連載
posted:2014.3.11 from:福島県会津若松市 genre:ものづくり
sponsored by 貝印
〈 この連載・企画は… 〉
「貝印 × colocal ものづくりビジネスの未来モデルを訪ねて。」は、
日本国内、あるいはときに海外の、ものづくりに関わる未来型ビジネスモデルを展開する現場を訪ねていきます。
editor profile
Tomohiro Okusa
大草朋宏
おおくさ・ともひろ●エディター/ライター。東京生まれ、千葉育ち。自転車ですぐ東京都内に入れる立地に育ったため、青春時代の千葉で培われたものといえば、落花生への愛情でもなく、パワーライスクルーからの影響でもなく、都内への強く激しいコンプレックスのみ。いまだにそれがすべての原動力。
photographer
Suzu(Fresco)
スズ
フォトグラファー/プロデューサー。2007年、サンフランシスコから東京に拠点を移す。写真、サウンド、グラフィック、と表現の場を選ばず、また国内外でプロジェクトごとにさまざまなチームを組むスタイルで、幅広く活動中。音楽アルバムの総合プロデュースや、Sony BRAVIAの新製品のビジュアルなどを手がけメディアも多岐に渡る。https://fresco-style.com/blog/
東北マニュファクチュール・ストーリーが取り上げてきた
同時多発的に起った東北のものづくりのなかにも、さまざまな動機や目的がある。
実際に取材を担当しているライターの飛田恵美子さんは言う。
「大槌復興刺し子では、工賃を貯金して、
ずっとやりたかった焼き鳥屋をオープンした方がいます。
焼き鳥屋をやっていた妹さんを東日本大震災で亡くし、ふさぎこんでいたけど、
刺し子をやり始めて元気を取り戻したようです。
そこでコツコツ働くうちに資金ができたので、
刺し子は卒業し、妹さんのお店を再建したといいます」
さらにほかの現場での思いも紹介してくれた。
「宮城県南三陸町の『おらほもあんだほもがんばっぺし!Bag』は、
“私たちは私たちの場所で。あなたはあなたの場所で。
それぞれの場所で、一緒にがんばっていけますように”
という意味が込められた名前のバッグです。
いままでたくさん応援してもらってうれしいけど、
自分たちも何かの役に立ちたいと思っていたそうです。
支援を受けるばかりでなく、自分たちでなにかをすることは健全だし、
そのひとたちを救うことになるんだなと感じました」
カットしてある反物の端から7cmをフリンジにするため、7cmまで横糸を抜いていく作業。その後、1cmごとに縦糸を結んでいけば「IIE」のストールが完成。
これには違う現場からも同様の意見があった。
今回、東北マニュファクチュール・ストーリーに掲載されているなかから、
福島県会津若松市の「IIE(イー)」のものづくりの現場にお邪魔した。
そこでストールを内職している廣嶋めぐみさんも同じ気持ちを語る。
「私は恩返しの立場です。大熊町から避難してきていますが、
会津若松にはお世話になっています。
避難したばかりのころは車もなく、歩いていると、
近所のひとが声をかけてくれたり、あたたかく迎えてくれました。
会津をアピールするような商品をつくっているので、
恩返ししたいという気持ちでいっぱいです」
自宅での作業中にお邪魔した廣嶋めぐみさん。インタビューを受けながらも、まったく手は止まらない。
IIEは、会津木綿を使って、ストールやブックカバー、
バッヂなどを製作しているブランドだ。立ち上げた谷津拓郎さんは、地元出身。
当初はボランティアなどの活動をしていたが、時間が経つにつれて
「自分だけ日常生活に戻っていくのがいやだ」という感覚になったという。
「震災直後の、現場でみんなの背中が
一直線になってがんばった経験は忘れられないものです。
東北に駆けつけたいろいろなひとが、同じ気持ちで行動して。
それはある意味、最初期だけど、復興の最終型のような気もするんです。
その状態を忘れてはならないという個人的な気持ちがありました」と、
IIEを立ち上げた当時の心の揺れを語ってくれた。
とはいえ、谷津さんは当時、大学を卒業したばかりで、
アパレル業界のノウハウもない素人だ。
それでもみんなで仕事をつくりあげてきた。
前述の廣嶋さんも「私もプロではないけれど、
社会人経験が長い分、細かい伝票の書き方や進行など提案しながら、
与えられるだけではなく、お互いに生み出している感じです」と言う。
文庫サイズの会津木綿ブックカバーは、縞と無地のリバーシブル。
喜多方市にある食堂「つきとおひさま」で行われていたIIEの展示会。
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東北マニュファクチュール・ストーリーには、
さまざまなかたちのものづくりが紹介されているが、震災から3年を迎え、
どの現場もより継続的なモデルへ転換していかなくてはならなくなっている。
その点、IIEはお母さんたちの内職を中心にして、
持続可能なモデルを構築している。簡単な技術さえ習得すれば、
たとえほかの地に引っ越しても、遠隔操作でやりとりできるのだ。
外から来た復興プロデューサーが立ち上げたプロジェクトもたくさんある。
そのなかでも谷津さんは、よりビジネス的な観点で取り組んだ。
地元であるがゆえの覚悟がある。
「僕は地元なので、最後までやっていくしかありませんから」
IIEを立ち上げた谷津拓郎さん。
会津木綿のピンバッヂ。白いパッケージにかわいい縞が映える。
当初、IIEの作業をしていた庄子ヤウ子さんは、
「IIEからの仕事があるうちはいいけど、いつ無くなるかわからない」と思い、
オリジナルの商品を考えた。庄子さんは福島県双葉郡大熊町の出身。原発があるまちだ。
そこから会津若松に移住してきている。
大熊町には「おーちゃん」と「くーちゃん」というキャラクターがいた。
その二匹をモデルに、会津木綿を使って「あいくー」という
くまのぬいぐるみを考案し、「會空(あいくう)」という団体を立ち上げた。
「私たちは本当に帰れません。ひょっとしたらまちが地図から消えてしまうかもしれない。
だから大熊町の思いを残していきたい」
昨年末、東京に行ったときにこんなことがあった。
「タクシーに乗ったら運転手さんにどこからきたのか聞かれたので、
“大熊町です”と応えたら、“知らない”というので、
頭にきて“原発があるところ!”って言ってきたの(笑)」
全国、世界へと旅立つ息子たちと、庄子ヤウ子さん。
被災地を伝えるニュースは減り、どんどん忘れられていく。
だからものづくりに、地元への思いを重ねた。
いまでは、あいくーは日本各地のイベントなどに出展し、
パリでも売られている。そんなに広がったのは
「とにかくつながり。みなさんのおかげです」と庄子さんは感謝する。
「私たちだけでは何もできませんでした。
あいくーのデザインも自分たちだけでやったわけではないし、
周囲のひとがあちこちに薦めてくれています。
ホームページがないので、
東北マニュファクチュール・ストーリーに記事が掲載されて助かっています。
コンセプトをきちんと受け止めて、発信してくれるひとたちがたくさんいて、
本当に感謝しています」
あいくーをもっているひとがまわりに薦め、
固定の販路もほとんどないのにネットワークは広がっていく。
もの自体でつながっていくコミュニケーション。
あいくーのルーツ。このモックからかわいいぬいぐるみが生まれた。
会津木綿は400年の歴史がある。縞柄が特徴で、かつては地域ごとのきまった縞=地縞があったという。
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もちろんストーリーは大切だが、それだけで売れるわけがない。
これまでは、少なからず被災地という冠をかぶっていた部分があっただろう。
しかし“いいものだから買う”という消費者心理にしていかないといけない。
「いままでも甘えていたわけではないけど、
これからはより厳重な品質管理をしないといけません。これからの課題です」
あいくーは、傍から見ると、
ビジネス的にも広がり的にも成功しているようにみえる。
しかしそれでも、庄子さんは、両手をあげてよろこぶことはできない。
複雑な胸の内を明かしてくれた。
「売れるのは、それはそれでもちろんうれしいんですが、
心底うれしいとは言えない気持ちも同時にあります。
状況は何も変わっていない。あの日から封印したまま。
ビジネス的には成功したとしても、どこか他人事のような」
たしかにあいくーがいくら成功しても、故郷には帰れない。
しかし、マイナス面ばかり考えても生きていけない。
自分から第一歩を踏み出すことが大切。だからこそ、つながりが生まれる。
庄子さんの表情は明るい。
「何かをやるということは、社会とつながることですよね。
仮設住宅にいて、誰ともつながらない生活は、とてもくやしかった。
だから動き始めたら、つながり過ぎましたけど(笑)」
動けば動くほどつながれた。
思いをこめれば、周囲が動き出す。
真摯なものづくりには、そんな力が宿っているはずだ。
ものづくりの原点のような現場が、東北各地で生まれた。
東北マニュファクチュール・ストーリーはそれを紡いでいく。
あいくーの前からつくっていた「しまくま」。使われている会津木綿はオリジナルで織ってもらった縞。大熊町の坂下ダムにある桜の名所を思い出そうと、桜縞の反物にした。
information
東北マニュファクチュール・ストーリー
information
IIE イー
information
會空 あいくう
住所:福島県会津若松市大町1-8-26
TEL:090-9704-9622
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