古さを、懐かしさにかえる。 ルーヴィス vol.1

ルーヴィス vol.1
アンティーク家具メンテナンスの経験から。

みなさま、こんにちは。ルーヴィスの福井と申します。
僕は、神奈川県、横浜を拠点に
横浜、東京、湘南エリア、ときどき千葉の内房の古い建物の改修工事をしています。
個人や法人のお客さまからの依頼で
デザインと施工の両方をさせてもらう時もあれば、
設計事務所からの依頼で施工だけをさせてもらう時もあり、
関わり方はさまざまですが、カテゴリーでいうと工務店だと思っています。

僕自身はリノベーションの仕事における立ち位置に特にこだわりはなく、
クライアントのニーズに合わせて
ポジショニングを微調整しながら携わっています。
クライアントからよく「結局、ルーヴィスは何屋なの?」とよく聞かれるので、
この連載では、自己紹介を含めて、考え方や活動について書いていきます。
お付き合い、どうぞよろしくお願い致します!

そもそも、僕は建築を学んだこともなく、
設計事務所で働いたことも工務店で働いたこともない、アウトサイダーです。
そんな僕がなぜリノベーションの仕事を始めたのか。
15年ほど前に、当時東京の目黒通りにあった「ACME FURNITURE」
(http://acme.co.jp/ )というインテリアショップに勤めていました。
ACMEでの仕事は主に中古家具のメンテナンスだったのですが、
3か月に1度、カリフォルニアに中古家具の仕入れにも行かせてもらっていました。
フリーマーケットやアンティークモール、
リサイクルショップやインテリアショップをまわって、
1930年代〜1980年代ぐらいの中古家具や雑貨を仕入れ、
40フィートのコンテナを満載にして日本へ送り、
メンテナンスをして販売する仕事です。

アメリカ最大規模のフリーマーケットのひとつ、ロサンゼルスの「Rose Bowl Flea Market」。

仕入れた時に、コンディションの悪い家具も、
組み直したり塗装をし直したりすると、
生産当時のよさがよみがえり、今また新しくつくろうと思っても
コストや材料の問題で実現することができない価値があり、
当時から人気がありました。
今思えば、「古くてもボロボロでも直し続ければ価値は持続する」という感覚が、ACME時代に培われていたのだと思います。
その後、26歳の時に僕は父親の誘いもあり、
横浜にある実家の不動産会社に転職をします。

増え続ける、古い管理物件の空き室

不動産会社では、主に賃貸管理に携わっていました。
管理物件の中でも、築30年以上のものになると空室が多く、
賃料を下がり続けなくてはならないとなると、
運営維持も入居者を見つけるのにも苦労していました。
当時(いまから約10年前)、横浜でも空き家や空室は増え始めており、
「空室対策」というものを色々とやっていました。
と言ってもリノベーションなどではなく、家具付きの物件にしてみたり、
入居者を紹介してくれるほかの不動産会社に広告料を払ったり、
マンスリーマンションをやってみたりという感じでした。
そんなことを続ける中で、漠然とした疑問が出てきます。
「家具は直せば価値が上がるのに、不動産はなんでだめなんだろう?」
ということです。

家具は消費財だからか? いや、家具の中でも消費財ではないものは価値がある。
日本は地震が多いから古くなったら建て替えないといけないのか?
いや、100年以上建っている家だってある……。
という感じで疑問が疑問を呼び、
自分の目で、自分の体で検証してみたくなったのです。

被災地のこどもたちを音楽で支える。ドゥダメル指揮「相馬子どもオーケストラ&コーラス」演奏会

東日本大震災の被災地、福島県相馬市と岩手県大槌町で開かれている
「エル・システマ音楽教室」。
エル・システマとは、南米のベネズエラで行われている音楽教育システム。
現地では、「奏でよ、そして闘え」をモットーに、貧困層のこどもたちが
音楽を通して困難を乗り越える力と勇気を身につけるための
プログラムを行っています。

相馬市で行われている「エル・システマ音楽教室」は、
福島の子どもたちの尊厳を回復し、
自分の人生を切り開いていく生きる力を育むためのプロジェクト。
2012年に設立されて以来、未就学児から高校生まで、地元のこどもたちが、
弦楽オーケストラやコーラスの練習に日々励んでいるんです。

2013年4月に約30名で始まったこの音楽教室もどんどんと成長し、
2013年の12月には、震災後再建された新市民会館にて、
135名の「相馬子どもオーケストラ&コーラス」のデビュー公演を開催。
現在では約150名が参加しています!

そんな「相馬子どもオーケストラ&コーラス」たちが、
2015年3月29日(日)、東京・サントリーホールで公演を行います。
アメリカで行われている「エル・システマ」プログラムのひとつである
「ロサンゼルス・ユース・オーケストラ(YOLA)」に所属する子どもたち15名との共演。
なんとその指揮は、LAフィル音楽監督/指揮者である
巨匠グスターボ・ドゥダメル氏。
これは見逃せない公演になりそうです。

ドゥダメル氏とこどもたち

萩の小さな美容院「kilico」。 medicala vol.6

medicala vol.6
縁のあるまちの、もうひとつのリノベーション

前回は大分県竹田市のイタリアンレストラン『Osteria e Bar RecaD』を紹介しました。
オープン以来、大盛況みたいで地元の人はもちろん、
遠方からのお客さんもたくさん来ていて盛り上がっているみたいです。

さて、今回は山口県萩市に先日(2015年3月1日)オープンした、
美容院「kilico(キリコ)」についてご紹介します。
RecaDが完成したのが2014年の12月で、
kilicoの着工をしたのが2015年1月4日。
僕らmedicalaは2日遅れて6日から萩に入りました。

kilicoのオーナーは内田直己(通称うんちょ)。28歳です。
2014年12月末まで山口市内の美容院に勤め、店長を経験後、
地元の山口県萩市にて独立して美容院を開業するためにUターンしてきました。
僕とうんちょとの出会いはゲストハウス「ruco」の改装工事中に
髪を切りにきてくれたことが始まりでした。

うんちょに髪を切ってもらってる写真。

萩にrucoができたからかどうかは定かではありませんが、
rucoがオープンしてほどなく彼は独立を決意して萩市内で物件を探し始めたようです。
そんな時、
「rucoができて、通りが明るくなって嬉しい!
という話を地元の人たちからよく聞くようになった。
実際rucoができるまではこの通りは、夜は暗いし、何も無い通りになってしまっていた。
rucoがきっかけで萩の中のこの近辺にお店ができて、少しずつまちに明かりが灯りだす。
そういう風景を夢見ている。ここから萩を元気にしたい」

というrucoのオーナーのひとり、塩くんの思いを聞いて、
うんちょはrucoから徒歩1分以内の空き店舗に出店を決めました。

rucoとkilicoの位置がわかる写真。左奥の赤っぽく錆びている店舗が工事前のkilico。右の茶色い4階建てのビルがruco。

実は今回の物件はrucoの改装当時は塩くんの友達が営んでいた古着屋さんで、
改装中に塩くんや僕がうんちょに裏庭で青空カットしてもらっていた場所。
なんだか幸先がいい感じです。

コンセプトは「めんどくさい店」

今回の施工メンバーは僕らmedicala、
rucoの棟梁だった大工の入江 真さん(通称マコさん)、
家具は同じくrucoでも家具をつくってくれた中原忠弦さん(通称チュウゲンさん)、
rucoのオーナーのひとり、秋本崇人(通称アッキー)、
そして信州大学の大学院生の福田真享くん(通称ふくちゃん)が
インターンとして来てくれました。

着工の1か月ほど前、rucoの2階にマコさん、チュウゲンさん、
medicala、そしてオーナーのうんちょの5人で集まって打ち合わせをしました。
デザインや工事の前に、
「どういうお店にしたいのか?」という根本的な部分をメインに話をしました。
どういうお店にするのか? どういう人に来てほしいのか? どうして独立するのか?
何年続ける覚悟があるのか? どんな接客をしたいのか?
そんなことを話しました。

rucoの2階での打ち合わせ風景。

打ち合わせが進んでいくなかで、medicalaにとって初めての美容院ということもあり、
必要な設備や導線などについて、うんちょにヒアリング。
美容備品の収納、バックヤードの広さ、など使い勝手について話が進むなか、
大工のマコさんからゆっくりと出た言葉は、

「内田君、めんどくさい店にしよう」
このマコさんのひと言がkilicoをどういうお店にするか決定づけ、
プロジェクトが目指す方向を見つけて動き出した瞬間でした。それは、
「どういう内装のお店にしたいか?」ということよりも、
もっともっと大切なこと。

kilicoは、カット席ひとつだけの小さな美容院。
シャンプーから、カットもカラーもパーマもブローまで、
全部うんちょがひとりでやる美容院です。
地元の萩市で、これから多店舗展開することなく、
ひとつのお店を何十年も守っていく覚悟のうんちょ。
だから、大事なのは働き手が便利で効率がよく生産性が高いことではなく、
働き手の所作ひとつ、お店のつくりひとつで、お客さんのことを、お店のことを
大切に思っていることが訪れたひとに伝わること。
来てくれたお客さんに対して、何ができるか? どう過ごしてほしいのか?
それをゆっくりと考えたお店づくりをしていこう。

おいしい東北パッケージデザイン展

デザインが伝えられること

東京ミッドタウン内の「デザインハブ」で
3月6日からスタートした「おいしい東北パッケージデザイン展 in Tokyo」。
東北の食品メーカーがつくる10商品のパッケージデザインを、
全国から公募し、選ばれた受賞作品と入選作品270点を展示している。
東北経済産業局による、
「平成26年度TOHOKUデザイン創造・活用支援事業」として、
日本グラフィックデザイナー協会(以下JAGDA)により
デザインコンペが行われ、
昨年12月の仙台での展示に続いて東京での開催となる。
このプロジェクトが最終的に目指すところは、
企業とデザイナーのマッチング。
優秀作品のデザインは、今後、実際の商品化が進められていくという。

さて、展示されているのはたくさんの公募のなかから選ばれし精鋭たち。
審査会は、昨年11月に行われた。

審査会で並べられた応募作品。

事前に与えられた企業の希望や商品の特徴など、限られた情報をもとに、
応募者は、思い思いにデザイン。
届いた総数はなんと、623点にのぼった!
この企画を牽引するアートディレクターの福島 治さんは、
予想を超える応募数に驚きつつも、
「素晴らしい作品がたくさん届いてうれしい」と喜んでいた。
福島さんは2011年よりJAGDAの被災地支援プロジェクトなどを
企画・プロデュース。
「震災後、数えきれないほど東北を旅する機会が増えました。
東北に根づく魅力が僕のなかで次第に大きくなっていき、
何か力になれることはないかと、その想いはますます強くなっています」
と福島さんは話し、今回のプロジェクト開催へとつながった。

“デザインの力によって東北地域の魅力をより強く発信したい”
という思いから、考案された今回のパッケージデザインの公募。
地域の商品パッケージには、どんなデザインが選ばれるのか。
ワクワクしながら、コロカル編集部もその審査会へお邪魔した。

審査会場となった、JAGDA事務局の隣のデザインハブに並べられた
多数の応募作品。その風景は圧巻だった!
どのデザインが選ばれるのかと、思わずキョロキョロしてしまう。

集まった審査員は、地域のデザインやパッケージデザインを手がけてきた、
実績と経験のある方々ばかり。
仙台を拠点に東北のデザインを手がけるアートディレクターの畠山 敏さん、
地域デザインのパイオニア、デザイナーの梅原 真さん、
日本パッケージデザイン協会理事長を務める、加藤芳夫さん、
地域のお菓子メーカーのリデザインなどの実績を持つ、
グラフィックデザイナーの左合ひとみさん、
そして、前述の福島さん、参加メーカー、東北経済産業局が加わった。
参加メーカーの代表者が審査に加わることによって、
本当に納得のできるデザインを商品化するのが狙いである。
みなさん、並べられた応募作品をひとつひとつじっくり見てまわり、
色違いの付せんで票を入れていくという投票方法。
数の多いものが選ばれるが、
満場一致で選ばれるものもあれば、意見が分かれるものもあった。

審査中の様子。

デザインに込められる、さまざまな視点。

たとえば、宮城県の八葉水産がつくる「みちのく塩辛」は、
さまざまな意見交換がされた商品のひとつ。

同社の新商品で、りんごの粉末が加えられた甘い味わいの塩辛。
本当は、東日本大震災が起こる少し前に発売されたものだったが、
販売2週間後に東日本大震災が発生。工場が被災してしまった。
工場を復活させ、ようやく販売再開へと準備をしているところだ。

1回目の投票後、審査員の方々からメーカーさんへ質問が出る。

「販売価格はいくらですか?」
――400円です。

「土地に足を運んでくれた人へのお土産的要素を強く出したいのか、
あるいは地元の人に日常的に親しまれたいのか?」
――お土産というよりは、まずは日常的に愛されるような商品に。
ただ、これは今までにない味だと思っているので、
たくさんの人に手にとってもらえるような商品になっていきたいですね。

価格帯、販売ターゲットなどは、デザインに大きく影響するという。
お土産であれば、少し強めのキャラクター性があったほうがいいし、
日常的に買うものであれば、親しみやすいデザインがいい。

再投票の結果、3作品が残った。
「商品の特徴は、甘さ。塩辛だけど、従来の塩辛ではないこの味を、
どう伝えられるかというところだと思うんです」と加藤さんは指摘する。
審査員たちからは「とてもおいしかった」と好評価を得たが、
消費者にとっては、まだ誰も味わったことのないだろう、塩辛の味。
“塩辛”だけど、“りんご”の甘さが効いている。
これをどうデザインで表現すべきか。

3作品のうち、下記の2点は“りんご”と“塩辛”の特徴をそれぞれ顕著に表していた。

ひとつは、誰もが塩辛だと思えるような味わい深いパッケージで、
もう一方は特徴であるりんごの印象が強い可愛らしいデザイン。
ただこちらは塩辛というよりは、お菓子かな?と連想してしまうのも事実。
「それを解決するのは、ネーミングという場合もあります。
たとえば、“みちのくりんご塩辛”としてもいい」と話すのは梅原さん。
写真左の作品を指し、
「こちらに“りんご”というハンコを押したようなデザインだけでも伝わる。
いずれのデザインでも、まだ詰めるべき課題がありますね」と続けた。
さらに、実用化される場合、手作業が発生するのでは? 印刷方法は?
など具体的な意見が交わされ、再度決戦投票へ。
結果、僅差であったが、
上記の2点ではなく、パッケージ構造の精度の高さから、
別のデザインが優秀作品に選ばれた。

写真提供:JAGDA

長野の古湯で音楽と映像を楽しむ!「信州渋温泉」で電子音楽フェス「渋響pH7.0」開催!

2015年4月11日(土)から12日(日)にかけて、
長野県山ノ内町の「信州 渋温泉」にて、
電子音楽のフェスティバル「渋響pH7.0」が開催されます。

会場の渋温泉は、「千と千尋の神隠し」のモデルのひとつと言われる、
日本有数の温泉建築群と石畳の温泉街。
現在は営業をしていない、昭和4年建築の文化財「臨仙閣」を
まるごとアートスペースにして、電子音楽のライブや映像作品、
カフェやリラクゼーションブース、地元の楽器の制作体験なども
できる年に一度の御開帳イベントです。

メイン会場の「臨仙閣」は、二階は遊郭風、
三階は信州の蔵の町並みを思わせる内装で、
地下には名湯を持つまぼろしの旅館。
ここに、電子音楽シーンを代表するアーティストが集結。
電子音楽はもちろん、映像あり、インスタレーションあり、
トークあり、紙芝居あり、そして温泉ありの、
めくるめく不思議な温泉情緒堪能の二日間を繰り広げます。

地元のおばあちゃんや老舗旅館の若旦那など、
地域の人々もアーティストとして参加。
電子音楽シーンと温泉街の完全なコラボ体制がユニークです。

こちらがライブ&インスタレーションの模様

それでは、渋響のユニークなこころみをご紹介。

そば集落から蕎麦打名人をお迎えし、蕎麦打ちを教わりながらライヴを聴く「蕎麦打ちライヴ featuring
須賀川そば」。蕎麦打ち体験+試食は会場受付にて予約制(別料金)

渋温泉は芸者さんも健在。温泉街の芸者社中、小助さん+夕霧さんのライヴも名物。

福岡県・太宰府に伝わる カワイイ伝統民芸品「木うそ」を守る! 「太宰府木うそ保存会」

福岡県太宰府で作られている木彫の人形、「木うそ」。
幸運を招くといわれる神鳥「鷽(うそ)」の姿を模した、
逆三角形の大きな目が特徴の、カワイイ伝統民芸品です。
独特の意匠のなかに、400年もの長い歴史が詰まっています。
もともとは太宰府天満宮でお正月に行われる「鷽替神事」のために
作られる民芸品だったのですが、
次第に全国の神社でも作られるようになりました。
お土産として、お家に飾ってあったという方も多いのでは?

木うそをつくる突鑿(つきのみ)

太宰府の木うその特徴は、原木の「ホウノキ」や「コシアブラ」
を突鑿(ノミ)で薄く削り、くるんと巻き上げた「はね上げ」という繊細なカール。
幅わずか数ミリの羽根を均等にノミで削り出す熟練の技術が必要とされます。

原木「コシアブラ」

はじまりは、 品川の倉庫リノベーション。 豊かな発想力の源に。 WORKVISIONS vol.1

WORKVISIONS vol.1
巨大な模型をつくれるスペースを求めてお引っ越し

みなさん、はじめまして! ワークヴィジョンズの代表、西村 浩です。
今回から、6回にわたり、僕のリノベ論と実際の活動について
お話をしたいと思います。どうぞ、よろしくお願いします。

まずは、自己紹介から。ワークヴィジョンズは、
東京の品川と僕の故郷佐賀市に拠点を持つアトリエ系設計事務所ですが、
少々変わったスタンスで仕事をしています。
というのも、僕自身は、建築家を名乗っていますが、実は、大学は土木の出身。
大学時代は、景観や土木構造物のデザインについて学んでいました。
そんな経歴から、ワークヴィジョンズの仕事は、建築だけでなく、
河川や道路、公園などの土木分野のデザインの仕事も多くあります。
スケールが大きいものでは、なんと巨大なダムのデザインなんかもありましたし、
近年では、さまざまな分野の総体である都市、
特に地方都市の再生に関わることも増えてきました。

土木から建築へ、そして「都市のリノベーション」へと繋がる活動の展開と
そのいきさつについては、次回以降、詳しく書きたいと思っていますが、
巨大なスケールの土木構造物を相手にしなければならなくなったことが、
僕らのアトリエのあり方を大きく変えました。

ご想像のとおり、模型が恐ろしくでかいのです(笑)。

僕は、1999年に独立し、ワークヴィジョンズを設立。
最初は間借りの小さなスペースではじめました。
その後、何度か引っ越しを経験した後、いよいよ手狭になり、
2015年に改めて引越し先を探さなければならなくなりました。
でかい模型をつくれるスペースに。

巨大な土木の模型。つくったものの、大きすぎて部屋から出せなくなったことも。

ある雑誌との衝撃的な出会い

とはいえ、東京で広いオフィスなんて、駅から遠いか郊外か、
利便性の高い都心ならば家賃が高くてとても手がでません。
広くて安くて自由に使える物件はないものかと悩んでいるときに、
1冊の雑誌に出会いました。

それは、スペースデザイン1999年10月号(通称:SD 9910)、
「東京リノベーション」という特集です。

SD 9910の表紙。EXIT metal work supply 通称作業場の写真。ほんとにかっこいい。

表紙は、大きな倉庫をリノベーションした、
EXIT metal work supplyの事務所+工場+ギャラリー+倉庫で、
超かっこいい!!
中をめくると、同じく倉庫のような修理工場をリノベーションした、
Klein Dytham architectureの元オフィスだったDeluxeほか、
東京の空き倉庫マップまで掲載されています。

SD 9910の東京空き倉庫/工場マップ。

僕にとっては、「リノベーション」という言葉にはじめて触れた瞬間でしたし、
何より、倉庫や工場がここまでかっこよく、クリエイティブな空間に変わってしまうことに、
とても感動したことを覚えています。
ですから、このSD9910は、僕の中ではとても大切な1冊で、
僕の意識を変えてくれた雑誌だと思っています。
残念ながら、このSDは廃刊になってしまいましたので、
今やなかなか手に入らない雑誌ですが、
お勧めの1冊ですから、古本屋でぜひ探してみてください!

東京を南へ!ようやく出合えたおんぼろの倉庫

僕にとって記念碑的な存在となったこの雑誌との出合いから、
僕の頭の中は、倉庫にアトリエを構えるイメージしかありませんでした。

というわけで、早速スタッフの車で、憧れの倉庫探しの旅へ!

スタッフのみんなと物件探しの旅に。みんなやんちゃでした(笑)。

「いわてのテとテ」。東日本大震災から4年、あの日を忘れないよう、宮古の姿を伝えるプロジェクト

本日は、東日本大震災の発生から4年目。
あの日のこと、犠牲になった方のこと、被災された方のこと、
そしていまもそのまちで暮らす人たちのこと
を忘れないように、各地でさまざまなプロジェクトが行われています。
本日、Yahoo!ではチャリティープロジェクト「Search for 3.11」を実施。
Yahoo! JAPANで「3.11」というキーワードを検索すると、
検索した人1人につき10円が、Yahoo! JAPANから
東日本大震災の復興支援団体などに寄付されます(本日23時59分まで)。
そのほか、「未来への現在地」として、被災地で暮らす人々の姿を伝えています。

そしてこちらは、岩手の新聞「岩手日報」による「いわてのテとテ」。
これは東日本大震災直後から続くプロジェクトで、
昨年は神戸と岩手でそれぞれに大震災を経験し、
新成人を迎えた二人の出逢いを創出し、
ハタチのリアルな対話を神戸新聞・岩手日報の双方の紙面に掲載しました。

今年は宮古市出身のレゲエ・シンガー リクルマイさんと
イラストレーターの小池アミイゴさんによるプロジェクト
「きたぐにのはる」がつなぐ4年目のいわてのテとテ
~二人の宮古漫(そぞ)ろ歩き
」が行われています。
リクルマイさんが、小池さんを宮古案内し、
思い出を語る記事や動画をWebサイトで公開するもの。

リクルマイさんと小池アミイゴさん

二人が歩く宮古の港。

路地奥・広場付きの長屋から 「ともにつくる」コミュニティへ。 HAPS vol.6

HAPS vol.6

トンネル路地を抜けると、その奥には長屋群と広場が広がっています。
京都市東山区本町。京都駅の東に鴨川を渡り、三十三間堂のご近所です。
HAPSからも南方向に徒歩圏内。このまちなかにひっそりと佇む、
路地奥の長屋8軒とその奥に広がる350㎡もの広場を、
一体化させ活用しようというプロジェクトが始まっています。
名付けて「本町エスコーラ」。

トンネル路地をくぐり、路地奥長屋へ

HAPSが不動産業者とのネットワークを広げようと動いていた中で知り合った、
若山不動産・若山正治さんから2013年夏頃に紹介していただいた物件でした。
おそらく戦後になって建てられた、
路地奥、風呂なし・汲み取りトイレ・一部共同トイレの長屋8軒。
若山さんいわく、京都でよく見かけられる「典型的な空き家物件」。

このトンネル路地を抜けると、長屋と広場が広がっている。

路地奥で再建築ができないという物件が多い京都。
高齢化、空き家率も京都市内で最も高いエリア、東山区にある
ここもそのケースのひとつ。
現在ぽっかりと広場になっている部分にはかつては工場が建っていました。
広場の北側には20軒ほどの別の長屋群もあるので、
活用するとなると近隣の住民の方たちの理解が必要となってきます。

長屋部分の敷地面積はおよそ70平米。便宜上8軒の長屋としていますが、
6軒は元々上下階あわせて3戸分の長屋だった間取。
1戸分を上下2軒に分けられたり、1階の間取を2軒に分けられたりしているようです。
さらにイレギュラーに向きの違う1軒が連なり、離れが1軒あります。
年を経て幾重にも改築が重ねられた様子が窺えました。
これは、長屋部分に工場で働く人々が住んでいた時期に、
より多くの住まいを確保するために行われた改修と想像されます。
さらに新たに建て直すことはできないものの、建物は修繕を必要とし、
その予算の捻出が必要な状態でした。
土地や建物が相続などを経て複数名で共同所有となっていることも、
新たな借り手の募集にあたり状況を複雑にしていました。
つまり、一般的な不動産の流通にはのれない物件です。

若山さんからは、美大などの団体に、
「柔軟かつクリエイティブに使ってもらえたら」いう期待をよせ、
HAPSへ一括での運用を探ってほしいというのです。
条件としては、地域との関係を大切にしてほしいということ。

若山不動産・若山正治さん。

HAPSでは、面白いことができる可能性があるのではと、
関心を持ってもらえる方々と何度も下見に行ってはみるものの、
規模の大きさと改修にかかる費用を想定すると、
具体的な話まで至らず、時間ばかりが過ぎました。

まつどやさしい暮らしラボ

松戸市民とコロカルがコラボレーション!

小雨降り、特に冷え込む日となった2月7日。松戸市役所にて男女10名の市民が集まった。
彼らは「まつどやさしい暮らしラボ」の市民ライター。
松戸が誇れるひと・モノ・こと、おいしい場所、イベントなど、
あらゆる情報を取材し、発信している“特命記者”だ。
ラボという名の通り、松戸を研究し、「やさしい暮らし」について考えるという
ユニークな試み。2014年の秋から本格始動し、
松戸にまつわるモノ・ひと・ことを取材や撮影、記事にして、
「まつどやさしい暮らしラボ」のサイト内で発信している。

20代〜70代と年代も違えば、バックグラウンドも経験もそれぞれ違うけれど、
自分の住んでいるまちを心から愛する、やさしいメンバーだ。

きっかけは「まつどやさしい暮らしラボ」から、
コロカルに一件の依頼があったことにある。
『ウェブライティングとカメラ撮影のコツを教えてください!』
編集部一同びっくりしつつも、なんともありがたい依頼!
いいですね! ぜひやりましょう! とふたつ返事で決まった今回の企画。
「コロカルニュース」を中心に、数多くの
(なんとコロカルだけで1000本近くの!)記事を手がけている
ライター・斎藤あきこと、
連載「美味しいアルバム」など、
料理写真や地域住民の笑顔と魅力あふれる人物写真に定評がある、
カメラマンの津留崎徹花が講師役を拝命。
かくして、「コロカル編集部による、ウェブライティング&カメラ講座」のはじまりはじまり。

リノベが生み出す、未来。 シーンデザイン一級建築士事務所 vol.06

シーンデザイン一級建築士事務所 vol.06

“リノベーションをサポートする「リノベ基地」をつくりたい”
そんなマイルームの倉石さんの妄想から始まった、長野市善光寺門前、東町の
倉庫群の再生プロジェクト「SHINKOJIプロジェクト」は、
文具卸売会社の事務所ビルを含む倉庫群、
計4棟を対象としたリノベーションプロジェクトで、
まちなかで増えつつある空き家再生の拠点になる、
「リノベ基地」となることがコンセプトです。

2014年4月に、北棟、西棟、南棟、東棟の4棟ある建物のうち、
まずは北棟がオープンしました。(前回vol.05参照)

使われなくなった古い事務所ビルをリノベしてできた北棟は門前界隈でも話題となり、
それまでほとんど人通りがなかった新小路(SHINKOJI)に、
少しずつ賑わいが戻ってきました。

シーンデザイン一級建築士事務所の連載が最終回となる今回は、
北棟に続くSHINKOJIプロジェクトの現在と、
今後の展開についてお話ししようと思います。

長野リノベーションシンポジウム

2014年7月、北棟のOPENに続き、西棟に【SHINKOJIアトリエ】が完成し、
アート作品の制作や教室、事務所として利用できる、
ものづくりをする人のためのシェアアトリエが運営を開始しました。
2014年10月には、北棟と西棟をメイン会場とした
アートイベント「SHINKOJI ARTS」と、
リノベ工事が途中の南棟で「長野リノベーションシンポジウム」が同時開催されました。

ご近所の松葉屋家具店のイベント「マルクトプラッツ」も同じ日に行われたため、
周辺のエリア全体で大変賑やかなイベントとなりました。
長野リノベーションシンポジウムは、リノベ工事途中の“現場”を会場にしたことで、
わかりやすく、その一端を垣間見せることができたのではないかと思います。

リノベ工事途中の南棟で行われた「長野リノベーションシンポジウム」。

その後、南棟がオープンしたのは2014年12月のこと。
南棟は、4棟のなかでも中心的な役割を担う建物として計画され、
「東町ベース」という呼び名も決まりました。
東町ベースは、2階にCAMP不動産のメンバーがオフィスを構え、
3階の倉庫にストックした廃材や建具など使い、
1階の作業場で職人たちが加工するという、新しいリノベーション基地を目指しています。

東町ベース3階の倉庫にストックされている古家具や建具。

東町ベースの1階の作業場。

CAMP不動産メンバーで最初にできた南棟のmanz-desginのオフィス。

徳島県三好市の廃校を使った 「マチトソラ暮らしづくり ワークショップ」レポート!

昨年から今年の1月にかけて、「四国のへそ」こと徳島県三好市で、
「マチトソラ暮らしづくりワークショップ」が開催されました。
これは、コロカルでもおなじみの「リバースプロジェクト」が、
衣・食・住・エネルギーに関する低炭素なライフスタイルを
地域で実現していくためのワークショップ。
三好市の「株式会社ハレとケデザイン舎」と、
「NPO法人てヲとる」と共同で、
企画、監修を行い、衣・食・住・エネルギーにまつわる
ワークショップを多数開催したんです。
そのワークショップの様子をいくつかピックアップして、
お写真でご紹介します!

そもそも、なぜこのワークショップが始まったのか?
三好市は、四国で一番広い自治体。
「マチ」と呼ばれる四国の交通の要所として栄えた
中心市街地の阿波池田と、「ソラ」と呼ばれる
祖谷や大歩危小歩危などのある山間部があるところ。
それぞれの地域では古くからの建築様式の建物が残り、
そこでは土地に根付いた自給的な暮らしが綿々と
続けられてきました。
しかし少子高齢化が進み、そのような歴史ある建物が
空き家となり、地域での暮らしやコミュニティが
存続の危機に立たされています。

そんな三好市が活気づくように、
三好市の「マチ」と「ソラ」に点在している
古民家や廃校などを舞台にした「マチトソラ芸術祭」が昨年開催されました。
ワークショップは、この「マチトソラ芸術祭」にあわせて
スタートしました。

勝手に作る商店街サンド: 秋田県・鷹巣駅前編

商店街サンドとは?

「商店街サンド」とは、
ひとつの商店街(地域)で売られているパンと具材を使い、
その土地でしか食べられないサンドイッチをつくってみる企画。
必ずといっていいほど美味しいものができ、
ついでにまちの様子や地域の食を知ることができる一石二鳥の企画なのだ。
今回は雪の降る、秋田県北秋田市の鷹巣(たかのす)にやってきた。

世界一の大太鼓がある鷹巣でつくる!

鷹巣は秋田の中でも北部に位置し、
秋田の内陸部を南北に縦断する長さ94.2kmのローカル鉄道
「秋田内陸縦貫鉄道」起点の駅でもある。
また、ギネスにも認定されている巨大な太鼓があることでも有名で、
夏になるとその太鼓の上に何人も乗り、
長いバチで叩きながらまちを練り歩くお祭り(八幡宮綴子神社例大祭)もあるそうだ。
このほか、シシトウラーメンやシシトウチョコレートといった
刺激的な珍名物もあるようなまちである。

ギネス認定の巨大太鼓、直径3.71メートル。これなんと、国産牛の一枚皮でできているのだ!(大太鼓の館より)

いざ鷹巣へ来てみると、雪・ときどき吹雪、
といった豪雪地帯ならではの天気だった。これぞ秋田の冬といった感じ。
出迎えてくれたのは雪だけではなくて、
この日はちょうど商店街近くで朝市が開かれているという。
せっかくなので寄ってみることにした。

商店街からすぐ近くの朝市。7のつく日に行われる。

北秋田の食が凝縮の朝市。上野のアメ横の出張版みたい?!

鷹巣の朝市は、寒かろうが暑かろうが平日だろうが、
「7」のつく日に必ず開かれる。
時間は朝の7時ころからだいたい昼の12時ころまで。
かつては50軒ほどのお店が並んでいたそうだが、
この日は約20軒くらい並んでいただろうか。
ひとつの通りに八百屋さん、魚屋さん、漬物屋さん、
服屋さん、乾き物屋さん、お菓子屋さんなどが
点々とお店をかまえていた。
身ひとつ分のスペースで売る人もいれば、トラックを使って販売する人もいて、
これが見ていてなかなか面白い。

トラックの荷台をお店にしている八百屋さん。

こちらは魚屋さん。トラックに「SUPER SHOP 宇宙船」と書かれてる。なんだかかっこいい!

こちらは洋品店。よく見ると、コタツに入っててあったかそう。

こちらはお餅や豆類など。寒そうだけど、椅子の下に暖房がちゃんとありました。

お客さんに自由に見てもらうスタンスのお店から、
積極的に声をかけて売りこむ姿も見られる。
いろんなものが雑多に売られている様子や、元気に声をかけてくる様子は、
まるで上野のアメ横の一部を切り取ってきたようだ。
ちなみに、これらのお店は出張販売というかたちで周辺地域からやってくるのだそう。
中にはお隣の青森からくる業者さんもいるのだとか。

お菓子屋さん。雲平やもろこしなど、秋田ならでは。

乾き物や缶詰などを売るお店も。

卵や豆腐、調味料など。全国にあるものかと思いきや、よく見ると比内地鶏の卵豆腐やきりたんぽなど、やっぱり秋田のものが並んでいる。

さきほどとは別の魚屋さんではサメも売られていた。あまり見慣れないのでウワーッと大声が出た。

お腹の中で育っていたサメの赤ちゃんと卵を見せてくれた。小さくてもちゃんとサメだ、とマジマジと見る。※こちらは売り物ではありません。

そのままではサンドに挟めないようなものが多いけど、見ていてとても楽しい。
この辺りの人たちにとっては日常の風景であり
売られているものも珍しくはないのだろうけど、
よそからきた私にとって秋田の食文化を知ることができてすごく楽しいのだ。

シェフの調理で、防災食がごちそうに変身!松戸市でイベント「ごちそうとぼうさい」開催

ご家庭や職場に常備しておきたい非常食。
でも賞味期限が長いあまりに、ついつい忘れて廃棄することに
なってしまうこともしばしば。
それを解消するのが「ローリングストック法」。
日常的に非常食を食べて、食べた分を買い足していくという方法です。
これならいつも新鮮な食品をストックすることができます。

2015年1月16日(金)、千葉県松戸市にて
この「ローリングストック法」を学ぶ
イベント「ごちそうとぼうさい」がおこなわれました。
主催は、松戸市のシティプロモーションの一環である
市民参加型のプロジェクトチーム「まつどやさしい暮らしラボ」。

その内容は、被災地での経験を持つ2名のプロの料理人が、
乾パンやアルファ米、乾燥餅といった非常食や地元野菜を
使って作った「ごちそう」を披露するというもの。

新松戸にある「田島亭」の田島加寿央シェフと、
出張料理人のキムラカズヒロシェフが腕をふるい、
一般的に非常食としてよく使われるものを使って5品を調理。
参加者はグルメな姿に変身した防災食に舌鼓を打ちました。
こちらでレシピが公開されています。

左:田島加寿央シェフ、右:キムラカズヒロシェフ

非常食のお餅を使ったミルフィーユ。お見事!

和倉温泉「多田屋」6代目  多田健太郎さん

さまざまな経験を経て、自分の道へ。

豊かな自然と独自の文化が残り、北陸新幹線の開通で、
いまさらなる注目を集める能登半島。
その能登半島の中心部にある和倉温泉の、
七尾湾を一望する高台に建つ旅館が、多田屋だ。
それほど大きな宿ではないが、明治18年から続く歴史ある旅館で、
落ち着いたあたたかい雰囲気が漂う。
「長旅でお疲れではないですか」と気さくな笑顔で迎えてくれたのは、
多田屋6代目の若旦那、多田健太郎さん。

能登で生まれ育った多田さんは、
いずれ多田屋を継ぐということは漠然と頭にありながらも、
自分のやりたいことを見つけたいという思いもあり、東京の大学に進学。
卒業後はアメリカに留学し、短大でインテリアなどを学んだ。
帰国後もすぐには地元に戻らず、東京のIT会社に就職。
1年勤めたあと多田屋に入社するが、いきなり大阪に転勤。
旅館案内所で営業を担当するためだ。少し遠回りをしているようにも思えるが、
それもいろいろな経験ができてよかったと多田さんは笑う。

「アメリカでは最初、言葉が通じなくて挫折を味わったり、
東京の会社で働いていたときは毎日終電で帰るような生活で、落ち込んだりもしました。
自分の核となるものがわからないまま転がっていった感じでしたね」
それでもいつか能登に戻るということは心に決めていた。
そのタイミングだと思った29歳のとき――それは結婚のタイミングとも重なったそうだが、
能登に戻ったのだという。
「いつか僕が継ぐのであれば、旅館を僕流にしていかないといけない。
これ以上、父のやり方でいくと、軌道修正が大変だと思ったんです」

七尾湾に面した抜群のロケーション。このオーシャンビューが多田屋の自慢。

どんな業界でもそうだが、特に伝統ある家業の場合、世代交代は一筋縄ではない。
守っていくことや受け継いでいくことだけでなく、
時代の移り変わりやニーズを的確に読み取り、新しいことにもチャレンジしていく。
そうでなければ、廃れてしまうことにもなりかねない。
「もちろん息子として父のことは好きですし尊敬していますが、
一緒に仕事をできるかというとなかなか難しい。
父親だけど社長という関係も、その距離感をつかむまでが大変でした」
社長である父の世代の価値観と、自分の世代の価値観ではズレがある。
これから若い世代の人たちにも多く来てもらうためには、
多田さんは自分のやり方を少しずつとり入れていかなくてはいけないと感じたのだ。

まちにできた 小さなイタリアンレストラン。 地元を元気にしたい店主の思い。 medicala vol.5

medicala vol.5
水のまちのイタリアンは本場さながら

前回はマスヤゲストハウス後編ということで、
解体古材を使ったリノベーションの面白さについて書きました。

今回紹介するのはつい最近、2014年11月〜12月の上旬にかけて
施工に入ったプロジェクト。
大分県竹田市のまちの中心、
四つ角にある元クリーニング屋さんの建物をリノベーションした、
イタリアンレストラン「Osteria e Bar RecaD(通称リカド)」のお話です。

「Osteria e Bar」とは、イタリア語で「気軽なレストランとバー」という意味。
カジュアルに訪れてもらいたいという思いに加え、
「RecaD」とは、「Re=角」の意味で、「マチカドの再生」を表しています。

つまり、コンセプトは「人々が集うマチカドの再生」。

昔と比べて活気がなくなってしまった竹田のまちを
「この場所から元気にしてきますよー!」
というオーナーの想いから、このレストランは生まれました。
オーナーは、桑島孝彦さん。
僕らは愛を込めて「クワマン」呼んでいます。

こちらがクワマン。竹田の市内で行われるイベントに出店しているときの様子。

1982年3月生まれの33歳です(2014年12月時)。
東京のイタリアンレストランで修業後、
2012年に「地元竹田市を面白くしたい!」とUターン。
竹田に帰ってきてからは、実家が営む「お米とお酒のくわしま」を手伝いながら、
移住者に空き家を紹介する仕事をしたり、
地元のイベントに屋台を出店したりと、竹田の中でいろいろ動きながら、
ゲストハウス(!?)を始めるために物件を探していました。

そうなんです。もともとクワマンがやりたかったのはゲストハウス。
クワマンと僕は東京のゲストハウスで知り合い、
その後、連載でも紹介したNui.や、
rucoの工事に手伝いにきてくれたクワマンに、
「アズくんにいつか竹田のゲストハウスのデザインをしてほしい」
と声をかけてもらいました。

しかし、なかなかゲストハウスに合うような物件が見つからない。
Uターンして2年経った頃、
レストランにするとちょうどいい物件に出会えたクワマン。
そこで、まずはイタリアンレストランから始めてみることに方向転換!
今回のプロジェクトが始まりました。
もちろん、志はゲストハウスをしようと考えていたころと変わらず、
「竹田を面白くしたい」ということ。

少し話が変わりますが、僕らは常々、
人がまちを訪れるには「3つの理由」が必要だと思っています。
例えば、会いたい人がいる、行ってみたい場所がある、
行ってみたいお店がある、食べたいものがある……など。
なんでもいいのだけれど、3つくらい理由があると、
じゃあ実際に行ってみようか、となりやすい。
会いたい人がひとりいても、
行ってみたい場所がひとつあっても、
わざわざそこまで足を伸ばすまでにはいかないことが多いのではと。

僕らにとって竹田市は、
会いたい人=クワマンがいる、
行ってみたいところ=ラムネ温泉(後ほど詳しく)がある。
しかし、僕たちがそれまで持っていた理由はふたつだけだったから、
なかなかいく機会がなかったのですが、
今回、物件が見つかったタイミングにたまたま九州にいたので
「近くまできたから」という3つ目の理由を携え、
ようやく初めて竹田を訪ねました。

竹田市の紹介を少し。
大分県竹田市は、大分市と熊本県阿蘇市のちょうど真ん中あたりにあります。
どちらからも車で1時間かからないくらい。
市町村合併のため、その面積は大きく、
また集落が分散されているためひとつの集落に多くの人が集中しておらず、
人口密度は52.6人/㎢(平成22年度、竹田市統計より)。
ちなみに長野県下諏訪町は313人/㎢(平成25年データ、下諏訪町統計より)、
東京23区は14,693人/km²(平成27年1月現在、東京都統計より)。
竹田市の人口は下諏訪と同じ規模の約2万3千人。
日本の市の中で見ると75歳以上の高齢化率は全国2位。
(合併前は全国1位だったみたいです)
そんなお年寄りが多いまちですが、
昨年地域おこし協力隊を18人を受け入れたり、
移住者やUターン者がいたり、アーティストインレジデンスを行っていたりと、
まちづくりへの取り組みが活発なまちでもあります。

文化的な遺産としては、難攻不落の城であった「岡城址」が有名です。
(よく天空の城のある竹田城があると勘違いされますが、
竹田城は兵庫県、竹田市は岡城)
クワマン曰く「岡城に攻め込むつもりで行ってみるとスゴさがわかるよ」
と説明するくらい、岡城は強い城だったそうです。
また、滝廉太郎の「荒城の月」の舞台は岡城であることも有名です。
(「荒城の月」が流れるトンネルがまちなかにある)

個人的には、藤森照信さんの設計した「ラムネ温泉」があったので、
竹田市は行ってみたいまちのひとつでした。
焼杉の外壁、銅葺きの屋根の可愛いかたちをした建築です。

ラムネ温泉。

後からわかった竹田の魅力は、なんと言っても「水が豊富」なこと。
竹田市は広いので、市内のいろんな場所で温泉に入れます。しかも安い。
そして、湧き水もたくさんあります。
「竹田湧水群」という場所があり、数種類の湧き水が楽しめ、
それぞれ味が違うため地元の人は「お気に入りの湧き水」があったりします。

竹田市の紹介はこれくらいにして、
オーナーの紹介と、プロジェクトの経緯について説明します。

クワマンが見つけた物件が、こちら。

工事前の外観。

都市に奥行きをつくる。 HAGI STUDIO vol.6

HAGI STUDIO vol.6

みなさんこんにちは!
vol.1vol.2vol.3vol.4vol.5に続き、
東京谷中の最小文化複合施設「HAGISO」について書いていきます。
これまでの連載でひたすらHAGISOの中のことを書き連ねてきましたが、
最終回にきてようやくw外に目を向けてみたいと思います。

第2フェーズ「まちへ」

2013年3月から始まったHAGISOも、まもなく丸2年が経とうとしています。
バタバタと駆け抜けてきた2年間でしたが、
HAGISOの第2フェーズとして、
より一層地域・エリアに還元できる活動をしていきたいと思っています。
これまでもまちの魅力を高めるような場所として存在できるよう考えてきましたが、
あくまでHAGISOの中での活動だった気がします。
しかし、そもそも谷中でこのような試みを始めたのも、
このまちのポテンシャルに惚れ込んだからでした。

谷中銀座商店街。現在でも八百屋・魚屋・肉屋などの小売店が元気な商店街。道の幅員の狭さが、人と人の距離も縮めている。

岡倉天心記念公園。東京美術学校(現・東京藝術大学)の設立に関わり、また日本美術院を創設した岡倉天心の旧居跡。

小さな小売店が点在し、各家の植木鉢が道を彩る、迷路のような路地。

まちの食料品店「みかどパン」の目印、ヒマラヤ杉の大木。元は植木鉢に入っていたというヒマラヤ杉が、みるみる大木になったという。樹下の民家を守っているようにそびえている。

海外でも人気の自転車メーカー「toykobike」の直営店は谷中にある。もともとは酒屋、伊勢五本店の築80年の建物。

これらはほんの一例ですが、これらの魅力的な場所がいまだに住み継がれていることに、
約10年住んだ今でも感動を覚えます。このまちに対して僕らは何が返せるでしょうか?

谷中で行った初めてのプロジェクト

実は僕らが谷中で行ったプロジェクトはHAGISOが最初ではありませんでした。
2007年の夏、大学院在籍中に研究室のプロジェクトとして行った、
MACHI-YATAI PROJECT」というものがあります。

全体構成ダイアグラム。路地を7枚の暖簾で仕切る。

これは谷中にある路地を、一時的な設え(MACHI-YATAI)を用いて
展示空間に変換するプロジェクトです。場所はお寺の私道で、車も入れない細い路地です。
道の真ん中に木が立っていたり、今も水が出る井戸などがあります。
ただでさえワクワクして面白い場所ですが、
この一本の長い路地を「暖簾」で分節させ、その間に作品を設置することで、
一連なりの展示空間とするものです。

普段周辺にお住まいの住民の方の日常的な通路が、暖簾を設置するだけで一変します。

墨田区で入場無料の 「ほくさい音楽博」開催。 こどもたちが世界中の音楽を 体験できる!

2015年2月8日(日)、
墨田区の「本所地域プラザBIGSHIP」にて、
音楽イベント「ほくさい音楽博」が開催されます。
これはこどもたちが、世界中の音楽を体験できる音楽博覧会。
一部体験会を除き、参加は無料です。

名前の由来は、墨田区うまれで世界に名を轟かせた
アーティスト、葛飾北斎。
彼の生誕地である墨田区周辺地域を拠点として、
こども達に世界中の響きの美しい楽器に触れてもらい、
練習を重ね、発表会を行っていくプログラムなんです。

スティールパンチーム練習の模様

ガムランチーム木琴制作の模様

当日のプログラムはバラエティ豊か。
日本でヒューマンビートボックスを広めたパイオニア的存在の
AFRAさんによる「声で演奏!ボイスパーカッション体験」や、
講談師の神田真紅さんによる「江戸の話芸!講談体験」。
そのほか「大声出し放題!義太夫体験」、「スティールパン体験」などなど、
こどもたちが実際に音楽に触れて楽しめるイベントが目白押しです。

おひさしぶりのん! 秋田県大館市のアイドル、 ゼロダテ秋田犬 「ののちゃん」日記 第7回。

みなさん、あけまして・・・

おめでのん!

お元気でしたのん??

ちょっと間が空いてしまってすみませんでしたのん。

ののが広報室長を務めた大館・北秋田芸術祭も無事終わって、
なんだかついうとうとしてしまってたましたのん。

去年はいっぱい楽しいことがあって素敵な2014年でしたのん。

アートを通して、 人と人が関わる宿泊施設 KYOTO ART HOSTEL kumagusuku HAPS vol.5

HAPS vol.5
kumagusukuが生まれるまで

京都市中京区壬生。市内中心地の西、二条駅や二条城の周辺は、
大規模な商店街があるなど昔ながらの雰囲気を持ちつつ、
独自色のある小さなショップやギャラリーなどが増えている一帯です。
新旧の入り交じる活気があります。
そんなまちの一角に、
2014年11月完成した「KYOTO ART HOSTEL kumagusuku」。
展覧会の中に宿泊し、美術を“体験”として深く味わうための施設です。
2015年1月にオープンしました。
コロカルニュースでも紹介され、大きな反響がありました)

今回は、HAPSでマッチングをした物件ではありませんが、
計画当初より相談をいただき、
情報提供を行ったkumagusukuができるまでを辿ってみます。

kumagusukuとは、
博物学者・南方熊楠の名前と、
沖縄の言葉で“城”を意味する“グスク”とを合わせた造語。
熊楠の名前に含まれる
熊=動物と楠=植物を人間の営みの象徴として、
さらに城を組み合わせることで宇宙的な視座を持って世界を見て、
関わっていくという思いが込められています。

そもそもの発端は、2012年12月。
kumagusuku代表である美術家・矢津吉隆さんの、
「美術作品を通して人と人が関わる宿をつくりたい!」という思いから。
京都市立芸術大学を卒業して10年間ほど、
美術予備校講師や美大の非常勤講師を務めながら
作家活動を続けてきた矢津さん。次のステップに向けて、
何らかの決断をしなければいけない時期に差しかかっていました。

そんなとき、友人に誘われ、訪れた沖縄でのこと。
なんと大きな台風が直撃してしまい、
3日間もゲストハウスに閉じ込められることに。
しかし、人生を立ち止まって考えているときに
日常とは離れた環境のなかで
シーズンオフの沖縄にふと集まってきた人たちと話すことが
期せずして自分の内面をさらけ出すこととなりました。
この体験から、アートを通して
人と人がじっくり関われる宿をつくりたいという構想が生まれたのでした。

住宅街に佇む木造2階建てのkumagusuku 。

とは言うものの、
これまでアーティストとして活動してきた矢津さんにとって、
事業を起こすというのは新たな領域です。
事業計画の作成や融資など、初めてのことも多く、
まずはHAPSで紹介した行政書士の藤本寛さんからアドバイスを受けました。
当初は、自己資金で何とかできるのではと考えていた矢津さんも、
計画を進めていく中で、ひとりではできないということを実感。
思いを伝え具体化していく過程で、
これまでのつながりから、関わるメンバーも増えていき、
最終的には、創業者支援の融資制度や、
京都市の空き家改修のための助成金も活用することができました。

しかし、「事業の実績がない!」ことは説得材料に欠けるもの。
そこで矢津さんは、「瀬戸内国際芸術祭2013」に誘われたのを機に、
小豆島で期間限定のプロジェクトとして、
井上大輔さんとともにセルフリノベーションで、
kumagusukuの前身、アートを鑑賞できる滞在施設を実現。
(この様子はコロカルで連載中の小豆島日記にてレポートされています)
考えていた以上の盛り上がりに、
アートがつなぐ宿の方向性に確信を抱きました。

(左より)「工芸の家」のメンバー 石塚源太さん、kumagusuku代表・矢津吉隆さん。

京都へ戻った矢津さんは早速物件探し。
当初HAPSにもご相談いただいていたのですが、
うまく条件に合致するものをご紹介できませんでした。
京都市内には、町家など多くの空き物件はありますが、
宿泊施設としてさまざまな条件をクリアする物件を見つけるのは
なかなか難しいところがあります。

そんな物件探しに難航していた矢津さんが出会ったのは、
シェアスタジオを運営するなどして、
20年以上京都市内でアーティストを支援してきた、
A.S.K. atelier share kyoto (以下A.S.K.)代表の小笹義朋さん。

小笹さんはkumagusukuのプランを聞くと、
矢津さんとの出会いも何かの縁と感じ、
kumagusukuへスポンサーとして関わることを決断。

実は小笹さんは、そのときある木造物件を借り、
新たな共同スタジオにしようと
工事をスタートさせる一歩手前のところだったのですが、
この計画を一変させ、kumagusukuへと生まれ変わらせることに。
「見たことがないものを見たい、名付けられないものを見せてほしい」
と矢津さんに期待を寄せました。

小笹さんは、2012年からHAPSが活動を始め、
京都市の事業としてアーティストのためのスタジオ紹介が
行われるようになったことで、
スタジオ提供に関する自身の荷が下りたのだそうです。

A.S.K. atelier share kyoto代表の小笹さん。

手が入る前の物件1階の様子。

1階と2階を合わせて、
160平米以上ある元アパートだったという木造建築の物件。
全体のリノベーションを担当してくれたのは、
大阪・北加賀屋を拠点に活動する「dot architects」の家成俊勝さん。
ロゴや館内サインのデザインは、
矢津さんが長年仕事をしてきた
UMA / design farmの原田祐馬さんにお願いしました。

dot architectsによるkumagusukuの模型。(写真提供:kumagusuku)

dot architectsの建築は、建築単体というよりも、
人の関係性や建築の使われ方といったソフト面を含めデザインしていくというもの。
「完成が終わりではなく、その後いろいろな人が手を加え、
更新されていく余地を持たせてくれる建築に」という、矢津さんの希望とも合致しました。
そこで、矢津さんと家成さんが大切にしたのは、
「歴史的な蓄積をできるだけ残したい」ということ。
しかし、全部を包括的に更新するというのではなく、
手を加えたところと既存部分がわかるような、
“新たなレイヤーがつくられる建築”を模索。

さらに、もともとの「展覧会の中に宿泊する」というコンセプトから、
展示室と客室を分けたくないが、法律的には分ける必要もあるため、
視線の交錯を意識しながら、独立した空間をどうつなげていくかが、
課題となりました。

倉庫群の 再生プロジェクト。 シーンデザイン一級建築士事務所 vol.05

シーンデザイン一級建築士事務所 vol.05 
個から地域へ

長野市善光寺門前界隈には、ここ5年あまりでたくさんのリノベ物件が誕生しました。
これだけ狭いエリアに多くのリノベ物件が集積している地域は珍しいと思います。
もちろん個々のお店や住居は、各々個性的で独立した存在なのですが、
同一エリアに多く集まることで、その先に“まち”が見えてきました。
誤解を招くといけないので一応言っておくと、CAMP不動産は、
いわゆる従来的な“まちづくり“をしようとしているのではありません。
それでも“まち”が見えてきた、というのは、
あくまで、ひとつひとつ個別のリノベ案件について、
それがその場所で成立するための方策をあれこれ考えていると、
どうしても“まち”との関わりを無視できなくなるからなのです。
今回は、そんな個から地域への視点の広がりについてお話しできればと思います。

SHINKOJI(新小路)プロジェクトがスタート

不動産業を営む倉石さんと建築設計業を営む私が、
各事務所のスキルを横断的に生かしながら
リノベに関わる一連の事業について取り組んでみようと
「CAMP不動産」という活動を始めたのが2012年10月でした。
CAMP不動産として最初の物件は、vol.2で書いた藤田九衛門商店でしたが、
実はそれとほぼ時を同じくして構想を始めたプロジェクトがありました。

それが、SHINKOJI(新小路)プロジェクトです。

リノベ前の新小路。小路を挟んで両サイドに大きな倉庫が建ち並んでいます。

善光寺門前にある東町は、かつてとても人通りの多い問屋街でした。
新小路(しんこうじ)とは、その東町にある細い小路の名前です。
昭和10年頃には、洋食屋さんや鰻屋さん、中華料理屋さんに文房具屋さんなどが立ち並ぶ、
とても賑やかな小路だったそうです。

その後、昭和40年代に入り、新小路に建つお店は、
文房具卸し会社の本社や倉庫へと建替えられて一時代を築きました。
しかし、近年のインターネットなどによる流通構造の変化は、
まちなかの問屋街の様相を一変させました。新小路も例外ではありませんでした。
現在は、倉庫としてもほとんど機能していませんでした。

そんな状況下で、「SHINKOJIプロジェクト」は、
人通りの少なくなってしまった新小路に建つ、
計4棟の倉庫群をリノベーションするプロジェクトとして構想がスタートしたのです。

きっかけは地元不動産会社の相談から

時は遡り、CAMP不動産がSHINKOJIプロジェクトの構想を始める約2か月前。

地元不動産会社のリファーレ総合計画が、
この倉庫群の利活用を前提にした事業に着手したことが、
SHINKOJIプロジェクトのそもそもの始まりでした。

2012年9月。リファーレ総合計画の取締役である寺久保尚哉さんは、
まちなかにあるこの倉庫群を自社の事務所として利用しようと考えていました。
しかし、自身の不動産事務所として利用するだけでは建物が広すぎるため、
全体をどのように利活用していけばよいのか、いろいろな方に相談していたそうです。

その相談先のひとつに、CAMP不動産(株式会社マイルーム)があったのです。

この倉庫群には、古い建物にありがちな、完了検査を受けていなかったなど、
法的な問題点も数多くありましたが、
寺久保さんが、行政や建築士との協議を重ね、ひとつひとつ丁寧に解決し、
先ずは建物を“使える状態”にまでにしてくださったことが、
SHINKOJIプロジェクトがスタートを切る事ができた最大のきっかけにもなりました。

リノベーションをサポートする「リノベ基地」

リノベ前の新小路、北棟玄関。鉄骨造3階建ての事務所+倉庫でした。

2012年11月。以下、プロジェクトが始まった頃の、倉石さんのメールを紹介します。

「寒くなってきましたが、お元気ですか?
さて突然ですが、近々おもしろいプロジェクトが始まりそうなので、
お誘いのメールを送ります。
詳細は未定で、あえて名前を付ければ「リノベ基地」プロジェクトです。

まちなかの大きなビル倉庫群が借りられそうなので、
エリアごとリノベ基地にしてしまおうというものです。
放っておけば、いつものごとく壊されて駐車場になってしまいます。
建物は天井が高く、トラックも入る倉庫で、
そこでみんなの作業場にして、シェアしようというものです。
広いスペースでは、材料や道具がゆったり置け、もちろん加工もできます。
廃材や古家具もストックでき、職人さんが集まればオリジナル品もつくれます。
お客さんとのリノベプランが、現場さながらに進められます。
また、若者や熟練のスタッフがワイワイと集まり、
手がほしい現場ではテコになってくれます。
2階には、関連する道具屋、本屋、雑貨屋、めし屋、などがテナントとして入ります。
3階には、スタジオ、編集室を設け、
リノベやストックの物件情報とスタイルを発信していきます。
リノベに関連する事務所オフィスも入れます。
4階・屋上は、ゲストハウス的なものを設け、居住滞在も可能にします。
同じようなスペースを探している人たちを県内外から誘って、
シェアして使ってもらおうというものです。」

……CAMP不動産では、だいたい倉石さんのこんな妄想話から始まります(笑)。
補足説明すると、この時点で入居希望のテナントや入居者は誰ひとりとして決まっていません。
それでもよいのです。
リノベプロジェクトにおいて、ここで、ひとつのビジョンが提示されたことに
大きな意味があるのだと思います。

次は、私の番です。

喜久盛酒造仕込み蔵移転ファンド

廃業した仕込み蔵に再び灯る、復興という名の明かり。

10月、酒づくりのシーズンが到来し、今年で創業120年を数える老舗蔵が
新たなスタートを切ろうとしていた。岩手県北上市にある喜久盛酒造だ。

喜久盛酒造の酒蔵の外観。隣接する自宅や醤油蔵、倉庫なども含めて3000坪の敷地がある。高校生の頃からレスリングをやっていた藤村さんは、敷地内の空いている農作業小屋を改造して道場をつくり、震災前はよく格闘技愛好家に教えていた。

自宅と隣接する広大な酒蔵は、東日本大震災で半壊。
先代のときに操業を停止したという醤油蔵は、100年以上の歴史を持ち、
かつては映画のロケに使われたり、雑誌に取り上げられるほど趣きのある建物だったが、
屋根が崩落して全壊認定。現在も瓦礫は撤去されることなく、
あの日から時が止まったようにそのままのかたちで残っている。

「北上市は震度6だったのですが、私の代になってから
震度6の地震には、東日本大震災の前にすでに2回ほど遭っていました。
それでも2回とも酒蔵は無傷だったので、
古い建物は地震にも強いのだと思っていたのですが、
3.11は揺れている時間が長かったこともあり、
ケタ違いのダメージを受けてしまいました。
4月に起きた最大余震の影響も大きかったですね」
と、5代目蔵元の藤村卓也さんは当時を振り返る。

3.11から約1か月後に起きた最大余震で、大きく崩れ落ちた土塀。酒蔵は半壊してしまったものの、従業員とその年に仕込んだお酒は無事だったことが、何よりの救いだった。

地震の被害に加え、雪の重みでつぶれてしまった屋根。その下にあった冷蔵庫もつぶれてしまった。屋根裏は柱が傾いていて、とても危険な状態だ。

1990年代までは醤油の醸造も行っていた。全壊した醤油蔵は、映画のロケ地として貸し出したこともあるほど絵になる場所だったそうだが、震災で見る影もなくなっている。

酒蔵の修復に莫大な費用がかかることは、建築に無知な者でも容易に想像できた。
それでも北上市内の建築業者に修繕費用の見積もりを依頼すると、
金額ではなく、思いがけない答えが返ってきた。
「うちでは直せない」ときっぱり断られてしまったのだ。
100年以上前の建物であることに加え、
増改築を繰り返してかなり複雑な構造になっていたため、
近代建築を扱う一般的な業者には手に負えない、というのが理由だった。
その後さまざまなつてをたどって、古民家を専門に扱っている盛岡市の業者から、
ようやく見積もりを出してもらえることに。
しかし、その時点で震災からすでに丸2年以上の歳月が流れていたため、
修復に関する補助金の申請を行うことができず、
自分たちで捻出しなければいけない状況だった。

他県の復興支援団体が喜久盛酒造へ視察に訪れたとき、全壊した醤油蔵を見て、
解体費用を自治体から援助してもらえるのでは、とアドバイスしてくれた。
それを聞いた藤村さんは、古い酒蔵を直すのではなく、全壊した醤油蔵を取っ払って、
その場所に現在の出荷量に見合ったコンパクトな蔵を新築したほうが、
予算を安く抑えられるのではないかと考えた。
しかしながら自治体によって対応が異なり、
北上市からは解体費用を援助してもらえないことが判明。
半壊後、規模を縮小しながら営業を続けていた酒蔵を直すことしか、
道は残されていないように思えた。

藤村酒造店(現在の喜久盛酒造)の創業間もない頃の代表銘柄「凱旋」。日清戦争勝利に因んだネーミングで、時代がうかがえる。後ろに写っているのは、税務署に提出していた申告書。どんなお酒をつくっていたのかが詳細に記されている。

藤村酒造店時代の広告。戦時中に企業合併した北上・花巻の酒蔵は、戦後に分離。3代目だった祖父の藤村久喜(きゅうき)さんが、「久喜が逆立ちしても盛り上げる」という意味を込めて、社名を喜久盛酒造に変更した。

酒蔵に足を踏み入れると目に飛び込んでくる標語。祖父が蔵元だった頃は日本酒全盛の時代で、従業員を多数雇い、事業をかなり拡大させていた。

そんななか、隣の花巻市にある白雲の社長が亡くなり、
2014年3月に自主廃業したことを耳にする。
太平洋戦争中、喜久盛酒造の前身である藤村酒造店と白雲をはじめとする複数の蔵は、
同じ税務署管内の酒造メーカーとして企業合併していた時代もあった。
しかも喜久盛酒造と白雲は、市が違うといっても車でわずか5分の距離。
ご近所の蔵で、なおかつ国の政策とはいえ一時は同じ企業だったよしみもあったので、
藤村さんはご遺族に白雲の蔵を貸してもらえないかと
思いきって相談すると、ふたつ返事で承知してくれた。

白雲の社長は、酒蔵と隣接する自宅にひとりで暮らし、
酒づくりは基本的に杜氏とふたりで行っていた。
2013年の秋、まさにこれから酒づくりをしようという準備段階で
亡くなってしまったため、蔵もきれいで、醸造機械の類は年季が入っていたものの、
メンテナンスをすれば充分に使える状態だった。
さらに喜久盛酒造と比べてコンパクトな白雲の蔵は、
現在の出荷量を考えても作業しやすい手頃なサイズといえた。
修繕費用がかなりかかってしまうことを考えても、喜久盛酒造の蔵には手を加えず、
白雲に移転して酒づくりを続けるのが賢明だと藤村さんは判断した。

喜久盛酒造の広大な敷地内には4つの井戸があり、幸いなことに震災後も水質・水量は変わっていない。移転後は白雲の水を使うことになるが、水質はほとんど変わらないという。

移転先の白雲の仕込み蔵。社長は趣味人だったらしく、蔵にはステレオが置かれていたり、庭先には乗り古したバイクがあったり、自室には社長自ら描いた絵が無数に残されていたという。酒に関しても、自分のつくりたいものだけをとことんつくるような人だった。

さて、喜久盛酒造のつくる肝心の日本酒なのだが、これがかなりのインパクト。
現在一番の人気銘柄となっている「タクシードライバー」は、
藤村さんが代表になって間もない2005年に商品化したもの。
誕生したきっかけが、また面白い。
「知人の紹介で、『映画秘宝』という雑誌のアートディレクターをしている
高橋ヨシキさんと飲む機会があったんです。
お会いしてすぐに好きな映画の話になりまして、
自分はイタリアのグァルティエロ・ヤコペッティ監督の『世界残酷物語』という
ドキュメンタリーが、DVD-BOXを買うくらい好きなんです。
その話を真っ先にしたら、パッケージデザインをしたのがヨシキさんだった。
それで一気に意気投合して、映画の話で盛り上がりつつ、
これを機に新しい酒の銘柄を考えましょう、という話になりました。
バカ話をしながら、いくつか出てきたアイデアのなかで、
一番商品化しやすかったのが『タクシードライバー』だったんです」
その数日後には、高橋さんの手による
ラベルデザインの原型ができあがっていた。

高橋ヨシキさんがデザインした「タクシードライバー」のラベル。映画好きはもちろん、ミュージシャンなどにもファンが多いという。それにしても、すごいインパクト……!

「タクシードライバー」は藤村さんいわく、どっしりとしたタイプのお酒。
岩手のお酒は全般的に、さらりとした飲みやすいタイプが多いため、
県内の同業者には「岩手で一番濃い」と言われている。
「正直、地元の受けはそれほどよくないのですが、
大阪など濃い味の好まれるエリアでは、早い段階から結構飲まれているんです」

「タクシードライバー」は、震災後に東京の有名な地酒専門店に
取り上げられたのをきっかけにブレイク。
それまでは1年かけて売っていた在庫が3か月で完売して、
増産した翌年も3か月で早々に完売。
昨年度はさらに3倍の量を仕込んだものの8か月で完売して、
現在は今年の新酒を待つのみだ。

「これまでの蔵は、祖父の代にかなり事業を拡大して増築していたので、
壊れた部分とかろうじて使える部分がありました。
震災後も崩壊した部分はそのままにしておき、
比較的被害の少なかった部分でなんとか営業を続けてきました。
この3年間は、生産規模をかなり縮小せざるを得なかったため、
つくりたいものをなかなか満足につくることができませんでしたが、
こうして蔵を移ることで、ようやくやりたいことをできる状況にはなったと思います」

白雲の仕込み蔵。全体的にコンパクトなので、動線が短くて作業しやすく、少ない容量をたくさん仕込む現在の喜久盛酒造のスタイルに合っている。藤村さんはここで喜久盛のお酒だけでなく、「白雲」という銘柄も引き継ぐつもりだ。

この制御盤は、藤村さんの祖父の代に喜久盛酒造が白雲に譲ったものだとか。藤村さんは移転して初めてそのことを知ったのだが、ご近所の蔵だけに世代を超えてこうした付き合いがいくつもあるのだろう。

藤村さんの「やりたいこと」を実現すべく、
この秋から喜久盛酒造に頼もしい人物が新たに加わった。
杜氏の盛川泰敬さんだ。花巻出身の盛川さんは、
この業界に入って20年近く、他県の蔵で酒づくりをしてきた。
喜久盛酒造は、盛川さんにとって初めてとなる地元岩手の酒蔵だ。
「中学生のとき、『ドブロクをつくろう』という本に夢中になって
何十回も読み、酒づくりをしたいと思うようになりました。
お酒を飲むことも好きですが、世の中には自分に合う酒と合わない酒がある。
できるだけ合う酒を飲みたいと思ったら、自分でつくるのが一番ですし、
それができるのは杜氏だからこそですよね」

蔵元の藤村さん(左)と、杜氏として今年からともに酒づくりをする盛川さん(右)。白雲の蔵には、お酒をしぼる槽(ふね)という昔ながらの道具が残っている。機械でしぼるところが圧倒的に多くなっているなか、木槽の扱いは熟練した技術を必要とする。

盛川さんに合う酒、つまりつくりたい酒は、純米酒。
そして喜久盛酒造は、今年から県内初の全量純米蔵として再スタートを切る。
それが、藤村さんのやりたかったことだ。
「杜氏のつくりたい酒と、自分の求める方向性が、ようやく合致した感じです」

一度は明かりの消えてしまった蔵で、いままさに新たな仕込みが始まっているものの、
自治体から満足な復興支援が受けられなかったこともあり、
醸造機器類や酒米の購入費用、人権費用などは、まだまだ足りていないのが実情だ。
そこで藤村さんは、ミュージックセキュリティーズの
「被災地応援ファンド」を活用して醸造に必要な資金を募ることに。

「このファンドは被災した喜久盛酒造の復興と、
後継者が途絶えて自主廃業してしまった白雲さんの再生という二重の意味を持ちます。
かつては北上と花巻の両地域に十数軒の造り酒屋があったのですが、
震災前の時点で喜久盛と白雲、南部関の3つにまで減ってしまいました。
岩手は酒どころのイメージがあるかもしれませんが、造り酒屋だけでなく、
酒販店も後継者不足で廃業を迫られているところが増えています。
岩手の日本酒文化を絶やさないためにも、がんばってまいります」

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●ミュージックセキュリティーズ株式会社では、喜久盛酒造が移転先で設備を整え、
本格的な生産態勢を整えるために必要な資金をファンドを通じて募集しています。

■投資家特典
1口につきタクシードライバー純米酒1本(720ml、約1,500円相当)をご送付。
3口以上お申込の方には焼酎古酒(*)(720ml、約6,000円相当)を追加ご送付。

*三代目蔵元 藤村久喜(現代表の祖父)が昭和50年代に焼酎の製造免許を取得し、自社製品の酒粕を蒸留してつくった米焼酎と甲類焼酎をブレンドした「甲乙混和焼酎」。焼酎製造免許は既に返上してしまったために今後はつくることができません。今回ご提供するのは30年以上熟成された喜久盛酒造がつくる最後の焼酎です。

ご送付例
・1口 「タクシードライバー」1本
・3口 「タクシードライバー」3本、焼酎古酒1本(720ml)
・5口 「タクシードライバー」5本、焼酎古酒1本(720ml)

company profile


map

喜久盛酒造株式会社

住所:岩手県北上市更木3-54
TEL:0197-66-2625
http://kikuzakari.jp/

Fund Information

ファンド名:

喜久盛酒造仕込み蔵移転ファンド

1口申込金額:

10,500円(出資金5,000円、寄付金5,000円、取扱手数 料500円)

募集総額:

1300万円

資金使途:

醸造機器等、車両等 600万円
酒米購入費 330万円
人件費 370万円

【おことわり】

喜久盛酒造株式会社および株式会社マガジンハウスは、「喜久盛酒造仕込み蔵移転ファンド」の募集・売出しの取扱い、売買、売買の媒介・取次ぎ・代理等を行うものでなく、また、それらに向けた勧誘を行うものでもありません。本ファンドへの出資申込取扱は、ミュージックセキュリティーズ株式会社(MS社、第二種金融商品取引業者関東財務局長[金商 第1791号])に委託しており、MS社の上記WEBサイトでの、会員登録および出資申込手続を行っていただきます。

なお、本ファンドは、以下の留意点、リスクがありますので上記の「ファンドの詳細・お申込みはこちら」をクリックしていただき、匿名組合契約書および匿名組合契約説明書をよくお読みのうえ、お申込みください。

・出資金1口5,000円あたり当社への取扱手数料500円、喜久盛酒造への応援金(寄付金)5,000円が必要となるほか、別途金融機関へのお振込手数料が必要となります。
・出資金が一切戻ってこない可能性、ファンド期間中途中解約を行えないなどのリスクがございます。

解体素材をフル活用 みんなで古民家リノベーション 「マスヤゲストハウス」後編 medicala vol.4

medicala vol.4

前編ではマスヤゲストハウスの解体までの様子や
古民家をリノベーションすることのメリットやデメリットについて書きました。
キョンの希望だった“暖かい”の部分をどのように実現していったのか?
後編では解体で出た材料をどのように加工して再利用していったのか?
ということなどに触れながら完成までの流れを追っていきたいと思います。

寒冷地・長野の暖房対策をしっかりと。

解体が終わると下地工事が始まります。
解体までは壊していくマイナスの作業。
そこから「つくる」というプラスの作業が始まる瞬間がなんとも気持ちよく、
今回は解体期間が長かった分「いよいよだな」という気持ちになりました。

最初の壁下地工事の様子。キョウちゃんは大工さんから下地のつくり方をこの時学びました。

下地工事と並行して始まるのが「断熱」の作業。
断熱をすると、外の温度が建物の内部に伝わりにくくなるので、
夏は外の熱を、冬は冷気を、断熱材が食い止めてくれます。
隙間だらけの古民家ですが、断熱をすることで夏は涼しく、冬は暖かい空間を目指します。
新しく下地を組み直す部分に断熱材を入れることは難しくありませんが、
問題は既存の部分にどう組み込むか。
もうすでに仕上げてある壁や床を剥がして断熱材をいれて元に戻す、
というわけにはいかないので、簡単にはいきません。
それでも、少しでも暖かくということで、
例えば廊下などは、床の下から断熱材を打ち付けました。

床下に潜って断熱材を固定するキョン。

もともと諏訪地域は標高が高く涼しい場所なので、
断熱をしっかりして、さらに風の通り道をきちんとつくることで、
エアコンなしでも快適な夏を過ごせる空間になりました。

そして、断熱とともに、暖かい!を実現する上で欠かせないのが暖房器具。
結論から言うと、マスヤゲストハウスでは
「ペチカストーブ」というロシア式の蓄熱型ストーブをつくりました。
寒い地方で暖房をどのようにとるかは大きな課題です。
灯油だけに頼ると、どうしてもランニングコストがかさんでしまいます。
マスヤでは、暖房についてかなりいろいろ考えたり調べたりしました。
薪ストーブ、ロケットストーブ、オンドルなどなど。
さらには薪ストーブとペチカの複合型など、
調べると本当にたくさん工夫が施されたストーブたちを見つけることができます。

暖房を考える時に日本の森林問題なども大きく関わってきます。
日本は国策として針葉樹(杉・ヒノキなど)を植樹しましたが、
その手入れ(間伐材など)が大きな問題になっています
(こちらがわかりやすいので興味がある方はどうぞ
KINO TOKYO TREE PRODUCTSのムービー「東京の木とやまのおはなし」

ストーブは木を燃料に熱をとる暖房器具ですが、
薪ストーブのなかには「広葉樹しか燃やせない(針葉樹が使えない)」ものも存在します。
針葉樹を燃やせるストーブにすることで
間伐材や製材所の端材などが安く手に入る可能性が増えて
ランニングコストも下げられるし日本の山のためにもいい!
そう考えました。

そういったいくつかの理由を考慮して採用したのがペチカストーブ。
ペチカストーブの良い部分は針葉樹も燃やせること、
蓄熱型なので薪を焚くのが1日2回でいいこと、大きな薪も使えること、
大きな空間を暖めることができること、メンテナンスがあまりいらないことなどがあります。
デザイン的にもレンガを使用するので赤レンガの塀のあるマスヤにぴったりです。
デメリットはロケットストーブなど二次燃焼機能のあるストーブに比べて
薪を大量に使うことでしょうか。
デメリットを考慮してもペチカストーブの持つメリットは
宿の運営に合いそうだったので今回はペチカストーブをつくることにしました。

がんばればDIYできるペチカストーブですが、今回はプロにお願いしました。
お願いしたのは下諏訪から車で1時間もかからない伊那にある、「有賀製材所」。
僕の知り合いがペチカを自宅に導入する時にも
この有賀さんにお願いしていたのを知り、下諏訪からも近かったのでお願いすることに。
ちなみに、名前の通り製材所もやっているので
マスヤのバーカウンターの木材は有賀製材所で購入しました。

ペチカ制作のために1000個以上のレンガが届き、みんなで運んでいます。

ペチカ施工の様子。職人の技にみんな関心しています。

完成し、左官屋さんと記念撮影。左下の白いレンガの部分が焚き口で、赤いレンガ全てが蓄熱して輻射熱で部屋全体を暖めます。

肝心の薪の調達問題ですが、
キョンの強運が発揮されて現在は格安で製材所の端材(針葉樹)薪を確保できています。

こうして、しっかりと暖かい!を達成できる空間にしました。

古材を生かし、床の張り方にもひと工夫

さて、温かい空間に向けて出来ることをやり終えたところで、仕上げの部分。
壁には左官を、床には解体した時に出た古材やフローリング材を張って仕上げていきます。

一番広い部屋であるリビング&バーの床は
①他の建物の解体現場からもらってきた古材、
②畳の下などに使われていた古材、
③床の間などに使われていた質の高い古材、
という3種類の古材を工夫して使うことにしました。

①の他の解体現場からもらってきた古材は、
カウンター周りの床に隙間無くぴったり張りました。
余談ですが、実はこの古材、現場の近くを車で走っていた友人が、
「あっちのほうに解体しているおうちがあったよ」と教えてくれて手に入ることになったもの。こういった現地でのつながりの中から不意に材料が手に入ったりするところも、
現地に住み込んで空間をつくる、楽しさのひとつです。

古材を釘で止めている様子。釘は「つぶし釘」を自作して頭が目立たないように。

完成したカウンターまわりの床。曲がっていた木材は曲がったまま張るなど方法にも遊び心を。

②の畳の下などに使われていた古材は、
隙間をあけて張って、その隙間に砂と漆喰と土を混ぜたものを詰めました。

古材だけ貼って漆喰用のマスキングをした状態。

古材は曲がったりしているもので、
それらをまっすぐに揃ったきれいな材にしようと思うと、
どうしても無駄な部分が多く出てしまいます。

秩父の森でカエデ樹液を味わう! 三十槌の氷柱、和メープル特別 限定料理を楽しむエコツアー

コロカルニュースでご紹介した、埼玉・秩父うまれのメープルシロップ
2月14日と28日(土)、その「和メープル」が味わえる、
「和メープルエコツアー in 秩父」が開催されます。
雪の残る秩父のカエデの森を、ガイド付きで散策し、
採れたてのカエデ樹液を味わうほか、
冬の秩父の観光名所、「三十槌の氷柱(みそつちのつらら)」を見学。
ランチは和メープル特別限定料理を楽しむという充実のツアーです。

メープルシロップを採取するカエデ

カエデの木に穴をあけたそばから、ポタポタと樹液が流れ落ちます。さらさらしたほんのり甘い栄養たっぷりの自然のミネラルウォーターのような感じ、なんだそう。

スタイリッシュなムービーでもご紹介

ツアーの参加料金は、ガイド料、昼食代、
おみやげ代など含んで1名様5,000円。
宿泊ご希望の方は別料金でアレンジ可能なのだそう。
お申し込み・問い合わせは下記まで。

■和メープルエコツアー in 秩父
問い合わせ:NPO法人 秩父百年の森 担当:井原(tapandsap@gmail.com)
詳細:pdf資料
ちちぶメープル