和倉温泉「多田屋」6代目  多田健太郎さん

さまざまな経験を経て、自分の道へ。

豊かな自然と独自の文化が残り、北陸新幹線の開通で、
いまさらなる注目を集める能登半島。
その能登半島の中心部にある和倉温泉の、
七尾湾を一望する高台に建つ旅館が、多田屋だ。
それほど大きな宿ではないが、明治18年から続く歴史ある旅館で、
落ち着いたあたたかい雰囲気が漂う。
「長旅でお疲れではないですか」と気さくな笑顔で迎えてくれたのは、
多田屋6代目の若旦那、多田健太郎さん。

能登で生まれ育った多田さんは、
いずれ多田屋を継ぐということは漠然と頭にありながらも、
自分のやりたいことを見つけたいという思いもあり、東京の大学に進学。
卒業後はアメリカに留学し、短大でインテリアなどを学んだ。
帰国後もすぐには地元に戻らず、東京のIT会社に就職。
1年勤めたあと多田屋に入社するが、いきなり大阪に転勤。
旅館案内所で営業を担当するためだ。少し遠回りをしているようにも思えるが、
それもいろいろな経験ができてよかったと多田さんは笑う。

「アメリカでは最初、言葉が通じなくて挫折を味わったり、
東京の会社で働いていたときは毎日終電で帰るような生活で、落ち込んだりもしました。
自分の核となるものがわからないまま転がっていった感じでしたね」
それでもいつか能登に戻るということは心に決めていた。
そのタイミングだと思った29歳のとき――それは結婚のタイミングとも重なったそうだが、
能登に戻ったのだという。
「いつか僕が継ぐのであれば、旅館を僕流にしていかないといけない。
これ以上、父のやり方でいくと、軌道修正が大変だと思ったんです」

七尾湾に面した抜群のロケーション。このオーシャンビューが多田屋の自慢。

どんな業界でもそうだが、特に伝統ある家業の場合、世代交代は一筋縄ではない。
守っていくことや受け継いでいくことだけでなく、
時代の移り変わりやニーズを的確に読み取り、新しいことにもチャレンジしていく。
そうでなければ、廃れてしまうことにもなりかねない。
「もちろん息子として父のことは好きですし尊敬していますが、
一緒に仕事をできるかというとなかなか難しい。
父親だけど社長という関係も、その距離感をつかむまでが大変でした」
社長である父の世代の価値観と、自分の世代の価値観ではズレがある。
これから若い世代の人たちにも多く来てもらうためには、
多田さんは自分のやり方を少しずつとり入れていかなくてはいけないと感じたのだ。

まちにできた 小さなイタリアンレストラン。 地元を元気にしたい店主の思い。 medicala vol.5

medicala vol.5
水のまちのイタリアンは本場さながら

前回はマスヤゲストハウス後編ということで、
解体古材を使ったリノベーションの面白さについて書きました。

今回紹介するのはつい最近、2014年11月〜12月の上旬にかけて
施工に入ったプロジェクト。
大分県竹田市のまちの中心、
四つ角にある元クリーニング屋さんの建物をリノベーションした、
イタリアンレストラン「Osteria e Bar RecaD(通称リカド)」のお話です。

「Osteria e Bar」とは、イタリア語で「気軽なレストランとバー」という意味。
カジュアルに訪れてもらいたいという思いに加え、
「RecaD」とは、「Re=角」の意味で、「マチカドの再生」を表しています。

つまり、コンセプトは「人々が集うマチカドの再生」。

昔と比べて活気がなくなってしまった竹田のまちを
「この場所から元気にしてきますよー!」
というオーナーの想いから、このレストランは生まれました。
オーナーは、桑島孝彦さん。
僕らは愛を込めて「クワマン」呼んでいます。

こちらがクワマン。竹田の市内で行われるイベントに出店しているときの様子。

1982年3月生まれの33歳です(2014年12月時)。
東京のイタリアンレストランで修業後、
2012年に「地元竹田市を面白くしたい!」とUターン。
竹田に帰ってきてからは、実家が営む「お米とお酒のくわしま」を手伝いながら、
移住者に空き家を紹介する仕事をしたり、
地元のイベントに屋台を出店したりと、竹田の中でいろいろ動きながら、
ゲストハウス(!?)を始めるために物件を探していました。

そうなんです。もともとクワマンがやりたかったのはゲストハウス。
クワマンと僕は東京のゲストハウスで知り合い、
その後、連載でも紹介したNui.や、
rucoの工事に手伝いにきてくれたクワマンに、
「アズくんにいつか竹田のゲストハウスのデザインをしてほしい」
と声をかけてもらいました。

しかし、なかなかゲストハウスに合うような物件が見つからない。
Uターンして2年経った頃、
レストランにするとちょうどいい物件に出会えたクワマン。
そこで、まずはイタリアンレストランから始めてみることに方向転換!
今回のプロジェクトが始まりました。
もちろん、志はゲストハウスをしようと考えていたころと変わらず、
「竹田を面白くしたい」ということ。

少し話が変わりますが、僕らは常々、
人がまちを訪れるには「3つの理由」が必要だと思っています。
例えば、会いたい人がいる、行ってみたい場所がある、
行ってみたいお店がある、食べたいものがある……など。
なんでもいいのだけれど、3つくらい理由があると、
じゃあ実際に行ってみようか、となりやすい。
会いたい人がひとりいても、
行ってみたい場所がひとつあっても、
わざわざそこまで足を伸ばすまでにはいかないことが多いのではと。

僕らにとって竹田市は、
会いたい人=クワマンがいる、
行ってみたいところ=ラムネ温泉(後ほど詳しく)がある。
しかし、僕たちがそれまで持っていた理由はふたつだけだったから、
なかなかいく機会がなかったのですが、
今回、物件が見つかったタイミングにたまたま九州にいたので
「近くまできたから」という3つ目の理由を携え、
ようやく初めて竹田を訪ねました。

竹田市の紹介を少し。
大分県竹田市は、大分市と熊本県阿蘇市のちょうど真ん中あたりにあります。
どちらからも車で1時間かからないくらい。
市町村合併のため、その面積は大きく、
また集落が分散されているためひとつの集落に多くの人が集中しておらず、
人口密度は52.6人/㎢(平成22年度、竹田市統計より)。
ちなみに長野県下諏訪町は313人/㎢(平成25年データ、下諏訪町統計より)、
東京23区は14,693人/km²(平成27年1月現在、東京都統計より)。
竹田市の人口は下諏訪と同じ規模の約2万3千人。
日本の市の中で見ると75歳以上の高齢化率は全国2位。
(合併前は全国1位だったみたいです)
そんなお年寄りが多いまちですが、
昨年地域おこし協力隊を18人を受け入れたり、
移住者やUターン者がいたり、アーティストインレジデンスを行っていたりと、
まちづくりへの取り組みが活発なまちでもあります。

文化的な遺産としては、難攻不落の城であった「岡城址」が有名です。
(よく天空の城のある竹田城があると勘違いされますが、
竹田城は兵庫県、竹田市は岡城)
クワマン曰く「岡城に攻め込むつもりで行ってみるとスゴさがわかるよ」
と説明するくらい、岡城は強い城だったそうです。
また、滝廉太郎の「荒城の月」の舞台は岡城であることも有名です。
(「荒城の月」が流れるトンネルがまちなかにある)

個人的には、藤森照信さんの設計した「ラムネ温泉」があったので、
竹田市は行ってみたいまちのひとつでした。
焼杉の外壁、銅葺きの屋根の可愛いかたちをした建築です。

ラムネ温泉。

後からわかった竹田の魅力は、なんと言っても「水が豊富」なこと。
竹田市は広いので、市内のいろんな場所で温泉に入れます。しかも安い。
そして、湧き水もたくさんあります。
「竹田湧水群」という場所があり、数種類の湧き水が楽しめ、
それぞれ味が違うため地元の人は「お気に入りの湧き水」があったりします。

竹田市の紹介はこれくらいにして、
オーナーの紹介と、プロジェクトの経緯について説明します。

クワマンが見つけた物件が、こちら。

工事前の外観。

都市に奥行きをつくる。 HAGI STUDIO vol.6

HAGI STUDIO vol.6

みなさんこんにちは!
vol.1vol.2vol.3vol.4vol.5に続き、
東京谷中の最小文化複合施設「HAGISO」について書いていきます。
これまでの連載でひたすらHAGISOの中のことを書き連ねてきましたが、
最終回にきてようやくw外に目を向けてみたいと思います。

第2フェーズ「まちへ」

2013年3月から始まったHAGISOも、まもなく丸2年が経とうとしています。
バタバタと駆け抜けてきた2年間でしたが、
HAGISOの第2フェーズとして、
より一層地域・エリアに還元できる活動をしていきたいと思っています。
これまでもまちの魅力を高めるような場所として存在できるよう考えてきましたが、
あくまでHAGISOの中での活動だった気がします。
しかし、そもそも谷中でこのような試みを始めたのも、
このまちのポテンシャルに惚れ込んだからでした。

谷中銀座商店街。現在でも八百屋・魚屋・肉屋などの小売店が元気な商店街。道の幅員の狭さが、人と人の距離も縮めている。

岡倉天心記念公園。東京美術学校(現・東京藝術大学)の設立に関わり、また日本美術院を創設した岡倉天心の旧居跡。

小さな小売店が点在し、各家の植木鉢が道を彩る、迷路のような路地。

まちの食料品店「みかどパン」の目印、ヒマラヤ杉の大木。元は植木鉢に入っていたというヒマラヤ杉が、みるみる大木になったという。樹下の民家を守っているようにそびえている。

海外でも人気の自転車メーカー「toykobike」の直営店は谷中にある。もともとは酒屋、伊勢五本店の築80年の建物。

これらはほんの一例ですが、これらの魅力的な場所がいまだに住み継がれていることに、
約10年住んだ今でも感動を覚えます。このまちに対して僕らは何が返せるでしょうか?

谷中で行った初めてのプロジェクト

実は僕らが谷中で行ったプロジェクトはHAGISOが最初ではありませんでした。
2007年の夏、大学院在籍中に研究室のプロジェクトとして行った、
MACHI-YATAI PROJECT」というものがあります。

全体構成ダイアグラム。路地を7枚の暖簾で仕切る。

これは谷中にある路地を、一時的な設え(MACHI-YATAI)を用いて
展示空間に変換するプロジェクトです。場所はお寺の私道で、車も入れない細い路地です。
道の真ん中に木が立っていたり、今も水が出る井戸などがあります。
ただでさえワクワクして面白い場所ですが、
この一本の長い路地を「暖簾」で分節させ、その間に作品を設置することで、
一連なりの展示空間とするものです。

普段周辺にお住まいの住民の方の日常的な通路が、暖簾を設置するだけで一変します。

墨田区で入場無料の 「ほくさい音楽博」開催。 こどもたちが世界中の音楽を 体験できる!

2015年2月8日(日)、
墨田区の「本所地域プラザBIGSHIP」にて、
音楽イベント「ほくさい音楽博」が開催されます。
これはこどもたちが、世界中の音楽を体験できる音楽博覧会。
一部体験会を除き、参加は無料です。

名前の由来は、墨田区うまれで世界に名を轟かせた
アーティスト、葛飾北斎。
彼の生誕地である墨田区周辺地域を拠点として、
こども達に世界中の響きの美しい楽器に触れてもらい、
練習を重ね、発表会を行っていくプログラムなんです。

スティールパンチーム練習の模様

ガムランチーム木琴制作の模様

当日のプログラムはバラエティ豊か。
日本でヒューマンビートボックスを広めたパイオニア的存在の
AFRAさんによる「声で演奏!ボイスパーカッション体験」や、
講談師の神田真紅さんによる「江戸の話芸!講談体験」。
そのほか「大声出し放題!義太夫体験」、「スティールパン体験」などなど、
こどもたちが実際に音楽に触れて楽しめるイベントが目白押しです。

おひさしぶりのん! 秋田県大館市のアイドル、 ゼロダテ秋田犬 「ののちゃん」日記 第7回。

みなさん、あけまして・・・

おめでのん!

お元気でしたのん??

ちょっと間が空いてしまってすみませんでしたのん。

ののが広報室長を務めた大館・北秋田芸術祭も無事終わって、
なんだかついうとうとしてしまってたましたのん。

去年はいっぱい楽しいことがあって素敵な2014年でしたのん。

アートを通して、 人と人が関わる宿泊施設 KYOTO ART HOSTEL kumagusuku HAPS vol.5

HAPS vol.5
kumagusukuが生まれるまで

京都市中京区壬生。市内中心地の西、二条駅や二条城の周辺は、
大規模な商店街があるなど昔ながらの雰囲気を持ちつつ、
独自色のある小さなショップやギャラリーなどが増えている一帯です。
新旧の入り交じる活気があります。
そんなまちの一角に、
2014年11月完成した「KYOTO ART HOSTEL kumagusuku」。
展覧会の中に宿泊し、美術を“体験”として深く味わうための施設です。
2015年1月にオープンしました。
コロカルニュースでも紹介され、大きな反響がありました)

今回は、HAPSでマッチングをした物件ではありませんが、
計画当初より相談をいただき、
情報提供を行ったkumagusukuができるまでを辿ってみます。

kumagusukuとは、
博物学者・南方熊楠の名前と、
沖縄の言葉で“城”を意味する“グスク”とを合わせた造語。
熊楠の名前に含まれる
熊=動物と楠=植物を人間の営みの象徴として、
さらに城を組み合わせることで宇宙的な視座を持って世界を見て、
関わっていくという思いが込められています。

そもそもの発端は、2012年12月。
kumagusuku代表である美術家・矢津吉隆さんの、
「美術作品を通して人と人が関わる宿をつくりたい!」という思いから。
京都市立芸術大学を卒業して10年間ほど、
美術予備校講師や美大の非常勤講師を務めながら
作家活動を続けてきた矢津さん。次のステップに向けて、
何らかの決断をしなければいけない時期に差しかかっていました。

そんなとき、友人に誘われ、訪れた沖縄でのこと。
なんと大きな台風が直撃してしまい、
3日間もゲストハウスに閉じ込められることに。
しかし、人生を立ち止まって考えているときに
日常とは離れた環境のなかで
シーズンオフの沖縄にふと集まってきた人たちと話すことが
期せずして自分の内面をさらけ出すこととなりました。
この体験から、アートを通して
人と人がじっくり関われる宿をつくりたいという構想が生まれたのでした。

住宅街に佇む木造2階建てのkumagusuku 。

とは言うものの、
これまでアーティストとして活動してきた矢津さんにとって、
事業を起こすというのは新たな領域です。
事業計画の作成や融資など、初めてのことも多く、
まずはHAPSで紹介した行政書士の藤本寛さんからアドバイスを受けました。
当初は、自己資金で何とかできるのではと考えていた矢津さんも、
計画を進めていく中で、ひとりではできないということを実感。
思いを伝え具体化していく過程で、
これまでのつながりから、関わるメンバーも増えていき、
最終的には、創業者支援の融資制度や、
京都市の空き家改修のための助成金も活用することができました。

しかし、「事業の実績がない!」ことは説得材料に欠けるもの。
そこで矢津さんは、「瀬戸内国際芸術祭2013」に誘われたのを機に、
小豆島で期間限定のプロジェクトとして、
井上大輔さんとともにセルフリノベーションで、
kumagusukuの前身、アートを鑑賞できる滞在施設を実現。
(この様子はコロカルで連載中の小豆島日記にてレポートされています)
考えていた以上の盛り上がりに、
アートがつなぐ宿の方向性に確信を抱きました。

(左より)「工芸の家」のメンバー 石塚源太さん、kumagusuku代表・矢津吉隆さん。

京都へ戻った矢津さんは早速物件探し。
当初HAPSにもご相談いただいていたのですが、
うまく条件に合致するものをご紹介できませんでした。
京都市内には、町家など多くの空き物件はありますが、
宿泊施設としてさまざまな条件をクリアする物件を見つけるのは
なかなか難しいところがあります。

そんな物件探しに難航していた矢津さんが出会ったのは、
シェアスタジオを運営するなどして、
20年以上京都市内でアーティストを支援してきた、
A.S.K. atelier share kyoto (以下A.S.K.)代表の小笹義朋さん。

小笹さんはkumagusukuのプランを聞くと、
矢津さんとの出会いも何かの縁と感じ、
kumagusukuへスポンサーとして関わることを決断。

実は小笹さんは、そのときある木造物件を借り、
新たな共同スタジオにしようと
工事をスタートさせる一歩手前のところだったのですが、
この計画を一変させ、kumagusukuへと生まれ変わらせることに。
「見たことがないものを見たい、名付けられないものを見せてほしい」
と矢津さんに期待を寄せました。

小笹さんは、2012年からHAPSが活動を始め、
京都市の事業としてアーティストのためのスタジオ紹介が
行われるようになったことで、
スタジオ提供に関する自身の荷が下りたのだそうです。

A.S.K. atelier share kyoto代表の小笹さん。

手が入る前の物件1階の様子。

1階と2階を合わせて、
160平米以上ある元アパートだったという木造建築の物件。
全体のリノベーションを担当してくれたのは、
大阪・北加賀屋を拠点に活動する「dot architects」の家成俊勝さん。
ロゴや館内サインのデザインは、
矢津さんが長年仕事をしてきた
UMA / design farmの原田祐馬さんにお願いしました。

dot architectsによるkumagusukuの模型。(写真提供:kumagusuku)

dot architectsの建築は、建築単体というよりも、
人の関係性や建築の使われ方といったソフト面を含めデザインしていくというもの。
「完成が終わりではなく、その後いろいろな人が手を加え、
更新されていく余地を持たせてくれる建築に」という、矢津さんの希望とも合致しました。
そこで、矢津さんと家成さんが大切にしたのは、
「歴史的な蓄積をできるだけ残したい」ということ。
しかし、全部を包括的に更新するというのではなく、
手を加えたところと既存部分がわかるような、
“新たなレイヤーがつくられる建築”を模索。

さらに、もともとの「展覧会の中に宿泊する」というコンセプトから、
展示室と客室を分けたくないが、法律的には分ける必要もあるため、
視線の交錯を意識しながら、独立した空間をどうつなげていくかが、
課題となりました。

倉庫群の 再生プロジェクト。 シーンデザイン一級建築士事務所 vol.05

シーンデザイン一級建築士事務所 vol.05 
個から地域へ

長野市善光寺門前界隈には、ここ5年あまりでたくさんのリノベ物件が誕生しました。
これだけ狭いエリアに多くのリノベ物件が集積している地域は珍しいと思います。
もちろん個々のお店や住居は、各々個性的で独立した存在なのですが、
同一エリアに多く集まることで、その先に“まち”が見えてきました。
誤解を招くといけないので一応言っておくと、CAMP不動産は、
いわゆる従来的な“まちづくり“をしようとしているのではありません。
それでも“まち”が見えてきた、というのは、
あくまで、ひとつひとつ個別のリノベ案件について、
それがその場所で成立するための方策をあれこれ考えていると、
どうしても“まち”との関わりを無視できなくなるからなのです。
今回は、そんな個から地域への視点の広がりについてお話しできればと思います。

SHINKOJI(新小路)プロジェクトがスタート

不動産業を営む倉石さんと建築設計業を営む私が、
各事務所のスキルを横断的に生かしながら
リノベに関わる一連の事業について取り組んでみようと
「CAMP不動産」という活動を始めたのが2012年10月でした。
CAMP不動産として最初の物件は、vol.2で書いた藤田九衛門商店でしたが、
実はそれとほぼ時を同じくして構想を始めたプロジェクトがありました。

それが、SHINKOJI(新小路)プロジェクトです。

リノベ前の新小路。小路を挟んで両サイドに大きな倉庫が建ち並んでいます。

善光寺門前にある東町は、かつてとても人通りの多い問屋街でした。
新小路(しんこうじ)とは、その東町にある細い小路の名前です。
昭和10年頃には、洋食屋さんや鰻屋さん、中華料理屋さんに文房具屋さんなどが立ち並ぶ、
とても賑やかな小路だったそうです。

その後、昭和40年代に入り、新小路に建つお店は、
文房具卸し会社の本社や倉庫へと建替えられて一時代を築きました。
しかし、近年のインターネットなどによる流通構造の変化は、
まちなかの問屋街の様相を一変させました。新小路も例外ではありませんでした。
現在は、倉庫としてもほとんど機能していませんでした。

そんな状況下で、「SHINKOJIプロジェクト」は、
人通りの少なくなってしまった新小路に建つ、
計4棟の倉庫群をリノベーションするプロジェクトとして構想がスタートしたのです。

きっかけは地元不動産会社の相談から

時は遡り、CAMP不動産がSHINKOJIプロジェクトの構想を始める約2か月前。

地元不動産会社のリファーレ総合計画が、
この倉庫群の利活用を前提にした事業に着手したことが、
SHINKOJIプロジェクトのそもそもの始まりでした。

2012年9月。リファーレ総合計画の取締役である寺久保尚哉さんは、
まちなかにあるこの倉庫群を自社の事務所として利用しようと考えていました。
しかし、自身の不動産事務所として利用するだけでは建物が広すぎるため、
全体をどのように利活用していけばよいのか、いろいろな方に相談していたそうです。

その相談先のひとつに、CAMP不動産(株式会社マイルーム)があったのです。

この倉庫群には、古い建物にありがちな、完了検査を受けていなかったなど、
法的な問題点も数多くありましたが、
寺久保さんが、行政や建築士との協議を重ね、ひとつひとつ丁寧に解決し、
先ずは建物を“使える状態”にまでにしてくださったことが、
SHINKOJIプロジェクトがスタートを切る事ができた最大のきっかけにもなりました。

リノベーションをサポートする「リノベ基地」

リノベ前の新小路、北棟玄関。鉄骨造3階建ての事務所+倉庫でした。

2012年11月。以下、プロジェクトが始まった頃の、倉石さんのメールを紹介します。

「寒くなってきましたが、お元気ですか?
さて突然ですが、近々おもしろいプロジェクトが始まりそうなので、
お誘いのメールを送ります。
詳細は未定で、あえて名前を付ければ「リノベ基地」プロジェクトです。

まちなかの大きなビル倉庫群が借りられそうなので、
エリアごとリノベ基地にしてしまおうというものです。
放っておけば、いつものごとく壊されて駐車場になってしまいます。
建物は天井が高く、トラックも入る倉庫で、
そこでみんなの作業場にして、シェアしようというものです。
広いスペースでは、材料や道具がゆったり置け、もちろん加工もできます。
廃材や古家具もストックでき、職人さんが集まればオリジナル品もつくれます。
お客さんとのリノベプランが、現場さながらに進められます。
また、若者や熟練のスタッフがワイワイと集まり、
手がほしい現場ではテコになってくれます。
2階には、関連する道具屋、本屋、雑貨屋、めし屋、などがテナントとして入ります。
3階には、スタジオ、編集室を設け、
リノベやストックの物件情報とスタイルを発信していきます。
リノベに関連する事務所オフィスも入れます。
4階・屋上は、ゲストハウス的なものを設け、居住滞在も可能にします。
同じようなスペースを探している人たちを県内外から誘って、
シェアして使ってもらおうというものです。」

……CAMP不動産では、だいたい倉石さんのこんな妄想話から始まります(笑)。
補足説明すると、この時点で入居希望のテナントや入居者は誰ひとりとして決まっていません。
それでもよいのです。
リノベプロジェクトにおいて、ここで、ひとつのビジョンが提示されたことに
大きな意味があるのだと思います。

次は、私の番です。

喜久盛酒造仕込み蔵移転ファンド

廃業した仕込み蔵に再び灯る、復興という名の明かり。

10月、酒づくりのシーズンが到来し、今年で創業120年を数える老舗蔵が
新たなスタートを切ろうとしていた。岩手県北上市にある喜久盛酒造だ。

喜久盛酒造の酒蔵の外観。隣接する自宅や醤油蔵、倉庫なども含めて3000坪の敷地がある。高校生の頃からレスリングをやっていた藤村さんは、敷地内の空いている農作業小屋を改造して道場をつくり、震災前はよく格闘技愛好家に教えていた。

自宅と隣接する広大な酒蔵は、東日本大震災で半壊。
先代のときに操業を停止したという醤油蔵は、100年以上の歴史を持ち、
かつては映画のロケに使われたり、雑誌に取り上げられるほど趣きのある建物だったが、
屋根が崩落して全壊認定。現在も瓦礫は撤去されることなく、
あの日から時が止まったようにそのままのかたちで残っている。

「北上市は震度6だったのですが、私の代になってから
震度6の地震には、東日本大震災の前にすでに2回ほど遭っていました。
それでも2回とも酒蔵は無傷だったので、
古い建物は地震にも強いのだと思っていたのですが、
3.11は揺れている時間が長かったこともあり、
ケタ違いのダメージを受けてしまいました。
4月に起きた最大余震の影響も大きかったですね」
と、5代目蔵元の藤村卓也さんは当時を振り返る。

3.11から約1か月後に起きた最大余震で、大きく崩れ落ちた土塀。酒蔵は半壊してしまったものの、従業員とその年に仕込んだお酒は無事だったことが、何よりの救いだった。

地震の被害に加え、雪の重みでつぶれてしまった屋根。その下にあった冷蔵庫もつぶれてしまった。屋根裏は柱が傾いていて、とても危険な状態だ。

1990年代までは醤油の醸造も行っていた。全壊した醤油蔵は、映画のロケ地として貸し出したこともあるほど絵になる場所だったそうだが、震災で見る影もなくなっている。

酒蔵の修復に莫大な費用がかかることは、建築に無知な者でも容易に想像できた。
それでも北上市内の建築業者に修繕費用の見積もりを依頼すると、
金額ではなく、思いがけない答えが返ってきた。
「うちでは直せない」ときっぱり断られてしまったのだ。
100年以上前の建物であることに加え、
増改築を繰り返してかなり複雑な構造になっていたため、
近代建築を扱う一般的な業者には手に負えない、というのが理由だった。
その後さまざまなつてをたどって、古民家を専門に扱っている盛岡市の業者から、
ようやく見積もりを出してもらえることに。
しかし、その時点で震災からすでに丸2年以上の歳月が流れていたため、
修復に関する補助金の申請を行うことができず、
自分たちで捻出しなければいけない状況だった。

他県の復興支援団体が喜久盛酒造へ視察に訪れたとき、全壊した醤油蔵を見て、
解体費用を自治体から援助してもらえるのでは、とアドバイスしてくれた。
それを聞いた藤村さんは、古い酒蔵を直すのではなく、全壊した醤油蔵を取っ払って、
その場所に現在の出荷量に見合ったコンパクトな蔵を新築したほうが、
予算を安く抑えられるのではないかと考えた。
しかしながら自治体によって対応が異なり、
北上市からは解体費用を援助してもらえないことが判明。
半壊後、規模を縮小しながら営業を続けていた酒蔵を直すことしか、
道は残されていないように思えた。

藤村酒造店(現在の喜久盛酒造)の創業間もない頃の代表銘柄「凱旋」。日清戦争勝利に因んだネーミングで、時代がうかがえる。後ろに写っているのは、税務署に提出していた申告書。どんなお酒をつくっていたのかが詳細に記されている。

藤村酒造店時代の広告。戦時中に企業合併した北上・花巻の酒蔵は、戦後に分離。3代目だった祖父の藤村久喜(きゅうき)さんが、「久喜が逆立ちしても盛り上げる」という意味を込めて、社名を喜久盛酒造に変更した。

酒蔵に足を踏み入れると目に飛び込んでくる標語。祖父が蔵元だった頃は日本酒全盛の時代で、従業員を多数雇い、事業をかなり拡大させていた。

そんななか、隣の花巻市にある白雲の社長が亡くなり、
2014年3月に自主廃業したことを耳にする。
太平洋戦争中、喜久盛酒造の前身である藤村酒造店と白雲をはじめとする複数の蔵は、
同じ税務署管内の酒造メーカーとして企業合併していた時代もあった。
しかも喜久盛酒造と白雲は、市が違うといっても車でわずか5分の距離。
ご近所の蔵で、なおかつ国の政策とはいえ一時は同じ企業だったよしみもあったので、
藤村さんはご遺族に白雲の蔵を貸してもらえないかと
思いきって相談すると、ふたつ返事で承知してくれた。

白雲の社長は、酒蔵と隣接する自宅にひとりで暮らし、
酒づくりは基本的に杜氏とふたりで行っていた。
2013年の秋、まさにこれから酒づくりをしようという準備段階で
亡くなってしまったため、蔵もきれいで、醸造機械の類は年季が入っていたものの、
メンテナンスをすれば充分に使える状態だった。
さらに喜久盛酒造と比べてコンパクトな白雲の蔵は、
現在の出荷量を考えても作業しやすい手頃なサイズといえた。
修繕費用がかなりかかってしまうことを考えても、喜久盛酒造の蔵には手を加えず、
白雲に移転して酒づくりを続けるのが賢明だと藤村さんは判断した。

喜久盛酒造の広大な敷地内には4つの井戸があり、幸いなことに震災後も水質・水量は変わっていない。移転後は白雲の水を使うことになるが、水質はほとんど変わらないという。

移転先の白雲の仕込み蔵。社長は趣味人だったらしく、蔵にはステレオが置かれていたり、庭先には乗り古したバイクがあったり、自室には社長自ら描いた絵が無数に残されていたという。酒に関しても、自分のつくりたいものだけをとことんつくるような人だった。

さて、喜久盛酒造のつくる肝心の日本酒なのだが、これがかなりのインパクト。
現在一番の人気銘柄となっている「タクシードライバー」は、
藤村さんが代表になって間もない2005年に商品化したもの。
誕生したきっかけが、また面白い。
「知人の紹介で、『映画秘宝』という雑誌のアートディレクターをしている
高橋ヨシキさんと飲む機会があったんです。
お会いしてすぐに好きな映画の話になりまして、
自分はイタリアのグァルティエロ・ヤコペッティ監督の『世界残酷物語』という
ドキュメンタリーが、DVD-BOXを買うくらい好きなんです。
その話を真っ先にしたら、パッケージデザインをしたのがヨシキさんだった。
それで一気に意気投合して、映画の話で盛り上がりつつ、
これを機に新しい酒の銘柄を考えましょう、という話になりました。
バカ話をしながら、いくつか出てきたアイデアのなかで、
一番商品化しやすかったのが『タクシードライバー』だったんです」
その数日後には、高橋さんの手による
ラベルデザインの原型ができあがっていた。

高橋ヨシキさんがデザインした「タクシードライバー」のラベル。映画好きはもちろん、ミュージシャンなどにもファンが多いという。それにしても、すごいインパクト……!

「タクシードライバー」は藤村さんいわく、どっしりとしたタイプのお酒。
岩手のお酒は全般的に、さらりとした飲みやすいタイプが多いため、
県内の同業者には「岩手で一番濃い」と言われている。
「正直、地元の受けはそれほどよくないのですが、
大阪など濃い味の好まれるエリアでは、早い段階から結構飲まれているんです」

「タクシードライバー」は、震災後に東京の有名な地酒専門店に
取り上げられたのをきっかけにブレイク。
それまでは1年かけて売っていた在庫が3か月で完売して、
増産した翌年も3か月で早々に完売。
昨年度はさらに3倍の量を仕込んだものの8か月で完売して、
現在は今年の新酒を待つのみだ。

「これまでの蔵は、祖父の代にかなり事業を拡大して増築していたので、
壊れた部分とかろうじて使える部分がありました。
震災後も崩壊した部分はそのままにしておき、
比較的被害の少なかった部分でなんとか営業を続けてきました。
この3年間は、生産規模をかなり縮小せざるを得なかったため、
つくりたいものをなかなか満足につくることができませんでしたが、
こうして蔵を移ることで、ようやくやりたいことをできる状況にはなったと思います」

白雲の仕込み蔵。全体的にコンパクトなので、動線が短くて作業しやすく、少ない容量をたくさん仕込む現在の喜久盛酒造のスタイルに合っている。藤村さんはここで喜久盛のお酒だけでなく、「白雲」という銘柄も引き継ぐつもりだ。

この制御盤は、藤村さんの祖父の代に喜久盛酒造が白雲に譲ったものだとか。藤村さんは移転して初めてそのことを知ったのだが、ご近所の蔵だけに世代を超えてこうした付き合いがいくつもあるのだろう。

藤村さんの「やりたいこと」を実現すべく、
この秋から喜久盛酒造に頼もしい人物が新たに加わった。
杜氏の盛川泰敬さんだ。花巻出身の盛川さんは、
この業界に入って20年近く、他県の蔵で酒づくりをしてきた。
喜久盛酒造は、盛川さんにとって初めてとなる地元岩手の酒蔵だ。
「中学生のとき、『ドブロクをつくろう』という本に夢中になって
何十回も読み、酒づくりをしたいと思うようになりました。
お酒を飲むことも好きですが、世の中には自分に合う酒と合わない酒がある。
できるだけ合う酒を飲みたいと思ったら、自分でつくるのが一番ですし、
それができるのは杜氏だからこそですよね」

蔵元の藤村さん(左)と、杜氏として今年からともに酒づくりをする盛川さん(右)。白雲の蔵には、お酒をしぼる槽(ふね)という昔ながらの道具が残っている。機械でしぼるところが圧倒的に多くなっているなか、木槽の扱いは熟練した技術を必要とする。

盛川さんに合う酒、つまりつくりたい酒は、純米酒。
そして喜久盛酒造は、今年から県内初の全量純米蔵として再スタートを切る。
それが、藤村さんのやりたかったことだ。
「杜氏のつくりたい酒と、自分の求める方向性が、ようやく合致した感じです」

一度は明かりの消えてしまった蔵で、いままさに新たな仕込みが始まっているものの、
自治体から満足な復興支援が受けられなかったこともあり、
醸造機器類や酒米の購入費用、人権費用などは、まだまだ足りていないのが実情だ。
そこで藤村さんは、ミュージックセキュリティーズの
「被災地応援ファンド」を活用して醸造に必要な資金を募ることに。

「このファンドは被災した喜久盛酒造の復興と、
後継者が途絶えて自主廃業してしまった白雲さんの再生という二重の意味を持ちます。
かつては北上と花巻の両地域に十数軒の造り酒屋があったのですが、
震災前の時点で喜久盛と白雲、南部関の3つにまで減ってしまいました。
岩手は酒どころのイメージがあるかもしれませんが、造り酒屋だけでなく、
酒販店も後継者不足で廃業を迫られているところが増えています。
岩手の日本酒文化を絶やさないためにも、がんばってまいります」

========================================
●ミュージックセキュリティーズ株式会社では、喜久盛酒造が移転先で設備を整え、
本格的な生産態勢を整えるために必要な資金をファンドを通じて募集しています。

■投資家特典
1口につきタクシードライバー純米酒1本(720ml、約1,500円相当)をご送付。
3口以上お申込の方には焼酎古酒(*)(720ml、約6,000円相当)を追加ご送付。

*三代目蔵元 藤村久喜(現代表の祖父)が昭和50年代に焼酎の製造免許を取得し、自社製品の酒粕を蒸留してつくった米焼酎と甲類焼酎をブレンドした「甲乙混和焼酎」。焼酎製造免許は既に返上してしまったために今後はつくることができません。今回ご提供するのは30年以上熟成された喜久盛酒造がつくる最後の焼酎です。

ご送付例
・1口 「タクシードライバー」1本
・3口 「タクシードライバー」3本、焼酎古酒1本(720ml)
・5口 「タクシードライバー」5本、焼酎古酒1本(720ml)

company profile


map

喜久盛酒造株式会社

住所:岩手県北上市更木3-54
TEL:0197-66-2625
http://kikuzakari.jp/

Fund Information

ファンド名:

喜久盛酒造仕込み蔵移転ファンド

1口申込金額:

10,500円(出資金5,000円、寄付金5,000円、取扱手数 料500円)

募集総額:

1300万円

資金使途:

醸造機器等、車両等 600万円
酒米購入費 330万円
人件費 370万円

【おことわり】

喜久盛酒造株式会社および株式会社マガジンハウスは、「喜久盛酒造仕込み蔵移転ファンド」の募集・売出しの取扱い、売買、売買の媒介・取次ぎ・代理等を行うものでなく、また、それらに向けた勧誘を行うものでもありません。本ファンドへの出資申込取扱は、ミュージックセキュリティーズ株式会社(MS社、第二種金融商品取引業者関東財務局長[金商 第1791号])に委託しており、MS社の上記WEBサイトでの、会員登録および出資申込手続を行っていただきます。

なお、本ファンドは、以下の留意点、リスクがありますので上記の「ファンドの詳細・お申込みはこちら」をクリックしていただき、匿名組合契約書および匿名組合契約説明書をよくお読みのうえ、お申込みください。

・出資金1口5,000円あたり当社への取扱手数料500円、喜久盛酒造への応援金(寄付金)5,000円が必要となるほか、別途金融機関へのお振込手数料が必要となります。
・出資金が一切戻ってこない可能性、ファンド期間中途中解約を行えないなどのリスクがございます。

解体素材をフル活用 みんなで古民家リノベーション 「マスヤゲストハウス」後編 medicala vol.4

medicala vol.4

前編ではマスヤゲストハウスの解体までの様子や
古民家をリノベーションすることのメリットやデメリットについて書きました。
キョンの希望だった“暖かい”の部分をどのように実現していったのか?
後編では解体で出た材料をどのように加工して再利用していったのか?
ということなどに触れながら完成までの流れを追っていきたいと思います。

寒冷地・長野の暖房対策をしっかりと。

解体が終わると下地工事が始まります。
解体までは壊していくマイナスの作業。
そこから「つくる」というプラスの作業が始まる瞬間がなんとも気持ちよく、
今回は解体期間が長かった分「いよいよだな」という気持ちになりました。

最初の壁下地工事の様子。キョウちゃんは大工さんから下地のつくり方をこの時学びました。

下地工事と並行して始まるのが「断熱」の作業。
断熱をすると、外の温度が建物の内部に伝わりにくくなるので、
夏は外の熱を、冬は冷気を、断熱材が食い止めてくれます。
隙間だらけの古民家ですが、断熱をすることで夏は涼しく、冬は暖かい空間を目指します。
新しく下地を組み直す部分に断熱材を入れることは難しくありませんが、
問題は既存の部分にどう組み込むか。
もうすでに仕上げてある壁や床を剥がして断熱材をいれて元に戻す、
というわけにはいかないので、簡単にはいきません。
それでも、少しでも暖かくということで、
例えば廊下などは、床の下から断熱材を打ち付けました。

床下に潜って断熱材を固定するキョン。

もともと諏訪地域は標高が高く涼しい場所なので、
断熱をしっかりして、さらに風の通り道をきちんとつくることで、
エアコンなしでも快適な夏を過ごせる空間になりました。

そして、断熱とともに、暖かい!を実現する上で欠かせないのが暖房器具。
結論から言うと、マスヤゲストハウスでは
「ペチカストーブ」というロシア式の蓄熱型ストーブをつくりました。
寒い地方で暖房をどのようにとるかは大きな課題です。
灯油だけに頼ると、どうしてもランニングコストがかさんでしまいます。
マスヤでは、暖房についてかなりいろいろ考えたり調べたりしました。
薪ストーブ、ロケットストーブ、オンドルなどなど。
さらには薪ストーブとペチカの複合型など、
調べると本当にたくさん工夫が施されたストーブたちを見つけることができます。

暖房を考える時に日本の森林問題なども大きく関わってきます。
日本は国策として針葉樹(杉・ヒノキなど)を植樹しましたが、
その手入れ(間伐材など)が大きな問題になっています
(こちらがわかりやすいので興味がある方はどうぞ
KINO TOKYO TREE PRODUCTSのムービー「東京の木とやまのおはなし」

ストーブは木を燃料に熱をとる暖房器具ですが、
薪ストーブのなかには「広葉樹しか燃やせない(針葉樹が使えない)」ものも存在します。
針葉樹を燃やせるストーブにすることで
間伐材や製材所の端材などが安く手に入る可能性が増えて
ランニングコストも下げられるし日本の山のためにもいい!
そう考えました。

そういったいくつかの理由を考慮して採用したのがペチカストーブ。
ペチカストーブの良い部分は針葉樹も燃やせること、
蓄熱型なので薪を焚くのが1日2回でいいこと、大きな薪も使えること、
大きな空間を暖めることができること、メンテナンスがあまりいらないことなどがあります。
デザイン的にもレンガを使用するので赤レンガの塀のあるマスヤにぴったりです。
デメリットはロケットストーブなど二次燃焼機能のあるストーブに比べて
薪を大量に使うことでしょうか。
デメリットを考慮してもペチカストーブの持つメリットは
宿の運営に合いそうだったので今回はペチカストーブをつくることにしました。

がんばればDIYできるペチカストーブですが、今回はプロにお願いしました。
お願いしたのは下諏訪から車で1時間もかからない伊那にある、「有賀製材所」。
僕の知り合いがペチカを自宅に導入する時にも
この有賀さんにお願いしていたのを知り、下諏訪からも近かったのでお願いすることに。
ちなみに、名前の通り製材所もやっているので
マスヤのバーカウンターの木材は有賀製材所で購入しました。

ペチカ制作のために1000個以上のレンガが届き、みんなで運んでいます。

ペチカ施工の様子。職人の技にみんな関心しています。

完成し、左官屋さんと記念撮影。左下の白いレンガの部分が焚き口で、赤いレンガ全てが蓄熱して輻射熱で部屋全体を暖めます。

肝心の薪の調達問題ですが、
キョンの強運が発揮されて現在は格安で製材所の端材(針葉樹)薪を確保できています。

こうして、しっかりと暖かい!を達成できる空間にしました。

古材を生かし、床の張り方にもひと工夫

さて、温かい空間に向けて出来ることをやり終えたところで、仕上げの部分。
壁には左官を、床には解体した時に出た古材やフローリング材を張って仕上げていきます。

一番広い部屋であるリビング&バーの床は
①他の建物の解体現場からもらってきた古材、
②畳の下などに使われていた古材、
③床の間などに使われていた質の高い古材、
という3種類の古材を工夫して使うことにしました。

①の他の解体現場からもらってきた古材は、
カウンター周りの床に隙間無くぴったり張りました。
余談ですが、実はこの古材、現場の近くを車で走っていた友人が、
「あっちのほうに解体しているおうちがあったよ」と教えてくれて手に入ることになったもの。こういった現地でのつながりの中から不意に材料が手に入ったりするところも、
現地に住み込んで空間をつくる、楽しさのひとつです。

古材を釘で止めている様子。釘は「つぶし釘」を自作して頭が目立たないように。

完成したカウンターまわりの床。曲がっていた木材は曲がったまま張るなど方法にも遊び心を。

②の畳の下などに使われていた古材は、
隙間をあけて張って、その隙間に砂と漆喰と土を混ぜたものを詰めました。

古材だけ貼って漆喰用のマスキングをした状態。

古材は曲がったりしているもので、
それらをまっすぐに揃ったきれいな材にしようと思うと、
どうしても無駄な部分が多く出てしまいます。

秩父の森でカエデ樹液を味わう! 三十槌の氷柱、和メープル特別 限定料理を楽しむエコツアー

コロカルニュースでご紹介した、埼玉・秩父うまれのメープルシロップ
2月14日と28日(土)、その「和メープル」が味わえる、
「和メープルエコツアー in 秩父」が開催されます。
雪の残る秩父のカエデの森を、ガイド付きで散策し、
採れたてのカエデ樹液を味わうほか、
冬の秩父の観光名所、「三十槌の氷柱(みそつちのつらら)」を見学。
ランチは和メープル特別限定料理を楽しむという充実のツアーです。

メープルシロップを採取するカエデ

カエデの木に穴をあけたそばから、ポタポタと樹液が流れ落ちます。さらさらしたほんのり甘い栄養たっぷりの自然のミネラルウォーターのような感じ、なんだそう。

スタイリッシュなムービーでもご紹介

ツアーの参加料金は、ガイド料、昼食代、
おみやげ代など含んで1名様5,000円。
宿泊ご希望の方は別料金でアレンジ可能なのだそう。
お申し込み・問い合わせは下記まで。

■和メープルエコツアー in 秩父
問い合わせ:NPO法人 秩父百年の森 担当:井原(tapandsap@gmail.com)
詳細:pdf資料
ちちぶメープル

20年の節目に、神戸市が震災の写真をオープンデータで公開。「阪神・淡路大震災『1.17の記録』」

今日2015年1月17日は、「阪神・淡路大震災」発生から20年の節目の日。
戦後最大の都市型災害と言われたこの大災害の記録を後世にも残すべく、
さまざまなプロジェクトが行われています。
神戸市は市が所有する阪神・淡路大震災の記録写真、約1,000枚を
オープンデータとして提供するWebサイト「阪神・淡路大震災『1.17の記録』
を公開しました。
写真は「クリエイティブ・コモンズ・ライセンス」という
著作権に関する新しい仕組みで提供されており、
無料で閲覧、ダウンロードが可能。
二次利用もOKなんです(一部ダウンロード不可のものもあります)。
震災の発災直後から復旧・復興の様子まで、写真を通して
生々しく伝わってくる貴重な資料です。

撮影場所:長田区二葉町6丁目 撮影日:1996年1月17日

撮影場所;東灘区魚崎西町1丁目「菊正宗酒造記念館」 撮影日:1995年1月20日

ほか、気象庁では「阪神・淡路大震災から20年」特設サイトを設置。
そしてYahoo! JAPANでは、写真や映像、阪神・淡路大震災に関する統計データを
組み合わせた特集サイトが公開されました。
このサイトでは、当時の被害状況や有事の際に取るべき行動などの情報を、
「インフォグラフィックス」(データを視覚的に表現したグラフィック)
を用いて視覚的にわかりやすく伝えています。
特集ページは2015年2月13日(金)まで公開されています。
震災の経験や教訓を継承するためのWebサイト、ぜひご覧になってみてください。

・神戸市「阪神・淡路大震災『1.17の記録』」
Yahoo! JAPAN特集ページ「阪神・淡路大震災から20年」

パフォーマーとともに 更新されていく、 空間の使い方。 HAGI STUDIO vol.5

HAGI STUDIO vol.5
劇場の機能も織り込み、広がる空間と表現の可能性

みなさんこんにちは!
vol.1vol.2vol.3vol.4に続き、
東京谷中の最小文化複合施設「HAGISO」について書いていきます。

普段のカフェやギャラリーの営業とともに、
HAGISOでは、いくつかの通年プロジェクトが同時に進行しています。
そのなかのひとつがパフォーマンスプロジェクト「居間theater」です。

居間theaterは俳優・演出家の稲継美保を中心としたプロジェクトユニットで、
主要メンバー(東彩織・牧野まりか・宮武亜季・山崎朋)と、
プロジェクトごとのゲストパフォーマーによって構成されています。
HAGISOにおいて、年間を通じた「レジデントパフォーマンスプロジェクト」として
コンテンポラリーダンスを中心に活動しています。

居間theaterのメンバー(左より山崎朋・東彩織・稲継美保・牧野まりか・宮武亜季)。

HAGISOとの最初の出会いは、稲継・山崎が工事中のHAGISOに訪れた時でした。
まだ骨格しかないHAGISOの空間を見ながら、ここで何ができるのかを一緒に考えました。

実はHAGISOの設計段階の初期から、劇場仕様で使うことは織り込み済みでした。
柱梁の多い木造ですが、それらを劇場仕様の場合は
テクニカルな照明や音響機材を取り付けることができるように利用しています。
吹き抜けに半間分バルコニーとして床を残しておいたのも、
天井桟敷席として上からもステージを楽しめるようにするためでした。

しかし、ダンサーや振付家は、得てしてこちらで想定した使い方だけではない、
新しい場所の解釈をしてくれることがよくあります。
HAGISOの場や空間の価値を更新していくためにも、
彼らと継続的な活動をしていくことにしたのです。

劇場仕様の断面図。吹き抜けのバルコニーは天井桟敷席として使用できる。

劇場仕様の例「幽霊の技法」振付・出演 京極朋彦 出演:伊東歌織(photo by bozzo)

まず彼女たちが最初に興味をもったのは、ここがカフェをもった場所であるということ。
通常身体パフォーマンスは大小の劇場で行われます。
「舞台-客席」もしくは「演者-観客」の確固とした関係がつくられた場所で、
複数公演を前提に「わざわざ観に来た人」を観客として迎えます。
この場所で同じようなことを行おうとすると、さまざまな制約が生まれます。
まず通常の営業がありますので、長期間の連続公演は難しい。
また、カフェ営業をクローズして貸切にしなければならないので、
その分の機会損益を補わなければならない。
公演形式を続けていくのはそもそも矛盾します。

単発のイベントであれば自分たちが持っているネタを披露するということでお茶を濁せますが、
年間を通して行っていくとなると、持続性がありません。
しかし、彼女たちはこのような制約のある環境でパフォーマンスを行うことに
むしろ面白みを感じてくれました。自分たちの形式を場所に求めるのではなく、
場所の特性や形式から活動を見出していく方向に発想を転換したのです。

居間theater キックオフパーティー。HAGISOの中を十数人のパフォーマーが縦横無尽に駆け巡る。お客さんは好きな場所を探してその様子を見ています。(photo by Kazuo Yoshida)

“居間 theater”というプロジェクト名には、
日常的な空間としての「居間」と、非日常空間である「劇場」が組み込まれています。
演劇やパフォーマンスを見るのに効果的な場所として発展してきた劇場という空間が、
いつの間にか目的化してしまい、劇場のための作品となってしまっているのに対し、
もっと生活や日常から連続した活動を行いたいという意志によるものです。

展示作家とのコラボレーション

まず、はじめに彼女たちが行ったのは、
HAGISOで毎月行われる展示の作家とのコラボレーションでした。
彼女たちはコラボレーションの際、まず相手のことを徹底的に理解しようとします。
一旦相手の形式にのっとって、自分たちの表現をすることで、
さらなる表現の可能性を拡張することを試みています。

居間theater vol.1。展示中のアーティスト福津宣人とのコラボレーション。

居間theater vol.2。Pinpin Coとの共演。ダンサーの体を撮影し、リアルタイムで投影した壁面にドローイングしていく。

はじめはコラボレーションの対象はアーティストという「人」でしたが、
次第にその対象はHAGISOで行われる企画自体(こども文庫など)や、
空間自体へと発展していきます。そして次に彼女たちが選んだのは「カフェ」でした。

HAGISOで定期開催している「やなかこども文庫」とのコラボレーション。

パフォーマンスカフェ

カフェのあるHAGISOでの居間 theaterのあり方として、
ある意味究極の答えとして、「パフォーマンスカフェ」が生まれました。
これは、イベントが行われる期間中、
カフェのメニューに「パフォーマンスメニュー」が追加されるというものです。
フードやドリンクのメニューと並んで3分間のパフォーマンスを200〜300円で提供。
お客さんはカフェのウエイターにコーヒーとともにこれを注文し、
しばらくするとおもむろにパフォーマーがやってきて
パフォーマンスを行ってくれるというものです。

突然ダンサーが客席で踊り出す。

パフォーマンスの内容は、ダンス、音楽の演奏、詩の朗読、
写真家によるポートレート撮影など多岐に渡ります。
内容は選べないものの、「ひとりじめ」「おすそわけ」「窓の外」と、
パフォーマーとの距離を3種類の中から選ぶことができます。
パフォーマンスが始まると、注文したお客さんはまだしも、周りのお客さんはかなり驚きます。
しかし、一度見てしまうことで、次々と注文が入り、カフェの客席は混沌としてきます。
ジュークボックスのように不思議な一体感が生まれ、中には何回もおかわりする人も。
パフォーマーたちは控え室でドキドキしながら出番を待っていますw
特別にVIP ROOM(1000円)も用意され、ここでは10分間、
密室でパフォーマンスを楽しむことができます。
劇場で多くの人と一緒に見るのと比べると、すごく贅沢な体験で、
僕も毎回注文してしまいます。

劇場型や、予約制のパフォーマンスイベントと違い、
この形式はパフォーマーとお客さんの偶然の出会いがかなり大きな要素となっています。
お茶目的でカフェに訪れたお客さんとの楽しいながらも緊張感のある予期せぬ出会いは、
演ずること、パフォーマンスすることとは何なのかという初源的な衝動を感じさせます。
本企画、実施には日本大学の佐藤慎也研究室にご協力いただき、
さまざまな面でサポートいただきました。

「居間 theater Documentary Films(2013-2014)

年間を通してささやかな公演を行う居間theaterの活動は、
偶然の出会いという要素が強く、濃密な体験をもたらしていますが、
一方でかなり限られた人しか実際にその場に居合わせることはできません。
そうした活動のアーカイブとして、なんと活動1年目にして二本の映画ができてしまいました。
「居間 theater Documentary Films (2013-2014)」という、
2人の映像作家が違った個性で一年間記録、製作したドキュメンタリーフィルムです。

ひとつは有川滋男氏による「IMA THEATER」です。
こちらはHAGISOという場所それ自体と、
その上で居間 theater が行ってきたパフォーマンスのイメージや質感にフォーカスし、
HAGISOを舞台にした別の物語のような作品に仕上げています。

もうひとつは、みかなぎともこによる「Trace of a performing」です。
こちらは、パフォーマンスまでの制作過程や、
そこに至るまでの思考・興味を詳細にインタビューし、
実際のイベントの記録と合わせてドキュメンタリータッチで描いています。

どちらの作品も一年間の活動がぎゅっと凝縮された、素晴らしいものになりました。
HAGISOでも度々上映会を催しています。
映画製作の費用に関しては、台東区芸術文化支援制度を利用しました。

音を奏でて、気軽に楽しむ音楽を

もうひとつの通年プロジェクトとして行っているのが、「谷中音楽室」です。
谷中音楽室とは、その名のとおり音楽イベントで、
HAGISOのギャラリー部分をステージ、
カフェ部分を客席として不定期にコンサートを行っています。
この企画をプロデュースしているのは石田多朗という作曲家で、
HAGISOが萩荘だった時代から、よく飲みに来ていた友人です。
彼は谷中音楽室では必ず何組かのミュージシャンを組み合わせることに重きを置いています。
普段は出会わないような組み合わせをあえて選び、
ミュージシャン同士、もしくはお客さんとのあらたな出会いを生もうとしています。
谷中音楽室をきっかけに、その後も共演するようになったミュージシャンの方もいるようです。

HAGISOでイベントを行う意義

2014年のHAGISOまとめを見ると、
昨年は年間50以上の展示やイベントがあったことになります。
なぜこんなにイベントを行っているのでしょうw
収益面だけを考えると、正直通常の営業をしていたほうが安定しています。
これには、文化を日常の延長線上で育む環境を作りたいという点に尽きます。
文化は何か高尚なものをありがたがって見るというものではなく、
そこに住む人々の生活・風俗と地続きで生まれてくるものだと思います。
パフォーマンスカフェや、クリスマスイベントなどでも
近所の常連の方が来てくれるようになってきて、
そうした環境が生まれ始めているのを感じています。
HAGISOは、ダンスや音楽という文化に未だどことなくあるぎこちなさを、
生活の延長線上で生まれてくるものにすることで取り払っていきたいと思っています。

というところで次回は最終回、HAGISOの今後について考えていきたいと思います!

石垣島 Creative Flag クリエイティブフラッグ

沖縄県の八重山諸島にある石垣島にて、
島の創造力(Creative)に旗(Flag)を立て、
国内外に発信するプロジェクト「石垣島 Creative Flag」がはじまっている。
これは、石垣市の主催で2013年の秋からスタートした、
島のデザイナーやイラストレーター、カメラマン、編集者などを集め、
クリエイティブの力で島を盛り上げていこうという取り組みだ。

そして2014年の秋、同プロジェクトにて新しいスクールが開講した。
その名も「石垣島Creative Labo」。
このラボでは、国内外で活躍するクリエイターを招き、
島のクリエイターを実践的にバックアップする
ワークショップなどを行っていくという。
石垣島には、どんなクリエイターたちがいるのだろう?
2014年12月、銀河ライター/東北芸術工科大学客員教授の河尻亨一さん、
「まちづクリエイティブ」の寺井元一さん、
小田雄太さんが講師をつとめるワークショップの現場を訪ねた。

石垣島の自然と現役クリエイターが先生!「石垣島Creative Labo」

2013年3月に新しく開港した「南ぬ島 石垣空港」空港に着くと、
なんと現地は冬でも暖かだ。
道端にはハイビスカスが咲き、あちこちにガジュマルやヤシの木も生えている。
沖縄本島の南西約400kmに位置する石垣島は、熱帯の島なのだ。

ワークショップ会場は、商店街の真ん中にある「まちなか交流館 ゆんたく家」。
会場には石垣市企画政策課の宮良賢哉さん、
タウンマネージメント石垣の西村亮一さん、
離島経済新聞の鯨本あつこさん、小山田サトルさん、多和田真也さんら、
このプロジェクトの立ち上げ時から支えてきたメンバーの皆さんが揃っていた。

まずは石垣市企画政策課の宮良さんに
このプロジェクトを立ち上げた経緯についてお話を聞いた。

石垣市企画政策課の宮良賢哉さん。音楽が好きで、DJ マルセイユという名前でDJとしても活動しているそう。

宮良「僕自身、もともと音楽が好きで、2009年から
『トロピカルラバース・ビーチフェスタ』という音楽フェスを開催してきました。
会場はフサキリゾートビレッジという所なのですが、
素晴らしいロケーションも手伝って、毎年たくさんの方に来ていただいています。
石垣島にはミュージシャンも多いですし、
音楽の活動はわりと知られているんですよね。
でもじつは石垣島には、音楽以外のクリエイターもたくさんいるんです。
そういう人たちにもっと活躍してもらいたい、
この島に仕事をつくっていこう——ということで始まったのがこのプロジェクトです。
今年の1月に開催した『クリエイティブセッション』を皮切りに、
石垣島にゆかりのあるクリエイター35組を選出し、
彼らを紹介するウェブや冊子の制作、渋谷ヒカリエ内『aiiima』でのPRイベント、
展示会『rooms』、『TAIWAN DESIGN EXPO』への出展などを行ってきました。
そうやってここ1年、僕たちも手探りで色々なことを試してきた中で、
より確実にクリエイティブを仕事につなげ、仕事を定着させていくためには、
もっと実践的にクリエイターを育てていく場が必要だと思いました。
そうして今年の秋からスタートしたのが『石垣島Creative Labo』です」

さまざまなジャンル、さまざまな立場のクリエイターが一緒に学べる場

ワークショップの時間になると、参加クリエイターたちが集まって来た。
参加者は駆け出しのアーティストから、
既にバリバリ仕事をこなしているデザイナーやプログラマーまでと、さまざまだ。
このスクールではゲストの話を聞くだけではなく、
この場に集う人たちのアイデアを融合させ、
何かを生み出すことを目的としているので、
さまざまな立場のクリエイターが一緒に学べるのだ。
この日は、河尻亨一さんによるワークショップの日。

銀河ライター/東北芸工大客員教授の河尻亨一さん。編集執筆のほか、イベントや戦略立案、PRコンテンツの企画・制作・アドバイスなども行っている。

前半は河尻さんが「地域で活かせる先端広告のクリエイティブ」というテーマでレクチャー。
世界最大の広告祭「Cannes Lions」の受賞作を集めた動画集
Cannes Lions 2014 Best 100 の中からセレクトした映像を見せながら、
「クリエイティブを企画に結びつけていくにはどうしたらいいのか」
という課題を投げかけた。

後半は、参加者の悩みをヒアリング。
河尻さんが「ここまでは講義スタイルでお話しましたが、
後半は皆さんにインタビューしてみたいですね。
私はインタビュアーでもあり、
かなりたくさんのクリエイターに取材していますから、
皆さんが“そんなに価値がない”と思っている言葉の中から、
宝石を見つけ出すこともできるかもしれません」と語りかけると、
「ものづくりの作業量と対価が見合わない」、
「制作をしているとひきこもりになりがち」などの意見が出てきた。
ひとり、ふたりと悩みを語ると、どんどん意見が出てくる。
「石垣島を“クリエイターがこもれる島”としてPRすれば」などといった
ユニークな意見も飛び出した。

最後に河尻さんが「自分たちの持っている資産や悩みをプロデュースし、
そこから解決方法や企画を立ち上げていくことが大事。
この地理的環境を生かし、“アジア視座”をもって、
アジアのクリエイターのハブとして打ち出してみては」と語り、
この日のワークショップは終了。
参加者の本音を引き出し、解決に導く
河尻さんのプロデュース力を目の当たりにしたことも学びになった。

翌日のスピーカーは、コロカルの「リノベのすすめ」にもご登場いただいた
千葉県松戸市のまちづくりプロジェクト「MAD City」の
株式会社まちづクリエイティブ代表取締役 寺井元一さん、
アートディレクターの小田雄太さん。
“クリエイティブな自治区”をつくるために寺井さんが進めてきたプロジェクトの話から、
小田さんによる「デザインからはじまるまちづくり」についてレクチャーが行われた。

まちづクリエイティブの寺井元一さん(左)、アートディレクターの小田雄太さん(右)。

寺井「『MAD City』は、息苦しいまちなんか抜け出して、どこかのまちをのっとり、
ルールづくりからはじめてクリエイティブなまちをつくろう——ということで
スタートしたプロジェクト。まずはじめに『MAD City』という名前を決め、
小田君に依頼してロゴをつくり、
クリエイターが集まるようなまちづくり・コミュニティづくりからはじめました。
でも、僕はお金を出してアーティストを誘致するのは間違っていると思う。
そんなことをしても中途半端なアーティストしか集まらない。
それより“やれるもんならやってみろ”ぐらいの勢いでやっていきたい。
そうしていい緊張関係を築いていかないと、
可能性のあるアーティストは来てくれないと思うんです」

そう語る寺井さんがプロジェクト立ち上げ後、
すぐに着手したのが不動産事業だった。
これは、お金はなくてもアイデアがあるクリエイターを中心に
改装可能・原状回復不要な住宅やアトリエ、店舗を提供するというもの。
現在では多数のアーティストがこの物件に暮らし、
居住者からは「MAD Cityにおける何よりの魅力はコミュニティ」
という声も聞こえてきている。
歯に衣着せぬ寺井さんの話、クリエイターの皆さんには
かなり刺激になったのではないだろうか。
まちづクリエイティブの取り組みはリノベのすすめでも紹介している。

石垣島クリエイターの仕事場

「石垣島Creative Flag」には、さまざまなジャンルのクリエイターが参加している。
今回の旅では、彼らのアトリエや工房も訪ねた。

■大浜 豪さん(藍染め)

島藍農園の大浜豪さん。オリジナルブランド「shimaai」のストールは八重山藍のブルー、フクギ(福木)のオレンジがテーマカラー。

石垣市出身の大浜さんが営む「島藍農園」は、平原の中にある小さな農園だ。
こちらでは、植物の栽培から加工、染色、商品開発まで、一貫して手づくりで行っている。
およそ小学校の校庭ぐらいの敷地の中に、畑から藍色素を抽出するための加工所、
工房、販売所、番犬と猫の家まで、すべてがここにある。

藍染めの原料には、古くから八重山諸島だけで用いられてきた
「南蛮駒繋(ナンバンコマツナギ)」という植物を使用。
大浜さんはこの植物から生まれた藍の色に魅せられ、
2003年に農園を設立し、土づくりからはじめた。
この農園ではすべての工程を化学肥料や除草剤、薬品類を使用せずに行っている。

南蛮駒繋(ナンバンコマツナギ)

また大浜さんは、商業目的で自然に生えている植物を採り、
草木染めに使用することにも抵抗があるという。
理由は「もしその商品がヒットしてしまったら、
自然に生えている植物を乱獲することになってしまうから」。
大浜さんが研究を重ねて生み出した制作工程は、
この土地から生まれた材料にこだわり、
土地に還すところまでを考えた、島への愛の賜物なのである。
この農園から生まれた藍色と、フクギ(福木)という木の皮からとれた
橙のストライプは、オリジナルブランド「shimaai」の定番デザインになっている。

■池城安武さん(シルクスクリーン/グラフィック)

アーティストの池城安武さん。着用しているTシャツは八重山の伝統的な模様をモチーフにしている。

自宅を改造し、12月に初の路面店をオープンしたばかりの池城さん。
八重山諸島の文化や動植物、沖縄の詩人・山之口貘さんを
モチーフにしたTシャツや、シルクスクリーン版画、グラフィックなどを制作している。
石垣島で育ち、琉球大学法文学部を卒業後はロンドンへ留学。
世界各国を旅して沖縄に戻ってきたという池城さんだが、
その言葉から、作品から、八重山の詩情があふれてくるようだ。

たとえばオリジナルTシャツ「カフヌキィン」は、
沖縄・八重山の言葉で幸せを意味する「カフ」と
着物を意味する「キィン」をかけあわせた言葉。
「あなたにたくさんの幸せが訪れますように」という想いがこめられた服だ。
八重山の伝統的な模様をモチーフにしたTシャツや、
池城さんが描いた文様がとてもかわいい。
河尻さんも、山羊をモチーフにしたTシャツをお買い上げされていた。

■十河 学さん(映像/写真/プログラミング)

プログラマーの十河学さん。プログラミングを駆使したものづくりからスペースの企画までこなす、オープンソースな精神の持ち主。自宅を宿として貸し出すAirbnbも行っている。

広島県出身で2012年より石垣島に移住し、
現在は島の自然からインスピレーションを受け、映像、写真、アプリ制作、
サイト運営、ファブリケーションスペースのプロデュースなど、
あらゆるもの・ことを手がけている十河さん。
インターネットさえあれば、どこでも仕事ができてしまうというのが強みだ。
都会の喧噪から離れ、仕事に集中できるいまの環境は快適なよう。
スペースを訪れて驚いたのは、小型飛行ロボット「ドローン」が何機もあったこと。
十河さんは「ドローン」をつくるワークショップなど、
さまざまなデジタルファブリケーションのワークショップを企画している。

また現在は、「iBeacon」というタブレット端末向けのサービスを
石垣島に導入するため、システムを開発中だ。
もはやインターネットやデジタルファブリケーションは島の生活に欠かせないもの。
活躍の場は、まだまだ広がっていきそうだ。

■Maki UEDA(香り)

匂いのアートの第一人者、Maki UEDAさん。さまざまな匂いを香水やワークショップなどのかたちで体験させてくれる。

最後にご紹介するのは、香りのアーティスト、Maki UEDAさん。
食べ物や香辛料、体臭など、あらゆる素材から匂いを抽出して香水化し、
その香りをインスタレーションやワークショップなどのかたちで発表している。
UEDAさんは東京に生まれ育ち、大学卒業後はオランダに移住。
「匂いのアート」の第一人者として、
オランダの王立美術学校&音楽院などで教鞭をとってきた。

現在は石垣島を拠点に活動を展開しているUEDAさん。
石垣は匂いの資源が豊富で、素材にはことかかないという。
アトリエで石垣の土からとれた匂いを嗅がせてもらうと、
香水のように甘く、強い香りにびっくりさせられた。

石垣島 Creative Flagのこれから

参加クリエイターたちは、
このプロジェクトが主催するイベントで作品発表を行ったり、
ワークショップの講師をつとめたりしている。
イベントを訪れれば、彼らの作品や言葉から、
石垣島の魅力にふれられる。
そういったクリエイターたちの放つ魅力こそ、
このプロジェクトの大きな資産なのかもしれない。
今後は、企画や運営にも参加し、アーティストと石垣市が
一緒になってこのプロジェクトを盛り上げていくとのこと。
すでに新しいプロジェクトも進行中だそうだ。

今回のラボに参加して印象に残ったのは、
石垣島では昔から日本とアジアの玄関口として、
さまざまな地域の人が訪れ、独特な文化やコミュニティが育まれてきたという話。
沖縄には「いちゃりば ちょーでー」(一期一会、一度会ったら皆兄弟という意味)
という言葉がある。
そんな精神とクリエイティブが融合したら、おもしろいことが起こりそうだ。
これからここでどんなクリエイティブが育まれていくのか、
今からとても楽しみだ。

「京都ペレット」100%京都産、地産地消のクリーンエネルギー。杉・ひのき間伐材を使用

京都生まれの木質エネルギー「京都ペレット」って
ご存知ですか?
京都市内の杉やひのきの間伐材を使った
100%京都産の次世代燃料。
京都市右京区の「森の力京都株式会社」が手がけるプロダクトです。
ペレットストーブやペレットボイラーの燃料として、
京都市内のあちこちで利用が広がっています。

そもそもペレットとは「小さい固まり」という意味。
木質ペレットは、木の粉を円筒状に圧縮形成した燃料で、
1970年代、アメリカのオレゴン州で誕生しました。
近年、自然エネルギーへの関心が高まるなかで、
木質ペレットは世界的に注目が高まっています。
なんといっても、再生可能な資源で作られた、環境にやさしいクリーンエネルギー。
着火性に優れ、取り扱いが容易なうえにチップやのこ屑を燃やすよりも
発熱量が大きい、などがその理由だそう。
木質ペレットを燃料とした専用のストーブやボイラー、グリルなどで
使うことができます。

これが木質ペレット。原料は100%京北町の山の木。間伐材や商品価値の低い木を有効利用しています。

木質ペレットのストーブ

材料となる木材。近くの山から木を伐り出してきて枝葉を落とし、丸太のまま約1年間乾燥させます。

「京都ペレット」製作過程

普通、木質ペレットの材料は、製材所の廃材を使います。
生木では水分などを除くのに労力がかかるからです。
しかし山林地域に仕事を生みだすために、「京都ペレット」では
生木を切り出し、丸太のまま約1年間乾燥させるという手間ひまをかけています。
原料も生産現場も見て知ることができる
地産地消のエネルギーというのはいいですね。
森の力京都株式会社さんでは工場見学も歓迎しているとのことなので、
ご興味のある方はぜひ訪ねてみてはいかがでしょうか。

森の力京都株式会社「京都ペレット」

「こでられね~秋田大集合2015」開催。なまはげ太鼓、納豆汁、かまくら、秋田をまるごと体感!

伝統からご当地グルメ・かまくらなど、
秋田をまるごと体感できる「こでられね~秋田大集合2015」が
1月10日(土)~12日(月・祝)の3日間開催されます!
今年で11年目になる人気の当イベント、
会場は海、島、生きものの魅力を楽しめる日本最大級の
水族館『横浜・八景島シーパラダイス』。

アクアミュージアム前広場を使って
秋田県男鹿市からやってきたなまはげによる迫力満点の「なまはげ太鼓」実演や、
横手市から運ばれた本物の雪山に、職人によってつくられる「かまくら」体験。
また、「横手やきそば」「きりたんぽ」「いぶりがっこ」「よこまき」や
産地直送のりんごや地酒などなど、
秋田県ならではのご当地グルメが楽しめます。

実際に横手市から約30トンの雪を運び込み、本場の職人がつくるかまくらで雪ん子に変身。雪山でそりすべりなどの雪遊びも!

福神漬けと半熟卵がうれしい横手焼きそば。ほか大曲の「納豆汁」や、つきたてのお餅ぶるまいも大人気。毎日限定1000人まで甘酒サービスもあり。

遠目でも見えるように大きくつくられた豪華な頭飾り「ぼんでん」も体験できます

また、ふれあいラグーンでは
シロイルカとオタリア(アシカの仲間)と「なまはげ」がコラボ。
「なまはげ」の台詞「泣く子はいねーが!」に合わせて
シロイルカとオタリアが鳴く姿が披露されます。
シロイルカの鳴き声とともに「なまはげ」の厄払いを受け、
今年一年の無病息災を祈願してみては。

「泣く子はイル~カ?」

ちなみにイベント名にある「こでられね」は
秋田の方言で「これ以上ない、たまらない!」という意味。
てんこもりの「秋田の冬」をぜひ体験してみてください!

「こでられね~秋田大集合2015」
期 間 : 1月10日(土)   10:00~17:00
        11日(日)   10:00~18:00
        12日(祝・月) 10:00~16:00
場 所 : アクアミュージアム前広場
主 催 : 秋田雪まつり実行委員会
      [横手市・男鹿市・大仙市・秋田県「食」のネットワーク協議会・
      みちのく五大雪まつり協議会・(株)横浜八景島]
共 催 : (一社)秋田県観光連盟
後 援 : 秋田県・横浜市金沢区 (順不同)

【なまはげ太鼓】
時 間 : 1月10日(土)  ①12:00 ②14:00
        11日(日)  ①12:00 ②14:00 ③17:40
        12日(祝・月)①12:00 ②14:00

【イルカたちとなまはげのコラボ】
期  間 : 1月10日(土)~1月12日(月・祝)
場  所 : ふれあいラグーン
時  間 : 15:00~

どどーんと大仙市

被災地・石巻の漁村で大学生が聞き書きする「コトバのたびプロジェクト」参加者募集

日本全国の高校生が森や海・川の名手・名人を訪ね、
知恵や技術、人生そのものを「聞き書き」するプロジェクト
聞き書き甲子園」。

その大学生版のイベント「コトバのたび」が開催されます。
これは聞き書きした文章を、話し手やそのご家族ご友人の前で
朗読会を開いて共有するプロジェクト。
このたび、第二回が2015年1月末から3月にかけて
宮城県石巻市で開催されることになり、現在参加者を募集しています。
テーマは「聞き書き・朗読を通じた漁村のコミュニティ再建!」

プロジェクトでは、石巻の漁師さんのお宅で住み込みボランティアを
しながら、夜の空いた時間などを利用して震災前後や当時のことについて
インタビューを行います。
帰京後は、録音したインタビュー内容を文字に書き起こし編集作業。
作品が仕上がったら被災地に戻り、地域の方々を対象に朗読会を行うのです。

新潟県村上市高根集落の遠山可冬さん

こちらは、第一回、新潟県村上市高根集落の遠山可冬さんに
東京の大学生が聞き書きしたお話です。

『高根ってとこはもっと大きな考え方で進まねえといつまでたっても同じじゃねえかなと思う。冬の半年間はなにもできねえ、野菜も作れねえし、窮々として冬に追っかけられている。屋根の雪は三回も落とさねばならねえ。それの辛抱もせねばならん。本当に今日も雪、明日も雪っていうと、ここの人でさえ家ば出てってかねえんだよ。
だすけ、地についた高根に根っこの生えたもんがねえと容易でねえでねかとおれは思っているよ。村に存在するものがあると高根は長続きすると思う。おれがちょっと考えたのは雪の貯蔵庫をこしらえて、例えば日本酒とか米とか野菜とか保管するところを作って、お盆は小さいスキー場を作って人を呼ぶんだ。雪のねえ時に雪を利用するんだ。
どんなもんだね?おめえたち高根来て何があると良い?』
(2013年コトバのたびプロジェクト作品より)

80歳をこえる遠山さんは、出稼ぎ時代や
戦争時代の話からこれからの話までじっくり話してくださいました。
80歳をこえた方が集落の明確な未来へのビジョンを持っていることを
誰が知っているでしょうか。聞き書きを通じて、住民の人生と価値観を学生が受け取り、
朗読によって、コミュニティにお話を返していくプロジェクトです。
応募の詳細に関しては下記Webサイトを。

・「コトバのたびプロジェクト

デザイン事例集『地域の魅力を伝えるデザイン』。効果的にローカルの情報を発信するツールづくり

BNN出版から、書籍「地域の魅力を伝えるデザイン」が発売されました。
これは、地方で発行された、魅力的なデザインの紙メディアを紹介する
デザイン事例集。
「飛騨」(岐阜県)、「鶴と亀」(長野県)、「Judd.」(鹿児島県)、
「雲のうえ」(福岡県)、「おきなわいちば」(沖縄県)、
「暖暖松山」(愛媛県)、「SOCIAL TOWER PAPER」(愛知県)
などなど、趣向を凝らして作られた
地域広報誌、フリーペーパー、ミニコミ誌、観光情報誌、
フライヤー、マップなどの紙メディアが並びます。

人口の流出、地域高齢化、文化の衰退、伝統ある街並の画一的な開発など、
各地域で抱える問題はさまざま。
ですが、残すべきものを残し、大切なものを未来へと繋げていくためには
どうすればいいのか?優れたデザインを用いて、確実に“伝わる力"を持った
グラフィック事例を約60点紹介しています。
デザインだけでなく、「どうしてこのメディアを作ったのか、
またどうやって作ったのか」という作りての思いやスタッフリストも掲載。

通常、デザイン事例集はターゲットをグラフィックデザイナー
だけに絞るのですが、この本では地域を盛り上げたいと思っている人、
また、そのためにメディアを作りたい人のために情報を詰め込みました。
「文化の発信や歴史の継承」、「観光情報」、
「魅力の再発見」、「地域ブランディング」のジャンルごとに
分かれているので、伝えたい情報別に閲覧できます。

福島市発の小冊子「板木(バンギ)」

岡山県津山市阿波地区の住民たちによる村づくりプロジェクト「あば村宣言」

熱海市と旅行会社による観光プロモーション「意外と熱海」

デザイン・クリエイティブセンター神戸のPRツール「KIITO」

また、実際にローカルのひとの想いをかたちにする
デザイナーへのインタビュー記事も掲載。
大阪で活動する「UMA / design farm + MUESUM」、
「飛騨」を手がける東京の「ONE Inc.」富田光浩さんに
お話を伺っています。

書籍のデザインは岡本健さん。
表紙にはかえる先生こと長場雄さんによる、
かえるたちが情報ツールを作っている
描きおろしのイラストをあしらいました。
編集は宮城県出身の齋藤あきこさんこと私です。
コロカルで編集した冊子「和食」や、
コロカル上で紹介された紙メディアも多数掲載されております!

地域の魅力を伝えるデザイン
BNN新社
定価:本体3,900円+税
編集:齋藤 あきこ
仕様:A4判変型/192ページ

築106年以上の 古民家をゲストハウスに。 「マスヤゲストハウス」前編 medicala vol.3

medicala vol.3
初めての古民家リノベは、下諏訪の「ますや旅館」

前回は山口県萩市のゲストハウスrucoについて書きました(vol.2参照)。
rucoを施工していたのが2013年の6月〜10月の4か月間。

11月以降はしばらく現場に入らないデザインの仕事をやっていました。
同時進行していたプロジェクトはどれもリノベーションの仕事で、

名古屋のシェアハウス「KOMA-PORT tukijiguchi

共有のリビングスペースに小屋のあるシェアハウスにしました。
小屋の制作は名古屋の友人がやっているアンティークショップstore in factoryに依頼。

京都のシェアアトリエ兼カフェの「SOLUM

京都のつくるビルの石川さんプロデュース。オフィススペースには京都カラスマ大学の事務局などが入居しています。1階のカフェのドーナツやカレーも絶品。

箱根のゲストハウス「HAKONE TENT

鎌倉ゲストハウスで修行した本庄さんが独立して開業したゲストハウス。1階のリビング&バースペースのデザインを担当しました。天然温泉付き。

がありました。
図面を描いて、デザインをして、
月に2〜3回現場に足を運んで現場の職人さんやオーナーさんたちと
コミュニケーションをとって……というやり方で空間をつくっていく大変さを改めて学びました。
Nui.(vol.1参照)からrucoまでは基本的には現場にずっといて、
毎日オーナーや大工さんたちと顔を合わせていたので、
わざわざ意識しなくても、空気を共有や意思の疎通が出来ていました。それがなくなり、
コミュニケーションが減ることで出る影響に、自分の未熟さを痛感……
それでも、できあがった3つの空間は、
どれもオーナーさんが頑張ってくれているので素晴らしい空間になっています。

このように現場に入らないで空間づくりをしている時に、
友人に長野県・下諏訪町で開業するゲストハウスのデザインと施工を頼まれました。

彼女の名前は斉藤希生子さん(通称キョン)。施工当時25歳の女性です。
出会いは、最初の仕事だった、蔵前のゲストハウスNui.がきっかけです。
キョンはNui.のオープニングスタッフとして働いていて、
その後、ゲストハウス運営のノウハウを学ぶために、
当時medicalaのカナコが女将を務めていた、姉妹店toco.に異動してきました。

そのときに、toco.のバーで彼女が将来ゲストハウスをやりたい!という話を聞いて、「そのデザインやりたいー!」という話もしたりしていました。
彼女が2013年末にtoco.を辞めて、地元である長野県諏訪地方に戻って
2014年初めから物件探しをスタート。
強運の持ち主(!?)なので、ほどなくして理想的な物件を見つけて
2月頃に正式にデザインの依頼をもらい、3月にその物件を見に諏訪へ行きました。

冬の諏訪湖は空気も水もきれいで気持ちがいいです。

少し下諏訪の説明をします。
長野県諏訪郡下諏訪町は、諏訪湖で有名な諏訪地域にある人口約2万人のまちです。
諏訪湖周辺で観光のメインとなるのは「上諏訪」と呼ばれる諏訪市エリアで、
そこから電車で1駅、車で10分程の距離にあるのに、
下諏訪町はこじんまりしていて、あまり観光地化されていません。
それでも諏訪湖にも近く、諏訪大社の下社である「春宮」と「秋宮」や、
温泉もたくさんあって、のんびりしたりお散歩したりするには丁度いいサイズ感のまち。
諏訪市の観光客数は年間600万人、そのうち宿泊客は年間55万人程度。
(都心からのアクセスが良いのに観光客数に対しての宿泊客の割合は少なめ)
ちなみに長距離バスは東京、京都、大阪、名古屋などから出ていて
東京からは片道3時間、往復6000円以下でアクセスできます。

上記のように諏訪地域は観光客数も多く、都心からのアクセスも抜群。
そしてまだゲストハウスもまだ無かったため、環境としても悪くありませんでした。

そんな状況の中、キョンが見つけた物件が写真の物件です。

下諏訪の「ますや旅館」として20年前まで営業していて、
3年前まで大家さんの親族の方が住んでいた築106年以上の古民家です。
(正式な築年数はわからないのですが、
106年前の地図に既に名前があったので106年以上としています)
2014年の3月までに借り手が見つからなかったら解体して駐車場になる予定でした。
が、ちょうどその頃物件さがしをしていたキョンに、
まちの人がこのますや旅館をめぐりあわせてくれました。

延べ床面積約300平米、もともとの用途旅館。建物の状態も良好。
駅からは徒歩約5分。高速バスのバス停からは徒歩2分。
温泉まで徒歩2分と、ゲストハウスには理想的な環境!
3月に無事契約をし、現場が始まりました。

「マスヤゲストハウス」はカナコがtoco.を退職したタイミングでの着工だったので、
medicalaとしてカナコとふたりで取り組んだ最初のプロジェクトです。
カナコは初めてプロジェクトの最初から最後まで現場に入り、『現場めし!』もスタート。
「現場めし!」はmedicalaの工事中にカナコがつくるごはんのこと。
その土地の食材を使って、その時のメンバーの好きな食べ物、嫌いな食べ物を考慮して、
みんなの健康を気遣ったお腹いっぱいになって肉体労働のエネルギー源になるためのご飯。
facebookで写真をUPするにつれてファンが増えていって、
いつしか現場めし目当てに手伝いにきてくれる人も現れました。

そして、大工さんや手伝いにきてくれる方々、
みんなでおいしいごはんを食べながら生まれるのは、いいコミュニケーション。
みんながそれぞれやっていた作業の大変だったことや楽しかったことを話すと、
なんとなく全体を把握できたり、こんな風にしたいねとアイデアが生まれたり……。
現場めしから、現場をよりいいものにするベースがつくられていたように思います。

そして僕としては初めての“古民家”リノベーション。
rucoやNui.とは違った空間のつくり方を試みる良い機会でした。
古民家だからできることを模索していきます。

施工メンバーの紹介

今回の施工メンバーはこちら。

左からアズノ、カナコ、キョン、手伝いにきたデザイナーの友人、キョウちゃん、リエちゃん、タカミー

medicalaのふたりと、オーナーのキョン、
そしてキョンの友達で大工の長久保恭平(以下キョウちゃん)、
途中から工事に住み込みで参加してくれた大桃理絵(以下リエちゃん)、
同じく途中参加の鷹見秀嗣(以下タカミー)。

キョウちゃんは舞台の大道具をしていたので
大工仕事の経験はあっても、古民家をきちんと触るのは初めて。
構造や床の下地をいじったりとマスヤは初めてのことだらけの現場でしたが、
奮闘して頑張ってくれました。

リエちゃんとタカミーは普通に社会人していた現場経験も全くないふたり。
ふたりとも、たまたまこのタイミングで仕事をやめていて、
ちょっと手伝いにきてくれた……つもりが、
すっかり現場を気に入ってくれて、がっつり2か月以上参加してくれました。
未経験の人にここまでがっつり参加してもらったのは初めてのことでした。
それでも工事後半には、例えば「あそこ漆喰塗れてなかったから塗っといたから!」と、
指示がなくても、考えて動けるくらいに成長していました。大活躍です。
これはもう少しあとの話ですが、ふたりは現場を経て、
でき上がったマスヤゲストハウスのこともすっかり気に入ってくれて、
オープン後そのままスタッフとして働くことになります。

このメンバーをコアに、
あとは適宜地元の大工さんや職人さんに入ってもらうことで
なんとか工事を進めていきます。

どんな空間にしたいかを考える

イメージの共有のためにキョンと最初にしたのが、キョンの好きなお店に一緒にいくこと。
実際にそのお店に行って「なんでこのお店が好きなのか?」を一緒に考えること。
キョンの表現の意図するところやイメージを正しく理解できるようになるので、
お互いのイメージをしっかりすり合わせをしていきます。
行った場所は埼玉県川口市にある「senkiya」さんという
カフェや雑貨屋、ギャラリーなどが併設された元植木屋さんをリノベーションした複合施設。

senkiyaさん。

ここでキョンが『好き!』という部分について掘り下げていきます。
話しながら徐々にわかってきたのは、太陽の光が入って
明るいことや窓を開けると外とつながっていることやソファがあってのんびりできること。
senkiyaさんでのイメージの共有を経て、デザインコンセプトは

「明るい! 風が通る! 暖かい!」

の3つ。
これをベースに解体工事からイメージを膨らませることにして、
敢えてデザインは決めきらずに着工することにしました。
余談ですが、「おしりに根っこがはえちゃうような……」
「朝お日さまにあたりながらコーヒーが飲めたり……」
といった具体的なような抽象的なような、何気ないコメントでも、
何度もキョンから出てくるフレーズは、大切なイメージの要素。
これを、拾ったり投げたり掘り下げたりしながら、デザインに落とし込んでいきます。

大家さんと大掃除

2014年4月19日〜21日。
まだまだ諏訪は東京の真冬並みに寒い日に大家さんとキョンと施工チームで大掃除をしました。

3日間の大掃除、300平米あり、蔵もあり、
しかも人がしっかりと生活してきた建物にはたくさんの“もの”で溢れていました。
碁盤、炭、鏡台、土器のかけら……
珍しいものだと、下駄のスケートやちょんまげ用の枕なども出てきました。
僕らにとってはよくわからないものでも大家さんたちには懐かしいものや大切なものの数々。
まず大家さんたちが必要なものとそうじゃないものを分別して、
大家さんがいらないと判断したものの中から工事で使えそうなもの、
友人が欲しがりそうなものなど分別していきます。

意図したところではなかったけれど、
とってもよかったのがこの大家さんと過ごした日々。
大家さんたちと一緒に作業することで、いろんな昔話を聞く機会がありました。
この部屋には福沢諭吉が泊まったんだとか、
この部屋は家族でコタツに入っていた部屋でお父さんがいつもこの席に座ってたとか、
この天井は紅葉の木で、これは桜の木で……
前述の106年前の地図もこのとき見つけました。
この建物を一緒に掃除することで、ここの歴史を知ることができるよい機会でした。

みんなで大掃除。

大掃除に入る前に、なんとなくイメージしていた部屋割りやデザインはあったのですが、
実際にこの場所に愛情を注いで、たくさんの思い出を持っている大家さんの話を聞くことで、
「できるだけこの空間の思い出を残したい」
という想いがキョンとの間で自然と生まれてきました。
そして、大家さんに
「ますや旅館はこうなりました!」って胸を張って言えて、
大家さんたちもまた遊びにきたくなる、そんな空間にしたい。
大家さんとの大掃除を経てそんな想いが新たに目標に加わりました。
ここからマスヤゲストハウスの改修工事が始まります。

解体工事スタート

大掃除で新たな目標が加わりデザインのイメージが変わったので、
それに伴い間取りなどの平面プランを変更。解体しながら現場に寝泊まりしていたことで
肌で感じられた光の入り方、風の入り方などを加味していく。
そうやって考えを重ねながら慎重に実現したい空間のイメージとの擦り合わせを行って、
変更を加えながらデザインを決めていきます。
最終的に解体する部分を決定して、いよいよ本格的な工事が始まりました。

解体の様子。

土壁や小舞でつくられた古民家の解体は
新建材(ベニヤとか石膏ボードとか)でつくられた空間の解体より、
何倍も大変ですですが、そんな苦労も吹き飛ばすくらいメリットがあることがわかりました。
それは、解体素材の再利用ができるということ。
まず、代表的なものが古材。柱や梁、畳み下の板から床の間の板など使える材料はさまざま。
それぞれ、樹種や厚み、傷の具合など個性があるので
その個性に合わせて使用できるようにデザインに取り入れていきます。
これら古材を使用することでコストを下げられるだけではなく、
デザイン的にも年代の同じ材料を使用することで空間の調和が図れたり、
大家さんの思い出を内包することができます。
特に前述の通りますや旅館の大家さんは木に詳しいので、
この古材をできるだけ活用することにしました。

当然、古材を使用するデメリットもいくつかあって、
例えば大工さんが使うのを嫌がることもそうだし、
材料の選別と保管にも、大きさもかたちもバラバラなので手間がかかりします。

古材を選別します。

次にマスヤで大活躍したのは土壁の土。
土壁は解体した後、もう一度水と混ぜると再利用できる昔ながらのエコな建材です。
ただ、土壁の再利用方法の情報は少なく、知り合いの職人さんに相談したり、
サンプルをつくったりして使い方を決めました。
バリエーションは土を水で練っただけのものから、漆喰と混ぜ合わせたもの、
漆喰と色粉と混ぜたものなどなど。
身の回りの材料でいろんな表情をつくってみました。

解体した土壁。

サンプルをつくっている様子。

今回は予算が面積の割に少なかったので、左官は自分たちで全部やることに。
(ちなみにrucoと比べると、面積は1.5倍だけど予算は同じくらいでした)
Nui.の大工チームの渡部屋と、萩の左官屋さんの福田さんとの経験をフル活用して
自分たちで調合から下塗り、仕上げまで進めていくことでコスト削減を狙います。
(左官材料は実は安くて、漆喰だと材料費だけで1平方メートルあたり200円~300円程度)

自分たちで左官している様子。

あとは家具や照明、ガラス、建具、ドアなどなど。
古民家は(状態にもよりますが)本当に使える材料の宝庫で、
その材料からアイデアが出ることもしばしば。
できるだけたくさんの素材を活かして再利用していく方針なので、
これらの素材もデザインに取り入れていきます。

こういうガラスはもう製造されていないのでとても貴重。

これは後に共有キッチンの窓になります。

解体期間は3週間!
ひたすら壁を壊し天井を落とし床をはがし、掃除して、古材を整理して……
と後に控える施工工程のための大切な準備期間です。

コンセプトの「明るい!」を実現するために吹き抜けもつくりました。
古民家は軒がせり出しているので直射日光が入りにくくなっています。
(その分夏は涼しく、冬は日光が入るのですが)
2階の光を1階に届けるための吹き抜け。
明るくなるし広くなりますが、部屋数が1部屋減るので宿の事業計画には大きく関わってきます。
それでもキョンの「泊まりにきてくれた人に気持ちよく過ごしてほしい!」
強かったので、そちらを尊重して吹き抜けをつくることにしました。

吹き抜けの様子。

いつも通り工事には大勢の友人が参加してくれて、現場はいつもにぎやか。
遠くは台湾やオーストラリアや熊本県から手伝いにきてくれました。

手伝いの様子。

こんな感じでわいわいしながら、日中がガッツリ解体工事をして、
工事が終わると近くの温泉に入って、ご飯を食べるという生活が3か月続きました。
現場が休みの日は布団を屋根の上に干してのんびりしたり。
オンオフ切り替えながら解体工事は終わり、いよいよつくり込みが始まります。

布団干しの様子。気持ちいい!

そろそろ長くなってきたので、それはまた次回の記事で。
後編では、実際どのように古材が活用されていったのかとか、
寒い地方ならではのストーブの話や、
タカミーとリエちゃんが頑張ったタイルの話などを書いていきます。

information


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マスヤゲストハウス

住所:長野県諏訪郡下諏訪町平沢町314
TEL:0266−55−4716 (9:00〜12:00,16:00〜22:00)
http://masuya-gh.com

アーティスト、地域の人と共に 更新され続ける空間 「HAGI ART」 HAGI STUDIO vol.4

HAGI STUDIO vol.4
オルタナティヴ・スペースとして

みなさんこんにちは!
vol.1vol.2vol.3に続き、東京谷中の最小文化複合施設
「HAGISO」について書いていきます。

解体予定から一転、改修利用の道が開け、工事中イベントや
クラウドファンディングでの資金調達などのプロセスを経て、
ついに2013年3月、木造アパート萩荘が
「最小文化複合施設」HAGISOへと生まれ変わりました。

HAGISOのなかでも、1階の吹き抜けある空間をギャラリーとして使用し、
これをHAGI ARTと呼ぶことにしました。
もともとの木造の雰囲気を残したカフェは、
これからの時間を蓄積していくような空間であるのに対し、
こちらは真っ白な壁で覆い、いつも更新され、変化していく空間としました。

高さ7mの吹き抜けをもつギャラリー“HAGI ART”。写真は伊東宣明個展「芸術家と預言者」。

カフェ同様、ギャラリーの運営ということも僕らにとってはまったく初めての試みです。
ギャラリーとひと言で言っても、いくつかの種類に分けることができます。
ひとつは公益目的のギャラリー。
その中でも、企業や財団が文化事業として運営するものと、
自治体が運営する美術館などの公共的なものがあります。
一方、民間運営のギャラリーとしては、
作品の売買を行うことで運営するコマーシャルギャラリー(企画画廊)と、
日本独特のものですが場所を提供することで運営する
レンタル・ギャラリー(貸画廊)とがあります。
HAGI ARTは民間の施設になりますので、
当然上述のどちらかということになるのですが、
まずコマーシャルギャラリーを運営するには作品売買のための有力な顧客や、
美術事情に精通した知識が必要です。これは持ち合わせていません。
一方レンタルギャラリーは、場所貸という性格上、ともすれば一貫性のない
ただの箱ということになりがち、という難しさがあります。
これは僕らのやりたいこととはちょっと違うようです。

ギャラリー分類図。私の解釈によるものです。

しかし、展示できる場所が必要なのは確かで、
なかなかコマーシャルのマーケットにのることができない若い作家や、
売買を目的としないけれども公的な意義のある企画を実現するためには、
上記ふたつの形式では難しいところがあります。
そこでHAGI ARTは第三の形式としての
「オルタナティヴ・スペース」として運営することにしました。
とはいえ、「オルタナティヴ・スペース」自体は
まだ明確に分類される形式とはなっていません。
あくまで上述の形式「以外の」ものを指し、その運営の方法はさまざまです。
東京では代表的な場所としては、「Live Space plan B」(1982~)や
「佐賀町エキジビット・スペース」(1983~2000)などが挙げられます。
なかでも吉祥寺の「Art Center Ongoing」は、
HAGI ARTを構想するうえでも参考にし、代表の小川希さんにもご相談に伺いました。

Art Center Ongoing

HAGI ARTの場合は、HAGISOが地域の核となるための
開かれた空間として、以下のように定義しています。

HAGI ARTはHAGISOの空間をアーティストと一緒に
再発見、再更新していくための展示空間です。
閉じたギャラリーというよりも、開かれたホテルのロビーのような空間です。
アーティストが『展示することができる場所』ではありますが、
『展示するための場所』ではありません。
一方的な自己顕示の場としてではなく、アーティストが作品を用いて
日常空間に驚きと気づきをもたらし、ここにしかない体験を来場者に与える場です」

このような場所を実現するために、HAGI ART企画の展示に関しては
アーティストや展示者から会場費を一切とっていません。
作品を売ることはありますが、その際も手数料を低く設定しています。
その代わり、HAGI ARTの空間で展示することの意義を重視し、
作家には展示プランのプレゼンテーションを要求しています。

とはいえ、いくら理想を掲げたとしても、場所として運営するためには、
家賃・光熱費・人件費・維持費などの経費が必要となります。
HAGISOの場合はこの経費をHAGI ARTに併設する
HAGI CAFÉの売り上げによって相殺させています。
こうした活動を補助金などに頼ることもできますが、
そうなると補助金ありきの運営になってしまい、
いざ補助金がなくなったときに自立できず持続できない場所になってしまいます。
えてしてそういった場所は企画内容にも緊張感がなくなっていき、
魅力のない場所になりがちです。
そういった意味でHAGI ARTは危機感をもって、地域の人やHAGISOを訪れる人にとって
「必要とされる場所」になっていかなくてはならないと思っています。
ですので、皆さんもHAGISOにお越しの際はぜひCAFÉをご利用ください(笑)。

実際にHAGI ARTでどのような試みが行われているのか、
いくつかご紹介したいと思います。

多様な現代アートや建物、さらには谷中文化発信の場

HAGI ARTは、上述のように作品の売買を目的としているわけではないので、
特定の趣味のクライアントを意識して作品を扱う必要はありません。
とはいえ、最終的には僕たち運営者にとって
魅力的な作品であるというバイアスはかかっています。
通常の現代アートギャラリーは基本的に愛好家か、
それを目的に来た人が観に来るというのが普通ですが、
HAGI ARTの場合はカフェが併設されていることで、
作品との予期せぬ出会いが生まれやすくなっています。
ケーキを食べに来た近所のおばあちゃんが若いアーティストと作品について
「これはなに?」と話している光景が生まれています。

「囚人口 Chop Chop Logic」ミルク倉庫 + 高嶋晋一
何かの道具のようにも見える電気仕掛けの作品がインスタレーションとして配置されています。これらの作品を舞台装置として用いて、会期中の数日間、高嶋晋一とミルク倉庫の共作によるパフォーマンスが行われました。

池田拓馬個展「主観的な経験にもとづく独特の質感/解体」
ギャラリーの空間にあえて壁をつくり、穴を開ける映像と、開けた穴によるインスタレーション。

「東京アカイツリー」宮崎晃吉 + 池田拓馬
吹き抜けの柱を1200本の毛糸と共に大きなクリスマスツリーの幹に見立て、床に池田拓馬による映像を投影したインスタレーション。

「PanoraMarket -books around photograph-」
「写真にまつわる本」というテーマをもとに、アーティストが自費出版する写真集や、海外の出版社によるアートフォトブック、谷中の数軒の古本屋さんのチョイスによる書籍などを一堂に集め、購入できる展覧会として展示しました。

「ご近所のぜいたく空間 “銭湯”」展
HAGISOのような地域遺産としての建築をテーマにした展示も行いました。いまや全国で一日一軒、都内でも一週間に一軒のペースで廃業しているという銭湯。文京区の若い建築家の文京建築会ユースによる文京区の銭湯の調査記録プロジェクトの展示。富士山のペンキ絵のライブペインティングも。

「復活に向けて 谷中のこ屋根展」
2013年まで現存し、谷中で「のこぎり屋根工場」と呼ばれ、親しまれた工場群の建物の記録と、保存された建築部材の活用を考える展覧会。

また、谷根千(谷中・根津・千駄木)エリアで
一箱古本市や、不忍ブックストリートMAPを制作する
不忍ブックストリートの10周年展も行われました。
谷中における文化活動の層の厚さを実感することができました。

「『本と街と人』をつなぐ 不忍ブックストリートの10年展」

展示ではありませんが、HAGI ARTで毎月催される展示と展示の間の期間を利用して、
「やなかこども文庫」と題して小さな子どものための、
絵本を読むスペースとして開放しています。
施設の工事に伴い谷中地区で一時的に図書館がない状態になっており、
「谷中ベビマム安心ネット」主宰の石田桃子さんが絵本を寄付で集め、
不定期の移動図書館として開催しています。

「やなかこども文庫」

まちづくりを世代を超えて考える

また、単なる展示の枠を超えて、何かが生まれる場としても活用されています。
谷中という地域は、古いまち並みを残しているところではありますが、
そうしたまち並みや人と人のつながりを保つためにも、
まちづくりの活動が活発に行われてきました。
しかし、「谷中をもっと良くしたい」という共通の目的を持ちながら、
町会などの組織と、若い人たちによる子育てやまちづくりのNPOなどの活動は
多くの活動があるだけに、なかなか接点が生まれづらい側面があります。
「谷中地区まちづくり交流会」では、谷中地区まちづくり協議会と
特定非営利活動法人たいとう歴史都市研究会の共催によって、
谷中では初めての代表者サミットのような会を催しました。
お茶を飲みながら、フランクな雰囲気で谷中のことを
皆さんで熱く語る機会となりました。

「谷中地区まちづくり交流会」

生活の延長線上にある、文化施設として

このように、「最小文化複合施設」と銘打っていろいろな企画や活動に携わってくると、
公共空間のあり方について考えさせられるところがあります。
普段の日常生活を送る生活空間と、文化的な営みが行われる公共空間。
いつの間にかそのふたつの空間は現代の日本においては
随分遠いものになってしまったなと思います。
美術館や劇場などの「ハレ」の場と、日常的な「ケ」の場が、
空間的・地域的に分けられている。
もちろんこうした大規模な施設もある程度必要だとは思いますが、
これらはもっと混ざり合っていていいのではないでしょうか? 
大げさな公共空間でなくても多様な文化活動は可能です。
空間的に分けるのではなく、時間的に入れ替われば、もっと身近になると思います。
日常空間、生活空間にもっと公共性、文化性を取り戻したい、という気持ちは
HAGISOを始めてからもますます強くなっています。

次回は、まさにこのように、「日常と劇場」を結び付けようとする試みである
「居間theater」や、「谷中音楽室」などについてご紹介したいと思います!

information


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HAGISO

住所:東京都台東区谷中3-10-25
TEL:03-5832-9808
営業時間:カフェ12:00~21:00 (L.O. 20:30)
http://hagiso.jp/

かばん工場を セルフリノベーション。 共同スタジオが完成! HAPS vol.4

HAPS vol.4
ビルの空き室から若手アーティストの共同スタジオへ

JR京都駅の南側。八条口を出て6, 7分も歩くと
新旧の商店や住宅が並ぶ、東九条のまちが現れる。
新幹線を降りた人々で混雑する北口の喧噪とは対照的ですが、
アーティストのスタジオなどが少しずつ増えてきているエリアでもあります。
以前はかばん工場として使われていた築40年程の4階建てのビル。
ここのワンフロアが、今年の春、若手アーティストたちの手によって
共同スタジオ「punto」に生まれ変わりました。

ビル入り口に掲げられたpuntoの看板。

スタジオ風景。左は岡本里栄さん、右は嶋春香さんの制作スペース。

2013年10月。ペインターの嶋春香さんと長谷川由貴さんを中心に、
京都市立芸術大学の大学院生数名が
修了後の共同の制作場所を探しているとの相談がHAPSに寄せられました。

左より長谷川由貴さん、岡本里栄さん、嶋春香さん。この他に現在のメンバーは、松平莉奈さん、山西杏奈さん。12月から新たにもう1名が加わる予定。

一方、それより遡ること3か月ほど。
ビルの所有者である、隣接する大西商店の大西康之さん。
大西さんからこのビルの使っていないフロアを活用したいという相談をいただいていました。
これまでに塾や事務所などに使いたいという問い合わせもあったけれど、
なかなか接点を見いだせなかったそうです。

何か活用したいという気持ちでいたところ、
新聞でHAPSの活動を紹介する記事を目にしました。
中高生の頃は美術部に所属するなど美術が好きだった大西さんは、
アーティストに活用してもらう方が面白そうと感じ、
早速連絡いただいたのでした。

大西さんご夫妻。改修は完全におまかせで、一からつくり出していく力がすごいと感心していた。「ここから世界に羽ばたいてほしい」と応援。

HAPSでは、制作場所を探していた嶋さんたちに物件を紹介する中で、
大西商店のビルも案内。
ワンフロアと増築部分あわせて200㎡近い広さ、駅からのアクセスのよさ、
大家さんのアーティストへの理解と、三拍子揃った好条件にピンときたそうです。
実際、これだけの広さと交通アクセスや家賃が兼ね合うのは
京都市内でもなかなかないと言えます。
相談の結果、2階のワンフロアに加え、1階の一部のスペースも作品を保管し、
工具を設置して作業空間に使用することになりました。

大家さんである大西商店(左側)と、puntoが入っているビル。puntoは2階ワンフロアと、1階の一部を利用。

嶋さんたちは当初考えていたよりはスペースも広かったため、
同じ大学の同級生を中心に、さらにメンバーを募り、
6人で2014年1月に契約。
HAPSにとっても初めての共同スタジオのマッチングとなりましたが、
契約や改修、運営などについてアドバイスを行い、
双方にメリットがあるよう調整しました。
物件は、床や壁に経年の傷みや汚れがあるままの状態で、
アーティストたちが自ら必要な改修を全て行うという条件で、
家賃も通常の相場より低く抑えられました。

大学院修了とほぼ時を同じくして、3月末より改修をスタート。
とは言っても、みなセルフリノベーションなど初めて。
不安な部分もあるなか、改修を進めたきっかけがありました。
嶋さんたちの先輩が企画するグループ展、
「egØ-「主体」を問い直す-」展の会場を探しており、
4月末よりシェアスタジオのオープンに先立つプレイベントとして場所を提供することに。

これは急がねばなりません。しかも会場提供の代わりに、
改修作業にも参加してもらったり、
資材を運んでもらうなどの協力が得られることになりました。
強力な助っ人と、オープン日が決まったことで、
結果的に正味1か月ほどのスピードで、
展示できるホワイトキューブの空間に仕上げることができました。

改修時、床の傷んでいる部分をコンクリートと板で補強していく。北側は全面窓で、自然光が多く入る。

まず、床板の抜けをチェックし、
抜けている部分はコンクリートで支柱をつくり、床材を追加。
全体に長年のタバコのヤニの付着により激しく変色していたため、
窓ガラスなどの汚れは丁寧に落とし、
天井は油性のシーラーで白く塗り直しました。
この作業はにおいがきつくふらふらになるほど。
しかしその甲斐もあって、ひときわ明るく、
クリーンで居心地のよいスタジオ空間が実現しています。

180㎡ほどの天井を全て白くペイント。

そして一番大変だったのは、壁面の設置です。
元の壁は全てコンクリートだったので、
壁面に絵画作品をかけることができるよう、全面に木の壁を新たに制作。
その際、費用削減のため、木の桟を組むのではなく、
コンクリートの壁面に穴を開けて、ポイント毎にコンパネを取り付け、
その上に新たな壁面を設置するという方法をとりました。
コンクリートに穴を開けるのには、電動ドライバーを使い、
3人がかりで押えながら作業。
専用の工具でないため、強い力が必要となり、
これまで筋肉を意識したことのない胸部まで筋肉痛になりました。

「egØ-「主体」を問い直す-」展示風景より 彦坂敏昭《目地(タイル)》2014

4月末から5月上旬までegØ展開催後、
それぞれ個人の制作スペースを区切る壁面を設置。
1階は床を半分撤去し、土間部分に工具を設置して、木工などの作業スペースに。
5月下旬に、お披露目を兼ねたオープンスタジオの日を迎えることができました。
余計な要素がなく、
制作に集中できるニュートラルな空間が完成しました。

日本画を座って描くため畳を敷いた松平莉奈さんの制作スペース。現在、松平さんと長谷川さんは「VOCA展」に出展準備中。

このスタジオの改修を通し、メンバーたちはDIYの工法を学んで、
「家くらいのサイズのものでも何でもつくれる!」
という自信がついたと言います。
ちょうど同時期、向かいの家も改修工事をしていたため、
大工さんのスピードに感心しながら、作り方を観察していたそうです。
DIY熱が高まり、作品制作のための作業テーブルや、
画材や作品を収める棚など、必要なものをそれぞれ自作。
その後、網戸や出入り口の扉もつくっています。

作品収蔵スペースにも、強度を考えて棚をDIY。

各自の友人や先輩などのネットワークを生かし、
構造や強度など不安な部分はわかる人に教えてもらいながら、
確実に技術を自分のものとしていった姿はとても頼もしいです。
大西さん夫妻も「1からつくり出す力がすごい」とただただ感心して見ていました。

年明けの展覧会に向け、立体作品を制作中の嶋春香さん。正面に並んでいるのは、資料写真をモチーフとした絵画作品のシリーズ。

京都にはアーティストの共同スタジオが多く、
市内に20~30あるともいわれます。
「punto」始動時には「凸倉庫」の安藤隆一郎さんの呼びかけで、
京都の南側に点在する近隣シェアスタジオで
制作するアーティストたちが集まり、盛大なバーベキューが催されました。
情報交換や、近くのスタジオからコンクリート用工具を借りることもでき、
これを機にさらなる横の繋がりができています。

山西杏奈さんの制作スペース。主に木を素材として立体作品を制作。ビルの増築部分にあたり、平面作品の制作スペースと区切られたつくりになっているのも好都合に。

工具を使う作業室としている1階の土間スペース。現在は主に山西さんが活用。

さらに、プレオープニングのegØ展や、オープンスタジオなどを通し、
新しいスタジオとして認知されるのも思ったより早かったとのこと。
共同でスタジオを構えることがさまざまな面で効果的に作用しています。

現在は、各自が仕事をしながら作品制作を行っています。
常に全員で顔を合わせるわけではありませんが、
他の人の制作過程や作品を目にすることで刺激を受けることができ、
また異素材への関心も高まったそうです。
「このスタジオがスタートしてから色々な機会をいただき、
幸運の場所のように感じている」と語る長谷川さん。

長谷川由貴さんが現在取り組む大画面の新作。日本各地の聖地を訪れ、その体験から絵画を描くことを続けている。

“punto”はラテン語で「点」を意味します。
“点から線や面が生まれるように、
ここを拠点にさまざまな活動形態へと繋がっていく――”
そんな思いが込められた命名を文字通り体現しているようです。
切磋琢磨しながらここで制作される作品や彼女たちの活動がこれからどう変化していくのか、
ますます楽しみです。

本や好きなものを持ち寄った共用スペース。バリ島の傘状の祭壇も。

information


map

punto

住所:京都市南区東九条南山王町6-3
http://punto-studio.net
※通常は公開していませんが、年に一度はオープンスタジオを行いたいと計画中。

勝手に作る商店街サンド: 静岡県・浅間(せんげん)通り編

商店街サンドとは?

「商店街サンド」とは、
ひとつの商店街(地域)で売られているパンと具材を使い、
その土地でしか食べられないサンドイッチを作ってみる企画。

以前東京の3つの商店街(戸越銀座、麻布十番、巣鴨)で試してみたところ
どれも個性的なサンドイッチができあがり、感動するほど美味しいものができたので
それを日本各地の商店街でもやってみよう、というのがこの連載の趣旨である。
また、美味しいものが食べられるだけでなく
同時にまちの様子を知ることができるという一挙両得の旅でもあるのだ。

こちらは戸越銀座サンドイッチ。「商店街で勝手にサンドイッチ作っていくと美味しい」-デイリーポータルZより。

徳川家康が25年を過ごしたまちでつくる。

今回やってきたのは静岡県静岡市葵区にある浅間(せんげん)通り商店街。
静岡駅から歩いて15分ほどの所にあり
手前の大きい鳥居から「静岡浅間神社」まで
南北600メートルほど続く商店街だ。

大鳥居から始まる商店街。お祭りのとき以外は割と落ち着いた雰囲気らしい。

その先には、26もの社殿をかまえる静岡浅間神社。とても広い。なかには写真撮影不可の神聖な場所もあるので、静岡にいったらぜひ立ち寄って欲しい。地元の人たちは愛情をもって「おせんげんさん」と呼ぶ。

浅間神社には1000年から2000年以上の歴史をもつ社があり
「東海の日光」と呼ばれるほどの漆塗り極彩色の美しい建築が見られる。
歴代幕府の崇敬を受けているが、
竹千代(家康の子どものころの名前)が元服を行ったことから
特に徳川家に厚く保護されたのだとか。

駅前にある家康の子どものころの像。美少年だ!

2015年は家康の没後400年。

家康は住処を移しながらも、
幼少期、壮年期、大御所時代、とあわせて25年間をこの静岡市で過ごしたそうだ。
駅前や、すぐ近くの駿府城では家康の像が置かれていたり
毎年4月には有名人が家康に扮し、御台所や大名たち総勢400名を引き連れて
この浅間通りを含むまちを練り歩く大イベントも行われている。
来年の2015年は没後400年とあって、
家康にちなんだいろいろなイベントが催される予定のホットな地域なのである。

〈Rhythm of athletics〉義肢装具士の第一人者、臼井二美男さんの義足を身につけたファッションショー

事故や病気で、手足を失った人のために
義手や義足を作る義肢装具士の第一人者、臼井二美男さん。

来る12月7日(日)、東京都江東区のお台場にある「日本科学未来館」にて、
臼井さんの義足を着用したアスリートら15名による
ファッションショー「義足のファッションショー "Rhythm of athletics"」が行われます。
アスリートは、ファッションブランド「シアタープロダクツ」と
「プーマ」のアイテムを身にまとい、
ファッションショー形式のウォーキングを披露。
それぞれの個性や身体能力を活かしたプレゼンテーションを行います。
冒頭の写真は、義足でサッカーをする阿部未佳さん(撮影:越智貴雄)。
阿部さんも今回のショーに登場します。
イベントでは、観客たちが自分自身の身体のリズムにも
耳を澄ますような時間が作られるそう。

シアタープロダクツ2012SSコレクション 「海のバレエ」(2011年)

ショーの後には臼井さんと出演者によるトークおよび交流イベントを開催するほか、
1階 コミュニケーションロビーでは、国内外の障害者スポーツの撮影に携わる
越智貴雄さんの写真展「障害者アスリート」と「切断ヴィーナス」が行われています。
こちらも合わせてぜひ!

義足のファッションショー "Rhythm of athletics"
日時:2014年12月7日(日)
第一部(ショー)13:30~13:50
第二部(トーク&交流イベント)14:00~15:00
会場:日本科学未来館
定員:100名(ショー)、50名(交流イベント)
参加費:無料
参加方法:当日受付(先着順)
主催:日本科学未来館、中外製薬株式会社
ディレクション:シアタープロダクツ
スタイリング:伏見京子
音楽出演:AFRA
進行:bon
衣装協力:プーマジャパン株式会社
ヘアメイク協力:株式会社資生堂
企画協力:臼井二美男、越智貴雄
問い合わせ先:日本科学未来館
Tel: 03-3570-9151(代表)

施主それぞれの思いが リノベのスパイスに! シーンデザイン一級建築士事務所 vol.04

シーンデザイン一級建築士事務所 vol.04 
施主それぞれのスタイルをリノベーションに反映する

ひと口にリノベーションといっても、アプローチの仕方はさまざまです。
たとえば、
私自身が営む「シーンデザイン一級建築士事務所」として関わるリノベーションと、
空き家の未来をデザインする不動産屋マイルームの倉石さんらとともに進めている、
「CAMP不動産」として関わるリノベーション。
このふたつをとっても、アプローチの仕方は異なります。

前回、前々回の藤田九衛門商店(vol.02)、アソビズム長野ブランチ(vol.3)は、
「CAMP不動産」の事例として紹介しました。

一般的な建築工事にくらべ「CAMP不動産」的なリノベ工事のスタイルは、
かなり特殊であると思います。
それは、施主、施工者、設計者、はたまた地域に住む人にいたるまで、
関わる人の相互理解とコミュニケーション能力に委ねる部分が数多くあるためです。

何がよくて、何がよくないのか。そこで、どんなストーリーを持った空間がほしいのか。
その共通の認識を持って、みんなが各々自分の頭を使いながら、工事を進めていく。
だから、なんとなく方向性と期日は決まっているけれど、
詳細をあえて決めずに施工が進んでいくのがCAMP不動産的リノベです。

たくさんの人を巻き込みながら、みんなが当事者として関わり、
ダイナミックに物事が動いて、
結果、まちに対する影響力も大きいリノベになることが多いと感じています。

一方、普段のシーンデザインの仕事として行うリノベーションは、図面があります。
設計事務所ですので、ちゃんと図面も書いています(笑)。
図面のありなしという物理的な違いがわかりやすいので、
そんな説明をすることが多いのですが、
今回はシーンデザインが手がけたリノベ案件を紹介しながら、
CAMP不動産とはまた違うリノベの魅力について、お話しできたらと思います。

CASE.01 世界を知るための人文書の森「遊歴書房」

現在シーンデザインも入居しているシェアオフィスKANEMATSU。
2011年春、KANEMATSUに古書店を開きたいと宮島悠太さんが訪ねてきました。

バックパッカーで、世界中を旅してきたという店主の宮島さん。
何の因果か善光寺門前のKANEMATSUに流れ着き、
「世界各国を知るために、人文書の森をつくりたい」と語る宮島さんのお話は、
とても興味深いものでした。

リノベ前の様子。スペースを貸し出すために掃除をするボンクラメンバーの羽鳥さん。

宮島さんが古書店を開きたいと考えた空間は、
元ビニールの加工工場だったKANEMATSUのなかでも、
床、壁、天井すべてが亜鉛鉄板で覆われた部屋。
ビニールの加工機械の中には、電磁波を出す機械があったため、
ご近所に電波障害を出さないための処置だったそうです。

ということは、室内からは電波が外に出ない、
内向きで閉じた空間とも言えるわけで、
そんな特異な場所に“世界”を詰め込んでみたらどうなるか。

“世界”と“KANEMATSU”。
その対比がたまらなく面白いと感じて、
古書店のデザインというよりは、宮島さんという人間をこの場所で表現してみたくて、
そんな妄想を抱きながら計画が進み、
2011年6月、古書店「遊歴書房」がOPENしました。

完成した遊歴書房。とても小さい空間に地球上のあらゆる“世界”があります。

天井中央には羅針盤をイメージしてデザインされた照明を配し、
360度ぐるりと天井まで届く本棚には、
左回りに日本→アジア→ヨーロッパ→アメリカといった順に
地球儀を裏返したように関連付けられた本が約一万冊収められています。

集められた古本は歴史・哲学・宗教・政治・社会の硬い本から、
文学・小説・紀行、さらにはマンガまで。
宮島さんが、世界中を知るために必要だと思う本が、
従来のジャンルを横断して地域ごとに並べられています。
店内に一歩踏み入れると、まるで地球儀の内側にいるような、
不思議な感覚を体験できます。

元ビニール加工工場だったKANEMATSUの中に誕生した「遊歴書房」は、
日頃見慣れた風景の中に差し込まれた別世界のようで、日常と非日常が同居しています。
さまざまな文化やたくさんの人が行き交う門前に相応しい場所ができました。

本との偶然の出会いとは、実は気づいていない自分に出会うことなのかも。

一万冊の人文書の森に囲まれると、偶然、目にとまる本があったりします。
その時、この出会いは本当に偶然だったのだろうか? と思える瞬間があります。
自分の中にある世界の端っこに触れる瞬間。
そして、その本と世界が繋がっている感覚。

宮島さんの話す、「人文書の森で世界を知る」とは、
きっと自分の中にある世界を知り、
さらに広大な世界に押し広げる事なのでしょう。

まちを、世界を変えるには、新しい個人、新しい世界観で、まちを、世界を見ればいい。

なんだか、リノベに一番大事な考え方を、遊歴書房に教えられた気がします。

CASE.02 住宅をリノベしたクラフトギャラリー「Galle_f」

リノベーションというと、築何十年も経過した建物が対象になることが多いと思います。

それは、建物がある目的のために建築されて、その目的をある程度果たした後に、
新築時の目論見とは違う次元に改修することを
リノベーションと呼んでいるので当然のことかもしれません。

ただ、何らかの事情で、比較的新しい物件でもリノベーションの対象になることもあります。

2012年の10月、家具工房StyleGalle(長野県朝日村)の藤牧敬三さんから、
相談を受けた建物は、そんな比較的新しい建物でした。

藤牧さんとは、それ以前から仕事やプライベートでもお付き合いがありました。
いつも控えめで物腰のやわらかい藤牧さん。
例えば、椅子の制作をお願いしたときは、
家族の体格に合わせて微妙に大きさや座面の高を変えていました。
そんな依頼主への思いやりが詰まった作品をつくる木工作家さんです。

リノベ前の室内の様子。ここがゆくゆくギャラリーになります。右側の窓の外が風除室。

早速、対象物件を見に行きました。
築8年ほどしか経過していない別荘地に建つ住宅は、古さを全く感じません。
この住宅をギャラリー併設のカフェにリノベーションしたいとのこと。

古さを味とするようなデザインでもなく、スケルトンにして全て変えてしまうこともなく、
必要最低限の工事で、どこまで魅力的な空間に生まれ変わらせることができるのか。
シーンデザインとしても新しい試みでした。

建物を観察してみると、天窓がある風除室(玄関)はとても明るい。
でも、それは風除室だけで、壁の配置が悪く、周りの諸室はちょっと暗い雰囲気でした。

壁の向こうの風除室の光が、周りの部屋にあまり届きません。

今回のリノベでは、明るい風除室の光が、
周りのギャラリーに柔らかく届くような計画にして、
シークエンスや視覚的な操作で、
小さいながらも広がりを感じるギャラリーを提案しました。

提案したイメージスケッチ。

計画図面とイメージスケッチをもとに工事が進み、
2013年の5月に家具工房StyleGalleの、
クラフトギャラリー「Galle_f(ガレ・エフ)」としてOPENしました。

壁を抜き、風除室をサンルームへと変えました。

工事は木工作家である藤牧さん自ら施工しました。
インテリアの細部には藤牧さんらしい柔らかさとおおらかさが出ていて、
優しい雰囲気に仕上がっています。

サンルームからの光が柔らかくギャラリー内に広がります。

こうした比較的新しい建物のリノベは、“古さ”をデザインの要素にできない分、
空間構成の面白さが際立つように思います。

空間を既存の用途要求から、まず自由にしてあげて、素直にその特徴を認めてあげた後、
そこに相応しい役割を与えていくことが、うまくできた事例だと思います。

CASE.03 空き家を“今”のライフスタイルに合わせてリノベする

2013年の2月、郊外に建つ空き家をリノベしたいという依頼を受けました。
どこの都市でも同じような事が起こっていると思いますが、
まち中だけでなく郊外にも、空き家がどんどん増えてきています。
施主である中川さんのご実家の敷地内にも、長い間、使われなくなった住宅がありました。

リノベ前の室内。南北に和室が連なる長方形の建物。

まだ小さいふたりのお子さんがいる中川さんご家族は、
この空き家を今後10年間だけ生活する住居として
リノベしたいというご希望をお持ちでした。
つまり、お子さんの成長に合わせて
今後ライフスタイルが、どう変化していくのか想像がつかないから、
“今”を十分に楽しんで生活できるようなリノベ住宅がほしいという、
今までにないパターンの依頼で、とても先進的な考え方だなと思いました。

確かに、30年以上将来に続くローンを組んで新築住宅を取得するより、
ライフスタイルの変化に合わせて、
少ない費用で10年毎に3回リノベ住宅を住み代えるほうが、
リスクも少なく賢い方法だと思います。

中川さんの場合、例えば10年後、その時の家族のライフスタイルに合わせて、
別棟の母屋をリノベして引っ越し、この住宅は他人に貸して、
家賃収入を得ることもできます。
もちろん、この家に住み続けることも可能ですが、
10年後の将来に、そんな選択肢もあると思うと、日々の暮らしに余裕が生まれてきます。

そんな考え方の人が、これからは多くなっていくのかもしれません。

加えて、癖のある古い建物をリノベしていくことは設計者にとっては(施工者にとっても)、
骨の折れる作業ですが、リノベによってできた空間の面白さや豊かさは
新築では得られないものがあります。

古くて一昔前の間取りが、みるみるうちに魅力的な空間に変わっていくライブ感は、
建築を専門としない一般の施主にとっても、ワクワクするもののようです。

築約20〜50年ほどの、増改築を繰り返して、つぎはぎだらけのやっかいな建物でしたが、
2013年12月、工事が無事完了し、お引渡しできました。

床の間や柱、天井はクリーニングしてそのまま再利用しました。

床柱や建具、天井板など、使えるものはできるだけ残しながら、
防湿、断熱、構造補強などを適宜施しながら、
「甘すぎずスタイリッシュにまとめたい」という中川さんのイメージに合うように
全体のデザインを整えました。

10年間だけ暮らすためのリノベ住宅。
クールでかっこよく“今”を楽しんで暮らす
中川さんらしいリノベ住宅になったと思います。

今回は、シーンデザインが携わった3つのリノベを紹介してきました。

リノベの場合、新築と違って、お施主さんの人となりがより出てくるように思います。
たとえば、野菜を販売するときに「どこどこのだれだれさんがつくった野菜です」
といった「人の顔が見える」という感じとは少し違って、
そこを使う人の、人柄だとか性格が、その場所や空間ににじみでてくるというか。

宮島さんの、ひたすら内向きだけど自分の世界がある感じだとか、
藤牧さんの、おおらかだけど粗がない感じだとか、
中川さんの、かしこく暮らしをデザインする感じだとか。

なぜ、そうなるのかうまく説明できないのですが、
リノベ物件には建物をお施主さんと重ねて擬人化して眺めるような、
そんな距離感があるのです。

それがどんな距離感なのか、自分自身のなかでわかりつつある部分と、
一方ではかりつつある部分もあるのが正直なところです。
でも、手探りではあるけれど、それがリノベーションの魅力のひとつだと感じています。

information

遊歴書房

住所:長野県長野市東町207-1 KANEMATSU
TEL:026-217-5559
営業時間:11:00~19:00
定休日:月曜・火曜
http://www.yureki-shobo.com/

information


map

クラフトギャラリー Galle_f

住所:長野県塩尻市北小野4133-130
TEL:0263-55-7471
営業時間:10:00〜18:00
定休日:木曜(不定休あり)
http://www.stylegalle.com/gallef.html

萩の素材を散りばめ、 地元の職人さんと一緒につくった ゲストハウス「ruco」 medicala vol.2

medicala vol.2
素材選びから、オーナー、職人とともにつくりあげた空間

前回は東京の蔵前のホステルNui.について書きました。
今回は、山口県萩市につくったゲストハウスrucoの話をしようと思います。

Nui.をつくってからは、Nui.で棟梁を務めてくれたナベさん率いる、
大工チーム渡部屋と、東京は茗荷谷のcafe & bar totoru
愛知県豊田市の手打ち蕎麦くくりをつくりました。

totoruの店内。

くくりの店内。

3つの現場を渡部屋とつくることで、
それまで「施工」のことをほとんど知らなかったんだなと実感しました。
逆に言うと、本当にたくさんのことを学びました。
大きなところでは大工の世界のこと、左官のこと。

例えば、
2本の角材を直角につなぎ合わせる部分を意味する「トメ」や、
木材の一番上の面のことを意味する「ツラ」などの、
大工が使う専門用語の意味がわかると、
職人や業者との会話が成り立ちやすく、スムーズに話が進みます
また、製材所で木目を見ただけでその木の種類が判断できたりすると、
若いからといって舐められることも少なくなるかな……と思います。

木材の仕上げ方もいろいろあります。
ヤスリをかけて綺麗にするだけ、
それにオイルを塗る、ウレタンを塗る、ペンキ塗る、傷をつける、
焼く、焼いてブラシで磨く、粗い表情を残すなどなど。
どの材料にどういう加工を施すか、
それがどこに使われるのか(水場か? 人が触るか? など)、
そういったことを考えながらひとつひとつ仕上げ方を決定して、
わからなかったら相談したりお任せしたり。
ちょっとずつ学んでいきました。

totoruでカウンター材の仕上げ。

そして、左官もそれぞれの現場で
職人さんが新しい技をどんどん出してくれていたので、
たくさん見ることができました。
材料は土、セメント、漆喰系、石膏系。
仕上げ方は普通にコテで塗ることから、
搔き落とし、版築、ひきずり、磨きなど。
少しざらざらさせたり、ぴかぴかにしたり、
混ぜた小石を表に出すようにしたり……技法と材料で表情がぐんと変わります。
それぞれの素材の特徴のこと、
下地によって変わる配合のことや混ぜ方のことを、
お手伝いしながら観察しながら、時には質問もしながら、勉強しました。

手伝いにきてくれたみんなと左官の磨き作業の様子。

Nui.、totoru、くくりの3現場では大工さんが同じでも、
みんな同じ技を使うことが少なかったことも学べることが多かった要因です。

さて、そうやって渡部屋と一緒に仕事をすることで培った経験をベースに
初めての地方都市で、
初めて渡部屋以外の大工さんとつくったのが
山口県の萩市にあるゲストハウス rucoです。
今回はそんなゲストハウスruco.のご紹介。

ゲストハウスrucoを僕が手がけるきっかけをくれたシオくん。

rucoのオーナーのひとり、萩市出身の塩満直弘さん(以下シオくん)。

僕と同い年で、僕も彼も東京で仕事をしていた当時、
東京のゲストハウスtoco.で出会いました。
2011年、当時の僕はまだNui.も手がけていないし、
店舗の実績もない、ましてや僕のデザインを
ひとつもまともに見たことがない状況で、シオ君は初対面の僕に、
「将来、地元の萩市に帰ってゲストハウスをつくりたいから、そこのデザインをしてほしい」
と依頼してくれました。

実績もない僕に依頼してくれたのが本当に嬉しくて、
“それまでに期待に応えられるようにレベルアップしよう!”
と心に誓ったのを覚えています。
シオくんはその後すぐに萩にUターン。萩でのベースをつくるために、
バーの居抜き物件を借りて、「coen」というバーの運営を、
ゲストハウス開業の第一歩として始めました。

それから2年後、Nui.やtotoru、くくりを経てレベルアップした後に
タイミングよく萩市で物件を見つけたシオ君から連絡をもらって、
2013年6月に萩市に入り工事を開始します。

今回、改装することになった物件。

物件は萩市のバスセンターから
徒歩1分という好立地にある鉄骨4階建てのビル。
1階と2階が元楽器屋さん、3階と4階が住居スペースだったのですが、
しばらく空き家になっていたビルです。

空きビルのなかはこんな感じです。

前述のシオくんが運営していたバーcoenはここから徒歩5分のところ。
お酒を飲みたい人の受け皿にはcoenがあるので、
ゲストハウスにはのんびりしてもらえる空間をつくろう、ということで

1階と2階をゆっくりできる簡単なカフェ&バー、
3階と4階をゲストハウスにすることにしました。

そして、今回の施工チームはこちら。

右から大工のマコさん、オーナーのひとり、シオくん、家具職人のチューゲンさん、オーナーのひとり、アッキー。

改装前にみんなで建物をチェック。写真真ん中の青いチェックのシャツの男性は、左官屋さんの福田さん。

大工さんは入江 真さん(通称マコさん)。
山口県の大工さんで、シオくんが依頼してくれました。
若いけどしっかり修業していたので腕は確か。
センスもある優しい大工さんです。

萩市の家具職人の中原忠弦さん(通称チュウゲンさん)は、
ずっと萩市で活動している職人さん。
木・革・鉄を扱えて実家である製材所に家具工房を併設しています。
優しくて謙虚でいろんなことでお世話になりました。

マコさんが連れてきてくれた萩の隣町を拠点にしている、
左官屋さんの福田靖さん。
現場が終わったあとに、左官業界では有名な人だったと知りました。
現場に入るときも打ち合わせのときも、
いつもパリっとシャツを着ていて格好いいです。
最近扱う人が減った、土や漆喰なども
きちんと扱える信頼できる左官屋さんです。

この職人メンバーに加え、rucoオーナー全員が毎日工事に参加してくれました。

オーナー陣は、
シオくんに加え、秋本崇仁さん(通称アッキー)と原田 敦さん(通称アッくん)。
ちなみに、アッくんはruco立ち上げのために
東京から萩へUターンしてきてくれました。
アッくんは工事後半からの参加になりましたが、
みんな朝から晩まで、毎日工事に参加してくれました。

電気・ガス・水道・空調・防災工事は地元の業者さんにお願いしました。

以上のように、僕以外は萩周辺で集まった「地元の職人さん」でrucoの工事は始まりました。

今回は、僕にとって初めての「土地感がないところでゲストハウスをつくる」
というプロジェクトでした。
「どういうゲストハウスにするかを考える」こと、
「どういう素材を集めるか」ということを大切に進めました。

萩市の夜景(完成したrucoの4階より撮影)。

どういうゲストハウスにするかを考える

萩というまちを案内してもらい話を聞きながら、
「萩というまちにはどういうゲストハウスが必要か?」
という部分をシオくんと一緒に考えていきました。

正直僕はシオくんに会うまで
「萩」というまちを知りませんでした
(恥ずかしい話、歴史も詳しくないですし)。
きっと僕みたいな人って日本にいっぱいいると思います。

現在萩で観光資源として代表的に謳われているものは、
「萩焼、歴史、綺麗な海、おいしい魚、萩野菜」です。
これらはすごくいいものです。
でも、客観的に見たとき「これらを目的に人は来るだろうか?」という疑問が残ります。
焼物だって日本中にいろんな種類のすばらしいものがあります。
歴史あるまちだって京都、倉敷、奈良、鎌倉、宮島などたくさんあります。
海がきれいで魚がおいしいまちも日本にはたくさんあります。
もちろん上記に並べた以外に萩に来たいという理由を持った人はいるけど、
そこまで理由を持っている人は、こっちが何か仕掛けなくても萩に来てくれると思います。

いままで萩に興味を持たなかった人が萩に来たくなるように、
そして萩の魅力を知ってもらうために……。

今回のrucoの素材をたくさん焼いていただいた、萩焼の窯元「大屋窯」へ訪ねたときのひとこま。

そのために、僕は
『rucoが旅の目的になる』
というところを目指しました。
萩に来るからゲストハウスに泊まるんじゃなくて、
まずはrucoに来たくて来る、
それをきっかけに萩を知る。

そのために「かっこいい宿をつくること」を目指すのではなく、
かっこいいことはもちろん、
宿を構成するものひとつひとつに意味があって、
オーナーや関わってくれた人への萩への愛で溢れていることが、
来てくれた人に伝わって、萩にまた来たくなるような空間。
訪れた人がなんとなくわかる「普通じゃない」感じ。
そんな空間を目指します。

どういう素材を集めるか

空間を萩への愛で満たすためには「何をどう使うか?」が大事です。
逆に考えると、どこにでもある材料を適当に使って、
ただかっこよく仕上げただけの空間では
どこにでもある場所になってしまいます。

どういう素材を選び、何をつくるのか?
それらをどういう風に、空間に取り入れるのか?
そこをどれだけ考えて落とし込めたかで、
素材にもたせられる意味が変わってきます。

工事に入り前に、萩で、もの集めと素材集めから。
ここでシオくんが地元に戻ってから
つくってきたつながりを全力で生かしていきます。

まず、宿のなかで使うものを、できるだけ萩の作家さんたちにつくってもらいたい!
ということで、

1.萩焼の窯元「大屋窯」
2.地元で大漁旗などを染めている染め物屋「岩川旗店」
3.前述した家具職人のチュウゲンさんの「中原木材工業」

に協力していただきました。

まず、大屋窯に制作をお願いしたものは、
オリジナルの磁器のランプシェード、オリジナルの磁器の洗面ボウル、
オリジナルの磁器と陶器のタイルの3つ。それぞれ紹介していきます。

ランプシェードは、大屋窯の職人さん指導のもと、
rucoの3人のオーナーと僕の4人でひとつずつ
それぞれ好きなデザインを考えて、それぞれの手を使って制作しました。
つくった人の個性が見事に反映されていて、それがまたすごく面白い。

ランプシェードの制作風景(※大屋窯は普段陶芸体験などは行っていません)。

オリジナルの洗面ボウルはサイズを伝え、釉薬の相談をして制作をお任せしました。
大きな洗面ボウルは初の試みで、排水金具取り付け部分の加工など難しい内容でしたが
なんとかオープンにギリギリ間に合いました!

洗面ボウル。

タイルを陶器と磁器でそれぞれ依頼したのは、
古くから「萩焼」で知られる、焼きもののまちだけど、
普通に生活している人や旅行者は
そもそも「陶器と磁器の違いってわかるのかな?」という素朴な疑問から。
だから陶器と磁器のタイルが並ぶようにデザインしました。

陶器のタイル。

磁器のタイル。

次に岩川旗店さんには、
ドミトリーのベッドのカーテンのデザインと染めを依頼しました。
そこで実際に担当してくれたのは、
跡取り息子で当時若干25歳だった岩川大空(そら)君。
当時の大空くんは、まだまだデザインや染めは勉強中でした。
仕事として一からデザインを起こせる機会というのは、
萩という小さなまちにいるとなかなかないもの。だからこそ、
「この仕事を、大空くんの最初の仕事としてデザインから加工まで依頼したい」
そう思いました。
シオくんと僕の気持ちを受け取って、
苦戦しながらも素敵なカーテンを制作してくれました。

染めの作業をしているところ。

染め上がったカーテン!

最後に中原木材工業のチュウゲンさんには、
1階の手洗いのオリジナルのベース(脚)と
ハイテーブル用のスツールの制作をお願いしました。

チュウゲンさんにはほかでもものすごくお世話になって、
例えば2階の床材を製材する時に工房を借りたり、
1階の壁に使う木材を製材する時に製材所を借りたり
1階と2階のテーブルを制作する時に助けてもらったり……

チュウゲンさん制作の洗面台。ボウルは大屋窯。

チュウゲンさんの工房を借りての作業風景。

こうやって、萩の職人さん・作家さんの全面的な協力をいただいて、
rucoのピースは集まっていきました。
こういう動き方ができたのも
シオくんが時間をかけて地元の人たちとの信頼を築いてきたからだと思います。

次は『素材』です。
1階と2階のカフェ&バースペースには
本当にたくさんの想いのつまった素材が使われています。

1階と2階の床材は、「パレット」という、
フォークリフトの荷役台に使われていた木材を使用しました。
このパレット、実は施工期間中に事情により廃業してしまった
萩市の酒屋さんが使っていたものを譲っていただきました。
通常だと単なるゴミになってしまう木材ですが、
その酒屋さんの記憶をrucoにつなぐために、
床材として再利用しました。
何よりも古材が持つ独特の風合いも魅力的です。
残っていた50台ほどのパレットを全て譲ってもらい、
チュウゲンさんの工房に運びました。

酒屋からパレットを運び出すところ。

パッレットを切り分ける。

実はこの床材、700枚ほどを全て長さと幅を揃えるために手作業で加工しました。
この作業だけで2週間ほどかかりました。
二度とやりたくないほど大変だった記憶が……。

みんなで、ヘリンボーン貼りしているところ。

バーカウンターには、イチョウの木を使いました。
しかし、これはただのイチョウの木ではありません。
なんと、coen.で使われているカウンターと同じで、
元々は同じ1本の木だった木材。こういう木は俗に「親子」と呼ばれます。
coen.の内装ができたのはかなり前の話ですが、
それでも当時買ったのと同じイチョウが、
たまたま萩の製材所に残っていることが判明して
「このイチョウの木以外考えられない」
という話になり、即決。

カウンターを製材している様子。

カウンター材を搬入し、お清め。

製材して反りを調整してもらい、
搬入して飛騨の友人からいただいた日本酒でお清めをしました。
設置して丁寧にヤスリをかけてオイルを塗って完成です。

カウンター設置!

萩の自然の色やかたちを生かした、ふたつのシンボル

楽器店時代の「防音室」として使われていた部屋を
rucoの印象的なスペースのひとつとするために、
ツリーハウスっぽく仕上げるデザインにしました。

施工前はこのような空間でした。

ツリーハウスを下から支える木は、
オーナーのひとりである、アッキーの萩の知り合いの方の山から
大きさや枝振りが良さそうな1本を選んで伐採。
少し乾燥させた後、設置しました。

伐採のときの様子。

流木を下地として、部屋のまわりにつなぎあわせていく。

左官で仕上げ。

凸凹している壁の下地材は萩の海で拾い集めた流木です。
軽トラ2杯分もの流木をオーナーたちが集めて、
それを使って大工のマコさんが下地を組みました。

ツリーハウス完成! 中央の部屋は、スタッフの宿直室に。

全ての曲線は流木の曲線ということで、
このツリーハウスには人為的な曲線がほとんどなく
絶妙なバランスのツリーハウスが完成しました。

萩でつくられたり、拾ってきたりしたたくさんのピースを埋めこんでつくった階段の壁。

そしてこちらは、1階と2階をつなぐ階段の大きな壁。
rucoの1階と2階は吹き抜けはあるもの
空間の連続性が薄かったので、
ここの壁で空間の一体感を持たせました。

チェックインを済ませ、お部屋へと向かう時にのぼるこの階段。
ゲストは階段を上がりながら、
さまざまな萩の素材のパッチワークを楽しく見ることができます。
この壁に埋め込まれた『萩』の要素は10種類以上。

大屋窯の陶器と磁器のタイル、
岩川旗店の端切れのパッチワーク、
質の高いことで評判の萩ガラス、
萩の名産の夏みかんと椿の葉、
最初に解体した時に出た廃材、
萩焼の窯をイメージしたレンガ、
地元の竹、
萩の夜の沖に浮かぶイカ釣り漁船の廃電球、
割れた萩焼、
地元の海岸、菊が浜の貝殻、
山口の地酒の瓶に拾ってきた同じく菊ヶ浜の砂を詰めたもの、

ひとつひとつを探して集めました。
かっこよさのためだけではなくて、
萩のどこにあったものなのかを説明することでrucoを訪れる人に
萩のことを少し知ってもらえるような、
そんなデザインの壁に仕上げました。

今回も手伝いにたくさんの人が来てくれました。
rucoもNui.の時と同様、本当にたくさんの人が手伝いに来てくれました。
萩の人はもちろん、大阪や東京から、
または近くのゲストハウスから工事の噂を聞きつけてきた大学生などなど。

みんなとの記念写真と作業風景。

ruco.の工事を通じて知り合った美容師さん。後に独立して萩に美容院を開くことになりますが、その話は後日詳しく。

手伝いにきてくれる人がいるから、できるデザインがありました。
一番大変だったのは手すりに革を巻いたこと。
20cm幅の革をたくさん縫いつなげて、
それを手すりにぐるっと巻いて縫いあげました。
延々と続く地味でしんどい体勢での作業でしたが、
東京のゲストハウス「レトロメトロバックパッカーズ」のオーナーであり、
友人の山崎早苗さんが2泊3日で東京から来て、
夜なべして仕上げていってくれました。
rucoに来ると必ず触る場所のひとつです。

革巻きはこんなかんじで。

こうしてrucoはオーナーたちの夢と、
関わってくれたたくさんの人の想いと、
萩へのたくさんの愛情で、
萩にしかない、シオくんたちとしかつくれない空間ができました。

初めての地方都市での物件で
初めて渡部屋以外の人との空間づくりを経験することができて、
もの凄く大変だった分、一段と経験値が増えてレベルアップできた仕事でした。

information


map

ruco

住所:山口県萩市唐樋町92
TEL:0838-21-7435
http://guesthouse-ruco.com/