連載
posted:2017.2.27 from:神奈川県足柄下郡真鶴町 genre:旅行 / アート・デザイン・建築
sponsored by 真鶴町
〈 この連載・企画は… 〉
神奈川県の西、相模湾に浮かぶ真鶴半島。
ここにあるのが〈真鶴半島イトナミ美術館〉。といっても、かたちある美術館ではありません。
真鶴の人たちが大切にしているものや、地元の人と移住者がともに紡いでいく「ストーリー」、
真鶴でこだわりのものづくりをする「町民アーティスト」、それらをすべて「作品」と捉え、
真鶴半島をまるごと美術館に見立て発信していきます。真鶴半島イトナミ美術館へ、ようこそ。
writer profile
Hiromi Kajiyama
梶山ひろみ
かじやま・ひろみ●熊本県出身。ウェブや雑誌のほか、『しごととわたし』や家族と一年誌『家族』での編集・執筆も。お気に入りの熊本土産は、808 COFFEE STOPのコーヒー豆、Ange Michikoのクッキー、大小さまざまな木葉猿。阿蘇ロックも気になる日々。
photographer profile
Kazue Kawase
川瀬一絵
かわせ・かずえ●島根県出雲市生まれ。2007年より池田晶紀が主宰する写真事務所〈ゆかい〉に所属。作品制作を軸に、書籍、雑誌、Webなど各種メディアで撮影を行っている。
http://yukaistudio.com/
「あの高い建物が横浜のランドマークタワー。今日はスカイツリーが見えないねぇ」
神奈川県の西、真鶴駅から車で山道を走ること約10分。
松本茂さん一家が営む〈松本農園〉に到着すると、
その眺めに思わず「わぁ」と声が漏れた。
視界を遮るものは何もなく、相模湾を眼下に、
三浦、房総、大島、初島まで見渡せるのだ。空も海も青く美しい。
なんて気持ちのいい場所だろう。
約5ヘクタールにも及ぶ敷地には、みかんの木が4000本も植えられ、
繁忙期の10月から12月にかけては1日に500人のお客さんが
みかん狩りをしにやってくるという町内最大規模の観光農園だ。
3月下旬から5月上旬にかけては、甘夏をはじめ、
レモン、キンカン、ニューサマーオレンジなど
10種類ほどの柑橘を楽しめる雑柑狩りも行っており、
2月上旬のこの日も園内には鮮やかな実がなっているのを見ることができた。
このほかにも水仙花摘みやクロスカントリーとドッグランのコースも設置。
なんと犬のブリーダー事業も手がけ、園内にはレンタル犬もいる。
いずれもお客さんの要望に応えるかたちで、さまざまな事業に取り組んできた。
茂さんと長男の悟さん、手伝ってもらっている男性スタッフの3名で
畑の手入れや贈答用のみかんの出荷作業を行い、
茂さんの妻の紀子さんと悟さんの妻りえさんが接客を担当しているという。
松本さんは、東京農業大学で学んだ後、アメリカで1年間の農業研修を経験。
帰国後すぐに家業を継ぎ、40年以上にわたり運営に携わってきた。
松本農園の特徴は、除草剤は一切使用せず、雑草を刈りこんで肥料とし、
農薬も極力減らした、環境に負担のかからない農法を採用していること。
雑柑に至っては、農薬も除草剤も一切使わずに栽培しているそうだ。
その理由はいたってシンプルで、「畑の真ん中に自宅があるから」。
「やたら農薬を使うと、全部自分のところに返ってくるでしょう?
その昔は、農薬もいまと違って『虫が死ぬか、人間が死ぬか』と言われるくらい
危険なものも多かったの。農薬をまいたところにはドクロマークをつけて、
立ち入り禁止にしたりしていたんだよ。でも、うちではそれができない。
この環境がいまのやり方につながったんだね」
農薬をあまり使わず、しかもこれだけの広さの農園となると、草刈りは大変。
農家にとって草刈りは大仕事だとよく耳にするが……?
「いや、楽しいよ~! 意外にね、農家の人って、草刈りを楽しんでやってると思う。
だってほら、機械で刈っていったところがきれいになるじゃない。
俺なんて、ゴルフに行くのと変わらないって思ってるよ。腰の振りが似てるでしょ」
茂さんの言葉と目の前に広がる景色がときに重なる。
おおらかで、たくましくて、気持ちのよい風を感じるのだ。
そんな快活さの裏には、父・敬さんの決断も影響しているようだ。
「うちは親父の代から農協に入っていないんだ。
だから、規則に縛られることなく、自分たちの好きなようにやってこれた。
この農園自体は明治時代からあるんだけど、観光農園を始めたのはここ50年くらい。
それ以前については、親父が話したことが新聞記事になってるよ」
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受付近くに掲示してある神奈川新聞(昭和37年発行)によると、
松本農園の始まりは明治22年頃とある。
松本さんの祖父の叔父にあたる松本茂さんは、26ヘクタールの土地を開墾し、
6世帯、50人にも及ぶ農家を導入した。
苗木を3000本植え、神奈川県西で初となる大規模なみかん畑をつくったうえ、
乳牛も飼育し、松本牛乳舎の屋号で小田原方面へ出荷をしていたとも。
その跡を継いだのが松本さんの祖父にあたる松本赳さん。
農園にやってくるまでは松本雲舟の名で活躍した編集者・翻訳家でもある。
さらに晩年には真鶴町長も務め、漁港の築港、上下水建設など、
現在のまちの基礎をつくったひとりであり、
真鶴の歴史を語るうえで欠かすことのできない重要人物だ。
脈々と続いてきた歴史を背負うことに対して、その気持ちを聞いてみると
「プレッシャーなんて別にないですよ。俺は俺、じいさんはじいさん(笑)」
ときっぱり。
「小学生にもよく『楽しいですか?』って聞かれるんだけど、
こうやって自然の中で働けるなんて最高じゃないですか。
真鶴の農家は、みんな同じように海を見ながら仕事ができる。
それに自分の努力したことがつながっていくでしょう」
松本さんと同じく農業大学を卒業後、農園で働き始め、
今年で17年目を迎える悟さんは、
「観光農園のいいところは、お客さんの声が直に聞けるところ。
ときには苦情もあるので大変なこともありますが、
喜んでもらえたときはすごくうれしいです」とやりがいを語る。
「ここらへん、石が出てるでしょ? 石切り場の跡なんだよ」
散策コースを半分ほど歩いていると、壁面や地面から
むき出しになった大きな石やこっぱ(石のかけら)を目にするようになった。
「昔は海の近くから石を切り出して、そのまま海にゴロっと落として、
船で江戸に運んでいったの。石を割った跡まで残ってるよ」
真鶴において石材業は主要産業のひとつ。
その歴史は古く、真鶴町役場前の丘の上に建つ「石工先祖の碑」(真鶴町指定文化財)
によると、保元平治之時(1156年頃)に土屋格衛が興したと記されている。
なかでも、真鶴でしか採ることのできない「本小松石」は、
日本の名石として知られ、江戸城建設の際に大量に運び出された。
現在も最高級品として取引され、多くの著名人の墓石にも用いられているほど。
「資本はかけずにいまある施設をうまく生かす」
そんな松本さんの姿勢は、真鶴の歩みをそのまま残すことにもつながっている。
帰り際、松本さんが手渡してくれた手づくりの新聞には、
松本家の周りで起こった出来事から、社会派のコラムまで、
ぎっしりと文字が並んでいた。
「こうやってなんでも自分でつくるの。園内の看板もそう。
この新聞は贈答用の商品に同封してるんだけど、こうすることで
うちに来なくても、私たち家族の顔が見えるでしょう? うちの歴史の記録にもなる。
ネタが思い浮かばなかったら、みんなのことも書いちゃうよ!」
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松本農園
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