福島の野菜たちに、シェフが託した思い

「ふくしま応援シェフ」の第1号。

東京を舞台に、昨年9月から6か月間にわたり繰り広げられてきた、
「ふくしま応援シェフ」による消費者との交流会が、2月19日に最終回を迎えた。

会場となったのは「Potajer MARCHE」。
「市場のような楽しくて、わくわくする場所で、野菜を楽しむ」をコンセプトに、
中目黒の商店街に昨年6月にオープンした。

オーナーシェフ柿沢安耶(かきさわ・あや)さんは、
2006年、世界初の野菜スイーツ専門店「パティスリー ポタジエ」をオープン。
野菜のおいしさや美しさ、その栄養価を生かしたスイーツが、人気を呼んでいる。
そして今、全国に150人以上いる「ふくしま応援シェフ」第1号として、
真っ先に名乗りを上げた人なのだ。

「福島は、たびたび訪れて農家さんの桃やトマトを使ったり、
南会津高校で食用のほおずきを使った授業をしたり。
いろんなつながりを持ってきました」

震災が起きたとき、福島や東北の野菜を避ける人たちもいた。しかし、
「福島には、とてもお世話になっていて、野菜やフルーツを作ってくださる方がいます。
私自身、事故が起きたから食べないというのは、どうかな? と。
県がしっかりと検査して、私たちが安心して食べられる状態になっていますので、
今日はそのおいしさと、安全性を確かめて、みなさんにも広めていただきたい。
そして、なくしてはならない福島の農業を支えていくことに、
ご協力いただけたらと思います」

最先端のトマト屋さん。

柿沢シェフは、肉や魚を使わずに、
野菜や果物のうま味を引き出す料理のスペシャリスト。
この日登場した「トマトの煮込みハンバーグ」にも、
ひき肉ではなく、大豆ミートが使われていた。

イベント当日は、いわき市の「とまとランドいわき」から石橋洋典さんも駆けつけた。
この日柿沢シェフが料理するトマトたちは、どんなところで生まれたのだろう?

いわき市中心部から北へ約10キロ。
田んぼの中に、巨大なガラスハウスが現れる。
それが「とまとランドいわき」。
2月中旬、外は雪に覆われていたが、
ハウスの中では、秋、冬、春と、トマトの栽培が行われている。

ハウスの中に入ると、そのスケールの大きさに圧倒される。
天井に届きそうな勢いで伸びるトマト、トマト、トマト……。
大玉、中玉、ミニ。赤、オレンジ、黄色、そしてバイオレット。
まるで「トマトの樹海」に迷い込んだよう。
右に左に、トマトの木が、どこまでも続いている。

中では、女性たちがコンテナを積んで、トマトの森へ分け入って次々と収穫していく。
総面積7000坪のハウスから生み出されるトマトは、なんと年間800トン。
しかし、これだけ大量に栽培できるのに、このハウスには“土”がない。

トマトの木の根元を見ると、お豆腐ほどの大きさの土台に支えられているのがわかる。
根を支えているのは、ココナッツの繊維を利用した「ココウール」という素材。
そこにトマトが必要とする栄養を、チューブで供給する。
養液の大きな利点は「土よりも木が疲れない」こと。
1本の苗から35段以上のトマトが収穫できる。
ここはオランダ型の大型ハウスを、本州で最も早く導入して養液栽培を始めた、
「最先端のトマト屋」なのだ。

石橋さんは、ヘルメットを被り、高所作業車に乗って作業中。
「先日の雪で天井のガラスが割れてしまったんです。
こんなことは初めて。外気が入って温度が下がると、
トマトの色づきが遅くなってしまいます」
割れたガラスの除去作業に、とても忙しそうだった。

3年前の震災のときには大きな被害を受けた。
ハウスは海岸から1キロ。津波は到達せず、ハウスの骨格は持ちこたえたものの、
暖房設備、養液を送り込むシステムが損壊。トマトは瀕死の状態に。

石橋さんと同社専務の元木寛さんは、同級生。
ふたりは残ったトマトを必死でもいだ。
当時政府からトマトの出荷制限は出されなかったが、
売り先から販売を拒否されてしまう。
そこでネットを通じて販売したところ、全国から注文が殺到した。

養液システムと苗を立て直し、8月にようやく出荷を再開したものの、
今度は風評被害に悩まされた。

いわき市生まれのハウストマトには「サンシャイントマト」というブランド名がある。
温暖で晴れの日の多いいわき市で、
お日さまの光をいっぱい浴びて育ったトマトという意味だ。

摘んだトマトは、ハウスに隣接した選果ラインでサイズごとに選別される。
箱には「サンシャイントマト」の文字。

選果場の横には直売所もある。
採れたての新鮮なトマトがお買得。地元のお母さんが子どもを連れて訪れていた。

農場ができたとき「ここをトマトのテーマパークにしたい!」
それが石橋さんたちの願いだった。
いわき生まれのトマトを、みんなで楽しむ場所。
予約をすれば見学や、収穫体験もできる。

「震災の2週間後に検査をしまして、
それ以降、毎月自主検査を行っています。
これ以上計れないという、検出限界以下です。
安心して召し上がっていただきたい」と石橋さん。


会津の人たちが味わってきた雪下野菜。

交流会当日、柿沢シェフが最初に出したのは「雪下キャベツ」のスープ。
その故郷は、浜通りのいわき市から西へ140キロ。会津若松市にある。

雪に埋もれた真っ白な畑を、
スコップを使い、せっせと雪を掘っていく。
畑の上から見ただけでは、どこにあるのかわからない。
野菜の収穫というより、まるで「宝探し」のよう。
真っ白な雪の中から現れたのは……

立派なキャベツ!

凍らずちゃんと生きている。
雪の下で栽培されていても凍らないのは、
野菜自身が糖度を上げて頑張るから。
キャベツ、カブ、ニンジン……。
会津の人たちは、そうして冬場の野菜を貯蔵し、味わってきた。

キャベツを掘り出してくれたのは「株式会社ミンナノチカラ」の小島綾子さん。
会津で人材育成を目的に設立された企業で、
その一環として農場を開き、実習を行っている。

雪下野菜は、もともと地元の農家たちが主に自家用に作っていたもの。
収穫にあまりに手間と労力がかかるので、
大量に栽培して販売する人は、なかなか現れなかったのだが、
ここでは付加価値をつけて、広めていきたいと考えている。

農場で、栽培指導に当たる小島充央さん。
地元会津の農家の出身だが、あえて「ミンナノチカラ」の一員となり、
ここで新しい農業のスタイルをつくり出そうと挑戦している。

「ここで研修を受けた人は、地元の優れた農家に通い、技術を学んで独立します。
独立しても、人手が足りなかったり、
機械が壊れてしまったりしたときには互いに助け合う。
そんな“結(ゆい)”のような関係を結びながら、若い就農者を育てていきたい」

現在社員は6人。いつか生産者としてひとり立ちしたい。
そんな人たちが、首都圏からも会津へやって来て、
新しい農業を模索し続けている。


おいしいものを食べて、生産者を応援する。

ふたたび交流会の席へ。
ハウスの中で土を使わずに作物を育てる養液栽培は、原発事故の影響を受けにくい。
にもかかわらず、見えない風評と闘う日々は今も続いている。

「いわき市にはまだ風評被害に苦しんでいる農家がありますが、
ピンチをチャンスに変えていきたい。
そのために今まで以上においしいものを作っていきたいと思いますので、
これからもよろしくお願いします」と石橋さんは力強く話していた。

もちろん「とまとランド」のトマトも登場。
「おいしいトマトは、お尻を見るとよくわかります」と、柿沢シェフ。
白い線が、放射状に何本も入っているのが、おいしいトマトの印。
中にたくさん部屋があって、ゼリーがたくさん入っている証拠だ。

柿沢シェフのトマトのハンバーグは、
濃縮されたトマトのうま味が、ハンバーグにもソースにも生きていた。
「口に入れると、ジュワッと甘味とコクが広がる」
「お肉を使わなくても、食べ応え充分ですね」
誰もが驚きの声を上げていた。

「うちの子は、ハンバーグが大好き。でもひき肉ばかりだとカロリーが心配です。
大豆ミートのハンバーグ、さっそく家で作ってみたいと思います」(30代女性)

「福島県産野菜の炊き込みご飯」には、
豆を潰して乾燥させた「打ち豆」のほか、
ニンジン、あさつきを入れて炊き込んだご飯に、
ふろふき大根のソテーを乗せ、里芋のソースがかけられている。
レシピについてシェフに熱心に質問する参加者も少なくなかった。

会場からは、こんな声も聞かれた。
「私は長崎出身。福島を応援したくても、知ってる人がいないので、
ときどき見かける福島のお野菜を買うぐらい。
図書館で柿沢さんの本を拝見して、いつかお店に行きたいと思っていました。
主人は被曝二世です。私たちが結婚するとき、周りには心配の声もありましたが、
私たちも子どもたちも元気に暮らしております。
私の子どもはもう成人しているので、放射能のことはあまり気にしていません。
でも、周りには、娘さんが妊娠したり、孫が生まれている友だちもいます。
その人たちに『心配するな』とは言えないんですね。
“心配”をゼロにするのはなかなか難しいと思います。
全員に強制するわけにはいきませんけど、丈夫な人は積極的に、
とくにシニアは、どんどん応援すべし!と思います」(50代女性)

震災以前から全国の生産者を訪ね歩き、食材を見出していた柿沢シェフ。
福島との縁も深く、南会津高校でほおずきを使った料理の講師を務めたこともある。

「作る人がいなければ、私たちは食べることができない」
いつもそう考えて、厨房に立っている。

そんなシェフの思いから生まれたお料理は、

1 トマト煮込みハンバーグ
2 雪下ニンジンのコロッケ
3 福島県産野菜の炊き込みご飯
4 雪下野菜のスープ
の4品。

震災から3年が過ぎた今、
福島の生産者たちは、まだ復興の途上にある。
私たちは、ふくしま応援シェフを仲立ちにして、
福島のすばらしい食材と、優れた生産者に出会うことができた。

4月12日、アンテナショップ「日本橋ふくしま館MIDETTE」がオープンする。
東京に居ながら、福島県産食材を購入できる。
これからも、応援シェフの店を訪ねたり、食材を購入したり、
現地を訪れたり……。

さまざまなカタチで、福島を応援し続けていこう!
参加した誰もが、そんな思いでいっぱいになれる最終回だった。

◎「トマト煮込みハンバーグ」のレシピ◎

【材料(4人前)】
大豆ミート(ひき肉タイプ)130g
赤ワイン 100g
醤油 10g
みりん 45g
塩 8g
牛乳 70g
パン粉 30g
卵 1個
油 適量
スライスチーズ 4枚

*トマトソース
トマト 500g
タマネギ 1個(170gぐらい)
ニンジン 25g
オリーブオイル 40g
塩 4g

【トマトソースの作り方】
① トマトは、ざく切りにして、塩4gであえておく。
② タマネギ、ニンジンを薄切りにする。
③ 鍋にオリーブオイルを入れて、タマネギ、ニンジン、塩(分量外)を入れて弱火にかける。
④ タマネギが透き通って、ニンジンも火が通ったら、トマトを入れて20分程煮込む。
⑤ 完成したら、ハンドミキサーで撹拌する。

【ハンバーグの作り方】
① お湯を沸かし、大豆ミートをゆでる。
② ゆで上がった大豆ミートの水を切り、鍋に入れ、ワイン、醤油、みりん、トマトソース75g、塩を入れて火にかける。
③ 入れた水分がすべてとんだら、火から外して、ボールに入れて冷ます。
④ 冷めたら、牛乳、パン粉、卵、トマトソース75gを入れてこねる。味見して足りなければ塩をする。
⑤ 4等分に分けて、小判形に成形する。
⑥ 鍋に油を引いて、両面に焼き色がつくように、ハンバーグを焼く。
⑦ ⑥が焼けたら、残りのトマトソースを入れて約15分煮込む。
⑧ ハンバーグを取り出し、チーズをのせて200℃のオーブンで焼く。
⑨ お皿にハンバーグを盛りつけ、一緒に煮込んだソースをかけて完成。

お問い合わせ

事務局 会津食のルネッサンス

住所 福島県会津若松市中島町2-52
TEL 0120-91-0617 (10:00~18:00 ※土日祝日休)
FAX 0242-93-9368
E-MAIL order@a-foods.jp
http://www.a-foods.jp/

Information

ポタジエマルシェ

住所 東京都目黒区上目黒2-18-13
TEL 03-6303-1105
営業時間 11:30~22:00
月曜休
http://www.potager-marche.jp/

とまとランドいわき

住所 福島県いわき市四倉町長友字深町30
TEL 0246-66-8630
http://www.sunshinetomato.co.jp/

株式会社ミンナノチカラ

住所 福島県会津若松市大町1-1-41
TEL 0242-85-6514
https://www.facebook.com/minnano.chikara
自社の農場で採れた野菜を使ったカフェ「Vegecafe野菜屋SUN」
http://8318-3.jp/
https://www.facebook.com/yasaiyasun

日本橋ふくしま館「MIDETTE(ミデッテ)」(4月12日オープン予定)

住所 東京都中央区日本橋室町4-3-16 柳屋太洋ビル1階
営業時間 11:00~20:00(土日祝は~18:00)
http://www.fukushima-ichiba.com/blog/

千代田区コラボのお土産店「ちどり庵」、期間限定オープン。100万人が訪れる花見スポット千鳥ヶ淵に

東京の桜がほころびはじめて、
お花見シーズンの到来です。
数多くある東京の桜の名所。そのなかでも有名なのが、
皇居西側のお堀、千鳥ケ淵に沿う「千鳥ケ淵緑道」。
ゆるやかなカーブを描く、全長約700mの遊歩道です。
ここに咲く桜はソメイヨシノやオオシマザクラなど約260本!
毎年花見シーズンに訪れる人は100万人以上という大人気スポットなんです。

そんな千鳥ヶ淵に今年、花見土産を
販売するショップ「ちどり庵」がオープン。
クリエイターが手がける、カワイイパッケージの
オリジナル土産を販売するショップです。
毎年、千代田区観光協会が「九段坂さくら観光案内所」を
オープンしている千鳥ヶ淵緑道入口に期間限定で開店しました。

ちどり庵のちどりせんべい ¥1,000

ちどり庵のフルーツキャンディー ¥500

プロジェクトの主催は株式会社ケンエレファントさん。
千代田区とコラボレーションし、
作本潤哉(sakumotto)さんのディレクションで、
飯田将平さんのグラフィックデザイン、
深川優さんのイラスト、西尾健史さんの空間デザインで
ちどり庵を作り上げました。
2014年3月28日(金)から、お土産がなくなるまで営業します。

ラインナップは、おせんべいや
甘いホロホロのお菓子「ポルポローネ」、
千代田区で創業200年の和菓子屋店「松屋」さんが作る
オリジナルどら焼きなどなどいずれもオリジナル。
カワイイパッケージで、
ちどり庵ならではのご当地お土産となっております。

ちどり庵

山ノ家 vol.6: カフェオープンの興奮 関わってくれた皆が 誇りと思える場所に

山ノ家 vol.6
地元民もスタッフも共有、完成間近の高揚感

8月初旬、工事中に敢行することになったライブイベントも無事終わり〈vol.5参照〉、
その余韻を引きずる間もなくカフェオープンのための工事を翌日から再開した。
追い込みということもあって運営立上げチームと工事作業チーム、
そしてインターンスタッフがもっとも数多く集まるシフトとなっている。
朝、合宿のように今後の段取りなどをミーティング。
みんなの顔色に、少し疲労が見え隠れしているよう。しかし、目つきは真剣だ。
これからでき上がるこの場をともにつくり上げていることに対して
どこか静かな充実に満ちているようにも見えた。
自分も既に、慣れない環境での連日の日程のなかで
肉体的にはボロボロだったのだが、
実際はそれを忘れるくらいにやるべきことを遂行することに夢中でもあった。

みんなで天井を塗る。最後の仕上げ。地味に腕が辛い作業。

1階土間の天井が塗り上がると、見違えるような空間になっていた。
元の使われない、空き家の雰囲気はもうそこにはなかった。
しかし、まだまだ終わらない。
特に厨房のほうは土間のコンクリートが打たれてはいるが中は空っぽだ。

厨房のコンクリートは、ライブイベントの4日前に打たれたばかりだった。

設備業者さんなども「これ本当に10日にオープンさせるのか?」と半信半疑。
しかし、僕らは何の疑う余地も無いような感じで言い切る。
「もちろんです、本当にオープンさせますよ!」
これが実はとても大事で、
こちらが戸惑っているような態度を見せれば相手も戸惑ってしまう。
そうすると、「終わらないかも」という気持ちが芽生え、
それがひとり歩きをしてしまう。
現場の空気というのは生き物のようで、
そこに立ち会う人たちの気持ちの流れが場の空気をつくりだしていく。
かなりタイトなスケジュールの中、
「間に合うのか?」という心配が無いと言えばウソになるが、
「楽しもう」という思いでやっているみんなの気持ちが伝わってくる。
本当にギリギリではあるのだが、逆に不思議と高揚感がある。
やはり、新しい場所が生まれる瞬間は嬉しいのだ。

おそらく、この通り沿いで新たな店舗ができるというのは
相当久しぶりのことには違いない。

そして、いよいよカフェの要のひとつともいえる厨房機器が到着。
オープンへのラストスパートだ。
機器は重く、設備業者さんだけでは搬入に人手が足りず、
現場の男子全員総出で手伝う。
緊張感がありながらもなんだか皆のテンションが上がっている。

厨房機器の搬入。皆総出で運び出しに立ち会っている様子が楽しげ。

複雑なパズルの最終ピースを繋ぎ合わせる様に、厨房機器が設置されていく。
設計上では見えてこない現場での細かい問題解決や対応が必要となる。

工務店さんの監督ではないがちょくちょく顔を出して面倒を見てくれた、近隣の大工頭領、市川さん(手前)。土間のクリーニングを手配してくれた。

イス・テーブルが置かれ、備品や食器が次々と現場に運ばれてくる。
宅急便のトラックが何度も目の前にとまり、その度に何かが搬入される。
いよいよ、ここがカフェになるのだという感慨が増してくる。
お客さんに引き渡す通常の仕事であれば、
この辺りから使う人に手渡すことを想像して寂しさもよぎってくるのだが、
ここはそうではなく、これからも僕らが使っていく場所になるのだという
別の感慨がこみ上がってくる。ここから、新たな風景、時間が始まってゆく。
関わってくれた人々が、
誇りに思える様な素敵な場所として続けていきたいという思いを新たにする。

ついに厨房が完成! そして……インターンのジュンくんは何をしているの? 実はこの日、彼がみんなに賄いをつくると腕を振るったのだった。

カフェオープンに向けて地元の方々を中心とした
お披露目会を開くことになっており、その準備も進んでいた。
若井さんもかなり張り切っていて、
この山ノ家のオープンを飾るべく「十日町の市長を呼ぶ」と勢いづいていた。
また、「隣組」という、向こう三軒両隣といった
近所の「班」のようなくくりがあって、
その人たちを呼ぶのがいいだろうというアドバイス。
お世話になっている工務店さんの代表にも来てもらったり、
この時点で知り合っていた近隣の方たちにも声をかけてもらった。
運営チームで考えたメニューを
このお披露目に合わせてアレンジした食事とともに、
地元で食育の仕事などをされているおかあさんを若井さんが紹介してくれたので、
相談をして郷土の食材による料理も出すことに決まった。
初めての試みのわりに、このコンビネーションはとてもバランスが良いと思った。
現場の工事を横目に、運営のための準備・段取りも追い込みで進んでいた。
そして、ついにカフェオープンの日を迎えたお披露目会。

オープニングのために考えた特別メニューを準備をしている。

鏡開き。地元のお酒「松乃井」の樽酒を、プロセスに関わった皆で、小槌をもって。

そして、仙台に活動拠点を移していた佐野さんもこの日は合流。
久しぶりに会えてとても嬉しかった。

地元の方たちはかなりのお酒を飲むと想定していたが、
それでも樽酒の量はさすがにしっかりと多く、
皆充分すぎるほどに呑んで酔っぱらっていた。
そのちからも手伝って、とても良い雰囲気で歓喜に包まれた夜となった。

カフェに、お客さんが来ない!?

「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ」の開催期間中に
なんとかカフェのオープンをすることができた。
直後から、我々の知人などが芸術祭と絡めてたくさんカフェに立ち寄ってくれたのは
とてもありがたく、嬉しかったのだが、それ以外の来訪者が思ったよりも来ない。
この山ノ家のあるほくほく通りには、実は作品がそれほどなく、
ガイドブックを頼りに来る人たちには、この通り自体に対する情報も少ない。
思った以上に通りがかる人も多くはなく、たまに目の前を、
おそらく芸術祭を観光で廻っていると思われる車が通過しながら
少し減速して「何だろう?」という感じで見ていく程度。
それもそのはず、何度か記述しているように、
ひょんなきっかけで始まったこの山ノ家プロジェクトは、
大地の芸術祭のオフィシャルな情報にアクセスするすべも、
そのタイミングもほとんどなく、ましてや会期の中途半端な時期にオープンしていたので、
観光で訪れる人々には全くと言っていいほど知られていなかった。
若井さんを通じて、十日町の駅やまつだい駅の観光案内所に
チラシを置いてもらったりしていたが、それでもまだ認知には時間がかかるのだろう。

山ノ家から歩いて5分ほどのほくほく線まつだい駅周辺一帯には、
代表作も含め芸術祭の作品がたくさんあり、このエリアの主要施設である
「まつだい雪国農耕文化村センター『農舞台』」もある。
この辺りに人は集中していたのだろう、
たぶん。
というのも、大地の芸術祭には合わせておくべき、
とオープンさせることで手一杯だったので、
気づけばほとんど現場としてのこの通りのみ出入りしていたので、
駅周辺がどんな状況なのか全く確認できていなかったのだ。
あとで聞いた話によると、「農舞台」にある「里山食堂」で
1時間以上待つという混み具合だったらしい。

そこで、メニューに地図をいれたチラシをつくり、
お昼の前にまつだい駅周辺で手渡していこうということになった。
普段の生活の中で、まちで見かけるチラシ配りにほとんど関心を持たなかった
(あまりポジティブには思っていなかった)のだが、
やはりこういう地道な方法は時には必要だと身をもって実感した。
効果はてきめんで、
チラシを片手にやってくるランチ目的のお客さんがどんどん来てくれる。
これはあとで聞いた話だが、駅周辺はどこもお昼時はいっぱいで入れず、
ランチ難民がたくさんいたようだった。
そういう人にぜひ来てほしかった。

お披露目会の翌日のカフェ。知人が立ち寄ってくれたり、ふらっと発見してくれて入ってくれたり。とても嬉しい。

営業が終わった夜の風景だが、奥を見るとビニールシートで仮囲いしているのがわかる。最初はこの状態でカフェをやっていたのだ。お客さんには「2階がまだ工事中で、作業の音などでご迷惑をお掛けします」と伝えるようにしていた。

カフェの営業中も2階では作業が続いている。ドミトリーのフローリング床に色を付ける作業中。

2階、ドミトリーの廊下部分。1階とはまるで別の場所のようだ。

さて、まだ工事は続いている。
2階のドミトリー部分だ。
カフェが開業したことはとても喜ばしいが、
まだスタッフやインターンのみんなは、
近隣の仮り宿での合宿のような状態は続いていた。
山ノ家で寝泊まりしたり、シャワーを浴びたりできるようになっていれば、
こんなに楽なことは無いのに。
がんばってくれているスタッフやインターンの人たちにも
もう少し快適な環境で作業してもらえたら……。
その何でもないはずの快適さには、まだまだ長い道のり。
複雑な気持ちを抱えた状態はまだ続いていた。

つづく

大阪・本町。既存の概念を覆すスタイリッシュなワークサポート施設「ハローライフ」

大阪のまちのなかでもひときわスタイリッシュなエリア、
本町にあるワークプレイス「ハローライフ」。
若者のためのワークサポートをベースにした、
コミュニティ・スペースです。
ここでは求人情報を検索して応募するなど、
従来の「職業安定所」と同じ機能を持っているのですが、
モダンにデザインされたインテリアや新しい取り組みで、
既存の施設にあったイメージを覆す場所になっています。

「ハローライフ」の従来のイメージを覆す取り組みとは?
まず、パン屋さんをリノベーションしたおしゃれな内装で、
おいしい日本茶やハーブティー、スイーツを
提供するカフェ「CHASHITSU for worker」を併設。
そしてお仕事を探している人のために、
精神保健福祉士が常駐していて、
無料で相談に乗ってくれます。
さらにはwi-fiと電源を完備しており、
お仕事を探す人以外でも、
ノマドワークや打ち合わせをすることも可能です。

「数字からみる職人の世界展」開催中

などなど、さまざまな趣向を凝らしている
「ハローライフ」では、展覧会も開催しています。

現在は、「職人・ものづくり」の仕事の
特集企画「数字からみる職人の世界展」を開催中。
施設全体でギャラリー展示や関連イベントを行うほか、
職人・ものづくりの仕事の特集求人開設と、ワークサポート&マッチング、
カフェブースでの限定メニュー販売が行われています。

この機会に、あたらしいかたちのワークプレイスを
覗きにいってみてはいかがでしょうか。

ハローライフ

MAD City vol.6: オフィスビルを住まいにDIY、 手に入れたのは居心地のよい空間

MAD City vol.6
快適な住まいから人の輪を広げる

今回はMAD Cityの座敷童子こと、小川綾子のお話をしたいと思います。
私たちは普段、「おが」と呼んでいます。

おがです。

おがは建築・内装の仕事を軸足に日々活動的に過ごしています。
なぜ座敷童子なのかというと、おがは、出没率が高いからです。
誰よりもMAD Cityで開催されるイベントに遊びに来てくれて、
とくに何もない普段のときでも気付くとMAD Cityにいる。
お昼を外で食べてオフィスに戻ってくると私の席におがが座っている。
ふと気付いたらちんまりとそこにいる存在感。
私たちも知らないところで、MAD City関係者から声をかけられて仕事をしていたり、
もう全員友だちみたいな顔の広さ。
とにかくエネルギッシュでパワフルで、ひとつの目的に向かって一直線。
なんというか、おがのことを一言で形容しようとしたとき
「座敷童子」という言葉しか思い付かなかったんですよね。

2013年の春に開催した、おがの切り絵個展の様子。

そんなおが、内装補修の仕事をしていた経験があり、二級建築士の資格も持っています。
つまり建物やリノベーションのことに関してはプロだと言っていいでしょう。
実際MAD Cityの入居者でおがに改装を手伝ってもらったり
アドバイスを受けたりした人もたくさんいます。
そう聞くと、おがの自宅だってさぞかしバリバリとリノベーションしているんだろうな……
とお思いかもしれませんが、 実はそうでもなかったんです。

私たちがおがに初めて会ったのは2年半くらい前。
彼女がそのころ住んでいた木造アパートは改装を自由にすることができない物件でした。
MAD City不動産が改装可能な物件をいろいろ紹介していくなかで、
おがもちょこちょこと改装可能物件に引っ越したいなあ、と口にしていました。
何回か物件の見学にも来てくれたのですが、それでもおがは引っ越しをしなかったんです。

どうしてか。それは単純に条件に見合う物件がなかったからだそうです。
広すぎず、狭すぎず、南向きで明るくて、水回りが古すぎないところ。
「物件自体は古くてもかまわないけれどこの条件だけは譲れない!」
と、物件探しをしていると、案外いいところが見つからなかったのです。

そんなおがが今の部屋に出会ったのは去年の夏のこと。
見学に来たおががひと言、「嫌なところがひとつもない!」と。
そのまま申し込んでくれ、改装が始まりました。

嫌なところがひとつもなかったお部屋がこちら。

もとはオフィス仕様だったこのお部屋。生活できる設備は揃っているものの、
エアコンをつけてみたらむせかえるほどのたばこ臭、壁もヤニで黄ばんでいるし、
床材も張り替えたいし……

写真に写っているロッカーや机はおがの入居前に撤去しました。

嫌なところがひとつもないと言ったって、新居はエレベーターなしの5階建て最上階。
毎日退勤した後階段にもめげず資材を運び込み、夜中まで改装していたというおが。
2年越しの「改装したい!」を詰めこんだ結果を見ていただきましょう。

ロッカーがあった場所にはもともと窓がありました。

2013年の9月に引っ越してきてから約5か月、お部屋はこんな風に生まれ変わりました。

キッチンには木目調のシートを貼り、小さなキッチンカウンターを設置。

床は総無垢材で張りました。より明るい印象を受けるのはたぶんそのせい。

地元の方から古い建具をもらってきて自分で取り付けました。よく見ると切り絵模様が。

この部屋、実は両脇が道路になっている、いわゆるペンシルビルなのです。
5階はひと部屋のみ、つまりおがしか住んでいません。
両側が壁なのでとにかく窓が多い。窓は多いけれどもビルの5階、
もちろん外から覗くことなんてできませんからセキュリティ面でも安心です。

玄関前は床材に切り替えを入れてタイルを貼りました。これももちろん自分で。

みんなが来てくれるような空間にしようと思ったというおが。

これはおがの家で行われた「編み部」の活動風景。少人数で集まるのにいい感じです。

MAD Cityプロジェクトに関わっていくうちに、
「自分の居場所が自宅だけでなくていろいろなところにあるといいし、
同じように自分の家もほかの誰かの居場所になればいい」
と思うようになったそうです。

MAD Cityで出会った仲間を手伝って房総で小屋づくりを実施中(建てるのはこれから)。これも居場所をつくる取り組みのひとつ。

「いつかはこの部屋も出て行くことになるから、
そのときに次の人に喜んでもらえるように。
それまでの間も、来た人が居心地がいいなと思ってくれて、
自分の家を改装するときのヒントやアイデアを見つけられる
モデルルームみたいになるように」とおがは言っていました。

この照明も手づくりです。お客様が来ると灯すそう。

切り絵に並ぶおがの十八番、消しゴムはんこでつくったコースターでおもてなし。

収納が少ないので棚もいくつか取り付けました。トイレの中もかわいらしくなっています。

場所をつくる。そしてその場所が人の輪をつないで、
単なる場所ではなくて居場所になっていくっていうのは素敵なやり方だと思いました。
これからもいろんな場所に居場所をつくっていって、
そこで座敷童子の名に恥じず、人の輪の真ん中にいてほしいなと思っています。

information


map

MAD City(株式会社まちづクリエイティブ)

住所 千葉県松戸市本町6-8
電話 047-710-5861
http://madcity.jp/

陸前高田で150年の蔵元が震災で全てを失い、取り戻すまで。書籍「明日へのしょうゆ」

2014年3月11日は、東日本大震災から
3年が経った日。
被災地に深く残る震災の爪あと、
かけがえの無い人を亡くした被災者の方の心の傷は
月日が経っても消えるものではありません。
建物が再び建築されても、そこにある景色は
記憶にある故郷の景色とは違う。
モノや人だけではなく、それにまつわる
ひとびとの営みや想い出も失なわれました。
その悲しみは本当に大きいものだと思います。
そんな中で、希望を失わずに頑張っている人たち
の物語は、絶望的に思える状況の中でも希望を持つことの
大変さと大切さを教えてくれます。

書籍「明日へのしょうゆ すべてをなくした蔵元の、奇跡の再生物語」
は、東日本大震災で被災した、岩手県陸前高田市にある
醤油醸造会社・ヤマニ醤油の再生の物語を綴ったドキュメンタリーです。

そもそもヤマニ醤油は陸前高田で150年近く続く醤油蔵。
地域の人の声を味に生かす、御用聞き商売で地元に愛される
蔵元でした。
ところが震災の津波で、醤油の蔵も社屋も流されてしまいます。
もはや事業の存続は絶望的かと思われたのですが、
代表の新沼茂幸さんは諦めませんでした。

なくなってしまった蔵の跡地で、奇跡的に代々受け継がれてきた
醤油の配合表を発見。
それだけを頼りに再び醤油を醸造しようとします。
救いの手を差し伸べたのは、同じ県内にある
老舗の醤油・味噌製造会社「佐々長醸造」。
かつては競合であった同業者の助けを借りて、
ヤマニ醤油は再生の道を歩み始めるのでした。

震災を風化させないために頑張っているひとたちがいます。
昨日思ったのは、被災者の方でなくても、あの日のことを
鮮明に覚えている方がすごく多いということです。
日本には、東日本大震災はもちろん、
阪神・淡路大震災、竜巻や台風、大雪など、自然の大きな
力で傷ついた方がたくさんいます。
震災をきっかけとして、
日本が大きな痛みを共有したことで、
遠くにいる人の痛みを感じて
お互いを思いやれるような社会に
近づく事ができればいいなと思っています。

いつもコロカルの記事を読んでくださって
いいねしてくださったり、ご意見を寄せてくださる
コロカル読者さまの皆様に、
少しでも多くの人の声や思いを
お届けするお手伝いができればとコロカルは考えております。

ヤマニ醤油

書籍「明日へのしょうゆ すべてをなくした蔵元の、奇跡の再生物語

塩沢 槙 著

定価 : 1,365円(税込)

だらすこ工房  仮設住宅にお住まいの大工さんたちが、 太陽光発電所を建てたら地元で大評判。

三陸海岸の北の端、
久慈駅から三陸鉄道北リアス線に乗って二駅め、
陸中野田駅を過ぎると間もなく、左手に三陸の広い海が現れる。
「ここは東日本大震災で三陸鉄道が最も大きな被害を受けた海岸です」
そんな車内アナウンスが流れた。

見ると、未だに破壊されたままの堤防の周りで復旧工事が続いている。
右手には、まるで荒野のような雪原が広がっている。
しかし、ここにはかつて10メートルの津波にも耐える防潮堤があり、
さらには鉄道を覆い隠すように、黒松の防潮林があった。
右手の雪原には村の中心部があり、500世帯近い民家や商店街があった。

かつてここには黒松の防潮林があり、この位置からは海はもちろん、三陸鉄道の線路も見えなかった。

ここは岩手県九戸郡野田村。
東西11.3km、南北13.8km。
人口は4000人をわずかに越える小さな村で、
村の北と西は久慈市に隣接し、
連続テレビ小説『あまちゃん』で有名になった久慈市の小袖漁港は、
岬をひとつ隔てた隣の海にある。
そして、今回の話の主役である5人の男たちも、
かつては村の中心部で暮らしていた大工さんや漁師さん。
全員が、あの大津波で家を失った。

「それはもう、すごい揺れだったよ。
でも子どものころ、揺れたら30分以内に逃げろって、
年寄りから何度も聞かされてたから無事だったんだ」
と、メンバーで最年長の広内幸作さん。
「オラは浜にいたよ。岸壁でタコを探してたら地震が来てよ、
その場でしゃがみ込んだら、山の上の岩が崩れるのが見えたんだ。
あれを見て、これは危ない、逃げろって」
と、若い頃から関東地方に出稼ぎに出ていた石花 栄さん。
「津波が来ることは地震が教えてくれるんだ。
でも、あれほど大きな津波が来るとは思わなかったな」
と、仮設住宅で自治会長を務める畑村 茂さん。
「幸い野田の場合は山が近いし、山に向かう道がいいから、
助かった人が多かったんだろうな。
もしも海沿いの道ばかり整備されていたら、
被害はもっと大きかったはずだよ」

村の中心部からクルマで5分も走ると深い森の中。そこに雪に埋もれた工房があった。

工房に隣接する談話室。室内は薪ストーブで暖かい。

この日は、郷土料理の「とうふ田楽」で使う串が作られていた。

「だらすこ」とは、この地方の方言で「ふくろう」の意味。
主宰する大澤継彌さんは親戚からこの場所を借り、
25年くらい前から個人で工房暮らしを楽しんでいた。
「村で家の引っ越しや建て替えの話があるたびに、
何か捨てるものがあれば、ここに持ってきてくれって声かけて、
こうしてひとりで建て増しするわけさ」
言わば大人の隠れ家、秘密基地のようなものだった。
それが震災を機に、大きな役割を担うことになる。

仮設住宅では、いつも、
何か作りたくてうずうずしていたんだ。

野田村には、長年の出稼ぎ生活で技術を身につけた、
ご高齢の大工さんや土木技術者、職人さんが多い。
しかし震災で住む家も道具も仕事も失い、すっかり元気をなくしていた。
「仮設住宅には、男の居場所がないんですよ。
部屋でテレビを見たり、あてもなく散歩したり。
もちろん集会所はあるけれど、あそこは女性たちの天下です(笑)。
何か作りたくてうずうずしている男たちにとって、
お茶を飲みながら談笑しているだけでは我慢できないからね」

そこで大澤さんは、仮設住宅の自治会長を務める畑村さんに声をかけた。
「うちの工房を男の集会所にしませんか。道具だったら揃ってますよ」
そこから先の話は速かった。
すぐに現在のメンバーが集まり、
お茶を飲む間もなく、全員が木工の道具を触り始めた。

まず初めに、津波で跡形もなく倒された、防潮林の黒松を持ち込んだ。
瓦礫となっていた村のシンボルが、
次々に落ち葉や、魚や、ふくろうに姿を変えていく。
素朴な温もりのある箸置きやアクセサリーは、
地元の道の駅や商店での販売が始まり、今でも作られ販売されている。
併せて小学校を訪問して木工教室を開くなど、対外活動にも忙しくなった。
工房を訪ねてくる子どもたちも増えた。

「これが工房で作った最初の作品」と畑村さん。津波で倒された防潮林の木材を使って、葉っぱの形の箸置きを作った。ところでこの村では、たびたびこの網カゴを見かける。縦に繋げて吊すこともできる。これはホタテの養殖に使われるものらしいけれど、何にでも使えて便利そうなのだ。

赤坂正一さんも長年の出稼ぎで技術を磨いたひとり。「お互いに文句を言い合うこともあるけど、ここでものを作ることは何より楽しいよ」

「ちょうどそんな時に、知り合いの紹介で、
太陽光発電所を作らないか、という話が舞いこんできたんです」
小規模の太陽光発電の普及活動を行うNGO、「PV-Net」からの相談で、
このあたりに用地を探しているという。
「だったら工房の向かいの土地は日当たりもいいし、
ご自由にお使いください。とお伝えしたところ、
いや違う、発電所の建設も運営も、すべて我々で行うということなんですよ」

全員がプロだもの、
発電所を建てるなんて簡単だよ。

「だらすこ工房」が発電所を建てて運営する?
最初は途方もないことのように思われた。
しかし太陽光発電所の構造は、
単管パイプを組み合わせて、上にパネルを載せるだけ。
高さはパネルの台になる部分さえ揃っていればいいので、
用地には多少の凹凸があっても何も問題はない。
「建設現場でおなじみの、足場を組むのに使うパイプです。
発電所の場合は、もう少し肉厚のパイプを使いますが、
あれを組むことはみんな得意ですからね」
ただしパネルは太陽に向けて傾斜させて並べるので、
後ろのほうほど長いパイプが必要になる。
基礎を打ち込むには重機も登場し、それなりの技術も必要になる。
しかしこのメンバーには、すべての工程において専門家がいる。
最初に技術指導を受けた後、あっと言う間に完成させてしまったのだ。

大澤さんと薪ストーブを囲む、メンバー最年長の広内さん(写真左)。このストーブは、小型ながら本当に暖かい。100%自然エネルギー。簡単な煮炊きもできるし、復興には欠かせない道具のひとつだ。

ひまを見つけては雪かきをしている石花さん。70歳とは思えない足腰。「毎日こういうことやってれば、丈夫にもなるさ」

総工費は約1800万円。総発電量は約50kW。
およそ30世帯の電力をまかなう発電量だという。
費用は市民ファンドを通じて、ひと口10万円で一般からの投資を募った。
売り上げの1%は、配当金として投資家に還元される。
発電された電気は100%電力会社への売電で、
毎月の売り上げは、およそ15万円から20万円ほど。
売り上げは毎月、ブログを通じて報告されている。
太陽光発電に関する専門的な知識や、
発電所の運営、さらにメンテナンスの方法などは、
前述のNGO、「PV-Net」からのサポートが受けられる。

「太陽光は発電できる容量が決まっているから、
この数字を増やそうと思えば新たに建てなくてはなりません。
もちろんこれで終わろうとは思っていないけど、
我々はメガソーラーを目指しているわけではないし、
おカネのために始めたわけじゃないからね。
お互いに顔のわかる地元の仲間や投資家の皆さんと一緒に、
こういうものを作ることが大切なんです」

静かな森の工房に、
若い見学者が集まり始めた。

発電所開設は2013年の6月。
以来、毎日のように訪問客が来るようになった。
「村の子どもたちはもちろん、
大学生がツアーを組んで来たこともあったし」
「関東からも見学ツアーが来るようになったね」
「おかげで標準語も覚えたな」
「村に下りると、知り合いから声かけられるのさ。
『オマエのとこの電気、売れてんのか』って。だから言ってやるよ。
『なぁに言ってんだ。あんたの家の電気も、
オラんとこで作ってるかもしれないんだぞ』って」

「せっかく若い人も訪ねてきてくれるようになったから、三陸の昔話を聞いてもらう機会も増やしたいなぁ」と大澤さん。

写真からもわかる通り、このメンバーはとにかくお元気だ。
いったん話が盛り上がると、全員が一斉に話し始める。
だから誰の話を聞いていいのかわからなくなる。
「こんなに楽しいことやってると、病気しているヒマないもんな」

復興で新たに生まれるまちには、
自立するためのテーマが必要なんだ。

震災直後、野田村では電気の来ない期間は1週間、
断水は2週間も続いたという。
被災地の中でも特に首都圏から遠く、交通も断たれていたため、
取材に入るメディアが少なく、
村のようすが報道されることはほとんど無かった。
「あの1週間はなぁ、何も情報が無いんだもの。
どうしていいのかさえわからなかった」
それでもここは顔見知りばかりの小さい村。
お互いに声をかけあって、役場が配るチラシや防災無線を頼りに、
震災後の混乱をどうにか切り抜けたのだという。

膝から腰の深さまで積もった雪をスコップでかき分けながら、自慢の発電所に向かう。

パネルを覆う雪は思いのほか深かった。しかしこの作業を怠ると、パネルは発電してくれない。

小さい村だからこそ話がまとまるのも早いのか、
野田村では県内でもいち早く被災住宅の高台移転が決まり、
すでに造成工事が始まっている。
「野田ばかりではなく、これからは東北地方の各地で、
このような新たなまちや団地が作られていくだろうね。
だったらせっかくの機会だから、計画を立てる前に、
どんなまちを作りたいのか、テーマが欲しいよなぁ」
と大澤さんは語る。
「私だったら災害に強い団地作りをテーマにするね。
そのためには、団地がエネルギーから自立する必要がある。
これから建てられる住宅の屋根に5kWのパネルを乗せるだけで、
1週間も情報が断たれるなんてことは、なくなるかもしれないからね」

裏から見るとこの通り。建設現場の足場に使う単管パイプよりも肉厚なパイプなのだという。後ろに行くほど長くなり、工事も難しくなるらしい。

たとえば50棟新設される住宅の屋根に5kWのパネルを乗せたら合計250kW。
すでにこの発電所の発電量を上回る。
野田村の一般家庭の消費電力の場合、
5kWのパネルであれば半分近くは余り、売ることもできるという。
そのためには計画段階から全戸南向きに作るなど、
太陽光発電に合わせた団地の設計が行われなくてはならない。
だからこそ、最初にテーマが必要になるというわけだ。
「もちろん、村全体をまかなえるほどの発電量には遠く及ばないけど、
計画が、そういう方向を向いていることが大切なんです。
復興の速さや内容は被災地によってさまざまだろうけど、
我々の技術や経験が必要になるのであれば、できる限り出向きますよ」

「だらすこ工房」のメンバー。左から、広内幸作(ひろない・こうさく)さん、80歳。畑村 茂(はたむら・しげる)さん、65歳。石花 栄(いしはな・さかえ)さん、70歳。大澤継彌(おおさわ・つぐや)さん、68歳。赤坂正一(あかさか・しょういち)さん、64歳。

取材の前日、この地方では珍しいほどの大雪が降った。
インタビューを終えると、メンバー全員で発電所の雪下ろしに向かう。
言うまでもなく、パネルが雪で覆われたら発電できないためだ。
腰まで積もった雪をスコップでかき分けながら、
苦もなく進む、平均年齢70歳に近いメンバーたち。
「これで孫たちにも自慢できるでしょう。
お爺ちゃんだって、やればこんなもの作れるんだぞ、って。
少子化なんだから、年寄りだって頑張らなきゃ。
これで若い人たちが続いてくれたら、もう言うことはないな。
そして何より、ここで元気な姿を見てもらうことが、
震災で支援してくれる全国の人たちへの、最高の恩返しなんだよ」

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だらすこ工房

岩手県九戸郡野田村大字野田7-116
TEL&FAX. 0195-75-3923 
http://www.darasuko.com/

女川と大島をつなぐ復興の魚。 手元から防災を訴える 「onagawa & oshima fish」

明日2014年3月11日、東日本大震災から3年を迎えます。
巨大地震と、それに伴う津波によって東日本の広大な範囲の
沿岸部に壊滅的な被害が及ぼされました。

被害はあまりに大きく、3年経った今でも復興は現在進行形です。
愛着のある地元で暮らしたいと願うひとたちと、
それを応援する人たちが力を合わせて今も知恵を出しながら頑張っています。

このかわいらしいキーホルダー「onagawa fish」は、
そうして被災地の復興を支援するプロジェクトのひとつ。
コロカルでも「東北マニュファクチュール・ストーリー」でご紹介しました。

舞台は日本有数の漁港である女川漁港を抱える宮城県牡鹿郡女川町。
木工品として成立する高クオリティを保ちながら、
被災した地元の主婦たちにも作れるように
製作工程を簡素化した、魚の形のキーホルダーです。

ストラップには魚のモチーフと「魚がたくさん女川に戻りますように」
という願いを込めたメッセージ“.onagawa(ドットオナガワ)”を刻印。
かわいらしいかたちと、手作業で作られたなめらかな手触りで人気になり、
製造が追いつかないほどになりました。

「onagawa fish」の発案者は、震災まで
地域活性化を生業としていた湯浅輝樹さん。
震災発生時、湯浅さんは家具職人の友人と共に家具修理の
ボランティアを開始。たくさんの修理の依頼が舞い込み、
ボランティアだったプロジェクトがいつのまにかビジネスに
なっていきました。震災時でも、仕事がある。その事実に
励まされた湯浅さんは、組織「小さな復興プロジェクト」を立ち上げ、
被災地のビジネス創出に携わるようになり、「onagawa fish」
を作ったんです。

「onagawa fish」がキーホルダーなのは、
「いつも手元に置いて、災害のことを思い出して欲しい」という
湯浅さんの願いが込められています。
それは東日本大震災だけのことではなく、
「いつでも災害が起こりえる」という意識を持って
ほしいということなんです。

ビルススタジオ vol.06: 大谷石の倉庫群にオープンした ニュースポット 「porus(ポーラス)」

ビルススタジオ vol.06
大谷石の無骨な空間に惹かれ、始まったこと。

ある日、「分譲地開発断られたから、あとはよろしく〜」
と住宅メーカーに勤める知人から連絡が入りました。
なんという無茶ぶりだ、と憤りつつ、
ひとまず現場へ向かいました。
場所は宇都宮市街地からちょいと外れた下川俣町というエリア。
住宅や田畑が入り混じる、ちょっとした郊外。
こんなトコにあるのはせいぜい昭和終盤の無味乾燥な量産型風景だろうなぁ……と
車からロードサイドを眺めながら、あまり期待はしていませんでした。

すると、なんと、そこには、
宇都宮市名産の大谷石でできた倉庫たちが3棟。
正確には鉄骨造で大谷石は壁材として積み上げられた建物ですが、
ひとつの敷地をL字に囲むように配置され、3棟3様の佇まい。
その面白さに静かに小躍りし、喜びを隠せませんでした。

見上げると、無骨な鉄骨トラス梁、木組みの屋根下地、そして大谷石。

こりゃいい。
3棟にはそれぞれふたつずつシャッターがついていて、
それぞれ分ければ6戸のお店が入りそう。
入口には大きな庇(ひさし)が飛び出ているので、
店舗のエントランスからはぞれぞれの風情を見せることもできそう。
この敷地がひとつのショッピング街のようにできるんじゃないか。

既存全景。ちょっと古めの倉庫街。もちろん人の気配がありません。

しかし、そもそもここはただの倉庫。
お店をやるのに不可欠な給排水の配管が通っていない。
そこを入居者さんに負担してもらうのはハードルが高すぎる……。
ということでその場でざっとプランを描き、見積もりを出し、大家さんを説得。
「あ、いいんすか」
不思議とすんなり受入れていただけました。

それなら、出店募集をかけるしかありません。
無限大倉庫」と銘打ち、募集開始。
無限大と名付けましたが、今なにもない状態ってコト。
倉庫をお店にするには給排水だけでなく、
造作や電気、エアコン、さらには出入口のドアさえなく、
すべてを入居者さん負担でつくり上げなくてはいけません。
伸びシロは無限大とは言え、
そんなハードルの高い物件に人は来てくれるのかという心配はありましたが、
とりあえず情報を出してみないとわからない。
そもそも不安よりも、“この敷地の雰囲気が好き”という思いを共有し、
入居してくれる方々がどのような人なのか。
さらにその方々がどんなご近所関係を築いていくのだろう、
という好奇心のほうが先に立ちました。

公開直後、なんと、最初の入居者さんが決定してしまいました。

美容室の開業をしたいと、当社に物件相談に来られた高橋さん。
なんとなく、趣のある物件を求められていて、
通常のテナント物件では物足りなさを感じていました。
この時点ではまだ人気(ひとけ)もなく、
隣にこれからどんな人が入居するかもわからないこの物件を
ひと目で気に入って入居を決めてくれました。

しかしここのやり方は、すべての入居者が決まらなくても、
大家さんが全区画分の給排水引込み工事を出資する、というもの。
工事関係上、まだ他の入居者が決まらないうちに全入居者分の用意をしなくてはなりません。
高橋さんには他のスペースの入居募集にも協力いただくことを約束いただき、
さらに大家さんとの顔合わせを経て、無事賃貸契約となりました。

元の倉庫に戻した状態を高橋さんと確認。「もう、これで既にいいじゃん」の声も……。

いよいよ、リノベーション工事。
まずは後から設置されてしまっていた、いらない外壁材などの仕上材は撤去し、
もとの大谷石倉庫の状態に戻しました。
この区画にもともとあった事務所小屋は再利用し、バックヤードに。
さらに、高〜い天井を生かして、ロフトスペース(!)に。
内装は基本的に大谷石むき出し、鉄骨むき出し、屋根下地むき出し。
しばらく放っておかれていた倉庫は石の細かい穴にもホコリや汚れが溜まり、
これは高橋さん自ら洗浄。
大谷石の粉末も混じり、茶色いどろっどろの水が流れ出ていました。
事務所小屋の外壁には倉庫っぽいスレート波板(外壁材)が貼られ、
それらを高橋さん自ら塗装。

高橋さん自ら塗装。上手。さすが手先が器用でないと務まらない職業です。

手間は結構かかりましたが、仕上がりは見事、
無骨な大谷石の倉庫に、ただ美容機器や家具が並べられただけのシンプルな空間は、
高橋さんのアジトのような雰囲気に。
無垢な鉄板でできた看板も設置し、美容室「NEAT」がまずOPENしました。
それが2013年4月のこと。

美容室「NEAT」。緑色スレートの壁が存在感あり。ロフトへの階段が気になります。

ここから一気に入居者さんが集まり、
半年後の11月にはなんと全区画5店舗がOPEN。
ラインナップは
 A区画:南米料理「Sandy’s café」
 B区画:美容室「NEAT」
 C区画:家づくりショールーム「楽暮」
 D区画:セレクトショップ「Hobow」
 EF区画:創作和食「kissako」

セレクトショップ「hobow」。日々、オーナー北條さんの仲間たちがここで輪をひろげてゆきます。

いやいや、店のタイプもみごとにバラけました。
しかし皆さんに共通しているのは、
この大谷石倉庫群の雰囲気に惹かれ集まってきたこと。
聞けば、まだ見ぬ他区画の入居者さんが決まったとしても、
なんとなく自分の店舗は世界観をくずされずにいける、
との確信が皆さん共通にありました。
ここの雰囲気が好きな人がどうせ入るんであれば、
ヘタなことにはならないだろう、と。
現にその通りに、それぞれの店舗がこの大谷石倉庫を
好き好きにリノベーションし、居心地の良い場所をつくりあげていました。

立地や値段だけではなく、“同じ好み”を理由にひとつの場所に人が集まる。
ショッピングモールのように詳細に計画されて集まったわけではなく、自然発生的集合。
そうしてできた場所は関係性もうまくいくんだろうな、と思います。

南米料理「sandy’s cafe」開店前。うってかわって木調。暖かい雰囲気です。

創作和食「kissako」のオーナー高橋さん(右から2人目)とスタッフの皆さん。ここは2区画繋げています。

さて、こんないい場所になったのであれば名前を付けなくてはいけません。
大谷石の性質のように多孔質、穴だらけ、
つまりは吸収性が、吸引力があり、
その穴を人や出来事で埋めていける余地で溢れている場所、という想いから
「porus(ポーラス)」と名付けました。

ばらばらに集まってきた個性ある店舗たち。
そして各店舗の個性あるファンの人たち。
それらが隣近所という関係性をつくりながら
porusという余地だらけの場所を舞台に生かされてゆく。
宇都宮市にまたいいエリアができてきましたよ。

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ビルススタジオ

住所 栃木県宇都宮市西2-2-24
電話 028-636-5136

NO ARCHITECTS vol.5: クリエイティブな場所をつくること

NO ARCHITECTS vol.5
建物全体を使いこなす。

僕らがこのはなに関わるきっかけにもなった、初めての仕事の紹介です。
それは、NO ARCHITECTSの事務所づくりです。
今回は事務所が入っている建物ごと紹介しようと思います。
名前は、宮本マンションと言います。

2010年の1月頃、大学の先輩で工務店のPOS大川 輝さんに、
事務所をシェアして借りないかと誘っていただき、
宮本マンションの2階の部屋を共同で借りることになりました。
場所は、OTONARI(vol2参照)が入る建物の斜め向かいです。
僕らが今住んでいるSPACE 丁の「大辻の家」からも歩いて5分ほどです。

事務所の窓から見えるOTONARIの建物。改装中は、塗装作業の養生がカーテンになっていました。

このはなに通うようになって感じたのは、
まち全体にクリエイティブな空気が満ちていること。
近所のギャラリーでは展覧会の準備をしていたり、
アーティストの共同アトリエでは作品をつくっていたりと、
仕事場を据えるにはとても魅力的な場所だと感じました。

僕らが借りる宮本マンションの、他の入居者も、クリエイティブな仕事に関わる人ばかり。
1階はアート系NPOの倉庫兼イベントスペース。
正面の駐車スペースは、簡単な木工作業や塗装作業などの工房として使わせてもらっています。

1階の工房にて塗装作業をしているところ。

2階は、僕らの事務所とミュージシャンの住居、3階は画家のアトリエ兼住居、
4階の洗濯機置場の奥には、100円で入れる共同シャワーがあります。
ちょっと前までは、近くに住むアーティストやDJなどもよく入りに来ていました。
シャワー室の中の絵は、vol.1でも登場した画家の権田直博さんによるものです。
六軒屋川沿いの宮本マンションに因んで、
「宮本ロッケン湯」という名前も付けてくれました。

入口脇には使い方の注意が貼られています。基本的には外付けシャワー室です。

共有スペースの屋上は、季節の良い時期はバーベキューをしたり、
壁にプロジェクションして映画を観るイベントをしたり。
大阪の夏の風物詩、なにわ淀川花火大会をみんなで見たりもします。

屋上からの景色です。夕陽がとてもきれいに見えます。

何もない場所を共有することで、人が集まる仕組みやイベントを通して、
自然とコミュニティが形成されていきやすい状態が生まれています。

事務所の2周年パーティの様子。暴風雨の中でしたが、60名以上の方にご参加いただきました。

あと、1階から屋上までひとつながりの階段と廊下は、
階段ギャラリーとして、僕らが入居する前から、
時折、住人主催で展覧会などが企画されています。
日常的に絵が見られる環境は、とても幸せです。

階段ギャラリーの管理人でもある画家の梅原彩香さんの展覧会の様子。

さて、事務所スペースのリノベーションの話です。

まずは、不要な壁を解体し、大きなワンルームにしました。
黄ばんだ壁と天井をペンキで白く塗り直し、
キッチンとトイレは壁と連続した白い箱のなかに。

床は、ほこりをいっぱい吸ったカーペットは剥ぎ取り、
ベニヤ板を張り巡らせて、薄めた防水塗料を二度塗りしています。

床が完成した日の朝。

そのときどきで、プランが簡単に変えられるように、
壁を立てるのではなく、スペースごとに本棚をつくって間仕切りしています。
棚の上段にいくほど、一段の高さを低くし、奥行きも短くしていくことで、
少しでも圧迫感が減るように設計しています。
こういう細かいところが、居心地の良さにつながります。

さらに本棚には、高さや背板の有無で、間仕切りのグラデーションもつけています。
シェアオフィスでの一番の課題は、
スペースごとの関係性をどうコントロールするかにあると思います。
うちの事務所の場合は、公私ともに仲良しだったので、
空間の広さを最大限に生かした、割とオープンなプランになっています。

キッチンとトイレが入った箱とリビングの境界は、扇型のカーテンを付けました。

アイデアが浮かぶ場所。

クリエイティブな場をつくるときに心がけていることがいくつかあります。
ひとつは、頭のなかの思考を邪魔するようなデザインはしないこと。
壁や天井はできるだけ色やつくり方もシンプルにして、
本やオブジェ、机に置かれた書類、壁に貼られた紙などが、
頭のなかにプカプカ浮いているような状態を目指しています。
余計な情報はできるだけ削ぎ落とすようなイメージです。

このはなに来る前の事務所スペース。当時の自宅の一室をカーテンで囲み、仕事をしていました。

もうひとつは、できるだけ大きな机をつくることです。
視覚と思考は繋がっています。
机の上でいろいろな情報を並列に整理することを助けます。
また、多くの人とコミュニケーションが可能な状態をつくっておくことは、
よりよいプロジェクトにするためには欠かせません。

大阪市立大学 都市研究プラザのひとつ、クリエイティブセンター阿波座(CCA)のリノベーションの例。

最後に、しっかりリラックスできる場所を用意することです。
パソコンやデスクに向かって考えることも重要ですが、
ソファでお茶を飲みながら休憩していると、
自然に点と点が繋がって、良いアイデアが浮かんだりします。

最近、シェアしていたPOS大川さんが
モトタバコヤの2階に事務所を移したことをきっかけに、少しプランニングも変えました。

NO ARCHITECTS の事務所スペースは窓際に寄せて、フリースペースを広げました。

そんな風に、その時その時の状態に合わせて使い方を変えながら、
日々働いています。

フリースペースは、模型をつくったり、大人数の打ち合わせなどで使ってます。

実は、僕らの事務所NO ARCHITECTSは、
オフィスをシェアしてくれる方を募集中です。
プランも話し合って考えましょう。
このはなで、一緒に仕事しませんか?

NO ARCHITECTS の楽しい仕事をより多くの人と共有するために、学生さんたちとチームをつくりました。メンバーも募集中。

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NO ARCHITECTS

住所 大阪市此花区梅香1-15-20
http://nyamaokud.exblog.jp/
https://www.facebook.com/NOARCHITECTS.jp

OHYA UNDERGROUND 大谷石採石場跡地のプロジェクト

大谷石がつくりだした、神秘的な景観

栃木県宇都宮市の北西部・大谷(おおや)地域は、
古くから大谷石の産地として知られる。
大谷石は柔らかく加工しやすいのが特長で、
外壁や石蔵もしくは蔵の建材として使われてきた。
ちなみに、フランク・ロイド・ライトが1922年に設計した、
あの帝国ホテルにも大谷石は使用されているのだそう。
しかし、いまは、建築材料としての需要は減少し、
昭和30年代には、100社以上あったという事業者は数える程度になってしまった。

事業者は減っても、自然の産物である大谷石が無くなったわけではない。
かつて採掘されていた山も、当時の切り出されたままの風景が残り、
ほとんどは、空き地同然の状態になってしまっている。
稼働していない採掘場は250以上あり、広さもかなり広範囲に渡っている。
広いところで、2万平米以上あるところもあるから驚きだ。

大谷石の採掘跡地。

そんな、採掘場跡地の風景を改めて見ると、とても面白い。
ギリシアや中東の遺跡を彷彿させる迫力がある。
さらに、興味深いことは、地上にある採掘場の地下には、
同じ広さか、それ以上に掘られた地下空間が広がっているということ。
そこには雨水が溜まり、「地底湖」とも呼べるほどの、
深さも広さもある、水場が複数存在するのだという。

そんな採掘場跡地の話を聞き、
地底湖にカヤックやボートを浮かべて探検できたら……
広大な敷地に広がる地上の採掘場跡地も見学できたら……
きっと面白い! と、考えたメンバーがいる。それが、こちらの4人だ。

左から、坂内剛至さん、松本 謙さん、塩田大成さん、増渕隆宏さん。

このアイデアの主、塩田大成さんは、普段は宇都宮市内で空間プロデュースを手がける。
(塩田さんはコロカルで「リノベのススメ」を連載中)
地底湖で動かすカヤックやラフティングボートのアドバイザーとして参加するのは、
鬼怒川でカヤックツアーを行っている坂内剛至さんと、増渕隆宏さん。
そして、このアウトドア体験を観光事業として発展させようと、農業と食など
地域活性事業に携わる、ファーマーズ・フォレストの代表・松本 謙さんだ。

とは言え、どんな体験を提供できるのかはまだまだ模索段階だという彼ら。
事業化に向けて、モニターツアーを開催するというので、編集部も参加してきた。

地底湖がある採掘場跡の入り口。左手奥は、コンサートや演劇でも使えそうな舞台のような空間が広がっていた。

宇都宮ICから車で5分ほどのところにある、道の駅「ろまんちっく村」から、
バスに揺られること10分ほど。
訪れた採掘場跡は、いくつかあるうちの、ほんの一角だという。
まずは、地底湖でカヤックに乗ったり、ラフティング用のボートに乗ったりと、
地下空間を体験する。

雑草が生い茂った草原を抜けると、突然大谷石が切り出された空間が現れた。
「ジュラシックパークみたい」と参加者から歓声があがるほど、
採掘場は廃山してまだ30年にも関わらず、ジャングルのような雰囲気が漂う。
大きく切り出された横穴を進むと、奥からひんやりした空気が流れてきた。
「地下の気温は、5〜8℃。寒いんですよ(笑)。でも、
年中この温度に保てるので保冷庫として活用され始めています」
と塩田さんが教えてくれた。

増渕さんと坂内さんからボートやカヤックの乗り方をレクチャーしてもらい、
いざ地底湖へ。

採掘場のなか。奥から、ボート乗り場を見る。

今回の地下空間は、奥行き100〜200メートルとそれほど奥行きは広くはないが、
水深は30メートル以上あるらしい。
乗り口を灯す明かりがあるだけで、奥に進めば進むほど真っ暗。
目が暗闇に慣れてくると、
天井にある水滴がわずかな光に照らされ、とてもキレイだった。

地底湖でのカヤック体験中。水温は、5〜6℃だそう。

参加者はカヤックとラフティングボートを両方体験。
数名で一緒に乗り込むラフティングボートは、奥に進むと岩穴に上陸できる。
探検しているような、ワクワク感に駆り立てられながら、
120センチ角くらいの、にじり口のような穴をくぐると、
高さ2メートルほどの、周囲が石に囲まれた空間に出た。地面は砂でおおわれている。
さらに奥に進むと、地上から注がれる光が目に入ってきた。

暗闇に差し込む外の光は、どこか幻想的な雰囲気に包まれる。

採掘の方法には、横穴と縦穴があり、外の光が縦穴と呼ばれる穴から坑道に注がれる。
真っ暗闇のなかで見る太陽の光は、どこか神秘的な雰囲気だ。
ときおり、狭いトンネルのような小さな坑道を通ると、
まるで、考古学者にでもなったかのような気分。
採掘場は、こんなふうに横穴と縦穴が入り組んでいるのだという。

外から見た採掘場跡。遺跡のようにも見える。

1時間ほど暗闇の地底湖を楽しんだ後は、
この採掘場の持ち主のお宅の庭にお邪魔させてもらい、昼食をとった。
明治に開山したというこちらの採掘場。
昔は職人さんが夜通しで採掘することもあったくらい忙しかったのだと、
採掘場の持ち主の方が教えてくれた。
庭には、大谷石でつくられている蔵が建っていた。

午後は、また別の採掘場跡へ。
大きく切り出された大谷石がそのまま、外に積み上げられているのだという。

縦横約1.8メートル、高さ1メートルほどの大きさの大谷石が、ブロックのようにたくさん積み上げられている。

行ってみると、まるで、スーパーマリオのゲームの舞台のように、
大きな大谷石のブロックが無造作に積み上げられている。
参加者はブロックからブロックへと飛び移っていくが、
1ブロックを登るだけでもひと苦労。
巨大ジャングルジムとも言えるスケールに、驚きと楽しさがある。
一番高いところまで登り、見渡す風景は壮快だ。
参加者は、登ったり座ったり、思い思いの時間を楽しんでいた。

これが、あのブロックを切り出したという大きな機械。高さ15〜20メートル以上はありそうだった。

このワクワク感をたくさんの人に知ってもらうために。

実は、採掘場跡が産業遺産として残るこの大谷地域は、
宇都宮のなかでも、時間が止まってしまったような地域なのだという。
もちろん、住人も年々減っている。
「この土地を何とか生かせないだろうか」
地元の方からそう相談を受けた4人は、
「大谷石の採掘場跡があるこの地域そのものが価値を持つ」
ということをコンセプトに、「LLPチイキカチ計画」という会社をおこした。

坂内さん。

「最初、“地底湖”というフレーズを聞いただけで、
冒険心をかなりくすぐられましたよ。塩田さんから誘われて、
“すぐに、見に行きます!”って答えていましたね(笑)」
と坂内さん。実際にみんなで見にいくと、
廃墟のような、遺跡のような他にはない、大谷石の佇まいに圧倒された。
そして、通えば通うほど、その魅力にひかれるが、
ひとつケアしなければならないことがあった。
採掘場はもともと石を切り出していた工事現場のような場所。
危険と隣り合わせのところがまだまだ多く残っていたのだ。

松本さん。

もちろん、25年間にわたり行政による調査により、安全性の評価はでているが、
「事業化するとなれば、安全面を一番に考えなくてはならない。
アドベンチャーな面を残しつつも、どう安全を確保するかなんですよね」
と松本さんが話すように、安全面、土地の持ち主など、課題は山積みだった。
魅了されつつも自分たちもその価値に半信半疑。
しかし、モニターツアーを体験した参加者からは、
行く場所行く場所で歓声があがり、飛び交うアイデアはいくつも出てくる。
「音の反響が面白いから、ライブをすると面白いんじゃないか」
「野外演劇も面白い」
「景観を楽しむために、見晴らしのいいカフェを開いても」
「もっと広い地底湖探検を安全に行うには」
数回のモニターツアーを通して、
この風景に魅力を再認識した4人は、半年以上かけて安全面、エンターテイメント性など、
地元の方々と共に、実現可能なプランを練ってきた。

そして、このプロジェクトは「OHYA UNDERGROUND」として、
初夏になったら、本格的に始動する。
近くにカフェがオープンしたり、アウトドアツアーとして
体験コースも初級や上級など、いくつか設置することを考えているという。

誰も触れてこなかった、まちの遺産だけれど、そこには、大谷石の職人たちの軌跡が今も残り、
大谷地域の土地の記憶を物語っている。
その壮大な景観は、新しい価値へと再生され始めた。
今後もOHYA UNDERGROUNDプロジェクトに目が離せない。

福島で10代続く糀屋と、
ソーセージの匠が共演。
そこに生まれたものは?

糀屋は、お米に花を咲かせるのが仕事です

「糀和田屋」の三瓶正人さんは、
福島県の中央部、本宮市で240年続く老舗の10代目。
糀(こうじ)は「麹」とも書き、豆麹、麦麹なども存在するが、
和田屋の糀は米糀。
創業以来、地元の米農家とともに歩んできた。

「地元の農家さんからお米を預かって、精米したり、
糀に加工して戻す。それが始まりでした」

20〜30代。若手の糀。

糀屋が花を咲かせた糀を使い、農家が家々で味噌を仕込む。
そんな風に昔ながらの味噌を仕込む農家は、
本宮周辺で500軒を数えている。
以前は自宅でもろみを作り、醤油を仕込む農家も多かったそうだ。

震災が起こる直前、2011年のはじめに塩麹のブームが起きようとしていた。
「塩と糀と水を混ぜたものに、野菜を漬け込む。
そんな習慣は、福島にもありました。それを漬け床ではなく、
調味料として料理に使う新たなニーズが生まれるに違いない。
商品化して4月に全国的に発売しようと準備していた矢先、
震災が起きたのです」

工場や機械が大きく損傷。
「塩こうじ」を発売できたのは、2011年7月のことだった。

発売当初は、原発事故の影響のない前年産のお米を使っていたので、
販売は順調だったが、23年産米は原発事故の影響を真正面から受けた。
ずっと付き合ってきた農家に頭を下げ、
やむなく山形県や新潟県産米で「塩こうじ」を作ることに決めたが、
福島で作り続けることを非難する声も少なくなかったという。

「正直、心が折れそうになることもありました。
そんな時は、お客様の『がんばってください』
という声に、本当に救われましたね」

平成24年産米から、お米の全量全袋検査がスタート。
安全性を確認し、再び福島県産米を使用するようになった。

「糀はどれも同じように見えますが、
実は蔵元によってクセがあり、それが味に反映されます。
機械で大量に作ることもできますが「塩こうじ」の場合は、
『一升盛』といって、一升ずつ升で計って、手作業で作っています。
うちの職人は20〜30代がほどんど。今では46歳の私が一番年長です」

お米と糀菌を操る糀職人は、日本にしかない職業。
全国的に高齢化が進む中、
これだけ若手が揃っている糀屋は少ない。

世界中のソーセージを手作りする、異色のレストラン

1月22日に、福島県主催の「県産品消費者理解促進交流会」が開催されたのは、
東京・恵比寿の「ソーセージスタイル流行-hayari-」。

シェフの村上武士さんは、福島県いわき市の小名浜出身。
子どもの頃はメヒカリやカツオなど、新鮮な魚を食べて育った。
役者を目ざして劇団を渡り歩いていたが、料理の世界に転身。
ヨーロッパはもとより、アジア、アフリカ諸国の多彩なソーセージに加え、
独自に考案したオリジナルソーセージを繰り出す、
おそらく世界初の「ソーセージレストラン」を開業した。
2009年のことだ。

故郷の苦労を知りながら、
東日本大震災直後は食材の正確な情報が掴めないまま、
料理人として「何かしたくても、できない」という思いを抱えていた村上さん。
しかし、検査結果が明らかになるに従って、
福島県には安全性の確認できた食材が豊富にあることを知る。
「こんなにたくさんの食材があったことを、改めて知りました」
「ふくしま応援シェフ」として名乗りを上げた。

この日のテーマは「正月の食べ過ぎ解消」。
福島の食材を駆使した4つの料理が登場した。

福島ハーブ鶏のレバーソーセージ

鶏のレバーを使ったソーセージは、村上シェフの定番。
今回は「福島ハーブ鶏」のレバーを使った。
オレガノやシナモンなどのハーブ類を飼料に混ぜて育てられた「ハーブ鶏」。
そのレバーを、ポルト酒やアルマニャックなど、
洋酒に漬け込んで臭みを落ち着かせ、
スパイスと合わせてフードプロセッサーにかける。
それをさらに3回裏濾し……という具合に、
手の込んだプロセスを経て、なめらかな食感に仕上げた。

「臭みがなくてすばらしい。
レーズンを使ったソースとの相性も抜群」
これは会場で参加者から聞いた声だ。

雪下野菜と発酵生姜のサラダ

通常は雪が降る前に収穫する野菜を、
積雪後にも畑で栽培し続ける雪下野菜。
寒さから身を守るため糖度を上げてがんばる。
1m近くの雪の中から掘り出さなければならないので、
「収穫」というより「発掘」に近い作業になる。

そんな雪下野菜のキャベツとニンジンの細切りと、
アスパラ菜、干しエビ、豆類を合わせて、
村上シェフはサラダに仕立てた。

ミャンマーの「アトゥ」と呼ばれる料理をアレンジしたものだ。
ポイントは発酵生姜。

発酵生姜は、ミャンマーではメジャーな調味料で、
身体を芯から温め、代謝をよくする効果もある。
糀屋の三瓶さんも「細切りで乾燥しているのに、強い香りがする」と、
異国の「発酵もの」に興味津々の様子。

会津地鶏とミャンマーの伝統麺

「オンノカウスエ」も、ミャンマーの代表的な麺料理。
ヒヨコマメの粉末をココナツミルクで溶いたスープで味わう。

素麺のような小麦粉の細麺を使うことが多いのだが、
今回は福島県いわき市の「たふぃあ」が作る米粉の「稲穂めん」を使用。
「小麦の麺よりもあっさりした味わいなので、
よりスープが絡むよう、いつもより粘度を上げてみました」と話す村上シェフ。
「会津地鶏」を2羽使ってとったというスープは、味わいが至って濃厚。
会津の芽吹き野菜、あさつきも添えられていた。

10代続く糀屋とシェフの競演

村上シェフのソーセージと、三瓶さんの「塩こうじ」。
このふたつが出会うのはホットドッグだ。
「会津天然酵母パンに包まれたエゴマ豚のブラートヴルストを、
塩こうじのザワークラウトとともに味わうホットドック」という、
とても長い名前の料理で両者が競演。

「できる限り無添加で。化学的な結着剤や発色剤は使わない」
そんなポリシーでソーセージを作り続けてきた村上シェフが、
ソーセージに使ったのは「エゴマ豚」。
福島県の特産品で、
α-リノレン酸を豊富に含む「えごま」の実を飼料に混ぜて育てるこの豚の、
ブロック肉をミンチする作業から取り組んで、
ドイツの古典的なソーセージ、ブラートヴルストを作った。

「肉料理に塩こうじを使うのは確かにブーム。
でも、家庭で作るのは難しいので、野菜を漬け込んでザワークラウトにしました。
糀和田屋さんの塩こうじは優しい。野菜がきっと華やかになる」

塩こうじのほか、ディルシードやローリエ、穀物酢でキャベツを揉み込むだけ。
冷蔵庫で3時間ほど寝かせると食べごろになる。
作り置きすれば、お新香感覚で楽しめるそうだ。

会津の女子大生に人気。天然酵母のパン屋さん

今回のホットドックに使用されたパンを焼いた、
会津若松市の「ホームベーカリーコビヤマ」の小桧山和馬さん(30歳)にもお話を伺った。

お店は会津大学短期大学部の目の前。
女子大生に愛される町のパン屋さんで、
毎日80〜90種のパンを焼いている。

「いずれ天然酵母のブームは必ず来る。それなら会津で一番先に取り入れよう」と、
和馬さんのお母さまが真っ先に天然酵母を取り入れたそうだ。

今回使用された、天然酵母のソフトフランスは「皮はパリッ、中はふわっ」
「フランスパン用の小麦粉に、塩と水、
そして砂糖を少しだけ加えた生地を、天然酵母で発酵させたシンプルなパンです」
ここにも「発酵の技」が生きている。
村上シェフは、そんな小桧山さんのパンに可能性を見いだした様子。
「ソーセージやザワークラウトとの相性が、とてもいい。これからも使っていきたい」
交流会がきっかけで、新たな定番が登場しそうだ。

日本酒ベースの発泡酒やハチミツ入りのお酒も登場

料理に合わせて福島県の日本酒も登場した。
「鶏レバーに合うと思ったから発泡酒がほしかった」と村上シェフ。
そこで選ばれたのは、会津若松市の「末廣酒造」の「姫ごこち しゅわりん」。

その名の通り微発泡。
たしかにさわやかな飲み口の「しゅわりん」と、ソーセージの相性は抜群。
同じ蔵元の「伝承山廃純米 末廣」もまた、好評だった。

もう一点セレクトされたのは、「ミード酒」と呼ばれるはちみつのお酒。
会津で採取された栃のハチミツを、
1か月ほど発酵させた後に濾過したもので、アルコールは11度。
採蜜を会津若松市「ハニー松本」が、醸造を喜多方市の「峰の雪酒造場」が手がける、
会津生まれの珍しいお酒だ。

こうした新しいスタイルのお酒が続々と生まれる背景には、
たしかな醸造技術を持ち、意欲的に商品開発に取り組む、県内の蔵元の存在がある。
「平成24酒造年度全国新酒鑑評会」では、
福島県から37の蔵元が37点の日本酒を出品。
うち26点が金賞を受賞。
金賞受賞数全国1位の快挙を成し遂げている。

「福島の食材を使ったお料理だから、同じ土地で生まれた日本酒が、
すごく合いますね。マリアージュがすばらしい」と話すのは、
フードアナリストとしても活躍している、参加者の佐保田香織さん。

糀和田屋の「塩こうじ」も日本酒も、元を正せばお米が原料の「発酵もの」。
スタイルが洋食に変わっても、
味わう人の中で互いに響き合うのは、当然なのかもしれない。

SNS、ブログ、イベントなど、応援のカタチもさまざま

この日の参加者は25名。大部分が女性で、
中には個人のブログやSNSを通して、
福島の食に関する情報を、積極的に自己発信している人も少なくなかった。

ブロガーとして活躍する山本峰子さんも、そのひとり。
「ネット上で、コミュニティを作り、その中で東北の情報を発信しています。
東北のきれいな風景や、おいしいものの情報を発信。
それを見た仲間にも、どんどん写真や情報をUPしていただいて、
みんなを東北に行きたい気持ちにさせよう。会津にもよく行っていますよ!」

一方、村上シェフも、
「私自身も震災直後は『福島は終わった』と絶望的になっていました。
だけど、いろいろ勉強するうちに、全県を上げて検査に取り組んでいるのがわかったし、
応援シェフになることで、今まで知らなかった食材にも、出会えました」

もうすぐ震災から3年。
東京では、レストランやネット上で出会った仲間たちが、
福島の魅力を知り、伝え合う。
そんな人たちが、確実に増えている。
「自分の思いを発信しやすく、誰かとつながりやすい時代です。
信頼できるシェフや共感できる友だちから正確な情報を得てください」

本宮の糀屋さん、いわきの米粉麺屋さん、
会津の雪下野菜の生産者やパン屋さん、そして日本酒の蔵元たち…。
福島の生産者や職人の力を借りて、
「ソーセージの匠」は、会場にたくさんの笑顔の花を咲かせていた。

◎「塩こうじのザワークラウト」のレシピ◎

【材料(4人前)】
キャベツ 1/4個(250g)
糀和田屋の塩こうじ 50g
ディルシード(またはキャラウェイシード) 1g
ローリエ 1/2枚
酢 30g

【作り方】
① キャベツ1/4をざく切りにして洗う。
② ビニール袋に1のキャベツと酢以外の材料をすべて入れて、よくもむ。
③ 全体にしんなりしたら、口を閉じて冷蔵庫で4時間〜ひと晩寝かせる。
④ 袋に酢を加え、全体になじませたら完成。

お問い合わせ

事務局 会津食のルネッサンス

住所 福島県会津若松市中島町2-52
TEL 0120-91-0617 (10:00~18:00 ※土日祝日休)
FAX 0242-93-9368
E-MAIL order@a-foods.jp
http://www.a-foods.jp/

Information

ソーセージスタイル流行-hayari- 

住所 東京都渋谷区恵比寿3-48-5 グランデ恵比寿2F
TEL 03-5422-8467
営業時間 18時〜23時(月〜金L.O.)、18時〜22時30分(土日祝)
定休日 不定休
http://www.hayari-sausage.com/

㈲糀和田屋

住所 福島県本宮市本宮字上町22
TEL 0243-34-2140
http://www.koujiwadaya.co.jp/

ホームベーカリーコビヤマ

住所 福島県会津若松市山見町307
TEL 0242-22-1898
営業時間 7時〜19時
定休日 日・祝

山ノ家 vol.5: カフェオープンへ向けて、工事開始

山ノ家 vol.5
現場にて、さまざまな立場を抱えながら向き合う

せっかくの「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ」開催の2012年の夏に、
なんとかこの山ノ家のオープンを間に合わせたかった。
今は7月半ば。工事スケジュールを考えても、
7月末の会期オープンにはさすがに間に合わないことはもうわかっていた。
なんとかスムーズに良いかたちで進める方法はないだろうか……。
すべての完成を待つと、9月までかかってしまいかねなかった。
ならば、工程を2段階に分けよう、と思いついた。
つまり、カフェを先にオープンさせて、
残りのドミトリーに関わる部分などはその後に手をかけよう。

カフェ部分は、工事範囲としては限定しやすい。
1階の土間部分の仕上げと家具、それと厨房とトイレが完成すれば何とかなる。
まず、全体に関わる解体だけはすべて最初にやってしまう、
照明やエアコン、水まわりなどの電気・設備工事は
関連する部分から流動的に手を入れてもらうこともできる。
なんとかこの方法で、工務店さんとも交渉して理解を得て、
準備を進めようという話ができた。
そしてようやく、待っていた融資のほうもOKの返事が来た(vol4参照)。
これでやっと前に進める……!

7月の19日に解体工事が決まり、そこからカフェオープンへの段取りを整理。
アキオくんや、運営立ち上げチームにも具体的なスケジュールを伝えた。
お盆前にはオープンしたいから、8月10日を目標にしようということになった。
まずは、ここに向かって動き始めた。

本当は「コツコツと、できるだけ自分たちだけでセルフリノベーションできればいいなあ」
という想いはあった。
そこにあるものをうまく工夫しながら活かし、新しいあり方に変えてゆくのが
リノベーションの醍醐味といっていいだろう。
フタを開けてみないとわからないことも少なくないが、だからこその発見もある。
そのためにはゆっくりと向きあう時間が少しでも多ければ、いろんな可能性が広がる。
しかし、さまざまな事情もあって、大地の芸術祭が始まるまでの時間は
もう目前まで迫っている。悠長に構えてはいられない。
もともとが降って湧いたようなこの案件。
もちろん運営のための事業計画もたてていたが、
正直、未知の場所で万全の確信が持てる訳でもなかった。
3年に1度の芸術祭でとてもたくさんの人が訪れるこの時期の勢いを借りなければ
計画は言葉どおり絵に描いた餅となってしまうかもしれず、
そうなったら立ち上がりはもちろんのこと、
その先のことはとても想像できるものではなかった。
最初のステップがあった上で、それを通して
ようやく地元の方との接点などがつくっていけるのではないかと考えていた。

というわけでこの芸術祭の会期中に、
少しでも早くオープンさせるために急ぐ必要があった。

設計者としての、この地にあるべき空間イメージのプランとその実現化への調整、
事業者として立ち上げに必要なことの優先順位、先々続けていくために必要な判断、
そして自分も現場作業に入り込み、地元の方や運営スタッフ、インターンらとともに
体験としての場づくりからつくりあげていきたいという想い、
さまざまな立場が重なる部分と相反する部分を併せ持っている。
同じ人格として整理しきれないさまざまな側面をたくさん抱えつつも、
そこに少しでも向き合う時間をつくりたくて
冬のときよりも長く十日町に滞在するつもりでのりこんだ。
外装も手伝ってくれたアキオくんも、同時期に現場入り。気合いが入っている。

スズキアキオくんとともに、gift_の元スタッフだったイクタくんがかけつけてくれた。

同じタイミングで運営立ち上げチームの池田そしてメグミさん、ミナコさんも現地入りして、
これから来るインターンスタッフのための環境整備など、準備をしてくれていた。
それぞれ、出入りは多少あるものの、
この山ノ家の立ち上げが一段落するまではこの地にしばらく滞在するつもりで来ている。
さながら、集団移民という感じだった。

そして、解体工事が始まった。
解体をする範囲はあらかじめ想定してあった。
2階のドミトリーにする部屋の壁・天井、
大掛かりなのは、1階の厨房を中心とした水回り部分の壁、そして床。

和室の床を全てはずすと、以前にいろりとして使用していたような跡が。ここはキッチンとして土間にしたかったのでこれは撤去してしまった。

左側はカフェの厨房への導線をつくるために壊している壁。裏はちょうど、和室の押し入れだったところ。

2階の壁も、構造を残してほぼ全て撤去した。
実際に壊してみるとその量は結構なもの。
これから、この分の壁をまた仕上げなければならないことを思うと、
ちょっと考えさせられた。
「ここまで壊さなければ、工期も金額も圧縮できるのではないか」
という考えがよぎらなかった訳でもないが、ここは設計の立場として譲りたくなかった。

2Fのドミトリーになる部分。砂壁の仕上げはひととおり撤去した。

壊してみてわかったのは、部材の大きさと筋交い(斜めにいれる構造)の多さ、
そしてドミトリー予定の部屋の天井から出てきた梁の立派さ。
おそらく豪雪に耐える故の構造だろう。
築40年程度の木造にしてはずいぶんとしっかりしているようだった。
この立派な梁を見たら、当初は計画していなかった、
屋根裏に隠れていた構造が見えるような天井に変更したくなった。
こういう部分は、設計以上に現場での気づきや直感を大切にしたかった。
おかげで大工さんに「そんな計画変更されたら、やれなくなるよ!」
と気分を害されたりもしたのだが……。

天井をはずすアキオくん。今まで見えなかった部分があらわになってくる。

古民家でもない築年数だが、とてもダイナミックな梁がでてきた。

猛暑のなか、現場をとりまくさまざまな人たちと

工事が始まり、山ノ家の現場とその近辺にはさまざまな人が集まってきて、出入りしていた。

解体に続き、掃除、断熱材の仕込み、石膏ボード貼り、養生、パテ埋め、塗装など、
僕らがやらねばならない工程は結構なボリュームだ。
もちろん、それは、自分で選択した道なのだが。
インターンの方たちが週代わりに入り込んで工程を手伝ってくれ、
現場の良い潤滑油的な存在としても活躍してくれた。
おかげで心身ともに彼ら、彼女らに本当に助けられた。

とても楽ではないだろう作業でも、皆にとってはとても新鮮だというようで、生き生きとこなしてくれた。

そこに、河村くんがある人から託された、とてもインパクトのある人が加わってきた。
トーゴ出身、フランス国籍のジュン君。
フランスの大学を卒業し、観光で日本に滞在しながら帰国のリミットギリギリまで
いろいろ体験したいと言う彼の思いから、
ボランティアワークで約1か月来れるということだった。
初めて会う彼に一瞬身構えてしまったのだが、思ったよりも上手に日本語を話すと、
一気に親しみのあるキャラクターに見えてきたから不思議だ。
大工的な作業自体は初めてではなかったようだ。
しかし、さすがに日本人的な細やかな感じではなく、
なかなかのラフさとマイペースさで作業を進めるので
こちらも目が離せず大変なところもあったが、数少ない男手のインターンとして大活躍した。
そう、なぜかインターンで志願してくれる人は圧倒的に女子が多かったのだ。

真ん中がジュン君。日本のマンガやアニメが大好きで、日本語も独学で覚えたそうだ。現場ではアキオくん(左)と東京からの助っ人大工さん(右)が主に指導してくれて、彼の面倒を見てくれた。

断熱材を壁に仕込む。まんべんなく仕込む。このおかげで効率の良い、現在の快適さがある。

そして、石膏ボードを張る。結構重たくて体力を奪われるが、これでだいぶ空間らしくなってくる。

パテ埋めも自分たちで行い、そして一番楽しい壁の塗装仕上げ。

そしてもちろん、工務店さん手配の方々も現場に日々通っている。
まずは大工さん。外装のときには3人入っていたが、
夏はどこも現場が忙しく、入れるのはひとりくらいだろう、と現場監督さん。
冬のときとは違う繁忙シーズンのなか、現場監督さんもあちこち飛び回っていて、
僕らが大工さんに直接指示出しをせざるを得ない機会が増えた。
そんな中、僕が要望することで難しい顔をされたりしたこともあった。
普段のこだわりと違う少しラフなやり方が困惑させたようだ。
しかし、僕らが大切にしたいと思っている考えや、
これからこの場所をどうしていきたいかなど丁寧に伝えていくうちに、
こちらの意図している加減を了解してくれるようになっていた。
さらに仕上げやおさまりのアドバイスをしてくれるようになったときは本当に嬉しかった。

これからこの地で、自分たちの活動を地元の方々に理解してもらえるように話すことの
背中が自然と押されたような気がした。

それから電気屋さん、設備屋さん、建具屋さん、塗装屋さん、左官屋さん、
担当でないのに近所だからということもあって気をかけてくれ、ちょくちょく顔を出して
何度も一緒になって体を動かしてくれた工務店の頭領さんには
その後もご近所さんとしていろいろと世話になっている。

しかしながら、大工さんが行わなければならない工程は実はひとりでは足りていなかった。
いつもお世話になっている東京の大工さんにもヘルプをお願いしたところ、
なんとかスケジュールを調整して来てくれた。これはとても心強かった。
先の、地元の大工さんとの間を取り持ってくれたりしながら、現場の士気を高めてくれた。

まつだいの夏は、湿気は少ないのだがしっかり暑く、
かろうじて扇風機のみの現場は日差しと熱気に押しつぶされそうになるくらいだった。

工事現場チームの傍らで、
カフェの運営準備チームはメニューや食材、そしてオペレーションなどの整理や、
まかないご飯などもつくってくれた。そして、工事現場のチームのために
休憩時のスポーツドリンクをつくってくれた
(真夏の工事。飲みものはすごい勢いでなくなっていくのだ)。

休憩のとき、現場を切り盛りするさまざまな人たちと一緒に過ごし、
たわいもない話をすることで自然と一体感が生まれる。
これがとても感慨深いひとときだった。

このひとときに、関わるさまざまな人たちがテーブルを囲んでいた。

そしてさらに、まだこの地にやってきた人たちがいたのだ。

内装工事に先駆けて、実はオープニングイベントを想定して
何人かの音のアーティストに1週間滞在してもらい、
この土地のさまざまな音をレコーディング。
それらを音源に取り込んだライブをやろうという計画を同時進行させていた。

山ノ家の展開のひとつとして、アーティストインレジデンス
(ある土地などにアーティストを招聘して、滞在製作をしてもらうためのしくみ)
という機能も当初から考えていた。
恵比寿のgift_labで行っていたようないろいろなアーティストとの交流を、
ここで違ったかたちで花開かせることができたらと妄想し、楽しみにしていた計画のひとつだ。

しかもそのひとりはなんと、海外から来てくれるアーティスト。
ちょうどこの時期に合わせて、まつだい入りしてもらうように調整のやり取りをしていた。
しかし、着工が最初の見当よりおしてしまったせいで、
そのイベントの日程がカフェのオープン日よりも前になってしまう事態になっていた。
彼らには工程が当初の予定通りになっていないことを伝えつつ、
(前向きに)完成前の山ノ家でイベントを決行したいということを説明した。
もちろん、延期も中止も考えられない状況ではあったのだが。

実際まつだいに到着した彼らは、とてもこの土地のことを楽しんでくれた。
ただ、日本の猛暑はイギリスからの来客たちにとって、とても辛かったようだった。

イギリスから来てくれたjezさんと、このプロジェクトに共感し、同じく滞在してくれたsawakoさん。共に素敵なサウンドアーティスト。深夜や、早朝にもレコーディングに繰り出していたようだ。

そして完成前にイベントを行うということは、
工事の手も止めてもらわなければならないということでもあり、
厳しいスケジュールのなかでのこの工程調整にも気を使いながらの準備となった。

彼らが約1週間滞在したのち、イベントの当日を迎えた。
滞在はできなかったがこの日に駆けつけてくれたふたりのアーティストも合流していた。
楽しみにしていたこの日。初めての土地でのイベント開催で、
何処からどのように人が来てくれるのか見当がつかなかったが、
既に告知を聞きつけて新潟市内から来てくれたお客さんがいたり、
地元で知り合った方が来てくれたりしたことは、驚くと同時に嬉しかった。
帰省をからめて東京から来てくれた人だったり、
知り合いが駆けつけてくれたりという感じで、人数こそそこまで多くはなかったが、
この顔ぶれは、これからのこの場を予感させるのには充分なものだった。
カフェ運営立ち上げチームによるケータリングも、イベントに花を添えていた。

このイベントでは1週間滞在したJez riley Frenchさん, sawakoさんに加え、笹島裕樹さん, asunaさんの合計4組が出演してくれた。

空調設備が間に合わず、暑い状況でのライブ。
まつだいで録音されたヒグラシの涼しげな音や、
近所にある水琴窟の音、夜の蛙の声などに音楽が重なったり、
50台の電子キーボードが和音を奏でたり。
夏休みのストップモーションのようなひととき。
無謀な計画ではあったが、これがここでの場としての始まりの一端をつくりだしていた。

カフェオープンまで残り数日、あともうひと息。

つづく。

「うだつの上がった街」で 手作り市!四国の旨いものや 雑貨が集う徳島県三好市 「うだつマルシェ」

今週22日(土)に行われる徳島県三好市池田町の手作り市「うだつマルシェ」。
昭和の面影を残すレトロな町で徳島をはじめ、四国各地から集まった
約90店の作り手たちがおいしいものや、すてきな雑貨を直接販売します。

おばあちゃんたちの手作りしたお蕎麦やだんご、
各地の農園がこだわった野菜やくだもの、
大人気の新鮮なひものや、お菓子、雑貨などを販売。

また、池田町に古くから伝わる「たばこ踊り」や
色々な打楽器を使って音楽を奏でるワークショップなんかもあります。

地元の人が変装して街を賑やかに練り歩く、名物「うだつちんどん」。飛び入り参加も歓迎です!

第10回目になるこちらのイベント、関西や中国地方からも人が訪れるほど人気だそう。
また、今回は四国四県と地元三好市、合わせて39酒蔵が参加する
「四国酒まつり」も同時開催。
四国中のお酒が堪能できる「地酒試飲会」や、
普段なかなか見られない酒蔵の見学も楽しめます。

ちなみに「うだつ」とは、
日本家屋の屋根に取り付けられた防火壁こと。
もともとは隣の家から火事が燃え移るのを防ぐためつくられましたが
装飾的な意味あいが強くなり、立派なうだつは裕福な家の象徴となりました。

そんなうだつが残る古い町並みで、四国の美味しいものを食べたり飲んだり、
活気ある作り手たちやスタッフたちと触れ合えるこのイベント。
最近パッとしないな(うだつが上がらない)という方も
きっとパワーがわいてくるはず。ぜひ遊びにいってみてください!

うだつマルシェ

うだつマルシェFacebook

新潟・まつだいの「山ノ家」で たっぷり雪国体験ツアー 「かまくら茶もっこの宴」

新潟県十日町市松代の地に構える、山ノ家カフェ&ドミトリー
冬は深い雪が積もる松代に、ほんのり春の足音が聞こえるのは3月ごろ。
それにちなんだ3月15〜16日に、地元有志が主催するイベント
「かまくら茶もっこの夕べと雪遊び」が開催されます。

このイベントは昨年も開催され、たいへん好評となった
「かまくら茶もっこの夕べ」の最新版。
地元の方の快い協力のもとで開催されているのが素晴らしいところ。
山ノ家のある旧街道、ほくほく通り界隈の民家で
自慢の地酒や郷土料理などを自由にハシゴして歩くのが、楽しみのひとつなんです。

「行きたいけど遠いから……」とおっしゃる方のために、
今回は、地元有志の「茶もっこウォーク事務局」が東京発着のバスツアーを企画。
宿泊は山ノ家もしくは古民家の宿「みらい」。
その他、十日町まつだいを体感できるスポットを廻って
地元の人らによるガイドで楽しむツアーとなっています。

ツアーの日程をちょっとご紹介すると、30人も入る大かまくらを体験できます! 
ほかにも越後妻有「大地の芸術祭」の拠点「農舞台」と隣接の郷土資料館の見学や、
歴史ある旅館を再生した「ベンクスハウス」を拠点に玄米甘酒づくり体験、
かまくらづくり体験、芝峠温泉「雲海」にて雪見露天風呂、
そして積もった雪の上を仙人のように歩く「凍み渡り体験」も!

遊び疲れたら、夜は自慢の地酒や郷土料理を堪能して、疲れを癒してください。
お値段は、往復バス料金、雪国文化体験、一泊4食付きで
18,000円。お申込みの締め切りは3月7日(金)となっています。
お申込みは下記事務局まで!

茶もっこウォーク事務局

TEL:025-595-6770(10:00〜18:00)

メール:info@yama-no-ie.jp

Web:山ノ家

MAD City vol.5: オーナーも住人も自らリノベ。 進化し続ける「ロッコーハイツ」

MAD City vol.5
オーナーのDIYから、昭和のハイツが生まれ変わる

築年数が古く、最上階だけれどエレベーターも無い。
僻地的な立地にあり、中は未リフォームというマンション。
一般的にはかなり厳しい条件の不動産ですが、
そんな物件もオーナーさんのバイタリティで生まれ変わらせることができる。

それを教えてくれたのが「ロッコーハイツ」です。

出会いはちょうど1年前。弊社スタッフ庄子渉からの紹介がきっかけでした。
「昔のバイト仲間が、
お父さんが持つ不動産について相談があるらしいんだよね」
そう言われて出会った「ロッコーハイツ」のオーナーのトシくんは、
元ダンサーで現在は家業の農園を手伝いながら
イベントオーガナイザーやDJとしても活動しているイイ感じのお兄さん。

トシくん。不思議と何かをやってくれそうな雰囲気をもっています。

トシくんは南房総に住んでいたけど、
つい最近、お父さんが営む梨農園を手伝いに松戸に戻ってきて、
今はロッコーハイツの管理人をしているとのこと。
トシくんの相談はロッコーハイツを改装可能な物件として
貸し出しできないかというものでした。

ロッコーハイツは昭和40年代に建てられた5階建てのエレベーター無しの
マンション、というよりもハイツ。
一応2路線利用が可能ですが、最寄り駅は東武野田線の六実駅か、
新京成線の元山駅といういずれもローカル線。
どちらの駅までも歩くと15分〜20分くらいで、
松戸駅からは車で20〜30分程度かかる場所にあります。

さらに、空き室が目立つ5階は、和室のみに旧式の風呂釜という
昭和の設備と内装のまま。
現代のライフスタイルに合うべく、リフォームしなくてはいけないけど、
そんなに大胆にかける費用は無い。
かと言って前から住んでいる人も居る手前、そんなに簡単に賃料も下げられない。
そうこうしているうちに空き室は増えるばかり。

そんな手詰まり感がある物件は残念ながら地方に散見していますが、
正直に言えば、ロッコーハイツもそのひとつで、
ご多分にもれず5階はすべて空室でした。
満室にするのは、もちろん簡単ではない。
ですが、不思議となんとかなりそうな気がしていました。
それは何よりもトシくんの存在。
トシくんはもともと「シラハマアパートメント」という、
南房総で多くの若者を惹きつける場所に滞在していました。

シラハマアパートメントの一室。

シラハマアパートメントはもともと企業の社員寮として使われていた、
築40年以上経っている建物をオーナー自らが改装して、
カフェやレンタルルームとして運営している場所。
トシくんはここに住んだことでリノベーションというものを知り、その時から
「親父が持っている古い物件で似たようなことできないかなあ」
と考え始めたそうです。

地元に戻ることが決まったトシくんは、
すぐにロッコーハイツの管理人になりました。
そして、最も状態の良くない部屋を自らリノベすることに。
「まだ未完成だから完成したら見に来てね」
最初の出会いの日にそう言われてから2か月後、
トシくんのリノベがある程度できたというので、ロッコーハイツを訪れました。

「壁は壊して白く塗ればいい」

シラハマアパートメントで習ったという、
シンプルなコンセプトに基づき、素人だけで開始されたリノベーション。
その結果、もともとちょっと怖い感じの和室だった部屋が、

トシくんや友人の手によって徐々に生まれ変わり

こんなにキレイになりました。

改装のお手伝いをしたことがあるとはいえ、
ここまでのリノベーションはトシくんも初めて。
「スマホを片手にググりながらやり方を調べたよ〜」
失敗してもその都度やり直しながら
約3か月をかけて部屋を完成させていきました。
こちらのお部屋は、現在はトシくんが使う管理人室ですが、
ゆくゆくはみんなのシェアスペースとして運営していくそうです。

初めてロッコーハイツを訪れた時にすっかりくつろぐ、僕と庄子。

さあ、ようやくこれで住人を募集ができる。本番はここからです。

募集にあたって僕らも考えました。
この物件のどこが一番の魅力なんだろう。
大胆に改装できる自由度も、もちろん魅力ですが、
考えた末に出た答えは何よりもトシくんの存在。
隣人に面白くてしかもリノベについていろいろ教えてくれそうな人がいるなら、
なんか安心だし楽しそう。

「共感してくれる人がきっといるはずだ」と思い、
募集を開始しましたが、問い合わせは芳しくない状態が約2か月続きました。

「まあ3年計画でいこう」
そう言ってくれていたトシくんも、だんだん、いてもたってもいられなくなり、なんと2番目に状態の悪い部屋のリノベーションに乗り出します。
その様子はトシくんがつくったロッコーハイツのホームページや、
Facebookページでもどんどん発信されていきました。
それでも問い合わせは増えない。

そんな状態に、光が差します。

MAD City不動産をTVで取材してもらうことになり、
その際に魅力的な物件としてロッコーハイツが紹介されることになったのです。
するとさっそく反響が。

TVを見て、見学に来てくれた松本さんという女性は、
海外では一般的に見られる部屋のDIYにずっと興味があったけど
日本では諦めていたそう。
ですが、ロッコーハイツからの景観、リノベの自由度、
そして隣にリノベ経験者のトシくんがいるという安心感が決め手になり、
ロッコーハイツの最初に入居者になってくれました。

人が入り始めると連鎖するのは不動産の不思議なところ。

松本さんの入居が決まった直後に、
工業高校で建築を学んでいた同級生同士の加藤くんと飯名くん、
続いてWEBデザイナーさんが入居し部屋は満室になりました。
そして、それぞれ自分のペースでリノベーションを始めていきます。

例えば、松本さんは週末に徹底したリノベ。
松本さんのリノベーションはもはやDIYのレベルを超えていて、
床はネダを組むところからやり直してフローリングに変更。

玄関は1枚1枚丁寧にタイル張り。

「何かあった時に周りに頼れる人がいるのは安心ですね」
その言葉通り、松本さんの友人はじめ、トシくん、
ロッコーハイツの入居者のみなさん、そしてMAD Cityで出会った人からも
一部協力を得ながら1年計画で現在もリノベ進行中です。

もう1組、高校で建築を学んでいた加藤くんと飯名くんはなんとも大胆な改装。
「とにかく自由にいじれるところに惹かれました」
というふたりは、一旦部屋をスケルトンに解体。
そして、エントランスの床は剥がしたままコンクリートむき出しにし、
バーカウンター風に。

室内は、ラウンジ風にアレンジ。

実は改装中、階下の方から騒音で注意されていたというふたり。
しかしいつのまにか、作業する度に挨拶に行くことで、
むしろ仲良くなっていき、今では部屋の見学にも来てくれるそう。
ふたりが改装中の部屋は友人たちにとっても居心地が良いみたいで、
今やこのあたりで、最も若者が集まる場所のひとつになっています。

既にロッコーハイツで生活を始めたふたりは、
少しずつ生活環境にも馴染み始めていて、
飯名くんはトシくんの友人が経営する地元のカフェでバイトも始めるなど、
地域コミュニティに溶け込み始めています。

ゆるやかに少しずつ進化をしているロッコーハイツですが、
トシくんは現状をどう思っているのでしょうか?
「最初は自分が部屋をつくるのに必死だったね〜」
というトシくんですが、自らの改装が終わり入居者が入ってくると
一抹の不安もあったそうです。

「何もないエリアだし、改装の自由度と、
その楽しさで人に来てもらうしかないと思って人を募集してきたけど、
いざ入居が始まると、部屋がどうなるかわからないし、心配もあったよね」
しかし、実際に入居者の方とコミュニケーションをとり、
時間を過ごしていくうちにお互いに信頼関係が生まれてきて、
「今は、本当に感謝の気持ちでいっぱいだよ」
と言うトシくん。今後についてもこう話します。

「住んでくれた人の意見によって変化し続けるアパートにしたい。
例えば、今5階の玄関の扉を塗り替えようと思っているんだけど、
何色がいいかは入居者のみなさんと相談しています」
改めてロッコーハイツ全体の構想を考え、
ゴミ置き場を整理したり、照明をやわらかい色のものに替えたり、
共有ルームをカフェテラスにできないか検討しているそうです。

ゴミ置き場への張り紙もちょっぴりおしゃれに。

実は、窓から一面に見渡せる景色が気持ちよくて、
近所には桜並木もあります。
松戸の僻地にあったはずの物件は、
都会に近いローカルとして魅力的と言ってもらえるようになり、
いつの間にかMAD City不動産にも
「ロッコーハイツのような場所はありませんか」
と問い合わせをいただくようにもなりました。

「窓を開けると本当に気持ちいい風が吹くし夜景もキレイなんだよね」とトシくん。

「今は空き部屋がなくてなんだか申し訳ないよ」
そう言うトシくんは現在改装中のお部屋もすぐに募集ができるよう、
ピッチをあげてリノベーションをしています。
管理人がきっかけとなり、それに共鳴するように
それぞれの入居者のみなさんが適度に助け合いながら、
少しずつ進化を続けているロッコーハイツ。
半年後、1年後、そしてその後も。
焦らずゆっくりと化学変化が起き続けるロッコーハイツを
MAD Cityは陰ながら見守っていきます。

information


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MAD City(株式会社まちづクリエイティブ)

住所 千葉県松戸市本町6-8
電話 047-710-5861
http://madcity.jp/

徳島の産業で何ができるのか? 食や文化の魅力を体験した クリエイター達による プレゼン会開催!

現地の企業や産業と、クリエーターをつなげるプロジェクト「B-e-e-e TOUR」。
2013年秋には徳島県を舞台に「食」と「周辺文化」をテーマにしたツアーを開催。
様々な分野で活躍するクリエイターたちが旅をし、
徳島に住む人々や産業の魅力を発掘しました。

そして今回、そのツアーに参加した各クリエーターが
徳島の食材や文化の魅力、地元の人々との出会いから生まれた
ビジネスプランの発表をするイベントが開催されます。

B-e-e-e TOUR参加メンバーは、かつて徳島の子どもたちのほとんどが持っていたという遊山箱(ゆさんばこ)をワークショップで製作

最終日のイベントでは農村舞台で見られる人形浄瑠璃の舞台が再現され、徳島に息づく芸能文化を肌で感じてきました

プロジェクト代表の栗栖良依さんによって語られるイベントの経緯、
トラベルライターの朝比奈千鶴さんとフードデザイナーの横田美宝子さんによる
徳島の食と文化についてのトークショー、そして各クリエイターによるプレゼン。

参加クリエーターはグラフィックデザイナー、プロダクトデザイナー、
コスチュームデザイナー、自由大学教授、レストランオーナーなどと幅広く、
まだまだ知らない徳島の魅力や可能性がたくさん発見できそうです。
また、会場では徳島食材を使ったオリジナルスイーツがいただけるそうですよ!

川辺で箸をつつきながら食べる“たらいうどん”で徳島の食文化も体感

竹ちくわづくりの体験を通し、クリエリターたちは独自のポリシーをもつ食品企業とのコラボレーションを模索します

新しい事業の始まり方の参考にするもよし、
会場にいるクリエーターや徳島の生産者と触れ合うもよし、
旅先としての徳島を知るもよし。ぜひ参加してみてください!

日時:2014年2月14日 19:00〜21:00(18:30受付開始)

※このイベントは3月に延期になりました。

会場:イトーキ東京イノベーションセンター「SYNQA」

定員:70人

参加費:1,000円(お茶・お菓子付)

お申し込み締切日:2014年2月13日

お申し込みは下記ページより。

クリエイターと創造する地域産業の未来「徳島県の食文化」編

ビルススタジオ vol.5: 倉庫をDIY、はたらく場所をつくる

ビルススタジオ vol.5
食・クリエイティブなど、多業種が集まる場に

「はたらく場所をつくろう」
自営の仲間との雑談中、あるときそんな話になりました。

宇都宮には、食べる場所、飲む場所、遊ぶ場所はそこそこあるし
居心地のよい気のきいた場所づくりがなされている。
住む場所の選択肢も増えてきてるし、その質も上がってきている。
しかし、はたらく場所がまだまだ足りない。
これはおかしいんじゃないか。
だって、ほとんどの時間をはたらいて過ごしているはずなのに
はたらく場所についてはおろそかになっている。
はたらくことは、国民の三大義務のひとつだと定められている。
義務的にはたらくのに環境うんぬんなんておこがましい、
ということなんでしょうか。

近年は、労働条件もだいぶフレキシブルになったし、
覚悟さえあれば自由に起業できる時代でもある。
多種多様な仕事も業務内容も成立する大都市圏では
とっくにはたらく場所に気をつかっているし、
より便利で快適なオフィス空間を求めている起業家たちは多い。

一方、地方都市・宇都宮で不動産業も営む私のところへは
ここ数年、オフィスを探しているお客さんは、ひとりも(!)来ていません。
こりゃまずい。営業所の撤退は別にいいとして、
新規の起業さえ起こってないんじゃないか。
という心配はありましたが、
実はデータ上では宇都宮市内の起業数はむしろ増えているらしい。
ホントか? という疑いは残るものの、
ではなぜオフィスを探している人が全くいないのか。
まわりの人を見回してみました。すると答えは簡単。
皆、自宅兼オフィス(俗に言うSOHO)で仕事をしているんです。
確かに、家賃が安くて広めのところに住めるこの栃木県。
別個にオフィスを借りるよりは安上がりでしかも落ち着いて仕事もできますしね。

しかし、個人事業者同士が集まれるワークスペースがあれば、
よりよい仕事が生まれるのではないか。
自宅でこもって仕事をしていたのではせっかくの起業もムダに終わってしまう。
仕事は、情報とその交換からいつもいろいろなアイデアが生まれている気がする。
多業種の情報を自然と共有できる「はたらく場所」の存在が
それらの起業を成長させ、
いずれはそれぞれの面白いオフィス空間が生まれていくのではないか。

ということで、早速物件を探すとJR宇都宮駅近くにこのこの空き倉庫がありました。

倉庫物件外観。町工場のような佇まいにも惹かれました。

非常にミニマルな佇まいですが、中は3フロアもあります。
ということは、
1フロアをフリーアードレスのデスクスペースにして、
もう1フロアをミーティングスペースにできるな。
じゃ、残りは?
そうだ、はたらく場所にはカフェがほしい。
飲食店もオーナーにとってはひとつのはたらく場所。
独立したい店主の卵が腕を試せる場所にしてしまおう。
そんな想いに共感した3社にて恊働し、
プロジェクトがスタートすることになりました。
3社それぞれの担当は、こんな感じ。
運営:マチヅクリ・ラボラトリー 村瀬正尊
飲食監修:日光珈琲・饗茶庵 風間教司
施設監修:株式会社ビルススタジオ 塩田大成

施設名はSOCO(ソーコー)。
SOHOでなく、SOCO。もちろん、ダジャレです……。

DIY前の3階。この、トラスの梁がかっこいい。倉庫ならではのリフトもありました。

それくらいゆるい決めごとだけで賃貸契約を結び、工事を始めました。
電気設備工事など、必要なところはプロに依頼しつつ、
基本はもちろんDIY。
猛暑のさなか、サウナのような室内で壁を塗り、
棚やワークテーブルを皆でつくり、最後はBBQをして帰る。
さらに、使う家具類を探してヤフオク巡り……。
そんな日々を過ごしました。

SOCO+ビルススタジオスタッフと仲間たちによる猛暑の中のペイント作業。クラクラしてきます……。

そして3か月後。
1階にテストキッチンスタジオ、2階と3階がコワーキングスペースとなった、
SOCO」がオープンしました。
オープニングには渋谷co-baの中村真広さん、
上田市ハナラボの井上拓磨さんという同業先輩方に来ていただき、
トークイベントを行い、花を添えてもらいました。

そして日常へ。
まず、キッチンスタジオ。入居期間は半年〜最長1年とし、
その間にメニューや経営の腕を試し、次のステップへの準備を行います。
第一弾入居者は関西や県内のカフェにて腕を振るった「HAPPY FIELD CAFÉ」が入り、
重ね煮のハンバーグなどの人気メニューが生まれたり、
クセの強いワインをお客さんへ勧めてみたりと、ファンが通うお店となりました。
2014年3月からは次の入居者が決まり、イタリアンベースのお店がスタートします。

1階のカフェの様子。

続いて、2階と3階のコワーキングスペース。
月契約かスポット利用の会員制にしました。
月契約者は現在まだまだですが、
スポット利用会員は100名弱とまずまず。
利用者は現在IT、WEB制作系の方が多く、スポット利用だと建築・住宅系の方がいたり。
利用者さんに話を聞いてみました。

コワーキング一角での打合せ風景。左;OPEN for上野翔平さん、中:OPEN for 五十嵐潤也さん。

経営コンサルティング、ウェブサイト制作を手がける、
株式会社OPEN forの代表・五十嵐潤也さん。

「独立にあたり安価なオフィスを探していたんです。
値段だけでは入居に耐える物件がいくつかあったものの、
場所や居心地、何よりコワーキングという可能性に惹かれ、利用しています。
良い所は他の入居者に気軽に意見を聞けることです。
検索すればすぐわかるような他愛もない知識から、デザインに対する意見だったり。
どうしても1社だけで考え込んでしまうとわからなくなってしまったり、
できることも限られている上に、人脈にも限界があったり。
自分の席で“こんな職種の人いないかなぁ〜”ってつぶやいたら、
隣のテーブルから“いるよ〜。紹介する?”って声掛けてくれたこともありました。

カフェが1階にあるのもいいです。
仕事のあと軽く飲めるし、音楽が聞こえてくるのもいい。
オーナーとも異業種だけど同志として仕事の話を軽く相談できる。
また、打ち合わせに来てもらいやすい、という効果もありますね。
あとはもっと入居者が増えれば間違いなくお互いのメリットも増えると思います。
デメリットは、吹抜けを通して良い匂いがしてくるので、お腹がすいてしまうことかな(笑)」

五十嵐さんたちはここで「Cafe Hakken」というカフェ検索アプリを開発しました。
開発の際、1階カフェのオーナーに意見を聞いたり、
デザイナーでもあるSOCOスタッフに依頼をしたり。
制作チームは男性4名。しかしユーザーは女性が多いはず。
その時に他入居者の女性の意見を気軽に聞ける環境も幸いしたとのことです。

アフェリエイト制作の合同会社cocuuの柿沼さんと松原さんふたりはいつもこの角の席。

その他に、入居者さん同士や外の人との交流を図るため、さまざまな企画が行われています。

>「PechaKucha Night Utsunomiya」
「PechaKucha Night」とは、2003年より六本木のSuper Deluxeで始まり、
今では世界400余りの都市で行われている、1人20枚のスライドを20秒ずつ、
合計400秒でプレゼンテーションするというシンプルなルールで行われるイベントです。
これからの栃木を創造してゆく人たちと出会い、繋がる機会をここで設けました。

「PechaKucha Night Utsunomiya」の様子。

>「Green drinks Utunomiya」
「Green drinks」とは東京やニューヨーク、中国からボツワナまで
世界の800都市以上で開催されているグリーンやエコをテーマにした飲み会のことです。
栃木県、宇都宮市をもっと知り、そしてつくり出すための飲み会をここで開催しています。

ここまでは起業家としても
「そうだよね、ネットワークが広がり、仕事に繋がる出会いの機会になりそうだよね」
というイベントだとは思います。
しかしそれだけにあらず。
ここではマルシェまで、開催してしまっています。

>SOCO MALL
コワーキングスペースを会場にマルシェを開く。
なんなんだそれは。
いや、これも栃木で新しいはたらき方を探す方々を応援するための機会です。
デスクワーク系だけではなく、
例えば、自分の手仕事やサービスでビジネスを考えている人が出店します。
服飾、雑貨、お菓子はもちろん、ネイル、はたまた不動産……。
さまざまなジャンルのはたらく人たちがここに集まります。
ちなみに、次回は3回目の開催。
3月16日(日)11:00〜16:00にSOCOが開放されます。

このように試行錯誤しながらも
ひとつの思いつきと空き倉庫が出会い、いろいろなことが動いています。
たとえ今はこの地域にはたらく場所の需要が少なかったとしても、
空いている物件に僕らの想いをのせて整備し、
ひとつの目に見える場所をつくりだす。
つくってしまったら、あとは覚悟を決めてやるしかない。
「ここはまだまだこれから」
そう思い込んで仕掛けを継続していきます。

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ビルススタジオ

住所 栃木県宇都宮市西2-2-24
電話 028-636-5136

NO ARCHITECTS vol.4: 昔から流れる 日常のリズムに合わせて

NO ARCHITECTS vol.4
まちも建物も最大限に生かすスペースに。

今回は、元たばこ屋さんだった木造家屋をリノベーションした、
「モトタバコヤ」という名前のスペースの紹介です。
場所は、このはなのど真ん中にあります。

大阪市此花区の梅香・四貫島エリアを舞台に、
地元の不動産会社と協働して、まちの再活性化プロジェクトを展開している、
「此花アーツファーム」の事務局として、2011年の9月オープンしました。

オープン時の告知のためのチラシです。デザイナーの後藤哲也さんにアドバイスいただきながらデザインしました。背景の写真は、表面が建物の外壁、裏面が内壁になっています。

1階には、2部屋あり、入り口を入った土間部分は、小さなカフェと、
地域で活動している作家などのシェアショップ、
奥にある和室は、イベントや寄合いのためのスペースです。
2階と隣の長屋「千鳥荘」は、このはなのまちの雰囲気を味わってもらう、
「お試し暮らし」の営業を始めました。

カフェの内観。近所に住む小学生が学校帰りに宿題をしに来たりします。

僕らが手を入れる前、2008年頃よりモトタバコヤという名前で、
お試し暮らしやアーティストの宿舎、寄合い・ミーティング、アトリエ、
まちなかイベント「見っけ!このはな」の受付などとして
活用され、愛されていた物件です。
「もっと日常的にまちに開放した場所にしたい」との依頼を受けて、
リニューアルオープンに向けて、プロジェクトが始まりました。

現場初日。ハンマーで壁を壊す大川さん。

施工は、毎度おなじみPOSの大川さんです。
モトタバコヤの運営自体も大川さんがすることになっていたので、
どういう場所にすべきかなど、使い方やプログラムから一緒に考えながら、
プランニングを進めていきました。

改装前の奥の和室です。おばあちゃんの家に来たようで、とても居心地が良いです(写真提供:此花アーツファーム)。

1階奥の和室は、雰囲気がとても素敵だったので、畳をきれいにしたり、
壁を塗りなおしたり、天井を手入れしたりと、
簡単なリフォームを施した程度です。
もともとあった朱色の大きなちゃぶ台もそのまま使っています。
生活の痕跡が色濃く残る台所も残したかったのですが、
カフェの機能を考え、大改造することになりました。
トイレも、収納をつぶして拡張し、和式から洋式に変えました。
収納の戸は、そのまま使っています。

入り口を入った土間部分は、道路に面している壁を、
柱を残してすべて解体しました。まちに対して開放的にするためと、
もともとのスペースが狭すぎたのでちょっとでも広くみせようと、
ガラス面をできるだけ多くとりました。
家具も必要最低限の範囲で、仮設のような作り方でデザイン。
使い方や機能を限定してしまうような余計なことは、
極力しないようにしています。

棚やカウンターなどの家具は、シェアショップの各店長と話し合いながら仕様を決めていきました。

現場に毎日通うと見えてくること

土間の工事をしていると、いろんな人が声をかけてくれました。
廃品回収のトラックからおばちゃんが「なんか捨てるもんあるか?」と、
元塗装屋だというおじいちゃんが、ペンキの塗り方を教えてくれたり、
隣に住む車いすのおばあちゃんが、毎日同じ時間に同じ話をしに来てくれたり、
作業がおして暗くなっても作業をしていると、
仕事帰りのお向いさんがおでんを買ってきてくれたり、
斜め向かいの銭湯が店じまいするからと、ずっと使っていたのれんをくれたり、
カランカランと鐘を鳴らしながら自転車に乗る豆腐屋さんが通りかかったり。
現場中にも何度もお世話になったのは、ラーメン屋さんの「イナリ軒」。
チャルメラを吹きながらゆっくり屋台をひいてきて、
話をしてみると50年も続けているとのこと。

挙げだすときりがないくらいに、毎日、同じ場所で、
さまざまな日常が繰り返されていました。
そんな心地良いリズムのような日常の中で作業をしていたら、
このまちに住んでみたいと思うようにもなりました(自宅改装はvol1参照)。

リニューアルオープン日に撮ってもらった集合写真。ぎりぎりまで作業していたので、みんなヘトヘト。

外観に手を入れたのは、シャッターボックスや
キッチン前の錆びついた格子を白く塗ったり、ポストを付けたくらいで、
ほぼそのままです。あと、看板も取り付けました。
以前、イベント時に描かれたモトタバコヤという文字が、
偶然にもgoogleのストリートヴューに残っていて、
素敵だったので、それをトレースして少し整えてロゴを作りました。

モトタバコヤの切り文字を、もともとたばこ屋の看板だった場所に取り付けました。

シェアショップのオープン当時は、
カフェ、古本屋、リメイク古着屋、
このはな界隈の作家がデザインしたTシャツ屋、
神戸芸術工科大学とのコラボガチャなど、でしたが、
今ではショップ数も増えて、アウトドアグッズ屋、木工雑貨屋、
アクセサリー屋なども増えて、
より何屋さんかわからない状態になってきて、良い感じです。
それぞれの店長さんたちによるイベントも定期的に開催され、
毎回賑わいをみせています。

2階の和室には、「見っけ!このはな2012」の際、木彫作家のムラバヤシケンジさんにつくっていただいた欄間があります(撮影:長谷川淳)。

「これからのモトタバコヤは、より一層イベントに力を入れるのはもちろん、
地域の情報を集めて発信していき、どんどん地域に関わっていきます。
子どもから若者、お年寄りまで、みんなが寄り合える場所にして、
梅香から此花区全体を楽しいまちにしていきたいです」
最近、事務所をモトタバコヤの2階に移した管理人の大川さんが、
抱負を語ってくれました。

2013年3月には、劇団 子供鉅人による散歩と観劇を兼ねたツアー演劇『コノハナ・アドベンチャー2』の舞台にもなり、スペースの活用の幅を広げつつあります(撮影:明地清恵)。

その場所で、昔から今まで流れてきた時間や培われた人の生活の痕跡を、
まちの風景として捉え尊重し、乱暴になりすぎないように、
新しいものや新しい人の流れをデザインすること。
まちに溶けこむ場所をつくる上で、とても大事なポイントだと思います。

このまちにふらっと訪れたひとが、モトタバコヤというお店を通して、
まちのリズムを感じることができる場所になっていけば良いなあと、
密かに願っています。

新春モトタバコヤまつり 第2回粉もんパーティ−の様子。地元の方もたくさん参加されていて、大賑わいでした。右端に写っている人は、お隣の千鳥荘に長期滞在されているマシューさん。

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NO ARCHITECTS

住所 大阪市此花区梅香1-15-20
http://nyamaokud.exblog.jp/
https://www.facebook.com/NOARCHITECTS.jp

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モトタバコヤ

大阪府大阪市此花区梅香1-18-28
http://konohana-artsfarm.net/mototabaccoya

山ノ家 vol.4: 雪下ろしと、プランづくり

山ノ家 vol.4
初めて体験する、豪雪地帯の雪下ろし

2012年1月。この年は3年に一度の
「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ」が開催される年。
このタイミングに山の家をオープンできるのは、立ち上げで勢いがつく絶好の機会だ。
なんとかよいかたちで実現しよう。そんな新たな想いを抱く年明けとなった。

その前の年のクリスマス・イブ、外装工事が終わろうというときに
どんどん深くなる雪のため、十日町から脱出するかのように東京に戻って来た。
あの雪国での出来事は、幻だったのではないかと思うくらいにおだやかなお正月の東京。
しかし、今までとは確実に違う落ち着かなさが僕らの頭のすみっこにはある。
結局、工事は無事に終えたのだろうか? 仮設の囲いがとれた外観を早く見てみたい。
年末年始から本格的に降り積もるという、あの雪はどうなったのだろう。
「年明け早めには一度屋根の雪下ろしをしたほうがいい」
地元の若井さんからはそう言われていた、ような気がする。
どこかのタイミングでまつだいに行って、
教わりながら雪下ろしをしようということになっていたが、
やはり一度東京に戻ってしまうとなかなかスケジュールの調整をするのが難しい。
既に、あの幻のような世界へ行くにはちょっとした覚悟が必要であった。
そして、未知の雪下ろし。
早くやってみたい、やらねば、という気持ちと、
ちゃんとできるのか? 本当にあの屋根の上に登れるのだろうか?
という複雑な気持ちをかかえながらもようやく、
あの世界に行けたのは1月の半ばを過ぎてからだった。

ついに仮囲いがとれて、外観が! 屋根の上にいるのは若井さん。

外装工事は無事終わっていたようだ。
感慨にふけるのもそこそこに、屋根の上に怖々のぼり、
何もわからぬ僕らは、若井さんにやり方を教わりながら初めての雪下ろし。
まったく要領を得ず、効率が悪い。
地元の人が2人で1〜1.5時間で終わらせるものが、半日経っても終わらなかった。

屋根の上で雪下ろしをする若井さん、河村くん。

下から屋根を見上げたところ。あの、高くそびえる梯子を上って屋根に上がるのだ。

当人としては、慣れていないせいもあるかもしれないが、精神的にも体力的にも
結構しんどかった。
それでも1〜2月は可能な限り現地に行って、雪を下ろそうと思った。
雪のことで周りの方に迷惑をかけているのではないかと思うと、落ち着かなかったからだ。
あとで聞いた話だが、最初なかなか行けずに雪が降り積もる一方だった頃、
「あの家はつぶれるんじゃないか」と言われたりしていたそうだ……。
2月の末に何度目かの雪下ろしに行ったときに
「あとはまあ、そこまではひどくは降らないと思うよ」
と言われたときの安堵感は例えようも無いものだったが、
終わるどころか、僕らはまだ何も始まってもいないのだ。

いろいろな人とかたちにしていくこと

雪が溶けるまでの間、
東京での仕事を飛ぶようにこなし、合い間をぬって、山の家のプランニングや組織化の話、
何をやるのか、そして実際どの様にやるのか、といった打ち合わせを重ねていった。
年を越す前から、おおまかな機能のイメージは
gift_のクリエイティブ・ディレクターである池田(彼女はgift_のパートナーであり、
プライベートのパートナーでもある)がまとめていた。
図面によるプランや、運営の下書きの基本となる部分もできていた。

初期にまとめた機能的なイメージ草案。カフェ・宿泊・ショップ・レジデンス、そしてwifiなど「必要なものがある」。

プラン。1階はカフェ、もとあった和室と階段下の押し入れをぶち抜いてキッチン導線をつくる構想。2階は、2段ベッドの宿泊とレジデンス。

具体的な詰めももちろん必要だが、その前に根幹となる目的、想いを固めることも大事だ。
例えば比較的最初の頃に浮かんでいたキーワードのひとつは、
「都市と里山の日常をまぜ合わせる」というものだった。
僕らが大切にしたいと考えたことは、
この場所が誰にとっても極力違和感の無い場所になるということ。
都市から来る人にとっても、地元の人にも、
いろいろな世代や立場、境遇の人々が行き交うための場でありたい。
どちらが主体でも、受け身でもなく、観光というよりももっと、
特別でないはずの日常そのものがいつのまにか面白く歪んでしまうような事が起こる、
そんな場所にしたい。
カフェやドミトリーは、そのためのきっかけとしての機能なのだ。
現地に通い、交渉や外装工事などを行った中で出会い、話した人々や、
さまざまな出来事が重ね合わさっていくなかでさらにその感覚は強くなっていった。
機会あるごとに人にも話すことで客観性をつかみながら何度もその想いを検証していった。
そういったヴィジョンや方向性を現実のものにするべく、
たくさんの人に関わってもらう(または巻き込んでしまう)ことによって
ようやく本当の意味で理想のかたちになっていくのだと考えた。

前回の外装工事の時とは違い、
ソフトの立ち上げのためにも多面的に手伝ってくれる人が必要だ。
内部空間も自分たちで手がけるところは多く、もちろん施工のサポーターは必須。
さらに、飲食業や宿泊業の運営経験が皆無の僕らが
カフェやドミトリーを立ち上げようというのだから、
考えなくてはいけないことや、やるべき事はたくさんあった。
とにかくひとりでも多くの人に協力してもらいたい。

そこで、池田のほうでは運営立上げ準備チームをまずつくった。
4月ころに、立ち上げインターン募集の声かけや、
さまざまなto Doの整理を、ふたりの女性スタッフと共に進め始めたのだ。
そのうちのひとりはマユコさん。前出のCETや恵比寿の僕らの拠点gift_labの創業期から
さまざまな業務を手伝ってくれていた人で、オーガニックフードのカフェなどでも活躍していた。
彼女が、一緒に立ち上げに入ってもらってはどうか、と僕らに推薦してくれたのが、
もうひとりのメグミさん。アートや食やライフスタイルデザイン関連の仕事を重ねて、
奇跡的にも、ちょうど外装工事に入る直前くらいのタイミングで運命的に出会っていた。
その後彼女はgift_のスタッフとなり、そのまま山の家立ち上げの中心メンバーになった。
このふたりがいなかったら絶対に立ち上げられなかったと、
今でもよく池田はつぶやいている。

恵比寿のgift_labで、インターン説明会を行っている様子。奥のふたりがメグミさん、マユコさん。手前にいるのが池田。

5月中旬ころになると、運営母体となる会社を設立した。
山の家という名前も屋号として使うことが決まり、
僕らのコンセプトを表象するような「ロゴ」をつくりたかった。
早速、いつものようにDonny Grafiks(ドニーグラフィクス)の山本くんに相談した。
山の家という名前、十日町で新たなプロジェクトのこと、これまでの経緯や、
今思っているイメージを洗いざらい話した。
しばらくして山本くんがプレゼンしてくれたのがこれ。

もはや漢字ですら無い、文字以前のようなロゴが。こう来るとは……!

想定していた路線と違ったが、それが非常によかった。
さらに新たなイメージが広がりそうな予感がした。
このときに彼に気づかされたことがある。
山の家ではなく、山ノ家となっていること。
この表記ひとつで、さりげなく独自性が出た。
この瞬間に、僕らの中で仮称「山の家」と呼ばれていたこのプロジェクトは
「山ノ家」になった。
かたちになっていくということはこういうことだと思った。

またある日は、
運営立上げチームでカフェのメニューについての方向性について考えていた。
その後、カフェのキッチンを主に担当することになるミナコさんもちょうどこの頃に合流。
当初から地産地消で行きたい、できるだけ地元の素材を使用したいという考えはあったが、
いわゆる郷土料理的なものだと地元のお母さんたちにかないっこない。
地元の人にも気軽に利用してもらいたいという考えもあり、若井さんなどは
「いつも米は食べてるから、例えば本格的なパンとか、
もっとカフェらしいメニューとかが食べてみたい」
というのだ。なるほどそうかと思いながらも、とはいえカフェのプロでもないし
ではどうするべきか? と考えあぐねているときに、
偶然、諸用で訪れた知人がその時抱えていた本に「移民」という言葉があった。
その瞬間、また、その言葉がすっと心にささって落ちてきた。
そう、僕らはあの土地への「移民」なのだ。その地に生まれ育った訳ではないし、
日常の文化も違う。でも、縁あってその地で生活していこうとしている。
だから僕らはその土地の素材を使うけれど、僕らが日々作り慣れている料理法でいいんだ。
彼女たちはそのカフェメニューの路線を「移民のレシピ」と命名した。
ある土地で素材に出会い、手慣れた料理と混ぜ合わせて新しいエスニックをつくり出すような、
不思議な自由さと魅力のあるキーワードとなった。

自分が漠然と想像したもののなかから、
また別の視点が加わることで
新たな、そして理想の風景がつくり出されていく。
山ノ家がさまざまな人との関わりによってできていくのはとても興味深かった。

そして、5月も後半。
ようやくインターンや何かしら手伝ってもらえそうな人たちとともに、
現地のキックオフツアーを行った。
このとき初めて、東京(世田谷)から十日町までの無料バスを利用し、
みんなで行くことができた。なんと言うか、それだけでもちょっと嬉しかった。
新たな人々がここに集まっている、というだけでさまざまな想像が広がる。

でもまだその前にやらねばならないことがある。
現状はまだ、とても内装工事に入れる状態ではないのだ。
前の持ち主のあらゆるものが家中に詰まっている。とにかく大片付けが次の山場だ。
2回目のツアーで、一気にみんなで片付けを行った。
その中でも、流用できそうな物や気になるものは残しながらも、
どんどんまとめていかないと終わらない。

インターンのみんなのおかげで、片付けはだいぶはかどった。

トラックで市の処理場へ自分たちで持ち込み。これが一番リーズナブルな方法。結局二往復した。

ツアーの食事は、カフェで出すメニューの試作を兼ねて
地元の食材なども使いながらのご飯会。
知り合った地元の方を招いたりしながらとても楽しく有意義に行えた。

みんなでの食事は、ツアーの楽しみのひとつ。実際ここから生まれたメニューもあった。

東京ではない時間の流れに戸惑う

6月になった。来月後半にはもうトリエンナーレもいよいよ開始となる。
こちらも準備は進んでいた。
内装工事を進めるべく、設計を決めて、スタッフを確保。
外装工事で活躍したアキオくんにも声をかけ、運営立上げチームによって
手伝ってくれるインターンのシフトももうバッチリでき上がっていて、
あとは具体的なスケジュールを伝えれば、という感じ。
もうそろそろオープンに向けた内装工事にとりかかりたい。
そのためには地元工務店さんによる工事と僕らの作業と、同時並行で行う必要があった。
つまり、工務店さんに内装工事の正式発注をしなければならない。
そもそも突発的なきっかけで始まったこのプロジェクト。
当然ながら資金があったわけではない。
内装工事含め開業に必要な資金の調達に奔走し、
地元商工会の紹介で金融公庫に申請をしたのだが、
その融資の決定の返事がなかなか来ない。
当然返事をもらわねば工務店さんにGOサインは出せない……。
フライングして入りたい気持ちもあったが、
あまり手戻りになるような無駄な動きをするわけにもいかない。
工務店さんと打ち合わせの上で出てきた工程も、完成まで約1か月半となっていた。
ちょっと長いな、とも思ったが、自分たちの手でリノベーションする工程も
含まれているので(時間どおり終わらせる事ができるかは読めないので)
何とも言えないところもあった。
しかし、それでは完成する頃に芸術祭もほとんど終わりかけになってしまうし、
オープンする絶好のタイミングを逃してしまう……。
少し焦ってきた。
思い込みでもあったが「これが東京だったらもう少し早く物事が進むのに」
という感覚になり、さまざまな部分で、
東京ではない時間の流れのペースやコミュニケーションの感覚に戸惑っていた。
ここでまた、その土地のペースの中での手探りが続く。
なんとか工夫できる解決策を考えなければ……。

つづく

フレンチの大御所、田代シェフ。
福島県の食材に、魔法をかける。

東京・渋谷に「ラ・ブランシュ」というフランス料理店がある。
店名は「初心の」とか「真っ白な」という意味で、
1986年2月の開業以来、ずっと多くのファンに愛され続けてきた。
オーナーシェフの田代和久さんは、この道40年以上の大ベテラン。
日本のフランス料理界の大御所で、若手の料理人からの信頼も厚い。

そんな田代シェフは、福島県川俣町田代地区の出身だ。
少年時代は、山でタケノコを掘り、フキの葉っぱで山の清水をすくい、
自宅で飼っていたヤギの乳を飲んだ……
故郷には、そんな思い出がいっぱいある。

しかし、同じ町の山木屋地区は計画的避難地域に指定され、
震災から3年近くが過ぎようとしている今も、
自宅に戻れず避難生活を続けている人たちがいる。
田代シェフは震災直後から、炊き出しやイベントに参加。
料理を通して、積極的に福島県を応援し続けている。

「ふくしま応援シェフ」のひとりとして立ち上がる田代シェフ。

2013年11月25日。
田代シェフは「ふくしま応援シェフ」のひとりとして、
「県産品消費者理解交流会」に協力することに。
「福島の食材で、ラ・ブランシュはどんな料理を繰り出すのだろう?」
会場に集まった参加者の表情は、ちょっと緊張気味。
その期待は、おのずと高まっていた。

最初のひと皿は「柿のマリネと牛肉のソテー」。
赤身が美しい福島牛のソテーの隣に、
オレンジ色の柿の実と皮の、マリネが添えられている。
「これが、会津身不知柿(あいづみしらずがき)です」
客席に柿が丸ごと登場し、参加者の手から手へ渡されていった。
片手では持ちきれず、思わず両手で受け取ってしまうほど。
初めて見る人は、まずその大きさに圧倒される。

「こんなに大きくなったら、木から落ちてしまうじゃないか。
それくらい身の程知らずな柿だから、そう呼ばれるようになったんです」
会場を訪れた「㈲会津食のルネッサンス」の本田勝之助さんが教えてくれた。

「すごくおいしい柿なので、そのまま生でお出ししようと思いました。
でも、まだちょっと硬い。試しに皮だけ食べてみたら、すごく味がある。
もったいないから皮をちょっと炒めて、
果肉は生のまま、塩をちょっとだけ。
それからレモングラスと生姜を加えてマリネにしました」と、田代シェフ。
会場の参加者の表情が、徐々に明るくなっていった。

「福島牛」のこれから。

柿と一緒に添えられたのは、福島牛のもも肉のソテー。

黒毛和種が出荷されるまでには、一般的に900日前後飼養される。
その期間中、福島県で最も長く飼養され、
肉質等級基準をクリアした牛を「福島牛」と呼ぶのだ。

産地では放射性物質の全頭検査が実施されているほか、
3カ月に一度、県の担当者が畜産家へ立入検査を行ない、
水、ワラ等の粗飼料、濃厚飼料、敷料など、飼養状況を確認している。

そんな努力は続けられているのだが、
福島県の肉牛飼育頭数は、震災前の4分の3にまで落ち込んでいる。
高齢な農家が、飼育をやめたためだ。
それでも若手の農家は、希望を捨てず肉質を上げる努力を続けている。
そんな福島の畜産家たちが育てる牛肉は、
ネットの「e牛ショップ(http://shop-jalcf.jp)」で購入できる。
家庭ですき焼きや焼き肉を楽しむ際に、ぜひともご利用いただきたい。

次に登場したのは「赤ワイン味噌ドレッシングと会津の秋野菜」。
透明な皿の上に、南会津町の舘岩地区だけで栽培されている「舘岩カブ」や、
会津坂下町立川地区の「立川ゴボウ」、
そして、会津若松市周辺で栽培されている「茎立ち菜」などが並んでいる。
いずれも会津地方で、大切に受け継がれてきた在来種だ。

シェフ曰く「さっと茹でて、オリーブオイルと塩で味付けしただけ」とのことだが、
口に入れた瞬間、カブはカブ、ゴボウはゴボウの味と香りでいっぱいになる。
「茎立ち菜は、葉よりも茎の方が味が濃くて、存在感が大きいんですね」
そんな声もきこえてきた。
「あまり素材をいじらずに、自然のままの状態をイメージして、
頭の中で野菜たちの故郷を思いながら料理しています」
と田代シェフがそれに応じた。

野菜に添えられた濃紫色のソースは、味噌に赤ワインとビネガーを加えたもの。
福島市で70年以上の歴史を誇る味噌メーカー、フクイチの「福蔵」が使われている。
福島県産大豆(タチナガハ)とお米(コシヒカリ)が原材料。
昔から福島の人たちの食卓で親しまれてきた味噌が、
シェフの手により、ドラマチックなドレッシングに変身した。

次に現われたのは、フランスのカフェの定番「クロックマダム」。
パンにハムとチーズをサンドしてベシャメルソースを乗せたのが「クロックムッシュ」。
その上に目玉焼きを乗せたのが「クロックマダム」といわれているが、卵が見当たらない。
そこで、カットしてみると…

オレンジ色の濃厚な黄身がトロリと流れ出した。
これはまぎれもなく「マダム」。
しかも使われているのは「会津地鶏」の卵だ。
そのまた下にあるのは、フランスパンかと思いきや……中央に穴が空いている。

土台となるパンの代わりに使われていたのは、西会津町特産の「車麩」。
小麦粉のグルテンを練った生地を棒に巻き付けて焼き上げるので、
車輪のような形をしている。

会津地方では、煮物などに使われることが多いが、
「車麩の煮物は、僕らは好きだけど、子どもはあまり食べないよね。
だから年齢を問わず、美味しく食べられるおやつに。
まん中に穴が開いているから、卵を落とすのにちょうどいい(笑)」
そんな田代シェフの説明に、
「これならうちでも作れそう」。そんな声が飛び交っていた。
家庭で手軽にできる子どものおやつ。しかも家族と一緒に福島を応援できる。
シェフの愛情がめいっぱい詰まったひと皿だった。

実はこの料理、田代シェフが「新会津伝統美食」として、メニュー提案したもの。
地元のレストランや飲食店でも採用されていて、
伝統食である車麩の新しい魅力が、広まろうとしている。
(※『車麩のクロックマダム』のレシピを末尾に掲載しました)

そして最後を飾るひと皿はリゾット。
「ふだんは作らないのですが、あえて作ってみました」
たしかにリゾットは、フランスではなくイタリア料理の定番。
福島米の魅力を舌で味わってもらうために、
田代シェフがジャンルを超えて生み出した料理だ。

山形県との県境に近い、喜多方市の熱塩加納(あつしおかのう)地区で、
小林芳正さんが栽培したコシヒカリを使用している。
「昭和40年代から有機質肥料で栽培を始めた、米作りの名人です」
と、教えてくれたのは「会津産直会」代表の新国(にっくに)裕二さん。

長年お米の流通と販売に関わってきた、専門家。
緻密なデータに基づいて、農家の栽培指導も行なっている。
「会津は、肥沃な大地と、山々から流れる豊富な天然水。
そして穂が出て登熟(コメがデンプンやタンパク質を蓄積すること)する時期には、
平均気温が23〜26℃になります。
新潟県の魚沼地方と同じ、おいしい米づくりに必要な条件がすべて揃っているのです」

江戸時代、天保と天明の大飢饉に見舞われた東北地方では多くの餓死者が出たのは有名な話。
しかし、会津地方では、1人も死者を出さなかったという。
それは、気象条件に恵まれているから。そして、
「農民自ら、栽培について学んでいたからです」と新国さん。

会津には江戸時代中期に佐瀬与次右衛門による「会津農書」という独自の農業書があり、
農閑期には文字の読めない農民も、口伝で栽培技術を学んでいたという。
「当時の日本で、独自の農書を持っていたのは、
会津と長岡だけ。それに基づいて1反あたり7俵を収穫していたと記録されています」

7俵=420㎏。機械化と育種が進んだ現代でも、
条件や技術が伴わず、これに及ばない田んぼが全国各地に無数とある。
地形、土壌、気候に恵まれ、昔から勤勉な農家が多い。
そんな土地柄が、食味の高い会津米を生み出している。

会津には、お米を栽培しながら見事な野菜や果物を作る生産者がたくさんいる。
震災の影響で、その技を受け継ぐ人がいなくなってしまうことが、一番気がかりという。
「農産物を育てながら、人も育てなければ。
実習農場を作って若者たちを育て、優秀なプロの農家に送り込もう。
今、そんなプロジェクトも始動しています」

検査を重ねて、安全性を確保。

福島県 県産品振興戦略課の担当者から説明があった。
「福島県では、昨年から最も摂取量の多い、お米の全量全袋検査を行なっています。
昨年は37万t、1100万袋を超えるお米を検査して、
安全性を確認したものだけをお出ししています。
今年も検査は始まっていて、
その結果は『ふくしまの恵み安全対策協議会』のHPでご覧いただけます。
今年は原発から30km圏内などの避難指示区域での試験栽培も始まっていて、
少ないですが基準を超えたものもありましたが、
それでも基準値を超えたコメが、市場に出回ることは決してありません。
その点を、ご了承いただきたいと思います」

交流会の終了間際、参加者から田代シェフへの質問が相次いだ。

参加者:「柿のマリネに添えられた、紫キャベツのマリネの作り方を教えてください」

田代シェフ:「フライパンでオリーブオイルを熱して、
そこへ生のキャベツを葉っぱのまま20秒ぐらい押し付けます。
焼くのではなく、火が入るか入らないかぐらい。水分を抜く感じですね。
それを刻んでオリーブオイルと塩とビネガー。
そしてエシャロットのみじん切りを混ぜる。
ご家庭ではタマネギでもいいと思います。
豚肉や鶏肉の付け合わせに。
そこにジャガイモを添えれば、もうほっぺたが落ちますよ」

参加者:「リゾットと一緒に食べた、クルミ味噌の作り方を教えてください」

田代シェフ:「クルミを5分ぐらいオーブンで焼いて、
味噌に赤ワイン(水でも可)と、栃のハチミツを入れて混ぜる。
それをベーキングシートに乗せてオーブンで7分ぐらい焼きます。
トースターでもできると思います。
作り置きできるので、食べたい時に塗る。
僕にとって、子どもの頃の懐かしい味です」

その他、こんな質問も。

「会津身不知柿や、今日のお野菜は、どこで買えますか?」

「車麩のような、福島県産品が買えるショップは?」

県の担当者がタジタジになるほど、積極的な意見が飛び出す場面も見られた。

中央が佐藤陽子さん。

参加者のひとり、佐藤陽子さん(30代)は福島県出身。
フードコーディネーターの資格を一週間前に取得したばかりという。
資格の取得に向け、共に学んだ仲間を誘い、7人で交流会に参加した。
「みんな料理や食べ物が好きな人たちなので、
この機会に、福島の食材を知ってほしいと思い一緒に参加しました。
田代シェフのお料理は、目からウロコのものばかり。
クロックマダム、ぜひとも参考にさせていただきます」
この日の料理は、参加者の手で東京でも広まっていきそうだ。

交流会の最後に、改めて田代シェフにお話を伺った。

「福島の食材は、間違いなく美味しい。
そして、検査もされているので、安心して召し上がっていただきたい。
噛みしめて、味わって、福島に思いを馳せていただく。
それがひとつの起爆剤になると思います。
料理を通して、福島に思いを馳せてもらえれば、
ひとつの思いがふたつ、ふたつの思いが3つ……
そうやって広がっていくことが、やっぱり大切だと思いますよ」

故郷の置かれた厳しさを、日々感じながら、厨房に立つ田代シェフ。
しかし、その料理を味わい、福島に思いを馳せた人たちはみな、
まるで魔法にかかったように、いつの間にか笑顔になっていた。

福島を味わい、そして思う。
その大切さと、可能性を、誰もが実感したひとときだった。

★『車麩のクロックマダム』のレシピ

【材料(4人前)】

車麩:4枚 牛乳:300cc 卵:4個 塩・胡椒・砂糖:少々 

スライスハム:4枚 

スライスチーズ(パルメザンチーズでも可):4枚

※ベシャメルソース

小麦粉:20g バター:20g 牛乳:250cc 

粉チーズ:スプーン1杯 塩・胡椒:少々

●つくりかた

車麩4枚を牛乳に1〜2時間ひたしてもどす。

ベシャメルソースを作る。鍋でバターを溶かし、
小麦粉を入れ、4〜5分なめらかになるまで弱火で火を通す(※注)。
少しずつ牛乳を加えて、とろみがついたら粉チーズを入れ、
塩、胡椒で味を調える。(塩気が強くならないように注意する)。

※注:このタイミングでルーを冷凍保存しておくと便利。
牛乳を加える前のルーをバットなどに入れて冷凍しておき、
使うタイミングでそれをキューブ状にカットして(1人前10g程度)、
沸かした牛乳に冷凍したままのルーを入れると作業がスムーズです。

に、塩・胡椒・砂糖をかけ、プライパンで両面に軽く焼き色がつく程度に焼く。

車麩が焼けたらオーブントレーに移し、車麩の中に卵1個割り入れる。

の上に、ハム1枚・チーズ1枚をのせ、
ベシャメルソースを表面を覆う程度にかけ、粉チーズを軽くふる。

を180度のオーブンで10分間焼き、最後に上火で焼き色をつける。

ふくしま県産品応援サイト

http://www.fukushima-kensanpin-ouen.jp

福島県農産物モニタリング情報「ふくしま新発売。」

http://www.new-fukushima.jp

「県産品消費者理解促進交流会」
◎第4回「1月〜正月食べ過ぎ解消 ふくしまの冬野菜と麺とパン」

1月20日(月)15:00~17:00

播磨坂 もりずみ(森住 康二シェフ)

住所:東京都文京区小石川4-15-13 HARIMAZAKAビル 1F

TEL:03-5805-3655

1月21日(火)15:00~17:00

四川豆花飯荘(遠藤 浄シェフ)

住所:東京都千代田区丸の内1-5-1 新丸の内ビルディング 6F

TEL:03-3211-4000

1月22日(水)15:00~17:00

ソーゼージスタイル流行hayari(村上武士シェフ)

住所:東京都渋谷区恵比寿3-48-5 グランデ恵比寿 2F

TEL:03-5422-8467

「県産品消費者理解促進交流会」
◎第5回「2月〜雪中野菜と煮込み料理 ふくしまのもどき料理」

2月5日(水)15:00~17:00

つきぢ田村(田村 隆シェフ)

住所:東京都中央区築地2-12-11

TEL:03-3541-2591

http://www.tsukiji-tamura.com/

2月6日(木)15:00~17:00

COOK COOP BOOK(萩原雅彦シェフ)

住所:東京都千代田区紀尾井町4-5 G-TERRACE紀尾井町1F

TEL:03-3264-3230

http://cookcoop.com/

2月19日(水)15:00~17:00

ポタジエ(柿沢安耶シェフ)

住所:東京都目黒区上目黒2-44-9

TEL:03-6279-7753

http://www.potager.co.jp/

◎参加費

1500円(1名)

※お帰りの際に、参加者全員にBears Bear fukushimaふくしまを抱くクマ「しまくま」をプレゼント

◎申し込み方法

「ふくしま応援シェフ」のホームページで申込書をダウンロード、必要事項を記入のうえ、FAX またはメールにて申し込み

http://fukushima-ouen-chef.jp/

お問い合わせ

事務局 会津食のルネッサンス

住所 福島県会津若松市中島町2-52

TEL 0120-91-0617 (10:00~18:00 ※土日祝日休)

FAX 0242-93-9368

E-MAIL order@a-foods.jp

http://www.a-foods.jp/

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ラ・ブランシュ

住所 東京都渋谷区渋谷2-3-1 青山ポニーハイム2F

TEL 03-3499-0824

営業時間 12:00~14:00(L.O) 18:00~21:00(L.O)

定休日 水曜・第2、第4火曜

MAD City vol.4: ナホトカ食堂の人をもてなす 空間づくり

MAD City vol.4
リノベで、平屋の自宅をカフェのようなおもてなし空間へ。

わたしたちのオフィスからもてくてくと歩いて20分くらいの距離、
日当たりの良いのんびりとした住宅地に中村菜穂さんは住んでいます。
見た目は普通の平屋建て。でも玄関に入るととってもいい匂い。
そう、菜穂さんは、予約制のイベント「ナホトカ食堂」を、
この自宅で不定期に開催しているのです。

菜穂さんのお料理です。

とってもおいしいお料理をつくる菜穂さん。
実はお料理だけでなくおうちの内装だって自分でつくっちゃいます。
菜穂さんがDIYを始めたのはどういうきっかけだったんでしょうか。

「もともと小さいころから自分の部屋を変えてみたいと思っていました。
壁の色をこの色にしたらどうなるのかなーとかいろいろ妄想したりするのが好きで。
きっかけは10年くらい前、自分の部屋にちょうどいい家具を手に入れたくて
自作したのが始まりです」

そのときに自作した棚は今でも菜穂さんの家のリビングで活躍しています。

奥に見えるのがその棚。見せる収納としても優秀です。

「当時は今ほど情報がないし、インターネットもそこまで普及していなかったので
自分がピンとくるものをなかなか探せなかったんです。
それで、予算の兼ね合いもあって自分でつくることにしました。
棚の中に入れる収納を先に選んで、それに合わせたサイズの棚をつくったんです。
もちろん初心者だったので父にも手伝ってもらいました」

とは言え、菜穂さんは服飾の学校出身。
木工や内装の技術を専門的に学んだわけではありません。
卒業後、服飾系の会社に勤めた後思い切ってカフェに転職。
そのことが現在の活動のきっかけとなったそうです。

最初に勤めたカフェは古い家をリノベーションした建物だったそうです。
1階にカフェ、2階には、そのカフェをプロデュースしたデザイン事務所が入っていたそう。
「そこでの経験にはとても影響を受けています。
インテリアのスタイルもそうだし、お店のホスピタリティも学ぶところが多かったです」

菜穂さんにとっての理想の住まいの空間は「カフェ」。
インテリアでも「カフェ風」という言葉はよく使われます。
とはいってもカフェってシアトルスタイルのモダンな内装のものから、
古民家を改装した和のテイストを大切にしたものまでさまざまです。
菜穂さんの理想とするカフェ風とはどんなものなんでしょう。

「わたしが居心地が良いなと思える空間でお客さんをおもてなししたいと思っているので、
そのためには内装も、ホスピタリティも、お料理そのものもどれも大切な要素です。
デザインされて整った空間だけれどもメニューにはそこまで力を入れていなかったり、
ほどよく力の抜けたこだわりというんでしょうか。
例えば、インテリアとしては壁が漆喰などの天然素材で、
木が古くて、古道具の什器が置いてあるようなところ。
空間としてはホスピタリティがあって、ごはんもおいしくて、ゆったりくつろげる。
このゆったりくつろげる、というのが一番目指すところです」

結婚して台東区に住んでいた菜穂さんはその理想を叶えるために、
「ナホトカ食堂」という小さな予約制イベントを始めました。
友だちを呼んで自宅で開かれる小さな食堂。
食堂を続けていくうちに、もっと人を招きやすい空間に住みたいと思うようになったそうです。

「台東区では鉄筋の集合住宅に住んでいて、しかもエレベーターなしの5階だったんです。
集合住宅だから案内の掲示などもしにくかったし、お客さんに来ていただくのも大変だし。
しかもそのころおなかに赤ちゃんがいるのがわかったので、
思い切って実家のある松戸に戻ってみようかな? と思って物件を探し始めました」

菜穂さんと娘さんの木ノ果ちゃん。

物件を探し始めた菜穂さんが、MAD City不動産で取り扱っていた平屋に
お問い合わせをくれるまでにはそこまで時間がかかりませんでした。
菜穂さんが問い合わせてくれたのは平屋にしては新しくて、
築20年経たない3DKに小さな倉庫がついた物件。
お子さんひとりのご夫婦にはゆったりめの広さです。
食堂をやる菜穂さんにはこのゆったり感がベストマッチだったようです。

「まず平屋っていうのは絶対条件だったんです。それまでが集合住宅だったから、
平屋で小さいお庭がついていたら看板だって出しやすいので、
お客さんにとっても目印になりますし。そして人を招くということを考えると、
玄関から食堂への導線がシンプルでわかりやすいことも条件でした。
ちょうどこの家はその条件にぴったりあっていて、いいなって思ったんです。
改装ができることも大きなポイントでした」

菜穂さんは入居するとすぐさまお部屋の改装に取りかかりました。
友人の建築屋さんに頼んで大量の漆喰を購入。
助っ人にお友だちを呼んでの漆喰塗りでは、
いつも通り菜穂さんのごはんを振る舞ったそうです。

「ちょうど妊娠中だったけど、漆喰を塗るだけだったら大丈夫だし、
高くて脚立に上らなくてはいけないところは友だちにやってもらいました。
漆喰はコテで塗るとテクニックが必要なので
お風呂用のスポンジで塗っていくのがポイントです。
素人仕事だけどちゃんと漆喰の壁ができました」

ニュアンスのある壁が素敵。雑貨を飾って。

ちなみに以前住んでいたところでは改装ができなかったので、
大規模な改装はこれが初めてだったそう。
とはいってもお友だちと一緒にわいわいと塗ったので、
漆喰を塗り終わるのには3日もかからなかったそうです。

「初心者のくせに、なぜか一番お客さんに入っていただく食堂の部屋から
漆喰を塗り始めてしまったので、この部屋が一番塗り方がへたくそなんです!
そこから漆喰塗りは上達したんですが、いまでも改装に関してはわからないことが多いし、
情報収集は難しいなって思います。今後も壁に飾り棚をつけたり、押し入れの改造をしたり、
いろいろやりたいことはたくさんあるのでちょっとずつやっていきたいなーって」

改装がひと段落したところでまた食堂を再開した菜穂さん。
途中に出産と育児のためのお休みも挟み、
現在でも生活とのバランスを見て不定期ですが開催されています。
改装の甲斐あって、どこにでもある普通の平屋が大変身。
足を踏み入れると居心地の良い空間が広がります。
実はMAD City不動産のスタッフもたまにお呼ばれしてごちそうになるんです。
おいしいですよー。

食堂の日は菜穂さんこだわりの調理器具にお料理が詰まって登場します。

「カフェで働いていたときにいちばん勉強になったのは料理の段取りなんです。
そのことは今もナホトカ食堂としてイベントをするときにとてもためになっています。
でも他にも気づきがあって、いちばん楽しかったのは
カウンターに座っているお客さんと談笑しながら作業をすることだったんです。
だから自宅で食堂イベントをやるようになってからは、
わたしもお客さんも一緒に楽しめること、
そのためにもテーブルや導線の配置を工夫することをいつも考えています」

そんなコンセプトは、菜穂さんが時々開催する手作り市にも表れています。
お友だちのハンドメイド作家さんやミュージシャンを呼んで、
みんなでつくり上げる市は菜穂さんの人柄をよく表しています。

1月13日に開催されたばかりの「ななの市」。MAD CityのイベントスペースFANCLUBで開催してくれました。

自宅イベントの回数を重ねるごとに理想の姿が見えてきたという菜穂さん。

「娘も生まれたことで、自宅でイベントをやる難しさも見えてきました。
そろそろ自宅ではなくお店でお客さんをお迎えしたほうがいいタイミングかなと思っています。
もともと将来的には夫婦で食堂をやることが夢でしたし、
今後はそれを見据えていろいろ動いていこうかなと考えています」

子どもが生まれてお母さんになるということは
今までの生活ががらりと変わってしまうということだと思います。
菜穂さんは、それを制約と捉えずに新しいチャンスだと思っているそうです。

「今まで通りのやり方にこだわる必要はないと思うんです。
そのときそのときによって新しいやり方を探すほうがもっといいなと思っていて。
お店と言っても生活の延長だと思うし、
お客さんが来てくれることでハリのある生活ができることには変わりないので、
自分のできる範囲で挑戦できることを探してみればいいと思うんです」

すでにお店のディスプレイみたいにかわいい雑貨たち。

ちなみにお店を始めたら、内装は自分でやりたいですか?

「そうしたいなと思っています! 自宅とお店では内装はあんまり変わらないかもしれません。
なにぶん冒険ができないのですごいアイデアとかは湧かないんですけど……」

とは言いつつも、お客さんにくつろいでもらいたい、
一緒に楽しみたいという素敵なコンセプトを持っている菜穂さんのこと。
イベントも、将来の夢も、子育てもまだまだこれからいっぱい楽しむ予定。
そんな暮らしにしっかり寄り添うおうちを自分でつくり上げたのだから、
これからつくるお店だってきっと素敵になると思います。

information


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MAD City(株式会社まちづクリエイティブ)

住所 千葉県松戸市本町6-8
電話 047-710-5861
http://madcity.jp/

ビルススタジオ vol.04: シェアハウスこもごも

ビルススタジオ vol.04
居心地を自分たちでつくるシェアハウス

栃木県初のシェアハウス「KAMAGAWA LIVING(以下カマガワリビング)」が
オープンしてから早3か月が経ちました。

内覧会をしたのは、2013年8月のこと。
工事も無事終わり、お披露目の日です。
内覧会前のミーティング(vol.3参照)に参加した入居予定者は、5名。
この日はオーナーとともに、2階の共有スペースであるリビングにて、
彼らと一緒にお客さまをもてなしました。
来場者は、入居者の知人や家族、そして、このカマガワリビングの近所の方々、
不動産業者、記者の方々などさまざま。なかには入居に興味がある人がいたようで、
実は、この日来場された方のなかで、3名が入居を決定してくれました!

会がお開きになった後も入居者含めた関係者で呑んだくれ、終了は深夜3時……。
自分も含め、リビングの妙な居心地の良さに誰も帰らないという現象が起こってしまいました。
そして、この直後からそれぞれ引っ越してきて、入居がスタートしたのです。
現在14名の入居者さんたちがここで生活をしていますが、
この地方版シェアハウスではどのような日常が繰り広げられているか、
少し覗き見してみましょう。

50帖あるリビングでは色んな場所で小さいグループが。

まずは、ちょっと住民さんの部屋も覗いてみましょう。
6階建てのビルで、3階から5階までが個室のフロア。
3階の部屋たちは、そもそもどれも個性的。
天井高3m、コンクリート剥き出しの内装は当たり前のこと、
部屋によっては五角形だったり、メガホン型、5帖もあるベランダ付き、とさまざま。

サト氏の部屋は幅7mに奥行2.2mというバランスの悪い間取り。
しかし建築設計事務所に勤務する彼にはそのバランスの悪さがたまらなかったようです。
工事段階でのサト氏から要望があり、板床ではなく土間を広めにとり、作業場に。
入居後そこでコツコツ棚をつくっていると思ったら、
収納と階段そしてワークデスクを組み合わせたロフトができていました。

3mの天井高を活かした手づくりロフト+収納+デスクスペース。

その隣のゴロさんの部屋は先すぼみの間取り。
入口左に斜めにはしる壁はみかんの国和歌山県出身の彼の要望でオレンジ色に。
ある日彼のお兄さんが泊まりに来て
なにやらグリッド状にテープを貼っていると思ったら、
壁一面に世界地図ができあがっていました。
カリモク60の家具ともいい感じに合っていますね。

楽しいイベントもいろいろ

さらに、内覧会で実感したリビングの居心地のよさからか、
共有スペースでは、これまでさまざまなイベントも開かれています。
主催者は、当社だったり、オーナーさんだったり、入居者だったり。
例えば、こんなかんじです。

・2013年10月30日 ハロウィン
入居者さんたちそれぞれに仮装、ということで開催。
しかし、平日夜にそんなに人も集まらず、仮装の準備もできない人の多いなか、
3時間かけてひとり部屋で自分に包帯をまき続けた(そして力尽きた)
シン氏に拍手と涙をおくります。
手づくりの目玉のおやじはその後もさまざまな場所で活躍しています。

・2013年11月3日 餃子祭り
宇都宮市はいわずと知れた「餃子」のまち。
もともとの宇都宮市民の熱は実はそれほどないのですが、
市外から来た人の多いこのシェアハウスでは、かなり熱いのです。
この日は年1回開催する、12万人以上の来場者数を誇る「餃子祭り」が
ここからほど近い宇都宮城址公園で開催されていました。
なかでも入居者のゴロさんは前年に炊飯器片手に食べ歩いていた程の強者。
彼の発案で、同じ日にここカマガワリビングで独自に開催してしまおう、
ということで皆を誘い、餃子の買い出しに。

そして集めに集めた34店舗分、プラス手作り、約700個(140人前)の餃子たち……。
処理に困り、それぞれの友人を誘って食べ尽くすことにしました。
しかし焼き餃子だけでは何か物足りない。
そこで、流し水餃子(!?)を屋上で開催することになりました。
ホームセンターで雨樋を購入、餃子を茹で、屋上へ移動。
待ち構える総勢20名以上の餃子好きに向かって餃子を放流。
皆で餃子のまちの魅力を存分に楽しみました。
しばらくリビングも皆も臭いが消えなかったのは言うまでもありません……。

流し水餃子の様子。

・2013年12月14日 お料理道場
オーナーの友人でもある、料理家の越石直子先生に来ていただき、
入居者以外の方々にもシェアハウスに触れてもらう機会をつくってみました。
現時点、女性専用フロアのみ空いているので
女子限定のイベントです。料理に興味のある方(入居者含む)が参加。
主婦、学生、OL、飲食店スタッフなどなど。
シェアハウスならではの広めのキッチンスペースと道具類を存分に活用していました。

できたのは、砂肝とポテトのアンチョビソテー、アボカドとベーコンのクリームディップ、グリル野菜のパスタというワンプレート。美味しそうです。多めにつくり、入居者さんたちで相伴できるのも魅力です。

・2013年12月31日〜2014年1月1日 年越し
初めての年末年始。
例年は帰省していた入居者さんたちがなぜか皆帰らない……。
ということで、皆で年越し。
 ・年越し流し蕎麦:またもや屋上に雨樋設置。
 ・建物前で餅つき:水加減がうまくいかず、通りがかりのおばあさんに教えていただく。
 ・大掃除:なんとなく。
 ・宴会
 ・カウントダウン:気がつくと5分前。焦って皆で組み体操。完成せず。
 ・初詣:徒歩で宇都宮市の中心、二荒山神社へ。
 ・初日の出:屋上で。
 ・ニューイヤーボーリング:元気な人だけ。
かなり楽しく過ごしていたようです。
考えてみれば、地元ではなくて自分の住んでいる近所の人と過ごす年末年始は、
昔ながらの戸建てのあるまちに住んでいれば当たり前のことだったんですよね。
ちと元気過ぎる過ごし方でしょうけど……。

近所の子どもも興味深々な餅つきの様子。べっとべとな仕上りに……。

と、ここまで読まれている人は
シェアハウスってコトあるごとにパーティなどのイベントが開かれていて
“住んでいる人は毎日疲れてしまうのでは?”と感じてしまうかも知れません。
しかし、イベントは参加したい人、参加できる人だけ参加すればOK、というスタンス。
なので疲れていたり、テーマ的に乗り気じゃなかったり、起きられなかったりで
気ままに不参加でもいいんです。
その代わり、シェアハウス外の人も入居者の招待であれば参加OKの場合もあるし、
○○道場シリーズは一見さんでも参加OK、というように
会ごとに参加者の範囲、そして内容もバリエーション豊か。
気になるトコだけ参加しましょう。

個室は居心地よくカスタムできる。
共用部は充分な広さを持ち、他の住民さんと一緒に何かをやることも、
それぞれが好き好きに過ごしながら、他の住民と距離をとることもできる。
近所は地方都市とはいえども随一の商業地域。
3か月しか経っていませんが、
住民さんたちはここカマガワリビングの特徴を
上手に使いこなしてくれているようです。
良かったぁー。

さて、動き始めた「シェアハウス」という住まいの新しい選択肢。
しかしこのまちで生きていくためには当然働かなくてはいけません。
働かなくては家賃も払えませんしね。
そこで、私は仲間と一緒に新しいオフィスの選択肢もつくり始めました。

屋上からの初日の出。たった数か月前に出会った人たちで年を越す機会ってめったにないですよね。

information


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ビルススタジオ

住所 栃木県宇都宮市西2-2-24
電話 028-636-5136

トータス

海部(あまべ)藍に“あい”を感じて。

藍染めの本場といえば、阿波、徳島。
一見黒色ではと見紛うほど濃く染めあげた
暗い紫みがかかった青の「褐色(かちいろ)」は
鎌倉時代の武将たちに、縁起のよい「勝ち色」として大変好まれたのだとか。
この独特の自然が醸す色が出せるのも、「すくも」で建てた藍ならでは。
徳島の吉野川流域で育つタデ科の植物、藍草を乾燥させ100日以上かけて
発酵させた手仕事の「すくも」。それがすなわち「阿波藍」なのである。
現在は徳島県内のわずか5軒の藍師が伝統の技法で阿波藍をつくっている。

一方で、同じ藍草を使った草木染めながら
「すくも」をつくらずに染める製法の藍染めが
現在、予防医学の見地から健康志向の人たちに注目されている。
藍というハーブの薬草効果に着目したハーブ染め、「海部(あまべ)藍」だ。
海部藍は藍住町の藍師から譲り受けたタデ藍の種の藍を育て、つくられている。

室戸阿南海岸国定公園の中央に位置し、オオウナギやゲンジボタルなどの希少動物が生息する清廉な環境を誇る海陽町は、マリンスポーツのメッカだ。

徳島県南部の高知県との県境にある海陽町にある肌着メーカー、
株式会社トータスの亀田悦子専務は、今から10余年前、
肌着の未来を考えてユニバーサルデザインの勉強していたときに
美波町の障がい者地域生活自立支援センターで
子どもたちに藍染めを教えている地元の染織家と出会った。
そこで、自社の肌着を提供することを始め、
藍に関わるようになったという。
徳島の会社ということで、藍染めの注文もあったのだが
すくもで藍を建てるのはコストもかかるうえに難しく、
必ずしも毎回同じように建てられるものではないことを実感した。
また、染織家が芸術として“色”を追求している藍と
同じ瓶のものを肌着に使うのは違うのではないだろうか、と
亀田さんは頭を悩ませていた。

「毎日の肌着を藍で染めるにはいったいどうしたらいいのだろう?」

藍は、古くは中国や日本で解毒、解熱、消炎などの
漢方薬に使われてきた歴史がある。
また何度も何度も藍瓶に漬け染め上げた着物は、
温度変化に強く、冬に身につけると温かく、夏
は涼しいとされており、虫除けの効果もあるといわれてきた。
紫外線の遮断や抗菌消臭、水虫、アトピーなどに対する効果も
財団法人日本紡績協会や徳島大学薬学部で
研究・試験され、効果のほどが確認されている。

亀田さんは藍染めに関わったことで
藍という植物のもつ多様な機能を知り、
アレルギーやアトピーに悩んでいる人、
赤ちゃんに安心して身につけてもらえるような
藍染めの商品を開発したいと考え始めた。

さまざまな人に「藍のハーブ染めの研究を」と触れ回った結果、
なんと、2009年の12月から
経産省の事業となり、産官学一体となって
藍のハーブ染めの研究をするチームが結成された。
当然ながら、言い出しっぺの亀田さんがチームリーダーだ。
「そうそうたる学者の皆さんに混じってこんなおばあちゃんが
いるのは申し訳ない気持でいっぱいでした。
でも、ハーブ染めの可能性を追求するために
色を求めるよりも、藍の薬効のある成分が
繊維にちゃんと入っていくことを実証できるかが重要でした。
そのためには藍の薬効の検証や染めに関して
専門家たちによる研究が必要だったんです」(亀田さん)

研究するからには、まずは原料が必要だ。
同じ海陽町で、農業を営む山田孝治さんに声をかけた。
山田さんは慣行農法ではない方法で
安心安全をモットーに美味しい米を作る農家として
国内の品評会で高い評価を得ており、
研究熱心だと地元でも知られていた。
きっと、農薬不使用の藍畑づくりにも興味を示してくれるはず、という
亀田さんの予想を裏切らず、山田さんは彼女が求めている
取り組みについてすぐに理解し、実行に移した。

8年以上農薬を使っていない田んぼを藍畑に。究極の清流といわれる海部川の伏流水をひくことができる、谷間で農薬が飛来することもない最高の土地での藍栽培が始まった。

「いい藍が育つように畑の土をよくするために10年は必要。辛抱強く土を育てていけばどんどんよくなる」という山田さん。

「最初は藍をやれば儲かるよ、と
亀田さんを紹介してくれた人にいわれたのですが、
化学染料で手軽に染められる今、そんなわけはないと思いました。
ですが、藍でアトピーや困っている人たちを
助けたいという亀田さんの思いや、
ひとりで立ち向かう姿を見て
ボランティアでいいから手伝おうと」

藍栽培の経験がなかった山田さんは、
最初の1年はハウスで藍の育て方を勉強し、翌年から畑に種を蒔いた。
試行錯誤しながら藍は2年目から育つようになり、
3年目からは有用微生物群EMを散布し、土を育てている。
亀田さんと山田さんは生きている藍に関して詳細な統計をとり続け、
現在も研究は続いている。
研究会では、すでに藍のハーブ染めの薬効が認められている。

海部の地に初めて藍を植えた日、亀田さんは藍染めの装束に身を包み、祈りをささげた。

世代を超えて、さまざまな思いが結ばれていく。

海陽町は、世界的に知られる
サーフスポットのKAIFU(海部川河口)があることから、
プロサーファーや彼らの家族が多く暮らしている。
海とともに生きることを選んだ
サーファーたちのライフスタイルをのぞいてみると
やはり、自然を意識した生活を送っている人が多い。
そんなオーガニックなムードのある海陽町出身の
永原レキさんは関東で過ごした学生時代に
サーフィンの全国大会で優勝。
数々の大会で活躍したのち海外を放浪し、
世界の多様な価値観に触れて2009年に帰国した。
さて、この先どんなふうに生きていこうと、都内でブラブラしていたときに、
東京ビックサイトで開催された
自然派プロダクツを集めたイベントに出店していた
亀田さんに出会った。
全身藍染めに身を包んだ白髪のかっこいいおばちゃん。
興味本位に近寄ったら、商品のタグに
自分の故郷、「海陽町」と記されている。

「それはもう、驚きましたよ。まさか自分の故郷から550㎞も離れた場所で、
ピンポイントで海陽町から来た人に出会うなんて。
あれは運命の出会いでしたね」(永原さん)

「Think globally, act locally」世界を、そしてさまざまな業界を渡り歩き、やっと自分の居場所に帰ってきた永原さんの行動指針は、まさにこれ。

ちょうど、海外でも地元を大切にする人たちを見てきた永原さんは
放浪する前とは価値観が変わってしまっていた。
「よし、地元に帰ろう」
海陽町に戻ることに決め、他の仕事をしながら
亀田さんらと親交を深めていった永原さん。
そんな彼の周囲には一緒に地元のイベントを企画し
豊かな自然と共生する地域活性化に励む仲間も増えてきた。

大阪から宍喰(海陽町の旧町名)に移住して、ここで結婚し、サーフィンと農業を両立させているプロサーファー田中宗豊さん(左)は永原さん(右)のよき地元仲間。海外や遠方からくる客人を受け入れたり、一緒にイベントを企画したり、子どもたちに美しい海陽町の環境をつないでいこうと活動をしている。

永原さんは、現在はトータスで染めや企画、
営業などの業務を行っている。
彼の手先は、今や真っ青。
亀田さん同様に、藍色のネイルを施しているかのようだ。
「これはね、インディカンという藍の成分で、
むしろ、肌をきれいに保つんですよ」
と永原さんが誇らしげに手を広げた。
「亀田さんに会わなかったら、
ここには戻ってこなかったかもしれないな。
あそこで、地元に帰ってきたからこそ
人生のうえで大切なことに気づけたことがあったと思う」
藍畑を耕し、藍を通して地元の環境のことも学んでいく。
混ざり物がない天然染料なので、廃液は畑の栄養になり
余った藍の種や葉は藍茶として飲む事ができる。
昔から藍師たちに飲用されてきた健康茶だ。
まさに藍という植物のサステイナブルなあり方は
海が暮らしの一部になっている永原さんにすんなりとなじんだ。
ちなみに海部藍という名前の意味は、
6世紀に阿波の国から衣食住の文化を広めた吉野川流域の忌部族と、
海を渡る技術で彼らを支えた海部(あまべ)族から由来している。
また、海陽町は徳島県海部(かいふ)郡にあるため、
ここから世界に向けて薬草としての
藍の文化発信を、という意味もこめられている。

永原さんと亀田悦子専務、亀田洋三社長。まるで親子のような三人組。社長は後ろで微笑みながら、ふたりの活動を見守る役目だ。

藍は使ったら1回染めて終わりではない。数多く染めると次に藍の染める力が復活するまでに休ませないといけない。海部藍はすくもに比べると寿命は短いのだが、誰にでも扱いやすいというメリットがある。

ロングセラーの腹巻は筆者も愛用。自社栽培の海部藍で染められた腹巻はシャツの下から見えても恥ずかしくないカジュアルな色。

室戸岬が近く、空海が見た景色そのままの風景が地元にあることから、永原さんは空と海のグラデーションの手ぬぐいを企画。藍の産地は県北に集中しているため、県南らしいものをつくろうとふるさとの景色と徳島の文化である藍染めを融合させた。

商品化はできたものの、コスト面を考えると
まだまだ研究しなくてはいけない、と亀田さんはいう。
実際に染めてみて、すくもで建てた藍との色の違いや
その役割もしっかりとわかってきた。
自然と人が手をとりあって、循環していく
海部藍を誰もが暮らしに取り入れられるようにしていきたいという
亀田さんの願いは最初から変わらない。

海部藍の周縁にあるさまざまな“あい”のかたち。
土地に若い人が根付くよう産業、
農業を持続可能にしたいと思う山田さん、
地に足をつけ、自然豊かな故郷の良さを
いろんな人に知ってもらいたいと願う永原さん、
それぞれの想いが海部藍に託されている。
徳島県北の阿波藍の本場、吉野川流域の
藍住町から運ばれた藍の種は県南で発芽し、
植物の持つ叡智は、新しいかたちでどんどん広がっていく。