連載
posted:2017.2.2 from:神奈川県足柄下郡真鶴町 genre:旅行 / アート・デザイン・建築
sponsored by 真鶴町
〈 この連載・企画は… 〉
神奈川県の西、相模湾に浮かぶ真鶴半島。
ここにあるのが〈真鶴半島イトナミ美術館〉。といっても、かたちある美術館ではありません。
真鶴の人たちが大切にしているものや、地元の人と移住者がともに紡いでいく「ストーリー」、
真鶴でこだわりのものづくりをする「町民アーティスト」、それらをすべて「作品」と捉え、
真鶴半島をまるごと美術館に見立て発信していきます。真鶴半島イトナミ美術館へ、ようこそ。
writer profile
Shun Kawaguchi
川口瞬
かわぐち・しゅん●1987年山口県生まれ。大学卒業後、IT企業に勤めながらインディペンデントマガジン『WYP』を発行。2015年より真鶴町に移住、「泊まれる出版社」〈真鶴出版〉を立ち上げ出版を担当。地域の情報を発信する発行物を手がけたり、お試し暮らしができる〈くらしかる真鶴〉の運営にも携わる。
photographer profile
MOTOKO
「地域と写真」をテーマに、滋賀県、長崎県、香川県小豆島町など、日本各地での写真におけるまちづくりの活動を行う。フォトグラファーという職業を超え、真鶴半島イトナミ美術館のキュレーターとして町の魅力を発掘していく役割も担う。
神奈川県南西部の真鶴町に、〈おかげ荘〉という少し変わったネーミングの民宿がある。
おかげ荘は1日1組限定の宿で、昼間は〈おかげカフェ〉という喫茶店も営む。
約30年続くこの民宿は家族経営で、創業からスタイルを変えながら、
家族みんなにずっと守られてきた。宿でありながらも、
地元の町民にも愛されるその場所には、代々受け継がれている心遣いがあった。
おかげ荘は、真鶴港から海に背を向けて少し坂を登った場所にある。
かわいらしい手づくりのウェルカムボードを横目に玄関を開けると、
手づくりの雑貨が壁に飾られ、おばあちゃんの家に遊びにきたように
ホッとする感覚になる。常連客になると、
「ただいま!」と言って入ってくる人もいるという。
中に入って左手、1階の大広間には低いテーブルと椅子が並ぶ。
普段はおかげカフェとして、近くに住む人たちが
ランチやデザートを楽しむ場所になっているのだ。
2階に上がると12畳の和室と、6畳の和室がひと部屋ずつ。
宿泊する人は、1泊2名からこれらの部屋を貸し切りにできる。
窓からは建物越しに真鶴港が見え、どの部屋も暖かい光が差し込む。
「1日1組限定にしてから、子連れのお客さんが増えましたね。
大人より子どもが多いときもあります。大人4人に子ども7人とか。
貸切だと、ほかのお客さんに気を遣わなくていいから好まれるみたいです。
これからベビーチェアやベビーバスも入れて、
もっと子どもたちが安心して泊まれる場所にしようと思っています」
そう語るのは“広報担当”で長女の青木千春さん。普段はスーパーで働きながら、
HPの運用やイベント出店の際に宿の手伝いをしている。
「チェックインをして、そのままどこにも行かずに帰っていくという人も結構います。
きっとそういう人は自由な時間、自分だけの時間をつくりにいらしてると思うんです。
だから私たちも、基本的には”何もしない“ことを心がけています」
おかげ荘の3人は、おいしいごはんと、静かな場所を提供するだけ。
あとはどう使うかは泊まる人たち次第。
ママ友同士で集まって、子どもたちの運動会が始まることもあれば、
仕事仲間で集まって、泊まりがけで経営戦略を立てる、
そんな使い方をしている人たちもいる。
静かな港のまわりで、そこでとれたおいしい魚を食べながら、
まわりの人の目を気にせず泊まれる場所。
こういう使い勝手のいい場所は、ありそうでない。
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おかげ荘ができたのはいまから29年前、昭和62年のことだ。
きっかけは、「家の建て替えだった」と女将の美代子さんは語る。
「この家を建て替えるときに、亡くなった主人が
どうしても民宿をやりたいって言ったんです。
私はサラリーマンの娘だから、そういう客商売は嫌だって反対したんだけど、
強引に押されて。主人は本業で青果の卸業をやっていました。
だから実際に民宿をやるのは、主人の両親と私だったんです」
当時は、大のおしゃべり好きというおばあさんが接客担当で、
元漁師のおじいさんがお刺身を担当。いまの女将さんはそのほかの料理をつくり、
ご主人は仲卸の仕事が終わってから皿洗いの手伝い。
まだ小学生だった千春さんと佳美さんも、おじいさんとおばあさんが布団を敷く横で、
「枕カバーをかける仕事」をやっていたという。
しかし、バブル崩壊とともに徐々に雲行きが怪しくなってくる。
真鶴町の観光客が減少するとともに、おかげ荘に来る客も少なくなってきたのだ。
「バブルのときは、毎年必ず会社単位で利用してくれてた会社がいくつかあって、
予約の取り合いだったんです。時代の変化だと思うんですけど、
いまはもう会社で慰安旅行自体をしないんですよね」と、千春さんは振り返る。
その頃は2階だけでなく1階も客室として使い、みんなで雑魚寝をしたり、
それでも人が入りきらず廊下で寝ている人までいたという。
「2、3年前ですね。これまでの効率重視の宿から、1日1組限定の宿に変えました。
そのときに料理の内容もガラッと変えたんです。例えばお子様ランチもすごいですよ。
大人と同じ大きさのハンバーグにエビフライが2本。
私たちが食べたいお子様ランチを全部載せちゃおうって。
そうしたら子どもだけでは食べきれなくて、親が手伝わなきゃいけないことに(笑)。
でも、子どもたちは喜んでくれますね」
ガラッと変えたという料理、みんなが驚くのがそのボリュームだ。
「お腹いっぱいに食べてほしい」という青木さん一家の気持ちが伝わってくるようだ。
もちろん、目の前の港でとれた魚の味は格別だ。
同じ頃、高校を卒業し、熱海のフレンチで働いていた次女・佳美さんも、
仕事を辞めるタイミングでおかげカフェを始める。
地元の人が、気軽に遊びに来られるような場所をつくりたかったのだという。
そして宿の料理にも、佳美さんのフレンチの腕前を生かした
「洋食コース」を追加する。金目鯛のポワレやブイヤベースなど、
「民宿」からは想像できないような料理が楽しめる。
(これにステーキ丼といった食いしん坊メニューもついてくるのがおかげ荘)
真鶴の老舗ひもの屋〈魚伝〉と協力し、オリジナル商品「なぶらキッシュ」も制作した。
魚伝のひものと、まいたけや青じそ、きんぴらなどを組み合わせて
キッシュにしたもので、月に一度港で開かれる「なぶら市」で限定販売される。
宿泊形態や料理の変更、カフェにオリジナル商品……。
この民宿で生まれ育った千春さんと佳美さんは、
ただそのままそれを引き継ぐのではなく、
時代に合わせて工夫し、スタイルを変えていく。
それにしてもおかげ荘というネーミングは、どうやってつけたのだろうか。
美代子さんに尋ねると、
「おかげ荘の名前の由来は、ひいおばあちゃんが
“おかげさん”って言われていたのがきっかけなんです。
ひいおじいちゃんが真鶴で網元をやっていて、
網元はいろんな人の手を借りないと成り立たないんですね。
それもあってか、ひいおばあちゃんは“おかげさまでおかげさまで”って言うのが
口癖だったんです。うちの家のことも真鶴の人たちが
“おかげさん”って通称で呼んでいたので、これを宿の名前にしようと決めました」
自分のセンスで来る人を魅了したり、
こだわりのスタイルで人を集める宿ももちろんある。
でもおかげ荘は、来てくれる人たちが居心地がいいようにスタイルを変え、
初めて完成する宿だ。「みなさまのおかげで」成り立つからこそ、
町外の人にも町民にも、みんなに愛される宿となる。
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おかげ荘
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