漁師穴子の店 たまちゃん

豪快な漁師定食と楽しい会話に、お腹も心もほっこり。

山口県の南西部に位置し、瀬戸内海に面している宇部市。
市内の中心地にほど近い、レトロな看板が並ぶ商店街、新天地名店街に入ると、
醤油の香ばしい匂いが通りに立ちこめる。
店前ではおいちゃんこと、福田 誠さんが炭火で穴子を焼きながら、
「いらっしゃーい」と屈託のない笑顔で迎えてくれた。
「漁師穴子の店 たまちゃん」の看板メニューは、店名通り、もちろん「穴子丼定食」。
かつては、穴子漁師だったおいちゃんが、厳選して仕入れる穴子をさばき、
注文を受けてからひとつひとつ、炭火で焼いている。

穴子は、以前は近くの海でもたくさんとれたが現在は減ってしまい県外から仕入れることも。

穴子がたっぷりのった豪快な穴子丼定食(980 円)は、人気メニュー。

醤油タレにつけながら、かりっと、ふわっと焼き上げたアツアツの穴子を
豪快に大盛りのご飯に乗せるのが、たまちゃん流。
それに、地元の新鮮野菜を使った、たっぷりの副菜とお味噌汁、漬け物がつく。
これは、おばちゃんこと、奥さま球子さんの担当だ。
ちなみに、この日の副菜は、煮物と「はなっこりー」のごま和え。
「はなっこりーはね、山口県で生まれたかけ合わせの野菜。
炒めてもおいしいんだけど、おいちゃんがさっぱりしたものが好きだから、
うちはいつもごま和え。どう、おいしいでしょう?」
“はい!”と思わず答えてしまう、おばちゃんの気さくな人柄に気持ちもほぐれる。
野菜も多いからか、見た目のボリューム感とは裏腹にぺろりと食べられる。
「多い多いって言いながら、みんな意外と食べちゃうんだって。でもさ、
量が少ないとかわいそうじゃない。お客さんにはお腹いっぱい食べてってほしいから」

穴子丼の他にも、親子丼やうどんなど、10くらいあるメニューのなかで、
お客さんのお目当ては、刺身定食(900円)と焼き魚がメインの日替わり定食(500円)。
魚は、毎朝市場から仕入れるので、毎日、異なる。
だから、その時期に一番おいしい魚だけを、食べさせてくれるというわけだ。
旬の素材に、シンプルな調理。
母の味を思い出すような定食は、どれも、ホッとするおいしさだ。

訪れた日、日替わり定食の魚は「メジ」。ほどよく脂がのっておいしい。定食のご飯は「穴子のせ」もできる。お客さんの要望で生まれたそう。

「もともとはね、おいちゃんとおばちゃんふたりで船に乗って、
漁に出ていたの。とれた魚や貝を売り始めたのがこの食堂のはじまり」
大分県の小さな島に生まれたおばちゃんは、
宇部から、その島に貝をとりに漁に来ていたおいちゃんと出会って結婚。
当時は、戦後まもないとき。おいちゃんの仕事は、冬は貝などをとり、
夏は、宇部周辺の海底に残った「爆弾とり」だったという。
「新しく港を整備するっていったら、うちらみたいなもぐりが、爆弾を拾いにもぐる。
おばちゃんとふたり船で沖へ出て、おいちゃんがこの潜水服を来てもぐるんよ。
おいちゃんは耳が弱かったから、辛いときもあったなぁ。
でも、子どもたちを食わせないけんからね」とおいちゃんは目を細める。
二人三脚で、漁師を続けて数十年がたったころ、
今は亡き娘さんが、とれたての魚や総菜を売る店を始め、今の食堂に至るという。

店の入り口にある陳列棚にはお弁当や総菜が売られている。食べたいものがあれば、中で定食と一緒に食べることもできる。

この食堂を始めて8年目というが、
とても気になるのは、店内にある何十年も使い込まれたような家具や置物だ。
実は、この店にあるテーブルやイス、棚や人形など、
ほとんどすべてが知り合いから譲り受けた品々なのだという。
日本人形や、木彫りの熊、そして年代もののレトロなミシンまである。
コロカルの連載「「みうらじゅんのニッポン民俗学研究所」の“いやげ物”」にも
登場できそうなものもちらほら……。
パズルでつくられた立派なお城の写真が飾られ、
思い出の場所なのかとおばちゃんに伺ってみたが、「どこかは、知らん」と、一言(笑)。
「何も考えんともらってきて、置くとこないんじゃ」とおいちゃんも笑う。
さらに、1年しかもたないと言われてもらって来たという陳列棚の冷蔵庫は、
なんと、8年も使い続けているというから驚きだ。

ノスタルジックなものばかりが並ぶ店内。右にあるのはおいちゃんが現役のときに使っていたという潜水服のヘルメット。

「私は田舎の人間やから、なんでも『もったいない』って思ってしまって、
“たまちゃん、要る?”って言われたら、“要る要る! ちょうだい”
ってもらってきてしまうのよ」
「こんなにもらってきてね、倉庫にもいっぱいあるやろ……」
とおいちゃんはあきれるが、「だって、もったいないじゃろ」とおばちゃん。
そんなふたりの会話を聞き、おいしい魚をいただいたお客さんたちは、
「おばあちゃん家に来たみたいで、すごく落ち着く」と口々に言うのだそう。
時間があれば、おばちゃんに悩みを話しこんでいくこともしばしば。
「おばちゃんは話が好きだから、いろいろ聞いてるだけよ」

おいちゃんとおばちゃんのあったかい人柄と
季節の魚と野菜を使ってつくられる、素朴で、おいしい定食。
宇部に来たら、またふたりに会いに来よう。そう、何度でも訪れたくなる食堂だ。

愛猫のゴンちゃんと一緒に。

トビウオまるまる一匹入り!広島・呉の和風だし自動販売機「だし道楽」

日本にはいろいろな自動販売機があります。
ジュース、アイス、野菜、ハンバーガーから
ワイシャツの自動販売機まで。

広島県呉市の「うどん屋 だし道楽」には、
だし入りペットボトルの自動販売機が設置されています。
しかもその中には長崎県平戸産の炭火焼きあご(トビウオ)
がまるまる一匹入ってる! すさまじいインパクトです。

ペットボトルの中身は、
西日本ではポピュラーなトビウオのだし「アゴだし」。

トビウオのことを山陰や九州地方では
アゴと呼びます。アゴだしはあっさりとした甘みの
上品なお味で、和風料理では高級なもの。
アゴだしのうどん、食べてみたいです。

このだしを作っているのは、うどん店を経営する
広島県江田島市の「二反田醤油しょうゆ」。
お客様から寄せられた「うどんのだしだけを売って欲しい」という
リクエストに答え、店頭に設置したところ大好評。
市外から買いに来られる方も多いそうです。

だし道楽

東京・日暮里にあらわれた!かわいいおばけ「妖怪★いちご大福」

つぶらな瞳と、チロッと出た赤い舌がかわいい
「妖怪★いちご大福」。
東京の下町、日暮里にある和菓子店「江戸うさぎ」
さんにて販売されています。

妖怪にはいっているあんは、こしあんとミルクあんの2種類。
写真で色黒のほうがこしあん、色白なほうがミルクあん。
どちらも甘すぎず、さっぱりとした味わいです。

江戸うさぎさんは、まちの和菓子屋さん。
2012年より「妖怪★いちご大福」の販売をはじめ、
大ヒット商品となりました。大人気のため、購入には予約必須です。

あまりにもかわいいので、妖怪さんを
包丁でカットするときは
ちょっとかわいそうなことになります(悲)。

いちご大福は、いちごの旬とともに終了しますが、
あんずが挟まれた「妖怪★あんず大福」
は通信販売でも取り扱い中。
ぜひかわいい妖怪さんをお取り寄せしてみてはいかがでしょうか。

江戸うさぎ

こんなに早い餅つき、見たことない!三重県志摩市の伝統「恵利原早餅つき」

皆さん、餅つきの経験はありますか?
重い杵を振り下ろすのも大変だけど、
息を合わせながらお餅をひっくり返すのにも、
なかなか熟練の技が必要とされるんですよね。

三重県志摩市、磯部町の恵利原地区には、
そんな餅つきをありえないほどの速さで行う
伝統行事「恵利原早餅つき」があるそうです。

江戸時代に始まったというこの行事。
一本の杵を、息を合わせたふたりが取り合い、
囃子唄の「地つき唄」を歌いながら、
すごいスピードで餅をついていきます。
杵を振り下ろすペースは、なんと1分間に140回以上!
さらに今年は1秒間に2.5回という新記録を打ち立てたそうです。

YouTubeに動画がアップされていますので、
驚きの速さを是非その目でお確かめください。
餅をひっくり返すご担当の余裕ぶりがすごい!
(動画はこちら

出来上がったお餅には志摩市特産の
あおさノリとキナコをまぶしていただきます。

現在、この行事は地元の方たちによる
「恵利原早餅つき保存会」によって守られ、継承されています。
お正月やお祭りの時だけでなく、
地域のイベントや、結婚式などの
おめでたい席上にも参加しているんですって。
伝統を守っていこうという心意気がステキですね。
Webサイトでは囃子唄も聞くことができますよ。

恵利原早餅つき保存会

写真:伊勢内宮前 おかげ横丁より

何が入ってるかはお楽しみ。瀬戸内のお魚宝箱「魚えーっセット」

入ってるのは鯛かサメか?!瀬戸内海の宝箱「魚えーっセット」

瀬戸内でとれた新鮮なお魚を、とれたその日に
冷蔵宅急便で送っちゃう「魚えーっセット」がただいま好評。

底引き漁で採れたものの、型や魚種が不揃いで、
魚市場には出荷できない小魚を詰めあわせたボックスです。

箱を開けるまで何が入っているのかわからないドキドキもこのセットの魅力。
時にはサメが入っていることもあれば、
真鯛や黒鯛、アカムツ(のどくろ)なんて高級魚が入っていることも。

頼み慣れている常連さんは、半端な魚が来たらすり身にして
さつま揚げを自作してしまったりするみたいですよ。

販売しているのは山口県宇部市の「魚かつ」さん。
残念ながら配送に二日間かかる東北、北海道、沖縄にはお届けできないみたいですが、
毎日の献立にお悩みの奥様や、お魚大好きで自分で3枚に捌いちゃう、
なんて方は是非オーダーしてみては?

「魚えーっセット」

山形・想耕庵 その1

美しい雪景色と、人のいいご主人の打つ蕎麦を堪能。

2月上旬、コロカル「山崎亮 ローカルデザイン・スタディ」の撮影で山形へ。
ならば、ついでに旨いものを、とリサーチ。
昼は山形蕎麦、夜は地元の居酒屋で決まり、残るは翌日の朝ごはん。
ホテルで済ませてしまうのでは何だかもったいない。
タクシーの運転手に地元オススメを聞き込みをするも、有力な情報は得られず。
「外で食べねえからな~」とひと言。
ごもっとも。

そうこうしているうちに、時刻はお昼時。
ひとまずお蕎麦を食べに向かおう。
山形出身の友人からのススメで「想耕庵」という店へ。
いざ行かん。

蔵王温泉のお膝元、かみのやま温泉駅。斎藤茂吉の生まれ育った里。

かみのやま温泉駅から車で8分、雪景色の中を進む。
住所の場所に辿り着くと「龍王温泉」の看板が目に入る。
あれ? と思いつつ奥へ進むと、「想耕庵」なる看板を発見。
誰かのお宅のような佇まい。

雪にすっぽり囲まれた想耕庵。

ぬか釜出張

ぬか釜と魚沼産コシヒカリで行脚!

10月に収穫を終えてから、RICE475もさまざまな活動を行っておりました。
今シーズンから始めた活動に「ぬか釜出張」というのがあります。
ぬか釜とは、お米のもみ殻と杉っ葉を燃料に羽釜で炊飯するという、
昔ながらの炊飯スタイルです。

巷ではとうとうお米の消費額がパンに抜かれてしまうという由々しき事態に。
また、食料自給率を上げるために、米粉をプッシュする声を頻繁に聞きます。
米粉パン、米粉パスタ、米粉スイーツなどなど、
米を粉にして小麦粉の代わりに使ってお米の消費を上げようという
目論見はとっても良くわかりますが……。

それじゃいかんでしょう!!!
ご飯は? ご飯の美味しさは?
日本人のDNAをパンやパスタにすり替えてよいのですか?
とびきり美味しいお米を最高のコンディションで食べてもらい、
目を覚ましていただきたい!

ということで、ぬか釜と魚沼産コシヒカリを持って、行脚することに。
青空の下、最幸級米を最幸な炊き方で味わっていただきました。

マラソンの走り方教室、女子サッカーの試合、
音楽イベント、埼玉県の小学校の家庭科の授業……。

ぬか釜炊きの名人を連れて行ったり、時にはひとりで行ったり。
さまざまな場所でご飯を炊かせていただきました。

ぬか釜炊きの特徴は、火力が強いこと。
なんと釜の中は1000度にも達するそう。
なので、わずか20分ほどで炊きあがるのです。
一度火をつけたらあとは放置。
火力の調節もいらないので、昔の「全自動炊飯器」ですね。
もちろん、みんな大好物の芳ばしいおこげもバッチリできます!

越後湯沢で行われた、パラリンピックのマラソン金メダリスト高橋勇市さんによる、マラソンの走り方教室でも振舞いました!

初めて見るぬか釜炊飯に、子どもたちも興味津々!

見よ! この炊きたてご飯を! 思い出すだけで幸せな気分……!

みんな幸せそうにご飯を食べる姿を見て、やはり、自信が確信に変わりました。
みんな美味しいご飯が大好きなんです!

「普段ウチの子こんなにご飯食べないのよ!」(お母さん談)
「おこげ美味しい! 毎日ちゃんと炊きたくなりました」(お姉さん談)
「なんか、お米が美味しいって、ほっとしますね」(お姉さん談)
「ご飯だけでこんなに食べたの初めて! 塩もいらない」(小学生談)
「明日から朝はご飯にしてねってお母さんに言うね!」(小学生談)
「おかずも豪華だけど、ぬか釜炊きのご飯が一番のご馳走だよ」(おじさん談)

そうでしょう、そうでしょう(ありがちな広告のようですが、違います)。
もちろん米粉も良いと思いますが、まずはご飯を食べる習慣を取り戻しませんか?
大正時代、日本人は平均で一日8膳のご飯を食べていたそうです。現代は2.5膳。
一説によると、それが4.5膳になることで脂肪の過剰摂取がなくなると言われています。
美味しいだけでなく、体にも良いのですね!

なにはともあれ「ぬか釜出張」、
ロケーションも手伝って、みなさんにご飯の美味しさを再確認していただく、
本当に良い機会になったと、勝手に満足しています(笑)。

個人的にはこの仕事、さまざまな場所でさまざまな出会いがあるので、大好きです!
うちのイベントにも来てほしい! という方、ぜひご連絡ください☆

ヤマモ味噌醤油醸造元7代目 髙橋 泰さん

老舗7代目の挑戦。

秋田県湯沢市。雪深いこのまちに慶応3(1867)年から続く味噌醤油醸造元がある。
「ヤマモ味噌醤油醸造元」。
髙橋 泰さんは、その代々継承される名跡「髙橋茂助」の7代目にあたる。
「僕は名前をふたつ持っているということになるんです。海外では考えにくいですよね。
“7th generation of Mosuke Takahashi”というと、伝わりやすいです」
海外には7代続く企業はそう多くないが、
日本は100年以上続く企業が数万社あると言われる、世界に冠たる老舗大国。
けれど、老舗というだけでは生き残っていけない。髙橋さんはそんな危機感を抱いている。

高校卒業後、関東の大学に進学し、デザイン工学科で建築を学んだ。
いずれは家業を継がなくてはいけないことはわかっていたが、
それまでは好きなこと、やったことのないことをどんどんやった。
バックパックを背負って旅にも出た。
卒業後、継ぐことを考えて東京農大の短大に進学、
その後、業界大手の醤油メーカーで商品開発などを学び、故郷に戻って来た。
現在も会社社長は髙橋さんの父、嘉彦さんが務めるが、
泰さんが家業を継いでから今年で7年目になる。
「最初は嫌々という感じでした。フラストレーションばかりたまって、
最初の1年は特にきつかったですね」
あるとき嘉彦さんに、会社のパンフレットをつくるように言われる。
が、地元の業者に発注したところ思うようなものができず、
それならばと、写真、テキスト、デザイン、すべて自ら手がけることに。
そこから、さまざまなことを自分でやるようになる。

創業者、髙橋茂助にちなみ屋号は「ヤマモ」。創業140年余。

もろみ蔵には百有余年使われている古い樽が。ここでじっくり熟成される。それぞれの樽には火入れをした日付と回数が描かれている。

上段から樽を見下ろす。味噌は一年の天然醸造ののち、雪解けの季節に食べごろを迎える。

ヤマモは従業員数14名の小さな会社だが、その顧客は9割以上が地元の一般家庭。
リピーターも9割以上だという。
卸を通さず、直接の顧客が9割というのは強みだが、
それも時代が変わり、流通が変化すれば大きなダメージを受け兼ねない。
ましてや、地域の過疎化は深刻だ。
これからはマーケットを県外、そして海外に広げていく必要があると、髙橋さんは考えた。
JETRO(ジェトロ、日本貿易振興機構)が出展支援をしている
海外での展示会や商談会に、これまで何度も応募し参加してきた。
まずは市場調査で2度、その後は企業マッチングのための商談会に参加するため
4度渡航した。
当初はJETROからも、海外の企業やバイヤーからも厳しい指摘を受けた。
当然だが、ただ自社の商品を持って行くだけでは見向きもしてくれない。
戦略が必要なのだ。
「まずコンセプトを見直すことが必要でした。
そして商品はどれくらいの容量がいいのか、どんなパッケージがいいのか。
特にパッケージに関しては、外国の方から高い要求がありました」

もらった意見や要求にはできるだけ素早く対応していく。
こうして、ひとりで商品開発に手をつけ、
容量も手頃でデザイン性の高いパッケージの商品を考案。
ただ、中身の味は変えていない。
伝統のヤマモの味はそのままに、自分なりのアイデアで、
これまでなかった限定商品もつくった。
「焦香(こがれこう)」は、地元の農家でとれたセージやバジル、
唐辛子などを漬け込んだ醤油。肉料理に合いそうな風味の漬け込み醤油だ。
「肉味噌」は、コクのある熟成三年味噌を使った商品で、
料理にも使いやすく、もちろんそのまま食べてもおいしい。
展示販売のイベントの際に、味噌だけを試食させるのではなく、
肉味噌に調理して出したところ好評で、売ってほしいという声があったため商品化した。
「焦香も熟成三年味噌も、時間をかけておいしくするという点では唐突ではないんです。
新商品も、ヤマモのコンセプトからは外れていません」

現在は台湾、タイにも取引先ができた。
でも、海外でバーンと売上を伸ばそうというのではない。
「長くつき合っていけるところと組みたいと思っています。
継続的な関係を築けるところを徐々に増やしていきたい」

ペットボトルの商品もあるが、昔ながらの一升瓶でも出荷している。瓶をリサイクルしているので、いろいろな色の瓶が。

従来の商品も、塩分控えめの「あま塩しょうゆ」、濃縮めんつゆの「あじ自慢」、濃縮だし「白だし」などバリエーションがある。

こちらも中身は同じ。120ml~300mlと、ひとり暮らしでも使いやすいサイズ。さまざまなヒヤリングを行い、髙橋さん自らデザインした。

これからも、このまちで続けていくために。

いろいろなことに取り組み始めて約2年。
いまはやりたいことが少しずつできるようになってきたという。
そのひとつが、ショップ。
会社の入り口を入ってすぐの小さな部屋を簡単に改装し、
セレクトショップ「ゴヨウキキ茂助」をこの2月にオープンさせた。
もともと友人と趣味のようにトートバッグや缶バッジをつくっていたが、
オリジナルグッズとしてショップで販売することに。
部屋には古いステレオなどが置かれ、
髙橋さんの好きなものを集めたプライベートのような空間だ。
「東京にいたときから家具を集めていたので、それを使ったり、
古い家具を蔵から引っ張り出してきて磨いたりしました。
だから、この部屋をつくるのに3万円くらいしか使っていませんよ。
基本的に何でもお金をかけないでやるのがモットーなんです」
オンラインでも商品は買えるが、店がほしかったという。
「ネット上でお客さんとのやりとりは増えても、
地元のお客さんと直接ふれ合える場所がなかった。
場所があると不意な出会いも誘発できますし、
波及効果が同心円状に広がっていくと思うんです。
地元にいい影響や効果を与えたい」

万事快調に見えるが、ここまでくるのには、時間がかかった。
否、時間をかけたのだ。急激な変化は、周囲を不安にさせる。
父である社長も、すぐには自由を許してくれなかった。
「定番商品を買ってくれている地元のお客さんに、
“息子が帰ってきて味を変えるんじゃないか”と思われたくなかった。
実際に、定番商品はいっさい変えていません。
いまはオンラインショップでも売り上げが伸びてきて、
社長も少しずつ認めてくれているのだと思いますが、
それまでは変革のスピードもセーブしていました」
従業員もこの変化を楽しいと感じてくれたら。
従業員のために揃いの作業着をつくったりもした。
海外への出荷が決まったり、ショップができたりすることによって、
彼らの意識が向上すれば、地元でいい効果が表れることにもつながる。

念願のショップ「ゴヨウキキ茂助」。江戸時代、初代の前身が御用聞きとよばれる商人だったことに由来する。

趣味でつくっていたトートバッグも、会社の事業にした。「だんだん趣味と仕事が近づいてきた」と髙橋さん。

オリジナル前掛けも販売。

商品開発やデザインはひとりで手がけているが、仲間と組んで活動する楽しさもある。
稲庭うどんの「麻生孝之商店」の麻生孝一郎さんとは、
海外のセミナーで知り合い、意気投合。
業態は違うが海外に行くときはコンビのように同行し、
興味を示してくれたバイヤーを互いに紹介し合ったりしている。
また、湯沢市にゆかりのある建築家、白井晟一の建築である
湯沢酒造会館「四同舎」で仲間たちとカフェイベントを行ったことも。
白井氏の孫にあたる白井原多さんも気鋭の建築家で、それを機に交流が続く。
建築を志していた髙橋さんは、いつか原多さんと面白いことができたらと考えている。
そのほか、湯沢市の商店街のシャッターを開けるイベントを仕掛けたり、
秋田県の味噌醤油蔵の若手後継者の集まり「若紫」では、
新しいロゴを髙橋さんがデザインするなど、自分の会社のためだけでなく、
地域を盛り上げるための活動もしてきた。
でもいまは、役割分担があるのかもしれないと思っている。
「地元のイベントをやってほしいという声もありますが、
イベントをやりたい人はほかにもたくさんいますし、
それはまた別の担い手が出てくればいいなと思っています。
僕は、いまは海外のマーケットで求められることがあれば応じていきたいし、
自分がそうやって外に出ていくことで、勇気づけられる人もいると思うんです」

先ごろ、タイの「DEAN & DELUCA」でも商品の取り扱いが決まった。
現在はアジアが販路開拓のメインだが、今後は欧米への進出も視野に入れ、
ヨーロッパの業者とも交渉中だ。
また今後は大学と連携してインターンの受け入れも行いながら、
新しい人材の育成にも取り組んでいく。
「僕は単なる経営者とは思われたくない。
実際に“つくり”の仕事もしているので、経営者と職人の中間の存在になりたい。
つくって売って、何でもやる人間がいちばん強いと思っています」
イベントなどで人前に出るときは、シャツの上にビンテージのワークジャケットを羽織り、
前掛けをつけて、オリジナルトートバッグを肩にかけて出かける。
どこまでも自分のスタイルなのだ。

ショップには古いラベルの原本も展示。髙橋さんのおじいさんにあたる5代目は自分でラベルを描いていたそう。髙橋さんは「このDNAか? と思いました」と笑う。

profile

YASUSHI TAKAHASHI
髙橋 泰

1979年秋田県生まれ。千葉大学デザイン工学科卒業、東京農業大学短期大学卒業。2006年に家業を継ぎ、代々続く味を広く届けるために日々奔走中。

information


map

ヤマモ味噌醤油醸造元/髙茂合名会社

住所 秋田県湯沢市岩崎124 電話 0183-73-2902
営業時間 8:00~17:00(「ゴヨウキキ茂助セレクトショップ」は11:00~16:00)
定休日 日曜・祝日(ショップの開店状況は来店前にご確認ください)
http://www.yamamo1867.com/

present

秋田の味をプレゼント。

ヤマモ味噌醤油醸造元の商品をセットで1名様にプレゼントします。塩分控えめの「あま塩しょうゆ」(300ml)、おそばやうどんなど麺類との相性ばっちりの「あじ自慢」(300ml)、煮物やお吸い物に重宝する「白だし」(300ml)、バジル、ローリエ、セージ、唐辛子、にんにくの5品目の漬け込み醤油「焦香」(120ml)、熟成三年味噌を使った「肉味噌」(85g)の5点セットです。ご応募はコロカルのfacebookページからお願いします。
※プレゼント企画は終了しました。

山海亭食堂

更新していく葉山町の小さな食堂

2011年秋、46年間続いた小さな食堂が暖簾を下ろした。
女将さんは90歳。地元の人たちから惜しまれつつの閉店だった。
営業最終日には、取引のあった会社や役場などから
仕出し弁当の「さよなら注文」が相次いだ。
弁当の仕込みと配達のために店を開けることができなかったほどだ。
お別れの花もいくつも届いた。地元に愛された食堂だった。
食堂の閉店を寂しく思った若い世代が、
店を引き継ぐかたちで数か月後に再開することになった。
若い世代が店を譲り受け、90歳の元女将さんが見守り続ける、
神奈川県葉山町の小さな食堂を訪れた。

山海亭食堂はJR逗子駅から車で10分ほどの場所にある。
引き戸を開けて店を見渡すと、黙々と定食を食べる作業服姿の男性たちが見えた。
テーブルは8つ。20人も入れば満席の店は、すでに半分近くの席が埋まっている。
いい食堂とは、体を使って働く人が集まる店だと聞いたことがある。
彼らが集まる店は安く、料理が出てくるのが早い上にボリューム感がある。
味は言うまでもない。どのテーブルにもおいしそうな料理が並んでいる。
間違いなくこの店は「いい食堂」のようだ。

お昼時は12時前から大忙し。作業着姿の人が多い店はうまい店が多いというが、山海亭も近所で工事をしている人たちに人気のお店。

「いらっしゃいませ」と、おばあさんに声をかけられた。
小さいけれどよく通る素敵な声だった。
席に着き周りを見渡すと、生姜焼き定食を食べている人が多いようだ。
僕も生姜焼きを頼む。
さっきのおばあさんがストーブの脇に座って、小さな容器にソースを詰めているのが見えた。
時折、店内を見渡し、満足そうな表情で作業に戻る。
元女将の沼田てるさんのようだ。

左端のテーブルで作業をする沼田さん。片時も手を休ませることはない。

ボリュームいっぱいのショウガ焼き定食。肉、野菜、ご飯、味噌汁、漬け物。「正しい定食」だなあと思う。

BGMでは近藤真彦の次にRCサクセションの『スローバラード』が流れた。
ラジオではなくiPodだろう。音楽の選曲は若い世代になって変わったんだろうな……。
そんなことを思っている間に、すぐに定食が運ばれてきた。
豚肉も野菜もライスも多い……。少々不安になる量だ。
豚肉を頬張ると、甘辛い生姜醤油が口に広がる。
このボリュームとシンプルな味つけが、地元の人たちをファンにする理由だろう。
流行りや時代なんて関係ない、普遍的な「ザ・お袋の味」だ。
ボリュームの心配はどこ吹く風、生姜焼き定食はあっという間に僕の胃袋の中に消えていった。

今の山海亭は、前から働いていたおばちゃんたちと、
この店を受け継いだ若い世代が交じり合って店を運営している。
ほとんどの女性は子育て中なのだそうだ。
時間をやりくりし、入れる日に食堂で働く。
子どもが学校帰りに立ち寄ることも少なくない。
親にとっても子どもにとっても安心な職場だ。
子育ての悩みも、経験豊富なおばちゃんたちがいるから心強い。

「ぼけちゃうといけないからね、遊ばせてもらっているの」
と、元女将 沼田さんは言う。御年90歳。歩くことが少し億劫になってきたそうだが、
近所にある自宅から毎朝歩いて店にやってくる。
そして「少しでもなにかの役に」と、店でできることを見つけては手を動かしている。
「お店が休みになると退屈で。なにやっていいかわからなくなるんですよ」
元来の働き者なのだ。

入り口でお客さんをお迎えする招き猫。お客さんからのプレゼンだそう。

「何年も前からお店を閉じようと考えていたんですけど、お客さんが来るでしょう。
そうすると、やめられない。仕出し弁当の注文もあるし、やめないでねって言われるし。
ずっと通ってくれているお客さんもいるから」と笑う。
「いま厨房にいる人ね。28歳の頃にうちに来てくれて、
それからずっと働いてくれているからね」
お客さん、従業員、いろんなことを考えて、半世紀近くも続けてきたのだろう。
「続ける人が現れて、うれしかったですよ」

28歳の頃から働いている関口さん。「孫にはもう働かなくていいよっていわれますけど、家でじっとしているのも、なんかねえ」と笑う。

厨房をのぞかせてもらうと、
店の歩みとともに年を重ねた関口よし子さんが中華鍋を一心不乱に振っていた。
動きが速い……。若い世代もまわりにいるが、厨房に入ってしまえば年齢は関係ない。
注文をさばき、1秒でも早くお客さんのテーブルに温かい食事を持っていく。
関口さんの動きから、大衆食堂の美学を感じた。
関口さんの動きには年齢を感じない。いや、本当に力強い。
関口さんは言う。「好きだから続けてきたんですね。沼田さんは本当にいい人ですよ。
本当にいい人。嫌なら何十年もいませんもん(笑)」

この店を受け継いだ若いスタッフたちは孫ほど年が離れているというのに、
沼田さんや関口さんは彼女たちにルールを押しつけることがない。
程よい距離感で一緒にいる。

「若い人? よく働きますね。なんの文句もありません」と2人は口をそろえる。

どうしてお店を若い世代に譲ったのかと沼田さんに尋ねると、
「さあ、わからないですね。私は海の家もやっていましてね。
そこで任せていた人たちがやりたいというのでね。
前からよく知っていた人たちにやってもらえるんなら、それじゃあいいですよと。
これもなにかの縁ですからね。もう、申し分ないですね。よく気がつくし、働いている。
私はなにも言わないですよ。言わなくてもちゃんとやってくれますからね。
ほら、言い出すとね、いろいろなんでも大変になるじゃない」

沼田さんは、店を受け継いだひとり、中積由美子さんを見て
「私そんなに口やかましくないわよね」と言うように、茶目っ気たっぷりに笑う。
「いろいろ教えてもらいながら、自由にやらせてもらっています。
建物はもう80年くらい使われているんです。かなり傷んでいて……。
直角のところがないくらいなんですよ(笑)。修理をして、ペンキを塗って。
できるだけ、前のお店のままに。
味もメニューもお店をがらりと変えようとは思いませんでしたね」
と中積さんは話してくれた。

長年続いた店を受け継ぐ場合、新しく店にやって来た人は自分の個性を出したがるのに、
中積さんたちは元の山海亭を残した。建物だけではない。
味は厨房を守ってきた関口さんたちにアドバイスをもらい、変えないように努力した。
変えない努力のほうがきっと大変だ。沼田さんは、店をやっていくことの辛さを知っている。
食堂を「これまで通り続ける」という選択をした若い人のことがどこか心配なのだろう。
だから毎日やって来て、静かに見守っているのかもしれない。

ランチタイムが終わると全員で遅い昼食。家族のような食卓風景。

山海亭が次世代に受け継がれていく様子を見ていると、「ブナの森」を思い起こさせた。
ブナの木は倒れた後も、その木が養分となって稚樹(ちじゅ)を育て守っていく。
そうやってブナの森は「倒木更新(とうぼくこうしん)」し、豊かな森になっていく。
葉山町の小さな食堂は、半世紀に及ぶ歴史を一度閉じた。
だが、その食堂に集う若い世代が、
先代オーナーやおばちゃんたちに支えられ、大きくなっていく。
以前より太く地面に張りつき、たくましい木になることを、願わずにはいられない。
その変化を見届けられる、葉山町の人たちがうらやましい。

宮川朝市

高山の食文化を知りたいなら宮川朝市へ!

高山市の早朝、少し高い鍛冶橋から川の下流方向を眺めると、
白い布の屋根がずらっと並ぶ。
川沿いに生える緑と水の清涼感、
さらに天気も良ければ空の青さと相まって、
見事に統一されたその白が美しい。

この高山の宮川朝市は、日本三大朝市に数えられる。
飛騨高山の観光人気が高まるなかで、
訪れる観光客がふえ、常に活気溢れる人気スポットだ。

もともと文政2年(1820年)頃、
高山別院を中心に桑市として栄えてきたが、
養蚕業の衰退により、花や野菜が売られるようになっていった。
その後、場所を転々とし、戦後、現在の鍛冶橋下流に移転。
これが現在の宮川朝市の始まりである。
宮川市場協同組合が発足した昭和37年から数えても、
すでに50年以上の歴史を誇る。

土つきの飛騨ねぎは、朝採れの証拠。

朝市の通りに足をふみいれると、
思いのほか農産物を販売している店舗が多いことに気がつく。
野菜、果物、花などから、餅、漬物などの加工食品まで。
観光客が多いからといって、お土産物ばかりが並んでいるわけではない。

この朝市に参加しているのは、ほとんどが高山に住んでいる農家なのだ。
「基本的には、自分たちの手でつくったものを売ってもらっています」
と教えてくれたのは、「宮川朝市協同組合」理事長の玉田忠夫さん。

「宮川朝市協同組合」理事長の玉田忠夫さん(左)と、朝市の一番手前で、手づくりのチャンチャンコや甚平を販売している「島尻」さん(右)

農家が自分たちで育てたものや、
それをもとに加工したものを、直接販売している。
ここにくればその季節に食べられるもの、
つまり高山の旬を感じることができるのだ。
朝採れたばかりの野菜はみずみずしく、土がついてたっておいしそう。
雪国である高山の冬場は野菜の数は減ってしまうが、
その分、加工食品や保存野菜が豊富にラインナップ。
雪国特有の冬の食文化もかいま見ることができる。
どれも手づくりのあたたかみがある簡素なパッケージばかりで
食材の良さが際立っている。

農家が自分たちで育てたものや、
それをもとに加工したものを、直接販売している。
ここにくればその季節に食べられるもの、
つまり高山の旬を感じることができるのだ。
朝採れたばかりの野菜はみずみずしく、土がついてたっておいしそう。
雪国である高山の冬場は野菜の数は減ってしまうが、
その分、加工食品や保存野菜が豊富にラインナップ。
雪国特有の冬の食文化もかいま見ることができる。
どれも手づくりのあたたかみがある簡素なパッケージばかりで
食材の良さが際立っている。

はちみつももちろん高山産。

飛騨高山の伝統野菜が復活。

以前は仲買人などの仕入れにも使われていたし、
高山市民が毎日の食材を揃える台所でもあった。
それこそ、朝ごはんのみそ汁の具を買うようなご近所感覚。
そんな宮川朝市もだんだんと観光化が進んでいった。
するといくつかの問題も発生するようになる。
駐車違反の問題や、近隣の施設との客の取り合いなど、
「朝市廃止」の議論が持ち上がることもしばしばあった。

漬物の名産地である高山だけあって、たくさんの種類の漬物が売られている。

50年間この朝市に出店し続けているというひとも20人ほどいるし、
2代目3代目と代替わりして続けているひともたくさんいる。
それでも30年前には120以上あった店舗が、
現在では半分の60店舗程度に減ってしまった。

しかしそれでも50年以上も続けてこられたのは、
地元住民が今でも利用し、
かつてと同じスタンスを保ち続けているからではないだろうか。
組合を中心に、まちをきれにすることを心がけ、
白いテントに統一して景観を保つなどの努力は怠らない。
出店者自体が“地元の朝市”であることを大切にしているように思う。
「組合のひとががんばってくれている」と出店者は声を揃える。

りんごの皮を剥き、試食してもらいながらコミュニケーションをとる諏訪忠義さん。

こうした歴史を伝えてきた宮川朝市にも、
以前には売られていたのに、最近は姿を消してしまった食材がある。
これらを復活させようという試みが最近始まった。
17品目を指定し、飛騨高山伝統食材の計画栽培を行った。
春はあさつき、折菜、のびる、あずき菜。
夏は縞ささげ、なし瓜、小茄子、国府茄子、ほう葉。
秋は赤かぶ、長人参、一斗芋、なつめ。
冬は飛騨ねぎ、あぶらえ(えごま)、はところし(青豆)、白菜霧漬け。
高山の食文化を守っていく役割も、朝市は担っているのだ。

いくら観光客が増えようとも、
宮川朝市に出店しているのは、あくまで地元、高山のひとたちだ。
朝市に出かけると、その土地の風土や人柄などがわかってくるような気がする。
朝7時ごろから12時ごろまで開いているが、
まだ観光客が少ない早めの時間帯に、
散歩がてら行ってみることをおすすめしたい。
引き締まった空気のなかで、
おじいちゃんおばあちゃんの散歩道となっている宮川朝市から、
高山の生活の光景を見ることができるだろう。

花とうもろこしと有機ニンニク。

太くて長くて硬いのはお好き?(2)

ナマコノミクスというかナマコマネーについて

ナマコの話のつづきです。
前回は不思議な生態の話題が中心でしたが、
今回はナマコと経済の話をしたいと思います。

え? ナマコとカネって、いったいなんのこと?

では、はじめます。

ヨットで日本一周をしていたときに、
ナマコを一番見かけたのは北海道でした。

北海道の増毛港を5時45分に出航して北上し、
焼尻島の港に到着したのが12時30分。

焼尻島。人口297人(平成22年4月現在)。島の名はアイヌ語の「エハンケ・シリ」(近い島)、あるいは「ヤンケ・シリ」(水揚げする島)に由来するといわれている。

港湾内にあるサフォーク種のラムを食べさせる店で、
天気図と海図を眺めながら酒を飲み始めました。
嫌な前線が近づいてきているので海は荒れそうです。

軽い肴になりそうなのありませんか? とたずねると、
店のおばちゃんがナマコならあるよ、とのこと。
なんでも旦那さんがナマコ漁師なのだとか。

さっと茹でたナマコが丼にど~んと、
それに醤油、酢、砂糖の壷もど~んと渡されました。
自分で好みの味つけをして食べるようです。

ナマコは生しか食べたことがなかったのですが、
さっと火を通すと身肉が柔らかくなるんですね。
生よりこっちが好みかもなー。

ん? 待てよ。今は7月だぞ。
ナマコは冬の食べ物ではないのか?
しかも、さっき獲ってきたばかりだって。

土地が変われば、旬の時期も変わるというけれど、
それにしても冬と夏って違いすぎるぞ。

そのときは、ぼんやり思っただけだったのですが……。

実は本州のマナマコは産卵を終え夏になると、
岩の間に潜って夏眠をします。
青森県でも5月1日~10月1日は県全域で禁漁期です。

ところが北海道のナマコは水温が低いせいか
夏眠をしないので、この辺りでは7、8月が漁期なのです。

ナマコ漁に使う「ハッシャク」。底を曳きながらチェーンでナマコをかき集め、傷つけないようにナイロンの糸の房がついている。ナマコ漁は基本一人で操業。1回網をおろすと30~45分くらい底を曳く。100g以下の小さなナマコは放流するきまり。

石がたくさん網に入ってしまうと、石の重みで引揚げるときに船が転覆する事故が起きる。

近年アワビやウニが採れなくなったこともありますが、
このナマコ、実に儲かるのです。

ヨットでの旅は、漁港の片隅に停泊させてもらうのですが、
長引く魚価の低迷、不漁、燃料の高騰、漁師の超高齢化で
疲弊している漁港が多く、厳しいものが伝わってきます。

そんななか、活気が溢れていたのがナマコ漁をしている漁港。

水揚げしたナマコ仕分け作業。北海道のナマコはイボが大きくしっかりしているのが特徴。

中国の改革開放政策とそれにともなう急成長で、
ナマコの相場は跳ね上がりました。

2000年以降、とくに2008年の北京五輪前あたりは、
ナマコバブルと呼ばれるくらいの加熱ぶりで、
「日本産ナマコ、中国で空前のブーム、価格5年で5倍」という
新聞記事が2007年7月に載っています。

ナマコはツバメの巣、フカヒレ、アワビとともに
「四大海味」のひとつで、中華料理に欠かせない乾燥海産物です。

生では食べず、乾燥させた干しナマコを水で時間をかけて戻して
食べるのが一般的で、ナマコは朝鮮人参に匹敵するくらい
滋養強壮効果があると信じられています。

ナマコは世界に約1500種いて、食用にされているのは30種類ほどと
ウィキペディアには書かれていますが、水産物輸入業者の話では
今までは食べていなかった種類も加工されるようになったので、
おそらく60種以上は食べているのではないか、とのこと。

これはイカリナマコ(@八景島シーパラダイス)。

世界のナマコ貿易の中心地は香港です。

《香港には南北行と呼ばれる世界を股にかけて活躍する乾物商が集結する一角があり、世界の乾燥ナマコの評価や価格、そして信用がここで決められるといっても過言ではない。》
(『水産振興』533号「国際商材ナマコ製品の市場と流通事情」廣田将仁)

中国は50か国以上からナマコを輸入していて、取引量が多いのは
パプア・ニューギニア、インドネシア、フィリピン、そして日本です。

世界各地からナマコが集結しますが、日本産の乾燥ナマコは
他国に比べると圧倒的に価格が高いのです。

こんな調査結果があります。

◇香港における産地別市況(05年)
北海道産  82,500~85,000円/kg
豪州産    7,500~10,000円/kg
アフリカ産 15,000~30,000円/kg
中南米産   5,000~12,500円/kg(『ナマコ学』より)

どうですダントツ高値で取引されているでしょ?
末端価格はいくらになるのでしょう。

日本国内で販売されている乾燥ナマコの値段を
ネットで調べてみると、北海道産の100g=2万1000円とあります。
高級和牛の代表格、松坂牛のA5ランクが100g=4000円くらいですから、
なんとその5倍!

グラム210円ですよ!!

最近値上がりしている金が1グラム約5000円ですから、
ざっくりいえば乾燥ナマコ25g=金1gになります。

日本でこの値段ですから、最高級のナマコは
中国ではいったいいくらになるのでしょう。

そして、これだけ高額なものが海の中にゴロゴロしていると、
どういうことがおきるか。

ナマコ密漁 暴力団関与か
ナマコの漁場として知られる桧山沿岸では5日、江差署が函館市の男3人による116kgもの大量密漁事件を摘発。沿岸地域では高価格に目をつけた暴力団の関与もささやかれており、同署などが警戒を強めている。桧山管内では、ナマコは1キロ当たり2500円前後。中国向けの干しナマコは2003年は1キロ約9000円だったが、05年には3万4000円程度に高騰しているという。(2006.8.7 函館新聞)
ナマコ密漁摘発 56トン、1億8000万円被害か
青森県警と青森海上保安部は27日、ナマコの密漁グループ4人を摘発したと発表した。被害は昨年暮れから約56トン(約1億8000万円相当)に上るとみられ、県警はほか数人の逮捕状を取り、行方を追っている。(中略) 青森や北海道では密漁事件が多発しており、県警は密売ルートの全容解明を目指す。(2006.12.28 読売新聞)
「ウニで8千万円、ナマコで5千万円」大規模密漁の摘発
平成18年は大規模な潜水器密漁事案を相次ぎ摘発しました。6月6日には室蘭海上保安部(北海道)で潜水器を使用したナマコの密漁者7名を摘発しました。捜査の結果、犯人グループは摘発までにナマコ約33トン(4900万円相当)の密漁を行っていたことが明らかになっています。(海上保安庁レポート2007年)
ナマコ密猟容疑で逮捕 岡山の3人、姫路海保、370キロ追跡
姫路市の姫路港内でナマコを密漁したとして、姫路海上保安部はU容疑者ら3人を漁業法違反(無許可潜水器漁業)などの疑いで逮捕し、姫路区検に送検したと発表した。(中略)。U容疑者らは、潜水器漁業が禁止されている姫路港内で、潜水器を使ってナマコ約340kgを採った疑いが持たれている。(2010.2.16 朝日新聞)
大阪湾でナマコ1トンを密漁容疑 親子4人逮捕
大阪海上保安監部と府警大阪水上署は、大阪湾でナマコ約1トンを密漁したとして、漁業法違反(無許可潜水器漁業)と水産資源保護法違反の疑いで、(中略)H容疑者(59)と長男、次男、三男の3人を逮捕した。大阪海上保安監部によると、H容疑者らは「夜中に潜水してナマコやサザエなどを捕り、年間1億円分くらい水揚げした」と供述している。(2010.5.31 共同通信)
ナマコ密漁か 海岸に3トン 寿都町漁港「許せぬ」
19日早朝、後志管内岩内町敷島内(しきしまない)の海岸で、密漁されたとみられるナマコ約3トンが見つかった。岩内署などが漁業法違反(漁業権侵害)などの疑いで調べている。 漁業関係者によると、ナマコはプラスチックケース55箱に入った状態で発見された。1箱数十キロで、計約3トンの市場価格は1千万円以上という。(2012.6.21 北海道新聞)
ナマコ事業で詐欺容疑、社長ら17人逮捕 警視庁
乾燥ナマコの生産・輸出事業への出資名目で資金をだまし取ったなどとして、警視庁捜査2課は21日までに、サイパンの水産会社「南洋」の社長、N容疑者(中略)ら17人を詐欺容疑などで逮捕した。同課は、N容疑者らが全国の約300人から南洋への出資名目で計約7億6千万円を集めたとみて、資金の流れを調べている。(2012.2.21 日本経済新聞)

ちょっと検索するだけでナマコがらみの犯罪がわんさかヒットします。

組織的な大規模密漁だけでなく、
詐欺事件までナマコは引き起こしているのです。

ナマコの輸出事情を教えてもらおうと水産物の貿易を営む友人を訪ねると、
「えっ!? ナマコですか!? 気をつけてくださいよ」と顔を曇らせました。

なんでもナマコは食材にしては投機的要素が強く、
怪しげな業者も紛れ込んでおり、
密輸ルートでの収益が暴力団の資金源にもなっているといわれ、
素人が手を出してはいけない世界なのだそうです。

「輸出の相談を受けたが、知らない会社なので検索してみたらヒットしないので、社長の名前で検索すると逮捕された記事が載っていたとか、香港で取引のときに拳銃を突きつけられたとかいう話も聞きます」(貿易業者)

ジャパニーズ・マフィアとチャイニーズ・マフィアが
ナマコを巡って血なまこ、いや血まなこに!?

深夜のワンチャイのはずれのビルの地下駐車場。
無言でアタッシェケースを置くジャパニーズ・マフィア。
そのアタッシェケースを開くチャイニーズ・マフィア。
「上物ですぜ」
中にはぎっしり詰まった白い粉の袋。
いや、ちがう、黒いイボイボの物体。これは。

乾燥ナマコ!

香港ノワールの鬼才ジョニー・トー監督が撮っても
間抜けなアンダーグラウンド取り引きの絵に
なってしまいそうです。

しかし、あながちフィクションともいえません。

中国の路線バスの運転手がロシアから乾燥ナマコを
密輸しようとして逮捕されてますし、
国後沖でロシアに拿捕された日本のプレジャーボートは
積み荷の乾燥ナマコを海上に投棄して逃走しています。

ううむ、となるとロシアン・マフィアも絡んで
三つ巴の違法ナマコの争奪戦になりそうです。

大連の百貨店では一流ブランドが入っているフロアに
高級乾燥ナマコショップが並んでいるといいますから、
もう食材というより貴金属に近い感覚ですね。

乾燥ナマコがコカインや金の延べ棒みたいに扱われているのでしょうか?

ナマコのブラックマーケットの存在を匂わせながら、
実体験をもとにスリリングに書かれた小説が、
名前の中にナマコを抱く作家、
椎名誠(しいナマコと)さんの『ナマコ』(講談社)です。

ナマコストラップで金運アップ!

ナマコはほぼ全国の沿岸で採れますが、
主な生産地は北海道、青森、山口、兵庫、石川です。

同じ日本産でも価格に差があるようで、
08年調査でこんなデータがありました。

◇香港における日本産乾燥ナマコの価格
北海道・青森産 78,000円/kg~
東日本     54,500円/kg~
西日本      43,000円/kg~ (『ナマコ学』より)

北京料理と広東料理ではナマコの好みが違うようで、
北海道青森産のマナマコやバイカナマコなど
イボがしっかりしたのを好むのは北京料理系。

広東料理ではどちらかというとイボの少ない
ハネジナマコやチブサナマコが好まれるようです。

『臺灣自然観察圖鑑(24) 臺灣的水産』のマナマコ、トラフナマコ、フジナマコ。たぶん乾燥ナマコを水で戻した後の写真なのでは。この図鑑は図版が切り身だったり、調理済みだったりして面白いです。

2010年の香港向け農林水産物の輸出額の統計をみると
乾燥ナマコがトップでなんと127億円も稼いでいます。

しかも、このデータには現在、輸出製品の多くを占める
塩蔵ナマコは含まれていないそうなので、
おそらくもっと稼いでいるのでしょう。

新井白石はナマコの父である

輸出品としてのナマコは、なにも最近に限ったことではありません。
江戸時代からナマコは重要な中国向けの輸出物でした。

清朝中国にとって日本との交易の最大の目的は、
銅銭鋳造に必要な原料の銅でした。

1716年、清朝政府に納められた銅のうち、
日本産の銅が62.5%、雲南産の銅が37.5%といいますから、
いかに日本の銅に頼っていたかが分かります。

かつて日本は金や銀の大産出国でしたが、
典型的な片貿易で、大量の金銀が国外に流出してしまいました。

一方、中国から輸入していたのは絹製品、生糸、砂糖などです。

中国から買う品物は、再生可能な生物資源商品なのに、
こちらは掘りつくしてしまえばおしまいの鉱物資源。
銅の生産量の減少も目に見えています。

このままではいか~ん!

鬼とよばれた新井白石(1657-1725)の政治改革が始まります。
守旧派と対立しながら進めた改革のひとつが海舶互市新令。
ざっくりいえば輸入規制ですが、国内産業の育成政策でもありました。

絹の着物とか、砂糖菓子とか、贅沢はやめよう!
輸入に頼らないで、生糸や砂糖は自分たちでつくれるようになろう!
中国では日本の乾燥海産物が人気だから、
この生産性を向上させて対中国輸出品の目玉にしよう!

こうして幕府の肝いりで「俵物」(たわらもの)とよばれる
干しナマコ(イリコ)、干しアワビ、フカヒレが
全国的な規模で大量生産されるようになったのです。

なかでもナマコは、全国ほぼどこでも採れるので
増産がしやすかったのでしょう。
松前、津軽、安芸、周防、能登、備前、大村、平戸……。

イリコは銅に替わる重要な輸出品として
中国商人からも高い評価を受けるようになっていきます。

こんなパネルを横浜で見つけました。

京浜東北線「新杉田駅」聖天橋交差点近くです。気にする人はいないだろーなー。

江戸名所図絵に書かれているナマコ加工場の様子。

埋立で今ではもう昔の面影はありませんが、
江戸時代、横浜の杉田は梅とナマコが有名だったんですね。

《採集・加工には幕府から目標が示され、それを超えると褒美金が出される一方、集荷は幕府により厳重に管理されました。
しかし、納品した後は自由に販売できたので、梅見の客などのお土産として大変喜ばれたことでしょう》
(「杉田村の煎海鼠と江戸名所図絵」より)

かつて幕府の財源だったナマコが、今や暴力団の資金源。
ナマコのまわりには、いつの時代もグローバルマネーが
うごめいているというのが面白いですね。

一時の勢いが衰えたとはいえ、発展し続ける中国経済。
沿岸域だけでなく全土でナマコの消費が増加してるそうです。

両親へのプレゼント、宴会でのもてなし、贈答品といった
高級ナマコの需要が広がる一方で、レトルト製品など
低価格ナマコを使ったファストフード化、大衆食化もすすんでいます。

しかも健康志向も相まって、ナマコクリーム、ナマコサプリ
ナマコ石鹸にナマコ牛乳、ナマコ酒……。
ナマコ関連の新開発商品も増え、消費拡大に拍車をかけています。

日本でもナマコは滋養強壮、美容に重用されています。

実は中国ではかなりの数のナマコを養殖しています。
日本のナマコの総漁獲量が約1万トンなのに
中国の養殖生産量は5万トン以上といいますから
その規模の大きさは桁違いです。

ところが、養殖ナマコは身肉が薄く、それをごまかすために
膨張剤や砂糖などで重量を増やす細工をほどこしたり、
安易に薬品を使っている実態が問題になりました。

さらにワシントン条約の絶滅危惧種に指定される動きもあります。

実際、トンガの漁師にとってナマコは貴重な収入源なのですが、
トンガ政府は資源の枯渇を防ぐため
1999年から10年間ナマコを禁漁にしました。

2010年にナマコ漁を再開したものの、わずか2年でナマコは激減。
再び3年間の禁漁に踏み切りましたが、密漁が絶えないそうです。

というわけで、将来的に良質なナマコの供給不足が
懸念されればされるほど、ますますナマコの買いつけ、
買い占めがヒートアップするというわけです。

日本でもナマコの養殖、資源増殖の研究はされています。
研究の歴史は長いのですが、ナマコの国内需要が低下し、
尻つぼみの状況だったみたいです。

中国市場の需要が急増したため、あらためて
各県の水産試験場で研究がすすめられているようですが、
一般的な海産物とは違い、投機的な性格をもっているので、
国家的な対中国ナマコ戦略の必要性を感じます。
なんてね。てへぺろっ!

さて、最後になりましたが大事なことを書き忘れていました。

岩場にいるのがアカナマコ。
砂地にいるのがアオナマコとクロナマコ。
でも同じマナマコというのが通説で、
僕もそう思い込んでいました。

ところが、最近の研究ではアカとアオ(&クロ)は
別種であるという学説が有力だそうです。

アカとアオ(クロ)は交配しないし、
アカを砂地に移動させてもアオにはならない。

ありゃ~、そうだったのか!!

横須賀東部市場漁協。今でも東京湾でナマコは採れます。底引きであがったナマコの仕分け作業。

築地市場で値段が高いのはアカナマコです。
ただ、アカとアオの好みには地域差があるようです。

青森市で鮮魚店を営む塩谷孝さんの話です。

「青森ではアカナマコは日本海側で獲れるものの数は少なく、圧倒的に食されているのはアオナマコです。大きいものは中国へ輸出されるので、小ぶりのものを切ってナマコ酢などで食します。
アカの価格はアオよりも低く、県外へ出荷しています。お隣の岩手ではアカの方が好まれていますね。
陸奥湾ではフジナマコ、地元でフジコと呼ばれる黄色く幅広いナマコがいて、こちらは加熱しないと固くて食べられませんが、中華風にして食べます。
最近は魚が少なくなり価格も安値で、漁業組合も資金繰りが大変です。ナマコは手っ取り早く高値で取引されるので、組合事業でダイバーを雇って採らせる組合も増えました」

とのこと。

山口県の周防大島町沖家室島で民宿を営む松本昭司さんは

「方言でタワラゴといい、昔からナマコを食べると頭が良くなるといわれています。売れるのも食べるのもアカとアオで、クロはまったく食べません。
沖家室では主生産ではなくて賄いだったようです。宮本常一先生の記録では、周防大島の他の地区ではナマコが主生産で、煮干しにして中国に輸出していました。
地元ではイリコと呼んでいましたが、イワシの煮干しと紛らわしいのでキンコとして輸出していました」

食べ方はナマコ酢、みぞれ和えが一般的ですが、
「飲食店や割烹屋では茶ぶりナマコ」
「表面をバーナーで炙った握り寿司」
「豆乳でシャブシャブ」(以上、塩谷さん)
「醤油で煮しめ」(松本さん)

という食べ方もあるそうです。
茶ぶりナマコは能登で食べたことあるな。

沖家室島にはこんな言い伝えがあるそうです。

「うちのほうじゃナマコは女に切らせろと言うんですよ。男が切ると硬いが、女が切ると柔らかくなる。ある人には言わせれば、女性ホルモンのせいといい、ある人は女の汗がいいとか、勝手なことを言っています。ホントのことは、わしゃ知りません」(松本さん)

なるほど、ナマコは海男子という別名もあるくらいで、
包丁入れるのをためらうことありますからねー。

今回もこの写真でお別れです。ばはは~い←昭和すぎ

鍛冶橋食堂

飛騨高山の食事を支えてきた、毎日の食堂。

京都や富士山、知床などとならび、
ミシュランガイドから三ツ星観光地を獲得している飛騨高山。
いまでは世界中から観光客が訪れるこのまちが、
そうなるずっと前から、訪れるひとのお腹を満たしてきた食堂がある。

鍛冶橋食堂は、高山駅から徒歩10分弱、宮川沿いに店を構えている。
創業は昭和31年。
「ここはもともと卓球場だったの。
おとうさんが海とか川とか好きだったからこの場所を選んだのよ。
周りには何にもなかった」と語るのは、
いまも現役で店頭に立っている90歳の清水口たづさん。
もともとは近くで農業をやっていたが、高山へ出てきて食堂を始めたという。
いまでは、お嫁にきた笑子(えみこ)さんと一緒に店を切り盛りしている。

店を切り盛りする清水口たづさん(奥)と笑子さん(手前)の名コンビ。

外のカウンターではソフトクリームを販売したり、
看板にも「飛騨牛丼」や「飛騨牛朴葉味噌定食」などの派手なネーミング。
飛騨牛ブームの高山の、賑わう一角に店舗を構えるだけあって、
観光客目線の商品が表に並んでいる。

でもこれらは最近増えたメニューなだけで、
一歩店内に進んでみると、昔懐かしい定食屋さんの雰囲気だ。
メニューも、とうふ、野菜の煮物、焼き魚、煮魚と、
なんだかホッとする品揃え。
「昔からほとんど変わってません」と、
日本人なら毎日食べても飽きないような、うれしい食堂なのだ。

こもどうふ、野菜、イカなど、一品ものがすべて定食になる。

かつてのお客さんは、土木工事の作業員が多かった。
周辺でダムや河川敷の建設などが盛んに行われていた時期。
鍛冶橋食堂は、その作業員たちの、「毎日のメシどころ」となっていた。
それはこんなエピソードにも表れている。
「まちの外から来ていたひとたちが、
昼ごはん用にお弁当をつめてくれということもよくありました。
朝持って行って、夕方またお弁当箱を置いて帰るんです」と、
たづさんの味は、彼らのおふくろの味となっていた。

出汁は炭火でじっくりと。

「おかあさんは、炭火でにぼしの出汁をとるんです。
ガスの強い火でパッととるのではなくゆっくりじっくり」と
鍛冶橋食堂の味を守るのは、お嫁にきた笑子さん。
このダシで煮た野菜や魚は、特に年配のお客さんに喜ばれるそうだ。
しょうゆやみそも、昔からずっと同じものを使っている。
いつ“帰ってきても”いつもの味が待っているのだ。
変わらずに同じ味をつくり続ける。
変化がないことは決してマイナスではなく、
守り続けるという意義もあるし、それを求めるニーズもある。

七輪を使って炭で出汁をとる。ふたを開けてくれた瞬間に、にぼしの香りがひろがった。

観光客は、夕食で飛騨牛を食べることが多いので、
日中、鍛冶橋食堂に来る観光客には、こもどうふや野菜の煮物、魚の煮物が人気だ。
特に野菜の煮物は絶品で、
ひとくち噛めば、じっくりと時間をかけてとられた出汁の味が、
野菜の旨味とともに染み出す。
どの定食にもこの野菜の煮物が小鉢としてつく。
主菜以外に副菜まで充実している定食は、得した気分になってしまう。

ほかに、飛騨高山の伝統料理「こもどうふ」も鍛冶橋食堂の定番。
豆腐をこも(すのこ)で巻いてゆでる。
正月やお祭りのときに食べられていたものだ。
これもじっくりと煮ていて、中まで出汁がしみ込んでいる。
飛騨牛に飽きたなら、もうひとつの飛騨名物を堪能してみてはいかがだろうか。

鍛冶橋食堂の目の前では、宮川朝市が行われている。
朝市に出店しているひとたちは、大体がひとりで出店している。
そこで鍛冶橋食堂では、昔から出店者に朝ごはんを配達してきた。
観光客がまだ少ない7時頃までに注文を取り、9時頃までに配達する。
もちろん地元のひとたちへの毎日の食事なので、特別なものではない。
野菜の煮物とみそ汁とごはん。こんな定食が20〜30人に配られる。
笑子さんが、1軒ずつコミュニケーションをとりながら朝ごはんを配る。
朝市は、こんな昔ながらの“近所付き合い”で支えられていた。

この朝市も現在では観光化がすすんでいるが、
かつては、地元のひとたちが買い物する場所だったし、
遠くから汽車に乗って八百屋さんや魚屋さんが仕入れに来ていた。
そういったひとたちが朝食を食べたのもまた、鍛冶橋食堂だった。

今はたまたま観光地になってしまっただけで、
たづさんいわく「ええものはない(笑)」。
しかし、飛騨牛もおいしいけど、
鍛冶橋食堂の煮物は、思わずおかわりしてしまう、とても「ええもの」だ。

飛騨牛朴葉味噌焼きは、飛騨高山各地で食べられるが、鍛冶橋食堂は味噌がポイント。

太くて長くて硬いのはお好き?(1)

お前はすでに死んでいる!

ナマコは冬が旬です。お正月にナマコを食べる地域もありますが、
僕は子どもの頃、食べた記憶がありません。
みなさん、初めてナマコを見たときのことを覚えていますか?
僕がナマコと最初に出会ったのは、学生時代の与論島でした。

海の底まで透けて見える青い珊瑚礁、白い砂。
きらきら光るカラフルな小魚を見つけて
はしゃぐ聖子ちゃんカットのビキニギャル。
その足元に横たわっている、ゾウのうんこのような巨大な物体。

なんじゃ、こりゃ?

こわごわ踏んでみると、ブニョ~ッとした感触。
強く踏んでみると、ギュギュ~ッと硬くなって、
それをしつこく、グニュグニュやっていると
なんか白い糸状の物体を放出してドロドロ溶け出すもんで、
怖くなって、ぎゃーっと放り出して逃げる。

同じような経験をした人も少なくないはずです。
シカクナマコさん、すいませんでした。

気持ち悪いという人も多いナマコですが、
ナマコってのは、なかなか魅力的な生き物で、
ナマコにインスパイアされた作品は少なくありません。

人類学者・鶴見良行さんの大作『ナマコの眼』は
ナマコを追いつつ、アジア、太平洋の交易、漁業経済を描くことで、
海からの視点で宗教、言語、文化が交わるナマコロードを浮かび上がらせ、
国家とは何だろう…と考えさせてくれる名著です。

絶対的なスケールとして捉えがちな時間ですが、
実は時間にはいくつも種類があることを面白く描いて
ベストセラーにもなった、歌う生物学者・本川達雄さんの
『ゾウの時間、ネズミの時間』もナマコの研究から生まれました。

おや? 両書とも初版が1990年と1992年ですから、
90年代初頭、ナマコの夜明けがあったのでしょうか。

ナマコは古くは古事記にも登場しますし、
芭蕉もナマコの句を詠んでいます。
正岡子規も夏目漱石、宮沢賢治の作品にもナマコは登場します。

ナマコのなにが人を魅了するのでしょう。

ごろ〜ん

たぶん動物なのにほとんど動かないことではないでしょうか。
手足もなく、どちらが前か後ろかもわからない。
ミミズもそうですが、もっとのたうちまわります。
ナマコはゴロンとただ存在する。
ただただ、そこにある。
生きているのか死んでいるのかすら、よく分からない。

「脳死」をもってヒトの死とするのか、「心停止」をもって死とするのか、
議論は分かれるところでありますが、ナマコの場合はどうなのでしょう。

ナマコには目、鼻、耳といった感覚器がありません。
ですから感覚情報を処理する「脳」がありません。
「脳死」をもって死とするならば、
ナマコは死んでいるということになります。

「だろだろ? 脳死なんてのはよ〜、脳が一番エラいという
脳偏重の考え方なんだよ。
やっぱりカラダが資本よ。心臓が止まってからのあの世だぜ」
ということになるかというと……。

ナマコは血管系がなく、酸素や栄養補給は水管系と呼ばれるシステムと
体腔内の体腔液が担っています。

つまり「心臓」もないのです。

おぬし……、いったい何者なのだ!

お、縮みはじめたぞ!

どうしてナマコはじっとしているのでしょう。
それは筋肉がないからです。
ナマコはほとんどが分厚い皮膚で、あとは体腔の水でできています。

動物がなぜ動くのかといえば、
なによりもまず食べ物を探すためです。

ところが、ナマコが食べているのは
海底の砂についている有機物や藻類の破片。
探さなくてもまわりは餌だらけなので、それほど動く必要がありません。

もうひとつ、動物が動く理由は捕食者から逃げるためです。

でも、素早く逃げようとして筋肉をつけるほど、
捕食者にとっては、ますます魅力的な餌になります。
パラドクスですね。

「逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。」

ナマコは逃げませんでした。
で、逃げずに戦ったかというとまったく逆。
筋肉を極力少なくし、栄養のない皮をぶ厚く硬くすることで、
誰にも見向きもされない生き方を選択したのです。

ボールみたいに丸まりました!

普段は柔らかいナマコですが、刺激を受けると硬くなり、
防御姿勢をとります。

それでもまだ、しつこく攻めて来る相手には
皮膚を溶かし、腸などの内臓を肛門から放出してやりすごします。
放出した内臓は、数週間すると再生します。

しかもナマコにはホロスリンという
サポニン系の毒があり、これは魚にとっては毒なので、
ナマコを食べる魚は少ないのです。
(脱線しますが、このホロスリンはクスリにもなり、
天然ナマコから抽出した水虫薬があります)

これがナマコの生き残り戦術です。
頭のいい選択をしているようですが、ナマコに脳はありません。

怪獣モスラの幼虫が敵に向かって吐くのは糸ですが、
ナマコは腸やエピキュニ管と呼ばれる内臓を吐き出します。

実はモスラの幼虫とナマコには共通点があって、
ナマコは大昔、「コ」と呼ばれていました。
もともと「コ」とは「蚕(かいこ)」のことです。
派生して芋虫状の生き物を「コ」と呼ぶようになったとか。

家で飼うから蚕(飼うコ)
生で食べるからナマコ(生のコ)
ナマコを茹でて干したのがイリコ(煎りコ)
ナマコの腸(はらわた)はコノワタ(コの腸)

筋肉や脳がないので、エネルギー消費量が低く、
(人間は総エネルギーの20%を脳につかっている)
摂取するエネルギーが少なくても生きていけます。
栄養価の少ない砂に付着したバクテリアなんかを
食べることでもやっていけるわけです。
砂を体内に取り込んで体が重くなっても平気なのは、
素早く動く必要がないからです。

パッと見ではどちらが前か分かりにくいのですが、
よく見ると結構違うんですよね。口を見てみましょう。

ここから触手を伸ばして砂を飲み込み、栄養分を取り込みます。

口は砂を食べやすいようにやや下向きの位置にあります。
こんな形の口になった理由が『古事記』に書かれているくらい
日本人とナマコは長いつきあいなのです。

口から伸びた触手。イソギンチャクみたいですね。

腹側には管足がびっしり生えています。
先が吸盤のようになっていて、 岩などにピッタリくっつくことができ、
伸ばしたり、縮めたりして 体を移動させます。

ナマコは海底の掃除屋です。砂に付着している
有機物はナマコの栄養となり、砂はきれいになって海に戻ります。
肛門はこちら。ナマコは呼吸を肛門でしています。

なんだかオカリナみたい。

それにしても、このナマコ。まじまじ見ると、キモイというより
織部焼きの陶器のようでなかなか美しいではありませんか。

正岡子規はナマコの句を多く残しましたが、ナマコに少し詳しくなると、
子規の句はいっそう味わい深くなります。

世の中をかしこくくらす海鼠哉
風もなし海鼠日和の薄曇り
引汐に引き残されし海鼠哉
海鼠喰ひ海鼠のやうな人ならし

正岡子規が34歳の若さで病没した3年後、子規の大親友である
夏目漱石は、初の小説『吾輩は猫である』を発表します。

その自序にもナマコは登場します。

《此書は趣向もなく、構造もなく、尾頭の心元なき海鼠の様な
文章であるから、たとい此一巻で消えてなくなった所で一
向差さし支つかえはない。又実際消えてなくなるかも知れん。》

ナマコを最初に食べた人はすごいとよく言われますが、
ご存知のように『吾輩は猫である』にも

《始めて海鼠を食ひ出せる人は其胆力に於て敬すべく、
始めて河豚を喫せる漢(おとこ)は其勇気に於て重んずべし》

とあります。

この文章は《海鼠を食へるものは親鸞の再来にて、
河豚を喫せるものは日蓮の分身なり》と続きます。

喩えに浄土真宗の祖の親鸞、日蓮宗の日蓮を持ち出すのは少々突飛ですが、
本川達雄さんは、ここに子規と漱石との友情を感じ取っています。

子規は、地味&静的なもの=ナマコと、
派手&動的なもの=フグを対比させた句をいくつか残していますが、
本川さんは次の句に注目します。

[日蓮宗四箇格言]念仏は海鼠真言は鰒(ふぐ)にこそ
(念仏を唱えていたらナマコに生まれ変わるぞ、真言ならフグになるぞ)

これは日蓮の「念仏無間・禅天魔・真言亡国・律国賊」のパロディで
念仏=静的=ナマコ、真言=動的=フグの構図です。

《漱石が、子規の四箇格言の句を思い浮かべながら書いたものだと
私はにらんでいる。そう考えれば、ナマコとフグの取り合わせも、
日蓮と親鸞の件も、理解できるからである》
(『世界平和はナマコとともに』)

親友を亡くし、ぽっかり空いた心を埋めるように執筆した
はじめての小説で、友を思いながらユーモラスな筆致で綴る漱石。
『坂の上の雲』が好きな人にはたまらないのではないでしょうか。

ぬめぬめしてるけど、手はべとつきません。

本川先生はナマコを研究し、尊敬してはいるものの、
好きになったり、可愛いと思ったことはないと断言しつつ、
こう述べています。

《可愛い、おもしろい、役に立つというような、自分が好き、
自分の得になると感じられるものとばかり付き合おうとする風潮が、
今の世の中、非常に強いですよね。嫌いなものとは付き合わないし、
さらには排斥する》
(『生物学的文明論』)
《自分の好きなものだけで世の中ができているわけではない。
好きではなくても付き合っていかねばならぬもの、
嫌いだけど大切なもの・侮ることのできないもの、
そんなものばかりだと言ってもいい。
自然も真理も神様も、そう甘ったるいものではない。》
《好きなものと付き合うのは子どもにだってできる。
嫌いだけれど大切なものと付き合っていけるようになるのが、
大人になるということ。それを出来るようにするのが教育であり
学問なのである。》
(『世界平和はナマコとともに』)

またまた脱線してしまいましたが、新年を迎え、
自戒の念もこめて、引用させていただきました。

ナマコの項つづく

"ナマコのくせに落ち着きのないコだね! ツチノコみたい。あ、ツチノコは土の「コ」かな?"

ズワイガニのセックスを笑うな

今年もときめきの出会いがなかった貴女へ

カニのシーズン真っ盛りですね。
みなさんはもうカニを食べましたか?

あ、最初にお断りしておきますが、申し訳ない。
今回も嫌がらせのように長いので、時間のあるときに読んでください。
しかも女子の皆さん、すいません。
内容は仰天セックス(僕にとっては)の話なので、ちょっとだけお下品です。

いいですね、断りましたよ。
では、はじめます。

国内のカニ類の漁獲量を調べてみたところ、
ズワイガニとその仲間のベニズワイガニが漁獲量全体の78%を占めていますから、
ズワイガニこそ日本を代表するカニなのです。

でも国産のオスのズワイガニのいいものは、一匹3~4万円くらいは当たり前。

このコーナーで取り上げたいけれど、こりゃ、予算オーバーだとあきらめていたら、
たまたま応募した「カニのキャラクターに名前をつけてねキャンペーン」に見事当選。

景品としてズワイガニが当たったので、ここに登場することになりました。

いやあ、50歳過ぎて「かにぴょん」と書いて応募して、本当によかった~!

さて、11月6日はズワイガニ漁の解禁日でした。漁期は3月20日までの5か月。

冬の冷たく荒れ狂う日本海を舞台に、5か月で年収の約6割を稼ぐといいますから、
漁師さんやカニ加工業者さんたちの11月6日にかける熱い思いは半端ではありません。

カニ底曳き網漁の漁船。カニがいるのは深海。長いロープが必要になるので後部のリールがでかい。

西高東低の冬型の気圧配置で海は荒れやすく、月に操業できる日はわずかだ。操業できても水も空気も痺れるように冷たい。

ずらり並んだ、活きているズワイガニ。

なんでも初日にはご祝儀相場で一匹20万円ついたカニもいたとか。

さて、標準和名であるズワイガニと呼ぶと、どうも美味しさ、貴重さが伝わってきません。
松葉ガニ、越前ガニの方が断然うまそうです。

ご存知のように、ズワイガニのオスは若狭~山陰地方では松葉ガニ、
福井県では越前ガニと呼ばれます。

間人(たいざ)かに、大善かに、津居山かに、柴山かに……
呼び名は違えど、どれもズワイガニです。

水揚げされる各港でブランド化が図られており、
港がひと目で分かるようにタグ付けされています。
(福井県=黄色、京都府=緑色、間人ガニ=緑色、津居山ガニ=青色……など)

ご覧ください。ズワイガニのオスとメスは、大きさがずいぶん違います。

大きいのがオスです。

ズワイガニのメスは地域によって、セコ(北陸)、セイコ(北陸、京都)、
コッペ(京都)コウバコ(石川)、と呼ばれています。

京都にいるときゃ~ コッペと呼ばれたの~ 福井じゃ セイコと名乗ったわ~

失礼しました。
裏返しちゃいましょうか。

きゃ~っ いや~ん!

大きさだけじゃなく、腹のいわゆる「ふんどし」の部分がオスは三角形で、メスは丸型です。

アップで見てみましょう。

卵を数えてみようかと思ったけど、やめました。

卵をたくさん抱いていますね。これが外子(そとこ)と呼ばれる受精卵です。

見た感じはキャビアのようですが、魚卵のようなコクはなく、
むしろさっぱりした味わいとシャキシャキした食感を楽しみます。

では、甲羅をオープンしてみましょう。

うひゃあ、たまりません! 

中央の鮮やかなオレンジ色の部分が、内子(うちこ)と呼ばれる卵巣です。
蟹味噌(緑色をした部分)以上にねっとりした風味とコクがあり、
これが食べたくて、毎年11月6日の解禁日が待ち遠しいという人も少なくありません。

作家の開高健さんの大好物がこれでした。

「雄のカニは足を食べるが、雌のほうは甲羅の中身を食べる。それはさながら海の宝石箱である」
(開高健全集第15巻「越前ガニ」より)

グルメリポーターの彦摩呂さんが、なかなかの読書家であることが分かります。

開高さんが常宿にしていた福井県越前町の「こばせ旅館」で
「う~ん」と言いながらほおばっていたのが、
二合の飯の上に七杯ぶんのセイコガニをほぐして乗せたカニ丼。
彼の死後、この丼は開高丼と名づけられました。

茅ヶ崎市にある開高健記念館

ズワイガニは水温が0~5℃くらいの冷たい深海に棲息しています。
オスとメスは棲んでいる水深が違っていて、
メスは水深250m近辺、オスはやや深い水深300~400mくらいで暮しています。
繁殖期になると大人のオスとメスが集まります。
カニだけに出会いのカーニバルなんちゃって。わははは、日本海の深海より寒いぞ。

ズワイガニの産卵は初産卵と経産卵とでは異なるのですが、
ややこしくなるので、ここではざっくり説明します。

知らない人はちょっとビックリしますよ。

交尾(意外や正常位)したメスは、すぐに産卵し、お腹に卵を抱いて、なんと1年過ごします。
抱えている卵の数は7~10万個。1年後、お腹の卵から子どもが孵化し、放仔したあと、
すぐに受精して、産卵。ふたたびお腹に卵を抱えます。

つまり、卵をお腹から放してから、1週間ほどですぐにまた卵を抱えるので、
卵を抱えていない成熟したメスにお目にかかることは、ほとんどないのだとか。

大人になったらお腹に卵を抱えたままで生涯を過ごすって、すごくないですか?

でも、もっと驚くのはここからです。

いうまでもなく、海は広いな大きいなです。おまけに水深が深いのでまわりはまっ暗。
当然、オスと巡り会えない淋しい年もあります。

そんなロンリー・イヤーはどうするかというと……。

体内にストックしておいた昨年の精子の残りを使って受精するのです! 
なんとメスの体内には精子バンクがあるのです。

そして、次の年もオスと出会えなかったら、
ストックしてある一昨年の精子を使ってまた受精するのです。

こうして、一夜(?)をともにした相手の子どもを、
3~5年間くらいは産み続けることが可能なんですって。

一夜の契りの相手の子を一生産み続ける悲しい女。

雪は降る降る未練はつのる、
馬鹿なやつだといわれても、
宿命ですもの女の命、
ああ、私は今年も産むわ。

ドロドロの演歌の世界を妄想してしまいますねー。
寒風吹きすさぶ冬の日本海が舞台ですからねー。

でも、これはズワイガニに限ったことではなくって、
たいていの甲殻類は、精子をいったん貯精のうと呼ばれる器官に蓄えてから受精するのだとか。

えー、そうだったのか、エビ、カニ!

じゃあ、新しい出会いなんて必要ないじゃん。

京都府立海洋センターの話では、まだよくわかっていないのですが、と前置きした上で、

「貯精のうにストックした精子の場合、受精率が年々下がることはわかっているので、
やはり毎年、交尾して新鮮な精子を仕入れるのが基本的な繁殖戦略ではないでしょうか」
ということです。

しかもですよ。擬人化して書きますが、
処女は童貞、おっさんの区別なくセックスして妊娠しますが、
一度子どもを産んだ熟女は、若い男はお断り。強い大人の男としかセックスしません。

おお、擬人化するとなんてわかりやすいんだ。

つまり、昔の男の子種をキープしつつも、強い男に抱かれる女の性(さが)ですな。
いやはや全然、一途ではありません。カニの世界も女子はクールですな。

むしろオスは自分の子孫を残そうと、他のオスと浮気しないように、
メスに必死にしがみついているそうです。カニの世界も男子は必死です。

俺だって必死なんだよ!

いろんな資源保護対策で
やっと水揚げ量の減少に歯止めが。

ズワイガニの寿命は約20年。
大人になるまで9年くらいかかります(オス9cm、メス7cmが大人の目安)。
成長が非常にゆっくりした生物なのです。

日本海では1970年代には16000t以上の水揚げがありましたが、
1990年代には1500tにまで落ち込んでしまいました。

明らかに獲り過ぎてしまった反省から、漁期を短くしたり、
ひと航海の漁獲可能量や捕獲してよいサイズの制限を設けるだけだなく、
物理的に底曳網漁ができないように、
巨大なコンクリートブロックを沈めてカニの保護区をつくったり、
さまざまな資源保護に努めた結果、現在は5000t前後まで回復しました。

メスガニの漁も資源確保のため、オスよりも早く1月10日で終了になります。
つまり2か月しか味わえない貴重品なのです。

それでもメスを食べるのは日本だけで、
資源保護の観点から、いかがなものかと外国から批判されているそうです
(北米では蟹味噌食べませんしね)。

メスを保護するのに越したことはないでしょうが、メスを保護すれば増えるかというと、
メスの捕獲を禁止しているカナダでも漁獲量が減っているといいますから、
そう単純な問題ではないようです(ちなみにズワイガニの世界一の生産地はカナダです)。

禁漁期に漁師はカレイ漁なども操業していますが、
漁場の環境を守ろうと海底清掃をしているそうです。
操業中に失った漁網や漁具などの回収ですね。
これらにカニが絡まって死んでしまうのを防ぐためです。

兵庫県で会ったカニ底曳網船の船主の話では、燃料代・人件費の補助金が出るので、
その範囲で清掃活動をしているそうです。

ちょっと前までお隣の韓国は無関心でしたが、最近は意識が変わって、
海底清掃を始めたそうです。回収した量によって報奨金が出る制度らしく、
ものすごい勢いで海底をさらっているのだとか。

海底清掃で引き上げられた漁網類

そんなズワイガニの資源保護の努力話を聞いたあと、
日本海をヨットで北上して6月に新潟県の能生(のう)漁港に入港したところ、
禁漁期のはずなのに、堂々とカニが売られているではありませんか!

マリンドリーム能生 かにや横町

あれー、おかしいなー? どうなってんの?

かなり混乱したのですが、調べてみると並んでいたのはズワイガニではなく、
茹でなくても真っ赤な色をしているベニズワイガニでした。

これは水深500~2500mとより深いところに棲むカニで、
カニかご縄漁という漁法で捕まえます。

ベニズワイガニは棒状やフレークとして9割以上が加工用材料として使われ、
姿売りを見られるのは産地で若干見られる程度なのだとか。

でも、漁獲量はズワイガニ5,996tに対し21,456t(08年)と
国内の漁獲量は圧倒的にベニズワイガニが多いのです。
ベニズワイガニの漁期は9月1日~6月30日。もちろん密漁ではありません。

メスのベニズワイガニは捕獲が禁止されています

一般的に味、身の詰まり具合ともにズワイガニに比べて落ちることから、
こちらは価格もお手頃です。

でも、試食させてもらったら、これはこれで美味しいんですけどね。
つまりズワイガニはもっとおいしい。

ベニズワイガニはズワイガニの仲間ですが、缶詰でときどき見かけるマルズワイガニは
主に西南アフリカで獲れるオオエンコウガニで、これはズワイガニの仲間ではありません。
でも、これもこれでおいしい。

美味しいズワイガニは
どうして高額なのか?

ちょっと脱線し過ぎましたね。
話をズワイガニに戻しましょう。

一般的なスーパーで売られているのは、メスガニか輸入物の冷凍ズワイガニ(オス)。
で、国産のオスを見かけることは非常に希です。

これは国産のオスは北陸や山陰の観光地で多く消費されているからです。
ズワイガニは客を呼べるキラーコンテンツなのです。

温泉&カニ食べにいこう!ですね。

見事なまでの地産地消。
やはり現地で食べるのがベストでしょうが、なかなかそうもいかないのが現実。

ネットやトラックの移動販売で格安のズワイガニを買ってみたものの、
そんなに美味しくなかった経験、ありませんか? 僕はあります。

そこで、京都丹後で、長年、老舗の料亭や旅館にカニを卸している「魚政」の谷次賢也さんに
味の違いを聞いてみました。

谷次賢也さん。業界では名の知れた目利きの鬼!

「タグは産地表示で、品質保証ではないからね。タグがついていりゃ美味しいわけではないんだ。

水揚げ港は違っても、同じ丹後沖の日本海で操業しているのだからね。

タグは着いてて当たり前。むしろ大事なのは、カニそのものの鮮度と身の詰まり具合と
漁船での取り扱われかた。一匹一匹、個体差があるからね。

身詰まりのいいカニは、蟹味噌も濃厚でたくさん詰まってる。
たんに大きければいいってもんじゃない。

本当に美味しいカニの選別は、
目利きを二、三年やったくらいじゃ話にならないくらい難しいんだよ」

—— そういえば、泥臭かったことが……。

「深海の砂泥地に棲んでいるからね、水揚げ直後は体内に泥を含んでいるんだ。

だから、まず水槽に入れて泥吐き処理をする。
これを丁寧にしないと泥臭いカニになるね。

次にきれいな水槽に移して鮮度のいい状態を保つんだけれど、
単に活かしているだけだと痩せて肉質が悪くなってしまうんだ。

ストレスを与えるのも味をダメにするね。
頻繁に水を換えたり、毎日の掃除は大変だけど、
味を良くするためだからね、手は抜かないよ」

水槽から、活け松葉かにを取りだし、健康状態を一匹一匹点検し、水槽の汚物を取り除く

—— おいしく茹でるコツは?

「スチームで大量に蒸しているところもある。
でも、それだと火加減や塩加減にムラができるんだ。
うちはステンレス鍋で大量のカニを炊き上げる。

茹でに使う塩は、地元の海水から炊き上げたミネラルたっぷりの天然塩。

身質、時期、気温、大きさや量に応じて蟹茹で職人がつきっきりで炊き上げるんだ。
1分の差で味が大きく違うからね。

で、炊きあがったら一匹ずつ流水で丁寧に洗って灰汁をとり、身を引き締める。
この作業を怠ると嫌な臭いが出やすい。

——「魚政」さんとこのセコガニは外子がうまいです。

「セコガニは流水で洗ったあと、もう一度、魔法の水につけて、味を調整しているからね。
これをしないと、外子が水っぽくなってしまう。

最後に冷蔵庫で半日から一晩寝かせて、蟹味噌を固めて落ち着かせ、
身肉の旨味成分を増やしてるんだ」

はちきれんばかりに詰まっています!

—— 美味しい食べ方は?

「三杯酢もいいけど、まずは何もつけずに、そのままを味わって欲しいね。
絶対に家で二度茹でしたり、焼いたりしたらダメだよ」

—— 松葉かに。高級品ですよね。

「でも、脚が1本ないとか、傷があるものは安いよ。
体裁は少々悪くても、家族で食べるなら、味は変わらないからお買い得。

予算に応じて、予算以上の満足を提供するのがうちのモットー。
堪能してもらえたらうれしいね」

……とまあ、高いのには理由があって、より美味しく食べられるように、
実に手間がかかっているのです。逆に、安いのは手間をかけていないから、ともいえます。

カニを食べるのは冬の一大イベント。ケチってへんなカニを食べるよりも、
きちんとした値段で、信頼できるプロの目利きに選んで茹でてもらったカニを手に入れるほうが、
賢い選択だと思いますけどね。

綾町の有機農業

安全で、そして何よりおいしい綾町の有機野菜を。

今年の7月、日本では32年ぶり5か所目のユネスコエコパークに、
宮崎県東諸県郡の綾町が登録された。
ひとと自然が共生したまちづくりが行われていることが
認定基準となっているものだ。
綾町は日本最大級の照葉樹林が原生的な姿をとどめるなど
豊かな自然を誇るが、
“ひとと自然の関係性”を物語る根本となっているのが有機農業だろう。

今でこそ、有機農業の野菜はお母さん層を中心に人気が高く、
有機農法の農家も増えている。
しかしさまざまな生産態勢との兼ね合いから、
いつでもどこでもすぐに有機農家を始められるわけではないのが現実だ。
綾町では、70年代から有機農法の推進機関や
家畜のフンや家庭ゴミを有機肥料に処理する施設を設置するなど、
有機農業を行政自体が積極的に進めてきた歴史がある。
特に1988年に制定された「自然生態系農業の推進に関する条例」は
全国的にも先進的な事例で、それ以降“有機農業のまち”として、
今でも就農を目指す研修希望者などがあとを絶たない。

そんな綾町のなかでも長老とでもいうべき伝説のつくり手がいる。田淵民男さんだ。
綾町の畑がたくさんある平地エリアから少し登った、
静かな山の中に田淵さんの自宅と畑はある。
田淵さんの父親が1946年にこの地に入植して開拓。
1952年に、この地で初めて日向夏とはっさくを植えた。
その頃から農薬は使っていなかった。
田淵さんは、親の農業を手伝いながら建築業を営んでいたが、
1979年から本格的に農業を開始。当時は、周りに有機農家などおらず、
綾町が本腰を入れる以前から、有機農業に取り組んでいた。

田淵さんの手はグローブのように厚い。何十年も土をさわり続けていた手だ。

「とにかくおいしいものじゃないと、勝負にならないと思ったんです。
農薬を使うとどうしても野菜も土も固くなる」と
無農薬にこだわり続ける理由を語る。

田淵さんがもっとも力を入れてきたのが土づくり。
家畜を持っていないなかで、
お金をかけず、いい堆肥をつくるために、ある方法を考えついた。
「自然を利用する自然生態系農業を始めました。家の周辺は自然豊か。
夏には雑草を刈り、秋冬は落ち葉を拾い集めて堆肥づくりをしています。
また、深さ70cmくらいまで掘って有機物を埋め込む
スコップ農業にも取り組んでいます」というように、
まだ有機農業が確立されておらず、文献や資料などが少ない頃から、
毎年土をつくり、自らの手でさまざまな農法を実験してきたのだ。
だから、おいしい。
「田淵さんのだいこん」のみを買い求めるために、
わざわざ遠方から車で訪れるひともいるほど、
田淵だいこんファン、にんじんファンは多い。
しかし、この味にいたるまでには、10年かかったという。

「だいこんもなかなかいいものができなかったんですが、毎年肥料を変えてみたり
試行錯誤して、なんとか納得できる味になりました。
それまでに10年くらいかかりますね。
百姓の品物は、1年に1回しかできません。
でもつくり上げたときは、うれしいですよ」
驚くことに、田淵さんは他のだいこんを食べて
「これはこの肥料が足りないな。こうすればもう少しおいしくなるのに」と、
育て方がわかるという。

機械を使わず、軍手すら使わず、素手でその感触を確かめ、
長い間こだわってつくられてきた土。
現在育てている野菜は、だいこん、にんじん、キャベツ、たまねぎなど20種類ほど。
そこで育つ作物は、土から栄養をたっぷり取り込んでいるのだろう。

土づくりが最大のこだわりだという。

有機野菜を全国へと広める母の心。

田淵さんをはじめ、綾町のこだわり農家の有機野菜ばかりを
ネット販売しているのが「オーガニックマミーズストア」だ。
綾町の野菜を広めることで、農家を、まちを元気にしようと試みる。
店長の藤元やす子さんは、ふたりの娘を持つお母さん。
娘が大学進学のため、東京へ出ていったときに感じたことが、
マミーズストアの原点にある。

「東京で食べた野菜が値段のわりにおいしくなかったんです。
娘はずっと綾町の新鮮でおいしい野菜を食べて育ったので、
都会でこれからちゃんと野菜を食べていけるかな? と心配になりました。
だからずっと綾町の野菜を娘に送っていたんです」

いつも明るい笑顔をふるまくオーガニックマミーズストア店長の藤元やす子さん。

こうして定期的に送られてきていた野菜たちは、
娘の友だち周りでもおいしいと評判に。綾町野菜の食事会を開いたり、
友だちにプレゼントするととても喜ばれた。
そうすると娘の友だちにもおいしいものを食べてほしくなる。
そんな思いがきっかけとなり、
もっと多くのひとに綾町の野菜を食べてもらいたいとショップを始めた。
おいしくて、安心安全な野菜を子どもたちに食べてほしいというのが母の心。
それこそ文字通りマミーズストアのコンセプトとなっている。

「基本単位はやはり家族だと思うんです。
家族が食卓を囲んで、おいしいものを食べて、笑顔になることが重要。
その中心にいるのはやはりお母さんだと思うんです」というだけあって、
笑顔が素敵な藤元お母さん。

扱われている野菜は、
藤元さんみずから、直接交渉して契約してきた農家の野菜たち。
「綾町の生産者が真心こめて一生懸命つくっているもの。
自分が食べてみて、
おいしいと納得できる農家の野菜を取り扱うようにしています」
さらに農家のお母さんも携わっているような家族経営の小さな農家から
買いつけることにこだわっている。
野菜をつくるのも、売るのも、お母さんの愛情が真ん中にある。

野菜の集荷は、藤元さんが綾町中を回って、
農家とコミュニケーションを取りながら、直接行っている。
そうすることで、そのときの畑の様子や野菜の生産具合も
ダイレクトにわかるし、農家と近況を話すこともできる。
そんなさりげない思いやりを大切にした仕事を心がけているという。

そこで生まれるのは、小さなコミュニティ。
農家は基本的にそれぞれ個々人の活動なので、
他の農家と交流する機会は少ない。
「せっかくみなさんがまちをあげて有機野菜という
素晴らしい商品を生み出しているので、それをお手伝いしながら、
小さくてもあたたかいコミュニティが自然に生まれたらうれしい」と
藤元さんもその理想を語る。

綾町で採れたて、ナスとオクラ。

綾町が有機農業の発祥のまちだといっても、全国の農業と同じく、高齢化が進み、
後継者不足に悩んでいる。新規就農希望者や研修生も挑戦に多く訪れるが、
農業の大変さに尻込みして、辞めてしまうひとも多いという。
特に有機農業は、農薬を使わない、化学肥料を使わない。
すると当然ながら手間がかかる。だから大量生産はできないし、
収穫量をピッタリ計算することは難しい。
生業として条件が良いとは言い難い。ある種の“ものづくりの精神”なのだ。
だからこそ、オーガニックマミーズストアの藤元さんは言う。
「綾町の農家コミュニティを広げるような活動をしていきたい。
有機農家の野菜づくりへの心意気をもっと知ってもらいたい。
そして何より、安心安全で、
おいしい野菜を全国のみなさんに食べてもらいたい。
そのためのイベントなども計画中です」

あなたと食べたい鮭茶漬け

カモ〜ン! サーモ〜ン!

三陸の川にサケが遡上したというニュースが流れはじめました。
この映像は何度見ても、生命の力強さとはかなさが感じられて、
いつ見ても感動的です。

サケは日本人が一番たくさん食べている魚です。

日本の河川(主に北海道、東北、北陸)に最も多く遡上するサケは、
シロザケという種類で、通常サケといえば、このシロザケのことです。
獲れる地域や時期によって、
アキサケ、アキアジ、ギンケ、ブナ、メジカ、
トキシラズ、トキザケ、オオメマス、ケイジ……
などと呼ばれることもありますが、どれもシロザケのことです。

トキシラズ(トキザケ)は春から夏に獲れた未成熟のシロザケです。
産卵がまだ先なのに沿岸を回遊中していて捕獲されたもので、
栄養が筋子や白子にまわっていないので、身肉に脂がのっていて、
獲れる数も少ないことから人気の高い高級品です。

同じシロザケなのに成熟前(トキシラズ)は、こんな顔をしています。
全然顔つきが違いますね。

サケ類は産卵前のカラフルな婚姻色が表れるまでは、みんな似た感じなので識別が難しいそうです。

川で産まれたシロザケは、海へ下ると北上し、オホーツク海、ベーリング海、
アラスカ湾など、北太平洋全域を大回遊しながら数回冬を過ごします。

サケの仲間でも、日本産まれのシロザケはトップクラスの長距離スイマーです。
そして産卵の2〜3か月前になると、産まれた川を目指します。
シロザケの場合2年〜8年で戻ってくるのですが、多いのは4年だそうです。

サケって、産まれた川にきっちりと戻るイメージが強いのですが、
意外や、間違って他の川に迷い込むのも少なくないのだとか。

ご隠居〜、オイラまた川を間違えちまいましたよ〜。てへへ。

ちょっぴりマヌケな感じもしますが、
4年後に産まれた川に戻っては来たものの、
環境が激変していて遡上できない!→産卵できない!→全滅っ!!
なんてことを避けるための賢い生き残り戦略なのかもしれません。

シロザケが産卵のために回帰するのは9月〜翌年の2月。
河川を遡る前に沿岸の定置網を使って漁獲します。
たとえば北海道でのサケ定置網の漁期は9月〜11月。

少し脱線しますが、北海道の知床半島〜根室半島をヨットで航行すると、
やはり国境というか、ロシアの主張領海線が気になります。
ヨットが拿捕された例がないとはいえ、海上保安庁からは
くれぐれも越境しないように厳しく指導されました。

知床半島の羅臼港で渡されたのが、こんな地図。

渡された航行参考図。びっちりサケの定置網が張り巡らされています。

網に引っかかると大損害を与えてしまうので、
ヨットは定置網が設置されていない、沖を航行しなくてはいけません。
というわけで、境界線ギリギリを走ることになるのです。

GPS航海軌跡。納沙布岬沖がすごく狭い。

おまけ。たぶんミンククジラ。クジラは国の境界なんぞ気にしちゃいません。

司馬遼太郎の小説『菜の花の沖』の主人公、
高田屋嘉兵衛もこの海域にまで来ていましたね。
瀬戸内から塩を積んできて、帰りに塩鮭を本州に運んでいたそうです。

戦後も遠洋漁業が盛んだったころは、
ギンザケ、ベニザケ、キングサーモン(マスノスケ)、カラフトマスなど、
たくさんのサケ類を獲ることができました。

しかし、各国の排他的経済水域が広がり、資源管理型漁業の導入も進んだことから
遠洋漁業は衰退。サケ類の漁獲高の減少、価格高騰が懸念されはじめました。

こうした情勢のなか、資源確保、食料の安定供給ために、
1970年代からシロザケの孵化放流の取り組みが盛んになります。
(孵化放流実験は、明治時代からおこなわれていました)

9割のサケは海で捕獲されますが、生まれ故郷はすべて川です。
北海道、東北、北陸地方の川沿いには驚くほど多くの「孵化場」があります。

岩手県漁業協同組合連合会ホームページを見てみましょう。
もうびっちりですね。

多くの施設が3.11で大打撃を受けました。ちなみに岩手県で人工孵化しているのはシロザケとサクラマスです。

こうして日本沿岸のシロザケの漁獲量は1970年頃の2万トン前後から、
1996年には25万トンにまで増加します。

孵化放流事業は大成功だったのですが、想定外のことが起きました。
日本人の嗜好が変化して、こってり脂ののった魚を好むようになったのです。

秋に沿岸で獲れるシロザケ(秋鮭)は産卵準備のため、身肉の脂が控えめです。

で、人気が集まったのが脂ののるギンザケ。
ギンザケは北米がメインで、日本近海にはまれにしかいないサケです。

ギンザケ養殖の実用化が始まったのも、やはり70年代。
ギンザケは孵化放流ではなく、海上の生け簀で養殖されます。
サケ類のなかでも成長が早いので養殖にぴったりで、
宮城県の女川と南三陸の養殖場は有名です。

では、これら国内で獲れるサケを、私たちは食べているのでしょうか?

実は国内のサケの漁獲量は年間20万トン以上あるのに、
同じくらいの量のサケ類を海外から輸入しています。
どこから輸入しているかというと、半分以上がチリからです。
(次いでロシア、アメリカ、ノルウェーがほぼ同量)

もともとサケ類は北半球だけにしか棲息しない魚だってご存知でしたか?
つまり、南米のチリには本来、サケは一匹もいなかったのです。

チリでギンザケの海面養殖が始まったのが、70年代の終わり頃。
これは途上国支援事業として、日本企業が三陸の海で培った
養殖技術をチリに移入し産業化したのが始まりです。
やがてアメリカなどの企業も参入し、生産量を急速に増やしました。

チリは地形を活かした大規模な経営に加え、飼料、人件費も安いので、
低価格で安定的にギンザケの大量生産ができます。

というわけで、この20年間、スーパーの鮮魚コーナーで、
年間通して幅を利かせているのが、このチリ産ギンザケ、いわゆるチリギンです。

そのあおりを食ったのが、三陸のギンザケ。
養殖の技術を確立した原点の土地だけに、なんとも複雑ですが、
最近では「伊達銀鮭」(「とろ銀鮭」)などブランド化に取り組んでいるようです。

今度、サケの切り身の生産地の表示を見てみてください。
外国産でよく目にするのは……

◎チリ産/ギンザケ、アトランティックサーモン、トラウトサーモン
◎ノルウェー産/アトランティックサーモン、トラウトサーモン、キングサーモン
◎ロシア産/ベニザケ
◎アラスカ(アメリカ)産/ベニザケ、キングサーモン
◎カナダ産/ベニザケ、キングサーモン
といったところでしょうか。

チリではギンザケのヒットをきっかけに、アトランティックサーモンや
トラウトサーモンの養殖事業も盛んになりました。

年を追うごとに世界のサケ類の生産量は右肩上がりで増加しています。
天然サケの漁獲量はずっと90万トン前後で変わりませんが、
養殖サケは増加を続け、1996年頃に天然モノと養殖モノの生産量が逆転しました。
上記のサケもロシア産、アラスカ産以外は、ほとんど養殖モノです。
(アラスカ州では魚の養殖は一切禁止されている)

世界で一番多く生産されているのがアトランティックサーモン(42%)
続いてトラウトサーモン(22%)、カラフトマス(11%)。
ベニザケ・ギンザケ・シロザケは各約5%といった配分です。

シロザケ(秋鮭)(生)/北海道   シロザケ(時鮭)(塩)/北海道   ギンザケ(塩)/チリ産
ベニザケ(塩)/北海道   キングサーモン(生)/NZ   トラウトサーモン(生)/チリ

脂ののったアトランティックサーモン、トラウトサーモン、ギンザケですが、
3種の中で値段が一番高いのはアトランティックサーモンです。

アトランティックサーモンは、かつて塩鮭用に試されましたが、
色が淡いのに加え、脂が多すぎて塩が利かず、
塩鮭に向いていない、使えないと却下されたそうです。

ところが、最近はお寿司屋さんで「サーモン」として大人気。
生食用が主で、チルド、つまり冷凍せずに空輸するので値段はやや高めです。
書き忘れましたが、養殖モノは寄生虫がいないので、生で食べることができます。
天然モノのサケは、加熱するか、生なら凍らせてルイベにして食べるものでした。
オーロラサーモンはノルウェー産のアトランティックサーモンです。

生食用、加工用を兼ねているのがトラウトサーモン。
ほとんどが冷凍なので、値段が安定して安く、
やはり「サーモン」として回転寿司に使われるなど大活躍。
ギンザケよりも成長が早く、扱いやすいので生産量も伸びているとか。

ギンザケは冷凍輸入され、主に加工用として、塩鮭のほか、
フレークになってコンビニおにぎりなどに利用されています。

さて、日本では人気が今ひとつになってしまったシロザケ(秋鮭)ですが、
人工孵化はしているものの、川を下り、海を回遊し、川へ帰るという
極めてナチュラルな成長をしています。

すると「ジャパンのサケってアーシーですごくね?」
「やっぱ養殖モノよりワイルドフィッシュの方がよくなくね?」 
と、オーガニックや生態系に関心の高いヨーロッパから注目を集め、
日本のシロザケが見直されているのだとか。

巨大マーケットである中国へ向けて、シロザケを食べてもらおう
という試みにも力が入れられているようです。

ただし、シロザケでもケイジ(鮭児)は別物です。
ケイジは本籍がアムール川出身の若いシロザケで、
全身に上質の脂がのった、滅多に捕獲されない幻のサケとして有名ですが、
値段もハンパありません。

たとえば、サケ類の中で高値のつくキングサーモン。
なかでも商業ベースでは捕獲していないユーコン川のキングサーモン(天然)が
別格でキロあたり2500円〜3000円だそうです。
ところがケイジは、なんと2〜3万円するというのです。
ギンザケが400〜500円ですから、まさに幻の高級魚です。
もちろん、僕は食べたことありません。

最後に紹介したいのが、アラスカ極北圏に棲むイヌピアック族の魚の図鑑です。

『Fish That We Eat』。シロザケの肝臓のオイル煮とブルーベリーを合えたものとか、サケの頭と筋子のスープとか、日本人にはびっくりの調理法も掲載されています。

太古の昔から、極北の地でもシロザケは貴重な食料でした。
約650万年前にアフリカで生まれたヒトが地球上に拡散していくなかで、
穀物の育たない極北圏を超えて、人類がアメリカ大陸へ渡ることができたのは、
毎年、豊富に、しかも浅い川で容易に獲れるサケがいたからではないでしょうか。

アイヌはこのシロザケをカムイチュブ(神の魚)と呼びます。
その名にふさわしい魚ですね。

門脇美巳さん、洋之さん、裕二さん

島根発! 親子3人でつくりあげた世界基準のコーヒーをどうぞ。

某外資系コーヒーチェーン店が、
「島根県には出店したくてもできない」と言ったという逸話があるらしい。
島根には個人経営の喫茶店が多く、新規参入が難しいという意味だ。
その代表格ともいえるのが門脇家である。
ことのはじまりは、門脇美巳さんが1967年、
安来市にオープンしたサルビア珈琲。
もともとはパフェや紅茶、ジュースなどを提供するよくある喫茶店だったが、
1980年頃から自家焙煎を始め、本格コーヒーへと舵を切っていく。

「すでに炒ってある豆を買ってきてもあまりおいしくなくて、
自分で生豆をぎんなん焼きで炒ってみたら、すごくおいしかったんです」
と、美巳さん。
それ以来、サルビア珈琲では余計なメニューはそぎ落とし、
ドリップコーヒーへの道を究めていく。

ゆっくりとコーヒーを落とす門脇美巳さん。サルビア珈琲は昔ながらの喫茶店のたたずまい。

サルビア珈琲は、1階が店舗、2階が住宅。
この家で育った長男・洋之さんと次男・裕二さんは、
毎日、店のなかを通って学校に行き、店のなかを通って家に帰る。
父親の働く背中を見続ける生活が、
彼らをコーヒー道へと突き進ませることになった。

長男の門脇洋之さんは、
現在、父親と同じ島根県安来市でカフェロッソを経営している。
父親の店を見ているうちに、コーヒーを生業にしてみたいと思った。
ただし、店で出すのはエスプレッソ。
洋之さんがその道を考えていた頃、
全国で外資系のコーヒーチェーン店らが流行しはじめていた。
当時の日本にはまだ馴染みの薄かったエスプレッソ文化を持ってきた黒船だ。
「新しいコーヒーが新鮮だったし、若いお客さんで流行っていました。
ライフスタイルが変わる予感がしたんです。
そのルーツを辿るとイタリアだということがわかって、
イタリアにエスプレッソの研究に行きました。
ミラノのあるバールのエスプレッソにたどり着いて、コレだ! と思いましたね」
と目指すものを見つけ、自分の味づくりに邁進する。

ここでひとつの疑問。
父親ゆずりのドリップコーヒーを継承するという道は考えなかったのだろうか。
「昔はいろいろな喫茶店に連れていってもらったんですけど、
結局、父親のコーヒーが一番おいしくて。これは超えられない。
それならば、エスプレッソという未知のものを自分の力で開拓していこう」と、
美巳さんが泣いて喜びそうな、おふくろの味ならぬ“オヤジの味”へのリスペクト。

ミルクを注ぐ瞬間からラテアートは始まる。長男の門脇洋之さんの丁寧な手つき。

現在は通販で豆の販売にウエイトを移している。人気の2銘柄。(カフェロッソ)

次男の門脇裕二さんも、長男洋之さんと同様コーヒー業界へ。
島根県松江市でカフェヴィータを経営している。
息子がふたりともコーヒーの道へと進み、父親も現役。
それも東京などに出ていくわけでもなく、島根県内でしのぎを削っている。
しかも洋之さんはワールドバリスタチャンピオンシップという世界大会で
2003年に7位、2005年に2位に輝いている。
裕二さんも2003年に日本バリスタチャンピオンシップで2位。
このときの優勝は無論、兄の洋之さん。
2008年にはUCCコーヒーマスターズエスプレッソ部門全国優勝という、
コーヒーエリート一家。
こうして門脇ファミリーのコーヒートライアングルは形成され、
3軒ハシゴなんてコーヒー通の観光客も登場するようになる。
愛好家にとっては出雲大社より、“門脇カフェ詣で”なのだ。
“どこがおいしかった”なんて評論しあうのも楽しいだろう。

三者三様のコーヒー飲み比べツアーへ。

同じ血筋であり、同じコーヒーで育ったのに、実は味の嗜好はそれぞれ異なる。
では、それぞれのコーヒーをみていこう。

昔懐かしの雰囲気が漂う喫茶店、サルビア珈琲。
美巳さんはカウンターの向こうで豆を挽く。
それをペーパーに移し、お湯を注ぐ。すべてが手際よい。
カウンターはすこし低く設定され、対面で行われている作業はすべて丸見えだ。

お湯を注いでふくらむコーヒー豆が新鮮な証拠。(サルビア珈琲)

「ネルでもやったんですけど、やはりペーパードリップが一番簡単。
同じようにやってもらえれば、ある程度、味が再現できます」と、
あくまで家庭でおいしく飲んでもらいたいがために、
ドリップの過程を公開しているようなもの。
細かく聞けば、焙煎具合で後味をすっきりさせたり、
お湯の温度、季節ごとの豆の水分の違いなど、こだわりトークはとまらない。
しかし、現在では豆の販売を中心にしているので、
その豆を使ったおいしい淹れ方を普及させようと努めている。
「豆は生鮮食品です」と強く語る美巳さん。一番はやはり豆。
新鮮な豆は、お湯を注いだ瞬間の、ふわっと広がる反応がまったく違うという。
美巳さんの淹れてくれたコーヒーは、やさしくてさわやかだった。

“生鮮商品”であることをハッキリと明示。新鮮さが命だ。(サルビア珈琲)

かわいいラテアート含め、カプチーノが人気なのがカフェロッソ。
洋之さんは、一時はバリスタの大会などに積極的に出場していたが、
あるときから「自分の求めている味を追求すると勝てない」ことが
わかってきた。コーヒー業界のなかにも流行があって、
フレッシュな酸味という今のトレンドは、洋之さんの好みの味ではないという。
それからは、大会よりも自分の好きな味を追求し、
毎日生み出すという活動に変化してきた。
現在、洋之さんがこだわっているのは追熟させた味。
「炒ったコーヒー豆をパックして、
熟成が進むような温度帯を見つけようと研究しています。
エスプレッソは、炒ってすぐだと泡がモコモコになってしまいます。
ある程度時間が経たないとまとまらない」と、
豆をなるべく一番いい状態で保つことが目下の課題のようだ。
いただいたカプチーノには、木の葉のラテアートが描かれていた。
レパートリーは10数種類。きめ細かい泡がとてもやわらかい。

こんなかわいいクマやパンダから、木の葉まで。(カフェロッソ)

裕二さんが経営するカフェヴィータは、
3軒のなかで一番若者のカフェらしい佇まい。
ここでいただいたエスプレッソは、
カップの内側にコーヒーがはねたような跡が残る。
通常は抽出口が二股に分かれているエスプレッソマシンだが、
裕二さんはそれを一か所から抽出する。
そうすると、どうしても内側が汚れてしまうという。
それも裕二さんが求める味を提供するためのことなので、しかたがない。
ひとくち口に含むと、かなり油分を感じ、こってりと濃厚だ。
残りは、裕二さんの勧めで砂糖をたっぷりと1本入れてみる。
するとその味わいはほとんどチョコレート。
裕二さんがつくるパンチ力のあるエスプレッソは、
兄・洋之さんの「赤ワインのように最初のアロマから、
後味の余韻へと変化していく」エスプレッソとは、兄弟でも好みが異なる。

ある意味、見た目通りのワイルドなエスプレッソ。コクがたっぷり。(カフェヴィータ)

三者三様のコーヒー。共通点といえば、島根で展開していること、
そして姉妹店などを出さずに小規模のまま
自分の目が届く範囲で経営していること。
3人とも職人肌で、自分でやらないと気が済まないタイプなのだ。

父親の美巳さんは「ふたりとも、ひとを使うのがへたくそ」と笑う。
それを裏付けるように長男の洋之さんも
「コーヒーをつくるのは自信があるんですけど、
マネジメントとか教育とか苦手なんですよ。あまり器用じゃないので、
いろいろなことをやるとコーヒーから離れていきそうで……」と、
あくまでコーヒーのクオリティを守るための
現状の店舗であり、スタイルなのだ。
「こっちは気楽ですよ。焙煎しても誰からもクレームこないし。
ゆっくりしているから、1杯1杯しっかり出せます。
お客さんが増え過ぎてしまうと、クオリティを保てるかわかりませんから」
と次男の裕二さんも、島根にいるからこその優位性を語る。

島根でなければ飲めないコーヒー3杯。
これを飲むためだけに行く価値がある、親子の物語たっぷりのコーヒーだ。

洋之さんのこだわりが感じられるひとこと。(カフェロッソ)

豆袋には3店舗のネーム入り。同じ業者から豆を購入することも。

Shop Information


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サルビア珈琲

住所 島根県安来市安来町西小路1918
営業時間 9:00〜18:00
定休日 日曜日
TEL 0854-22-2088


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CAFÉ ROSSO beans store+cafe
カフェロッソ ビーンズストアプラスカフェ

住所 島根県安来市門生町4-3
TEL 0854-22-1177
営業時間 10:00〜18:00
定休日 日曜日(祝日は営業)
http://www.caferosso.net/


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CAFFÉ VITA
カフェヴィータ

住所 島根県松江市学園2-5-3
TEL 0852-20-0301
営業時間 10:00〜20:00
定休日 木曜日
http://caffe-vita.com/

寺田本家 後編

からだが喜ぶおいしさ。

《登場人物》
寺田優(以下、寺田):株式会社寺田本家代表取締役
なかじ(通称、なかじ。以下、なかじ):寺田本家蔵人頭、発酵料理家、レシピ本著者
ジャスティン(以下、ジャス):著者。

酒造りの現場をまわって、寺田本家ならではの酒造りについて学んだあと、
蔵と同じ敷地内の部屋で食事をすることにした。
学んだことを振りかえりながら日本酒の味わいを通して
神崎町の発酵フィロソフィーについてより深く掘り下げて聞いてみた。

全員

乾杯! おつかれさまです!

ジャス

夏にはちょうどいいですね、この酸っぱさ。
夏に元気がでそうなお酒って不思議ですね。

寺田

そうですね。

ジャス

でも、この「むすひ」って、正直、好き嫌いが分かれそうな味わいじゃないですか?

寺田

そうですね(笑)。玄米でお酒ができたらいいなと思ったのが、最初だったんですね。
まぁ、“玄米ではお酒ができない”という日本酒の常識があるけど、
玄米を食べるとからだにいいとよく言われているし、
お米であることには変わりないから、じゃあ、玄米でもきっとお酒ができるはずだと、
取り組みはじめました。

ジャス

確かに、僕もはじめて飲んだ時に、お酒が飲みたい!
と思ってむすひを選ぶ人は本当にいるのかなと思っていたんですけど、
お酒を飲むというよりも、自分のからだのため、健康のために薬を飲んでいる感覚で
よく飲む人がいそうだなと思いました。
むすひだけを何週間も少しずつ飲み続けてから、普通のお酒をまた飲んでみると、
もの足りなくなってしまいそう。
それくらい、むすひのクセにはまっちゃう人もいそうですよね。

寺田

飲んだ瞬間、「あぁ、酸っぱい!これはだめだ!」と思っても、
飲んでみるとからだが喜んでくれる実感がある。それが「むすひ」なんでよすね。

発酵って、生活がすごく楽になる。

ジャス

なかじさんは、随分前からマクロビの料理とか、
ベジタリアン料理とかをやっていたと思うんだけど、
発酵ってことを本当に意識しはじめたきっかけってなんだったんですか?

なかじ

それは、蔵に入ってからですね。
今までの料理に、発酵の良いところ面白いところを組み合わせて、
昔の人はどうしていたんだろうとか、
発酵させることでもっと美味しくなるんじゃないかとか考えていました。

ジャス

その料理のスタイル、ベジタリアンとか、イタリアンとか、BBQとか、
料理のスタイルというよりも、なんか、ライフスタイルのほうに近い感じがしますね。

自分で作る権利。

なかじ

今、日本酒、清酒の蔵は減っているけど、もっとビールとかワインみたいに、
小さい、個人とか、造りたい人がどんどん自分で免許をとって、自分で酵母をつくって、
日本酒を造れるようになったらいいなって思うんですよ。
だって、ヨーロッパとかに行くと、小さいビール工場いっぱいあるんじゃないですか?
ワインも種類が豊富。

ジャス

あるある。

なかじ

でも日本酒って、どこに行っても味に大きな違いはないし、大きい蔵しかない。
個人が、カフェとか居酒屋さんをやるみたいに、
日本酒の蔵を作れるとか、なったらいいなと思うんです。
それの入口が清酒の免許だったら難しいけど、
どぶろくの免許とかその他の雑酒の免許だったら
けっこう個人でもいけるんじゃないかなと思うんです。

寺田

そうだね。本当のいいものは受け入れられるし、
これから2、3年がらっと変わってくる気がするんです。
そうなると、本当に発酵の文化がわっと花開くようになるかな。

なかじ

お酒造り、麹作りの智恵とか、お味噌作りの智恵とか、
その醸造関係者が持っている智恵をもっと一般の人に広めて、
自分たちの生活の中に取り戻す必要がありますよね。

ジャス

確かに、最近麹とか、甘酒とかの発酵食品が人気になって、
さまざまなところで手に入るようになることで、
一般の人がその「発酵」というキーワードをもっと意識するようになるのは
すごくいいことなんだけど、その最終的なゴールって、
自分の生活に取り戻すということだったら、
もっと一般の人の日常生活、食生活が大きく変わってもいいはずですよね。

なかじ

やっぱり、自分たちで作る権利が、あるべきだと思う。
酵母とか、麹の種菌とか、一部の大きい会社とか、国が持っていて、
(一般の人が)買えないのではなく、普通に菌はどこでもいるし、どこでも作れるから、
みんなが自分の生活に必要なものは作れる、という智恵と自信を取り戻せたら。
だって、昔はおばあちゃんがみんな適当にやっていたことだから(笑)。

ジャス

そうですね。勘で作ったりとか(笑)。

なかじ

それがもっと気軽になって、敷居が低くなればいいなと思うんですよ。

神崎の不思議なところをたくさん増やしていく。

なかじ

神崎って他のまちに比べて、発酵関係の仕事をしている人はまだまだ少ない。
今から発酵をテーマにして、まちをつくっていこうというスタートの段階ですね。
それでも若い人たちが少しずつ集まってきて、
“お米を作りながら生きていきたい” “野菜を使ってカフェをやりたい”という人が
だんだん出てきている感じですね。
だから “「発酵の里」が始動しますよ!”と世間に広めて、
さまざまな人からアイデアとかいただけたらなぁと思っています。

ジャス

今作ってないんだったら、何をされているんですか?

なかじ

お醤油さんは、大きい醤油屋さんからお醤油を買って、瓶詰めしている(苦笑)。

ジャス

そっか……。もったいないですね。

なかじ

もったいない。でも蔵はまだあるから、やろうと思えばできるはず。
醤油屋さんの30代くらいの跡取りの息子さんが
「発酵の里」のミーティングに参加してくれたんです。
みんな“どうにかしなければ”と思っているということです。
なので、今は、何かが始まっているというよりは、
人が集まってきているという段階ですね。

寺田

今、古民家を借りて暮らしている人がいて、
この民家の庭先に酵素風呂を作ったんですよ。
酵素風呂って、オガクズとか、米ぬかとかを入れて、
堆肥を作るように発酵させるんですね。
そうすると、温度が60℃ぐらい上がるんですよ。砂風呂みたいに身体を突っ込むと、
デトックス効果で、身体中から汗とともに悪いものをわ~っと出してくれて、
すっきりする。これを実際作っている人がいたりとかね。
そういうものをひとつひとつ増やして、
発酵をありとあらゆる場所で体験していただけるまちになったらな、と思っています。

ジャス

最初にこの“発酵”というコンセプトでまちを元気にさせていこうとしたときに、
酵素風呂ができるとはあんまり想像がつかなかったんじゃないですか?
こういう場所があったらいいなとか、こんな人がいてくれたらいいなというよりも、
なんとなく自然な流れで、その時にまちの自然な勢いで無理なく、
自然に現れてくるというほうがいいかもしれないですね。

寺田

そうですね。面白くて、不思議なものや場所がいっぱい集まってきて、
他のところにない特徴が生まれつつある段階ですね。

意識や夢や目標をまちのみんなで共有すること。

なかじ

ひとつの場所でゆっくりと発酵させると美味しいお酒ができることと同じで、
まちをつくるのも、ゆっくり少しずつできるとこからやろうと考えています。
急に大きくすると、すぐダメになる。

ジャス

社会の中でも似たような現象はたくさんあるじゃないですか。
新しいビジネスを立ち上げて、あるかたちでちょっとしたヒットがあって、
あわててスタッフを募集して、一瞬だけ盛り上がるけど、
いつの間にぱしゃーっと空気が抜けてしまって、もう終わり? みたいな。

なかじ

そう、会社と同じだと思う。急に大きくしすぎると、
そのトップの人と現場の人、一番下の社員の意識、そのマインドのレベルの差が激しくて。
そのトップの人はすごく高い夢とか、目標とかあるけど、下の人は……。

ジャス

見えてないこともある。

なかじ

でもお客さんと接する人はこの一番下の人だから、
この差が激しいと絶対いつか失敗するでしょう。
これはいい商品ですよってトップが言ってきかせても、
その現場の人が「いい商品ですよ」って思っていないから、売れなくなる。
つまり、意識や夢や目標をまちのみんなで共有することが、
まちづくりのひとつのキーワードだと思っています。

ジャス

無理に大きくさせるのではなく、もっと持続性のある土台をゆっくり、
しっかり作っていくということですね。

微生物から教わったこと。

寺田

前の当主がよく微生物からさまざまなことを教わったと言っていました。
微生物というのは、みんな仲良しなんだって。
弱肉強食ってそういう世界じゃなくて、それぞれが自分のできることを一生懸命やって、
自分の出番が終わると、次の菌にバトンタッチして、
それぞれがお互い住み分けしながら生きていく。それが本当の自然な世界なんだよって。

ジャス

そのような栄養素以上の価値、その面白さをどう伝えるのかって、
この神崎にいることで言葉で説明しなくても
なんとなく伝えることができる気がしますけどね。
それは体験っていうよりも、体感かな?
やっぱりそれを五感、いや、六感で感じてもらわないとね。

寺田

そうですね。その場で参加してもらって、体験してもらって、
なにかのヒントを感じていただいて、家に帰ってからもそのヒントを発酵させるように、
徐々に暮らしの中に取り入れいただけたらいいなと思いますね。
ただ買って、消費してというだけではなくて、
いかに共感して体験して、というのが大事になってくるんじゃないかなと思います。
遠くから来ていただける人が
本当にこの神崎町というところに愛着や共感してもらえるような、
そういう場所をどんどん増やしていければいいですね。

次のページでは、発酵料理家でレシピ本著者のなかじさんに、酒粕を使ったおすすめレシピを伺います。

最「幸」級の南魚沼産コシヒカリ収穫!

10月10日新米解禁!

とうとうこの季節がやって参りました!
日本人のみなさま、
私たちのDNAに深く刻まれているお米への愛情を思いっきり開放してください!

今年も無事に新米が収穫され、めでたく発売となりました!
毎年のことですが、この感動は何度味わっても格別です!

今年のお米の出来は、
昨年よりも収穫量は減りましたが、(とはいうものの昨年が豊作だったため、例年並みです)
食味は上がりました!
なんと無農薬栽培米は食味値89。
ちなみに昨年は86。
食味値とはアミロース、たんぱく質、水分、脂肪酸化度の成分量のバランスで、評価されます。
ひとつの基準値なので、
高いからといって100人中100人が美味しいと感じるわけではありませんが、
平均60~65という中で89は良い数値なのでテンションが上がりました!
しかし、農家山本は浮かれる僕を横目に
「あくまでも参考的な数値だからあんまり気にならないよ」とクールな様子。流石です。
でも、89は魚沼で見てもいい数値なんですよ!

実際に試食した感想としましては、
減農薬米のレベルが上がってました!
昨年までのものよりも甘みが強くなり、香りも良い。
ツヤツヤのモチモチ感は無農薬栽培米には勝りませんが、
風味は無農薬栽培米に近づいているように感じました。
硬めが好きな自分にはちょうど良いバランスです。
今年は減農薬栽培の水の管理や堆肥の使い方にひと手間掛けたようです。
山本いわく「それが当たったのかな」とのこと。

無農薬栽培米は、相変わらずみずみずしく、ツヤツヤモチモチで甘みと香りが強く、
MAXハイテンション!
ともに試食をした山本の次男坊も白米だけで2膳を完食。
4歳児がおかずなしでモリモリ食べちゃうくらいの美味しさですからね、
間違いないです!

もちろん今年も放射能測定を致しました。
今年は自主的に昨年よりも測定下限値が厳しい検査機関へ。
結果は、下限値未満で検出なし!
安心しました。
詳しくはコチラをご覧ください。
廣新米穀ホームページ「24年産 放射能測定結果報告書」
http://www.wanderingvillage.com/2012/2149.html

何はともあれ、無事に収穫できて何より。
今年も山本がいい仕事をしてくれました。お疲れさま!!!

さぁ、ここからが僕の仕事!

みなさん、一番美味しい新米の時期に、
最「幸」級の南魚沼産コシヒカリをぜひ召し上がってみてください☆

とくしまマルシェ

マルシェの、効能。

食欲の秋、豊穣の秋が到来!
週末ともなれば、全国津々浦々、産直市や青空マーケットなど
生産者と消費者を直接つなぐ、食のイベントが目白押し。
食いしん坊にはたまらないこのシーズンだが
徳島に、回を重ねるごとに集客が増えているという、話題の産直市がある。

それは、毎月最終日曜日に開催される「とくしまマルシェ」。
徳島経済研究所が、2010年12月からスタートさせた
「徳島の農業ビジネス活性化構想」のプロジェクトの一環だ。
市中心部にある新町川沿いのしんまちボードウォークに
白いパラソルが並び、フランスのマルシェ(市場)さながらの様子。
20回目を迎えた現在、毎回60店舗ほどが出店、
平均して1万人もの人びとが集まる人気イベントに成長した。

徳島市は市の面積の13.6%を川が占めている水の都。まるで、市民の心のオアシスのような場所が会場に選ばれた。

運営するのは、とくしまマルシェ事務局。
出店者の選定からイベント企画、マルシェ当日の監督、清掃、警備
ホームページ更新やネット販売、他社とのコラボレーション企画、
毎月の東京への出店など、常駐3名のスタッフで「なんでもござれ」。
「行政からの補助金に頼らずに事業でやっていく、と決めています。
立ち上げ時は1年だけ助成金はいただきましたけど」と
気骨のある声をあげるのは、事務局長の金森直人さん。
東京の大学を卒業後に徳島に戻り、しんまちボードウォークで
パラソルショップのプロデュースを成功させていた彼に、
マルシェの発起人、田村耕一さん(徳島経済研究所専務理事)が声をかけた。
「首都圏から有名人を呼んで人を集めるのではなく、
地域発信ならではのものにしたいと思いました。
企画の面白さで人に楽しんでもらえるマルシェをつくるのが目標」と力強く語る。

左からとくしまマルシェの東京進出プロデューサー、中西章文さん、発起人の田村耕一さん、事務局長の金森直人さん。中西さんと金森さんは毎月、とくしまマルシェの商品を車に乗せて東京へ運んでいる。撮影:在本彌生

そもそも、徳島県はれんこんやすだち、さつまいも
生しいたけなどの一大産地として知られており、
人口の多い近畿圏への野菜出荷量は、他県の群を抜き、農業は県の一大産業だ。
にもかかわらず、厚生労働省が2012年1月に発表した国民健康・栄養調査結果によると
徳島県の成人男性の1日当たりの野菜摂取量は
47都道府県中、最も少ないという残念な統計が発表されている。
さらには、人口10万人当たりの、糖尿病・肝臓疾患患者の死亡率が全国ナンバー1であり、
野菜摂取量の少なさを指摘する専門家もいるという。

なんという、矛盾。
徳島県人は阿波おどりの激しい練習のおかげで、
みんなスリムでヘルシーなわけではなかった。
奇しくも、お隣の香川県と並び、まちを見渡せば
安くて早い、スタンドうどんがすぐに見つかる。
お好み焼きやラーメン屋も多い「粉物」人気の食文化圏だけに、
金森さんらは県民がわざわざマルシェに足を運んで
スーパーマーケットに並んでいるものよりも高くつくこだわりの産品に、
お金を出す価値を見出してくれるかどうかを心配したという。

そこで、とくしまマルシェの特性を打ち出すために出店者を一般募集しないことにした。
自らが気になる農家へ出向いて話を聞き、
そして出店にふさわしいと納得できるところだけに依頼をした。
もちろん、販売という未知の体験に、出店を断るところもあった。
そこはやはり自分たちで選んだ生産者のこと、
マルシェのことをきちんと理解をしてもらうため、何度か足を運んだという。
そして、どのくらいの価格でどんな商品なら、消費者も値段に納得して買うか。
ノウハウの少ない人たちとともに、販売アイデアを考えた。
「徳島の本物の産品は県内には流通せず、他県に流出する一方。県民は徳島産品の美味しさを知らないことが残念で、徳島の美味しい農産物をみんなに味わってもらいたかったんです。そのために、まず、良質な地産地消の味を、地元に定着させることを目指しました」(金森さん)
安定した現在の来場者数を見ると、すでに答えは出ている。

また、ブランド戦略の一環として、各店舗の商品を並べるためのオリジナル木箱を配布し、
エコバッグやパンフレットなどもあわせて会場全体のデザインを統一。
川沿いの心地良い空間を演出することで、さまざまな年代の人たちが集まるようになった。
公式ホームページのほか、TwitterやfacebookなどのSNSも
積極的に取り入れ、動画サイトのUstreamに会場を中継した模様を
逐次アップして集客促進に励んでいる。

生産者と消費者が直接やりとりできる機会が定期的にもてるのが生産者側から見たマルシェの魅力。お客さんもじっくりと時間をかけて商品を選ぶ。この相互作用がマルシェそのものの質を高めていく。

子どもたちが農作物の植付けから収穫・加工・販売まで行なっているキッズファーマープロジェクトも、他の生産者に負けてはいられません。自分たちのつくったものを、自信を持ってアピール!

とくしまマルシェ、自慢の農産物がズラリ。もし、当日現地に行けなくても開催当日にマルシェから旬の野菜・フルーツを直送する「お届けマルシェ詰め合わせセット」(送料込みで3000円)もある。お申込みはホームページから。

とくしまマルシェに出店している、人気の生産者に話を聞いてみると、
口々に「お客さんとやりとりできる環境ができたのがいい」と言う。

「マルシェでは、他店の華やかな軒先に並べると、卵は見た目の変化に乏しい商品なので、
ちゃんと内容を説明しないと何がどういいのか伝わりません。
だから、毎回、伝え方を工夫しているんですよ」
と言うのは、コレステロール値の低いヘルシーな
白い黄身の卵「地米」がマルシェで話題となっている
「たむらのタマゴ」の二代目、田村桂樹さん。
地米のほか、黄身が黄色の「濃蜜」、オレンジがかった
「たむらのタマゴ」と
三種類の卵を割って展示し、餌によって黄身の色が違うのを説明。
鶏にストレスをかけない土地を選び、風通しのいい鶏舎をつくり、地元の米を使い、
EM菌を混ぜた独自の餌づくりについて説明するほか、
知るとなるほど納得するようなたまご豆知識のメモを毎回用意する。
なぜたむらのタマゴがスーパーで売っている卵に比べて
値が張るのかという理由を理解してもらうことがポイントだ。
「モノの良し悪しをどうわかってもらうかが重要です。
それを伝える努力をしないと、どんなにいいものと思ってつくっても、
人の手に渡らないから……。」と言う桂樹さん。
二代目の熱い思いはマルシェ出店によって少しずつ広がってきた。
「こちらが話せば、ちゃんとお客さんは聞いてくれます。
お陰さまで回を増すごとにリピーターの方が増えてきたのを実感しています」
徳島市まで1時間以上かけて阿南市の鶏舎から
新鮮な卵を持って駆けつける、桂樹さんの努力は実ってきている。

桂樹さんの隣は父である社長の智照さん。
「本物は黙々として語らず、いいものはそのまま伝わると思いながら仕事をしていたんだが、時代は変わっていくね」

鶏が密集する熱を逃がすように自然の風が通りやすいよう設計されている鶏舎。鶏の糞が下へ落ちるように2Fに鶏がいるようになっているので匂いが少ない。鶏へのストレスが少ない鶏舎で生まれる卵は美味しくて当然だ。

それはそうと、農に携わる人は販売に慣れていないはずなのに
マルシェでの商品の見せ方がとても上手。

「最良の農作物をつくる人は、最良のセンスをもってつくるのだから
商品のスタイリングが上手なのは当然」
というのは糖度8から12もの高糖度のトマト
「ももりこ」で知られる樫山農園の樫山博章社長。
これまで、樫山農園のトマトは高級品として首都圏、近畿圏の
高級スーパーやレストランなどに求められてきた。
地元では、安値でないと売れない。
どんなに手をかけて美味しいトマトをつくっても評価がないのでは
農家だってモチベーションが上がらないし、
品質向上のための投資もできない。
樫山農園の事務所を訪れると、試験管がズラリ並んでいた。
10年以上かけて完成させたビール粕をまぜた肥料でつくる
糖度10以上の「珊瑚樹(さんごじゅ)」のほか、
昨年発売となったオリジナルブランド「ももりこ」など
美味しいトマトの研究開発に余念がないのもうなずける。

「都会だけでなく、地元でも自分たちのつくるトマトの価値を
わかってもらいたいと思ったのです。
県主催のマーケティングフェアに出店し、近所のJA直売所では
少し傷のついたものなどを250g、350円で出しました。
すると、隣県からも買いに来る人がいるくらい人気が出てしまって。
2011年2月からはとくしまマルシェにも参加しました。
マルシェで消費者の方と交流し、新しい取引が始まったり、ファンになってもらったり……。
それまで、生産ばかりに注力していましたが
いいきっかけで自分たちの殻が破れた気がしました」と言うのは、専務の直樹さん。
マルシェでは軒先に立って、率先して販売する。
直樹さんは、国内外へ阿波徳島の食材をアピールするグループ
「若士(わかいし)」にも参加している。
ちなみに、「若士」はとくしまマルシェをきっかにつくられた若い農家の会で
「たむらのタマゴ」の桂樹さんもメンバーのひとりだ。

「お客さんを説得するのは女性を口説くのと一緒。マルシェでは、あの手この手で頑張っているんでしょうね」
と、息子である直樹さんを見ながら樫山社長は笑う。

低温でゆっくりと熟成させた樫山さんのトマトは、冬に一番美味しくなる。反対に水分を含む夏場は、樫山さんはトマトで出店はしない。「ここのトマトでないといかんのよ」というお客さんに人気は支えられている。

マルシェの効能は、売上を上げることだけではない。
つくり手のモチベーションアップにつながった。
結果、地元での消費が増えることに成功し、おそらく食生活の質も、一部向上しているはずだ。
さらには、他県から個人やバスツアーで人が訪れてお金を使っていく。
なんと、市内の百貨店はマルシェの開催日には売上がのびるという。
生産者だけではなく、運営側もマルシェに付加価値をつけるために
家族連れが楽しめるイベントを考え、何度も足を運ばせる工夫をする。
マルシェで買った新鮮食材を自宅へ直送できる
お届けマルシェや気に入った生産者から収穫の時期にあわせて
野菜などが購入できるショッピングモールサイトでのフォローもある。
事務局は、ここで利益を上げ、次なる仕掛けを考える。
中心市街地の賑わいを創出、観光振興とあわせて
農業ビジネスの活性化をめざした、発起人の田村氏の狙いは間違っていなかった。
もちろん、それはすべてがプラスに作用したからであって
休みも関係ない多忙な農家がわざわざ出店したくなる
場づくりを行った事務局の功績は大きい。

さあ、地元での認知が高まったところで、全国へ———。
事務局、生産者、そして実際に消費している徳島県人が盛り上げる、地元の産直市。
関わる人、産地、販売する商品とつくられる背景すべてをひっくるめて
あり方そのものが、「とくしまマルシェ」というブランドに成長したことが
マルシェ開催の“一番の効能”なのかもしれない。