〈 この連載・企画は… 〉
ひとつのまちの、ささやかな動きかもしれないけれど、創造性や楽しさに富んだ、
注目したい試みがあります。コロカルが見つけた、新しいローカルアクションのかたち。
editor's profile
Tomohiro Okusa
大草朋宏
おおくさ・ともひろ●エディター/ライター。東京生まれ、千葉育ち。自転車ですぐ東京都内に入れる立地に育ったため、青春時代の千葉で培われたものといえば、落花生への愛情でもなく、パワーライスクルーからの影響でもなく、都内への強く激しいコンプレックスのみ。いまだにそれがすべての原動力。
credit
撮影:白井 亮
海上タクシーというなんだか贅沢な響きがする交通機関に乗って、
熊本県天草市の本渡港から御所浦島に向かう。
漁船を改造したような雰囲気で、
船内はエアコンが効いていて思いのほか涼しい。
しかし外に出て海風を感じたいのが、観光客の気分だろう。
その日の宿を〈はくお丸〉の船長(タクシードライバー)に伝えると、
着いた場所は港ではなく、なんと宿の目の前。
何もない草むらにぴったりと接岸し、降ろしてくれた。
満ち潮の時間帯だからできたことだという。
しかもそれを見越したかのように出迎えてくれたのは
御所浦でジオツーリズムのガイドやアイランドツーリズム、
各種イベントなどを手がけている野原大介さん。
島らしく真っ黒に焼けた肌に白い歯が映える笑顔で迎えてくれた。
島に渡る交通手段から早速、旅情をくすぐる御所浦島は、
本土から橋がかかっていないので、
島に渡るにはフェリーや海上タクシーなど、必ず船に乗らなくてはならない。
御所浦島はかつては港が整備されておらず、
大型の運搬船などが接岸することができなかった。
そのときは少し沖合で停泊し、
そこから陸地までをつなぐ輸送用のはしけ船として
伝馬舟(てんません)※注1が活躍していた。
伝馬舟とは、櫓で漕ぐ小さな木造の舟。
昭和40年頃までは、運搬以外にも簡単な漁や、
集落間の移動など、島民の一般的な足として使われていたが、
港の整備が進み、船の性能が上がっていくにつれて、その姿を消してしまった。
失われていく伝馬舟をそのままにしてはいけないと復活させたのが、
御所浦アイランドツーリズム推進協議会。
「子どものころは普通に乗っていましたし、
自分の子どもを伝馬舟に乗せて釣りなどに出かけていました」
と話してくれたのは、伝馬舟復活の仕掛け人である三宅啓雅さん。
今でも橋が渡されていない御所浦にとって
“舟で渡る”という行為は、残しておくべき貴重な文化だろう。
野原さんは、2004年の〈ざぶざぶ 海の道〉という
伝馬舟のイベントのお手伝いで初めて御所浦を訪れた。
かつては島内の移動も、隣の島へも、
数キロだったら伝馬舟が活用されていたという。
それは島だけが持つ独自の経路。その“海の道”を辿るイベントだ。
御所浦は不知火海という内海に浮かび、しかも入り江が多く、
海なのにほとんど波がない凪状態。
だから伝馬舟のような小さな舟でも、子どもの力でも進むことができたのだ。
静かな海と森に、動力のない小舟がゆっくりと進む姿は落ち着く光景だ。
現在、個人所有として島に残されていた3艘を譲ってもらい、
5年前に新たに作られた2艘を加えて、5艘の伝馬舟がある。
パッと見は、公園の池などにあるボートのようだが、
前方がぽってりとして横幅があるのが特徴で、
安定感があり荷物の運搬などに向いている。しかし、櫓が1本しかない。
船体の後方に飛び出ている金具に、櫓にあるくぼみを上から乗せるだけ。
固定はされていない。
実際に漕いでみると、真っすぐゆっくり進むことは割とすぐにマスターできた。
しかしちょっとスピードを上げようと力を入れてみたり、
方向転換をしようとすると、
無駄な力が入ってすぐに櫓が金具から外れてしまう。
「現在50代後半のひとたちは、
復活した伝馬舟をすぐに操ることができましたよ。
“30年ぶりに漕いだ”なんていいながらも、体が覚えているんですね。
子どもも吸収が早いから、すぐに体で覚えます。
なかなか漕げないのは、30代40代ですね」と苦笑するのは30代の野原さん。
「50代のひとたちは今でも伝馬舟を漕ぐことができるので、
子どもたちにすぐにでも教えることができます。
伝馬舟というものが、櫓こぎとともに、かつての島文化を
世代を越えて伝えるコミュニケーションツールになるんです。
そういった関わりから、
地域の中で伝馬舟に新たな価値が生まれることを目指しています」
野原さんや三宅さんが目指しているものは、外からお客さんがたくさん来て、
それで地域が潤うといういわゆる観光が目的ではない。
「地域で物語を共有していかないと、
“地元のために何かをしよう”という思い入れを持つことのできない、
のっぺりした地域になってしまうと思います」
また、野原さんは〈御所浦.net〉というウェブサイトも運営している。
これも「観光情報サイトではありません」という。
「御所浦を出たひとが見て、楽しめるものにしたい。自分の生まれたまちが、
こんなところだよと友だちや周囲に伝える手段にもなってくれると思います」
東京や沖縄など、いろいろなところで地域活性の活動をしてきた野原さんだが、
次第に御所浦にいる時間が長くなってくる。
無論、御所浦で伝馬舟にかける思いは、地域での目線なのだ。
御所浦アイランドツーリズム推進協議会の活動としては、
〈民泊〉も、面白い取り組みのひとつ。
多くは修学旅行のプログラムで、御所浦の民家に5、6人ずつ学生が宿泊する。
御所浦にはこの民泊受け入れの民家が20軒ほどあり、
それぞれは観光業に従事しているわけではないごく普通の民家。
だから、宿泊中にどんな体験をして、どんな食事が出るのか、
各家庭によってさまざまだ。その内容を強要することもしない。
魚釣りに行ったり、磯遊びをしたり、時季の野菜を収穫したり。
島だけあって、食事は海産物が多い。一緒に料理をすることもある。
魚を捌いたことがない都会の子も多いので、大騒ぎだ。
それでも受け入れ側は、普段のまま接してくれる。
方言丸出しで、気兼ねはしないが、温かく迎えてくれる。
「親戚の子が遊びにきたような感覚で、
家族同然に接している」と民泊の様子について話す野原さん。
いつも通りだから新たな経費がかかることもないし、
島のリズムにお客さんが溶け込んでいくのだ。
野原さんは、御所浦で活動している目的として
「魚をおいしく食べ続けるため」という冗談みたいなことをいうが、
野原さん独特の言い回しであり、目は真剣だ。
これには地域づくりに対しての、野原さんのひとつの哲学が込められている。
「いわゆる地域づくりとして今流行っている方法をそのままやれば、
なんとなくいいことをやったよねと評価されるかもしれませんが、
それで意味があるでしょうか?
僕が勝手に決めたいいまちの姿は、
このまちのひとにとっていいまちではないかもしれない。
だから、少なくとも僕を含めて御所浦の人が
おいしく魚を食べ続けることができる地域の関係というのは、
どういうものなのか考える。そこからスタートすべきだと思うのです」
地域づくりには答えなんてない。
まずは“魚がおいしい”という
多くのひとと共有できそうな日常的な価値観で合わせていく。
これはよそ者であることを強く認識しているからこそ。
「先のことはわからないから、この地に骨を埋めるとは言いたくない」
というが、“そんな無責任なことは軽々にいえない”という思いを感じた。
ただし「これから先、ずっと御所浦を応援していく」ということは宣言した。
御所浦のためには、東京で活動していたほうがいいという場合だってあるだろう。
かつてはちょっと遊びに行くにも、伝馬舟が使われていた。
そこには島のひとには見える海の道があった。
伝馬舟、民泊、漁業などをつなぐ御所浦の道を見据え、
野原さんは櫓こぎのペースで進む。それが御所浦のリズムに合っている。
注1:御所浦アイランドツーリズム推進協議会では、伝馬舟を「てんません」と読ませていますが、「舟」は常用では「せん」と読みません。しかし小舟のイメージから「舟」という漢字を充てています。
information
御所浦アイランドツーリズム推進協議会
住所 熊本県天草市御所浦町牧島219-2
電話 0969-67-1080
profile
DAISUKE NOHARA
野原大介
1980年生まれ。千葉県出身。2013年8月現在、熊本県天草市御所浦町に在住。 数か月から1年程度のスパンで、首都圏と天草市御所浦町や沖縄県沖縄市などにそのつどその地にある仕事を請けながら暮らす。請け負う仕事はデザインやワークショップ、イベント、事務局などその時々で異なる。御所浦町では、御所浦アイランドツーリズム推進協議会で民泊事業の受け入れやイベントのサポートから、デザイン業務、伝馬舟(てんません)インストラクターなどを行う。ここ数年は御所浦町を中心に活動している。
御所浦.net:http://www.goshoura.net” target=
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