〈銀座 ソニービル〉の思い出を。 外壁のソニービル記念品ルーバーを チャリティ販売!

外壁の装飾に使用されている〈ルーバー〉を思い出の品に

1966年に誕生し、半世紀にわたって
銀座のまちを見守ってきた、〈銀座 ソニービル〉。
2018年夏に〈銀座ソニーパーク〉として生まれ変わるため、
2017年3月31日(金)にその歴史に幕を下ろします。

この歴史あるビルの思い出を残したい……。
そんな想いから、ソニービルの外壁の装飾に使用されているパーツを
加工した〈ソニービル記念品ルーバー〉(以下・記念品)が、
期間限定でチャリティ販売されることになりました!

ソニービルの設計をてがけたのは、建築家の芦原義信氏。
複合的なショールームを中心とするビルのために、
フロアの高さを90cmずつずらすことで、一階から七階までを
連続した1つの空間にする、“花びら構造”という、建築様式が考案されました。

“ルーバー”とは、この90cmずつずれている空間を外からも見えるようにと考案された、
まるでエッフェル塔のようなかたちの特殊断面をもつ外壁のアルミ格子のこと。
これにより、銀座のまちにむかって、
ユニークな照明効果をもたらしてきたんです。

この記念品は、外壁から外されたあとに、ひとつひとつ手作業で裁断・加工されたもの。
ソニービルのロゴと、ソニービルが誕生した年号1966と
解体される年号2017が刻印されています。
値段はひとつ5,000円(税込・送料込)。お届けは今年の10月を予定しています。
収益のすべては寄付されるとのこと。購入の詳細は公式サイトにて。

アートでまちをもっと幸せに!
〈真鶴まちなーれ〉

商店街に、もう一度賑わいを

2017年3月4日、神奈川県の真鶴町で、
〈真鶴まちなーれ〉というアートイベントが始まる。

真鶴まちなーれは今回で3回目。期間は3月20日までの17日間で、
期間中まちの各所に現代アートの作品が展示される。
また、同時に「アートで遊ぶ」をテーマにさまざまなワークショップも開催される。

実行委員は有志で集まった7人。真鶴生まれの人もいれば、
移住してきた人も、隣町の湯河原から参加している人もいる。
年齢も20代から50代までさまざまだ。

取材に応えてくれたのは実行委員のうち4人。左から平井宏典さん、遠藤日向さん、卜部美穂子さん、草柳采音さん。

今回まちなーれの中心となる会場は、真鶴駅から港に向かう途中にある、
「西宿中通り(にししゅくなかどおり)」と呼ばれる商店街。
普段はシャッターが降りる店が多く静かな通りだが、
かつては「真鶴銀座」とも呼ばれるほど賑わいを見せた商店街であった。

西宿中通りの交差点。両脇のシャッターが降りるお店も、今回のまちなーれの会場となる。

「私が子どもの頃おつかいに行っていたときは、
シャッターはほとんど開いていたんです。お店があって、にぎやかな場所。
人と人が買い物の間におしゃべりをしたりするようなことが、
ほんとにあった場所なんです」

そう語るのは、真鶴まちなーれの実行員のひとりである草柳采音(ことね)さん。
現在大学3年生だ。

第2回目からまちなーれに関わっている草柳采音さん。真鶴生まれ、真鶴育ちで、実家はまちの人気酒屋〈草柳商店〉。

今回のまちなーれのテーマは「懐かしい賑わい 新しい眺め」。
なんとこの西宿中通りの閉店したお店にアート作品を展示し、
かつての賑わいを取り戻そうというものだ。

対象となるお店は、元魚屋、元文房具屋、元薬屋、元中華料理屋などさまざま。
アート作品の展示だけでなく、3月19日(日)には
ワークショップもこの通りで一斉開催する。
この日が今回のまちなーれの最も盛り上がる日だという。

真鶴まちなーれの楽しみ方

まちなーれがほかの芸術祭と違うところは、
アート作品を巡るのに、自分たちで自由に訪れるのではなく、
1日2回行われるガイドツアーに参加する必要があるところだ。
この仕組みについて、実行委員長である卜部美穂子さんは言う。

「現代アートって難しくて、私も初めて見たときに
どう見ていいのかわからなかったんです。だけどガイドツアーに参加することで、
少しだけアーティストの考えていることにアクセスできたりするんです。
アートって答えがないと思うんですけど、アーティストの考えることに
少し触れるだけで、世界が広がる感じがする。
ガイドツアーで回ることで、もっと広がりが見えると思うから、
絶対参加してほしいですね」

実行委員長の卜部美穂子さんは真鶴への移住者。第1回目のまちなーれから、子育てをしながら関わる。

ガイドツアーは、アートに興味がある人も、初心者の人にも楽しんでもらいたい、
そんな思いが込もった仕組みなのだ。

さらに、このツアーの魅力は作品についてよりよく知ることができるだけではない。
それは「対話」による新たなつながりだ。
地元の大学生の遠藤日向(ひなた)さんはこう言う。

「ガイドツアーのなかでは、真鶴の話をすることもあれば、
すれ違ったまちの人と交流することもあります。
ときには、ガイドさん以外で、長く真鶴に住んでいる参加者が
ガイドし始めることもあるんです(笑)。昔はこうで、ここの道は通れたんだとか。
外から来た人と、まちの人。いろんな方向から作品を楽しめる要素が
詰まってるんです。1回だけでなく、何度でも参加してほしいですね」

遠藤日向さんは草柳さんの幼なじみ。同じく現在大学3年生だ。

小道が多く、歴史もある真鶴は、歩いていると思わず隣にいる人と話したくなるまちだ。
だからこそまち歩きをするだけで交流が生まれるのかもしれない。

デザインの力で問題解決! ADOBE DESIGN JIMOTO in 奈良

日本全国に存在する社会的な課題や問題を、
“デザインの力”で解決できないか?
そんなテーマで開催されているイベント
〈ADOBE DESIGN JIMOTO〉。
出された課題を解決するデザインワークを、
クリエイターたちが知恵を絞って
なんと制限時間3時間で仕上げるという、ライブデザインイベントです。

法相宗大本山〈興福寺〉

第1回の福岡、第2回の渋谷に続く第3回の会場は、
奈良県の世界遺産、法相宗大本山〈興福寺〉の会館。
五重塔をはじめ、たくさんの国宝を所有する、由緒あるお寺です。

イベントを主催するのは、「フォトショ」の愛称でおなじみの
“Photoshop”などを開発・販売するメーカー、アドビ
今回は、奈良県と、奈良県吉野郡東吉野村にあるクリエイターのための
シェアオフィス〈オフィスキャンプ東吉野〉、
アジア各国のデザイナーたちが地域に一定期間滞在して
コミュニケーションデザインを制作するプロジェクト〈DOOR to ASIA〉と
パートナーを組んでの開催。
地元の課題に向き合っているパートナーたちなので、
今回のイベントで出されたプランが実際に使われることもあるかも?

イベントに参加したのは、奈良を拠点に活動されている
デザイナーや編集者らのクリエイター、7組14名。
このうち3名は、〈DOOR to ASIA〉の姉妹プログラムである
〈DESIGN CAMP@奥大和〉というプログラムで約10日間東吉野村に滞在してきた、
インドネシア・ジャカルタの精鋭デザイナーたちです。

■奈良県観光局が抱える問題とは...

全員が集合し、いよいよ課題の発表。
奈良県観光局観光プロモーション課からの出題です。
奈良県の悩み……。それは、外国人の方が、レストラン選びで困っていること。
店頭のメニューが読めないので、価格がいくらか、
アレルギーや宗教などに対応しているか、といったことがわからない。
これは観光誘致において早急に解決してほしい問題!

出されたお題は、「奈良を訪れた人の飲食店選びの不安を解消する」というもの。
ここから、3時間の制限時間でのデザイン制作が始まります。
会議を始めるチームもいれば、奈良のまちに出てフィールドワークをするチームも。
ということで、制作スタートです!

制限時間は3時間。

奈良の問題を解決するには、フィールドワークから。
どんな状況になっているのか、クリエイターが
実際にまちを歩いて課題を探します。

見慣れたまちも、課題解決を考えながら歩くと、また違った視点が見えてきます。

会場に戻ってアイデアを固めたら、あとは制作するだけ!

キャラクターをデザイン中。

素材の撮影もその場で。

チームごとに、取り組み方もさまざま。
テーマが自由なので、どんなものができあがるのか、
まったく予想ができません。

古民家宿 LOOF vol.4
山梨の集落の宿に、国内外から
年間1000人以上が訪れた理由とは

古民家宿LOOF vol.4

山梨県笛吹市芦川町で運営している、古民家一棟貸し宿LOOF〈澤之家〉・〈坂之家〉という、
2棟の宿ができるまでを綴っていきます。

古民家宿LOOF〈澤之家〉が、解体、改修を経てようやく完成しました。
しかしすぐ迎える冬、大きな観光地でもない芦川町に、果たしてお客さまは来るのか。

床の間にプロジェクターで映画が映し出せる、床の間シアター。

茅葺きを眺めながら寝られる、2階に設けた就寝スペース。

2階建ての吹き抜けがある古民家宿LOOF澤之家。

ギリギリだった、お披露目の日

オープンは2014年10月15日。

その前に、お世話になったたくさんの方へお披露目として、
オープニングパーティーを行いました。
オープニングパーティーまでには準備がしっかり整っているはず……でしたが、
パーティー当日にまだ水道の蛇口が付いていない。
お祓いも終わっていない。パーティーの準備もできていない。
朝から水道工事が始まり、同時に古民家のお掃除、神主さんによるお祓いと、
ドタバタのオープンになりました。

オープン前の準備の様子。

地元の神主さんにオープン前のお祓いをしていただいているところ。

オープニングパーティーには、地域の方、お手伝いいただいたボランティアの方、
クラウドファンディングで支援してくださった方、
友人、議員さんなどたくさんの方にお越しいただきました。

オープニングパーティーの様子。

無事、お披露目も終了し、本格オープンは10月15日。
首都圏の20〜30代、海外のお客さまをターゲットに、
若い方にも古民家に気軽に泊まっていただけるように、
過ごしやすい空間づくりを徹底しました。

始める前は90パーセント以上の人に失敗すると否定されており、
私も観光地ではないこの場所に本当にひとりもお客さまが来なくても
不思議ではないと思っていました。

ただ、プレスリリースなどは行わず、お越しいただいたお客さまから
確実に口コミで広げていこうと特に大きな広告は打たずにオープンをしました。

しかしオープン直後、冬ということもあって、不安は募るばかり。

みかん畑でドッグラン? 
歴史と自由なスタイルが入り交じる
真鶴の観光農園〈松本農園〉

絶景ロケーションの農園を散策

「あの高い建物が横浜のランドマークタワー。今日はスカイツリーが見えないねぇ」

神奈川県の西、真鶴駅から車で山道を走ること約10分。
松本茂さん一家が営む〈松本農園〉に到着すると、
その眺めに思わず「わぁ」と声が漏れた。
視界を遮るものは何もなく、相模湾を眼下に、
三浦、房総、大島、初島まで見渡せるのだ。空も海も青く美しい。
なんて気持ちのいい場所だろう。

ときに大きな勾配のある散策コースは、1周すると程よい疲労感に包まれる。園内の看板はすべて松本さんの手づくり。

約5ヘクタールにも及ぶ敷地には、みかんの木が4000本も植えられ、
繁忙期の10月から12月にかけては1日に500人のお客さんが
みかん狩りをしにやってくるという町内最大規模の観光農園だ。

3月下旬から5月上旬にかけては、甘夏をはじめ、
レモン、キンカン、ニューサマーオレンジなど
10種類ほどの柑橘を楽しめる雑柑狩りも行っており、
2月上旬のこの日も園内には鮮やかな実がなっているのを見ることができた。

このほかにも水仙花摘みやクロスカントリーとドッグランのコースも設置。
なんと犬のブリーダー事業も手がけ、園内にはレンタル犬もいる。
いずれもお客さんの要望に応えるかたちで、さまざまな事業に取り組んできた。

みかんの木を炭にしている松本さんは、みかんの実の炭もつくっている。お菓子の空き缶に並べるのは、窯の中で型崩れするのを防ぐため。松本さんのアイデアから生まれたみかんの炭は商品化され、観光協会では真鶴土産として販売中。オブジェに、冷蔵庫などの防臭材にと人気がある。

茂さんと長男の悟さん、手伝ってもらっている男性スタッフの3名で
畑の手入れや贈答用のみかんの出荷作業を行い、
茂さんの妻の紀子さんと悟さんの妻りえさんが接客を担当しているという。

先代から続く、規則に縛られない農業のかたち

松本さんは、東京農業大学で学んだ後、アメリカで1年間の農業研修を経験。
帰国後すぐに家業を継ぎ、40年以上にわたり運営に携わってきた。
松本農園の特徴は、除草剤は一切使用せず、雑草を刈りこんで肥料とし、
農薬も極力減らした、環境に負担のかからない農法を採用していること。
雑柑に至っては、農薬も除草剤も一切使わずに栽培しているそうだ。
その理由はいたってシンプルで、「畑の真ん中に自宅があるから」。

「やたら農薬を使うと、全部自分のところに返ってくるでしょう? 
その昔は、農薬もいまと違って『虫が死ぬか、人間が死ぬか』と言われるくらい
危険なものも多かったの。農薬をまいたところにはドクロマークをつけて、
立ち入り禁止にしたりしていたんだよ。でも、うちではそれができない。
この環境がいまのやり方につながったんだね」

農薬をあまり使わず、しかもこれだけの広さの農園となると、草刈りは大変。
農家にとって草刈りは大仕事だとよく耳にするが……?

「いや、楽しいよ~! 意外にね、農家の人って、草刈りを楽しんでやってると思う。
だってほら、機械で刈っていったところがきれいになるじゃない。
俺なんて、ゴルフに行くのと変わらないって思ってるよ。腰の振りが似てるでしょ」

茂さんの言葉と目の前に広がる景色がときに重なる。
おおらかで、たくましくて、気持ちのよい風を感じるのだ。
そんな快活さの裏には、父・敬さんの決断も影響しているようだ。

「うちは親父の代から農協に入っていないんだ。
だから、規則に縛られることなく、自分たちの好きなようにやってこれた。
この農園自体は明治時代からあるんだけど、観光農園を始めたのはここ50年くらい。
それ以前については、親父が話したことが新聞記事になってるよ」

株式会社建大工房 vol.4
木材、布にガラス。
地元企業の廃材を組み合わせて、
ラーメン店にリノベーション!

株式会社建大工房 vol.4 
地元の廃材プロジェクトの始まり

一般的に、建築には人件費が一番高くつくといいます。
それを削減するためにどんどん工業化や簡略化が進み、
結果、職人不足になるというスパイラル。
今回は廃材やもらい物を使うことで安く上げるのではなく、
材料費で浮いた分を、あえて「職人の人件費に分配しよう」ということから始まりました。

今回の物件は廃材をふんだんに使ってつくったラーメン屋さん。
福井市に2店舗を構える人気店〈いちろくらーめん〉の新店舗で、
福井市内の空き店舗をリノベーションしました。
大きなコンセプトとしては廃材を利用するということですが、
ほかにもいろんな意味のあるプロジェクトになりました。

通常、店舗の内装工事であればできるだけ短期間で仕上げて店をオープンさせるところを、
廃材を使うなど、あえて手間と時間をかける。
1日十数万円売り上げる店舗が、逆にテナントの空家賃という余計な出費まで発生します。

そんなリスクを負ってまでこのプロジェクトを実現させてくれた、
〈いちろくらーめん〉山中与志一社長に感謝します。

業界トップシェア、地元ガラス商社との出会い

事の発端は僕の知人で、山中社長の友人でもある、
〈OOKABE GLASS HD〉(元大壁商事株式会社)の大壁勝洋社長が
このプロジェクトを発案したことでした。
このOOKABE GLASS HDという会社はインターネットで特殊なガラスを販売する、
業界トップシェアを誇る福井の企業で、建築業界だけではなく個人でも購入できます。
また、ネット販売でも電話での顧客対応サービスに特化していることで定評のある会社です。
同社の大壁社長が考えているのが自社で日々排出されるガラスの端材などを含め、
さまざまな産業から出る廃材の流通や活用法でした。

〈いちろくらーめん〉3店舗目の出店が福井市の繁華街でも目立つ中心部に決まった時に、
大壁社長が「どうせならおもしろいお店にしようよ!」ということで、
廃材を使ったデザインをするのが好きな僕に山中社長を紹介してくれたのが始まりでした。

閉鎖的な夜のお店が多い繁華街でガラス張りの壁。

真鶴の豊かな海を発信する
〈ディスカバーブルー〉と
〈真鶴町立遠藤貝類博物館〉

磯の下に広がる世界

「海で遊ぶ」というと、どんなものを思い浮かべるだろうか? 
海水浴やサーフィン、スキューバダイビングなど、
海の中に入って楽しむものを想像する人が多いかもしれない。
しかし、神奈川県南西部にある真鶴町では、海に入らなくても遊ぶことができる。
「磯遊び」だ。

真鶴半島の先端、崖の上から急な階段を降りると、180度海が見渡せる磯にたどり着く。
右を見れば伊豆半島。左を見れば三浦半島や、遠くに房総半島も見える。
この場所、実は潮が引くと、正面にある「三ツ石」と呼ばれる
3つの大きな岩までの道が現れる。そうなったときが磯遊びのチャンスだ。

正面に見えるのが三ツ石。引き潮のときだけ陸続きに歩くことができる。

「磯の観察をするときは、引き潮になるときを狙います。
風向きによって波が立っている場所が変わるので、
なるべく穏やかなところのほうがいいですね」

楽しそうにそう語るのはNPO法人〈ディスカバーブルー〉の寺西聡子さん。
真鶴に事務所を構えるディスカバーブルーは、海の魅力や生き物を知ってもらうために、
町内外に向けてワークショップや研修を行う団体だ。
取材中も寺西さんは、滑りやすい海藻のつく岩の上を慣れた足で飛び越え、
どんどん先に行ってしまった。

ディスカバーブルーの寺西聡子さん。2012年から活動に参画したという。

寺西さんが磯に入って数分。あっという間にナマコを見つける。

「これは脱皮直後のヒライソガニです。触ってみるとわかりますが、脱皮したてだとまだ甲羅がやわらかいんです」

遠くで見ればただの岩場でも、石を持ち上げるだけで違う世界が広がる。
たった数分でそのことを実感できてしまった。

大地と人が守った生態系

寺西さんによると、真鶴の海にこれだけの生き物が集まるのは偶然ではないという。
それは真鶴半島の成り立ちにまで遡る。
真鶴の土地はもともと、火山の噴火によって流れ出た溶岩でできている。
砂が堆積した土地と違い、真鶴のように溶岩でできた土地の場合は、
固定されているので海藻が育ちやすい。海藻が育つと、それを食べる生き物が増える。
さらにその生き物を目当てに魚が集まる……というように生き物が増えていくのだ。

もちろん、神奈川県内だけでも三浦や葉山など、砂浜でなく磯の海岸はある。
しかし、その中でも真鶴は圧倒的に生き物の数が多いという。

「真鶴は磯の手前に道路を挟んでいないんです。山から海まで一直線につながっている。
これはすごく生き物にとっていいことなんです」

神奈川県の海岸線沿いの多くには、大きな道路が走る。
しかし道路があると、車の騒音やライトなど、
生き物にとっての海の環境が悪くなってくるのだという。
しかも、土地がコンクリートで埋め立てられていると、
雨が降ったときに本来土を通り抜けて流れるはずの雨水が直接海に流れ込む。
そうすると海水の塩分が急激に下がり、海の生き物が生きづらくなってしまうのだ。

真鶴は半島が突き出ているため道路が海岸線沿いを走らない。
代わりにあるのが「お林」と呼ばれる豊かな森だ。
かつて皇室が所有していたこの森は開発から免れ、
いまでも県立自然公園として保護されている。

「土地と歴史。あとは海流や海の深さ。いろんな条件が重なって、
真鶴は海の生き物にとってすごく生きやすい環境になっているんです。
私もすべての海に行ったわけではないですが、石をひっくり返すだけで、
あんなに簡単にナマコを見つけられるところはなかなかありません」

旅のロマンを掻き立てる! 『海駅図鑑 海の見える無人駅』 旅好き&鉄道好き必見の ガイドブック

全国の海の見える絶景の無人駅がずらり!

「海が見たい...」
誰にでも、旅に出たくなる時がありますよね...。
そんな時に広げたい書籍『海駅図鑑 海の見える無人駅』が発売されました。
日本全国にある、海の見える無人駅を“海駅”と名付け、
オススメの海駅を写真とともに紹介するガイドブックです。

『海駅図鑑 海の見える無人駅』

なぜ、海の見える無人駅は、こんなにも心地いいのか?!
本書では、北海道の釧網本線から九州の日南線まで、
日本全国津々浦々にある30の駅を紹介。
駅の佇まいから歴史や土地の事まで、丹念な取材で
掘り下げた一冊です。

海駅の定義はこちら。
眺めているだけで、疲れた心を癒やしてくれそうです。

・駅のホームから海が見える(美しい磯や浜が見える)

・ホームからの眺めが優れている(視界が開けている、海を取り巻く絶景がある)

・レトロな雰囲気がある(木造駅舎や古いベンチなど、鄙びた駅の佇まい)

・駅員がいない(無人駅)

・ひっそりとした趣きがある(駅の周辺に大きな人工物がなく、静けさがある)

・駅周辺に知られざる場所や物語がある(海駅から「その先の旅」ができる)

地元で自分の好きなことを仕事に。
似顔絵からデザインまで手がける
〈ポトレト〉山本知香さん

やりたいことを実現するため東京へ

やりたいことがあっても、生まれ育ったまちにそれをやれる場所がなかったら……。
そんなとき、あなたはどうするだろう?

山本知香さんは、まさにそんな境遇にいたひとりだ。
神奈川県真鶴町で生まれ、幼い頃から絵を描くことが大好きだった山本さんは、
高校卒業後にデザイン専門学校に進学した。
卒業後は、住まいも東京に移し、8年にわたりグラフィックデザイナーとして活躍。2011年から真鶴で暮らしている。

現在は、〈ポトレト〉の屋号で似顔絵作家・イラストレーター・
デザイナーとして活動し、真鶴で行われるイベントへの出店にも積極的だ。
2014年にスタートした芸術祭〈真鶴まちなーれ〉や、
毎月最終日曜日に開催される〈真鶴なぶら市〉にもこれまで何度も参加してきた。

山本さんが彫ったさまざまな絵柄の消しゴムはんこを真っ白な生地にペタペタと押していく「ハンカチづくりワークショップ」。今年も3月に開催されるまちなーれで開催予定。(写真提供:山本知香さん)

消しゴムはんこを使って缶バッジづくりのワークショップをすることも。(写真提供:山本知香さん)

真鶴らしい柄も!(写真提供:山本知香さん)

山本さんがこうした参加型のものづくりワークショップを始めたのは、
真鶴の子どもたちや友人の親子に、都心に行かなくても充分楽しめるよ、
ということをわかってほしいからだという。

山本さん自身は、自分がやりたい仕事をするためには東京に出ないと、と思っていた。
でもいまは、アイデアさえあれば、本人の努力次第で
どこででも、何でもできる、そう思っている。

ひょうたんにアクリル絵の具で顔を描いたひょうたんダルマ。「友だちがひょうたんをいっぱいつくってるんだけど、知香ちゃん絵を描かない?」と、知人から大量のひょうたんを譲ってもらったのがはじまり。こちらもまちなーれでワークショップを開催予定。(写真提供:山本知香さん)

「実は思春期の頃は、あまり真鶴のことが好きじゃなかったんです(笑)。
つながりの強いコミュニティでの暮らしを少し窮屈に感じたりして。
あと単純に東京へのあこがれもありました」と話す山本さん。

もともと絵が好きだったが、絵で生活するのは難しい。
進路を考えていたとき、たまたま高校の美術の先生に渡された
雑誌『広告批評』に感銘を受けて、グラフィックデザイナーを志し、東京で働くことに。

「広告も人と人をつなぐもの。そんなツールを
かっこよくつくる仕事があるということに、とてもドキドキしました」

まちを知ることは、まちを好きになることのはじまり

東京のデザイン事務所では、企業の販促物、パッケージデザイン、
雑誌広告などに携わった。
東京でデザイナーとして働くという夢を叶えたものの、
自分の手がけたものが量産され、次々と消費されていく様子に
違和感を感じるようになったという。

「デザインすることは楽しいし、好きだけれど、まわりの先輩たちみたいに
『三度の飯よりこの仕事が好き!』というほどではないな、と思ったんです。
私はやっぱり、生活が一番大事。
そしてもっと顔の見える仕事がしたい、そう思いました」

そう気づいてから半年後には仕事を辞め、真鶴に帰ることに決めた。
かつては窮屈だと感じたまちに戻ってきたのは、
「帰ってきなさい」という母親からのひと言があったから。

「そのときもどちらかといえばまだ真鶴に帰りたくなかったんです。
私は真鶴にないものを求めて東京に出て行ったわけですから。
でも、母が『なんで東京に縛られているの? どこでだってできるじゃない』
って言うんですよね。それから、たまに真鶴に帰ってきていたのですが、
あるとき東京に戻るホームで『あぁ~東京に帰りたくないなぁ』と思ったのが、
『もう真鶴に帰ろう!』と思ったきっかけです」

真鶴に戻ってからの2年間は、「とりあえず、いまできることを」と
派遣でネットショップページの制作や個人で受注した仕事をして
暮らしていたという山本さん。
その後、すぐにはデザインの仕事を本格的に再開する気にはなれず、
思い切って都内の似顔絵スクールに通うことに決めた。

「デザイン事務所に勤めていたときに、送別会とかで
色紙の真ん中に似顔絵を描いていたんですよ。
受け取った人がそれを見てすごく喜んでくれたのがうれしかったことを思い出して、
似顔絵を描けるようになりたいなって思ったんです。
ひょっとしたら仕事につながるかもしれない、という気持ちもありました」

スクールで知り合った人に誘われ、イベントに出展したり、似顔絵のみならず、
イラストやデザインの仕事が少しずつ増えていくなど、
この時期の活動が、いまのような仕事のベースになっているという。

真鶴の高台のアトリエから。
〈スクランプシャス〉の
細やかな洋服づくり

アンティークショップからオリジナルの服づくりへ

肘から袖口にかけてたっぷりとギャザーの寄ったインディゴ染めのワンピース。
凛とした美しさが溢れ、どんな気分やシチュエーションにも
寄り添ってくれそうな一着だ。

中山靖さん、則美さん夫妻が手がける〈スクランプシャス〉の洋服は、
神奈川県の南西部、真鶴の高台にあるアトリエから生まれる。
玄関を上がってすぐ左の階段を上ると、正面には海を望む大きな窓があり、
中央の長テーブルを囲むように服や小物がディスプレイされている。
左奥のスペースは作業場として使われていて、
ヨーロッパから仕入れたという生地やリボンが並ぶ。

役割はどのように分担しているのか尋ねると
「僕は言葉がいらない作業を」とはにかむ靖さん。
それぞれが得意な作業を担当し、ときに率直に意見を言い合うのが基本だ。

「僕がパターン引きや縫い物といった実作業を担当して、
事務的なことと人とのセッションは嫁に任せています。
そうは言っても完全に分業しているわけではなくて、
新しく服をつくるときには、まずはふたりでデザインし僕が形にする。
それに対して『女の人はこうなっていたほうがいい』という意見が入り、
つくり直して……という作業を繰り返します」(靖さん)

オリジナルの商品をつくるうえで大切にしているのは、
アンティークの洋服に見られるような繊細なものづくりへの尊敬と独自性。
1999年にスクランプシャスとして活動を始めた当時は、
海外で買いつけた古着やジュエリーを扱うアンティークショップを
運営していたというふたりらしい理由だ。

「昔のものづくりは、いまでは考えられないような細やかなものが多いですし、
同じものがいくつもあるわけではありません。すばらしいものなのに、
『この服は、たった1着しか存在しないんだ』と残念に思えて……。
オリジナルをつくり始めたきっかけは、古いものを復刻させる気持ちで
つくった洋服をせめて何人かの方にお届けできたら、
それはすてきなことだなと思ったからなんです」(則美さん)

定番として並ぶのはトップス、スカート、ワンピースなど10種類ほど。
在庫は持たず、顧客からオーダーが入ると
靖さんや縫い子さんたちの手作業で仕上げていく。
オーダーから商品が届くまで、時期によっては数か月かかってしまうが、
自分たちで決めたルールを守るには工場には頼れないのだとか。

「例えば、袖のギャザーは、広幅の布を細かく手で寄せていくのですが、
大量生産で洋服をつくっている工場だと『割りに合わないからできない』
と言われるんです。ギャザー以外も、ボタンホールも糸を編んでつくっていますし、
通常ミシンだと縫い目のスパンが3ミリ程度離れるのですが、
うちは約1~1.5ミリなんです。こうすることで時間はかかりますが、
長く着るうちに糸が切れても一気にほどけるようなことはありません」(靖さん)

ボリュームスリーブトップは2012年に生まれたこのブランドを代表する1着。袖のギャザーが特徴で、その作業の細かさに「割りに合わない」と工場に受け入れてもらえなかった。

「さすがに僕ひとりでは手が足りないので、
一昨年自分たちのウェブサイトを通じて縫い子さんの募集をかけてみたんです。
やっていくうちに直接伝えたいことも出てくるだろうと思って、
近県の方にお願いができればと書いていたのですが、
湯河原、伊豆、東京のほかに長野や広島在住の縫い子さんもいらっしゃいます。
僕が布をカットした状態で送る方もいますし、
裁断から全部やってくれる方もいます」(靖さん)

「工場にお願いできないとわかったときに、何としてでも
縫い上げる気持ちがある人じゃないとできないんだと思いました。
いま、お願いをしている縫い子さんの中には
『縫えないけれどやってみたいです』という心意気の方もいて。
そういう方はレクチャーをしたあと、自主的に何度も何度も練習を繰り返して
縫製のクオリティをあげてから、本番を縫ってくださっています。
5年10年かかってもみんなが技術の高い縫製ができるようになれば、いまは大変でも、
きっと唯一無二のお針子チームになれると思っているんです」(則美さん)

〈真鶴町立中川一政美術館〉で まちの美術館の新しい魅力を発見!

デザインに注目した企画展

神奈川県の真鶴半島にある〈真鶴町立中川一政美術館〉。
長年、真鶴のアトリエで絵を描き続けた、戦後日本を代表する洋画家のひとりである
中川一政の作品を所蔵する美術館です。
コロカルで展開中の特集「真鶴半島イトナミ美術館」でも
美術館について紹介していますが、現在この美術館では
『中川一政の装丁とデザイン』という企画展が3月28日まで開催されています。

中川一政は、油絵のみならず、書や陶芸、挿画まで、多様な作品を残したアーティスト。
その作品のなかから今回はデザインという視点で、
本の装丁や商品パッケージの原画を紹介。
日々、大きなキャンバスに風景を描き続けた一政はまた、
挿画などにおいてもすぐれた仕事を数多く残していたことがわかります。

また一政が、生地に直接柄を描いたネクタイも10年振りに展示され、
デサインという側面からも一政の作品を見ることができる、興味深い展示です。

トミトアーキテクチャ vol.2
空き家を公共的な交流空間へ。
でも、誰の声を聞いて設計する?

トミトアーキテクチャ vol.2

横浜市の丘の上の住宅街に生まれた〈CASACO〉(カサコ)は、
木造二軒長屋を改修した、多国籍・多世代交流スペースです。
トミトアーキテクチャでは、この設計を担当し、現在も運営に携わっています。

はじまりは、NPO法人〈Connection of the Children〉を主宰する
加藤 功甫さんからの依頼でした。
目的は「家をまちに開きたい」というもの。しかし、予算は0円。
前途多難ですが、まずは市や地域の協力者を募ることにしました。

若者 × 空家 = 不気味?

記念すべきワークショップ第1回。周到に準備をしたつもりが、近隣住民の参加はひとりだけでした。

さて、突然ですがこの写真、みなさんどう思いますか?
いろんな世代のご近所さんが集まって仲睦まじく交流している、
そんな印象を抱く方もいるかと思います。

カサコの改修計画をつくるにあたり、地域の人にも愛着をもって使ってもらうために、
ワークショップを開くことになりました。
近隣住民を招いて初めて開催したのはカサコをどんな風に使ってみたいかをヒアリングする
「お話を聴く会」。写真は、ワークショップのワンシーンなのですが、
実は肝心の「近隣住民」はピンクのシャツを着た元気な男の子ひとりだけ。
あとは全員、会を主催した側の人やその友人、つまり「内輪」なのです! チラシを配り、
楽しんでもらうための最強コンテンツ「流しそうめん」まで用意したのですが……。

5年以上空き家だった建物に突然若い人が移り住んできて、
次第に同じ世代の人が集まり、夜な夜なミーティングをしている。
大きなバッグを背負った外国人もたまに泊まりにきている。

「地域・子ども・旅人のみなさんのために家を開こうと思っているんです! 
ぜひ遊びにきてください!」

と目を輝かせながら言われても、近所の人には少し不気味に映ったことでしょう。
今振り返るとよくわかります(笑)。
しかし当時の僕らは「どうして集まらないんだろう」と、悩みました。

救世主は、横浜市のユニークな制度「まち普請」

問題はまだあります。カサコの改修予算は0円。スポンサーを募る? 寄付をお願いする? 
クラウドファンディング? どれも現実味がないなか、
横浜市の「ヨコハマ市民まち普請事業」に出合いました。

この事業、全国でも珍しい取り組みなのです。

「普請」とは相互扶助による道や家の建設行為のこと。
現在の言葉では「DO IT WITH OTHERS」でしょうか。
市民自らが公共性をもつスペースの整備を企画し、
自分たちで運営をしていくという意志と持続可能性があるものについて、
その改修に関わる「ハード」整備費用を最大500万円まで市が補助するものです。

審査に1年かかり、そこから地域住民を巻き込みながら場所を整備することが求められるので、
2年以上かかるプログラムなのです。整備の内容ももちろん問われますが、
もっとも重視されるのは、地域の人が求めているか、どう思っているか、
持続的に運営できる内容かなどといった「ソフト」のほうなのです。

先ほどのワークショップの悩みは、まち普請事業の一次審査に通過した後、
運営や設計の計画を練っている頃にぶちあたったものでした。

やりたいことと動機を発信する

通りからよくみえる場所にある窓。しかし中は雑然としており、あまり入りたい雰囲気ではなかった。

アドバイザーに入っていただいていた〈コトラボ合同会社〉の岡部友彦さん
リノベのススメにも登場)に悩みを相談したところ、
「通りからの見え」を指摘されました。確かに、あまり入りたいとは思えない状況です(笑)。

通りを見通すことができる場所に位置する窓は、地域の人々とコミュニケーションを図る
絶好の道具であるにもかかわらず、そのポテンシャルに気づいていませんでした。
その指摘を受けた直後、窓辺を掃除し、改修後の姿をしめす模型をレイアウト。
自分たちがどんな思いで何をしたいのか伝えるために、
「道行く人へのプレゼンテーションコーナー」をつくりました。

窓を掃除し、模型をレイアウト。道行く人が覗いていくようになった。

この試み、じわじわと効果がでてきました。
「何をしようとしているのか、ちょっとわかった気がする」
と声をかけていただいたり、窓を介した挨拶も増えていきました。

何をしたいのか、なぜしたいのか。それをきちんと伝えること。

この重要性に気づいたカサコメンバーは、地域向けに新聞をつくることにしました。
東ケ丘での出来事やカサコでの活動を月一でA3版の新聞にまとめ、
町内会に協力いただくかたちで、町内約250世帯すべてに配布させていただいています。
最新号は34号。約3年が経つ現在も、継続して発行しています。

歴代の新聞を展示。ワークショップやイベントに顔を出してくださる住民も増えてきた。

丘のまちの住宅地の地域素材

このような取り組みを経て、無事まち普請事業に採択されて
改修資金の足がかりを得ることができましたが、改修する面積に対する費用の割合でいったら、
ほとんど不可能に近いような規模であり、改修費を抑えるための工夫が不可欠です。

その工夫のひとつとして僕らが考えたのが、地域素材を活用すること。
豊かな自然が近くにあるわけでもない住宅地のど真ん中で、地域素材とは一体どういうことか。

トットちゃんの雪像が雪まつりに! 『トット商店街』で 札幌国際芸術祭2017がコラボ参加

〈さっぽろ雪まつり〉に札幌国際芸術祭2017がコラボ参加!

ただいま開催中の〈第68回さっぽろ雪まつり〉。
毎年200万人もの観光客が訪れる、札幌の冬の大イベントです。

今年も盛況に湧く会場で、ひときわユニークな雪像が。
ここでは夜になると音楽影絵劇『トット商店街』が上演されています。
今年開催される〈札幌国際芸術祭2017〉(SIAF2017)の
公式プログラムとして制作されました。

この雪像があるのは、大通5丁目会場。
テレビの歴史を語るうえでの生き証人でもある黒柳徹子さんと、
かつてたくさんの人がその場所に集まっていた街頭テレビ、
そして商店街をモチーフにつくられています。

そして夕方17時15分以降になると、音楽とアニメーション、影絵、そして演劇と
さまざまな表現が合わさった音楽影絵劇が雪像ステージにて開催! 
黒柳徹子さんのナレーションとともに、賑やかな劇が繰り広げられます。

 

本作品の芸術監督を務めるのは、音楽家・俳優・著述家など、
多岐にわたる活動を行う岸野雄一さん。
岸野さんを指名したのは、昔から岸野さんをよく知る
SIAF2017ゲストディレクター大友良英さんです。

岸野さんは、大友さんが音楽を手がけたテレビドラマ『トットてれび』を
インスピレーションの源に、古き良きテレビの黎明期に
思いを馳せながらイメージを膨らませたのだそう。
そして生まれたのが、トットちゃんの愛称で知られる黒柳徹子さんが
テレビの天女になって、さっぽろ雪まつりにやってくる雪像のアイデアでした。
1日4回(毎時00分、17時台は15分から12分間ほど)、会期中は毎日上演しています。

〈真鶴なぶら市〉
地魚から家庭菜園の野菜まで。
人と人をつなぐ手づくりの市

新たな出会いや交流の場に

「なぶら」という言葉をご存知だろうか。
なぶらとは、海面で魚の群れが飛び跳ね、バチャバチャ集まっていることを指す。
このなぶらをそのまま名前に使った〈なぶら市〉という市が、神奈川県真鶴町にある。

なぶら市は月に一度、最終日曜日に真鶴港の岸壁広場で行われる。
始まってから2017年2月で2年。すっかりまちにも定着し、
より良いものを買おうと朝10時の開始前から港に集まる町民もいる。

真鶴は港町だけあって、なぶら市では鮮魚や干物も販売している。
真鶴を拠点としているオーガニックワインやハンドマッサージといった
お店の出店もあれば、普段は販売していない手づくりの品を出す人もいる。
キッチンカーによる食べ物の販売もあり、食べる場所も用意されているので、
港前で海風を感じながら食べることもできる。

移動販売車「真鶴おさかな号」に乗せて、漁協が直接地魚を販売。(写真提供:なぶら市実行委員会)

写真提供:なぶら市実行委員会

なぶら市の実行委員である朝倉嘉勇さんは、真鶴町役場の産業観光課に勤めている。
朝倉さんは、なぶら市が始まったきっかけをこう語る。

「もともとは町長の指示で、町民と役場の職員を合わせた
プロジェクトチームをつくったのが始まり。
フェイスブックを始めたり、町の看板をつくったりしていくうちに、
『人が交流する場をつくりたいね』という話になったんだよね」

取材した12月のなぶら市当日はクリスマス。サンタの帽子をかぶりながら話してくれた朝倉さん。

その言葉の通り、なぶら市にはたくさんの町民が集まる。
もとから真鶴に住んでいる人もいれば、
近年真鶴に移住してきたばかりの人もやってくる。
そこで人と人を紹介しあって、新たな出会いになることもよくある。
なぶら市がハブとなり、人と人のつながりの輪が広がっていくのだ。

「店が増えないとか、いつも同じものしか売ってないとか、
いろんな文句も聞くけど、でもみんな来るんだよ(笑)。
それってなんでかって言うと、ここに来ると話をする人がいるからだろうね」
と朝倉さんは笑う。

月に一度、ここに来れば誰かに会える。この日も移住者同士で近況報告をしあっていた。

「継続性のあるイベントにしたい」という思いから、
なぶら市は町のこれまでのほかのイベントと違い、補助金に一切頼っていない。
けっして無理をしない、自分たちのペースで運営する。

「頑張りすぎない。かといって続けていくためには締めるところは締めないといけない。
そのバランスが大事かなと思うね」と朝倉さんは言う。

たしかにメンバーを見ていると、運営にピリピリした空気はなく、
とにかく楽しそうだ。13時になぶら市が終わり、片づけも終わると、
「反省会」と称した飲み会が夜まで続くという。
誰よりも運営メンバー自身がなぶら市を楽しみにする。
だからなぶら市は、この2年間欠かさず毎月行われてきたのだろう。

なぶら市の本部でお客さんと話す朝倉さん(写真左)と、同じく実行委員の青木理佳さん(写真中央)。本部からはいつも笑いが絶えない。

実行委員であり、町民の柴山高幸さん(写真左)は、自身が真鶴で運営するファブラボ〈真鶴テックラボ〉の技術を子どもたちに披露していた。

古民家宿 LOOF vol.3 デザイン家具に薪ストーブ。 山梨に残る伝統建築を、快適な宿へ

古民家宿LOOF vol.3

山梨県笛吹市芦川町で運営している、古民家一棟貸し宿LOOF澤之家・坂之家という2棟の宿の
オープンまでの経緯を綴っていきます。

vol.2では、澤之家の解体がひと通り終わり、ようやく建物をつくりあげていく段階へ。
大工の市田 仁さん指導のもと、
使ったことのない機械や道具を使って建物をつくり上げていきます。

床材・壁材を古民家に合わせた色に塗っているところ。

初めてインパクトを使用して、床を張っていきます。

改修は、下記のポイントを大切にしました。

1、古民家の良い部分は残す。

2、快適に過ごせるような空間にする。

3、モダンな内装にする。

ひとつ目に、古民家の良い部分はそのまま残すという点。
これはいろいろな古民家をリノベーションした宿やレストラン、カフェを見るなかで、
まったく手を加えていないそのままの古民家や、
手を加えすぎて古民家の良さがなくなってしまった現代的すぎる建物を見て、
ほどよく改修していこうと考えたからでした。

まずは、元の姿をとり戻す

芦川町の古民家の特長である “兜造り”の屋根はそのまま残し、
中の茅葺きがしっかりと映えるように、建物は吹き抜けにしました。

長年時間をかけて燻された梁はそのままに。燻された黒い梁の色に合わせて壁や床は同様の色に。

建物自体は築100年を超える建物ですが、すべてが当時のままだったわけではありません。

私たちがお借りする前に住んでいた方が住みやすいようにと
お風呂、キッチンなどの水回りは現代的に改修され、窓はアルミサッシに変わっていました。

改修前のキッチン。

解体前、窓はほとんどこのようなアルミサッシでした。

そこで、古民家の室内に浮いてしまっていた現代的な部分はすべて解体し、
キッチンスペースは土間のキッチンに、サッシはアルミから
すべて木枠のサッシに取り替えるような、逆に古く戻すという作業をしました。

グラフィックに文具店、出版業も。 〈リトルクリエイティブセンター〉 のデザインは、 岐阜のまちの人への恩返し

〈アラスカ文具〉から始まったローカルデザインの道

岐阜駅から10分ほど歩いた場所に、〈アラスカ文具〉がある。
間口は狭いが、奥に広い。
すっきりと白い店内に、たくさんの色とりどりの文具が映える。

「海外のポップな文具と、日本に昔からある定番文具を中心に取り扱っています。
見ていてワクワクするものが好きですね」と言うのは店主の横山七絵さん。
オリジナル商品も展開していて、小さくてちょっとユニークなものばかり。
ほっこりするようなプロダクトには横山さんの人間性が表れているようだ。

両側の壁の棚に文具がギッシリ!

このアラスカ文具を運営しているのは〈リトルクリエイティブセンター〉
岐阜が地元で、同じ高校・大学に通っていた仲間3人で2011年に立ち上げた。

右から今尾真也さん、横山七絵さん、石黒公平さん、臼井南風さん。

「僕は岐阜のデザイン系の高校出身で、名古屋の芸術大学に進みました。
今一緒に働いている石黒公平と横山七絵も、同じ高校なんです。
大学時代に3人でデザインユニットみたいなものを始めたのが、
この会社に至るきっかけです」と教えてくれたのは、
クリエイティブディレクターの今尾真也さん。
大学卒業後は、それぞれの道を歩んでいった。しかし25歳頃、また仲間が集結する。

「正直にいうと、当時は何か大きな野心があったわけではなく、
このままだとマズイという漠然とした不安のほうが大きかったです」

アラスカ文具の4階が事務所。やはり細長いので横並び。

3人はグラフィックデザイナーであったので、当然、デザインの仕事をしていきたい。
しかしすぐに仕事があるわけではなかった。
そこで自分たちのデザインを外にアピールしつつ、売り上げも出していくために、
〈アラスカ文具〉としてオリジナル商品を開発していく。

「当初は紙もののグラフィックが中心でしたが、
自分たちがつくったものを全国に卸すことができれば生計も成り立つかなと思いました」

クマのメモブロック。端材を使っているので、それぞれ枚数がバラバラ。

薄紙でできたオリガミ。カラフルなストライプ。

当時は、岐阜のまちにも“シャッター”が増え、遊び場が減っていた。
そこで自分たちで場をつくるためにも、文具の卸しだけでなく店舗を構えることにした。
まずはたくさんの小さな店舗の集合体であった〈やながせ倉庫〉に出店。
その後、柳ケ瀬商店街に移転する。

この2か所に出店することで自分たちの認知度があがり、
デザインの仕事が少しずつ舞い込んでくるようになる。
当初は、名刺やパッケージのデザインなど平面のグラフィックが中心だった。
しかしローカルでは、制作にまつわるすべてを頼まれることがよくある。

「お菓子のお土産のパッケージデザインの仕事をいただきました。
でも、まずはお店のブランディングから始めたほうがいいと思い、
ロゴマークなども制作しました。
始めに依頼をもらったものとは、
最終的に違うものをつくるということはよくあります。
こっちのほうが必要なんじゃないかと、
ブランドや店舗のことを考えることはすごく楽しいです」

レトロなイラストの荷札シール。

文具柄のぽち袋。

また地域密着していれば、相手のことがよくわかる。
なるべくなら性格や人間性まで知りたいという。

「たとえば地域の個人店だと、
自分たちでスタンプを捺すようなショップツールをつくることも多いんです。
そういう場合も、相手の性格に合わせたものにしたいですね。
まっすぐ捺さなくても良しとしちゃうような、
めんどくさがり屋さんもいますからね(笑)。
極力、お話してどんなタイプか把握するようにしています」

パッケージデザインが変われば売れるという単純な話ではない。
経営者、売り手、つくり手の意識まで変えていくようなことができれば、
それこそが、デザインの力と呼べるのかもしれない。

看板も白ベースでスタイリッシュ。

ひもの形をした一筆箋。折っても良し、開いても良し。

最近では、リトルクリエイティブセンターはたくさんのイベントに関わるようになった。
〈サンデービルヂングマーケット〉〈ハロー! やながせ〉〈マーケット日和〉などに、
積極的に参加している。
もちろんデザイン面で関わっていくのだが、
立ち上げから最終的にはやはり運営面にも協力することになる。

「本当にデザインが必要だから呼ばれているというわけではないと思うんです。
日頃の関わりのなかから、
デザイナーというよりもまちの一員として“何かやろうよ”という流れです」

まちのスタッフとして、その役割がデザイナーだったというわけだ。
しかしそこにデザイナーという存在がいるかいないかでは大きく異なる。
「まちの専属デザイナー」とはいわないが、
よろず相談のようなポジションにデザインの力が及べば、いい変化が起きそう。

「まちとがっつり関わりながら仕事しているので、
僕たちがおもしろくなれば、まちもおもしろくなる。
まちがおもしろくなれば、僕たちにまた仕事がくる。
そんな相乗関係にあると思います。
クリエイティブの力でまちに刺激を与えていきたいです」

今尾真也さん、柳ケ瀬商店街のレッドカーペットを歩く。

宿と喫茶〈おかげ荘〉 真鶴の食材を使った創作料理で 迎えてくれる三姉妹のような母娘

神奈川県南西部の真鶴町に、〈おかげ荘〉という少し変わったネーミングの民宿がある。
おかげ荘は1日1組限定の宿で、昼間は〈おかげカフェ〉という喫茶店も営む。
約30年続くこの民宿は家族経営で、創業からスタイルを変えながら、
家族みんなにずっと守られてきた。宿でありながらも、
地元の町民にも愛されるその場所には、代々受け継がれている心遣いがあった。

「自分たちだけの時間」を過ごせる宿

おかげ荘は、真鶴港から海に背を向けて少し坂を登った場所にある。
かわいらしい手づくりのウェルカムボードを横目に玄関を開けると、
手づくりの雑貨が壁に飾られ、おばあちゃんの家に遊びにきたように
ホッとする感覚になる。常連客になると、
「ただいま!」と言って入ってくる人もいるという。

中に入って左手、1階の大広間には低いテーブルと椅子が並ぶ。
普段はおかげカフェとして、近くに住む人たちが
ランチやデザートを楽しむ場所になっているのだ。

2階に上がると12畳の和室と、6畳の和室がひと部屋ずつ。
宿泊する人は、1泊2名からこれらの部屋を貸し切りにできる。
窓からは建物越しに真鶴港が見え、どの部屋も暖かい光が差し込む。

「1日1組限定にしてから、子連れのお客さんが増えましたね。
大人より子どもが多いときもあります。大人4人に子ども7人とか。
貸切だと、ほかのお客さんに気を遣わなくていいから好まれるみたいです。
これからベビーチェアやベビーバスも入れて、
もっと子どもたちが安心して泊まれる場所にしようと思っています」

そう語るのは“広報担当”で長女の青木千春さん。普段はスーパーで働きながら、
HPの運用やイベント出店の際に宿の手伝いをしている。

おかげ荘は家族経営。まるで3姉妹のような母娘は、左から長女の千春さん、母の美代子さん、次女の佳美さん。

「チェックインをして、そのままどこにも行かずに帰っていくという人も結構います。
きっとそういう人は自由な時間、自分だけの時間をつくりにいらしてると思うんです。
だから私たちも、基本的には”何もしない“ことを心がけています」

おかげ荘の3人は、おいしいごはんと、静かな場所を提供するだけ。
あとはどう使うかは泊まる人たち次第。
ママ友同士で集まって、子どもたちの運動会が始まることもあれば、
仕事仲間で集まって、泊まりがけで経営戦略を立てる、
そんな使い方をしている人たちもいる。

静かな港のまわりで、そこでとれたおいしい魚を食べながら、
まわりの人の目を気にせず泊まれる場所。
こういう使い勝手のいい場所は、ありそうでない。

おかげ荘は料理が自慢。朝食では港前のひもの屋〈高橋水産〉の地魚を使った干物が楽しめる。

真鶴の新名物も。 伝統と革新の干物店〈魚伝〉

神奈川の南西部、真鶴は魚のまち。
戦後は「ブリバブル」と呼ばれるほど、ブリで財を成した。
その後も豊富な魚を干物にして、観光バスが来たり、
多くの観光客が干物を買っていった。
その頃はたくさんの干物屋さんが軒を連ねていたが、
現在、真鶴で自家製造販売している干物屋さんは、
青貫水産高橋水産魚伝の3軒を残すのみ。
どこも小規模ながら毎日丁寧に魚を開き、干している。
今回は〈魚伝〉のお話。

明治10年創業、120年の伝統の味

真鶴の干物屋さんのなかでも、ひと際、趣のある建物がある。
明治10年創業の〈魚伝〉だ。現店主は4代目青木良修さん。
奥様の典子さん、5代目の青木良磨さんとお店を切り盛りしている。
創業から2代目までは、干物ではなく、おもに魚の仲買い業だった。

「波が荒れると入り江になっている真鶴に魚が集まったんです。
いまは周辺の港や市場も整備されているけど、
かつて天候が悪いときは真鶴に魚も人も集まりました」(良修さん)

4代目青木良修さん。

真鶴でよくとれた魚は、サバ、アジ、アオリイカ、ワラサ、ブリ、トラフグなど。
季節を問わなければ、かなり多くの魚種がとれる。
時代は変わっても魚種にそれほど違いはない。しかし漁獲量は格段に減っている。

「かつては市場に上がりきれないほどでした。
1日で5~10トンという漁獲量だったのが、いまは1トン以下。
イカはとれないからすごく高いし、
ウマヅラハギもほとんどとれないですね」(良修さん)

現在の主力は、真アジみりん干し、イボダイ開き、カマス開き、サバ文化干しなど。

同時に魚の値段は上がっている。
「親の時代は木箱1箱にいっぱいで500円でしたよ。いまは1万円以上です」
と物価の変動を差し置いても、かなりの高騰。
魚で生きている人たちにとって、大きな変動のときだったのかもしれない。

そうしたなかで干物業を始めたのが、良修さんのお父さんで、3代目の英雄さんだった。

「やはり魚のとれる量が減ってきたので仲買いだけではなく、
干物をつくり始めたようです。漁業のまちだから、
みんなある程度は干物づくりなんかできましたね。
私も教わったわけではありませんが、毎日子どもの頃から見ていますから、
見よう見まねで」(良修さん)

真鶴でこの日の朝にとれたイボダイ、手際のいい腹開き。開くコツは体で学んだ。

1枚ずつ開いた魚は、きちんとブラシで血を洗う。
いまではパパッとホースで水をかけて洗うだけのところも多いというが、
こうしたひと手間で臭みは取りながら、旨みを残すことができる。
使用している塩は、内モンゴル産の「古代天日塩」。まろやかな甘みがある。

「生で仕入れたものは、なるべくその日のうちに開いてしまいます。
生と冷凍では、身の色が違ってきますね」(良修さん)

内モンゴル産の「古代天日塩」。さらさらの自然岩塩。

金沢では〈ごミュ印帖〉。 小さな美術館限定の カワイイ御朱印帖が誕生!

御朱印帖ならぬ〈ごミュ印帖〉が誕生!

神社やお寺を参拝した際にいただける“御朱印”。
近年、パワースポットとして寺社仏閣をめぐる女性や若者が増えており、
ついつい集めたくなるような、キュートなデザインの御朱印帖も増えてきました。

そんななか金沢市で、御朱印帖ならぬ〈ごミュ印帖〉が誕生!
“こころのパワースポット”ともいえる、
さまざまなジャンルの個性的な小さな美術館をめぐり、
心を豊かにしてくれる文化にふれたしるしとして、
各施設のオリジナルスタンプを集めることができます。

各文化施設のスタンプのデザインも楽しみ。押した姿もかわいい!

プロジェクトに関わっているのは、
金沢と東京を拠点に活動するクリエイター、
Hotchkiss(ホッチキス)と、「乙女の金沢」プロデューサーの岩本歩弓さん。

江戸時代からの古い道や、歴史的な建造物などが残り、
まち全体が「美術館」のような金沢を、道草するように歩いてほしい。
単なるスタンプラリーではなく、金沢の文化をめぐった思い出を残し、
また金沢に行きたくなるようなきっかけを作りたい。
そんな想いで、この〈ごミュ印帖〉を企画・制作したそうです。

〈ごミュ印帖〉のカバーデザインには、
金沢在住の加賀友禅作家・吉本大輔氏の図案が採用されています。

今回のプロジェクトに際し中村記念美術館では新たにオリジナルのスタンプも

スタンプを集められる小さな美術館は、全部で17。
伝統工芸や芸能、音楽、美術、文学など、
さまざまなジャンルの美術館があり、それぞれ見どころも豊富です。

和田ラヂヲ先生描き下ろし! 『猫も、オンダケ』×愛媛名産品 のシュールなコラボ

“サブカル界の帝王”こと、シュールな漫画で不動の人気を誇る
漫画家、和田ラヂヲ先生が、地元、愛媛県松山市を舞台に描く
アニメ化もされた4コマ漫画『猫も、オンダケ』(株式会社KADOKAWA (C) 和田ラヂヲ)。

昭和の香りが色濃く残る恩田家と、飼い猫のミィちゃんとの日常を描いた
この『猫も、オンダケ』が、地元・愛媛県の名産品とのコラボを展開!!
宇和島の郷土料理“じゃこ天”にミィちゃんをあしらった
『猫に小判、ミィちゃんにじゃこ天』を47CLUBにて発売しました。
愛媛県宇和島の〈安岡蒲鉾店〉とのコラボ商品です。

和田ラヂヲ先生描き下ろしによる、じゃこ天ラブな
ミィちゃんがパッケージデザインに登場!
じゃこ天にもミィちゃんの姿を焼印しました。

〈安岡蒲鉾店〉のじゃこ天はかわいいだけではありません。
愛媛県の宇和海で水揚げされる新鮮な小魚を使った、手造りの逸品。
主原料の“ほたるじゃこ”をひとつひとつ丁寧に頭を落とし、
骨と皮ごとすり身にしているので魚の旨みがギュッと詰まっています。
お値段はじゃこ天5枚+スペシャルステッカー1点で1,404円(税込)です。

恩田家ドライみかんとオリジナル豆皿 2,970円(税込)

ほかにも愛媛県の名産とラヂオ先生のコラボ商品が続々。
『猫も、オンダケ』にもたびたび描かれる、
恩田家の家族団欒の立役者“愛媛のみかん”。
愛媛県産の温州みかん・伊予柑を使って、
ひとつひとつ手作業で丁寧に作られたKoko’oの〈ドライみかん〉〈伊予柑ピール〉が、
恩田家の子供たち、幸子と拓士のオリジナルラベルで登場。
ミィちゃんのオリジナル豆皿(2種)とセットです。
お値段は2,970円(税込)。

『猫も、オンダケ』恩田家の濃厚みかんジュースとオリジナルグラス

こちらは愛媛県産の温州みかん〈不知火〉を使った、
Koko’oの100%ストレートジュース。
水や甘味料を一切使わない、独自の低温殺菌で作られた
柑橘の風味がそのまま残るジュース。
恩田家が描かれたオリジナルラベルのジュースと、
オリジナルグラスのセットです。
こちらは2,376円(税込)。

〈ADOBE DESIGN JIMOTO〉 地元クリエイターが 興福寺でライブデザイン!

地元の課題を、デジタルデザインで解決!
〈ADOBE DESIGN JIMOTO〉

地元の課題を、デジタルデザインで解決してみよう!
そんなデザイン・イベント〈ADOBE DESIGN JIMOTO〉が
2017年2月5日に開催されます。
会場は、なんと奈良県の世界遺産、法相宗大本山興福寺の会館です!

〈ADOBE DESIGN JIMOTO〉とは、
日本全国、各地域に存在する社会的な課題や問題を
デザインの力で解決していくことを目的とした、ライブデザインイベント。

〈DESIGN JIMOTO〉第一回目デジタルハリウッド福岡校での開催の様子。Creative Cloudのハンドサインを全員で。(Photo by Photo-RIX)

制限時間3時間で〈即興デザイントーナメント〉を行い、
地元の社会的課題を解決するアイデアを競います。
2016年2月に第一回目が福岡で開催され、
その後東京・渋谷にて第二回を開催。
そして今回の、奈良での第三回目の開催となりました。

イベントは、即興で作品を作る“ジャミング”を行う〈Creation〉と
出来上がった作品を発表する〈Presentation〉の二部構成。
今回参戦するクリエイターは、もちろん奈良県近郊の方々。
お題は、奈良県庁の協力の元、現在の奈良の問題や課題を洗い出し、
そのお題をクリエイターが解決していきます。

完成した作品は、クリエイター自身が
〈Presentation〉として発表。
参加した観客が全員参加型の投票で優勝者を決定します。
制作から評価までが一日で行われる、ライブ感のあるデザインバトルです。

イベントを主催するのは、Photoshopなどの
デザインツールでおなじみのアドビシステムズ。
さらに今回は自治体の奈良県、シェアオフィス〈OFFICE CAMP HIGASHIYOSHINO〉、
デザイナーズ・イン・レジデンス形式プログラム〈DOOR to ASIA〉
がパートナーを組んで参加。県内のさまざまな方が集まりそうです!

〈青貫水産〉 干物もロゴも手づくり。 絶品塩辛が人気の真鶴の名物店

神奈川の南西部、真鶴は魚のまち。
戦後は「ブリバブル」と呼ばれるほど、ブリで財を成した。
その後も豊富な魚を干物にして、観光バスが来たり、
多くの観光客が干物を買っていった。
その頃はたくさんの干物屋さんが軒を連ねていたが、
現在、真鶴で自家製造販売している干物屋さんは、
青貫水産高橋水産魚伝の3軒を残すのみ。
どこも小規模ながら毎日丁寧に魚を開き、干している。
今回は〈青貫水産〉のお話。

いつも人で賑わっている干物屋さん

お店にお邪魔するとたくさんのお客さん。みんなひと言会話をして買って行く。
それどころか店舗奥の作業場に足を踏み入れる常連さんも多数。
取材で店内にいる間、ひっきりなしに顔見知りのお客さんが訪れてきた。
そのたびに、店主の青木孝光さんは、
「最近どうよ?」「みかん食べなよ」などと声をかけていく。

〈青貫水産〉は地元に愛されている干物屋さんのようだ。
店舗にいた短い時間でもそれを充分に感じることができた。

青木さんは3代目にあたる。
小田原で生まれ、大学を卒業後、東京のデパートで
4年ほど衣料関係の仕事に従事していた。
青貫水産は、大学時代に知りあった現在の奥さんのご実家。
青木さんは婿となって、跡を継ぐことにした。

「跡継ぎがいなくてつぶれるっていうから、オレが来たんだよ! 
妻がひとり娘で、オレは6人兄弟の3番目だから。救世主だね」
と自分の顔を指差して豪快に笑う。

長年、魚を開いてきたことを物語る指を見せてくれた青木孝光さん。

当時の真鶴は観光で賑わっており、干物屋さんもたくさんあって、よく売れた。
従業員もいたので、まったくの未経験だった青木さんも、
お義父さんや従業員たちと一緒に働きながら自然と仕事を覚えていったという。

「実はオレも小田原の浜町という海沿いのまち出身で、周りは魚関係ばかり。
親父が板前で、おじいさんは魚屋だったんだよ。みんな職人。
気がつけば魚に馴染みがあったんだねぇ。
むしろ自分にとっては東京のほうが違和感があった。
仕事するにはいいけど、住みくいと感じた。やっぱり海が見えるまちがいいね」

新鮮なイカとカマス。

地元に根づいて、常連を大切に

こうして、晴れて海に戻ってきた青木さん。
しかし真鶴の観光業は徐々に衰退し、いまでは干物屋も数えるほどになってしまった。

「大型観光バスなどを相手にしていた大きなところがつぶれてしまったね。
うちみたいな家族経営でぼちぼちやっているところが残った」

かつては路面店や観光バスの呼び込みが必要だった。
しかしそのやり方ではリピーターがつかないから、
その客層がいなくなったときに何も残らない。

「うちは地元を大切にしてリピーターを増やしてきた。
いまは流通も発達しているし、きちんとおいしいものをつくっていれば
やっていけると思う。それが基本。こんな小さい店でも、
全国から注文はくるよ。世界中どこでも通用するんじゃない?」

青貫水産の干物は、防腐剤など使用していない。
だからおのずと持ち帰れる人たちがターゲットだった。
青木さんの代でつくり始めた商品もある。〈いか塩辛〉だ。
いまでは青貫水産の人気商品ともなっている。

「イカがとれると、ちょうどいいサイズのものは干物にしてよく売れるんだけど、
大きいイカや小さいイカは、安く売らないといけない。
それだったら、最初から塩辛にしてみようかなと。
小田原出身だから昔からイカの塩辛が好きだったんだ。
ほとんど自己流だね。最初はおばあちゃんの塩辛を思い出しながら
つくっていたんだけど、そのレシピだと、現代では塩分が多く過ぎてしまう。
健康に良くないから、ちょっとずつ味はアレンジしてるよ」

名物〈いか塩辛〉。ちょっとずつ混ぜながらいただく。

〈高橋水産〉 真鶴の魚で究極の干物を 目指す求道者

神奈川の南西部、真鶴は魚のまち。
戦後は「ブリバブル」と呼ばれるほど、ブリで財を成した。
その後も豊富な魚を干物にして、観光バスが来たり、
多くの観光客が干物を買っていった。
その頃はたくさんの干物屋さんが軒を連ねていたが、
現在、真鶴で自家製造販売している干物屋さんは、
青貫水産高橋水産魚伝の3軒を残すのみ。
どこも小規模ながら毎日丁寧に魚を開き、干している。
今回は〈高橋水産〉のお話。

真鶴の伝統と革新をこめた干物づくり

真鶴の干物屋さんのなかでも、ひときわ異彩を放つ店頭ディスプレイ。
「毎日修業」「一人製造」「独学干物」といったスローガンが貼られている。
それだけでもすごく興味を惹かれてしまう。
店頭には七輪が置かれ、数種類の干物が試食できる。一杯やりたくなるくらいだ。
ここで試食してしまうと、買わずにはいられない。それくらい旨みが凝縮している。

試食コーナーは交流も楽しい。表面にプツプツと塩が浮いてきたら食べ頃。

高橋水産の現店主は辰己敏之さん。もともとは辰己さんの祖父が、
湯河原から真鶴へ干物屋を移転してきて始めたお店だ。

「干物が身近にある環境で育ったので、
子どもの頃から干物が大好きでした。食べ放題でしたからね。
昔から真鶴の人は魚の味に厳しいのでおいしい魚が食べられました。
だから真鶴の子どもは魚に対して舌が肥えてしまうんですよ」

当時、祖父のお店は調子がよく、現店舗以外にも
観光バスが何台も着くような大型店舗も構え、干物も大量生産していた。
辰己少年はそうしたお店に顔を出しながら、干物を食べ、
結果的に現在につながる“味覚を鍛える”日々となった。

店内には干物がたくさん干されている。

本人いわく「夢も何もなく」高校を卒業して、
お金がないので、祖父の干物屋をなんとなく手伝いながら、過ごしていた。
ところが時代の流れは避けられない。
10数年前に業務を縮小、大型店舗も閉め、現店舗のみとなった。
祖父も引退し、従業員もわずか数名に。

「見よう見まねで僕も干物をつくってみたけど、なかなかうまくいきませんでした。
でもだんだんと慣れてきたので、祖母にも引退してもらって、
ひとりでやることになりました」

ここから辰己さんの「干物求道者」たる道が始まる。
「夢も何もなかった高校生」なんて言いながら、
凝り性な側面がむくむく湧き上がってくる。

「じいさんから伝わってきたマニュアル通りにやっても、
子どもの頃食べていた味と違うんです。魚はとれる場所や時期、
サイズもバラバラ。だからマニュアルが通じないこともある。
すごくしょっぱくなったり、味がしなかったり。
じいさんがつくっていた塩度の少ない味つけを再現したかったんです。
ある程度納得できる味になるのに何年もかかりましたね」

高橋水産の辰己敏之さん。干物愛にあふれている。

株式会社建大工房 vol.3 海辺のボロボロの小屋が かわいいかき氷店に変身! パティスリー〈NUAGE〉

株式会社建大工房 vol.3

前回の最後に次回の記事は廃材で作ったらーめん屋さんと書いたのですが
諸々事情がありまして次回に回させていただきます。
そして今回紹介するのは、これまでこの連載で書かれた中では
恐らく最小の金額のリノベーション物件じゃないかと思います。
基本的な設備などのインフラ工事以外、建築の改装にかかった金額は20万円。
そして、こんな田舎の見捨てられたボロ小屋が
まさかの1日数十万円も稼ぐ店になるとは思ってもみませんでした。

改装前。目の前が海水浴場で風雨に耐え、いろいろ傾いていてギリギリ立っている感じ。最初は家の中まで植物が侵食してきていた。

夫妻の小さなパティスリー

住宅とは違って商業建築では一般的な話ですが、いくらSNSなどが発達したしたとは言え、
絶対的に観光資源や人口の少ない、高齢化の進む田舎のまちで、
個人が小規模で物販や飲食などの商売を始めるにあたって、
建築にかけることのできる予算は限られています。

尚かつ、田舎ならではのコミュニティや豊かな生活の知恵は多々あれど、
都会のようにアートやデザインに対して感度の高い人や
「質」にこだわったライフスタイルを送っている人もそうたくさんいるわけでもないのが現実。
ブランディングなどの「デザイン」に対する費用のかけ方も、
やはりその地域特有の絶妙なバランスがあると思います。
もちろん計算で数値化できるような単純なものでもないでしょうし、
僕個人としてはその限られた環境で
コアなファンをつくって細くとも長くお店を続けていくのが大事だと思っています。

ボロボロの木造平屋を超低予算でお店にしたい

最初に僕のところに話がきたのは4年近く前になります。
最初の写真のあのボロ小屋をかき氷屋さんにしたいとの依頼でした。
クライアントの出藏さんとはこのとき初めてお会いしたのですが、
もともと数年前は建築にもお金をかけて
こだわったパティスリーを福井県内で数店舗も経営されていた、地元では有名人だったので、
「何でいまさらこんなところで?」と最初は疑問だらけでした。

ただ、海水浴場の目の前という立地はおもしろい条件だったのと、
ボロ小屋が植物に侵されている感じがなんともかわいかったので、
僕としてはほぼ商売にはならない仕事でしたが快諾しました。
と言っても予算がかつかつなので、塗装して看板を付けただけの誰でもできる改装でした。

あまりに古すぎて、水と電気を通すのも近所の人に承諾を得て、
他人の敷地内を通って引っ張ってこないといけないとか、
装飾的な改装よりもインフラの整備のほうにお金をかけなければいけない状況で、
今まで誰も手をつけられなかったのも頷けました。

中もただペンキを塗っただけ。福井のガラス工房〈WATARIGLASS studio〉の作品が色を添えてくれています。

ここ三国町では毎年8月11日にある「三国花火」という海岸での花火大会が有名で、
その日は毎年県内外から20万人以上訪れると言われています。
人口80万人をきった福井県の人口から考えると化け物みたいなイベントですね。

オープンしたばかりのこのかき氷店、蓋を開けてみると、
花火当日は長蛇の列で1日で数十万円も売り上げる繁盛店になっていました。
かき氷もソースやトッピングに地元でとれる素材の果物を使ったり、
ほかにもクレープやアイスなど洋菓子店ならではのいろいろなスイーツが売っているので
この店構えだけで入ってきた人はビックリですよね。

いくらそれだけ人が集まるビッグイベントとは言え、まだまだ小さな田舎まち。
ほかに出店しているお店は一般的な露店なので、
そこに軒を連ねるようにこの個性的な店があれば確かに目を引くのは間違いありません。

地元の吹きガラスの作家さんや鉄工職人たちとコラボレーションして立ちあげたお店の名前は〈港町職人〉。屋根の棟の部分にこのお店のロゴでもある古い船の舵を。

毎年、海水浴シーズンの週末と花火の日だけのオープンなので、年間の稼働日はほんの数日。
もともと大家さんも壊そうとしていた物件だったので家賃も固定資産税程度。
ここだけの商売で考えると十分黒字です。
たぶん建物が朽ちるまでは商売続けられるんじゃないでしょうか。
やはり今まで数々のお店を出店してきた出藏さんだからこそ、
この場所に目をつけることができたのだと思います。

一時期は路面店、有名百貨店内の売り場などを合わせると
6店舗を切り盛りしながらスタッフも100人近くを抱えて手広く展開していた出藏さんですが、
今はすべて閉めて人も雇わずに、夫婦ふたりで黙々とスイーツをつくり続けています。
元来、こだわりの職人気質で人ともぶつかることが多かったみたいで、
ここに至る経緯も多分にあったと思うし、
聞けば1年くらい引き籠っていた時期もあったと言います。