連載
posted:2014.3.4 from:宮城県石巻市 genre:ものづくり
sponsored by 貝印
〈 この連載・企画は… 〉
「貝印 × colocal ものづくりビジネスの未来モデルを訪ねて。」は、
日本国内、あるいはときに海外の、ものづくりに関わる未来型ビジネスモデルを展開する現場を訪ねていきます。
editor profile
Tomohiro Okusa
大草朋宏
おおくさ・ともひろ●エディター/ライター。東京生まれ、千葉育ち。自転車ですぐ東京都内に入れる立地に育ったため、青春時代の千葉で培われたものといえば、落花生への愛情でもなく、パワーライスクルーからの影響でもなく、都内への強く激しいコンプレックスのみ。いまだにそれがすべての原動力。
「東北マニュファクチュール・ストーリー」というウェブサイトを覗くと、
被災地で行われている小さなものづくりの営みが、たくさん紹介されている。
メディアでありながらも、東北で同時多発的に生まれたものづくりを
文化としてとらえて価値付け、応援している。
このプロジェクトの発起人であるつむぎやの友廣裕一さんは、
震災後、宮城県の牡鹿半島でOCICAというブランドを立ち上げ、
地域のおかあさんたちとものづくりを進めてきた(コロカルの記事はこちら →)。
「震災をきっかけにしてものづくりをはじめたひとたちが結構いたんです。
あるデータによると200商品くらいは生まれているようです」
しかしデザインにまで手が回らなかったり、
情報発信が得意ではなかったりするものもある。
「でもゼロからイチを生み出すプロセスにはすごく強い思いが入っています。
それなのに好みのデザインではないというだけで関心をもたれないとしたら、
それはもったいない。商品の可能性の広がりがなくなってしまう」
そこで、震災後に生まれたものづくりをまとめて発信する
メディアの立ち上げを計画した。
このプロジェクトに賛同したのがスイスの時計ブランド「ジラール・ペルゴ」を
日本で展開するソーウインドジャパンだ。
「友廣さんの活動を聞いたときに、ものづくりの原点を感じました」と
語るのは社長の岡部友子さん。ジラール・ペルゴは、
スイスでもマニュファクチュールといわれる老舗ブランドのひとつ。
商品の企画、デザインから、部品やケース製作など、すべての工程を自社ででき、
数百の部品を組み上げる複雑時計の製作ノウハウを有するブランドだけが、
マニュファクチュールと呼ばれる。
職人気質のものづくりを220年以上続けてきたジラール・ペルゴが、
東北の“おかあさん”たちの手づくりによるものづくりに共感したのだ。
「高額時計といっても、時間を知るという機能自体は同じ。
それでもほしいというひとは、
質の高さや美しさはもちろん、背景にある物語に共感しているのです。
つくったひとがそのものにかけた時間や思いが絡み合い、夢のあるものとなります。
東北マニュファクチュール・ストーリーが伝えようとしている
つくっている方の声やストーリーは、
ジラール・ペルゴと重なる部分があると感じて応援することにしました」
こうしてこのプロジェクトは
「ジラール・ペルゴ 東北マニュファクチュール・エイド」の支援によって
運営されることになった。
友廣さんと岡部さんをつなげた「株式会社ニブリック」の新飯田稔さんは言う。
「ジラール・ペルゴというものづくりのトップブランドが、
それぞれの現場の目標というわけではありませんが、
クオリティの高いものづくりのシンボルとして意識してもらえるといいですね」
このプロジェクトがスタートするときに、
スイス本国から社長や時計職人も視察に訪れた。
「宮城県亘理町の『WATALIS』さんにスイスの職人を連れて行ったときに、
現場のおかあさんたちと職人トークのようになっていたので驚きました(笑)」
(岡部さん)
実際にライターとして現場で取材を担当している飛田恵美子さんも、
おかあさんたちの職人魂を感じるという。
「『WATALIS』では、“ふぐろ”という
着物生地のきんちゃくを主婦のみなさんがつくっていますが、
彼女たちはすでに“ふぐろ職人”という自負をもたれています。
これからも職人として、何十年も続いていく産業にしたいと言っています」
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これらのものづくりは、
東北マニュファクチュール・ストーリー以外にも
ほかのメディアなどでも伝えられてはいる。
しかしどうしても断片的になってしまうし、
広報がしっかりしているようなところは取材されやすいが、
知られていないままの現場のほうがほとんど。
「それぞれに一生懸命やっているから、まとめたほうが、
相対的にレベルアップしたり、安定すると思ったんです」(新飯田さん)
「職人ではない素人がものをつくって、売って、仕事にしようという営みが、
同時にたくさん起こることなんて、普段ならあまりないと思います。
せっかく生まれた新しい文化も、その価値をしっかり伝えていかないと
そのまましぼんでいってしまう」(友廣さん)
それぞれのものづくりの現場に必ず物語が生まれていく。
それを丁寧に紡いでいくことが、彼らの役割だ。
「東北のひとたちのお話には、物語られるだけの強度がありますよね。
みんな人生をかけて新たなものを生み出してきただけに、
すごいエネルギーが込められている。
最近は“物語でものを売れ”というストーリーマーケティングが
流行っていると思いますが、
そうして無理矢理ひねり出してきたものとは違って、
それぞれの物語に本当にチカラがある。
受け取ったひとはそれをまた隣のひとに渡したくなったり、伝えたくなる。
昔から物語というのは、そうやって
自然に語られながら育まれてきたんですよね」(友廣さん)
素直に話を聞けば、必ず伝えるべきものがある。
それは東北だけでなく、全国への応援にもなり得る。
「東北を応援したいという気持ちはもちろんあるけど、
逆に学ぶことのほうが多い」と感じている飛田さん。
それは他の地域にも、当てはまる話だからだ。
「またどこかで同じように大震災が起きたとき、
“こういうふうにやっていたひとがいたんだ”という希望になるのではないでしょうか」
そしてもうひとつは、全国の地方が抱えているさまざまな課題だ。
「少子高齢化、特産品がない、文化的な場がない、居場所がない、
女性が活躍する場がない、など。
それらはこれまで顕在化されないことも多かったけど、
震災を機に、そうも言っていられなくなった。
いままでは、地域で何かしたいという外からきた若者を
受け入れられなかったけど、受け入れざるを得なくなった。
その結果、新しいものが出てきて、地域の眠っていたものが掘り起こされたり、
いままでバラバラだったひとが集まったり。
全国各地でも参考になる事例があると思います」
東北マニュファクチュール・ストーリーのトップページには
“ものづくりから始まる復興の物語を伝えていきたい”とある。
復興と謳うのならば、どこかで終わりがあるのか。
このサイトが“必要なくなる”地点がゴールなのだろうか。
「そもそも、ぼくはものづくりに対して心得があったわけでもないし、
“ものづくり”を伝えていこうという入り口ではありませんでした」(友廣さん)
ものづくりのなかだけにゴールがあるわけではない。
「震災後、何もすることがないと、“なぜ私が生き残ってしまったのか、
どう生きていけばいいのか”と考えてしまう方がいました。
そんな状況においては、一歩進む糸口が必要なんだと思います。
まずは個人ができることで一歩踏み出す。
何か自分でつくりだして、届けて、よろこんでもらって。
その関係性のなかでこそ、ひとの自尊心みたいなものは育まれていく。
そうやって希望に向かって歩んでいけるんだ、というロールモデルを紹介していきたい」
東北マニュファクチュール・ストーリーが思い描く復興のカタチは、
ものづくりからにじみ出る人間の根源的なもの、
自分を一歩進ませるストーリーなのだ。
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東北マニュファクチュール・ストーリー
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