江戸で選ばれる「いい醤油」 千葉県富津市・宮醤油店

わぁ、好みの醤油。すっきりとして繊細でやわらか。
野に咲く小さな花を想わせる香りと味に、心がふっと落ち着きます。
嫌な癖は一切なく、蔵を清潔にしていることがわかります。
天然醸造ならではのやわらかさと深さがありながら、色も落ち着いている。
まさに愛用したくなる濃口醤油。味わった瞬間に惹かれ、早速訪ねました。

「いいもの」を造る覚悟

宮醤油店(屋号「たまさ醤油」)があるのは、国内最大の醤油生産地である千葉県。
キッコーマン、ヤマサ、ヒゲタと、大手5社のうち3社があり、
国内醤油生産量の約35%を千葉県が占めます。その理由は地の利。
「千葉では『郷土料理』という概念で醤油を造っていません。
とにかく江戸に売る醤油を造ってきました」

そう教えてくれたのは、創業180年の宮醤油店社長・宮 敬一郎さん。
近くにある大手は戦後に機械化を進め、安定品質・安定供給・低価格の醤油を追求し、
国内全域や海外に広がっていきました。
「千葉でいまでも昔ながらの製法で仕込んでいるのは、小さな蔵のうちだけ。
昭和8年には千葉に400軒以上の醤油屋がありましたが、
いま自社で仕込んでいる蔵元は13軒です」と宮さんは話します。

約80年間で残った蔵元はたった約3%。宮醤油店さんが続いているのは、
戦前も戦後も東京の品質重視の人から選ばれ続けてきたから。

「第二次大戦後に食糧難で全国の醤油屋がアミノ酸液を使わざるを得なかったときも、
頭をひねらせて極力使わないように工夫しました。
そして『どうせ使うならばいいものを買いたい』と選ばれ、
ときには桶の中身が空になることもありましたよ。
でも、次第に材料が統制され、そもそも醤油を仕込めないときがきました。
もう、売るものがないんです。お客様を周りにとられ、どうしよう……と焦りました。
そんなとき、昭和40年代にまだ零細企業だった生協から声がかかり、
生協の販売地域やお客様が広がるにつれて、うちの醤油の販売量も増えていきました」

宮醤油では、50石(9000ℓ)の桶が25本並ぶ。

売店。宮醤油店さんでは売り上げの6割が直売。直接買いに来る新規顧客は年々増えている。

品質追求がにじみ出る仕込み蔵

仕込み蔵の中を見せてもらいました。うん、期待通り。
醤油を香ったときに感じた、すっきりとして繊細でやわらかな香りが広がります。
そして、蔵の床も桶の側面もとてもきれい。

「もろみを混ぜるときに桶の側面にもろみがついたら丁寧に削いでいきます。
これを丁寧にするのとしないのでは全然違うんです。また、足元はやっぱり不衛生。
桶の口と床の高さが揃っていると泥が桶に入って香りに出る場合があるので、
床を桶の口より低くして、入れないようにしています。
桶に住む菌も陣取り合戦なんです。うちで長年根づいた菌がいるので、
ちょっとやそっとじゃ雑菌が入りにくいのですが、仮に悪い菌が入ってしまったら、
その菌だけを取り除くのは無理なので、桶の管理が大切です」
などと、蔵中に品質を高める工夫が散りばめられていました。

さらに宮さんは
「仕込み始めて8か月から10か月のもろみを絞った醤油が、
色も香りも良くてベスト」と考えます。
“ふた夏は越したもの(約1年半)がいい”ということをよく耳にするなか、
「ふた夏も置くと、色が濃くなりすぎてしまいます。
関東では淡口醤油を持たずに濃口醤油だけ台所に置く人多いのですが
『色をつけたくないけど、旨味は欲しい』という人から好評をいただいています」
と話します。自然と大手の濃口醤油と住み分けされ、
宮醤油店の醤油は、今日も必要とされています。

桶の側面につくもろみは削ぐ。

床は桶の口より低くしている。

もろみを混ぜるときに飛び散らないよう、宮さんが考えた円盤の板。真ん中に棒を入れて混ぜる。

信頼される蔵元

宮さんの醤油を使う「かん七」へ。地元の丼「はかりめ丼」という、
穴子を出汁で煮てタレをかけた丼をいただきました。
慣れ親しんだ蒲焼きよりも、穴子のそのもの繊細な風味が広がり、
噛むほどにご飯の甘味とタレのコクと穴子の旨味が一体となって、
うまさがまとめあがっていきます。
宮さんの醤油を使っている理由を尋ねると
「代々普段から真面目に取り組んでいて、信頼しているんだよ」
と太鼓判が押されました。

宮さんは冷静で丁寧。しかし、言葉すべてが厚くて熱い。
いかなるときもいいものを造ると覚悟し、先祖代々まっすぐ懸命に
取り組み続けた軌跡が言葉からにじみ出ているのを感じます。
私の心を掴んだ香りと味も、180年間の変わらぬ姿勢から生まれたもの。
選ばれ続けるはずです。

宮醤油店の近くに位置する「かん七」の「はかりめ丼」。人情溢れるお食事処。

創業180年の宮醤油店社長・宮 敬一郎さん。

金沢21世紀美術館「島袋道浩:能登」 くちこづくり

能登の珍味をつくり、味わう。

金沢21世紀美術館が毎年行っているプログラム
「金沢若者夢チャレンジ・アートプログラム」。
アーティストとプログラムメンバーが共同制作することにより、
若者たちの社会参加や文化活動を促すという1年間にわたるプログラムだ。
昨年度は、ベルリン在住のアーティスト島袋道浩さんとメンバーたちが、
能登でさまざまな活動を展開し、その成果を美術館でも展示。
以前「ローカルアートレポート #048」でも紹介した。

島袋さんが能登をテーマにしようと思ったのは
「くちこ」に興味を持ったからだったという。
くちこは能登の特産品で、なまこの卵巣を干した珍味。
プログラムが始まる前にリサーチをしていた島袋さんは、
くちこづくりの名人に出会い、すっかりその人に魅せられてしまった。
それが森川仁久郎さん。
2月と3月の限られた時期にくちこづくりをする以外は、
なぜか「鉄をつくる」という森川さんに、メンバーたちは鉄づくりを教わりに行き、
そのようすは展示でも紹介された。

そして3月の頭、今度は森川さんの本業、くちこづくりを習いに、
島袋さんとメンバーたちは能登の穴水を訪れた。
森川さんの作業場は、まちのはずれの、すぐ海に面したところにある。
鉄づくりで何度か森川さんのもとを訪れているので、
森川さんとは顔なじみのメンバーも。
作業場には、森川さん同様、くちこづくりの名人のお母さんたちが3人、
手際よく作業をしている。
なまこの腹を割き、取り出したものをきれいに分けていくのだ。
オレンジ色の細い糸のようなものがくちこ、
腸にあたる「このわた」と口のまわりの「くちわた」、
そして「えら」と部位によって選別する。
ちょっと見ただけではよくわからないが、
お母さんたちがさっさと分けていく様を、メンバーたちも興味深く見つめる。

なまこの腹を割いて内臓を取り出す。たまに何も入っていない「はずれ」もあるのだとか。

名人お母さんたちのそばでその手つきに見入ってしまう。

1匹のなまこから少ししかとれないくちこを選り分け、きれいに洗う。

こうして選り分けたくちこを、三角形のかたちにして干すのが森川さんの仕事。
森川さんは夜にその作業をするらしく、
残念ながらそのようすは見ることができなかったが、
前の晩につくったとおぼしききれいな三角形のくちこが干してあった。
これも熟練の技が必要だそうだ。
干したものが落下してしまうこともあり、
森川さんの言葉によれば「くちこづくりは重力との戦い」だそう。

森川さんが深夜までかかってきれいに干したくちこが並ぶ。孫がたくさん訪れたかのような雰囲気。

作業場の外にはなまこがたくさん入った生け簀が。なまこ製品の直売もしているので、商品を買うお客さんがたまに訪れる。

島袋さんは1年前のくちこづくりも体験していたので、メンバーたちよりちょっと先輩。
まずは島袋さんがやってみてから、メンバーたちも順になまこの腹を割いてみる。
日常生活のなかでは、なまこに触れることなどあまりないし、
ましてなまこの内臓となるとなかなかグロテスクなものだが、
これまでも鱈をさばくなどいろいろな体験をしてきたメンバーたちは、
度胸がついたのか、物怖じせずにチャレンジ。しだいに楽しんでいるようにも見えた。
そんなメンバーたちを森川さんも島袋さんもやさしく見守る。

最初はぎこちない手つきでも、みんな勘がよく上手にこなしていく。

部位の判別は難しく、お母さんに教わりながら。

メンバーが順になまこの割腹作業をしているあいだに、
牡蠣を焼いて食べようということに。
森川さんが、みんなのために牡蠣を用意してくれていたのだ。
と、何を思ったか、森川さんは海辺のほうに降りていく。
そしてなんと朽ちかけの大鍋を拾ってきて「これで焼こう」と森川さん。
まさか海から鍋が出てくるとは思わず、その場は驚きと笑いに包まれた。
その鍋を使い、みんなで焼いて食べた牡蠣がおいしかったのは言うまでもない。

放置してあったのを思い出したのか、森川さんが海から鍋を引き上げてきたのには、みんなびっくり。

一度に焼ききれないほどたくさんの牡蠣。

牡蠣を焼く一方、おにぎりを握ってお昼の準備。
森川さんの奥さんが、なまこのえらの部分を入れたすまし汁をつくってくれた。
えらや生のこのわたも、地元の人の口にしか入らない珍味中の珍味。
このわたは、口に含むとウニのような磯の香りがふわっと広がり、
イカの塩辛のような食感。みんな口々に「おいしい」と顔がほころぶ。
これまでも島袋さんとメンバーたちは、出かけた先々で
能登産の七輪を使って魚や干物を焼いて食べ、能登の食を味わってきた。
おにぎりと一緒に珍味を味わったこのひとときも、
その場にいた全員にとって忘れられないものになったに違いない。

昼過ぎになり、島袋さんとメンバーたちは何度も森川さんにお礼を言って、
名残惜しそうにその場をあとにした。

作業をしながらこのわたを食べさせてもらう。

塩むすびにこのわたを乗せて食べ、えらが入った汁をいただく。

これからが、本当の始まり。

金沢在住のメンバーの広田祥子さんは
「いままでは観光地としての能登しか知らなかったけれど、
くちこづくりや干し柿づくりをする人に会えたり、
自分では行かないような場所に行くことができて楽しかった。
能登のものを買うことはあっても実際につくっているところは
見たことがなかったので新鮮でした」と、1年間のプロジェクトを振り返る。

富山に住む勝島則子さんは、プロジェクトに参加する以前から能登に興味を持って
たびたび訪れていたが、こんなに能登に通った年はなかったという。
「くちこづくりもそうですが、あんなふうに森川さんが鍋を引き上げてきて
牡蠣を焼いて食べるなんて、思いもよらない展開だし、ふだんは体験できないこと。
その場所のものを食べるということがその土地を知ることになるし、
その味の記憶がそこに行った記憶になるんだと思います」

ふっくらした牡蠣。能登でのいろいろな体験がからだに染みていく。

プロジェクトは終わったけれど、島袋さんには、
これから何かが始まるという予感がある。
「みんな、なかなか経験できないことをしてきたと思う。
そういうことがこれからのみんなの生活のなかにどう生きるか。
鱈をさばいたりなまこをさばいたり、そういうことを
経験しているのとしていないのでは、大きな違いがあるんじゃないかな」
何か作品をつくって見せるよりも、こういう場所を見せるほうが大きな経験になる。
そう考える島袋さんならではのプロジェクトになった。

そしてもうひとつ、島袋さんが感じたのは「間に合った」ということ。
「みんなの手つきを見ていると、おぼつかないけれど様になっていたというか。
こういうことをして生きてきた人たちの末裔なんだなあと思いました。
現代の人たちがどこかに置いてきてしまったものを、いまならまだ拾いに戻れる。
みんなの姿を見ていて、そんなことを実感しました」

1年間、能登で活動を展開してきて、
ようやく旅をするためのガイドブックができたという島袋さん。
「またお祭りも見に来たいと思うし、自分たちがよりよく旅するための
友だちができたような、道しるべができたような感じ。
これからもっといろいろなことができると思うし、
展覧会が終わって、何かが始まる気がします」

美術館の中で行われるワークショップとはまた違う、
能登という土地でのさまざまな体験は、島袋さんにとっても、
メンバーたちにとっても、大きな収穫になったはずだ。

地元の旬な素材でつくるシンプルな料理

瀬戸内海の島で食べる幸せなごはん。

先日、瀬戸内海にある女木島(めぎじま)で、
「“SEED” by Nomadic Kitchen | 食のつながりを育てる。」
というイベントが開催されました。
カリフォルニア州バークレーのオーガニックレストラン「Chez Panisse」の料理長、
Jérôme Waag(ジェローム・ワーグ)さんと一緒に学んで、食べて、語り合う、
そんなイベント。

女木島は小豆島から船を乗り継いで1時間半くらいで行ける島。
高松からは、めおん号という赤と白の可愛らしいフェリーに乗って20分ほどで着く。
東京で開催だとなかなか行けないけれど、
こんな近くで、しかも瀬戸内海の島で開催されるとなれば、
これは行かねば! と島の友人たちと一緒に女木島へ行ってきました。

高松で出迎えてくださったスタッフの皆さんたち。

オリーブや野の花でつくられたブローチが受付のしるし。

高松から女木島までは、赤と白のめおん号で20分ほど。

このイベントを企画されたのは、「Nomadic Kitchen」さん。
野村友里(eatrip)さんなどの料理人の皆さんによる食のプロジェクトで、
さまざまな土地を訪れ、地域の風土や文化を身体にとりこんでいく、
食の集いを開いています。

当日は、あいにくの天気。
パラパラと降る雨の中で、女木島にある「Beach Apart」に向かいました。

出迎えてくれたウェルカムボード。
庭や軒先、テーブルの上に飾られた植物。
これから料理される下ごしらえされたおいしそうな食材。
雨だろうと寒かろうと、ワクワクせずにはいられない雰囲気が
すでにそこにはありました。

海辺に置かれたウェルカムボード。

庭のテーブルに飾られたオリーブや野の花。

立派すぎる鯛! 瀬戸内海は海の幸も豊富です。

ピザに乗せられる食材たち。右上は大根の実、食べられるんだとびっくり。

そして、乾杯とともにいよいよ料理スタート。
U字溝でつくられた即席の窯で薪を燃やし、その上に大きな大きな鍋。
そこで、ジェロームさんが豪快にパエリヤづくり。
庭にあるレンガの窯ではピザが焼かれ、大皿サラダも並びました。

ジェロームさんと原川慎一郎(BEARD)さんが乾杯の挨拶。

庭のレンガづくりの窯でピザ。ピザ生地にお醤油ベースの和風ソースを。

大皿で運ばれてきたサラダ。どれも野菜を切って少し味つけしただけ。

目の前でつくられていく料理はどれもとてもシンプル。
素材の色や形がわかる状態。
パエリアの中には、切らずに1本まるごとのワケギが入っていたり、
グリーンサラダは、葉を少し切ってドレッシングをかけただけ。
素材をそのまんま食べている、そんな感じでした。

1本まるごとのワケギがたっぷり入ったパエリヤ。

葉を切ってドレッシングをかけただけのグリーンサラダ。

鯛もシンプルに焼くだけ。それにワケギと山菜の薬味を添えて。

つくりこまれた料理じゃなくて、なるべく素材に手を加えないシンプルな料理。
あらかじめすべてを決めて準備万端にしておくんじゃなくて、
その場の雰囲気やノリにある程度まかせてつくられていく料理。
各地から集めた贅沢な食材じゃなくて、そこにある旬なものをいかした料理。

それは、本当に心もお腹も満たされる幸せなごはんでした。

小豆島に戻って次の日、さっそく畑からあるものを調達。
ワケギ、若いニンニク、小松菜がとう立ち(花を咲かせようと茎が伸びること)して
できたナバナ、アスパラ。
友人が用意してくれた旬のタケノコとあわせて、
みんなで一緒に料理して食べました。

あらためて、旬の食材がすぐ近くにある、小豆島、
瀬戸内海の豊かさに気づいた1日でした。

あれから1年、今年もまた春の畑で

2度目の春を迎えて。

「小豆島の里山から」というタイトルでこの小豆島日記を書き始めてちょうど1年。
季節は再び春となりました。
小豆島で迎える2回目の春です。

どんどん暖かくなっていくこの季節は本当に気持ちがいい。
暖かい太陽の光、心地良い風、そして色とりどりの花々。
文句なしに最高の季節です。

畑からの風景。満開の桃の花とその向こうに段々畑と肥土山の家々。

去年植えたクールミント。暖かくなり一気に地面から新しい芽が出てきました。

1年前といまとを比べると、だいぶ状況が変わりました。
ひとり娘のいろはは幼稚園児から小学生へ。
家の改修工事が終わり、カフェの営業をスタート。
たくちゃん(夫)は1年間の農業研修を終え、知識と技術を習得。
軽トラ、トラクター、畝立て機など農作業に必要な車や機械をゲット。
いまでは、移動は基本的に軽トラ、ブイブイいわせて走っています(笑)。

草刈り機は必需品。

去年購入したトラクター。斜面のため片側に乗って操作。

さて、この春も畑で作業。
1年前に借りた畑のひとつが、ようやく作物を植えられる状態になりました。
切り株と石ころだらけだった休耕地(使われていなかった畑)。
地図で見たらほんとに小さな畑なのに、
自分たちの手で耕すとなるととてもとても大きい。
ほかの作業もしながらなので、なかなか進まず(言い訳です、笑)。

先日、島の友人たちに手伝ってもらって、やっとトラクターを入れて土をおこせました。
ふたりだとなかなか進まない作業も、友人たちが揃うとあっという間に終わります。

切り株と石ころだらけだった休耕地。この春やっと蘇りました。

島の友人たちが手伝ってくれました。山々を眺めながら10時のおやつ。

蘇った畑にレモンの苗木を移植。3年後くらいにレモン収穫できるかな。

そして、いろはもお手伝い。
苗の定植作業など内容によっては、しっかりひとり分の仕事をしてくれる。
この1年でいちばん変わったのはいろはかも。

マルチ張りの手伝いをするいろは。

とうもろこしの苗を定植します。

最近は、畑以外にもカフェの営業やその他のプロジェクトなど
やることが増え、せわしない毎日。
でも私たちの暮らしのベースは「農」。
この1年も毎日畑で土と野菜を触っていたいなと思います。

いちはらHOMEROOM通信 vol.2

中房総国際芸術祭「いちはらアート×ミックス」のメイン会場のひとつ、
旧里見小学校を改装したIAAES(Ichihara Art/Athlete Etc. School)。
ここでアーティスト中崎透さんが、さまざまな講師たちを招き
「NAKAZAKI Tohru HOMEROOM」を開催。
そのようすや芸術祭の風景を、中崎さんと仲間たちが5回にわたりレポートします。

教室に集まっているものたち。

こんにちは、中崎透です。
前回の堀切さんの記事でも紹介した、中房総国際芸術祭「いちはらアート×ミックス」の
会場のひとつ、IAAES(旧里見小学校)にてホームルームを担当している美術家です。
今回は「NAKAZAKI Tohru HOMEROOM」と題して
9組の講師陣を招いてのワークショップ、ライブ、トークなどのイベントの企画と、
2組のアーティストのレジデンスと展覧会の企画、
それとワークショップ会場にインスタレーション作品を制作、
といった感じで芸術祭に関わっています。

まず、IAAES(旧里見小学校)のことなんですが、
「Ichihara Art/Athlete Etc. School」が正式名称で、
廃校になった学校を舞台に、アーティストやアスリートといった
さまざまな人々が集う地域の開かれた学校として
芸術祭以降も継続して活動されていくことを視野に入れた場所になっています。
リノベーションはなんと、みかんぐみです。
学校の雰囲気を最大限に残した丁寧な場所づくりをしてくれています。

さて、ここで芸術祭なのにアスリート? と思った方もいるかもしれませんが、
そうなんです、そこがミソなんです。
IAAESの入口にある「Café Camp!」、
一見すると普通のオシャレなカフェなんですが
実はここで見えているのは氷山の一角だったりします。

このカフェを運営する
AAA(Athlete & Agriculture Association/アスリート&アグリ組合)では、
耕す人を求めている里山の農業と、体力に自信のあるアスリートたちが出会い、
地域密着農園クラブチーム・プロジェクトを実施、とあり、
さらにはそこにデザイナーチームも加わった社会実験プログラムだったりします。
「Café Camp!」はそういった活動の一環であり、
IAAESの芸術祭以降の展開は、AAAを中心に進めていくようだ、と
関係者の方が話しているのを耳にしました。

カフェを抜けると「YOUR PARTNER」と書かれた自転車が置いてあります。
レンタサイクルなんですが、実はこれは小沢敦志さんの作品でもあります。
よく見るとハンドルのところに言葉がついていますが、
これは一台一台の自転車につけられたニックネームです。
どうやらワークショップで名づけられたものもあるらしいです。

続いて進むとホームルームでもお世話になっている、大ワークショップ室があります。
普段イベントがないときは中崎の作品が設置されています。
いくつかのオブジェにはキャスターがついていて、
イベントに合わせて会場のレイアウトが変化できるようになっています。

ちょっと作品のことを。
下見に来たときに、もともと図書室にあったであろう
ミヒャエル・エンデの「モモ」を見つけました。
その本の中から21のテキストを引用し、そのテキストにどこかしら対応するような、
学校備品を主な素材とした立体作品を組んでみました。

かつての劇場に少女が住み始め、
それとなく人々がなんでもない時間を過ごしに集まってくる物語と、
この学校という役目を終えた場所に、それぞれ異なる時間の流れを過ごす人たちが
集まってくる感じが、他人事には思えません(笑)。

時間泥棒から、時間を取り戻すために子どもたちが立ち上がる。
学校の備品は、子どもたちが身近なものを手に取った武器のようなもの。
豊かさを求め、時としてかえって豊かさを失っていくありがちな私たちの日常。
この場所の存在や、芸術祭を開催するといったアクションが、
豊かさや自分たちの生きることへの物思いに耽るような、
一見無駄な場所のように機能していくといいなあと思い制作しました。
ちなみに、タイトルの「Most Of Modern Opinion」は
頭文字が「モモ(MOMO)」になるちょっとした言葉遊びです。

このペースで紹介していくと膨大な量になりそうなので
ダイジェストでいくつかの作品を。

栗林隆「プリンシパル オフィス」。これはすごいです。マイナス30℃の世界を体験せよ!!

滝沢達史「おかしな教室」。子どもに大人気具合がやばいです。

ミシャ・クバル「スピード・スペース・スピーチ」。結構くらくらします。

2階の教室のひと部屋は、壁面で半分に区切ってスタジオとギャラリーになっていて、
レジデンスプログラムのために使用しています。
前回も紹介していましたが、「HOMEROOM/After School プログラム」として、
現在は友枝望さんが展覧会を開催しています。4月13日(日)まで。

友枝望「CLUSTER - study tool at S.E.S.-」

スタジオスペースでは、数日前から写真家の松本美枝子さんが滞在制作を始めました。
あちこち足を運んで撮影をしているようです。展覧会は4月19日(土)からです。

教室そのままの雰囲気を残したレジデンススタジオ。

全部は紹介できませんでしたが、IAAESの普段の雰囲気が伝わったでしょうか?
これに加えてホームルームをはじめ、ほかにもアーティストや
地元の方々の手によるさまざまなワークショップやイベントが開催されています。

ホームルームにて。

先日の「NAKAZAKI Tohru HOMEROOM」の様子を少し。
4月4日、5日とアーティスト下道基行さんのトークとワークショップを開催しました。
ワークショップのタイトルは「撃つか撃たれるか/Dead or alive」。
菜の花と桜が満開のこの季節、小湊鉄道はカメラを構えた人々で溢れます。
そんな中、電車に乗り込み、電車を撮影する人々を撮影するというワークショップでした。

これがめちゃくちゃ面白かったです。ひとつの発明かもしれません。
なんというか、この視点をインストールすると、
誰でもこの体験を共有することができる、というとても秀逸なワークショップでした。
戻ってからの編集作業というか、振り返りの時間のオペレーションに
少しまごつきましたが、アウトプットのかたちを探ることと合わせて
いい課題が残ったかな、と。
うん、これは定期的にやったりすると面白いです。

4月6日の遠藤知絵さんと木下真理子さんのトーク
「当てはまらないところで、自分らしく生きてみる」。
建築設計事務所に勤務する遠藤さんと、雑誌の編集長をしている木下真理子さん、
設計する、編集する、といったキーワードで話してみようか、とお誘いしたんですが、
それぞれ仕事以外にも、福島市を拠点にさまざまなまちづくりの活動に関わる
ふたりのお話は、いろんなところに行ったり来たりして興味深かったです。

木下さんの話の中で、震災以降、これまで雑誌づくりで、
例えば20代女性、といった対象の設定があったとしたら、それがわからなくなった、
だって20代女性っていってもみんなバラバラだし違う、
といった内容の言葉が印象的でした。
たぶん以前からそうだったんだけど、気づかざるを得ない、
でもそれを積み重ねて自分らしくなっていく。
そしてそれは、他人の、それぞれの自分らしさを
お互い尊重できることでもあるのかな、なんてことを勝手に考えたりしました。

なんだかとても長文になってしまいました……。
最後に、僕も実はまだそんなにアート×ミックスの
ほかの会場に行けていないのですが、イベント前に下道さん、
遠藤さん、木下さんと一緒に少し作品を巡れたのでいくつかスナップを。
菜の花と桜に彩られたここ中房総は、本当に桃源郷のような風景が
あちこちに当たり前のように出現していて、改めてビックリしてます。
これからはだんだん新緑の季節に移り変わっていくのも楽しみだったりします。
みなさま市原へぜひ足をお運びくださいな。

KOSUGE1-16「湖の飛行機」(photo: ENDO Tomoe)

木村崇人「森ラジオ ステーション」裏庭部分(photo: KINOSHITA Mariko)

開発好明「モグラTV」

次回の「NAKAZAKI Tohru HOMEROOM」は
4月26、27日にvol.5 アサノコウタのワークショップ「教室の中のちいさな教室」。
4月29日にvol.6 環ROY×蓮沼執太×U-zhaan「体育館ライブ」。
ではでは、ホームルームでお待ちしております。

(photo: ENDO Tomoe)

information


map

IAAESプログラム
NAKAZAKI Tohru HOMEROOM

会場:IAAES 旧里見小学校(千葉県市原市徳氏541-1)
中房総国際芸術祭「いちはらアート×ミックス」のメイン会場のひとつ、旧里見小学校を改装したIAAES(Ichihara Art/Athlete Etc. School)では、展覧会やカフェなどさまざまな企画を通して地域に開かれた新しい学校のカタチを目指しています。今回、IAAESではアーティスト中崎透がホームルームを担当。9組の講師陣を招いてのワークショップ、トーク、ライブイベントの開催に加え、「HOMEROOM/ After Schoolプログラム」と題して、2組のアーティストのレジデンスプログラムを実施します。
http://homeroom18.exblog.jp/
https://www.facebook.com/homeroom.nakazaki

information

ICHIHARA ART × MIX
中房総国際芸術祭 いちはらアート×ミックス

2014年3月21日(金)~5月11日(日)
メイン会場:千葉県市原市南部地域(小湊鐵道上総牛久駅から養老渓谷駅の間)
連携会場:中房総エリア(茂原市、いすみ市、勝浦市、長柄町、長南町、一宮町、睦沢町、大多喜町、御宿町)
http://ichihara-artmix.jp

社員が誇りを持つ蔵元 秋田・石孫本店

「どうしても、石孫さんには行ってもらいたい」
強くお勧めいただき、理由を問うと「お母さんがいい」とひと言。
その言葉に誘われて“お母さん”に会いに行ってから約半年が経ちました。
この間、何度“お母さん”を思い出して、会いたいなぁと思ったことか。
その感覚は、ひとり暮らしをする子どもが、家族や幼なじみに会いたくなる感覚に近い。
そして、あの心地いい蔵や母屋で深呼吸し、くつろぎたい。

蔵人が「感動」できる蔵

石孫本店は、秋田県湯沢市で江戸時代、安政二年から営む蔵元。
蔵には150年余り受け継がれてきた堂々たる看板が掲げられ、
扉を開けると気品溢れる女性が柔らかな笑顔で迎えてくれました。
この女性が、“お母さん”と呼ばれていた石孫本店6代目社長、石川裕子さん。
きれいな服を身にまとい、常に丁寧で朗らか。
蔵中から、これまでにない澄んだ柔らかな香りがただよってきます。
なんとも不思議な心地よさ。

江戸時代から使い続けている桶。「新しいものを買ったこともあるんだけど、やっぱりこれが肌に馴染むから使い続けているのよね」と石川さん。

希少になった、袋で搾る槽(ふね)。

蔵の中は石材と木材ででき、建物に柔らかな光が差し込んでは
風情ある美しさをつくり上げています。
そして、景色のように溶け込んでいる醤油を造る道具の多くは、
大正時代から代々使い続けられたもの。
石川さんは、そのひとつひとつの道具を見ながら
「石炭が赤く熱されるのはきれいよ」
「混ぜるたびに小麦の粉がふわって広がるのは幻想的」
「藁が高く燃え上がる雰囲気には、毎回感動するの」
「薪の光は柔らかくていいのよ」と、嬉しそうに話します。

一方、備品を揃えるのにも製造にも手間がかかり、修繕もひと苦労。
それでも続けていく理由を尋ねると
「難しいことは抜きに、何度も手で触って『自分たちがおいしくした』
『うまくできたなぁ』と実感し、すべてに愛着が湧くことが第一。
その結果が手づくりです。仕事は楽しくて喜びがないと寂しいじゃないですか」
と教えてくれました。

小麦を煎る機械。一般的には石油を使うが、石孫さんはなんと石炭を使う。石炭を使っているのは石孫さん以外聞いたことがない。「石炭が赤く熱されるのはきれいよ」と石川さん。

いまでは希少になった麹蓋で麹を育てる室(むろ)。下の穴に、真っ赤に燃えた木炭を入れる。その後は2時間ごとに母と娘が入れ替わって麹を管理。しっかり寝ることすらできなくなるけれど、「炭の赤さが柔らかくてきれいだからむしろ見たくなるの」と言う。

指示しなくとも社員が主体的に動く

各部屋の入り口に名前が掲げられていることに気づき、あれは? と問うと
「担当者の名前を書いています。『ここは私がやった』って誇りを持つように。
これがすべて機械だったら、自分がどこに関わったかわからないですからね。
さらに、うちは古い道具を使っているから手がけている様子が見えるでしょ。
だから互いに口を出し合い、もし自分のほうが正しければ
『ほらみろ!』と言ったり(笑)。そんな関係がいいですね」と石川さん。

じゃあ、蔵中がきれいで香りがいいのは、掃除も自主的に?
「掃除も社員のほうが厳しいの。
自分たちで話し合って、自らの手で雑巾がけをしていますよ。
社員はほんと好きに動いています。例えば、そらまめで味噌をつくってみたり、
休憩室にあるストーブでいろいろつくってみたり。しかも私が入ると、
社長の分はないですよとか言われるんですよ(笑)。そんなのしばしば。
日頃の仕事も私から指示はせず、みんな自分たちで相談して動いています。
自分たちで動いているから、逆に私がどうなっているか聞いて把握していますよ。
もうね、うちは若者がいちばんえらそうなの」と、微笑みます。

入り口に担当者の名前と、御幣が掲げられている。

醤油を仕込む木桶が並ぶ。「社員が、『掃除をするときに中に汚れが入らないように、床を桶の口より低くして』って言うから低くしたの」と石川さん。

石川さんのお勧め。郷土調味料「みそたまり」

帰って醤油「百寿」の封を開けると、蔵で香ったあの柔らかな香りがしました。
あぁ、そう、この心地いい香り。思い出して嬉しくなります。

そして「みそたまり」も。石孫さんがある湯沢周辺の郷土調味料で、
米味噌を長時間かけてじっくり発酵、熟成している間にわずかに出てくる上澄みです。
透き通る茜色、年月をしっかり重ねた味噌と本みりんが合わさったような香り、
すっきりとした塩味とみりんのような甘味が静かに続きます。
小豆島産の甘味と辛みのバランスのとれた
新鮮なオリーブオイルと合わせて温野菜にかけました。
「みそたまり」という名前の印象とは裏腹に、
みそたまり自体の風味が主張することなく、塩味がそれぞれの持ち味を引き立て、
甘味が柔らかく包み込んでくれ、野菜がとても味わい深くなります。

味わっていると、愛情一杯の石川さんを思い出しました。
そして、ふと石川さんは、子育て上手なお母さんのようだなと思いました。
社員が誇りを持って自主的に動き、心地よさ溢れる蔵になって、
それがおいしさに表れている。
そんな雰囲気をつくりたいと多くの経営者は思いながら、実際は難しいもの。
できるのはやっぱり石川さんだから。
あぁ、もうひとりのお母さんのような石川さんに会いたいなぁ。

社員をまるで子どものように愛おしそうに話す石川さん。ひとつひとつの道具や工程についても愛情一杯伝えてくれる。

石川さんと話していると、気持ちがほぐれてあったかくなる。

*石孫本店の商品は「コロカル商店」でもお買い求めいただけます。こちらからどうぞ。

いちはらHOMEROOM通信 vol.1

中房総国際芸術祭「いちはらアート×ミックス」のメイン会場のひとつ、
旧里見小学校を改装したIAAES(Ichihara Art/Athlete Etc. School)。
ここでアーティスト中崎透さんが、さまざまな講師たちを招き
「NAKAZAKI Tohru HOMEROOM」を開催。
そのようすや芸術祭の風景を、中崎さんと仲間たちが5回にわたりレポートします。

市民参加の本格映像ワークショップ。

はじめまして。「NAKAZAKI Tohru HOMEROOM」スタッフの堀切です。

NAKAZAKI Tohru HOMEROOMとは、アーティスト中崎透が
千葉県市原市で開催中の中房総国際芸術祭「いちはらアート×ミックス」の会場のひとつ、
IAAES(Ichihara Art/Athlete Etc. School)/旧里見小学校で繰り広げる
ホームルームです。

中房総国際芸術祭「いちはらアート×ミックス」のガイドブックとチラシ。

中崎透を担任に見立て、廃校となった小学校を舞台に
さまざまな講師を招いて授業を行う、というプロジェクト。
しかも、授業を担当するのは、山城大督、テニスコーツ&YOK.、
下道基行、遠藤知絵×木下真理子、アサノコウタ、環ROY×蓮沼執太×U-zhaan、
藤井光、珍しいキノコ舞踊団、辺口芳典、友枝望、松本美枝子といった
錚々たるアーティストたち!

東京駅から1時間ちょっととはいえ、こんな里山でこんな豪華な授業が行われるなんて。
スタッフでよかった。

そんなHOMEROOMの初回は、3月21、23日に行われた
山城大督ワークショップ「映像芸術実験室~時間を操ろう!~」でした。
山城さんは、美術家、研究者、映像ディレクターとして
マルチに活躍されているアーティスト。
アーティストユニット「Nadegata Instant Party」では中崎とも活動しています。
今回のワークショップは、「スローモーション編」と「クロマキー編」と題して、
スローモーション映像をつくるワークショップと、
合成映像をつくるワークショップを開催しました。
参加者と一緒にネタ出し、撮影、リアルタイム編集、成果発表試写会までを行う、
3時間みっちりのワークショップ。

まずは挨拶から。参加者とスタッフで自己紹介から始めるワークショップ。会話が生まれて緊張気味の参加者もどんどん和らいでいく。というか、ここから抱腹絶倒の面白ワールドが展開していく。

山城さんは、さすが山口芸術情報センター[YCAM]で
3年間エデュケーターとして勤めていただけあって、レクチャーもわかりやすく、
ネタ出しで困っている人には声をかけて提案したりしながら、
ぐいぐい参加者の心を掴んでいきます。

2日間のワークショップ初日の参加者は、市原在住の5人家族と、
東京からやってきた若いご夫婦+そのお友だちfrom市原。

ふたりひと組に分かれ、それぞれのペアが考えたネタを順次撮影していきます。
ここでいちばんのアイデアマンだったのが、自己紹介で
「僕はアートに興味はないんですが。どっちかっていうと、興味があるのは車とかです」
と発言をしていた5人家族のパパ。
なのに、次々とアイデアを出して実践していくパパ。
しかも娘たちを実験台にどんどん映像を生み出していく。時に自分も実験台に。
しかも面白い。しまいには、三人姉妹をプロデュースしはじめた。
この方は一体何者なのだろうと畏怖の念を抱かずにはいられませんでした。

泥だんごを投げつけた瞬間をスローモーションにしたいと提案し、実践するパパ。雨の中、校庭に思い切りぶつけた泥だんごは、娘さんと山城さんに思いっきりはねて、このあとパパはこっぴどく怒られるはめに。

みんなで撮影も。

最後は、いろんなパターンを参加者全員で撮影。
これが、結果としてワークショップを代表するすばらしい映像となったのでした。

2日目の「クロマキー編」は、参加者2名。
東京からきた若いご夫婦でした。
スタッフのほうが人数が多いという通常なら緊張のシチュエーションながら、
笑いの絶えないムードメーカーの奥様と、決めるとこ決める男前な旦那様の名コンビが、
とてつもない名作を生み出すことに。

これから作成する映像について真剣に話し合う、山城(左)、中崎(右)、ご夫婦(手前)。

絵コンテ完成。旦那様が学校の先生ということで、先生を主役に学園ものを作成。

合成映像を撮るために、人間と背景を別々に撮影します。
人間を撮る際は、グリーンの垂れ幕でグリーンバックをつくります。

本物の教師である旦那様に教師役をお願いし、残りメンバーは学生役に。
おらおらといちゃもんつける不良学生に、正義の教師が立ち向かうというストーリー。
ハサミを先生に向かって投げつけられるのも、飛んできたハサミを寸止めできるのも
合成映像ならでは。

一生懸命、飛ばし方を試行錯誤。

背景に入れる画像は、IAAES(旧里見小学校)。
別撮りして、編集の際に合成します。

そんなこんなで完成した、スローモーション編、
学校編(クロマキー編)の成果はこちら

スローモーション編は「おしゃれ!」、「アートっぽい!」と評判だったのですが、
クロマキー編はそもそものテーマである合成映像だということに気づかれず……。

ラスト、ハサミがくるくると落ちる様子は、大林宣彦作品を想起させます。
あの名作『HOUSE ハウス』も合成の賜物。
そんなことに気づかされ、深く感動した2日目でした。

山城ワークショップでは、最後に参加者同士が連絡先を交換するなど、
同じ目的を持って集まった者同士が3時間の授業のあとに
さらに別れ難いほどの結束感を抱く、濃密な時間となりました。

いまここでしか生まれない空気。

続くHOMEROOM vol.2は3月30日のテニスコーツ&YOK.野外ライブ「School PICNIC」。
「プロジェクトFUKUSHIMA!」のアートディレクションでもおなじみの中崎透、
今回もライブ用にお花見をイメージした垂れ幕を作成。

スタッフの控え室となっているIAAESの1階の職員室で、居合わせたアートフロントギャラリーの加藤さんと、出展アーティストの栗林隆さんにまで乾かすのを手伝っていただいた貴重な紅白幕。職員室はアートフロントギャラリーのスタッフ、参加アーティスト、ボランティアスタッフ「菜の花プレイヤーズ」さんの控え室。まじめに仕事したり、お菓子をつまみながらふざけたり、たまに愚痴りあったり。きっと職員室もこんな風に使われていたのだろうな。

しかし、春の嵐で大雨になり、急遽、学校1階の大ワークショップ教室に会場変更。

中崎透のインスタレーションの中に椅子を並べ、ライブ会場に。リハ中のYOK.さん。

客足は少ない。幾ばくかの緊張とともに、ライブが始まった。

YOK.が優しく優しく包み込んだ空間を、テニスコーツが無下に壊す。
会場に並べていた椅子もインスタレーションの一部も、
壁となるものすべてをとっぱらう。
淡々とギターで刻み続ける植野隆司さん、
何者にもとらわれずに自分の空間を再構築していくさやさん。
私たちはやってくれたとばかりに笑いながら見ていたけれど、
実は同時に激しい緊迫感もあり、まさにいまここでしか生まれない空気をつくりだし、
流れを変えたテニスコーツに誰もが心動かされた瞬間でもあったのでした。
何かを壊すためには、前提があることが必然で、
その前提を丁寧に築き上げたYOK.の歌があっての破壊と再構築でした。

そして何もなかったかのように奏で続けるテニスコーツのふたり。(photo: yusuke watanabe)

最後は、ダニエルも迎えて、テニスコーツとYOK.のセッション。

来場者も巻き込んで歌うさやさん。気がつくと廊下には人が集まっていた。(photo: yusuke watanabe)

会場に居合わせた人は皆、満たされて帰っていった。

NAKAZAKI Tohru HOMEROOMでは、ワークショップ、ライブだけでなく、
After Schoolプログラムと題して、レジデンスも実施しています。
会期中、前後期の二期に分け、IAAES2階の展示室で展示を行っています。
前半は友枝望。里見小学校に残された勉強道具を集め、
並べ直して水平に吊り下げています。その数なんとおよそ250点。
レジデンス後期は写真家の松本美枝子。

そして、vol.3、vol.4のHOMEROOMは4月4〜6日の
下道基行ワークショップ「撃つか撃たれるか/Dead or alive」に、
遠藤知絵×木下真理子のトーク「当てはまらないところで、自分らしく生きてみる」。

毎回表情を変えるHOMEROOM。
思いも寄らない化学反応が起きてしまうHOMEROOM。
どうぞ引き続きお見逃しなく。

information


map

IAAESプログラム
NAKAZAKI Tohru HOMEROOM

会場:IAAES 旧里見小学校(千葉県市原市徳氏541-1)
中房総国際芸術祭「いちはらアート×ミックス」のメイン会場のひとつ、旧里見小学校を改装したIAAES(Ichihara Art/Athlete Etc. School)では、展覧会やカフェなどさまざまな企画を通して地域に開かれた新しい学校のカタチを目指しています。今回、IAAESではアーティスト中崎透がホームルームを担当。9組の講師陣を招いてのワークショップ、トーク、ライブイベントの開催に加え、「HOMEROOM/ After Schoolプログラム」と題して、2組のアーティストのレジデンスプログラムを実施します。
http://homeroom18.exblog.jp/
https://www.facebook.com/homeroom.nakazaki

information

ICHIHARA ART × MIX
中房総国際芸術祭 いちはらアート×ミックス

2014年3月21日(金)~5月11日(日)
メイン会場:千葉県市原市南部地域(小湊鐵道上総牛久駅から養老渓谷駅の間)
連携会場:中房総エリア(茂原市、いすみ市、勝浦市、長柄町、長南町、一宮町、睦沢町、大多喜町、御宿町)
http://ichihara-artmix.jp

「小豆島カメラ」本格始動

1日1枚、写真で発信する。

4月に入り、季節は一気に春になりました。
寒い日が続き、いつ春が来るのかなと思っていましたが、
気づけば暖かくなっていて、あちこちで桜が咲いています。
静かだった農村が、一気に色づき始めるワクワクする時期です。

色づき始めた春の農村。

そして、4月1日より「小豆島カメラ」のWebサイトもスタートしました。
「小豆島カメラ」は、以前もこの小豆島日記の中でご紹介しましたが、
小豆島で暮らす女性7人と、オリンパス、写真雑誌「PHaT PHOTO」、
写真家MOTOKOさんが一緒になって進めている地方×カメラプロジェクト。
私たち島のメンバー7人が、それぞれの日常の暮らしの中で出会うシーンを
オリンパスのカメラで撮影し、Webサイトや展示、雑誌などで発信します。

「小豆島カメラ」のWebサイト。7人で1日1枚写真を公開していきます。

「小豆島カメラ」のFacebookページも運用スタート。

このプロジェクトの目的は、写真を通して
「見たい、食べたい、会いたい。小豆島に行きたい!」
さらには「小豆島で暮らしたい!」という流れを生み出すこと。
まずは発信することで小豆島を知ってもらう。
観光地としての小豆島ではなくて、暮らす場所としての小豆島。
毎日ここで暮らしているメンバーだからこそ撮れる写真を
お届けしたいなと思っています。

そして、実際に足を運んでもらうためにどうするか。
発信するだけじゃ、なかなか人は動いてくれない。
だから、具体的な行動につながる企画をいろいろ考え中です。

1週間に1度くらいは集まれる人で集まって打ち合わせ。

この日はHOMEMAKERSでランチを食べながら。

オリンパスさんから新しい機種のカメラとレンズが届き、お試し。

そのひとつとして、小豆島写真ツアーを考えています。
観光スポットをまわるだけじゃなくて、エリアを絞って、じっくりと歩きながら撮る。
ここでの暮らしを感じてもらう。
そんなツアーにできたらいいなと。
詳細な内容はこれからですが、この夏に実現できるように進めています。

プロジェクトを進めながら、私たち自身は日々カメラの勉強。
オリンパスさんからはカメラやレンズの提供に加えて、
来週カメラの使い方講座を小豆島で開催してもらいます。
「PHaT PHOTO」の方々や写真家MOTOKOさんからは、
外からの視点で見た写真についての意見をもらいます。
いろんなことを吸収しながら、新しい機種、レンズで試行錯誤。
カメラを持ってあちこち出かけては、撮る毎日です。

肥土山農村歌舞伎舞台にカメラを持ってピクニック。

M.ZUIKO DIGITAL ED 60mm F2.8 Macro で桜を撮影。

レンズを変えるとまったく撮れ方が変わる。試行錯誤しながらいろいろ撮影中。

これからまずは1年間、小豆島での暮らしの写真をお届けしていきます。

島のディープな農家&宿、コスモイン有機園

野菜の話を聞きながら、自分の手で収穫。

小豆島で暮らすようになって、本当にたくさんの方々のお世話になっています。
そのなかでも、移住する前から相談にのってもらっていたのが、
コスモイン有機園さんのご夫妻。
有機園さんは、農家であり、民宿もやっていて、
WWOOF(ウーフ)のホストでもある。
ウーフというのは、有機農場や、環境を大事にする人たち、
自然が豊かに残っている場所、または人と人との交流を大切にしているところと、
農業や、生き方について学びたい人や、
仕事の手伝いや家事の手伝いをしてみたい人たちとをつなぐ組織。
有機園さんには、いつもいろんな国から
ウーファーさん(ホストのところに行き、手伝いする人たち)が来ています。

大根を収穫する子どもたち。まさにうんとこしょ、どっこいしょ。

レモンを収穫。おいしいそうなのを選んでチョキリ。

有機園さんにはヤギがいます。それにしても小豆島に来てからヤギが身近になった(笑)。

雨上がりのしっとりとしたグリーン。これは白菜のなばな。甘くておいしいのです。

先日、久しぶりに有機園さんのところへ。
カフェのメニューで使う無農薬のレモンをいただきに。
もう私たちの畑のレモンはなくなってしまったので……。

有機園さんは、うちから車で15分くらいの長浜という地区にあります。
島の北西にあり、北側には瀬戸内海、その向こうに岡山が見える場所。

雨がしとしと降り、霧がたち込める日。
久々にうかがった有機園さんは、とてもしっとりとしていました。
その中を、鳥の声が響き渡る。
心落ち着くなんともいい場所だなーと改めて思いました。
私たちが暮らしている肥土山とはまた違う良さ、人の手が入り過ぎていない、
まさに自然の中というのをひしひしと感じる。

この日は島の友人も一緒に行ったのですが、私たちはレモンを、友人はお野菜を購入。
購入というか収穫というか。
まだ土の中にあるもの、木についているものを自分たちの手で収穫させてもらいます。

おかみさんと一緒に収穫。とにかく楽しくてうれしい。

キャベツ。この芯のところが甘くておいしいのよーとおかみさん。

レモンは傷がつかないように二度切りするのよー。専用のハサミもあるの。と教えてくれる。

一緒に収穫してくれる有機園のおかみさんがいろんなことを教えてくれる。
「ルッコラはポテトサラダに刻んで入れるとすごくおいしいの」
「キャベツはこの芯の部分が甘くていいのよ」
「レモンは傷をつけないように二度切りするのよ」
これがまたすごくいい。
どんな野菜も本当に愛おしく宝物に思えてくる。

収穫したほうれん草を畑脇の水道で洗う。

すごく鮮やかな人参と真っ白な大根。

ピチピチのほうれん草とルッコラ。

同じ野菜がぽんっとスーパーに置かれていても、なんとも思わないかもしれないけど、
この場所でおかみさんの話を聞きながら収穫した野菜は、ずっと大切なものに思える。
そう感じさせてくれるおかみさんの言葉とこの場所は、
改めてすごくいいなあと感じました。

収穫後、自家製ピーナッツバターとマーマレードが塗られたクラッカーとお茶。
この日台湾から来ていたウーファーの女の子たちと一緒に。

有機園さん自家製のピーナッツバターとマーマレード。

ここは、農とそれをベースにした人の繋がりがある、本当に素敵な場所です。

information


map

コスモイン有機園

住所 香川県小豆郡土庄町長浜甲1446-1
TEL 0879-62-4221
http://ww82.tiki.ne.jp/~cosmo-yuki/

information


map

HOMEMAKERS

住所 香川県小豆郡土庄町肥土山甲466-1
営業時間 土曜(喫茶のみ)13:00~17:00(L.O. 16:00)
日曜(喫茶&カレー)11:00~17:00(L.O. 16:00)
http://homemakers.jp/

会いたくなる蔵元 小豆島・ヤマロク醤油

異色のお醤油屋さん

小豆島のヤマロク醤油は、「会いたい」という声が多い蔵元。
私はヤマロク醤油からわずか1.6キロの場所に住み、
かつ醤油ソムリエールを生業としていることもあり、
訪問総数は200回をゆうに超えています。
休む間もないくらい忙しい蔵元なので、用事がなければ行かないのですが、
それくらい周りからつないでほしいと要望のある蔵元です。

ヤマロク醤油を初めて訪ねたのは10年余前、私が現在の活動を始めた20歳のとき。
小豆島の蔵元を訪ね回っているときに、大半の蔵元から
「ヤマロク醤油に行ったらいいよ」と言われ、なかにはヤマロク醤油に電話を入れて
「いまから車で送るよ!」という蔵人もいたほど、地元の蔵元もおすすめする蔵元です。

そして出会ったヤマロク醤油5代目の山本康夫さんは、
とてもインパクトがありました。来た理由をたずねられ、
「勉強したくて」くらいしか言えなかったものの、じわりと迫る気迫に
「島内の蔵元をWebサイトにまとめようかな……と」とつけ加えると、
「ネットで醤油を売ったって儲からんで」と理路整然と説明してくれました。
売ることまではまったく頭になかったのですが、経営視点に立って
ここまで熱心に醤油のことを話してくれた蔵元は、いまでも唯一。
20歳の私は醤油の知識ゼロでしたが、それでも異質であることは肌で感じました。

それから10余年、恵まれた醤油の活動と出会いを経て、
醤油の知識も見解も深まり、偏りがなくなったと感じるいま、
「ヤマロクさんは異質」という思いは深まるばかり。
小豆島で面白いことを試みる若者は揃って
「ヤマロクさんは、やっぱすごいわぁ」と心から敬って
自主的にヤマロクさんを宣伝しています。料理人も
「ヤマロクさんの心意気に感銘を受けた」と使っていたり、
全国各地の醤油蔵に行っても
「山本さんに会いたいんだよね」と話題に出てくることが何度もあります。
何がここまで人を惹き寄せるのか。
その理由は間違いなく山本康夫さん、その人にあります。

5代目の山本康夫さん。

たくさんの人が訪れる蔵

ヤマロク醤油はこれまでさまざまな面白い取り組みをしていますが、
そのひとつが年中無休、予約なしで見学を受け付けていること。
そもそも蔵の見学が可能な蔵元はあまりありませんが、
もし可能でも予約が必要だったり、時間に制限があったり、
ガラス張りの窓から仕込み桶をのぞくことができる程度の見学がほとんど。
ところがヤマロク醤油はいつでもそのままの現場のようすを見せてくれ、
康夫さんの都合が合えば自ら蔵を案内してくれます。
本当に興味を持って見学に訪れた人にはあちこち長時間にわたり案内してくれますし、
見学後は醤油の味見やスイーツも楽しむことができます。

こうして、観光地である小豆島という立地を生かして
お客さんに立ち寄ってもらうしくみをつくり、訪ねた人はヤマロク醤油のファンになり、
リピーターになったり、口コミでさらにお客さんが訪れます。
ですから、平日でも観光客がひっきりなしにやって来るのです。

いつ立ち寄っても、多くの観光客が入れ替わり立ち替わり、賑わっている。

“孫やひ孫の代に残す”を貫く

そして、ヤマロク醤油の異色さを物語る最たるものが、新桶をつくる試みです。
2013年9月24日、いまでは世界唯一となってしまった
日本古来の大桶をつくる桶屋「藤井製桶所」の兄弟が、
ふたり揃ってヤマロク醤油を訪ねました。そして
「ヤマロクさんは異質な醤油屋や」と、微笑んで感慨深く言い残しました。
康夫さんが初めて自らの手だけで桶をつくり上げたときのことです。

実は、木桶は戦前まで大手も使っていた仕込み容器なのですが、
戦後の大量生産によって減少し続け、いまや日本の醤油生産量のうち、
木桶仕込みの醤油は1%未満。
戦後は木桶の発注もなく、残る大桶をつくる桶屋は1社のみ。
その1社がなくなれば、日本から伝統的な基礎調味料がなくなると危惧した康夫さんは、
2009年に醤油業界で戦後初の新桶を発注。
さらに2012年1月には桶屋に修業に行って桶づくりを学び、
2013年9月に、なんと自分たちだけで新桶をつくるという、
世間が驚く行動に出たのです。

2009年、新桶を9本も入れ、神事を行う。

2012年、桶のつくり方を習いに「藤井製桶所」へ。桶の側面「側板」を削る。

いよいよ側面が組み合わさる。1枚ずつ形が違うのに、ぴったり円になるのが不思議。

しかし、この前代未聞の行動も自然な流れ。
実は、康夫さんが長年ぶれることなく掲げている信念は
「孫やひ孫の代に残す」。桶のことも
「僕や息子の代はあるんですよ。孫の代もなんとかあるかもしれない。
でも、その先になったら難しいです」と見学者に伝えます。
だから新桶をつくる。その決断と行動力は、生半可なものではない。
康夫さんだからできた決断です。

ほかにも書き尽くせないほどさまざまな面白い試みをされていますが、
すべて100年後を見越したものです。
「何代も先を見たうえで考えるから、いろんなことに疑問を持つこともできて、
考えて行動するから効果が出てくるんや」と康夫さんは話します。

2013年、いよいよ自分たちだけで新桶をつくることに。すべての工程で一寸のミスも許されない。白熱の作戦会議は何時間も続きます。

桶を締める「箍(たが)」を編む。少し編んでは頭をひねる。

底板の側面に願いや決意を記す。解体されるまで、誰にも見られることはない。

いよいよできあがり、試しに水を張ってみる。「漏れない桶」をつくるのが桶職人の技。漏れないか息を飲みながら見守ります。

「漏れとらんのがすごい!」と褒め称える藤井製桶所の兄弟。

康夫さんらしい、個性ある濃厚な「鶴醤」

そんな康夫さんの魅力もさることながら、
一度味わえば惚れ込んでお取り寄せしたくなる醤油があります。
それが再仕込醤油「鶴醤」。多くの人に
「おいしい! 醤油だけでご飯が何杯もいける」と言われる醤油です。
「どんな醤油ですか?」という質問に対して、
「普通じゃないです」が私の第一声。
濃厚な甘味と旨味が一瞬で口の中を満たし、
塩辛さや雑味やくすみは感じず(規定内の塩分は含んでいます)、後味はすっきり。
まったく添加物を入れない醤油の中で、最も濃厚な醤油のひとつに入ります。
使い方としては、「ソースのように使える醤油」というのがイメージしやすいかと。

とんかつやカキフライなどの揚げ物には、とんかつソースや
オイスターソースやタルタルソースより合うという声もたびたび聞きます。
カレーの仕上げに加えると、より濃厚になって香りも立ち、
バニラアイスにかけるとキャラメル風味に変わります。
このように、しっかりとした味わいのある料理と相性良し。
逆に繊細な食材と合わせると、醤油の味や色が勝ってしまうので、
あまりおすすめはしませんが「とにかく鶴醤そのものの味を楽しみたい!」
という人に何十人と出会ってきました。
どんな料理にも使ってお楽しみください。

60年余りも続くフランス料理「レストラン香松」の料理長は「もう、欠かせない隠し味です」と力強く言う。

直火の香ばしさとも合わさって食欲をそそります。

ほかの人がやらないことに挑戦し、理念だけでなく実行するヤマロク醤油。
百聞は一見に如かず。
会いたい! 味わいたい! と思った皆様、来て、見て、話して、味わって、
蔵を丸ごと体感してみてください。心に残る感動や学びがありますよ。

小豆島のダイダイでぽん酢をつくる

地元の素材を商品化するプロジェクト。

私たちが暮らしている肥土山では、柑橘を育てている農家さんが何軒かあります。
温州ミカンやダイダイ、スイートスプリング、ネーブルオレンジ、
とにかくたくさんの種類があって、いまだに種類が見分けられない(笑)。
私たちのじいちゃんが残してくれた畑にも、ダイダイ、スイートスプリング、
金柑などの木が残っていて、毎年冬になると実をつけてくれます。
冬の間は、自分たちで収穫した分に加えて、
いつも誰かからもらった何かしらの柑橘が家の中に。
風景の中にも柑橘があって、オレンジ色の実がなっている景色が
肥土山らしさのひとつだったりします。

柑橘のある風景。私たちの家のすぐ裏の畑。

収穫したダイダイ。葉つきのダイダイは鏡餅などのお正月飾りに使われます。

この柑橘の栽培も少しずつ減っているそう。
後継者がいない、サルの被害が大きい地域では
温州ミカンの生産が難しくなっているなど、いろいろな理由から。
あと、日本人のミカンの消費量がここ30年で3分の1くらいになったそうで、
需要が少なくなっている、高い値段で売れないというのも理由のひとつなのかも。

そんななかで、いま地元の人たちと一緒に、小豆島のダイダイを使った
ぽん酢をつくるプロジェクトを進めています。
ダイダイは、ゴツゴツとした大きな柑橘。
名前が、「代々」「代々栄える」に通じることから
縁起のいい果物とされ、鏡餅などのお正月飾りに使われます。
そのまま食べるととても酸っぱいので、果汁をしぼって調味料として使うことが多く、
地元のおばちゃんたちは、ダイダイの果汁を冬に絞って冷蔵庫で保管していたりします。

ワタ(果実のまわりの白い部分)は苦いので絞る前に剥きます。

スクイーザーでひたすら絞る。思ったよりもたくさんの果汁。

自家製ぽん酢づくり。お醤油、昆布、かつお削りなどを使って。

去年の冬は、自分たち用に家でつくってみましたが、
今年はいろんな方々と一緒に本格的な商品化を目指して。
先日、ダイダイを栽培している生産者さん、島のお醤油屋「高橋商店」さん、
農業普及センター、産業技術センター発酵食品研究所の方など約20名で、
試作品第1号の試食会。
会場は、うちのカフェで。

ぽん酢の試食用に、サラダや白菜蒸し、湯豆腐などを準備。

島のお醤油屋「高橋商店」さんが製造を担当。説明される高橋 淳社長(右)。

農業普及センターや産業技術センター発酵食品研究所の方なども参加。

味、デザインなどいくつかの視点から採点。

朝から、ぽん酢を試食するための、湯豆腐や白菜蒸し、サラダなどを準備。
顔合わせを終えて、さっそく試食開始。
「ダイダイの香りがもう少しするといいねぇ」
「パッケージはもっとシンプルなほうがいいかも」
「この価格でもいけるのかな」
など、それぞれが思うところを話し合いました。

そして試食会後は、ごはん会。
こんなふうにして地元の人たちにカフェを使ってもらえるのは、とても嬉しいこと。
ここから、新しい商品が生まれる。
ワクワクします。

試食会のあとはごはん会。

まだまだ始まったばかりのプロジェクト。
これから、味、デザインなど少しずつ改良していき、定番商品にすることを目指します。
そして、こういうひとつひとつのプロジェクトが、
柑橘のある風景、お醤油屋さんのある風景の維持に繋がればいいなと。

冬の農村、日々の暮らし

春を待つ、肥土山の景色と私たち。

3月も中旬なのにまだまだ寒い日が続きます。
つい先日も雪が散らついていたし。
今年は春が来るのが遅いという噂を聞きました。

冬の農村は、ほかの季節に比べるとやっぱりとても静かです。
何も植わっていない茶色い田んぼ。
葉っぱがついてない木々。
なんとなく全体的に茶色が多く、元気というよりは穏やかという雰囲気。

刈り取られた稲が残る静かな田んぼ。

帰り道。山もなんとなく茶色。

夕暮れの肥土山。人がいないとほんとに静か。

ぱっと見は少し寂しそうだけど、よーく見ると、
冬の農村にもそれぞれの日々の暮らしがあって、
歩いてるといろんな人に会います。

夕方、犬の散歩に出かけると、焚き火をする近所のおばあちゃんに出会う。

いろは(娘)「こんにちはっ」
おばあちゃん「いつも元気やねえ」

といつもの会話。

焚き火をする近所のおばあちゃん。ときどきうちにコーヒーを飲みに来てくれる。

幼稚園のお友だちに遭遇。
肥土山にはヤギを飼ってる農家さんが何軒かあって、
そこに行って一緒にエサ(その辺に落ちてる草や野菜くずとか)をあげる。

ヤギさん「メェ」
子どもたち「キャーキャー」

肥土山の農家さんが飼ってるヤギさん。

幼稚園のお友だちに遭遇して、一緒に野菜くずをあげる。

またもやお友だちに遭遇。
今度は空き地で自転車を乗りまわす。

空き地で自転車。子どもたちにとってはちょっとしたスペースが遊び場になる。

何気ない石垣や灯籠も、日々誰かが手入れをして、いままで残し続けたもの。
この農村の雰囲気をつくっている大事な要素。

きれいな石垣。いまはこの石垣を組める人も少ない。

灯籠。何気なくそこにあるけど、昔は立派な明かりとして使われてたのかな。

家に帰ってくると、たくちゃん(夫)は春に向けて苗作り。
もみ殻やワラを使って、苗を育てるための温床作り。

ワラを細かく刻む作業。

苗を育てるための温床を作る。

これが私たちの日々の暮らし。
毎日が全部こうではないけれど、大半はこういう風景の中で
ご近所さんたちと共に過ごしています。
都会とは明らかに違うここでの暮らしを通して、
子どもたちがどう成長していくのかなと見守りながら。

少しずつ春に向かいつつある肥土山。
もうすぐ庭の桜の花が咲きます。
桜の木に取りつけた、いまはまだ空き家の巣箱。
もう少ししたら新しい住人はやってくるのかな。

桜の木に取りつけてある巣箱。ヤマガラさんとかやってくるかな。

こだわりの麹で造る 「たまり醤油」 愛知・南蔵

「麹造りがすべてです」
揺るぎない口調で「南蔵」5代目・青木弥右衛門さんが話します。
青木さんの話は麹造りに始まり、麹造りに終わるほど、麹造りに信念を貫きます。

「麹造り」とは、醤油製造における第一段階の工程。
原材料を加工して桶に仕込むまでの工程を示し、
醤油の菌が活動しやすい状態にします。
実は醤油業界には「一麹二櫂三火入れ」という、
醤油を造る者なら誰もが知る醤油造りの重要工程を表す言葉があり、
その「一麹」こそ麹造り(「二櫂」はもろみの混ぜ「三火入れ」は仕上げの加熱を指す)。
醤油造りにおいて気の抜けない工程で、青木さんの意識は一段と高いのです。

時代が変動しようと、私たちはおいしい醤油を極めるのみ。

南蔵は、たまり醤油の最大生産地・愛知県知多郡武豊町で
明治5年(1872年)から営む蔵元。
「大正時代の武豊町には50軒の蔵元があったけど、いまは8軒になりました。
昔はたまり一本がひとりの日当と言われるくらい高価な調味料でしたが、
いまはずいぶん安くなりましたしね」と青木さん。
そんなに高くても地元の人は買っていたのかと驚くと
「昔はたまり醤油を買うしかなかったんですよ。
この辺りの調味料と言えば赤みそとたまり醤油と塩くらいでしたから。
でも戦後に大手の安価な醤油が出回り始め、
地元の人こそたまり醤油を使わなくなりました。
造ったたまり醤油を薄めて売る蔵も出てきて、一気に淘汰されました。
いま残っているのは、昔ながらの造りを頑固に続けたところです」
そして、南蔵も続いた頑固一徹の1社。

「たまり醤油」とは、ほとんど大豆だけで造られる醤油。
主に東海地方で生産、消費されています。
濃口醤油が大豆と小麦を約半々使うのに対し、
たまり醤油は小麦をほとんど使わないため(南蔵では小麦は使わない)、
香りに癖が出やすく、一般の人にとってはなかなかなじみがないもの。
そして地元の人のたまり醤油離れ。
そのなかで支持されているのは、何か工夫を? と尋ねると
「いえ、時代が変わろうと、私たちがどうこうすることはなくて、
私たちはとにかく“おいしい”醤油を造り続け、信用してもらう。ただそれだけです。
“当たり前のことを当たり前に”がモットーですが
そんな私たちの醤油をお客さんが選び、どこかで買ってくれています。
関東や関西のお店にも、お客様からの要望で並ぶようになりました。
いまでは地元の人よりも都市の人、年配の人より若い人のほうが買ってくれます」

南蔵の醤油のおいしさのすべてがこの麹造りから始まる。

28~30石の桶が86本並ぶ。

いい麹ができれば、いい醤油になる。

そんな選ばれしたまり醤油が造られる現場を案内していただきました。
なるほど、蔵の中は冒頭の「麹造りがすべてです」の言葉に納得させられることばかり。
「大豆が水に浸る最後の15~20分は、つきっきりで管理していますよ。
もう、1分で蒸しが全然違いますから」と青木さん。
なんてシビアな造りだろう。
そして蒸された大豆は成人男性の親指程度の塊にし、
種麹を降り注いで室(むろ)の中に入れます。
「ちょうど今日の朝入れたんですよ」と、室の扉を開いていただくと、
ふわりと柔らかい香り広がりました。
きなこのようにほっくりとした甘い香りが心をほぐします。
あぁ、この香りから生まれる醤油は、
さぞいい香りの醤油なのだろうと期待感が高まります。

「明日の朝から発熱し始めます。この時から昼までの半日が勝負。
もう常に状態を確認しています。
いい麹ができると何も添加しなくて済むから、添加しません。
大豆のたんぱく質を余すことなく醤油の旨味にすることができます。
また、蔵全体にいい菌が広がって、いい菌が働きやすい環境になるので、
桶1本1本による味の違いも出てこなくなります」

たまり醤油の仕込み桶。

搾られていくたまり醤油。

「味わってみますか?」と、木桶のもとへ。
ぐぐっと力を入れながら慎重に栓を回します。
この、桶から直接醤油が注がれるのがたまり醤油の魅力。
醤油が出てきた瞬間、早く味わいたい! という欲が止まらなくなります。
そして器に注がれた醤油を見てびっくり。
きれい!! 
なんて美しい赤色でしょう。こんな色が出るなんて……。
すっかり目を奪われました。そして香りも好印象。
たまり醤油における癖が主張しすぎることなく、気品があります。
味わいもしょっぱさを一瞬感じたあとは、濃厚な甘味や旨味が口の中で膨らみます。
この色・香り・味こそ麹へのこだわりから生まれた賜物。感動しました。

麹へのこだわりは、先代からですか? と私が尋ねると、
「父はもっとすごいですよ! 
死ぬ前も、『まだいい麹と出会ったことがない』と言い残していきましたし、
僕が若い頃は必死に造っていても『匂いが悪いじゃないか』と言われる日々でした」
と苦笑い。

仕込み桶から直接出していただく。

十水仕込みのたまり醤油(左)と五分仕込みのたまり醤油(右)。美しい赤色に感動。

そして、蔵をあとにして友人の案内で地元の日本料理「小伴天」へ。
うれしいことにお造りのつけ醤油や、魚の煮付けに
南蔵のたまり醤油が使われていました。
お造りにつけると、まずはたまり醤油の旨味が広がり、
噛むたびに魚の持ち味がどんどん引き出されていきます。
ブリの煮付けはあの美しい赤色に魚が染まり、照りが食欲をそそります。
いやぁ、満足。うまいでしょ! という、
青木社長の堂々とした声が聞こえてくるかのようでした。
「南蔵さんのたまり醤油は青木社長の人柄と同じです。
丁寧に正直に造って、癖が強くないので、濃口醤油を使う感覚で使えます。
煮物にも最後に数滴入れると、おいしそうな香りと旨味を添えてくれますよ」
と話すのは、小伴天店主・長田勇久さん。

地魚のお造りと。味わうほどに魚の持ち味が引き出される。

煮魚。美しい赤色に魚が染まり、照りが食欲をそそる。

「麹造りがすべて」
その考えは代々、刻々と蔵人の魂に刻まれ、毎年固唾をのみながら大豆を醸す。
そうしてできた麹は、最高においしくなるエネルギーを持ち、
2年余りかけてじっくりと大豆の持つ旨味を醤油へと解き放っていく。
搾られた醤油は、言葉なくとも人々の舌を満たし、欠かせない調味料となる。
できた醤油に感動する私に「やっぱり麹ですね」と青木さん。
その静かな声には、これまで青木さんが何度も確信してことを物語る深さがありました。

南蔵5代目・青木弥右衛門さん(左)と奥様(右)。

information


map

南蔵

住所 愛知県知多郡武豊町里中58
TEL 0569-73-0046
http://www.minamigura.com/

information


map

日本料理 小伴天

住所 愛知県碧南市源氏神明町256
TEL 0566-48-0218
営業時間 11:30〜14:00、17:00〜21:00(L.O. 20:30)
水曜休
http://www.katch.ne.jp/~kobanten/

棚田が美しい中山という農村

風景を継承していくということ。

私たちが暮らしているのは、小豆島の真ん中あたりにある
肥土山(ひとやま)という集落。
山々に囲まれた盆地にある農村で、現在約250世帯、700人弱が暮らしています。

そしてその東隣りに、中山(なかやま)という農村があります。
肥土山とは車で5分ほどの距離。
こちらは肥土山の半分くらいの人たちが暮らしている集落で、
「日本の棚田百選」や「美しい日本の歴史的風土100選」などに選ばれるなど、
棚田がとても美しい、日本らしい風景が残っている場所です。

5月。田んぼに水が入り、これから田植えが始まります。

7月。稲が成長し、本当に緑が美しい季節。

1月。少し寂しい季節。静かな冬の農村です。

肥土山と中山はお隣の集落ですが、肥土山は土庄町、
中山は小豆島町と属している自治体が異なり、
また地形も平地が比較的多い肥土山、少ない中山と、似ているようで違う集落です。
住んでいる人たちの考え方も少し違うのかなと個人的には思っています。

そんなふたつの集落。
実は、現在は島内でこのふたつの集落だけが、
毎年農村歌舞伎を奉納し、虫送りという行事をしています。
それぞれの集落の美しさがあり、両方とも訪れてほしい場所です。

中山の農村歌舞伎舞台。

中山は毎年10月に農村歌舞伎が開催されます。

普段から大事に手入れされている建物は古くてもきれいで現役。

いつも肥土山のことばかり書いているので、今回は中山のことを。
中山には、本当に美しい棚田があります。
「中山千枚田」と呼ばれ、南北朝時代から江戸時代中期にかけてつくられたもの。
そしていまも、地元の農家の方々が手入れをされて、おいしいお米をつくっています。

中山のお米でつくったおにぎりが食べられる「こまめ食堂」さん。中山にあります。

でっかいでっかいおにぎりをいただきます。

急斜面にある狭い棚田には、大きな機械が入らないので、
小さな機械を使ったり、ときには手作業で。
私たちも農業をし始めてわかったことは、
機械を使わずに作業するということは本当に大変です。
重労働だし、何より時間がかかる。
朝から晩まで作業して、今日はやっとここまで進んだかという感じ。

小さな耕運機で田んぼを耕す。

手作業で田植えの準備。こうして美しい棚田が維持されています。

そして、この中山という農村も、御多分に漏れず高齢化が進んでいます。
これは肥土山も同じ。
このまま何も変わらず10年経つと、中山や肥土山はどうなるのかなぁとよく考えます。
いま農業現役世代の50〜60代がひとまわり歳をとると、
どれくらいの田畑が荒れていってしまうのか。
この農村の風景を守り続けるには、元気に動ける人、田畑で作業する人が
そこにいることがとても大事なんじゃないかと思います。

現在、中山では、棚田のオーナー制度の募集を行っています(3月10日まで)。
農家の高齢化などで景観の継承が危ぶまれている棚田の耕作に、
全国から募った会員に参加してもらうしくみだそうです。
また同時に、中山の棚田を元気にする地域おこし協力隊員も募集されているようです。

中山も肥土山も、その風景や文化を、少しでも長く維持していきたいと感じる場所。
まずはぜひ一度訪れてみてください。

皆に支えられてお店を開ける

感謝でいっぱいの、嬉しい1日。

2014年2月22日、ようやく私たちのお店がオープンしました。
小豆島の肥土山(ひとやま)という集落の奥のほうにある農村民家を改修した
HOMEMAKERSというカフェです。

オープンのお知らせは、主にFacebookやTwitterなどのSNS、
この「小豆島日記」などWebで。
チラシなどは配布なし(作成して配布する余裕がなかっただけです……)。
あと、実は半年くらい前から地元のテレビ局さんが取材に来てくださり、
その放送がオープン前日の夕方のニュースで。

当日はとてもいい天気で、澄み渡る青い空。
そんな中、朝からたくさんのお花や植物、お菓子が届きました。
以前勤めていた会社の方や、名古屋時代からの友人たち。
小豆島に来てから知り合いになった方々。
私たちのお店のオープンを気にかけてくれる方がこんなにもいるんだなあと思うだけで、
本当にありがたく嬉しくなりました。

オープン当日の澄み渡る青い空。暖かくて良い日でした。

遠方からもお花が届きました。キレイなお花がたくさんで嬉しすぎる。

親戚からお祝いでいただいたバームクーヘンを皆さんに振る舞いました。

オープンの11時を過ぎ、あれ、お客さん来ない……。
うーん、お知らせが足りなかったかなと少し不安になっていると、
ちらほらとお客さんが!
そして席が次々と埋まり、チキンカレーとコーヒーのご注文。

少しずつお客さんがみえて、ほっとひと安心。来てくれるというのは本当にありがたい。

ランチは、チキンカレー&サラダ。

出番待ちのコーヒー。器は淡路島の作家さんのものです。

オープン日に来てくれた島の友人たち。カウンターで話しながら。

この日も、1週前のプレオープンの時と同様、
島の友人たちにホールやキッチンのお手伝いをしてもらいました。
本当にありがたいことに、みな無給で手伝ってくれました。
私たちが返せたのは、まかないのカレーとお野菜とお菓子くらい。
来週からはたくちゃん(夫)と私のふたりで
お店をまわしていくんだなと思うとかなり不安……。
慣れていくしかないですね。

お店を開ける時、もちろん自分たちの力だけでやる人もいると思うけど、
ここにはそれを助けてくれる、盛り上げてくれる人たちがたくさんいます。
お手伝いもそうだし、ひざ掛けやオリーブの木でつくったカトラリー置きなど
自分たちで揃えられなかったものを贈ってくれる人がいたり。
店に飾る素敵なイラストもいただいたりしました。
そして、オープンという日にわざわざ来てくださった皆さまも。

皆さまからのお祝い。ひざ掛けは用意しなきゃなーと思ってたので助かりました。

友人のちほちゃんが私たちのことを描いてくれました。

イラストレーターのオビカカズミさんからの絵と有機園さん(小豆島の農家さん)からの金時人参。

お祝いにいただいたヒラメのお刺身。夜ごはんに乾杯しながらいただきました。うまい!

これからも素直に甘えつつ、私たちも皆さまに少しずつご恩を返していかないと。
お店を開けるということは、まわりの人へのありがたい気持ちで
いっぱいになる瞬間なんだなとしみじみ思いました。

白醤油の原点を追求した 「しろたまり」 愛知・日東醸造

人と空気がおいしさを育む白醤油「しろたまり」

人里離れた小さな村に、見た目は小学校の醤油蔵がある。
その蔵では昔ながらの白醤油が仕込まれ、村人からたいそう愛されていたそうな。

そんな「にっぽん昔話」に出てきそうな話が、本当にあります。
仕込まれている醤油は「しろたまり」。
白醤油の発祥の地、愛知県碧南市に本社を持つ日東醸造が
発祥した当時の白醤油を再現したものです。
白醤油は、料亭など料理にこだわりを持つ人のあいだで、茶碗蒸しやすまし汁など、
淡口醤油よりも一段と素材の色をいかしたいときに使われてきましたが、
シェアは極わずか。

そして、もともとの白醤油は小麦と塩だけで造っていたものの、
JAS法の規定で大豆を使わないものには「醤油」と表示できないことや、
より一般の人になじむように、日本に出回るほとんどの白醤油が
大豆を5%ほど混ぜて造るようになりました。
さらに味つけされた「白だし」が、白醤油よりも多く出回っています。

だしのような淡い色の「しろたまり」。

日東醸造の「足助仕込三河しろたまり」(150ml)357円。

白醤油造りに最も重要な水があった。

「おじいさんがかつて造っていた白醤油をもう一度再現しようと、
昭和60年頃に父が製法を戻しました。
天然醸造で仕込み、木桶を少しずつ集めていきました。材料は小麦と塩だけ。
大豆も化学調味料も保存料も遺伝子組み換えの材料も使いません。
でも、できた醤油がなにか物足りないんです。
いろいろ試して、小麦をいつもの2倍使い、やっと納得できる醤油になりました。
そして、昔は白醤油のことをしろたまりと呼んでいたことにもとづいて、
商品名に『しろたまり』と名づけました」
こう話すのは蜷川洋一社長。

「私の代になってから、材料はすべて地元産にしようと決めました。
昔は近くでつくられる材料で仕込み、地元の人に使われていましたから。
そして、探し始めると小麦も塩もすぐに見つかったのですが、
肝心な水だけがなかなか見つからないのです。水道水ではなく、
ミネラル豊かな地元の天然水にこだわりたくて、探しに探しました。
そして、やっと人づてでこの大多賀のことを知ったのです。
最初は水を碧南まで運ぼうと思ったんですよ。
でも、訪ねたときにひと目でこの集落に惚れ込みました。
そして、辺りを巡ってこの廃校に出会った瞬間、ここで仕込むと決めました」
なんと、本社から車で1時間半もかかる豊田市大多賀町に。

奥三河の美しい自然と豊かな水が決め手に。

廃校になった「足助町立大多賀小学校」を「足助仕込蔵」に。子どもの声が聞こえてきそうな校舎の中に、醤油造りの道具が並ぶ。

遠く離れた地に住む人たちが応援団。

いざ仕込むにも、希望の場が学校なので地域の承諾が必要。
地域の人たちの集会に何度行って説明をしても、
“校舎で醤油を仕込む”、“本社から車で1時間半”という突拍子もない話は、
どうにも信じてもらえず、なかなか許してもらえません。
「何度帰されても諦めがつかず、頭をひねって集落の人に本社に来てもらったんです」
すると今度はみんなが一目惚れ。
礼儀正しい従業員。きれいで大きく立派な会社。
よし、わかった! とみんなは言いました。
こうして校舎を改装した「足助(あすけ)仕込蔵」で「しろたまり」が造られることに。

「認めてくれてからは、ものすごく応援してくれるようになりました。
本当にありがたくて、そのご好意に応えようと真剣に造りますし、
大多賀の人たちに向けた感謝祭を開いたり、
蔵の近くで小麦を育てたりして、地域に溶け込むようにしています」

私が蜷川社長と蔵を訪ねたとき、大多賀の方は蜷川社長を見るやいなや、
ご自宅に招いてくれ、食べきれないほどの料理を振る舞い、
「うちは日東醸造の醤油しか使ってないよ」
「そりゃもう素晴らしい社員さんだよ」
「お姉さんがしっかり宣伝してよ!」と、何度も力強くおっしゃいました。
その気迫に圧倒されながら、はい!はい! と返事をするたびに、
私の心も熱くなりました。

日東醸造本社にある仕込み桶。しろたまり以外の醤油を造る。

こちらは足助仕込蔵にある仕込み桶。しろたまりを仕込む。

熱い絆の中で生まれたしろたまりは、ふんわりとした甘さが広がります。
白醤油には淡白で塩味が利いたイメージがあったので驚き。
お吸い物や炊き込みご飯、だし巻き卵や白和えに使っても、
色鮮やかで優しい風味に仕上がり、ほっこりとした気持ちにさせてくれます。
こんな醤油があるものなのかと感動しました。

「足助仕込蔵」と蜷川社長が住む場所は遠い。
しかしいつも繋がり、支え合っています。
こうしてできたしろたまりを、極めて意識の高い
日本各地の料理人が高く評価して使い、多くの人が舌鼓を打っています。
味を育む環境や人との関係性までもが古き良き日本。
それでいて、一昔前よりずっと「距離」を超えて絆を深めています。
原点回帰を突き詰めた先にあるのは、
元に戻ることではなく、まさに「進化」でした。

「醸造って計算だけでは成り立たない世界でしょう。
蔵も周りの空気も人も、すべてがおいしさをつくり上げていく気がするのです」
という蜷川社長の言葉が、いつまでも心に残ります。

移住して1年半、いよいよカフェオープン

まずは、できることからスタート。

一昨年の秋に小豆島に引っ越してきてもうすぐ1年と4か月。
時間をかけて直してきた家。
ようやくここでカフェをオープンします。

2月16日、オープン前にご近所さんを招待しました。
当日の朝まで、看板をつくったり、メニュー表をつくったり、いつも通りバタバタ。

なんとか準備も間に合い、オープンの11時。
近所のおばちゃん、おっちゃんがチラホラと様子を覗きに。
午前中は、同じ集落で暮らす同世代の友人たちが家族で遊びに来てくれました。

細い路地を登っていくと「HOMEMAKERS」があります。

プレオープンの前日に玄関ガラス戸にロゴが入りました。ぐっとそれらしくなった。

午前中は同じ集落で暮らす同世代の友人たちが家族で来てくれました。

この日は、コーヒー、自家製ホットジンジャーなどの飲み物と
カレーライスとマフィンをお出ししました。
私たちは多少の飲食店勤務の経験はありますが、
レストランなどで本格的な料理修業をしたことはありません。
だけど、なるべく自分たちの手でつくったものをお出ししたいと思い、
いままでの経験と本を読んだりネットで調べたりした知識で、
料理やお菓子、飲み物をつくっています。

HOMEMAKERSのオリジナルチキンカレー。たくちゃん(夫)が料理担当です。

肥土山でとれたスイートスプリング(柑橘)でつくったマフィン。

コーヒーはハンドドリップで。

料理の味、場所の雰囲気など、どんなふうに評価されるかわからないけど、
とにかく自分たちがいまできることをやる。
最初から完璧なお店なんてつくれないと思っているので、まずはスタート。
そして料理も空間も少しずつ良くしていけたらいいなと思っています。

それは、最近読んだナカムラクニオさんの本
『人が集まる「つなぎ場」のつくり方』にも書いてあったのですが、

 お店を始めるならとにかく出来ることから行動することが大切です。

これを読んでなんだか少し安心しました。

さて、お昼を過ぎて午後は、
おばちゃんやおばあちゃんグループが何組かお茶しに来てくれました。
これぞ肥土山だなぁといった雰囲気。
ぺちゃくちゃとおしゃべりしながらコーヒーとマフィン。

プレオープンはこんな感じでのんびりと。
島の友人たちが手伝ってくれたおかげで、なんとか無事に終了。

おばあちゃんグループと談笑するたくちゃん。

肥土山のおばさまたち。皆さん来てくれて素直に嬉しい。

島の友人たちが手伝ってくれました。

正式オープンは2月22日。
しばらくは、土曜、日曜の週末営業。
まずはきちんとお店を開ける、それを続けられるようにがんばりたいと思います。

実はテレビの取材が来ていて、いろはもインタビューに答えてました(笑)。

小豆島と都会をつなぐ「写真」

島の外で見てもらう、小豆島の写真展。

先週、大雪の横浜で「御苗場Vol.14 横浜」と「CP+2014」が開催されました。
全国規模の写真のイベント。
なんとそこで、私たちが撮影した島の写真が、
「小豆島カメラ女子が撮る こころシャッター写真展」として展示されました。

「御苗場Vol.14 横浜」で展示された「小豆島カメラ女子が撮る こころシャッター写真展」。

雪の中、たくさんの方々が足を運んでくださいました。

前回の小豆島日記「小豆島で暮らす、写真を撮る」でもご紹介しましたが、
いま、島で暮らす7人の女性メンバーで、小豆島の写真を撮っています。
島のメンバーだけでなく、オリンパスさん、カメラ雑誌「PHaT PHOTO」さん、
カメラマンのMOTOKOさん、そして行政と一緒に進めているプロジェクト。
使っているカメラは、オリンパスの「OM-D E-M5」!

昨年の秋から撮り始め、今回が最初の展示。
どんな写真を撮ったらいいのか、話し合ったり、各自で考えたり。
まだ半年も経っていないのに、
皆がどんどん写真にのめり込んでいく感じがとてもワクワクします。
展示した写真はこんな感じです。

黒島慶子さん撮影。醤油蔵を訪ねて蔵人さんが真心こめて醤油をつくる姿を伝えます。

牧浦知子さん撮影。島ではいろんな世代の人との交流があります。人生の大先輩との時間を楽しむ。

古川絵里子さん撮影。いつも見ている海だけど、その表情は毎日違っていて、とても面白い!

坊野美絵さん撮影。小江漁港の、秋から冬の風物詩ゲタ干し。丁寧な暮らしを伝えます。

大川佳奈子さん撮影。小豆島の霊場をまわるお遍路。アートフィルタを使って撮影。

太田有紀さん撮影。日常の中にある瀬戸内国際芸術祭の作品とはしゃぐ少年たち。

山間の集落、肥土山という農村で家族で暮らす。その姿を伝えます。

今回の横浜での展示には、島のメンバー3人が参加しました。
小豆島観光協会で働く坊野美絵さん(通称:ぼーちゃん)は、
仕事でも島の行事や人を撮影。
ほぼ毎日小豆島のどこかをカメラを持って動きまわっています。
小豆島町役場で働く太田有紀さん(通称:ぺえちゃん)は、
行政と私たちの活動のパイプ役。
今回の企画で写真を本格的に撮り始めましたが、
子どもたちやおばちゃんたちをパシャパシャ撮っています。
島のホテルで働く大川佳奈子さん(通称:がっちゃん)は、No Beer, No Lifeな女子。
普段は島で撮影し、休みのたびに海外にぴゅーっと出かけて撮影してます。

なぜか赤、青、黄の信号色の3人(笑)。
大雪にも負けず、いろんな方々とお話し、面白いネタを持って帰ってきてくれそうです。

みごとに信号色の3人。大川さん(黄)、PHaT PHOTOのテラウチマサトさん、坊野さん(青)、太田さん(赤)。

皆さまと一緒に。こんなふうに一同が集まれることは本当に貴重です。

展示会場には、小豆島町長の塩田幸雄さん、
オリンパスの小川治男さん(オリンパスイメージング(株)代表取締役社長)、菅野幸男さん、
PHaT PHOTOのテラウチマサトさん(CMS代表取締役)、速水惟広さん(編集長)など、
たくさんの方が様子を見に来てくださいました。
東京と小豆島、なかなか会うことができない方々と、
ここで繋がることができ、とても良かったと思います。

小豆島町長の塩田幸雄さんも様子を見に来てくださいました。

オリンパスの小川治男さんと。

そしてこの展示のタイミングとあわせて創刊された
「Have a nice PHOTO!」というフリーの写真雑誌でも
私たちの活動を紹介していただいています。
「Have a nice PHOTO!」は今回の御苗場の企画をされている
CMSさんが出版されている雑誌で、地域×写真がテーマ。
東急東横線、田園都市線の各駅やカメラのキタムラさんなどで配布されています。
配布場所についてはこちらをご参照ください。
ぜひ、お手にとってご覧になっていただければと!

地域×写真がテーマの「Have a nice PHOTO!」というフリーの写真雑誌。

「週末+1DAYで行く島」として、私たちの活動が写真とともに紹介されています。

さて、最初の展示が無事に終わりました。
今度は夏に向けて、Webでの公開や小豆島への写真ツアー、
大阪、小豆島での展示企画を進めていきます。
島のメンバーと島の外のメンバーが一緒にやるからこそできることを、
ひとつずつ実現していけたらいいなと思います。

天然醸造の淡口醤油 兵庫・末廣醤油

「おいしいものをおいしく」させる、天然醸造の淡口醤油。

「天然醸造(*1)で淡口醤油を造るのは、色が濃くなりやすくて難しいよ」
と、日本各地の蔵人から何度も聞いてきました。
「末廣醤油さんは、天然醸造の淡口を主軸にやっているんだからすごいよ」とも。

食材の色と香りと味を引き立てる淡口醤油。
最大の要は、その名前のとおり「淡い色」。
切り干し大根、炊き込みご飯、うどん、おでんなどに使われる食材の色をいかし、
目からもおいしさを楽しめる色鮮やかな料理に仕上げてくれます。
そのお醤油の色は、発酵・熟成が進むほど赤色が増すので、
温度管理ができるタンクで仕込むほうが淡い色を出しやすいのです。

そんななか、四季の温度変化の中で醸造する「天然醸造」にこだわって
淡口醤油を仕込むのが「末廣醤油」。
淡口醤油の発祥の地であり、いまも最大生産地である兵庫県・龍野で
明治12年から営んでいるお醤油屋さんです。
末廣醤油のほかにも天然醸造で淡口醤油を造る蔵元は、
わずかながら全国各地にありますが、淡口を主体にしているのは
末廣醤油以外、聞いたことがありません。
一体どんな人が、どんな想いで、どんな淡口醤油を造っているのか、
興味津々で訪ねました。

*1 天然醸造:原料である大豆と小麦を、麹菌をはじめとする微生物の力のみで醗酵・熟成させて醸造した本醸造醤油のうち、醸造を促進するための酵素や食品添加物を使用しないものにだけ「天然醸造」の表示ができます。これは、醤油のJAS規格と品質表示基準で定められています。(参照元:しょうゆ情報センター)

このもろみの変化にいかに向き合うかが要。

微生物に魅了された工場長・木村さん。

小豆島からフェリーで姫路港へ。
車で25分ほど走ると、淡口醤油最大手「ヒガシマル」の名前が
あちらこちらに出てきました。
見上げると大きな醤油の仕込みタンクがいくつも傍に建ち並び、
不意に工場の中に入ったような感覚に。
大きな工場に目を奪われながら揖保川を渡ると、風情と気品あるまち並みへ。
かつて城下町として栄えた龍野は、「播磨の小京都」と呼ばれるほどに
武家屋敷や白壁の土蔵などの伝統的建造物が続きます。
風格溢れるまち並みに感銘を受けていると「オオギイチ」という看板を掲げた
貫禄ある蔵に着きました。
「オオギイチ」とは、お目当ての末廣醤油の屋号。
立派な佇まいに緊張が走ります。

ドキドキしながら暖簾をくぐったとき、社長・末廣卓也さんと従業員が一緒に
「よくぞ来てくれました」と迎えてくれました。
予想とは違った物腰柔らかく穏やかな人柄にひと安心。
これまた立派な母屋に案内していただき、挨拶をしていると、
工場長の木村俊一さんが、キラキラした目で出てきてくれました。

木村さんは、微生物の世界にのめり込んで以来、
少年のような純粋無垢な気持ちで微生物を探求し続けている方。
「では、蔵の中を案内しますね」と、木村さんについていくと、
蔵案内というよりも、微生物のワンダーランドに連れていってもらっているよう。

「醤油の造り方は複雑だから面白いんです。
『醤油は放っておいたらできる』と、人は言います。
たしかにみりんやお酢みたいに、何工程も踏むわけじゃない。
桶に材料を入れ、数か月後に絞る。それだけかもしれません。
でも、単純な工程のなかで、菌が複雑に働きあって、もろみを変化させています。
だから人が変化を見極めながら適切に手を入れる。その頃合いが職人技なのです」
などと、木村さんがひっきりなしに愛情一杯に話すものだから、私も引き込まれて、
「おー!」「そっかぁー!」と感動したり、質問が止まらなくなりました。

見学後に木村さんの愛情と探究心がすごいですねと、末廣社長に話すと、
「そうでしょ。木村は入社する前から『麹をやりたい』と熱く言っていて、
いまでも何より麹に興味があります。
あれがしたい、これがしたいと、しょっちゅう言ってきますよ。
実際にいろいろ試しながら麹を育てているんですが、
麹を眺めているときの木村はすごく嬉しそうです(笑)。
ただ、醤油の製造方法はできあがったもの。
世間を驚かせることが起きる可能性もありますが、
基本的にはほんの少し変わる程度でしょう。
だから経営を考えると、どこまで木村の研究を応援するかは難しいのですが、
小さな積み重ねこそが、難しい天然醸造の淡口醤油造りにいきるのかも、
と思って見守っています」と、末廣社長。
たしかに気が長い……。そしてもどかしい……。
でも、時間をかけて目に見えない菌と真摯に向き合い続けることが
醸造するということであり、繊細な淡口醤油製造の要なのだと思いました。

微生物に惹かれて醤油製造の世界に入り、日々麹の研究に励む木村俊一工場長。

天然醸造で淡い色を極める。

「本当に日々『色』との戦いです。揖保川の水が軟水だから、
この土地で仕込むと色が淡くなると言われますが、たかが知れています。
水分を入れて薄めることもなく、種麹の種類、ろ過や火入れ、仕込み時期や醸造期間、
あらゆることを昔から繰り返し研究しては改良してきました」と末廣社長。

さらに興味深い言葉が続きました。
「淡い色に対する評価は、いまの人のほうがシビアです。
昔は、淡口醤油全体が濃かったと思います。
機械で温度管理できるようになったのは、大手でも戦後の話ですからね」
はっとしました。たしかにその通りです。
戦後の技術革新によって、淡口醤油はより淡くなり、より色鮮やかな食卓に。
その食卓に寄り添うように、天然醸造で仕込む末廣醤油も、
より淡い色を出そうと試行錯誤を繰り返しているのです。

機械で管理したほうが淡い色が出しやすいのに、なぜ天然醸造にこだわるのか。
その理由は、自然食品の販売に携わる人たちと歩んできたことにあります。
「自然食品を販売する人から、昭和40年頃に国産丸大豆や小麦を持ち込まれ、
添加物が入っていない醤油を造ってほしいと依頼がありました。
それまでは、うちも脱脂加工大豆を使っていたし、添加物も入れていました。
そういう時代でしたから。その約10年後に、
日本全体で醤油の仕込みを共同化させようという動きになったのですが、
共同工場では自然食品販売をするお客様の要望に沿う醤油が造れる態勢がなかったので、
うちで仕込みをし続けたのです」
そうして、末廣醤油は天然醸造で国産丸大豆・小麦を仕込み、
添加物も入れない醤油に特化した蔵元になったのでした。
「つまり、たまたまですよ」と、控えめに末廣社長は言うのですが、
天然醸造で淡い色の醤油を探求し続けるのは、生半可なことではありません。
「天然醸造の淡口醤油」を主軸に経営している蔵は、ほかに聞かないほどですから。

必要な蔵の菌だけを取り入れつつ、管理しやすいFRPの蓋つきの桶を使用。

食材の善し悪しがわかるのが淡口醤油。

「黒島さんは、淡口醤油をかけ醤油として使うことはありますか?」
と末廣社長に聞かれ、例えばお造りでしたら、ヒラメなどの白身魚や貝類には、
天然醸造の淡口醤油をかけますとお答えすると、嬉しそうな反応。そして
「さすが小豆島。お魚の質がいいんですね。
淡口醤油はものの味がわかる醤油です。いい食材も悪い食材も(笑)」と、末廣社長。

真面目な表情が続いたあとでの笑顔が嬉しくて、
天然醸造の淡口醤油は味に丸みと深みがあるので、
繊細な食材のかけ醤油としてもぴったりです。
周りの人にもお勧めしていますよ、と私が言葉を続けると
「ぜひお勧めしてください!」と、今日いちばんのハツラツとした反応が。
「僕はね、いまは何にでも『淡紫(うすむらさき)』という淡口醤油をかけているんです。
特に好きなのはローストビーフにかけること。
定番の卵かけご飯にかけても、卵の味がよくわかるようになりますよ」
と、なんともおいしそうに話す末廣社長。
おもわずよだれが口の中に広がりました。

「淡紫」とは、通常の淡口醤油よりも、一段とかけ醤油やつけ醤油に向いた商品。
淡口醤油に米麹を仕込み、まろやかな甘味が醸し出されることで、
かけてもつけても、しょっぱく感じない醤油です。
そのうえ、食材の色と香りと味を引き立てる淡口醤油の醍醐味はそのまま。
末廣醤油の技と想いが凝縮して生まれた
「おいしいものをおいしく」させる、天然醸造の淡口かけ醤油です。

末廣醤油には甘えがありません。
化学調味料や有能な機械に頼ることも、
「天然醸造」「国産材料」という言葉に甘えることもない。
四季折々の温度変化の中で起きるもろみの変化や
目に見えない菌の働きに実直に向き合い続け、
経験と技を駆使して国産材料を最高の淡口醤油に変えています。
すべては「おいしいものをおいしく」。そのために。

木村俊一工場長(左)と末廣卓也社長(右)。

小豆島で暮らす、写真を撮る

島で暮らす7人の女性が撮る写真を、発信する。

昨年から進めてきた新しいプロジェクトが、少しずつかたちになろうとしています。
ずばり、小豆島とカメラ!

昨年の春頃から、カメラマンのMOTOKOさんと
カメラ雑誌「PHaT PHOTO」さんの企画で、
地方とカメラメーカーが一緒になって何か新しくて面白いことをできないか!
と進めてくれているもの。
オリンパスさんが一緒に取り組んでくれることになり、
いよいよ動き出したという感じです。

昨年11月小豆島で。オリンパスさん、PHat PHOTOさん、MOTOKOさん、島のメンバーと顔合わせ。

オリンパスのOM-D E-M5を持って、島内を撮影。

どんなプロジェクトなのか。
写真を撮るのは、小豆島で暮らす7人の女性。
日々の暮らしのなかで出会う、美しい景色、おいしい食べ物、優しい人々を
オリンパスのOM-D E-M5というカメラで撮影しています。
その写真を通して、
「見たい、食べたい、会いたい。小豆島に行きたい!」さらには
「小豆島で暮らしたい!」という流れを生み出せたらいいなと思っています。

今年1月。打ち合わせしながらも撮影。撮っているのはメンバーが持ってきてくれた下仁田葱!

Tシャツやカメラストラップなんかもつくれたらいいねと、イラストレーターのCHO-CHANにも参加してもらいました。

打ち合わせ後にみんなでごはん。

オリンパスのOM-D E-M5と集合写真。

私たちはプロのカメラマンでも、いわゆるクリエーターでもない。
それぞれ別の仕事をしていたり、主婦だったりします。
そうやって島で普通に暮らしているからこそ出会える、そういうシーンを撮りたいなと。

どんな写真を撮ったら、外の人が小豆島に行きたいと思ってくれるのか。
MOTOKOさんやPHaT PHOTOの竹中さんと話していくなかで、
なんとなくこんな感じの写真なのかなというのを感じ始めたところ。
少し離れて「客観的に小豆島を見る」ようにする。
趣味の写真じゃなくて、小豆島を伝える写真。
そう意識しながらとにかく撮る。
撮って、外に公開していくことで、反応を見ながら、
自分たちなりの小豆島写真をつくりあげていきたいなと思っています。

島のメンバー同士で撮った写真をレビュー。

ほかの地域の活動も参考にしながら。

東京とはGoogleハングアウトで繋いで打ち合わせ。

このプロジェクトの最初の発表の場が、
今週2月13日(木)〜16日(日)まで横浜で開催される「御苗場Vol.14 横浜」。
全国的なカメラと写真映像のイベント「CP+2014」と同時開催されます。
最初としては贅沢すぎる場。
ここで「小豆島カメラ女子が撮る こころシャッター写真展」として、
私たちの写真が展示されます。

島に暮らす自分たち自身が島の良さを感じ、それを自分たちの手で発信していく。
そして、写真展や小豆島への写真ツアーなどを通して、
外の人たちに小豆島に来てもらう、島のファンになってもらう。
最終的に、自分たちも含めた島での継続的な暮らしに繋げることができれば、
それは本当にすばらしいことだと思う。

碁石山からの絶景をOM-Dで撮影。

夕陽と海。小豆島で暮らしていると、日常の中に美しい景色がいっぱいある。

というわけで、今日もまた小豆島で暮らし、写真を撮っています。