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太くて長くて硬いのはお好き?(1)

UOCOLO
旬のさかな、地のさかな図鑑
vol.004

posted:2013.1.11  from:全国  genre:食・グルメ / エンタメ・お楽しみ

〈 この連載・企画は… 〉  南北に長い日本列島。同じ魚でもおいしい時期も違えば料理法も違います。
季節の花を愛でるように旬の魚を食したいではありませんか。そこが肉食と違う魚食の醍醐味。
魚の食べ方や生態や漁法を漁師、魚屋さん、魚類学者、板前さんなど、魚のプロに教えてもらいます。

writer's profile

Sei Endo

遠藤 成

えんどう・せい●神奈川県川崎市生まれ。出版社を退社後、ヨットで日本一周。漁業、海生生物の生態の面白さに目覚める。東京湾の環境、漁業、海運、港湾土木をテーマにしたエンターテインメントマガジン『TOKYO BAY A GO-GO!!』編集長。

credit

参考文献:
『ナマコ学ー生物・産業・文化ー』(高橋明義・奥村誠一/成山堂書店)
『ヒトデ学』(本川達雄/東海大学出版)
『生物学的文明論』(本川達雄/新潮新書)
『ゾウの時間ネズミの時間』(本川達雄/中公新書)
『世界平和はナマコとともに』(本川達雄/阪急コミュニケーションズ)
『ナマコの眼』(鶴見良行/筑摩書房)

お前はすでに死んでいる!

ナマコは冬が旬です。お正月にナマコを食べる地域もありますが、
僕は子どもの頃、食べた記憶がありません。
みなさん、初めてナマコを見たときのことを覚えていますか?
僕がナマコと最初に出会ったのは、学生時代の与論島でした。

海の底まで透けて見える青い珊瑚礁、白い砂。
きらきら光るカラフルな小魚を見つけて
はしゃぐ聖子ちゃんカットのビキニギャル。
その足元に横たわっている、ゾウのうんこのような巨大な物体。

なんじゃ、こりゃ?

こわごわ踏んでみると、ブニョ~ッとした感触。
強く踏んでみると、ギュギュ~ッと硬くなって、
それをしつこく、グニュグニュやっていると
なんか白い糸状の物体を放出してドロドロ溶け出すもんで、
怖くなって、ぎゃーっと放り出して逃げる。

同じような経験をした人も少なくないはずです。
シカクナマコさん、すいませんでした。

気持ち悪いという人も多いナマコですが、
ナマコってのは、なかなか魅力的な生き物で、
ナマコにインスパイアされた作品は少なくありません。

人類学者・鶴見良行さんの大作『ナマコの眼』は
ナマコを追いつつ、アジア、太平洋の交易、漁業経済を描くことで、
海からの視点で宗教、言語、文化が交わるナマコロードを浮かび上がらせ、
国家とは何だろう…と考えさせてくれる名著です。

絶対的なスケールとして捉えがちな時間ですが、
実は時間にはいくつも種類があることを面白く描いて
ベストセラーにもなった、歌う生物学者・本川達雄さんの
『ゾウの時間、ネズミの時間』もナマコの研究から生まれました。

おや? 両書とも初版が1990年と1992年ですから、
90年代初頭、ナマコの夜明けがあったのでしょうか。

ナマコは古くは古事記にも登場しますし、
芭蕉もナマコの句を詠んでいます。
正岡子規も夏目漱石、宮沢賢治の作品にもナマコは登場します。

ナマコのなにが人を魅了するのでしょう。

ごろ〜ん

たぶん動物なのにほとんど動かないことではないでしょうか。
手足もなく、どちらが前か後ろかもわからない。
ミミズもそうですが、もっとのたうちまわります。
ナマコはゴロンとただ存在する。
ただただ、そこにある。
生きているのか死んでいるのかすら、よく分からない。

「脳死」をもってヒトの死とするのか、「心停止」をもって死とするのか、
議論は分かれるところでありますが、ナマコの場合はどうなのでしょう。

ナマコには目、鼻、耳といった感覚器がありません。
ですから感覚情報を処理する「脳」がありません。
「脳死」をもって死とするならば、
ナマコは死んでいるということになります。

「だろだろ? 脳死なんてのはよ〜、脳が一番エラいという
脳偏重の考え方なんだよ。
やっぱりカラダが資本よ。心臓が止まってからのあの世だぜ」
ということになるかというと……。

ナマコは血管系がなく、酸素や栄養補給は水管系と呼ばれるシステムと
体腔内の体腔液が担っています。

つまり「心臓」もないのです。

おぬし……、いったい何者なのだ!

お、縮みはじめたぞ!

どうしてナマコはじっとしているのでしょう。
それは筋肉がないからです。
ナマコはほとんどが分厚い皮膚で、あとは体腔の水でできています。

動物がなぜ動くのかといえば、
なによりもまず食べ物を探すためです。

ところが、ナマコが食べているのは
海底の砂についている有機物や藻類の破片。
探さなくてもまわりは餌だらけなので、それほど動く必要がありません。

もうひとつ、動物が動く理由は捕食者から逃げるためです。

でも、素早く逃げようとして筋肉をつけるほど、
捕食者にとっては、ますます魅力的な餌になります。
パラドクスですね。

「逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。」

ナマコは逃げませんでした。
で、逃げずに戦ったかというとまったく逆。
筋肉を極力少なくし、栄養のない皮をぶ厚く硬くすることで、
誰にも見向きもされない生き方を選択したのです。

ボールみたいに丸まりました!

普段は柔らかいナマコですが、刺激を受けると硬くなり、
防御姿勢をとります。

それでもまだ、しつこく攻めて来る相手には
皮膚を溶かし、腸などの内臓を肛門から放出してやりすごします。
放出した内臓は、数週間すると再生します。

しかもナマコにはホロスリンという
サポニン系の毒があり、これは魚にとっては毒なので、
ナマコを食べる魚は少ないのです。
(脱線しますが、このホロスリンはクスリにもなり、
天然ナマコから抽出した水虫薬があります)

これがナマコの生き残り戦術です。
頭のいい選択をしているようですが、ナマコに脳はありません。

怪獣モスラの幼虫が敵に向かって吐くのは糸ですが、
ナマコは腸やエピキュニ管と呼ばれる内臓を吐き出します。

実はモスラの幼虫とナマコには共通点があって、
ナマコは大昔、「コ」と呼ばれていました。
もともと「コ」とは「蚕(かいこ)」のことです。
派生して芋虫状の生き物を「コ」と呼ぶようになったとか。

家で飼うから蚕(飼うコ)
生で食べるからナマコ(生のコ)
ナマコを茹でて干したのがイリコ(煎りコ)
ナマコの腸(はらわた)はコノワタ(コの腸)

筋肉や脳がないので、エネルギー消費量が低く、
(人間は総エネルギーの20%を脳につかっている)
摂取するエネルギーが少なくても生きていけます。
栄養価の少ない砂に付着したバクテリアなんかを
食べることでもやっていけるわけです。
砂を体内に取り込んで体が重くなっても平気なのは、
素早く動く必要がないからです。

パッと見ではどちらが前か分かりにくいのですが、
よく見ると結構違うんですよね。口を見てみましょう。

ここから触手を伸ばして砂を飲み込み、栄養分を取り込みます。

口は砂を食べやすいようにやや下向きの位置にあります。
こんな形の口になった理由が『古事記』に書かれているくらい
日本人とナマコは長いつきあいなのです。

口から伸びた触手。イソギンチャクみたいですね。

腹側には管足がびっしり生えています。
先が吸盤のようになっていて、 岩などにピッタリくっつくことができ、
伸ばしたり、縮めたりして 体を移動させます。

ナマコは海底の掃除屋です。砂に付着している
有機物はナマコの栄養となり、砂はきれいになって海に戻ります。
肛門はこちら。ナマコは呼吸を肛門でしています。

なんだかオカリナみたい。

それにしても、このナマコ。まじまじ見ると、キモイというより
織部焼きの陶器のようでなかなか美しいではありませんか。

正岡子規はナマコの句を多く残しましたが、ナマコに少し詳しくなると、
子規の句はいっそう味わい深くなります。

世の中をかしこくくらす海鼠哉
風もなし海鼠日和の薄曇り
引汐に引き残されし海鼠哉
海鼠喰ひ海鼠のやうな人ならし

正岡子規が34歳の若さで病没した3年後、子規の大親友である
夏目漱石は、初の小説『吾輩は猫である』を発表します。

その自序にもナマコは登場します。

《此書は趣向もなく、構造もなく、尾頭の心元なき海鼠の様な
文章であるから、たとい此一巻で消えてなくなった所で一
向差さし支つかえはない。又実際消えてなくなるかも知れん。》

ナマコを最初に食べた人はすごいとよく言われますが、
ご存知のように『吾輩は猫である』にも

《始めて海鼠を食ひ出せる人は其胆力に於て敬すべく、
始めて河豚を喫せる漢(おとこ)は其勇気に於て重んずべし》

とあります。

この文章は《海鼠を食へるものは親鸞の再来にて、
河豚を喫せるものは日蓮の分身なり》と続きます。

喩えに浄土真宗の祖の親鸞、日蓮宗の日蓮を持ち出すのは少々突飛ですが、
本川達雄さんは、ここに子規と漱石との友情を感じ取っています。

子規は、地味&静的なもの=ナマコと、
派手&動的なもの=フグを対比させた句をいくつか残していますが、
本川さんは次の句に注目します。

[日蓮宗四箇格言]念仏は海鼠真言は鰒(ふぐ)にこそ
(念仏を唱えていたらナマコに生まれ変わるぞ、真言ならフグになるぞ)

これは日蓮の「念仏無間・禅天魔・真言亡国・律国賊」のパロディで
念仏=静的=ナマコ、真言=動的=フグの構図です。

《漱石が、子規の四箇格言の句を思い浮かべながら書いたものだと
私はにらんでいる。そう考えれば、ナマコとフグの取り合わせも、
日蓮と親鸞の件も、理解できるからである》
(『世界平和はナマコとともに』)

親友を亡くし、ぽっかり空いた心を埋めるように執筆した
はじめての小説で、友を思いながらユーモラスな筆致で綴る漱石。
『坂の上の雲』が好きな人にはたまらないのではないでしょうか。

ぬめぬめしてるけど、手はべとつきません。

本川先生はナマコを研究し、尊敬してはいるものの、
好きになったり、可愛いと思ったことはないと断言しつつ、
こう述べています。

《可愛い、おもしろい、役に立つというような、自分が好き、
自分の得になると感じられるものとばかり付き合おうとする風潮が、
今の世の中、非常に強いですよね。嫌いなものとは付き合わないし、
さらには排斥する》
(『生物学的文明論』)
《自分の好きなものだけで世の中ができているわけではない。
好きではなくても付き合っていかねばならぬもの、
嫌いだけど大切なもの・侮ることのできないもの、
そんなものばかりだと言ってもいい。
自然も真理も神様も、そう甘ったるいものではない。》
《好きなものと付き合うのは子どもにだってできる。
嫌いだけれど大切なものと付き合っていけるようになるのが、
大人になるということ。それを出来るようにするのが教育であり
学問なのである。》
(『世界平和はナマコとともに』)

またまた脱線してしまいましたが、新年を迎え、
自戒の念もこめて、引用させていただきました。

ナマコの項つづく

“ナマコのくせに落ち着きのないコだね! ツチノコみたい。あ、ツチノコは土の「コ」かな?”

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