NO ARCHITECTS vol.7: 住んでいるみんなでDIYする シェアハウス 前編

NO ARCHITECTS vol.7
衣食住がそろうシェアハウス

前回の記事の最後に登場した、
僕らが住む家「大辻の家」の裏にある
アパートの一室のリノベーションが現在進行中です。
進捗状況を2回に分けてリアルタイムでリポートしようと思います。

左にあるのが僕らが住む大辻の家、右が今回リノベーションする部屋があるアパート。2棟合わせてSPACE丁(スペース・テイ)と呼んでいます。

部屋の場所がわかりにくいと思うので、スケッチを描いてみました。
丁字路の正面右手の路地を抜けて左手にある階段を上がってすぐの、
2階の踊り場に面した部屋が今回の物件です。

大辻の家とアパート丸々一棟を合わせて借りていて、
アパートには4部屋あります。
2部屋は各々が生活するプライベートな部屋として使っていて、
残りの2部屋の活用法をずっと考えていました。

その空き部屋は、押入れ付きの6畳の座敷がふた間と、
板の間の台所がひと間のL型2DK。
僕らが入る以前から、かなり長いあいだ空き部屋だったらしく、
廃墟同然で、カビ臭いどんよりした空気が流れていました。

今までは倉庫として使ってきましたが、それではもったいないので、
みんなの生活と連続するかたちで、
ものを作ったり考えたりするための共同アトリエとして、
リノベーションすることになりました。
ちなみに1階にも同じ間取りの部屋が空いていて、
ここの使い方はまだ思案中です。

vol.1の記事でも紹介させてもらったように、
大辻の家と裏のアパートとは、2階の踊り場で繋がっています。

クローゼットの奥に勝手口を開けると左に玄関が見えます。vol.1「住みながらつくる家」より。

屋上への階段の下の洗濯機置き場より、現場の玄関を見たところ。上のスケッチではわかりやすく広めに描いたけど、実際はとてもせまい。

今のところ、服をつくっている黒瀬空見と、シェフでパティシエの遠藤倫数、
空間をつくる僕らの4人で借りています。
それぞれが“衣食住”をかたちにすることを仕事としています。
着たい服があればミシンを、食べたいものがあればフライパンを、
住みたい家があればインパクトドライバーを。
そんなメンバーが揃ったシェアハウスです。
皆、大学院の同級生で、同い年で、仲良し。

ひとまず、ふたりの紹介を。

黒瀬は、
2010年より「日常のなかに物語を」をコンセプトに、
ツクリバナシとして日常着の制作を始めました。
そして、2013年の春に、東京からこのはなに越してきました。
「このまちは物語があふれていて、
もはや“日常を物語に”という気持ちになってきています。
ですので、最近では、その生活に合う服をつくることを目指しています」(HPより抜粋)
とのことです。

ツクリバナシの服の写真です。撮影場所はSPACE丁の屋上。(撮影:樋口祥)

つづいて、遠藤は、
岐阜県のケーキ屋とレストランで修業し、
2012年の春にこのはなに越してきました。
モトタバコヤのオープンスタッフとして、
シェアショップ内の「Café the End」の店長に。
月に1回開催されていたカクテルパーティは、毎回大盛況でした。
最近では、新規事業に向けて準備を進めているそうです。

カクテルパーティの様子。毎回違うテーマに沿ったカクテルメニューを考案して、それにあうケーキやキッシュなどを食べられるという企画。この会は、ピーチナイトでした。

みんなで決めて、みんなでつくる

さて、本題のリノベのリポートです。

特に打ち合わせしたり、図面を描いて検討したりはせず、
一緒にご飯を食べている時や、家の前でたまたま会った時に
立ち話したりしながら、それぞれのイメージを少しずつすり合わせていって、
あとは、現場スタートの日時の調整をして、作業が始まりました。
それぞれが計画者でもあり、施主でもあり、
現場作業までするといったプロジェクトになりました。

解体途中の写真です。

3部屋あるうちの奥の部屋は、黒瀬のアトリエに。
玄関からキッチン辺りを遠藤のバーカウンターとオープンキッチン、
そして、黒瀬のアトリエとキッチンの間に共有のリビングルームをつくる計画。

まず、部屋と部屋とのあいだの間仕切りの垂れ壁を解体し、
L型のワンルームにすることを目指しました。
不要な壁をなくすことで南側からの太陽光を奥の部屋に取り込もうとしました。
さらに部屋を少しでも広げるために、
押入も解体して、段差をなくして床も繋ぎました。

解体のゴミの処理や、床と壁の施工や電気工事などは、大学の後輩で大工チームのshirokuroにお任せしました。左が親方の伊藤くん。右は見習い中の杉本くん。杉本くんは大学で建築を学びながらというから将来が期待大。

ぼろぼろになった畳も撤去し、床も入り口からひとつながりの板張りに。
黒瀬は染色作業などもするので、防水塗料は厚塗りで。

もとの壁は砂壁で粉がぽろぽろ落ちてくるので、薄いベニヤ板でおさえて塗装。
染めた色や布の色が際立つように、柱を残して真っ白に。

抜群の集中力を見せる、塗装作業中の黒瀬先生。

トイレは、ドアを付け替えて壁も補強。床のタイルはそのままに。
押入れ部分の天井は、遠藤がベニヤを張って点検口まで取り付けてくれました。

といったところで、前編はここまで。
来月の後編では、いったん完成した姿を報告できると思います。
僕らも完成形があまり見えてないリノベーションの行く末は——
乞うご期待。

ハンマーで既存の台所を破壊する遠藤シェフ。新しくできるキッチン楽しみです。

information


map

NO ARCHITECTS

住所 大阪市此花区梅香1-15-20
http://nyamaokud.exblog.jp/
https://www.facebook.com/NOARCHITECTS.jp

サイクリング基地「ONOMICHI U2」誕生! 瀬戸内海の島を結ぶ「瀬戸内しまなみ海道」の始点に

広島県尾道市から愛媛県今治市まで続く、
瀬戸内海の島と島を繋ぐ「瀬戸内しまなみ海道」。
日本で初めて海峡を横断できる自転車道
「瀬戸内海横断自転車道」を擁し、
各自治体によるレンタサイクルなどの
サービスも充実しているなど、
海外のサイクルファンからも注目の集まる道なんです。

この海道の始まりとなる広島県尾道市に、
サイクリストのための複合施設「ONOMICHI U2 オノミチ ユーツー」が
先月オープンしました。海沿いの広大な敷地に、ホテル、サイクルショップ、
BAR、レストラン、ベーカリー、コーヒーショップ、さらに食品や
アパレルなどのショップまで揃っています!
建築デザインを手がけたのは、建築家の谷尻誠さん率いる
広島の「サポーズデザインオフィス」。
もともと、昭和18年に建設された船荷の倉庫だった場所を、
2780㎡もの巨大な躯体と大空間をそのまま残し、スタイリッシュに
リノベーションしてしまいました。

「既存倉庫の大空間に新たに建築する建物は、小さな古民家が密集する
尾道の町並みのように「小さいスケールの連続と路地」という関係を継承し、
建物全体をまちと見立てた構成としました。自転車のリペアを行う路地、
地元の方やトラベラー同士の情報交換の場となる縁側など、余白の場を設ける
ことにより、人々が自然と集まり、迎える側も訪れる側も、歴史ある尾道の
街への「愛着」という共通言語によって、実際のまちと同様の関係性や
関わりが生まれる場となっています」(コンセプト・テキストより)

それではそれぞれの施設をご紹介していきましょう。

宿泊施設「HOTEL CYCLE」。全国初の自転車に乗ったままチェックインできるフロントがあり、自転車は全室に持ち込み可能。

朝・昼・夜、しっかり食べられるレストラン「The Restaurant」。瀬戸内の魚介類・野菜・柑橘などを中心に、四季折々の食材を使っています。

夜に映る夜景を楽しめるカウンターバー「Kog Bar」

こだわりのパンやさん「Butti Bakery」

これらの施設に共通するのは、「瀬戸内らしさ=もてなし」として
地域性にこだわったコンセプト。
瀬戸内レモンやシーフードなど瀬戸内の食材を積極的に
使ったメニュー、しまなみ街道でのツーリングを楽しむ
サイクリストに向けた新しいサービスなど、
瀬戸内ならではのおもてなしを提供しています。

インテリアは古民家や造船の街にちなんだ、木やモルタル、スチールなどラスティックな質感のもので構成しました。魚灯を連想させるような照明のアクセントなど、小さな要素を丁寧に設計し、尾道らしさを体験できる空間となっています。(コンセプト・テキストより)

「ONOMICHI U2」は、自転車に乗らない人でも
もちろん大歓迎。
街の個人商店が集まっているような感覚で、
施設内を散策しながら
楽しむ事ができます。
ゴールデンウィークのお出かけにぜひ!

ONOMICHI U2

山ノ家 vol.7: 気だてのいい移民になろう  二拠点生活への覚悟の芽生え

山ノ家 vol.7
カフェのにぎわいと、熱気の中でのドミトリー工事

無事、山ノ家の「カフェ」はオープンしたが、2階のドミトリーはまだ工事中。
少しでも早く来訪者に開きたいという想いから、
まずは1階のカフェだけでも先に工事を終わらせて、
お盆より前にはオープンしようという計画だった。
「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ」の期間中に
遅ればせながらオープンし、手配りのチラシの効果もあって、
カフェを利用するお客さんも増えてきた。
僕らは連日泊まりがけで合宿のように生活しながら、
カフェの運営チームは来訪者のために大忙しで、
数少ない男子と、大工さんたちはドミトリーの工事を進めている。

カフェのキッチン内には常に3〜4人のスタッフが入り、忙しく動き回っていた。ここが元和室であったことを考えると、何とも新鮮な光景。

ドミトリーができるまでに必要な残りの作業は、2階の床張り、
壁のボード貼り+塗装、1階のシャワーブースや2階の水回り、
そして一番の作業はドミトリーのための、2段ベッドづくりなど。
カフェのにぎわいの裏では、ドミトリー完成へ向けた工事が続いていた。

カフェはこんな感じでにぎわっていてうれしい限り。しかしその裏で……。

2階ではこのような感じで作業をしている。これは廊下の塗装を行うための、階段の養生。

カフェが営業している時は外への出入りに気を使ったり、
道具や資材の搬入などでどうしても融通がききづらかったりと、
作業をするためのスペースや導線確保の大切さを再認識した。

追加資材の搬入は2階の窓からユニック(クレーン付きトラック)でカフェの開店前に行った。

まつだいの8月は焼けるように暑く、
1階に設置したばかりのエアコンがフル稼働という状態。
しかし、2階にはまだエアコンがついていない。
こもる熱気の中でみな黙々と作業を続けていた。

暑い中での作業。アキオくんは大工さんからアドバイスをもらいながら自分で床張りをマスターしていた。

カフェから生まれる、地元との接点

カフェが開店したこともあってか、
いろいろなかたちで地元の方々とつながる機会がいくつか生まれていた。
ある日、工事を見てくれていた近隣の大工棟梁さんが、
僕らに相談を持ちかけてくれた。
「お盆の8月15日に、近くの小学校で盆踊り大会があるんだけど、
近隣の人に知ってもらうのにいいチャンスだと思うから、
店を出してもらえたらと思うんだけど」
地元で彼の世代(30〜40代)がこの盆踊りを仕切ることになったから、とのことだった。
始めたばかりのカフェの営業はまだまだ落ち着かないが、
これはとても良い機会だからなんとか工夫してやろうということになり、
夕方に店頭に貼り紙をして、小学校で出店することにした。

近隣の小学校の盆踊り大会に、キーマカレーやマフィンなどを急遽仕込んで出店。反応はなかなかよかった。

またある日は、関東圏から十日町に帰省した大学生が立ち寄ってくれて、
「地元にこんな素敵なお店ができたなんて!」と感激してくれた上に意気投合。
なんとカフェのお手伝いを1日してくれることになった。

写真の奥にいるのが、地元がこの近くという大学生。地域の過疎化を心配し、まちづくりなどにも興味があるようで、僕らがここで拠点を持つことになった経緯などにとても共感してくれた。

また、お隣の方などが「たくさんとれたから」
と野菜をドサっと持ってきたりしてくれたのはとてもうれしいことだった。
冬の工事の時から、通りかかるおばあちゃんなどに
「ここは何かできるの?」と聞かれ
「ここで喫茶店をやります。是非来てくださいね!」
などとなるべく丁寧に接してきたことなどが思い出された。

この先の可能性がいろいろと広がるのが少しだけ見えた気がして、
本当にここでやってよかったと思った瞬間だった。
このころから何となく「気だてのよいヨソモノでいよう」
というキーワードが自分たちの中で浮かびあがっていた。

根城を転々とする、移民としての生活

僕らは若井さんが使用している近隣の一軒家
(味噌づくりのために使っている「味噌工房」と呼ばれている借家)
の部屋を借りて寝泊まりをしていた。
実はその前にも、工事が始まるころから
しばらく寄せていた場所があった。
しかし、大地の芸術祭をお手伝いをする方たちが来たら
部屋を空けることになっていたので、
その後に若井さんの「味噌工房」に移動していた。

若井さんの味噌工房のある家。この脇の土地で、少し前から畑もやらせてもらっていた。

もちろん、山ノ家の上に泊まれたらそんなに楽なことはないのだが。
アキオくんは「ここのユニットシャワーがついたら、休憩中に汗を流せる!」
などと冗談を交えながら作業していたが、
そこはまだ粉塵が舞う戦場のような工事現場で、
とても落ち着けるような状態ではない。
泊まるための場所をつくりながら、自分たちは別の場所に寝泊まりしている。
なんとも歯がゆい状況での現場、というか、生活。
例えばこれが東京での話ならば、
皆それぞれの住む場所から通って現場で集まるだけという、あたりまえのこと。
ここでは、その前提が無い状況なのだ。
普段とは全く違う土地で生活をしながらリノベーションを行うということ、
そして共同生活を伴ったかたち。楽しくもあり、難しい部分でもある。
この状況のなかで、皆が生き生きと活動していることが
本当に何ものにも代え難い心の支えだった。

そんな中、カフェがオープンする前後に、
若井さんが言いづらそうに僕に相談をしに来た。
「実はお盆前後に、毎年農作業を手伝ってくれる人たちが
泊まりにくることが前から決まってしまっていて、君たちの寝泊まりする場所を
どこか他に移動してもらわなくてはならないんだよ」と。
お盆が近づいてきて、宿泊できそうな場所はみな似たような状況で、
新たな宿を見つけなければならない状態になっていた。
また、移動しなければならないのか……。
とはいえ、どこにも行くアテが無い。
まさに移民(というかむしろ難民に近い)。

若井さんがいろいろと周辺の人をあたってくれて、
なんとかなりそうな場所の情報を持ってきてくれた。
そこは僕らがよく行く温泉のすぐ近くのロッヂで、
地元の有志でつくったらしいが、震災のあとは使っておらず、空いているという。
なぜなら、ほんの少しだけ床が傾いていたりして、
直す目処がたたない状態だから、とのこと。
加えて、いままでは現場に徒歩で行ける距離だったが、
そこはちょっと離れていて車での移動が必須な場所だ。
いろいろとハードルは上がるが、いまのところ他に選択肢がない。
掃除をして、そこにあった布団を使用するので干すついでに、下見に行く。
うーん……大丈夫だろうか。
1年半空いているだけならきっと大丈夫だろう……。
というより背に腹はかえられない。
お盆を目前にした頃、僕らは「大移動」をした。
その時現地に乗り込んでいた僕らのチームは、およそ10人くらい。
実際には、1年半空いていただけというにはずいぶんとラフな状況だった。
しばらく人が使っていない場所というのは、どうも空気が重たい。

ロッヂでの生活がしばらく始まる。

ペンを置けば転がる床で寝ることは、思ったよりも不安定な気持ちだった。
正直キツかったが、皆連日の疲れもピークなせいか、すぐに寝てしまった。

次の日の朝、なぜかいつもよりも早く目が覚めた。
その時、窓に広がっていたのは、

見事な雲海!

いまの大変な状況が一気に報われるような、素晴らしい景色だった。

ここまで長くひとつの所に滞在して活動するということはなかなかない経験で、
短期間の滞在では気づけない日々のわずかな気候の変化や、
この地の風景をさまざまな角度から見ることや、
鳥や虫や、木々や緑の生命力のたくましさや美しさなどを
目の当たりにしていくことで、得難い何かをからだ全体で感じていた。
そしてときどきこんなふうに、
風景はその土地の特別な顔をかいま見せてくれるのだ。

これが別の土地で日々の営みをつくっていくことなのかもしれない。
旅行でも移住でもない、二拠点生活への覚悟の芽生えが出てきていた。

そしてとても好きなのは、カフェがオープンしたことで、
みんなで朝食を山ノ家でとれるようになったこと。

眠そうにしているが、みんなリラックスしているのがわかる。

自分たちの作った空間で、とてもおいしい朝ご飯を食べられるというのは
何とも言えない充実した時間だった。

朝のまかないご飯。自分たちが借りていた畑でとれた野菜や、ご近所の方にいただいた野菜を使って。

すべて出来上がるまで、あともう少し。

失われつつある日本の伝統的な暮らしを高校生がインタビュー。「聞き書き甲子園」

高度経済成長期を境に大きく変わった、日本の暮らし。
森や海、川と共に生きる伝統的な暮らしはいまや
失われつつあります。
豊かな暮らしの知恵や言葉を、未来のために
少しでも残すことができたら。
そんな思いから始まったのが、「聞き書き甲子園」。
夏休みの時期に、毎年全国から100人の高校生が参加。
聞き書き実習の合宿を経て、全国の炭焼き職人、
漁師、海女など、自然と関わるさまざまな職種の"名人"の
言葉を聞いて記録するプロジェクトです。
話し手の語り口でまとめられた文章から、“名人”の人柄や
生き様が浮かび上がってきて、読むものを感動させます。

参加高校生100人が集まるの聞き書き実習の模様。実習は3泊4日で行われ、交流会などもあります。合宿を終え、100人それぞれが一対一の聞き書きへ出向きます。

今回コロカルでは、北海道羅臼町で昆布拾いをする藤本ユリさん
の「聞き書き」を全文掲載します。
ユリさんは毎年夏に知床半島の突端に近い浜、
赤岩にある番屋(詰所)に住み、一人っきりで
自給自足の生活を行い、昆布を拾い続けている漁師さんです。
ユリさんのカッコイイところは、知床の番屋暮らしに
誇りを持っているところ。彼女の生き方は、地域の人たちに
とっても生きる指針となっているんだそう。
「聞き書き甲子園」からもほぼ毎年記者が訪ね、
たくさんの人と交流を続けています。

■拾い昆布漁業、藤本ユリさん

大正15年1月3日生まれ、87歳の藤本ユリさん。

1.自己紹介
藤本ユリ。生年月日は大正15年1月3日、今はもう86歳。職業は漁師。生まれはね、北海道の乙部村、今は乙部町。嫁いだのは函館の古川町。子供が二人、孫が八人の家族だ。
漁師っつっても正しい名前は拾い昆布漁業。9年間旦那と昆布拾いやってたけど、俺が60歳の年に亡くなっちまった。そのあと余所で働いてもよかったんだけど、いろいろ考えて一人でもできる職業だから「いや俺は昆布拾いする」っつって、ずぅっとやってる。

2.俺、わがままな子供だったな
今おっきくなって考えたら、子供のころはわがままだった。勉強は好きでねぇ、というより嫌いだ。好きなわけねぇ、覚えられねぇから。勉強のことはぜんっぜんね、だめだった。ひとっつも書けね。今もだめだけどな。今までかかわってきた人から手紙をもらって、それを読むことはできるんだけど、書くことはまったくだめなんだ。勉強嫌いで好き勝手して、だけどじじばばもいたったからね、だんじだんじに(大事大事に)育ててもらったね。周りがみんな男の子ばっかしだったのよ。俺は女の子だったからね、それこそだんじだんじに育ててもらった。ほんとにどうしようもない、わがままだったな。

3.農家の生まれで昆布拾いに
俺の生まれたとこは農家だけど、嫁に行ったとこが漁師だから、そのときから漁を始めたね。その前にも、豚やってたし、鶏もやったんだけど、豚もだめ鶏もだめ。借金だらけだし…。ほかにもイカ漁、ウニ漁、カニの缶詰工場に勤めたり、なんでもやった。でも売れなかったね。そのときに昆布拾いしたの。一人でできるってのもあってね、羅臼越して向こうの赤岩のほうさ行ってね、昆布拾いやったの。

4.拾い昆布漁業とは
昆布の採り方っつったって、たいていの人は船使うんだわ。船さ乗って、岸からだんだん深いところに向かってね、はさみみたいなやつで挟んでねじって、からめてちぎるんだ。はさみみたいなやつは昆布採り竿っていうんだ。でも赤岩の昆布は意外と浅いところにもあるから、採りやすいんでねぇか。
俺の拾い昆布漁業は、岩に生えてる昆布が、ぐらぐらと波で揺らぐべさ。で、大きな波が来て、今度その岩から離れて押し流されて寄ってくるわけ。波の力でちぎれて、浜に流れ着くんだわ。それを俺が拾って歩くんだ。だから番屋にいて、天気が悪くなって嵐が来て、大きな波が来ても俺はこわがらねぇ。逆にうれしくなるんだわ。次の日に浜へ行ったら昆布が流れてくるから。
ほかの漁師は、みんな昆布採り竿を使った方法だ。拾い昆布やってるのは俺一人しかいねぇもん。いや一応三人いることになってるけど、誰も行がねぇから。昆布拾いってね、道具で採る権利を持ってる人はね、拾い昆布の権利も持ってるけど、拾わねぇ。たまに拾うけど、手間のかかる作業なんだ。原始的っちゅうかな。機械も何も使わないからよ、大変なのよ。だからみんなやらねぇんだ。

5.働き場は「赤岩」
俺の働き場は赤岩ってところだ。赤岩は知床岬の突端にある浜だ。羅臼の港から船で1時間かからないくらいだな。息子か孫に舟漕いでもらって行ってる。
行くときは、3㎞以上離れてるけど隣の番屋の人間が行ったら俺も行ってたな。昔は5月だった。でも今は自分一人じゃ行かれねぇから、送ってくれる周りの人間の都合いいとき。最近は7月ごろになるな。
でももうこれからはずっと6月に行こうと思ってる。早めに行って浜をきれいにするんだ。1年間草をがって(刈って)ないし、流れ着いたごみを拾わねぇと。半年放っておくと浜はやっぱ悪いところも出てくるんだ。それだからやっぱり直したりしねぇど。あんまり遅く行くと浜直せねんだわ。きれいにした昆布を、玉砂利の上で干さなきゃなんねぇのに。余所の浜から拾っても、自分の浜さ持ってくるまでに、ごみとか付いちまう。それじゃ二度手間だ。
それにほかの人より後に行ったら、いい昆布が少ないんだよ。やっぱり昆布は早いうちのほうがいい。ほかの人が採ってから、そのあとに流れて来る昆布って、いいとこ採っだあとの昆布だからね、あんまりいい昆布流れて来ない。どうしても早いうちのほうが、薄いけどいい昆布があるからね。

6.何もない生活、でも住めば都
そこから、電気も水道も電話も何もない生活の始まりだよ。店もねぇ、だんれも(誰も)人っ子一人来ないところだ。したけど住めば都でね、アサリはあるわ、ちっこいカニはいるわ、そんでもってウニはいるし、マスもものすごくいるし、アサリのおつゆ食べて、浜からなんでも採ってくる。ほんとにいいとこだ。
それと赤岩の浜さ来るときに、自分と一緒に舟に乗っけてきた米食べて生活してる。畑も自分で作ったからな。まず赤岩さ着いたら野菜の種まいて育てるんだ。だから野菜とかは買わなくても採れる。それからたくさんの動物が会いに来て、ほんとにいーとこさぁ。友達がいなくても、自然が友達だ。
たまに熊も出るな。熊出て来るったって、熊だって逃げ場なんかねんだからね、おっかねぇったけど、のんきな熊ばっかしだから、あっちの熊は。乙部のほうの熊と違ってさ、そんな逃げねばな、追ってくることってねんだわ。背中向けて逃げるから熊も追ってくる。どうせ走っても負けるし、けんかしても負けるから、ただこっちも棒振り回していんばってれば(威張ってれば)、なんも熊のほうが、なんだあのばばぁ、全然逃げねぇばばぁだなって思うからな、熊も自然にいねぐなる(いなくなる)んだわ。なんぼ熊見でもね、見たら向かって行ってでもいいから、逃げるってことさえしなきゃええんだわ。昔目の前で、連れてきた犬がわんわん鳴いて、俺守ろうとして殺されたこともあったな。やっぱり何もしないでただいんばって、黙って見てるのが一番だわ。

7.あるだけ拾う、ただそれだけ
7月くらいから昆布を拾っていく。服装はかっぱがいっつもの格好だな。濡れなくていい。あと膝まである深い長靴も使ってる。持ち物はそり。拾った昆布をそりさ積んだら、昆布に砂付かねぇべさ。そりがなけりゃ拾った昆布に砂付いたり、浜にごみあったらごみ付いたりする。そりだけ持って歩けばどこでも行ける。あとは杖だな。昔拾った細いけど丈夫な木の棒があるから、その杖をついて歩いてる。
1日にこれだけ拾わなきゃならねぇとかは決めてない。あるだけ拾う。だから日によって採る量は変わる。落ちてるだけ拾う。8月が拾いどきだわ。昔なかなか売れない時期があってね、あっちゃ行ってこっちゃ行ってね、1日1杯(20㎏)で、1杯拾えば7500円、7500円、犬も歩けば棒に当たるって言いながら拾ったの。

8.潮水でゆらゆらと、洗うんだ
拾った昆布は、まず汚いところとか、砂が付いてるところがあったら洗うんだ。でも雨水とか水道水はだめだ。昆布が赤くなって見た目が悪くなる。やっぱいい昆布ってのは真っ青な昆布なのさ。だから潮水で洗う。潮水なら色は悪くならねぇ。浜辺で昆布持ってゆらゆら動かすんだ。そしたら自然と砂もごみも取れる。
きれいになったら次は、昆布をぐるぐる巻いて、伸ばして、落ちてる石をおもりとして使って、しわを伸ばしていくんだ。それを何度も何度も繰り返す。まっすぐなのがいい昆布だ。

9.昆布干すのは、簡単にはいかねぇ
しわがきれいに伸びたら、今度は干すんだ。天気のいい日は2日で乾くんだけど、どうしても3日干さないと、しっかり乾かない。俺が安心するためっちゅうのもあるね。
でも、干すのもそんな簡単にはいかねぇんだ。海辺の太陽にさらして、玉砂利の上に置いて干すから、その途中でもちろん雨が降ることもある。そしたらもうその昆布はだめだ。ずーっと濡れてると色が悪くなる。茶色くなって臭くなるんだわ。それじゃあもう売りには出せん。逆にいい昆布でも干しすぎたらだめなんだわ。ばりばりになって折れたら、せっかくの大きくて色のいい昆布でも、高くは売れなくなっちまう。
余所の人だら、乾燥機持ってるからね。乾燥機でみんな干してるから、天気なんて関係ねぇ。拾い昆布漁業は乾燥機だめだってか、付けられねぇっていうから。それに乾燥機でやるっつったらうづ(家)から赤岩まで持ってくるのが大変だ。だから俺は玉砂利の上置いて、3日間太陽に当てるしかねぇ。乾燥機のある人は、すぐ乾燥機さ入れるべさ。俺拾うのも一人、磯上げるったって一人、干すときだって一人だから。今日天気良くたって次の日天気悪いばね、全部だめになるんだわ。したけどね、たくさん干して手一杯のときでもね、見たら拾わねぇでもいられないんだよね。だって落ちてるから拾いたくなるもの。
干してる途中に雨に当たるのは悪いけど、拾ってるときに雨に当たるのはまだ大丈夫なんだわ。だから天気の悪いときは、拾ったらすぐ海の中に漬けておく。漬けておけば潮水の中だから腐らないの。したけどね、雨水だったら、すぐだめになるの。拾って、洗って、伸ばして、乾燥させて、まっすぐにしてやっと売りに出せるようになるけど、乾燥させるのが俺にとっちゃ一番大変だわ。

10.最近は、つらいね…
何がつらいかって? もちろん乾燥中の天気も嫌だけど、売れないことが一番つらいね。この頃は羅臼に昆布は余ってるから、俺のはなかなか売れねぇんだ。こればっかりはどうしようもね。もちろんいい昆布は売れていくけど、悪い昆布は残っていく。検査員が来てこれはだめ、あれもだめって言われると、悲しくなるね。根っこは食えねぇから、細かく切って薬になったりする。だから一応は売れる。あんまりいい昆布じゃないからって、まさかひとっつも売らないってことはできないと思う。お土産にでもして売れやって言われても、いやだなんて言うだけの昆布でもないと思うわけ。いっぱいあるからね、2本か3本の昆布だったらお土産にするっちゅうこともあるんだけどね、何千の昆布だもの。諦め切れねぇわ。

11.赤岩を離れるのが、何より寂しい
昔は 10 月の前半までいたんだけどね、今は迎えに来る息子や孫たちが俺のこと心配だっていうんで、早くて9月後半ぐらいに帰るな。帰るときは俺ずっと赤岩を見てしまうよ。離れるのが寂しい。俺な、赤岩さ行くたんび(度)に思う。あそこにいると、あー、俺は生きているんだなぁって実感するんだわ。大自然の中で、一から十まで全部一人で生活してるとね、ひとつひとっつのことするたんびにほんとにそう思うんだ。
今まで昆布ばっかし何百枚も拾ってきたんだよ。したからね、悪い昆布を拾ってもなんとなく愛着がわくんだわ。俺、拾うのも一人、磯上げるったって一人、干すときだって一人。確かに昔は寂しい時もあった。夜になれば暗いから、一人でランプの灯つける。昼間になれば、拾った昆布は1日で乾くわけでねから、干したり拾ったり干したり拾ったりする。
まぁ、寂しかったときもあった。でももうそれは通り越したよ。黙々と作業してたら気にしなくなるもんさ。楽しくなってくる。赤岩にいると生きてることを実感するから、そこを離れて、うづ(家)に帰るほうが寂しくなるときもあるね。

12.やるよ、赤岩で、90 歳まで
俺は 90 歳まで赤岩さ行く。つっても 90 過ぎたら行かない。90 まで昆布拾いして、90 から 100 まで生ぎるから、あどの 10年間はうづにいで、ゆっくり生きる。あんまり人の世話にならないで、目立たないで、暮らしていく。それがこれからの目標だ。
90 過ぎたら、きっと昔のことも家族のことも、なんもかんも忘れてくと思うからね、そこまで頑張るんだ。どんなに元気でも、90 過ぎたら赤岩さ行かねぇってもう決めたんだ。だって舟乗るときも大変、降りるときも大変で、もう一人じゃどうしようもできねぇもん。二人も三人も息子や孫たちに後ろに付いてもらってようやく舟さ乗る。波があるとこならね、舟がぐらぐらぐらぐら動いてね、なかなかいい具合にすぐ足かけて降りるってことできねぇから。したら何べんも家族から、来年から行かねぇ方がいいかべって言われるけど、俺は来年だって行くっ!つって…。赤岩さ来るたんびに(度に)来年の話してる。自分では何もどこも悪くないと思ってるけど、だんれもいねぇ赤岩さいるのはやっぱりよくないっちゅうからねぇ…。羅臼のほうの人たちも心配だって言うからねぇ…。だから、90 で終わり。跡取りとかも作るつもりはねぇ。息子は息子で違う漁してるからな。だんれもいないよ。もう俺で終わりだ。
前にね、番屋の屋根が穴空いてたり、五右衛門風呂の調子が悪くなったことあったんだわ。そいで迎えに来た息子たちに直してもらったんだ。もう赤岩さ行くのやめろやめろって言われてるけど、直されちゃあまた来年も来たくなるべさ。俺笑っちゃったね。
でも、90 まで赤岩さ行って昆布拾い続けたらもう俺は満足だ。もう決めたからな。それを達成できたら十分だ。あとはみんなに迷惑かけずに、100 までゆっくりするわ。

取材日:2012年10月27日、11月17日

【取材した高校生】
逢坂 理子(藤女子高等学校2年当時)
取材の感想:
昆布にはこんな採り方があるのか、というのが、名人のプロフィールを見たときの初めの感想でした。取材の時期と仕事をなさっている時期が合わず、実際に仕事をなさっている姿や、仕事の道具を拝見できなかったことは非常に残念でした。漁師、という全く関わったことない職種の方とお話しすることとなり、初めは右も左もわからないことばかりでしたが、お話を聞いていくうちに、ユリさんが本当に赤岩での生活に誇りを持っていることが、話だけでも伝わってきました。それをまとめるのは骨が折れる作業ではありました。
しかし、同時に聞き書きはとても楽しかったです。「聞き書き甲子園」という機会は、ユリさんという人間と、インタビューという単なる質問で接するだけではなく、対話をしていくことで、藤本ユリさんという「人格」に引き込まれていくうれしさを実感し、大変心を動かされました。日常で自然と口に入って来るもの、目にするものは、すべてたくさんの物語があり、大切に手を加えられているんだと、深く考えるようになりました。これまでの人生になかった、素晴らしい経験でした。

「聞き書き甲子園」のことは、映画にもなっています。
高校生への指導は聞き書き甲子園卒業生の
大学生が行うのだそうで、このプログラムで
一生の仲間との出会いが生まれていると、
運営する「NPO法人共存の森ネットワーク」副理事長の
工藤大貴さんは語ります。
今年はどんなドラマが生まれるのでしょうか?

聞き書き甲子園
聞き書き甲子園facebook

冒頭写真:奥田高文

原料から育てる五箇山和紙とのコラボレーション 後編

五箇山和紙を使った商品開発ストーリー。

リバース・プロジェクトが富山県南砺市の伝統産業である五箇山和紙の素晴らしさを
若い世代にも広めていくために、3つの工房と組んで商品を生み出した。

ひとつは東中江和紙加工生産組合の組合長、
宮本友信さんの「悠久紙」を使った和紙ハット。

「使うほどに白くなるという話を聞いて、
陽の光をあびる商品をつくれば、特徴を活かせると思いました。
しかも日常的に使うものということでハットを思いつきました」と語るのは、
プロダクトデザインを担当したリバース・プロジェクトのデザイナー、加藤弥生さん。

おそろいのハットできめた宮本友信さんと加藤弥生さん。

使い込むと、白くなり、レザーのような質感にもなってくるから不思議だ。黒とピンクの2色展開。

もうひとつは「五箇山和紙の里」の石本 泉(せん)さんと共作した
エッセンシャルオイル和紙。
これを考えついたきっかけは、南砺市特有の土徳の文化が背景にある。
加藤さんは言う。

「大福寺の太田浩史住職に、
”人間を人間たらしめているのは、祈りの時間があるから。
生活のなかで、自分の心に向き合う時間や空間がないとつかれてしまう”という、
南砺に息づく”土徳”の話を聞きました。
現代でそういう時間や空間は何かな? と考えたときに、
女性なら、お風呂やスパ、エステなどで
同じような効果を得ているのではないかと思ったんです」

こうしたアイデアから生まれたのが、こんなにかわいい製品。
花びらモチーフの五箇山和紙に、
ティーツリーのエッセンシャルオイルを垂らして使う。
クローゼットやバッグの中、枕元などに置いてもいいが、
お風呂に浮かべるのがおすすめの使い方。
水と紙というギャップのある組み合わせがおもしろい。

贈り物にも最適なエッセンシャルオイル和紙。

このカラフルな和紙は、再生和紙からできている。
障子紙をつくる際に切り落とした耳の部分をもう一度煮て、再生和紙にしている。
これには色がつけたあった。

「その色が淡くて、かわいくて。
五箇山の山奥にこんなかわいい紙が並んでいる!(笑)」と、
女性目線を発揮した加藤さん。

加藤さんの感性に共感し、
こんなにも現代的かつポップなプロダクトとして応えられたのは、
石本さんという理解者がいたからかもしれない。
石本さんは美術大学出身で、東京から五箇山へ移住し、和紙づくりに携わっている。
昨年、独自のブランド「FIVE」をデザイナーのminnaと協力して立ち上げた。
カードケース、ブックカバー、メモロール、コースターなど、
発色のいいカラーリングが目を惹くプロダクトだ。
和紙のイメージからかなり飛躍している。
都会的な感性をもって、商品づくりに取り組んでいる。

五箇山の和紙製品を発信する石本泉さん。そのフィールドはすでに世界へと広がっている。

そもそも美術大学時代に和紙に興味を持ち、学生時代に何度か五箇山を訪れ、
勉強していた。大学を卒業後すぐに五箇山に移住し6年が経つ。
ほかにも和紙の産地はいくつかあるが、五箇山が気に入った理由をこう話す。

「五箇山は原料からつくっているんです。そんな畑仕事にも惹かれました。
土いじりは落ち着くし、おもしろい。
木から紙になっていく、その工程すべてに携われる」と石本さんがいうように、
その作業や1年のライフサイクルは、ほとんど農家のようなもの。

原料の楮を春から栽培し始め、草取りなど毎日のように手をかけて育て、
秋に収穫する。現在では通年で紙すきは行われているが、
かつては冬にしか行われないものだった。

“すき舟”ですく作業を見せてくれた「五箇山和紙の里」館長の東 秀幸さん。ここでは紙すきができる伝統工芸士は3人。

五箇山の和紙職人は、みんな原料から育てている。
しかし、楮が無駄に残っている現状もあった。
商品が売れなくては、せっかくつくっても意味がないし、
次代に残っていかない。
石本さんは、プロダクトを使って広く市場に呼びかける役割を積極的に担う。

五箇山和紙の、伝統と革新。
若いクリエイターが積極的に動ける雰囲気づくりをしたり、
リバース・プロジェクトと共同で現代にフィットする商品を生みだせば、
どんどん全国、全世界へと広まっていくはずである。

リバースプロジェクトが手がけたもうひとつの商品がこの「五箇山和紙粘土 デコレーションキャット」。真っ白のものを自由に塗ることができる。(写真は伝統工芸士の前崎真也さんほかクリエイターが絵付けした作品)

information


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五箇山和紙の里

住所 富山県南砺市東中江215
TEL 0763-66-2223
http://gokayama-washinosato.com/

REBIRTH PROJECT Online Shop

「NANTO CITY × REBIRTH PROJECT」
http://shop.rebirth-project.jp/user_data/special/no025/index.php

勝ち残るのは誰だ!!埼玉のゆるキャラが相撲で頂上決戦「ゆる玉☆バトル」

全国各地で誕生するゆるキャラたち。
埼玉県にはゆかりのゆるキャラが
なんと104体いるそうです。
埼玉県を代表する「コバトン」や
テレ玉のマスコットキャラクター「テレ玉くん」、
深谷市の「ふっかちゃん」ら、
メジャーなキャラクターのほかにも
たくさんのキャラクターたちがひしめいています。

そんなキャラクターたちが、埼玉県のPRのために
大集結!!彼らの相撲対決「ゆる玉☆バトル」の映像を、
埼玉県の公式動画配信サイト「サイタマどうが」や
YouTubeにて公開しました。
監督は映像ディレクターの山本遊子さん。

内容は、かわいらしいキャラクターたちが、
のんびり相撲をとっている、
なんとも和む映像たち。
ゆるいキャラたちのゆるいバトルですが、
広く立派なスタジオで、きちんとしたカメラワークで
作られているのがなんだかツボにはまります。

ガチです

サイタマどうがではほかにも
埼玉出身のミュージシャン、ユザーンさんが出演する「DA☆SAITAMA」など
さいたまをPRする映像を精力的に配信中。
ぜひチェックしてみてください。

サイタマどうが
埼玉県YouTube公式アカウント「サイタマどうが」
ゆる玉応援団

MAD City vol.7: 頭の中のモヤモヤを整理整頓。 住みたい空間を叶える、 建築家・森さんのDIY

MAD City vol.7
既存の間取りを自在に変化させ、最大限の居心地を。

MAD Cityでは、まちの中で使われていなかった物件を
地域のオーナーさまから借り上げては、改装可能などの条件を加えて、
アトリエや工房、住居、イベントスペースなどとして入居者に提供しています。
入居者は、各自のセンスと技術で、物件に手を加えていきますが、
そんなDIY作業を助けてくれるのが、
MAD Cityの入居者たる多くのアーティストやクリエイターです。
今回は、そんなアーティストのひとり・森 純平さんを紹介します。
彼はMAD Cityが運営する「旧・原田米店」でアトリエを借りる入居者です。

森さんは東京藝術大学の建築科を卒業した、今年30歳の若き建築家。
アーティストとしても、舞台美術や展覧会、コンサートなど幅広い作品を手がけています。

森さんです! ちなみに、最初に彼がMAD Cityを気に入ってくれた理由は、「『マッドシティ』という名前が攻めているから」だったとか。

森さんがMAD Cityに関わり始めてくれたのは、4年ぐらい前から。
MAD Cityのスタッフが、たまたま森さんの大学の同級生だったことから、
2010年の「松戸アートラインプロジェクト」という
地域アートプロジェクト(現「暮らしの芸術都市」)に協力してくれたのがきっかけでした。

森さんが初めて松戸に関わったイベントの様子。松戸駅のデッキを会場に音楽ライブの舞台をつくってくれました。

もともと東京・北千住や横浜・黄金町などのまちづくりにも携わっていた森さんは、
既存の建物をどう生かすかという視点を常に持っています。
そして、彼はとっても「掃除」がうまいんです。
もちろんこれは、別にお客さんの家の掃除をするわけではありません。

「とりあえず、一部屋だけリノベをしてみたい」
「やり方はわからないけど、DIYしたい」
「でも、なにをしていいかわからない」

という人が結構います。実際、リノベ初心者の人の場合、
仮に自分が「こういうDIYしたい!」という明確な意志を持っていても、
やりたいことが多すぎて予算オーバーになってしまったり、
いざやってみると後に「あれ、本当にこれがやりたかったんだっけ?」
「本当にこれで使いやすいんだろうか」などと疑問を持つことが多いのです。

そんなお客さんにヒアリングして、相手がモヤモヤと抱いているイメージから、
余計なものをどんどん削り落としていく。
そして「その人が本当にその物件を通じて求めているもの」を浮き彫りにしていき、
お客さんと一緒に建物をDIYしていくんです。

お客さんにとって必要ないと判断したものは、
森さんはカウンセリングの最中にバッサバッサとそぎ落としていきます。
だから、森さんが手がけるリノベは、
お客さんが当初考えていたものとはまったく違うかたちになることも多々あります。

たとえば、当初は部屋に壁をつくって間仕切りする予定だった家も、
結局つくり付けの家具を置くだけにして、
家具を移動させるだけで簡単に部屋の広さを変えられるようにしたり。
部屋の狭さに悩んでいる人には、床を張り替えたり、
壁を抜いてみるだけで、ぐっと部屋を広く見せたり。

住まい手にとって必要でないことは、仮に頼まれても絶対にやらない。
「その人が本当に必要としている住まい」
「10年後、30年後でもその人にとって暮らしやすい部屋」を
本質的に追求していこうとする森さんの作業を、
僕らが「掃除」と呼ぶようになったんです。

現在が森さんがアトリエとして使う「旧・原田米店」にて。

通常のマンションだと「基本の間取りにはあまり手を加えられない」
と思ってしまいがちなんですが、
森さんはいまある設計が相手のニーズにそぐわなければ、
天井も抜くし、壁も壊す。柱も切るし、床もバンバン張り替える。
その思い切りのよさ、かなり豪快です。

MAD Cityにもいろんなクリエイターさんが関わってくれていますが、
間取りなどの既にある条件を、ここまで躊躇なく気にしないのは、
おそらく森さんくらいでしょう。
でも、裏を返せばそれは、多少の無理をしてでも
最大限「使う人のニーズ」を考えてくれている証拠なんです。

森さんの最近のリノベ。研究者である依頼主と一緒に考えた結果、蔵書のための本棚をつくり付ける、依頼主の父親が使っていた製図板をテーブルにする、といった展開に。

ちなみに、MAD Cityの現在の事務所の改装を手がけてくれたのも森さんです。
ただ、僕らが現在の事務所を決めたとき、
「今後MAD Cityがなにをしていくのか」「僕らにどんな場所が必要なのか」は
まだ、試行錯誤の状態でした。
不動産屋でもあるけれども、コミュニティとしての活用ができる場でもあってほしい。
そんな場所をどうつくったらいいか、簡単に答えが出そうにない。
モヤモヤとずっと考え続けているなか、タイムリミットはどんどん迫ってくる。
そして、数回にも渡るヒアリングの末、
そんな僕らの想いを汲み取って森さんがつくってくれたのが、
真っ白なキャンバスのような壁がある、とてもシンプルなオフィスでした。

「まだまだ、MAD Cityにはいろんな可能性があるから。
最初はあまりお金をかけず、後々加工しやすいもののほうが
使いやすいんじゃないかと思って。これだけシンプルなら、
いくらでも後から手を加えていけるから」(森さん)。

そんなわけでMAD Cityの事務所は森さんに相談しながら、
オープンしたあとも、ちょっとずつ変わっています。
日々のアイデアで、新しい機能を付け加えていくといった感じですが、
そうやっていじり続けるのがDIYの本質だなと思います。
それを助けてくれているのが森さんというわけです。

MAD Cityの事務所「MAD City Gallery」。最近では、入居者の料理人たちの「料理のレシピ」を配布するコーナーができたりと、ちょっとずつ進化しています。

森さんは現在、MAD Cityが管理する「旧・原田米店」内にアトリエを構え、
使いながら、いろいろと改修中です。
旧・原田米店は、全体の敷地が400坪近い、広い日本家屋群を
アーティストたちがシェアアトリエとしている建物ですが、
まだまだ改修の余地があります。
ここから森さんは、僕らと一緒にいろんなプロジェクトに関わってくれています。
得意の森さんの“掃除”は、建物と入居者だけでなく
裏庭をどう活用しようかというアイデアなど、
まちと人とのつながりにも射程が広がっています。

現在は主に「作業場」として使用されている「旧・原田米店」ですが、場合によってはギャラリーやイベントスペースとしての使用も検討中。

アトリエなので、いろんな用具がぎっしり!

「地域のなかで人の流れを生み出す場をつくり、
建築がまちへと作用するような動きを見たい」
と考える森さんは、この旧・原田米店を
「家を増築して、もっとアトリエスペースを広くしてみんなが使えるように」
「広い庭に東屋をつくって地域住民が使える憩いの場に」など、
いろいろな構想を準備しているようです。

「MAD Cityは古くからの松戸市地元民とは結びつきはあるけれども、
マンションに住んでいるような
新しくこの土地に来た人たちとの接点があまりないんですよね。
旧・原田米店が、もっといろんな人が共有で使える場になってくれたらいいなぁ」
と森さん。

アトリエの裏側も昔ながらの日本家屋。屋根はまだ張られていませんが、東屋が少しずつつくられている様子、わかるでしょうか。これも森さんの活動です。

さまざまなネットワークをつなぎながら、
都会のような田舎のような、松戸での暮らしを楽しむMAD CityのDIY。

僕らはもっとDIYが日常的になって、
分譲マンションのお部屋がどれも超個性的になってしまう、
そんな状況が生まれたりしてほしいなと思います。
部屋をリノベしたいけどどうしよう……といった依頼者が気軽に相談できる、
森さんのような建築家がどんなことを仕掛けてくれるのか。
これからが楽しみです。

旧・原田米店で森さんがいじっているスペースのリニューアルは
もみじが色づき始める10月頃の予定とのこと。
さてさて、どんな空間に変身しているのでしょうか。
気になる人はぜひ見に来てください。

information


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MAD City(株式会社まちづクリエイティブ)

住所 千葉県松戸市本町6-8
電話 047-710-5861
http://madcity.jp/

石川のいいもの、おいしいもの100店舗!今年も「乙女の金沢 春ららら市 2014」実況中!

コロカルではもうお馴染み!
石川県で活動する若手作家さんたちが一堂に会し、
お話しながら直接作品を買える
マーケット「乙女の金沢 春ららら市」が今年も本日と明日にわたって
開催されます。
場所は石川県金沢市の金沢21世紀美術館の向かい、
「しいのき迎賓館横 広坂緑地」にて。
ずらり並んだテントの中に、約100のお店が集まります。

マーケットに並ぶのは、
器、ガラス、かばん、靴、パン、お菓子、古本…
石川生まれのかわいいものやおいしいものばかり。
石川県に根付く伝統工芸を
若手作家が現代的にアレンジした作品や、
フードでは加賀棒茶、糀のディップソース、薬草ドーナツもあります。

お買い物のほかにも、
KUTANI SEAL WORKSHOP(九谷焼シール貼り)
九谷ネイル(九谷焼絵柄ネイル)
美容研究所(マッサージ&メイク)
などのワークショップや
シネモンドによる、
1963年から1970年のソ連時代のロシアアニメを
上映(有料)する催しなど盛りだくさん。

コロカルでは、こちらのページで
当日の模様をTwitter経由で実況中継しています!
会場の楽しい様子が伝わってくる、リアルタイム更新を
お楽しみ下さい!

乙女の金沢 春ららら市 2014 イベント実況「ツイートでららら」

原料から育てる五箇山和紙とのコラボレーション 前編

加賀藩に献上していた五箇山和紙の伝統技術。

リバース・プロジェクトと富山県南砺市の取り組みとして、
和紙を生かした、新しいプロダクトを生み出している。

五箇山で和紙の生産がいつから始まったのかは定かではないが、
江戸時代初期に加賀藩に献上されていたという記録が残っている。
伝統的な紙すき技法を守り、現在まで脈々と受け継がれてきたが、やはり後継者不足は深刻。
一時は五箇山に1500軒以上あった紙すき業者も、現在ではたった3軒になってしまった。

「うちの『悠久紙』は文化財の修復に使われています。
少なくとも500年もつ耐久性があることが原則です」と話すのは、
東中江和紙加工生産組合の組合長、宮本友信さん。
桂離宮や名古屋城などの修復に使われているという。

五箇山和紙は楮(こうぞ)という木が原料。
その楮100%の「悠久紙」は、光が当たるほどに白くなる。
家庭の障子に使ったならば何十年も張り替えなくてよいくらいだ。
染料や色を白くする薬品などは一切使用しない。
紙を白くするには”雪さらし”という手法を用いる。雪国ならではの知恵だ。

通常のパルプ入りの紙でも、直した当初は一見わからないが、
時間とともに黄ばんでくるので文化財の修復には使えない。

雪の上に1週間ほどさらすと色素が抜け、自然の漂白効果がある。また、繊維が緊密にもなる。

トロロアオイの根をつぶした粘性のある汁が和紙のつなぎとなる。

手間のかかる作業をあえて行う。

五箇山和紙の特徴としては、原料の楮を自分たちで育てていることだ。
ほかの産地では原料から育てているところは少ない。
「原料をほかから買うのなら、わたしは和紙づくりをしません」と宮本さんはいう。
もちろん手間はかかるのだが、
”よい原料があってこそ、よい紙ができる”という原理原則にこだわることに意味がある。

さらに、楮の皮を煮沸してアク抜きをする際、
苛性ソーダで煮れば、楮の皮からちりを取る作業もラクになるのだが、
繊維が弱くなるので、宮本さんはソーダ灰で煮ている。
だから手作業でちりを取る作業も発生する。

皮の1本1本から、ちりやゴミを手で取り除く”ちり取り”という作業。大ベテランです。

原料から育て、化学的な薬品には一切頼らない。
そんな手間がかかる五箇山和紙だが、
最近では学生のインターンシップを積極的に受け入れ始めた。
長くて数か月、住み込みで和紙づくりを手伝う。
これらの体験を通して伝統技術を次代に引き継いでいければいいが、
そう簡単に、和紙づくりを生業にする若者が出てくるわけでもない。
しかし少しでも五箇山和紙の素晴らしさを伝えていきたいという思い。

宮本さんの家に残っていた、
先代が使っていたという帳簿をいくつか見せてもらった。
楮100%でつくられた手すき和紙を綴じた帳簿は、
”大正”と明記してあるので約100年前のものだ。
紙自体ボロボロになることなく、きっちりと形状を留めているし、文字も薄くなっていない。

デジタルの記憶媒体が100年後にどうなっているかわからないが、
少なくとも五箇山和紙は100年以上もつことが、まさに形として実証されている。

重要なことは紙に残しておきたい気持ちになってくる。
これだけの手間ひまをかけているからこそ、悠久なる和紙となるのだろう。

後編では実際にリバース・プロジェクトとコラボした商品を紹介する。

宮本さんのお父さんが村の収入役だったことで残っていた帳簿類。十分に白さを保っている。

地元の自慢の観光体験を簡単に購入&販売できるWebサービス「TRIP」

旅行で訪れる人にはなかなか知られる機会がない、
地元の人だけが知っている、面白いこと。
日本各地にたくさんある、そんなワクワクするような体験を
簡単な手続きで購入&販売できるWebサイト「TRIP
がオープンしました。

サイトに並ぶ体験プログラムは、
静岡県南伊豆町の「仔山羊にミルクをあげて、薪を割ろう!
三重県鳥羽市相差の「海女小屋でいただく絶品海の幸
など、全国各地から集まったプログラム。見ているだけでも面白いです。

気になる体験を見つけたら購入&体験できるだけでなく、
地元の自慢のコンテンツを売ることが
できるのがTRIPの新しいところ。
これまで全国各地に埋もれていた地域の魅力や
資源が発掘されるといいですね。

・観光商品の売買プラットフォーム「TRIP

ビルススタジオ vol.07: 第6回リノベーションスクール @北九州レポート

ビルススタジオ vol.07
4日間で考える、まちの再生事業プラン。

一般社団法人リノベーションまちづくりセンターが運営している
リノベーションスクール」というイベントに招かれ、
3月20日〜23日に北九州市に行ってきました。
今回で第6回目となるこのスクール、丸4日に渡る合宿です。
コースも複数あり、参加者は、建築、行政関係者、学生などさまざま。
各コースごとにリノベーション課題が出され、
参加したメンバーがチームで事業を考えます。
ユニットマスター(以下、UM)はそのサポートをする、というのが基本姿勢です。
私は事業計画コースのUMとして初参加してきました。

まずは初日。私の入るユニットAは
もうひとりのUM、初対面の「木賃デベロップメント」の内山 章さんと
これまた初対面の8人のユニットメンバーで構成されていました。
年齢も属性もさまざま。もちろん年上のメンバーもいます。
計8つあるユニットにそれぞれ小倉市街などの空き物件がひとつあてがわれ、
事業計画コースでは、
「チームみんなで物件を舞台に事業をつくりだす」という課題が出されました。

まずはともあれ、現地調査。
会場から徒歩10分程度にある古くからの住宅街。
高層マンションがそびえる街区を入り込んでいくと、
なかなか味わい深い木造のひしめくエリアになってきました。
その中に佇む、築40年ほどのフロ無しアパートが当ユニットの案件です。
さて、ここの再生かぁ。

雨の中をユニットメンバーで移動。初めてのまちを見ながら話が弾みます。

オーナーさんに聞くと、8戸中6戸は入居中。
フロ無しなのに、この入居率はだいぶ優秀。
家賃は近所の相場からすると、激安。
そして隣に住むオーナーさんも特別困ってはいない。
なんだ、特段仕掛ける必要ないんじゃないか。

……と、窓から目の前の公園を眺めながらぼんやり考えていました。
んっ? ここ気持ちいいじゃん。
2階の低い窓辺に座り、公園で花いじりをしているおばあちゃんや親子連れや、
春には桜の木が広がる景色を眺める。
そんなことを想像しながら物件を後にしました。

2階窓からの眺め。花いっぱい、そしてタコ(スベリ台)。

ひとまず会場に帰り、ミーティング。
初日である今日は、「ここで何をするか」を決めなくてはなりません。
メンバーにて途中で見た近隣の様子、
オーナーさんへのヒアリング内容などを交換し、
何をするべきかを話し合います。
2時間後には進行具合を確認するためのショートプレゼンが待っているので。
そこでプロジェクトの指針が決まってしまいます。
時間制約のあるなかで「ああしたい」「こうしたい」と意見が飛び交い、
緊張感のあるブレインストーミングでなかなか見せどころがあった
……といいたいところでしたが、
初対面同志の遠慮からか、現状分析はできるもののアイデアはなかなか飛び交わない。
雨の日だったこともあり、
現地調査の印象が若干ネガティブだったのも影響していた感じでした。
ただ、なんとなくメンバーに共通していたのは、
物件はともかく目の前の公園は気持ちよさそうだ、ということ。
じゃあ、今日はそれをプレゼンにて伝えるまでにしよう。
で、打ち解けるために飲みに行こう。
そういえば皆の年齢も趣味も得意技もまだぜんぜんわからない。
その辺をUMとして理解しつつ、プレゼンに向けて作戦を立てていこう。

いや、なかなか大変な役を受けてしまったな……と思いましたが
楽しい時間だったのでよしとしました。

初日のミーティングの様子。UMは意見を待ちます……。

そして2日目は晴れわたる空のもと、エリア調査。
メンバーが手分けしてエリア内を歩き回り、空家空地を探してまわりました。
合間に、再度オーナーさんに。公園の縁側でヒアリング。
気持ちのいい日だったこともあり、多くのことを話してもらえました。
持ち帰り、ミーティング。
2日目のショートプレゼンは「そのプロジェトをどう進めるか」の段階になります。
昨日の飲み会、今日の調査(散歩)のおかげもあり、
今回は意見が飛び交いました。
しかし議論はあっちこっちに飛散……。
いまだに「何をやるか」の前段階の話でもちきりです。
でもどう聞いても、公園から離れては戻り、また離れて離れて、そして戻り。
うん、これ以上放っておくと、
このまま公園のまわりをぐるぐるぐるぐるまわり続けそうだ。
よし、今日はここで一気に案を集約して
明日からは最終プレゼンの作業に入りながら
細かいところを都度都度、具体的に決められればなんとかなるだろう。
ということでメンバーを残し、栃木から仲間も来ていることもあり、
フグを食べにいきました。

しかし、そこでの話でちと反省が。
この合宿に参加しているメンバーは皆受講料を払って何かを身につけに来ているのに
それぞれ本当に自分のやりたいと思うアイデアを出しているのか?
たぶん現状は違って、
きれいに進む方法が既にある案に流れていると感じました。

3日目、朝いちでそのことを個々に話してもらいました。
少々意見は分かれ、衝突もあったものの、各自のやりたいことや言いたいこと、
現時点で理解していることなどを共有できたと思います。
じゃああとはとにかく最終プレゼンに向けた作業。
並行してプレゼン自体の練習も行われます。
隣のユニットは1日以上前にそれを見据えて進めています。
当然、作業は最終日の朝まで続きました。
見回すと8ユニット全て、朝までやっています。

事業計画コースの全メンバーがここで作業を行っています。温度はユニットごとにさまざま。

最終日。いよいよ最終プレゼンです。
説明担当に晴れて選ばれたひとり、(株)ワークスープの古川弥生さんは緊張のせいで様子がおかしい。
今日はオーナーさんをキュンとさせなくてはいけないのに
このテンションは非常にまずい。
よし、酒買ってこい! と、発表1時間前(正午)に決意したところ、
早速コンビニに行きましたが、まさかの飲みながら走って帰ってくる始末。

しかし、見事プレゼンは成功。
会場を見ると、涙を流すメンバーもいました。
「一緒にやりましょう」と声を掛けてくださる地元の方も現れ、
ここからがスタートだという自覚も促されました。

最終プレゼンテーションの様子。アドバイザーだけでなく、物件のオーナーさんたちも聞きにきてくれています。

そして宇都宮への帰り道。
自分のユニットで出したプロジェクトがどうすれば動き出すのかを考えながら
この怒濤の4日間を振り返りました。
他のユニットも非常にいいアイデアで事業性にあふれた案を展開。
すぐにでも進められそうなプロジェクトも、
課題はあれどもまちが大きく動き出すことになりそうなプロジェクトもあり、
しかもそれらが4日間で生み出せてしまう。
なんか皆すごいな、と純粋に感動していました。

地元、外部を問わず、ひとつの場所や地域について
真剣に向き合い、議論し、「かたち」そして「お金」にすることを考える。
自分はというと、日常は目の前にある仕事に追われ、
なかなか新たにこういう時間を設けることができなくなってきている。
そして新たにそんな仲間に出会う機会も持てなくなってきている。

いかんな、という思いとともに
いや、自分が日常動いている仕事も、
それぞれひとつの場所をお客さんや関係者と一緒につくり上げる行為。
その積み重ねと伝播が自分の目の前にあるまちを間違いなく良い方向に変えている。
おこがましくもそんな確信も生まれました。
私の人生の今の段階にとって非常にタイムリーな体験をさせてもらえました。
なによりもプロジェクトの舞台となる物件のオーナーさんや行政、
そして地域の方々などへどうなるかもわからないのに協力をお願いし、
しかも全国のUMを集めてまわり、それを商店街のお祭りにまでしてしまう、
「北九州家守舎(やもりしゃ)」の皆さんに脱帽でした。

でも、一番は、小倉の食べものがおいしかったです。
それだけでまた行く理由になりますよね。

最終プレゼンテーション後の集合写真。解放感!!

information


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ビルススタジオ

住所 栃木県宇都宮市西2-2-24
電話 028-636-5136

古民家の中にテント!直島のユニークな島小屋で映画やワークショップ「島小屋パラダイス!」

瀬戸内海に浮かぶ香川県・直島の「島小屋」で
映画やワークショップ、選りすぐりの音楽や本、
それに、おいしい食べ物まで楽しめる
マーケット「島小屋パラダイス!」が
5月4日 (日)、5月5日(月・祝)に開催されます。

「島小屋」とは、現代アートで有名な直島のもう一つの側面、
住んでる人にとっては日常の「素のまま」を体験してもらおうと
築120年の日本家屋をリノベーションし
テントを張れるようにした"ねどこ"のこと。

日本家屋の中にテントをはっていきます。不思議な光景ですね(利用料は一人2500円。二人4000円)

"ねどこ"と言っても、ほかには特に何もありません。
食べる所は徒歩2分のカフェへ、
お風呂に入りたければ自転車で20分もしくはバスに乗って銭湯へ。(どちらも名物!)
あるものは明かり、テント、トイレなど必要最低限のもの、
そして就寝時に流れる癒しの音楽や自然の穏やかさ。
たったそれだけでも、ここに訪れた人たちはみんな笑顔です。

みんな笑顔!

ほっと一息つける空間。島の方との触れ合いや出会いも。

今回はそんな島小屋での初のイベント。
旅人も島の人たちも、一緒に楽しめるようにと
内容は盛りだくさん!
みんなでわいわい賑やかな2日間になりそうです。

写真上:直島でみた形や色を塗ったり描いたり、思い思いのモビールを尾柳佳枝のワークショップ。
写真下:枠にとらわれず発想で映画の楽しさを伝えるキノ・イグルー。島小屋の庭で上映します。

トランク型の旅する本屋、島小屋文庫。青空のもと紙芝居を見ながらおやつがいただけます

赤ちゃんからおじいちゃんおばあちゃんまで大歓迎のイベント。
開催時期はゴールデンウィーク真っ只中です。
家族やお友達をさそって
直島の「素」の部分に触れてみてはいかがでしょうか。

[島小屋パラダイス!]
日時:2014.5.4.(sun)・5.5(mon) 10:00〜17:00
※映画上映 18:00〜20:00(要予約)
会場:[島小屋]敷地内
詳細は島小屋webサイトからどうぞ

・[島小屋]公式Webサイト 
・[島小屋]Facebook 
・[島小屋]twitter

NO ARCHITECTS vol.6: 小さな編集作業がまちをつくる

NO ARCHITECTS vol.6
まちにとってかけがえのないスペースに。

僕らが活動の拠点としているのは、大阪市此花区は梅香という地域。
いまでも、昭和の下町情緒あふれる商店や路地などのまち並みが残っています。
かつては臨海工業地帯やそこで働く工員さんたちの住居や町工場が軒を連ね、
まちは賑わっていましたが、
高度成長期を経て、産業構造の転換や少子高齢化が進み、
現在は、空き家や空き地が目立つように。

しかしここ数年、アトリエやギャラリー、カフェやショップ、
住居や事務所など、空き家や工場跡などを活用し、
アーティストや音楽家、写真家・デザイナー・建築家・詩人・料理人など、
創造的な活動を志す若者が集まるエリアとして注目を集めつつあります。

交通の便もよく、最寄りの西九条駅は、
JR環状線に乗ると大阪駅まで3駅、阪神なんば線だとなんば駅まで4駅です。
あと、JRゆめ咲き線に乗ると「USJ」まで2駅です。

まちじゅうに個性的な家前植物が、道にはみだすようにたくさん並んでいて、季節ごとに彩りをみせています。

僕らは此花区の出身ではないけれど、
いまはこのまちが好きで、住むところも事務所もこのはなに構えています。
そもそも僕がこの場所を初めて訪れたのは、
2009年の「見っけ!このはな」というイベントでした。
その後も、此花メヂアという共同アトリエで毎月開催されていた
「メヂアの日」という寄合いイベントに参加させてもらう中で、
そこに集まる人の魅力に惹かれていきました。

此花メヂア。連なった5棟の建物が増改築を繰り返し、複雑に入り組んだ元メリヤス工場を改装し共同アトリエとして利用されました。耐震性などの問題で、今年2月に惜しまれつつも解体されてしまいました。(写真提供:此花アーツファーム)

2011年1月、まずは事務所を構えることに(vol.5参照)。
これがこのまちでの初めての仕事かもしれません。
空間自体は、使われ方に応じて間取りを変えられるように、
壁を建てずに高さの違う本棚をつくって間地切りをしています。
ここから、このはなに住む人と少しずつつながりを深めていきます。
まだまだ、事務所をシェアしてくださる方募集中です。

NO ARCHITECTS の事務所スペース。最近、ファイルBOXと模型を収納するための棚を窓枠の上につくりました。

2011年の夏頃には、元たばこ屋さんだった木造家屋をリノベーション。
モトタバコヤと呼ばれるスペースです(vol.4参照)。
どういう場所にすべきかなど、使い方やプログラムから一緒に考えました。
人のつながりが感じられるこのまちでは、
昔から今まで流れてきた時間や培われた人の生活の痕跡を、
まちの風景として捉え尊重する。
その上で、新しいものや新しい人の流れをデザインすることが、
とても大事なポイントだと思っています。
モトタバコヤでは、現在、管理人のPOS大川さんを中心に、
イベントの企画や、地域との連携を積極的に行っています。

モトタバコヤ。シェアショップに店を出す色彩研究所のあおみかんさんがつくった、モトタバコヤマンというキャラクターの立て看板が目印になりつつあります。

事務所をこのはなに移し、モトタバコヤの現場を経て、
このはなの日常の風景に、魅力を感じていきました。
そして、僕らはついに住まいもこのまちに移すことにしました。
立地が大きな丁字路に面していることから「大辻の家」と呼んでいます(vol.1参照)。

気に入ったとは言え、少し手入れが必要な物件でした。
もとの状態をポジティブに読み取って最大限利用し、
最小限の手入れで豊かさを手に入れること。
最初から完成形を求めずに、実際に住んで生活するなかで必要性を感じたら、
少しずつ、つくっていくこと。
そんなことを考えながら、いまでもリノベーション継続中です。

大辻の家。2階のリビングルームです。そろそろベランダから梅香東公園の満開の桜と提灯が見えるはず。

そして、このまちの人からもリノベーションを相談されるようになりました。
vol.2で紹介した「OTONARI」、vol.3で紹介した「the three konohana」。

OTONARIは、まちの案内所兼寄合のスペースです。
新しく生まれつつあるコミュニティと、
もともと地域に根付いたコミュニティとをつなぐための共有スペース。
個人的な利益だけではなく、
このまちにとってどこになにが必要かを考えられています。

OTONARI。辺口さんがまちの案内をしてくれます。日々おいしいお店の情報が更新されています。現在、場を維持していくための方法を模索中とのことです。

the three konohanaは、現代美術のギャラリースペースです。
既存の奥の和室や建物正面のすりガラスなどを生かすことで、
まちの雰囲気や地域性を含んだホワイトキューブを提案しています。
ちなみに、今秋に開催予定のNO ARCHITECTS展は、9/5〜10/19です。

the three konohana。Konohana’s Eye #1 伊吹拓展「“ただなか”にいること」2013年3月15日~5月5日(撮影:長谷川朋也)

リノベについて考えていること

リノベーションは、壁を白く塗ったり、床をフローリングに変えたり、
わかりやすい見た目の操作だけではなくて、
その場所の特性を読み取り、
最大限生かしながら価値を高めることだと思っています。
なんでもかんでも手を加えないといけないわけではありません。
何もしなくてもいい場合もあります。
照明計画だけでもいいかもしれないし、
掃除するだけでも、その場所の価値が高まり、
まちにとってかけがえのないスペースに変貌するかもしれないのです。

僕らの仕事も、ひとつひとつの物件に対する施しは
それほど大きくはないですが、小さな編集作業を重ねていくことで、
まち全体の雰囲気をつくっていけると考えています。
そのためには、事務所でパソコンに向かってばかりではなく、
ネコのようにまちを駆け回って、
ときには鳥のようにまちを見渡したりしながら、日々活動しています。

地元で営まれている素敵なお店もたくさんあります。ぜひ、ニュー下町ガイドマップを片手に散策してみてください。このマップはこのはなの日実行委員を中心に制作されました。イラストとデザインは、モトタバコヤの古本コタツムリ店長の中島彩さん。

これまで僕らが関わらせてもらった5件のスペースはすべて、
歩いて5分以内のところにあります。
小さなエリアに近い距離感で存在はしますが、
ひとつのコンセプトや方向性を持って活動しているわけではありません。

それぞれが独自のスタイルで日々運営されています。
ただ、年一回のまちなかイベントや、
近況を話し合う寄合いを月一回開催したりするなかで、
ゆるやかなコミュニティとなっているのを感じます。
そのコミュニティがより豊かに密に広がっていくような、
空間づくりのお手伝いが、今後も続けていければ幸いです。

今は、僕らが住む家の裏にあるアパートの一室を、
デザイナーの黒瀬空見さん(ツクリバナシ)の服づくりのアトリエ兼、
シェフでパティシエの遠藤倫数さん(Café the End.)のオープンキッチンに、
リノベーションが進んでいます。
また追って報告します。

もともと建築の勉強していた遠藤シェフ自ら解体作業を。あっと言う間にスケルトンに。乞うご期待。

information


map

NO ARCHITECTS

住所 大阪市此花区梅香1-15-20
http://nyamaokud.exblog.jp/
https://www.facebook.com/NOARCHITECTS.jp

南砺市のこと

真宗王国・南砺で育まれてきた土徳(どとく)、そして民藝。

リバース・プロジェクトと富山県南砺市が新しい取り組みに乗り出している。
まずは、次回以降に紹介する共同プロジェクトの背景にある、
南砺市のすばらしい風土を紹介する。

富山県南砺市を歩いていると、さまざまな場所で柳宗悦、濱田庄司、河井寛次郎、
バーナード・リーチという民藝運動をリードした作家の名前が聞こえてくる。
そして、実際それらの作品にも出合う。
なぜなら彼らと親交のあった版画家(本人は”板画”という)、
棟方志功がかつて南砺に長く滞在し、みんな彼のもとを訪ねていたからだ。

南砺市の福光にある躅飛山(ちょくひざん) 光徳寺の第18代住職、故・高坂貫昭さんは、
1910年に創刊された雑誌『白樺』に寄稿された柳宗悦の文章を読み、
とても感動したという。そうして民藝の精神に傾倒していった。
やがて民藝運動の作家を通じて棟方志功とも交流を深めるようになり、
棟方志功は福光の地に何度も足を運ぶようになった。
その後、戦時中の疎開地として、棟方一家は福光を選ぶことになる。

「福光は棟方先生の第二のふるさとと呼ばれ、
この時代の作品がもっともいきいきとしているといわれています。
ここで生命観や芸術観が養われていったようです」と教えてくれたのは、
高坂貫昭住職のお孫さんにあたる現住職、第20代の高坂道人さん。

高台にある光徳寺は、民藝の作品をはじめ、世界各国の工芸品がコレクションされている。

この頃の棟方の作品の変化に驚いたのが、民藝運動をリードしていた柳宗悦。
柳にとって、それまでは荒々しくも我執の強い作風だった棟方の絵から、
我による濁りが消えたと感じた。

作風の変化に強い影響を及ぼしたのは、
福光に何百年も受け継がれている風土や空気であると考え、
柳宗悦はそれを”土徳”と呼んだ。
柳の造語であるが、浄土真宗の”他力本願”という思想とも深く共鳴する。

「他力とは、自分で切り開くのではなく、なにもかもが阿弥陀様にいただいたもの。
あらゆるものに感謝して生きていくという教えです。
福光は当時から真宗王国です。お念仏に生きた集団がいて、
そのような風土と触れあい、感動されたようです。
”用の美”を唱える民藝は、
そのような浄土真宗の教えと合致するところがありました」と高坂道人さんは言う。

南砺にはこうした信仰風土・精神風土が、歴史的に根付いていた。
その根底には、浄土真宗への篤い信仰心によって育まれた土地柄があった。
何十世代にもわたって積み重ねられた念仏の暮らしが
目に見えぬ土地の風土や力となる。
そうした棟方志功の心を開いたものを、柳宗悦は土徳と名付けたのだ。

板画家・棟方志功が絵を描いた彫刻刀。(光徳寺)

直筆の手紙なども多数残っている。(光徳寺)

南砺の「土徳」に惹かれていった棟方志功。

棟方志功は福光に住むことによって、その教えを身をもって体験していった。
棟方は、以下のように語っている。
「いままではただの、自力で来た世界を、かけずりまわっていたのでしたが、
その足が自然に他力の世界へ向けられ、富山という真宗王国なればこそ、
このような大きな仏意の大きさに包まれていたのでした。
(中略)身をもって阿弥陀仏に南無する道こそ、
板画にも、すべてにも通じる道だったのだ、ということを知らされ始めました。
(中略)仏さまのなすがままに、自分は道具になって働いているだけ。
自分の仕事ではなく、いただいた仕事なのだ」(棟方志功『板極道』[中公文庫])

棟方志功は、福光では毎日のようにお寺の法話に出かけていき、
そこで地域のひとと交流していたようだ。
不思議とこのあたりは、文化的なものに対する素養が高かった。

棟方志功がお寺の鐘に直接絵を描き、彫金師が彫った作品。(光徳寺)

棟方志功と交流のあった日の出屋製菓の川合昭至さんの息子であり、
現南砺市観光協会会長である川合声一さんはいう。
「このあたりは加賀藩。
加賀百万石というように、経済的に余裕があった地域だったんだろうと思います。
ですからパトロンというほどではありませんが、
芸術や文化面を支えることは町人・商人のたしなみだったようです」

アーティストのような”変わり者”をいぶかることなく、
むしろ知りたい、学びたい、交わりたいという気持ちが自然だった。
そしてまちに民藝作品がゴロゴロしている文化レベルの高いまちとなっていった。

日の出屋製菓の包み紙には、いまも棟方志功が書いた文字が使われている。

日の出屋製菓の川合3世代。左から声一さん、昭至さん、洋平さん。店内には、棟方志功の作品などが展示されている。

日本が戦争に負けてどうなるかわからない時代。
東京にいては、描きたくても描けない。
こんなときになにしているんだという芸術に対する反発もある。
そもそも物資も少ないから手当たり次第に描くわけにはいかない。
そんな時代に棟方の代表作ともなった『華厳松』には、こんな逸話が残っている。

「ふすまに絵を描いてほしいと、先々代の貫昭は頼んでいたようです。
しかし寺にとっては大事なふすまだし、おいそれと描くわけにはいかない。
ある日、棟方先生は散歩をしていると突然ひらめかれたようで、
帰ってきてすぐに描くことになりました。
当時は墨汁もないので、近所のひとたちに手伝ってもらって
バケツ3杯ほどの墨を擦り、太い筆もないので細い筆を何本も束ねたようです。
そして6枚のふすまに、とにかく一気に描き上げた。
最後には、バケツに残っていた墨をぶちまけたといいます。
これが棟方先生が初めて描いた松であり、
しぶきを飛ばしながら荒々しく描く
”躅飛飛沫隈暈描法(ちょくひひまつわいうんびょうほう)”
という手法の始まりです」(高坂道人さん)

”躅飛飛沫隈暈描法”によって描かれたダイナミックなふすま。(光徳寺)

現在も残されている棟方志功の住居跡「鯉雨画斎」(りゅうがさい)。
トイレ、風呂場、天井、柱と、いたるところに仏様などの絵が描かれている。
描く喜びにあふれている家だ。
福光時代は、とにかく描きたいという気持ちが強くあった。
そうさせたのも、南砺の土地が持っていた土徳であったのだろう。

柳宗悦もまた土徳に惹かれ、
南砺にある城端(じょうはな)別院 善徳寺で代表作『美の法門』を執筆した。
善徳寺は第1回民藝協会の大会が開かれた場所でもある。

南砺市にある大福寺の太田浩史住職はいう。
「他力の信心とは、物の美の方面でいえば、
究極の美がそのまま雑器のうえに、恵み施されていることです。
その原理を証明しているのが民藝。
柳宗悦が初めて物の美の具体的な事実を通して、
阿弥陀の本願力の法則を証明しました。
阿弥陀といっても現代人には難しいですが、
民藝美という事実が阿弥陀の実在と考えられます。
柳宗悦はこの内的発見を『美の法門』という一文にまとめあげました」

土徳に惹かれて、富山・南砺は民藝の一大聖地となっていった。
棟方志功、柳宗悦、そして民藝運動の方向性には
南砺の土徳が大きな影響を与えていたのだ。

板画家である棟方志功は、それまで書は書かなかったが、初めて徳寺で書いた。(光徳寺)

福島の野菜たちに、シェフが託した思い

「ふくしま応援シェフ」の第1号。

東京を舞台に、昨年9月から6か月間にわたり繰り広げられてきた、
「ふくしま応援シェフ」による消費者との交流会が、2月19日に最終回を迎えた。

会場となったのは「Potajer MARCHE」。
「市場のような楽しくて、わくわくする場所で、野菜を楽しむ」をコンセプトに、
中目黒の商店街に昨年6月にオープンした。

オーナーシェフ柿沢安耶(かきさわ・あや)さんは、
2006年、世界初の野菜スイーツ専門店「パティスリー ポタジエ」をオープン。
野菜のおいしさや美しさ、その栄養価を生かしたスイーツが、人気を呼んでいる。
そして今、全国に150人以上いる「ふくしま応援シェフ」第1号として、
真っ先に名乗りを上げた人なのだ。

「福島は、たびたび訪れて農家さんの桃やトマトを使ったり、
南会津高校で食用のほおずきを使った授業をしたり。
いろんなつながりを持ってきました」

震災が起きたとき、福島や東北の野菜を避ける人たちもいた。しかし、
「福島には、とてもお世話になっていて、野菜やフルーツを作ってくださる方がいます。
私自身、事故が起きたから食べないというのは、どうかな? と。
県がしっかりと検査して、私たちが安心して食べられる状態になっていますので、
今日はそのおいしさと、安全性を確かめて、みなさんにも広めていただきたい。
そして、なくしてはならない福島の農業を支えていくことに、
ご協力いただけたらと思います」

最先端のトマト屋さん。

柿沢シェフは、肉や魚を使わずに、
野菜や果物のうま味を引き出す料理のスペシャリスト。
この日登場した「トマトの煮込みハンバーグ」にも、
ひき肉ではなく、大豆ミートが使われていた。

イベント当日は、いわき市の「とまとランドいわき」から石橋洋典さんも駆けつけた。
この日柿沢シェフが料理するトマトたちは、どんなところで生まれたのだろう?

いわき市中心部から北へ約10キロ。
田んぼの中に、巨大なガラスハウスが現れる。
それが「とまとランドいわき」。
2月中旬、外は雪に覆われていたが、
ハウスの中では、秋、冬、春と、トマトの栽培が行われている。

ハウスの中に入ると、そのスケールの大きさに圧倒される。
天井に届きそうな勢いで伸びるトマト、トマト、トマト……。
大玉、中玉、ミニ。赤、オレンジ、黄色、そしてバイオレット。
まるで「トマトの樹海」に迷い込んだよう。
右に左に、トマトの木が、どこまでも続いている。

中では、女性たちがコンテナを積んで、トマトの森へ分け入って次々と収穫していく。
総面積7000坪のハウスから生み出されるトマトは、なんと年間800トン。
しかし、これだけ大量に栽培できるのに、このハウスには“土”がない。

トマトの木の根元を見ると、お豆腐ほどの大きさの土台に支えられているのがわかる。
根を支えているのは、ココナッツの繊維を利用した「ココウール」という素材。
そこにトマトが必要とする栄養を、チューブで供給する。
養液の大きな利点は「土よりも木が疲れない」こと。
1本の苗から35段以上のトマトが収穫できる。
ここはオランダ型の大型ハウスを、本州で最も早く導入して養液栽培を始めた、
「最先端のトマト屋」なのだ。

石橋さんは、ヘルメットを被り、高所作業車に乗って作業中。
「先日の雪で天井のガラスが割れてしまったんです。
こんなことは初めて。外気が入って温度が下がると、
トマトの色づきが遅くなってしまいます」
割れたガラスの除去作業に、とても忙しそうだった。

3年前の震災のときには大きな被害を受けた。
ハウスは海岸から1キロ。津波は到達せず、ハウスの骨格は持ちこたえたものの、
暖房設備、養液を送り込むシステムが損壊。トマトは瀕死の状態に。

石橋さんと同社専務の元木寛さんは、同級生。
ふたりは残ったトマトを必死でもいだ。
当時政府からトマトの出荷制限は出されなかったが、
売り先から販売を拒否されてしまう。
そこでネットを通じて販売したところ、全国から注文が殺到した。

養液システムと苗を立て直し、8月にようやく出荷を再開したものの、
今度は風評被害に悩まされた。

いわき市生まれのハウストマトには「サンシャイントマト」というブランド名がある。
温暖で晴れの日の多いいわき市で、
お日さまの光をいっぱい浴びて育ったトマトという意味だ。

摘んだトマトは、ハウスに隣接した選果ラインでサイズごとに選別される。
箱には「サンシャイントマト」の文字。

選果場の横には直売所もある。
採れたての新鮮なトマトがお買得。地元のお母さんが子どもを連れて訪れていた。

農場ができたとき「ここをトマトのテーマパークにしたい!」
それが石橋さんたちの願いだった。
いわき生まれのトマトを、みんなで楽しむ場所。
予約をすれば見学や、収穫体験もできる。

「震災の2週間後に検査をしまして、
それ以降、毎月自主検査を行っています。
これ以上計れないという、検出限界以下です。
安心して召し上がっていただきたい」と石橋さん。


会津の人たちが味わってきた雪下野菜。

交流会当日、柿沢シェフが最初に出したのは「雪下キャベツ」のスープ。
その故郷は、浜通りのいわき市から西へ140キロ。会津若松市にある。

雪に埋もれた真っ白な畑を、
スコップを使い、せっせと雪を掘っていく。
畑の上から見ただけでは、どこにあるのかわからない。
野菜の収穫というより、まるで「宝探し」のよう。
真っ白な雪の中から現れたのは……

立派なキャベツ!

凍らずちゃんと生きている。
雪の下で栽培されていても凍らないのは、
野菜自身が糖度を上げて頑張るから。
キャベツ、カブ、ニンジン……。
会津の人たちは、そうして冬場の野菜を貯蔵し、味わってきた。

キャベツを掘り出してくれたのは「株式会社ミンナノチカラ」の小島綾子さん。
会津で人材育成を目的に設立された企業で、
その一環として農場を開き、実習を行っている。

雪下野菜は、もともと地元の農家たちが主に自家用に作っていたもの。
収穫にあまりに手間と労力がかかるので、
大量に栽培して販売する人は、なかなか現れなかったのだが、
ここでは付加価値をつけて、広めていきたいと考えている。

農場で、栽培指導に当たる小島充央さん。
地元会津の農家の出身だが、あえて「ミンナノチカラ」の一員となり、
ここで新しい農業のスタイルをつくり出そうと挑戦している。

「ここで研修を受けた人は、地元の優れた農家に通い、技術を学んで独立します。
独立しても、人手が足りなかったり、
機械が壊れてしまったりしたときには互いに助け合う。
そんな“結(ゆい)”のような関係を結びながら、若い就農者を育てていきたい」

現在社員は6人。いつか生産者としてひとり立ちしたい。
そんな人たちが、首都圏からも会津へやって来て、
新しい農業を模索し続けている。


おいしいものを食べて、生産者を応援する。

ふたたび交流会の席へ。
ハウスの中で土を使わずに作物を育てる養液栽培は、原発事故の影響を受けにくい。
にもかかわらず、見えない風評と闘う日々は今も続いている。

「いわき市にはまだ風評被害に苦しんでいる農家がありますが、
ピンチをチャンスに変えていきたい。
そのために今まで以上においしいものを作っていきたいと思いますので、
これからもよろしくお願いします」と石橋さんは力強く話していた。

もちろん「とまとランド」のトマトも登場。
「おいしいトマトは、お尻を見るとよくわかります」と、柿沢シェフ。
白い線が、放射状に何本も入っているのが、おいしいトマトの印。
中にたくさん部屋があって、ゼリーがたくさん入っている証拠だ。

柿沢シェフのトマトのハンバーグは、
濃縮されたトマトのうま味が、ハンバーグにもソースにも生きていた。
「口に入れると、ジュワッと甘味とコクが広がる」
「お肉を使わなくても、食べ応え充分ですね」
誰もが驚きの声を上げていた。

「うちの子は、ハンバーグが大好き。でもひき肉ばかりだとカロリーが心配です。
大豆ミートのハンバーグ、さっそく家で作ってみたいと思います」(30代女性)

「福島県産野菜の炊き込みご飯」には、
豆を潰して乾燥させた「打ち豆」のほか、
ニンジン、あさつきを入れて炊き込んだご飯に、
ふろふき大根のソテーを乗せ、里芋のソースがかけられている。
レシピについてシェフに熱心に質問する参加者も少なくなかった。

会場からは、こんな声も聞かれた。
「私は長崎出身。福島を応援したくても、知ってる人がいないので、
ときどき見かける福島のお野菜を買うぐらい。
図書館で柿沢さんの本を拝見して、いつかお店に行きたいと思っていました。
主人は被曝二世です。私たちが結婚するとき、周りには心配の声もありましたが、
私たちも子どもたちも元気に暮らしております。
私の子どもはもう成人しているので、放射能のことはあまり気にしていません。
でも、周りには、娘さんが妊娠したり、孫が生まれている友だちもいます。
その人たちに『心配するな』とは言えないんですね。
“心配”をゼロにするのはなかなか難しいと思います。
全員に強制するわけにはいきませんけど、丈夫な人は積極的に、
とくにシニアは、どんどん応援すべし!と思います」(50代女性)

震災以前から全国の生産者を訪ね歩き、食材を見出していた柿沢シェフ。
福島との縁も深く、南会津高校でほおずきを使った料理の講師を務めたこともある。

「作る人がいなければ、私たちは食べることができない」
いつもそう考えて、厨房に立っている。

そんなシェフの思いから生まれたお料理は、

1 トマト煮込みハンバーグ
2 雪下ニンジンのコロッケ
3 福島県産野菜の炊き込みご飯
4 雪下野菜のスープ
の4品。

震災から3年が過ぎた今、
福島の生産者たちは、まだ復興の途上にある。
私たちは、ふくしま応援シェフを仲立ちにして、
福島のすばらしい食材と、優れた生産者に出会うことができた。

4月12日、アンテナショップ「日本橋ふくしま館MIDETTE」がオープンする。
東京に居ながら、福島県産食材を購入できる。
これからも、応援シェフの店を訪ねたり、食材を購入したり、
現地を訪れたり……。

さまざまなカタチで、福島を応援し続けていこう!
参加した誰もが、そんな思いでいっぱいになれる最終回だった。

◎「トマト煮込みハンバーグ」のレシピ◎

【材料(4人前)】
大豆ミート(ひき肉タイプ)130g
赤ワイン 100g
醤油 10g
みりん 45g
塩 8g
牛乳 70g
パン粉 30g
卵 1個
油 適量
スライスチーズ 4枚

*トマトソース
トマト 500g
タマネギ 1個(170gぐらい)
ニンジン 25g
オリーブオイル 40g
塩 4g

【トマトソースの作り方】
① トマトは、ざく切りにして、塩4gであえておく。
② タマネギ、ニンジンを薄切りにする。
③ 鍋にオリーブオイルを入れて、タマネギ、ニンジン、塩(分量外)を入れて弱火にかける。
④ タマネギが透き通って、ニンジンも火が通ったら、トマトを入れて20分程煮込む。
⑤ 完成したら、ハンドミキサーで撹拌する。

【ハンバーグの作り方】
① お湯を沸かし、大豆ミートをゆでる。
② ゆで上がった大豆ミートの水を切り、鍋に入れ、ワイン、醤油、みりん、トマトソース75g、塩を入れて火にかける。
③ 入れた水分がすべてとんだら、火から外して、ボールに入れて冷ます。
④ 冷めたら、牛乳、パン粉、卵、トマトソース75gを入れてこねる。味見して足りなければ塩をする。
⑤ 4等分に分けて、小判形に成形する。
⑥ 鍋に油を引いて、両面に焼き色がつくように、ハンバーグを焼く。
⑦ ⑥が焼けたら、残りのトマトソースを入れて約15分煮込む。
⑧ ハンバーグを取り出し、チーズをのせて200℃のオーブンで焼く。
⑨ お皿にハンバーグを盛りつけ、一緒に煮込んだソースをかけて完成。

お問い合わせ

事務局 会津食のルネッサンス

住所 福島県会津若松市中島町2-52
TEL 0120-91-0617 (10:00~18:00 ※土日祝日休)
FAX 0242-93-9368
E-MAIL order@a-foods.jp
http://www.a-foods.jp/

Information

ポタジエマルシェ

住所 東京都目黒区上目黒2-18-13
TEL 03-6303-1105
営業時間 11:30~22:00
月曜休
http://www.potager-marche.jp/

とまとランドいわき

住所 福島県いわき市四倉町長友字深町30
TEL 0246-66-8630
http://www.sunshinetomato.co.jp/

株式会社ミンナノチカラ

住所 福島県会津若松市大町1-1-41
TEL 0242-85-6514
https://www.facebook.com/minnano.chikara
自社の農場で採れた野菜を使ったカフェ「Vegecafe野菜屋SUN」
http://8318-3.jp/
https://www.facebook.com/yasaiyasun

日本橋ふくしま館「MIDETTE(ミデッテ)」(4月12日オープン予定)

住所 東京都中央区日本橋室町4-3-16 柳屋太洋ビル1階
営業時間 11:00~20:00(土日祝は~18:00)
http://www.fukushima-ichiba.com/blog/

千代田区コラボのお土産店「ちどり庵」、期間限定オープン。100万人が訪れる花見スポット千鳥ヶ淵に

東京の桜がほころびはじめて、
お花見シーズンの到来です。
数多くある東京の桜の名所。そのなかでも有名なのが、
皇居西側のお堀、千鳥ケ淵に沿う「千鳥ケ淵緑道」。
ゆるやかなカーブを描く、全長約700mの遊歩道です。
ここに咲く桜はソメイヨシノやオオシマザクラなど約260本!
毎年花見シーズンに訪れる人は100万人以上という大人気スポットなんです。

そんな千鳥ヶ淵に今年、花見土産を
販売するショップ「ちどり庵」がオープン。
クリエイターが手がける、カワイイパッケージの
オリジナル土産を販売するショップです。
毎年、千代田区観光協会が「九段坂さくら観光案内所」を
オープンしている千鳥ヶ淵緑道入口に期間限定で開店しました。

ちどり庵のちどりせんべい ¥1,000

ちどり庵のフルーツキャンディー ¥500

プロジェクトの主催は株式会社ケンエレファントさん。
千代田区とコラボレーションし、
作本潤哉(sakumotto)さんのディレクションで、
飯田将平さんのグラフィックデザイン、
深川優さんのイラスト、西尾健史さんの空間デザインで
ちどり庵を作り上げました。
2014年3月28日(金)から、お土産がなくなるまで営業します。

ラインナップは、おせんべいや
甘いホロホロのお菓子「ポルポローネ」、
千代田区で創業200年の和菓子屋店「松屋」さんが作る
オリジナルどら焼きなどなどいずれもオリジナル。
カワイイパッケージで、
ちどり庵ならではのご当地お土産となっております。

ちどり庵

山ノ家 vol.6: カフェオープンの興奮 関わってくれた皆が 誇りと思える場所に

山ノ家 vol.6
地元民もスタッフも共有、完成間近の高揚感

8月初旬、工事中に敢行することになったライブイベントも無事終わり〈vol.5参照〉、
その余韻を引きずる間もなくカフェオープンのための工事を翌日から再開した。
追い込みということもあって運営立上げチームと工事作業チーム、
そしてインターンスタッフがもっとも数多く集まるシフトとなっている。
朝、合宿のように今後の段取りなどをミーティング。
みんなの顔色に、少し疲労が見え隠れしているよう。しかし、目つきは真剣だ。
これからでき上がるこの場をともにつくり上げていることに対して
どこか静かな充実に満ちているようにも見えた。
自分も既に、慣れない環境での連日の日程のなかで
肉体的にはボロボロだったのだが、
実際はそれを忘れるくらいにやるべきことを遂行することに夢中でもあった。

みんなで天井を塗る。最後の仕上げ。地味に腕が辛い作業。

1階土間の天井が塗り上がると、見違えるような空間になっていた。
元の使われない、空き家の雰囲気はもうそこにはなかった。
しかし、まだまだ終わらない。
特に厨房のほうは土間のコンクリートが打たれてはいるが中は空っぽだ。

厨房のコンクリートは、ライブイベントの4日前に打たれたばかりだった。

設備業者さんなども「これ本当に10日にオープンさせるのか?」と半信半疑。
しかし、僕らは何の疑う余地も無いような感じで言い切る。
「もちろんです、本当にオープンさせますよ!」
これが実はとても大事で、
こちらが戸惑っているような態度を見せれば相手も戸惑ってしまう。
そうすると、「終わらないかも」という気持ちが芽生え、
それがひとり歩きをしてしまう。
現場の空気というのは生き物のようで、
そこに立ち会う人たちの気持ちの流れが場の空気をつくりだしていく。
かなりタイトなスケジュールの中、
「間に合うのか?」という心配が無いと言えばウソになるが、
「楽しもう」という思いでやっているみんなの気持ちが伝わってくる。
本当にギリギリではあるのだが、逆に不思議と高揚感がある。
やはり、新しい場所が生まれる瞬間は嬉しいのだ。

おそらく、この通り沿いで新たな店舗ができるというのは
相当久しぶりのことには違いない。

そして、いよいよカフェの要のひとつともいえる厨房機器が到着。
オープンへのラストスパートだ。
機器は重く、設備業者さんだけでは搬入に人手が足りず、
現場の男子全員総出で手伝う。
緊張感がありながらもなんだか皆のテンションが上がっている。

厨房機器の搬入。皆総出で運び出しに立ち会っている様子が楽しげ。

複雑なパズルの最終ピースを繋ぎ合わせる様に、厨房機器が設置されていく。
設計上では見えてこない現場での細かい問題解決や対応が必要となる。

工務店さんの監督ではないがちょくちょく顔を出して面倒を見てくれた、近隣の大工頭領、市川さん(手前)。土間のクリーニングを手配してくれた。

イス・テーブルが置かれ、備品や食器が次々と現場に運ばれてくる。
宅急便のトラックが何度も目の前にとまり、その度に何かが搬入される。
いよいよ、ここがカフェになるのだという感慨が増してくる。
お客さんに引き渡す通常の仕事であれば、
この辺りから使う人に手渡すことを想像して寂しさもよぎってくるのだが、
ここはそうではなく、これからも僕らが使っていく場所になるのだという
別の感慨がこみ上がってくる。ここから、新たな風景、時間が始まってゆく。
関わってくれた人々が、
誇りに思える様な素敵な場所として続けていきたいという思いを新たにする。

ついに厨房が完成! そして……インターンのジュンくんは何をしているの? 実はこの日、彼がみんなに賄いをつくると腕を振るったのだった。

カフェオープンに向けて地元の方々を中心とした
お披露目会を開くことになっており、その準備も進んでいた。
若井さんもかなり張り切っていて、
この山ノ家のオープンを飾るべく「十日町の市長を呼ぶ」と勢いづいていた。
また、「隣組」という、向こう三軒両隣といった
近所の「班」のようなくくりがあって、
その人たちを呼ぶのがいいだろうというアドバイス。
お世話になっている工務店さんの代表にも来てもらったり、
この時点で知り合っていた近隣の方たちにも声をかけてもらった。
運営チームで考えたメニューを
このお披露目に合わせてアレンジした食事とともに、
地元で食育の仕事などをされているおかあさんを若井さんが紹介してくれたので、
相談をして郷土の食材による料理も出すことに決まった。
初めての試みのわりに、このコンビネーションはとてもバランスが良いと思った。
現場の工事を横目に、運営のための準備・段取りも追い込みで進んでいた。
そして、ついにカフェオープンの日を迎えたお披露目会。

オープニングのために考えた特別メニューを準備をしている。

鏡開き。地元のお酒「松乃井」の樽酒を、プロセスに関わった皆で、小槌をもって。

そして、仙台に活動拠点を移していた佐野さんもこの日は合流。
久しぶりに会えてとても嬉しかった。

地元の方たちはかなりのお酒を飲むと想定していたが、
それでも樽酒の量はさすがにしっかりと多く、
皆充分すぎるほどに呑んで酔っぱらっていた。
そのちからも手伝って、とても良い雰囲気で歓喜に包まれた夜となった。

カフェに、お客さんが来ない!?

「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ」の開催期間中に
なんとかカフェのオープンをすることができた。
直後から、我々の知人などが芸術祭と絡めてたくさんカフェに立ち寄ってくれたのは
とてもありがたく、嬉しかったのだが、それ以外の来訪者が思ったよりも来ない。
この山ノ家のあるほくほく通りには、実は作品がそれほどなく、
ガイドブックを頼りに来る人たちには、この通り自体に対する情報も少ない。
思った以上に通りがかる人も多くはなく、たまに目の前を、
おそらく芸術祭を観光で廻っていると思われる車が通過しながら
少し減速して「何だろう?」という感じで見ていく程度。
それもそのはず、何度か記述しているように、
ひょんなきっかけで始まったこの山ノ家プロジェクトは、
大地の芸術祭のオフィシャルな情報にアクセスするすべも、
そのタイミングもほとんどなく、ましてや会期の中途半端な時期にオープンしていたので、
観光で訪れる人々には全くと言っていいほど知られていなかった。
若井さんを通じて、十日町の駅やまつだい駅の観光案内所に
チラシを置いてもらったりしていたが、それでもまだ認知には時間がかかるのだろう。

山ノ家から歩いて5分ほどのほくほく線まつだい駅周辺一帯には、
代表作も含め芸術祭の作品がたくさんあり、このエリアの主要施設である
「まつだい雪国農耕文化村センター『農舞台』」もある。
この辺りに人は集中していたのだろう、
たぶん。
というのも、大地の芸術祭には合わせておくべき、
とオープンさせることで手一杯だったので、
気づけばほとんど現場としてのこの通りのみ出入りしていたので、
駅周辺がどんな状況なのか全く確認できていなかったのだ。
あとで聞いた話によると、「農舞台」にある「里山食堂」で
1時間以上待つという混み具合だったらしい。

そこで、メニューに地図をいれたチラシをつくり、
お昼の前にまつだい駅周辺で手渡していこうということになった。
普段の生活の中で、まちで見かけるチラシ配りにほとんど関心を持たなかった
(あまりポジティブには思っていなかった)のだが、
やはりこういう地道な方法は時には必要だと身をもって実感した。
効果はてきめんで、
チラシを片手にやってくるランチ目的のお客さんがどんどん来てくれる。
これはあとで聞いた話だが、駅周辺はどこもお昼時はいっぱいで入れず、
ランチ難民がたくさんいたようだった。
そういう人にぜひ来てほしかった。

お披露目会の翌日のカフェ。知人が立ち寄ってくれたり、ふらっと発見してくれて入ってくれたり。とても嬉しい。

営業が終わった夜の風景だが、奥を見るとビニールシートで仮囲いしているのがわかる。最初はこの状態でカフェをやっていたのだ。お客さんには「2階がまだ工事中で、作業の音などでご迷惑をお掛けします」と伝えるようにしていた。

カフェの営業中も2階では作業が続いている。ドミトリーのフローリング床に色を付ける作業中。

2階、ドミトリーの廊下部分。1階とはまるで別の場所のようだ。

さて、まだ工事は続いている。
2階のドミトリー部分だ。
カフェが開業したことはとても喜ばしいが、
まだスタッフやインターンのみんなは、
近隣の仮り宿での合宿のような状態は続いていた。
山ノ家で寝泊まりしたり、シャワーを浴びたりできるようになっていれば、
こんなに楽なことは無いのに。
がんばってくれているスタッフやインターンの人たちにも
もう少し快適な環境で作業してもらえたら……。
その何でもないはずの快適さには、まだまだ長い道のり。
複雑な気持ちを抱えた状態はまだ続いていた。

つづく

大阪・本町。既存の概念を覆すスタイリッシュなワークサポート施設「ハローライフ」

大阪のまちのなかでもひときわスタイリッシュなエリア、
本町にあるワークプレイス「ハローライフ」。
若者のためのワークサポートをベースにした、
コミュニティ・スペースです。
ここでは求人情報を検索して応募するなど、
従来の「職業安定所」と同じ機能を持っているのですが、
モダンにデザインされたインテリアや新しい取り組みで、
既存の施設にあったイメージを覆す場所になっています。

「ハローライフ」の従来のイメージを覆す取り組みとは?
まず、パン屋さんをリノベーションしたおしゃれな内装で、
おいしい日本茶やハーブティー、スイーツを
提供するカフェ「CHASHITSU for worker」を併設。
そしてお仕事を探している人のために、
精神保健福祉士が常駐していて、
無料で相談に乗ってくれます。
さらにはwi-fiと電源を完備しており、
お仕事を探す人以外でも、
ノマドワークや打ち合わせをすることも可能です。

「数字からみる職人の世界展」開催中

などなど、さまざまな趣向を凝らしている
「ハローライフ」では、展覧会も開催しています。

現在は、「職人・ものづくり」の仕事の
特集企画「数字からみる職人の世界展」を開催中。
施設全体でギャラリー展示や関連イベントを行うほか、
職人・ものづくりの仕事の特集求人開設と、ワークサポート&マッチング、
カフェブースでの限定メニュー販売が行われています。

この機会に、あたらしいかたちのワークプレイスを
覗きにいってみてはいかがでしょうか。

ハローライフ

MAD City vol.6: オフィスビルを住まいにDIY、 手に入れたのは居心地のよい空間

MAD City vol.6
快適な住まいから人の輪を広げる

今回はMAD Cityの座敷童子こと、小川綾子のお話をしたいと思います。
私たちは普段、「おが」と呼んでいます。

おがです。

おがは建築・内装の仕事を軸足に日々活動的に過ごしています。
なぜ座敷童子なのかというと、おがは、出没率が高いからです。
誰よりもMAD Cityで開催されるイベントに遊びに来てくれて、
とくに何もない普段のときでも気付くとMAD Cityにいる。
お昼を外で食べてオフィスに戻ってくると私の席におがが座っている。
ふと気付いたらちんまりとそこにいる存在感。
私たちも知らないところで、MAD City関係者から声をかけられて仕事をしていたり、
もう全員友だちみたいな顔の広さ。
とにかくエネルギッシュでパワフルで、ひとつの目的に向かって一直線。
なんというか、おがのことを一言で形容しようとしたとき
「座敷童子」という言葉しか思い付かなかったんですよね。

2013年の春に開催した、おがの切り絵個展の様子。

そんなおが、内装補修の仕事をしていた経験があり、二級建築士の資格も持っています。
つまり建物やリノベーションのことに関してはプロだと言っていいでしょう。
実際MAD Cityの入居者でおがに改装を手伝ってもらったり
アドバイスを受けたりした人もたくさんいます。
そう聞くと、おがの自宅だってさぞかしバリバリとリノベーションしているんだろうな……
とお思いかもしれませんが、 実はそうでもなかったんです。

私たちがおがに初めて会ったのは2年半くらい前。
彼女がそのころ住んでいた木造アパートは改装を自由にすることができない物件でした。
MAD City不動産が改装可能な物件をいろいろ紹介していくなかで、
おがもちょこちょこと改装可能物件に引っ越したいなあ、と口にしていました。
何回か物件の見学にも来てくれたのですが、それでもおがは引っ越しをしなかったんです。

どうしてか。それは単純に条件に見合う物件がなかったからだそうです。
広すぎず、狭すぎず、南向きで明るくて、水回りが古すぎないところ。
「物件自体は古くてもかまわないけれどこの条件だけは譲れない!」
と、物件探しをしていると、案外いいところが見つからなかったのです。

そんなおがが今の部屋に出会ったのは去年の夏のこと。
見学に来たおががひと言、「嫌なところがひとつもない!」と。
そのまま申し込んでくれ、改装が始まりました。

嫌なところがひとつもなかったお部屋がこちら。

もとはオフィス仕様だったこのお部屋。生活できる設備は揃っているものの、
エアコンをつけてみたらむせかえるほどのたばこ臭、壁もヤニで黄ばんでいるし、
床材も張り替えたいし……

写真に写っているロッカーや机はおがの入居前に撤去しました。

嫌なところがひとつもないと言ったって、新居はエレベーターなしの5階建て最上階。
毎日退勤した後階段にもめげず資材を運び込み、夜中まで改装していたというおが。
2年越しの「改装したい!」を詰めこんだ結果を見ていただきましょう。

ロッカーがあった場所にはもともと窓がありました。

2013年の9月に引っ越してきてから約5か月、お部屋はこんな風に生まれ変わりました。

キッチンには木目調のシートを貼り、小さなキッチンカウンターを設置。

床は総無垢材で張りました。より明るい印象を受けるのはたぶんそのせい。

地元の方から古い建具をもらってきて自分で取り付けました。よく見ると切り絵模様が。

この部屋、実は両脇が道路になっている、いわゆるペンシルビルなのです。
5階はひと部屋のみ、つまりおがしか住んでいません。
両側が壁なのでとにかく窓が多い。窓は多いけれどもビルの5階、
もちろん外から覗くことなんてできませんからセキュリティ面でも安心です。

玄関前は床材に切り替えを入れてタイルを貼りました。これももちろん自分で。

みんなが来てくれるような空間にしようと思ったというおが。

これはおがの家で行われた「編み部」の活動風景。少人数で集まるのにいい感じです。

MAD Cityプロジェクトに関わっていくうちに、
「自分の居場所が自宅だけでなくていろいろなところにあるといいし、
同じように自分の家もほかの誰かの居場所になればいい」
と思うようになったそうです。

MAD Cityで出会った仲間を手伝って房総で小屋づくりを実施中(建てるのはこれから)。これも居場所をつくる取り組みのひとつ。

「いつかはこの部屋も出て行くことになるから、
そのときに次の人に喜んでもらえるように。
それまでの間も、来た人が居心地がいいなと思ってくれて、
自分の家を改装するときのヒントやアイデアを見つけられる
モデルルームみたいになるように」とおがは言っていました。

この照明も手づくりです。お客様が来ると灯すそう。

切り絵に並ぶおがの十八番、消しゴムはんこでつくったコースターでおもてなし。

収納が少ないので棚もいくつか取り付けました。トイレの中もかわいらしくなっています。

場所をつくる。そしてその場所が人の輪をつないで、
単なる場所ではなくて居場所になっていくっていうのは素敵なやり方だと思いました。
これからもいろんな場所に居場所をつくっていって、
そこで座敷童子の名に恥じず、人の輪の真ん中にいてほしいなと思っています。

information


map

MAD City(株式会社まちづクリエイティブ)

住所 千葉県松戸市本町6-8
電話 047-710-5861
http://madcity.jp/

陸前高田で150年の蔵元が震災で全てを失い、取り戻すまで。書籍「明日へのしょうゆ」

2014年3月11日は、東日本大震災から
3年が経った日。
被災地に深く残る震災の爪あと、
かけがえの無い人を亡くした被災者の方の心の傷は
月日が経っても消えるものではありません。
建物が再び建築されても、そこにある景色は
記憶にある故郷の景色とは違う。
モノや人だけではなく、それにまつわる
ひとびとの営みや想い出も失なわれました。
その悲しみは本当に大きいものだと思います。
そんな中で、希望を失わずに頑張っている人たち
の物語は、絶望的に思える状況の中でも希望を持つことの
大変さと大切さを教えてくれます。

書籍「明日へのしょうゆ すべてをなくした蔵元の、奇跡の再生物語」
は、東日本大震災で被災した、岩手県陸前高田市にある
醤油醸造会社・ヤマニ醤油の再生の物語を綴ったドキュメンタリーです。

そもそもヤマニ醤油は陸前高田で150年近く続く醤油蔵。
地域の人の声を味に生かす、御用聞き商売で地元に愛される
蔵元でした。
ところが震災の津波で、醤油の蔵も社屋も流されてしまいます。
もはや事業の存続は絶望的かと思われたのですが、
代表の新沼茂幸さんは諦めませんでした。

なくなってしまった蔵の跡地で、奇跡的に代々受け継がれてきた
醤油の配合表を発見。
それだけを頼りに再び醤油を醸造しようとします。
救いの手を差し伸べたのは、同じ県内にある
老舗の醤油・味噌製造会社「佐々長醸造」。
かつては競合であった同業者の助けを借りて、
ヤマニ醤油は再生の道を歩み始めるのでした。

震災を風化させないために頑張っているひとたちがいます。
昨日思ったのは、被災者の方でなくても、あの日のことを
鮮明に覚えている方がすごく多いということです。
日本には、東日本大震災はもちろん、
阪神・淡路大震災、竜巻や台風、大雪など、自然の大きな
力で傷ついた方がたくさんいます。
震災をきっかけとして、
日本が大きな痛みを共有したことで、
遠くにいる人の痛みを感じて
お互いを思いやれるような社会に
近づく事ができればいいなと思っています。

いつもコロカルの記事を読んでくださって
いいねしてくださったり、ご意見を寄せてくださる
コロカル読者さまの皆様に、
少しでも多くの人の声や思いを
お届けするお手伝いができればとコロカルは考えております。

ヤマニ醤油

書籍「明日へのしょうゆ すべてをなくした蔵元の、奇跡の再生物語

塩沢 槙 著

定価 : 1,365円(税込)

だらすこ工房  仮設住宅にお住まいの大工さんたちが、 太陽光発電所を建てたら地元で大評判。

三陸海岸の北の端、
久慈駅から三陸鉄道北リアス線に乗って二駅め、
陸中野田駅を過ぎると間もなく、左手に三陸の広い海が現れる。
「ここは東日本大震災で三陸鉄道が最も大きな被害を受けた海岸です」
そんな車内アナウンスが流れた。

見ると、未だに破壊されたままの堤防の周りで復旧工事が続いている。
右手には、まるで荒野のような雪原が広がっている。
しかし、ここにはかつて10メートルの津波にも耐える防潮堤があり、
さらには鉄道を覆い隠すように、黒松の防潮林があった。
右手の雪原には村の中心部があり、500世帯近い民家や商店街があった。

かつてここには黒松の防潮林があり、この位置からは海はもちろん、三陸鉄道の線路も見えなかった。

ここは岩手県九戸郡野田村。
東西11.3km、南北13.8km。
人口は4000人をわずかに越える小さな村で、
村の北と西は久慈市に隣接し、
連続テレビ小説『あまちゃん』で有名になった久慈市の小袖漁港は、
岬をひとつ隔てた隣の海にある。
そして、今回の話の主役である5人の男たちも、
かつては村の中心部で暮らしていた大工さんや漁師さん。
全員が、あの大津波で家を失った。

「それはもう、すごい揺れだったよ。
でも子どものころ、揺れたら30分以内に逃げろって、
年寄りから何度も聞かされてたから無事だったんだ」
と、メンバーで最年長の広内幸作さん。
「オラは浜にいたよ。岸壁でタコを探してたら地震が来てよ、
その場でしゃがみ込んだら、山の上の岩が崩れるのが見えたんだ。
あれを見て、これは危ない、逃げろって」
と、若い頃から関東地方に出稼ぎに出ていた石花 栄さん。
「津波が来ることは地震が教えてくれるんだ。
でも、あれほど大きな津波が来るとは思わなかったな」
と、仮設住宅で自治会長を務める畑村 茂さん。
「幸い野田の場合は山が近いし、山に向かう道がいいから、
助かった人が多かったんだろうな。
もしも海沿いの道ばかり整備されていたら、
被害はもっと大きかったはずだよ」

村の中心部からクルマで5分も走ると深い森の中。そこに雪に埋もれた工房があった。

工房に隣接する談話室。室内は薪ストーブで暖かい。

この日は、郷土料理の「とうふ田楽」で使う串が作られていた。

「だらすこ」とは、この地方の方言で「ふくろう」の意味。
主宰する大澤継彌さんは親戚からこの場所を借り、
25年くらい前から個人で工房暮らしを楽しんでいた。
「村で家の引っ越しや建て替えの話があるたびに、
何か捨てるものがあれば、ここに持ってきてくれって声かけて、
こうしてひとりで建て増しするわけさ」
言わば大人の隠れ家、秘密基地のようなものだった。
それが震災を機に、大きな役割を担うことになる。

仮設住宅では、いつも、
何か作りたくてうずうずしていたんだ。

野田村には、長年の出稼ぎ生活で技術を身につけた、
ご高齢の大工さんや土木技術者、職人さんが多い。
しかし震災で住む家も道具も仕事も失い、すっかり元気をなくしていた。
「仮設住宅には、男の居場所がないんですよ。
部屋でテレビを見たり、あてもなく散歩したり。
もちろん集会所はあるけれど、あそこは女性たちの天下です(笑)。
何か作りたくてうずうずしている男たちにとって、
お茶を飲みながら談笑しているだけでは我慢できないからね」

そこで大澤さんは、仮設住宅の自治会長を務める畑村さんに声をかけた。
「うちの工房を男の集会所にしませんか。道具だったら揃ってますよ」
そこから先の話は速かった。
すぐに現在のメンバーが集まり、
お茶を飲む間もなく、全員が木工の道具を触り始めた。

まず初めに、津波で跡形もなく倒された、防潮林の黒松を持ち込んだ。
瓦礫となっていた村のシンボルが、
次々に落ち葉や、魚や、ふくろうに姿を変えていく。
素朴な温もりのある箸置きやアクセサリーは、
地元の道の駅や商店での販売が始まり、今でも作られ販売されている。
併せて小学校を訪問して木工教室を開くなど、対外活動にも忙しくなった。
工房を訪ねてくる子どもたちも増えた。

「これが工房で作った最初の作品」と畑村さん。津波で倒された防潮林の木材を使って、葉っぱの形の箸置きを作った。ところでこの村では、たびたびこの網カゴを見かける。縦に繋げて吊すこともできる。これはホタテの養殖に使われるものらしいけれど、何にでも使えて便利そうなのだ。

赤坂正一さんも長年の出稼ぎで技術を磨いたひとり。「お互いに文句を言い合うこともあるけど、ここでものを作ることは何より楽しいよ」

「ちょうどそんな時に、知り合いの紹介で、
太陽光発電所を作らないか、という話が舞いこんできたんです」
小規模の太陽光発電の普及活動を行うNGO、「PV-Net」からの相談で、
このあたりに用地を探しているという。
「だったら工房の向かいの土地は日当たりもいいし、
ご自由にお使いください。とお伝えしたところ、
いや違う、発電所の建設も運営も、すべて我々で行うということなんですよ」

全員がプロだもの、
発電所を建てるなんて簡単だよ。

「だらすこ工房」が発電所を建てて運営する?
最初は途方もないことのように思われた。
しかし太陽光発電所の構造は、
単管パイプを組み合わせて、上にパネルを載せるだけ。
高さはパネルの台になる部分さえ揃っていればいいので、
用地には多少の凹凸があっても何も問題はない。
「建設現場でおなじみの、足場を組むのに使うパイプです。
発電所の場合は、もう少し肉厚のパイプを使いますが、
あれを組むことはみんな得意ですからね」
ただしパネルは太陽に向けて傾斜させて並べるので、
後ろのほうほど長いパイプが必要になる。
基礎を打ち込むには重機も登場し、それなりの技術も必要になる。
しかしこのメンバーには、すべての工程において専門家がいる。
最初に技術指導を受けた後、あっと言う間に完成させてしまったのだ。

大澤さんと薪ストーブを囲む、メンバー最年長の広内さん(写真左)。このストーブは、小型ながら本当に暖かい。100%自然エネルギー。簡単な煮炊きもできるし、復興には欠かせない道具のひとつだ。

ひまを見つけては雪かきをしている石花さん。70歳とは思えない足腰。「毎日こういうことやってれば、丈夫にもなるさ」

総工費は約1800万円。総発電量は約50kW。
およそ30世帯の電力をまかなう発電量だという。
費用は市民ファンドを通じて、ひと口10万円で一般からの投資を募った。
売り上げの1%は、配当金として投資家に還元される。
発電された電気は100%電力会社への売電で、
毎月の売り上げは、およそ15万円から20万円ほど。
売り上げは毎月、ブログを通じて報告されている。
太陽光発電に関する専門的な知識や、
発電所の運営、さらにメンテナンスの方法などは、
前述のNGO、「PV-Net」からのサポートが受けられる。

「太陽光は発電できる容量が決まっているから、
この数字を増やそうと思えば新たに建てなくてはなりません。
もちろんこれで終わろうとは思っていないけど、
我々はメガソーラーを目指しているわけではないし、
おカネのために始めたわけじゃないからね。
お互いに顔のわかる地元の仲間や投資家の皆さんと一緒に、
こういうものを作ることが大切なんです」

静かな森の工房に、
若い見学者が集まり始めた。

発電所開設は2013年の6月。
以来、毎日のように訪問客が来るようになった。
「村の子どもたちはもちろん、
大学生がツアーを組んで来たこともあったし」
「関東からも見学ツアーが来るようになったね」
「おかげで標準語も覚えたな」
「村に下りると、知り合いから声かけられるのさ。
『オマエのとこの電気、売れてんのか』って。だから言ってやるよ。
『なぁに言ってんだ。あんたの家の電気も、
オラんとこで作ってるかもしれないんだぞ』って」

「せっかく若い人も訪ねてきてくれるようになったから、三陸の昔話を聞いてもらう機会も増やしたいなぁ」と大澤さん。

写真からもわかる通り、このメンバーはとにかくお元気だ。
いったん話が盛り上がると、全員が一斉に話し始める。
だから誰の話を聞いていいのかわからなくなる。
「こんなに楽しいことやってると、病気しているヒマないもんな」

復興で新たに生まれるまちには、
自立するためのテーマが必要なんだ。

震災直後、野田村では電気の来ない期間は1週間、
断水は2週間も続いたという。
被災地の中でも特に首都圏から遠く、交通も断たれていたため、
取材に入るメディアが少なく、
村のようすが報道されることはほとんど無かった。
「あの1週間はなぁ、何も情報が無いんだもの。
どうしていいのかさえわからなかった」
それでもここは顔見知りばかりの小さい村。
お互いに声をかけあって、役場が配るチラシや防災無線を頼りに、
震災後の混乱をどうにか切り抜けたのだという。

膝から腰の深さまで積もった雪をスコップでかき分けながら、自慢の発電所に向かう。

パネルを覆う雪は思いのほか深かった。しかしこの作業を怠ると、パネルは発電してくれない。

小さい村だからこそ話がまとまるのも早いのか、
野田村では県内でもいち早く被災住宅の高台移転が決まり、
すでに造成工事が始まっている。
「野田ばかりではなく、これからは東北地方の各地で、
このような新たなまちや団地が作られていくだろうね。
だったらせっかくの機会だから、計画を立てる前に、
どんなまちを作りたいのか、テーマが欲しいよなぁ」
と大澤さんは語る。
「私だったら災害に強い団地作りをテーマにするね。
そのためには、団地がエネルギーから自立する必要がある。
これから建てられる住宅の屋根に5kWのパネルを乗せるだけで、
1週間も情報が断たれるなんてことは、なくなるかもしれないからね」

裏から見るとこの通り。建設現場の足場に使う単管パイプよりも肉厚なパイプなのだという。後ろに行くほど長くなり、工事も難しくなるらしい。

たとえば50棟新設される住宅の屋根に5kWのパネルを乗せたら合計250kW。
すでにこの発電所の発電量を上回る。
野田村の一般家庭の消費電力の場合、
5kWのパネルであれば半分近くは余り、売ることもできるという。
そのためには計画段階から全戸南向きに作るなど、
太陽光発電に合わせた団地の設計が行われなくてはならない。
だからこそ、最初にテーマが必要になるというわけだ。
「もちろん、村全体をまかなえるほどの発電量には遠く及ばないけど、
計画が、そういう方向を向いていることが大切なんです。
復興の速さや内容は被災地によってさまざまだろうけど、
我々の技術や経験が必要になるのであれば、できる限り出向きますよ」

「だらすこ工房」のメンバー。左から、広内幸作(ひろない・こうさく)さん、80歳。畑村 茂(はたむら・しげる)さん、65歳。石花 栄(いしはな・さかえ)さん、70歳。大澤継彌(おおさわ・つぐや)さん、68歳。赤坂正一(あかさか・しょういち)さん、64歳。

取材の前日、この地方では珍しいほどの大雪が降った。
インタビューを終えると、メンバー全員で発電所の雪下ろしに向かう。
言うまでもなく、パネルが雪で覆われたら発電できないためだ。
腰まで積もった雪をスコップでかき分けながら、
苦もなく進む、平均年齢70歳に近いメンバーたち。
「これで孫たちにも自慢できるでしょう。
お爺ちゃんだって、やればこんなもの作れるんだぞ、って。
少子化なんだから、年寄りだって頑張らなきゃ。
これで若い人たちが続いてくれたら、もう言うことはないな。
そして何より、ここで元気な姿を見てもらうことが、
震災で支援してくれる全国の人たちへの、最高の恩返しなんだよ」

information


map

だらすこ工房

岩手県九戸郡野田村大字野田7-116
TEL&FAX. 0195-75-3923 
http://www.darasuko.com/

女川と大島をつなぐ復興の魚。 手元から防災を訴える 「onagawa & oshima fish」

明日2014年3月11日、東日本大震災から3年を迎えます。
巨大地震と、それに伴う津波によって東日本の広大な範囲の
沿岸部に壊滅的な被害が及ぼされました。

被害はあまりに大きく、3年経った今でも復興は現在進行形です。
愛着のある地元で暮らしたいと願うひとたちと、
それを応援する人たちが力を合わせて今も知恵を出しながら頑張っています。

このかわいらしいキーホルダー「onagawa fish」は、
そうして被災地の復興を支援するプロジェクトのひとつ。
コロカルでも「東北マニュファクチュール・ストーリー」でご紹介しました。

舞台は日本有数の漁港である女川漁港を抱える宮城県牡鹿郡女川町。
木工品として成立する高クオリティを保ちながら、
被災した地元の主婦たちにも作れるように
製作工程を簡素化した、魚の形のキーホルダーです。

ストラップには魚のモチーフと「魚がたくさん女川に戻りますように」
という願いを込めたメッセージ“.onagawa(ドットオナガワ)”を刻印。
かわいらしいかたちと、手作業で作られたなめらかな手触りで人気になり、
製造が追いつかないほどになりました。

「onagawa fish」の発案者は、震災まで
地域活性化を生業としていた湯浅輝樹さん。
震災発生時、湯浅さんは家具職人の友人と共に家具修理の
ボランティアを開始。たくさんの修理の依頼が舞い込み、
ボランティアだったプロジェクトがいつのまにかビジネスに
なっていきました。震災時でも、仕事がある。その事実に
励まされた湯浅さんは、組織「小さな復興プロジェクト」を立ち上げ、
被災地のビジネス創出に携わるようになり、「onagawa fish」
を作ったんです。

「onagawa fish」がキーホルダーなのは、
「いつも手元に置いて、災害のことを思い出して欲しい」という
湯浅さんの願いが込められています。
それは東日本大震災だけのことではなく、
「いつでも災害が起こりえる」という意識を持って
ほしいということなんです。

ビルススタジオ vol.06: 大谷石の倉庫群にオープンした ニュースポット 「porus(ポーラス)」

ビルススタジオ vol.06
大谷石の無骨な空間に惹かれ、始まったこと。

ある日、「分譲地開発断られたから、あとはよろしく〜」
と住宅メーカーに勤める知人から連絡が入りました。
なんという無茶ぶりだ、と憤りつつ、
ひとまず現場へ向かいました。
場所は宇都宮市街地からちょいと外れた下川俣町というエリア。
住宅や田畑が入り混じる、ちょっとした郊外。
こんなトコにあるのはせいぜい昭和終盤の無味乾燥な量産型風景だろうなぁ……と
車からロードサイドを眺めながら、あまり期待はしていませんでした。

すると、なんと、そこには、
宇都宮市名産の大谷石でできた倉庫たちが3棟。
正確には鉄骨造で大谷石は壁材として積み上げられた建物ですが、
ひとつの敷地をL字に囲むように配置され、3棟3様の佇まい。
その面白さに静かに小躍りし、喜びを隠せませんでした。

見上げると、無骨な鉄骨トラス梁、木組みの屋根下地、そして大谷石。

こりゃいい。
3棟にはそれぞれふたつずつシャッターがついていて、
それぞれ分ければ6戸のお店が入りそう。
入口には大きな庇(ひさし)が飛び出ているので、
店舗のエントランスからはぞれぞれの風情を見せることもできそう。
この敷地がひとつのショッピング街のようにできるんじゃないか。

既存全景。ちょっと古めの倉庫街。もちろん人の気配がありません。

しかし、そもそもここはただの倉庫。
お店をやるのに不可欠な給排水の配管が通っていない。
そこを入居者さんに負担してもらうのはハードルが高すぎる……。
ということでその場でざっとプランを描き、見積もりを出し、大家さんを説得。
「あ、いいんすか」
不思議とすんなり受入れていただけました。

それなら、出店募集をかけるしかありません。
無限大倉庫」と銘打ち、募集開始。
無限大と名付けましたが、今なにもない状態ってコト。
倉庫をお店にするには給排水だけでなく、
造作や電気、エアコン、さらには出入口のドアさえなく、
すべてを入居者さん負担でつくり上げなくてはいけません。
伸びシロは無限大とは言え、
そんなハードルの高い物件に人は来てくれるのかという心配はありましたが、
とりあえず情報を出してみないとわからない。
そもそも不安よりも、“この敷地の雰囲気が好き”という思いを共有し、
入居してくれる方々がどのような人なのか。
さらにその方々がどんなご近所関係を築いていくのだろう、
という好奇心のほうが先に立ちました。

公開直後、なんと、最初の入居者さんが決定してしまいました。

美容室の開業をしたいと、当社に物件相談に来られた高橋さん。
なんとなく、趣のある物件を求められていて、
通常のテナント物件では物足りなさを感じていました。
この時点ではまだ人気(ひとけ)もなく、
隣にこれからどんな人が入居するかもわからないこの物件を
ひと目で気に入って入居を決めてくれました。

しかしここのやり方は、すべての入居者が決まらなくても、
大家さんが全区画分の給排水引込み工事を出資する、というもの。
工事関係上、まだ他の入居者が決まらないうちに全入居者分の用意をしなくてはなりません。
高橋さんには他のスペースの入居募集にも協力いただくことを約束いただき、
さらに大家さんとの顔合わせを経て、無事賃貸契約となりました。

元の倉庫に戻した状態を高橋さんと確認。「もう、これで既にいいじゃん」の声も……。

いよいよ、リノベーション工事。
まずは後から設置されてしまっていた、いらない外壁材などの仕上材は撤去し、
もとの大谷石倉庫の状態に戻しました。
この区画にもともとあった事務所小屋は再利用し、バックヤードに。
さらに、高〜い天井を生かして、ロフトスペース(!)に。
内装は基本的に大谷石むき出し、鉄骨むき出し、屋根下地むき出し。
しばらく放っておかれていた倉庫は石の細かい穴にもホコリや汚れが溜まり、
これは高橋さん自ら洗浄。
大谷石の粉末も混じり、茶色いどろっどろの水が流れ出ていました。
事務所小屋の外壁には倉庫っぽいスレート波板(外壁材)が貼られ、
それらを高橋さん自ら塗装。

高橋さん自ら塗装。上手。さすが手先が器用でないと務まらない職業です。

手間は結構かかりましたが、仕上がりは見事、
無骨な大谷石の倉庫に、ただ美容機器や家具が並べられただけのシンプルな空間は、
高橋さんのアジトのような雰囲気に。
無垢な鉄板でできた看板も設置し、美容室「NEAT」がまずOPENしました。
それが2013年4月のこと。

美容室「NEAT」。緑色スレートの壁が存在感あり。ロフトへの階段が気になります。

ここから一気に入居者さんが集まり、
半年後の11月にはなんと全区画5店舗がOPEN。
ラインナップは
 A区画:南米料理「Sandy’s café」
 B区画:美容室「NEAT」
 C区画:家づくりショールーム「楽暮」
 D区画:セレクトショップ「Hobow」
 EF区画:創作和食「kissako」

セレクトショップ「hobow」。日々、オーナー北條さんの仲間たちがここで輪をひろげてゆきます。

いやいや、店のタイプもみごとにバラけました。
しかし皆さんに共通しているのは、
この大谷石倉庫群の雰囲気に惹かれ集まってきたこと。
聞けば、まだ見ぬ他区画の入居者さんが決まったとしても、
なんとなく自分の店舗は世界観をくずされずにいける、
との確信が皆さん共通にありました。
ここの雰囲気が好きな人がどうせ入るんであれば、
ヘタなことにはならないだろう、と。
現にその通りに、それぞれの店舗がこの大谷石倉庫を
好き好きにリノベーションし、居心地の良い場所をつくりあげていました。

立地や値段だけではなく、“同じ好み”を理由にひとつの場所に人が集まる。
ショッピングモールのように詳細に計画されて集まったわけではなく、自然発生的集合。
そうしてできた場所は関係性もうまくいくんだろうな、と思います。

南米料理「sandy’s cafe」開店前。うってかわって木調。暖かい雰囲気です。

創作和食「kissako」のオーナー高橋さん(右から2人目)とスタッフの皆さん。ここは2区画繋げています。

さて、こんないい場所になったのであれば名前を付けなくてはいけません。
大谷石の性質のように多孔質、穴だらけ、
つまりは吸収性が、吸引力があり、
その穴を人や出来事で埋めていける余地で溢れている場所、という想いから
「porus(ポーラス)」と名付けました。

ばらばらに集まってきた個性ある店舗たち。
そして各店舗の個性あるファンの人たち。
それらが隣近所という関係性をつくりながら
porusという余地だらけの場所を舞台に生かされてゆく。
宇都宮市にまたいいエリアができてきましたよ。

information


map

ビルススタジオ

住所 栃木県宇都宮市西2-2-24
電話 028-636-5136

NO ARCHITECTS vol.5: クリエイティブな場所をつくること

NO ARCHITECTS vol.5
建物全体を使いこなす。

僕らがこのはなに関わるきっかけにもなった、初めての仕事の紹介です。
それは、NO ARCHITECTSの事務所づくりです。
今回は事務所が入っている建物ごと紹介しようと思います。
名前は、宮本マンションと言います。

2010年の1月頃、大学の先輩で工務店のPOS大川 輝さんに、
事務所をシェアして借りないかと誘っていただき、
宮本マンションの2階の部屋を共同で借りることになりました。
場所は、OTONARI(vol2参照)が入る建物の斜め向かいです。
僕らが今住んでいるSPACE 丁の「大辻の家」からも歩いて5分ほどです。

事務所の窓から見えるOTONARIの建物。改装中は、塗装作業の養生がカーテンになっていました。

このはなに通うようになって感じたのは、
まち全体にクリエイティブな空気が満ちていること。
近所のギャラリーでは展覧会の準備をしていたり、
アーティストの共同アトリエでは作品をつくっていたりと、
仕事場を据えるにはとても魅力的な場所だと感じました。

僕らが借りる宮本マンションの、他の入居者も、クリエイティブな仕事に関わる人ばかり。
1階はアート系NPOの倉庫兼イベントスペース。
正面の駐車スペースは、簡単な木工作業や塗装作業などの工房として使わせてもらっています。

1階の工房にて塗装作業をしているところ。

2階は、僕らの事務所とミュージシャンの住居、3階は画家のアトリエ兼住居、
4階の洗濯機置場の奥には、100円で入れる共同シャワーがあります。
ちょっと前までは、近くに住むアーティストやDJなどもよく入りに来ていました。
シャワー室の中の絵は、vol.1でも登場した画家の権田直博さんによるものです。
六軒屋川沿いの宮本マンションに因んで、
「宮本ロッケン湯」という名前も付けてくれました。

入口脇には使い方の注意が貼られています。基本的には外付けシャワー室です。

共有スペースの屋上は、季節の良い時期はバーベキューをしたり、
壁にプロジェクションして映画を観るイベントをしたり。
大阪の夏の風物詩、なにわ淀川花火大会をみんなで見たりもします。

屋上からの景色です。夕陽がとてもきれいに見えます。

何もない場所を共有することで、人が集まる仕組みやイベントを通して、
自然とコミュニティが形成されていきやすい状態が生まれています。

事務所の2周年パーティの様子。暴風雨の中でしたが、60名以上の方にご参加いただきました。

あと、1階から屋上までひとつながりの階段と廊下は、
階段ギャラリーとして、僕らが入居する前から、
時折、住人主催で展覧会などが企画されています。
日常的に絵が見られる環境は、とても幸せです。

階段ギャラリーの管理人でもある画家の梅原彩香さんの展覧会の様子。

さて、事務所スペースのリノベーションの話です。

まずは、不要な壁を解体し、大きなワンルームにしました。
黄ばんだ壁と天井をペンキで白く塗り直し、
キッチンとトイレは壁と連続した白い箱のなかに。

床は、ほこりをいっぱい吸ったカーペットは剥ぎ取り、
ベニヤ板を張り巡らせて、薄めた防水塗料を二度塗りしています。

床が完成した日の朝。

そのときどきで、プランが簡単に変えられるように、
壁を立てるのではなく、スペースごとに本棚をつくって間仕切りしています。
棚の上段にいくほど、一段の高さを低くし、奥行きも短くしていくことで、
少しでも圧迫感が減るように設計しています。
こういう細かいところが、居心地の良さにつながります。

さらに本棚には、高さや背板の有無で、間仕切りのグラデーションもつけています。
シェアオフィスでの一番の課題は、
スペースごとの関係性をどうコントロールするかにあると思います。
うちの事務所の場合は、公私ともに仲良しだったので、
空間の広さを最大限に生かした、割とオープンなプランになっています。

キッチンとトイレが入った箱とリビングの境界は、扇型のカーテンを付けました。

アイデアが浮かぶ場所。

クリエイティブな場をつくるときに心がけていることがいくつかあります。
ひとつは、頭のなかの思考を邪魔するようなデザインはしないこと。
壁や天井はできるだけ色やつくり方もシンプルにして、
本やオブジェ、机に置かれた書類、壁に貼られた紙などが、
頭のなかにプカプカ浮いているような状態を目指しています。
余計な情報はできるだけ削ぎ落とすようなイメージです。

このはなに来る前の事務所スペース。当時の自宅の一室をカーテンで囲み、仕事をしていました。

もうひとつは、できるだけ大きな机をつくることです。
視覚と思考は繋がっています。
机の上でいろいろな情報を並列に整理することを助けます。
また、多くの人とコミュニケーションが可能な状態をつくっておくことは、
よりよいプロジェクトにするためには欠かせません。

大阪市立大学 都市研究プラザのひとつ、クリエイティブセンター阿波座(CCA)のリノベーションの例。

最後に、しっかりリラックスできる場所を用意することです。
パソコンやデスクに向かって考えることも重要ですが、
ソファでお茶を飲みながら休憩していると、
自然に点と点が繋がって、良いアイデアが浮かんだりします。

最近、シェアしていたPOS大川さんが
モトタバコヤの2階に事務所を移したことをきっかけに、少しプランニングも変えました。

NO ARCHITECTS の事務所スペースは窓際に寄せて、フリースペースを広げました。

そんな風に、その時その時の状態に合わせて使い方を変えながら、
日々働いています。

フリースペースは、模型をつくったり、大人数の打ち合わせなどで使ってます。

実は、僕らの事務所NO ARCHITECTSは、
オフィスをシェアしてくれる方を募集中です。
プランも話し合って考えましょう。
このはなで、一緒に仕事しませんか?

NO ARCHITECTS の楽しい仕事をより多くの人と共有するために、学生さんたちとチームをつくりました。メンバーも募集中。

information


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NO ARCHITECTS

住所 大阪市此花区梅香1-15-20
http://nyamaokud.exblog.jp/
https://www.facebook.com/NOARCHITECTS.jp