えてみそ」
という軽快に提案し、名古屋のご当地ネタを
ふんだんに入れ込んだご当地ソングになっています。

作詞・作曲は愛知県出身のSEAMO。
スミス監督による、個性的なビデオがかわいらしく面白い。
こんなまちおこしもあるんですね。
かわいいしゃちほこちゃん、今後も注目です。

チームしゃちほこ

チームしゃちほこ(ワーナー)

秋田弁炸裂のTwitterが大人気! 田植えもこなすご当地ヒーロー 「超神ネイガー」

秋田県のご当地ヒーロー「超神ネイガー」

秋田の由利地域を拠点に活動する彼は、
ゆるい秋田弁ツイートとあふれる人間力が魅力。

田植えなどの農作業もこなし、辞書が欲しくなるほどの本格的な秋田弁使いで
かなりイケメンなヒーローです。
きりたんぽ型の剣から繰り出す必殺技「比内地鶏クラッシュ」を武器に、
日夜秋田の平和と正義を守っています。

正体も明瞭

ネイガーの正体は秋田県にかほ市在住の農業を営む男性、アキタ・ケンさん(26歳)。
名前の由来は、秋田のナマハゲの「泣ぐ子(ご)は居ねがぁ!」
という叫び声から。仲間のネイガー・ジオンやネイガー・マイと共に、
悪の組合長セヤミコギ率いるホジナシ怪人たちと
日夜戦いつづけているんだそうです。

実は、もうすぐ活動8周年のベテランヒーローである超神ネイガー。
今年はどんな活躍をしてくれるのか気になる存在です。

超神ネイガーTwitter

超神ネイガーWebサイト

豪華!さくらももこ、細野晴臣、小山田圭吾が作りピエール瀧が歌う「まるちゃんの静岡音頭」

静岡市から、史上最高に豪華なPRソングが登場!

YouTubeの静岡市公式チャンネルで公開された、PRソング「まるちゃんの静岡音頭」。
言わずとしれた、静岡市ゆかりのマンガ「ちびまる子ちゃん」を
モチーフにしたものです。

関わるクリエイターがもう驚くほど豪華。
作詞はさくらももこ、作曲は細野晴臣、編曲は小山田圭吾(Cornelius)。

これを静岡出身のピエール瀧(電気グルーヴ)が歌い、
パパイヤ鈴木が振り付けを担当しています。
まる子、たまちゃん、友蔵が踊るビデオのCG映像制作は
さくらももこのWebサイトも手がけるデザインファームMOGRAPHIXXが担当。

サウナ大使の タナカカツキさん、池田晶紀さんが 北海道上富良野PR大使に就任

みなさん、サウナ好きですか? 私は大好きです!

ちょっとおじさん向けなイメージのあるサウナ。
漫画家のタナカカツキさんが「サ道」(サウナ道)として布教活動をされていて、
それを読んだ私もまんまとサウナ(と水風呂)にハマってしまいました。

現在では、日本サウナ・スパ協会が認定する「サウナ大使」として活躍するタナカカツキさん。
その日々の活動が北海道にも伝わったのか、
このたび、カツキさんと写真家の池田晶紀さんが
北海道上富良野町のPR大使に任命されました!

(写真では池田さんが「北の国から」コスプレをしてるみたい……)

ラベンダーだけでなく、じつはスパサウナシティとしても有名な富良野。
お二人の大使就任を記念して、サウナ協会はテントサウナを設営したそうです。
北海道の大自然の中で入るサウナは気持ちがいいでしょうね〜。

日本サウナ・スパ協会

かみふらの十勝岳観光協会

写真:ただ(ゆかい)

小豆島 Part4 桶を守れば、小豆島がうるおう!?

山崎亮 ローカルデザインスタディ
小豆島編・目次

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瀬戸内海の島々を舞台に、現在開催中の現代アートの祭典「瀬戸内国際芸術祭2013」。
その出展準備のため小豆島にたびたび通うことになった山崎さんが
「いま、いちばん話を聞いてみたいひと」と名前を挙げたのは、
小豆島に5代続く、お醤油屋さん。醤油づくりとローカルデザインの関係とは?

祖父が島に残してくれた、たからもの。

山崎

伝統産業も伝統工芸も生態系と同じで、
さかのぼってつながるすべてのものが健全でないと、うまくいかない。

山本

そこに気づかないと、ある部分がふと抜け落ちてしまうんですよね。
むかしながらのいいものが、どこかで手を抜かざるを得なくなってしまう。
しかもそれが根っこの部分だった場合は、もう致命的です。

山崎

ぼくたちにとって大事なものを未来にきちんと残していくためには、
まわりの環境も整えてホンモノを保たないと、続いていかないということですね。

山本

実はさきほど、箍(たが)を編んでいると言いましたが……。

山崎

組んだ樽を固定している、竹で編んだ縄のような輪っかの部分ですね。

山本

この19石(*1)の大きな樽用の箍を編むには、
13メートル以上の長さのあるマダケが必要なんです。
だけどこれもまたなかなか希少なものでね。
だけど、京都の山から切り出してその場で削り、
さらに小豆島までフェリーで運ぶには、丸めざるを得ない。
そうするとどうしても型がつく。そこで、桶屋がこう言うんです。
「むかし、島に桶屋がおったんやったら、
マダケの薮があるはずやから、探してみろ」と。

山崎

ほぅ……。

山本

言われるがままに探してみたら、近所のひとがこう言うんです。
「箍を編むマダケやったら、将来のことを考えて、
お前のじいさんと一緒にあそこの山に植えたぞ」って……。

山崎

すごい!

山本

でしょう。ぼくもさすがに、涙が出ました。

*1 石(こく):お米を表す単位のひとつ。1石は約180.39リットル。

山本康夫さん

「まさか、うちの祖父が島内にマダケを植えてくれていたなんて、ほんとうに奇跡のようなはなしです」と山本さん。

木樽づくりが島の暮らしの生態系につながる。

山本

うちみたいなちいさな醤油屋は、大手と競ってもしかたがないですから、
とことん丁寧にやるだけです。
小豆島の醤油屋は木樽をつかっているところが多いですから、
それをぼくら自身が修繕できるというのは、ものすごい強みになるはずなんです。

山崎

しっかり足下を見るのがいちばんですね。

山本

島全体で木樽づくりに注力すれば、
きっと醤油のブランド価値があがると思っているんです。
すると、その醤油でつくる佃煮もそうめんもうまい、ということになる。
小豆島は食品産業の従事者がいちばん多いですから、
すなわち島のうるおいにつながるはずなんです。

山崎

お、道具から、ものづくりだけでなく、島の生活まで繋がりましたね。
「風が吹けば桶屋がもうかる」ということわざもありますが、
まさにそんなイメージですね。産業、あるいは暮らしの生態系ですね。

山本

つながる理由があるから、つなげる。

山崎

ローカルデザインとは、つまりそういうこと。
どこかでぶつ切れになっていたら、成り立たない。

山本

ひとりでやろうとしないこと。
ぼくは40歳になって、樽のことをやろうと思った。
あとに続くまわりの20代、30代も、それをみて、
じぶんができることをやろうとしてくれる。
そうやっていけば、いいつながり、いいスパイラルが生まれるはずなんです。

山崎

そうですね。「小豆島のなかで一番」を競い合うのではなく、
「小豆島は醤油の島だ」ということを
みんなで盛り上げていけたらいいんだと思います。

山本

醤油って、ひと樽つくるのに4〜5年かかりますからね。
醤油屋やってると「長い目でものを見る」感覚が養われるのかもしれません(笑)。

山崎

小学生の息子さんたちが6代目になるころのことが、
ぼくもたのしみになってきました。
父親のこれほどの本気を受け継ぐんですから。

山本

娘もいれて、3人もいますから。
長男が醤油屋を継いで、次男が桶屋になってくれたら言うことなしです!(笑)

ヤマロク醤油の軒先でいただける「アイスクリームの鶴醤かけかけ」

ヤマロク醤油の軒先でいただける「アイスクリームの鶴醤かけかけ」300円。バニラの甘さと醤油のほどよい味わいがバランスよく。

木樽の中で二人並んで写真を一枚

ひとつひとつの木樽の大きさを実感。「小豆島全体で、未来に向けて木樽仕込みの醤油を守り継げるといいですね」

information

map

ヤマロク醤油

住所:香川県小豆郡小豆島町安田甲1607

TEL:0879-082-0666

※見学は随時受付、予約不要

Web:http://yama-roku.net/

profile

YASUO YAMAMOTO 
山本康夫

1972年香川県小豆島生まれ。ヤマロク醤油5代目。大学卒業後、小豆島に戻りたくて、島の佃煮メーカーに就職。営業職で大阪に赴任後、東京に転勤。2002年、小豆島に戻り、家業のヤマロク醤油を継ぐ。

profile

RYO YAMAZAKI 
山崎 亮

1973年愛知県生まれ。大阪府立大学大学院地域生態工学専攻修了後、SEN環境計画室勤務を経て2005年〈studio-L〉設立。地域の課題を地域の住民が解決するためのコミュニティデザインに携わる。まちづくりワークショップ、住民参加型の総合計画づくり、建築やランドスケープのデザイン、パークマネジメントなど。〈ホヅプロ工房〉でSDレビュー、〈マルヤガーデンズ〉でグッドデザイン賞受賞。著書に『コミュニティデザイン』。

鹿児島を悩ませる火山灰の缶詰。 その名も、桜島の 「ハイ!どうぞ!!」

おみやげやさんでよく「高原の空気」のカンヅメなどが売られていますよね。
その火山灰バージョンが鹿児島県の桜島から登場、その名も「ハイ! どうぞ!!」。
張り切って道の駅などで販売されています。

鹿児島ではいまも火山灰が振る日があり、灰が振る日は傘を持って外出したり、
布団を干せなかったり、といろいろ大変な思いをされています。

その地元民を悩ませる灰をカンヅメにして売ることで、
鹿児島もがんばっていこうという思いが込められているそうですよ。
今年は大正3年の桜島大噴火から100年。
シーカヤックツアーなど、いろいろな催しが活発に行われるようです。

桜島大正噴火100周年Webサイト

小豆島 Part3 ぼくが木樽をつくることにした理由。

山崎亮 ローカルデザインスタディ
小豆島編・目次

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瀬戸内海の島々を舞台に、現在開催中の現代アートの祭典「瀬戸内国際芸術祭2013」。
その出展準備のため小豆島にたびたび通うことになった山崎さんが
「いま、いちばん話を聞いてみたいひと」と名前を挙げたのは、
小豆島に5代続く、お醤油屋さん。醤油づくりとローカルデザインの関係とは?

戦後初めて、醤油屋として新樽をオーダー。

山崎

こちらが、5代目の建てたあたらしい蔵ですね。

山本

そうです。建て替えるわけにいかないので、蔵を半分だけ直す。
上部で空間がつながっているので、浮遊菌で発酵させているわけです。
これを続けると、孫の代くらいでこちらにもじゅうぶんないい菌がつく。
そのころまた、孫かあるいは次の代があちらを直す。
そういうふうにできているんです。
ぼくはたまたま、そういう代にあたった、と(笑)。

山崎

やっぱりはなしが100年単位なんですね……。
こちらは、ならんでいる樽もあたらしく見えます。

山本

2009年に仕込んだ12本のうち、新樽が9本、あとの3本は、
さきほどおはなししたように削って組み直したリユース樽です。

山崎

なるほど。組み直して、リユース。

山本

醤油屋として桶屋に新樽を発注したのは、うちが戦後初だそうです。

山崎

ええっ!? 戦後初? 知らないことばかりだなあ。

山本

木樽で醤油をつくってるところ自体が少ないですからね。
うちが発注しているのは大阪堺市の桶屋さんなんですが、
2000年に戦後初めて新樽をつくったんだそうです。

山崎

戦後55年もつくらなかったのに、その年になにかきっかけがあったんでしょうか。

山本

長野県小布施町の「枡一市村酒造場」で、
セーラ・マリ・カミングスさんが「なぜ木樽で日本酒をつくらないのか」と、
木樽仕込みの限定醸造をはじめたことがきっかけです。

山崎

セーラさんだったんですね。

山本

それ以降はほかの酒造も木樽仕込みをはじめるところが出てきて、
件の桶屋さんは現在、年2〜3本の新樽をつくり、
20〜30本の組み直しをしているそうです。

山崎亮さん

「戦後55年も新樽がつくられなかったなんて、ほんとうに驚きです。山本さんのおはなしは、知らなかったけれど、知らなければならないことばかりです」(山崎)

子、孫、ひ孫のことを考えると今がタイムリミット。

山崎

いい醤油をつくるためには、桶屋さんも続いてもらわないと困りますもん。

山本

そうなんです。もしも桶屋さんがなくなって技術が途絶えたら、
うちはたとえば50年後、子孫ひ孫の代に困るわけです。

山崎

後継者もなかなか難しいでしょうしね。

山本

それなら、なんとか続けてもらえるようにしごとをお願いしなければと、
2009年に借りられるだけのお金を借りて、うちも新樽を発注したんです。

山崎

なるほど。

山本

でもその桶屋の職人さん兄弟ももう60代なので、
「じぶんでも組み直せるようにしとけよ」と言われて。

山崎

それでじぶんでも?

山本

はい。大工さんと一緒に修行に行きました。
いまは竹で箍(たが)を編む訓練をしていますが、これがなかなか難しくて。

山崎

職人技ですもんね。一筋縄ではいかないはずです。

山本

大工さんたちはともかく、ぼくは人生初カンナがけからの修行ですからね(笑)。
しかもさらにこんどは、竹を割る道具をつくる鍛冶屋さんが86歳で廃業。
さすがに鍛冶屋はできないので、さいごの客として必要な道具、
銑(せん)を譲ってもらったんですが、
いよいよそういう時代になってきたのかという危機感で、
いわば悔しさをバネに樽づくりに挑んでいるという調子です。

(……to be continued!)

山本康夫さん

人生初めてのカンナがけから樽づくりに挑戦している山本さん。「桶職人さんに怒鳴られて、悔しくて、でもそれをバネにしてがんばっています」

木樽の前で対談中

「この樽は、職人さんに教わりながら、ぼくたちが組み立てました。孫の代には、いい樽に育っていてほしい。……というか、まず、漏れないことを祈りたい(笑)」と、ほがらかに笑う山本さん。

information

map

ヤマロク醤油

住所:香川県小豆郡小豆島町安田甲1607

TEL:0879-082-0666

※見学は随時受付、予約不要

Web:http://yama-roku.net/

profile

YASUO YAMAMOTO 
山本康夫

1972年香川県小豆島生まれ。ヤマロク醤油5代目。大学卒業後、小豆島に戻りたくて、島の佃煮メーカーに就職。営業職で大阪に赴任後、東京に転勤。2002年、小豆島に戻り、家業のヤマロク醤油を継ぐ。

profile

RYO YAMAZAKI 
山崎 亮

1973年愛知県生まれ。大阪府立大学大学院地域生態工学専攻修了後、SEN環境計画室勤務を経て2005年〈studio-L〉設立。地域の課題を地域の住民が解決するためのコミュニティデザインに携わる。まちづくりワークショップ、住民参加型の総合計画づくり、建築やランドスケープのデザイン、パークマネジメントなど。〈ホヅプロ工房〉でSDレビュー、〈マルヤガーデンズ〉でグッドデザイン賞受賞。著書に『コミュニティデザイン』。

九州人300人の名演技がスゴイ!斬新な誘致ビデオ「脊振ILCハイスクール!」

福岡県と佐賀県にまたがる“脊振(せふり)”では、
素粒子実験施設「ILC(国際リニアコライダー)」の招致を目指しています。

普通なら、招致のために
有名タレントを使ったキャンペーンなどをするところですが、
福岡/佐賀県の考えることはちょっと違いました!

ウルトラテクノロジスト集団チームラボ制作のもと、
編集者の古屋蔵人、「仕込みiPhone」で世界的にバズを起こした
アーティスト森翔太が映像を監督。
(ちなみに森さんはコロカルの人気連載「水尻自子の方言アニメ鳥取編を吹き替えしてるんです。その名演技はこちらからどうぞ)

ちょっとむずかしいILCの仕組みを、
擬人化された電子、陽電子が数々の奇跡を起こすミュージカル
「脊振ILCハイスクール!」を、オール九州ロケで作り上げたのです。

徳島の限界集落で充実した人生のご提案。IT企業サイファー・テックの「自然児採用枠」

Uターン就職やIターン就職など、
特に震災以降、地方への移住が見直されていますね。

徳島県の海と山に囲まれた自然いっぱいのまち、海部郡美波町には、
IT企業サイファー・テックのサテライトオフィス
「美波Lab(ラボ)」があります。

このラボで、「自然児採用枠」という人材募集が行われているそうです。

美波町は、海と山に囲まれた限界集落。
このラボは昨年5月に開設され、現在3名が勤務中。
本業の技術開発の傍ら、趣味のサーフィンや釣りを両立させ、
稲作や養蜂にも取り組んでいます。

今回募集するのは、アウトドアを趣味とするエンジニア。
そのため、「自然児採用枠」を設定し、
サーフィンや釣り、スキューバダイビングなどの費用として、
10万円の応援金を支給!

大自然のなかでゆとりある生活を渇望するエンジニアの方は
ご応募されてみてはいかがでしょうか?
技術があれば働く場所を選ばないIT企業。
地方への取り組み、増えるといいなと思います。

サイファー・テック 採用ページ

写真:明日に紡ぐ夢作りより

ジェーン・バーキンが 宮城に帰ってきた。 2年間の復興支援世界ツアーに幕

世界的に知られる女優であり歌手のJane Birkin(ジェーン・バーキン)。
コロカル読者にもファンの方がたくさんいらっしゃるでしょう。

彼女は東日本大震災の直後、いち早く日本に駆けつけて、
復興支援コンサートを開き、街頭で義援金を募集し、
都内避難所の慰問をしてくれました。

そしてさらに復興支援コンサートで共演した日本のミュージシャン、
中島ノブユキさん、坂口修一郎さん、栗原務さんを引き連れ、
2年に渡る日本支援コンサートツアー「Via Japan」を
世界中で行なってきたのです。

その数は世界27カ国、74公演にも及びます。
世界の人が震災のことを忘れないようにと日本のミュージシャンとともに世界を巡り、
すべての公演地のロビーでは、坂本龍一さんの呼びかけで設立された
『こどもの音楽再生基金:School Music Revival』の募金活動を行いました。

ジェーンが東北に帰ってきた

このツアーが、2013年3月に幕を下ろすにあたり、
「東北の人々がどのように立ち直りつつあるのか、自分の目で確かめたい」
と言うジェーンのために、東北慰問を計画。経費を捻出し、
その一部はクラウドファウンディングcampfire
「ジェーン・バーキンの東北応援プロジェクト」として支援を募集。
東京公演に先立って実現させました。

東北に降り立ったジェーンは、3日間、精力的に被災地を見て回りました。

石巻ニューゼという報道博物館、
松島の松華堂菓子店のカフェスペースでミニコンサートを開き、
さらには松島中学校を訪問して音楽演奏の交換も。

写真は、松島中学校で歓迎の演奏をしてくれたブラスバンド部の皆さんと。

ジェーンはこのあと、
3月28日に東京オペラシティ・コンサートホールで
大団円コンサートを行い、日本をあとにしました。

「音楽ができることはとてもささやかだけど、
連帯の包帯として、人々の傷を包んであげたい」
という彼女の言葉が、深く心に響きました。
彼女がわたしたちに教えてくれたことが、たくさんあります。

写真:梶野彰一

番外編 瀬戸内国際芸術祭2013 「小豆島町コミュニティアート プロジェクト」レポート

ヒアリングを重ねて、地域の課題をみつける。
島でいらないものを尋ね歩いて、素材として集める。
「アーティストじゃない」山崎さん率いるstudio-Lが、
まちづくりと同じ手法でつくりあげたコミュニティアートで
小豆島町のみなさんと一緒に「瀬戸内国際芸術祭2013」に参加しています。
会期直前に行われた最後のワークショップのようすを取材しました。

ぼくたちはアーティストじゃない。

2012年6月、ある夜の居酒屋にて。
現代美術家の椿昇さんとの講演会を終えた山崎さんが、打ち上げの席で
アートやコミュニティアートについての思いを語りはじめました。
ふだんはそういう場で滅多にじぶんのはなしをしない山崎さんにしては、
ほんとうに珍しく。

「そのうちにわくわくしてきて、気がついたら『やりましょう!』と言っていたんです」
それがこのプロジェクトの始まりだったということは、studio-L のメンバーも、
ワークショップに参加したメンバーも、みんな知っています。

「でも、ぼくはアーティストではありませんから」

山崎さんとstudio-L は、「いつもの」じぶんたちのやり方で、
アートに関わることにしました。

「コミュニティデザイナーとして、
地域のみなさんと一緒にアートをつくりたかったんです」

studio-L のメンバーは、いつもあたらしい地域に入るときにそうするように、
まちのみなさんへのヒアリングから活動をスタート。
ヒアリングの結果から浮かび上がった「島でいらないもの」のなかに、
醤油のたれ瓶がありました。お弁当の隅っこに入っているちいさなアレです。

「たとえば、弁当の新商品が出るたびに、たれ瓶の大きさやカタチも少しずつ変わるので、
旧タイプがどんどん在庫になるんだそうです」

果たしてそんな必要があるのかどうかつくづく不明だけれど、
そんな理由でつくるたびに生まれる不要品。
「これを素材として、なにをつくろうか」というところから、
まちのみなさんにもアイデアを求め、ぐんぐんと巻き込んでいきます。

「醤油の壁」

お弁当用の醤油のたれ瓶に、濃度の違う醤油を詰めて、8万個ずらり並べた「醤油の壁」。光のグラデーションが美しい。(写真提供:studio-L)

ふたに記した番号は、醤油の濃度をあらわす

ふたに記した番号は、醤油の濃度をあらわす。数字の順にならべると、見事な醤油のグラデーションができあがる。

「醤油の壁」の美しい光のグラデーション

醤油の一升瓶を運ぶ木箱が、テーブルや椅子に

醤油の一升瓶を運ぶ木箱が、テーブルになったり椅子になったり。町にあるものを、できるだけ使う。

町に生まれた関係性こそが、いちばんのアート。

濃度の異なる醤油を詰めたたれ瓶を8万個、規則正しく並べたインスタレーション。
濃度を変えて光を透かすヒントになったのは、小豆島で醤油づくりに関わるひとたちが、
醤油の瓶を陽にかざして新旧を見極める、そのしぐさ。

「はじめに、これをつくろうと決めたとき『何個いるんや?』と問われて、
ぼくたちが『8万個』と答えたときは、一斉にひかれたけれど(笑)、
こうしてできあがったのは、みなさんのちからの集大成です」

たれ瓶詰めに関わった人数、350名。
老人ホームのおばあちゃんや幼稚園児にも手伝ってもらいました。
醤油を詰める作業も、たれ瓶をアクリル板に並べて貼る作業も、
重くなったアクリル板を立てる作業も……。
若いstudio-L のメンバーが途方にくれたりへこたれたりするたび、
人生経験豊富なまちのみなさんの知恵や知識や効率的な提案が窮地を救ってくれました。

「床に置いて作業を終えたアクリル板を、起こしてまっすぐ立てるのも
ひと苦労だったのですが、実際に作業をしてみると、
古い建物自体がゆがんでいるという事実に直面して、
またそこに別な大変さが待ち受けていたりね(笑)」

会場は、昭和の初期に建てられた旧醤油会館。
さすがに古ぼけてくすんだ壁をじっと見つめていた山崎さんが、
「これ全部、薄いグレーに塗ろうか」とぽつりとつぶやきます。
瀬戸内国際芸術祭開始まであと10日。
作品は完成したけれど、古くてどこか愛おしいこの空間は
まだまだこれからグレードアップしそうです。

夜には、第5回目/最終回となるワークショップが開かれ、
約25名の参加者が展示チーム、屋外チームなどの班にわかれて
「会期開始までにやること」「会期が始まってからやること」を洗い出していきます。
和気あいあいとして、老いも若きも、表情がとても生き生きとしています。
そんなみなさんに、山崎さんから、会期前のラストメッセージです。

「偶然の出会い、あのひとにはあんな能力があるんだ、という発見、結束力。
その関係性がいちばんのアートじゃないでしょうか。
せっかくですから、芸術祭が終わったらハイ解散! ではなく、
瀬戸芸以降も今回生まれた関係性をつなげていってもらうことが
“ずっと息の長い作品”になるんだと思います。
終わったあとに“もっとやりたい”と思ってもらえたら、
最初のきっかけを少しだけお手伝いさせていただいた僕らはとてもうれしいです。
どうか、いまできかけている作品=関係性を、
もっともっとつよく、大事にしていってください」

久しぶりに会場を訪れた山崎亮さん

芸術祭の開催日まであと10日。久しぶりに会場を訪れた山崎さんが、気付いたことを次々とstudio-Lのメンバーに伝えていく。「まだまだこれから!」

内海電工の宮谷さん

困ったことがあるたびに、救世主のようにひょっこりあらわれて課題を解決してくれる、内海電工の宮谷さん。

ワークショップの模様

第5回ワークショップのようす。しごとを終えたまちのひとたちが集う。

模造紙とマジックペンを使って、やることを洗い出して行く

模造紙とマジックペンを使って、やることを洗い出して行く。屋外グループは、紙にひと文字も書かないまま、実務作業に入っていくなど、ミーティング時間の使い方にもグループごとの個性がはっきり。

山崎亮さん

「どうか、いまできかけている作品=関係性を、もっともっとつよく、大事にしていってください」

information

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旧醤油会館(会場番号 83番)

住所:香川県小豆郡小豆島町馬木36-2

開館時間:9:30〜17:00

瀬戸内国際芸術祭2013

Web:http://setouchi-artfest.jp/

※芸術祭の会期外もオープンしています。

profile

RYO YAMAZAKI 
山崎 亮

1973年愛知県生まれ。大阪府立大学大学院地域生態工学専攻修了後、SEN環境計画室勤務を経て2005年〈studio-L〉設立。地域の課題を地域の住民が解決するためのコミュニティデザインに携わる。まちづくりワークショップ、住民参加型の総合計画づくり、建築やランドスケープのデザイン、パークマネジメントなど。〈ホヅプロ工房〉でSDレビュー、〈マルヤガーデンズ〉でグッドデザイン賞受賞。著書に『コミュニティデザイン』。