〈 この連載・企画は… 〉
南北に長い日本列島。同じ魚でもおいしい時期も違えば料理法も違います。
季節の花を愛でるように旬の魚を食したいではありませんか。そこが肉食と違う魚食の醍醐味。
魚の食べ方や生態や漁法を漁師、魚屋さん、魚類学者、板前さんなど、魚のプロに教えてもらいます。
writer's profile
Sei Endo
遠藤 成
えんどう・せい●神奈川県川崎市生まれ。出版社を退社後、ヨットで日本一周。漁業、海生生物の生態の面白さに目覚める。東京湾の環境、漁業、海運、港湾土木をテーマにしたエンターテインメントマガジン『TOKYO BAY A GO-GO!!』編集長。
credit
取材協力
塩谷魚店
http://www.shioyagyoten.com/
民宿『鯛の里』
http://www.d3.dion.ne.jp/~shouji/tainosato.htm
参考文献
『ナマコ学ー生物・産業・文化ー』(高橋明義・奥村誠一/成山堂書店)
『水産振興』533号「国際商材ナマコ製品の市場と流通事情」(廣田将仁/東京水産振興会)
ナマコの話のつづきです。
前回は不思議な生態の話題が中心でしたが、
今回はナマコと経済の話をしたいと思います。
え? ナマコとカネって、いったいなんのこと?
では、はじめます。
ヨットで日本一周をしていたときに、
ナマコを一番見かけたのは北海道でした。
北海道の増毛港を5時45分に出航して北上し、
焼尻島の港に到着したのが12時30分。
港湾内にあるサフォーク種のラムを食べさせる店で、
天気図と海図を眺めながら酒を飲み始めました。
嫌な前線が近づいてきているので海は荒れそうです。
軽い肴になりそうなのありませんか? とたずねると、
店のおばちゃんがナマコならあるよ、とのこと。
なんでも旦那さんがナマコ漁師なのだとか。
さっと茹でたナマコが丼にど~んと、
それに醤油、酢、砂糖の壷もど~んと渡されました。
自分で好みの味つけをして食べるようです。
ナマコは生しか食べたことがなかったのですが、
さっと火を通すと身肉が柔らかくなるんですね。
生よりこっちが好みかもなー。
ん? 待てよ。今は7月だぞ。
ナマコは冬の食べ物ではないのか?
しかも、さっき獲ってきたばかりだって。
土地が変われば、旬の時期も変わるというけれど、
それにしても冬と夏って違いすぎるぞ。
そのときは、ぼんやり思っただけだったのですが……。
実は本州のマナマコは産卵を終え夏になると、
岩の間に潜って夏眠をします。
青森県でも5月1日~10月1日は県全域で禁漁期です。
ところが北海道のナマコは水温が低いせいか
夏眠をしないので、この辺りでは7、8月が漁期なのです。
近年アワビやウニが採れなくなったこともありますが、
このナマコ、実に儲かるのです。
ヨットでの旅は、漁港の片隅に停泊させてもらうのですが、
長引く魚価の低迷、不漁、燃料の高騰、漁師の超高齢化で
疲弊している漁港が多く、厳しいものが伝わってきます。
そんななか、活気が溢れていたのがナマコ漁をしている漁港。
中国の改革開放政策とそれにともなう急成長で、
ナマコの相場は跳ね上がりました。
2000年以降、とくに2008年の北京五輪前あたりは、
ナマコバブルと呼ばれるくらいの加熱ぶりで、
「日本産ナマコ、中国で空前のブーム、価格5年で5倍」という
新聞記事が2007年7月に載っています。
ナマコはツバメの巣、フカヒレ、アワビとともに
「四大海味」のひとつで、中華料理に欠かせない乾燥海産物です。
生では食べず、乾燥させた干しナマコを水で時間をかけて戻して
食べるのが一般的で、ナマコは朝鮮人参に匹敵するくらい
滋養強壮効果があると信じられています。
ナマコは世界に約1500種いて、食用にされているのは30種類ほどと
ウィキペディアには書かれていますが、水産物輸入業者の話では
今までは食べていなかった種類も加工されるようになったので、
おそらく60種以上は食べているのではないか、とのこと。
世界のナマコ貿易の中心地は香港です。
中国は50か国以上からナマコを輸入していて、取引量が多いのは
パプア・ニューギニア、インドネシア、フィリピン、そして日本です。
世界各地からナマコが集結しますが、日本産の乾燥ナマコは
他国に比べると圧倒的に価格が高いのです。
こんな調査結果があります。
どうですダントツ高値で取引されているでしょ?
末端価格はいくらになるのでしょう。
日本国内で販売されている乾燥ナマコの値段を
ネットで調べてみると、北海道産の100g=2万1000円とあります。
高級和牛の代表格、松坂牛のA5ランクが100g=4000円くらいですから、
なんとその5倍!
グラム210円ですよ!!
最近値上がりしている金が1グラム約5000円ですから、
ざっくりいえば乾燥ナマコ25g=金1gになります。
日本でこの値段ですから、最高級のナマコは
中国ではいったいいくらになるのでしょう。
そして、これだけ高額なものが海の中にゴロゴロしていると、
どういうことがおきるか。
ちょっと検索するだけでナマコがらみの犯罪がわんさかヒットします。
組織的な大規模密漁だけでなく、
詐欺事件までナマコは引き起こしているのです。
ナマコの輸出事情を教えてもらおうと水産物の貿易を営む友人を訪ねると、
「えっ!? ナマコですか!? 気をつけてくださいよ」と顔を曇らせました。
なんでもナマコは食材にしては投機的要素が強く、
怪しげな業者も紛れ込んでおり、
密輸ルートでの収益が暴力団の資金源にもなっているといわれ、
素人が手を出してはいけない世界なのだそうです。
ジャパニーズ・マフィアとチャイニーズ・マフィアが
ナマコを巡って血なまこ、いや血まなこに!?
深夜のワンチャイのはずれのビルの地下駐車場。
無言でアタッシェケースを置くジャパニーズ・マフィア。
そのアタッシェケースを開くチャイニーズ・マフィア。
「上物ですぜ」
中にはぎっしり詰まった白い粉の袋。
いや、ちがう、黒いイボイボの物体。これは。
乾燥ナマコ!
香港ノワールの鬼才ジョニー・トー監督が撮っても
間抜けなアンダーグラウンド取り引きの絵に
なってしまいそうです。
しかし、あながちフィクションともいえません。
中国の路線バスの運転手がロシアから乾燥ナマコを
密輸しようとして逮捕されてますし、
国後沖でロシアに拿捕された日本のプレジャーボートは
積み荷の乾燥ナマコを海上に投棄して逃走しています。
ううむ、となるとロシアン・マフィアも絡んで
三つ巴の違法ナマコの争奪戦になりそうです。
大連の百貨店では一流ブランドが入っているフロアに
高級乾燥ナマコショップが並んでいるといいますから、
もう食材というより貴金属に近い感覚ですね。
乾燥ナマコがコカインや金の延べ棒みたいに扱われているのでしょうか?
ナマコのブラックマーケットの存在を匂わせながら、
実体験をもとにスリリングに書かれた小説が、
名前の中にナマコを抱く作家、
椎名誠(しいナマコと)さんの『ナマコ』(講談社)です。
ナマコはほぼ全国の沿岸で採れますが、
主な生産地は北海道、青森、山口、兵庫、石川です。
同じ日本産でも価格に差があるようで、
08年調査でこんなデータがありました。
北京料理と広東料理ではナマコの好みが違うようで、
北海道青森産のマナマコやバイカナマコなど
イボがしっかりしたのを好むのは北京料理系。
広東料理ではどちらかというとイボの少ない
ハネジナマコやチブサナマコが好まれるようです。
2010年の香港向け農林水産物の輸出額の統計をみると
乾燥ナマコがトップでなんと127億円も稼いでいます。
しかも、このデータには現在、輸出製品の多くを占める
塩蔵ナマコは含まれていないそうなので、
おそらくもっと稼いでいるのでしょう。
輸出品としてのナマコは、なにも最近に限ったことではありません。
江戸時代からナマコは重要な中国向けの輸出物でした。
清朝中国にとって日本との交易の最大の目的は、
銅銭鋳造に必要な原料の銅でした。
1716年、清朝政府に納められた銅のうち、
日本産の銅が62.5%、雲南産の銅が37.5%といいますから、
いかに日本の銅に頼っていたかが分かります。
かつて日本は金や銀の大産出国でしたが、
典型的な片貿易で、大量の金銀が国外に流出してしまいました。
一方、中国から輸入していたのは絹製品、生糸、砂糖などです。
中国から買う品物は、再生可能な生物資源商品なのに、
こちらは掘りつくしてしまえばおしまいの鉱物資源。
銅の生産量の減少も目に見えています。
このままではいか~ん!
鬼とよばれた新井白石(1657-1725)の政治改革が始まります。
守旧派と対立しながら進めた改革のひとつが海舶互市新令。
ざっくりいえば輸入規制ですが、国内産業の育成政策でもありました。
絹の着物とか、砂糖菓子とか、贅沢はやめよう!
輸入に頼らないで、生糸や砂糖は自分たちでつくれるようになろう!
中国では日本の乾燥海産物が人気だから、
この生産性を向上させて対中国輸出品の目玉にしよう!
こうして幕府の肝いりで「俵物」(たわらもの)とよばれる
干しナマコ(イリコ)、干しアワビ、フカヒレが
全国的な規模で大量生産されるようになったのです。
なかでもナマコは、全国ほぼどこでも採れるので
増産がしやすかったのでしょう。
松前、津軽、安芸、周防、能登、備前、大村、平戸……。
イリコは銅に替わる重要な輸出品として
中国商人からも高い評価を受けるようになっていきます。
こんなパネルを横浜で見つけました。
埋立で今ではもう昔の面影はありませんが、
江戸時代、横浜の杉田は梅とナマコが有名だったんですね。
かつて幕府の財源だったナマコが、今や暴力団の資金源。
ナマコのまわりには、いつの時代もグローバルマネーが
うごめいているというのが面白いですね。
一時の勢いが衰えたとはいえ、発展し続ける中国経済。
沿岸域だけでなく全土でナマコの消費が増加してるそうです。
両親へのプレゼント、宴会でのもてなし、贈答品といった
高級ナマコの需要が広がる一方で、レトルト製品など
低価格ナマコを使ったファストフード化、大衆食化もすすんでいます。
しかも健康志向も相まって、ナマコクリーム、ナマコサプリ
ナマコ石鹸にナマコ牛乳、ナマコ酒……。
ナマコ関連の新開発商品も増え、消費拡大に拍車をかけています。
実は中国ではかなりの数のナマコを養殖しています。
日本のナマコの総漁獲量が約1万トンなのに
中国の養殖生産量は5万トン以上といいますから
その規模の大きさは桁違いです。
ところが、養殖ナマコは身肉が薄く、それをごまかすために
膨張剤や砂糖などで重量を増やす細工をほどこしたり、
安易に薬品を使っている実態が問題になりました。
さらにワシントン条約の絶滅危惧種に指定される動きもあります。
実際、トンガの漁師にとってナマコは貴重な収入源なのですが、
トンガ政府は資源の枯渇を防ぐため
1999年から10年間ナマコを禁漁にしました。
2010年にナマコ漁を再開したものの、わずか2年でナマコは激減。
再び3年間の禁漁に踏み切りましたが、密漁が絶えないそうです。
というわけで、将来的に良質なナマコの供給不足が
懸念されればされるほど、ますますナマコの買いつけ、
買い占めがヒートアップするというわけです。
日本でもナマコの養殖、資源増殖の研究はされています。
研究の歴史は長いのですが、ナマコの国内需要が低下し、
尻つぼみの状況だったみたいです。
中国市場の需要が急増したため、あらためて
各県の水産試験場で研究がすすめられているようですが、
一般的な海産物とは違い、投機的な性格をもっているので、
国家的な対中国ナマコ戦略の必要性を感じます。
なんてね。てへぺろっ!
さて、最後になりましたが大事なことを書き忘れていました。
岩場にいるのがアカナマコ。
砂地にいるのがアオナマコとクロナマコ。
でも同じマナマコというのが通説で、
僕もそう思い込んでいました。
ところが、最近の研究ではアカとアオ(&クロ)は
別種であるという学説が有力だそうです。
アカとアオ(クロ)は交配しないし、
アカを砂地に移動させてもアオにはならない。
ありゃ~、そうだったのか!!
築地市場で値段が高いのはアカナマコです。
ただ、アカとアオの好みには地域差があるようです。
青森市で鮮魚店を営む塩谷孝さんの話です。
とのこと。
山口県の周防大島町沖家室島で民宿を営む松本昭司さんは
食べ方はナマコ酢、みぞれ和えが一般的ですが、
「飲食店や割烹屋では茶ぶりナマコ」
「表面をバーナーで炙った握り寿司」
「豆乳でシャブシャブ」(以上、塩谷さん)
「醤油で煮しめ」(松本さん)
という食べ方もあるそうです。
茶ぶりナマコは能登で食べたことあるな。
沖家室島にはこんな言い伝えがあるそうです。
なるほど、ナマコは海男子という別名もあるくらいで、
包丁入れるのをためらうことありますからねー。
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