京都の面白い人、公開インタビュー。Webサイト「カンバセーションズ」の出張&公開取材イベント

インタビュアーにスポットを当てるインタビューサイト
「カンバセーションズ」が、7月1日より6日まで、
京都を舞台に出張&公開取材イベントを開催!
京都を拠点に活動するさまざまな職種の方々による
計5本のインタビューを、すべて公開取材イベントとして
収録。インタビュアーそれぞれに関係の深いスペースを
取材会場に設定し、「場所」と「テーマ」を連動させた
インタビューを行います。

インタビュアーにはRADディレクター、リサーチャーの
川勝真一さん、レストラン「Kiln」のシェフ船越雅代さん、
クリエイティブ・ディレクターの松倉早星さん、伊藤直樹さん、
吉村紘一さんら。
インタビューされる方にもアーティストの名和晃平さん、
和菓子ユニット「日菓」の杉山早陽子さんら、ユニークな方が
勢揃い。それぞれ「京都で”集う”」、「京都で”食べる”」など、
京都に待つわるクリエイティブなお話しが展開されます。

会場に選ばれているのも、京都造形芸術大学や
レストラン、雑貨店と宿の「ウサギノネドコ」など、
京都の様々な面白い場所。
クリエイティブなトークと新しい出会いを求める方は
ぜひお出かけしてみてはいかがでしょう!
イベントの詳細は下記Webサイトにて。

QONVERSATIONS TRIP

山ノ家 vol.9: 山ノ家はこれで完成?

山ノ家 vol.9
半日のおやすみ、トリエンナーレ、アーティストインレジデンス

ドミトリーがオープンすると、
「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ」の開催年ということもあって、
宿泊希望の連絡は早いうちから入ってきていた。
カフェの営業に加え、ドミトリーの営業も始まると
堰を切ったように朝から夜までずっと、スタッフは対応に追われる毎日となった。
運営スタッフの一部は、朝担当と夜担当にそれぞれ分かれて
シフトを組むなどしてなんとかこなしていた。
一日のスタートは、宿泊者のための朝ご飯の準備から始まって、
ランチの仕込み、そしてカフェの通常営業、
合間に、ドミトリーのベッドメイク、夕食を希望する方への夕食準備の対応。
夜はお酒を飲む人も多く、際限なく続いてしまうと次の朝にも影響が出てしまうので
23時を消灯、門限とさせていただいていた。
その後にも片付け、一日の集計や、食材の発注、その他業務は続く。
芸術祭が終わるまでは、休みなしで駆け抜けるつもりだったので、
本当に息つく暇も無い日々。

リノベーションが一応カタチになってからは、
僕もカフェのスタッフとして動いていたり、
毎日来るお客のために、ドミトリーのベッドのシーツを片付けたり、
掃除を手伝ったりと、運営のサポートにまわった。

立ち上げのために現地に滞在してくれたインターンやスタッフには、
シフトの中で週に一度は休日をもうけるようにしていた。
参加してくれたことへのささやかなお礼として、
芸術祭の参加パスポートを皆に渡していた。
これを手に、めいめいプランをたてて、
この時期に展示中の作品を鑑賞する旅に出かけていた。
なかには、ヒッチハイクでまわってきたという強者もいた。
ずっと休みなしで動いていた僕と池田も、半日だけお休みをもらうことにした。
隣町、十日町のキナーレという施設周辺なら、
作品もいくつか集中しているし、さっと見に行って戻って来れる。

十日町にあるキナーレにて。クリスチャン・ボルタンスキーのものすごい作品や、同施設に新たに開館した里山現代美術館を見ることができた。

空き家だった山ノ家を最初に見に来てから約1年。
その間、この土地に展開されたさまざまアートな作品を、ほとんどと享受できていなかった。
こういうかたちで関わるようになって享受していたのは、
まちのことや、人との縁や、めまぐるしい自然の変化だったから。

そんなわけで、久しぶりに旅行者に近い感覚で
ここにあるもうひとつの財産として、
アートが育まれている状況というものに触れる機会を得た。
しばらく滞在しているこの土地のすぐ近くで、
素晴らしいエネルギーをもった作品群があったり、
イベントが行われたりしている状況。
そこには以前見た時とは全く別の、
新鮮なのに親しみがあるような、不思議な感慨が自分のなかに生まれていた。

また山ノ家でも、芸術祭の終わりが近づいた9月初旬の1週間、
アーティストが滞在し、製作と展示を行うことになった。
芸術祭のプログラムではないが、
オープン直前のときに滞在してくれたsawakoさん(vol.5参照)からの紹介で、
ふたりのアーティストが
山ノ家でレジデンスで滞在して展示をやってみたいというのだ。

実は僕らとしても、2階にギャラリースペースを設けたばかり。
と言っても、もともとただの廊下だった部分を行き止まりにしたような、
とてもコンパクトなスペースなのだが。
ここに何かコンテンツを入れたいとちょうど考えていたところだったので
喜んで受け入れることにした。

階段を上がるとすぐに見えてくるこの場所は、もともと部屋の外側にあった回廊の一部だったところで、わざと行き止まりにしてできる不思議なスキマ空間をギャラリーにしたいと目論んでいた。

立ち上げの黎明期において(実際は今でもそうなのだが)、
こういった手つかずのゾーンにスッと入り込むようなタイミングで
お話が持ち込まれることは本当にうれしいこと。
ふたりのアーティストはとても楽しそうにこの地で過ごしながら、
実に上手に2階のスペースを利用して、
音のインスタレーションの空間作品を展開していた。

滞在製作してくれたのは、ベルリンで活動を始めたという日本人のサウンド/ビシュアルアートユニットのpenquo (hisae mizutani,kyoka) のふたり。芸術祭に来たお客や、ドミトリー宿泊の方などが、ここで製作された展示空間を体験した。

まだこのアーティストインレジデンスの仕組みは手探り状態ではあるが、
少しずつ試行錯誤を繰り返しながらも実行し、かたちづくっていけたらと思う。

滞在製作が終わり、展示として始めた初日には、期せずして通り雨の後に虹が。

山ノ家はこれで完成?

工事としてはひとまず終わり、山ノ家はなんとかオープンして、
この土地での日常が動き始めている。
では、これで完成なのだろうか。
東京で芽生えた「開かれた場」をつくりたいという想いが、
縁あってこの土地と結びつき、カフェとドミトリーのある場所をつくった。
ここで何かの問題を解決するために、といった大それた動機ではない。
それどころか気づけば地元の人たちに雪おろしを指導してもらったり、
野菜をいただいたりと、助けてもらうことの方が多いのではないかとさえ思えた。
こういった土地では、ほどよく干渉したくなるようなスキがあるくらいのほうが
関係性を持ちやすいのではないか、
そんなことをさまざまな体験を通してリアルに感じるようになった。

地元の人、移住してきた方たち、芸術祭を軸とした活動をされている方たち、
外から訪れてくれる来訪者、アーティストなど、さまざまな立場、
立ち位置の人たちにとってできうる限りよい刺激となるような存在でありながら、
関わる人々の数だけ視点が生まれる、そのような場所になったら面白い。
当初イメージしていたことだけにとどまらない面白さがこの建物に生まれつつある。
それはリノベーションする前から決定付けられたものではない。
この土地に滞在し、この場所をつくる中で気づいたこと。
空間として、機能として、全てが完成しきっていなくてもよい、
そんな考え方ができるのも、リノベーションだからこそありえる可能性のひとつかもしれない。

気づけば夢中で、ここまで駆け抜けてきてしまった。
豊かな自然や風土、そして10年を超えて育まれてきた大地の芸術祭もある。
そういったことに魅かれてこの地に飛び込んだが、
よき人々に出会うことができ、支えられて
山ノ家が動き出せたことは振り返ってとてもラッキーだった。
いまはまだ、この昔ながらの街道筋の商店街に、
風変わりな事情で気立ての良い移民のお店が一軒できたという感じ。

長い月日をかけてリノベーションをしながら、
東京とまつだいを行ったり来たり、生活を繰り返していくうちに、
ほとんど知らなかった里山のよさをたくさん知っただけでなく、
戻った時に新鮮な視点で東京を見ることができるようになった。
そして、東京と里山、どちらのほうがよいか悪いということではなく
どちらにもよいところがあり、
そこを積極的に拾っていくほうが面白いのではないか。
そう思えるようになったことは自分にとっては大きな変化であり、発見だった。
それは、いつでも戻れる場所をもうひとつ持ったことによる、
安心のようなものから生まれてきたのかもしれない。
僕らが持てたこのような変化は、きっと他の人でももつことができるだろう。

そんな思いを持つ人たちで、この周辺で新たな営みが
2つ、3つと増やしていくことができたりしたら、
また見えてくる風景が少しずる変わっていくかもしれないなと考えている。
気づいたら変わっている、くらいの自然発生的な感じがいいと思う。
それは、まちを変えるというよりは、
いまあるまちにもうひとつ別のレイヤーが加わるという感じで。

大地の芸術祭が終わると、
おそらく地域をおとずれる外からの人が少なくなるだろう。
祭りが終わって、日常が始まる。
でも、ここからが本番だと思っている。試行錯誤はあるだろう。
インターンのシフトも終わり、この先、海外留学に旅立ったメグミさんが
冬に戻ってくるまで、ミナコさんと池田が主に東京とまつだいを行ったり来たりしながら、
山ノ家を運営していくことになる。
また、今まで東京で培ったつながりや、これからこの土地でつながる人々との交流の中で
生まれてくるイベントを企画していけたらと思っている。
都市と里山を行ったり来たりしながら、そのなかで生まれてくる、
どちらのものともつかないような文化をここで紡いでいけたらと思う。
これからまだまだ試してみたいことはたくさんある。

この地域には、中山間地ならではの地形のなかにできた美しい棚田が散見される。
この棚田の美しい景観があるのは、
そこで田んぼをつくり、耕作を続ける農家さんの日々の営みがあるからこそ。
同じように、これから山ノ家の日常の営みを積み重ねていくことが、
新しい風景をかたちづくるきっかけとなることを願って、
いまそのスタート地点に立ったところだ。

100人の高校生が全国の「名人」にインタビュー。「第13回 聞き書き甲子園」参加者募集中!

以前コロカルニュースでも活動をお伝えした「聞き書き甲子園」。
全国から集まった100人の高校生が、日本の森や海、川を守り、
育て、共に生きてきた「名人」たちに話を聞いて、その言葉を一字一句
全て書き起こして文章にするプロジェクトです。

この聞き書き甲子園が、今年のエントリーをただいま受付中。
参加対象は高校生。聞き書き甲子園OBOGの大学生スタッフの
サポートのもと、日本全国の造林手、炭焼き職人、漁師、海女、
木地師などのもとを訪ねてお話しを聞いていきます。
インタビューの経験がない高校生のために、
「聞き書き事前研修」も開催されるので安心です。
この事前研修、名人への訪問、フォーラムに
関わる費用(旅費交通費)は主催者が負担とのこと。

夏に開催される「聞き書き」経験者の大学生らが指導をする研修会の様子。「聞き書き」という手法の基礎を学ぶほか、取材に赴く名人や名人を取り巻く日本の森や川、海の現状についても、講義や森での体験プログラムを通して学ぶ。

参加する高校生には、農業科の高校に通い、将来は家業を継ぐと
決めている人もいれば、日本屈指の進学校に通い、
いずれは世界で活躍する人になりたいと考えている人もいます。
高校生は自分とは違う未来を描く仲間に刺激を受けて、
聞き書き甲子園終了後も離れた土地で連絡をとり合い頑張っています。

日本中から集まる高校生と大学生と地域で暮らす名人。
そこには、学校に通うだけでは絶対に得られない刺激があります。
進路を選ぶ前に、日本を巡り日本のことや自分のことを考える、
そんな機会を聞き書き甲子園は高校生に提供しています。

応募の締め切りは7月1日(火)必着。申込みの際には
作文の提出が必要で、応募者多数の場合は作文による選考を行います。
聞き書きという形で他人の人生と向き合い、言葉で紡ぐ経験が、
進路に悩む高校生には確かな糧となるでしょう。
応募の詳細は下記Webサイトにて。

第13回 聞き書き甲子園 募集要項

メイン写真撮影:奥田高文

鳥取と台北のいいもの、いい食、 いい暮らしを集めた「鳥取・台北–Design and Craft Hunting–」

日本の民芸品の人気が高まる台湾の台北市と、
民芸や手しごとが色濃く残る鳥取。
「民芸」をキーワードに出会ったこの2つの地域から
それぞれの暮らしの中にある「いいもの」を集め展示・販売する
「鳥取・台北 - Design and Craft Hunting - 」が
6/21(土)より開催されます。
「いいもの」をハンティングしてきたメンバーは
大阪で家具製造・販売など暮らしにまつわるものづくりを手掛けるgraf、
東京でイベントプロデュースやブランディングなどを手掛けるLandscape Products、
台北でレストランやお菓子屋さんを展開するVVG
の三者。
各々の分野で活躍する目利きたちが見つけてきた
工芸品、プロダクツ、おいしい食材が会場に並び、
鳥取と台北の魅力を体感できます。

鳥取と台北のいいとこどり!

会場は東京からスタートし
その後、大阪、鳥取、そして最後は台北までまわります。
また、各会場ではワークショップやトークイベントといった
連動企画も開催されるそう。
鳥取と台北の素敵な出会いをぜひご堪能ください!

【鳥取・台北 - Design and Craft Hunting -】
東京会場:展示期間 / 6月21日(土) - 6月29日(日)
     場所 / CURATOR’S CUBE(東京都港区愛宕1-1-9)
大阪会場:展示期間 / 7月5日(土) - 7月13日(日)
     場所 / graf(大阪府大阪市北区中之島4-1-9 graf studio)
鳥取会場:展示期間 / 7月19日(土) - 7月27日(日)
     場所 / ギャラリーショップそら(鳥取県鳥取市栄町658-3駅前サンロード)
台北会場:展示期間 / 8月8日(金) - 8月17日(日)
     場所 / Songshan Cultural and Creative Park East Tobacco Factory 2F Lab
松山文創園區 東向製菸工廠 2F Lab 實驗室(台北市光復南路133号)
詳細は以下を参照ください。

鳥取台北 - Design and Craft Hunting -
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MAD City vol.9: 住居用の間取りを取り払い、 人工芝と白壁がさわやかな デザイン事務所に!

MAD City vol.9
築40年弱のレトロなマンションの一室をDIY!

MAD City利用者のなかでも、特に多いのがクリエイターの方々です。
自分の個性やセンスを生かして、自由にDIYできる物件を求める彼らにとって、
MAD Cityの扱う「DIY・リノベ完全自由」な物件は、絵を描くキャンバスと一緒です。

なかでも人気があるのが「MADマンション」と呼ばれる、築40年弱の賃貸マンション。
DIYはもちろん、改造も自由。さらに原状回復不要というMAD Cityの人気物件です。
加えて、家賃も手頃で駅から徒歩5分という好立地も、住人の方々からは評判がよいのです。

MADマンションの外観。

今回、ご登場いただくグラフィック・デザイナーの佐藤大輔さんも、
このMADマンションの住人のひとりです。

佐藤さんとMAD Cityとの出会いは、数年前のことでした。
もともと「生まれも育ちも松戸」というチャキチャキの松戸っ子の佐藤さんが、
松戸の駅前を歩いているときふと目に入ったのが、MAD Cityのオフィス、MAD City Gallery
江戸時代に宿場町として栄えたまち並みの名残ある松戸で、
異彩を放っていた弊社オフィスに好奇心をかきたてられた佐藤さんが
その扉を叩いてくれたのがはじまりでした。

オフィスにいたMAD Cityのメンバーとさまざまな話をしていくうちに、
「松戸にクリエイターの拠点をつくる」という、
MAD Cityのコンセプトに共感してくださった佐藤さん。
その後もイベントに参加してくれたり、
ウェブサイトをこまめにチェックしてくれたり、
なにかとMAD Cityのことを気にかけてくれていました。

とはいえ、8年ほど前にフリーのデザイナーとして独立されてから、
ずっと松戸にあるご自宅でお仕事をしていた佐藤さんは、
当時は物件を借りる気はなかったそうです。
でも、MAD Cityのウェブサイトなどをチェックしていくうちに、
「仕事場と家を別にしたい」「事務所を構えたい」という想いを抱くようになったのだとか。

物件探しの際に、佐藤さんが考えていた条件は3つ。

1)安い
(やっぱり値段は肝心とのこと!)
2)駅から近い
(せっかく事務所を持つなら、クライアントを呼んで打ち合わせもしたいし、
プレゼンとかもできるスペースだとなおうれしい)
3)リノベができる
(自宅だとあまり自由にリノベするのはこわいけれども、
仕事場は思いっきり自分の好きな空間をつくりたい)

以上の条件を満たす物件を1年間ほど探し求めていた佐藤さんの目に止まったのが、
この「MADマンション」でした。

「安くて、駅から近くて、リノベもOK」
という条件をすべて満たしたこの物件の内見後、佐藤さんは即入居を決意。
入居開始の2012年7月から、一気にリノベを開始したそうです。

さて、気になるのが、佐藤さんが行ったリノベ。
「リノベができる物件」をあえて探していた佐藤さんだけに、相当気合が入っています!

まずは、間取り。
もともと1DKだったお部屋の壁と押入れを打ち抜き、巨大なワンルームにします。

もともとこんな部屋だったのが……、
扉や押し入れを取り払って……。

押入れは、すべて佐藤さんの独力で取り払ったそうです(しかも、道具は釘抜きやトンカチなど!)

まだまだ取ります!

さすがに床張りや壁などはひとりでは手におえないため、このあたりから工務店さんにお願いしてキレイに仕上げてもらったそうです。でも、途中までほぼ作業は終えていたため材料費を入れてもかなり安く済んだとか。

押し入れを取り払ってきたら偶然出てきたコンクリの壁。「これは面白い!」と思った佐藤さんは、ここだけ壁を貼らずにむきだしのコンクリのままでキープ。費用も浮くし、部屋にメリハリが出て一石二鳥!

壁や柱を取り払ったら、こんなにキレイになりました!
その後は、業者の方にお願いして、フローリングを張ってもらいます。

きれいに張られたフローリング。

白い壁とコンクリ壁にはさまれた、事務所が完成!

「こういうちょっと無機質な部屋にいると気分がピシっとして、余計な雑念が入らない。
だから、仕事部屋はこういうシンプルでできるだけモノがない空間を心がけました」
と佐藤さん。

リノベしたのはここだけではありません!
脂がギトギトだったビニールカーペットが敷かれていたキッチンも……。

木目調のシールと人工芝のカーペットでさわやかに!

ダイニングキッチンから、ワンルーム部分の印象はこんな風に変わりました。

壁を取り払ったお陰で、部屋がスッキリ。
なお、壁塗りは過去ご自宅でも経験があったので、自分で全部手がけたとか。
「また飽きたら別の色にしたい」と佐藤さんのリノベはまだまだ進化を続けています。
「土間をイメージした」ということで、なぜか玄関・キッチンエリアには人工芝が。
「仕事スペースと遊びスペースを分けたかった」という佐藤さん。
ONとOFFが見事にくっきり分かれてます!

キッチンと玄関。玄関ドアの内側の数字は「302」が反転しているのは……?

こちらが入り口からみた玄関ドアの302。裏側では反転していたのでした。

MADマンションの特徴は、部屋の内側だけでなく、
共用部にあたる玄関ドアの外側まで改装OKなこと。
各部屋のドアは、そこに住まう住民の方々の個性が爆発しています。
佐藤さんのドアも、もちろんデザイン&作業ともにご自分でDIYしています。

ちなみに、こんな大胆なリノベをおこなっていらっしゃった佐藤さんですが、
なんとリノベは一度もやったことがなく、今回が初挑戦だったのだとか。

「僕がこの部屋をリノベするときに考えていた条件は、
とにかく『手間をかけないこと』と『シンプルにすること』。
僕はプロじゃないので、あまりにテイストに凝り過ぎると
すごく大変なことになってしまうと思ったんです。
だから、部屋はとにかく余分なものは取りはらって、
より広いスペースを確保できるように意識しました。
また、色も使い過ぎず、壁はシンプルに白で、床はフローリング。
これだったら家具やなんかにもあまりこだわらなくて済みますしね」

なるほどー。
なお、これだけのリノベを行って、総工事時期間はほぼ1か月。

「いろいろと大変だったけれども、やっぱり自分の好きなようにDIYできるのは楽しかったですね!」と笑う佐藤さん。

ステキすぎるDIY事務所を手にいれた佐藤さんですが、
しかしそれ以外にもMADマンションに住むメリットを感じているそうです。

「このMADマンションの住人になるまで、
松戸在住のほかのクリエイターの方に会う機会はほとんどなかったんです。
僕は松戸に長らく住んできたけれども、MAD Cityができて、
こんなにたくさんのアーティストやクリエイターの人がいるなんて思いませんでした。
自分の思い通りの事務所が手に入れられたのももちろんですが、
ほかの住民の方々と一緒にイベントをやったり、
ときどき食事会をしたりして情報交換したり、
いろいろと刺激を受けられるのが魅力的ですね」

MADマンションに住む人たちは、たしかにどなたも個性が爆発している方ばかり。
さらに、佐藤さんのようなグラフィック・デザイナーの方もいれば、
イラストレーター、現代アーティスト、またフードコーディネーターの方など、
それぞれの専門分野も結構バラバラです。

このように強いキャラクターやセンスを持つクリエイター同士が出会うことで
化学反応を起こして、新たな何かをつくり出す。
そんな流れが、またどんどんMADマンションを起点に生まれてくれたら、
MAD City的にはこんなにうれしいことはありません!

なお、そんなほかの住民たちに刺激されて(?)なのか、
佐藤さんは6月にはこの事務所を使って、
日頃お世話になった方向けに作品展を開催予定だそうです。
デザイナーを始めて最初につくった名刺から、最新作まで展示されるとのこと。
会場がマンションということで不特定多数は入場できないので、
まずは佐藤さんとコンタクトをとっていただく必要があるようです。
ご興味ある方は、こちらからお問い合わせください。

こちら作品展のフライヤーも玄関ドアのビジュアルになっています。

information


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MAD City(株式会社まちづクリエイティブ)

住所 千葉県松戸市本町6-8
電話 047-710-5861
http://madcity.jp/

ビルススタジオ vol.08: カフェ食堂が、シェアハウスの 2階にオープン

ビルススタジオ vol.08
もうひとつの共用リビング

vol.3とvol.4で紹介したシェアハウス「KAMAGAWA LIVING」に併設する飲食店テナント
カフェのようなバーのようなお店「u-go(ユーゴ)」がオープンしました。

ここはもともとビジネス+カプセルホテルとして使われていた建物。
2階にあったフロントの脇には10坪ほどの小さな喫茶室がありました。
ホテル営業時はここでお客さんたちがそれぞれの朝食をとっていたのでしょう。
しかし、私たちが初めて見たときの室内の印象からは、
お客さん同士や店員さんとの会話など、
察するに「ほぼ無かった」ことがうかがい知れます。

改装前の様子。家具がないこともありますが、殺風景な空気が漂っていました……。

こちらも改装前。ホテルのフロントが目の前。

ここがシェアハウスに変貌するにあたり、
フロントだったところにはオートロックが鎮座することになりました。
その脇にあるこのテナントスペースは
住民が使う、もうひとつの共用リビングのように、
機能していくといいなと思いました。
住民同士の距離感を大切にするこのシェアハウス。
既に、50帖ほどある共用リビングがあります。
ここで、ある程度自由度の高い距離感の取り方はできるものの、
全く別の空間で過ごしたいときもあるかと。
さらには遊びに来た友人を気軽に案内できるダイニングとしても
重宝されるスペースが生まれればいいなと考えていました。

シェアハウスとしての工事も半分ほど進んだある日、
出店希望者として安生大樹さんがやってきました。
安生さんは宇都宮市内の大学を卒業後、さまざまなカルチャーそして人を知りたい、
出会いたいとの想いから都内のカフェ、バーやクラブを6年間渡り歩きました。
その後宇都宮に戻り、独立開業を目指して飲食店の店長を務めていました。

聞けばこのテナントに興味を持った理由は、まず界隈。
この釜川エリアには個性豊かな個人店が立ち並び、
こだわりのあるお客さん層が出歩いているエリア。
さらには近年、この界隈の新旧の店主たちが連携し、
「KAMAGAWA DEPARTMENT」「カマガワヨルサンポ」「かまがわ川床花見」
などのイベントが開催され、新たな客層の集客にも積極的なエリアであります。

そこに新たにシェアハウスができることにより
この釜川界隈を使い倒すであろう住民たちが面白そうだというのです。
安生さんはその時点ではもちろん、誰がここに住むかも知りません。
それでも「きっと面白い」という確信を持ち、出店することを決めてくれました。

工事中の風景。

そして安生さんの改装がスタート。費用を抑えるべく、できるだけ自主施工。
基本のカウンタースタイルは残し、床と天井の仕上げ材をはぎ取り、
コンクリート剥き出しのラフな仕上がりになりました。
荒れてしまっていた壁には自分で木板を張ったり、色を塗ったり。
賃貸契約から開店までには、3か月を要しました。
安生さんは、自分の仕事の合間に施工というだけでも少ない改装時間なのに、
入居が始まったシェアハウスから、
ちょいちょい通い始める住民が現れると、
ついつい話し込んでしまい進みが遅くなる……というということもあったようです。

シェアハウスの入口から脇を見ると、お店。

お店がオープンすると、
住民たちにはいい感じに使ってもらっているとのこと。
夕ご飯だけ食べに来たり、寝る前の一杯だけを飲みに来たり。
「同じ屋根の下」をいいことに、そのまま寝る格好で飲みにくる方も……!

住民全員集合の会もここで開かれたりします。
そういう場合に共用のリビングだと準備や片づけがなにかと煩わしい。
結局住民の中で気が回る誰かがその役を請負うことになります。
それは請負う側もそうでない側も気を使ってしまいます。
そんな時に外に出ずにおいしい料理とお酒のある会を開けるのは
非常にありがたいだろうな、と思います。

また、誰かがカウンターで飲んでいると、他の住民が帰ってくるのが見えます。
軽くアイコンタクトし、一度部屋に戻り、そこに参加したり。
もちろんそんな気分じゃなければそのまま部屋で過ごすもよし。
そんな選べる関係性がこのシェアハウスでは育まれています。
住民割引もあるらしいです(いいなぁ)。

大のパスタ好きな方のために常時用意しています。

住民が友人と飲みにいくときもここは便利。
もはや飲みに行く、という感覚ではないとは思いますが。
ホームの寛ぎが間違いなく得られます。
タクシーや代行を使う必要もなく、スゴく楽。
おいしくて、場所も便利であれば友人も抵抗なくこのお店で納得してくれます。
難点は、先に帰り難い、ということくらいでしょうか。

また、上に住むオーナーさんもしばしばここで食事をしたり飲んだり、
通常では知り合えないような友人知人と遊んでいたりします。
そんな人と気軽に会って話せる機会があるのも魅力だと思います。

ほかに、シェアハウスの住民やその関係者だけではなく、
近隣のお店の人や地域の人たちも利用してくれています。
私が思っていたよりもとてもいいポジションを確立しているようです。

カウンターの風景。安生さんがひとりで切り盛りしています。

私がロンドン留学中に非常に良いな、と感じていたのは、
まちなかのアパートやマンションの1階に必ずあるカフェやパブ、レストラン。
上に住む住民同士や近所の人が日常使いで自然にここに集まり、
界隈のコミュニティを密接にしてゆく機能となっていました。
町内会や商店会などでわざわざ集まらなくても、
同じ建物内や界隈内にどんな人が住んでいるかが勝手にわかる。
近所の軽い問題点や転入者がどんな人かも噂レベルで情報交換できる。
まち並みの美しさ、人通りの多さではなく、
住人たちが自然と集まって来るお店の雰囲気が
「この界隈に住みたいな」と思う一番の理由になりました。

これはロンドンに限ったことではなく、日本でも同じのようで、
リクルート調査のアンケートにて
アパート・マンションに住む人が、その住まいに愛着を持っているかどうかを聞いたところ、
「その愛着度と隣近所に挨拶以上の関係にある知人友人の人数は比例関係にある」
という結果がでています。

住宅街、オフィス街、商業地、というように用途で界隈を形成するのではなく、
特に地方都市ではもっともっと複雑に、ひとつの身体のように
界隈にさまざまな機能を同居させ、絡めていくと
人と人とのぬくもりもすこやかに保てる生活が手に入れられるんだな、と
この釜川界隈とシェアハウスとu-goを見ていると実感できます。

みな、シェアハウスの住民です。なんか仲いいなぁ。

information


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ビルススタジオ

住所 栃木県宇都宮市西2-2-24
電話 028-636-5136

information


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u-go
ユーゴ

住所 栃木県宇都宮市中央5-1-8カマガワリビング2F
電話 028-614-3304
営業時間 14:00-26:00 不定休

高知を元気にするアイデア大募集!「知事コン♡」~高知県知事とコンパ?いや、コンペです!~

2014年6月7日(土)、東京・渋谷のCreative Lounge MOV aiiima 1にて
高知県のイベント「知事コン♡」が開催されます。
高知県知事とコンパ?いや、コンペです!
ということで、飲み会ではなく
尾﨑正直高知県知事に向けて、高知を元気にするプランを
プレゼンする会。
「飲みながら、語らう!」という高知スタイルで行われます。
高知出身でなくても、高知に興味がある人なら誰でも参加可能!!
見学の応募はすでに締め切られているのですが、
プレゼンする方の応募を6月6日15時まで受け付けております。

プレゼンの結果、知事が気に入ったプランがあれば、
その人を知事が高知に「お持ち帰り」したり、
高知の空き家がプレゼントされたり、
などなどプレゼンする方にはユニークな景品をご用意。
イベントの主催は、「KAI presents EARTH RADIO」にも
登場した、高知の人口千人という山間部にて
「地域の持続を目指した学びの場づくり」を目指す
土佐山アカデミーさん。
応募の詳細は下記Webサイトをご覧ください。

「知事コン♡」~高知県知事とコンパ?いや、コンペです!~

ジャンル不問!日本最大の温泉地・別府のスペース「PUNTO PRECOG」店主大募集中

おでかけコロカル」でもご紹介した、
大分県別府市のオルタナティブスペース「PUNTO PRECOG」。
これまでにインスタレーションの展示やギャラリー、カフェ、
など様々な試みをしてきたこの場所が、ただいま店主を大募集中!
ジャンル、経験、年齢、国籍、個人、団体は不問。
日本最大の温泉地「別府」にあるPUNTOという場を活かして
盛り上げてくれる人を募っています。

「PUNTO PRECOG」は建築家の仲野安紗さんと
「precog」代表の中村茜さんのプロデュースにより
2012年に誕生したスペース。
カフェ、クリエイターの制作・滞在場所、
オフィス、などなどさまざまな人の交流拠点としてオープンしました。

大きさは10畳ほどの2階建てで、キッチン(3口コンロ)とトイレがあります。
これまでに「PUNTO PRECOG」で行われてきた催しは
こんな感じです。

コーヒー屋さん

パン屋さん

ベジ食堂yoyo.さんのカフェ

こちらは二階の様子。

いま別府は、3年に一度開催される国際芸術祭「混浴温泉世界」のほか、
PUNTO近隣のアーティストの居住施設「清島アパート」や
シャッター通りから生まれ変わった「北高架下商店街」、
アートNPO「BEPPU PROJECT」などなど、草の根的なアート活動が
活発なところ。
面白いことを巻き起こしたい方、奮ってご応募ください!
募集の締め切りは6月30日。詳細は、下記Webサイトにて。

「PUNTO PRECOG」募集!期間限定店主!![6/30〆切]

NO ARCHITECTS vol.8: シェアしたみんなが 思うようにつくる家 後編

NO ARCHITECTS vol.8
つくりながら考える

vol.7に続き、「シェアしたみんなが思うようにつくる家」の後編です。
僕らが住む家「大辻の家」とつながるアパートを友人とシェアしています。
その一室のリノベーションをリアルタイムでリポートします。

大辻の家の右手の路地のSPACE丁の三角コーン看板、手づくりの門扉を抜けると裏のアパートがあります。

部屋の間取りがわかりにくいと思うので、スケッチを描いてみました。
アパート2階の踊り場に面した引き戸の玄関越しに見た部屋の見取り図です。
玄関を入ってすぐ左手は遠藤シェフのキッチンとバーカウンターです。
その奥は共有のリビングで、みんなでごはん食べたり、まったりしたりします。
右の突き当りの窓際あたりは、
黒瀬のブランド「ツクリバナシ(vol.7参照)」のアトリエになっています。

6畳三間のL型のプランです。あくまでイメージ図です。

さて、進捗の報告です。
床は、完成しました。玄関から部屋の奥まで、
下地の角材で高さを揃えてベニヤ板を張り、フラットなワンルームに。

床が完成した次の日の朝。安心できる居場所が生まれる瞬間で、毎回とても感動します。

玄関横の壁は、ほかの壁と仕様を変えて、
柱の上からベニヤ板を貼って大壁(柱を見せない構造)にしています。
他の部屋の雰囲気との差別化を強調しています。
塗装はまだですが、色は、うっすらグレーがかった白にする予定。
少しパブリックな場所になるので、展示などもできるように考えています。

トイレ脇の押入を解体してできた窪みのような小さな部屋は、
遠藤の自転車のカスタムスペースに。
「遠藤サイクル」とプリントしたのれんとポロシャツもつくるらしいです。
気がついたら自転車の空気を入れてくれていたり、
お願いしておいたら、カゴとか付けてくれたりします。
いつもありがとう。これからもよろしく。

さっそく自転車の整備をしているところ。コンパクトに収まっています。作業もしやすそう。

トイレは、既存のドアの壁ごと取っ払って、
ホームセンターにて見本品で安売りになっていたドアを買ってはめ込んで、
それに合わせて隙間に枠を回して断熱材も詰めて
清潔感と安心感のあるトイレに。あとは、塗装したら完成。

バーカウンターは、10cmの角材で既存の柱を補強しながら、
テーブルも同じ角材をボルトで締めあげてつくるという男らしいデザイン。
遠藤のこだわりのカウンターです。吊り棚も取り付けて、
ワイングラスをシャンデリアのように垂らすそうです。
楽しみ。

カウンターが完成した夜、さっそくカクテルを。建築家ル・コルビュジエの「カップ・マルタンの休暇小屋」に隣接するバー・レストラン「ひとで軒」みたい。椅子はOTONARIの開店に合わせてつくったハイスツール。

やっぱり思い通りには進まない

玄関付近のオープンキッチンは、まだ未完成です。
前回の記事の最後に、「完成した姿を報告できると思います」
と大口を叩いたものの、
普段の仕事の合間や休みの日に少しずつ進めている感じなので。
この記事を書くために、ペースを合わせるほうが不自然。
本当にリアルなレポートということで、お許しください。

できたばかりのカウンターで、
このスペースをどう使っていきたいか、ふたりに聞いてみました。
黒瀬は、
「自分の部屋をアトリエにしていたときよりも、
たまたま近くにいた人に世間話しながら意見をもらえたり、
試着してもらえたりするのは、とても刺激的だし、楽しみ。
これからつくるものにも影響しそう」とのこと。

ぼくらも、できたての服や染めたての生地を見せてもらうのを、
いつも楽しみにしているので、より近くでミシンの音が聞けてうれしい。

抜群の集中力を見せる、ミシン作業中の黒瀬先生。

「基本的には、Café the Endのメニュー開発などの、日々の修練の場所。
カクテルのイベントや、料理教室なども企画中。
あと、屋上と合わせてのパーティもやりたい」
と、遠藤の今後の意気込みも聞けました。

久しぶりに遠藤と木工作業をしていて、
大学院時代のスタジオを思い起こしながら、懐かしい気持ちにもなりました。
修士設計で、現在のNO ARCHITECTSの西山と奥平、そして遠藤の3人で、
キャンパス内にツリーハウスをつくるプロジェクトをしたことがあります。
(当時の鈴木明研究室のブログ http://akiralab.exblog.jp/i9/

カウンターをつくっているところ。

そんなこんなで、自分たちのスペースを
自分たちらしく楽しく暮らしていけるようにつくり変えていくこと。

そんなスペースが、まちの中に少しずつ、それぞれマイペースに進んでいる。
それも、ぼくらが知らないところでもと想像すると、ワクワクしてきます。
そういうことが許されているまちは、
自然とクリエイティブな空気で満ち溢れています。
地主さん、不動産屋さん、大家さん、そして住まい手の関係性がとても大事で、
この界隈は、とても幸せな状況にあるということなんです。

みなさんも、次に住む場所を考えるとき、
間取りや日当たり、駅からの距離だけで選ぶのではなく、
実際にいろんなまちや家、そして人に会いに行って、
その場所が持っている空気感や雰囲気を感じてほしいです。
きっと、新しい暮らし方のイメージが湧いてくると思います。

共有のリビングにて、配置したばかりの椅子やソファでくつろぎながら、お披露目イベントのミーティングをしているところ。

information


map

NO ARCHITECTS

住所 大阪市此花区梅香1-15-20
http://nyamaokud.exblog.jp/
https://www.facebook.com/NOARCHITECTS.jp

支援者募集中!奈良在住の映画作家、河瀬直美らによる手作りの「なら国際映画祭」

今年も、奈良を舞台にした映画祭「なら国際映画祭」
が開催されます!これは奈良在住の映画作家、河瀬直美さんが
立ち上げた、手作りでローカルな国際映画祭。

2010年の初開催から隔年で開催されていて、
3回目となる今年は2014年9月12日(金) から15日(祝)まで開催されます。
世界中から日本未公開映画を集めたコンペティションを中心に、
奈良の風土を活かした多様な映画イベントをおこなう
フェスティバルなんです。
会場は奈良市の「ならまちセンター」や
「尾花座 (ホテル サンルート奈良)」、「春日大社」、
「椿井小学校」など、のんびりとした自然と
世界遺産のお寺や神社に囲まれたところ!

この映画祭の大きな特徴は、前回開催の新人コンペティションでの
優勝者が、河瀨直美さんや「なら国際映画祭実行委員会」とともに、
奈良を舞台に映画を創って上映する「NARAtive」(ナラティブ)
というプログラムがあること。
単なるコンペティションではなく、若い映画作家たちに地元の人たちとの
出会いと繋がる場を提供しています。
かつて国際文化・経済交流の拠点として栄えた奈良の都が、
世界に開かれた真の「“国際交流”観光都市」となることを目指して
いるのだそう。

■支援者募集中!

手作り「なら国際映画祭」の開催を助けるため、
ただいまクラウドファンディングの「ShootingStar」で
開催資金支援の募集が行われています。
支援者には、金額によって上映作品観賞のフリーパスや
なら国際映画祭のぬいぐるみツアーに参加できる権利、などなど
様々なギフトをプレゼント。
ひとりでも多くの人に関わってもらうことで、
映画祭を広げて行きたいという思いが込められているのだそう。
応募の詳細は、「ShootingStar」にて。

なら国際映画祭
・「ShootingStar

小松菜の日に、千葉・西船橋で小松菜食べ歩き!72店舗参加の「こまつなう2014」

5月27日は何の日かご存知ですか?
それは「こ(5)・ま・つ(2)・な(7)」で「小松菜の日」!!!!
これにちなみ、2014年5月26日・27日の2日間、
小松菜の名産地である千葉県・西船橋を舞台に、
オリジナルの小松菜料理を食べ歩くイベント「こまつなう2014」が開催されます!
飲食店がそれぞれに工夫をこらした小松菜料理を
参加者が自由に食べ歩きできる、地元密着型の催しです。

「こまつなう2014」への参加方法は、Webサイトでも紹介されている
参加店舗数72店舗のいずれかを訪れ、専用チケットを購入するだけ。
お値段はシール3枚組みで2,100円。
チケットシール1枚と引き換えに、小松菜限定メニューが1回
いただけます。

このイベントは、小松菜農家(西船橋葉物共販組合)が、
小松菜を使ったまちおこしとして2012年より始めたもの。
3回目となる今年は参加店舗数が昨年の約2倍になり、
船橋駅周辺が新たに参加エリアとして加わりました。
食べ歩きを通して、西船橋の小松菜と地元の魅力を
再発見できるイベントです。

こまつなう2014
こまつなう2014Facebookページ

山ノ家 vol.8: ドミトリーの完成と夏の終わり

山ノ家 vol.8
工事が終わりそうでなかなか終わらない?

カフェには連日いろいろな人が訪れ、あっという間に過ぎていく時間。
そして2階のドミトリーのための工事も大詰め、のはずなのだが、
なかなか終わりが見えない……?
それもそのはず、手を入れる部分はカフェのときよりもはるかに多い。
床貼りや塗装など、わかりやすく進んで見える工程もほぼ終えて、
納まりの細かい部分が多くなり、調整が重なってくるとさらに進みが遅く感じる。
加えて1階のカフェを営業させながらの作業は、やはり少しやりづらい。
仮囲いをいつまでもつけているわけにもいかない。
このままでは、完成がどんどん遅れる可能性も……。
大工さんからの進言もあり、考えた末に運営チームとも相談して
8月の後半は週末のみカフェを営業、平日はクローズにして、
その間は工事のみに集中することにした。

2階廊下の壁と天井を塗装。これが終わらないと、客室のドアや、天井照明などを取り付けることができない。塗装は常にさまざまな作業工程と絡んでくる。

1階の客席、テーブルを一度片付けて場所を空ける。ここは、茶箱を利用したベンチの席が最終的に設置される。

そんなさなか、8月の最後の週末には、
山ノ家のあるほくほく通りで昔から行われているお祭りがあった。
(知ったのが直前過ぎて、盆踊りのとき〈vol.7参照〉のように出店をする余裕はなかった)
「しちんち祭り」と呼ばれ、
目の前のほくほく通りを2日間に渡って、手づくりも含めた
さまざまな神輿がにぎやかに通り過ぎていく。
楽しげな中にもなんとも言えず、季節の変わり目が近づいているような、
そんな名残り惜しそうな気分を醸し出しているように思えた。

地元の人によれば、このお祭りは
やはりこのまちの夏の終わりを告げる風物詩のようだ。

「しちんち祭り」の様子。山ノ家のある通り沿いをさまざまな神輿が行列で練り歩くお祭り。

少しずつ、みなが現場を離れる日が

8月の後半の平日をクローズにしてでも(芸術祭は開いているのにも関わらず)
工事を優先しようと考えた決断には、
もちろんドミトリーを早くオープンできるようにしたい
というのもあったのだが、もうひとつ理由があった。

実は、8月いっぱいに作業を終わらせることを
あらかじめ目標にしていたこともあって、
そのタイミングを最後にこの現場から離れなければならない人が何人かいた。
7月からずっとこのリノベーションにつきあってくれたアキオくんと、
インターンで約1か月滞在し続けていたジュンくん。
さらに、立ち上げやインターンの取りまとめなど、
さまざま奮闘してくれたgift_スタッフのメグミさんも、
9月からの3か月、海外に語学留学にでることになっていた(戻ってきたら、
また一緒にgift_の一員として復帰してもらうことももちろん約束の上で)。

彼らに、少しでも最終形に近い山ノ家を目にしてもらいたかったのだ。
結局彼らがいる間には完成できなかったのだが。

それまでにも、インターンとして入ってくれていた人たちが
1週間から2週間ほど来ては帰っていく、ということを繰り返し、
何人もの協力のもとにこの山ノ家はつくりあげられてきた。
引き続き芸術祭が終わる9月後半まで、
インターンさんたちは入れ替わり来てくれるシフトになっている。
さまざまな経緯、興味で応募してきてくれた彼ら・彼女らへの感謝は、
いくら述べてもつきない。

現在もgift_スタッフとして活躍中のメグミさん(左)。後ろ髪ひかれながらもあわただしく現場を後にした。

アキオくんとジュンくん。滞在最終日にお祝いのシャンパンならぬお気に入りのトラピストビールを掲げて記念写真。彼らもドミトリーの完成を見ずに現場を離れなければならなかった。

ついにドミトリーもオープン、新たな日常が始まる

ずっと滞在して寝食を共にした人たちが現場を離れていくなか、
まだその後も滞在してくれている人たちと最後の仕上げ。
最後まで完遂することがミッションの工務店の大工さんももちろんいる。

主要なメンバーがいなくなった後に、残った人たちで最後に1階のレセプション部分となる床の染色を行ったり。

実は、山ノ家でつかわれているインテリアのなかには
もともとこの家に残っていた
いろいろなものを利用してできている什器や家具がある。

例えば、カフェオープン時にはなかったベンチソファー席。
この家の放置されていた茶箱を利用することをある時に思いついた。

工事前の写真。もともとこの家にあった、6つの茶箱。これを何かに利用できないかと当初から考えていた。

この茶箱の紙を剥がして、外壁と同じ黒染めの塗料で塗って。

その箱を脚として、別手配したクッション部分をのせて、ベンチソファーが完成。

茶箱を利用すると、座高が高くなってしまうことが懸念されたが、
小さな子にとってはテーブルが近くなり食べやすく、
ベンチだと親との距離も近くなるようで、
小さな子を持つ親には好評となった。

それから、桐たんす。
調湿に優れ、持ちがよく本当に美しい伝統的な家具だが、
独特な時代感が漂ってしまう家具なのでどう扱うか最初はちょっと考えあぐねた。

これも工事前の写真。この立派な桐たんすが、ふたつもあった。

池田の「引き出しを取り外して棚として使ったらよいのでは」
という思いつきをやってみることにした。
そこに置くものを美しく並べることで、
見違えるような感じになり、これがとてもよかった。

カフェにて、引き出しを全てはずしてオープンな棚として使用した。日常をより美しくみせるツールに。

そして、店舗の什器で使用していたと思われる鉄のフレームがあったので、
これを物販用の棚として再利用したり。

少し錆び付いていたので紙ヤスリをかけ、鉄の生地肌ともとの塗装を何となく残しながら、その後錆び止めクリアの塗料を塗った。

板を新調し、現在はショップの棚として利用している。

他にも、ここにもとあったものを新たなかたちで再利用することができたことは、
とてもラッキーだった。
それらをどう使うかは、僕らにとっては一番の楽しみでもあり、
この空間にとっても幸せなことなんだと思う。
この場所の雰囲気をつくりだすのにとても重要な役割を果たしている。
例えば近所の人がカフェに来てもなじめる雰囲気があるとしたら、
これらもとあった家具たちのおかげだと思う。
そんな1階の空間づくりとは異なり、
2階のドミトリーは、逆の考え方によって構成されている。
宿泊するのは、カフェに比べれば少なからずこの土地以外の人。
外から来る人を想定し、モダンな気分となる要素を取り入れたかった。

既存の屋根裏の梁などを露わにしながらも、
この家のもとあった古くからの部分を引き出すのとは
対照的な雰囲気のインテリアを取り入れる。

その象徴となるのは2段ベッド。
ハシゴを木造などにはせずに、
金物(ステンレス)にしようと考え、
金工をやっている知人に製作を依頼することにした。

ベッドは、個別に区切れるカーテンレールをなるべく自然に使えるよう考えたり、
携帯や小物や手元灯りを置けるような細い台になるスペースをつくったり、
寄りかかれるような大きなクッションを置けるようにしたりと、
少しでも快適に使えるようにと工夫した。
その上、マットレスの底の通気性を考えたら
スノコ状にスキマを空けて張るべきだったりと、
造作としては結構な複雑さとなり大工さんと納まりについて
侃々諤々(かんかんがくがく)とやりあいながら、最終的にまとめ、ようやくの完成となった。

最後の山場、2段ベッドがついにでき上がった!

これで、ドミトリーもかたちが整い、およそ全体の要素が揃った。
そうしてなんとか、9月に入ってドミトリーを無事オープンさせることができた。

最初に泊まったお客さんは、
スタッフの知人だったこともありとても和やかな夜となった。

ドミトリーを利用するお客を迎えることは、とても新鮮で不思議な感覚だった。
個人的には「客」を迎える、というよりは、
「新しい友人」を迎えているような心持ちで、
できることなら全ての人と話をしたいくらいだった。
これは現在でもそうで、どちらかというと家をシェアしているような感覚なのだ。
(もちろん、プライバシーはきちんと尊重した上で)

次の日の朝、宿泊客を見送ったあとに、
シーツなどを片付けにいったところで嬉しいサプライズを発見。

写真ではちょっと見えにくいが、「おめでとう!」とマジックで書かれた風船が枕元に並んでいた。

季節はすでに、夏から秋に向かっていた。
大地の芸術祭の終わりも見えてきたころにようやく、
山ノ家の全体の新しい日常が始まりだした。

つづく

のみだけで仕上げる井波彫刻の技術力を活かして 後編

伝統彫刻の先を見据え、現代的プロダクトに融合する。

富山県南砺市の井波彫刻は、寺院の修復や、住宅の欄間などを中心に栄えてきた。
しかし伝統彫刻ばかりでは、今後の先細りが予想される。

「技術を残していくためには、伝統的なデザインばかりにこだわっていてはダメです。
しかし私たちだけで新しいデザインを考えるのも難しい。
そこでリバースプロジェクトに力をお借りました」と、
南砺とリバースプロジェクトのコラボ彫刻のきっかけを教えてくれたのは
南砺市産業経済部長の原田 司さん。

「新商品開発と販路拡大がポイント。
売れることが彫刻師を守ることになります」というように、
井波彫刻のすばらしい技術を売れる製品に落とし込むことが至上命題だ。

デザインを担当したリバースプロジェクトのデザイナー、
平社(ひらこそ)直樹さんはいう。
「現代の生活様式に合ったプロダクトに落とし込むべきだと考えました。
ものが廃れずに存在するには、
生活に即した機能を持っているべきだと思うからです」

こうして考え出されたのが照明とお皿だ。
どちらも技術の高さを直接的に目で見て感じることができる。

波打つ細工の上にアクリル板を配して、プレートに仕立てた。食事しながら、同時に彫刻の美しさを堪能できる。

一方では、井波彫刻の伝統に敬意を払い、
現代装飾であるモビールを、古典的な題材を用いてつくる試みにも挑戦した。
それが風神・雷神のモビール。
そもそも風神・雷神ならば、井波彫刻の職人にとってはお手のもの。
しかしモビールに用いるという発想は生まれない。

伝統彫刻の風神雷神はさすがの出来栄え。宙に浮かぶモビールとして、生まれ変わった。

「彫刻師も次のステップに進まないといけません。
ここから先はこちらの話」と原田さんはいう。
リバースプロジェクトとのコラボから得た刺激を、
彫刻師がどう活かし、南砺市がどうバックアップしていくか。

「井波彫刻の職人さんたちは、通常、デザインから下絵、仕上げまで、
すべての工程をひとりで行います。
そんな職人魂に火をつけられるようなアイデアを提案しようと心がけました。
驚きや戸惑いのあるデザインを起こすことで、
慣習から離れ、新しいスタイルが生み出されればという希望をこめたつもりです」
井波彫刻の行く末は、こう語る平社さんの思いともリンクする。

初めて井波彫刻を見たときに「すごい技術だと思った。同時にすごく手間がかかっているので、高くなるのも仕方ないと感じた」という平社さん。

「ものの価値はつくり手が一方的に決めるのではなく、
また市場が一方的に決めるものでもありません。
人々が潜在的に求めているものを探り続ける作業のなかから、
意味のある良いものが生まれます。
今回のプロジェクトでその螺旋階段を一段でも上ることができたのなら
ものづくりに関わる人間として幸せです」

お互いに刺激を与え合うコラボレーションによって、
それぞれのものづくりにフィードバックされていく。
そして井波彫刻もまた、新しいものづくりの地平に進むのだろう。

「風神・雷神の背中を見たことがありますか?」というのが原田さんの売り文句!

Googleの携帯陣取りゲームで石巻の復興を支援!まちの記憶をたどるツアー「Ingress Meetup」

いまも大きく残る、東日本大震災の爪あとの復興。
宮城県石巻市は、津波による4000人の犠牲者と、
最大の浸水被害面積という甚大な被害を受けた土地。
かつて人口16万人だったまちは、震災以降人口が1万人が減り、
2万人がいまも仮設住宅に暮らすという課題を抱えているんです。

先週、2014年5月10日(土)、11 日(日) の二日間にわたり、
宮城県石巻市にて、これまでになかった復興支援イベント
Ingress Meetup in Ishinomaki」が開催されました。
これは、IT企業のGoogleと旅行会社のJTB、
地元石巻の復興プロジェクト「ISHINOMAKI2.0」、「イトナブ石巻」の
協力のもと実現したプロジェクト。
Google本社のラボ「Niantic Labs(ナイアンティックラボ)」が開発した
ゲーム「Ingress」(イングレス)を使って、石巻のまちを歩いたり、
地元の人と触れ合ってもらいたいというこころみです。

■位置情報を使ったゲームでまちを散策

イングレスのゲーム画面。実際の景色のうえにバーチャルな景色がオーバーラップする。

「イングレス」は、スマートフォン向けの位置情報ゲーム。
ゲームを立ち上げると、まちの地図がレーダー風の画面になり、
実際の建物をつかった「ポータル」と呼ばれるチェックポイントが表示されます。
プレイヤーは緑(エンライテンド)・青(レジスタンス)のどちらかを
選んで、敵よりも多く自分たちの陣地を増やすのが目的。
GPSなどで取得した位置情報を利用してチェックインするので、
屋内のパソコンで遊んでいた従来のオンラインゲームとは違って、
実際の現実世界がゲームの舞台になるんです。
ゲームのヒントを仲間と一緒に探しに行くのは、まるで
RPGゲームをリアルに体験しているみたい。
全世界で約300万人のユーザーがいる人気のゲームなんです。

チェックポイントをのぞむプレイヤー

このツアーにおいては、「イノベーション東北」を組織し、
大震災の発生時から復興支援をしてきたGoogleと、
ボランティアツアーなどを行ってきたJTB、そして石巻を拠点として
地元から復興する「ISHINOMAKI2.0」、「イトナブ石巻」の協力のもと
プログラムが組まれました。
このイベントのために地域住民の方からヒアリングして作られた、
石巻ならではのチェックポイントは120箇所!
震災で流されてしまった場所などもチェックポイントのひとつになり、
スマホを向けると、震災以前の風景が浮かび上がるような仕掛けも。
チェックポイントを探して石巻のまちをあるくことで、震災前後の様子を
知ることができます。

さて一泊二日のこのツアー、
料金は東京駅発着で交通費、宿泊費も込みで34,000円。
当日集まった参加者は、日本国内からオーストラリアや香港まで
世界じゅうからなんと80名もの方々!
初めて会う方でも、同じゲームのプレーヤーなので話も弾みます。
終始和やかな雰囲気でツアーが進行しました。
それでは当日の模様をお届けします!

ツアーのスタートは、石巻の門脇地区にある復興のモニュメント「がんばろう石巻」から。かつてここで水道屋さんを営業していた黒澤健一さんが震災直後に建てたものです。

「がんばろう石巻」の周辺は、かつては商店街だったところ。いまは更地に。たくさんの鯉のぼりが揺れていました。

挨拶を行なう、Niantic Labsの川島優志さん(左)と、コーディネーターをつとめたイトナブ石巻の古山さん(右)。

イベントの始まりは、参加者全員がお線香をあげて黙祷を行いました。Google Earthの開発者であり、ナイアンティックラボ創始者/Google副社長のジョン・ハンケ氏もこのイベントのために来日。

青チームと緑チームに分かれバスに搭乗。バスの中ではゲームの仲間どうし、情報を交換しあったりアツい作戦会議が繰り広げられました。ゲームの世界に浸れるのが楽しいところ。

石巻市の日和山公園にて行われるオープニングセレモニーのために移動。日和山公園は石巻市街にある小高い丘で、石巻市を襲う津波の様子を捉えた映像が撮影されたところ。

日和山公園からの、現在の景色。

この方は開発者も驚く驚愕の高レベルを保持する伝説のプレイヤー!

ゲームの登場人物である女性キャラクターのクルー(Klue)が来日!ゲームの中の人が石巻に!

参加者に渡された、ゲーム開発サイドから用意されたグッズ。中にはファン垂涎のイングレスグッズと、ミニゲームのヒントが。

グループに分かれてミニゲームに挑みます。

石巻の方が作ったチェックポイントのヒントをじっくり検討。イベント時には、まちかどに立っている地元の人が、参加者にゲームのヒントを与えるイベントも。

石巻のまちはゲーム内だとこんな風に見えます。

石巻のまちには石ノ森章太郎さんのキャラクターがそこかしこにいるのでお散歩も楽しい。

「石巻のひとたちのために何かができる機会ということで、今日のイベントは僕達もすごく楽しみにしていて、本当に力を入れていました」と川島優志さん。

これまではお家にこもってプレイするものだったオンラインゲームが
外で仲間と一緒に遊べるものになり、それが震災復興やまちおこしのために
使われていることに、すごく可能性を感じました。
2014年7月に開催される「石巻STAND UP WEEK 2014」でもまた
イングレスのプロジェクトが行われる予定なのだとか。
テクノロジーを使った新しい試み、
気になる方はぜひ石巻へ!

Ingress Meetup in Ishinomaki

MAD City vol.8: 古びた一軒家から生まれた 真っ白な壁が囲むアトリエ空間

MAD City vol.8
古くてボロい残りもの物件にだって、「福」がある?

誰も借り手がいなくて、空き家のまま放置されているようなボロボロ木造の一軒家。
みなさんのまわりにも、そんなおうちがあるんじゃないでしょうか?

普通の不動産屋さんならば「ここは普通には貸せないな」「値段がつけられないな」
と思うような物件も、実はMAD City不動産で扱っています。
なぜこれらの物件を扱うのか。それには理由があるんです。

まず、ひとつ目のメリットは
これらの物件は、単純に「借り手が少ないのでそもそも賃料が安い」という点。

また、もうひとつは改造が自由なケースが多い点。
木造建築は長年人が住んでいないと傷んでしまうため、
ボロボロの物件は、多くはそのまますぐに住めるような状態ではなく、
入居の際には内装工事が必要になります。

業者に工事を頼めば数百万円ぐらいかかってしまいますが、
DIYができる人にとっては、材料費のみで自分の使い勝手が良いように、
自由にいくらでも改造ができるわけです。

さらに、木造物件はコンクリートや鉄筋の住宅と違って、
壁や床、天井などもいじりやすいため、
自分でリノベがしやすいという利点もあるんです。

なんだかちょっと褒めすぎてしまっているようですが、
人によってはこれが理想的な物件になることもある、ということです。

まさにこんな物件を探し求めていたのが、
兄弟そろってペインターというアーティストの菅 隆紀さんと雄嗣さん。
ふたりが当初探していたのは
「とにかく安くて、アトリエとしても住居としても使える物件」でした。

お兄さんの隆紀さんは油絵を主体としたアーティスト。http://sugar-w.com/
弟の雄嗣さんも現在東京藝術大学大学院美術研究科絵画専攻に在籍する油絵画家。

とにかく壁が広くて、大きな作業音を出しても近隣の方から怒られず、
しかも、住居としても利用可能な物件。
でも、いざ探してみると、この条件に合う物件は、どれも賃料が高かったり、
お風呂などの生活スペースがなかったりと
住居として使うのは難しい物件ばかりだったそうです。

そして、2012年の年末。
物件探しに明け暮れるふたりが出会ったのが、
MAD City不動産の築年数40年以上の木造建築「それもできます」でした。

「それもできます」はMAD City不動産の命名ですが、
その名の通り、「なにをしてもOK」という物件。
改造・DIYはもちろんのこと、住居としての利用だけではなく、
カフェやアトリエなどの店舗としての利用も相談可能。
しかも、庭付きの2階建て。
それでいて、家賃は一軒丸々借りきって4万円台と、
管兄弟のニーズにばっちり合った物件だったのです。

「それもできます」のDIY前の室内。広さはあるものの、ボロボロの木造の壁と腐りかけた畳張りの室内で、すぐに住むのはちょっとむずかしそうな様子でした。

「この物件を最初見たときに、『一見ボロボロだけど、
自分たちでリノベすればまだまだ使える!』と思ったんです。
そこで、即入居を決めました」と語る菅兄弟。

壁はボロボロ。畳の床は腐りかけ。
普通の人ではちょっと躊躇してしまうような大変な中古物件ではありますが、
そのポテンシャルを一度の内見で見抜いた菅兄弟。
これまでにもスーパーの居抜き物件に手を加えて
アトリエとして利用していたことがあったというだけあって、
ふたりにとってリノベはお手のものだったそうです。

そして、この物件をDIYするときにふたりが心がけた一番のポイントは
「とにかく作品を飾れる広い壁をつくる」ということでした。

「僕らペインターにとって、広い壁のあるアトリエスペースって、
実はすごく重要なんです」と語る菅兄弟。
作品を客観的に見るためには、家具も壁紙もない白い壁に自分の作品を飾って、
何度も眺める機会を持つことが重要。
視界に邪魔が入らない場所に作品を置いて、作品を客観的に眺め、また再考する。
この作業を繰り返すことで、自分の作品に対するポテンシャルを探ることができるのだとか。

「でも、普通の住居だとなかなか数メートルもある大型の作品を飾れるだけの
広い壁がないので、この物件を改造するときは
『とにかく広くて白い壁をたくさんつくろう』と心がけました」

まずは広い壁とスペースを確保するべく、押入れも壁もすべて取り払って巨大なワンルームに!
屋根を支える大事な柱や壁以外の箇所は、ほぼ全部取り払ったそうです。
そして、従来のボロボロだった壁には、真っ白に塗ったベニヤ板を張り巡らせて、
念願だったホワイトキューブのような真っ白なアトリエスペースをつくりました。
「木造で老朽化していたからこそ、作業も楽でしたね」と語る菅兄弟。

DIY前の居間。

押入れや壁を取り払い、ベニヤを貼り付け真っ白に塗り直すことで、巨大なアトリエスペースに! 奥行きがあるので、壁をシアターとして利用して、映画を大画面で観たりしているとか。

また、腐りかけてボロボロになっていた畳も全部剥がして、
骨組みをつくり、その上からベニヤ板を敷き詰めて床も補強。

床も全部張り替えてます! 作業時にペンキが飛び散るので、現在はベニヤ板の上からシートを敷いて利用しています。

これらの作業はすべてを兄弟ふたりで行って、かかった期間は約1か月間。

費用は板やペンキなどの資材とゴミの廃棄代以外はほとんどかかりませんでした。
DIYのよいところは、自分たちの思う通りに部屋を変えられるし、
失敗してもすぐにつくり直せる。
また、壊れてきたらそこからまた補強できるところですね」

改造前(上)と後(下)のキッチンスペース。

作品づくりに使用するペンキ類はもともとあった靴箱を再利用して置き場を確保!

改装で余った木材を使って、本棚もDIYしています。たった4枚の木材でできていますが、ハードカバーを数十冊置いても壊れません。

隆紀さんが「sugar-w」という名前でペイントした靴の作品制作もこのアトリエで。できた靴がずらりと並びます。

DIYした白い壁には、数メートルある大型のものから小さなものまで、
十数点の作品がところ狭しと展示されています。

残り物には福がある」という格言にもありますが
今回、菅兄弟の物件の活用ぶりを見ていたら、
そのポテンシャルさえ見抜ければ、
どんなに古い物件もリノベとアイデア次第で
いくらでも生まれ変われるんだと思わずにはいられません(しかも格安!)。
ポテンシャルの高い物件はきっと日本中にたくさんあるのに、
本当にもったいないです!

1階の間取り図がこちら。赤枠部分が、白い壁が全面つながるワンルーム。2部屋をつなげただけでは飽きたらず、押し入れを取り払ってさらにもう1部屋つなげるという荒業!

さらに、当初は「物件重視」で松戸付近にアトリエを構えることになったふたりですが、
松戸近辺に住むことで、次第に松戸の地理的メリットにも気づくようになったのだとか。

「松戸は常磐線沿線で芸大の取手キャンパスにアクセスしやすいし、
東京や表参道にも電車1本で行ける。
また、成田にも近いので、海外からのアーティストが立ち寄ったりすることもあるため、
アーティストにとっては地理的にかなり便利な場所なんです。
だから、松戸近辺に定住したりアトリエを構えたりするアーティストは結構多いんですよ」

なお、兄の隆紀さんが今年度からオーストラリアでアーティスト活動を開始するため、
今後しばらくは弟の雄嗣さんだけでこの物件を使用する予定とのこと。

「この物件のようにスペースが広くて、汚してもOKなアトリエを借りようと思ったら、
なかなか見つからないし、あってもかなりお金がかかってしまいます。
芸大仲間のアーティストでもこの立地、この価格、この条件ならば、
アトリエスペースとして利用したいという人はいるはずなので、
兄がいなくなった後はこの家を共同アトリエとして複数人で利用するつもりです」
と雄嗣さん。

また、雄嗣さんはアトリエ自体の利用だけではなく、
今後は、自分たちと同じように松戸を拠点として集まるアーティストたちと一緒に、
まちとつながるようなアートイベントや展示会などもどんどん行って、
まちをアートで活性化させていきたいとも考えているそうです。
こういうあたりも、MAD Cityで取り組んできたことと関連しているので、
これから一緒に何ができるか夢が膨らみます。

菅兄弟のように、地方都市に眠る宝の山を掘り起こす人たちが
つながっていける仲間の輪を広げたいし、つくっていきたい。
MAD Cityでは、そういう人々が集まるエリアを目指して日々奮闘中です。

information


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MAD City(株式会社まちづクリエイティブ)

住所 千葉県松戸市本町6-8
電話 047-710-5861
http://madcity.jp/

奥田政行シェフの復興レストラン 「福ケッチァーノ」が、郡山でいよいよ発進。

2011年のあの日、奥田シェフが心に誓ったこと。

以前から卒業生を採用してきた関係で、
「アル・ケッチァーノ」の奥田政行シェフは、福島県郡山市にある
「学校法人永和学院 日本調理技術専門学校(日調)」との縁が深い。

2011年3月11日。
東日本大震災の日も、まず最初に救援に向かおうとしたのが福島県だった。
東北の一大事に、同じ東北人としていてもたってもいられない気持ちが
奥田シェフを突き動かす。
ところがあの原発事故のせいで、現地は大混乱。
情報は遮断され、行き着けるのかどうかもわからないまま
今から行くというシェフに対して、
現地の人たちは断らざるをえない状況であったという。
行き先を変え、翌日にはスタッフの家族がいる雄勝町へ。
7日後にはすでに南三陸町での炊き出しを始めていたものの、
福島のことは常に気がかりであり、何とか力になりたかったとシェフは言う。

福島で生まれ育った「日調」の生徒たちは、
地元のレストランに入って修業し、いずれは地元で独立することを夢見ていた。
それが原発事故のせいで、未来がまったく見えない暗闇に
放り投げ出されてしまったのだ。
行き場を失った料理人の卵たちが料理の道をあきらめないで済むように、
奥田シェフは今までは数人だった「日調」の卒業生採用枠を10人ほどに拡大。
「アル・ケッチァーノ」に迎え入れたのだ。
「その時、彼らに約束したんです。
お前らをいつか絶対に福島に帰す。だから頑張れって」

福島の優れた食材の魅力を伝える料理人を育てる。

奥田シェフが「日調」の卒業生をたくさん採用したのは、
雇用の問題を解決するためだけではない。
地元出身の料理人の手で、地元の食材の魅力を伝えるレストランを福島に作る。
そうすることで、生産者も元気になり地域も活性化する。
でもそのためには、食材がどんな自然状況の中で、誰によって
どのように作られているのかを料理人がしっかりと理解することが必要だ。
理解して初めて、その食材の持ち味を最大限に引き出すことができ、
人を感動させるひと皿が生まれる。
それこそが、奥田シェフ自身が今日まで実践し証明してきたこと。
そのことをみんなが「アル・ケッチァーノ」できちんと学び福島に戻れば、
きっと福島の復興にも貢献するに違いない。
そう考えた奥田シェフの頭の中で、構想は着々と進んでいった。

郡山のカリスマ生産者として有名な鈴木光一さんはじめ、
風評被害と戦う真摯な生産者との出会いにより、
次第に明確になっていくコンセプト。
「鈴木さんの作る野菜は、ひとつひとつの細胞が水を抱き込んでいる
すごい野菜。みずみずしさと喉越しの良さが別格です。
この野菜を使えば、郡山にしかないひと皿ができる。
地元の食材を使うことで生産者を応援し、そのことで地域が活性化するという
庄内で『アル・ケッチァーノ』がやったようなことが、
郡山でもできると確信したんです」

「福ケッチァーノ」と名付けられた復興レストラン。

確信はしたものの、実は奥田シェフでさえ
「日調」出身の料理人たちとの約束を果たすのに
最低5年はかかるだろうと思っていたのだという。
それくらい、福島の置かれた状況は厳しかったのだ。
ところが、たくさんの人の多大な努力で、
その約束は意外と早く実現することになる。

2014年3月、「福ケッチァーノ」と名付けられたレストランが始動。
オープンして初めて明らかにされた異例ずくめのその内容は
驚きに満ちたものだった。
まずは、店舗がトレーラーハウスであること。
オープンキッチンにカウンター席のみのトレーラー1台と、
テーブル席のトレーラー1台を、郡山の老舗和菓子店「開成柏谷」の
駐車場スペースに設置。
トレーラーハウスとはいえ、厨房はもちろんプロ仕様。
ナチュラルテイストのインテリアも洒落ていて、中に入ってしまえば
トレーラーハウスであることすら忘れてしまうのではあるが。
それにしても、何故トレーラーハウスにしたのだろう。
その疑問に対する奥田シェフの答えは明解。
「郡山が落ち着いてきたら、もっと必要とされているところに
移動できるように」なのだそうだ。

「福ケッチァーノ」のロゴ。丸いマークの中をよく見ると、「フクケ」の文字がデザインされているのがわかる。

地産地消フレンチで勝負する「福ケッチァーノ」。

そして何よりの驚きは、誰もがイタリアンだと信じて疑わなかった
「福ケッチァーノ」が、蓋を開けてみたらフレンチだったこと。
この理由について奥田シェフは、
「郡山はイタリアン・レストランが多いまちです。福ケッチァーノは
復興レストランなのだから、私がここでイタリアンをやることで
他の店を圧迫してしまったら意味がない。だからイタリアンという
選択肢は、実ははじめからなかったんです」と言う。

フレンチにしたもうひとつの大きな理由は、郡山の食材にある。
「庄内の野菜は個性的で味も濃く、自己主張が激しいんです。
だからソースを絡めてどうにかするよりも、
素材のままをオリーブオイルと塩だけで味わったほうがおいしいんですね。
『アル・ケッチァーノ』の料理にソースがほとんど登場しないのはそれが理由です。
ところが、郡山の鈴木さんが作る野菜はキメが細かく瑞々しくて、
味は濃いけれど変なクセはまったくない。だから、
ソースで野菜の味に表情をつけるという使い方のほうが合っているんです。
それもあって、『福ケッチァーノ』はフレンチ・レストランにしました」

カリスマ農家の鈴木光一さんが、自ら採れたての野菜を持って登場。鈴木さんは、「福島ブランド野菜」と名付けられた、郡山でしか作れない高品質で希少な野菜を開発・生産するグループのリーダーでもある。

鈴木農園の鈴木清美さんから届いたジャンボなめこ。まだ菌床に植わったままの超新鮮なジャンボなめこを前に、奥田シェフはどう料理するか思案中。

厨房で指示を出す奥田シェフ(左)。弟子たちのまなざしはいつも真剣。

シェフはじめスタッフは全員、福島出身の若者たち。

そこで奥田シェフが、料理長に選んだのが中田智之さん。
「日調」を卒業後、都内のフレンチ・レストランで修業を重ね、
いずれは地元の郡山での独立を考えていたというタイミングでの抜擢だ。
30歳という若さながら、奥田シェフの目にかなった実力は確か。
「福ケッチァーノ」では、すました高級フレンチではなく、
気取らずカジュアルに楽しめる家庭料理的なフレンチをやっていきたいと言う。
「郡山でフレンチっていうと、みんなスーツを着て来ちゃうけれど
まずそこから変えたいですね。普段着でわいわい楽しめる店にしたいです。
福島の食材には素晴らしいものがたくさんあっておいしいんだということを、
福島の人自身があまり知らないんです。だから、まずは郡山の人たちに
食べてもらって、地元の食材に自信をもってもらいたいんです」

ファン急増中のイケメンシェフ、中田智之さん。

中田シェフを支えるキッチンスタッフは他に4人。
もちろん日調出身で、中田シェフを含む全員が
「アル・ケッチァーノ」でみっちりと修業をつんできた若き料理人たちだ。
奥田シェフに地産地消の哲学をしっかりと叩き込まれ、
生産者との関わり方を学んできた。

中田シェフ(右)も後輩の指導に忙しい。

店長は22歳の横田真澄さん。彼は、「アル・ケッチァーノ」に入って以来、
奥田シェフが新しいプロジェクトを手がけるたびに、
そこのスタッフや責任者として赴任し、全国で経験を重ねてきた強者だ。

オープンキッチンとカウンター13席のトレーラー。もうひとつのトレーラーはテーブル18席。

店長の横田真澄さん。笑顔が魅力的な22歳。福島に帰って来られて本当に嬉しいと言う。

20歳の横田麻紀さんなど、サービス担当もみんな郡山出身で日調の卒業生。
スタッフは全員若い。そして、これからの福島を
自分たちの手で再建していくという目的を胸に秘めている。

サービス担当の横田麻紀さん。ここで店の運営を覚え、将来は自分の店を持つという夢がある。

「福ケッチァーノ」お披露目ディナーで供された料理の数々。

白菜の乳酸菌サラダとメヒカリのフリット

鈴木農場の白菜を塩揉みししばらく置いて乳酸菌発酵させたものと、生の白菜を合わせることで酸味、塩味と、異なる食感が口の中で楽しめる。フリットしたメヒカリの皮の部分には白菜系の香りがあるため、相性も抜群。いわき市名産のメヒカリは、今回は高知から。

福島牛のソテー、鈴木農園のジャンボなめこのソース

鈴木農園のなめこは濃厚な味わい。よく茹でて炒めとろみをしっかりと出したもの、さっと茹でたもの、生のものと、3通りの調理法をほどこしたなめこを合わせている。そうすることでなめこにより一層コクが出て、牛肉を引き立てるソースの役割を果たす。

白貝と豆麩のヘルシーカツレツと春菊

福島の伝統食材である豆麩を揚げてカツレツ風に。相馬でよく採れていた白貝を北海道から取り寄せ、鈴木農場の春菊と合わせて。

サーモンマリネ 会津の山塩 鈴木農場のほうれん草 アボカドオイル

たんぱく質が固まるか固まらないかの温度43℃で火入れしたサーモンは、しっとりねっとりと艶っぽい味わい。みずみずしく甘みが強い鈴木農場のほうれん草を合わせて。真空にして135℃で圧力をかけて柔らかくしたサーモンの骨がアクセントに。

曲がりねぎのシェリーヴィネガーマリネ

驚くほど甘みがある鈴木農園の曲がりねぎは火を通すとさらに甘みが増す。茹でて温かいうちにシェリーヴィネガーでマリネ。冷めていくに従い、ねぎの甘みとヴィネガーの酸味が調和していく。

通常ディナーはボリュームたっぷりでリーズナブル。

平目のカルパッチョ、塩昆布とトマト

震災前は相馬でたくさん獲れた平目と、福島が東北一の生産量を誇るトマト。グルタミン産が豊富な食材の組み合わせは間違いなし。プリフィクスコースの前菜のひとつ。

ふるや農園の放牧豚のコンフィと鈴木農場のカラフル人参

里山を走り回りストレス知らずで育った、ふるや農園の放牧豚をコンフィに。噛むほどに肉の旨味が滲み出る。甘みたっぷりの人参も美味。プリフィクスコースのメインのひとつ。

柏屋さんの薄皮饅頭のパイ包み、わさびのソルベ添え

郡山の老舗和菓子店を代表するお菓子をアレンジ。あんことわさびが不思議にマッチしている。プリフィクスコースのデザートのひとつ。

「福ケッチァーノ」と私たちができること。

ただし、まだまだ解決していない厳しい現実はある。
「おいしいとか、復興も大事だけれど、一番大事なのは安心安全な食材を
提供すること。料理人にはその責任があります。食材は徹底的に検査をして、
安全が確認できれば使うし、そうでなければ使わない」という奥田シェフ。
ことごとく放射能物質が不検出である鈴木さんの野菜や
安全性が確認された肉はいいけれど、
魚介類や、生産地によってはまだまだ不安を覚える人がいるのも事実。
だから、今のところミネラルウォーターは全部庄内から運び、
魚はメヒカリのように昔から福島で食べられていた、
“福島のソウルフード”的な魚種を全国から調達して提供する。
そうすることで、安心安全を提供しつつ、
福島の食文化が途絶えないような工夫もし続けているのだ。

そんな中で若いスタッフたちは、
真剣に福島のことを考え、復興へ向けて動きだしている。
大勢の人が「福ケッチァーノ」に足を運び、
たとえば鈴木さんをはじめとする生産者たちの作る野菜のおいしさを知り、
それを買ったり人に勧めたりすることが、
福島が元気を取り戻す力を微力でもサポートすることにつながる。

左から、中田智之シェフ、奥田政行シェフ、横田真澄さん。

前列左から、「福ケッチァーノ」オープン最大の貢献者である、日調の理事でフランス料理主任教員でもある鹿野正道先生、鈴木農園の鈴木清美さん、奥田政行シェフ、鈴木農場の鈴木光一さん。後列は「福ケッチァーノ」のスタッフたち。

Information


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福ケッチァーノ

住所 福島県郡山市朝日1-14-1
TEL 024-983-3129
営業時間 ランチ 11:30~14:00 LO、ディナー 18:00~22:00(コース 20:30 LO)
水曜休
ランチ 1500円(日替わり)、2929円(コース)
ディナー 3800円~(プリフィックスコース)、7500円~(おまかせコース)
http://fukuchecciano.jp/

鈴木農場

住所 福島県郡山市大槻町字北寺18
TEL 024-951-1814
http://suzukiitou.main.jp

鈴木農園

住所 福島県郡山市田村町大供字向173
TEL 024-955-4457
http://www.jumbo-nameko.co.jp

学校法人永和学院 日本調理技術専門学校

住所 福島県郡山市安積4-229
TEL 024-946-8600
http://www.nitcho.com/

のみだけで仕上げる井波彫刻の技術力を活かして 前編

200本の“のみ”を使いわけて生み出す伝統的技術。

富山県南砺市の井波は、木彫で有名だ。
その起源は真宗大谷派 井波別院 瑞泉寺にある。
瑞泉寺は一向一揆の中心的存在であった寺院。
過去に1581年、1762年、1879年と3回も火災にあっているが、
そのたびに再建されてきた。
2回目の火災ののち、当時の加賀藩は、
京都の本願寺から本山お抱えであった御用彫刻師の前川三四郎など、
10名の宮大工を呼び寄せて再建にあたった。
そうして彼らの指導のもとに再建を進めていった地元・井波の大工たちが、
井波彫刻の礎といえる。

井波の大工である番匠屋九代 田村七左衛門が、
名作といわれる勅使門の「獅子の子落とし」を生み出すなど、
京都から伝わった伝統的な寺院建築・彫刻の優れた技術を、
井波の大工たちが磨き上げ、
現在にまでつながる井波彫刻となっていったのである。
木材がたくさん採れた土地であるわけでもなく、
技術のみが純粋に高まっていった特殊な例といえる。

井波彫刻の特徴は、のみひとつで仕上げることだ。ペーパーも使わない。
しかし200本ほどののみを使う。
使う場所や用途によって、数々ののみがあり、必要に応じて増えていく。
弟子に入ったばかりのころは数本しか持っていないというが、
ベテランになるほどたくさんののみを所有していくことになる。

独特の形ののみ。それぞれにきちんとした役割がある。

「ちょっとした違いですが、のみの数はどんどん増えていきます。
刃先を長くしたり、角を落とした平のみにしたり」というのは、
井波彫刻協同組合の理事長である高桑良昭さん。

井波彫刻のなかでも最も古い工房のひとつ、
南部白雲木彫刻工房の3代目南部白雲さんの工房にお邪魔すると、
4つも5つもある箪笥の引き出しのなかは、すべてのみだった。
湾曲したものや先が細くなったものなど、見たことのないのみがたくさん並ぶ。
井波彫刻の高い技術は、多種多様なのみを使いこなすことで成り立つのだ。

南部白雲さんの工房。目の前に並んだたくさんののみはもちろんすべて使うもの。

仏閣から端を発したが、時代の流れとともに住宅にも採用されるようになった。
特にその繊細な技術を遺憾なく発揮した欄間はすばらしい。
井波彫刻の欄間は絵柄が立体的で、鶴や龍や花が飛び出している。
職人の頭の中は3Dなのだ。
だからこそ、たった1枚の写真からでも図面を起こして復元することができるという。

しかし近年では日本家屋も減り、欄間の需要も減ってきている。
現在は名古屋城に復元される本丸御殿の唐狭間(からさま)に取りかかっている。
祭りの山車や文化財の修復などでも、井波彫刻は重宝されているのだ。

たとえ技術の優れた職人がいても、
ひとりやふたりでは到底できない作業量になることもある。
そうすると仕上げるのに膨大な時間がかかってしまう。
しかし井波には親方彫刻師だけでも100人、総勢200人の彫刻師がいる。
大きな仕事は井波彫刻協同組合が預かり、みんなで取りかかることもできる。

瑞泉寺の再建をきっかけに井波彫刻が生まれてから約250年経っても、
200人の彫刻師が、井波という地に残っていることは大きな強みだ。
彼らが質の高い仕事をすることで、
欄間や山車の一大産地としての矜持を保っている。

次回は井波彫刻とリバース・プロジェクトがコラボレーションした
商品のストーリーを紹介する。

引き出しのなかはのみがズラリ。

未来の子供達に、山一面の桜を見てもらいたい。福島・いわき万本桜プロジェクト

コロカルでご紹介した「桜の森 夜の森」プロジェクト
MUSUBU)の宮本英実さんから、すてきな取り組みを教えて頂きました。
福島県のいわき市で行われている「いわき万本桜プロジェクト」です。
これは、いわきの里山に桜を植樹し、今後99年という長い年月を
かけて9万9千本の桜を植樹していく長期間のプロジェクト。
既に2千本の桜が植樹されています。
スタートは2011年5月、東日本大震災の2ヶ月後のこと。
地元で会社「東北機工」を営む志賀忠重さんが代表者となり、
いわきの地元の人たちと始めました。

「いわき万本桜プロジェクト」では、
プロジェクトのWebサイトにて、自分で植樹まで行なう「自主植樹」と、
現地の人が植樹作業を行なう「代行植樹」の二種類のコースを公開。
購入者はそれぞれの方法で植樹を行い、その木には思い思いの木札に
メッセージを書く事ができます。
一人一人の記念樹として、一本一本に参加してくれた人の名前をつけるのだそう。
ちなみに料金は、自主植樹が特大15,000円、大8,000円。
代行植樹は代行植樹は特大18,000円、大10,000円です。
それでは宮本さんが実際に自主植樹にチャレンジされた様子をどうぞ!

万本桜の看板

この山に植樹していきます

宮本さん、植樹作業中!

代表の志賀忠重さんと宮本さん。

スコップでザクザクと掘っていきます。

植樹した桜には名前のプレートを掲げます。

植樹終了!「MUSUBUプロジェクト 桜の森 夜の森」の名前が。

■蔡國強さんコラボの美術館も

「いわき回廊美術館」

本プロジェクトの協力者には、世界的な現代美術家の蔡國強さんも名を連ねます。
というのも、蔡さんはかつていわきで作品制作をしていた縁があり、
志賀さんらいわきの人々との繋がりが深いんです。
蔡さんがいわきをテーマに作品制作をしたり、逆に蔡さんの作品設営の
ためにいわきの人たちが海外に行くこともあったのだとか。
そうして20年以上も友情をあたためてきたのだそう。
いわき万本桜プロジェクトが進められている里山には、
蔡國強さんとの共同プロジェクトである、
長さ約99メートルもの回廊を歩きながら作品を鑑賞できる「いわき回廊美術館」もあります。
植樹に行かれた際には、ぜひお立ち寄り下さい。

いわき万本桜プロジェクト

NO ARCHITECTS vol.7: 住んでいるみんなでDIYする シェアハウス 前編

NO ARCHITECTS vol.7
衣食住がそろうシェアハウス

前回の記事の最後に登場した、
僕らが住む家「大辻の家」の裏にある
アパートの一室のリノベーションが現在進行中です。
進捗状況を2回に分けてリアルタイムでリポートしようと思います。

左にあるのが僕らが住む大辻の家、右が今回リノベーションする部屋があるアパート。2棟合わせてSPACE丁(スペース・テイ)と呼んでいます。

部屋の場所がわかりにくいと思うので、スケッチを描いてみました。
丁字路の正面右手の路地を抜けて左手にある階段を上がってすぐの、
2階の踊り場に面した部屋が今回の物件です。

大辻の家とアパート丸々一棟を合わせて借りていて、
アパートには4部屋あります。
2部屋は各々が生活するプライベートな部屋として使っていて、
残りの2部屋の活用法をずっと考えていました。

その空き部屋は、押入れ付きの6畳の座敷がふた間と、
板の間の台所がひと間のL型2DK。
僕らが入る以前から、かなり長いあいだ空き部屋だったらしく、
廃墟同然で、カビ臭いどんよりした空気が流れていました。

今までは倉庫として使ってきましたが、それではもったいないので、
みんなの生活と連続するかたちで、
ものを作ったり考えたりするための共同アトリエとして、
リノベーションすることになりました。
ちなみに1階にも同じ間取りの部屋が空いていて、
ここの使い方はまだ思案中です。

vol.1の記事でも紹介させてもらったように、
大辻の家と裏のアパートとは、2階の踊り場で繋がっています。

クローゼットの奥に勝手口を開けると左に玄関が見えます。vol.1「住みながらつくる家」より。

屋上への階段の下の洗濯機置き場より、現場の玄関を見たところ。上のスケッチではわかりやすく広めに描いたけど、実際はとてもせまい。

今のところ、服をつくっている黒瀬空見と、シェフでパティシエの遠藤倫数、
空間をつくる僕らの4人で借りています。
それぞれが“衣食住”をかたちにすることを仕事としています。
着たい服があればミシンを、食べたいものがあればフライパンを、
住みたい家があればインパクトドライバーを。
そんなメンバーが揃ったシェアハウスです。
皆、大学院の同級生で、同い年で、仲良し。

ひとまず、ふたりの紹介を。

黒瀬は、
2010年より「日常のなかに物語を」をコンセプトに、
ツクリバナシとして日常着の制作を始めました。
そして、2013年の春に、東京からこのはなに越してきました。
「このまちは物語があふれていて、
もはや“日常を物語に”という気持ちになってきています。
ですので、最近では、その生活に合う服をつくることを目指しています」(HPより抜粋)
とのことです。

ツクリバナシの服の写真です。撮影場所はSPACE丁の屋上。(撮影:樋口祥)

つづいて、遠藤は、
岐阜県のケーキ屋とレストランで修業し、
2012年の春にこのはなに越してきました。
モトタバコヤのオープンスタッフとして、
シェアショップ内の「Café the End」の店長に。
月に1回開催されていたカクテルパーティは、毎回大盛況でした。
最近では、新規事業に向けて準備を進めているそうです。

カクテルパーティの様子。毎回違うテーマに沿ったカクテルメニューを考案して、それにあうケーキやキッシュなどを食べられるという企画。この会は、ピーチナイトでした。

みんなで決めて、みんなでつくる

さて、本題のリノベのリポートです。

特に打ち合わせしたり、図面を描いて検討したりはせず、
一緒にご飯を食べている時や、家の前でたまたま会った時に
立ち話したりしながら、それぞれのイメージを少しずつすり合わせていって、
あとは、現場スタートの日時の調整をして、作業が始まりました。
それぞれが計画者でもあり、施主でもあり、
現場作業までするといったプロジェクトになりました。

解体途中の写真です。

3部屋あるうちの奥の部屋は、黒瀬のアトリエに。
玄関からキッチン辺りを遠藤のバーカウンターとオープンキッチン、
そして、黒瀬のアトリエとキッチンの間に共有のリビングルームをつくる計画。

まず、部屋と部屋とのあいだの間仕切りの垂れ壁を解体し、
L型のワンルームにすることを目指しました。
不要な壁をなくすことで南側からの太陽光を奥の部屋に取り込もうとしました。
さらに部屋を少しでも広げるために、
押入も解体して、段差をなくして床も繋ぎました。

解体のゴミの処理や、床と壁の施工や電気工事などは、大学の後輩で大工チームのshirokuroにお任せしました。左が親方の伊藤くん。右は見習い中の杉本くん。杉本くんは大学で建築を学びながらというから将来が期待大。

ぼろぼろになった畳も撤去し、床も入り口からひとつながりの板張りに。
黒瀬は染色作業などもするので、防水塗料は厚塗りで。

もとの壁は砂壁で粉がぽろぽろ落ちてくるので、薄いベニヤ板でおさえて塗装。
染めた色や布の色が際立つように、柱を残して真っ白に。

抜群の集中力を見せる、塗装作業中の黒瀬先生。

トイレは、ドアを付け替えて壁も補強。床のタイルはそのままに。
押入れ部分の天井は、遠藤がベニヤを張って点検口まで取り付けてくれました。

といったところで、前編はここまで。
来月の後編では、いったん完成した姿を報告できると思います。
僕らも完成形があまり見えてないリノベーションの行く末は——
乞うご期待。

ハンマーで既存の台所を破壊する遠藤シェフ。新しくできるキッチン楽しみです。

information


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NO ARCHITECTS

住所 大阪市此花区梅香1-15-20
http://nyamaokud.exblog.jp/
https://www.facebook.com/NOARCHITECTS.jp

サイクリング基地「ONOMICHI U2」誕生! 瀬戸内海の島を結ぶ「瀬戸内しまなみ海道」の始点に

広島県尾道市から愛媛県今治市まで続く、
瀬戸内海の島と島を繋ぐ「瀬戸内しまなみ海道」。
日本で初めて海峡を横断できる自転車道
「瀬戸内海横断自転車道」を擁し、
各自治体によるレンタサイクルなどの
サービスも充実しているなど、
海外のサイクルファンからも注目の集まる道なんです。

この海道の始まりとなる広島県尾道市に、
サイクリストのための複合施設「ONOMICHI U2 オノミチ ユーツー」が
先月オープンしました。海沿いの広大な敷地に、ホテル、サイクルショップ、
BAR、レストラン、ベーカリー、コーヒーショップ、さらに食品や
アパレルなどのショップまで揃っています!
建築デザインを手がけたのは、建築家の谷尻誠さん率いる
広島の「サポーズデザインオフィス」。
もともと、昭和18年に建設された船荷の倉庫だった場所を、
2780㎡もの巨大な躯体と大空間をそのまま残し、スタイリッシュに
リノベーションしてしまいました。

「既存倉庫の大空間に新たに建築する建物は、小さな古民家が密集する
尾道の町並みのように「小さいスケールの連続と路地」という関係を継承し、
建物全体をまちと見立てた構成としました。自転車のリペアを行う路地、
地元の方やトラベラー同士の情報交換の場となる縁側など、余白の場を設ける
ことにより、人々が自然と集まり、迎える側も訪れる側も、歴史ある尾道の
街への「愛着」という共通言語によって、実際のまちと同様の関係性や
関わりが生まれる場となっています」(コンセプト・テキストより)

それではそれぞれの施設をご紹介していきましょう。

宿泊施設「HOTEL CYCLE」。全国初の自転車に乗ったままチェックインできるフロントがあり、自転車は全室に持ち込み可能。

朝・昼・夜、しっかり食べられるレストラン「The Restaurant」。瀬戸内の魚介類・野菜・柑橘などを中心に、四季折々の食材を使っています。

夜に映る夜景を楽しめるカウンターバー「Kog Bar」

こだわりのパンやさん「Butti Bakery」

これらの施設に共通するのは、「瀬戸内らしさ=もてなし」として
地域性にこだわったコンセプト。
瀬戸内レモンやシーフードなど瀬戸内の食材を積極的に
使ったメニュー、しまなみ街道でのツーリングを楽しむ
サイクリストに向けた新しいサービスなど、
瀬戸内ならではのおもてなしを提供しています。

インテリアは古民家や造船の街にちなんだ、木やモルタル、スチールなどラスティックな質感のもので構成しました。魚灯を連想させるような照明のアクセントなど、小さな要素を丁寧に設計し、尾道らしさを体験できる空間となっています。(コンセプト・テキストより)

「ONOMICHI U2」は、自転車に乗らない人でも
もちろん大歓迎。
街の個人商店が集まっているような感覚で、
施設内を散策しながら
楽しむ事ができます。
ゴールデンウィークのお出かけにぜひ!

ONOMICHI U2

山ノ家 vol.7: 気だてのいい移民になろう  二拠点生活への覚悟の芽生え

山ノ家 vol.7
カフェのにぎわいと、熱気の中でのドミトリー工事

無事、山ノ家の「カフェ」はオープンしたが、2階のドミトリーはまだ工事中。
少しでも早く来訪者に開きたいという想いから、
まずは1階のカフェだけでも先に工事を終わらせて、
お盆より前にはオープンしようという計画だった。
「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ」の期間中に
遅ればせながらオープンし、手配りのチラシの効果もあって、
カフェを利用するお客さんも増えてきた。
僕らは連日泊まりがけで合宿のように生活しながら、
カフェの運営チームは来訪者のために大忙しで、
数少ない男子と、大工さんたちはドミトリーの工事を進めている。

カフェのキッチン内には常に3〜4人のスタッフが入り、忙しく動き回っていた。ここが元和室であったことを考えると、何とも新鮮な光景。

ドミトリーができるまでに必要な残りの作業は、2階の床張り、
壁のボード貼り+塗装、1階のシャワーブースや2階の水回り、
そして一番の作業はドミトリーのための、2段ベッドづくりなど。
カフェのにぎわいの裏では、ドミトリー完成へ向けた工事が続いていた。

カフェはこんな感じでにぎわっていてうれしい限り。しかしその裏で……。

2階ではこのような感じで作業をしている。これは廊下の塗装を行うための、階段の養生。

カフェが営業している時は外への出入りに気を使ったり、
道具や資材の搬入などでどうしても融通がききづらかったりと、
作業をするためのスペースや導線確保の大切さを再認識した。

追加資材の搬入は2階の窓からユニック(クレーン付きトラック)でカフェの開店前に行った。

まつだいの8月は焼けるように暑く、
1階に設置したばかりのエアコンがフル稼働という状態。
しかし、2階にはまだエアコンがついていない。
こもる熱気の中でみな黙々と作業を続けていた。

暑い中での作業。アキオくんは大工さんからアドバイスをもらいながら自分で床張りをマスターしていた。

カフェから生まれる、地元との接点

カフェが開店したこともあってか、
いろいろなかたちで地元の方々とつながる機会がいくつか生まれていた。
ある日、工事を見てくれていた近隣の大工棟梁さんが、
僕らに相談を持ちかけてくれた。
「お盆の8月15日に、近くの小学校で盆踊り大会があるんだけど、
近隣の人に知ってもらうのにいいチャンスだと思うから、
店を出してもらえたらと思うんだけど」
地元で彼の世代(30〜40代)がこの盆踊りを仕切ることになったから、とのことだった。
始めたばかりのカフェの営業はまだまだ落ち着かないが、
これはとても良い機会だからなんとか工夫してやろうということになり、
夕方に店頭に貼り紙をして、小学校で出店することにした。

近隣の小学校の盆踊り大会に、キーマカレーやマフィンなどを急遽仕込んで出店。反応はなかなかよかった。

またある日は、関東圏から十日町に帰省した大学生が立ち寄ってくれて、
「地元にこんな素敵なお店ができたなんて!」と感激してくれた上に意気投合。
なんとカフェのお手伝いを1日してくれることになった。

写真の奥にいるのが、地元がこの近くという大学生。地域の過疎化を心配し、まちづくりなどにも興味があるようで、僕らがここで拠点を持つことになった経緯などにとても共感してくれた。

また、お隣の方などが「たくさんとれたから」
と野菜をドサっと持ってきたりしてくれたのはとてもうれしいことだった。
冬の工事の時から、通りかかるおばあちゃんなどに
「ここは何かできるの?」と聞かれ
「ここで喫茶店をやります。是非来てくださいね!」
などとなるべく丁寧に接してきたことなどが思い出された。

この先の可能性がいろいろと広がるのが少しだけ見えた気がして、
本当にここでやってよかったと思った瞬間だった。
このころから何となく「気だてのよいヨソモノでいよう」
というキーワードが自分たちの中で浮かびあがっていた。

根城を転々とする、移民としての生活

僕らは若井さんが使用している近隣の一軒家
(味噌づくりのために使っている「味噌工房」と呼ばれている借家)
の部屋を借りて寝泊まりをしていた。
実はその前にも、工事が始まるころから
しばらく寄せていた場所があった。
しかし、大地の芸術祭をお手伝いをする方たちが来たら
部屋を空けることになっていたので、
その後に若井さんの「味噌工房」に移動していた。

若井さんの味噌工房のある家。この脇の土地で、少し前から畑もやらせてもらっていた。

もちろん、山ノ家の上に泊まれたらそんなに楽なことはないのだが。
アキオくんは「ここのユニットシャワーがついたら、休憩中に汗を流せる!」
などと冗談を交えながら作業していたが、
そこはまだ粉塵が舞う戦場のような工事現場で、
とても落ち着けるような状態ではない。
泊まるための場所をつくりながら、自分たちは別の場所に寝泊まりしている。
なんとも歯がゆい状況での現場、というか、生活。
例えばこれが東京での話ならば、
皆それぞれの住む場所から通って現場で集まるだけという、あたりまえのこと。
ここでは、その前提が無い状況なのだ。
普段とは全く違う土地で生活をしながらリノベーションを行うということ、
そして共同生活を伴ったかたち。楽しくもあり、難しい部分でもある。
この状況のなかで、皆が生き生きと活動していることが
本当に何ものにも代え難い心の支えだった。

そんな中、カフェがオープンする前後に、
若井さんが言いづらそうに僕に相談をしに来た。
「実はお盆前後に、毎年農作業を手伝ってくれる人たちが
泊まりにくることが前から決まってしまっていて、君たちの寝泊まりする場所を
どこか他に移動してもらわなくてはならないんだよ」と。
お盆が近づいてきて、宿泊できそうな場所はみな似たような状況で、
新たな宿を見つけなければならない状態になっていた。
また、移動しなければならないのか……。
とはいえ、どこにも行くアテが無い。
まさに移民(というかむしろ難民に近い)。

若井さんがいろいろと周辺の人をあたってくれて、
なんとかなりそうな場所の情報を持ってきてくれた。
そこは僕らがよく行く温泉のすぐ近くのロッヂで、
地元の有志でつくったらしいが、震災のあとは使っておらず、空いているという。
なぜなら、ほんの少しだけ床が傾いていたりして、
直す目処がたたない状態だから、とのこと。
加えて、いままでは現場に徒歩で行ける距離だったが、
そこはちょっと離れていて車での移動が必須な場所だ。
いろいろとハードルは上がるが、いまのところ他に選択肢がない。
掃除をして、そこにあった布団を使用するので干すついでに、下見に行く。
うーん……大丈夫だろうか。
1年半空いているだけならきっと大丈夫だろう……。
というより背に腹はかえられない。
お盆を目前にした頃、僕らは「大移動」をした。
その時現地に乗り込んでいた僕らのチームは、およそ10人くらい。
実際には、1年半空いていただけというにはずいぶんとラフな状況だった。
しばらく人が使っていない場所というのは、どうも空気が重たい。

ロッヂでの生活がしばらく始まる。

ペンを置けば転がる床で寝ることは、思ったよりも不安定な気持ちだった。
正直キツかったが、皆連日の疲れもピークなせいか、すぐに寝てしまった。

次の日の朝、なぜかいつもよりも早く目が覚めた。
その時、窓に広がっていたのは、

見事な雲海!

いまの大変な状況が一気に報われるような、素晴らしい景色だった。

ここまで長くひとつの所に滞在して活動するということはなかなかない経験で、
短期間の滞在では気づけない日々のわずかな気候の変化や、
この地の風景をさまざまな角度から見ることや、
鳥や虫や、木々や緑の生命力のたくましさや美しさなどを
目の当たりにしていくことで、得難い何かをからだ全体で感じていた。
そしてときどきこんなふうに、
風景はその土地の特別な顔をかいま見せてくれるのだ。

これが別の土地で日々の営みをつくっていくことなのかもしれない。
旅行でも移住でもない、二拠点生活への覚悟の芽生えが出てきていた。

そしてとても好きなのは、カフェがオープンしたことで、
みんなで朝食を山ノ家でとれるようになったこと。

眠そうにしているが、みんなリラックスしているのがわかる。

自分たちの作った空間で、とてもおいしい朝ご飯を食べられるというのは
何とも言えない充実した時間だった。

朝のまかないご飯。自分たちが借りていた畑でとれた野菜や、ご近所の方にいただいた野菜を使って。

すべて出来上がるまで、あともう少し。

失われつつある日本の伝統的な暮らしを高校生がインタビュー。「聞き書き甲子園」

高度経済成長期を境に大きく変わった、日本の暮らし。
森や海、川と共に生きる伝統的な暮らしはいまや
失われつつあります。
豊かな暮らしの知恵や言葉を、未来のために
少しでも残すことができたら。
そんな思いから始まったのが、「聞き書き甲子園」。
夏休みの時期に、毎年全国から100人の高校生が参加。
聞き書き実習の合宿を経て、全国の炭焼き職人、
漁師、海女など、自然と関わるさまざまな職種の"名人"の
言葉を聞いて記録するプロジェクトです。
話し手の語り口でまとめられた文章から、“名人”の人柄や
生き様が浮かび上がってきて、読むものを感動させます。

参加高校生100人が集まるの聞き書き実習の模様。実習は3泊4日で行われ、交流会などもあります。合宿を終え、100人それぞれが一対一の聞き書きへ出向きます。

今回コロカルでは、北海道羅臼町で昆布拾いをする藤本ユリさん
の「聞き書き」を全文掲載します。
ユリさんは毎年夏に知床半島の突端に近い浜、
赤岩にある番屋(詰所)に住み、一人っきりで
自給自足の生活を行い、昆布を拾い続けている漁師さんです。
ユリさんのカッコイイところは、知床の番屋暮らしに
誇りを持っているところ。彼女の生き方は、地域の人たちに
とっても生きる指針となっているんだそう。
「聞き書き甲子園」からもほぼ毎年記者が訪ね、
たくさんの人と交流を続けています。

■拾い昆布漁業、藤本ユリさん

大正15年1月3日生まれ、87歳の藤本ユリさん。

1.自己紹介
藤本ユリ。生年月日は大正15年1月3日、今はもう86歳。職業は漁師。生まれはね、北海道の乙部村、今は乙部町。嫁いだのは函館の古川町。子供が二人、孫が八人の家族だ。
漁師っつっても正しい名前は拾い昆布漁業。9年間旦那と昆布拾いやってたけど、俺が60歳の年に亡くなっちまった。そのあと余所で働いてもよかったんだけど、いろいろ考えて一人でもできる職業だから「いや俺は昆布拾いする」っつって、ずぅっとやってる。

2.俺、わがままな子供だったな
今おっきくなって考えたら、子供のころはわがままだった。勉強は好きでねぇ、というより嫌いだ。好きなわけねぇ、覚えられねぇから。勉強のことはぜんっぜんね、だめだった。ひとっつも書けね。今もだめだけどな。今までかかわってきた人から手紙をもらって、それを読むことはできるんだけど、書くことはまったくだめなんだ。勉強嫌いで好き勝手して、だけどじじばばもいたったからね、だんじだんじに(大事大事に)育ててもらったね。周りがみんな男の子ばっかしだったのよ。俺は女の子だったからね、それこそだんじだんじに育ててもらった。ほんとにどうしようもない、わがままだったな。

3.農家の生まれで昆布拾いに
俺の生まれたとこは農家だけど、嫁に行ったとこが漁師だから、そのときから漁を始めたね。その前にも、豚やってたし、鶏もやったんだけど、豚もだめ鶏もだめ。借金だらけだし…。ほかにもイカ漁、ウニ漁、カニの缶詰工場に勤めたり、なんでもやった。でも売れなかったね。そのときに昆布拾いしたの。一人でできるってのもあってね、羅臼越して向こうの赤岩のほうさ行ってね、昆布拾いやったの。

4.拾い昆布漁業とは
昆布の採り方っつったって、たいていの人は船使うんだわ。船さ乗って、岸からだんだん深いところに向かってね、はさみみたいなやつで挟んでねじって、からめてちぎるんだ。はさみみたいなやつは昆布採り竿っていうんだ。でも赤岩の昆布は意外と浅いところにもあるから、採りやすいんでねぇか。
俺の拾い昆布漁業は、岩に生えてる昆布が、ぐらぐらと波で揺らぐべさ。で、大きな波が来て、今度その岩から離れて押し流されて寄ってくるわけ。波の力でちぎれて、浜に流れ着くんだわ。それを俺が拾って歩くんだ。だから番屋にいて、天気が悪くなって嵐が来て、大きな波が来ても俺はこわがらねぇ。逆にうれしくなるんだわ。次の日に浜へ行ったら昆布が流れてくるから。
ほかの漁師は、みんな昆布採り竿を使った方法だ。拾い昆布やってるのは俺一人しかいねぇもん。いや一応三人いることになってるけど、誰も行がねぇから。昆布拾いってね、道具で採る権利を持ってる人はね、拾い昆布の権利も持ってるけど、拾わねぇ。たまに拾うけど、手間のかかる作業なんだ。原始的っちゅうかな。機械も何も使わないからよ、大変なのよ。だからみんなやらねぇんだ。

5.働き場は「赤岩」
俺の働き場は赤岩ってところだ。赤岩は知床岬の突端にある浜だ。羅臼の港から船で1時間かからないくらいだな。息子か孫に舟漕いでもらって行ってる。
行くときは、3㎞以上離れてるけど隣の番屋の人間が行ったら俺も行ってたな。昔は5月だった。でも今は自分一人じゃ行かれねぇから、送ってくれる周りの人間の都合いいとき。最近は7月ごろになるな。
でももうこれからはずっと6月に行こうと思ってる。早めに行って浜をきれいにするんだ。1年間草をがって(刈って)ないし、流れ着いたごみを拾わねぇと。半年放っておくと浜はやっぱ悪いところも出てくるんだ。それだからやっぱり直したりしねぇど。あんまり遅く行くと浜直せねんだわ。きれいにした昆布を、玉砂利の上で干さなきゃなんねぇのに。余所の浜から拾っても、自分の浜さ持ってくるまでに、ごみとか付いちまう。それじゃ二度手間だ。
それにほかの人より後に行ったら、いい昆布が少ないんだよ。やっぱり昆布は早いうちのほうがいい。ほかの人が採ってから、そのあとに流れて来る昆布って、いいとこ採っだあとの昆布だからね、あんまりいい昆布流れて来ない。どうしても早いうちのほうが、薄いけどいい昆布があるからね。

6.何もない生活、でも住めば都
そこから、電気も水道も電話も何もない生活の始まりだよ。店もねぇ、だんれも(誰も)人っ子一人来ないところだ。したけど住めば都でね、アサリはあるわ、ちっこいカニはいるわ、そんでもってウニはいるし、マスもものすごくいるし、アサリのおつゆ食べて、浜からなんでも採ってくる。ほんとにいいとこだ。
それと赤岩の浜さ来るときに、自分と一緒に舟に乗っけてきた米食べて生活してる。畑も自分で作ったからな。まず赤岩さ着いたら野菜の種まいて育てるんだ。だから野菜とかは買わなくても採れる。それからたくさんの動物が会いに来て、ほんとにいーとこさぁ。友達がいなくても、自然が友達だ。
たまに熊も出るな。熊出て来るったって、熊だって逃げ場なんかねんだからね、おっかねぇったけど、のんきな熊ばっかしだから、あっちの熊は。乙部のほうの熊と違ってさ、そんな逃げねばな、追ってくることってねんだわ。背中向けて逃げるから熊も追ってくる。どうせ走っても負けるし、けんかしても負けるから、ただこっちも棒振り回していんばってれば(威張ってれば)、なんも熊のほうが、なんだあのばばぁ、全然逃げねぇばばぁだなって思うからな、熊も自然にいねぐなる(いなくなる)んだわ。なんぼ熊見でもね、見たら向かって行ってでもいいから、逃げるってことさえしなきゃええんだわ。昔目の前で、連れてきた犬がわんわん鳴いて、俺守ろうとして殺されたこともあったな。やっぱり何もしないでただいんばって、黙って見てるのが一番だわ。

7.あるだけ拾う、ただそれだけ
7月くらいから昆布を拾っていく。服装はかっぱがいっつもの格好だな。濡れなくていい。あと膝まである深い長靴も使ってる。持ち物はそり。拾った昆布をそりさ積んだら、昆布に砂付かねぇべさ。そりがなけりゃ拾った昆布に砂付いたり、浜にごみあったらごみ付いたりする。そりだけ持って歩けばどこでも行ける。あとは杖だな。昔拾った細いけど丈夫な木の棒があるから、その杖をついて歩いてる。
1日にこれだけ拾わなきゃならねぇとかは決めてない。あるだけ拾う。だから日によって採る量は変わる。落ちてるだけ拾う。8月が拾いどきだわ。昔なかなか売れない時期があってね、あっちゃ行ってこっちゃ行ってね、1日1杯(20㎏)で、1杯拾えば7500円、7500円、犬も歩けば棒に当たるって言いながら拾ったの。

8.潮水でゆらゆらと、洗うんだ
拾った昆布は、まず汚いところとか、砂が付いてるところがあったら洗うんだ。でも雨水とか水道水はだめだ。昆布が赤くなって見た目が悪くなる。やっぱいい昆布ってのは真っ青な昆布なのさ。だから潮水で洗う。潮水なら色は悪くならねぇ。浜辺で昆布持ってゆらゆら動かすんだ。そしたら自然と砂もごみも取れる。
きれいになったら次は、昆布をぐるぐる巻いて、伸ばして、落ちてる石をおもりとして使って、しわを伸ばしていくんだ。それを何度も何度も繰り返す。まっすぐなのがいい昆布だ。

9.昆布干すのは、簡単にはいかねぇ
しわがきれいに伸びたら、今度は干すんだ。天気のいい日は2日で乾くんだけど、どうしても3日干さないと、しっかり乾かない。俺が安心するためっちゅうのもあるね。
でも、干すのもそんな簡単にはいかねぇんだ。海辺の太陽にさらして、玉砂利の上に置いて干すから、その途中でもちろん雨が降ることもある。そしたらもうその昆布はだめだ。ずーっと濡れてると色が悪くなる。茶色くなって臭くなるんだわ。それじゃあもう売りには出せん。逆にいい昆布でも干しすぎたらだめなんだわ。ばりばりになって折れたら、せっかくの大きくて色のいい昆布でも、高くは売れなくなっちまう。
余所の人だら、乾燥機持ってるからね。乾燥機でみんな干してるから、天気なんて関係ねぇ。拾い昆布漁業は乾燥機だめだってか、付けられねぇっていうから。それに乾燥機でやるっつったらうづ(家)から赤岩まで持ってくるのが大変だ。だから俺は玉砂利の上置いて、3日間太陽に当てるしかねぇ。乾燥機のある人は、すぐ乾燥機さ入れるべさ。俺拾うのも一人、磯上げるったって一人、干すときだって一人だから。今日天気良くたって次の日天気悪いばね、全部だめになるんだわ。したけどね、たくさん干して手一杯のときでもね、見たら拾わねぇでもいられないんだよね。だって落ちてるから拾いたくなるもの。
干してる途中に雨に当たるのは悪いけど、拾ってるときに雨に当たるのはまだ大丈夫なんだわ。だから天気の悪いときは、拾ったらすぐ海の中に漬けておく。漬けておけば潮水の中だから腐らないの。したけどね、雨水だったら、すぐだめになるの。拾って、洗って、伸ばして、乾燥させて、まっすぐにしてやっと売りに出せるようになるけど、乾燥させるのが俺にとっちゃ一番大変だわ。

10.最近は、つらいね…
何がつらいかって? もちろん乾燥中の天気も嫌だけど、売れないことが一番つらいね。この頃は羅臼に昆布は余ってるから、俺のはなかなか売れねぇんだ。こればっかりはどうしようもね。もちろんいい昆布は売れていくけど、悪い昆布は残っていく。検査員が来てこれはだめ、あれもだめって言われると、悲しくなるね。根っこは食えねぇから、細かく切って薬になったりする。だから一応は売れる。あんまりいい昆布じゃないからって、まさかひとっつも売らないってことはできないと思う。お土産にでもして売れやって言われても、いやだなんて言うだけの昆布でもないと思うわけ。いっぱいあるからね、2本か3本の昆布だったらお土産にするっちゅうこともあるんだけどね、何千の昆布だもの。諦め切れねぇわ。

11.赤岩を離れるのが、何より寂しい
昔は 10 月の前半までいたんだけどね、今は迎えに来る息子や孫たちが俺のこと心配だっていうんで、早くて9月後半ぐらいに帰るな。帰るときは俺ずっと赤岩を見てしまうよ。離れるのが寂しい。俺な、赤岩さ行くたんび(度)に思う。あそこにいると、あー、俺は生きているんだなぁって実感するんだわ。大自然の中で、一から十まで全部一人で生活してるとね、ひとつひとっつのことするたんびにほんとにそう思うんだ。
今まで昆布ばっかし何百枚も拾ってきたんだよ。したからね、悪い昆布を拾ってもなんとなく愛着がわくんだわ。俺、拾うのも一人、磯上げるったって一人、干すときだって一人。確かに昔は寂しい時もあった。夜になれば暗いから、一人でランプの灯つける。昼間になれば、拾った昆布は1日で乾くわけでねから、干したり拾ったり干したり拾ったりする。
まぁ、寂しかったときもあった。でももうそれは通り越したよ。黙々と作業してたら気にしなくなるもんさ。楽しくなってくる。赤岩にいると生きてることを実感するから、そこを離れて、うづ(家)に帰るほうが寂しくなるときもあるね。

12.やるよ、赤岩で、90 歳まで
俺は 90 歳まで赤岩さ行く。つっても 90 過ぎたら行かない。90 まで昆布拾いして、90 から 100 まで生ぎるから、あどの 10年間はうづにいで、ゆっくり生きる。あんまり人の世話にならないで、目立たないで、暮らしていく。それがこれからの目標だ。
90 過ぎたら、きっと昔のことも家族のことも、なんもかんも忘れてくと思うからね、そこまで頑張るんだ。どんなに元気でも、90 過ぎたら赤岩さ行かねぇってもう決めたんだ。だって舟乗るときも大変、降りるときも大変で、もう一人じゃどうしようもできねぇもん。二人も三人も息子や孫たちに後ろに付いてもらってようやく舟さ乗る。波があるとこならね、舟がぐらぐらぐらぐら動いてね、なかなかいい具合にすぐ足かけて降りるってことできねぇから。したら何べんも家族から、来年から行かねぇ方がいいかべって言われるけど、俺は来年だって行くっ!つって…。赤岩さ来るたんびに(度に)来年の話してる。自分では何もどこも悪くないと思ってるけど、だんれもいねぇ赤岩さいるのはやっぱりよくないっちゅうからねぇ…。羅臼のほうの人たちも心配だって言うからねぇ…。だから、90 で終わり。跡取りとかも作るつもりはねぇ。息子は息子で違う漁してるからな。だんれもいないよ。もう俺で終わりだ。
前にね、番屋の屋根が穴空いてたり、五右衛門風呂の調子が悪くなったことあったんだわ。そいで迎えに来た息子たちに直してもらったんだ。もう赤岩さ行くのやめろやめろって言われてるけど、直されちゃあまた来年も来たくなるべさ。俺笑っちゃったね。
でも、90 まで赤岩さ行って昆布拾い続けたらもう俺は満足だ。もう決めたからな。それを達成できたら十分だ。あとはみんなに迷惑かけずに、100 までゆっくりするわ。

取材日:2012年10月27日、11月17日

【取材した高校生】
逢坂 理子(藤女子高等学校2年当時)
取材の感想:
昆布にはこんな採り方があるのか、というのが、名人のプロフィールを見たときの初めの感想でした。取材の時期と仕事をなさっている時期が合わず、実際に仕事をなさっている姿や、仕事の道具を拝見できなかったことは非常に残念でした。漁師、という全く関わったことない職種の方とお話しすることとなり、初めは右も左もわからないことばかりでしたが、お話を聞いていくうちに、ユリさんが本当に赤岩での生活に誇りを持っていることが、話だけでも伝わってきました。それをまとめるのは骨が折れる作業ではありました。
しかし、同時に聞き書きはとても楽しかったです。「聞き書き甲子園」という機会は、ユリさんという人間と、インタビューという単なる質問で接するだけではなく、対話をしていくことで、藤本ユリさんという「人格」に引き込まれていくうれしさを実感し、大変心を動かされました。日常で自然と口に入って来るもの、目にするものは、すべてたくさんの物語があり、大切に手を加えられているんだと、深く考えるようになりました。これまでの人生になかった、素晴らしい経験でした。

「聞き書き甲子園」のことは、映画にもなっています。
高校生への指導は聞き書き甲子園卒業生の
大学生が行うのだそうで、このプログラムで
一生の仲間との出会いが生まれていると、
運営する「NPO法人共存の森ネットワーク」副理事長の
工藤大貴さんは語ります。
今年はどんなドラマが生まれるのでしょうか?

聞き書き甲子園
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冒頭写真:奥田高文

原料から育てる五箇山和紙とのコラボレーション 後編

五箇山和紙を使った商品開発ストーリー。

リバース・プロジェクトが富山県南砺市の伝統産業である五箇山和紙の素晴らしさを
若い世代にも広めていくために、3つの工房と組んで商品を生み出した。

ひとつは東中江和紙加工生産組合の組合長、
宮本友信さんの「悠久紙」を使った和紙ハット。

「使うほどに白くなるという話を聞いて、
陽の光をあびる商品をつくれば、特徴を活かせると思いました。
しかも日常的に使うものということでハットを思いつきました」と語るのは、
プロダクトデザインを担当したリバース・プロジェクトのデザイナー、加藤弥生さん。

おそろいのハットできめた宮本友信さんと加藤弥生さん。

使い込むと、白くなり、レザーのような質感にもなってくるから不思議だ。黒とピンクの2色展開。

もうひとつは「五箇山和紙の里」の石本 泉(せん)さんと共作した
エッセンシャルオイル和紙。
これを考えついたきっかけは、南砺市特有の土徳の文化が背景にある。
加藤さんは言う。

「大福寺の太田浩史住職に、
”人間を人間たらしめているのは、祈りの時間があるから。
生活のなかで、自分の心に向き合う時間や空間がないとつかれてしまう”という、
南砺に息づく”土徳”の話を聞きました。
現代でそういう時間や空間は何かな? と考えたときに、
女性なら、お風呂やスパ、エステなどで
同じような効果を得ているのではないかと思ったんです」

こうしたアイデアから生まれたのが、こんなにかわいい製品。
花びらモチーフの五箇山和紙に、
ティーツリーのエッセンシャルオイルを垂らして使う。
クローゼットやバッグの中、枕元などに置いてもいいが、
お風呂に浮かべるのがおすすめの使い方。
水と紙というギャップのある組み合わせがおもしろい。

贈り物にも最適なエッセンシャルオイル和紙。

このカラフルな和紙は、再生和紙からできている。
障子紙をつくる際に切り落とした耳の部分をもう一度煮て、再生和紙にしている。
これには色がつけたあった。

「その色が淡くて、かわいくて。
五箇山の山奥にこんなかわいい紙が並んでいる!(笑)」と、
女性目線を発揮した加藤さん。

加藤さんの感性に共感し、
こんなにも現代的かつポップなプロダクトとして応えられたのは、
石本さんという理解者がいたからかもしれない。
石本さんは美術大学出身で、東京から五箇山へ移住し、和紙づくりに携わっている。
昨年、独自のブランド「FIVE」をデザイナーのminnaと協力して立ち上げた。
カードケース、ブックカバー、メモロール、コースターなど、
発色のいいカラーリングが目を惹くプロダクトだ。
和紙のイメージからかなり飛躍している。
都会的な感性をもって、商品づくりに取り組んでいる。

五箇山の和紙製品を発信する石本泉さん。そのフィールドはすでに世界へと広がっている。

そもそも美術大学時代に和紙に興味を持ち、学生時代に何度か五箇山を訪れ、
勉強していた。大学を卒業後すぐに五箇山に移住し6年が経つ。
ほかにも和紙の産地はいくつかあるが、五箇山が気に入った理由をこう話す。

「五箇山は原料からつくっているんです。そんな畑仕事にも惹かれました。
土いじりは落ち着くし、おもしろい。
木から紙になっていく、その工程すべてに携われる」と石本さんがいうように、
その作業や1年のライフサイクルは、ほとんど農家のようなもの。

原料の楮を春から栽培し始め、草取りなど毎日のように手をかけて育て、
秋に収穫する。現在では通年で紙すきは行われているが、
かつては冬にしか行われないものだった。

“すき舟”ですく作業を見せてくれた「五箇山和紙の里」館長の東 秀幸さん。ここでは紙すきができる伝統工芸士は3人。

五箇山の和紙職人は、みんな原料から育てている。
しかし、楮が無駄に残っている現状もあった。
商品が売れなくては、せっかくつくっても意味がないし、
次代に残っていかない。
石本さんは、プロダクトを使って広く市場に呼びかける役割を積極的に担う。

五箇山和紙の、伝統と革新。
若いクリエイターが積極的に動ける雰囲気づくりをしたり、
リバース・プロジェクトと共同で現代にフィットする商品を生みだせば、
どんどん全国、全世界へと広まっていくはずである。

リバースプロジェクトが手がけたもうひとつの商品がこの「五箇山和紙粘土 デコレーションキャット」。真っ白のものを自由に塗ることができる。(写真は伝統工芸士の前崎真也さんほかクリエイターが絵付けした作品)

information


map

五箇山和紙の里

住所 富山県南砺市東中江215
TEL 0763-66-2223
http://gokayama-washinosato.com/

REBIRTH PROJECT Online Shop

「NANTO CITY × REBIRTH PROJECT」
http://shop.rebirth-project.jp/user_data/special/no025/index.php

勝ち残るのは誰だ!!埼玉のゆるキャラが相撲で頂上決戦「ゆる玉☆バトル」

全国各地で誕生するゆるキャラたち。
埼玉県にはゆかりのゆるキャラが
なんと104体いるそうです。
埼玉県を代表する「コバトン」や
テレ玉のマスコットキャラクター「テレ玉くん」、
深谷市の「ふっかちゃん」ら、
メジャーなキャラクターのほかにも
たくさんのキャラクターたちがひしめいています。

そんなキャラクターたちが、埼玉県のPRのために
大集結!!彼らの相撲対決「ゆる玉☆バトル」の映像を、
埼玉県の公式動画配信サイト「サイタマどうが」や
YouTubeにて公開しました。
監督は映像ディレクターの山本遊子さん。

内容は、かわいらしいキャラクターたちが、
のんびり相撲をとっている、
なんとも和む映像たち。
ゆるいキャラたちのゆるいバトルですが、
広く立派なスタジオで、きちんとしたカメラワークで
作られているのがなんだかツボにはまります。

ガチです

サイタマどうがではほかにも
埼玉出身のミュージシャン、ユザーンさんが出演する「DA☆SAITAMA」など
さいたまをPRする映像を精力的に配信中。
ぜひチェックしてみてください。

サイタマどうが
埼玉県YouTube公式アカウント「サイタマどうが」
ゆる玉応援団