連載
posted:2016.12.7 from:香川県丸亀市 genre:活性化と創生 / アート・デザイン・建築
〈 この連載・企画は… 〉
地方都市には数多く、使われなくなった家や店があって、
そうした建物をカスタマイズして、なにかを始める人々がいます。
日本各地から、物件を手がけたその人自身が綴る、リノベーションの可能性。
writer profile
Kosuke Bando
坂東幸輔
京都市立芸術大学講師/坂東幸輔建築設計事務所主宰。1979年徳島県生まれ。2002年東京藝術大学美術学部建築学科卒業。2008年ハーバード大学大学院デザインスクール修了。スキーマ建築計画、東京藝術大学美術学部建築科教育研究助手を経て、2010年坂東幸輔建築設計事務所設立。京都工芸繊維大学非常勤講師。徳島県神山町、牟岐町出羽島など日本全国で「空き家再生まちづくり」の活動を行っている。主宰する建築家ユニットBUSが第15回ヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展(2016)日本館展示に出展。
みなさん、空き家再生してますか、建築家の坂東幸輔です。
今回は丸亀市で行った〈港のカフェPIER39〉プロジェクトの様子を紹介します。
瀬戸内国際芸術祭2016秋会期の開催に合わせて、
丸亀フェリーターミナル2階の空きテナント〈PIER39〉を再生して
5日間だけウィークエンド・カフェを開催しました。
講演会などで徳島県神山町の話をすると、
「神山町に関わるようになったきっかけは何ですか」
という質問をよくいただきます。
神山町のようにドラマティックに変化を遂げたまちに関わることになった
最初のきっかけにみなさん興味があるようです。
海のカフェPIER39の場合は、私が空間に惚れ込んでしまったのです。
港のカフェPIER39は、空き家を使って
まちづくりのきっかけをつくってしまおう、というプロジェクトです。
ただし空き家の改修工事は一切なし、予算をかけず掃除するだけで使い始めました。
PIER39と出会いは2015年9月の「リノベーションまちづくりシンポジウム」の
パネラーのひとりとして参加したときのこと。シンポジウムの後で、
高松の建築家カワニシノリユキさんに
とっておきの空き家があるからと案内してもらったうちのひとつが
丸亀フェリーターミナル2階にある空きテナントPIER39でした。
PIER39は1984年にオープンした喫茶店でした。
フェリーの待ち時間や地域の方のランチにと活用されていたそうなのですが、
利用客の減少により閉店。20年近く空きテナントとなっていました。
もともと市の所有の建物なのですが、借り手がずっと見つからなかったそうです。
窓から覗いた印象ではかなり丁寧に内装がデザインされています。
その頃、出羽島のプロジェクトに関わり始めたばかりで(vol.4、vol.5参照)、
海の近くや港といった場所に興味のあった私は
PIER39にすぐに惚れ込んでしまいました。
いい空き家が見られてウキウキしながら、年に行われた瀬戸内国際芸術祭で、
土日のフェリーターミナルに長蛇の列に並んだ経験のある私は
「瀬戸芸の期間にPIER39でかき氷屋さんでもやれば儲かりますね。
誰かやればいいのに」という雑談を一緒にいた人たちとしていたのですが、
はっと気がついてしまいました。
「その誰かは自分なんじゃないか」
この連載の中でも、地域でのまちづくりは
「何をするかではなく、誰がやるか」だ、ということを書きましたが、
PIER39の「誰か」は自分なんじゃないかと運命を感じてしまったのです。
徳島県内では神山町と出羽島でまちづくりの活動をしていましたが、
瀬戸芸や地域の美術館に育てられた
アートカルチャーのある地域で活動してみたいということも動機のひとつになりました。
猪熊弦一郎美術館のある丸亀は文系女子やサブカル女子が闊歩しています。
同じ四国でも徳島にはそういった女子は一切いないので
初めて見た時は衝撃を受けました(笑)。
自分でPIER39を再生しようと決心した後、
シンポジウムに私を呼んでくださった地域のキーマンである、
『四国食べる通信』編集長の真鍋邦大さんに相談し、
丸亀市の若手職員の方たちをご紹介いただいたことで、
瀬戸内国際芸術祭2016の期間中のPIER39の使用許可をいただきました。
今回のプロジェクトは私の場所への興味から始まった、ごく個人的なプロジェクトです。
市からは場所の無料提供をしていただきましたが、資金的な援助はもらっていません。
個人的に応募した第一生命財団の研究助成金をもらって、
研究として行っているため、自由に活動することができました。
港のカフェPIER39プロジェクトの本格的なスタートは2016年4月末からでした。
閉店してから約20年間使われていなかったPIER39の掃除を
京都工芸繊維大学の学生の垰田ななみさんや市役所の若手職員の皆さんと行いました。
埃まみれだった空き家が、ゴミを捨て、床をモップがけして、
窓や家具をきれいに拭くと見違えるようになりました。
ファブリックの汚れやカウンターの傷みなど、掃除ではどうしょうもない箇所もありましたが、
気にしなければすぐに使える状態になりました。
さっそく、丸亀市の方たちがゴールデンウィークにまちづくりのイベントを開催してくれました。
今回の港のカフェPIER39プロジェクトのように
ぜひ皆さんにもまちにある空き家も掃除をして使い始めてみてほしいのですが、
その際に注意したいのは、漏電と漏水です。
古くなった配線・配管に電気や水を流すと、事故が起こる可能性があります。
素人が大丈夫だと判断をせず、必ず電気屋さんや水道屋さんに相談するようにしてください。
掃除を終えた後は、毎月丸亀に通い、少しずつプロジェクトを進めていきました。
香川大学の学生を中心に、丸亀の商店街の空きテナントで
カフェを行っている〈るるるカフェ〉のメンバーたちが
PIER39のプロジェクトに協力してくれることになりました。
プロジェクトは私が非常勤講師として教えている、
京都工芸繊維大学や研究室のある京都市立芸術大学の京都の大学生チームと
香川の大学生チームのコラボレーションに発展しました。
PIER39で販売するフードメニュー開発を香川の学生、
内装やユニフォームのデザイン・制作を京都の学生が担当し、
準備を進めていきました。丸亀市役所の若手職人の皆さんの多大な協力もあり、
10月8日の瀬戸内国際芸術祭秋会期の開催に合わせて
〈港のカフェPIER39〉を5日間の限定オープンさせることができました。
開催を5日間の限定にしたのは、
京都から毎週通うことが難しかったこともありますが、私たちがいない間も
カフェをオープンしてくれる人が現れる余白をつくりたかったからです。
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港のカフェPIER39では昼はカフェ、夜はバーとして営業しました。
カフェのメニューはコッペパンにエビカツや焼うどん、
たまごを挟んだおかずパン、
桃やサツマイモのジャムとアンコをバタークリームと挟んだデザートパンを中心に、
スープやドリップコーヒーなども販売しました。
最初はゆっくりした出足でしたが、少しずつ瀬戸内国際芸術祭のお客さんたちが
フェリーの待ち合い場所として使ってくれるようになりました。
学生も私も最初は勝手がわからず、戸惑いが多かったのですが、
3日間の連休の営業を終える頃には、何時のフェリーの出発前には何が売れやすい、
といったことまでわかるようになり、
朝に100個準備したパンが1日ですべて売り切れるようになりました。
瀬戸内国際芸術祭のお客さんが多いのではと思っていたのですが、
地域の方も多く来てくれました。
「子どもの頃PIER39に来た思い出があったから」
「昔ここで大きな海老フライを食べたんだよ」
などと地域の方から口々に思い出話を聞かせてもらいました。
なかには、以前からPIER39を活用したいと思っている方がいたようで、
毎日通って思いを聞かせてくれる方もいました。
昼間カフェ営業をした後で、夜はバー営業も行いました。
夜は誰も来てくれないのではという心配をよそに、多くの地域の方が飲みに来てくれました。
市の広報やSNSでの告知のかいがあって、シックな内装のバーで、
夜の海を眺めながら飲むカクテルを楽しみにして来てくださったお客さんが多かったようです。
徳島県神山町の家具デザイナーの鴻野祐くんにも来てもらってDJをしてもらいました。
徳島県出羽島からも学生たちが来てくれました。
なんと移動図書館の“ねことしょ”を持ってきてくれ、
PIER39で出羽島の宣伝をしてくれました。PIER39では地域の壁を超えて、
京都・香川・徳島の学生たちが楽しそうに活動している姿に感動しつつ、
自分が普段、いろいろな地域を飛び回ることで、
「いろいろな場所の人たちをつなぐことができるのか」、とうれしくなりました。
10月後半の週末にも港のカフェPIER39をオープンしました。
『せとうち暮らし』という雑誌のトークショーをPIER39で開いたりと、
自分たち以外の人が主催するイベントも開催されました。
私たちがいなくなった後も〈まるがめみちあかり〉というイベントで
PIER39を使うので、ポスターを置いてほしいと地域の方から頼まれました。
たった5日間の営業が、次のPIER39の活用につながった瞬間でした。
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私のようなしがらみのない外の人間が頼んだから
丸亀市がPIER39の使用を許可してくれたのだと思います。
PIER39は自分たちが想像していたよりも注目度が高く、市長や市議会議員の方たちや、
私たち以前からPIER39に興味を持っていた市民の方々、
この場所に思い出のある方や近くに住む方がたくさん訪れてくれました。
現在、PIER39を使いたいという地域の方が丸亀市と交渉をし始めてくれています。
また、周辺の地域に空き家となってしまった古民家をお持ちの方から
ぜひ見にきてほしいという依頼を受けました。
まちづくりのきっかけづくりとしては十分な効果をあげたのではないでしょうか。
〈港のカフェPIER39〉を実際にやってみて感じたのは、
カフェを一緒に運営することで教員・学生という立場を超えた関係が生まれることです。
普段、大学では教える側・教わる側の立場ですが、
カフェでは客の呼び込みが得意、コーヒーのドリップが上手い、
来てくれたお客さんへの気遣いや丁寧なコミュニケーションができるといった、
普段の制作からは見えない学生の個性が見えます。
私自身が学生の働き方から学ばせてもらうことも多かったです。
教員・学生という立場ではなくても、一緒に普段と違うことに挑戦することで、
その人に対するいろいろな発見があるということは、とても貴重なことだと思いました。
将来、香川大学の学生たちの中から本格的なカフェをやってみたいと、
京都の学生に内装のデザインの依頼がくるといったことが起きると、
やったかいがあるなと思っています。
〈港のカフェPIER39〉の本当の効果が現れるのはこれからなのではないかと思います。
今回、私は図面を描かずに、コーヒーを出したり、
カクテルを作ったりということを5日間、ずっとやっていました。
これは建築家の仕事なのでしょうか。
最近はそれも建築家の仕事のひとつなのかなと思っています。
空き家再生まちづくりの活動を始めて6年、最近では北海道から九州まで、
幅広く空き家再生の相談をいただくようになりました。
都市部の集合住宅から山間部の古民家まで、
空き家の種類も建っている場所もまちまちです。
空き家再生の相談は個人や民間のNPO法人からいただくこともありますが、
行政から相談を受けることも増えてきました。
徳島県神山町や出羽島、そして北海道浦幌町での空き家再生まちづくりの活動は
これまでの連載でも何度もお話しましたが、ほとんどの相談が
「活用したい空き家(遊休施設)がある、改修のための予算も用意した、
しかし何に使っていいのかわからないから一緒に考えてほしい」
という内容です。空き家、つまり過疎や人口減少などによって
余ってしまった建物の活用方法を皆さん悩んでいます。
地域が地方創生で盛り上がり、空き家再生へ注目の高まりを感じますが、
議論の多くがどうやって空き家を改修するかというハードの話ばかり。
誰が何のために空き家を使うかというソフトの話が置き去りにされがちで、
結局は箱モノ行政に戻ってしまっているのではと危惧することもあります。
人口が減少している以上、改修した建物を上手に使いこなす人が現れないと、
まちから空き家はなくなりません。
〈港のカフェPIER39〉ではソフト面を発展させることだけに集中しました。
空き家再生がハード整備ばかりの箱モノにならないよう、
これからもハードとソフトのバランスをとりながら
空き家再生まちづくりの活動をしていけたらと思います。
実は今回で私の連載は最終回になります。
徳島県三好市でのシニア層向けの空き家再生の話や、
福岡での温泉を生かした古民家再生の話など、
空き家・古民家をめぐる話もまたいつかの機会にさせていただけたらと思います。
リーマンショックで一時は建築をあきらめかけましたが、空き家再生を通して、
建物をつくる喜びを思い出しました。
今後は空き家再生と同時に新築の建物の設計にも力を入れていきたいと思っています。
空き家にならず愛着を持って長く使い続けていってもらう建物を
どうやってつくるのか、空き家再生から学んだたくさんのことを生かしていきたいと思います。
新築・改修にかかわらずこれからも建築の設計や
まちづくりを「楽しく」続けていけたらなと思います。
全7回の連載、楽しんでいただけましたでしょうか。
空き家をお持ちで使い途に悩んでいる方がいらっしゃいましたら、
ぜひご連絡ください。日本全国どこでもうかがって、
一緒に活用のアイデアを考えさせていただけたらと思います。
長い間どうもありがとうございました。
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