〈 この連載・企画は… 〉
ひとつのまちの、ささやかな動きかもしれないけれど、創造性や楽しさに富んだ、
注目したい試みがあります。コロカルが見つけた、新しいローカルアクションのかたち。
editor’s profile
Chizuru Asahina
朝比奈千鶴
あさひな・ちづる●トラベルライター/編集者。富山県出身。エココミュニティや宗教施設、過疎地域などで国籍・文化を超えて人びとが集まって暮らすことに興味を持ち、人の住む標高で営まれる暮らしや心の在り方などに着目した旅行記事を書くことが多い。現在は、エコツーリズムや里山などの取材を中心に国内外のフィールドで活動中。
credit
撮影:Karin Vettorel
藍染めの本場といえば、阿波、徳島。
一見黒色ではと見紛うほど濃く染めあげた
暗い紫みがかかった青の「褐色(かちいろ)」は
鎌倉時代の武将たちに、縁起のよい「勝ち色」として大変好まれたのだとか。
この独特の自然が醸す色が出せるのも、「すくも」で建てた藍ならでは。
徳島の吉野川流域で育つタデ科の植物、藍草を乾燥させ100日以上かけて
発酵させた手仕事の「すくも」。それがすなわち「阿波藍」なのである。
現在は徳島県内のわずか5軒の藍師が伝統の技法で阿波藍をつくっている。
一方で、同じ藍草を使った草木染めながら
「すくも」をつくらずに染める製法の藍染めが
現在、予防医学の見地から健康志向の人たちに注目されている。
藍というハーブの薬草効果に着目したハーブ染め、「海部(あまべ)藍」だ。
海部藍は藍住町の藍師から譲り受けたタデ藍の種の藍を育て、つくられている。
徳島県南部の高知県との県境にある海陽町にある肌着メーカー、
株式会社トータスの亀田悦子専務は、今から10余年前、
肌着の未来を考えてユニバーサルデザインの勉強していたときに
美波町の障がい者地域生活自立支援センターで
子どもたちに藍染めを教えている地元の染織家と出会った。
そこで、自社の肌着を提供することを始め、
藍に関わるようになったという。
徳島の会社ということで、藍染めの注文もあったのだが
すくもで藍を建てるのはコストもかかるうえに難しく、
必ずしも毎回同じように建てられるものではないことを実感した。
また、染織家が芸術として“色”を追求している藍と
同じ瓶のものを肌着に使うのは違うのではないだろうか、と
亀田さんは頭を悩ませていた。
「毎日の肌着を藍で染めるにはいったいどうしたらいいのだろう?」
藍は、古くは中国や日本で解毒、解熱、消炎などの
漢方薬に使われてきた歴史がある。
また何度も何度も藍瓶に漬け染め上げた着物は、
温度変化に強く、冬に身につけると温かく、夏
は涼しいとされており、虫除けの効果もあるといわれてきた。
紫外線の遮断や抗菌消臭、水虫、アトピーなどに対する効果も
財団法人日本紡績協会や徳島大学薬学部で
研究・試験され、効果のほどが確認されている。
亀田さんは藍染めに関わったことで
藍という植物のもつ多様な機能を知り、
アレルギーやアトピーに悩んでいる人、
赤ちゃんに安心して身につけてもらえるような
藍染めの商品を開発したいと考え始めた。
さまざまな人に「藍のハーブ染めの研究を」と触れ回った結果、
なんと、2009年の12月から
経産省の事業となり、産官学一体となって
藍のハーブ染めの研究をするチームが結成された。
当然ながら、言い出しっぺの亀田さんがチームリーダーだ。
「そうそうたる学者の皆さんに混じってこんなおばあちゃんが
いるのは申し訳ない気持でいっぱいでした。
でも、ハーブ染めの可能性を追求するために
色を求めるよりも、藍の薬効のある成分が
繊維にちゃんと入っていくことを実証できるかが重要でした。
そのためには藍の薬効の検証や染めに関して
専門家たちによる研究が必要だったんです」(亀田さん)
研究するからには、まずは原料が必要だ。
同じ海陽町で、農業を営む山田孝治さんに声をかけた。
山田さんは慣行農法ではない方法で
安心安全をモットーに美味しい米を作る農家として
国内の品評会で高い評価を得ており、
研究熱心だと地元でも知られていた。
きっと、農薬不使用の藍畑づくりにも興味を示してくれるはず、という
亀田さんの予想を裏切らず、山田さんは彼女が求めている
取り組みについてすぐに理解し、実行に移した。
「最初は藍をやれば儲かるよ、と
亀田さんを紹介してくれた人にいわれたのですが、
化学染料で手軽に染められる今、そんなわけはないと思いました。
ですが、藍でアトピーや困っている人たちを
助けたいという亀田さんの思いや、
ひとりで立ち向かう姿を見て
ボランティアでいいから手伝おうと」
藍栽培の経験がなかった山田さんは、
最初の1年はハウスで藍の育て方を勉強し、翌年から畑に種を蒔いた。
試行錯誤しながら藍は2年目から育つようになり、
3年目からは有用微生物群EMを散布し、土を育てている。
亀田さんと山田さんは生きている藍に関して詳細な統計をとり続け、
現在も研究は続いている。
研究会では、すでに藍のハーブ染めの薬効が認められている。
海陽町は、世界的に知られる
サーフスポットのKAIFU(海部川河口)があることから、
プロサーファーや彼らの家族が多く暮らしている。
海とともに生きることを選んだ
サーファーたちのライフスタイルをのぞいてみると
やはり、自然を意識した生活を送っている人が多い。
そんなオーガニックなムードのある海陽町出身の
永原レキさんは関東で過ごした学生時代に
サーフィンの全国大会で優勝。
数々の大会で活躍したのち海外を放浪し、
世界の多様な価値観に触れて2009年に帰国した。
さて、この先どんなふうに生きていこうと、都内でブラブラしていたときに、
東京ビックサイトで開催された
自然派プロダクツを集めたイベントに出店していた
亀田さんに出会った。
全身藍染めに身を包んだ白髪のかっこいいおばちゃん。
興味本位に近寄ったら、商品のタグに
自分の故郷、「海陽町」と記されている。
「それはもう、驚きましたよ。まさか自分の故郷から550㎞も離れた場所で、
ピンポイントで海陽町から来た人に出会うなんて。
あれは運命の出会いでしたね」(永原さん)
ちょうど、海外でも地元を大切にする人たちを見てきた永原さんは
放浪する前とは価値観が変わってしまっていた。
「よし、地元に帰ろう」
海陽町に戻ることに決め、他の仕事をしながら
亀田さんらと親交を深めていった永原さん。
そんな彼の周囲には一緒に地元のイベントを企画し
豊かな自然と共生する地域活性化に励む仲間も増えてきた。
永原さんは、現在はトータスで染めや企画、
営業などの業務を行っている。
彼の手先は、今や真っ青。
亀田さん同様に、藍色のネイルを施しているかのようだ。
「これはね、インディカンという藍の成分で、
むしろ、肌をきれいに保つんですよ」
と永原さんが誇らしげに手を広げた。
「亀田さんに会わなかったら、
ここには戻ってこなかったかもしれないな。
あそこで、地元に帰ってきたからこそ
人生のうえで大切なことに気づけたことがあったと思う」
藍畑を耕し、藍を通して地元の環境のことも学んでいく。
混ざり物がない天然染料なので、廃液は畑の栄養になり
余った藍の種や葉は藍茶として飲む事ができる。
昔から藍師たちに飲用されてきた健康茶だ。
まさに藍という植物のサステイナブルなあり方は
海が暮らしの一部になっている永原さんにすんなりとなじんだ。
ちなみに海部藍という名前の意味は、
6世紀に阿波の国から衣食住の文化を広めた吉野川流域の忌部族と、
海を渡る技術で彼らを支えた海部(あまべ)族から由来している。
また、海陽町は徳島県海部(かいふ)郡にあるため、
ここから世界に向けて薬草としての
藍の文化発信を、という意味もこめられている。
商品化はできたものの、コスト面を考えると
まだまだ研究しなくてはいけない、と亀田さんはいう。
実際に染めてみて、すくもで建てた藍との色の違いや
その役割もしっかりとわかってきた。
自然と人が手をとりあって、循環していく
海部藍を誰もが暮らしに取り入れられるようにしていきたいという
亀田さんの願いは最初から変わらない。
海部藍の周縁にあるさまざまな“あい”のかたち。
土地に若い人が根付くよう産業、
農業を持続可能にしたいと思う山田さん、
地に足をつけ、自然豊かな故郷の良さを
いろんな人に知ってもらいたいと願う永原さん、
それぞれの想いが海部藍に託されている。
徳島県北の阿波藍の本場、吉野川流域の
藍住町から運ばれた藍の種は県南で発芽し、
植物の持つ叡智は、新しいかたちでどんどん広がっていく。
information
トータス
住所 徳島県海部郡海陽町大里字中須土手外1−1
TEL 0884-73-3110
1897年創業。1964年の東京オリンピックでは、聖火ランナーの着用していたタンクトップを製作。肌着は「第二の皮膚」と考え、時代に流されずに天然繊維一筋に肌着の生産を続けており、有用微生物群EM機能繊維や海部藍染めなど各種健康衣料品の開発にも積極的に取り組んでいる。
http://www.tortoise1897.com/
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