NO ARCHITECTS vol.3: 下町情緒と ホワイトキューブのつなぎ方

NO ARCHITECTS vol.3
このはなの建物から生まれた、ギャラリー空間

今回は、2013年3月にこのはなにオープンしたギャラリー、
「the three konohana(ザ・スリー・コノハナ)」の紹介です。
オーナーは、山中俊広さんという方です。
以前は、大阪の西天満にある「YOD Gallery」に勤められていて、
独立後は、インディペンデント・キュレーターとして、
美術に関わる展覧会の企画や執筆活動をしていました。
そして自分のギャラリーを持つという決意のもと、その場所を大阪市此花区と決めた山中さん。

「もともと、ギャラリー「梅香堂」へ訪ねたり、このはなは馴染みのあるまちでした。
このまちに決めた理由は、ひとつは此花で活動している人が比較的同世代であったこと。
ただの若気の至りで色々とやっているのではなく、
社会経験を踏まえた上で行動している人が多いというのは、
今後のこのコミュニティーの継続性という意味でも重要な要素でした。
もうひとつはこの下町風情のまち並みですね」
そんなご縁で、山中さんがオープンするギャラリーのリノベーションを
NO ARCHITECTSがお手伝いさせていただくことになりました。

建物の外観。看板の跡が残っていたので、銀色に塗装。

まずは、物件探しから一緒にスタート。
不動産屋さんに条件を説明し、良さそうな物件は手当たり次第、見て回りました。
そして、出会ったのがこの建物。
正面の玄関は大通りに面しながら、奥の勝手口を出ると、裏通りにも面していて、
そんな風にまちの中に溶けこむように建っているところに惹かれました。
もともとは不動産屋として使われていた物件だそうです。

物件が決まったあと、プランに入る前に、
山中さんが目指すギャラリーのコンセプトについて詳しく説明を聞き、
念入りにディスカッションをしました。建物の生かし方を考えながら、
つぶす部分・残すもの・新しくつくるものを検討していきました。
最初の段階で、明確なヴィジョンを共有していたので、
この先、ほとんど食い違うことなくスムーズに、計画案が決まっていきました。
僕らとしては、信頼関係が築けた状態で仕事ができて幸せでした。

入り口を入ってすぐ左手に、チラシ置きコーナーをつくりました。サイズのバラつきのあるチラシやDMなどをきれいに陳列しやすいように、各々の棚の高さをコントロールしています。

今回、ギャラリーへのリノベーションを手がけるうえで、
一番ていねいに計画すべきだと思ったことは2点。
まちとギャラリーのつながり、展示空間であるホワイトキューブと既存の和室のつなぎ方です。
特に外観のデザインは、山中さんのスタンスやギャラリーのコンセプトなど、
お客さんへの姿勢が顕著に表れてしまうので、最後まで悩みました。
ギャラリーとしての雰囲気は保ちつつ、たまたま通りかかって興味を持った方や、
展覧会を観に来る方が入りやすいようにデザインしています。
コピーライターでデザイナーの古島佑起さんがつくった素敵なロゴを、
ターポリンに印刷し看板をつくったり、
1階の空き部屋の窓にインフォメーションのコーナーをつくったりと、
合わせてサイン計画もやらせていただきました。

床の仕上げは、いろんな会社のPタイルのサンプルを取り寄せて、微妙な色味や質感も、一緒に確認しながら決めました。

入り口から直接2階へとつながる階段を上がると、
手前の部屋をメインの展示室としての真っ白いギャラリースペースに。
奥の和室は、そのまま残して第二展示室に。押入もそのまま備品などの収納として利用。
和室の脇にある、ギャラリースペースから奥へと続く通路は、
事務作業のスペースも兼ねました。

カーペットの下に眠っていた古いタイルを、コテを使って剥いでいるところ。粉まみれになりながらの作業です。

デザインしていない感じ

現場作業が始まると、まずは解体です。
床のタイルとカーペットを剥がして、壁を2か所抜いてます。
施工は、OTONARI(vol.2参照)と一緒で工務店のPOSさんと共同で行いました。
古い木造家屋のため、壁や床の歪みが激しかったのですが、
作品を展示したときになるべく影響がでないように、水平垂直を合わせる作業が必要でした。

リノベーションの工程の中で、歪みを補正する作業は、根気のいる作業のひとつです。左のオレンジのチューブは、光回線のケーブルを壁の中に通すためのものです。

展示空間を考慮し、壁の電源やエアコンなども、
極力目立たないよう、壁に埋もれるように取り付けています。
こうした新しくつくる壁の納まりや、既存部の色の塗り分けなどには、
デザインされていないように見せるデザインを徹底的に施しています。

山中さん自ら壁にペンキを塗っているところ。一緒にできる作業は、共有することが大事です。ちなみにとても上手でした。

既存の奥の和室や建物正面の独特のすりガラスを展示室としてそのまま残して活用することで、
ただ作品をホワイトキューブの中に展示するだけではない、
まちの雰囲気や地域性に対して、いかに作品を定着させるかということも、
作家に対して問いかけるように設計しています。
これも山中さんの意向ですが、そうすることで作家性や作品のもつ強度を、
明確に感じ取ることができます。

Konohana’s Eye #1 伊吹拓展「”ただなか” にいること」2013年3月15日~5月5日 撮影:長谷川朋也

Konohana’s Eye #2 加賀城健展「ヴァリアブル・コスモス|Variable Cosmos」2013年9月6日~10月20日 撮影:長谷川朋也

Director’s Eye #1 結城加代子「SLASH / 09 −回路の折り方を しかし、あとで突然、わかる道順を−」2013年6月7日〜7月14日 撮影:長谷川朋也

そもそもギャラリーとは、作家による作品の「展示」、
ギャラリストが作品の説明をするなどの「接客」、
お客さんによる作品の「鑑賞」の3つの目的が考えられますが、
山中さんの場合、展覧会の企画や広報などとは別に、
インディペンデントなキュレーター業もされているので、
そのための事務所スペースが必要でした。

事務所スペースのカーテンの製作は、美術家の加賀城健さんによるものです。椅子は、オープン祝いにNO ARCHITECTSとPOSからプレゼントしました。

しかし、誠実な山中さんの性格上、お客さんを一番大事にされているように感じたので、
あえて部屋やブースでは区切らず、通路に机と棚をつくって、
カーテンのみで仕分けてスペースを確保しました。最近ではカーテンも開け放ち、
個人的なスペースにも作品を並べ、より日常的な雰囲気のなかでの作品鑑賞を演出。
作業スペースとしてだけでなく効果的な空間になっているようです。

Gallerist’s Eye #1 岡本啓展「Visible ≡ Invisible」2013年11月8日~12月23日 撮影:長谷川朋也

the three konohana と、ギャラリー名にもまちの名前が入っていますが、
山中さんのまちに対する姿勢や意識の高さは、
「KAMO」というイベントの企画からもうかがい知れます。
KAMOとは、Konohana Arts Meeting for Osaka の略称で、
山中さんと関西アートカレンダーの森崎幸一さんと安川エリナさん、
協力メンバーにデザイナーの後藤哲也さん、
もともと、このはな在住のダンサー大歳芽里さんの5人で運営されています。
月1回、アート関係者やデザイナーなどのゲストを招いてトークするというイベントです。
開催されている場所は、(前回の記事)で紹介した、
まちのインフォメーション兼寄合いのスペース「OTONARI」です。
自分のギャラリー内ではなく、より開かれた場所で行うことで、
このはなに訪れる美術関係の方と、
まちに住む人たちとの交流が生まれる仕掛けをつくっています。

僕らも二回目のKAMOにて、大川さんと一緒に此花アーツファームとしてトークさせていただきました。

下町の風情が残るこのはなに新しくできたthe three konohanaは、
まだ一年も経たないうちに、イベントでの連携や寄合いなどの交流で、
このまちに定着していっています。
それは、the three konohana というスペースの性格を超えた、
山中さんの人柄なのだろうと思います。

ちなみに、2014年9月5日~10月19日の期間、the three konohana にて
NO ARCHITECTSの展覧会をさせていただくことになっています。
このはなのリノベーション物件などを巡るツアーも計画中です。
ぜひ、このはなにお越しの際はthe three konohanaに、お立ち寄りください。

informarion


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the three konohana

住所 大阪府大阪市此花区梅香1-23-23-2F
電話 06-7502-4115
http://thethree.net/

information


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NO ARCHITECTS

住所 大阪市此花区梅香1-15-20
http://nyamaokud.exblog.jp/

山ノ家 vol.3: 外装工事と雪

山ノ家 vol.3
未知の不安に“挑む”覚悟で

この空き家を利用するための、複雑で長い最初の一歩を乗り越え、
結局11月も後半を迎えるという時期にまで引っ張ってしまった外装工事。
ついに、建物に手を入れるときが来た。
今回の外装工事にあたって、
地元の工務店さんの下請けというかたちで僕らができる限りの作業を行い、
プロでないと、という部分は大工さんが入るということになっていた。

気持ちは少しだけ焦っていた。
12月20日くらいには終わるようにおおよその段取り、工程は工務店さんと決めたものの、
完成できる実感が全くといっていいほど想像できない。いつから、どれくらい雪が降って
どんな風になるのかも読めない。早い時は12月の初旬から降る、という話もあるし、
本格的に降るのは12月後半からだ、という人もいる。
僕らは東京でこなさなければならない予定もあるが、
とにかく現場に行かないとコトが進まないだろう。

離れた地でのリノベーション。しかも、外装工事。
今までに経験のないことで、どうなるのかわからない。
「なんでこんな大変なことを選択したのだろう」
と思ったこともあったが、とにかく今はやるしかない。
妄想をかたちにしていくのは、その後だ。
それにやるべきことがひとつある、それは自分たちで行う作業のための人材の確保だ。
とにかく、体を動かして手伝ってくれる若者(特に男子)が必須だった。
そして、こういうどうなるかわからないような、
しかし面白そうな新しいことを始めるときには必ず声を掛ける相談相手がいた。

スズキアキオくん。
彼はアートの設営を主体に、内装などまで幅広く「bibariki」という屋号で活動をしている。
前出のCET(セントラルイーストトーキョー)などのプロジェクトを一緒にやり遂げたり、
ある種同じ価値観をもてる貴重な協力者だ。
今までの経緯と、これからの展望を彼に話すと、やはり興味を持ってくれ、
一緒に動けそうな人も探せそうだと言う。とても心強い。

彼と何度か打ち合わせをして、今後のスケジュールなどを組み立てていった。
時間が限られているので、とびとびでも行けるタイミングにはなるべくまとめて行き、
作業を進めることが必要。そのために、地元の若井さんにも協力を仰ぎ、
現地に行っているときに寝泊まりできる場所の確保などをお願いした。
僕も、できる限りスケジュールを調整してこの外装工事に挑むつもりでいた。
最初に空けられるのはやはり週末くらい。しかしそれでは終わらないので、
12月は平日も空ける調整をし続けた。
年末に向けて忙しい時期に予定を調整するのは至難の業だった。
アキオくんから声を掛けて反応してくれた人たちが、
12月中旬から1週間くらいなら十日町に入っても大丈夫そうだ、という。
このタイミングで一気に片付けてしまいたい。
寒い外部での作業になるであろうことを考え、
防寒と作業効率の良さそうな上着を入手したりもした。

物件に仮囲いと足場が組まれた。

11月19日、撤去最初の日。手前がアキオくん。シャッターを解体中。

とにかく、覚悟は決まっていた。
ただ、どこまで続ければ終わるものなのかは正直見当がつかなかった。
ちなみに、僕らが行うことになっている、主な作業は以下のような感じ。

・外部仕上げ材の解体撤去
・透湿・防水シート貼り
・縦胴縁(たてどうぶち)取付け
・下見板塗装・取付け
・外壁材取付け
(古民家風意匠としての)付け柱・付け梁取付け

文字にするとこれくらいしか無いのだが、それぞれ必要な作業量が想像以上に多い。
この建物の大きさは、正面が7.5m弱、奥行きが10m、高さが約6m(軒下)、
背面は助成対象外ということもあり、今回は手を付けないのだが、それを除いても
これだけの外壁に手を施すということは冷静に考えると結構なボリュームになる。

少しでも早く終わらせようとかなり気合いを入れて現場に挑んだ。

建物側面のサイディングを撤去。意外といいペース。河村くんと、興味を持って参加してくれたアーティストのカミヤさん。

12月1日、正面の外壁撤去。これはかなり高さがあり怖く感じた。一番上の破風板(屋根の正面を塞ぐ板)は6.5m超えの位置。

12月に入ってからようやく、連泊での作業を開始した。
朝は7時に起床。朝ご飯を食べ、身支度をして、8時過ぎくらいに現場へ。
ラジオ体操をしてから、その日の作業を確認し、それぞれが動き出す。
休憩は10時と3時にきっちりとる。昼食後には少し横になって午後の作業に備える。
作業の集中力と体力をキープするためにはこのリズム感は欠かせない。
そして5時から5時半くらいまでで片付けをしてその日の作業は一旦終わりにする。
宿泊時の食事は自分たちでつくる。さながら合宿(何の?)である。
アキオくんは楽しむつもりで、
レシピ本を持参でかなりちゃんと計画的に食事の段取りも組んでくれた。

ある日の夕食。メインは妻有ポークのショウガ焼き!

はじめが比較的いいペースで進行できたこともあって
このペースでいけば案外早く終わらせることができたりするかもしれない
という気持ちも芽生えてきていたところで、一時的に東京へ戻る。
次の週(12月の中旬)に行く時からは、ヘルプメンバーも来るし、大工さんも入る。
ここで一気にできていく事を期待……。

工事という「日常」と、雪ほりという「日常」を通じて

12月の中旬から、作業を追い上げるべく、いよいよ大工さんが加わる。
僕らのほうも、1週間滞在してくれる応援部隊が入り、現場は一気に人が増えた。

縦胴縁に、下見板を取付ける為の隅出し(基準線をつけること)。ずっと滞在してくれたスタッフ、カキハラくん、ササキくん、モミーくん(愛称しか憶えていない)。

この物件に入った大工さんは3人。僕らと挨拶は交わしてくれるものの、
各自の役割をプロとして遂行することに集中していてなかなか話しかけづらい雰囲気だった。
彼らからしてみれば、訳のわからないシロウト若者たちが
現場に入ってどこまでやれるのだろう、というような心持ちだったと思う。

僕らにしてみても、工務店の現場担当の人と
次に何をするのかを話しながら作業はしているのだが、
今までの経験とはちょっと違う雰囲気に戸惑いながらで、とてもぎこちない。
ミリやセンチではなく尺寸でやり取りされることだったり、
インパクトドライバーでビスを止める、ではなく、げんのうで釘を打つ、ということだったり。

大工さん達の背中が現場の緊張感を語っている。彼らは入り口の建具枠をつくっているところ。

何をやるべきか、どのようにやるべきかが、今までと勝手が違いかなり手探りであった。
現場の雰囲気に気を使うことも増えて、
飛ばし気味でマイペースで行けた最初と少し状況が変わった。

休憩時間に、缶コーヒーを手渡したりしているうちに、
次第に打解けて少しずつ会話ができるようになっていった。
そうして休憩を取るごとに、大工さんたちは僕らが知らないこの地のこと、
昔のことなどををぽつぽつと語ってくれた。
「20〜30年前くらいまでは、この通りは本当に賑わっていた」
「冬は本当に雪が深くて身動きが取れなくなるし、
仕事もできなくなるので関東に出稼ぎにいっていた」
「だんだん人が少なくなっていくので、
外から人に来てほしいからということで鉄道と国道をつくったら、
それによって人はまちから外へ出やすくなったことで逆に人がもっと少なくなっていった」
そんな風に自然と口をついて出てくる言葉がとても深くて、染み入った。

休憩時の写真。奥のふたりが大工さん。向かいの地元の方はストーブを貸してくれたり、お菓子を持ってきてくれたりと、本当にお世話になった。

そのうち、大工さんもいろいろと細かく工事のときに
コツをアドバイスしてくれたりするようになり、作業の連携もとれるようになってきた。
コミュニケーションも取りやすくなったことで、
ようやく全体がいい感じのチームワークで進み始めた。
ちょうどそんな頃だったと思う。
ついに雪が降ってきた。
東京のようにすぐにとける雪ではなく、みるみるうちに積もっていく。

その日から、朝の日課が新しくひとつ増えた。雪ほり、流雪溝への雪流しだ。
エリアごとに時間帯が区切られているので、通り沿い数件が一斉に始める。
これによってえも言われぬ一体感を体験した。
これを日々行うことが、ここでの日常。
こうしてコミュニティはつくられていくのだということを実感した。

雪ほりのこつを教えてもらったり、見かねて手伝ってくれたり。
「大変だろー。いやになるだろ」と声をかけてくれたり。
まだまだ僕らには新鮮だったので、
嫌になるということは無かったが、楽しんでいる余裕もなかった。
若者たちが無邪気に楽しんでいるのはちょっと救われた気分だった。
彼らは最初、1週間の滞在という約束だったがこの調子では到底終わらない。
無理を承知で相談してみると、みんな「まだ続けたいので大丈夫です」と。
涙が出るほど嬉しかった。
「カップルであふれる、キラキラした東京にはむしろ帰りたくない!」
という冗談も飛び出した。
意外に居心地よかったのもあるかも知れないが、
実際のところは、ここまでつくったのに中途半端では帰りたくなかったのだと思う。

それから何日かおきに雪が降ってはやみ、だんだんとまちが白くなっていく。
道路に雪が積もってくるたびに、除雪車も稼働していた。
そのさなかにも作業を続ける。最初の頃は暗くなったら終わり、
という感じだったが日が沈んでも照明をつけながら作業を続けた。
なにより、高所作業のために組んである仮設の足場で行う作業は先に済ませないとならない。
雪が本格的に積もったら重みで大変なことになるのでその前に外さねばならないからだ。

ついに下見板が貼り上がった。この光景は感動的でさえあった。

付け柱や付け梁を取付ける。また高所作業。怖い、その上、部材がものすごく重たい! 上手に仮止めを利用する智慧なども授かりながら。大工さんはこれをひとりでつけたりもしていたのだが。

高い場所での作業に終わりが見えてきたころには、雪はかなり本格的に降り続けてきた。
河村くんに借りていた乗用車にチェーンをつけて、
なんとか食材の買い出しなどをしていたのだが、
夜中降り続けた12月24日の朝、車が完全に埋もれていた。

ある程度雪を掘って救出してから現場作業に入ろうとしたが、これがかなりの重労働。
なんとか終わらせて作業に戻った。
これではまたすぐに身動きが取れなくなると思いお昼の休憩時間に
車をどこかへ避難させようとしたときに、道路の真ん中でチェーンが外れた。
見かねて手伝いにきてくれた近所の方いわく、
「こんな車だとここではもうこの先動けなくなる。
また降り始める前にすぐにまつだいを出たほうがいい。
そうでないとこの冬中車をここに放っておくことになる」と。

現場の終わりはほぼ見えていた。あともう一歩というところだったが、
この言葉を聞いたら、みんなを乗せてこのまま戻らなければどうなるかわからない。
残りの部分をお願いすることを工務店の担当の方に連絡し、皆と車で東京へ戻ることにした。
とてもつらい選択だったが、そうせざるを得なかった。
しばらく過ごせた日常と、地元の人々の温かさのなかに垣間見た、自然の厳しさ。

皆にも事情を話し、急ぎ荷物をまとめてもらって高速へ向かった。
そのときの帰り道の風景の綺麗さに、とても複雑な思いを感じながら、東京へと。

つづく

MAD City vol.3: 騒音オフィスを快適な ものづくりスペースに

MAD City vol.3
無茶ぶりこそ、新たな可能性のヒント!

僕らMAD Cityに声をかけてくださるお客さまは、
一般の不動産屋さんにはご相談できない内容を持ってきてくれることが、ほとんどです。
例えば、アーティストの西岳拡貴さんからのご相談もそうでした。

「倉庫か工場に住んでみたいんだけど、
そんなとこあるかな? 家を出たらすぐにアトリエみたいな、アトリエ兼住居がいいんだよね」
西岳さんは普段は高校の先生として美術を教えながら、
アーティストとしても活躍していて、今年の「あいちトリエンナーレ2013」に
招待アーティストとして参加されるほどの実力の持ち主。

あいちトリエンナーレ2013のキッズトリエンナーレでのワークショップの様子。右から2番目の赤いシャツが西岳さんです。

さすがパンチが効いたご相談内容で、こちらもワクワクします。
ただし、残念ながらハードパンチすぎて、すぐには対応できませんでした。

クラフトユニット「cLab」の橋本 翼さんたちからのご相談もなかなかユニークでした。

「友だちと数人で、ものづくりの場をつくろうとしていて、
丸ノコで木を切ったり、金槌で鉄を叩くような作業など、
思いっきり音を出しても怒られない場所を探しているんです!」
橋本さんは、「C−products」というブランドを立ち上げ、
樹脂などを使って釣具のルアーを手作りする作家さんです。
動物のモチーフを中心としたアクセサリーブランド「Animateras」の宮本 厚さんなど、
ものづくりに携わる仲間たち数人で、
ものづくりを追求できるアトリエを探しているところでした。

橋本さんがつくったブラックバス用のバルサ製ハンドメイドルアー。

「できれば改装も自分たちでしたくて。たくさん不動産屋さんを回ったんですけど、
どこの不動産屋さんにも相手にしてもらえなかったんです。
でもMAD Cityさんなら、なんとかなりそうな気がするんです」
と橋本さんたち。ありがとうございます! 改装可能な物件ならあります!
でも音出しがOKな物件は結構厳しく、
結局なかなか良い物件には巡り会えませんでした。

そんな折、とあるオーナーさんから相談を受けました。
「あの〜また困っちゃってる場所があるんですよ〜」

それはオーナーさんが所有する建て壊し寸前だった住宅を、
アーティストのご兄弟に借りてもらう契約をした後のこと。
何年も埋まっていない2階の事務所物件もあるから、
そちらも募集してもらえないかと相談されました。
さて、どんな物件でしょうか。

オーナーさんの事務所物件。

それはそれは不動産屋さん泣かせな物件でした。
線路沿いにあるだけでなく、
1階はビニールの加工工場となっているため、いつでも絶賛騒音中。

(上)窓をあければそこは線路。(下)1階にはビニールを加工する工場があります。

室内もキレイではなく、部屋はふたつなのに出入口はひとつしかないので、
分割して、家賃を安くしようにもできない間取り。

間取り図。西棟には東棟を通過しないと入れない構造。

さらには、なぜか付いているシャワールームが事務所の面積を減らしていました。

隅っこにぽつんと置いてあります。

見ればみるほど事務所として貸せなさそうな条件を揃えている物件。
それなら、事務所以外の方法で貸すしかありません。
そこで改めて物件を見てみると……
あれ、線路沿いってことは、逆に音出し放題だな。
待てよ、ここ倉庫みたいなのにシャワーがあるから住めるな。

あ!!!!

僕は急いで西岳さんに連絡しました!
「住めそうな倉庫が出たよ!!」
(もう二度と発しないであろうセリフです)

そして橋本さんたちにも連絡しました!
「音出し放題の場所があるよ!!」
(怖くて普段は言えないセリフです)

2組とも部屋はすぐ気に入ってくれました。しかしネックは家賃。
もともと両方のスペースを1部屋として募集しているため、
このまま契約するとどちらかが、使わない部分の家賃を支払うことになってしまうのです。
もちろんどちらかが契約をして、2組でシェアハウスにできれば問題は解決しますが、
知らない者同士でシェアハウスをすると、どうしても契約者に支払いリスクが生じてしまう。

そこでオーナーさんに交渉し、それぞれの部屋ごとの契約を了承してもらいました。
そして、入居後にトラブルにならないよう、
初対面の2組にお見合いのように会ってもらう日をつくり、
部屋の出入り、駐車スペースの使用方法、
そしてキッチン部分のシェアのルールを決めて契約しました。
無事特殊な契約条件がまとまり、ここから2組のリノベーションはスタートします。

自分にとって居心地が良い場所にいじっちゃう

東棟を借りた橋本さんたちはまずは床から着手。
歩くとフワフワして、なんとなく抜けそうな恐怖感にかられる床に、
コンパネを敷いて塗装。足場を固めたあとは、壁面を塗装し、道具の棚を設置。
さらには作業机もDIYでつくりました。

元々は事務所スペース。

現在はこんな感じ。雑多な感じが、アトリエ感を醸していて素敵です。

橋本さんは普段はこのように作業しています。

線路沿いという環境も重宝しているそう。
「夜中に音を出す作業をする時は常磐線の通過に合わせています。
夜、音出し作業をする時は、早く常磐線来ないかな〜っていう気持ちになりますね!」
おかげで、これまで音については、近隣の住民から一度も怒られたことはないそうです。

一方の西岳さんのリノベーションはこれまたユニーク。
見た瞬間に「ここしかない!!」と惚れ込んだこのスペースを
理想的にリノベーションするため、まずはスペースの中にテントを張って宿泊し、
イメージをふくらませたそうです。

その結果、このだだっ広い作業スペースの中に

小屋を建てて、その中で生活するようになりました。小屋in倉庫です。

小屋は住みながら、サイズを調整できるように、
全ての柱を1800ミリの垂木に合わせて組み立てたそうです。
ちなみに小屋の上はあがれるようになっており、本人曰く「中2階」なんだそうです。

小屋の中はテレビ、ベッド、テーブルがあって普通に快適です。

小屋の外はアトリエになっています。

それぞれの感性で自分の空間をまるでレゴブロックのように遊びまくっている2組。
シェアすることで、さまざまなメリットもあるそうです。

例えば、橋本さんたちはアトリエを借りてから初めてDIYにチャレンジしたため、
当初は机がグラグラしてしまったりとうまく作れなかったのだそう。
そんなとき「足と足の間に一本、柱をつけると全然違うよ」
との西岳さんのアドバイスで、解決したそうです。

そんな西岳さんは工具を購入するときに
「実はお隣りにあるものは買わないことにしている」と笑います。
壁面の棚も、橋本さんたちの棚からヒントを得てつくったそうで、
自然と助けたり、助けてもらったりという関係が生まれているようです。

自分たちの目的を叶えてくれつつあるこの空間。
次第にこのスペース自体に対する夢が膨らんできたそうです。
それは、「ものづくりに関わるさまざまな人が集まったり、出入りできたりする
場所にしたい」ということ。

スペースの将来について企画中の橋本さん(右)と西岳さん(左)。

「情報、人脈、技術をシェアできて、作家がここにくれば何でもつくれる場所にしたいです。
ものづくりに関わる人の楽園のような場所に」と言う橋本さん。
西岳さんは「僕は、教師としての日々や、あいちトリエンナーレで行った、
子どもたちとのワークショップを通じてアートを伝えていくことに関心が湧きました。
例えば近所の子どもたちと集まってここでワークショップをしたい。
一般の人に来てもらえる場所にできたら」と、今後の希望を話してくれました。

この物件は、事務所としては決して優良物件ではありません。
それが条件や見方を変えただけで、
少なくともこの2組にとっては理想の物件に変化しつつあります。

それは2組が場所に適応しているから。
その様子はまるで地球環境が変化するたびに、
ことごとく進化し生き延びてきた、生物の本能にさえ見えてきます。
動物が巣をつくるように、今いるところを居心地よく変化させていく。
それが本来のリノベーションの姿なのかもしれません。

実は、この取材がきっかけとなり、
来年に向けて2組で、人に訪れてもらえる企画も進行中なのだとか。
ハードはもちろん使い方さえもリノベーションしていこうという、
2組の進化はまだまだ続いていきそうです。

information


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MAD City(株式会社まちづクリエイティブ)

住所 千葉県松戸市本町6-8
電話 047-710-5861
http://madcity.jp/

川俣シャモ×会津地鶏。 福島の銘柄鶏がベトナム料理に。

闘うシャモと、美しい地鶏。

福島県には、ルーツも味わいも異なるふたつの銘柄鶏がいる。
ひとつは「川俣シャモ」。

福島市の東に位置する川俣町で育つ鶏で、
現在町内の16軒の農家が飼育している。
養蚕の町として栄えた川俣町で、
絹織物を扱う旦那衆が、趣味で飼っていた軍鶏がルーツ。
闘うことを宿命づけられた鶏なので、
運動がさかんなボクサータイプ。
その肉は筋肉質で、発売当初は「肉が硬い」との声が多かった。
そこで原種に肉用のレッドコーニッシュとロードアイランドレッドという、
異なる品種の鶏を交配して改良を加え、肉量をアップ。
それが現在の「川俣シャモ」。
弾力のある食感と、ジューシーな味わいが特徴で、
フレンチやイタリア料理のシェフの評価も高い。

もともと運動量の多い鶏なので、天気のよい日は外へ出て、
草や虫を食べながら、育っていた。
震災以降は、原発事故の影響を考慮して、屋外での飼育を断念。
現在は、屋根のある広い鶏舎で、年間約5万羽が育てられている。

もうひとつは「会津地鶏」。
そのルーツは古く、450〜500年前には、
会津地方に存在していたと伝えられる。
雄鶏の黒い尾羽が特徴で、主に観賞用の鶏として飼育された。
会津地方に春を告げる「会津彼岸獅子」の獅子頭にも使用されている。

本来は観賞用の鶏で、性質はおだやか。
美しいモデルタイプといえるだろう。
1987年、会津地鶏は純系の固有種であることが判明。
しかし身体が小さいため、飼育する人もなく絶滅寸前の状態だった。
そこで、肉用のホワイトプリマスロック、
さらにロードアイランドレッドを交配。
こうして1992年に新しい「会津地鶏」が世に出た。

会津地鶏は、卵肉兼用種でもある。
採卵用の鶏は、肉用の鶏とは飼料も育て方も異なるが、
「卵も肉も」食味のよいのが自慢だ。
現在は、ヒナの育成を行なう㈱会津地鶏ネットを中心に、
7軒の農家が年間約10万羽を飼育している。

福島の銘柄鶏がベトナム料理に!

10月14日、東京・大崎のベトナム料理店「コム・フォー」で、
第2回県産品消費者理解促進交流会のイベントが開催された。
この日のテーマはズバリ「ふくしまの地鶏とシャモ」。
両者を一度に味わえるチャンスは、福島県民でもめったにない。
今回は、福島を代表する2つの銘柄鶏がベトナム料理で競演。
どんなシェフの、どんな料理が登場するのだろう?

現地を訪れ、不安が自信に変わった

「私自身、実際に福島へ行くまでは、不安でした」
そう話すのは、「コム・フォー」の小林武一郎シェフだ。
震災以来ずっと「不安」を抱えていた。

「福島の食材は、本当に大丈夫なの?
 そうお客様に聞かれた時、自信を持って答えられない。
 だけど何かしなければ…そんな葛藤がありました」
そんな時、友人で福島県出身の菱沼欣也シェフ(COCONOMA Season Dining)に誘われて、
福島県主催の「ふくしま応援シェフ」の産地見聞会に参加。
この時初めて福島県を訪れ、生産者現場をめぐった。
驚いたのは郡山市の農業総合センターで見た検査の様子だった。
「ここまで厳しくやっているとは、知りませんでした」

さらに、現地の人たちの栽培に取り組む前向きな姿勢に驚いた。
「あんなに大変なことがあったのに、
福島の方々は、みんな自信と誇りをもって栽培している。
生産者も料理人も食の“プロ”を自負する人は、
自分が食べたくないものを、人に提供できないはず。
これなら間違いない。
そのとき僕の認識も大きく変わりました」
そして、自ら「ふくしま応援シェフ」として、名乗りを上げた。

そんな小林シェフは、地鶏とシャモを「手羽先のスパイシー香味揚げ」として提供。
2種の手羽を、日本酒、ナンプラー、ベトナムのカレー粉、
ニンニク、ショウガ、一味唐辛子を混ぜ合わせた調味液に1日漬け込んで、
味を沁み込ませた後、油でカラリと揚げたもの。
ナンプラーに香辛料が溶け込んで、南国風の香りがする。

「どっちが地鶏かな? こっちがシャモかな?」
「シャモは思っていたより、ずっとやわらかいんだ」
「会津地鶏も、とってもジューシー」
「表面の皮の脂の匂いが、ちょっと違う気がする」

会場では、さまざまな声が飛び交っていた。
けれど味や食感に関する感想は、人それぞれ。
甲乙はいずれも付けがたく、
結局「どっちもおいしい」という結論に達する人がほとんどだった。

地鶏と呼ぶための条件が「日本農林規格」で定められている。
「在来純系種、または在来種を素びなの生産に両親か片親に使ったもの。
 飼育期間が80日以上、28日令以降は平飼いで、
 1㎡あたり10羽以下で飼育しなければならない」
というのがそれだ。
ブロイラーの鶏の飼育日数は50日前後。
これに対し、川俣シャモは110〜114日、
会津地鶏は雄が110日、雌が130日と倍以上の飼育期間を要する。
さらに1羽あたりの鶏舎の面積も広いので、運動量も多いのだ。

濃厚なスープが取れる、肉も骨も美味しい鶏

会場には、会津地鶏を生産する㈱会津地鶏ネットの関澤好春さんの姿も。
震災からこれまでの歩みを振り返っていただいた。

「会津地方は、地震の被害は少なかったのですが、
 震災直後、会津のホテルや旅館は避難所になり、
 一般客がまったく来ない状態に。
 地元からの注文はゼロになってしまいました」

それでも東京の居酒屋チェーンが80店舗で会津地鶏を導入。
看板メニューとして販売し続けたことで、生産を継続できた。
現在はNHKの大河ドラマ「八重の桜」のブームもあり、観光客も徐々に増加。
地元のホテル、旅館の注文も少しずつ回復してきている。
しかし、新規の顧客がなかなか増えず、全体の出荷量は伸び悩んでいるともいう。

「商談会や物産展の会場で、
 あからさまではないけれど『避けられている』と感じることはあります。
 汚染水の問題も含めて、原発の問題が収まらない限り、それは消えない。
 2年や3年で回復できるものではない。まだ時間がかかると感じています」

伸び悩む原因のひとつがその価格。
地鶏は生育期間が長い分、生産コストもかかる。
「世の中全体が不景気で、居酒屋さんは安い食材に変更せざるを得ない。
 それもまた顧客が増えない一因です」
その一方で、「鶏ガラがほしい」と、
わざわざ会津の鶏舎を訪ねるラーメン店の店主もいるという。
じっくり時間をかけて育つ会津地鶏の骨から、濃厚なスープが取れるからだ。
「肉も骨も使える鶏です。違いのわかるプロの方に使っていただきたい」

肉の美味さもさることながら、実は出汁も美味い。
そんな特徴が如実に現われているのが「会津地鶏のフォー」だ。

「今回はあっさりしたフォーなので、肉からスープを取りました。
 地鶏からは、かなりコクのあるスープが取れますね。
 これが骨付きの丸鶏だったら、もっと濃い出汁が取れると思いますよ」
というのは、調理を担当した「コム・フォー」の山本晋司さん。

会津地鶏は、ベトナム料理でもその本領を如何なく発揮。
時間をかけてじっくり育て上げた地鶏の味わいは、ここにも活きているのだ。

この日、もう一品、登場したのが、
「スモークメイプルサーモンの生春巻き」

メイプルサーモンは、西白河郡西郷村の㈱林養魚場が生まれ故郷。
山あいの養魚場で育つ、完全養殖のニジマスだ。
清涼な阿武隈川源流の水で育てられるため、
寄生虫などの心配はなく、生でも安心して食べられる。
それが、生春巻きの具材となって登場した。

「ベトナムにサーモンはいませんが、
 今回はあえてスモークサーモンを選びました。
 クセがなく使いやすい食材ですし、
 今回は魚卵も一緒に添えました。
 一緒に巻いたスプラウトもすばらしい!」
と小林シェフ。

スプラウトは郡山市の「降谷農園」のものを使用。
この農園は、東北でいち早くスプラウトの栽培に着手。
カイワレ、ブロッコリー、マスタード、豆苗など、その種類も豊富だ。
「すごく新鮮で、味わいも濃厚。
 ベトナム料理は野菜をふんだんに使います。
 サラダなどに、盛り込んでいきたいですね」

会津地鶏、川俣シャモ、メイプルサーモン、そして降谷農園のスプラウト。
「コム・フォー」のベトナム料理を通して、
福島の食材を堪能した参加者の中には、
3歳の男の子を連れたお母さんの姿もあった。

福島県の「県産品振興戦略課」の担当者から、
福島県では、農産物の収穫前と収穫後にモニタリング検査が行なわれていることや、
米については全量全袋検査が行なわれており、
「安心して召し上がっていただける」ことなどが、説明されていた。

参加者のひとりは、
「福島の人たちは、こんなにがんばっているのに、
 なかなか風評が収まらない。残念なことです。
 ぜひこういう機会が増えて、
 福島の食材が広く世に広まっていけばいいなあと思います」(30代男性)

「同じお金を払うなら、わざわざ福島県産のものを買わなくていい。
 そんな声も聞かれます。
 だけど我々は、福島で生きていかねばなりません。
 たとえ時間がかかっても、がんばっていきたい。
 今、福島からダメなものは出ていません。
 安心して食べていただけます。
 こんな状況を打開するのは、みなさんの口コミだと期待しています。
 我々は、真面目に、一生懸命ホンモノを作っていきます。
 これからも応援していただければありがたいです」
会津地鶏の生産者、関澤さんは、挨拶でそんな風に訴えかけた。

コム・フォーの小林シェフは、
「実際に現地を訪れて、食材を見たり、味わったりすると、
 福島の捉え方が変わります。 一般の方が現地に行って確かめるのは難しい。  
 我々食のプロが、それを伝えていきたいと思います」 と挨拶した。

今、福島県に78人、東京に51人、
その他の地域に13人の「ふくしま応援シェフ」がいる。
そんな料理人と食材たちを仲立ちに、
福島を思い、考え、伝える——そこで生まれる対話のひとつひとつが、
大切な一歩になる。そんなことを実感させられる交流会だった。

福島県農産物モニタリング情報「ふくしま新発売。」
http://www.new-fukushima.jp
「県産品消費者理解促進交流会」
◎第4回「1月〜正月食べ過ぎ解消 ふくしまの冬野菜と麺とパン」


1月20日(月)15:00~17:00
播磨坂 もりずみ(森住 康二シェフ)
東京都文京区小石川4-15-13
HARIMAZAKAビル 1F
03-5805-3655

1月21日(火)15:00~17:00
四川豆花飯荘(遠藤 浄シェフ)
東京都千代田区丸の内1-5-1
新丸の内ビルディング 6F
03-3211-4000

1月22日(水)15:00~17:00
ソーゼージスタイル流行hayari(村上武士シェフ)
東京都渋谷区恵比寿3-48-5 
グランデ恵比寿 2F
03-5422-8467


◎参加費
1500円(1名)
※お帰りの際に、参加者全員にBears Bear fukushimaふくしまを抱くクマ「しまくま」をプレゼント

◎申し込み方法
「ふくしま応援シェフ」のホームページで申込書をダウンロード、必要事項を記入のうえ、FAX またはメールにて申し込み 
http://fukushima-ouen-chef.jp/

お問い合わせ

事務局 会津食のルネッサンス

 

福島県会津若松市中島町2-52
TEL 0120-91-0617 (10:00~18:00 ※土日祝日休)
FAX 0242-93-9368
E-MAIL order@a-foods.jp
http://www.a-foods.jp/

〈アタラタ〉
プレオープンイベント

未来へつながる六次産業化モデルファーム。

仙台空港から近い宮城県名取市は東日本大震災で、大きな被害が出た地域。
そこにオープンするアタラタのプレオープンイベントに、
たくさんの幼稚園児とそのお父さんお母さんが集まった。

アタラタは、パンの〈ル・タン・リッシュ〉、そばの〈焔蔵〉、
ビュッフェレストランの〈アタラタ・マルシェ〉という飲食店が3軒と、
キッチンスタジオを備えた施設。
イタリア語で“絆をつなぐ”という意味の
“アタッチェ・ラタッチェ”をもじってネーミングされた。

「命は助かったけれど、ひとの役に立てない。
仕事の大切さがわかった、という声がありました」と震災後の話をしてくれたのは、
炊き出しや物資の輸送などを行っていた
「東北6プロジェクト」代表理事の渡部哲也さん。
今後必要になるであろう雇用の確保を目指して、アタラタを立ち上げた。

そのころ、いち早く被災地に赴き、
渡部さんたちと復興のお手伝いをしていたリバースプロジェクトは、
この話を聞き、共同でプロジェクトを進めていくことになる。

「災害が起こったときに、地域に食糧を提供できるような施設をつくりたいと思い
賛同しました」と語るのはリバースプロジェクトの村松一さん。
主にグランドデザインと建築デザインを担当した。

ただ単に“新しい施設で元気になろう”だけではなく、
防災意識を継承していくためのシンボリックな建物となる。
そばを打つ機械やパンを焼く窯は、
災害に強いというコンセプトから出てきたもの。
電気や水道が止まっても、備蓄の水と粉があれば薪でパンが焼ける。

とはいえ、当面の目的は新しいコミュニティづくりともいえる。
そのなかでコアに展開していくのが、
農業生産者を守りながら消費者とつながっていく六次産業化である。

「生産者が生活できるだけの収益を、消費者から見えるかたちで上げること。
契約農家とグループになって生産・販売していきたいです。
消費者と生産者をつなげる架け橋が
アタラタとしての表現になると思います」と渡部さん。
村松さんも「小さな循環型社会の実現を、
地方再生やローカリズムという文脈で考えたときに、
六次産業はとても効果的です」と話す。

リバースプロジェクトの村松一さん(写真左)と、東北6プロジェクト代表理事の渡部哲也さん(写真右)

立派な窯の前でパン屋のお姉さんとパチリ。

リバースプロジェクトの伊勢谷友介さんも駆けつけた。

実は復興助成金を一切使っていない。というより、使えない。
東北6プロジェクトの活動は“未来をつくる”ことであり、
“復興”と捉えられなかったからだ。
しかしそこであきらめるのではなく、自分たちでお金を工面した。
だから、しっかり収益を上げて、返済をしていかなくてはならない。
それを可能にする業態でなくてはならないし、
一過性でなく継続的なものになるような仕組みにしなくてはならない。
ビュッフェ、パン、そばというのは、東北6プロジェクトの役員たちの本業だ。

「何かあっても役員自身が尻拭いできる本業であることで、
真剣さが伝わってきました」と村松さんは当時を振り返る。

また、リバースプロジェクトが一般社団法人を設立し、
アタラタのグランドデザインという実務で支援すると聞いた刃物メーカーの貝印も、
リバースプロジェクトが活動するための基金の組成に参画した。
単なる寄付ではなく、
アタラタの発展を当事者として見つめるために積極的に協力している。
さまざまな側面からの思いが、実現へと大きく舵を切ったのだ。

90年後のタイムカプセルに思うこと。

アタラタのもうひとつのテーマとして“90年後の君へ”が掲げられている。
プレオープンイベントでは、20年後と90年後の未来へ向けた手紙を書き、
施設内に設置された灯台型のタイムカプセルに投函した。
東日本大震災で同じく被害を受けた栃木県益子町では、
多くの益子焼作品が割れてしまい、
この灯台型タイムカプセルはそれら益子焼の破片からできている。
陶芸作家の藤原彩人さんが破片を集め、
素晴らしいモニュメントをつくりあげた。
これはクラウドファンディング〈元気玉プロジェクト〉を活用して
実現したものだ。

被災した益子焼の破片集めに協力した陶芸家の藤原彩人さん。

灯台の周りには、角だけとった破片が敷き詰められている。なかには「これお茶碗だ」とわかるものも。

20年くらいのタイムカプセルはよくあるが、
90年後の未来を想像したことがあるだろうか。
今回集まった親世代は、
20年後は子どもたちは成人し、自分たちも特に何もなければ生きているだろう。
だから親子でタイムカプセルを開けることができる。
しかし90年後、自分たちはおろか、
子どもたちですら生きている可能性は低いし、孫も50〜60代。
ひ孫が現役世代で、場合によっては、玄孫が生まれているかもしれない。
果たして誰に宛てた手紙になるのだろうか。
想像力を最大限に働かせて筆を進める。

「本日参加してくれたみなさんも、子どもの世代までは想像できたようですが、
そのもうひとつ下の世代までは考えたこともなかったようです。
しかしそれも、子どもたちの世代と同じ尺度で考えてほしい」
と村松さんは意図を教えてくれた。

書かれた手紙の内容をチラッと見るだけでも、
目頭が熱くなるような内容ばかり。
自分の子どもを目の前にして20年後への手紙を書くと、
すごくエモーショナルになるだろう。
同じ親近感で90年後の未来を想像できたのであれば、大きな意味がある。

書き終わった手紙を親子でポストに投函。

ふたつの封筒を入れた。20年後と90年後、どんな気持ちで開けるのだろう。

90年という数字には3世代という意味がこめられている。
「建築でも、90年後まではあまり考えたことがありません。
今回は引き渡し時が完成ではなく、
そこから地域やお客さんによる、伸びしろのある建築をつくったつもりです。
木を1本植えました。まだ小さな木ですが、
生長したらツリーハウスをつくりたい」と地域との関わりを期待する村松さん。

「ハードが経年劣化していくのは仕方がありませんが、
ソフトはコミュニティとともに“経年成長”してほしい」と
渡部さんも地域に根ざすアタラタを望む。

果たして90年後、手紙を開けたひとたちは、手紙を書いたひとたちに対して
どのような気持ちになるのか。
“あなたたちのおかげでいい社会になった”という感謝の気持ちか、
“こんな地球にしてしまって”という悲しみの気持ちか。
答えは90年後にわかる。
どちらにしても、手紙という証拠で、
自分たちを追い込むモチベーションをつくってしまったようなもの。
90年後に良い答えが出るかどうかは、
自分たちがこれからどのように生きていくかに懸かっている。

ものづくりの祭典・もみじ市が、 京都を彩りにやってくる! 「旅するもみじ市 in 京都」

2006年に東京・調布市にある小さなアトリエで開催して以来、
お寺や河川敷へと場所を広げ
徐々に規模が大きくなっていく「もみじ市」。
毎年多くの“ものづくりびと”が参加し、
クラフトやフード、音楽で
訪れる人たちをドキドキワクワクさせています。

そんなもみじ市はこれまで、東京まで行けないという方の元に
栃木、茨城、北海道と「旅」をしてきました。
今回の旅では12月13日(金)と14日(土)、
個性あふれる13組の作家たちとともに京都の烏丸へと訪れます。

当日はイラストレーターや陶芸家、
帽子作家さんたちが直接作品を販売。
また、お面づくりのワークショップや移動映画館(要予約)、
この季節にしか味わえないお菓子なども用意されるそうです。

左上から右下に向かって小谷田潤さん、nuriさん、西淑さん、Chappoさんの作品。つくり手の皆さんとぜひお話してみてください!

会場は、大正期の銀行の外観を残した「flowing KARASUMA」。
以前も関連イベントを開催したことがあるそうですが
残念ながら年内いっぱいで閉店とのこと。
今年「カラフル」をテーマとしたもみじ市が
そんな思い入れのある会場のフィナーレを鮮やかに彩ります。

「クリスマスや帰省時の贈りもの、今年一年頑張った
自分自身へのプレゼントも見つかるかもしれません。
13組のつくり手、そしてflowing KARASUMAの皆さんとともに
お待ちしております!」
と主催者の方からメッセージもいただきました。

京都駅からも近い烏丸、ぜひお立ち寄りください!

◎出店者 
あちらべ/キノ・イグルー × 池永萌/小谷田潤/
Chappo/高旗将雄/charan 山田亜衣/
手紙舎雑貨店/西淑/ニシワキタダシ/ヘブンズテーブル/
食堂souffle(13日)/nuri(13日)/tupera tupera(14日)
-SPECIAL EVENT-
「キノ・イグルーのワンダーランドシネマ!」(13日19:30〜21:00/予約制)

◎開催情報

旅するもみじ市 in 京都

日時:12月13日(金)・12月14日(土)11:30〜18:00

会場:flowing KARASUMA

OPEN 11:30/CLOSE 23:00(L.O. 22:30)

京都府京都市中京区烏丸通蛸薬師下ル手洗水町645

阪急「烏丸」駅/市営地下鉄烏丸線「四条」駅22番出口より北へ徒歩4分

イベントに関して詳細や作家さん情報は随時アップ中です。下記サイトでご確認を。

手紙社「旅するもみじ市 in 京都」

ビルススタジオ vol.03: シェアハウスの始まり。

ビルススタジオ vol.03
始めてから、考える。

ある日、突然森さん(仮名)という方が当社に相談に来ました。
聞けば、現在は宇都宮市の中心商業地の分譲マンションに住んでいるのだが
極力その便利な立地を変えずに独立した自宅を手に入れたい、とのこと。

さて……まず考えられるのは、
 ア)更地を買って、新築。
 イ)中古住宅を買って、リノベーション。
この辺りでしょうか。

ア、イとも、せいぜい2〜3階建ての建物。
そうすると、商業地にはもっと高さのある建物があるので
日当たりは良くないし、庭もないし、プライバシーも確保しにくい。
その割に、総予算が高くつきます。

ということは、周辺に4〜5階建てが多ければ
それ以上の高さ(15m位)に地面を持ち上げて、その上に平屋の家でも建てられれば
立地もよく、日当たりもよく、プライバシーも守れる自宅が手にはいりますよね〜。

……っと、待てよ。ということは、
ビルを買って最上階に住めれば、同じ話じゃん。

というわけで、売りビル探し。しかし、これに関してはさほど苦労しませんでした。
こちらは日常から空きビルを見つけては「あれいーなー、これいーなー」と
指をくわえて見ていた立場だったもので、
およそ主な空きビルは把握できているんです。

元のビル。スナックなどが密集するエリアにそびえ立つ、とりたてて特徴のないビルでした。

その中で、6階建ての元ホテルという物件が。
さっそく森さんと内見しました。
幸い、最上階はもともとオーナーの住居仕様。
眺めもばっちりだし、さらには屋上もあります。
「こりゃあ、いいな」となったのですが、
「下の5フロア、どうすんの?」と、しごく当然のご質問を頂きました。
で、いったん持ち帰り。

元カプセルホテルだったフロア。半解体状態、、。でも、天井が高い!

そうだなぁ……、ビルの現状からすると、
 A)ホテル
 B)マンション(賃貸住宅)
 C)店舗・オフィステナント
と、この辺りが考えられます。
しかしここは地方都市、宇都宮。
ビル上階のテナントはことごとく空いているのがまちの現状です。
ホテルにしても安価できれいな新築のビジネスホテルがそこそこ飽和状態。
ましてやホテルとなると、他社に運営を委ねなければいけない。リスキーだなぁ……。
そうなるとBか。
確かに、商業地への住宅需要はまだなんとかありそう。
でも需要があるということは、新築でいけちゃう巨大投資のできる競争相手がいる。
そんな中、果たしてこちらに入居してもらえるのか。

さらに、普通の賃貸住宅だと、
当然キッチン・バスなどの水廻りを各部屋に設置しなくてはいけない。
それだけでもなかなかの投資が必要となってきます。
とは言え、入居者に受け入れてもらえそうな家賃設定を考えると、
クオリティの低い住環境しか提供できない……。

じゃあ、いっそ水廻りを部屋数分用意せずに、共用にしてみよう。
どうせ法的理由から住戸にできない2階部分は住民みんなで使えるリビングにしよう。
その代わり、各部屋のリビングも広めにとり、共用の家具・設備は
ひとり暮らしではなかなか使えないレベルの品揃えにしてみよう。
あれ……? これって「シェアハウス」だ。

ということで森さんにご提案。
意外にあっさりとOKを頂けてしまいました。
そんなこんなで売買契約が成立しました。

で……、シェアハウスってどうやるんだ?
まずはそこからのスタートです。

事業として行っているシェアハウスは
すでに政令指定都市などの大都市圏にたくさんあり、
事例にはことかかない状況でしたが、そこはプライベートな生活の場所。
のきなみ見学は断られ、ほとんどの事例研究は
ネットや本のみ、というありさまでした。
数少ない見学できたシェアハウスも何十人という大規模なものであり、
入居者さんたちは都内への通勤の便の良さが最大唯一の決定理由、とのこと。

こりゃあ、いち地方都市でしかない宇都宮市で
シェアハウスを運営するのは大きなチャレンジとなりそうだと
ようやく実感しはじめました。

シェアハウスのメリットとは?

まずは、「利便性の良い場所ながら割安で住まいを借りられる」ということ。
テレビや雑誌で言われる「他の入居者たちとのつながり」については他の入居者次第。
実はそこが入居決定動機ではない、と都内の運営者が念を押していたのでした。

さて、「利便性」か……。
通常は「駅からの距離」なのですが、ここは宇都宮市。
電車で通勤通学する人はあまりいません。
気付けばまる1年電車に乗っていないなんて、ざらです。
もちろん住まいを探すのに駅からの距離なんて気にしません。
気にするとすれば「職場からの距離」(通常の場合、宇都宮では車通勤がベース)。
ちなみに、物件には駐車場はとれていません。

しかし当然ですが、ここも近隣に職場のある人にとっては利便性がいいと言えそうです。
(商業地とはいえ、そんなに勤め先は多くないですが)
あれ、そうか、ここは商業地だ。
仕事帰り(いったん帰ってからでも!)に休日に近所で遊べる。
これって利便性だよね? たぶん。うん、たぶん。

うーーーーん、、、
わからない。もうわからないから募集かけちゃおう。
ここでシェアハウス。何がいいのか、
そしてどういう状況をつくればいいのか。
実際に入居する人を集めて、一緒に考えよう。
と、まだ工事は始まってもいない状況でしたが、
ひとまず募集をかけてみました。

すると1か月ほどの間に連絡がちらほら。
なんと5名もの奇特な方々が見もせずに(!)入居を決めてくれました。

理由はさまざま。
テル氏は近所に職場がある、営業マン。
出身は愛媛ですが宇都宮生活はもう長く、
何よりもシェアハウスのある釜川エリアを呑み庭としている方。
職場も遊び場も近い、まさにうってつけの方でした。

メーカさんは、オーナーの森さんと親交の深い会社(これも近所)の
ショップスタッフとして入社することが決まっていて、
初めてのひとり暮らし場所を探しているところでした。

シン氏も職場が近く、決めてくれた方。
実家から通っていたものの、
車で毎日40分かかる通勤に辟易していたところでした。
かつてはバックパッカーとして各国をさまよっていたらしく、
旅先のドミトリー生活で共同生活は慣れていました。

サト氏は宇都宮大学院を卒業し、
自転車で通える距離にある職場に就職が決まっていました。
実家から通うには遠く、
なかなか帰れない仕事状況になることも目に見えていたため、
入居を決めてくれました。

ウミさんは少々事情が違いまして、、、
端的に言えばうちのスタッフです。
そして当シェアハウス物件の担当者でもあります。
決して、なし崩し的に入居させられたわけではなく、
海外でも日本でもシェアハウスでの生活経験があったんです。
特に、今回は建物ができたら完成ではなくて、
人が生活し始めてからが本当のスタート。
ならば実際に生活しながら関わっていく必要があるだろうし、
そうしないと中でどんなことが巻き起こっているのかが
あまりわからないまま、というのも非常に悔しいわけです。
ね、それじゃ悔しいよね?
で、入居となりました。
いや、決して会社命令ではありません。

背景、出身や属性は多種多様でしたが、
ここで「FIRST 5」が出揃いました。
実は入居希望時にそれぞれの方々には
「シェアハウスを始めるといっても、オーナーも当社も未経験なんです。
何を用意すればいいのか、入居者さんが何を望んでいるかも、さっぱりわかりません。
だから5人くらい揃ったら、みんなで決めましょうね。いや、決めてくださいね」
という、何とも不安なリクエストをしていました。
(ホント、よく決めてくれたなぁ、、、といつも思います)

はじめてのミーティングの様子。まだ緊張感がみてとれます。

で、当事者の「FIRST 5」とオーナー、当社スタッフなど交えて、
初めてミーティングが開かれました。
各入居者さん同士はもちろん、オーナーさんも初対面です。
なんかドキドキです。
ここにいる方々がこれから同じ建物で一緒に生活することになるのか。
うまくやっていってくれそうかな、
生理的に苦手な人がいたりしないかな、
そもそも会話は成り立つのかな、
目を見て話ができているかな、
主語述語はしっかりしているかな、
……といらん心配が膨らんでいましたが
そんな心配をよそに、なかなか和やかな時間が流れていました。

まずは(今さらですが……)どんな建物になるかの説明。
それから、シェアハウス経験者による良かれ悪しかれの体験談。
で、ここからが投げっぱなし。
何が欲しいか、どんなルールが必要か、壁の色はどうしたいか、
不安な点(だらけだろうけど)は、無いか。
好き勝手に出し合ってもらいつつ、
話し合いもそこそこにして皆でお肉を食べに行きました。

以下、出た意見の例です。
・たこ焼き機が欲しい
・テレビは100インチがいい
・カーシェアしたい
・プロジェクターで映画が見たい
・バルセロナチェアーが欲しい
・料理人の住人がいてほしい
・外国人の住人がいてほしい
・みんなで過ごさなくてはいけないのか
・部屋に鍵はあるのか
・フロは誰が洗うのか

何度目かのミーティング。白熱と小ボケの渦。

こんな風に話し合いを何度か進めていきながら、
徐々に入居者さん同士も打ち解けていき、
ボケ・ツッコミやまとめ役、マスコット的存在などなどのポジションがはっきりしてきました。
結局、要望やルールづくりについてはざっくりと、
差し障りの無い程度に抑えることになりました。
そうできたのも、何度も会っているなかで打ち解けながらもしっかり話は進み、
以降もみなさんが、都度大人として話し合いながら
決めていけそうだな、と確信を持てたからです。
これから決まってゆく入居者さんについても、
この方たちと自然と対話できる人柄かどうかを気にしながら
当社にて判断をしていけばいいんだなと、ひとつ基準が見えました。

余談ですが、ある人がシェアハウスに向いているか、
向いていないかという、見分け方を教えてくれていました。
それは「兄弟が、特に異性の兄弟がいるかどうか」。
この点についても入居者さんにはまあまあばらつきがあります。
真偽については現在検証中です。

このシェアハウス、実は2013年9月に無事オープンしまして、現在14名が生活しています。
付かず離れずの生活を目指したものの、現実はどうか。
地方版シェアハウスではどんな日常と非日常が繰り広げられるのか。
果たして運営上の問題は本当に話し合いで解決されてゆくのか。
彼女を連れ込む時はお互いどう対応しているのか。
見られたくない食事をするときはどうしているのか。
……などなどを次回はお伝えできると思います。

ビルからの眺め。

information


map

ビルススタジオ

住所 栃木県宇都宮市西2-2-24
電話 028-636-5136

飽きられない ゆるキャラとは何か?! 北海道の北斗市民が選んだ、 衝撃の「ずーしーほっきー」

先日、「ゆるキャラグランプリ」が発表されたばかりですが、
北海道の北斗市で生まれた、もはやゆるくない「ゆるキャラ」が話題になっています。
それがこの「ずーしーほっきー」。北海道北斗市の新幹線開通に伴って
生まれた、名物の「ホッキずし」をモチーフにしたキャラクターです。
にぎりずしに手足が生えたシンプルなデザイン。
そもそも目の焦点が合ってません。大丈夫でしょうか..?!

背中は北斗市特産のほっき貝。お腹は地元のブランド米「ふっくりんこ」。

この個性的な「ずーしーほっきー」くんが生まれたきっかけは、
公立はこだて未来大学にて行われた、
ご当地キャラクターのデザインプロジェクト「HOCTORY」にて。
全国のご当地キャラを研究したり、フィールドワークなどを行って
多数のキャラクターがプロジェクトでは生まれました。
そうして生まれたキャラクターたち100体から5体を厳選し、
どのキャラを北斗市のキャラクターにしたいのか、
市民投票を開催。
その結果、2位に500票以上の差をつけた約3,000票を獲得し、
「ずーしーほっきー」が見事にグランプリになりました。
見た目のインパクトが選考の理由で、
洒落がわかる、攻めの姿勢がかっこいいです。

言葉は喋れるんでしょうか?!

全国各地で星の数ほどのキャラクターが生まれては消えてゆく、
ゆるキャラ戦国時代。
市長さんは「かわいいキャラは飽きられるが、これは飽きられない」
とのコメントを寄せているとのことで、なかなかの確信犯。
そういえば北海道は、元祖突っ込みどころのある
ゆるキャラ「まりもっこり」が生まれた地。
ずーしーほっきーの今後の活躍が楽しみです。

HOCTORYプロジェクト「ずーしーほっきー」

NO ARCHITECTS vol.2: このまちにとって必要な場所

NO ARCHITECTS vol.2
観光案内所のような

NO ARCHITECTSでは、
昭和の風情が色濃く残る大阪市此花区梅香の物件の設計にいくつか関わっています。
その中のひとつ、今やコミュニティの中心的な場所「OTONARI(おとなり)」を紹介します。
ここは、『まちのインフォメーションと寄り合いのスペース(HPより抜粋)』。
オーナーは、おうち料理研究家の溝辺直人さんと、詩人で写真家の辺口芳典さんで、
ふたりはもともと2009年より此花区梅香にて黒目画廊という、
住居兼ギャラリースペースを運営されていました。

僕たちが、初めてお話を頂いたのは2011年の11月頃。
黒目画廊とは別に、まちのインフォメーションスペースと寄合所をつくりたいとのこと。
「年齢や職種を越えて交流を持つというのが、すごく面白いことだなと感じていて、
それを可能にする方法として案内所ってアイデアが出てきたんです。
内側と外側、ベテランとニューカマーをつなぐ存在があれば、
少しずつ広々としたコニュニケーションが得られるはずだって。
ローカルにもグローバルにも目を向けて、
それぞれの身の丈に合った発見と発信を続けている場所っていうのが、
僕らの考える案内所です」(辺口さん)

その考えを自分たちで実行し、
維持していこうという志の高さに、深く感銘を受けました。
最寄りの西九条駅前を見渡してみても、
道路の両脇に2軒とも同じコンビニがあったりします。
まちに住む人からすると、おそらく求められていないもの。
各々の個人的な理由でまちがつくられていってしまう現状に、あきあきしていました。

西九条駅から歩いてきて橋を渡ると、大きな窓から店内の光が溢れているのが、目にとまります。

場所は、梅香エリアの北東のはじっこで、まちの入口です。
建物自体は、木造2階建てのバラック。
同じ建物のなかの1階と2階の隣の部屋は、
以前から梅香堂というギャラリーが入っています。

外装は、銀色に塗りこまれたトタンの波板に包まれています。OTONARIは、大通りに面した2階の部屋です。

梅香堂のお隣さんということで、OTONARI(おとなり)と名付けたそうです。
もともとは紙屋さんの倉庫として使われていた建物で、住居に改装され、
元の住人が引っ越し、長い間、空き物件になってしまって、朽ち果てた状態でした。

窓の納まり、カウンターの高さ関係、板の貼り分けと塗装のイメージ、カウンタースツールなどのスケッチ。

みんなでつくるということ

図面やスケッチで、カウンターの配置、建具のデザインなどの検討をし、
大体のプランニングの方向性が決まったら、最初は解体作業です。
NO ARCHITECTSと事務所をシェアしている工務店の大川 輝さんを中心に、
溝辺さん辺口さんと共に、
ホコリをかぶりながら床を剥いだり壁を抜いたりと進めていきました。
リノベーションは解体がとても大事で、
発掘作業のように残す部分と壊す部分を、その場で判断しながらの作業になります。

解体作業の様子です。解体してみないと解らないことも多いです。

解体が終わってトイレを除いて、ワンルーム状態に。
念入りに掃除をした後、床や壁を貼っていきます。
劣化がひどかった道路側の壁も、コの字型に壁を立てて、補強しています。

床は、構造補強のため、既存の床の上に根太(ねだ)を組んで断熱材をはめ込み、その上に厚めの構造用合板を貼っています。

天井も低く、こぢんまりとした部屋だったので、部屋を広くみせるためと、
窓はできるだけせり出させて、出窓のようにしています。
立食イベントの時など、窓辺がカウンターテーブルにもなるようにと考えました。
さらに言えば、外から見たときに入って来やすいように、
内部はちゃんとリノベーションしていますよ! とアピールするための出っ張りでもあります。

材料のひとつひとつは溝辺さんが楽器を売ったお金で買っています。無駄な装飾や設えは省いて最低限の施しが基本です。

もともと浴室だったところからお風呂の桶だけを取りはずし、
床の防水と排水だけは、洗い場として再利用。
シンクや壁の防水材などは、知り合いの不動産屋さんにご提供いただきました。
使っていないからと、元惣菜屋の空き物件から
ステンレス板を剥ぎ取らせてもらったりもしました。
そして、吊り戸棚、換気扇なども提供してもらい、取り付けていきました。
換気扇のフードは溝辺さんの手作りで、
展開図を描いてトタンの平板を切って作っています。

オープニングの様子です。日野浩志郎さん率いる「彼方」のライブ。

まちに入り込む

年末年始を挟んだ極寒の中での作業ではありましたが、
大川さんの頑張りもあって、
2012年1月7日のオープンの日にはどうにか間に合い、営業がスタートしました。
オープンしてからは、定期的にライブやトーク、
持ち込みイベントなどで、週末ごとに賑わいをみせています。
最近では、辺口さんによる「Wonder Town ツアー」があったり、
近所に住む常連のお父さんによる懐メロDJタイムがあったりと、
日々進化し、まちに定着していっています。

此花区内にある福祉作業所と一緒に作っている広報誌『此花◯◯通信vol.3』にて辺口さんの「Wonder Town ツアー」を特集したページです。 

「OTONARIをやってみてもうすぐ2年が経つけど、
実際、年齢や職種を越えて(人種も越えたりして)、
想像していた以上の交流が日々生まれている実感があります」という辺口さん。

最近お子さんが生まれたという溝辺さんも、世代を越える交流について、こう話します。
「案内所では、この地域で家族を持ち、生活してきた年上の先輩方の話を聞くことができます。
下町ならではの人情や、人生の厳しさを経験している人々の考えからは学ぶことは多い。
案内所での体験をとおして、まちと人との関係が見えてくるこの地域で
子どもを育てたいなと思う気持ちが強くなってきたことが、
この2年間で大きな自分自身の変化です。今後は案内所が、まちでの暮らしを
考えるきっかけになるメディアとして成長していければと考えています」

「今後も交流の軸になれるように、詩の創作や暮らしを楽しみながら、
身の丈に合った発見と発信を続けていきたいと思っています」
と辺口さんも今後の展望を教えてくれました。

これからのOTONARIの展開に、ますます期待が高まります。

このはなに生まれつつある新しいコミュニティの中の内輪な関係を
深めたり広げていくだけではなく、
まちに開放し共有できるスペースをつくることで、
もともとの地域に根付いたコミュニティに接続でき、
より豊かな人間関係を築いていけるということを、OTONARIを通して学びました。

このはなに来られる際は、まずはOTONARIにお立ち寄りください。
イケメンのお兄さんふたりと、気さくな常連さんが、やさしく出迎えてくれて、
今のこのはなを案内してくれますよ。

小田島等さんの大きな絵があったり、辺口さんの写真が貼られていたり、地元の家具作家の宮下昌久さんのテーブルや椅子が並べられたり、見どころいっぱいです。

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NO ARCHITECTS

住所 大阪市此花区梅香1-15-20
http://nyamaokud.exblog.jp/

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OTONARI

住所 大阪府大阪市此花区梅香1−15−18 2階
https://www.facebook.com/otonari.konohana

広島・尾道の御調町を もっともっと面白くする。 まるみデパートからはじまる 町の『サイコウ』

広島県尾道市の御調町に2012年10月1日に誕生した
複合施設「まるみデパート」。
すごく味のある洋館のなかで、
ナチュラルコスメ屋さんの「もち肌化粧店」、
地元野菜や自家製メニューを提供する「cafeフローラ」、
地元のこどもが店長をする「駄菓子と茶の間」などがある、
貸アトリエやパン屋さん「ネコノテパン工場」の出張販売など、
いろんなことが起こっているにぎやかなところです。

まるみデパートの建物はもともと
大正7年に建てられた洋館作りの医院で、
空き家になって10年近くは経過していました。
ここを2年かけてセルフリノベーションし、
当時の建築の良さと趣を生かした建物に仕立てあげたのです。
ちなみに「まるみ」とは、御調町が尾道市に編入する
前に使われていた町章の「愛称」です。

みつぎさいこう実行委員会メンバー。水色の旗に描いてあるマークが「まるみ」。町役場で譲ってもらった、正式なもの。

「まるみデパート」のリノベーションと
運営を手がけるのは、「みつぎさいこう実行委員会」。
御調町を「再興」して「サイコー」にすると
いうことをコンセプトに、
町の魅力を生かした活動や魅力づくりを行う団体です。
地域が持つ文化・自然・ライフスタイルを
より魅力的にクリエイトしていくことをめざし、
2010年から活動を開始しました。

活動を始めたきっかけは、
町にある様々な魅力が最大限に生かせていないと感じたこと。
まちの魅力を再発見する「まち歩きワークショップ」を開催したり、
「みつぎさいこう座談会」と称して、語らいの場を設けたりと
地元を楽しくするような活動を活発に行っています。

地元のお店「近藤菓子店」で作っていた御調町の地図入り包装紙を、みつぎさいこうデザイン部が復刻。内容も更新し、ニューバージョンとして復活させた。

地元の農家さんが行う「アヒル農法」を見学。御調町周辺の農業や生物を研究する「御調・世羅の自然史研究会」主催のサイエンスカフェを開催。

みつぎさいこう実行委員会の願いは、
御調町を「観光地」ではなく「楽しい生活地」にしたいということ。

「いろいろな人の生活スタイルをアートやデザイン、
若者の遊び心などでアレンジすれば、
より面白く魅力的に発信できるのではないかと思っています。
本来、昔の田舎の暮らしは現代から見れば面白いことだらけ。
古いものの良さを復活させてアレンジするだけでも
ワクワクする田舎ライフスタイルが生まれると信じてます」(実行委員会談)

山ノ家 vol.2: 僕らはメッセージボトルを 受け取り、そして…

山ノ家 vol.2
空き家をめぐるストーリー

まつだい(新潟県十日町市)にまでやってきた。妄想も広げた。
物件も見た。軽いショックも受けた。
しかし、そもそも僕たちは一体どういう関わり方になるのだろう?
この地にコミットしつつ、
あらたな拠点を得て活動を展開するということに対する可能性を感じながらも、
改めて考えると不思議な話で、いろいろと確認したいことだらけだ。

物件1Fは土間になっており、奥は一般的な小上がり床になっている。もとはどういう用途だったのだろう?

物件1F、入り口側。上のほうを見るとガラス窓になっている。元は店舗だったようにもうかがえる。

2Fに上がってみた。写真ではそんなに散らかっていないように見えるが、実際は結構ものが散乱している。

まずは、この時点での登場人物を整理したほうが良いだろう。
この話を僕らに持ってきてくれた知人は、河村和紀さん。
彼は映像制作を基点にしながらソーシャルな活動にも多く参画していて、
そのうちのひとつでもある恵比寿での活動がきっかけで共に知りあった。
もうひとり、佐野哲史さん。
もともとは、地元で古民家再生事業を手がけていた彼のもとに、
地元の方から相談があって、河村くんもそこに加わっていき、
その後、空間をどうつくるかで話が僕のところに来たというわけだ。
そして、その地元の方というのが、若井明夫さん。
穏やかな面持ちの中に、確固たる熱い大志をもち、
このまちを面白くしていくために日々奔走している。

若井さんは、測量技師で有機農家。
貸し民家を営み、ドブロクや味噌も生産している。
その上、越後妻有の「大地の芸術祭」の一部施設の運営をするNPOの理事でもあり……
など、知り合っていくうちに、次から次へといろいろな肩書きが出てきた。
書き出すとキリが無いくらいパワフルに活動をしている、
地元の地域活性のキーパーソン。

この人が「空き家を好きに……」という話の発起人である。

若井明夫さん。彼がこのストーリーのカギをもつ人物。

なぜ、若井さんが地域外の人にこの空き家の相談を持ちかけたのか?
という経緯にもひとしきり、ストーリーがあったようだ。
そのきっかけ、「まちなみ助成事業」について話しておく必要があるだろう。
この十日町の地に20年来住み、
ほくほく通りに事務所を構えるカール・ベンクスさんという方がいる。
日本の古い木造建築の美しさに魅了され、
この地に移り住んだというほど、古民家を愛する建築家。
彼はこのほくほく通りを古民家の外装が並ぶ通りにしたら
観光地として人が訪れるのではないかと考え、
想像図としてのスケッチを描き、十日町市長にみせたところ、
「ぜひそれを実現しましょう」ということになったようだ。

カール・ベンクスさんによる「ほくほく通り」のまち並みを古民家風ファサードに変えていくという提案スケッチ。上は現在の状態。

そうして市の助成制度ができた。
古民家風外装にするということが前提条件のようだが、
そのための工事費の7割を補助するというのはなかなかすごい。
ただ、地元の人々にはピンと来なかったのか、あまり情報が伝わらなかったのか、
残りの3割を負担してまでも「それをやろう」と手を上げる人が最初はいなかったようだ。

若井さんは「このまちが変わるせっかくのきっかけになるかもしれないのに、
このまま誰もやらずにこの助成制度が流れてしまってはもったいない」と考え、
この通りで数年来空き家となってしまっている家に目をつけ、その家主に談判しながら、
「例えば東京などから誰かが来て、ここを使って何かやってくれたらいいなあ」
と考えたようだ。

彼はピンとくる人に会うたびにこの想いを相談していて、
それを僕らが佐野さん、河村くんつてに聞いたというわけだ。
なんだか、メッセージの入ったボトルを海に放った人がいて、
それを受け取ったような心持ちになっていた。

状況を聞き、僕らのなかで、この空き家を使えるための条件をざっくりと整理してみた。

・ 助成制度を利用する前提だから、そのための布石として、外装を変えることが必須。
→それはそれで、かえって面白くできるかもしれない。
・ そして、空き家なので中身はどう使っても良い。
→なるほど。制度を活用するにしても、そこでかかる負担を軽減する工夫が必要そうだ。
・ いまから8か月後(次の年の3月)に完成していることが条件。しかし豪雪地帯なので結局は雪が降る前に終わっていないと間に合わない。
→いまは7月(となるとあと4〜5か月くらい?)、
まあ、さすがにそれにはなんとか間に合うだろう……でも急がねば。
・条件とは関係ないが、どうやら世田谷区から十日町まで、無料のバスが走っているらしい。
→これはすごいポテンシャル!

比較的、楽観的に考えていたとは思う。

進みながら考える

しかし、現実はかなりの決断を要するものだった。
どうやら若井さんの話を要約すると、
助成事業で行う外装というきっかけがあるだけで、
他には特に何も後ろ盾があるわけではなく、彼の想いがあるのみ。
地元で尽力できる限りの協力はするが、特に資金があるわけではない。
結局は、それでも僕らにここで事業の主体者になってもらいたいということだった。
うすうす想像してはいたが、やはりそうなのか……。
デザインや企画のアドバイスのような「仕事」ではなかった……。

そして、外装に関してもカール・ベンクスさんが監修するということで、
こちらがデザインをすることは制度の条件上、原則できない。
やはり、古民家風なのか……。
ここで、僕らが外装まで好きにしたいなどと言い出したらきりがないし、
そもそもこの土地にいきなりよそものがくるわけだから、
そこは「郷に入れば、郷に従え」というところで、よしとするべきだろう。
(文脈的には納得できるけど……、色味くらいは相談させてもらいたい)

そのかわり、中に関しては一切だれも関与しないので、好きに使ってほしいという。
家賃も相当安くいけそう。そこだけは唯一の救い。
しかしそのための資金もなんとかしなければならないだろう。

唯一主体的にしかけられる動きとして、
この案件を囲むメンバー全員で組織をつくろうという話になった。
そして、若井さんにもその仲間として協力していただこうと僕らは考えていた。
「私が仲間に入ってしまってもいいの? 私でいいのであれば」
と遠慮気味だが、快諾してくれた。
いやいや、むしろ若井さんがいなかったら僕らにはなにもできない。

工事に関しては、若井さんが紹介できる工務店があるという。
「そこの会長は俺の幼なじみだから、多少相談に乗ってもらえると思うよ」
それをふまえ、古民家再生で実績のある、佐野さんが「僕に考えがある」と。
助成金対象外となる、外装工事費3割の負担についてだ。

「一部セルフビルドとして僕らが行える工事を、
工務店さんの下請けというかたちで請け負う」という。
すごいアイデア。でも、無理なく始めるにはそれしかない。

というような感じで、話を前に進めるためのおおよそ具体的な条件、状況が見えてきた。
実は、事情が複雑で、案外自由ではない条件があることがわかっても
「無理だ」とか「やめよう」という気にはなれず。
とはいえ、「決断」というには中途半端のまま、ことを進めていったのであった。

車で来たときに見えた景色。霧が立ちこめる神憑った風景を何度も見た。

常に「最悪どうしても折合いがつかないことがあったら、降りることも考えよう」
という札も同時に持ちながらも、
決断の先に広がるであろう大きな可能性の何か、に関しては感じていた。
そしてとにかく、
今までに踏み入れたことの無い領域に入ろうとしていることは明らかだった。
その後も、このプロジェクトを進めるべく何度かミーティングを重ねた。

ほくほく線から見える景色がとても雄大。このアングルは機会あるごとについ撮ってしまう場所。

そうして2か月くらい経った頃、「山の家」という仮のプロジェクト名ができた。
雪の降る時期を避けて、季節限定で活動する場所、
いわゆる「海の家」の「山版」というのが最初の思いつきだった。
仮でも名前が決まると、何やら実態ができたような感じになってきた。
しかし、まだまだ工事着手実現までの道のりは遠く、かなり紆余曲折あった。

この空き物件の持ち主の大家さんに会って契約を取りつけたり。
この物件の「借り主」として、地元商工会にプレゼンをしたり。
地元工務店さんとの見積もり検証、確認、
そしてなにより、下請け的なかたちで入らせてもらうことを交渉したり。
カール・ベンクスさんに会って、お互いの仕様に対する考えをつき合わせていったり。

カール・ベンクスさんによるこの物件のファサードスケッチ。実際は木材や壁の色をコントラストのある白黒にしたりして、少しニュートラルな方向にさせてもらった。主な部材寸法や、製材前の粗い木を使うことなども確認しあった。

すべては、地元の「ルール」の中での手探り。
とは言え、決まっていないことばかりで、結局は会いに行って話し合うしかない。
そうして結局、何度現地に足を運んだだろうか。
ときには車で、ときには新幹線で、数時間の打ち合わせのためだけに日帰りで。
その行きすがらの風景を繰り返し見るたびに、
季節の移り変わりや、空の広さ、雲の変化の多さ、気持ちのよい空気などが、
じわじわと心にしみ込み、何とも清々しい気持ちになる。

さまざまな心の迷いや、不安などが小さく感じられ、
この風景を見続けていくことが何か大きなものにつながるような気がしてくるのだった。
決断しなければならないと思っていたことが、そうではない別の思考に変わっていく。
それは「進みながら考える」ということ。

そのこと自体が、最も大切なものなのではないか?
そう思いながら、ひとつひとつ、
ややこしい手続きとしての「道のり」をクリアしていった。

これは最近の写真だが、最も気に入っている視点のひとつ。山ノ家の目の前の坂を下るときに広がる、山とまちが一体となった風景。

そして何度か東京とまつだいの往復をしているうちに、夏が終わり秋が過ぎ、
制度の申請や工事の内容決定、契約、段取りなどを済ませて着工となり、
足場がかかり、ようやく解体工事が始められたときは、
気づけばもう11月も終わろうという時期になっていた。

「やばい、このままでは雪が降る季節にさしかかる……」
その前に外装工事を終わらせられるのだろうか?

つづく

おひとついかが? 日本の無人島販売してます。 「Aqua Styles」

もし無人島を持ってたら、何をしましょうか?
誰にも邪魔されず、ビーチで昼寝をしたり、
釣りをしたりして1日を過ごす?
ふと思いつくそんな夢が叶うかもしれません。
日本にはだいたい6,800個くらいの無人島があるのですが、
それらの中には個人で購入できるものもあるんです。

ご紹介する「Aqua Styles」は、日本の無人島を取り扱う不動産やさん。
Webサイトでも「日本の無人島」として物件が紹介されています。
佐賀県伊万里市の沖にうかぶ「佐賀島」は3点セットで3千万円、
透明度抜群の和歌山県白浜町に浮かぶ「小鞠山島」は1億5千万円などなど、
だいたい2、3千万円から購入できます。

無人島ではやはりインフラが問題となるので、
本島から近いほうが電気などのインフラを整えやすいため
価格が高くなるようです。また、無人島の購入で銀行の融資を
受けることは難しいので、全額払える方でないと無理です。
などなどやはりハードルは高いようですが、
Webサイトを眺めているだけでも現実逃避気分が味わえます。

Aqua Styles

MAD City vol.2: 笠井くんと「やっちまえアトリエ」

MAD City vol.2
リノベーションが、教えてくれたこと。

まちづくり屋さん兼不動産屋さんをやっていると、
それはそれはいろいろな電話がかかってきます。彼からの電話もそう。

「あの、そちらで、『やっちまえアトリエ』という、物件を、お借りしている」

妙に文節の途切れた口調には読点があまり似合いません。

「ta-reという、集団の、笠井という者なんですが」

笠井 嶺くんからの電話はいつもなんだか困った声をしています。

ta-re(タレ)というのは笠井君がメンバーに加わっているものづくり集団のこと。
それぞれいろいろなものづくりの仕事をしています。
代表の竹内寿一さん(以下とっくん)は個人としてのデザインの仕事をはじめ、
「渋さ知らズオーケストラ」での舞台美術を担当していたりします。
とっくんは人脈が広いのでいろいろな仕事を頼まれるそう。
最近では代官山蔦谷書店の「丸若屋×モリワキ展」の什器制作なども担当したそうです。

「ta-reの、代表をしている、とっくんという男がいるのですが、
彼から家賃をお渡しに行けと言われております」

いい電話です。ぜひ来てください。家賃ほしいです。という感じです。
別の日の電話はこうでした。

「改装でご相談があるのですが、ちょっと伺ってもいいですか……」

これはちょっと大変そう。
MAD City 不動産は改装可能物件をたくさん扱っている不動産屋さんですが、
改装自体は、スタッフですら
自分の家で試行錯誤を繰り返しているような段階です(vol.1参照)。
わたしたちでご相談に乗れるのかしら……と思いながら、
その日はとりあえずお話を聞くことにして、事務所に来ていただきました。

あまり困っていない顔のときの笠井くんです。

「柱がないんです」

登場した笠井くんのひと言はたいそう衝撃的でした。

「ta-reの代表をしている、とっくんという男がいるのですが、
彼に言ったら、おまえが考えろと言われてしまいまして」
毎回とっくんの紹介をわざわざしてくれる笠井くんは面白いのですが、
お話の内容は面白いどころではありません。
柱がないってどういうことなんでしょう。

調べてみたところ、床下で柱が腐食してしまっていたことがわかりました。これは修繕だねと言ってオーナーさんに連絡しました。

そう、「やっちまえアトリエ」という、
ちょっとそれ適当なんじゃないですか……という名前の物件は
物件自体もけっこうものすごく、わたしたちスタッフ間でも
「これはリアル廃墟だ!」と言い合ったようなふるーいアパートなんです。

これが入居者募集当時の写真です。なんていうかボロボロ。そのかわりいくらでも改装していいよという条件でした。

ta-reがやっちまえアトリエを借りてくれてから早いものでもう1年以上経ちました。
廃墟からのアトリエ兼事務所へ。
旗振り役は代表とっくんですが、
改装経験も全くないのにハードな仕事を頑張ったのがメンバーの笠井くんです。

改装当時の笠井くん。防塵マスクで最強装備です。

今回この記事を書くために久しぶりにやっちまえアトリエを訪れました。
久しぶりに会った笠井くんは以前よりも滑らかに喋るようになっていました。

「ta-reのアトリエを探そうという話になって、
とっくんから格安で借りられるアトリエ物件を見つけたって言われたんです。
嫌な予感しかしなくて。実際来てみて、うわーほんとにこれ来ちゃったか、って思いました」

謎の染みがついた畳。畳を剥がして根太を張り直し、フローリングを上から貼っていきました。

「でも当時はなんだかハイだったので、イエーイやっちゃえ!
ってどんどん壊してどんどんやっていったんです。
とっくんからはそこまで壊さなくてもよくない?とか言われたんですけど」

どんどん壊した結果がこちら。もう廃墟には見えません。

「自分で作品をつくりたいっていう欲望みたいなものは無いんです。
仕事はなんでもいい。けどやっていて意義を感じられないことはしたくないですね。
この夏にはいきなり原型制作の仕事を頼まれて」

上記でご紹介した「丸若屋」さん。今年の夏、ta-reは新商品の開発のお仕事をしたそうです。「firefirefire」というろうそくのシリーズで、笠井君は日本の焼き物のかたちを型にとる作業を担当しました。

ta-reでやることには意味を感じられると笠井くんは言います。
「製品を大量生産するための型をつくる作業なんですけど、
そんなのやったことないんですよ。
でもとっくんに『え?できるでしょ?美大出てるならやれるでしょ?』って挑発されて。
ムッカー、と思ってやりました。夏の暑い中に。ここクーラーないのに、
1か月間ひとりで黙々とシリコン流しては固まるのを待って、ダメ出し食らってはまた流して、
そのうち型に傷がつくので傷を補修してはまた失敗して」

つらくなかった?

「ta-reはリハビリ施設なんです。心のリハビリ施設。
あとなぜ辞めないかっていうと、僕自身には主体性がないからじゃないですかね」

リハビリ! 仕事とかじゃないんだ。ずいぶん客観的に自分を見ていますね。

「就職できてないまま美大出て、自分は何がしたいのかとか、
何ができるのかとか、わからなくなりまして。
『家にいてもやることないから』くらいの理由でとっくんに呼ばれてta-reに入って。
そんな時期にひたすら手を動かす作業ができたことで気分が少し楽になりましたね。
やることがあるって大事で、やっていること自体はなんだかよくわからないんだけど。
いいリハビリでした。この夏もシリコンが固まるのを待ってるときってヒマじゃないですか、
そういうちょっとした時間に本を読んだりニュースを見たりして、
政治とか経済とか歴史とか思想とか、
今まで無視してきた世の中の成り立ちをなんとなく眺めて、
これから世の中どうなっていくんだろうということを考えていましたね。
『これからは第一次産業アツいな』とか。
住むところだってこれからどんどん変わるんでしょうね。
家を新築で建てることが少なくなって、リノベーションする人たちも増えるだろうし」

笠井くんみたいにね。笠井君自身はこれからどうするつもりですか?

「決まっていません。自分では何も決めないことを決めたんです。
ただ流されるだけにしようと。
いろいろ自分で決められてどんどん道を進める人もいるけど、
僕はそうじゃないってわかったんで。
あ、これ合わないな、だめだなって思ったら離れる、
意味を感じられたら留まるっていう風にしたい。
それに気づくのに時間がかかりました」

主体性がないっていうことが笠井くんの個性になったんだね。
ta-reでやっていたことが実になったのかな。

「リハビリの効果が出たってことじゃないですかね。
将来実になるかっていうと、
同じような仕事をしないかぎり役に立たないことのほうが多いとは思います。
でも、最近気づいたんですが僕は肉体労働が好きなんです。
これは声高に言いたい。僕は肉体労働が大好きなんです」

声高に。体を動かすことによって心身が整理されることってあるよね。

「もともと掃除が大好きなんです。
リノベーションも、基本的にはとっくんが出すプラン通りに作業するだけなんです。
だけどあまりにもボロボロなので、これだけボロボロのものを
どこまで使えるようにするのかって試されている感じがして、燃えましたね」

久しぶりに会った笠井くん、ほんとに楽しそうでした。
ta-reでものづくりの仕事をして、
アトリエをつくるところから自分たちでやって、
なんというか世界観みたいなものがちょっと変わったんじゃないかな、
と傍目には感じられました。

実にならないんじゃないか、と言っているta-reでの経験だって、
きっと得るところはあったはず。
たとえば解体の仕方にしても、床の張り方にしても、
やったことがなければどうやって始めればいいのか、
どういう工具が必要なのかまったくわかりません。
でも一回体験してみれば同じことを次に自分ひとりでやることができます。
それにどういう仕組みで建物がつくられているのかがわかってくるから、
やったことのない作業でもだいたいの見当がつくようになったり。

「最初はほんとにやったことがなかったからなにもわからなかったんです。
でも構造がわかれば自分でつくったりもできるようになりました」

基本を知るって重要だよね。どこを支点にして考えるかにも繋がるし。

「ta-reにいることでいろいろ価値観がひっくり返りましたね。
とっくんと最初はぜんぜん話が合わなくて。
言ってることがわからないんですよ。
わからないけどわからないなりに家に帰ってから考えるんです、
もしかしてこの男は自分の知らないことを知っているんじゃないだろうかって」

陳腐な言い方だけど、そうやって自分の世界をもう一度見つけた笠井くん。
これからどんな生き方をしても、ごちゃごちゃの中から
自分の世界を再生するっていうことをし続けることができるんじゃないかなと思います。

リノベーションするってそういうこと、
ただ単に古い建物をつくり替えてキレイな空間をつくりたいわけじゃない。
自分の手足の届く範囲の心地よさをつくり出したいなって思うときに、
いまあるものを壊して0からやるのじゃなくて、
いまあるものとゆるく共存しながらやっていくということなんだと思います。
笠井くんはもともとそんなことを思ってもいなかったのに、
やりながら気づいちゃった。
自分は流されればいい、
無理に自分で決めようと頑張らなければきちんと落ちつくべき場所に落ちつくはず。
これってけっこうすごいことだと思います。

information


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MAD City(株式会社まちづクリエイティブ)

住所 千葉県松戸市本町6-8
電話 047-710-5861
http://madcity.jp/

千年続くまちを次の世代へ 「結いプロジェクト」

長年変わらぬものがまちの資源。

見世蔵や古民家、格子戸の問屋といった伝統的な建造物が今も残る、茨城県の結城市。
鎌倉時代より千年を超える城下町として栄えてきた。
織物「結城つむぎ」の一大産地であり、みそや酒などの醸造業も盛んで、
江戸時代は都に生活物資を供給する重要な拠点だったという。

200年前にはこの問屋街が「大町通り」と呼ばれ、お城に続くにぎやかな一番街だった。

ところが長年裕福だったまちは、ここ数年高齢化が進み、
後継者不足で空き店舗が目立つようになった。

「外から訪れた人には、いいまちだねって言ってもらうことが多いです。
でも、まちから若い人が減って活気がなくなっていくのを感じていましたし、
僕自身、20代の頃は自信をもって結城っていいまちだと言えなかった」
そう話すのは、「結いプロジェクト」代表の飯野勝智さん。

飯野さんは大学で建築を学び、地元結城市で設計事務所を開業。
いつかは地元で独立を、と考えていた飯野さんは、
建築を学ぶなかで改めて結城市の個性を見つめ直したという。

「見世蔵などの古い建造物や、神社お寺などの人が集まる場がたくさん残っていること、
そしてそれを守ってきた人々の営みなど、長年変わらないで続いていることが、
結城の貴重な資源ではないかと思いました」(飯野さん)

「結い市」当日。健田須賀神社で行われた成功祈願の様子。

まちの中心にある健田須賀神社で毎年行われている夏祭りなどは、
700年以上前から続いているという。
「結い」という言葉を知ったのもその頃だった。

「白川郷の茅葺き屋根の葺き替えの話は有名ですが、
“結い”とは一人ではできないことを皆で協力してやっていくこと。
今結城に残っているものを地元の人が一緒になって大切にし、
このまちを盛り上げていく、そんな気持ちを取り戻すことができないかと考えました」(飯野さん)

飯野さんのその思いに応えたのが、商工会議所の職員であり、
まちづくり会社(TMO結城)にも所属する野口純一さんだった。
2009年、ふたりはさらにメンバーを募り、プロジェクトを発足。
結城市の「結」と「結い」から「結いプロジェクト」と名付けた。
初年度に行ったイベント「結い市」は神社の収穫祭に合わせたマルシェとして始まり、
2年目以降、まちに点在する「見世蔵」を会場として広がりを見せていく。

運営メンバーの使う前掛けにも「結」の文字が。

まちの“おもてなし”の気持ちを呼び覚ます。

結城市に今も多く残る「見世蔵」とは、明治から大正にかけて造られた、
土壁で漆喰仕上げの建造物。単なる貯蔵庫ではなく、
通りに面して売り場を設けられたお店を兼ねた蔵だ。
この建物こそまちの大切な資源のひとつと考えた飯野さんは、
2年目の「結い市」で蔵などまち中の建物を会場にして、
クラフト作家やアート作品、カフェなどの出展を行うことを提案する。

ところが結城市に残る見世蔵は、今もそのほとんどが現役。
つむぎ問屋や老舗の商店など商売に使われていたり、
人が住んでいるなど、会場とするのは一筋縄ではいかなかった。

「野口くんとふたりで一軒一軒、家主さんの元へ出向いて、
蔵を『結い市』の会場として使わせてもらえないかと説明してまわりました。
初めはなかなかこのプロジェクトの主旨を理解してもらうのが難しかった」(飯野さん)

だが、飯野さんの実家が7代続く左官屋と聞くと、
話を聞く人たちの表情がふっとゆるんだのだという。

「結城市に残る蔵はしっかりした造りのものが多く、メンテナンスしながら使われています。
そのお手伝いをしてきたのが、出入りの職人として左官の仕事をしていた僕の先代だったんです。
“うちも飯野さんのところにずっとお世話になってたんだよ”って言われると、
ぐっと関係が近づく気がしました」(飯野さん)

2013年「結い市」にはおよそ3万人の来場者が訪れた。見世蔵の前で、道ゆく人へコーヒーをふるまう。

初回に会場として借りることのできた建物は5~6軒。
実際に運営が始まってみると、見世蔵は単に展示の場所としてだけでなく、
まさしく“結い”の場になっていった。

「もともと商売人の方が多いまちです。
お客さんを“もてなしたい”という気持ちに次第に火が灯っていった感じでした。
出展者が不在にする間、家主さんが代わりに店番をしていただいたり、
一緒になって接客をしてくれるようになっていきました」(野口さん)

つむぎ問屋「奥順」弍の蔵にて、古道具と生活雑貨の展示販売の様子。

櫻井長太郎別館にて行われた焼き菓子の販売と絵画展示。屋外ではカフェの出展も。

楽しかったという家主の話はすぐにまち中に広まり、年々協力してくれる数は増えていった。
「結い市」4回目となる今年の会場は30か所。
夢中で進めてきて、ふと気付くと、まちの雰囲気が変わり始めていたと野口さんは話す。

「気付いたら、お味噌屋さんの古かった暖簾が新しくなっていたんです。
これまで目立たなかった和菓子屋の看板も目立つように工夫されていたり、
まちを歩いていると挨拶してくれる商店主が増えました。
後継者がいないことで商売に対してあきらめ気味になっていたまちが、
少し前向きになってきたのを感じました」(野口さん)

つながり支え合うきっかけに。

このように、結いプロジェクトを通してまちの人たちと縦の関係ができていく一方で、
横のつながりも広がっていった。

例えば、結城つむぎの問屋「奥順」の関根智恵さん。
3年目より結いプロジェクトに参加し、
新しい層に着物のあるライフスタイルを提案する活動を行っている。
今年の「結い市」では、PONNALETのラオス・カンボジアのつむぎと
結城つむぎのコラボレーション作品を披露し、
カンボジアのクロマーという布の活用法を学ぶワークショップを行った。

「結い市は、つむぎを知らない方たちに新しい感覚でふれてもらういい機会になると思っています。それに結城市の資源はつむぎだけではないので、
このまちにもっと多くの人たちに来てもらいたい。
私たちくらいの世代の厳しい目をもつ女性にも、
結城が行ってみたい場所の候補に入るようになるといいなと思っています」(関根さん)

結いプロジェクトの中心メンバー。(左から)野口さん、飯野さん、関根さん、小池さん。

結城つむぎの展示場では、カンボジアの布クロマーの使い方と半幅帯の結び方のワークショップが行われた。

運営メンバーも今では30~40名。
立ち上げ当初は役所の職員や、結城つむぎの織子(おりこ)さんなど、
結城市に住む参加者が多かったが、ここ1~2年は結城出身で都心在住の人など、
遠方から応援にかけつける人も増えた。

2012年「結い市」の運営スタッフ大集合。プロジェクトメンバーに加えて、ボランティアスタッフも。

プロジェクトのアートディレクションを担当する小池隆夫さんも、
活動の主旨に共感して参加したひとり。

「僕自身、結いプロジェクトを通してたくさんのまちの人たちと知り会いました。
なかには結城で新しくお店を始めた方もいて、
デザインの仕事でそうした人を応援できることも
プロジェクトに参加している魅力のひとつです」(小池さん)

小池さんの話す「お料理屋kokyu.」は、
築90年の別荘が空き家となっていた場所に2013年3月にオープンした創作料理のお店。
オーナーが商工会議所に相談を持ちかけたのをきっかけに、
野口さんが物件探しや起業のサポートを行い、
結いプロジェクトのメンバーを引き会わせたのだという。

「お料理屋kokyu.」。もとは別荘だったという築90年の趣ある建造物。

結果、小池さんが、新しいお店のデザインを通したブランディングを担当、
飯野さんは建築面でのサポート、関根さんは新しいお客さんを連れてくるなど、
結いプロジェクトのメンバーで自然とあらゆる面からのサポートが行われた。
「kokyu.」ができたことは、結いプロジェクトを通して強いネットワークが生まれていることを、
メンバー自身が感じた出来事だったという。

「まちが単なる場所というよりも好きな人々が暮らすまち、という印象に変わりました。
越してくる人が増えれば、結城にひとつずつ明かりが増えていく感じがして嬉しいんです」(小池さん)

千年続いたまちを次の世代につなぐために、まずは今、まちに生きる人々がつながり、
支え合う関係をつくること。
それがひとつの答えかもしれないと、今彼らは思い始めている。

林真理子さんらが躍る!山梨版 「恋するフォーチュンクッキー」 が登場!

AKB48のヒット曲「恋するフォーチュンクッキー」の
ダンスを真似たビデオが全国各地で作られて話題になっています。
タクシー会社の「日本交通」や神奈川県、佐賀県などのバージョンが大きな反響を呼びましたね。
そんな中、山梨県ヴァージョンの「恋チュン」が公開されましたのでご覧ください。
かなりの豪華メンバーが集っています。

出演するのは、作家の林真理子さんや作曲家の三枝成彰さん、
作詞家の湯川れいこさん、脳科学者の茂木健一郎さん、
料理評論家の山本益博さんら大物文化人たち。
そして地元・山梨の八ヶ岳牧場、富士山レンジャー、
甲府市観光課職員、甲府市長、山梨日日新聞の方たちも競演。

オープンカレッジ in 甲府開催!

ロゴデザインは浅葉克己さん

実はこの動画、2013年11月29日〜12月1日に
甲府市内で開かれる「オープンカレッジin甲府」の
プロモーションのために作られたもの。
これは林真理子さんや三枝成彰さんら、
異分野の専門家らが集う「エンジン01(ゼロワン)文化戦略会議」が
主宰するセミナー・イベントで、今年で12回目。
毎年開催地を変えて行われており、今年は甲府で行われることになりました。

今年のテーマは「甲府収穫祭!日本の才能、まるごと食べよう!」。
セミナーでは、プロモーションビデオに出演した方々に加え、服部克久さん、中井美穂さん、
日比野克彦さん、広瀬香美さん、わたせせいぞうさん、大宮エリーさんほか
豪華メンバーが講演を行います。いずれのプログラムも参加費はわずか500円!
ぜひ受講してみてはいかがでしょうか。プログラムの詳細などは下記Webサイトより。

オープンカレッジin甲府 甲府収穫祭!日本の才能、まるごと食べよう!

ゲストはみつばち先生! ローカルデザインを考えるイベント 「LOCAL DESIGN SCHOOL」

11月15日(金)の19時から、日本橋大伝馬町にある
PUBLICUS NIHONBASHI(パブリカス ニホンバシ)にて、
慶應義塾大学大学院主催のイベント
「LOCAL DESIGN SCHOOL」が開催されます。

これは慶應義塾大学大学院が月に一度行う、
クリエイティブな活動でローカルデザインを
創出している人々を講師に迎えて「ローカルデザイン」とは何か、
そして日本の未来についても考える場所をつくるという
イベントの第一回目。

ローカルデザインとは固定的な物ではなく、
時間を内包しながら時間とともに変化していくもの。
私たちが今どのような時代に立ち、どんな価値観をもって、
どんな未来への視座をつくり生きているのか、
地域から社会に伝える為の表現といえるでしょう。

ローカルから発する価値創造の波は、
集積されることで日本全体の魅力を引き上げ、
世界も評価するものになります。
ローカルは世界へと繋がっているのです。

初回のゲスト講師は、コロカルにも登場した
江戸川大学の「みつばち先生」こと鈴木輝隆先生。
(コロカルの記事はこちら
入場は無料、交流会も開催されます。

会場のパブリカス ニホンバシ自体も、
アーティストの新野圭二郎 (N STUDIO)プロデュースによる、
地上6F、地下1Fの総面積約750平米のビルを
リノベーションし、新しいパブリックの実験場を
目指している面白い施設。
ぜひお気軽に足を運んでみてください。

「LOCAL DESIGN SCHOOL」

日程:2013年11月15日(金)

時間:19時より

会場:PUBLICUS NIHONBASHI(パブリカス ニホンバシ)

住所:〒103-0011東京都中央区日本橋大伝馬町13-1

入場料:無料

ビルススタジオ vol.2: もみじ、それぞれの事情。

ビルススタジオ vol.2
巻き込み、巻き込まれ、できてゆく

2013年10月12日快晴。「あ、もみじずき」イベント当日、
閑静だったもみじ通りに人が溢れてしまいました。
いや、通りではなくそれぞれのお店、
その内外に人が溢れていました、と言ったほうが正しいかもしれません。
その様子を眺めながら、
数年前にそれぞれのオーナーさんと出会った頃をしみじみと思い出していました……。

あ、もみじずき当日の様子。

まずはドーナツ専門店「dough-doughnuts」(ドー・ドーナツ)の石田友利江さん。
今や県内随一のドーナツ店となりましたが、
思えば彼女は、もみじ通りでもなく当社で扱ってもいない物件についての相談で、
いきなりオフィスに現れたのでした。

石田さんは思い立ったら変な確信をもって、ガッと動いてしまう方。
正直、人とそんなにいきなり距離を縮めたいとは思わない私とは水と油のはずが、
私とは何も関係ないその物件での出店にいつのまにか協力することになり、
巻き込まれていきました。
栃木にUターンしてくる彼女からは地元のブランクを埋めるべく、会うたびに質問攻め。
しまいには「栃木でドーナツ専門店ってどうなの?」という、そもそもの相談までされる始末。

しかし、そんなふうに色々と意見交換しているうちに数か月経過。
なんだか悪くない気がしてきた頃、
「もみじ通りに出店できるトコあるの?」との問いが不意にでてきました。
“えっ!?”とは内心思いつつ、「そうだ、そういう人だった、この方は……」と再認識。
慌てて空き物件を探してみると、私のオフィスの3軒隣に空いているコが。
特になんの変哲もないビルのテナントっぽい物件でしたが、
先に出来たカフェ食堂は私のオフィスより西に3軒隣、こちらは東に3軒隣。
……ここだっ!
という説得力のない確信を元に、上に住んでいる大家さんに相談。
話はひとまず聞いてくれたのと、
石田さんに似てさばさばした感覚を持っている大家さんだったので、
“本人に会ってもらえれば大丈夫かな”と思い、
勝手に次週連れてくると約束してしまいました

早速石田さんへ報告し、「来週大家さんに会うから、ドーナツの試作品持ってきて!」と依頼。
「うんっ、わかった」
と、きっと彼女は意味も分からないまま了承(←こういうトコも凄いです)。
当日、大家さんへの紹介はそこそこに「下でこんなものを売りたいので、食べてみてほしい」と、ドーナツを数点差し出しました。
そんなこんなで、入居が決まりました。

元やきとり屋のこの物件。

欧州アンティークな家具建具を贅沢にあしらっているな、と思ったら、なんとお姉さんが目黒区のFOUNDの方でした。

コンビニより近い所で毎日でも食べたくなるおやつが買える。
手土産にもちょうどいいし、子どもだけで食べにきている風景もほほえましい。
自分の生活する近所にこんなお店がある人って実はあまりいないんじゃないか、と思います。

前回で紹介したカフェ食堂「FAR EAST KITCHEN」ができた頃、
行くと必ずと言っていいほど居る、「梅園さん」という方がいました。
ひとり客同士だったので、なんとなく同じテーブルに通され、
オーナー藤田さんに紹介され、自然と話すように。
梅園 隆さんは、生まれも育ちもこのもみじ通り界隈。
もともとは自分で豚と卵の生産と直配をしていて、
今は契約農家も巻き込み、野菜も扱っているとのこと。
話では、せっかく良い食材を売ってもそれを上手に調理してもらえてない、とか、
近所には単身の高齢者が多く、
デパートやコンビニで食事を買っているので身体が心配だ、とか、
不満が溜まっているようでした。
さらには、お母さんたちが働ける場所がもっと必要だ、との想いも持っていました。

その頃には私は自宅ももみじ通りに移し、完全なるもみじ住民になっていたこともあり、
家メシのお供においしいおかずの必要性を感じていた頃でした。
そこで私は「この界隈にはきちんとした総菜屋さんが求められているんじゃないか」と
ことあるごとに梅園さんに言ってみました。

気がつけば、梅園さんがどうやらソノ気になってくれたので、
候補物件の大家さん(実はドーナツ店と同じ)にこれまた総菜の試作品を持って、
相談しにいきました。
この大家さんは毎日の食事事情に苦労している単身の高齢者さん。
まさに、今回オープンする総菜屋のターゲット。
当の総菜は塩分・油分を極力減らしつつも味わいのあるもの。
しかし、オーナーさんと梅園さんは、
私そっちのけで、この界隈の昔話で盛り上がっていました。

そうして総菜店「ソザイソウザイ」の出店も、決まりました。

元カラオケスナックだった当物件。解体作業と漆喰塗装は自分たちで行っていました。モルタルだった床には墨汁を塗り込んでいました。

梅園さんが、キャッチコピーとして掲げている、
「まじめなソザイとまじめにつくったおいしいソウザイ」の通り、
いい素材を使い、塩分ではなくダシでその素材の旨味を引き出しています。
……というとなんだか難易度の高い味のようですが、そのままが本当においしい。
毎日いや、毎食いけます。
まさに近所に一軒、欲していた総菜屋さんが誕生したのです。

こちらが、梅園さん。

出店・入居までの事情や流れはそれぞれにもっともっと語り尽くせない物語があるのですが、
ざっとこんな感じで出店してきています。
徒歩3分圏で質のよいお店が集まりつつあり、生活者としてはとても良い状況にあります。

改めて思ったことは、“まちは人”だなと。
単に店舗だけがオープンしても、
これらの良いお店たちを日常で使い倒す(リピーターになる)、お客さんが必要です。
積極的にこの地域を「選んで住まう」住人がまちには増えてこないと意味がないのではないか。
という新たな課題が見えてきたわけです。
では、その地域を気に入って住民となる人たちはどういう住まいを欲しているのか。
そんな想いで悶々としていた2012年夏、
後に栃木県初のシェアハウス「KAMAGAWA LIVING」のオーナーに意図せずしてなってしまった、
森さん(仮名)との出会いがあったのです。

つづく

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ビルススタジオ

住所 栃木県宇都宮市西2-2-24
電話 028-636-5136

料理するのは“ふくしま応援シェフ” 味わえるのは福島県産食材の底力です

福島の生産者が生み出した食材を、
ふくしま応援シェフが料理して、その魅力を分かち合う。
そんなコンセプトで企画された、
「県産品消費者理解促進交流会〜ふくしま食の魅力創出〜」が始まった。
第1回のテーマは「残暑を乗り切る夏果菜とふくしまのスタミナ」。
10月2日、恵比寿の「VEGETABLE HOUSE WANOBA」では、
福島産の野菜、サーモン、馬肉、そしてハチミツと、
黒木久弥シェフがコラボレート。はたしてどんな料理が登場するのだろう?

季節の花を追いかけて集める蜜は、なんと11種!

この日ゲストとしてお迎えしたのは、㈲ハニー松本の伊藤身輔さん。
会津若松で70年もの歴史をもつハチミツ屋さんだ。
誰もが甘味に飢えていた時代、戦地から帰った先々代の創業者が、
砂糖に代わる甘味料として、ミツバチを使った養蜂を手がけたのが始まり。
養蜂にはミツバチと、その蜜源が欠かせない。

「会津地方は森林率82%。
とくに奥会津や南会津には、栃の木やブナの木の林が多いのです」

4月の山桜、5月の栃の木、6月はアカシアやキハダ、そして萩、
7月になれば栗の花、8月はコシアブラ、9月になるとソバが咲く……
養蜂家は、「花のジプシー」とも呼ばれる。
花の咲く場所を求め、ミツバチの巣箱とともに移動するからだ。

「巣箱を置かせていただいている、山や森の地主さんとは、何十年来のお付き合い。
『そろそろ咲くぞ』『早く巣箱を持ってこい』と、お電話をいただくこともあります」

こうして生み出されるハチミツは、全部で11種。
すべて会津地方で採取したものだ。
そこには会津の自然と植生の豊かさと、四季折々の花のテイストが凝縮されている。

「栃の木の蜜」は、会津の代表的な味わい

ハニー松本で最も多く採れるのは「栃の木」のハチミツ。
全体の約3分の2を占めている。

「栃の木は、元々日本古来の在来種です。
その実から作るトチモチは、縄文人の主食でした。
また栃の木は会津の漆器や家具の材料にもなっています(伊藤さん)」

いにしえの昔から、栃はその木も実も、そして蜜も、
会津の人たちの生活に欠かせぬ存在だったのだ。
そんな栃の木の蜜は、クセが少なく、さっばりとした口あたり。
パンに、スイーツに、料理にと、幅広く使える。

今回、黒木シェフは、この「栃の木の蜜」を、
「トマトといろいろ野菜のはちみつマリネ」に使用している。

「ベーシックな味わいなので、料理にも使いやすいですね。
会津に11種類もハチミツがあるなんて知りませんでした。
素材によって風味が変わるので、
ソースで使い分けみたいですね(黒木シェフ)」

清涼な源流で育つメイプルサーモン

次に登場したのは「メイプルサーモンと白桃の生春巻き」だ。

参加者に感想を聞いてみた。
「私は、サーモンが大好きなんですが、
福島に養殖のサーモンがあるとは知りませんでした(30代女性)」

正式には、「阿武隈川メイプルサーモン®」という。
産卵のために生まれた川へ遡上するシロザケとは異なり、
山あいの淡水養魚場で育つ、完全養殖のニジマスだ。
清涼な阿武隈川源流の水で育てられるため、
寄生虫などの心配はなく、安心して食べられる。
また、放射性物質に関する福島県のモニタリング検査はもちろん、
独自の検査も行なっている。

黒木シェフは、イベントに先立ち、西白河郡西郷村にある養魚場を訪ねている。
「他の養殖サーモンに比べて、脂がやわらかい。
そしてさっぱりした味わいです。なので今回は、マリネした桃を合わせました」

桃は夏のイメージが強い。
10月初旬に、本当にまだ桃があるのだろうか?
「実は『さくら白桃』という桃があるんです」
桃の産地の福島県には、収穫期の異なる品種が多数あり、
例えば「白川白鳳」→「あかつき」→「川中島白桃」という具合に続き、
7月から10月まで桃が採れる。
その晩生種の中で甘味が非常に強く人気急上昇中なのが「さくら白桃」だ。
太陽の恵みをいっぱいたくわえた10月の桃。
「果樹王国福島」の層の厚さを物語っている。

味の濃い馬刺は、野菜のうま味とともに

「学生時代の友人が会津出身だったので、よく遊びに行きました。
 宮城で育ったので福島は身近な存在だし、応援したい。
 facebookでこのイベントを知り、参加しました(30代:男性)」

そんな風に会津を知る人にも衝撃だったのは、
「会津馬肉のタリアータ サラダ仕立て」。

会津特産の馬肉を軽く炙って「たたき」のような状態に。
にんじん、大根、みょうが、いんげん等、香りの濃い野菜とともに味わう。
「馬刺といえば、わさびやニンニク醤油で食べるイメージ。
 こんな形でたっぷりの野菜と食べるのは初めてです(20代女性)」
黒木シェフ自身も、
「会津の馬肉は、赤身なのにコクがある。
 醤油や味噌の強い味ではなく、
 お野菜のうま味と一緒に愉しみたいですね」と話していた。

甘酒とお米とともに細かく刻んだ会津産グリーンアスパラガスを炊いたリゾット。
それをコロッケのように仕上げた「グリーンアスパラガスのアランチーニ」も、
「甘味がある」「日本酒によく合う」と大好評。
お米も、甘酒も、日本酒もすべてコメ由来。
ひとつの料理としてまとまった瞬間に一体感が生まれるのも頷ける。

料理とともに当日供されたお酒は、
「七重郎」(稲川酒造店・猪苗代町)、
「BLUE BERRY SAKE」(榮川酒造・磐梯町)など。
国産天然炭酸水の「アクアイズ」(ハーベス・金山町)も登場した。
福島のお酒が味わえるのも、このイベントの醍醐味だ。

不安や心配を乗り越えて…

イベントは終始和やかな雰囲気で進んでいたが、
㈲ハニー松本の伊藤さんのお話からは、
福島が置かれている厳しい現状も垣間見えた。
「元々ハチミツは健康を気遣うデリケートな方が、
 砂糖の代わりに愛用されていることが多いのです。
 そういう方は放射性物質にも敏感。
 私たちは検査も行なっていて、安全性にまったく問題はないのですが、
 販売面でダメージが大きい現実は否めません」

福島県では、県とJA、そして出荷業者などが、
食材の生産段階でたび重なる検査を行なった上で、
さらに流通段階でも各都道府県が検査を実施している。
検査の詳しい内容は、福島県のHPでも公開中。
さらに11月には、福島県産品を応援するWEBページも開設予定。
県産食材の生産者が想いを込めて育てた福島の食材を購入できる、
オンラインショップも紹介している。

「ミツバチは体長3cm。寿命は6週間ほどですが、その間に5gのハチミツを集めます。
そんな命の大切さと、安全性を一緒にお届けしていきたい(伊藤さん)」

ふくしまの応援は、まず客観的なデータを知ることから始まる。
実際に現地を訪れ、栽培や生産、
そして検査の様子を自分の目で確かめてきた料理人が、
現地の様子を伝えながら、自信を持ってスペシャルな料理へと仕上げてくれる。
本当の信頼と安心は、こんな試食交流会のような機会から生まれるのかもしれない。

福島県農産物モニタリング情報「ふくしま新発売。」
http://www.new-fukushima.jp
「ふくしま食の魅力創出」
第3回「11月 ~秋を彩り 温か根菜 ふくしま牛のうま味~」開催店舗

2013年11月25日(月)15:00~17:00
ラ・ブランシュ(田代和久シェフ)
住所 東京都渋谷2-3-1 青山ポニーハイム2F
TEL 03-3499-0824 

2013年11月27 日(水) 14:30~16:30
フランネル嵯峨野亭(井上憲治シェフ)
住所 東京都世田谷区奥沢5-23-21
TEL 03-3718-7101 
http://www.flanelle-saganotei.com /

2013年11月28日(木) 15:00~17:00
恵比寿 笹岡 新丸ビル店(笹岡隆次シェフ )
住所 東京都千代田区丸の内1-5-1 丸の内ビルディング5F
TEL 03-3287-9088 

◎参加費
1500円(1名)
※Bears Bear fukushimaふくしまを抱くクマ「しまくま」を、
お帰りの際に、参加者全員にプレゼント


◎申し込み方法
「ふくしま応援シェフ」のホームページで、
申込書をダウンロード、必要事項を記入のうえ、
FAX またはメールにて申し込み 
http://fukushima-ouen-chef.jp/

お問い合わせ

事務局 有限会社 会津食のルネッサンス

住所 福島県会津若松市中島町2-52
TEL 0120-91-0617 (10:00~18:00 ※土日祝日休)
FAX 0242-93-9368
E-MAIL order@a-foods.jp
http://www.a-foods.jp/

見学歓迎!千葉大学の 学生たちによる、千葉・館山 「茅葺屋根ふきかえプロジェクト」

失われつつある、日本の昔ながらの茅葺屋根の風景。
現在では茅葺屋根を維持するのにすごくコストがかかることや、
住みてがいなくなること、また人手不足によって
修繕されないままになっている民家も多いんです。

そんな茅葺屋根の保護のために活動しているのが、千葉大学「岡部研究室」。
5年に渡って、千葉県館山市で茅葺き屋根のふきかえを行っています。

彼らの活動では、ただ建築的なメンテナンスだけでなく、
実際に集落の集まりや畑仕事に参加することで
「里のライフスタイルと一体化したケア」を目指しているのだそうです。

そして使う茅も、冬場に自分たちで刈り貯めた茅束を使って毎年葺き替えをしています。
1度でとれる茅は非常に限られていて、屋根を全面葺き替えることはできないため、
毎年毎年、すこしずつ葺き替えをしているのです。

今年も、本日から15日まで葺き替えを行う予定。
茅葺職人の野村泰三氏(屋根屋かやぞう)をお招きし、
学生たちと茅葺き作業を行います。見学も歓迎とのこと。
場所は千葉県館山市塩見349の「かやぶきゴンジロウ」。
お近くの方はぜひ応援におでかけしてみてはいかがでしょう。

茅葺き古民家ゴンジロウの「第3回かや屋根葺き替え」

金入健雄さん

伝統工芸品から学ぶ、東北らしさ。

東北のものづくりを軸として、東北に根づいた「暮らし方」を見つめる視点として、
「東北STANDARD」と名付けられたwebサイトがある。
青森県の「裂織(さきおり)」、福島県の「会津張り子」、
岩手県のお祭り「けんか七夕」など、
東北で生まれ、伝えられてきたものづくりや祭りを、
自分たちの視点で見つめ、映像や写真などとともに発信するカルチャーサイトだ。

金入健雄さんは、このプロジェクトの代表を務める。
ちなみに彼は、青森県八戸市を拠点とする、
文房具や本などを扱っている会社「株式会社金入」の七代目、若き社長。
ライターや新聞記者など、メディアに携わっているわけではない彼が、
なぜこのようなプロジェクトを立ち上げることになったのか――
その背景を、金入さんに聞いてみた。

東北STANDARDには、写真や文章だけでなく動画でも現場の臨場感を伝えている。

大学を卒業後、文房具の老舗・伊東屋に勤めていた金入さん。
家業を継ぐために戻ってきた八戸で、
家業の流通事業の強みを生かし、新しく立ち上がった、
「八戸ポータルミュージアム はっち」内に設ける
ミュージアムショップ「カネイリミュージアムショップ」を手がけることになったのだ。

そこで、金入さんが考えたのは、地元青森の工芸品も一緒に販売すること。
「八戸で、東京と同じことをしても意味がないじゃないですか。
八戸に住む自分たちにしかできないものをやろうと考えた結果、
地元で続いてきた工芸品を、地元の人にも観光客にも知ってほしいと思ったんです。
地元の人が、地元の工芸品に触れられる場所って、意外と少ないんですよね」

それは、地元の工芸品を新しい視点で発信する機会となった。
続いて、せんだいメディアテーク内のミュージアムショップも手がけ、
取り扱う工芸品は、東北6県にまで広がっていった。
職人のところへ会いにいき、ひとつひとつ取り扱わせてもらうようお願いする。
扱う商品が増えていくのと同時に、
金入さん自身が、東北のものづくりについて話す機会も多くなっていく。
そのうち、こんな質問をされることが多くなったのだという。

“東北の良さって何ですか?”と。

「あるイベントで単刀直入に質問されたとき、うまく言葉にできなかったんです。
東北の良さって何だろうと、改めて考え始めました。
うまく言葉では置き換えられないけれど、何かがある。
その何かを包括的に伝えられるようなプロジェクトをしたいなと思い始めました。
そうしたら、東京でクリエイターをしている高校のときの先輩が、
同じようなことを考えていた。彼と言葉を交わしているうちに、
東北STANDARDが生まれていきました」

それは、東日本大震災が起こったことで特殊な状況に置かれてしまった、
東北のものづくりへの危機感も含まれていると金入さんは続ける。
「大手メーカーが復興支援として発注した何万個という需要に対して、
おみやげとして消費されるだけの工芸品と同じものづくりを繰り返していても、
それがまた終わってしまった5年後は、すっかり忘れられてしまう。
そうなる前に、東北の知恵や創意工夫はかっこいいんだと発信していきたいんです」

それが、東北スタンダード。
例えば、北欧のライフスタイルがインテリアのスタイルとして注目されるように、
東北にも似た何かがある。少なくとも、青森で生まれた“裂織”や“こぎん刺し”には、
南米などでは見られない素朴な美しさを放っている。
東北の工芸品をつくる職人たちを訪ね、そこに眠る風土やライフスタイルを知る。
それが、東北で生きる知恵や東北の誇りといったものを抽出するカギになり、
世界中の人々にとっても新鮮なライフスタイルに映るんじゃないか。

「そんなふうに10年後も勝負できるようなものが必要。
工芸家も食べていけて、自分のショップも成立していけるようなものを
発信していかなきゃいけないと思っているんです」

カネイリミュージアムショップが青森の裂織作家と一緒につくったオリジナルの裂織の文房具。左から筆入れ、カードケース、iPhoneケース。

カネイリオリジナルのプロダクトも、
そんな金入さんの熱い思いを体現するもののひとつ。
職人さんたちが考えていることを引き出しながら、
いまのスタイルに合わせた商品を一緒につくっていく。
ちなみに、青森の裂織作家の井上澄子さんとつくった、裂織の文房具は、
2013年グッドデザイン賞を受賞したという。

ミュージアムショップを立ち上げたことから始まった、東北の職人たちとの出会い。
いつのまにか、東北について考える日々が多くなった金入さんは、
少しずつ、少しずつ東北の良さを探し始めた ところ。
そんな彼を突き動かしているものは何なのか聞いてみると、
「僕がただ、楽しく八戸で生きていきたいだけなんです」と金入さんは笑う。

「東京のスピード感や物欲を持って、八戸では生きていけないですね。
だからと言って、ネガティブなことばかりでもないと思うんです。
ここには、取り替えがきかない文化があって、家族がいる。
だから、そんな人たちが、もうちょっと楽しくなれて、
自分のまちを誇りに思えるようなものを発信できないかなと思って。
身近な人が楽しめていないのに、活性化とかってなんか違うと思うんですよね。
世界の人に“東北ってかっこいいね”って
思ってもらえるようになれたら、とてもうれしいです」

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TAKEO KANEIRI
金入健雄

1980年青森県生まれ。株式会社金入代表取締役社長、東北スタンダード株式会社代表。伊東屋を経て現職。せんだいメディアテーク、八戸ポータルミュージアムにてカネイリミュージアムショップ運営。アートデザイン・グッズと東北の工芸品のセレクトを通し東北の素敵な暮らしを発信している。
http://tohoku-standard.jp/

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別冊コロカルでは、金入さんが手がけるミュージアムショップショップを紹介しています!
フフルルマガジン「別冊コロカル」

NO ARCHITECTS vol.1: 住みながらつくる家

NO ARCHITECTS vol.1
“このはな”で出会った、風呂なしの木造二階建て

はじめまして。NO ARCHITECTSの西山広志です。
大阪の此花(このはな)区梅香というところで建築の仕事をしています。
このあたりは、大阪の中でも昭和の下町情緒あふれるまち並みが残る地域で、
ここ数年、アーティストのアトリエやギャラリー、
カフェやショップ、住居、事務所など、
リノベーション物件が、少しずつ増え始めています。
ぼくらもこのはなで開催されるイベントのお手伝いや地域情報の広報活動、
内装の設計やデザインで何軒か関わっています。

「このはなの日2013」というまちなかイベントのときのマップです。「このはな」と呼んでいるエリアはこんな感じです。

ぼくらの自宅もこのはなにあり、「大辻の家」と呼んでいます。

外観。外装は廃材の銀色の波板を使っています。このはなのまちなかでよく見かける素材です。家の脇にある路地の奥にアパートと屋上への階段があります。

この家と初めて出会ったのは、2009 年。
「見っけ!このはな」というイベントの中の空き物件ツアーでした。
当時の印象は、玄関が北を向いていてどんよりした感じ。
中に入っても、雨戸が閉まっていたせいもあって真っ暗。
お風呂もありませんでした。

かろうじてキッチンのタイルはいいなあと何となく覚えていた程度。
立地もT字路に面していて、窓をあければ目の前は道路が奥に伸びています。
つまり、全く惹かれない物件でした。
まさか、自分が住むことになるとは、想像もつきませんでした。

こちらが大辻の家のビフォー。

しかし、2011年 に事務所をこのはなに移したことをきっかけに、
ここに住む人たちとの関係を深めていく中で、
このはなに住むことを考えるようになりました。
賃貸なのに改修可能で、
辻(十字路やT字路のこと)に面していることは、
逆に言えば、見通し、風通し良好ということ。

いつのまにかこの物件を魅力的だと思うようになっていきました。
そして、自分たちが住み、リノベ−ションしていくことで、
この物件の特性を活かしながらも、
理想的なライフスタイルを表現できると確信しました。

さらに、「大辻の家」と呼ばれるこの一軒家は、
裏にあるアパートとは、階段室で繋がっていて、少し特殊な建ち方をしています。
全体をまとめて借りることで、アパートの屋上が自由に使えたり、
コストも抑えられた事から、友人とともにシェアすることになりました。

自分たちの暮らしに合わせて、
ひとつひとつリノベーションを考えていきました。

1F奥のアトリエ。事務所で終わらなかったデスクワークをしたり、簡単な木工作業場として使っています。

暮らしを豊かにする方法

引っ越す前に、トイレとお風呂とキッチンの整備などの大規模な工事だけは、
工務店と大工さんにお願いしました。

このはなには、素敵な銭湯がたくさんあるので、
お風呂をつけるかどうかは最後まで迷ったのですが、
結局、洗濯機置き場だったところにお風呂の小屋を増築しました。
理由は、3年間銭湯に通ったときのコストの比較の結果と、
お風呂にまつわるおもしろいプロジェクト「風呂ンティア」を続けている、
画家の権田直博さんに銭湯画描いてもらいたかったから。
彼は、個人宅のお風呂に銭湯画を描いています。いろいろ要望にも応えてくれて、
ぼくらは大小の円形のフレームの中に、「宇宙インコ」と、
「富士山とシカ」を描いてもらいました。

お風呂の内観。小さなユニットバスですが、とても広く感じます。

トイレはタイル敷きの和式便所が窮屈だったので、
洗面スペースと一体にして洋式の便座を入れました。
床を敷き直して、壁も塗り直すと、とても清潔感のあるトイレになりました。
窓からは磨りガラス越しに隣のおばあちゃんが毎日手入れしている
庭の植木が見えます。
たまに枝切りばさみのカチカチという音がして、ほっこりします。

1F内観。もともと玄関だったところの半分がお風呂の入口になっています。

タイルが気に入っていたキッチンはできるだけ、そのまま使いたくて、
ボロボロになっていたシンクの内側部分のタイルだけ壊して、
ステンレスのシンクを上からカポッとはめました。
食器棚は、ぼくのお父さんが学生時代に使っていた本棚で、
ダイニングテーブルは、相方のお父さんが子どもの頃から使っていた勉強机です。
古いものが特別好きというわけではなくて、
もともとあったものを最大限に有効利用して、最小限の手を入れています。

全体的に意識したのは、ガスや水道、電気、ネット、排水まで、
できるだけ隠さず、目に見えるように取り付けています。
どこから来て、どこに流れて行くのか。
日常生活の中で忘れてしまいがちな感覚を、少しでも実感できるように。

キッチン。流しの前のすりガラスの柄も気に入っています。あと、豆苗を観葉植物として育てています。

家具は生活していくなかで必要になったら、
急かされるように、少しずつ、つくり足しています。
その都度、必要な場所に必要なサイズで。
今は、ちょうど玄関の踏み板をつくっているところです。
コスト面から考えても、少しでも無駄なものはつくらないほうが良いと思っているので。

寝室とリビングの間の壁。今は出窓のように開口部だけ突き出していますが、家型の壁一面を棚にする予定。

照明も同じです。生活に合わせて、明るさをコントロールできるように、
2階の5つある照明は、6段階に調整できます。
そのほうがずっと健康的です。
そんな些細なことが、実は重要だったりします。
自分たちの理想の生活に合った家は、
もしかしたら、低コストで見つけることができるかもしれません。

最低限の豊かな暮らしを心がけることが、
NO ARCHITECTSの目指すところでもあります。

2F内観。寝室は、空の色が映り込むように白く塗っています。リビングは、天井を抜いて屋根裏ギリギリのところまで空間を広げています。

ゆるやかに友人たちとつながる暮らし

裏のアパートの2部屋に住んでいるふたりは、大学からの友だちです。
ひとりが近所にあるモトタバコヤというスペースでカフェをしているパティシエ。
もうひとりは、服をつくっています。
シェアハウスと言えど、それぞれ住居スペースは独立していて、
階段室と洗濯機置き場と屋上を共有しています。

屋上へは、2Fのクローゼットの奥の勝手口からも出ることができます。

各々の生活にあった暮らし方を束縛することなく、
時には、共有スペースの使い方を、住人みんなで話し合いながら、
より楽しい生活になるように、つくり足していっています。
リノベーションは完成させてしまうことよりも、
生活に合わせて更新していけるようにしておくことが大事だと思っています。

天気の良い日は日向ぼっこしたり、みんなでバーベキューをしたりしています。

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map

NO ARCHITECTS

住所 大阪市此花区梅香1-15-20
http://nyamaokud.exblog.jp/

荻窪・6次元と 京都・恵文社一乗寺店。 ナカムラクニオ×堀部篤史 トークライブ「共鳴する場」

日本の東西で、それぞれ独自の哲学のある名店を営む名物店主による
注目のイベントが開催されます。
2013年11月24日(日)、京都市左京区の
恵文社一乗寺店 COTAGEで開催される
ナカムラクニオ×堀部篤史のトークライブ「共鳴する場」です。

ナカムラクニオさんは、東京・荻窪のカフェ「6次元」の店主。
堀部篤史さんは、京都・左京区の書店「恵文社一乗寺店」の店主。
どちらも、独自のこだわりのもとにカルチャーを発信し、
地元で愛されるとともに、日本各地にも多くのファンを持つお店。

このトークでは、
ナカムラさんの本「人が集まる「つなぎ場」のつくり方
-都市型茶室「6次元」の発想とは」(阪急コミュニケーションズ)と、
堀部さんの本「街を変える小さな店」(京阪神エルマガジン社)、
それぞれの本に込めたお2人の想いから、
これからの“場”について考えていきます。

会場は恵文社一乗寺店が新たに
スタートしたスペース「コテージ」。
共有から共鳴へ。ぜひ現場でお2人のトークライブをご体験ください。

右:ナカムラクニオ『人が集まる「つなぎ場」のつくり方~都市型茶室「6次元」の発想とは』(阪急コミュニケーションズ)、左:堀部篤史『街を変える小さな店』(京阪神エルマガジン社)

ナカムラクニオ×堀部篤史のトークライブ『共鳴する場』

山ノ家 vol.1: 「好きにしていい空き家がある」 と言われて

山ノ家 vol.1
構想はいつも妄想から始まる

「ある空き家があって、誰かに好きに使って何かやってほしい」
そう聞いたのは、2011年の初夏のこと。
震災後の東京ではなんだか皆がいそいそと通常どおりの生活に戻っているふりをして、
まだどこか上滑りな気持ちと折り合いをつけかけていた頃のことだ。

僕らは、東京・恵比寿を拠点にgift_という名前で空間のデザインや企画の仕事をしている。

恵比寿の僕らのスペースgift_lab。中央に置かれた可動の本棚は間仕切りにもショーケースにもなる。それをぴたりと壁に寄せてしまえば、30人くらいは入れるまあまあの広さのイベントスペースになる。限られた空間を臨機応変に変化させながら使うというかたち、これも「リノベーション」のひとつのあり方だと思う(現在はスペースの一部を別チームとシェアしている)。

古いビルの2Fの一室を、展示やイベントスペースなどとしても機能するように、
可変な空間として内装も自分たちでできることは手がけた。
事務所でありながらも人が出入りする「場」としてオープンに、
かつ多様で刺激的な空間として2005年にスタートし、
音楽のイベントやアーティスト・トーク、上映会、アートワークの展示などを
実験的にいろいろ行ってきた。
おかげでさまざまなアーティストとの縁もたくさんつながっていった。

しかし、これが例えば1Fでカフェなどが併設できたらやれることが広がるのでは、
といった考えが次第によぎるようになっていた。
もっと開かれた、人が自然に集い、行き交い、
出会えるような「場」をつくりたいという気持ちを漠然と心の中に持ちつつ、
まちなかのビルの空室をおもむろに外からのぞきこんでみたりもするけれど、
なかなかそう好都合な物件は近くには見当たらず。
また、そこまで真剣に探すつもりもあまりなかったのだとも思う。

そんなとき、冒頭の「空き家」の話を聞いた。
しかもそれは都内ではなく、新潟県中南部の十日町市まつだいにあるという。
「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ」の開催地のひとつとして知られている土地だ。
地方で行われるアートイベントの先駆けだった大地の芸術祭に、以前僕らも訪れたことはあった。
すばらしい里山の風景の中に、
アートの作品がこつぜんと姿を現すという
なんともわくわくする体験を思い出した。
移動は少し大変だったが、今となっては不思議とポジティブな印象しか残っていない。

この越後妻有の地にある空き家。
その上「好きにしていい」というのが、僕らにとってはとても魅力的な響きだった。
漠然と、しかし、ふつふつと温めていた「より開かれた場」についての妄想が、
思ってもみなかった土地での話と不思議と結びついた。
それはおそらくほぼ初めてと言っていいほど、
いわゆる「地方」と呼ばれているようなエリアに自分ごととして興味を向けた瞬間だった。
ここで何かできるのかもしれない。面白そうだ。直感的にそう思った。
なぜか分からないが何か可能性があるような気がして、とにかく現地を見に行くことにした。

そして、物件を前にして

十日町市まつだいは東京の都心からは、車で行くと3時間から4時間かかる。
行きの車の中で、仲介者である知人を相手に、何ができるのか、何ができないのかも
分からないながらも、これからの勝手な妄想を広げていた。
構想はいつも妄想から始まる。

まつだいの風景。この先に空き家のある商店街がある。空がとても広く感じられる。

最初にイメージを重ねたのは、ちょうどその前年までディレクターの一員として関わっていた、
「CET=Central East Tokyo(セントラル・イースト・トウキョウ)2003-2010」のことだ。
東京の東側のエリアで8年間行われたイベントで、これをきっかけに
少しずつアーティストやデザイナーたちがイベント会場となった空き家物件などに移住したり、
アトリエをかまえたりしだして、ある意味自然発生的に(イベントの時にだけ賑わうのではなく)
日常的に面白いことが営まれているまちへと変容していった。

CETとは、神田と隅田川の中間にあるエリアの、馬喰町の問屋街や近隣のオフィスビルなどで行われたイベント。ムーブメントと言った方が正しい表現かもしれない。東京・丸の内からあまり離れていない区域でありながら、当時、地価が下落してややシャッター街化していた都市のスキマの空き地や空き家などで、アーティストやデザイナーが作品展示やパフォーマンスなどを行い、数日間、実験的にまちそのものを同時多発の仮設ギャラリーに変容させた。

その状況を目の当たりにした経験はまだ記憶に新しく、
このプロジェクトに関われたことは現在の僕らの発想や活動に重要な位置を占めている。
環境は違うが、まつだいでもそんなふうにすることができたらそれは本当に理想的だな……などと
妄想はとどまる所を知らずに僕らの頭のなかで広がっていった。

まず、人が出入りしやすいようなきっかけとしての、カフェをつくろう。
そして滞在もしてもらえるような宿泊設備が併設されているといい。
カジュアルに、でもかっこいいような。
東京とローカルをつなぐような新しい拠点となってもいい。
もちろん、地元の人たちとも何かできたら。
ワークショップやイベントなども、ユニークに企画できるかもしれない。

と、妄想が膨らむ一方で、一抹の不安も頭をよぎらなかったわけではない。

その地にいる人たちは、どんな人たちなんだろう? うまく受け入れてもらえるのだろうか?
とはいえ、今、
僕らは東京に事務所を持ち、東京に生活の基盤を持っている(それを捨てるつもりはない)。
果たして、東京と里山を行ったり来たりしながら
両立させてやっていくという選択肢の可能性はあるのだろうか?
一時的なイベントではないかたちで、何かをやり続けることは可能なのだろうか?

物件がある街並みはこんな感じ。

その空き家は、「ほくほく通り」という商店街のちょうど真ん中あたりにあった。
通りは昭和の終わり頃まではとても賑わっていたというが、現在はその面影はなく、
商店らしき看板を残してはいるが、
明らかに今は住宅としてしか使われていない……というところも少なくない。
いわゆるシャッター商店街とはちょっと違うのだが、少しさびしい印象だった。
事前に最近の様子というのを写真で見ていたので、
ある程度の覚悟はしていたが、実際に見ると現実に引き戻された感じになる。

これがその物件……。

そして、空き家は何も特別な感じのない、
古民家でもない、店舗兼住宅? 倉庫? といった物件だった。
正面の開口部には重たい錆びたスチールのシャッターが付いている。
脇には木枠でざっくり囲ってある物置のようなものがあり、
何に使うのかわからない容器やら、スキー板やら、さまざまなものがごちゃっと放置されている。
古民家という言葉から連想されるようなある種の情緒的な雰囲気はない。
物件そのものの表層には魅力は(失礼ながら)全く無く、
中途半端に昭和の時代を感じるようなトタンが貼られていて、
あきらかにだいぶ放置されていたような感じだ。

うーん、これはリノベーションのしがいのある物件だな……(冷汗)

シャッターをあけ、中に入ると、とにかく物が以前のままにぐしゃぐしゃとたくさん置いてある。

何はともあれ、まず必要になる電気。分電盤を探し、既存の電気容量をチェック(暗くて良く撮れていないが)。

しかし、同時に、どんな物件であろうと
「全く違う存在に変換できる」という、不思議な、そして確かな自信があった。
もちろん、それはいつものことなのだ。

あとは、僕らがここにどのように関わっていくことになるのか。それ次第。
そこで大きな決断をすることになるとは、まだこの段階では考えても見なかったのだが――

つづく

熊本県の営業部長、くまモンが 熊本の伝統工芸とコラボ! カワイイゴザや木の葉猿が登場

キング・オブ・ゆるキャラとして君臨する熊本県の営業部長「くまモン」。
このたびBEAMSが展開する人気ショップ「ビーミング ライフストア by ビームス」と
コラボレーションした熊本県の伝統工芸のスペシャルグッズがお目見えしました。

こちらは、幸せを招く郷土玩具「木の葉猿」と
コラボした「言うモン聞くモン見るモン」。
木葉猿は千年以上前から災難除けなどの守り神とされて
親しまれているお人形です。お値段は5,250円。

ふたつ目は、全国の生産量の90%を占める日本一のイ草の名産地、
熊本県八代地方の生産者「イ草工芸オクダ」さんとコラボしたゴザです。
オクダさんは有機肥料を使ってイ草を栽培し、収穫したものを
昔ながらの技法でひとつひとつ丁寧に製品にしていくんです。
鮮やかなくまモンのゴザは3,150円。

3つ目は、熊本市東部でこだわりの家具を作る「木育工房」とのコラボ商品。
木育工房さんは、無垢材を使ったオーダー家具、オリジナル家具などを
一つ一つ手作りしているちいさな工房。
くまモンのシルエットを再現したり、くまモンの焼き印を入れたスツールができました。
お子様も喜びそうですね。こちらは12,600円となっています。

これらの商品は、11月1日(金)より
「くまモン×ビーミング ライフストア by ビームス 大物産展」
と題し、全国のビーミング ライフストア by ビームスで販売されます。
現場ではくまモンの出没もあるそう!

普通であればキャラクターの利用には料金がかかるところを、
「熊本県のPRにつながればOK」としてロイヤリティフリーにしたくまモン。
熊本とは関係ない商品でも、「熊本県産の材料を使っている」ならOKなんです。
その結果、たくさんのコラボ商品が作られるようになり、
熊本県のPRに繋がっているのが新しいですね。

熊本だモン!くまモン×B:MING LIFE STORE by BEAMS