記事ジャンル: 食・グルメ
綾町の有機農業
安全で、そして何よりおいしい綾町の有機野菜を。
今年の7月、日本では32年ぶり5か所目のユネスコエコパークに、
宮崎県東諸県郡の綾町が登録された。
ひとと自然が共生したまちづくりが行われていることが
認定基準となっているものだ。
綾町は日本最大級の照葉樹林が原生的な姿をとどめるなど
豊かな自然を誇るが、
“ひとと自然の関係性”を物語る根本となっているのが有機農業だろう。
今でこそ、有機農業の野菜はお母さん層を中心に人気が高く、
有機農法の農家も増えている。
しかしさまざまな生産態勢との兼ね合いから、
いつでもどこでもすぐに有機農家を始められるわけではないのが現実だ。
綾町では、70年代から有機農法の推進機関や
家畜のフンや家庭ゴミを有機肥料に処理する施設を設置するなど、
有機農業を行政自体が積極的に進めてきた歴史がある。
特に1988年に制定された「自然生態系農業の推進に関する条例」は
全国的にも先進的な事例で、それ以降“有機農業のまち”として、
今でも就農を目指す研修希望者などがあとを絶たない。
そんな綾町のなかでも長老とでもいうべき伝説のつくり手がいる。田淵民男さんだ。
綾町の畑がたくさんある平地エリアから少し登った、
静かな山の中に田淵さんの自宅と畑はある。
田淵さんの父親が1946年にこの地に入植して開拓。
1952年に、この地で初めて日向夏とはっさくを植えた。
その頃から農薬は使っていなかった。
田淵さんは、親の農業を手伝いながら建築業を営んでいたが、
1979年から本格的に農業を開始。当時は、周りに有機農家などおらず、
綾町が本腰を入れる以前から、有機農業に取り組んでいた。

田淵さんの手はグローブのように厚い。何十年も土をさわり続けていた手だ。
「とにかくおいしいものじゃないと、勝負にならないと思ったんです。
農薬を使うとどうしても野菜も土も固くなる」と
無農薬にこだわり続ける理由を語る。
田淵さんがもっとも力を入れてきたのが土づくり。
家畜を持っていないなかで、
お金をかけず、いい堆肥をつくるために、ある方法を考えついた。
「自然を利用する自然生態系農業を始めました。家の周辺は自然豊か。
夏には雑草を刈り、秋冬は落ち葉を拾い集めて堆肥づくりをしています。
また、深さ70cmくらいまで掘って有機物を埋め込む
スコップ農業にも取り組んでいます」というように、
まだ有機農業が確立されておらず、文献や資料などが少ない頃から、
毎年土をつくり、自らの手でさまざまな農法を実験してきたのだ。
だから、おいしい。
「田淵さんのだいこん」のみを買い求めるために、
わざわざ遠方から車で訪れるひともいるほど、
田淵だいこんファン、にんじんファンは多い。
しかし、この味にいたるまでには、10年かかったという。
「だいこんもなかなかいいものができなかったんですが、毎年肥料を変えてみたり
試行錯誤して、なんとか納得できる味になりました。
それまでに10年くらいかかりますね。
百姓の品物は、1年に1回しかできません。
でもつくり上げたときは、うれしいですよ」
驚くことに、田淵さんは他のだいこんを食べて
「これはこの肥料が足りないな。こうすればもう少しおいしくなるのに」と、
育て方がわかるという。
機械を使わず、軍手すら使わず、素手でその感触を確かめ、
長い間こだわってつくられてきた土。
現在育てている野菜は、だいこん、にんじん、キャベツ、たまねぎなど20種類ほど。
そこで育つ作物は、土から栄養をたっぷり取り込んでいるのだろう。

土づくりが最大のこだわりだという。
有機野菜を全国へと広める母の心。
田淵さんをはじめ、綾町のこだわり農家の有機野菜ばかりを
ネット販売しているのが「オーガニックマミーズストア」だ。
綾町の野菜を広めることで、農家を、まちを元気にしようと試みる。
店長の藤元やす子さんは、ふたりの娘を持つお母さん。
娘が大学進学のため、東京へ出ていったときに感じたことが、
マミーズストアの原点にある。
「東京で食べた野菜が値段のわりにおいしくなかったんです。
娘はずっと綾町の新鮮でおいしい野菜を食べて育ったので、
都会でこれからちゃんと野菜を食べていけるかな? と心配になりました。
だからずっと綾町の野菜を娘に送っていたんです」

いつも明るい笑顔をふるまくオーガニックマミーズストア店長の藤元やす子さん。
こうして定期的に送られてきていた野菜たちは、
娘の友だち周りでもおいしいと評判に。綾町野菜の食事会を開いたり、
友だちにプレゼントするととても喜ばれた。
そうすると娘の友だちにもおいしいものを食べてほしくなる。
そんな思いがきっかけとなり、
もっと多くのひとに綾町の野菜を食べてもらいたいとショップを始めた。
おいしくて、安心安全な野菜を子どもたちに食べてほしいというのが母の心。
それこそ文字通りマミーズストアのコンセプトとなっている。
「基本単位はやはり家族だと思うんです。
家族が食卓を囲んで、おいしいものを食べて、笑顔になることが重要。
その中心にいるのはやはりお母さんだと思うんです」というだけあって、
笑顔が素敵な藤元お母さん。
扱われている野菜は、
藤元さんみずから、直接交渉して契約してきた農家の野菜たち。
「綾町の生産者が真心こめて一生懸命つくっているもの。
自分が食べてみて、
おいしいと納得できる農家の野菜を取り扱うようにしています」
さらに農家のお母さんも携わっているような家族経営の小さな農家から
買いつけることにこだわっている。
野菜をつくるのも、売るのも、お母さんの愛情が真ん中にある。
野菜の集荷は、藤元さんが綾町中を回って、
農家とコミュニケーションを取りながら、直接行っている。
そうすることで、そのときの畑の様子や野菜の生産具合も
ダイレクトにわかるし、農家と近況を話すこともできる。
そんなさりげない思いやりを大切にした仕事を心がけているという。
そこで生まれるのは、小さなコミュニティ。
農家は基本的にそれぞれ個々人の活動なので、
他の農家と交流する機会は少ない。
「せっかくみなさんがまちをあげて有機野菜という
素晴らしい商品を生み出しているので、それをお手伝いしながら、
小さくてもあたたかいコミュニティが自然に生まれたらうれしい」と
藤元さんもその理想を語る。

綾町で採れたて、ナスとオクラ。
綾町が有機農業の発祥のまちだといっても、全国の農業と同じく、高齢化が進み、
後継者不足に悩んでいる。新規就農希望者や研修生も挑戦に多く訪れるが、
農業の大変さに尻込みして、辞めてしまうひとも多いという。
特に有機農業は、農薬を使わない、化学肥料を使わない。
すると当然ながら手間がかかる。だから大量生産はできないし、
収穫量をピッタリ計算することは難しい。
生業として条件が良いとは言い難い。ある種の“ものづくりの精神”なのだ。
だからこそ、オーガニックマミーズストアの藤元さんは言う。
「綾町の農家コミュニティを広げるような活動をしていきたい。
有機農家の野菜づくりへの心意気をもっと知ってもらいたい。
そして何より、安心安全で、
おいしい野菜を全国のみなさんに食べてもらいたい。
そのためのイベントなども計画中です」

あなたと食べたい鮭茶漬け
カモ〜ン! サーモ〜ン!
三陸の川にサケが遡上したというニュースが流れはじめました。
この映像は何度見ても、生命の力強さとはかなさが感じられて、
いつ見ても感動的です。
サケは日本人が一番たくさん食べている魚です。
日本の河川(主に北海道、東北、北陸)に最も多く遡上するサケは、
シロザケという種類で、通常サケといえば、このシロザケのことです。
獲れる地域や時期によって、
アキサケ、アキアジ、ギンケ、ブナ、メジカ、
トキシラズ、トキザケ、オオメマス、ケイジ……
などと呼ばれることもありますが、どれもシロザケのことです。
トキシラズ(トキザケ)は春から夏に獲れた未成熟のシロザケです。
産卵がまだ先なのに沿岸を回遊中していて捕獲されたもので、
栄養が筋子や白子にまわっていないので、身肉に脂がのっていて、
獲れる数も少ないことから人気の高い高級品です。
同じシロザケなのに成熟前(トキシラズ)は、こんな顔をしています。
全然顔つきが違いますね。

サケ類は産卵前のカラフルな婚姻色が表れるまでは、みんな似た感じなので識別が難しいそうです。
川で産まれたシロザケは、海へ下ると北上し、オホーツク海、ベーリング海、
アラスカ湾など、北太平洋全域を大回遊しながら数回冬を過ごします。
サケの仲間でも、日本産まれのシロザケはトップクラスの長距離スイマーです。
そして産卵の2〜3か月前になると、産まれた川を目指します。
シロザケの場合2年〜8年で戻ってくるのですが、多いのは4年だそうです。
サケって、産まれた川にきっちりと戻るイメージが強いのですが、
意外や、間違って他の川に迷い込むのも少なくないのだとか。

ご隠居〜、オイラまた川を間違えちまいましたよ〜。てへへ。
ちょっぴりマヌケな感じもしますが、
4年後に産まれた川に戻っては来たものの、
環境が激変していて遡上できない!→産卵できない!→全滅っ!!
なんてことを避けるための賢い生き残り戦略なのかもしれません。
シロザケが産卵のために回帰するのは9月〜翌年の2月。
河川を遡る前に沿岸の定置網を使って漁獲します。
たとえば北海道でのサケ定置網の漁期は9月〜11月。
少し脱線しますが、北海道の知床半島〜根室半島をヨットで航行すると、
やはり国境というか、ロシアの主張領海線が気になります。
ヨットが拿捕された例がないとはいえ、海上保安庁からは
くれぐれも越境しないように厳しく指導されました。
知床半島の羅臼港で渡されたのが、こんな地図。

渡された航行参考図。びっちりサケの定置網が張り巡らされています。
網に引っかかると大損害を与えてしまうので、
ヨットは定置網が設置されていない、沖を航行しなくてはいけません。
というわけで、境界線ギリギリを走ることになるのです。

GPS航海軌跡。納沙布岬沖がすごく狭い。

おまけ。たぶんミンククジラ。クジラは国の境界なんぞ気にしちゃいません。
司馬遼太郎の小説『菜の花の沖』の主人公、
高田屋嘉兵衛もこの海域にまで来ていましたね。
瀬戸内から塩を積んできて、帰りに塩鮭を本州に運んでいたそうです。
戦後も遠洋漁業が盛んだったころは、
ギンザケ、ベニザケ、キングサーモン(マスノスケ)、カラフトマスなど、
たくさんのサケ類を獲ることができました。
しかし、各国の排他的経済水域が広がり、資源管理型漁業の導入も進んだことから
遠洋漁業は衰退。サケ類の漁獲高の減少、価格高騰が懸念されはじめました。
こうした情勢のなか、資源確保、食料の安定供給ために、
1970年代からシロザケの孵化放流の取り組みが盛んになります。
(孵化放流実験は、明治時代からおこなわれていました)
9割のサケは海で捕獲されますが、生まれ故郷はすべて川です。
北海道、東北、北陸地方の川沿いには驚くほど多くの「孵化場」があります。
岩手県漁業協同組合連合会ホームページを見てみましょう。
もうびっちりですね。

多くの施設が3.11で大打撃を受けました。ちなみに岩手県で人工孵化しているのはシロザケとサクラマスです。
こうして日本沿岸のシロザケの漁獲量は1970年頃の2万トン前後から、
1996年には25万トンにまで増加します。
孵化放流事業は大成功だったのですが、想定外のことが起きました。
日本人の嗜好が変化して、こってり脂ののった魚を好むようになったのです。
秋に沿岸で獲れるシロザケ(秋鮭)は産卵準備のため、身肉の脂が控えめです。
で、人気が集まったのが脂ののるギンザケ。
ギンザケは北米がメインで、日本近海にはまれにしかいないサケです。
ギンザケ養殖の実用化が始まったのも、やはり70年代。
ギンザケは孵化放流ではなく、海上の生け簀で養殖されます。
サケ類のなかでも成長が早いので養殖にぴったりで、
宮城県の女川と南三陸の養殖場は有名です。
では、これら国内で獲れるサケを、私たちは食べているのでしょうか?
実は国内のサケの漁獲量は年間20万トン以上あるのに、
同じくらいの量のサケ類を海外から輸入しています。
どこから輸入しているかというと、半分以上がチリからです。
(次いでロシア、アメリカ、ノルウェーがほぼ同量)
もともとサケ類は北半球だけにしか棲息しない魚だってご存知でしたか?
つまり、南米のチリには本来、サケは一匹もいなかったのです。
チリでギンザケの海面養殖が始まったのが、70年代の終わり頃。
これは途上国支援事業として、日本企業が三陸の海で培った
養殖技術をチリに移入し産業化したのが始まりです。
やがてアメリカなどの企業も参入し、生産量を急速に増やしました。
チリは地形を活かした大規模な経営に加え、飼料、人件費も安いので、
低価格で安定的にギンザケの大量生産ができます。
というわけで、この20年間、スーパーの鮮魚コーナーで、
年間通して幅を利かせているのが、このチリ産ギンザケ、いわゆるチリギンです。
そのあおりを食ったのが、三陸のギンザケ。
養殖の技術を確立した原点の土地だけに、なんとも複雑ですが、
最近では「伊達銀鮭」(「とろ銀鮭」)などブランド化に取り組んでいるようです。
今度、サケの切り身の生産地の表示を見てみてください。
外国産でよく目にするのは……
◎チリ産/ギンザケ、アトランティックサーモン、トラウトサーモン
◎ノルウェー産/アトランティックサーモン、トラウトサーモン、キングサーモン
◎ロシア産/ベニザケ
◎アラスカ(アメリカ)産/ベニザケ、キングサーモン
◎カナダ産/ベニザケ、キングサーモン
といったところでしょうか。
チリではギンザケのヒットをきっかけに、アトランティックサーモンや
トラウトサーモンの養殖事業も盛んになりました。
年を追うごとに世界のサケ類の生産量は右肩上がりで増加しています。
天然サケの漁獲量はずっと90万トン前後で変わりませんが、
養殖サケは増加を続け、1996年頃に天然モノと養殖モノの生産量が逆転しました。
上記のサケもロシア産、アラスカ産以外は、ほとんど養殖モノです。
(アラスカ州では魚の養殖は一切禁止されている)
世界で一番多く生産されているのがアトランティックサーモン(42%)
続いてトラウトサーモン(22%)、カラフトマス(11%)。
ベニザケ・ギンザケ・シロザケは各約5%といった配分です。

シロザケ(秋鮭)(生)/北海道 シロザケ(時鮭)(塩)/北海道 ギンザケ(塩)/チリ産
ベニザケ(塩)/北海道 キングサーモン(生)/NZ トラウトサーモン(生)/チリ
脂ののったアトランティックサーモン、トラウトサーモン、ギンザケですが、
3種の中で値段が一番高いのはアトランティックサーモンです。
アトランティックサーモンは、かつて塩鮭用に試されましたが、
色が淡いのに加え、脂が多すぎて塩が利かず、
塩鮭に向いていない、使えないと却下されたそうです。
ところが、最近はお寿司屋さんで「サーモン」として大人気。
生食用が主で、チルド、つまり冷凍せずに空輸するので値段はやや高めです。
書き忘れましたが、養殖モノは寄生虫がいないので、生で食べることができます。
天然モノのサケは、加熱するか、生なら凍らせてルイベにして食べるものでした。
オーロラサーモンはノルウェー産のアトランティックサーモンです。
生食用、加工用を兼ねているのがトラウトサーモン。
ほとんどが冷凍なので、値段が安定して安く、
やはり「サーモン」として回転寿司に使われるなど大活躍。
ギンザケよりも成長が早く、扱いやすいので生産量も伸びているとか。
ギンザケは冷凍輸入され、主に加工用として、塩鮭のほか、
フレークになってコンビニおにぎりなどに利用されています。
さて、日本では人気が今ひとつになってしまったシロザケ(秋鮭)ですが、
人工孵化はしているものの、川を下り、海を回遊し、川へ帰るという
極めてナチュラルな成長をしています。
すると「ジャパンのサケってアーシーですごくね?」
「やっぱ養殖モノよりワイルドフィッシュの方がよくなくね?」
と、オーガニックや生態系に関心の高いヨーロッパから注目を集め、
日本のシロザケが見直されているのだとか。
巨大マーケットである中国へ向けて、シロザケを食べてもらおう
という試みにも力が入れられているようです。
ただし、シロザケでもケイジ(鮭児)は別物です。
ケイジは本籍がアムール川出身の若いシロザケで、
全身に上質の脂がのった、滅多に捕獲されない幻のサケとして有名ですが、
値段もハンパありません。
たとえば、サケ類の中で高値のつくキングサーモン。
なかでも商業ベースでは捕獲していないユーコン川のキングサーモン(天然)が
別格でキロあたり2500円〜3000円だそうです。
ところがケイジは、なんと2〜3万円するというのです。
ギンザケが400〜500円ですから、まさに幻の高級魚です。
もちろん、僕は食べたことありません。
最後に紹介したいのが、アラスカ極北圏に棲むイヌピアック族の魚の図鑑です。


『Fish That We Eat』。シロザケの肝臓のオイル煮とブルーベリーを合えたものとか、サケの頭と筋子のスープとか、日本人にはびっくりの調理法も掲載されています。
太古の昔から、極北の地でもシロザケは貴重な食料でした。
約650万年前にアフリカで生まれたヒトが地球上に拡散していくなかで、
穀物の育たない極北圏を超えて、人類がアメリカ大陸へ渡ることができたのは、
毎年、豊富に、しかも浅い川で容易に獲れるサケがいたからではないでしょうか。
アイヌはこのシロザケをカムイチュブ(神の魚)と呼びます。
その名にふさわしい魚ですね。
門脇美巳さん、洋之さん、裕二さん
島根発! 親子3人でつくりあげた世界基準のコーヒーをどうぞ。
某外資系コーヒーチェーン店が、
「島根県には出店したくてもできない」と言ったという逸話があるらしい。
島根には個人経営の喫茶店が多く、新規参入が難しいという意味だ。
その代表格ともいえるのが門脇家である。
ことのはじまりは、門脇美巳さんが1967年、
安来市にオープンしたサルビア珈琲。
もともとはパフェや紅茶、ジュースなどを提供するよくある喫茶店だったが、
1980年頃から自家焙煎を始め、本格コーヒーへと舵を切っていく。
「すでに炒ってある豆を買ってきてもあまりおいしくなくて、
自分で生豆をぎんなん焼きで炒ってみたら、すごくおいしかったんです」
と、美巳さん。
それ以来、サルビア珈琲では余計なメニューはそぎ落とし、
ドリップコーヒーへの道を究めていく。

ゆっくりとコーヒーを落とす門脇美巳さん。サルビア珈琲は昔ながらの喫茶店のたたずまい。
サルビア珈琲は、1階が店舗、2階が住宅。
この家で育った長男・洋之さんと次男・裕二さんは、
毎日、店のなかを通って学校に行き、店のなかを通って家に帰る。
父親の働く背中を見続ける生活が、
彼らをコーヒー道へと突き進ませることになった。
長男の門脇洋之さんは、
現在、父親と同じ島根県安来市でカフェロッソを経営している。
父親の店を見ているうちに、コーヒーを生業にしてみたいと思った。
ただし、店で出すのはエスプレッソ。
洋之さんがその道を考えていた頃、
全国で外資系のコーヒーチェーン店らが流行しはじめていた。
当時の日本にはまだ馴染みの薄かったエスプレッソ文化を持ってきた黒船だ。
「新しいコーヒーが新鮮だったし、若いお客さんで流行っていました。
ライフスタイルが変わる予感がしたんです。
そのルーツを辿るとイタリアだということがわかって、
イタリアにエスプレッソの研究に行きました。
ミラノのあるバールのエスプレッソにたどり着いて、コレだ! と思いましたね」
と目指すものを見つけ、自分の味づくりに邁進する。
ここでひとつの疑問。
父親ゆずりのドリップコーヒーを継承するという道は考えなかったのだろうか。
「昔はいろいろな喫茶店に連れていってもらったんですけど、
結局、父親のコーヒーが一番おいしくて。これは超えられない。
それならば、エスプレッソという未知のものを自分の力で開拓していこう」と、
美巳さんが泣いて喜びそうな、おふくろの味ならぬ“オヤジの味”へのリスペクト。

ミルクを注ぐ瞬間からラテアートは始まる。長男の門脇洋之さんの丁寧な手つき。

現在は通販で豆の販売にウエイトを移している。人気の2銘柄。(カフェロッソ)
次男の門脇裕二さんも、長男洋之さんと同様コーヒー業界へ。
島根県松江市でカフェヴィータを経営している。
息子がふたりともコーヒーの道へと進み、父親も現役。
それも東京などに出ていくわけでもなく、島根県内でしのぎを削っている。
しかも洋之さんはワールドバリスタチャンピオンシップという世界大会で
2003年に7位、2005年に2位に輝いている。
裕二さんも2003年に日本バリスタチャンピオンシップで2位。
このときの優勝は無論、兄の洋之さん。
2008年にはUCCコーヒーマスターズエスプレッソ部門全国優勝という、
コーヒーエリート一家。
こうして門脇ファミリーのコーヒートライアングルは形成され、
3軒ハシゴなんてコーヒー通の観光客も登場するようになる。
愛好家にとっては出雲大社より、“門脇カフェ詣で”なのだ。
“どこがおいしかった”なんて評論しあうのも楽しいだろう。
三者三様のコーヒー飲み比べツアーへ。
同じ血筋であり、同じコーヒーで育ったのに、実は味の嗜好はそれぞれ異なる。
では、それぞれのコーヒーをみていこう。
昔懐かしの雰囲気が漂う喫茶店、サルビア珈琲。
美巳さんはカウンターの向こうで豆を挽く。
それをペーパーに移し、お湯を注ぐ。すべてが手際よい。
カウンターはすこし低く設定され、対面で行われている作業はすべて丸見えだ。

お湯を注いでふくらむコーヒー豆が新鮮な証拠。(サルビア珈琲)
「ネルでもやったんですけど、やはりペーパードリップが一番簡単。
同じようにやってもらえれば、ある程度、味が再現できます」と、
あくまで家庭でおいしく飲んでもらいたいがために、
ドリップの過程を公開しているようなもの。
細かく聞けば、焙煎具合で後味をすっきりさせたり、
お湯の温度、季節ごとの豆の水分の違いなど、こだわりトークはとまらない。
しかし、現在では豆の販売を中心にしているので、
その豆を使ったおいしい淹れ方を普及させようと努めている。
「豆は生鮮食品です」と強く語る美巳さん。一番はやはり豆。
新鮮な豆は、お湯を注いだ瞬間の、ふわっと広がる反応がまったく違うという。
美巳さんの淹れてくれたコーヒーは、やさしくてさわやかだった。

“生鮮商品”であることをハッキリと明示。新鮮さが命だ。(サルビア珈琲)
かわいいラテアート含め、カプチーノが人気なのがカフェロッソ。
洋之さんは、一時はバリスタの大会などに積極的に出場していたが、
あるときから「自分の求めている味を追求すると勝てない」ことが
わかってきた。コーヒー業界のなかにも流行があって、
フレッシュな酸味という今のトレンドは、洋之さんの好みの味ではないという。
それからは、大会よりも自分の好きな味を追求し、
毎日生み出すという活動に変化してきた。
現在、洋之さんがこだわっているのは追熟させた味。
「炒ったコーヒー豆をパックして、
熟成が進むような温度帯を見つけようと研究しています。
エスプレッソは、炒ってすぐだと泡がモコモコになってしまいます。
ある程度時間が経たないとまとまらない」と、
豆をなるべく一番いい状態で保つことが目下の課題のようだ。
いただいたカプチーノには、木の葉のラテアートが描かれていた。
レパートリーは10数種類。きめ細かい泡がとてもやわらかい。

こんなかわいいクマやパンダから、木の葉まで。(カフェロッソ)
裕二さんが経営するカフェヴィータは、
3軒のなかで一番若者のカフェらしい佇まい。
ここでいただいたエスプレッソは、
カップの内側にコーヒーがはねたような跡が残る。
通常は抽出口が二股に分かれているエスプレッソマシンだが、
裕二さんはそれを一か所から抽出する。
そうすると、どうしても内側が汚れてしまうという。
それも裕二さんが求める味を提供するためのことなので、しかたがない。
ひとくち口に含むと、かなり油分を感じ、こってりと濃厚だ。
残りは、裕二さんの勧めで砂糖をたっぷりと1本入れてみる。
するとその味わいはほとんどチョコレート。
裕二さんがつくるパンチ力のあるエスプレッソは、
兄・洋之さんの「赤ワインのように最初のアロマから、
後味の余韻へと変化していく」エスプレッソとは、兄弟でも好みが異なる。

ある意味、見た目通りのワイルドなエスプレッソ。コクがたっぷり。(カフェヴィータ)
三者三様のコーヒー。共通点といえば、島根で展開していること、
そして姉妹店などを出さずに小規模のまま
自分の目が届く範囲で経営していること。
3人とも職人肌で、自分でやらないと気が済まないタイプなのだ。
父親の美巳さんは「ふたりとも、ひとを使うのがへたくそ」と笑う。
それを裏付けるように長男の洋之さんも
「コーヒーをつくるのは自信があるんですけど、
マネジメントとか教育とか苦手なんですよ。あまり器用じゃないので、
いろいろなことをやるとコーヒーから離れていきそうで……」と、
あくまでコーヒーのクオリティを守るための
現状の店舗であり、スタイルなのだ。
「こっちは気楽ですよ。焙煎しても誰からもクレームこないし。
ゆっくりしているから、1杯1杯しっかり出せます。
お客さんが増え過ぎてしまうと、クオリティを保てるかわかりませんから」
と次男の裕二さんも、島根にいるからこその優位性を語る。
島根でなければ飲めないコーヒー3杯。
これを飲むためだけに行く価値がある、親子の物語たっぷりのコーヒーだ。

洋之さんのこだわりが感じられるひとこと。(カフェロッソ)

豆袋には3店舗のネーム入り。同じ業者から豆を購入することも。
Shop Information
サルビア珈琲
住所 島根県安来市安来町西小路1918
営業時間 9:00〜18:00
定休日 日曜日
TEL 0854-22-2088
CAFÉ ROSSO beans store+cafe
カフェロッソ ビーンズストアプラスカフェ
住所 島根県安来市門生町4-3
TEL 0854-22-1177
営業時間 10:00〜18:00
定休日 日曜日(祝日は営業)
http://www.caferosso.net/
CAFFÉ VITA
カフェヴィータ
住所 島根県松江市学園2-5-3
TEL 0852-20-0301
営業時間 10:00〜20:00
定休日 木曜日
http://caffe-vita.com/
〈館鼻岸壁朝市〉は おいしいものの宝庫! 朝3時起床、八戸で湊の朝御飯。
寺田本家 後編
からだが喜ぶおいしさ。
寺田優(以下、寺田):株式会社寺田本家代表取締役
なかじ(通称、なかじ。以下、なかじ):寺田本家蔵人頭、発酵料理家、レシピ本著者
ジャスティン(以下、ジャス):著者。
酒造りの現場をまわって、寺田本家ならではの酒造りについて学んだあと、
蔵と同じ敷地内の部屋で食事をすることにした。
学んだことを振りかえりながら日本酒の味わいを通して
神崎町の発酵フィロソフィーについてより深く掘り下げて聞いてみた。
全員
乾杯! おつかれさまです!
ジャス
夏にはちょうどいいですね、この酸っぱさ。
夏に元気がでそうなお酒って不思議ですね。
寺田
そうですね。
ジャス
でも、この「むすひ」って、正直、好き嫌いが分かれそうな味わいじゃないですか?
寺田
そうですね(笑)。玄米でお酒ができたらいいなと思ったのが、最初だったんですね。
まぁ、“玄米ではお酒ができない”という日本酒の常識があるけど、
玄米を食べるとからだにいいとよく言われているし、
お米であることには変わりないから、じゃあ、玄米でもきっとお酒ができるはずだと、
取り組みはじめました。
ジャス
確かに、僕もはじめて飲んだ時に、お酒が飲みたい!
と思ってむすひを選ぶ人は本当にいるのかなと思っていたんですけど、
お酒を飲むというよりも、自分のからだのため、健康のために薬を飲んでいる感覚で
よく飲む人がいそうだなと思いました。
むすひだけを何週間も少しずつ飲み続けてから、普通のお酒をまた飲んでみると、
もの足りなくなってしまいそう。
それくらい、むすひのクセにはまっちゃう人もいそうですよね。
寺田
飲んだ瞬間、「あぁ、酸っぱい!これはだめだ!」と思っても、
飲んでみるとからだが喜んでくれる実感がある。それが「むすひ」なんでよすね。

発酵って、生活がすごく楽になる。
ジャス
なかじさんは、随分前からマクロビの料理とか、
ベジタリアン料理とかをやっていたと思うんだけど、
発酵ってことを本当に意識しはじめたきっかけってなんだったんですか?
なかじ
それは、蔵に入ってからですね。
今までの料理に、発酵の良いところ面白いところを組み合わせて、
昔の人はどうしていたんだろうとか、
発酵させることでもっと美味しくなるんじゃないかとか考えていました。
ジャス
その料理のスタイル、ベジタリアンとか、イタリアンとか、BBQとか、
料理のスタイルというよりも、なんか、ライフスタイルのほうに近い感じがしますね。

自分で作る権利。
なかじ
今、日本酒、清酒の蔵は減っているけど、もっとビールとかワインみたいに、
小さい、個人とか、造りたい人がどんどん自分で免許をとって、自分で酵母をつくって、
日本酒を造れるようになったらいいなって思うんですよ。
だって、ヨーロッパとかに行くと、小さいビール工場いっぱいあるんじゃないですか?
ワインも種類が豊富。
ジャス
あるある。
なかじ
でも日本酒って、どこに行っても味に大きな違いはないし、大きい蔵しかない。
個人が、カフェとか居酒屋さんをやるみたいに、
日本酒の蔵を作れるとか、なったらいいなと思うんです。
それの入口が清酒の免許だったら難しいけど、
どぶろくの免許とかその他の雑酒の免許だったら
けっこう個人でもいけるんじゃないかなと思うんです。
寺田
そうだね。本当のいいものは受け入れられるし、
これから2、3年がらっと変わってくる気がするんです。
そうなると、本当に発酵の文化がわっと花開くようになるかな。
なかじ
お酒造り、麹作りの智恵とか、お味噌作りの智恵とか、
その醸造関係者が持っている智恵をもっと一般の人に広めて、
自分たちの生活の中に取り戻す必要がありますよね。
ジャス
確かに、最近麹とか、甘酒とかの発酵食品が人気になって、
さまざまなところで手に入るようになることで、
一般の人がその「発酵」というキーワードをもっと意識するようになるのは
すごくいいことなんだけど、その最終的なゴールって、
自分の生活に取り戻すということだったら、
もっと一般の人の日常生活、食生活が大きく変わってもいいはずですよね。
なかじ
やっぱり、自分たちで作る権利が、あるべきだと思う。
酵母とか、麹の種菌とか、一部の大きい会社とか、国が持っていて、
(一般の人が)買えないのではなく、普通に菌はどこでもいるし、どこでも作れるから、
みんなが自分の生活に必要なものは作れる、という智恵と自信を取り戻せたら。
だって、昔はおばあちゃんがみんな適当にやっていたことだから(笑)。
ジャス
そうですね。勘で作ったりとか(笑)。
なかじ
それがもっと気軽になって、敷居が低くなればいいなと思うんですよ。
神崎の不思議なところをたくさん増やしていく。
なかじ
神崎って他のまちに比べて、発酵関係の仕事をしている人はまだまだ少ない。
今から発酵をテーマにして、まちをつくっていこうというスタートの段階ですね。
それでも若い人たちが少しずつ集まってきて、
“お米を作りながら生きていきたい” “野菜を使ってカフェをやりたい”という人が
だんだん出てきている感じですね。
だから “「発酵の里」が始動しますよ!”と世間に広めて、
さまざまな人からアイデアとかいただけたらなぁと思っています。
ジャス
今作ってないんだったら、何をされているんですか?
なかじ
お醤油さんは、大きい醤油屋さんからお醤油を買って、瓶詰めしている(苦笑)。
ジャス
そっか……。もったいないですね。
なかじ
もったいない。でも蔵はまだあるから、やろうと思えばできるはず。
醤油屋さんの30代くらいの跡取りの息子さんが
「発酵の里」のミーティングに参加してくれたんです。
みんな“どうにかしなければ”と思っているということです。
なので、今は、何かが始まっているというよりは、
人が集まってきているという段階ですね。
寺田
今、古民家を借りて暮らしている人がいて、
この民家の庭先に酵素風呂を作ったんですよ。
酵素風呂って、オガクズとか、米ぬかとかを入れて、
堆肥を作るように発酵させるんですね。
そうすると、温度が60℃ぐらい上がるんですよ。砂風呂みたいに身体を突っ込むと、
デトックス効果で、身体中から汗とともに悪いものをわ~っと出してくれて、
すっきりする。これを実際作っている人がいたりとかね。
そういうものをひとつひとつ増やして、
発酵をありとあらゆる場所で体験していただけるまちになったらな、と思っています。
ジャス
最初にこの“発酵”というコンセプトでまちを元気にさせていこうとしたときに、
酵素風呂ができるとはあんまり想像がつかなかったんじゃないですか?
こういう場所があったらいいなとか、こんな人がいてくれたらいいなというよりも、
なんとなく自然な流れで、その時にまちの自然な勢いで無理なく、
自然に現れてくるというほうがいいかもしれないですね。
寺田
そうですね。面白くて、不思議なものや場所がいっぱい集まってきて、
他のところにない特徴が生まれつつある段階ですね。

意識や夢や目標をまちのみんなで共有すること。
なかじ
ひとつの場所でゆっくりと発酵させると美味しいお酒ができることと同じで、
まちをつくるのも、ゆっくり少しずつできるとこからやろうと考えています。
急に大きくすると、すぐダメになる。
ジャス
社会の中でも似たような現象はたくさんあるじゃないですか。
新しいビジネスを立ち上げて、あるかたちでちょっとしたヒットがあって、
あわててスタッフを募集して、一瞬だけ盛り上がるけど、
いつの間にぱしゃーっと空気が抜けてしまって、もう終わり? みたいな。
なかじ
そう、会社と同じだと思う。急に大きくしすぎると、
そのトップの人と現場の人、一番下の社員の意識、そのマインドのレベルの差が激しくて。
そのトップの人はすごく高い夢とか、目標とかあるけど、下の人は……。
ジャス
見えてないこともある。
なかじ
でもお客さんと接する人はこの一番下の人だから、
この差が激しいと絶対いつか失敗するでしょう。
これはいい商品ですよってトップが言ってきかせても、
その現場の人が「いい商品ですよ」って思っていないから、売れなくなる。
つまり、意識や夢や目標をまちのみんなで共有することが、
まちづくりのひとつのキーワードだと思っています。
ジャス
無理に大きくさせるのではなく、もっと持続性のある土台をゆっくり、
しっかり作っていくということですね。

微生物から教わったこと。
寺田
前の当主がよく微生物からさまざまなことを教わったと言っていました。
微生物というのは、みんな仲良しなんだって。
弱肉強食ってそういう世界じゃなくて、それぞれが自分のできることを一生懸命やって、
自分の出番が終わると、次の菌にバトンタッチして、
それぞれがお互い住み分けしながら生きていく。それが本当の自然な世界なんだよって。
ジャス
そのような栄養素以上の価値、その面白さをどう伝えるのかって、
この神崎にいることで言葉で説明しなくても
なんとなく伝えることができる気がしますけどね。
それは体験っていうよりも、体感かな?
やっぱりそれを五感、いや、六感で感じてもらわないとね。
寺田
そうですね。その場で参加してもらって、体験してもらって、
なにかのヒントを感じていただいて、家に帰ってからもそのヒントを発酵させるように、
徐々に暮らしの中に取り入れいただけたらいいなと思いますね。
ただ買って、消費してというだけではなくて、
いかに共感して体験して、というのが大事になってくるんじゃないかなと思います。
遠くから来ていただける人が
本当にこの神崎町というところに愛着や共感してもらえるような、
そういう場所をどんどん増やしていければいいですね。

最「幸」級の南魚沼産コシヒカリ収穫!
10月10日新米解禁!
とうとうこの季節がやって参りました!
日本人のみなさま、
私たちのDNAに深く刻まれているお米への愛情を思いっきり開放してください!
今年も無事に新米が収穫され、めでたく発売となりました!
毎年のことですが、この感動は何度味わっても格別です!

今年のお米の出来は、
昨年よりも収穫量は減りましたが、(とはいうものの昨年が豊作だったため、例年並みです)
食味は上がりました!
なんと無農薬栽培米は食味値89。
ちなみに昨年は86。
食味値とはアミロース、たんぱく質、水分、脂肪酸化度の成分量のバランスで、評価されます。
ひとつの基準値なので、
高いからといって100人中100人が美味しいと感じるわけではありませんが、
平均60~65という中で89は良い数値なのでテンションが上がりました!
しかし、農家山本は浮かれる僕を横目に
「あくまでも参考的な数値だからあんまり気にならないよ」とクールな様子。流石です。
でも、89は魚沼で見てもいい数値なんですよ!

実際に試食した感想としましては、
減農薬米のレベルが上がってました!
昨年までのものよりも甘みが強くなり、香りも良い。
ツヤツヤのモチモチ感は無農薬栽培米には勝りませんが、
風味は無農薬栽培米に近づいているように感じました。
硬めが好きな自分にはちょうど良いバランスです。
今年は減農薬栽培の水の管理や堆肥の使い方にひと手間掛けたようです。
山本いわく「それが当たったのかな」とのこと。
無農薬栽培米は、相変わらずみずみずしく、ツヤツヤモチモチで甘みと香りが強く、
MAXハイテンション!
ともに試食をした山本の次男坊も白米だけで2膳を完食。
4歳児がおかずなしでモリモリ食べちゃうくらいの美味しさですからね、
間違いないです!
もちろん今年も放射能測定を致しました。
今年は自主的に昨年よりも測定下限値が厳しい検査機関へ。
結果は、下限値未満で検出なし!
安心しました。
詳しくはコチラをご覧ください。
廣新米穀ホームページ「24年産 放射能測定結果報告書」
http://www.wanderingvillage.com/2012/2149.html
何はともあれ、無事に収穫できて何より。
今年も山本がいい仕事をしてくれました。お疲れさま!!!
さぁ、ここからが僕の仕事!
みなさん、一番美味しい新米の時期に、
最「幸」級の南魚沼産コシヒカリをぜひ召し上がってみてください☆

とくしまマルシェ
マルシェの、効能。
食欲の秋、豊穣の秋が到来!
週末ともなれば、全国津々浦々、産直市や青空マーケットなど
生産者と消費者を直接つなぐ、食のイベントが目白押し。
食いしん坊にはたまらないこのシーズンだが
徳島に、回を重ねるごとに集客が増えているという、話題の産直市がある。
それは、毎月最終日曜日に開催される「とくしまマルシェ」。
徳島経済研究所が、2010年12月からスタートさせた
「徳島の農業ビジネス活性化構想」のプロジェクトの一環だ。
市中心部にある新町川沿いのしんまちボードウォークに
白いパラソルが並び、フランスのマルシェ(市場)さながらの様子。
20回目を迎えた現在、毎回60店舗ほどが出店、
平均して1万人もの人びとが集まる人気イベントに成長した。

徳島市は市の面積の13.6%を川が占めている水の都。まるで、市民の心のオアシスのような場所が会場に選ばれた。
運営するのは、とくしまマルシェ事務局。
出店者の選定からイベント企画、マルシェ当日の監督、清掃、警備
ホームページ更新やネット販売、他社とのコラボレーション企画、
毎月の東京への出店など、常駐3名のスタッフで「なんでもござれ」。
「行政からの補助金に頼らずに事業でやっていく、と決めています。
立ち上げ時は1年だけ助成金はいただきましたけど」と
気骨のある声をあげるのは、事務局長の金森直人さん。
東京の大学を卒業後に徳島に戻り、しんまちボードウォークで
パラソルショップのプロデュースを成功させていた彼に、
マルシェの発起人、田村耕一さん(徳島経済研究所専務理事)が声をかけた。
「首都圏から有名人を呼んで人を集めるのではなく、
地域発信ならではのものにしたいと思いました。
企画の面白さで人に楽しんでもらえるマルシェをつくるのが目標」と力強く語る。

左からとくしまマルシェの東京進出プロデューサー、中西章文さん、発起人の田村耕一さん、事務局長の金森直人さん。中西さんと金森さんは毎月、とくしまマルシェの商品を車に乗せて東京へ運んでいる。撮影:在本彌生
そもそも、徳島県はれんこんやすだち、さつまいも
生しいたけなどの一大産地として知られており、
人口の多い近畿圏への野菜出荷量は、他県の群を抜き、農業は県の一大産業だ。
にもかかわらず、厚生労働省が2012年1月に発表した国民健康・栄養調査結果によると
徳島県の成人男性の1日当たりの野菜摂取量は
47都道府県中、最も少ないという残念な統計が発表されている。
さらには、人口10万人当たりの、糖尿病・肝臓疾患患者の死亡率が全国ナンバー1であり、
野菜摂取量の少なさを指摘する専門家もいるという。
なんという、矛盾。
徳島県人は阿波おどりの激しい練習のおかげで、
みんなスリムでヘルシーなわけではなかった。
奇しくも、お隣の香川県と並び、まちを見渡せば
安くて早い、スタンドうどんがすぐに見つかる。
お好み焼きやラーメン屋も多い「粉物」人気の食文化圏だけに、
金森さんらは県民がわざわざマルシェに足を運んで
スーパーマーケットに並んでいるものよりも高くつくこだわりの産品に、
お金を出す価値を見出してくれるかどうかを心配したという。
そこで、とくしまマルシェの特性を打ち出すために出店者を一般募集しないことにした。
自らが気になる農家へ出向いて話を聞き、
そして出店にふさわしいと納得できるところだけに依頼をした。
もちろん、販売という未知の体験に、出店を断るところもあった。
そこはやはり自分たちで選んだ生産者のこと、
マルシェのことをきちんと理解をしてもらうため、何度か足を運んだという。
そして、どのくらいの価格でどんな商品なら、消費者も値段に納得して買うか。
ノウハウの少ない人たちとともに、販売アイデアを考えた。
「徳島の本物の産品は県内には流通せず、他県に流出する一方。県民は徳島産品の美味しさを知らないことが残念で、徳島の美味しい農産物をみんなに味わってもらいたかったんです。そのために、まず、良質な地産地消の味を、地元に定着させることを目指しました」(金森さん)
安定した現在の来場者数を見ると、すでに答えは出ている。
また、ブランド戦略の一環として、各店舗の商品を並べるためのオリジナル木箱を配布し、
エコバッグやパンフレットなどもあわせて会場全体のデザインを統一。
川沿いの心地良い空間を演出することで、さまざまな年代の人たちが集まるようになった。
公式ホームページのほか、TwitterやfacebookなどのSNSも
積極的に取り入れ、動画サイトのUstreamに会場を中継した模様を
逐次アップして集客促進に励んでいる。

生産者と消費者が直接やりとりできる機会が定期的にもてるのが生産者側から見たマルシェの魅力。お客さんもじっくりと時間をかけて商品を選ぶ。この相互作用がマルシェそのものの質を高めていく。

子どもたちが農作物の植付けから収穫・加工・販売まで行なっているキッズファーマープロジェクトも、他の生産者に負けてはいられません。自分たちのつくったものを、自信を持ってアピール!

とくしまマルシェ、自慢の農産物がズラリ。もし、当日現地に行けなくても開催当日にマルシェから旬の野菜・フルーツを直送する「お届けマルシェ詰め合わせセット」(送料込みで3000円)もある。お申込みはホームページから。
とくしまマルシェに出店している、人気の生産者に話を聞いてみると、
口々に「お客さんとやりとりできる環境ができたのがいい」と言う。
「マルシェでは、他店の華やかな軒先に並べると、卵は見た目の変化に乏しい商品なので、
ちゃんと内容を説明しないと何がどういいのか伝わりません。
だから、毎回、伝え方を工夫しているんですよ」
と言うのは、コレステロール値の低いヘルシーな
白い黄身の卵「地米」がマルシェで話題となっている
「たむらのタマゴ」の二代目、田村桂樹さん。
地米のほか、黄身が黄色の「濃蜜」、オレンジがかった
「たむらのタマゴ」と
三種類の卵を割って展示し、餌によって黄身の色が違うのを説明。
鶏にストレスをかけない土地を選び、風通しのいい鶏舎をつくり、地元の米を使い、
EM菌を混ぜた独自の餌づくりについて説明するほか、
知るとなるほど納得するようなたまご豆知識のメモを毎回用意する。
なぜたむらのタマゴがスーパーで売っている卵に比べて
値が張るのかという理由を理解してもらうことがポイントだ。
「モノの良し悪しをどうわかってもらうかが重要です。
それを伝える努力をしないと、どんなにいいものと思ってつくっても、
人の手に渡らないから……。」と言う桂樹さん。
二代目の熱い思いはマルシェ出店によって少しずつ広がってきた。
「こちらが話せば、ちゃんとお客さんは聞いてくれます。
お陰さまで回を増すごとにリピーターの方が増えてきたのを実感しています」
徳島市まで1時間以上かけて阿南市の鶏舎から
新鮮な卵を持って駆けつける、桂樹さんの努力は実ってきている。

桂樹さんの隣は父である社長の智照さん。
「本物は黙々として語らず、いいものはそのまま伝わると思いながら仕事をしていたんだが、時代は変わっていくね」

鶏が密集する熱を逃がすように自然の風が通りやすいよう設計されている鶏舎。鶏の糞が下へ落ちるように2Fに鶏がいるようになっているので匂いが少ない。鶏へのストレスが少ない鶏舎で生まれる卵は美味しくて当然だ。
それはそうと、農に携わる人は販売に慣れていないはずなのに
マルシェでの商品の見せ方がとても上手。
「最良の農作物をつくる人は、最良のセンスをもってつくるのだから
商品のスタイリングが上手なのは当然」
というのは糖度8から12もの高糖度のトマト
「ももりこ」で知られる樫山農園の樫山博章社長。
これまで、樫山農園のトマトは高級品として首都圏、近畿圏の
高級スーパーやレストランなどに求められてきた。
地元では、安値でないと売れない。
どんなに手をかけて美味しいトマトをつくっても評価がないのでは
農家だってモチベーションが上がらないし、
品質向上のための投資もできない。
樫山農園の事務所を訪れると、試験管がズラリ並んでいた。
10年以上かけて完成させたビール粕をまぜた肥料でつくる
糖度10以上の「珊瑚樹(さんごじゅ)」のほか、
昨年発売となったオリジナルブランド「ももりこ」など
美味しいトマトの研究開発に余念がないのもうなずける。
「都会だけでなく、地元でも自分たちのつくるトマトの価値を
わかってもらいたいと思ったのです。
県主催のマーケティングフェアに出店し、近所のJA直売所では
少し傷のついたものなどを250g、350円で出しました。
すると、隣県からも買いに来る人がいるくらい人気が出てしまって。
2011年2月からはとくしまマルシェにも参加しました。
マルシェで消費者の方と交流し、新しい取引が始まったり、ファンになってもらったり……。
それまで、生産ばかりに注力していましたが
いいきっかけで自分たちの殻が破れた気がしました」と言うのは、専務の直樹さん。
マルシェでは軒先に立って、率先して販売する。
直樹さんは、国内外へ阿波徳島の食材をアピールするグループ
「若士(わかいし)」にも参加している。
ちなみに、「若士」はとくしまマルシェをきっかにつくられた若い農家の会で
「たむらのタマゴ」の桂樹さんもメンバーのひとりだ。

「お客さんを説得するのは女性を口説くのと一緒。マルシェでは、あの手この手で頑張っているんでしょうね」
と、息子である直樹さんを見ながら樫山社長は笑う。

低温でゆっくりと熟成させた樫山さんのトマトは、冬に一番美味しくなる。反対に水分を含む夏場は、樫山さんはトマトで出店はしない。「ここのトマトでないといかんのよ」というお客さんに人気は支えられている。
マルシェの効能は、売上を上げることだけではない。
つくり手のモチベーションアップにつながった。
結果、地元での消費が増えることに成功し、おそらく食生活の質も、一部向上しているはずだ。
さらには、他県から個人やバスツアーで人が訪れてお金を使っていく。
なんと、市内の百貨店はマルシェの開催日には売上がのびるという。
生産者だけではなく、運営側もマルシェに付加価値をつけるために
家族連れが楽しめるイベントを考え、何度も足を運ばせる工夫をする。
マルシェで買った新鮮食材を自宅へ直送できる
お届けマルシェや気に入った生産者から収穫の時期にあわせて
野菜などが購入できるショッピングモールサイトでのフォローもある。
事務局は、ここで利益を上げ、次なる仕掛けを考える。
中心市街地の賑わいを創出、観光振興とあわせて
農業ビジネスの活性化をめざした、発起人の田村氏の狙いは間違っていなかった。
もちろん、それはすべてがプラスに作用したからであって
休みも関係ない多忙な農家がわざわざ出店したくなる
場づくりを行った事務局の功績は大きい。
さあ、地元での認知が高まったところで、全国へ———。
事務局、生産者、そして実際に消費している徳島県人が盛り上げる、地元の産直市。
関わる人、産地、販売する商品とつくられる背景すべてをひっくるめて
あり方そのものが、「とくしまマルシェ」というブランドに成長したことが
マルシェ開催の“一番の効能”なのかもしれない。
大久保秀和さん
米づくりへの自信
茨城県北部、日本三名瀑のひとつに数えられる袋田の滝がある大子町(だいごまち)。
中山間地であるこの地には、清流久慈川が流れ、いくつもの支流が田んぼを潤す
豊かな水の恵みを受けてきた土地であり、古くからおいしいお米の産地として知られている。
この地で、代々農業を営み、米づくりに携わってきた大久保さん一家。
秀和さんと父である憲治さんを中心に、現在は約20ヘクタールの田んぼで米づくりを行っている。

左から大久保憲治さん、三枝子さん、そして秀和さん。
「自分が家を継ぎ農業を続ける」
当然のごとくそう考えていた秀和さんは、茨城県立農業大学校を卒業後
実家において父、憲治さんとともに米づくりに取り組み始める。
「最初の頃はキュウリ栽培も行っていたのですが、この周辺で米づくりをする人が減っていき、
田んぼの管理を頼まれることが多くなり、米づくり中心の農業となっていきました」
大久保家に代々続く米づくりのノウハウを研究しそれを高めることによって
よりおいしいお米を生みだそうと努力を重ねていく。
そして、この努力は確実な結果として表れ、
周囲でも評判のおいしい米づくりができるようになっていった。
「しかし、いくらおいしさに自信のある米をつくっても、それが認知されなければ
単なる自己満足に終わってしまう」
そんな思いの中で2006年に、お米の食味コンテストとして権威ある
「お米日本一コンテストinしずおか」に自慢のコシヒカリを出品することにした。
「正直なところ、ある程度の評価をいただければいいという思いでした。
しかし、結果を聞いてビックリ!」
結果はなんと最優秀賞を受賞。「日本で一番おいしいお米」の称号を受けたのだ。
これは茨城県初の快挙だった。
「昔からの米ぬかをベースとしたオリジナル肥料を使い、丁寧な米づくりを行う。
あとは豊かな土地と気候が育ててくれます」
と、米づくりの秘訣についてあっさりと語る秀和さんだが、
その奥に熱く秘められた情熱は、日本一となったあとも、次なる未来へと向けられている。
「新たに静岡、福島、山形の米づくりを行う仲間たちと
『カミアカリドリーム』という勉強会を通して、
巨大な胚芽をもつ新しい玄米食専用品種『カミアカリ』を育てようと取り組んでいます。
新しい品種は次々と生まれてきていますが、自分たちの手で育て、
後生に残す品種をつくりあげようと、仲間たちと協力しているところです」

丘陵の間に広がる大子町の田んぼ。この豊かな土地で日本一のコシヒカリが生まれた。
地元を思う心が生み出す新しい農業へのチャレンジ
2006年に「お米日本一コンテストinしずおか」で最優秀賞を受賞後、
秀和さんは米づくり以外の新しいチャレンジも始めている。
「地方の一農業者が、企業や行政の大規模な企画や予算の事業ではなく、
小規模だけど自分たちのこだわりの詰まった商品を生みだし消費者に届ける。
という農業のひとつのかたちを示したかった」
と、まずは仲間と日本酒づくりに取り組んだ。
きっかけは、地元を愛する仲間たちとの会話からだった。
それは単に農家が酒米をつくるということではなく、
仲間とともに、酒米づくりに始まり自分たちの考える日本酒への思いを酒蔵さんに伝え
米農家と仲間たちが生み出した、こだわりの日本酒を完成させることだった。
大子町で生産される「米」、それにかかわる「人」にこだわり、
この地の古い呼び名にちなんで名付けられた純米酒「穂内郷(ほないごう)」。
大子町の豊かな土地を感じさせる深い味わいをもつ日本酒はすぐに評判となった。
また、日本各地の中山間地と同様に、
大子町も農業後継者がいないために増え続ける休耕地が問題となっているが
そんな休耕地を利用してのそば栽培にも取り組んでいる。
大子町はもともとそばでも知られた土地。
そこで休耕地を利用してそばを栽培し、
乾麺そば「保内郷(ほないごう)蕎麦」として販売したところ
大子町のお土産として喜ばれている。
日本酒づくり、そばづくり、ともに地元生産の素材を活かし
少しでも地元が活気づき、元気になる力となれば、という思いから始めたものだ。
「地元をアピールすることで特徴も生まれ差別化もできる。
米や野菜、その素材をつくった人の顔が見えるものづくり、これからはそんな時代だと思う」


大久保農園のコシヒカリ「大久保農園の米」「日渡の米」。そして「保内郷蕎麦」と純米酒「穂内郷」。
今年、10月6日から12月9日(水曜定休)まで
秀和さん、そして憲治さんも卒業した旧上岡(うわおか)小学校において
「おいしい さとやま学校」というイベントが行われる。
これは、2001年に廃校となり、保存された趣ある旧上岡小学校の木造校舎において
東京にある有名なイタリアンレストランのシェフが、
地元大子町の素材を活かした料理を提供する期間限定のレストラン&ライブイベント。
地域活性化を目的としたこのイベントへの食材提供はもちろん
運営や準備にと、忙しい農作業の合間をぬって飛び回った秀和さん。
「大子町にはすばらしいものがいっぱいあります。そこに住む我々がそのすばらしさを知り、
守り、アピールしていくことで輝いてくると思います」
生まれ育った大子町への熱い思いが、
農業だけでなく地域を巻き込んだチャレンジへとつながっている。
profile
HIDEKAZU OKUBO
大久保秀和
1971年生まれ。茨城県立農業大学校を卒業後、実家で父とともに農業を営む。06年、「お米日本一コンテストinしずおか」で最優秀賞を受賞。08年、農事組合法人 大久保農園を設立。
http://www.okubo-farm.com/
information
おいしい さとやま学校
住所 茨城県久慈郡大子町大字上岡957-3 旧上岡小学校
営業期間 2012年10月6日(土)〜12月9日(日)
営業時間 10:00〜19:00(水曜定休)
http://oishii-satoyama.com
1988 CAFÉ SHOZO
旅人の目的地となるカフェ。また次へと旅立っていくために。
カップに入ったコーヒー豆や、透明のキャニスターに入った紅茶の葉が
ディスプレイされ販売されている1階を通り、
階段を上っていくとカフェが現れる。
古い建物を上品に、大切に使っていることが感じられる空間。
イスやテーブルの向きや配置、席それぞれの距離感が心地よい。
本の並べ方など、きちんとしているようで、ちょっとしたぬけがある。
堅苦しくない。だが、少しだけ背筋が伸びる気分だ。
自然にやっているようで、すべて計算されたバランスなのだろう。
何だか“はじっこ感”が落ち着くカフェだ。
「自分が気持ち良く仕事したい。来てもらうひとにも気持ち良くなってほしい。
お客さんのターゲット層とか“どんなお店にしたいか”なんて
考えたことはなくて、どうすれば気持ち良く過ごせるか。それだけです」
と話すのは1988 CAFÉ SHOZOの菊地省三さん。
店名の通り1988年にオープンしたこのカフェは、
オープン当初から雰囲気は変わらず、現在ある多くのカフェの参考にされた。
イスやテーブルがバラバラなのに統一感がある、
なんて今のカフェでは珍しいことではない。
が、ここでは20年以上前からやってきたことだ。

1階では、コーヒ豆や紅茶のリーフを販売。

本を横に倒して置く。空間に広がりを感じる。
オーナーの菊地省三さんは高校卒業後「やりたいことがなかった」と、
なんと海上自衛隊に入隊する。物腰やわらかい話しぶりからは、
まったく想像ができない体育会系キャリアに驚く。
そこで「自分でやらないと満足ができないんだと思ったんですよね。
団体でやっていると、楽しめはするけど自己表現はできないでしょ」と、
自分のお店を持つことを決意する。
その後、数年、東京に出てみる。
多くのひとがそうだと思うが、
東京は人口が1000万人以上にもかかわらず、
生活のなかで主に関わるひとは10数人程度。
「それでふと考えた。5万人の田舎だとしても、
きっと関わりを持つひとは同じく10数人なんだろうなと。
それなら東京にいる必要がないと思ったんです」
さらに東京での勝ち負けや、トップを取るという目標設定が当然であるという
社会に対しても違和感を抱いていた。
「東京でお店をやって、ただお金儲けをして意味があるのだろうか。
自分の生まれたところではない東京で自己表現しても、
意味がないのではないか。
それより自分の生まれたまちで自己表現できたら、
充実感が得られるんじゃないかと思いました」
省三さんの考える人生とは、競争ではなく自己表現だった。
ひとり旅が好きだったという。
特別何もないようなまちでも、個性の強い店が1軒、ひとがひとりいるだけで、
そのまちが目的地となる。いろいろなまちや場所を旅しながら、
やはり思い起こすのは自分の故郷だった。
「黒磯も、ひとがたくさん訪れてくれるようなまちにしたい。
だから旅人が好んで目的地としてくれるようなカフェをつくりたい
という思いがあります」と、旅人の視点を生かした店づくりを心がけた。

いたるところに蔵書が。旅ものが多いのが、省三さんらしさ。

まずは、ひとが歩いている“通り”をつくろう。
1988年当時は、すでに地方にシャッター通りが増え始めていた時代。
黒磯のこの通りも同様だった。
「自分がわくわくして他のまちに旅するような気持ちを、この黒磯にもつくりたい。
だからいろいろなお店をつくって、通りをつくろうと思ったんです」
お店ができると通りができる、通りができるとひとが集まる。
こうしたことは、確かに地方のほうがやりやすいし、可能性もある。
そして目的地になれる。
こうしてカフェ以外にも、
インテリア、洋服雑貨などのショップもオープンさせる。
もう数店は、省三さんの手を離れ、独立した運営も進められている。
「まちをひとが歩いているって素敵じゃないですか。
近くにショップを並べちゃえば、車を置いてひとが歩く」
たしかに車で走りながら歩いているひとの姿を見ると、
“ここに何かあるのかな?” と思わせる。
効果は徐々に現れている。ひとが集まるという意味には、
旅や観光だけでなく、“ここにお店をつくりたい”と集まるひとも含まれるのだ。
「小さくてもいいから、自己表現してくれるひとが
たくさん居てくれるといいんだよね。
そうすると、自然と強い集団になると思います」と、
無理のないかたちでの通りづくり、いや、まちづくりを思い描く。
そんなお店やひとが増えてくれば、黒磯が変わるのかもしれない。
20年、30年後、今の高校生が大人になり、東京のカフェで
“そういえば黒磯にもこんな感じのカフェがあったな。黒磯も悪くない”
と思ってくれたらしめたもの。
「黒磯に戻ってみようかなというひとが増えたら、
やっていた価値もあるんじゃないかな」と省三さんは、
自分が過去に出合ってきたカフェを思い浮かべる。
数々のまちで出合ってきたカフェには、たくさんの思い出がつまっているのだ。
「喫茶店は、ひとの数だけ物語が出てきそうな感じがするんですよ。
それは外に広がっていく」とひとが集まる場所のパワーを信じている。
最後にこんな例え話で締めくくってくれた。
「ヘトヘトになって死んじゃう渡り鳥もいるんですよ。
でもそんなとき、丸太が浮いていたら?
この丸太はどこに行こうとも思ってない、ただ浮いているだけ。
でも、この丸太でひと休みできたら、渡り鳥は次の場所にまた飛んで行ける。喫茶店なんてそんなもの」
もう一度、旅の目的地として黒磯に行ってみたくなった。

自家焙煎の煙突とコーヒーの香ばしさが迎えてくれる。

インタビューは、読書に集中できそうなこぢんまりとした席にて。
おいしいサンマは不思議な魚
イチ、ニ、サン、マーッ!
秋の味覚を代表するサンマ。
みなさんはサンマの塩焼きを食べるとき、はらわたもガブリといくワイルド派ですか?
ワイルド派の代表ともいえるのが、幕末から明治時代にかけて活躍した
作家・ジャーナリストの福地桜痴(ええと、たとえばsocietyを社会と翻訳したのは彼です)。
彼はサンマのはらわたが大の好物で、
身を残してはらわただけをムシャムシャと20匹とか食べていたという逸話が残っています。
そもそも、なぜサンマは、はらわたから丸かじりできるのでしょう。
それはサンマには胃がないからです。おまけに腸もすごく短い。
つまり、お腹に消化中のエサ(動物プランクトン)が溜まっていないから、
はらわたも美味しく食べることができるのです。
さて、冒頭の質問ですが、
魚好きに「はらわたが一番うまいのにガブリといかないでどうするの?」
と怒られてしまうのですが、どうしても躊躇してしまうんですよね。
というのも、ガブリといったときに、
口の中にウロコのようなものが残ることがあるじゃないですか
(というかウロコなのですけれど)。あれが苦手なんです。
「ややや、なんでお腹からウロコが?」って不思議に思ったことはありませんか?
これは漁法に関係があります。
現在、サンマの漁獲はほとんどが「サンマ棒受け網漁」。
太平洋戦争末期に発明された、
サンマが光に集まる習性を利用して大きな網で一気にすくいあげる漁法です。
魚体を傷つけず、仕組みも単純で人手もエサ代もかからないことから、
戦後の人も物資も足りない時代に、あっという間に広がり、サンマの漁獲高が激増しました。

サンマ棒受け網漁の船。船の大きさによって漁の解禁日が異なる。(ロケ地:北海道・霧多布)
で、網にサンマがわんさかと入ったとき、カラダがこすれ、
剥がれたウロコを飲み込んでしまったというのが、はらわたにあるウロコの正体です。
サンマは日本海から北米大陸まで北太平洋に広く棲息している回遊魚で、南の海で生まれ、
春に黒潮にのってエサの豊富な北の海へ北上して、栄養をたっぷり摂ってまるまると太ります。
そして夏の終わりになると産卵のために南へと下ってきます。
その一部が北海道道東→三陸沖→銚子沖と日本列島に沿って群れを作って通過するので、
日本沿岸域は恵まれたサンマ漁場になっているのです。
安くておいしく馴染み深いサンマですが、謎が多い魚でもあります。たとえば産卵の謎。
サンマの卵にはヒゲのような糸があって、
流れ藻などの浮遊物に絡み付けるようにして産みつけます。
でないと海水より卵の比重が重いので海の底に沈んでしまいます。
となると、大量のサンマが生まれるには、膨大な量の流れ藻が必要になるはずですよね。
でも、それだけ大量の流れ藻は存在しないのではないかという疑問があがっているのです。
実際、流れ藻の少ない季節や、流れ藻がない遥か沖合でも稚魚が見つかっています。
ということは、流れ藻以外にどこかで産卵しているの???
まだ、専門家にもよくわかっていないそうです。
ウナギは卵や稚魚が見つからなかったため、
いつどこで生まれるのかずっと謎だったのですが、
サンマは逆に、どこでも卵や稚魚が見つかるので、どういう生活史を送っているのかが、
今ひとつよくわからないのだとか。
魚の年齢や成長の研究に使われる「耳石」から、
サンマの寿命が約2年と分かったのも2006年のことですから、わりと最近です。
この内耳に年輪のように形成される耳石をサンマの研究者に見せていただきました。見たい?
こんなものです。

サンマの耳石。1匹から2つしか採れません。
さて、8月の終わりごろから道東で獲れはじめる脂ののったサンマ、美味しいですよね。
ただ残念ながら漁場が南に移ると「脂がのっていない」とサンマを見下す人がいます。
でも、どうなんでしょう。秋の深まりとともに、だんだんサンマの脂が抜け、
逆に旨味が増していく。味の変化も、季節を感じる楽しみのひとつなんですけどね。
例えばサンマの酢締めは、脂がほどよく落ちた方が、美味しく作れると料理人はいいます。
紀伊半島の熊野灘あたりまで来るとすっかり脂が落ちて、塩焼きには向かなくなりますが、
そういうサンマだからこそ紀南地方名物サンマ寿司が生まれたわけです。
それから伊豆半島や紀伊半島の冬の名物、サンマの丸干し。
これはうま味成分の塊で最高の酒の肴です。伊豆半島や紀伊半島では、
春先に北へ向かうサンマの幼魚(ハリコ)も丸干しにして食べます。

ハリコと呼ばれるサンマの幼魚。身肉はないけど、しっかりサンマテイスト。
余談ですが、ヨットで旅をすると房総半島、伊豆半島、紀伊半島の港には共通点が多く、
黒潮文化圏的なものを感じます。
今では全国で当たり前に食べられているサンマの刺身ですが、
生食がブレイクしたのは十数年前のこと。
それまでは、サンマ離れが進み消費量がどんどん減っていました。
ところが、生食が大ヒットして、今ではどこの居酒屋でもサンマ祭り。
スーパーでも普通にサンマ刺しが並ぶようになりました。
特に東日本に比べるとサンマを食べる習慣があまりなかった大阪でも
消費量が伸びているのは刺身の影響が大きいそうです。
この10年で冷却技術や輸送手段に格段の進歩があったわけでもなく、
ただただ生で食べる美味しさが広まったからというのが、ちょっと不思議です。
個人的には回転寿司が生食サンマの普及に
かなり貢献しているのではないかとニラんでいるのですが、どうでしょう。
ちなみに北海道や三陸の水揚げ港では、サンマの刺身は醤油+一味唐辛子で食べます。
まだという方、ぜひこの秋に一度試してみてください。

今年の新米は如何に!?
4か月間の振り返りを……。
コロカルをご愛読のみなさまお久しぶりです。
気がつけば前の投稿から4か月……(汗)。
未熟さゆえに仕事の雪崩に埋もれ、遭難しておりました。
コロカル編集部の温かさに救われ、何とか無事生還を果たしましたので、久々の更新を!
前回の記事は田植えイベントで終わっていますが、
現在魚沼では、バリバリ稲刈りが行われております☆
追いつかねば!
ということで、この4か月間を振り返ってみることに。
東京田植え体験。
前回の記事で募集をさせていただいた東京田植え体験ですが、
不安定な天候により田植えが中止となり、
懇親会BBQのみ開催という素敵なかたちに着地しました!

イベント協賛 COLEMAN様
当日、何とか雨は回避。
都会のど真ん中渋谷のとあるビルの屋上で、
魚沼からお持ちした、もち豚・アスパラ・八色しいたけ・エリンギなどのBBQと共に
みなさんと美味しく楽しいひと時を過ごさせていただきました。
田植えをできずに残念でしたが、その分ゆ~っくりとお話しさせていただくことができました。
たくさんの方々に応援していただいていることを実感し、
ポジティブなパワーをたくさんいただき、僕らにとっては本当に有意義な時間となりました!
「災い転じて福と成す」とはこれまさに。
6代目覚醒計画。
山本家6代目ゆうと君(7歳)の将来の夢は自衛隊。
立派な夢ではありますが、RICE475を進行する我々としては、
何とか6代目にも農家になってもらわねば! という、超おせっかい企画を開始。
ゆうと君、おじいちゃんとパパと一緒に小さな田んぼを始めました。

田植え。意外と真面目にやってます。

草取り。もちろん除草剤は撒きません。当たり前か。

スクスク成長中。

こんなところに稲が? 6代目、新農法の開発研究か!?
やはり農家のDNAを受け継いでいるだけあり、ちゃんとお世話をしていましたよ。
果たして、味はいかに? 親父を超えることが出来るのでしょうか?
そして、収穫を迎えたとき、6代目の将来の夢はどこへ向いているのでしょうか?
続く
除草体験ツアー。
無農薬栽培で大きな難儀は「雑草」との戦いです。
今回はそれをみなさんに体験していただこう! ということで除草ツアーを開催!
実は昨年も除草を募集していたのですが、参加者3名という、
RICE475史上最少参加人数を記録したほろ苦い思い出が。
ですが、なんと! 今年は一晩で定員を大きく超える申し込みの数!
予想以上の大盛況でした。

総勢50名近い参加者が田んぼに入り、草を取る。
なんて素晴らしい光景でしょう!
どんどん積み上がる雑草の山。農家山本も大喜び!
みなさん一生懸命、一心不乱に草を取っていただいて、
それだけでも本当にありがたいのに、みなさん「全然取りきれなくてすいません。」と。
え~!? なんて良い人たちなんだ~! と、山本と感謝の涙を流しておりました。
しかも、翌日みなさんからお礼のメッセージがたくさん。
魚沼に草取りに来てもらって、お礼を言われるなんて、
もう「ありがたい」を通り越して「かたじけない」ですよ。
みんなで育てているって感じ、素敵ですよね!
たくさんの想いが詰まった美味しいお米になるはずです。
絶対。
さまざまな場所でRICE475に会えます。
現在RICE475は、
・ SLOW HOUSE by ACTUS 様
・ FADNESS INLET FARM(弊社の衣食複合セレクトショップ)
・ 廣新米穀WEBサイト
で購入していただくことができますが、
意外に少ないのです。そもそも商品の数が卸をするほどありません。

常時販売しているのは上記の店舗のみですが、
今年もいろんな場所でRICE475を販売させていただいております。
地元のイベントのほかに、県外のお祭りで販売させていただいたり、

なんとレザーブランドCOACHさんの70周年イベントでも!
ノベルティとしても採用していただきました。
カッコいいお米でしょう! 自慢の息子です☆
10月以降も東京、愛知などなど行きますよ~!
そしてさらに今年はみなさんに常時購入していただける窓口が増える予定です。
なんともありがたいこと!
確定次第、こちらでもお知らせできればと思います。
そんなイベントを挟みつつ、山本は日々作業を続けます。
日々の作業は、
RICE475のTwitter(@rice475)やホームページのRICE475カテゴリーで発信しています。
初年度は青虫の異常発生、
昨年は猛暑からの豪雨洪水。収穫間近の田んぼがいくつも土砂で埋まっていました。
今年は猛暑で渇水。
フジロックでも雨が降らなかったという、記録的な少雨。
毎年、天候や気温が変わっていく中で、クオリティーを保ち続けるというのは
とても難しいことだと、3年目にして実感しました。
それでも山本は美味しいお米をつくり続けます。
さぁ、今年の新米は如何に!!!
乞うご期待です☆

なんか、夏休みの宿題の日記を一気にまとめて書いた感じ。笑
ではでは。
五戸で馬肉が 食べたい!
寺田本家 前編
「発酵の里」神崎町へ。
寺田 優さん(以下、寺田):株式会社寺田本家第24代当主・代表取締役。
南 智征さん(通称、なかじさん。以下、なかじ):
寺田本家蔵人頭、発酵料理家、レシピ本著者。
ジャスティン(以下、ジャス):著者。
都内に住んでいる僕にとって、千葉県はもっとも身近にある農作物の産地というイメージがある。
その一方で、「お酒」から「千葉」という言葉がなかなか連想できない。
でも美味しいお米ときれいな水があるところに、美味しいお酒がないはずはない!
今回それを信じて、成田からほんの少しの距離にあり、
「発酵の里」として徐々に知られつつある神崎町(こうざきまち)に行くことにした。
ここには、まちならではの独特な発酵フィロソフィーがあり、
地元の人たちの発酵ライフを後押しする酒蔵「寺田本家」が中心となって活動している。
酒づくりにも最新技術を導入することなく、
日本最古の発酵の智恵を掘り起こして酒づくりを行っていると知って、
どんな味が醸し出されているのか興味津々で訪ねた。
僕たちを出迎えてくれたのは、寺田本家蔵人頭のなかじさん。
ジャス
おはようございます!
なかじ
おはようございます!
ジャス
今日はよろしくお願いいたします。
なかじ
よろしくお願いします。ふたりとも旅しているような格好ですね。*
*(半ズボンとサンダルをはいた、いろんな荷物を背負っている姿の僕と
フォトグラファーの飯野さんのこと)
ジャス
そうですね。まぁ、旅している感覚で楽しくやろうかなと思ったけど(笑)。
なかじ
いいんじゃないですか(笑)。
農家の人たちが自分で楽しむためにつくっていたお酒。
陽気ななかじさんに連れられ寺田本家に行くと、
何人かの蔵人さんが蔵の端から端まで駆け足で往復していた。
そこで寺田さんと合流。
挨拶が終わった途端、「よかったら手伝いませんか?」と聞かれ、
いつの間にか蔵の作業に参戦! 笑顔で指示していただきながら
「マイグルト」(100%植物性乳酸発酵飲料)用のお米を
仕込みタンクまで何往復か運んでいく。
これが寺田さん流のウェルカム・スタイル。
その後、寺田さんとなかじさんに蔵を案内していただきながら、
寺田本家さんの酒づくりについて特別に見せていただいた。
ジャス
ここは冬場だけじゃなくて、夏にもお酒づくりをやっていらっしゃるんですね。
こんなに外気が入ってくる構造の蔵だから、温度とか環境の調整が難しそうですね。
寺田
発芽玄米のお酒「むすひ」(昔の日本語には濁点がなかったということで、
「むすび」と発音する)と、「醍醐のしずく」というお酒は
夏場でもつくれるんですよ。
両方とも、もともと酸味があって、酸っぱいお酒ですね。
この蔵にいろいろな酸味麹があるおかげで、年中通して元気に発酵していく。
このお酒のつくり方が、エアコンもなかった、昔からのつくり方なんです。
ジャス
そういうお酒を再現させようとしているのですね。
どぶろく系のお酒というか。
寺田
まさにどぶろくのつくり方ですね。
このつくり方でやると、
暑い夏でも腐ったりしないでちゃんとお酒になるからって、広まったお酒で、
農家の人たちが、自分で楽しむためにつくっていたお酒なんですよ。
夏の時期プレミアムなお酒はつくれないから、
自然な、そして、気軽な酒づくりというイメージですね


マイナスからはじまる。
ジャス
お酒のつくり方が時代と共に変わってくるにつれて、
酒づくりの技術という言葉の意味合いも
少し変わったんじゃないのかなという気がしますね。
寺田
そうですね、つくっている特徴が、例えば「醍醐のしずく」の場合ですと、
生のお米を水に浸して、それをしばらく放っておくんですよ。
そしたらその浸している水自体がだんだん酸っぱくなっていくんですね。
まるで腐っているみたいに酸っぱくなっちゃうんですよ。
で、だいぶ臭くなったらその生のお米を取り出して蒸して、
麹とその蒸したお米と合わせてそこにくさ~いにおいがするお水を入れて、合わせて、
発酵がはじまるんです。
その生米と腐った水を漬けた状態のこと、腐れ元っていうんですよ。
元々腐っている状態からはじまるじゃない?
でもそれが美味しいお酒になっていくのがこの「醍醐のしずく」の面白いところ。
マイナスからはじまるみたいな。
ジャス
“マイナスからはじまる”。少し意外ですね。なんとも興味深い!

地元の持ち味と“地酒”の意味。
寺田
これは製麹室(せいぎくしつ)といいます。麹をつくる部屋ですね。
靴を脱いで、入っちゃってください。

ジャス
はい、オッケー。あれ、でもこのままで入っちゃっても本当に大丈夫ですか?
何も帽子被ったりとかしなくても?
寺田
いえ、大丈夫ですね。
ジャス
え~、珍しい。これは、もしかして寺田本家さんの麹室だからできる、というか……
寺田
そうですね。お客さんにいらしていただいて、
さまざまな雑菌を持ってきてくれるのが、
うちの美味しい麹づくりの元になってるんじゃないかな~と。
ジャス
へぇ~!
寺田
いろんな菌が入って、その菌のバランスのなかでできる麹というのが、
お酒の命となっているんじゃないかなと思いますね。

ジャス
そしてこれは、玄米麹ですね、「むすひ」の?
寺田
そうですね。これは今日で3日目、明日完成するので甘みもまだ途中ぐらいですが、
麹本来の甘みを感じていただければと思うので、
どうぞちょっと味見してみてください。


ジャス
……あ、本当だ。ほんのりの甘みが。でも美味しい。
寺田
明日になったらもっともっと甘くなって、
玄米由来なので、複雑な味と香りになっていくんです。
お米、玄米のままの成分というよりも、麹菌がつくことで、
栄養成分も4倍ぐらい増えて、お米自体の成分がどんどん変化していくんですよ。
たんぱく質を分解するプロテアーゼとか、でんぷんを分解するアミラーゼとか、
いい麹菌は麹のなかで酵素をたくさん蓄えるので、いい麹ができあがるんですね。
うちの場合この麹菌のもともとの菌が稲麹という、
田んぼから採ってくる麹菌を使っているんですよ。
ジャス
稲麹って、なかなか聞かない言葉ですね。
寺田
稲麹自体はどこにでもあると思うんです。
でも、それを実際麹づくりに活用しているところは、なかなかないかもしれない。
ジャス
確かに、普段は日本でもほんのわずかしかない種麹屋さんから種麹を頼んで、
お酒をつくっているところがほとんどですね。
寺田
そうですね。それは普通のつくり方なんでね。
うちの場合は、自分のところで育っている麹菌を持ってかえってきて、
それをお米につけて、種麹をつくっちゃう。本当に地元の菌で。
お米の品種でも在来種のように、昔からつくっている品種って、
よく麹菌がつきやすいんですよ。
病気になりやすくなったりとかもあるんですけど、逆に微生物がつくことで、
発酵しやすいんじゃないかなと思うんですね。
だから、本当の酒米というのは麹がつきやすくて、発酵しやすいお米じゃないかな。
一般の酒米って、精米しても割れにくいのがいいお米だ、と言われているんですけど、
うちではね、稲麹がつきやすい米がいい酒米なんじゃないかなと思っているんです。
ジャス
そういう意味では、各地域のお酒ならではの持ち味というか、
それを上手く表現するにはやっぱり地元の田んぼで……
寺田
そう。地元の田んぼで育った菌。
ジャス
そう考えると地酒という言葉って、
定義自体が普通とはちょっと違う捉え方になりそうですね。
酵母にしても、地元のものを活用するのではなくて、
違う地域の研究所でつくった酵母を使っている“地酒”って多いから。
寺田
うちのは“本当の地酒”って言ってね。うちの麹菌は地元の菌で、
酵母菌も蔵づき。人工的な酵母菌を添加してないですね。
自然にブクブクわいてくる菌を生かして、
すべてあそこら辺にいる菌でできるんですよ。
どこかのラボでつくって、地酒だ! と言うより、
地元でいいものをつくったら、微生物が現れてきてくれて、
それで発酵しはじめてくれる。
身土不二、地産地消、いろいろ言い方考え方がありますが、
そこの地が持っているエネルギーを、そのまま取り込むということが、
良いお酒づくりに繋がってくるんじゃないかなと思います。
微生物やお酒の発酵でもそうだとは思いますが、
その土地のエネルギーを取り込むという点では、
もしかしたら、人間でも同じことが言えるんじゃないかな。
次回は、発酵料理家でもあるなかじさんに、とっておきの麹レシピを教えていただきます。
to be continued!
満月・宮酒ワインバー
よなよな小田原、ぶらりと一杯。
神奈川県小田原市に満月の夜だけ営業するというバーがある。
バーといっても、そこは築80年の建物を改装した、
昼間はカフェをやっている店。
バーを開くのは小田原の隣、足柄上郡中井町で酒屋を営む若夫婦。
ご主人の宮川満洋さんはシニアワインアドバイザーの資格も持っており、
毎回、季節やその日に出る食事にあわせたワインや酒を数種類用意する。
さて、現地に着いたら、1枚500円の満月券を購入する。
何枚買ってもいい。余れば戻せばいいのだ。
さあ、満月券を買ったら、お月見のひとときの始まり。
今宵、満月を愛でながら、何を飲み、食べましょうか。
誰と、どんな話を語りましょうか。
小田原駅から徒歩10分ほどの場所にあるカフェ「暮らしの遊びnico café」で、
満月の夜だけ開かれている「満月・宮酒ワインバー」は
次の満月(8月31日)で開催9回目を迎える。
最初は主催者である宮川酒店の若奥様、綾さんが
ブログで小さく告知を始めたのが、
TwitterやFacebookでいつの間にか広まっていき、
今では4~50人程度のお客さんが、満月の夜を楽しみにやってくるという。
グループもいれば、帰りがけにSNSで見かけて
ひとりでひょいと顔を出す人もいて
メインのテーブルは知らない人同士が座っていても不思議と盛り上がっている。
これも満月の魔法のなせるワザなのだろうか。
この日、料理を担当するのは湘南・鵠沼海岸で
野菜たっぷり無添加の玄米ランチ配達を行う「Vegiko(ベジコ)」。
湘南の奥様方に人気のアジアンテイストの料理は
ケータリングで運ばれ、店主の岡村恵子さんがサーブする。
ちなみに、前回は茅ヶ崎の「海席 cuisine 空海」が出店していた。
このイベントでは、毎回地元の人気レストランによるケータリングが人気で
好きなものを選んで食べられるようになっている。
盛り合わせの種類の多さで1~2枚の満月券を支払う。

Vegikoのアジアンテイストにあわせて南足柄市のパン工房polonがバインミー用のバケットを用意。

バインミー、さんまのレモングラス風味揚げなど、アジアに旅した気分の3種盛り合わせで2満月券。
今回の飲み物の目玉は埼玉県川越市を拠点とする
コエドブルワリーのCOEDOビールだ。
基本的には酒屋が営むワインバーがウリなのだが、
盛夏であること、ケータリングがアジアンテイストということで、
先日、宮川満洋さんが工場見学に行って、気に入ったCOEDOをチョイス。
「今日はアジアンフードが出されるので、飲んだあとにクローブなど
スパイス香が広がる“shiro”という銘柄の生ビールを用意しました。
ほかには、芳醇な香りと苦味がビール好きに好まれる“kyara”を。
ワイングラスで香りを楽しみながら飲んでいただきたいですね」
というのは、小江戸・川越からはるばるやってきた
ビール伝道師の松永将和さん。
生産者でもある彼の手から一番美味しい状態で、
ワイングラスにビールが注がれる。
それはもう、贅沢極まりない生ビールの完成である。

松永さんが泡の状態を見ながら注いでくれる。白濁色が特徴の小麦のビール、“shiro”を一杯。

Hair Room HB のみなさんは今回が2度目。「ここに来ると感覚の合う人に出会える」という。
この日はCOEDOビールのほか、
ワインは赤白あわせて14本、さらに日本酒2本が並び、
お客さんはシニアワインアドバイザーの満洋さんに相談しながら
飲みたいお酒を選んでいく。一杯、1満月券。
「レストランだったら一杯ン千円するワインが
一杯500円で、しかもいいグラスで飲めるんだからお得じゃない?」
と喜ぶのはお隣、南足柄市から営業終了後に
電車に乗ってかけつけたHair Room HBのみなさん方。
満月・宮酒ワインバーでは、上代が1本1000円台後半から
4000円くらいのワインや日本酒が並ぶ。
HBのみなさんはワインカウンターの後ろに陣取り、
グラスが空になったらすぐに飲める体制。
こういった様子なので、この場所には、
西湘方面を中心に、湘南、町田あたりまで
飲むことが好きな人たちが仲間と、そしてひとりでもふらりと飲みに訪れる。
「初めて来ても、ワインが好きであれば、そこにいる誰かとは話があいますし、
ひとりで寂しいなどという心配はありませんね」
という40代の男性はテーブルの隣に座った美女と初対面でツーショット。
ちなみに、これはナンパではありません。
宮川さんが毎回配布しているワインリストを眺めながら
楽しくワインのお話をしているんですよ。

ワイン好き同士が偶然隣になれば、こうやってワイン話で盛り上がる、の図。
わざわざ電車を降りてでも小田原に人々を惹きつけるのは
お店の力も大きいのでは? ということで、
場所を提供している「暮らしの遊び nico café」の店主、
和田真帆さんに話を聞いてみた。
nico cafeを作る前は空間プロデュースや
設計ディレクションを生業としていた和田さん。
いつか自分の理想の空間をつくりたいと思っていたときに
この古い建物に出合ったという。
「自分自身を表現する場所が欲しかったんです。
生活の役にたたない“いやしもの”を置きたかったの。
ある程度カタチになってきたところで
このハコをいろんな人に表現してもらったらどうだろうと思って
夜は自分が声をかけた人に営業をしてもらっていました」
和田さんがつくる居心地のいい空間に引き寄せられて
シャッター通りだった通りに人が少しずつ戻ってきた。

築80年の面影を残す建物が妙に居心地のいい空間に。これは、店主、和田さんの魔法。

さあ、今月はブルームーンだから2回開催! 夫唱婦随の宮川満洋さんと綾さん。
でも、どうして宮川さんが満月だけワインバーを開くことに?
「nico caféの和田さんから、夜の営業を週一でやらない? と誘われたんです。
酒屋の営業をしながら毎週は大変だから
月に一回がいいなということで満月の営業になりました。
ワイン会の延長線のようなイメージで、
店主が選んだとっておきのワインたちと
色んなお店のシェフが作る“ワインの相棒”。
そんな素敵なコラボを楽しんでもらいたいと思って。
宮川酒店のPR活動の一環でもあるけれど、
酒屋がやっているバーということで、いろんなお酒を
お客さんに楽しんで欲しかったんです」
と、宮川酒店の「酒屋の嫁」、宮川綾さん。
3人の子どもを持つお母さんでもある。
根っからのお酒好きな夫婦ふたり、
自分たちの扱う商品はどんな特徴があるのか、なんの料理があうのか、
小さな酒屋だからこそできるお酒との付き合い方の楽しみを
「スナック二人」と称してTwitterでも発信しており、
このnico caféでのワインバー開催は
まさに夫婦ふたりの思いと実益がかなったもの。
宮川酒店がある中井町は、
「湘南の端っこ、西湘の端っこ」的な位置と綾さんはいう。
そんな中で感じるのは、小田原・西湘地区は横のつながりが豊かだということ。
「趣味や仕事、カフェや雑貨屋、レストランなどのお店を通して、
心地良い距離間を持って人々が知り合っていく、
そんなイメージがこの地域にはあります」
満月・宮酒ワインバーやワイン会をやっているからか、
ワインを好きな方って意外とたくさんいるんだな、と
実感しているという宮川夫妻。
彼らのお酒を通したコミュニケーションへの思いは、
和田さんや地域のみなさんの協力もあって、少しずつ地域にて浸透中のようだ。
満月は動物の生理状態に影響するとも一説では言われているけれど
この満月・宮酒ワインバーでは、アルコールや美味しい食事が相乗効果を発揮して
人びとを開放的な気持ちにさせている模様。
現に、閉店時間になっても満員御礼の人だかりだった。
美味しいお酒を仲間たち、見知らぬ人たちと楽しむ。
そんなコミュニケーションスペースで飲む、
珠玉の料理とよりすぐりのお酒。
次の満月は足取り軽く小田原まで、一杯いかが?
屋久島〈送陽邸〉の朝ごはん。 毎日でも飽きない絶品の朝食には トビウオは欠かせない。
薄味でシンプル。実は毎日でも飽きない、屋久島定食。
毎年数多くの観光客を迎えている屋久島。
観光客にとって欠かせない楽しみのひとつが、
その土地ならではの食事であろう。
そこで屋久島の永田地区に1992年にオープンし、
屋久島の海から聞こえる波の音をBGMに
泊まることができる宿「送陽邸」の朝ごはんを覗いてみた。
食卓にあがったのは、ごはん、みそ汁、お漬物、のり、屋久とろ、
そしてトビウオとシンプルな献立。古き良き日本の魚定食だ。
やはり屋久島名産というだけあってトビウオは欠かせない。
「塩に漬けてひと晩置いたものです。うちでは焼かずに湯がきます。
焼くより塩分が落ちるのでヘルシー。それに焼くより簡単(笑)」と
こっそり打ち明けてくれたのは、家族経営のなかで、
料理の総監督を務める奥さまの岩川エツ子さん。
かつての屋久島はトビウオ漁が大きな産業となっていたが、
最近では漁獲量もかなり減ってしまったという。
屋久島出身のエツ子さんは、トビウオ漁の昔話をしてくれた。
「昭和40年代くらいまでは、トビウオ漁に何十台もの漁船が出ていました。
大漁だと漁船が旗を立てて戻ってくるんですね。
すると村にはサイレンが鳴って、
学校にいた子どもたちも港に行ってお手伝いをしたものです。
すぐに塩漬けにして、樽に頭を揃えて並べて一晩漬けました。
翌日はゴザを敷いて、その上にそのトビウオを並べて干すんです」
トビウオは昔から屋久島のひとに食べられてきた魚で、
今も変わらず愛されている。保存するためにとられた塩漬けの製法が、
食べたときのほんのりとした塩味となる。
トビウオは淡泊で脂分が少ないので、
少し塩味を加えるだけで飽きずにずっと食べられてきたのだ。
他にも首折れサバなど、屋久島名産にはやはり淡泊な魚が多い。
このトビウオ以外にも全体的に味は薄味で、塩分控えめ。
九州の味付けは一般的には甘めだと言われるが、
屋久島はトビウオからもわかるように、薄味が好まれるようだ。
屋久島産の屋久とろは、通常の山芋よりも粘りが強く、
みそ汁をつくっているときに入れるとそのまま団子状になるというほど。
ご飯にかけてツルッと、というより食感もしっかりしていて、
食べごたえがある。立派なおかず感覚。
みそ汁にも、もちろん屋久島産の具がたっぷり。
なるべくたくさんの品目を入れたいと、10種類程度は野菜などを入れている。
これが味に深みを与えてくれる。
野菜や屋久とろなどは、近くの農家からもらえることも多く、
土地の恵みがたっぷりつまったみそ汁だ。
食後には、黒砂糖がひとつ用意されるのが「送陽邸」流。
屋久島のひとたちはよくお茶菓子として食べている。
これ一粒で元気が出てくる気がするから何だか不思議。
これから山登りするのに、最高のエネルギーチャージとなるのだ。
送陽邸の食堂はほぼ海の上。
海からの風を感じながらいただくトビウオが格別なのはいうまでもない。

古田秘馬さん
生産者と会える“食のライブハウス”。
東京・六本木のビルに囲まれた農園付きのレストラン
「農業実験レストラン 六本木農園」をプロデュースした古田秘馬さん。
ニューヨークでコンサルティングの会社を経営していた古田さんが、
東京に戻ってきたのが2002年。
仕事や友人の紹介などを通して、全国各地に足を運ぶうちに、
地域の豊かな食事情に古田さんの心が揺さぶられたことが、
「六本木農園」オープンのきっかけとなった。
「食に興味があったのは昔からなんですけど、
それに加えて食べ物の“物”としてのストーリーに惹かれたり、
食べる雰囲気、食べる仲間含めて、
食っていろいろなものとくっつきやすい“細胞”なんだなぁと気づきました」
その“細胞”を生かすレストランの構想は、この頃に立ち上がる。
「生産者の方々と話しているときに、
“生産者が生産までのこだわりやストーリーを語る場や、
生産者同士や生産者と消費者がくっつきやすい場所ってないよね”という話に。
じゃあ生産者に出会える“ライブハウス”をつくるのはどうだろうと考え、
六本木農園をオープンしました」
ライブハウスは本来新しい才能や、自分好みのミュージシャンに出会う場。
その食の生産者版があってもいいんじゃないかと古田さんは思ったのだと言う。
現在「六本木農園」では、
レストランで出している料理の生産者に来て語ってもらう「農家ライブ」を
週に2回ほどのペースで行っている。
「最近の農家さんは、iPadなどでプレゼンをしたり、
席をまわりながらプレゼンをしたりとアイデアの限りを尽くしてくれるし、
プレゼンがとても上手。
やっぱりこだわりを持ってつくる農家さんは、そのこだわりを話したいと思うし、
食べる方もどうせ食べるなら、なんでこれがおいしいのか、
どうやってつくられているのか知って食べたほうがより話が広がって、
おいしさも違うと思うんですよね」
話を聞いて味わって。
生産者の方を目の前にしてそのひとを想って食べるという機会は
普段なかなかないことに参加者は気づかされるそうだ。

「生産者と消費者、生産者と生産者が出会う、今まで農業業界がやって来なかったことを実験する場所」という意味で、「農業実験レストラン」と名付けた。


「六本木農園」は予約必須。週に2回ほど行われている「農家ライブ」やイベントの予定などは、ホームページをチェック。

トマトを農園内で栽培中。残念ながら料理にこのトマトが出ることはないそうだが、六本木のまちなかでトマトやハーブが栽培されていることに驚く。
「生産者と消費者をつなげましょうと言うのは簡単ですが、
実際は各地域にいる生産者と都心に集中する消費者という構図ができてしまっています。
その構図を変えてみせたい」と語る古田さん。
「食のライブハウス」は六本木だけではなく、全国各地で展開している。
「地産地消から地産継承へ」というキャッチコピーを掲げた
「にっぽんトラベルレストラン」は、
生産者たちに直接会いに行って、話を聞いて、料理人が調理して食す、
一日限りの出張レストランだ。
「集落で代々伝わっている製法などを地域で受け継ぐひとがおらず、
次の代に伝わっていない、ということが増えてきました。
地域で大切にされているものを“継承”していかないと、
“地消”もされなくなってしまいますよね」
参加者は、“継承”すべき生産者の現場を見、料理人が調理する様子を見、
そして舌で味わい語り合う。何とも贅沢なレストラン。
富山では、ホタルイカで有名な漁港に行き、漁師さんとともにホタルイカ漁に同行。
穫ったホタルイカをその場で炭火で焼いて食べた。
さらに、冬の新潟では、雪のテーブルをつくってそこで食べたのだという。
生産者も、料理人も、お客さんもイマジネーションが広がる体験となった。
丸の内で学ぶ。地域で実践する。
東京・丸の内で開講している、丸の内朝大学の「地域プロデューサーコース」は、
数多くある講座のなかでも人気の講座で、40名が朝7時15分からの講義に参加する。
丸の内朝大学の企画を構想し、
実際に「地域プロデューサーコース」の講師として自らも教鞭をとる古田さん。
そもそもこの「地域プロデューサー」の定義について
古田さんはどう考えているのか?
「ガバメントソリューションという行政の理論と、
マーケットソリューションという企業の理論、
そして、それだけでは成り立たないと気づいた3.11以降起きた、
ボランティアやNPOなどのコミュニティソリューション。
それぞれのレイヤーってそれぞれでつながっているだけで、
横軸を縦につなぐひとがいない。
行政でもない、企業人でもない、ボランティアのみをやっているひとでもない、
全てを縦につなげられるひとが“地域プロデューサー”です。
結果的に行政出身のひともいれば、民間企業に属するひともいるけど、
活動的にいろいろなものをつなげているひと、というのが特徴です」
この丸の内朝大学の「地域プロデューサーコース」に集まる“学生”は、
20代半ばから50代までで、職業もバックグラウンドもさまざま。
いずれは、自分の地域に戻って地域振興のための活動をしたいと思っているけれど
きっかけがなかったり、地域に戻ってなにができるのかというイメージができない
という悩みを抱えた学生たちが、ヒントときっかけを求め古田さんのもとに集う。
「地域プロデューサコース」の一番の醍醐味は、
古田さんと学生全員で参加するフィールドワーク。
地域にまず一緒に入ること、地域の風土を感じることを古田さんは学生に求める。
例えば、ある産業が廃れているのだけど、どうしたらマーケットに受け入れられるのか?
という地域の悩みを解決すべく、学生の中でチームをつくり、現地に行く。
行政や企業の担当者も一緒になって考え、古田さんはヒントを与える。
「コンテンツではなく、コンセプトを打ち出しましょう。
例えば、出雲大社になぜひとが集まるのかを考えてみて。
縁結びの神さまというコンセプトがあるわけで、
合コンなどのコンテンツがあるわけではない(笑)。
コンテンツ化の例だと、農業体験などが最近多いけれど、
単なる農業体験だったら、別にその地域でなくてもできること。
それでは、ひとは呼び込めません。
コンテンツ化するのではなく、地域をコンセプト化する。
そしてそのコンセプトに共鳴してもらわなくてはならないですよね」
こうしてカリキュラムを終えた学生は、
地域に戻るひともいれば、東京と地域をつなぐような役目に徹しているひともいる。
古田さんのもとで学んだ卒業生が活躍する姿を見られるのも
そう遠い日の話ではなさそうだ。
東京生まれ東京育ちの古田さんにとって「故郷」は憧れのようなものだと言う。
「地域に足を運ぶときって、観光客か地元民というステータスしかないですよね。
観光客か観光客じゃないかという言い方や、
行く側と迎える側という言い方では言葉に縛られすぎる気がします。
違うステータスをつくりたいですね」

富山の陶芸家のもとで土づくりの話を聞く古田さん。(写真提供:丸の内朝大学)

新潟のフィールドワークに参加する、丸の内朝大学「地域プロデューサーコース」受講者のみなさんと。(写真提供:丸の内朝大学)
profile

HIMA FURUTA
古田秘馬
プロジェクト・デザイナー。東京都生まれ。慶應義塾大学中退。山梨県・八ヶ岳南麓「日本一の朝プロジェクト」、東京・丸の内「丸の内朝大学」、日本中の素敵なソーシャルプロジェクトを紹介する「いいね!JAPANソーシャルアワード」などの数多くの地域プロデュース・企業ブランディングなどを手がける。2009年、農業実験レストラン「六本木農園」を開店。2011年、生産者とお客様をつなぐ現代版三河屋「つまめる食材屋七里ヶ浜商店」を開業。日本中の美味しいものを探して1年の半分は旅をしている。株式会社umari代表。
http://asadaigaku.jp/
http://www.roppongi-nouen.jp/
information
六本木農園
住所 東京都港区六本木6-6-15 TEL 03-3405-0684
営業時間
月 18:00 ~ 23:30(LO 22:30)
火~金 12:00 ~15:00 / 18:00 ~ 23:30(LO 22:30)
土~日 12:00 ~ 15:00 / 18:00 ~ 23:00(LO 22:00)
http://roppongi-nouen.jp/
食の宝庫・淡路島では、 夏でもしっかり朝食を! 本白水美帆子さんの朝ごはん。
食の宝庫・淡路島の、夏でもしっかり食べられる朝ごはん。
兵庫県洲本市で「楽久登窯カフェ」を営む、本白水美帆子さん。
美帆子さんが家族につくる朝ごはんは、暑い夏にこそ食べたい朝ごはんだ。
この日食卓にのぼったのは、淡路島五色産のごはん、なすとみょうがのみそ汁、
キスの干物、赤と黄のミニトマト・おくら・キュウリ・大葉のさっぱりサラダ、
自家製ところてん、五色産の海苔、カフェの常連さんからいただいた梅干し。
「旬のものはやっぱりおいしいですよね。積極的に献立に加えています」と美帆子さん。
サラダに使われているミニトマトやキュウリや大葉など
夏野菜の多くは自分の畑からその日収穫したもの。
「採れたての旬の野菜をバランスよく」は、
朝ごはんづくりで美帆子さんが一番気を使っていることだと言う。
夏のみ食卓にあがるキスの干物は、美帆子さんのお母さんのお手製。
「釣ってきたキスを開いて塩をして、夏場は冷蔵庫に入れるだけ。
ほんと簡単にできるんですよ」
簡単に、と美帆子さんは言うが、
日持ちがしないキスを日常的に食卓に登場させるとなると、
やはり海が近いという地の利があってこその一品だ。
中央には、ほんのひとくちだけ添えられたところてん。
これが食卓に涼しげな印象を与える。
このところてんも手づくり。
しかも、ところてんの原料となる「てんぐさ」を、
近隣の海岸でお散歩がてら拾ってくるのだと言う。
「売られているものと違っていっさい臭みがないんです。
それだけ手間をかけて、下処理をしています。
あと、一般的にタレは三杯酢や黒蜜など、甘みを入れると思いますが、
さっぱりと食べるために、砂糖を加えない二杯酢でいただきます」
このところてんは、美帆子さんのお子さんの雪羽ちゃんも大好物。
ほとんどコシがない滑らかな食感で、酢の酸味が心地よい。
しょうがのすり下ろしをちょこんと乗せてかき込めば、
食欲が落ちる暑い季節も乗り越えられそうだ。
美帆子さんの弟で、陶芸家の西村昌晃さんの器も彩りを添える。
手にしっとりとなじむこの器も淡路島の土でできたもの。
そして淡路島の豊かな土壌が育んだ野菜がその器に盛られるので、
器と料理に一体感があるようだ。
淡路島の恵みが存分に味わえたワンプレート。ごちそうさまでした。
美咲町の朝ごはん。 シンプルに味わう たまごかけごはん。
ごはんとたまごをシンプルに味わうたまごかけごはん。
2005年に行われた「平成の大合併」。
岡山県でも78の市町村が27にまで減り、
新しく生まれた美咲町も、旭町、中央町、柵原町の3つが合併した町だ。
しかし公募によってまったく新しい町名がつけられたので、
そのまちがどんなところか想像させることが難しい。
そこでまちおこしに取り組んだ。
それは新しくもベーシックな朝ごはん、たまごかけごはん。
旧中央町には120万羽のにわとりが毎日100万個のたまごを産んでいる
西日本最大の養鶏場があり、
旧旭町と中央町には日本棚田百選にも選ばれている
大垪和西(おおはがにし)棚田と小山棚田がある。
たまごかけごはんをまちおこしに起用するにあたっての、
最大のヒントとなったのは、たまごかけごはんを日本に広めたのが、
旧旭町出身のジャーナリスト岸田吟香だという説だ。
岸田吟香は、1833年生まれ。
日本で最初の従軍記者を経験、
東京日日新聞主筆となり、新聞界の草分けとして知られている。
こうして3つの町が合併することで、
たまごかけごはんの生まれるストーリーが整ったのだ。
美咲町にある「食堂かめっち。」の黄福(こうふく)定食は、
ごはんとたまご、そしてみそ汁とお新香で300円。
しかもごはんとたまごはおかわり自由。
「1杯食べてもらって、おいしくなかったら1杯だけでいいし、
もしおいしかったらおかわりしてほしい。
何も特別なことはない、ただのたまごかけごはんですから(笑)」と
美咲町役場産業観光課の川島聖史さんは笑う。
“たまごかけごはんに最適なごはん”を選んでいるわけでもないし、
“たまごかけごはん用たまご”を使っているわけでもない。
「美咲町を知ってもらいたいという思いからはじまったもの。
もっと高いお米やたまごなら他にもあると思いますが、
ここではあくまで地元のもの、“美咲町そのもの”を食べてもらいたい」(川島さん)
300円で黄福定食の食券を買って、席に座るころにはもう用意されている。
たまごを割って、混ぜて、ごはんにかける。
日本人なら何十回何百回とやってきた動作が、
なんだかあらたまった儀式のように感じられるから不思議だ。
でもひとくち食べてみると安心の味、いつものたまごかけごはん。
「どうやって食べるといいの? なんて聞かれることも多いですが、
“いつも通り自分流で食べてください”とお答えします」と川島さんは話す。
だから、いつ誰が食べても、おいしい。
使っているお米は、
こしひかり、あきたこまち、きぬひかりと日によって異なる。
たまごも「森のたまご」の赤玉。特別じゃない。
でも地のものだけあって、新鮮そのもの。
「たまごは毎朝届きます。
普通、スーパーマーケットなどでたまごを買う場合、
賞味期限がいつまでかを気にして買いますよね。
でもここではいつ生まれたかを、気にされます。
“え、今日の産みたてじゃないの? おととい産まれたたまごじゃん“という
ぜいたくな状況です。だから二日と置けない(笑)」(川島さん)
たまごのこの上ない新鮮さを知っている常連になると、
たまごを混ぜないで白身と黄身と別に食べるという技もある。
黄身の濃厚さ、白身のプルプル感。たまごのおいしさをより知ることができる。
味付けとしてかけるのは、醤油ベースのたれ。
独自にしそ味、のり味、ねぎ味の3種類を開発した。
それぞれに風味が異なり、飽きさせない。
でも、シンプルに醤油オンリー、もちろんこれも抜群においしい。
たまごを生で食べる習慣は世界的には少ないので、
これからはたまごかけごはんを世界にむけて発信していきたいという。
一見はやりのB級グルメのようであるが、ごはんの国の日本人が、
ごはんをプリミティブかつ最高においしく食べる手段であると考えると、
かなりのA級グルメともいえる。
さらに、まちおこしとしてスタートしたその先には、
観光客のみならず、Uターン人口を増やしたいという。
たまごかけごはんを「食堂かめっち。」で食べて、その足で棚田へ。
かつては風景撮影を目的にしたカメラマンばかりだったのが、
観光の若者があぜ道にいる姿を見かけるようになった。
そして米農家に「たまごかけごはん、おいしかったですよ」と話しかける。
こうした効果で美咲町がすばらしい町と認知され、
Uターンへとつながるかたちが望ましい。
だれもがホッとする日本の朝ごはん代表、たまごかけごはん。
2杯3杯とおかわりするうちに、妙にリラックスして落ち着いてしまう。
だって、いつも通りの家庭のたまごかけごはんなのだから。
「東京田植え体験」参加者募集!
RICE475も3度目の米作りがスタートしました。
苗も順調に育っており、田植えももうすぐ。
今年も田植え体験募集です!!
今年はなんと、山本家の土と苗が上京します☆
みなさんと一緒に大都会・東京のど真ん中にミニ田んぼ!? をつくって、
田植えを楽しみたいと思います!
また、みなさんの愛情を田んぼに分けてもらうために、
みなさんのお家で要らなくなった物(洋服、ボロ布、新聞紙、何でもOKです)を
持ち寄っていただき、
田んぼを見守り豊作を願うカカシを作りましょう!

田植え体験以外にも、懇親会では魚沼の食を召し上がっていただいたり、
東京で魚沼を感じてもらえたら嬉しいです☆
そんな折、
なんと衝撃のニュースが飛び込んできました。
生産農家山本の長男ゆうと君(小学一年生)、将来の夢が自衛隊!
みなを守りたいという素晴らしい夢ですが……
えぇ! 農家じゃないのかっ~!
これは、RICE475の未来が危うい!

ということで、今年のRICE475の田植え体験の緊急裏テーマは「6代目覚醒計画」。
みなさんとつくったミニ田んぼを農家山本家6代目ゆうと君に託し、
初めてのお米作りにチャレンジしてもらいたいと思います。
まさに、農家英才教育!
パパは果たして息子に農業の魅力を伝えることが出来るのか?
ゆうと君の初稲作は成功するのか??
みなさん、一緒に未来の農家を育てましょう!

■ 場所 都内某所
■ 期日 6月3日(日)
■ 参加費 15,750円 (昼食、プログラム体験、お土産、親睦会費用)
■ 締切 定員に達し次第締切り 定員70名
■ 行程
11:00 集合
11:30 オリエンテーション&ランチ
13:00 ミニ田んぼ作り、田植え体験
14:00 カカシ作り
15:00 片づけ
15:30 中締め
16:00 親睦会スタート
18:00 終了 解散
■ 申し込み方法
下の応募ボタンからメールでお送りください。
件名を「RICE475農業体験」で、
お名前、ご住所、お電話番号、同伴者がいらっしゃる場合は同伴者の方のお名前をご記入の上、
ご応募ください。
受付状況や参加費のお振込先を返信いたします。(定員に達した時点で締め切ります)
また、参加費のお振込みをもちまして、受付完了とし、
受付完了の参加者様に当日の集合場所や持ち物などの詳細をご連絡致します。
みんなで楽しみながら農家や農業の未来を一緒に考えてみませんか?
三歩進んで二歩下がる?
今年のRICE475は、湛水直播栽培に挑戦!
魚沼にもようやく春が訪れました!
冬が長い分、春は本当に気持ちが弾みます☆
豪雪地域の魚沼は新潟県の中でも田植えの時期が遅く、
5月の中旬から末にかけてピークを迎えます。
冬に降り積もった雪は、山々のミネラルを含んだ豊かな雪解け水となって、
ごんごんと田んぼへ流れこみます。
夏でも冷たく清らかな水が土壌の温度上昇を抑えて、
根に活力を与えながら、稲の健やかな成長を促すそうです。
また、冬の間は雪の下で日光を遮られ、土が休まるそうです。
稲作においても雪は恵みなのです。

さてさて、
RICE475も田植えが始まりました!
前回のRICE475レターでも書きましたが、
今回は湛水直播(たんすいちょくは)栽培という、
田んぼに直接種をまくスタイルの田植えにも挑戦します!
一般的な苗を移植するスタイルの田植えよりも、
・ 省力化
・ 生産コストの低減
・ 気候条件に対応しやすい
・ 品質向上(一部地域調べ)
・ 減反率の緩和(直播栽培はまだ新技術の導入時期のため、
収量低下などのリスクが伴うこともあり、減反率が緩和されるのです。)
これらのメリットの反面、
・ 稲と雑草が同時に育つため、雑草管理に十分な配慮が必要
・ 浅いとスズメ害や雑草害のリスクが大きく、深いと発芽不良のリスクが大きいため、
初期の水加減が難しい
・ 発芽自体も不安定
・ 専用の機械が必要
・ 技術が確立されていない
などのデメリットも無視できず、なかなか浸透していないようです。
そんななか、直播栽培を重点強化している地域もあるようです。
僕の周りで試したことがあるという農家の方はちらほらいらっしゃいますが、
継続されている方は少ないです。
ですが、省力化や低コスト化は日本の農業における大きな課題ですので、
未来の農業を考えるRICE475生産農家山本としても是非やってみたいと。
挑戦する山本の一番の理解者である父と、農機具メーカーの中島さんの協力を得て、
今年挑戦してみることに!
選択した方法は、種子を鉄でコーティングすることでリスクを大きく軽減し、
地力向上にもなるという新しい方法です。


直播栽培の説明を受けた夜、資料を読みあさりながら、
「田んぼから芽が出てくるとか、たまんないなぁ」と、山本。
直接田んぼから芽が出て、稲が育つ姿を純粋に見たい様子。笑
小さな芽が大きな希望に変わるように、頑張ってくれよ!
お恥ずかしながら、新米米屋の僕は去年初めてこの方法を知りました。
ですが、初めて山本に聞いた時から、とても気になっていました。
種を播くという原始的な方法が見直され、
種子を鉄でコーティングするという先進的な技術で効率的に行うというのは、
今の時代にとても大切なことだと思います。
そういうことにどんどんチャレンジして、
次の世代に遺すべきものを探す作業が僕ら世代の役割だと感じています。
無農薬栽培に挑戦した1年目に言われた、
「最近、進んでいる農家が有機栽培を始めてきているけど、
昔はみんな無農薬でつくっていたんだよ。時代が進んでいるのか戻っているのかわからんね」
という山本父の言葉も思い出されます。
先進的な技術を持って自然との共存を考えること、
これは待っていれば大手企業が
画期的な技術開発をどんどん進めてくれるかも知しれませんが、
農業に携わったことで、自分自身に何ができるかを考えさせられました。
田んぼの話からはちょっと逸れてしまいましたが、
そんなことを考えながら、越後湯沢の大自然の中でノートPCを開き、
気持ち良く書いてみました。 笑
そのうち、木の葉っぱを頭に乗せて、ドロンと変身出来る時代が来るかもなぁ。
素敵農業男子ファイル vol.1「米農家 山本克幸」
イケメン米農家の5代目は3児のパパ!
まだまだ雪の残る魚沼ですが、いよいよ今年のお米作りが始まりました!
我らRICE475も苗の種まきを開始。
なにやら今年のRICE475は一部の田んぼで、
湛水直播栽培(たんすいちょくはさいばい)にチャレンジする模様!
直播(ちょくは)とは、読んで字のごとく、直接種を播くという方法です。
通常、苗箱に種を播き、苗をある程度大きく育ててから、
田植え機で田んぼに移植するというのが一般的な稲作の方法です。
ですが、これは直接田んぼに種を播くスタイル。
果たして成功するのでしょうか!?
さまざまなメリットとリスクがあるようですが、詳しくはまた今度ご紹介しますね。

今回は、そんな最「幸」級米を目指すRICE475を育てる、農家山本君をご紹介。

山本克幸
1979年4月20日新潟生まれ A型
小さい頃から、米作りをする父や祖父のトラクターに乗せられ、遊び感覚で米作りを手伝う。
高校卒業後上京し、24歳まで東京で生活をしていたが、
いつもどこかで故郷を想い、自然の中での生活に戻りたいと魚沼に帰郷。
そして父親に教わりながら農業を始める。
一人前の百姓になるため、勉強中の日々。
今ではトラクターをも乗りこなしちゃう嫁との間に、3人の子どもが誕生
ご覧の通り、イケメンです☆
RICE475のイベント等でも、山本君はイイ男で人気があります。
だが、それだけではない!
仕事に対してとても真面目で、コツコツ積み重ねる努力を惜しまない。
そして、お米に対しての愛情に溢れ、本当に美味しいお米を育てます。
(愛情に溢れ過ぎていて、初めて無農薬でお米を育てた時には、
「売りたくない」と言い出す始末……)
容姿端麗、寡黙で誠実、奥さん綺麗、子ども3人……天は彼に与えすぎではないでしょうか!
さらに、発言と発想がなんか可愛いんですよ。小学2年生くらいの幼さというか。
(良く書きすぎて、山本には気持ち悪がられる&怒られるなぁ。)
僕は、そんな彼の真摯に作業をする背中を見て、
「こんなに大変な事を、真面目に地道に頑張る農家はもっと報われないといけない!
このままでは農業をやりたい人がいなくなってしまうのではないか?」
と勝手に農業の未来を案じ、
半信半疑の彼に無理矢理RICE475プロジェクトを依頼したのです。笑
結果、僕の無茶振りもなんのその、
強い責任感と探究心でRICE475は本当に美味しいお米に育っています。
そしてバタバタな僕はいつも怒られています……
山本君はまだまだ品質向上に燃えている様子。
今年のRICE475も本当に楽しみです☆

そんな山本君からも一言。
こんにちは、RICE475生産者の山本と申します。
長い冬が終わり、ようやくここ魚沼にも春が訪れました。
田んぼは、まだまだ雪に埋もれていますが……
RICE475の三年目の米作りが始まりました!
このプロジェクトは、
“農業の価値を高めたい”そして、“子どもたちが憧れるような職業にしたい”
という想いからスタートしました。
これまでに本当の多くの方々のご支援とご協力により、
作り手である農家が普段感じることのできなかった
喜び、楽しさを知る機会を得ることができました。
農業は農作物を生産し供給するというのが大きな目的です。
しかし、作り手としての想いを伝え、
そして楽しみながら食べ物を育てる魅力を知っていただくことで、
地球を考えるきっかけや食育に繋げるなど、
農業だからこそできる役割がたくさんあると思います。
僕は、今までとは違った価値観で満足していただける農業を目指します!
とは申しましても、私はまだまだ未熟者です。
皆様のお力をお借りし、RICE475プロジェクトを通して、
農業の楽しさ・大切さを感じていただき、
皆様と一緒に生産、流通、消費、地球すべてにとって幸せな未来の農業のあり方、
次の世代に残せる農業を模索して行きたいと思っております。
一年に一度しか作れないお米、一日一日を大切にどんどんチャレンジして行きます。
今年もみんなで最「幸」級米を作りましょう!

山本君の人柄、少しは伝わりましたでしょうか??
もっともっと知りたい方は、是非RICE475農業体験へ!
でも、良く考えたら、素敵農業男子って結構いるなぁ。
農家のイメージ向上を目論む僕としては、
これをシリーズ化して「農家カッコいい☆」というイメージに塗り替えたいと思います!
お米農家を支える健康朝ごはん。 家倉民子さん
からだが資本のお米農家を支える健康朝ごはん。
朝ごはんのみならず、日本の食の原点ともいえるのが米。
そこで米農家の朝ごはんを覗きにきた。
滋賀県長浜市、琵琶湖のほとりで米農家を営んでいる
「お米の家倉(やぐら)」の家倉民子さん。
現在は息子さんが専業農家として米づくりに励んでいる。
もっと農家らしい豪快な朝ごはんを思い描いていると、
想像以上に、健康を考えるヘルシー志向だった。
「黄色とか赤とか黒とか白とか、なるべくいろいろなものを食べたいんです。
味付けもしょっぱくならないように、特に塩分には気を使っています。
塩は1日6gが理想」
目分量でもおいしい“おっかさんの料理”のようでいて、きっちり計算されている。
いただいてみると、どれも薄味だが、しっかりと素材の風味が生かされている。
ほとんどが自宅でとれたものや自家製なのだ。
「白菜と人参はうちで採れたもの。野菜は自分たちが食べる分だけ育てています。
この季節になるとなくなってしまうのよ。
黒豆も黒砂糖を使って作ったし、らっきょうも自家製です。
たくわんは主人が漬けたもので、ちょっとしょっぱいわね。
ユズジャムは初めて作ったんだけど、作り過ぎちゃって、3kgも!(笑)」
あっけらかんと笑う姿にホッとする。いいかあちゃんだ。
さて、米のプロということで、
“おいしいお米の炊き方を教えてください”と尋ねると
「こっちが教えてほしいわ(笑)」とまたまたにこやかに返す。
ここは息子の家倉敬和さんがフォローしてくれた。
「今日のご飯は無農薬のこしひかりです。
昨日の夜から水に浸けておきましたが、ベストは1時間半くらいです。
でも、そのために朝早く起きるのも大変なので、
前夜から漬けておいても割とおいしく食べられる『こしひかり』にしました。
だから、ごはんを朝炊く派、夜炊く派、
それぞれの生活リズムに合わせた浸水時間のお米を選ぶといいですよ」
なるほど、ライフスタイルに合わせた浸水時間というのは考えたことがなかった。
民子さんに話を聞いていると、
「新聞に載っていた、テレビで見た」という料理法やテクニックを話す。
一度試してみて良ければ実際に取り入れてみるという。
実に研究熱心だが、それもそのはず、滋賀県健康促進連絡協議会で活動しており、
また地元長浜の料理研究家である肥田文子さんの活動をお手伝いしているからだ。
肥田文子さんは湖北町食事文化研究会の代表で、
著作『忘れぬうちに伝えたい湖北街の伝統食・地産食』で
農山漁村女性・生活活動支援協会の
「平成21年度 農山漁村いきいきシニア活動 優良賞」を受賞。
さらに、農林水産省が選ぶ「平成23年度 地産地消の仕事人」に選ばれている。
「健康促進協議会は、厚生省から補助金をもらっているんですけど、
一度、事業仕分けで、廃止になりかけたの(笑)。
もっと若い人に郷土料理を伝えたいんだけど、料理教室をやっても、
平日はみなさん勤めてるし、日曜日も子どものコトとかで、
なかなか人が集まらないんです。年配が対象になってしまってねぇ」
こう見えて(!?)、トラクターもコンバインも田植え機も乗りこなす、
スーパーお母さん。いつまでも明るく笑う笑顔で、
健康的な郷土食を次代に伝えていってほしい。
ごちそうさまでした。
津南町の雪祭り
豪雪の津南町。かまくらの中でばあちゃんの料理に舌鼓。
春の風が桜を散らす今日この頃、魚沼では暴風雪……。
この時期になると、行く先々で、「まだ雪あるの!?」というコメントをいただきます。
田畑の積雪は残り1mちょっと、春まであともう一歩。
もう少しで本題の農業レポートが出来ますので、少々お待ちを!
さて、お祭りと言えば夏のイメージですが、雪国では雪祭りも盛り上がりを見せます。
先日、津南町の雪祭りにお客様をご招待しました。
大きなまち雪祭りは立派なステージショーやでっかい雪像など見ごたえ十分な内容ですが、
個人的には、小さなまちの雪祭りのアットホーム感もおススメですよ!
今年の津南町の雪祭りは、
地元スノーボーダーたちによるBIG AIR顔負けのジャンプ大会や、
プロスノーモービルライダーの後ろに乗って暴走ライド、
屋台や世界の鍋博など内容盛り沢山!
日が暮れるまで、ひとしきり雪と戯れて遊びまくりました!
でも実は日が暮れてからが雪祭りのメイン。
薄暗くなってきた会場のあちこちに灯りが点り始めると、一気にロマンチックな世界へ。
僕らも日中に作ったモニュメントに点火&記念撮影☆
じいちゃん、ばあちゃんもロマンチックな雰囲気に……笑

そして、メインイベントの鳥追いと赤沢神楽が始まると今度は昔話の世界へ。
鳥追いとは、東日本の農村に伝わる伝統行事で、
子どもたちが鳥を追い払う歌を歌いながら村中を回り、
田畑の豊年を祈り、害虫・害鳥駆除を願います。
僕も小学生の頃にやっていましたが、お菓子を沢山もらった記憶があります。
ハロウィンみたいですね!
雪ん子みたいなゴザ帽子を被った子どもたちがとても可愛かったです。
赤沢神楽は津南町に唯一残っている神楽で、
いくつか演目がある中で雪まつりでは、天狗の舞が舞われます。
ブンブンと火のついた藁を振り回し、周りの人を威嚇しながら練り歩く姿、
天狗様すっげぇ格好良い!!
最近、山伏や神主など日本古来の神道に魅力を感じてなりません!
伝統の舞により、皆さんの厄を払い落としていただきました。
今年は絶対良いことあるなぁ。
これにて、雪祭り終了!———とはなりません!
イベントがひとしきり終わったら、次は宴会スタート☆
もちろん会場はかまくら!コタツを囲んで宴です!
雪でお酒も冷え冷え。
今回は地元のばあちゃんの手作り料理をおつまみにいただきました!
ばあちゃんいわく
「油以外、全部おらが作ったモン(食材)だすけ、うんめぇぞ!」
山菜、糸瓜、カブ、大根、きのこ、こんにゃく……
地元の食材しか使っていない本当の田舎料理がずらり☆
これは、すっごい贅沢でした!
特に手作りこんにゃくを食べたら、スーパーで売っているこんにゃくが食べられなくなります。


美味しい料理とお酒に囲まれて、
じいちゃん、ばあちゃんと戯れながら、お腹も心もすっかり満たされました☆
いっぱい遊んで、いっぱい食べて、いっぱい笑って、いよいよ雪祭りも終了。
フィナーレは最近魚沼地域の雪祭りの定番になりつつあるスカイランタン。
気球の原理で灯篭を空に飛ばすのです。
実は僕も初めての体験。
ドキドキしましたがフライト成功!
超~感動!これは是非とも生で見ていただきたい!!
高く高く上る灯篭の群れがとても幻想的でした。
雪で覆われているからこそつくり出せる、素敵な世界ですね。

津南の自然ガイドさんいわく、
津南・栄村地域は人間が住む土地としては世界一の積雪量だそうです。
雪と歩んできた文化は、魚沼が世界に誇れる魅力のひとつですね!




