神様が海を渡る。 真鶴で愛され、受け継がれる 〈貴船まつり〉の美

写真提供:真鶴町

夜の海に鳴り響く笛と、太鼓の音。花飾りを付けた4隻の船が、
剛腕たちの漕ぐ「櫂伝馬(かいでんま)」に曳航(えいこう)され、
大きく左右に揺れながら進んでいく。その中心に位置するのは「神輿船」、
時折「囃子船(はやしぶね)」から暗闇の海に飛び込む若者。
神輿船がちょうど港の真ん中にくる頃、その頭上に花火が打ち上がる……。

まるで何かの映画のワンシーンのような美しいその光景。
神奈川県真鶴町で毎年7月27日、28日に行われる貴船まつりのクライマックスだ。

「日本三船祭り」のひとつといわれる貴船まつりは、
真鶴の町民に古くから愛され、国の重要無形民俗文化財に登録されている。

その美しさはどこから来て、どう受け継がれているのか。
真鶴の人々のアイデンティティとも言える貴船まつりを取材した。

貴船まつりとともに育つ真鶴の人々

夜の海を船が渡る数時間前、まちなかではお神輿の担ぎ手の声が鳴り響いていた。

「そーりゃー!さー!そーりゃー!さー!」

掛け声に合わせ担ぎ手のテンションもどんどん上がる。
その荒々しさに初めて来た人は驚くだろう。
お神輿は2日間をかけてまち中を廻り、さらには海の中にも入る。
「みそぎ」といわれ、お神輿を海の中に沈め清めるのだ。

お神輿は全部で3基。そのうちメインの「本神輿」は、しきたりにより男性しか担ぐことができない。

海の中に入るお神輿。実は足がつかないぐらい深くなるため、立ち泳ぎする必要がある。

お神輿が進む道には、必ずその前に「花山車(はなだし)」と
「鹿島踊り」という出し物が通る。
どちらもお神輿が通る前に道を清めるのだという。
また、同時に「屋台囃子(はやし)」を乗せたトラックがまち中を廻り、
笛と太鼓で祭りを一層盛り上げる。

鹿島踊り。まだ小学生の子どもたちも一緒に踊る。お神輿とは対照的にゆったりとした踊りだ。

お神輿だけを見るとかなり荒々しいお祭りであるが、
祭り全体の参加者の年齢や性別はさまざまだ。
ここに、貴船まつりが江戸時代から町民に大事にされてきた理由があると、
貴船神社の宮司である平井義行さんは語る。

貴船神社の宮司である平井義行さん。平井家は平安時代から貴船神社の宮司を務めていると言われる。(撮影:MOTOKO)

「貴船まつりは町民みんなが参加できるお祭りです。
小学生の頃は鹿島踊り。年齢が上がると囃子太皷。
さらにあがるとお神輿、という風に順繰りにあがって、
だんだんお祭りの本筋のほうに入っていくという体系があるんです。
例えば鹿島をやっている子たちが、
“俺も来年になったら太鼓たたけるんだ”といった話をしたりします。
そうすると、先輩、後輩の関係ができあがる。
そういうつながりが綿々と未だに続いているんです」

こうして子どもの頃から貴船まつりとともに育ってきた人々の、
貴船まつりに対する思い入れは半端ではない。
真鶴の1年は貴船まつりを中心にしてあると言われ、
お祭りが近づくにつれまち中がソワソワしだすのだ。

「お盆や正月に帰ってこないような人も、この日に合わせて真鶴に帰ってきて、
同窓会やクラス会が開かれたりもします」と平井宮司は微笑む。

「こうした、いわゆる観光目的でない町民によるお祭りであることが国にも認められ、
平成8(1996)年には国指定重要無形民俗文化財にも登録されました。
親子でお守りする、貴船神社のように小さな神社が執り行うお祭りが、
国指定の文化財に登録されることは非常に珍しいことで、
これはひとえに多くの真鶴の人々が、祭を愛し育ててくれた賜物と、
深く感謝しています」

真鶴の絶景アトリエで作陶する 陶芸家〈風籟窯〉井上昌久さん

使い手とつくり手の心を自由にする1枚を

「丁寧に精緻(せいち)につくるというよりも、基本的な形をしっかり
つくってやれば、あとは窯が絵を描いてくれるっていう感覚がある。
薪窯のおもしろさっていうのはそこですね」

そう話すのは、神奈川県真鶴町の北側にあたる岩地区を拠点に
制作を続けてきた陶芸家の井上昌久さんだ。

真鶴駅から車で10分ほどの高台にあるアトリエは、
〈松本農園〉のみかん畑と、広大な相模湾を望むまさに絶好のロケーション。
アトリエの裏手には3か月かけて完成させたという自作の穴窯もあり、
ここで初夏と秋の年2回、それぞれ約10日間にわたり300~400点ほどの作品を焼く。
釉薬を使うのはほんの一部のみ。
長時間高温で焼成する「焼締め」が井上さんのスタイルだ。

「最後まで完成させようとするよりも、花を飾ったり、料理を盛ったりすることで
ようやく完成するくらいのユルさがあるほうが、
かえっておもしろいんじゃないかなと思いながらやっています。
そうすることで、自分自身もある程度自由な気分を維持できていますね」

そうしてつくられた作品は、アトリエに隣接する〈ギャラリー風頼窯〉で
常時展示販売されている。

アトリエに隣接する〈ギャラリー風籟窯〉。色、模様、形もさまざまな井上さんの作品が並ぶ。

また2014年からは、民間の組織で立ち上がった
〈湯河原・真鶴アート散歩〉の拠点のひとつとして参加したり、真鶴の芸術祭
〈真鶴まちなーれ〉の「差の湯の会 差を見るお茶会」などにも協力している。

窯の完成から16年。町内外からギャラリーを訪ねてくれる人々も増す一方、
自治会活動にも関わるなど、作家として、ひとりの町民として
すっかりと真鶴に馴染んでいる井上さんだが、
意外にも真鶴で生まれ育ったわけではないという。

作品のほとんどは釉薬を使わず、窯の中で起こる偶然に任せる。井上さんは「窯が絵を描いてくれる」と表現した。

30年に及ぶ教員生活の始まりは真鶴から

井上さんと真鶴との接点は、いまから46年前まで遡る。
もともと画家をめざしていた井上さんは、東京の大学を卒業し、
新米美術教員として真鶴中学校へ赴任してきた。

「真鶴に来たのはたまたまの縁。あの頃は、鎌倉に住んでみたくて
鎌倉地区を志望していたんだけど、その年の採用がなくてね。
『もう終わりだろう』と諦めていたら、小田原の教育委員会から
引っ張ってもらえたんです。それで真鶴中学校に勤めることになりました。
それまで真鶴のことをまったく知らなかったんだけど、
初めて訪れて港の周辺を歩いて回っただけで
『これこそ自分が求めていたものだ!』という気分になったのを覚えています。
自分の郷里が群馬の館林市で、海も山もない平野だったから、
こういう場所にすごく憧れがあったんです」

真鶴で教員として過ごした時間はわずか6年。
その後、湯河原で11年、小田原で7年、
54歳で早期退職するまでの5年間を箱根の仙石原で過ごした井上さんは、
2000年に現在の場所へ越してきた。
現在も、真鶴の教え子たちがアトリエに遊びに来ることもしょっちゅうだとか。

西日が差し込み、「おかあさん」と呼ばれる愛猫もまどろむ心地よさ。窓の外には相模湾が広がる。

「真鶴への赴任が決まったうれしさが、
そのまま学校の生活につながったというのはありますよね。
夢中で野球部と美術部の顧問をして、秋には陸上部と一緒に走ったりして。
自分も若かったし、生徒との距離もそんなになくて、
ほとんど友だちづき合いみたいな感覚でやれたのがよかったんじゃないかと思う。
真鶴を離れてからも、常に自分の周りには教え子が来てくれるような状況がありました。
ここの窯をつくるときもレンガを運ぶのを手伝いに来てくれたりね」

授業をするうえで大切にしていたのは、
「美術=上手・下手」という先入観を取り払い、
「絵を見ること、描くこと、ものをつくることの
楽しさを知ってもらって、生徒を送り出すこと」だった。

「誰もが美術を好きになれるような授業をやりたいという気持ちが一番にありました。
だから卒業してからも、絵描きになるとか彫刻家になるとか、
そういうことにこだわらず、毎日の生活のなかでも、ものを見ること、
つくることの楽しさがわかるような子どもになってもらえたらいいなと」

トミトアーキテクチャ vol.1 横浜市の多国籍・多世代交流施設 〈CASACO〉ができるまで。

トミトアーキテクチャ vol.1

はじめまして。伊藤孝仁と申します。冨永美保とふたりで
tomito architecture〈トミトアーキテクチャ〉という設計事務所を共同主宰しています。
横浜の“東ケ丘”という丘に広がる住宅地に事務所を構えており、
設計を行った地域拠点型シェアハウス〈CASACO〉(カサコ)の運営にも関わっています。

CASACOとは?

CASACOは、築65年以上の木造二軒長屋を改修したスペースです。
2階には語学留学中のホームステイゲストを含む国際色豊かなメンバーの居室が集まり、
1階はシェアスペースです。ただ居住者だけが使うシェアスペースではなく、
地域の多世代や外から来た人々にも広く開かれているのが特徴です。

CASACO 、そして東ケ丘という何の変哲もない住宅地が、この連載の主役です。
設計から運営へと地続きに連続する3年の間の、さまざまな出来事を振り返りながら、
住宅地の片隅に生まれつつある新しい生活のかたちについて考えていきたいと思います。
とはいえ、あまり肩肘張らず気楽に。どうぞお付き合いください。

はじまりは、若者のある想いから

改修前のCASACOの外観。緩やかにカーブする尾根道沿いにあり、通りからよく見える。

「DIYで家を住み開きしたいっていう若者がいるんだけど、相談に乗ってもらえない?」
私たちの共通の知り合いであり、
横浜で長く子どもの居場所づくりの活動をしている今井嘉江さんから声をかけていただき、
東ケ丘に初めて訪れたのは2014年の2月でした。

当時私は設計事務所を退職した後で、
横浜の関内を拠点にフリーランスとして設計活動を行っており、
冨永は大学で研究室の助手をしながら設計活動をしていました。
横浜国立大学のY-GSA(Yokohama Graduate School of Architecture)で同じ釜の飯を食い、
ときたまコンペなどを一緒にやっていた私たちは、卒業以来久しぶりの再会でした。
依頼者である若者、加藤功甫さんは同世代で同じ大学の出身。
自転車でユーラシア大陸を横断した経験をもち、
子どもの教育や旅にフォーカスしたNPO法人〈Connection of the Children〉を主宰する
パワフルでオープンな人物です。 相談の内容はだいたいこんな感じでした。

「賃貸で借りている物件だけど、大家さん曰く好きにいじっていいと」
「自宅兼NPOの事務所として、いろんな人が気軽に立ち寄れる場所にしたい」
「予算は0円。DIYだったらどうにかなりますか?」

予算は0円でも関わろうと決めた3つの理由

おそらく普通の設計事務所であれば、
「おもしろそうな活動ですね、陰ながら応援します、頑張ってください!」と、
やんわりフェイドアウトするのが常でしょう(笑)。
しかし私たちは、仕組みづくりから関わることを決めました。その理由は3つあります。

ひとつは、「家を開きたい」という彼の飾らない意思と人柄に、公共性を感じたからです。
まるで風通しのいい空間に出会ったような感覚です。彼が旅の間訪れた先々で、
温かく迎え入れられたエピソードを聞くことで、
その人柄が形成されていった過程をうかがい知ることができました。

ふたつめは、見るからにボロ屋ではあるその建物の、
ぴょこっと道に顔を出しているような佇まいに惚れたことです。
建築は普通、中に入ることで経験されるものですが、
建築が生まれ変わることでまちへ与えるインパクトは、必ずしもそれだけではありません。
遠くから眺めたり、横を通り過ぎるのも建築の経験だと考えると、
非常に可能性を秘めた場所だと思えたのです。

3つめは、空間の使い方が漠然とした依頼内容だったからこそ、
ソフトとハードを一緒に考えられるのではと思えたからです。
建築設計の依頼は通常、ソフトがガチガチに決まった状態で降りてきます。
主に経済的な枠組みに従って、機能や部屋の種類や数、面積などの
ガイドラインが与えられたなか、
ソフトを最高の状態で実現するハードを一生懸命に考えるわけです。しかし建築の可能性を、
ソフトを受け止める「箱」という役割の中だけに見るのは悲しいことです。

ソフトとハードは相互に影響するもの。
例えば子どもは、野性的な感覚で「遊び場」をまち中に見つけだし、
ときにはその空間の特徴から「新しい遊び」を発明します。
これはハードをきっかけに生まれるソフトのひとつの事例でしょう。
空間の使い方や仕組みと建築のかたちを、一緒に考えなければ生まれないような、
新しい場所のあり方をデザインしたいと強く思いました。

「お掃除大会」をきっかけに、古民家の離れを借りる

さて、プロジェクトができたものの、私たちには事務所がありません。
模型製作や打ち合わせをするような、
ふたりで共同で使える空間はありませんでした。なかなかの見切り発車です。
そこで、プロジェクトの紹介をしてくださった今井さんに相談をしてみました。
「倉庫として借りている古民家があるんだけど、ちょっと遊びにこない?」
横浜駅から15分ほど歩いた、旧東海道沿いの閑静な住宅街の中に、その古民家はありました。

「稲葉邸」と呼ばれる、古民家という言葉があまり似つかわしくない、
「邸宅」とでも呼びたくなる佇まいに驚きました。
敷地内には蔵と庭、井戸や稲荷まであります。

稲葉邸の空間を体験し感嘆の声を漏らしながら、
密かに目をつけたのは「離れ」と呼ばれる計10畳ほどの空間。
建物の中にはたくさんの物がありましたが、
整理整頓をすればこの「離れ」のサイズくらいの空きスペースはつくれるのでは、
という予感がしました。また、 表庭と裏庭の両方に開口をもち、
いかにもいい風が通り抜けていきそうで、魅力的でした。

そこで、大胆な提案をしてみることにしました。
「大掃除と効率的な収納空間づくりをさせてください。
そして、空いた離れのスペースを間借りさせてもらえないでしょうか」
若いクリエイターを応援したいと思ってくださっていた今井さんは、快諾。
この瞬間ほどワクワクしたことはないかもしれません。

庭を埋めつくす物の大群。時間をかけながら捨てる/残すを考える今井さんの姿と「人生を整理するいい時間だった」という言葉が印象的でした。

かくして、偶然に偶然が重なって、すてきな事務所を手にしてしまった私たちは、
その空間の雰囲気や応援してくださる方々に後押しされるようなかたちで、
トミトアーキテクチャを名乗るようになりました。

〈コミュニティ真鶴〉で 〈真鶴未来塾〉が まちづくりのためにできること

『美の基準』を体現する〈コミュニティ真鶴〉

神奈川県の南西部に位置する真鶴町。
真鶴駅から海岸方面に延びるメインストリート大道商店街を歩いていると、
独特なオーラを放つ建物が目に飛び込んでくる。
車道から奥の建物の入り口へと続くスロープ、棟を結ぶ渡り廊下、
建物の外壁に至るまで、形の異なる石がふんだんに使われ、
一度見たら忘れられないほどのインパクトだ。

〈コミュニティ真鶴〉の看板。真鶴駅からは徒歩10分ほどの距離にあたる。

石材業はまちの主要産業のひとつ。真鶴特産の小松石などを大量に使っている。「石尽くし」といってもいいほどの存在感。

ここ〈コミュニティ真鶴〉は、平成6年に真鶴町のまちづくり条例である
『美の基準』に基づき建てられた公共施設。
ロビーと第1会議室、第2会議室、和室〈無名庵〉を備える3棟が、
中庭をぐるりと囲むように位置している。

当時『美の基準』の策定に関わった設計事務所に設計を依頼し、
まちの職人らも加わって建てられたというこの建物は、
「美の基準を具現化する存在であるように」という町民の願いから、
粋な工夫が随所に見られる。

例えば、石を使った大胆な装飾は、石材業が盛んなこのまちならではのモチーフ。
地元で採れた小松石を砕いた際に出る端材などを使用しているそうだ。
ほかにも漁師が漁で使用する縄や、鶴や魚をかたどった細工などは
写真に収めたくなるほどの愛らしさがある。

小松石の端材が随所に使われている。

鶴のシルエットをした避雷針。まるで鶴が空を飛んでいるかのように見える。

2階の第1会議室の扉にも鶴のモチーフが。

2016年6月から、この場所を管理している一般社団法人
〈真鶴未来塾〉の代表理事・奥津秀隆さんの話によると、
かつては町役場があった敷地であり、その後は更地から公民館になるなど、
まちの中での役割は短いスパンで変化していたのだという。

コミュニティ真鶴としてオープンしてからは、
文化活動を通してまちづくりをする拠点ならびに
地域活動の交流の場として使用されてきたものの、
財政難が原因で管理がままならなくなり、
2013年度末には一時閉鎖に追い込まれたという寂しい過去も。

その後、2014年12月から、それまで施設を利用していた団体や
地域住民による運営協議会によって自主運営というかたちで新たなスタートをきり、
真鶴未来塾が協議会に参加したのを機に現在の管理体制に落ち着いたのだとか。

「まちづくりは行政の専売特許ではないと思う」と言う真鶴未来塾の奥津秀隆さん。〈コミュニティ真鶴〉を拠点に、まちを活性化させるアクションを仕掛けていく。

〈真鶴みんなの家〉で起きたこと。 アーティストと地元の若者による ものづくりワークショップ

都心からJR東海道線で約1時間半。
真鶴駅から商店が建ち並ぶ通りを歩くこと約10分ほどで、
道路にまで人が溢れる一軒家を見つけた。
中をのぞくと、右手には手づくりされた真鶴の地図、
左手には住民の顔の切り絵が壁を埋め尽くしている。
中央のスクリーンには「真鶴みんなの家」の文字。

お試し暮らしができる一軒家〈くらしかる真鶴〉では、
2016年10月18日~10月29日の間、一般公開・参加型のワークショップ
〈真鶴みんなの家プロジェクト〉が行われた。

このワークショップは、くらしかる真鶴を拠点に、
未来の真鶴を担う若者たちと外部のアーティストたちが集い、
寝食をともにしながらディスカッションをし、ものづくりで交流するというもの。
いままさに、住民を前に各自の成果物を発表する会が始まろうとしていたところだった。

プロジェクトを軌道にのせた切り似顔絵

オープニングを飾ったのは、チャンキー松本さんによる
和紙を使った貼り絵を紹介する映像作品。
真鶴らしい風景を貼り絵で表現し、絵や写真では表現できない素朴さと
リアルさが同居した仕上がりに、会場からも声が上がる。

チャンキーさんは、東京を拠点に絵本作家や
イラストレーターとして活躍しているアーティスト。
期間中は週末を除き、ほとんどの時間を真鶴で過ごした。
真鶴の印象は、「瀬戸内海の風景とよく似ていて懐かしい印象を持ちました。
僕は香川県の生まれで、仕事で尾道にもよく行くのでね」とのこと。

今回は、「人と景色、その両方がないとまちは成立しない」という考えから、
住民100人の切り似顔絵にも挑戦。
目の前に座った相手の顔を、わずか5分ほどで切り抜いていく。
特徴をよく捉えていて、とにかくそっくり。
この切り似顔絵をきっかけに、このプロジェクトを知った人がとても多かったそう。

「珍しい芸やし、初めて訪れたまちでは挨拶代わりにもなる。
待っていても始まらないので、最初はこっちから出かけて行きましたよ。
斜め向かいのお茶屋さんにふら~っと入って、挨拶をさせてもらって
『実は切り絵をするんです』と。
90歳になろうかというおばあさんの切り絵を切らせてもらいました。
幼稚園や敬老会(デイサービス)も訪問して、キャラクターを切ったり、
おめでたい切り絵を切ったりね」

発表会を前にチャンキーさんの切り似顔絵は99人分に到達していた。
「やっと完走できた気分」と清々しい表情だ。

右がチャンキーさん。左は地元チームとしてワークショップに参加した遠藤日向さん。貼り絵の映像作品につけた音楽も遠藤さんが担当した。

憧れのまち真鶴を歩き、写し、言葉をそえる

次に始まったのは神戸の塩屋からやってきた森本アリさんらによる〈ちいきいと〉。
〈ちいきいと〉は、まちの写真を使った大喜利合戦で、
神戸~阪神間を中心に、“ジモトを愛しジモトを極めた「まちの顔」たちが集結”し、
テーマに沿った写真とトークを発表する会のこと。

その名前は、地域を糸で結ぶという意味と、神戸にある元生糸検査所を
リノベーションした〈デザイン・クリエイティブセンター神戸〉(通称KIITO)で
開催されたことに端を発する。今回は、その真鶴版をやってみようというわけだ。

塩屋と真鶴には共通点が多いという森本さん(右下)。真鶴のまちをくまなく歩き回り、このワークショップが終わる頃には地元の人のように歩いていた。

ここで登場したのは「背戸道」「生きている屋外」「ほどよい駐車場」などの
『美の基準』にも登場するキーワードのほか、
真鶴というまちを浮き彫りにする「つる」「路地」「守り神」「ベンチ」「海」などの
言葉をテーマに撮影された写真の数々。

森本さんと真鶴のメンバーがまち歩きをして撮影し、選定されたものに、
住民や外から訪れた人々から公募された写真も加えられ、
撮影者によりその場でコメントが加えられ発表された。

会場からは写真が切り替わるたびに「ここどこ?」
「あ、○○さん家の近くね」など、質問と共感と、
ときに愛のあるツッコミが入り混じる賑やかな雰囲気に。
終了後は「住んでいると見失いがちな、なんでもないことの貴重さ、おもしろさが、
ほかの人のフィルターを通して見直すことで見えてきた」など、
うれしいコメントが寄せられた。

森本さんは、塩屋の洋館〈旧グッゲンハイム邸〉で催しの企画・運営を行っている。
ときに楽団の団長として、ときに塩屋のまちづくりメンバーとして、
幅広く活動している。真鶴は塩屋ととてもよく似ていながらも特別なまちだと話す。

「すり鉢状で、山と海が近くにあって、高低差がある。
塩屋と真鶴はまちの規模と地形がそっくりで見分けがつかないくらいです。
僕が真鶴を知ったのは、塩屋のまちを守るためにまちづくり条例の勉強をするなかで、
『美の基準』が取り上げられたことがきっかけ。すごいところがあるんだなと。
僕みたいなまちづくりを学んでいる人間からすると、真鶴は憧れのまちなんです」

その後、知人のつながりで真鶴からも塩屋に訪れている人がいることを知り、
「あ、向こうからも注目してもらえてるんや」と親近感をもったそう。

「昨日ね、美の基準をつくった三木邦之元町長さんがここに来られて、
お話できたんです。塩屋でもまちづくりガイドラインをつくろうとしているのですが、
つくるうえで、生の声を聞くことができて本当によかったです。
深く響くものがありました」

古民家宿 LOOF vol.2 経験ゼロの古民家改修。 遊んで学べる、 宿づくりアカデミー始動

古民家宿 LOOF vol.2

山梨県笛吹市芦川町で、
古民一棟貸し宿LOOF澤之家・坂之家という2棟の宿を経営しています。
vol.1では、どうして私が芦川町で古民家の宿を始めようと思ったのか。
全国の宿や、古民家プロジェクトなどを見学に行き、地元の方の理解を得て、
実際に古民家を借りるところまでを書きました。今回は、いよいよ古民家に手を入れます。

改修方針を決めるマーケティングリサーチ

築100年の古民家を改修するにあたって、
改修する前にいろいろ勉強に見学に行ったところでわかったことは、
やはり古民家の改修にはお金がかかるということ。
何千万、何億の費用がかかるということがわかりました。

クオリティは高いものをつくりあげたいけど、費用を下げたい。
そこで、「プロ×セルフDIYでイニシャルコストを徹底的に抑える」方法を考えました。
完全にプロに任せては費用がかかってしまうので、
私も実際に作業に加わることにし、さらに手伝ってくれるボランティアの人を集めようと。

ただ単純にボランティアで手伝ってもらうのでは、参加してくれた方は楽しくない。
ボランティアの方にも意味のあるものにするためには、どうしたらいいか。
考えたのが、「宿づくりアカデミー」です。

建築の勉強をしているけど、実際の作業をあまりできていない建築学科の学生さん、
古民家に興味のある方、宿に興味のある方が、ただ手伝うだけでなく、
その方にもプラスになるようにプロに学びながら古民家の宿を実際につくり上げていきます。

今回、プロフェッショナルの先生としてお願いしたのが、
一級建築士の斎藤 透さんと、山梨県古民家再生協会に所属している大工さんの市田 仁さん。
アカデミーの内容は、部活動のようなかたちにし、3つのチーム分けを行いました。

1、マーケティング企画部

2、設計・デザイン部

3、建築・ものづくり部

マーケティング・企画部はまず、「コンセプトメイキング」。
宿企画の軸となる部分。“誰に何を売るのか?”を明確にします。
3C分析として、Customer(顧客)Company、(自社)、Competitor(競合)の分析。
SWOT分析として、Strengths (強み)、Weaknesses (弱み)、Opportunities (機会)、
Threats (脅威)の分析。
5P戦略として、Product(製品)、Price(価格)、Place(流通)、
Promotion(プロモーション)など基本的なフレームワークを基に、
コンセプトを明確にし、具体的なところまで落とし込んでいくことを考える。
そして企画・販売戦略立案として、コンセプトが決まり、それに沿った内装が決まった後に、
今度はそれをいくらで、どのようにして、
認知してもらい商品を買ってもらうかを明確にします。

次に、設計・デザイン部。
現地調査・図面おこしを建築士の斎藤さんと行い、
古民家の現状調査をはじめ、まずは図面におこし、
問題点・修正箇所を明確にしていきます。
その後、コンセプトから具体的になった内装イメージを基に、
完成図面をおこし、空間スケッチを作成し、施工業者に見積もりを依頼します。

最後に建築・ものづくり部。
ここは実際に手を動かす作業。まずは、古民家内にある荷物のゴミなどをまとめ、
使用するもの・捨てるものに区別し整理整頓をします。
その後、解体作業が始まります。変更やつくり直しが決まったところに関しては、解体し、
使える資材などをまとめていきます。整理整頓が終わったら、古民家の改修。
実際に大工の市田さんと一緒に改修するとともに、
古材を使用しながらインテリアを作成していきます。

宿づくりアカデミー始動

最初に始まったのは、2014年2月に始まった、マーケティング・企画部。
このチームは単発の参加ではなく、しっかりコミットできる人員である必要があり、
さらに外部からの視点・内部からの視点の両軸が必要でした。
内部の視点として、芦川育ちの私と、山梨出身の友人、
プランナーの宮川しおりさんに協力してもらい、
外部の視点として、東京で出会った友人の丸谷篤史さんと関口照輝さん、
本間めぐみさんに協力してもらい、
ニーズ・シーズ目線からコンセプトをつくり上げていくことに。
それぞれ「自分を知ろうチーム」と「外部を知ろうチーム」に分かれ、
まずは情報を集めていきます。

IVolli architecture vol.7 土地に難あり、風呂なしの 小さな木造アパートが、 新しいコミュニティの拠点へ。

IVolli architecture vol.7

アイボリィアーキテクチュアの永田です。
半年ぶりの掲載になります。

だいぶ期間が空いてしまいましたが、前回は僕らの最初のプロジェクトである、
横浜の木造平屋のアパートの改修計画「藤棚のアパートメント」が
どのように始まっていったのかを紹介しました。

実はこの物件、最近になって、やっと竣工にたどり着きました。
今回は竣工に至るまでの長い道のりを紹介します。

オーナーさんがもつ別の物件〈ヨコハマアパートメント〉に僕が住んでいた縁で、
アイボリィが、この物件の改修をすることになりました。
僕らが、独立したばかりの2013年頃のことです。
もとは、いわゆる風呂なし、木造平屋アパートで、居室は3部屋。
ここに、共有スペースをもりこんで改修できないかというのです。

びっくりした、土地の境界

きっかけは、定期借地であった土地がオーナーさんのもとに帰ってきたことから始まります。
すぐ後ろに崖を背負った場所にあり、
あたりは古くからの木造家屋がいくつか残っているエリアです。
横浜というと港のイメージが強いですが、
歴史を遡ると埋め立てによってつくられた場所が多く、
少し内陸に入ると起伏に富んだ、崖や坂道の多い地形が特徴です。

例えば、「野毛」という地名も、古くは「崖」を意味する言葉だったようなので、
まさに「崖」そのものとも言えるまちです。

西横浜にある〈願成寺〉横の坂道。

オーナーさんのもとに木造平屋のアパートがそのまま残った状態で返ってきたうえに、
庭までついてきたので、初めての設計仕事としては
申し分ないくらいにおもしろくなりそうだとワクワクしていたのですが、
蓋を開けてみるといくつも高いハードルが待っていたのです……。

まず最初に僕らが驚いたのは、オーナーさんのもとに返ってきた土地と、
隣地との境界線がアパートの中にあるということでした。
どういうことかというと、

建物の建っている場所の4分の1くらいを削るように境界線(赤丸部分)が引かれています。
(これじゃ建物が完全に越境してる……)
どうやら過去に何度かを土地を分筆、合筆を繰り返すうちに、
建物だけが宙ぶらりの状態で残ってしまい、分筆された分の土地が返ってきたようです。

つまり、老朽化したアパートを改修して再生するには、
プランを変更して減築し、適法な状態にする必要がありました。ただ、減築をするとなると、
建物のひと部屋分くらいは減らさないといけないことになります。
お風呂もなく小さなトイレがついただけの長屋形式の建物でしたので、
減築してしまうと部屋の数もふたつしか残らず、
それぞれの部屋の床面積も大幅に減ってしまいます。これではお金をかけて工事をしても、
賃貸アパートとして貸し出せる部分がかなり少なくなってしまいます。

この風呂なし部屋の半分以上は削らないといけなさそうです。

庭も共有スペースとして生かす

老朽化も進んでいるので、いっそ建て替えるのが賢明かと
新築案も視野にいれてオーナーの川口さんと話し合いもしましたが、
最終的に予算的に可能な建物減築案を僕らは受け入れることにしました。

部屋の面積が減ってしまう代わりに、
増えた外部空間を部屋の延長として使う道を探そうという方針です。
部屋の面積を最小限にして、家の外にも部屋のような場所があれば、
自然と暮らしの中に外部空間と触れ合う場所が生まれそうです。

そしてそこがアパートの隣室の人や、隣家の方とのコミュニケーションの場になれば、
このような木造密集地でも新しく良好なコミュニティが育まれるのではと考えました。

狭い居室を補うように外部に居場所をつくる。

前回の記事にあるように、
藤棚とブロック塀による外部環境の提案が生まれたのはこの時期です。

建物の中と同じように、「庭の間取り」を考える。
寸法や壁位置、柱間隔も既存の建物にならって決めていき、
上空には梁と対応するように藤棚をかける。
「パンチのある、見たことがないアパート」を望んでいたオーナーの川口さんも、
この外部空間を活用する藤棚の提案には満足していただけました。

建物の構造に合わせて、外部空間をつくっています。

敷地にもともとある植物を切らずに屋根をかけるには藤棚が最適でした。

室内の狭さを払拭するために外部まで空間が広がっています。

方針が決まるころ、ちょうど夏真っ盛りの時期だったので、
この外部空間がどんな場所になるのかを、塩ビパイプで壁を組み立て、
実際の見えや、使い方を検証しながらBBQで利用してみました。

庭にある植物の位置や、お隣さんとの距離感など実地で検証しました。

前に進まない工事。その理由は?

さて、プランも定まり、意気揚々と工務店に見積もりをお願いする段階へと進みました。
予想外の「減築工事」が入ることになったため、予算はかつかつ。
当時まだ独立したばかりだった僕らには頼める工務店さんというのがあまりいませんでした。
それでも知人や前職のつながりで紹介してもらい、
何社か依頼できそうだったので、見積もりをお願いすることに。

通常見積もり調整は工務店からの金額をチェックして減額する部分を調整して、
という作業を何度か交わして最終的な金額に落ち着かせていきます。
あまり予算もない工事でしたが、
ある工務店の監督さんが「任せろ」と快く引き受けてくださり、
金額も予算に収める方向でまとめてくれることになりました。

ただ、ここで僕らは大きな失敗をしてしまいます。

予算的に一番現実味のある見積もりを出してくれた工務店がひとつしかなく、
そこ頼みで見積もりを進めていたので、
次第に相手のスケジュールに振り回されていくようになってしまいます。

「来週まで工事が忙しいからそのあと見積もり出します」

「夜間現場で1か月いません」

「3週間待って」

ことあるごとにリスケされ、見積もり調整のやりとりも延び延びになってしまい、
次第に連絡も取れなくなっていきました。数か月近くの時間が取られ、
さすがにまずいとその間ほかの工務店にも相談に乗ってもらいましたが、
やはり金額が合わず……。計画自体が暗礁に乗り上げてしまいました。
そして恥ずかしい話ですが、実は同じようなことがこの後2、3社続きました。

最初は快諾してもらえるのですが、どこも次第に連絡が取れなくなっていきます。
設計の精度や進め方など、こちらの経験不足が露呈し、
かなり訝しがられていたのだと思います。
未経験から始めたことによる「洗礼」をこの時受けました。

「待つ」時間ばかりで一向に前に進まず、
この時点で、改修の話をいただいてから2年半ほどの時間が経ってしまっていました。

お寺にプロジェクション マッピングを奉納! 目黒の〈円融寺〉で大晦日に

除夜の鐘プロジェクションマッピング

日本中のお寺で、除夜の鐘が鳴り響く大晦日の夜。
東京・目黒にあるお寺、〈円融寺〉では、
なんとお寺にプロジェクションマッピングが“奉納”されます!

プロジェクションマッピングの舞台になるのは、
東京都区内最古の木造建造物で、国の重要文化財にも
指定されている〈円融寺〉の釈迦堂。

六本木ヒルズや富士急ハイランドなど、これまで多くのイベントを
手掛けた町田聡さんによるプロデュースで、
全国各地より映像作家たちが集結! 
21時から23時30分まで、幻想的な光のアートを繰り広げます。

このプロジェクションマッピング奉納は、今年で5回目を迎える恒例行事。
今年は、円融寺幼稚園の園児や、近隣の子どもたちから
募集した絵も特別投影する予定です。
実は今回のイベントを実現するために、高度なテクノロジーが使われて
いるのだとか...

坂東幸輔建築事務所 vol.7 補助金なし改修なしで、 港の空きレストランを再生

坂東幸輔建築事務所 vol.7

みなさん、空き家再生してますか、建築家の坂東幸輔です。

今回は丸亀市で行った〈港のカフェPIER39〉プロジェクトの様子を紹介します。
瀬戸内国際芸術祭2016秋会期の開催に合わせて、
丸亀フェリーターミナル2階の空きテナント〈PIER39〉を再生して
5日間だけウィークエンド・カフェを開催しました。

ようこそPIER39へ。

講演会などで徳島県神山町の話をすると、
「神山町に関わるようになったきっかけは何ですか」
という質問をよくいただきます。
神山町のようにドラマティックに変化を遂げたまちに関わることになった
最初のきっかけにみなさん興味があるようです。
海のカフェPIER39の場合は、私が空間に惚れ込んでしまったのです。

港のカフェPIER39は、空き家を使って
まちづくりのきっかけをつくってしまおう、というプロジェクトです。
ただし空き家の改修工事は一切なし、予算をかけず掃除するだけで使い始めました。

カフェとして再生するのは、自分?

PIER39と出会いは2015年9月の「リノベーションまちづくりシンポジウム」の
パネラーのひとりとして参加したときのこと。シンポジウムの後で、
高松の建築家カワニシノリユキさんに
とっておきの空き家があるからと案内してもらったうちのひとつが
丸亀フェリーターミナル2階にある空きテナントPIER39でした。
PIER39は1984年にオープンした喫茶店でした。
フェリーの待ち時間や地域の方のランチにと活用されていたそうなのですが、
利用客の減少により閉店。20年近く空きテナントとなっていました。
もともと市の所有の建物なのですが、借り手がずっと見つからなかったそうです。

リノベーションまちづくりシンポジウムの登壇者。左から、私、ポンさんこと真鍋邦大さん、R不動産の馬場正尊さん、丸亀市猪熊弦一郎現代美術館にて。

丸亀フェリーターミナル。瀬戸内国際芸術祭の会場となっている本島のほか、牛島、児島、広島、小手島、手島行きの船が出ています。この建物の2階にPIER39があります。

窓から覗いた印象ではかなり丁寧に内装がデザインされています。
その頃、出羽島のプロジェクトに関わり始めたばかりで(vol.4vol.5参照)、
海の近くや港といった場所に興味のあった私は
PIER39にすぐに惚れ込んでしまいました。

高い窓に手を伸ばしてiPhoneで撮影した写真。内装や家具の雰囲気を見て、使えると思いました。

いい空き家が見られてウキウキしながら、年に行われた瀬戸内国際芸術祭で、
土日のフェリーターミナルに長蛇の列に並んだ経験のある私は
「瀬戸芸の期間にPIER39でかき氷屋さんでもやれば儲かりますね。
誰かやればいいのに」という雑談を一緒にいた人たちとしていたのですが、
はっと気がついてしまいました。

「その誰かは自分なんじゃないか」

この連載の中でも、地域でのまちづくりは
「何をするかではなく、誰がやるか」だ、ということを書きましたが、
PIER39の「誰か」は自分なんじゃないかと運命を感じてしまったのです。

徳島県内では神山町と出羽島でまちづくりの活動をしていましたが、
瀬戸芸や地域の美術館に育てられた
アートカルチャーのある地域で活動してみたいということも動機のひとつになりました。
猪熊弦一郎美術館のある丸亀は文系女子やサブカル女子が闊歩しています。
同じ四国でも徳島にはそういった女子は一切いないので
初めて見た時は衝撃を受けました(笑)。

埃まみれの空間を大掃除

自分でPIER39を再生しようと決心した後、
シンポジウムに私を呼んでくださった地域のキーマンである、
『四国食べる通信』編集長の真鍋邦大さんに相談し、
丸亀市の若手職員の方たちをご紹介いただいたことで、
瀬戸内国際芸術祭2016の期間中のPIER39の使用許可をいただきました。

今回のプロジェクトは私の場所への興味から始まった、ごく個人的なプロジェクトです。
市からは場所の無料提供をしていただきましたが、資金的な援助はもらっていません。
個人的に応募した第一生命財団の研究助成金をもらって、
研究として行っているため、自由に活動することができました。

港のカフェPIER39プロジェクトの本格的なスタートは2016年4月末からでした。
閉店してから約20年間使われていなかったPIER39の掃除を
京都工芸繊維大学の学生の垰田ななみさんや市役所の若手職員の皆さんと行いました。
埃まみれだった空き家が、ゴミを捨て、床をモップがけして、
窓や家具をきれいに拭くと見違えるようになりました。

ファブリックの汚れやカウンターの傷みなど、掃除ではどうしょうもない箇所もありましたが、
気にしなければすぐに使える状態になりました。
さっそく、丸亀市の方たちがゴールデンウィークにまちづくりのイベントを開催してくれました。

丸亀市若手職員の皆さんとPIER39の掃除。

港の景色を見ながら窓ふき。

掃除をしただけでかなりきれいになりました。

今回の港のカフェPIER39プロジェクトのように
ぜひ皆さんにもまちにある空き家も掃除をして使い始めてみてほしいのですが、
その際に注意したいのは、漏電と漏水です。
古くなった配線・配管に電気や水を流すと、事故が起こる可能性があります。
素人が大丈夫だと判断をせず、必ず電気屋さんや水道屋さんに相談するようにしてください。

掃除を終えた後は、毎月丸亀に通い、少しずつプロジェクトを進めていきました。

香川大学の学生を中心に、丸亀の商店街の空きテナントで
カフェを行っている〈るるるカフェ〉のメンバーたちが
PIER39のプロジェクトに協力してくれることになりました。
プロジェクトは私が非常勤講師として教えている、
京都工芸繊維大学や研究室のある京都市立芸術大学の京都の大学生チームと
香川の大学生チームのコラボレーションに発展しました。

香川と京都の学生のミーティングの様子。

PIER39で販売するフードメニュー開発を香川の学生、
内装やユニフォームのデザイン・制作を京都の学生が担当し、
準備を進めていきました。丸亀市役所の若手職人の皆さんの多大な協力もあり、
10月8日の瀬戸内国際芸術祭秋会期の開催に合わせて
〈港のカフェPIER39〉を5日間の限定オープンさせることができました。

開催を5日間の限定にしたのは、
京都から毎週通うことが難しかったこともありますが、私たちがいない間も
カフェをオープンしてくれる人が現れる余白をつくりたかったからです。

PIER39のユニフォームのデザインについての打ち合わせ。

〈西本喜美子さん プロデュース年賀状〉 熊本在住、88歳の アートディレクターとは!?

アマチュア写真家の西本喜美子さんをご存知でしょうか?

ゴミ袋に本人が入った自撮りや
道路でバイクが横転している自撮りなど、
インターネットにアップロードして話題となっている
熊本在住のアマチュア写真家のおばあちゃんです。

自分で撮った写真をPCで画像加工処理まででき、
作品の陽気な愛らしさが注目され、
PhotoshopやIllustratorで有名なアドビ システムズ
2017年賀状フォーマットのアートディレクターに起用されました。

1928年5月22日生れの西本喜美子さんは、Photoshop歴14年。
好きな機能はレイヤー効果/切り抜き/フィルター。
70代から創作活動を始めたそうで、
何歳からでも始められるという励みになる存在です。

鋭意製作中!

古民家LOOF vol.1 育った山梨の集落で、村おこし。 イベント赤字から抜け出すには?

古民家LOOF vol.1

みなさま、はじめまして、〈古民家宿LOOF〉の保要(ほよう)佳江です。
山梨県笛吹市芦川町で古民一棟貸し宿LOOF澤之家・坂之家という2棟の宿を経営しています。
築100年の兜作りの古民家を生かした内装になっている澤之家と、
大きな囲炉裏が特徴の坂之家。都内の20〜30代の女性、外国人観光客をターゲットに、
1日1組限定の宿として営業しています。

2014年にオープンした澤之家の特徴の“兜造り”とは、屋根の形状からそう呼ばれ芦川地域に見られる古民家の様式。小屋裏に広い空間が取られています(topの写真)。写真は改修後の小屋裏部分。ほかにも若い世代にも古民家を身近に感じてもらいたいと、水回りはきれいに、快適に過ごせるよう改修しています。

2016年にオープンした、2軒目の古民家宿、坂之家。

芦川町に戻り、古民家宿を始めるまで

芦川町は、東京から約1時間半の場所にあるのに、
“山梨のチベット”と呼ばれる秘境です。
そんな、人口400人もいない限界集落は、私の育ったまち。

東京と神奈川出身の両親が子どもは田舎で育てたいと選んだのがこの芦川町でした。
2歳でこのまちに移住し、高校生までの間をこのまちで過ごし、
大学・就職と東京に出て以来10年ぶりに地元に帰って活動を始めました。
当時は何もない、このまちから早く出たいといつも思っていました。

芦川町の風景。

戻ってきたきっかけとなったのは、大学の時の友人からの言葉でした。

「身近なことも変えられないのに世界は変えられない」

幼少期に田舎に住んでいた反動だったのか、
ずっと世界で活動することを目標に生きていた私にとって衝撃的な言葉でした。

ちょうど同じタイミングで偶然見つけた本『限界集落』に
出身地である芦川町が限界集落であることが書いてありました。

「これだ!!!」と直感的に思いました。

写真家・梶井照陰著書『限界集落ーMarginal Village』(FOIL)。写真がメインのこの本は、芦川の風景が掲載されていたりと、とても懐かしい気持ちになりました

それまでは、ずっと海外での仕事に就くことを目標に、大学では留学をしたり、
休学をして勉強をしたり、国際協力の仕事をするために活動をしていましたが、
大学4年生のときに芦川町の「村おこしをしたい!」と
方向性を変えて生きて行くことにしました。

そこで、就職活動などは一切せず、「村おこし」=農業かなと考え、
地元に戻って農業の勉強をしようかと模索していたところ、
友人からおもしろい会社があると聞き、たまたま説明会に行ったのが、前職の農業関連の会社。

入社前の面接で社長に「村おこしがしたい」と話すと、
「うちの会社を踏み台にして、自分のやりたいことに進みなさい」
と言われ、そのまま入社することにしました。
配属された飲食部門でトップまで行って、結果を出してから辞めようと決め、4年間勤務。
並行して周囲に「村おこしがしたい」と言い続けていました。
3年目に、まずはできることから始めてみようということで、飲食関係の友人に手伝ってもらい、
地元の食材を使用して芦川にある古民家でフレンチ料理を提供する、
週末レストラン「囲炉裏フレンチ」というイベントを開催しました。

イベントのときにつくったチラシ。

村おこしって何だろう?

毎回イベントはすべて満席。とても好評で1年間続けましたが、収支はずっと赤字。
これではいけないと悶々としていましたが、
そもそも“村おこし”ってなんなのか? を考えずに、
突っ走っていたため最終的にどうなることが理想の“村おこし”なのかを
イメージできていなかったのです。

そこで、一旦考え直し、「なにかしてあげよう」という考えから
「地域の人が抱えている問題を、自分のやりたいことを通じて解決していこう」と、
自分に軸を置いて活動をしていこうと決めました。

私のやりたいことを考えた時に辿り着いたのは、
「トカイもイナカもある暮らし」の実現。

ありのままの自分を出せる場所=イナカ

背伸びした自分をつくる場所=トカイ

イナカ過多、トカイ過多な人が多いけど、私は両方がほしい。

そして地域の人が抱えている問題を解決したい。
その頃ちょうど芦川の地域全体で行うワークショップが開催されており、
地域の一番の課題が「空き家の問題」という結果に行き着きました。
300軒ほどある建物のうち、3分の1の100軒が空き家という事実。

私のやりたいことと、地域の抱えている課題の2点に加え、
私は必ず入れないといけない視点として考えたことが、ふたつあります。

①まずは「しっかり稼ぐ」ということ。

②地域の課題を「おもしろく解決する」ということ。

少ない収入でも暮らせるのがイナカなのかもしれないけれど、
それが個人の希望とは合わないこともあります。
実際、私の周りの同世代の友人も、地元に戻りたいと思っている人は
たくさんいました。しかし、みんな共通して戻らない理由が
「仕事がない」ということと、「魅力的な仕事がない」ということ。
選択肢の多いトカイから抜け出すのはなかなか勇気のいること。
だから、私は芦川に戻ってくるときに、
「おもしろいこと」しかしないということと、
「トカイ以上に稼ぐ」ということを決めました。

そこで私のミッションは
「地方に持続可能なビジネスモデルをつくり、
集落に残る日本の生活文化を継承する」こと。

そして意識する点として、「おもしろく社会問題を解決する」と考えました。

そこから具体的に芦川町で何をしようか考え始めました。
この地域だからこそできる強みとはなんなのか、
ほかのイナカでなく、この地域だからこそできることってなんなのか。

泊まれる本屋 〈BOOK AND BED TOKYO〉 京都店が祇園にオープン

本棚の中にベッドが埋め込まれ、まるで本棚の中で眠るような体験ができる
ホステル〈BOOK AND BED TOKYO〉。

2015年、東京・池袋にオープンし、国内外のお客さんから大好評のこのホステルが、
2016年12月2日(金)、第2店舗目となる〈BOOK AND BED TOKYO 京都店〉をオープン!

館内の中央に最大5,000冊収納可能な本棚を、島のように配置。
ブックセレクトは、京都の個性派本屋さん〈恵文社一乗寺店〉が担当します。
読書をしながら寝落ちしてしまう、幸せな体験を提供してくれます。

ホステル内のデザインは池袋店につづき、
谷尻誠氏・吉田愛氏率いる〈SUPPOSE DESIGN OFFICE〉、
グラフィックデザインを〈Soda design〉
ブックセレクトは〈SHIBUYA PUBLISHING & BOOKSELLERS〉によるもの。

また、〈BOOK AND BED TOKYO〉お楽しみメニューのひとつ、
であるビールも京都バージョンでご提供!

京都産を中心に数種類の地ビールを、館内にある
“BOOK AND BED AND BEER”と称したバースペースにて、
宿泊者向けに販売を行います。

バースペース“BOOK AND BED AND BEER”

株式会社建大工房 vol.2 廃墟ビルをリノベーション。 福井のものづくりの 新拠点が生まれるまで

株式会社建大工房 vol.2

「Happiness is only real, when shared.」

幸せが現実となるのは、それを誰かとわかち合った時だ。

前回にも書きましたが、僕はホームレス工務店だったことがあります。
家もなく、借金を抱えながら、何のために生きるか、何を信じるかなど、
いろいろ悩んで哲学書や宗教の本などを読み漁って出会った1本の映画がありました。
『イントゥ・ザ・ワイルド』(into the wild)。冒頭の言葉はその中の一節です。

ストーリーはこうです。
物質社会に嫌気がさした青年がすべてを捨てアメリカを横断。
目的地であるアラスカの奥地で完全自給自足の生活をしながら自分をみつめていく。
1992年に実際に起こった実話に基づいた話です。
主人公がアラスカの地で苦悩の果てに、
最後に残したメモにあったのが、先の言葉でした。
当時、生きることの意味を模索してる僕にとって救われた出来事のひとつでした。
その映画の公開を知ったのが〈IDEE〉創始者の黒崎輝男さんのブログです。
鯖江の講演を聞きにいってすぐのことでした。

さて、今回は、ホームレス工務店となり、
どん底だった当時の僕にとって、大きな財産となった黒崎さんとの出会い、
アメリカの旅、そして2016年にオープンした古ビルの話を書きます。

食や工芸、北陸のものづくりを発信

まずは今年2016年9月にオープンした〈CRAFT BRIDGE〉(クラフトブリッジ)について。
ここ福井にもまたひとつおもしろい場所ができました。

もともとは住居や賃貸住宅として使われていましたが、2階、3階は10年以上放置されていて廃墟同然でした。

1階が日本酒バーとパン屋さん(予定)、2階にシェアオフィス、
そして3階とルーフテラスにクラフトビールのビアバーがある複合施設です。
FLAT(vol.1参照)から派生した仲間に新たなメンバーが加わり、
代表は不動産屋さんで、建築家、漆器屋さんなどの方々も参画して、
みんなでつくりあげています。

ビルのコンセプトは福井はもちろん、北陸の地域に根づく工芸や食、
地酒などのものづくりの文化を、体感できる橋渡しの役目となり、
これからの新しい働き方を生むような、交流の場となる場所。

FLATは福井のクリエイターたちの交流や表現の場所という感じで使われてきましたが、
ここクラフトブリッジはもう少し発信の範囲を広げていくのと、
これからの「仕事」のやり方を提案していくような、
人材を育てていく場所としても活用できるようになっています。

1階の日本酒バー〈rice bar〉は黒崎さんの紹介で福井出身のデザイナー水谷壮市氏の設計。

1階のパン屋さんが入る予定のスペース。これは、オープニングパーティーの様子で、東京から黒崎さんの事務所のスタッフもたくさん駆けつけてくれて盛り上がりました。

3階のクラフトビアバー〈Bridge Brew〉。壁面の廃材のヘリンボーンの壁はここを経営するデザイン事務所〈HUDGE〉のスタッフたちがDIYでつくったもの。テーブルはもともとついていた鉄扉をそのまま使っています。

インテリアのチョイスはHUDGE代表の内田裕規さん。アメリカで買い集めたものばかり。

屋上のビアガーデン。北陸のクラフトビールと地元食材のオーガニックフードが食せる。薪はディスプレイだけではなく、石窯もつくってあり本格的な石窯ピザも焼ける。屋内に薪ストーブも設置予定。

リノベーションスクールの時にDIYワークショップでつくった屋上に設置したオブジェのフラードーム。ホームセンターの1×4材で総材料費は3万円程度。直径3.4メートル。

1番上のルーフテラスのコンセプトはアウトドアリビング。ハンモックに揺られながらまったりと過ごせる。

実はクラフトブリッジをプロデュースしてくれているのが、
冒頭でも書いた黒崎輝男さんです。
東京・青山の国連大学前広場で開催されている〈Farmer's Market〉や
フードカーが集まるコミュニティ空間〈commune 246〉のプロデュース、
米国・ポートランドのガイドブック『TRUE PORTLAND Annual 2014』など、
数々のおもしろい本も出版しています。
仏人デザイナー、フィリップ・スタルクを日本に紹介しオリジナル家具をプロデュース、
ほかにもマーク・ニューソンなど世界に名だたるアーティストの才能を見出してきた
現代の千利休みたいな人だと僕は思っていて、
90年代後半〜2000年代初頭の東京のデザインシーンを語るうえでかかせないひとりです。

今も常に世界中を飛び回りながら最先端を走っています。
クラフトブリッジでは2階のMIDORI.so FUKUIを運営してもらって、
平均すると月に1度くらいのペースで黒崎さん自ら出向いてもらってイベントをしたり、
福井と東京の若者たちとの交流を促してくれたりします。

2階のギャラリースペース。今は越前漆器や金継ぎの作品、越前和紙などが展示されています。

2階のシェアオフィス〈MIDORI.so FUKUI〉の窓の外には隣にある隈研吾氏設計の料亭〈開花亭sou-an〉が。

伝統工芸などのものづくりが根づく福井にはそれを守りたいという若者がまだまだいる。
黒崎さんは、日本古来の文化や風景をどう残していくかという活動をしていて、
伝統を担う福井の若者がそれぞれ現代的なやり方や見せ方などの葛藤があるところに、
突破口となるヒントをくれながら、応援してくれています。

そんな北陸のものづくりがクラフトブリッジのテーマになったのも
2年前に黒崎さんに連れられて行った旅から始まります。
まさか僕らが黒崎さんとアメリカに行くことになるとは……

見慣れた市役所が会場に!? アートツアー〈目 In Beppu〉 開催中

日本随一の温泉観光地として広く知られる大分県別府市。
2009年から2015年までに計3回開催された
別府現代芸術フェスティバル〈混浴温泉世界〉が、
個展形式の芸術祭へとかたちを変え、
新たに〈in BEPPU〉というアートプロジェクトとして始動しました。

第1回目となる今年は、国際的に活躍するアーティスト〈目〉を迎え、
12月2日(金)まで〈目 In Beppu〉を開催しています。

より地域性を活かしたアートプロジェクトにするために、
毎回100名以上が参加していたこれまでのフェスティバル形式ではなく、
国際的に活躍するアーティスト1組による
規模の大きな個展を行うことになった〈in BEPPU〉。

今回選ばれた〈目〉は、
アーティストの荒神明花さん、ディレクターの南川憲二さん、製作統括の増井宏文さんの
3名からなる現代芸術活動チームで、
個々の特性を活かし、連携を重視したチーム型の活動を行っています。

〈目〉の荒川さん、南川さん、増井さん

ISHINOMAKI2.0 傾いた空き家、 どうやって改修する? 忍者屋敷がアトリエに

ISHINOMAKI2.0 vol.5

第5回目となる今回は、私、勝 邦義の古巣である
横浜の建築設計事務所〈オンデザイン〉が担当します。オンデザインは2011年の5月、
まだガレキが残る石巻のまちなかで1冊のフリーペーパーをつくることからスタートした
〈ISHINOMAKI2.0〉の誕生から、活動を支えてきました。

当時駐在していたスタッフに加えて、私が関わるようになったのが2012年。
そして2013年、私の次に関わるようになった、
オンデザインのスタッフ湯浅友絵さんが今回の執筆者です。徳島県出身の元気娘として、
石巻のまちに飛び込み取り組んだふたつのリノベーションを紹介します。

石巻の現場で大工さんと打ち合せするオンデザイン代表の西田司さん(左)とスタッフの湯浅友絵さん(右)。

こんにちは、オンデザインの湯浅友絵です。
今回は私が石巻で関わっているリノベーション事例をふたつ紹介します。
ひとつは空き家をアーティストインレジデンス&ギャラリーに変えた事例で、
もうひとつは空き地を、中古屋台を使ってコミニュケーションスペースに変えた事例です。

少し自己紹介から。私は横浜の建築設計事務所オンデザインで働きながら、
ISHINOMAKI2.0の取り組みをさまざまなかたちで協働してきました。
私が石巻に初めて行った2013年頃は、
まちはすでに東日本大震災によるガレキの片づけなどは済んでいて、
復旧ではなく自分たちの手で、震災前より魅力あるまちにしようと、
復興フェーズになっていました。

すでにオンデザインの先輩である勝さんは石巻に住みながら、
さまざまな取り組みをしていました。私は入社してすぐに、
「横浜から石巻へ行かないか」と代表の西田から言われ、とんとん拍子に、石巻へ移住。

勝さんから、いろいろと話は聞いていましたが、想像と実際に住むのでは、大違い。

石巻に初めて行った時に撮った写真。

ガレキなどは片づいたとはいえ、当時の石巻のまちには住む場所がなかなか見つかりません。
不動産屋へ行っても、当時ひとり暮らしの空き部屋がない状況でした。

今まで自分が生活してきたまちとはまったく違う環境だったということもありますが、
まちなかは空き地、空き家が目立ち、どこか寂しく感じました。
仮住まいとして寝泊まりをしていた復興民泊も、シャワーブースにトイレ、
二段ベッドという生活するのに、必要最低限のものが用意されているという状況でした。

そんな環境で何よりの励みになったのは、石巻のまちの人のあたたかさです。

家がなくても、「うちに泊まればいいよ!」と、
2か月の間に商店街の呉服店さんの和室や、
電気屋さんの屋根裏部屋、ISHINOMAKI2.0の先輩の家の空き部屋など、
スーツケースひとつでまちのなかを転々としながら、暮らしていました。

あのときの本音を言えば、
「横浜の設計事務所に入ったはずなのに……」と最初は思っていましたが、
石巻のまちで実際生活し、1日に3〜50人の人に出会い、
まちの人に触れ、あたたかく受け入れられる感覚は、都会では味わえない生活でした。
昼になると、まちの呉服店にお腹を空かせた若者が集まり、
そこで昼食を食べてコミュニケーションをとったり、
事務所で仕事をしていると、まちの人がやってきて、石巻の歴史について語ってくれる。
石巻という場所は、横浜に戻ってきた今でも通い続けたくなる魅力溢れるまちです。

新しい総合芸術祭の開催に向けて

では、ここから本題のリノベーション事例を紹介します。

ひとつ目は空き家の改修です。ただ住めるようにするだけでなく、2017年に開催する
〈Reborn-Art Festival 2017〉(リボーンアートフェスティバル)のために、
アートスペースとして利用することが求められていました。

Reborn-Art Festivalとは、東日本大震災から5年、
ここまで歩んできた現地の方々の「生きる力」や「生きる術」に共感した
さまざまなジャンルのアーティストが、東北の自然や豊かな食材、
積み重ねられてきた歴史と文化を舞台に、そこに暮らす人々とともに繰り広げる、
いままでになかった総合祭(Reborn-Art Festival HP抜粋)のこと。2017年夏開催予定。

このプロジェクトが動き出したきっかけは、ISHINOMAKI2.0と、
震災後継続して石巻を支援している、一般社団法人ap bank(以下ap bank)との出会いです。

2011年の震災後、ap bankの代表理事であり、
音楽プロデューサーとしても有名な小林武史さん自らが被災地へ足を運び、
〈NPO法人ETIC.〉が主催する、東北へ地元には少ない能力やスキルを持った人材を派遣する
「右腕プログラム」など、さまざまなかたちで復興支援をしていました。

そんななか、小林さんは石巻にも幾度も来られていました。
ap bankとして、継続できるかたちでも、何か支援ができないかと考えられていたそうです。
ちょうどその時期、新潟の越後妻有地域で行われていた『大地の芸術祭2012』に行き、
さまざまなアーティストやサポーターが
芸術を介して地域の力を底上げしていることに感銘を受け、
「被災して地力が弱まっている石巻で、
自分も地域に軸足をおいて一緒になにかをつくりあげることができないか」と思ったそうです。
(コロカルでも小林さんにインタビューしています

その後、ISHINOMAKI2.0との出会いがありました。
石巻のまちを世界で一番おもしろいまちにしようと活動しているISHINOMAKI2.0は、
Reborn-Art Festivalの考え方に共感し、中心市街地での会場、
まちのキーパーソンからのヒアリングや、
アーティストとまちの人をつなぐ役割を担うこととなりました。それから地域の人々や、
自治体、観光協会、商工会議所、地域市民団体、企業などと対話を重ね、
少しずつ構想をかたちにしていき、2015年7月に地域と共同で
「Reborn-Art Festival実行委員会」を発足し、
音楽やアートや食など総合的な地域芸術祭開催に向け、動き出しました。

2016年夏に石巻港雲雀野地区で実施されたReborn-Art Festival×ap bank Fes 2016の会場での様子。会場のところどころにはアーティストが制作した作品が展示されていました。(photo:中野幸英)

そこでアートキュレーターで参加されている〈ワタリウム美術館〉の和多利浩一さんと
石巻のまちなかで震災前まで電気屋を営んでいたオーナーさんとの出会いがありました。

もともと、石巻のまちをもっと良くしたいという強い想いがあったオーナーさん。
ふたりは意気投合し、石巻の未来について、
アートという側面から、どうまちに場をつくっていくかなど、話が盛り上がったそうです。
そのなかで、オーナーさんが、使い方がわからず、
手もつけられないまま放置している1軒の空き家を所有しているという話になり、
後日、建物を見た和多利さんが、とても気に入り、アーティストが滞在し、
アート制作、居住を目的とする拠点にリノベーションし、
会場として利用させてもらえないか、とオファーしました。

空き家は、JR石巻駅から10分程歩いたことぶき町通りという商店街にあります。

ことぶき町通り。

忍者屋敷を、アーティストインレジデンスへ

ことぶき町通りを歩いていると、家がないのに、玄関扉のような扉がある敷地があります。
一見、この扉は通りに面しているため、誰かの家の玄関かなと思うのですが、
そこを開けると、細い小道が現れます。

その細い小道を歩いていくと、見えてくる1軒の空き家。
築80年以上になるこの建物を、今回改修することになりました。

(photo:鳥村鋼一)

裏から見た、改修前の外観。

この建物、以前から気になってはいましたが、誰も住んでいない空き家ということもあり、
どこか近寄り難い雰囲気があったとまちの人々は言います。
通称「忍者屋敷」と呼ばれていました。

かつては、1階は縫製工場として使われ、2階には働く人が住んでいたそうです。
実際、現地調査をしてみると、1階は天井が高く、天井からコンセントが垂れ、
ここでミシンを踏んでいたのではないかと想像できました。
この1室を取り囲むようにトイレ、階段、土間があり、浴室はありません。
階段を登ると、中2階に和室が1間、さらに階段を登ると、和室が2間ありました。

階段が変わっていて、中2階で登りきり、上がってきた階段の吹き抜けに板をパタンと倒して、
通路にし、そこからしか上階へ上がれないという、
まさに忍者屋敷のような設えとなっていました。

改修前、中2階から見た階段部分。

さらに、建物の中にいると平衡感覚を失うくらい家が傾いているのがわかりました。

詳しく調査してみると、築80年以上のこの建物は、
震災で傾いたのではなく、震災前に傾きがすでにあったようです。
また、昔は平屋であった建物に無理やり中2階、2階部分を増築していたことがわかり、
そのため階段があんな感じに取り付いていたのだと、納得しました。

柱も細く、増築部分は乗っているだけで、
よく東日本大震災を耐え抜いたものだと、感心させられました。
ちなみに余談ですが、東北の建物はほかの地域と比べると、
華奢なものが多く軽いのだそうです。軽いからこそ、逆に、震災にも負けず倒れず、
しなやかに生き永らえたのかもしれないと大工さんが教えてくださいました。

ただ、生き永らえた、とは言え、平衡感覚を失うほど傾いているこの家です。
調査を進めるほど、どう改修を進めていくかの、課題は山積みです。

この建物の傾きを直せる……のか?

芸術祭を振り返って、次の旅へ! あいちトリエンナーレ通信 vol.9

撮影:菊山義浩

3年に1度開催され、先日閉幕した国際芸術祭〈あいちトリエンナーレ2016〉。
3度目となる今回は、名古屋市、岡崎市、豊橋市で開催されました。
参加アーティストや広報チームが、その作品や地域の魅力を紹介していくリレー連載です。

芸術祭は、誰のため?

〈あいちトリエンナーレ2016〉短期連載の最終回は、
事務局広報の市川靖子が担当します。

「さあ、出発です!」という港千尋芸術監督のかけ声で始まった
あいちトリエンナーレ2016は、10月23日に74日間の
すべてのプログラムを終了しました。
旅と人間をテーマに、38の国と地域から119組のアーティストが参加し、
最終的に60万人を超える方にご来場いただきました。

これまであまり紹介されてこなかった国や地域、
例えばアラスカやモロッコ、エジプト、キルギス共和国などのアーティストも参加し、
5大陸すべてからアーティストを招聘することができ、
国際色豊かな芸術祭であったと思います。
それらのアーティストたちはわたしたちの旅路の案内人となって、
さまざまな世界に先導してくれました。
実際に旅行をしなくても、愛知にいながら世界中を旅できる、そんな芸術祭でした。

あいちトリエンナーレは美術展だけではなく
パフォーミングアーツのプログラムも充実しています。
パフォーマンス部門では11組のアーティストが愛知に集い、
特にダニ・リマは、スタッフ総勢7名で、日本の反対側ブラジルからの来日。
山田うんは奥三河地方に伝わる〈花祭〉のオマージュとして、
あいちトリエンナーレのためだけに制作された演目を発表しました。

ダニ・リマ Dani LIMA『Little collection of everything』2013(photo:Renato Mangolin Courtesy of the artist)

山田うん『いきのね』(c)羽鳥直志

そしてほとんどの公演が世界初演。これほど充実し、
贅沢なパフォーマンスプログラムは、あいちだからこそ、と言えるでしょう。

デザイントラベルで知られる〈D&DEPARTMENT〉は、
47都道府県を取り上げる書籍シリーズで愛知本を制作。
愛知でリサーチを重ね、トリエンナーレの参加作家として名を連ねました。
そのリサーチの結果は展示作品として発表され、
愛知本は全国の書店にいまも並んでいます。

いまも書店に並ぶD&Departmentの愛知本。愛知の情報がたっぷりです。

愛知ならではの食材が作品になることも。
関口涼子は岡崎独自の八丁味噌をテーマにメニューを考案しました。

関口涼子は八丁味噌を使ったレシピをインスタグラムにアップしてメニューを考案。

いわゆる彫刻や絵画を専攻していたアーティストだけではなく、
文化人類学や、港芸術監督の専門分野でもある映像人類学に
重きを置いた作品が注目されたのも今回の特徴でした。

宇宙に送ったはずのメッセージ。なかなか返事がこないことをつぶやくオウムがなんともシュールなアローラ&カルサディーラの作品。『The Great Silence』2014 Courtesy of the artist

少し専門的な話になってしまいますが、今年は日本各地で
芸術祭やフェスティバルが開催されている「当たり年」と言われているのですが、
それらは誰のための芸術祭なのかという議論も同時に出てきています。
その議論のひとつの回答になるかもしれない事例をふたつ紹介させてください。

2010年、第1回目のあいちトリエンナーレで
繊維問屋街(長者町)が会場の一部になりました。
このエリアの担当だったあるアシスタントキュレーターは、もともと横浜在住でしたが、
これを機に名古屋に移り住み、名古屋から地下鉄で20分ほどの港エリアで、
まちづくりをベースにしたアートプログラムを進めていくために、昨年ビルを改装して
〈Minatomachi POTLUCK BUILDING〉という拠点をつくりました。
これまであいちトリエンナーレに関わった名古屋在住のアーティストや
コーディネーターがここに集っています。

6年前、長者町を自転車で走り回っているアシスタントキュレーターに、
まちの人たちが「ようっ!」と声をかける後ろ姿を何度も目撃しましたが、
今年は港エリアで同じ光景を目にすることができました。

Minatomachi POTLUCK BUILDINGの外観。近くにはメニューのない(!)映画に出てきそうなカフェも。ぜひ足を運んでみてほしい。(Photo:Yasuko Okamura)

また、愛知には芸術大学が多く、最近は制作を目指す学生だけでなく
アートプロデュースに関わる仕事を希望する学生が増えていると聞いています。
1回目のトリエンナーレが開催された6年前に、ボランティアで関わっていたり、
来場者として訪れた中高生たちが、自分の進路を考えるときに
プロデュースを専攻できる芸術系の進学先を選んでいるのかもしれません。

いずれも、愛知での芸術祭が少なからず
まちに影響をもたらしたと言えるのではないでしょうか。

人気動画『True North, Akita.』 最新作は展覧会場でのみ公開! 『こころのこえをきかせ展』

秋田の豊かな自然や風土のなかで暮らす人たちを映し出した映像
『True North, Akita.』。これまで五城目町を舞台にしたVol.1と、
仙北市の上桧木内を舞台にしたVol.2が公開され、
その映像と制作の背景はコロカルの記事でも大きな反響を呼びました。
その第3弾となる新作映像が発表されています。

でも今回は、これまでのようにインターネット上で見られるというわけではなく、
東京都内の展示会場でしか見ることができません。その映像作品の上映と、
映像にまつわる写真を展示する『こころのこえをきかせ展』が、
大伝馬町のギャラリー〈NICA〉で開催されています。

今回の映像の舞台となったのは、夏の男鹿半島。
「海から秋田をとらえてみたかった」と、
このシリーズの制作を手がける〈augment5 Inc.〉の
プロデューサー、井野英隆さんは言います。

たしかに秋田というと、田んぼや山のイメージが強く、
海の風景はあまり思い浮かばない人も多いかもしれません。
でもこの映像に映し出されるのは、日本海とは思えないような穏やかな海。
そしてある漁師一家の日常です。何気ない暮らしの風景に、
はっとするような美しい景色や独特の地形が織り込まれます。
また今回は、海の中にもカメラが入り、そこにもまた
とても豊かな世界が広がっていることが描かれます。

写真の展示も、フォトグラファー蜂屋雄士さんによる、
漁師一家の日常をとらえた写真と、水中写真家、中村卓哉さんによる、
豊潤な海の世界を撮影した写真が展示され、映像の世界と呼応しています。

〈わふフェス2016〉開催! インド・ワルリの循環の 知恵を学ぶイベント

コロカルの連載『貝印 × colocal「つくる」Journal!』でも
活動をお伝えしていた〈ウォールアートプロジェクト〉。
インドの先住民族・ワルリの素朴な暮らしから循環の知恵を学び、
環境負荷の低い暮らしを提起する〈ノコプロジェクト〉の一環です。
詳しくは連載記事にて!

今週、本プロジェクトにまつわる2つのイベントが、
東京と福島県・猪苗代で行われます。

東京会場のタイトルは『わふフェス2016 ワルリ族とノコプロジェクトを知る一日』。
開催は、2016年11月18日(金)の13時〜20時まで。
場所は貝印株式会社にあるコミュニケーションスペース〈KaiHouse(カイハウス)〉。
多彩なゲストを招き、3部構成で開催されます。

なんとイベントにはインドから特別にワルリ族を招きました。
伝統的な家を建て、伝統的な暮らしをする彼らの体験から、
さまざまな智恵を学ぶ...。直接ワルリの文化を伝える充実のセッションです。
お好きな時間に、ご参加ください。

ワルリの家

昨年までの取り組み

そして2016年11月20日(日)には、福島県の猪苗代町にて
〈ウォールアートフェスティバル in 猪苗代〉が開催されます。

名古屋在住アーティスト 山城大督が見たトリエンナーレ あいちトリエンナーレ通信 vol.8

3年に1度開催され、先日閉幕した国際芸術祭〈あいちトリエンナーレ2016〉。
3度目となる今回は、名古屋市、岡崎市、豊橋市で開催されました。
参加アーティストや広報チームが、その作品や地域の魅力を紹介していくリレー連載です。

はじめに

コロカル読者の皆様〜、はじめまして! 
やっと連載リレーのバトンが、ぼくに回ってきました。
光栄です! うれしいです!(無駄にハイテンション)
映像メディアを使った美術作品制作、文化芸術関連における映像制作を
稼業として活動しています、アーティストの山城大督です。
アーティスト・コレクティブ〈Nadegata Instant Party〉
(中崎透+山城大督+野田智子、以下NIP)のメンバーでもあります。

大阪生まれの33歳。これまでに住んだことのある土地は
大阪、岐阜、山口、東京。滞在制作での短期滞在(1か月〜3か月)だと、
広島、青森、水戸、袋井、六甲、新潟、小倉、札幌、三宅島、大分、豊島など! 
いまは愛知県名古屋市に妻(野田智子、NIPメンバー)と息子(3歳)と
3人で愉快に住んでいます(今月には第二子の娘も誕生予定〜)。

息子(山城丗界、当時1歳)と。

Nadegata Instant Party(中崎透+山城大督+野田智子)

名古屋在住歴は3年。そう、僕たち家族はNIPが作家として参加した
〈あいちトリエンナーレ 2013〉をキッカケに名古屋に引っ越してきました。
息子が生まれるタイミングと、震災後のテンションが相まって、
「ま、東京じゃなくてよくね?」と、
妻の実家の岐阜にも近い名古屋を選んでみたのでした。
友人である美術家の下道基行くんや、青田真也くん、
アートコーディネーターの吉田有里ちゃんが、名古屋にいたことも後押しになりました。

Nadegata Instant Party(中崎透+山城大督+野田智子)『STUDIO TUBE』(2013年、あいちトリエンナーレ 2013)。電力施設跡地を架空の特撮スタジオに見立て、オープンスタジオ&上映展示を実施するという設定の作品。

家の近所の神社で1と6のつく日に開催されている青空市。名古屋はこういう「市」がたくさんある。

息子が生まれ、あいちトリエンナーレ 2013が閉幕し、
必死のパッチで邁進してると気がつけば3年が経っていました(笑)。
なんとなく自由で、外の空気をトロッと受け入れてくれる
居心地のいい名古屋の雰囲気が気に入り、いまとなっては
「味噌煮込みうどん」にも慣れました。むしろ! 好きです。
定期的に食べないとダメな感じにさえなりました(八丁味噌は中毒性がある)。

前置きが長くなりましたが、そんなぼくの視点で、第3回目を迎え、
10月23日に閉幕した国際芸術祭〈あいちトリエンナーレ 2016〉を
レポートしたいと思います。それでは、どうぞ、よろしくお願いします〜!

あいちトリエンナーレ 2016記者発表。テーマカラーとシンボルの発表(2014年10月29日)。

「キャラヴァンサライ」に出会う旅

あいちトリエンナーレ 2016、ぼくは少し特殊なかたちで関わってきました。
前回のトリエンナーレでは出品作家として「通常」の参加をしましたが、
今回はいくつかの「特殊」な立場として参加しました。
具体的に申しますと、まずは映像ディレクターとして
『あいちトリエンナーレ 2016 コンセプト・ムービー』の制作に関わりました。

これは、港千尋さん(あいちトリエンナーレ 2016芸術監督)と
永原康史さん(あいちトリエンナーレ 2016公式デザイナー)、
拝戸雅彦さん(あいちトリエンナーレ 2016チーフ・キューレーター)からの発案で、
芸術祭のテーマとして掲げられた「虹のキャラヴァンサライ 創造する人間の旅」を
映像化できないかという相談でした。

開幕する2年前(2014年11月)で、まだ参加作家も
キュレーターも決まっていない超初期段階でした。
港さんによる「これからつくりあげる芸術祭」への
イメージ&コンセプトテキストが提示されていたタイミングで、
まだ具体的には存在しない「イメージ」を「映像」に変換して伝えるという要望は、
ぼくにとっても困難なリクエストでした。

港さんと初めての打ち合わせ後に行った大須の居酒屋には、鳥山明のサインが! ドラゴンボール世代としてはたまりません。このプロジェクトは絶対に成功するなと「ピーン」と来ました(笑)。

実は、「キャラヴァンサライ」という言葉も
意味も知らないような状態からのスタートだったこともあり、
港さん、永原さん、拝戸さんとの度重なる対話からスタートしました。
そのなかで現れてきたキーワード、「人間」「創造」「旅」「家」「群衆」「個」
「集合」「視点」「土地」「伝統」「自然」「産業」「テクノロジー」をもとに、
愛知県の隅々、はたまた、トルコ・イスタンブールへとカメラとともに旅し、
リサーチし、映像を撮影し、構成することになったのでした。

トルコ・リサーチでの、ある一夜。(2014年12月28日)。

このプロセスのなかで、「虹のキャラヴァンサライ」のイメージは
強く体に染み込んでいったように思います。

雪の正月、愛知県の奥三河に位置する東栄町の「花祭」リサーチへ(2015年1月2日)。

老若男女が一晩中、次々と舞を踊る。深夜には鬼も登場。

祭りのあと。「てほーへ、てほーへ」の軽快なリズムがしばらく耳に残った。

いま思うとイメージを「映像化」する行為から入っていったことは、
港さんらしい選択だったんだなと感じています。
「虹」のように、誰もが見えるんだけど手にとって掴むことはできない。
人々の営みのなかで生まれ積み重ねた「創造」をめぐる旅。
その途中に立ち寄る、祭でもあり仮設の家でもある「キャラヴァンサライ」。
手前味噌なんだけど、これをうまく「映像化」することに成功しました。
ぜひ、見てください。VTRスタート!

『あいちトリエンナーレ 2016 コンセプト・ムービー』音楽:蓮沼執太

坂東幸輔建築事務所vol.6 空き家の活用アイデアは 誰が考えて、誰が始める?

坂東幸輔建築事務所 vol.6

こんにちは、建築家の坂東幸輔です。

これまでの連載では、徳島県の神山町や出羽島での空き家再生まちづくりを紹介してきました。
これからは徳島を飛び出し、北海道浦幌町や香川県丸亀市など
日本全国で行われている現在進行中のプロジェクトを紹介していけたらと思っています。

今回は北海道十勝郡浦幌町での空き家再生まちづくりの様子をお伝えしようと思います。
浦幌町の活動内容に加え、空き家再生まちづくりに関わってきて見えてきた、
方法論にも触れてみたいと思います。

浦幌町の中心市街地、シムシティでつくったようなグリッドのまち。車で移動しやすいようになっている。

リノベーションや空き家再生でまちづくりをしている方は全国にいますが、
私の特徴はと聞かれると、
「人口5000人程度の規模の過疎地域で活動することが多いです」
と返答しています。自分で選んでいるわけではないのですが、
神山町も出羽島のある牟岐町も人口5000人強のまち、
そういった場所での活動が最もやりやすいと感じています。
行政の担当者が個人の裁量でスピード感をもって
いろいろなことが決定できるちょうどいい人口規模なのでしょう。
人口が1万人を超えると、行政の意思決定が見えにくくなり、
相手が何を求めているのかわからずプロジェクトが停滞してしまうケースが多いです。

浦幌町とはどんなまち?

浦幌町も人口5000人規模のまちです。
大学はもちろん高校が町内になく、中学生以上の若者を見かけません。
空き家や遊休施設も目立ちます。この3つの特徴はこれまで関わってきた
徳島のふたつの過疎のまちと非常に似ています。

しかし、北海道ならではの雄大な自然が育む食料の自給率はなんと2900%、
農業・林業・漁業と1次産業がすべて揃っており、GDPはなんと神山町の3倍。
うらほろスタイルという独自の小中学生の教育プログラムも充実しており、
そのおかげか出生率も上がっているという、
私にとっては「本当に過疎地域なの?」と驚きの多い地域でもあります。

とかち帯広空港から浦幌町に向かう道路。山や畑の見える雄大な風景の中のまっすぐな道。

そういう驚異的な浦幌町ですが、
一方で、うらほろスタイルを通して地域への愛着をもった子どもたちが
大学卒業後や就職後に浦幌町に戻ってきたくても働く場所がない、
というのが問題も抱えています。

サテライトオフィス事業の成功によって
過疎地域に若者の働く場を生み出した神山町から学びたいと、
神山で人材育成を行っている祁答院(けどういん)弘智さんが
浦幌町の地方創生アドバイザーに任命され、
私は建築的なサポートを行うために呼んでいただきました。

「活用したい空き家(遊休施設)がある、改修のための予算も用意した、
しかし何に使っていいのかわからないから一緒に考えてほしい」
という、どの過疎地域に行っても
最初に聞く同じ悩みをやはり浦幌町の方たちも抱えていました。

建築家に求められていること

空き家再生では、建築家は設計をする以前の
コンサルティングの段階から関わる必要性を非常に感じます。地方公共団体だけでなく、
「先祖代々伝わる古民家に愛着があって壊すに壊せない」
という個人のクライアントも同じ悩みを抱えています。
人口よりも建物の数が上回ってしまっているのでしょう、
建物を直しても使い途がすぐには出てこないのです。

これからリノベーション・空き家再生に関わる建築家は行政や個人にかかわらず、
そういったクライアントに丁寧に寄り添って、
一緒に建物の使い途を考えていくことが大切な仕事になっていくと感じています。

浦幌町での依頼は10年前に廃校になった旧・常室小学校を
浦幌町の仕事創出の場として改修したいので、その手伝いをしてほしいというものでした。

10年前に廃校となった旧・常室小学校。中心市街地から車で10分ほど離れた場所にある、S造地上1階建の建物。

豊岡の聴こえない音、 観えない光景を巡るアートツアー

おしゃべり禁止のツアー!?

最近はさまざまな趣向を凝らしたパッケージツアーがあるけれども、
兵庫県豊岡市で10月22日~23日に行われた『Silent Seeing Toyooka』は、
ユニークかつ摩訶不思議という意味で、群を抜いているかもしれない。

但馬空港推進協議会、城崎国際アートセンター、全但バス株式会社が主催した
この企画はひと言で言うと、“観光とアートを組み合わせたツアー”。
豊岡市内の観光スポットを1台のバスで回りながら、
その都度パフォーミングアーツを楽しむのだが、
最大の特徴は、Silent Seeing(静かな観光)であること。
一部の場所や自由時間などを除いて、基本的におしゃべりが禁止されているのだ。

このツアー形式のパフォーマンス作品の総合演出を担当したのは、
大阪を拠点に活動する公演芸術集団dracomのリーダー・筒井 潤さん。
「最初は各所でダンスと演奏があるというイメージくらいしかなかったのですが、
それだと普通すぎておもしろみがない。
もうひとつ何か要素がほしいと思っていたとき、
出石永楽館の下見に行かせてもらったんです。
ちょうど団体観光客が賑やかに見学していたのですが、
彼らがいなくなった途端、シーンと静まり返って。
こういう静けさのなかでアートを楽しみながら
観光地を回ったらおもしろいのではないかと、
そのとき思いつきました」

総合演出を担当した演出家・劇作家の筒井潤さん。

パフォーマンスの舞台となる豊岡市は、関西屈指の名湯・城崎温泉や、
復活した近畿最古の芝居小屋である出石永楽館、
一時は絶滅したものの、市民によって野生復帰を成功させたコウノトリなど、
観光資源が豊富に揃っている。
これらの観光地をバスで巡るのだが、ツアー参加者に知らされているのは、
サウンド・アートの先駆者的存在である鈴木昭男さんと、
ダンス、音、美術などの表現の間で創作を行うダンサーの宮北裕美さんが、
それぞれの場所で何かしらのパフォーマンスを行うということだけだ。

参加者はもちろん、スタッフでさえどう転ぶのか予測がつかない、
ツアーがいよいよ幕を開けた。

豊岡のシンボル、コウノトリ。ツアーで訪れたコウノトリの郷公園にて。

近畿最古の芝居小屋で観る、五感を刺激する音と踊り

コウノトリ但馬空港に降り立った人たちが、
もの珍しそうにプロペラ機の外観を撮影している。
空港のデッキでは、全身白い服を着た男女が、遠巻きに手を振っていた。
顔は無表情で、人形のようにゆっくりとした動き。誰かのお出迎えだろうか。
気になりつつもロビーに出ると、バスガイドさんが待っていたのだが、
彼女の様子もどこか変。
ひとことも発せず無表情のまま、旗を掲げて参加者をバスへと誘導する。
空港に降りた時点から“開演”していたことに、参加者はようやく気づき始めた。

空港のデッキでお出迎えする、白い男女。その存在に気づく人も、気づかない人も。

JR豊岡駅でも参加者をピックアップすると、
先ほど空港で見かけた白い男女もゆっくりとした動きで最後にバスに乗り込んできた。
どうやら彼らもツアーに参加するらしい。
車内は静まり返り、一体これから何が起こるのか、
それぞれに様子をうかがっている感じが無言ながら伝わってくる。
バスガイドさんが立ち上がってこちらを向いたものの、表情はやはりなく、
録音されたアナウンスが抑揚のない調子で車内に流れる。
再び静かになる車内。車窓には、豊岡盆地を緩やかに蛇行する円山川が広がり、
時間が止まっているかのように流れも止まっている。
置かれているシチュエーションも相まって、
この世ではない世界へバスが向かっているような錯覚を抱いてしまう。

バスの中でも基本的におしゃべり禁止。バスガイドさんも終始無言&無表情。

円山川を眺めながら、最初の目的地、出石へと向かう。

こちらの心配をよそに、バスは城下町・出石に到着した。向かったのは出石永楽館。
この芝居小屋は1901年に開館し、歌舞伎だけでなく新派劇や寄席なども上演。
但馬の大衆文化の中心として栄えたものの、1964年に閉館してしまう。
大改修を経て2008年に復活し、
手動の廻り舞台や奈落、スッポン(妖怪や幽霊などが登場する、花道の昇降装置)など、
昔ながらの貴重な設備が現在の公演でも使われている。

思い思いに見学していると、突然劇場が暗転した。
舞台上にぼんやり浮かび上がる人影。
暗闇に目が慣れてきた頃、鈴木昭男さんと宮北裕美さんのパフォーマンスが始まった。
宮北さんの歴史ある場の空気を慈しむような静かなダンスと、
鈴木さんの奏でる楽器という概念を覆すような素朴で研ぎ澄まされた音。
やがてパフォーマンスが終わると、白い男女が舞台へ近づき、おひねりを投げた。
それに倣って参加者たちも、配られたおひねりを舞台に向かって投げる。
木の床に落ちる音が、拍手の代わりに鳴り響いた。

永楽館での鈴木昭男さんと宮北裕美さんのパフォーマンス。

おひねりを投げる参加者たち。

出石のまちに出ると自由時間となり、ここにきて初めておしゃべり解禁。
参加者は出石名物のそばを食べようと三々五々に散ったが、
散策中に偶然出会った白い男女は、相変わらず無表情にSilent Seeingを続けていた。

出石のまちをさまよう白い男。白い女を見失ってしまったらしく……。

翌日の城崎温泉街での自由時間も彼らだけは素に戻ることなく、
同じようにまちを歩いていたのだが、
筒井さんは白い男女の存在をこんなふうに解説してくれた。

「自由時間になっても、アートがまとわりついているような感覚を
お客さんに持ってほしかったんです。
彼らが常にいることを頭の片隅に起きながら行動してもらうことで、
こちらの演出から離れられない状況に置くのが狙いでした。
こちらの予想以上に、ふたりは目立っていたようでしたけど(笑)。
それと町中で彼らを見つける感覚が、
田んぼの真ん中でコウノトリを見つける感覚に少し似ていると思ったんです。
バスに乗っていて『あ、いたいた!』っていうのと同じように、
ちょっとだけうれしく思ってもらえたらいいなって」

翌日、城崎の温泉街でも白い女を見失ってしまった白い男。どんどん溶けていくソフトクリームが切ない。

株式会社建大工房 vol.1 僕が福井でカフェをつくった理由。 借金がすべてのはじまり?

株式会社建大工房 vol.1

みなさまはじめまして。ごく普通にただものづくりが好きで福井で設計施工の工務店を営む、
出水建大が筆を執らせていただきます。
日本が絶好調に浮かれ出す目前の1973年生まれです。
今回は、伝統工芸から食までとことんこだわる、
ものづくりのまち“福井”から執筆させていただきます。ホームページもなければ営業もしない、
そして大した学もないこんな僕ですが仕事を独立して来年で早10年が経とうとしています。

「リノベのススメ」の記事ということですが、
ここでは“リノベーション”という言葉についてもっと広義に、
かつ超個人的な意味で「建築=場をつくる」「“手”でつくる」と捉えて
僕なりの解釈で書き綴りたいと思います。

カフェの廃業、そしてホームレス工務店に

少しだけ自分のことを。
前述の通り1973年生まれの僕は思春期に幸か不幸かブルーハーツや尾崎豊、
湘南爆走族やビーバップハイスクールなんてものが流行ってしまい、
中学もろくに卒業しないまま大工や塗装工などの現場仕事に就きました。
それらを転々としながらバイクに乗ったり、
スノーボードやサーフィンを楽しむために海外に行ったりしながら
典型的な自由人(←精一杯の表現)の生活を送っていました。

当時、親も地元福井で小さいながらも設計施工の工務店を経営していました。
今でこそ設計も行う工務店は増えましたが父が開業した40数年前は、
設計もする工務店は福井ではめずらしい形態で、
つくる建物もほかと比べると個性的であったのも手伝って
仕事はそこそこ順調そうでした。

僕は25歳になりそろそろ落ち着こうと考え、
親の会社でとりあえず建築士の免許を取ってみようと本格的に設計の勉強を始めました。
もともと小さい頃から家に転がっている端材で工作をするのが得意だったのと、
中学校卒業後に転々としながらも職人として入る現場が大好きだったのですんなり免許取得。

しかし例に漏れず父と不仲な関係もあり、父の会社は住宅メインでしたが
僕はより個性の出せる店舗建築が好きでそういう仕事を積極的にしていました。
そのうちに自分でも店舗を持ちたくなり30歳になると同時に、
建築業のかたわらで小さな雑貨屋兼カフェ〈GARDEN〉(ガルデン)を始めました。
建築との二足の草鞋で昼間はバイトの子に任せ、夜は僕が店に立つというかたちで。

閉店時間は一応21時でしたが、隣が居酒屋ということもあり、
店を開けている限り夜中の0時を過ぎてもお客さんが入ってきて、入れ替わり立ち替わり、
数百円の雑貨を購入するかコーヒーだけで夜中の2時~3時までみんなが話し込む毎日。
そんな経営で商売が成り立つわけもないのですが、
僕自身は楽し過ぎて約2年間も営業していたのです。
しかし、そんな自転車操業を続けた結果、2005年に大きな借金だけが残り泣く泣く閉店。

また建築の仕事をこなしてお金貯めてカフェ再開するぞ~と意気込んだ矢先に、
親の工務店が倒産。

それから、自分の店の売れ残りの家具や雑貨が山ほど家にあったので
持っていかれてたまるかと、親戚の倉庫に毎晩配達(俗に言う夜逃げ)。
東京と九州出身の両親はなんとか遠方の親戚の家に住まわせてもらえたのですが、
僕はそんな状況でも建築の仕事の依頼が多少あったのと、
何となくこの境遇がおもしろかったので半年くらいネットカフェと倉庫と現場を
往復しながら「ホームレス工務店」を楽しんでいました。
ちょっとでもお金になることなら建築以外でもできることは昼夜問わず全部しました。

当時は結婚もしていませんでしたし、何よりも、
周囲の人たちに助けられたことが楽しめた理由です。
現場にまで来た借金取りを追い返してくれる施主だったり、
昼間現場仕事をしながら毎日朝まで家具の移動を手伝ってくれる
仲間の職人たちがいなかったら考えられない現実でした。

当然のように社会から切り離されたかのように見えるなかで、
強制的にふるいにかけられて残ってくれた周りの人たち。
それが後につながる最強のコミュニティだったと今になって思います。
そして不幸にも見えたこのカフェの廃業からでした。大きく変わり出したのは。

真鶴の「お林」が育む 魚と人の豊かな関係

真鶴の人々の暮らしとともにあるお林

箱根火山の南東縁から相模湾に3キロほど突き出している真鶴半島。
その先端は、樹高30メートルを超えるクロマツやクスノキをはじめ、
数百種類の植物と野鳥が生息する原生林となっており、
〈魚(うお)つき保安林〉ならびに〈県立真鶴半島自然公園〉として、
古くから大切に保護されてきた。

真鶴の海は、多様な魚介類が生息していることでも知られているが、
そんな豊かな海を支えているのが、この「お林」と呼ばれる原生林だと信じられている。
お林が人々の暮らしを支え、人々はお林を守る。
その関係性は、人と自然の共生を象徴するものだ。

写真右に見える、こんもりと繁るのが「お林」。

真鶴駅から10分ほど車を走らせたところに遊歩道の入り口がある。

お林のはじまりは、江戸時代にまでさかのぼる。
寛文元年(1661年)に小田原藩が3年の月日をかけて15万本の松苗を植林し、
以降、明治37年には、魚を守り、育てる森林と認められ魚つき保安林に指定。
昭和27年に真鶴町へ移管されるまで、御留山(幕藩領主の管理下にあった森林)から
御料山(皇室所有の森林)へと、長らく国が管理してきた場所だった。

お林一帯が県立真鶴半島自然公園に指定されたのは昭和29年。
今日ではお林をいまの姿のまま次世代へ継承していくために
「採らない」「燃やさない」「捨てない」「踏み込まない」という
ルールが定められている。

お林と真鶴の海の不思議な関係

2014年からは、真鶴町による〈魚つき保安林保全プロジェクト〉が始動。
お林を地域活性化の資源としても活用できるようにと、
プロジェクトに賛同する町民やNGO会員らがボランティアとして参加し、
調査を進めている。そのほかにも、NPOや市民団体による植樹など、
お林を守り、育むための活動が勢いを増している。

そんななか、真鶴の漁師たちも3年前からクロマツの植樹をスタートさせた。
海と森林の関係性においては諸説あるが、
樹木の陰が魚の産卵や生育の場に適していることや、
半島から森林を通って滲み出たミネラル豊富な地下水にプランクトンが集まることから、
それを求めて魚が集まり、豊かな漁場がつくられると考えられているのだ。

真鶴町漁業協同組合の朝倉一志さんは、
「お林と海には、深い関係があると思う」と話す。

朝倉一志さん。真鶴に生まれ育ち、31年前から漁業協同組合で働いている。

「ここのところマツが少なくなってきたので、
このままじゃいけないだろうと植樹を始めました。
残念なことに1年目と2年目に植えた分は枯れてしまって。
やみくもにやっても意味がないので、
いまどこに植えたらいいのかを調査しているところです。
マツは横に生えてから上に伸びるという特徴があるでしょう? 
ほかの樹木に比べて半島からせり出す分、海に陰をつくる。
その陰が魚を守ってくれるんです」

新ブランド〈2016/〉デビュー。 有田の陶磁器に、 国外から新しい息吹を

日本初の磁器として、佐賀県が世界に誇る有田焼。
今年2016年に創業400年を迎えました。

それを記念して国内外デザイナーと共同制作をした
有田焼の新ブランド〈2016/〉をリリース。
世界初の発売イベントとなるブランドデビュー展が、
2016年10月19日(水)を皮切りに、
西武渋谷店、西武池袋本店、そごう横浜店で開催されます。

このブランドデビュー展に先行して、
全アイテムを紹介する〈2016/ SHOP〉も、
地元、有田町の有田焼卸団地内にプレオープンしています。

スタンダードシリーズ〈2016/ BIG-GAME〉

〈2016/〉は、オランダを中心とする世界8か国16組のデザイナーと、
伊万里・有田焼産地の窯元・商社16組とのコラボレーションによる作品となります。

このブランドは、ふたつのラインナップで構成されます。
まずは、世界中の人々に使ってもらいやすい機能的な“スタンダードシリーズ”。
そして、熟練の技術と工程により制作された最上級の有田焼“エディションシリーズ”。
全シリーズで約300アイテムという多彩なラインナップです。

本ブランドは、既存の有田焼のイメージを拡張させる
洗練されたデザインによって、
国内だけでなく国外でも活発に展開注。
イタリアの〈ミラノ・サローネ〉で発表会を行ったり、
オランダ・アムステルダム国立美術館での展示など、
国内外で注目されています。

〈2016/〉チームの国際色豊かな集合写真。photo : Kenta Hasegawa

このブランドの発端は、佐賀県と在日本オランダ王国大使館との間で締結した
『クリエイティブ産業の交流に関する協定』をベースとしたもの。
オランダの優れたデザインと有田焼の高度な技術のコラボレーションにより、
ものづくりの“プラットフォーム”を創っていこうという、
これからの未来を見据えた企画です。