連載
posted:2014.2.22 from:新潟県十日町市 genre:活性化と創生 / アート・デザイン・建築
〈 この連載・企画は… 〉
地方都市には数多く、使われなくなった家や店があって、
そうした建物をカスタマイズして、なにかを始める人々がいます。
日本各地から、物件を手がけたその人自身が綴る、リノベーションの可能性。
writer's profile
Toshikazu Goto
後藤寿和
ごとう・としかず●東京生まれ。株式会社ギフト・ラボ代表。2005年に池田史子とともに同社を設立し、東京・恵比寿にて空間や家具のデザインや、広い意味での「場づくり、状況づくり」の企画などをおこなうかたわら、ギャラリー・ショップ「gift_lab」を運営。2012年には縁あって新潟・十日町松代に「山ノ家カフェ&ドミトリー」をオープン。現在恵比寿と松代でのダブルローカルライフを実践中。
http://www.giftlab.jp
せっかくの「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ」開催の2012年の夏に、
なんとかこの山ノ家のオープンを間に合わせたかった。
今は7月半ば。工事スケジュールを考えても、
7月末の会期オープンにはさすがに間に合わないことはもうわかっていた。
なんとかスムーズに良いかたちで進める方法はないだろうか……。
すべての完成を待つと、9月までかかってしまいかねなかった。
ならば、工程を2段階に分けよう、と思いついた。
つまり、カフェを先にオープンさせて、
残りのドミトリーに関わる部分などはその後に手をかけよう。
カフェ部分は、工事範囲としては限定しやすい。
1階の土間部分の仕上げと家具、それと厨房とトイレが完成すれば何とかなる。
まず、全体に関わる解体だけはすべて最初にやってしまう、
照明やエアコン、水まわりなどの電気・設備工事は
関連する部分から流動的に手を入れてもらうこともできる。
なんとかこの方法で、工務店さんとも交渉して理解を得て、
準備を進めようという話ができた。
そしてようやく、待っていた融資のほうもOKの返事が来た(vol4参照)。
これでやっと前に進める……!
7月の19日に解体工事が決まり、そこからカフェオープンへの段取りを整理。
アキオくんや、運営立ち上げチームにも具体的なスケジュールを伝えた。
お盆前にはオープンしたいから、8月10日を目標にしようということになった。
まずは、ここに向かって動き始めた。
本当は「コツコツと、できるだけ自分たちだけでセルフリノベーションできればいいなあ」
という想いはあった。
そこにあるものをうまく工夫しながら活かし、新しいあり方に変えてゆくのが
リノベーションの醍醐味といっていいだろう。
フタを開けてみないとわからないことも少なくないが、だからこその発見もある。
そのためにはゆっくりと向きあう時間が少しでも多ければ、いろんな可能性が広がる。
しかし、さまざまな事情もあって、大地の芸術祭が始まるまでの時間は
もう目前まで迫っている。悠長に構えてはいられない。
もともとが降って湧いたようなこの案件。
もちろん運営のための事業計画もたてていたが、
正直、未知の場所で万全の確信が持てる訳でもなかった。
3年に1度の芸術祭でとてもたくさんの人が訪れるこの時期の勢いを借りなければ
計画は言葉どおり絵に描いた餅となってしまうかもしれず、
そうなったら立ち上がりはもちろんのこと、
その先のことはとても想像できるものではなかった。
最初のステップがあった上で、それを通して
ようやく地元の方との接点などがつくっていけるのではないかと考えていた。
というわけでこの芸術祭の会期中に、
少しでも早くオープンさせるために急ぐ必要があった。
設計者としての、この地にあるべき空間イメージのプランとその実現化への調整、
事業者として立ち上げに必要なことの優先順位、先々続けていくために必要な判断、
そして自分も現場作業に入り込み、地元の方や運営スタッフ、インターンらとともに
体験としての場づくりからつくりあげていきたいという想い、
さまざまな立場が重なる部分と相反する部分を併せ持っている。
同じ人格として整理しきれないさまざまな側面をたくさん抱えつつも、
そこに少しでも向き合う時間をつくりたくて
冬のときよりも長く十日町に滞在するつもりでのりこんだ。
外装も手伝ってくれたアキオくんも、同時期に現場入り。気合いが入っている。
同じタイミングで運営立ち上げチームの池田そしてメグミさん、ミナコさんも現地入りして、
これから来るインターンスタッフのための環境整備など、準備をしてくれていた。
それぞれ、出入りは多少あるものの、
この山ノ家の立ち上げが一段落するまではこの地にしばらく滞在するつもりで来ている。
さながら、集団移民という感じだった。
そして、解体工事が始まった。
解体をする範囲はあらかじめ想定してあった。
2階のドミトリーにする部屋の壁・天井、
大掛かりなのは、1階の厨房を中心とした水回り部分の壁、そして床。
2階の壁も、構造を残してほぼ全て撤去した。
実際に壊してみるとその量は結構なもの。
これから、この分の壁をまた仕上げなければならないことを思うと、
ちょっと考えさせられた。
「ここまで壊さなければ、工期も金額も圧縮できるのではないか」
という考えがよぎらなかった訳でもないが、ここは設計の立場として譲りたくなかった。
壊してみてわかったのは、部材の大きさと筋交い(斜めにいれる構造)の多さ、
そしてドミトリー予定の部屋の天井から出てきた梁の立派さ。
おそらく豪雪に耐える故の構造だろう。
築40年程度の木造にしてはずいぶんとしっかりしているようだった。
この立派な梁を見たら、当初は計画していなかった、
屋根裏に隠れていた構造が見えるような天井に変更したくなった。
こういう部分は、設計以上に現場での気づきや直感を大切にしたかった。
おかげで大工さんに「そんな計画変更されたら、やれなくなるよ!」
と気分を害されたりもしたのだが……。
工事が始まり、山ノ家の現場とその近辺にはさまざまな人が集まってきて、出入りしていた。
解体に続き、掃除、断熱材の仕込み、石膏ボード貼り、養生、パテ埋め、塗装など、
僕らがやらねばならない工程は結構なボリュームだ。
もちろん、それは、自分で選択した道なのだが。
インターンの方たちが週代わりに入り込んで工程を手伝ってくれ、
現場の良い潤滑油的な存在としても活躍してくれた。
おかげで心身ともに彼ら、彼女らに本当に助けられた。
そこに、河村くんがある人から託された、とてもインパクトのある人が加わってきた。
トーゴ出身、フランス国籍のジュン君。
フランスの大学を卒業し、観光で日本に滞在しながら帰国のリミットギリギリまで
いろいろ体験したいと言う彼の思いから、
ボランティアワークで約1か月来れるということだった。
初めて会う彼に一瞬身構えてしまったのだが、思ったよりも上手に日本語を話すと、
一気に親しみのあるキャラクターに見えてきたから不思議だ。
大工的な作業自体は初めてではなかったようだ。
しかし、さすがに日本人的な細やかな感じではなく、
なかなかのラフさとマイペースさで作業を進めるので
こちらも目が離せず大変なところもあったが、数少ない男手のインターンとして大活躍した。
そう、なぜかインターンで志願してくれる人は圧倒的に女子が多かったのだ。
そしてもちろん、工務店さん手配の方々も現場に日々通っている。
まずは大工さん。外装のときには3人入っていたが、
夏はどこも現場が忙しく、入れるのはひとりくらいだろう、と現場監督さん。
冬のときとは違う繁忙シーズンのなか、現場監督さんもあちこち飛び回っていて、
僕らが大工さんに直接指示出しをせざるを得ない機会が増えた。
そんな中、僕が要望することで難しい顔をされたりしたこともあった。
普段のこだわりと違う少しラフなやり方が困惑させたようだ。
しかし、僕らが大切にしたいと思っている考えや、
これからこの場所をどうしていきたいかなど丁寧に伝えていくうちに、
こちらの意図している加減を了解してくれるようになっていた。
さらに仕上げやおさまりのアドバイスをしてくれるようになったときは本当に嬉しかった。
これからこの地で、自分たちの活動を地元の方々に理解してもらえるように話すことの
背中が自然と押されたような気がした。
それから電気屋さん、設備屋さん、建具屋さん、塗装屋さん、左官屋さん、
担当でないのに近所だからということもあって気をかけてくれ、ちょくちょく顔を出して
何度も一緒になって体を動かしてくれた工務店の頭領さんには
その後もご近所さんとしていろいろと世話になっている。
しかしながら、大工さんが行わなければならない工程は実はひとりでは足りていなかった。
いつもお世話になっている東京の大工さんにもヘルプをお願いしたところ、
なんとかスケジュールを調整して来てくれた。これはとても心強かった。
先の、地元の大工さんとの間を取り持ってくれたりしながら、現場の士気を高めてくれた。
まつだいの夏は、湿気は少ないのだがしっかり暑く、
かろうじて扇風機のみの現場は日差しと熱気に押しつぶされそうになるくらいだった。
工事現場チームの傍らで、
カフェの運営準備チームはメニューや食材、そしてオペレーションなどの整理や、
まかないご飯などもつくってくれた。そして、工事現場のチームのために
休憩時のスポーツドリンクをつくってくれた
(真夏の工事。飲みものはすごい勢いでなくなっていくのだ)。
休憩のとき、現場を切り盛りするさまざまな人たちと一緒に過ごし、
たわいもない話をすることで自然と一体感が生まれる。
これがとても感慨深いひとときだった。
そしてさらに、まだこの地にやってきた人たちがいたのだ。
内装工事に先駆けて、実はオープニングイベントを想定して
何人かの音のアーティストに1週間滞在してもらい、
この土地のさまざまな音をレコーディング。
それらを音源に取り込んだライブをやろうという計画を同時進行させていた。
山ノ家の展開のひとつとして、アーティストインレジデンス
(ある土地などにアーティストを招聘して、滞在製作をしてもらうためのしくみ)
という機能も当初から考えていた。
恵比寿のgift_labで行っていたようないろいろなアーティストとの交流を、
ここで違ったかたちで花開かせることができたらと妄想し、楽しみにしていた計画のひとつだ。
しかもそのひとりはなんと、海外から来てくれるアーティスト。
ちょうどこの時期に合わせて、まつだい入りしてもらうように調整のやり取りをしていた。
しかし、着工が最初の見当よりおしてしまったせいで、
そのイベントの日程がカフェのオープン日よりも前になってしまう事態になっていた。
彼らには工程が当初の予定通りになっていないことを伝えつつ、
(前向きに)完成前の山ノ家でイベントを決行したいということを説明した。
もちろん、延期も中止も考えられない状況ではあったのだが。
実際まつだいに到着した彼らは、とてもこの土地のことを楽しんでくれた。
ただ、日本の猛暑はイギリスからの来客たちにとって、とても辛かったようだった。
そして完成前にイベントを行うということは、
工事の手も止めてもらわなければならないということでもあり、
厳しいスケジュールのなかでのこの工程調整にも気を使いながらの準備となった。
彼らが約1週間滞在したのち、イベントの当日を迎えた。
滞在はできなかったがこの日に駆けつけてくれたふたりのアーティストも合流していた。
楽しみにしていたこの日。初めての土地でのイベント開催で、
何処からどのように人が来てくれるのか見当がつかなかったが、
既に告知を聞きつけて新潟市内から来てくれたお客さんがいたり、
地元で知り合った方が来てくれたりしたことは、驚くと同時に嬉しかった。
帰省をからめて東京から来てくれた人だったり、
知り合いが駆けつけてくれたりという感じで、人数こそそこまで多くはなかったが、
この顔ぶれは、これからのこの場を予感させるのには充分なものだった。
カフェ運営立ち上げチームによるケータリングも、イベントに花を添えていた。
空調設備が間に合わず、暑い状況でのライブ。
まつだいで録音されたヒグラシの涼しげな音や、
近所にある水琴窟の音、夜の蛙の声などに音楽が重なったり、
50台の電子キーボードが和音を奏でたり。
夏休みのストップモーションのようなひととき。
無謀な計画ではあったが、これがここでの場としての始まりの一端をつくりだしていた。
カフェオープンまで残り数日、あともうひと息。
つづく。
information
YAMANOIE
山ノ家
住所 新潟県十日町市松代3467-5
電話 025-595-6770
http://yama-no-ie.jp
https://www.facebook.com/pages/Yamanoie-CafeDormitory/386488544752048
Feature 特集記事&おすすめ記事
Tags この記事のタグ