OHYA UNDERGROUND 大谷石採石場跡地のプロジェクト

大谷石がつくりだした、神秘的な景観

栃木県宇都宮市の北西部・大谷(おおや)地域は、
古くから大谷石の産地として知られる。
大谷石は柔らかく加工しやすいのが特長で、
外壁や石蔵もしくは蔵の建材として使われてきた。
ちなみに、フランク・ロイド・ライトが1922年に設計した、
あの帝国ホテルにも大谷石は使用されているのだそう。
しかし、いまは、建築材料としての需要は減少し、
昭和30年代には、100社以上あったという事業者は数える程度になってしまった。

事業者は減っても、自然の産物である大谷石が無くなったわけではない。
かつて採掘されていた山も、当時の切り出されたままの風景が残り、
ほとんどは、空き地同然の状態になってしまっている。
稼働していない採掘場は250以上あり、広さもかなり広範囲に渡っている。
広いところで、2万平米以上あるところもあるから驚きだ。

大谷石の採掘跡地。

そんな、採掘場跡地の風景を改めて見ると、とても面白い。
ギリシアや中東の遺跡を彷彿させる迫力がある。
さらに、興味深いことは、地上にある採掘場の地下には、
同じ広さか、それ以上に掘られた地下空間が広がっているということ。
そこには雨水が溜まり、「地底湖」とも呼べるほどの、
深さも広さもある、水場が複数存在するのだという。

そんな採掘場跡地の話を聞き、
地底湖にカヤックやボートを浮かべて探検できたら……
広大な敷地に広がる地上の採掘場跡地も見学できたら……
きっと面白い! と、考えたメンバーがいる。それが、こちらの4人だ。

左から、坂内剛至さん、松本 謙さん、塩田大成さん、増渕隆宏さん。

このアイデアの主、塩田大成さんは、普段は宇都宮市内で空間プロデュースを手がける。
(塩田さんはコロカルで「リノベのススメ」を連載中)
地底湖で動かすカヤックやラフティングボートのアドバイザーとして参加するのは、
鬼怒川でカヤックツアーを行っている坂内剛至さんと、増渕隆宏さん。
そして、このアウトドア体験を観光事業として発展させようと、農業と食など
地域活性事業に携わる、ファーマーズ・フォレストの代表・松本 謙さんだ。

とは言え、どんな体験を提供できるのかはまだまだ模索段階だという彼ら。
事業化に向けて、モニターツアーを開催するというので、編集部も参加してきた。

地底湖がある採掘場跡の入り口。左手奥は、コンサートや演劇でも使えそうな舞台のような空間が広がっていた。

宇都宮ICから車で5分ほどのところにある、道の駅「ろまんちっく村」から、
バスに揺られること10分ほど。
訪れた採掘場跡は、いくつかあるうちの、ほんの一角だという。
まずは、地底湖でカヤックに乗ったり、ラフティング用のボートに乗ったりと、
地下空間を体験する。

雑草が生い茂った草原を抜けると、突然大谷石が切り出された空間が現れた。
「ジュラシックパークみたい」と参加者から歓声があがるほど、
採掘場は廃山してまだ30年にも関わらず、ジャングルのような雰囲気が漂う。
大きく切り出された横穴を進むと、奥からひんやりした空気が流れてきた。
「地下の気温は、5〜8℃。寒いんですよ(笑)。でも、
年中この温度に保てるので保冷庫として活用され始めています」
と塩田さんが教えてくれた。

増渕さんと坂内さんからボートやカヤックの乗り方をレクチャーしてもらい、
いざ地底湖へ。

採掘場のなか。奥から、ボート乗り場を見る。

今回の地下空間は、奥行き100〜200メートルとそれほど奥行きは広くはないが、
水深は30メートル以上あるらしい。
乗り口を灯す明かりがあるだけで、奥に進めば進むほど真っ暗。
目が暗闇に慣れてくると、
天井にある水滴がわずかな光に照らされ、とてもキレイだった。

地底湖でのカヤック体験中。水温は、5〜6℃だそう。

参加者はカヤックとラフティングボートを両方体験。
数名で一緒に乗り込むラフティングボートは、奥に進むと岩穴に上陸できる。
探検しているような、ワクワク感に駆り立てられながら、
120センチ角くらいの、にじり口のような穴をくぐると、
高さ2メートルほどの、周囲が石に囲まれた空間に出た。地面は砂でおおわれている。
さらに奥に進むと、地上から注がれる光が目に入ってきた。

暗闇に差し込む外の光は、どこか幻想的な雰囲気に包まれる。

採掘の方法には、横穴と縦穴があり、外の光が縦穴と呼ばれる穴から坑道に注がれる。
真っ暗闇のなかで見る太陽の光は、どこか神秘的な雰囲気だ。
ときおり、狭いトンネルのような小さな坑道を通ると、
まるで、考古学者にでもなったかのような気分。
採掘場は、こんなふうに横穴と縦穴が入り組んでいるのだという。

外から見た採掘場跡。遺跡のようにも見える。

1時間ほど暗闇の地底湖を楽しんだ後は、
この採掘場の持ち主のお宅の庭にお邪魔させてもらい、昼食をとった。
明治に開山したというこちらの採掘場。
昔は職人さんが夜通しで採掘することもあったくらい忙しかったのだと、
採掘場の持ち主の方が教えてくれた。
庭には、大谷石でつくられている蔵が建っていた。

午後は、また別の採掘場跡へ。
大きく切り出された大谷石がそのまま、外に積み上げられているのだという。

縦横約1.8メートル、高さ1メートルほどの大きさの大谷石が、ブロックのようにたくさん積み上げられている。

行ってみると、まるで、スーパーマリオのゲームの舞台のように、
大きな大谷石のブロックが無造作に積み上げられている。
参加者はブロックからブロックへと飛び移っていくが、
1ブロックを登るだけでもひと苦労。
巨大ジャングルジムとも言えるスケールに、驚きと楽しさがある。
一番高いところまで登り、見渡す風景は壮快だ。
参加者は、登ったり座ったり、思い思いの時間を楽しんでいた。

これが、あのブロックを切り出したという大きな機械。高さ15〜20メートル以上はありそうだった。

このワクワク感をたくさんの人に知ってもらうために。

実は、採掘場跡が産業遺産として残るこの大谷地域は、
宇都宮のなかでも、時間が止まってしまったような地域なのだという。
もちろん、住人も年々減っている。
「この土地を何とか生かせないだろうか」
地元の方からそう相談を受けた4人は、
「大谷石の採掘場跡があるこの地域そのものが価値を持つ」
ということをコンセプトに、「LLPチイキカチ計画」という会社をおこした。

坂内さん。

「最初、“地底湖”というフレーズを聞いただけで、
冒険心をかなりくすぐられましたよ。塩田さんから誘われて、
“すぐに、見に行きます!”って答えていましたね(笑)」
と坂内さん。実際にみんなで見にいくと、
廃墟のような、遺跡のような他にはない、大谷石の佇まいに圧倒された。
そして、通えば通うほど、その魅力にひかれるが、
ひとつケアしなければならないことがあった。
採掘場はもともと石を切り出していた工事現場のような場所。
危険と隣り合わせのところがまだまだ多く残っていたのだ。

松本さん。

もちろん、25年間にわたり行政による調査により、安全性の評価はでているが、
「事業化するとなれば、安全面を一番に考えなくてはならない。
アドベンチャーな面を残しつつも、どう安全を確保するかなんですよね」
と松本さんが話すように、安全面、土地の持ち主など、課題は山積みだった。
魅了されつつも自分たちもその価値に半信半疑。
しかし、モニターツアーを体験した参加者からは、
行く場所行く場所で歓声があがり、飛び交うアイデアはいくつも出てくる。
「音の反響が面白いから、ライブをすると面白いんじゃないか」
「野外演劇も面白い」
「景観を楽しむために、見晴らしのいいカフェを開いても」
「もっと広い地底湖探検を安全に行うには」
数回のモニターツアーを通して、
この風景に魅力を再認識した4人は、半年以上かけて安全面、エンターテイメント性など、
地元の方々と共に、実現可能なプランを練ってきた。

そして、このプロジェクトは「OHYA UNDERGROUND」として、
初夏になったら、本格的に始動する。
近くにカフェがオープンしたり、アウトドアツアーとして
体験コースも初級や上級など、いくつか設置することを考えているという。

誰も触れてこなかった、まちの遺産だけれど、そこには、大谷石の職人たちの軌跡が今も残り、
大谷地域の土地の記憶を物語っている。
その壮大な景観は、新しい価値へと再生され始めた。
今後もOHYA UNDERGROUNDプロジェクトに目が離せない。

福島で10代続く糀屋と、
ソーセージの匠が共演。
そこに生まれたものは?

糀屋は、お米に花を咲かせるのが仕事です

「糀和田屋」の三瓶正人さんは、
福島県の中央部、本宮市で240年続く老舗の10代目。
糀(こうじ)は「麹」とも書き、豆麹、麦麹なども存在するが、
和田屋の糀は米糀。
創業以来、地元の米農家とともに歩んできた。

「地元の農家さんからお米を預かって、精米したり、
糀に加工して戻す。それが始まりでした」

20〜30代。若手の糀。

糀屋が花を咲かせた糀を使い、農家が家々で味噌を仕込む。
そんな風に昔ながらの味噌を仕込む農家は、
本宮周辺で500軒を数えている。
以前は自宅でもろみを作り、醤油を仕込む農家も多かったそうだ。

震災が起こる直前、2011年のはじめに塩麹のブームが起きようとしていた。
「塩と糀と水を混ぜたものに、野菜を漬け込む。
そんな習慣は、福島にもありました。それを漬け床ではなく、
調味料として料理に使う新たなニーズが生まれるに違いない。
商品化して4月に全国的に発売しようと準備していた矢先、
震災が起きたのです」

工場や機械が大きく損傷。
「塩こうじ」を発売できたのは、2011年7月のことだった。

発売当初は、原発事故の影響のない前年産のお米を使っていたので、
販売は順調だったが、23年産米は原発事故の影響を真正面から受けた。
ずっと付き合ってきた農家に頭を下げ、
やむなく山形県や新潟県産米で「塩こうじ」を作ることに決めたが、
福島で作り続けることを非難する声も少なくなかったという。

「正直、心が折れそうになることもありました。
そんな時は、お客様の『がんばってください』
という声に、本当に救われましたね」

平成24年産米から、お米の全量全袋検査がスタート。
安全性を確認し、再び福島県産米を使用するようになった。

「糀はどれも同じように見えますが、
実は蔵元によってクセがあり、それが味に反映されます。
機械で大量に作ることもできますが「塩こうじ」の場合は、
『一升盛』といって、一升ずつ升で計って、手作業で作っています。
うちの職人は20〜30代がほどんど。今では46歳の私が一番年長です」

お米と糀菌を操る糀職人は、日本にしかない職業。
全国的に高齢化が進む中、
これだけ若手が揃っている糀屋は少ない。

世界中のソーセージを手作りする、異色のレストラン

1月22日に、福島県主催の「県産品消費者理解促進交流会」が開催されたのは、
東京・恵比寿の「ソーセージスタイル流行-hayari-」。

シェフの村上武士さんは、福島県いわき市の小名浜出身。
子どもの頃はメヒカリやカツオなど、新鮮な魚を食べて育った。
役者を目ざして劇団を渡り歩いていたが、料理の世界に転身。
ヨーロッパはもとより、アジア、アフリカ諸国の多彩なソーセージに加え、
独自に考案したオリジナルソーセージを繰り出す、
おそらく世界初の「ソーセージレストラン」を開業した。
2009年のことだ。

故郷の苦労を知りながら、
東日本大震災直後は食材の正確な情報が掴めないまま、
料理人として「何かしたくても、できない」という思いを抱えていた村上さん。
しかし、検査結果が明らかになるに従って、
福島県には安全性の確認できた食材が豊富にあることを知る。
「こんなにたくさんの食材があったことを、改めて知りました」
「ふくしま応援シェフ」として名乗りを上げた。

この日のテーマは「正月の食べ過ぎ解消」。
福島の食材を駆使した4つの料理が登場した。

福島ハーブ鶏のレバーソーセージ

鶏のレバーを使ったソーセージは、村上シェフの定番。
今回は「福島ハーブ鶏」のレバーを使った。
オレガノやシナモンなどのハーブ類を飼料に混ぜて育てられた「ハーブ鶏」。
そのレバーを、ポルト酒やアルマニャックなど、
洋酒に漬け込んで臭みを落ち着かせ、
スパイスと合わせてフードプロセッサーにかける。
それをさらに3回裏濾し……という具合に、
手の込んだプロセスを経て、なめらかな食感に仕上げた。

「臭みがなくてすばらしい。
レーズンを使ったソースとの相性も抜群」
これは会場で参加者から聞いた声だ。

雪下野菜と発酵生姜のサラダ

通常は雪が降る前に収穫する野菜を、
積雪後にも畑で栽培し続ける雪下野菜。
寒さから身を守るため糖度を上げてがんばる。
1m近くの雪の中から掘り出さなければならないので、
「収穫」というより「発掘」に近い作業になる。

そんな雪下野菜のキャベツとニンジンの細切りと、
アスパラ菜、干しエビ、豆類を合わせて、
村上シェフはサラダに仕立てた。

ミャンマーの「アトゥ」と呼ばれる料理をアレンジしたものだ。
ポイントは発酵生姜。

発酵生姜は、ミャンマーではメジャーな調味料で、
身体を芯から温め、代謝をよくする効果もある。
糀屋の三瓶さんも「細切りで乾燥しているのに、強い香りがする」と、
異国の「発酵もの」に興味津々の様子。

会津地鶏とミャンマーの伝統麺

「オンノカウスエ」も、ミャンマーの代表的な麺料理。
ヒヨコマメの粉末をココナツミルクで溶いたスープで味わう。

素麺のような小麦粉の細麺を使うことが多いのだが、
今回は福島県いわき市の「たふぃあ」が作る米粉の「稲穂めん」を使用。
「小麦の麺よりもあっさりした味わいなので、
よりスープが絡むよう、いつもより粘度を上げてみました」と話す村上シェフ。
「会津地鶏」を2羽使ってとったというスープは、味わいが至って濃厚。
会津の芽吹き野菜、あさつきも添えられていた。

10代続く糀屋とシェフの競演

村上シェフのソーセージと、三瓶さんの「塩こうじ」。
このふたつが出会うのはホットドッグだ。
「会津天然酵母パンに包まれたエゴマ豚のブラートヴルストを、
塩こうじのザワークラウトとともに味わうホットドック」という、
とても長い名前の料理で両者が競演。

「できる限り無添加で。化学的な結着剤や発色剤は使わない」
そんなポリシーでソーセージを作り続けてきた村上シェフが、
ソーセージに使ったのは「エゴマ豚」。
福島県の特産品で、
α-リノレン酸を豊富に含む「えごま」の実を飼料に混ぜて育てるこの豚の、
ブロック肉をミンチする作業から取り組んで、
ドイツの古典的なソーセージ、ブラートヴルストを作った。

「肉料理に塩こうじを使うのは確かにブーム。
でも、家庭で作るのは難しいので、野菜を漬け込んでザワークラウトにしました。
糀和田屋さんの塩こうじは優しい。野菜がきっと華やかになる」

塩こうじのほか、ディルシードやローリエ、穀物酢でキャベツを揉み込むだけ。
冷蔵庫で3時間ほど寝かせると食べごろになる。
作り置きすれば、お新香感覚で楽しめるそうだ。

会津の女子大生に人気。天然酵母のパン屋さん

今回のホットドックに使用されたパンを焼いた、
会津若松市の「ホームベーカリーコビヤマ」の小桧山和馬さん(30歳)にもお話を伺った。

お店は会津大学短期大学部の目の前。
女子大生に愛される町のパン屋さんで、
毎日80〜90種のパンを焼いている。

「いずれ天然酵母のブームは必ず来る。それなら会津で一番先に取り入れよう」と、
和馬さんのお母さまが真っ先に天然酵母を取り入れたそうだ。

今回使用された、天然酵母のソフトフランスは「皮はパリッ、中はふわっ」
「フランスパン用の小麦粉に、塩と水、
そして砂糖を少しだけ加えた生地を、天然酵母で発酵させたシンプルなパンです」
ここにも「発酵の技」が生きている。
村上シェフは、そんな小桧山さんのパンに可能性を見いだした様子。
「ソーセージやザワークラウトとの相性が、とてもいい。これからも使っていきたい」
交流会がきっかけで、新たな定番が登場しそうだ。

日本酒ベースの発泡酒やハチミツ入りのお酒も登場

料理に合わせて福島県の日本酒も登場した。
「鶏レバーに合うと思ったから発泡酒がほしかった」と村上シェフ。
そこで選ばれたのは、会津若松市の「末廣酒造」の「姫ごこち しゅわりん」。

その名の通り微発泡。
たしかにさわやかな飲み口の「しゅわりん」と、ソーセージの相性は抜群。
同じ蔵元の「伝承山廃純米 末廣」もまた、好評だった。

もう一点セレクトされたのは、「ミード酒」と呼ばれるはちみつのお酒。
会津で採取された栃のハチミツを、
1か月ほど発酵させた後に濾過したもので、アルコールは11度。
採蜜を会津若松市「ハニー松本」が、醸造を喜多方市の「峰の雪酒造場」が手がける、
会津生まれの珍しいお酒だ。

こうした新しいスタイルのお酒が続々と生まれる背景には、
たしかな醸造技術を持ち、意欲的に商品開発に取り組む、県内の蔵元の存在がある。
「平成24酒造年度全国新酒鑑評会」では、
福島県から37の蔵元が37点の日本酒を出品。
うち26点が金賞を受賞。
金賞受賞数全国1位の快挙を成し遂げている。

「福島の食材を使ったお料理だから、同じ土地で生まれた日本酒が、
すごく合いますね。マリアージュがすばらしい」と話すのは、
フードアナリストとしても活躍している、参加者の佐保田香織さん。

糀和田屋の「塩こうじ」も日本酒も、元を正せばお米が原料の「発酵もの」。
スタイルが洋食に変わっても、
味わう人の中で互いに響き合うのは、当然なのかもしれない。

SNS、ブログ、イベントなど、応援のカタチもさまざま

この日の参加者は25名。大部分が女性で、
中には個人のブログやSNSを通して、
福島の食に関する情報を、積極的に自己発信している人も少なくなかった。

ブロガーとして活躍する山本峰子さんも、そのひとり。
「ネット上で、コミュニティを作り、その中で東北の情報を発信しています。
東北のきれいな風景や、おいしいものの情報を発信。
それを見た仲間にも、どんどん写真や情報をUPしていただいて、
みんなを東北に行きたい気持ちにさせよう。会津にもよく行っていますよ!」

一方、村上シェフも、
「私自身も震災直後は『福島は終わった』と絶望的になっていました。
だけど、いろいろ勉強するうちに、全県を上げて検査に取り組んでいるのがわかったし、
応援シェフになることで、今まで知らなかった食材にも、出会えました」

もうすぐ震災から3年。
東京では、レストランやネット上で出会った仲間たちが、
福島の魅力を知り、伝え合う。
そんな人たちが、確実に増えている。
「自分の思いを発信しやすく、誰かとつながりやすい時代です。
信頼できるシェフや共感できる友だちから正確な情報を得てください」

本宮の糀屋さん、いわきの米粉麺屋さん、
会津の雪下野菜の生産者やパン屋さん、そして日本酒の蔵元たち…。
福島の生産者や職人の力を借りて、
「ソーセージの匠」は、会場にたくさんの笑顔の花を咲かせていた。

◎「塩こうじのザワークラウト」のレシピ◎

【材料(4人前)】
キャベツ 1/4個(250g)
糀和田屋の塩こうじ 50g
ディルシード(またはキャラウェイシード) 1g
ローリエ 1/2枚
酢 30g

【作り方】
① キャベツ1/4をざく切りにして洗う。
② ビニール袋に1のキャベツと酢以外の材料をすべて入れて、よくもむ。
③ 全体にしんなりしたら、口を閉じて冷蔵庫で4時間〜ひと晩寝かせる。
④ 袋に酢を加え、全体になじませたら完成。

お問い合わせ

事務局 会津食のルネッサンス

住所 福島県会津若松市中島町2-52
TEL 0120-91-0617 (10:00~18:00 ※土日祝日休)
FAX 0242-93-9368
E-MAIL order@a-foods.jp
http://www.a-foods.jp/

Information

ソーセージスタイル流行-hayari- 

住所 東京都渋谷区恵比寿3-48-5 グランデ恵比寿2F
TEL 03-5422-8467
営業時間 18時〜23時(月〜金L.O.)、18時〜22時30分(土日祝)
定休日 不定休
http://www.hayari-sausage.com/

㈲糀和田屋

住所 福島県本宮市本宮字上町22
TEL 0243-34-2140
http://www.koujiwadaya.co.jp/

ホームベーカリーコビヤマ

住所 福島県会津若松市山見町307
TEL 0242-22-1898
営業時間 7時〜19時
定休日 日・祝

山ノ家 vol.5: カフェオープンへ向けて、工事開始

山ノ家 vol.5
現場にて、さまざまな立場を抱えながら向き合う

せっかくの「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ」開催の2012年の夏に、
なんとかこの山ノ家のオープンを間に合わせたかった。
今は7月半ば。工事スケジュールを考えても、
7月末の会期オープンにはさすがに間に合わないことはもうわかっていた。
なんとかスムーズに良いかたちで進める方法はないだろうか……。
すべての完成を待つと、9月までかかってしまいかねなかった。
ならば、工程を2段階に分けよう、と思いついた。
つまり、カフェを先にオープンさせて、
残りのドミトリーに関わる部分などはその後に手をかけよう。

カフェ部分は、工事範囲としては限定しやすい。
1階の土間部分の仕上げと家具、それと厨房とトイレが完成すれば何とかなる。
まず、全体に関わる解体だけはすべて最初にやってしまう、
照明やエアコン、水まわりなどの電気・設備工事は
関連する部分から流動的に手を入れてもらうこともできる。
なんとかこの方法で、工務店さんとも交渉して理解を得て、
準備を進めようという話ができた。
そしてようやく、待っていた融資のほうもOKの返事が来た(vol4参照)。
これでやっと前に進める……!

7月の19日に解体工事が決まり、そこからカフェオープンへの段取りを整理。
アキオくんや、運営立ち上げチームにも具体的なスケジュールを伝えた。
お盆前にはオープンしたいから、8月10日を目標にしようということになった。
まずは、ここに向かって動き始めた。

本当は「コツコツと、できるだけ自分たちだけでセルフリノベーションできればいいなあ」
という想いはあった。
そこにあるものをうまく工夫しながら活かし、新しいあり方に変えてゆくのが
リノベーションの醍醐味といっていいだろう。
フタを開けてみないとわからないことも少なくないが、だからこその発見もある。
そのためにはゆっくりと向きあう時間が少しでも多ければ、いろんな可能性が広がる。
しかし、さまざまな事情もあって、大地の芸術祭が始まるまでの時間は
もう目前まで迫っている。悠長に構えてはいられない。
もともとが降って湧いたようなこの案件。
もちろん運営のための事業計画もたてていたが、
正直、未知の場所で万全の確信が持てる訳でもなかった。
3年に1度の芸術祭でとてもたくさんの人が訪れるこの時期の勢いを借りなければ
計画は言葉どおり絵に描いた餅となってしまうかもしれず、
そうなったら立ち上がりはもちろんのこと、
その先のことはとても想像できるものではなかった。
最初のステップがあった上で、それを通して
ようやく地元の方との接点などがつくっていけるのではないかと考えていた。

というわけでこの芸術祭の会期中に、
少しでも早くオープンさせるために急ぐ必要があった。

設計者としての、この地にあるべき空間イメージのプランとその実現化への調整、
事業者として立ち上げに必要なことの優先順位、先々続けていくために必要な判断、
そして自分も現場作業に入り込み、地元の方や運営スタッフ、インターンらとともに
体験としての場づくりからつくりあげていきたいという想い、
さまざまな立場が重なる部分と相反する部分を併せ持っている。
同じ人格として整理しきれないさまざまな側面をたくさん抱えつつも、
そこに少しでも向き合う時間をつくりたくて
冬のときよりも長く十日町に滞在するつもりでのりこんだ。
外装も手伝ってくれたアキオくんも、同時期に現場入り。気合いが入っている。

スズキアキオくんとともに、gift_の元スタッフだったイクタくんがかけつけてくれた。

同じタイミングで運営立ち上げチームの池田そしてメグミさん、ミナコさんも現地入りして、
これから来るインターンスタッフのための環境整備など、準備をしてくれていた。
それぞれ、出入りは多少あるものの、
この山ノ家の立ち上げが一段落するまではこの地にしばらく滞在するつもりで来ている。
さながら、集団移民という感じだった。

そして、解体工事が始まった。
解体をする範囲はあらかじめ想定してあった。
2階のドミトリーにする部屋の壁・天井、
大掛かりなのは、1階の厨房を中心とした水回り部分の壁、そして床。

和室の床を全てはずすと、以前にいろりとして使用していたような跡が。ここはキッチンとして土間にしたかったのでこれは撤去してしまった。

左側はカフェの厨房への導線をつくるために壊している壁。裏はちょうど、和室の押し入れだったところ。

2階の壁も、構造を残してほぼ全て撤去した。
実際に壊してみるとその量は結構なもの。
これから、この分の壁をまた仕上げなければならないことを思うと、
ちょっと考えさせられた。
「ここまで壊さなければ、工期も金額も圧縮できるのではないか」
という考えがよぎらなかった訳でもないが、ここは設計の立場として譲りたくなかった。

2Fのドミトリーになる部分。砂壁の仕上げはひととおり撤去した。

壊してみてわかったのは、部材の大きさと筋交い(斜めにいれる構造)の多さ、
そしてドミトリー予定の部屋の天井から出てきた梁の立派さ。
おそらく豪雪に耐える故の構造だろう。
築40年程度の木造にしてはずいぶんとしっかりしているようだった。
この立派な梁を見たら、当初は計画していなかった、
屋根裏に隠れていた構造が見えるような天井に変更したくなった。
こういう部分は、設計以上に現場での気づきや直感を大切にしたかった。
おかげで大工さんに「そんな計画変更されたら、やれなくなるよ!」
と気分を害されたりもしたのだが……。

天井をはずすアキオくん。今まで見えなかった部分があらわになってくる。

古民家でもない築年数だが、とてもダイナミックな梁がでてきた。

猛暑のなか、現場をとりまくさまざまな人たちと

工事が始まり、山ノ家の現場とその近辺にはさまざまな人が集まってきて、出入りしていた。

解体に続き、掃除、断熱材の仕込み、石膏ボード貼り、養生、パテ埋め、塗装など、
僕らがやらねばならない工程は結構なボリュームだ。
もちろん、それは、自分で選択した道なのだが。
インターンの方たちが週代わりに入り込んで工程を手伝ってくれ、
現場の良い潤滑油的な存在としても活躍してくれた。
おかげで心身ともに彼ら、彼女らに本当に助けられた。

とても楽ではないだろう作業でも、皆にとってはとても新鮮だというようで、生き生きとこなしてくれた。

そこに、河村くんがある人から託された、とてもインパクトのある人が加わってきた。
トーゴ出身、フランス国籍のジュン君。
フランスの大学を卒業し、観光で日本に滞在しながら帰国のリミットギリギリまで
いろいろ体験したいと言う彼の思いから、
ボランティアワークで約1か月来れるということだった。
初めて会う彼に一瞬身構えてしまったのだが、思ったよりも上手に日本語を話すと、
一気に親しみのあるキャラクターに見えてきたから不思議だ。
大工的な作業自体は初めてではなかったようだ。
しかし、さすがに日本人的な細やかな感じではなく、
なかなかのラフさとマイペースさで作業を進めるので
こちらも目が離せず大変なところもあったが、数少ない男手のインターンとして大活躍した。
そう、なぜかインターンで志願してくれる人は圧倒的に女子が多かったのだ。

真ん中がジュン君。日本のマンガやアニメが大好きで、日本語も独学で覚えたそうだ。現場ではアキオくん(左)と東京からの助っ人大工さん(右)が主に指導してくれて、彼の面倒を見てくれた。

断熱材を壁に仕込む。まんべんなく仕込む。このおかげで効率の良い、現在の快適さがある。

そして、石膏ボードを張る。結構重たくて体力を奪われるが、これでだいぶ空間らしくなってくる。

パテ埋めも自分たちで行い、そして一番楽しい壁の塗装仕上げ。

そしてもちろん、工務店さん手配の方々も現場に日々通っている。
まずは大工さん。外装のときには3人入っていたが、
夏はどこも現場が忙しく、入れるのはひとりくらいだろう、と現場監督さん。
冬のときとは違う繁忙シーズンのなか、現場監督さんもあちこち飛び回っていて、
僕らが大工さんに直接指示出しをせざるを得ない機会が増えた。
そんな中、僕が要望することで難しい顔をされたりしたこともあった。
普段のこだわりと違う少しラフなやり方が困惑させたようだ。
しかし、僕らが大切にしたいと思っている考えや、
これからこの場所をどうしていきたいかなど丁寧に伝えていくうちに、
こちらの意図している加減を了解してくれるようになっていた。
さらに仕上げやおさまりのアドバイスをしてくれるようになったときは本当に嬉しかった。

これからこの地で、自分たちの活動を地元の方々に理解してもらえるように話すことの
背中が自然と押されたような気がした。

それから電気屋さん、設備屋さん、建具屋さん、塗装屋さん、左官屋さん、
担当でないのに近所だからということもあって気をかけてくれ、ちょくちょく顔を出して
何度も一緒になって体を動かしてくれた工務店の頭領さんには
その後もご近所さんとしていろいろと世話になっている。

しかしながら、大工さんが行わなければならない工程は実はひとりでは足りていなかった。
いつもお世話になっている東京の大工さんにもヘルプをお願いしたところ、
なんとかスケジュールを調整して来てくれた。これはとても心強かった。
先の、地元の大工さんとの間を取り持ってくれたりしながら、現場の士気を高めてくれた。

まつだいの夏は、湿気は少ないのだがしっかり暑く、
かろうじて扇風機のみの現場は日差しと熱気に押しつぶされそうになるくらいだった。

工事現場チームの傍らで、
カフェの運営準備チームはメニューや食材、そしてオペレーションなどの整理や、
まかないご飯などもつくってくれた。そして、工事現場のチームのために
休憩時のスポーツドリンクをつくってくれた
(真夏の工事。飲みものはすごい勢いでなくなっていくのだ)。

休憩のとき、現場を切り盛りするさまざまな人たちと一緒に過ごし、
たわいもない話をすることで自然と一体感が生まれる。
これがとても感慨深いひとときだった。

このひとときに、関わるさまざまな人たちがテーブルを囲んでいた。

そしてさらに、まだこの地にやってきた人たちがいたのだ。

内装工事に先駆けて、実はオープニングイベントを想定して
何人かの音のアーティストに1週間滞在してもらい、
この土地のさまざまな音をレコーディング。
それらを音源に取り込んだライブをやろうという計画を同時進行させていた。

山ノ家の展開のひとつとして、アーティストインレジデンス
(ある土地などにアーティストを招聘して、滞在製作をしてもらうためのしくみ)
という機能も当初から考えていた。
恵比寿のgift_labで行っていたようないろいろなアーティストとの交流を、
ここで違ったかたちで花開かせることができたらと妄想し、楽しみにしていた計画のひとつだ。

しかもそのひとりはなんと、海外から来てくれるアーティスト。
ちょうどこの時期に合わせて、まつだい入りしてもらうように調整のやり取りをしていた。
しかし、着工が最初の見当よりおしてしまったせいで、
そのイベントの日程がカフェのオープン日よりも前になってしまう事態になっていた。
彼らには工程が当初の予定通りになっていないことを伝えつつ、
(前向きに)完成前の山ノ家でイベントを決行したいということを説明した。
もちろん、延期も中止も考えられない状況ではあったのだが。

実際まつだいに到着した彼らは、とてもこの土地のことを楽しんでくれた。
ただ、日本の猛暑はイギリスからの来客たちにとって、とても辛かったようだった。

イギリスから来てくれたjezさんと、このプロジェクトに共感し、同じく滞在してくれたsawakoさん。共に素敵なサウンドアーティスト。深夜や、早朝にもレコーディングに繰り出していたようだ。

そして完成前にイベントを行うということは、
工事の手も止めてもらわなければならないということでもあり、
厳しいスケジュールのなかでのこの工程調整にも気を使いながらの準備となった。

彼らが約1週間滞在したのち、イベントの当日を迎えた。
滞在はできなかったがこの日に駆けつけてくれたふたりのアーティストも合流していた。
楽しみにしていたこの日。初めての土地でのイベント開催で、
何処からどのように人が来てくれるのか見当がつかなかったが、
既に告知を聞きつけて新潟市内から来てくれたお客さんがいたり、
地元で知り合った方が来てくれたりしたことは、驚くと同時に嬉しかった。
帰省をからめて東京から来てくれた人だったり、
知り合いが駆けつけてくれたりという感じで、人数こそそこまで多くはなかったが、
この顔ぶれは、これからのこの場を予感させるのには充分なものだった。
カフェ運営立ち上げチームによるケータリングも、イベントに花を添えていた。

このイベントでは1週間滞在したJez riley Frenchさん, sawakoさんに加え、笹島裕樹さん, asunaさんの合計4組が出演してくれた。

空調設備が間に合わず、暑い状況でのライブ。
まつだいで録音されたヒグラシの涼しげな音や、
近所にある水琴窟の音、夜の蛙の声などに音楽が重なったり、
50台の電子キーボードが和音を奏でたり。
夏休みのストップモーションのようなひととき。
無謀な計画ではあったが、これがここでの場としての始まりの一端をつくりだしていた。

カフェオープンまで残り数日、あともうひと息。

つづく。

「うだつの上がった街」で 手作り市!四国の旨いものや 雑貨が集う徳島県三好市 「うだつマルシェ」

今週22日(土)に行われる徳島県三好市池田町の手作り市「うだつマルシェ」。
昭和の面影を残すレトロな町で徳島をはじめ、四国各地から集まった
約90店の作り手たちがおいしいものや、すてきな雑貨を直接販売します。

おばあちゃんたちの手作りしたお蕎麦やだんご、
各地の農園がこだわった野菜やくだもの、
大人気の新鮮なひものや、お菓子、雑貨などを販売。

また、池田町に古くから伝わる「たばこ踊り」や
色々な打楽器を使って音楽を奏でるワークショップなんかもあります。

地元の人が変装して街を賑やかに練り歩く、名物「うだつちんどん」。飛び入り参加も歓迎です!

第10回目になるこちらのイベント、関西や中国地方からも人が訪れるほど人気だそう。
また、今回は四国四県と地元三好市、合わせて39酒蔵が参加する
「四国酒まつり」も同時開催。
四国中のお酒が堪能できる「地酒試飲会」や、
普段なかなか見られない酒蔵の見学も楽しめます。

ちなみに「うだつ」とは、
日本家屋の屋根に取り付けられた防火壁こと。
もともとは隣の家から火事が燃え移るのを防ぐためつくられましたが
装飾的な意味あいが強くなり、立派なうだつは裕福な家の象徴となりました。

そんなうだつが残る古い町並みで、四国の美味しいものを食べたり飲んだり、
活気ある作り手たちやスタッフたちと触れ合えるこのイベント。
最近パッとしないな(うだつが上がらない)という方も
きっとパワーがわいてくるはず。ぜひ遊びにいってみてください!

うだつマルシェ

うだつマルシェFacebook

新潟・まつだいの「山ノ家」で たっぷり雪国体験ツアー 「かまくら茶もっこの宴」

新潟県十日町市松代の地に構える、山ノ家カフェ&ドミトリー
冬は深い雪が積もる松代に、ほんのり春の足音が聞こえるのは3月ごろ。
それにちなんだ3月15〜16日に、地元有志が主催するイベント
「かまくら茶もっこの夕べと雪遊び」が開催されます。

このイベントは昨年も開催され、たいへん好評となった
「かまくら茶もっこの夕べ」の最新版。
地元の方の快い協力のもとで開催されているのが素晴らしいところ。
山ノ家のある旧街道、ほくほく通り界隈の民家で
自慢の地酒や郷土料理などを自由にハシゴして歩くのが、楽しみのひとつなんです。

「行きたいけど遠いから……」とおっしゃる方のために、
今回は、地元有志の「茶もっこウォーク事務局」が東京発着のバスツアーを企画。
宿泊は山ノ家もしくは古民家の宿「みらい」。
その他、十日町まつだいを体感できるスポットを廻って
地元の人らによるガイドで楽しむツアーとなっています。

ツアーの日程をちょっとご紹介すると、30人も入る大かまくらを体験できます! 
ほかにも越後妻有「大地の芸術祭」の拠点「農舞台」と隣接の郷土資料館の見学や、
歴史ある旅館を再生した「ベンクスハウス」を拠点に玄米甘酒づくり体験、
かまくらづくり体験、芝峠温泉「雲海」にて雪見露天風呂、
そして積もった雪の上を仙人のように歩く「凍み渡り体験」も!

遊び疲れたら、夜は自慢の地酒や郷土料理を堪能して、疲れを癒してください。
お値段は、往復バス料金、雪国文化体験、一泊4食付きで
18,000円。お申込みの締め切りは3月7日(金)となっています。
お申込みは下記事務局まで!

茶もっこウォーク事務局

TEL:025-595-6770(10:00〜18:00)

メール:info@yama-no-ie.jp

Web:山ノ家

MAD City vol.5: オーナーも住人も自らリノベ。 進化し続ける「ロッコーハイツ」

MAD City vol.5
オーナーのDIYから、昭和のハイツが生まれ変わる

築年数が古く、最上階だけれどエレベーターも無い。
僻地的な立地にあり、中は未リフォームというマンション。
一般的にはかなり厳しい条件の不動産ですが、
そんな物件もオーナーさんのバイタリティで生まれ変わらせることができる。

それを教えてくれたのが「ロッコーハイツ」です。

出会いはちょうど1年前。弊社スタッフ庄子渉からの紹介がきっかけでした。
「昔のバイト仲間が、
お父さんが持つ不動産について相談があるらしいんだよね」
そう言われて出会った「ロッコーハイツ」のオーナーのトシくんは、
元ダンサーで現在は家業の農園を手伝いながら
イベントオーガナイザーやDJとしても活動しているイイ感じのお兄さん。

トシくん。不思議と何かをやってくれそうな雰囲気をもっています。

トシくんは南房総に住んでいたけど、
つい最近、お父さんが営む梨農園を手伝いに松戸に戻ってきて、
今はロッコーハイツの管理人をしているとのこと。
トシくんの相談はロッコーハイツを改装可能な物件として
貸し出しできないかというものでした。

ロッコーハイツは昭和40年代に建てられた5階建てのエレベーター無しの
マンション、というよりもハイツ。
一応2路線利用が可能ですが、最寄り駅は東武野田線の六実駅か、
新京成線の元山駅といういずれもローカル線。
どちらの駅までも歩くと15分〜20分くらいで、
松戸駅からは車で20〜30分程度かかる場所にあります。

さらに、空き室が目立つ5階は、和室のみに旧式の風呂釜という
昭和の設備と内装のまま。
現代のライフスタイルに合うべく、リフォームしなくてはいけないけど、
そんなに大胆にかける費用は無い。
かと言って前から住んでいる人も居る手前、そんなに簡単に賃料も下げられない。
そうこうしているうちに空き室は増えるばかり。

そんな手詰まり感がある物件は残念ながら地方に散見していますが、
正直に言えば、ロッコーハイツもそのひとつで、
ご多分にもれず5階はすべて空室でした。
満室にするのは、もちろん簡単ではない。
ですが、不思議となんとかなりそうな気がしていました。
それは何よりもトシくんの存在。
トシくんはもともと「シラハマアパートメント」という、
南房総で多くの若者を惹きつける場所に滞在していました。

シラハマアパートメントの一室。

シラハマアパートメントはもともと企業の社員寮として使われていた、
築40年以上経っている建物をオーナー自らが改装して、
カフェやレンタルルームとして運営している場所。
トシくんはここに住んだことでリノベーションというものを知り、その時から
「親父が持っている古い物件で似たようなことできないかなあ」
と考え始めたそうです。

地元に戻ることが決まったトシくんは、
すぐにロッコーハイツの管理人になりました。
そして、最も状態の良くない部屋を自らリノベすることに。
「まだ未完成だから完成したら見に来てね」
最初の出会いの日にそう言われてから2か月後、
トシくんのリノベがある程度できたというので、ロッコーハイツを訪れました。

「壁は壊して白く塗ればいい」

シラハマアパートメントで習ったという、
シンプルなコンセプトに基づき、素人だけで開始されたリノベーション。
その結果、もともとちょっと怖い感じの和室だった部屋が、

トシくんや友人の手によって徐々に生まれ変わり

こんなにキレイになりました。

改装のお手伝いをしたことがあるとはいえ、
ここまでのリノベーションはトシくんも初めて。
「スマホを片手にググりながらやり方を調べたよ〜」
失敗してもその都度やり直しながら
約3か月をかけて部屋を完成させていきました。
こちらのお部屋は、現在はトシくんが使う管理人室ですが、
ゆくゆくはみんなのシェアスペースとして運営していくそうです。

初めてロッコーハイツを訪れた時にすっかりくつろぐ、僕と庄子。

さあ、ようやくこれで住人を募集ができる。本番はここからです。

募集にあたって僕らも考えました。
この物件のどこが一番の魅力なんだろう。
大胆に改装できる自由度も、もちろん魅力ですが、
考えた末に出た答えは何よりもトシくんの存在。
隣人に面白くてしかもリノベについていろいろ教えてくれそうな人がいるなら、
なんか安心だし楽しそう。

「共感してくれる人がきっといるはずだ」と思い、
募集を開始しましたが、問い合わせは芳しくない状態が約2か月続きました。

「まあ3年計画でいこう」
そう言ってくれていたトシくんも、だんだん、いてもたってもいられなくなり、なんと2番目に状態の悪い部屋のリノベーションに乗り出します。
その様子はトシくんがつくったロッコーハイツのホームページや、
Facebookページでもどんどん発信されていきました。
それでも問い合わせは増えない。

そんな状態に、光が差します。

MAD City不動産をTVで取材してもらうことになり、
その際に魅力的な物件としてロッコーハイツが紹介されることになったのです。
するとさっそく反響が。

TVを見て、見学に来てくれた松本さんという女性は、
海外では一般的に見られる部屋のDIYにずっと興味があったけど
日本では諦めていたそう。
ですが、ロッコーハイツからの景観、リノベの自由度、
そして隣にリノベ経験者のトシくんがいるという安心感が決め手になり、
ロッコーハイツの最初に入居者になってくれました。

人が入り始めると連鎖するのは不動産の不思議なところ。

松本さんの入居が決まった直後に、
工業高校で建築を学んでいた同級生同士の加藤くんと飯名くん、
続いてWEBデザイナーさんが入居し部屋は満室になりました。
そして、それぞれ自分のペースでリノベーションを始めていきます。

例えば、松本さんは週末に徹底したリノベ。
松本さんのリノベーションはもはやDIYのレベルを超えていて、
床はネダを組むところからやり直してフローリングに変更。

玄関は1枚1枚丁寧にタイル張り。

「何かあった時に周りに頼れる人がいるのは安心ですね」
その言葉通り、松本さんの友人はじめ、トシくん、
ロッコーハイツの入居者のみなさん、そしてMAD Cityで出会った人からも
一部協力を得ながら1年計画で現在もリノベ進行中です。

もう1組、高校で建築を学んでいた加藤くんと飯名くんはなんとも大胆な改装。
「とにかく自由にいじれるところに惹かれました」
というふたりは、一旦部屋をスケルトンに解体。
そして、エントランスの床は剥がしたままコンクリートむき出しにし、
バーカウンター風に。

室内は、ラウンジ風にアレンジ。

実は改装中、階下の方から騒音で注意されていたというふたり。
しかしいつのまにか、作業する度に挨拶に行くことで、
むしろ仲良くなっていき、今では部屋の見学にも来てくれるそう。
ふたりが改装中の部屋は友人たちにとっても居心地が良いみたいで、
今やこのあたりで、最も若者が集まる場所のひとつになっています。

既にロッコーハイツで生活を始めたふたりは、
少しずつ生活環境にも馴染み始めていて、
飯名くんはトシくんの友人が経営する地元のカフェでバイトも始めるなど、
地域コミュニティに溶け込み始めています。

ゆるやかに少しずつ進化をしているロッコーハイツですが、
トシくんは現状をどう思っているのでしょうか?
「最初は自分が部屋をつくるのに必死だったね〜」
というトシくんですが、自らの改装が終わり入居者が入ってくると
一抹の不安もあったそうです。

「何もないエリアだし、改装の自由度と、
その楽しさで人に来てもらうしかないと思って人を募集してきたけど、
いざ入居が始まると、部屋がどうなるかわからないし、心配もあったよね」
しかし、実際に入居者の方とコミュニケーションをとり、
時間を過ごしていくうちにお互いに信頼関係が生まれてきて、
「今は、本当に感謝の気持ちでいっぱいだよ」
と言うトシくん。今後についてもこう話します。

「住んでくれた人の意見によって変化し続けるアパートにしたい。
例えば、今5階の玄関の扉を塗り替えようと思っているんだけど、
何色がいいかは入居者のみなさんと相談しています」
改めてロッコーハイツ全体の構想を考え、
ゴミ置き場を整理したり、照明をやわらかい色のものに替えたり、
共有ルームをカフェテラスにできないか検討しているそうです。

ゴミ置き場への張り紙もちょっぴりおしゃれに。

実は、窓から一面に見渡せる景色が気持ちよくて、
近所には桜並木もあります。
松戸の僻地にあったはずの物件は、
都会に近いローカルとして魅力的と言ってもらえるようになり、
いつの間にかMAD City不動産にも
「ロッコーハイツのような場所はありませんか」
と問い合わせをいただくようにもなりました。

「窓を開けると本当に気持ちいい風が吹くし夜景もキレイなんだよね」とトシくん。

「今は空き部屋がなくてなんだか申し訳ないよ」
そう言うトシくんは現在改装中のお部屋もすぐに募集ができるよう、
ピッチをあげてリノベーションをしています。
管理人がきっかけとなり、それに共鳴するように
それぞれの入居者のみなさんが適度に助け合いながら、
少しずつ進化を続けているロッコーハイツ。
半年後、1年後、そしてその後も。
焦らずゆっくりと化学変化が起き続けるロッコーハイツを
MAD Cityは陰ながら見守っていきます。

information


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MAD City(株式会社まちづクリエイティブ)

住所 千葉県松戸市本町6-8
電話 047-710-5861
http://madcity.jp/

徳島の産業で何ができるのか? 食や文化の魅力を体験した クリエイター達による プレゼン会開催!

現地の企業や産業と、クリエーターをつなげるプロジェクト「B-e-e-e TOUR」。
2013年秋には徳島県を舞台に「食」と「周辺文化」をテーマにしたツアーを開催。
様々な分野で活躍するクリエイターたちが旅をし、
徳島に住む人々や産業の魅力を発掘しました。

そして今回、そのツアーに参加した各クリエーターが
徳島の食材や文化の魅力、地元の人々との出会いから生まれた
ビジネスプランの発表をするイベントが開催されます。

B-e-e-e TOUR参加メンバーは、かつて徳島の子どもたちのほとんどが持っていたという遊山箱(ゆさんばこ)をワークショップで製作

最終日のイベントでは農村舞台で見られる人形浄瑠璃の舞台が再現され、徳島に息づく芸能文化を肌で感じてきました

プロジェクト代表の栗栖良依さんによって語られるイベントの経緯、
トラベルライターの朝比奈千鶴さんとフードデザイナーの横田美宝子さんによる
徳島の食と文化についてのトークショー、そして各クリエイターによるプレゼン。

参加クリエーターはグラフィックデザイナー、プロダクトデザイナー、
コスチュームデザイナー、自由大学教授、レストランオーナーなどと幅広く、
まだまだ知らない徳島の魅力や可能性がたくさん発見できそうです。
また、会場では徳島食材を使ったオリジナルスイーツがいただけるそうですよ!

川辺で箸をつつきながら食べる“たらいうどん”で徳島の食文化も体感

竹ちくわづくりの体験を通し、クリエリターたちは独自のポリシーをもつ食品企業とのコラボレーションを模索します

新しい事業の始まり方の参考にするもよし、
会場にいるクリエーターや徳島の生産者と触れ合うもよし、
旅先としての徳島を知るもよし。ぜひ参加してみてください!

日時:2014年2月14日 19:00〜21:00(18:30受付開始)

※このイベントは3月に延期になりました。

会場:イトーキ東京イノベーションセンター「SYNQA」

定員:70人

参加費:1,000円(お茶・お菓子付)

お申し込み締切日:2014年2月13日

お申し込みは下記ページより。

クリエイターと創造する地域産業の未来「徳島県の食文化」編

ビルススタジオ vol.5: 倉庫をDIY、はたらく場所をつくる

ビルススタジオ vol.5
食・クリエイティブなど、多業種が集まる場に

「はたらく場所をつくろう」
自営の仲間との雑談中、あるときそんな話になりました。

宇都宮には、食べる場所、飲む場所、遊ぶ場所はそこそこあるし
居心地のよい気のきいた場所づくりがなされている。
住む場所の選択肢も増えてきてるし、その質も上がってきている。
しかし、はたらく場所がまだまだ足りない。
これはおかしいんじゃないか。
だって、ほとんどの時間をはたらいて過ごしているはずなのに
はたらく場所についてはおろそかになっている。
はたらくことは、国民の三大義務のひとつだと定められている。
義務的にはたらくのに環境うんぬんなんておこがましい、
ということなんでしょうか。

近年は、労働条件もだいぶフレキシブルになったし、
覚悟さえあれば自由に起業できる時代でもある。
多種多様な仕事も業務内容も成立する大都市圏では
とっくにはたらく場所に気をつかっているし、
より便利で快適なオフィス空間を求めている起業家たちは多い。

一方、地方都市・宇都宮で不動産業も営む私のところへは
ここ数年、オフィスを探しているお客さんは、ひとりも(!)来ていません。
こりゃまずい。営業所の撤退は別にいいとして、
新規の起業さえ起こってないんじゃないか。
という心配はありましたが、
実はデータ上では宇都宮市内の起業数はむしろ増えているらしい。
ホントか? という疑いは残るものの、
ではなぜオフィスを探している人が全くいないのか。
まわりの人を見回してみました。すると答えは簡単。
皆、自宅兼オフィス(俗に言うSOHO)で仕事をしているんです。
確かに、家賃が安くて広めのところに住めるこの栃木県。
別個にオフィスを借りるよりは安上がりでしかも落ち着いて仕事もできますしね。

しかし、個人事業者同士が集まれるワークスペースがあれば、
よりよい仕事が生まれるのではないか。
自宅でこもって仕事をしていたのではせっかくの起業もムダに終わってしまう。
仕事は、情報とその交換からいつもいろいろなアイデアが生まれている気がする。
多業種の情報を自然と共有できる「はたらく場所」の存在が
それらの起業を成長させ、
いずれはそれぞれの面白いオフィス空間が生まれていくのではないか。

ということで、早速物件を探すとJR宇都宮駅近くにこのこの空き倉庫がありました。

倉庫物件外観。町工場のような佇まいにも惹かれました。

非常にミニマルな佇まいですが、中は3フロアもあります。
ということは、
1フロアをフリーアードレスのデスクスペースにして、
もう1フロアをミーティングスペースにできるな。
じゃ、残りは?
そうだ、はたらく場所にはカフェがほしい。
飲食店もオーナーにとってはひとつのはたらく場所。
独立したい店主の卵が腕を試せる場所にしてしまおう。
そんな想いに共感した3社にて恊働し、
プロジェクトがスタートすることになりました。
3社それぞれの担当は、こんな感じ。
運営:マチヅクリ・ラボラトリー 村瀬正尊
飲食監修:日光珈琲・饗茶庵 風間教司
施設監修:株式会社ビルススタジオ 塩田大成

施設名はSOCO(ソーコー)。
SOHOでなく、SOCO。もちろん、ダジャレです……。

DIY前の3階。この、トラスの梁がかっこいい。倉庫ならではのリフトもありました。

それくらいゆるい決めごとだけで賃貸契約を結び、工事を始めました。
電気設備工事など、必要なところはプロに依頼しつつ、
基本はもちろんDIY。
猛暑のさなか、サウナのような室内で壁を塗り、
棚やワークテーブルを皆でつくり、最後はBBQをして帰る。
さらに、使う家具類を探してヤフオク巡り……。
そんな日々を過ごしました。

SOCO+ビルススタジオスタッフと仲間たちによる猛暑の中のペイント作業。クラクラしてきます……。

そして3か月後。
1階にテストキッチンスタジオ、2階と3階がコワーキングスペースとなった、
SOCO」がオープンしました。
オープニングには渋谷co-baの中村真広さん、
上田市ハナラボの井上拓磨さんという同業先輩方に来ていただき、
トークイベントを行い、花を添えてもらいました。

そして日常へ。
まず、キッチンスタジオ。入居期間は半年〜最長1年とし、
その間にメニューや経営の腕を試し、次のステップへの準備を行います。
第一弾入居者は関西や県内のカフェにて腕を振るった「HAPPY FIELD CAFÉ」が入り、
重ね煮のハンバーグなどの人気メニューが生まれたり、
クセの強いワインをお客さんへ勧めてみたりと、ファンが通うお店となりました。
2014年3月からは次の入居者が決まり、イタリアンベースのお店がスタートします。

1階のカフェの様子。

続いて、2階と3階のコワーキングスペース。
月契約かスポット利用の会員制にしました。
月契約者は現在まだまだですが、
スポット利用会員は100名弱とまずまず。
利用者は現在IT、WEB制作系の方が多く、スポット利用だと建築・住宅系の方がいたり。
利用者さんに話を聞いてみました。

コワーキング一角での打合せ風景。左;OPEN for上野翔平さん、中:OPEN for 五十嵐潤也さん。

経営コンサルティング、ウェブサイト制作を手がける、
株式会社OPEN forの代表・五十嵐潤也さん。

「独立にあたり安価なオフィスを探していたんです。
値段だけでは入居に耐える物件がいくつかあったものの、
場所や居心地、何よりコワーキングという可能性に惹かれ、利用しています。
良い所は他の入居者に気軽に意見を聞けることです。
検索すればすぐわかるような他愛もない知識から、デザインに対する意見だったり。
どうしても1社だけで考え込んでしまうとわからなくなってしまったり、
できることも限られている上に、人脈にも限界があったり。
自分の席で“こんな職種の人いないかなぁ〜”ってつぶやいたら、
隣のテーブルから“いるよ〜。紹介する?”って声掛けてくれたこともありました。

カフェが1階にあるのもいいです。
仕事のあと軽く飲めるし、音楽が聞こえてくるのもいい。
オーナーとも異業種だけど同志として仕事の話を軽く相談できる。
また、打ち合わせに来てもらいやすい、という効果もありますね。
あとはもっと入居者が増えれば間違いなくお互いのメリットも増えると思います。
デメリットは、吹抜けを通して良い匂いがしてくるので、お腹がすいてしまうことかな(笑)」

五十嵐さんたちはここで「Cafe Hakken」というカフェ検索アプリを開発しました。
開発の際、1階カフェのオーナーに意見を聞いたり、
デザイナーでもあるSOCOスタッフに依頼をしたり。
制作チームは男性4名。しかしユーザーは女性が多いはず。
その時に他入居者の女性の意見を気軽に聞ける環境も幸いしたとのことです。

アフェリエイト制作の合同会社cocuuの柿沼さんと松原さんふたりはいつもこの角の席。

その他に、入居者さん同士や外の人との交流を図るため、さまざまな企画が行われています。

>「PechaKucha Night Utsunomiya」
「PechaKucha Night」とは、2003年より六本木のSuper Deluxeで始まり、
今では世界400余りの都市で行われている、1人20枚のスライドを20秒ずつ、
合計400秒でプレゼンテーションするというシンプルなルールで行われるイベントです。
これからの栃木を創造してゆく人たちと出会い、繋がる機会をここで設けました。

「PechaKucha Night Utsunomiya」の様子。

>「Green drinks Utunomiya」
「Green drinks」とは東京やニューヨーク、中国からボツワナまで
世界の800都市以上で開催されているグリーンやエコをテーマにした飲み会のことです。
栃木県、宇都宮市をもっと知り、そしてつくり出すための飲み会をここで開催しています。

ここまでは起業家としても
「そうだよね、ネットワークが広がり、仕事に繋がる出会いの機会になりそうだよね」
というイベントだとは思います。
しかしそれだけにあらず。
ここではマルシェまで、開催してしまっています。

>SOCO MALL
コワーキングスペースを会場にマルシェを開く。
なんなんだそれは。
いや、これも栃木で新しいはたらき方を探す方々を応援するための機会です。
デスクワーク系だけではなく、
例えば、自分の手仕事やサービスでビジネスを考えている人が出店します。
服飾、雑貨、お菓子はもちろん、ネイル、はたまた不動産……。
さまざまなジャンルのはたらく人たちがここに集まります。
ちなみに、次回は3回目の開催。
3月16日(日)11:00〜16:00にSOCOが開放されます。

このように試行錯誤しながらも
ひとつの思いつきと空き倉庫が出会い、いろいろなことが動いています。
たとえ今はこの地域にはたらく場所の需要が少なかったとしても、
空いている物件に僕らの想いをのせて整備し、
ひとつの目に見える場所をつくりだす。
つくってしまったら、あとは覚悟を決めてやるしかない。
「ここはまだまだこれから」
そう思い込んで仕掛けを継続していきます。

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ビルススタジオ

住所 栃木県宇都宮市西2-2-24
電話 028-636-5136

NO ARCHITECTS vol.4: 昔から流れる 日常のリズムに合わせて

NO ARCHITECTS vol.4
まちも建物も最大限に生かすスペースに。

今回は、元たばこ屋さんだった木造家屋をリノベーションした、
「モトタバコヤ」という名前のスペースの紹介です。
場所は、このはなのど真ん中にあります。

大阪市此花区の梅香・四貫島エリアを舞台に、
地元の不動産会社と協働して、まちの再活性化プロジェクトを展開している、
「此花アーツファーム」の事務局として、2011年の9月オープンしました。

オープン時の告知のためのチラシです。デザイナーの後藤哲也さんにアドバイスいただきながらデザインしました。背景の写真は、表面が建物の外壁、裏面が内壁になっています。

1階には、2部屋あり、入り口を入った土間部分は、小さなカフェと、
地域で活動している作家などのシェアショップ、
奥にある和室は、イベントや寄合いのためのスペースです。
2階と隣の長屋「千鳥荘」は、このはなのまちの雰囲気を味わってもらう、
「お試し暮らし」の営業を始めました。

カフェの内観。近所に住む小学生が学校帰りに宿題をしに来たりします。

僕らが手を入れる前、2008年頃よりモトタバコヤという名前で、
お試し暮らしやアーティストの宿舎、寄合い・ミーティング、アトリエ、
まちなかイベント「見っけ!このはな」の受付などとして
活用され、愛されていた物件です。
「もっと日常的にまちに開放した場所にしたい」との依頼を受けて、
リニューアルオープンに向けて、プロジェクトが始まりました。

現場初日。ハンマーで壁を壊す大川さん。

施工は、毎度おなじみPOSの大川さんです。
モトタバコヤの運営自体も大川さんがすることになっていたので、
どういう場所にすべきかなど、使い方やプログラムから一緒に考えながら、
プランニングを進めていきました。

改装前の奥の和室です。おばあちゃんの家に来たようで、とても居心地が良いです(写真提供:此花アーツファーム)。

1階奥の和室は、雰囲気がとても素敵だったので、畳をきれいにしたり、
壁を塗りなおしたり、天井を手入れしたりと、
簡単なリフォームを施した程度です。
もともとあった朱色の大きなちゃぶ台もそのまま使っています。
生活の痕跡が色濃く残る台所も残したかったのですが、
カフェの機能を考え、大改造することになりました。
トイレも、収納をつぶして拡張し、和式から洋式に変えました。
収納の戸は、そのまま使っています。

入り口を入った土間部分は、道路に面している壁を、
柱を残してすべて解体しました。まちに対して開放的にするためと、
もともとのスペースが狭すぎたのでちょっとでも広くみせようと、
ガラス面をできるだけ多くとりました。
家具も必要最低限の範囲で、仮設のような作り方でデザイン。
使い方や機能を限定してしまうような余計なことは、
極力しないようにしています。

棚やカウンターなどの家具は、シェアショップの各店長と話し合いながら仕様を決めていきました。

現場に毎日通うと見えてくること

土間の工事をしていると、いろんな人が声をかけてくれました。
廃品回収のトラックからおばちゃんが「なんか捨てるもんあるか?」と、
元塗装屋だというおじいちゃんが、ペンキの塗り方を教えてくれたり、
隣に住む車いすのおばあちゃんが、毎日同じ時間に同じ話をしに来てくれたり、
作業がおして暗くなっても作業をしていると、
仕事帰りのお向いさんがおでんを買ってきてくれたり、
斜め向かいの銭湯が店じまいするからと、ずっと使っていたのれんをくれたり、
カランカランと鐘を鳴らしながら自転車に乗る豆腐屋さんが通りかかったり。
現場中にも何度もお世話になったのは、ラーメン屋さんの「イナリ軒」。
チャルメラを吹きながらゆっくり屋台をひいてきて、
話をしてみると50年も続けているとのこと。

挙げだすときりがないくらいに、毎日、同じ場所で、
さまざまな日常が繰り返されていました。
そんな心地良いリズムのような日常の中で作業をしていたら、
このまちに住んでみたいと思うようにもなりました(自宅改装はvol1参照)。

リニューアルオープン日に撮ってもらった集合写真。ぎりぎりまで作業していたので、みんなヘトヘト。

外観に手を入れたのは、シャッターボックスや
キッチン前の錆びついた格子を白く塗ったり、ポストを付けたくらいで、
ほぼそのままです。あと、看板も取り付けました。
以前、イベント時に描かれたモトタバコヤという文字が、
偶然にもgoogleのストリートヴューに残っていて、
素敵だったので、それをトレースして少し整えてロゴを作りました。

モトタバコヤの切り文字を、もともとたばこ屋の看板だった場所に取り付けました。

シェアショップのオープン当時は、
カフェ、古本屋、リメイク古着屋、
このはな界隈の作家がデザインしたTシャツ屋、
神戸芸術工科大学とのコラボガチャなど、でしたが、
今ではショップ数も増えて、アウトドアグッズ屋、木工雑貨屋、
アクセサリー屋なども増えて、
より何屋さんかわからない状態になってきて、良い感じです。
それぞれの店長さんたちによるイベントも定期的に開催され、
毎回賑わいをみせています。

2階の和室には、「見っけ!このはな2012」の際、木彫作家のムラバヤシケンジさんにつくっていただいた欄間があります(撮影:長谷川淳)。

「これからのモトタバコヤは、より一層イベントに力を入れるのはもちろん、
地域の情報を集めて発信していき、どんどん地域に関わっていきます。
子どもから若者、お年寄りまで、みんなが寄り合える場所にして、
梅香から此花区全体を楽しいまちにしていきたいです」
最近、事務所をモトタバコヤの2階に移した管理人の大川さんが、
抱負を語ってくれました。

2013年3月には、劇団 子供鉅人による散歩と観劇を兼ねたツアー演劇『コノハナ・アドベンチャー2』の舞台にもなり、スペースの活用の幅を広げつつあります(撮影:明地清恵)。

その場所で、昔から今まで流れてきた時間や培われた人の生活の痕跡を、
まちの風景として捉え尊重し、乱暴になりすぎないように、
新しいものや新しい人の流れをデザインすること。
まちに溶けこむ場所をつくる上で、とても大事なポイントだと思います。

このまちにふらっと訪れたひとが、モトタバコヤというお店を通して、
まちのリズムを感じることができる場所になっていけば良いなあと、
密かに願っています。

新春モトタバコヤまつり 第2回粉もんパーティ−の様子。地元の方もたくさん参加されていて、大賑わいでした。右端に写っている人は、お隣の千鳥荘に長期滞在されているマシューさん。

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NO ARCHITECTS

住所 大阪市此花区梅香1-15-20
http://nyamaokud.exblog.jp/
https://www.facebook.com/NOARCHITECTS.jp

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モトタバコヤ

大阪府大阪市此花区梅香1-18-28
http://konohana-artsfarm.net/mototabaccoya

山ノ家 vol.4: 雪下ろしと、プランづくり

山ノ家 vol.4
初めて体験する、豪雪地帯の雪下ろし

2012年1月。この年は3年に一度の
「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ」が開催される年。
このタイミングに山の家をオープンできるのは、立ち上げで勢いがつく絶好の機会だ。
なんとかよいかたちで実現しよう。そんな新たな想いを抱く年明けとなった。

その前の年のクリスマス・イブ、外装工事が終わろうというときに
どんどん深くなる雪のため、十日町から脱出するかのように東京に戻って来た。
あの雪国での出来事は、幻だったのではないかと思うくらいにおだやかなお正月の東京。
しかし、今までとは確実に違う落ち着かなさが僕らの頭のすみっこにはある。
結局、工事は無事に終えたのだろうか? 仮設の囲いがとれた外観を早く見てみたい。
年末年始から本格的に降り積もるという、あの雪はどうなったのだろう。
「年明け早めには一度屋根の雪下ろしをしたほうがいい」
地元の若井さんからはそう言われていた、ような気がする。
どこかのタイミングでまつだいに行って、
教わりながら雪下ろしをしようということになっていたが、
やはり一度東京に戻ってしまうとなかなかスケジュールの調整をするのが難しい。
既に、あの幻のような世界へ行くにはちょっとした覚悟が必要であった。
そして、未知の雪下ろし。
早くやってみたい、やらねば、という気持ちと、
ちゃんとできるのか? 本当にあの屋根の上に登れるのだろうか?
という複雑な気持ちをかかえながらもようやく、
あの世界に行けたのは1月の半ばを過ぎてからだった。

ついに仮囲いがとれて、外観が! 屋根の上にいるのは若井さん。

外装工事は無事終わっていたようだ。
感慨にふけるのもそこそこに、屋根の上に怖々のぼり、
何もわからぬ僕らは、若井さんにやり方を教わりながら初めての雪下ろし。
まったく要領を得ず、効率が悪い。
地元の人が2人で1〜1.5時間で終わらせるものが、半日経っても終わらなかった。

屋根の上で雪下ろしをする若井さん、河村くん。

下から屋根を見上げたところ。あの、高くそびえる梯子を上って屋根に上がるのだ。

当人としては、慣れていないせいもあるかもしれないが、精神的にも体力的にも
結構しんどかった。
それでも1〜2月は可能な限り現地に行って、雪を下ろそうと思った。
雪のことで周りの方に迷惑をかけているのではないかと思うと、落ち着かなかったからだ。
あとで聞いた話だが、最初なかなか行けずに雪が降り積もる一方だった頃、
「あの家はつぶれるんじゃないか」と言われたりしていたそうだ……。
2月の末に何度目かの雪下ろしに行ったときに
「あとはまあ、そこまではひどくは降らないと思うよ」
と言われたときの安堵感は例えようも無いものだったが、
終わるどころか、僕らはまだ何も始まってもいないのだ。

いろいろな人とかたちにしていくこと

雪が溶けるまでの間、
東京での仕事を飛ぶようにこなし、合い間をぬって、山の家のプランニングや組織化の話、
何をやるのか、そして実際どの様にやるのか、といった打ち合わせを重ねていった。
年を越す前から、おおまかな機能のイメージは
gift_のクリエイティブ・ディレクターである池田(彼女はgift_のパートナーであり、
プライベートのパートナーでもある)がまとめていた。
図面によるプランや、運営の下書きの基本となる部分もできていた。

初期にまとめた機能的なイメージ草案。カフェ・宿泊・ショップ・レジデンス、そしてwifiなど「必要なものがある」。

プラン。1階はカフェ、もとあった和室と階段下の押し入れをぶち抜いてキッチン導線をつくる構想。2階は、2段ベッドの宿泊とレジデンス。

具体的な詰めももちろん必要だが、その前に根幹となる目的、想いを固めることも大事だ。
例えば比較的最初の頃に浮かんでいたキーワードのひとつは、
「都市と里山の日常をまぜ合わせる」というものだった。
僕らが大切にしたいと考えたことは、
この場所が誰にとっても極力違和感の無い場所になるということ。
都市から来る人にとっても、地元の人にも、
いろいろな世代や立場、境遇の人々が行き交うための場でありたい。
どちらが主体でも、受け身でもなく、観光というよりももっと、
特別でないはずの日常そのものがいつのまにか面白く歪んでしまうような事が起こる、
そんな場所にしたい。
カフェやドミトリーは、そのためのきっかけとしての機能なのだ。
現地に通い、交渉や外装工事などを行った中で出会い、話した人々や、
さまざまな出来事が重ね合わさっていくなかでさらにその感覚は強くなっていった。
機会あるごとに人にも話すことで客観性をつかみながら何度もその想いを検証していった。
そういったヴィジョンや方向性を現実のものにするべく、
たくさんの人に関わってもらう(または巻き込んでしまう)ことによって
ようやく本当の意味で理想のかたちになっていくのだと考えた。

前回の外装工事の時とは違い、
ソフトの立ち上げのためにも多面的に手伝ってくれる人が必要だ。
内部空間も自分たちで手がけるところは多く、もちろん施工のサポーターは必須。
さらに、飲食業や宿泊業の運営経験が皆無の僕らが
カフェやドミトリーを立ち上げようというのだから、
考えなくてはいけないことや、やるべき事はたくさんあった。
とにかくひとりでも多くの人に協力してもらいたい。

そこで、池田のほうでは運営立上げ準備チームをまずつくった。
4月ころに、立ち上げインターン募集の声かけや、
さまざまなto Doの整理を、ふたりの女性スタッフと共に進め始めたのだ。
そのうちのひとりはマユコさん。前出のCETや恵比寿の僕らの拠点gift_labの創業期から
さまざまな業務を手伝ってくれていた人で、オーガニックフードのカフェなどでも活躍していた。
彼女が、一緒に立ち上げに入ってもらってはどうか、と僕らに推薦してくれたのが、
もうひとりのメグミさん。アートや食やライフスタイルデザイン関連の仕事を重ねて、
奇跡的にも、ちょうど外装工事に入る直前くらいのタイミングで運命的に出会っていた。
その後彼女はgift_のスタッフとなり、そのまま山の家立ち上げの中心メンバーになった。
このふたりがいなかったら絶対に立ち上げられなかったと、
今でもよく池田はつぶやいている。

恵比寿のgift_labで、インターン説明会を行っている様子。奥のふたりがメグミさん、マユコさん。手前にいるのが池田。

5月中旬ころになると、運営母体となる会社を設立した。
山の家という名前も屋号として使うことが決まり、
僕らのコンセプトを表象するような「ロゴ」をつくりたかった。
早速、いつものようにDonny Grafiks(ドニーグラフィクス)の山本くんに相談した。
山の家という名前、十日町で新たなプロジェクトのこと、これまでの経緯や、
今思っているイメージを洗いざらい話した。
しばらくして山本くんがプレゼンしてくれたのがこれ。

もはや漢字ですら無い、文字以前のようなロゴが。こう来るとは……!

想定していた路線と違ったが、それが非常によかった。
さらに新たなイメージが広がりそうな予感がした。
このときに彼に気づかされたことがある。
山の家ではなく、山ノ家となっていること。
この表記ひとつで、さりげなく独自性が出た。
この瞬間に、僕らの中で仮称「山の家」と呼ばれていたこのプロジェクトは
「山ノ家」になった。
かたちになっていくということはこういうことだと思った。

またある日は、
運営立上げチームでカフェのメニューについての方向性について考えていた。
その後、カフェのキッチンを主に担当することになるミナコさんもちょうどこの頃に合流。
当初から地産地消で行きたい、できるだけ地元の素材を使用したいという考えはあったが、
いわゆる郷土料理的なものだと地元のお母さんたちにかないっこない。
地元の人にも気軽に利用してもらいたいという考えもあり、若井さんなどは
「いつも米は食べてるから、例えば本格的なパンとか、
もっとカフェらしいメニューとかが食べてみたい」
というのだ。なるほどそうかと思いながらも、とはいえカフェのプロでもないし
ではどうするべきか? と考えあぐねているときに、
偶然、諸用で訪れた知人がその時抱えていた本に「移民」という言葉があった。
その瞬間、また、その言葉がすっと心にささって落ちてきた。
そう、僕らはあの土地への「移民」なのだ。その地に生まれ育った訳ではないし、
日常の文化も違う。でも、縁あってその地で生活していこうとしている。
だから僕らはその土地の素材を使うけれど、僕らが日々作り慣れている料理法でいいんだ。
彼女たちはそのカフェメニューの路線を「移民のレシピ」と命名した。
ある土地で素材に出会い、手慣れた料理と混ぜ合わせて新しいエスニックをつくり出すような、
不思議な自由さと魅力のあるキーワードとなった。

自分が漠然と想像したもののなかから、
また別の視点が加わることで
新たな、そして理想の風景がつくり出されていく。
山ノ家がさまざまな人との関わりによってできていくのはとても興味深かった。

そして、5月も後半。
ようやくインターンや何かしら手伝ってもらえそうな人たちとともに、
現地のキックオフツアーを行った。
このとき初めて、東京(世田谷)から十日町までの無料バスを利用し、
みんなで行くことができた。なんと言うか、それだけでもちょっと嬉しかった。
新たな人々がここに集まっている、というだけでさまざまな想像が広がる。

でもまだその前にやらねばならないことがある。
現状はまだ、とても内装工事に入れる状態ではないのだ。
前の持ち主のあらゆるものが家中に詰まっている。とにかく大片付けが次の山場だ。
2回目のツアーで、一気にみんなで片付けを行った。
その中でも、流用できそうな物や気になるものは残しながらも、
どんどんまとめていかないと終わらない。

インターンのみんなのおかげで、片付けはだいぶはかどった。

トラックで市の処理場へ自分たちで持ち込み。これが一番リーズナブルな方法。結局二往復した。

ツアーの食事は、カフェで出すメニューの試作を兼ねて
地元の食材なども使いながらのご飯会。
知り合った地元の方を招いたりしながらとても楽しく有意義に行えた。

みんなでの食事は、ツアーの楽しみのひとつ。実際ここから生まれたメニューもあった。

東京ではない時間の流れに戸惑う

6月になった。来月後半にはもうトリエンナーレもいよいよ開始となる。
こちらも準備は進んでいた。
内装工事を進めるべく、設計を決めて、スタッフを確保。
外装工事で活躍したアキオくんにも声をかけ、運営立上げチームによって
手伝ってくれるインターンのシフトももうバッチリでき上がっていて、
あとは具体的なスケジュールを伝えれば、という感じ。
もうそろそろオープンに向けた内装工事にとりかかりたい。
そのためには地元工務店さんによる工事と僕らの作業と、同時並行で行う必要があった。
つまり、工務店さんに内装工事の正式発注をしなければならない。
そもそも突発的なきっかけで始まったこのプロジェクト。
当然ながら資金があったわけではない。
内装工事含め開業に必要な資金の調達に奔走し、
地元商工会の紹介で金融公庫に申請をしたのだが、
その融資の決定の返事がなかなか来ない。
当然返事をもらわねば工務店さんにGOサインは出せない……。
フライングして入りたい気持ちもあったが、
あまり手戻りになるような無駄な動きをするわけにもいかない。
工務店さんと打ち合わせの上で出てきた工程も、完成まで約1か月半となっていた。
ちょっと長いな、とも思ったが、自分たちの手でリノベーションする工程も
含まれているので(時間どおり終わらせる事ができるかは読めないので)
何とも言えないところもあった。
しかし、それでは完成する頃に芸術祭もほとんど終わりかけになってしまうし、
オープンする絶好のタイミングを逃してしまう……。
少し焦ってきた。
思い込みでもあったが「これが東京だったらもう少し早く物事が進むのに」
という感覚になり、さまざまな部分で、
東京ではない時間の流れのペースやコミュニケーションの感覚に戸惑っていた。
ここでまた、その土地のペースの中での手探りが続く。
なんとか工夫できる解決策を考えなければ……。

つづく

フレンチの大御所、田代シェフ。
福島県の食材に、魔法をかける。

東京・渋谷に「ラ・ブランシュ」というフランス料理店がある。
店名は「初心の」とか「真っ白な」という意味で、
1986年2月の開業以来、ずっと多くのファンに愛され続けてきた。
オーナーシェフの田代和久さんは、この道40年以上の大ベテラン。
日本のフランス料理界の大御所で、若手の料理人からの信頼も厚い。

そんな田代シェフは、福島県川俣町田代地区の出身だ。
少年時代は、山でタケノコを掘り、フキの葉っぱで山の清水をすくい、
自宅で飼っていたヤギの乳を飲んだ……
故郷には、そんな思い出がいっぱいある。

しかし、同じ町の山木屋地区は計画的避難地域に指定され、
震災から3年近くが過ぎようとしている今も、
自宅に戻れず避難生活を続けている人たちがいる。
田代シェフは震災直後から、炊き出しやイベントに参加。
料理を通して、積極的に福島県を応援し続けている。

「ふくしま応援シェフ」のひとりとして立ち上がる田代シェフ。

2013年11月25日。
田代シェフは「ふくしま応援シェフ」のひとりとして、
「県産品消費者理解交流会」に協力することに。
「福島の食材で、ラ・ブランシュはどんな料理を繰り出すのだろう?」
会場に集まった参加者の表情は、ちょっと緊張気味。
その期待は、おのずと高まっていた。

最初のひと皿は「柿のマリネと牛肉のソテー」。
赤身が美しい福島牛のソテーの隣に、
オレンジ色の柿の実と皮の、マリネが添えられている。
「これが、会津身不知柿(あいづみしらずがき)です」
客席に柿が丸ごと登場し、参加者の手から手へ渡されていった。
片手では持ちきれず、思わず両手で受け取ってしまうほど。
初めて見る人は、まずその大きさに圧倒される。

「こんなに大きくなったら、木から落ちてしまうじゃないか。
それくらい身の程知らずな柿だから、そう呼ばれるようになったんです」
会場を訪れた「㈲会津食のルネッサンス」の本田勝之助さんが教えてくれた。

「すごくおいしい柿なので、そのまま生でお出ししようと思いました。
でも、まだちょっと硬い。試しに皮だけ食べてみたら、すごく味がある。
もったいないから皮をちょっと炒めて、
果肉は生のまま、塩をちょっとだけ。
それからレモングラスと生姜を加えてマリネにしました」と、田代シェフ。
会場の参加者の表情が、徐々に明るくなっていった。

「福島牛」のこれから。

柿と一緒に添えられたのは、福島牛のもも肉のソテー。

黒毛和種が出荷されるまでには、一般的に900日前後飼養される。
その期間中、福島県で最も長く飼養され、
肉質等級基準をクリアした牛を「福島牛」と呼ぶのだ。

産地では放射性物質の全頭検査が実施されているほか、
3カ月に一度、県の担当者が畜産家へ立入検査を行ない、
水、ワラ等の粗飼料、濃厚飼料、敷料など、飼養状況を確認している。

そんな努力は続けられているのだが、
福島県の肉牛飼育頭数は、震災前の4分の3にまで落ち込んでいる。
高齢な農家が、飼育をやめたためだ。
それでも若手の農家は、希望を捨てず肉質を上げる努力を続けている。
そんな福島の畜産家たちが育てる牛肉は、
ネットの「e牛ショップ(http://shop-jalcf.jp)」で購入できる。
家庭ですき焼きや焼き肉を楽しむ際に、ぜひともご利用いただきたい。

次に登場したのは「赤ワイン味噌ドレッシングと会津の秋野菜」。
透明な皿の上に、南会津町の舘岩地区だけで栽培されている「舘岩カブ」や、
会津坂下町立川地区の「立川ゴボウ」、
そして、会津若松市周辺で栽培されている「茎立ち菜」などが並んでいる。
いずれも会津地方で、大切に受け継がれてきた在来種だ。

シェフ曰く「さっと茹でて、オリーブオイルと塩で味付けしただけ」とのことだが、
口に入れた瞬間、カブはカブ、ゴボウはゴボウの味と香りでいっぱいになる。
「茎立ち菜は、葉よりも茎の方が味が濃くて、存在感が大きいんですね」
そんな声もきこえてきた。
「あまり素材をいじらずに、自然のままの状態をイメージして、
頭の中で野菜たちの故郷を思いながら料理しています」
と田代シェフがそれに応じた。

野菜に添えられた濃紫色のソースは、味噌に赤ワインとビネガーを加えたもの。
福島市で70年以上の歴史を誇る味噌メーカー、フクイチの「福蔵」が使われている。
福島県産大豆(タチナガハ)とお米(コシヒカリ)が原材料。
昔から福島の人たちの食卓で親しまれてきた味噌が、
シェフの手により、ドラマチックなドレッシングに変身した。

次に現われたのは、フランスのカフェの定番「クロックマダム」。
パンにハムとチーズをサンドしてベシャメルソースを乗せたのが「クロックムッシュ」。
その上に目玉焼きを乗せたのが「クロックマダム」といわれているが、卵が見当たらない。
そこで、カットしてみると…

オレンジ色の濃厚な黄身がトロリと流れ出した。
これはまぎれもなく「マダム」。
しかも使われているのは「会津地鶏」の卵だ。
そのまた下にあるのは、フランスパンかと思いきや……中央に穴が空いている。

土台となるパンの代わりに使われていたのは、西会津町特産の「車麩」。
小麦粉のグルテンを練った生地を棒に巻き付けて焼き上げるので、
車輪のような形をしている。

会津地方では、煮物などに使われることが多いが、
「車麩の煮物は、僕らは好きだけど、子どもはあまり食べないよね。
だから年齢を問わず、美味しく食べられるおやつに。
まん中に穴が開いているから、卵を落とすのにちょうどいい(笑)」
そんな田代シェフの説明に、
「これならうちでも作れそう」。そんな声が飛び交っていた。
家庭で手軽にできる子どものおやつ。しかも家族と一緒に福島を応援できる。
シェフの愛情がめいっぱい詰まったひと皿だった。

実はこの料理、田代シェフが「新会津伝統美食」として、メニュー提案したもの。
地元のレストランや飲食店でも採用されていて、
伝統食である車麩の新しい魅力が、広まろうとしている。
(※『車麩のクロックマダム』のレシピを末尾に掲載しました)

そして最後を飾るひと皿はリゾット。
「ふだんは作らないのですが、あえて作ってみました」
たしかにリゾットは、フランスではなくイタリア料理の定番。
福島米の魅力を舌で味わってもらうために、
田代シェフがジャンルを超えて生み出した料理だ。

山形県との県境に近い、喜多方市の熱塩加納(あつしおかのう)地区で、
小林芳正さんが栽培したコシヒカリを使用している。
「昭和40年代から有機質肥料で栽培を始めた、米作りの名人です」
と、教えてくれたのは「会津産直会」代表の新国(にっくに)裕二さん。

長年お米の流通と販売に関わってきた、専門家。
緻密なデータに基づいて、農家の栽培指導も行なっている。
「会津は、肥沃な大地と、山々から流れる豊富な天然水。
そして穂が出て登熟(コメがデンプンやタンパク質を蓄積すること)する時期には、
平均気温が23〜26℃になります。
新潟県の魚沼地方と同じ、おいしい米づくりに必要な条件がすべて揃っているのです」

江戸時代、天保と天明の大飢饉に見舞われた東北地方では多くの餓死者が出たのは有名な話。
しかし、会津地方では、1人も死者を出さなかったという。
それは、気象条件に恵まれているから。そして、
「農民自ら、栽培について学んでいたからです」と新国さん。

会津には江戸時代中期に佐瀬与次右衛門による「会津農書」という独自の農業書があり、
農閑期には文字の読めない農民も、口伝で栽培技術を学んでいたという。
「当時の日本で、独自の農書を持っていたのは、
会津と長岡だけ。それに基づいて1反あたり7俵を収穫していたと記録されています」

7俵=420㎏。機械化と育種が進んだ現代でも、
条件や技術が伴わず、これに及ばない田んぼが全国各地に無数とある。
地形、土壌、気候に恵まれ、昔から勤勉な農家が多い。
そんな土地柄が、食味の高い会津米を生み出している。

会津には、お米を栽培しながら見事な野菜や果物を作る生産者がたくさんいる。
震災の影響で、その技を受け継ぐ人がいなくなってしまうことが、一番気がかりという。
「農産物を育てながら、人も育てなければ。
実習農場を作って若者たちを育て、優秀なプロの農家に送り込もう。
今、そんなプロジェクトも始動しています」

検査を重ねて、安全性を確保。

福島県 県産品振興戦略課の担当者から説明があった。
「福島県では、昨年から最も摂取量の多い、お米の全量全袋検査を行なっています。
昨年は37万t、1100万袋を超えるお米を検査して、
安全性を確認したものだけをお出ししています。
今年も検査は始まっていて、
その結果は『ふくしまの恵み安全対策協議会』のHPでご覧いただけます。
今年は原発から30km圏内などの避難指示区域での試験栽培も始まっていて、
少ないですが基準を超えたものもありましたが、
それでも基準値を超えたコメが、市場に出回ることは決してありません。
その点を、ご了承いただきたいと思います」

交流会の終了間際、参加者から田代シェフへの質問が相次いだ。

参加者:「柿のマリネに添えられた、紫キャベツのマリネの作り方を教えてください」

田代シェフ:「フライパンでオリーブオイルを熱して、
そこへ生のキャベツを葉っぱのまま20秒ぐらい押し付けます。
焼くのではなく、火が入るか入らないかぐらい。水分を抜く感じですね。
それを刻んでオリーブオイルと塩とビネガー。
そしてエシャロットのみじん切りを混ぜる。
ご家庭ではタマネギでもいいと思います。
豚肉や鶏肉の付け合わせに。
そこにジャガイモを添えれば、もうほっぺたが落ちますよ」

参加者:「リゾットと一緒に食べた、クルミ味噌の作り方を教えてください」

田代シェフ:「クルミを5分ぐらいオーブンで焼いて、
味噌に赤ワイン(水でも可)と、栃のハチミツを入れて混ぜる。
それをベーキングシートに乗せてオーブンで7分ぐらい焼きます。
トースターでもできると思います。
作り置きできるので、食べたい時に塗る。
僕にとって、子どもの頃の懐かしい味です」

その他、こんな質問も。

「会津身不知柿や、今日のお野菜は、どこで買えますか?」

「車麩のような、福島県産品が買えるショップは?」

県の担当者がタジタジになるほど、積極的な意見が飛び出す場面も見られた。

中央が佐藤陽子さん。

参加者のひとり、佐藤陽子さん(30代)は福島県出身。
フードコーディネーターの資格を一週間前に取得したばかりという。
資格の取得に向け、共に学んだ仲間を誘い、7人で交流会に参加した。
「みんな料理や食べ物が好きな人たちなので、
この機会に、福島の食材を知ってほしいと思い一緒に参加しました。
田代シェフのお料理は、目からウロコのものばかり。
クロックマダム、ぜひとも参考にさせていただきます」
この日の料理は、参加者の手で東京でも広まっていきそうだ。

交流会の最後に、改めて田代シェフにお話を伺った。

「福島の食材は、間違いなく美味しい。
そして、検査もされているので、安心して召し上がっていただきたい。
噛みしめて、味わって、福島に思いを馳せていただく。
それがひとつの起爆剤になると思います。
料理を通して、福島に思いを馳せてもらえれば、
ひとつの思いがふたつ、ふたつの思いが3つ……
そうやって広がっていくことが、やっぱり大切だと思いますよ」

故郷の置かれた厳しさを、日々感じながら、厨房に立つ田代シェフ。
しかし、その料理を味わい、福島に思いを馳せた人たちはみな、
まるで魔法にかかったように、いつの間にか笑顔になっていた。

福島を味わい、そして思う。
その大切さと、可能性を、誰もが実感したひとときだった。

★『車麩のクロックマダム』のレシピ

【材料(4人前)】

車麩:4枚 牛乳:300cc 卵:4個 塩・胡椒・砂糖:少々 

スライスハム:4枚 

スライスチーズ(パルメザンチーズでも可):4枚

※ベシャメルソース

小麦粉:20g バター:20g 牛乳:250cc 

粉チーズ:スプーン1杯 塩・胡椒:少々

●つくりかた

車麩4枚を牛乳に1〜2時間ひたしてもどす。

ベシャメルソースを作る。鍋でバターを溶かし、
小麦粉を入れ、4〜5分なめらかになるまで弱火で火を通す(※注)。
少しずつ牛乳を加えて、とろみがついたら粉チーズを入れ、
塩、胡椒で味を調える。(塩気が強くならないように注意する)。

※注:このタイミングでルーを冷凍保存しておくと便利。
牛乳を加える前のルーをバットなどに入れて冷凍しておき、
使うタイミングでそれをキューブ状にカットして(1人前10g程度)、
沸かした牛乳に冷凍したままのルーを入れると作業がスムーズです。

に、塩・胡椒・砂糖をかけ、プライパンで両面に軽く焼き色がつく程度に焼く。

車麩が焼けたらオーブントレーに移し、車麩の中に卵1個割り入れる。

の上に、ハム1枚・チーズ1枚をのせ、
ベシャメルソースを表面を覆う程度にかけ、粉チーズを軽くふる。

を180度のオーブンで10分間焼き、最後に上火で焼き色をつける。

ふくしま県産品応援サイト

http://www.fukushima-kensanpin-ouen.jp

福島県農産物モニタリング情報「ふくしま新発売。」

http://www.new-fukushima.jp

「県産品消費者理解促進交流会」
◎第4回「1月〜正月食べ過ぎ解消 ふくしまの冬野菜と麺とパン」

1月20日(月)15:00~17:00

播磨坂 もりずみ(森住 康二シェフ)

住所:東京都文京区小石川4-15-13 HARIMAZAKAビル 1F

TEL:03-5805-3655

1月21日(火)15:00~17:00

四川豆花飯荘(遠藤 浄シェフ)

住所:東京都千代田区丸の内1-5-1 新丸の内ビルディング 6F

TEL:03-3211-4000

1月22日(水)15:00~17:00

ソーゼージスタイル流行hayari(村上武士シェフ)

住所:東京都渋谷区恵比寿3-48-5 グランデ恵比寿 2F

TEL:03-5422-8467

「県産品消費者理解促進交流会」
◎第5回「2月〜雪中野菜と煮込み料理 ふくしまのもどき料理」

2月5日(水)15:00~17:00

つきぢ田村(田村 隆シェフ)

住所:東京都中央区築地2-12-11

TEL:03-3541-2591

http://www.tsukiji-tamura.com/

2月6日(木)15:00~17:00

COOK COOP BOOK(萩原雅彦シェフ)

住所:東京都千代田区紀尾井町4-5 G-TERRACE紀尾井町1F

TEL:03-3264-3230

http://cookcoop.com/

2月19日(水)15:00~17:00

ポタジエ(柿沢安耶シェフ)

住所:東京都目黒区上目黒2-44-9

TEL:03-6279-7753

http://www.potager.co.jp/

◎参加費

1500円(1名)

※お帰りの際に、参加者全員にBears Bear fukushimaふくしまを抱くクマ「しまくま」をプレゼント

◎申し込み方法

「ふくしま応援シェフ」のホームページで申込書をダウンロード、必要事項を記入のうえ、FAX またはメールにて申し込み

http://fukushima-ouen-chef.jp/

お問い合わせ

事務局 会津食のルネッサンス

住所 福島県会津若松市中島町2-52

TEL 0120-91-0617 (10:00~18:00 ※土日祝日休)

FAX 0242-93-9368

E-MAIL order@a-foods.jp

http://www.a-foods.jp/

information


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ラ・ブランシュ

住所 東京都渋谷区渋谷2-3-1 青山ポニーハイム2F

TEL 03-3499-0824

営業時間 12:00~14:00(L.O) 18:00~21:00(L.O)

定休日 水曜・第2、第4火曜

MAD City vol.4: ナホトカ食堂の人をもてなす 空間づくり

MAD City vol.4
リノベで、平屋の自宅をカフェのようなおもてなし空間へ。

わたしたちのオフィスからもてくてくと歩いて20分くらいの距離、
日当たりの良いのんびりとした住宅地に中村菜穂さんは住んでいます。
見た目は普通の平屋建て。でも玄関に入るととってもいい匂い。
そう、菜穂さんは、予約制のイベント「ナホトカ食堂」を、
この自宅で不定期に開催しているのです。

菜穂さんのお料理です。

とってもおいしいお料理をつくる菜穂さん。
実はお料理だけでなくおうちの内装だって自分でつくっちゃいます。
菜穂さんがDIYを始めたのはどういうきっかけだったんでしょうか。

「もともと小さいころから自分の部屋を変えてみたいと思っていました。
壁の色をこの色にしたらどうなるのかなーとかいろいろ妄想したりするのが好きで。
きっかけは10年くらい前、自分の部屋にちょうどいい家具を手に入れたくて
自作したのが始まりです」

そのときに自作した棚は今でも菜穂さんの家のリビングで活躍しています。

奥に見えるのがその棚。見せる収納としても優秀です。

「当時は今ほど情報がないし、インターネットもそこまで普及していなかったので
自分がピンとくるものをなかなか探せなかったんです。
それで、予算の兼ね合いもあって自分でつくることにしました。
棚の中に入れる収納を先に選んで、それに合わせたサイズの棚をつくったんです。
もちろん初心者だったので父にも手伝ってもらいました」

とは言え、菜穂さんは服飾の学校出身。
木工や内装の技術を専門的に学んだわけではありません。
卒業後、服飾系の会社に勤めた後思い切ってカフェに転職。
そのことが現在の活動のきっかけとなったそうです。

最初に勤めたカフェは古い家をリノベーションした建物だったそうです。
1階にカフェ、2階には、そのカフェをプロデュースしたデザイン事務所が入っていたそう。
「そこでの経験にはとても影響を受けています。
インテリアのスタイルもそうだし、お店のホスピタリティも学ぶところが多かったです」

菜穂さんにとっての理想の住まいの空間は「カフェ」。
インテリアでも「カフェ風」という言葉はよく使われます。
とはいってもカフェってシアトルスタイルのモダンな内装のものから、
古民家を改装した和のテイストを大切にしたものまでさまざまです。
菜穂さんの理想とするカフェ風とはどんなものなんでしょう。

「わたしが居心地が良いなと思える空間でお客さんをおもてなししたいと思っているので、
そのためには内装も、ホスピタリティも、お料理そのものもどれも大切な要素です。
デザインされて整った空間だけれどもメニューにはそこまで力を入れていなかったり、
ほどよく力の抜けたこだわりというんでしょうか。
例えば、インテリアとしては壁が漆喰などの天然素材で、
木が古くて、古道具の什器が置いてあるようなところ。
空間としてはホスピタリティがあって、ごはんもおいしくて、ゆったりくつろげる。
このゆったりくつろげる、というのが一番目指すところです」

結婚して台東区に住んでいた菜穂さんはその理想を叶えるために、
「ナホトカ食堂」という小さな予約制イベントを始めました。
友だちを呼んで自宅で開かれる小さな食堂。
食堂を続けていくうちに、もっと人を招きやすい空間に住みたいと思うようになったそうです。

「台東区では鉄筋の集合住宅に住んでいて、しかもエレベーターなしの5階だったんです。
集合住宅だから案内の掲示などもしにくかったし、お客さんに来ていただくのも大変だし。
しかもそのころおなかに赤ちゃんがいるのがわかったので、
思い切って実家のある松戸に戻ってみようかな? と思って物件を探し始めました」

菜穂さんと娘さんの木ノ果ちゃん。

物件を探し始めた菜穂さんが、MAD City不動産で取り扱っていた平屋に
お問い合わせをくれるまでにはそこまで時間がかかりませんでした。
菜穂さんが問い合わせてくれたのは平屋にしては新しくて、
築20年経たない3DKに小さな倉庫がついた物件。
お子さんひとりのご夫婦にはゆったりめの広さです。
食堂をやる菜穂さんにはこのゆったり感がベストマッチだったようです。

「まず平屋っていうのは絶対条件だったんです。それまでが集合住宅だったから、
平屋で小さいお庭がついていたら看板だって出しやすいので、
お客さんにとっても目印になりますし。そして人を招くということを考えると、
玄関から食堂への導線がシンプルでわかりやすいことも条件でした。
ちょうどこの家はその条件にぴったりあっていて、いいなって思ったんです。
改装ができることも大きなポイントでした」

菜穂さんは入居するとすぐさまお部屋の改装に取りかかりました。
友人の建築屋さんに頼んで大量の漆喰を購入。
助っ人にお友だちを呼んでの漆喰塗りでは、
いつも通り菜穂さんのごはんを振る舞ったそうです。

「ちょうど妊娠中だったけど、漆喰を塗るだけだったら大丈夫だし、
高くて脚立に上らなくてはいけないところは友だちにやってもらいました。
漆喰はコテで塗るとテクニックが必要なので
お風呂用のスポンジで塗っていくのがポイントです。
素人仕事だけどちゃんと漆喰の壁ができました」

ニュアンスのある壁が素敵。雑貨を飾って。

ちなみに以前住んでいたところでは改装ができなかったので、
大規模な改装はこれが初めてだったそう。
とはいってもお友だちと一緒にわいわいと塗ったので、
漆喰を塗り終わるのには3日もかからなかったそうです。

「初心者のくせに、なぜか一番お客さんに入っていただく食堂の部屋から
漆喰を塗り始めてしまったので、この部屋が一番塗り方がへたくそなんです!
そこから漆喰塗りは上達したんですが、いまでも改装に関してはわからないことが多いし、
情報収集は難しいなって思います。今後も壁に飾り棚をつけたり、押し入れの改造をしたり、
いろいろやりたいことはたくさんあるのでちょっとずつやっていきたいなーって」

改装がひと段落したところでまた食堂を再開した菜穂さん。
途中に出産と育児のためのお休みも挟み、
現在でも生活とのバランスを見て不定期ですが開催されています。
改装の甲斐あって、どこにでもある普通の平屋が大変身。
足を踏み入れると居心地の良い空間が広がります。
実はMAD City不動産のスタッフもたまにお呼ばれしてごちそうになるんです。
おいしいですよー。

食堂の日は菜穂さんこだわりの調理器具にお料理が詰まって登場します。

「カフェで働いていたときにいちばん勉強になったのは料理の段取りなんです。
そのことは今もナホトカ食堂としてイベントをするときにとてもためになっています。
でも他にも気づきがあって、いちばん楽しかったのは
カウンターに座っているお客さんと談笑しながら作業をすることだったんです。
だから自宅で食堂イベントをやるようになってからは、
わたしもお客さんも一緒に楽しめること、
そのためにもテーブルや導線の配置を工夫することをいつも考えています」

そんなコンセプトは、菜穂さんが時々開催する手作り市にも表れています。
お友だちのハンドメイド作家さんやミュージシャンを呼んで、
みんなでつくり上げる市は菜穂さんの人柄をよく表しています。

1月13日に開催されたばかりの「ななの市」。MAD CityのイベントスペースFANCLUBで開催してくれました。

自宅イベントの回数を重ねるごとに理想の姿が見えてきたという菜穂さん。

「娘も生まれたことで、自宅でイベントをやる難しさも見えてきました。
そろそろ自宅ではなくお店でお客さんをお迎えしたほうがいいタイミングかなと思っています。
もともと将来的には夫婦で食堂をやることが夢でしたし、
今後はそれを見据えていろいろ動いていこうかなと考えています」

子どもが生まれてお母さんになるということは
今までの生活ががらりと変わってしまうということだと思います。
菜穂さんは、それを制約と捉えずに新しいチャンスだと思っているそうです。

「今まで通りのやり方にこだわる必要はないと思うんです。
そのときそのときによって新しいやり方を探すほうがもっといいなと思っていて。
お店と言っても生活の延長だと思うし、
お客さんが来てくれることでハリのある生活ができることには変わりないので、
自分のできる範囲で挑戦できることを探してみればいいと思うんです」

すでにお店のディスプレイみたいにかわいい雑貨たち。

ちなみにお店を始めたら、内装は自分でやりたいですか?

「そうしたいなと思っています! 自宅とお店では内装はあんまり変わらないかもしれません。
なにぶん冒険ができないのですごいアイデアとかは湧かないんですけど……」

とは言いつつも、お客さんにくつろいでもらいたい、
一緒に楽しみたいという素敵なコンセプトを持っている菜穂さんのこと。
イベントも、将来の夢も、子育てもまだまだこれからいっぱい楽しむ予定。
そんな暮らしにしっかり寄り添うおうちを自分でつくり上げたのだから、
これからつくるお店だってきっと素敵になると思います。

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MAD City(株式会社まちづクリエイティブ)

住所 千葉県松戸市本町6-8
電話 047-710-5861
http://madcity.jp/

ビルススタジオ vol.04: シェアハウスこもごも

ビルススタジオ vol.04
居心地を自分たちでつくるシェアハウス

栃木県初のシェアハウス「KAMAGAWA LIVING(以下カマガワリビング)」が
オープンしてから早3か月が経ちました。

内覧会をしたのは、2013年8月のこと。
工事も無事終わり、お披露目の日です。
内覧会前のミーティング(vol.3参照)に参加した入居予定者は、5名。
この日はオーナーとともに、2階の共有スペースであるリビングにて、
彼らと一緒にお客さまをもてなしました。
来場者は、入居者の知人や家族、そして、このカマガワリビングの近所の方々、
不動産業者、記者の方々などさまざま。なかには入居に興味がある人がいたようで、
実は、この日来場された方のなかで、3名が入居を決定してくれました!

会がお開きになった後も入居者含めた関係者で呑んだくれ、終了は深夜3時……。
自分も含め、リビングの妙な居心地の良さに誰も帰らないという現象が起こってしまいました。
そして、この直後からそれぞれ引っ越してきて、入居がスタートしたのです。
現在14名の入居者さんたちがここで生活をしていますが、
この地方版シェアハウスではどのような日常が繰り広げられているか、
少し覗き見してみましょう。

50帖あるリビングでは色んな場所で小さいグループが。

まずは、ちょっと住民さんの部屋も覗いてみましょう。
6階建てのビルで、3階から5階までが個室のフロア。
3階の部屋たちは、そもそもどれも個性的。
天井高3m、コンクリート剥き出しの内装は当たり前のこと、
部屋によっては五角形だったり、メガホン型、5帖もあるベランダ付き、とさまざま。

サト氏の部屋は幅7mに奥行2.2mというバランスの悪い間取り。
しかし建築設計事務所に勤務する彼にはそのバランスの悪さがたまらなかったようです。
工事段階でのサト氏から要望があり、板床ではなく土間を広めにとり、作業場に。
入居後そこでコツコツ棚をつくっていると思ったら、
収納と階段そしてワークデスクを組み合わせたロフトができていました。

3mの天井高を活かした手づくりロフト+収納+デスクスペース。

その隣のゴロさんの部屋は先すぼみの間取り。
入口左に斜めにはしる壁はみかんの国和歌山県出身の彼の要望でオレンジ色に。
ある日彼のお兄さんが泊まりに来て
なにやらグリッド状にテープを貼っていると思ったら、
壁一面に世界地図ができあがっていました。
カリモク60の家具ともいい感じに合っていますね。

楽しいイベントもいろいろ

さらに、内覧会で実感したリビングの居心地のよさからか、
共有スペースでは、これまでさまざまなイベントも開かれています。
主催者は、当社だったり、オーナーさんだったり、入居者だったり。
例えば、こんなかんじです。

・2013年10月30日 ハロウィン
入居者さんたちそれぞれに仮装、ということで開催。
しかし、平日夜にそんなに人も集まらず、仮装の準備もできない人の多いなか、
3時間かけてひとり部屋で自分に包帯をまき続けた(そして力尽きた)
シン氏に拍手と涙をおくります。
手づくりの目玉のおやじはその後もさまざまな場所で活躍しています。

・2013年11月3日 餃子祭り
宇都宮市はいわずと知れた「餃子」のまち。
もともとの宇都宮市民の熱は実はそれほどないのですが、
市外から来た人の多いこのシェアハウスでは、かなり熱いのです。
この日は年1回開催する、12万人以上の来場者数を誇る「餃子祭り」が
ここからほど近い宇都宮城址公園で開催されていました。
なかでも入居者のゴロさんは前年に炊飯器片手に食べ歩いていた程の強者。
彼の発案で、同じ日にここカマガワリビングで独自に開催してしまおう、
ということで皆を誘い、餃子の買い出しに。

そして集めに集めた34店舗分、プラス手作り、約700個(140人前)の餃子たち……。
処理に困り、それぞれの友人を誘って食べ尽くすことにしました。
しかし焼き餃子だけでは何か物足りない。
そこで、流し水餃子(!?)を屋上で開催することになりました。
ホームセンターで雨樋を購入、餃子を茹で、屋上へ移動。
待ち構える総勢20名以上の餃子好きに向かって餃子を放流。
皆で餃子のまちの魅力を存分に楽しみました。
しばらくリビングも皆も臭いが消えなかったのは言うまでもありません……。

流し水餃子の様子。

・2013年12月14日 お料理道場
オーナーの友人でもある、料理家の越石直子先生に来ていただき、
入居者以外の方々にもシェアハウスに触れてもらう機会をつくってみました。
現時点、女性専用フロアのみ空いているので
女子限定のイベントです。料理に興味のある方(入居者含む)が参加。
主婦、学生、OL、飲食店スタッフなどなど。
シェアハウスならではの広めのキッチンスペースと道具類を存分に活用していました。

できたのは、砂肝とポテトのアンチョビソテー、アボカドとベーコンのクリームディップ、グリル野菜のパスタというワンプレート。美味しそうです。多めにつくり、入居者さんたちで相伴できるのも魅力です。

・2013年12月31日〜2014年1月1日 年越し
初めての年末年始。
例年は帰省していた入居者さんたちがなぜか皆帰らない……。
ということで、皆で年越し。
 ・年越し流し蕎麦:またもや屋上に雨樋設置。
 ・建物前で餅つき:水加減がうまくいかず、通りがかりのおばあさんに教えていただく。
 ・大掃除:なんとなく。
 ・宴会
 ・カウントダウン:気がつくと5分前。焦って皆で組み体操。完成せず。
 ・初詣:徒歩で宇都宮市の中心、二荒山神社へ。
 ・初日の出:屋上で。
 ・ニューイヤーボーリング:元気な人だけ。
かなり楽しく過ごしていたようです。
考えてみれば、地元ではなくて自分の住んでいる近所の人と過ごす年末年始は、
昔ながらの戸建てのあるまちに住んでいれば当たり前のことだったんですよね。
ちと元気過ぎる過ごし方でしょうけど……。

近所の子どもも興味深々な餅つきの様子。べっとべとな仕上りに……。

と、ここまで読まれている人は
シェアハウスってコトあるごとにパーティなどのイベントが開かれていて
“住んでいる人は毎日疲れてしまうのでは?”と感じてしまうかも知れません。
しかし、イベントは参加したい人、参加できる人だけ参加すればOK、というスタンス。
なので疲れていたり、テーマ的に乗り気じゃなかったり、起きられなかったりで
気ままに不参加でもいいんです。
その代わり、シェアハウス外の人も入居者の招待であれば参加OKの場合もあるし、
○○道場シリーズは一見さんでも参加OK、というように
会ごとに参加者の範囲、そして内容もバリエーション豊か。
気になるトコだけ参加しましょう。

個室は居心地よくカスタムできる。
共用部は充分な広さを持ち、他の住民さんと一緒に何かをやることも、
それぞれが好き好きに過ごしながら、他の住民と距離をとることもできる。
近所は地方都市とはいえども随一の商業地域。
3か月しか経っていませんが、
住民さんたちはここカマガワリビングの特徴を
上手に使いこなしてくれているようです。
良かったぁー。

さて、動き始めた「シェアハウス」という住まいの新しい選択肢。
しかしこのまちで生きていくためには当然働かなくてはいけません。
働かなくては家賃も払えませんしね。
そこで、私は仲間と一緒に新しいオフィスの選択肢もつくり始めました。

屋上からの初日の出。たった数か月前に出会った人たちで年を越す機会ってめったにないですよね。

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ビルススタジオ

住所 栃木県宇都宮市西2-2-24
電話 028-636-5136

トータス

海部(あまべ)藍に“あい”を感じて。

藍染めの本場といえば、阿波、徳島。
一見黒色ではと見紛うほど濃く染めあげた
暗い紫みがかかった青の「褐色(かちいろ)」は
鎌倉時代の武将たちに、縁起のよい「勝ち色」として大変好まれたのだとか。
この独特の自然が醸す色が出せるのも、「すくも」で建てた藍ならでは。
徳島の吉野川流域で育つタデ科の植物、藍草を乾燥させ100日以上かけて
発酵させた手仕事の「すくも」。それがすなわち「阿波藍」なのである。
現在は徳島県内のわずか5軒の藍師が伝統の技法で阿波藍をつくっている。

一方で、同じ藍草を使った草木染めながら
「すくも」をつくらずに染める製法の藍染めが
現在、予防医学の見地から健康志向の人たちに注目されている。
藍というハーブの薬草効果に着目したハーブ染め、「海部(あまべ)藍」だ。
海部藍は藍住町の藍師から譲り受けたタデ藍の種の藍を育て、つくられている。

室戸阿南海岸国定公園の中央に位置し、オオウナギやゲンジボタルなどの希少動物が生息する清廉な環境を誇る海陽町は、マリンスポーツのメッカだ。

徳島県南部の高知県との県境にある海陽町にある肌着メーカー、
株式会社トータスの亀田悦子専務は、今から10余年前、
肌着の未来を考えてユニバーサルデザインの勉強していたときに
美波町の障がい者地域生活自立支援センターで
子どもたちに藍染めを教えている地元の染織家と出会った。
そこで、自社の肌着を提供することを始め、
藍に関わるようになったという。
徳島の会社ということで、藍染めの注文もあったのだが
すくもで藍を建てるのはコストもかかるうえに難しく、
必ずしも毎回同じように建てられるものではないことを実感した。
また、染織家が芸術として“色”を追求している藍と
同じ瓶のものを肌着に使うのは違うのではないだろうか、と
亀田さんは頭を悩ませていた。

「毎日の肌着を藍で染めるにはいったいどうしたらいいのだろう?」

藍は、古くは中国や日本で解毒、解熱、消炎などの
漢方薬に使われてきた歴史がある。
また何度も何度も藍瓶に漬け染め上げた着物は、
温度変化に強く、冬に身につけると温かく、夏
は涼しいとされており、虫除けの効果もあるといわれてきた。
紫外線の遮断や抗菌消臭、水虫、アトピーなどに対する効果も
財団法人日本紡績協会や徳島大学薬学部で
研究・試験され、効果のほどが確認されている。

亀田さんは藍染めに関わったことで
藍という植物のもつ多様な機能を知り、
アレルギーやアトピーに悩んでいる人、
赤ちゃんに安心して身につけてもらえるような
藍染めの商品を開発したいと考え始めた。

さまざまな人に「藍のハーブ染めの研究を」と触れ回った結果、
なんと、2009年の12月から
経産省の事業となり、産官学一体となって
藍のハーブ染めの研究をするチームが結成された。
当然ながら、言い出しっぺの亀田さんがチームリーダーだ。
「そうそうたる学者の皆さんに混じってこんなおばあちゃんが
いるのは申し訳ない気持でいっぱいでした。
でも、ハーブ染めの可能性を追求するために
色を求めるよりも、藍の薬効のある成分が
繊維にちゃんと入っていくことを実証できるかが重要でした。
そのためには藍の薬効の検証や染めに関して
専門家たちによる研究が必要だったんです」(亀田さん)

研究するからには、まずは原料が必要だ。
同じ海陽町で、農業を営む山田孝治さんに声をかけた。
山田さんは慣行農法ではない方法で
安心安全をモットーに美味しい米を作る農家として
国内の品評会で高い評価を得ており、
研究熱心だと地元でも知られていた。
きっと、農薬不使用の藍畑づくりにも興味を示してくれるはず、という
亀田さんの予想を裏切らず、山田さんは彼女が求めている
取り組みについてすぐに理解し、実行に移した。

8年以上農薬を使っていない田んぼを藍畑に。究極の清流といわれる海部川の伏流水をひくことができる、谷間で農薬が飛来することもない最高の土地での藍栽培が始まった。

「いい藍が育つように畑の土をよくするために10年は必要。辛抱強く土を育てていけばどんどんよくなる」という山田さん。

「最初は藍をやれば儲かるよ、と
亀田さんを紹介してくれた人にいわれたのですが、
化学染料で手軽に染められる今、そんなわけはないと思いました。
ですが、藍でアトピーや困っている人たちを
助けたいという亀田さんの思いや、
ひとりで立ち向かう姿を見て
ボランティアでいいから手伝おうと」

藍栽培の経験がなかった山田さんは、
最初の1年はハウスで藍の育て方を勉強し、翌年から畑に種を蒔いた。
試行錯誤しながら藍は2年目から育つようになり、
3年目からは有用微生物群EMを散布し、土を育てている。
亀田さんと山田さんは生きている藍に関して詳細な統計をとり続け、
現在も研究は続いている。
研究会では、すでに藍のハーブ染めの薬効が認められている。

海部の地に初めて藍を植えた日、亀田さんは藍染めの装束に身を包み、祈りをささげた。

世代を超えて、さまざまな思いが結ばれていく。

海陽町は、世界的に知られる
サーフスポットのKAIFU(海部川河口)があることから、
プロサーファーや彼らの家族が多く暮らしている。
海とともに生きることを選んだ
サーファーたちのライフスタイルをのぞいてみると
やはり、自然を意識した生活を送っている人が多い。
そんなオーガニックなムードのある海陽町出身の
永原レキさんは関東で過ごした学生時代に
サーフィンの全国大会で優勝。
数々の大会で活躍したのち海外を放浪し、
世界の多様な価値観に触れて2009年に帰国した。
さて、この先どんなふうに生きていこうと、都内でブラブラしていたときに、
東京ビックサイトで開催された
自然派プロダクツを集めたイベントに出店していた
亀田さんに出会った。
全身藍染めに身を包んだ白髪のかっこいいおばちゃん。
興味本位に近寄ったら、商品のタグに
自分の故郷、「海陽町」と記されている。

「それはもう、驚きましたよ。まさか自分の故郷から550㎞も離れた場所で、
ピンポイントで海陽町から来た人に出会うなんて。
あれは運命の出会いでしたね」(永原さん)

「Think globally, act locally」世界を、そしてさまざまな業界を渡り歩き、やっと自分の居場所に帰ってきた永原さんの行動指針は、まさにこれ。

ちょうど、海外でも地元を大切にする人たちを見てきた永原さんは
放浪する前とは価値観が変わってしまっていた。
「よし、地元に帰ろう」
海陽町に戻ることに決め、他の仕事をしながら
亀田さんらと親交を深めていった永原さん。
そんな彼の周囲には一緒に地元のイベントを企画し
豊かな自然と共生する地域活性化に励む仲間も増えてきた。

大阪から宍喰(海陽町の旧町名)に移住して、ここで結婚し、サーフィンと農業を両立させているプロサーファー田中宗豊さん(左)は永原さん(右)のよき地元仲間。海外や遠方からくる客人を受け入れたり、一緒にイベントを企画したり、子どもたちに美しい海陽町の環境をつないでいこうと活動をしている。

永原さんは、現在はトータスで染めや企画、
営業などの業務を行っている。
彼の手先は、今や真っ青。
亀田さん同様に、藍色のネイルを施しているかのようだ。
「これはね、インディカンという藍の成分で、
むしろ、肌をきれいに保つんですよ」
と永原さんが誇らしげに手を広げた。
「亀田さんに会わなかったら、
ここには戻ってこなかったかもしれないな。
あそこで、地元に帰ってきたからこそ
人生のうえで大切なことに気づけたことがあったと思う」
藍畑を耕し、藍を通して地元の環境のことも学んでいく。
混ざり物がない天然染料なので、廃液は畑の栄養になり
余った藍の種や葉は藍茶として飲む事ができる。
昔から藍師たちに飲用されてきた健康茶だ。
まさに藍という植物のサステイナブルなあり方は
海が暮らしの一部になっている永原さんにすんなりとなじんだ。
ちなみに海部藍という名前の意味は、
6世紀に阿波の国から衣食住の文化を広めた吉野川流域の忌部族と、
海を渡る技術で彼らを支えた海部(あまべ)族から由来している。
また、海陽町は徳島県海部(かいふ)郡にあるため、
ここから世界に向けて薬草としての
藍の文化発信を、という意味もこめられている。

永原さんと亀田悦子専務、亀田洋三社長。まるで親子のような三人組。社長は後ろで微笑みながら、ふたりの活動を見守る役目だ。

藍は使ったら1回染めて終わりではない。数多く染めると次に藍の染める力が復活するまでに休ませないといけない。海部藍はすくもに比べると寿命は短いのだが、誰にでも扱いやすいというメリットがある。

ロングセラーの腹巻は筆者も愛用。自社栽培の海部藍で染められた腹巻はシャツの下から見えても恥ずかしくないカジュアルな色。

室戸岬が近く、空海が見た景色そのままの風景が地元にあることから、永原さんは空と海のグラデーションの手ぬぐいを企画。藍の産地は県北に集中しているため、県南らしいものをつくろうとふるさとの景色と徳島の文化である藍染めを融合させた。

商品化はできたものの、コスト面を考えると
まだまだ研究しなくてはいけない、と亀田さんはいう。
実際に染めてみて、すくもで建てた藍との色の違いや
その役割もしっかりとわかってきた。
自然と人が手をとりあって、循環していく
海部藍を誰もが暮らしに取り入れられるようにしていきたいという
亀田さんの願いは最初から変わらない。

海部藍の周縁にあるさまざまな“あい”のかたち。
土地に若い人が根付くよう産業、
農業を持続可能にしたいと思う山田さん、
地に足をつけ、自然豊かな故郷の良さを
いろんな人に知ってもらいたいと願う永原さん、
それぞれの想いが海部藍に託されている。
徳島県北の阿波藍の本場、吉野川流域の
藍住町から運ばれた藍の種は県南で発芽し、
植物の持つ叡智は、新しいかたちでどんどん広がっていく。

NO ARCHITECTS vol.3: 下町情緒と ホワイトキューブのつなぎ方

NO ARCHITECTS vol.3
このはなの建物から生まれた、ギャラリー空間

今回は、2013年3月にこのはなにオープンしたギャラリー、
「the three konohana(ザ・スリー・コノハナ)」の紹介です。
オーナーは、山中俊広さんという方です。
以前は、大阪の西天満にある「YOD Gallery」に勤められていて、
独立後は、インディペンデント・キュレーターとして、
美術に関わる展覧会の企画や執筆活動をしていました。
そして自分のギャラリーを持つという決意のもと、その場所を大阪市此花区と決めた山中さん。

「もともと、ギャラリー「梅香堂」へ訪ねたり、このはなは馴染みのあるまちでした。
このまちに決めた理由は、ひとつは此花で活動している人が比較的同世代であったこと。
ただの若気の至りで色々とやっているのではなく、
社会経験を踏まえた上で行動している人が多いというのは、
今後のこのコミュニティーの継続性という意味でも重要な要素でした。
もうひとつはこの下町風情のまち並みですね」
そんなご縁で、山中さんがオープンするギャラリーのリノベーションを
NO ARCHITECTSがお手伝いさせていただくことになりました。

建物の外観。看板の跡が残っていたので、銀色に塗装。

まずは、物件探しから一緒にスタート。
不動産屋さんに条件を説明し、良さそうな物件は手当たり次第、見て回りました。
そして、出会ったのがこの建物。
正面の玄関は大通りに面しながら、奥の勝手口を出ると、裏通りにも面していて、
そんな風にまちの中に溶けこむように建っているところに惹かれました。
もともとは不動産屋として使われていた物件だそうです。

物件が決まったあと、プランに入る前に、
山中さんが目指すギャラリーのコンセプトについて詳しく説明を聞き、
念入りにディスカッションをしました。建物の生かし方を考えながら、
つぶす部分・残すもの・新しくつくるものを検討していきました。
最初の段階で、明確なヴィジョンを共有していたので、
この先、ほとんど食い違うことなくスムーズに、計画案が決まっていきました。
僕らとしては、信頼関係が築けた状態で仕事ができて幸せでした。

入り口を入ってすぐ左手に、チラシ置きコーナーをつくりました。サイズのバラつきのあるチラシやDMなどをきれいに陳列しやすいように、各々の棚の高さをコントロールしています。

今回、ギャラリーへのリノベーションを手がけるうえで、
一番ていねいに計画すべきだと思ったことは2点。
まちとギャラリーのつながり、展示空間であるホワイトキューブと既存の和室のつなぎ方です。
特に外観のデザインは、山中さんのスタンスやギャラリーのコンセプトなど、
お客さんへの姿勢が顕著に表れてしまうので、最後まで悩みました。
ギャラリーとしての雰囲気は保ちつつ、たまたま通りかかって興味を持った方や、
展覧会を観に来る方が入りやすいようにデザインしています。
コピーライターでデザイナーの古島佑起さんがつくった素敵なロゴを、
ターポリンに印刷し看板をつくったり、
1階の空き部屋の窓にインフォメーションのコーナーをつくったりと、
合わせてサイン計画もやらせていただきました。

床の仕上げは、いろんな会社のPタイルのサンプルを取り寄せて、微妙な色味や質感も、一緒に確認しながら決めました。

入り口から直接2階へとつながる階段を上がると、
手前の部屋をメインの展示室としての真っ白いギャラリースペースに。
奥の和室は、そのまま残して第二展示室に。押入もそのまま備品などの収納として利用。
和室の脇にある、ギャラリースペースから奥へと続く通路は、
事務作業のスペースも兼ねました。

カーペットの下に眠っていた古いタイルを、コテを使って剥いでいるところ。粉まみれになりながらの作業です。

デザインしていない感じ

現場作業が始まると、まずは解体です。
床のタイルとカーペットを剥がして、壁を2か所抜いてます。
施工は、OTONARI(vol.2参照)と一緒で工務店のPOSさんと共同で行いました。
古い木造家屋のため、壁や床の歪みが激しかったのですが、
作品を展示したときになるべく影響がでないように、水平垂直を合わせる作業が必要でした。

リノベーションの工程の中で、歪みを補正する作業は、根気のいる作業のひとつです。左のオレンジのチューブは、光回線のケーブルを壁の中に通すためのものです。

展示空間を考慮し、壁の電源やエアコンなども、
極力目立たないよう、壁に埋もれるように取り付けています。
こうした新しくつくる壁の納まりや、既存部の色の塗り分けなどには、
デザインされていないように見せるデザインを徹底的に施しています。

山中さん自ら壁にペンキを塗っているところ。一緒にできる作業は、共有することが大事です。ちなみにとても上手でした。

既存の奥の和室や建物正面の独特のすりガラスを展示室としてそのまま残して活用することで、
ただ作品をホワイトキューブの中に展示するだけではない、
まちの雰囲気や地域性に対して、いかに作品を定着させるかということも、
作家に対して問いかけるように設計しています。
これも山中さんの意向ですが、そうすることで作家性や作品のもつ強度を、
明確に感じ取ることができます。

Konohana’s Eye #1 伊吹拓展「”ただなか” にいること」2013年3月15日~5月5日 撮影:長谷川朋也

Konohana’s Eye #2 加賀城健展「ヴァリアブル・コスモス|Variable Cosmos」2013年9月6日~10月20日 撮影:長谷川朋也

Director’s Eye #1 結城加代子「SLASH / 09 −回路の折り方を しかし、あとで突然、わかる道順を−」2013年6月7日〜7月14日 撮影:長谷川朋也

そもそもギャラリーとは、作家による作品の「展示」、
ギャラリストが作品の説明をするなどの「接客」、
お客さんによる作品の「鑑賞」の3つの目的が考えられますが、
山中さんの場合、展覧会の企画や広報などとは別に、
インディペンデントなキュレーター業もされているので、
そのための事務所スペースが必要でした。

事務所スペースのカーテンの製作は、美術家の加賀城健さんによるものです。椅子は、オープン祝いにNO ARCHITECTSとPOSからプレゼントしました。

しかし、誠実な山中さんの性格上、お客さんを一番大事にされているように感じたので、
あえて部屋やブースでは区切らず、通路に机と棚をつくって、
カーテンのみで仕分けてスペースを確保しました。最近ではカーテンも開け放ち、
個人的なスペースにも作品を並べ、より日常的な雰囲気のなかでの作品鑑賞を演出。
作業スペースとしてだけでなく効果的な空間になっているようです。

Gallerist’s Eye #1 岡本啓展「Visible ≡ Invisible」2013年11月8日~12月23日 撮影:長谷川朋也

the three konohana と、ギャラリー名にもまちの名前が入っていますが、
山中さんのまちに対する姿勢や意識の高さは、
「KAMO」というイベントの企画からもうかがい知れます。
KAMOとは、Konohana Arts Meeting for Osaka の略称で、
山中さんと関西アートカレンダーの森崎幸一さんと安川エリナさん、
協力メンバーにデザイナーの後藤哲也さん、
もともと、このはな在住のダンサー大歳芽里さんの5人で運営されています。
月1回、アート関係者やデザイナーなどのゲストを招いてトークするというイベントです。
開催されている場所は、(前回の記事)で紹介した、
まちのインフォメーション兼寄合いのスペース「OTONARI」です。
自分のギャラリー内ではなく、より開かれた場所で行うことで、
このはなに訪れる美術関係の方と、
まちに住む人たちとの交流が生まれる仕掛けをつくっています。

僕らも二回目のKAMOにて、大川さんと一緒に此花アーツファームとしてトークさせていただきました。

下町の風情が残るこのはなに新しくできたthe three konohanaは、
まだ一年も経たないうちに、イベントでの連携や寄合いなどの交流で、
このまちに定着していっています。
それは、the three konohana というスペースの性格を超えた、
山中さんの人柄なのだろうと思います。

ちなみに、2014年9月5日~10月19日の期間、the three konohana にて
NO ARCHITECTSの展覧会をさせていただくことになっています。
このはなのリノベーション物件などを巡るツアーも計画中です。
ぜひ、このはなにお越しの際はthe three konohanaに、お立ち寄りください。

informarion


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the three konohana

住所 大阪府大阪市此花区梅香1-23-23-2F
電話 06-7502-4115
http://thethree.net/

information


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NO ARCHITECTS

住所 大阪市此花区梅香1-15-20
http://nyamaokud.exblog.jp/

山ノ家 vol.3: 外装工事と雪

山ノ家 vol.3
未知の不安に“挑む”覚悟で

この空き家を利用するための、複雑で長い最初の一歩を乗り越え、
結局11月も後半を迎えるという時期にまで引っ張ってしまった外装工事。
ついに、建物に手を入れるときが来た。
今回の外装工事にあたって、
地元の工務店さんの下請けというかたちで僕らができる限りの作業を行い、
プロでないと、という部分は大工さんが入るということになっていた。

気持ちは少しだけ焦っていた。
12月20日くらいには終わるようにおおよその段取り、工程は工務店さんと決めたものの、
完成できる実感が全くといっていいほど想像できない。いつから、どれくらい雪が降って
どんな風になるのかも読めない。早い時は12月の初旬から降る、という話もあるし、
本格的に降るのは12月後半からだ、という人もいる。
僕らは東京でこなさなければならない予定もあるが、
とにかく現場に行かないとコトが進まないだろう。

離れた地でのリノベーション。しかも、外装工事。
今までに経験のないことで、どうなるのかわからない。
「なんでこんな大変なことを選択したのだろう」
と思ったこともあったが、とにかく今はやるしかない。
妄想をかたちにしていくのは、その後だ。
それにやるべきことがひとつある、それは自分たちで行う作業のための人材の確保だ。
とにかく、体を動かして手伝ってくれる若者(特に男子)が必須だった。
そして、こういうどうなるかわからないような、
しかし面白そうな新しいことを始めるときには必ず声を掛ける相談相手がいた。

スズキアキオくん。
彼はアートの設営を主体に、内装などまで幅広く「bibariki」という屋号で活動をしている。
前出のCET(セントラルイーストトーキョー)などのプロジェクトを一緒にやり遂げたり、
ある種同じ価値観をもてる貴重な協力者だ。
今までの経緯と、これからの展望を彼に話すと、やはり興味を持ってくれ、
一緒に動けそうな人も探せそうだと言う。とても心強い。

彼と何度か打ち合わせをして、今後のスケジュールなどを組み立てていった。
時間が限られているので、とびとびでも行けるタイミングにはなるべくまとめて行き、
作業を進めることが必要。そのために、地元の若井さんにも協力を仰ぎ、
現地に行っているときに寝泊まりできる場所の確保などをお願いした。
僕も、できる限りスケジュールを調整してこの外装工事に挑むつもりでいた。
最初に空けられるのはやはり週末くらい。しかしそれでは終わらないので、
12月は平日も空ける調整をし続けた。
年末に向けて忙しい時期に予定を調整するのは至難の業だった。
アキオくんから声を掛けて反応してくれた人たちが、
12月中旬から1週間くらいなら十日町に入っても大丈夫そうだ、という。
このタイミングで一気に片付けてしまいたい。
寒い外部での作業になるであろうことを考え、
防寒と作業効率の良さそうな上着を入手したりもした。

物件に仮囲いと足場が組まれた。

11月19日、撤去最初の日。手前がアキオくん。シャッターを解体中。

とにかく、覚悟は決まっていた。
ただ、どこまで続ければ終わるものなのかは正直見当がつかなかった。
ちなみに、僕らが行うことになっている、主な作業は以下のような感じ。

・外部仕上げ材の解体撤去
・透湿・防水シート貼り
・縦胴縁(たてどうぶち)取付け
・下見板塗装・取付け
・外壁材取付け
(古民家風意匠としての)付け柱・付け梁取付け

文字にするとこれくらいしか無いのだが、それぞれ必要な作業量が想像以上に多い。
この建物の大きさは、正面が7.5m弱、奥行きが10m、高さが約6m(軒下)、
背面は助成対象外ということもあり、今回は手を付けないのだが、それを除いても
これだけの外壁に手を施すということは冷静に考えると結構なボリュームになる。

少しでも早く終わらせようとかなり気合いを入れて現場に挑んだ。

建物側面のサイディングを撤去。意外といいペース。河村くんと、興味を持って参加してくれたアーティストのカミヤさん。

12月1日、正面の外壁撤去。これはかなり高さがあり怖く感じた。一番上の破風板(屋根の正面を塞ぐ板)は6.5m超えの位置。

12月に入ってからようやく、連泊での作業を開始した。
朝は7時に起床。朝ご飯を食べ、身支度をして、8時過ぎくらいに現場へ。
ラジオ体操をしてから、その日の作業を確認し、それぞれが動き出す。
休憩は10時と3時にきっちりとる。昼食後には少し横になって午後の作業に備える。
作業の集中力と体力をキープするためにはこのリズム感は欠かせない。
そして5時から5時半くらいまでで片付けをしてその日の作業は一旦終わりにする。
宿泊時の食事は自分たちでつくる。さながら合宿(何の?)である。
アキオくんは楽しむつもりで、
レシピ本を持参でかなりちゃんと計画的に食事の段取りも組んでくれた。

ある日の夕食。メインは妻有ポークのショウガ焼き!

はじめが比較的いいペースで進行できたこともあって
このペースでいけば案外早く終わらせることができたりするかもしれない
という気持ちも芽生えてきていたところで、一時的に東京へ戻る。
次の週(12月の中旬)に行く時からは、ヘルプメンバーも来るし、大工さんも入る。
ここで一気にできていく事を期待……。

工事という「日常」と、雪ほりという「日常」を通じて

12月の中旬から、作業を追い上げるべく、いよいよ大工さんが加わる。
僕らのほうも、1週間滞在してくれる応援部隊が入り、現場は一気に人が増えた。

縦胴縁に、下見板を取付ける為の隅出し(基準線をつけること)。ずっと滞在してくれたスタッフ、カキハラくん、ササキくん、モミーくん(愛称しか憶えていない)。

この物件に入った大工さんは3人。僕らと挨拶は交わしてくれるものの、
各自の役割をプロとして遂行することに集中していてなかなか話しかけづらい雰囲気だった。
彼らからしてみれば、訳のわからないシロウト若者たちが
現場に入ってどこまでやれるのだろう、というような心持ちだったと思う。

僕らにしてみても、工務店の現場担当の人と
次に何をするのかを話しながら作業はしているのだが、
今までの経験とはちょっと違う雰囲気に戸惑いながらで、とてもぎこちない。
ミリやセンチではなく尺寸でやり取りされることだったり、
インパクトドライバーでビスを止める、ではなく、げんのうで釘を打つ、ということだったり。

大工さん達の背中が現場の緊張感を語っている。彼らは入り口の建具枠をつくっているところ。

何をやるべきか、どのようにやるべきかが、今までと勝手が違いかなり手探りであった。
現場の雰囲気に気を使うことも増えて、
飛ばし気味でマイペースで行けた最初と少し状況が変わった。

休憩時間に、缶コーヒーを手渡したりしているうちに、
次第に打解けて少しずつ会話ができるようになっていった。
そうして休憩を取るごとに、大工さんたちは僕らが知らないこの地のこと、
昔のことなどををぽつぽつと語ってくれた。
「20〜30年前くらいまでは、この通りは本当に賑わっていた」
「冬は本当に雪が深くて身動きが取れなくなるし、
仕事もできなくなるので関東に出稼ぎにいっていた」
「だんだん人が少なくなっていくので、
外から人に来てほしいからということで鉄道と国道をつくったら、
それによって人はまちから外へ出やすくなったことで逆に人がもっと少なくなっていった」
そんな風に自然と口をついて出てくる言葉がとても深くて、染み入った。

休憩時の写真。奥のふたりが大工さん。向かいの地元の方はストーブを貸してくれたり、お菓子を持ってきてくれたりと、本当にお世話になった。

そのうち、大工さんもいろいろと細かく工事のときに
コツをアドバイスしてくれたりするようになり、作業の連携もとれるようになってきた。
コミュニケーションも取りやすくなったことで、
ようやく全体がいい感じのチームワークで進み始めた。
ちょうどそんな頃だったと思う。
ついに雪が降ってきた。
東京のようにすぐにとける雪ではなく、みるみるうちに積もっていく。

その日から、朝の日課が新しくひとつ増えた。雪ほり、流雪溝への雪流しだ。
エリアごとに時間帯が区切られているので、通り沿い数件が一斉に始める。
これによってえも言われぬ一体感を体験した。
これを日々行うことが、ここでの日常。
こうしてコミュニティはつくられていくのだということを実感した。

雪ほりのこつを教えてもらったり、見かねて手伝ってくれたり。
「大変だろー。いやになるだろ」と声をかけてくれたり。
まだまだ僕らには新鮮だったので、
嫌になるということは無かったが、楽しんでいる余裕もなかった。
若者たちが無邪気に楽しんでいるのはちょっと救われた気分だった。
彼らは最初、1週間の滞在という約束だったがこの調子では到底終わらない。
無理を承知で相談してみると、みんな「まだ続けたいので大丈夫です」と。
涙が出るほど嬉しかった。
「カップルであふれる、キラキラした東京にはむしろ帰りたくない!」
という冗談も飛び出した。
意外に居心地よかったのもあるかも知れないが、
実際のところは、ここまでつくったのに中途半端では帰りたくなかったのだと思う。

それから何日かおきに雪が降ってはやみ、だんだんとまちが白くなっていく。
道路に雪が積もってくるたびに、除雪車も稼働していた。
そのさなかにも作業を続ける。最初の頃は暗くなったら終わり、
という感じだったが日が沈んでも照明をつけながら作業を続けた。
なにより、高所作業のために組んである仮設の足場で行う作業は先に済ませないとならない。
雪が本格的に積もったら重みで大変なことになるのでその前に外さねばならないからだ。

ついに下見板が貼り上がった。この光景は感動的でさえあった。

付け柱や付け梁を取付ける。また高所作業。怖い、その上、部材がものすごく重たい! 上手に仮止めを利用する智慧なども授かりながら。大工さんはこれをひとりでつけたりもしていたのだが。

高い場所での作業に終わりが見えてきたころには、雪はかなり本格的に降り続けてきた。
河村くんに借りていた乗用車にチェーンをつけて、
なんとか食材の買い出しなどをしていたのだが、
夜中降り続けた12月24日の朝、車が完全に埋もれていた。

ある程度雪を掘って救出してから現場作業に入ろうとしたが、これがかなりの重労働。
なんとか終わらせて作業に戻った。
これではまたすぐに身動きが取れなくなると思いお昼の休憩時間に
車をどこかへ避難させようとしたときに、道路の真ん中でチェーンが外れた。
見かねて手伝いにきてくれた近所の方いわく、
「こんな車だとここではもうこの先動けなくなる。
また降り始める前にすぐにまつだいを出たほうがいい。
そうでないとこの冬中車をここに放っておくことになる」と。

現場の終わりはほぼ見えていた。あともう一歩というところだったが、
この言葉を聞いたら、みんなを乗せてこのまま戻らなければどうなるかわからない。
残りの部分をお願いすることを工務店の担当の方に連絡し、皆と車で東京へ戻ることにした。
とてもつらい選択だったが、そうせざるを得なかった。
しばらく過ごせた日常と、地元の人々の温かさのなかに垣間見た、自然の厳しさ。

皆にも事情を話し、急ぎ荷物をまとめてもらって高速へ向かった。
そのときの帰り道の風景の綺麗さに、とても複雑な思いを感じながら、東京へと。

つづく

MAD City vol.3: 騒音オフィスを快適な ものづくりスペースに

MAD City vol.3
無茶ぶりこそ、新たな可能性のヒント!

僕らMAD Cityに声をかけてくださるお客さまは、
一般の不動産屋さんにはご相談できない内容を持ってきてくれることが、ほとんどです。
例えば、アーティストの西岳拡貴さんからのご相談もそうでした。

「倉庫か工場に住んでみたいんだけど、
そんなとこあるかな? 家を出たらすぐにアトリエみたいな、アトリエ兼住居がいいんだよね」
西岳さんは普段は高校の先生として美術を教えながら、
アーティストとしても活躍していて、今年の「あいちトリエンナーレ2013」に
招待アーティストとして参加されるほどの実力の持ち主。

あいちトリエンナーレ2013のキッズトリエンナーレでのワークショップの様子。右から2番目の赤いシャツが西岳さんです。

さすがパンチが効いたご相談内容で、こちらもワクワクします。
ただし、残念ながらハードパンチすぎて、すぐには対応できませんでした。

クラフトユニット「cLab」の橋本 翼さんたちからのご相談もなかなかユニークでした。

「友だちと数人で、ものづくりの場をつくろうとしていて、
丸ノコで木を切ったり、金槌で鉄を叩くような作業など、
思いっきり音を出しても怒られない場所を探しているんです!」
橋本さんは、「C−products」というブランドを立ち上げ、
樹脂などを使って釣具のルアーを手作りする作家さんです。
動物のモチーフを中心としたアクセサリーブランド「Animateras」の宮本 厚さんなど、
ものづくりに携わる仲間たち数人で、
ものづくりを追求できるアトリエを探しているところでした。

橋本さんがつくったブラックバス用のバルサ製ハンドメイドルアー。

「できれば改装も自分たちでしたくて。たくさん不動産屋さんを回ったんですけど、
どこの不動産屋さんにも相手にしてもらえなかったんです。
でもMAD Cityさんなら、なんとかなりそうな気がするんです」
と橋本さんたち。ありがとうございます! 改装可能な物件ならあります!
でも音出しがOKな物件は結構厳しく、
結局なかなか良い物件には巡り会えませんでした。

そんな折、とあるオーナーさんから相談を受けました。
「あの〜また困っちゃってる場所があるんですよ〜」

それはオーナーさんが所有する建て壊し寸前だった住宅を、
アーティストのご兄弟に借りてもらう契約をした後のこと。
何年も埋まっていない2階の事務所物件もあるから、
そちらも募集してもらえないかと相談されました。
さて、どんな物件でしょうか。

オーナーさんの事務所物件。

それはそれは不動産屋さん泣かせな物件でした。
線路沿いにあるだけでなく、
1階はビニールの加工工場となっているため、いつでも絶賛騒音中。

(上)窓をあければそこは線路。(下)1階にはビニールを加工する工場があります。

室内もキレイではなく、部屋はふたつなのに出入口はひとつしかないので、
分割して、家賃を安くしようにもできない間取り。

間取り図。西棟には東棟を通過しないと入れない構造。

さらには、なぜか付いているシャワールームが事務所の面積を減らしていました。

隅っこにぽつんと置いてあります。

見ればみるほど事務所として貸せなさそうな条件を揃えている物件。
それなら、事務所以外の方法で貸すしかありません。
そこで改めて物件を見てみると……
あれ、線路沿いってことは、逆に音出し放題だな。
待てよ、ここ倉庫みたいなのにシャワーがあるから住めるな。

あ!!!!

僕は急いで西岳さんに連絡しました!
「住めそうな倉庫が出たよ!!」
(もう二度と発しないであろうセリフです)

そして橋本さんたちにも連絡しました!
「音出し放題の場所があるよ!!」
(怖くて普段は言えないセリフです)

2組とも部屋はすぐ気に入ってくれました。しかしネックは家賃。
もともと両方のスペースを1部屋として募集しているため、
このまま契約するとどちらかが、使わない部分の家賃を支払うことになってしまうのです。
もちろんどちらかが契約をして、2組でシェアハウスにできれば問題は解決しますが、
知らない者同士でシェアハウスをすると、どうしても契約者に支払いリスクが生じてしまう。

そこでオーナーさんに交渉し、それぞれの部屋ごとの契約を了承してもらいました。
そして、入居後にトラブルにならないよう、
初対面の2組にお見合いのように会ってもらう日をつくり、
部屋の出入り、駐車スペースの使用方法、
そしてキッチン部分のシェアのルールを決めて契約しました。
無事特殊な契約条件がまとまり、ここから2組のリノベーションはスタートします。

自分にとって居心地が良い場所にいじっちゃう

東棟を借りた橋本さんたちはまずは床から着手。
歩くとフワフワして、なんとなく抜けそうな恐怖感にかられる床に、
コンパネを敷いて塗装。足場を固めたあとは、壁面を塗装し、道具の棚を設置。
さらには作業机もDIYでつくりました。

元々は事務所スペース。

現在はこんな感じ。雑多な感じが、アトリエ感を醸していて素敵です。

橋本さんは普段はこのように作業しています。

線路沿いという環境も重宝しているそう。
「夜中に音を出す作業をする時は常磐線の通過に合わせています。
夜、音出し作業をする時は、早く常磐線来ないかな〜っていう気持ちになりますね!」
おかげで、これまで音については、近隣の住民から一度も怒られたことはないそうです。

一方の西岳さんのリノベーションはこれまたユニーク。
見た瞬間に「ここしかない!!」と惚れ込んだこのスペースを
理想的にリノベーションするため、まずはスペースの中にテントを張って宿泊し、
イメージをふくらませたそうです。

その結果、このだだっ広い作業スペースの中に

小屋を建てて、その中で生活するようになりました。小屋in倉庫です。

小屋は住みながら、サイズを調整できるように、
全ての柱を1800ミリの垂木に合わせて組み立てたそうです。
ちなみに小屋の上はあがれるようになっており、本人曰く「中2階」なんだそうです。

小屋の中はテレビ、ベッド、テーブルがあって普通に快適です。

小屋の外はアトリエになっています。

それぞれの感性で自分の空間をまるでレゴブロックのように遊びまくっている2組。
シェアすることで、さまざまなメリットもあるそうです。

例えば、橋本さんたちはアトリエを借りてから初めてDIYにチャレンジしたため、
当初は机がグラグラしてしまったりとうまく作れなかったのだそう。
そんなとき「足と足の間に一本、柱をつけると全然違うよ」
との西岳さんのアドバイスで、解決したそうです。

そんな西岳さんは工具を購入するときに
「実はお隣りにあるものは買わないことにしている」と笑います。
壁面の棚も、橋本さんたちの棚からヒントを得てつくったそうで、
自然と助けたり、助けてもらったりという関係が生まれているようです。

自分たちの目的を叶えてくれつつあるこの空間。
次第にこのスペース自体に対する夢が膨らんできたそうです。
それは、「ものづくりに関わるさまざまな人が集まったり、出入りできたりする
場所にしたい」ということ。

スペースの将来について企画中の橋本さん(右)と西岳さん(左)。

「情報、人脈、技術をシェアできて、作家がここにくれば何でもつくれる場所にしたいです。
ものづくりに関わる人の楽園のような場所に」と言う橋本さん。
西岳さんは「僕は、教師としての日々や、あいちトリエンナーレで行った、
子どもたちとのワークショップを通じてアートを伝えていくことに関心が湧きました。
例えば近所の子どもたちと集まってここでワークショップをしたい。
一般の人に来てもらえる場所にできたら」と、今後の希望を話してくれました。

この物件は、事務所としては決して優良物件ではありません。
それが条件や見方を変えただけで、
少なくともこの2組にとっては理想の物件に変化しつつあります。

それは2組が場所に適応しているから。
その様子はまるで地球環境が変化するたびに、
ことごとく進化し生き延びてきた、生物の本能にさえ見えてきます。
動物が巣をつくるように、今いるところを居心地よく変化させていく。
それが本来のリノベーションの姿なのかもしれません。

実は、この取材がきっかけとなり、
来年に向けて2組で、人に訪れてもらえる企画も進行中なのだとか。
ハードはもちろん使い方さえもリノベーションしていこうという、
2組の進化はまだまだ続いていきそうです。

information


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MAD City(株式会社まちづクリエイティブ)

住所 千葉県松戸市本町6-8
電話 047-710-5861
http://madcity.jp/

川俣シャモ×会津地鶏。 福島の銘柄鶏がベトナム料理に。

闘うシャモと、美しい地鶏。

福島県には、ルーツも味わいも異なるふたつの銘柄鶏がいる。
ひとつは「川俣シャモ」。

福島市の東に位置する川俣町で育つ鶏で、
現在町内の16軒の農家が飼育している。
養蚕の町として栄えた川俣町で、
絹織物を扱う旦那衆が、趣味で飼っていた軍鶏がルーツ。
闘うことを宿命づけられた鶏なので、
運動がさかんなボクサータイプ。
その肉は筋肉質で、発売当初は「肉が硬い」との声が多かった。
そこで原種に肉用のレッドコーニッシュとロードアイランドレッドという、
異なる品種の鶏を交配して改良を加え、肉量をアップ。
それが現在の「川俣シャモ」。
弾力のある食感と、ジューシーな味わいが特徴で、
フレンチやイタリア料理のシェフの評価も高い。

もともと運動量の多い鶏なので、天気のよい日は外へ出て、
草や虫を食べながら、育っていた。
震災以降は、原発事故の影響を考慮して、屋外での飼育を断念。
現在は、屋根のある広い鶏舎で、年間約5万羽が育てられている。

もうひとつは「会津地鶏」。
そのルーツは古く、450〜500年前には、
会津地方に存在していたと伝えられる。
雄鶏の黒い尾羽が特徴で、主に観賞用の鶏として飼育された。
会津地方に春を告げる「会津彼岸獅子」の獅子頭にも使用されている。

本来は観賞用の鶏で、性質はおだやか。
美しいモデルタイプといえるだろう。
1987年、会津地鶏は純系の固有種であることが判明。
しかし身体が小さいため、飼育する人もなく絶滅寸前の状態だった。
そこで、肉用のホワイトプリマスロック、
さらにロードアイランドレッドを交配。
こうして1992年に新しい「会津地鶏」が世に出た。

会津地鶏は、卵肉兼用種でもある。
採卵用の鶏は、肉用の鶏とは飼料も育て方も異なるが、
「卵も肉も」食味のよいのが自慢だ。
現在は、ヒナの育成を行なう㈱会津地鶏ネットを中心に、
7軒の農家が年間約10万羽を飼育している。

福島の銘柄鶏がベトナム料理に!

10月14日、東京・大崎のベトナム料理店「コム・フォー」で、
第2回県産品消費者理解促進交流会のイベントが開催された。
この日のテーマはズバリ「ふくしまの地鶏とシャモ」。
両者を一度に味わえるチャンスは、福島県民でもめったにない。
今回は、福島を代表する2つの銘柄鶏がベトナム料理で競演。
どんなシェフの、どんな料理が登場するのだろう?

現地を訪れ、不安が自信に変わった

「私自身、実際に福島へ行くまでは、不安でした」
そう話すのは、「コム・フォー」の小林武一郎シェフだ。
震災以来ずっと「不安」を抱えていた。

「福島の食材は、本当に大丈夫なの?
 そうお客様に聞かれた時、自信を持って答えられない。
 だけど何かしなければ…そんな葛藤がありました」
そんな時、友人で福島県出身の菱沼欣也シェフ(COCONOMA Season Dining)に誘われて、
福島県主催の「ふくしま応援シェフ」の産地見聞会に参加。
この時初めて福島県を訪れ、生産者現場をめぐった。
驚いたのは郡山市の農業総合センターで見た検査の様子だった。
「ここまで厳しくやっているとは、知りませんでした」

さらに、現地の人たちの栽培に取り組む前向きな姿勢に驚いた。
「あんなに大変なことがあったのに、
福島の方々は、みんな自信と誇りをもって栽培している。
生産者も料理人も食の“プロ”を自負する人は、
自分が食べたくないものを、人に提供できないはず。
これなら間違いない。
そのとき僕の認識も大きく変わりました」
そして、自ら「ふくしま応援シェフ」として、名乗りを上げた。

そんな小林シェフは、地鶏とシャモを「手羽先のスパイシー香味揚げ」として提供。
2種の手羽を、日本酒、ナンプラー、ベトナムのカレー粉、
ニンニク、ショウガ、一味唐辛子を混ぜ合わせた調味液に1日漬け込んで、
味を沁み込ませた後、油でカラリと揚げたもの。
ナンプラーに香辛料が溶け込んで、南国風の香りがする。

「どっちが地鶏かな? こっちがシャモかな?」
「シャモは思っていたより、ずっとやわらかいんだ」
「会津地鶏も、とってもジューシー」
「表面の皮の脂の匂いが、ちょっと違う気がする」

会場では、さまざまな声が飛び交っていた。
けれど味や食感に関する感想は、人それぞれ。
甲乙はいずれも付けがたく、
結局「どっちもおいしい」という結論に達する人がほとんどだった。

地鶏と呼ぶための条件が「日本農林規格」で定められている。
「在来純系種、または在来種を素びなの生産に両親か片親に使ったもの。
 飼育期間が80日以上、28日令以降は平飼いで、
 1㎡あたり10羽以下で飼育しなければならない」
というのがそれだ。
ブロイラーの鶏の飼育日数は50日前後。
これに対し、川俣シャモは110〜114日、
会津地鶏は雄が110日、雌が130日と倍以上の飼育期間を要する。
さらに1羽あたりの鶏舎の面積も広いので、運動量も多いのだ。

濃厚なスープが取れる、肉も骨も美味しい鶏

会場には、会津地鶏を生産する㈱会津地鶏ネットの関澤好春さんの姿も。
震災からこれまでの歩みを振り返っていただいた。

「会津地方は、地震の被害は少なかったのですが、
 震災直後、会津のホテルや旅館は避難所になり、
 一般客がまったく来ない状態に。
 地元からの注文はゼロになってしまいました」

それでも東京の居酒屋チェーンが80店舗で会津地鶏を導入。
看板メニューとして販売し続けたことで、生産を継続できた。
現在はNHKの大河ドラマ「八重の桜」のブームもあり、観光客も徐々に増加。
地元のホテル、旅館の注文も少しずつ回復してきている。
しかし、新規の顧客がなかなか増えず、全体の出荷量は伸び悩んでいるともいう。

「商談会や物産展の会場で、
 あからさまではないけれど『避けられている』と感じることはあります。
 汚染水の問題も含めて、原発の問題が収まらない限り、それは消えない。
 2年や3年で回復できるものではない。まだ時間がかかると感じています」

伸び悩む原因のひとつがその価格。
地鶏は生育期間が長い分、生産コストもかかる。
「世の中全体が不景気で、居酒屋さんは安い食材に変更せざるを得ない。
 それもまた顧客が増えない一因です」
その一方で、「鶏ガラがほしい」と、
わざわざ会津の鶏舎を訪ねるラーメン店の店主もいるという。
じっくり時間をかけて育つ会津地鶏の骨から、濃厚なスープが取れるからだ。
「肉も骨も使える鶏です。違いのわかるプロの方に使っていただきたい」

肉の美味さもさることながら、実は出汁も美味い。
そんな特徴が如実に現われているのが「会津地鶏のフォー」だ。

「今回はあっさりしたフォーなので、肉からスープを取りました。
 地鶏からは、かなりコクのあるスープが取れますね。
 これが骨付きの丸鶏だったら、もっと濃い出汁が取れると思いますよ」
というのは、調理を担当した「コム・フォー」の山本晋司さん。

会津地鶏は、ベトナム料理でもその本領を如何なく発揮。
時間をかけてじっくり育て上げた地鶏の味わいは、ここにも活きているのだ。

この日、もう一品、登場したのが、
「スモークメイプルサーモンの生春巻き」

メイプルサーモンは、西白河郡西郷村の㈱林養魚場が生まれ故郷。
山あいの養魚場で育つ、完全養殖のニジマスだ。
清涼な阿武隈川源流の水で育てられるため、
寄生虫などの心配はなく、生でも安心して食べられる。
それが、生春巻きの具材となって登場した。

「ベトナムにサーモンはいませんが、
 今回はあえてスモークサーモンを選びました。
 クセがなく使いやすい食材ですし、
 今回は魚卵も一緒に添えました。
 一緒に巻いたスプラウトもすばらしい!」
と小林シェフ。

スプラウトは郡山市の「降谷農園」のものを使用。
この農園は、東北でいち早くスプラウトの栽培に着手。
カイワレ、ブロッコリー、マスタード、豆苗など、その種類も豊富だ。
「すごく新鮮で、味わいも濃厚。
 ベトナム料理は野菜をふんだんに使います。
 サラダなどに、盛り込んでいきたいですね」

会津地鶏、川俣シャモ、メイプルサーモン、そして降谷農園のスプラウト。
「コム・フォー」のベトナム料理を通して、
福島の食材を堪能した参加者の中には、
3歳の男の子を連れたお母さんの姿もあった。

福島県の「県産品振興戦略課」の担当者から、
福島県では、農産物の収穫前と収穫後にモニタリング検査が行なわれていることや、
米については全量全袋検査が行なわれており、
「安心して召し上がっていただける」ことなどが、説明されていた。

参加者のひとりは、
「福島の人たちは、こんなにがんばっているのに、
 なかなか風評が収まらない。残念なことです。
 ぜひこういう機会が増えて、
 福島の食材が広く世に広まっていけばいいなあと思います」(30代男性)

「同じお金を払うなら、わざわざ福島県産のものを買わなくていい。
 そんな声も聞かれます。
 だけど我々は、福島で生きていかねばなりません。
 たとえ時間がかかっても、がんばっていきたい。
 今、福島からダメなものは出ていません。
 安心して食べていただけます。
 こんな状況を打開するのは、みなさんの口コミだと期待しています。
 我々は、真面目に、一生懸命ホンモノを作っていきます。
 これからも応援していただければありがたいです」
会津地鶏の生産者、関澤さんは、挨拶でそんな風に訴えかけた。

コム・フォーの小林シェフは、
「実際に現地を訪れて、食材を見たり、味わったりすると、
 福島の捉え方が変わります。 一般の方が現地に行って確かめるのは難しい。  
 我々食のプロが、それを伝えていきたいと思います」 と挨拶した。

今、福島県に78人、東京に51人、
その他の地域に13人の「ふくしま応援シェフ」がいる。
そんな料理人と食材たちを仲立ちに、
福島を思い、考え、伝える——そこで生まれる対話のひとつひとつが、
大切な一歩になる。そんなことを実感させられる交流会だった。

福島県農産物モニタリング情報「ふくしま新発売。」
http://www.new-fukushima.jp
「県産品消費者理解促進交流会」
◎第4回「1月〜正月食べ過ぎ解消 ふくしまの冬野菜と麺とパン」


1月20日(月)15:00~17:00
播磨坂 もりずみ(森住 康二シェフ)
東京都文京区小石川4-15-13
HARIMAZAKAビル 1F
03-5805-3655

1月21日(火)15:00~17:00
四川豆花飯荘(遠藤 浄シェフ)
東京都千代田区丸の内1-5-1
新丸の内ビルディング 6F
03-3211-4000

1月22日(水)15:00~17:00
ソーゼージスタイル流行hayari(村上武士シェフ)
東京都渋谷区恵比寿3-48-5 
グランデ恵比寿 2F
03-5422-8467


◎参加費
1500円(1名)
※お帰りの際に、参加者全員にBears Bear fukushimaふくしまを抱くクマ「しまくま」をプレゼント

◎申し込み方法
「ふくしま応援シェフ」のホームページで申込書をダウンロード、必要事項を記入のうえ、FAX またはメールにて申し込み 
http://fukushima-ouen-chef.jp/

お問い合わせ

事務局 会津食のルネッサンス

 

福島県会津若松市中島町2-52
TEL 0120-91-0617 (10:00~18:00 ※土日祝日休)
FAX 0242-93-9368
E-MAIL order@a-foods.jp
http://www.a-foods.jp/

〈アタラタ〉
プレオープンイベント

未来へつながる六次産業化モデルファーム。

仙台空港から近い宮城県名取市は東日本大震災で、大きな被害が出た地域。
そこにオープンするアタラタのプレオープンイベントに、
たくさんの幼稚園児とそのお父さんお母さんが集まった。

アタラタは、パンの〈ル・タン・リッシュ〉、そばの〈焔蔵〉、
ビュッフェレストランの〈アタラタ・マルシェ〉という飲食店が3軒と、
キッチンスタジオを備えた施設。
イタリア語で“絆をつなぐ”という意味の
“アタッチェ・ラタッチェ”をもじってネーミングされた。

「命は助かったけれど、ひとの役に立てない。
仕事の大切さがわかった、という声がありました」と震災後の話をしてくれたのは、
炊き出しや物資の輸送などを行っていた
「東北6プロジェクト」代表理事の渡部哲也さん。
今後必要になるであろう雇用の確保を目指して、アタラタを立ち上げた。

そのころ、いち早く被災地に赴き、
渡部さんたちと復興のお手伝いをしていたリバースプロジェクトは、
この話を聞き、共同でプロジェクトを進めていくことになる。

「災害が起こったときに、地域に食糧を提供できるような施設をつくりたいと思い
賛同しました」と語るのはリバースプロジェクトの村松一さん。
主にグランドデザインと建築デザインを担当した。

ただ単に“新しい施設で元気になろう”だけではなく、
防災意識を継承していくためのシンボリックな建物となる。
そばを打つ機械やパンを焼く窯は、
災害に強いというコンセプトから出てきたもの。
電気や水道が止まっても、備蓄の水と粉があれば薪でパンが焼ける。

とはいえ、当面の目的は新しいコミュニティづくりともいえる。
そのなかでコアに展開していくのが、
農業生産者を守りながら消費者とつながっていく六次産業化である。

「生産者が生活できるだけの収益を、消費者から見えるかたちで上げること。
契約農家とグループになって生産・販売していきたいです。
消費者と生産者をつなげる架け橋が
アタラタとしての表現になると思います」と渡部さん。
村松さんも「小さな循環型社会の実現を、
地方再生やローカリズムという文脈で考えたときに、
六次産業はとても効果的です」と話す。

リバースプロジェクトの村松一さん(写真左)と、東北6プロジェクト代表理事の渡部哲也さん(写真右)

立派な窯の前でパン屋のお姉さんとパチリ。

リバースプロジェクトの伊勢谷友介さんも駆けつけた。

実は復興助成金を一切使っていない。というより、使えない。
東北6プロジェクトの活動は“未来をつくる”ことであり、
“復興”と捉えられなかったからだ。
しかしそこであきらめるのではなく、自分たちでお金を工面した。
だから、しっかり収益を上げて、返済をしていかなくてはならない。
それを可能にする業態でなくてはならないし、
一過性でなく継続的なものになるような仕組みにしなくてはならない。
ビュッフェ、パン、そばというのは、東北6プロジェクトの役員たちの本業だ。

「何かあっても役員自身が尻拭いできる本業であることで、
真剣さが伝わってきました」と村松さんは当時を振り返る。

また、リバースプロジェクトが一般社団法人を設立し、
アタラタのグランドデザインという実務で支援すると聞いた刃物メーカーの貝印も、
リバースプロジェクトが活動するための基金の組成に参画した。
単なる寄付ではなく、
アタラタの発展を当事者として見つめるために積極的に協力している。
さまざまな側面からの思いが、実現へと大きく舵を切ったのだ。

90年後のタイムカプセルに思うこと。

アタラタのもうひとつのテーマとして“90年後の君へ”が掲げられている。
プレオープンイベントでは、20年後と90年後の未来へ向けた手紙を書き、
施設内に設置された灯台型のタイムカプセルに投函した。
東日本大震災で同じく被害を受けた栃木県益子町では、
多くの益子焼作品が割れてしまい、
この灯台型タイムカプセルはそれら益子焼の破片からできている。
陶芸作家の藤原彩人さんが破片を集め、
素晴らしいモニュメントをつくりあげた。
これはクラウドファンディング〈元気玉プロジェクト〉を活用して
実現したものだ。

被災した益子焼の破片集めに協力した陶芸家の藤原彩人さん。

灯台の周りには、角だけとった破片が敷き詰められている。なかには「これお茶碗だ」とわかるものも。

20年くらいのタイムカプセルはよくあるが、
90年後の未来を想像したことがあるだろうか。
今回集まった親世代は、
20年後は子どもたちは成人し、自分たちも特に何もなければ生きているだろう。
だから親子でタイムカプセルを開けることができる。
しかし90年後、自分たちはおろか、
子どもたちですら生きている可能性は低いし、孫も50〜60代。
ひ孫が現役世代で、場合によっては、玄孫が生まれているかもしれない。
果たして誰に宛てた手紙になるのだろうか。
想像力を最大限に働かせて筆を進める。

「本日参加してくれたみなさんも、子どもの世代までは想像できたようですが、
そのもうひとつ下の世代までは考えたこともなかったようです。
しかしそれも、子どもたちの世代と同じ尺度で考えてほしい」
と村松さんは意図を教えてくれた。

書かれた手紙の内容をチラッと見るだけでも、
目頭が熱くなるような内容ばかり。
自分の子どもを目の前にして20年後への手紙を書くと、
すごくエモーショナルになるだろう。
同じ親近感で90年後の未来を想像できたのであれば、大きな意味がある。

書き終わった手紙を親子でポストに投函。

ふたつの封筒を入れた。20年後と90年後、どんな気持ちで開けるのだろう。

90年という数字には3世代という意味がこめられている。
「建築でも、90年後まではあまり考えたことがありません。
今回は引き渡し時が完成ではなく、
そこから地域やお客さんによる、伸びしろのある建築をつくったつもりです。
木を1本植えました。まだ小さな木ですが、
生長したらツリーハウスをつくりたい」と地域との関わりを期待する村松さん。

「ハードが経年劣化していくのは仕方がありませんが、
ソフトはコミュニティとともに“経年成長”してほしい」と
渡部さんも地域に根ざすアタラタを望む。

果たして90年後、手紙を開けたひとたちは、手紙を書いたひとたちに対して
どのような気持ちになるのか。
“あなたたちのおかげでいい社会になった”という感謝の気持ちか、
“こんな地球にしてしまって”という悲しみの気持ちか。
答えは90年後にわかる。
どちらにしても、手紙という証拠で、
自分たちを追い込むモチベーションをつくってしまったようなもの。
90年後に良い答えが出るかどうかは、
自分たちがこれからどのように生きていくかに懸かっている。

ものづくりの祭典・もみじ市が、 京都を彩りにやってくる! 「旅するもみじ市 in 京都」

2006年に東京・調布市にある小さなアトリエで開催して以来、
お寺や河川敷へと場所を広げ
徐々に規模が大きくなっていく「もみじ市」。
毎年多くの“ものづくりびと”が参加し、
クラフトやフード、音楽で
訪れる人たちをドキドキワクワクさせています。

そんなもみじ市はこれまで、東京まで行けないという方の元に
栃木、茨城、北海道と「旅」をしてきました。
今回の旅では12月13日(金)と14日(土)、
個性あふれる13組の作家たちとともに京都の烏丸へと訪れます。

当日はイラストレーターや陶芸家、
帽子作家さんたちが直接作品を販売。
また、お面づくりのワークショップや移動映画館(要予約)、
この季節にしか味わえないお菓子なども用意されるそうです。

左上から右下に向かって小谷田潤さん、nuriさん、西淑さん、Chappoさんの作品。つくり手の皆さんとぜひお話してみてください!

会場は、大正期の銀行の外観を残した「flowing KARASUMA」。
以前も関連イベントを開催したことがあるそうですが
残念ながら年内いっぱいで閉店とのこと。
今年「カラフル」をテーマとしたもみじ市が
そんな思い入れのある会場のフィナーレを鮮やかに彩ります。

「クリスマスや帰省時の贈りもの、今年一年頑張った
自分自身へのプレゼントも見つかるかもしれません。
13組のつくり手、そしてflowing KARASUMAの皆さんとともに
お待ちしております!」
と主催者の方からメッセージもいただきました。

京都駅からも近い烏丸、ぜひお立ち寄りください!

◎出店者 
あちらべ/キノ・イグルー × 池永萌/小谷田潤/
Chappo/高旗将雄/charan 山田亜衣/
手紙舎雑貨店/西淑/ニシワキタダシ/ヘブンズテーブル/
食堂souffle(13日)/nuri(13日)/tupera tupera(14日)
-SPECIAL EVENT-
「キノ・イグルーのワンダーランドシネマ!」(13日19:30〜21:00/予約制)

◎開催情報

旅するもみじ市 in 京都

日時:12月13日(金)・12月14日(土)11:30〜18:00

会場:flowing KARASUMA

OPEN 11:30/CLOSE 23:00(L.O. 22:30)

京都府京都市中京区烏丸通蛸薬師下ル手洗水町645

阪急「烏丸」駅/市営地下鉄烏丸線「四条」駅22番出口より北へ徒歩4分

イベントに関して詳細や作家さん情報は随時アップ中です。下記サイトでご確認を。

手紙社「旅するもみじ市 in 京都」

ビルススタジオ vol.03: シェアハウスの始まり。

ビルススタジオ vol.03
始めてから、考える。

ある日、突然森さん(仮名)という方が当社に相談に来ました。
聞けば、現在は宇都宮市の中心商業地の分譲マンションに住んでいるのだが
極力その便利な立地を変えずに独立した自宅を手に入れたい、とのこと。

さて……まず考えられるのは、
 ア)更地を買って、新築。
 イ)中古住宅を買って、リノベーション。
この辺りでしょうか。

ア、イとも、せいぜい2〜3階建ての建物。
そうすると、商業地にはもっと高さのある建物があるので
日当たりは良くないし、庭もないし、プライバシーも確保しにくい。
その割に、総予算が高くつきます。

ということは、周辺に4〜5階建てが多ければ
それ以上の高さ(15m位)に地面を持ち上げて、その上に平屋の家でも建てられれば
立地もよく、日当たりもよく、プライバシーも守れる自宅が手にはいりますよね〜。

……っと、待てよ。ということは、
ビルを買って最上階に住めれば、同じ話じゃん。

というわけで、売りビル探し。しかし、これに関してはさほど苦労しませんでした。
こちらは日常から空きビルを見つけては「あれいーなー、これいーなー」と
指をくわえて見ていた立場だったもので、
およそ主な空きビルは把握できているんです。

元のビル。スナックなどが密集するエリアにそびえ立つ、とりたてて特徴のないビルでした。

その中で、6階建ての元ホテルという物件が。
さっそく森さんと内見しました。
幸い、最上階はもともとオーナーの住居仕様。
眺めもばっちりだし、さらには屋上もあります。
「こりゃあ、いいな」となったのですが、
「下の5フロア、どうすんの?」と、しごく当然のご質問を頂きました。
で、いったん持ち帰り。

元カプセルホテルだったフロア。半解体状態、、。でも、天井が高い!

そうだなぁ……、ビルの現状からすると、
 A)ホテル
 B)マンション(賃貸住宅)
 C)店舗・オフィステナント
と、この辺りが考えられます。
しかしここは地方都市、宇都宮。
ビル上階のテナントはことごとく空いているのがまちの現状です。
ホテルにしても安価できれいな新築のビジネスホテルがそこそこ飽和状態。
ましてやホテルとなると、他社に運営を委ねなければいけない。リスキーだなぁ……。
そうなるとBか。
確かに、商業地への住宅需要はまだなんとかありそう。
でも需要があるということは、新築でいけちゃう巨大投資のできる競争相手がいる。
そんな中、果たしてこちらに入居してもらえるのか。

さらに、普通の賃貸住宅だと、
当然キッチン・バスなどの水廻りを各部屋に設置しなくてはいけない。
それだけでもなかなかの投資が必要となってきます。
とは言え、入居者に受け入れてもらえそうな家賃設定を考えると、
クオリティの低い住環境しか提供できない……。

じゃあ、いっそ水廻りを部屋数分用意せずに、共用にしてみよう。
どうせ法的理由から住戸にできない2階部分は住民みんなで使えるリビングにしよう。
その代わり、各部屋のリビングも広めにとり、共用の家具・設備は
ひとり暮らしではなかなか使えないレベルの品揃えにしてみよう。
あれ……? これって「シェアハウス」だ。

ということで森さんにご提案。
意外にあっさりとOKを頂けてしまいました。
そんなこんなで売買契約が成立しました。

で……、シェアハウスってどうやるんだ?
まずはそこからのスタートです。

事業として行っているシェアハウスは
すでに政令指定都市などの大都市圏にたくさんあり、
事例にはことかかない状況でしたが、そこはプライベートな生活の場所。
のきなみ見学は断られ、ほとんどの事例研究は
ネットや本のみ、というありさまでした。
数少ない見学できたシェアハウスも何十人という大規模なものであり、
入居者さんたちは都内への通勤の便の良さが最大唯一の決定理由、とのこと。

こりゃあ、いち地方都市でしかない宇都宮市で
シェアハウスを運営するのは大きなチャレンジとなりそうだと
ようやく実感しはじめました。

シェアハウスのメリットとは?

まずは、「利便性の良い場所ながら割安で住まいを借りられる」ということ。
テレビや雑誌で言われる「他の入居者たちとのつながり」については他の入居者次第。
実はそこが入居決定動機ではない、と都内の運営者が念を押していたのでした。

さて、「利便性」か……。
通常は「駅からの距離」なのですが、ここは宇都宮市。
電車で通勤通学する人はあまりいません。
気付けばまる1年電車に乗っていないなんて、ざらです。
もちろん住まいを探すのに駅からの距離なんて気にしません。
気にするとすれば「職場からの距離」(通常の場合、宇都宮では車通勤がベース)。
ちなみに、物件には駐車場はとれていません。

しかし当然ですが、ここも近隣に職場のある人にとっては利便性がいいと言えそうです。
(商業地とはいえ、そんなに勤め先は多くないですが)
あれ、そうか、ここは商業地だ。
仕事帰り(いったん帰ってからでも!)に休日に近所で遊べる。
これって利便性だよね? たぶん。うん、たぶん。

うーーーーん、、、
わからない。もうわからないから募集かけちゃおう。
ここでシェアハウス。何がいいのか、
そしてどういう状況をつくればいいのか。
実際に入居する人を集めて、一緒に考えよう。
と、まだ工事は始まってもいない状況でしたが、
ひとまず募集をかけてみました。

すると1か月ほどの間に連絡がちらほら。
なんと5名もの奇特な方々が見もせずに(!)入居を決めてくれました。

理由はさまざま。
テル氏は近所に職場がある、営業マン。
出身は愛媛ですが宇都宮生活はもう長く、
何よりもシェアハウスのある釜川エリアを呑み庭としている方。
職場も遊び場も近い、まさにうってつけの方でした。

メーカさんは、オーナーの森さんと親交の深い会社(これも近所)の
ショップスタッフとして入社することが決まっていて、
初めてのひとり暮らし場所を探しているところでした。

シン氏も職場が近く、決めてくれた方。
実家から通っていたものの、
車で毎日40分かかる通勤に辟易していたところでした。
かつてはバックパッカーとして各国をさまよっていたらしく、
旅先のドミトリー生活で共同生活は慣れていました。

サト氏は宇都宮大学院を卒業し、
自転車で通える距離にある職場に就職が決まっていました。
実家から通うには遠く、
なかなか帰れない仕事状況になることも目に見えていたため、
入居を決めてくれました。

ウミさんは少々事情が違いまして、、、
端的に言えばうちのスタッフです。
そして当シェアハウス物件の担当者でもあります。
決して、なし崩し的に入居させられたわけではなく、
海外でも日本でもシェアハウスでの生活経験があったんです。
特に、今回は建物ができたら完成ではなくて、
人が生活し始めてからが本当のスタート。
ならば実際に生活しながら関わっていく必要があるだろうし、
そうしないと中でどんなことが巻き起こっているのかが
あまりわからないまま、というのも非常に悔しいわけです。
ね、それじゃ悔しいよね?
で、入居となりました。
いや、決して会社命令ではありません。

背景、出身や属性は多種多様でしたが、
ここで「FIRST 5」が出揃いました。
実は入居希望時にそれぞれの方々には
「シェアハウスを始めるといっても、オーナーも当社も未経験なんです。
何を用意すればいいのか、入居者さんが何を望んでいるかも、さっぱりわかりません。
だから5人くらい揃ったら、みんなで決めましょうね。いや、決めてくださいね」
という、何とも不安なリクエストをしていました。
(ホント、よく決めてくれたなぁ、、、といつも思います)

はじめてのミーティングの様子。まだ緊張感がみてとれます。

で、当事者の「FIRST 5」とオーナー、当社スタッフなど交えて、
初めてミーティングが開かれました。
各入居者さん同士はもちろん、オーナーさんも初対面です。
なんかドキドキです。
ここにいる方々がこれから同じ建物で一緒に生活することになるのか。
うまくやっていってくれそうかな、
生理的に苦手な人がいたりしないかな、
そもそも会話は成り立つのかな、
目を見て話ができているかな、
主語述語はしっかりしているかな、
……といらん心配が膨らんでいましたが
そんな心配をよそに、なかなか和やかな時間が流れていました。

まずは(今さらですが……)どんな建物になるかの説明。
それから、シェアハウス経験者による良かれ悪しかれの体験談。
で、ここからが投げっぱなし。
何が欲しいか、どんなルールが必要か、壁の色はどうしたいか、
不安な点(だらけだろうけど)は、無いか。
好き勝手に出し合ってもらいつつ、
話し合いもそこそこにして皆でお肉を食べに行きました。

以下、出た意見の例です。
・たこ焼き機が欲しい
・テレビは100インチがいい
・カーシェアしたい
・プロジェクターで映画が見たい
・バルセロナチェアーが欲しい
・料理人の住人がいてほしい
・外国人の住人がいてほしい
・みんなで過ごさなくてはいけないのか
・部屋に鍵はあるのか
・フロは誰が洗うのか

何度目かのミーティング。白熱と小ボケの渦。

こんな風に話し合いを何度か進めていきながら、
徐々に入居者さん同士も打ち解けていき、
ボケ・ツッコミやまとめ役、マスコット的存在などなどのポジションがはっきりしてきました。
結局、要望やルールづくりについてはざっくりと、
差し障りの無い程度に抑えることになりました。
そうできたのも、何度も会っているなかで打ち解けながらもしっかり話は進み、
以降もみなさんが、都度大人として話し合いながら
決めていけそうだな、と確信を持てたからです。
これから決まってゆく入居者さんについても、
この方たちと自然と対話できる人柄かどうかを気にしながら
当社にて判断をしていけばいいんだなと、ひとつ基準が見えました。

余談ですが、ある人がシェアハウスに向いているか、
向いていないかという、見分け方を教えてくれていました。
それは「兄弟が、特に異性の兄弟がいるかどうか」。
この点についても入居者さんにはまあまあばらつきがあります。
真偽については現在検証中です。

このシェアハウス、実は2013年9月に無事オープンしまして、現在14名が生活しています。
付かず離れずの生活を目指したものの、現実はどうか。
地方版シェアハウスではどんな日常と非日常が繰り広げられるのか。
果たして運営上の問題は本当に話し合いで解決されてゆくのか。
彼女を連れ込む時はお互いどう対応しているのか。
見られたくない食事をするときはどうしているのか。
……などなどを次回はお伝えできると思います。

ビルからの眺め。

information


map

ビルススタジオ

住所 栃木県宇都宮市西2-2-24
電話 028-636-5136

飽きられない ゆるキャラとは何か?! 北海道の北斗市民が選んだ、 衝撃の「ずーしーほっきー」

先日、「ゆるキャラグランプリ」が発表されたばかりですが、
北海道の北斗市で生まれた、もはやゆるくない「ゆるキャラ」が話題になっています。
それがこの「ずーしーほっきー」。北海道北斗市の新幹線開通に伴って
生まれた、名物の「ホッキずし」をモチーフにしたキャラクターです。
にぎりずしに手足が生えたシンプルなデザイン。
そもそも目の焦点が合ってません。大丈夫でしょうか..?!

背中は北斗市特産のほっき貝。お腹は地元のブランド米「ふっくりんこ」。

この個性的な「ずーしーほっきー」くんが生まれたきっかけは、
公立はこだて未来大学にて行われた、
ご当地キャラクターのデザインプロジェクト「HOCTORY」にて。
全国のご当地キャラを研究したり、フィールドワークなどを行って
多数のキャラクターがプロジェクトでは生まれました。
そうして生まれたキャラクターたち100体から5体を厳選し、
どのキャラを北斗市のキャラクターにしたいのか、
市民投票を開催。
その結果、2位に500票以上の差をつけた約3,000票を獲得し、
「ずーしーほっきー」が見事にグランプリになりました。
見た目のインパクトが選考の理由で、
洒落がわかる、攻めの姿勢がかっこいいです。

言葉は喋れるんでしょうか?!

全国各地で星の数ほどのキャラクターが生まれては消えてゆく、
ゆるキャラ戦国時代。
市長さんは「かわいいキャラは飽きられるが、これは飽きられない」
とのコメントを寄せているとのことで、なかなかの確信犯。
そういえば北海道は、元祖突っ込みどころのある
ゆるキャラ「まりもっこり」が生まれた地。
ずーしーほっきーの今後の活躍が楽しみです。

HOCTORYプロジェクト「ずーしーほっきー」

NO ARCHITECTS vol.2: このまちにとって必要な場所

NO ARCHITECTS vol.2
観光案内所のような

NO ARCHITECTSでは、
昭和の風情が色濃く残る大阪市此花区梅香の物件の設計にいくつか関わっています。
その中のひとつ、今やコミュニティの中心的な場所「OTONARI(おとなり)」を紹介します。
ここは、『まちのインフォメーションと寄り合いのスペース(HPより抜粋)』。
オーナーは、おうち料理研究家の溝辺直人さんと、詩人で写真家の辺口芳典さんで、
ふたりはもともと2009年より此花区梅香にて黒目画廊という、
住居兼ギャラリースペースを運営されていました。

僕たちが、初めてお話を頂いたのは2011年の11月頃。
黒目画廊とは別に、まちのインフォメーションスペースと寄合所をつくりたいとのこと。
「年齢や職種を越えて交流を持つというのが、すごく面白いことだなと感じていて、
それを可能にする方法として案内所ってアイデアが出てきたんです。
内側と外側、ベテランとニューカマーをつなぐ存在があれば、
少しずつ広々としたコニュニケーションが得られるはずだって。
ローカルにもグローバルにも目を向けて、
それぞれの身の丈に合った発見と発信を続けている場所っていうのが、
僕らの考える案内所です」(辺口さん)

その考えを自分たちで実行し、
維持していこうという志の高さに、深く感銘を受けました。
最寄りの西九条駅前を見渡してみても、
道路の両脇に2軒とも同じコンビニがあったりします。
まちに住む人からすると、おそらく求められていないもの。
各々の個人的な理由でまちがつくられていってしまう現状に、あきあきしていました。

西九条駅から歩いてきて橋を渡ると、大きな窓から店内の光が溢れているのが、目にとまります。

場所は、梅香エリアの北東のはじっこで、まちの入口です。
建物自体は、木造2階建てのバラック。
同じ建物のなかの1階と2階の隣の部屋は、
以前から梅香堂というギャラリーが入っています。

外装は、銀色に塗りこまれたトタンの波板に包まれています。OTONARIは、大通りに面した2階の部屋です。

梅香堂のお隣さんということで、OTONARI(おとなり)と名付けたそうです。
もともとは紙屋さんの倉庫として使われていた建物で、住居に改装され、
元の住人が引っ越し、長い間、空き物件になってしまって、朽ち果てた状態でした。

窓の納まり、カウンターの高さ関係、板の貼り分けと塗装のイメージ、カウンタースツールなどのスケッチ。

みんなでつくるということ

図面やスケッチで、カウンターの配置、建具のデザインなどの検討をし、
大体のプランニングの方向性が決まったら、最初は解体作業です。
NO ARCHITECTSと事務所をシェアしている工務店の大川 輝さんを中心に、
溝辺さん辺口さんと共に、
ホコリをかぶりながら床を剥いだり壁を抜いたりと進めていきました。
リノベーションは解体がとても大事で、
発掘作業のように残す部分と壊す部分を、その場で判断しながらの作業になります。

解体作業の様子です。解体してみないと解らないことも多いです。

解体が終わってトイレを除いて、ワンルーム状態に。
念入りに掃除をした後、床や壁を貼っていきます。
劣化がひどかった道路側の壁も、コの字型に壁を立てて、補強しています。

床は、構造補強のため、既存の床の上に根太(ねだ)を組んで断熱材をはめ込み、その上に厚めの構造用合板を貼っています。

天井も低く、こぢんまりとした部屋だったので、部屋を広くみせるためと、
窓はできるだけせり出させて、出窓のようにしています。
立食イベントの時など、窓辺がカウンターテーブルにもなるようにと考えました。
さらに言えば、外から見たときに入って来やすいように、
内部はちゃんとリノベーションしていますよ! とアピールするための出っ張りでもあります。

材料のひとつひとつは溝辺さんが楽器を売ったお金で買っています。無駄な装飾や設えは省いて最低限の施しが基本です。

もともと浴室だったところからお風呂の桶だけを取りはずし、
床の防水と排水だけは、洗い場として再利用。
シンクや壁の防水材などは、知り合いの不動産屋さんにご提供いただきました。
使っていないからと、元惣菜屋の空き物件から
ステンレス板を剥ぎ取らせてもらったりもしました。
そして、吊り戸棚、換気扇なども提供してもらい、取り付けていきました。
換気扇のフードは溝辺さんの手作りで、
展開図を描いてトタンの平板を切って作っています。

オープニングの様子です。日野浩志郎さん率いる「彼方」のライブ。

まちに入り込む

年末年始を挟んだ極寒の中での作業ではありましたが、
大川さんの頑張りもあって、
2012年1月7日のオープンの日にはどうにか間に合い、営業がスタートしました。
オープンしてからは、定期的にライブやトーク、
持ち込みイベントなどで、週末ごとに賑わいをみせています。
最近では、辺口さんによる「Wonder Town ツアー」があったり、
近所に住む常連のお父さんによる懐メロDJタイムがあったりと、
日々進化し、まちに定着していっています。

此花区内にある福祉作業所と一緒に作っている広報誌『此花◯◯通信vol.3』にて辺口さんの「Wonder Town ツアー」を特集したページです。 

「OTONARIをやってみてもうすぐ2年が経つけど、
実際、年齢や職種を越えて(人種も越えたりして)、
想像していた以上の交流が日々生まれている実感があります」という辺口さん。

最近お子さんが生まれたという溝辺さんも、世代を越える交流について、こう話します。
「案内所では、この地域で家族を持ち、生活してきた年上の先輩方の話を聞くことができます。
下町ならではの人情や、人生の厳しさを経験している人々の考えからは学ぶことは多い。
案内所での体験をとおして、まちと人との関係が見えてくるこの地域で
子どもを育てたいなと思う気持ちが強くなってきたことが、
この2年間で大きな自分自身の変化です。今後は案内所が、まちでの暮らしを
考えるきっかけになるメディアとして成長していければと考えています」

「今後も交流の軸になれるように、詩の創作や暮らしを楽しみながら、
身の丈に合った発見と発信を続けていきたいと思っています」
と辺口さんも今後の展望を教えてくれました。

これからのOTONARIの展開に、ますます期待が高まります。

このはなに生まれつつある新しいコミュニティの中の内輪な関係を
深めたり広げていくだけではなく、
まちに開放し共有できるスペースをつくることで、
もともとの地域に根付いたコミュニティに接続でき、
より豊かな人間関係を築いていけるということを、OTONARIを通して学びました。

このはなに来られる際は、まずはOTONARIにお立ち寄りください。
イケメンのお兄さんふたりと、気さくな常連さんが、やさしく出迎えてくれて、
今のこのはなを案内してくれますよ。

小田島等さんの大きな絵があったり、辺口さんの写真が貼られていたり、地元の家具作家の宮下昌久さんのテーブルや椅子が並べられたり、見どころいっぱいです。

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NO ARCHITECTS

住所 大阪市此花区梅香1-15-20
http://nyamaokud.exblog.jp/

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OTONARI

住所 大阪府大阪市此花区梅香1−15−18 2階
https://www.facebook.com/otonari.konohana

広島・尾道の御調町を もっともっと面白くする。 まるみデパートからはじまる 町の『サイコウ』

広島県尾道市の御調町に2012年10月1日に誕生した
複合施設「まるみデパート」。
すごく味のある洋館のなかで、
ナチュラルコスメ屋さんの「もち肌化粧店」、
地元野菜や自家製メニューを提供する「cafeフローラ」、
地元のこどもが店長をする「駄菓子と茶の間」などがある、
貸アトリエやパン屋さん「ネコノテパン工場」の出張販売など、
いろんなことが起こっているにぎやかなところです。

まるみデパートの建物はもともと
大正7年に建てられた洋館作りの医院で、
空き家になって10年近くは経過していました。
ここを2年かけてセルフリノベーションし、
当時の建築の良さと趣を生かした建物に仕立てあげたのです。
ちなみに「まるみ」とは、御調町が尾道市に編入する
前に使われていた町章の「愛称」です。

みつぎさいこう実行委員会メンバー。水色の旗に描いてあるマークが「まるみ」。町役場で譲ってもらった、正式なもの。

「まるみデパート」のリノベーションと
運営を手がけるのは、「みつぎさいこう実行委員会」。
御調町を「再興」して「サイコー」にすると
いうことをコンセプトに、
町の魅力を生かした活動や魅力づくりを行う団体です。
地域が持つ文化・自然・ライフスタイルを
より魅力的にクリエイトしていくことをめざし、
2010年から活動を開始しました。

活動を始めたきっかけは、
町にある様々な魅力が最大限に生かせていないと感じたこと。
まちの魅力を再発見する「まち歩きワークショップ」を開催したり、
「みつぎさいこう座談会」と称して、語らいの場を設けたりと
地元を楽しくするような活動を活発に行っています。

地元のお店「近藤菓子店」で作っていた御調町の地図入り包装紙を、みつぎさいこうデザイン部が復刻。内容も更新し、ニューバージョンとして復活させた。

地元の農家さんが行う「アヒル農法」を見学。御調町周辺の農業や生物を研究する「御調・世羅の自然史研究会」主催のサイエンスカフェを開催。

みつぎさいこう実行委員会の願いは、
御調町を「観光地」ではなく「楽しい生活地」にしたいということ。

「いろいろな人の生活スタイルをアートやデザイン、
若者の遊び心などでアレンジすれば、
より面白く魅力的に発信できるのではないかと思っています。
本来、昔の田舎の暮らしは現代から見れば面白いことだらけ。
古いものの良さを復活させてアレンジするだけでも
ワクワクする田舎ライフスタイルが生まれると信じてます」(実行委員会談)