山ノ家 vol.2: 僕らはメッセージボトルを 受け取り、そして…

山ノ家 vol.2
空き家をめぐるストーリー

まつだい(新潟県十日町市)にまでやってきた。妄想も広げた。
物件も見た。軽いショックも受けた。
しかし、そもそも僕たちは一体どういう関わり方になるのだろう?
この地にコミットしつつ、
あらたな拠点を得て活動を展開するということに対する可能性を感じながらも、
改めて考えると不思議な話で、いろいろと確認したいことだらけだ。

物件1Fは土間になっており、奥は一般的な小上がり床になっている。もとはどういう用途だったのだろう?

物件1F、入り口側。上のほうを見るとガラス窓になっている。元は店舗だったようにもうかがえる。

2Fに上がってみた。写真ではそんなに散らかっていないように見えるが、実際は結構ものが散乱している。

まずは、この時点での登場人物を整理したほうが良いだろう。
この話を僕らに持ってきてくれた知人は、河村和紀さん。
彼は映像制作を基点にしながらソーシャルな活動にも多く参画していて、
そのうちのひとつでもある恵比寿での活動がきっかけで共に知りあった。
もうひとり、佐野哲史さん。
もともとは、地元で古民家再生事業を手がけていた彼のもとに、
地元の方から相談があって、河村くんもそこに加わっていき、
その後、空間をどうつくるかで話が僕のところに来たというわけだ。
そして、その地元の方というのが、若井明夫さん。
穏やかな面持ちの中に、確固たる熱い大志をもち、
このまちを面白くしていくために日々奔走している。

若井さんは、測量技師で有機農家。
貸し民家を営み、ドブロクや味噌も生産している。
その上、越後妻有の「大地の芸術祭」の一部施設の運営をするNPOの理事でもあり……
など、知り合っていくうちに、次から次へといろいろな肩書きが出てきた。
書き出すとキリが無いくらいパワフルに活動をしている、
地元の地域活性のキーパーソン。

この人が「空き家を好きに……」という話の発起人である。

若井明夫さん。彼がこのストーリーのカギをもつ人物。

なぜ、若井さんが地域外の人にこの空き家の相談を持ちかけたのか?
という経緯にもひとしきり、ストーリーがあったようだ。
そのきっかけ、「まちなみ助成事業」について話しておく必要があるだろう。
この十日町の地に20年来住み、
ほくほく通りに事務所を構えるカール・ベンクスさんという方がいる。
日本の古い木造建築の美しさに魅了され、
この地に移り住んだというほど、古民家を愛する建築家。
彼はこのほくほく通りを古民家の外装が並ぶ通りにしたら
観光地として人が訪れるのではないかと考え、
想像図としてのスケッチを描き、十日町市長にみせたところ、
「ぜひそれを実現しましょう」ということになったようだ。

カール・ベンクスさんによる「ほくほく通り」のまち並みを古民家風ファサードに変えていくという提案スケッチ。上は現在の状態。

そうして市の助成制度ができた。
古民家風外装にするということが前提条件のようだが、
そのための工事費の7割を補助するというのはなかなかすごい。
ただ、地元の人々にはピンと来なかったのか、あまり情報が伝わらなかったのか、
残りの3割を負担してまでも「それをやろう」と手を上げる人が最初はいなかったようだ。

若井さんは「このまちが変わるせっかくのきっかけになるかもしれないのに、
このまま誰もやらずにこの助成制度が流れてしまってはもったいない」と考え、
この通りで数年来空き家となってしまっている家に目をつけ、その家主に談判しながら、
「例えば東京などから誰かが来て、ここを使って何かやってくれたらいいなあ」
と考えたようだ。

彼はピンとくる人に会うたびにこの想いを相談していて、
それを僕らが佐野さん、河村くんつてに聞いたというわけだ。
なんだか、メッセージの入ったボトルを海に放った人がいて、
それを受け取ったような心持ちになっていた。

状況を聞き、僕らのなかで、この空き家を使えるための条件をざっくりと整理してみた。

・ 助成制度を利用する前提だから、そのための布石として、外装を変えることが必須。
→それはそれで、かえって面白くできるかもしれない。
・ そして、空き家なので中身はどう使っても良い。
→なるほど。制度を活用するにしても、そこでかかる負担を軽減する工夫が必要そうだ。
・ いまから8か月後(次の年の3月)に完成していることが条件。しかし豪雪地帯なので結局は雪が降る前に終わっていないと間に合わない。
→いまは7月(となるとあと4〜5か月くらい?)、
まあ、さすがにそれにはなんとか間に合うだろう……でも急がねば。
・条件とは関係ないが、どうやら世田谷区から十日町まで、無料のバスが走っているらしい。
→これはすごいポテンシャル!

比較的、楽観的に考えていたとは思う。

進みながら考える

しかし、現実はかなりの決断を要するものだった。
どうやら若井さんの話を要約すると、
助成事業で行う外装というきっかけがあるだけで、
他には特に何も後ろ盾があるわけではなく、彼の想いがあるのみ。
地元で尽力できる限りの協力はするが、特に資金があるわけではない。
結局は、それでも僕らにここで事業の主体者になってもらいたいということだった。
うすうす想像してはいたが、やはりそうなのか……。
デザインや企画のアドバイスのような「仕事」ではなかった……。

そして、外装に関してもカール・ベンクスさんが監修するということで、
こちらがデザインをすることは制度の条件上、原則できない。
やはり、古民家風なのか……。
ここで、僕らが外装まで好きにしたいなどと言い出したらきりがないし、
そもそもこの土地にいきなりよそものがくるわけだから、
そこは「郷に入れば、郷に従え」というところで、よしとするべきだろう。
(文脈的には納得できるけど……、色味くらいは相談させてもらいたい)

そのかわり、中に関しては一切だれも関与しないので、好きに使ってほしいという。
家賃も相当安くいけそう。そこだけは唯一の救い。
しかしそのための資金もなんとかしなければならないだろう。

唯一主体的にしかけられる動きとして、
この案件を囲むメンバー全員で組織をつくろうという話になった。
そして、若井さんにもその仲間として協力していただこうと僕らは考えていた。
「私が仲間に入ってしまってもいいの? 私でいいのであれば」
と遠慮気味だが、快諾してくれた。
いやいや、むしろ若井さんがいなかったら僕らにはなにもできない。

工事に関しては、若井さんが紹介できる工務店があるという。
「そこの会長は俺の幼なじみだから、多少相談に乗ってもらえると思うよ」
それをふまえ、古民家再生で実績のある、佐野さんが「僕に考えがある」と。
助成金対象外となる、外装工事費3割の負担についてだ。

「一部セルフビルドとして僕らが行える工事を、
工務店さんの下請けというかたちで請け負う」という。
すごいアイデア。でも、無理なく始めるにはそれしかない。

というような感じで、話を前に進めるためのおおよそ具体的な条件、状況が見えてきた。
実は、事情が複雑で、案外自由ではない条件があることがわかっても
「無理だ」とか「やめよう」という気にはなれず。
とはいえ、「決断」というには中途半端のまま、ことを進めていったのであった。

車で来たときに見えた景色。霧が立ちこめる神憑った風景を何度も見た。

常に「最悪どうしても折合いがつかないことがあったら、降りることも考えよう」
という札も同時に持ちながらも、
決断の先に広がるであろう大きな可能性の何か、に関しては感じていた。
そしてとにかく、
今までに踏み入れたことの無い領域に入ろうとしていることは明らかだった。
その後も、このプロジェクトを進めるべく何度かミーティングを重ねた。

ほくほく線から見える景色がとても雄大。このアングルは機会あるごとについ撮ってしまう場所。

そうして2か月くらい経った頃、「山の家」という仮のプロジェクト名ができた。
雪の降る時期を避けて、季節限定で活動する場所、
いわゆる「海の家」の「山版」というのが最初の思いつきだった。
仮でも名前が決まると、何やら実態ができたような感じになってきた。
しかし、まだまだ工事着手実現までの道のりは遠く、かなり紆余曲折あった。

この空き物件の持ち主の大家さんに会って契約を取りつけたり。
この物件の「借り主」として、地元商工会にプレゼンをしたり。
地元工務店さんとの見積もり検証、確認、
そしてなにより、下請け的なかたちで入らせてもらうことを交渉したり。
カール・ベンクスさんに会って、お互いの仕様に対する考えをつき合わせていったり。

カール・ベンクスさんによるこの物件のファサードスケッチ。実際は木材や壁の色をコントラストのある白黒にしたりして、少しニュートラルな方向にさせてもらった。主な部材寸法や、製材前の粗い木を使うことなども確認しあった。

すべては、地元の「ルール」の中での手探り。
とは言え、決まっていないことばかりで、結局は会いに行って話し合うしかない。
そうして結局、何度現地に足を運んだだろうか。
ときには車で、ときには新幹線で、数時間の打ち合わせのためだけに日帰りで。
その行きすがらの風景を繰り返し見るたびに、
季節の移り変わりや、空の広さ、雲の変化の多さ、気持ちのよい空気などが、
じわじわと心にしみ込み、何とも清々しい気持ちになる。

さまざまな心の迷いや、不安などが小さく感じられ、
この風景を見続けていくことが何か大きなものにつながるような気がしてくるのだった。
決断しなければならないと思っていたことが、そうではない別の思考に変わっていく。
それは「進みながら考える」ということ。

そのこと自体が、最も大切なものなのではないか?
そう思いながら、ひとつひとつ、
ややこしい手続きとしての「道のり」をクリアしていった。

これは最近の写真だが、最も気に入っている視点のひとつ。山ノ家の目の前の坂を下るときに広がる、山とまちが一体となった風景。

そして何度か東京とまつだいの往復をしているうちに、夏が終わり秋が過ぎ、
制度の申請や工事の内容決定、契約、段取りなどを済ませて着工となり、
足場がかかり、ようやく解体工事が始められたときは、
気づけばもう11月も終わろうという時期になっていた。

「やばい、このままでは雪が降る季節にさしかかる……」
その前に外装工事を終わらせられるのだろうか?

つづく

おひとついかが? 日本の無人島販売してます。 「Aqua Styles」

もし無人島を持ってたら、何をしましょうか?
誰にも邪魔されず、ビーチで昼寝をしたり、
釣りをしたりして1日を過ごす?
ふと思いつくそんな夢が叶うかもしれません。
日本にはだいたい6,800個くらいの無人島があるのですが、
それらの中には個人で購入できるものもあるんです。

ご紹介する「Aqua Styles」は、日本の無人島を取り扱う不動産やさん。
Webサイトでも「日本の無人島」として物件が紹介されています。
佐賀県伊万里市の沖にうかぶ「佐賀島」は3点セットで3千万円、
透明度抜群の和歌山県白浜町に浮かぶ「小鞠山島」は1億5千万円などなど、
だいたい2、3千万円から購入できます。

無人島ではやはりインフラが問題となるので、
本島から近いほうが電気などのインフラを整えやすいため
価格が高くなるようです。また、無人島の購入で銀行の融資を
受けることは難しいので、全額払える方でないと無理です。
などなどやはりハードルは高いようですが、
Webサイトを眺めているだけでも現実逃避気分が味わえます。

Aqua Styles

MAD City vol.2: 笠井くんと「やっちまえアトリエ」

MAD City vol.2
リノベーションが、教えてくれたこと。

まちづくり屋さん兼不動産屋さんをやっていると、
それはそれはいろいろな電話がかかってきます。彼からの電話もそう。

「あの、そちらで、『やっちまえアトリエ』という、物件を、お借りしている」

妙に文節の途切れた口調には読点があまり似合いません。

「ta-reという、集団の、笠井という者なんですが」

笠井 嶺くんからの電話はいつもなんだか困った声をしています。

ta-re(タレ)というのは笠井君がメンバーに加わっているものづくり集団のこと。
それぞれいろいろなものづくりの仕事をしています。
代表の竹内寿一さん(以下とっくん)は個人としてのデザインの仕事をはじめ、
「渋さ知らズオーケストラ」での舞台美術を担当していたりします。
とっくんは人脈が広いのでいろいろな仕事を頼まれるそう。
最近では代官山蔦谷書店の「丸若屋×モリワキ展」の什器制作なども担当したそうです。

「ta-reの、代表をしている、とっくんという男がいるのですが、
彼から家賃をお渡しに行けと言われております」

いい電話です。ぜひ来てください。家賃ほしいです。という感じです。
別の日の電話はこうでした。

「改装でご相談があるのですが、ちょっと伺ってもいいですか……」

これはちょっと大変そう。
MAD City 不動産は改装可能物件をたくさん扱っている不動産屋さんですが、
改装自体は、スタッフですら
自分の家で試行錯誤を繰り返しているような段階です(vol.1参照)。
わたしたちでご相談に乗れるのかしら……と思いながら、
その日はとりあえずお話を聞くことにして、事務所に来ていただきました。

あまり困っていない顔のときの笠井くんです。

「柱がないんです」

登場した笠井くんのひと言はたいそう衝撃的でした。

「ta-reの代表をしている、とっくんという男がいるのですが、
彼に言ったら、おまえが考えろと言われてしまいまして」
毎回とっくんの紹介をわざわざしてくれる笠井くんは面白いのですが、
お話の内容は面白いどころではありません。
柱がないってどういうことなんでしょう。

調べてみたところ、床下で柱が腐食してしまっていたことがわかりました。これは修繕だねと言ってオーナーさんに連絡しました。

そう、「やっちまえアトリエ」という、
ちょっとそれ適当なんじゃないですか……という名前の物件は
物件自体もけっこうものすごく、わたしたちスタッフ間でも
「これはリアル廃墟だ!」と言い合ったようなふるーいアパートなんです。

これが入居者募集当時の写真です。なんていうかボロボロ。そのかわりいくらでも改装していいよという条件でした。

ta-reがやっちまえアトリエを借りてくれてから早いものでもう1年以上経ちました。
廃墟からのアトリエ兼事務所へ。
旗振り役は代表とっくんですが、
改装経験も全くないのにハードな仕事を頑張ったのがメンバーの笠井くんです。

改装当時の笠井くん。防塵マスクで最強装備です。

今回この記事を書くために久しぶりにやっちまえアトリエを訪れました。
久しぶりに会った笠井くんは以前よりも滑らかに喋るようになっていました。

「ta-reのアトリエを探そうという話になって、
とっくんから格安で借りられるアトリエ物件を見つけたって言われたんです。
嫌な予感しかしなくて。実際来てみて、うわーほんとにこれ来ちゃったか、って思いました」

謎の染みがついた畳。畳を剥がして根太を張り直し、フローリングを上から貼っていきました。

「でも当時はなんだかハイだったので、イエーイやっちゃえ!
ってどんどん壊してどんどんやっていったんです。
とっくんからはそこまで壊さなくてもよくない?とか言われたんですけど」

どんどん壊した結果がこちら。もう廃墟には見えません。

「自分で作品をつくりたいっていう欲望みたいなものは無いんです。
仕事はなんでもいい。けどやっていて意義を感じられないことはしたくないですね。
この夏にはいきなり原型制作の仕事を頼まれて」

上記でご紹介した「丸若屋」さん。今年の夏、ta-reは新商品の開発のお仕事をしたそうです。「firefirefire」というろうそくのシリーズで、笠井君は日本の焼き物のかたちを型にとる作業を担当しました。

ta-reでやることには意味を感じられると笠井くんは言います。
「製品を大量生産するための型をつくる作業なんですけど、
そんなのやったことないんですよ。
でもとっくんに『え?できるでしょ?美大出てるならやれるでしょ?』って挑発されて。
ムッカー、と思ってやりました。夏の暑い中に。ここクーラーないのに、
1か月間ひとりで黙々とシリコン流しては固まるのを待って、ダメ出し食らってはまた流して、
そのうち型に傷がつくので傷を補修してはまた失敗して」

つらくなかった?

「ta-reはリハビリ施設なんです。心のリハビリ施設。
あとなぜ辞めないかっていうと、僕自身には主体性がないからじゃないですかね」

リハビリ! 仕事とかじゃないんだ。ずいぶん客観的に自分を見ていますね。

「就職できてないまま美大出て、自分は何がしたいのかとか、
何ができるのかとか、わからなくなりまして。
『家にいてもやることないから』くらいの理由でとっくんに呼ばれてta-reに入って。
そんな時期にひたすら手を動かす作業ができたことで気分が少し楽になりましたね。
やることがあるって大事で、やっていること自体はなんだかよくわからないんだけど。
いいリハビリでした。この夏もシリコンが固まるのを待ってるときってヒマじゃないですか、
そういうちょっとした時間に本を読んだりニュースを見たりして、
政治とか経済とか歴史とか思想とか、
今まで無視してきた世の中の成り立ちをなんとなく眺めて、
これから世の中どうなっていくんだろうということを考えていましたね。
『これからは第一次産業アツいな』とか。
住むところだってこれからどんどん変わるんでしょうね。
家を新築で建てることが少なくなって、リノベーションする人たちも増えるだろうし」

笠井くんみたいにね。笠井君自身はこれからどうするつもりですか?

「決まっていません。自分では何も決めないことを決めたんです。
ただ流されるだけにしようと。
いろいろ自分で決められてどんどん道を進める人もいるけど、
僕はそうじゃないってわかったんで。
あ、これ合わないな、だめだなって思ったら離れる、
意味を感じられたら留まるっていう風にしたい。
それに気づくのに時間がかかりました」

主体性がないっていうことが笠井くんの個性になったんだね。
ta-reでやっていたことが実になったのかな。

「リハビリの効果が出たってことじゃないですかね。
将来実になるかっていうと、
同じような仕事をしないかぎり役に立たないことのほうが多いとは思います。
でも、最近気づいたんですが僕は肉体労働が好きなんです。
これは声高に言いたい。僕は肉体労働が大好きなんです」

声高に。体を動かすことによって心身が整理されることってあるよね。

「もともと掃除が大好きなんです。
リノベーションも、基本的にはとっくんが出すプラン通りに作業するだけなんです。
だけどあまりにもボロボロなので、これだけボロボロのものを
どこまで使えるようにするのかって試されている感じがして、燃えましたね」

久しぶりに会った笠井くん、ほんとに楽しそうでした。
ta-reでものづくりの仕事をして、
アトリエをつくるところから自分たちでやって、
なんというか世界観みたいなものがちょっと変わったんじゃないかな、
と傍目には感じられました。

実にならないんじゃないか、と言っているta-reでの経験だって、
きっと得るところはあったはず。
たとえば解体の仕方にしても、床の張り方にしても、
やったことがなければどうやって始めればいいのか、
どういう工具が必要なのかまったくわかりません。
でも一回体験してみれば同じことを次に自分ひとりでやることができます。
それにどういう仕組みで建物がつくられているのかがわかってくるから、
やったことのない作業でもだいたいの見当がつくようになったり。

「最初はほんとにやったことがなかったからなにもわからなかったんです。
でも構造がわかれば自分でつくったりもできるようになりました」

基本を知るって重要だよね。どこを支点にして考えるかにも繋がるし。

「ta-reにいることでいろいろ価値観がひっくり返りましたね。
とっくんと最初はぜんぜん話が合わなくて。
言ってることがわからないんですよ。
わからないけどわからないなりに家に帰ってから考えるんです、
もしかしてこの男は自分の知らないことを知っているんじゃないだろうかって」

陳腐な言い方だけど、そうやって自分の世界をもう一度見つけた笠井くん。
これからどんな生き方をしても、ごちゃごちゃの中から
自分の世界を再生するっていうことをし続けることができるんじゃないかなと思います。

リノベーションするってそういうこと、
ただ単に古い建物をつくり替えてキレイな空間をつくりたいわけじゃない。
自分の手足の届く範囲の心地よさをつくり出したいなって思うときに、
いまあるものを壊して0からやるのじゃなくて、
いまあるものとゆるく共存しながらやっていくということなんだと思います。
笠井くんはもともとそんなことを思ってもいなかったのに、
やりながら気づいちゃった。
自分は流されればいい、
無理に自分で決めようと頑張らなければきちんと落ちつくべき場所に落ちつくはず。
これってけっこうすごいことだと思います。

information


map

MAD City(株式会社まちづクリエイティブ)

住所 千葉県松戸市本町6-8
電話 047-710-5861
http://madcity.jp/

千年続くまちを次の世代へ 「結いプロジェクト」

長年変わらぬものがまちの資源。

見世蔵や古民家、格子戸の問屋といった伝統的な建造物が今も残る、茨城県の結城市。
鎌倉時代より千年を超える城下町として栄えてきた。
織物「結城つむぎ」の一大産地であり、みそや酒などの醸造業も盛んで、
江戸時代は都に生活物資を供給する重要な拠点だったという。

200年前にはこの問屋街が「大町通り」と呼ばれ、お城に続くにぎやかな一番街だった。

ところが長年裕福だったまちは、ここ数年高齢化が進み、
後継者不足で空き店舗が目立つようになった。

「外から訪れた人には、いいまちだねって言ってもらうことが多いです。
でも、まちから若い人が減って活気がなくなっていくのを感じていましたし、
僕自身、20代の頃は自信をもって結城っていいまちだと言えなかった」
そう話すのは、「結いプロジェクト」代表の飯野勝智さん。

飯野さんは大学で建築を学び、地元結城市で設計事務所を開業。
いつかは地元で独立を、と考えていた飯野さんは、
建築を学ぶなかで改めて結城市の個性を見つめ直したという。

「見世蔵などの古い建造物や、神社お寺などの人が集まる場がたくさん残っていること、
そしてそれを守ってきた人々の営みなど、長年変わらないで続いていることが、
結城の貴重な資源ではないかと思いました」(飯野さん)

「結い市」当日。健田須賀神社で行われた成功祈願の様子。

まちの中心にある健田須賀神社で毎年行われている夏祭りなどは、
700年以上前から続いているという。
「結い」という言葉を知ったのもその頃だった。

「白川郷の茅葺き屋根の葺き替えの話は有名ですが、
“結い”とは一人ではできないことを皆で協力してやっていくこと。
今結城に残っているものを地元の人が一緒になって大切にし、
このまちを盛り上げていく、そんな気持ちを取り戻すことができないかと考えました」(飯野さん)

飯野さんのその思いに応えたのが、商工会議所の職員であり、
まちづくり会社(TMO結城)にも所属する野口純一さんだった。
2009年、ふたりはさらにメンバーを募り、プロジェクトを発足。
結城市の「結」と「結い」から「結いプロジェクト」と名付けた。
初年度に行ったイベント「結い市」は神社の収穫祭に合わせたマルシェとして始まり、
2年目以降、まちに点在する「見世蔵」を会場として広がりを見せていく。

運営メンバーの使う前掛けにも「結」の文字が。

まちの“おもてなし”の気持ちを呼び覚ます。

結城市に今も多く残る「見世蔵」とは、明治から大正にかけて造られた、
土壁で漆喰仕上げの建造物。単なる貯蔵庫ではなく、
通りに面して売り場を設けられたお店を兼ねた蔵だ。
この建物こそまちの大切な資源のひとつと考えた飯野さんは、
2年目の「結い市」で蔵などまち中の建物を会場にして、
クラフト作家やアート作品、カフェなどの出展を行うことを提案する。

ところが結城市に残る見世蔵は、今もそのほとんどが現役。
つむぎ問屋や老舗の商店など商売に使われていたり、
人が住んでいるなど、会場とするのは一筋縄ではいかなかった。

「野口くんとふたりで一軒一軒、家主さんの元へ出向いて、
蔵を『結い市』の会場として使わせてもらえないかと説明してまわりました。
初めはなかなかこのプロジェクトの主旨を理解してもらうのが難しかった」(飯野さん)

だが、飯野さんの実家が7代続く左官屋と聞くと、
話を聞く人たちの表情がふっとゆるんだのだという。

「結城市に残る蔵はしっかりした造りのものが多く、メンテナンスしながら使われています。
そのお手伝いをしてきたのが、出入りの職人として左官の仕事をしていた僕の先代だったんです。
“うちも飯野さんのところにずっとお世話になってたんだよ”って言われると、
ぐっと関係が近づく気がしました」(飯野さん)

2013年「結い市」にはおよそ3万人の来場者が訪れた。見世蔵の前で、道ゆく人へコーヒーをふるまう。

初回に会場として借りることのできた建物は5~6軒。
実際に運営が始まってみると、見世蔵は単に展示の場所としてだけでなく、
まさしく“結い”の場になっていった。

「もともと商売人の方が多いまちです。
お客さんを“もてなしたい”という気持ちに次第に火が灯っていった感じでした。
出展者が不在にする間、家主さんが代わりに店番をしていただいたり、
一緒になって接客をしてくれるようになっていきました」(野口さん)

つむぎ問屋「奥順」弍の蔵にて、古道具と生活雑貨の展示販売の様子。

櫻井長太郎別館にて行われた焼き菓子の販売と絵画展示。屋外ではカフェの出展も。

楽しかったという家主の話はすぐにまち中に広まり、年々協力してくれる数は増えていった。
「結い市」4回目となる今年の会場は30か所。
夢中で進めてきて、ふと気付くと、まちの雰囲気が変わり始めていたと野口さんは話す。

「気付いたら、お味噌屋さんの古かった暖簾が新しくなっていたんです。
これまで目立たなかった和菓子屋の看板も目立つように工夫されていたり、
まちを歩いていると挨拶してくれる商店主が増えました。
後継者がいないことで商売に対してあきらめ気味になっていたまちが、
少し前向きになってきたのを感じました」(野口さん)

つながり支え合うきっかけに。

このように、結いプロジェクトを通してまちの人たちと縦の関係ができていく一方で、
横のつながりも広がっていった。

例えば、結城つむぎの問屋「奥順」の関根智恵さん。
3年目より結いプロジェクトに参加し、
新しい層に着物のあるライフスタイルを提案する活動を行っている。
今年の「結い市」では、PONNALETのラオス・カンボジアのつむぎと
結城つむぎのコラボレーション作品を披露し、
カンボジアのクロマーという布の活用法を学ぶワークショップを行った。

「結い市は、つむぎを知らない方たちに新しい感覚でふれてもらういい機会になると思っています。それに結城市の資源はつむぎだけではないので、
このまちにもっと多くの人たちに来てもらいたい。
私たちくらいの世代の厳しい目をもつ女性にも、
結城が行ってみたい場所の候補に入るようになるといいなと思っています」(関根さん)

結いプロジェクトの中心メンバー。(左から)野口さん、飯野さん、関根さん、小池さん。

結城つむぎの展示場では、カンボジアの布クロマーの使い方と半幅帯の結び方のワークショップが行われた。

運営メンバーも今では30~40名。
立ち上げ当初は役所の職員や、結城つむぎの織子(おりこ)さんなど、
結城市に住む参加者が多かったが、ここ1~2年は結城出身で都心在住の人など、
遠方から応援にかけつける人も増えた。

2012年「結い市」の運営スタッフ大集合。プロジェクトメンバーに加えて、ボランティアスタッフも。

プロジェクトのアートディレクションを担当する小池隆夫さんも、
活動の主旨に共感して参加したひとり。

「僕自身、結いプロジェクトを通してたくさんのまちの人たちと知り会いました。
なかには結城で新しくお店を始めた方もいて、
デザインの仕事でそうした人を応援できることも
プロジェクトに参加している魅力のひとつです」(小池さん)

小池さんの話す「お料理屋kokyu.」は、
築90年の別荘が空き家となっていた場所に2013年3月にオープンした創作料理のお店。
オーナーが商工会議所に相談を持ちかけたのをきっかけに、
野口さんが物件探しや起業のサポートを行い、
結いプロジェクトのメンバーを引き会わせたのだという。

「お料理屋kokyu.」。もとは別荘だったという築90年の趣ある建造物。

結果、小池さんが、新しいお店のデザインを通したブランディングを担当、
飯野さんは建築面でのサポート、関根さんは新しいお客さんを連れてくるなど、
結いプロジェクトのメンバーで自然とあらゆる面からのサポートが行われた。
「kokyu.」ができたことは、結いプロジェクトを通して強いネットワークが生まれていることを、
メンバー自身が感じた出来事だったという。

「まちが単なる場所というよりも好きな人々が暮らすまち、という印象に変わりました。
越してくる人が増えれば、結城にひとつずつ明かりが増えていく感じがして嬉しいんです」(小池さん)

千年続いたまちを次の世代につなぐために、まずは今、まちに生きる人々がつながり、
支え合う関係をつくること。
それがひとつの答えかもしれないと、今彼らは思い始めている。

林真理子さんらが躍る!山梨版 「恋するフォーチュンクッキー」 が登場!

AKB48のヒット曲「恋するフォーチュンクッキー」の
ダンスを真似たビデオが全国各地で作られて話題になっています。
タクシー会社の「日本交通」や神奈川県、佐賀県などのバージョンが大きな反響を呼びましたね。
そんな中、山梨県ヴァージョンの「恋チュン」が公開されましたのでご覧ください。
かなりの豪華メンバーが集っています。

出演するのは、作家の林真理子さんや作曲家の三枝成彰さん、
作詞家の湯川れいこさん、脳科学者の茂木健一郎さん、
料理評論家の山本益博さんら大物文化人たち。
そして地元・山梨の八ヶ岳牧場、富士山レンジャー、
甲府市観光課職員、甲府市長、山梨日日新聞の方たちも競演。

オープンカレッジ in 甲府開催!

ロゴデザインは浅葉克己さん

実はこの動画、2013年11月29日〜12月1日に
甲府市内で開かれる「オープンカレッジin甲府」の
プロモーションのために作られたもの。
これは林真理子さんや三枝成彰さんら、
異分野の専門家らが集う「エンジン01(ゼロワン)文化戦略会議」が
主宰するセミナー・イベントで、今年で12回目。
毎年開催地を変えて行われており、今年は甲府で行われることになりました。

今年のテーマは「甲府収穫祭!日本の才能、まるごと食べよう!」。
セミナーでは、プロモーションビデオに出演した方々に加え、服部克久さん、中井美穂さん、
日比野克彦さん、広瀬香美さん、わたせせいぞうさん、大宮エリーさんほか
豪華メンバーが講演を行います。いずれのプログラムも参加費はわずか500円!
ぜひ受講してみてはいかがでしょうか。プログラムの詳細などは下記Webサイトより。

オープンカレッジin甲府 甲府収穫祭!日本の才能、まるごと食べよう!

ゲストはみつばち先生! ローカルデザインを考えるイベント 「LOCAL DESIGN SCHOOL」

11月15日(金)の19時から、日本橋大伝馬町にある
PUBLICUS NIHONBASHI(パブリカス ニホンバシ)にて、
慶應義塾大学大学院主催のイベント
「LOCAL DESIGN SCHOOL」が開催されます。

これは慶應義塾大学大学院が月に一度行う、
クリエイティブな活動でローカルデザインを
創出している人々を講師に迎えて「ローカルデザイン」とは何か、
そして日本の未来についても考える場所をつくるという
イベントの第一回目。

ローカルデザインとは固定的な物ではなく、
時間を内包しながら時間とともに変化していくもの。
私たちが今どのような時代に立ち、どんな価値観をもって、
どんな未来への視座をつくり生きているのか、
地域から社会に伝える為の表現といえるでしょう。

ローカルから発する価値創造の波は、
集積されることで日本全体の魅力を引き上げ、
世界も評価するものになります。
ローカルは世界へと繋がっているのです。

初回のゲスト講師は、コロカルにも登場した
江戸川大学の「みつばち先生」こと鈴木輝隆先生。
(コロカルの記事はこちら
入場は無料、交流会も開催されます。

会場のパブリカス ニホンバシ自体も、
アーティストの新野圭二郎 (N STUDIO)プロデュースによる、
地上6F、地下1Fの総面積約750平米のビルを
リノベーションし、新しいパブリックの実験場を
目指している面白い施設。
ぜひお気軽に足を運んでみてください。

「LOCAL DESIGN SCHOOL」

日程:2013年11月15日(金)

時間:19時より

会場:PUBLICUS NIHONBASHI(パブリカス ニホンバシ)

住所:〒103-0011東京都中央区日本橋大伝馬町13-1

入場料:無料

ビルススタジオ vol.2: もみじ、それぞれの事情。

ビルススタジオ vol.2
巻き込み、巻き込まれ、できてゆく

2013年10月12日快晴。「あ、もみじずき」イベント当日、
閑静だったもみじ通りに人が溢れてしまいました。
いや、通りではなくそれぞれのお店、
その内外に人が溢れていました、と言ったほうが正しいかもしれません。
その様子を眺めながら、
数年前にそれぞれのオーナーさんと出会った頃をしみじみと思い出していました……。

あ、もみじずき当日の様子。

まずはドーナツ専門店「dough-doughnuts」(ドー・ドーナツ)の石田友利江さん。
今や県内随一のドーナツ店となりましたが、
思えば彼女は、もみじ通りでもなく当社で扱ってもいない物件についての相談で、
いきなりオフィスに現れたのでした。

石田さんは思い立ったら変な確信をもって、ガッと動いてしまう方。
正直、人とそんなにいきなり距離を縮めたいとは思わない私とは水と油のはずが、
私とは何も関係ないその物件での出店にいつのまにか協力することになり、
巻き込まれていきました。
栃木にUターンしてくる彼女からは地元のブランクを埋めるべく、会うたびに質問攻め。
しまいには「栃木でドーナツ専門店ってどうなの?」という、そもそもの相談までされる始末。

しかし、そんなふうに色々と意見交換しているうちに数か月経過。
なんだか悪くない気がしてきた頃、
「もみじ通りに出店できるトコあるの?」との問いが不意にでてきました。
“えっ!?”とは内心思いつつ、「そうだ、そういう人だった、この方は……」と再認識。
慌てて空き物件を探してみると、私のオフィスの3軒隣に空いているコが。
特になんの変哲もないビルのテナントっぽい物件でしたが、
先に出来たカフェ食堂は私のオフィスより西に3軒隣、こちらは東に3軒隣。
……ここだっ!
という説得力のない確信を元に、上に住んでいる大家さんに相談。
話はひとまず聞いてくれたのと、
石田さんに似てさばさばした感覚を持っている大家さんだったので、
“本人に会ってもらえれば大丈夫かな”と思い、
勝手に次週連れてくると約束してしまいました

早速石田さんへ報告し、「来週大家さんに会うから、ドーナツの試作品持ってきて!」と依頼。
「うんっ、わかった」
と、きっと彼女は意味も分からないまま了承(←こういうトコも凄いです)。
当日、大家さんへの紹介はそこそこに「下でこんなものを売りたいので、食べてみてほしい」と、ドーナツを数点差し出しました。
そんなこんなで、入居が決まりました。

元やきとり屋のこの物件。

欧州アンティークな家具建具を贅沢にあしらっているな、と思ったら、なんとお姉さんが目黒区のFOUNDの方でした。

コンビニより近い所で毎日でも食べたくなるおやつが買える。
手土産にもちょうどいいし、子どもだけで食べにきている風景もほほえましい。
自分の生活する近所にこんなお店がある人って実はあまりいないんじゃないか、と思います。

前回で紹介したカフェ食堂「FAR EAST KITCHEN」ができた頃、
行くと必ずと言っていいほど居る、「梅園さん」という方がいました。
ひとり客同士だったので、なんとなく同じテーブルに通され、
オーナー藤田さんに紹介され、自然と話すように。
梅園 隆さんは、生まれも育ちもこのもみじ通り界隈。
もともとは自分で豚と卵の生産と直配をしていて、
今は契約農家も巻き込み、野菜も扱っているとのこと。
話では、せっかく良い食材を売ってもそれを上手に調理してもらえてない、とか、
近所には単身の高齢者が多く、
デパートやコンビニで食事を買っているので身体が心配だ、とか、
不満が溜まっているようでした。
さらには、お母さんたちが働ける場所がもっと必要だ、との想いも持っていました。

その頃には私は自宅ももみじ通りに移し、完全なるもみじ住民になっていたこともあり、
家メシのお供においしいおかずの必要性を感じていた頃でした。
そこで私は「この界隈にはきちんとした総菜屋さんが求められているんじゃないか」と
ことあるごとに梅園さんに言ってみました。

気がつけば、梅園さんがどうやらソノ気になってくれたので、
候補物件の大家さん(実はドーナツ店と同じ)にこれまた総菜の試作品を持って、
相談しにいきました。
この大家さんは毎日の食事事情に苦労している単身の高齢者さん。
まさに、今回オープンする総菜屋のターゲット。
当の総菜は塩分・油分を極力減らしつつも味わいのあるもの。
しかし、オーナーさんと梅園さんは、
私そっちのけで、この界隈の昔話で盛り上がっていました。

そうして総菜店「ソザイソウザイ」の出店も、決まりました。

元カラオケスナックだった当物件。解体作業と漆喰塗装は自分たちで行っていました。モルタルだった床には墨汁を塗り込んでいました。

梅園さんが、キャッチコピーとして掲げている、
「まじめなソザイとまじめにつくったおいしいソウザイ」の通り、
いい素材を使い、塩分ではなくダシでその素材の旨味を引き出しています。
……というとなんだか難易度の高い味のようですが、そのままが本当においしい。
毎日いや、毎食いけます。
まさに近所に一軒、欲していた総菜屋さんが誕生したのです。

こちらが、梅園さん。

出店・入居までの事情や流れはそれぞれにもっともっと語り尽くせない物語があるのですが、
ざっとこんな感じで出店してきています。
徒歩3分圏で質のよいお店が集まりつつあり、生活者としてはとても良い状況にあります。

改めて思ったことは、“まちは人”だなと。
単に店舗だけがオープンしても、
これらの良いお店たちを日常で使い倒す(リピーターになる)、お客さんが必要です。
積極的にこの地域を「選んで住まう」住人がまちには増えてこないと意味がないのではないか。
という新たな課題が見えてきたわけです。
では、その地域を気に入って住民となる人たちはどういう住まいを欲しているのか。
そんな想いで悶々としていた2012年夏、
後に栃木県初のシェアハウス「KAMAGAWA LIVING」のオーナーに意図せずしてなってしまった、
森さん(仮名)との出会いがあったのです。

つづく

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ビルススタジオ

住所 栃木県宇都宮市西2-2-24
電話 028-636-5136

料理するのは“ふくしま応援シェフ” 味わえるのは福島県産食材の底力です

福島の生産者が生み出した食材を、
ふくしま応援シェフが料理して、その魅力を分かち合う。
そんなコンセプトで企画された、
「県産品消費者理解促進交流会〜ふくしま食の魅力創出〜」が始まった。
第1回のテーマは「残暑を乗り切る夏果菜とふくしまのスタミナ」。
10月2日、恵比寿の「VEGETABLE HOUSE WANOBA」では、
福島産の野菜、サーモン、馬肉、そしてハチミツと、
黒木久弥シェフがコラボレート。はたしてどんな料理が登場するのだろう?

季節の花を追いかけて集める蜜は、なんと11種!

この日ゲストとしてお迎えしたのは、㈲ハニー松本の伊藤身輔さん。
会津若松で70年もの歴史をもつハチミツ屋さんだ。
誰もが甘味に飢えていた時代、戦地から帰った先々代の創業者が、
砂糖に代わる甘味料として、ミツバチを使った養蜂を手がけたのが始まり。
養蜂にはミツバチと、その蜜源が欠かせない。

「会津地方は森林率82%。
とくに奥会津や南会津には、栃の木やブナの木の林が多いのです」

4月の山桜、5月の栃の木、6月はアカシアやキハダ、そして萩、
7月になれば栗の花、8月はコシアブラ、9月になるとソバが咲く……
養蜂家は、「花のジプシー」とも呼ばれる。
花の咲く場所を求め、ミツバチの巣箱とともに移動するからだ。

「巣箱を置かせていただいている、山や森の地主さんとは、何十年来のお付き合い。
『そろそろ咲くぞ』『早く巣箱を持ってこい』と、お電話をいただくこともあります」

こうして生み出されるハチミツは、全部で11種。
すべて会津地方で採取したものだ。
そこには会津の自然と植生の豊かさと、四季折々の花のテイストが凝縮されている。

「栃の木の蜜」は、会津の代表的な味わい

ハニー松本で最も多く採れるのは「栃の木」のハチミツ。
全体の約3分の2を占めている。

「栃の木は、元々日本古来の在来種です。
その実から作るトチモチは、縄文人の主食でした。
また栃の木は会津の漆器や家具の材料にもなっています(伊藤さん)」

いにしえの昔から、栃はその木も実も、そして蜜も、
会津の人たちの生活に欠かせぬ存在だったのだ。
そんな栃の木の蜜は、クセが少なく、さっばりとした口あたり。
パンに、スイーツに、料理にと、幅広く使える。

今回、黒木シェフは、この「栃の木の蜜」を、
「トマトといろいろ野菜のはちみつマリネ」に使用している。

「ベーシックな味わいなので、料理にも使いやすいですね。
会津に11種類もハチミツがあるなんて知りませんでした。
素材によって風味が変わるので、
ソースで使い分けみたいですね(黒木シェフ)」

清涼な源流で育つメイプルサーモン

次に登場したのは「メイプルサーモンと白桃の生春巻き」だ。

参加者に感想を聞いてみた。
「私は、サーモンが大好きなんですが、
福島に養殖のサーモンがあるとは知りませんでした(30代女性)」

正式には、「阿武隈川メイプルサーモン®」という。
産卵のために生まれた川へ遡上するシロザケとは異なり、
山あいの淡水養魚場で育つ、完全養殖のニジマスだ。
清涼な阿武隈川源流の水で育てられるため、
寄生虫などの心配はなく、安心して食べられる。
また、放射性物質に関する福島県のモニタリング検査はもちろん、
独自の検査も行なっている。

黒木シェフは、イベントに先立ち、西白河郡西郷村にある養魚場を訪ねている。
「他の養殖サーモンに比べて、脂がやわらかい。
そしてさっぱりした味わいです。なので今回は、マリネした桃を合わせました」

桃は夏のイメージが強い。
10月初旬に、本当にまだ桃があるのだろうか?
「実は『さくら白桃』という桃があるんです」
桃の産地の福島県には、収穫期の異なる品種が多数あり、
例えば「白川白鳳」→「あかつき」→「川中島白桃」という具合に続き、
7月から10月まで桃が採れる。
その晩生種の中で甘味が非常に強く人気急上昇中なのが「さくら白桃」だ。
太陽の恵みをいっぱいたくわえた10月の桃。
「果樹王国福島」の層の厚さを物語っている。

味の濃い馬刺は、野菜のうま味とともに

「学生時代の友人が会津出身だったので、よく遊びに行きました。
 宮城で育ったので福島は身近な存在だし、応援したい。
 facebookでこのイベントを知り、参加しました(30代:男性)」

そんな風に会津を知る人にも衝撃だったのは、
「会津馬肉のタリアータ サラダ仕立て」。

会津特産の馬肉を軽く炙って「たたき」のような状態に。
にんじん、大根、みょうが、いんげん等、香りの濃い野菜とともに味わう。
「馬刺といえば、わさびやニンニク醤油で食べるイメージ。
 こんな形でたっぷりの野菜と食べるのは初めてです(20代女性)」
黒木シェフ自身も、
「会津の馬肉は、赤身なのにコクがある。
 醤油や味噌の強い味ではなく、
 お野菜のうま味と一緒に愉しみたいですね」と話していた。

甘酒とお米とともに細かく刻んだ会津産グリーンアスパラガスを炊いたリゾット。
それをコロッケのように仕上げた「グリーンアスパラガスのアランチーニ」も、
「甘味がある」「日本酒によく合う」と大好評。
お米も、甘酒も、日本酒もすべてコメ由来。
ひとつの料理としてまとまった瞬間に一体感が生まれるのも頷ける。

料理とともに当日供されたお酒は、
「七重郎」(稲川酒造店・猪苗代町)、
「BLUE BERRY SAKE」(榮川酒造・磐梯町)など。
国産天然炭酸水の「アクアイズ」(ハーベス・金山町)も登場した。
福島のお酒が味わえるのも、このイベントの醍醐味だ。

不安や心配を乗り越えて…

イベントは終始和やかな雰囲気で進んでいたが、
㈲ハニー松本の伊藤さんのお話からは、
福島が置かれている厳しい現状も垣間見えた。
「元々ハチミツは健康を気遣うデリケートな方が、
 砂糖の代わりに愛用されていることが多いのです。
 そういう方は放射性物質にも敏感。
 私たちは検査も行なっていて、安全性にまったく問題はないのですが、
 販売面でダメージが大きい現実は否めません」

福島県では、県とJA、そして出荷業者などが、
食材の生産段階でたび重なる検査を行なった上で、
さらに流通段階でも各都道府県が検査を実施している。
検査の詳しい内容は、福島県のHPでも公開中。
さらに11月には、福島県産品を応援するWEBページも開設予定。
県産食材の生産者が想いを込めて育てた福島の食材を購入できる、
オンラインショップも紹介している。

「ミツバチは体長3cm。寿命は6週間ほどですが、その間に5gのハチミツを集めます。
そんな命の大切さと、安全性を一緒にお届けしていきたい(伊藤さん)」

ふくしまの応援は、まず客観的なデータを知ることから始まる。
実際に現地を訪れ、栽培や生産、
そして検査の様子を自分の目で確かめてきた料理人が、
現地の様子を伝えながら、自信を持ってスペシャルな料理へと仕上げてくれる。
本当の信頼と安心は、こんな試食交流会のような機会から生まれるのかもしれない。

福島県農産物モニタリング情報「ふくしま新発売。」
http://www.new-fukushima.jp
「ふくしま食の魅力創出」
第3回「11月 ~秋を彩り 温か根菜 ふくしま牛のうま味~」開催店舗

2013年11月25日(月)15:00~17:00
ラ・ブランシュ(田代和久シェフ)
住所 東京都渋谷2-3-1 青山ポニーハイム2F
TEL 03-3499-0824 

2013年11月27 日(水) 14:30~16:30
フランネル嵯峨野亭(井上憲治シェフ)
住所 東京都世田谷区奥沢5-23-21
TEL 03-3718-7101 
http://www.flanelle-saganotei.com /

2013年11月28日(木) 15:00~17:00
恵比寿 笹岡 新丸ビル店(笹岡隆次シェフ )
住所 東京都千代田区丸の内1-5-1 丸の内ビルディング5F
TEL 03-3287-9088 

◎参加費
1500円(1名)
※Bears Bear fukushimaふくしまを抱くクマ「しまくま」を、
お帰りの際に、参加者全員にプレゼント


◎申し込み方法
「ふくしま応援シェフ」のホームページで、
申込書をダウンロード、必要事項を記入のうえ、
FAX またはメールにて申し込み 
http://fukushima-ouen-chef.jp/

お問い合わせ

事務局 有限会社 会津食のルネッサンス

住所 福島県会津若松市中島町2-52
TEL 0120-91-0617 (10:00~18:00 ※土日祝日休)
FAX 0242-93-9368
E-MAIL order@a-foods.jp
http://www.a-foods.jp/

見学歓迎!千葉大学の 学生たちによる、千葉・館山 「茅葺屋根ふきかえプロジェクト」

失われつつある、日本の昔ながらの茅葺屋根の風景。
現在では茅葺屋根を維持するのにすごくコストがかかることや、
住みてがいなくなること、また人手不足によって
修繕されないままになっている民家も多いんです。

そんな茅葺屋根の保護のために活動しているのが、千葉大学「岡部研究室」。
5年に渡って、千葉県館山市で茅葺き屋根のふきかえを行っています。

彼らの活動では、ただ建築的なメンテナンスだけでなく、
実際に集落の集まりや畑仕事に参加することで
「里のライフスタイルと一体化したケア」を目指しているのだそうです。

そして使う茅も、冬場に自分たちで刈り貯めた茅束を使って毎年葺き替えをしています。
1度でとれる茅は非常に限られていて、屋根を全面葺き替えることはできないため、
毎年毎年、すこしずつ葺き替えをしているのです。

今年も、本日から15日まで葺き替えを行う予定。
茅葺職人の野村泰三氏(屋根屋かやぞう)をお招きし、
学生たちと茅葺き作業を行います。見学も歓迎とのこと。
場所は千葉県館山市塩見349の「かやぶきゴンジロウ」。
お近くの方はぜひ応援におでかけしてみてはいかがでしょう。

茅葺き古民家ゴンジロウの「第3回かや屋根葺き替え」

金入健雄さん

伝統工芸品から学ぶ、東北らしさ。

東北のものづくりを軸として、東北に根づいた「暮らし方」を見つめる視点として、
「東北STANDARD」と名付けられたwebサイトがある。
青森県の「裂織(さきおり)」、福島県の「会津張り子」、
岩手県のお祭り「けんか七夕」など、
東北で生まれ、伝えられてきたものづくりや祭りを、
自分たちの視点で見つめ、映像や写真などとともに発信するカルチャーサイトだ。

金入健雄さんは、このプロジェクトの代表を務める。
ちなみに彼は、青森県八戸市を拠点とする、
文房具や本などを扱っている会社「株式会社金入」の七代目、若き社長。
ライターや新聞記者など、メディアに携わっているわけではない彼が、
なぜこのようなプロジェクトを立ち上げることになったのか――
その背景を、金入さんに聞いてみた。

東北STANDARDには、写真や文章だけでなく動画でも現場の臨場感を伝えている。

大学を卒業後、文房具の老舗・伊東屋に勤めていた金入さん。
家業を継ぐために戻ってきた八戸で、
家業の流通事業の強みを生かし、新しく立ち上がった、
「八戸ポータルミュージアム はっち」内に設ける
ミュージアムショップ「カネイリミュージアムショップ」を手がけることになったのだ。

そこで、金入さんが考えたのは、地元青森の工芸品も一緒に販売すること。
「八戸で、東京と同じことをしても意味がないじゃないですか。
八戸に住む自分たちにしかできないものをやろうと考えた結果、
地元で続いてきた工芸品を、地元の人にも観光客にも知ってほしいと思ったんです。
地元の人が、地元の工芸品に触れられる場所って、意外と少ないんですよね」

それは、地元の工芸品を新しい視点で発信する機会となった。
続いて、せんだいメディアテーク内のミュージアムショップも手がけ、
取り扱う工芸品は、東北6県にまで広がっていった。
職人のところへ会いにいき、ひとつひとつ取り扱わせてもらうようお願いする。
扱う商品が増えていくのと同時に、
金入さん自身が、東北のものづくりについて話す機会も多くなっていく。
そのうち、こんな質問をされることが多くなったのだという。

“東北の良さって何ですか?”と。

「あるイベントで単刀直入に質問されたとき、うまく言葉にできなかったんです。
東北の良さって何だろうと、改めて考え始めました。
うまく言葉では置き換えられないけれど、何かがある。
その何かを包括的に伝えられるようなプロジェクトをしたいなと思い始めました。
そうしたら、東京でクリエイターをしている高校のときの先輩が、
同じようなことを考えていた。彼と言葉を交わしているうちに、
東北STANDARDが生まれていきました」

それは、東日本大震災が起こったことで特殊な状況に置かれてしまった、
東北のものづくりへの危機感も含まれていると金入さんは続ける。
「大手メーカーが復興支援として発注した何万個という需要に対して、
おみやげとして消費されるだけの工芸品と同じものづくりを繰り返していても、
それがまた終わってしまった5年後は、すっかり忘れられてしまう。
そうなる前に、東北の知恵や創意工夫はかっこいいんだと発信していきたいんです」

それが、東北スタンダード。
例えば、北欧のライフスタイルがインテリアのスタイルとして注目されるように、
東北にも似た何かがある。少なくとも、青森で生まれた“裂織”や“こぎん刺し”には、
南米などでは見られない素朴な美しさを放っている。
東北の工芸品をつくる職人たちを訪ね、そこに眠る風土やライフスタイルを知る。
それが、東北で生きる知恵や東北の誇りといったものを抽出するカギになり、
世界中の人々にとっても新鮮なライフスタイルに映るんじゃないか。

「そんなふうに10年後も勝負できるようなものが必要。
工芸家も食べていけて、自分のショップも成立していけるようなものを
発信していかなきゃいけないと思っているんです」

カネイリミュージアムショップが青森の裂織作家と一緒につくったオリジナルの裂織の文房具。左から筆入れ、カードケース、iPhoneケース。

カネイリオリジナルのプロダクトも、
そんな金入さんの熱い思いを体現するもののひとつ。
職人さんたちが考えていることを引き出しながら、
いまのスタイルに合わせた商品を一緒につくっていく。
ちなみに、青森の裂織作家の井上澄子さんとつくった、裂織の文房具は、
2013年グッドデザイン賞を受賞したという。

ミュージアムショップを立ち上げたことから始まった、東北の職人たちとの出会い。
いつのまにか、東北について考える日々が多くなった金入さんは、
少しずつ、少しずつ東北の良さを探し始めた ところ。
そんな彼を突き動かしているものは何なのか聞いてみると、
「僕がただ、楽しく八戸で生きていきたいだけなんです」と金入さんは笑う。

「東京のスピード感や物欲を持って、八戸では生きていけないですね。
だからと言って、ネガティブなことばかりでもないと思うんです。
ここには、取り替えがきかない文化があって、家族がいる。
だから、そんな人たちが、もうちょっと楽しくなれて、
自分のまちを誇りに思えるようなものを発信できないかなと思って。
身近な人が楽しめていないのに、活性化とかってなんか違うと思うんですよね。
世界の人に“東北ってかっこいいね”って
思ってもらえるようになれたら、とてもうれしいです」

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TAKEO KANEIRI
金入健雄

1980年青森県生まれ。株式会社金入代表取締役社長、東北スタンダード株式会社代表。伊東屋を経て現職。せんだいメディアテーク、八戸ポータルミュージアムにてカネイリミュージアムショップ運営。アートデザイン・グッズと東北の工芸品のセレクトを通し東北の素敵な暮らしを発信している。
http://tohoku-standard.jp/

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別冊コロカルでは、金入さんが手がけるミュージアムショップショップを紹介しています!
フフルルマガジン「別冊コロカル」

NO ARCHITECTS vol.1: 住みながらつくる家

NO ARCHITECTS vol.1
“このはな”で出会った、風呂なしの木造二階建て

はじめまして。NO ARCHITECTSの西山広志です。
大阪の此花(このはな)区梅香というところで建築の仕事をしています。
このあたりは、大阪の中でも昭和の下町情緒あふれるまち並みが残る地域で、
ここ数年、アーティストのアトリエやギャラリー、
カフェやショップ、住居、事務所など、
リノベーション物件が、少しずつ増え始めています。
ぼくらもこのはなで開催されるイベントのお手伝いや地域情報の広報活動、
内装の設計やデザインで何軒か関わっています。

「このはなの日2013」というまちなかイベントのときのマップです。「このはな」と呼んでいるエリアはこんな感じです。

ぼくらの自宅もこのはなにあり、「大辻の家」と呼んでいます。

外観。外装は廃材の銀色の波板を使っています。このはなのまちなかでよく見かける素材です。家の脇にある路地の奥にアパートと屋上への階段があります。

この家と初めて出会ったのは、2009 年。
「見っけ!このはな」というイベントの中の空き物件ツアーでした。
当時の印象は、玄関が北を向いていてどんよりした感じ。
中に入っても、雨戸が閉まっていたせいもあって真っ暗。
お風呂もありませんでした。

かろうじてキッチンのタイルはいいなあと何となく覚えていた程度。
立地もT字路に面していて、窓をあければ目の前は道路が奥に伸びています。
つまり、全く惹かれない物件でした。
まさか、自分が住むことになるとは、想像もつきませんでした。

こちらが大辻の家のビフォー。

しかし、2011年 に事務所をこのはなに移したことをきっかけに、
ここに住む人たちとの関係を深めていく中で、
このはなに住むことを考えるようになりました。
賃貸なのに改修可能で、
辻(十字路やT字路のこと)に面していることは、
逆に言えば、見通し、風通し良好ということ。

いつのまにかこの物件を魅力的だと思うようになっていきました。
そして、自分たちが住み、リノベ−ションしていくことで、
この物件の特性を活かしながらも、
理想的なライフスタイルを表現できると確信しました。

さらに、「大辻の家」と呼ばれるこの一軒家は、
裏にあるアパートとは、階段室で繋がっていて、少し特殊な建ち方をしています。
全体をまとめて借りることで、アパートの屋上が自由に使えたり、
コストも抑えられた事から、友人とともにシェアすることになりました。

自分たちの暮らしに合わせて、
ひとつひとつリノベーションを考えていきました。

1F奥のアトリエ。事務所で終わらなかったデスクワークをしたり、簡単な木工作業場として使っています。

暮らしを豊かにする方法

引っ越す前に、トイレとお風呂とキッチンの整備などの大規模な工事だけは、
工務店と大工さんにお願いしました。

このはなには、素敵な銭湯がたくさんあるので、
お風呂をつけるかどうかは最後まで迷ったのですが、
結局、洗濯機置き場だったところにお風呂の小屋を増築しました。
理由は、3年間銭湯に通ったときのコストの比較の結果と、
お風呂にまつわるおもしろいプロジェクト「風呂ンティア」を続けている、
画家の権田直博さんに銭湯画描いてもらいたかったから。
彼は、個人宅のお風呂に銭湯画を描いています。いろいろ要望にも応えてくれて、
ぼくらは大小の円形のフレームの中に、「宇宙インコ」と、
「富士山とシカ」を描いてもらいました。

お風呂の内観。小さなユニットバスですが、とても広く感じます。

トイレはタイル敷きの和式便所が窮屈だったので、
洗面スペースと一体にして洋式の便座を入れました。
床を敷き直して、壁も塗り直すと、とても清潔感のあるトイレになりました。
窓からは磨りガラス越しに隣のおばあちゃんが毎日手入れしている
庭の植木が見えます。
たまに枝切りばさみのカチカチという音がして、ほっこりします。

1F内観。もともと玄関だったところの半分がお風呂の入口になっています。

タイルが気に入っていたキッチンはできるだけ、そのまま使いたくて、
ボロボロになっていたシンクの内側部分のタイルだけ壊して、
ステンレスのシンクを上からカポッとはめました。
食器棚は、ぼくのお父さんが学生時代に使っていた本棚で、
ダイニングテーブルは、相方のお父さんが子どもの頃から使っていた勉強机です。
古いものが特別好きというわけではなくて、
もともとあったものを最大限に有効利用して、最小限の手を入れています。

全体的に意識したのは、ガスや水道、電気、ネット、排水まで、
できるだけ隠さず、目に見えるように取り付けています。
どこから来て、どこに流れて行くのか。
日常生活の中で忘れてしまいがちな感覚を、少しでも実感できるように。

キッチン。流しの前のすりガラスの柄も気に入っています。あと、豆苗を観葉植物として育てています。

家具は生活していくなかで必要になったら、
急かされるように、少しずつ、つくり足しています。
その都度、必要な場所に必要なサイズで。
今は、ちょうど玄関の踏み板をつくっているところです。
コスト面から考えても、少しでも無駄なものはつくらないほうが良いと思っているので。

寝室とリビングの間の壁。今は出窓のように開口部だけ突き出していますが、家型の壁一面を棚にする予定。

照明も同じです。生活に合わせて、明るさをコントロールできるように、
2階の5つある照明は、6段階に調整できます。
そのほうがずっと健康的です。
そんな些細なことが、実は重要だったりします。
自分たちの理想の生活に合った家は、
もしかしたら、低コストで見つけることができるかもしれません。

最低限の豊かな暮らしを心がけることが、
NO ARCHITECTSの目指すところでもあります。

2F内観。寝室は、空の色が映り込むように白く塗っています。リビングは、天井を抜いて屋根裏ギリギリのところまで空間を広げています。

ゆるやかに友人たちとつながる暮らし

裏のアパートの2部屋に住んでいるふたりは、大学からの友だちです。
ひとりが近所にあるモトタバコヤというスペースでカフェをしているパティシエ。
もうひとりは、服をつくっています。
シェアハウスと言えど、それぞれ住居スペースは独立していて、
階段室と洗濯機置き場と屋上を共有しています。

屋上へは、2Fのクローゼットの奥の勝手口からも出ることができます。

各々の生活にあった暮らし方を束縛することなく、
時には、共有スペースの使い方を、住人みんなで話し合いながら、
より楽しい生活になるように、つくり足していっています。
リノベーションは完成させてしまうことよりも、
生活に合わせて更新していけるようにしておくことが大事だと思っています。

天気の良い日は日向ぼっこしたり、みんなでバーベキューをしたりしています。

information


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NO ARCHITECTS

住所 大阪市此花区梅香1-15-20
http://nyamaokud.exblog.jp/

荻窪・6次元と 京都・恵文社一乗寺店。 ナカムラクニオ×堀部篤史 トークライブ「共鳴する場」

日本の東西で、それぞれ独自の哲学のある名店を営む名物店主による
注目のイベントが開催されます。
2013年11月24日(日)、京都市左京区の
恵文社一乗寺店 COTAGEで開催される
ナカムラクニオ×堀部篤史のトークライブ「共鳴する場」です。

ナカムラクニオさんは、東京・荻窪のカフェ「6次元」の店主。
堀部篤史さんは、京都・左京区の書店「恵文社一乗寺店」の店主。
どちらも、独自のこだわりのもとにカルチャーを発信し、
地元で愛されるとともに、日本各地にも多くのファンを持つお店。

このトークでは、
ナカムラさんの本「人が集まる「つなぎ場」のつくり方
-都市型茶室「6次元」の発想とは」(阪急コミュニケーションズ)と、
堀部さんの本「街を変える小さな店」(京阪神エルマガジン社)、
それぞれの本に込めたお2人の想いから、
これからの“場”について考えていきます。

会場は恵文社一乗寺店が新たに
スタートしたスペース「コテージ」。
共有から共鳴へ。ぜひ現場でお2人のトークライブをご体験ください。

右:ナカムラクニオ『人が集まる「つなぎ場」のつくり方~都市型茶室「6次元」の発想とは』(阪急コミュニケーションズ)、左:堀部篤史『街を変える小さな店』(京阪神エルマガジン社)

ナカムラクニオ×堀部篤史のトークライブ『共鳴する場』

山ノ家 vol.1: 「好きにしていい空き家がある」 と言われて

山ノ家 vol.1
構想はいつも妄想から始まる

「ある空き家があって、誰かに好きに使って何かやってほしい」
そう聞いたのは、2011年の初夏のこと。
震災後の東京ではなんだか皆がいそいそと通常どおりの生活に戻っているふりをして、
まだどこか上滑りな気持ちと折り合いをつけかけていた頃のことだ。

僕らは、東京・恵比寿を拠点にgift_という名前で空間のデザインや企画の仕事をしている。

恵比寿の僕らのスペースgift_lab。中央に置かれた可動の本棚は間仕切りにもショーケースにもなる。それをぴたりと壁に寄せてしまえば、30人くらいは入れるまあまあの広さのイベントスペースになる。限られた空間を臨機応変に変化させながら使うというかたち、これも「リノベーション」のひとつのあり方だと思う(現在はスペースの一部を別チームとシェアしている)。

古いビルの2Fの一室を、展示やイベントスペースなどとしても機能するように、
可変な空間として内装も自分たちでできることは手がけた。
事務所でありながらも人が出入りする「場」としてオープンに、
かつ多様で刺激的な空間として2005年にスタートし、
音楽のイベントやアーティスト・トーク、上映会、アートワークの展示などを
実験的にいろいろ行ってきた。
おかげでさまざまなアーティストとの縁もたくさんつながっていった。

しかし、これが例えば1Fでカフェなどが併設できたらやれることが広がるのでは、
といった考えが次第によぎるようになっていた。
もっと開かれた、人が自然に集い、行き交い、
出会えるような「場」をつくりたいという気持ちを漠然と心の中に持ちつつ、
まちなかのビルの空室をおもむろに外からのぞきこんでみたりもするけれど、
なかなかそう好都合な物件は近くには見当たらず。
また、そこまで真剣に探すつもりもあまりなかったのだとも思う。

そんなとき、冒頭の「空き家」の話を聞いた。
しかもそれは都内ではなく、新潟県中南部の十日町市まつだいにあるという。
「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ」の開催地のひとつとして知られている土地だ。
地方で行われるアートイベントの先駆けだった大地の芸術祭に、以前僕らも訪れたことはあった。
すばらしい里山の風景の中に、
アートの作品がこつぜんと姿を現すという
なんともわくわくする体験を思い出した。
移動は少し大変だったが、今となっては不思議とポジティブな印象しか残っていない。

この越後妻有の地にある空き家。
その上「好きにしていい」というのが、僕らにとってはとても魅力的な響きだった。
漠然と、しかし、ふつふつと温めていた「より開かれた場」についての妄想が、
思ってもみなかった土地での話と不思議と結びついた。
それはおそらくほぼ初めてと言っていいほど、
いわゆる「地方」と呼ばれているようなエリアに自分ごととして興味を向けた瞬間だった。
ここで何かできるのかもしれない。面白そうだ。直感的にそう思った。
なぜか分からないが何か可能性があるような気がして、とにかく現地を見に行くことにした。

そして、物件を前にして

十日町市まつだいは東京の都心からは、車で行くと3時間から4時間かかる。
行きの車の中で、仲介者である知人を相手に、何ができるのか、何ができないのかも
分からないながらも、これからの勝手な妄想を広げていた。
構想はいつも妄想から始まる。

まつだいの風景。この先に空き家のある商店街がある。空がとても広く感じられる。

最初にイメージを重ねたのは、ちょうどその前年までディレクターの一員として関わっていた、
「CET=Central East Tokyo(セントラル・イースト・トウキョウ)2003-2010」のことだ。
東京の東側のエリアで8年間行われたイベントで、これをきっかけに
少しずつアーティストやデザイナーたちがイベント会場となった空き家物件などに移住したり、
アトリエをかまえたりしだして、ある意味自然発生的に(イベントの時にだけ賑わうのではなく)
日常的に面白いことが営まれているまちへと変容していった。

CETとは、神田と隅田川の中間にあるエリアの、馬喰町の問屋街や近隣のオフィスビルなどで行われたイベント。ムーブメントと言った方が正しい表現かもしれない。東京・丸の内からあまり離れていない区域でありながら、当時、地価が下落してややシャッター街化していた都市のスキマの空き地や空き家などで、アーティストやデザイナーが作品展示やパフォーマンスなどを行い、数日間、実験的にまちそのものを同時多発の仮設ギャラリーに変容させた。

その状況を目の当たりにした経験はまだ記憶に新しく、
このプロジェクトに関われたことは現在の僕らの発想や活動に重要な位置を占めている。
環境は違うが、まつだいでもそんなふうにすることができたらそれは本当に理想的だな……などと
妄想はとどまる所を知らずに僕らの頭のなかで広がっていった。

まず、人が出入りしやすいようなきっかけとしての、カフェをつくろう。
そして滞在もしてもらえるような宿泊設備が併設されているといい。
カジュアルに、でもかっこいいような。
東京とローカルをつなぐような新しい拠点となってもいい。
もちろん、地元の人たちとも何かできたら。
ワークショップやイベントなども、ユニークに企画できるかもしれない。

と、妄想が膨らむ一方で、一抹の不安も頭をよぎらなかったわけではない。

その地にいる人たちは、どんな人たちなんだろう? うまく受け入れてもらえるのだろうか?
とはいえ、今、
僕らは東京に事務所を持ち、東京に生活の基盤を持っている(それを捨てるつもりはない)。
果たして、東京と里山を行ったり来たりしながら
両立させてやっていくという選択肢の可能性はあるのだろうか?
一時的なイベントではないかたちで、何かをやり続けることは可能なのだろうか?

物件がある街並みはこんな感じ。

その空き家は、「ほくほく通り」という商店街のちょうど真ん中あたりにあった。
通りは昭和の終わり頃まではとても賑わっていたというが、現在はその面影はなく、
商店らしき看板を残してはいるが、
明らかに今は住宅としてしか使われていない……というところも少なくない。
いわゆるシャッター商店街とはちょっと違うのだが、少しさびしい印象だった。
事前に最近の様子というのを写真で見ていたので、
ある程度の覚悟はしていたが、実際に見ると現実に引き戻された感じになる。

これがその物件……。

そして、空き家は何も特別な感じのない、
古民家でもない、店舗兼住宅? 倉庫? といった物件だった。
正面の開口部には重たい錆びたスチールのシャッターが付いている。
脇には木枠でざっくり囲ってある物置のようなものがあり、
何に使うのかわからない容器やら、スキー板やら、さまざまなものがごちゃっと放置されている。
古民家という言葉から連想されるようなある種の情緒的な雰囲気はない。
物件そのものの表層には魅力は(失礼ながら)全く無く、
中途半端に昭和の時代を感じるようなトタンが貼られていて、
あきらかにだいぶ放置されていたような感じだ。

うーん、これはリノベーションのしがいのある物件だな……(冷汗)

シャッターをあけ、中に入ると、とにかく物が以前のままにぐしゃぐしゃとたくさん置いてある。

何はともあれ、まず必要になる電気。分電盤を探し、既存の電気容量をチェック(暗くて良く撮れていないが)。

しかし、同時に、どんな物件であろうと
「全く違う存在に変換できる」という、不思議な、そして確かな自信があった。
もちろん、それはいつものことなのだ。

あとは、僕らがここにどのように関わっていくことになるのか。それ次第。
そこで大きな決断をすることになるとは、まだこの段階では考えても見なかったのだが――

つづく

熊本県の営業部長、くまモンが 熊本の伝統工芸とコラボ! カワイイゴザや木の葉猿が登場

キング・オブ・ゆるキャラとして君臨する熊本県の営業部長「くまモン」。
このたびBEAMSが展開する人気ショップ「ビーミング ライフストア by ビームス」と
コラボレーションした熊本県の伝統工芸のスペシャルグッズがお目見えしました。

こちらは、幸せを招く郷土玩具「木の葉猿」と
コラボした「言うモン聞くモン見るモン」。
木葉猿は千年以上前から災難除けなどの守り神とされて
親しまれているお人形です。お値段は5,250円。

ふたつ目は、全国の生産量の90%を占める日本一のイ草の名産地、
熊本県八代地方の生産者「イ草工芸オクダ」さんとコラボしたゴザです。
オクダさんは有機肥料を使ってイ草を栽培し、収穫したものを
昔ながらの技法でひとつひとつ丁寧に製品にしていくんです。
鮮やかなくまモンのゴザは3,150円。

3つ目は、熊本市東部でこだわりの家具を作る「木育工房」とのコラボ商品。
木育工房さんは、無垢材を使ったオーダー家具、オリジナル家具などを
一つ一つ手作りしているちいさな工房。
くまモンのシルエットを再現したり、くまモンの焼き印を入れたスツールができました。
お子様も喜びそうですね。こちらは12,600円となっています。

これらの商品は、11月1日(金)より
「くまモン×ビーミング ライフストア by ビームス 大物産展」
と題し、全国のビーミング ライフストア by ビームスで販売されます。
現場ではくまモンの出没もあるそう!

普通であればキャラクターの利用には料金がかかるところを、
「熊本県のPRにつながればOK」としてロイヤリティフリーにしたくまモン。
熊本とは関係ない商品でも、「熊本県産の材料を使っている」ならOKなんです。
その結果、たくさんのコラボ商品が作られるようになり、
熊本県のPRに繋がっているのが新しいですね。

熊本だモン!くまモン×B:MING LIFE STORE by BEAMS

MAD City vol.1: 自分でつくる家で暮らすこと

MAD City vol.1
DIY可能な物件を探して、生まれるコミュニティ。

MAD Cityが立ち上がり、早3年。さまざまな方と出会い、
千葉県松戸市で面白い空間をプロデュースしてきました。
はじめまして、MAD Cityの赤星です。

MAD City、読みは「マッドシティ」です。
私たちはJR松戸駅の駅前だいたい半径500メートルのエリアを
「MAD City」と呼んで、まちづくりをしています。

MAD Cityのまちづくりはビルを建てたり、
道路を広げたりするようなものではありません。
まちの中で長いこと使われていない建物を探してきて、
それをアーティストやクリエイターのアトリエにしたり、
工房にしたり、自由に改装できる住居にしたりしています。

その名も「MAD City 不動産」として営業しています(……名前が安直)。
このMAD City 不動産を通じて
ここに移り住んでくれた人たちと多種多様なプロジェクトに取り組みながら、
ここを「他ではできないことができるまち」にしていこうとしています。

じゃあそんなMAD Cityににはどんな人がすんでいるんでしょう。
というわけで今回はMAD City不動産を担当している
殿塚の暮らしを覗いてみたいと思います。

メイン写真にも使われてる「古民家スタジオ 旧・原田米店」はMAD Cityの代表的な物件。100年以上の古民家をひと続きのアトリエとして改装し、定期的にイベントが行われている。間口の奥にはこのような広々とした庭が。敷地にある建物それぞれを活用中だ。

自給自足する暮らしに憧れて

こんにちは。MAD Cityの殿塚建吾です。
千葉県松戸市出身です。苗字は偉そうですが、実際は偉くないです。
普段は不動産担当として古民家や、空き家だらけのマンション、
扉が外れかけている一戸建てなどを探して回ったり、
内見に来てくださった方と一緒に物件やまちを見て歩いたりしています。
今住んでいる物件はあるきっかけがあって自分で見つけました。
思えばMAD City で住居を借りた一番最初の入居者かもしれません。

殿塚が住む家。通称自給ハウス(勝手に命名)。

子どもの頃から、農家を営んでいた母方のおばあちゃんのように、
家族が仲良く、自然とともに笑って暮らす生き方をしたいと思っていました。
そんな暮らしを模索しているうちに学生時代に環境問題に興味を持ち、
卒業後、古いマンションをリノベする不動産会社に就職。
その後、CSRの企画会社に転職し、野山を奔走してました!

ふたつの仕事を経験するうちに、大げさにエコを掲げるより、
地域に根ざして田んぼや畑をつくったりする生き方のほうが本質だなと思って、
いろいろな地方を放浪。
最終的には千葉の房総半島に移住しました(つまり当時ニートです)。
房総では自給自足をしている古民家カフェに居候をしていましたが、
ある日カフェの方から、
とにかく超自給自足しているすごいおじいさんがいると聞き、会いに行きました。

おうちを訪ねると、その自給ぶりに驚きました。
無農薬の田んぼや畑、炭焼きをする窯、地下に掘られた芋の貯蔵庫、
おじいさんは食べるものから使う道具まで、全てを自分でつくって使っていました。
感動する僕を、さらに感動させることが!
おじいさんについて、森の中へ行くと、

さっきまでのんびりしていたおじいさんが、
急に戦闘態勢に入り「ちょっとそこどけ〜!!!」と叫んで、
僕を少し離れたところまで避難させました。
すると、おじいさんはおもむろにチェーンソーを取り出し、
高さ4メートルはあろうかという大木をバッシバシ、切り倒していきました。

そう。なんと山に来たのは、建てる家の木材を確保するため。
「え、材料から自給してんの!! まじすげーーー」
と、テンションがあがった自分はその日から、
自分がなんかできるところまで自給自足したいと、おじいさんに憧れてしまったのです。
とにかくおじいさんにいろいろ教えていただきたくて、
お話を聞いていたらこんなやりとりに。

おじいさん:「君、出身はどこ?」

殿塚:「千葉の松戸です」

おじいさん:「ま、松戸!! 俺の前の家のそばじゃないか」

殿塚:「え、そうなんすか?」

おじいさん:「40年くらい前に俺がひとりで建てたアパートあって空いてんだよ。
自由にしていいから誰かいないかな?」

殿塚   :「ミラクルなう!!!!!(心の中で)」

という訳で、偶然出会った松戸の物件。
でも当時の僕は房総に引っ越していたので、
おじいさんの家を知り合いだったMAD Cityのみなさんに紹介し、
入居者を募集をしてもらいました。

募集を開始してちょうど1か月後。
東日本大震災が起こりました。
これをきっかけに僕は松戸に戻ろうと決めて、そのおじいさんの家もお借りすることにしました。
同時にMAD Cityのスタッフとして合流することに。

ド素人でも、改装してみる

実際に行ってみたその家は、立ち入って3歩で足裏が真っ黒になる状態。
あちこちの壁紙ははがれ、
トイレの床は腐りかけて、シャワーからは水が漏れていました。だけど、
古さゆえのなんとも言えない味わいと何より運命的な出会いが決め手になったのでした。
もちろん最初は自分がこの家をどうできるかわかりませんでした。
でもおじいさんはひとりでこの家を建てたんだから、
直すくらいド素人の自分でもなんとかなるだろう。
そこから僕のDIYライフがスタートしました。

まずは、掃除して、掃除して、えっとまだ掃除して……
なんとか入れるようになって最初に直したのは、一番実用的なところ。
水回りの水栓とお風呂のシャワーを交換しました。
慣れないと大変なのに見た目があんまり変わらないので、
個人的に一番地味な作業に認定。

次にトイレの床を張りかえたり(手抜き)、

トイレの床(左:before 右:after)

和室の壁に漆喰を塗ったり(雑)、

漆喰壁にDIYした和室。

ロフトを解体して木材むき出しの屋根裏にしたり(解体しただけ)、
ベランダのトタンを透明なものに張り替えて(途中落ちそうだった)
太陽の光が入るようにしました。

ベランダのトタン屋根を交換!(左:before 右after)

さらには庭を除染して野菜を育てたり(絶賛、失敗中)、
あとベランダにソーラーパネルを置いたり(これは買いました、オススメです)。
大したことはできてないんですけど、
2年かけて少しずつDIYを進めていて、まだまだ終わらない感じです。

僕は本当にド素人でした。ご覧の通りなかなかうまくはできていません。
それでもなぜやろうと思えたかというと、
MAD Cityに建築や設計やDIYに詳しい仲間がいてくれたからです。
MAD City 不動産で扱っている改装可能な物件を借りてくれる方は改装未経験者がほとんどです。
もちろんみなさん僕に比べたらはるかに良い腕前です。でもプロではありません。

それでも、それぞれの方が自分たちらしくスペースを改装しているのは、
個々人のチャレンジ精神や努力に加えて、
すぐそばに工具の使い方や床の張り方を教えてくれたり、
ときに作業を一緒に手伝ってくれる仲間がいることも、大きな要因のひとつだと思います。

MAD Cityにおける何よりの魅力はコミュニティ。
それが部屋のDIYをする時にも生かされている気がしています。

ひとりだとできない。だけどちょっと手伝ってもらえればできる。
MAD CityらしいDIYは
周りの人とのつながりを築きながらすすめていくものなのかもしれません。

MAD Cityの仲間たちで(地元の皆さんも大勢巻き込んで!)、野外結婚式までつくっちゃいました。

information


map

MAD City(株式会社まちづクリエイティブ)

住所 千葉県松戸市本町6-8
電話 047-710-5861
http://madcity.jp/

山崎亮さんトークセッションも。 農とアートのフェス 「北加賀屋みんなのうえん祭2013」

10月19日(土)、大阪・CCOクリエイティブセンター大阪にて、
「北加賀屋みんなのうえん祭2013」が開催されます。
北加賀屋の遊休地を利用した共有農園を運営する
「北加賀屋みんなのうえん」が主催する、
農と食とアートをテーマにしたフェスティバルです。

北加賀屋はもともと、昭和の始め頃には造船業で栄えた土地でした。
しかし造船業が衰退するにつれ、空き地や空き工場が目立ち、
人口も減少に向かうようになりました。
そうして出来た遊休地を利用したのが、「北加賀屋みんなのうえん」。
単なる貸し農園ではなく、
チームで野菜づくり、ものづくりワークショップ、月例ミーティングなど
ユニークな農への取り組みをしているところです。

「北加賀屋みんなのうえん祭2013」のテーマは、
「農ある豊かな都市の暮らし」。
みんなのうえんとゆかりのある農家、飲食店や
オーガニックカフェ、大阪府内で作られたこだわりの野菜や種が販売される
マルシェのほか、モノづくり・フードづくりプロセスを体感できる
ワークショップの開催、参加・体験して楽しめるアート作品の展示も。

そしてローカルデザイン・スタディでもお馴染みの
studio-L代表の山崎亮さんが、
ドキュメンタリー映画「よみがえりのレシピ」の上映に合わせて
監督・渡辺智史さんとトークセッションを行います。
名村造船所跡地にて展開される
「農ある豊かな都市の暮らし」の実現をお楽しみに!

北加賀屋みんなのうえん祭 2013

村上香住子さんが パリや日本の仲間と 南三陸の女性を支援する 「amaプロジェクト」

フランス文学翻訳家、ファッションジャーナリストの村上香住子さん。
1985年からマガジンハウスのパリ支局長として渡仏し、
以後「フィガロジャポン」のパリ支局長をつとめるなど、
長年にわたりフランスのカルチャーやファッションについて
取材・執筆をされてきた方です。
フランスの女優・俳優や文化人と深い親交を結び、
日本とフランスの文化の橋渡し役となって活躍されています。

そんな村上香住子さんが、
南三陸復興支援のために立ち上げたのが「amaプロジェクト」。
amaとはダブルミーニングで、ラテン語の”愛する”と
日本語の”海女”をかけた言葉。
被災地に暮らす女性たちが手作りした
ブレスレットを製造・販売して彼女たちを支援するプロジェクトです。

村上香住子さんがプロジェクトを始めたきっかけは、仮設住宅で暮らす方の
「ひとりでいると、まだ見つからない家族や友人のことをばかり考えてしまう」
という言葉を聞いたこと。
孤立しないように、みんなが出会う場を提供したいと考え、
ジェーン・バーキンさんら、たくさんの友人の協力のもと、
2012年にスタートしました。

封筒にはジェーン・バーキン直筆のメッセージ入り。「親愛なるアマへ あなた方の勇気を敬う気持で一杯です。想いを込めて」

ブレスレットを作っているのは、
南三陸で被災し、宮城県登米市の仮設住宅にいる30代~80代の女性たち。
手作業に興味のある方たちが集まり、
細い刺繍糸をひと針ひと針丁寧に編みこんでいき、
スワロフスキーのクリスタルをワンポイントに付けます。
グリーンは「希望」、赤は「情熱」を表しているんです。
手芸デザインは横尾香央留さん、
パッケージのデザインは建築家の谷尻誠さんが手がけています。

初のamaプロジェクトイベント開催!

このamaプロジェクトによる初のイベントが、
2013年10月20日(日)の17時より、銀座松屋5F特設会場にて開催!
映画「今日子と修一の場合」を南三陸で撮影された奥田瑛二さんと、
監督映画「0.5ミリ」が完成間近の安藤桃子さんの父娘対談が行われます。
村上さんより「ぜひいらしてください!!」とのことです!

amaプロジェクト

ビルススタジオ vol.1: 空き家と妄想。

ビルススタジオ vol.1
ガラガラのシャッター通りで、始まったこと。

大学入学からの10年間、建築デザインの世界にはまり込んでいた私は、
その後、海外の美術大学院への留学期間を経て2006年に地元宇都宮市に帰り、
自宅の一室にてこっそりとオフィスを営んでいました。
しかし業務の量がかさむにつれ、手狭感や生活との切り離しの困難さ、
そして何よりも人の出入りがないことに耐え切れず、物件を探し始めることに。

そうして2009年末、見つけたのが「もみじ通り」の物件。
2007年に商店会が解散されてからは、先の見えないままシャッターを閉ざす、そんな通り。
典型的な地方都市である宇都宮市の、商業地とも住宅街とも言えないエリアにあり、
不動産屋も募集中看板を出すのを拒否する。
建物たちは中途半端に古く、歩いて来るには中心地から遠い。
かといって駐車場がとれるほど土地が余っている訳ではなく、交通量もほとんどない。
つまり、物件の利用価値がないと判断されている場所でした。

もみじ通りのようす。

しかし、そんなトコだからこそ、物件は格安。
それがここの物件に決めた一番の理由です。
さらには改装自由。現状復旧義務なし。
言い換えれば、大家さんは補修も含めて何もしたくない、
という一般的には不利な条件が私にはとても魅力的に映りました。
じゃあ、家賃をもっと下げてくれ、というお願いもすんなり受け入れられてしまったこともあり、
即座に契約をすることになりました。

自分のオフィスを持つことが第一目的。それは果たせそうです。
とはいえ、この殺風景な通り。
ひとまず、それをポジティブに捉え直してみました。
 人通りが少ない——落ち着いて仕事に没頭できそう。
 車通りが少ない——同上。路上でも遊べそう。
 建物が中途半端に古い——気兼ねなく自分色に改装できそう。
 元商店街——多少は外からの人を受け入れる土壌がありそう。
 元、武家屋敷街——周辺の住宅の敷地がゆったり。上品な近所の人が多そう。

そして、
 空いている建物が多い——出店余地がいくらでもあるっ!

そう、この点。
自宅兼オフィスで感じていた、人の出入りのなさ。
それを解消すべく、いろいろなお店が増えていける舞台はあるわけです。
そこで、日々自主工事のために通いながら、
自分がここで毎日働くにあたり、「ほしい状況」を妄想するようになりました。
 「おいしいランチを食べたい」
 「息抜きにコーヒーを飲みたい」
 「ほっとするデザートが欲しい」
 「仕事帰りに買える、お惣菜があるといい」

なによりも、私は寂しい自営業者。更には、なかなかの出不精。
 「志はあれど、日常でそれを共有できる仲間が近くにほしい」
こんな自分勝手なことを、もくもくとペンキを塗りながら考えていました。

ようやくオフィスが使えるようになり、業務も落ち着いてきたところで妄想を実行に移しました。
まずは、言いふらし。
「あんなんがほしい」「こんなんがほしい」と、会う人会う人に伝え続けました。
数か月経った頃に、
知り合いから「宇都宮市内に移転を考えているカフェがあるよ」との情報が。
私はすぐ高速に乗り、その店へ。

普通のお客を装い、時間を過ごしました。
あぁ、こんなの近くにあってほしい……。
ほどなくして誘う決意をしたものの、その気持ちを抑えつつ他のお客さんが帰るのを待ち、
帰り際のレジにて気持ちを打ち明けました。
うぅ、なんか恥ずかしい……なんだろ、この感情。告白……?
初対面なのにいきなり「うちに来ないか」って……
しかしそんな葛藤も杞憂に終わり、「来週伺います」と、なんともあっさりした答え。
しかし困った。実はもみじ通りにはその時点で賃貸できる物件がなかったのです。
まあいいや、まずは見てもらおう。通りの雰囲気を肌で感じてもらいながら、
私の感じた、この通りのポジティブな面を共感してもらおう、と腹を決め当日を迎えました。
小1時間程度、通りを一緒に散策しながら想いを伝え、
空いている”だけ”の建物を探し、紹介しました。
どうやら、なぜやら共感いただけたようで、
通りの落ち着いた雰囲気が自分に向いている、と感じてもらえたようでした。

さて、そこから貸してくれる大家さん探し。
3つの建物を散策中に目を付けていましたが、そのうちふたつは貸す気が全くない、との返事。
当社オフィスの3件隣にある最後のひとつは大家さんがどこにいるかわからない。
近所の方に相談すると、
ごくたまに風通しに親戚の人が来るらしいという噂をききました。
しかしいつ来るかわからない。
そこで置き手紙をポストに適度なペースで入れる、
というなんともアナログな作戦をとりました。

狙いをつけた空き物件。

——2か月後、大家さんから電話が来ました。
うれしさよりも「あの置き手紙だけで、来るんだ、連絡」という驚きが正直な感想。
大家さんは、一体なにがしたいんだ、という感じでした。
電話口でしたが、溢れる想いを伝えたところ、
半ば呆れ気味に、ともかく会ってくれることに。
1週間後、件のカフェオーナー藤田さんを予告なしに連れて行き、2人掛りでとにかく説得。
熱意に負けたのか、しつこかったのか、なんとか貸してくれると言ってくれました。

ともあれ2010年の夏、ようやく2店舗目が決まり、
カフェ食堂「FAR EAST KITCHEN」がオープンしました。
これまでの実績、もみじ通りにピンと来てくれた感覚、
ツーカーの工務店との関係が既にあったので改装はオーナーさんにて行なわれ、
「もともとここにあったようなお店」のように仕立てられました。
工事中にすでに通りがかりの人に
「いったい何ができるのか」「まさかここでお店をやるのか」
といった反応がむしろ良い口コミ効果を呼び、
オープンの頃には結構知られたお店になっていました。

改装後のカフェ「FAR EAST KITCHEN」。

「FAR EAST KITCHEN」の店内。

よし、これでおいしいランチが食べられる。コーヒーも飲める。
あとは、あとは……と、妄想をひとつひとつ実行していったのです。

それから3年経った2013年10月現在、
もみじ通りとその先のあずき坂の界隈には
ギターショップ、ドーナツ店、総菜店、カフェ、子供服店やギャラリーなどなど、
なんと計12店舗が新規OPENしました。

2010年のもみじ通り。

2013年のもみじ通り。

実は、10月12日(土)にそれらの店舗が自然発生的に連携して
もみじ通りでは初のイベントとなる、「あ、もみじずき」が開催されることになりました。
私もその日は古家具屋さんを開いて、
ふだんは立寄りにくいオフィススペースを開放する予定です。
私自身、とても楽しみです。

あの、ないない尽くしだったもみじ通りが
私の妄想を超えた状況になってきています。

「あ、もみじずき」のフライヤー。

information


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ビルススタジオ

住所 栃木県宇都宮市西2-2-24
電話 028-636-5136

ふくしま食材×応援シェフ 新たなコラボ、始まります

2013年9月から2014年2月まで、12月を除く毎月1度、
都内3か所のレストランで開催される
「消費者理解促進交流会~ふくしま食の魅力創出~」。
初回は9月30日(月)から10月2日(水)の3日間で開催。
福島生まれの食材とその生産者たちを「応援したい!」シェフたちが、
福島の食材を使って料理を披露。当日の参加者はその料理を試食し、
各シェフによるオリジナルのレシピを持ち帰ることができる。
第2回目は10月10日(木)、14日(月)、15日(火)の3日間で開催される。

福島へ行ったことがない。でも、チカラになりたい!

初回の3日間のうち、10月2日の交流会を担当したのは、
東京・恵比寿にある「ベジタブルハウスWANOBA」の黒木久弥シェフ。
イタリア料理店で修業を積み、2年前から同店へ。
「恵比寿から100km圏内の朝採れ野菜」を使うのがポリシーで、
練馬や三鷹、小平、あきるの……東京都内や神奈川県の畑へ赴き、
生産者から託された野菜を使って料理する。そんなスタイルを貫いてきた。

「僕は兵庫県出身なので、小学生の時に阪神淡路大震災を経験しています。
人生で2度も震災に遭うと思わなかった。
料理人として被災地の方々のために、何かできることはあるか?」

福島県生まれの地域プロデューサーで、
「ふくしま応援シェフ」の仕掛人のひとりでもある本田勝之助さんに出会ったのは、
ちょうどそんな時のこと。

2011年11月、黒木シェフは福島県が主催する福島県産地見聞会ツアーに参加。
福島市のある中通りエリアや会津地方を中心に生産者を訪ねた。
「生産者の方々と話すうちに、福島には優れた食材と生産者がたくさんあることを知り、
お店のお客さんにも、福島の状況や食材のすばらしさ、
安全性について、胸を張って伝えられるようになりました」

ふくしまを応援する132人のシェフたち。

福島を応援する料理人と現地の生産者をつなぐ、
「ふくしま応援シェフ」事業(福島県主催事業)に、
本田勝之助さんが携わったのが2012年7月のこと。
「ふくしま応援シェフ」とはいったいどんな取り組みなのだろう?

「震災から2年半が過ぎましたが、宮城や岩手と違い、
福島の生産者は、まだ被災まっただ中。
自分の作った作物がどう評価されているのかが生産者の耳に入りにくくなっていて、
みんな自信を失いかけています。だから、料理人のみなさんに彼らを励ましてほしい。
『福島を応援しているよ』。
そんなひとりひとりの思いを、できるだけたくさんの人に伝えていただくことで、
福島の生産者にチカラを与えてほしい。そんな思いでスタートしました」

食の魅力や安全性について、福島から発信したとしても、
なかなか伝わりにくいもの。
それよりも第三者が福島の食について客観的に伝えることで、
消費者と生産者双方の理解が深まる。
そんな役目も「ふくしま応援シェフ」は担っている。
現在「ふくしま応援シェフ」は132人。
そのうち48人が東京のシェフで、
実際に福島へ足を運んで産地を訪ねたのは40人にものぼるのだとか。

使う食材は福島産。15の料理人が繰り出す、福島の食の魅力と底ヂカラ。

これから始まる「福島県県産品消費者理解促進交流会」の内容を、
プロデューサーの本田さんにまとめていただくと、こんな感じだ。

01 食材と一緒に、必ず1人は生産者にお越しいただく

野菜や果物、畜産物が毎回登場しますが、その中から必ず1人、
生産者に東京へ足を運んでいただき、震災からのこれまでの経緯や、
生産物に込めた思いについて、参加者のみなさんと共有していただきます。

02 できるだけ福島へ赴いたシェフが料理する

多くのシェフが、黒木さんのように、現地へ赴いているので、
自信を持ってお客様におススメできるはずです。

03 毎回テーマを決めて複数の食材を組み合わせたメニューを提供する

例えば今回は、残暑を乗り切る夏野菜と、
会津人のスタミナ源である馬肉が登場。
甘酒やハチミツなどの加工品も組み合わせていきたいと考えています。

04 「しまくま」をプレゼント

今は避難区域になっている大熊町から、
会津エリアに避難しているお母さんたちが縞模様の会津木綿で作った、
熊のぬいぐるみ(「縞」+「熊」=しまくま)を参加者全員にプレゼント。
福島のことを忘れないように、身近に置いていただければ嬉しいです。

福島が誇る食材の魅力をリストアップ。

訊けば、福島には肉や野菜やフルーツなど、食材の宝庫。
「例えば『会津の馬肉』。
サシが自慢の九州の馬刺と違い、赤身のうま味を味わう肉です。
夏バテを解消するスタミナ源として、
また冷え性にも効果があるといわれています。

会津馬肉は、むっちりした食感の赤身がおいしいことで定評あり。唐辛子を利かせた味噌で食べるのが会津のスタイルだ。

それから『地鶏』。
県内にふたつのブランドがあって、
ひとつは川俣町の『川俣シャモ』。もうひとつは会津地方の『会津地鶏』。
来歴も性質も味わいも異なるふたつの地鶏は、
それぞれ異なる持ち味を楽しめます」

川俣シャモは、1平米あたり6~8羽というゆったりしたスペースで、109~120日(通常の地鶏は80日以上、ブロイラーの場合は50日程度)という時間をかけて育てることで肉の食感とうま味が高まる。

平家の落人が愛玩用に持ち込んだものが広まったともいわれる「会津地鶏」。約110~120日の日数をかけ、自由に動き回れる環境(平飼い)で飼育するため、身が締まっておいしくなる。これはその「タタキ」。

桃やりんごや柿などのフルーツも県内各地で栽培に力が入れられており、
野菜では、例えば会津地方の人たちが種を継いで残し、
現在14種あるという会津伝統野菜なども。
実は青果商を営む本田さんの父上が、
30年前からその保存と継承に取り組んできたのだそう。

例えばキュウリ。新鮮ゆえということもあるが、とてもみずみずしく、味噌を付けずに食べても味わいがあるから不思議だ。

「9月になると、黄金色に輝く田んぼと、
真っ白な花で埋め尽くされるそば畑のコントラストが美しい。
会津盆地を囲む山肌には果樹の畑が連なって、
西日を当てるとよく育つ柿の畑は東側の斜面に、
朝日を当てるとよく育つりんごは西側に広がっています」

農産物を“クリエイト”する福島の農業。

例えば会津には古くから『会津農書(あいづのうしょ)』という
農業技術を体系化した農学書がある。
1684年(貞享元年)に会津藩の村役人である佐瀬与次右衛門が記したものだが、
当時は文字の読める農民が少なかったので、
暦の読み方や野菜の種を撒く時期、冬の寒さ対策など、
農書に綴られた技術は歌に詠んで伝え残されていたと本田さん。

「ですから会津は昔から歌詠みが盛ん。
冬場の農閑期には農家が集い、歌詠みの会を開きます。
農業とは、感性を研ぎすまして季節の移ろいを的確に捉えて、
クリエイトしていくもの。
だから歌詠みだけでなく能や長刀なども農民たちは嗜みました」

福島の農家は作物の生産者であると同時に、
地域の文化を創造する人たちでもあるのだ。

本当の「安心」を感じられる場所に。

そんな福島の食材を使って、
9月30日から10月2日の3日間にかけて行われた第一回目の交流会のテーマは、
「残暑を乗り切る夏果菜とふくしまのスタミナ」。
会津特産の馬肉をメインにして、
野菜ではキュウリ、トマト、ナス、
そして東日本一番の生産量を誇るアスパラガス、
桃や梨などの果物も料理に使われた。

「素材を手助けするようにして料理したい。
野菜の味はできるだけそのまま生かして、
その味わいを支えるという感覚で料理しています」
とは第一回目の交流会で料理を披露したWANOBAの黒木シェフ。

WANOBAの人気料理は、
イタリア料理をベースにした炭火焼きや鋳鉄鍋を使って、
素材の味わいを引き出す野菜主体の料理。
滋養に溢れる会津の馬肉と、
福島の夏の名残り野菜と旬のフルーツとがWANOBAで出会う。

まずは自ら触れることで「何かが変わる」

震災以降、原発の影響が常につきまとう福島。
何度も検査を重ねた結果に出荷された作物の数値を目にして、
頭では納得できても、なかなか不安は消え去らないという人は確かに多い。
が、それは当然なのかもしれない。
その一方で実際に食材が生産される現場へ赴き、
厳しい現実と闘いながらも食材を育て続ける生産者と言葉を交わした人たちは、
自分の中で「何かが変わった」ことに気づく。

本当の「安心」は、人を介して伝わっていくもの。
また生身の人間にふれ、話し合わなければ得られないものなのかもしれない。
なかなか福島へ行けないけれど「本当の福島」に触れることはできる。
まずは「ふくしま応援シェフ」の店で、
「何かが変わる」という体験を味わってみてほしい。

information

「ふくしま食の魅力創出
〜Pro スタイリングで料理もっと楽しく〜」
第2回「10月 〜大地の恵み ふくしまの地鶏とシャモ~」

◎開催店舗
10月10日(木)13:00~15:00
「かさね」(柏田幸二郎シェフ)
住所 東京都港区赤坂3-18-10 サンエム赤坂ビル2F
TEL 03-3589-0505
http://kasanetokyoakasaka.com/

10月14 日(月) 15:00~17:00
「コムフォー 大崎シンクパーク店」(小林武一郎シェフ)
住所 東京都品川区大崎2-1-1 ThinkPark 1F
TEL 03-3779-0564
http://www.compho.jp/

10月15日(火) 15:00~17:00
「ホテル&レジデンス六本木」(菱沼欣也シェフ )
住所 東京都港区西麻布1-11-6
TEL 03-5771-2472 
http://hr-roppongi.jp/restaurant/

◎参加費
1500円(1名)
※お帰りの際に、参加者全員にBears Bear fukushimaふくしまを抱くクマ「しまくま」をプレゼント

◎お申し込み方法
「ふくしま応援シェフ」のホームページで申込書をダウンロード、必要事項を記入のうえ、FAX またはメールにて申し込み。 
http://fukushima-ouen-chef.jp/

◎お問い合わせ
(有)会津食のルネッサンス 福島県県産品消費者理解促進事業事務局
住所 福島県会津若松市中島町2-52
TEL 0120-91-0617 (10:00~18:00 ※土日祝日休 )
FAX 0242-93-9368
E-MAIL order@a-foods.jp
http://www.a-foods.jp/

profile


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HISAYA KUROKI
黒木久弥

兵庫県生まれ。学生時代からスノーボードの選手として活躍。プロを目指すが23歳で料理の道へ。イタリア料理店等で修業を重ねる。2011年◯月より恵比寿「WANOBA」へ。今年9月4日に「ベジタブルハウスWANOBA」としてリニューアル。恵比寿から100km圏内で栽培された野菜を使った料理が評判に。

[VEGETABLE HOUSE WANOBA]
住所 東京都渋谷区恵比寿3-1-1
TEL 03-5424-0610
営業時間 月・水~金 18:00~26:00
土・日・祝 17:00~26:00
定休日 火曜日

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KATSUNOSUKE HONDA
本田勝之助

福島県会津若松市生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。会津食のルネッサンス代表取締役。ヒルサイドコネクション代表取締役。地域を経営するという視点で、会津地方や福島県内を中心に食やモノづくりのプロデュース、ならびに伝統産業のコンサルティングやリノベーション事業を展開している。福島復興のキーパーソン。

神奈川・三崎港に登場! もしかしたら流行るかもしれない 「 マグロの頭輪投げ」屋台

お祭りのアトラクションといえばいろいろありますが、
いままで「マグロの頭を使った輪投げ」は見たことがありませんでした!
これは、2013年9月28日(土)と29日(日)の二日間に渡り、
神奈川県三浦市の三崎港で行われた
イベント「三崎いしいしんじ祭」に登場した、インパクト大のアトラクション。

標的は新鮮なマグロの頭。
300円で輪っかを3つ投げられます。
頭に輪っかが入ると、干物などがもらえるのです。
入らなくても、残念賞の昆布をお持ち帰りできます。

このマグロ輪投げを作ったのは、
地元のお魚やさん「三崎まるいち魚店」の3代目、松本英(すぐる)さん。
いしいしんじ祭に遊びに来た参加者のみなさんに
楽しんでいただこうと考案されました。
かつてまるいちの名物店員だった「のんちゃん」に担当をお願いして、
思いがけず盛況だったそうです。

そもそも三崎いしいしんじ祭とは、作家のいしいしんじさんが三崎への
あふれる愛と感謝の気持ちを表すために企画し、
地元のお祭り 「三崎開港祭」の開催中に行われたイベント。
2001年から10年間三崎に暮らし、現在は京都に引っ越されたいしいさんが、
三崎に感謝の気持ちを表したいということで、
仲間たちと手づくりで開催されました。

ハイブリッドな商店街を目指して! 香川・観音寺で コラボ店舗を出したい方、大募集

香川県の瀬戸内海沿いのまち、観音寺市。
この観音寺にて、いま「観音寺でお店を出したい方、大募集」
キャンペーンが行われています。

じつは観音寺のまちには、特徴的なお店があるんです。
一見一つの店舗のようですが、よく見ると2つ以上の業種が共存してるんです。
下着屋さんの中にケーキ屋さんが、クリーニング屋さんの中に餃子屋さんが、
着物屋の中でパン教室や、仏壇屋の中でビリヤードバーまで!

こんな風に、ハイブリッドなお店が増えると、
店主やお客さん同士で、これまでになかった
コミュニケーションが生まれます。

そんな観音寺が、いまこの商店街のお店に間借りして
出店したい方を募集中。

いろいろな繋がりが生まれるほか、
既に運営しているお店の間借りになるので、
開業資金が最低限で済むというメリットもあります。
最初は短期間で様子を見て、徐々にスペースや時間帯を増やしていくのだそう。
応募の詳細は、下記にて。

観音寺でお店を出したい方、大募集

三陸の海の女たちが作る 復興ミサンガ、ほんとにあります。 浜のミサンガ「環」

岩手県を舞台にした、朝の連続ドラマ「あまちゃん」。
最終回まであと2週間あまり、舞台が北三陸に戻って
なんだか見ているほうまで故郷に帰ってきたような
気持ちになりました。

さて、今日ご紹介するのは、
「あまちゃん」にも登場する、北の海の女たちが作るミサンガ。
このミサンガ、ほんとにあるんです。
その名も、"浜のミサンガ「環」"。

震災後、漁業の仕事がなくなって途方にくれた
働き者の女性たちに仕事を生み出すために始まった、
三陸の漁網でオリジナルのミサンガを編む
「三陸に仕事を!プロジェクト」の一環です。
手先が器用な人は網のミサンガを、初心者だからは細いミサンガを、
という風にワイワイ作っておられるのだそうです。

ミサンガの販売代金は1セット1,100円。
そのうち、材料費や販売経費、諸経費を除いた、
1セットあたり約500円以上(現状)が浜の女性たちに支払われます。

全国のふるさとショップで販売されているほか、
Web通販も行っておられます。

浜のミサンガ「環」

御所浦アイランドツーリズム

昔ながらの伝馬舟が、海の道を行く。

海上タクシーというなんだか贅沢な響きがする交通機関に乗って、
熊本県天草市の本渡港から御所浦島に向かう。
漁船を改造したような雰囲気で、
船内はエアコンが効いていて思いのほか涼しい。
しかし外に出て海風を感じたいのが、観光客の気分だろう。
その日の宿を〈はくお丸〉の船長(タクシードライバー)に伝えると、
着いた場所は港ではなく、なんと宿の目の前。
何もない草むらにぴったりと接岸し、降ろしてくれた。
満ち潮の時間帯だからできたことだという。
しかもそれを見越したかのように出迎えてくれたのは
御所浦でジオツーリズムのガイドやアイランドツーリズム、
各種イベントなどを手がけている野原大介さん。
島らしく真っ黒に焼けた肌に白い歯が映える笑顔で迎えてくれた。

島に渡る交通手段から早速、旅情をくすぐる御所浦島は、
本土から橋がかかっていないので、
島に渡るにはフェリーや海上タクシーなど、必ず船に乗らなくてはならない。

海へせり出したナダラ(網洗い場)は、子どもたちの格好の飛び込みスポット!

御所浦島はかつては港が整備されておらず、
大型の運搬船などが接岸することができなかった。
そのときは少し沖合で停泊し、
そこから陸地までをつなぐ輸送用のはしけ船として
伝馬舟(てんません)※注1が活躍していた。
伝馬舟とは、櫓で漕ぐ小さな木造の舟。
昭和40年頃までは、運搬以外にも簡単な漁や、
集落間の移動など、島民の一般的な足として使われていたが、
港の整備が進み、船の性能が上がっていくにつれて、その姿を消してしまった。

伝馬舟が木造であることがよくわかる。

失われていく伝馬舟をそのままにしてはいけないと復活させたのが、
御所浦アイランドツーリズム推進協議会。
「子どものころは普通に乗っていましたし、
自分の子どもを伝馬舟に乗せて釣りなどに出かけていました」
と話してくれたのは、伝馬舟復活の仕掛け人である三宅啓雅さん。
今でも橋が渡されていない御所浦にとって
“舟で渡る”という行為は、残しておくべき貴重な文化だろう。

野原大介さん(左)と三宅啓雅さん(右)。

野原さんは、2004年の〈ざぶざぶ 海の道〉という
伝馬舟のイベントのお手伝いで初めて御所浦を訪れた。
かつては島内の移動も、隣の島へも、
数キロだったら伝馬舟が活用されていたという。
それは島だけが持つ独自の経路。その“海の道”を辿るイベントだ。
御所浦は不知火海という内海に浮かび、しかも入り江が多く、
海なのにほとんど波がない凪状態。
だから伝馬舟のような小さな舟でも、子どもの力でも進むことができたのだ。
静かな海と森に、動力のない小舟がゆっくりと進む姿は落ち着く光景だ。

現在、個人所有として島に残されていた3艘を譲ってもらい、
5年前に新たに作られた2艘を加えて、5艘の伝馬舟がある。
パッと見は、公園の池などにあるボートのようだが、
前方がぽってりとして横幅があるのが特徴で、
安定感があり荷物の運搬などに向いている。しかし、櫓が1本しかない。
船体の後方に飛び出ている金具に、櫓にあるくぼみを上から乗せるだけ。
固定はされていない。

実際に漕いでみると、真っすぐゆっくり進むことは割とすぐにマスターできた。
しかしちょっとスピードを上げようと力を入れてみたり、
方向転換をしようとすると、
無駄な力が入ってすぐに櫓が金具から外れてしまう。

息を合わせてエンヤコラ。腰の入った力強い漕ぎ手です。

このように、櫓は小さな金具に乗っているだけ。ここを外さないようになると上達への道が開ける。

「現在50代後半のひとたちは、
復活した伝馬舟をすぐに操ることができましたよ。
“30年ぶりに漕いだ”なんていいながらも、体が覚えているんですね。
子どもも吸収が早いから、すぐに体で覚えます。
なかなか漕げないのは、30代40代ですね」と苦笑するのは30代の野原さん。

「50代のひとたちは今でも伝馬舟を漕ぐことができるので、
子どもたちにすぐにでも教えることができます。
伝馬舟というものが、櫓こぎとともに、かつての島文化を
世代を越えて伝えるコミュニケーションツールになるんです。
そういった関わりから、
地域の中で伝馬舟に新たな価値が生まれることを目指しています」

野原さんや三宅さんが目指しているものは、外からお客さんがたくさん来て、
それで地域が潤うといういわゆる観光が目的ではない。

「地域で物語を共有していかないと、
“地元のために何かをしよう”という思い入れを持つことのできない、
のっぺりした地域になってしまうと思います」

伝馬舟に乗っている最中、友だちを発見。このまま上陸し、友だちと遊びに行ってしまった……。まさに伝馬舟が普段の足となった瞬間!

また、野原さんは〈御所浦.net〉というウェブサイトも運営している。
これも「観光情報サイトではありません」という。
「御所浦を出たひとが見て、楽しめるものにしたい。自分の生まれたまちが、
こんなところだよと友だちや周囲に伝える手段にもなってくれると思います」

東京や沖縄など、いろいろなところで地域活性の活動をしてきた野原さんだが、
次第に御所浦にいる時間が長くなってくる。
無論、御所浦で伝馬舟にかける思いは、地域での目線なのだ。

島の生活をまるごと感じ取れる民泊。

御所浦アイランドツーリズム推進協議会の活動としては、
〈民泊〉も、面白い取り組みのひとつ。
多くは修学旅行のプログラムで、御所浦の民家に5、6人ずつ学生が宿泊する。
御所浦にはこの民泊受け入れの民家が20軒ほどあり、
それぞれは観光業に従事しているわけではないごく普通の民家。
だから、宿泊中にどんな体験をして、どんな食事が出るのか、
各家庭によってさまざまだ。その内容を強要することもしない。
魚釣りに行ったり、磯遊びをしたり、時季の野菜を収穫したり。
島だけあって、食事は海産物が多い。一緒に料理をすることもある。
魚を捌いたことがない都会の子も多いので、大騒ぎだ。
それでも受け入れ側は、普段のまま接してくれる。
方言丸出しで、気兼ねはしないが、温かく迎えてくれる。

「親戚の子が遊びにきたような感覚で、
家族同然に接している」と民泊の様子について話す野原さん。
いつも通りだから新たな経費がかかることもないし、
島のリズムにお客さんが溶け込んでいくのだ。

なんと化石がとれることでも有名な御所浦。子どもたちもハンマー片手に夢中になって化石探し。気分は考古学者だ。

すると不意にプテロトリゴニア プスチュローサの化石をゲット!

野原さんは、御所浦で活動している目的として
「魚をおいしく食べ続けるため」という冗談みたいなことをいうが、
野原さん独特の言い回しであり、目は真剣だ。
これには地域づくりに対しての、野原さんのひとつの哲学が込められている。

「いわゆる地域づくりとして今流行っている方法をそのままやれば、
なんとなくいいことをやったよねと評価されるかもしれませんが、
それで意味があるでしょうか?
僕が勝手に決めたいいまちの姿は、
このまちのひとにとっていいまちではないかもしれない。
だから、少なくとも僕を含めて御所浦の人が
おいしく魚を食べ続けることができる地域の関係というのは、
どういうものなのか考える。そこからスタートすべきだと思うのです」

地域づくりには答えなんてない。
まずは“魚がおいしい”という
多くのひとと共有できそうな日常的な価値観で合わせていく。
これはよそ者であることを強く認識しているからこそ。

「先のことはわからないから、この地に骨を埋めるとは言いたくない」
というが、“そんな無責任なことは軽々にいえない”という思いを感じた。
ただし「これから先、ずっと御所浦を応援していく」ということは宣言した。
御所浦のためには、東京で活動していたほうがいいという場合だってあるだろう。

かつてはちょっと遊びに行くにも、伝馬舟が使われていた。
そこには島のひとには見える海の道があった。
伝馬舟、民泊、漁業などをつなぐ御所浦の道を見据え、
野原さんは櫓こぎのペースで進む。それが御所浦のリズムに合っている。

注1:御所浦アイランドツーリズム推進協議会では、伝馬舟を「てんません」と読ませていますが、「舟」は常用では「せん」と読みません。しかし小舟のイメージから「舟」という漢字を充てています。

information

御所浦アイランドツーリズム推進協議会

住所 熊本県天草市御所浦町牧島219-2
電話 0969-67-1080

profile

DAISUKE NOHARA
野原大介

1980年生まれ。千葉県出身。2013年8月現在、熊本県天草市御所浦町に在住。 数か月から1年程度のスパンで、首都圏と天草市御所浦町や沖縄県沖縄市などにそのつどその地にある仕事を請けながら暮らす。請け負う仕事はデザインやワークショップ、イベント、事務局などその時々で異なる。御所浦町では、御所浦アイランドツーリズム推進協議会で民泊事業の受け入れやイベントのサポートから、デザイン業務、伝馬舟(てんません)インストラクターなどを行う。ここ数年は御所浦町を中心に活動している。
御所浦.net:http://www.goshoura.net" target=

マチスタの赤星さんも登場! 千葉県松戸の「MAD City」が 3周年イベント開催

千葉県・松戸市で生まれた、クリエイターやアーティストなどによる
まちづくりのプロジェクト「MAD City(マッドシティ)」。
クリエイティブを通して創造的なコミュニティづくりを進め、
松戸をより魅力あるエリアに変えていくことを目的としています。

そんなマッドシティが、今年誕生から3年を迎え、
拠点も移転して新MAD City Galleryに代替わりしました。
これにちなみ、9月7日(土)に
3周年を記念した1日限りのイベント「ワンデーMAD City」が開催されます!
「今のMAD City」を多くの方々に体感してもらえる1日になるそうです。

以前行われた、商店街150メートルの路上を開放して行われる食文化とアートの祭典「高砂通り酔いどれ祭り」でのひとこま。

この3年の間で、MAD Cityエリアに拠点を移したアーティストや
クリエイターたちは約100人もいらっしゃるんです。
イベントでは、彼らによる企画がMAD Cityのあちこちで行われるほか、
新MAD City Galleryのお披露目、さらに松戸駅前に根付く独特の住民やお店など、
松戸駅前で丸一日楽しめることでしょう。

そしてなんと、コロカルの人気連載「マチスタ・ラプソディー
でお馴染みの、赤星豊さんがトークショーに対談出演されます!
対談のお相手はMAD Cityを運営する「まちづクリエイティブ」の赤星友香さん。
特に親戚などではないそうですが、以前もマチスタの赤星さんがイベントに出て、
「赤星繋がりでまた呼んでください」と言ったことを発端に今回実現しました。

ちなみにコロカルでは、10月以降にMAD Cityの連載がスタート予定。
こちらもお楽しみに!

ワンデーMAD City