連載
posted:2013.11.21 from:新潟県十日町市 genre:活性化と創生 / アート・デザイン・建築
〈 この連載・企画は… 〉
地方都市には数多く、使われなくなった家や店があって、
そうした建物をカスタマイズして、なにかを始める人々がいます。
日本各地から、物件を手がけたその人自身が綴る、リノベーションの可能性。
writer's profile
Toshikazu Goto
後藤寿和
ごとう・としかず●東京生まれ。株式会社ギフト・ラボ代表。2005年に池田史子とともに同社を設立し、東京・恵比寿にて空間や家具のデザインや、広い意味での「場づくり、状況づくり」の企画などをおこなうかたわら、ギャラリー・ショップ「gift_lab」を運営。2012年には縁あって新潟・十日町松代に「山ノ家カフェ&ドミトリー」をオープン。現在恵比寿と松代でのダブルローカルライフを実践中。
http://www.giftlab.jp
まつだい(新潟県十日町市)にまでやってきた。妄想も広げた。
物件も見た。軽いショックも受けた。
しかし、そもそも僕たちは一体どういう関わり方になるのだろう?
この地にコミットしつつ、
あらたな拠点を得て活動を展開するということに対する可能性を感じながらも、
改めて考えると不思議な話で、いろいろと確認したいことだらけだ。
物件1Fは土間になっており、奥は一般的な小上がり床になっている。もとはどういう用途だったのだろう?
物件1F、入り口側。上のほうを見るとガラス窓になっている。元は店舗だったようにもうかがえる。
2Fに上がってみた。写真ではそんなに散らかっていないように見えるが、実際は結構ものが散乱している。
まずは、この時点での登場人物を整理したほうが良いだろう。
この話を僕らに持ってきてくれた知人は、河村和紀さん。
彼は映像制作を基点にしながらソーシャルな活動にも多く参画していて、
そのうちのひとつでもある恵比寿での活動がきっかけで共に知りあった。
もうひとり、佐野哲史さん。
もともとは、地元で古民家再生事業を手がけていた彼のもとに、
地元の方から相談があって、河村くんもそこに加わっていき、
その後、空間をどうつくるかで話が僕のところに来たというわけだ。
そして、その地元の方というのが、若井明夫さん。
穏やかな面持ちの中に、確固たる熱い大志をもち、
このまちを面白くしていくために日々奔走している。
若井さんは、測量技師で有機農家。
貸し民家を営み、ドブロクや味噌も生産している。
その上、越後妻有の「大地の芸術祭」の一部施設の運営をするNPOの理事でもあり……
など、知り合っていくうちに、次から次へといろいろな肩書きが出てきた。
書き出すとキリが無いくらいパワフルに活動をしている、
地元の地域活性のキーパーソン。
この人が「空き家を好きに……」という話の発起人である。
若井明夫さん。彼がこのストーリーのカギをもつ人物。
なぜ、若井さんが地域外の人にこの空き家の相談を持ちかけたのか?
という経緯にもひとしきり、ストーリーがあったようだ。
そのきっかけ、「まちなみ助成事業」について話しておく必要があるだろう。
この十日町の地に20年来住み、
ほくほく通りに事務所を構えるカール・ベンクスさんという方がいる。
日本の古い木造建築の美しさに魅了され、
この地に移り住んだというほど、古民家を愛する建築家。
彼はこのほくほく通りを古民家の外装が並ぶ通りにしたら
観光地として人が訪れるのではないかと考え、
想像図としてのスケッチを描き、十日町市長にみせたところ、
「ぜひそれを実現しましょう」ということになったようだ。
カール・ベンクスさんによる「ほくほく通り」のまち並みを古民家風ファサードに変えていくという提案スケッチ。上は現在の状態。
そうして市の助成制度ができた。
古民家風外装にするということが前提条件のようだが、
そのための工事費の7割を補助するというのはなかなかすごい。
ただ、地元の人々にはピンと来なかったのか、あまり情報が伝わらなかったのか、
残りの3割を負担してまでも「それをやろう」と手を上げる人が最初はいなかったようだ。
若井さんは「このまちが変わるせっかくのきっかけになるかもしれないのに、
このまま誰もやらずにこの助成制度が流れてしまってはもったいない」と考え、
この通りで数年来空き家となってしまっている家に目をつけ、その家主に談判しながら、
「例えば東京などから誰かが来て、ここを使って何かやってくれたらいいなあ」
と考えたようだ。
彼はピンとくる人に会うたびにこの想いを相談していて、
それを僕らが佐野さん、河村くんつてに聞いたというわけだ。
なんだか、メッセージの入ったボトルを海に放った人がいて、
それを受け取ったような心持ちになっていた。
状況を聞き、僕らのなかで、この空き家を使えるための条件をざっくりと整理してみた。
・ 助成制度を利用する前提だから、そのための布石として、外装を変えることが必須。
→それはそれで、かえって面白くできるかもしれない。
・ そして、空き家なので中身はどう使っても良い。
→なるほど。制度を活用するにしても、そこでかかる負担を軽減する工夫が必要そうだ。
・ いまから8か月後(次の年の3月)に完成していることが条件。しかし豪雪地帯なので結局は雪が降る前に終わっていないと間に合わない。
→いまは7月(となるとあと4〜5か月くらい?)、
まあ、さすがにそれにはなんとか間に合うだろう……でも急がねば。
・条件とは関係ないが、どうやら世田谷区から十日町まで、無料のバスが走っているらしい。
→これはすごいポテンシャル!
比較的、楽観的に考えていたとは思う。
しかし、現実はかなりの決断を要するものだった。
どうやら若井さんの話を要約すると、
助成事業で行う外装というきっかけがあるだけで、
他には特に何も後ろ盾があるわけではなく、彼の想いがあるのみ。
地元で尽力できる限りの協力はするが、特に資金があるわけではない。
結局は、それでも僕らにここで事業の主体者になってもらいたいということだった。
うすうす想像してはいたが、やはりそうなのか……。
デザインや企画のアドバイスのような「仕事」ではなかった……。
そして、外装に関してもカール・ベンクスさんが監修するということで、
こちらがデザインをすることは制度の条件上、原則できない。
やはり、古民家風なのか……。
ここで、僕らが外装まで好きにしたいなどと言い出したらきりがないし、
そもそもこの土地にいきなりよそものがくるわけだから、
そこは「郷に入れば、郷に従え」というところで、よしとするべきだろう。
(文脈的には納得できるけど……、色味くらいは相談させてもらいたい)
そのかわり、中に関しては一切だれも関与しないので、好きに使ってほしいという。
家賃も相当安くいけそう。そこだけは唯一の救い。
しかしそのための資金もなんとかしなければならないだろう。
唯一主体的にしかけられる動きとして、
この案件を囲むメンバー全員で組織をつくろうという話になった。
そして、若井さんにもその仲間として協力していただこうと僕らは考えていた。
「私が仲間に入ってしまってもいいの? 私でいいのであれば」
と遠慮気味だが、快諾してくれた。
いやいや、むしろ若井さんがいなかったら僕らにはなにもできない。
工事に関しては、若井さんが紹介できる工務店があるという。
「そこの会長は俺の幼なじみだから、多少相談に乗ってもらえると思うよ」
それをふまえ、古民家再生で実績のある、佐野さんが「僕に考えがある」と。
助成金対象外となる、外装工事費3割の負担についてだ。
「一部セルフビルドとして僕らが行える工事を、
工務店さんの下請けというかたちで請け負う」という。
すごいアイデア。でも、無理なく始めるにはそれしかない。
というような感じで、話を前に進めるためのおおよそ具体的な条件、状況が見えてきた。
実は、事情が複雑で、案外自由ではない条件があることがわかっても
「無理だ」とか「やめよう」という気にはなれず。
とはいえ、「決断」というには中途半端のまま、ことを進めていったのであった。
車で来たときに見えた景色。霧が立ちこめる神憑った風景を何度も見た。
常に「最悪どうしても折合いがつかないことがあったら、降りることも考えよう」
という札も同時に持ちながらも、
決断の先に広がるであろう大きな可能性の何か、に関しては感じていた。
そしてとにかく、
今までに踏み入れたことの無い領域に入ろうとしていることは明らかだった。
その後も、このプロジェクトを進めるべく何度かミーティングを重ねた。
ほくほく線から見える景色がとても雄大。このアングルは機会あるごとについ撮ってしまう場所。
そうして2か月くらい経った頃、「山の家」という仮のプロジェクト名ができた。
雪の降る時期を避けて、季節限定で活動する場所、
いわゆる「海の家」の「山版」というのが最初の思いつきだった。
仮でも名前が決まると、何やら実態ができたような感じになってきた。
しかし、まだまだ工事着手実現までの道のりは遠く、かなり紆余曲折あった。
この空き物件の持ち主の大家さんに会って契約を取りつけたり。
この物件の「借り主」として、地元商工会にプレゼンをしたり。
地元工務店さんとの見積もり検証、確認、
そしてなにより、下請け的なかたちで入らせてもらうことを交渉したり。
カール・ベンクスさんに会って、お互いの仕様に対する考えをつき合わせていったり。
カール・ベンクスさんによるこの物件のファサードスケッチ。実際は木材や壁の色をコントラストのある白黒にしたりして、少しニュートラルな方向にさせてもらった。主な部材寸法や、製材前の粗い木を使うことなども確認しあった。
すべては、地元の「ルール」の中での手探り。
とは言え、決まっていないことばかりで、結局は会いに行って話し合うしかない。
そうして結局、何度現地に足を運んだだろうか。
ときには車で、ときには新幹線で、数時間の打ち合わせのためだけに日帰りで。
その行きすがらの風景を繰り返し見るたびに、
季節の移り変わりや、空の広さ、雲の変化の多さ、気持ちのよい空気などが、
じわじわと心にしみ込み、何とも清々しい気持ちになる。
さまざまな心の迷いや、不安などが小さく感じられ、
この風景を見続けていくことが何か大きなものにつながるような気がしてくるのだった。
決断しなければならないと思っていたことが、そうではない別の思考に変わっていく。
それは「進みながら考える」ということ。
そのこと自体が、最も大切なものなのではないか?
そう思いながら、ひとつひとつ、
ややこしい手続きとしての「道のり」をクリアしていった。
これは最近の写真だが、最も気に入っている視点のひとつ。山ノ家の目の前の坂を下るときに広がる、山とまちが一体となった風景。
そして何度か東京とまつだいの往復をしているうちに、夏が終わり秋が過ぎ、
制度の申請や工事の内容決定、契約、段取りなどを済ませて着工となり、
足場がかかり、ようやく解体工事が始められたときは、
気づけばもう11月も終わろうという時期になっていた。
「やばい、このままでは雪が降る季節にさしかかる……」
その前に外装工事を終わらせられるのだろうか?
つづく
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YAMANOIE
山ノ家
住所 新潟県十日町市松代3467-5
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