ここにある資源をいかして暮らす

使えるものを、工夫しながら。

いま私たちが暮らしている家は、たくちゃん(夫)のお祖父ちゃんの家です。
曾祖父ちゃんの代に建てたそうなので、たくちゃんで四代目。
そこにはながーい歴史があります。
かれこれ約120年。

いわゆる農村民家で、母屋のほかに蔵、離れ、
タバコの葉の乾燥部屋(昔、小豆島ではタバコの生産が盛んだったそう)、
農機具の収納小屋があります。
ありますといってもその一部は床が朽ち、屋根が崩れ、使えない状態。
家というのは人が暮らし、手入れをしないとどんどん朽ち果てていってしまう。

たばこの乾燥部屋。屋根は崩れ落ち、隙間から陽射しが。

崩れ落ちた壁。修理したいけど、なかなか手がまわらない。

農機具小屋。お祖父さんが使っていた状態そのまま。

そこに私たちが帰ってきて、いまいろいろと直しながら暮らしている。
母屋は一部をカフェとして住み開くため、基礎から大工事。
この完了までに計画から約1年。
これから順に、蔵は野菜の出荷作業場に、離れは農家民宿に……
壮大な夢は広がっています(笑)。
ひとつずつ進めていくしかないですね。

ここには、この家という資源のほかにもたくさんの面白いものが残っている。
もう使われなくなってしまって、まさに埃をかぶっているようなものばかりなんだけど。

みかんなどの作物を収穫して運搬するための木製のみかん箱。
収穫したお野菜を入れるためのカゴ。
つくったお素麺を保管しておく木製の素麺箱。
ずっしりとした構えの洋服や着物の収納タンス。
遊び心がある茶ダンス(昔の日本のお茶の間の隅にありそうなもの)。

隣のお素麺屋さんから使わなくなった素麺箱をいただいた。

素麺箱とみかん箱をきれいに拭いて塗装。それだけでだいぶ雰囲気が変わる。

そういうものが何十年も処分されずにそのまま残ってる。
おっ、これ使えるじゃん! と思いながら、掘り出してきては、
お野菜の販売の時に使ったり、カフェのディスプレイとしても活用。
なんでも買わなくても、ふとまわりに目を向けてみると、
ここには活用できる資源が山ほどある。

使っていない茶ダンスの引き出しを壁に取り付けてディスプレイに。

塗装した素麺箱でつくった小カウンター。

お素麺箱を壁に取り付けて調味料や食器の収納棚に。

家で埃をかぶって眠っていたカゴを使って野菜を販売。

それはモノだけじゃなくて、食べ物や風景などもそうなんじゃないかなと。
毎年秋には柿があり過ぎて困ったり、
いまの時期は食べきれないほどの柑橘をいただく。
こういうものこそ、何かにいかして、
ここに住む人たちが幸せになることを考えたいなと思う。

もちろん、なんでもかんでもあるわけじゃなくて、島にはないものもたくさんある。
私たちの生活もネット通販がなければ成り立たないくらいかも。

それでも、できる限りここにあるものと自分たちの知恵と手を使って、
暮らしをつくっていけるといいなと思います。

小さな畑や家業が里山の風景をつくる

この風景を残し続けるために。

1月末、大寒から立春までのこの時期が、1年でいちばん寒い季節。
今朝も外に置いてある水鉢に立派な氷が張っていました。

庭の水鉢に張った立派な氷。

この時期、畑作業は比較的のんびりしています。
もちろんやることはてんこ盛りなんですが、
草刈りと水やり、次々と育つ作物の収穫をしなくてもいい分、
夏に比べると余裕があるという感じ。
そして何より気候的に体が楽。
夏の日中は暑すぎて、外での作業は本当に過酷。
冬は防寒対策さえしっかりすれば、日中の作業は穏やかです。

私たちが暮らしている肥土山(ひとやま)の集落全体もいまはそんな雰囲気。
ゆっくりと育つ白菜や大根を少しずつ収穫しては、
自分の家で食べたり、おすそ分けしたり。
そして空いた時間に、切り干し大根をつくったり。

肥土山の冬の畑と田んぼ。白菜や大根がそこら中の畑で育てられています。

おばちゃんと一緒に切干大根づくり。こういうのも肥土山の風景。

干した大根と人参。これで長いこと保存できるようになる。

肥土山には共同の水洗い場がぽつぽつとあって、
そこで収穫したお野菜を洗ったりできます。
おばちゃんが野菜を洗っている、そういう風景に出会うとなんだか嬉しくなる。
あー、まだこの水洗い場は現役なんだなあと。

共同の水洗い場でお野菜を洗うおばちゃん。

そしてもうひとつ、冬の小豆島と言えばお素麺。
肥土山にも何軒かお素麺屋さんが残っていて、
この季節の天気の良い日中は、お素麺が天日干しされています。
真っ白なお素麺と澄んだ青い空のコントラストがほんとに美しい。
寒い時期につくられる「寒そうめん」は、
少ない塩でつくることができ、コシが強くておいしい。
そんなおいしいお素麺をつくるために、この時期は午前3時頃から作業するそう。
続けていくのが大変な仕事です。

天日干しされる「寒そうめん」。

娘の幼稚園のお友だちの家。素麺づくりが暮らしの一部。

跡を継ぐ人がいないと、この風景も肥土山からなくなってしまう。

肥土山はいまはまだ現役の集落。
こんなふうにして、そこに暮らす人たちが畑を維持したり、
家業を続けることで、風景が保たれてる。
でも、これがあと10年もするとどうなるのかなと時々考える。
畑を手入れする人が少しずつ減り、やがてそこは山に戻っていき、
お素麺屋さんも跡を継ぐ人がいないと、あの天日干しの風景はなくなってしまう。
この風景を残し続けるためには、ここで豊かに暮らし続けるためには、
そういうことを続けていく人を減らしちゃいけないんだなと思う。

きれいに手入れされた田んぼと家々。だんだんと山が迫りつつある。

冬の夕暮れ。ひとつひとつのシーンがきれい。

そんなことを考えながら、私たちはここに拠点を構えて人を招き、
そして畑を耕し野菜をつくることで、この集落と風景を保つことに
少しでも関われたらいいなと思っています。

特別編 「国宝みうらじゅん いやげ物展 in TOKYO」

貴重なコレクションを大公開!

今回の「ニッポン民俗学研究所」は特別バージョン。
東京で開催中の「国宝みうらじゅん いやげ物展 in TOKYO」のレポートです。

みなさんにいつも投稿してもらっていますが、さすがみうら所長、年季が違います。
25年かけて集めた膨大なコレクションの中から、約2000点を展示。
これでまだ一部だというのですから、はっきり言って意味がわかりません。
無駄にもほどがあります。でもこれだけの物量を目の当たりにすると、
もはやみうら所長への尊敬の念しかわいてきません。

天狗の世界

「テングー」なるキャラクターをも生み出した、みうら所長の天狗コレクション。
全国各地で見られる天狗ですが、みうら所長の地元、
京都の鞍馬天狗はもともと鼻が高くないそう。
「東北に行くにしたがって鼻が高くなる」という
みやげ物屋のおばちゃんの説を確かめるべく、
各地で天狗を収集するようになったとか。

写真中央の髭の生えているものは群馬県の迦葉山(かしょうざん)の天狗の面。
みうら所長が初めて友人に頼んで
ネットオークションで落としてもらったものだそうです。
「天狗の面を飲み屋に持っていったところ、
折れちゃったことがあって。
『天狗の鼻を折る』って言葉で聞いたことはあるけど、
実際に見たらこんなに無様なんだって思ったね」

すべては五穀豊穣、男根崇拝につながるというみうら所長。
たしかに、このいやげ物展にもそういう意味合いのものが多々見られます。

海女フィギュア

以前から海女グッズを集めていたみうら所長。
昨年はここぞとばかり「海女がくる!」と思ったそうですが、
ちょっとみうら所長の期待していたブームとは違ったようです。
それでもちゃんと、新しい「あまちゃん」グッズも手に入れています。
「とりあえず買わないと。もう自分の好き嫌いとは関係ないですから。
宮藤官九郎さんには“海女もの”のビデオを何本か送ったんですけど、
参考になりません、と言われました」

甘えた坊主

みうら所長が最初にこの「甘えた坊主」に出会ったのは、四国への仏像旅行のとき。
そこには「一休」と書いてあったそうですが、
その後も各地で見られ「雪舟」と書いてあることも。
ところがなんと、そのルーツは日本ではなかったようです。
「中国に行ってわかりましたが、ルーツは中国。
一休でも雪舟でもありませんでした。
僕はこれを“甘えた坊主”と呼んでますが、ほお紅をして
ブルーのアイラインが入っていたりして、何かセクシーなんですよ」

たくさんの「甘えた坊主」が回っています。

そのほかにもさまざまなコレクションが展示されています。

各地に見られるさまざまな「フィギュ和」。なまはげも相当な迫力です。

謎に満ちた物体でも「ひょうたん君」というとかわいく思えてきます。

観光地に必ずある絵ハガキ「カスハガ」。展覧会に行くと入場者プレゼントとしてもらえます。

「ウェブマガジンで連載しているのに僕はパソコンが使えないし、
インターネットができないから、ほぼ全部自分で集めたもの。
インターネットって何でも買えるようだけど、
こういうものはネットオークションにも出てないでしょう。
だって、おやじの小言が書いてある湯のみなんて、誰も欲しくないわけだから。
店の隅にホコリをかぶって置いてあるだけ。
でもこれらも、いまや絶滅危惧種、または絶滅種ですね」

自ら「犠牲となって」絶滅寸前のいやげ物を収集したというみうら所長。
そんな貴重なコレクションを、ぜひ会場でご覧ください!

展覧会のためにつくったという等身大「海女フィギュア」と一緒に。

若き玄人蔵人が生む濃口醤油 静岡・栄醤油醸造

「醤油」は、日本人が最もよく使い、食卓に欠かせない調味料でありながら、
きちんと選んで使っている人は、どれくらいいるでしょう? 
食卓をおいしく豊かにするための案内人、醤油ソムリエールの私が、
全国から選りすぐりの蔵元をご紹介していきます。

社長とひとりの若き熟練の造り手が進化させる、歴史ある手造り醤油。

「栄醤油」のことを振り返るとき、真っ先に思い浮かぶのが、
蔵を案内していただいた最後に
「ちょうど火入れしたばかりの醤油があるんです。味わってみてください」
と、急いで容器を探して醤油を汲み、渡してくれた蔵人・古川真輔さん。
少しの不安と期待を交えた真っすぐな目で答えを待っていました。
え! 私のような若輩者で、何者かもわからない相手に……と、思わず恐縮しました。
しかし、その目を見て、これは本気で味利きして、お世辞抜きのことを伝えないと。
と、感覚を澄まして味と香りを確認したところ、驚くほどみごとな醤油。
それを伝えても「ダメなら正直に、言ってくださいよ」と、
安堵の中に不安が混ざった目で次の言葉を待っていました。
この姿勢が栄醤油醸造そのものなのだと、しみじみと感じるのです。

200年以上前に城下町に創業。

訪問したのは2013年7月末。
かつて城下町として栄えた静岡県掛川市横須賀の閑静なまち並みを眺めていると、
ふと「栄醤油」と書かれた看板があることに気づきました。
まち並みに溶け込む素朴な建物ながら、
創業寛政7年から刻々と刻まれ続けたわびさびが漂います。

中に入ると、栄醤油醸造7代目の深谷益弘さんが、挨拶もそこそこに
「もともとは鍛冶屋で、江戸時代に醤油屋も始めました。
ここにある道具は、鍛冶屋の時代に使っていたものです」
と、苔むした鍛冶屋の道具を指差しながら案内してくれました。

100年以上続く醤油屋に出会うことはよくあるけれど、
200年以上となると限られます。
いつからあるのだろうと思わせる道具が並ぶ蔵の中を進むほどに、
先への興味が増します。

江戸時代から残る鍛冶屋の道具。

古き良き味を進化させる、ベテラン36歳。

「この先の醤油蔵の案内は、蔵の担当者に変わります」
と、深谷さんに案内していただいた先で待っていたのが、
冒頭に紹介した古川さん。ひと目見て驚きました。
若い! 
通常、蔵の担当者というと、大企業でない限り通常は「工場長」。
そして、工場長は修業した年月と熟練の経験が問われるため、
50代以上であることが多いのです。
しかし、古川さんはまだ36歳。さらに
「この蔵の製造を僕ひとりでやっています。今年で18年目です」
ひとりで!? 36歳なのに18年間も!? 
と、異例のことに思わず目が丸くなります。

蔵の中も異質。とにかく道具が歴史あるもの。
見渡して目に入るものすべてが一昔も二昔も前のもので、
中には栄醤油醸造の他では見たことがない道具もあります。
古い道具を修繕しながら使い続けるより
最新の機械を導入したほうが効率が良くて便利。
けれども「もっと昔の造り方を取り入れたい」と古川さんは意気込みます。
なぜかは、一道具、一工程を真心こめて説明する様子が物語っていました。
私が、どのような変化をしながら麹が育っていくのですか? 
温度調整は? など、質問を重ねると、
「こういう熱心な方が見学に来てくれるのは嬉しいです。僕も刺激になります」
と、やっぱり心をこめて説明してくれます。
そうか、昔ながらの道具は手間ひまかかるからこそ、心が通い合うんだ。

そして、その真心がみごとに味と香りに反映されているのだから唸らされます。
芯あるすっくとした高い香り。その後に続く柔らかな甘い香りと味。
しかも、歴史があるとは言えど、おいしさは日々成長しており、
専門家は「以前はもっと塩辛い印象があったけど、変わったなぁ」と評します。
この成長も「手で造る」ゆえ。造り手自身の成長と想いを反映しています。

栄醤油で造るのはほとんどが濃口の醤油。
卯の花や五目煮などの大豆系食材を使った煮炊きや、
かまぼこや白身の焼き魚などによく合い、
淡白な食材にしっかりとした味付けをしてくれます。

昔は静岡では、愛知などと同様「たまり醤油」を造る蔵元が多かったようです。
しかし、次第に静岡の生産者も大消費地である関東に意識が向くようになり、
関東の人が好む味の醤油を造るようになりました。
しかしそうすることで、関東に出荷するもの以上に、
関東のものが静岡に入ってくるようになり、静岡の市場すらも、
関東のメーカーに抑えられてしまっている状態だそうです。
静岡の年配の人は醤油のことを「たまり」と呼びますが、
いまではそう呼ぶ人はほとんどいなくなったそうです。

小麦を煎って割る機械。見たことがないかたち。

大豆を蒸すNK管。一昔も二昔も前の型。

麹を造るむろ。(写真提供:栄醤油醸造)

春夏秋冬の温度変化の中で発酵・熟成されたもろみ。

18年の経験を積む36歳ベテラン蔵人・古川真輔さん。

「昔ながら」の価値を進化させる。

見学後、深谷さんが事務所に招いてくださいました。
古川さんの姿勢を褒めると、小さく頷いて
「昔ながらの造り方にこだわりすぎるくらいにこだわります。
しかし、ただ昔ながらの造り方だったらいいというわけではないんですよ」
と、深谷さん。そして経営者としての視線で話を続けてくださいました。

「横須賀は、江戸時代こそ城下町として栄えたけれど、
現在は社会に取り残されています。
戦前まで、この周りにも醤油屋はいくつかありましたが、
戦後の高度経済成長をきっかけに駐車場にしたりして辞めていきました。
さらに製造を共同化しようという動きがあり、
半分ほどがそれに乗じて、共同で製造するようになりました。
もし自社で造るとしても、昔ながらの製法ではなく効率的な方法になったんです。
そんな中、私たちはあえて『こだわり』の道を選びました。
国産丸大豆(*1)や木桶(*2)の醤油の存在価値を認めてくれる人に届けようと」
戦後の高度経済成長をきっかけに製造態勢を効率的な方法に切り替えたのは、
横須賀だけの話ではなく、日本全体の話です。
つまり、栄醤油醸造は、戦後の時代の変動の中で、あえて伝統製法を選択し、
その製法でできた醤油を望むお客様と心を通い合わせながら
歩んでいく道を選択したのです。

*1 国産丸大豆:全国で造られる醤油の原材料の大豆は、丸大豆が約18%、残りの約82%は脱脂加工大豆を使用しているのが現状。国産丸大豆に限るとわずか約2.3%。

*2 木桶:国内の生産量のうち、木桶仕込みによる醤油は1%未満。栄醤油醸造はすべて木桶で仕込む。

こだわりの醤油造りをする決意をし、その価値を認めてくれる人に届けたいという7代目の深谷益弘さん。

できたもろみに圧をかけて搾る。いまでは希少な「袋」で搾る。

搾りたての醤油。

お話をうかがっている間に、ひとりのお客様が醤油を買いに来ました。
直接買いに来る方は多いのですか? と、私が尋ねると
「直接うちに買いに来るお客様は、まだ多いんですよ」と、深谷さん。
いまや、醤油は量販店で買うことが主流。しかも栄醤油醸造の周りは閑静な住宅街。
それでも長年お客様が足を運び続けるのは、それほど支持されている証拠です。
「しかし、昔ながらの部分を大切にするだけではなく、これから続く方法を築かないと」
と、深谷さんは先を見つめます。

昔ながらの製法から生まれるおいしさを、真心こめて追求する古川さん。
そして、育んだ味を経営の筋道にしながら展開していく深谷さん。
二人三脚で一歩一歩進むごとに、歴史は根強く進化しています。
私もふたりの未来を見つめながら、蔵を後にしました。

もろみ蔵。栄醤油醸造は、すべて木桶で仕込む。

自分たちの手でつくる「カフェ」という場所

できるだけお金をかけず、時間をかけて。

小豆島に引っ越してきて1年ちょっと。
去年の夏から始めた築120年の自宅の改修工事は、
寒くなる前に終わり、そこから3か月経ちました。
ようやくカフェのオープン日も決まり、
その日に向かって、最後の仕上げをしています。

ガラス戸越しに肥土山の景色を楽しめる席。

そのまま残したかまど。横には古材を使って棚を設置。

カウンターでお昼ごはん。自分たちで使うことで、こまごま調整。

田舎で暮らすようになり、できるものはなるべく
自分たちの手でつくりたいと思いながら暮らしています。
そういう思いから、私たちの事業名
「HOMEMAKERS(ホームメイカーズ)」もつけました。
かつてアメリカで主婦のことを「HOMEMAKER」と呼んだ時代があったそうです。
家でいろいろつくるのが仕事という意味。
食べ物、洋服、家具、家など身の周りのモノをいろいろつくる。
そんな暮らしに必要なものを自分たちの手でつくる生活が送れたら、
きっと人生は豊かになるだろう、という思いから。

でもやっぱり、なんでもかんでもはつくれないのがいまの私たちの正直なところ。
例えば、家の土台となる基礎部分の改修。
自分たちの手でつくろうとも思いましたが、
時間とお金を考えると、そこは大工さんにお願いしようと判断。
今回は大工さんの作業を間近で見ることで勉強しようと思いました。

基礎、柱、床、壁、天井、
そういう基本的な部分の工事が完了し、その後は自分たちで。
まずは古い部材の汚れを拭いて、掃いて、それから塗装。
本棚、柱、床、天井、建具と、とにかく塗る。

天井の汚れを拭き取り、その後塗装。

古い窓を外して塗装。見違えるほどきれいになる。

玄関の木枠も塗装。

そしてようやく家具の搬入。
昔からそうなのですが、なんとなく新品の家具を買うのが苦手。
単純に価格が高くて買えないだけなんですが、使わなくなった人から譲ってもらったり、
時間をかけて探せば、安く手に入る古くていい家具は結構ある。
大正や昭和初期につくられた家具は、贅沢に木を使っていて、
細工も丁寧で本当に美しい。
そうやって10年くらい集めてきた家具を自分たちの手で直して、カフェでは使います。

かれこれ10年以上前に大学で使わなくなったのでもらった椅子。

古くなって使わなくなったので譲ってもらった椅子。これから座面をリペア。

家の改修工事で出た廃材。棚やテーブルをつくる時など何かと使える。

さらに食器や小物など、カフェを営もうと思うと、
本当にたくさんのものがいるんだなと実感。
なるべくお金をかけずに揃えるために、
リサイクルショップや陶器市などで安く購入したり、自然のものを拾ってきたり。
時間がかかるけど、足を運んでひとつずつ見つけていきます。
それが大変でもあり、とても楽しくもある。

時間をかけて集めた食器たち。

リサイクルショップで仕入れた食器。こういうのに出会えると嬉しい。

そしてまだまだ作業中ですが、オープンは2014年2月22日に決めました。
ニャン・ニャン・ニャンで猫の日だそうです(笑)。
あと1か月で間に合うか、間に合わせるしかないですね。
がんばります。

アーツ前橋

美術館が館外で展開するプロジェクト。

群馬県前橋市に誕生した「アーツ前橋」。
美術館構想が立ち上がってから約6年という長い準備期間を経て、
2013年10月26日にグランドオープンした美術館だ。
芸術文化施設のあり方についてたびたび議論が重ねられ、
2010年から美術館プレイベントがスタートし、開館に至っている。
現在は開館記念展として「カゼイロノハナ 未来への対話」が1月26日まで開催中で、
館外でも「地域アートプロジェクト」が展開中。
地域の人たちや日常の生活とアートの創造性との出会いから
何か新しいことが生まれていくようなプロジェクトが、
美術館の外で同時多発的に行われている。

商業施設だった既存の建物をコンバージョンし、美術館に生まれ変わった。屋上看板にはアーティスト廣瀬智央さんによるコミッションワーク(恒久設置作品)が。

そのうちのひとつ「きぬプロジェクト」は、かつて養蚕で栄え、
生糸のまちといわれる前橋にちなんだプロジェクト。
これまでも「装い」とコミュニケーションをテーマに活動してきた
アーティストの西尾美也さんと、彼が主宰するブランド「FORM ON WORDS」が、
2014年の秋に向けてアーツ前橋のユニフォームを制作中。
そのプロセスを公開しながら、1年間かけてワークショップを開催していく。

まちなかにある「竪町スタジオ」では、1月26日まで西尾さんの作品を展示し、
「ファッションの図書館」という参加型プロジェクトも行われている。
これは、市民の思い入れのある服飾品をエピソードとともに収集し、
それらを公共の衣装タンスとして無料で貸し出すというもの。
並べられた服には持ち主それぞれのエピソードがあり、
それを身にまとうことで服を着るということについて考えたり、
コミュニケーションが生まれるきっかけともなる。

市民から集められた洋服に関するエピソードはどれも味わい深い。

「ファッションの図書館」にある服は、無料で借りることができる。

「マチリアルプロジェクト」は、市民がまちの現状(=リアル)に向き合い、
人が集う場をつくりだすプロジェクト。
その拠点となっているのが「アーツ桑町」。
アーツ前橋が開館する前からアートスクールが開催されており、
その講師でもあったアーティストの藤浩志さんと受講生たちの発案により、
空き店舗を利用して活動ができる場がつくられた。
公民館のように誰もが利用できるのではなく、
登録したメンバーが創作の場として活用し、
ミーティングが行われたり、作品を制作したり発表できる場となっている。

アートが本業ではなくても表現活動に関わりたい人や、
これまで作品を発表したことのない人たちなど、
前橋で活動する市民団体の拠点となっていて、さながら部活動の部室のよう。
運営も美術館ではなく市民によって運営されており、
この地域プロジェクトの出発点ともいえるスペースだ。

ピンク色でひときわ目立つ建物が「アーツ桑町」。藤浩志さんとアートスクール受講生の発案からできたスペース。

2階は民家を改修したギャラリースペース。取材時は、今回が初個展となる高橋加代子さんの展覧会が行われていた。こういった展示も市民団体によって企画・開催されている。

ふたたび人が集まる場所に。

そしてもうひとつのマチリアルプロジェクトの事例が「磯部湯活用プロジェクト」。
磯部湯は戦後すぐの昭和21年創業で、煙突は前橋の戦後復興のシンボルだったという。
残念ながら2012年3月に営業を終えたが、
そのあとも経営者である堀清さん・政子さん夫妻が換気などの手入れを怠らなかった。
天井が高く、自然光もよく入り、不思議な空間の魅力を持つこの磯部湯で、
アートプロジェクトができないかという話が持ち上がったのは至極当然とも思える。
長く前橋市民に愛された場所は、別の役割を持ってよみがえった。

アーツ前橋館長の住友文彦さんはこう話す。
「銭湯は生活に身近な公共の場所。
前橋の多くの人が出入りしていて、この場所に関する記憶を持っている。
そういう場所でアーティストに滞在制作してもらい、
何らかのかたちで地域の人に興味をもってもらえたらと思いました。
一般の方は作品制作のようすを見る機会なんてないですし、
作家も地域の人たちと出会うことでいろいろなインプットがあるはず。
そんなことができたら、磯部湯という場所にふさわしいんじゃないかと」

磯部湯活用プロジェクトにはアーティストの伊藤存さんと幸田千依さんが招聘され、
10月下旬から12月上旬まで公開制作が行われた。
その作品は、磯部湯に展示されている(1月26日まで)。

修復を重ねながらずっと磯部湯を見守ってきた煙突。戦後の焼け野原で復興の象徴となった。

2013年12月15日には伊藤存さんと幸田千依さん、住友文彦館長によるトークイベントが開催された。

伊藤さんは、動植物や人をモチーフとした刺繍作品や映像作品で知られるアーティスト。
これまでも、一見何もないように見える風景のなかに、
実はさまざまな生き物が潜んでいることを
「見ない土地の建築物」というシリーズで表現してきた。
特に魚が好きという伊藤さんは、アーツ前橋の前に流れる
馬場川(ばばっかわ)という小さな川に目をつけ、リサーチを開始。
するとウグイや鯉、山女魚、ヤツメウナギなど、多くの種類の魚がいることがわかり、
静かに見えて、実はにぎやかな川のようすを作品に表現した。

浴槽に水はないが、水中をとらえた映像作品が。一瞬、生き物が見えることも。

前橋での動物の目撃情報を人に聞いて集め、人と動物が対面している場面を地図上に再現した粘土作品。こうして見る前橋のまちはどこかユーモラス。

通常は京都を拠点として活動し、海外の展覧会に出展することも多い伊藤さんだが、
滞在制作はあまり経験がなく、制作プロセスを見せることも初めてだったという。
「途中でいろいろな反応があって、それが面白かったです。
僕の作品はよくわからないと言われたりしましたが、
僕は何を言われてもわりと大丈夫なので。
めちゃくちゃなことを言われれば言われるほど、
もっと変なこと言ってくれないかなって」と伊藤さんは笑う。

脱衣所のスペースで制作していたが、だんだん下宿のような様相を帯びていき、
磯部湯の隣に住む堀さん夫妻は、ようすを見に来ては差し入れをしてくれたそうだ。
「銭湯って人がたくさん来る場所ですから、
営業をやめたら急に人が来なくなって寂しかったんだと思います。
もつ煮込みをつくってくれたりして、ありがたかったです」
偶然にも堀さんは手芸好きで、趣味でつくっていた刺繍作品が
以前から銭湯に飾られていた。その作品がそのまま飾ってあり、
作風はまったく違うが、磯部湯という場所がつないだ、
伊藤さんの作品とのコラボレーションのようだ。

トークを見に来ていた堀さん夫妻。奥さんの政子さんは「楽しかった。最近若くなったと言われました」

「お風呂で制作するというのは不思議な気分でした」と伊藤さん。

幸田さんは、アトリエで制作してギャラリーで発表するというより、
さまざまな土地に滞在し、そこで作品をつくるという活動が多く、
コロカルにもたびたび登場しているアーティスト。
「新しい場所に行くと、最初はいろいろな違いに驚いたりするんですが、
暮らしているうちにどこでも共通するものがあると気づく。
自分が気になるものを日々見つめていくと、
そんなに大きく変わらないんだと思いました」と幸田さん。

今回の滞在では、毎日朝7時半頃から夜は23時頃まで、磯部湯で制作に没頭した。
決まった時間に起き、滞在していた家と磯部湯を往復する毎日。
だから前橋のことは詳しくないが、毎日通う道がとても大事なものになったという。
磯部湯に描かれた壁画は、その道すがらの橋から見た風景だ。
「朝、東に向かうので朝日がすごくきれいだったり、
日に日に葉が黄色く色づいていったり。
毎日その変化を見るのが本当に楽しくて、毎朝写真を撮ったり、
そこで5分くらいぼーっと過ごしてから磯部湯に来るんです。
何の変哲もないんだけれど、行き帰りの道が
だんだん自分の風景になっていきました」

「2か月間、前橋に暮らしたということのたしかな実感は展示に表せたんじゃないかな」と幸田さん。

公開制作時にはいろいろな人が集まってきた。
脱衣所のスペースにはテーブルが置かれ、
そこでお茶を飲んだりおしゃべりする人が増えてきて
「お湯はないけど、磯部湯の温度が日増しに上がっているのを感じた」のだそう。
やがて幸田さんは風景だけでなく人の絵も描こうと思い立ち、
10枚あまりのキャンバスに次々と描いていった。

磯部湯のプロジェクトには群馬大学の学生たちが運営スタッフとして関わっている。
彼らがいることで、このプロジェクトはいっそう開かれたものになったようだ。
「最初はアーツ前橋のお客さんがアートを見に来るという感じだったのが、
だんだん地元の人に噂が広まったのか、
昔、銭湯に来ていた人がふらっと立ち寄ってくれたり、
アートにそれほど興味のない人も、居心地がよかったのか毎週来てくれたり。
ふだん同じまちに暮らしていてもなかなか関わらなかったり、
世代が違って話すこともなかった人同士が出会ったり、
いろいろな人が混ざり合うのが面白かった」

滞在終盤になるにつれ人が増えてにぎやかになり、
差し入れもどんどん増えていったそう。
学生たちにも慕われていた幸田さん。トークが終了しても、
みんな最後まで名残惜しそうにアーティストを囲んでいた。

通常、展示スペースに鏡があるということはまずないが、それも含めて空間の面白さがある。「今回は磯部湯という場所とどうつき合うかが大事だと思っていました」

滞在中は脱衣所のスペースでカレーを自炊していたが、具材の差し入れをしてくれる人までいたため、終盤は食費もほとんどかからなかったとか。

地域の人が支える美術館。

住友さんはキュレーターとして、これまでさまざまな地域で
展覧会やプロジェクトを手がけてきた。
地域でのアートプロジェクトの可能性や難しさについても熟知している。
「もともとアートプロジェクトは60~70年代に前衛がやっていたことで、
展示室の外に出ることで反権力や制度に対するアンチという意味があった。
いまでは地域おこしや芸術祭という動きもありますが、
なかなか歴史のなかで残されていかない。
でも美術館が関わることで、何らかのかたちで残すことができると思うし、
美術館は活動を継続していくことにこそ意味があると思っています」

さらに、美術館は地域の人に支えられなければいけないという。
「アーティストのネットワークではなくて、
地域の人や専門家ではない人たちが必要だし、
彼らが必要だと思ってくれることが重要。
開館の3年前からプレイベントをやってきて、
それに関わってきた人たちがこういうプロジェクトも手伝ってくれています。
ハードをつくるだけではなく、ソフトも同時につくっていったのが
アーツ前橋の特徴だと思います」

開館記念展では、地域と縁のある作家や作品を掘り起こし、
新しい作品も交えて丁寧に紹介している。
「有名な巨匠や欧米のコレクションなど、どこからか借りてきた価値基準ではなく、
前橋に縁のある作家だけで美術の歴史を振り返ることができるような展覧会を、
最初にやろうと思いました。そこから、新しく作品をつくる場所を組み立てられれば、
過去と未来をつないでいくようなことができるんじゃないかと思っています」

照屋勇賢さんによるコミッションワーク。照屋さんは東日本大震災発生時、前橋で滞在制作をしていた。つくられた階段の上に連なるように、既存の建物の非常階段が窓枠の外に見える。ここで定時に、震災直後に録音された群馬交響楽団による演奏が流れる。

アーツ前橋ができたことで、波及効果が出てきているのが面白い、と住友さん。
実際に、地元在住のアーティスト八木隆行さんが運営する
アートセンター「ya-gins(やーぎんず)」や、
アーティストやアーツ前橋の学芸員たちが運営する
アートスペース「Maebashi Works」など、
さまざまなクリエイティブスペースが周辺に生まれている。
今後もアーツ前橋を中心に、地域の人たちが主体となった面白い動きが期待できそうだ。

島での仕事、おいしいごはんの撮影会

地元食材を使った、おいしく楽しい撮影。

小豆島で暮らしていて本当に贅沢だなーと思うことがいくつかあるのですが、
その中のひとつが、身近な人がおいしいものを作っていること。
これは◯◯さんのところのお素麺とか、
このオリーブオイルはあそこのオリーブ畑のだとか。
食卓にはいつも何かしら小豆島産のものがあり、
食べながら作っている人の顔や風景が思い浮かぶ。

そして、そんなおいしいものに関わる仕事をさせてもらえることが時々あります。
先日は小豆島産のオリーブオイルのパンフレット制作。
オリーブの収穫もお手伝いさせていただいた、
イズライフさんのエキストラバージンオリーブオイルです。

イズライフさんの今年のエキストラバージンオリーブオイル。

商品がどんなものかという詳細な説明ではなくて、
オイルがあるおいしい暮らしを伝えよう。
というわけで、身近な料理を何種類か用意して、それにオイルをかけて撮影。

釜玉うどんにサッとひとかけ。
バニラアイスに濃いめのコーヒーと一緒にかけて。
シンプルな料理が、それだけで贅沢な一品になる。

さぬきの代表、釜玉とろろうどんにサッとひとかけ。

バニラアイスに濃いめのコーヒーとオリーブオイルをかけるだけで簡単スイーツのできあがり。

ドライフルーツとナッツの豆腐クリームチーズあえに。

ぶり大根にもオリーブオイル。和食にもナイス!

料理を作ってくれたのは、島の友人のちほちゃん。
ちほちゃんの作る料理は見ているだけでも本当にきれいでおいしそうで、
とても楽しい撮影の時間だった。

明るい窓辺で撮影。

かつお節をはらりはらりと。見ているだけでもおいしそう。

料理担当のちほちゃん。

地元産の鯛と野菜、果物を使って。本当に美しい盛りつけ。

さらに撮影が終わったものは順次いただくというおまけつき。
おまけというかメインというか(笑)。

食べる担当はイズライフの堤さん。小豆島産のお醤油をかけて。

普段の繋がりの中から、こういう楽しい仕事が生まれる。
料理が得意な人、撮影が得意な人、工事が得意な人、人を繋げるのが得意な人……。
島にはいろんな人がいる。
それぞれの得意をあわせれば、自分たちの手で新しいものを生み出したり、
古いものに新しい価値をつけることができ、それを外に発信していける。

オリーブ、醤油、素麺、野菜、魚……。
ほんとにこの島はおいしいものであふれています。
だからこそ、そのまわりに楽しくて誇れる仕事が
もっともっと増えればいいなと思います。

島とまちをつなぐ船、ジャンボフェリー

ゆっくりと海の道を行く。

2014年になりました。
1月最初の日曜の朝、空は青く澄み渡り、温かい太陽の光が窓から差し込みます。
さて今年も活動開始です。

年末年始は、都会に帰っていました。
都会に帰るってなんだか変なんだけど、私たちにとってはそれが普通。
普段は島暮らし、年末年始は都会で暮らす家族と共に。

島を出る時、必ず乗るのが船。
小豆島は他の陸地と橋でつながっておらず、飛行場もないので、
どこかに行くには船に乗っていきます。
これを面倒くさいと感じる人もいるんだろうけど、私はこの移動手段が好き。
ゆっくりと海の上を走っていくのは、やっぱりロマンチックだ。

朝7:20坂手港発のジャンボフェリーからの眺め。昇り始めた太陽と海。

小豆島を後ろに。神戸に向かって運航。

デッキからの眺め。冬はさすがに寒いですが。

小豆島にはいくつかの港があって、それぞれ違うまちとつながってる。
たとえば、土庄(とのしょう)港なら高松や岡山と。
大部港は岡山の日生(ひなせ)と、福田港は姫路と。
それぞれ昔から商売などで関係のあったまちと繋がってる。

そして、私たちが都会に帰るときに乗るのが、ジャンボフェリー。
小豆島坂手港と神戸をつないでくれます。

ジャンボフェリー。その名の通りジャンボ!

小豆島に到着。都会からの車が続々と。

約3時間、船に乗って、ごはんを食べたり、本を読んだり、
うたた寝したり、しゃべったり、海を眺めたり……。
普通の席はもちろん、女性専用ルーム、子どもルーム、座敷もあるので、
好みのスタイルで時間を過ごせる。
ゴザも用意されているので、ロビーにゴザを敷いて過ごすというのもあり。

ちなみに売店もあります。
食べものはうどんオンリーですが。
お土産もちらほら。

ロビーの隅にゴザを敷いて。窓から海や島を眺めながら。

出発前に家で握ってきたおにぎり。のんびりといただきます。

客席。よく見るとシートの柄はうどん。

売店。食べものはうどんオンリー。

座敷。暖かくてうとうとせずにはいられない。

そんな時間を過ごし終えると、もうそこは神戸。
島からまちへ一気にワープ。

屋上デッキ。この日は天気もよくて最高の眺めだった。

神戸と淡路島を結ぶ「明石海峡大橋」をくぐるともうすぐ神戸。

海で隔たれているんだけど、行こう! と思ったら船ですぐにまちに行ける。
島で暮らす身からすると、それが小豆島のひとつの良さなんじゃないかなと思います。

逆にまちで暮らしている人たちからみたら、行こう! と思ったら船ですぐに行ける島。
今年もまた、たくさんの人が小豆島に遊びに来てくれるといいなと思います。

みうら所長の所蔵品より

山形県天童の駒

いままでみなさんのネタに頼ってきましたが、とうとう編集部から
「みうらさんからも出してください」と言われてしまい、
今回お見せするものは“コレ”です。
コレって、言われても困るでしょ。興味湧きませんよね? 
というか、いらんでしょ。

コレは山形県天童市に古くから残る伝統文化ってヤツです。
昔は家の中に床の間がある部屋がありました。
応接という、客が来たときだけ通す部屋ですね。
子どもは入れるべからずの、要するに見栄部屋。
「立派なお家ですねぇー」とか言われ、
「いや、大したことはありません」と、決めゼリフを吐く部屋。
そんな床の間には大概、鯉が滝登りをしてる絵や、七福神が船に乗ってる絵など、
本当、どーでもいい掛け軸がブラ下がっていたもんです。
その前にね、ドーンとコレ、コレが意味不明に置いてあって、来客は誰ひとり
「コレ、何の意味があるんですか?」などとは聞かなかったもんです。

コレは“み”と、大きく将棋の駒に書かれて(彫られて)いますが、
本来は“馬”という文字が逆に書かれているものなのです。
“馬”という文字の反転ですね。
聞くところによると馬というものは左から乗るものらしいです。
深く考えたことなかったでしょ? 
だから左馬はノリノリ、縁起がいいということでした。
説明を聞いてももうひとつ、よくわかりませんが、
とにかく左馬の駒(といっても、巨大すぎて、これで将棋をさす人はいません)が、
床の間に置いてあったもんです。

僕はコレを山形の高校でトークショーをしたあと、生徒から手渡しされました。
ズシーンと重く、しかも“み” “うらじゅん”ですから本当、うれし過ぎて困りました。
このように伝統文化と呼ばれているものの中には
「いやげ物」が多分に含まれています。気をつけてください。

編集部より
というわけで今回はみうら所長からの寄稿でした。
来年も「いやげ物」はじめ、「ヌー銅」「世界遺産の店」「フィギュ和」の投稿を
たくさんお待ちしています。

募集は終了しました。たくさんのご応募ありがとうございました。

島を歩く、海と山が織りなす絶景

美しい景色の中、遍路道を歩く。

12月も後半。
あっという間に2013年という年も終わろうとしています。

「カフェのオープンはいつですか?」
と聞かれるたびに、
「2013年春の予定です」
「2013年夏の予定です」
「2013年秋の予定です」
と季節が変わっていき、とうとう2013年が使えなくなってしまう(笑)。
笑ってる場合ではない!
そろそろオープン日を決めて、それに向かって準備を進めていかねば。

という感じでやること満載な日々ですが、時には小豆島を楽しまなければと、
12月の上旬「小豆島女子へんろ」に参加して島を歩いてきました。
半年ごとに開催されている「小豆島女子へんろ」は、今回で5回目。
女性約30人とスタッフの方あわせて約40人でお遍路道を歩きます。

小豆島八十八ヶ所をすべてまわろうとすると、全行程約150km。
「小豆島女子へんろ」ではその行程を分けて、1日で約15〜20km歩きます。
今回のルートは、島の北東にある当浜(あてはま)という集落からスタートして、
ゴールは碁石山(ごいしざん)。
12月の少しひんやりとした、そして澄み渡った空気の中を歩きました。

約15kmの道のりを40人で列になって歩く。

小豆島八十八ヶ所のお寺や庵で、お経を唱え、参拝。

紅葉する山々。空気が澄み渡っていて本当に美しかった。

ずっと昔からこの場所にお寺があり、お遍路さんが来ていたんだなと感じさせる大木。

小豆島は、本当に海と山が近い。
「家島が見えるよー」と言いながら海沿いの道路を歩いていたかと思いきや、
今度はザ・遍路道といった感じの山道。
紅葉する木々はとても美しく、足元には落ち葉がいっぱい。
ひとりでは絶対に歩かないだろう道を、皆で列になって歩きます。

「家島がみえるよー」と撮影。

少し歩くだけで、豪快な自然の中に入り込んでいける。

赤や黄色が本当にきれいだった。

これだけ歩くとお腹も自然と減ります。
途中のお寺では、地元の方が、しぼりたてのオリーブオイルや
オリーブの新漬、みかんをお接待してくれました。
お昼ごはんは、地元うどん&地元醤油(ヤマロク醤油さんの生醤油)。

お接待のみかんやオリーブ。地元で採れたものばかり。

お昼ごはんは、地元のうどんに大根おろしとネギ、ヤマロク醤油さんの生醤油をぶっかけで。

この日のゴールは碁石山。
「常光寺奥之院 碁石山」の洞窟のような本堂で護摩祈祷。
そして海と山が織りなす夕暮れの瀬戸内海の風景。
なんとも言えない満たされた気持ちになる。

「常光寺奥之院 碁石山」から眺める内海湾。ここはほんとに絶景。

崖の上に建つ波切不動明王のまわりを3回まわると願いが叶うらしい。

お遍路という昔からの習わしがいまもずっと続いている島。
少し歩くだけで、豪快な自然の中に入り込んでいける島。
そしてさらに、おいしい食べものが自分たちの手で作られている島。

本当に豊かな島だなと改めて感じた1日でした。

地元の皆で音楽を楽しむ時間

私たちのカフェが、ライブ会場に。

ある日、一本の電話がかかってきました。
なんでも、ご実家が小豆島で、
高知でライブをした帰りに小豆島に寄るんだけど、
楽器を持っていくのでよければ演奏したい! とのこと。
私たちのことは、このコロカルの連載で知ったそう。

うーん、まだお店完成してないし、他にもやることたくさんあるし、どうしようか。
と、迷いましたが、やっぱりそういうご縁は大事にしたいと思い、
うちで小さな音楽会を開くことになりました。

演奏をしてくださったのは、「クジララ」さんという3人の音楽家の皆さん。
うたとバイオリンとマリンバ。
いろいろ話をしていくうちに、私たちが去年まで暮らしていた
名古屋をメインに活動されているそうで、
マリンバの近藤さんと私は同じ幼稚園だったとか、
どんどん面白い繋がりがわかってきました。
ほんとにご縁というのは不思議なものですね。

さて、音楽会をやっても誰も来てくれないと寂しいので、
島で暮らす人たちにお知らせしなければ。
私たちのカフェは20席くらいの大きさ。
30人が限度かなと思いながら、なるべく地元の方々に来てもらいたいと思い、
ご近所さんや娘の幼稚園のお友だちにチラシを配り、
あとはFacebookでお知らせしました。

ご近所さんに配布したチラシとメニュー。

カフェ厨房。急きょ、友人にも手伝ってもらって。

庭にもテーブルを用意。12月ですが、太陽の光が暖かい。

全然人が来てくれなかったらどうしようと不安でしたが、
当日は12時のオープンに合わせて、近所のおばあちゃんや
幼稚園のお友だち、島の友人たちがわらわらとやって来てくれました。
お天気も最高で、玄関の窓を開け放ち、
演奏するクジララさんのバックには紅葉する山々が。
やまびこが返ってきそうなそんな雰囲気でした。

ボーカルのHIKARUさんと子どもたち。紅葉する山々を背景に。

いろは(娘)の幼稚園のお友だちも。

思ったよりもずっと大きかったマリンバ。ご近所中に響きわたってました。

狭い店内を歩きまわりながら演奏。バイオリンの黒田かなでさん。

地元の皆で生の音楽を楽しむ、それはとても素敵な時間だなと改めて思いました。
島では、音楽を楽しむことはできないと思いきや、
こんなふうにしてあちこちで小さなライブが開かれていて、
実は名古屋で暮らしている時よりも、生の音楽に触れる機会が増えました。
そして何より、おっちゃんおばちゃんの世代、私たち30~40代世代、
子どもたち世代、いろんな世代が一緒に楽しめるのがいいなと。

ご近所さんも遊びに来てくれました。

演奏に合わせて大きな声で。ほんとに楽しそう。

おいしいごはんを食べながら音楽を楽しむ時間。
そんな機会がこれからもたくさん作れるといいなと思います。

クジララさん、お手伝いしてくれた友人たちと。楽しい時間でした。

カピン珈琲

クリエイティブが生まれる原点としての珈琲。

カピン珈琲は、カフェを持たず、出張喫茶を中心に活動する夫婦のユニット。
各地の職人やアーティストとともにオリジナルの珈琲道具をデザインし、
出張先やウェブサイトで販売している。
山口だけでなく福岡や松本、東京などで約8年
そういった活動を続けてきたカピン珈琲が、「珈琲豆御渡所」というかたちで、
11月1日に山口市の自宅の隣に初めてのショップ「龜」をオープンした。

もともとは山口県宇部市を拠点に音楽イベントの企画などをしていた
亀谷靖之さんと妻の千晴さんが、自宅を設けるにあたり、
ひと目で気に入った日本家屋の平屋を見つけたのを機に、
2012年春より山口市に拠点を移して活動を始めた。

暖簾が掛かっているときは展覧会やイベントが開催されている目印。お蕎麦やさんのような白さが清々しい。

カピン珈琲として活動を始めたのは、ふたりが出会ってすぐの8年前。
萩市にある窯元・大屋窯の濱中史朗さんのアトリエで
喫茶をすることになったことが始まりだった。
そのために濱中さんがオリジナルの器をつくってくれたという。
それまでは個人的な趣味として焙煎をして飲むだけだったが、
そのことがきっかけで、日頃飲んでいる珈琲を記憶として残したいと思うようになった。
出張喫茶も、記憶として残すという意味で思いついた形式だ。

「珈琲はいまや日常の節目に句読点的な感じで飲まれていますが、
遡るとイギリスで流行ったコーヒー・ハウスでは、政治や文化が育まれていました。
自分も珈琲をクリエイティブなことが生まれる原点として追求してみたいと思い、
珈琲に絞って活動しています。
味を楽しむだけでなく、さらにおいしく飲むために、
空間や音楽など、五感で楽しむ方法を、自分なりのフィルターを通して
紹介していきたいという想いがあります」(靖之さん)

萩市にある大屋窯の濱中史朗さんの工房での出張喫茶の様子。じっくりと珈琲を淹れる靖之さんの後ろで千晴さんがちゃきちゃきと現場を切り盛りをする。

「カピン珈琲」とは、ポルトガル語の
「黄金の草」(カピン・ドゥラード Capim Dourado)に由来し、
亀谷という名字の「亀」を意識し、Capimの最後にeをつけている。
シンボルマークは、両手で珈琲に向き合えるように取手を敢えてなくした
カピン珈琲オリジナルの器(ボル)を、珈琲豆で形どったもの。
ボルのほか、ドリップポット、砂糖入れ、ミルクピッチャーなど
珈琲を抽出する道具から器まで、珈琲に関わるさまざまな道具は、
濱中さんをはじめとする各地の作家と一緒に開発し、販売している。
毎日使うものだからシンプルで飽きのこないものをつくりたいという想いから、
経年美が期待でき、機能美を兼ね備えたものを
納得がいくまで時間をかけてつくっている。
開発中のメジャースプーンは2年越しでようやく完成するという。

抽出する道具はすべてオリジナル。

ボル、シュガーポットなどは濱中史朗さんによるもの。珈琲のお供には、島根の津和野にある老舗和菓子処「三松堂」による羊羹をオリジナルでパッケージングしている。

そのように自分たちは器や道具を提案するブランドとして
活動しているというスタンスから、カフェを持たない方針でやってきた。
それは「それぞれの人が家をカフェのように楽しんでほしい」
という想いがあったからだ。
「かつてのカフェブームはインテリアを楽しむ要素も大きかったのではないか」
と靖之さんは語る。部屋もカフェ並みにこだわる人が増えてきたなかで、
自分の空間でそういった時間を楽しむ人も増えてきた。
エスプレッソではなくドリップにこだわったのもそれが理由だ。
淹れる道具が高価なエスプレッソは外で、
自宅では自分がカフェのマスターになった感覚で
気軽にドリップし珈琲の時間を楽しむ。そんな使い分けができるのではと考え、
豆や道具を提案するスタンスを保ち続けてきた。

豆はイエメンやブラジル、コロンビアなどの在来のものを使い、
大量につくられているものがたくさんあるなかで、手のこんだものをセレクトしている。
試行錯誤の末たどり着いた独自の焙煎方法は、
天気や湿度、室温を見ながら靖之さんだけが担当する。
品質が良いことは当たり前。
シンプルに、冷めても飲めるものかどうか、常においしく飲めるかどうか。
あとは嗜好品なので好きか嫌いかで自由に選んでもらえばいいという考え方だ。
ただ「素材が良くないとそれ以上においしく飲むことはできないので、
まずはいい豆がちゃんと焙煎されているか、次に淹れ方」(靖之さん)

「私はゼロから何かを生み出すのは少し苦手だけれど、何かきっかけをもらって、具体的につくる方法を見つけるのが好きなタイプ」(千晴さん)

実は靖之さんと出会った頃は珈琲が嫌いだった千晴さん。
「まったく興味がないからこそ、言われたことを受け止めて、
喧嘩せずにいいアイデアが出し合えると思った」と話す。
そしていろいろと試していくなかで、自分の体に合うものや、
必要な条件が整っていれば飲めるということがわかってきて、
「洗脳されたのかな」と笑う。

ふたりのものづくりの役割分担は、
アイデアを出して、構成や監修をするのは靖之さん、
イラストや図面に起こすのは工学部でデザインを学んでいた千晴さんと、
はっきりしている。
珈琲においても、焙煎、ドリップ以外のすべて、豆の状態のチェックから、
出張喫茶の荷作り、接客、片づけまでを千晴さんが受け持つ。

カフェでもスタンドでもない、珈琲文化を育む空間。

そんなカピン珈琲が山口市に移ったという噂を聞きつけ、
豆を直接買いたいと家を訪れる人が増えてきた。
それを受けて、自宅に隣接していたトタン張りの物置小屋だった場所を改装し、
カフェではなく、珈琲豆を取りに来てくれる場所を設けようと考えた。
最初に考えたのは、タバコ屋のようなスタイル。それが発展し
「茶室のようにプロセスが詰まった小さな空間に入る体験自体を楽しんでもらえたら、
わざわざ取りにきてもらう楽しみができるのでは」(靖之さん)と考えた。
いちばんこだわった入口は、茶室のにじり口のように頭を下げて入るようになっていて、
2、3歩先を曲がったところでようやくカウンターが見えてくる。

約4畳の空間で狭いなりの心地よさを表現した。カウンターは移動式でイベントに応じて前に出すことができるようになっている。

自宅の改装をお願いした建築家の石丸和広さんに相談し完成した模型。

構想は1年前頃から始めた。
道具同様、素材にこだわり、経年美を大切にしたいので
風化が味になる土壁にしたいと考えた。
下関市の安養寺に建てられた、隈研吾設計による阿弥陀如来像収蔵施設の
土壁を担当した福田靖さんという左官屋さんを紹介してもらい、
土壁のタイルからオリジナルのものを一緒につくった。
サンプルをつくってもらい、日数を経た変化なども踏まえ、
土とモルタルの配合を決めた。
入口のドアを銅にしたのも風化を念頭にしている。

自宅の改装を格闘しながら完成させた妻の千晴さんが職人さんとやり取りし、靖之さんがチェックしながら4畳ほどの御渡所が完成した。

隣接する建物がない土地にポツンと立つ亀谷さんの自宅。
暖簾をくぐって中に入り、和室を脇に見ながら廊下を抜けると、
右手にみごとな吹き抜けの空間が広がる。
半年ほどかけて改装されたモダンなリビングスペースは
修道院をイメージして白を基調としており、珈琲豆御渡所「龜」のオープンを機に、
これからは時にギャラリー空間にも生まれ変わる。

第一回目の展覧会は、東京・元麻布の「さる山」を主宰する
猿山修さんによるオリジナルの食器やカトラリーなどを中心とした
「猿山修展」が開催された(11月1日〜17日)。
オープニングには福岡のビストロ「mi:courier」を迎え、
濱中さんの器を使ってパーティーが開かれた。
ギャラリーに限らず、生活する空間でもあり、アトリエ空間でもある、
多目的な空間として運用していく予定だ。

「猿山修展」の様子。普段はリビングスペースとは思えないほど、凛とした空間。

11月2日に開かれたオープニングパーティーの様子。濱中さんの器に素材にこだわった料理が並ぶ。

「龜」でも、ただモノを売り買いする場所ではなく、
例えばパンや音楽など、自分たちでは扱っていないけれど
さらに珈琲を楽しめる要素を体験できる場所にしていきたいという。
「豊かな自然と食が楽しめる山口に、少しずつカルチャーの要素を足していきたい」
と、靖之さん。
ただ、お店ができたからといってそこに来てもらえば完成ではなく、
お客さんが持ち帰った豆を抽出して飲んでもらって
初めて完成するというスタンスは変わっていない。

「住みながら完成に近づけていくつもり」(靖之さん)という亀谷家は、
一年半が経ったいまでも、部屋の延長として庭に敷石が加えられたり、
訪れるたびに手づくりの家具が増えていたり、
亀谷夫妻の生活を豊かにする試みはとどまることを知らない。
珈琲豆御渡所「龜」は、カフェでもスタンドでもないあり方で
珈琲文化を豊かにするための提案だ。

外にドリップポットが掛かっていたら、御渡所のオープンの合図。

種から作ったジンジャーエール

自分たちの手で作る楽しさ。

移住して1年、農業を始めて1年。
いよいよ2シーズン目の植え付けが始まりました。
少し遅くなってしまいましたが、いまは玉ねぎの苗をひたすら植えています。
2000本くらいの小さな玉ねぎの苗を地道に1本1本。

いろは(娘)も玉ねぎの植え付けの準備を手伝い。

1本1本地道に玉ねぎの苗を定植。春の収穫をイメージしながら。

去年の秋から1年かけて何種類かの野菜を作ってきました。
四葉きゅうりや赤オクラ、そら豆、じゃがいも、ベニー人参、いんげん豆、生姜……。
うまく収穫できたもの、虫にやられて全滅してしまったもの、
水不足で枯れてしまったもの、どの野菜にもストーリーがあって、
たった1年なのに写真を見返すとすでに懐かしい(笑)。

そんな野菜の中でも手間をかけて育ててきたのが「生姜」。
寒い冬、体の中から温めてくれる生姜。
これを自分たちの手で作りたいなと思い、とにかく作ってみよう! と栽培。
そもそも生姜ってどんなふうに育つのか何も知らない状態からのスタート。

生姜を植える畑の土作りから。
4月、冬の間に作っておいた堆肥を混ぜ込み、その後、畝立て。
マルチをかけて、種生姜約400個を植え付けていきました。

そして6月に入ってようやく芽が出てきました。
喜んだのもつかの間、今年はほんとに空梅雨だったので、夏の間は毎日水やり。
そして雨は降らなくとも雑草はもりもり育つので、草抜き。
ほんとはもっともっと手入れしてあげなきゃいけなかったんだろうけど、
できるところまで手入れ。

今年6月。やっと生姜の芽がでたけど、雨が全然降らず早朝水やりが日課でした。

今年9月。生姜の葉っぱです。暑さも落ち着きもうすぐ収穫。

この茎の下に生姜が埋まってます。

9月中旬、試し掘り。まだまだ小さかった。もう少し待つことに。

暑さも落ち着いた9月中旬、試し掘り。
できてる! できてる!
もう少し大きくなるまで待って、本格的な収穫は11月に入ってから。
大きいの小さいの、さまざまでしたが、収穫まではなんとか終了。

そしていま、そうやって自分たちの手で種から育てた生姜を使って、
ジンジャーシロップ作りをしています。
ジンジャーシロップを炭酸で割ればジンジャーエール、
紅茶に入れればジンジャーティー。
そもそもジンジャーエールが生姜でできてるってことを知ったのも数年前。
完成品しか知らず、何でできているのか、どうやって作るのかなんて
昔はあまり考えなかったのに、ここ最近は自分で作ることが楽しいし、
なるべくそうしている。

収穫した生姜。いい香りがします。

小さいサイズを使ってジンジャーシロップ作り。きれいに洗ってこれからスライス。

きび砂糖をまぶして、生姜から水分を出します。

シナモンやカルダモンなどのスパイスと一緒にぐつぐつ煮る。

ジンジャーシロップの完成。何度か作ってHOMEMAKERSの味を作りたい。

炭酸で割ってレモンと生姜のスライスを入れれば、オリジナルのジンジャーエール。

手間もかかるし、生姜については保管をどうするかという大きな課題もある。
ただ、こうやってひとつずつ自分たちの手で生み出し、
ゆくゆくは商品として販売したいなという野望もある(笑)。
まだまだ挑戦の日々です。

「小豆島の顔」プロジェクトが残したもの

1年かけたプロジェクトを振り返って。

瀬戸内国際芸術祭(以下、瀬戸芸)が終わって1か月。
すっかりいつもの静かな肥土山(ひとやま)で、
先週末「わらアート」と「小豆島の顔」の撤収作業が行われました。

いつもの静かな肥土山の田園。

撤収作業中の「わらアート」。瀬戸芸期間中は、ここをわらわらと人が歩いていました。

「小豆島の顔」の撤収作業。温かい秋の陽射し。

「小豆島の顔」は、小豆島で暮らす60代以上のおっちゃんおばちゃんの
顔写真を撮影・展示するプロジェクト。
写真家のMOTOKOさんと島の友人たち、行政の方、
そしておっちゃんおばちゃんたちと一緒に取り組みました。
夏の間に撮影し、瀬戸芸秋会期のタイミングに合わせて
馬木(うまき)・肥土山の2地区で展示。
それぞれの地区の瀬戸芸作品とあわせて、たくさんの人たちが訪れてくれました。

そしていよいよ撤収作業。
地元の友人たち、おっちゃんたちと一緒に。

肥土山地区の展示は肥土山離宮農村歌舞伎舞台横の建物の壁に。ここで1か月半展示していました。

撤収作業スタート。あっという間に終了。

観光客の人たちに説明。瀬戸芸後もちらほらと観光客がやってきます。

このプロジェクトを通して学んだことはとても多かったけど、
とにかくいろいろな人を巻き込んで一緒にやることのパワーをまざまざと感じた。
自分たちだけでできることは限られてる。
私たち家族だけでは、時間がかかり過ぎるし、技術も道具もほとんどない。

撤収作業ひとつにしても、友人たちが手伝いにきてくれて、
2時間くらいであっという間に終わってしまった。
いろんな知識や技術をもった仲間がいるのはほんとに心強い。

みんなで一服しようと10人分のコーヒーを持って。

撤収作業後、コーヒーを飲みながらいろいろと。

企画から1年くらいかけて取り組んできた「小豆島の顔」プロジェクト。
地元のおっちゃんおばちゃんたちへどうお願いするか、
撮影や展示場所の手配・調整、行政との関わり方、予算の集め方など
初めてのことだらけで、何度も行ったり来たりだった。
けれどこの過程を経て、いろいろな世代、職種の人たちがいる地域で
何かをするというのがどんなことなのかを身をもって学び、
それぞれの人との繋がりが深くなった。
展示は終わったけれど、今回得た経験、地域の人、行政の人、
島の友人、外の人との繋がりは、これからも残り続け、
島で暮らしていくうえでなくてはならないもののような気がします。

大きく印刷された顔写真は、本人の自宅や集会所へ。
そして、今回の写真を収めたプロジェクトブックは、行政や自治会へ。
ちなみにHOMEMAKERSのお店にも置いてあります。

「小豆島の顔」のポスターにもなったたけっちゃん。ご本人の写真とともに。

「小豆島の顔」のプロジェクトブック。HOMEMAKERSで読めます。

瀬戸芸も「小豆島の顔」プロジェクトも終わり、
またいつもの冬を迎えようとしている静かな小豆島。
でも実は、新たなプロジェクトがあちこちで動き出そうとしています。
楽しみ楽しみ。

「世界文化遺産の店」 結果発表第8弾

この世はわからないことだらけ。

すっかり寒くなってきましたが、フィールドワークの際は
風邪などひかないように気をつけたいですね。
今回もみなさんから寄せられた、謎に満ちた世界遺産の店をご紹介します。
所長のコメントと併せてどうぞ。

たかゆきさんの投稿
儲けたいのかそうでないのか理解に苦しむ、まったくもって曖昧な店名です。
撮影場所:大阪市淀川区

みうら:わざわざルビまで振って読ませる意味がどこにあるのだろう。

ライレイさんの投稿
文化の薫りが漂っています!?
それにしても鼻が長い。
撮影場所:金沢市

みうら:わざわざアーチ状のスペースにするのがわからない。
もっと天狗がスッキリ入るスペースがあったはずだと思うから。

julieさんの投稿
店名も気になりますが、そもそも何の店なのか、
営業しているのかしていないのか、一切が謎です。
撮影場所:埼玉県東松山市

みうら:四次元ポケットといいながらも“?”。
たぶん店の人もよくわかってないのだろう。

yotecoさんの投稿
服とふくをかけたのか。
撮影場所:福岡県北九州市

みうら:服とふく。なるほどなぁ……って、意味わかんない。

ピース生活さんの投稿
わかり易いが、雑すぎる。
撮影場所:東京都小平市

みうら:アントニオ猪木の「ダーッ」にも読めるが。

ひでさんの投稿
バリエーションがあるようで、無いです。心配です。
撮影場所:大阪市中崎町

みうら:ヘアというと、アンダーの意味にもとられがち。

ゆみなっつさんの投稿
宝くじが当たったのかどうかは確認できていません。
撮影場所:北海道留萌市

みうら:当然、この三億は1968年に起こった
三億円強奪事件からきているものであろうが、
円を園にした茶目っ気が店のオヤジの特徴なのだ。

つつみさんの投稿
ここの村役場と町役場の違いが気になっています。
撮影場所:東京都台東区

みうら:町村が合併する日も近いはずだ。

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みうら所長より
止める人がいなかったのか? って、ことだと思う。そこが重要。
いまの“ゆるキャラ”は、企画段階からたくさんの人が関わっている。
広告代理店に丸投げする場合もあるだろうが、
町や村の人が集って、“どうすれば人気キャラが生み出せるか?”について
連日、語り合っているに違いない。何せ当たるとデカいから。
そうなると町や村のアピールよりも、
キャラがカワイくて、みんなに愛されることが主題となって、
特産品や名物といった要素はなるべく少なくしたほうがいいってことになる。
かつては、“コレ、誰か止める人がいなかったんだろうか?”って、
他人事ながら心配になるキャラや、まちの看板をよく目にした。
当然、止める人がいなかったんだろうか? という店はつぶれることが多く、
その看板だけがポツンと残されてさらに不安感を煽る。

この世の中には“自称・おもしろ”といわれる人がいて、
比較ではなくずっと自分が面白いと信じてらっしゃる。
面白かったら味はそこそこでもやっていけると思う輩である。
店を出す前、妻は一応止めたが聞く人ではない。
開店パーティは盛大だったが、集った人は“これで大丈夫なのか?”と、心配はした。
いまでいうとスナック「倍返し」とか、「お・も・て・な・し」といった具合の、
年内しかもちそうにないネーミング。
そーゆー人は飽きるのも早いから、コロコロ店名を替える。
もう止めたら? と、心配してくれる優しい人もいなくなって、
そして看板だけが残る。
他人の人生、何をしたって勝手だけど、止めてくれる人がいるうちが花だってこと、
肝に銘じたほうが賢明であると思う。

編集部より
看板だけが取り残され、ひっそりとたたずむ遺産たち。
そんな遺産にスポットを当てるべく、まちで見かけた世界遺産の店を送ってください。
いやげ物、ヌー銅、フィギュ和もお待ちしています!

募集は終了しました。たくさんのご応募ありがとうございました。

旬の野菜を食べる

季節を感じ、旬を食べる暮らし。

小豆島はすっかり冬空。
朝晴れていたのに、ふと気づくと空を覆う灰色の雲。
そして冷たい風。
ストーブとやかん、温かいコーヒーが恋しい季節がやってきます。

自然や畑と近い暮らしをしていると、季節の移り変わりに敏感になります。
紅葉し、緑から赤や黄色へ変わる山々。
柿やみかんがたわわに実る木々。
そんな風景が毎日身近にあるので、季節を感じずにはいられない。

紅葉する木々と肥土山(ひとやま)の集落。

柿はほんとにいたるところにあります。そして家の軒下には干し柿も。

みかん! ついつい食べたくなりますが我慢(笑)。

畑の野菜たちも冬の到来を教えてくれます。
夏秋と豊作だったナスは実が固くなり、
秋採りのキュウリの葉っぱは枯れてきてしまった。
先週急いで収穫したのが、サツマイモと生姜。
霜が降りてしまうと葉や茎が腐ってしまい、実も傷んでしまう。
急きょ島の友人たちが手伝いにきてくれて、皆で一気に収穫しました。

サツマイモの収穫。友人たちのおかげで一気に作業が進みました。

生姜の収穫をするたくちゃん(夫)といろは(娘)。生姜ってこんなふうになってます。

そして、新たに登場したのが夏にせっせと種をまいた秋冬野菜!
小松菜、チンゲン菜、赤軸ほうれん草、水菜などの葉物。
人参、かぶ、大根などの根菜類。
季節によってこんなにも畑の風景は変わるものなんだなと実感します。

色づく山々と畑。もう少ししたらじゃがいもの収穫。

大根! まっすぐ立派に育ちました。

赤軸ほうれん草。サラダで食べます。彩りもきれい。

黄色く色づき始めたレモン。

自分たちで畑をやるようになって、スーパーでほとんど野菜を買わなくなりました。
その時期に採れた野菜を使って料理を作る。
朝はサラダに、夜は炒めものやお味噌汁の具にしたり。
だからここ最近は毎日のように
サツマイモやいんげん豆がテーブルのどこかにいます(笑)。

スーパーでは一年中だいたい同じ野菜が並んでる。
冬なのにトマトやキュウリがあって、夏なのに大根が売られている。
都会で暮らしている時はそれが普通だったし、
なんとも思わずいつも同じような野菜を買っていました。
それはすごく便利なことだし、必要な場合もあると思う。
でも自分たちで畑をやるようになってから、トマトと大根が一緒に並んでいると、
なんとなく違和感を感じるようになった。
露地栽培の畑では同時に見られない風景だから。

おいしいお野菜とは?
旬の時期に育てた、採れたての野菜が一番おいしいと聞いたことがあります。
季節に素直に、旬のお野菜を食べる暮らしが体にも心にも心地いいのかなと。

赤大根家族(笑)。旬野菜のセットとしてお届けしました。

小松菜、マノアレタス、赤軸ほうれん草。ピチピチです。

ベビー人参。ポリポリ生で食べるのがとてもおいしい。

レモンは11月頃から色づきはじめ、暖かくなる頃まで。

秋の収穫祭、自分の手で収穫する

小豆島の豊かな恵みに感謝して。

11月、小豆島ではあちこちで収穫祭が開かれています。
先週末も、地元地区の収穫祭とオリーブの収穫祭がありました。

そもそも収穫祭ってなんで秋なんでしょ。
野菜は春、夏、秋、冬とそれぞれの作物が収穫できます。
「夏の収穫祭」とかでもできそうだけど。
でもやっぱり「秋の収穫祭」なのは、お米が日本人の食のベースだからなのかな。
今年もおいしいお米が収穫できたことを感謝し、皆で楽しむお祭り。

「おおぬで村の収穫祭」新米やみかんなど地元で収穫されたおいしいものがずらっと並ぶ。

新米おにぎり。婦人会のおばちゃんたちがにぎってくれます。

今年収穫したもち米でお餅つき。

皆で輪になって「瀬戸内踊り」を踊ります。

私たちの暮らす肥土山(ひとやま)でも、先日収穫祭が行われました。
「おおぬで村の収穫祭」は去年から始まって今年で2回目。
地元の「大鐸(おおぬで)地区村里づくりを進める会」というグループと
JA(農業協同組合)が主催のイベント。
大鐸というのは、肥土山地区も含んだもう少し広い地区の名前。

とにかく豊か!
今年の秋に収穫したお米、10月から収穫が始まったみかん、
キャベツや白菜、かぶなどのお野菜、そしてお素麺。
この地区で作られたものがずらっと並びます。
そしてお昼ごはんは、新米おにぎりと豚汁が無料で振る舞われます。
この豚汁がまたおいしくて、お味噌も地元のおばちゃんたちが作っているのですが、
いつか私もこの味噌を作れるようになりたいと思っています。

去年引っ越してすぐにこの収穫祭に参加した時、
「来年は提供する側で参加したい」と思っていたのが実現し、
今年は私たちも収穫したお野菜を販売しました。
いんげん豆、マノアレタス、ベビーニンジン、生姜、サツマイモなど。
お野菜とあわせて温かいコーヒーも!

HOMEMAKERSとしてお野菜を販売。

地元のおばちゃんたちがコーヒーを飲んでいってくれました。

そして、もうひとつの収穫祭。「オリーブの収穫祭」です。
秋になると、栗、柿、みかんなど景色の中においしいものがいっぱいですが、
小豆島ならではのものがオリーブ。
オリーブは、春に花が咲き、夏頃から黄緑色の実が大きくなり、この時期に熟して
赤、紫、黒など、葡萄のようなチェリーのような、そんな色になります。
10月頃から小豆島のあちこちのオリーブ畑で収穫が始まり、収穫祭が開催されています。

先週末、イズライフさんの「イズライフ秋のオリーブ大収穫祭」へ。
収穫祭にもいろいろありますが、イズライフさんの収穫祭は
祭りというか本格的な収穫のお手伝い(笑)。
オリーブ畑に行って、ひたすら収穫します。

イズライフのオリーブ農園。熟した紫色になったオリーブの実。

子どもたちも一緒にオリーブ収穫。実を摘むのは楽しい。

たくちゃん(夫)は脚立で高いところにある実を収穫。収穫祭というか労働(笑)。

手摘みしたオリーブの実。とにかくひたすら収穫。

収穫したオリーブの実100kgからオリーブオイル10kg。
一粒一粒、手摘みで収穫する作業は本当に時間がかかります。
そして、収穫したオリーブを選別。手間のかかる作業ですが、
この作業を経て、おいしいオリーブオイルができ上がります。

収穫後は倉庫でオリーブの実の選別。

とてもおいしそうなチョコボールに見えてくる(笑)。しかし危険! オリーブの実はそのまま食べると耐え難いほど苦いらしい。

小豆島は、「食」や「農」が生活のすぐ近くにある。
食べているものが、誰がどんなふうに作っているのかわかるものが多い。
これはすごく幸せで豊かなことなんだろうなと思います。

イズライフさんのオリーブ収穫祭は、11月24日(日)25日(月)も開催されます。
自分の手で収穫する収穫祭、最高です!

金沢21世紀美術館「島袋道浩:能登」

能登で出会った人、見つけたもの。

金沢21世紀美術館で開催中の「島袋道浩:能登」。
若者たちがアーティストとの共同制作を通じ、
社会参加や文化活動をしていくことを目的に同美術館が行っている
「金沢若者夢チャレンジ・アートプログラム」の第7弾で、
今年4月27日から来年3月2日までの約1年間の長期プログラム。
18歳から39歳までの男女を募集し、今回は25名がメンバーとして参加。
島袋(しまぶく)道浩さんとメンバーたちのこれまでの活動を集約した後期展示が、
9月28日から行われている。

島袋さんは、世界中を旅しながら、そこで出会った人やものをきっかけにして
作品を制作してきたアーティスト。
その島袋さんが今回のプログラムを主導するにあたり選んだテーマは「能登」。
以前から能登に関心があったという島袋さんの興味の入り口は「くちこ」だったという。
くちことはなまこの卵巣を干した珍味で、能登の特産品。
「こんな変わったものをつくる人がいる能登という場所は、きっと面白いだろうと思った」
という島袋さんの予想は、まさに的中したということが、展示から伝わってくる。

くちこは滑りやすく、翌日、全部下に落ちてしまっていることもあるそう。くちこ職人の森川仁久郎さんいわく「くちこづくりは地球との戦いだ」(撮影:島袋道浩)

島袋さんは昨年11月から何度か能登をリサーチで訪れ、
4月からはメンバーも一緒に能登でさまざまなことを見聞きし、体験してきた。
そのひとつが「間垣(まがき)」の制作。
間垣とは、日本海から吹きつける強風と塩害から家を守るため、
竹をびっしりと並べた垣根。
能登の冬の風物詩で、間垣が家の壁に沿って長く続いている光景は壮観。
実際には寒くなる11月頃からつくられるそうだが、
メンバーたちは4月に輪島市の大沢と上大沢に間垣を見学に行き、
毎年間垣をつくっている「田中屋旅館」の方の協力を得て、
この間垣を美術館の中に再現。
金沢市内で竹を採取するところから始まり、
つくり方を教わりながら実寸の間垣を展示室に制作した。

現在では、間垣をつくっている家はそう多くはない。
というのも、高齢化して人手が足りず、つくるのが困難になっているのだ。
今回のことがきっかけで、つくり方を覚えたメンバーたちが、
実際の間垣づくりを手伝いに行くことができるかもしれない。
そうすれば能登の人たちも大助かりだろう。

展示室には立派な間垣が。《能登、大沢の田中さんと作った間垣》(撮影:斎城卓)

展示室には、島袋さんが能登に興味を持つきっかけとなったくちこも展示されている。
これをつくったのは、くちこ職人の森川仁久郎さん。
薄い三角形のくちこ1枚をつくるのに、なまこが100匹も必要になることもあるという。
非常に手間と時間がかかるくちこづくりについて、
美術館に森川さんを招いてのトークも行われた。
くちこづくりは決まって2月と3月に行われ、メンバーたちは来年、
森川さんのところでくちこづくりに挑戦する予定だ。

くちこづくりが限られた時期にしかできないのなら、
森川さんはそれ以外はどうしているのだろう。
そんな島袋さんの問いに対する森川さんの答えは「鉄をつくる」。
くちこをつくる人がなぜ鉄をつくるのか、
そもそも鉄という素材そのものをつくるとはどういうことだろう? 
島袋さんは好奇心を抑えられず、森川さんに鉄づくりも教えてもらうことに。

メンバーとともに4回ほど森川さんの作業場を訪れ、鉄づくりに挑戦。
鉄分の含まれた土を集めて蒸し焼きにし、
森川さんいわく「鉄を絞る」という工程を経て鉄をつくっていく。
手間と時間のわりに、できるのはほんのわずかだったり、
失敗してできないこともある。
そもそも、このやり方が正統なのかどうかわからないが、
そんなことは構わないと島袋さんは思っている。
「本に載っていないことを、こういう人に口とからだで教えてもらうことが面白い。
森川さんみたいな人に出会うことが作品みたいなことかなと思っています」

森川さんの自宅作業場を訪れた《鉄をつくる》制作風景。

展示室には実際に森川さんとの鉄づくりに使った道具が並べられ、その工程が紹介されている。《鉄をつくる》(撮影:島袋道浩)

そのほかメンバーは、能登の奇祭を撮り続けている写真家、
渋谷利雄さんに話を聞き「あばれ祭り」などの祭りを見学したり、
豊作を祈る「ゾンベラ祭り」に使われる、稲を模した松の葉の束を制作するなど、
ワークショップやツアーを通して、能登に触れていった。

展示ではこのほかにも、かねてから島袋さんと交流のある
音楽家の小杉武久さんが、能登で身近な道具を使って
音を奏でる様子をとらえた映像も展示されている。
「小杉さんを能登に連れて行きたかった。まだ出会えていないものを出会わせて、
そこでどういう化学反応が起きるのか興味がありました」
という島袋さんによる、絶妙なキュレーションだ。

2月に行われる「ゾンベラ祭り」の様子。田植えを模して豊作を祈願する。(撮影:島袋道浩)

金沢と能登をつなぐ。

今回の展示は料理のようだ、と島袋さん。
「能登の素材を使ってフルコースをつくるような感じ。
目で食べる、お寿司の盛り合わせをつくったと思っています」
その言葉どおり、島袋さんは能登にあるものにほとんど手を加えず、
素材そのものをいかした展示になっている。
ただその料理は、アーティストの視点が隠し味となっている。

「アーティストってツーリストガイドみたいなところがあると思っています。
面白いものやきれいな場所を知っていて、
それが人に見えるように角度を変えてあげたり、
そこに人が行けるように橋を架けてあげる。そういう仕事かなと思うんです」

能登半島を横断するのには1時間もかからないが、
内海と外海では表情が違うのだそう。風景が違うと文化も違う。
能登の豊かな自然と、そこに生きる人たちの暮らしを肌身で感じた。
能登では自分でものをつくるということが根底にある、と島袋さんは話す。
「都会に暮らしていると、なんでも買うことが基本。
それもひとつのライフスタイルだと思うけれど、能登の人たちは、
ないものは自分たちでつくるということが基本にある。それが面白い」

いろいろな出会いから作品が生まれていくという島袋さんのスタイルは、
それが「楽しいから」そうなったという。
「自分がすでにできることをより研ぎすまして見せるというよりは、
自分が行きたいところに行って、新しいことを習ったり、
知らないものを見たい。そしてそれを人と共有したいんです」

金沢と能登ではもともと藩が違うので、同じ石川県でも地域性が異なる。
金沢の人もあまり能登に行かないが、能登の人も金沢にはあまり来ないようだ。
だが今回の後期展示のオープニングには、能登からたくさんの人が駆けつけた。
展示に協力してくれた人、島袋さんが能登で出会って仲良くなった人。
そんな人たちが集まるということが、この展覧会の本質を物語っているようだ。

海の中にプールがつくってあるのを発見。海のプールとはユニーク。(撮影:島袋道浩)

プロジェクトメンバーの高出真妃さんは、
過去にも2度「金沢若者夢チャレンジ・アートプログラム」に参加し、
楽しみながら自分が成長できたと感じて今回もメンバーに。
金沢市在住だが、父親の実家が能登で、
親近感はあるものの、よく知らない土地だったという。
「いままではお盆の時期に行く程度でしたが、
能登でもいろいろなところがあるんだと知って面白いです。
あばれ祭りもまた行ってみたいと思いました」と話す。

夫婦で参加している勝島隆史さん、則子さんは富山市在住。
もともと能登に興味があり、ときどき訪れていた。
島袋さんの作品にも関心があったので、このプログラムを知ったときには
「これは参加するしかない」と思ったそうだ。
「奥能登には人があまりいなくて、けばけばしい商業施設とか嫌なものがないんです。
何もないから、すごくいい風景があったりする」と則子さん。
則子さんは新潟県出身だが、結婚し富山で暮らすようになってからは、
毎年夫婦で能登に泳ぎに行ったりしていたそう。

また会場で展示されている、いまでは珍しい一升瓶の蛸壺は、
勝島さん夫妻がもらってきたもの。
能登には規模の小さいところも含めると漁港が100か所くらいあるが、
ほぼ全部をまわって、いろいろな蛸壺を発見。
その素材はプラスチックや長靴、瓦など、地域というより、
つくる人によってさまざまだという。
そんな蛸壺探索は、プログラムとは別の「自主活動」。
行く先々で面白い人に出会ったり、変なものを見つけたりするのが
楽しくなってしまったそうだ。
「能登では暮らしの根本的な考え方が違うような気がします。
都市生活をしていると、自分で工夫して何かをつくりだすということが
あまりないけれど、能登ではいろいろなものを工夫してつくったりしている。
そういうところにも魅力があるのかなと思います」と隆史さん。

能登は七輪の一大産地。島袋さんとメンバーたちは、
能登を訪れるたび、能登の七輪で能登の魚介を焼き、浜辺などで食べた。
メンバーにとって忘れ難いそんな体験こそが、重要なのだと思えてくる。

今回のプログラムを担当する学芸員の鷲田めるろさんは、
最初は金沢で活動しようと考えていたが、島袋さんからの提案があり、
金沢から少し離れた能登を舞台にするのも面白いと思ったと話す。
「大阪から参加している人もいますが、メンバーはほぼ金沢と富山の人。
能登は行こうと思えばすぐ行ける距離なので、このプロジェクトが終わっても、
これがきっかけとなって、お世話になった人を訪ねたり、
メンバーが継続的に能登と関わりを持つようなことが生まれていくといいなと思います」

今後もプログラムは3月まで続いていく。
終了まで、美術館の内外でいろいろなことが起こりそうだ。

島袋さんとメンバー、見附島にて。

profile

MICHIHIRO SHIMABUKU
島袋道浩

1969年兵庫県神戸市生まれ。ベルリン在住。1990年代より世界中を旅しながら、そこに生きる人々やコミュニケーションに関するパフォーマンス、インスタレーション作品などを制作。国内外で多くのグループ展や国際展に参加している。金沢21世紀美術館では2009年、開館5周年記念展「愛についての100の物語」に出品。

information


map

SHIMABUKU:NOTO
島袋道浩:能登

2013年4月27日~2014年3月2日
会場 金沢21世紀美術館
撮影:島袋道浩
http://www.kanazawa21.jp/

田舎でカフェを開く

自宅の一部を、人が集まる場に。

3月から始まり、春、夏、秋と108日間開催された
瀬戸内国際芸術祭2013(以下、瀬戸芸)が先週閉幕しました。
私たちが暮らす肥土山(ひとやま)地区にも作品が展示されており、
普段は誰もいないバス停や田んぼのあぜ道にたくさんの人がいました。
瀬戸芸全体の来場者数は約107万人、小豆島には約19万人の方がみえたそうです。

私たちはというと、ここ数週間ずっとカフェオープンの準備をしながら
畑作業・野菜出荷といった感じ。
瀬戸芸も、結局小豆島以外の島には足を運べず、
島内の作品も半分くらいしか見れてない……。
本当はもう少し時間を作るべきだったのかもしれないけど、
いまは自分たちの暮らしを作っていくことで手一杯、
そしてそれが楽しくもあるので、そういう時期なのかなと。

カフェのエントランスから差し込む朝陽が毎日ほんとに美しい。

できたてのカウンター。カウンターの側板には、2階で使っていた床板を使用。

というわけで、私たちは小豆島の肥土山という田舎でカフェを開きます。
少し書き方を変えると、自宅の一部をカフェとして開きます。

小豆島に移住する前から、こっちに来たら
自宅を改修してカフェをやろうと決めていました。
美味しいコーヒーが飲めて、ゆっくり本が読める。
Wi-Fiを使えて、パソコンやiPadなどで仕事ができる。
子どももお絵描きをしたり、庭や畑で遊んだり、大人と一緒に過ごせる。
そんな場所を作りたいなと。

塗装完了した本棚。ここに建築や住まいに関する本、移住に関する本などを並べていきます。マンガも!

自宅のすぐ隣にある畑。ここでお野菜を収穫することもできます。

縁側に面する庭。季節のいい時期は、ここにテーブルを出して景色を楽しみながらお茶できるようにしたい。

カフェのエントランスからの風景。手前に柿の木、奥に肥土山の集落を眺めることができます。

そして、その場所で、自分たちが育てた野菜を使った料理をお出ししたい。
ついでに、採れたてのお野菜たちや自分たちで作った商品も販売できれば。

自分たちが育てた野菜で作った「自給率100%サラダ」2013秋バージョン。

爽やかで飲みやすい小豆島オリジナルブレンドコーヒーを名古屋郊外の「松本珈琲工房」さんと作りました。

とにかく人が集える場所を作りたいと思った。
だから、カフェをやりたいというより、
カフェはその結果としてのかたちなのかもしれない。

アサダワタルさんの『住み開き:家から始めるコミュニティ』という本に、

自宅の一部を、カフェだったり、図書館だったり、
ママたちの習いごとの場だったり、何かのワークショップをする場だったり、
そんなふうにして、人が集まる場として外に開くこと。
完全にパブリックな場とも違った、小さな公共。

とあるのですが、まさに私たちがやろうとしていることは
この「住み開き」なのかもしれません。
自宅の一部をカフェとして住み開く。
そこに美味しいものと、心地良い時間がある感じ。

厨房のすぐ隣が自宅リビング。子どもと近い距離で働きたい。

「かまど」は壊さずに残しました。ここでご飯を炊いたりできるかな。

厨房の設置には思ったより時間がかかりました。まだこれから棚などを取り付けます。

そしてここで、地域のおっちゃんたちとWebの勉強会をしたり、
旅行者と写真のワークショップをしたり、
友人たちといろいろな話をしたりして、
さまざまなコトが起きるといいなと思っています。

大工工事は終わり、厨房もやっと始動。
正式オープンはもう少し先になりそうですが、
クリスマス前には皆さまをお迎えできるかたちがなんとかできそうです。
小豆島ひとやまの農家カフェ「HOMEMAKERS」で、皆さまをお待ちしております。

柿の木の下を歩いて、石垣の手前を右に入ると「HOMEMAKERS」があります。

自宅前の道沿いは、みかんやイチジク、柿、サクランボなど果樹が豊か。

肥土山地区では11月23日(土)まで「わらアート」や「小豆島の顔」を展示しています。HOMEMAKERSから肥土山の集落をのんびり歩いて15分です。

47都道府県のワーストを アプリで解決(したい)! 第28回:福井

第28回:「日本一、台風と言えばコロッケな福井県!」

「台風と言えばコロッケ!!」
というキャッチコピーをご存知でしょうか?

2001年夏、匿名掲示板2ちゃんねるの台風の「上陸秒読み実況スレッド」で
「念のため、コロッケを16個買ってきました。 もう3個食べてしまいました。」

という書き込みをきっかけに、
台風=コロッケという方程式が、浸透していったようです。
スーパーで「台風と言えばコロッケ!!」
という誘い文句でコロッケを売るお店も出てきました。

「本日土用丑の日」という、平賀源内さんが江戸時代に考えて
今も使われている有名なキャッチコピーがありますが、
「台風と言えばコロッケ!!」も、
後世に残る言葉なのではないのかと予想しています。

ちなみに、日本一コロッケを消費する県は福井県です。
2010年の年間コロッケ消費量3075円。全国平均は、1960円。
ちなみに、この調査ですが、冷凍コロッケ代は含みません。

今回は、そんなコロッケ県である福井県のワーストを
とりあえず見てみましょう。

日本一薬局が少ない(2008)

日本一失業率が高い(2009)

日本一非正規雇用率が高い(2012)(2014.1.14訂正/本文末に追記)

日本一30代女子が結婚していない(2010)

日本一40代女子が結婚していない(2010)

日本一50代女子が結婚していない(2010)

日本一歯科診療所が少ない(2010)

日本一歯科医師が少ない(2006)

日本一ゴルフ場の数が少ない(2012)

日本一ズル休みの数が多い

日本一結婚して幸せだと思う人が少ない

日本一掃除が嫌いな人が多い

掃除嫌いと30・40・50代の未婚率の高さが気になります。
部屋が汚い人は、心も汚いのでしょうか。
私の身の回りの調査によると、デスクトップが散らかっている人は、
部屋も散らかっているという傾向はあるようです。

それでは、ワーストをアプリで解決しましょう。

歯医者さんを増やす「ハミガキス」

日本一歯科診療所が少ない。
日本一歯科医師が少ない。
それは、言いかえれば、虫歯が少ないということなので、
ワーストではないのかもしれません。

ですが、歯医者になりたいという人が減ってしまっては、
それが原因で、虫歯も増えていくかもしれないので、
やはり、歯科診療所や歯科医師を増やす対策が必要です。

そこで生まれたのが「ハミガキス」。

「まずは左上を磨きましょう♪」
「えんぴつをもつ手にして、ゴシゴシせずにね♪」

と、美人すぎる福井県の歯科衛生士、
福井愛さんが、歯を磨くアドバイスをしてくれます。
ちゃんと磨けると、さいごに、福井愛さんが
画面の向こうでキスをしてくれます。

このアプリが浸透すれば、富山県や石川県などからも、
わざわざ福井県の歯医者に来るはずです。

そうすれば、虫歯が増えることなく、
患者さんが増え、歯科診療所や歯科医師は増えていくでしょう。

おなじブランドを好きな人たちが集まる「ブランドカップル」

じつは、日本一高級ブランド好きの福井県。
その心理を利用して、30~50代の女性の婚姻率を上げるアプリ。
それが、「ブランドカップル」です。

好きなブランドを登録して、カブると、ブランドカップル成立。
おなじブランドが好きなら、気も合いますし、
サイフや名刺入れなどの小物もシェアできます。
これがあれば、福井県の結婚率もすこしは上がるかもしれません。

薬局を増やすアプリ「音楽薬局」

薬局を増やすためには、薬局の定義を変えればいい。
そこで考えたのが、音楽薬局です。

心理学的に、きっと誰かが証明していると思いますが、
音楽を聴くことで、気分はコントロールできます。
だから、CDショップやレコードショップを薬局と定義します。
福井県のユーザーひとりひとりが、音楽薬局をつくり、
失恋したときには、この曲をクスリにするといいですよと
音楽という名のクスリをプレイリストにします。
これで、福井県の薬局が増えます。

ちなみに、悲しい時に、楽しい音楽を聴くとよけい辛くなるらしいので、
悲しい時には、悲しい音楽を聴いたほうがいいそうです。

ちなみに、これに似たサービスがありました。
〈オンガクスリ〉あなたの心に効く音楽が、きっと見つかる。

Web版 http://ongakusuri.com/

Android版 https://play.google.com/store/apps/details?id=com.kayac.ongakusuri&hl=ja

iPhoneアプリも、近々出るようです。

……どさくさにまぎれて宣伝してすみません。
でも、けっこういいコンセプトじゃないですか?

次回は、晴れの国、岡山県。

最近、月給最大40万で「晴れ男・晴れ女」を募集して
話題にもなった岡山県。「桃太郎市に改名」というネタもありましたが、
次回は、岡山県のワーストを解決していきます。
それでは、またお会いしましょう! アディオス!

福井大仏くんの大仏訓

五十音順なら、福岡や福島よりも先に来る。

■お詫びと訂正

当初、ワーストの項目で
日本一失業率が高い(2009)、日本一非正規雇用率が高い(2012)
と表記しておりましたが、これは
「年間完全失業率47位」「非正規雇用率47位」
というデータを取り違えた誤りの表記です。

正しくは日本一失業率が低い(2009)
日本一非正規雇用率が低い(2012)ということになります。
福井県のみなさま、申し訳ありません!
お詫びして訂正いたします。

(参考リンク)

http://todo-ran.com/t/kiji/15855

http://todo-ran.com/t/kiji/11187

移住して1年、ここで築いた人との繋がり

生き方が大きく変わった、この1年。

去年の10月31日、私たちは神戸から夜行のジャンボフェリーに乗って
小豆島に引っ越してきました。
秋の終わりから始まり、また同じ季節。
気づけば、移住して1年です。

この1年は、ほんとにほんとにいろんなことが盛りだくさんだった。
そして、いままでの人生の中で生き方が一番大きく変わった1年。
まさにターニングポイントというやつです。

そもそも会社を辞めて、名古屋から小豆島に引っ越したというだけで、
人生の大きな転機。
暮らす場所も、働き方も、付き合う人も変わるわけで。
さらに、いまは小豆島自体も大きく変わろうとしている、そんな時期なんだと感じます。
瀬戸内国際芸術祭2013(以下、瀬戸芸)が開催され、
関連するイベントやワークショップが頻繁に行われ、
新しい商品やツアー企画が生み出されるなど、日々ワクワクすることであふれています。

偶然なのか必然なのか、このふたつの転機のタイミングが重なったことにより、
たくさんの出会いが生まれ、たくさんのコトが起こった1年でした。

旧山吉醤油母屋のお庭で開かれた「山吉邸お弁当の会 秋」

すごくおしゃれなお弁当のパッケージ。こういうのも勉強になる。

お弁当の食材には小豆島のものがたくさん使われています。HOMEMAKERSのお野菜も!

小豆島カタチラボを運営するgraf(グラフ)のみなさま。お弁当の会も彼らの企画。

小豆島に引っ越して増えたもの、それは、
1.人との出会い・繋がり
2.リアルなもののやりとり(贈り物や食べ物)
3.お金に直接繋がらない仕事(笑)

すごく大雑把ですが、都会から田舎に移住すると
そんなふうに環境が変わる人が多いんじゃないかな。
とにかく、人との出会い・繋がりが増えました。
今年は瀬戸芸が開催されていることもあり、島にはたくさんのアーティストや
クリエーター、カメラマン、料理人の方々が来ています。
外から来るそういう人々に出会う機会がたくさんあり、彼らと繋がることで、
面白いイベントやプロジェクトに関わることができ、すごく学ぶことが多かった。

この日も新しい出会いが。滋賀県から遊びに来てくれました。畑にて。(撮影:MOTOKO)

HOMEMAKERSのカフェ。11月オープンに向けて準備中。オープン前ですがコーヒーを飲みながら農業の話。

外部の人だけじゃなくて、もちろん地元の人との繋がりもたくさん生まれた。
とにかく、おっちゃん、おばちゃんたちはすごい!
知恵も技術も地元を動かす組織力もかなわないなと思う。

瀬戸芸アートもおっちゃんたちの技術とパワーでできあがっています。

瀬戸芸を見に来た方々に、自家製のところてんをふるまうおばちゃん。ここでも新たな出会いが生まれる。

今年私たちが取り組んだ、地域のおっちゃん、おばちゃんたちの
ポートレート写真を撮影・展示する「小豆島の顔」プロジェクトは、
まさにそうやって生まれた繋がりがあったからこそ実現できたんじゃないかと思う。
外部の人からの刺激、地元のおっちゃんおばちゃんのなんでも作れちゃうパワー、
そしてさらに行政の方々の丁寧なフォロー。
きちんと繋がりがあるからこそ、地元の若者(私たち)が
ワイワイと新しいことをやらせてもらえる。
そういう繋がりが、1年かけてやっとできてきたんじゃないかなと思う。

大阪のgrafさん、地元のおっちゃんたちと乾杯。小豆島の顔プロジェクトやこれからのことなど話はつきない。(撮影:MOTOKO)

小豆島は、瀬戸芸というお祭りが終わって一旦少し静かになると思います。
まだ動き始めたばかりの小豆島。
各地で築かれた繋がりをベースに、きっと面白いことが
どんどん起こっていくんじゃないかな。

YCAM10周年記念祭 第二期 現場レポート

山口情報芸術センター、通称「YCAM(ワイカム)」の
10周年記念祭の第二期が、11月1日より開催。
YCAMスタッフの田中みゆきさんによる現場レポートをお届けします。

長い時間をかけ、新しい表現として昇華した作品。

坂本龍一さんをアーティスティックディレクターに迎え、
<アート><環境><ライフ>をキーワードに展開してきた10周年記念祭。
館内だけでなくまちなかにも展開し、ツアーパフォーマンスや爆音上映会など
イベントも盛りだくさんだった賑やかな夏の第一期から、
第二期は坂本龍一さんの作品を中心に厳かなムードで開催される。
坂本さんは2年前の冬から定期的に山口を訪れ、10周年のプレイベントとして
地元の小学生とのワークショップやライブイベントなどを行いながら、
作品制作のためのリサーチやディスカッションを重ねてきた。
第二期では、坂本さんがもともと持っていた自然観と
メディアテクノロジーに対する感性に裏打ちされた作品群が、
今回のYCAMとのコラボレーションの集大成として披露される。

坂本さんが第二期で発表する作品は計3点で、ズバリ10周年記念祭のテーマである
<アート><環境><ライフ>の名を冠する大規模な展覧会として構成される。
第一期で既に公開されていた『Forest Symphony』は、
木の生態電位を音楽に変換するプロジェクト。
国内外の木に取り付けられたセンサーから送られたデータが
YCAMのホワイエで一堂に会し、シンフォニーを奏でるという作品だ。
それに加え、2007年にYCAMの滞在制作を経て発表された
『LIFE-fluid, invisible, inaudible...』(以下『LIFE-fii』)を
大幅にアップデートした『LIFE-fii Ver.2』、
そして『LIFE-fii.』を共同制作したパートナーである高谷史郎さんとともに、
水を使った新たな表現に挑む『water state 1』が同時に公開される。
3作品に通底するのは、坂本さんの水への深い関心だ。

坂本龍一さんと高谷史郎さんによる『LIFE-fii』はバージョンアップした『LIFE-fii Ver.2』として展示。

『Forest Symphony』をつくるきっかけも、水とは無縁ではない。
坂本さんが40年近く前に読んだ本に、こんなことが書かれていたそうだ。
昔、樹に嘘発見器を取り付けて樹がどういう反応をするか調べた人がいた。
すると、樹のそばでほかの生物が死ぬと樹が反応したり、
ある種、樹にも感情があるかのような反応が見られたという。
その描写が強く印象に残っていた坂本さんは、
その後more treesの活動を通して森や樹についてより深く学ぶようになり、
「樹は直立している水の柱である」という竹村真一さんの言葉で、
それまでの樹の見方が変わった。
そのことが『Forest Symphony』をつくる大きなきっかけになったと語る。

木にセンサーを取り付け、生態電位を音楽に変換する『Forest Symphony』。

ただ、坂本さんはそのように以前から水に興味を持っていたが、
水そのものを具体的な作品としてどう扱っていいかは考えあぐねていたという。
しかし今回新作を制作するにあたり、高谷さんとの話し合いの中で、
水のさまざまな異なる様態を扱う、シリーズ化したインスタレーションを
つくりたいと思うようになった。
その始まりとなる『water state 1』の制作にあたり
インスピレーションを受けたのは「自然への窓」であり、
日本人の自然観をとても良く表している表現形式でもある「庭」。
さまざまな音や光の変化が詰まった、庭を見て楽しむような
空間をつくりたいという思いから制作を進めてきた。

6年前にYCAMで制作された作品『LIFE-fii』も、
霧をスクリーンに見立てて映像を鑑賞するという
水の要素が含まれた作品形態をとっていた。
20世紀そのものをオペラの台本に見立て構成し制作された舞台公演『LIFE』。
それをインスタレーションとして構築し直し、YCAMでの滞在制作を経て
2007年に公開されたのが『LIFE-fii』だった。
その下でいつかピナ・バウシュに踊ってもらいたいという夢を描いていた坂本さん。
その夢は残念ながら叶わなかったが、今回は野村萬斎さんという、
現代において能・狂言をアートと結びつけ表現するのに最高のパートナーを中心に、
能楽コラボレーション『LIFE-WELL』(WELLは井戸やわき水といった意味)
というかたちで上演することとなった。

能楽コラボレーション『LIFE-WELL』は、『LIFE-fii』の下で10月22日に上演された。

公演は二部構成で、第一部は水に関係する3つの演目が上演された。
狂言の「田植」、舞囃子「賀茂」という古典に始まり
坂本さんの即興演奏と囃子方たちのコラボレーションによる素囃子「猩々乱」。
そして第二部には能に影響を受けたアイルランドの詩人・劇作家の
W・B・イェイツによる戯曲「鷹の井戸」と、
それが能に翻訳された「鷹姫」を融合させた、まったく新しい演目を披露した。
『LIFE-fii』の9つの水槽の下で、能の装束をまとった
シテ方の梅若紀彰さんと、洋装の野村萬斎さんが相見えるという、
時空や表現形式を超えた非常に刺激的な試みとなった。
『LIFE-WELL』の世界観はインスタレーションとしても展開され、
市内の野田神社の境内の、坂本さんが惚れ込んだ古池の中で、
霧を発生させる装置と霧の量に反応して音が変わるサウンドシステムが
幻想的な空間を生み出している。
宮司さんが「初詣以来」と喜ぶほどの人出で、地元の市民たちが多く詰めかけている。

幻想的な光景の中で展開する『LIFE-WELL』インスタレーション。

<アート><環境><ライフ>について、坂本さんは以下のように語る。
「メディアアートというものがコンピュータや
プロジェクターを使った先進的なものだけでなく、
自然災害やそれに大きな影響を受ける私たちの生活そのものと
どう関係をとり結んで表現をしていけるかというのは、
メディアアートという新しいアートの形式にとって大きなチャレンジでもあり、
大きなステップともなるだろうと感じています」

継続しながら、進化するプロジェクト。

第一期で市民や来場者を巻き込んでまちを賑わせた
まちなかでのプロジェクトも、引き続き展開している。
メディアを生活の中で捉え直す作品を公募した『LIFE by MEDIA』は
その中心となるプロジェクトだ。

「服の図書館」を運営した西尾美也さんの『PUBROBE』は、
装いを新たに「服の家」を公開制作する。
市民から集めた服飾品を解体し、かつて展示会場に存在した家を
市民と共に再建することで、まちの記憶に新たな装いを与える試みとなる。

西尾美也さんは「服の家」を新たに公開制作する。

また、お金ではなく利用者が得意とすることを取り扱う、
深澤孝史さんの『とくいの銀行 山口』は、
第一期の間に約700個もの“とくい”を集めた。
7つの管轄に分かれた商店街を「ななつぼし商店街」と呼び、
小学生を中心とした「ちびっこ銀行員」やボランティアスタッフが
各店舗を回りながらとくいをコツコツ集め、「ななつぼし商店街MAP」を完成させた。
『とくいの銀行』は第一期が終わってから
第二期が始まるまでの休止期間もボランティアスタッフで運営され、
ちびっこ銀行員の間では「頭取(深澤さん)がいない間、
どうやって銀行を守っていくか」という話し合いまで行われたようだ。

女子大生が、神社の神主さんの「お祓いします」という“とくい”を引き出し、銀行に一日だけ神社を開くというお祓いイベントを開催。

最後に、これまで走った人や動物、自分の過去のデータとかけっこで対戦できる、
犬飼博士さんと安藤僚子さんの『スポーツタイムマシン』。
第一期で7888回体験され、第二期に向けて、コミュニティの中で
データを残していく方法についてみんなで継続的に話し合うイベントを準備中。
会期中に歩けるようになった子どもを連れて親子が走りに来たり、
作品をきっかけに子どもの人見知りが直ったと感謝されたり、
こちらも子どもたちに愛される作品となった。
第二期の準備中にそわそわと中の様子を覗く子どもの姿も見られた。

スポーツタイムマシンでは、第一期の最後に「スポーツタイムマシン大メディア運動会」を開催した。

子どもたちがつくるメディア公園『コロガルパビリオン』も
2回の「こどもあそびばミーティング(子どもたちが集まって
公園の機能について話し合うワークショップ)」を経て、
公園の遊び方にさまざまな広がりを見せている。

「こどもあそびばミーティング」では、子どもたちが公園をもっと楽しむための機能を考え話し合った。

先日、横浜黄金町でも再演された、
街を漂うように映画を体験する『5windows 山口特別編』や
『架空の映画音楽の為の映像コンペティション』受賞作品上映も引き続き開催中。
日々、世界の脈打つ生の空気を配信する
宇川直宏さんによるライブストリーミングチャンネルDOMMUNEの
期間限定アーカイブシアター&スタジオ『YCAMDOMMUNE』も、
会期中3回のスタジオ配信を予定している。

<アート><環境><ライフ>のテーマに迫り、
アーティスティックディレクターの坂本さんの思想を色濃く反映した第二期。
会期は27日間だが、坂本さんの3作品は来年3月2日(日)まで公開される予定だ。
メディアテクノロジーを軸に展開してきたYCAMの
次なる10年に向けた新しいアートのかたちを感じに来てほしい。