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音楽プロデューサー小林武史さん。
小林さんはいま新しいプロジェクトに着手した。
その名も〈リボーンアートフェスティバル〉。
“アート”で“東北支援”する音楽&地域再生のイベントである。
いったい何を“つくる”のか。小林さんにその概要を聞いてみた。
「東北でアートフェスティバルをやろうというのは、構想からいうと3年になるんですよ。
アーティストはいろんな循環のなかで、宇宙でも何にでも、
つながりでつくれる自由を持っているわけじゃないですか。
その場所に来て、祭りの中のひとつの作品として、
そこにメッセージを込める役割を担える自由がある。
僕はそういうことを取り戻す場所、取り戻すきっかけになる祭りにしたいと思ったんですよね」
その背景には東北の“復興”とはなにか? という問いかけがあった。
3年の沈黙のなかで、小林武史さんは着々とその構想を膨らませていく。
「震災後、僕ら〈ap bank〉としても東北でボランティア活動を続けていたのですが、
アベノミクス以降、特に復興需要によって
仙台市とかめちゃくちゃ景気のいいまちに変貌するわけです。
日本で一番景気がいい、土地もどんどん上がっていくし……。
だけど、ちょっと離れて石巻とかでは、人口流出が止まらない。
人口流出というのはもちろん過疎のまちはどこも世界的な問題です。
都市に集まろうとして地域が疲弊していくっていうことがあるにしても、
それでもやっぱり10年くらい早回ししたって言われるくらい
カーブが急上昇していっているんですよ。
いまもそうなんですよ。福島のことを言い出したら、
これはまた全然違う話になるレベルで人口流出が起こっているわけですが」
そういうなかで“復興”ということを声高に言ってみて、
何が“復興”なのか? ということになるでしょう。
だから僕らは新潟の〈大地の芸術祭〉という北川フラムさんたちが行う
地域づくりの芸術祭の因子を僕らはもらって、
地域を足下から支えていく芸術祭をしたいと思ったのです」
〈大地の芸術祭〉は越後妻有の里山を舞台に開催される芸術祭。
その総合プロデューサーの北川フラムさんも今回、
〈リボーンアートフェスティバル〉の顧問として参加されている。
地域とアーティストが協働してこの地域の魅力をあらためて発見し、広く発信することで、
多くの人々がこの地域のことを知り、そして訪れる、そんな芸術祭を目指すという。

〈ap bank〉は、音楽プロデューサーの小林武史と、Mr.Childrenの櫻井和寿に、坂本龍一氏を加えた3名が拠出した資金をもとに、2003年に設立され、〈ap bank fes〉などさまざまな活動を行ってきた。そして2017年、東北を舞台にした芸術祭〈Reborn-Art Fes〉を石巻市と共に行う。写真は〈ap bank fes11〉 写真提供:ap bank
「“太陽の光と循環”ということが僕らのテーマになっています。
そもそも地球の自転だって何だって、太陽のおかげでしょう」と小林さん。
「ピカピカ光る都市があるけれども、その影みたいな場所にも命は宿っているし、
むしろ本質がそこで失われていないと言えることがたくさんあるんですよね。
太陽生物としての営みが、都市のピカピカでない影の部分に宿っている。
それが現代アートとか世界のいろんな感性とつながっていったり、
音楽とつながっていくことによって、人の思いや人のつながり、
感性のつながりができるんじゃないか。そういうことをやろうとしているわけです」
〈Reborn-Art Fes〉は「人の生きる術を蘇らせ取り戻すことにある」という。
それを〈Reborn-Art〉と名づけ、食や住や経済などの生活の技、アートや音楽やデザインの美の技、
地域の伝統と生活の叡智の技などとして、
さまざまな領域における〈Reborn-Art〉を発見—再発見しようという試みである。

2011年つま恋で開催された〈ap bank fes11〉での竹あかり。電気のピカピカではない、ほのかな光が会場を包んだ。〈ap bank fes11〉ではイベント収益金のすべてを東日本大震災の復興支援に充てている。 写真提供:ap bank
そもそもの東北とのつながりはどんなところからだろうか。
「2009年の新潟の震災で〈ap bank〉が炊き出しに行きました。
その時のチームやノウハウが〈ap bank〉や〈kurkku〉にあったから、
2011年の311の直後、1週間も経ってないうちにとにかく石巻に入ったんです。
最初は南三陸の気仙沼・石巻に入ったんですよ。でも石巻が一番複雑に傷んでいて。
石巻専修大学がグラウンドを開放してくれたので、ピースボートと組んで支援をしました。
僕らはそこで100人くらいでテントを張って、何か月間か東京からバスを出して、
ボランティア活動を支えていたりしていたんですよね。それが縁です。
若い人たちを中心にいろんな新しい復興のトライアルがあったんですよね。
なかでも〈ISHINOMAKI 2.0〉というチームがには地元の人もいますし、
東京に住んでいる人たちも絡んでいたりします。
松村豪太くんという代表理事がわれわれのフェスティバルを地域で支えるリーダーになったんです。
自分たちが主体となってやっていくという思いに、まずに火が点いた。
つながりをつくりながら、僕らの思いを相談していった。それは行政でも同じですけど、
復興して、仮設住宅からちゃんと住めるようになっても、
そのあとどのように暮らしていくのかという問題があります。
あとは外とどのようにつながっていくのかということが、絶対に問われてくるから、
そこに対して僕らがいま考えている構想が、
すごく有効なのではないかということを言っていたわけです」

牡鹿半島の浜の交流会での小林武史さん。地域とのつながりから〈Reborn-Art Fes〉がつくられていく。 写真提供:ap bank

牡鹿半島の浜の交流会では、採れたての牡蠣やあら汁など地元の豊富な魚介類がふんだんに振る舞われた。 写真提供:ap bank