はじまりは、 品川の倉庫リノベーション。 豊かな発想力の源に。 WORKVISIONS vol.1

WORKVISIONS vol.1
巨大な模型をつくれるスペースを求めてお引っ越し

みなさん、はじめまして! ワークヴィジョンズの代表、西村 浩です。
今回から、6回にわたり、僕のリノベ論と実際の活動について
お話をしたいと思います。どうぞ、よろしくお願いします。

まずは、自己紹介から。ワークヴィジョンズは、
東京の品川と僕の故郷佐賀市に拠点を持つアトリエ系設計事務所ですが、
少々変わったスタンスで仕事をしています。
というのも、僕自身は、建築家を名乗っていますが、実は、大学は土木の出身。
大学時代は、景観や土木構造物のデザインについて学んでいました。
そんな経歴から、ワークヴィジョンズの仕事は、建築だけでなく、
河川や道路、公園などの土木分野のデザインの仕事も多くあります。
スケールが大きいものでは、なんと巨大なダムのデザインなんかもありましたし、
近年では、さまざまな分野の総体である都市、
特に地方都市の再生に関わることも増えてきました。

土木から建築へ、そして「都市のリノベーション」へと繋がる活動の展開と
そのいきさつについては、次回以降、詳しく書きたいと思っていますが、
巨大なスケールの土木構造物を相手にしなければならなくなったことが、
僕らのアトリエのあり方を大きく変えました。

ご想像のとおり、模型が恐ろしくでかいのです(笑)。

僕は、1999年に独立し、ワークヴィジョンズを設立。
最初は間借りの小さなスペースではじめました。
その後、何度か引っ越しを経験した後、いよいよ手狭になり、
2015年に改めて引越し先を探さなければならなくなりました。
でかい模型をつくれるスペースに。

巨大な土木の模型。つくったものの、大きすぎて部屋から出せなくなったことも。

ある雑誌との衝撃的な出会い

とはいえ、東京で広いオフィスなんて、駅から遠いか郊外か、
利便性の高い都心ならば家賃が高くてとても手がでません。
広くて安くて自由に使える物件はないものかと悩んでいるときに、
1冊の雑誌に出会いました。

それは、スペースデザイン1999年10月号(通称:SD 9910)、
「東京リノベーション」という特集です。

SD 9910の表紙。EXIT metal work supply 通称作業場の写真。ほんとにかっこいい。

表紙は、大きな倉庫をリノベーションした、
EXIT metal work supplyの事務所+工場+ギャラリー+倉庫で、
超かっこいい!!
中をめくると、同じく倉庫のような修理工場をリノベーションした、
Klein Dytham architectureの元オフィスだったDeluxeほか、
東京の空き倉庫マップまで掲載されています。

SD 9910の東京空き倉庫/工場マップ。

僕にとっては、「リノベーション」という言葉にはじめて触れた瞬間でしたし、
何より、倉庫や工場がここまでかっこよく、クリエイティブな空間に変わってしまうことに、
とても感動したことを覚えています。
ですから、このSD9910は、僕の中ではとても大切な1冊で、
僕の意識を変えてくれた雑誌だと思っています。
残念ながら、このSDは廃刊になってしまいましたので、
今やなかなか手に入らない雑誌ですが、
お勧めの1冊ですから、古本屋でぜひ探してみてください!

東京を南へ!ようやく出合えたおんぼろの倉庫

僕にとって記念碑的な存在となったこの雑誌との出合いから、
僕の頭の中は、倉庫にアトリエを構えるイメージしかありませんでした。

というわけで、早速スタッフの車で、憧れの倉庫探しの旅へ!

スタッフのみんなと物件探しの旅に。みんなやんちゃでした(笑)。

「いわてのテとテ」。東日本大震災から4年、あの日を忘れないよう、宮古の姿を伝えるプロジェクト

本日は、東日本大震災の発生から4年目。
あの日のこと、犠牲になった方のこと、被災された方のこと、
そしていまもそのまちで暮らす人たちのこと
を忘れないように、各地でさまざまなプロジェクトが行われています。
本日、Yahoo!ではチャリティープロジェクト「Search for 3.11」を実施。
Yahoo! JAPANで「3.11」というキーワードを検索すると、
検索した人1人につき10円が、Yahoo! JAPANから
東日本大震災の復興支援団体などに寄付されます(本日23時59分まで)。
そのほか、「未来への現在地」として、被災地で暮らす人々の姿を伝えています。

そしてこちらは、岩手の新聞「岩手日報」による「いわてのテとテ」。
これは東日本大震災直後から続くプロジェクトで、
昨年は神戸と岩手でそれぞれに大震災を経験し、
新成人を迎えた二人の出逢いを創出し、
ハタチのリアルな対話を神戸新聞・岩手日報の双方の紙面に掲載しました。

今年は宮古市出身のレゲエ・シンガー リクルマイさんと
イラストレーターの小池アミイゴさんによるプロジェクト
「きたぐにのはる」がつなぐ4年目のいわてのテとテ
~二人の宮古漫(そぞ)ろ歩き
」が行われています。
リクルマイさんが、小池さんを宮古案内し、
思い出を語る記事や動画をWebサイトで公開するもの。

リクルマイさんと小池アミイゴさん

二人が歩く宮古の港。

路地奥・広場付きの長屋から 「ともにつくる」コミュニティへ。 HAPS vol.6

HAPS vol.6

トンネル路地を抜けると、その奥には長屋群と広場が広がっています。
京都市東山区本町。京都駅の東に鴨川を渡り、三十三間堂のご近所です。
HAPSからも南方向に徒歩圏内。このまちなかにひっそりと佇む、
路地奥の長屋8軒とその奥に広がる350㎡もの広場を、
一体化させ活用しようというプロジェクトが始まっています。
名付けて「本町エスコーラ」。

トンネル路地をくぐり、路地奥長屋へ

HAPSが不動産業者とのネットワークを広げようと動いていた中で知り合った、
若山不動産・若山正治さんから2013年夏頃に紹介していただいた物件でした。
おそらく戦後になって建てられた、
路地奥、風呂なし・汲み取りトイレ・一部共同トイレの長屋8軒。
若山さんいわく、京都でよく見かけられる「典型的な空き家物件」。

このトンネル路地を抜けると、長屋と広場が広がっている。

路地奥で再建築ができないという物件が多い京都。
高齢化、空き家率も京都市内で最も高いエリア、東山区にある
ここもそのケースのひとつ。
現在ぽっかりと広場になっている部分にはかつては工場が建っていました。
広場の北側には20軒ほどの別の長屋群もあるので、
活用するとなると近隣の住民の方たちの理解が必要となってきます。

長屋部分の敷地面積はおよそ70平米。便宜上8軒の長屋としていますが、
6軒は元々上下階あわせて3戸分の長屋だった間取。
1戸分を上下2軒に分けられたり、1階の間取を2軒に分けられたりしているようです。
さらにイレギュラーに向きの違う1軒が連なり、離れが1軒あります。
年を経て幾重にも改築が重ねられた様子が窺えました。
これは、長屋部分に工場で働く人々が住んでいた時期に、
より多くの住まいを確保するために行われた改修と想像されます。
さらに新たに建て直すことはできないものの、建物は修繕を必要とし、
その予算の捻出が必要な状態でした。
土地や建物が相続などを経て複数名で共同所有となっていることも、
新たな借り手の募集にあたり状況を複雑にしていました。
つまり、一般的な不動産の流通にはのれない物件です。

若山さんからは、美大などの団体に、
「柔軟かつクリエイティブに使ってもらえたら」いう期待をよせ、
HAPSへ一括での運用を探ってほしいというのです。
条件としては、地域との関係を大切にしてほしいということ。

若山不動産・若山正治さん。

HAPSでは、面白いことができる可能性があるのではと、
関心を持ってもらえる方々と何度も下見に行ってはみるものの、
規模の大きさと改修にかかる費用を想定すると、
具体的な話まで至らず、時間ばかりが過ぎました。

まつどやさしい暮らしラボ

松戸市民とコロカルがコラボレーション!

小雨降り、特に冷え込む日となった2月7日。松戸市役所にて男女10名の市民が集まった。
彼らは「まつどやさしい暮らしラボ」の市民ライター。
松戸が誇れるひと・モノ・こと、おいしい場所、イベントなど、
あらゆる情報を取材し、発信している“特命記者”だ。
ラボという名の通り、松戸を研究し、「やさしい暮らし」について考えるという
ユニークな試み。2014年の秋から本格始動し、
松戸にまつわるモノ・ひと・ことを取材や撮影、記事にして、
「まつどやさしい暮らしラボ」のサイト内で発信している。

20代〜70代と年代も違えば、バックグラウンドも経験もそれぞれ違うけれど、
自分の住んでいるまちを心から愛する、やさしいメンバーだ。

きっかけは「まつどやさしい暮らしラボ」から、
コロカルに一件の依頼があったことにある。
『ウェブライティングとカメラ撮影のコツを教えてください!』
編集部一同びっくりしつつも、なんともありがたい依頼!
いいですね! ぜひやりましょう! とふたつ返事で決まった今回の企画。
「コロカルニュース」を中心に、数多くの
(なんとコロカルだけで1000本近くの!)記事を手がけている
ライター・斎藤あきこと、
連載「美味しいアルバム」など、
料理写真や地域住民の笑顔と魅力あふれる人物写真に定評がある、
カメラマンの津留崎徹花が講師役を拝命。
かくして、「コロカル編集部による、ウェブライティング&カメラ講座」のはじまりはじまり。

リノベが生み出す、未来。 シーンデザイン一級建築士事務所 vol.06

シーンデザイン一級建築士事務所 vol.06

“リノベーションをサポートする「リノベ基地」をつくりたい”
そんなマイルームの倉石さんの妄想から始まった、長野市善光寺門前、東町の
倉庫群の再生プロジェクト「SHINKOJIプロジェクト」は、
文具卸売会社の事務所ビルを含む倉庫群、
計4棟を対象としたリノベーションプロジェクトで、
まちなかで増えつつある空き家再生の拠点になる、
「リノベ基地」となることがコンセプトです。

2014年4月に、北棟、西棟、南棟、東棟の4棟ある建物のうち、
まずは北棟がオープンしました。(前回vol.05参照)

使われなくなった古い事務所ビルをリノベしてできた北棟は門前界隈でも話題となり、
それまでほとんど人通りがなかった新小路(SHINKOJI)に、
少しずつ賑わいが戻ってきました。

シーンデザイン一級建築士事務所の連載が最終回となる今回は、
北棟に続くSHINKOJIプロジェクトの現在と、
今後の展開についてお話ししようと思います。

長野リノベーションシンポジウム

2014年7月、北棟のOPENに続き、西棟に【SHINKOJIアトリエ】が完成し、
アート作品の制作や教室、事務所として利用できる、
ものづくりをする人のためのシェアアトリエが運営を開始しました。
2014年10月には、北棟と西棟をメイン会場とした
アートイベント「SHINKOJI ARTS」と、
リノベ工事が途中の南棟で「長野リノベーションシンポジウム」が同時開催されました。

ご近所の松葉屋家具店のイベント「マルクトプラッツ」も同じ日に行われたため、
周辺のエリア全体で大変賑やかなイベントとなりました。
長野リノベーションシンポジウムは、リノベ工事途中の“現場”を会場にしたことで、
わかりやすく、その一端を垣間見せることができたのではないかと思います。

リノベ工事途中の南棟で行われた「長野リノベーションシンポジウム」。

その後、南棟がオープンしたのは2014年12月のこと。
南棟は、4棟のなかでも中心的な役割を担う建物として計画され、
「東町ベース」という呼び名も決まりました。
東町ベースは、2階にCAMP不動産のメンバーがオフィスを構え、
3階の倉庫にストックした廃材や建具など使い、
1階の作業場で職人たちが加工するという、新しいリノベーション基地を目指しています。

東町ベース3階の倉庫にストックされている古家具や建具。

東町ベースの1階の作業場。

CAMP不動産メンバーで最初にできた南棟のmanz-desginのオフィス。

徳島県三好市の廃校を使った 「マチトソラ暮らしづくり ワークショップ」レポート!

昨年から今年の1月にかけて、「四国のへそ」こと徳島県三好市で、
「マチトソラ暮らしづくりワークショップ」が開催されました。
これは、コロカルでもおなじみの「リバースプロジェクト」が、
衣・食・住・エネルギーに関する低炭素なライフスタイルを
地域で実現していくためのワークショップ。
三好市の「株式会社ハレとケデザイン舎」と、
「NPO法人てヲとる」と共同で、
企画、監修を行い、衣・食・住・エネルギーにまつわる
ワークショップを多数開催したんです。
そのワークショップの様子をいくつかピックアップして、
お写真でご紹介します!

そもそも、なぜこのワークショップが始まったのか?
三好市は、四国で一番広い自治体。
「マチ」と呼ばれる四国の交通の要所として栄えた
中心市街地の阿波池田と、「ソラ」と呼ばれる
祖谷や大歩危小歩危などのある山間部があるところ。
それぞれの地域では古くからの建築様式の建物が残り、
そこでは土地に根付いた自給的な暮らしが綿々と
続けられてきました。
しかし少子高齢化が進み、そのような歴史ある建物が
空き家となり、地域での暮らしやコミュニティが
存続の危機に立たされています。

そんな三好市が活気づくように、
三好市の「マチ」と「ソラ」に点在している
古民家や廃校などを舞台にした「マチトソラ芸術祭」が昨年開催されました。
ワークショップは、この「マチトソラ芸術祭」にあわせて
スタートしました。

勝手に作る商店街サンド: 秋田県・鷹巣駅前編

商店街サンドとは?

「商店街サンド」とは、
ひとつの商店街(地域)で売られているパンと具材を使い、
その土地でしか食べられないサンドイッチをつくってみる企画。
必ずといっていいほど美味しいものができ、
ついでにまちの様子や地域の食を知ることができる一石二鳥の企画なのだ。
今回は雪の降る、秋田県北秋田市の鷹巣(たかのす)にやってきた。

世界一の大太鼓がある鷹巣でつくる!

鷹巣は秋田の中でも北部に位置し、
秋田の内陸部を南北に縦断する長さ94.2kmのローカル鉄道
「秋田内陸縦貫鉄道」起点の駅でもある。
また、ギネスにも認定されている巨大な太鼓があることでも有名で、
夏になるとその太鼓の上に何人も乗り、
長いバチで叩きながらまちを練り歩くお祭り(八幡宮綴子神社例大祭)もあるそうだ。
このほか、シシトウラーメンやシシトウチョコレートといった
刺激的な珍名物もあるようなまちである。

ギネス認定の巨大太鼓、直径3.71メートル。これなんと、国産牛の一枚皮でできているのだ!(大太鼓の館より)

いざ鷹巣へ来てみると、雪・ときどき吹雪、
といった豪雪地帯ならではの天気だった。これぞ秋田の冬といった感じ。
出迎えてくれたのは雪だけではなくて、
この日はちょうど商店街近くで朝市が開かれているという。
せっかくなので寄ってみることにした。

商店街からすぐ近くの朝市。7のつく日に行われる。

北秋田の食が凝縮の朝市。上野のアメ横の出張版みたい?!

鷹巣の朝市は、寒かろうが暑かろうが平日だろうが、
「7」のつく日に必ず開かれる。
時間は朝の7時ころからだいたい昼の12時ころまで。
かつては50軒ほどのお店が並んでいたそうだが、
この日は約20軒くらい並んでいただろうか。
ひとつの通りに八百屋さん、魚屋さん、漬物屋さん、
服屋さん、乾き物屋さん、お菓子屋さんなどが
点々とお店をかまえていた。
身ひとつ分のスペースで売る人もいれば、トラックを使って販売する人もいて、
これが見ていてなかなか面白い。

トラックの荷台をお店にしている八百屋さん。

こちらは魚屋さん。トラックに「SUPER SHOP 宇宙船」と書かれてる。なんだかかっこいい!

こちらは洋品店。よく見ると、コタツに入っててあったかそう。

こちらはお餅や豆類など。寒そうだけど、椅子の下に暖房がちゃんとありました。

お客さんに自由に見てもらうスタンスのお店から、
積極的に声をかけて売りこむ姿も見られる。
いろんなものが雑多に売られている様子や、元気に声をかけてくる様子は、
まるで上野のアメ横の一部を切り取ってきたようだ。
ちなみに、これらのお店は出張販売というかたちで周辺地域からやってくるのだそう。
中にはお隣の青森からくる業者さんもいるのだとか。

お菓子屋さん。雲平やもろこしなど、秋田ならでは。

乾き物や缶詰などを売るお店も。

卵や豆腐、調味料など。全国にあるものかと思いきや、よく見ると比内地鶏の卵豆腐やきりたんぽなど、やっぱり秋田のものが並んでいる。

さきほどとは別の魚屋さんではサメも売られていた。あまり見慣れないのでウワーッと大声が出た。

お腹の中で育っていたサメの赤ちゃんと卵を見せてくれた。小さくてもちゃんとサメだ、とマジマジと見る。※こちらは売り物ではありません。

そのままではサンドに挟めないようなものが多いけど、見ていてとても楽しい。
この辺りの人たちにとっては日常の風景であり
売られているものも珍しくはないのだろうけど、
よそからきた私にとって秋田の食文化を知ることができてすごく楽しいのだ。

シェフの調理で、防災食がごちそうに変身!松戸市でイベント「ごちそうとぼうさい」開催

ご家庭や職場に常備しておきたい非常食。
でも賞味期限が長いあまりに、ついつい忘れて廃棄することに
なってしまうこともしばしば。
それを解消するのが「ローリングストック法」。
日常的に非常食を食べて、食べた分を買い足していくという方法です。
これならいつも新鮮な食品をストックすることができます。

2015年1月16日(金)、千葉県松戸市にて
この「ローリングストック法」を学ぶ
イベント「ごちそうとぼうさい」がおこなわれました。
主催は、松戸市のシティプロモーションの一環である
市民参加型のプロジェクトチーム「まつどやさしい暮らしラボ」。

その内容は、被災地での経験を持つ2名のプロの料理人が、
乾パンやアルファ米、乾燥餅といった非常食や地元野菜を
使って作った「ごちそう」を披露するというもの。

新松戸にある「田島亭」の田島加寿央シェフと、
出張料理人のキムラカズヒロシェフが腕をふるい、
一般的に非常食としてよく使われるものを使って5品を調理。
参加者はグルメな姿に変身した防災食に舌鼓を打ちました。
こちらでレシピが公開されています。

左:田島加寿央シェフ、右:キムラカズヒロシェフ

非常食のお餅を使ったミルフィーユ。お見事!

和倉温泉「多田屋」6代目  多田健太郎さん

さまざまな経験を経て、自分の道へ。

豊かな自然と独自の文化が残り、北陸新幹線の開通で、
いまさらなる注目を集める能登半島。
その能登半島の中心部にある和倉温泉の、
七尾湾を一望する高台に建つ旅館が、多田屋だ。
それほど大きな宿ではないが、明治18年から続く歴史ある旅館で、
落ち着いたあたたかい雰囲気が漂う。
「長旅でお疲れではないですか」と気さくな笑顔で迎えてくれたのは、
多田屋6代目の若旦那、多田健太郎さん。

能登で生まれ育った多田さんは、
いずれ多田屋を継ぐということは漠然と頭にありながらも、
自分のやりたいことを見つけたいという思いもあり、東京の大学に進学。
卒業後はアメリカに留学し、短大でインテリアなどを学んだ。
帰国後もすぐには地元に戻らず、東京のIT会社に就職。
1年勤めたあと多田屋に入社するが、いきなり大阪に転勤。
旅館案内所で営業を担当するためだ。少し遠回りをしているようにも思えるが、
それもいろいろな経験ができてよかったと多田さんは笑う。

「アメリカでは最初、言葉が通じなくて挫折を味わったり、
東京の会社で働いていたときは毎日終電で帰るような生活で、落ち込んだりもしました。
自分の核となるものがわからないまま転がっていった感じでしたね」
それでもいつか能登に戻るということは心に決めていた。
そのタイミングだと思った29歳のとき――それは結婚のタイミングとも重なったそうだが、
能登に戻ったのだという。
「いつか僕が継ぐのであれば、旅館を僕流にしていかないといけない。
これ以上、父のやり方でいくと、軌道修正が大変だと思ったんです」

七尾湾に面した抜群のロケーション。このオーシャンビューが多田屋の自慢。

どんな業界でもそうだが、特に伝統ある家業の場合、世代交代は一筋縄ではない。
守っていくことや受け継いでいくことだけでなく、
時代の移り変わりやニーズを的確に読み取り、新しいことにもチャレンジしていく。
そうでなければ、廃れてしまうことにもなりかねない。
「もちろん息子として父のことは好きですし尊敬していますが、
一緒に仕事をできるかというとなかなか難しい。
父親だけど社長という関係も、その距離感をつかむまでが大変でした」
社長である父の世代の価値観と、自分の世代の価値観ではズレがある。
これから若い世代の人たちにも多く来てもらうためには、
多田さんは自分のやり方を少しずつとり入れていかなくてはいけないと感じたのだ。

まちにできた 小さなイタリアンレストラン。 地元を元気にしたい店主の思い。 medicala vol.5

medicala vol.5
水のまちのイタリアンは本場さながら

前回はマスヤゲストハウス後編ということで、
解体古材を使ったリノベーションの面白さについて書きました。

今回紹介するのはつい最近、2014年11月〜12月の上旬にかけて
施工に入ったプロジェクト。
大分県竹田市のまちの中心、
四つ角にある元クリーニング屋さんの建物をリノベーションした、
イタリアンレストラン「Osteria e Bar RecaD(通称リカド)」のお話です。

「Osteria e Bar」とは、イタリア語で「気軽なレストランとバー」という意味。
カジュアルに訪れてもらいたいという思いに加え、
「RecaD」とは、「Re=角」の意味で、「マチカドの再生」を表しています。

つまり、コンセプトは「人々が集うマチカドの再生」。

昔と比べて活気がなくなってしまった竹田のまちを
「この場所から元気にしてきますよー!」
というオーナーの想いから、このレストランは生まれました。
オーナーは、桑島孝彦さん。
僕らは愛を込めて「クワマン」呼んでいます。

こちらがクワマン。竹田の市内で行われるイベントに出店しているときの様子。

1982年3月生まれの33歳です(2014年12月時)。
東京のイタリアンレストランで修業後、
2012年に「地元竹田市を面白くしたい!」とUターン。
竹田に帰ってきてからは、実家が営む「お米とお酒のくわしま」を手伝いながら、
移住者に空き家を紹介する仕事をしたり、
地元のイベントに屋台を出店したりと、竹田の中でいろいろ動きながら、
ゲストハウス(!?)を始めるために物件を探していました。

そうなんです。もともとクワマンがやりたかったのはゲストハウス。
クワマンと僕は東京のゲストハウスで知り合い、
その後、連載でも紹介したNui.や、
rucoの工事に手伝いにきてくれたクワマンに、
「アズくんにいつか竹田のゲストハウスのデザインをしてほしい」
と声をかけてもらいました。

しかし、なかなかゲストハウスに合うような物件が見つからない。
Uターンして2年経った頃、
レストランにするとちょうどいい物件に出会えたクワマン。
そこで、まずはイタリアンレストランから始めてみることに方向転換!
今回のプロジェクトが始まりました。
もちろん、志はゲストハウスをしようと考えていたころと変わらず、
「竹田を面白くしたい」ということ。

少し話が変わりますが、僕らは常々、
人がまちを訪れるには「3つの理由」が必要だと思っています。
例えば、会いたい人がいる、行ってみたい場所がある、
行ってみたいお店がある、食べたいものがある……など。
なんでもいいのだけれど、3つくらい理由があると、
じゃあ実際に行ってみようか、となりやすい。
会いたい人がひとりいても、
行ってみたい場所がひとつあっても、
わざわざそこまで足を伸ばすまでにはいかないことが多いのではと。

僕らにとって竹田市は、
会いたい人=クワマンがいる、
行ってみたいところ=ラムネ温泉(後ほど詳しく)がある。
しかし、僕たちがそれまで持っていた理由はふたつだけだったから、
なかなかいく機会がなかったのですが、
今回、物件が見つかったタイミングにたまたま九州にいたので
「近くまできたから」という3つ目の理由を携え、
ようやく初めて竹田を訪ねました。

竹田市の紹介を少し。
大分県竹田市は、大分市と熊本県阿蘇市のちょうど真ん中あたりにあります。
どちらからも車で1時間かからないくらい。
市町村合併のため、その面積は大きく、
また集落が分散されているためひとつの集落に多くの人が集中しておらず、
人口密度は52.6人/㎢(平成22年度、竹田市統計より)。
ちなみに長野県下諏訪町は313人/㎢(平成25年データ、下諏訪町統計より)、
東京23区は14,693人/km²(平成27年1月現在、東京都統計より)。
竹田市の人口は下諏訪と同じ規模の約2万3千人。
日本の市の中で見ると75歳以上の高齢化率は全国2位。
(合併前は全国1位だったみたいです)
そんなお年寄りが多いまちですが、
昨年地域おこし協力隊を18人を受け入れたり、
移住者やUターン者がいたり、アーティストインレジデンスを行っていたりと、
まちづくりへの取り組みが活発なまちでもあります。

文化的な遺産としては、難攻不落の城であった「岡城址」が有名です。
(よく天空の城のある竹田城があると勘違いされますが、
竹田城は兵庫県、竹田市は岡城)
クワマン曰く「岡城に攻め込むつもりで行ってみるとスゴさがわかるよ」
と説明するくらい、岡城は強い城だったそうです。
また、滝廉太郎の「荒城の月」の舞台は岡城であることも有名です。
(「荒城の月」が流れるトンネルがまちなかにある)

個人的には、藤森照信さんの設計した「ラムネ温泉」があったので、
竹田市は行ってみたいまちのひとつでした。
焼杉の外壁、銅葺きの屋根の可愛いかたちをした建築です。

ラムネ温泉。

後からわかった竹田の魅力は、なんと言っても「水が豊富」なこと。
竹田市は広いので、市内のいろんな場所で温泉に入れます。しかも安い。
そして、湧き水もたくさんあります。
「竹田湧水群」という場所があり、数種類の湧き水が楽しめ、
それぞれ味が違うため地元の人は「お気に入りの湧き水」があったりします。

竹田市の紹介はこれくらいにして、
オーナーの紹介と、プロジェクトの経緯について説明します。

クワマンが見つけた物件が、こちら。

工事前の外観。

都市に奥行きをつくる。 HAGI STUDIO vol.6

HAGI STUDIO vol.6

みなさんこんにちは!
vol.1vol.2vol.3vol.4vol.5に続き、
東京谷中の最小文化複合施設「HAGISO」について書いていきます。
これまでの連載でひたすらHAGISOの中のことを書き連ねてきましたが、
最終回にきてようやくw外に目を向けてみたいと思います。

第2フェーズ「まちへ」

2013年3月から始まったHAGISOも、まもなく丸2年が経とうとしています。
バタバタと駆け抜けてきた2年間でしたが、
HAGISOの第2フェーズとして、
より一層地域・エリアに還元できる活動をしていきたいと思っています。
これまでもまちの魅力を高めるような場所として存在できるよう考えてきましたが、
あくまでHAGISOの中での活動だった気がします。
しかし、そもそも谷中でこのような試みを始めたのも、
このまちのポテンシャルに惚れ込んだからでした。

谷中銀座商店街。現在でも八百屋・魚屋・肉屋などの小売店が元気な商店街。道の幅員の狭さが、人と人の距離も縮めている。

岡倉天心記念公園。東京美術学校(現・東京藝術大学)の設立に関わり、また日本美術院を創設した岡倉天心の旧居跡。

小さな小売店が点在し、各家の植木鉢が道を彩る、迷路のような路地。

まちの食料品店「みかどパン」の目印、ヒマラヤ杉の大木。元は植木鉢に入っていたというヒマラヤ杉が、みるみる大木になったという。樹下の民家を守っているようにそびえている。

海外でも人気の自転車メーカー「toykobike」の直営店は谷中にある。もともとは酒屋、伊勢五本店の築80年の建物。

これらはほんの一例ですが、これらの魅力的な場所がいまだに住み継がれていることに、
約10年住んだ今でも感動を覚えます。このまちに対して僕らは何が返せるでしょうか?

谷中で行った初めてのプロジェクト

実は僕らが谷中で行ったプロジェクトはHAGISOが最初ではありませんでした。
2007年の夏、大学院在籍中に研究室のプロジェクトとして行った、
MACHI-YATAI PROJECT」というものがあります。

全体構成ダイアグラム。路地を7枚の暖簾で仕切る。

これは谷中にある路地を、一時的な設え(MACHI-YATAI)を用いて
展示空間に変換するプロジェクトです。場所はお寺の私道で、車も入れない細い路地です。
道の真ん中に木が立っていたり、今も水が出る井戸などがあります。
ただでさえワクワクして面白い場所ですが、
この一本の長い路地を「暖簾」で分節させ、その間に作品を設置することで、
一連なりの展示空間とするものです。

普段周辺にお住まいの住民の方の日常的な通路が、暖簾を設置するだけで一変します。

墨田区で入場無料の 「ほくさい音楽博」開催。 こどもたちが世界中の音楽を 体験できる!

2015年2月8日(日)、
墨田区の「本所地域プラザBIGSHIP」にて、
音楽イベント「ほくさい音楽博」が開催されます。
これはこどもたちが、世界中の音楽を体験できる音楽博覧会。
一部体験会を除き、参加は無料です。

名前の由来は、墨田区うまれで世界に名を轟かせた
アーティスト、葛飾北斎。
彼の生誕地である墨田区周辺地域を拠点として、
こども達に世界中の響きの美しい楽器に触れてもらい、
練習を重ね、発表会を行っていくプログラムなんです。

スティールパンチーム練習の模様

ガムランチーム木琴制作の模様

当日のプログラムはバラエティ豊か。
日本でヒューマンビートボックスを広めたパイオニア的存在の
AFRAさんによる「声で演奏!ボイスパーカッション体験」や、
講談師の神田真紅さんによる「江戸の話芸!講談体験」。
そのほか「大声出し放題!義太夫体験」、「スティールパン体験」などなど、
こどもたちが実際に音楽に触れて楽しめるイベントが目白押しです。

おひさしぶりのん! 秋田県大館市のアイドル、 ゼロダテ秋田犬 「ののちゃん」日記 第7回。

みなさん、あけまして・・・

おめでのん!

お元気でしたのん??

ちょっと間が空いてしまってすみませんでしたのん。

ののが広報室長を務めた大館・北秋田芸術祭も無事終わって、
なんだかついうとうとしてしまってたましたのん。

去年はいっぱい楽しいことがあって素敵な2014年でしたのん。

アートを通して、 人と人が関わる宿泊施設 KYOTO ART HOSTEL kumagusuku HAPS vol.5

HAPS vol.5
kumagusukuが生まれるまで

京都市中京区壬生。市内中心地の西、二条駅や二条城の周辺は、
大規模な商店街があるなど昔ながらの雰囲気を持ちつつ、
独自色のある小さなショップやギャラリーなどが増えている一帯です。
新旧の入り交じる活気があります。
そんなまちの一角に、
2014年11月完成した「KYOTO ART HOSTEL kumagusuku」。
展覧会の中に宿泊し、美術を“体験”として深く味わうための施設です。
2015年1月にオープンしました。
コロカルニュースでも紹介され、大きな反響がありました)

今回は、HAPSでマッチングをした物件ではありませんが、
計画当初より相談をいただき、
情報提供を行ったkumagusukuができるまでを辿ってみます。

kumagusukuとは、
博物学者・南方熊楠の名前と、
沖縄の言葉で“城”を意味する“グスク”とを合わせた造語。
熊楠の名前に含まれる
熊=動物と楠=植物を人間の営みの象徴として、
さらに城を組み合わせることで宇宙的な視座を持って世界を見て、
関わっていくという思いが込められています。

そもそもの発端は、2012年12月。
kumagusuku代表である美術家・矢津吉隆さんの、
「美術作品を通して人と人が関わる宿をつくりたい!」という思いから。
京都市立芸術大学を卒業して10年間ほど、
美術予備校講師や美大の非常勤講師を務めながら
作家活動を続けてきた矢津さん。次のステップに向けて、
何らかの決断をしなければいけない時期に差しかかっていました。

そんなとき、友人に誘われ、訪れた沖縄でのこと。
なんと大きな台風が直撃してしまい、
3日間もゲストハウスに閉じ込められることに。
しかし、人生を立ち止まって考えているときに
日常とは離れた環境のなかで
シーズンオフの沖縄にふと集まってきた人たちと話すことが
期せずして自分の内面をさらけ出すこととなりました。
この体験から、アートを通して
人と人がじっくり関われる宿をつくりたいという構想が生まれたのでした。

住宅街に佇む木造2階建てのkumagusuku 。

とは言うものの、
これまでアーティストとして活動してきた矢津さんにとって、
事業を起こすというのは新たな領域です。
事業計画の作成や融資など、初めてのことも多く、
まずはHAPSで紹介した行政書士の藤本寛さんからアドバイスを受けました。
当初は、自己資金で何とかできるのではと考えていた矢津さんも、
計画を進めていく中で、ひとりではできないということを実感。
思いを伝え具体化していく過程で、
これまでのつながりから、関わるメンバーも増えていき、
最終的には、創業者支援の融資制度や、
京都市の空き家改修のための助成金も活用することができました。

しかし、「事業の実績がない!」ことは説得材料に欠けるもの。
そこで矢津さんは、「瀬戸内国際芸術祭2013」に誘われたのを機に、
小豆島で期間限定のプロジェクトとして、
井上大輔さんとともにセルフリノベーションで、
kumagusukuの前身、アートを鑑賞できる滞在施設を実現。
(この様子はコロカルで連載中の小豆島日記にてレポートされています)
考えていた以上の盛り上がりに、
アートがつなぐ宿の方向性に確信を抱きました。

(左より)「工芸の家」のメンバー 石塚源太さん、kumagusuku代表・矢津吉隆さん。

京都へ戻った矢津さんは早速物件探し。
当初HAPSにもご相談いただいていたのですが、
うまく条件に合致するものをご紹介できませんでした。
京都市内には、町家など多くの空き物件はありますが、
宿泊施設としてさまざまな条件をクリアする物件を見つけるのは
なかなか難しいところがあります。

そんな物件探しに難航していた矢津さんが出会ったのは、
シェアスタジオを運営するなどして、
20年以上京都市内でアーティストを支援してきた、
A.S.K. atelier share kyoto (以下A.S.K.)代表の小笹義朋さん。

小笹さんはkumagusukuのプランを聞くと、
矢津さんとの出会いも何かの縁と感じ、
kumagusukuへスポンサーとして関わることを決断。

実は小笹さんは、そのときある木造物件を借り、
新たな共同スタジオにしようと
工事をスタートさせる一歩手前のところだったのですが、
この計画を一変させ、kumagusukuへと生まれ変わらせることに。
「見たことがないものを見たい、名付けられないものを見せてほしい」
と矢津さんに期待を寄せました。

小笹さんは、2012年からHAPSが活動を始め、
京都市の事業としてアーティストのためのスタジオ紹介が
行われるようになったことで、
スタジオ提供に関する自身の荷が下りたのだそうです。

A.S.K. atelier share kyoto代表の小笹さん。

手が入る前の物件1階の様子。

1階と2階を合わせて、
160平米以上ある元アパートだったという木造建築の物件。
全体のリノベーションを担当してくれたのは、
大阪・北加賀屋を拠点に活動する「dot architects」の家成俊勝さん。
ロゴや館内サインのデザインは、
矢津さんが長年仕事をしてきた
UMA / design farmの原田祐馬さんにお願いしました。

dot architectsによるkumagusukuの模型。(写真提供:kumagusuku)

dot architectsの建築は、建築単体というよりも、
人の関係性や建築の使われ方といったソフト面を含めデザインしていくというもの。
「完成が終わりではなく、その後いろいろな人が手を加え、
更新されていく余地を持たせてくれる建築に」という、矢津さんの希望とも合致しました。
そこで、矢津さんと家成さんが大切にしたのは、
「歴史的な蓄積をできるだけ残したい」ということ。
しかし、全部を包括的に更新するというのではなく、
手を加えたところと既存部分がわかるような、
“新たなレイヤーがつくられる建築”を模索。

さらに、もともとの「展覧会の中に宿泊する」というコンセプトから、
展示室と客室を分けたくないが、法律的には分ける必要もあるため、
視線の交錯を意識しながら、独立した空間をどうつなげていくかが、
課題となりました。

倉庫群の 再生プロジェクト。 シーンデザイン一級建築士事務所 vol.05

シーンデザイン一級建築士事務所 vol.05 
個から地域へ

長野市善光寺門前界隈には、ここ5年あまりでたくさんのリノベ物件が誕生しました。
これだけ狭いエリアに多くのリノベ物件が集積している地域は珍しいと思います。
もちろん個々のお店や住居は、各々個性的で独立した存在なのですが、
同一エリアに多く集まることで、その先に“まち”が見えてきました。
誤解を招くといけないので一応言っておくと、CAMP不動産は、
いわゆる従来的な“まちづくり“をしようとしているのではありません。
それでも“まち”が見えてきた、というのは、
あくまで、ひとつひとつ個別のリノベ案件について、
それがその場所で成立するための方策をあれこれ考えていると、
どうしても“まち”との関わりを無視できなくなるからなのです。
今回は、そんな個から地域への視点の広がりについてお話しできればと思います。

SHINKOJI(新小路)プロジェクトがスタート

不動産業を営む倉石さんと建築設計業を営む私が、
各事務所のスキルを横断的に生かしながら
リノベに関わる一連の事業について取り組んでみようと
「CAMP不動産」という活動を始めたのが2012年10月でした。
CAMP不動産として最初の物件は、vol.2で書いた藤田九衛門商店でしたが、
実はそれとほぼ時を同じくして構想を始めたプロジェクトがありました。

それが、SHINKOJI(新小路)プロジェクトです。

リノベ前の新小路。小路を挟んで両サイドに大きな倉庫が建ち並んでいます。

善光寺門前にある東町は、かつてとても人通りの多い問屋街でした。
新小路(しんこうじ)とは、その東町にある細い小路の名前です。
昭和10年頃には、洋食屋さんや鰻屋さん、中華料理屋さんに文房具屋さんなどが立ち並ぶ、
とても賑やかな小路だったそうです。

その後、昭和40年代に入り、新小路に建つお店は、
文房具卸し会社の本社や倉庫へと建替えられて一時代を築きました。
しかし、近年のインターネットなどによる流通構造の変化は、
まちなかの問屋街の様相を一変させました。新小路も例外ではありませんでした。
現在は、倉庫としてもほとんど機能していませんでした。

そんな状況下で、「SHINKOJIプロジェクト」は、
人通りの少なくなってしまった新小路に建つ、
計4棟の倉庫群をリノベーションするプロジェクトとして構想がスタートしたのです。

きっかけは地元不動産会社の相談から

時は遡り、CAMP不動産がSHINKOJIプロジェクトの構想を始める約2か月前。

地元不動産会社のリファーレ総合計画が、
この倉庫群の利活用を前提にした事業に着手したことが、
SHINKOJIプロジェクトのそもそもの始まりでした。

2012年9月。リファーレ総合計画の取締役である寺久保尚哉さんは、
まちなかにあるこの倉庫群を自社の事務所として利用しようと考えていました。
しかし、自身の不動産事務所として利用するだけでは建物が広すぎるため、
全体をどのように利活用していけばよいのか、いろいろな方に相談していたそうです。

その相談先のひとつに、CAMP不動産(株式会社マイルーム)があったのです。

この倉庫群には、古い建物にありがちな、完了検査を受けていなかったなど、
法的な問題点も数多くありましたが、
寺久保さんが、行政や建築士との協議を重ね、ひとつひとつ丁寧に解決し、
先ずは建物を“使える状態”にまでにしてくださったことが、
SHINKOJIプロジェクトがスタートを切る事ができた最大のきっかけにもなりました。

リノベーションをサポートする「リノベ基地」

リノベ前の新小路、北棟玄関。鉄骨造3階建ての事務所+倉庫でした。

2012年11月。以下、プロジェクトが始まった頃の、倉石さんのメールを紹介します。

「寒くなってきましたが、お元気ですか?
さて突然ですが、近々おもしろいプロジェクトが始まりそうなので、
お誘いのメールを送ります。
詳細は未定で、あえて名前を付ければ「リノベ基地」プロジェクトです。

まちなかの大きなビル倉庫群が借りられそうなので、
エリアごとリノベ基地にしてしまおうというものです。
放っておけば、いつものごとく壊されて駐車場になってしまいます。
建物は天井が高く、トラックも入る倉庫で、
そこでみんなの作業場にして、シェアしようというものです。
広いスペースでは、材料や道具がゆったり置け、もちろん加工もできます。
廃材や古家具もストックでき、職人さんが集まればオリジナル品もつくれます。
お客さんとのリノベプランが、現場さながらに進められます。
また、若者や熟練のスタッフがワイワイと集まり、
手がほしい現場ではテコになってくれます。
2階には、関連する道具屋、本屋、雑貨屋、めし屋、などがテナントとして入ります。
3階には、スタジオ、編集室を設け、
リノベやストックの物件情報とスタイルを発信していきます。
リノベに関連する事務所オフィスも入れます。
4階・屋上は、ゲストハウス的なものを設け、居住滞在も可能にします。
同じようなスペースを探している人たちを県内外から誘って、
シェアして使ってもらおうというものです。」

……CAMP不動産では、だいたい倉石さんのこんな妄想話から始まります(笑)。
補足説明すると、この時点で入居希望のテナントや入居者は誰ひとりとして決まっていません。
それでもよいのです。
リノベプロジェクトにおいて、ここで、ひとつのビジョンが提示されたことに
大きな意味があるのだと思います。

次は、私の番です。

喜久盛酒造仕込み蔵移転ファンド

廃業した仕込み蔵に再び灯る、復興という名の明かり。

10月、酒づくりのシーズンが到来し、今年で創業120年を数える老舗蔵が
新たなスタートを切ろうとしていた。岩手県北上市にある喜久盛酒造だ。

喜久盛酒造の酒蔵の外観。隣接する自宅や醤油蔵、倉庫なども含めて3000坪の敷地がある。高校生の頃からレスリングをやっていた藤村さんは、敷地内の空いている農作業小屋を改造して道場をつくり、震災前はよく格闘技愛好家に教えていた。

自宅と隣接する広大な酒蔵は、東日本大震災で半壊。
先代のときに操業を停止したという醤油蔵は、100年以上の歴史を持ち、
かつては映画のロケに使われたり、雑誌に取り上げられるほど趣きのある建物だったが、
屋根が崩落して全壊認定。現在も瓦礫は撤去されることなく、
あの日から時が止まったようにそのままのかたちで残っている。

「北上市は震度6だったのですが、私の代になってから
震度6の地震には、東日本大震災の前にすでに2回ほど遭っていました。
それでも2回とも酒蔵は無傷だったので、
古い建物は地震にも強いのだと思っていたのですが、
3.11は揺れている時間が長かったこともあり、
ケタ違いのダメージを受けてしまいました。
4月に起きた最大余震の影響も大きかったですね」
と、5代目蔵元の藤村卓也さんは当時を振り返る。

3.11から約1か月後に起きた最大余震で、大きく崩れ落ちた土塀。酒蔵は半壊してしまったものの、従業員とその年に仕込んだお酒は無事だったことが、何よりの救いだった。

地震の被害に加え、雪の重みでつぶれてしまった屋根。その下にあった冷蔵庫もつぶれてしまった。屋根裏は柱が傾いていて、とても危険な状態だ。

1990年代までは醤油の醸造も行っていた。全壊した醤油蔵は、映画のロケ地として貸し出したこともあるほど絵になる場所だったそうだが、震災で見る影もなくなっている。

酒蔵の修復に莫大な費用がかかることは、建築に無知な者でも容易に想像できた。
それでも北上市内の建築業者に修繕費用の見積もりを依頼すると、
金額ではなく、思いがけない答えが返ってきた。
「うちでは直せない」ときっぱり断られてしまったのだ。
100年以上前の建物であることに加え、
増改築を繰り返してかなり複雑な構造になっていたため、
近代建築を扱う一般的な業者には手に負えない、というのが理由だった。
その後さまざまなつてをたどって、古民家を専門に扱っている盛岡市の業者から、
ようやく見積もりを出してもらえることに。
しかし、その時点で震災からすでに丸2年以上の歳月が流れていたため、
修復に関する補助金の申請を行うことができず、
自分たちで捻出しなければいけない状況だった。

他県の復興支援団体が喜久盛酒造へ視察に訪れたとき、全壊した醤油蔵を見て、
解体費用を自治体から援助してもらえるのでは、とアドバイスしてくれた。
それを聞いた藤村さんは、古い酒蔵を直すのではなく、全壊した醤油蔵を取っ払って、
その場所に現在の出荷量に見合ったコンパクトな蔵を新築したほうが、
予算を安く抑えられるのではないかと考えた。
しかしながら自治体によって対応が異なり、
北上市からは解体費用を援助してもらえないことが判明。
半壊後、規模を縮小しながら営業を続けていた酒蔵を直すことしか、
道は残されていないように思えた。

藤村酒造店(現在の喜久盛酒造)の創業間もない頃の代表銘柄「凱旋」。日清戦争勝利に因んだネーミングで、時代がうかがえる。後ろに写っているのは、税務署に提出していた申告書。どんなお酒をつくっていたのかが詳細に記されている。

藤村酒造店時代の広告。戦時中に企業合併した北上・花巻の酒蔵は、戦後に分離。3代目だった祖父の藤村久喜(きゅうき)さんが、「久喜が逆立ちしても盛り上げる」という意味を込めて、社名を喜久盛酒造に変更した。

酒蔵に足を踏み入れると目に飛び込んでくる標語。祖父が蔵元だった頃は日本酒全盛の時代で、従業員を多数雇い、事業をかなり拡大させていた。

そんななか、隣の花巻市にある白雲の社長が亡くなり、
2014年3月に自主廃業したことを耳にする。
太平洋戦争中、喜久盛酒造の前身である藤村酒造店と白雲をはじめとする複数の蔵は、
同じ税務署管内の酒造メーカーとして企業合併していた時代もあった。
しかも喜久盛酒造と白雲は、市が違うといっても車でわずか5分の距離。
ご近所の蔵で、なおかつ国の政策とはいえ一時は同じ企業だったよしみもあったので、
藤村さんはご遺族に白雲の蔵を貸してもらえないかと
思いきって相談すると、ふたつ返事で承知してくれた。

白雲の社長は、酒蔵と隣接する自宅にひとりで暮らし、
酒づくりは基本的に杜氏とふたりで行っていた。
2013年の秋、まさにこれから酒づくりをしようという準備段階で
亡くなってしまったため、蔵もきれいで、醸造機械の類は年季が入っていたものの、
メンテナンスをすれば充分に使える状態だった。
さらに喜久盛酒造と比べてコンパクトな白雲の蔵は、
現在の出荷量を考えても作業しやすい手頃なサイズといえた。
修繕費用がかなりかかってしまうことを考えても、喜久盛酒造の蔵には手を加えず、
白雲に移転して酒づくりを続けるのが賢明だと藤村さんは判断した。

喜久盛酒造の広大な敷地内には4つの井戸があり、幸いなことに震災後も水質・水量は変わっていない。移転後は白雲の水を使うことになるが、水質はほとんど変わらないという。

移転先の白雲の仕込み蔵。社長は趣味人だったらしく、蔵にはステレオが置かれていたり、庭先には乗り古したバイクがあったり、自室には社長自ら描いた絵が無数に残されていたという。酒に関しても、自分のつくりたいものだけをとことんつくるような人だった。

さて、喜久盛酒造のつくる肝心の日本酒なのだが、これがかなりのインパクト。
現在一番の人気銘柄となっている「タクシードライバー」は、
藤村さんが代表になって間もない2005年に商品化したもの。
誕生したきっかけが、また面白い。
「知人の紹介で、『映画秘宝』という雑誌のアートディレクターをしている
高橋ヨシキさんと飲む機会があったんです。
お会いしてすぐに好きな映画の話になりまして、
自分はイタリアのグァルティエロ・ヤコペッティ監督の『世界残酷物語』という
ドキュメンタリーが、DVD-BOXを買うくらい好きなんです。
その話を真っ先にしたら、パッケージデザインをしたのがヨシキさんだった。
それで一気に意気投合して、映画の話で盛り上がりつつ、
これを機に新しい酒の銘柄を考えましょう、という話になりました。
バカ話をしながら、いくつか出てきたアイデアのなかで、
一番商品化しやすかったのが『タクシードライバー』だったんです」
その数日後には、高橋さんの手による
ラベルデザインの原型ができあがっていた。

高橋ヨシキさんがデザインした「タクシードライバー」のラベル。映画好きはもちろん、ミュージシャンなどにもファンが多いという。それにしても、すごいインパクト……!

「タクシードライバー」は藤村さんいわく、どっしりとしたタイプのお酒。
岩手のお酒は全般的に、さらりとした飲みやすいタイプが多いため、
県内の同業者には「岩手で一番濃い」と言われている。
「正直、地元の受けはそれほどよくないのですが、
大阪など濃い味の好まれるエリアでは、早い段階から結構飲まれているんです」

「タクシードライバー」は、震災後に東京の有名な地酒専門店に
取り上げられたのをきっかけにブレイク。
それまでは1年かけて売っていた在庫が3か月で完売して、
増産した翌年も3か月で早々に完売。
昨年度はさらに3倍の量を仕込んだものの8か月で完売して、
現在は今年の新酒を待つのみだ。

「これまでの蔵は、祖父の代にかなり事業を拡大して増築していたので、
壊れた部分とかろうじて使える部分がありました。
震災後も崩壊した部分はそのままにしておき、
比較的被害の少なかった部分でなんとか営業を続けてきました。
この3年間は、生産規模をかなり縮小せざるを得なかったため、
つくりたいものをなかなか満足につくることができませんでしたが、
こうして蔵を移ることで、ようやくやりたいことをできる状況にはなったと思います」

白雲の仕込み蔵。全体的にコンパクトなので、動線が短くて作業しやすく、少ない容量をたくさん仕込む現在の喜久盛酒造のスタイルに合っている。藤村さんはここで喜久盛のお酒だけでなく、「白雲」という銘柄も引き継ぐつもりだ。

この制御盤は、藤村さんの祖父の代に喜久盛酒造が白雲に譲ったものだとか。藤村さんは移転して初めてそのことを知ったのだが、ご近所の蔵だけに世代を超えてこうした付き合いがいくつもあるのだろう。

藤村さんの「やりたいこと」を実現すべく、
この秋から喜久盛酒造に頼もしい人物が新たに加わった。
杜氏の盛川泰敬さんだ。花巻出身の盛川さんは、
この業界に入って20年近く、他県の蔵で酒づくりをしてきた。
喜久盛酒造は、盛川さんにとって初めてとなる地元岩手の酒蔵だ。
「中学生のとき、『ドブロクをつくろう』という本に夢中になって
何十回も読み、酒づくりをしたいと思うようになりました。
お酒を飲むことも好きですが、世の中には自分に合う酒と合わない酒がある。
できるだけ合う酒を飲みたいと思ったら、自分でつくるのが一番ですし、
それができるのは杜氏だからこそですよね」

蔵元の藤村さん(左)と、杜氏として今年からともに酒づくりをする盛川さん(右)。白雲の蔵には、お酒をしぼる槽(ふね)という昔ながらの道具が残っている。機械でしぼるところが圧倒的に多くなっているなか、木槽の扱いは熟練した技術を必要とする。

盛川さんに合う酒、つまりつくりたい酒は、純米酒。
そして喜久盛酒造は、今年から県内初の全量純米蔵として再スタートを切る。
それが、藤村さんのやりたかったことだ。
「杜氏のつくりたい酒と、自分の求める方向性が、ようやく合致した感じです」

一度は明かりの消えてしまった蔵で、いままさに新たな仕込みが始まっているものの、
自治体から満足な復興支援が受けられなかったこともあり、
醸造機器類や酒米の購入費用、人権費用などは、まだまだ足りていないのが実情だ。
そこで藤村さんは、ミュージックセキュリティーズの
「被災地応援ファンド」を活用して醸造に必要な資金を募ることに。

「このファンドは被災した喜久盛酒造の復興と、
後継者が途絶えて自主廃業してしまった白雲さんの再生という二重の意味を持ちます。
かつては北上と花巻の両地域に十数軒の造り酒屋があったのですが、
震災前の時点で喜久盛と白雲、南部関の3つにまで減ってしまいました。
岩手は酒どころのイメージがあるかもしれませんが、造り酒屋だけでなく、
酒販店も後継者不足で廃業を迫られているところが増えています。
岩手の日本酒文化を絶やさないためにも、がんばってまいります」

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●ミュージックセキュリティーズ株式会社では、喜久盛酒造が移転先で設備を整え、
本格的な生産態勢を整えるために必要な資金をファンドを通じて募集しています。

■投資家特典
1口につきタクシードライバー純米酒1本(720ml、約1,500円相当)をご送付。
3口以上お申込の方には焼酎古酒(*)(720ml、約6,000円相当)を追加ご送付。

*三代目蔵元 藤村久喜(現代表の祖父)が昭和50年代に焼酎の製造免許を取得し、自社製品の酒粕を蒸留してつくった米焼酎と甲類焼酎をブレンドした「甲乙混和焼酎」。焼酎製造免許は既に返上してしまったために今後はつくることができません。今回ご提供するのは30年以上熟成された喜久盛酒造がつくる最後の焼酎です。

ご送付例
・1口 「タクシードライバー」1本
・3口 「タクシードライバー」3本、焼酎古酒1本(720ml)
・5口 「タクシードライバー」5本、焼酎古酒1本(720ml)

company profile


map

喜久盛酒造株式会社

住所:岩手県北上市更木3-54
TEL:0197-66-2625
http://kikuzakari.jp/

Fund Information

ファンド名:

喜久盛酒造仕込み蔵移転ファンド

1口申込金額:

10,500円(出資金5,000円、寄付金5,000円、取扱手数 料500円)

募集総額:

1300万円

資金使途:

醸造機器等、車両等 600万円
酒米購入費 330万円
人件費 370万円

【おことわり】

喜久盛酒造株式会社および株式会社マガジンハウスは、「喜久盛酒造仕込み蔵移転ファンド」の募集・売出しの取扱い、売買、売買の媒介・取次ぎ・代理等を行うものでなく、また、それらに向けた勧誘を行うものでもありません。本ファンドへの出資申込取扱は、ミュージックセキュリティーズ株式会社(MS社、第二種金融商品取引業者関東財務局長[金商 第1791号])に委託しており、MS社の上記WEBサイトでの、会員登録および出資申込手続を行っていただきます。

なお、本ファンドは、以下の留意点、リスクがありますので上記の「ファンドの詳細・お申込みはこちら」をクリックしていただき、匿名組合契約書および匿名組合契約説明書をよくお読みのうえ、お申込みください。

・出資金1口5,000円あたり当社への取扱手数料500円、喜久盛酒造への応援金(寄付金)5,000円が必要となるほか、別途金融機関へのお振込手数料が必要となります。
・出資金が一切戻ってこない可能性、ファンド期間中途中解約を行えないなどのリスクがございます。

解体素材をフル活用 みんなで古民家リノベーション 「マスヤゲストハウス」後編 medicala vol.4

medicala vol.4

前編ではマスヤゲストハウスの解体までの様子や
古民家をリノベーションすることのメリットやデメリットについて書きました。
キョンの希望だった“暖かい”の部分をどのように実現していったのか?
後編では解体で出た材料をどのように加工して再利用していったのか?
ということなどに触れながら完成までの流れを追っていきたいと思います。

寒冷地・長野の暖房対策をしっかりと。

解体が終わると下地工事が始まります。
解体までは壊していくマイナスの作業。
そこから「つくる」というプラスの作業が始まる瞬間がなんとも気持ちよく、
今回は解体期間が長かった分「いよいよだな」という気持ちになりました。

最初の壁下地工事の様子。キョウちゃんは大工さんから下地のつくり方をこの時学びました。

下地工事と並行して始まるのが「断熱」の作業。
断熱をすると、外の温度が建物の内部に伝わりにくくなるので、
夏は外の熱を、冬は冷気を、断熱材が食い止めてくれます。
隙間だらけの古民家ですが、断熱をすることで夏は涼しく、冬は暖かい空間を目指します。
新しく下地を組み直す部分に断熱材を入れることは難しくありませんが、
問題は既存の部分にどう組み込むか。
もうすでに仕上げてある壁や床を剥がして断熱材をいれて元に戻す、
というわけにはいかないので、簡単にはいきません。
それでも、少しでも暖かくということで、
例えば廊下などは、床の下から断熱材を打ち付けました。

床下に潜って断熱材を固定するキョン。

もともと諏訪地域は標高が高く涼しい場所なので、
断熱をしっかりして、さらに風の通り道をきちんとつくることで、
エアコンなしでも快適な夏を過ごせる空間になりました。

そして、断熱とともに、暖かい!を実現する上で欠かせないのが暖房器具。
結論から言うと、マスヤゲストハウスでは
「ペチカストーブ」というロシア式の蓄熱型ストーブをつくりました。
寒い地方で暖房をどのようにとるかは大きな課題です。
灯油だけに頼ると、どうしてもランニングコストがかさんでしまいます。
マスヤでは、暖房についてかなりいろいろ考えたり調べたりしました。
薪ストーブ、ロケットストーブ、オンドルなどなど。
さらには薪ストーブとペチカの複合型など、
調べると本当にたくさん工夫が施されたストーブたちを見つけることができます。

暖房を考える時に日本の森林問題なども大きく関わってきます。
日本は国策として針葉樹(杉・ヒノキなど)を植樹しましたが、
その手入れ(間伐材など)が大きな問題になっています
(こちらがわかりやすいので興味がある方はどうぞ
KINO TOKYO TREE PRODUCTSのムービー「東京の木とやまのおはなし」

ストーブは木を燃料に熱をとる暖房器具ですが、
薪ストーブのなかには「広葉樹しか燃やせない(針葉樹が使えない)」ものも存在します。
針葉樹を燃やせるストーブにすることで
間伐材や製材所の端材などが安く手に入る可能性が増えて
ランニングコストも下げられるし日本の山のためにもいい!
そう考えました。

そういったいくつかの理由を考慮して採用したのがペチカストーブ。
ペチカストーブの良い部分は針葉樹も燃やせること、
蓄熱型なので薪を焚くのが1日2回でいいこと、大きな薪も使えること、
大きな空間を暖めることができること、メンテナンスがあまりいらないことなどがあります。
デザイン的にもレンガを使用するので赤レンガの塀のあるマスヤにぴったりです。
デメリットはロケットストーブなど二次燃焼機能のあるストーブに比べて
薪を大量に使うことでしょうか。
デメリットを考慮してもペチカストーブの持つメリットは
宿の運営に合いそうだったので今回はペチカストーブをつくることにしました。

がんばればDIYできるペチカストーブですが、今回はプロにお願いしました。
お願いしたのは下諏訪から車で1時間もかからない伊那にある、「有賀製材所」。
僕の知り合いがペチカを自宅に導入する時にも
この有賀さんにお願いしていたのを知り、下諏訪からも近かったのでお願いすることに。
ちなみに、名前の通り製材所もやっているので
マスヤのバーカウンターの木材は有賀製材所で購入しました。

ペチカ制作のために1000個以上のレンガが届き、みんなで運んでいます。

ペチカ施工の様子。職人の技にみんな関心しています。

完成し、左官屋さんと記念撮影。左下の白いレンガの部分が焚き口で、赤いレンガ全てが蓄熱して輻射熱で部屋全体を暖めます。

肝心の薪の調達問題ですが、
キョンの強運が発揮されて現在は格安で製材所の端材(針葉樹)薪を確保できています。

こうして、しっかりと暖かい!を達成できる空間にしました。

古材を生かし、床の張り方にもひと工夫

さて、温かい空間に向けて出来ることをやり終えたところで、仕上げの部分。
壁には左官を、床には解体した時に出た古材やフローリング材を張って仕上げていきます。

一番広い部屋であるリビング&バーの床は
①他の建物の解体現場からもらってきた古材、
②畳の下などに使われていた古材、
③床の間などに使われていた質の高い古材、
という3種類の古材を工夫して使うことにしました。

①の他の解体現場からもらってきた古材は、
カウンター周りの床に隙間無くぴったり張りました。
余談ですが、実はこの古材、現場の近くを車で走っていた友人が、
「あっちのほうに解体しているおうちがあったよ」と教えてくれて手に入ることになったもの。こういった現地でのつながりの中から不意に材料が手に入ったりするところも、
現地に住み込んで空間をつくる、楽しさのひとつです。

古材を釘で止めている様子。釘は「つぶし釘」を自作して頭が目立たないように。

完成したカウンターまわりの床。曲がっていた木材は曲がったまま張るなど方法にも遊び心を。

②の畳の下などに使われていた古材は、
隙間をあけて張って、その隙間に砂と漆喰と土を混ぜたものを詰めました。

古材だけ貼って漆喰用のマスキングをした状態。

古材は曲がったりしているもので、
それらをまっすぐに揃ったきれいな材にしようと思うと、
どうしても無駄な部分が多く出てしまいます。

秩父の森でカエデ樹液を味わう! 三十槌の氷柱、和メープル特別 限定料理を楽しむエコツアー

コロカルニュースでご紹介した、埼玉・秩父うまれのメープルシロップ
2月14日と28日(土)、その「和メープル」が味わえる、
「和メープルエコツアー in 秩父」が開催されます。
雪の残る秩父のカエデの森を、ガイド付きで散策し、
採れたてのカエデ樹液を味わうほか、
冬の秩父の観光名所、「三十槌の氷柱(みそつちのつらら)」を見学。
ランチは和メープル特別限定料理を楽しむという充実のツアーです。

メープルシロップを採取するカエデ

カエデの木に穴をあけたそばから、ポタポタと樹液が流れ落ちます。さらさらしたほんのり甘い栄養たっぷりの自然のミネラルウォーターのような感じ、なんだそう。

スタイリッシュなムービーでもご紹介

ツアーの参加料金は、ガイド料、昼食代、
おみやげ代など含んで1名様5,000円。
宿泊ご希望の方は別料金でアレンジ可能なのだそう。
お申し込み・問い合わせは下記まで。

■和メープルエコツアー in 秩父
問い合わせ:NPO法人 秩父百年の森 担当:井原(tapandsap@gmail.com)
詳細:pdf資料
ちちぶメープル

20年の節目に、神戸市が震災の写真をオープンデータで公開。「阪神・淡路大震災『1.17の記録』」

今日2015年1月17日は、「阪神・淡路大震災」発生から20年の節目の日。
戦後最大の都市型災害と言われたこの大災害の記録を後世にも残すべく、
さまざまなプロジェクトが行われています。
神戸市は市が所有する阪神・淡路大震災の記録写真、約1,000枚を
オープンデータとして提供するWebサイト「阪神・淡路大震災『1.17の記録』
を公開しました。
写真は「クリエイティブ・コモンズ・ライセンス」という
著作権に関する新しい仕組みで提供されており、
無料で閲覧、ダウンロードが可能。
二次利用もOKなんです(一部ダウンロード不可のものもあります)。
震災の発災直後から復旧・復興の様子まで、写真を通して
生々しく伝わってくる貴重な資料です。

撮影場所:長田区二葉町6丁目 撮影日:1996年1月17日

撮影場所;東灘区魚崎西町1丁目「菊正宗酒造記念館」 撮影日:1995年1月20日

ほか、気象庁では「阪神・淡路大震災から20年」特設サイトを設置。
そしてYahoo! JAPANでは、写真や映像、阪神・淡路大震災に関する統計データを
組み合わせた特集サイトが公開されました。
このサイトでは、当時の被害状況や有事の際に取るべき行動などの情報を、
「インフォグラフィックス」(データを視覚的に表現したグラフィック)
を用いて視覚的にわかりやすく伝えています。
特集ページは2015年2月13日(金)まで公開されています。
震災の経験や教訓を継承するためのWebサイト、ぜひご覧になってみてください。

・神戸市「阪神・淡路大震災『1.17の記録』」
Yahoo! JAPAN特集ページ「阪神・淡路大震災から20年」

パフォーマーとともに 更新されていく、 空間の使い方。 HAGI STUDIO vol.5

HAGI STUDIO vol.5
劇場の機能も織り込み、広がる空間と表現の可能性

みなさんこんにちは!
vol.1vol.2vol.3vol.4に続き、
東京谷中の最小文化複合施設「HAGISO」について書いていきます。

普段のカフェやギャラリーの営業とともに、
HAGISOでは、いくつかの通年プロジェクトが同時に進行しています。
そのなかのひとつがパフォーマンスプロジェクト「居間theater」です。

居間theaterは俳優・演出家の稲継美保を中心としたプロジェクトユニットで、
主要メンバー(東彩織・牧野まりか・宮武亜季・山崎朋)と、
プロジェクトごとのゲストパフォーマーによって構成されています。
HAGISOにおいて、年間を通じた「レジデントパフォーマンスプロジェクト」として
コンテンポラリーダンスを中心に活動しています。

居間theaterのメンバー(左より山崎朋・東彩織・稲継美保・牧野まりか・宮武亜季)。

HAGISOとの最初の出会いは、稲継・山崎が工事中のHAGISOに訪れた時でした。
まだ骨格しかないHAGISOの空間を見ながら、ここで何ができるのかを一緒に考えました。

実はHAGISOの設計段階の初期から、劇場仕様で使うことは織り込み済みでした。
柱梁の多い木造ですが、それらを劇場仕様の場合は
テクニカルな照明や音響機材を取り付けることができるように利用しています。
吹き抜けに半間分バルコニーとして床を残しておいたのも、
天井桟敷席として上からもステージを楽しめるようにするためでした。

しかし、ダンサーや振付家は、得てしてこちらで想定した使い方だけではない、
新しい場所の解釈をしてくれることがよくあります。
HAGISOの場や空間の価値を更新していくためにも、
彼らと継続的な活動をしていくことにしたのです。

劇場仕様の断面図。吹き抜けのバルコニーは天井桟敷席として使用できる。

劇場仕様の例「幽霊の技法」振付・出演 京極朋彦 出演:伊東歌織(photo by bozzo)

まず彼女たちが最初に興味をもったのは、ここがカフェをもった場所であるということ。
通常身体パフォーマンスは大小の劇場で行われます。
「舞台-客席」もしくは「演者-観客」の確固とした関係がつくられた場所で、
複数公演を前提に「わざわざ観に来た人」を観客として迎えます。
この場所で同じようなことを行おうとすると、さまざまな制約が生まれます。
まず通常の営業がありますので、長期間の連続公演は難しい。
また、カフェ営業をクローズして貸切にしなければならないので、
その分の機会損益を補わなければならない。
公演形式を続けていくのはそもそも矛盾します。

単発のイベントであれば自分たちが持っているネタを披露するということでお茶を濁せますが、
年間を通して行っていくとなると、持続性がありません。
しかし、彼女たちはこのような制約のある環境でパフォーマンスを行うことに
むしろ面白みを感じてくれました。自分たちの形式を場所に求めるのではなく、
場所の特性や形式から活動を見出していく方向に発想を転換したのです。

居間theater キックオフパーティー。HAGISOの中を十数人のパフォーマーが縦横無尽に駆け巡る。お客さんは好きな場所を探してその様子を見ています。(photo by Kazuo Yoshida)

“居間 theater”というプロジェクト名には、
日常的な空間としての「居間」と、非日常空間である「劇場」が組み込まれています。
演劇やパフォーマンスを見るのに効果的な場所として発展してきた劇場という空間が、
いつの間にか目的化してしまい、劇場のための作品となってしまっているのに対し、
もっと生活や日常から連続した活動を行いたいという意志によるものです。

展示作家とのコラボレーション

まず、はじめに彼女たちが行ったのは、
HAGISOで毎月行われる展示の作家とのコラボレーションでした。
彼女たちはコラボレーションの際、まず相手のことを徹底的に理解しようとします。
一旦相手の形式にのっとって、自分たちの表現をすることで、
さらなる表現の可能性を拡張することを試みています。

居間theater vol.1。展示中のアーティスト福津宣人とのコラボレーション。

居間theater vol.2。Pinpin Coとの共演。ダンサーの体を撮影し、リアルタイムで投影した壁面にドローイングしていく。

はじめはコラボレーションの対象はアーティストという「人」でしたが、
次第にその対象はHAGISOで行われる企画自体(こども文庫など)や、
空間自体へと発展していきます。そして次に彼女たちが選んだのは「カフェ」でした。

HAGISOで定期開催している「やなかこども文庫」とのコラボレーション。

パフォーマンスカフェ

カフェのあるHAGISOでの居間 theaterのあり方として、
ある意味究極の答えとして、「パフォーマンスカフェ」が生まれました。
これは、イベントが行われる期間中、
カフェのメニューに「パフォーマンスメニュー」が追加されるというものです。
フードやドリンクのメニューと並んで3分間のパフォーマンスを200〜300円で提供。
お客さんはカフェのウエイターにコーヒーとともにこれを注文し、
しばらくするとおもむろにパフォーマーがやってきて
パフォーマンスを行ってくれるというものです。

突然ダンサーが客席で踊り出す。

パフォーマンスの内容は、ダンス、音楽の演奏、詩の朗読、
写真家によるポートレート撮影など多岐に渡ります。
内容は選べないものの、「ひとりじめ」「おすそわけ」「窓の外」と、
パフォーマーとの距離を3種類の中から選ぶことができます。
パフォーマンスが始まると、注文したお客さんはまだしも、周りのお客さんはかなり驚きます。
しかし、一度見てしまうことで、次々と注文が入り、カフェの客席は混沌としてきます。
ジュークボックスのように不思議な一体感が生まれ、中には何回もおかわりする人も。
パフォーマーたちは控え室でドキドキしながら出番を待っていますw
特別にVIP ROOM(1000円)も用意され、ここでは10分間、
密室でパフォーマンスを楽しむことができます。
劇場で多くの人と一緒に見るのと比べると、すごく贅沢な体験で、
僕も毎回注文してしまいます。

劇場型や、予約制のパフォーマンスイベントと違い、
この形式はパフォーマーとお客さんの偶然の出会いがかなり大きな要素となっています。
お茶目的でカフェに訪れたお客さんとの楽しいながらも緊張感のある予期せぬ出会いは、
演ずること、パフォーマンスすることとは何なのかという初源的な衝動を感じさせます。
本企画、実施には日本大学の佐藤慎也研究室にご協力いただき、
さまざまな面でサポートいただきました。

「居間 theater Documentary Films(2013-2014)

年間を通してささやかな公演を行う居間theaterの活動は、
偶然の出会いという要素が強く、濃密な体験をもたらしていますが、
一方でかなり限られた人しか実際にその場に居合わせることはできません。
そうした活動のアーカイブとして、なんと活動1年目にして二本の映画ができてしまいました。
「居間 theater Documentary Films (2013-2014)」という、
2人の映像作家が違った個性で一年間記録、製作したドキュメンタリーフィルムです。

ひとつは有川滋男氏による「IMA THEATER」です。
こちらはHAGISOという場所それ自体と、
その上で居間 theater が行ってきたパフォーマンスのイメージや質感にフォーカスし、
HAGISOを舞台にした別の物語のような作品に仕上げています。

もうひとつは、みかなぎともこによる「Trace of a performing」です。
こちらは、パフォーマンスまでの制作過程や、
そこに至るまでの思考・興味を詳細にインタビューし、
実際のイベントの記録と合わせてドキュメンタリータッチで描いています。

どちらの作品も一年間の活動がぎゅっと凝縮された、素晴らしいものになりました。
HAGISOでも度々上映会を催しています。
映画製作の費用に関しては、台東区芸術文化支援制度を利用しました。

音を奏でて、気軽に楽しむ音楽を

もうひとつの通年プロジェクトとして行っているのが、「谷中音楽室」です。
谷中音楽室とは、その名のとおり音楽イベントで、
HAGISOのギャラリー部分をステージ、
カフェ部分を客席として不定期にコンサートを行っています。
この企画をプロデュースしているのは石田多朗という作曲家で、
HAGISOが萩荘だった時代から、よく飲みに来ていた友人です。
彼は谷中音楽室では必ず何組かのミュージシャンを組み合わせることに重きを置いています。
普段は出会わないような組み合わせをあえて選び、
ミュージシャン同士、もしくはお客さんとのあらたな出会いを生もうとしています。
谷中音楽室をきっかけに、その後も共演するようになったミュージシャンの方もいるようです。

HAGISOでイベントを行う意義

2014年のHAGISOまとめを見ると、
昨年は年間50以上の展示やイベントがあったことになります。
なぜこんなにイベントを行っているのでしょうw
収益面だけを考えると、正直通常の営業をしていたほうが安定しています。
これには、文化を日常の延長線上で育む環境を作りたいという点に尽きます。
文化は何か高尚なものをありがたがって見るというものではなく、
そこに住む人々の生活・風俗と地続きで生まれてくるものだと思います。
パフォーマンスカフェや、クリスマスイベントなどでも
近所の常連の方が来てくれるようになってきて、
そうした環境が生まれ始めているのを感じています。
HAGISOは、ダンスや音楽という文化に未だどことなくあるぎこちなさを、
生活の延長線上で生まれてくるものにすることで取り払っていきたいと思っています。

というところで次回は最終回、HAGISOの今後について考えていきたいと思います!

石垣島 Creative Flag クリエイティブフラッグ

沖縄県の八重山諸島にある石垣島にて、
島の創造力(Creative)に旗(Flag)を立て、
国内外に発信するプロジェクト「石垣島 Creative Flag」がはじまっている。
これは、石垣市の主催で2013年の秋からスタートした、
島のデザイナーやイラストレーター、カメラマン、編集者などを集め、
クリエイティブの力で島を盛り上げていこうという取り組みだ。

そして2014年の秋、同プロジェクトにて新しいスクールが開講した。
その名も「石垣島Creative Labo」。
このラボでは、国内外で活躍するクリエイターを招き、
島のクリエイターを実践的にバックアップする
ワークショップなどを行っていくという。
石垣島には、どんなクリエイターたちがいるのだろう?
2014年12月、銀河ライター/東北芸術工科大学客員教授の河尻亨一さん、
「まちづクリエイティブ」の寺井元一さん、
小田雄太さんが講師をつとめるワークショップの現場を訪ねた。

石垣島の自然と現役クリエイターが先生!「石垣島Creative Labo」

2013年3月に新しく開港した「南ぬ島 石垣空港」空港に着くと、
なんと現地は冬でも暖かだ。
道端にはハイビスカスが咲き、あちこちにガジュマルやヤシの木も生えている。
沖縄本島の南西約400kmに位置する石垣島は、熱帯の島なのだ。

ワークショップ会場は、商店街の真ん中にある「まちなか交流館 ゆんたく家」。
会場には石垣市企画政策課の宮良賢哉さん、
タウンマネージメント石垣の西村亮一さん、
離島経済新聞の鯨本あつこさん、小山田サトルさん、多和田真也さんら、
このプロジェクトの立ち上げ時から支えてきたメンバーの皆さんが揃っていた。

まずは石垣市企画政策課の宮良さんに
このプロジェクトを立ち上げた経緯についてお話を聞いた。

石垣市企画政策課の宮良賢哉さん。音楽が好きで、DJ マルセイユという名前でDJとしても活動しているそう。

宮良「僕自身、もともと音楽が好きで、2009年から
『トロピカルラバース・ビーチフェスタ』という音楽フェスを開催してきました。
会場はフサキリゾートビレッジという所なのですが、
素晴らしいロケーションも手伝って、毎年たくさんの方に来ていただいています。
石垣島にはミュージシャンも多いですし、
音楽の活動はわりと知られているんですよね。
でもじつは石垣島には、音楽以外のクリエイターもたくさんいるんです。
そういう人たちにもっと活躍してもらいたい、
この島に仕事をつくっていこう——ということで始まったのがこのプロジェクトです。
今年の1月に開催した『クリエイティブセッション』を皮切りに、
石垣島にゆかりのあるクリエイター35組を選出し、
彼らを紹介するウェブや冊子の制作、渋谷ヒカリエ内『aiiima』でのPRイベント、
展示会『rooms』、『TAIWAN DESIGN EXPO』への出展などを行ってきました。
そうやってここ1年、僕たちも手探りで色々なことを試してきた中で、
より確実にクリエイティブを仕事につなげ、仕事を定着させていくためには、
もっと実践的にクリエイターを育てていく場が必要だと思いました。
そうして今年の秋からスタートしたのが『石垣島Creative Labo』です」

さまざまなジャンル、さまざまな立場のクリエイターが一緒に学べる場

ワークショップの時間になると、参加クリエイターたちが集まって来た。
参加者は駆け出しのアーティストから、
既にバリバリ仕事をこなしているデザイナーやプログラマーまでと、さまざまだ。
このスクールではゲストの話を聞くだけではなく、
この場に集う人たちのアイデアを融合させ、
何かを生み出すことを目的としているので、
さまざまな立場のクリエイターが一緒に学べるのだ。
この日は、河尻亨一さんによるワークショップの日。

銀河ライター/東北芸工大客員教授の河尻亨一さん。編集執筆のほか、イベントや戦略立案、PRコンテンツの企画・制作・アドバイスなども行っている。

前半は河尻さんが「地域で活かせる先端広告のクリエイティブ」というテーマでレクチャー。
世界最大の広告祭「Cannes Lions」の受賞作を集めた動画集
Cannes Lions 2014 Best 100 の中からセレクトした映像を見せながら、
「クリエイティブを企画に結びつけていくにはどうしたらいいのか」
という課題を投げかけた。

後半は、参加者の悩みをヒアリング。
河尻さんが「ここまでは講義スタイルでお話しましたが、
後半は皆さんにインタビューしてみたいですね。
私はインタビュアーでもあり、
かなりたくさんのクリエイターに取材していますから、
皆さんが“そんなに価値がない”と思っている言葉の中から、
宝石を見つけ出すこともできるかもしれません」と語りかけると、
「ものづくりの作業量と対価が見合わない」、
「制作をしているとひきこもりになりがち」などの意見が出てきた。
ひとり、ふたりと悩みを語ると、どんどん意見が出てくる。
「石垣島を“クリエイターがこもれる島”としてPRすれば」などといった
ユニークな意見も飛び出した。

最後に河尻さんが「自分たちの持っている資産や悩みをプロデュースし、
そこから解決方法や企画を立ち上げていくことが大事。
この地理的環境を生かし、“アジア視座”をもって、
アジアのクリエイターのハブとして打ち出してみては」と語り、
この日のワークショップは終了。
参加者の本音を引き出し、解決に導く
河尻さんのプロデュース力を目の当たりにしたことも学びになった。

翌日のスピーカーは、コロカルの「リノベのすすめ」にもご登場いただいた
千葉県松戸市のまちづくりプロジェクト「MAD City」の
株式会社まちづクリエイティブ代表取締役 寺井元一さん、
アートディレクターの小田雄太さん。
“クリエイティブな自治区”をつくるために寺井さんが進めてきたプロジェクトの話から、
小田さんによる「デザインからはじまるまちづくり」についてレクチャーが行われた。

まちづクリエイティブの寺井元一さん(左)、アートディレクターの小田雄太さん(右)。

寺井「『MAD City』は、息苦しいまちなんか抜け出して、どこかのまちをのっとり、
ルールづくりからはじめてクリエイティブなまちをつくろう——ということで
スタートしたプロジェクト。まずはじめに『MAD City』という名前を決め、
小田君に依頼してロゴをつくり、
クリエイターが集まるようなまちづくり・コミュニティづくりからはじめました。
でも、僕はお金を出してアーティストを誘致するのは間違っていると思う。
そんなことをしても中途半端なアーティストしか集まらない。
それより“やれるもんならやってみろ”ぐらいの勢いでやっていきたい。
そうしていい緊張関係を築いていかないと、
可能性のあるアーティストは来てくれないと思うんです」

そう語る寺井さんがプロジェクト立ち上げ後、
すぐに着手したのが不動産事業だった。
これは、お金はなくてもアイデアがあるクリエイターを中心に
改装可能・原状回復不要な住宅やアトリエ、店舗を提供するというもの。
現在では多数のアーティストがこの物件に暮らし、
居住者からは「MAD Cityにおける何よりの魅力はコミュニティ」
という声も聞こえてきている。
歯に衣着せぬ寺井さんの話、クリエイターの皆さんには
かなり刺激になったのではないだろうか。
まちづクリエイティブの取り組みはリノベのすすめでも紹介している。

石垣島クリエイターの仕事場

「石垣島Creative Flag」には、さまざまなジャンルのクリエイターが参加している。
今回の旅では、彼らのアトリエや工房も訪ねた。

■大浜 豪さん(藍染め)

島藍農園の大浜豪さん。オリジナルブランド「shimaai」のストールは八重山藍のブルー、フクギ(福木)のオレンジがテーマカラー。

石垣市出身の大浜さんが営む「島藍農園」は、平原の中にある小さな農園だ。
こちらでは、植物の栽培から加工、染色、商品開発まで、一貫して手づくりで行っている。
およそ小学校の校庭ぐらいの敷地の中に、畑から藍色素を抽出するための加工所、
工房、販売所、番犬と猫の家まで、すべてがここにある。

藍染めの原料には、古くから八重山諸島だけで用いられてきた
「南蛮駒繋(ナンバンコマツナギ)」という植物を使用。
大浜さんはこの植物から生まれた藍の色に魅せられ、
2003年に農園を設立し、土づくりからはじめた。
この農園ではすべての工程を化学肥料や除草剤、薬品類を使用せずに行っている。

南蛮駒繋(ナンバンコマツナギ)

また大浜さんは、商業目的で自然に生えている植物を採り、
草木染めに使用することにも抵抗があるという。
理由は「もしその商品がヒットしてしまったら、
自然に生えている植物を乱獲することになってしまうから」。
大浜さんが研究を重ねて生み出した制作工程は、
この土地から生まれた材料にこだわり、
土地に還すところまでを考えた、島への愛の賜物なのである。
この農園から生まれた藍色と、フクギ(福木)という木の皮からとれた
橙のストライプは、オリジナルブランド「shimaai」の定番デザインになっている。

■池城安武さん(シルクスクリーン/グラフィック)

アーティストの池城安武さん。着用しているTシャツは八重山の伝統的な模様をモチーフにしている。

自宅を改造し、12月に初の路面店をオープンしたばかりの池城さん。
八重山諸島の文化や動植物、沖縄の詩人・山之口貘さんを
モチーフにしたTシャツや、シルクスクリーン版画、グラフィックなどを制作している。
石垣島で育ち、琉球大学法文学部を卒業後はロンドンへ留学。
世界各国を旅して沖縄に戻ってきたという池城さんだが、
その言葉から、作品から、八重山の詩情があふれてくるようだ。

たとえばオリジナルTシャツ「カフヌキィン」は、
沖縄・八重山の言葉で幸せを意味する「カフ」と
着物を意味する「キィン」をかけあわせた言葉。
「あなたにたくさんの幸せが訪れますように」という想いがこめられた服だ。
八重山の伝統的な模様をモチーフにしたTシャツや、
池城さんが描いた文様がとてもかわいい。
河尻さんも、山羊をモチーフにしたTシャツをお買い上げされていた。

■十河 学さん(映像/写真/プログラミング)

プログラマーの十河学さん。プログラミングを駆使したものづくりからスペースの企画までこなす、オープンソースな精神の持ち主。自宅を宿として貸し出すAirbnbも行っている。

広島県出身で2012年より石垣島に移住し、
現在は島の自然からインスピレーションを受け、映像、写真、アプリ制作、
サイト運営、ファブリケーションスペースのプロデュースなど、
あらゆるもの・ことを手がけている十河さん。
インターネットさえあれば、どこでも仕事ができてしまうというのが強みだ。
都会の喧噪から離れ、仕事に集中できるいまの環境は快適なよう。
スペースを訪れて驚いたのは、小型飛行ロボット「ドローン」が何機もあったこと。
十河さんは「ドローン」をつくるワークショップなど、
さまざまなデジタルファブリケーションのワークショップを企画している。

また現在は、「iBeacon」というタブレット端末向けのサービスを
石垣島に導入するため、システムを開発中だ。
もはやインターネットやデジタルファブリケーションは島の生活に欠かせないもの。
活躍の場は、まだまだ広がっていきそうだ。

■Maki UEDA(香り)

匂いのアートの第一人者、Maki UEDAさん。さまざまな匂いを香水やワークショップなどのかたちで体験させてくれる。

最後にご紹介するのは、香りのアーティスト、Maki UEDAさん。
食べ物や香辛料、体臭など、あらゆる素材から匂いを抽出して香水化し、
その香りをインスタレーションやワークショップなどのかたちで発表している。
UEDAさんは東京に生まれ育ち、大学卒業後はオランダに移住。
「匂いのアート」の第一人者として、
オランダの王立美術学校&音楽院などで教鞭をとってきた。

現在は石垣島を拠点に活動を展開しているUEDAさん。
石垣は匂いの資源が豊富で、素材にはことかかないという。
アトリエで石垣の土からとれた匂いを嗅がせてもらうと、
香水のように甘く、強い香りにびっくりさせられた。

石垣島 Creative Flagのこれから

参加クリエイターたちは、
このプロジェクトが主催するイベントで作品発表を行ったり、
ワークショップの講師をつとめたりしている。
イベントを訪れれば、彼らの作品や言葉から、
石垣島の魅力にふれられる。
そういったクリエイターたちの放つ魅力こそ、
このプロジェクトの大きな資産なのかもしれない。
今後は、企画や運営にも参加し、アーティストと石垣市が
一緒になってこのプロジェクトを盛り上げていくとのこと。
すでに新しいプロジェクトも進行中だそうだ。

今回のラボに参加して印象に残ったのは、
石垣島では昔から日本とアジアの玄関口として、
さまざまな地域の人が訪れ、独特な文化やコミュニティが育まれてきたという話。
沖縄には「いちゃりば ちょーでー」(一期一会、一度会ったら皆兄弟という意味)
という言葉がある。
そんな精神とクリエイティブが融合したら、おもしろいことが起こりそうだ。
これからここでどんなクリエイティブが育まれていくのか、
今からとても楽しみだ。

「京都ペレット」100%京都産、地産地消のクリーンエネルギー。杉・ひのき間伐材を使用

京都生まれの木質エネルギー「京都ペレット」って
ご存知ですか?
京都市内の杉やひのきの間伐材を使った
100%京都産の次世代燃料。
京都市右京区の「森の力京都株式会社」が手がけるプロダクトです。
ペレットストーブやペレットボイラーの燃料として、
京都市内のあちこちで利用が広がっています。

そもそもペレットとは「小さい固まり」という意味。
木質ペレットは、木の粉を円筒状に圧縮形成した燃料で、
1970年代、アメリカのオレゴン州で誕生しました。
近年、自然エネルギーへの関心が高まるなかで、
木質ペレットは世界的に注目が高まっています。
なんといっても、再生可能な資源で作られた、環境にやさしいクリーンエネルギー。
着火性に優れ、取り扱いが容易なうえにチップやのこ屑を燃やすよりも
発熱量が大きい、などがその理由だそう。
木質ペレットを燃料とした専用のストーブやボイラー、グリルなどで
使うことができます。

これが木質ペレット。原料は100%京北町の山の木。間伐材や商品価値の低い木を有効利用しています。

木質ペレットのストーブ

材料となる木材。近くの山から木を伐り出してきて枝葉を落とし、丸太のまま約1年間乾燥させます。

「京都ペレット」製作過程

普通、木質ペレットの材料は、製材所の廃材を使います。
生木では水分などを除くのに労力がかかるからです。
しかし山林地域に仕事を生みだすために、「京都ペレット」では
生木を切り出し、丸太のまま約1年間乾燥させるという手間ひまをかけています。
原料も生産現場も見て知ることができる
地産地消のエネルギーというのはいいですね。
森の力京都株式会社さんでは工場見学も歓迎しているとのことなので、
ご興味のある方はぜひ訪ねてみてはいかがでしょうか。

森の力京都株式会社「京都ペレット」

「こでられね~秋田大集合2015」開催。なまはげ太鼓、納豆汁、かまくら、秋田をまるごと体感!

伝統からご当地グルメ・かまくらなど、
秋田をまるごと体感できる「こでられね~秋田大集合2015」が
1月10日(土)~12日(月・祝)の3日間開催されます!
今年で11年目になる人気の当イベント、
会場は海、島、生きものの魅力を楽しめる日本最大級の
水族館『横浜・八景島シーパラダイス』。

アクアミュージアム前広場を使って
秋田県男鹿市からやってきたなまはげによる迫力満点の「なまはげ太鼓」実演や、
横手市から運ばれた本物の雪山に、職人によってつくられる「かまくら」体験。
また、「横手やきそば」「きりたんぽ」「いぶりがっこ」「よこまき」や
産地直送のりんごや地酒などなど、
秋田県ならではのご当地グルメが楽しめます。

実際に横手市から約30トンの雪を運び込み、本場の職人がつくるかまくらで雪ん子に変身。雪山でそりすべりなどの雪遊びも!

福神漬けと半熟卵がうれしい横手焼きそば。ほか大曲の「納豆汁」や、つきたてのお餅ぶるまいも大人気。毎日限定1000人まで甘酒サービスもあり。

遠目でも見えるように大きくつくられた豪華な頭飾り「ぼんでん」も体験できます

また、ふれあいラグーンでは
シロイルカとオタリア(アシカの仲間)と「なまはげ」がコラボ。
「なまはげ」の台詞「泣く子はいねーが!」に合わせて
シロイルカとオタリアが鳴く姿が披露されます。
シロイルカの鳴き声とともに「なまはげ」の厄払いを受け、
今年一年の無病息災を祈願してみては。

「泣く子はイル~カ?」

ちなみにイベント名にある「こでられね」は
秋田の方言で「これ以上ない、たまらない!」という意味。
てんこもりの「秋田の冬」をぜひ体験してみてください!

「こでられね~秋田大集合2015」
期 間 : 1月10日(土)   10:00~17:00
        11日(日)   10:00~18:00
        12日(祝・月) 10:00~16:00
場 所 : アクアミュージアム前広場
主 催 : 秋田雪まつり実行委員会
      [横手市・男鹿市・大仙市・秋田県「食」のネットワーク協議会・
      みちのく五大雪まつり協議会・(株)横浜八景島]
共 催 : (一社)秋田県観光連盟
後 援 : 秋田県・横浜市金沢区 (順不同)

【なまはげ太鼓】
時 間 : 1月10日(土)  ①12:00 ②14:00
        11日(日)  ①12:00 ②14:00 ③17:40
        12日(祝・月)①12:00 ②14:00

【イルカたちとなまはげのコラボ】
期  間 : 1月10日(土)~1月12日(月・祝)
場  所 : ふれあいラグーン
時  間 : 15:00~

どどーんと大仙市

被災地・石巻の漁村で大学生が聞き書きする「コトバのたびプロジェクト」参加者募集

日本全国の高校生が森や海・川の名手・名人を訪ね、
知恵や技術、人生そのものを「聞き書き」するプロジェクト
聞き書き甲子園」。

その大学生版のイベント「コトバのたび」が開催されます。
これは聞き書きした文章を、話し手やそのご家族ご友人の前で
朗読会を開いて共有するプロジェクト。
このたび、第二回が2015年1月末から3月にかけて
宮城県石巻市で開催されることになり、現在参加者を募集しています。
テーマは「聞き書き・朗読を通じた漁村のコミュニティ再建!」

プロジェクトでは、石巻の漁師さんのお宅で住み込みボランティアを
しながら、夜の空いた時間などを利用して震災前後や当時のことについて
インタビューを行います。
帰京後は、録音したインタビュー内容を文字に書き起こし編集作業。
作品が仕上がったら被災地に戻り、地域の方々を対象に朗読会を行うのです。

新潟県村上市高根集落の遠山可冬さん

こちらは、第一回、新潟県村上市高根集落の遠山可冬さんに
東京の大学生が聞き書きしたお話です。

『高根ってとこはもっと大きな考え方で進まねえといつまでたっても同じじゃねえかなと思う。冬の半年間はなにもできねえ、野菜も作れねえし、窮々として冬に追っかけられている。屋根の雪は三回も落とさねばならねえ。それの辛抱もせねばならん。本当に今日も雪、明日も雪っていうと、ここの人でさえ家ば出てってかねえんだよ。
だすけ、地についた高根に根っこの生えたもんがねえと容易でねえでねかとおれは思っているよ。村に存在するものがあると高根は長続きすると思う。おれがちょっと考えたのは雪の貯蔵庫をこしらえて、例えば日本酒とか米とか野菜とか保管するところを作って、お盆は小さいスキー場を作って人を呼ぶんだ。雪のねえ時に雪を利用するんだ。
どんなもんだね?おめえたち高根来て何があると良い?』
(2013年コトバのたびプロジェクト作品より)

80歳をこえる遠山さんは、出稼ぎ時代や
戦争時代の話からこれからの話までじっくり話してくださいました。
80歳をこえた方が集落の明確な未来へのビジョンを持っていることを
誰が知っているでしょうか。聞き書きを通じて、住民の人生と価値観を学生が受け取り、
朗読によって、コミュニティにお話を返していくプロジェクトです。
応募の詳細に関しては下記Webサイトを。

・「コトバのたびプロジェクト