連載
posted:2013.6.29 from:静岡県沼津市 genre:活性化と創生 / アート・デザイン・建築
〈 この連載・企画は… 〉
ローカルにはさまざまな人がいます。地域でユニークな活動をしている人。
地元の人気者。新しい働きかたや暮らしかたを編み出した人。そんな人々に会いにいきます。
editor’s profile
Tomohiro Okusa
大草朋宏
おおくさ・ともひろ●エディター/ライター。東京生まれ、千葉育ち。自転車ですぐ東京都内に入れる立地に育ったため、青春時代の千葉で培われたものといえば、落花生への愛情でもなく、パワーライスクルーからの影響でもなく、都内への強く激しいコンプレックスのみ。いまだにそれがすべての原動力。
credit
撮影:Suzu(fresco)
16年前、静岡県沼津市に店舗・住宅のデザイン事務所を立ち上げた藤原慎一郎さん。
当時24歳。大手企業や有名な建築事務所でキャリアを積んだわけではなく、
“いきなり”立ち上げた。
もちろんすぐにうまくいくわけがないと、
デザイン事務所に「ケンブリッジの森」というカフェを併設した。
このカフェに来たお客さんに、
「仕事ください」と名刺を渡すという営業スタイルだった。
このカフェは、言ってみれば藤原ワークス第1号。
この空間が好きで集まるお客さんたちは、内装やインテリアなど、
すでに藤原さんのデザイン感覚と通じるお客さんということになる。
だからこの営業スタイルは、
自分のセンスを認めてくれるひとたちが最初から集まってくるという意味で、
効率的だし、コミュニケーションがすぐに取れて面白い。
当時の沼津にカフェはほとんどなく、それだけにケンブリッジの森には、
デザインを志向するひとが集まるようになった。
藤原さんが手がけた店舗・住宅プロジェクトは、
いまでは静岡県内で100物件に届こうとしている。
しかもその多くは現在進行形。
「デザインして店舗ができあがったら終わり」という
仕事の進め方ではないからだ。
多くの店舗は、仕事、もしくは関係性が継続している。
「店舗をつくるだけが仕事ではありません。
その店を流行らせることが大切です」と、DMやウェブ、ショップカードなど、
ありとあらゆるデザイン面で協力していく。
そのおかげか、静岡東部の店舗はほぼ黒字だという。
藤原さんにとって、店舗デザイン後の日々のつながりが大切なので、
遠く離れた場所の仕事はできない。
インタビュー中も藤原さんのケイタイが鳴った。
この取材が終わり次第、ある店舗の看板を直しに行くという。
このフレキシブルさと、それが可能な距離感。
ほとんどが静岡県内の仕事であるというこだわりは、ここからくる。
ローカルの特性を最大限に生かしたスタイルだろう。
例えばこんな話。
ある店舗が仕上がったが、
さらにここに“いいイス”を入れたらすごく空間がしまりそうだ。
しかし若い経営者には予算が足りないだろうと考慮し、
藤原さんの持ち出しでそこにイスを設置したりする。
それはもちろん買い取ってもらうのがベストだが、“貸す”というケースもある。
最近、5年前に貸したテーブルが返ってきたらしい(!)。
また、藤原さんがデザインした店舗同士は、彼が媒介となることで、
つながりを持ち、仲良くなる(いまでは野球チームも発足!)。
たとえそれが競合となるライバル店であっても、
小さな店舗の場合は、仕入れ先を共有できたり、アドバイスを得たりと、
利点も多く生まれる。
それらの店舗には、藤原さんが手がけた他店舗のフライヤーが置いてあるので、
それを手に、藤原作品を見て回ることも可能だ。
こんな“自主デザインツアー”のような回遊がたくさん行われれば、
静岡のデザイン性の底上げにもなるし、なにより店舗の売り上げが伸びていく。
つながりを大切にする藤原さんの人柄が生み出した
ビジネスモデルかもしれない。
沼津を愛する藤原さんが地元で活動する集大成のひとつとして、
「THIS IS NUMAZU」というイベントを昨年の夏に開催した。
沼津自慢フェスタという公園でのイベントの一角に、
彼が好きな“NUMAZU”を結集させた。
ひとつはバーテンダーを一同に集めた「NUMAZU BAR」。
もうひとつは和食、フレンチ、イタリアンなどの料理人が
腕を振るった「CENTER TABLE」。
流行のB級グルメではなく、あくまでA級沼津。
高級感のあるテーブルやイス、インテリアなどにもこだわり、
“公園のお祭り”という雰囲気とは一線を画したスタイリッシュな空間であった。
開催しようとした背景には、沼津の取り上げられ方が、
何十年も変わっていないことが上げられるという。
「干物、寿司、沼津港……。もちろんそれらは素晴らしいものなのですが、
雑誌もテレビもそればかり。だから“脱干物”みたいなことをしたかった(笑)」
そしてイベント自体は大成功。しかし……、
「イベントありきでがんばるのは好きでありません。
がんばっているひとが集まれば、いいイベントになるはず。
新しいことを目指したわけでもなく、
あるものをあるがまま、自然にやっただけ。
ぼくが好きなお店を集めただけだから、内容は無理していません」
自然にあるおいしい素材を、その味が活きるように料理しただけ。
さすが漁師町の沼津人らしく、素材の活かし方を知っている。
これに付随して、同じく『THIS IS NUMAZU』という冊子も編集・制作した。
沼津の誇れる場所とひとを訪ねて、丁寧に紡いでいる。
画家、野菜のセレクトショップ、家具作家、プロダクトデザイナー、
ビール工房など、藤原さんのフィルターを通した、予定調和にはない沼津だ。
沼津は百貨店なども撤退し、
沼津人自身があまり誇りに思っていない現状があるという。
中途半端に東京に近く、飲食店でもファッションでも、
都会的なものを求めるときは、東京に行けてしまう。
だから、沼津の必然性が薄れていってしまうのかもしれない。
一方で、藤原さんの沼津愛はすさまじい。
「どこに行っても、沼津沼津沼津……って連呼しますよ!」と言葉を強める。
当たり前かもしれないが、自分が生まれ育った土地であり、
これからも住み続ける地域を居心地よくしたい。
そして正当に評価されたいのだ。
藤原さんがやっていることは、すでにコミュニティデザインといってもいい。
しかし「それは結果論」という。
コミュニティ作りや地域起こしなんてことは意識してない。
「なんとか流行るお店にしたいと、一生懸命、店舗をデザインしてきました。
そうした点が結果的に線になっただけ。
最近、結果論っていいなと思うんです」
藤原さんは、すべての話において、謙遜しているように感じる。
「東京に出たいとは思わない」し、「ビッグになりたいとも思わない」。
現在でも社員は自分を含めて2名だし、自分の手の届く範囲で、
人間対人間というヒューマンスケールなスタンスに重きを置いているのだ。
「まちの先輩たちを盛り上げたいという、個人的な感情もありますね。
オヤジの友だちの店を盛り上げようと思うんですが、やはりその世代はガンコ。
『おまえのいうことなんてきかねえ』と(笑)。
でもいわれるほど燃えてくるので、
粘り強くDMつくったり、チケットをつくったりして。
もちろん材料費くらいしかもらえませんが、
そういうことは大切にしていきたいんです。
会ったらいつもご馳走してくれますしね」
ここに透けて見えるのは、ご近所づき合いの延長みたいなもの。
どんな大きなバジェットの仕事になったとしても、
藤原さんのような、“親兄弟のために、友だちのために、地元のために”という
感情が大切なのではないだろうか。
最後に、月並みだが、夢をきいてみた。
「夢は叶ってしまったので、もうないんですよね。
今度は、みなさんの夢を叶える番かもしれません。
会社を設立する、お店を持つ、家を建てる。そのサポートが一番楽しい」
どこまでも謙虚。そしてどこまでも熱い。
profile
SHINICHIRO FUJIWARA
藤原慎一郎
有限会社ケンブリッジの森主宰。店舗・住宅デザイナー。静岡県内を中心に活動している。1972年、静岡県沼津市で生まれる。92年、単身、ロンドンにデザイン留学。97年、沼津駅前にカフェ「ケンブリッジの森」開店。同時にデザイン事務所を設立。99年、有限会社ケンブリッジの森設立。2006年、沼津郊外の「GALLERY EFFOR」に事務所移転。09年、沼津駅前区画整理事業のため、カフェを閉店。現在、妻と娘と愛犬エフと暮らしている。
ケンブリッジの森 FUJIWARA SPACE DESIGN LABO
http://www.cambridge-no-mori.com/
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