連載
posted:2016.8.17 from:徳島県牟岐町 genre:活性化と創生 / アート・デザイン・建築
〈 この連載・企画は… 〉
地方都市には数多く、使われなくなった家や店があって、
そうした建物をカスタマイズして、なにかを始める人々がいます。
日本各地から、物件を手がけたその人自身が綴る、リノベーションの可能性。
writer profile
Kosuke Bando
坂東幸輔
京都市立芸術大学講師/坂東幸輔建築設計事務所主宰。1979年徳島県生まれ。2002年東京藝術大学美術学部建築学科卒業。2008年ハーバード大学大学院デザインスクール修了。スキーマ建築計画、東京藝術大学美術学部建築科教育研究助手を経て、2010年坂東幸輔建築設計事務所設立。京都工芸繊維大学非常勤講師。徳島県神山町、牟岐町出羽島など日本全国で「空き家再生まちづくり」の活動を行っている。主宰する建築家ユニットBUSが第15回ヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展(2016)日本館展示に出展。
こんにちは、建築家の坂東幸輔です。
これまでの連載では徳島県神山町での空き家再生まちづくりについて書いてきました。
今回からは舞台を移し、徳島県南部の海のまち・牟岐町の
出羽(てば)島で行っている活動について紹介したいと思います。
出羽島は牟岐港から連絡船で15分の沖合にある、
周囲約4キロの小さな島です。車が1台も走っていない出羽島では、
建物を建てたり壊したりということが大変で、
明治から昭和のはじめ頃の民家がそのまま残っています。島に降り立つと、
まるで昭和にタイムスリップしてしまったのではと思うような
レトロな建物が並ぶ風景が広がっています。
最盛期には700人いた人口も現在は70人、高齢者率も高く、
島内の3分の2の建物が空き家という、
放っておいたら10年後には無人の島になりかねない、消滅の可能性の高い島でもあります。
牟岐町の人たちも黙って見ているわけではありません。伝統的なまち並みを再生するために、
平成29年度より出羽島の集落が「重要伝統的建造物群保存地区(重伝建)」
の指定を受ける予定で、国から補助を受けて伝統的な価値をもつ民家を改修していく予定です。
私と出羽島の出会いは『出羽島アート展』がきっかけです。
2014年3月、出羽島という場所でアート展が開催されていることを新聞で知り、
休日に遊びに行きました。初めて島を訪れた私は、ひと目で出羽島に惚れ込んでしまいました。
「ミセ造り」と呼ばれる折りたたみ式の雨戸をもった
伝統的な民家のまち並みのなかで、都会に住む現代人がすでに失ってしまった、
仕事と生活が地続きで人の営みを感じさせる島の風景に出会い、クラクラしました。
古民家好きの私にとって、出羽島はまさに宝の島だったのです。
「出羽島に住みながら、民家の再生をライフワークにして生きられたらなんてすてきなんだろう」
と、島を訪れた後で目をハートにしながら会う人みんなに出羽島の魅力を語っていました。
前回、神山町で夢を語っていたら
えんがわオフィスの設計を頼んでもらえたエピソードを紹介しましたが、
出羽島でも自分の夢をいろいろな人に話していくうちに、
本当に仕事を頼んでいただくことになりました。
熱烈な島へのラブコールが通じたのです。
2014年の終わり頃、牟岐町の教育委員会の方から
出羽島の空き家〈旧・元木邸〉の改修工事の基本設計をしてほしいと依頼されました。
重伝建に指定される前に民家改修のお手本をつくりたいと、牟岐町が購入した空き家です。
外観は歴史的調査を行ってオリジナルの状態に復元をするけれど、
内部を島の人や移住者・交流者が集まれる建物にしたいという要望でした。
しかし、いくつか条件もありました。
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「実施設計はこれまで出羽島の調査を行ってきてくれた地元の建築士に頼みたい」
さらに、「基本設計も大学生に設計させてほしい」
というのが牟岐町からの条件でした。
あれ、私はいったいどこを設計すればいいのか、
建築家として引き受けていい仕事なのだろうか、と最初は戸惑いましたが、
神山で学んだ「やったらええんちゃうん」の精神でやってみることにしました。
最近は全国の地方公共団体から空き家再生の相談を受けることが増えているのですが、
「活用したい空き家がある、改修のための予算も用意した、
しかし何に使っていいのかわからないから一緒に考えてほしい」
という依頼がほとんどです。
ハードとして建物を改修することは問題ではありません。
改修後の中身がないことが問題となっています。
人口が減少している現在、建物の中に入るソフトを生み出すことが
最近の建築家に求められていることではないかと感じます。
出羽島の空き家改修は私にとって空き家の使い道から考える、
初めてのプロジェクトとなりました。サテライトオフィスとして
活用するための空き家が足りない神山町で活動していた私にとってなかなかのショックでしたが、
神山町が特別な場所だったのだと思います。
全国では、空き家を持て余している地域が増えているのです。
出羽島では、東京や大阪などから集まってきた大学生を中心にワークショップを行いました。
出羽島の歴史や生活・文化について調査し、島の人たちと仲よくするなかで
少しずつ出羽島に何が求められているのかを探っていきました。数か月かけて、
週末の土日に1泊2日で出羽島に滞在するワークショップを何度も行いました。
ワークショップを重ねるうちに
出羽島に愛着を持って中心的に関わってくれる建築系の大学生が現れました。
食堂が1軒もない出羽島に、島の人や移住者・交流者が集うことのできる
カフェのような場所をつくろうということが、徐々に決まっていきました。
学生たちが島の漁師さんが長靴でも入って行けるようにと
広い土間スペースを持ったカフェスペースを提案してくれました。
学生たちの設計提案がどのように実現するのか、
次回は改修工事が終わったばかりの旧・元木邸の工事から
完成までの様子や島での使われ方をご紹介したいと思います。
最近はありがたいことに、日本全国の地域からまちづくりの依頼をいただくようになりました。
これまでは基本的に地域の人と接する仕事は私が直接やってきたのですが、
そろそろひとりでいくつもの地域に関わっていくことが難しくなってきました。
そこで、「地域が育てる建築家」という考え方で
若い建築家たちに地域に関わってもらう仕組みづくりにチャレンジしています。
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「地域が育てる建築家」のアイデアが生まれたのは、出羽島のプロジェクトで
神山の家具デザイナー・鴻野祐さんと協働したことがきっかけです。
出羽島に移住者を増やそうとしている牟岐町が、
交通やネット環境に恵まれていない島の外に移住者の仕事場をつくろうと、
廃校となった旧・牟岐小学校の一部をコミュニティ・カフェに改修しました。
「コミュニティ・カフェの家具を学生と一緒にワークショップでつくってほしい」
と牟岐町から依頼された際に、
「神山町から家具デザイナーを講師として連れてきてほしい」
という条件がありました。
神山町で家具をデザインしている若者というと、ひとりしかいません。
すぐに鴻野祐さんの顔が頭に浮かびました。
彼が大学を卒業後すぐに神山町に来た頃に出会ったきりだったので、
名前は思いついたものの、
まだまだデザイナーとしては未熟な人という印象がありました。
経験豊富な東京のほかの家具デザイナーを紹介しようとする私に対して、
牟岐町の方がどうしてもというので、鴻野さんに頼むことになりました。
実際ワークショップを一緒にやってみると、私の心配は杞憂だったことがわかりました。
もともとの性格のよさや面倒見のよさで学生には丁寧に指導してくれるし、
神山町で身につけた生活力で食事も率先してつくってくれます。
神山町でたくさんの仕事を頼まれていたようで、
いつのまにか一人前の家具デザイナーになっていました。
田舎にはデザインの仕事はないと思われがちですが、
デザイナーがいないだけで実は需要はたくさんあるのです。
若くて人懐っこい鴻野さんには神山中の家具の仕事が集まったようです。
知り合ってから4年後には立派な家具デザイナーになっていました。
鴻野さんは神山が育てたデザイナーと言えるでしょう。
私の事務所にはよくアトリエ系の設計事務所に務めたのはいいけれど、
過酷な職場環境に耐えられず相談にくる学生が多いです。
同時に空き家を多く抱える地域には若い建築家が必要だという場面によく出くわします。
地域と建築を学ぶ若者を引き合わせ、
地域に建築家として育ててもらえることができるのではないかと、
「地域で育てる建築家」の仕組みづくりに挑戦しているというわけです。
まだまだどういうかたちになるかわかりませんが、
その取り組みについてもいつかご報告できたらと思います。
次回は旧・元木邸がどのように生まれ変わるのか、お楽しみに。
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